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#鵜飼哲
kennak · 10 months
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「五輪や万博があったから経済成長できたのではなく、経済成長の時に五輪や万博を開催していたに過ぎない。なのに…、成功体験にすがっている」(鵜飼哲)
[B! 万博] 「大阪万博、中止でええやん」署名続々 五輪や万博ってやめられないの?歯止めが利かない裏側にあるものとは:東京新聞 TOKYO Web
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今週の入手本(20240212〜0218)
『地衣類、ミニマルな抵抗』(ヴァンサン・ゾンカ著/宮林寛訳/まえがき、カバー写真:大村嘉人/序文:エマヌエーレ・コッチャ/みすず書房)。地衣類を扱った書籍というだけで心がワクワクしてきませんか?私はします。
『読書アンケート 2023 識者が選んだ、この一年の本』(みすず書房編/みすず書房)。執筆者(目次記載順)加藤茂孝、白木賢太郎、土田昇、野田正彰、花崎皋平、徳永恂、上村忠男、齊藤誠、渡辺政隆、永田洋、服部文祥、加藤尚武、小澤実、藤井省三、堀川惠子、川那部浩哉、鎌田浩毅、榎本空、栩木伸明、豊下楢彦、小沢節子、酒井忠康、山田稔、佐藤文隆、宮下志朗、原武史、細川周平、山口二郎、沼野充義、奥山淳志、白石直人、大野克嗣、𠮷田徹、根本彰、竹内洋、青山直篤、山内一也、油井大三郎、重田園江、大島幹雄、柿沼敏江、頭木弘樹、根井雅弘、佐藤文香、坂内徳明、岡崎宏樹、倉田徹、斎藤真理子、朽木祥、宇野邦一、松本潤一郎、宮地尚子、酒井哲哉、飯田隆、永江朗、新城郁夫、草光俊雄、武藤康史、岡田秀則、江口重幸、松家仁之、斎藤修、石川美子、大井玄、妙木浩之、水島治郎、新田啓子、ブレイディみかこ、山崎雅人、䕃山宏、澤田直、阿部公彦、最相葉月、阿部日奈子、西平直、福嶋聡、キャロル・グラック、犬塚元、小谷賢、斎藤成也、三原芳秋、生井英考、和田忠彦、瀬名秀明、小野寺拓也、宮﨑裕助、郷原佳以、今村真央、川端康雄、三島憲一、板橋拓己、松本俊彦、神庭重信、増田耕一、巽孝之、石原千秋、上野千鶴子、長谷正人、早川尚男、田崎晴明、李静和、野崎歓、野家啓一、姜信子、勝俣誠、成田龍一、富士川義之、市村弘正、栗原彬、松沢弘陽、伊佐眞一、梅津順一、廣瀬浩司、蔵屋美香、十川幸司、千田善、鈴木布美子、國分功一郎、堀潤之、近藤和彦、鎌田慧、佐藤良明、小松美彦、丘沢静也、斎藤環、三中信宏、亀山郁夫、増田聡、鈴木了二、小沼通二、轡田收、野谷文昭、川本隆史、伊藤憲二、ノーマ・フィールド、吉岡忍、早川由真、小谷真理、鵜飼哲
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honyakusho · 11 months
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2023年11月13日に発売予定の翻訳書
11月13日(月)には9冊の翻訳書が発売予定です。
ウネさんの抱擁
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チョン・ウネ/著 たなともこ/翻訳
葉々社
男性の繊細で気高くてやさしい「お気持ち」を傷つけずに女性がひっそりと成功する方法
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サラ・クーパー/著 渡辺由佳里/翻訳
亜紀書房
読み書き能力の効用
リチャード・ホガート/本文 香内三郎/翻訳
筑摩書房
動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある
ジャック・デリダ/本文 鵜飼哲/翻訳 マリ=ルイーズ・マレ/編集
筑摩書房
「テロリスト」と呼ばれた男
ドルクン・エイサ/著 有本香/監修 三浦朝子/翻訳
飛鳥新社
LEADING QUALITY
Ronald Cummings-John/著 Owais Peer/著 河原田政典/翻訳
ドワンゴ
新装版 名画のなかの猫
アンガス・ハイランド/著 キャロライン・ロバーツ/著 喜多直子/翻訳
エクスナレッジ
魔女の冬 : 冬の王3
キャサリン・アーデン/著 金原瑞人/翻訳 野沢佳織/翻訳
東京創元社
古書の来歴
ジェラルディン・ブルックス/著 森嶋マリ/翻訳
東京創元社
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waonica · 2 years
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「動物のまなざしのもとで 種と文化の境界を問い直す」 鵜飼 哲 編著 勁草書房/2022
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ogaizumi-blog · 5 years
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3/22(日)に新大久保アースダムにて、『反五輪連続音楽祭「東京五輪獣」vol.1』が開催。 ストレス系歌謡プログレバンド 太陽肛門スパパーン、渋さ知らズの不破大輔に加え、ザ・スターリンX、突然段ボール、なみちえが出演するほか、哲学者の鵜飼哲の出演もアナウンスされている。 『反五輪連続音楽祭 「東京五輪獣���vol.1』 2020年3/22(日)新大久保アースダム ACT:太陽肛門スパパーン / ザ
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qsfrombooks · 5 years
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遠い昔、フリードリッヒ・ニーチェはいかに西洋文明が「末人(最後の人間)」に向かって進んでいるのかを理解していた。「末人」とはいかなる感情も関与もない無関心な生き物のことである。夢見ることもできず、人生に疲れ、リスクを冒すこともなく、快適さと安全、そして互いの寛容さのみを求める。「少量の毒をときどき飲む。すると、気持ちのいい夢を見ることができる。そして大量の毒を最後に飲む。すると、気持ちのいい死を迎えることができる。昼のお楽しみがある。夜のお楽しみもある。だが健康には敬意を払っている。『わたしたちが幸せをつくりだしたのです』 ―― そう言って、末人(最後の人間)がまばたきする」[1]。
現代思想 2015年3月臨時増刊号 総特集◎シャルリ・エブド襲撃/イスラム国人質事件の衝撃 / アントニオ ネグリ,エティエンヌ バリバール,スラヴォイ ジジェク,アラン バディウ,ノーム チョムスキー,板垣 雄三,酒井 啓子,栗田 禎子,西谷 修,鵜飼 哲,中田 考
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leenaevilin · 6 years
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[Announcement] 進戯団 夢命クラシックス結成15周年記念公演vol.1#22「碧のヴォヤージュ」(shingidan yumei classics kessei 15 shuunen kinen kouen vol.1 #22 ~ao no  voyage~)
the show will be running from March 20th, 2019 to March 24th, 2019 (Tokyo) @ 新宿村LIVE (Shinjukumura LIVE)
Cast:
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Ishiwatari Mashuu as Haru (ハル)
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Funaoka Saki as Eine(アイネ)
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Ukai Mondo as Bolero (ボレロ)
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Kikuchi Hajime as Gymapedies (ジムノペティ)
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Sumio as Gekkou (ゲッコウ)
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Iwakiri Chabo as Daiku (ダイク)
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Kanno Yuuki as Coppelia (コッペリア)
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Matsugi Wakaha as Rusalka (ルサルカ)
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Yoshino Teppei as Hisou (ヒソウ)
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Mochizuki Masatomo as Mateki (マテキ)
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Oda Toshiki as Figaro (フィガロ)
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Fujita Kouji as Gigue (ジーグ)
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Toyoda Kouki as Salome (サロメ)
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Shiratori Rensei as Sekai (セカイ)
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Noda Reina as Sinfonia (シンフォニア)
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Itou Masami as Blue (ブルー)
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Serizawa Ryou as Shiki (シキ)
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Kaori Karin as Oratorio (オラトリオ)
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Yamada Seira as Messiah (メサイア)
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Kubota Yuuri as Hallelujah (ハレルヤ)
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Yazawa Rio as Canon (カノン)
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Amemiya Hikari as Tuning (チューニング)
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fumiterawaki · 3 years
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「港まちアートブックフェア」
明日から開催の「港まちアートブックフェア」に参加します。私は展覧会の記録集を2冊出品しています。ぜひお手に取ってご覧ください。
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港まちポットラックビル3Fでは「港まちアートブックフェア」がスタートします。今回はこれまで港まちと関わりのある方々をはじめ、アーティストやデザイナー、出版社、レーベルが手がけたアーティストブック、作品集、ヴィジュアルブック、ZINEなどの「本」が一堂に集まります。============
「港まちアートブックフェア2021」2021年6月29日(火)–8月14日(土)11:00–19:00休廊日|日曜・月曜・祝日会場|Minatomachi POTLUCK BUILDING 3F:Exhibition Space.入場無料http://www.mat-nagoya.jp/exhibition/7299.html*本を手にとってご覧いただけるよう、お手荷物をお預かりします。*入場を制限する場合があります。*新型コロナウイルスの感染状況によっては、変更や中止の可能性があります。*会期中のイベント、最新情報については、ウェブサイト・SNSでお知らせします。企画|Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya]主催|港まちづくり協議会出品者|アートコート ギャラリー、Art Space & Cafe Barrack、青崎伸孝、Aoyama Meguro、AGAIN-ST、浅井真理子、浅田泰子、足立 涼、阿部航太、阿部大介/鷹野 健、有馬かおる/ちばふみ枝/ミシオ/池田璃乃、飯川雄大、井出賢嗣、今村 文、今村遼佑、IN SITU、上田 良、エクリヲ、江本典隆、ELVIS PRESS、O JUN、大田黒衣美、小川智彦、屋上とそらfree、小栗沙弥子、オル太、Curtain、加藤松雄・加藤 K、KANA KAWANISHI ART OFFICE、川口貴大、川村格夫、木村充伯、kumagusuku、GROUND、crevasse、CAVE-AYUMIGALLERY、小島邦康、小林真依、迫 鉄平、佐野友美、三輪舎、C7C gallery and shop、G文、Jグループ、シマウマ書房 鈴木 創、霜山博也・霜山 萌、刷音、進藤冬華、スウィート・ドリームス・プレス、鈴木ヒラク、須田真弘、夕書房、Tiny Splendor、タカ・イシイギャラリー、田口美穂、たちばなひろし、田中瑞穂×鵜飼聡子、谷 亜由子、谷澤陽佑、玉山拓郎、田村友一郎、タン・ルイ、CHI&ME、陳 楚翹、塚本南波、土屋未久、D.D.baseproject/今村 哲、this and that、寺脇扶美、Tokyo Art Research Lab(TARL)、torch press、冨井大裕、ナゴノダナバンク、NEUTRAL COLORS、NEW ERA Ladies、丹羽良徳、HAGIWARA PROJECTS、PARA BOOK PRESS、原 倫太郎+原 游、パルム書房、阪神大震災を記録しつづける会、ハンマー出版、ヒスロム、平山昌尚、福田良亮、福永 信+仲村健太郎、福永みくら、藤井昌美、藤田紗衣、古川あいか、ブレーカープロジェクト、星 拳五、堀 至以、ボン靖二、前畑裕司 / Norihito Hiraide、松本 力、Manila Books & Gift、三浦友里、三瓶玲奈、溝田尚子、三田村光土里、museum shop T、ミヤギフトシ、村上将城、MOTEL、morning service、もぐこん、本原令子、ヤノベケンジ、山城大督研究室、山田憲子、山村國晶、よはく舎、LIVERARY、Landschaft、リア制作室、RE/Search Publications、六根由里香============
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hangorin · 4 years
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オリンピック終息宣言展オンライン集会
311まであと1か月
オリンピックをちゃんと理解する会
~原発・建国記念の日・ナショナリズム~
ゲスト アライ=ヒロユキ(美術・文化社会批評) いちむらみさこ(反五輪の会) 鵜飼哲(オリンピック災害おことわリンク) 2月11日(木・休日)19:30~21:30 無料配信
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end-of-olympics · 4 years
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オンライン集会 オリンピックをちゃんと理解する会 3. 11まであと1カ月~原発 ・建国記念の日・ナショナリズム~ ゲスト アライ=ヒロユキ(美術・文化社会批評) いちむらみさこ(反五輪の会) 鵜飼哲(オリンピック災害おことわリンク) 2月11日(木・休日)19:30~21:30 無料配信 ※このイベントは、オンラインで開催します。この時間帯は展覧会場には入れません。
世界的にCOVID-19観戦拡大状況が続き、東京でも感染者数が激増するなか、政府とIOCは、いまだに東京オリンピックの中止を決定していません。
神楽坂・セッションハウスで開催するオリンピック終息宣言展では、オンライン集会「オリンピックをちゃんと理解する会~原発・建国記念の日・ナショナリズム~」を、2月11日に開きます。 なぜ原発事故を起こしたこの国がオリンピックを招致したのか? この明らかに異常な状況での、芸術の役割は何か?
反オリンピックや表現の自由をめぐって、活発な発言と行動をされている3人の方をゲストにお招きして、ともに考えたいと思います。 ぜひご参加下さい。 ※実施方法を見直し、有料から無料配信へと変更しました。配信URLなどの詳細は追ってご案内します。
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asatsuyu2019 · 4 years
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聞くという営みが喪失している無惨な状況への根源的な問い
李静和さんの文章が確保したのは、鵜飼哲さんが記しているように、「証言に対する、生々しい、刺激的な、衝撃的な証言に対するある種の欲望が、しばしば善意の水路を通って日本社会に広がっている」ことへの激しい拒否であり、証言を前にして聞くという営みが喪失している無惨な状況への、根源的な問いである。(冨山一郎・図書新聞第3466号「新編つぶやきの政治思想」書評より)  一つ前に琴さんがポストしてくれた図書新聞、私も先日読みました。引用したこの文章にとても納得しました。岡田
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kentarouchikoshi · 3 years
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 僕は一人の仏教徒としてこの記事を実に興味深く感じると同時に,各宗派の僧侶には自宗の教義を真摯に見つめ「そこに本当に矛盾は無いか」「そもそも現時点における教義は宗教として成り立つものか」といった再検討を行うよすがにして欲しいという思いを抱きました。  仏教においては「無我」ということが言われます。仮に我というのを「普遍的な本質」と解釈し,かつ「無我」と言う言葉を「我は存在しない」「我が無い」と解釈すれば「人間には本質が存在しない」という意味になるでしょう。しかし一方では仏教では輪廻ということが言われ,しかも「死んだらその後は何も無い」という考え方(「断見」)についても明確に否定しているので,それらを矛盾無く統一的に説明する必要があります。この点については「釈尊が説いたのは『無我』ではなく『非我』だ」「我執への拘りを捨てよという意味だ」などという解釈や「魂のようなものは存在するが,それは永遠に全く変化しないものではない。生きているときにも少しずつ外部の影響を受けて精神が変容することがあるのと同様,死後にも変容を続ける。つまり常住不変の『我』は存在しないが,それは『魂のようなものが存在しない』という意味ではない」などという解釈もあり,そう考えれば無我と輪廻との矛盾は回避出来そうにも思えますし,日本以外の仏教国ではそのような説明がしばしば為されていると聞いています。  しかし日本仏教においては,そのような説明が為されることは稀です。僕は仏教各宗派のホームページを読んでみたのですが「死んだ後に,人はどうなるのか」という疑問についてズバリと答えたものに出会えた機会は殆どありません。「おや」と思ったのは浄土真宗の一派である本願寺宗門(大谷本願寺派)の見解でしょうか。同宗門は本願寺眞無量院のホームページにおいて「釈尊は、死は決していのちの終わりなのではなく、その先の後生というものをお説きになられました。今の命の後にまた生まれるのです」と説き,また東山浄苑東本願寺のホームページおいても「今は亡き御先祖は、阿弥陀如来の『摂取不捨』【せっしゅふしゃ】のお誓いにより極楽浄土に往生し、阿弥陀如来と共に私達を見守って下さっています」と記載している例くらいでしょうか。ここまで明快に説いた記載は,僕が知る限りでは非常に稀です。  宗派のホームページでは駄目なのかと有名なご僧侶方の著書を読んでもみました。しかしそれらにも「どう生きるべきか」といった点では示唆に富む記載が数多く見られるにものの「人は死んだらどうなるか」ということを詳細に論じたものには殆ど出会えません。それどころか「無我というのだから魂や霊魂のようなものは無い」と一刀両断してしまうものすら存在します。では仏典において輪廻や来世について記載されていることをどう考えるかといえば「あれは釈尊在世当時のインドでは常識的な考えだったので,一般人にも判り易いように便宜的に説いただけだ」といったように「釈尊の言葉ではあるが,真実ではない」とあっさり切り捨ててしまっています。  無論,僕は素人ですから「実はそうなのだ」と言われれば反論は困難です。しかし本当にそれが仏教なのでしょうか。たしかに釈尊は「方便」といって人を導くために便宜的に真実とは異なる教えを用いることを許容しています。しかし「実は輪廻も来世も無い」と説きたいのであれば,各経典であれほど盛んに輪廻について論じてしまったのは明らかに大失敗だったでしょう。「無我と輪廻とを矛盾なく説明するにはどうすれば良いのか」と後年の僧侶や学者たちが大いに頭を悩ませることになったのだし,むしろ「後世の弟子たちを誤解させた」ということになってしまいます。そもそも釈尊が本当に「輪廻も来世も無い。死んだらそれまで」と言いたかったのであれば,先述のとおり当時のインドには既にそれと全く同じことを主張する「断見」という考え方がありましたから「実は断見が正解なのだ」と説けば済むだけの話だった訳です。  釈尊だけではありません。日本仏教の各宗派は釈迦直説ではなく真言宗ならば空海・天台宗ならば最澄といった各宗祖によって纏め上げられたものです。それらの宗祖も「死んだらそれまで。完全消滅」などと言った者は誰も存在しません。日本にはインドのような輪廻思想は無かったのに,���れにも拘らず各宗祖は「便宜的に」輪廻思想を説いたというのでしょうか。こちらとしては困惑するばかりです。  そもそも,素人なりに考えれば「来世は無い」という考え方では仏教には説明のつかないことが多々存在します。たとえば仏教の僧侶たちは檀家の葬儀や法事を司式し,寺院に設けられた墓地に埋葬された人々のために経典を読誦しています。或いはそれについては「葬儀や法事において行われているのは故人への供養ではなく追憶だ」などという説明も可能かもしれません。埋葬された人々のための読経についても「遺族が毎日墓参し故人を追憶するのは困難なので,僧侶はそれを代行しているのだ」という説明も不可能ではないでしょう。  しかし「釈尊は何のために弟子たちに修行と悟りとを勧めたのか」という根本的な点については,解脱や来世の存在を無視しては説明がつかないのではないか。僕はそう確信します。そもそも仏教ではこの世を「苦」の世界と捉え,またその「苦」を脱することを「解脱」「悟り」と称し,その境地に至るために修行を行います。しかし仮に輪廻も来世も存在しないのなら,苦を逃れるのに一番簡単な方法は死んでしまうことです。しかし釈尊は弟子たちに自殺を勧めたりはせず,戒を遵守しての修行を勧めました。その理由は「死んでも『苦』を逃れることは出来ない」からで,何故逃れられないのかといえば死んだあとには輪廻して再び来世において苦の世界を生きることになるからでしょう。なおこの点について「仏教には不殺生戒というものがあり,自殺はその戒に反するから出来ないのだ」という意見もありますが,これも疑問です。仮に自らの命を絶つことが仏教の教義上「殺生」に該当するとしても,もし来世というものが無いのなら死んでしまえばそれまでの話です。  因みにこれは来世の問題とは直接の関係は無い話ながら,仮に「無我」という言葉を「人間の本質が存在しない」と解釈すると,仏教における戒というものの存在根拠までが失われかねません。仏教においては出家者が不殺生戒や不偸盗戒(盗みの禁止)・不邪婬戒・不妄語戒を犯すことのうち特に悪質なものを「波羅夷罪」といい,僧侶の資格を失うとされています。しかし人間の本質というものが本当に全く存在しないなら,破戒したときの「私」と今現在の「私」も全くの別物であり,今現在の「私」が自らとは全く無関係な別物の咎を負う理由も存在しないことになってしまします。無論,そんな馬鹿な話が通用する筈もありませんが,何故通用しないのかと言えばその理由は「以前に破戒した『私』と今現在ここに居る『私』とは同一の存在だから」としか説明のしようが無いでしょう。  さて,そのような前提に基づいて今回の鵜飼秀徳氏の記事を読んでみました。同氏は真言宗(高野山真言宗)・天台宗・日蓮宗を「霊魂肯定派」とし,一方で浄土宗・浄土真宗(真宗大谷派)・臨済宗(臨済宗妙心寺派)・曹洞宗を「霊魂否定派」に分類しています。  このうち浄土宗については,実は霊魂肯定派なのではないかとも僕には思われます。「お浄土に生まれることを願う」と言っているのですから。そのような宗旨であれば「何が浄土に生まれることを願っているのか。それは現世を生きている『私』と何らかの同一性・継続性を有するのか否か」という点を無視することは出来ません。思うに,人が命尽きても肉体はこの世に残ったままですから「肉体ごと浄土に生まれ変わる」ということは有り得ません。また一方「現世の『私』が命尽き,その後『私』とは全く無関係の存在である何者かが浄土に生まれる」というのではそれを「私が浄土に生まれる」とは言えません。霊魂とは別の名ではあってもそれに類した何かの存在を前提にしていることは明らかで,これを「霊魂否定派」に加えることには僕は疑問を覚えます。浄土宗の見解についてはもっと突き詰めて考察し,本当に霊魂否定派なのか或いは実際には霊魂肯定派なのかを確認する必要があるのではないでしょうか。  一方,臨済宗妙心寺派の見解は「何とも歯切れの悪い」と感じられます。「常見(死んでも霊魂は残る)でも断見でもなく,死んだら終わりでもない」というのでは何も言っていないのと同じです。仏教は中庸を重んじるとはいえ,これは「中庸」ではなく単なる八方美人ではないかとしか思われません。  この点,同じ禅宗でも曹洞宗の回答は「葬送儀礼の中で戒を授ける対象を『霊位』、仏戒を受け諸仏の位に入った者を『覚霊』と位置付けたり、有縁無縁の先亡を『萬霊』とし、儀礼、供養において『霊魂』を対象にしている」とも認めているあたり,臨済宗妙心寺派よりはずっと明晰で誠実なもののように思われます。但し「では霊魂は存在するのか。それとも実は存在しないが民俗に話を合わせてそう言っているだけなのか」という点については明確にしておらず,やはり肝心のところを誤魔化されているように思ってしまいます。  僕がもっとも受け入れ難く感じたのは真宗大谷派の見解です。「存在や死後が存在するか、しないかのどちらかにとらわれる見解を離れよ」というのは一つの考え方として尊重に値するものですが「霊魂が存在するか否か」という質問に対してそのように答えるのは「はぐらかし」というものです。「とらわれを離れる」のと「存在するかしないか」は全く別の話ですから。たとえば僕は昨日モスクワで太陽が見えたか否かに関心は無く「とらわれ」てもおりませんが,仮に「昨日のモスクワで太陽は見えたか」と問われて「そのようなものにとらわれるな」と答えたのでは,それは回答になっていません。同じ浄土真宗でありながら本願寺宗門(大谷本願寺派)が先述のとおり「今は亡き御先祖は、阿弥陀如来の『摂取不捨』【せっしゅふしゃ】のお誓いにより極楽浄土に往生し、阿弥陀如来と共に私達を見守って下さっています」と「死んだらどうなる」という問いに真正面から,しかも宗祖たる親鸞の教えから逸脱しないことを述べているのとは雲泥の差といっては,或いは言葉が過ぎるでしょうか。  次に霊魂肯定派の真言宗(高野山真言宗)・天台宗・日蓮宗の見解について見てみると,それぞれ言っていることは違いつつ,質問に対して真正面から答えていることは共通しています。高野山真言宗の「人間は大日如来から命を与えられてこの世に生まれ、肉体の滅びる後は再び大日如来の内に帰還する」という考え方はむしろウパニシャッド哲学の「梵我一如」に近く,他の宗派とは別の仏である大日如来を崇敬している真言宗においては釈尊の説く「無我」に囚われることは無く,そもそも考え方もやはり他の宗派とは異なるのかと思われます。また日蓮宗の「宗祖が霊魂の存在を認めている」という回答については真宗大谷派の「宗祖と全く違うことを言っていないか」との重大な疑念を抱かせる回答とは対極に位置するものであり,率直で筋の通ったものだと感じられます。  僕が特に注目させられたのは天台宗の「死者儀礼に関与できたことも霊魂の存在を信じることなしでは成り立たない」「霊魂の存在を否定すれば仏教は単なる哲学や道徳律となって、宗教ではなくなってしまう」という回答です。日本仏教においては「人は死後どうなるか」という問題を棚上げにすることで仏教を科学と矛盾しないものにしていこうという考え方があったと聞いておりますが,そのような態度を貫けば「葬送儀礼や先祖供養に際し,故人は今どこでどのようにしているのかを知りもせず答えてもくれず関心すら持っていない,甚だしくはその問題を忘れるようになどと説く僧侶の手など借りても意味が無い」という結論に至るのはある意味当然のことです。近年,日本人の仏教離れやお寺離れということが指摘されていますが,臨済宗妙心寺派や真宗大谷派の見解のようなことを告げられた檀家としては「離れ」ていくのはむしろ当然のことだと僕には思われます。本当にそれで良いのか,特に霊魂否定派はその点を再考する必要があるのではないか。僕はそのように考えます。  なお,日本ではしばしば「幽霊は居るか」という意味で「霊魂はあるか」と問う者が存在します。これに対し「ちゃんと供養しているのだから幽霊になって出てくることは無い」或いは「迷信に惑わされないように」という意味で「霊魂は無い」と回答する僧侶たちが存在することは意識しておく必要があるでしょう。我々一般人からの質問に対しお坊さんが「霊魂は無い」と回答したからといって,それが「死んだらそれまで」という意味とは限りません。但しこの疑問についても仏教的に答えれば「幽霊は居る」というのが正解かもしれないと僕は思っています。上座部仏教では「幽霊もまた生き物であり,それは六道のうち餓鬼に属する」と考えます。生き物である以上むやみに恐れる必要は無いし,心を込めた真摯な供養で救済される存在ではあるのは勿論のことですが。因みに「幽霊の寿命は400年。その証拠に江戸時代の幽霊は目撃例があるが,それ以前の幽霊が目撃されるのは稀だ」などという俗説があります。これも「幽霊も餓鬼という生き物であり,いずれは命尽きて再び輪廻していくのだ」と考えれば説明のつく話ですね。  いずれにせよ「来世が無いなら,僧侶は葬儀や法事で何をしているのか」「来世が無いなら苦を逃れるためには死んでしまうのが一番簡単な筈だが,仏教ではそのようなことは説いていない。実は来世があるからではないのか。本当に『来世が無い』という考え方は仏教的に正しいのか」という僕の疑問や「霊魂の存在を否定すれば仏教は単なる哲学や道徳律となって、宗教ではなくなってしまう」という天台宗の指摘に対する,特に霊魂否定派の宗派に属するご僧侶からの見解を是非知りたいと僕は思います。それらについての回答を真摯に見定め,僕は自分なりの信仰を定め信心を深めていきたいと切に願っているところです。 ※本願寺眞無量院のホームページ https://www.shinmuryouin.jp/teachings/t008.html ※東山浄苑東本願寺のホームページ https://honganjifoundation.org/jouen/affair/
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morningservice · 3 years
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morning service名義で『港まちアートブックフェア』に参加します。朝田翔一郎の作品集vol.1〜5を出品します。MAT,Nagoya初めての取組みに参加できること、とても光栄です。どうぞよろしくお願い致します。
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港まちアートブックフェア2021
2021年6月29日(火)–8月14日(土)11:00–19:00(入場は閉館30分前まで)
会場|Minatomachi POTLUCK BUILDING 3F:Exhibition Space
休館日|日曜・月曜・祝日入場|無料 http://www.mat-nagoya.jp/exhibition/7299.html
*本を手にとってご覧いただけるよう、お手荷物をお預かりします。 *入場を制限する場合があります。 *新型コロナウイルスの感染状況によっては、変更や中止の可能性があります。 *会期中のイベント、最新情報については、ウェブサイト・SNSでお知らせします。 出品者| アートコート ギャラリー、Art Space & Cafe Barrack、青崎伸孝、Aoyama Meguro、AGAIN-ST、浅井真理子、浅田泰子、足立 涼、阿部航太、阿部大介/鷹野 健、有馬かおる/ちばふみ枝/ミシオ/池田璃乃、飯川雄大、井出賢嗣、今村 文、今村遼佑、IN SITU、上田 良、エクリヲ、江本典隆、ELVIS PRESS、O JUN、大田黒衣美、小川智彦、屋上とそらfree、小栗沙弥子、オル太、Curtain、加藤松雄・加藤 K、KANA KAWANISHI ART OFFICE、川口貴大、川村格夫、木村充伯、kumagusuku、GROUND、crevasse、CAVE-AYUMIGALLERY、小島邦康、小林真依、迫 鉄平、佐野友美、三輪舎、C7C gallery and shop、G文、Jグループ、シマウマ書房 鈴木 創、霜山博也・霜山 萌、刷音、進藤冬華、スウィート・ドリームス・プレス、鈴木ヒラク、須田真弘、夕書房、Tiny Splendor、タカ・イシイギャラリー、田口美穂、たちばなひろし、田中瑞穂×鵜飼聡子、谷 亜由子、谷澤陽佑、玉山拓郎、田村友一郎、タン・ルイ、CHI&ME、陳 楚翹、塚本南波、土屋未久、D.D.baseproject/今村 哲、this and that、寺脇扶美、Tokyo Art Research Lab(TARL)、torch press、冨井大裕、ナゴノダナバンク、NEUTRAL COLORS、NEW ERA Ladies、丹羽良徳、HAGIWARA PROJECTS、PARA BOOK PRESS、原 倫太郎+原 游、パルム書房、阪神大震災を記録しつづける会、ハンマー出版、ヒスロム、平山昌尚、福田良亮、福永 信+仲村健太郎、福永みくら、藤井昌美、藤田紗衣、古川あいか、ブレーカープロジェクト、星 拳五、堀 至以、ボン靖二、前畑裕司 / Norihito Hiraide、松本 力、Manila Books & Gift、三浦友里、三瓶玲奈、溝田尚子、三田村光土里、museum shop T、ミヤギフトシ、村上将城、MOTEL、morning service、もぐこん、本原令子、ヤノベケンジ、山城大督研究室、山田憲子、山村國晶、よはく舎、LIVERARY、Landschaft、リア制作室、RE/Search Publications、六根由里香 企画|Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya]
主催|港まちづくり協議会 Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya] 
MAT, Nagoyaは、名古屋港エリアで住民と行政との協働でまちづくりを推進する「港まちづくり協議会」が委託事業として実施するアートプログラムです。名古屋港周辺では、1980年代以降さまざまな国際的な現代アートの活動が行われてきた歴史があります。その素地を受け継ぎ、創造性をもって活動する人びとを歓迎し、制作・実践の場を創出することによって創造的なアイディアをまちに還元していくことを目指します。www.mat-nagoya.jp お問合せ・アクセス Minatomachi POTLUCK BUILDING
〒455-0037名古屋市港区名港1- 19-23(港まちづくり協議会事務局内)
*名古屋市営地下鉄名港線「築地口駅」2番出口より徒歩1分
TEL|052-654- 8911 FAX|052-654- 8912 E-MAIL|[email protected] 
WEB|www.mat-nagoya.jp
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soundstory-ss · 4 years
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#22 碧のヴォヤージュ
■公演日  2019年3月20日 (水) ~2019年3月24日 (日)
■劇場  新宿村LIVE
■作・演出  伊藤マサミ
■Cast  ハル:石渡真修  アイネ:船岡咲  シキ:芹澤良  ブルー:伊藤マサミ  ボレロ:鵜飼主水  ジムノペティ:菊地創  ゲッコウ:SUMIO  ダイク:岩切チャボ  コッペリア:菅野勇城  ルサルカ:松木わかは  ヒソウ:吉野哲平  マテキ:望月雅友  フィガロ:織田俊輝  ハレルヤ:窪田ゆうり  ジーグ:藤田幸士  カノン:矢澤梨央  メサイア:山田せいら  オラトリオ:かおりかりん  サロメ:豊田幸樹  セカイ:白取漣盛  シンフォニア:野田怜奈  チューニング:雨宮光
 望月祐治  林田寛之  山田知弘  松田智晃  富田ヒカル  松井翔司  倭香  高野美幸  増本祥子
■Staff  演出助手:小島麻奈未(進戯団 夢命クラシックス)  舞台監督:森貴裕(M.T.Lab)  音響:志水れいこ  照明:島田雄峰(LST)  ムービングデザイン:紺野浩史  美術:宮坂貴司  映像製作:常光博武  音楽:今泉翔  殺陣振付:芹澤良  ダンス振付:伊藤マサミ 山田せいら  衣裳:かおりかりん  衣裳デザイン・製作:小泉美都  撮影ヘアメイク:瀬戸口清香 茂木美緒 新田彩加  スチール撮影・デザイン:圓岡淳(Atelier:caprice orchestra)  フライヤーデザイン:横山隆人  制作協力:小野智美  制作補佐:山口由希  制作統括:舞原鈴  企画・製作:Office:smc ■あらすじ[公式より] 海は全てを知っている 何処を目指すか 何を成すのか 誰と行くのか 君が触れた その手の感触は 深海に消えて もう ない クラシックス史上最も再演希望の声が高かった「碧のヴォヤージュ」 ロスト・アンサンブル、辿り着いた者は何でも願いが叶うとされている幻の島。 彼の島を目指し、人々は海へ出た。 目指すは、入れば二度と出ることはできない魔海「碧の海」 願いを叶える為、死を与える海に出る。 人も、国も、そして……海賊も。
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genron-tomonokai · 5 years
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小林よしのり×三浦瑠麗×東浩紀による生放送は今週末3/28 19時から配信!/ただいま視聴期間中!プラープダー・ユン、大山顕、鴻上尚史×春名風花/コロナウイルスにともなう3/28、4/1イベントのご案内
新型コロナウイルス感染のさらなる拡大を防ぎ、登壇者・来場者のみなさまの健康と安全を確保するため、3月28日のイベント「ニッポンの保守」を会場無観客で放送のみ配信、また4月1日のイベント「後期デリダ、『生き延び』の哲学について」を中止とさせていただくことにいたしました。詳細は以下本文<1>をご覧ください。ご理解いただけますと幸いです。
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<1>【お知らせ】新型コロナウイルス発生にともなう3月28日、4月1日のイベントについて
<2>【小林よしのり×三浦瑠麗×東浩紀 3/28(土)19時から生放送!】 「ニッポンの保守──2020年桜の陣」 https://genron-cafe.jp/event/20200328/
<3>【古田徹也×伊藤亜紗×山本貴光 3/27(金)19時から生放送!】 「しっくりくる言葉、どもる体──『言葉の魂の哲学』サントリー学芸賞受賞記念」 https://genron-cafe.jp/event/20200327/
<4>【ご視聴期間中の生放送】 [3/26までご視聴可能 プラープダー・ユン×福冨渉×東浩紀×上田洋子 都市と文学と黒魔術、あるいは知識人の使命] https://live.nicovideo.jp/watch/lv324770016
[その1は3/30まで、その2は3/31までご視聴可能 大山顕『新写真論』刊行記念!「顔」と「指」から読み解くスマホ時代の写真論] その1: https://live.nicovideo.jp/watch/lv324886041 その2: https://live.nicovideo.jp/watch/lv324948282
[3/31までご視聴可能 鴻上尚史×春名風花 生きることと演じること] https://live.nicovideo.jp/watch/lv324704377
<5>五反田アトリエからのお知らせ 「カオス*ラウンジXI キャラクターオルガナイズ」(仮)
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<1>【お知らせ】新型コロナウイルス発生にともなう3月28日、4月1日のイベントについて
新型コロナウイルス感染のさらなる拡大を防ぎ、登壇者・来場者のみなさまの健康と安全を確保するため、3月28日のイベント「ニッポンの保守」を会場無観客で放送のみ配信、また4月1日のイベント「後期デリダ、『生き延び』の哲学について」を中止とさせていただくことにいたしました。 ご来場・ご視聴を予定されていたみなさまに、深くお詫び申しあげます。
3/28(土)19:00- 小林よしのり×三浦瑠麗×東浩紀 「ニッポンの保守──2020年桜の陣」 → 会場へのご来場はいただけません。放送の配信のみとなります。 ※ 番組アドレスは下記のとおりです。 視聴リンク: https://live.nicovideo.jp/watch/lv324552468
4/1(水)宮崎裕助×鵜飼哲 「後期デリダ、「生き延び」の哲学──『ジャック・デリダーー死後の生を与える』刊行記念イベント」 → イベントは中止となります。
ご不明のことがありましたら、ゲンロン [email protected] までお問い合わせください。
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<2>【小林よしのり×三浦瑠麗×東浩紀 3/28(土)19時から生放送!】 「ニッポンの保守──2020年桜の陣」 https://genron-cafe.jp/event/20200328/
ゲンロン創業10周年記念!令和元年を総括する怒涛のトークイベント、緊急開催決定!!!
令和時代の幕開けから約1年。参議院選挙で巻き起こった「れいわ旋風」や消費増税、「桜を見る会」をめぐる疑惑など、政界では数々のトピックがめまぐるしく展開されてきた。 特に「れいわ旋風」は欧米の左派ポピュリズムに呼応する政治運動として、既存のリベラル勢力に失望した多くの知識人を巻き込み、大きなムーブメントを巻き起こした。 一方で野党勢力が政権交代の受け皿となるビジョンは一向に見込めず、相次ぐ閣僚の辞任でも支持基盤は揺るぐことなく、安倍首相が歴代最長の在職日数を更新し続けている。
大規模な台風被害、いまなお拡大を続ける新型コロナウィルスと、まさに国難とも呼べる事態が次々に押し寄せるなか、いま「ニッポンの保守」が本当に守るべき価値観はなにか。 2020年、東京オリンピック後に待ち受ける社会の展望を、小林よしのりさん、三浦瑠麗さん、東浩紀が語り尽くします!
視聴リンク: https://live.nicovideo.jp/watch/lv324552468
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<3>【古田徹也×伊藤亜紗×山本貴光 3/27(金)19時から生放送!】 「しっくりくる言葉、どもる体──『言葉の魂の哲学』サントリー学芸賞受賞記念」 https://genron-cafe.jp/event/20200327/
「ゲンロンカフェ @ VOLVO STUDIO AOYAMA」シリーズ第25回は、東京大学准教授の古田徹也さん、東京工業大学准教授の伊藤亜紗さん、文筆家の山本貴光さんをお招きしての鼎談イベントを開催いたします。
古田さんは『言葉の魂の哲学』で第41回「サントリー学芸賞(思想・歴史部門)」を受賞。同書をめぐっては、昨年8月に山本さんを聞き手にゲンロンカフェでイベントを開催しました。ウィトゲンシュタインやカール・クラウスの言語論の考察にはじまり、言葉を選び取ることの責任がわれわれの社会の倫理の問題にどのように関わってくるのか、刺激的な議論が展開されました。
先日、第13回「(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞」を受賞されたことでも話題の伊藤さんは、今回のイベントで古田さんとは初対談となるそうです。伊藤さんは、同書の刊行時に讀賣新聞紙上に書評を寄せられました。また古田さんは、伊藤さんの著書、特に『どもる体』について、ご自身の研究と関連して強い興味を持たれているそうです。
言葉の魂、言葉と体……言葉をめぐる白熱の議論は必見です!
※ 新型コロナウィルス感染の拡大防止のため、本イベントはボルボ スタジオ 青山からの放送のみ(会場は無観客)となります。ご了承ください。番組アドレスは下記のとおりです。 視聴リンク: https://live.nicovideo.jp/watch/lv324707298
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<4>【ご視聴期間中の生放送】 [3/26までご視聴可能 プラープダー・ユン×福冨渉×東浩紀×上田洋子 都市と文学と黒魔術、あるいは知識人の使命]
プラープダー・ユン著『新しい目の旅立ち』(ゲンロン叢書004)祝刊行記念!訳者の福冨渉さん、そしてゲンロンの東浩紀、上田洋子とともに無料生放送を配信しました。 プラープダー氏にはタイよりネット電話にてご登壇いただきました。 大きな反響をいただいているこちらの放送は3/26まで、みなさま無料でご視聴いただけます。お見逃しなく!!
ニコニコ生放送: https://live.nicovideo.jp/watch/lv324770016 Youtube: https://youtu.be/_7C3VGi0gu8
[その1は3/30まで、その2は3/31までご視聴可能 大山顕『新写真論』刊行記念!「顔」と「指」から読み解くスマホ時代の写真論]
写真家、作家の大山顕さんによる『新写真論』(ゲンロン叢書005)刊行記念放送が配信されました。 『新写真論』の魅力を徹底解説!後半のその2からは東浩紀も登壇! その1は3/30まで、その2は3/31までご視聴可能です。ぜひご覧ください!
それぞれ都度課金500円、冒頭15分ほどは無料でご覧いただけます。 その1: https://live.nicovideo.jp/watch/lv324886041 その2: https://live.nicovideo.jp/watch/lv324948282
[3/31までご視聴可能 鴻上尚史×春名風花 生きることと演じること]
作家・演出家の鴻上尚史さん、俳優の「はるかぜちゃん」こと春名風花さん、ゲンロンカフェ初登壇! 演��、SNS、そして生きることについて、お二人の考えをたっぷりと交わしていただきました。
都度課金1,000円、冒頭15分ほどは無料でご覧いただけます。 視聴リンク: https://live.nicovideo.jp/watch/lv324704377
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<5>五反田アトリエからのお知らせ
開催予定の展示 ◆2020年5月1日(金) - 5月17日(日) ※月曜休廊 OPEN:15:00〜20:00 「カオス*ラウンジXI キャラクターオルガナイズ」(仮)
ゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校 第5期 最終成果展/裏成果展、そして「3月の壁ーーさいのかわら」、どちらもご来場ありがとうございました! 次回は5月、藤城嘘の企画でグループ展としての「カオス*ラウンジ」を準備中です! 30名を超える若手美術家が集まる展示となる予定です、どうぞお楽しみに!
展示の最新情報についてはカオス*ラウンジ公式webサイトをご覧ください。 http://chaosxlounge.com/
(藤城嘘)
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▼ そのほか、今後のゲンロンカフェ最新情報はこちらから! https://genron-cafe.jp/
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abouttetsukuzu · 5 years
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ジャック・デリダ『私は追う、ゆえに私は(動物で)ある』を読む
ジャック・デリダ『私は追う、ゆえに私は(動物で)ある』を読む 小林毅大
多くの文学作品が動物や無生物を「語らせて」きたことは事実です。それは、多くは「擬人化」と呼ばれる方法によって、人間が持つ言語というものの潜在性を暴き出すことに成功してきました。人間の発語する音声や筆記する文字はごくごく素朴な物理的、あるいは肉体的なそれであるのに、それがコミュニケーションという一般化によって歪められ制限されてきました。動物や無生物を擬人化によって語らせることによって、人間中心主義的な言語使用を脱中心化させるという目的が、それらを用いる文学作品が目指したものの一つだということができると思います。しかしながらこの試み自体も、「擬人化」という名前からもわかるように、動物や無生物を人間の側に引き込む、言語を持つ人間と持たないそれらという優劣の関係の元に階層化するという事態が起こっています。人間中心主義的な目的論を逸脱するための手段が結果的に人間中心主義的な目的論へと戻ってきてしまうということです。動物や無生物が人間にとって〈他者〉であり続ける限り、人間の言語によるそれらの描写は、独断的な一方的な押し付けになるか、空回りし続け否定形の文が続くような否定神学の形をとるかのどちらかにならざるをえません。このような状況に当たってジャック・デリダを召喚することは理にかなっているように思います。事実デリダも人間中心主義と「否定動物神学」の両方を批判する態度を取っています。
部屋で一人裸のままいる時、ふと猫が自分を見ていることに気づいた時の恥ずかしさ。これはどういうことか。デリダは創世記まで遡る。神は自身に似せた人間としてのアダムを作り出し、彼に彼よりも前に存在している動物を従属させることを命令する。アダムは「独り叫び=名付ける(crier-nommer)」。神はそれを見ている。デリダはこの地点を時間の誕生と捉え、それ以前の、つまりアダムが動物を名付け従属させ権威を得るようになる前の、先行する動物を人間が追っている期間のことを「時間の生成=有史以来」と区別する。この「追う」という動詞はフランス語でsuivreであるわけだが、これは一人称単数形の活用ではsuisとなり、フランス語におけるbe動詞に当たるêtreの一人称単数形の活用と一致する。自分の主体性を表現するすべての「私は〜」という文は、一見して安定した静的な状況を示すように見えて(人間が動物を従属させた人間中心主義を確立しているからだ)、常に「追いかける」という他者を前提とした動的なものがそこへ差し込まれていく。部屋で裸を猫に見られることの恥ずかしさの体験は創世記における「時間の生成=有史以来」へと連れ戻すものであったということである。そもそも「動物l'animal」という語自体に大きな歪みがある。人間と動物との区別は人間の欠如が根拠となりその点で人間が一方的に決定することができる上に、主従という関係性を根拠づけるかのように動物に「悪 mal」を内在させている。これに対しデリダはanimotsという語を導入する。これには「動物」が人間の名付けでしかないという「語 mot」の側面を強調するとともに、「動物」が持つ異質的な多様性を引き出すために「動物たち animaux」へと発音を近づけるという作用がある。
裸と恥。創世記以降(「時間」が始まってから)人間は恥を知るが故に服を着込む。同時に哲学は長い間、真理の本質を〈裸である〉こととして理解してきた。しかし「時間」が始まりその中にいるままではいくら服を脱いだところでそれは真理への臨界点には到達しないだろうし、むしろ「動物」を人間の側に取り込む力を強化することに陥ってしまう。「恥を恥じるためには」という問いに当たってデリダは上述したような「時間の生成=有史以来」の前へと遡行する(それは原理的に不可能なことではある)ことを提案する。部屋で裸の自分を猫に見られるという話はデリダ自身の体験であり、それを「語ること」つまり「自伝」の重要性が示唆される。「この新しさは、最古のものを背景としてしか規定されえない。絶えずわれわれは、最古のものと到来するもののあいだの往還のうちを、あたらしいものと、反復の「またも」「再び」の交換のうちを動いていかなくてはいけないだろう。」「私は〜」を強化する恥をさらに恥じるための「自-伝 auto-biographie」に向かうために「時間」から「時間の生成」以前への不可能な遡行を通して往還すること。すべての「私は〜」の文に「(それを)追う」を挟み込むこと。その運動。
*参考文献 ジャック・デリダ『私は追う、ゆえに私は(動物で)ある』(2014年、鵜飼哲訳、筑摩書房)
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