Tumgik
#6月6日は赤蛮奇の日
indatsukasa · 1 year
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Dullahan, a.k.a Feitouman, yeah! Check out my Rock 'n' Rock 'n' Beat!!
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umisaki · 1 year
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Sekibanki day
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bowstringsmall · 1 year
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6月6日は赤蛮奇の日
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tommyyu4000 · 1 year
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drawing
  #6月6日は赤蛮奇の日
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ari0921 · 2 years
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シェアさせていただきます。
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異常な人事が示す習氏のプーチン化
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         櫻井よしこ
10月22日に閉幕した中国共産党大会、その直後に開かれた中央委員会第1回総会(1中総会)で決定された人事は習近平国家主席が絶対的権力を確立したことを示していた。但し、一見堅固に思える習氏の権力基盤には、一枚皮をめくると権力の崩壊につながりかねない不穏な要素も少なくない。
大会冒頭の政治演説で注目を浴びたのは全分野にわたる習氏の強硬路線だった。とりわけ台湾問題では強気ぶりが突出していた。「祖国の完全統一が中国共産党の確固不動の歴史的任務」だとし、統一のためには「決して武力行使の放棄を約束せず、あらゆる必要な措置をとるという選択肢を残す」と宣言した。党大会の政治宣言で台湾併合のために武力行使もあり得るとしたのは初めてだ。
習氏以外の党政治局常務委員6名と中央軍事委員会委員6名は習氏の側近とイエスマンで固められ、「習独裁体制の完成」を印象づけた。これを産経新聞台北支局長の矢板明夫氏は「異様な人事」と呼び、次のように語った(「言論テレビ」10月28日)。
「岸田文雄首相が岸田内閣全員を岸田派で固めるようなものです。他派閥から強い不満が噴出するのは当然のこと。それを習近平氏は力で押さえつけて断行したのです」
中国共産党の権力闘争の一端が世界の報道カメラに晒された。今年80歳になる前国家主席、胡錦濤氏が習氏に苦言を呈そうとしたのだ。胡氏は周知のように人民大会堂の晴れがましい舞台から連れ出されてしまったが、この突発事故を理解するには大会最終日の日程に沿って見ていく必要があると、矢板氏は語る。
「閉幕日の10月22日、午前9時から非公開で中央委員205人の選挙が行われました。中国は常務委員7人の下に政治局員が25人、その下に中央委員205人がいます。205人の選出は、共産党大会の参加者約2300人が222人の名簿から17人を外す、つまり17人に×印をつける形で行います。それを集計した新中央委員の名簿が赤いファイルに入れられ大会参加者の手元に配られた。この時点で海外メディアも含めて全メディアが人民大会堂に入った。丁度11時です」
習氏の大失態
世界中の報道カメラが待ち構えたところで、突如胡錦濤氏の行動が開始されたというのだ。
「11時13分です。胡氏は自分の手元の赤いファイルを開こうとしてそれを取り上げられました。次に右隣りの習近平氏の赤いファイルに手を伸ばしたら、なんと習氏が指で押さえて渡さないようにしたのです。その後、胡氏は連れ出されたわけですが、一連の動作がくっきりと映像に残って世界に拡散されたのです」
胡氏は習氏に抗議したかったのだと思われる。自分が権力を委譲した10年前から、習氏は中国共産党の基本的な統治哲学に反して個人崇拝を強いた。自分が引き立てた中国共産党青年団(共青団)出身の李克強首相や汪洋全国政治協商会議主席らは新体制の要職から全て外された。何故なのかなど、不満は山積だったろう。
これが22日、共産党大会閉幕日に起きた大事件だった。矢板氏はこの異常事態がさらなる仰天人事を引き起こしたと見る。大会閉幕日の翌日、1中総会で新体制の人事が発表されたが、文字どおり、世界は驚いた。そのひとつは李強氏という、中央政界での勤務経験が全くない人物が序列2位に大抜擢されていたことだ。完全なるイエスマンの電撃出世だった。出世があれば失脚もある。次期国家主席の候補者とさえいわれた胡春華副首相は政治局員からも外れていた。
「政治局は本来25人の政治局員で構成されますが、今回24人でした。あり得ない数字です。決をとるときに同数になり決まらない可能性を考えて、中国の委員会の人数は全て奇数です。常務委員会も中央軍事委員会も7人です。ところが政治局員は24人でした。胡錦濤氏の側近中の側近の胡春華氏を、胡錦濤氏の一件で、怒り狂った習氏が急遽、外したのではないか」
だとすると、政治局という重要な組織の人事は、胡春華氏排斥で埋め合わせの人物の調整もつかないまま、見切り発車したということだ。中国共産党内部の権力闘争が世界に曝露された。習氏の大失態だ。
習氏の怒りは、しかし、胡春華氏排除にとどまらない。中国共産党機関誌「求是」から、胡錦濤氏の論文の全てが一夜にして削除されたのだ。習氏にとって胡氏はその全てを消してしまいたいほど憎むべき存在になったわけだ。新たな粛清の嵐の前兆��。
習氏の人事の異常さは中央軍事委員会に関しても同様だ。習氏は台湾への武力行使に関して「放棄を約束しない」、つまり「あり得る」と語ったが、軍事委員会の顔ぶれから感じとれるのは台湾侵攻に意欲満々の野蛮な空気だ。
判断を間違う危険性
中央軍事委員会は習氏が主席をつとめ、その下に2人の副主席がついている。その1人、張又侠氏は72歳で、中国式人事の法則では引退する年だが、筆頭副主席として残った。「張氏は70年代末、中国がベトナムに攻め入ったとき、下級将校として前線で戦いました。また彼は後年、総装備部のトップになりました。台湾に侵略戦争をかけるとき、実戦の経験があり、装備にも詳しい軍人をトップに置きたいと、習氏は考えているのでしょう」と、矢板氏。
もう一方の軍副主席は何衛東という人物だ。18歳で入隊し、以来台湾の対岸にある福建省で対台湾前線に張りついてきた。台湾併合こそが中国の取るべき唯一の台湾政策だと信ずる勢力の筆頭である。
もう1人、李尚福・装備発展部長にも注目したい。次期国防大臣と目されているこの人物は、トランプ政権下で制裁対象とされた。アメリカには入国できない。制裁を受けている人物を中央軍事委員会の要職につけるのは、習氏の側に米国と台湾問題で交渉する気がないことを示すのではないか。
政権を側近ばかりで固め、反対意見を述べる人物を排除した習氏に、全体を見た正しい情報は入るのだろうか。習氏の聞きたい偏った情報しか入らないとしたら、プーチン氏と同じく、判断を間違う危険性が高まる。冷静な情勢分析が必要ないま、習政権の第三期人事から見えてくるのは、台湾侵攻の意志が以前よりかなり強くなっており、状況の読み違えで侵略戦争に踏み切りかねないということだ。
ロシアをジュニアパートナーとして従え、ユーラシア大陸で力をつけ続ける習近平氏の中国は、台湾のみならず、わが国にとっても最大の脅威だ。私たちは中国に対して、これまでにない強い抑止力を構築し、決して中国に誤解させないことが大事だ。それには米国の考えや戦略を正確に読みとり、日本の軍事力を強化し、国防意識を高めることだ。
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glitchii02 · 1 year
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HAPPY SEKIBANKI DAY AAAAAAAAAA MY ROKUROKUBI QUEEN #6月6日は赤蛮奇の日 #Sekibanki #赤蛮奇
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pixelito317 · 2 years
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Sekibanki day!
Here's a quick illustration of Sekibanki to celebrate her day! Didn't have much time today due to irl stuff, but I managed to do this at least!
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gaisyo-no-iti · 4 years
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異邦人の庭(お試し版)
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1.  逃げねばならない。娘はひたすら盗んだ馬に乗って駆けた。うだるような夏を何日も繰り返すたびに食料は尽きた。夜闇に紛れて忍び込んだ村々から水を盗み、家畜の餌を喰らい、そのまま逃げ続けた。やがて馬が死んだので、その血を啜り、肉を喰らい、腹を壊しながら先に進む。  メシュエは逃亡者であった。小領同士の争いで村は焼けた。敵領に戦利品として捕らえられた若い娘が辿る運命などたかが知れている。  敵領に仕える者らの慰み者として弄ばれ捨てられる運命はまっぴらであった。虜囚の身から成りあがることが出来るほどの幸運と美貌、狡猾さと図太さが己にあるとは思えなかった。故に、攫われて行った侍女らの悲鳴と、更に遠くから聞こえる強制されたかのような喘ぎ(あえぎ)声を聞きながら、彼女は己を犯そうとした男を、隠し持っていた短剣で刺し殺して逃げ出した。焼けた故郷を背に、誰のものとも分からぬ馬を走らせ、死体から拾った十四の娘にはいささか重い剣を腰に佩(は)いて。
 行くあてはなかった。領は落ち、どこへ行けども敵地。安息の地など見つかりそうになかった。彼方から来た黎明(れいめい)女王(じょおう)を祖とする光の王朝が滅びて久しい。各領は争いに明け暮れ、互いの小さな土地を喰らいあっている。夜闇から魔物らが這い出てきた、などという噂もある。二つ頭の人喰い鬼や影を駆ける六本足の犬、それに、黎明女王の敵であった死を知らぬ夜の娘、名を消された魔女王(まじょおう)が蘇ったとも言われている。  メシュエは物陰でひそやかに語られてきた恐ろしい物語の数々を思い出す。黎明女王が身にまとった光輝(こうき)と威厳(いげん)によって、永遠に封じられた怪物。魔にその身を捧げた者。血まみれの圧政者。血と骨で塔を築き上げ、そこから冷酷に世界を支配しようとした恐るべき悪鬼。  生ぬるい風に乗って、正体のつかぬ何かのうめき声がする。砂と土埃広がる荒野には隠れられそうな場所はない。夏の暑さは夜になっても引くことはない。熱で枯れ果てた草を踏みしだきながらただ遠くへと行く。口は渇き、飢えは続く。メシュエは逃げなければという動物的な本能に駆られて逃げている己と、誰も知らない場所ですべてを終わりにしたい、と望む自分がいることに気付いていた。どちらにせよ、逃げなければならない。生き延びるにせよ死ぬにせよ、結末は自分で決めたかった。
 カダール領ルス村の代官の娘であるメシュエは、良家の子女にふさわしく学問や芸術を仕込まれてこそいたが、一番の得手は剣の扱いであった。父似らしく、背は成長期の少年達を追い抜かんばかりの勢い。痩せぎすな体には幾ら食べても娘らしい丸みはつかず、目は厳しすぎた。やがて、見た目の愛らしさとは程遠いメシュエには、良縁を見つけてやるより得意の剣の技で身を立てさせたほうが良いだろうと、両親らは諦める。そのような訳で、メシュエは名高い剣士の一人を師につけられ、適度に放置されて育った。  村の同世代の少年らがメシュエの性を意識するようになってからは孤独であった。同世代の娘らは少年のようなメシュエを畏怖とも恐怖とも、憧れとも嫌悪感ともつかぬ複雑な感情で見ていた。代官の子であるが故に大っぴらに嫌われてはいなかったが、村の娘らは逃げ水のようにメシュエから距離を置いていた。  結果、透けるほどに薄く青白い肌を闘志で薄紅に染めながら、師と打ち合うのが日課となる。実戦こそ知らなかったが、貴族が挨拶のように行う会話の如き優美な剣技ではなく、攻防一体の実用的な剣技はメシュエの中に叩き込まれて行った。それが何に使われるのか、意味する所をぼんやりとしか理解されぬままに。メシュエが剣の意味を知ったのは、村が襲われてからだった。奪うための武器と奪うための技法をずっと学んできたのだ。そう思うと、気持ちが悪くなる。
 夜通し歩き続ける。疲れ果てた時に気絶するように眠り、痛みを伴う後悔を覚えながら目覚める。それを繰り返す。メシュエが歩いているのは住む者の少ない荒野であった。段々村の数も減り、ここ数日は獣すら見ていなかった。メシュエはただ突き動かされるままに逃げていた。自分が今どこにいるかは皆目(かいもく)見当もつかなかった。
 日は昇り、落ちる。  疎らに生えている棘の多い木を剣で切り、そこから液体を啜る。僅かな苦みの混じる青臭い味が口の中に広がる。毒があるか、そのようなことに構っていられなかった。生きているのに疲れたが、飢えで死にたくはなかった。
 ――どこかに行けば、雇ってもらえるだろうか。  故郷なき流れ者となった己のことをふと思う。メシュエの村を襲った兵士らの中には同じ年の程の者もいた。年経た大人の中には女戦士もいた。正規の兵ではなく、雇われ戦士だとメシュエを犯そうとしていた男は言っていた。男はメシュエの兄と同じような年頃に見え、それがたまらなく気持ち悪かった。雇われ戦士になる未来をメシュエは放り投げる。もう一人のメシュエをどこかで生み出すのは嫌だった。人を踏みにじる獣に堕す(だす)己を想像すると、また空になった胃が焼けるように痛くなり、腰に佩いた剣を邪魔に感じる。人を刺し殺すのはあっさりとしており、それにためらいも感じぬ己を思い出すたびに吐きそうになる。  ――どこに行っても、同じ。  故郷のない者を誰も信用しない。故郷のない者は、雇われ戦士になるか、それが出来なければ森へ逃げて追剥(おいはぎ)まで身を落とすかしかない。どこかに所属していないものに住む地はないことを、代官の娘としてのメシュエは知っていた。父が苦い顔で締めだした逃亡者に芸人、流浪(るろう)の民達。「居つかれたら、何を持ち込むか分かったものではない――」そう、父は言っていた。  今やメシュエは面倒の種だ。そう思うと、逃げて生き延びたいという欲求は、自分の望んだ瞬間に死にたい、という諦めの混じった思いに塗り替えられる。
 何時しかサンダルは壊れ、メシュエは乾いた大地の上を、足を引きずりながら歩いていた。爪は割れ、足の所々から血が滲(にじ)んでいる。夜明けの薄い月が見える。空は青みがかった黒から淡い紫へと変わりつつある。冷えた風は何度も繰り返されたように、これから暑くなるだろう。  大岩を見つけ、メシュエはもたれかかる。もう限界であった。空腹の感覚は馴染みのあるものになりすぎて、実感がなくなっていた。渇いた喉を潤せそうな木はどこにもない。  目を閉じれば蛮行(ばんこう)の記憶が火傷のようにメシュエを苛む。  眠りに落ちれば、僅かな間は痛みから逃れられる。  ――願わくば、次は目覚めませんように。  あてのない祈りを胸に、気絶するようにメシュエは眠りに落ちた。
2.  澄んだ心地よい音がする。  ――水の音……。  メシュエは朦朧(もうろう)とした記憶の中から音の正体を思い出し、それにつられて目が覚め、胸から広がる突き上げるような痛みにうめき声が出る。  涼しい風が肌を撫でる。嗅いだことのない華やかな香りが鼻をくすぐる。ぼんやりと開いた目に映ったのは、沢山の花びらが重なりあった見たこともない花。炎を思わせる赤、輝くばかりの黄色。一点の穢(けが)れもない白……単色の花もあれば、二色三色が斑のように混じりあったものもある。それらが細い道を作るかのように、几帳面(きちょうめん)にまっすぐに植えられている。メシュエの周りは色こそ違えど、ひらひらとした香り高い花でまとめられているようであった。  ――ああ、とうとう死んだのね。  メシュエは思う。しかし、話に出てくる死後の国はこのように色鮮やかなものではなかった。白い石で出来た道と灰色の空が延々と続いているはずの死後の国にしては、メシュエがいる場所は生気に溢れていた。美を争うように咲き乱れる花達は、暗い死後の国には似つかわしくない。そもそもメシュエの飢えも渇きも残ったままだ。胸に手を当てる。鼓動(こどう)はある。まだ、生きているのかもしれない、とメシュエはぼんやりと思う。  ――魔に騙されているの? それとも、妖精に?  どちらにせよ喉の渇きは限界だ。のろのろと立ち上がり、水の音を辿る。道こそ話で聞いた死後の国と同じく白い石で出来ていたが、石の上には花びらがいくつも落ちていて、さしずめ絵のよう。空は朝ののどかな光で溢れていて、どこまでも青い。  やがて、花びらが重なりあった香り高い花の道は途切れ、一気に目の前が開ける。白い石で作られた装飾の多い階段から、広場が続いている。花壇にはやはり見たことのない花が沢山。見たことのない木にはたわわに様々な種類の果実が実り、やはり同じく白い石で作られた小さなあずま屋が木陰に一つ。中央にはきらきらと水を噴き上げている大きな石作りの泉があった。  メシュエは水場を見つけた動物的な喜びに突き動かされ、力を振り絞って泉に駆け寄り、水に口を付ける。  喉を冷たいものが通りすぎ、カラカラになった喉に、胃に、心地よい痛みが走る。  ひたすら我を忘れて飲み続ける。生への執着心がここにきて一気に噴き出したかのように。冷たい、冷たい、冷たい……。  水を飲み終わったメシュエは、石造りの広場の上でごろんと横になる。石の床も、ひんやりと冷たい。  ――そういえば、大人達が言っていたっけ。この世のどこかでは、善き仙女や妖精が暮らしていて、時折手助けしてくれるって。  何時から生まれたか分からぬ物語は、メシュ��の心の中に救いのように広がる。もしかしたら、仙女が助けてくれたのかもしれない。  メシュエは再び眠りに落ちようとする。今度は、ただひたすらに安堵(あんど)の思いに包まれて――。  瞬間、遠くからぱたぱたと駆けてくる足音が聞こえた気がした。いや、足音は近づいている。無理やり甘い疲労感から意識を呼び戻せば、目の前には年のあまり違わぬであろう少女が一人。苛立(いらだ)ちを顔に浮かべてメシュエをじっと見ている。 「ちょっと、どこから入って来たの――」  少女は座り込み、メシュエの顔を検分するように顔を近づけて覗き込む。少女の肩につくかつかないかの暗褐色(あんかっしょく)の髪の毛がメシュエの顔にかける。あまりにも暗いので、黒と見間違いそうになるような髪色であった。様々な花を束ねたような甘い芳香がふわりと広がる。覗き込んできた瞳もまた黒と見間違いそうになる暗褐色。少女の色味の強い肌や奇妙な短い衣とズボンもあいまって、メシュエは東からくる放浪の民の姿を連想した。話で聞く仙女は色白く、波打つ髪の毛を持つ大人の女性だった。少女ではない。 「あなたは、仙女様の小間使(こまづかい)?」  やっとのことでメシュエは問いを口にした。何日ぶりか分からない他者との会話であった。  少女は肩をすくめ苦々しい顔になる。一番聞きたくない言葉を聞かされた人のように。しかし、数拍の後疲れたような諦めを顔に浮かべ、メシュエに手を差し出した。労働を知らなそうな、染みも傷も一つもない綺麗な手であった。 「生憎、わたしは仙女でもその小間使でもないから。あえて言うなら、ただのぐうたらな引きこもり庭師(にわし)。……つかまって。家に連れてくよ」  少女は吐き捨てるように言う。敵意とは違う、無関心でいて欲しいと言いたげな棘のある態度ではあったが、ここから追い出すつもりはまだないらしい。メシュエは差し出された少女の手を掴もうとするが、力が入らず手は見当外れの方に弧を描いた。それを少女は目ざとく捕まえ、メシュエを立たせようとする。しかしメシュエの足は疲れ果てたと立ち上がることを完全に放棄していた。腰に佩いた剣の重みも忘れていた。故に、体勢を崩し、少女が引っ張られる形になる。結果出来上がったのは、メシュエの上に奇妙な格好で乗っかった少女の図。 「んあああああもうっ! ゲームの最中だったのに! わざわざ来てやったのに! どうして全部上手く行かないのかな!」  メシュエはあまりにも子どもじみた少女の様子に思わず笑いだし。  気が緩み。  眠気が襲い掛かり。 「あーあーちょっと待ちなさい眠るなっ……」  意識が遠ざかる。  ぼんやりと、少女が何かを呼ぶ声が聞こえたような、そんな中でメシュエは今度こそ眠りに落ちて行った。
 再び、メシュエは目覚める。天井は木で作られていて、灯りがぶら下がりながら、こちらを照らしていた。嗅いだことのない、それでもどこか美味しそうな匂いが鼻をくすぐる。起き上がろうとすれば、柔らかな寝台(しんだい)に体が沈んで行く。それ以前に、メシュエの体は動くことを拒否していた。両手両足に力が入らない。力を入れようとじたばたした後に結局諦め、メシュエはぼんやり天井と、僅かに揺れる灯りを見た。 「起きた?」  少女の声が聞こえる。刺々しさは減っていたが、不思議と万事投げやりな感じを持つ声であった。見れば、少女は陶器(とうき)の皿に銀色の匙を持ち、白くつぶつぶとした何かに茶色い汁をかけたものを持ってきていた。料理なのだろう。 「面倒だから、レトルトで済ませた。でも、味は確かだから。ああ、素晴らしきかな文明……離れて久しいけど」  寝台の側の棚に皿を置き、少女は宙を睨み手を大きく振る。何もない場所からいくつかのクッションがメシュエの目の前に落ちてくる。どれも色鮮やかで、新品のようで、見るからに柔らかそうだ。  それから少女はああ面倒くさい、とぶつぶつ言いながらメシュエの体を起こしにかける。見た目よりも力があるようで、ぐい、と起こ��れたメシュエはいきなりのことに少し咳き込んだ。少女はそれにもお構いなしで片手でメシュエの体を支えながら、次々にクッションを彼女の背と寝台の後ろにぎゅうぎゅうと詰め込んで行く。 「ほら、これでちょっとは体を起こせるでしょ。ほんとの所、布団は白いから、カレーなんて何かあったらめんどいんだけど。どうせ汚れたらシーツごと捨てればいい訳だし」  ぶつぶつとメシュエには意味の分からぬ言葉をこぼす少女。メシュエは渡されるがままに陶器の皿を受け取り、どうしたらいいか分からぬままに、嗅ぎ慣れぬ匂いの間に僅かに肉汁の香りが混じった料理を匙でつんつんと突く。 「食べ方説明してなかった。白いのと混ぜて。辛かったら水を持ってくるから」  言われるがままに白い粒と茶色い汁を匙(さじ)で混ぜ、口に運ぶ。辛い? その言葉と共に燃えるような辛みが口の中を走り、メシュエは咳き込む。肉の味がほんのりとし、コクと酸味のある茶色い汁は最初の一口こそ美味だったが、ひたすらに辛かった。食べ物をいきなり得てしまった空腹の胃からも痛みが走る。 「あー、こっちの文化じゃスパイスが一般的じゃないのを忘れていたわ……一応中辛選んだんだけどな……」  また少女は意味の分からない言葉を呟いた。一応はメシュエに気を使ってくれた、のだろうか。 「待ってて、今クリームシチュー辺り温めて来るから」 「いえ、いいです、食べられなくはないので……美味しいので……」  慌ててメシュエは銀色の匙で辛い食事をかき込んだ。粘り気のある白い粒と茶色い汁は辛みこそ非常に強かったが、慣れれば食べられないこともなかった。その上、正体不明の少女の機嫌を損ねるのはまずい、と思ったのもある。代官の娘にふさわしい礼儀も何も投げ捨てて、辛みに耐えながら一心不乱に食べるメシュエ。その姿を、少女は珍しいものを観察するように眺めていた。 「水、置いといたから。むせる前に飲んで」  水はいかにも高価そうで澄んだガラスの盃に入っていた。メシュエは手を伸ばして盃を掴み、飲む。冷たい水が喉を一気に通り、辛みが一瞬和らぐ。また食べる。それを繰り返しているうちに辛さにも段々慣れる。  ――あ、これ。案外美味しいかもしれない。  そう思い始めた頃には、皿の上は空になっていた。空腹と安堵がメシュエの体を満たす。 「御親切に、ありがとうございました」 「……どうも」  少女は感謝を言われ慣れていない人のように、メシュエから視線をそらした。 「あなたは、一体」  仙女ではない、と己を称する少女は不思議な料理を持ってきて、目の前で何もない場所からクッションを降らせ、貴人ですら滅多に持っていないようなガラスの盃を当たり前のように扱っていた。 「ぐうたら庭師だよ、ここから出られず、出る気もなく、何となく生きているだけの……」  自嘲(じちょう)するような様子から、メシュエは本当のことを隠している人特有の後ろ暗さを感じた。 「そうだ、あの子の一族……きみ達に言わせれば黎明女王だっけか――は、まだ元気? ここにいると時間の感覚がなくて」  少女はまるで知り合いのように伝説の中の存在と、それに繋がる血筋のことを口にする。どう考えても本人が言うようなぐうたら庭師ではない。もしくは目の前の少女は、何でもない人間であることを演じるのを楽しんでいるのかもしれないとメシュエはいぶかしむ。 「輝ける女王陛下とそのお血筋の方々は、皆、身罷(みまか)られました」  一瞬少女の暗い色の瞳に驚きが走ったのをメシュエは見逃さなかった。それから、少女はまた先ほどのような万事投げやりな様子に戻る。 「そっかー、くたばったか。何事もハッピーエンドとは行かない訳だね。あの子の人生はそれなりにハッピーだっただろうけど」 「ハッピー?」  聞きなれぬ単語をメシュエは復唱する。 「お幸せ、ってことさ。悪い魔女王を退治して、主人公になれて、皆に慕われてさ……あの子は昔っからそうだった」  吐き捨てるような少女の様子は、どこか痛々しかった。 「知り合い、なのですか?」 「知り合いも知り合い、幼馴染だよ。それを嬉しく思ったことは、一度もないけれど――」  少女は、投げやりな様子の中に、謎めいた笑みを少しほど混ぜた表情を浮かべた。どこか、不気味さを感じさせるような、年とはちぐはぐの笑みを。 「とりあえず、ここから先はわたしの暇つぶしで独り言だ」  少女は寝台の側にあった椅子に腰かけ、ぶらぶらと足を揺らす。 「昔々の話、黎明女王がただの少女で、わたしもきみと同じただの少女だった頃。昔々、本物の十四才だった頃の話」  ふとメシュエは部屋の中が薄暗くなってきたのを感じた。灯りがゆらゆらと揺れる。宵闇が近づいてきていた。
 という訳で入稿しましたので、お試し版を! 本当は出るはずだった文フリにあわせて5月6日通販開始します。気になった方はどうぞどうぞ!
追記: 事前通販型イベント【Text-Revolutions Extra】に参加することとなりました。そのため5月6日からの通販ではなく、そちらでの新刊として頒布することになりました。二転三転してすみません。どうか皆さまの元に届きますように!
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kachoushi · 2 years
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各地句会報
花鳥誌 令和4年6月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和3年2月14日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
立春の富士泰然と雲寄せず 三無 立春や玻璃越しの日の柔らかき せつこ ほどほどの人生うれしく梅見かな あき子 うすごほり割る子跨ぐ子ジャンプの子 美貴 薄氷や緋鯉ゆらりとくねりけり 和魚 立春やどの梢にも空展け 三無 紅白梅お寺の屋根の美しき反り あき子 新しき珈琲挽く日春立てり 貴薫 風神の滑り跡ある薄氷 三無 立春やベランダ野菜少し伸び エイ子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年3月2日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
左義長の火の昇るとき黄昏れる 世詩明 日脚伸ぶ柱時計のネジを巻く ただし 山寺の雪降りやまぬ寝釈迦かな ただし 草の戸に五人囃子や雛あられ 輝一 生まれたるままのお顔のお雛さま 洋子 風花を路面電車の軋む音 清女 日脚伸ぶ切るに切られぬ長電話 同 卒業す最後の家路ペダル踏む 誠
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年3月3日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
裁縫箱折れ針二本供養する 由季子 百歳の君風花のやうに消ゆ 同 つばめ来て知らぬ大地に思ひはせ さとみ 誰が古墳今も謎めき山笑ふ 都 野遊びのかの日の友もみな老いし 同 筓も髪のほつれも譲り雛 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年3月5日 零の会 坊城俊樹選 特選句
朧なり阿羅漢の息かかりては 光子 あの羅漢春の夜より吾に棲みぬ きみよ 百態の羅漢に残る箔や春 眞理子 阿羅漢の水晶の眼に春の夢 光子 阿羅漢のゆるやかに着てあたたかし 炳子 石に彫る魚に目のなき涅槃かな 千種 雛の顔どこかに重ね羅漢見る 順子 乳母車春の闇へと押しやりぬ 和子 阿羅漢のひしめく息の春の闇 光子 肩少しいからせながら地虫出づ 悠紀子
岡田順子選 特選句
囀の鎮まりて僧本堂へ 小鳥 理髪店鏡のなかに椿の千 光子 水草生ふ瀬戸の火鉢に沈む魚 炳子 金箔の泪の羅漢春浅し 佑天 阿羅漢の水晶の眼に春の夢 光子 魂は螺旋階段昇る春 俊樹 朧より羅漢お一人ついて来し きみよ 権の助坂へ突き出る辛夷の芽 要 阿羅漢の手のひらに受く涅槃西風 小鳥 立子忌の夜を渡りて弔ひへ 俊樹 阿羅漢の寂寞のこし鳥帰る 小鳥
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年3月10日 花鳥さゞれ会 坊城俊樹選 特選句
バス停の薄き座布団日脚伸ぶ 雪 冴返る万年筆のペンの金 同 北風と云ふ路地を一直線の風 同 表情も気品も秘めし古雛 かづを 山笑ふ遠嶺々未だ覚めずとも 同 降るもよし木の芽起こしのものなれば 同 人間の蛮行さなか鳥帰る 数幸 されど三月叢生の息吹せり 同 耐へに耐へ山と云ふ山笑ふなり 同 振り向きて人影もなし涅槃西風 匠 雛の間に雪洞の灯の入りをり 希 観音の裾口ふるる桜の芽 千代子 そこばかり明かりのほのか雛の間 天空
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年3月11日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
野遊やすぐに泣く子はすぐ笑ひ 都 逃水や写しては消ゆ里の空 宇太郎 強東風や奇巌に跳ねる波頭 益恵 良き刀の切口美しき挿木かな 宇太郎 掌に雪のつぶ受け待つ便り 佐代子 花杏保育姉妹の帰る頃 すみ子 春の雪万の土鈴に万の黙 悦子 飾る世に喜寿となられし雛かな 美智子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年3月12日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
芍薬の芽に呼びかける風微か 秋尚 鶯の声降り止まぬ陽子墓碑 三無 春の土利き足の踏み残る跡 美枝子 土産物しじみ大きく輝きて 節子 蜆汁啜る同胞父忌日 三無 三椏の三輪親し冠木門 亜栄子 看板は蜆汁なる定食屋 白陶 耕運機ペンペン草の花揺らす 美枝子 母の香や譲りうけたる雛飾る 同 紙雛思ひ思ひの粋な貌 白陶
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年3月14日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
春雷や少し怖くてをかしくて 信子 正論を述ぶるに勇気冴返る 昭上嶋子 春寒し海辺に寄せし注射針 みす枝 背戸口の扉を叩く春一番 三四郎 未だ経に和せず老いて寒の紅 昭上嶋子 若狭路のお水送りの夜の色 ただし 春光る大志抱きて門を出る 英美子 日野隠すひとかたまりの春の雲 信子 一か八かやると決めたる春なりし ミチ子 恋猫の闇も月夜も隔てなし 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年3月16日 福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
春の風むかしの母の在すごと 令子 春風を抱き平たき胸でをり 昭子 夜の更けて椿のおつる音一つ 雪子 春日和もういいかいと声のあり 同 摘草やいつしか祖母の子守唄 啓子 春風や天守を望む校舎跡 笑子 お精舎の木彫の天女春の風 同 其の人の椿の花を嫌ふ訳 雪
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年3月17日 伊藤柏翠俳句記念館 坊城俊樹選 特選句
われ生きるため置れたる春炬燵 世詩明 孕猫雌雄意のまま御意のまま 同 鳥帰る遠嶺かがやく日の中を かづを 美しきままに椿は落ちにけり 同 雪見たし酒飲みたしとのみの文 雪 仏皆美男で御座す彼岸寺 たゞし 花冷や襟高々と異邦人 真喜栄 掌を握り最後の別れ鳥雲に みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年3月20日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
日の色に添はぬ春蘭影もまた 斉 風光る兎狩り後の行在所 三無 うしろ手に歩く鴉やうららけし 千種 水温むとろりとろりと鯉群るる 炳子 春光や赤駒の碑に風のこゑ 幸風 卒業の唱歌流るる木の校舎 久子 陽炎やブリキ看板由美かおる 佑天 オルガンや弾き継がれたる春の曲 同 散る梅にきのふの雨の水たまり 兎生 江戸人形繰る糸や養花天 久 内裏雛烏帽子きりりと男前 三無 圭魚選 行く雲の薄墨桜に遅れがち 久子 豪農の裔の門扉や梅散りぬ 炳子 濡れ色にほぐれあぢさゐ芽吹きけり 秋尚 手際よく風を操る雪柳 三無 遣ひ手を待ちゐる傀儡花の昼 千種 江戸人形繰る糸や養花天 久 飛び石の間を奔りゆく春の水 三無 木の芽吹くけやき並木の空滲む 秋尚
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年3月22日 鯖江花鳥俳句会
十字路に来て春風の屯せる 雪 古語辞典漢和辞典や春隣り 同 春灯墨つぎ足して書く一書 同 春風に各駅停車人拾ふ 世詩明 飾られて現し世を見る雛かな 同 地の温み風の温みに木芽立つ 昭中山子 北窓を開けて忘れし仲違ひ 一涓 境内は別の風吹く涅槃かな たゞし 衝立に虎の咆哮春寒し 昭上嶋子
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令和3年3月 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
陽炎のたつや我が影見失ふ 睦古賀子 翅裏に戦火の色を揚羽蝶 佐和 蘆の角蘆の骸の積むところ 勝利 葬列を見送る先の紫雲英かな 美穂 さくら満つ校庭水のないプール 由紀子 春潮の膨れに踊る浮灯台 洋子 辛夷燃え東に白き十三夜 勝利 悉く天日とらへたる木の芽 さえこ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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technocat1026 · 7 years
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The Jewish Declaration Of War On Germany The Economic Boycott of 1933和訳してみた。
ドイツで の戦争のユダヤ宣言1933年の経済的な ボットコットバーンズレビューからの記事、1月/ 2001、pp。41-45。 The Barnes Review、645 Pennsylvania Ave SE、Suite 100、Washington DC 20003、USA。 M.ラファエル・ジョンソン博士(TBR副編集長) TBRからの許可を得てここに掲載されています。 The Scriptoriumによるこのデジタル版©2002。 1-14-9 ユダヤ人に対するドイツ政府の制裁措置や報復が行われる前に、アドルフ・ヒットラーが誕生した直後のドイツでの国際的なユダヤ人宣告宣言である第二次世界大戦となったでる。1933年3月24日のロンドン・デイリー・エクスプレス号(上記)は、ユダヤ人の指導者たちが強力な国際ユダヤ人の金銭的利益と組み合わさって、いかにして不安定な経済を犠牲にしてドイツのボイコットを開始したかを説明した新しいヒトラー体制を崩壊させた。ドイツはそれに応えて打ちのめされた。したがって、真実が伝えられれば、第二次世界大戦で効果的に第一弾を発射したのは、第三帝国ではなく世界的なユダヤ人の指導者だった。著名なニューヨーク弁護士のSamuel Untermyer(右上)は、ドイツに対する戦争の主な扇動者の1人であり、ユダヤ人のキャンペーンを「聖なる戦争」として描いています。 ヒトラー政権がドイツのユダヤ人の権利を制限し始めるずっと前に、世界のユダヤ人社会の指導者たちは、米国政府やドイツのユダヤ人の指導者たちが、新しいヒトラー政権。 ドイツの国際ユダヤ人指導者による戦争は、ドイツ政府の断固たる報復を呼び起こしただけでなく、ヒトール政府とシオニスト運動の指導者の間の少しの間の経済的・政治的同盟の舞台を築いた。ドイツ人とユダヤ人はパレスチナへの大規模な移住につながるだろう。要するに、結果は、ナチスと現代イスラエル国家の創設者との戦術的同盟でした。今日多くの人が忘れられやすいという事実です。 今日まで、1933年の1月にアドルフ・ヒットラーがドイツ首相に任命されたとき、ドイツ政府はユダヤ人の周りを包囲し、強制収容所に入れて立ち上げるなど、ドイツのユダヤ人を抑圧する政策を開始した国内ユダヤ人の人口に対するテロと暴力のキャンペーン。 ヒトラーが発動した後、ドイツのユダヤ人に対する暴力の散発的な噴火があったが、これは公式に認可されたり奨励されなかった。そして真実は、ドイツの反ユダヤ人の感情(あるいはヨーロッパのどこか他の地域)は実際には新しい��のではなかったということです。すべてのユダヤ人の歴史家が多くの熱意を示しているように、様々な学位の反ユダヤ主義の蜂起は、ヨーロッパの歴史のなかで常に存在していました。 いずれにしても、1933年の初め、ヒトラーはドイツの唯一のリーダーではなく、軍隊の完全な指揮もなかった。ヒトラーは連立政権の主要人物だったが、彼は政府ではなかった。それは後に進化した統合プロセスの結果でした。 Vereinとして知られているドイツのユダヤ人中央協会でさえ、新政府が意図的に反ユダヤ人の反乱を引き起こしているという示唆(ドイツ以外のユダヤ人の指導者たちによって作られた)に異議を唱えた。 ヴェレーン氏は、「ドイツの仲間の市民が、ユダヤ人に対して過度の犯行を余儀なくされるとは考えていない」と声明を発表した。 それにもかかわらず、米国と英国のユダヤ人の指導者たちは、ヒトラー政権との戦争を開始する必要があると自ら決めた。 1933年3月12日、アメリカユダヤ人会議は、3月27日にマディソン・スクエア・ガーデンで大規模な抗議を発表しました。その当時、ユダヤ人戦争退役軍人長の指揮官はアメリカのドイツ商品のボイコットを求めました。その間に、3月23日、2万人のユダヤ人がニューヨーク市の市庁舎に抗議し、北ドイツのロイドとハンブルクアメリカの船外の集会が行われ、ニューヨーク市の商店や事業所にドイツ商品に対抗した。 1933年3月24日のロンドンのデイリー・エクスプレスによると、ユダヤ人はすでにドイツと選出された政府に対するボイコットを開始していた。見出しは「ユダはドイツ戦争を宣言する - 世界のユダヤ人は結束する - ドイツの物品の反撃 - 大衆デモ」この記事は来るべき「聖なる戦争」を説明し、ドイツの財産をボイコットし、ドイツの経済利益に反する大量のデモに参加するためにあらゆるところにユダヤ人を魅了するようになった。エクスプレスによると: 世界中のイスラエル人全員が結集して、ドイツに経済と金融の戦争を宣言しています。新しいドイツの象徴としてのスワスティカの登場は、ユダの古い戦争のシンボルを新しい人生に復活させました。世界中に散らばっている1400万人のユダヤ人は、仲間の信者のドイツの迫害者に対して戦争を宣言するために、一人の人間のようにお互いに緊密です。 ユダヤ人の卸売業者は、ヒトラーの人々に対する聖戦に参加するために、彼の家、銀行家の株式取引所、商人の事業、そして彼の謙虚な小屋をやめる。 エクスプレスは、ドイツは「今や貿易、財政、産業の国際的なボイコットに直面している」と述べた。ロンドン、ニューヨーク、パリ、ワルシャワでは、ユダヤ人のビジネスマンが一体となって経済運動を展開している。 同紙によると、「イスラエルの古くからの再会国は、迫害者との戦いを戦うために新しく現代的な武器で編成される」と報道された。 これは本当に「第二次世界大戦で発砲された最初の銃弾」と言えるでしょう。 同じように、ユダヤ人の新聞Natscha Retschは次のように書いている。 ドイツとの戦争は、すべてのユダヤ人コミュニティ、会議、議会...すべてのユダヤ人によって行われます。それによって、ドイツに対する戦争はイデオロギー的に活気を与え、ドイツを完全に破壊することを要求する我々の利益を促進する。 ユダヤ人にとっての危険は、ドイツ全土、ドイツ全土、そして個別に存在します。それはいつまでも無害にされなければなりません....この戦争では、ユダヤ人は参加しなければなりません。 しかし、ドイツのシオニスト協会は、3月26日に国家社会主義者に対してなされた主張を「プロパガンダ」、「穏やか」、「センセーショナル」と拒否して電報を出したことにも注意してください。 実際、シオニスト派閥は、ドイツにおけるナショナム社会主義イデオロギーの永続性を保証するあらゆる理由を持っていました。Klaus Polkehnは、パレスチナ研究誌(「The Secret Contacts:シオニズムとナチスドイツ、1933-1941」、JPS v。3/4、1976年春/夏)に書いて、シオン主義者の適度な態度はパレスチナへの移民を強制するために国家社会主義の財政的勝利を見ることに関心がある。このほとんど知られていない要素は、最終的にナチス・ドイツとユダヤ人の関係に重要な役割を果たすようになるでしょう。 しかし、一方で、ドイツのコンスタンタン・フォン・ノウラート外相は、「暴行運動」を訴えて言った。 ユダヤ人にとって懸念しているのは、海外のプロパガンダがドイツの共同宗教家たちに、ユダヤ人の迫害と拷問についての歪んだ虚偽の報道を通じて、現在のドイツ政府と戦うために、嘘や不注意でさえない。 ヒトラー政権は、ドイツ国内と国外の両方で、ますます高まる緊張を封じ込めようとしていた。米国では、米国務長官のコルデル・ハル(Cordell Hull)も、米国ユダヤの議会のラビ・スティーブン・ワイズ(Wabise Wab)を派遣し、注意を促した。 一方、ユダヤ人のかなりの物理的虐待が短期間にあったのに対して、この段階は事実上終結したと考えられるかもしれません....個人的な虐待の分野では安定化が見られました....私は、このような国全体に広がる懸念は、すぐに正常に戻ってしまうでしょう。 このニューヨーク・デイリー・ニュースのフロントページの見出しは、1933年3月27日にマディソン・スクエア・ガーデンで開催された反ドイツ抗議集会を歓迎した。ドイツ政府が緊張を緩和し、国際ユダヤ人による名声と脅威の拡大を防ぐ努力をしたラリーは予定通り開催された。同様の集会や抗議行進も同じ時間枠内に他の都市で開催されていた。ドイツに対するユダヤ人のキャンペーンの強さは、キャンペーンが止まらなければドイツにユダヤ人が所有する店舗が1日ボイコットすることをヒトラー政府が誓ったようなものでした。それにもかかわらず、ドイツのユダヤ人がますます疎外された状況を作り出した防衛策をドイツに強いることを憎悪キャンペーンが続いた。ドイツのユダヤ戦に関する真実は、この時期のほとんどの歴史によって抑制されてきた。 このすべてにもかかわらず、ユダヤ人コミュニティの指導者たちは拒否した。3月27日には、マディソン・スクエア・ガーデン、シカゴ、ボストン、フィラデルフィア、ボルチモア、クリーブランドなど70の場所で抗議集会が行われた。ニューヨークのラリーは世界中で放送されました。要するに、「新ドイツ」はユダヤ人の利益の敵であると宣言され、経済的に絞殺される必要があったということです。これは、ヒトラーがユダヤ人の財産をボイコットする前に行われたものです。 ドイツ政府が4月1日にドイツでユダヤ人ビジネスのボイコットを発表したのは、これに直接的な対応であった。ドイツの宣伝大臣Joseph Goebbels博士は、1日のボイコットの後、ドイツ、ボイコットは停止されます。ヒトラー自身が、ユダヤ人の宣戦布告の4日後の3月28日の演説で、ユダヤ人のボイコットと脅威に応えた: 国家の内戦の敵がボルク自身によって解消されたので、私たちが長い間待っていたことは起こらないでしょう。 国境を越えて国境を越えて時間を割いていた共産主義者やマルクス主義犯罪者やユダヤ教の知的扇動家たちは、ドイツのボルク全域を騒がしく戦っている反共キャンペーンを展開している。 ... ドイツについて、積極的な育て方のうそつきのうそつきと中傷が打ち出されている。1914年に一度もやったのと同じように、ドイツのVolkを世界で2度目に侮辱する目的で、解体されたユダヤ人の遺体の恐怖物語、目の詰まり、ハックオフされた手が循環しています。 このように、主題に関するほぼすべての歴史の中から抜け出した事実は、ヒトラーの1933年3月28日のボイコット命令が、ちょうど4日前の世界のユダヤ人指導者によるドイツ戦争宣言に直接反応したことである。今日、ヒトラーのボイコット命令は、裸の攻撃の行為として描かれているが、彼の命令につながる完全な状況は、「ホロコースト」の最も重厚で詳細な歴史でさえほとんど説明されていない。 サウジ・フリードランダーは、ドイツの政策、ナチス・ドイツ、ユダヤ人の概観について、1933年3月28日のユダヤ人の宣告とボイコットがヒトラーの発言に先行していたという事実を述べている。フリードランダーはなぜこのことを感じたのだろうか歴史の項目は無関係です。 単純な事実は、実際にドイツとの戦争で最初の銃撃戦を開始したのは、ユダヤ人が組織されていたということです。 プラカードテキスト: "ドイツ人よ!自分を守って! ユダヤの店で買い物をしないでください! 元のTBR記事の一部ではない写真 - The Scriptoriumによって追加されました。 ドイツの対応は、攻撃的ではなく守備的なものでした。その事実は今日広く知られていましたが、それはその後の出来事に新たな光を与え、最終的にはそれに続く世界的な大火につながったでしょう。 ヒトラーのユダヤ宣言に対する反応を理解するためには、当時のドイツ経済の危機的状況を理解することが不可欠です。1933年、ドイツ経済は暴落しました。300万人のドイツ人が公的援助を受けており、合計6百万人の失業者がいました。ハイパーインフレはドイツの経済的活力を破壊した。さらに、ドイツの反プロパガンダは、ドイツの敵、特にポーランド人とその軍勢の強い軍隊の解決を強化した。 ユダヤ人の指導者は虚偽��はなかった。ボイコットは、単に比喩だけではなく戦争の行為であった。それは、ドイツを政治的、社会的、経済的実体として破壊する手段だった。ドイツに対するユダヤ人のボイコットの長期的な目的は、第一次世界大戦後にドイツに課された賠償金支払いに関して彼女を破産し、ドイツを非武装化し脆弱に保つことでした。 ボイコットは、実際には、ドイツにとっては非常に痛手でした。エドウィン・ブラック(Edwin Black)のようなユダヤ人の学者は、ボイコットに反応して、ドイツの輸出は10%削減されたと報告しており、多くは外国でドイツの資産を押収することを要求していた(Edwin Black、The Transfer Agreement - 第3帝国とユダヤ教パレスチナの間、ニューヨーク、1984)。 ドイツへの攻撃は止まらなかった。世界的なユダヤ人の指導者は、今まで以上に敵対者になり、狂乱に陥った。進行中のボイコットキャンペーンを調整するため、アムステルダムで国際ユダヤ人ボイコット会議が開催されました。それは有名なニューヨーク市の弁護士と長年の政治権力ブローカーSamuel Untermyerが大統領に選出された自己スタイルの世界ユダヤ経済連合の後援のもとに開催された。 会議の後に米国に帰国したとき、UntermyerはWABCラジオ(ニューヨーク)の演説を行い、その写しは1933年8月7日にニューヨークタイムズ紙に印刷されました。 ウンターマイヤーの炎症性の唱言は、ドイツが「ユダヤ人を殺す」計画に従事していたという、まったくの主張をして、ドイツに対する「聖なる戦争」を呼びかけた。彼は(部分的に)言った: ...ドイツは文化の国家から残酷で野蛮な獣の本当の地獄に変わった。 私たちは、迫害された兄弟たちだけでなく、世界全体に、今この信じられない怒りを繰り返すことから人類を解放する打撃を自衛で打つことを誓っています.... 今や地球のすべての国が、虐殺、餓死、絶滅...これらの男性、女性、子供たちに日々迫害されている悪魔の拷問、残虐行為、迫害に対して一般的な原因を作ってはいけません。 物語が語られると、世界は、戦争の地獄とベルギーの残虐主義者たちが、この悪魔的に、意図的に、冷戦的に計画された、すでに部分的に実行されたキャンペーンに比べて些細なものになっていないという野蛮な残虐さで、誇り高く、忠実で、忠実で、法を守る人々の絶滅のために... ユダヤ人は世界の貴族です。彼らは昔から迫害され、迫害者が出入りするのを見てきました。彼らだけで生き残った。それで歴史も繰り返されますが、それは一度大きな国家の暗黒時代への復帰を許可しなければならない、あるいは地獄の拷問から60万人の人間の魂を救うことができない理由はありません。 ...私たちが提案し、すでにこれまでに行ってきたのは、ヒトラー政権を弱体化させ、彼らの存在が依存する輸出貿易を破壊することによってドイツ人を彼らの感覚に導く純粋に防衛的なボイコットを訴追することです。 ...我々は、ドイツが理解するための唯一の方法で自分自身を表現することを提案し、世界の意見を整理している。 その後、Untermyerは、ドイツのボイコットの状況を完全に詐欺的な歴史を持ち、その起源をどのように聞き手に提供しましたか。彼はまた、ドイツ人は「ユダヤ人を殺す」計画を批判していると宣言した。 ヒトラーの体制は、ユダヤ人の店を狙い撃ちし、ドイツ人に対処することを警告し、ユダヤ人の店主を拘束し、ナチス軍を警備している何百人もの人々が唯一の犯罪犯であることを知らせることによって、ユダヤ人の店を突きつけてユダヤ人を撲滅するためのボイコットを恐喝して起訴しているユダヤ人は学校の子供たちを排除し、労働組合から彼らの男性を排除し、生活のあらゆる道を閉め、凶悪な強制収容所に閉じ込め、餓死させ、彼らを拷問して、拷問のあらゆる他の考えられる形態に至る、妊娠を超えて、自殺が逃げるための唯一の手段になるまで、そして彼らの遠隔祖先がユダヤ人であったこと、そしてそれらを駆除するという。 ウンターマイヤー氏は、「キリスト教徒の友人たちの支援を得て、私たちは���妙で狂信的な棺の中で最後の釘を打つ」と宣言することで、 WWIIの最大の秘密? なぜドイツはユダヤ人を一掃するのか それらを東に捧げる なぜドイツ人はユダヤ人を丸め始め、強制収容所で彼らを拘束し始めたのですか?普及した神話とは対照的に、ユダヤ人は、第二次世界大戦の勃発に先立って、独特の特権を制限した法律の対象ではあるが、ドイツ国内では "自由"なままだった。 しかし、他のほとんど知られていない事実は、戦争が始まる直前に、世界のユダヤ人コミュニティの指導者が、ドイツの戦争を正式に宣言したことである。これは、世界中のユダヤ人コミュニティが立ち上げた6年にわたる経済ボイコット党は1933年に権力を握った。 正式な宣言の結果として、ドイツ当局はユダヤ人を潜在的な敵の代理人とみなした。 国際ユダヤ機関と世界シオニスト組織(そして後にイスラエル初代大統領)のチャイム・ワイズマン(Chaim Weizmann)(上)は、ネビル・チェンバレン英国首相とロンドンタイムズ紙に手紙を送って語った1939年9月6日: 私は、最も明白な方法で、先月、特に先週に私と私の同僚がした宣言を、英国が立って、民主主義の側で戦うことを確認したい。我々の緊急の願望は、これらの宣言(ドイツに対する)に効力を与えることです。 私たちは、英国の行動の一般的な仕組みに完全に準拠した形でそうしたいと思います。したがって、大宇宙で、陛下の政府の調整の下で、自分自身を配置します。ユダヤ人機関は、ユダヤ人力、技術能力、資源などを利用するための即座の取り決めに入る用意がある。 [The Scriptoriumによって追加された赤の強調表示] ユダヤ人の歴史家でさえ、今日、ドイツに直面しているプロパガンダキャンペーンの性質を示す、ガス室やユダヤ人を「駆逐する」計画さえあると主張する以前から、ドイツに対する彼の主張はずっと前に作られたという。 1933年の春には、ドイツ政府とパレスチナ(そして実際には世界的に)のシオニスト派の動きが始まった。ドイツ - ユダヤ系移民と首都パレスチナへ。 現代のシオニストイスラエルと多くの歴史家の支持者は、このナチス - シオニスト協定を何十年にもわたって一般大衆に秘密にすることに成功しました。そして、ほとんどのアメリカ人は、ナチスの指導者と何がイスラエルの国家になったのかの創始者であり、真実が現れ始めました。 小さな報道機関によって出版され、いわゆる「主流」メディア(ホロコーストの時代に執着している)によって価値のある宣伝を与えられていない、独裁者のレニ・ブレンナーのシオニズムは、この分野で努力する。 Brennarと他の人々に対する反応として、シオニストの反応は、通常、ナチス・ドイツとの協力がユダヤ人の命を救うためだけに行われたという宣言から成っていた。しかし、多くのユダヤ人やユダヤ人の組織がドイツのボイコットを要求した時に行われたため、協力はより顕著であった。 シオニストの指導者たちには、ヒットラーの権力の仮定はパレスチナへの移民の流れの可能性を排除した。以前は、自分自身をドイツ人と認識していたドイツ人ユダヤ人の大半は、世界ユダヤ人のパレスチナへの集結を促進するシオニスト主義の原因にはほとんど同情していなかった。しかし、シオニストは、反ユダヤ人のヒットラーだけがシオニズムの武器に反シオニストのユダヤ人を押しつけようとしていることを知った。 現代のイスラエルの世界的支持者たち(イスラエル人はもちろんのこと、ホロコースト)についても、ドイツの状況を可能な限り不快なものにすることは怠っている。ドイツ国家社会主義 - 計画の一部でした。 この記事の読者にはドイツ語を読むことができます:第3帝国からのユダヤ人の移住について話し合う小冊子、移民を促進する移民協定がここにあります! これは、いわゆる移民協定の起源であり、ドイツユダヤ人をパレスチナに移すためのシオニストユダヤ人と国家社会主義政府との間の合意であった。 ユダヤ人の歴史家ウォルター・ラキュール(Walter Laqueur)その他多くの人によると、ドイツのユダヤ人は、パレスチナへの移民が答えであると確信していませんでした。さらに、ドイツ人ユダヤ人の大多数はシオニストを政治指導者とみなしていないが、ユダヤ人の中東への大量移転という最終的な解決策を実施する目的でヒトールがシオニストを保護し、協力したことは明らかである。 エドウィン・ブラックは、大量の移民協定(Macmillan、1984)において、ほとんどのユダヤ人がパレスチナに逃げたくないが、ナチス・ドイツ内のシオニスト運動の影響により、ユダヤ人がドイツから出る最良のチャンスは、パレスチナに移住して 換言すれば、移転協定自体は、ユダヤ人の首都がパレスチナに行くことしかできないことを義務付けていた。 したがって、シオン派によれば、ユダヤ人はレヴァントに行った場合に限りドイツを離れることができた。 移転協定の主な難しさ(またはそのような合意の考え方さえ)は、英語[!!!] Scriptorium]は、移民の条件として、各移民がハイファや他の場所への到着時に1,000ポンドを支払うよう要求していた。難しいのは、現金で縛られ、根本的にインフレを起こしているドイツで、そのような硬貨が近づくことはほとんど不可能であったということでした。これが最終的な移転協定の背後にある主な考えでした。Laqueurはこう書いている: ドイツの大手銀行が移民によって払われた資金をドイツの輸出業者の凍結された口座に凍結させる一方で、パレスチナの銀行がドイツ商品のパレスチナへの売却を規制し、移民に現地で必要な外貨を提供する。しかし、ハノイア社の共同オーナーであり移転努力の開始者であるサム・コーエン氏は、自らの国民からの長年にわたる異議申し立てを受け、最終的には、移転協定がより高いレベルで締結されることを認めなければならなかった民間企業ではなく独自の銀行である。ロンドンの有名なアングロ・パレスチナ銀行は、この移転契約に含まれ、[この目的のために]信託会社を創設する予定です。 もちろん、これは1930年代のドイツにおけるシオニズムとナショナ社会主義との関係を扱う際に歴史的に重要なことである。この関係は、ヒトラーの相互利益と政治的偏見だけではなく、ドイツの銀行家や金融機関との緊密な財務関係でもあった。黒の書き込み: シオニストたちが反ナチスのボイコットを覆すのは1つのことでした。シオニズムはドイツのユダヤ人の首都を移転する必要があり、唯一の商品は商品でした。しかしすぐにシオニストの指導者は、将来のユダヤ系パレスチナ経済の成功は、ナチス経済の生存と密接に結びつくであろうと理解した。だから、シオニスト勢力はさらに追いつくように強制されました。ドイツの経済を守り、安定させ、必要に応じて強化する必要があります。したがって、ナチス党とシオニスト主催者は、ドイツの復興に共通の関わりを共有した。 したがって、1933年以降の世界ユダヤ人における急激な亀裂が見られる。最初に、非シオニスト派ユダヤ人(特に1933年に設立された世界ユダヤ人会議)がいましたが、一方でドイツのボイコットと最終的な破壊を要求しました。黒人は、これらの人々の多くはニューヨークやアムステルダムだけではなかったが、これの主要な情報源はパレスチナ自治体からも来たと指摘する。 一方で、パレスチナでの最終的な再定住のために、シオニストたちがそのような気持ちを賢明に利用するのを見ることができます。言い換えれば、シオニズムは、ユダヤ人がレバントに移動することから、新経済が機能するためには資本移動が必要であると信じていたと言える(そしてブラックはこれを示唆している)。 その結果、シオニズムが国家社会主義と同盟しなければならないという理解が得られたので、ドイツ政府はユダヤ人の首都が国外に流出するのを妨げないだろう。 それは、ユダヤ人がユダヤ人をレバントに脅かすためのドイツの慣習を告白する際に大声で叫ぶ時にシオニストが関心を示したのに対し、ラクールは「シオニストはドイツの経済を脅かさないよう動機づけられた通貨。" 言い換えれば、ユダヤ人ディアスポラのシオニスト指導者は、ユダヤ人に対するドイツの敵意が出現しただけで、移民が唯一の脱出だと世界のユダヤ人に説得していた。 事実、イスラエル国家の最終的な設立は詐欺に基づいているということです。シオニストは、1933年に少数の少数のドイツ人ユダヤ人を代表する者ではなかった。 一方で、イスラエルのシオニスト祖父は、国家社会主義政府が安定し、財政的に、政治的にとどまるように節制を要求しながら、世界のユダヤ人に対するドイツの「残虐行為」の大声を叫ぶことを望んでいた。こうしてシオニズムはボイコットをボイコットした。 すべての目的と目的のために、国家社会主義政府は、ヨーロッパ人が反ユダヤ人であり、パレスチナが唯一の答えであったということを多くのユダヤ人が「証明」したため、シオニズムに起こるのは最高のものでした。圧倒的多数のユダヤ人がアドルフ・ヒットラーとのトリッキーと協力によってしか圧倒していない。 シオニストにとって、ユダヤ人に対するドイツの政策の放棄(ユダヤ人を怖がらせる)とドイツ経済の再活性化(最終的な移住のため)は、シオニストの運動にとって不可欠でした。皮肉なことに、今日、イスラエルのシオニスト指導者たちは、ナショナム社会主義者の恐ろしい非人道的な体制について酷く訴えている。だから詐欺は続けられます。 免責事項
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scenaritrpg · 7 years
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SW2.0シナリオ 『レプリカ=ループ』
シナリオ名 :「レプリカ=ループ」 推奨人数  :3人 推奨レベル :6-7 ジャンル  :ノンストップエンディングアドベンチャー 難易度   :★★★☆☆
製作者    :しょーぐん
 ●概要  テラスティア大陸北部。ザルツ地方の北に位置する、城塞都市バーレスにある冒険者の店にてPC達が依頼を受ける事で物語は始まります。  約90年前から現在にかけて、段々と目立つようになってきた一つの事件。 それは、"ナイトメアの誘拐事件"である。しかし、産まれながらにして差別の対象となり、迫害され、親に見捨てられるナイトメアを保護する必要が無くなった各国は、その事件を有難く思い、笑みを浮かべながら目を瞑っているのだ。 故に、その事件は永遠に解決されない。表面上では調査を行う国はあるかもしれない。 しかし、その調査結果は語るまでもない――。 そんななか、君達は誘拐された依頼人の娘を救い出すべく、その奇妙な事件へと足を踏み入れて行く事となる――。
 ●導入  PC達の関係性はご自由に。朝9時に、PC達が城塞都市バーレスにある冒険者の店にいる事を前提に始めていきましょう。  テラスティア大陸北部。ザルツ地方の北に位置する、城塞都市バーレスより物語りは始まります。  春のそよ風が君達の頬を撫でる。暖かな日差しは眠気を誘い、澄んだ空気が体全体に染み渡り心地よい。  そんなことを感じながら君達は武具やポーション類を補充する、冒険者たちで賑わいを見せる市場を抜け、冒険者である君達は、その街にある冒険者の店に訪れることだろう。  同時に街では、朝9時をさす協会の鐘の音が鳴り響いた。 ��君達が店の中でしばらく滞在していると、店の扉が開かれ、一人の緑髪のエルフの青年が数十枚の紙を抱えながら店内へとやってきては、店主である人物にその紙を手渡し、なにやら話をしている。 聞き耳判定(6)  「はいこれ、今月の被害者達ね。うーん被害者ってのは間違っているかな? まっいっか。あっそれからこんなものも渡されたよ」  そう言って青年は上質な一枚の紙を店主に手渡し、再び口を開ける。  「こっちは依頼書ね。まったく悪い冗談だよねー。ほっとけば良いのにさー。まぁ僕はこれを貴方に渡してって頼まれただけだし? 関係ないんだけどさ。これ見てよ!報酬金すごくない!? でもナイトメアにこんな大金をはたくなんて相当な金持ち――」  そこまで青年が言うと、ずっと口を閉じていた店主が机を勢いよく叩きつけ、その青年を酷く睨みつけながら小さく、端的に呟く  「帰りな、クソガキが」  その言葉を聞き終えた青年は汗をダラダラと流しながら逃げるように冒険者の店を飛び出していきました。
 店主は額に手を当て「はぁ」と深くため息を吐きながら店内を見渡し、カツカツと足音を立てながらPC1に近づき、声を掛けてきました。 【依頼を受ける様に促して下さい。PC1が了承すれば、同じようにPC2にも声を掛けてあげて下さい。】
 そうして〇人を集めた店主はカウンターへと戻り、ふぅと一度深呼吸をした後に口を開ける。  「これから話す依頼は、その、まぁ、あれだ。今ザルツをちょっこし騒がせている例の事件だ。あんたらも冒険者なら知ってんだろ?」 【ここで見識判定を降らせても、降らせなくても構いません。失敗しても店主が説明してあげて下さい。達成値は(8)です。】 『例の事件』について ・約90年前から少しづつ現在にかけて、段々と目立つようになってきた一つの事件。 ・簡単に概要をまとめると、ナイトメアが誘拐される事件である。 ・誘拐されるナイトメアの年齢層は生まれたての者も居れば、少年と呼ばれるまでに成長した者。青年と様々である。 ・しかし、産まれながらにして差別の対象となり、迫害され、親に見捨てられるナイトメアを保護する必要がなくなった各国は、その事件を有難く思い、笑みを浮かべながら、目を瞑っている。 ・故に、その事件の解決は永遠にされない。表面上では調査を行う国はあるかもしれない。しかし、その現状は――語るまでもない。  一通り説明を終えた後に、店主はまた新たに一枚の紙を取り出し、君達に見せる。それは依頼書でした。
~依頼書~
条件 ・誘拐された子供。ケラソス=エスペランサの救出。 目的地 ・エテルニータの村
依頼主 ・ベディヴィア=ケラソス
内容 娘が誘拐されてしまいました。お願いします。娘を取り戻してください。
 「少し大きな仕事にはなるが、そのぶん報酬も沢山でる。しかし一つ条件があってだなぁ。その依頼は極秘裏に遂行してほしいんだ。国になに言われるか、わかんねーからな。どうだ?危険だけど莫大な報酬が出る依頼。受けてみる気はないか?」  ここで依頼を引き受ける様に促して下さい。  「エテルニータの村。ここが奴等の本拠地だ。気を付けてくれよ。その村にナイトメア以外の種族は入れさせないって噂を聞く。潜入するときはくれぐれも慎重にな」 「あとそれから、これを持っていくと良い。エテルニータまでの地図だ。ライダーギルドの人に見せるなりなんなりしてくれ。」 「さてと、これで俺の仕事はお終いだ。報酬金の受け渡しやお子さんを連れて帰る場所はここじゃなく、依頼人ご本人さんとやってくれ。それが依頼人さんのご希望らしいからな。ほら、その依頼書の裏に依頼人の家の地図が載ってるだろ?それを頼りな。まぁ挨拶ぐらいはしといたらどうだ?」  「それじゃあな。頼りにしてるぜ冒険者さん達。」
 ●ケラソス邸  君達は地図を頼りにケラソス邸にまで足を運ぶ。  そこは高さ約9メートル、横は約11メ―トル。そして家を囲むようにして建設されている外壁は2メートルほどで、その真ん中には正門がある西洋風の家が建てられてあります。  そして、君達は正門を潜らずとも、それに目が付くでしょう。  その家の庭には西洋風の家には、あまり似合わないピンク色の花を満開に咲かせている大きな木が一つ植えられており、春風が吹くたびに、ピンク色の葉が、空に舞っています。
 君達が正門を潜り、扉をノックすると、中から一人の女性が出てきました。  その女性は酷くやつれており、虚ろな目で君達を見て尋ねます。  「はい、なにかしら...?」 「〇〇〇です」  君達がそう答えると、女性は目に輝きを取り戻し  「あぁ!貴方達が!そう、引き受けてくれたのね・・・!! ありがとう・・ありがとう・・!!お茶を用意するわ!上がって頂戴!」  そう誘われ、君達は玄関を潜り、家の中へと入っていきます。  入って左に進んでいくと、暖炉や椅子などが用意された大き目の部屋があり、「そこらへんの適当な椅子に腰かけて待っていて。すぐにお茶を用意してくるわ」女性はそう言ってその場から離れました。  しばらくすると、優雅な臭いと、甘い匂いを漂わせながら、女性が戻ってきました。  その手にはふわふわと湯気がたつハーブティーと、ほのかにオレンジ色をしたクッキーを両手に持っていました。  「おまたせしてしまって、ごめんなさい。」  女性はそう言いながら君達にお茶とお菓子を配り、腰かけます。  「申し遅れてごめんなさい。私の名前はケラソス=ベディヴィアよ。よろしくね」
・ケラソス=エスペランサについて 君達がそのことに触れると、ベディヴィアの顔は暗く沈みました。そして小さく「なにについて聞きたいのかしら?」と尋ねます。 ※ケラソス=エスペランサ 14歳のナイトメアの女性。 明るい性格で、とても優しい。 ピンク色の髪を持つ。 ・父親は・・・? 「父は私がエスペランサを産んだのを憎み、ナイトメアの赤子を産みやがって!と吐き捨てられ、そのままどこかへ行ってしまいました。だからこそ私はこの子を守らなきゃと思ったのです。それなのに・・・。それなのに・・・。」 ・庭の木について 「あれは私とエスペランサで植えたものなんです。桜と呼ばれる木でして、今の時期になると、ああやってピンク色の花を咲かせるのです。それでエスペランサは私の髪の毛と同じだと毎年喜んでくれました。それがとても嬉しくて・・・」
 ●エテルニータの村へ向かう ・エテルニータへは徒歩で16時間 馬車で4時間  君たちが馬車を借りるべく、ライダーギルドへと足を運ぶと、緑色の鮮やかな鱗が目立つガタイが大きなリルドラケンが出迎えてくれます。  「おう、らっしゃい。」 エテルニータまで行きたいんだけど・・・。  「エテルニータ…ねぇ…。あそこの村に入る為には、村から発行される許可証を持った荷台しか入れねぇんだよ。だから連れて行けるのは村の近くまでだな。そこからは30分程は歩いてもらうが構わないか?」 「それじゃあすぐ用意するから、街の正門でちょい待っといてくれ。」
 君達が馬車に乗り込むと、鞭をうつ音が鳴り響き、動き出す。  街を抜け、平地の草原を抜け、木製の端を渡り、馬車は深い森へと入っていく。  人工的に造られた大きな一本道を進み続けること約15分。馬車は減速していき、そして停車する。 「俺が連れて行けるのはここまでだ。ここからは歩いて行ってもらうぜ」 待っていてくれるかな?  「あぁ?仕方ねーな。今晩まで待っといてやるよ。」 これ以上は進める?  「バーレスを出る際にも行ったが、そいつはできねぇ。わりぃな」
ここから先は歩くよ。 「おう、くれぐれも気をつけてな。」
 君達が、大樹に囲まれた大きな一本道を歩くこと約25分後。  視線の先に見えてきたのは、木造でできた高さ約5m近くある大きな柵だった。  しかし、この一本道の最終地点にその柵は立てられてはおらず、変わりに幅約4m程の開けた場所があるだけだった。
・進む  君達が更に歩みを進めていくと、幅約4mの開けた場所は正門であり、同時にその正門の両端には、腰に剣を掲げている者が一人ずつ立っている事に君達は目がいくだろう。
・隠れて進む  君達は一本道から外れ、大樹に身を潜めながら、その場所へと歩を進めていく。  すると幅約4mの開けた場所は正門であり、同時にその正門の両端には、腰に剣を掲げている者が一人ずつ立っている事にも君達は目がいくだろう。
・門番に声をかける  「何者だ」 冒険者なのですが・・・  「冒険者がこの村になんの様がある。立ち去れ」 【ナイトメア以外の種族には厳しいです。しつこく迫られた場合はダークナイト*2と戦闘にしちゃいましょう】
・しばらく様子を伺う  君達が大樹に身を潜めながら、様子を伺っていると、鞭の音を鳴らしながら一台の荷馬車が君達を横切り、正門で停車する。そして何やら門番と会話をしているようです。
聞き耳判定(9) 君達が聞き耳を立てると、どうやらこんな会話をしているようでした。 「許可証は?」  「はい、これをどうぞ」 「荷台の中身はなんだ?」  「主にポーション類だ」 「なるほど。わかった。通ってよし」 「数分後に、武具を乗っけた荷馬車がもう一台来るから、そのときもよろしくなー」 と言って、荷馬車の運転手は正門を潜り、中へと入って行きました。
※この聞き耳に成功している場合、下記のイベントが発生。
・そのまま身を潜め続ける。  君達が更に木蔭で身を潜めていると、先ほどの運転手が言っていた通り、荷馬車がやってきては、数回、門番と会話をした後に、また中へと入っていきました。
・もう一台の荷馬車に乗り込む ○○の理由があって、荷馬車に乗せてくれませんか?  「どういう理由があるかはしらねぇが、乗車代さえ頂けりゃ、別にかまわんよ」 ※ここで正直に依頼を話せば金次第で協力し、降車する際に頭を隠す帽子を貸し与えてくれる。 一人100G 値切り不可  ※金を出せば友好的に接する。
 君達が荷馬車に乗り込んだ事を見届けると、鞭をうつ音が森に鳴り響き、ごとごとと揺れながら動き出す。  数分後、その揺れは無くなり、声が聞こえてきます。 「許可証は?」  「はい、これをどうぞ」 「荷台の中身はなんだ?」  「武具類だ」 「なるほど。わかった。通ってよし」  その言葉を聞き終えると同時に、鞭を打つ音と共に荷馬車は動き出す、先ほどに比べて揺れが激しくなり、数分後、荷馬車は停車した。  「ほら、着いたぜ。荷降ろしの邪魔になる、さっさと降りな。」 依頼内容を正直に話していた場合下記のイベント発生。 「あ、それからこの村じゃナイトメア以外の種族は歓迎されない。これを持っていきな」 と言い、フード付きのローブを貸し与えてくれる。 「ほらほら、それを被ったら人目が無い今の内にさっさと降りな」
 ●エテルニータの村。  君達が荷馬車を降りると、そこは石畳の上であった。辺りを見渡すと、木造の家が多くあり、爽やかな春の風が君達の頬を撫でる。  君達は確かにエテルニータの村に忍び込むことに成功したのだった。 ※ここでハンドアウトの公開 ・宿 ・広場 ・武器屋 ・道具屋 ・料亭/酒場 ・村長の家 【宿】  君達が宿に入ると、その扉が開く音を聞いてか、奥から「なんだ、なんだ、珍しく客人か?」と言いながら、カウンターの方にナイトメアの男性がやってきました。
 「なんだあんたら?泊りに来たのか?」  「――まぁ、こっちも商売だ。深入りはしないさ。ほら、このカギを持ってきな。部屋は左にある階段を上った場所にあるよ。それじゃあな」  ナイトメアの男性はそう言って、また奥のほうへと消えていきました。
【広場】  君達が広場に向かうと、そこには陽気な音楽を引きならす者や、追いかけっこ等をして遊ぶ子供たちの姿を見る事ができます。
【武器屋】  君達が武器屋にまで足を運ぶと、そこに扉などはなく、カウンターの前に立つ受付の女性と、その奥には多種多様の武器が見えるようにして陳列されていました。
【道具屋】  君達が道具屋にまで足を運ぶと、そこも武器屋と同じく扉などは無く、カウンターの奥に果物やポーション類が見えるようにして陳列されています。
【料亭/酒場】  君達が酒場の方へと向かうと、中から賑やかな声が外にまで響いています。 少し上を見上げると、木造の看板が取付けられており、そこには【飯屋】と掘られていました。
 扉を開け中に入ると、それはまぁ賑やかな場所でした。  酒を飲みあかし語り合う者達や、陽気な雰囲気に飲まれて歌いだす者など、そこにいる者が思い思いの時間を過ごしています。
【村長の家:外】  君達は村長の家に向かうべく、歩を進める。
 君達が木製の扉をノックするも中から返事は聞こえてきません。 ※スケジュール的に荷馬車の納品業務に出ているため。
・ドアノブをひねる  君達はドアノブをひねってみますが、どうやら鍵がかけられている様で、開きません。
・辺りをぐるっと一周する。  君達が辺りをぐるりと一周すると、一つだけ開けっぱなしにされている窓があることに気が付くでしょう。  人間一人ぐらいは余裕で入れそうな窓です。 【村長の家:内部】  君達が村長の家の中に入ると、外観の大きなの割には、そこが吹き抜けのワンルームであることに気が付きます。  そこには書類が沢山積まれている机や、人間二人が入れるような大きさのベッド。いくつもの本が綺麗に整頓されている本棚。見るからにふかふかのソファ等があります。
《 机 》  君が机に近づいてみると、机の真ん中。書類が詰まれていない場所に《今日のスケジュール》と記載されている紙が置かれていることに気が付きます。
【今日のスケジュール】 ※共有メモ 9時00分 朝の見回り 〇時〇分 荷馬車の荷降ろし ※ここを軸に時間調整 〇時〇分 昼の見回り 〇時〇分 奴隷地下区の見回り ※このメモをも見た辺りの時間に設定。対面を回避。 〇時〇分 夕の見回り 18時00分 帰宅 ※これを見たら(奴隷地下区の情報を得たら)、ハンドアウトに奴隷地下区の情報を追加。
《 ベッド 》  そのベッドは中々に大きく、かけ布団等も綺麗に敷かれています。 良い匂い。
《 本棚 》  その本棚には、冒険譚や哲学本、絵本など、様々な本がきっちりと種類別に整頓されて置かれてあります。 探索判定(4)  君が本棚を探索すると、綺麗に整頓された本棚から微かに前にはみ出ている本を見つけることが出来ます。 【取る】  それはごく一般的な本です。※この本に意味はない。 【直す】  君が手に取った本を直そうとすると、その奥にもう一冊、まるで隠すように直されてある本を見つける事が出来ます。 【見る】  その本のタイトルには【永久幸福革命譚】と記されており、その下に小さく【著者:ルヴァンシュ】と記されています。
永久幸福革命譚 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 多くの悲しみを見た。多くの嘆きを耳にした。 数え切れぬ屍を見続けた。数え切れぬ終わりを見続けた。 永遠に癒えぬナニかを背負いながら、私は――七百八四年目の桜を見た。 私はそこそこ裕福な家に産まれ、そして、すぐに父に捨てられた。理由なんてただ一つ。それは私がナイトメアだからである。多種多様な生命が生きるこの世界では、其々が長所と短所と特徴を持っている。それは互いが認め合い、共に手を取り合えば素晴らしく真価を発揮するもの…だったのだと思う。しかし神は、人間に運命に愛された種族などとばかげた特徴を与え、更につけ加えるとこの世界で最も繁栄を果たした生命体となったソレは、この世界の天秤の針を大きく傾かせた。運命に愛されただと?馬鹿を言うな。何かに長けている訳でもなく、寿命も七十年やそこらしかないあの愚かな種族が?人間はこの世界で最も愚かな生命体であり、そして。この世界で一番の神の失敗作だ。 永遠の命を持つ究極生命体、ナイトメアこそ最高傑作。一寸の狂いなんてなし。なのに、それなのに――。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 時に我々は、伝染病の元凶とされ 時に我々は、国民の不満のはけ口にされ、 時に我々は――。
実に百六十年。私はその苦痛に耐え続けた。
なぜより良い世界を目指そうとしないのか。 文明の発展を、種族特徴の研究を、道徳の進展を。 我々は、背負っていける。 何年、何十年、何百年、何千年。否、永遠に語り継いで行ける。 なのに、それなのに――!! ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 終着点が定められている限りある命など無駄でしかない。 命の終わりは悲しい。 命の終わりは恐ろしい。 なぜ神は、我々以外に生命活動の終着点を与えたのだ・・・。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 命に終わりが無いのは嬉しい。 命に終わりが無いのは喜ばしい。 我々は恵まれている。どんな種族よりも、どんな生命よりも。 それ故に許せない。 なぜ永遠に、迫害され続けなければならない。 なぜ永遠に、癒えぬ傷を背負わなくてはならない。 それはおかしい。 それは間違っている。 我々ナイトメアだって――他の生命が感じているような幸福や幸せが欲しい。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 永遠の苦痛などうんざりだ。 永遠の悲しみなど狂っている。 永遠の恐怖なんてものは必要ない。 私は、ただ欲しいだけなんだ。 笑いあって、喜び合える、永遠の幸福が――。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 我々、ナイトメア以外の種族はみな、死に別れる。 それは、実に悲しい。 それは、実に愚かだ。 それは、実に無駄なこと。 ならば、誰かが作るしかない。 永久に”死”の概念が存在しない楽園を。 誰も悲しみ、嘆くことのない理想郷を。 誰が、誰が――。
――私が今ここに、革命の狼煙を上げよう。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 我々はもう迫害される恐れは無く 我々はもう死に怯えることも無い。 我々は誰もが平等であり 我々は誰もが幸福である。 我々が、我々のみで統一された この世界でただ一つの楽園。
永久の理想郷:エテルニータ。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――
 《 ソファ 》  ふかふかです。
【奴隷地下区まで】  君達は奴隷地下区まで向かうため大道理を歩く。しかし奇妙なことに、その大通りを進めば、進んでいくほど人の気配はなくなっていき、数分歩くと、いよいよ人の気配は全く感じられなくなった。そんな奇妙な場所に、その奇妙な建物はあった。それはコンクリートのみで築き上げられた、大きさは約5メートルほどの、あまりにも綺麗な正方形の建築物であった。
・ドアノブをひねる  君達はドアノブをひねってみますが、どうやら鍵がかけられている様で、開きません。
 しばらくすると、遠いとこ��から微かに足音と金属音らしき物音が君達は聞えてくるだろう。  それは段々とこちらに向かってきている様だ。
聞き耳判定(9) 地下区の業務は楽できるから最高だぜー。なぁ?」 「あぁ、ストレス発散にもなるしな」 「ちがいねぇ」「がははは」「がははは」 と言う会話が聞こえてきます。
【隠れる】  君達が物陰に身を潜めていると、その足音と金属音は段々と大きくなり、そして。  その奇妙な建築物の前で足を止める。 「おい、周りに異状が無いか確認しておけよー」 「大丈夫大丈夫、どうせ誰も居ないって」 「まぁそりゃそうか」  その会話が終わると、かちゃりと言う音と共に、再び足音と金属音が鳴らしながら、その音は消えていきました。
【戦う】 「おいおい。なんだあんたらこんなところに」 「見ない顔だな・・・」 「ここは安易に坊ちゃん達が来ちゃいけない場所ってことぐらい知ってんだろー?さっさと立ち去りな」
【エネミー】 ダークナイト*2
戦利品判定orスリ判定で、奴隷地下区の鍵を入手。  君達が入手した鍵を、鍵穴に差し込むと、かちゃりと音をたてました。扉を開けると、中とても暗く、下へと続く階段だけが伸びており、4段目より先は、暗視を持っていない者は見ることが出来ません。君達が階段を下り進めていくこと約1分。段差はなくなり、先へと続く道がまっすぐに伸びていました。その道を更に進むと、その奥には重々しい雰囲気を漂わせる鉄扉が一つ。取り付けられています。
・ドアノブをひねる  君達はドアノブをひねってみますが、どうやら鍵がかけられている様で、開きません。
・地下奴隷区の鍵を使用する。 先程入手した鍵を使用すると、かちゃりと音をたてました。 聞き耳判定(8)  君はその冷たい鉄の扉に耳を当て、聞き耳を立てる。  そんな君に聞こえてきたのは、うめき声や嘆き声。罵声と怒号。そして。鞭のようなものが打たれる音であった。
・扉を開ける。  君達がその扉を開けると、そこには奇妙な光景が広がっていた。  簡潔に言うと、ソレは巨大な空洞であった。自然で作られたものなどではない、明らかに人の手によって作られたものだ。  もちろんのこと太陽の光などは差し込んではおらず、代わりに松明の炎がメラメラと淡い光を灯しているのみである。  大きなピッケルを担ぐ人族の男性や石炭や魔晶石を運ぶ人族の子供たち。  そして、木製の木の板に永久繁栄労働者と彫られたプレートを首から下げ、葉巻やエール等を飲み散らかす女性たち。  なによりその空間で一番恐ろしいこと。それは。  蛮族と少数のナイトメアがソレらを監視していることである。
※君達が今いる場所から、大体を見渡せるため、地図を更新します。
Tumblr media
【GM情報】 PC達は左下にいます。右橋の長方形は鉄格子の檻。主に人族が収容。 上四つの正方形は魔晶石や鉱石を補完する場所です。 上四つ、右上端の空白部分は奴隷が堀り進めている穴です。 【地下奴隷区:内部】
・少し様子を見る  君達が少し様子を見続けていると、魔晶石を運び続けていた一人の少年がふらふらとよろめき、そして。倒れる。  起き上がる気配はなく、ただその場で地に伏せ続けている。  しばらくすると辺りはざわめきだし、その様子を見てかナイトメアが二人その場に歩み寄り、口を開く。  「生命活動、残りわずか。処分一名。」  端的に、そして機械的にその言葉を口にすると、そのナイトメアは腰にぶら下げていた鞘から剣を抜刀する。  「お前は魔晶石を永遠に運ぶだけの家畜だ。それすらもできねえ生命体は――ただのゴミだ」  そう吐き捨てると同時に、少年の首元に剣先を向け、そして――。 【何も行動を起こさない】  無情にも、その剣は少年を貫いた。 【行動を起こす】  「ん?なんだ!?侵入者か!?」
【エネミー】 ダークナイト*2 前衛 オーガ* 後衛 コボルドシューター*2 後衛
 君達が戦闘に勝利すると、辺りがざわめきだす。  「どうなってる・・・。」  「なにが起きたんだ・・・。」  その声は段々と大きくなっていき、奴隷地下区の者たちは君達に迫りより、説明を求めてきます。
君達を開放する。  「だけど、ここを出ることは重罪だ。死刑にされちまう・・・。」  「外の世界に出ると俺達、人間は迫害されちまう」  「人間は産まれながらにして穢れてんだ。外に出ても居場所なんか――」 ※この人間たちの正体は産まれながらにしてここで育ち、労働を強いられ、洗脳された者達です。
ケラソス=エスペランサを探しに来た。  「ケラソスなら、あそこだよ」  と言って、檻の中を指さす。するとそこには綺麗なピンク色の髪をした女の子が膝を抱え座り込んでいました。
●ケラソス=エスペランサ 君を開放しに来た。  「私を――? おうちに帰れるの?」
●クライマックスフェイズへ  「ねぇ待って、冒険者さんたち」  「これから、どうするの?」 君を家に送り届ける  「ありがとう・・・。でもね冒険者さん。助けてあげて欲しい人がいるの」  「私がここに収容された理由は他の人とは少し違うの」  「私は、この村の勉強をする為にここに入れられた」  「この村の在り方を、私たちナイトメアはどう生きなければならないのか。とかね」  「私ね、少し思ってしまったんです。村長の理想は間違えていないと。でも、こうしてナイトメア以外の種族が苦しむのは間違えている。だから、止めて欲しいんです。お国の騎士はきっと耳を傾けてはくれない。でも私たちを救ってくれた冒険者さん達なら!きっと」  それ以上の言葉を発することはなく、唇をかみしめ、エスペランサは俯く。 村長を止めに行く。  「やっぱり、そうなんですね・・・。」  「実は私、ここに収容された理由は他に人とは少し違うの」  「私は、この村の勉強をする為にここに入れられた」  「この村の在り方を、私たちナイトメアはどう生きなければならないのか。とかね」  「私ね、少し思ってしまったんです。村長の理想は間違えていないと。でも、こうしてナイトメア以外の種族が苦しむのは間違えている。だから冒険者さんがそう言ってくれて私は嬉しい。でも、一つだけ。お願いを聞いてくれませんか?」  「私も連れて行ってください。絶対に足は引っ張りません。お願いします!」
【村長の自宅へ】  君達は村長の家に向かうため、走り出すこと、約数分。君達は二度目である村長の家に着くことが出来る。 ・ノックする  君達が木製の扉をノックするも中から返事は聞こえてきません。
・ドアノブをひねる  君達はドアノブをひねってると、かちゃりと音をたてました。 どうやら空いているようです。
・辺りをぐるっと一周する。  君達が辺りをぐるりと一周すると、一つだけ開けっぱなしにされている窓は開けたままなことに気が付くでしょう。
【村長の家:内部】  君達が村長の家の中に入ると、その異様な光景がまず目に行くだろう。  綺麗に整頓されていた本達、机の上に積まれていた書類などは全て床に散らばっており、机の上には、ナイフが突き刺された一冊の本と、一枚の紙が置かれています。
《 机 》  君が机に向かうと、その上には、ナイフが突き刺された一冊の本と、一枚の紙がある。
 ナイフが突き刺さったその本には【永久幸福革命譚】と記されています。
 一枚の紙には、ただ一言「広場で待つ」とだけ、まるで殴り書きの様に書き記されていました。
【広場に向かう】  血のように赤かった夕日は沈み、君達は街の街頭だけを頼りに広場まで向かう。  目標地点に近づいていくにつれて、空間が汚れていくような感覚に陥る。  そして見えてきたのは、広場の中心に立つ二体の影。  そうして君達が広場に辿り着くと同時に、その声は村に木霊する。  「そう。貴方達なのね。この理想郷をこそこそと嗅ぎまわっていた奴等ってのは」  「充分に満喫できたかしら?ここは素敵なところだったでしょ?」  「でも、この村はもっと凄くなるのよ」  「迫害されているナイトメアを保護し、産まれると同時に捨てられるナイトメアを保護し、そして、この理想郷の人間には、永久に哀れな生を産み続けてもらい、ナイトメア以外の生命は処分する。そうして傾いた天秤を修復させていくと同時に、この村は街となり、国となるの。永遠の命を持つナイトメアのみで統一された、不老不死の王国!この世界でただ一つの理想郷を建国させるのよ!」
【お前は間違っている!】  「間違っている・・・。ねぇ。確かに。選択肢は何万通りもある。それでも選べるものはただ一つ。何万通りもある選択肢を全て試すには――貴方達の生命は短すぎる。」  「でも私は違う。私は永遠の命を持っている!もし仮に、今の方法が間違っていたとしても!それを正せる時間が、私には無限にある!永遠の命をもつナイトメアこそがこの世界を正しく導ける!より優れた種族が、そうでない者たちを管理せねばならない!」
 「私が掲げた理想は!正義は!決して!間違いなどではないっ!」
 そう高らかに宣言した、永遠の理想郷の不死王マリー=ルヴァンシュは鞘から剣を勢いよく抜刀し、君達に剣先を向ける。  同時に後方から響くのは鼓膜を破るかのような大地をも揺るがす強烈な咆哮。戦闘です。 【エネミー】 マリー=ルヴァンシュ*1 前衛 ミノタウロスキャスター*1 後衛 真悟魔法&神聖魔法
【勝利】 「――ウッ・・・。またこの結末なのか・・・。」  折れかけの剣を杖代わりに未だ立ち上がろうとするルヴァンシュは虚ろな目で君達を見ながら小さく掠れた声で続ける。  「私は、私は・・・。間違っていたのだろうか・・・?」
 その言葉を最後にルヴァンシュはゆっくりと瞼を閉じ、杖代わりにしていた剣を捨てるようにして、何百年と蓄積させた思いと共に、その体を大地に預ける。
 そんなルヴァンシュに近づく一人の影。それは同じく永遠の命を持つナイトメアの少女。ケラソス=エスペランサの姿だった。  その少女は倒れこむ女性に手を差し伸べ、口を開けた。  「私は悲しかった。生まれながらにして、穢れを持ち。差別の対象となり。この世界の、どこにも居場所なんて無い。どこにいっても私は一人だった。寂しかった。辛かった。だから、私は美しいと思いました。私達ナイトメアが幸福で、幸せで、笑いあえる場所を。それはきっと理想郷に違いありません。でも、それでもね。きっといるはずなんです。私達ナイトメアにも手を差し伸べてくれる方が――きっと。」  「それぞれの種族が、それぞれの長所と短所を認め合い、共に手を取り合って、共にに大地を踏みしめて、最後は自分の力で一日一日を一生懸命に、精一杯、生きることができれば、その場所は。いいえ、この世界は。――みんなの理想郷になる。」  エスペランサは、目を輝かせながら、そんな理想を語った。  ルヴァンシュは、目を曇らせながら、そんな幻想を遮った。  「そんなものは夢物語だ。何百年、何千年生き続けたこの私こそが証人だよ」  そう、悲しげに語るルヴァンシュに対し、エスペランサは再び彼女の手をギュっと握りしめ、口を開いた。  「なんだって実現するまでは夢物語だよ!ルキスラの飛行船も、マギテック協会の錬金術だって!昔は夢物語でした。だからこそ私は信じ続けたい。いつか、いつの日か。みんなが笑いあえる世界になることを――。ずっと、いつまでも、見届けたい。」
 それはまるで、古い鏡を見ているような気分だった。  ルヴァンシュが遠い過去に忘れてきたものを、目の前の彼女は全て持っていたのだ。  不思議と口角が緩む。  こんな結末もあったのだなと・・・。心の奥底で小さく呟き、そして。
 「あぁ、そうだな。そうだったよ。」  「君の後ろにいる冒険者が、君の夢物語を実現させる何よりの証人と言うわけか。」  「悔しいが、負けを認めよう。」  「優れた者などどこにも居なかったのだな。間違えずに生きられる生命など、どこにも居ない。だからこそ、生命は、共に――」  そうしてルヴァンシュは最後の言葉を口にすることは無く、するりと少女の手を離れ、軽くなったその体を大地に預けた。  永遠の理想郷を創り上げようとしたした、その女性の最後の寝顔は、とても。とても。幸せそうに眠っていた。
 「〇〇さん。この村は無くなってしまうのですかね...?」 無くなるね。/無くならないよ。/わからない・・・。  そうですよね・・・。それでは私は皆さんを開放してきます。冒険者さん達はこれからどうされるのですか?」 君を送り届けるよ  「本当ですか!?ありがとうございます!」  「良かった。これでちゃんと、はっきりと自信を持つことが出来ました」  「皆さんのような、優しい人がいれば、きっと!絶対!叶いますよね!夢物語!」
 君達冒険者とエスペランサの活躍により、奴隷地下区の者たちは無事に解放され、それぞれが帰るべき場所へと戻っていった。  肝心のナイトメアだが、彼等には帰る場所などない。  「なぁ冒険者さんよう。この村こそが俺達にとっちゃ帰る場所なんだ。アンタらに言うのはお門違いかもしらねえけどよう。この報告は必ずバーレスにする。だからあと数日だけ、ここに居ても構わねえか?」 構わないさ。/好きにしろ。  「あぁ、、、あぁ!!ありがとう!ありがとう!」
 「よし!これで全部終わりですね!」  「私も帰らないとなー」  「そこそこ歩くことになりますけど、冒険者さん達が付いていてくれれば安心です!」
 ●クライマックス  君達はエスペランサと共に何気ない会話や、やり取りを交わしながら、帰るべき場所へと確実に一歩ずつ踏みしめて歩いていく。  そうして長く、永遠にも思えるその道の辿り着く先に、その家はあった。  突如、少し強めの春風が君達の頬を撫で、雲一つない青空には、その春風にのせられるようにして、沢山の桜の花びらが空を舞う。  暖かな日差しは君達の眠気を誘い、澄んだ空気が体全体に染み渡って心地よい。  大きく立派に咲き誇る満開の桜を横切り、君達はエスペランサに連れられ正門を潜り、そして。  コンコンコンと茶色く塗装された扉をノックする。  ゆっくりと開かれた扉と共に、少女は満面の笑みで扉を開けた者に勢いよく抱き着き、そして。その言葉を噛みしめるようにして口にした。 「ただいま!」と――。
 ●エピローグ ――春風に乗せられ、雲一つない青空に、その春風にのせられるようにして、沢山の桜の花びらが空を舞う。
失ってはいけない悲しみと引き換えに 一体どれだけの絆を失ったのだろう。
認めてはならない結末と引き換えに 一体どれだけの感情を失ったのだろう。
もう、何をなくしたのかさえも分からない。
――ただ、私は知っている。 最後に差し伸べられた、あの光を。 あれは紛れもなく遠い過去に忘れてきたものだった。
つまるところ 武器を向けていた標的は、自分だったと言う訳だ。 まったく...哀れな話だ。
だからこそ、どうか最後に願おう。 あの少女は、私のようにならないようにと。 どうか、私の過ちが繰り返されぬようにと。 私が正しいと感じていたオリジナルは、今ここに終わりを告げる。 これから始まるのは――。
「ルヴァンシュの霊体は完全に無と化していく。そして、全てが終わる最後の時。突如、少し強めの春風が吹く。」
「ルヴァンシュは、ゆっくりと瞼を閉じ、その春風に乗せられて、最後の言葉の続きを、小さく、蒼天に舞う桜の花びらと共に呟いた」
レプリカ=ループ。
  ●GM情報 ・PC達がナイトメア以外の人族と話す機会があれば、みなナイトメアに対して嫌悪感を抱いている演出を入れてください。 例:「ナイトメアなんて生きてる価値ないんだよ」「ナイトメアの村・・・。想像しただけでも吐気がするぜ」 ・エテルニータの村に住むナイトメアはみな《思想教育》と言う名目の洗脳教育を受けています。永久幸福革命譚のような内容を最初に叩き込まれます。 故に、エテルニータの村民ほとんどが人族に対して嫌悪感を抱いています。これを序盤の演出と反転させればgood。 ・エテルニータの村の村民は70名程度。奴隷地下区の人数は15名程度。 ・奴隷地下区について そこで産まれ、偽りの知識を植え付けられた人間たちで統一された場所。 男性は永久に鉱石や魔晶石を掘り進めることを強いられ、女性は永久に繁殖を強いられる��� 使い物にならなくなった者は、殺されるか奴隷商人に売られるかの二択である。ナイトメア曰く、ゴミに薬を与えるだけ無駄。とのこと。
●NPCデータ ・マリー=ルヴァンシュ(1286歳)♀ この世に生を授かったと同時に、差別や迫害を受け続けたナイトメア。 家族や友人と呼べる者は存在せず、平凡な幸せさえもろくに与えられぬまま、ただ孤独に生き続けた。 ――ナイトメアに産まれたからには"仕方がない"と。その人生を受け入れようともした。だがしかし。彼女は耐えることができなかった。 同時に、長く生きた彼女は気づいてしまったのだ。 人間は、同じ過ちを繰り返すと――。 正してやりたい。でもどうやって? 導いてやりたい。でもどうすれば? 人並みの幸福を得ることもなく、人並みの交流を持つことが無かった、彼女には、人の気持ちがわからない。非人間である。 模索した、苦悩した、過ちを正せるように頑張り続けた。 だけど、いつも結末は決まっている。 そう。彼女は――ナイトメアなのだ。 余談ではあるが、"ルヴァンシュ"はフランス語で"復讐"の意味を持つ。 ・ケラソス=エスペランサ(14歳)♀ エスペランサもまた、ルヴァンシュと同じくナイトメアである。 だがエスペランサには家族が居た。 自分を育て、自分を愛してくれるたった一人の人間が――。 故に彼女は知っている。 人並みではないかもしれない。 それは人にとって当たり前のことかもしれない。 けれども、確かに知っている。 共にご飯を食べれる喜びを 共に言葉を交わしあう幸せを。 季節が廻り、再び花を咲かせた時の感情を。 差別や迫害をうけることは悲しくて、辛いこと。 でもそれは私がナイトメアで産まれたからには"仕方がない"こと。 その人生を受け入れるしかない。 それでも私は知っている ナイトメアの私を愛してくれた人を。私を助けてくれた人を。 私は――夢を追いかけて生きていける。 余談ではあるが、"ケラソス"はラテン語で"桜"。"エスペランサ"はスペイン語で"希望"の意味を持つ。
没エピローグ 永遠に廻り続ける、この小さな世界。 果てしなく遠い君の近くで、落ちた種をもう一度、育ててみようと思う。 違う場所で君が気づいてくれることを、ただ信じて――。 永遠に廻り続ける、この小さな世界。 それは景色を変えていく。私が愛した花が、また咲き誇ること信じてみよう。 ――いま、小さな種は植えられた。 その日の空は雲一つなく、爽やかな春風が幾つもの桜の花びらを旅立たせたのだった。
 ●最後に このシナリオのタイトル「レプリカ=ループ」の意味は様々です。 正解などはありません。気に入った解釈をしていただければ幸いです。 ここまで長々と読んでいただき、ありがとうございました。
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chiruno9 · 4 years
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Favorite tweets: 草の根なわとび#6月6日は赤蛮奇の日 pic.twitter.com/eNInFQ8Dbw— イス (@is8811) June 5, 2020
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shibaracu · 4 years
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●UFO
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●UFO ●日本最古のUFO目撃報告「とはずがたり1300年」by Hiroshi Hayashi, Japan 2020/03/07   https://youtu.be/ndakFkIgg1c 3192(01)+ 3067(01)+とはずがたり、レンデルシャム 2552(05)+ 2511(01)+2510(6)+ 2317(2)+ 2238(3)+2163(3)+ 21998+1838+1885+1744+1774+1773B+1689+731+730 579  *日本最古のUFO目撃事件
1300年頃書かれた、文書の中に、こんな記述がある。宮中に仕える女官が書いたものとされる。「ある夜の真夜中のこと。突然激しい荒波の音が聞こえてきたので、皇后が『何ごとだ』と叫んだ。そこでその女性が外を見ると、盃を重ねたような物体が、飛び跳ねているのを見た。それには尾があり、色は青白く、光っていた』と。
うつろ舟の謎(Utsuro Boat that was washed up on the shore in 1803) +++++++++++++++++++++ レンデルシャム・UFO遭遇事件+エイリアンの残した文字 残された奇妙な文字(数字) 享保3年(1803)、UFOの形をした奇妙な舟が、北茨城県の海岸に漂着した。それには赤毛の女性が乗っていた。UFOだったのか、それとも、ただの作り話だったのか。しかしそれとたいへん形のよく似たブローチが、ノルウェイで見つかっている。
うつろ舟とノルワェイで見つかったUFO型ブローチは、たいへん形が似ています。絵が残っていますが、この絵を描いた人は、UFOなど知らなかったはず。この奇妙な一致を、みなさんは、どう考えますか。 事件から30年以上もたってから、録音テープに残っていた、当日の交信記録が、USAの軍関係者によって、公開されました。 それをまずみなさんにお聞きいただきました。 事件というのは、ChicagoUFO目撃事件、Flatwoodモンスター事件とならんで、近年になって起きた、レンデムシャルの森・UFO目撃事件です。 その事件は、1980年12月27日に、イギリス・サフォーク州起きました。 事件から30年以上もたってから、録音テープに残っていた、当日の交信記録が、USAの軍関係者によって、公開されました。 それをまずみなさんにお聞きいただきました。 事件というのは、ChicagoUFO目撃事件、Flatwoodモンスター事件とならんで、近年になって起きた、レンデムシャルの森・UFO目撃事件です。 その事件は、1980年12月27日に、イギリス・サフォーク州起きました。 屈折した光・エイリアンのテクノロジー ウェストールUFO遭遇事件(1966) 1966年4月6日、オーストラリア・ビクトリア州で、ウェストールUFO遭遇事件というのが起きました。 午前11時ごろから、およそ20分間、2つの州立の学校の、200人以上もの教師と生徒が、UFOを目撃し、それらが近くの空き地に降りてきたことを目撃したと主張しています。 報告によれば、その物体は、そのあと、北西の方向に上昇していったといいます。 この事件の特徴は、200人以上もの教師と生徒が、それを目撃しているという点です。 また当時、新聞などでも大きく報道されています。 (ブラジル・バルジニア上空に現れたUFO フォート・ワース(テキサス)の施設が、UFOの攻撃を受ける。
どなたもアイデア、理論の盗用、流用、転用はできません。 引用のときは、かならず「出典:はやし浩司:YOUTUBE動画#~~~」、クレジットを明記してください。   ◆とはずがたり - Wikipedia  https://ja.wikipedia.org/wiki/とはずがたり 『とはずがたり』(とわずがたり)は、鎌倉時代の中後期に後深草院二条が綴ったとみられる日記および紀行文。 誰に問われるでもなく自分の人生を語るという自伝形式で、後深草院に仕えた女房二条の14歳(1271年)から49歳(1306年)ごろまでの境遇、後深草院や恋人との関係、宮中行事、尼となってから出かけた旅の記録などが綴られている。二条の告白として書かれているが、ある程度の物語的虚構性も含まれると見る研究者もいる。5巻5冊。1313年ごろまでに成立した模様である。   ◆虚舟 - Wikipedia   https://ja.wikipedia.org/wiki/虚舟 虚舟(うつろぶね)は、日本各地の民俗伝承に登場する架空の舟である。他に「空穂舟(うつぼぶね)」「うつぼ舟」とも呼ばれる。 常陸国のうつろ舟 虚舟の伝説の中でも最も広く知られているのは、1803年に常陸国に漂着したとされる事例である。江戸の文人や好事家の集まり「兎園会」で語られた奇談・怪談を、会員の一人曲亭馬琴が『兎園小説』(1825年刊行)に『虚舟の蛮女』との題で図版とともに収録され今に知られているほか、兎園会会員だった国学者・屋代弘賢の『弘賢随筆』にも図版がある。この事例に言及した史料は現在までに7つが確認されており、内容には若干の異同がある[4]。 その内容は概ね以下のようなものである。    享和3年、常陸国鹿島郡にある旗本(小笠原越中守、小笠原和泉守などとされる)の知行地の浜に、虚舟が現れた。    虚舟は鉄でできており、窓があり(ガラスが張られている?)丸っこい形をしている。    虚舟には文字のようなものがかかれている。    中には異国の女性が乗っており、箱をもっている。 2014年5月26日付けの『茨城新聞』は川上仁一の忍術を伝える伴家の古文書から「うつろ舟奇談」に関わる史料があり、漂着地の実在地名が「常陸原舎り濱」(現在の神栖市波崎舎利浜)と記され、具体性があると岐阜大学の田中嘉津夫名誉教授が発見したと報じた。   ◆ミステリーサークル「バイナリコード」について、メイちゃんワールド。 2020/02/15   https://youtu.be/gFSi6_s5AzE 一番お勧めの動画!↓↓↓↓ https://yoyo555max.com/isbe/video/ieeronmask01.mp4?_=1 https://youtu.be/IgDSr4wRoMU   ◆宇宙人とコンタクトする方法/稀代の超能力者テッド・オーウェンスが語る 2019/12/04   https://youtu.be/4VO7GsXO30U 1960年代アメリカにテッド・オーウェンスという稀代の超能力者がいた。彼は意のままにハリケーンのコースを変え、落雷を発生させ、不治の病を治すという桁違いのPK(サイコキネシス)能力を200件以上示した。彼によればこの能力はSI(サイエンス・インテリジェンス)つまり宇宙人によって授けられたものであるという。しかも望むなら誰もが宇宙人とコンタクトできるという。そのようなことが可能なのだろうか。   ◆ミステリーサークルは未来からの贈り物か?謎と真実に迫る! 2018/11/16 https://youtu.be/dEbnwa_E-C0
  ◆地球人への重大な警告‼【宇宙人コンタクティ】アレックスコリアが語る https://youtu.be/yxPvyAQqw6k   2019/10/01 宇宙人コンタクティ・アレックスコリアの地球人への警告のメッセージをまとめている。 アレックスコリア氏の話の中から ①アンドロメダ人 ②αドラコニス・レプティリアン ③グレイ ④テラン(地球人)の4つの種族を中心に展開している。   ◆古代の宇宙人 - 隠されたピラミッド 1/4  2019/03/25 https://youtu.be/nTKtaXLouQ0 各動画プラットフォームでもヒストリーの人気作品を配信中! ▶︎ Hulu: http://bit.ly/Hulu_HISTORY ▶︎ dTVチャンネル: http://bit.ly/dTV_channel_HISTORY ▶︎ Amazon Prime Videoチャンネル: http://bit.ly/AmazonPrime_HISTORY https://youtu.be/cUwQQNzNcoc https://youtu.be/WLq00fPmfk0 https://youtu.be/4Jy60kV-XPw   ◆昼夜UFO映像が鮮明に写し出された?!【日本初公開!!】2020/02/05 https://youtu.be/SckUWkjsOZ4
2020年昼夜に空に浮かぶ奇妙な物体UFOを目撃した。目の前で西から南へ空を移動している天体の約45度のオブジェクトのような明るい白い固体の星に気付きました。私は、オブジェクトが突然停止する前に、オブジェクトが突然だが短い横方向のダーツの動きをするのを観察しました。約5秒後、物体は横方向の経路に沿って、明るい雲に覆われた月の私の視点に向かって続きました。物体は突然高度を上げたように見え、この時点で、後ろに続く2番目のボール/立方体のオブジェクトが点灯していないことに気付きました。月の私の視界の周りで円を描くように照らされた物体を追いかけるように見えました。その後、照らされたオブジェクトは消え、空には照らされていないオブジェクトだけが残り、数秒後に突然消えました。 #鮮明#UFO#映像#2020年#最新#日本初公開#夜#昼 チャンネル登録お願いします。 https://www.youtube.com/channel/UCnfr...
おすすめ 【UFO】ロズウェルで本当は何が起こったのか?【アニメ風】 https://youtu.be/8K9cWTAdf0o 米上空に出現した巨大UFOと思われた物について https://youtu.be/8xP9DP_PPdU 矢追純一UFOスペシャル第2弾宇宙人と人類の秘密協定 https://youtu.be/9b35xnjUd3I 衝撃的が巨大UFO映像!ロシアとワシントンDC上空で撮影される! https://youtu.be/drL2sA0C23I 米国防総省が初のUFO映像公開!みんなどう思う?! https://youtu.be/1f6hFcjkdvM 【最新2020年】第二弾 UFO映像が鮮明に写し出された?!【日本初公開!!】 https://youtu.be/fHISCpwSuZQ 【最新2020年】第三弾 UFO映像が鮮明に写し出された?!【日本初公開!!】 https://youtu.be/1UrOnf9FPNc https://youtu.be/O7pVT2oS0tk 【最新2020年】第四弾 UFO映像が鮮明に写し出された?!【日本初公開!!】 https://youtu.be/D6JLnQuNAPs 【最新2020年】第五弾 UFO映像が鮮明に写し出された?!【日本初公開!!】 https://youtu.be/eiBLW2Dm7CI
  ◆ケムトレイルによる人口選別削減!~政府系科学者の内部告発  2013/09/28 https://youtu.be/lyfQE7TlluY ケムトレイルによる人口選別削減!~政府系科学者の内部告発 違うことこそ素晴らしい be different what great のブログより https://blog.goo.ne.jp/arai647/e/1e37dbcff1a766df8bb15a8106a4f208 「4つの目で世の中を考える」http://310inkyo.jugem.jp/ から転載させて頂きました。 ケムトレイル散布に民間航空機まで利用されている(少なくともアメリカでは) という内部告発もあり、想像していた以上に事実は深刻・・・ 下記サイトもケムについて論じていますけど・・・・あなたはどう思います? ケムトレイル陰謀論を斬る http://contrail951.blog.fc2.com/   ◆ケムトレイルの散布目的とその効能を打ち消す方法。2015/08/18 https://youtu.be/9odQ4QdZ_lQ 解説記事 http://rapt-neo.com/?p=30720 公式HP http://rapt-neo.com   ◆マイクロチップの入ったワクチン接種 2013年04月17日 | Weblog https://blog.goo.ne.jp/arai647/e/5c0ab1296428fb997c7370ec4266189f?fm=entry_awp 現在中国で鳥インフルエンザが流行の兆しがあり人人感染(感染で死亡した女性の夫の 感染あり)が起こり 日本では確か4月13日より、新型インフルエンザ等対策特別措置法の施行されます。 http://www.ajha.or.jp/admininfo/pdf/2012/120515_2.pdf http://ameblo.jp/sunamerio/entry-11382053503.html 新型インフルエンザが4年前に流行した時にマイクロチップの入ったワクチン接種が米 国で強制されて問題になりました。   ◆独善・腐敗・隠蔽にまみれた現政権を退場させようー前川喜平。れいわ新選組@新宿駅西口2019 07 20 https://blog.goo.ne.jp/arai647/e/cf6072e1fb75939c949b8599255746ac?fm=entry_awp 2019年08月05日 | Weblog 独善・腐敗・隠蔽にまみれた現政権を退場させようー前川喜平。れいわ新選組@新宿駅西口2019 07 20   ◆ロボットの蚊は既に飛んでいるかも  2014年08月30日 | Weblog https://blog.goo.ne.jp/arai647/e/cf02af988e1ffda2af2d4ac31c2a7f3b?fm=entry_awp ロボットの蚊は開発済みです。2012年。それで蚊取り線香は役に立ちませんからロボット蚊などにはハエたたきが効くと思います。これは米国のヤフーサイトでブラックヘリコプターを検索していた時に小さなヘリコプターとその対策で出てきたのがハエたたき!でした。まさか。でも本当の話です。 実験に日本が使われる可能性もありますから。自己防衛を。 ハエたたきを備えることです。ちなみは昔はハエが飛んでいましたから私はハエたたきはかなり上手でした。 それは本当にただの蚊? 昆虫ロボットは、軍事偵察の未来である
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ari0921 · 7 years
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モース『日本その日その日』 E・S・モース(石川欣一訳)『日本その日その日』東洋文庫171,172,179,平凡社,1970-1971.  E・S・モース (Edward Sylvester Morse, 1838~1925) は米国の動物学者で、腕足類の研究のため1877(明治10)年6月18日来日した。日光見物の後、江ノ島で腕足類の研究を始めたが、そこで発足間もない東京大学生物学講座の動物学教授に招請された。9月にモースは東大の学生を動員して大森貝塚を発掘調査し、その後数回にわたって本格的な発掘を行なった。モースは大学で進化論を講義したが、当時のお雇い外国人には宣教師も多く、モースを攻撃する者が多かった。モースは米国での公演のため、11月に帰国した。  1878(明治11)年5月、モースは二度目の来日をした。東大で講義する一方、7~8月には北海道を旅行し、標本採集を行った。翌1879(明治12)年5月には、長崎・熊本・鹿児島でも標本採集や貝塚の調査をした。  1882(明治15)年6月、モースは陶器蒐集のため三度目の来日を果たした。7月26日、モースはビゲロウ (William Sturgis Bigelow, 1850~1926) およびフェノロサ (Ernest Francisco Fenollosa, 1853~1908) とともに、京都・広島・岩国・和歌山・奈良等を回って美術品を蒐集した。この三人の貢献によって、ボストン美術館の日本美術コレクションは、日本国外では最も充実したものになった。  本書 (Japan Day by Day) は、1917年にボストンで出版された。モースは大の親日家で、日本人の鄭重さや正直さを大いに賞賛し、「それに比べて米国人と来たら…」と批判する。執筆時のモースは80歳近い老人で、「米国の最大の脅威は若い男女の無頼漢的の行為である」というボストンの警察署長の言葉に深く共鳴し、若者への嫌悪感を強めていたらしい。 日本の町の街々をさまよい歩いた第一印象は、いつまでも消え失せぬであろう。――不思議な建築、最も清潔な陳列箱に似たのが多い見馴れぬ開け放した店、店員たちの礼譲、いろいろなこまかい物品の新奇さ、人々の立てる奇妙な物音、空気を充たす杉と茶の香。我々にとって珍しからぬ物とては、足の下の大地と、暖かい輝かしい陽光と位であった。 (1巻, p. 6) 巡査がいないのにも係らず、見物人は完全に静かで秩序的である。上機嫌で丁寧である。悪臭や、ムッとするような香が全然しない……これ等のことが私に印象を残した。そして演技が終って見物人が続々と出てきたのを見ると、押し合いへし合いするするものもなければ、高声で喋舌る者もなく、またウイスキーを売る店に押しよせる者もない(こんな店が無いからである)。只多くの人々がこの場所を取りまく小さな小屋に歩み寄って、静かにお茶を飲むか、酒の小盃をあげるかに止った。再び私はこの行為と、我国に於る同じような演技に伴う行為とを比較せずにはいられなかった。 (1巻, p. 18) 日本人がいろいろな新しい考案を素速く採用するやり口を見ると、この古い国民は、支那で見られる万事を死滅させるような保守主義に、縛りつけられていないことが非常にハッキリ判る。 (1巻, p. 30) 汽車に間に合わせるためには、大きに急がねばならなかったので、途中、私の人力車の車輪が前に行く人力車の甑にぶつかった。車夫たちはお互に邪魔したことを微笑で詫び合った丈で走り続けた。私は即刻この行為と、我国でこのような場合に必ず起る罵詈雑言とを比較した。 (1巻, p. 30) 人々が正直である国にいることは実に気持がよい。私は決して札入れや懐中時計の見張りをしようとしない。錠をかけぬ部屋の机の上に、私は小銭を置いたままにするのだが、日本人の子供や召使いは一日に数十回出入りしても、触ってならぬ物には決して手を触れぬ。 (1巻, p. 34) いろいろな事柄の中で外国人の筆者達が一人残らず一致する事がある。それは日本が子供たちの天国だということである。この国の子供達は親切に取扱われるばかりでなく、他のいずれの国の子供達よりも多くの自由を持ち、その自由を濫用することはより少なく、気持のよい経験の、より多くの変化を持っている。 (1巻, p. 37) 汽車に乗って東京へ近づくと、長い防海壁のある入江を横切る。この防海壁に接して、簡単な住宅がならんでいるが、清潔で品がよい。田舎の村と都会とを問わず、富んだ家も貧しい家も、決して台所の屑物や灰やガラクタ等で見っともなくされていないことを思うと、うそみたいである。 (1巻, p. 38) 同様に見えるばかりでなく、彼等は皆背が低く脚が短く、黒い濃い頭髪、どちらかというと突き出た唇が開いて白い歯を現わし、頬骨は高く、色はくすみ、手が小さくて繊細で典雅であり、いつもにこにこと挙動は静かで丁寧で、晴々しい。下層民が特に過度に機嫌がいいのは驚く程である。 (1巻, p. 39) 外国人は日本に数ヶ月いた上で、徐々に次のようなことに気がつき始める。即ち彼は日本人にすべてを教える気でいたのであるが、驚くことには、また残念ながら、自分の国で人道の名に於て道徳的教訓の重荷になっている善徳や品性を、日本人は生れながらに持っているらしいことである。衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、自然及びすべての自然物に対する愛、あっさりして魅力に富む芸術、挙動の礼儀正しさ、他人の感情に就いての思いやり……これ等は恵まれた階級の人々ばかりでなく、最も貧しい人々も持っている特質である。 (1巻, p. 40) 日本人の清潔さは驚く程である。家は清潔で木の床は磨き込まれ、周囲は綺麗に掃き清められているが、それにも係らず、田舎の下層民の子供達はきたない顔をしている。 (1巻, p. 55) 我々に比して優雅な鄭重さは十倍も持ち、態度は静かで気質は愛らしいこの日本人でありながら、裸体が無作法であるとは全然考えない。全く考えないのだから、我々外国人でさえも、日本人が裸体を恥じぬと同じく、恥しく思わず、そして我々に取っては乱暴だと思われることでも、日本人にはそうでない、との結論に達する。たった一つ無作法なのは、外国人が彼等の裸体を見ようとする行為で、彼等はこれを憤り、そして面をそむける。 (1巻, p. 89) 日本に数年住むと、日本の最も荒れ果てた場所にいる方が、二六時中、時間のいつを問わず、セーラムその他我国の如何なる都市の静かな町通りにいるよりも安全だということを知る。 (1巻, p. 100) 田舎の人々――農民――は、概して不器量である。男の方が女よりもいい顔をしていて、時々知的な顔を見受ける。私は綺麗ともいうべき娘を五、六人見た。 (1巻, p. 102) 外国人の立場からいうと、この国民は所謂「音楽に対する耳」を持っていないらしい。彼等の音楽は最も粗雑なもののように思われる。和声の無いことは確かである。彼等はすべて同音で歌う。 (1巻, p. 102) 仕事をしていると男、女、娘、きたない顔をした子供達等が立ち並んで、私を凝視しては感嘆これを久しゅうする。彼等はすべて恐ろしく好奇心が強くて、新しい物は何でも細かに検査する。 (1巻, p. 154) 然し私は誰からも、丁寧に、且つ親切に取扱われ、私に向かって叫ぶ者もなければ、無遠慮に見つめる者もない。この行為と日本人なり支那人なりが、その国の服装をして我国の村の路――都会の道路でさえも――を行く時に受けるであろう所の経験とを比較すると、誠に穴にでも入り度い気持がする。 (1巻, pp. 157-158) 日本人が丁寧であることを物語る最も力強い事実は、最高階級から最低階級にいたる迄、すべての人々がいずれも行儀がいいということである。世話をされる人々は、親切にされてもそれに狎れぬらしく、皆その位置をよく承知していて、尊敬を以てそれを守っている。 (1巻, p. 171) 日本の舟夫達は優秀だとの評判があるにかかわらず、非常に臆病であるらしく、容易なことでは陸地から遠くへ出ない。今日私は遠方へ行くので、彼らを卑怯者といわねばならなかった。 (1巻, p. 199) 日本人のこれ等及び他の繊美な作品は、彼等が自然に大いなる愛情を持つことと、彼等が装飾芸術に於て、かかる簡単な主題(Motif)を具体化する力とを示しているので、これ等を見た後では、日本人が世界中で最も深く自然を愛し、そして最大な芸術家であるかのように思える。 (1巻, p. 222) 我国では非常に一般的である(欧洲ではそれ程でもない)婦人に対する謙譲と礼譲とが、ここでは目に立って欠けている。馬車なり人力車なりに乗る時には、夫が妻に先立つ。道を歩く時には、妻は夫の、すくなくとも四、五フィートあとにしたがう。その他、いろいろなことで、婦人が劣等な位置を占めていることに気がつく。………酌量としていうべき唯一のことは、日本の婦人が、他の東洋人種よりも、遥かに大なる自由を持っているということ丈である。(2巻, pp. 4-5) 日本の召使の変通の才は顕著である。私は四人雇っているが、その各の一人は、他の三人の役目をやり得る。 (2巻, p. 119) 東京へ近づくにつれ、特にこの都会の郭外で、私は子供達が、田舎の子供達よりも、如何に綺麗であるかに注意した。この事は、仙台へ近づいた時にも気がついた。子供達の間に、このような著しい外観の相違があるのは、すべての旅館や茶店が女の子を使用人として雇い、これ等の持主が見た所のいい女の子を、田舎中さがし廻るからだろうと思う。彼等は都会へ出て来て、やがては結婚し、そして彼等の美貌を子孫に残し伝える。これはすくなくとも、合理的な説明であると思われる。 (2巻, p. 217) 日本人の特性は、米国と欧洲とから取り入れた非常に多数の装置に見られた。ある国民が、ある装置の便利さと有効さとを直ちに識別するのみならず、その採用と製造とに取りかかる能力は、彼等が長期にわたる文明を持っていた証例である。これを行い得るのは、只文明の程度の高い人々だけで、未開人や野蛮人には不可能である。 (3巻, pp. 32-33) 和服を着た人々の群を見ると、そのやわらかい調和的な色や典雅な折り目が、外国の貴婦人達の衣服と著しい対照を示す。小柄な体躯にきっちり調和する衣服の上品さと美麗さ、それから驚嘆すべき程整えられ、そして装飾された漆黒の頭髪――これ位この国民の芸術的性格を如実に表現するものはない。 (3巻, p. 36) 国中が朝鮮の高圧手段に憤慨し、日本の軍隊が鎮南浦まで退却することを余儀なくされた最中に、私は京都へ行く途中、二人の朝鮮人と同じ汽車に乗り合わした。私も、朝鮮人はめったに見たことが無いが、車室内の日本人達は、彼等がこの二人を凝視した有様から察すると、一度も朝鮮人を見たことが無いらしい。二人は大阪で下車した。私も、切符を犠牲にして二人の後を追った。彼等は護衛を連れていず、巡査さえも一緒にいなかったが、事実護衛の必要は無かった。彼等の目立ちやすい白い服装や、奇妙な馬の毛の帽子や、靴やその他すべてが、私にとって珍しいと同様、日本人にも珍しいので、群衆が彼らを取りまいた。私は、あるいは敵意を含む身振か、嘲笑するような言葉かを発見することが出来るかと思って、草臥れて了うまで彼等の後をつけた。だが日本人は、この二人が、彼等の故国に於て行われつつある暴行[壬午軍乱]に、まるで無関係であることを理解せぬ程莫迦ではなく、彼等は平素の通りの礼儀正しさを以て扱われた。自然私は、我国に於る戦の最中に、北方人が南方でどんな風に取扱われたかを思い浮かべ、又しても私自身に、どっちの国民の方がより高く文明的であるかを訊ねるのであった。 (3巻, pp. 104-105) 火葬場への往復に我々は、東京の最も貧しい区域を、我国の同様な区域が開いた酒場で混雑し、そして乱暴な言葉で一杯になっているような時刻に、車で通った。最も行儀のいいニューイングランドの村でも、ここのいたる所で見られる静けさと秩序とにはかなわぬであろう。これ等の人々が、すべて少なくとも法律を遵守することは、確かに驚く可き事実である。ボストンの警視総監は、我国を最も脅かすものは、若い男女の無頼漢であるといった。日本には、こんな脅威は確かに無い。事実誰でも行儀がよい。 (3巻, p. 152) 日本人は造園芸術にかけては世界一ともいうべく、彼等はあらゆる事象の美しさをたのしむらしく見えた。 (3巻, pp. 155-156) 日本の農夫は、一日に五、六回、主として米、大根、魚等の食物を食う。実際測ったところによると(医学生である竹中は私にかく語った)、日本人の胃は外国人のそれよりも大きい。これは、彼等が米を多量に摂取するからかも知れない。田舎の子供達が、文字通りつめ込んだ米のために、まるくつき出した腹をしているのを見ては、驚かざるを得ぬ。 (3巻, p. 165) 粗野で侵略的なアングロ・サクソン人種はここ五十年程前までは、日本人に対し最も間違った考を持っていた。男性が紙鳶をあげ、花を生ける方法を学び、庭園をよろこび、扇子を持って歩き、その他女性的な習慣や行為を示す国民は、必然的に弱くて赤坊じみたものであると考えられていた。 (3巻, p. 234)
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kuroda-kanbee · 7 years
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数年分のコピペ010
12月 28, 2016 awarenessxx: 戦後の、在日朝鮮人の蛮行を語る / 高山正之 ヤフー知恵袋より / 2013/9/18 高山正之 戦後の在日蛮行原因を語る http://www.youtube.com/watch?v=P6eUqvYIoeo 「在日朝鮮人経営が9割」 「闇市で儲けて、それからパチンコ(店経営)に走った人が多いんですよ。 じゃあ闇市で何をして儲けたかというと 密造した覚醒剤や盗品を売りさばいたり・・・」 終戦後の第三国人(朝鮮人)どもは本当に酷かった。 軍の倉庫を襲撃して来たらしく、歩兵用の銃剣や拳銃で武装し、 強盗、強姦、傷害、恐喝、不動産強奪、殺人まであらゆる悪事を重ねていた。 そうした情勢に便乗し、朝鮮人は「戦勝国民」だの 「朝鮮進駐軍」などと称して堂々と闇商売で派手に稼いでいた。 警察の取締りを横目に犯罪のし放題、 なにしろ警察の検問を集団で日本刀を振り回し強行突破したのだから。 当時は物不足で、売る方は素人でも出来た。仕入れこそ難しかったのだが、 彼等は日本人露天商を襲って商品を奪い、 それを警察が黙認して捕まえ無いのだからこりゃあ損のし様が無い。 警察が襲撃される事も頻繁に有り、署長が叩きのめされたり、 捜査主任が手錠をかけられ半殺しにされるぐらいは珍しく無い。 朝鮮人の襲撃によって同胞の犯人を奪還された「富坂警察署事件」 ついでに警官が殺された「渋谷警察署事件」 朝鮮人と手を組んだ共産党員が大勢で警察署を包囲し外部との通信を遮断、 攻城戦に出た「平警察署事件」等、枚挙にいとまが無かった。 朝鮮人達の犯罪は 川崎、浜松、大阪、神戸などが特に酷かった。 象徴的事例に、元首相・鳩山一郎氏に対する集団暴行事件がある。 鳩山氏が帰京の為、信越本線の汽車に乗って居たら、 例の「朝鮮進駐軍」が後から大勢、鉄道員を突き飛ばし押入って来て、 「俺達は戦勝国民だ、おまえら敗戦国民が座って支配者様を立たせるとは生意気だ、 全員立って他の車両へ移動しろ!」 と追い立てた。 それで鳩山氏が「我々はきちんと切符を買って座っているのにそれはおかしい。」 と 穏やかに抗議したら大勢で飛び掛かって、鳩山氏を半殺しにした。 土地も物資も女性の体も片っ端から奪い放題であった。 今、朝鮮人がパチンコ屋や焼肉屋を営業している駅前の一等地は、 皆あの時奪われた被害者達の土地だ。(中略)(元記事: youtube.com (xf-2から))
12月 30, 2016 awarenessxx:“ 李 承晩(りしょうばん)ラインと「朝鮮戦争」の真実 http://cbn.la.coocan.jp/jpn/leeline..htm ・ 【朝鮮戦争の真相とは?】awarenessxx: 李 承晩(りしょうばん)ラインと「朝鮮戦争」の真実 http://cbn.la.coocan.jp/jpn/leeline..htm
【朝鮮戦争の真相とは?】 李 承晩(り・しょうばん)大統領は、 日本の対馬侵攻で、韓国の全軍を南下させて釜山に集結して、 北朝鮮に空きを突かれたのが朝鮮戦争の始まりです。
日本人の多くは真相を知らない。 2016年07月24日 http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/e/604a4c2032c675badfd6e93df1c3c52f 【正しい李承晩ライン】 韓国が対馬(日本)にしつこく手を出すのも、この李承晩ラインが原因 実際に李承晩は、このラインを実行する為に、九州(日本)へ侵攻を開始して「朝鮮戦争を誘発させた」 保守速報 / 2013年10月26日 http://hosyusokuhou.jp/archives/33476626.html 【朝鮮戦争の真相】 「李承晩大統領、対馬侵攻で全軍を南下させ釜山に集結、北朝鮮に空きを突かれたのが朝鮮戦争の始まり 」 『左翼により隠蔽され 日本人の多くは真相を知らない』 Open2chまとめ / 2014/06/29 http://open.ldblog.jp/archives/39604232.html 韓国は、そもそも建国当初から、 対馬(日本)侵略のために、韓国軍を南端に集結 ⇒ 北朝鮮軍と、ソ連軍に侵攻されて朝鮮戦争て勃発 対馬侵略も中断… あれ?韓国って最初から北朝鮮以上のクズだったの? 事情通「李承晩ラインが捏造されている・・・本当のラインを教えると「日本国民の怒りが爆発する」 News U.S. 中国・韓国・在日崩壊ニュース 2013.10.28 http://www.news-us.jp/article/378753496.html この李承晩 ラインを見よ! http://brute.sakura.ne.jp/wp/?page_id=1445 朝鮮戦争は、韓国の日本侵攻が発端です。 2015年10月28日 http://gofar.skr.jp/obo/archives/18549 注意 / 長文です。 ▼ 【朝鮮戦争の真相】「李承晩大統領、対馬侵攻で全軍を南下させ釜山に集結、 北朝鮮に空きを突かれたのが朝鮮戦争の始まり 」  『左翼により隠蔽され 日本人の多くは真相を知らない』 ・朝鮮戦争は李承晩の九州侵略行動によって起きた。「李承晩ライン」は当初、九州全体までも含んでいた。 李承晩は次の戦略として対馬を手中に収めるため朝鮮半島南部に軍を集結させたところ、背後(ソウル)を 金日成に襲われた。このままでは朝鮮はソ連と組んだ金日成の支配下となるので、日本を占領していた米軍も 参戦して朝鮮戦争が勃発した。 そして、勝手に日本を侵略しようとした李承晩は、米軍から激しく叱責された。 ・ 元スレ: http://awabi.open2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1403959980/ 1: 豆狸◆JFtbiBEswo9k 2014/06/28(土)21:53:00 ID:KcVK7Oasl 朝鮮戦争の1950年、韓国軍はソウル市民を見捨て、橋を爆破して逃げた 6月28日は、朝鮮戦争初期、韓国軍が首都ソウルの漢江(ハンガン)に架かる橋を爆破し、多数の犠牲者が出た日だ。大勢の避難民が橋の上にいるにもかかわらず爆破作戦が実行され、500人とも1500人とも言われる人々が死亡した。 1950年6月25日、北朝鮮軍が北緯38度線を突破し、朝鮮戦争が始まった。北朝鮮軍の奇襲に韓国軍は劣勢だった。6月27日午前1時、韓国政府は非常閣僚会議で、ソウルを捨てて南にある水原への遷都を決め、李承晩大統領(当時)はさらに南の大田に逃れた。ラジオは「国連軍が助けてくれるから安心しろ」と大統領の肉声を放送し続け、新聞は事実と異なる韓国軍の反攻を伝えていた。 大統領が逃げ、国民を欺き続ける中で、北朝鮮の南進を少しでも遅らせるため、韓国軍はソウルを東西に流れる漢江の人道橋(人間、車用)を爆破した。 韓国の聖公会大学教授、韓洪九氏は以下のように当時の状況を説明している。 6月28日午前2時30分頃、総参謀長チェ・ビョンドク一行が漢江歩道橋を通過した直後、陸軍工兵監大佐チェ・チャンシクは漢江橋の爆破を命令した。市民に安心して生業に従事しろと言っておきながら、自分たちだけが抜け出た後に橋を落としてしまったことも真に問題だが、本当に許されないことは、爆破当時に漢江橋には避難民が多数いたという点だ。 阿鼻叫喚、橋の上に何人いたかは分からず、死体を収容したわけでもないので、いったい何人が無念の死に至ったのかは分からないが、関係者たちは少なくて500人、多くて1500人が命を失ったと推定している。 (ハンギョレ「[歴史と責任①] セウォル号の悪魔、大韓民国の悪魔…」より 2014/06/09 12:13)   多数の民間人を犠牲にした作戦だったが、離れた場所に架かっている鉄道用の鉄橋は爆破に失敗し、北朝鮮軍の南進を防ぐ効果はなかった。 9月15日、国連軍が仁川上陸作戦を成功させ、韓国軍と国連軍の反攻が始まった。橋を爆破した現場責任者の工兵は、失敗した作戦の責任を取らされて処刑された。 李承晩政権は犠牲の羊を探した。橋爆破の現場責任者であった29才の若き大佐チェ・チャンシクだった。仁川上陸作戦が敢行されたまさにその日、臨時首都であった釜山(プサン)で開かれた戒厳高等軍法会議は、チェ・チャンシクに国防警備法27条の‘敵前非行罪’を適用し死刑を宣告した。 チェ・チャンシクは、自身は命令に従っただけだと抗弁したが効果がなかった。 当時判決文は、チェ・チャンシクの漢江橋爆破で莫大な車両と軍人が墜落し、無事な車両装備および軍需物資が敵に捕獲され、数万の兵力が渡江できない混乱が発生したとし、すべての責任をチェ・チャンシクに押しつけた。9月21日チェ・チャンシクは釜山郊外で処刑された。 (ハンギョレ「[歴史と責任①] セウォル号の悪魔、大韓民国の悪魔…」より 2014/06/09 12:13) 韓国国防部の朝鮮戦争60年事業団のブログは「為政者による無責任の極致だった」と批判している。 The Huffington Post 2014.6.28 14:25 http://www.huffingtonpost.jp/2014/06/28/korean-war-hangang-bridge-explode_n_5539148.html 参考コメントの一部 52: 名無しさん@おーぷん 2014/06/29(日)02:46:44 ID:YfgAslCit      【韓国】 韓国政府が米国防省高官に日本を攻撃する、同盟国の米国も協力しろと迫るが断られる。  ・朴槿恵政権の国防白書には、仮想敵国は北朝鮮でなく"日本"とハッキリ明記。  ・朴槿恵政権の国防白書には、"日本"を侵略する為に軍備増強を進めると明記。 ◆ドイツから潜水艦を購入した目的・・・・ 米国防省高官は、「国防のための購入か」 韓国軍の高官は、「日本のシーレンを破壊するためだ」「タンカーとコンテナー船撃沈が目的だ」 ◆空中給油機購入を打診した・・・・ 米国防省高官は、「対北朝鮮用に必要は無いだろ」 韓国軍の高官は、「東京の無差別爆撃に使うのに必要」「日本の旅客機撃墜に使う」 1、韓国は国防白書に、仮想敵国は北朝鮮でなく日本とハッキリ明記された。韓国軍は常に日本を攻撃侵略する体制を整える軍備増強を目的とすると書いてある。 2、潜水艦で日本のシーレーンを襲撃する目的で、韓国はドイツから潜水艦を購入したがドイツ人は操縦を教えたが、日本の商船やタンカー撃沈の戦略やシーレーンの襲撃戦術は教えてくれなかった。韓国はアメリカに日本のシーレーン攻撃戦略を教えるようにとしたが断られた。 3、韓国はアメリカに、空中給油機の購入を打診。北朝鮮は奥行きがそんなにない不用だろと言われたが、東京爆撃に必要だとハッキリ答えた。 韓国朴槿恵政権が韓国国防白書に、韓国の敵国は北朝鮮ではなく「日本」だとハッキリ明記した。この国防白書に対して、米国政府は朴槿恵政権に対して改めるよう要請した。 しかし、朴槿恵政権は米政府の要請をハッキリ拒否した。韓国として、「韓国の敵国は"北朝鮮"ではない"日本"が敵国」であり変更することは無いと拒否した。また、韓国の軍備は歴代にわたり"日本"を攻撃侵略することを目的に軍備増強をしている。  (2013/09/24 ロイター通信) 53: 名無しさん@おーぷん 2014/06/29(日)02:54:22 ID:YfgAslCit   ◆韓国海兵隊「独島」の訓練は常に"対馬"に深夜上陸し、住民3万人皆殺し訓練だけをしている  ・朴槿恵政権の国防白書には、仮想敵国は北朝鮮でなく"日本"とハッキリ明記してある。  ・朴槿恵政権の国防白書には、"日本"を侵略する為に軍備増強を進めると明記してある。 韓国国防白書には、韓国海兵隊「独島」訓練は常に"対馬"に深夜上陸し、住民3万人皆殺しを目的とする。 【軍事】 韓国には対馬侵略を目的とした韓国海兵隊「独島」強襲揚陸艦がある (写真あり) 韓国には、対馬侵略を目的として建造された強襲揚陸艦「独島」がある。一度にヘリコプター7機、戦車6両、水陸両用戦車7両、トラック10台、野砲3門、上陸用ホバークラフト2隻、海兵隊員720人で"対馬"に上陸攻略できる。 “対馬"揚陸目的に建造された独島艦は、韓国海軍の金成萬海軍作戦司令官ら対馬侵攻計画の下で、2002年10月建造開始され2005年進水。強襲揚陸艦「独島」は"対馬"の対岸の釜山海軍作戦基地に配備されている。この「独島」の訓練は常に"対馬"に深夜上陸し住民3万人の皆殺しの訓練だけをしている。対馬と釜山海軍基地を往復輸送を目的とした積載構造になっている。 「独島」強襲揚陸艦、ヘリコプター7機、戦車6両、水陸両用車(AAV)7両、トラック10台、野砲3門、上陸用ホバークラフト2隻、海兵隊員720人と乗員300人を搭載する。 54: 名無しさん@おーぷん 2014/06/29(日)02:57:48 ID:YfgAslCit   韓国 "対馬"住民3万人皆殺し強襲艦「馬羅島艦」建造 F-35B搭載艦、予算通過 2013/12/12 【軍事】 韓国 独島強襲揚陸艦、2番艦「馬羅島(マラド)艦」の設計予算通過、2020年に戦力化   「馬羅島艦」にF-35Bを搭載し、独島艦よりも30%大きくなる3万トン以上の強襲揚陸艦の建造を決定した。デッキの長さも独島の200mから260mとしF-35Bを搭載する。 軍当局によると、11日開かれた国会国防委員会の2014年度予算委員会で、大型揚陸艦2番艦の設計予算10億ウォン(9900万円)が可決された。 政府は2020年までに総額6528億ウォン(650億円)を投入し、大型強襲揚陸艦2番艦、「馬羅島」を配備する。馬羅島に、F-35Bやヘリコプター、戦車、上陸突撃装甲車、兵力で"対馬"を強襲揚陸できる。 韓国には"対馬"揚陸用艦艇として現在「独島」強襲艦1万4000トンがあるが、2番艦として「馬羅島」3万トン以上が建造されることにより"対馬"の住民3万人皆殺し制圧が強化される。 関連(韓国紙 2013/12/12) http://news.donga.com/3/all/20131212/59494841/1 (中略)(元記事: blog.goo.ne.jp (a4wから))
12月 30, 2016 睡眠不足自慢、多忙自慢、病歴自慢、若い頃のヤンチャ自慢。この4つをドヤ顔で話す奴とは付き合わない方がいい。 balance-meter:
12月 30, 2016 昨夜、日本を出発してハワイ到着して、安倍首相がすぐにえひめ丸事故の慰霊をしたのに生中継がなく、その他にもハワイ在住の日系人との面会などが予定されているのに、NHKの番組表に「安倍首相の真珠湾訪問」の生中継予定がないwww本当にNHKを解体して国営放送を創るべきじゃないかwww 500円さんのツイート (via himmelkei)(元記事: twitter.com (eleeleeleから))
12月 30, 2016 「故郷の人はみんな、日本に来たがるよ。仕事には困らないし、手当て(=生活保護費)ももらえる。向こうでは『黄金の国』って言われてる」  中国人女性のA(40)は、あっけらかんと打ち明ける。 遼寧省から東京に来たのは15年前。顔も合わせたことのない日本人男性と偽装結婚し、永住権を取得した。  中国人クラブやスナックなどを渡り歩き、いまは都内の繁華街でホステスとして働いている。月収は多い時で100万円。平均的に60万��70万円の稼ぎがあり、これ以外に月十数万円の不労所得が入ってくる。  「生活保護をもらってるの。もう4年くらいになる。稼いだお金はほとんど貯金に回してる」  故郷に住む両親のため、中国東北部の郊外都市に400万円でマンションを買った。  「それでもまだ3000万円の貯蓄が残っている。夢は都心湾岸エリアの高層マンションを買うこと」と笑ってみせた。  生活保護は本来、「生活に必要な収入を得るだけの労働が不可能な人」のみが得られる福祉制度で、資産を持つことは原則、認められていない。  Aの受給は違法だが、「お金は中国の口座に入れているから、バレる心配はない」といまも確信犯的に受け取っている。 さらにAは「生活保護をもらう前は、国保(国民健康保険)でお小遣い稼ぎもしていた」と明かす。  国保の小遣い稼ぎとは、国保加入者が海外滞在中に病気やけがで治療を受けた場合、治療費の一部が返還される「海外療養費支給制度」の悪用を指す。  「中国で治療を受けたことにして日本で手続きすると、お金が返ってくる。知り合いに頼んで偽造書類を作ってもらうから簡単。分け前を払えばいくらでも協力してくれた」(A)  海外療養費をめぐる不正は後を絶たない。昨年7月の住民基本台帳法の改正で、3カ月以上、日本に滞在する外国人も制度の対象になったことが要因として挙げられる。先日には大阪府堺市で、2年近く虚偽申請を繰り返して約240万円を詐取していた中国人グループが逮捕された。  相次ぐ公金詐取について、捜査関係者の一人は「詐欺のノウハウが中国人社会の間で共有されている」と指摘し、こう解説する。  「遼寧省、吉林省、黒竜江省の中国東北部出身者が集まってできた『東北幇(とうほくばん)』と呼ばれる犯罪組織があある。奴らが指南役となり、同郷の中国人に詐欺マニュアルを口伝して手数料を取っているとみられる」  Aも実際に「東北幇」の関係者から生活保護などの不正行為を教わったという。  厚生労働省のデータをみると、中国人の生活保護受給者は2005年度で2609世帯だったが、10年度には4018世帯になった。「5年で1・5倍に膨らんだのは不況を背景としたリストラだけとは言い切れない」と先の捜査関係者はみる。http://news.infoseek.co.jp/article/26fujizak20130326001 ハムスター速報 - 中国人の間で日本で生活保護を受給する事がブームに!国保でも偽造書類でお金をゲットする方法が存在する事が判明・・・中国人「日本は『黄金の国』」 (via darylfranz)(toutiku-m44から)
12月 30, 2016 中国共産党の権威ある「中共中央文献研究室」編集による『毛沢東年譜』(1993年、全9巻)によれば、毛沢東は生きている間、ただの一度も抗日戦争勝利記念日を祝ったことがないし、またただの一度も「南京大虐殺」という言葉を使ったことがない。教科書にも書かせなかった。中国人の証言によれば、文化大革命のときなど、「南京大虐殺」を口にしただけで右派、反革命分子として吊し上げられた経験を持つ人さえいたという。  だから毛沢東が他界した(1976年)後になって、初めてこれらを口にすることが許されるようになった。  なぜか?  それは日中戦争中、毛沢東が日本軍と共謀していたからだ。  潘漢年(はん・かんねん)という中共スパイを日本側に派遣して、国共合作によって得られた蒋介石・国民党側の軍事情報を高値で日本側に売り渡し、その間に中共軍の拡大を図っていた。できるだけ日本軍と戦わず、やがて日中戦争が終わった後に国民党軍をやっつけて、中共軍を率いる毛沢東が勝利を収めることを狙っていたのだ。日本軍と中国共産党軍との間の部分停戦さえ、申し出ている。実際に部分的停戦が行われた地域があり、中国共産党軍はそのお蔭で急速に拡大していった。  その間に、日本が戦っていた「中華民国」の蒋介石・国民党軍は、日本との戦いで消耗していった。  だから、日本軍による中国への進攻を毛沢東は感謝し、建国後、元日本軍等を北京に招聘し、「あなた方、皇軍の進攻がなかったら、私はいまこうして中南海にいることはできません」という趣旨のことを何度も言っている(詳細は『毛沢東 日本軍と共謀した男』)。 安倍首相の真珠湾訪問を中国が非難――「南京が先だろう!」 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト (via xxdrugaxx)(元記事: newsweekjapan.jp (amenokgから))
12月 30, 2016 選挙応援の際に、日の丸がはためくのは、自民党の支持者たちだけ。民主党、共産党、社民党、公明党を応援する支持者は、日の丸を持たない。(via shinjihi)(windsockから)
12月 30, 2016 ・プロになりたかったら応用技は後回しに(1にも2にも基本が大事) ・人の上に立ったら知識の理論武装をし、相手にグウの音も言わせない知的腕力を使いなさい ・失敗を恐れて慎重になる、その気おくれがチャンスを逃す原因 ・利益を出す発想がすっぽりと抜けている人が以外に多い ・お金に執着しなさい ・何が何でも一番を目指す、これこそラクして生きる最大の鉄則 ・部下を叱ったら必ずその倍ほめる ・アマチュアは問題を複雑にし、プロは問題をシンプルにする ・個人プレーを磨いて初めてチームプレーができる ・歯車になるな、モーターになれ 2000社の赤字会社を黒字にした社長のノートのまとめ(5) | ブクペ (via mcsgsym)(元記事: bukupe.com (gearmacから))
12月 30, 2016 中国がAIIB加入を迫ってきたり 韓国が通貨スワップをねだってきたときは 交代制で靖国参拝すべき 中国海警が尖閣に近づいたときとかもな 【超絶朗報】靖国参拝で韓国とのスワップ協議もご破算キタ━━━━━━(°∀°)━━━━━━!!!www 中韓のすり寄りをシャットアウトする最強のカードにwww - 中国・韓国・在日崩壊ニュース (via dormouse0)(元記事: news-us.jp (dormouse0から))
1月 2, 2017 なぜ俺が、金を勝手に盗られ続けた上にこんな面倒をかけさせられないといけないのか。 俺が悪いのか? プレミアム特典は解約した状態なのに、公衆Wifi無料サービスなんてものだけを個別に解約しないといけない。 そんなこと、どこに書いてるんですか? 契約書の隅っこに3ptぐらいの文字で書いてたんですか? だったら100億万歩譲ってそちらの勝ちでいいでしょう。 月々390円を1年以上盗られ続けていたのかもしれんが、気づけなかった俺がマヌケだと言うんでしょう、ソフトバンク様としては。 でもな、気づいた場合はすぐに解約させて下さいよ。 何なの、「サービスの解約」ってメニューを進んだら自動音声で「おまえが間違っている」と言うだけで解約できないようになっていて、「料金の問い合わせ」を選んだらオペレーターに繋がるって、どういうことなの? 俺には「普通の人間が選びそうな選択肢では正解に辿り着けないようにするけど、一応正解は用意してあるから詐欺ではない」と言い張っているようにしか見えない。 もっとシンプルに例えましょうか。 ある日、顔だけ知っているヤツが俺の財布から勝手に小銭を抜き取っていることに気がついた。 問いただすと「そういう契約だから、これまでも毎月受け取ってきた」と言う。 でも俺はこいつとそんな契約を結んだ覚えはない。 「何の契約だ?」と聞くと「自分で調べろ」と言う。 で、苦労して調べて「わかったぞ、○○の契約を結んだことにしていたんだな?」と確かめると「その通りだ」と認めて徴収を止めた。 ふざけた野郎ですよね。 でもこんなおかしなことを東証一部上場のソフトバンクグループ(9984)とヤフー株式会社(4689)が結託してやってるんですよ。 ちょっと姑息すぎませんかね。 ソフトバンク解約者は要注意!ヤフーから毎月390円ずつ盗まれるのを止める方法 - ぶかろぐ (via windsock) (元記事: guchirubuka.hatenablog.com (nee420から))
1月 2, 2017 年の瀬だから言っておこう! 今年テキサスで骨折して現地の病院で入院&手術をして、医療費の請求が2000万円だったよ!20万じゃないよ、200万じゃないよ、2000万円だよ。破産寸前だよ。みんな、アメリカでは絶対に無茶なことしちゃダメだよ…。 ケンモチヒデフミ@水曜日さんのツイート (via hutaba)(元記事: twitter.com (kimonomichiから))
1月 2, 2017 多くの場合、以下の5つに収れんされる。 ・会議の目的が明確である ・全員が活発に、建設的に発言している ・決まったことが明確である ・納得感がある ・高密度で時間通りに終わる  この問いに絶対的な正解はないが、「良い会議には欠かせない要素」を全員がはっきりと意識し、「みんなでこの状態を作ろう」と思うことが、良い会議を作る第一歩である。そしてこれを全員に意識させることは上司であるあなたにしかできないことだ。 あなたの会議、シュッとしてる? - (2/4)ひどい会議は上司のせい:ITpro (via kasahi) (元記事: itpro.nikkeibp.co.jp (koppa892から))
1月 2, 2017 大人になってわかる。社会科は歴史を知り国のシステムを知るために。理科は生きているこの世界の成り立ちを知るために。算数は生活を少し便利にするために。英語は沢山の人達とわかりあうために。そして国語はそれらの全てを正しく理解するために学んできた事が。全て私達が生きることに繋がっている。 Twitter / natsukissweet (via yellowblog)(diving-penguinから)
1月 2, 2017 「全共闘世代」という用語が聞かれなくなったのは、団塊自体が、自分の全共闘運動をなかったことにしてるから。 課長島耕作の頃の島耕作は、「元学生運動家」であることを誇ってたはずなのに 最近書かれた「ヤング島耕作」では、大学生島耕作は全共闘に対して批判的なことを言ってる。歴史の改組。 eternalwindさんのツイートhttps://twitter.com/juns76/status/815507464669925376 (via ashzashwash)(元記事: twitter.com (unibarthから))
1月 3, 2017 ここに尿瓶とコップとバケツがあります。 その中に今買ってきたお茶をいれたら、どれを飲みますか? コップのお茶を飲むでしょう? 人間もいっしょで、中身が同じでもきちんとした格好でなければ 人に信頼はされないんです。 ベア速 心に響いた名言・格言 (via tsundere, tyano)
1月 3, 2017 フィンランドは資源があるから裕福っぽくできてたけど なんで北欧がベーシックインカム言い出したのかというと、 「資源お金持ちぶってたけど、てその福祉制度が破綻し始めてるからなんやで 無知日本人は欧州は医療と学費無料素晴らしいと絶賛してるけど その医療は現実は軽医療でもすぐに診察できなかったり 癌などの高度医療は50歳以上は全額自己負担だったりするから しかもやたら素晴らしいだの幸福だの自画自賛してる北欧は現実は 大学出た後に若者がどんどんよそに出て行ってしまうから人口も増えない ちょっと前までドイツフランスをやたら持ち上げてた左翼は ドイツフランスの実体がバレてから、やたら北欧持ち上げてるから 日本人は勘違いしやすいけど 来年からフィンランドでベーシックインカム試験導入 毎月560ユーロ(6万8000円)が振り込まれる 被験者2000人、現在の社会保障一切なし | 保守速報 (via ashzashwash)(元記事: hosyusokuhou.jp (rainbowflower-gardenから))
1月 3, 2017 ローマ法王への献上米として有名になった、 「神子原産米」のブランド戦略は大変参考になります。 この献上米がマスメディアで取り上げられ、 ものスゴいオーダーがきたそうです。 しかも、品のいい奥様方からのオーダーで���た。 そのオーダーをこなして、 さて、次の戦略です。 『一番売れる時期がありますが、敢えて売らなかった。 東京の白金、田園調布の奥さんから注文を頂いたとき、 「申し訳ありません。売り切れてしまいました。 もしかするとご贔屓にされているデパートで、お取扱いが あるかもしれません。そちらに電話してみてください」 本当は売り切れていなかった。 デパートに置いてほしかったのだが、 こちらから頭を下げると値段を叩かれる。 デパートが一番弱いのが高級住宅地の奥さまです。 そこから問い合わせが入るようにしたのです』 (『致知』 2013/3) ここには価格戦略、ターゲット、マーケティングのエッセンスが、 詰まっています。 ビジネスは我慢|ブログ|公認会計士 本郷孔洋 オフィシャルサイト「ビジネスの眼」 (via soulboy) (元記事: e-acctg.com (hatackyから))
1月 3, 2017 購入することは無いが、今後一切憧れの対象の車では無くなった。 あぶね~ 【拡散】テスラは韓国製だったことが判明!!! と ん で も な い 事故で法則発動キタ━━━━(°∀°)━━━━!!!www 2ch「やべー買わなくてよかった」「日本市場じゃもう売れないな」 - 中国・韓国・在日崩壊ニュース (via ashzashwash) (元記事: news-us.jp (fortyniner045から))
12月 27, 2016 ハワイ王国の滅亡とアロハ・オエ awarenessxx: ねずさんの ひとりごと 2013年03月05日 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1815.html 【ハワイ王朝 / カイウラニ王女】 ハワイ王国最期の王位継承者 August 21, 2010年 http://ameblo.jp/audrey-beautytips/entry-10625374931.html 太平洋の楽園ハワイのことを書いておこうと思います。 実は以下の記事は、4年前に一度アップしたものですが、今回、リニューアルしてお届けしたいと思います。 18世紀末にハワイを発見したのは、有名なキャプテン・クックです。 そのクックを先頭に、ハワイに来島した白人たちが持ち込んだのが、貿易商、キリスト教宣教師たちなのですが、彼らが持ち込んだのは実はそれだけではありません。 麻疹、結核、コレラ、ハンセン病、梅毒までも持ち込んだのです。 これは、かつての太平洋の島々に共通していた事項なのですが、彼らにはもともと「土地所有」という概念がありません。 その代わり、たとえばバナナの木などは、誰の所有かが、かなり厳格に定められたりしています。 そんなハワイの人々に、欧米から来た白人達は、ただ同然で土地を買い占めました。 なんと、国土の75%以上を所有してしまったのです。 ハワイの先住民たちは、追いつめられ、クックが来島した頃30万人だった人口が、1872年にはわずか5万7千人にまでに減少してしまいました。 国民の8割の人口が失われてしまったのです。 ちなみに欧米によって植民地化された国は、ほぼ例外なく人口が8、9割減少しています。 なかでももっとも悲惨だったのは、アメリカインデアンで、彼らはかつて北米に約800万の人口があったものが、欧米人の上陸後、いまではわずか35万人にまで人口が減少、しかもインデアンの純血種は、いまや皆無です。 全員が白人との混血です。 これが何を意味しているかは、申上げるまでもないことだと思います。 さて、ハワイ諸島を統一したのは、カメハメハ大王です。 大王がハワイ諸島を統一したのは、19世紀、日本の明治のはじめ頃のことでした。 大王は、欧米人種と対抗するために、明治維新のときの日本と同じように、一方で彼らから武器・弾薬を買い、一方で種々の部族がひしめくハワイ諸島を統一したのです。 武器購入資金は、サトウキビ等の輸出など、国内産業の発展によって賄いました。 しかし輸出相場の変動、疫病の蔓延、白人たちによる暴行等によって、国力は徐々に衰退していってしまいました。 実は、カメハメハ大王の孫にあたるカラカウワ大王が、1881年に日本に来日しています。 当時の日本は、有色人種で唯一の独立国でした。 有色人種の希望の星だったのです。 そしてこれが、外国の大王、つまり要人が日本に来た、最初のできごとでした。 来日したカラカウワ大王は、アメリカ人の随行員らを出し抜いて、日本人通訳のみを連れ、密かに赤坂離宮を訪れて明治天皇との会見を願い出ました。 天皇側は夜中の訪問を不審に思ったけれど、とりあえず会見に応じました。 大王は、明治天皇にハワイ王国の内憂外患の窮状を述べました。 そして、5つの事柄について、日本の協力を要請しました。 1 日本人移民の実現 ハワイ人の人口減少を同一種族である日本人の植民で補う。 2 やがて王位を継ぐことになる、姪のカイウラニ王女と日本の皇族の山階宮定麿親王との婚約。 3 日本・ハワイの合邦 (ハワイを日本にしたいと申し出たのです) 4 日本・ハワイ間の海底電線(ケーブル)敷設。 5 日本主導による「アジア連邦」の実現。 しかし、明治維新後わずか14年の日本には米国と対抗できるだけの力はありません。 やむなく明治天皇は、翌年カラカウア大王に特使を派遣して、婚姻を謝絶しました。 ただ、移民については実現し、1884年、日本・ハワイ移民協約が締結します。 明治18(1885)年、第一陣の日本移民がホノルルに到着しました。 このときハワイでは盛大な歓迎式典が行われ、カラカウア大王自身もこれに列席しています。 そして日本酒が振る舞われ、ハワイ音楽やフラダンス、相撲大会まで催されました。 明治24(1891)年1月、カラカウア大王が病死し、後を継いで後継者に、大王の実妹のリリウオカラニが女王に即位しました。 明治26(1893)年1月15日のことです。 リリウオカラニ女王は、ハワイの民衆に選挙権を与えるために、ハワイの憲法を変えようとしました。 宮殿前には、女王を支持するハワイの大勢の民衆が集まりました。 けれど、この憲法改正案には、ひとつ問題がありました。 この憲法が施行されると、市民権を持っていない白人たちは、選挙権が得られない、つまり参政権を否定されるのです。 米国公使のスティーブンスは、翌16日、「米国人市民の生命と財産を守るために」と称して、ホノルル港に停泊中の米軍艦ボストンから、海兵隊160余名を上陸させ、政府庁舎や宮殿近くを制圧します。 そして軍艦ボストンの主砲の照準を、イオラニ宮殿に合わせます。 宮殿前には、大勢のハワイ市民が集まっているのです。 スティーブンスやハワイ最高裁判事サンフォード・ドールら在ハワイ米国人達は、この状況で女王の身柄を拘束し、王制打倒のクーデターを強行しました。 ハワイの王族や軍、あるいは国民達は、女王奪還を企図し、徹底抗戦の構えを見せたのですが、市民が人質に取られているという状況を前に、リリウオカラニ女王は「無駄な血を流させたくないと、退位を決意します。 この瞬間、ハワイ王国は滅亡してしまったのです。 危機感を持ったカラカウア大王が来日から僅か12年後のことでした。 しかしハワイには、将来の日本との合邦もあり得るという前提で、2万5千の日本人が入植しています。 そこで急きょ、日本から派遣されたのが、巡洋艦「浪速」と「金剛」でした。 2月23日、到着した「浪速」と「金剛」は、米軍艦ボストンの両隣に投錨します。 艦長は、若き日の東郷平八郎です。 東郷平八郎は、いっさい米人たちと会おうとせず会話も拒み、ただ黙ってボストンの両隣に「浪速」と「金剛」を停泊させました。 もちろん砲門は、まっすぐ前を向いたままです。 けれど、完全な臨戦態勢です。 ボストンからしたら、これほど気持ちの悪いものはありません。 両側の日本の巡洋艦の主砲が、ちょっと横を向いただけで、ボストンボストンは沈没を免れないからです。 東郷平八郎は、実弾をもって戦うのではなく、米人たちに無言の圧力を与えることで、ハワイ市民の混乱や、市民に対する白人の略奪を阻止したのです。 かつて日本に来日したカラカウア大王は、キリスト教宣教師によって禁止されていたフラダンスを復活させた大王でもありました。 ですからフラダンスの父と呼ばれています。 そして、東郷平八郎氏と親交があったといわれるハワイ王国最後の女王リリウオカラニ女王が、作詞作曲したフラの名曲が、あの有名な「アロハ・オエ」です。
Aloha ‘Oe アロハ・オエ(あなたに愛を) Ha'aheo ka ua i na pali Ke nihi a'ela i ka nahele E hahai ana paha i ka liko Pua ‘ahihi lehua o uka Aloha ‘oe, aloha ‘oe E ke onaona noho i ka lipo A fond embrace a ho'i a'e au Until we meet again
山たちこめる雲 霧化し森の間間 さがす谷咲く花 潤むいのちつぼみ ふるさと ふるさと うるわしのああ まほろば  もう一度 抱きしめて さようならふるさと
とてもやさしい、いかにも太陽の恵みを燦々と浴びた南国の曲という印象がありますが、そこに歌われているのは「うるわしの古郷、もう一度抱きしめて、さようなら古郷」なのです。 名曲アロハオエの美しい旋律の陰には、侵略者に踏みにじられ祖国を失ったハワイの民の悲しみが隠されています。 このリリウオカラニ女王の決断は、ポツタム宣言受諾のときの昭和天皇のご聖断を思い浮かべさせます。 そのとき昭和天皇は「一人でも多くの国民に生き残ってもらって、その人たちに将来ふたたび立ち上がってもらう以外に、この日本を子孫に伝える方法は無いと思う。みなの者は、この場合、私のことを心配してくれると思うが、私はどうなってもかまわない」と語られました。 古来、国王というものの多くは、むしろ逆に、国民の命などどうなっても構わないから、国王だけが生き残る、という選択をしています。 これは世界中がそのような歴史にいろどられています。 けれど、国王がむしろ逆に、「我が身はどうなっても構わない。ひとりでも多くの国民の命を守りたい」とご決断されているわけです。 リリウオカラニ女王は、退位し、ハワイ王国は滅亡しました。 日本も、もしかしたら同じ道をたどったかもしれない。 あるいはいま、たどりつつあるようにさえ見えます。 けれど、日本のポツタム宣言受諾のときの天皇のご聖断と、リリウオカラニ女王のときとの違いは、退位があったかなかったによる違いです。 ハワイは、退位という現実の前に、それ以前にあったハワイの古くからの文化のすべてが失われてしまいました。 日本も、もしかしたら黒船来航以後、欧米列強によって国民の人口の8割が失われ、さらに国そのものがこの地上から消えてしまっていたのかもしれないのです。 いいかえれば、いま私達がこうして生きているのは、天皇の民として生きた先人達の、まさに血の滲むような努力によるものだし、その努力によって、私たちは私たちの国の文化や伝統を、いまだに(かろうじてかもしれないけれど)保つことができています。 そこが大事なとこなのではないかと思います。 もうすぐ春休み。 なかにはハワイにバカンスにお出かけになる方もおいでかもしれませんが、そういう歴史があったのだという事実も、どこかでちょっぴり、お子様たちなどにお話いただけたらと思います。 (元記事: nezu621.blog7.fc2.com (novice-evangelistから))
12月 23, 2016 大学の先輩が小児科医になって児童虐待防止の仕事をしているのだが、「赤ちゃんは泣き止ませなくていい」と言っていた。ほんとそう思う。理由があって泣くときもあるけど、「我輩は泣く。ただし理由はない」みたいなのけっこうあるから、泣き止ませることをゴールにすると地獄に突入する。 Twitter / tabitora1013 (via spindrift64)(dormouse0から)
12月 23, 2016 ハーグ陸戦条約で「交戦者」の要件を厳格に定めている。 その重要な点は次の三つである。 ①遠くからでも識別できる軍服を着ていること(市民の服装、つまり「便衣」は許されない) ②武器は外から見えるように携行すること(たとえばピストルも体の外に吊るし、懐に入れない) ③団体の場合は、必ず指揮者つまり責任者がいること(ばらばらの勝手な行動は許されない) ▼この三点を守らずに武器を持っている者は、 山賊、海賊、野盗、便衣兵、テロリスト、工作員とみなして、殺してもかまわない。 「交戦者」の要件とは?http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/yougo/kousensha_youken.html (via awarenessxx)(元記事: geocities.co.jp (awarenessxxから))
12月 23, 2016 ロシア人「酒無いから入浴剤飲むぜ」 ニュース「入浴剤を飲んで死にました」 日本人「ええ……」 日本人「仕事終わらないから休日出勤だぜ」 ニュース「休日出勤を続けて死にました」 ロシア人「ええ……」 Twitter / sunasuna0911 (via tkr)(元記事: twitter.com (heinekenrijから))
12月 24, 2016 海外の人向けにアニメでよく聞く日本語を解説する動画シリーズのコメント欄に「アニメの途中とかによく聞く、Grand sponsor Tokyo day OH Christmas って何?」みたいなコメントがあって、ちょっと考えたんだけど、「ご覧のスポンサーの提供でお送りします」だ…Twitter / gio_lespedeza (via tkr)(元記事: twitter.com (zaki123から))
12月 24, 2016 【風呂入ってる最中に体調が急変したら、とにかく真っ先に浴槽の栓を抜くこと】 意識があるうちにとにかく栓を抜け。風呂入ってるときに死亡する原因で多いのは『溺死』。意識が落ちるとそのまま沈んでしまって溺死をすることが多い。栓を抜けば少なくとも溺死が避けられる。とにかく真っ先に栓を抜く 兄上ぇえーッ!��!【C91*東イ59a】さんのツイート (via hutaba)(元記事: twitter.com (lovecakeから))
12月 24, 2016 ナイジェリアではマラリアがあった。ハマダラカに刺されると、4、5日で発病する。最初から悪寒が酷い。無茶苦茶暑いナイジェリアでも、自分の高熱のために、寒く感じるのだ。  この悪寒は、強烈だった。私は少なくとも数回、マラリアに罹患した。私の臆病さがマラリアにせよ他の病気にせよ、いつも効をそうした。風邪でも、下痢でも、なんでも私はマラリアではないかと、心配して、医者に飛んでいったからだった。  自分で風邪かもしれないと思ったケースでも、マラリアだったことを思い出すと、病気には臆病であったほうがよいと今でも確信している。幸運にも、子供は、一度もマラリアに掛からなかった。 マラリアは、悪寒を感じた時点で、即医者に走った。ナイジェリアで生活しているときには、24時間受け付けてもらえる個人診療の西洋人の医者に連絡して、夜中でも緊急の診察を受けた。  マラリアに関しては、マラリア原虫が一日のような一定の期間で、卵と成虫の成長サイクルを体の中で繰り返し、そのサイクルごとに圧倒的な数に増殖していく。だから発病したら、時間との勝負だ。一刻を争う。  特にやっかいで不思議なのは、マラリアでは発熱した次の日の朝は、原虫の成長サイクルの状態から、不思議なことに熱が下がり、ケロっとすることがあり、直ったと油断してしまうことがある。  そして、その日の夕方に遙かに強烈な、爆発的な発熱を再び体験し、体はがたがたになり、もう動けなくなるほど、強烈な病気になる。放置すれば死に至ることも多い。脳性マラリアなら、後遺症が残る。恐るべき病気なのだ。  海外に駐在している者ですら、最初は「風邪かな」と迷ってしまうマラリアに、旅行者が罹患したとしても、マラリアだと本人が信じないことが多く、無理をして早めに(酒を飲んだりして)寝る程度の対応を取る。次の日の朝、説明したようにケロッとして、「もう治った。良かった」と、普通の行動をとる。 団体行動やスケジュールの消化のプレッシャーから、即時の診察や初期治療のタイミングを外してしまう。これで、その日の夕方には最悪の状態に陥る。マラリアをこじらせると1カ月以上入院となったり、下手をすると死ぬこともある。 マラリアが発生している国々はアフリカだけでなく、東南アジアでもたくさんある。温暖化で、日本にくることも警告されている。  蚊から罹患する可能性があるのは、デング熱、西ナイル熱などがある。私は海外旅行には、電気の液体蚊取りや、電熱マットを必ず持参している。電圧の調整器も持って行く。米国では、液体(それも化学品の液体蚊取り)は、飛行機の預け入れ荷物でも持ち込めない(一度、トランジットの荷物検査で没収された)ので、米国へは、蚊取りの電熱マットに切り替えた。 読むBizワクチン ~一読すれば身に付く体験、防げる危険~ - 海外旅行・出張危険回避講座(一読さえすればリスクは最小、そしてあなたは、海外旅行のプロ) その30 海外での病気の対応(via darylfranz)(元記事: blogs.bizmakoto.jp (lovecakeから))
12月 26, 2016 世界最古の文明と言われるシュメール文明にしても、いまから6~7000年前のものでしかありません。ということは、日本の1万6500年前の土器や、1万2600年前の漆、あるいは8000年前の灌漑農業などが、いかに古いものかがわかろうというものです。それだけ日本には、古い歴史がある、ということです。 ねずきちの ひとりごと 日本を守ろう (via shinjihi)(元記事: nezu621.blog7.fc2.com (sabayoから))
12月 26, 2016 ギャンブルと依存症を巡る実態について、基本的なところから紹介したい。引用するのは、『ギャンブル依存症からの生還 回復者12人からの記録』の「はじめに 人とギャンブル」という文章だ。著者は精神科医の帚木蓬生氏。 まず、パチンコ、スロットが全国津々浦々まで店舗展開しているこの国だが、一体どれくらいの数の店があるのだろう。 実態はと言えば、「コンビニのローソンよりも多く、全国に1万2000館あります。ギャンブルの機器の台数では、世界720万台の3分の2が日本に集中しています。朝は10時から夜も10時まで開店していて、冷蔵庫つきのロッカーや託児所を備えているホールも珍しくありません。ATMの設置もほぼいきわたっています。窮極の至便性と安楽性が実現されているのが、パチンコ/スロットなのです」 世界のギャンブル機器の3分の2が日本に集中しているとは、驚きの数字である。では、そんなこの国でギャンブル依存症になっている人はどのくらいいるのだろうか。 「日本のギャンブル障害の有病率は、厚生労働省助成の研究班による調査で明らかにされました。2008年の調査で5.6%(男性9.6%、女性1.6%)、2013年の調査で4.8%(男性8.7%、女性1.8%)です。この結果から厚労省は2014年8月、国内の有病者数は536万人と発表しました。ちょうど北海道の人口と同じです。 この有病率は、イギリスの0.5%、スペインの0.3%、スイスの0.8%、スウェーデンの0.6%、カナダの0.5%、米国の0.42%と比較すると桁違いの高さです。アジアでもマカオが1.8%、シンガポールが2.2%にとどまっています」 カジノ法案とギャンブル依存症。 | 雨宮処凛 (via vampir)(元記事: huffingtonpost.jp (inquisitive-bookから))
12月 26, 2016 育ちの良い人を「気取ってる」とか「見下してる」とか感じる人は総じて育ちが悪いよ No.32317 育ちの良い人の見分け方 - コピペ運動会 (via gkojax)(xf-2から)
12月 26, 2016 ケント・ギルバート  「平和主義を掲げた日本国憲法を守っていれば他国は日本に戦争を仕掛けてこない」という論理は、62年前に破綻している。日本国憲法公布の6年後、日本は韓国に島根県・竹島を強奪されているではないか。
12月 21, 2016 ヨハネの黙示録 十二使徒でもなんでもない別人かつ後世のヨハネさんが 「こんな怖い夢を見たんですよー」と神父に相談したのをまとめた妄想メモ 正典に入れるのに猛烈な反対意見があったにもかかわらず 「終末の描写がいけてますね」というラノベ真っ青の理由で正式採用された ヨハネの黙示録 続・妄想的日常 (via gkojax)(redfinchから)
12月 21, 2016 昔電子書籍セミナーで超有名漫画家先生が「デジタルってだけですごいいじめられるんだけど、昔はスクリーントーン使ってるだけで手抜きって言われてたし、古代エジプトのパピルスの古文書にも文字使ってるやつなんて手抜き、と記されているそうなので気にすんな」って話してて私もそう思ってる。 suzuganeさんのツイート (via mug-g)(元記事: twitter.com (koke-musumadeから))
12月 21, 2016 NHKが2019年からネット視聴環境を整えたユーザーから課金するという方針のようです。 最終的には日本国民が生まれたらその時にNHK税を課す。 というのがNHKの目的でしょう(笑い事じゃなく)。 ネットから金を取るためにまずは実績作りを行い、 最終的には 「ネット配信してるんだからネットが使えるユーザー全てから視聴料を取らなければならない。」 と言い出すのは間違い無いでしょう。 国営でも民間企業でも無いという極めていい加減な立ち位置になっていて 会計監査もろくに行えません。 従って何にどれほど使っているのか、 国民から金をむしり取っておきながらその細目は非公開でやってきました。 こんな異常な話はありません。 国民から集めたお金なのですから一円たりとも無駄にしてはなりません。 放送料でやっていくというのであれば 1円単位まで全て使い道を明らかにするように法で縛るべきでしょう。 それが嫌なあら放送料を巻き上げる事をやめて独立採算でやっていけばいいだけです。 その結果NHKが潰れたって知ったこっちゃありません。 自浄能力ゼロ、汚鮮されきっていて再生不可能なNHKなど もはや切り捨てるしかないとブログ主は考えています。 24時間ただニュースを淡々と流し続ける国営の放送局を作ればいいでしょう。 おそらくあっさりとNHK+民法の捏造ニュースバラエティなど 視聴率が一気に低下することでしょう。 共産党の言葉の薄っぺらさ (via kramerunamazu)(anomalocaris0から)
12月 23, 2016 アメリカ人は原爆投下を正当化するために「投下がなければ、日本上陸作戦で多数のアメリカ兵が犠牲になった、原爆投下は多数のアメリカ兵の命を救った」、「原爆投下は戦争の終結を早めた」といいます。しかし、これは「勝つためには手段を選ばない」といっているのと同じです。自国の兵士の犠牲を少なくするためには何をしてもいいと言うことにはならないのです。戦争にもルールはあるのです。原爆投下は無差別大量殺戮そのものです。原爆投下の当時日本政府は必死で和平工作をしていたにもかかわらず、それを無視し続けたのはアメリカです。「戦争終結を早めた」というのも「アメリカの完全勝利のうちに戦争を終結させることを早めた」というにすぎません。結局「勝つためには、目的を達成するためには非戦闘員の無差別大量殺戮も辞さない」といっているのと同じです。これは国際法にも正義にも反する考え方だと思います。 アメリカはいつまで原爆投下を正当かできるか (via windsock)(元記事: kcn.ne.jp (tory33から))
12月 17, 2016 酸素のない宇宙で、なぜ太陽は燃えるのか? それには、「燃えること」つまり燃焼について知らねばならない。 物質が酸素と化合して、熱と光を発する現象を燃焼という。 このため、モノが燃えるには酸素が不可欠なのである。 太陽にもごくわずかの酸素が含まれているが、燃焼の役に立つ量ではない。 ここから言えることは、太陽は燃焼していない ということである。 太陽は燃えているように見えるが、実は燃えていないのだ。 太陽は燃焼とはまったく違う原理で熱と光を発している。 その原理は、核融合反応だ。 太陽の強力な熱と光は、核融合反応によって生成されるのである。 核融合反応とは 物質の構成単位を原子といい、その中心部を原子核という。 元々、原子核は不変の単位であると考えられてきた。 ところが、原子核は分裂や合成によって、他の原子核に変化することが発見されている。 水素を一か所に集め、およそ1000万Kを超えるような高温・高圧になると、4つの水素原子核が反応し、1つのヘリウム原子核が生成される。 これが水素核融合反応である。 「水素原子核4個分」と「ヘリウム原子核1個分」の重さを比較すると、ヘリウム原子核1個分の方が軽い。 水素原子核4個がヘリウム原子核1個に合成されるときに、少し軽くなる。 つまり、質量が余ってしまうのだ。 余った質量の行き先はエネルギーに転換されるしかない。 核融合によって余った質量がエネルギーとなって解放されるのだ。 このエネルギーは光・熱として放射される。 太陽の大部分は水素ガスである。 水素ガスが大量に集まることによって重くなり、重力によって収縮しようとする。 ところが収縮すると、中心部の圧力が上昇し、温度も高くなる。 このため、太陽の中心部で水素核融合反応が起こる。 水素核融合反応は、太陽が輝く原動力であると同時に、水爆の原理でもある。 そのエネルギーは燃焼の比ではない。 もし、太陽が燃焼によって光と熱を放っているとしたら、人類が誕生するはるか以前に燃え尽きているはずだ。 真空の宇宙で、なぜ太陽は燃えるのか?:サラリーマン、宇宙を語る。 (via micamica)(zaq1234から)
12月 17, 2016 女性が性的欲望の対象であることからうけるデメリットを全て社会から排除したいのであれば、まず女性が性的欲望の対象であることによって受けるメリットを捨てないと理屈が通らないわけだが、それは一切捨てる気がないのが女。 https://twitter.com/_ciamely/status/808881945941655552 …eternalwindさんのツイート (via windsock)(元記事: twitter.com (captainwisteriaから))
12月 17, 2016 それはさておき、中国ネットユーザーが残したあるコメントが、文章の内容以上に大きなインパクトをもって訴えかけてきた。それは「映画に対する最高評価は、『海賊版を見てもなお、チケットを買って正規版を見たいと思う』こと。新海誠はそれをやってのけた」というもの。その説得力には圧倒され、感心してしまうが、感心している場合ではない。版権の問題については、今後も真剣に考えなければならないのである。 「君の名は。」が中国でも大ヒット「海賊版を見て、それでも正規版を見たいと思わせる作品」-サーチナ (via junmyk)
そもそも今の中国の映画ブーム自体が確か、海賊版に業を煮やしたハリウッドが海賊版では楽しみにくい3D映画としてアバターを上映、その後も主要映画は3Dにすることで映画館に足を運ぶ人が増えて今では世界最大レベルの絵市場規模になった、という話だったはず。 中国にコンテンツを出すことは海賊版の戦いと同義なのは変わってないんだろうけど、映画館で金を払おうという人は増えているのだと思う。(via yoosee)(元記事: news.searchina.net (yooseeから))
12月 17, 2016 退去処分の取消しを求めた控訴審でタイ人少年の控訴が棄却された件、少年は一度帰国し正式な審査を受け再来日すればいい。責めるべきは不法入国した両��であり、矛先を間違っている。不法で入国したもん勝ちの前例を作ってはいけない。今回も人権を盾に不法入国者を支援する方々の意図が透けて見える。 フィフィさんのツイート (via windsock)(元記事: twitter.com (captainwisteriaから))
12月 17, 2016 「働きアリというのは実は1日の1/3の時間は働いていて、あとの2/3は遊んで暮らしているそうです。そこらへんを散歩にいったり、女王アリのひげをさわって遊んだりとか特に目的のないことをしているようです。」だって。かわいい。 Twitter / @morishige (via nagas)2011-05-08(via mmtki)(元記事: mnky (auxoから))
12月 17, 2016 まず、ベンチャーはすぐには成功しません。雌伏の時が10年、15年続くのは当たり前です。たとえば、マイクロソフトは90年代半ばから急激に成長しましたが、設立は1975年です。当時は、タイピング練習ソフトやゲームソフトを作っている小さな会社でした。Windowsで世界を席巻するようになるまでには、20年近くかかっているのです。天才経営者と言われるビル・ゲイツですら、それだけの時間が必要だったということです。 情報の「捨て方」 知的生産、私の方法 / 成毛 眞 (via ebook-q)
12月 17, 2016 「あなたの悪口を言う人より『あなたの悪口を言っていたよ』報告してくる人の方があなたに害を与える可能性が高い」という言葉を、人間関係で困ったときいつも思いだす。 かるさんのツイート (via hutaba)(元記事: twitter.com (yellowblogから))
12月 20, 2016 表現の自由とは「発表の場を奪われない自由」であって、「発表した内容を批判されない自由」ではないのだが、ここをはき違えている人が極めて多い。誤報も含めて放言が許されるとしたらそれはもう自由ではなく特権だろうに。 Twitter / Noooooooorth (via rpm99)(元記事: twitter.com (cr-xから))
12月 12, 2016 常に陰徳を志すこと。ほんとうの利他行は、竹の葉影が階段を掃くように動きながら塵は一切動かず、月光が水を騒がせることなく、底まで照らし出すように、目立たずに光を送り、人知れず涼気を運ぶものなのである。(玄有宗久)
12月 12, 2016 ドゥテルテ氏は6月にフィリピン大統領に就任したのですが、麻薬犯罪撲滅を掲げる同政権の下で密売人らの殺害が続いていることをアメリカのオバマ米大統領が人権問題と批判、 それに激怒したドゥテルテ大統領がオバマ大統領に対して暴言を吐いたため、9月5日に予定されていたASEAN首脳会議での両首脳の会談は中止になってしまいました。 ドゥテルテ大統領が激怒したのは、フィリピンがかってアメリカの植民地だったことと無関係ではないでしょう。 フィリピンは元々、スペインの植民地だったのですが、1896年にスペイン人と土着のマレー人の混血であるメスティーソが支配階級のスペイン人に反旗を翻し、 エミリオ・アギナルド将軍率いる反乱軍がフィリピン独立を求めてスペイン軍と戦います。 当時、キューバの独立をめぐってスペインと戦争していたアメリカは反乱軍を支援し、フィリピンにアメリカ軍を派遣します。
しかし、その後、アメリカはスペインと裏取引し、2000万ドルをスペインに払ってフィリピンを購入し、フィリピンを自国の植民地にしようとするのです。 そのため、フィリピンの反乱軍は今度はアメリカ軍と戦うことになるのですが、3年間の戦争の末、圧倒的な軍事力を誇るアメリカに屈服し、フィリピンはアメリカの植民地になってしまいます。 3年間の戦争でアメリカ軍の死者は僅か883人、対するフィリピン側は(人口600万人のうち)100万人が死亡、その中で反乱軍の死者は1万6000人だけで、残る98万4000人は民間人だったといいます。 アメリカ軍の将軍たちが兵士に「原住民を皆殺しにしろ」と命令したお陰で、ベトナム戦争でのソンミ村事件のような民間人の虐殺がフィリピン全土で起こったのです(出展:スターリング・シーグレーブ著「マルコス王朝」)。 ドゥテルテ大統領はオバマ大統領に反論する会見でわざわざこのときの虐殺の写真を持参して見せたそうですが、 お前らアメリカ人は上から目線でエラソーに人権だのなんだのと俺に説教するが、お前らがフィリピンでやったことを忘れたのか!といいたかったのでしょう。 フィリピンの反米感情 : ジャックの談話室 (via sqiz)(元記事: jack4afric.exblog.jp (rokurokuから))
12月 12, 2016 『無断駐車してる車両のナンバープレートにガムテープ貼って「ナンバーを隠した怪しい車が停まってます」と警察に通報して対抗』 というエクストリーム解決術を知って戦慄してる Jugem-T&新譜作業中さんはTwitterを使っています (via openarms)(元記事: twitter.com (nobby0-0から))
12月 13, 2016 戦争犯罪は日本よりも戦勝国のほうがはるかに多かったし、はるかに悪質だったわけだが、戦勝国の犯罪は一切問われなかった。 東京裁判が茶番劇の理由 (via tra249)(元記事: geocities.co.jp (zaki123から))
12月 13, 2016 戦国武将の藤堂高虎は、はじめ近江浅井家に仕え 浅井家が織田信長に滅ぼされると、織田系の武将に仕え 織田が本能寺に倒れると、豊臣系の武将に仕え 関が原の前に、徳川に鞍替えした 250年後、明治維新の頃、徳川幕軍に砲撃を加える藤堂藩の姿があった 姉川の戦いに一介の足軽として参戦してから、大坂の陣まで。戦歴の凄さに驚く
12月 13, 2016 静かであること。 大人とは静かであるべきです。大声で話すのは、レストランや料理屋では無作法ですし、セルフサービスのカフェでさえ、がさつな感じがします。どしどし歩く、バタンとドアを閉める、がちゃんとコップを置く。擬音がつく動作は慎むこと。エレベーターのボタンを押すとき、公共交通の自動改札機にICカードをタッチするとき。静かであるかどうかで、印象がずいぶん違います。 『しごとのきほん くらしのきほん 100』 (via mmgen)(musokamuiから)
12月 13, 2016 お寺の名前や、その他の様々な物に名前を付けるとき、昔の人は、何も考えずに、 ただありのままに、わかりやすく付けたものだ。 最近になって、よく考えたのかどうか知らないが、小細工したことを見せつけるように付けた名前は嫌らしい。 ( 人の名前にしても、見たことのない珍しい漢字を使っても、まったく意味がない。 どんなことも、珍しさを追求して、一般的ではないものをありがたがるのは、 薄っぺらな教養しかない人が必ずやりそうなことである。徒然草 吉田兼好
12月 9, 2016 2015年のパチンコ・パチスロの市場規模は23兆2,290億円/世界のカジノの売上が全体で1700億米ドル(約18兆円)/ カジノでギャンブル依存症が増えそうだと言うのなら/根本的な対策を考えるべきなのです。"ごもっともhttp://lite.blogos.com/article/200695/?axis=&p=2 Twitter / _HATORI_ (via dontrblgme404) (元記事: twitter.com (inquisitive-bookから))
12月 9, 2016 俺が母ちゃんにならったことで一番好きなこと。どう考えても論破できる場合でも相手に必ず逃げ道を用意しろ。追い詰めても何もいいことはない。逃げ道に救いを用意しろ。相手を救うのが言い争いのホントの勝利だ。こんなこと中学生の俺に教えてくれた俺の母ちゃんは偉大だ。そういうことを思い出した。Twitter / @tknbn (via raitu)(esakiから)
12月 9, 2016 麻生太郎が、壁に貼って、小さい頃から守り続けてる逆説の10か条 マザーテレサも影響うけたみたいだ。 ●逆説の十ヶ条● 1 人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。それでもなお、人を愛しなさい。 2 何か良いことをすれば、隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。 それでもなお、良いことをしなさい。 3 成功すれば、うその友だちと本物の敵を得ることになる。 それでもなお、成功しなさい。 4 今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。 それでもなお、良いことをしなさい。 5 正直で率直なあり方はあなたを無防備にするだろう。 それでもなお、正直で率直なあなたでいなさい。 6 最大の考えをもった最も大きな男女は、 最小の心をもった最も小さな男女によって撃ち落されるかもしれない。 それでもなお、大きな考えをもちなさい。 7 人は弱者をひいきにはするが、勝者の後にしかついていない。 それでもなお、弱者のために戦いなさい。 8 何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。 それでもなお、築きあげなさい。 9 人が本当に助けを必要としていても、実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。 それでもなお、人を助けなさい。 10 世界のために最善を尽くしても、その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。 それでもなお、世界のために最善を尽くしなさい。 これが、麻生太郎の強さの秘訣だ
12月 10, 2016 1993年、日本にアジア太平洋地域インフルエンザ・センターが作られた。 それまでアメリカ、イギリス、オーストラリアにしかなかったセンターが 日本に設置されることになったのは、なぜか。 インフルエンザ・ワクチンは、毎年、WHOの専門家会議で、データをもとに今年流行しそうな インフルエンザを決定し、それに基づいて製薬メーカーがワクチンを作っている。 それまで日本はその元になるアジア各国の膨大なデータを収集し WHOに送付する仕事だけをやっていた。 担当していた根路銘国昭氏は、これだけの仕事をやってるのに、 日本にインフルエンザ・センターがないのはおかしいとWHOに手紙を書いた。 それに対する返事は 「WHOも国連の安保理と同じで第二次大戦の戦勝国で構成している。 よって日本は入れない。」というものだった。 彼はさらに抗議の手紙を送ったが返事は同じ。 それどころか、WHOに批判的人物として、彼と日本に対し冷淡になったという。 ここで普通の日本人ならどうするだろうか。なんとか謝罪して、今までどおりの扱いにしてもらおうと努力するか、そもそも抗議など最初からしないかもしれない。 だが根路銘氏は違った。なんと、日本が集めていたアジアのデータを1年間、WHOに送るのをやめたのだ。 インフルエンザの大半はアジアから発生するから、そのデータがないと ワクチンが作れない。WHOは大騒ぎになったという。 そして翌年、根路銘氏にWHO専門家会議への招待状が来た。 その会議で、日本にアジア太平洋地域のインフルエンザ・センターを 作ることが決定され、彼が初代センター長に就任することになった。 こうしてインフルエンザセンター長になった根路銘氏だが、 WHOはアメリカの製薬メーカーの意向を受けた学者が力を持つ世界だった。 1993年フランスで開かれた国際会議で、アメリカが新開発した 生ワクチンを、まず日本で使うべしという議題があがった。 日本は生ワクチンの効果には疑問をもっていて既に使わなくなっていた。 根路銘氏は、「日本を実験台にして、うまくいけば各国で使うつもりだろう」 と感じたという。その会議には日本の学者も数十人参加していたが誰も反対しなかった。 根路銘氏ひとりが、「日本は先進国であり、ワクチン政策に君たちの指導を 必要とする国ではない」と反論した。 そこでアメリカの学者に、君たちのデータをOHPで映してほしいと頼んだ。 そして日本のデータと比較すると、日本のワクチンの方が明らかに 効果があるとわかり、他の学者からも「ネロメの方が正しい」 と意見があがった。 こうしてこの議題は流れ、日本人がモルモットにされるのを防いだ。 またジュネーブのWHO本部で12人の専門家によるワクチン決定の投票において、 アメリカのワクチン11票、日本のワクチン1票でアメリカ製に決まった。 もちろん1票は根路銘氏のものだ。根路銘氏は科学的に見てこの結果はおかしいと 閉会30分のコーヒーブレイクのときに、2日間の討議で使った110カ国のデータを つき合わせてコンピュータにかけた。するとアメリカ製は日本の半分しか効果がないと出た。 彼はこの結果を見せて、居並ぶ学者たちに 「君たちは政治家か、科学者か。科学者ならこのデータをどう見る」 と問いかけた。すると議長がテーブルを2回たたいて 「私の判断で採決を取り消します。ドクターネロメが提案した日本の意見に従います」 と結果をひっくり返した。 「まるで映画のようだった」と根路銘氏は言う。 根路銘氏はこうも言っている。 「この会議の後、対立したアメリカの学者とすごく仲良くなった。(via shinjihi)(fortyniner045から)
12月 12, 2016 優れた決断をするという事は、がんばって作業する事より、はるかに会社が儲かるようになる上で重要だから給料に反映される MBAとはどういう教育なのか - 愛の日記 (via shinyasuzuki)(元記事: yokichi.com (wataruuuから))
12月 12, 2016 カレーの色は紫外線に弱いので、日光に当てると消える。これはほんとです。「カレーついちゃったら、まずティッシュでおおかた拭ってから、濡らさず天日干ししてクダサーイ」と昔、インド人の知り合いが教えてくれました。ありがとうニラヴさん。 埼玉のタヌキさんはTwitterを使っています: “カレーの色は紫外線に弱いので、日光に当てると消える。これはほんとです。「カレーついちゃったら、まずティッシュでおおかた拭ってから、濡らさず天日干ししてクダサーイ」と昔、インド人の知り合いが教えてくれました。ありがとうニラヴさん。おかげで白い服でカレー食べて何度救われたか。” (via yue)(元記事: twitter.com (tempest0256から))
12月 12, 2016 なぜ学校で教えないのか。 昭和天皇が自分は殺されてもいいから国民を救ってくれとマッカーサーに嘆願した事を、かつて敗戦国のトップで命乞いしなかったのは昭和天皇だけだという事を、感動したマッカーサーが食糧を多めに本国に申請して取り寄せてくれた事を、後にそれがバレて解任された事を! Twitter / Mighty_Spirit (via gearmann)(nobw2001から)
12月 12, 2016 1. 何か頼む時は「お願いします」2. 何かもらったら「ありがとう」3. よほど大事な用でない限り大人の会話を邪魔しない。4. 会話に割って入る時は一言謝る。5. よく分からないことは勝手にやらず大人に聞く。6. あれが嫌だこれが嫌だと言わない。7. 誉め言葉以外に他人の外見についてコメントしない。8. 元気?と訊かれたら、答えた後に相手にも訊き返す。9. 友達の家に遊びに行ったら、その子の親にお礼を言う。10. ドアを開ける前にノックする。11. 電話をかけたらまず名乗る。12. 感謝の気持ちを忘れない。できればメールより手書きの感謝状を。13. 乱暴な言葉遣いをしない。14. 人の悪口を言わない。15. いかなる理由でも人をバカにしない。16. 劇や人の話がつまらなくても興味のあるフリをし、静かにする。17. 人にぶつかったらすぐに謝る。18. 咳・くしゃみをする時は口に手をあて、人前で鼻をほじらない。19. 自分がドアを開けた時に他の人が通ろうとしたら、手をドアに置いて閉まらないようにする。20. 親や先生、近所の人の手伝いを進んでやる。21. 頼みごとは快く引き受ける。22. 手伝ってもらったらきちんとお礼を言う。23. 食事のマナーは大人に聞いたり真似をしたりして、ナイフやフォークを正しく使う。24. 食事の際は膝の上にナプキンを乗せ、口元が汚れたらぬぐう。25. 食卓などで遠くにあるものには手を伸ばさず、取ってもらうよう頼む。 9歳までに身に付けさせるべき25のマナー  ロケットニュース24(β) これJr.の見えるところに貼っとこ(via mnky)(fuminagaから)
12月 12, 2016 あるパーティの席でドイツと、ロシアの士官がおり、 ドイツの士官が明石に、フランス語で「貴官は、ドイツ語ができますか?」と聞いてきた。 元二郎は「フランス語がやっとです」と、わざと下手なフランス語で答えた。 するとそのドイツの士官は、元二郎を無視してドイツ語で、ロシアの士官と、重要な機密について話し始めた・・・ドイツの士官にすれば、ドイツ語が分かるはずがない」と考えたのであろう。 然し、元二郎はドイツ語は完璧に理解しており、その機密をすべて聞いてしまった。 元二郎は、フランス語、ロシア語、英語も完璧に理解していた。 明石元二郎 - Wikipedia (via hisaruki)
これ他人事じゃなくて、海外で日本語が分からないだろうと日本語で裏話していたら全部聞かれていたというケースはそこそこ聞くので気をつけたほうがいいよ。(via yoosee)
12月 12, 2016 アメリカの有名な社交界の名士の言葉に、「噂が好きな人は、あなたに他人の話をする。話が退屈な人は、あなたに自分の話ばかりする。話の面白い人は、あなたにあなたの話をする」というのがあります。(パトリック・ハーラン)
「我々日本人は宗教の問題をそれほど重視いたしません。日本人の信仰はたいへん神聖で  信心は固いものです。そのよりどころは、ただ一つ。それは大和魂です。  一人の日本人がいかなる宗教を信仰していたとしても、彼本来の信仰は大和魂です。  日本人は何よりも大和魂を神聖なものと考えます。日露戦争がそれを証明しました。  ロシア正教徒である日本人も、みな率先して武器をとり従軍していきました。  日本人の利益は民族精神を守ることにあり、これを失うことは日本人であることを失うことです。」 ――― 大隈重信  アブデゥルレシト・イブラヒムとの対談にて
「日本では家族制度が強固な為、階級闘争、つまり労働運動の激化を仕掛ける事は  非常に困難である。何故ならば、労働者は失業しても労働運動などする必要はない。  家族が暖かく迎え入れてくれるからである。この家族制度をなんとかしない限り、  日本へ階級闘争を持ち込むことは難しい。」                  ─── 国際連盟労働部長 アルベール・トーマ
「私は人を雇う際、三つの条件で判断する。  第一が人間としての誠実さ、第二が知性、そして第三が行動力だ。  ただし、第一の条件が欠けると、他の二つはその人を滅ぼす凶器と化す。」 ─── ウォーレン・バフェット
山本五十六 「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、 ほめてやらねば、人は動かじ。  話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。  やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」
「日本人は、表面的には感情を表さないように見えるが、実は深い憤りを密かに育て、 不意に逆上して手のつけられなくなるような国民なのだ。 真の指導者と認めて忠誠を捧げている人たちによって抑制させなければ、 "とことんまで突っ走る"性癖がある。こんな国民は世界に例がないと思われる。」 ─── ジョン・ヴァン・アントワープ・マクマリー
世の中に 寝る程楽はなかりけり 浮世の馬鹿は起きて働け 江戸時代の狂歌 詠み人しらず
11月 27, 2016 先日、『ヤバい職場、ヤバい家庭、ヤバい人間関係で共通してるのは「その場にいる全員が自分を被害者だと思ってる」』というツイートを見かけたけど、ヤバいコミュニティは全員が自分を被害者だと思って相手を加害してる状態なんだろうな。 (via pgtwitter)(元記事: twitter.com (pgtwitterから))
11月 27, 2016 ちゃんとメシ食って、 ちゃんと風呂入って、 ちゃんと寝ている人には、 かなわない AERA No.50『過労社会 働き方』2016年11月21日号:糸井重里(via izumi-kazan)(sobbieontmblrから)
11月 27, 2016 介護福祉士の研修の時に講師の先生から聞いた「末期癌余命半年くらいの男性の利用者さんに、もうレクの時間位は好きな事をさせてあげようって事で別室で洋モノAV鑑賞をさせてあげてたら癌が治って長生きした」って話が大好きなので、やっぱりすけべ心は万病に打ち勝つんや(via sukoyaka)(元記事: twitter.com (ny079から))
11月 27, 2016 マイケル・ムーアが、ゲイを認めない意見についてこんな事を言っていた。『なんで?いいじゃない!!だって男同士がくっついたら、そのぶん、女性が余るでしょ。ウハウハじゃないか!!ライバルが減ってどーしていけないんだい!!』この人は最高だと思った。Twitter / @kyonghagi (via 46187)(genngakkiから)
11月 27, 2016 他の人には労働みたいに思えることがあなたにはそう思えないなら、それこそがあなたによく適したものなのだ。(ポール・グラハム)
11月 27, 2016 タミヤって知ってる?タミヤ。あのプラモ作ってる会社。 ペンタゴンが開発したステルス戦闘機F-117が まだ軍事機密バリバリで、前面写真しか公開されてない時に タミヤが全体図想像して、プラモデル化しちゃったんだけどさ、どうなったと思う? もの凄い剣幕で怒られたwww そりゃ軍事機密の塊をプラモ化したら怒るだろ。 って思うだろ? でも、怒った理由が違うの。 「どっから機密情報を盗んだんだ!」って怒ったんだってwwww 背面の予想図と本物がピッタリ一致!wwwタミヤスゴスwwwwwww 過コピペ@2ch タミヤって知ってる?あのプラモ作ってる会社 他 【無駄知識】 (via gkojax) (via perfume-mania) (via iro) (via ljmp) (via wideangle, mcsgsym) (via romotary) (via f-sugar) (via tomine) (via girio) (via brooklyn-sometimes) (via take-cheeze) (via sikakui182) (via multi) (via nashi-kyo) (via constan) (via mitukiii) (via gkojax) (via quote-over1000notes-jp) (via sobbieontmblr) (via shinjihi) (via hiroakis)
11月 27, 2016 何で、日本で最も多くの人が(無意識レベルででも)信仰しているものを「神道」と呼ぶか知ってる? それは「神道」が宗教ではないから。 宗教として人の都合で固められた教えは、やがては時代にそぐわなくなり、いつか維持できなくなる。そうして形骸化した神(=教え)は求心力を失って“死ぬ”しかない。 その現象を神の死と、キリスト教の人々は捉えたんだと思う。 神道が宗教でないなら、何なのか? 読んで字の通り「道」なんだよ。 言うなれば華道や書道、剣道や柔道や、武士道なんかと同じ。 どの道にも、究める先には必ず美が在り神が宿る。 「教え」じゃないんだ。人から教えられて得られるものなんて、極々最初のほんの僅か。その先は自らが悟り、さらなる先を求め、より高みを目指し研鑽するしかない。終わりも涯てもなく、ずっと続く道。 だから神道には、宗教には必須であるはずの教典がない。 作法は教えられても、その精神は各々が掴み取るものだから。 同じ様に禁忌もない。何をやっても構わない。 ただ、ほとんどの「道」で、ある程度修めた人がおのずから悟るように“やってもいいけど、やらないほうが好ましいこと”ってのはあるけど。 日本人の胸に目に見えぬ神様を畏れ敬う心がある限り、道は続いて行くんだろう。“神の死ぬ日”は訪れないだろうね。 「ど」の字:神が死んだ時期。ニートな2ちゃんねらー日記 (via sqiz)(元記事: 2nnlove.blog114.fc2.com (yunhから))
11月 27, 2016 産業革命が生み出したのは、なににも増して長時間の余暇であり、それが近代を象徴するほぼすべてのものの発明につながった。 MAKERS―21世紀の産業革命が始まる / クリス・ アンダーソン (via highlight)(yskwktから)
11月 27, 2016 本当の勝負とは、単に他者を蹴落したり、相対比較で優位に立つことを目的にするものではありません。真の意味で勝つためには、自分自身や己の欲に克つということがなければならない。 balance-meter:ブレイクスルーな言葉 (@breakthrough_jp) from Twitter: http://twitter.com/breakthrough_jp Edited by 空心 web: http://cooshin.com / facebook: http://facebook.com/cooshin
11月 28, 2016 彼女いわく、「夜はしっかり化粧して、こういう下着つけて、昼間結えてた髪を下ろして、夫の帰りを待つの」。 私が「寝るときはパジャマを着る」というと、向こうの女性はそろって「えー、信じられない!」と言います。ベッドの中ではセクシー・ネグリジェときまっているから。 外では地味、家では派手。これがイスラム女性のスタイルです。日本と正反対。 家の中でバッチリ化粧をするという主婦も多い。美しさは夫だけに見せるもの。外より家の中の方が、化粧に気合が入るのです。・・・と日本とちがうことばかり。 つまり、こう言えるでしょう。イスラム女性のおしゃれは、夫にだけに向けた「集中投資」。日本は、不特定多数の人に向けた「分散投資」。 日本人が知らないイスラム(2)イスラム圏にセックスレスがない理由 | 世界の人の家に泊まる (via yue)(元記事: f-tsunemi.com (pan88nから))
11月 28, 2016 スランプのとき、心を復活させる方法を訊ねられたのだが、もうね、はっきり言えるのは「人」に会いに行くこと。おもろい人、刺激的な人、挑発してくれる人。とにかく、人。閉じこもってしまうのが、一番スランプの治りが悪い。(小池一夫)
11月 28, 2016 若い頃、親類との人間関係で悩んでいた時、「他人に理解されようなんて考えなくていい。他人の評価なんて、いい誤解か悪い誤解かのどっちかなんだから」という談志師匠の言葉を耳にして、胸の中のわだかまりがスッと解けた思い出がある。 http://bit.ly/rwxh6d 他人に理解されようなんて… (via drhaniwa)(元記事: haniwa.blog3.fc2.com (momnisingから))
11月 28, 2016 日本は大東亜戦争に敗れることで中国(満州)と朝鮮半島を失ったが、大陸と手が切れた事で高度経済成長で経済大国になれた。海洋国家が大陸国家の勢力争いに巻き込まれることは大英帝国の過ちを繰り返すことであり、ドイツをヨーロッパ大陸に封じ込めておけばよかったと思う。その為に行なう必要のなかった世界大戦を二度も行いイギリスも国力を消耗した。 私の考える戦略は、海洋国家は大陸に手を出すべきではなく、大陸内部の勢力争いにも関与してはならないというものだ。アメリカもユーラシア大陸内部に手を出して失敗していますが、朝鮮戦争は忘れたい戦争であり、ベトナム戦争は思い出したくもない戦争だった。海洋には無限のエネルギー資源が眠っており、鉱物資源も豊富であり海洋権益の確保こそが日本の国家戦略であるべきである。 ドイツが(とくに太平洋の)植民地を欲しがったという点です。同じことを中国もやっているわけです。 - 株式日記と経済展望 海から見た日本の防衛―対馬海峡の戦史に学ぶ 松村 劭 (PHP新書)(元記事: blog.goo.ne.jp (momnisingから))
民主政権の置き土産:来日外国人が医療制度に「タダ乗り」…経営ビザで国保に加入し3割負担で受診して帰国 保守速報 2016年11月22日 (http://hosyusokuhou.jp/archives/48777205.html)
国民医療費が40兆円を突破し、日本の財政は危機敵な状態にある。こうしたなか、一部の来日中国人が日本の医療制度に“タダ乗り”しようとしているという。そんな噂を聞いて取材を開始したところ、とんでもない実態が浮かび上がった! 爆買いが収束に向かうなか、安倍���権が見据える新成長戦略が医療ツーリズムだ。日本政策投資銀行は、’20年の潜在的市場規模を5500億円と見積もっている。今や日本の医療の信頼性は世界の知るところとなり、日本での検診や治療を希望する外国人も増えている。しかし中には招かれざる客も紛れているようだ。 中国・広東省出身の40代の中国人女性Wさんは、3年前から患っているC型肝炎の治療のため、2か月前に夫を伴って日本にやってきたばかりだ。 「(略)ほぼ完治するという特効薬・ハーボニーの存在を医者から聞いた。ただ、その薬は中国国内では承認されておらず、海外の医療機関で治療する必要があるとのことでした」 興味を持ったWさんは、海外への医療ツアーを斡旋する複数の業者に接触した。ちなみに中国の患者数は約4000万人以上おり、国民病だ。(略)欧米での投与は完治までの滞在費を含め1000万円近くかかる��� (中略) 「国民健康保険のおかげです。薬代は月に1万円までしか取られないですから」(同)実は彼女の在留資格は、医療滞在ビザではなく、会社経営のために滞在する場合に発給される経営・管理ビザなのだという。
留学ビザや経営・管理ビザ、就労ビザなどで日本に3か月以上合法的に在留するすべての外国人は、国民健康保険(会社員なら社会保険)への加入が義務付けられている。
同時に、日本人加入者と同様の恩恵を受けることができる。 ハーボニーは肝炎医療費助成制度の対象となっており、国保もしくは社保の加入者は、所得によって自己負担限度額が月額1万円もしくは月額2万円までに制限される。 つまり薬価ベースでは465万円かかる投与が、最低3万円で受けられるのだ。 さらにハーボニーの薬代以外の診察料や各種検査費用なども、国保なので「3割負担」で済む。 Wさんが依頼した業者は、この制度に目をつけ、格安でC型肝炎治療を受けられる方法を彼女に売り込んでいたのだ。 ちなみに医療滞在ビザで来日し、ハーボニー投与を受けた場合、滞在費を含めて600万円以上になると業者から言われたという。 薬価と患者の負担額の差額は、保険料と税金によって賄われていることは言うまでもない。Wさんは「保険料はきっちり払っている」と強調するが、前年に日本で所得のない彼女の保険料は、最低額の月4000円程度だ。 多くの日本人は、健康状態にかかわらず国保や社保の保険料を一生支払い続けなければいけない。治療目的で来日して国保に加入し、支払った保険料を大きく超えるような医療サービスを受けるというのは、公正とはいえない。 (後略) 日刊SPA! / Infoseek News 2016年11月22日 9時1分 (http://news.infoseek.co.jp/article/spa_20161122_01241761/)
2: 名無しさん@1周年 2016/11/22(火) 16:23:35.14 ID:2HVZiyh70 >>1 言っとくけどこれ 民主党が改悪したせいで 日本人の税金が使われてるからな(´・ω・`)
【社会】中国人に詐取される日本の国民健康保険…モラルなんてメじゃない“やりたい放題” (http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1361802761/)
1 :アヘ顔ダブルピースφ ★:2013/02/25(月) 23:32:41.16 ID:???0  中国人一族はチェック態勢の不備を突き、公金を食い物にしていた。堺市南区に住む中国人が、国民健康保険の加入者が海外で支払った医療費の一部が給付される「海外療養費支給制度」を悪用し、療養費をだまし取った事件。  大阪府警が詐欺容疑で逮捕した20~50歳の中国人男女13人はほとんどが親族関係にあり、2年近くの間に9件の虚偽申請を繰り返し、約240万円を詐取していた。
11 :名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 23:36:42.28 ID:ykGZ/m6W0 358 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2013/02/23(土) 03:56:26.47 ID:JY1F6HeN0 民主党の小宮山が大臣だった時に、外国人が国民健康保険に加入できる条件を大幅に緩和して、ほとんどの外国人が加入可能な状態になっているそうです。
2泊3日で日本に観光に来た中国人も加入可能で、その後5年間はそいつが中国で治療等をしても、日本の税金からお金が支払われるということに。。
 木原稔:民主党の置き土産、外国人への社会福祉問題 [桜H25/2/22]  (http://www.youtube.com/watch?v=DScjGw87gws)
371 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2013/02/23(土) 04:38:58.54 ID:JY1F6HeN0 >>360 地方自治体が混乱するから1年間は様子を見ざるを得ないんだとか。 小宮山が国会で法案を通す必要のない省令でやったから、最近まで分からなかったみたい。 地方自治体からおかしいという陳情があって発覚したみたいで、今後もおかしなことがあれば教えてほしいと木原稔議員が言ってました。 保険制度を改悪して中国人に金を流した民進党(元民主党)ひっ○らえて市中○きませ
42: 名無しさん@1周年 2016/11/22(火) 16:31:25.86 ID:I+4MC9960 つまり>>2がFAか。 民主党が日本の健康保険制度を中国様に差し出したという典型例。 それでレンホーが「保険制度崩壊」と言って自民党を攻撃してると。
89: 名無しさん@1周年 2016/11/22(火) 16:36:06.40 ID:Y9z67n9l0 >>2 の書いた通り。
経営者でなくとも観光客として3日以上日本に滞在していれば国民健康保険に入ることができる。で、敗者(歯医者)言ってもいいし、病院へ行って治療して、帰国してから治療を続けても日本の負担で治療費は3割だけで治せる。
さすがは帰化人の多い【朝鮮半党】 鳩山政権だったかな。
26: 名無しさん@1周年 2016/11/22(火) 16:28:40.74 ID:pmd8a2zc0 真面目な日本人が損する制度が蔓延ってるな
205: 名無しさん@1周年 2016/11/22(火) 16:44:46.31 ID:ATAHy5Pj0 (略)なんでシナ人13億を日本人1億で支えるんだよw アホくさ過ぎるわ
66: 名無しさん@1周年 2016/11/22(火) 16:33:50.33 ID:SqbqAcW90 そりゃいくら税金払っても足らんよ
73. 名無しさん@ほしゅそく 2016年11月22日 18:56:52 ID:k1NjExMjQ こんなルールを作らせて放置している日本人がバカ
26. 名無しさん@ほしゅそく 2016年11月22日 18:32:09 ID:Q1MzgwMTA 一度通ったモノを変えるには強い力が要るってことなんだ だから保守そくちゃんが広報してるんだ(元記事: hosyusokuhou.jp (kowalski38から))
11月 29, 2016 TOKIOは「道の駅でこちらの◯◯を拝見したんですが」と「相手にとって既知の情報」をとっかかりに警戒を解きにかかる。 慣れてないゲストはいきなり「鉄腕ダッシュの零円食堂と言う番組で」と「自分にとって既知の情報」から話をしがちなんだよね。 「相手の立場で物を話す」って案外難しい。 ゆんゆん探偵さんのツイート (via mug-g)(元記事: twitter.com (layer13から))
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Text
J=B・セーと産業主義の起源
J.-B. Say et les origines de l’industrialisme, par Édgard Allix, dans Revue d’économie politique (1910)
訳序
industrialisme:産業主義。
industrie:勤労/産業。(定訳どおり。勤労は産業を構成する要素であり、産業は勤労の体系的な帰結である。ところが日本語では「勤労」はしばしば労働の美称にすぎない。)
produit immatériel:非物質的生産物。(一般には辞書的に「無形生産物」と訳されるが、悪訳であろう。セーがmatérielのみならずimmatérielな生産物もありと主張したのは、すべての生産を物質の創造ではなく形式の創造に、つまり人為的な有形性に求めるからである。immatérielは英語ではintangible――語源的には、接触不可能――と訳されるが、これも無形とは異なる。)
administration:経営/行政。
本文
「産業主義」のサン=シモン主義的なものが、近年、幾つもの作品の対象にされた。ヴェイユ氏とE・シャルレティー氏の共著[1]を継いで、E・アレヴィー氏の研究[2]は特に、サン=シモンのシステムと、シャルル・コントとデュノワイエの『ヨーロッパ監査官』で解説された自由主義理論、以上両者の間の接続点を調べた。一八一七年、「サン=シモンとオーギュスタン・ティエリ、シャルル・コント、デュノワイエは同時に、積極的政治学とはアダム・スミスとJ=B・セーが述べたとおりの政治経済であると見て取った」[3]。
我々はここで、J=B・セーの産業主義への貢献を決定し、それがしばしば思われているよりはるか直接的であることを証明するつもりである。産業主義テーゼはスミスとセーの学説の一般的精神に単純に鼓吹されたのではなく、セーの『論考』に少なくとも本質的な要素として潜在的な状態ですでに含まれていた。これこそは、我々がこの見地で『論考』を分析し、『監査官』とサン=シモンの理論を近づけることで確立したいことがらである。
J=B・セーはアダム・スミスの犠牲者である。彼を『国富論』の普及者としか見ない勢いで、彼の作品の独創的な価値と射程が忘れ去られたけれども、我々が信じるとおり、それが王政復古下フランスでの政治的経済的理念の運動の根本的部分を担っているのが真実であるならば、その歴史的意義はかなりのものである。
J=B・セーは、政治経済を生産理論であるとみなしただの、人の道徳的条件より生産物の増加に気をもむ経済的「物質主義」の類に陥っているだのと繰り返し非難された。[4]
セーがその名声の大部分を負う『政治経済論考』は、その表題と副題の一般性にもかかわらず、この傾向性の最終過程の価値を調査しようとはせず、なによりも富の形成の論考である。分配は要約的な素描の対象にすぎない。いつもの自由主義学派の程度とは違って明敏にも、セーがこれに関わる喫緊の疑問を意識していたのは疑いない。いわく、「最大多数派階級の生産物分担は生産分担と正確に比例するか?」[5]。彼は社会的所得分担での労働者の不利な状況を手早くも精力的に目立たせる。[6]しかし、彼はこれを力説せず、事実を指摘する。それがはその関心の本質的な対象でないことは明らかであり、彼にとって――彼自身が言うとおり――生産の研究は分配のそれより重要である。[7]同様に、消費は生産との関係においてしか、ほとんど関心がない。彼は、資本を蓄積する経済を褒め称えるため、そして、それを消散させる公私の浪費について、破壊的消費と生産的消費の区別を十分に開発する。
ところで、彼の中傷者が後に彼を批判するかど、そして現代人の精神を掴んだのは、まさしく彼の作品のこの性格である。J=B・セーが彼の世代に及ぼした影響力はここから来ている。
各世代は一定の大志を抱いているが、それは優勢な理念において定式化や凝縮を遂げられるまでは曖昧にしか意識されない。人間の精神にとって、シス��ムとは必然性である。社会の混乱した傾向性は、それを浮き彫りにする理論の周りに組織化されることでしか形にならない。
一八一五年、フランスは民族の過去最大の努力を尽くして、自由と静寂の途方もない必要性を感じ取った。殺人的闘争の十五年間、その敗北と侵略での終結、帝国的役人による市民的生命の拡張兵舎の体制は、人に戦争への恐怖と権力濫用への憎悪を吹き込んだ。この国は公論家が「軍事政府」と呼んだものを一掃したがったのであり、フランスで反軍国主義の第一次炸裂が生じたのはこのころということができる。
しかし、この「軍事政府」という憎い定式を新しい定式に取り替えなければならない。ここで自由主義が頼ったのは政治経済であった。それは過去を散らして未来を導くべき二つの理念のアンチテーゼにおいてフランスの怨恨と大志を要約した――破壊・生産だ。
征服と略奪でしか維持されない、富の破壊者たる政府は、労働と勤労で富をなし、生産の不可欠な条件であるゆえに財産と自由を尊敬する生産者体制に対立する。高くつく体制と生み出す体制の対立だ。
ほぼ二十年間、経済的綱領にして政治的綱領となった、この「生産」という肥沃な理念を流通の上に打ち出したのが、J=B・セーの当時の功績であった。
セーが多くのところでと同じく、ここでも部分的にはアダム・スミスの作品に鼓吹されていたのは疑いない。リスト氏は『国富論』の著者に捧げる注目すべき章で、「ときに行われるようにスミスを産業主義の先駆者や前触れとして提示し、農業の擁護者とみなされるフィジオクラートと対照する以上の間違えはない」[8]と述べる。リスト氏が言うとおり、確かにアダム・スミスはすみずみに至るまで農業を持ちこたえていたし、彼の筆の下では逐一フィジオクラートな理念が表れるし、彼はものごとを深めるとき、ケネーの学説をしばしば論駁よりは改正でとりなしていたようだ。[9]しかし我々は、同時代人がその作品に見出したことと、彼らが保ち続けたことにも気づかなければならない。よしやゲルマン・ゲルニエが彼を「フランス経済学者との類似を慎重に避ける」ようにしていたと咎めたにせよ、彼らからフィジオクラート的なところが全面的に消えていたことに疑いはない。彼は彼らを「農業システム」の敵対者であるとみる。彼らに感銘を与えたのは、「民族の年次労働が原始的基金である」という皮切りの大原理と、労働と和平の術で自由人民が絶え間なく自ら繁栄するという理念である。[10]
ヴィタル・ルーは彼の本『商業の繁栄に対しての政府の影響について』(1800)で、「不滅のスミス〔原文ではドイツ語の形でSchmidt〕がその作品でよく開発した」原理の適用を誇りにしながら、すでに「野蛮な民族を破滅、戦争に導く大志が、商人には祖国愛を鼓吹する。或る人々の幸せは破壊のうちにあり、他の人々の幸福はみなの繁栄のうちにある」と記している。
しかしフランスにスミスを知らしめ、とりわけ彼の生産理論の矯正と拡大に他の誰より貢献したのはJ=B・セーである。ドスチュ・ド・トラシーが言うとおり[11]、「生産の問題は多くの賢人に扱われており、その頂点にはテュルゴとスミスがいるが、わたしに言わせれば、わたしがこの主題について最もよく知っている著者、セー氏よりもよくこれを啓蒙した人はいない」。『国富論』を読んだことのない人は啓蒙階級でさえ多かったが、『論考』を読んだことのない人は少なかった。彼らが生産の将来へと勤労の社会的政治的使命への信念を引き出したのは『論考』なのである。
セーの経済理論は、実際、生産者に無制限の展望を開いているようにみえる。彼は「販路」において、生産の限界をほぼ無限に引き伸ばす価値法則を述べる。すなわち、富とは価値をもつ物であり、価値は――しばしば言われるとおり――効用に基づく。[12]彼が念のため言うには、すべての富は専ら土地から来るとフィジオクラートともに信じるかぎり、延長し増加する富の手段は非常に制限されていると考えてしまわなければならない。[13]アダム・スミスその人も労働を価値の唯一の源泉をみなしたので、人間的産業の異様な進歩を説明することができずにいる。「スミスは我々の社会に群がる非生産的な無為者と労働者にもかかわらずこの文明人が享受する生産物の豊富さを粗野な諸民族の赤貧と比較して説明することに非常に手間取っている」[14]。彼は分業に訴えたが、分業に或る種の奇跡的な美徳を帰するように強いられた。実際、彼の価値学説が富を人的労働の結合の果実としか見ないよう拘束するのである。
彼は、価値を端的に効用から生まれるものと理解していたとすれば、自然の作用もまた効用生産的で、ゆえに価値生産的であるとみていたことだろう。「自然はほとんどつねに、[15]人とその道具の労働と共同しており、この共同において我々は労働の節約と資本の節約にもっと成功することで一層の利益を得る。この節約は必ずや費用がかかるもので、我々がなんとか生産物の最大部分を成し遂げるための手段は、自然の無償サービスなのである」[16]。
かくて、すべての「システム」は致富の可能性を恣意的に制限するという共通の誤りに陥ってきた。生産的階級はフィジオクラートが考えているよりはるかに広い。製造業と商業、輸送業、諸々の士業が、農業と同じように効用を、つまり富を創造するし、セーの同時代人はその最善の証明として商業の生産性を考えていた。生産「資金」は土地や農業には限られない。自然、労働、資本は同じように効用創造に貢献するのである。
「富の一点一点すべてを創造する」[17]ことができると示したのは政治経済の「大発見」であった――「これがそれをかつてなく貴重なものにした」。生産性の源泉は膨大で、人の手の届くところにある。彼らは認識して意志するにすぎない。「富は、人の勤労が道具の助けで物に付す価値から成り立っており、各民族のまさにその胸の中で、そのような効果を及ぼすような仕方によって、創造され破壊されること、増加され逓減されることができる。重要な真理よ。なぜならば、それは人が合理的に欲望する財を、それを得るための真の手段を知って用いるかぎり、人の手の届くところに置くからだ」[18]。
勤労の生産力は無知と国家の悪政にしか制限されない。[19]啓蒙を広めて政府を改善せよ、あるいはむしろ、彼らが害なすのを妨げよ。そしたら富の増加に課されうる制限はなくなるだろう。
セーの楽観主義はイギリス人経済学者の新学説に掠ってすらいなかった。実際、彼はその射程を正確に理解することなく一生涯彼らと討論するのである。彼には他人の意見を取り入れる柔軟性がなかった。リカードは書簡で彼を、それを理解しておらず論争を避けていると非難した。実際、彼が拒絶した賃金理論において、彼は言葉の問題しか見ておらず、彼が採用した人口理論においては、その根本的な要素、すなわち比例未満の収穫の法則を解きほぐすには及ばなかった。
マルサスの学説は実際には人間的産業の不可能性の宣言である。人の増加と生産物の増加の間には致命的な「不一致」がある。耕作の法則は増大する障害を生存手段の増加に対立させ、人口の運動は生産の不十分さによって足を引っ張られる。
これがマルサスの理論の核心であり、セーはこれに気づかなかった。彼はこれを、生産の利益を称賛するための更なる議論を加える定式、楽観的な感覚で論評する要約的定式に還元する。すなわち、他がすべて等しくば、人の数は生産物の量に比例する。[20]そして、彼は速やかに結論を引き出す。「生産を促進する以外で人口を増加させることはできないし、生産の源泉を攻撃する以上に、少なくとも持続的な仕方で、人口を減少させることはできない」。[21]
しかしながら、セーは『論考』最終版[22]と『完全講義』[23]において生産の制限を寸評しなければと感じる。生産は「食料品がその生みうるサービス以上に価値をもつ点」で停止する。しかし彼は、すべての資源とその使用法を知っているならば、この末期から遠くない国はないと保証することで、このがっかりな見解を速やかに引き離す。彼の本当の考えが表現さいるのは、「不幸を蒙っている国の場合において、人間の数の削減ではなく、生産物の量の増加を望まなければならず、それは人口が活発で、勤労し、経済的であり、良く統治されるとき、すなわちわずかしか統治されないとき、つねに余地がある」[24]と言うときである。この最後の命題はマルサスの理論の精神とは明らかに矛盾しており、マルサスと〔アレクサンダー・〕エヴェレットを論駁した或る著者は、いみじくもセーに宛てて述べることができた。「人口に関するわたしの見解は全般的なトーンにおいてマルサスのそれよりあなたの哲学に一致していると思われます」[25]。
いずれにせよセーにとっては勤労が人口の基礎になり、マルサスの学説はフランス政治経済を経て産業主義学説に変貌し始めた。マルサスは人が悪を帰する政府の落ち度ではなく自然から社会悪が生じると証明するための保守的な意図で『試論』(『人口論』)を著したかたわら、それはフランスでは、社会の致命的問題を解決する際の政府の無能を証明し、それを「生産物の母、勤労」[26]に手渡すよう促すという政治的な反対の精神で利用された。諸国家と諸州の境界、諸民族の法律と習俗は偶然的な境遇にすぎず、その産業の発達への影響力によって間接的にしか人口に影響しない。マルサスの『試論』は思いがけない迂回によって、社会とはその産業がなすところのものであるという原理の裏付けを果たしたのである。
社会悪は生産の不十分から生じるのであり、この理念は有名な販路理論でなお例証される。過剰生産に帰せられる経済危機は実際には過少生産から生じる。生産物は生産物と交換されるから、それらが売り渡されないとしたら、それは相手方の欠如ゆえなのである。「他の生産物が足りないから一定の生産物は過剰なのである」。
したがって、危機の対策は均衡を再確立するため、立ち遅れたままの部門でさらに生産することである。それに実を言うと、この均衡はめったに歪曲されないだろう。「もしもすべてがつねに全面的な自由に委ねられるならば、或る種の生産はめったに他のを凌がないだろう」。[27]他方を渋滞させるこの不足を一方で維持するためには、「自然的または政治的な災害、強欲や政府の蒙昧のような、主な原因か暴力的な手段」がなければならない。[28]ここでもまた、落ち度は政府から来るのが普通であり、救済は産業からなのである。
販路の理論は生産の治療的作用に光を当てるだけではない。それは当時の精神に相当の印象を与えたもっと広い射程の帰結を含意する。実に、それは勤労が全個人と全民族の利害関心を一致団結させると示す。「民族は、近隣民族が繁栄することに関心をもち、その裕福さから利益を得ることを保証される」。[29]すべての国の生産者の間には真の共同体が存在し、すべての人はどこから生じた産業的進歩であれ利益を得る。したがって、産業的精神は国際調和と平和の精神である。「啓蒙された諸人民の愛国は人類に拡張する」。[30]
アンチテーゼは速やかに戦争精神に求められる、というのもそれが富をなす唯一の源泉は外国人の略奪だからである。セーいわく、「政府が一般的富を増加するには二つの手段しかない――安全を保障し財産を尊重するか、他民族から奪い取るかだ。後者のシステムは「権力と致富の技量を濫用する者が則るシステムに類比される。それは生産せず、他人の生産物を掠め取る」。[31]
セーの門弟たちはこの対照を発達させて悦に入る。これが専制に抗する彼らお気に入りの武器になる。勤労が人々の調和を実現するから、「ヨーロッパの古国家の排他的で嫉妬深い格律」[32]は政治的経済的ナンセンスである。この科学は諸民族の分断を無視する。それは、生産する者と生産しない者、富を創造する者と破壊する者の間の、深遠で普遍的な区別しか知らない。マルクス主義的な階級闘争の理念はそのルーツをセーの学派の自由主義学説におく。マルクスは中世以降の歴史をすべてノブレスとブルジョワジーの闘争に帰するギゾとオーギュスタン・ティエリからそれを変更しつつ借りた。しかしA・ティエリがサン=シモンの学説と『ヨーロッパ監査官』から引き出したこの理念はセーに関連している。しかしながらこの闘争は、マルクスにとっては生産的階級内においてさえプロレタリアと資本家の間で生じるが、セーと彼の門徒にとってはあくまでも生産的階級と非生産的階級の間にある。彼らはこう叫ぶのも本意であろう。「万国の生産者よ、団結せよ!」
セーの着想の政治的射程はこれまで適切な注目を受けていなかったが産業主義すべての芽生えを含んだ一節において特殊な仕方で明らかになる。それは一八〇三年版にすでに現れており、以降で正確、完全にされている。それは「産業の進歩から近代人に生まれる依存」[33]と題される。古代においては、土地も資本も産業所得ももたなかった平民は、公人のクリエンテスに身を窶した。近代人においては、産業的才能をもつすべての人は独立している。大王はもはや被征服者からの略奪品を友人に分配することができない。「民族の大半は大王に仕えることにはほとんど利益がないが、公共に仕えること、すなわち産業を活用することには多くの利益があると気づく……政府は遠い昔は人民に授けていた援助を人民から得る。かくて、近代的全民族の全体は政府が転覆したのとほとんど同じ状態に留まるのである」。[34]
一八一七年版で加えていわく、「この観察から引き出さるべき他の帰結は、政府が生産者の助力でしか自身を維持できないので、つねに一層生産者に依存することと、自らその補助金の主人となりうるすべての民族はつねによく統治されるだろうこと、この平和の術以外に資源を求めるすべての政府はすべての軍事政府と同じように長きにわたって自身を維持することができないことである」。[35]
そのうえ、政治経済は人と制度の社会的価値を判断する基準を設ける。それらが費やすものとそれらがもたらすものを比べれば事足りるし、セーの考えでは非物質的生産物の理論は人間活動の全部門にその適用を広げる効果をもつ。[36]この見地からは、社会で対立する二つの集団がただちに区別される。もたらさずに費やす集団か、もたらした上で費やし、物の力により、他人を養う集団かだ。さて、前者は自由主義が闘争する全権力を含んでおり、後者はそれが支持するすべてなので、政治経済はここで政治に同定されることになる。
富の破壊者の範疇にはまず軍と政府が入る。「スミスは兵士を非生産的労働者と呼ぶが、ああ! むしろ破壊的労働者なのである」。それはいかなる生産物でも社会を富ませず、彼自身の維持に必要なものを消費するのみならず、他人の労働の辛い果実を自分自身のための無駄に破壊することに頼ること頻りである」[37]。彼が繰り返しバンジャマン・コンスタンから一節を引用していわく、「戦争の費用はその支出よりも高くつく。稼ぐに差し支えることで高くつくのである」[38]、そしてそれは国が産業的であるほど悍ましい。しかもそれは進化の論理それ自体によって後に非難される。近代戦争は次のとおりの矛盾を含意する。すなわち、科学的で高価となり、ますます勤労の助けを必要とすることや、軍に優れたエンジンや弾薬などを備えなければならないこと。ゆえに今日では富が戦争の遂行に不可欠であること、ところがこれは勤労によってしか提供できないこと、産業的な人々は軍事力の唯一の有能者であるが、彼らは自ずと平和的であること。なぜならば「戦争が勤労を要するとしても、勤労は戦争を維持できない」からである。
かたわら、生産術の進歩はますます軍隊を募りにくくする。農業者、製造業者は、深い先入見なしで労働をやめることができない。財産家と資本家は休憩よりむしろ貨幣を犠牲にすることを好む。したがって、もはや真の国民軍はありえず、いるのは賃金兵士であり、「その仕事は国を守ること――そして、彼らの指導者の情念と暴政の道具たること頻りである」[39]。
啓蒙――と販路法則の知識――の増加が、すべての民族はその本性からして友であることをついに理解させるだろう。最終的には、軍事政府は事前の訓練が必要なわずかな騎兵と砲兵の部隊に削減されるだろう。国家の武力は市民軍と良い制度のうちに存するだろう。[40]
政府もまた、少なくとも専制的であるときは、富の破壊者である。セーは彼の後継者たちの妥協なき反国家の先入見を分かち合っていないが、彼がその活動を無に還元していることは複数の例によって証明できる。にもかかわらず、彼が政府を国民の負債に計上していることは明らかである。これこそ彼の非物質的生産物理論の曖昧さと諸刃の性質が現れるところである。それは、国家のサービスはすべて非物質的生産物であるから政治経済の障害であると読み取ることを許してしまう。「公や判事、司祭は速やかに政治経済の攻撃の対象に陥るとヴェッリ伯爵が主張したのは間違っている」[41]。
したがって、政府階級は生産的階級に入らなければならないようだ。ひとえに、まずは非物質的生産物はそうでないものより劣っていると言わなければならない。それは「非耐久的」生産物であり、国民資本を蓄積することも増加することもできず、ゆえに、生産されると同時に消費される非物質的富の生産的労働を最小限に削減することが社会の最大の関心である。そのうえ、生産される価値がその創造のために消費される価値を超える場合にしか真の生産はない。そして経済的な見地から言えば、国家のサービスは普通しかるべきものではないことが、いみじくも経験で確かめられている。したがって最善の政府は安い政府、可能な限り行動を起こさない政府であり、最善の財政計画は少なく支出すること、最善の課税は最小の課税である。[42]国制問題にかくも大なる重要性を付すのは間違っている。「国家は適切に経営されるならば、あらゆる形態の政府の下で繁栄できる。我々は絶対君主制がその国を富ませ、大衆議会がその国を滅ぼすところを見た。行政の形態それ自体は富の形成には間接的、偶然的にしか影響しない。富とはほぼ全面的に諸個人の作品なのである」[43]。
聖職者は役人と同じ評価を受ける。セーは或る一節で矢を放つ。いわく、超自然的な力の干渉が道徳の維持に必要であると思われるとき、「我々はその力の遂行者を自称する人々に金を払っている」。もしも彼らの労働が有用であるならば、その効用は無価値ではない非生産的生産物であるが、この人々は優れた人々ではないならば、その労働はちっとも効用生産的ではないし、聖職者たちを養うために犠牲にされた社会の収益の部分は無駄であって、それはどんな見返りを受けることもない交換である」[44]。そして『政治経済要理』(1817)は狡猾な疑問を立てる。「公共は聖職者に給与を支払うことで何の利益を得ると自惚れているのか」?
また、政治経済は自由主義的な対照がその鼻先に見出す階級をすべて非難する。
それでは、このファランクスを構成する生産者の、あるいはセーが誇らしげに父権を請求する名[45]、サン=シモン派が一山築くところの名でいえば、「産業家」の軍勢を見てみよう。
その脚光を浴びるのは、イギリス学派ではまだ認識されていなかったがフランスの社会理念史においてはセーの学説での彼の登場が第一級に重要な人物――企業家だ。マルサスの政治経済が土地所有者のそれであるとしたら、セーの政治経済は企業家のそれである。企業家が占める位置は、彼が七月王政の下で持ち上げられるところの政治的役割に指定される。ジェローム・パチュロは自らの運命を心した。
企業家の機能は産業を取り巻く諸機能のなかで最も重要である。それは生産の仕事を経営する。[46] それは必ずやエリートとして現れる。そしてセーは彼に必要な質の列挙で飽くことをしらない。判断(力)、忍耐(力)、人と物の知識、計算に堪能な頭、知能、思慮、秩序、誠実さ……「人集りにありふれるようなものではない道徳的資質」。
かつてオシーの製造業者は可愛い花冠を結った![47]
セーにとって、企業家とはつねに美徳の後光に包まれた個人であり、ときにその労働とは独立した利潤を集める集団、たとえば、管理職員に給与を支払う社会でありうるという考えはよぎらなかった。
企業家の隣には労働者が置かれる。セーは我々がすでに述べたとおり、彼らとその上司の間に生じうる紛争の原因を取り除く。しかしながらどちらも同じ階級、その産業的能力からの利益で生きる産業家の階級に属する。この両者の間には、その機能の尊厳しか違いがない。一方はその人間的な知識���有用な使用に適用するが、他方は物質的な実行の作業に限定される。[48]
企業家と労働者が生産の本質的な動作主であるならば、学者や不可欠な協力者である。科学と産業の提携は、サン=シモン派に開発されるが、すでにセーによって宣言されていた。産業はどこであれ理論と応用、実行から成り立つ。学者は産業にその操業を指導する理論を施す役を担う。さもなくば無益な好奇心に向かう科学の関心が存するはなかんずく実践的役割である。[49]そのほか、学者は或る民族においては企業家以上に必要なわけではない。科学的発見は或る国から他所へ普及するが、それは産業の長に必要な資質と同じではない。人々の優位は後者、産業の長にこそ依存するのである。それは伝播不可能であり、貴重なほど稀少である。
ただ企業家の長と労働者、学者だけが、厳密に言って、産業家を形成する。しかし産業はまた資本家と土地所有者をも必要とする。[50]
資本家はセーの作品では企業家と同じほどの尊敬を授からない。しかしながら、資本の所有は無限に尊重される。しかしながらそれは産業的才能ほど議論の余地がないものではなく、実際、それは相続を神聖化する立法との協賛、一定の条件のみを許可できる協賛を予め前提している。[51]そのうえ、資本家は生産者であるというとき、それは、生産するのは資本である、という言い方になる。たとえ資本家がではなくとも、資本は実に生産的であるが、それはなおも才能によって実用されるときのことであり、才能はその月並みな労働から生じた利潤の主な部分を担う。結局、資本家の利子が社会的利子と絶対的に同じではないということもありうる。最も儲かる資本の利用がつねに国の最たる利益になるわけではない。[52]
セーは土地所有者に対してはさらに険しい。資本家に注がれる観察は自ずと彼らにも適用されるが、そのうえで、彼らは特別でもっと非共感的な考察の対象である。大土地所有者が復古王政の下で反動的政党を形成したことを忘れてはならない。自由主義者が最も激しい攻撃を差し向けたのはこの旧体制の人々である。
セーは、産業的能力の所有と資本の所有は土地の所有より神聖な何かであるという、それを搾取しようと望む者にとって結果的に肥沃な原理を定める。[53]「一つ目は人格に堅らかに付属し、二つ目は過去に達成された労働や貯蓄努力を予め前提し、三つ目はその起源を――略奪のみに負う。なぜならば、一つ目の人に開発された土地が我々の時代までつねに正統に受け渡されてきたと仮定することはできないからである」[54]。確かに、この掠奪は最終的には人類の利益に向かっていた。なぜならば一定の生産的作用因の本性は、彼らがそれを専有するときにしか、真のサービスを行うことができないからである。それでも依然として、その権原は損なわれており、その財産は「最も尊からぬ」ものである。[55]
そのうえ、歴史は征服で富をなした大財産家と初めにその保護下についた産業階級の敵対を証明している。少しずつ、「産業は大財産家に依存せず、彼らを永遠に脅かすことなく、大衆に生存手段を提供してきた」[56]。
しかしながら、この人々は初めに占有した特権的立場の何かを保守してきた。「耕作に適した土地の量はどの国でも限られているが、資本の群と農業者の数は割り当てられることができない。かくて、かつては人が住んで耕されていた国での土地所有者が、農家に対して或る種の独占を行使する……」[57]。それ以降、財産家が富の優位と幾らかの信用と位置の優位を得ることを考えなくても、契約は財産家に好意的になり、農家に非好意的になるだろう。
しかも、財産家はその徳による尊敬を強いない。彼らのほとんどは「文明の喜びに慣れて、大事業を計画し実行する必要を決して感じず、一人では決して感じないし必ずや多忙な民族において一般的とは感じられないところの熱意もわずかにして……、社会の防衛に貢献するために、彼らの休息と命を犠牲にするよりも、むしろその収入の一部を犠牲にすることをつねに選好してきた」[58]。彼らはしばしば日課と無精の犠牲者である。
我々はこの分析の諸要素をただ『論考』だけから借りようとしてきた。これは実際にはセーを自由主義の学長にし、自由主義政党に対照の学説の実質を与えた二つの版、一八一四年版と一八一七年版である。しかし『完全講義』は復古王政の政治的闘争の最中に著されることで、この悪い��念を一層精力的に擁護することになる。
かくて、資本家と土地所有者は生産者階級の最後の二つの段階を占める。主座に就くのは「人間知識を増加する者――それらを人の使用に適用する者――それを実行する者」である。したがって、自由主義的な対照において考えられる生産者と非生産者の対照には、すでに怠け者と労働者の対照が含まれている。企業家が彼の労働とは独立した利潤に気づくことを示せば、我々が近代社会主義の広義「資本家」と労働者の対照に到達するには十分であろう。
セーの作品の産業主義テーゼの重要性が分かる。生産は他の問題がすべて従属的であるような一大社会問題である。その卓越性は産業家にも及び、彼らの中でも「中流階級、壮大さの陶酔に対する防衛と、窮乏に強いられた労働に等しく」[59]に当てはまる。
したがって、少なくともイギリス学派の著作物以上に読まれていたセーの『論考』は、経済的射程と同じだけ政治的射程をもっている。政党がその議論を闘争に持ち出すことで、自由主義行為の綱領が打ち出されることになった。それが〔シャルル・〕コントとデュノワイエの『監査官』の作品である。或るビジョナリーは、この理念をすぐに論理の過当まで押し進め、セーの生産理論に拘って生産者政府に行き着いた。これはサン=シモンにも当てはまる。
『監査官』編集者の独創性は彼らがJ=B・セーの政治経済を政治学に変形したことである。
一八一四年に、皇帝退位の後、二人の若い著述家シャルル・コントとデュノワイエは、自由主義理念を広める雑誌を立ち上げるために集まった。百日天下の翌日、彼らの七巻を重ねた出版物が警察に差し止められた。それまでは純粋に政治的な討論にはほとんど関わらなかった。その辛辣で正直な論争は、デュノワイエ自身の証言によれば、「立法と管轄についての一定の知識」が目立つが、「経済的懸念がまったく欠けていた」。
一八一七年、『監査官』は『ヨーロッパ監査官』となって、新しい精神で再登場した。その創刊者は休止期間に政治経済を発見した。彼らは、立憲的問題を扱って時間を無駄にしていたことと、帝政僭主の破滅が絶対君主政の再確立に尽くすばかりだったことを見て取った。政府の形態論に閉じこもる形而上的政治学を、経済的関心の知識に基づく積極的政治学に代えなければならない――まさに『ヨーロッパ監査官』がセーの論考の論評で言うとおり、「政治経済は人民に繁栄と衰退を示すことで、政治の真の基礎を定める。彼はそれを、最初と中世の文明国家と近代的な人々の文明国家の間に存在する違いが分かる著述家全員のもとに置いた」。[60]
そのうえ、デュノワイエの記録[61]によって、我々は『ヨーロッパ監査官』が新しい鼓吹を引き出した源泉を知っている。その編集者たちの精神には三つの作品が深い印象を与えた。フランス君主政についてのモンロジエの作品と、バンジャマン・コンスタンの『征服の精神についての試論』、J=B・セーの『政治経済論考』だ。
モンロジエ[62]は、メーストルとボナールの近くで、革命から生じた近代的理念に対しての最後の反動を行う著述家集団と繋がっている。歴史的には、彼らは政治哲学の追求に際して力を合わせ、その考察のため、十八世紀にデュボス神父と戦ったブーランヴィリエのテーゼを取り上げる。序列の区別は偶然の不正義ではなく原理があって、それは力の優越性であり、征服の権利に由来する。征服者フランク族が貴族階級〔クラス・ノーブル〕を、被征服者ガリア族が有産階級〔ブルジョワジー〕を形成した。歴史とは、支配的な階級に征服された階級の継続的な反乱、生まれの正当な特権に対する科学と産業の反逆の一覧である。
バンジャマン・コンスタンの、一八一三年[63]の年末にハノーファーで出版された冊子『ヨーロッパ文明との関係における征服と簒奪の精神』は、デュノワイエいわく、近代的な人々の活動の目的、ひいては政治の真の目標に説き及んだ最初の作品である。人々はかつて戦争に生きていたが、近代的民族に特有の目的は、平和を要する産業である。
バンジャマン・コンスタンがこのテーマをどれほど深く、広く開発していたにせよ、彼が関わりのあったJ=B・セーにこれを借りていたと想定するのは向こう見ずではない。『論考』第一版の「産業所得から近代人に生じる独立」についての章と「軍の支出」についての節は、B・コンスタンが解明したほぼすべての理念の真髄を含んでいる。しかも、彼はJ=B・セーを引用しており、二度も繰り返すほどこの文に感銘を受けていた。いわく、「戦争の費用はその支出よりも高くつく。稼ぐに差し支えることで高くつくのである」、「近代人にとっては、幸福な戦争はそれが生み出すものより間違いなく高くつく」。[64]
最後に、『監査官』著者が受けた第三の影響はセーの『論考』からであり、その第二版は一八一四年に現れた。「セー氏は最も明快な秩序で、顕著な改善を伴いつつ、富の生産についてのスミスの諸理念を再生産しながら、……もっと科学的な仕方で、我々の物理的な財すべてが産業によりどう創造されるかを解明し、かくて、産業をもっと広い見地から、社会の根本的目標としてみなすように仕向ける」[65]。
デュノワイエはその注でセーを咎めたが、それは彼の解明した学説が政治学とは思われなかったこと、政治学とは政府の形式の理論でしかなく、そうでしかありえないと信じていたからである。[66]実際、セーはただ政治経済だけが諸民族の繁栄の法則を与え、政治学は権力組織の科学であるかぎり、社会的厚生には無関心な何かであると教える。『ヨーロッパ監査官』に対しては表現のニュアンスしかない。
さらに、『監査官』の著述家は自由主義政党の花形を自宅に迎えるセーその人との関係をもっていた。[67]シャルル・コントは一八一八年に彼の娘アドリアンヌ・セーと結婚した。セー自身は『サンスール監査官』第三巻に、ベンサムの『議会改革計画』に関する記事を寄せた。
かかる雑誌は一八一七年の選挙でパリの有権者に対し、ラファイェットと〔ジャック・〕ラフィット、〔ジャン=アントワーヌ・〕シャプタルなどと同時に、彼の名を推薦した。彼の『論考』と一八一七年に出版された、人と社会についての摘要の『小編』(Petit volume)は、最も媚び諂ったような評価の対象である。コントによる『論考』の分析は百二十二ページが費やされ、支持する引用ともにセーの開発を一歩一歩追っている。それは書評というよりはむしろ簡約版であった。
我々はアレヴィー氏がすでに研究した『ヨーロッパ監査官』の理論を詳しく解説しはしない。セーのそれとの緊密な関係を際立たせるには主要な記事[68]から引き出された短い要約で十分であろう。
『ヨーロッパ監査官』の学説は生産の観念と生産者と非生産者の対照に基づく。社会は二つの階級に分割される。「活発で勤勉な」階級と「怠けて貪る」階級――「産業の人たち」と「特許の人」――「スズメバチとミツバチ」――「支払う者たちと支払われる者たち」。フランス革命は彼らを戦わせる普遍的闘争の一幕にすぎなかった。
古代と旧体制では、優位は怠け者のものであったが、近代産業は働き者に至上性を保障し、人類の一部が他に及ぼす覇業を破壊するところのものである。しかしこのため、産業の精神が戦争の生産に取って代わらなければならない。これまでは戦争精神が優勢であった。これこそは、国家内部において貪る階級の権力を維持し、国際関係においてヨーロッパ均衡体制、実際には平和への永遠の脅威である「ぼろぼろの古い機構」を生み出したものである。
ただ産業の精神だけが、決して財産を法律の恣意的な創造とはせず、産業の普遍的な属性とすることで財産の尊敬を保証し、[69]これを産業の関心の共通性に基礎付けることで普遍的平和の維持を保証する。[70]
「産業の精神は戦争精神と同じようには働かない。それは乱暴ではなく生産に沸き立つ。それは人ではなく物に及ぼされる」[71]。それは人々の敵意を終わらせて友好的な関係を創造し、相互繁栄に関心をもたせる。そして、『監査官』は販路の法則を発展させる。「各生産物に対して交換されうる物が多いほど、各生産者に開かれる、増加した交換手段の販路は多くなる」(« plus il y aura pour chaque produit de choses contre lesquelles il pourra être échangé, plus chaque producteur aura de débouchés ouverts, de moyens d’échange multipliés »)[72]。
国際的な均衡は変貌する。いまや権力の集団は存在せず、二つの大民族のみがある。生産者たち――産業家たち――のヨーロッパ民族と、その他だ。「それは新ヨーロッパと格闘する旧ヨーロッパである」[73]。前者の目標はヨーロッパから三つの大疾患、すなわち戦争と恣意性、独占を根絶することであり、後者の目標は専ら権力を行使することでしかない。フランス革命に抗する連合体と現行の正統主義的な全君主制の同盟はこの所業である。
産業家民族が各国で従うべき政策とは何か? 『監査官』はJ=B・セーがすでに解説した意見を取り上げて、立憲的問題の関心の欠如を強く主張する。政治的な主題において形式の問題に引き止められることは、手段でしかない政府を目的であると思い込んでいるのである。「共和国万歳! と一方が言う。君主国万歳! と他方が言う。そしてこれらの言葉で彼らは抱きしめあうのである。疑いなく、どちらも言おうとしているのはこうだ。人の福祉よ万歳」[74]!「法律が認めるのは君主制か、共和制か、それとも専制政府かではなく、それらが社会の関心のうちにあるかを知るのが問題である」[75]。
これに関連して、『監査官』は彼らの着想の最も独創的で最も新しい部分たる歴史的唯物論の理論を概説する。
あらゆる制度の本性は富の取得様式によって決定される。「生存に必要な物を生産するため国が利用できる手段は、その社会的組織の形式と、それを指揮すべき人々の選択を決定する」[76]。かくて、ローマ民族はその収入源を寇掠におき、その組織すべてが好戦的になった。軍事的重要性の上に社会階層が築かれたのである。もしも、戦争でしか生存できずにいるローマ人が、その頭を産業の人に取り替えて商業の栄光を褒めそやしていたら、彼らを気が狂っていると正当に非難できるだろう。[77]封建制もまた好戦的な体制であった。中世、少なくともローマ帝国の終焉時においては、君臨する秩序の基盤を揺るがしたのは産業であった。ローマの人々がもう奪う相手をもたず、中世の職人が「勤労で富を創造することの秘訣に気づき、貴族がそれを奪う力を失い、そうではなく引き換えに平等な価値を与えなければならな」[78]かったとき、権力は否応なく手から手へ渡って、その制度が変貌することになった。かくて、奴隷制の消滅はキリスト教のおかげでも領主の寛大さのおかげでもない。奴隷を消滅させ、彼らの主人の影響力を無に帰したのは、産業である。それが主人の債権者になって、奴隷を養う農業商品と引き換えにその生産物を売ったのだった。[79]。
近代的人民はもはや軍や役人ではなく、農業と製造業、商業の生産物によって存在する。「わずかな学者や兵士、公が人民を危機に陥れることはないと、よく知られている[80]。
したがって、「よく秩序立った国家においては、政府は生産に依存せざるをえず、それは、生産者の人身と彼らの労働による財の安全を見守り、寄生虫に抗してこれを保障することに生産者が支払いをする、生産者に担当される委員会であるに違いない。よく秩序立った国家においては、可能な最大数の個人が労働し、最少数が統治するに違いない。完成の極みは誰もが労働し誰も統治しないところにある」[81]。
事実、政府は生産の手段をもっておらず、消費の手段しかもたない。[82]「決して見失ってはならないことは、公職員がその職員としての資格において絶対的に何一つ生産しないことである」。[83]政府がそのむしろ否定的な性質である義務に違反するのを妨げるため必要なのは、行政する者に抗して、生産する者が組織することである。一つの社会に二つの階級があり、一方の生産物が他方を扶養して、他方が一方を保護するところでは、彼らの間に闘争が生じる。「生産者は自由を欲し、保護者は権力を欲する」[84]。
「我々には産業家の代表が必要である。いまや我々の第一の関心は産業にある」[85]。代議院は「生産の弁護士の委員会」[86]でなければならない。そのためには産業家と財務家、学者が選出されなければならない。もしも産業なき土地所有者が場所を得るならば、それはおしまいになるだろう。「土地財産は、産業に加わるときは最も有用で最も高貴であるが、産業から離れるときは最も非道徳的になりうる。[87]最���に、役人全員と行政からの俸給生活者全員が、議会から排除されなければならない。
しかしながら、フランス革命がどう避けるか知らなかった二つの落とし穴に気をつけなければならない。
それは生まれの貴族政が終わったことを理解していたが、新民族の自然な代表者を発見できなかった。その議会は弁護士、司祭、文人、医者、多かれ少なかれ国家年金の人に満ちていた。[88]
第二に、産業家のごく一部は彼らの大義に背いており、背き続けているし、純粋かつ端的に、彼らが抗議するものに対しての濫用から利益を得ていた。これらは怠けて貪る階級として通ることで、彼らの政党を裏切ってきたし、裏切っている。[89]フランス人民は自らの主権的人民であると宣言する際、全面的に権力へと飛び込んでいし、[90]産業の人も役人になるため実に頻りに自身の労働を辞めて、廃された権威の職に就いていた。
この二つの誤りを正すため、まず公共機能の威信と優越を削減することが重要である。続いて政治体において産業エリートに影響力を与えることが重要である。
すべての社会はそのメンバー間の繋がりを創造する階層を前提する。旧階層の破壊は国を脱組織化し混乱させた。なぜならばそれは、新しい貴族制がどう制定されるべきか、そしてそれが農業者と製造業者、商業者の貴族制であるべきことを、分かっていなかったからである。[91]戦争の人が消えるにつれて、産業に献身する人はさらに多くの労働者に取り囲まれる。……〔自分の国を〕豊かにしたい文明人はまた一定の産業的能力と幾らかの資本、多数の労働作業員を必要とする。あらゆる種類の産業が、戦争産業と同じように、参加する人々の間の従属を生み出し、とりわけ、大成果を得るためには幾つもの努力を統合せねばならず、そして、最大の能力と最も大量の資本を所持する者は自然と他のみなの長、他人を存在させる者になる。こうして唯一の議会に統合するとき、多数の関心の頭である者」[92]は、個人の孤立を破壊し、すべての関心を束ね、永久に軍を抑え付ける、など。
もしも革命議会が「富農や相当数の製造業者、銀行家、商人」[93]で構成されていたら、それ以降、ヨーロッパを苦しめていた害はすべて避けられていただろう。[94]
ヴェイユ氏とシャルレティー氏、アレヴィー氏の後に、ここでサン=シモンの学説の解説を繰り返すことはしない。我々のテーゼを確立するには、彼の理論の『ヨーロッパ監査官』のそれとの類比を示せば十分であろうし、それ自体によって、一方と他方を彼らの鼓吹の共通資産、J=B・セーに結びつけよう。
実を言えば、我々は『監査官』の記事を要約したとき、すべての主要な理念、サン=シモンの混乱した作品の際立った点すべてに触れることができていた。すなわち、産業主義の根本理念――政治学を政治経済に解体するという理念――階級闘争の理念とスズメバチとミツバチの弁明――自由主義政党の党首を非難して、「俺の場所から退け」(« ôte-toi de la que je m’y mette »)――安い政府の理念と役人の生産者への従属――政府形態に関する無関心――人への権威に代わる物の経営の理念――産業議会の理念、「フランス革命の口喧嘩と軍事政府」に対しての批判――人民主権ドグマ批判――人の自然的不平等と産業的貴族制の優越性の肯定――サン=シモンが軍と無職金利家、役人と同じ地位に分類した、産業的労働に従事しない土地所有者に対する不信、など。[95]
さらに、サン=シモンはこの理念を『監査官』の編集者たちから借りたわけではなかったし、彼らも彼から借りたわけではなかった。実際、一八一四年から一八一七年まで、彼らのどちらも同じ思想に生きていたのである。A・ティエリはサン=シモンの『産業』と『監査官』の両方で執筆していた。サン=シモンはJ=B・セーに日焼けしていた。しかしサン=シモンはいつもの熱情で、コントとデュノワイエより誇大な仕方でセーに負っていることを示した。彼が見事な千里眼でこれを示した一節は、その長さにかまわず引用する価値がある。なぜならばそれは、深い意味で、セーの学説を理解している部分が一つたりとも存在しないからである。
彼の作品は政治経済がこれまでに発見し証明したことをすべて含んでおり、まさしくヨーロッパにおいてのこの科学の極致に相当する。
ここにあるのは、素晴らしい日に見つけられたなかでも最も一般的、ひいては最も重要な真理であると思われる。
その一。有用な物の生産は政治的社会が繁栄できるところの道理に適った唯一の積極的な目的であり、ゆえに、生産と生産者を尊敬せよという原理は財産と財産家を尊敬せよというものより無限に肥沃である。
その二。政府は産業に要らぬ世話を焼くときつねに産業を害し、それを奨励する場合でさえこれを害する、ゆえに政府はその世話をして、産業をあらゆる種類の不調と困難から守ることに限らなければならないということになる。
その三。社会の唯一有用な人である有用な物の生産者は、その行進を規制するために競争すべき唯一の者であり、実際に税を支払う唯一の人である彼らは、投票権をもつ唯一の者である。
その四。人は生産を害することなくその実力を他人に差し向けることができず、ゆえに、戦争はその目標が何であれ全人類を害し、勝ったままの人民すら害する。
その五。或る人々の他の人々に対して独占を行使することの願望は悪い発想の願望である、なぜならば独占は実力でしか獲得されず維持されず、それを享受する人々の総生産を減少させるに違いないからである。
その六。産業が完成するのと同時に、道徳は事実を達成する。人々と人々の関係を考えるにせよ、個人間の関係を考えるにせよ、この観察は真理であり、ゆえに、どこであれ優勢たるべき、みなに広められるべき教育、強められるべき理念とは、生産の各活動において増加する傾向があるそれであり、他人の生産への尊敬である。
その七。全人類が共通の目的と関心をもつので、各人は彼自身を、労働者一団と関わるように、専ら社会的な関係において考慮���なければならない。[96]
彼がセーに差し向けた唯一の批判は、「漠然とながら、彼に反して、政治経済が政治の真の唯一の基盤である」とは感じなかったということである。
それでは、サン=シモンの新しさと独創性は何か?――財産についての見解? しかし彼はこれを語る幾つかの節において、要するに、財産は専ら社会的効用のみに基づくと断言するに限った。そして(彼がおまけに言い加えるには)、その基盤を法律に求めるのは――少なくとも土地所有者にとって――危険であり、生産に資するサービスでしか自分を正統化できない、とかつて宣言したJ=B・セーのうちに見出した。
・産業が財産分配を変更するという理念? しかしこれはすでに『監査官』にある。「社会的組織が完成してゆくほど、富をなす恥ずべき手段は稀少になる。したがって、怠けて貪る階級の絶滅により、各人の富が彼の長所に、つまり彼の効用に、ほとんど直接に比例するような点まで到達することができる」[97]。そしてセーの『論考』においては、我々は第二版で消されたこれを読んでいないが、第一版にいわく、「年間生産物の公正な分配を奨励し、ゆえにすべての階級に更なる安楽と資源を行き渡らせる傾向のある法律の国は、分業から生じる悪の大部分を維持するものだろうか?」[98]。
・彼が社会での学者に帰する役割? しかしJ=B・セー自身が生産者の中に、有用な知識を普及する職に就く学者を入れており、しかも彼らの地位は企業家に次ぐと示唆している。『監査官』もまた産業家と同時に学者の議会選出を提言しており、もしも彼が学者一般に対してときに険しいようであるとしたら、それはただの博識家、抽象的思弁家、「システム創造者」(サン=シモンの言で「形而上学者」)、あるいは年金受給の役人著述家でしかないとみたからである。サン=シモンにとって、学者とは積極的研究、ゆえにその本性からして産業を利する知識に献身する者のことである。そして彼は非常に慎重にも、学者は永遠に農家と製造者、商人、銀行家への依存の下に留まると言う。「もしも我々にとって悪いことに、俗事のが学者の手に委ねられるような物の秩序が確立されるならば、科学の体が速やかに腐敗し、聖職者の邪悪さを帯びるだろう、彼は狡賢く専制的な形而上学者になるだろう」[99]。
・アレヴィー氏が考えるとおり、[100]サン=シモンは生産者の観点につき、J=S・セーと彼の弟子たちは消費者の観点についたのか? しかし実際には、まさしく消費者の政治経済ありと言うにはフランスではバスティアを待つ必要がある。『監査官』が語るのは生産者のみであり、我々はJ=B・セーをつねに鼓吹しているのもまた生産の関心であると証明しようとしてきた。『論考』[101]では、彼が消費者のことを記すのはたった一度だけである。いわく、消費者が本質的階級である、なぜならばそれは万人を包括し、一般的関心に相当するから。しかし彼ら自身をして、あるいは所得を稼ぐ者、生産者として、直接間接に、消費者はすべてであるから、ゆえに消費者の関心は生産の進歩に結びつくから、彼は消費者と生産者の分割を「最も愚かな分割」と批判する。
実際、サン=シモンが自由主義学説に対して少しずつ加えていったのは、彼の二冊の表題、『組織者』と『新キリスト教論』に象徴的に表現される二つの理念である。
一八一九年以降、サン=シモンはおそらくオーギュスト・コントの影響で、自由主義を批判的で消極的な学説でしかなく、既存の体制を破壊することに長けているが、これを取り替えるには不十分であり、有機的(オルガニーク)な学説に作り変えなければならないと考えるようになる。新社会は「組織」(オルガニゼ)される必要があり、その組織化(オルガニザシオン)の原理は政府になければならない。この違いを実によく理解していたデュノワイエが言うとおり、「後に、彼はあらゆる暴力から産業家を守ることに権力を制限するのではなく、産業の全活動を束に統合する役を担い、これを共通目的に向けて指導する、社会の自然な長とみなした」[102]。『監査官』にとって、産業主義は現行諸制度の自然な発達から結果し、政府を監視しその危害を予防するために産業家を議会へ送り出すであろう選挙制大学のもっと良い教育から発生するかたわら、サン=シモンにとって、社会を変形し、指導活動を新たな手に託するのは法令、王令(「オルドンナンス」)である。権威は後見人を変えるべきだが、それはつねに権威でなければならない。国民的学説を普及するのは精神的権力でなければならず、「国民的大製造業」を経営するのは世俗的権力でなければならない。
サン=シモンのもう一つの刷新は、末期に際して、セーと彼の弟子の道徳であるベンサム功利主義を、「最も数多く最も貧しい」階級に対する友愛と同情の学説に置き換えたことであった。
いまや我々はJ=B・セーがフランスで打ち出したこの生産という概念の肥沃さを測定することができる。社会的幸福の秘訣が産業の進化と富の増加にあるとの信念は彼以降、長く続くことになった。サン=シモンが始めた大事業はその果実であり、ギゾの有名な言葉――その公式パリサイ主義はそれ以来かなり非難されてきた――――「金持ちになりたまえ!」[103]はその表現である。
生産者と非生産者の対照、階級闘争理論の原基は、経済学的討論に新たなパースペクティブを開き、近代社会主義が発生する進化の出発点を形成した。サン=シモン主義者たちはこれを労働者と怠け者の対照に拡大した――後者はいまや、労働者階級からの搾取で暮らす金利生活者と土地所有者を含んでいる――そして我々はJ=B・セー自身の中にこの方向性の表明を認めてきた。サン=シモン派に多くを負ったカール・マルクスが、その価値と剰余価値の理論によって、今度は企業家を労働者階級から搾取者階級に移すことになる。
J=B・セーに思い描かれたとおりの生産者階級は旧体制の権力の頚木から開放された後、互いを引き裂く二つの集団に分断されることになる。これはセーも『監査官』も、サン=シモンも予見していなかったことだ。生産者一同の関���はつねに団結的で不可分であると思われていた。一八四八年、まだ若いころの確信に忠実なままだった『監査官』の編集者の一人、オーギュスタン・ティエリは、第三身分が、二つの致命的に敵対する階級、人民とブルジョワジーに分裂するところを見た。彼の伝記作家ジルベール・ティエリいわく、「彼は落胆に満ちて、五年かけて請け負っていた仕事を中断した。歴史がまったく理解できないと、彼が時おり苦々しく叫ぶのが聞こえた」[104]。
『新キリスト教論』でのサン=シモンを除けば、彼らは第四階級を予感していなかった。そしてこれがその存在を示し始めたのは、産業主義者陣営の決定的な決裂の兆候になった。サン=シモン派は労働者に手を差し伸べた。対照的にもデュノワイエは、我々がいつの日か解明する機を得るであろうとおりの自由主義政治経済の理論を作り直して逸脱する奇妙な仕事により、セーの広く真に「自由主義的」な学説を、「党派」に抗してのブルジョワ擁護の狭い学説に変形した。
それでもやはり、生産者と非生産者の独創的対照――セーから来た対照――は、社会主義の形成と同じだけ必然的に、経済思想の必然的な一歩であった。
[1] G. Weill, Saint-Simon et son œuvre, Paris, 1894と、Charléty, Essai sur l’histoire du saint-simonisme, Paris, 1896。
[2] Revue du Moisの二つの記事、La doctrine économique de Saint-Simon (10 décembre 1907) と、La doctrine économique des saint-simoniens (10 juillet 1908)。
[3] E. Halévy, loc. cit., Revue du Mois, 1907, IV, 647.
[4] Cette étude est extraite d’un travail en préparation sur J.-B. Say et la formation de la doctrine économique libérale en France.
[5] Traité, 1re édit. (1803), I, p. 97.
[6]« Le maître et l’ouvrier ont bien également besoin l’un de l’autre, puisque l’un ne peut faire aucun profit sans le secours de l’autre ; mais le besoin du maitre est moins immédiat, moins pressant… Il est bien difficile que cette différence de position n’influe sur le règlement des salaires… Ajoutez qu’il est bien plus facile aux maîtres de s’entendre pour tenir les salaires bas qu’aux ouvriers pour les faire augmenter ». Traité, 1re édit., II, p. 242-243. – Cf. I, 277. « Les chefs d’entreprises exercent un monopole non seulement à l’égard des consommateurs, mais encore, et par d’autres causes, à l’égard des ouvriers et de plusieurs agents de la production. »
[7] Œuvres diverses, édit. Guillaumin, p. 274-275 (examen critique de M. Mac-Culloch) et p. 118 (lettre à Ricardo).
[8] Ch. Gide et ch. Rist, Histoire des doctrines économiques, p. 74 et suiv., Paris, Larose, 1909.
[9] Il admet, comme Quesnay, la supériorité de l’agriculture sur l’industrie, parce que, dans le travail agricole, la force de la nature collabore avec celle de l’homme et donne naissance à une plus-value qui fournira la rente (Rich. des nat., liv. II, ch. V). La valeur des produits industriels reconstitue simplement la valeur des éléments nécessaires du coût de production. L’analyse est la même que celle des physiocrates et A. Smith se borne simplement à montrer que là où ils n’avaient vu qu’une opération stérile, il y a une reconstitution de valeurs détruites, et par suite, une production nouvelle. M. H. Denis, dans son Histoire des systèmes économiques et socialistes, a excellemment résumé la conception de Smith sur ce point : L’agriculture accroit la valeur en accroissant la quantité de matière ; l’artisan conserve la valeur en transformant la matière ». I, 258.
On relève aussi, d’ailleurs, dans le Traité de Say, un développement qui détone avec tout le reste, et dont la présence ne s’explique que par la reproduction irréfléchie d’un texte d’Adam Smith. C’est le passage relatif aux v emplois des capitaux les plus avantageux pour la société » (Traité, 1re édit., II, p. 329, maintenu dans les éditions suivantes). Say y expose que le capital le plus avantageusement employé pour une nation est celui qui féconde l’industrie agricole, parce qu’il provoque à la fois le pouvoir productif des terres du pays et du travail du pays. Il admet, comme Smith, que les capitalistes ont un penchant naturel à diriger leurs capitaux d’abord vers l’agriculture, de préférence tout autre emploi.
[10] Notons que cette idée tombe, en France, dans un milieu merveilleusement préparé l’accueillir. Les arts mécaniques, déjà réhabilités par d’Alembert, dans le Discours de l’Encyclopédie, sont l’objet d’un véritable engouement pendant la Révolution. La confiance est sans bornes dans le progrès des découvertes scientifiques et de leurs applications pratiques. On est frappé aujourd’hui de la place que les articles de technique industrielle tiennent dans une revue comme la Décade. La Société d’encouragement pour l’industrie nationale est fondée cette époque. Cf. Picavet, Les Idéologues, chap. 1er, passim.
[11] Éléments d’idéologie, 1815, t. IV, Traité de la volonté, p. 161.
[12] Ce n’est pas ici le lieu de discuter l’erreur de cette proposition : richesse valeur d’échange utilité, sur laquelle est construite toute la doctrine de Say.
[13] Le passage apparaît dans la 2e édit. du Traité, 1814, I, p. 19.
[14] Passage également ajouté à la 2e édit., I, p. 30.
[15] Le plus curieux, c’est qu’en réalité, A. Smith l’a parfaitement vu et s’est mis lui-même en contradiction avec sa théorie de la valeur. Dans la culture de la terre, la nature travaille conjointement avec l’homme, et quoique son travait ne conte aucune dépense, ce qu’il produit n’en a pas moins sa valeur ». Rich. des nations, liv. II, ch. V (p. 439 du 1er vol. de l’édit. franç. Guillaumin).
[16] Traité, 2e édit., t. I, p. 30.
[17] Lettres à Malthus, Œuvres diverses, p. 496. Cf. p. 513.
[18] Traité, 2e édit.. t. I, p. 21.
[19] Traité, 2e édit., t. I, p. 34.
[20] Traité, 1ère édit., t. I, p. 391.
[21] Traité, 1re édit., t. I, p. 392. Say n’a vraisemblablement connu Malthus qu’entre la 2e et la 3e édition du Traité. Mais les passages que nous citons de la Ire édition sont intégralement maintenus dans les suivantes.
[22] Traité, édit. de 1841, p. 147. Cette mention, d’ailleurs assez vague, ne figure pas encore dans l’édition de 1817.
[23] Cours complet, 3. partie, chap. III.
[24] Traité, 3. édit. (1817), t. Il, p. 166.
[25] Œuvres diverses, p. 549.
[26] « Une administration vicieuse attaque la population dans son principe, en desséchant les sources de la production ». Un mauvais gouvernement « non-seulement empêche de naître, mais on peut dire qu’il massacre ”, Traité, 2e édit., II, 153.
[27] 2° édit. (1814), t. 1, 150.
[28] Ibid., 1, 155.
[29] Ibid.
[30] Petit volume (1817), œuvres diverses, 700.
[31] Traité, 2e édit., t. I, p. 276.
[32] Ibid., t. I, p. 155.
[33] 1re édit., De l’indépendance née chez les modernes des revenus industriels, t. II, p. 262.
[34] Loc. cit., t. II, p. 264.
[35] T. II, p. 103.
[36] Cf. discours d’ouverture de 1832 au Collège de France : On peut apprécier par les mêmes méthodes les biens et les maux qui résultent de la conduite des particuliers et gouvernements et parvenir ainsi connexe quelle balance il en résulte pour la société… On apprécie le service qu’on peut attendre d’une bonne loi comme le service qu’on peut retirer d’un bon outil et savoir, toute proportion gardée, la somme d’utilité qu’une nation retire d’une belle manufacture ou d’un bon gouvernement. Nous pouvons, dés lors, comparer la somme des biens dont ils procurent la jouissance à une nation et ce qu’ils lui coûtent Œuvres diverses, p. 179.
[37] Traité, 1re édit., II, 427.
[38] Ibid., 426.
[39] Ibid., 1re édit., II, 423.
[40] Petit volume, œuvres diverses, IV, p. 691.
[41] Traité, 2, édit., I, p. 110.
[42] Traité, 1re édit., II, p. 74-75.
[43] Traité, 1re édit., Discours prélim.
[44] Traité, 1re édit., t. II, p. 75.
[45] Epitome de la 2e édit. du Traité, t. II, p. 457 : « Industrieux : ce mot, pris substantivement, veut dire celui on ceux qui travaillent à la production des valeurs, c’est-à-dire à la création des richesses ». Dans le Cours complet (éd. de 1840, t. I, p. 85), J.-B. Say dit avoir employé dans son Traité les mots Industrieux et industriels (ce dernier comme adjectif) « longtemps avant qu’on songeât l’un ou l’autre ». D’autre part, Dunoyer, dans sa Notice sur l’industrialisme (Œuvres, t. III, p. 193), fait observer que l’invention du mot industriel n’appartient certainement pas à Saint-Simon et qu’il se trouve dans le vocabulaire de de Wailly, qui était déjà à sa 6e édition en 1813.
[46] Traité, 1re éd., I. II, p. 228.
[47] Il est à remarquer, en effet, que, de l’édition de 1803 à celle de 1814 Say a dirigé la filature d’Auchy de 1805 à 1813 –, la liste des qualités nécessaires à l’entrepreneur s’allonge sensiblement. Notons, au passage, que dans la 1re édit. (t. II, p. 322 et s.) Say donne la préférence à l’agriculture sur l’industrie : « Combien le sort du cultivateur en chef n’est-il pas préférable, avec des moyens égaux, au sort du manufacturier, du négociant, sujets aux fantaisies du public, esclaves d’un travail assidu ». Cet éloge de la campagne, sorte de morceau de bravoure écrit dans le style emphatique de l’époque, ne se retrouve plus dans la 2e édition.
[48] Liste des producteurs dans l’Epitome, 2ème éd., p. 427.
[49] Traité, 1re éd., t. I, p. 8.
[50] Cf. liste des producteurs de l’Epitome.
[51] Traité, 2. édit., t. I, p. 138, en note.
[52] Traité, 1re édit., II, 329.
[53] Traité, 2e édit., I, p. 138.
[54] Epitome, édit. de 1826.
[55] Epitome, art. Propriété (addition postérieure à 1817).
[56] Traité, édition postérieure 1817 au chapitre De l’indépendance née chez les modernes…
[57] 1re édit., t. II, p. 319.
[58] Ibid., 422.
[59] Traité, discours préliminaire. Dans un passage du Traité (21 édit., t. II, p..241), Say fait l’éloge des « républiques aristocratiques », comme étant le gouvernement le plus économique. Le mot « aristocratique » est ajouté dans la 2e édition.
[60] Censeur européen, II, p. 219.
[61] Notice historique sur l’industrialisme (Revue encyclop. de février 1827). Insérée dans les Œuvres de Dunoyer, II1, p. 173 et suiv. M. Halévy ne cite pas cette notice, cependant capitale pour l’histoire des idées du Censeur et de Saint-Simon.
[62] De la monarchie française depuis son établissement jusqu’à nos jours. Paris, 1814.
[63] Réimprimé à la suite du Cours de politique constitutionnelle, édit. Laboulaye 2e édit., II, p. 135 et suiv. B. Constant l’a résumé lui-même dans la brochure : Des élections prochaines, p. 314 du même vol.
[64] B. Constant, loc. cit., p. 157 en note et p. 111 ; Traité de Say, 1re édit., II, p.426 ; B. Constant s’est également servi de l’ouvrage d’un autre économiste, de l’Histoire du revenu publie de Ganilh (1806) qui lui a fourni une idée nouvelle : que le crédit public met les gouvernements modernes sous la dépendance des particuliers (édit. Laboulaye, II, p. 251-255). Say, dans la 1ère édition du traité (II, p. 526), développe d’ailleurs une idée voisine de celle-là : le crédit donnera la prépondérance aux gouvernements représentatifs,
[65] Dunoyer, loc. cit., p. 178.
[66] Ibid., p. 175.
[67] Stuart Mill, Autobiographie, trad. Gazelles, p. 57 : « En passant par Paris (1820), soit en allant, soit en revenant, je demeurai quelque temps chez M. Say, l’éminent économiste… Il appartenait la dernière génération des hommes de la Révolution française. C’était un beau type du vrai républicain français ; il n’avait pas fléchi devant Bonaparte, malgré les séductions dont il avait été l’objet ; il était intègre, noble, éclairé. Il menait une vie tranquille et studieuse, au bonheur de laquelle contribuaient de chaudes amitiés privées et l’estime publique. M. Say était lié avec la plupart des chefs du parti libéral, et, pendant le séjour que je fis chez lui, j’eus l’occasion de voir plusieurs personnages marquants, parmi lesquels je me rappelle avec plaisir Saint-Simon, qui n’était pas encore devenu le fondateur d’une philosophie ni d’une religion et qu’on regardait seulement comme un original de moyens ».
[68] Les articles les plus intéressants, comme exposés de doctrine, sont contenus dans les premiers volumes. Citons les Considérations sur l’état moral de la nation française (Comte, 1, I) ; Du système de l’équilibre des puissances européennes (Dunoyer, 1, 93) ; De l’organisation sociale dans ses rapports avec les moyens de subsistance des peuples (Comte, Il, 1) ; Considérations sur l’état présent de l’Europe (Dunoyer, II, 67) ; Compte rendu du Manuel électoral (A. Thierry, II, 107) ; Vues des révolutions d’Angleterre (A. Thierry, IV), etc.
[69] Censeur, I, 7.
[70] Il est intéressant de voir les chefs actuels de l’économie libérale, qui se sont affranchis de la métaphysique de Bastiat, en revenir presque textuellement aux théories du Censeur : « La politique a obéi surtout à des inspirations de pillage et de conquête, à des conflits de dynastie, à des passions religieuses. Les vieilles civilisations guerrières et sacerdotales font place à la civilisation productive et scientifique. Tous les peuples commencent à reconnaître que l’échange est un moyen d’acquisition moins onéreux que la guerre. Les malaises actuels viennent des conflits entre ces types de civilisation. L’empereur d’Allemagne conçoit l’industrie comme une organisation militaire. En Europe, de nombreux officiers et soldats sont entraînés vers un idéal de batailles. Les socialistes qui prêchent la paix internationale et la guerre sociale, les protectionnistes qui traitent tout étranger comme un ennemi représentent des survivances de rapacité. » (M. Yves Guyot, Journal des économistes, 15 fév. 1910, p. 176).
[71] Cens. europ., I, 114. – Cf. Saint-Simon : dans l’ancien régime, « les hommes sont places avant les choses » (Œuvres choisies, II, p. 417). Dans le nouveau système, « l’ordre social doit avoir pour unique objet l’action des hommes sur les choses » (Œuvres, IV, p. 81). Nous ne saurions donc souscrire à l’opinion de Rist (op. cit., p. 24M) qui, après avoir cite ces deux passages, conclut : « Le gouvernement. économique se substituant au gouvernement politique, l’administration des choses l’autorité sur les hommes, voilà les conceptions nouvelles par on Saint-Simon dépasse les libéraux dont il semblait jusqu’ici suivre la trace ». En réalité, l’idée et même l’expression se trouvent, comme on le voit, dans le Censeur européen.
[72] Ibid., I, 127.
[73] Ibid., II, 73. « On voit, dans l’une des deux confédérations, des agriculteurs, des commerçants, des manufacturiers, des savants, des industrieux de toutes les classes et de tous les pays ; dans l’autre,… des gens en place, des soldats de profession, d’ambitieux fainéants de tous les rangs et de tous les pays, qui demandent à aire enrichis et élevés aux dépens des hommes qui travaillent ».
[74] Ibid., III.
[75] Ibid., 1,86.
[76] II, 5.
[77] II, 36.
[78] II, 24.
[79] I, 48.
[80] I, 55. Cf. la parabole de Saint-Simon.
[81] Ibid., II, 102.
[82] II, 109.
[83] II, 30.
[84] II, 113.
[85] II, 112.
[86] II, 112.
[87] II, 133.
[88] Ibid., II, 54, 56, 58, 60.
[89] I, 39.
[90] II, 97.
[91] II, 58.
[92] II, 50-51.
[93] Censeur européen, t. II, p. 56.
[94] Si l’on voulait relever tous les éléments de formation de la doctrine du Censeur, il serait intéressant de rechercher l’influence des constitutions d’Amérique, qui ont vivement impressionné Comte et Dunoyer, et qui sont citées par eux comme appliquant déjà, en partie, les principes industrialistes.
[95] On pourrait multiplier les rapprochements : ainsi encore, l’idée que le gouvernement parlementaire est une transition indispensable vers le régime industriel. Voici comment s’exprime le Censeur européen (t. I, p. 89) : « Un avantage inappréciable qu’a la France sur tous les autres peuples, c’est que l’intervalle pli sépare le gouvernement féodal du gouvernement représentatif est franchi « .
[96] De l’industrie, œuvres compl., 2. vol., p. 185-186. Le passage est transcrit tout au long dans le compte rendu que le Censeur donne de l’Industrie, t. III, 201. Cf. plusieurs autres passages de Saint-Simon : M. Say remanie les idées de Smith et les classe d’une manière plus méthodique… Dans M. Say, la critique de la conduite des gouvernements actuels prend un caractère plus clair ; la comparaison entre les principes de l’administration militaire et ceux de l’administration industrielle est établie d’une manière plus directe (De l’industrie, 4e vol.). – « Je vous observerai d’abord que l’opinion que vous appelez la mienne est l’énoncé général des principes professés par le théoricien J.-B. Say et par les autres écrivains en économie politique » (Du système industriel).
[97] Censeur europ., t. 1, p. 88.
[98] Traité, 1re édit., t. I, p. 81. I, 45 ; I, 60.
[99] Système industriel (Œuvres compl., t. V, p. 161).
[100] Article cité, p. 671.
[101] 2e édit., t. I, p. 57.
[102] Notice (Œuvres, III, 186).
[103] Guizot avait d’ailleurs soin de préciser en ajoutant : « par le travail et par l’économie », et ce conseil en valait bien un autre.
[104] Guizot s’est rendu compte plus tôt qu’Augustin Thierry de l’évolution qui se dessinait et a passé par les mêmes inquiétudes. Sa conception historique repose aussi sur la lutte des classes, de la féodalité et de la bourgeoisie. « Depuis plus de treize siècles la France en contenait deux, un peuple vainqueur et un peuple vaincu… De nos jours, une bataille décisive a été livrée : elle s’appelle la Dévolution (Du gouvernement de la France, 1821, p. 1-2). En 1838, dans son essai sur la Démocratie dans les sociétés modernes, il pousse le premier cri d’alarme. L’esprit démocratique a été une arme efficace pour détruire les anciennes institutions. Mais quand le moment de reconstruire est arrivé, quoi de plus absurde que de continuer à employer contre l’édifice moderne qui commence à s’élever, les armes qui ont servi à ruiner l’ancien et de mettre en péril les artisans du nouvel œuvre ? Après 1848, il faut se rendre l’évidence : « Un troisième combattant est entre dans l’arène. L’élément démocratique s’est divisé. Contre les classes moyennes on dresse les classes ouvrières, contre la bourgeoisie le peuple. C’est un fléau, c’est une honte, que notre temps ne peut accepter. La paix sociale : c’est le besoin suprême de la France, c’est le cri de salut (De la démocratie en France, 1819). – Cf. Simkhovitch, Marxism versus Socialism, IV ;Political science quarterly, déc. 1909, p. 641 et suiv.
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