whiteroom7
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A Day In My Life...
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個人的なメモと記録。 Personal notes. Sorry, Japanese only.
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whiteroom7 · 4 days ago
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唐突に発表されたソニーのコンデジ RX 1R III。これ、いいよなぁ。究極のスナップ用、お散歩カメラとなる。久しぶりに欲しいと思ったカメラ。RX 1 シリーズは、以前からいつかは欲しいと思っていたが、前モデルが出た以降、新モデルが発表される様子がなく、このままディスコンになると考えていた。そんな中で、1年ほど前に ソニーが RX 1 シリーズの新製品をを開発中で、仕様を決めるにあたりプロ写真家にヒアリングを実施しているという情報を見かけた。本当に新製品が出るのだろうか。半信半疑ではあった。
単焦点で画角は35mm。この領域は、今ではスマートフォンがカバーしている。スマートフォンとコンデジでは、画質に違いはあるのだが、多くの場合、スマートフォンでも十分満足できる画質ではある。あるいは、画質に多少の不満はあっても、わざわざコンデジを別に持ち歩く煩わしさを考えるとスマートフォンでも十分と考えるユーザが多いだろう。画面で見ることが中心のSNSであれば、スマートフォンで十分なクォリティである。
そんな現代的な時代背景にもかかわらず、登場したのがこの新モデルである。
スナップや街撮り、お散歩などで、スマートフォンでは物足りないと感じる人にピッタリか。撮影モードと露出はダイヤルで即座に調整可能。35mm だけではなく、デジタルクロップによる50mmと70mmへの切り替えもボタンひとつで可能となっている。クロップによる画角の変更なので、デジタルズームと異なり画質の劣化が生じない。画像サイズが小さくなる。それならば、35mm で撮影し、現像時にクロップしても同じであろう。違いとしては、画像に書き込まれるメタデータではないだろうか。
しかしながら、よくみると AEロックボタンが削除され、背面の液晶ディスプレイもチルド式ではなく固定されている。AEロックは、さほど使用されていないのだろうか。逆光や逆光気味の場所ではもちろんだが、曇天の日にも重宝する。私は普段、絞り優先モードで撮影するので、曇天では白い雲の影響でシャッタースピードが速くなり、被写体が暗くなりがちだ。そんな時に役立つのが AEロックなのだ。現像時に修正すればいいのかもしれないが、修正幅は小さい方がリアル感を失いづらい。ディスプレイについても、通常は EVF を使用するとしても、常に見やすい角度で被写体を確認できるチルト式はありがたい。地面に近い低い位置や手を頭上に伸ばした高さから撮影するときは必須である。これができないところは、不便を感じるかもしれない。AEロックは、ボタンに割り当てることができそうだが、チルト式ではないディスプレイは如何ともし難い。スマートフォンと接続し、スマートフォンのディスプレイで確認するのだろうか。
そういえば、EVFもポップアップ式から内蔵に変更されている。メカニカルな可動部分を減らしたのかもしれない。
明らかにグレードダウンした部分もあるが、総体的に見ればその部分を補ってあまりある。
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販売価格は約66万円を見込んでいるそうだ。66万円のコンデジ。良い製品であることはわかるが、やはり悩む。だが、日常的に持ち歩くガジェットとしては高価ではないか。ため息が出る。
だが実態としては α7RV に 35mm レンズを装着した場合と遜色ない機能と性能を備えている。レンズの交換ができないことと引き換えに、はるかにコンパクトなボディにそれが収まっているのだ。このように考えると、妥当な価格設定とも言えるかもしれない。おそらく、RX 1R iii の製品コンセプトは、ここにあるのだろう。つまり、コンパクトな α7RV。
とはいえ、RX 1 シリーズとしては、価格を40万円台に抑えて欲しかった。価格に失望した人たちは、リコーの GR に流れるかもしれない。
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whiteroom7 · 14 days ago
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Led Zeppelin の "Stairway to Heaven" をカバーした Heart。しかも、Led Zeppelin の元メンバーを前にしての熱演。さらに、ドラマーは John Bonham の息子である Jason Bonham。John Bonham は、今でもロック史上最高のドラマーの一人である。いや、最高のドラマーと言っていいだろう。もし、John が存命であったなら、Led Zeppelin は今でも存続していたのではなかっただろうか。メンバーの役割と序列は明確で、それに不満を抱いているメンバーはいなかったように見受けられるからだ。それまでに、バンドとしての完成度は高かった。Jimmy Page はよくこのメンバーを集めたものだと感じる。
説明にもある通り、米国で放送された時にはこのショートヴァージョンであるが、完全版は iTunes、現在の AppleMusic でも見ることができる。
中盤のギター・ソロの部分では、演奏に合わせてリズムを取る Jimmy Page の様子が映し出される。Jimmy 自身、お気に入りのフレーズであることを窺わせる場面である。
ギターソロの後の後半では、オーケストラやコーラスも加わりドラマティックに盛り上がりを演出している。ロック・バンドとオーケストラの共演は昔から試みられてきたが、成功と言える例は少ない。今回は、盛り上げる武bんがさらに重厚となり、成功した例と言えるだろう。
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この"Stairway to Heaven"は間奏を挟んで「静」と「動」の2つのパートから構成される。同じような構造である楽曲として、Queen の "Bohemian Rhapsody" がある。両者ともイントロは、"Stairway …" がアコースティック・ギター、"Boheian …" がピアノとアコースティクな楽器で始まる。「静」のパートの始まりとしてはぴったりだ。間奏や「動」のパートそのものは大きく異なるが、「動」のパートの最後に静かにワンフレーズ歌う部分も共通している。ひょっとすると、このような曲の構成パターンは、ドラマティックな展開を目的とした曲作りの一つのパターンとして知られているのかもしれない。他にもあるだろうか。
また"Stairway …" では最後に"And she's buying a stairway to Heaven"というフレーズで締めくくられている。このフレーズは、曲の冒頭にも出現している。だが、冒頭と最後では、随分と意味合いが異なるように感じる。冒頭では、単に欲望や夢、希望として「天国への階段」を女性は買おうとしている。だが、間奏と後半の部分を経ることで、時間の経過とともに人生の荒波や苦悩を経験。そして行き着いた「天国への階段」を買うこと。天国とは、束縛やストレスのない世界、つまり真に自由な世界。一人の女性は、それを手に入れようとしていたのではないだろうか。私は若い頃から数えきれないほどこの曲を聴き、数年前に辿り着いた解釈がこれである。
この "Stairway to Heaven" は、リリース当初より盗作疑惑がついて回ってきた。Heart によりこれが演奏されたのが2012年12月。この後、実際に盗作疑惑の裁判が行われ、最終的に連邦最高裁が真理を拒否したことで、Led Zeppelin側の勝訴が確定した。これが2020年10月である。長年続いた盗作疑惑はここに一応の決着を見た。楽曲の類似性を判断することは非常に難しく、意図せず類似してしまうこともあるだろう。過去の楽曲は星の数ほどあり、むしろ似ていない楽曲を作る方が難しくなってきているかもしれない。そんな中で、裁判に至らないまでも、類似性が指摘される有名楽曲もいくつか存在する。これも事実である。
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whiteroom7 · 1 month ago
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日が長くなったことと、何より異常な暑さだ。まだ梅雨というのに雨の気配がない。ということで、早朝から近くの都立公園を散策。考えてみると、この公園に来たのは随分と久しぶりなようだ。最後に来たのは、桜の時期だったので、2ヶ月ぶりか。すでに菖蒲はほぼ終わり、紫陽花も心なしか元気がないように見える。かろうじて見ごろとも言える株を見つける。例年だとこの時期はまだ紫陽花は元気に咲き誇っている時期ではなかったか。過去のこの時期の写真を振り返ると、菖蒲も紫陽花も見ごろだったようだ。多数の写真が残っている。
続いて、メタセコイアの森へ向かう。こちらは見事に葉が出てきている。前回訪れた時の、葉が落ち、枝が剥き出しの冬の景色からは一変している。それがこの2ヶ月間の変化になる。こちらも、新緑から夏を感じさせる景色になっている。
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メタセコイアといえば、現行MacのOSである "macOS Sequoia 15" である。セコイア国立公園のメタセコイアの美しい壁紙が用意され、ログイン画面では、ゆっくりとした動画が設定されている。そこでは、朝日と見られる陽光が効果的に使用されている。これは、それには遠く及ばなく陽だまりもないが、朝の雰囲気と鬱蒼とした茂みもあり、当初のイメージに近い仕上がりとなった。ちなみに、これと反対側の方は明るい空を背景に逆光気味で、印象は大きく異なる。先週開催された Apple の開発者会議 WWDC 25 では、macOS の次バージョンの開発コードは "Tahoe" と発表された。ここ何年かは、カリフォオルニア州の国立公園の名称を開発コードとして採用してきた Apple だが、タホ湖という湖の名称が選ばれている。まだ採用されていないカリフォルニア州の国立公園はあるのだが。ネーミングの方針が変わったのかもしれない。あるいは、もともと州内の地名やランドマークを採用してきただけかもしれない。その答えは、来年の WWDC で明らかになりそうだ。
実際のプレゼンテーションを見たわけではなく、いくつかの報道記事から判断すると、今年の Apple の WWDC では新規性や革新性、斬新さ、驚きに欠ける内容であったと感じた。すべてのプラットフォームに共通したインタフェース "Liguid Glass" を除けば、ほぼアプリの追加機能の説明が中心だったようだ。Aiがらみという部分もあるとは見られるが、秋の新型iPhone発表会でも良かったよねとは思う。もしくは、迷惑電話対策にとどまらず、電話アプリが自動で電話対応し、必要があればスケジュールを調整するなどして、その結果を音声メッセージやメモで知らせてくれるといったエージェント機能が欲しかった。このような限定的なエージェント機能であれば、比較的容易に実現できそうなのだが。もっとも、電話をかけてきた相手がどのように感じるかは別の話だが。だが、エージェント同士がコミュニケートして用事が済む、そんな日も遠くなさそうだ。
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whiteroom7 · 2 months ago
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東京カテドラル聖マリア大聖堂。数年前、近くまで来たので、ということで寄ってみた。とはいえ、駅からは結構歩く。スマートフォンで撮影。当時は今ほど、スマートフォンで広角レンズが一般的ではなかったので、縦構図で横に少しずつずらしながら5枚撮影し、それらを合成したものだ。今なら、広角でもっと容易にに撮影できるかもしれない。
この大聖堂は、丹下健三設計による代表建築の一つとして知られる。丹下健三建築として都内では、東京都庁、代々木競技場とともに身近な存在である。もっとも、最近では某元タレントの影響で有名になってきたのがフジテレビ本社である。テレビで頻繁に見かけるようになったが、丹下健三にとっては不本意なことに違いない。
さてこの東京カテドラル聖マリア大聖堂、外観・内観ともにシンプルで、本場である欧州の教会や大聖堂とは一線を画すデザインとなっている。もはや西洋建築の模倣はしないという強い意志を感じさせてくれる。元来仏教徒である日本人が考える教会・大聖堂はこうであるということを示し、かつ未来はこうあるべきという一つの形を具現化して提示したものではないだろうか。
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外観・内観ともに、直線と曲線をうまく組み合わせたデザインとなっており、屋根に相当する部分は十字架の形状になるように側面が絞り込まれている。この十字架の屋根部分は、大聖堂の周囲を巡って想像するしかない。。天に召した人が容易に探せるように意図したデザインだったのだろうか。だがそれは今、Google Earthなどで、地上にいながらも容易に俯瞰することができるようになった。丹下健三も、これほどまでに容易に十字架の屋根画を見ることができるようになるとは思いもよらなかったのではないだろうか。これも、時代とテクノロジーの進化の功罪とも言える。
また、来日した2人のローマ教皇、ヨハネ・パウロ2世教皇とフランシスコ教皇も、東京滞在中は、この聖マリア大聖堂を拠点と��て活動していたとされる。そして、広島と長崎を訪れているところも2人に共通している。おそらく、来日の目的の一つだったのだろう。
フランシスコ教皇の後任としてレオ14世が選出された。これで思い出すのが、映画「ゴッドファーザー PART III」だ。ローマ教皇が暗殺され、新たな教皇を選出するシーンが盛り込まれている。この映画で、ローマ教皇が選ばれる過程を簡単だが知ることができた。他の映画でも教皇選出シーンを見た記憶があるが、それがなんの映画だったかは失念した。
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初めてイタリアに旅行した時にはツアーだったので、バチカンも見学。サン・ピエトロ大聖堂やシスティーナ礼拝堂を見学した。個人では行きづらいところではあるので、見る機会がありよかった。
そういえば、Facebookに参加していた頃にも聖マリア大聖堂に行く機会があり、写真を投稿したことがある。その時には、そこで挙式したという某公務員の方がいて驚いた。かなり特別なことではないかと考えるのだが、思ったより身近にいるものだ。その時には気づかなかったが、その後訪れた時に正面の向かい側、パイプオルガンの下方にドアがあることに気がついた。通常は解放されていないが、その位置から察するに、直接外部へつながっているようだ。外側からも確認した。ひょっとしてこのドアは、新郎新婦が入場する際に使用されるのではないだろうか。某公務員の方のコメントがなければ、気がつかなかっただろう。
新教皇、レオ14世も東京カテドラル世マリア大聖堂を訪れる日が来るだろうか。ローマ教皇来日の目的の一つは広島・長崎の訪問にあるとすれば、米国系のレオ14世の来日は叶わないかもしれない。
そういえば、イタリアといえば先日、妻が所用のついでに大阪・関西万博を見学。何かと話題のイタリア館の展示。いずれも貴重で、本邦初公開の作品もある。
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whiteroom7 · 2 months ago
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先日、今年3本目となるバス旅行で国営ひたち海浜公園へネモフィラ畑見学に行ってみる。ほぼ10年ぶりの訪問となる。当時は、みはらしの丘の斜面に咲広がるネモフィラが話題となり始めた頃だった。しかし、人気化による来場者数の増加に対し、食事場所や乗り物といった園内インフラが十分に整っておらず、ネモフィラ以外の部分では相当不便であった。そうした印象の悪さもあり、その後訪れることがなかった。
今回、以前利用したことのある旅行会社から案内が来たことをきっかけに、もう一度出かけてみることにした。
バスは、三郷南ICで外環に合流、三郷JCで常磐道に入った。三郷と言えば、隣接して八潮市がある。八潮市ではこの冬、路面陥没によりトラックが下水道に転落する事故が発生している。インフラの老朽化は、地域の老朽化そのものを表しているようにも感じる。路面陥没の復旧には数年かかるとされ、インフラ整備を怠るとさらに高くつくことを教えてくれた。そんなことを思い出す。
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ひたち海浜公園でのネモフィラの開花状況は五分咲き程度。全体としてはまだまだといったところ。まばらにしか咲いていないところも散見される。それでも見学に訪れている人たちは多い。前回は、逆にピークを過ぎた時期だった。黄色の水仙やチューリップなど、さまざまの春の花が咲いているのが見える。それらは軽くみながら、一路、みはらしの丘を目指す。バス旅行なので、見学時間が限られている。しかも、みはらしの丘は出入り口から距離があるので、余裕を持って往復の時間を考慮しておく必要がある。これがバスツアーの宿命か。
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みはらしの丘からの眺め。前回とさほどイメージは変わらない。眺めとしては良好だが、ネモフィラの鑑賞にはみはらしの丘の頂上より、登る途中の方がいいだろう。
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ネモフィラの開花状況を見ていると、種を蒔いたと思われる部分のほかに、筋場でみるからに等間隔で整列して咲いている場所もある。これは、ポッドで生育し、発芽した苗を植えたと思われる。一面のネモフィラ畑を作り上げるために、さまざまな苦労や工夫をしていることがよくわかる。当然ながら、それほど容易ではないのだろう。
みはらしの丘を降りながらもネモフィラを眺めるが、なぜか見どころは少ない。ネモフィラはあまり植えられていないのかもしれない。見終わったら、とっとと下りてくださいということなのかもしれない。まぁ、そんなことはないと思うので、時期をずらして開花するようにしているかもしれない。
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ここまで、割と急足できたので、時間に余裕がある。ネモフィラをバックに、記念写真を撮影してくれるサービスがあった。仕上がりを見ると、人物は小さく、面積比で約1/9の領域に過ぎない。顔による本人の確認は厳しい。周囲のネモフィラだけが強調されてい。想定していた写真とは異なるが、とりあえず、一つの記念としてとっておくか。
今年は、水色のネモフィラに加えて薄緑や白色のネモフィラも植えられていたようだ。だが��回、それらを確認することはできなかった。いずれ、エリアで種類を分けるなどの工夫がされる可能性はある。また、種類によって開花時期がずれているとさらに鑑賞時期が長くなるかもしれない。今後、どのような展開になるか情報はフォローしていきたい。更なる進化を期待したい。
ひたち海浜公園で初めて知ったネモフィラだが、欧州ではベイビー・ブルー・アイズとして親しまれていたようだ。地面に咲く一面のブルーの花。今では、前日深夜や早朝から並び、開園と同時に走ってみはらしの丘を目指し、見学客が入っていないネモフィラを撮影する見学客がいるそうだ。何に対して個人のリソースを消費するかは、まさに個人の価値観そのものである。人のリソースには限りがある。自らの価値観を正しく認識し、行動することが大切だ。
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whiteroom7 · 3 months ago
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Led Zeppelinの"Rock and Roll"。1979年、ネブワースでのライブ。翌80年には、John Bonham が亡くなり、バンドは解散しているので、バンドとしては終期に当たるパフォーマンスとなる。もちろん、この演奏をしている当時、翌年にバンドが解散することになるとはメンバーの誰一人として考えてもいなかっただろう。ファンも。終わりはあまりにも突然やってきた。
演奏としてはかなり良く、バンドの調子、特にヴォーカルの Robert Plant の声の調子もかなり良いようだ。声の伸びは今ひとつだが、オフィシャルなライブアルバムと比べても声はよく出ている。Led Zeppelinは素晴らしいスタジオ・アルバムを制作しながら、ライブ・アルバムにこれといった作品がない。これがやや残念なところであった。また Jimmy Page もギターを決めている。全体的に見ても、スピード感と緊張感が程よくまとめられている。もっともこの曲は、バンドの代表曲の一曲であり、演奏に慣れているという面もあるだろう。当時のセットリストを確認すると、アンコールの1曲目として演奏されている。ライブ・パフォーマンスの終盤で、最後を盛り上げる好演となっている。実際、観客は大合唱で、最後を除いて各ヴァースの終わりの "lonely, lonely, lonely, lonely, lonly time" の部分は Robert は歌っておらず、観客だけが歌っている。その後に、John のドラムが響き渡る。良いパフォーマンスが見られる。
特にこの曲は、イントロとエンディングにドラムがフィーチャーされた珍しい曲でもある。途中にギターソロが入るのは当時のお決まりのパターンとはいえ、John Bonham の存在感の大きな曲である。冒頭の一節から察するに、彼らが親しんできた1950年代のロックン・ロールを70年代に再現すればこうなるという思いすら感じさせる。時代を超えて存在し続けるロックンロールの普遍性を表現したかったのではなかったか。
この1979年には、前作 "Presence" に続く3年ぶりのアルバム "In Through the Out Door" がリリースされている。結果的に、これが Led Zeppelin の最後のスタジオ・アルバムとなった。アルバムとしては割とよくできていて、これも好きなアルバムである。ただ、Robert Plantの声が出ていないことと、曲作りや演奏で Led Zeppelin らしさに欠けるように感じる。明らかに、これまでのZeppelinサウンドとは異なる。今思えば、シンセサイザーを使用していたことも影響しているかもしれない。たらればはないとはいえ、もし Led Zeppelin が解散せずに存続していたとしたら、しばらくはこの路線を継続していたかもしれない。ただ、この頃は世界的なディスコブームの時期にあり、その影響も受けた一時的な作品だった可能性もある。ディスコというには重いが、それ風の楽曲もある。そして興味深いところとしては、ジャケットデザインも確か6種類用意されたことだ。しかもそれは茶色の紙袋に収められており、購入して開封してみない限りジャケットのデザインを知ることができない仕組みになっていた。ひょっとすると、ジャケット目的で複数枚購入したファンも多かったかもしれない。私は1枚だけ購入。ジャケットデザインが、特に優れているとも思えなかったから。その後「ジャケ買い」という言葉も登場したが、私には理解できなかった。「ジャケット」だけで物を購入することはありえない。ジャケットやそのデザインの重要性は否定しないが、もっと重要なのはいうまでもなくその内容である。
Robert は当時の髪型のまま歳を重ね顎髭も伸ばしている。近影では、どう見てもホームレスにしか見えない。若い頃のイメージを保つことも大切だが、相応の年の取り方をして欲しかった。
Jimmy Page は公式には宣言していないかもしれないが、音楽活動自体からは引退の状態にあるだろう。実にもったいない気がする。ソロ活動や新たなバンド結成、あるいはセッションへの参加など、さまざまな活動の道はあったはずだ。だが彼はそうしなかった。その結果、晩年を汚すことなくここまできている。つまり、失うことを恐れた守りの人生だったとも言える。そして「神」のような存在になっている。こうした生き方もあるんだな。
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whiteroom7 · 3 months ago
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やや訳あって、旧岩崎邸を見学。ついでに、上野公園の桜も鑑賞。
旧岩崎邸、割と行きやすい場所にありながら、今まで訪れたことがなかった。今回、初めての見学となる。旧岩崎邸は、明治時代の洋館で、現在では重要文化財にに指定されている。
ゆるい上り坂を登っていくと左手に旧岩崎邸の洋館が姿を現す。現代建築とは異なる重さを感じる。
洋館とはいえ和室もあり、靴を脱いで上がるようになっている。興味深いところとしては、居室の外側、つまり廊下に相当する部分にも畳が敷かれていたこと。これにはやや違和感がある。居室と廊下の区別は、障子戸で区切られているところになる。また、和室には、今の三菱の原型ともなる菱形のデザインが随所に見られる。当時から菱形にこだわりがあったことが窺える。
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庭園からの眺め。庭園には、数は少ないが桜が植えられている。洋館と桜はお似合いだ。もっとも、当初から桜が植えられていたかどうかは定かではない。このような眺めが可能になったのは、最近かもしれない。
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また、離れとして木造のビリヤード場が建てられている。当時、ビリヤードは紳士の嗜みとされ、上流社会の社交の場としても利用されていたのだろう。現在、ビリヤード台は撤去されている。このビリヤード場と洋館は、地下道で繋がっている。雨天や夜間など、外に出ることなくビリヤード場に通じるようになっている。よく利用されていただろうということが想像できる。
当時、欧州に追いつくために西洋文化を取り入れ、西洋の建築様式を学んでいく過程で建造された。逆に現代では、このような「剥き出しの西洋建築」は見られなくなっている。現代の日本文化に調和するようなデザインへと昇華しているのかもしれない。この時期のいわゆる近代文化は、体系的に学ぶことがなかったので、常に新鮮に感じる。
続いて上野公園へ向かい軽く桜を鑑賞する。時間の関係で、不忍池周辺だけにとどめた。
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不忍池。桜の開花状況は7、8分と言ったところか。桜と池や川と一緒に構成する構図はお気に入りの一つだ。
この日は平日ということもあってか、行列ができるほど多くの花見客ではなかった。新型コロナ後となり、それ以前と目立って異なるのは、欧米系外国人が多いこと。ここもか、そんな気持ちに囚われてしまう。桜という、日本独特の文化・風景なので、外国人が興味を抱くのは理解できる。だが、それにしても多いだろう。すでにキャパシティもオーバーしている状態で、多数の外国人を呼び込むことは日本にとってどのようなメリットがあるのか理解できない。そればかりか、土足で踏み入られ、良き日本の文化を破壊される、そんな錯覚にすら陥る。それ以前は、この時期に見かけるのはアジア系、特に東南アジア系の女性のグループが多かった。何度か、写真を撮って欲しいと頼まれたことがある。その中で、どこから来たのか尋ねると、いずれもインドネシアからだった。今思えば、まだまだ牧歌的な時代だった。もはや、その頃には戻れないかもしれない。
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whiteroom7 · 4 months ago
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先日、茨城県土浦市へ雛人形を見学に行ってきた。市内のお店を中心に雛人形や雛飾りなどを展示する雛祭りのイベントが開催されていた。県内にも、雛人形の展示で有名な市があるが、こちらはやや遠い。今年はとりあえず近い方の土浦を選んだ。
思えばこれまで、実物の雛人形はまともに見たこともなかった。もっとも、興味もなかったが。
会場は一ヶ所ではなく、市内の店舗が参加する形式なので、市内を歩いて見て回ることになる。参加店舗には幟が出ていて、わかりやすくなっている。店舗の種類も様々で、参加の方法や展示の方法も様々でそれぞれ工夫がなされている。
古民家のような店舗もあった。かつては、大きな商店だったと思われる。2階も開放されていた。階段を上がると、20畳ほどの広い板の間がある。何に利用されていたのだろうか。何かの作業場だったのだろうか。隣接して和室が2部屋。床の間もある立派な和室。使用人の寝泊まり用としては豪華に見える。なんのために利用されていのだろうか。色々と思いを巡らせてみる。板の間と和室の間には2段ほどの階段があり、当時のバリアが剥き出しだ。いかにも昭和の建築。かつては、至る所に段差があった。
雛人形自体も、時代と共に変化しているようで、今の天皇・皇后に似ている人形も目立つ。それ以外にも様々な人形や飾りがあり、干支も主流のようだ。いくつかの店舗で、今年の干支である蛇を模した人形が飾られていた。雛人形とはいえ、様々な工夫やアイディアが盛り込まれている。
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蛇の人形を購入。これは小さくて可愛いが、よりリアルな人形を展示していたお店もあった。
妻は子供の頃、7段の雛人形を飾ってもらっていたそうで、現代の雛人形の表情や衣装にも興味津々。楽しそうだった。男の私には、みんな同じように見えた。それらを理解するのは難しい。
店舗や街並みを見ながら市内を歩いている中で、ある小屋のような蔵のような建物に行き当たった。みると「土浦ツェッぺリン倶楽部」とある。土浦ローカルのLed Zeppenのファンクラブなのだろうか、その程度の認識で足を踏み入れてみた。だがそこは、正真正銘のツェッペリン号飛来を記録した資料館だった。ツェッペリン号が土浦に飛来した当時の写真や新聞記事、ツェッペリン号実物の一部などが展示されていた。
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ツェッペリン号の土浦飛来は1929年とのことで、4年後には飛来100年を迎える。100年を記念するなんらかのイベントが企画さえるだろう。楽しみに待ちたい。
また、ツェッペリン号といえば、やはりその大きさだ。ツェッペリン号の大きさは「サンシャイン60を横倒しにした大きさ」と例えられていた。なお、ツェッペリン号の長さは237m、サンシャイン60の高さは240mで、確かに概ね同じである。もちろん、土浦への飛来当時にサンシャイン60は存在していなかったため、後年、そのサイズ感を表現するために考えられたのだろう。想像力をわかせてくれる表現としては実に上手い。
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近年、飛行船を見かけることがたまにある。それは主に都内である。これは、約10年前、たまたま車内から撮影。移動速度はそれほど速くないとはいえ、撮影準備するにはそれなりの時間を要する。カメラの設定や構図を考える余裕はなく、とりあえずシャッターを切ってみた。なんとか、駐車場を表す「P」の看板を入れることはできた。自動車の駐車場と飛行船という組み合わせができた。いくつかのストーリーが作れそうだ。
飛行船や気球に一度は乗ってみたいと思うが、価格はそれなりに高価だ。非日常を感じるためには、それなりのコストが必要になる。
女の子の節句である雛祭りのイベントを見学に行ったはずだが、「土浦ツェッペリン倶楽部」なるツェッペリン号飛来の資料館を楽しめた。空を飛ぶという、男の夢やロマンに図らずも出会うことができたことはなんとも皮肉なことである。
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whiteroom7 · 4 months ago
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今朝、突然の雷と共に降雪。雨は覚悟していたが、まさか雪が降り出すとは想定外だった
。妻が自宅の通路から撮影。外は真っ白、視界も悪くあまりよく見えない。雪だけではなく、ヒョウのような氷の塊も降ってきているのがわかる。時間にして10分程度。私の住むところでは、2cm程度の降雪を記録したようだ。中には「大雪」とする報道もあるが、これにはいつもながら違和感を感じる。だが、時間あたりに換算すると10cm前後に相当する。そう考えると「大雪」というのもあながち大袈裟とも言い難い。
日本海側のこの冬の大雪は温暖化の影響も大きいとされる。太平洋側でも、春先のこの頃に雪が降ることも何度か経験している。本来は春を呼ぶ温帯低気圧が関係している。
太平洋側でも降雪があると、つい温暖化の影響を忘れがちだ。だが、感覚的にも状況証拠的にも、地球の温暖化は確実に進行していると考えるのが妥当だろう。お年の夏は、昨年以上に暑くなる恐れもある。台風やハリケーンなどの自然災害も増えるかもしれない。米国はすでにパリ協定の離脱が決まっている。
それでも数千万年から億年単位では、氷河期が訪れるという。その時まで人類が生き残れているのかどうか。左手に持ったスマートフォンを持ち、Xに最後のポストをする。あまりに現代的すぎる想像。人類最後の一人の末路はどうなるのだろうか。
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whiteroom7 · 4 months ago
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私はホテルの大きなホールと通路のような場所を行き来しながら、会場の準備をしていた。すでに豪華な楕円形のテーブルと、重そうな椅子2脚が準備されていた。私は出席者用の椅子を運んだり、会場の飾り付けを確認していた。
そんな時、準備している会場がやや騒然とした。振り返ると、赤いネクタイをした高齢の男性と、その後ろに数人の人が目に入った。おやっ?、ひょっとしてトランプ米大統領か?先方の人たちが次々に握手しながら挨拶を交わしている。トランプ大統領が現れるとは、事前に知らされていなかった私は非常に驚いた。こちらも対応しなければならないj。私は咄嗟に、仲間みんなで集まり整列し、代表1名がトランプ大統領にご挨拶する、その後はなり行き次第で他のメンバーも挨拶をする、そんなシナリオを考えた。時間はない、仲間と軽く相談しよう。私は仲間に集まるよう目配せした。すでに駆け寄ってくる仲間の姿も見えた。
ハッと、そこで目が覚めた。夢だったか。だよな。連日、テレビのニュースで報道されるトランプ劇場。一瞬先すら読めず、ちょっとしたドラマよりは面白いが、そろそろ他人事では済まない状況に陥ってきている。そして、とうとう夢にまで登場したか。会ったことこともないSNSの友達が夢に登場することはたまにあるが、まさかの出来事だ。
ホテルの豪華な大ホール、なんらかの契約やその発表の会場だったのではないか。もしこれが、US政府関連の団体のシステム開発受注案件だったとしたら、いや、ありえないか。いくら相手が日本とはいえ、政府関連案件であれは安保上、大きな懸念があるだろう。夢の世界の産物ということになる。
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今思うと、システム開発の提案書は大小を合わせて何本も書いてきた。新しいシステムを考えることは、常にエキサイティングで実に楽しい。どこがどのようにどの程度便利で快適に効率的になるのか。このようなことを考えていくと、ワクワクしてくる。
相手企業にとってどのようなメリットが生まれるか。彼らが求めている、あるいは認識している以上のメリットを挙げることが一つの目標となる。原点に戻って、相手企業の理念やトップの発言や考えからシステムの位置付けを再検討する。過去の社内での開発事例やライバル企業の動向も調べる。過去に同企業の開発事例がある場合は、そのシステムとの関連性や接続性も検討する。私には、得意とする業務分野がないので、深く理解することは難しいが、先入観なく受け入れられる。いつも新鮮か気持ちで取り組める。
私たちの場合、立場的にすぐに技術的に可能・不可能ということを考えがちだが、これは構想の幅を狭める恐れがある。極力排除し、あるべき論を優先させる。意外ではあるが、技術的なアイディアは、相手企業から出てきて、そんなやり方があるのかと感心させられることも多い。設計時にも「こんなことできますか?」と問われ、私たちが考えてもいなかったようなことを提案されることもしばしばである。ユーザとしての視野の広さに驚かされる。
また、RFPがある場合には、まずそのRFPに勝つことが目標となる。いうまでもなく、分量ではなく内容で勝ることだ。何を盛り込んでいくかが最初の大きなポイントとなる。今思えば、このあたりで半分以上は決まってしまうのかもしれない。たまに、RFPに書いてあることだけやればいい、そんな意見も聞くこともあるが、それでは単なる「お見積り」に過ぎない。その程度の内容を求められている訳ではないことは明らかだ。
また事前に営業から、この部門の案件は他の特定の企業が受注している場合が多いと聞くこともある。どうせダメなら手を抜くか、と考えることもある。だが、そうした合理的な生き方が苦手な私は、今回はダメでも、何とか担当者の目にとまり「一度やらせてみるか」と思ってもらえるようになりたいと考えるようにしている。その時は、私が担当できるかどうかはわからないが、次へ繋げていけるような提案書を目指してきた。聞いている限りでは、これは実現しなかった。結果的には無駄に終わったが、私自身としては満足できるものだった。
提案書は、ごく小規模な案件を除けばチームで作成する。メンバーも様々であれば期間も様々である。似たような案件もほとんどない。数は少ないが、知��合いのSEから客先に同行して話を聞いてほしいといった依頼もある。スケジュールさえ合えばできるだけ対応するようにしてきた。だが、実際に提案書の一部を作成するといった作業が入ると、作業工数が発生して社内的に面倒な処理になるので、社内の打ち合わせと提案書のレビューに出席することになる。とはいっても、これは原則論で、半日程度の作業であれば対応してきた。数ページ程度なら、説明するより作成した方が早い。そんなことも何度かあった。
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最も難しいのは見積もりだろうか。最終的な金額は営業が算出するが、その元となる工数を算出しなければならない。提案の段階ではかなりブレが大きく、概算見積もりとなる。おおまかな方針や方向が分かっても、具体的にどのような機能をどのように実現するかが決まらないと、見積もりのしようがないという場合が結構ある。この時ばかりは現実的にならざるを得ない。前提を明らかにした上で、工数を算定することになる。前提が変われば工数も変わる。助かるのは、営業が先方のおおよその予算を聞き出せる時だ。どうしてもこれをクリアできなければ、見送る。そんなこともあった。
さて、次から次へと大統領令に署名を続けるトランプ大統領。わずか1日で撤回したり二転三転で混乱したり、はてまた憲法違反があったりと、思慮を欠く話題性優先の劇場型政権運営が続いている。「アメリカ・ファースト」と「MAGA」を旗印に、恫喝外交を展開。同盟国にすら、ケンカを売る姿勢を崩していない。このような態度で臨めるのも、いまだに米国が軍事力・経済力の点で世界でトップの位置にいることが背景にある。米国は、いまでも偉大な国だ。黄金時代ではないかもしれないが。日本を含めていずれの国も、自国の利益を最優先する「自国ファースト」を考えて動いている。それが外交。ただその裏には大義と正義があり、それらと引き換えに失うものもあるはずだ。相手がある以上、全てを得ることは難しのではないか。
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whiteroom7 · 5 months ago
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今朝、ブルームバーグの日本語サイトを開くと、何やら見慣れない表示があることに気がついた。どうやら、私のコンピュータ・ネットワークから異常なアクティビティが検出されたという。ブルームバーグの記事は1日に、せいぜい数記事しか読んでいない。全く身に覚えがない。ウイルスにでも感染したのだろうか。それとも、プロバイダのIPアドレスに問題があるのだろうか。しばし、原因を考える。
だが、私がロボットではないことを通知すれば問題ないようなので、警告としては軽微なレベルだ。下の方にあるというクリックしろというボックスを探してみるが見当たらない。クッキーを投げてくると思うのだが、それができない。
そこで、右上にある「Need help? Contact us」をクリックしてみることにする。とは言っても、ユーザ登録してログインしているわけでもなく、どのように説明すればいいのか悩みそうだ。そんなことを考えなが「Need help? …」をクリック。長々とした説明の後に問い合わせフォームがある。説明しても、対処のしようがないだろうな。クリックしろというボックス���おそらくはチェックボックスだと思うが、その場所を尋ねてみるか。だが待てよ、警告のような形で表示はされているものの、アクセスは可能で記事も読むことができる。特に不自由することはないのだ。明確に「警告」と表示されているわけではないので、「異常なアクティビティ」の原因が私にない限り、遠からず通常の状態に戻るだろう。ということで、問い合わせはせずにしばらくは放置することにした。
そこで気を取り直して記事を1本読む。平日はほぼ毎日読んでいる「今朝の5本」だ。これを読み終えて、再びトップページに戻ると、この警告のような表示は消えていて、通常法事に戻っていた。これは何だったのか。ひとまず、疑いは晴れたか。
個人が異常アクティビティで検出されるとすれば、スクレイピグではないだろうか。記事を取得するなどの目的で、Webページを再帰的にアクセスする。これはサイトに負荷がかかるため、禁止しているサイトが多い。だがこれは、法的根拠に乏しいとも言われている。最近では、AIの学習データ取得に利用されているかもしれない。そのような事情もあって、サイトとしては神経質になっているのかもしれない。
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昨年末から年初にかけて、複数のインフラ系企業のサイトに対してサイバー攻撃が仕掛けられ、業務が停止するなどの被害を被った。その手法としては古典的とされるが、やり方は巧妙になってきているようだ。各サイトは、このような攻撃に対してさらに敏感になってきている可能性がある。世界中のPCを踏み台にして攻撃されると、それを防ぐのは、相当に困難だろう。ちょっとしたアクセスの変化にも注意を喚起していてもおかしくはない。今まで以上に、サイトへのアクセスは管理j・監視されていると考えた方がいい。
私のあるサイトも、1年半近くにわたって毎日10件以上のスパムコメントを入れてくるユーザがいた。1日も休まずに。毎日だった。よほど暇らしい。発信国もわかっていて、日本ではなかった。日本の某通販サイトの商品を勧めてくることもあるので、海外在住の日本人かもしれない。このような場合、アクセスさせない手法もあるのだが、それも完全とはいえない。下手に刺激するのも良くないので、ずっと無視してきた。今年に入ってからはスパムコメントは急減。すでに1ヶ月ほどはスパムコメントは来ていないのではないか。この程度であれば、無視するのが最善の策だろう。
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whiteroom7 · 5 months ago
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Asiaの "Open Your Eyes"。私の記憶に残る最後のスーパー・グループである Asia。日本での読み方は、慣れした貧でいる「アジア」ではなく「エイジア」となった。このメンバーが集結すると、こんな音が出るのか。期待とは違った、驚きのサウンドが作られた。Asia の成功は、少なからずプログレッシブ・ロック界に影響を与えただろう。Asia デビュー後、プログレ会では大作が減り、より商業的な成功を志向するようになったように感じられる。大作主義そのものがプログレッシブではなく、むしろ一昔前のおくれた伊エージすら抱かせる。その点では、Asia は罪作りなバンドだったかもしれない。
この映像を見ると、ボーカルは John Wetton ではなく Greg Lake。しかも日本公演ということは、1983年の Asia 初来日の時になるだろう。確かこの時は、来日公演が決まった後に John Wetton が離脱、急遽、代役として Greg Lake が参加すると発表されていたのではなかったか。Greg Lake はあくまでも一時的なサポートとされていた。おそらく、Carl Palmer がGreg に声をかけたであろうことは容易に想像できる。今見ても、John Wetton のバージョンとあまり違和感がない。EL&P と Yes がが合体したら、こんなサウンドになるだろうか。いや、ならないだろう。さらなる化学反応により、全く別のスーパー・グループになったかのようだ。
今も当時も、ギターを弾くスタイルが全く変わっていない Steve Howe。印象的なギター・フレーズやプレイも多いが、なぜかギタリストとしての評価はあまり高くない。プログレ界は、どちらかといえばキーボード奏者が評価されやすいという事情があるからかもしれない。
そんな中で、元気がいいのはやはり Geoff Downes。終盤は、プログレ風のアレンジで聴かせてくれる。Asisa の音楽性の多くは Geoff がリードしてきたに違いないj。ほぼ一貫して Asia に在籍し、オリジナルメンバーとしては唯一、今でも Asia の名を引き継いtでいる。かつてのメンバーの誰よりも Asia への想いは強いのだろう。
「目を見開いて、今目の前にある世界を見るんだ」。これは、今、直面している現実や事実に目を背けることなく、それらを直視しよう、ということだ。物事の判断は、まず事実を客観的に把握することが重要だ。一つ間違えると、取り返しのつかないような大きな判断の場合は、一時的な感情で判断するべきではない。そんな戒めにもなっている。
だがこれは、意識しないとできないことかもしれない.事実を認識することは、それほどまでに難しい。そのためには、、客観性も求められる。
今では、スーパー・グループとはいえないバンドになってしまったが、貴重な遺産を残し、スティーヴ・ジョブズ流に言えば「プログレを再定義」したバンドである。
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whiteroom7 · 5 months ago
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日産の逆ギレ破談通告。日産の経営陣は、現実を直視することができず、日産が日本ではいまだにトヨタに次ぐ2番目の自動車メーカーで、ホンダより格上と勘違いしているようだ。現実を見れば、時価総額ではホンダに大きく引き離され、5倍近い開きがある。また、日産は4輪を軸とするあくまでも自動車会社であるのに対し、ホンダは2輪、4輪に加え、ロボットやビジネスジェットやロケット開発などの宇宙分野にまで事業を拡大し、トータル・モビリティ・カンパニーと変貌している。4臨事業は、あくまでも事業分野の一つに過ぎない。日産との統合による世界3位の自動車グループという称号も、ホンダにとってはさほど魅力的には映ってはいな��ったであろう。ホンダと日産では、企業として目指すことに大きな隔たりがある。つまり、ホンダにとって日産との経営統合はその形態に関わらず、ほとんどメリットがなかった。
このようなことを考慮すれば、ほぼ4輪事業しか持たない日産は、幅広くモビリティ事業を展開するホンダから見れば一つの事業部門にしか見えなかっただろう。それほどまでに、両社はすでに企業としての規模と形態が大きく相違しているのだ。さらに、ホンダも4輪部門では苦戦している。
日産社長の会見では「ホンダの子会社では日産のポテンシャルが発揮できない」という発言も出ていたようだ。その裏には、業績不振の現状は、本来の日産の実力ではないという認識が滲み出ている。もっとも、このような場で自らの「ポテンシャル」という単語を使うことに疑問がある。似たような単語に「能力」「実力」がある。これらは、普通に仕事ができていれば使う必要のない単語だ。それができていないことを自ら認めていることになる。また、これらの単語を他人に対して用いると、それは褒め言葉ではなく逆に、出来の悪さを揶揄したりもっと言えば小馬鹿にした言い方になる。そこには、言葉にならない前提条���が隠れているからだ。「(出来は悪いけど)ポテンシャルはあるよね」「能力はあるのにね(ダメだよね)」といった使い方になる。高学歴でありながらパッとしない人、特に東大や旧東工大出身者に対して使われる場合が多いようだ。自分に対しても、決して良い印象を与えない単語だ。ましてや経営者が使うべき単語ではない。目の前にある現実を見るべきで、その認識が問われる。連結ベースで13万人を超える人数の従業員とその家族をどのようにして守るのか。
元々、単独での生き残りが難しいと考えた経済産業省が主導したホンダ・日産グループだった。おそらく、経営統合までは考えていなかっただろう。企業文化や社風にも違いがあったのではないだろうか。
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ホンダは、当時の勤務先のソフトウエアを導入していただいたことで、某研究所を何度か訪れたことがある。普通であればエレベーターを利用するところを階段で案内された。階段の踊り場には、ガラス越しのショーケースに製品展示とともに手に触れることができる位置にピカピカのF2エンジンが展示されていた。当時の国内F2シーンでは、ホンダとヤマハがしのぎを削る構図だった。担当者に話しかけると、笑顔でお礼を言われた。
打ち合わせは社員食堂。広々としている。社内・社外を問わず、小規模な打ち合わせは社員食堂を利用しているようだった。他にも10組以上の打ち合わせが行われていた。会議室を予約する手間も必要なく、合理的だ。知り合いに会えば、声を掛け合ったり軽く立ち話をする。組織を超えたコミュニケーションの場にもなっているようで、部外者から見ても、オープンで風通しの良い雰囲気が感じられたものだ。
食堂へ続く渡り廊下から見えるのが社員用の駐車場。一見して、ホンダ車以外の車種も目立った。尋ねたわけでは無かったが、他社製の車に乗ることも推奨されている、そんな言い回しだった。他社製品の良い点、悪い点を自社製品の開発に役立てたいという思惑が感じられた。
何度目かの訪問の時だった。昼食を終えて、渡り廊下を歩いて作業場所に戻るときだった。何気なく渡り廊下の外を眺めると、眼下に真紅のマシンが止まっているのが目に入った。棟と棟の間の通用出入り口の前だった。それは、ぱっと見でホンダ車ではい外国車。ほぼ間違いなくフェラーリ車だった。私は、見てはいけないものを見てしまったような気がして、立ち止まることなくそのまま歩いて戻った。
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かつてホンダは、欧州勢に対抗できる本格スポーティ・カーを開発するためにフェラーリ車を購入。分解して研究しているとする記事を読んだことがあった。これがそのフェラーリなのか。その後登場したのが初代NSX。ミッドシップで、本田宗一郎も驚いたアルミボディを採用していた。楔形のボディは、フェラーリを想起させるデザインだった。今調べてみると、ホンダが購入したフェラーリの車種は「328」だったようだ。ひょっとしたら「公然の秘密」状態だったのかもしれないが、隠れてコソコソやるような姿勢には見えなかった。
その一方で、ソニーとの合弁会社であるソニー・ホンダ・モビリティは順調で、すでに米国でのEVの予約受付が始まっている。久々に、ソニーらしさに溢れた車が登場しそうだ。いずれも勝ち組同士のコンビで、社風も似ているとされる。どちらの企業も特徴のある製品を開発してきた。80年代の終わりからは、ソニー、ホンダに加え、米Appleのファンは共通していると言われてきた。いずれも個性豊かな製品を開発する、いわゆる「尖った企業」である。Appleは、今でこそ誰もが知る時価総額で世界一位の大企業として君臨しているが、当時は相当癖のある企業であった。私もこの3社が大好きで、これらの製品を優先して購入してきた。もっとも、ホンダ車に乗ったことはなかったが。逆に、車で言えばトヨタ、日産、家電で言えばパナソニック(松下)の製品にはほとんど興味がなかった。このような大企業の製品は、どこかオーソドックスで画一的、興味を引くような特徴に乏しかった。いかにも欠点のない優等生的なな製品ばかりに思えた。実際、例えば松下時代から含めて、パナソニックの家電製品で、記憶に残る製品はほとんどない。これに対し、ソニーの製品は、例を挙げるまでもなく記憶に残るす製品はいくつもある。
ここまで考えると、日産の場合も業績不振は社風や企業文化、社内制度などの構造的要因が大きいのではないか。先の日産社長の言葉を借りるなら「日産は、社員のポテンシャルを最大限に発揮できていない」ということになる。察するに、減点法的な評価の下、挑戦を避け失敗したことがなく、人の痛みや苦労を知らないような薄っぺらなエリートだけがのし上がって行った結果にも見える。
昨年から見ると、カナダ企業による7&i買収提案、日鉄による米USスチールの買収案件、破談にはなったが今回のホンダ・日産の経営統合案件、パナソニックHDの構造改革など、日本を代表する企業の経営に直接影響を及ぼす案件が続いている。これらの一連の動きは、独立事象であり偶然とはいえ日本企業が脱皮し、新陳代謝を経て変革していく過程のようにも感じる。その結果が吉と出るか凶と出るかは、後年にならなければわからないだろう。ただ、今この時期は、ひょっとすると日本の将来を左右する大きな転換点にいるかもしれない。経営陣には、感情や場当たり的な対応ではなく、将来を見据えた熟慮が求められる。
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whiteroom7 · 6 months ago
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早くも、中華クオリティだったかもしれないという疑惑が浮上してきたDeepSeekの"R1"。
その性能で米国の同種システムに肉薄あるいは凌駕していると言われたDeepSeekの"R1"。しかも、システムには高価な���用パーツは不要で、コストを数分の1程度に抑えられるという点が売りだった。AIなどの先端分野で米国が中国の後塵を拝するとなれば、、中国は米国にとって大いなる脅威となる。トランプ政権の下、米国は「新たな黄金時代」を築こうとしている矢先だ。そんなことがあってはならないし、許されることではないのだ。米国は、徹底的に戦ってくるだろう。昨年末から年初にかけて、インフラ系企業システムにサイバー攻撃を受けても沈黙している、米国はそんな国ではない。
だが現実はそれほど甘くはなさそうだ。このDeepSeekの件はともかく、AI分野での中国の台頭は著しい。それはすでにいくつかの調査やデータで明らかになっている。米政府が介入に乗り出してきているのも、こうした点を考慮しているからに違いない。中国の研究者に打撃を与える。ここが勝負所と見ているかもしれない。
翻って、日本はどうか。近年ではすっかり観光業に勤しんでおり、先端技術分野での存在感はすっかり薄れている。前述の通り、サイバー攻撃を見舞ってきたと思われる国に対してですらウエルカムで、ビザの発給を緩和しようとさえしている間抜けぶりが際立つ。本来であれば、この分野において、米国に続くへき国は日本であっておかしくなかったはずだ。
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AI関連で言えば半導体。メモリという限られた製品ではあったが、かつて日本は半導体分野において世界で最高の技術を有しj、米国にとっては大きな脅威だった。だが、当時の米USTR代表のカーラ・ヒルズは決して長いとは言えない金髪を振り乱しながらヒステリックに、スーパー301条をちらつかせながら日本を責め立てたのだ。日本は譲歩せざるを得なかった。私見だが、これによって日本の半導体産業は衰退し、バブル崩壊の引き金となったと考える。米国の思惑通りになったのだ。
いま再び半導体復活を模索するが、その主体はTSMCなど海外企業である。それでも、日本企業は半導体製造装置や材料を提供するなど、すでに半導体産業に大きく貢献しているとされている。だがこれは、実態を正しく言い表してはいない。あくまでも、日本から見た景色である。海外のファウンドリーから見れば、日本企業はお金を持った親切な下請け企業にしか見えていないだろう。海外ファウンドリーにい都合よく利用されているだけなのだ。日本の企業としても、利益が出ているので甘んじて下請けという立場を受容しているのかもしれない。そんなレベルである。
その点、中国はかつての日本のように米国に屈するとは思えない。G7広島サミットにおいて、AIのルールや規制を検討しようなどと呑気なことを言っている場合ではない。本当の危機感を抱くべきは日本なのではないか。日本においても、AIの研究を強化する必要があるのだ。そうでなければ、スマートフォンやEVに続き、AIも中国主導となる恐れが強い。いや、市場を荒らされるかもしれない。
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whiteroom7 · 7 months ago
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ここ数年、市販のおせち料理を購入してきた。おせち料理のカタログを見ると、価格だけではなくさまざまな種類があることに驚かされる。これだけ選択肢があると、確かに迷うだろう。選択肢が多いというのも返って難しいものだ。食べるチャンスも、正月のこの時期だけで1年に一回の賭けになる。このため、おせち料理の購入に際しても、リスクの評価や取り方、戦略が必要となるのだ。
最初の頃は、無難に百貨店のオリジナルおせちを購入。3年前から、他のお店や種類を選んで購入するようになった。この場合、のお店独特の内容だったりするので、好みは分かれるかもしれないがハズレはなかった。昨年は1段づつ種類が選べるというおせちを3段選んで購入。だがこれは、見た目の詰め具合の密度の薄さ、さらには仕切りの中に入っている容器の底上げや容器の下部が小さく絞ったようになっているなど、ややハズレだった。そんなことで、今年は京都の老舗のお店のおせち料理にすることにした。昨今の物価高の煽りを受け、おせち料理も高騰しているが、量を重視する年齢でもなくなってきているので、やや小ぶりの3段で万円台前半のおせち料理にした。過大な期待はしないことにする。
大晦日に配達され、元旦に開けてみる。
4人前ということで、予想以上にしっかり詰まっている。京都ということで、味は薄めを想像していたが、味付けもしっかりしている。何より、底上げや食材の容量を減らすような容器は一切なかった。満足度はかなり高い。妻が事前に調べたところでは、「まずい」という評価もあったようだが、全くそんんなことはなかった。単純に、好みの相違か。ただ、購入品では手作りと異なり写真にも力が入らない。今回はスマートフォンでの影。
おせち料理をいただくのは正月で、1年に1回のチャンスしかない。今回おいしくいただけなかったので、次回はこっちにしよう、といった選択が難しい。1年待たなければならない。おせち料理の選択は妻に任せているが、選択肢が多いので毎年悩むようだ。何段にするか、種類は何がいいか、どこの地域・お店にするか、1人分を2つ購入するというアイディアもある。だが結局のところ、どれにしようか悩んでいる時が一番楽しいのかもしれない。
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whiteroom7 · 7 months ago
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紅葉にはまだ早い時期、濃溝の滝・亀岩の洞窟と亀山湖を初めて訪れてみた。
「濃溝の滝」は実際にはここから少し離れたところにあり、今「濃溝の滝」と呼ばれているのは、実際には「亀岩の洞窟」であると当初から言われてきた。それ以来、名称問題が何度か持ち上がり、メディアでも伝えられてきた。どうやら今のところは、冒頭にきしたように両方を併記する形が多いようだ。地元も困惑している様子が窺える。ここはあまり堅く考えず、愛称のように使えればいいのではと思うので、併記はいいアイディアだ。
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そこで、濃溝の滝。そろそろ人気は落ち着いてきたかなと思っていたが、それほど広くはない駐車場とはいえ7、8割埋まっていた。しかも、観光バスも来ており、いまだに根強い観光需要もあるようだ。ただ、見頃は洞窟に朝日が差し込む時間帯なので、私たちが到着した頃は、普通の滝の状態だった。
濃溝の滝へ向かう。水が流れているやや下方に人工的に掘られたような洞窟とその下に階段状小さな滝が流れ落ちているのが見える。これか。想像していたよりは小さい。すでに昼近くで、洞窟に陽が差し込むような高さに太陽はない。幻想的、とは言い難いが、直線的な階段と対比となる円形の洞窟はバランスよく作られている。近年の豪雨に対応して、流れ落ちる水量の調節もできるようになっているのだろうか。
続いて、より近くから見るために坂を下って降りてみる。私たちが訪れたときは、水量はかなり少なかったようだ。桟橋やデッキのような作りのところから下におり、少し水の流れがあるところを歩いて奥に進む。みんな、この辺りから撮影している、そんな場所だった。他にも撮影者は何人もいて、さらに次から次えと訪れる。ここは、場所を譲りながらの撮影となる。長居は難しいだろう。これが「亀岩」なのかと思われる大きな岩もある。その上に陣取って撮影している人もいる。そこに行くには、足元は濡れてしまうだろう。行ってみたい気持ちはあったが、ここは抑えた。ズームで問題なく撮影できる。なるほど、こんなところか、そんな印象である。とりあえず、一度見れば満足できる。
その後、この桟橋のようなところを反対方向に歩いていく。駐車場のもう一方の側に出る。なるほど、このような構造になっていたのか。だが。同じように桟橋を歩いてくる人はほとんどいない。濃溝の滝・亀岩の洞窟を鑑賞した人たちはほとんど、来た道を引き返していくようだった。実に惜しい。何かがあるというわけではないが、木々の間を抜けていく桟橋からの眺めも悪くはない。
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次は、亀山湖へ向かう。
亀山湖周辺は、紅葉の名所としても知られているが、時期はやや早かった。水天宮近辺を散策する。右手のオブジェクトに開いた丸い穴から鳥居を撮影できるようになっている。このように、誰もが撮影する場所は、差別化するためにかの工夫が必要だ。鳥居かオブジェクト、どちらかをぼかそうと考えたが、良い構図が得られない。ここは、素直に諦める。偶然とはいえ、この丸い穴と濃溝の滝・亀岩の洞窟、さらに亀岩と亀山湖に共通する「亀」。何か共通点があるのだろうか。
濃溝の滝・亀岩の洞窟のように、近年ではSNSの影響で、1枚の写真や投稿をきっかけに突如として注目を集めて有名になったり、観光地化したりする例も珍しく無くなってきている。いくつか思い当たる場所がある。今や、定番の絶景スポットでは飽き足らなくなってしまっているのかもしれない。常に新しい観光スポットを開拓するのは楽しいものだ。最近では、コンビニと富士山という例が思い出される。
富士山写真家を名乗る写真家は多数いて、富士山を被写体とした写真は、場所、季節、時間帯を問わず撮り尽くされたと考えていた。2、3年前には、富士山をテーマとした写真コンテストで、富士山と月の合成写真が最優秀賞に選ばれたことも話題になった。もはや、富士山をテーマとした新たな構図の写真は登場しづらい状況になっている。そんなところに登場したのが、コンビニと富士山。構図としては単純だが、コンビニというありふれた人工物と対比された富士山がより雄大で新鮮な印象を与えてくれる。このため、このコンビニが人気化し、迷惑行為や危険な行動が多発、行政が乗り出すまでに発展してしまった。もともと観光客をお受け入れる余地のない場所であり、結果的に「悪い人気化」の例となってしまった。とはいえ、最初の投稿者に責任はない。
これは一部のインフルエンサーだけではなくSNSの影響力が、さまざまな分野・領域において、恐ろしいまでにその力を増してきていることを改めて実感させてくれる出来事であった。
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whiteroom7 · 7 months ago
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12/15(日)は、今年最後の満月ということで、久しぶりに月を撮影。12月の満月は「コールドムーン」だそうだ。そのままの名称であるが、1月の方が寒い日が多い。今回はさらに、月が登り始めた東の空には、満月の右上方向に木星も観察される。
空気が乾燥する季節となり、空気が澄んできていて、自宅から富士山がよく見えるようになってきた。この季節は、月もよりクリアに見えるだろうか。
月は私にとって常に「日常にある神秘」である。少しずつとはいえ、毎日その位置と形がかわっていく。夜空に浮かぶ月は、その周囲の星座とともに不思議な感覚を与えてくれる。このため、決して見飽きることがない。常に興味を引いてくれる存在だ。この日のように、快晴の夜より多少雲が出ている時の方が私は好きだ。
肉眼で見ている時にはそう思うことはないのだが、満月を撮影していつも感じるのは、平面的だなということ。仕方がないとはいえ、やや残念な点ではある。
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かつてのアポロ計画に続いて現在進行中のアルテミス計画。人類は、再び月面を目指している。アポロンと双子の女神であるアルテミス。米国NASAがどのような思いでこの名称を選択したかはわからないが、女性を月面に立たせたい、そんな思いを感じさせる名称ではある。日本もすでに男女1名ずつの宇宙飛行士候補が選抜されており、月面に立つことが想定されている。今の日本の置かれた立場を考慮すると、最終的にはNASAの判断に委ねられるとは思うが、日本人初の月面着陸の栄誉は、女性宇宙飛行士に与えられると予想。もっとも、米国では人類史上初の女性宇宙飛行士による月面着陸を目指して熾烈な「女の戦い」が繰り広げられている可能性もある。その次は、史上初の黒人女性宇宙飛行士による月面着陸か。先の米国大統領選では実現しなかったが、月面着陸では早々に実現するだろう。
ロシアの国際社会復帰と米ロの友好の象徴でもあったISSはすでに退役が決まっている。ロシアのウクライナ侵攻やさらに遡れば、ロシアのクリミア半島侵攻で米ロは袂を分つ形となった。すでに宇宙開発は軍事開発と同義語になっており、その点で脅威となるのはむしろ中国だろう。中国は、電波の届きづらい月の裏側に着陸を成功させるなど、高度な宇宙技術を有する。月の裏側は、中国が支配するかもしれない。いずれにしても、今後は月に対する関心は徐々に高まっていくだろう。
ISSに代わり、月面基地に人類が滞在することになると、天体の見方も変わってくるかもしれない。月から見た宇宙が、今まで以上に身近に見られるようになるだろう。月には大気がないので、日中でも地球や他の惑星を観測できるはずだ。地球から見て満月の時、月面からは地球や太陽はどのように見えるのだろうか。太陽と月の間に地球が割って入り、皆既日食状態かもしれない。月から見た地球を考えることは、非常に興味深いことあ。地球から見た月とは違った天体ショーが繰り広げられているに違いない。
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