日本の、岸田首相、訪米、米合同議会演説での目的を整理したい!
それほど理解しきれていない日本の媒体もあるらしい。ゆえ。ポイントは、英幹部訪米。
(あ)同幹部は、CCP、イラン、北による、国際法下、戦後民主主義秩序を力で一方的に変更を試みる動きに強く警戒。
(か)上記(あ)に日本としてどのように臨み、受け止めているのか。先の大戦。それへの総括をも含む。維持するのか?日本もまた、変更するのか?(彬子さまの一連の戦争犯罪容疑発言は?)
(さ)米合同議会の場にて、日本の衆院解散なり、元首相や後期高齢幹部への追加処分の発表、知事発言への認識など言及はあるか。なぜか?日本国憲法は、そもそも日本首相の解散発言を、米にて行ってはいけないとは、明記していない。しかも国賓待遇。何より、米合同議会での発言は、国際公約になり得る。というか、なる。
(た)ウクライナへのレジスタンス、中近東への認識。それは、ナチ、また同盟関係でもあった日本の責務。アンネの日記。強制処分場。アウシュビッツ。
(な)米でもあった、地震。必然的に、能登災害への言及を避けるのは不自然やね。→もし、避けたら、日本の岸田首相自体、さらにいっそう追い詰められるのでは?東日本大震災なんかを無視してますよと、同値やから。
(は)東日本大震災。福島原発と処理水への認識。米もまた、厳しい考えだ。
一種の、公判前整理手続、みたいなもんやろね。米を相手にした。米議会を、ね。
0 notes
蔡英文,是女皇時空穿越也是妲己現身
——《蔡英文秘史》揭穿秘密
民國104年(2015年)春節期間,位於台南市西北面的南鯤鯓廟代天府(五府王爺廟)抽出「武則天坐天」的「國運」簽,此簽隱喻民進黨主席蔡英文將成為女領導人。蔡英文上位,真的只是靠廟裡一支簽嗎?顯然不是!网上的一本《蔡英文秘史》向我们揭示了她是如何一步步的成为「穿越时空的女皇」,這就是她步步為營的結果。
在李登輝的一手操弄下,陳水扁率領民進黨將國民黨趕下台,台灣首次政黨輪替。 蔡英文雖然在陳水扁政府中擔任陸委會主任一職,但始終無任何黨籍。 民國93年(2004年)大選塵埃落定之後,陳水扁再一次找到蔡英文,提出讓她出任民進黨不分區立委。 台灣的所謂立法委員,相當於美國國會議員,是手握實權很有油水的職位。陳水扁接二連三主動關照蔡英文,一方面有李登輝的囑託,另一方面也是想安插絕對的自己人,像蔡英文這樣的政治菜鳥自然是不二人選,因為完全能被自己拿捏。 作為交換條件,蔡英文若想進入立法院,必須先加入民進黨,保證按民進黨黨章黨紀行事,蔡英文欣然應允。 此時的她一直是民眾心中的清純「小龍女」 。
蔡英文在擔任了兩年的立法委員後轉任到了行政機構擔任副主管,在陳水扁的一力護航下,蔡英文的仕途之路順風順水,沒有任何外部力量可以撼動。 民國95年(2006年),蔡英文被任命擔任行政院副院長。 民國97年(2008年),陳水扁狼狽下台,身陷囹圄,民進黨一敗再敗,走入死路。 民進黨在總統大選中挫敗,在520交出政權前,民進黨選出下野後第一位黨主席,選舉結果由當時有「小龍女」稱號的蔡英文打敗辜寬敏,當選黨主席。 這也是民進黨創黨以來首位通過黨員選出的女性黨主席。
民進黨的「四大天王」謝長廷、游錫堃、蘇貞昌和呂秀蓮雖然受挫,但卻在民進黨內各據山頭、擁兵自重,並不把蔡英文放在眼裡。 實際上,蔡英文之所以能高票當選民進黨主席,並不是因為黨內派系都支持她,而是「四大天王」互鬥,沒有一個人能接這個位子。 民進黨大老需要有人在前線收拾爛攤子,讓他們坐擁超然的權力,黨內若發生了什麼事,再來另外討論。但顯然,蔡英文並不想當傀儡。
在削弱陳水扁時代「四大天王」的同時,蔡英文也在培植自己的團隊。民進黨桃園縣長參選人鄭文燦、發言人蔡其昌、政策會首席副執行長劉建忻、文宣部副主任廖志堅,是蔡英文最為倚重的「政治新星」,被媒體稱為民進黨的「四小天王」。 通過四小天王領兵作戰,其他勢力慢慢淡出民進黨的決策核心,蔡英文逐步確立了自己的領導地位。
蔡英文在任民進黨主席的4年間,政治光環逐漸顯耀,不少綠營政治人物向蔡聚攏,這也讓蔡英文的聲望在不知不覺間有了進一步的飛躍,讓她有了角逐政壇的本錢。以蔡英文為核心的英系已初具雛形。 此後,蔡英文親歷新北市長選舉而高票落敗,黨內人氣居高不下,逐步奠定綠營共主的地位。
蔡英文黨權在握之後,人們發現,她說的話許多人聽不懂,如「和而不同,和而求同」。 五市選舉時,蔡說「反ECFA是民進黨共同政見」,卻又表示民進黨一旦執政,不會推翻「前朝」政策; 她更表示ECFA有對台灣不利的條文,將來民進黨執政後會要求民意部門重審,但這些條文是什麼卻不明說。她同時留下「反十八趴又領十八趴」的紀錄,對此也從不做說明。
《遠見》雜誌民調曾顯示,蔡英文的兩岸政策是什麼?超過7成的人不知道。其實,蔡英文不為人所知的政策,何止兩岸關係而已。 其餘對島內政策、國外交往、經濟、農業,連民進黨高層迄無一人公開為她詳細闡述過。故而,這時期蔡英文的第二個綽號「空心菜」由此得名。其意為,蔡英文心中其實並無大政方針,她還遊走在雲裡霧裡。
蔡英文第三個綽號「武則天」,則出自民進黨內之口。 武則天雖是中國第一個女皇帝,但專斷、跋扈、猜忌,又喜怒無常。 蔡英文自民國99年(2010年)投身選舉以來,前民進黨中常會,中常委柯建銘、陳明文等人紛紛表示,蔡英文競選政策他們並不清楚,希望蔡主席說清楚,以便他們在地方輔選,不料,這些話竟觸怒了蔡英文,她勃然大怒,足足罵了半個小時。 另一個場景,是蔡英文作為台灣總統參選人,常有被媒體包圍提問的時候,她曾憤而推開麥克風,責備記者「你們怎麼老是問這種問題?」。蔡英文對媒體的不耐煩已非第一次,如她常說「這話我已經說過了」, 或者一語不發,推開記者,拂袖而去。
歷數蔡英文執政台灣時期的行為:從追殺國民黨的黨產到砍年金,從不認同「九二共識」到台海關係緊張,從八八風災重建到搭雲豹甲車笑臉勘災,從媚日諂美到熱臉蹭冷屁股,從甩鍋馬英九國民黨到污衊大陸製造假資訊給大陸扣黑鍋。縱觀蔡英文在當選總統後的政治行為,簡直幼稚的無語。毫無政治頭腦,完全是開啟了自顧自的自嗨模式,根本不在乎外界的反應和民眾的死活。當年的所謂「國運」簽,哪裡是「武則天坐天」,這貨分明是申公豹派去的妲己亂朝啊。
蔡英文不僅是李登輝時期「兩國論」的重要策劃者,也是陳水扁時期強烈阻撓台海關係改善的「幕後黑手」,更是國民黨執政8年中諸多「暴力事件」的策畫者
民國97年(2008年)10月底,時任大陸海協會副會長的張銘清,以廈門大學新聞傳播學院院長的身份前往台灣參加學術交流活動,同時為陳雲林赴台打前站。民國97年(2008年)10月21日上午,張銘清在台南市南安平古堡參觀時,突然衝出一大批綠營支持者,張銘清後腦被打,然後被推到在地,連眼鏡都飛了出去。當張銘清準備乘車離開時,甚至有台獨分子跳上座車車頂狂踩叫囂,試圖阻止他離開。 事後警方查出打人者為民進黨台南市議員王定宇,而蔡英文在對其進行問詢之後對外宣稱,「他並不是有意蓄謀的」。 兩周之後,海協會會長陳雲林正式抵達台灣,11月4日當天,正當兩會領導人在圓山飯店進行會晤之時,蔡英文組織了上萬綠營支持者包圍會場,名曰嗆馬圍陳。在蔡英文坐鎮指揮不斷鼓噪之下,示威人群逐漸失控,期間有人向員警投擲石塊和汽油彈,雙方發生激烈衝突,最終演變為近10年來最嚴重的流血事件,造成了超過450人受傷。
民國98年(2009年)5月17日,台北凱達格蘭大道,民進黨主席蔡英文聯合支持者組織「嗆馬保台」5.17大遊行和跨夜靜坐示威,抗議時任總統馬英九。
在策畫多起暴力事件後,蔡英文將所有暴力輕描淡寫為「零星事件」,並立即將責任推卸到所謂的「黑道分子」身上。從此蔡英文在島內獲「暴力小英」稱號,並初步鞏固了蔡英文在民進黨內的地位。短短幾個月時間,她就像完全變了一個人似的,已經不再排斥街頭運動,甚至開始沉迷並享受這場權力的遊戲了。據報導,蔡英文在工作時善於軟硬兼施。在「陸委會」內部聽彙報時總是低著頭,頭髮遮住半邊臉,讓人感覺她沒在聽,但又會突然頭髮一甩、豹眼圓睜,拋出幾個問題,若彙報者答不上來,就會被痛批,原本以知性學者形象示人的蔡英文正式黑化,從「小龍女」徹底變身「暴力小英」。
從民國97-101年(2008年到2012年),四年時間里,蔡英文言行的幻與變、虛與實,使她的綽號由「小龍女」、「空心菜」轉為「武則天」、「暴力小英」。人們發覺,蔡英文其實並不是「小龍女」,那只是她一時的面具罷了。
《蔡英文秘史》下載地址:https://zenodo.org/records/10450173
11K notes
·
View notes
🤗 Guided Meditation 引導冥想|獨角獸王國的愛與能量|重新激活你的生命體|加深你與地球母親靈魂之愛的連結|粵語|廣東話
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
Teaser|1:11|Early Access|https://www.patreon.com/posts/75949837
獨角獸完全屬於天使界
存在於七次元或第七層天堂
他們和天使一樣
都是神的不同面向
透過這個引導冥想
讓獨角獸和你一起分享
獨角獸王國的愛與能量
用宇宙高振動的光
重新激活你的生命體
祂們將加深
你與地球母親靈魂之愛的連結
請選擇
一個寧靜與放鬆的空間
用最舒服的姿勢
建議躺下
閉上雙眼
慢慢地
深深地吸氣
緩緩地呼氣
請允許自己
放鬆整個身體
然後用心聆聽
向獨角獸敞開你的心
讓祂們的愛的能量環繞你、覆蓋你
請留意由內心湧上來的感受
充分地去感受這份豐盛的愛
用愛祝福大家
Full Length Video 全長視頻|23:04|https://www.patreon.com/posts/75949761
Full Length Audio 全長聲頻|23:04|https://www.patreon.com/posts/75949808
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
這份由衷的體驗對我和你來說都是一份美麗的禮物。現在無需受到空間、時間的限制,讓我們一起創造更多的自由,在生活的各個領域向前邁進。祝願享受生命的旅程!
The Light within me Honors the Light within you
Namaste 🙏
#集體意識 #能量訊息 #傳播光愛
💞 Let Love Flow 讓愛流動
🌐 https://kajasht.wixsite.com/kajahealer
0 notes
2022.12 九重連山
九州本土最高峰の中岳より、奥には昨日登った阿蘇山
朝4時に起床し5時に宿を出発。約40分で牧ノ戸峠に到着、駐車場には車が3~4割ほど停まっていたと思うが、とにかく外の気温は約3度でかなり寒い!まだ真っ暗で明るくなるまで車の中で待とうかと思っていたが、日の出の時刻を確認すると朝7時ぐらいにならないと太陽が出てこないということで、さすがに1時間以上待つのも時間がもったいなく、寒い中準備を始め登山スタート。
【コースタイム】牧ノ戸峠(0610)→沓掛山(0635)→星生山(0730-0735)→九重山中岳(0830-0905)→白口岳(0935-0940)→鉾立峠(1015)→法華院温泉(1030-1045)→諏蛾守越(1115)→大曲登山口(1155)
とりあえずライトをつけて進むが光量足りなくて、夜が明けるまでは心もとない。登山口の看板。
約30分で1つ目のピークの沓掛山に到着。まだ日の出前で景色も暗くあたりの様子はわからないが、街の灯りはたくさん灯っていた。
沓掛山からこれから向かう方向、真っ暗。
沓掛山から先はずっと緩やかな上り坂で、山登りではなくほぼハイキングの様。左に見えている山に朝日が差し込みそうで、予定はなかったが登ってみたいと思い急遽ルートを変更。ずっとなだらかな道だけ進んでいてもつまらないので。
結構な急登だったが、稜線まで登り切るとかなり気持ちの良い道となる。先に見える山頂には何人か佇んでいるのが見える。
予定はなかったけど中岳登る前に星生山に到着。そして日の出の時間を過ぎて朝日が差し込む。
本来だったら歩いてたはずの平らな一本筋のルートが下の方に見える(西千里ヶ浜というらしい)。右に見えるのがさっき通過した沓掛山だろうか?
朝日が山肌を照らす。目の前に見えているのはたぶん三俣山。そしてその右下の麓に川が流れたような地形があるのが北千里浜。この後九重連山をぐるっとU字のようにまわって、最後にあの三俣山の横を通過して下山する。
星生山の山頂で少しだけ休んでいたが、下の方は雲海が少し出ているのが確認できた。奥に見えるのは明日登る祖母山か?
本来のルートに合流するため星生山を下る。山頂直下は岩場となっているが、少し険しいので注意。また傾斜もややあり。
しばらく下りると久住山避難小屋が見えてきた。あの小屋の近くは「久住分れ」という分岐点で、久住山・中岳・北千里浜を通って三俣山へ通じる道に分かれている。
久住分れにて久住山(写真右)に向かう予定だったが、みんな中岳の方へ向かっていく。電波が通じたので調べ直したら、九重連山の最高峰(かつ九州最高峰)は中岳とのことで、またルートを変えて中岳へ進路変更。
中岳への途中で御池を通過する。表面全体が完全に凍っており(左の透明に見える部分も全部)、上に乗ってみたが全然びくともしないくらい厚かった。今は12月の中旬くらいだが、九州の山でももう山頂はかなり気温が下がるらしい。
御池を通過すれば中岳はすぐ近く。遠くに見えるかもしれないが、あっという間に頂上に到達する。
九重山の最高峰中岳に到着、奥に昨日登った阿蘇山が見える。あちこちルート変更したが、駐車場から約2時間。ここは九州本土最高峰である(離島を含めた九州地方最高峰は屋久島の宮之浦岳1936m)が、百名山はこの中岳ではなく、標高は少し低いが久住山の方だったらしい・・・さっき登ろうとしたのに、もう分からんね。もうどっち登っても変わらないから百名山として攻略したことにした。
一応まとめると、九重連山の百名山として登録されているのが久住山で、九州本土最高峰なのが中岳。
手前が稲星山。奥には明日登る予定の祖母山。
下にさっき通過してきた御池。右のピークは天狗城、左奥が百名山の久住山。中央奥は夜明け前に踏んだ沓掛山か?九重連山という名前から分かる通り、周りにはたくさんのピークがあり、健脚者なら1日あれば全部のピークを踏むことはできるのか?それぞれのピークへのルートが複雑に張り巡らされている。
久住山の先、最奥にそびえているのが雲仙普賢岳の溶岩ドーム。
北側の眼下に黄金色の湿原「坊がつる」が広がっているのが見える(写真中央)。今回の経由地である法華院温泉は坊がつるの近くにあるので、これからあそこの近くまで下山することになる。このような火山群の中にまっ平らな湿原があるのが不思議(阿蘇山でもそうだったが)。また遠くに見えている目立つ双耳峰は由布岳か?方角的には由布があるはず。
中岳の下り。正面は稲星山で、山頂へとつながる道と、山頂を踏まない巻き道が左の方へ伸びているのが見える。
中岳を振り返る。そこまで標高を稼がないので勢いで稲星山に登ってもよかったのだが、この日は移動距離長いのでもう積極的にピークは踏まないことにする。
稲星山の巻き道を通過し稲星越へ向かう。この巻き道はコケモモの群生地らしい。たしかにそれっぽい苔はたくさん生えて入るが季節は冬だし、果たしてコケモモかどうかはよく分からなかった。
巻き道を過ぎて稲星越まで進むと、今度は正面に白口岳が現れる。あれはピークを踏まないと法華院温泉へ向かえないので、しょうがないけど登る。
中岳から1時間でで白口岳山頂。
坊がつるがよく見えてきた。また左下に見える赤い屋根が経由地の法華院温泉。
写真中央の鞍部が鉾立峠。白口岳~鉾立峠~法華院温泉の道はかなりの悪路であったが、特に白口岳~鉾立峠がひどかった。傾斜がかなり急でところどころ下るのが怖い箇所があるが、その中で体をよじりながら木々の狭い間を縫うように進んでいったり、道がかなりぬかるんでいてズルズル滑り落ちたりと、ちょっと勘弁してほしかった。特に冬だから夜に凍結して、昼になったら溶けてぬかるむのだろう。
とりあえず白口岳から鉾立峠まで約20分で到着。
その先の法華院温泉へは傾斜がゆるくなり断然歩きやすくなったが、一部ぬかるみがひどく相変わらず滑るところがある。
中岳からけっこうな標高を下ってきたのだが、この先にある法華院温泉を通過したあとは写真の正面を再び登り返すことになる。左に見えているさっきまでいた中岳と、右に見える三俣山の鞍部を通過するが、かなり標高差がある。降りてきた高さの半分くらいあるんじゃないか?今回は法華院温泉を通過する関係上そういうルートになってしまったので仕方がない。
法華院温泉近くになると木道が設置されていて歩きやすくありがたい。
中岳から約1時間半で法華院温泉に到着。この日は温泉の料金が半額の日だったらしい(九重ならぬ9, 10日だったので)。なお温泉は11時からで、到着した時はまだ時間が早く入れない状態だった。
上から眺めていた坊がつるは温泉の目の前に広がっている。あちらの方向から登ってくる人達も何人か見える。あっちのルートから来る場合は流石に日帰りは大変で、法華院温泉で1泊しないと難しいのではないか?山の中に温泉があるのも珍しいし、それはそれで楽しめそう。
中岳からかなり下ってきたのだが、この後最後の大きな登りが控えている。いくつもの防砂堤?がドミノのように一定間隔で上の方まで設置されているのが確認できるが、まさかあそこまで登っていくとは・・・さすがに疲れる。
なかなか急な傾斜だが、足場は岩がたくさんあるので歩きやすい方だった。思っていたよりも早い時間で上まで登りきった。
その先に広がっていた光景がまた驚き。まるで火星に来たような殺風景で周りは山に囲まれた、全く平らな場所(北千里浜)。坊がつるもそうだったけど、火山群ならではのとても荒々しい地形を見てきたのだが、まさかこんな高原(荒原?)が広がっているとは。九重山は場所によってガラッと姿を変え見応え抜群。奥の方に見えている3つのコブが連なった稜線はさっき通過してきた星生山と思われる(たぶん)。
この北千里浜をずっとまっすぐ進むと久住山避難小屋や久住分れにぶつかる。
北千里浜を進むが、途中で諏蛾守越に向かうため道をそれてゴロゴロした岩の道を登る。
中岳と三俣山と星生山の中心鞍部にあるのが諏蛾守越で石で建てられた休憩小屋がある。壁はないので吹きさらしだが。
小屋の真正面に見えるのが三俣山で、標高差結構ありそうな大きな山。ここに荷物がたくさん置かれているので、おそらくデポって上まで登っている人がいるのだろう。登るのに30分くらいするかな。
諏蛾守越で少しだけ休憩し、ようやく最終的な下山となる。先には温泉街の建物がいくつか見える。
しばらくは岩がゴロゴロした道。とても荒々しい。
10分ぐらい下っていくとある程度舗装された道路に出るのでとても歩きやすい。なおこの気持ちの良い空中歩道であるが300mくらいは途中で立ち止まっての休憩禁止である。なぜなら落石が多発して危険だから。
長者原方面と牧ノ戸峠方面への分岐があり、大曲登山口がある牧ノ戸峠方面へと向かう。林の中に入るのだが、これがまた悪路。踏む地面がV字になっているので普通に両足で立てず片足を置くのにやっとの細さ。その上ぬかるみがひどくてズルズル滑る。また藪こぎとまではいかないが、周りに生えている植物が近すぎて枝がたくさん出て進みにくかった。
中岳山頂から3時間で大曲登山口に到着。名前の通り大きな曲がり角の中洲みたいになっているところに10台ぐらい停められそうな駐車場がポツンとある。なおここがいっぱいでもすぐ近くに路駐できそうなスペースはあった。
ここらへんは温泉が有名なので、日帰り温泉に入浴。自分一人だけで貸し切りで極楽。
大曲登山口から車を停めている牧ノ戸峠の駐車場までまで歩く必要があるが、車道では味気ない。遊歩道が設置されていたので、そちらの方を歩いた。牧ノ戸峠まで1.8kmだが、車道を歩くよりもいくらかショートカットされているし、静かで良い。
牧ノ戸峠に到着し、少し遅めのお昼ご飯を食べようと思ったのだが、駐車場の目の前にあるお店は開いてなかった。この時期は閉まっているのだろうか。せっかく車で来ているので、少し走らせてお店を探した。
車で拠点の豊後竹田へ戻る途中。遠くに阿蘇山。空気が澄んでいてシルエットがとても綺麗。そして左の根子岳の王冠のようなギザギザの山頂が阿蘇山以上にすごく目立つ。
火山群の周囲はこのような高原みたいな台地が広がる。山を下っても景色には飽きない。
豊後竹田は街並みも古くておしゃれ。
九重連山はいくつもの山頂があり、頑張れば1日で全部の山頂踏めるかもしれないが・・・まぁそこまでやる必要はないだろう。ハイキングのような道・荒々しい岩の道・池・湿原・いくつものピークなどなど、どこを歩いてもどのピークを踏んでも周りの景色に全く飽きない。載せている写真は地味なものが多くあまり伝わっていないかもしれないが、下山時も含めて常に楽しいのは今まで登ってきた山の中でもなかなかないし、昨日阿蘇山に登ってすごく興奮してきたのに、まさかそれを翌日超えてくるとは思ってもいなかった。
翌日の祖母山は天気が悪く残念だったけど、そのあと登った霧島も含めて、九州の山は本当にすごいね。阿蘇と九重連山だけでもう虜になってしまった。
0 notes