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#葛巻町社会体育館
yes-keita · 2 years
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イクノ・ミニ(二回目) 西根ミニバス少年団!ガンガン! マイケル・ブンタ むむっ!むむむ! #八幡平市 #二戸市 #一戸町 #滝沢市 #雫石町 #盛岡市 #岩手町 #盛岡 #雫石 #葛巻町 #葛巻 #西根ミニバス少年団 #ミニバス #ミニバスケットボール #八幡平市スポーツ少年団 #練習試合 #体育館 #葛巻町社会体育館  #マイケルブンタ #かまいたちの夜  (Kuzumaki, Iwate) https://www.instagram.com/p/Cgq08mSBdm2/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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2ttf · 12 years
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yoghurt-freak · 2 years
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青のヨーグルト 加糖
ときめきセット2点目は、くずまき高原牧場さんの青のヨーグルト。
「青」は牧場に広がる広大な青空から🌤
くずまき高原牧場
葛巻町畜産開発公社さんが運営する日本一の公共牧場。
総面積1,524haで、飼養頭数はなんと2,430頭(平成30年3月末時点)🐄🐄🐄🐄🐄🐄🐄🐄🐄
育成牧場から始まり、徐々に事業拡大して搾乳・乳製品の製造まで到達されたそう。
今も育成事業が中心で、搾乳は常時80頭。
去年見学にお邪魔させてもらってんけど、コテージや宿泊施設、乳加工場、パン工場、レストラン、ショップ、交流会館、バイオガスプラント等々、なんでも揃ってて牧場が1つの街みたいやった。
受賞歴
「岩手県乳質改善大賞」を2年連続受賞🥇
さらに今年は「ヨーグル党総選挙」のカ党部門で「くずまき高原ヨーグルト」が3位入賞🥉
シュクラン
くずまき高原牧場さんは、盛岡のパルクアベニューカワトク地下1Fに、ヨーグルト専門店「シュクラン」をご出店。
いろんなフレーバーのヨーグルトが計り売りされて楽しいので、盛岡にお立ち寄りの際は是非に💁🏻‍♀️
スペック
牧場で搾った生乳を低温殺菌(75℃15分)して作られたノンホモ加糖ヨーグルト。
オンラインショップではアルミパウチ入りの450g、1000gサイズも。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧ 開封 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧
ほんまは上部にうすーいクリーム層ができてるんやけど、今回は輸送の揺れで消滅しちゃってた😣
きれいな層はまた現地行った時に楽しもう。
なめらかで柔らかいヨーグルト。
甘くて、なんとなく懐かしい香り付き😋
香り付けがすんごい控えめなんがありがたい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧ 頂きます🙏 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧
あーーーーおいしい💕
クリームかなって思うぐらい甘くて濃ゆいお乳の味😍
でも食感は軽いというこのギャップ!
マッタリとコクのある味わいにじわじわ攻め込んでくるほのかな酸味がたまらん💙💙💙
クリーミーな舌触りにもうっとり😊
香りつきなんやけど、「香料です!」みたいな主張がなくて、ミルキーさを引き立ててくれてる名脇役👏
くずまきさんのヨーグルトはお乳の味がしっかりしてるから全部好き!!
🛒 くずまき高原牧場 オンラインショップ
============================ 無脂乳固形分 8.6% 乳脂肪分 2.8% ————————————————— 栄養成分(1個90gあたり) エネルギー 93.6kcal たんぱく質 3.7.g 脂質 3.5g 炭水化物 11.9g 食塩相当量 0.1g ————————————————— 原材料名 生乳(岩手県葛巻町産)、砂糖、乳製品/香料 ————————————————— オンラインショップ価格 90g 220円(税別) 450g 430円(税別) 1000g 650円(税別) ————————————————— 製造者 一般社団法人 葛巻町畜産開発公社 くずまき高原牧場 ============================
ヨーグルト専門店 シュクラン
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パルクアベニューカワトク地下1F
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ヨーグルトが計り売りで購入できます🥄
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瓶入りのヨーグルトや牛乳、プリン、チーズなども。
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プレーンヨーグルト300g、山ぶどうヨーグルト200g、洋なしヨーグルト200g、白のプリン。
最高のヨーグルト定食🤤💕
2021年8月31日のレビュー
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葛巻町畜産開発公社さん運営の、超巨大牧場。
総面積1,524haで、飼養頭数はなんと2,430頭(平成30年3月末時点)🐄🐄🐄🐄🐄🐄🐄🐄🐄
育成牧場から始まり、徐々に事業拡大して搾乳・乳製品の製造まで到達されたそう。
今年4月に見学に行かせてもらってんけど、ほんま広かった😳
いろんな施設が充実してて、牧場自体が一つの町みたいな規模感。
スペック
牧場で搾った生乳を低温殺菌(75℃15分)して作られたソフトヨーグルト。
その生乳は「岩手県乳質改善大賞」を2年連続受賞されるほどの高品質🥇
牛さんの餌や育成環境に徹底的にこだわっていらっしゃるから、岩手県内でもトップクラスのお乳が出るんやなぁ🐮
ちなみに商品名の「青」は牧場に広がる綺麗な青空から。
写真つけとく🥰
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧ 開封 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧
ピチッと凝固してて、ほんのり離水。
あっ!!
ピチッと凝固してるんじゃなくて、クリーム層やった😍
ノンホモ💓
上層数ミリだけ硬くなってて、その下は柔らかいヨーグルト。
懐かしいヨーグルトの香料がほんのーーーーりついてる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧ 頂きます🙏 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧
あぁ、懐かしい味。
昔のヨーグルトによくついてた香り💕
でもお乳の旨味がおそろしく強くて、このチープな香りとのギャップがすごい。
そしてクリーム層やばぁぁぁぁ!!!!
めちゃめちゃ甘くとろける🤤💓
味として感じる酸味は控えめなんやけど、意外と喉にピリピリくる刺激あり。
ヨーグルト、ちょっぴり粘りがあっておもしろい質感。
甘さ控えめで、ドシっと構えた自信あふれる味に、わたしのなけなしの乙女心が全部持ってかれる💘
イケメン…
そしてこれ、賞味期限近づくに連れて結構わかりやすく酸味出てくる!
あとから食べたのめちゃ酸味効いてておいしい😍
お乳の味がハッキリしてるから酸味と合う💓
複数買いして日を分けて食べるのおすすめ!!
============================ 無脂乳固形分 8.6% 乳脂肪分 2.8% ————————————————— 栄養成分(1個90gあたり) エネルギー 93.6kcal たんぱく質 3.7.g 脂質 3.5g 炭水化物 11.9g 食塩相当量 0.1g ————————————————— 原材料名 生乳(岩手県葛巻町産)、砂糖、乳製品/香料 ————————————————— 製造者 一般社団法人 葛巻町畜産開発公社 くずまき高原牧場 ============================
商品名の「青」の由来になった牧場の青空
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ここでヨーグルトが作られる
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見学中
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お土産いっぱい
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プラトー(宿泊施設)
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keredomo · 3 years
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『八月の光』、分厚いですよね(前半)
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 五月ですね。先日の雷鳴はどこでご覧になりましたか。美しかったですね。光で空が真っ白になるとき、私たちは諦めること以外に何かできるのでしょうか。呆然と立ち尽くすこと以外の何ができるのでしょうか。  あれは春の光でしたね。春の夜の白い光は淡くそら寒い。しかし、夏の光というのは、人に人を殺させるほどの眩い激しさを孕んでいるものです。暴力を無にしそうなほどの何かを。
 四月上旬、在宅勤務指示にともない理不尽に給与を減らされ、抵抗の意志をもってウィリアム・フォークナーの『八月の光』(原著1932)を読み始めました。加島祥造訳の新潮文庫版(1967)。本編は656ページまで。日本語とはなぜか幅をとるもので、訳書はたいてい原書の厚みの2〜3倍になるものですが、それにしても656ページかあ。長いね。  なんだか、なんだかね、「短く書かなければ読んでもらえない」圧力のもとに暮らしているとね、毎日悲しいんだ。生まれた言葉をみずから削ぎ落とさなければならないことが。肩の肉をナイフで切り落としている感覚がします。だからと言って、読んでくれと人に押し付けるのも申し訳なくてできない。誰かの時間を奪うことが憚られる。突然の吐露ですみません。  で、今日はもう一切憚らずに書こうと思います。なので、長くなります。もはや原作より長い(体感)。まあ実際は削ることのほうが書くことの本質であったりはしますが……。
 この記事は総体的に本書を論じるものではありません。『八月の光』を読んでいて気になった箇所を執拗にピックアップし、それについてうだうだ話す私的な記事です。未読の方が読まれてもおもしろいかどうかわかりません。読まれるための文章を書けなくてごめんなさい。  この記事の本編を読まなくても『八月の光』がどんな話かわかるよう、雑な人物紹介を書きます。ここだけ読んでお土産としてお持ち帰りください。
【主な登場人物】
リーナ・グローヴ:男に逃げられシングルマザー秒読みの20才。電波。
ジョー・ブラウン:クズ。生娘リーナを孕ませて逃亡。走る下半身。
ジョー・クリスマス:悲劇のヒロインを地で行く33才男性。
ジョアナ・バーデン:中年で初めて肉体の愛を知り気が狂う44才女性。
バイロン・バンチ:内面がない残念な35才男性。リーナに一目惚れ。
ゲイル・ハイタワー:町から追放された元牧師。妻は不倫のあげく自殺。
 これだけ役者が揃っていれば面白いに決まっていますね。ついでなのであらすじを新潮文庫の背から引用します。
臨月の田舎娘リーナ・グローヴが自分を置去りにした男を求めてやってきた南部の町ジェファスン。そこでは白い肌の中に黒い血が流れているという噂の中で育ち、「自分が何者かわからぬ」悲劇を生きた男ジョー・クリスマスがリンチを受けて殺される——素朴で健康な娘と、南部の因習と偏見に反逆して自滅する男を交互に描き、現代における人間の疎外と孤立を扱った象徴的な作品である。
 限られた字数でよくこんなにしっかりまとめられたものだ。私にはこんなに短くこの本を紹介することは逆立ちしたってできない。たしか新潮社の新卒入社試験では「好きな本を一冊選び、背のあらすじを書け」という課題が出ていた記憶があります。
 以上です。ご高覧ありがとうございました。残りの2万字はおまけです。
【目次】
42ページ まだ少女の妄言を笑っていられた私たち
52ページ バイロン・バンチには「内面」がないのか?
149ページ 出自が不明であることの恐怖
166ページ 孤児院、胸糞悪すぎるクリスマスの悲劇
171ページ こんなこと言われたら死んじゃう
202ページ 「野蛮人のように、犬のように」食うこと
306ページ 待ってました地獄の恋愛パート
343ページ 「あたしまだ祈る用意がないわ」依存と信仰
まだ半分かよ(ここまで372ページ)
42ページ まだ少女の妄言を笑っていられた私たち
『すくなくとも双子だわ』と彼女は唇も動かず声にもならぬ言葉で自分に言う。それから胎動は過ぎる。彼女はふたたび食べる。馬車は止らずにゆく、時間は止らずに進む。馬車は最後の丘を登りきり、彼らは煙を見る。
 一般的に、この本の主人公は二人いるとされます。その一人が、自分を孕ませて逃げた男が「私を待っているはず」と盲信し、その逃げ先もわからないまま「神様がすべてごらんになって正しいことは成就させてくれる」と信じて身重の身でありえない距離を放浪してその男を探す娘、リーナ。  先の引用は、ヒッチハイクした馬車に揺られて夜を行くリーナが、膨らみつつあるお腹をさすりながら独り言ちるセリフです。序盤のリーナの絶望的に愚かな猛進を呆れかえってハラハラしながら読んでいる頃で、リーナのように深く神だけを信じているわけではない私はまだこのセリフを滑稽だと笑っていました。  でも、実際にリーナは、見ず知らずの他人の親切と運のよさ=神のお導きを借りながら、最終的にはジョー・ブラウン(下半身)のいる町ジェファソンに辿り着きます。  「人事を尽くして天命を待つ」世界観を生きる私と「神を信じて人事を尽くす」世界観を生きるリーナにどれだけの違いがあるというのか。彼女を笑っていた私のほうが本当は愚かなのでしょう。
52ページ バイロン・バンチには「内面」がないのか?
なぜならどこで生れてどこで暮したにせよ、この男はただバッタみたいにこの国土で生きてきただけだ、と誰もみんな知っていたからだ。まるで、彼はそんな生き方をあまり長くつづけたので、いまでは彼のすべてがすっかり散らばって解体してしまったというようだ、残ったものといえばただ透き通って重さのない抜け殻、それも風のままにあちこち行方を定めず吹きとばされてゆく抜け殻といったふうだった。
 ただ真面目に暮らして流れるに逆らわずに生きる。そんな生き方を1930年代のアメリカは嘲笑しています。このバッタのように生きるバイロン・バンチという男の人生は、その後リーナに一目惚れの恋に落ちることで一変する——かのように見えてやはり「運命に付き従う」だけの生を生き続けることになるのですが、リーナの信仰の敬虔さが積極的敬虔とも呼べるものだとすれば、バイロンの生き様は消極的敬虔とも言うべき代物かもしれません。  文学とは基本的に、運命(というか自然)に翻弄される人間がどうにかしてその運命と内面・自意識の葛藤に折り合いをつける様を描いているものですが、この「内面のない男」バイロン・バンチをばかにできるだけの抵抗の意志をもって生きていられる人間がこの世にどれだけいるのでしょう。
 この引用のすぐ後、バイロンが「怠け者ってのは、何一つしないでいて楽々と善人になれるってわけだなあ」と話すシーンがあります。私自身はこの男が述べるような「善」を軽蔑して生きていますが、同じようなセリフを誰かが嫌な顔で吐くのを現実で何百回と聞いてきた気がします。特に親世代の人間たちから。  でも、本当はみんな「内面」を持っているのに、それを表に出す手段を持っていないだけなのかもしれません。実際、読み進めていくと、バイロンにだって言い分もあれば意志もあるのです。バイロンが何ページにもわたって「リーナを保護したい」という望みを語る場面の情けない切実さときたら。  私がその内面を探れていない他人は、ただそれを私には示していないというだけかもしれない。「内面がない人物」という人物像の類型は2年ほど前に友人から与えられて初めて知った概念ですが(韓国映画『バーニング』が流行った頃です)、そう断じていい人物なんて本当にいるのでしょうかね。
 そういえば、リーナには一切の葛藤がありません。彼女は、何もかも神の御心のままに、と信じて粛々と行進しつづける。「内面がない」のでしょうか。信仰は内面の放棄と転嫁と言えるでしょうか。とても難しい。
149ページ 出自が不明であることの恐怖
 本書のもう一人の主人公とされるジョー・クリスマスは、作品の舞台である架空の都市ジェファソンの町に突然現れた謎の男として描かれます。寡黙でクールで残忍な雰囲気のキャラクター。この町の誰もあいつが誰なのか知らない流れ者。かっこいいですね。  あらすじに「黒い血が流れている」とありましたが、クリスマスの見た目はまるきり白人なのだそうです。だから、ミシシッピ州の人々は、彼が流浪者の白人であることを疑いません。  彼は孤児として施設で育ちました。そこで「あの子には黒人の血が混ざっている」という噂が立ち、クリスマス自身、その噂を否定しきるだけの確固たる「出自」を持っていないものですから、幼少期の無力から噂を飲み込んでしまいました。そのために、生涯にわたって「自分は黒人なのかもしれない」と苛まれ続けることになります。真偽のほどは明らかになりません。本当に、ただの噂なのです。ただの噂が彼の人生を決定するのです。  ちなみにクリスマスという名はクリスマスに孤児院に捨てられたことに由来します。何その泣かせる設定。その設定だけで白米五合食えますわ。
いわば黒い生命、黒い呼吸がその本体を融かしてしまって、だから声ばかりか動く肉体や光そのものまでが液化し、ひとつずつゆっくりまざって増大し、重たい夜と分ちがたく合体しているかのようだった。 
四方からは、そして彼の内部からさえ、黒人女たちの生殖力に満ちた声がささやきかけてきた。それはあたかも、彼やそのまわりの男という生きものすべてが、光なく熱く湿った原初の産みいだす女体の中に戻ってしまったかのようだった。(太字は原文傍点、以下同)
 フォークナーの文章力えげつないですね。実は5ページあたり1〜3文ほどフォークナーの文章力えげつねえ……と思わせる記述が出てくるのですが、全部拾うと大変なことになるので割愛します。
 「自分が何者であるか知ることができない」ということがこんなにも人間から安寧を奪い尽くし、何かを信じることを困難にするのだと、これほどはっきりと示す小説を私は初めて読みました。フィクションに登場する孤児は、「それでも人の愛を信じて生きることに決めた」みたいな明るい人物として描かれることが多い気がします。愛を表現するのに都合がいいのでしょうね。
 クリスマスはひょんなことから「北部人(ヤンキー)」として町人から敬遠されている女性ジョアナ・バーデン(冒頭でご紹介した「中年の恋」の人です)の家に食べ物を求めて忍び込んで以来��彼女との恋愛関係に沼に沈むように引き摺り込まれていくのですが、その彼女との袂別のきっかけは、彼女の信仰の強要をクリスマスが拒絶したことにありました。この凄まじい恋愛についてはまた後ほど。マジですごい2章が中盤にあります。
 (ところで「北部人」に「ヤンキー」ってルビ振るのかなり面白いんですけど、原文でどのように書かれているのか気になるところです。原書を持っている方がいらしたらぜひ教えてください。普通に「北部の人」かな。  ジョアナは黒人の支援や人権保護に取り組んでいる女性で、未だ奴隷制度の時代の香りに執着している南部の人間たちにとっては鼻つまみ者という感じ、現代日本語のヤンキーのニュアンスとはまた異なる人物像です。今だと何が近いだろ、「フェミニスト」とか?)
 クリスマスはけっしてジョアナを愛していると述べません。ずっと逃げることを考え続けている。怖いのでしょう。自分が誰であるかわからないまま誰かを正しく愛することは不可能です。それでも逆らえない。そうなれば、ただ愛の渦に巻き込まれていくだけです。  なんにもないところ、足場のないところにポンと生まれたとしたら、私は私になれただろうか。そういうことを、リアイティをもって想像させるのがクリスマスという男の存在であり、それを真実らしく書ききったフォークナーの凄味です。
166ページ 孤児院、胸糞悪すぎるクリスマスの悲劇
 第6章、クリスマスの孤児院時代の話に割かれた章は、吐き気のするような、女の性液の臭いと男の腐った口臭とに満ちています。冒頭、幼少期のトラウマは人の人生でけっして拭い去れないのだと宣告する文章から始まります。
記憶は認識力が働きだす前に早くも活動する。記憶する力は思い出す力よりも長い生命を保つのであり、認識力が疑ったときでさえ、記憶は揺がないのだ。
 捨て子であったクリスマスは幼少期を孤児院で過ごしました。第6章は、5才のクリスマスが不慮の事故でスタッフの女性の淫行を目撃してしまうシーンから始まります。性行為のあまりのグロさに身を隠していた垂れ幕のなかで嘔吐するクリスマス。かわいそうに……。  淫行を目撃された女性スタッフが逆ギレしてクリスマスに「黒人であることの罪」を着せ、孤児院から追い出すべくいろいろ手を回します。そこで彼女は「(孤児院の)番人」とかいう突如登場したよくわからない男に「アタシ悪くないもん!あいつ追い出すのに協力してよ!」と訴え、その男がOK任せろと手を貸しつつ、クリスマスを卑下するセリフが本当に耐え難い。
「わかってたのさ。どなたがあの子をあそこに置いたかはな——女の淫らな行いにたいする告示と呪い、それがあの子なんだ」
 最初この一節を読んだ時、淫行を目撃された女性スタッフを咎めるセリフなのではないかと救いを見いだしかけたのですが、その後を読み進めるとたんにクリスマスを貶めるだけのセリフだとわかって机を叩き割りそうになりました。  この、突如現れてクリスマスを追い出す役割だけを果たす「番人」の存在についてはいろんな解釈ができます。
 「さあ、言ってちょうだい。あんたがどんな目つきであの子を見ているか、あたし知ってるのよ。見てたんだから。五年間も」  「知ってるのさ」と彼は言った。「俺は悪がどんなものかを知ってるのさ。あの悪の証拠を立たせて神様の世界に歩かせたのは誰だと思う? 俺さ。神様のお顔の前に堕落の姿として歩かせたのは俺さ。」
 番人がキリスト教における悪あるいは人間の身勝手さの悪辣を具現化した存在だと読むのが一番楽なんですけど、そんな安直なことをフォークナーがするだろうか。となると、上記のセリフに鑑みるに、彼こそがクリスマスの本当の父親である可能性も出てきますね。  黒人女あるいは黒人の血が混じっているとされて迫害され卑しめられていた女を娼館かどこかで身勝手に孕ませて、しかし何らかの事情で仕方なく孤児院に孤児として引き入れた父親が、後ろめたさに耐えかねてクリスマスを葬ろうとしていたところに降って湧いたラッキーチャンス!を、実現する前の懺悔(自分が許されたいがための懺悔)���もとれます。  いずれにせよ胸糞悪すぎますね。大人になったクリスマスが密造したバーボンを頭からぶっかけてこいつらに火をつけましょうね(禁酒法時代!)。
171ページ こんなこと言われたら死んじゃう
「もし神様ご自身がこの部屋に入ってきたとしても」と彼は言った。「あんたのような女はそれを淫行のために来たものだと思うんだろうな」
 アタシ女だけどこんなこと言われたら舌噛んで死んじゃう。スゲーこと言うな。  先の節から5ページしか経っていないのにお気づきでしょうか。これは例の悪魔か父親かわからない番人が淫行の女性スタッフに放ったセリフです。お前態度ぶれっぶれやんけ。その直後には「俺に、聖なる神様に、噓をつくな」、「答えろ、イゼベル!(訳注 聖書に出る邪悪な女の名)」などの発言をかましています。自称神様やば~。完全に統合が��調していますね。
 フォークナーは明らかに、制度化大衆化俗習化した信仰に疑問を抱いていて、この小説の最初段階(55ページ)に「教会の無意味な音があたりから一度に反響してくる」といった記述があったり、ハイタワーとかいう職能がクソ無能すぎるやばい牧師を登場させたりするあたりに顕著です。  牧師ハイタワーはこの小説の主要人物の一人で(禿げ上がって肥満ぎみなぶよぶよの初老の西洋人男性を想像してください)、自己の血統つまりアイデンティティの補強のためだけに牧師として町にやってきて、自分のおじいちゃんの南北戦争英雄譚を延々と町民に聞かせたあげく結論に聖書の一節をもってきてお茶を濁すことを何年も続けてきたかなりヤバい元牧師です。彼はその自己中ゆえに妻を自殺に追い込み、町の牧師を辞めさせられます。辞めさせられたのに町を退かず、ジェファソンの町にとって有事の際の憎しみの対象になり続けます。何かあったらハイタワーのせい。
 すでに世界が神<人間になってしまったことをフォークナーは隠しません。彼がこのぶよぶよの人物を設定したのは、クリスマスの血筋によるアイデンティティの空白をより際立たせるためであると同時に、当時キリスト教の信仰が人間のエゴイズムを正当化することにばかり用いられていた状況に反吐が出る思いだったのではないかと推察できます。  だからこそ、謎の番人のことを悪魔ともみえれば神ともみえるように描いたのではないでしょうか。番人は名前を持たず、妄言だけを残して物語からあっさりと去ります。クリスマスを呪うだけの役割を果たすのです。女の淫行をこんなにも非難しながら、クリスマスの追放に加勢しようとする、不可解な行動をその場に残して。あまりにもグロテスクですね。
202ページ 「野蛮人のように、犬のように」食うこと
 クリスマスはその後、「あくまで白人として」孤児院から養父母のもとに引き取られました。厳しい養父は自分の厳しい信仰のあり方を子に叩き込もうとして虐待じみたことすらおこなう人で、養母はその痛みをケアしようとおろおろと弱々しく優しくしたがる人。クリスマスは自尊心を保つために養母の庇護欲を拒絶し続けます。親子関係に遍く見られる悲しみですね……。  養父の信じる神を信仰することを頑なに拒む幼いクリスマスに激怒し、食事を禁じることで罰を与える養父。それを見かねて養母がこっそりと食べ物を与えようとする場面があります。
「おまえが何を考えてるか知っているよ。でもこれはそうではないんだよ。これは父さんに言われて持ってきたのではないんだよ。これはあたしだけの考えでしたこと。あの人は知らないんだよ。これはね、おまえにやれとあの人に命令されて持ってきた物じゃないんだよ」。  〔中略〕  相手の見まもるなかで、彼はベッドからおり、その盆を取ると部屋の隅へ運んでゆき、盆を裏返しにして食べ物を皿ごと床にぶちまけた。
 そのとき彼はちょうど八歳だった。その晩、それから自分は何をしたか、彼は覚えてはいた、しかし自分のしたことをほんとうに記憶として確認できたのは、それから幾年もたった後のことであった。彼の行為は幾年もたった後ではっきり記憶に刻みなおされたのだが——その夜、夫人が去ってから1時間して、彼は起きあがり、ベッドからおりて部屋の隅へ行った、そして前に敷物の上にひざまずいたのとはまるで違ったひざまずき方をすると、散らばった食物へかがみこみ、両手で食べた、野蛮人のように、犬のように。
 このシーンすごくよくないですか。ここで一度泣きました。  自分が壁に投げて床にべちょべちょに積まれていった冷や飯を、残飯を、生ゴミと化した食品を、家の埃や外の土と混ぜ合わされてしまった汚物を、それでも食わずにはいられず、跪いて手で口に掻き入れるところを想像してください。  施しを受けることを頑として拒絶するプライドを持ちながら(そのプライドは出自の不確かさを埋めるほどに絶大なものでなければならない)、一方で施しを受け入れなければ生きてゆくことができないことも理解していて、「犬のようにしか」与えられたものを貪ることもできない。  クリスマスは、引き裂かれたまま生きていくしかないことを理解していて、納得することは生涯ないのだと受け入れていて、ズタズタに傷ついたまま30歳を迎えたんです。そして彼は人を殺して人に殺された。殺されるための何の大義名分もなく。  こんな悲しいことがあるでしょうか。この章の冒頭、クリスマスがこの出来事から20年経ってもこの記憶と「この日に俺は男になった」という思念に従っていることが前置きされます。「男になる」という表現をとっているけれど、自分はもう二度と誰によっても癒されえないに決まっている、という絶望を意味しているのだと思います。
306ページ 待ってました地獄の恋愛パート
 100ページほど飛びました。飛んでいるあいだは、クリスマスが少年から青年になる過程で性欲ベースの初恋をしてうっかり養父を殴り殺して女に裏切られて絶望して放浪を始めるみたいな流れです。さもありなんって感じですね。やさぐれて娼館に赴いて「俺と寝る白人の娼婦は知らない間に黒んぼに抱かれているんだ、ざまあみろ」みたいな自傷をしているシーンも。  そういえば、この人は、自分が男であること以外には何一つとして自己の拠り所を持っていないんだな。だから娼館に通うのか。そうか……。養父からの虐待のせいで信仰も持てなかったクリスマスがこうなってしまうのは仕方ない気がする。神のほうがクリスマスを拒絶したわけだから、あなたは悪くないと思う。神が悪い。
自分の白い胸が肋骨の下でますます深く息を吸いこむのを感じ、見まもりさえして、体内に黒い臭気を——黒人の黒くて不可解な思想や存在を吸いこもうと努め、同時に吐く息ごとに体内から白い血や白い思想や白い存在を追い出そうとしていた。しかしその間も絶えず彼の鼻翼は自分のものにしようとしている黒い臭いの苦しさに白っぽく張りつめ、彼の全存在はその黒い臭気に反発する肉体や拒否する精神を押えこもうと懸命にもがきつづけていた。
 娼婦との性交ひとつでここまで自己存在を問えるのだからすごい。すごい辛そう。匿名の行為ってつまりは鏡を覗きこむことに過ぎないもんね。
 で、非匿名の恋愛の到来です。地獄の恋愛パートが始まります。  養父を殺して逃走し、逃げ疲れて食べ物を強盗するために侵入した家の主人の女(ジョアナ、41才独身、見た目は30ちょい)になんとなく匿われて暮らすうちにだんだん気になっちゃって、愛する気なんかさらさらなかったのに否応なく恋愛関係に絡めとられてしまったクリスマスの独白をどうぞ。
一年たった後でさえ、入ってゆくたびに新しく、自分が女の処女を奪うために忍びこんでゆくかのように感じた。いわば暗くなるごとに彼はすでに奪ったものをもう一度奪い直さねばならぬという気持にさせられたのだ——いやそれはあるいはまだ奪ってはいなくてこれからも奪えそうにないものだったのかもしれぬ。
 いい葛藤だなあオイ!!!!!(酒場のおっさん)
 ジョアナは行く宛のないクリスマスを自宅の敷地内の小屋に住まわせています。ただし、対話もなければ同情を与え合うこともありません。  あの夜、ジョアナの家に忍びこんで台所の調理された食料を貪るクリスマスを目撃したジョアナは、「あなたが食べ物を欲しいだけなのなら、そこにいくらでもあるわ」と「静かな、やや深くて非常に冷たい声で言った」だけでした。その後もずっとそんな感じ。  「好きに食え」というのは、クリスマスが養母から受けた「食べたいでしょう? 食べていいのよ、あなたのために用意したの。さあ食べなさい、欲しいのはわかっているのよ」という屈辱的な支配と施しとは真逆のもので、クリスマスにとっては初めての救いだったのではないでしょうか。切ね〜。  でもジョアナはひたすら無関心。ご飯は用意されるけど、食卓を共にすることもなし。寝室には忍び込むばかりで求められることも特になし。クリスマスが男性性を持て余して(そこにしか自己の拠り所がないから仕方ない)初めてジョアナの寝室に忍びこんだ際は、拒絶はされたが抵抗はされなかったそうです。やばいな。  翌日も普通に食事は用意されていて、あんな酷いことをしたのになぜ、と狼狽えるクリスマスは、「はいはい、このメシは黒んぼ用ってわけね」という謎の自虐でこの不可解を乗り切ろうとします。  もう!!!!!!!どう見てもお前の不幸の原因はお前自身だよこのクソバカ!!!!!!!!!!!!!!  いつまで悲劇のヒロインやってりゃ気が済むんだよオッサン(33)。リーナを見習え。
343ページ 「あたしまだ祈る用意がないわ」依存と信仰
 ジョアナの家に住み着くようになって、クリスマスは初めて「帰る家」を得て、ジェファソンの町で定職に就いて、安堵を己に許しかけていました。  が、ある夜、突然ジョアナが自分の出自をクリスマスに打ち明ける長話をします。その夜以来、ジョアナは「何もかも知ってくれている男」への依存を始め、クリスマスの方は「全てを掌握しきった女」として蔑ろにし始めます。  お互いにこう思い始めるともう人間関係はだめですね。相手を手に入れたと思ったらあとは壊れます。残念でした。尊重しあえないくらいなら諦めて距離を遠く保った方がいいのですが、依存が始まればそれももう難くなってしまう。心を許すことと心を明け渡すことには紙一重の差しかないから難しいです。苦しい。
彼女を眠らせずにいたのはそんなことのせいではなかった。それは闇の中から出てくる何か、大地の、夏そのものの中から出てくる何かだった。それが恐ろしくて惨めだというのも、実は直観的に、それが何も自分に害毒を与えないものだと知っていたからだ。それは彼女を占領し完全に出し抜きはするがけっして害を与えず、それどころか彼女を救って生活から恐怖を消し、平凡に、いや前よりも良い暮しをさせる何かなのだ。
 私は、ジョアナがクリスマスを受け入れたのは、食べ物を漁りにきた彼となら現実における「惨めさ」を共有できるのではないかと直観したからではないかと思います。でも、愛の依存が、温度差が、際立つ孤独が、断絶の苦しみが、恋の狂気が、癒着願望が、彼女を現実から追い出して無為な信仰へと放りこんてしまった。
ただ恐ろしいことに彼女は救われるのを欲していなかったのだ。「あたしまだ祈る用意がないわ」、目を大きく見開いて、静かに頑に、女は独り言を口にし、その間、窓からは月光が差しこんできて、部屋を冷たくて取り返しのつかぬ何か——ひどい後悔に駆りたてる何かで満たしていた。
 「あたしまだ祈る用意がないわ」というセリフ、私はすごく好きです。運命に押し倒されそうになったときに言ってみたい。  残念ながらジョアナはこんなことを言いながらすぐに神に祈り始めるのですが。なぜジョアナが信仰を保留してきたか、なぜジョアナがクリスマスを尊厳を持つ人間として扱いえたかはジョアナがクリスマスに語った長い長い独白からすべて読み取れるところですが、ここでは割愛します。  (この小説が長いのは登場人物の設定を全部書くせいです。ジョアナの過去編だけで20ページあって、過去っていうか血統の話をするので話が100年遡る。南北の因縁について書かなきゃいけないから仕方ないけど、まあ長いよね……。)
「神様、まだあたしがお祈りせねばならぬようにはしないでください。神様、もう少しだけあたしを地獄においてください。ほんのもう少しだけ」
 彼女が自分はもはや救われないとわかっていながらそれでも現実を引き止めようと神に縋ることをまったく笑えない。ここが、情念が狂気に変わる境界線ですよね。私たちは、ここを踏み越えないように日々、自分に我慢を強いていませんか。どうなっても納得できるよう、自分に都合のいい希望だけに寄りかかるのを我慢していませんか。  「もう少しだけあたしを地獄においてください」、地獄とわかっていれば、どうにか諦めもつくから。望まずにいられるから。しかし神に縋りはじめてしまえば、その歯止めはもうきかない。「神よ、なぜあなたは」が始まってしまってはもう。
 ジョアナとクリスマスの関係がぐずぐずに崩れていくことと、ジョアナが神に縋りはじめたことは綺麗に対比していて、彼女たちが終わりに抗う様に胸を痛めては、私が代わりに神を責めたいくらいの気持ちになります。
 このあと、情に絡めとられた二人の関係はだんだん取り返しのつかないものになっていき、ジョアナがクリスマスの子を流産してしまったのをきっかけに(はっきりとは書かれていないのですがそういうことでしょう)、二人は二人にとって最もよくない方向へ進んでいきます。  ジョアナが(おそらく、持てなかった子のかわりとして、あるいは関係の変化をもとめて、)クリスマスに教育を受けさせようとし始め、加えて信仰をも強制し始めたのは痛ましい姿でした。自分の伝手とお金を使ってクリスマスに大学に入り法学を学んでほしいと。私たち二人でよいほうを見ようよ、と。引け目を取り除いて、今よりよい二人になろうよ、と。  クリスマスの養子時代のトラウマを蘇らせるには十分すぎるほどです。それに、ジョアナのこの行いは、クリスマスに対して「今のあなたでは私にとって不十分だ」と突きつけることにほかなりません。クリスマス自身が望んだこともなかった学びを一方的に与えようとすることで、お前は不学の者だ、という烙印を捺したのです。  もうだめでしょう、この関係は。互いが互いにとって望ましくないことをすることしかできなくなってしまった。ジョアナも本当は、そんなことはとっくにわかっています。
女はベッドに横むきに倒れ、彼を見あげてその血の出た口から、「あたしたち二人とも死んだほうがいいらしいわ」といった。
 とても苦しい。愛というのはどんなに繊細に気をつけても必ずこうして終わってしまうのかもしれない。  二人が幸福になりたかったのかどうかはわかりません。でも、二人でいたかったから何とかして離れずにいられるよう手を尽くして、けれどその手を誤ってしまって、そうしてだめになってしまったのがあまりにもやるせない。彼らは間違えたのではなく、誤ることしかできなかったのでしょう。  ジョアナは、だめになるならばそれでも二人で、と覚悟を決めていましたが、クリスマスにはその覚悟は持てなかった。  ある夜、いよいよクリスマスはジョアナと殺し合うことになり、彼女を殺して茫然自失のまま逃走します。翌日には家も燃やしてしまう。そうして殺人の罪で追われる身となります。
それでも彼には旧式拳銃の二個の弾丸入りの薬室が見えたようであった。一つはすでに撃鉄が落ちていたがしかし不発のままであり、もう一方は撃鉄が落ちてはいなかったが落ちる準備はできていた。「あいつは俺と自分の両方を撃つ気だったのか」と彼は言った。彼は腕を引き、そして投げた。ピストルが草の茂みの中で何かに当る音が一度だけ聞えた。それからもう何の物音もしなくなった、「俺と自分の両方をな」
まだ半分かよ(ここまで372ページ)
 かなり割愛しながら書いているつもりですが、1万字書いてもまだ物語が半分しか進んでないのすごいな。本当はもっと緻密に読んでいくべき本なのでしょうが(人物の発語を「思考の流れ/現実に口にしたセリフ/脳内の会話および独白」に形式的に表現し分けてるの何だよその分類って感じだし、その書き分けもルールがあるように見えて無いのを分析しながら読むとおもしろい。案外テキトーなんだと思います)、細けえこたあいいんですよ。私はテーマについて話したいからテーマについてだけ話し続けます。
 いまWikipedia見たら「この作品の主題はおそらく孤独感である」って書いてあったけど、  待って、何? なんて?
 んなわけなくない?
 人間が孤独であることは単なる事実であってわざわざテーマにするまでもない当たり前のことです。あんなに濃厚に人物の人生を書き上げるフォークナーほどの書き手がそんな、「東京には東京タワーがあります」くらいわかりきったことをテーマに据えるわけないだろうが。孤独は主題になりえないただの事実だ。Wikipediaの筆者よ、孤独を了解しろ。  疎外感はそれはそうかもしれませんね。疎外感には普遍性はないので。クリスマスが「実存主義的人物」ってのは実存主義を読み違えておられませんか。決定論における読みや同性愛についての指摘に対しては、まあなんか、気持ちはわかるよ。テクストというのはいろんな読み方ができますよね。時代や価値観に従って色々な読み方をされるところまでがテクストの宿命。
 うん、色々な読み方があるよな。そうだよな。否定してごめん。ちょっと疲れてました。あなたはあなたの人生を好きに生きて。私は私の人生を生きます。さよなら。  はー。正直ちょっと登場人物に入れ込みすぎて書き疲れてきていましたが、Wikipediaを読んで元気になったのでもう少し続けます。Wikipediaはいいな。広場っぽい。ありがとう。募金しときます。
 というわけで後半に続きます。
(2020/05/12 10:39)
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honyade · 4 years
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(5月31日まで開催中)【フェア】人から紐解くiPS細胞
代官山 蔦屋書店 営業時間について 5月11日(水)~当面の間 11:00~19:00
■代官山 蔦屋書店ご入店に関して ・1号館2階 映像フロアでのレンタル対象商品は「新作のみ」とさせていただきます。 ・3号館2階 音楽フロアはご利用いただけません。 ※お客様およびスタッフ同士の距離感を十分に取れる空間の確保・維持のため、入場制限を設ける場合がございます。 その場合は整理券を配布いたしますので、ご案内の際は指示に従ってくださいますようお願い申し上げます。 ※大変恐れ入りますが、マスクを着用していないお客様のご入店はお断りしております。 ※休店日や営業時間、当日のご案内方法は予告なく変更となる場合がございます
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iPS細胞研究所所長の山中伸弥さんをはじめとした研究者の方々や、京都大学総合博物館で行われる特別展「iPS細胞、軌跡と未来―こだわりの研究所を大解剖―」の関係者の皆様が、ご自身の人生で現在に至るまでに「刺激を受けた本」の数々を紹介教えて下さいました。 それぞれコメントも頂いておりますので、これが皆様にも刺激となれば嬉しいです。
———- 京都大学 iPS細胞研究所 所長 山中伸弥
『宇宙英雄ローダン・シリーズ』K・H・シェール他(著)ハヤカワ文庫SF 子どもの頃、夢中になって読んでいました。科学の力で問題を解決していく登場人物にあこがれたのが、今の仕事の原点かもしれません。日本語版が600巻を超えた今でも続きが出ている人気作です。
『星新一のショートショート』 環境問題、人口増など現代にも通じる社会問題に鋭く切り込んだ作品が多く、読んでいて刺激になります。
『仕事は楽しいかね?』デイル・ドーテン(著)きこ書房 アメリカ留学から帰国後、仕事に悩んでいたときに読んだ本です。思うように研究が進められず、研究を続けるかどうか悩んでいた私に、仕事を楽しむことを思い出させてくれました。
『FACTFULNESS』ハンス・ロスリング他(著)日経BP 科学者にとって、自分の偏見を捨て、データと真剣に向き合うことは非常に重要です。これは科学者以外の方にも言えることだと思います。この本は、世界のいろいろな事象を思い込みに惑わされずに見つめる訓練にとても役立つと思います。
『理不尽に勝つ』平尾誠二(著)PHP研究所 仕事をしていると、理不尽な目にあうことはたくさんあります。そんなときに手に取る本です。著者の平尾誠二さん(故人)とは友人として深い付き合いがあり、仕事の進め方やリーダーシップについて、多くを教えてもらいました。この本は、彼から教わったことを思い出させてくれます。
———- 京都大学 iPS細胞研究所 所長室 中内彩香
『阪急電車』有川浩(著)幻冬舎文庫 片道わずか約15分という阪急今津線の乗客の人間模様が優しいタッチで描かれ、映画化もされた大ヒット小説。人にはみな、それぞれが主役の人生のドラマがあるという当たり前なことにふと気づかされると同時に、(誤解を恐れずに言うと)「人って悪くないな」と思わされます。人間関係に少し疲れたときに読むと、ほっこり温かな気持ちになれる一冊です。
『僕たちの戦争』萩原浩(著)双葉文庫 何の接点もない戦時中の少年と“今どき”の少年が、ひょんなことからタイムスリップして互いの時代を生きる様子を描いたフィクション小説。背伸びしない、少年の目線で当時を想像しながら本の世界に没入し、現実世界に戻った後も、当時の人が急に今の私たちの日常に迷い込んでくるとこの世界はどう見えるのだろうと想像を膨らませました。当時を懸命に生きてきた方たちのおかげで今があるということを改めて考えさせられました。
『チーズはどこへ消えた?』スペンサー・ジョンソン(著)扶桑社 いつから変化を恐れ、前に踏み出すのをためらうようになってしまったのだろう。常に起きる変化にどう適応するかは自分の考え方次第。物事をシンプルに捉え(自分で勝手に複雑化しない!)、柔軟に行動し、冒険を楽しむ。「新しいチーズ」探しの旅を始める勇気をこの本からもらいました。心が弱くなる度に読み返すと背中を押してくれる、私の良き伴走者です。
『Newtonニュートン』ニュートンプレス 親が愛読していたこともあり、物心がついた頃にはページいっぱいに広がる鮮やかなビジュアルに惹かれて、わけもわからずページをめくっていました。今思えば、それが知らず知らずのうちにサイエンスに興味をもつきっかけになったように思います。読者を「追いていかない」工夫が凝らされ、また号のテーマによらない最新の科学情報も得られるので、おすすめです。
『SNOOPY COMIC SELECTION』チャールズ・M・シュルツ(著)角川文庫 1950年から描かれ、スヌーピーをはじめ愛くるしいキャラクターが人気の漫画。ほのぼのとしたやりとりに心を癒されるときもあれば、子どもの他愛のない一言が、大人が目を背けがちな真理をついていてハッと気づかされるときもあります。読後の爽快感がたまらず、休日の午前に読みたくなる作品がたくさんあります。
———- 京都大学 iPS細胞研究所 臨床応用研究部門 准教授 池谷真
『神様からの宿題』山本育海他(著)ポプラ社 私たちの研究室では、進行性骨化性線維異形成症という筋肉組織中に骨ができる難病の研究に取り組んでいます。この本は、患者である山本育海君と、そのお母さんの手記です。患者さんとご家族が抱える苦悩、葛藤、決意などの思いが込められています。毎日を頑張って生きようという気持ちになります。
『細胞の分子生物学』ブル-ス・アルバ-ツ他(著)ニュートンプレス ミクロ系生物学が網羅されている、大学レベルの教科書です。大学合格が決まった後、すぐに購入しました。当時、第2版で、現在は第6版になっています。時に読本として、教科書として、辞書として、そして枕として大活躍しました。
『最強マフィアの仕事術』 マイケル・フランゼーゼ他(著)ディスカヴァー・トゥエンティワン 実際に裏社会で成功を収めた著者が、仕事のやり方を経験に基づいて書いた本だそうです。『マフィア』の法則ですが、現実社会に通じる内容が数多く含まれています。思わずニヤッとしてしまうような箇所もあり、心が疲れた時に半分娯楽として読むとちょうど良いかと思います。
『ブラック・ジャック』手塚治虫(著)講談社 医学に関心がある漫画好きの方なら、一度は読んだことがあるのではないでしょうか。法外な治療費を請求するなど理不尽に思える内容もありますが、治療不可能と思える患者を一人の天才外科医が治していく姿に憧れました。
『ドラえもん』藤子・F・不二雄(著)小学館 あんなことやこんなことを、夢の道具で実現してくれるドラえもん。何より、その発想の自由さに、子供心をくすぐられました。ただ同時に、サボった分は後から自分でやらないといけないという人生訓も教わりました。
———- 京都大学 iPS細胞研究所 未来生命科学開拓部門 講師 中川誠人
『ぼくらの七日間戦争』宗田理(著)角川文庫 中学生が大人の言いなりにならないために一致団結して向かい合う青春ストーリー。テンポがよく、ワクワクしながら一気に読んだ覚えがあります。秘密基地などは誰もが幼い頃にあこがれたのではないかと思います。本の終わりも痛快・壮快で良く覚えています。映画にもなりましたね。純粋に楽しめる本だと思います。
『三国志』横山光輝(著)潮出版社 最初に横山光輝さんの漫画から三国志の世界に入りました。様々な登場人物がそれぞれの信念を持って中国統一に向けて戦います。武力だけでなく知力、政治力、一番は人力(魅力)に優れている事が重要だと感じました。そういう人の周りには優れた人が集まり大きな力となるのだと思います。小説は数種類読みましたが、書き手によって内容や登場人物の性格が違っているのが面白かったです。個人的には劉備・関羽・張飛の義兄弟の絆にあこがれます。
『ザ・ゴール』エリヤフ・M・ゴ-ルドラット(著)ダイヤモンド社 ストーリー仕立てで、製造現場の生産管理の手法「制約条件の理論(Theory of Constraints)」を易しく学ぶことができる本。研究には関係無さそうであるが、ラボマネージメントの観点から非常に参考になりました。考え方によって様々な状況に対応できる理論になり得るのではないかと感じました。
『英語は3語で伝わります』中山裕木子(著)ダイヤモンド社 初心者でも、なんとなく英語を勉強してきた人でも参考になるのではないかと思う。いかにシンプルに英語で表現できるかを学べる。英語を難しく考えがちな思考を変えてくれる良本と思います。
『マイケル・ジョーダン物語』ボブ・グリーン(著)集英社 引退した今もなおバスケットボール界の神様と言われているマイケルジョーダン(MJ)の伝記。コート上での神様MJの圧倒的な支配力、そして人間MJの比較をうまくまとめた本。超一流の人には何か共通するものがあるのだろうと感じた。
『細胞の分子生物学』ブル-ス・アルバ-ツ他(著)ニュートンプレス 通称「セル」と呼ばれる、生物学の基礎教本。最初はその重さにやられてしまいますが、制覇した時の達成感は忘れられません。生物学の研究を志すなら、要点をまとめたエッセンシャル本もありますが、是非「セル」を読んでください!筋トレにもなります(笑)
———- 京都大学 iPS細胞研究所 国際広報室 和田濵裕之
『わたしを離さないで』カズオ・イシグロ(著)ハヤカワepi文庫 幹細胞を使った再生医療に関係する仕事をしている者として、とても刺激になりました。ノーベル文学賞受賞で話題にもなりました。どういう未来が私達にとって良いのか、考える際の参考になると思います。
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』村上春樹(著)新潮文庫 村上春樹さんの作品はどれも好きですが、特に印象に残っているのがこの作品。読むのにとても頭を使いました。こんなに頭を使ってしんどい思いをしながら読んだ作品も珍しいですが、しんどくても次を読みたいと思わせる魅力があります。科学的コミュニケーションにもそうした魅力をうまく持たせたいです。
『パラサイト・イヴ』瀬名秀明(著)新潮文庫 科学コミュニケーションを行う上で、科学に興味のない人にどうやって科学的な内容を伝えたらいいのかと悩む中で参考になった一冊。物語の中に科学を散りばめることで、より多くの人にアプローチできるのではないかと思うきっかけとなりました。
『アルジャーノンに花束を』ダニエル・キイス(著)ハヤカワ文庫NV 刻々と変わっていく文章の書き方が、日々変化している主人公の知能を反映していて、初めて読んだ高校生のときには衝撃を受けました。時が経過して、アルツハイマー病の患者さんの病気が進行していく姿にも共通するように感じ、改めて読み直したいと思った一冊です。
『ルリボシカミキリの青』福岡伸一(著)文春文庫 大学3回生の時に学生実験で数週間だけ指導をしていただいた福岡伸一先生。雑談の中にあふれる知識に魅了され、4回生の研究室配属では福岡先生の研究室に入り��いと思いました。残念ながら他大学へ移られてしまい、念願は叶いませんでしたが、あの時に感じた魅力、科学コミュニケーションにとって大事なことがこの本には現れているように思います。
『アルジャーノンに花束を』ダニエル・キイス(著)ハヤカワ文庫NV 刻々と変わっていく文章の書き方が、日々変化している主人公の知能を反映していて、初めて読んだ高校生のときには衝撃を受けました。時が経過して、アルツハイマー病の患者��んの病気が進行していく姿にも共通するように感じ、改めて読み直したいと思った一冊です。
『銀河英雄伝説シリーズ』田中芳樹/藤崎竜(著)集英社 舞台は宇宙ですが、歴史ものの小説のような作品。世界には様々な価値観があり、いずれも正しく尊重されるべきであることを強く意識するきっかけとなりました。
———- 京都大学 iPS細胞研究所 国際広報室 志田あやか
『松風の門』山本周五郎(著)新潮文庫 中3の国語のテストで収録作『鼓くらべ』に出会い、すぐに図書館へ走ったのを覚えています。自分の信念ではなく、人にどう見られるかを基準に行動してしまいそうになったときに読む本。
『壬生義士伝』浅田次郎(著)文春文庫 吉村貫一郎という新選組隊士が主人公。「お国のため」が第一だった武家社会を背景に、自分の軸を持って生きるというのはどういうことかを教えてくれる本。
『どうなってるのこうなってるの』鈴木まもる(著)金の星社 父に毎晩読み聞かせをしてもらって育ちましたが、リピート率No.1はこの本でした。「どうなってるの」で十分タメてから「こうなってるの!」と進むのがコツです。
『脳死・臓器移植の本当の話』小松美彦(著)PHP研究所 著者の小松氏は、大学に入って最初の講義の講師でした。「私を含め、他人が言うことを検証し建設的に批判できるようになれ」と言われたのが記憶に残っています。この本は、小松氏自身がそれを実践した著作。脳死のとらえ方に新しい一石を投じてくれるはずです。
『完璧じゃない、あたしたち』王谷晶(著)ポプラ文庫 あたりまえのことなんですが、男との出会いだけが、女にとっての「特別」であるはずがないのです。恋愛、友情、尊敬、女同士のいろいろを描いた短編集。
———- 京都大学 情報環境機構/学術情報メディアセンター 助教 元木環
『観る―生命誌年刊号Vol.45~48』中村桂子(著)新曜社 中3の国語のテストで収録作『鼓くらべ』に出会い、すぐに図書館へ走ったのを覚えています。自分の信念ではなく、人にどう見られるかを基準に行動してしまいそうになったときに読む本。
『壬生義士伝』浅田次郎(著)文春文庫 JT生命誌研究館の季刊冊子が年に一度まとめて発刊されるうちの一冊。研究者である編者が様々な分野の専門家と繰り広げる対話の連載や各種記事が、生命科学関連の研究を非専門家向けに、丁寧なテキストとビジュアル表現で伝達されており、研究を伝える時の態度や工夫が感じられるのが楽しい。この号は、自分が大学で、研究を対象にデザインをし出した頃にとても参考になった。
『図解力アップドリル』『[動く]図解力アップドリル』原田泰(著)ボーンデジタル この2冊のシリーズは、「読めばすぐできるような」デザインマニュアルだと思い手に取ると、期待を裏切られる。タイトルやぱっと見からではわからないが、知識や情報、あるいは経験を「視覚的に表現し、伝達する」ことの本質を、頭と身体を使い、実践的に掴んでいくための道しるべとなる本になっている。デザイナーだけでなく、科学を対象とするデザインに関わる人にもとても参考になるし、続編の「動く」の方は、映像作成の考え方の基礎にもなる内容で秀逸。
『患者はだれでも物語る』リサ・サンダース(著)ゆみる出版 CiRA展とは別で展示の準備中に出会った先生からいただき、とても面白かった本。医師が患者の問診や診察でどのように診断をしていくかが物語として描かれている。デザイナーが、制作依頼を受けて、相談、制作していくデザインプロセスとも通じるところがあることが興味深い。
『デザインに哲学は必要か』古賀徹 (著)武蔵野美術出版局 デザインの実践者かつ教育者である著者らによる論考がまとめられており、デザインの裏側にある考えを想像する手がかりになる本。実践者が自ら「デザインとは何か」と問い、表現している言葉に共感を覚える箇所が多数ある。CiRA展に関わったデザイナーたちは確かに、(うまく言語化できていなかったとしても)フレキシブルでかつ一貫した考え方を持って、制作に携わっていたのだ、と想像してもらえるかも。
『優しさごっこ』今江祥智(著)理論社 私が紹介するまでもない有名な小説であるが、小学生の頃以来、時々読み返す本。いつも関西(京都?)の言葉で綴られる光景やモノローグや会話の表現、時々出てくる食べ物の描かれ方に引き込まれるが、タイミングによって、娘、親、別の登場人物など、別の視点で読んでいる自分と、行間や背景に想像できる範囲が変わっている自分に気がつかされる。装幀や挿絵(初版は長新太さんによるもの)を含めたブックデザインに興味を持つきっかけとなった一冊でもある。
『アイデア No.355』アイデア編集部(編)誠文堂新光社 もし古本でも手に入るなら、「《特集2》奥村昭夫と日常」のページをみてほしい。CiRAマークの相談を受けブラッシュアップした、グラフィックデザイナー(当時京大メディアセンターの客員教授であった)奥村昭夫氏のデザインに対する態度、大学の中の様々な仕事の中でCiRAマークの制作に関わることになった様子に触れることができる。
『美術館は眠らない』岩渕潤子(著)朝日新聞社 大学生の頃、授業中ある先生から「美術館に興味があるならこれを読んでみたら」と紹介され出会った本。筆者がアメリカの美術館での研修員時代の体験談を軸に、アメリカでの美術館を支える組織、社会のあり方が紹介されている。今とは時代背景は異なるが、美術館や博物館を運営する(もちろん展示を行うにも)仕事は多様な専門性があって成立していること、国によって異なる歴史や社会の仕組みが、美術館や博物館にもとても影響をすることを教えられた一冊。感染症の関係で、美術館や博物館にまつわる社会の仕組みも再編されるのではという目で読むこともできる。
京都大学総合博物館 准教授 塩瀬隆之 『ちいさなちいさな王様』アクセル・ハッケ他(著)講談社 わたしたちの国と人生が真逆で、たくさんの知識や先入観をそぎ落とし、どんどん好奇心あふれ、いたずら心であふれる最期を迎える国の王様の話。「可能性で埋め尽くされた想像の毎日を捨て、なぜ斯くもつまらない一つの正解だけを追う日々を生き急ぐのか」と王様にわたしたちの社会が笑われている。
『エンデの遺言』河邑厚徳(著)講談社+α文庫 ファンタジー童話『モモ』や『はてしない物語』で知られるミヒャエル・エンデの晩年の関心は、「お金を根源から問い直すこと」。お金がお金を生む投機的な世界に心を奪われた現代社会を風刺し、思想家シルビオ・ゲゼルの「老化するお金」を研究した。『モモ』の世界に登場する時間貯蓄銀行の灰色男は、あくせく働きすぎの現代社会を40年も昔から見透かしていた。
『木を見る西洋人 森を見る東洋人』リチャ-ド・E・ニスベット(著)ダイヤモンド社 問題を細分化する西洋流の要素還元的なモノの見方に対して、全体の調和を保とうとする東洋流のモノの見方こそが大切で、どちらかに優劣をつけようというのではない。大局観を失った近視眼的なモノの見方を揶揄する言葉であるが、それが心理的な差異にとどまらず、経済、法といった社会制度の好み、宗教観にまで影響を及ぼしていると指摘する。
『不実な美女か貞淑な醜女か』米原万里(著)新潮文庫 ロシア語通訳の米原万里が、要人通訳などにおいて意識した技術と視点を紹介する本。見栄えはよいが中身を伴わない文章と、見栄えが悪くも中身を正確にとらえた文章、使いこなす文章は常にその間を揺れ動いている。翻訳に限らず、あらゆる言葉の表現をするうえで、悩ましくも筋の通った考え方を示す。文章そのものも明解で極めて参考になる。
『バーバパパのがっこう』A・チゾン/T・テイラー(著)講談社 学校を舞台にしたバーバパパシリーズ。監視を強める学校に反発する個性豊かな子どもたちに手をやく大人。見かねたバーバファミリーが、ダンス好きな子、絵が好きな子、メカが好きな子それぞれの個性にあった学びをとどける。興味をもったところに、学校の数学の先生がかえってきて一緒に教え、結果として質の高い学びを得る物語。監視を強める学校教育への警鐘と言える。
———- 特別展「iPS細胞、軌跡と未来 こだわりの研究所を大解剖」デザイナー 東南西北デザイン研究所 石川新一
『生き物の建築学』長谷川尭(著)平凡社 泥臭い、生きるためのデザインをしたいと思った時に読むといい本
『さあ、横になって食べよう』バーナード・ルドフスキー(著)鹿島出版会 既成概念にとらわれていないか?と自分に問う時に読むといい本
『鯨尺の法則』長町美和子(著)ラトルズ 日本文化で癒されたい時に読むといい本
『Usefulness in Small Things』Kim Colin and Sam Hecht(著)Rizzoli アノニマス(無名性)デザインで参考になるいい本
『メイカーとスタートアップのための量産入門』小美濃芳喜(著)オライリー・ジャパン 私などデザインをする人が将来の野望ために読むといい本
———- 特別展「iPS細胞、軌跡と未来 こだわりの研究所を大解剖」デザイナー 奥村昭夫
『伊丹十三選集』伊丹十三(著)岩波書店 若い頃、伊丹さんの本は読む楽しみとともに、元気づけてくれました。 今、伊丹十三選集を楽しく読んでいます。
『瑞穂の国うた』大岡信(著)新潮文庫 文中の、夏目漱石の”レトリック など弄している暇はないはずだ、ア イディアがすべてだと思うよ、ということです。”の言葉に、製作の確 信を得てたびたび思いおこしています。
『常用字解』白川静(著)平凡社 常に手の届くところにあって、漢字と言葉の散策をしています。
『黒田泰蔵 白磁』黒田泰蔵(著)求龍堂 圧倒的に美しい白磁、緊張とすみきった空気を感じ、頭と心を研ぎす ましてくれます。
『大衆の強奪』セルゲイ・チャコティン(著)創元社 “戦争に対する戦争”のスローガンに代表されるように、伝える事の 本質と、言葉とシンボルの力を教えてくれました。
【プロフィール】 京都大学iPS細胞研究所 iPS細胞研究所所長の山中伸弥さんをはじめとした研究者の方々や、京都大学総合博物館で行われる特別展「iPS細胞、軌跡と未来―こだわりの研究所を大解剖―」の関係者の皆様が、ご自身の人生で現在に至るまでに「刺激を受けた本」の数々を紹介教えて下さいました。 それぞれコメントも頂いておりますので、これが皆様にも刺激となれば嬉しいです。 2006年に誕生し、2012年に「成熟した細胞を、多能性を持つ細胞に初期化出来る事を発見」した事により、山中伸弥/J・B・ガードン両氏が2012年のノーベル生理学・医学賞を共同受賞した事で、一躍再生医療の救世主と目されることになった「iPS細胞」。 そんな新たな存在を医療の現場に応用させる為の研究を行う「京都大学iPS細胞研究所(CiRA)」は2020年で設立から10周年を迎え、同研究所の軌跡と未来を記した『iPS細胞の歩みと挑戦』(東京書籍)も刊行されます。
会期 2020年5月11日(月)~2020年5月31日(日) 時間 営業時間通り 場所 蔦屋書店1号館 1階 ブックフロア 主催 代官山 蔦屋書店 共催・協力 京都大学iPS細胞研究所 東京書籍
問い合わせ先 03-3770-2525
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cinema-note · 4 years
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さて今年もこの時期がやってまいりました。「Cinema Note」恒例、その年に劇場で鑑賞した映画の感想まとめ〜!(ドンドンパフパフ)
ありがたいことに、年末のまとめ記事も、今回でなんと5回目を迎えることができました!自分でもびっくり! こんなに長期間にわたって、ひとつのブログを運営し続けているのは人生初かもしれません。いつも閲覧いただきありがとうございます。
では、今年は何作品の映画を劇場で鑑賞したのか。その数は・・・44作品・・・ なんと今年にきてついに前年の鑑賞本数を下回ってしまいました。
今年は前作の鑑賞数である57作品を超えよう!と年明けはかなりのペースで映画館へ通っていたのですが、夏頃から徐々にペースダ��ンしてしまい、秋から冬にかけてはすっかり映画を観る回数が減ってしまいました。 映画に飽きたということは決してないのですが、まあいろいろなタイミングが重なったこともあり。そんな年もありますね。
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リサ
来年は盛り返していきたい・・・!
ということで、今年は鑑賞作品数が減ってしまいましたが、過去の記事を読みながらさくっと感想をまとめていきたいと思います。 公開順ではなく、私が鑑賞した順に紹介していきますよ。それでは、いざ、スタート!
喜望峰の風に乗せて
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しょっぱなから数年前に観たような記憶の作品が・・・(笑) コリン・ファースが出るということで、役者につられて鑑賞した作品でしたが、蓋を開けてみると濃厚で重苦しいドラマが待ち受けていて、新年1発目に鑑賞するにはなかなかヘビーな作品でした。 男のロマンとかプライドとかそういうものが感じられる瞬間が多々あり、男性にとっては胸が熱くなる作品かも。
終始コリン・ファースの独壇場なので、彼の演技を堪能するには最高の作品ですね。ドンドン狂っていく主人公を、本人が乗り移ったかの如くコリンが魂削って演じています。
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リサ
久しぶりにみたレイチェル・ワイズが相変わらずうつくしかわいくて、たまらなかったですね〜
一発逆転を懸けた男の物語。虚しさ溢れるラストに思い巡らす。『喜望峰の風に乗せて』
TAXi ダイヤモンド・ミッション
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お次は打って変わってお下品バカ映画。一応シリーズ最新作ではありますが、キャストも一新されていますし、新シリーズと捉えていいような気がします。
こういうタイプの映画はなーんにも考えないで観ていられるので、気楽で楽しいですね。ただストーリーは焼き増し感ありなので、お下品おバカギャグ映画をたくさん観てきた人にとっては退屈に感じる人もいるかも。 カーアクションは最高でしたよ!アドレナリン全開になる!
ギャグとお下品なシーンのインパクト大!カーアクションだってオラつくぞ!『TAXi ダイヤモンド・ミッション』
マスカレード・ホテル
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この作品は今年観た邦画の中でも結構上位に入ります! 先が読めないミステリーとしてのおもしろさに、人間ドラマがうまい具合に盛り込まれていて、見応えがありました。 原作の力にひっぱられて、いい仕上がりになった邦画ミステリー。
ただラスト10分の演出はちょっとドラマチックすぎて微妙だったな。あれはやらなくてもよかったのでは??一気に民放ドラマ感が強まりましたよね(笑)
止めて、引く。スタッフの愛が溢れまくるアニバーサリー作品!『劇場版シティーハンター 新宿PRIVATE EYES』https://cinema.spotnote.jp/masquarade-hotel/”>人間ドラマとミステリーの融合に見入る!『マスカレード・ホテル』
ミスター・ガラス
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うっかりシリーズ前作の『スプリット』を観たことで、急遽観ることになった本作。 本作に関してはシリーズ予習必見でした。シリーズ初見の場合、ストーリーの30%くらいしか理解できないかと。
『スプリット』だけでなく、その前の『アンブレイカブル』という作品も観ておくと、より作品を楽しめます。 シャマラン監督お得意の、どんでん返しに次ぐどんでん返しが待っているので、シリーズの予習さえしていれば、かなりおもしろいと感じられるはず。
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リサ
マカヴォイの多重人格は相変わらずすごかった。
シリーズ予習は必須!現実的なアメコミ映画『ミスター・ガラス』
劇場版シティーハンター 新宿PRIVATE EYES
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きましたきました待ってました〜! 実に20年ぶりとなったシリーズ最新作は、現代を舞台に獠や香をはじめとしたおなじみのキャラクターたちが大活躍。 全体の規模感としてはアニメスペシャルっぽさがありましたが、映画館の大きな画面で獠ちゃんがみられたのは嬉しかったな〜
こちらも完全にファンサービス全開の演出なので、初見の人からしたら「???」という感じかもしれませんが、往年のファンにとってはたまらない気持ちでいっぱいになりました。 20年ぶりの「止めて、引く」もテンション上がりましたね。
止めて、引く。スタッフの愛が溢れまくるアニバーサリー作品!『劇場版シティーハンター 新宿PRIVATE EYES』
七つの会議
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予告での、香川照之の「売って!売って!売りまくる!」と、野村万斎の「まるで犬だな」という、たった2つのセリフだけで観賞を決めた記憶があります(笑)
予告のインパクト同様、本編もインパクトのある社会派ドラマでした。 原作が池井戸潤ということもあって、相変わらず働く社会人にグサグサ刺さる内容です。クライマックスでの主人公が悪事を暴く大立ち回りは、みているここちらも手に汗握る、気迫のこもった名シーンでした。 池井戸潤の作品はどれも、働くことを享受するのではなく、自分で考えながら働くことが大切だということを痛感させられますね。
働くことに葛藤を抱いている方必見。日本の企業にメスを入れる!『七つの会議』
ファースト・マン
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『ラ・ラ・ランド』のデイミアン・チャゼル監督とライアン・ゴズリングが再びタッグを組んだ作品。 人類初の月面着陸に成功したニール・アームストロングの半生を追った、伝記映画。彼の功績を辿るだけでなく、彼を取り巻く人間関係や、彼自身の心の内面に迫った、ドラマチックな作品です。
宇宙を舞台にした作品は大体年に1回公開されますが、どれを観ても、何度観ても、宇宙が描かれるシーンでつい息を止めてしまうんですよね・・・ 特に本作は没入感を深めるような映像の演出が素晴らしい。まるで自分が宇宙へ、月へいったかのような感覚になれます。 映画館の大きなスクリーンで観たからこそ、より没入感が高まりましたね。
まるで自分が体験しているかのようなカメラワークに引き込まれる!月を目指した男の伝記『ファースト・マン』
アクアマン
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2019年初、アメコミ映画でした! トップバッターはMCUになるかと思いきや、DCEUでしたね。
『ジャスティス・リーグ』に登場したアクアマンが主役。真のヒーローであるアクアマンとなるために、強大な敵(弟)に打ち勝つという、ストーリーとしてはシンプルなヒーローものでしたが、アドベンチャー要素が加わって、ワクワクする冒険物語としても楽しめました。
海中を舞台に繰り広げられるど迫力満点の映像がすん〜ごい!パワー、パワー、アンド、パワー!!てな具合。映画館の大画面で観て、圧倒されました。
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リサ
ジェイソン・モモアのむっきむきの筋肉も堪能できるぞ!
真の王になるため、大冒険を繰り広げる!迫力満点の映像は劇場のスクリーンで!『アクアマン』
メリー・ポピンズ リターンズ
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前作を子どもの頃に1回だけ観たというおぼろげな状態で、続編を観に行ってきました。その結果、前作を観ておけばよかったな〜と思わずにはいられない、ストーリー展開や演出が多々あり、100%楽しみきれませんでした。無念。 やはり続編ものは、前作を見直しておくべきですね〜
ザ・ディズニーファンタジー全開なので、ストーリーも世界観も好き嫌い分かれるかも? メリー・ポピンズのチャーミングなキャラクターには、メロメロになっちゃいました。
ディズニー映画としては大満足だが、ミュージカル映画としてはやや薄味?『メリー・ポピンズ リターンズ』
アリータ:バトル・��ンジェル
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日本の漫画が原作のSF映画。ジェームズ・キャメロンが20年の構想を練って作り上げたという、渾身の一作です。 80〜90年代SFの世界観が大好物なので、本作の世界観だけですでに100万点。ですが、俺たちの戦いはこれからだ!的な終わり方だけがいただけませんでしたね・・・ みんなの反応と興行収入みて続編を考えるよ〜みたいな終わり方がね・・・
映像はさすがハリウッド、気合が入っていて素晴らしかった!バトルシーンだけでなく、街並みや風景のCGも細かく作り込まれていて感心。 そもそも主人公のアリータがCGなのですが、他の役者と並んでも違和感がなくて、自然。MCUに匹敵する映像美が印象的でした。
迫力のバトルシーンから町並みまで、映像クオリティ2000%!『アリータ:バトル・エンジェル』
グリーンブック
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アカデミー賞を総舐めした本作。 1960年代の黒人差別がテーマになっており、シンプルなストーリーながらもいろいろと考えさせられる作品です。 興味深いテーマではありますが、どうも実感が湧かないというのが正直な感想です。
重いテーマとは反して、登場するメインキャラクター2人の掛け合いはコミカルで楽しい。 2人の友情にほっこりさせられました。
鑑賞後はほっこり!誰が観ても楽しめるロードムービー『グリーンブック』
キャプテンマーベル
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やってまいりました。2019年はじめてのMCU! いよいよ佳境に入ってきたMCUですが、ここにきて新たな仲間の登場です。
本作は、マーベルの巨匠スタン・リーの没後はじめて公開されたMCUでもありました。そのため、オープニングでのマーベルのクレジットは、スタン・リーが登場。 私は、本編開始前に涙をポロポロこぼしてしまいました・・・
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リサ
いい演出だったな〜
ストーリーは、初心に帰ったかのごとく、王道を貫いたヒーロー誕生物語。さすがにここまで作品が公開されると、専門用語の連続で、初見の人がついていくのは難しかったかもしれません。 主人公が中性的なキャラクターとして描かれていたのは、現代の作品ならではの演出でした。
誰だってヒーローになれる!MCUの初心に帰る物語。『キャプテン・マーベル』
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『スパイダーマンシリーズ』はあまり詳しくないので、観ようかどうしようか悩んでいましたが、映像がすごいと周囲で盛り上がっていたので、物は試しにと観にいきました。 結果、大正解!『スパイダーマンシリーズ』を知らなくてもキャラクター紹介のシーンがあったりして、十分楽しめました。すとーりーもわかりやすい!
そして映像のクオリティに圧倒されました!まるでコミックとCGが融合したかのうような映像をみせられたときは、はじめての感覚でした。 シーンによっては本物の映像のようにリアルなCGが使われ、また別のシーンでは、コミックのようなポップな色使いのアニメーションが使われ・・・ ストーリーにあった映像の作り方をしていて、よくできていたな〜
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リサ
続編もやるんですよね?楽しみだな〜!
スパイダーマンシリーズ初心者でも楽しめる!唯一無二の映像体験を!『スパイダーマン:スパイダーバース』
ブラック・クランズマン
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ひっそり応援しているアダム・ドライバーの出演作ということで、問答無用で観賞。 パッとしない感じの顔立ちなんだけど、そこがいい・・・
テーマは黒人差別かつコンビものではありますが、『グリーンブック』とはまた毛色の違ったクセのある作品でした。 特にラスト5分は終始衝撃を受けっぱなしでした。それまで2時間楽しんでいた物語の全てがひっくり返るような演出にやられました。
緩急とクセのある演出に引き込まれる!『ブラック・クランズマン』
運び屋
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これは、いい意味で予想を裏切られた作品だったな〜!結構お気に入りです。 ポスターや予告で散々重いよ〜暗いよ〜アピールされていたのに、いざ本編を観てみると、コミカルでほっこりするシーンが多く、笑いあり涙ありのヒューマンドラマでした。 まさに、「年の功より亀の甲」を実感した映画でしたね。
すっかり老け込んだクリント・イーストウッドもかっこいい!まだまだ現役ですね! 『ダーティー・ハリーシリーズ』を見返したくなりました。
重々しい作品かと思いきや・・・笑いあり感動ありのヒューマンドラマ『運び屋』
名探偵コナン 紺青の拳
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毎年恒例の名探偵コナン。今回はお久しぶりのキッド登場回でした。 いつもと違うのは、キッドvsコナンに、京極さんがプラスされた点。三つ巴のストーリー展開が新鮮でしたね。 普段は脇役のキャラクターたちにスポットライトが当たるのは、映画ならではのよさですね。
今回は、コナン映画の定番をギュギュっと詰めこんだ王道タイプ。ただ、相変わらずあんまりミステリーはやってない!(笑) もはやコナンはアクション映画だと思った方がいいのかもしれない・・・
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リサ
さて、来年もなんだか大荒れになりそうな気が・・・
シャザム!
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初見さんでも楽しめる王道ヒーロームービー、それが、『シャザム!』 シャザムってつい口に出したくなる言葉ですね〜
DCEU初見の人でも、普段アメコミ映画を観ない人でも楽しめる、ファミリー向け映画でした。 あまりにも王道でクセがないので、私は若干の物足りなさを感じることもありましたが、アメコミ入門編としてはいい映画かも。
ザッカリー・リーヴァイのムッチムチの胸筋も最高ですよ、むふふ。
アメコミ好きからファミリーまで楽しめる、王道ヒーロームービー『シャザム!』
アベンジャーズ/エンド・ゲーム
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ついにきてしまった、この時が・・・ 『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』の衝撃をなんとか耐え抜いた1年。ついに、ついに、11年続いたMCUシリーズが、一端のフィナーレを迎えました。 途中からとはいえ、『アントマン』から4年追いかけてきたわけですから。万感の思いで胸がいっぱいになりましたね。
なんといいますか、もう、ありがとう、しか出てきません。熱くなる目頭を親指と人差し指で必死に抑え、点を仰いでいる姿を想像してください(笑) MCUシリーズはまだまだ続きますが、これからどうなっていくのでしょうか。まだ今後の動きがみえないため、不安とワクワクが入り混じっています。
これぞ「アベンジャーズ」!11年のフィナーレ『アベンジャーズ/エンド・ゲーム』
名探偵ピカチュウ
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ずっと楽しみにしていた本作。公開前は、ベラベラしゃべるおっさんピカチュウや、ポケモンたちのリアルなキャラデザに賛否両論噴出していましたが、いざ本編を観てみると現実の世界に馴染んでいてよかったです。 ストーリーは子ども向けにわかりやすく、一方で、ポケモン世代で育った大人が大興奮するようなイースターエッグも忘れずに仕込む。さすがです。
正直アメリカで作られたらバトルバトルそしてバトル、なんてことになるんじゃないかと思っていましたが、きちんと世界観が崩壊しないように作り込まれていてよかったな。 ベラベラおしゃべりするピカチュウもかわいかったぞ〜!
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リサ
あー私もピカチュウと喋りてえ〜!!!!!!
お喋りピカチュウと大冒険!ファミリーで楽しめる『名探偵ピカチュウ』
ザ・フォーリナー/復讐者
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ジャッキー・チェンとピアース・ブロスナンという名優同士が共演する、渋くてハードボイルドなアクション映画。 ニコニコ笑顔でカンフーを繰り出すジャッキーは、本作には1シーンも出てきません!終始シリアスなキャラクターを演じています。
相変わらずキレキレのアクションをみせてくれるジャッキー。森の中に逃げ込んだジャッキーがみせてくれるサバイバル術は、まるでランボーのようでした。 おじいちゃんになってもたくましい。いつものニコニコジャッキーとは違うジャッキーを堪能できますよ!
これが、ジャッキー!?復讐の鬼と化した彼の表情に注目!『ザ・フォーリナー/復讐者』
アメリカン・アニマルズ
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これもなかなか衝撃的な映画だったな〜 実話をベースにしていて、本編と本人たちへのインタビューが交互に混じる、独特な構成が印象的でした。
本当は自分は特別な人間なのだ!特別だから注目を集めたい!そーんな大二病にかかってしまった若者たちのしょうもない悪事が描かれます。彼らが行動に駆られる理由は分からなくもありませんが、これっぽちも共感できなかったため、後半から飽きてしまいました。
若者への戒めにはいい映画かもしれません。
「特別」になりたかった大学生たちの物語『アメリカン・アニマルズ』
アラジン
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元のアニメがおもしろいですから、実写になってもやっぱりおもしろいですね。 一応実写化に合わせて、オリジナルキャラクターやちょっとしたオリジナルストーリー、オリジナルシーンの追加はありましたが、まあこれはなくても特に気にならない気がします(笑)
劇中の「フレンド・ライク・ミー」や「アリ王子のお通り」など、アニメでも人気の高い歌唱シーンが、実写によってめちゃくちゃ豪華になっていたのはテンション上がりました! ウィル・スミスのジーニーも、完全に人間じゃねーか!と突っ込みたくなるシーンもあったけど(笑)、おちゃらけ具合がぴったりだったな。 山ちゃんの吹き替えも最高だった!ちゃんとアニメ用の声や演技じゃなくて、生身の人間(役者)の吹き替えに合わせた声色だったのは、さすかです。
豪華でスタイリッシュなミュージカルシーンにテンションアガる!『アラジン』
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happy-pix-jpn · 7 years
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* Photographer MIKI *
奈良県美術人協会会員。 主に奈良で行われる伝統行事の写真を撮っています。
とある小さな村の祭りで「来てくれてありがとう」と声を掛けて頂き、今までの自分の撮影スタイルに疑問を感じました。伝統を伝える、そして見て下さった人に何か感じて頂けるような写真を1枚でも多く撮りたいと思っています。 そして、何かお役に立てれば光栄です☆
*-- マスコミ --*  生駒市広報誌「いこまち」(2017年2月号)に掲載して頂きました♪♪ 毎日新聞「やまと人模様」(2015年3月3日)に掲載して頂きました♪
*-- 活動内容 --* (敬称略) ★2024年 ・奈良県美術人協会写真部会員展(奈良市美術館 7/2~7) ・奈良県美術人協会展(奈良市美術館 6/19~23) ・「月刊奈良(3月号)」奈良の春景色 梅と桜めぐり 写真提供 ・「祈りの回廊」2024年春夏号 表紙写真提供 ・奈良旅手帖2024 写真提供
★2023年 ・融通念仏宗布教師会WEBサイト「融通歳時記」写真提供(2023年7月~2024年6月) ・「奈良県中小企業団体中央会」会報誌(2023年4・5月号~2024年2・3月号) 表紙写真提供 ・月刊奈良3月号 明日香村いちご狩り特集 撮影 ・奈良県美術人協会展(2/1~5) ・奈良旅手帖2023 写真提供
 ★2022年 ・奈良県美術人協会写真部会員展(7/20~24) ・融通念仏宗布教師会WEBサイト「融通歳時記」写真提供(2022年7月~2023年6月) ・奈良県美術人協会展(5/18~22) ・「奈良県中小企業団体中央会」会報誌(2022年4・5月号~2023年2・3月号) 表紙写真提供 ・海龍王寺 十一面観音春季特別開帳ポスター 雪柳写真提供 ・奈良旅手帖2022 ★2021年 ・「行基の喜光寺1300年」(京阪奈情報教育出版)仏舎利殿撮影 ・大倭印刷 カレンダー写真提供 ・「奈良県中小企業団体中央会」会報誌(2021年4・5月号~2022年2・3月号) 表紙写真提供 ・月刊大和路ならら4月号 「大和の古道・街道ある記」村屋神社代々神楽写真提供 ・奈良観光情報誌『ならり』Vol.30春夏号 東大寺十七夜写真提供 ・奈良、旅もくらしも【花暦】 写真提供 ・奈良旅手帖2021 ・鹿鳴園 修二会写真展示(2020年12月17日~2021年3月15日) ★2020年 ・大倭印刷 カレンダー写真提供 ・なら燈花会 公式撮影 ・月刊大和路ならら6月号 巻頭【大和逍遥】 ・「奈良県中小企業団体中央会」会報誌(2020年4・5月号~2021年2・3月号) 表紙写真提供 ・奈良観光情報誌『ならり』Vol.28春夏号(表紙・かき氷特集撮影担当/東大寺十七夜写真提供) ・KCNまがじん2020年3月(海龍王寺・雪柳写真5点) ・奈良旅手帖2020  ★2019年 ・全国小学校道徳教育研究会 第55回奈良大会 表紙写真提供 ・大倭印刷 カレンダー写真提供   ・「祈りの回廊」2019年秋冬版表紙 表紙写真提供 ・万葉あ~と展(犬養万葉記念館・2019/7/26~8/4) ・フォトジェニック展2019(大阪・京都・兵庫) ・「奈良県中小企業団体中央会」会報誌(2019年4・5月号~2020年2・3月号) 表紙写真提供 ・奈良県美術人協会展(5/15~19) ・奈良ひとまち大学 トップ画像(2019年4月~2020年3月) 写真提供 ・海龍王寺 十一面観音春季特別開帳ポスター ・登大路ホテル奈良 トップページ写真<修二会・尻つけ松明> 写真提供 ・奈良ちとせ祝ぐ寿ぐまつり<大立山まつり2019> 公式撮影 ・登大路ホテル奈良 【綴る奈良Vol.21】螺鈿のいろどり 奈良漆器 北村家の漆芸 ・奈良旅手帖2019 ★2018年 ・登大路ホテル奈良 【綴る奈良Vol.20】究極の筆記用品 奈良墨 松壽堂 ・登大路ホテル奈良 【綴る奈良vol.19】土と対話する 赤膚焼 大塩正人窯 ・大倭印刷 カレンダー写真提供 ・奈良県立民俗博物館「私がとらえた大和の民俗」写真展(10/27~12/16) ・登大路ホテル奈良 【綴る奈良vol.17】宝山寺と参道をあるく 聖天厄除大根炊き写真提供 ・登大路ホテル奈良 【綴る奈良vol.16】日本清酒発祥の地 奈良 写真提供 ・第9回安堵町ふれあい盆踊り大会 公式撮影 ・登大路ホテル 【綴る奈良vol.13】古都奈良の文化財―世界遺産20年― 元興寺地蔵会写真提供 ・なら燈花会 公式撮影 ・奈良県美術人協会写真部会員展(2018/7/18~22) ・登大路ホテル 【綴る奈良vol.10】夏の東大寺を楽しむ 写真提供 ・奈良県美術人協会展(2018/5/16~20) ・平城宮跡歴史公園開園記念イベント撮影(3/24) ・なら瑠璃絵 公式撮影 ・登大路ホテル 【綴る奈良vol.3】東大寺二月堂修二会(しゅにえ)/ お水取り 写真提供 ・登大路ホテル 【綴る奈良vol.2】若草山焼き 写真提供 ・奈良旅手帖2018  ★2017年 ・大倭印刷カレンダー写真提供 ・奈良県立民俗博物館「私がとらえた大和の民俗」写真展 ・奈良西大寺展(あべのハルカス開催)法要・イベント撮影 ・「アステイオン 86号」(2017年5月18日発売)題目立(奈良市上深川) ・奈良県美術人協会展(2017/5/17~21) ・なら歳時記〜それぞれの春〜(2017/2/1~28) ・なら瑠璃絵 公式撮影 ★2016年 ・「月刊事業構想」12月号 奈良県十津川村特集 ・大倭印刷カレンダー写真提供 ・奈良県立民俗博物館「私がとらえた大和の民俗」写真展 ・葛城アートフェア出展 ・祈りの回廊 大神神社観月祭・砂掛け祭り写真提供 ・奈良県美術人協会写真部展示会(8/16~21) ・なら歳時記・夏〜奈良写真家9人展〜(8/1~31) ・奈良県美術人協会展(5/18~22) ・なら瑠璃絵 公式撮影 ・旅さらら(飛鳥・橿原観光ガイドブック) ・「大宮通りジャーナル 第4号」表紙・奈良元気もんプロジェクト様写真提供 ・祈りの回廊 砂掛け祭り写真提供 ・奈良旅手帖2016 ★2015年 ・大倭印刷カレンダー写真提供 ・奈良県立民俗博物館「私がとらえた大和の民俗」写真展 ・「大宮通りジャーナル 第3号」表紙・燈花会写真提供 ・なら燈花会 公式撮影 ・くるりかつらぎ・飛鳥・吉野大峯+十津川・桜井宇陀・大和高原(西日本出版社) ・ならびたり(生駒あさみ著) ・なら瑠璃絵 公式撮影 ・奈良旅手帖2015 ★2014年 ・1300年のこころ見つけました(奈良県観光キャンペーン) おん祭 ・1300年のこころ見つけました(奈良県観光キャンペーン) 春日大社年間祭事 ・奈良県立民俗博物館「私がとらえた大和の民俗」写真展 ・平城京ふぉと&うぉーく 11月15日開催しました。 ・なら燈花会 公式撮影 ・「JAPANSQUARE」(JR西日本・ナビバード共同運営)奈良特集 ・「JAPANSQUARE」(JR西日本・ナビバード共同運営)お水取り特集 ・なら瑠璃絵 公式撮影 ・なら瑠璃絵写真集(写真・編集制作) ・奈良県発行「なら記紀・万葉名所図会 - 古事記神様・人物入門編 - 」 ・奈良旅手帖2014 ★2013年 ・奈良県立民俗博物館「私がとらえた大和の民俗」写真展 ・近鉄奈良駅電子掲示板 東大寺修二会写真提供 ・なら瑠璃絵 公式撮影 ・奈良旅手帖2013 ★2012年 ・奈良県立民俗博物館「私がとらえた大和の民俗」写真展 ・なら瑠璃絵 公式撮影 ・「知れば知るほど奈良はおもしろい 2012年冬号」表紙・巻頭・ポスター ・「まほろびすと(奈良情報季刊誌)」表紙・巻頭・歳事 ★2011年 ・なら燈花会 公式撮影 ★2010年 ・平城遷都1300年祭(フィナーレ) 公式撮影 など *敬称略させて頂いております。 *個人の方や企業様からの撮影実績は掲載しておりません。
Hi ! I introduce Japanese culture & traditions by my photos. Especially in Nara & Kyoto. My wish is to make friends,especially with people who are interested in Japan, but I welcome absolutely anyone and everyone(*^^*)
Please feel free to contact me through Twitter. https://twitter.com/happy_pix Thanks.
*-- 書籍 --* ・「くるりかつらぎ・飛鳥・吉野大峯+十津川・桜井宇陀・大和高原」写真多数掲載 ・「行基の喜光寺1300年 (京阪奈情報教育出版)」仏舎利殿撮影
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theatrum-wl · 5 years
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【アンケート企画】 「2018年の3本」
WLでは読者のみなさんから2018年に見た舞台作品の中で印象に残った3本を、その理由などを書いたコメントとあわせて募るアンケートを実施しました。WLスタート以来毎年行っているこの企画、4回目の今回は17名の方にご参加いただきました。掲載は到着順です。
まなぶ(司書) ・北海道余市紅志高等学校『おにぎり』(サントミューゼ) ・志賀澤子『ROSE ローズ』(シアターΧ) ・スペースノットブランク『舞台らしき舞台されど舞台』(カフェムリウイ) 『おにぎり』高校演劇を観始めて1年半くらいたつが、初めて全国大会に参加することができた。何回も反芻してもう一度観たいのは『おにぎり』で、野球部員が黙々とおにぎりを握るあの静けさをまた体験したい。と思ったら東京学芸大が再演するそうなのでたのしみ。で、高校生たちのうち何人が演劇/観劇を続けるのだろう。 『ROSE ローズ』3回鑑賞して、演者だけでなく観客としての私自身の変化を定点観測的に感じることができた。安すぎる価格設定や毎回のアフタートークなど、シアターΧの取り組みは素晴らしいと思う。両国門天ホールを含めて両国によく通った一年だった。再演文化の定着は私も希望したい。 『舞台らしき舞台されど舞台』信頼があるからこそ演者や観客に負荷をかけることができる。せんがわ劇場演劇コンクールや高松アーティスト・イン・レジデンスへの参加など、積極的に外に出ようとする姿勢が創作の源泉になっているのだと思う。(年間観劇本数:83)
中西理(演劇舞踊評論) ・劇団ホエイ『郷愁の丘ロマントピア』(こまばアゴラ劇場) ・青年団『日本文学盛衰史』(吉祥寺シアター) ・範宙遊泳『#禁じられた遊び』(吉祥寺シアター) 山田百次(青年団演出部、劇団ホエイ)の劇作家・演出家・俳優としての八面六臂の活躍ぶりには凄いものがあった。作・演出・出演を兼ねる劇団ホエイでは北海道三部作の完結編として夕張の炭鉱町に生きた男たちの群像をみごとに描き出した「郷愁の丘ロマントピア」を上演した。俳優として出演したオフィスコットーネ「山の声」も忘れがたい名演であった。青年団はこの山田を代表に演出部の作家たちの群雄割拠の活動が目立ったが、平田オリザの新作「日本文学盛衰史」も明治の文学者たちの生き様を現代と重ね合わせた傑作。青年団以外では範宙遊泳の山本卓卓も引き続き存在感を見せた。(年間観劇本数:250)
野呂  瑠美子(一観客) ・東京ハンバーグ『夜明け前、私たちは立ち上がる』(シアターサンモール) ・ナショナル・シアター・ライヴ『Young Marx』(TOHOシネマズ日本橋) ・西瓜糖『レバア』(テアトルBONBON) 過疎化している貧乏な地域が狙われるという鉄則通り、標的の町となった三重県芦浜原発の、地元有志による37年に渡る白紙撤回闘争の有様が、懐かしい伊勢弁とともに心に滲みた「夜明け前、私たちは立ち上がる」。札びらで頬を撫でられて、次々と屈服していく人々や、それでも闘志をかきたててピケを張りに行く人々の姿が沖縄やフクシマと重なった。また、西瓜糖「レバア」も敗戦後の日本人のたくましさや惨めさをリアルに描き、半壊した洋館など舞台美術も役者の演技も秀逸。イギリスの舞台はどれを見ても水準が高く、俳優の層の厚さ、舞台美術、斬新な演出など、どれをとっても素晴らしいものが多いが、「Young Marx」は舞台装置と場面転換の妙、俳優たちの名演で、深刻な話を明るくコメディタッチで描き、最初から最後まで楽しめた。(年間観劇本数:70)
kiki(地方公務員) ・iaku『粛々と運針』(こまばアゴラ劇場) ・青年団リンク やしゃご『上空に光る』(アトリエ春風舎) ・MCR『櫻井さん』(OFF・OFFシアター) 自分の好みが変わったことを気づかされる3本。それぞれに、人が生きていく中で出会う行き場のない想いを鮮やかに切り取っていた。 粛々と運針:題材・構成・演出・俳優等がとてもよく噛み合って、芝居というものの面白さってこういうことだよなぁ、と思わせられた。 上空に光る:正解なんかない、それぞれの抱えたものは抱えたままで、それでも生きていくしかない人々の物語。特定の状況を丁重に描きながら、その中に普遍的なものが息づいていた。 櫻井さん:変な奴ばかり出てくるのに、どうしてこんなに刺さるんだろう。声を立てて笑ってるのに、いたたまれないくらい遣る瀬ない。ヒリヒリするほど酷い話なのに、登場人物たちへ向ける眼差しはどこかやさしい。この奇妙な物語を観ることができてよかった。(年間観劇本数:139)
青木  克敏(地方公務員) ・iaku『逢いにいくの、雨だけど』 ・iaku『梨の礫の梨』 ・オーケストラ・アンサンブル金沢『ペリアスとメザリンド』 iakuの横山拓也さんの活躍、そして深化が著しかった。3作品全て横山作品としたいぐらいでしたが、8月に上演されたボルドー国立歌劇場との共同プロダクションが素晴らしかったので。(年間観劇本数:40)
北村  紗衣(研究者) ・東宝『おもろい女』(シアタークリエ) ・『ヴェニスの商人』(ユタ・シェイクスピア・フェスティヴァル) ・ナショナル・シアター・ライヴ『ジュリアス・シーザー』 舞台を撮って映画館で上映するという形式がどんどん力を増しているように感じます。(年間観劇本数:118 )
矢作  勝義(劇場プロデューサー) ・mizhen『溶けない世界と』(日暮里d-倉庫) ・スペースノットブランク『ネイティブ』(せんがわ劇場) ・iaku『逢いにいくの、雨だけど』(三鷹市芸術文化センター星のホール) 今年の3本は、さらなる活躍が期待される3つのカンパニーの作品を選びました。並びは観劇順。mizuhenの作・演出の藤原佳奈は世界を切り取る独特な視点の面白さが秀逸。スペースノットブランクの小野彩加と中澤陽はオリジナリティーに溢れ、今後どのような作品を見せてくれるか楽しみ。特に小野さんの身体能力の高さは注目。iakuの横山拓也は、繊細かつ緻密に物語を紡ぎ出し、三鷹の大きな空間を生かした美術と演出により、iakuの作品の可能性をさらに広げた。 もちろん、先行世代も素晴らしい作品を上演した一年でした。穂の国とよはし芸術劇場で上演された糸井幸之介と木ノ下裕一による「とよはしの街の物語」、桑原裕子によるKAKUTA「ねこはしる」をはじめ、岡田利規、長田育恵、金山寿甲、柴幸男、詩森ろば、高木登、谷賢一、タニノクロウ、中村暢明、野木萌木、藤田貴大などのアーティスト達の2019年が楽しみです。(年間観劇本数:169)
和哉  遊柘 (観客) ・ヨーロッパ企画『サマータイムマシン・ワンスモア』(本多劇場) ・TEAM NACS『PARAMUSHIR~信じ続けた士魂の旗を掲げて』(森ノ宮ピロティホール、赤坂ACTシアターほか) ・くによし組『ケレン・ヘラー』(王子小劇場) ・精緻で巧みでそして何より面白い。前作より登場人物が増えたのに魅力が増してるのはマジックとしか言い様がない。傑作。 ・このカンパニーで今できるベストの公演かつ演出家として森崎博之の持ち味のエモーショナルさ・ダイナミックさが遺憾無く発揮されている。 ・切実で突き刺さる物語とその疾走感もいい上に、二人一役の必然性のある演出もぴったり嵌っていた。 他、次点で、ブラボーカンパニー『タイトル未定2018』『サムシング・ロッテン!』は、ほぼ同時期に福田雄一が関わる作品で双子のような作品でセットとして観ても面白い。 今年は良作は多数あったが傑作は少ない印象で物足りないのが正直なところ。また中~大劇場規模の演出が出来る演出家やその規模の客席を埋められる人材不足が目に付く。中~大規模の舞台を観る身としては、早急に見直しをお願いしたい。特に演出家は急務では。(年間観劇本数:103 )
薙野  信喜(無職) ・ヨーロッパ企画『サマータイムマシン・ワンスモア』(西鉄ホール) ・フィリップ・ドゥクフレ/DCA『新作短編集(2017)―Nouvelles Pièces Courtes』(北九州芸術劇場) ・KERA•MAP『修道女たち』(北九州芸術劇場) 2018年もいい舞台が九州で観られたのはありがたかった。選んだ3本以外にも、二兎社「ザ・空気 ver.2 誰も書いてはならぬ」、「老いと演劇-OiBokkeShi《オイ・ボッケ・シ》の活動から学ぶ「人生100年時代」の生き方!」、中村敦夫一人芝居「朗読劇 線量計が鳴る」、SPAC「寿歌」などのすばらしい舞台が多かった。九州の劇団では、 最新旧型機クロックアップ・サイリックス「上下左右」、go to・Theちゃぶ台「愛の讃歌」がおもしろかった。九州で作られた、北九州芸術劇場プロデュース「彼の地Ⅱ」、ニコちゃんの会「走れ!メロス。」も楽しめた。(年間観劇本数:129)
町田  博治(会社役員) ・静岡県立三島北高校演劇部『またね。』(山梨県立県民文化ホール) ・青年団『日本文学盛衰史』(吉祥寺シアター) ・モメラス『反復と循環に付随するぼんやりの冒険』(北千住 BUoY)  3作品を選ぶのはかなり難しい。初見の作品を選ばせていただいたが、再演の作品にも、SPAC『マハーバーラタ』、iaku『粛々と運針』、劇団こふく劇場『ただいま』など素晴らしい作品が多くあった。今年の3作品以外にも、ホエイ『郷愁の丘ロマントピア』、千葉県立松戸高校『Time After Time (「インディアンサマー」より)、iaku『人の気も知らないで』、『逢いに行くの、雨だけど』、うさぎストライプ『空想科学Ⅱ』など素晴しかった。 『またね。』高校生達の葛藤を深く掘り下げた見事な脚本と演技で魅せられた。女性、女子高生だから書けた女子同士の関係性や友達関係が崩れたあとの女子の葛藤を、受験を柱に深く掘り下げた見事な作品。 『日本文学盛衰史』日本文学と演劇への青年団からのエール。 『反復と循環に付随するぼんやりの冒険』これぞ演劇。観終わったあとの高揚感が凄かった。役者の演技も出色だった。(年間観劇本数:316)
りいちろ (会社員) ・マームとジプシー『BEACH』(VACANT) ・iaku 『逢いにいくの、雨だけど』(三鷹市芸術文化センター星のホール) ・マコンドープロデュース『空と東京タワーの隣の隣』(下北沢 スターダスト) 3本は演劇だから受け取りうる、言葉に為しえない細微で立体的な記憶の感触に深く染められた舞台。 演劇だからということでは、シリアルナンバーや劇団チョコレートケーキなどの作品たちが編む世界観にも心揺さぶられた。長田育恵戯曲達の強さと確かさにも痺れる。RoMT『ギャンブラーの為の終活入門』、MCR『親展』、サカサマナコ『静かな欠片』なども圧巻だった。 モダンスイマーズ、シリアルナンバー、MCR、泣かないで、毒きのこちゃんなどによる過去作品群の再演があり、回顧ではなく作り手の踏み出しと感じることがとても豊かに思える。qui-co、月刊根本宗子、くによし組、ピヨピヨレボリューション、キュイ、mizhen、第27班、アナログスイッチ、牡丹茶房、日本のラジオ、肋骨蜜柑同好会、劇団普通、遠吠え、やみ・あがりシアター、ワワフラミンゴ、書ききれない程多くの作り手たちの企てや進化が心強く思えた一年でもあった。(年間観劇本数:330)
片山  幹生(WLスタッフ) ・ゲッコーパレード『リンドバークたちの飛行』(早稲田大学演劇博物館) ・ゴールド・アーツ・クラブ『病は気から』(彩の国さいたま芸術劇場 大ホール) ・iaku『逢いにいくの、雨だけど』(三鷹市芸術文化センター星のホール) ゲッコーパレード『リンドバークたちの飛行』は2018年に見たなかで最も印象的な舞台だった。早稲田大学演劇博物館という空間の特性を十全に利用した見事な演出。リンドバークを引き受けた河原舞は観客たちをかの地への旅へと誘う魅力的なパイロットとなった。彼女の身体と声が伝えるリンドバークのことばに観客はさまざまな隠喩を読み取ったはずだ。ノゾエ征爾演出の『病は気から』は数百人の素人老人俳優のエネルギーに満ちた驚異的な規模と発想のモリエール劇だった。今年はiaku/横山拓也の年だった。アクロバティックでスリリングなせりふのやり取りのなかから生まれるドラマの豊かさが横山戯曲の魅力だ。上演作品はいずれもせりふ劇の面白さを堪能することができる傑作だったが、ここでは彼のこれまでの劇作術の成果が��約されたような『逢いにいくの、雨だけど』を特に挙げておきたい。(年間観劇本数: 118)
中村  奏太(プロデューサー) ・高松桜井高校演劇部『わたしの星』(綾歌総合文化会館アイレックス 大ホール) ・OM-2『ハムレットマシーン』(d-倉庫) ・青年団『銀河鉄道の夜』(さいたま市 プラザノース ホール) 今年は高松桜井の『わたしの星』が圧倒的だった。二年前、同校が初演版の『わたしの星』を上演したときも3本に挙げた。今回は代替わりをし、再演版の『わたしの星』を上演。人間の美しさ、一瞬の煌めきが世界に広がり、鼓動のように心に響く60分。驚くほどのクオリティだった。 OM-2『ハムレットマシーン』は、テキストでしか読んだことのなかったこの作品世界の深さ、広がりを体感できた。 青年団『銀河鉄道の夜』は、広い舞台に立ち上がる美しい世界と、ジョバンニ役の井上みなみの好演により、心が宇宙と一つになった風景が見えた。 2018年は、演劇の時間のなかで、世界の広さを体感できる作品に特に心を動かされた。(年間観劇本数:200 )
でんない  いっこう(自由業) ・パルコプロデュース『チルドレン』(さいたま芸術劇場 大ホール) ・新国立劇場『スカイライト』(新国立劇場 小劇場) ・風姿花伝プロデュース『女中たち〉』(シアター風姿花伝) 意識はなかったが3人のみの芝居に充分に惹かれた。決して内向きになる訳ではない。①は”心の痛み”が人を動かし、②は”生きるということ”の違いを出し、③は”嫉みの愛情”の結末。それぞれが社会、教育、権力などについて考えさせられる。他には台詞の面白さで『忘れる日本人』一人芝居の凄さで『FULLY  COMITTED』老いの日常で『うん、さようなら』正義の歪さで『わたし、と戦争』国が人を殺す戦争以外の死で『善悪の彼岸』を挙げたい。(年間観劇本数:58)
森岡  実穂(大学教員) ・KJプランニングス『ザ・モニュメント 記念碑』(プロト・シアター) ・世田谷パブリックシアター『岸 リトラル』(世田谷パブリックシアター) ・パルコプロデュース『豊饒の海』(シアターコクーン) 順番は上演順で、演劇・ダンスのみからの選択。小劇場の上演からは川口典成演出、コリーン・ワグナー『ザ・モニュメント』(翻訳:神保良介)。娘を奪われた母親(西田夏奈子)の、理性を超えた「忘却」への抵抗があまりに強烈で、2018年はほかの作品を観てこの作品を思い出すことが何度もあった。外国戯曲上演の中では上村聡史演出、ワジディ・ムワワド『岸 リトラル』(翻訳:藤井慎太郎)。これも豊かなイメージで喪と記憶、残された者たちの生が語られた。ムワワドの作品はぜひ今後も紹介してほしい。世田谷パブリックシアターでは森新太郎演出『The Silver Tassie 銀杯』など、他では難しそうな翻訳戯曲を積極的に上演してくれてありがたい。日本で書かれた戯曲上演では、素晴らしい役者陣を揃えて壮大な物語を美しい構造で語ったマックス・ウェブスター演出、長田育恵『豊饒の海』。長田は『海越えの花たち』も素晴らしかった。(年間観劇本数:50 )
今井  克佳(大学教員) ・渡辺源四郎商店×(一社)おきなわ芸術文化の箱『ハイサイせば~Hello-Goodbye~』(こまばアゴラ劇場) ・こふく劇場『ただいま』(こまばアゴラ劇場) ・地点+空間現代『グッド・バイ』(吉祥寺シアター) 多くの優れた演目、記憶に残る舞台を2018年も見ることができた。大劇場や高額の演目および新劇系統にももちろん優れた上演がたくさんあったが、サイトの特質上避けて、小劇場中心に選んでみたところこの三本となった。いずれもやや前衛的な演出傾向のある演目となった。『はいさいせば』はウチナーグチと津軽方言という発想が印象深く、『ただいま』は古典芸能の道具立てで展開していく家族ドラマのスタイルが興味深い。『グッド・バイ』地点と空間現代の共演のレベルが一つ上がり、言葉と音楽と身体が一体化したパフォーマンスを楽しんだ。また出演俳優の力量も三本とも優れていた。いずれも東京で鑑賞したが、発信地は、青森、沖縄、京都、宮崎と全て地方である。演劇における周縁(地方)の力を再認識するとともに、うち二本が上演されたこまばアゴラ劇場が果たしてきた役割の重要性にも思いが至る。(年間観劇本数:118)
小泉 うめ(観劇人・WLスタッフ) ・なかないで、毒きのこちゃん『やっぱり!おれたちにあすはないっすネ』(ザ・スズナリ) ・制作「山口ちはる」プロデュース『恋愛監獄』(小劇場 楽園) ・地蔵中毒『「淫乱和尚の水色腹筋地獄」改め「西口直結!阿闍梨餅展示ブース」』(王子スタジオ1) 選んだ3団体はいずれも驚異的なペースで創作を続けており、また単に多産というだけでなくどれもが秀作揃いで団体を選んでから作品を選ぶのもまた大変だった。なかないで、毒きのこちゃんのこの作品は地方公共劇場のプログラムディレクターに是非知って欲しい。この3団体は2019年も継続して活躍が期待できると思う。2018年を概して言えば、遅筆騒動が多く、またそれを扱った作品も多かった。それが理由とは感じていないが、新作戯曲に目を見張るものが少ない。これは2019年に更に期待したい。(年間観劇本数:365)
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guitarsky · 7 years
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石巻放浪①~自慢の日和山
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【石巻に行こう!】
 先に申し上げておきます。私が石巻に思うこと、これから書くことは私の自己満足です。あしからず。
 石巻に初めて訪問してからおよそ1年が経ち、2017年9月9日の訪問で4回目となりました。
 いつも【復興支援むすび】の小林さんにおんぶにだっこで、ほいほ~いと付いて行ってギターを鳴らして美味しいものを食べているだけ。
 受身なだけではなく、そろそろ何かしらの形でフィードバックしないといけないと思い立ちました。本当は見た事実だけを淡々と書こうかとも思いましたが、私が石巻について勉強不足だったり、私が見たものは石巻で起こったことのごくごく一部でしかないため、思い切って私の個人的な観点から見た感じた石巻を総括的にまとめたいと思います。時系列はまちまちなのでご了承ください。
 石巻を訪れるきっかけは【復興支援むすび】の小林さんに声をかけていただいたことです。小林さんは東京は江東区亀戸にある「ミュージックラウンジ・バーン」さんで、毎月第3土曜日に「復興支援しナイト」というイベントのホストをされています。
 そんな小林さんに、介護保険施設(事業所)で演奏するよ~、来る?と。何か口説き文句言われた気がするけど忘れた。あれっ、自分から行きたいって言ったんだっけ? ともかく、言葉巧みな小林さんの1本釣りに見事にかかったのです(嘘)。
 私は復興支援というよりも「仕事とは離れたところで高齢者の人に接してみたい」というのが当初の目的でした。丁度仕事に煮詰まっている時期で、リフレッシュしたいなぁと。復興支援やボランティアという意識はなく、演奏のついでに被災地が見られれば良いな、という軽い気持ちです。今でもそれはあまり変わっていないのですがね。
 かくして演奏を口実にした私の石巻訪問が始まります。
【地元の方のお国自慢その1 義理人情】
 石巻の高齢者の方のお国自慢に、「石巻の人は人情に厚い」といった声が多く聞かれました。確かにその通りと思います。
 私が初めて石巻を訪れたあとの感想は、「あっ、ここなら住める」です。
 年を重ねてそれなりに旅行をしてきましたが、「良いところだな、また来たいな」とは思っても「住める」と思える場所はほとんどありません。地元大好きだし。
 石巻で接する人と市内の雰囲気が私には合っていました。その街並み・風景は違えども、どことなく私が住んでいる町に近いものを感じたのです。
 似ているんですよね、人との接し方が。何となく下町っぽい。ざっくばらんで親切で、それでいて人の踏み込んじゃいけないラインというのをきちんと分かっている。今時の東京の下町の人よりもよっぽど粋な下町の人っぽい。
 勝手な分析ですけど、その背景にはその風土が関係していると思っています。
 これは地元ボランティアさんの話。
“石巻にはわざわざ外に売り出すような名産品がないんだよ。何でかわかる?
 必要がなかったんだよ。石巻で生活が完結できてた。海の幸は美味いし、山では山菜も採れる。それに美味い米の産地でもある。
 生活に必要なものが石巻で揃えられた。冬だって雪がそんなに降るわけじゃないし、気候が良い。それで満足できちゃうんだよ。敢えて外に売り出す必要がなかったからなんだ。”
 現在の石巻に名産品がないとは思いませんが、言わんとしていることは何となくわかる気がします。
 所謂【下町人情】というのは江戸時代の下町、貧乏長屋のコミュニティーで生まれています。一つのコミュニティーで幾つもの家族が生活するには互助の精神で共生するしかありませんでした。
 助け合いもすれば、おせっかいもしたり、本当は持っているくせにお隣に「お醤油貸してくれる?」といった“うちはお宅より貧乏だよアピール”、泣いていても敢えてそっとしておいたり。
 みんなそこで生きるのに必死だから生まれたコミュニケーションだったんですね。しかしそれは閉鎖的とも言えるし、時に残酷でもありました。
 石巻が貧乏長屋と言っているんじゃないですよ。一つの市と長屋ではスケールが違いまし、生活環境もあまりに違います。だけれども、生活を完結できてしまう一つのコミュニティーという意味では、石巻も同じようにそのコミュニティーの中で幸せに暮らしていく術を身につけて、石巻の方の人柄があるのかなと。個人的見解。
 震災後という要素もあるのかもしれません。石巻を訪れる度に、会う人会う人に必ず言われるのが、この言葉。
「来てくれるだけで嬉しい」
 石巻に来て私は何もできないですよ、と言っても必ず同じ言葉が返ってきます。
 これは石巻の方ではなく、今年に入ってから知り合った仙台在住の方の言葉ですが、私が石巻に行った話をしたところ即答で帰ってきた言葉が、
「ありがとうございます」
でした。同じ宮城県とはいえ仙台市の方なのに。
“震災後何年も経って、だんだんと訪れる人が減ってきている。震災がだんだんと過去のことになってきている。まだまだ支援は必要なのに。心のケアっていうのは必要なんですよ、特に石巻は。忘れてませんよ、って何度も行ってあげてください。美味しいもの食べてください。それだけでいいです。”
と言われました。
 ただ、必ずしも石巻の全ての人が誰でもウェルカムな気持ちでいるとは限りません。そうでない方たちも当然いらっしゃいます。
 震災直後から支援を拒否した方もいらっしゃると聞いています。震災後の報道(陣)にうんざりして外部を拒むようになったという話も。車で石巻を案内して頂いている時に某地区の奥の方を通ったところ、「何だお前ら、何しに来た」というような厳しい目力を感じたこともあります。
 人は安易に踏み込んじゃいけない領域というのをそれぞれ持っています。おせっかいも度が過ぎてはいけない。これは被災地関係なく、普段の人間関係も同じだと思います。
 とはいえ、客観的に見て支援が必要なのに受け入れてもらえない、そんなもどかしい状況もあるのも事実のようです。
 2017年12月に仮設住宅の大掃除のお手伝いに行った時、掃除が終っておちゃっこ(お茶やお菓子を頂きながらおしゃべり。宮城県や秋田県の方言)。
 おばあちゃん、時間ないからもういいよって言っているのに、せんべい・みかん・おばあちゃん特製蛸の酢漬け、出すわ出すわ。蛸の酢漬けに至っては小皿に出てきたものを美味しいって言ったら、そうかい(^。^)、って大量追加。酢漬けだけそんなに食べられないよ。東京に帰って時にはお腹を壊していたのは全く関係がないと思う。
 おばあちゃん、我々の帰りも雪降ってるからいいよって言っても、サンダルを履いて手を振りに出てくる。
 石巻はそんな人達がたくさんいます。
 【地元の方のお国自慢その2 日和山】
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 JR石巻駅の南側に位置し、眼下に石巻漁港、��平洋を見渡せる丘陵。ハトヤのCM(関東の人しかわからない?)「前はう~み~」の元歌、宮城のご当地ソング、斎太郎節にもその名が出てきます。
 江戸時代の地誌によると、その名前は、石巻から商船が出向する前に山に登って天候を確認することから付いたとか。
 日和山と石巻漁港の間には、東日本大震災で被害の大きかった南浜・門脇地区が広がり、その景色もまた一望できます。2016年9月に私が初めて南浜地区を訪れた際には瓦礫はもうありませんでしたが、肩のあたりまで草が生えている中、砂利道を車で走りました。
 車中で「この辺りは街だったんだよ」と説明を受けましたが、頭の中では想像がつきません。先に日和山からこの地区を見ていたけれども、ピンときていません。
 後に大川小学校を訪れた時の河北地区でも同じ感覚に陥ります。頭の中が真っ白というか、穴が開いている感じ。明らかに震災の爪あとが残る建造物などを見れば、その被害の甚大さというのを目の当たりにできるけれども、何もないとその想像がつかない。人間にとって無って怖いものでもあると思います。
 草の間を走っていくと「東日本大震災メモリアル 南浜つなぐ館」に着きました。つなぐ館の横には大きな看板があります。何度もテレビで見た【がんばろう!石巻】でした。それを見た瞬間、テレビで見た光景が一気に脳裏に広がります。その光景は看板の周りにまだ沢山の瓦礫が残っている時の映像です。ここなんだ。
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 つなぐ館の中には震災前の写真や模型、震災後の写真などが展示されています。ぜひ見に来て下さい。
 1年後(その間も来ているけれど)、2017年9月に南浜地区を訪れた時は少しずつ変わってきていました。新しい道ができていたり、墓地ができていたり。つなぐ館へ向かう道すがら、車を運転している小林さんが「来るたび道が違う」とブーブー言っています。
 南浜・門脇地区そのものが「石巻南浜津波復興記念公園」として建築が進んでいます。
 つなぐ館の前で一人の男性に声をかけられました。頭にタオルを巻いて、たっぷり日焼けしています。
“「どこから来たの?」
「東京です」
「もう中見た? 新しくシアターができてこれがなかなかいいんだ」
「まだです。これが落ち着いたら入ろうと思って」”
 この時、観光バスが3台止まっていて、つなぐ館の中に人が多かったのです。
”「こんな人が多いの初めてみたよ。がははは」
「僕もですwww」
「何回もここ来てるの?」
「石巻自体4回目ですね。その度ほぼここに来てます」
「変わった人だね。何で?」
「去年たまたまご縁があって来ることがあって、居心地が良くて、何もできないけど美味しい物食べて帰ろうと思って」
「魚美味しいでしょ、ありがとうね」
「お兄さんは地元の方なんですか?」
「うん、南浜で生まれ育ってね。これからこの辺りは公園になるんですよ。10年かけて150万本の樹を植樹してね。実は私その植樹の事務局の会長やってるんですよ。生まれた育ったところが綺麗になってほしくてね。これからここは緑がいっぱいになりますよ。9月23日にあそこで1本目の植樹があるんです」“
 男性はつなぐ館の斜め前の方を指差すと、「じゃ!」と行ってしまいました。かっこいい。惚れるわ。
  最近知ったことですが、日和山、石巻って身近な土地でした。こじつけなのですが。
 現在の東京都葛飾区や私が住む墨田区を含む一帯を、平安時代末期に葛西清重という武将が所領していました。鎌倉時代に入ると清重は源頼朝から功績を称えられ、奥州総奉行に任じられます。そしてその時に城を築いたのが日和山だったそうです。清重は日和山からどんな景色を見たのでしょうね。想像するとわくわくします。
 こじつけついでにもう1つ。我が墨田区には「東京慰霊堂」という場所があります。この「慰霊堂」という場所は大正の関東大震災の被災者、昭和20年3月10日の東京大空襲の犠牲者の無縁仏が奉安されています。
 墨田区の公立小中学校では昔から震災や戦災についての教育に力を入れていました。慰霊堂の中には当時の様子が生々しく描かれた絵があったり、同じ公園内に資料館があります。
 小学校の社会の授業でも、放課後でも何度もこの公園に行きました。遊び場でもあったのです。生活の中で、地震って怖いんだ、戦争って良くないんだ、小さい頃から摺り込まれていました。私が石巻に惹きつけられているのも、そんな環境とリンクしているからかもしれません。
 日和山は桜も綺麗とのこと。一度春に行ってみたいものです。毎朝、日和山体操(ラジオ体操? 未確認です)なるものをやっているそうで、結構人が集まっているらしいですよ。
 2017年9月の訪問時に日和山で杖を突いた老人男性に声をかけられました。「どこから来たの?」。東京からです、と答える。お父さんは地元の人?と聞くと、「僕も昔東京の世田谷にいて、50年前にこっちにきたんだよ」。聞いてもいないことをひたすら話しかけてきます。
 奥さんが女優さんみたいだと周りから言われた、日和山には浅田真央、羽生弦が来た。映画の撮影で阿部寛が来た。撮影ってあんなに人が来るんだ。手が映って怒られちゃったよ等々。意訳です、ほとんど聞き取れないくらい訛ってる。3回位、同じ話をループするとおじいちゃん満足したのか、「じゃ」とひょこひょこ行ってしまった。他の獲物を見つけに行くのでしょう。
 ほっとしていると、近くのベンチに座っていたこれまた高齢者男性2人組が声をかけてきました。「お兄ちゃん、どこから来たの?」。期待に応えて笑顔で「東京です!」と返事。
「ここ座りなよ!」と男1に誘われ、男1と男2の間に座る。なぜだ。
男1「あの人何言ってるか分かった?」
私「いや~半分以上分からなかったです」
男1「だろ? 俺ら地元の人間でもな~に言ってんだか分んないんだよ! 訛りひどいんだよ!」
男2「ふふふふふふふ」
私「そうなんですね~。お二人とも地元なんですね?」
男1「そうだよ。で、あの人、阿部寛が来とか言ってなかった?」
私「言ってました。あと浅田真央や羽生弦が来たとか」
男1「東京の世田谷にいたとか?」
私「言ってました、言ってました。あと奥さんが女優さんみたいだったとか」
男2「あー、やっぱり」
男1「あの人、ここで人に声かけては同じこと6年間言い続けてるんだよwww」
男2「うふふふふふふ」
 あなたたちも6年間ここであの人を見守っているんですね、わかります~。
 日和山には地元の方、観光客、色んな人が集まる素敵な所です。
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bigbear125-blog · 7 years
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日本におけるしつけと体罰、虐待の文脈
 本稿では、自身含む学生の多数がしつけと銘打った親や教師からの体罰、虐待をしつけと認識しており、体罰や虐待が問題であるにも関わらず子育て場面においてかなり普遍的に行われていることに危機感を抱き、その連鎖の可能性を考慮した結果これを問題視するに至った。保護者や扶養者、子どもと接する人間が当たり前にできていると思われがちなこの点が世間的に軽視されていることは大きな問題であり、早急に解決したほうがよい事案であると思われる。子どもを支援する立場の人間において、教育とは、しつけとは何か、何を行ってよく、何を行うと子どもを傷つけてしまうのかを理解することは支援の根幹にあると本稿では考える。具体的には子どもと関わる人たちや保護者など対し、適切なしつけややってよい行為などを指導することは現今の死亡例や怪我、心理面でのPTSDが増えてきている現状において急務であろう。この立場から、日本におけるしつけ、そして現在不適切とされている体罰、虐待の文脈を把握し、体罰や虐待などの行為を支援の現場で行わないための方略を考えて行きたい��
 日本におけるしつけの研究の先駆者である柳田國男によればしつけとは「あたりまえで無いことを言い又は行ったときに、誡め又はさとすこと」「小さな頃から自分の眼目又は力を以てこの当然なるものを学ぶこと」「徳目によるのでなくして、ただ心持を以て会得すること」「文字や口言葉に表されないで黙々と伝わっている」[i]というものであるという。
 欧米と比較するに、日本のしつけは善悪より恥の概念をより強調する傾向があった。平安時代以降のしつけは礼儀作法を教えるものであり、そして社会教育の予備教育としての機能を備えていた。こう書くと、近代以前の日本の教育観には徳目的、形式主義的な儒教の色彩が強いと捉えられがちであるが、柳田の定義から見るならばもっとフレキシブルでかつ身体的なものだと言えるであろう。戦後に出版された民俗学辞典によれば、具体的にはあいさつやお礼、食事の作法、身だしなみ、道具の取り扱い、身持ちなど、消費を中心とした生活あるいは対人関係の作法について重点的に行われたとされる。手法としては表情、身ぶりや禁止、叱責、批評、風刺、嘲罵、体罰などであった。[ii]基本的には、しつけは共同体で他者と生きていくためのルールをあらかじめ教えるものであった。
 ちなみに、現代の心理学的観点から言えば、上記の手法の中でもしつけの効果を分類することは可能であり、「Hoffman (1977)によると、しつけのタイプは次のように分類することができる。即ち、子どもの行動を統制するために、賞罰を利用する力中心の(power assertive)しつけ、子どもの行動が他者に与える影響を説明したり、説得したりする誘導的(inductive)しつけ、および子どもを無視したり、要求に応えなかったりする愛情の除去(love withdrawal)である。そして、愛情の除去と愛他行動の関連は仮定されていないものの、誘導的しつけは愛他行動の社会化を促進させ、力中心のしつけはそれを抑制することが示唆されている。」「愛他行動は犠牲者の苦痛の低減を目標に動機づけられる行動である」[iii]とされ、力によるしつけで叩いたり、叱ったりするよりも、他者の事情や感情を考慮するよう説得するほうが結果的に共同体生活において他者の事情を慮る振る舞いをする人物となりやすいという研究結果がある。
 しつけとは、近代以前の日本においては家族だけでなく村落などの共同体で行うものであった。
 体罰としつけの関係についても触れておきたい。森田ゆりは『体罰とは、外から痛みや恐怖心などを子どもに与えることによって、子どもの行動をコントロールする方法』[iv]
 日本の体罰禁止の第一人者は道元と最澄であろう。最澄は日本への『勧奨天台宗年分度式』では「手に笞罰せず。今我が同志、童子を打たずんば、我が大恩となさん」と記している。室町、戦国時代には続く戦乱によって体罰が容認される世情になっていたが、江戸時代の徳川幕府の治世下で、徳川綱吉により生類憐れみの令が出されたことで文治主義、捨て子の保護、体罰禁止、動物虐待禁止の気風が出来ていった。江戸時代中期以降には中国から輸入された体罰禁止に関して書かれた朱子学、陽明学などの儒学者の意見は多く見られ、熊沢番山は鞭を打たずとも統制は取れると主張し、水戸光圀は体罰は教育的効果があるどころかむしろ害であるとしている。江森一郎は江戸期以前のしつけにおいての体罰忌避への感覚が変化したのは明治維新以降の欧米制度の輸入においての時期だとしている。江戸時代の影響を色濃く残す明治初期においては、「世界中で日本ほど、子供が親切に取扱われ、そして子供の為に深い注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい。」[v]とお雇い外国人として東大で講師をしていたE.S.モースが記録に残している。
 こういった観点が出てくる理由として、欧州では例えばフランスでは1989年の時点でも、子どもをしつけるという名目で、鞭で子どもを叩くという教育方法が一般的に行われているという事実を勘案することが必要かも知れない。イギリスでも、20世紀前半には鞭打ちは平均的なしつけの方法として民間において行われていた。
 さらに、江森一郎は明治期において体罰の肯定が大きく進んだのは日露戦争前後であったとしている。日露戦争中に兵士の逃亡に苦慮した上層部は、それを防止するために軍規を厳しくし、ビンタや鉄拳制裁はこの頃から目につくようになる。明治時代になって唐突に起こった急激な帝国主義、資本主義の導入は格差を生み出し、過剰な厳しさや暴力を容認する気風を作り出した。陸軍・海軍における教育方法は一般に共有され上下関係によるいじめや八つ当たりが許される、あるいは肯定される側面が民衆の間でもこの頃から強くなっていく。1926年にイギリス人��あるバートランド・ラッセルは「近代の日本は、あらゆる大国の顕著に見受けられる一つの傾向を最も明瞭に示している。――つまり、国家を偉大にすることを教育の至上目的とする傾向である。日本の教育の目的は、感情の訓練を通じて国家を熱愛し、身につけた知識を通じて国家に役立つ市民を作り出すことにある。」[vi]と、倫理的暴君性を指摘し、「その教育を制度の保安の下に従属させるという誤り」[vii]を犯していると述べている。明治期の画一的で肩にはめたような教育姿勢への揺り戻しとして大正自由教育運動が1920年代から30年代に関して起こるが、その代表として語られるラッセルの思想は日本の教育観に影響を及ぼしている。彼の教育思想を例を上げて検討すると、しつけに関して、「性格の教育は、訓戒の反復では果されない。訓戒や罰で親切な性格は生れない。教師自らの身をもって示す実例だけが最良で、訓戒の言葉はいらない。」[viii]という論を持ち、暴力を行うとおどかして子どもを言いなりにさせると尊敬を失うため、決してやってはいけない、鞭で子どもを叩くことは今日の教育には相応しくない、小言に厳格に服従させられてきた子どもはいつも非難をされないか怯える人物になってしまう、と述べている。そして、叩く、どなりつける、の対案として理性や訓戒に訴え、適切とされる振る舞いのモデルを親が見せる、他の子どもたちのよい振る舞いを観察させるなどの手法があるとしている。ラッセルは以下の文の後にマリア・モンテッソーリを引いて、「子供が他の子供たちをしつこく邪魔する或いは他の子供たちの喜びを台無しにするような場合、はつきりした刑罰は彼を仲間よけにすることだ。何かこういつた種類の手段をとることが絶対に必要である。何故なら他の子供たちにいやな思いをさせておくことは、一ばん不公平なことなのだから。だが併し、手におえない子供をして自分が悪いんだと感じさせたところで何の役にも立たない。むしろ他の子供たちが楽しんでいる喜びをいま自分は失いつつあるのだと感じさせる方が、一層目的に添うわけだ。」[ix]としつけの実例を挙げている。
 これらの思想は1920年代に既に輸入されていたようであるが、明治大正期の欧米型の育児モデルが民衆まで広がるには、戦後の1960年代から70年代まで待たなければならなかったようである。
 具体例を挙げてみよう。現代の日本では、説得、暗示(野菜を食べない子どもに、それだと健康状態が悪くなるのではなかと提示、あるいは嫌いなものを残している子どもに、食べないと片づけてしまうよ?と意思表示)が22.4%に対して2.0%と多くアメリカでは43.1%に対して54.6%と直接命令(歯磨きをしてほしいときに、意見に従ってもらえない場合無理に引っ張ってくるなど)が多かった。そして、日本では地位に訴えたしつけをするのは高い階層に多く、アメリカでは逆に高い階層ほど論理的に理由を述べ、ゆるやかな統制の方法を取るという調査結果が出されている。[x]全体としてアメリカでは「なすべきことを直接的明示的に述べて統制する方略が優勢」日本においては「暗示や示唆など 間接的な方略で、母親は子と情感を共有すること でいわんとすることを伝えようとする 」しつけがメジャーであるという状況が1990年代においても見られ、アメリカのしつけにおける直接命令が強い傾向に関しては1950年代とあまり変化がない。[xi]欧米と日本のしつけ観の対比としては一種江戸時代前後と近しい構造があると言える。
 また、「「今までに父親または母親から体罰をされたことがない」学生は,女子が42.6%,男子が29.6%で あった。これに対して,「体罰経験がある」学生は,女子が16.2%,男子が30%であった。「体罰かどうかは分からないが叩かれたり殴られたりした経験はある」という学生は,女子が41.2%,男子が48.3%であった。「体罰経験あり」と「体罰かどうか分からないが叩かれたり殴られた経験がある」 を合わせると,女子がおよそ6割弱,男子は8割程度になる。」[xii]とある。
 しつけと体罰は関連してきた歴史があるが、しつけと虐待の関係も現代においての争点となっている。保護者による虐待の発覚数は近年増加しており、2012年の時点では66807件とされ、20年前と比較するとその数は60倍にものぼる。死亡事故も2011年においては51件報告され、主に母子関係の間の事故が58.8%と約六割を占める。虐待の動機として、「しつけのつもり」が常に上位に上がってきているのは注目すべき点である。虐待者の両親によって虐待者に対して行われていた行為を被虐待者に対して行ったという述べたてが行われる場合が多く、この場合、加害者当人は児童に対して行ったそれを虐待と解釈していないという例がほとんどである。しつけと虐待の違いについて、「子どもの人格を尊重し、社会規範を常に意識し、理性によるコントロールができればしつけであり、子どもの人格を認めず、社会の規範を無視し、支配・被支配の人間関係に基づき、親の期待通りのこうどうをとらせ、命令や押しつけ、脅迫による場合は虐待である」[xiii]と安部計彦はこの違いを説明している。また、しつけと体罰、しつけと虐待は連続性を持たず、次元の異なるものであるためグレーゾーンというものは存在しない[xiv]と臨床心理学者の西澤哲は述べている。
 保護者などがしつけと思って行っている場合がままある、子どもの手や尻を叩く、足を蹴る、物を投げつける、食事を与えない、ベランダに出す、押し入れに閉じ込める、裸のまま服を着せない、などの行為は虐待に当たる。虐待という定義が明確化日本における虐待の歴史に関しては現状あまり研究がなく、1933 年に児童虐待防止法が制定される以前の文脈はあまりはっきりしない。明治以前には間引き、子殺し、身売り、親子心中などが伝統的に行われてきており、貧困をその大きな理由としている、とされる。家父長的家族間と貧困によって当時の虐待は引き起こされたと考えられている。
  大正期前後からの経済構造の変化、高等教育制度などの拡充によって、子どもを教育するコミュニティが地域から学校へと移ったことで、しつけの質は変わり、直接社会へとコネクトされなくなったという点は念頭に置いておかねばならないだろう。親は子どもをきちんとしつけず、学校に任せているという物語が現代日本では共有されがちであるが、これには具体的なソースは存在しない。現状の子どもの親には負担がかかりすぎている、あるいはそれ以前の共同体によるしつけが行われていた世代の人々の過剰な期待を背負っているのではないかという仮説を立てることができる。心理学的観点からも、松田道雄は「日本の幼児は、いま非常にあわれむべき密室状態のなかにとざされている。子どもたちに自由に活動できる世界をあたえなければならない」「しつけは母親が家庭のなかでこまごまとやる手内職でない」と主張しており、具体的には「生活態度の伝承」がしつけであり、「人はいかに生きるかを、子どもに見習わせること」であるとしており、共同体で他者と実践を行っていくことの必要性を説いている。社会規範と親のしつけとのズレによって子どもが葛藤しやすくなることが現代では問題となっており、閉ざされた関係性において親が子どもと相対することによって、体罰や虐待の可能性も上がることを指摘することは可能である。子ども支援者の中でも、医師、看護師、保育士などは体罰、虐待に気づいて通報や第三者の介入を促す立場になりやすく、子育て支援カウンセラーはしつけの方法論に悩む保護者に体罰や虐待を行わずに済む方法を示すことが可能である。子ども支援者は、地域コミュニティとの繋がりが子どもにとってア・プリオリでなくなった現在、子ども自身や保護者と社会を繋ぐ架け橋であり、子どもにより良い生育環境を保証する立場であることを願う。
 引用
[i]  柳田國男『定本 柳田國男集 第29巻』 p310より
[ii]  民俗学研究所編『民俗学辞典』p261より
[iii] 首藤敏元「幼児の愛他行動に及ぼ��理由づけの効果」『教育心理学研究 33巻』p59
[iv]  森田ゆり『しつけと体罰―子どもの内なる力を育てる道すじ』p23より
[v][v]   E.S.モース 石川欣一訳『日本その日その日』平凡社(1970年)
[vi] バートランド・ラッセル『教育論』p50
[vii]  バートランド・ラッセル『教育論』p45
[viii] Bertrand Russell “On Education, especially in early childhood”p138
[ix] バートランド・ラッセル『教育論』p162
[x] 東洋・柏木恵子・R.D.ヘス『母親の態度・行動と子どもの知的発達』p69~77、p174~175
[xi] 柴野昌山『しつけの社会学』p33~41
[xii] 梅津迪子『成育過程の経験によって醸成される体罰観・暴力観の研究』p40
[xiii] 安部計彦『ストップ・ザ・児童虐待—発見後の援助』ぎょうせい(2001年)
[xiv] 西澤哲「しつけと虐待の境目—親による体罰を考える」『児童心理 64号』(2010年)p1122~1127
出典
増田翼「しつけ研究の系譜と課題」『仁愛女子短期大学研究紀要 第46号』仁愛女子短期大学(2013年)
「しつけと虐待に関する認識と実態―未就学児の保護者調査に基づいて―」『日本家政学会誌 63号』一般社団法人日本家政学会(2012年)
山本敏子「明治期の学校管理法と「しつけ」の変遷(上)」『駒澤大学教育学研究論集 第30号』駒澤大学(2014年) 
山本敏子「明治期の学校管理法と「しつけ」の変遷(下)」『駒澤大学教育学研究論集 第31号』駒澤大学(2015年)
首藤敏元「幼児の愛他行動に及ぼす理由づけの効果」『教育心理学研究 33巻』日本教育心理学会(1985年)
土山忠子「日本の保育思想(二) : 「しつけ」を中心として」(1970年)
森田麻友「児童虐待を防止するために必要な支援 ―親子への支援と家族の再統合―」
梅津迪子「成育過程の経験によって醸成される体罰観・暴力観の研究」『聖学院大学論叢』(2003年)
江森一郎『体罰の社会史』新曜社(1989年)
広田照幸『リーディングス日本の教育と社会 第3巻 子育て・しつけ』日本図書センター(2006年)
石川松太郎・山本敏子・藤枝充子『《日本人、育てのなかのしつけ論》文献シリーズ 第9巻』クレス出版(2006年)
柴野昌山『しつけの社会学』世界思想社(1989年)
柳田國男『定本 柳田國男集 第29巻』筑摩書房(1964年)
東洋・柏木恵子・R.D.ヘス『母親の態度・行動と子どもの知的発達』東京大学出版会(1990年)
安部芳絵『子ども支援学研究の視座』学文社(2013年)
 森田ゆり『しつけと体罰―子どもの内なる力を育てる道すじ』童話館出版(2003年)
民俗学研究所編『民俗学辞典』東京堂(1951年)
バートランド・ラッセル 堀秀彦訳『教育論』角川書店(1954年)
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socialmoviesblog · 7 years
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■映画「クリーピー」などのメモ
▼DVDで「クリーピー」鑑賞。
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▼黒沢映画については「CURE」をみて震撼して以来、刮目して観てきた。が、途中から映画をとりまく批評的磁場というか、カイエ・デュ・なんちゃら的なものというか、「これが分かんなきゃシネフィルじゃないよ」的なものがうっとおしくなったこともあり、また、「黒沢メソッド」的なものが勝手に分かった気になったのもあって、ある時期以降熱心に観てこなかった。
▼けれど、そんなことをどうのこうのいうには時も過ぎたし、今ならフラットに観られるんじゃないか、と思って観た。
▼やっぱすげえな…と再び震撼。
▼ちなみに、この映画の公開前後は、サイコパス映画というかモンスター映画というかが花盛りだったし、そのどれもが凄かった。
 ▼たとえば「ディストラクションベイビーズ」。 
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▼愛媛の小さな町に生まれものの、幼くして父も母もいなくなってしまい、弟の将太(村上虹郎)とともに、近所のおじさん(でんでん)に引き取られて育った泰良(柳楽優弥)。彼はある時から喧嘩に明け暮れ高校時代、地元の不良集団をボコボコにしたあげく、町を飛び出してしまう。
▼その後は、都会に繰り出し、からかってくる高校生たちにガチでファイティング。また、イキがってるバンドマンをみつけては背後から襲撃。返り討ちにあって鼻から血を出そうが、自分が勝つまで追いかけまわし滅多打ちにする。
▼さらには、町のキャバクラのガードマンのヤクザにも臆せず向かっていきノックアウト。その間、柳楽はほとんど無言。殴られても不敵に笑い、立ちあがり再び勝つまで拳をぶつけていく。
▼ただひたすら殴りかかる。壮絶な理不尽さ。殴る基準は何なのか?何のために殴るのか?何が不満なのか?…一切分からない。
▼そんな柳楽に惹かれていくのが、ヘタレ高校生の裕也(菅田将暉)。
▼柳楽の社会の外側にいるようなたたずまいを恐れながらも、ヘタレ故に社会の中で汲々とするしかない自分にはないものを持っていると感じ、彼に惹かれていく…。そんな裕也は、口八兆手八丁で寿良を手名付け、行動を共にする。そうすればヘタレな自分も強くなったような気がする。そして気がデカくなり自分より明らかに弱そうな町ゆく女性たちに襲い掛かる。普通なら「そんな恥ずかしいことするなよ」など言いそうだが、柳楽は何も言わない。
▼そんな2人は、いろいろあってキャバ嬢の那奈(小松奈々)を車に乗せて逃避行。その途中、スピードを上げすぎ対向車とクラッシュしてしまう。「救急車を呼ぼうか」そう言ってくれる車の主すらも殴り倒し、消えてしまう柳楽…
▼社会のルールなど眼中にないサイコパス=モンスターを描いた「脱社会的」映画にみえる。
▼だが地元高校生をボコる柳楽に「もうその辺でやめとけ」と制するでんでん
▼仲間のバンドマンを殴られ、「ふざけんなよ」と柳楽をボコるライブハウススタッフに対し���もうええから」と制するバンドマン。
▼猛スピードで自分の車にクラッシュして来た柳楽たちに対し怒りながらも「ええから。救急車呼んだるから」と助け船を示す運転手。
▼「もうええから」と制する人々の中に、逆説的に社会(街の掟、仲間の掟、最低限の人倫)が描かれる。同じ社会を生きる仲間なんだから、どれだけモメたってギリギリのところでは協力できる=「終わってない社会」がサイコパスの行動から逆照射して描き出される。
 ▼あるいは「ヒメノア~ル」 
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▼さえない童貞フリーターの岡田(浜田岳)はバイト先で変人すぎる先輩の、安藤(ムロツヨシ)と知り合い、彼の「片思いの恋物語」に巻き込まれる。
▼先輩は勤務先の近くにあるカフェの店員・ユカ(佐津川愛美)に恋しているが、彼女に彼がいるのか?も聞き出せないし、彼女をデートにも誘えない。
▼そこで「お前聞いてくれよ」と橋渡し役を頼まれるのだった。
▼そんな中、カフェで岡田はある人物を目にする。高校時代同級生だった森田(森田剛)だ。
▼彼は毎日のようにこのカフェを訪れユカのことをみているようだ。ストーカーなのか?真相を探るため岡田は、「久しぶりだね。飲みにいかない?」と誘い出す。
▼が、飲みに行くや、「一旦、底辺になってしまったヤツには浮ついた希望なんてないんだよ」と鬱になりそうなことしか言わない森田。
▼その後岡田は、安藤先輩の恋の橋渡しをするつもりが、いろいろあってユカとつきあうことに…
すると、それを知った森田が、「底辺なのに何浮ついてんだよ」と、彼らを殺しに動き回る。
▼その一方で、高校時代初めて殺しを一緒にやった元同級生で今は旅館の跡取り息子の和草(駒根木隆介)と、その恋人の旅館店員(山田真保)を殺したかと思えば、宿がほしくて民家を襲撃し主を殺してしまう…
▼容赦なく殺しまくる森田。
▼まさにサイコパス=モンスター的だが、彼の過去をたどると、高校時代のいじめにたどり着く。森田は浜田と共にいじめられていた。だが、ある時、浜田はいじめから逃れたいと、友人だった森田を売り、自分はいじめを回避する。
▼そのツケを払い、自分だけみんなの前でオナニーさせられる森田。その時、彼の中で何かが壊れ、サイコパス化がはじまった。社会の外側に出てルールなど無視するモンスター化がはじまった。
▼この社会は、人倫などあるようでなく「終わっている」。「腐っている」。だったらこっちも何だってやってやる…と言わんばかりのモンスターぶり。
▼だが、こちらも逆説的に「終わっていない社会」「腐っていない社会」が森田の中で前提にされている(浜田といっしょに家でゲームしているような小さな幸せに満ちた社会)。
 ▼あるいは、全く逆のアプローチだが「葛城事件」 
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▼男だったらある時期がきたら嫁を持って、2人くらい子供を産んで、自分の城である家を持つ。そして行きつけの店でも持って、人が来たら家の主として、いい感じでもてなす。そうやって家族を支え、長男にはパリッとしたスーツを着させ、ひとかどの男にする。次男は以下同様でがんばれ…。そんな家族の反映を願い「家長」の俺は自分の城の庭にすくすくと伸び行く木を植える…
▼映画は、昭和のある時期にだけ蔓延した「標準家族ウイルス」に感染した父(三浦友和)とそんな「一家の主」を持つ嫁(南果歩)、長男(新井浩文)、次男(若葉竜也)の「葛城一家」の物語。
▼ウイルスに感染してしまった父は、時代が変わり、その世界観が全く通用しなくなっているにも関わらず、感染したせいで見えてくる幻覚を、家族に押し付けてくる。
▼もはや父が変なウイルスに感染したゾンビにしかみえないので、逃げ回る家族。長男は嫁と結婚し家を出る。嫁(妻)は引きこもりの次男とともに父から逃げボロアパートに引っ越す。
▼しかし、ウイルスに感染した家長の元で長らく暮らしていたため、彼らも変わってしまった時代についていくことができない。
▼気の優しさゆえなのか、「ちゃんとやってれば努力は報われるin昭和」的思考ゆえなのか、頑張っても営業成績が伸びずリストラされ、それを嫁にも言えず、コンビニのレシートの裏に「すまない」と遺書を書いて自殺する兄。
▼引きこもりの末こじれてしまい「もう人生オワタ」と包丁を持って駅で無差別殺人を行う次男。
▼老人ホームのような施設でもうろうとするばかりの嫁。
▼こうしてウイルスのせいで「良かれと思って」したことが家族の破壊を招いた「一家の主」は、すくすくと伸び行く木に首を吊って責任を取るべく自殺…するが、木が折れてしまいできず…腹が減っていたのでコンビニで買ってきた麺をすする…
▼今はもうない「昭和社会」に内属しすぎることで、「平成社会」の外に出てしまう「脱・現社会的」三浦父…。それでも「終わってる昭和社会」を指摘することで、逆説的に「終わってない社会」が逆照射される。
 ▼しかし、「クリーピー」は言う。「(少なくとも近代社会において)終わっていない社会など可能だったのだろうか?」と。 
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▼この映画で描かれる社会からは、作中に登場するデカイ掃除機で吸い取られてしまったように、「人間の意思」が根こそぎ抜き取られてしまっている。
▼だから登場人物は意思をなくした亡霊のようであり、いつもどこかうつろで抜け殻のようだ。
▼脱走する凶悪犯罪者の説得に失敗し、刺されてしまい、それがきっかけで警察を辞めた主人公の高倉(西島秀俊)。彼は刑事をやめた後は、引っ越した自宅のリビングで椅子に座って窓の外からカーテン越しに吹き込んでくる風を浴びながら「平和だなあ」とまどろんでいる。その後、大学の教師の職を得るがそこでも授業が終わればあくび…
▼そんな彼の妻の康子(竹内結子)もまた日々、料理に、掃除にと、日々家事に忙しいが、自分からやっているというよりは単にタスクをこなしているだけのようにみえる。そもそも料理を作っているというが、自分が作ったスープをお隣におすそ分けする際に映るのは、ガラスのボールに入った薄気味悪い茶色い液体…。これは一体何を作っているのか?本当にそれを作ろうと意思して、作った結果がそれなのか?
▼加えて、彼の元部下だった野上(東出昌大)もまた、終始、目の焦点が定まらないような、どこかボーッとした風貌をしている…
▼また、高倉夫婦が引っ越した後、近所に手作りチョコを持って挨拶に行っても隣人は「そういう義理みたいなのは嫌で…近所づきあいはしてないんだ」とつれない。社会を作るうえで最低限の意思である、人と関わろうという気持ちがまるでない。
 ▼人々の意思(欲望)が「意味ある行為」を生み(●をしたいから×をしたんだ。無意味じゃないんだ。)、その意味ある行為の接続が、社会を作るという観点(ex:ウェーバー流社会学)からすれば、ここにはその起点となる意思がないため、社会もない。
 ▼その結果というべきか、映画に映る人々、建物、道具…あらゆるものが意味不明に満ちている。
▼映画は冒頭、8人を殺傷した連続殺人犯・松岡の取り調べ風景からはじまるが、彼が脱走した後、刑事達が彼を追いかける廊下は薄暗く、縦に長く、本当にここが刑務所なのか?と不思議に思えてくる作りになっている。
▼また逃げた彼を発見した場所には、無駄に多い来訪者たち。こんなに大勢部外者が刑務所に来るものなのか?
 ▼さらに、引っ越した高倉の隣に住む西野(香川照之)の家に至っては、玄関こそふつうだが、一歩、玄関から右に進めば、たちまち地下牢のような場所が現れ、鉄の扉さえある。この家は一体どんな間取りになっているのか?後にわかるが、香川は本物の西野さんを殺し、彼に成り代わっている存在。では本物の西野さんはなぜこんな鉄の扉がある家を建てたのか?
▼加えて、前述したように、妻康子が作っている料理も、「凝った味付けでしょ」などといっているが、一体何を作っているのかみていても全くわからない。「クスクス」など意表を突きすぎなアフリカ料理も出てくるし、ピーナッツのようなものをミキサーでクラッシュし液体にしもする。一体何が作りたいのか?
▼また高倉が務める大学では、窓の外にいつも大量の学生達が群がっている。そんなにたくさんやってきて、一体彼らは何をしているのか?
 ▼そして、映画では、前ぶれなく風が吹き、緑の木々やカーテンが揺れるし、突然、掃除機のけたたましい音や、ミキサーのうるさい音が鳴り響く。
▼我々にはあずかりしらないリズム(意味不明なリズム)で、世界のoff/onのスイッチがついたり、切れたりしているような印象。
▼映画に登場する全てが意味不明というか意味茫洋な感覚に満ちていて、そこが独特の不気味さを醸し出している。
▼これらのいくつかは、昔から黒沢映画で行われていたことかもしれないが、意味の蒸発感がもたらす社会の不在感がおそろしいことになっている。
▼だから「CURE」の時代には、サイコパスの萩原聖人が「お前は誰だ?」と尋ねればみんな「警察官だ」「教師だ」…と、社会における自分の役割を自信をもって答えていたが、「クリーピー」ならば、「お前は誰だ?」と聞かれても、「刑事かもしれないけど、さあ誰なんでしょう」と答えかねない勢いになっている。
▼だからといって皆、救済(CURE)されているようにはとてもみえないし、皆、もはや生きてすらいないようにみえる。
 ▼では、一体なぜこれほど社会から「意思」が吸い取られてしまったのか??それは2人のサイコパス=モンスターが教えてくれる、と映画は言う。
▼1人は、冒頭登場し脱走を図った末、撃ち殺される8人連続殺傷犯・松岡。
▼もう1人は、引っ越した高倉家の隣人で、他人の家族に近づいて彼らを洗脳し、一家の主を殺して自分がその代わりになりすます謎の犯罪者・西野(になりすました男)だ。
 ▼松岡は8人も殺しているが見た目はオレンジのTシャツを着こなした好青年。そんな彼は言う。
「俺、やりもしないであきらめるのは嫌いなんです。それよりもやった方がいいじゃないですか」
「なんでもいいんですよ。本人がやりがいを感じるならば」
▼それだけとれば自己啓発本にでも乗っていそうなフレーズだが、この論理で8人も人を殺している。高倉が「なんでもいいなら犯罪でもいいのか?」と水を向けると「そんなこと言ってないじゃないですか。ひどいな��事さん。俺には俺のモラルがあるんです」とは言うが、その後、彼は脱走を図り、人質にとった通行人をあっさりナイフで切っている。
 ▼彼の「モラル」とは何なのか?おそらく欲望の実現までの手続きに関わるものだと思う。
▼ホルクハイマー=アドルノ、もしくは、ラカンの「サドとカントの同型性」についての議論を引く。
▼カントは、人間の理性の力を吟味することで「他者を手段として扱うのみならず目的としても扱え」などの「人間道徳の法則」を導き出した。
▼そして理性の力が「人間道徳」を生むのだから、その実現のためには理性以外の何物にも左右されてはならない。だから全ての能力や感情や欲望をも理性の力の支配下におくべきで、感情によって支配されてはならないと説く。これを「無感動の義務」と言う。
▼それは一見すると大変立派なことに思える。だからこそこうした考えは近代社会を支える行動規範の1つにもなっている。だが、SM小説の元祖、マルキ・ド・サドの小説に登場する「悪徳の追求者」ジュリエットはこんなことを言う。
▼「カントのその理性的な考えは、犯罪者が冷静な犯行計画をたて、良心の呵責を理性によって克服することと何が違うのか」と。
▼もっと言えば、欲望を達成するのに理性的に考え「AをしてBをしてCをすれば到達できる」という最短ルートがあった時、その間に、「殺人」や国家が「犯罪」と呼ぶものが挟まっていたとしても、そこで良心の呵責などの感情に左右されてはいけない。理性的に考えて最善のルートをとるべきだ…ということになるだろう。
▼「俺にもやっていいことと、いけないこととの区別くらいはつきます」と松岡は言っているが、おそらく彼の「やっていけないこと」は、国家が「犯罪」と位置付けていることと対応していない。むしろ、「国家が犯罪だと言っている」ことに良心の呵責を感じて欲望の実現ルートを迂回してしまうことこそ「やってはいけないこと」になっている。
▼同型の論理構成を持っている「道徳哲学」と「悪徳哲学」。その理性的で合理的な「道徳哲学」が、近代社会を支える重要な行動規範の1つになっているのなら、近代社会は同時に「悪徳哲学」をはらんでいることにもなる。近代社会はあらかじめ「松岡的」に、「サイコパス的に病んでいる」ともいえる。
▼そしてここで大事なのは「なんでもいいんですよ。本人がやりがいを感じるならば」と松岡が話すように、欲望そのものについてはまるで議論がないことだ。欲望の実現までの手続きに関しては感情に左右されるな…など、いろいろ御託はあるが、どうやったらどんな欲望が湧いてくるのか?などについては完全に蚊帳の外だ。
 ▼一方、西野はどうか?彼は高倉家の隣人で、「とある協会の理事」をしており、「娘」の澪(藤野涼子)と、病気で寝込んでいる「妻」の3人で暮らしている…ことになっている。
▼だが、映画が進むにつれ、その恐ろしい「正体」が明らかになってくる。彼は「西野」ではなく、高台から、(本物の)西野と妻と澪が暮らす家を眺め、「ターゲットとしてよさそうだ」と見定め、彼らに接触。友人関係になりながら、家族を口八丁手八丁で洗脳していき(本物の)西野を殺害。▼大型の布団乾燥機のような機械で西野を「パウチング」して部屋の床下に隠しながら、薬物入りの注射で妻をシャブ漬けに。
▼そして妻(母)を人質にとりながら娘・澪をコントロールし、西野家の財産を食いつぶしながら「家族生活」を営んでいたのだ。
▼そしてどうやら、このニセモノ西野は、これが初めてではなく、映画内で出てくる「日野市一家失踪事件」でも、同じように家族への接触→洗脳→主殺害→「ニセ家族生活」を行っていたようなのだ。
▼これだけ聞けば、「なんたる悪人か」と顔をそむけたくなる。だが、彼自身は「虫一匹殺せない」ような「か弱い」人間だ。だから彼は「ニセ家族実現」に必要な行動のうち「汚れ仕事」はほぼ自分でやらない。本物の西野の殺害も、彼のパウチングも、シャブ漬けになりすぎて使い物にならなくなった妻(母)の「処分」も…「それは自分たち家族でやってよ」と澪や妻など「西野家」に「アウトソース」してしまう。
▼その後、彼は高倉の妻・康子をも洗脳しにかかるが、その際も、彼女に薬剤入りの注射を打ち込み「意識朦朧」とさせたうえで、全ての行動を「康子さんの自由意思で決めたこと」にしてしまう。
▼「すべては彼(彼女)がやったのだ。彼(彼女)の自由意思でやったのだ。だから私は何もしていないのだ。何の責任もないのだ…」…行為も行為の責任も、自分以外の外部に「アウトソース」し続けるニセ西野。
 ▼ここには、「合理的」で「理性的」な「苦痛の回避」「労苦の回避」の思想がある。そしてこの「苦痛の回避」「労苦の回避」こそ、近代社会を支える大きな原理の1つだ。
 ▼たとえば「比較優位」を通じた「交換」の論理。
▼(近代)人はあれも、これも、それも…1人で生産する必要はなく、自分の能力の中で比較して一番得意なものに特化して生産。他に欲しいものは同様にして生産している他者と交換すればよいのだ、という思想。
▼経済学のベースになっている発想だが、これを支えているのは「不得手(労苦)なものは避けてよい」とする「労苦の回避」の思想だ。
▼そしてこの思想が「キツイ仕事はお金を通じてそれをやってくれる人に外注すればよい。彼だって無理にやらされているわけではない。お金が欲しくて自由意思でやっているのだから」という「分業の論理」、「アウトソースの論理」に発展していくし、その論理でまわっているのが近代社会だ。
 ▼だとすれば、ニセ西野が「不気味なサイコパス」的にみえるのなら、近代社会自体が「不気味なサイコパス」的なものをはらんでいるといえる。
 ▼合理的で理性的で感情に左右されない「欲望の追求」の手続きと、合理的で理性的で感情に左右されない「苦痛の回避」の手続き…近代社会に内在している「サイコパス的」なもの…
▼これらに共通しているのは徹底した「不合理な意思」の排除だ。
 ▼理性的に考えて合理的に計算すれば「最適な欲望達成」へのルート、「最適な苦痛回避」へのルートはほぼ1つに決まるはずだ。つまり、「誰がやっても同じようなルート、誰がやっても同じような行動」になるはずだ。
▼だとすれば、そこに「人間」はいるのか?最適行動だけをとる「機械人間」しかいなくな���のではないか?逆にいえば、もし人間がいるとすれば、「誰がやっても同じではない行動」、そいつにしか理解不能の「不合理な意思」がなくてはならないのではないか?
▼しかし、その排除こそが近代を作っているとすれば…まさに「不合理な意思」がデカイ掃除機で吸い取られた「抜け殻だらけ」の世界になるのではないか…「クリーピー」はそう言っているように思う。
 ▼映画のラスト。ニセ西野は、薬剤で洗脳された康子、その康子に不意打ちで薬剤を打ち込まれ意識朦朧とする高倉、そして「娘」澪と、犬のマックスとともに、「次なる寄生先」を探して国道16号線を進む。
▼そして、途中のドライブインの廃屋の屋上から街を覗きターゲットを発見。不気味に笑うニセ西野は、さっきできたばかりの「即席家族」の面々と、作戦会議を始める。
▼「そうだな。僕と澪は親子、で、高倉さんと康子さんはいとこ夫婦ってことにしよう。となると、ああ、この犬邪魔だな…」
▼そう言い出したニセ西野は、高倉に拳銃を渡し、この「犬を殺してくれ」とアウトソースする。
▼だが、そうやって拳銃を渡した次の瞬間、「これがあんたの落とし穴だ」…
▼高倉は銃をニセ西野に向け引き金を引く・・・「ええーー」…と、驚きながら銃殺されるニセ西野
 ▼「たとえ殺すことになろうとも、こんなやつの言いなりにはなってたまるか!」「俺は康子をとにかく何がなんでも守りたい!」そんな不合理な意思の力で高倉夫婦は洗脳状態から逃れることができたのだった。
▼その後の康子の「うわーーーーーー!」という張り裂けんばかりの泣き叫びこそ、そうした「不合理な意思」の象徴なのだろう。
 ▼だが。そうした近代社会の原理に真っ向から逆らう「不合理な意思」こそ、ISをはじめとするグローバルジハーディストたちの理解不能な行動の原動力になっているものではないか?
▼だとすれば、それを擁護することはどういうことになるのか?しかし、擁護しないとすればどういうことになるのか?
 ▼またも前触れのない風が吹き、落ち葉が風に舞う中、横たわるニセ西野の死体。この誰だか分からない男は一体誰なのか?
▼おそらく、押井守の作品によく出てくる「犯人だと思って捕まえたら誰かの操り人形」、そして「その“操り人”を捕まえても、また別の誰かの操り人形」そして「そのまた誰かを捕まえても…」ということになるのだろう。だからニセ西野は死んだとしても、ここが(ポスト)近代社会であるかぎり「クリーピー的隣人」、「となりのサイコさん」は消えないのだろう。だとすれば、何をどうすればよいのか?途方にくれるばかりだ…・。
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theatrum-wl · 7 years
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【劇評】高校演劇関東大会(東京会場)全作品レビュー(その1)
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11月始めに行われた高校演劇東京都大会の全作品レビューに引き続き、12月29日(木)、30日(金)に東京芸術劇場のプレイハウスで上演された高校演劇関東大会(東京会場)全13作品の劇評です。1日目と2日目の2回に分けて掲載します。
今回レビューに参加したのは以下の6名です。
マユズミヨシズミ(社会人役者・高校演劇ウォッチャー)
中村奏太(大学生)
町田博治(会社役員)
箕浦光(公務員)
片山幹生(WLスタッフ)
友田健太郎(WLスタッフ)
出場校と上演作品は以下のとおりです。
http://tkek.org/2016/11/28/3316
東京:東京都立山崎高等学校『理想という名の偽り』(石澤諒祐作)
東京:東京都立東高等学校『なまちゃんといっしょ』(三輪忍作)  
神奈川:桐蔭学園高等学校・中等教育学校『カレハライダーズで待ってる』(田中大河作)
山梨:山梨県立身延高等学校『七人の部長』(越智優作(潤色あり))  
茨城:清真学園高等学校・中学校『ひたすら、国道51→6号線。(仮)』(髙木優希作(脚色あり))
千葉:専修大学松戸高等学校『ハブレット』(田村和音美作)
茨城:茨城県立日立第一高等学校『白紙提出』(磯前千春作)
静岡:静岡理工科大学星陵高等学校『あたらしい憲法のはなし』(柴幸男作(潤色あり))  
千葉:千葉県立松戸高等学校『見よ、飛行機の高く飛べるを』(永井愛作)  
山梨:山梨県立上野原高等学校『575』(加藤さやか・はやおとうじ作)
静岡:静岡県立三島北高等学校『ラフ・ライフ』(新堀浩司作(潤色あり))  
東京:早稲田大学高等学院『死神』(早稲田大学高等学院演劇部作)
神奈川:神奈川県立大船高校『戦記 空より高く』(のまさとる作)
審査結果は以下の通りでした。 http://koenkyo.org/?page_id=3791 最優秀賞 茨城県立日立第一『白紙提出』作:磯前千春(全国大会推薦) 優秀賞 山梨県立身延『七人の部長』作:越智優 潤色:スズキユウジ 専修大学松戸『ハブレット』作:田村和音美 静岡県立三島北『ラフ・ライフ』作:新堀浩司 神奈川県立大船『戦記 空より高く』作:のまさとる
【総評】 まずは年末、学校も劇場も仕事納めが済んだ中、大きな大会の運営に当たった演劇部関係者の皆さんに感謝したいです。都大会でも導入されていた予約システムですが、最初はバタつきもあったようですが、随時対応していて2日目には待ち時間もだいぶ少なかったかと思います。全国大会は別として、地方によっては半数ほどしか埋まらない大会もありますから、関東、東京ならではの難しさかなと思います。一方で観客、特に高校生など関係者以外の観客も多いので、大会としての講評以外にも様々な感想、劇評が流れてきて、出場校がうらやましくも感じます。 これも今回の関東大会に限らないのですが、各都県の代表はそれぞれの大会の傾向をうかがわせながらも、結果的にバラエティ豊かな演目になるのは高校演劇の大会ならではの面白さではないでしょうか。(マユズミヨシズミ)
南関東大会は、昨年に引き続き二度目の観劇になります。全体としては、演技演出レベルが安定して高く、観やすい上演が揃っていました。プレイハウスのような大きな劇場では、言葉をきちんと客席まで届けるという単純なことでも、日頃の練習の成果が大きく関わってきます。それがどの高校さんもしっかり出来ているというだけでも、やはり関東ブロック大会に上がってきただけあるな、と。一方で、他の高校演劇のブロック大会で多く使用されているようなホールと比べて、自分たちの世界をそこに作り切れない面もあったのかな、とも感じました。簡単に言えば劇場の持つポテンシャルを活かせているかどうか、その点でやや物足りなさを感じてしまったのも事実です。とはいえその場 所で、その時に、必死にそれをものにしようとし、伝えようとする姿は何ものにも代えがたい魅力を持っています。この60分を終えたら、もう二度と上演出来ないかもしれない。そんな一瞬の輝きに満ちた舞台たちは、また来年も観に行こう、と思わせてくれるものでした。(中村奏太)
先ず、素晴らしい大会運営をしていただいた現場の東京都高等学校演劇連盟の皆さまと実行委員の高校生の皆さまの臨機応変な対応に感謝を申し上げます。 今回ある学校の作品を観終わって、その素晴らしさを誰かと共有したいとロビーで知り合いを探し、ある戯曲家の方が知り合いの方に滔々といかに作品が素晴らしかったか述べておられ、また全校観たあとで数名のシアターゴーアー達がベストに選んだ学校は優秀校にも選ばれませんでした。演劇の審査は、ロックと能楽を比較して優劣を決める様なものなのだと思いますし、あるいは高校演劇の大会では審査基準が無い、いや審査基準などは作れないのかも知れないですが、当然審査員の判断によって結果は違ってきますね。 良かったと思う作品を心に残してゆきますが、選ばれなかった学校に我々の気持ちを何とか届けられないのか。取り敢えずはこのWLのレビューを読んでもらえればと思います。 また、東京都大会で12校観て、そこで選ばれなかった高校、あるいは地区大会から都大会に進めなかった学校の作品の中に今回の南会場にいてもおかしくないものが何校かありました。 今回は13校中、生徒創作の作品が5校でしたが、どの生徒創作も素晴らしい作品で高校生達の才能に驚いています。(町田博治)
演劇部の高校生はどのようなことを考えているのだろうかと考えてみたくなった。舞台から感じたものは、表現願望が強く創造力があり未来を夢見て舞台では弾けるが、実際の高校生活では地味で堅実な思考しているというものである。表現はハチャメチャでもそこには冷静に計算されたものがある。そしてそれを生身の高校生が演じることによってはハチャメチャさと計算されたものが別なものとして生まれ変わっている。そのベースは高校生の溢れ出る生々しい感性だと思った。全て見応えがあった。ちょうとした動作やセリフのイントネーションが今の彼らを表現している。またどの舞台を取ってもチームとしての持ち味がにじみ出てくる。観ていて芝居を作り上げている彼らの背景を探ってみたくなる。たとえ脚本が他人のものでも、彼らの表現したい感覚がビンビン伝わってくる。それぞれに引きずりこまれ、今まで気にしていなかった表現の可能性を教えてくれた舞台であった。(箕浦光)
二日間で13本の作品を見た。60分の上演時間、出演者は高校生のみという制限のなかで、高校演劇は実に多様な演劇のかたちを見せてくれる。地区大会から勝ち上がり、関東大会に出場した13校の作品はいずれも個性的な趣向があり、高校演劇という制限が逆説的に演劇の可能性の豊かさを拓くものになっていた。また高校演劇関東大会では、コンクールという一回きりの上演の機会に賭ける高校生たちの熱意が凝縮されている。舞台から彼らの感情、緊張感、集中力が放出され、それを観客も感じとり、会場全体が何ともいえぬ高揚感で満たされる。こんな濃厚な演劇の時間はそうそう味わえるものではない。 関東大会は東京芸術劇場プレイハウスでの上演だった。入場無料ということもあり、予約したものもの無断でキャンセルという観客も多かったはずだ。にもかかわらずおよそ800人の観客を15分ほどの各演目間の時間に総入替えし、各演目ごとに座席指定のチケットを発券するというシステムは非常に優れたものだった。おそらく高校の先生方を中心にボランティアで運営が行われているのだと思うが、この大規模な大会を大きな混乱なく遂行した運営スタッフの方々を大いに賞賛したい。(片山幹生)
都大会を見たあとで関東大会を見ると、やはり違いが目につく。東京外の高校の作品は東京の高校の作品に比べテンポが若干ゆっくりしているように感じた。また洗練度でも落ちると感じたこともあったが、一方でとても洗練された作品もあったので、作り手がいかに情報に向き合っているかによるのだと思う。 もちろん洗練されていること=作品として優れていることだとは言えないが、卒業後も何らかの形で演劇に携わりたいと思うのであれば、情報に敏感である方が有利だということは否定できない(これは全ての分野で言えることだ)。日立第一高校の作品に見られるように、東京から流れてくる情報と自分を取り巻く状況のギャップに意識的であることが大きなパワーを生むこともある。 千葉県立松戸高校の「見よ、飛行機の高く飛べるを」が無冠に終わったのは残念だ。自作の作品が高く評価されるという傾向があるのかもしれないが、上演の完成度、力強さでは群を抜いていたことは一言しておきたい。 なお、すべての作品の上演時に会場にいたのだが、自分の体調が安定せず、評が書けなかった作品があったことをお断りしておきます。(友田健太郎)
【都立山崎高等学校】理想という名の偽り 石澤諒祐(生徒創作) ・「友達って何?」という思春期の人間にとってはとりわけ切実な問いかけに、演劇という手段で真摯に向き合った意欲的な脚本だった。偏狭な理想主義の行く末として、この作品は連合赤軍的な状況まで描き出す。友達がいないという状況を高校生はどう受け入れることが可能なのか? 1本のスポットライトだけで主人公を照らすことで、彼の孤独を残酷に表象する最後の場面の演出が印象的だった。プレイハウスの広い舞台はもてあました感じがある。緊張のためか俳優の滑舌が悪く、台詞がよく聞き取れない箇所がかなりあったのも残念。脚本のパセティックな面だけが強調されすぎていて、見ていてちょっとしんどい舞台になってしまった。(片山)
・友達を作るためのサークルに入ると4つの���項の契約を結ぶ。理想の友達となるため、条項の1つは「サークル外の人と友達になるな(繋がらないクローズの世界に縛る)」とする。友人部は学校の大半が部員になるまでに膨張するが、やがてある部員の自然にできた友達のことがサークルにばれ、暴力化しカルト教団化した部は破綻していく。 大昔に高校生だった者としては、時勢や社会情勢による、生徒同士の関係性にも、変化があり、実感として受け取れず理解が及ばなかった。ただ伝えようとしていた恐れ、狂気は受け取れた。 机と椅子が置かれた学校の部屋。場面は照明と役者の移動で上手く切り替えられていた。声が伝わってこないので台詞が聞き取りづらく、前半は話しが拾えず繋がらなかった部分があり、叫ぶシーンも台詞が聞き取りづらかった。(町田)
・実は地区、県大会でもよく見かける、高校生の心情、思想をダイレクトに反映した生と創作戯曲だったと思います。自分たちの実感を反映して舞台に載せていると思うと、観る側に残すものがあります。一方で演劇的に面白くするのは難しいとの印象にもなりがちです。その子の心の中の変化をそのまましゃべらせたりするなど流れが単調なものが多いせいでしょうか。この作品は関東大会まで来るという事で、演劇的な見どころも多いな、と思わせる瞬間がありました。部員が少ないためでしょうが、登場人物4人でこの世界観を面白く作っていたと思います。特にラスト、元の友人と別れる際の照明が印象的でした。(マユズミ)
・「友達ってなに?」というよくあるテーマに一石を投じるような作品だと思いました。私が以前よく観ていた大阪の中学演劇部ではかなり多くの学校が扱うテーマでしたし、高校でも少し見られます。序盤こそライトノベルのような展開も見せますが、それはどんどん狂気に満ちていく。裏切り者の発生によって暴力事件にまで発展する友人部。設定やストーリー自体は映画などに類似作はありそうですが、雪山シーンの空間の使い方やラストのスマホの光など、観客の心を舞台に引き込み心を揺さぶる工夫が光っていて、演劇として強い力を持っている作品だと感じました。(中村)
【都立東高等学校】なまちゃんといっしょ 三輪忍 ・今後30年に70%の確率で大暴れするという巨大ナマズ「なまちゃん」のひげと同居する高校生たち。ひげが横たわる教室のシュールな光景、中に人が入っているらしいひげの動きなどに目を見張った。首都直下巨大地震の可能性(30年に70%!)とどう折り合いを付けるかというテーマをこのような形で演劇化したアイデアは素晴らしい。ダンスなどの弾けるエネルギーも魅力。だが、女性教師が男子生徒と交際し妊娠しているというくだりが未消化に終わるなど、全体の仕上がりに課題が残った。(友田)
・地震との共存を描きながら、「ゴジラ」や「君の名は。」などの時事ネタ、髭ネタで ETを挟み、歌、ダンスと音響も良く、飽きさせない。俳優の立ち位置も良く計算され、台詞、動作が間で活かされる。堤さんの怪談話、準備した文化祭のセットの破壊シーンなどの演出も良かった。小木君の法螺貝! 髭が暴れたことで文化祭が中止になり、転校することになった本田さんがクラスTシャツを自分の鞄にそっと仕舞う演出! 彼女が静かに去ったあと、転校生の小木君がうんと頷き、踵を返して仲間のところへ戻るシーン、本田と転校生との実らぬ淡い恋に涙。地区や都大会のときには女性教師と男子生徒役の3年2人の演技が際立っていたが、今回1年生の演技の進化に驚いた。(町田)
・この作品は地区大会でも拝見しています。話を知っているからか、色んなシーンで涙が出てきてしまいました。エンタメテイストに日常の楽しさを描いていて、その中にもやはりどこかおかしな点があることも意識される。楽しさの記憶の蓄積から、ふとした静かな瞬間がとても心に響く。どうしたって私たちはここにいて、日常はそう続いていて、隣り合わせに生きていかなきゃならない。決してそれはマイナスばかりじゃなくて、みんなといるこの場所が好きで、できることならずっとここにいたい。静かに音を立てる小さな愛の結晶と、ここに在る私たち全てを肯定する大きな愛。場所と存在の愛おしさを強く感じた作品でした。(中村)
・東高校、三輪さんはセリフない印象的なシーンが多いなと思います。過去に観た「桶屋はどうなる」も幕開きで小さい装置が動いて世界観を分かりやすく示していました。今回も「なまちゃん」の存在で芝居の中身を分からせてくれました。明らかに「地震」の具現化したなまちゃんとの日常は風刺的で面白くも地震が起こったら、ということを想起させました。さらに「地震」を綺麗に見せられると意表を突かれてさらに強く問いかけてきました。一方で先生の妊娠問題が加わって、深刻な展開になることが避けられた中で、やりとりのおかしさを感じつつ、状況の深刻さから目を背けずに観る事ができました。 ラストも他の子が日常に戻る中、一人転校していく子をずっと見ている様はとても切なく感じました。(マユズミ)
・とある高校の教室が舞台。巨大なへびのしっぽのようなものが教室のなかに入り込んでいる。教室を横断するように伸びる黒いしっぽは、なまずのひげだった。学校のプールに巨大なまずがいて、そのひげがこの教室までのびているのだ。巨大なまずという不条理な存在は『シン・ゴジラ』を連想させる。なぜだかわからないが突然、日常のなかに入り込んだ巨大な怪物。ゴジラがそうであったように、このなまずはゴジラより直接的に、震災および原発事故のメタファーとなっている。高校生活の情景をコント風に処理するやり方は手慣れた感じ。芝居はひたすら明るくかしましく勢いがある。群舞のシーケンスを劇中でうまくとりいれていた。(片山)
・転校生が入ってきて、なまずと一体化した空間を再構築してみせる物語。なまちゃんとは教室に同居している大なまずの髭。本体はプールに居るが、髭が教室に入り込み時々動く。ハテナだがいっしょにいることが自然な設定として受け入れてしまえる。七人の役者のちぐはぐなポジション取りが一味違った舞台空間を創り上げる。そしてセリフなしの不思議な間が空間を広げる。身体を精一杯使った踊りもあり、SFチックで理屈なく楽しめる。(箕浦)
【桐蔭学園】カレハライダーズで待っている 田中大河(生徒創作) ・屈託のない若者たちの話かと思いきや、彼らは難病と闘う病院内の学級の生徒であることが分かってくる。十代にして死と直面する少年たちの葛藤と友情をリリカルに描いている。「青春とは強くなることだー!」といったセリフを大声で叫ぶことに、今の若者もカタルシスを感じるのだと発見して驚いた。制作意図と姿勢の真剣さは疑えないし、多くの観客にも訴えかけただろうが、それでも全てはこの作品が終わった地点から始まるという思いはぬぐえなかった。(友田)
・かなり話が進んでから舞台が病院内学級と判る。4人の仲間との繋がり、恋愛とも向き合い、青春をもがく姿をテンポよく、間も取りながら描く。坂本龍一の音楽がシーンと溶け合う。仁を始めとし役者は皆上手い。笑いの地雷も満載。ただ途中少し間延びしているかなと思えた。 織姫と彦星は必ず会えるだから我々もだ、輪廻転生、枯葉がアオハライダーズになることを望みながら生きるが、ただ一人病に打ち勝ったマサムネの20年後の最後のシーン、マサムネが、実像ではなくシルエットとなった20年前の4人の仲間との会話シーンが素晴らしかった。その場でジャンプしてから走り出すコミカルなパターンが最後に効いていて、泣き笑い。(町田)
・どこかの高校のサークルの一室。男子高校三人が陽気に脳天気に高校生らしい青春を楽しんでいる様子。三人の高校生ののりのよさ、動きの面白さ、間のとりかたのたくみさで観客席は沸く。このどこにでもいそうな高校生たちが皆、実は治療法のない重病を抱えていることが途中からわかる。近づきつつある死を予感し、その不安をふりきるために、彼らはカレハライダーズというチームを結成し、精一杯普通の高校生らしい青春を謳歌しようとしている。前半の喜劇的で明朗な芝居が、彼らの不治の病が観客に明らかになったあとの後半の悲痛な芝居と対比になっている。前半にさんざん騒がしい演技で笑わされてしまっただけに、後半の悲壮さがたまらなく迫る。ベタベタの悲劇をまっとうなやりかたでまっすぐ上演した舞台だったが、物語にすっかり乗っかってしまい見ながら泣いてしまった。(片山)
・質の高い青春ものは観客として楽しく観れます。高校演劇における部活・仲間もの、青春ものの最大の強みは自分たちに近い役を演じるため、その身体性や部活動に取り組む青春、みたいなものが相乗効果で現れる事ではないかと思います。 全体的に過剰なやりとりが多かったのですが、それも死の裏返しと自然に観ることができました。最後は山だらけで終わりどころが難しい中で、今につなぐ、という形を選択したのかなと思います。(マユズミ)
・イケメンの男子が出てきて、セリフや動きは今の17歳のリアル感がたっぷり。テンポよく展開する。しかし話が進むにしたがって彼らが、治療困難な病気を背負い、施設(病院)で生活しているのが明らかになる。テーマが重たいのにやっと気づくギャップ。彼らは短い一生を充実して生きるために「カレハライダーズ」を結成する。しかし流れ星のように一人ひとりと欠けていく。そして治癒したものは次へとつなぐ架け橋となる。悲しいけど続けることと、前に進む事の大切さを考えさせられる。(箕浦)
【見延高校】七人の部長 作:越智優 ・『12人の怒れる男たち』のフォーマットに則った会議の劇。剣道部、陸上部、文芸部、演劇部など七つの部の部長たちが予算案について意見を戦わせる。予算の少なさに不満を持つ文化部と、話し合いを面倒がる運動部。違いを乗り越えて相互理解に至る過程を描く。生徒会長兼手芸部長の男子生徒、アニメ声のアニメ部長など個性的なキャラクターの書き分けも楽しかった。一方で面白げな脱線がかえって単調に思えるところもあり、「出はけ」なし、室内の会話だけで一時間の作品を作る難しさも感じた。(友田)
・生徒会室に7つのクラブの部長が集まっての各部への予算配分の会議を描く。静かな演劇そのもの。役者の個性を活かして会話が展開するが、場面の転換もなく会話劇だけに役者の技量が求められるが、厳しい状況をこなしていた。机を集めてそれを囲む形で生徒会長以外の6人が座るので、客席に背を向けて座る役者がいる。全体の配置は上手と下手にも椅子や机を配してバランスを取っていたが、後ろを向いている役者の声が聞き取れない時があった。真ん中にデスクと言う同様の舞台設定だった青年団・無隣館の『カガクするココロ』『北限の猿』でも背中を向けていたのは一瞬だったと思う。最後に部室の窓が夕焼けに紅く染まる。劇中、関東の高校演劇界で有名な工学院バッグが登場していた、ただし去年の黒バッグだったが。(町田)
・各部にわりあてられる予算を巡る会議のため、生徒会長(男性は彼一人。この生徒会長は手芸部部長でもある)と文化部3名、運動部3名の部長が集まる。先生たちが作った予算案の承認を求められているのだが、その案では運動部には大きく予算が取られているものの、文化部の予算は少ない。予算案を巡る密室会議もの。『十二人の怒れる男』を連想する。部長達は生徒会長のリードのもと、予算をめぐって議論を始める。生徒会長役は丁寧語で話すがひょうひょうとした雰囲気を持っている面白いキャラクターだった。その中性的な物腰、言動に味がある。柔道部部長とアニメ部部長の対立ぶりも可笑しかった。(片山)
・役者の個性の絡み合いが絶妙のテンポで展開される。スピード感があり最後まで芝居の楽しさを満喫させてくれる。7つの部活の責任者が来年度の予算配分を決める会議に集まる。運動部、文化部等の特徴をセリフの投げ合いで表現する。彼らは決められた配分はおかしいと気づき、やり方自体を変えようとする。結局何も変わらず井戸の中の蛙的だが、見終わった後の充実感が勝り面白かったと唸らせる。(箕浦)
・高校演劇における名作品戯曲だけに、きちんと作られればそれだけでとてもよくできた芝居として観れます。本来は全員女子として設定されていますが、今回は会長を男子に設定していました。男女比の関係などでそういったことは起こりうると思うですが、今回の上演では違和感なく一員としているな、と感じました。一方でほかの女子部長たちとの距離感、孤独感が強まったのではないかな、と思います。(マユズミ)
【清真学園高校】ひたすら、国道51→6号線。 作:髙木優希 ・これはシーケンスの繋がり方が唐突で、私にはわかりにくい作品だった。冒頭は印象的だった。中高一貫の名門校に入った男の子のモノローグが続く。スポットライトのこの一人芝居を演じた男の子役(名前からすると女生徒が演じていたようだ)の動きがばねのようにしなやかで美しい。ほとんど音楽を使わない、そして暗めの照明のストイックな演出のなかで、この男の子の妄想やら回想やら飛躍したシーケンスが続き、その混乱のなかで観客はこの男の子とともにふりまわされる。最後は車に乗って、51号線から6号線へと移動し、彼は福島第一原子力発電所事故に伴う帰還困難区域の瓦礫のなかに行き着くのだが。震災後の原発事故がもたらした混乱と不安を、原発の存在を東京以上に意識せざるをえない茨城で生活する高校生が真摯に演劇として表現しようとしてきたことは伝わってきた。(片山)
・高校生にしては抽象的で高度な構成。女子高校生の緊張感を持続しての演技には驚かされ、レベルの高さを感じる。しかし震災を題材にしているらしいが、何を言いたいかは観客の理解力に委ねられるため、正直観ていて苦しいところがある。そのため面白いかは立ち位置の違いが明確に現れ、意見が分かれると思う。自分としてはすごいと思うものの、勉強不足でよくわからなかった。(箕浦)
・地図でフジヒラが走った国道51号線から6号線を辿ってみた。千葉から鹿島灘を上り、水戸で6号線に合流、更に北上すると福島第一原発。彼は何を見たのだろうか。私自身この作品を一度だけでは受け取り切れなかった。刑務所のシーンでケーキ、刑期なの?もう一度観てみたい。脚立で舞台を切り取る工夫。 観たあとに清真学園の生徒の方に話しを伺い、少し確認できた部分があった。フジヒラ役の男子生徒、観ていてあの役者は女子生徒だなと思っていたが確証を持てなかったが、確かに女生徒さんでした。騙されそうになるくらい彼女���始めとし役者が上手かった。 フジヒラがひたすら51号、6号を走って行き、富士と筑波山が現れ、福島にたどり着く、震災の被災者としてなおさら、心うたれるモノは感じ取れた。そしてそこには未だ自宅に帰宅できない人たちがいる事実を伝えてくれていた。(町田)
・2011年の都大会で話題になり、戯曲も読んでいるのですが、東日本大震災後の東京の一高校生の衝動を反映した、現代演劇らしい作品だと思います。2012年3月の再演を観に行きましたが、役者としての荒さがかえってこの本の混沌とした心理を反映していてとても魅力的な舞台だったのを覚えています。 この演劇部は身体性が高い集団で、今回の上演もとてもきれいに上演されていたと思います。ただ、元の上演を知っていると物足りなさを覚えました。全体的に熱量が一定になりがちだったのもありますが、何より男子の衝動に以上の何かをもっと提示できたのではないかなと思います。(マユズミ)
【専修大学松戸高校】ハブレット 田村和音美(生徒創作) ・タイトルの「ハブレット」はもちろん「ハムレット」のもじりである。「ハムレット」の? To be, or not to be, That is the question ?というあまりに有名な文句が、語呂合わせの連鎖による有機的に繋がりによって、「今、ここにいる」彼らのリアルの中で説得力のあるメッセージとなる。劇中で展開される「いじめ」によって「ハブられる」状況のリアリティや高校生活の風景は当事者である生徒創作ならではのリアリティがあった。ロールプレイによる他者の体験の想像をいじめの再現場面で使い、それがその外枠の演劇の問題とつながっている。演出はめりはりがあってリズミカルで、心地よいテンポと明朗さが高校生の観客の心をつかんでいた。恋愛といじめという定番的で切実な高校演劇テーマを、シェイクスピアという古典を切り口にあざやかに描いた傑作だった。(片山)
・壁に斜めにかかった黒板に大きく「To be or not to be. That is the question」。ポップな感覚あふれる色鮮やかな舞台装置が素晴らしい。学園コメディの軽やかなトーンを維持しつつ、いじめについてのストーリーを展開。戯曲・演出とも極めて高水準だった。主人公・公子のキャラクターの魅力も大きく、独自の世界を作り上げていた。それだけに敵役・黒田明日香が公子の会社の「平社員」になるという結末にもやもやを感じたが、観客にそこまで真剣に考えさせる力を持っていたとも言える。優れた作品であることに違いはない。(友田)
・いじめがモチーフとなる作品。作品に力を感じた。英語の授業での劇中劇、公子はハムレットの台詞を棒読みし、先王の復讐を遂げてゆく。この劇が重厚さを見せていて、ギャグに繋がり、緩急を付け、ハムレットの名台詞をしっかり展開させ、飽きさせない。 演劇部の部長をハブる明日香役が本当に憎らしく、しかし外面は良い子という難しい役をこなしていた。公子と先生、ママも脇の男子2人組や女子生徒、みんな上手い役者がそろっていた。 公子が、思い付いたハブられ代行業を始める。復讐じゃあだめだ、復習だってことで、いじめている人にいじめシーンを再現して反省を促す。 最後、明日香自身、納得しきれないけど少し逡巡して仲間に戻るという展開だったが、瞬時に改心する部分が淡泊。あそこまでこじれている性格、そんなに簡単には改まらない。あそこでの To be, or not to be.って明日香が逡巡する様なシーンがあればなと。それにしてもこれで生徒創作なんだと感嘆した。(町田)
・過去にもシェークスピアを題材とした作品で関東大会に参加するなど、レベルの高い部なんだろうな、と思います。実際にオープニングのダイジェスト版ハムレットも演技、衣装はちゃんとしたもので、椅子を叩いての進行は語り物のようでもありました。 割と分かりやすく演劇部を悪者として設定したのも、最終的にリアルな人間関係というより説経的な終わり方になったのも、いかにも演劇的にはぶることとハムレットを扱ったと分かりやすく示していたのではないかと思います。(マユズミ)
【日立第一高校】白紙提出 磯前千春(生徒創作) ・今回の上演のなかで最も独創的で完成度の高い作品だった。ギャグのパターンとその扱い方についてはそうとう研究していることがうかがえ、その笑いのセンスは素晴らしい。絶妙の間、そして外し方、狙い所。エロ本や変態も笑いにしているのだけれど、その処理のしかたが洗練されているのでえげつない感じは皆で、さらっと笑える。主人公の男の子の変態性だけでなくて、女の子の性への関心、変態嗜好も提示しているのも秀逸な視点だ。誰もが抱えているだろうちょっとした変態的嗜好、変人性を堂々と作品のなかで提示することで、逸脱を大らかに肯定しているような作品だった。内的独白の場面、劇的時間の止まっているときにダンスでその心象風景を表すという手法も効果的だった。俳優も自分の役割をしっかりと理解し、演出に答えていた。あの意識の高さはもう「プロ」なみと言っていい。(片山)
・戦ぐカーテン、そして風鈴。一服の清涼剤が如く、これが良かった、それも忘れた頃に戦ぐ。 5人の高校生のある夏の日と男子生徒の葛藤がメリハリを利かせ描かれる。男子生徒の家に夏休みの課題をやりに、お調子者の男子(役者は女子生徒なんですね。騙されました)と女子3人が訪れる。彼の部屋では、夜な夜な、過去、栄光を手にした時に着ていた女子アイドルのミニの衣装がゴミ箱に捨てられ、また箪笥に戻される。 気持ち悪いってことだけど、他人に見せたくない部分って誰にでもある訳で、それが女装なところには引っ掛かる訳だけど(女装が趣味ではなく、過去の栄光に縋っているに過ぎないのだけど)。 彼が好意を寄せる女子も実は彼のことが好きで、彼の使ってる枕に顔を深く埋め、彼がエロ本を隠してあるのを見つけて驚き、安心する。あの変態性の断片を描くところが効いていた。お互いに思いを伝えられない青春のもどかしさも。 ギャグ、笑いの地雷満載だけどシリアスに、演出、構成良し。照明、主人公の葛藤をテキストで部屋に投影も良かった。前原家の彼の出入りが少し雑だったかな。(町田)
・中学の学園祭で女装して踊って以来、その感覚が忘れられず、毎晩のように自室で女装して踊っている高二の紘生。思いを寄せるかえでを含む男女四人の友達が、夏休みに家にやってくる。紘生が隠しているエロ本や学園祭の衣装を発見し……。爆笑コメディ。キャストもよかったが、脚本と演出には実に非凡なものを感じた。緩急のリズム、からっとした笑いにわずかに混じる不安やペーソス、大事なことほどさりげなく伝える品のよさ。シュールな家族が一瞬だけ出てくる設定、映像の使い方も秀逸だ。作・演出の生徒には卒業後もぜひ芝居を続けてほしい。(友田)
・この作品は今年、何本か高校演劇でも見かけた性意識という題材に挑むのかなと思い、行動の裏を追いかけていたのですがちょっと違いました。男女という性意識以前に個々の趣味嗜好にだって様々な形があると気づかされました。いや、当たり前のネタとして、そういう変態性って普通に扱われるネタのはずなのにこうやって出されるだけで、自分の固定観念をずらされるような感覚を持ちました。もしかしたら男の子が好きなのかもしれないし、ただ自分を認めてほしいだけなのかもしれないし、そういう手前の状態で葛藤する高校生とそれを受け入れてくれる人がいるという気づきがこの作品の描こうとしたものと分かり、とてもいい芝居だったと思えました。(マユズミ)
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