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gifgifk · 2 years
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603 notes · View notes
a-space-opera · 8 months
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securecat · 18 days
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先日ヴィーガンインド料理レストランに行きました。
私はヴィーガンではありませんが、Googleの口コミがえらく高かったので「どんなもんじゃい」という気持ちで入店しました。 前菜?のジャガイモのスープが豚骨スープかと思うくらい旨みが強くて、メインのカレーのプレートもとても美味しく、楽しい時間を過ごせました。 ヴィーガンインド料理はどういう考え方で構成してあるのでしょうか。 やはりトマトの旨味が土台となっているんでしょうか。
イナダシュンスケ
エリックサウスとかの中の人/料理人/文筆家/ナチュラルボーン食いしん坊/近著『ミニマル料理』(柴田書店)・『スパイス完全ガイド(西東社)・『キッチンが呼んでる!』(小学館)
僕がインド料理から学んだものは「スパイスのチカラ」もさることながら、それ以上に、「野菜の旨さ」でした。
僕は日本人ですし、和食も一通り学んできましたから、おいしい料理にはダシが不可欠、という概念は人一倍強く、また明確だったと思います。この場合の「ダシ」は、当然、鰹ダシを中心とした動物性のダシということになります。昆布ダシってのもありますが、それはあくまで鰹などの動物性と組み合わされてナンボです。
しかしインドのベジ料理は、「確かにそれはうまいけど、それが全てじゃないよね」と、せせら笑うかごとき達観ぶりを見せつけてきました。南インド料理を学ぼうと思い立って、洋書のレシピをめくり始めた時、僕は我が目を疑いました。いやいやいや、こんな材料でうまくなるわけないだろ! と。だってそこにうま味の要素無いじゃん、と。ダシも無いし発酵調味料もない。それで料理が成立するはずない、と思ったのです。
しかし半信半疑でやってみると、それは確かにおいしかったのです。これがスパイスのチカラか!と思いました。しかしその納得は、半分正しく半分間違っていることにもすぐに気が付きました。野菜だけでも充分「ダシ」は出るんだな、という、虚を突かれるような発見です。
キャベツって結構うま味あるじゃん。
ブロッコリーは更に強いじゃん。特に茎。
カリフラワーもそれに近いけど、なぜか冷凍物はスッカスカ。
ナスや瓜類は思いのほかうま味が無いけど、油分と塩をキメたらうま味っぽい何かに化けるじゃん。
グリーンピースはもはやうま味の塊なのではないか。あ、インゲンやキヌサヤもだ!
ただしもちろんそれらは、鰹と昆布の合わせダシのように強烈なものでもないし、安定もしていません。うまく扱わないと、うま味は引き出せません。スパイスはその「上手く扱う」の幅を広げます。
そんな中で、トマトは確かに別格です。そりゃあ世界中で愛されます。なので「トマトの旨味が土台」という質問者さんの見立ては、割と合ってると思います。ただし、インド料理におけるトマトの歴史はかなり浅いです。(南インドは特にそうです。)トマトは強力なオプションではあるけど、必須というわけでもない。
そんな中で僕が一番驚いた素材のひとつがジャガイモです。和食、というか日本の食文化において、ジャガイモは「うま味を吸わせる食材」と認識されがちだと思います。もちろん僕もそう思っていました。肉じゃがは、肉やダシのうま味をジャガイモに吸わせることでおいしくなる、みたいにイメージです。しかしインド料理ではそうではありませんでした。ジャガイモは(トマトほど強烈ではないにせよ)確実に「うま味を放出する」存在だということに初めて気がつきました。
野菜のうま味は概ねグルタミン酸ですが、野菜料理のうま味は、グルタミン酸の絶対量だけでは決まりません。甘みがそれを補完したり、酸味やエグ味などの「マズ味」がそれを引き立てたりします。そしてかなり重要なのがテクスチャーです。若干乱暴な言い方にはなりますが、柔らかければ柔らかいほど、うま味は強まります。インド料理では野菜をクタクタになるまで加熱しますが、そうすることで初めてうま味は引き出される。和食において野菜はシャキっとした食感が重視されますが、これはダシがうま味を補うからこそ成立している部分も大きいと思います。
柔らかいを通り越してペースト状になると、感じるうま味はマックスになります。インド料理にはこの機序を利用したものが多いです。チャトニーはまさにこれですし、インド料理以外でもこの法則は成立します。例えばヴィシソワーズやガスパチョは、ペースト化するからこそ、動物性のうま味無しでも充分すぎるくらいのおいしさが現れるのです。だから、質問者さんがじゃがいものスープにノックアウトされたのは、ある意味で必然だと思います。
インド料理における、このペースト化ないしは半ペースト化することによるうま味増強の最たるものが、豆料理ということになります。これもまたアフリカや中南米、もちろんヨーロッパにも共通する文化です。豆をポタージュ状に煮崩したり、崩れなくてもとろみの強い豆は形を残したり。日本の納豆も、ある意味そのロジックの中にあると思います。
もちろんスパイスは、こういった野菜独自のパワーを引き立てます。スパイス自体にうま味はありませんが、例えばクミンやフェヌグリークなんかはどこか、うま味と錯覚させるかの如き風味を持っています。
油脂もまた極めて重要です。味蕾が油脂の皮膜越しに塩を感じる時の感覚は、うま味の感覚によく似ているのだそうです。逆に言うと、伝統的な和食は極めて油脂が少ないからこそダシが重要になるとも言えます。
そんな感じで、野菜そのものの成分(うま味とマズ味)、その加熱法とテクスチャー、油脂によるブースト、そしてスパイス。そういった複雑な要素を組み合わせて体感的な旨味を最大化するのが、インドのベジ料理の本質と言えるのではないかと思います。和食だと、ダシや発酵調味料の強烈なうま味でそこを効率よくショートカットしている、と言えるのかもしれません。
(via mond )
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lostsidech · 3 months
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5: Stairway to Heaven
「はっ!?」
 会場が壊れた。まず望夢が体感的に感じたのは、『足場が無くなり、落ちる』だった。
 そもそも高さのある場所で戦っていたわけではない。なのでこれは五感に伝わるただの幻覚なのだと、望夢は間もなく理解した。
 眩暈がする。そのせいですぐに状況を計算できない。五感のバグのくせに、しっかり落ちて転んだ痛みがある。そして体を圧迫する重量感と、微かに脳裏で鳴る異常事態のアラート。
 目を開ける。瓦礫の中に望夢は倒れ伏していた。
 悪夢のような光景が広がっていた。
 瓦礫が現れたり消えたり、ちかちかと景色を移り変わらせている。その途中で見覚えのある壁や岩、水流が出現してはくねり、視線を阻害する。ある場所では遊具のようなカラフルなキャラクターの顔が、ゴシック様の建築壁の中から突き出ている。
 半ば無意識で、自分の体を取り巻くように転がっていた瓦礫に、解析・解除を走らせた。ヴン、と音を立てて瓦礫が消える。
 この会場のためにセットされていた、ありとあらゆる仮想空間のストックが、暴走してこのありさまになっているのだと、しばらく見ていれば理解できた。
 自分の動きを邪魔していた周りの瓦礫が消えてしまえば、立ち上がることができる。おそるおそる、望夢は身体を立てるが、すぐに別のブロックが足元に出現して躓いた。
「でっ」
 足先を引っ掛けてまた転び、あやうく、そのブロックに膝を打ち付けそうになる。相当痛いだろう、とギュッと目を閉じたところで、ひらめく。この固形は仮想の感触だ。協会式のペタルがイルミナント意識点の持ち主に錯覚の圧力を与えているだけ。
 ペタルを込めなければ無視して動ける。協会式の仮想空間とはそういうものだ。日本の協会の演習場でもいつか瑠真とやったはずだ。
 とっさに脳を切り替える。望夢は元々協会式のペタル解釈には「合わせて」いるだけだ。大会のために常に協会式に合わせ、秘力を練り続ける方式を取っていたが、もう必要はない。
 ブロックにぶつかる前にイルミナント励起を解除。ぶつかったはずのブロックを膝がすり抜けた。そして少しだけもう一度、協会式ペタルを自身に込める。最後にクッション様に抵抗が生じ、転んだにも関わらずふわりと地面に手をつくことができた。
 何度か地面についた手を握ったり開いたりして、感覚を確かめてみる。
 この要領なら、多分このカオス空間の中も歩ける。
 望夢は見渡した。極彩色の景色に邪魔されているが、試合はどうなった 放送も音沙汰がないが、自分が聞こえていないだけなのか。点数はもう誰も見ていないのか
「……瑠真」
 それより何より、相方が何をしているのかが気になった。
 邪魔な障害物をすり抜け、迷路のような元アリーナを歩き始める。
 最も敵になるのが方向感覚だった。神経を研ぎ澄ましても、会場に存在するあらゆる出場者のペタルを吸い上げた仮想空間から、ペアのものだけを探すのは甚だ難しい。
 それでも歩き続ければ誰かとは遭遇するだろうと進んでいたとき、ふと五感の端に気配が引っかかった。
 ペアのペタルだけを探すのは難しい。そのはずだった。
「……瑠真」
 正確には。
 瑠真であるはずなのに瑠真ではない、瑠真のペタルをベースにしたような何か、を、感じる。
×××
 予期しなかった平衡感覚の混乱に、瑠真もまず尻餅を付き、ここがどこか見失うところから始まった。
「あ いたいた。いやぁ、君の場所は視認していたからすぐ来られたにせよ、このカオスは最悪だね」
 ──そこに聞こえてきたのは、考えうる限り最悪の声だった。
「は……」
 瑠真は咳き込みながら顔をあげる。これは……確か、望夢の先祖の。
 夏のヘリポートで聞いた、悪辣な少年の声だった。
 一度で覚えてやる義理はなかった。なのに覚えていたのは、それだけその声が身の毛もよだつトラウマのように耳朶に張り付いていたからだ。
 視界がぼやける。イルミナント意識点に過負荷が掛かっているのを感じる。会場にいたすべての異能者のペタルの残滓が増幅されて場を渦巻いている。感知系が苦手な瑠真にも明確だ。
 目を擦って、もう一度薄目を景色に向けたとき、その極彩色の光景の中に、黒服の少年が佇んでいた。
 初めて見る姿だ。子供が着るものとしては見慣れないお坊さんのような和服を着ている。
 だが、彼は背格好と顔立ちが──やはり望夢に、よく似ていた。
 高瀬誉。
 春姫の宿敵だ。なぜか蘇った幽霊なのだと聞いていた。
 だからだろうか。彼の輪郭は、まるで背後の仮想空間の景色の一部であるかのように、うごめき、刻一刻とブレている。
「待たせたね、悪魔のお迎えだよ、瑠真ちゃん」
 少年は、仄かに望夢より表情が薄く見える瞳をこちらに向けて、ことんと首を傾げた。
 瑠真はとっさに答えなかった。なぜこいつにこの状況で迎えられなければならない
「……何、これ」
 まずは周囲を示して、端的に尋ねた。
「試合中だったよね。アンタたちが何かしたの」
「うん。眺めてたら瑠真ちゃんが負けそうだったから、助けに来た」
 あっさりと、誉はそう言った。
「助けに こんな、試合無理やり壊して」
「だって、嫌だろ あんな大人の策略に乗せられるのなんか」
 誉は話しながら、瑠真の向かいに膝を折った。尻餅をついている瑠真に視線を合わせ、見つめてくる。そこはかとなくじっとりと嫌な感覚がし、瑠真はいざるように少し下がった。
「……まだやれた」
「どうだか」
 誉は首を振る。
「君は謀られたんだよ。極論、アメリカチームは君のことなんてどうでも良かった。日本の協会の邪魔をするのに良い釣り餌がそこに転がってただけ」
「アンタにそれを言われる筋合いはない」
「あー、そういう反応かぁ。まあ、いいよ」
 瑠真が噛みつくと、誉は肩をすくめてみせた。
「君もだいぶ鍛えられたみたいだし。ここまでの話はカノへの義理立て。振られたら続けて口説くもんでもないや」
「何言ってるの」
「俺には俺の目的があるって話」
 ぽん、と誉が手を叩いた。そのとき、周囲の仮想物体から一斉に蔓のようなものが伸びて、瑠真を巻き取った。
「はっ」
「待ってね。ここから本題」
 誉は言うと、瑠真に向けて膝を摺ってにじり寄ってくる。
「それ、私関係あるの 美葉乃のこと」
「カノへの義理立ては終わったって言っただろ。俺はあの子とは関係なく君に用事があるの。いや君の体、いつの間にか大分高瀬式ナイズされてて助かるよ。干渉しやすい」
 瑠真は迫ってくる誉を目線で威嚇した。
「縛り上げて何が用事よ」
「なんだろうね。これを話すのは初めてかな」
 誉は傍に腰を下ろして微笑む。友人としてお近づきになりたいとでも言わんばかりの微笑みだった。
「俺は君を見つけたときから、カノとはまた違う理由で君に興味を持っていたんだ」
 その微笑みを、口調を、瑠真は吐き気がするほど憎らしく感じる。瑠真のペアが絶対にしない表情をした同じ顔。
「三月の協会戦。君は神名春姫の力を身に借りて戦ったね 俺はその時から、君を個人的に追っていた。カノを通してね」
「……」
 そんなこともあった。だが誉はそれをどこから見ていたのか。わざわざ相槌を打ってやる義理も、問い返すほどの好意もない。
 誉は瞳を三日月のように細めた。
「いやぁ、ちょっと閑話休題してからにしようかな 自己紹介ができなきゃ寂しいもの」
 瑠真は自己紹介など望んでいない。だが誉も勝手であるのは百も承知で話しているのだろう。少年はあぐらをかいた膝の上にひじをついた。
「俺、もう死んでるって話は春ちゃんか望夢くんから聞いてるよね だったらどうして成仏できなかったんだと思う 瑠真ちゃんって幽霊信じる」
「今、いるんだから、それしかないでしょ……どうしてなんて知るわけない」
「俺に未練があったんだよ、結局。この世界の行く先にね」
 瑠真の小声の反抗に構わず、誉はゆっくりと言った。
 手元に持った数珠を弄っている。虎の模様のような色をした数珠だ。
「いや、理論的には春ちゃんが流し込んだ不老の神の力が俺の肉体を消しても存在を維持したとか、色々言いようはあるかもしれない。だけど俺の目線からしたらそう。俺は長いこと、『無』と呼べる時間の中で俺の魂が輪廻できない理由を考えていた」
 話の、意味は分からない。ただ、幽霊でしかなかったはずの誉の重量感が目の前で膨らんでいくようで、怖気をおぼえる。
「俺は殺される前、春ちゃんに少しだけ期待してた。旧弊した高瀬式が情報統制できる時代はとっくに終わってた。だからその後継を作るのはきっと俺たちとは違うものだって。
 だけどきっと俺も少し夢を見すぎていたんだろうね。彼女は結局、神さまであるよりも一人の女の子だった。俺は正直、それに失望してしまった。そうなるだろうと思ってたから、俺は高瀬式の精神が存続するよう望夢を残したんだけどね」
 誉は、瑠真の知らない長い時間をあまりに全て把握している。それが話術なのか、事実なのか。瑠真は、ブラックホールに浮かんでいるような錯覚にとらわれる。
「望夢の父親の篝は感知系がとにかく強くて、死人の俺と普通に話せた。だから俺はさっさと奥さん作って息子にも感知教育をするように言った。篝自身はちょっと古い男だったから、あまり春ちゃんと渡り合えそうにもなかったのだけど。生まれた息子は狙いどおり霊感が強かったから、俺はその霊感が薄れない子供の頃のうちに、ことあるごとに高瀬式の精神を囁きかけておいた。だから望夢の育て親は直球で俺みたいなもん」
「高瀬式の、精神……」
「俺はこの世界を自由にしたいのさ」
 誉はこともなげに言った。
「しがらみに囚われ、欲で傷つけ合い、己が正しいと思う者が殺し合う世界を救済したい」
「できるわけない。何カミサマみたいなこと言ってんのよ」
「俺、仏教徒だよ。そこはよろしく。西洋の神さまの考え方とはまた違うと思うな」
 瑠真に宗教の違いなどはわからない。ただ睨み返すと、誉はとん、と自身の胸を叩いた。
「とはいえ世界をより良くしたいという想いに貴賤はないからね。ヒイラギ会の子たちのことも普通に応援してる。『みんな望んだものが手に入って、みんなハッピー』」
「もっと無理よ。わかってて言ってるの? そんなの成り立たないでしょ」
「そう、でもだから君も聞いているだろう あの子達は、みんなを幸せにして、その瞬間世界を終わらせたいんだよ」
 誉はくつくつと笑う。それは朗らかで、子供の悪戯を愛おしむ祖父母のようにさえ見えた。
「死ぬ瞬間幸せだなんて、なんて幸福」
「……勝手に押し付けないでよ、そんな理想」
「ああ、そういうところが春ちゃんと相性いいのかね 俺は個人レベルで行える救済手段の一つだとは思うけどね。まあ、個人レベルじゃない視点でできることを、本当は神の力を持つ春ちゃんに望んでいたのだけど」
 瑠真の激高を、誉はこともなげにいなして頬杖をついた。
「ここで話題を戻って、ヒント。春ちゃんには『神の力』がある。俺は高瀬式の旧支配者。高瀬式が春ちゃんと仲良くなかったのは知ってるよね」
「……」
 瑠真はとっさに話題を辿った。何のヒントだ 内容は当然知っている。だから何だ。
「春ちゃんにある『神の力』。俺はそいつで殺されたから、分析サンプルは十分。やろうと思えば干渉操作することができる。ただ今あの子の力は、半分うちのご当主の協会式能力維持に使われている。『契約』だね。春ちゃんの憎き高瀬式に首輪をつけて自分の支配下に置こうっていう、あの子なりの復讐」
 これも事実としては知っているが、それを誉がどう解釈しているかなどは知らない。春姫が私情で望夢を使っていることはなんとなく知っているつもりだった。
「その『契約』のデータもちゃんと手元にあるのさ。斎くんが頑張ってホムラグループに流してくれたからね。俺たちはそれをホムラグループから拾ってる。
 有り体に言えば、俺も同じ契約ができるってコト」
 誉はそう言った。
「……待ってよ」
 じわじわと、脳内で話が繋がり始める。世界を救済したい誉。望夢と春姫の間にある契約。
「何、する、気」
「それを今説明してるんだってば。俺は春ちゃんに神の力を渡して後悔した。その未練が俺をここまで生かした。望夢は俺の救世主になり得る視点を持っているけれど、今のところ春ちゃんの犬で、世界の上に立つ覚悟も持ってない」
 誉はひらりと手を挙げ、人差し指を立てた。講釈する優しい先輩のような口調だった。
「神を降ろすには、新たな神を産むのが一番いいと思うのさ」
 その指が瑠真に向く。
「なに……」
 息をつまらせる瑠真の、胸に誉の手が這う。びくりと全身を強張らせた瑠真の胸元に、誉の、霊体の手が、『入り込んだ』。
 本人も言うように仮想空間技術で作られているだけの体だ。痛いはずも、感触があるはずもない。なのになぜか生命の危機を感じる。触れられてはいけないものが触れている気がする。
「望夢は君のことが好きだからね。君が力を持てば、春ちゃんの時よりその制御に必死になるだろう。それが目的だから、別に俺は君自身のことはどうでもいいわけ。とはいえ俺を悪魔として生かしてくれたカノへの義理はあるしね それに、俺は人を一人使うなら、その心に敬意を払わないことは本意に反する」
 誉の声がガンガン響く。それが心理的効果なのか、既に何か異常が始まっているのか瑠真は理解できない。
「タイミングが今だったことにも必然性はあった。まずは君が治癒の能力を得たこと。その願望の根底にあるのが『戦える力がほしい』であったこと。俺はその気持ち、よくわかるよ。眼の前にある世界に触れられないのはもどかしいものな。君の場合それが戦いという概念だった。極めつけに今、とやかく言う大人はみんな太平洋の海の向こう」
 誉の手は、最早とっぷりと手首まで瑠真の胸に埋まっている。身体の中で熱が暴れ狂う。平衡感覚が上下左右どれもわからなくなっていく。
「君はとても、とても強くなるよ、瑠真ちゃん」
 誉の声が、まるで身体の繋がりから直接伝わるように聞こえる。
「壊れても、傷ついても戦い続けられるだけの力が手に入る」
 その言葉は。
 誉には伝えたことのない叫びのはずで。知っているのかなんて、今更問うのも馬鹿らしく。
 耳元で、吐きそうなほど望夢とよく似た甘い声が囁いた。
「君の願い、叶えてあげる。一緒に終わろうぜ」
 その日、フラッシング・メドウズ・コロナ・パーク西部では崩落事故が起こり、ニューヨーク地下のメトロ路線まで会場の一部が落下した。
 偶然試合中でそこにいた少年が一人巻き込まれた他は、試合相手のアメリカチームも無事に引き上げ、現在は救助・捜索活動に当たっているそうだ。
 それ以降の瑠真の記憶はない。
次>>
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thetaizuru · 9 months
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 今敏監督の映画『東京ゴッドファーザーズ』(2003)は、3人のホームレスがクリスマスの夜にゴミ捨て場で赤ちゃんを拾い、その赤ちゃんを親元へ返そうと、残された手掛かりを辿って東京を歩き回るというコメディである。  今監督の作品は、「キアスム」という構造になっている。
 「キアスム(交差配列法)」とは、互いに関連する2つの節を、より大きなやまを生むために、その構造を反転させる修辞技法のことで、2つの節が「逆転したパラレリズム(対句法、並行体)」となる形式で表される。簡単な交錯配列法は「ABBA形式」と呼ばれ、「A」「B」は文法、語、意味にあたる。「倒置反復法(アンチメタボル)」とほぼ同義で、わかりやすくABBA形式になっている短文を「リバーシブル レインコート センテンス」とも言う。リバーシブル レインコート センテンスの代表的な例として挙げられるのが、ケネディ大統領の1961年の就任演説の「国があなたのために何ができるかを問うのではなく、あなたがあなたの国のために何ができるのかを問うてほしい」というフレーズである。  倒置反復法はあくまで、順番を入れ替えた「語句の反復」であり、古典修辞学ではキアスムとは区別された。リバーシブル レインコート センテンスや、語句や韻だけをABBA形式に並べた文章は、厳密には倒置反復法であってもキアスムではない。  「キアスムス」という修辞技法の呼称は紀元2世紀のギリシャの修辞学者ヘルモゲネスにまで遡ると言われる。ラテン語形で「キアスム」となった。ギリシャ文字の「Χ(カイ)」に由来し、ギリシャ語の「キアストス」にも、そのラテン語形の「キアスモス」にも「交差する」という意味がある。  17世紀以降の古典修辞学研究では、「交差」がもたらす「絡み合い」や「入れ替わり」のような効果と、さらにはそれらが「円環」をもたらすことが注目された。そのため「キアスム構造 (キアスム ストラクチャ)」と「円環構造 (リング ストラクチャ)」はほぼ同義的に解される。ただこれも、円環構造は「交差」がなくても成り立つため、厳密には区別される。キアスムは、単一視点による一本のストーリーラインで語られていても、「交差」が現れることで、実は並走していた別の視点が提示される。  キアスム構造を説明するために代表的な例として挙げられるのが、創世記6章から9章のノアの箱舟の物語である。  創世記6章で、神は人の悪が地にはびこっているのを見て、すべての人を絶やそうと決心したことをノアに告げ、ノアに箱舟建設を命じる。7章でノアとその家族と動物たちが箱舟に入り、同じ日から降り始めた雨は洪水となり、水が地にみなぎり、地上のものはみな滅び、箱舟にいたものだけが残る。8章で水はしだいに地の上から引き、地がかわいた時に神がノアに箱舟を出なさいと告げる。9章で神はノアとその子らとを祝福し、契約を立てる。その契約により、地を滅ぼす洪水は再び起らないことを告げる。  7章で、「7日」「7日」「40日」「150日」という順番で出てくる数字が、8章では「150日」「40日」「7日」「7日」という逆転した順番で出てくる。この倒置反復形式の記述で、「人々の堕落(6章)」「世界の崩壊(7章)」というストーリーラインが逆転し、「希望(8章)」と「秩序の回復(9章)」によって円環構造がもたらされていることが示される。「交差」しているところにあたるのが、8章第1節冒頭の「神はノアと、箱舟の中にいたすべての生き物と、すべての家畜とを心にとめられた。」という文であり、神の慈悲とノアの信仰は、洪水の前後で変わらず、一貫性があることが示される。6章で神が「わたしはあなたと契約を結ぼう」とノアに言い、9章で契約が立てられるというのは、円環構造であると同時に一貫性に貫かれている。  キアスムは聖書によく見られる修辞構造である。
 19世紀以降のヨーロッパの近代文学は、この「交差」を排し、自己完結性を追求する形式が主流となっていく。  20世紀のロシアの文芸学者ミハイル バフチンは、こうした自己完結性を追求する形式をモノローグな構成として批判し、その対比として「ポリフォニー」という言葉を用いて、ドストエフスキーの小説の画期性を、登場人物達のそれぞれが多面性を持った独立した主体として振舞い、それぞれの間に対話が成立することで、小説以外のジャンルでは表現困難な、現実の多次元的で多視点的な表現が可能になっていることだとした。  またバフチンは、シニカルな社会風刺と笑い、聖と俗の交わりや交代、変装、両義性などの特徴や、価値倒錯の世界を創り出す効果を持った文学を「カーニバル文学」と呼び、ドストエフスキーの文学を、古代より続くカーニバル文学の系譜に位置づけた。  バフチンの言う「対話」は、哲学的な概念でもあり、「私」と「私の中の私でないもの」の絶えざる交換の調整や、すでに存在しているものと未だ存在していないものとの絶えざる交換といった意味が含まれる。  バフチンは、真理は特定の視点によって表現できるものではないと考えた。それは、一つの作品である以上、ポリフォニーであってもカーニバル文学であっても同じだし、どれだけ大量の情報をどれだけ正確に解析してもそうだし、そもそも人は自分という一つの視点しか持っていない。ただ、ポリフォニーには世界には常に複数の視点や複数の対話が並走していることを示せる可能性があり、真実は虚偽に対するパロディーの中に響くことがあり、極端に誇張され意味を喪失した虚偽が真実を垣間見せる可能性がある。  近代文学の主流形式となった閉じた自己完結性は、近代社会が目指した合理性の反映であり、社会にアイデアや意見を提示する際に求められる手続きや形式である。その形式には、登場人物の主観に読者を巻き込もうとする内容であっても、作者の主観的な考えを主張する場合においても、客観性と公正であろうとする態度が求められる。  バフチンの文芸批評は、それまでの文芸批評のあり方を批判している。登場人物と対等の立場で論争してしまうような研究では、作品全体の構造を捉えることはできず、また、その分析内容も、登場人物か作者のイデオロギーの分析になってしまう。バフチンは、その作品が書かれた当時の社会状況に照らして、その書かれた内容が画期的だったかどうかという考察は、歴史学や社会学などの範疇であって、テキストそれ自体を捉えたものではないと考えた。  作品と作者、フィクションと現実を混同しすぎたり、あるいは乖離させて、どちらかを上位、もう一方を下位と捉えるのでは、その境界で絶えず起こっている「対話」が無視されてしまう。  この「対話」という概念は、20世紀の哲学者、現象学者のメルロ=ポンティが「キアスム」と呼んだ概念に似ている。  メルロ=ポンティは、「キアスム」という言葉を、知覚や知覚の主体である身体について考察する際の哲学的な概念として使用した。「交差」や「絡み合い」と訳される。「見るものと見られるものが相互に可逆的に侵蝕し合っている状態」や「転換可能性」のことを言っていると解説される。精神と肉体、主体と客体という、二元論的分離を回避するために生み出された概念で、主観と客観が融合したような状態のことだと説明される。
 今監督が全作品に共通する主要なテーマとしている「虚構と現実の混交」は、キアスムに似ているが、それを円環構造の中で描いたものが必ずしもキアスムになるわけではない。  日常と非日常の融合を描いた作品は、今監督の作品も含め、「マジックリアリズム」というジャンルに分類されるが、マジックリアリズムとキアスムは、修辞技法としても、概念としても、違いがある。  『東京ゴッドファーザーズ』には、見た目にわかりやすいモチーフとしての虚構や非日常は描かれていない。そのため今監督の作品の中では珍しくマジックリアリズムではない作品と言える。社会の周辺的なキャラクターが描かれ、あり得ないような偶然の連続による物語展開が続くが、リアリティは非日常やファンタジーとは言えない範囲に保たれる。それがむしろ虚構と現実の境界の曖昧さを際立たせ、揺らぎを作り、キアスムを生んでいる。  虚実混交の手法と、それだけに留まらない不思議な効果についてインタビューで聞かれた今監督は、まずアニメであることを挙げ、リアリスティックに見える風景や人物が、ふいに絵という虚構であることを露わにしてしまう瞬間を描いていることを挙げている。  キアスムは、倒錯や混乱を経て秩序を回復するというカーニバル文学的で祝祭的な価値転倒と、宗教的で信仰のような一貫性を同時に求め、しかも、自分の虚実を転倒させて露わにするというような二重性を、対話を成立させるために、他者にも求める。強制的だと対話として成立しないため、ある意味偶然のように成立する。  『東京ゴッドファーザーズ』は、「意味のある偶然の一致」をテーマに、「科学の論理兵器によって異界へと押しやられた『奇跡と偶然』を健全に回復しよう」という試みで制作されている。物語を展開させる偶然の連続も、いかにもありえそうな現実味と説得力をもって描かれているが、ご都合主義的とも言われるような虚構であることを、エアコンの室外機や窓などを目や口に見立てた「顔のように見える風景」などをところどころに配置するという仕掛けで、こっそりと二重に暴露する。その虚構の暴露を偶然発見するたび、手法、形式、内容、そして表現の目的や動機までが、一貫性に貫かれているように思えてくる。  コメディタッチなかけ合いで、赤ん坊を捨てた理由を聞くために始まった親探しが、自分が社会を捨てた理由、あるいは社会に見捨てられたと感じた理由を自問する旅へと変わっている。クリスマスから正月までの祝祭ムードに照らされた街の、変わらぬ日常が続く影の側で、ドタバタ劇が歓喜に変わる。劇中劇で始まり、プロローグのようなシーンで終わる。
 「ミッションドリブン」という言葉で���い表される、使命に突き動かされてるような一貫した行動や、行動と発言となんとなく感じられる精神性のようなものまでが一貫しているように思える人からは、インスピレーションのようなものを感じる。これと、皮肉なことに、と言っていいのかわからないが、皮肉めいた批判として、似たようなニュアンスで「予示的政治」という言葉が使われる。もとは1970年代後半に左翼運動の中で、それまでの運動を反省し以後の運動のあり方を示すために使われた言葉らしい。社会運動が達成する目的は基本的に、その運動が採用する手段によって形成されるので、自分たちの運動のあり方によって目的である作りたい社会を予め示すように、手段と目的を一貫させた運動をしていこうという考えのことらしい。つまり、嘘と暴力で作られた体制に嘘と暴力以外のものを求めても無駄なことはお前らの方が前から知ってたんじゃないのか、というニュアンスでネタとして最近使われてた。  奇妙なことに、ある種の転倒から秩序の回復を求めているのは、色んな都合で色んな分け方をされてる人たちのどちらの側も同じで、科学の論理兵器によって異界へと押しやられた偶然の健全な回復を願っているのは、とりあえず都合の悪いことは全て論理もろともぶっ壊して因果関係不明の偶然だってことにしている人たちもなぜか同じである。本当に奇妙なことに。  そもそも誰なのかも知らずに引き倒した銅像とかの上で、持続可能性のために今まで続いてきたもの全部やめるか金出せとか叫びながら、ボイルした頭が自分と世界をはき違えるほど転倒しているし、分裂症的な世界の中にも奇妙な一貫性は存在している。  意味はパンに塗ったバターのように文の上に塗られているのではないし、偶然は、それだけでは存在できない。
2023年8月 サマリタン リターンズ サマー
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nakiselu · 1 year
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武蔵野音楽祭2023
ハロー、僕は元気じゃないまま、まだ生きてます。
メイン会場でリストバンド交換後、もっとも早い開演時間且つ行った事の無い曼荼羅2という会場へ あんた何かというバンドを観る予定だったが、場内の客層があまりにも耐え難く、 急遽少し遅れて開演するすごいバンド名にしたかった。という名前だけ知ってて気になってたバンドの方を観た。 上記の道中ですれ違った只者でない感じの全身赤タイツ男が此処のドラマーである事が発覚。 ギターはゴスロリ女装士、ボーカルはマスク着用のままの歌唱でラウドに面白歌詞を歌うアラ天に近いような感じで、途中でサークルモッシュが始ったところで離脱した。
四丁目のアンナ ベース脱退後に観るのは初めて。 元々音的な事はよくわかってないし、フロントマンでもなかったから比較的違和感なく観れたかな。 結局最も無難なトップバッター候補を頭から観れる感じとなり、 此処で直前キャンセル出演者の穴埋めの為、アラ天が3ステージ、必然的に谷口氏が4ステージな事を知る。
STANCE PUNKS 3年ぶりの3回目にして遂にノーボーイ・ノークライとモニー・モニー・モニーを両方やってくれるというしかも半分人間まで・・・過去2回もどっちかはやってくれたけどにわかファンとしてあまりに嬉しくて2組目にしてこの日のゴールに来たかのような錯覚をするほどだった。
Haze P2H、BRIT BANQUET、SWANKY DANKで観てて最近は藍坊主とかもやってるドラマーのソロではなくて ヘイズという読みのバンドらしい。 どうやらボーカルの人がパワハラ発覚があってもしぶとく活動してる大森靖子絡みのグループ上がりのようで、一応鬱ロック系? 天然?キワモノ?で売りたいのかこの日のライブが何処(地域)でやってるのかをのっけから忘れ、終盤に思い出す?という大技を繰り出してたが、あまり良い印象とはならなかった。 ベースの人が1曲歌ってた気がする。
アラウンドザ天竺 3ステージ中の2ステージ目で本来の出番の為、この日の一軍のセトリとの事。 面白いのは面白いんだけどほぼ制限無しの状況で僕みたいのが彼らを観る難しさを改めて感じた上に 個人的に超危うい曲が誕生してたから、今後は積極的に観る事はないかも・・・
終活クラブ 年末にソロを観てまあまあだったからバンドの方も観てみようと行ってみた。 こりゃまた印象が違ったけどそれはそれでも同じくまあまあ良いかもなんて思った。 次の機会はタイミング次第かな。
THE LET'S GO' s コミックバンドみたな名だが元気系のガールズバンドだった。 メンバーチェンジを繰り返しつつも十数年の活動歴があるようだ。
ウマシカて 臨場感の凄い近距離会場、4回目にしてやっとこさベスポジみたいな所で観れたけど それでも目線のやり場が難しいなと。 ガッツリ観たくて観れる状況ではあるけれど目線が合うのは避けといた良いかなと 距離が違い分、キョロキョロし過ぎて落ち着かなかったというか。 でも視界に他人の姿や障害物が一切ない状態ってやっぱり極上。 当然、演奏の迫力とか質感も普段とは違く感じるわけでいつもの曲達をいつも以上に堪能出来た。 そして次の出番の白昼堂々踊レ人類のドラムの衣装がジュラシックパークで、まさかのジュラックワールドとのリレーみたくなってたのがちょっと面白かった。
KNOCK OUT MONKEY イナズマロックフェス2011オーディションのい時以来のなんと12年ぶりの2回目。 当時、聴き易めなミクスチャーな印象だったが今やあのビーングに所属して実力派ロックバンドとしてバリバリ活動してるらしい。 ツーステ乱発に耐え兼ね、途中離脱・・・。
川本真琴 葛岡みち & 宮原祥子(やぎO)とのトリオの予定が変更になって ギター植野隆司(テニスコーツ)との二人編成だった。 さだまさし級に話が長く、さらにその内容はワイド―ショー賑わしてたのも納得な意味不明気味の内容だった。 歌声は売れてた時のまま、本物感が凄かったけどヒット曲は披露せず、 勿論各演者拘りがあってそうするのだろうけど惜し気もなくメジャー期の曲を披露してくれたスタパンとどうしても比べてしまう・・・
ザ・マスミサイル 3年ぶり。 元々ウマシカてで帰ろうかとしてたけどちょっと休んで復活したから延長戦的に他も観に行って、 最後の予定の川本真琴が何とも消化不良気味だったからすがる様に最後に観に行った。 望み通りの熱量を感じられて、終わり良ければ総て良し、みたくなった。 疲労感の中で足を延ばして良かったなと。
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m1sak1momona · 1 year
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JGmomentⅠ
twitterのモーメント移植
囈【たわごと:筋道の立てない言葉、寝言】自分めも 
自分の頭の中と、知識前提でこぼしてるからはたから見たら伝わらないし齟齬しか生まれそうにない
変装がうまいひとが化粧してあげるのほんとすきなの………でも首化粧とか死化粧とかもいい題材ですよね………
まぁ時代錯誤なんですけどね、生首は……でも死体偽装やってそうだからありです…?
にんたまで某変装名人が変装には観察が必要、だから日頃からスケッチをして観察力を鍛える~ってあってですね、絵がうまいんですよ、つまり変装がうまい人は絵がうまいんですよ、……言いたいことわかるな?(という顔
今更だけど舞台OPのとこで田崎さんが福本さんにのとこ二部の伏線かな…
福本さんの潜入先としてどこかの定食屋の厨房とかもやってるかもね
多分ね、日本にいる間は料亭の厨房とか旅館の厨房とかにも出入りしてたと思うんですよね
福本さんの料理帖みたいなのもつくりたいきもちだけ
高身長いかしてモデルやってる福本さんとぼくさーの傍ら減量レシピ本だしてる福本さんとイケメン料理研究家として料理番組と雑誌連載もってる福本さんっていうネタがある(備忘録
まつげが長い&まっすぐ&伏せがちな人の目にはハイライトが本当に入りにくいのでみよさんはそんなイメージ
ゆうきちゅうさ(現パロだと何かすごくて偉い人)の隣にいつもいるイケメン敏腕秘書っていうネタもある
和装のときの色合いといい黄色いレインコート・傘が、もしはたのさんご自身で選んでそれなのだとしたらはたのさんは致命的な部分がおわかりですね
自分の中の過去考察がないと脈略無さすぎるんだけど「揚屋のおねえさん方に遊ばれた(化粧、お着替えなど着せ替え人形てきな)のがきっかけで女装に抵抗がない」というのを踏まえた実井くんを描きたい
かえる場所はどこにあるのか。 いや、そんなものなど葬った。 待っているのは真っ黒な孤独だけだ。 帰る、還る
軽率にきりすと教における白百合の意味など調べてしまい、柩の献花としては普通なのだけれどこっち側が勝手に考察深めてしまっているのでみよさんはピエタやってほしいし、修道女だけどべるにーにの聖テレジアの法悦やってほしい
演者を演じる、というのも好き
あの学生集合写真も合成出きるんだなってわかりました
「必ず救うの軍なきものは必ず守るの城なし」:援軍のくるアテのない城でがんばっても、落城は時間の問題ということ。
「彼を知り己を知れば百戦して危うからず」中国の兵法家・孫武の言葉。戦いに勝つには敵をよく知り、自分の力を正しくつかんでおくことが何より大切ということ。 
猫の目時計:猫の瞳は薄暗い夕方になると、まん丸になる。忍者はこうした猫の瞳の変化で時刻を知ることが出来る。 教養なき���びは滅びる
任務でペアくんで主従してるのもみたい(の名残が執事
者で学んだことがスパイにあてはまりまくるからやっぱり忍術の勉強したっての本当だよ?!?!?!???ってなる
戦の規模が大きくなればなるほど事前の調査ってものが必要になってくるでしょ、戦に勝つのは敵より情報収取が優れている場合です(事件の本質の段/庄・乱 メモ
最初のスーツを仕立ててるところもみたい、きんぐすまんみたいな…あーいう…かんじ…
それはそうと軽卒にきんぐすまんパロも、考えたりはしてるんだけどえぐじーとほまた逆方向の愚直さである佐久間さんは正義感でつっぱしるかんじなかな、と
和装の時に軽卒に極道ぱろを考えたりしてたんだけど純真に極道にそだってしまったさくま坊っちゃんもよい 。考えてたのは極道の家で警察官をめざすさくま坊っちゃん……。 和装からの軽卒ごくどうパロのチャートをかるーく考えているので今日はそれをもう少し練る()それはそうと機関員の背中に妖怪背負わせたい(墨でもすたじゃん刺繍でもよい
1話みるとなんで背の低いやつに天井裏~のこめんとが流れたりするんだけど背が低いから天井裏なんて狭いところ点検するんやで…( ˘ω˘ )って毎回なる。別に高いところは跳躍なり腕力なり梯子なりで上れるからな
盆栽にやさしいのはあの数の盆栽あったら家1軒買い替えるよりも高くつくからなんだろうなと思うのです…とくに自分で世話・といよりは作家から(もしくはコレクターから)買い付け⇒維持という意味での世話してそうなイメージ
軽率に忍びの卵とすぱいが脳内でお話しするんだけどスパイとして生き抜いたcvしものが影が薄いことを悩んでいるcvしものにうらやましいな、ってよく言ってる。 すぱいのほうのcvかじはにんじゃのたまごのcvかじの笑いどころがわからなくてすぐツッコミ役になってる
それはそうと機関員たちの見分けつくようになったよな~とか考えてたけど軍人とか学生(当時の)になったらそれこそ見分けつかなくなるわけで、あの時代だったら個性ありありじゃん~~~~って思い直しました(?)
あの姿(見目麗しい・洒落ている)をデフォルトとして印象付けといて、変装するときに一般的な外見にすることで同一視を避けてる感じなのかもしれないな…
今の感覚だと地味で終わってしまうかもしれないけど当時の感覚だと違うよね、スーツ一式仕立てて、ほぼ毎日で、そんな若い男性が複数人いるわけで
機関員世界線の現代なD組記憶もち転成ぱろで、機関員時代の記憶のせいでうまくいきができない機関員のそれぞれの子供時代~みたいな話が!よみたい!のでしっていたら教えてほしいです……(五体投地)にん…のたまごたちの二次だとたまにみかけるので……ありませんか…
自分の体にきすまーくつけられることは厭わないのに唇は奪わせない機関員…などをかんがえた
色の任務はするけどのらりくらりと唇にはしないしさせないんだァ…相手(女性だとして)にも「こんな男にあげちゃだめだよ」とか言ってそうだな~(キャラ指定はしてない)
機関員のうなじにバーコードつけたい
化物として生まれたのか、化物として育っていったのかというお話
愛される人を演じるのは得意なんですよ、(愛なんて知りませんけど)って機関員に言わせたい
在りし日の己を「友人」とか「隣人」とか言いながら話す機関員の物語よみたい
遠近法?で手で顔かくすやつやってほしい
絶対見せてくれないだろうけど機関員の瞳からつたう涙がみたい…かばーによってはわらうしおこるしかなしむだろうけど涙は見せないんじゃないかな
普段着で派手柄シャツきてる機関員がみたいんだよ~~(この呟きには友達と現代においては忍ぶ必要がなくなった機関員たち、という概念が含まれています
機関員たちはカバーを変えてるけれど、「彼ら」のカバーそのものは何も変えずに、人によって感じる印象がかわる、そんな鏡の様な彼らも見てみたい。
「僕らが変わったように思うのならば、それは貴方が変わったのですよ。」「僕らは何一つ、変わることはありませんから」
莫迦なことを言う。人間である以上不変であるはずがないのに。…………しかし、彼らは「人間」なのだろうか
唐突に脳内のはちやさぶろうが脳内の機関員たちに「いちいちカバーなんて作らないで別人に作り変わればよくない?」などといい放った……変装名人め
機関員の心臓抉り出しても死にそうにない感じ書きたい(死にますよ)
めも→風船、現像室、かめら、はーばりうむ、ぱずる、椅子
人はどうしたら神なくして聖者になれるか
あめ…かみなり…のなかに機関員をほうりこみたい(ひどい)
大きめ、派手めの耳飾りしてる機関員みたいな~爪塗ってるのもみたいんだけどさ~
手鏡、化粧台の鏡、姿見、あわせ鏡、無限回廊な大きいあわせ鏡(鏡の間)、ひびの入った鏡、鏡の破片、かーぶみらーなど
からばっじょのなるきっそすな三好とかも描きたいな
軽卒に探偵か詐欺師か強盗をやらせたい(トリックを考える頭がない)
自分の知ってる限りの料理番組の要素まぜこぜにしたふくもとさんの料理番組パロを考えてはいるのです、漫画描けないから……
は~~~満面笑顔の機関員描きたいな!!
死ぬな殺すな囚われるなでございますけれど、夢の中とか脳内で気に入らない、とか眼中にないとかそういう周囲の人を殺してる機関員の話みたい!
問答、過去を惨殺、耄碌して記憶混濁、糸が切れて落涙、アンデッド生きる屍生者の葬列死者の誕生、カバーと素顔彼が俺だった、人間化物、火遊び めも
顔に?似合わず雨で偏頭痛ひきおこす神永さんとか、雨の匂いがするねっていう甘利さん
禁断の果実としてのリンゴ、黄金のリンゴとしてのオレンジ(マルメロ、毒リンゴとしてのトマトとか描きたい
血濡れには基本ならないはずの機関員さんたちをどうにかこうにか血濡れにしたいのと前言ってた頭の中では殺戮犯とかワインとかも描きたい
「だって頭の中(ここ)では僕がカミサマ」
「人を殺したことがあるようなことをいうね」 「馬鹿言わないでくれ、不殺の誓いをたてているんだ」
化物の自覚があるのか、化物と言われたことがあるのか、化物を何と心得るか、化物でいることの自負心、反対に化物でいることの羞恥があるのかとかとか
間諜は生への執着が大事なんですけれども、すぐ生死への冒涜のようなことをさせてしまう許して
生き急いでるか、死に急いでいるのか
任務中にどこに住んでるの?的なニュアンスの「どこに帰るの?」という問いかけに「帰る場所なんてないんだよ」って笑顔で返す機関員さん
かれらは多���人格者…意識的だからカバーといえるのだろうけれど。耄碌してきてから自分が「誰」なのか混乱してほしさある
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gifgifk · 1 year
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a-space-opera · 3 months
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team-ginga · 2 years
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映画『機械仕掛けのピアノのための未完成の戯曲』
 我が師、辰さんこと島守辰明さんが演出したピッコロ劇団の『三人姉妹』についての論文や学内の仕事でバタバタしていて、このブログともしばらくぶりです。
 その間いろいろなこともありました。
 私は出不精で夏休みといっても家にいることが多いのですが、今年はなんだかんだで天王寺の大阪市立美術館へ17世紀オランダ絵画展を見に行ったり、淀川の花火大会へ行ったり、中之島美術館へ岡本太郎展を見に行ったり、神戸・元町のフレンチレストラン「イグレック・ヴェガ」へ行ったりしました。
 映画は……3本見たかな。『機械仕掛けのピアノのための未完成の戯曲』と『ドラグネット、正義一直線』と『ルームロンダリング』です。
 『機械仕掛けのピアノのための未完成の戯曲』はニキータ・ミハルコフ監督のソビエト映画ーーソビエト映画と書くと、書いた自分もちょっとびっくりしますが、1977年の映画ですから誰がどう見てもソビエト映画です。
 私はこの映画を大学生の時にNHKか何かで見て衝撃を受けました。それから大学院生の時かな、大阪のどこかの劇場で上映していたので見に行きました。
 すごい、素晴らしいとしか言いようがありません。
 ニキータ・ミハルコフの映画はその後、『太陽に灼かれて』三部作ーー『太陽に灼かれて』(1994)、『戦火のナージャ』(2010)、『遙かなる勝利へ』(2011)ーーや『12人の怒れる男』(2007)を見ましたが、私のお気に入りは断然この『機械仕掛けのピアノのための未完成の戯曲』です。
 私は最初、何の予備知識もなくタイトルに惹かれて見たのですが、無性に好きになりました。それもそのはず(なのか?)、この映画はチェーホフの複数の短編小説にインスパイアされて作ったものだそうです。
 舞台となるのは田舎の貴族の邸宅ーー母親と息子(出たがり監督のミハルコフが演じています)が住んでいるのですが、息子が最近結婚したということでそのお披露目なのでしょうか、親戚なのか友人なのかわかりませんが、お客がわらわらと集まってきます。
 その中にミハイルという小学校教師の男がいます。ミハイルは屋敷の息子の新妻ソフィアを見て愕然とします。学生時代付き合っていた女性だからです。
 ね、ワクワクする状況でしょ? 7年前、都会(おそらくはモスクワ)で大学生をしていたミハイルは学者か作家になることを夢みており、ソフィアは女優志望で二人は激しく愛し合っていました。
 ミハイルはその後、大学を中退し田舎に戻って結婚して小学校の教師になりました。
 残酷な話です。
 私はもちろん小学校の教師が悪いなどというつもりはありません。尊い職業だと思います。
 でも……ロシアを代表するような学者か作家になりたかったミハイルからすれば到底満足できるはずもありません。彼はそれをなんとか誤魔化し、自分をうまく納得させて田舎の退屈な日常を生きてきたはずです。
 それなのに突然、若き日の幻が彼の前に現れたのです。動揺するなという方が無理じゃありませんか。
 ミハイルが客人たちの前でギターをつまびきながら、最近読んだ小説のストーリーと称して「二人は愛し合っていた。しかし、女はある日、しばらく街を留守にすると言って出かけた。そしてそのまま戻ってこなかった」とソフィアと自分の過去を語るシーンは実に見事でした。
 夜、花火を見に外に出たミハイルとソフィアは抱き合いキスをします。ソフィアの夫はそれを見てしまい、母親のところへ行って(結構マザコンなのです)家を出ると言い出します。
 ソフィアの夫に見られたことを知ったミハイルは、もう何をどうすればいいのかわかりません。彼は川縁をさまよい、明け方ようやく屋敷に戻って来ます。すると屋敷の外でソフィアが彼を待っています。
 「二人で逃げましょう。そして新しい生活を始めましょう」ーーソフィアはミハイルにそう言います。
 ミハイルは「だめだ」と言い、「僕はもう35歳だ」と言います。
 「え?」と思う人もいるでしょうね。折角愛するソフィアがそう言っているのにそれを断る理由はないはずです。その部分が説明不足だと言えばその通りです。
 でも……私にはわかるような気がします。人は今の自分の生活に不満を持ち、愛する人と新しい生活を始めることを夢みていても、いざその夢が叶いそうになると怖くなるものだし、「もう遅すぎる」と思うものです。
 今の日本の基準からすれば、35歳なんてまだまだこれからじゃないかとも思いますが、そういう問題ではありません。ミハイルにはもう自分はダメになってしまった、どう転んでも新しい生活などできないという思いがあるのです。
 錯乱したミハイルは屋敷に入って、何やら叫びながら家中の人間を叩き起こします。ミハイルはそのまま川に向かいます。驚いた妻は彼の後を追います。
 ミハイルはそのまま川に飛び込みます。
 でも……川は浅くて腰を打っただけです。駆け寄ってきた妻に抱き抱えられながらミハイルは岸に戻ってきます。
 情けないといえばこれほど情けない話はありません。でも、それが人間というものだーーこの映画はそういう人間の愚かさと切なさを描く実にチェーホフ的な映画です。
 ミハイルもソフィアもソフィアの夫も一晩の間に実に多くの、そして大きな経験をしたはずです。でも、翌朝になれば何も変わらないーー全ては一夜の夢だったという虚しさが私は好きです(ソフィアの夫は家を出ると行って馬車を用意させますが、結局馬車の中で眠り込んでいます。おそらくソフィアと元通りの生活を続けるのでしょう)。
 ラストはそれまでただ画面の隅にいるだけだった少年が眠っている姿が映ります。朝日が差し込んで眩しいのでしょう、少年が寝返りを打ち向こうを向くところでおしまい。
 昔NHKで見た時には解説者がいて「大人たちはもうだめだけれど、この少年はこれからどうなるかはわからないということをこのラストシーンは示しています」と言っていました。
 その通りですね。
 また、この映画の素晴らしさはそれだけではありません。この映画は1時間半ほどなのですが、よくこれだけ詰め込んだなあと思えるほど、いろいろなものを詰め込んでいます。
 例えば客人の中にずっと新聞を読んでいる男がいます。ほとんど喋りません。ところが夕食のとき、別の客人が「文化というものは貴族が作るものだ」、「今のロシアでは平民が幅を利かしている。けしからん」と言うと、彼は立ち上がり「私は平民です。でもあなたたちが食べているこのご馳走も、このランプの油だって私が買ったものだ」、「私の親父はこの家に入ることさえできなかった。でも私はここで大きな顔ができる」と言います。
 貴族として贅沢な暮らしをしていてもその内情は火の車ーー現実には金持ちの平民に資金援助をしてもらわないと何もできないのです。まさに『桜の園』ですね。
 また、屋敷の女主人はある金持ちの老人に求婚されています。老人と結婚すれば経済的な問題は解決するはずですが、女主人は老人を馬鹿にしています。
 女主人はミハイルと愛人関係にあること(ミハイルはそういう俗っぽい男なのです。そういうところも私は好きです)を知った老人はミハイルに抗議に行きます。しかし、ミハイルはソフィアのことで頭がいっぱいでそれどころではありません。
 ミハイルの不品行を非難する老人に対してミハイルは「あんたはお行儀がいいんだろうな。でもあんたは不品行をしないのではなく、できないだけだ」と言い、そのまま楽しげに歌を歌いながらどこかへ行ってしまいます(楽しげにと書きましたが、そこには狂気すら感じさせるものがあります。そういうところも好きだな)。
 チェーホフの群像劇を意識したのでしょうか、時間にすれば非常に短いのですが、そんなふうにワキの人物にもストーリーを作っているところが素晴らしいと思いました。
 『機械仕掛けのピアノのための未完成の戯曲』は素晴らしい映画ですが、残念ながらAmazon PrimeでもDMM. comにも上がっておらず、見るのが難しい映画です。
 私自身は結局Amazonで中古のDVDを購入し���見ました。
 素晴らしい作品ですので、是非何らかの方法でご覧ください。後悔はしないはずです。
追記:  『機械仕掛けのピアノのための未完成の戯曲』というのはずいぶん変わったタイトルですが、屋敷の女主人が新しいピアノを披露し、客人の前で使用人に弾かせる場面があります。  「なぜ使用人ふぜいにピアノが弾けるのだ」と客人が驚いていると、使用人はピアノを離れ立ち上がります。でも音楽は続いています。つまりそのピアノは機械仕掛けで自動的に演奏するものだったということです。  「機械仕掛けのピアノ」というのはそこから来たものと考えられます(え? じゃあ「未完成の戯曲」はどこから来たのかですか? さあそれは……)。
追記2:  ピッコロ劇団の『三人姉妹』ではラストシーンで乳母車から赤ん坊を抱き上げたアンドレイに明かりを残していました。  「ああ、辰さんは『機械仕掛けのピアノのための未完成の戯曲』に影響されて、そういう演出ーー三人姉妹やアンドレイやチェブトイキンやクルイギンには明るい未来などありえなけれど、生まれたばかりの赤子にはまだ未来があるかもしれないということを示す演出をしたのだな」と思って、辰さんにそう言うと、「え?」と怪訝な顔をされてしまいました。
 あ、違ったんだ。
 でも、影響はないとしても、意味するところは同じだと思います。
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toshiki-bojo · 2 years
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俊樹五百句
虚子の「五百句」と対峙したい。虚子はそれを五十年ほども掛けたが、この作句期間は一週間に過ぎない。出来不出来以前にこの名著なる存在と対峙したかった。俳句の存在意義だけがこの試行錯誤の源である。短い人生である、我が愚行を是非批評して頂きたい。
坊城俊樹 令和4年8月
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弔ひの夜に横たはる暑き襤褸 浮浪者の襤褸に星降る夜となりぬ 弔ひの夜の白服なる異形 弔ひの杖に樹海の町暑し 浮浪者の眠る窓とて朧なる 夏の灯のまたたき琴座鳴るといふ 幽霊や露台に支那の戦没者 幽霊の招く小路の風死せり 夏の路地女幽霊絢爛に 星の降る夜へ英雄の霊かぎろふ
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国士無双あがる男へ星流れ 夏の夕遺族は骨を探索す 夏夕べ黒き連鎖の遺族たち 遺族らは夜より黒し星流れ 哀しさは真夏の盆へ地震きたる 地震の町に吠える家守の夜でありし 恋人も濡れる家守の夜となりし 母死して星も死すてふ家守の夜 家守らの目の爛々と星見上ぐ 家守らに昭和の記憶ありにけり
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金色の家守は母の野望とも 父がつけし渾名の犬へ星流れ 大蛇の我が天井を護りたる 姫蛇の碑へと真夏の夜の夢 蛍火に意思といふものありにけり 山泣くも山笑へるも蛍へと 犬死して総理も死して蛍へと 一億の蛍の一つ死してをり ほうたるの火に照らされて万華鏡 ほうたるの乱舞を待てる半旗かな
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火蛾ひとつ火焔の中を舞うてをり 蛍来る夜は両親へ星降る夜 死ぬ匂ひして晩年の蛍籠 怪しげな教会へ入る蜥蜴かな 万華鏡の色の蜥蜴や月を追ひ 猊下そは百歳に死し蜥蜴また 猊下死す百一の星流る夜を 猊下逝く蜥蜴は天の星仰ぐ 猊下逝く十の契りを夏の夜に 総理逝きしばらく夜の火蛾として
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猊下逝く祇園の夏の夜の契り 星流る方へ杖つき神楽坂 夏の夜の三味の灯しは籠もらざる 懇ろに幽霊を待つ簾上げ いつも見てゐて見てゐない裸かな 貪りて夜の怨霊の裸とも 風通す裸の窓をすべて開け 恩讐もある傷跡の裸体とも カンバスに幾何模様なる裸体 日当たるとやはらかくなる裸体かな
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陰翳の裸の体囁ける 因果なる裸体を褒めてゐて死せり 裸体なる女カオスの縮図とも 茅舎忌の我を白痴と思ふかな ヌードデッサンせんと孤高の茅舎の忌 茅舎忌といふ忌まはしき忌なりけり 俳壇に生けるも死ぬも茅舎の忌 茅舎忌の猿股を日に干してあり 金剛の露現今の茅舎ゐて 口唇に薬挿し入れる茅舎の忌
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河童忌の屋根に墜ちたる龍之介 河童忌といふ祝祭のやうなもの 蚕豆に天使の翼ありにけり 蚕豆の妻の故郷はカタルーナ 蚕豆といふ処女作のやうなもの 蚕豆を剥き深緑やや遺憾 蚕豆の筋のあたりを背骨とも 蚕豆のやうな赤子を授かりし 蚕豆とは一卵性双生児 バンクシーの絵は白黒に夜の秋
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我が瞳孔まもなく朽ちて夜の秋 丑三つのマンゴーゆつくり熟すなり 丑三つの蜘蛛透明な糸を吐く 斬られる待つ丑三つの熟柿かな 愚かなる夢の中なる熱帯夜 しづかなる女の舐める熱帯夜 黒蛇が白蛇を呑む熱帯夜 括れざる腰振る真夜の熱帯を 母さんが父さんを呑む熱帯夜 口唇を襞と思へる熱帯夜
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熱帯夜朱き口唇とて腐臭 熱帯夜とはずぶ濡れの吾子の夢 峠路に幽霊を待つ月見草 裏切りの美人薄命月見草 月光やちやん付けで呼ぶ影法師 月見草火星より木星が好き 月見草路地の子やがてゐなくなる 星の降る夜はひとつきり月見草 月見草恐らく祖母は浮気した 新婚の路地の匂へる月見草
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日覆を立てる穴とて深淵に 日覆のおほひて赤子腐敗せり ビルよりも高き日除けを��てにけり 男一人日除けを出でず老いにけり 裸族らし我が家の下の夫婦かな 裸にて人に逢ひたく皮を脱ぐ しづかなる蛇しづかなる自死をせり 蟻と蟻獄を出でたる如出逢ふ 灯の蟻といふ見当たらず羽蟻とす あの蛇を保育園へと見失ふ
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青条揚羽より高き蝶のなき 金輪際黒筋揚羽見失ふ 黒揚羽より正装の男かな 瑠璃揚羽祖父の遺墨を飛び立てり 暑き電線暑き電線と出逢ふ とぐろ巻く蛇地境を管理せり 大いなる物の崩れががんぼの死 青き星流れて白き星流れず 蟷螂と格闘をして日記とす 暁に麦飯を食ふ祖父の髭
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亡霊が炊いた麦飯吾れのため 麦飯の茶碗に描くただの柄 麦飯に卵二つの豪華さよ 麦飯を母は嫌がり父も嫌がり おばQを見て麦飯を食ふ至福 箸は茶で洗ふ麦飯たひらげて 麦飯を父は食はずにバタを食ふ 麦飯といふ軍縮のやうなもの 麦飯にのりたまかけて邪気かけて 仏教にあらず神道麦飯を食ふ
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麦飯を御霊に捧ぐことならず 麦飯で鉄腕アトム見てをりぬ 昭和三十六年の麦飯豪華なり 麦飯といふ神道のやうなもの 瑠璃鳴くや御霊のやうな声溢れ 神域を歌へる瑠璃のすきとほる 殉職の御霊へ瑠璃の鳴きにけり 銃弾に斃るるときに瑠璃鳴けり 天照大神きて瑠璃鳴かせ 天辺の虹の上より瑠璃鳴けり
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虚子とのみ彫られし墓へ瑠璃鳴けり 坊城家六代目へと瑠璃鳴けり 勾玉の青のひとつは瑠璃の声 瑠璃何か喩へてみれば金剛に 夏燕折り返し来る消防署 三次元を四次元に斬る夏燕 生れ替るなら岳麓の夏燕 青空を巻き込んでゆく夏燕 夏燕鏡を斬りてさかしまに 天辺に仏来給ふ朴の花
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朴の花白く翳りて懇ろに 朴の花の中に釈迦尊をらざりき 虎尾草に毛並のありて逆立ちて 虎尾草の揺れて待ちたる未通女かな 金輪際虎尾草と縁切ると言ふ 虎尾草の先くねくねと蠅を追ふ 梧桐に影といふもの濃かりけり 樹海めく梧桐たちに迷ひたる 梧桐を仰ぐ超高層仰ぐ 梧桐の葉とは天狗の団扇かな
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梧桐やブランコは立ち漕ぎ続け 梧桐の翳に不良の煙草吸ふ 梧桐に青春である疵を彫り 梧桐の伐られ虚空の天となる 山笠の波動花鳥子より届く 山笠の句の勇壮な波動来る 山笠に恋といふものありにけり 博多つ子純情の夏なりしかな 山笠の日と生誕の日と隣る 純情の山笠に夢馳せてをり
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山笠に天神颪とは来たり 金亀虫裏返りたる真夜の褥 黄金虫夜を引き摺りて灯へ入りぬ 灯に入手夜の帝国の黄金虫 羽蟻の夜玻璃にべたりと都市の闇 羽蟻翔ちお日様に溶けなくなりぬ 子を捨てし母は戻らぬ羽蟻の夜 羽蟻の夜金輪際の父は帰らぬ 羽蟻の夜弔問はなほつづきをり 茅舎忌の卍となりて日章旗
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露の世へ消ゆる人あり茅舎の忌 茅舎忌の夜が流れてしまひたる 隻眼が見えなくなりぬ茅舎の忌 龍子の絵どこか稚拙な茅舎の忌 茅舎忌の流れ流れて星ゐない 吾妹子の胸やはらかき虎が雨 吾妹子の海へ尿する虎が雨 煙草屋もとうに死に絶え虎が雨 土用波恋愛はもう星屑に 岬越え来る土用波白々と
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土用波いよよ怒濤となり崩れ 子が一人攫はれてゆく土用濤 土用濤灯台を越え来たりけり 元総理死にて土用の波濤へと 波怒濤土用の夜の人攫ひ 伝説の出水川とはこの小川 子を攫ひ妹を攫ひて出水川 出水川と記憶流れて悪夢とも 出水川恋の破綻も流しゆく 虚子塔に人来ぬ日なる最澄忌
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最澄忌千日回峰終るころ 叡山は星の降る夜の最澄忌 叡山をさ迷ふ夜の最澄忌 最澄の忌の極楽の湯舟かな 最澄忌灯す頃の先斗町 祇園にて猊下と酌みし最澄忌 萍の隠沼として河童棲む 萍を髪に見立てて河童立つ 萍の茂り月光留めたる 妖精が腰掛けてゐる蛭蓆
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丑三つの月光にある蛭蓆 優曇華へ星やさしくて月やさし 優曇華のいのち揺らぎて月を待つ 儚きは優曇華の茎なりしかな 優曇華にいのちあかりの灯せり 優曇華に神降臨すひとつづつ 母死して優曇華の情なしとせず 優曇華へ言葉少なき真夜の人 ケルン積む星降る夜となりしかな ケルン積む大岩壁と対峙して
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ケルン積むひとつひとつに女の名 行李から恐らく祖父の登山帽 恋をして山登りして死に逝けり ロッククライミングの刹那あの夏を しづかなる人しづかな死夜の秋 夜の秋幽霊ももう寝静まり 恋をして失恋をして夜の秋 瞳の奥の闇へと星の流れゆく 星の降る中に月降る夜の秋 蟻ひとつ彷徨うてゐる夜の秋
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死顔の威厳なるかな夜の秋 曾祖父も祖父も今宵は夜の秋 星ひとつ艶然とある夜の秋 夜の秋網膜剥離みたいな灯 羅を着て恋などに惑はされず 浴衣着て金魚の柄を泳がせて 羅を着て老いらくの恋をせむ 羅に序破急といふ恋のあり 妙齢は達磨柄なる浴衣着て 浴衣着て恋に窶れてしまひけり
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祖父と祖母らし残像の藍浴衣 羅の包んでをりぬ裸体かな 羅の包み適はぬ恋をして 浴衣着て恋の乳房となりしかな 浴衣着て恋人と逢ふ浜の路地 羅を着て蝮酒召し上がる 浴衣の子星とおしやべりしてをりぬ 後ろ手に団扇はさんで恋浴衣 白兎波間に跳ねて卯波くる 人死して星の卯波となりしかな
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卯波寄す森田愛子の臥所へと 九頭竜の卯波漣ほどのもの 夏の波真砂女の卯波とぞなりぬ 月光が卯波流してをりにけり 滴りの金銀の粒金剛に 滴りに輪廻転生ありにけり 滴りて岩壁となる日本海 東京スカイツリーの天辺滴りて 滴りて浅草線の三ノ輪駅 ゆつくりとしづかに歩む蛇ひとつ
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蛇の夢見てその蛇を見てをらず 蛇酒といふ極楽の中に死す 滴りの岩壁を行く数学教師 滴りの後ろ姿の女体山 蛇女邪心となりて星流れ 蛇ふたつ絡んでをりぬ月光に 蛇絡みつつ愛欲の中にあり 権現の無数の蛇の降る社 炎帝の統べるままなる総理の死 炎帝へ斬首の鴉羽ばたけり
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炎帝いま月の裏側焼きにけり 炎帝といふ今生の大宇宙 勲一等正一位なる墓灼けて 勲一等の軍馬の墓は緑蔭に 暗夜行路書きし墓とて茂り中 暑き固き墓石の如き絵画館 イザベラの墓に彫られし薔薇香る 銀杏並木の緑蔭もとんがりて 茂りてはいつも探せぬ乃木の墓 坊城は俊ばかり付く墓涼し
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殉教の墓へマリアの南風吹く 寝棺そのものを横たへ夏の墓 緑なる線対称の銀杏かな 八月の面対称の絵画館 サンドレスとは青山のあつぱつぱ 青山の墓みな灼けて無言なる 夏日燦超高層といふ墓標 無機質の超高層を旱とも ソファーめく茂吉の墓へ夏蝶来 茂吉いま夏蝶となり利通へ
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墓に挿す供華も明日より秋薔薇 秋の蝶クルスの墓を懇ろに 夏果てて石より重き絵画館 緑蔭のハチ公の墓何処なり ハチ公の供華はおそらく水羊羹 異国なる地下に眠りて薔薇の墓 夏の蝶マリアの指に触れてより 喪主だけが半袖で乗る霊柩車 蟬の音は聞かず真昼の野辺送り 蟬死して蝙蝠ばかり飛んでをり
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蝙蝠は帰る逆さになるために 蝙蝠の裏切る音を聴いてゐる 蝙蝠も消え失せグリム童話の夜 めまとひはめまとひとして囁けり めまとひは無責任なる大家族 婆の眼の脂にめまとひ親しめり めまとひを払ふ多情の口を閉ぢ めまとひの中を葬列続くなり 朱烏夏の夜の夢覚めし頃 茅舎忌の月光ことに夢を食ふ
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茅舎忌の虫の音といふ哀しけれ 茅舎忌のシュミーズは幽霊の自慰 そこはかとなく隠微なる茅舎の忌 キリストと生きる男へ茅舎の忌 茅舎忌に金子みすずを読んでをり 白鼻心白夜の夢を見てをりぬ おぼこ今白夜の夢を見てをりぬ 白夜とは神の数だけありにけり 熊に似る男涙の炉辺話 雪女帰らず解けてしまひたき
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金輪際なき眼光の鯖を食ふ 鯖を食ふ恋愛をした夢を見て 銀色に無限のありし鯖を食ふ 恩讐の臭みの鯖を食ふ女 鹿島灘あたり怒濤や鯖を食ふ 鯖を食ふ女臀部を揺らしつつ 鯖を食ふ潮の香りを煮てをりぬ 黒潮を炊いて鯖煮となりしかな 鯖食ひ男鯖食ひ女淫靡なる 鯖食うて惜別の情無しとせず
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我が生の金輪際の虹に逢ふ 虹死して首都凡庸の空となる 奈落より虚子の墓へと虹の橋 蚊柱となりて青山墓地を舞ふ 吾妹子の子宮男の子を生みにけり 我が家より大いなる虹架かりけり 苔の花とは妖精の小さき眼 苔の花喋るぺちやくちやぺちやくちやと 苔の花海に流れてしまひさう 我が生も淋しからずや苔の花
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大漁の夜の纜に苔の花 苔の花阿呆の黄色楽しくて 苔の花金輪際の生にあり 苔の花哀しくなれば咲いてをり 苔の花苔を大地として咲けり 苔の花の夜は近づく大宇宙 未熟児に産まれる人へ苔の花 そよぐことなき苔の花小さすぎ 流星と同じ色して苔の花 苔の花咲きて天動説となる
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苔の花影といふものありにけり 囁きの夜に閉ぢたる苔の花 河童忌を星の吹雪と思ふなり 河童忌の蛇口ひねれば湧いてをり 河童忌に砂糖を舐める女あり 河童忌のしんがりの児は引き込まれ 河童忌にベートーベンを聴いてをり 河童忌を皇后陛下畏くも 河童忌の童は杓子定規かな 怒濤とし童押し寄せ河童の忌
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滴りて山又山を濡らしをり 絵画館の壁の隙より滴れり 夏の水汲み元勲の墓域へと 滴りに栄枯盛衰ありにけり 滴りて富嶽をすこし潤せり 滴りに奈落といふは先のこと 滴りてゆつくり濡れてをりにけり 滴りて巌の命を疑はず 幻か滴る先に河童の子 滴りて四国三郎ありしかな
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蟻ひとり穴ひとつあり佇みぬ 増上寺国葬にあり蟻ひとつ 群衆の蟻群衆の蟻に逢ふ 山蟻の威厳の黒に死してをり 黒蟻と赤蟻言葉交さざる 蟻ひとつ地下迷宮を出で来たる 蟻塚に蟻の声のみ充満す 蟻塚の掘りたての土匂ふなり 蟻地獄静謐といふ美しき あとづさりして身を隠す臆病に
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岳麓へ行者道めく蟻の道 蛾の破片ゆらゆら運ぶ蟻の道 ビール飲む眉間に皺を寄せながら 麦酒飲むますます法螺を吹きながら 白魚のやうな指もて麦酒注ぐ 我が世とぞ思ふ望月の麦酒かな 麦酒のむいつか焼かれし喉仏 女ひとり化粧濃くして黒麦酒 蛇苺姉の我が儘永遠に 蛇苺庭に埋めし金魚へも
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侯爵の墓の片隅蛇苺 蛇苺男鰥の庭の恋 山笠の西の便りを句に乗せて 博多つ子純情いまも山笠に ��笠の男だらけの怒濤なる 傀儡の関節錆びて夏の雨 白雨きて蛍光灯の切れかかり 関節はぎしぎし老ゆる夏の雨 飴玉が降る音のして夏の雨 連続の数珠の音して夏の雨
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夏の雨身の内の獅子唸るなり 旋律はボブマーリーに似���夏の雨 戦後すぐ膣より産まれ夏の雨 白雨きてボサノバの雨合体す 白雨きてコーラの壜の女体めく おそらくは黄泉の国とて夏出水 夏出水遺品の遺書の何処へと 高貴なる神に押し寄せ夏出水 最果ての鵺の夜へも夏出水 土用波七里ヶ浜で祖父に抱かれ
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土用波みたいな嬶の乳房かな 柏翠の療養所へと土用波 土用波森田愛子の身の内へ 土用波虚子と愛子の物語 髪洗ふ乳房の先を湿らせて 髪洗ふ妬み嫉妬を流すとか 女百態懇ろに髪洗ふ 髪洗ふ幼き頃の金盥 あんな女に嫉妬して髪洗ふ 犬洗ふ即ち犬の髪洗ふ
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昼寝して夢の合戦破れたり 元首相撃たれし頃の大昼寝 夜よりも昼寝彼の世に近かりし 貪るは蛸か女体か昼寝覚 昼寝して夜には死んでをられたる 昼寝覚女百態消失す 昼寝覚地獄の釜を押し上げて 昼寝覚一年損をした気分 昼寝して虚子と話をして戻る 昼寝覚范文雀と別れ来て
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蝙蝠の彼の世此の世と飛翔せり 蚊食鳥煙のやうなる蚊を追へり 蚊食鳥夕焼け小焼けの唄に乗り かはほりの逆さに夢を見る昼間 かはほりに迷子探してもらふ夕 蚊食鳥夜の女は出勤す かはほりは街の電波と交錯す 蚊食鳥幼稚園児はもう家へ 友人の納骨を終へ蚊食鳥 学習院初等科の上蚊食鳥
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あぢさゐの萎れし夕べ蚊食鳥 かはほりと月と金星置きどころ 青林檎みたいな乳房持つ少女 青林檎囓る気もなく接吻す 青林檎真夏の夜の夢の中 昭和とはヌード写真と青林檎 麗人の口怖ろしく青林檎 漆黒の夜は青ざめて青林檎 青林檎堅しと思ふ瑪瑙より パテイーデュークショーを観ながら青林檎
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青林檎がさつな漢の手に堕ちる 夏の夜の夢とはならず老いゆけり 夏の夜の罪ある墓標御影石 唇は濡れて真夏の夜の夢 夏の夜のネオンサインはジジと切れ 漆黒の真夏の夜の夢となり 入れ墨の夏の女を持て余し 金魚玉夜に入る頃の小宇宙 絢爛の金魚は恋をしてをりぬ 絶縁の夜に浮きたる金魚玉
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和服着て振り袖を振る金魚かな 勲一等正二位の飼ふ金魚かな 飛魚の飛んで越え行く隠岐の島 隠れキリシタン飛魚となり戻りけり 飛魚の流刑の島を飛び越えて 炎帝に見つからぬやう昼に寝る 日輪が炎帝をまた拐かす 炎帝に翳といふものありにけり 白日夢とは炎帝が司る 炎帝が紛れ込んだり夢の中
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盆栽といふ炎帝の置き土産 炎帝も銀河の裾の一部分 我が霊も炎帝となり銀河へと 観音の笑みて溽暑を遠ざけて 観音の炎暑の唇を赤しとも 陽炎へる陽子の墓や禁色に 墓の苔とて万緑の一部分 観音の胸乳あたりへ夏の蝶 五輪塔とは緑蔭のただの石 乾きたる稲毛氏の墓とて旱
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一山の万緑なだれ年尾句碑 薔薇咲かせ流行り遅れの服を売る 昔から麦酒が好きな人の墓 蛍光灯切れかかりゆく夏の果 夏行くや皆んな貧しき灯して 人を待つ心にも似て夜の秋 涼しさの雨の粒とは淋しくて 街の灯の蒼く点りて夏の夜 灯して何読むでなき夜の秋 夜の秋義兄は生れ替りしや
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涼しさの夜の灯の鈍色に 堕胎の子いつも走りて汗哀し 夏逝くや雨の音符の翳色に 夜の秋眼の衰への文字歪む 夜の秋炎集めて住む川原 夜の秋己れ空しく酒を飲む 涼しさの夜雨の音の蓄積す 涼しさは恨みに似たり灯を消せば 幽霊坂うすむらさきの夜の秋 幼稚園死んだ子が居る夜の秋
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夜の秋やがて孤独の誕生日 蛍光灯切れかかりゆく死者の秋 老いてなほ秋めく恋の行方かな 新涼の飴の色とは濃紫 秋めきて失恋をする七回目 新涼の鏡に映す吾の死顔 頭痛して秋めく我の髑髏 新涼の驚き顔となりし天 新涼の犬に哀しき堕胎過去 八月の女ものものしく太り
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overjazztrio · 3 years
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グリザイアの雑学7
ヒルに噛まれたら、まず咬み傷に残ったヒルの歯を抜き、傷口から毒(ヒルジンという)を揉み出す。
石油は蠅や蛆が湧く防止策になる。即席トイレの浄化槽に流し込もう!
ビタミンが不足すると顔が浮腫む。
相手の言動や態度が間違っていたり、正しかったとしても気に入らない時に言うのが文句。それ以外は難癖。
チアミン(ビタミンB1)が不足するとウェルニッケ脳症(錯乱や目の障害)が起こる。コルサコフ症候群という不可逆性の機能障害が併発する可能性もある。
「盗むな」「壊すな」「殺すな」。人が人がましく生きるための3つのルール。
黴は人体にも生える。
竹炭は下痢に効くらしい。ほんとかよ。
肉をよく焼かずに食べるとトキソプラズマにかかることがある。猫を食うとなるらしい。
日陰の死体はガスが発生しやすくパンパンに膨らむ。口が開いてガスが漏れると声のような音が聴こえる。
空き缶に使用済みカイロの中身と切り刻んだアルミホイルを混ぜ、発火しやすいようにマグネシウムを入れて火をつけると爆弾になる。
金を出して不便を買うのが金持ち。
旧軍の高等官である将校は、結婚するのに人事局の許可が必要だった。(ここだけの話ですけど、今でこそ許可は必要ありませんが、"とある人種"と結婚すると自衛隊では出世が遅くなります。今も。)
地雷や手榴弾の火薬をアンコと呼ぶ。
車のサンバイザーの裏の鏡は"バニティミラー"という。へー。
カッコウはオオヨシキリやモズの巣に卵を生んで、その親に育てさせる。托卵。わりと有名な話か。
カボチャは栄養の塊で、無敵の健康食品らしい。今度からたくさん買お。
赤ん坊は、何でも口に入れてみることで毒の味を覚えていく。
在日の外国人は個人商店などの方が買い物しやすいらしい。スーパーなどで集団窃盗などが起こるとどうしても剣呑な視線を向けられやすくなってしまうため。
急に眠るタイプの天才は、寝ることで覚醒時に入手した膨大な情報を整理する。
サメに腕などを噛まれて無理に引っ張ると、その鋭さのせいで大怪我をする。鼻にあるロレンチニ瓶を殴ってやると大人しくなる。これはマジ。
女って奴は、機嫌の悪い日の朝はサラダしか食わない。
我が国の防衛における最大の障害は、刈っても刈っても伸びてくる駐屯地や演習地の雑草である。ちょっとわかる。
夜店のアンズ飴の中身はスモモ。
5.56mmと7.62mmの銃弾はそれぞれ300円と350円。今まで何発射ったかな……
「自分の手に負えない」との診断を下せる医者こそ名医。
自衛隊でよく使う「OD色」はOlive Dravの略。何の略か今まで知らんかった。
敵の捕虜になったら、名前と認識番号と生年月日しか教えてはいけない。これ俺も学校で習った。
カボチャは皮に1番栄養がある。
やる気がなくても、勉強すると決めた時間にはするフリだけでもするべき。やがて定着すると、時間になると脳が勝手に覚醒し、集中力を上げることができる。
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tokoromantic · 3 years
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2024年に結婚する
フリーター生活においてかなり稀な、貴重な1日お休みの日、お友達のりあちゃんと占いに行った。
「千里眼」というなんとも胡散臭そうな店名に厨二病魂が刺激され、即決。
というか、明日空いてないのー?と急に連絡がきて、空いてるよと答えたら、「えっ、占いやん。」と来ていくことが決まったんだけど、占いやん。ってなにが?
しかし、予定を立てるのが億劫なので、"今日"とか"明日"とかですごいテンポ感で進む遊びアポは最高。
千里眼に着いて、友達のターンがすぐ始まった。開始5分くらい、生年月日をお伝えしただけで容赦なく「アンタはそういう星に生まれている」と辛辣なことを言われていて、りあちゃんは開始5分のその言葉からもう思考停止してあまり記憶がないらしい。
私のターンがきて、生年月日を伝えると2秒ぐらいで「あー。アンタはお金稼ぐねー。」と言われた。所の人生にまったく無縁の話かと思ってたお金持ちの話を初手でされ、とりあえずデカイ声を出しておいた。
どうしよう、お金持ちになってしまったら、と人生で初めて想像した。時空の裂け目みたいなスナック「スナック渚紗」を小平で営んだり、クリブス観に行ってクソデカメーーーンズニーーズを拝みたい。
しかし、お金はやっぱり貯められないし貯まらないらしい。「お金をすぐ使う。あなたは外国人の思考なの。」だそう。
これからの人生の話、就職した方がいいのか、何が向いてるのか、あと恋愛はどうか、を占ってほしいと伝えると、
「アンタはね、もう、ほんっとにー
・・・・気まま。自由人。もう、気まま。」
3300円払って、色んな人にこれまで言われてきたことを改めてリマインドされた。
続けて、
「でもそれでいいの。それがアンタに与えられたものだから。アンタは思考が外国人だから。」と。
さっきも外国人だから、と言われたけど、脳の国籍設定にバグ発覚。
とりあえず、本にまつわるなにか、出版社の作家担当、音楽とスポーツの星の元だから音楽家、画家、小説家、漫画家などの○○家がいいらしい。
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あ!漫画家だったらそこから世界羽ばたけるじゃん!と言われ、漫画家→worldって書かれた。
未来予想図はすぐ日本から出てしまう。
飲食やアパレルもいいらしい。ここら辺は全部バイトでやってきたことだから、伏線の回収。
しかも古いモノ、古民家との相性いいらしくて、今古民家宿で働いてることを占い師は知らずに言ってたから、なんか妙に腑に落ちてしまう。
そんで2022年は東京に戻ってリベンジが吉、東京だとお金を持つと言われた。大阪だと苦労するらしい。しかしながら、国籍が日本ではない私の脳みそのシンドバッドはいつだって困難に行くように、撮れ高にガメつくいけと指令する。なるようになる。
仕事の話はこんな感じ。続いて恋愛の話に。
「気まぐれだからあ〜、しばらくはね、恋愛はねーー・・」
「濃い系の顔が好き。濃い人が寄ってくる。」
と、想定内すぎる言葉と、想定外すぎる言葉が出てきて錯乱していたら、んーー、濃いって言っても、ソースとかなんかそういうんじゃなくて・・・・ここに見えるんだけど(左上の方を見る)なんて言うのかなあ・・・
「ジョニーデップみたいな。」
規模感ハリウッド占い。
りあちゃんがとっさに、「あ〜!!!でもたしかに!濃くも薄くもですよね〜!」とうまく返してくれていたけど、ジョニーデップさまの唐突なご登場に大混乱が巻き起こった。
占い師は大混乱にたたみかけるように、「アンタはミツバチさんなの。いろんなお花の蜜を吸って、あの花もこの花も、と蜜の味を比べる。でもそれでいいの。日本だったらクソかもしれないけど、外国人だから問題ない。」とつづけた。
さよなら、奥ゆかしき大和撫子。
さよなら、寝坊してパンをくわえながら走って曲がり角でぶつかる日本で使い古された少女漫画の運命の出会い。
もう私のことはb*tchと呼んでほしい。
でもわたしは、結婚もしたいし子供も欲しい、私のDNAは絶対に残さなきゃいけないので、と伝えた。
すると、「男じゃん。それは男の考えだから。」と返され、見た目は日本人女性、脳内は外国人男性の人間になった。りあちゃんは錯乱し、つまりアンタがジョニーデップってこと?!?!というとんでもないハリウッドアンサーが出たところで、私たちのブースだけボルテージはマックスになっていた。
酒のない居酒屋みたいな占いの時間も残りわずかになったところで、
・2個下・2個上・4個上・6個上と相性がよい。2022年に出会う。
・そして2024年に結婚する。
と、所の人生史は怒涛の展開を迎え、もうなんかそこからの記憶がちょっと薄い。
しばらくは何もないくせに、3年後に急に結婚するこの超展開。相手も相当なバグってことだけはわかる。
兼ねてから、結婚式はドレス姿でDJをし、フロアを踊らせる、"dj HANAYOME"になるという夢があるので、もうdjの練習しようかなとか考え始めてる。
ここまでの情報過多占いの時間はあっという間に過ぎ、残り3分のところでなぜか占い師は自宅のバルコニーでハーブやバジルを育てて、育ちが良すぎてイタリアンレストランに売ったりしていた話をしだした。なんの時間だったんだろう。
時間が来て、もう次の人がいるわ!アンタのラッキーカラーはグレー!白!そんで黒!あとオレンジ!と、遠足のとき家出る直前のママの「忘れ物ないね!?水筒持った?!パスモチャージした?!」のアレみたいな感じでブースを出された。
ちなみにりあちゃんも、ラッキーカラーはグレー・白、そして黒って言われていた。ラッキーカラーってさ、もっとさ、この世はこんなさまざまな色彩で満ち溢れてるのにさ。
日記って書いてるうちに、情報が整理されていくものなはずなのに、情報過多と駄文と飲酒タイムのおりなす究極の不協和音みたいな文を書いてしまった。
総じて何が言いたかったかっていうと、りあちゃんとあそんでたのしかったー!!ってことでした。
運命に抗いつづけよう。
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