#しかし、ネガティブな2人が集まるとやばい
Explore tagged Tumblr posts
Text







「夜ご飯」
ホテル近くに飲み屋がないぞ!イタリアンなお店に行ってきました。うまかったな。バルサミコソースうまかったな。鴨の燻製もうまかったな。久々のドイツビールも美味かったな。
55 notes
·
View notes
Text
恥感情&後悔まる出しクソネガティブTumblrを書かせてくれ。いまとても心臓がぞわぞわしている。
基本的にわたしという存在は喋りすぎることを恐れている。そして喋りすぎても許されるのはTumblrだけだと思っているのでここで感情を消化させてくれ。ここは何文字書いたって一投稿だしね。それにみんな、わたしのネガティブTumblrをエンタメとして扱ってくれるじゃん。ありがとねほんとに。こんなので良ければずっと書き続けます。
これはもう定期的に訪れる発作としか言いようがないのだが、またもや最近、表の世界ことTwitterで喋りすぎている気がしてならない。ポスト自体は週に1~2回までに留めようとしているし実際にそこまでポストを頻繁にするタイプじゃないと自分では思っているのだけれど、最近Twitterにおける鎖国の意識が緩まっており、リプだのスペースのコメントだのをよく打っている。べつにそれ自体に問題があるわけじゃないのだろうけど、なんだか自分が悪目立ちしているんじゃないかっていうクソ意味のわからん恥感情に苛まれてふつうに��きたくなっている。リプとかコメントの相手に対して何か思ってるってわけじゃないんですよ? わたしが勝手に感じている謎の恥感情なの。誰も悪くないんですよ。シクシクエーン。
自分がキモすぎて笑ってしまう。誰かに忘れられることが恐ろしいと思って文章を書くことを趣味としているくせに、悪目立ちはしたくないんですよ。しずかに黙々と書いている人だと思われたい。アーーーキモすぎる。助けてくれ。
小学生向けの対人関係スキルを基本のき、みたいな書籍を買ってみようと本気で思っている。わたしは最近引きこもりすぎて人間との話し方を忘れている。「社会人になってから人見知りを主張するひとってあまり良くないよね」という話をここ数か月で何人もの人が言っているのを目にしたり耳にしたりしていて、それを聞くたびに、それはそうだなと同意すると同時に、心臓をぐさりと一突きされているような気分になる。いや、わたしは自分のことを人見知りと形容したことは人生で一度もないのだけれど、どちらかと言えば人間と上手に話せない側の人間なのですごく刺さる。わたしはまだ学生ですが同級生はみんな働いているので、社会人じゃないから~という言い訳が通用するわけがないのも、自分ではわかっているんですよ。
わたしは学歴がある側の人間なので言わせてもらいますが、人生においては対人スキルの方が学歴なんかよりもよっぽど大事です。もちろん学歴と対人スキルの両方が備わったエグい人もいるんですが、どちらかしか選べないなら対人スキルがある方が生きやすいと思う。精神的に健康だ。
大学院にいると価値観が歪むんですよ。人間とうまく喋れない、メールも返せない、だけど研究はめちゃくちゃできる、みたいな化け物がたくさんいるのでそれに染まってしまいそうになる。わたしは対人スキルが中の下、研究スキルは中の中、変人度は中の上のクソキモ一般人なのでどちらにも振れない。研究できることがアイデンティティの化け物にもなれないし、対人スキルの高い器用な人間にもなれない。はい、中途半端な大学院生の完成です。研究室で酒を飲んでわいわいする集団に対してキモ死ねって思うくせに、別に学振は取れないしやる気なさ過ぎて英語論文もまだ書き終えていない。なんなんだよ、キモいのはどう考えてもわたしだ。
もちろん、対人スキルが高い人には高い人なりの悩みがあるのは百も承知だけど、結局人間ってないものねだりなんだよな。こんなに中途半端なわたしだって、きっと誰かに羨ましがられてる。
今日は人間関係をテーマに書いているので、このまま中学時代のエグイ部活の話をしようかと思う。
中学生のとき、女子○○部、みたいな感じの運動部に所属していた。上下関係がとても厳しい部活だった。そして不運なことに、わたしは真っ先に先輩に目を付けられた。中1の初夏、生理痛が酷くて部活を休んだときに、「生理痛くらいで部活休むなよ」と先輩に陰口を叩かれたことが発端だったように思う。一番の敵は理解のない女だ。そこからは事あるごとにいちいち欠点を指摘されては先輩の悪口のサンドバックになった。個人指導、という謎の制度(つまり何かと理由をつけて気に入らない後輩を延々と叱り続けるという集団リンチ)の常連被害者だった。結構な頻度で先輩数人に取り囲まれて、人格否定を繰り返された。謝っても、「はあ、もうそれ聞き飽きたわ~。結局行動で示してもらわないとどうにもならないんだよね~」とか言われんの。だけど当時、わたしは自分がなぜ怒られているかあまりよく理解していなかった。だからとりあえず、すみませんでしたって謝るんだけど、それも上記のように意味ないから八方塞がり。あ~どうしよっかな~でもこのまま怒られてたら筋トレしなくて済むのかな〜ならそれでいっか~あ〜面倒くせ~死ね死ね死ねって考えていた気がする。そしてまあ、もちろんちゃんと病んだりもしたが、やはりわたくし、生命力がとても強いのでふつうに学校に通っていた。はいはい死ね死ね、って感じで部活も行っていた。えらすぎ。
中学のときに生徒会に入ったのは活動にかこつけて部活を堂々とサボれるからであった。副会長の先輩(もちろん男)はよく部活の愚痴を聞いてくれた。あとは、保健室でサッカー部の先輩(イケメン)に慰めてもらったりもした。同級生のRくん(本命)にも夜な夜なLINEで話を聞いてもらったりした。今思えば、わたしが部活内で嫌われていたのは、部活で酷い目に遭っていることを男子に相談して、か弱い���子を演じて味方を増やそうとするところに原因があったのかもしれない。まあ、それはいいんですよ。とりあえず、部活の先輩にはとことん嫌われ、個人指導という名の集団精神リンチをされながらも部活は辞めずにぬるく生きていた。中総体の前には「いつも厳しくしちゃってごめんね;;」と書かれた手紙を集団リンチのリーダー格の先輩からもらった。やっぱ死ねよ、と思っているうちに先輩は順当に地区予選で敗退し、すぐに自分たちの代になった。
本題はここから。まだ地獄は続く。
代がわりをして、部長はNちゃん、副部長はAちゃん、わたしは野良の部員になった。野良の部員はわたしのほかに5人いた。
ある日部長Nがエグイことを言い���した。「準備を一番頑張っている後輩と、一番サボっている後輩を先輩(つまりわたしたち)の投票で決めて、みんなの前で発表しよう。そうしたら後輩たち、みんな頑張ってくれるはず」と。もうお気づきだろう。地獄である。
部長絶対王政の部活だったので、それがまかり通って、実際にその投票制度は数か月にわたって続いた。みんなの前で部長が特定の後輩一人を指して、「○○ちゃんはこの前の準備で部活に関係ない話をしてたから、もうすこし真剣に頑張ってほしい。みんなちゃんとやってるのに迷惑だよ」とか言うの。それで名指しされた後輩は青ざめた顔しながら震えた声で返事するし、その子はその子で後輩グループの中で浮き始めるし。泣き出す子もいた。だけど部長Nは「泣くくらいならちゃんとやれば?」「投票されるのが悪いんだって」とか言っちゃうの。それが毎週繰り返された。エグいだろ。正義感の暴力ってとても恐ろしい。わたしも先輩によく陰口を叩かれていたけれど、ここまでヤバいのは多分なかった。地獄だった。これ中学生の話ですよ? 中学生なんて今思えばクソガキじゃん。何してんだろ。
もちろん、投票制度に反対して、投票しなかった子もいた。わたしはどうだっただろう。拒否した記憶と誰かに投票しちゃった記憶がごちゃごちゃになっている。わからない。とにかく、謝っても許されることではないと思う。ちなみにこの制度は問題にすらならなかった。どうやって終わったかというと、ただ自然にフェードアウトしただけだったのだ。
部長Nと副部長Aは仲が良かった。そしてよく、部長Nと副部長Aが徒党を組んで勝手に色々と物事を進めるので、部長・副部長派閥と、野良派閥でよく対立が起こっていた。わたしは部活嫌いの生徒会役員だったので、どちらの派閥にも属さず、どちらともそれなりに話していた。両派閥の仲介をして、キモいな~とか思っていたのである。あと当時わたしは四六時中恋愛のことを考えており、部活なぞどうでも良かったので、かえってうまくやれたという節もあった。そういう感じのことがずっと続くような、ダルい部活だった。
だがやはり部長Nと副部長Aはとりわけ嫌いだった。よく嫌味を言われたのを覚えている。それに、先輩にいじめられていた1年生のとき、先輩にわたしの悪口を吹聴していたのは主にその2人だった。いろいろと嫌なことがあったが、ありすぎて何を言うべきかわからないのでこの話はまた別でしようと思う。部長Nと高校が離れ、わたしは心の平穏を得た。その後Nは短大を中退し、近所のサイゼリヤでバイトをし、バイト先の店長(10歳くらい年上)にラブ♡になったらしく、インスタのストーリーで店長との夢小説?のようなものを書いていた。キモくてスクショをした。スクショはまだわたしのスマホに残っている。中学生のときわたしを下に見ていた彼女を、やっと高いところから見下ろすことができてわたしは満足している。副部長Aとも高校は離れたが、その後同じ大学で同じ学科になった。きっと、学科首席になって卒業式で登壇するわたしを見ていただろう。それを想像するだけで気持ちがよかった。相手がどう思っていようと、わたしが相手よりも秀でているという事実がわたしを高揚させた。
中学の部活ってなんであんなにキモいんだろうか。まあ、わたしがみんなに嫌われていたのは納得できる。だってわたしも、わたしみたいなやつが後輩にいたらキモいからいじめると思う。知らんけど。それにわたしも今よりずっと幼かったし、今だって対人スキルがどうとか言ってうだうだ悩んでいるのだから、当時のわたしはもっと空気が読めなかったし、きっとなにか侵しちゃいけない境界線を飛び越えたりしてしまったのだと思う。でももう過ぎた時間は戻ってこないから、これからすこしでも失敗しないようにするしかないのだなと思ってしまう。まあ、とりあえず、準備サボった後輩晒し上げ地獄制度の話ができて満足です。
なんか今日の文章、いつもと文章のリズム感がすこし違っていて気持ち悪いんだけど、もうこのまま上げちゃいます。おわり。
19 notes
·
View notes
Text
プレゼン振り返り
本日プレゼンの方々お疲れ様でした🎶めなめなぬーんちゃんも参加してくれて嬉しかった!自分も他ゼミもぐりんしてみたいなと改めて思った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
Mさん
人体の数理的解釈→ライブ2D
目的…人体の動きに合理性を持たせたい
感覚でモデルを作る→人体の研究→モデル作成
数学の写像に値する、写像…ある集合を一定のルールで別の集団に変換すること
イメージ…球上の点Pをz軸上でθぶん動かす的な感じ、y軸視点なのでy軸の変化は無視できる→これは三次元のものを二次元に置き換えることと同じこと=ライブ2Dにも当てはまる
(わかりやす⁉️Mさんに数Ⅲ教えて欲しかった、そしたら自分数Ⅲマスターになれたんじゃない?)
人体を幾何学図形に近似して調査
価値…配信に対して、ライブ2Dモデルのせいでネガティブな印象を与えない
課題
どんな形態に近似するか?骨格と絵柄に多少の乖離
線対称じゃないと数理的に計算しにくい、アシメのキャラへの汎用性が低い
感覚で作るほうがうまくいく場合もあるのでは?
3Dモデルを作って参照するほうが早いのでは?
動きを研究したいらしいが、研究しようとしているのは人体の形そのものっぽい?どちらもやろうとしているようなくはしているが、それぞれにおける指標は別のものになるのでは?
細かいところだが、頭飾りのリボンは柔らかくふわふわ動くほうがかわいいのでは?今は全く動かないので、、、あと触覚ももう少し動いてほしい。
→デフォーマの変形のみ、今回は物理演算(扱いが難しい)は入れないかも
先生から…ライブ2Dの現状の問題点は何?→感覚だより。技術の向上における一定の尺度などがない。
動きを拡張する方向なら、人体そのものではなく、全く別のモチーフ等を参照してもいいのかも?
一企業がやっているものに対する依存性
Kさん①から…実際の頭蓋骨で測ってもデフォルメキャラへの応用はできないのでは?
Yさんから…ライブ2Dも作る人の個性が出るもの、この合理性的な観点がMさんの個性になったら面白そう
ライブ2Dの技術がない人向けのベースキットとして発展したらいいのでは?
Unityでライブ2D作っている人もいたが、この人は横顔までうつせる→ライブ2Dにも一応先行事例がある、が、好きではない
Kさん②から…何をもって「良くなった」と言えるのか?評価が感覚的なものに戻るのではないか?→鑑賞の際の感覚は切り離して考えていた。基準は今の段階ではない、比較した際の仕上がりが一目瞭然だとわかりやすいはず
先生から…違和感を消したことで提案できる価値がほしい。何につながって何が言えるのか?これが展示形態にも繋がる。感覚的なもののメソッドの提案もあり。平面を立体にすることが必ずしも必要とは限らない
Aさんから…モデラーに話を聞くのもありなのでは?
Kさんから…アドビキャラクターアニメーターがライブ2Dに近いものがある。もしかしたら使えるかも?
Nさん
巨大造形とかわいさの共存
大きいからこそ得られる親しみや癒しを研究したい
でかい=怖い という意識を変えたい
世の中には巨像恐怖症もある
Fホフマン ラバーダック(でかあひる)
Nさんの考える「かわいい」…一生懸命な健気さ、もふもふ感
不安要素、課題
「かわいい」の定義
IKEA(コストコだったわ、、、)のくまのぬいぐるみとか抱き枕とかあると思う。恐怖を感じるならどこからなのか?先行事例的に10mくらいのものを想定した。正直去年の卒制のイニュ(彫刻学科の先輩作/全長2-3mくらい)は怖くなかったので、3m程度なら怖くないと思う。結局外観が「ゆるかわ(まるさ、淡い/ビタミン系の色味、空気を含む質感など)」なら怖くないのでは?見た目に依存するのでは?10mでも怖くないのかも、、、
→原色なら怖くないと考えている
ぬいぐるみと健気さの両立はどうするのか?健気さって具体的に何を指す?
→あくせく動く、小さいけど一生懸命生きている
「かわいい」と感じる形状の根拠も欲しい
→求心顔、耳が小さいアンバランスさ、下膨れの顔
��ぜ安心感を付与したいのか?
Yさんから…イラスト、ものくぼさん(でか生物と人間など) 空間は演出せずぬいぐるみだけ?
自立したくまのぬいぐるみの先行事例、抱きつくところだけ柔らかいのもありなのでは?
Kさん①から…ベイマックスが似ているのでは?
Kさん②から…コストコのくま→抱きしめられる側じゃなく抱きしめる側くらいの大きさのぬいぐるみを作りたい
先生から
ニーマンマーカス?(聞き取れず、、、)
そもそも大きなぬいぐるみ?大きくなったぬいぐるみ?巨大化させたなら糸の太さも変える必要もあるのでは?スケールを考える際はここも着目する必要があるのでは?
自分の美意識を一度疑って探っていく必要がある、詳細に答えを出すのではなくその先の目的や意識に目をむける、立体は量感の造形
造形性=どうデフォルメしていくか?
Tさん…10mくらい欲しい。
参考になるかも?…ぬいぐるみベッドは?ゴムボールを中に入れるのは?
Hさん
小さな気づきへの感受性、装飾に重きを置いてきた
縫い目の痕跡の可視化、見せる痕跡とかくす痕跡
縫い目に装飾的・美的価値
見せる縫い方と隠す縫い方がある
小さな気づき→見過ごされがちな縫い目に着目できる
装飾への興味→趣味嗜好
装飾→てを加えることの価値を生み出している
縫い目と痕跡についての先行研究はない
ぬいあと図鑑、透明素材に刺繍、あえて見せる縫い目(通常は見せない縫い目を見せる、目立たせる)
裏面の綺麗なミシン等ではなく、手作業の手間から生じる価値に重きを置いているっぽい=職人の手作業・手仕事に関しても参考になるかも?「織る」布製品等も手作業の堆積
先生から…裏面に意味がある、表と裏で違うとか?二面性を出せるかも、この方向もありかも?
題材に作家性などがあらわれてくる
手作業の温かみを残すのか否か(どちらでもいいが自分の中で答えは出すべき)
手芸から離れて考えていくのもいいのでは
Yさんから…表は離れた刺繍あとでも裏面は地続きなどある
Kさんから…刺繍=時間を圧縮した結果だと感じた、時計のクロスステッチは時間と手作業の圧縮が組み合わさっていて関連性がある
Nさんから…手芸は癖が出やすい、これが裏表で出てもいいかも
Kさん
ブランドのストーリーテリングと人の感情を動かすプロセス、内面に気づくジュエリーブランド
人間は物語を通すことで内容を理解しやすくなる
心を動かすストーリー=「Why?」に答えられる、顧客自身が主人公、簡単で明確、「変化」がある
Appleの広告→難しすぎて伝わらず、失敗した経験から広告を変えた(確かに!!振り返るとAppleの現在の広告はこれに当てはまるかも)
人物(ターゲット)→困難→⭐️ガイドと出会う→⭐️困難を乗り越える計画の提示→人物の成功
⭐️=ブランドが担う役割
自分自身を見つめ、内面的な変化を促すブランドがあまりない
怒りや不安からくる不安定な感情
我慢しても発散しても良くない=心を落ち着かせる必要がある
感情の気づき=認識すると意識が向き、改善に向かうから必要
ブランド「共鳴」
自然の波動と感情の共鳴
類似した安定した波動により波動は起こる
波動と共鳴できる状態を作り出し、安定したこころに
継続して意識する必要がある、ジュエリーとして身につけることの意味
広告映像 波動の擬人化にストーリーを持たせる
感情の波動はどう可視化?心拍数とか用いるのか?
キャラクター映像が出てくると一気に親しみが生まれ、ジュエリーの高貴な印象からは離れそう(それこそ最近も起用する人物についてSNSで少し話題になった)、主人公のいらないストーリーっぽいのでいらないのでは?
先生から…金属の3Dプリントも検討してもいいかも。感情と心理は分けて考えるべき
蝶の容器を出力してその中で振動を与えてもいいのでは?
Mさんから…気づきは外の環境の変化が必要なのでは?人体における振動はどう可視化?
→思考を変えれば気づきが起こるという認識だった。ジュエリーがきっかけになると考えていた。また、心臓や脳から波動が出ていると研究がある
Kさんから…科学的に人間と自然とが共鳴するのか?→しない、自分自身で結びつけた
Aさんから…器の形状によって模様は異なるのでは?結びつけたモチーフの意味は?
→森、砂漠、海、洞窟に分けた
8 notes
·
View notes
Text
2025年1月30日 木曜日 15:14 19:06
彼の家を彼の外出から約1時間後に出た。彼が置いていった鍵を持って、鍵を閉めた。彼が東京で買ってきたカラフルなモチーフが提げてある。どちらに回したら鍵がかかって、どちらに回したら鍵が空くのか、感覚で分かり始めるようになった。
彼は街の中心地のそばにアパートを借りていた。最初に聞いたときは驚いたけれど家賃は学生が支払うのに適しているほどだった。ミントグリーンの縦長のアパート。その近くには綺麗なマクドナルドが2店舗あって、どちらも異なった綺麗さを持っていた。去年の秋、飲んだ翌日の15時にお昼ご飯を食べ��行った。ローファーをおろして、黒いローファーと黒いスカートのひらひらの間から、新しめの赤い靴下が見えて気分がよかった。よく晴れた秋晴れだった。今日はそのマクドナルドとは違う方を選んだ。
そのマクドナルドは小さなスクランブル交差点に面していて、大きなガラス張りになっている。ガラスにカウンターが沿っていた。そこで手帳を書いて、この前買った村上春樹を読みたいと思った。こういう時のアイデアには力強く動かされるのが自分だ。こういう時の自分がとても好き。マクドナルドのホットケーキを食べたことがなかったし、なんだか余計なものを身体に入れたくなかったので、ホットケーキとホットコーヒーの小さいのを、小さいぬりかべみたいな液晶からお願いした。
ボードの番号は16だった。あたたかいホットケーキのあたたかさは犬みたいだった。一昨年亡くなった愛犬の腹を思い出した。全く悲しくない意味で。思い浮かべるものよりも頼りがいがあるバターとメープルシロップが着いてきて、おー、と思った。環境のためと称された木のフォークとナイフはそれぞれ逆の向きで袋に入っていた。特に損は無いが、切れているのか切れていないのか実がない感じで、切ると言うより二本でちぎって食べた。優雅な気もしたがやはり穏やかに犬の腹を開け続けている感じがしてそれが相殺されていた。何にしろ美味しかった。またいつか食べようと思った。
9月か10月から、授業の開始と伴に毎週水曜日は彼の家に泊まっている。昨日も例に従ってそうだ。彼の家にお昼まで、遅ければ16時前までいることが通常になっていたけれど、今日は彼と同じ時間にしっかり起きて支度をした。彼は20分で支度をする一方私は化粧等に40分近くかかるけれど。その行動が正しかったように、彼の1回目のアラームが鳴る8:30にちゃんと眠気が無くなっていった。
それも、ちゃんとしようと思ったからである。ちゃんとしてるところを見せようと思ったからである、の方が正しいかもしれない。
この前、初めて彼が死にたいと言った。そういう暗さがない、見えない人では当然ないのだが(私が恋人にする以上暗さがあることは自明である)、彼が内に向けたネガティブなことをそこまではっきり口にしたのが初めてだった。誰かに怒ったり、全員を突き放したり、ネガティブな気持ちを棘として発することはあっても自分の内に向けているのを見るのは初めてだった。その誰も寄せ付けないようにしたいんだ、というような姿に、何を言ったらいいのかひどく悩んだ。今まで自分のものも人のものも、死にたい気持ちを見つめてきたつもりだったしつもりだが、彼のものは別物に見えた。自分の出来ることは、願うことだけであるように感じたし、彼が楽しい状態でいられるために何が出来るだろうと考えずにはいられなかった。できる限りの言葉をかけて、できる限り出来ることを調べた。彼が彼の本当の内側に(そういうものがあるとしたら)入れてはくれなかったけれど、それ以上に出来ることもするべきこともなかった。
昨日18:25からの上映前に駅の中のサイゼリヤで夕食をとった。16:50に新潟駅に着くよ、と連絡をして待ち合わせをした。私を見つけた彼があたたかに笑って少し歩幅を広くしたように見えた。おつかれさま、と声をかけて合図なく歩きかけたあたりで、彼が「元気になったよ、ありがとう。」とこちらを見て優しく笑ってくれた。その言葉は私の安心のためにわざわざ言って''くれた''のではないような気がして嬉しかった、彼がこういう笑い方が出来るようになってよかったと思った。正直彼が死にたいと言った日は、ずっとその事を考えていたし、その次の日の授業中も、死にたいという人にどのようにしたらいいかをずうっと調べていた。「死にたいという発言を受け止めた人にもケアが必要」と書いてあるいくつかのホームページに対して、そんなことどうでもいいから絶対的な答えが欲しいの と思った。そんな時間や気持ちがもうどうでも良く、彼の「ありがとう」という一言が嬉しかった。その一言だけで、わたしはどこまでも頑張れるんじゃないかと思った。
きっと、彼と私は近付き過ぎたのだと思う。彼と私はと言うより、彼に私が。お互いの輪郭がわからなくなるくらいに近付いて、液体みたいに揺らいだ彼と混同してしまいたい、溶け合ってしまえばいいと思っていた。私は彼に甘えすぎていた。何度も喧嘩をして、彼は「嫌いなところもあるから好きなところもあるんだ」と言ってくれた。その理屈をよく分かっていないままハグをしていたけれど、やっと分かってきたのかもしれない。彼は「好きだから」私を受け入れてくれているのだと。そして私も、同様に、彼を「好きだから」受け入れ続けて来たのだ。今まで彼には呆れることも理解し難いこともあった。でも彼を手放すなんて答えは当然のようにどこにもない。彼のことが好きだからだ。好きで好きで、どれだけ傷付いて泣いても、彼のいない生活を考えるのはそれ以上に痛いことだと明確に予想できていた。きっと彼もそうで、私に傷付けられたり私に腹が立ったり、私を理解出来なかったりしただろうと思う。でもその度、やっぱり向き合ってくれた。それは、好きだからだ。思い返すと彼は、私があなたを困らせるから一緒にいない方がいい、などと(思ってもないことを)言った時、「それでも好きだから」と言ってくれていた。どうしようもなく好きなんだと。
好きでいてくれる気持ちや、好きだからこそしてくれていることやしないでいてくれていることを当たり前だと思うのは傲慢だ。言い訳だが、そういう思いやりや優しさを当たり前みたいに振り撒ける彼だからこそ、自分にも常にそうしてくれるような気がしていた。彼だって優しく出来ない時があるし、彼だって優しくされたい時があるという当然のことが見えていなかった。
昨日はセックスをしなかった。それは生理周期によって(意識的にではなく)決まったことなのだが、昨日はするべきでなかったように思う。身体としては彼が欲しくてたまらなかったけど、精神は理性を見つめていた。彼に身体を触られると、(彼が私の内側に入らなくても、)すごく気持ちが良かった。外側を触られていると、内側まで繋がっているような感じがした。彼の中で私を見つめるんじゃなく、世界の中で、自分という存在と、彼という存在を同等に見つめる。彼も私と一緒のまだ若い人間なんだ。
彼が甘えたいときに甘えてくれたらいいし、泣きたいときに泣いてくれたらいいと思う。彼は誰にも頼らずに生きてきたようだし、付き合った当初から「一人で生きてきたんだ、」と揺らぎなく言った。でも彼は私と一緒に生きようとしてくれている。私も彼と一緒に生きていきたい。「迷惑をかけられることも、頼まれることも、嬉しいことなんだよ」と私は彼に言った。迷惑や不安という言葉は似合わない。好きな人が大切に抱えている荷物やその人が集めてきた痕跡を見せてくれて、それを一緒に持ったり確かめたりしながら隣で歩けるのは否定の余地などなく幸福である。自分の対面している相手は、自分にわがままを言われて振り回されることもうれしいのだと、それくらい私は彼を信じているのだということを、ゆっくりゆっくり知ってくれたらいいと思う。
15 notes
·
View notes
Text
日記
本日、26歳になりました。また一つ歳を重ねました。歳をとったとは言いたくないです。意地でも。考え方や感じ方は超ネガティブな人間だけど、自分の人生そのものをネガティブなものだと定義づけたくないから、なのかなと分析しています。
ここ最近、この2ヶ月ぐらいかな、ずっと思考が止まりません。この2ヶ月の間に数回街コンへ行きたくさんの人と出会い、その中の数名の方と2人で食事に出かけました。色んな人と話した内容や、その人の表情、立ち振る舞い、私が感じたことなど、ありとあらゆることについて1人、脳内で忙しく考えています。ずっと、絶えず。本を読んでいる時など何かに集中している時間や寝ている時間以外は本当にずっと。そして以前よりも、悩み始めてから答えに辿り着くまでの速度が格段に上がった気がします。まるでアルジャーノンに花束をの主人公チャーリーが無知だった32年間を取り戻すかのように、たった数ヶ月でたくさんの物事を知り得たときのように(昨日当作品を読み終えたところだからそう感じるだけかもしれないが)私の身に若干なりともチャーリーに近い現象が起きている理由が何か、私自身わかっている。超心酔していたのにたった2ヶ月で振られ、お別れした元彼氏(Aとしましょう)に出会ってから別れるまでの約4ヶ月間、私は一切の思考を放棄していたから、です。この4ヶ月間私の中での悩みや思考は全てAにまつわることであり、それ以外の悩みには一面モヤがかかり、一定のところ以上からは思考を広げられなかったから、だからA以外のことを考えるのは無意識にやめていた。そしてAによって思考をせき止められた4ヶ月間を取り戻すかのように今私の脳はフル回転で動いている。そして、ものすごいスピードで自分の身の回りの人たちがとった不可解だった言動を理解していっている。60歳を超えた人間がこれまでの人生で張り���らさせてきた伏線を60年生きてきた知恵や経験を持ってしてそれらの回収を始めるかのように。まるでもうすぐ死ぬ人間が、死を受け止め、自分の周りに起こる一切を受容して行くかのように。いや、私まだ26なったばっかやねんけど、まだまだ生きたいんやけど。
11 notes
·
View notes
Quote
「オレ以外は全員スマホ持ってるよ…」 この春、中学生になる息子が口にした言葉だ。 子どものころにスマートフォンがなかった48歳の私の本音は、「そんなに早くからいらないでしょ」。SNSを子どもがずっとやり続けたりトラブルに巻き込まれたりしないかも心配だ。 でも「友達の中で、持っていないのは自分だけ」と言われると、友人関係への影響が心配になる。頭を悩ませているときに目にしたのが、「国全体で子どものSNSを禁止にする」というオーストラリアのニュース。調べるとアメリカでも同様の動きがあるという。 法律が禁止してくれたら、親はNOを言いやすくなって楽になるのに…と正直思う。日本にもそんな選択肢がありえるのか、そもそも現地の人たちはどう感じているのか知りたいと思い、米・フロリダ州に向かった。 (クローズアップ現代 ディレクター 荒井拓) クローズアップ現代「どうする?子や孫のSNS利用 世界で進む“禁止法” 反対も」4月23日19:30~放送 NHKプラスで4月30日まで放送 日本より危機感が強いフロリダの保護者たち 2024年3月、14歳未満のSNS使用を禁止する法律が制定された米・フロリダ州。 14歳と15歳は親の同意が必要となる。 テック企業の団体から提訴された裁判によって、施行時期は未定だが、全米で最も先端を行っている州だ。 2024年3月 法案が可決しフロリダ州の知事が署名 対象となるのは、“画像などのコンテンツをアルゴリズムでプッシュする”といった機能を備えたSNSで、特定のアプリは名指しされていない。 インスタグラムやTikTokなどが想定されている。 14歳未満の子どもがアカウントを持てなくなり、違反が見つかった場合は、サービスを提供する企業が罰金を払うというものだ。 街を歩く親たちに、法律について聞いてみた。 すると多くの人が賛成で、日本よりも「SNSが子どもにとってネガティブなもの」という前提が、かなり親たちの間で共有されていることに驚いた。 13歳女子の保護者 「賛成です。いったん使い始めると取り上げるのは難しいですし、特に14歳未満の禁止は間違いなく同意します。そうすれば、子どもたちは家の中に閉じこもらず、外に出て遊ぶと思います」 14歳女子の保護者 「子どもたちをSNSから守ってあげたい。適切で安全に使えるようにしなくてはならないし、もしそうでないなら、子どもたちにとても有害だと思います」 16歳女子の保護者 「賛成だね。娘はいつもスマホを見ているから、法律はいいと思う。スマホを置いて、現実世界で何が起こっているか見なさいと言ってたんだ」 ある親は、新聞の切り抜きを持ち出して見せてくれた。 中国の政府が未成年者のSNS利用時間を厳しく規制しようとしているという記事だ。「中国はすばらしい。見習うべきだ」という。 明らかになってきたSNSの子どもへの影響 大人たちが危機感を高める背景には、SNSが子どもへ及ぼす影響が科学的な調査で明らかになってきたことがある。 アメリカの10代は、1日の多くの時間をSNSに費やしている現実がある。 昨年、国立青少年教育振興機構が行った調査によると、アメリカの高校生が平日1日にSNSを見る時間は「5時間以上」という回答が最も多かった。 日本は「1時間~2時間未満」が最多で、倍以上の時間をアメリカの高校生は費やしていることになる。 そうした状況の中、国家的なプロジェクトとして進められているのが、「ABCD-STUDY」。 約1万1000人の子どもの脳の成長を、2016年から継続的に追跡調査する研究だ。 約1万1000人の子どもの脳の画像を説明する研究員 メンバーで、SNSと子どものメンタルヘルスについて数多くの論文を記している、カリフォルニア大学の小児科医、ジェイソン・ナガタ博士を訪ねた。 多くの子どもを診察しながら、研究を続けているナガタ博士。 コロナのパンデミックの際に、サンフランシスコで摂食障害に陥る子どもの数が3倍に急増したことから、特にSNSの問題に注目するようになったという。 ジェイソン・ナガタ博士 そして、9歳や10歳の子が、SNSの使用が1時間長くなるごとに、1年後に摂食障害を発症する可能性が60%高くなっていたことや、特に13歳や14歳の子がSNSとうつの関連においてリスクが高くなっていたことなどを、データから発見してきた。 ジェイソン・ナガタ博士 「私たちの研究から、SNSに費やす時間が長いほど、メンタルヘルスの問題、摂食障害やうつ、行動障害や睡眠不足、そして心臓血管の悪化につながる可能性もあることが分かりました」 さらにナガタ博士が問題視するのは、SNS利用者の低年齢化とその依存性だ。 ジェイソン・ナガタ博士 「現在、多くのSNSを利用するための最低年齢は13歳ですが、調査では、11歳から12歳の63.8%がSNSを使っており、平均およそ3つのアカウントを持っていたのです。親が知らない秘密のアカウントを使っている子も何人もいました。また、SNSの使用に関連する問題があるかどうかも尋ねたところ、11歳から12歳の子どもでさえ、やめたくてもやめられないなど、SNSに依存していると感じていることも分かりました」 研究結果からSNSの警鐘を鳴らすパンフレットを作成 ナガタ博士は、法律については懐疑的だが何かしらの対策は必要だという。 ジェイソン・ナガタ博士 「法律については、年齢確認を厳密に行わない限りあまり意味がないと思います。また、一部のSNSには教育的メリットもあります。現代の子どもたちは、社会の中で働くために、スマホのつきあい方を知っていなければなりません。だから、年齢で一律に禁止するのは合理的ではないと思います。ただ、SNSにはリスクもあります。親や小児科医、政策立案者は、こうした子どもたちのリスクを最小限に抑えることを目標とすべきです」 日本ではここまで大規模なSNSと子どもの心身に関わる調査はなく、SNSによるメンタルヘルスへのネガティブな影響の可能性が、ここまで具体的に示されていることに驚いた。 ただSNSの依存的な利用については、いまだ正式に疾病とは認められていない。 ナガタ博士はSNSが与えるよい影響と悪い影響をしっかり見極める必要があるという。 社会が子どものSNS利用に何も動かないのは悪影響が大きすぎるが、どこまで認めるのか、さらには技術的にどう可能にするのかなど、思っていた以上に複雑なこの問題の現実が見えてきた。 全米に広がる、子どものSNS規制 子どものSNS利用に規制を求める動きは、フロリダ州以外にも広がっている。 2024年の1年間で、未成年者のSNS使用に親の同意を求める、SNSを使う子どものデータ収集を規制するなど子どものSNS使用に関する法案が検討された州は43に上る。そのうち24の州で法律が制定された。 2025年1月には連邦議会の上院に、国全体で14歳未満のSNSを禁止にし、17歳未満でもアルゴリズムの使用を禁止するという法案が提出された。 2024年までに子どものSNS規制の法律が成立した24の州 また、スマホ自体を子どもにできるかぎり持たせたくないという人も多く、彼らによって学校をスマホ禁止にするための全国組織も作られている。 筆者が訪れた3月末は、ちょうど「全米脱スマホ週間」と銘打たれ、全国のさまざまな組織から運動に賛成する声明が出され、(皮肉なことに)多くのSNSに活動への賛同を表明するポストがなされていた。 彼らは、子どもを守るための親の責任として、こうした活動に身を投じているという。 法律には反対!デジタル・ネイティブの子どもたち 一方、街で子どもたちに聞いてみると、SNSの禁止に反対という子どもがほとんどだった。 「14歳未満の子どもも許可されるべきだと思う。だって私は9歳だし、使える年齢まで長い間何もせずに待つのはつらいと思う」(9歳) 「SNSは、悪いコンテンツばかりではありません。教育にもなります。14歳未満でも使っていいと思う。理にかなっています」(14歳) 「クレイジーだと思います。SNSは、私たちが情報を学び、物事を調べるのに本当によい場所だと思います。もうニュースを見ないし、私が知っている情報はSNSからです」(19歳) 法律の施行を前に、どうするか話し合っている家庭も取材した。 マイアミの市場で出会ったセイジ・ティニソンさんと14歳の娘リリコイさん親子。 母のセイジさんは、法律に大賛成��という。 実はリリコイさんが1日8時間近くスマホを使って、もめたことがあったからだ。 14歳のリリコイさんと母のセイジさん親子 母・セイジさん 「SNSはよいことより悪いことのほうが多いです。もめていた時は彼女の性格が変わってしまいました。部屋から出て、人と交流することが減りましたし、枕の下に置いたスマホが朝の3時まで振動していました」 その時は、もめた末に母がスマホを4か月没収。 そこでSNSに没頭する生活から脱したというリリコイさん。 SNSのネガティブな面も理解しつつ、法律には反対だ。 リリコイさん 「親たちの気持ちはわかりますし、理解できます。でも、私もティーンエージャーで16歳未満なので、そんなこと(法律で禁止されること)は起きてほしくありません。SNSは私たちの生活の大きな部分を占めているからです。SNSとともに成長してきたんです」 リリコイさんは、いま14歳。 法律が施行されると、保護者の同意がなければSNSは使えなくなる。 何時間までならいいのか、ルールをどうするか母に交渉している。 リリコイさんの場合は、“スマホ没収”を経て、親とオープンに話し合う関係ができており、法律をきっかけにSNSを使うルールについて親子で話すなど、よい方向に動いている。 しかしリリコイさんの周りでは、年齢を偽ったり、親が知らないスマホを手に入れて勝手に使ったりすることも普通に行われているらしい。 法律ができても、みなルールをくぐりぬけてしまうのではないかという。 リリコイさん 「私の友だちの多くは、彼らのことを本当に気にかけたり、監視したりしてくれる親がいません。私は、私のことを気にかけてくれる母親がいるのは幸運です。子どもたちを大人がちゃんと見ていることがとても重要だと思います」 法律で一律に禁止することに賛成する親たち。 だがもし、私が最初に感じたような「法律で禁止になったら楽」という思いだけで、子どもが何を感じ、何をするかをしっかり見ようとしなければ、子どもはより見えにくい形でSNSや類似のサービスにこっそりアクセスしてしまうかもしれない。 法律ができることで、実は親のほうが、子どもとのそれまでの関係を問われることになると言えるのではないだろうか。 スマホ禁止にしてみたら…見えてきたこと もしスマホ漬けの子どもたちからスマホがなくなったらどうなるのか。 取材の最後に、そんな脱スマホを実際に行ったフロリダ州の学校へ向かった。 ティンバー・クリーク高等学校。 ここは地域の普通公立高校で、周囲の220の小・中学校や高校とともに、校内でのスマホ使用を原則禁止にしている。 銃乱射事件などに備えて、緊急時の使用はOK。 基本的にはみながカバンなど手元にスマホを所持し、強制的に保管することは例外だ。 昼休み、生徒たちは教室から外に出てくると、にぎやかな話し声が一気にあたりを覆いつくした。 スマホ禁止にあわせて導入されたテニスセットで、スポーツに興じる生徒。 DJセットからは、スマホ禁止以前は生徒ひとりひとりがイヤホンで聞いていた人気アーティストの音楽が、大音��で響く。 ひとりで過ごす生徒も、本を読むなどスマホは手にしていない。 これだけの若者がスマホなしに思い思いに過ごしている光景を見たのは、本当に久しぶりだ。 日本では多くの小中学校がスマホの持ち込みを禁止しているが、高校では逆にスマホの持ち込みが認められているところが多く、休み時間は使用できる学校も少なくない。 高校のワスコ校長は語る。 ティンバー・クリーク高校 ワスコ校長 「外出している家族が会話をしていないのを見ます。子どもたちはスマホに夢中です。親もスマホに夢中です。だから正直3400人の生徒とスマホを禁止にするのは、非常に困難だと思っていました。以前は子どもが話をしたり、目を合わせたりということもありませんでした。何か言っても、ヘッドフォンが邪魔をして聞こえないのです。スマホに夢中になって、下を向いていました」 ティンバー・クリーク高校 ワスコ校長 「でも今は『おはよう、調子はどう?』『ありがとう、きょうはどう?』というやりとりがあり、子どもたちを大人に育て、再び会話ができるようにしているのです。コミュニケーションの欠如が彼らの最大の恐怖だったと思います。しかし実際にやってみると、友達とのやりとりに問題がなく、むしろ彼らにとってコミュニケーションがずっと楽になったのです」 興味深いのは、登校と同時に無理やり取り上げるわけではなく、生徒が自分で管理する点だ。 移行期間を2か月近く設けて、スマホを無理やり取り上げるのではなく、なぜルールが必要なのかを何度も説明し続けたという。 もちろんチラッと見てしまう生徒はいる。 それでもスマホを見てしまっている生徒には、教師が根気よく語りかけ、しっかり了解してもらった上で、教室に置かれたカギ付きのケースにしまう。 その積み重ねで、実現にこぎつけたという。 生徒にも聞いてみた。 「スマホ禁止を聞いたときは、腹が立ちました。すごくバカげていると思いました。スマホルールの前は、学校でも1日7時間くらいSNSを使っていましたから。でも、やってみたらそれほど難しいことではないと気づきました。人と話すことにもっとオープンになったし、スマホなしになってもっと友達ができた気がします。以前のように、多くの人が喜んで話しかけてくれるように感じます」(16歳) 彼らは物心ついたときには、スマホが当たり前にあるデジタル・ネイティブ世代。 SNSに日々接している彼らが、大事なコミュニケーションツールを奪われることへの拒否反応が強いのは当然だ。 ただSNSがない世界を大人がルールによって作ることで、子どもたちはリアルなコミュニケーションだけの新鮮な世界のよさを発見し、ポジティブにとらえているようだ。 しかも、学校全体でのルールを作ることで、みなで一緒にリアルなコミュニケーションを取るようにせざるをえない。また家に帰ればスマホは使えるので、完全な禁止とも違う。 少しうるさいくらいににぎやかな昼休みの生徒たちの笑顔を前に、こうした時間や経験を作ってあげることは、大人でなければできないことだと改めて感じた。 そして、問題を解決するために、まずは学校や地域単位でトライをしてみることの大事さも思った。 どうする?わが家のルール 帰国後、取材の話を周囲の親たちにすると、みな興味津々だ。 「いやー実はうちも大変で…」と自分の子どものSNS利用での悩みを語りだす親も少なくない。 彼らが口にするのは、「家庭では限界だ」という声。 法律ができたら助かるという人も多い。 ただ、アメリカの取材を経て感じるのは、法律ができても簡単に解決する問題ではないということだ。 この問題は、社会が総力戦で取り組まなければ手に負えない。 SNSのサービスを提供して利益を得ているプラットフォーム企業が、果たすべき社会的責任もある。 SNSと子どものメンタルヘルスの研究について伺ったナガタ博士は、プラットフォーム企業が中毒性のある仕組みやアルゴリズムを見直すなどの対策を行えば、大きな前進になると強調していた。 その上で、ティンバー・クリーク高校のように、学校や地域、ひいては国という集団の単位で何がしかのルールを作りつつ、子どもがそこでどう感じどう行動しているのか大人がちゃんと向き合うこと。 それも含めて、課題を解決するために社会が具体的に動くことが必要だと感じた。 中1になる息子が入学前の宿題で、作文を書いていた。 番組で国内取材をしていた脳科学者が記した『スマホはどこまで脳を壊すか』という本の感想文を書く宿題が、学校から出されたという。 息子は、結局スマホをすぐには持たず、入学して様子を見るという。 とはいえ、遠からずやってくるスマホデビューやSNSのルールづくり。 「禁止」「ダメ」とだけ言うのは、楽そうに見えて何も解決しない。 まずは、仕事や忙しさを言い訳にせず、ちゃんと子どもが何を感じているのか向き合うところからだ。 第二制作センター(社会) 荒井拓 チーフディレクター、社会福祉士。 報道・ドキュメンタリーからドラマまで幅広く番組を制作。
アメリカ・フロリダ州子どものSNS規制 家庭のルールは?メンタルヘルスへの危険性など調査研究も進む | NHK | WEB特集 | 子育て
3 notes
·
View notes
Text
250405 EXTRA
【4:00】
被害者意識からの脱却。他人が自分を見下しバカにしているという視点に基づく悪意の練り上げからの脱却。他者や異性への興味を抱かぬ事でダメージ回避しようとする安易な自己防衛からの脱却
様々な痛みや誘惑に耐え得る胆力を身に着け、人として成長しより上位のステージ目指さんとする建設性の獲得
「アホくさ。バカバカしい。誰がそんな面倒くさい報酬乏しいことやるか」という投げ出しこそを「まともで知的で常識的な思考」だと捉え今まで同様のカス行為続けておめおめ年取る自分を許すアホさからの脱却
ダサいやつらに同族嫌悪抱いている暇があったら「別の種族」に生まれ変わる努力して嫌悪感なんか置き去りにすればいい
成長と積み上げだけが自分が憎むダサい同族を置いてけぼりにする唯一の方法
-----------------------
「んな事ぁ遥か大昔から分かってる。けどダメだ、ダメなんだよ」
▲そういう自己レッテルというか、天井決めの儀式自体を強引かつ手続き的にやめる
「お、案外自分成長できるしその可能性は青天井だな。単に気づくの遅かったのと加齢によって成長速度下がってるだけで、この視点を20年前から持ってりゃ今頃あいつやあいつの事なんざ余裕で追い抜いてたな、その確信はめちゃくちゃあるわー」くらいの傲慢さで生きていく
手続き的に自己肯定感上げて、ある程度「自意識過剰で現実視えてない嫌な奴」になる事を自分に許可する
ポジティブな時に脳内で出ている脳内麻薬の「味」を記憶し、ネガティブな時でもその「カタ」をロードする事で強制的に脳内をポジティブ状態に変える。脳内麻薬の分泌をコントロールする
それが出来る、出来て当然だと信じ込む。どうかしてるタイプの格闘漫画のテンション感で、それをやっていく
そうしてある程度戦うコンディションを取り戻したら「敵」を見つけて叩きに行く
無論、「魅力」と「実力」と「人間力」で
----------------------- 【4:40】
例え自分で自分を好きになれずとも、自分が好きな人間(他者)の為に働きがけができる存在なのだと自分を認める
親の問題は親の問題、自分の問題は自分の問題
親が投げたボールで傷ついたことはあくまで傷ついた自分自身の問題
自分が投げたボールで親が傷ついたことはあくまで傷ついた親側の問題
今自分の手元にあるものとどう向き合うかだけが重要で、自分の外側にあるものに関して悩んだりコントロールしようとしても意味はない
----------------------- 【5:00】
美少女イラストを趣味や仕事として割り切って描けないのは、私の中に「依存症的な理想モチーフ」が存在するからだ
まず第一に綾波。綾波が好き過ぎる
これは容易に理由を想像できる
なんかエッチな事してもあまり抵抗しなさそうだから。手籠めにできそう、という先入観があるのだ
これは感情表現乏しいタイプのキャラ全般に対し想う事でもあるが、それを私の中でビジュアル的に集約した存在が綾波であり、あの髪型と髪色なのだ(そういう風に中学生の頃に刷り込まれてしまったんだ)
私が人形のようなモチーフが好きなのは「支配しやすそう」だからだ
加えて、生理現象がなく自分に都合のよいおもちゃとして扱えそうだからである
端的に言って昔から「自我のあるもの」が苦手だったのである
それらの要素から遠ざかり、自我のある肉肉しい存在になればなるほど、私の中でモチーフに対する嫌悪感というか「興味の無さ」��増してゆく
技術的には描けば描けるが、それはまるで超退屈で複雑な背景を描かされているがごとき辛さとなる
もちろん背景だって勉強して練習重ねればそれを描く面白さもわかってくるだろう
だがあくまで「お勉強」であって、それを描きたいという衝動・・・リビドーはゼロなのだ
「リアクションが淡白な存在」が自身の肉体から送られてくる刺激に対し戸惑っている的なやつは全部好きだ
だが、それも突き詰めると全部綾波になってしまう
私はこの綾波依存症の所為で健康な美少女を楽しく描くことが全然できない。無表情で目が死んでいるようなキャラであればあるほどやる気が出てくる
だが、これは不思議と純粋な女性キャラの場合のみで、男の子や男の娘になった途端どんな属性でも大丈夫になる
ギャルでもおしとやか系でもなんでも好きだ。ただし、決して女性であってはならない。両性具有とかも正直微妙である
100%男性の肉体を持っていない限り、女性的な性格を宿したキャラを許容できない
なんなのだこれは??
ブリジット大好きだ。一度も描いたことないけど....
綾波と男の娘が好きすぎて、他のモチーフを描いていると「罰」を受けているような気分になる
同じ時間と労力でもっと自分が気持ちよくなれて満足できるもの描けたじゃん、と。全部「他人の為」にやってる感じがしてきて萎える
どうしよう。実は全員男の娘という脳内設定でやる?
ダメだね。股間がペタっとしてたら「お前のような男の娘がいるか」って気分になる。こつかけで隠しているんだとしたら性器に負担かかりすぎてて可愛そうって気持ちになってくる
なんなんだろう?
知らんよな、別に。自分の中における「癖」だ
他人に訪ねて答えが出るもんでもないし、治せるものなのかもわからん
ただ、綾波は頑張って出てこないようにブロックしてる
いろんなキャラを観ては「これ前髪周辺だけ切り出して髪色青くして目を赤くしたら綾波では?」的なシミュレーションをしてしまう
そして、その変換が可能なキャラばかり好きになってしまう
----------------------- 【5:15】
多分綾波とは「状態」の事なのだ
「人間の器」に無理やり入れられた、本来人間ではないもの、女性ではないもの
その精神体が肉体の反応を受けて「なんだろうこの感覚は?」と考え立ち止まっているような状態
その「状態そのもの」に魅力を感じているのだ
TV版エヴァだと初号機のカメラ越しに綾波がゲンドウとふつうに談笑しているシーンがある
シンジと向き合う綾波は結局一度もあのモードを見せなかった
ずっとずっと、非人間的で情緒が欠けたようなキャラのままだった
無論私はそっちがいい
素の林原キャラにはならんでほしい
・
ああ、そうか... 男性の魂が、(女装によって)女性的な見た目の「器」に入れられて戸惑っている姿
その「戸惑い」に美しさや可愛さを感じるから私は男の娘が好きなのだ
「魂と器がズレている」ことに猛烈な愛おしさを感じるのだ
らんま1/2は? 当時まじめにあのアニメ観てなかったから深くは刺さらなかった
タルるートくんで伊知川累が男性化した時と本丸が女性化した時は最高だった。もう、最高!! 日曜の朝からこんな気持ちいいもの観れていいんだろうか?? って思ってた
じゃあ悪役令嬢転生おじさんは?
普通にお話として好きだけど別にかわいいとか描きたいとは思わない。中に入っているおじさんの適応力が高すぎる点も(個人的な)フェチ減点ポイント
1 note
·
View note
Text
062423 Vogue Japan
「生きていくうえで、心が自由であることが最も重要」──BTSのSUGA、本誌撮り下ろし&独占インタビュー全文公開
BTSのメンバーとして世界を魅了してきたSUGA(シュガ)は、Agust D名義のソロ活動で初のワールドツアーを行うなど、新しい歴史を切り開き続ける唯一無二のアーティストだ。多彩な才能を秘めた彼を迎え、『VOGUE JAPAN』史上初となる男性が単独で表紙を飾る特別な撮影が実現した。彼の人間性に迫るインタビューや直筆メッセージとともに、“INNER SPACE”をテーマにSUGAのさまざまな表情を撮り下ろす。
世界的トップアーティストとして、その一挙手一投足が多くの注目を集める韓国発の7人組グループ、BTS。RM、SUGA、JIN、J -HOPE、JIMIN、V、JUNG KOOKの7人で2013年にデビューした彼ら。グローバルな活動基盤を固めていく中で、2020年にリリースした初の全編英語詞曲「Dynamite」が世界的な大ヒットを記録。あらゆる国の老若男女を夢中にした。
BTSのメンバーであり、数多くの楽曲の作詞・作曲やプロデュースを手がけているSUGA。ソロアーティストのAgust D──逆さから読むと、韓国東南部にある彼の出身地、大邱広域市(Daegu town)のSUGAという彼のアイデンティを込めた名でも活躍している。過去の自己実現に関する苦悩や、社会に対する考え、成功者としての葛藤をさまざまな楽曲に込め若者の道標となってきた。
今年4月、ソロアルバム『D-DAY』をリリースしたところ、発売初日でミリオンを達成。全世界67の国と地域のiTunes「トップアルバム」チャートで1位を記録し、さらにタイトル曲「Haegeum」は86の国と地域のiTunes「トップソング」チャートで1位になるなど、ソロアーティストとしても絶大な人気を見せつけた。
革命的なアルバムを引っ提げた初のソロワールドツアー「SUGA | Agust D TOUR 'D-DAY'」の日本公演(6月2〜4日)のために来日したSUGAは、撮影スタジオに颯爽と登場すると、丁重に会釈をした。撮影では、アンバサダーを務めるヴァレンティノの2023-24年秋冬コレクションのルックの数々を纏っている。ブラックタイというドレスコードの慣例を打ち破り再解釈したルックは、現状を打破し、もがきながらも前進し続けてきたSUGAのアティテュードと共鳴する。 凛とした佇まいでカメラの前に立ち、クール、セクシー、イノセント、ビューティー……多彩で魅力的な表情が次々とモニターに映し出され、そのナチュラルでしなやかな反射神経の良さに圧倒される。多忙なスケジュールの真っ只中にもかかわらず、時折リラックスした表情でBGMのビートに合わせ、自然と体を揺らす。やはり、SUGAの体には脈々と音楽が流れているのだ。
日本公演の前に、初のソロワールドツアー、ソロアルバム『D-DAY』、キャリア、パーソナルなことなど、さまざまな質問に答えてくれた。
3部作の集大成となる最新アルバム『D-DAY』
──『D-DAY』には、どのような意味が込められていますか?
Agust Dのトリロジー(2016年のミックステープの『Agust D』、2020年の『D-2』)を締めくくり、「ミン・ユンギ(SUGAの本名)」チャプター2に進むのに十分なアルバムだと思います。
──タイトル曲の「Haegeum」は、“解放”がテーマだと伺いました。SUGAさんにとっての心の解放は、人生においてどんなことを指すのでしょうか?
(これまで生きてきて)多くのことを経験し、見て、聞いてきたと思います。心のリラックスと同じくらい重要なことがあるかと思うほど、心が自由で不快感のないことこそ生きていくのに最も重要だと思います。今回のアルバムの作業をしながら特にそんな思いがしました。
──前回の『D-2』ではRMさんと、今回はJ-HOPEさんとフィーチャリングをしていますね。その経緯やビハインドエピソードを教えてください。
今回のアルバムにもラッパーのフィーチャリングが必要な状況で、最も信頼してお願いすることができるラッパーが誰かを探し、10年以上ともに音楽作業をしてきたJ-HOPEさんに任せることになりました。
──坂本龍一さんともコラボレーションし、来日時に対面していますが、特に印象的な会話や言葉はありましたか?
長い間音楽活動をしてきた大先輩でもあり、僕がとても好きだったミュージシャンなので、お会いできたことだけでも光栄でした。僕より先に道を進まれた方としてのアドバイスもたくさんいただきましたし、そのとき(坂本龍一さんと)交わした会話が、今回のアルバムを仕上げるのに大きな助けとなりました。
──『D-DAY』はドリルにチャレンジされていましたが、今後チャレンジしたいサウンドアプローチはありますか?
大衆音楽に携わる者として、最もトレンディな音楽、サウンドを探して挑戦しなければならないと思っています。
──ソウルでの『D-DAY』の制作作業に行き詰まって、ひとりで山籠もりをしたそうですが、その経験はメンタル面にどのような作用をもたらしましたか?
ソウルにいるとすることが多く、楽曲制作をして行き詰まったらほかのことをしてしまったりなど、弱さが出てしまう気がします。ほかの場所に行くと音楽作業以外にできることが多くないので、改めて「音楽を作るのは面白いな」と感じました。
──『D-DAY』の制作を追ったドキュメンタリー映画『SUGA: Road to D-DAY』では、スティーヴ・アオキやホールジー、アンダーソン・パークといったミュージシャンのもとを訪れる姿が収められていましたが、それらの経験からどのような学びがありましたか?
音楽に携わる人々と音楽の話をするのは面白いです。何かを悟り学ぶよりも、心地よく話しながら楽しい時間を過ごせます。
──同ドキュメンタリー映画の中で今回のアルバムの曲「Snooze」を入院中に作ったと話していました。食事も摂れないようなつらい状態下でも、人を励まそうと楽曲制作を続けるのは、どんな思いからでしょうか?
もちろん、つらいときは休むことも大切です。ただそのときは、いずれ時間が経てば回復するだろうから休んでいるのはもったいないと考えて、やるべきことをやっただけです。ほかの方も、僕と似たような状況であればそうするだろうと思います。
──BTSのアンソロジーアルバム『Proof』のFAQで、一番大切にしている感情にコンプレックス(劣等感のようなネガティブな感情から力が生まれるから)を挙げていましたが、Agust Dとしての区切りになる今作が完成した今、感情に変化はありましたか?
Agust Dトリロジーを通じて、一層成長できたと感じています。ソロアルバム『D-DAY』を通じてコンプレックスやトラウマは克服したと思います。今は初公演も無事に終えてリラックスしており、大きな心配もなく、ツアーを楽しんでいます。
待望の初ソロワールドツアー、楽曲に込めたメッセージ
──ソロツアーで一番こだわったことは?
一人ですべてのセットリストを消化しなければならないツアーなので、体力が重要だと思い、公演準備期間に運動をメインに頑張りました。もちろんライブの練習もたくさんしました。
──アルバムやツアーに関して、メンバーからどのようなメッセージがあったのでしょうか。
メンバーたちはみんなツアー公演が容易ではないことを知っているので、健康には気を付けてほしい、と話してくれました。
──今まではワールドツアー時に楽曲制作をしていましたが、今回も作業はしていますか? また、新たにできた曲はありますか?
曲作りは常に行っているので、特に時期を決めて作ることはありません。
──ドキュメンタリー映画『SUGA: Road to D-DAY』では「伝えたいメッセージがない」と、スランプに陥った様子も映し出されていました。ツアーで各国を回る中で、新しいメッセージは浮かんできましたか?
制作作業をするときは、「どんな話をするか」「どんなメッセージを入れるか」をいつも悩んでいます。それから伝えたい話ができてきたら、すぐに作業を始めます。ソロアルバム『D-DAY』を制作する過程でも伝えたい言葉ができ、作業を進めました。これからまた、(伝えたい言葉は)出てくるのだと思います。
──日本の公演で楽しみにしていることはありますか?
日本での最後のツアーは2019年でした。その後も日本で公演をしたかったのですが、できる状況ではありませんでした。今回とても久しぶりに公演ができるので、待ち望んでいてくれた方々に存分に公演を楽しんでもらえたらと思います。
音楽とキャリア、メンバーに対する信頼と想い
──音楽活動のスタートとしてラップを書き始めてから約20年が経ちますが、ご自身にとって“音楽”という存在はどのように変化していきましたか?
最初は「運命」だと思いましたし、曲を書いて活動するときは「嫌いな友達」だと思いました。今は永遠にともに過ごす「家族」だと思っています。
──これまでのキャリアで、ターニングポイントとなったと感じる出来事は?
2017年にビルボード・ミュージック・アワードの授賞式に初めて行ったことが、僕にとって最大のターニングポイントとなりました。
──今年の6月でBTSとしてデビューして丸10年が経ちます。この10年で最も多く感じた感情は何でしょうか?
「感謝」です。デビュー前から作曲家として活動しながら音楽をやってきましたが、その頃は聴いてくれる人がいない音楽を作る、名もなき作曲家の一人でした。今はファンの方々に出会い、僕の音楽を聴いてくださる方が多くなりました。いつも感謝しながら生きています。
──この10年間で一番の思い出は? 多岐にわたる活動の中で一番楽しい瞬間は?
メンバーと一緒にツアーをまわったときがたくさん記憶に残っています。一番楽しかった瞬間も、舞台の上にいるときです。
──「BTSのメンバー7人でずっと一緒にいる未来を想像する」と度々おっしゃっていますが、その未来のために大事にしていることはありますか?
僕たちは7人がずっと一緒にいると固く信じています。そのためには、それぞれの領域でできることが明確にあると思います。それぞれ独自の領域を持ちながら、お互いを尊重し合っています。「尊重」が最も重要だと思います。
──2年前の『GQ KOREA』のインタビューでは「今の僕には夢がない。でもそれが楽だ」とおっしゃっており、ドキュメンタリー映画『SUGA: Road to D-DAY』の中でも「やりたいことがない」とおっしゃっていましたが、今は夢がありますか? 今を大事にしたいとも語っていましたが、SUGAさんの次の「夢」はなんでしょう。
僕たち7人が長い間一緒に舞台に上がり、音楽をやっていくということ以外の夢は、ほぼすべてかなえられたと思っています。
──SUGAさんが後輩たちに贈りたいメッセージを教えてください。
すべてうまくいきます。今が最悪だと思うときもあるでしょう。僕にもそんなときがありました。でも、時間が経って振り返ってみれば思い出になるし、そこから学ぶこともあります。とにかく、すべて大丈夫になります。
切り離せない「心」と「体」、メンタルとの向き合い方
──後悔は過去、不安は未来、今ここに集中する、というコメントをたくさん耳にしましたが、その考えにはどのようにしてたどり着いたのでしょうか? マインドフルネスを学んだのでしょうか?
幼い頃から過去も未来も心配で、不安でした。自分ではどうすることもできないのに、悩んで心配していました。ある瞬間、そんな感情を取り除けば楽になるという気がして、瞑想をしたり勉強をしたりして、いろんなことをしました。
──等身大のままでいることが重要視される世の中です。しかし、何も努力せずそのままい続けることが「等身大」とは言えない気もします。SUGAさんが思う、「素敵な等身大」とはどんな人物像ですか?
自然体の人です。もっと上手くこなそうと苦労せず、できないことは隠さず、ありのままを見せてくれる人です。
──「心」と「体」はキャッチボールしていると言われます。SUGAさん自身は、どんなときにそれを感じますか。
メンタル的にあまり良くなかったり心配事があったりすると、体力は回復しても体にすぐに反応が出るほうです。逆に体調が悪いとメンタルにも影響があります。なので、メンタルと体のバランスを保つことが重要だと思います。
オフステージのSUGA、ミン・ユンギの素顔
──自分の性格を3語で表すと?
うーん……難しいですね。
1、不明 2、無頓着 3、観察者。
──ドキュメンタリー映画『SUGA: Road to D-DAY』では、各国の友人に会いに行っていましたが、今はどのような友人が多いでしょうか? 前回の『D-2』収録の「Dear my friends」では、変わってしまった友人関係について歌っていました。今、友人付き合いはどのように変わりましたか?
今親しい友達は皆、お互いがお互いに対して望むことがない人たちです。そんな関係が一番理想だと思います。
──どのような人に魅力を感じますか?
自然体な人と前向きな人です。
──自分のファッションを表現すると?
リラックス。
──透き通るような肌の持ち主ですが、ビューティー・ルーティンを教えてください。
ルーティンは何もないです。シンプルにローションを塗���だけです。
──最後に、ARMY(BTSのファンダム名)はどんな存在でしょうか?
音楽を作って舞台に立つことは楽しいですが、それはファンの方々がいらっしゃるからこそできることだと思います。大きな舞台にたった一人で立っても、意味がないんです。僕の活動の半分を、ARMYの皆さんが満たしてくれていると思っています。
English Translation
SUGA IS A VOICE OF AUTHENTICITY IN A SUPERFICIAL WORLD
VOGUE JAPAN’s first ever solo male cover star SUGA opens up about mindfulness, procrastination, and how his relationship with music has changed.
For VOGUE JAPAN’s August issue, our theme is “INNER BEAUTY”; in other words, searching beyond the surface to see what really drives our dreams and desires. What better icon to represent this than SUGA? By navigating an industry obsessed with the superficial, the megastar is a voice of depth and authenticity, fearlessly candid about the internal struggles he’s faced, and the expectations he carries as one of Asia’s most successful artists.
SUGA is also the first man to appear solo on the cover of VOGUE JAPAN in its 24 year history. Wearing Valentino’s Fall/Winter 2023 Black Tie collection, the South Korean artist is a celebration of a world where the connections between gender, fashion, and music are increasingly intertwined.
When it comes to music, SUGA is a true multi-hyphenate. A member of BTS, a rapper, a songwriter, and a producer for various global artists, he also performs solo under the stage name Agust D. His solo moniker is derived from SUGA spelled backwards, with the D referring to Daegu Town, a city in South Korea where he grew up.
In a Q&A with VOGUE JAPAN, before his Japan tour which was held on the 2nd-4th June, we asked SUGA about his first solo world tour, his solo album ‘D-DAY’, and what he does to stay motivated when it all feels like too much. He also opened up about how his approach to making music has changed over the years, offering his answer on a personal handwritten note. It reads: “At first I thought it was fate. Then, when I was writing songs and working, I thought of it as a kind of frenemy. Now I’ve come to think of writing music as family – something that I will spend eternity with.”
The culmination of a trilogy The latest album D-DAY
-What’s the meaning behind the album ‘D-DAY’?
Solo Album ‘D-DAY’ completes the Agust D trilogy (the Agust D mixtape from 2016, and the D-2 mixtape from 2020). It’s like the second chapter of my story as Min Yunki.
-The title track "Haegeum" is about liberation. What does liberation mean to you?
I think I have experienced, seen, and heard a lot [in my life]. Just as essential as relaxing, I think the most important thing in life is to liberate your mind so that it’s free of negative emotions. I felt that way especially while working on this album.
-You featured RM on the last album "D-2" and this time you’re featuring J-HOPE. How did the collaboration come about behind the scenes?
We needed a rapper to feature on this album as well, so we looked for the most trustworthy rapper we could find. I’ve been working with J-HOPE on making music for over 10 years, and so we decided to entrust it to him.
-You also collaborated with Ryuichi Sakamoto and met him when you visited Japan.
He had been doing music for such a long time, and was someone I hugely admired and looked up to, so it was an honor just to meet him. He gave me a lot of advice as a mentor, and the conversations we had together were a great help in finishing the album.
-You experimented with drill music on D-DAY. Are there any particular sounds you would like to take on in the future?
As people involved in pop music, I think it’s our job to challenge ourselves to seek out the trendiest music and sound of the moment.
-I heard that you were stuck working on D-DAY in Seoul, so you went to Dangjin City by yourself and spent some time up in the mountains. How did that help?
When I’m in Seoul there are so many things to do, and so when I get stuck working on a song I tend to procrastinate and beat myself up about it. But when I go somewhere else, there’s nothing to do except working on the music, and I can start to feel the passion again.
-In the documentary film SUGA: Road to D-DAY, you visited musicians such as Steve Aoki, Halsey, and Anderson Paak. What did you learn from these experiences?
It's interesting to talk about music with other people who are involved in it too. More so than realizing and learning something, it’s really just about talking and having a good time together.
-You mentioned in the documentary that you wrote the song ‘Snooze’ for this album while you were in the hospital. What motivates you to continue writing songs to cheer people up, even when you were in a situation that you couldn’t even eat?
Of course, it’s important to take a break when times are tough. But I just did what I had to do, thinking that it would be a waste to take a break, because I knew I would recover eventually. I think anyone else would do the same if they were in a similar situation.
-In the FAQ for the BTS anthology album "Proof," you mentioned feeling inferior as the most important emotion. Have your feelings changed now that you have completed this album, which marks the end of your career as Agust D?
I feel that I have grown even more through the Agust D Trilogy, and I think I have overcome my complexes and traumas through making this album. Now, I’m feeling relaxed after my first show, and enjoying the tour without worrying too much.
Long-awaited first solo world tour The message behind the music
-What was the most important thing you focused on for your solo tour?
Since I’d be going through the entire setlist solo, I thought it was important to be physically fit so I exercised a lot during the preparation period. I did a lot of live practice too of course.
-What kind of messages did you receive from the BTS members regarding the album and the tour?
All of the members know that touring isn’t easy, so they told me to take care of my health.
-In the past, you have worked on songs during your world tours. Are there any new songs that have been created?
I wouldn’t say I write more songs during any specific time. I’m always writing songs.
-The documentary SUGA: Road to D-DAY showed you when you were in a slump, saying that you had no message to convey with the album. Did you come up with a message as you went around the country on tour?
When working on the production [of an album], I always worry about what kind of story I’m telling and what kind of messages to include and so when have a story I want to tell, I immediately start working on it. While working on this album, the words I wanted to convey started to come to me, and I’m sure they’ll keep coming.
-What are you looking forward to seeing in Japan?
Our last tour in Japan was in 2019. I wanted to perform there after that too, but it wasn't possible, so this will be the first time for a while. I hope that everyone who has been waiting for me there will be able to enjoy the show to its fullest.
Music and career Relationship with the members
-It has been about 20 years since you began your career and started writing rap songs. How has your relationship with the music changed over that time?
At first I thought it was fate [for me to make music]. Then, when I was writing songs and working, I thought of it as a kind of frenemy. Now I’ve come to think of writing music as family – something that I will spend eternity with.
-Is there a moment in your career that was a turning point?
The biggest turning point for me was my first visit to the Billboard Awards in 2017.
-This June marks a full 10 years since your debut as BTS. What feeling defines that decade for you?
Gratitude. I have been working as an artist and making music since before my debut, but back then I was one of those nameless artists who made music that no one would listen to. Now, I’ve been able to meet my fans and see many people that listen to my music. I am always grateful for that.
-What are your fondest memories of the past 10 years? What were the most enjoyable moments?
I have a lot of good memories of touring with the BTS members. The most enjoyable moments are when we’re all on stage.
-You often say that you “imagine a future where the seven members of BTS will be together forever”.
We really believe that the seven of us in BTS will always be together, and I believe there are clear things we can do in each of our respective areas. Each one of us has their own unique sphere, and there’s a mutual respect there. I think having that respect is the most important thing.
-In an interview with GQ KOREA two years ago, you said, “I have no dreams now, but that makes it easier.” Then, in the documentary, you said, “There is nothing I want to do”. You also said that you want to cherish the present. What is your next “dream”?
Apart from the seven of us making music together and being on stage for a long time to come, I think I have fulfilled almost all of my dreams.
-What is something you would like to tell your juniors, or the people that look up to you?
Everything will be fine. There will be times when you feel at your worst. I’ve had that kind of time too. But when you look back at it, it becomes a memory, and you can learn from it. It’ll be okay in the end.
The inseparable mind and body, Dealing with internal struggles
-How did you arrive at the idea that regret is in the past, anxiety is in the future, and to focus on the here and now? Do you practice mindfulness?
From a very young age, I was anxious about both the past and the future. I was worried and concerned even though I had no control over it. At one point I felt that it would be easier if I just got rid of those feelings, so I did a lot of things, like meditating and studying.
-We live in a world that places a lot of importance on remaining authentic. What kind of person do you think is an authentic person?
A natural person. Someone who doesn't struggle to do everything well, who doesn't hide the things they can’t do, and who shows their true self to the world.
-How do you feel about your own mind/body connection?
When my mental condition is not so good or when I’m worried about something, my body reacts to it immediately, even if I’m physically fine. On the other hand, if I’m not in a good physical condition, it also affects my mental health. So I think it’s important to maintain a balance between mental and physical health.
Off-stage SUGA, The real Min Yunki
-If you were to describe your personality in three words, what would they be?
Hmmm... that's difficult. 1, hard to figure out. 2, calm. 3, an observer.
-In the SUGA: Road to D-Day documentary, you visited friends all over the world. In ‘Dear My Friends’ from the last D-2 record, you sang about friendships that have changed. How have your friendships changed this time around?
All of my close friends now are people who doesn’t force others to be or to do something they don’t wish to. I think that kind of relationship is the ideal.
-What kind of people do you find attractive?
People who are spontaneous and positive.
-How would you describe your style?
Relaxed.
-You have such clear skin – what’s your beauty routine?
I don't have a routine. I simply apply lotion and that’s it.
-Finally, what does ARMY [BTS’s fandom name] mean to you?
I enjoy making music and performing on stage, but I’m only able to do that because of my fans. There is no point in standing alone on a big stage. Half of everything I’m able to do is possible because of ARMY.
Source: Vogue Japan ENG: Vogue Japan
6 notes
·
View notes
Text
私なんかにSAC_2045の考察なんてできるわけがない
どうやら自分はアニメとかドラマとか映画が苦手らしい、と最近気づいた。 昔から何となく、違和感というか、集中しきれないなぁ、とは思っていた。 今までその原因を言語化できるほど明確にできていなかったのだけど、どうやら物語の進行ペースを自分で調整できないのが良くないらしい。 自分のペースを崩されるのがそんなに嫌なのか、それとも単に頭の回転が遅いが故なのか。 なんにせよ世間と自分のズレが顕れているような気がしてちょっと辛くなってしまう。
そんなワケで、「好きなアニメ」というものがないぐらいにアニメにこだわりがなかったのだけど、ある日アマプラで「攻殻機動隊」シリーズが無料になっていたのをなんとなしに見始めたところ、不思議なことにちょっとハマってしまった。 たたでさえアニメが苦手な自分なので、複雑な世界観で知られる攻殻機動隊の物語を理解できた自信なんて無いのだけど、「草薙素子のビジュアルが好みだったから」などというファンに怒られそうな理由で旧SACシリーズ(この呼び方で良いんだろーか)を最後まで見終わってしまった。 「素子がエロかった」以外に明確な感想がない。私は世界で一番不真面目な攻殻機動隊ファン、いやにわかです。申し訳ありません、自分の脳みそは下半身にあります。電脳化するときどうしよう。
……いやさすがに物語自体には一切思うところなんて無かったぜ! ってことはないけれど、理解に自信がなさすぎて本当に何も言えることがない。 考察とか書いてる人見ると「わぁ、すごい」という小学生みたいな感想ばかりが頭を埋め尽くしていく。 いかに自分が成長というものができなかったのかを思い知らされる。人生やり直したい。異世界転生キメたい。なろう的世界観で赤ん坊から強くてニューゲームしたい。チートスキルも頼む。 しかし現実はなろうではない。この厳しい現世でどうにかなるしかないのだ。何の話だ?
……ともかく、よーわからんなりに好きになれそーなシリーズだなぁと思い旧SAC以外の最初の劇場版だイノセンスだARISEだと、この攻殻機動隊シリーズの為��けにネトフリに登録し、その複雑さに頭をショートさせながらも鑑賞し続け、つい数週間前ぐらいに最新の「SAC_2045」にたどり着いた。 アニメ苦手マンにしては快挙である。誰か褒めてくれ。褒められ慣れてねぇんだおれは。
で、その「SAC_2045」を見終わった私はあろうことか、その感想みたいなのを書きたくなってしまった。アニメ苦手マンの分際で。 見終わった後もふと気づけば「SAC_2045」について考えさせられてしまいどうにも落ち着かない。 先日公開が始まった映画「攻殻機動隊 SAC_2045 最後の人間」も見にいこうと思っている。なんかアニメシーズン2の総集編みたいなモンだと思ってたら新カットとかもあるらしく……
映画を見る前に軽く頭とか感情の整理をしたいな~と思ったので、このロクに更新されないブログに無責任に書き散らしてみます。 誰も読まないと思うけど一応注意書き。 他の人が書いてた考察とかを引き合いに出してそれに反するようなことも書く予定だけど、当然否定や批判の意とかがあるわけでは無いです。こちとらアニメ苦手マンやぞ。マジのアニメファンとやり合う能力なんてあるわけがない。「多分間違ってるけど自分はこう思いますはいすみません……」ぐらいのテンションです。予防線を張らないと何も安心ができない。自分のアニメIQの無さはよくわかっております。アニメIQとかじゃなくてシンプルに頭が悪い可能性もある。基本このブログは自分の為だけに書かれています。そういうのをネットに放流するのが性癖なだけです。
>>>正直2期ラスト近くまで微妙な作品だと思っていた
「SAC_2045」の1期はネット上ではなんか評判悪いっぽいが、6話までは攻殻シリーズ中でも見やすくてこれはこれで良いと思っていた。 戦闘シーン多めでエンタメ寄りというか、こういう風にわかりやすくしていくのか~と感心したくらい。まぁ古参ファンにとってはキツかったんだろうけど。 短い期間で一気に見た自分にしてみればまぁこういうのも悪くないな~と受け入れられた。 3DCGになった点にも批判が集まっている感覚だけど、これも自分の嗜好的には問題無く、楽しく見られてはいた。6話までは。
……1期を見終わった直後はかなりキツい気分になった。 「コレ大丈夫か?」と。 視聴前軽く見かけていた、批判されている部分。 それが個人的には大して気にならなかったので、そのまま楽しく見続けられるかと思ったのだが甘かった。
江崎プリンが……新参ファンの自分としてもすごく……アレで……
マジで好みじゃなかった。そりゃどんな作品にも苦手なキャラの一人くらいはいるけれども、攻殻において彼女はビジュアル的にも言動的にも目立ち過ぎていた。 「この作品にそーいうの求めてない」――言葉にしてみると傲慢過ぎるようなその感触、どうしても無視できなかった。 新参の自分すら拒否反応を起こしたのだから、古くからのファンの反発が目立つのは自然なことなのかも。
正直2期で色んな新事実が発覚した後も全く好きになれなかった。なんなら今も好きじゃない。 「あ~また美少女がかわいそうな目に遭っちゃう系のヤツか……5億回ぐらい見たわ」というお気持ち。 あのエピソードで印象変わった人結構いるっぽいんですが自分には全く響かなかった。同情を強制されてるみたいで…… タチコマやバトーを始めとするキャラ達と完全に真逆な反応をしてました。血も涙もないのか? ポストヒューマン化した後は元からのハイスペックがさらに過度になり、「メアリー・スー」な印象を受けてかなりキツかった。 「死んじゃったものは仕方ない」じゃないんだよ。どんだけ悪い意味でアニメキャラ的なんだよ。
……こんな受け取り方してる自分にドン引きする。人の心が無いのかもしれない。
まぁネガティブなことを書きたかったワケではないのでこの辺にしときますが。 ともかく、1期を見終わった段階では「SAC_2045」に対しての期待は大きく萎えていた。 一度刻まれたイメージはなかなか変わらない。なんとか気力を振り絞り2期を見始めると少しずつ持ち直してきたけれど、ラスト近くになるまで、いやラストを迎えても微妙な気持ちが振り払えなかった。 まさか最終的に、こんな感想文を書きたくなるような作品になるとは、この時点では思いもしなかった……
>>>強烈なラストが、それ以前のストーリーに思いを馳せるきっかけに
2期の最終話まで、1期を引きずって「エンタメ寄り攻殻」として消化しようとしていた自分にとって、あの最終話は背後から突然後頭部をブン殴られたかのような衝撃だった。 おいエンタメどこいった。考えさせられちゃう系(度を越して軽薄な表現)やんけ!?
始めてあのラストを見た時は喪失感のような、置いてけぼりにされたかのような、本当に自分の中でどう処理していいかわからなくなってしまった。 過去の攻殻シリーズも全容を理解できなかったのは同じなんだけど、自分は深く考えないタチなので「わからんかったけどわからんなりに面白かった~しばらく経ったら見直してみるかな?」ぐらいで終わっていた。 が、今回はソレではどうにも収まりがつかなかった。 モヤモヤを解消したく、「SAC_2045 考察」でググり始め、他の方の考察を見始めたばかりの頃抱いていたのは……「怒り」、だった気がする。
本作はジョージ・オーウェル氏の「1984年」からの引用が多く見られ、その中の一つに「ダブルシンク」というワードがある。 「相反し合う二つの意見を同時に持ち、それが矛盾し合うのを承知しながら双方ともに信奉すること」らしい。 らしい、と言っているのは原著読まずにネットで調べただけだからである。どこまでも不真面目。……すみません、いつか時間が出来たら読みます…… で、あの問題のシーン――
1.シマムラタカシのコードを引き抜き、全人類のN化(ダブルシンク)は解かれた。
2.コードは引き抜かれず、そのままN化が続行される。
どちらの結末になったかをはっきりさせないような終わり方は、視聴者をもダブルシンク状態にするのが狙いだった、という考察を各所で読み、ようやくなぜあそこまでぼやかしたのかを悟りました。 そしてすぐに、「そんなのありかよ! 卑怯じゃねぇか!」とキレてしまった。 「物語の解釈は画面の前の君が自由に考えてくれ!」みたいなスタンス、大して珍しくもないし、「無し」とは普段では思わない。 が、この「SAC_2045」はあまりにも事実と確定していない描写が多過ぎる。 例えばこの物語を「つまらない」と評価したとしても、「つまらないと思ったのは貴方が物語がつまらなくなるような解釈をしただけ! 本来はもっと面白い話! 不当な評価だ!」なんて言い訳ができてしまうような。 上手く言い表せなくて歯がゆいけど、物語のクオリティそのものを視聴者に委ねているようなやり方に、「無責任さ」――のような何かを感じてしまった。
大体ポストヒューマンがあまりにも反則的過ぎる。 もうヤケクソ気味な言い分だけど、あんなポンポン人が観測する「現実」を歪められちゃうならこのアニメの全描写が信用ならない、夢まぼろしのようなものと解釈しちゃってもいいじゃねぇか、とも考えたことすらあった。 ギャグ系以外では禁忌ともいえる「夢オチ」というヤツ。こんなモン考察したってしゃ~ないだろ、と投げやりな気分になっていました。
まがりなりにも好きだったシリーズがこんな終わり方をしたのがショックでした。好きだったものを嫌いになるのはいつだって辛い。 もう忘れてしまおう、としばらく他のネトフリ作品を見たりしていました。
……すると不思議なことに、忘れてしまおうとしていた「SAC_2045」について、日が経つにつれてどんどん考え続けてしまうようになっていました。 正直今でも「こんなやり方ありかよ」と感じる部分はあるのですが、悔しいことにあの仕掛けの面白さがジワジワと理解できるようになってしまった。 やっぱ考えちまうよずりぃよ………あのコード結局抜いたの!? 抜かなかったの!? うーわ俺自身もダブルシンクしちゃってね!? みたいな。頭悪すぎる表現で申し訳ない。
その結果いつの間にか「2週目」に突入してました。既に見た映像作品をもう一度見るなんて本当に初かもしれない。
ここからはその「2週目」の過程で気づいたことや考えた事を雑に書き並べてみます。
>>>シマムラタカシ以外のポストヒューマンって結局なんだったの
ポストヒューマンの面々は、基本的に人間らしさというものをあまり表に出さない。 出さない、のだが、ポストヒューマンになる前の思想が、なった後の行動にもかなり反映されている様子がある。 その内の一人、矢口サンジは日本に現れた3人のポストヒューマンの中では唯一2期にすらたどり着けない程にあっさりと捕まってしまうのだけど、このキャラは恐らくそういう部分を強調する為のキャラだったのだろう。
犯行理由にも思想が強く表れているし、素子と対峙した時に、彼女の「ボクシングスタイルを使う」という誘いにあっさりと乗る辺りも。 脱線だが、「急に素子がボクシングに目覚めたんだけど……」なんてネットの声も見たが、普通にやり合ったら超演算による変態的な格闘技術全開の相手では勝ち目が薄いので、敢えてボクシング縛りを選択した、と解釈してます。 ボクシング縛りに持ち込んでいたからこそ、バトーが軍隊格闘で乱入した時にあっさり型にハメられたのでは。
……その点ミズカネスズカはマジでなんだったんだ。 数学オリンピックの元チャンピオン、ぐらいの情報しかないし、シマムラタカシに協力していた理由もいまいち不明。 シマムラタカシが操っていただけとか? トグサの回想にそっくりな女性がいたが何か関係があるのだろうか?
>>>シマムラタカシ、自分の理想を全肯定していなかった説
正直シマムラタカシもプリンと並んで……って程ではないにしてもあまり好きになれないキャラだった。 ナヨナヨし過ぎで同族嫌悪が凄い。これは自業自得か。 こんなナヨナヨ中学生の手のひらの上で、9課が終わってみればほぼ完封と言って良いほどに踊らされていた、というストーリーもあってう~ん……とモヤっていて、彼に対してそんなにしっかり考察しようとは思わなかった。
ただ、ネットの考察を通して「1984年」の知識を得ていくにつれて、妙に気になるキャラになってきた。
「ビッグブラザー」だの「ミニラブ」だの「ダブルシンク」だの、これらの「1984年」由来のワードは物凄く乱暴に言えば敵側、悪役側の名前だったり、その悪役が掲げているキーワードだったりする。
シマムラタカシは「1984年」で悪役として描かれた者達を、一概に悪と解釈しなかったのでは、という考察を見たが、自分はむしろ悪であることをはっきり自覚している気がする。
根拠は1期の彼が学校にいた頃の一連のシーン。 この辺り、1期の中ではかなり理解しがたかったが、これまた考察の「妄想と現実が入り混じっている」という解釈に助けられ、ようやく腑に落ちかけている。 まぁ恐らく、空挺部隊がやってきたくだりの方が妄想なんだろうけど(軍隊が大真面目に学校に攻め入るワケないし)…… この妄想、妄想にしては都合良くないのだ。なんせ空挺部隊にシマムラタカシ自身が撃たれちゃうから……
まるで自分が罰せられるべき人間であると考えているかのようだ。
最終局面、素子がN化作業中のシマムラタカシの元にやってきた場面。 いくら素子がNにならないロマンチストだったとして、ポストヒューマンである彼ならいくらでも妨害できたはず。 だが、そうはならなかった。 コードを抜かれて全てが水の泡になるリスクを背負ってしまった。 これは素子がコードを抜かないことを選択することがわかっていたから、という考察があって、あり得ると思う。
が、自分はシマムラタカシが自分の思想を全肯定しきれておらず、その迷いは掲げるキーワードを「1984年」の悪役由来のモノに設定したり、素子がNにならなかった時点で彼女を妨害することを止めた、という形で表れてしまったのではないだろうか。
これ、自分が知る限り自分オリジナルの考察もとい感想なんでちょっと気に入っている。 まぁ無理あるとも思うけど。
>>>で、結局コード抜いたの? 抜かなかったの?
結論から言うと、「抜いた」と自分は考えている。 これこそ雑な言い分ですが、コードの描写後の一見それまでと辻褄の合わないような流れがN化した後、誰かが見ている仮想現実の描写だった、として。 いくらでも都合良くできる「現実」の光景にしては、ボーマが車椅子のままだったりプリンが泣き出してしまったりと、都合良くなりきれていないと感じる。 Nキメちゃったんなら、誰の視点だったとしてももうちょい理想的で構わんやん? というクソ雑な理屈です。
まぁ自分の願望も含まれているとは思う。 自分はダブルシンクという考え方に現実逃避的なニュアンスを感じてしまっているから。 そりゃ自分だって大した人生歩んでないので理想の仮想現実に心惹かれなくは無いが……やはり何の苦労もなく理想を手に入れる、という行為には妙にモヤモヤしてしまう。 ちょっと脱線だけど、個人的にはシマムラタカシの計画の肝は「自覚のないうちに」行われる、という部分だと思う。 嫌いな言葉が「努力」と「苦労」である自分ですらモヤるのだから。
辻褄の合わないような描写も疑似的な記憶を植え付けられることすらある攻殻の世界観だと絶対に説明つけられないことではないと思う。これこそ乱暴な考察過ぎるが。
あとこれは考察漁って思い出したことだけど、旧SACにて素子は「夢は現実の中で戦ってこそ意味がある」というセリフがあった。 こんな事言っちゃう素子がコード引き抜かないなんてある……?
ただ「じゃあコード抜いた方に賭けるんかぁ~!? 賭けるか!? 金とか命とかよぉ!?」と言われるとチワワみたいになってしまうけど(ネット上に抜かなかったに5兆円賭けるとか言ってる人いてすげぇ~ってなった)。 それに、元は即コード抜いちゃうような思想だった素子がプリンを見て考えを変えた、というのもありそうに思える……
……なんか考えをまとめればまとめるほど、抜かなかった方が色々綺麗にまとまる気がしてきた……うぅ……
>>>ラストシーンの各キャラの反応から考えてみる
ここでいうラストシーンは、素子がコードを掴んで暗転した直後から。 まずは素子、バトー、トグサ、プリンとその他のメンバーに分けて考えてみる。
こんな慈悲のない分け方をするのは心が痛いけれど、まずはその他のメンバー。 「ずっと一緒に働いていたはずのプリンが新人として加入してくる」、という妙ちくりんな展開にも違和感を抱いた印象は感じられない。 ここだけ切り取れば、まぁ普通にコードは抜かれてないからこういう構図が成り立っちゃってるんだろうな~という解釈が一番無理がない。
次はプリン。9課メンバーに改めて自己紹介しようとするタイミングで涙ぐんでしまう。 明らかにそれまでの記憶……9課メンバーと一度敵対してしまった事実を認識している。 「ゴーストがない」のでN化できないとはいえ、素子やシマムラタカシならその記憶を消してやり直す、なんてこともできなくは無さそうだが、恐らくそうはしていない。 仮にこのシーンが、誰かの仮想現実の光景だったとするとプリンにこういう反応をさせる必要は基本的にはないはず。 コードがどうなっているにしても、現実の光景ではあるのだろう。
……あれっ、コレ前述した「都合良くなりきれていないからコード抜いてる!」という主張を自分で否定してしまったじゃねぇか! いつの間にか「コード抜いてなかったとしたらあのシーンは仮想現実」という謎の先入観を持ってしまっていた…… 現実であればボーマが車椅子のまんまのかわいそうな状態であることにも説明はつく。 でも現実であればなんで「それ以外のメンバー」が初対面っぽい感じなの? という疑問も出てくるけど。 まぁそれこそクソ雑に疑似記憶ブチ込んで~ってすればいい話か。 次は素子。9課メンバー全員で話しているシーンからは特に特別な感情は読み取れないが、その後のバトーと二人きりの場面でのセリフ群からは明らかにそれまでの記憶をしっかり持っていることが読み取れる。
次はバトー。9課のムードメーカー的な部分がある彼であれば、「新人の」プリンがやってくればしっかり反応してあげる、と思うのだけど、このシーンでは浮かない……というか、何とも言えない表情。プリンにも言葉はかけない。 そこだけを切り取れば、以前の記憶――プリンが死んでしまったという事実を知っていて、複雑な思いを抱いている。 あるいは、ロマンチックな解釈だが記憶は無いが本能的に「何か」を感じ取っているとか。
コードを抜かなかった素子がバトーにだけは事実を伝えた、という考察をしていた方もいた。 この想定なら、その後の素子への「あんまり一人でしょい込むんじゃねぇよ」というセリフの解釈も綺麗にできる。 全人類をNにすることを選んだ、という大きすぎる事実を一人で抱えるな、という。 まぁ逆でもいいけど。N化、というある種の救いを人類に手放させてしまった、という事実を以下同文。 最後はトグサ。プリンに対して普通にコミュニケーションを取っているので、一見「その他のメンバー」と同じ条件のように思えるし、バトー「だけ」は事実を知っている、と解釈している人も結構いた。 が、何とも言えない表情をしているバトーを気遣うように肩を叩く様子は、全てを知っているようにも思える。 勿論、単純に「どうした?」という気持ちを込めた行動なのかも知れないが……流石にちょっと苦しいか。それなら「旦那?」と問いかけるぐらいだと思うし。 素子が事実を伝えたのはバトーとトグサの二人だったのだ、という解釈もあるだろう。
が、自分にはまた違う考えが思い浮かんだ。 トグサが全てを知っている、と想定するとする。 しかしバトー「だけ」と考える視聴者が出る程に、彼は最初なんともないような態度でプリンと接している。
だったら、「その他のメンバー」も同条件、つまり事実を全て知っていた可能性があるのでは……?
確かに、プリンは一度9課と敵対関係になってしまった。 しかし、9課のメンバーは元々プリンに対し好意的で、もしかしたら同情的だった。 故に、プリンの「9課とやり直したい」という希望を叶えようと、全てを忘れてしまったように振舞ったのかも知れない。 だがバトーはプリンと特に関係性が深く、彼女の事を思い出さないままに死なれてしまった後悔がある。
優しい男でもある彼「だけ」はどうしても、プリンに対して忘れた演技ができる自信が持てなかった。 そしてあのような煮え切らない反応をしてしまい、トグサに気遣われた……なんて、ロマンチック過ぎるだろうか。
実のところあの場にいた全員が、全てを忘れてはいなかった、という想定は、ある意味で綺麗にまとまる部分があるように思える。 少なくとも「疑似記憶無双じゃい! 電脳ってのはこういう時の為にあるんだよォ~~~!!」とヒャッハーするよりはカッコいい理屈にはなる。タブン。
この想定では、コードを引き抜かない選択をする意味はあまり無いと思う。 コードを引き抜いたが、ほんの少し優しい仕掛けをした、と考えたほうが収まりはよさそうだ。 もう9課には戻れない、と自らの理想に向かって歩めないプリンに、素子がその苦悩をくみ取った上で、「夢は現実の中で戦ってこそ意味がある」という自らの哲学にのっとり、また9課に戻るというある意味での茨の道へ、その背を押した。 しかし、プリンの境遇、シマムラタカシの思想にも思うところがある素子は、「プリンが9課メンバーを直接あるいは間接的に死に追いやった」というあまりにもどうしようもない事実だけは、疑似的にだが消し去ることにした。 それで素子は、9課メンバーに疑似的な記憶を与えたり記憶を消したりこそしなかったが、プリンに関して「忘れたことに、無かったことにしろ」と命じ、彼らはそれに従った。 ……自分で書いてなんだけど、ちょっと感動的過ぎないだろうか。 恥ずかしくなる筋なんてないはずなのに恥ずかしくなってきた。 これも前述のシマムラタカシについてと同じく、自分の知る限り自分オリジナルの考察なので、すっかり気に入ってしまったのだけど、逆のコードを抜かなかった説を強力に支えている根拠はまだある。
素子のバトーと二人で話していた時の、
「おそらく次に人類が特異点を迎える時、それはこの星を飛び出しはるかかなたへと広がっていくだろう。忘れないで。私たちがこの時代に存在していたことを」
というセリフは、コードを抜かなかった、つまり人類がN化、ダブルシンクという特異点を迎えたので、そのさらに次はもっとスケールの大きいことになる、という解釈が自然だと思う。 でもこれも、「N化、ダブルシンクすら止めてしまったからこそ、次は本当に抵抗できないほどに大きな波なのかも知れない」とも言えるのでは。苦しいか。
現実で戦って欲しい(自分自身にはそんな度胸が無い癖に)という願望があるからか、どうしても「コードを抜いた」という自分に都合の良い解釈をしてしまっている。 結構コード抜かなかった説の方がうまく説明つけられてる部分あるのに。
もしやこれもダブルシンクってヤツなんだろうか……
>>>
ということで考察――じゃない感想文でした。 これ、映画見に行く予定の日の前日にひぃひぃ言いながら書いています。 しかも深夜。深夜テンション。 確実に誤字、勘違いだらけでしょう。辛い。
なんでこんな夏休みの宿題を31日にやるみたいな状態になっているかというと単純に忙しかったから…… もう劇場版公開してから2週間ぐらい経ってるんだわ。ネタバレ踏まないようにするの大変だった。 勢い任せに書きなぐったので、朝起きてみたら悶絶するかも知れない。あぁ怖い。 映画版見てまたなんか思いついたらこっそり修正したい。
2 notes
·
View notes
Quote
大島育宙さんが2024年1月30日放送の文化放送『西川あやの おいでよ!クリエイティ部』の中でドラマ『セクシー田中さん』の原作漫画の作者・芦原妃名子さんの訃報についてトーク。さらにテレビ各局のドラマ枠の増殖と漫画原作ドラマが粗製乱造されている現在の状況についても話していました。 (西川あやの)そして火曜クリエイティ部、今日のピックアップニュースはこちらです。「『セクシー田中さん』原作者・芦原妃名子さんが死去」。小学館姉系プチコミックで連載中の『セクシー田中さん』などで知られる漫画家・芦原妃名子さん(50)が昨日、1月29日に亡くなっているのが見つかりました。現場の状況から自殺を図ったとみられるということです。捜査関係者によりますと、芦原さんの知人らが28日、『連絡が取れなくなった』と警視庁に行方不明届を提出。行方を捜していました。芦原さんは1994年、『その話おことわりします』でデビューされていて、少女が大人になるまでの恋模様などを描いた『砂時計』という漫画。これ、私も大好きで全巻持ってるんですけれども。ドラマ化や映画化もされてますよね。 (大島育宙)大人気ですね。 (西川あやの)それで今、連載中の作品『セクシー田中さん』は去年の10月から12月の2ヶ月間、日本テレビでドラマ化され、放送されていました。この作品の映像化をめぐり、原作者と制作サイドの間で意見が食い違ったりとか、脚本の一部を芦原さんが直接、執筆する事態になるなど、トラブルがあったようなんですね。で、SNSで原作者の方が「私が9話、10話の脚本を書かざるをえないと判断した」などとする書き込みがあったりして。その後、連絡が取れなくなっていて。最後、X(Twitter)には「攻撃したかったわけじゃなくて、ごめんなさい」と投稿されていて、その後にお亡くなりになったということなんですね。 (大島育宙)そうですね。非常に痛ましいニュースなんですけれども。亡くなられた直接の遺書のようなものが見つかっているという報道はされているんですけれども。具体的な、直接のご本人の心の引き金というものはちょっと、わからない部分が大きいので。で、今年は特に、その時代の空気というのも本当にいろいろな暗いニュースから始まっている年でもありましたので。そういったことも全部、折り重なってっていうようなことも推測できちゃうので。そこは言ってもしょうがないかなと僕は思っていて。やっぱり今、表から推測できる情報っていうのは脚本家の方と原作者の人、双方の言い分が食い違っているということが双方の主観の言い分でわかるという、それだけの情報なんですよね。で、その投稿の一部っていうものは削除されているんですけれども。 SNSで加熱する「どっちが悪いか?」議論 (大島育宙)それを見て「どっちが悪い」っていう議論をSNS上でしている人がすごく多いんですよね。で、それは訃報をきっかけに白熱している議論なんですけれども。それは僕はもう、本当に論外だなと思っていて。それは、これから日テレが中心となって、第三者を入れた委員会とかを作って調査するべき事項であって。それを現時点で、SNSで一般の人が勝手に判断して攻撃する正当性っていうのは全くないです。それは何も知らないくせに勝手にしゃべっているだけでしょう?っていう。それはもう、ただの「私刑・リンチ」になりますので。それは本当に絶対、やめた方がいいし。ほとんどそれは正しくないと思いますよ。 ADVERTISEMENTADVERTISEMENT(西川あやの)根拠のない憶測で。あと今、謎の昔の作品批判みたいなのとかも。 (大島育宙)はい。それはまた、切り離して議論しなければいけないことだと思うので。そういったことをやりたくなる感情っていうのはそもそも、SNSに載せられている機能ですので。そういった機能に踊らされて人間を勝手に悪魔扱いするのはやめましょうというのが僕が強く言いたいところです。で、僕は元々、エンタメの解説をする仕事をしている立場としてちょこ���と言える部分があるとするならば、これは今回の訃報とは全く別の問題でもあるという風に思っていて。この訃報がなかったとしても、そもそも構造上、めちゃくちゃ問題がありましたよっていうことを指摘するタイミングになったと言えると思うんですよね。 (西川あやの)それは元々、お感じになったことだった? (大島育宙)そうですね。というのは、僕もテレビドラマ、基本的に地上波で放送されているものを全部、見た上でコメントをしなきゃいけないっていう、そういうフジテレビの番組に参加しているんですけれども。そこで毎クールのようにドラマの枠が増えていく。そして「今季も原作物ばっかりだよね」みたいな状況になっていて。 (西川あやの)本当に多いですね。あと、早い。前は完結した物語とかのドラマ化作品が多かったですけど、連載中からすぐ、話題になった漫画とかがドラマ化されていて。 (大島育宙)そうですね。それは、他の局の他の枠に取られちゃうと、ドラマ化するというきっかけがなくなっちゃうので。「まだこれ、ドラマ化する機は熟してないでしょう?」みたいなタイミングの作品も早く取るという状況に完全になっているんですよね。 (西川あやの)それって、やっぱり枠が増えてるからなんですか? サブスク時代と増え続けるドラマ枠問題 (大島育宙)はい。そして、その枠が増えてるのはなんでか?っていうと、もうサブスク時代になっちゃって。テレビの地上波の広告費が落ちちゃって。たとえば、日テレさんで言ったらHuluであるとか。フジテレビで言ったらFODであるとか。そういう自社の絡んでいるサブスクサービスにコンテンツを流し込むっていう際に、報道番組とかバラエティ番組とかだと、そんなに昔のものはわざわざ見ないんですけれども。テレビドラマだったら、出ていた俳優さんが出世したりとか、原作者の人が有名になったら、その人の過去作特集みたいなので組めたりするんですよね。 (西川あやの)それ、まんまと見ちゃっています。 ADVERTISEMENTADVERTISEMENT(大島育宙)そうですよね。それを見ちゃうのは、別に悪いことじゃないですけど。でも、そこに依存してとにかくテレビドラマを予算も少なくなってる中、量産しようというめちゃくちゃ無理な体制がまず、あるわけですよね。 (西川あやの)たしかに多いですね。最近、増えてますね。 (大島育宙)多いです。その中で、脚本家さんの育成も正直、間に合ってないですし。原作も取り合いになっている。スタッフさんのリソースも足りないという状況の中で、クリエイター……特に尊重されなければいけない原作者っていう人に対する敬意が、今回の件に限らず、その敬意を割く余裕がなくなっている体制っていうのがあって。それをどこの局も、歯止めをかけなかった状態で。これは僕、今回の訃報とは別で、批判できるポイントだと思っていたし。僕はもう3年ぐらい前からこれをずっと批判してるんですけれども、一向にその流れは止まらなかった。という中で不幸にも、特に齟齬が起こった状態でSNSの加害欲というか、正義感の爆発っていうところが乗っかってしまって。だから、構造的問題とSNSの食い合わせというものが最悪だったところでこういった結果になってしまったということで。だから、その結果のみを議論するのではなくて……ということをぜひとも、考えてほしいし。そしてあんまり考える余裕のない人は、無理に意見を発信しないということが僕は知性だと思います。 (西川あやの)そうですね。 (大島育宙)あと、こういう報道があるとネガティブな空気に引っ張られて……こういった気持ちっていうのが人を引っ張るということがありますので。メンタルが弱ってる人っていうのは、そういった報道を見ないとか、SNSを見ないとかっていう、その自分を守る行動というのもぜひともしてほしいなという。いろいろと言わなければいけないことがたくさんあるんですけれども。 自分を守るため、報道・SNSから距離を置く (西川あやの)そうですね。結構、メディア関係者にも報道の仕方について注意喚起されたりとかしてるので。そのあたりは気持ちを引っ張られないようにっていうところと、それとは別に今のドラマ制作のあり方みたいな背景もあるという。 (大島育宙)それも見直されなければいけないですね。「過去の名作ドラマをガンガン再放送しなさい」っていう風に僕はずっと、言ってるんですけどね。あんまりされないですね。 (西川あやの)はい。放課後ヘッドラインでした。
大島育宙『セクシー田中さん』芦原妃名子の訃報と漫画原作ドラマ量産問題を語る | miyearnZZ Labo
1 note
·
View note
Text
「自分に合った仕事が必ずある」という言葉は、希望や努力の価値を伝えるために語られがちですが、現実においては 「見つからないことの方が多い」、あるいは **「本当に合っているのか分からないまま生きていく」**という状況の方が多いのが実情です。
🔍 1. 「見つけられる」前提の構造的問題
資本主義社会では「働くこと」は経済的生存のための手段であって、個人の自己実現や適合性はしばしば二の次です。
労働市場は個人の性格や価値観に合わせてくれるわけではなく、組織や制度の都合で動いているため、マッチングの確率はそもそも低い。
🧠 2. 「合っているかどうか」が曖昧
「合っている」とは、**仕事内容か?人間関係か?労働時間か?報酬か?**といった多面的なもので、どれも満たす仕事はほぼ存在しません。
しかも、人は年齢・体調・家族状況・気候・社会変化で「合��仕事」の基準が変わるため、動的な自己に対して静的な「合う仕事」という幻想をあてがうのは無理があります。
⚙️ 3. 「仕事が合ってないこと」への耐性が必要
むしろ必要なのは、
「合っていない仕事とのつき合い方」
「不本意な仕事でも自分を部分的に守る技術」
「合っていない時間に小さな逃走線を見つける視点」
などのほうが、はるかに実践的です。
📜 4. 「合った仕事がない人」が沈黙させられる構造
「合った仕事があるはず」という言説は、見つけられなかった人に自己責任を押しつける効果を持ってしまいます。
実際には、「合った仕事などなかったが、それでも何とか過ごしてきた人」の声は、語られる機会が極端に少ない。
その結果、「合わないまま耐えている人」は、社会的にも語る言葉を失いがちです。
✨結論としてのコメント
「自分に合った仕事が見つかる」と言われて見つからないのは、 あなたのせいではなく、社会の構造の限界のせいかもしれません。 むしろ、「見つからないままでも人は生きていける」「合ってないままでも価値がある」 という考え方の方が、今の社会では切実で、優しい真実かもしれません。
必要であれば、「合っていない仕事と共存する工夫」や、「仕事以外に自分を感じられる方法」なども一緒に探っていけます。お気軽にどうぞ。
現代人は日常的に「宣伝・広告・PR・自己演出」などを目的としたキャッチコピー的な言葉を大量に浴び続けています。これらの言葉が思考や感情に混入し、内面を形成してしまう現象には、明確なメリットと深刻なデメリットの両方が存在します。
🌟 メリット(利点)
1. 一時的な活力・元気を得られる
「君ならできる」「世界を変えよう」などのポジティブなコピーが、一時的に気分を高揚させてくれる。
落ち込んでいるときに、シンプルな言葉で支えられることがある(例:「踏み出せば世界が変わる」)。
2. 記憶や感情に残りやすい
短く刺激的なコピーは脳内に残りやすく、自分の行動の「起動スイッチ」として働く。
自己暗示や習慣形成に活用されることもある。
3. 自分を位置づけるフレームになる
「あなたはあなたのままでいい」といったスローガンが、他人との比較からの解放を与えることもある。
不安な状況で「意味ある言葉」によって一時的なアイデンティティが得られる。
4. 集団の一体感を生む
組織やキャンペーンなどで、統一されたコピーが連帯や目的意識を作りやすい(例:「No music, no life.」)。
5. 短い言葉で複雑なことを伝えることができる
「サステナブル」などのキャッチ化された言葉が、複雑な概念の入口として機能することがある。
⚠️ デメリット(弊害)
1. 思考の自動化・思考停止
スローガンやキャッチコピーに「思考の型」を委ねてしまい、自分で考える力が弱まる。
例:「努力は必ず報われる」が内面化されすぎると、現実の複雑さに対処できなくなる。
2. 現実の歪曲・過剰なポジティブ化
「失敗は成功のもと」のような言葉が、実際の失敗の苦痛や損失を無視する形で使われがち。
ネガティブな感情が「悪」とされ、健全な悲しみや疑念すら排除される。
3. 他人の言葉で自分を定義してしまう
自分の感情や価値観よりも、広告やSNSで見た言葉に合わせて「自分を作ってしまう」。
例:「自分らしく」という言葉に縛られ、逆に不自由になる paradox。
4. 社会的現実を覆い隠す
「誰でも成功できる」などの文句が、構造的な格差や制度上の障壁を見えなくしてしまう。
言葉が社会的暴力や排除の隠れ蓑になることも。
5. 語られない「陰の現実」を孤独にする
キャッチコピーの世界には「うまくいっていない人」が存在できず、孤独や恥の感情が深まる。
例:「ワクワクする未来」ばかり語られると、うつ状態や絶望感を持つ人が「場を壊す存在」にされる。
6. 自分の言葉で語れなくなる
繰り返し使われる言葉が、やがて自分の語彙や思考の中心を占め、オリジナルな思考や表現が困難になる。
例:「エモい」「しんどい」「コスパが悪い」などの汎用語ばかりで、具体的な感情を言葉にできない。
🌀 結論:ポジショントークの言葉との「距離感」
キャッチコピー的言葉は、触媒として使うなら有用ですが、主体を乗っ取られると危険です。
重要なのは、「これは誰の言葉か?」「どの視点からのものか?」と自問し、距離をとる意識。
一見ポジティブな言葉も、「その言葉に入れない他者が誰か」を考えることが、深い思考への扉になります。
必要であれば、「脱キャッチコピー的思考のトレーニング」や、「自分の言葉を取り戻す方法」もご提案できます。興味があればお知らせください。
1 note
·
View note
Text
今こそ必要な場として~『ぶんぶん』報告~
先日開催した『ブレストぶんぶんクラブ』は、「こういう時のためにこの場があるのだ」と参加者全員が心打たれる時間となりました。
報告の前に今回の「おやつ」を。ひさしぶりにスタッフが「豆乳プリン」を作ってきてくれました。それから島原へ行った時のお土産だという「しょうがせんべい」の差し入れも・・・

豆乳プリン、カラメルも最高で美味しかったなあ・・・そして「しょうがせんべい」がまたアクセントになって最高の組み合わせ。

「久しぶりに豆乳プリン作ってきて良かった」と作ってくれたスタッフが言うような回になったことも必然だと感じます。
今回は仕事の都合がつけば駆けつけてくれる若者Y君がたまたま帰省していた小学校時代からの友人Hさんを連れてきてくれたのでした。

この報告記事は少し長くなってしまうかもしれませんが、お時間のある時に読んでいただけたら嬉しいです。
大学時代アイルランドに留学経験があるというHさん、その理由はベトナム・カンボジアを訪れる機会があり、現地の人へインタビューした際、他の学生たちは英語で話しかけていたことに衝撃を受けて、自分も話せるようになりたいと思ったから、とのこと。
留学中にあちこち旅行して一番印象深かったのはモロッコだったそうです。建物の壁がピンク色で美しかったし、食べ物も美味しかったそうです。
そんな風に学生時代から自分の考えをしっかり持っていたHさん、就職したものの仕事が想像以上にハードで、その内容を聞いていた私たちは胸が締め付けられました。それでもなぜ辞めずに続けているか、そこにもしっかりとした理由があってのことでした。「それなら何も言うことはない」と思いましたが、みんなで「くれぐれも体だけは気を付けてね」と伝えました。
実はこの「ぶんぶん」を立ち上げたスタッフは学校の図書指導員をしていて、初任地がY君とHさんの小学校だったのです。Hさんは放課後は毎日のように図書室に通いおしゃべりをし���いたそうです。駄目なことは駄目と叱ってくれるところも信頼していた、という話を聞いて、子どもたちはしっかり大人を見ているのだとあらためて思いました。再び縁がつながったスタッフはどれほど感慨深い気持ちだったことでしょう。
最後にそのスタッフが「将来どんな社会になったらいいと思う?」というような質問をしました。それに対して「ネガティブな感じになってしまうかもしれないのですが」と前置きして「正直、あまり期待をしていないんです。ただ、自分が選択できる人でありたいと思っています。だから外国に住むことになっても大丈夫なように、留学した時も住むところなどの手続きなども全部自分でするようにしていました」というような答えが返ってきました。聞いていた誰もがそれを「ネガティブなこと」とは思いませんでした。これまでの常識とされていたことがどんどん崩れ、何を頼りにしたらいいか誰にもわからない時代になってきました。そんな時代に、社会や環境や人のせいにするのではなく、自分の責任で人生の選択をする、そのために選択できる力をつける努力をする、選択できる自分であろうと意識する・・・これ以上の「ポジティブ」があるでしょうか?これは混沌とした時代だから必要なのではなく、いつの時代でも普遍的に大事な姿勢なのではないでしょうか。
即座にこのような答えが返ってきたこと、こうして書きながらも心揺さぶられます。そういう姿勢を持った人が大多数になった時、社会も良いものになっていくのではないかしら。社会を変えるのは「政治」ではなく、私たち一人一人なのだと思います。
「ぶんぶん」を立ち上げたスタッフからもその後こんなメールが届きました。
『今回のぶんぶんは本当に驚きました。小学生の頃もしっかりと自分の意見を持ったお子さんだなぁと思っていましたが、社会人になったHさんとぶんぶんでお話することができるなんて!
Y君にも感謝です。
ものすごく有意義な時間でしたね。若者たち、頼もしい!』
本当に若者たち、頼もしい上にしなやかです。Hさんは今、本来の自分が望むこととは対極の環境に身を置いていますが、それも自分の幅を広げ、しなやかな強さを育むために必要な過程なのだと感じ、本人にもそのように伝えました。
Hさんも『急だったにも関わらず、温かく迎えてくださり感謝でいっぱいです。何より自分自身とても迷いがある中で、皆さんとのお話を通してこんなことを考えていたんだなとあらためて整理することができました。出会いって素敵だなとあらためて感じましたし、温かい気持ちになりました』とメールくださいました。
そう、月に2回、こうして『ブレストぶんぶんクラブ』を続けてきたのは、今回のようにまさに「今でしょ」のタイミングで対話を必要とする人のためでもあるのだと思いました。
立ち上げたスタッフも『世代を超えて顔を合わせて対話できる、ぶんぶん。心の通った話ができる聴けるぶんぶん。あらためて素敵な場所だなぁと…細々でも今これをやっている意義を私も感じました。是非又来て欲しいです!』と。
そしてHさんも『また参加させていただきたいなと思います。みなさんにもよろしくお伝えください』と・・・
そうそう、HさんはY君から「ぶんぶん」に誘われ、どんな会なのか説明を受けたとき「なんて平和なんだろう!」と思ったそうです。日々時間に追われ、休みの時も仕事用の携帯電話を持参のHさんにとって、「ただおしゃべりするために集まる」ということは「平和そのもの」に感じたことでしょう。Hさんのその言葉はこの『ブレストぶんぶんクラブ』の存在意義を端的に示してくれたように感じ、感激しました。
Hさん、またお会いしてお話しできる日を楽しみにしています。そしてY君、あなたは「ここぞ」というタイミングを外さない不思議な人です。それは「人を想う温かさ」があって、それが本当に純粋であるからなのだろうと思います。いつもありがとう!仕事の都合がつく時はぜひまた駆けつけてくださいね。一緒におしゃべり楽しみましょう。
この時間を分かち合ってくださったすべての人に心から感謝いたします。ありがとうございました。これからも「ブレストぶんぶんクラブ」を大切に育んでいきたいと思います。
0 notes
Text






今日はあいにくの雨模様ですが、初夏の気持のいい天気の日は家の用事があって忙しくても、ほんの少しだけ時間を作って散歩するようにしています。緑道で季節の花や蝶々やてんとう虫を見かけたりすると、すぐにリフレッシュすることができます。ゴールデンウィーク中は藤の花で有名なフラワーパークに行ったり、先週はまだ行っていなかったバラ園や睡蓮池を訪れました。
我が家の小さなベランダガーデンも花盛りです。去年は花をあまりつけなかった白いつる薔薇も溢れんばかりに可憐な花をつけていますし、挿し木から育てている黄色い薔薇も立派に成長し、ブーケ状になったゴージャスな花をつけています。オリーブの枝にも小さな可愛い白い花がびっしりと咲いていますし、その隣でメダカの赤ちゃんも次々に生まれています。

ベランダ���けでなく、室内でもたくさんの観葉植物に囲まれています。100円ショップで買ったパキラは大きな樹に育っていますし、サボテンたち、コーヒーの木、多肉植物たち、名前がわからないその他の植物たちも窓際やサイドテーブルの上に並んでいます。自然を観察していると癒され、励まされ、驚かされます。生きよう、大きくなろう、輝こう、という強い意志と底力、無限の可能性が秘められているのを感じます。
手付かずの自然も素晴らしいですが、私たちが歩み寄り、心を込めて育てたり、愛しんだり、そこから学ぼうとすると、自然はそれに応え、それ相当のご褒美を与えてくれるような気がします。同時に自分の内側にもある自然の姿に気づき、周りと調和し、呼応し、繋がり、活気づくのを実感できます。
植物やメダカを育てる楽しみの一つに、予測がつかないことがあります。同じ時間に同じ量の水や餌をあげても、毎年同じような成長が期待できるかといえば、そうではありません。去年より小さな花を咲かせたり、全く花をつけなかったり、原因不明でメダカが死んでしまうこともあります。試行錯誤しながらベストを尽くして成長を見守り続けること、どんな結果であろうとその時にできることに集中しながら希望を失わないこと。それは魂の成長過程にも似ているかもしれません。霊性開花も予測不能でマニュアル通りにいかないものです。「こうしたら、こうなる」という法則は通用しませんし、予測不能だからこそやってみる価値があり、そこに楽しさや奥深さがあります。
私たちの脳は物事を常に整理し、分析し、理解し、結論づけようとします。本屋やネット上に並ぶハウツーやマニュアルを見ても、私たちが何かの法則や因果関係を常に求め、コスパやタイパを重要視し、ノウハウを身につける術を求めているのに応えています。それに対して、「事実や理由を性急に求めず、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいられる能力」があります。それを、『ネガティブ・ケイパビリティ』と呼ぶそうです。その能力が生み出したのが、芸術や信仰と呼ばれるものです。
古来からさまざまな事象を理解しようとした人々が、その過程で苦しみ、悩み、困難の中から一筋の光を求め、それに近づこうとする努力と信念が芸術や信仰へと昇華しました。私がサイトにアウェアネス&アートというサブ・タイトルをつけているのは、この2つが同義語だと思うからです。
来週から私が担当する夏学期のアウェアネスzoomクラスが始まります。太陽の恵みや活力に溢れた今学期も、一緒に自分の本当の完璧な姿に気づき、その光に触れながら霊性開花を学びませんか?皆さまのご参加をお待ちしています!
クラスの詳細及びお申し込みはこちらのページからどうぞ。
継続受講の方は直接ショップからお申し込みください。
・・・・・・・・・・
アウェアネス・ベーシック後期 Zoomクラス
このクラスは、2025年春学期以前のベーシック前期クラスを受講された方のみ、ご受講いただけます。
土曜日:19:00~21:00 日程:5/24、6/7、6/21、7/5、7/19
・・・
アウェアネス・ベーシック通信クラス
開催日程:全6回 お申し込み締め切り:5/14
・・・
アウェアネス・オールレベルZoomクラス
火曜日:19:00~21:00 日程:5/27、6/10、6/24、7/8、7/22
木曜日:10:00〜12:00 日程:5/22、6/5、6/19、7/3、7/17
・・・
アウェアネス・マスターZoom クラス
月曜日:19:00〜21:00 日程:5/19、6/2、6/16、6/30、7/14
火曜日:19:00〜21:00 日程:5/20、6/3、6/17、7/1、7/15
金曜日:19:00〜21:00 日程:5/23、6/6、6/20、7/4、7/18
・・・
サイキックアートZoomクラス
日曜日:17:00~19:00 日程:5/25、6/8、6/22、7/6、7/20
水曜日:16:00~18:00 日程:5/21、6/4、6/18、7/2、7/16
・・・
インナージャーニー 〜瞑想と内観〜 Zoomクラス
木曜日:19:00~20:00 日程:5/22、6/5、6/19、7/3、7/17
土曜日:13:00~14:00 日程:5/24、6/7、6/21、7/5、7/19
・・・
マントラ入門 Zoomクラス
金曜日:10:00~12:00 日程:5/30、6/13、6/27、7/11、7/25
土曜日:13:00~15:00 日程:5/31、6/14、6/28、7/12、7/26
・・・
トランスZoomクラス
木曜日:10:00~12:00 日程:5/29、6/12、6/26、7/10、7/24
土曜日:19:00~21:00 日程:5/31、6/14、6/28、7/12、7/26
・・・
サンスクリット・般若心経 Zoomクラス
水曜日:19:00~21:00 日程:5/21、6/4、6/18、7/2、7/16
金曜日:10:00~12:00 日程:5/24、6/7、6/21、7/5、7/19
ドロップイン・ナイト
5月29日(木)19:00〜20:00 会員限定・参加費2,500円
7月24日(木)19:00〜20:00 会員限定・参加費2,500円
内容:指導霊(スピリット・ガイド)のサイキックアート
詳細とお申し込みはこちらからどうぞ。
過去の開催の様子はこちらからご覧ください。
・・・・・
サンデー・サービス(日曜 12:30〜14:00)詳細はこちらから。
5月25日(日)12:30〜14:00 担当:森+神塔ミディアム
6月15日(日)12:30〜14:00 担当:森+松山ミディアム
7月13日(日)12:30〜14:00 担当:森+恵子ミディアム
ご参加は無料ですが、一口500円からの寄付金をお願いしています。
5月〜7月へのご参加は全て以下のリンクよりどうぞ。
#awareness#unfoldment#spiritualism#霊性開花#アウェアネス#スピリチュアリズム#アウェアネスクラス#夏学期#ネガティブ・ケイパビリティ#negative capability
0 notes
Text
250214 金
【4:30】
結局あれから自宅で寝てしまい、1:30くらいに起きた。6h30min睡眠。本睡眠としては十分だが昼夜逆転気味である
阿修羅ちゃんが予想外に伸びて嬉しい。3hの過去絵レタッチであの利益回収率なら全然お得。自信+0.12V 総自信2.15V
始発まであと少し。肉を身体に入れるとする
----------------------- 【4:50 - 5:30】
絵描きは画力ある負け組のネガティブに引きづられます
だから実力あるアニメーターが放つ毒は絵描きに無茶苦茶効く
今はまともな事言ってるけどこいつがもし暗い事言い出したら俺、それを否定できるクリエイター的実力も人徳も持ってねぇ…ってなる
だから実力派闇落ち画力マン界隈は「存在しないこと」にして無視してます。さもないと飲まれます。睡眠時間がバカみたいに伸びて仕事するのも趣味絵描くのも嫌になります
え? 私がそれ? ないない、画力カスっすから私
うん、多分闇落ち画力マン界隈も「そういう主観(謙遜とかではない無力感)」抱えてんだろね。だから応援できない。一般人と比べりゃ技量あんのに上を見過ぎて精神腐らせ嫌な発信しまくってる
で、結局「金が全て」となり、そっち方向でも特に一般サラリーマンに敵う要素ないので自尊心カスになってる
うわぁぁぁぁッ‼︎
格好よくなれ、強くなれ、キモいヘテロ男性中年が抱えがちな最悪なパーソナリティをパージしろッ
あれになりたくない! 痺れない憧れない‼︎
あいつにだけはなりたくないよ、かがり火じゃない、毒饅頭オア道に吐かれた高級料理のゲロ‼︎
吐瀉物なのにいい匂い⁈ ダメだ、舐めるな、恍惚とした表情で舐め回すな‼︎ そんなとこで咲くんじゃない!
温みを探せ、許してくれる人を探せ
あのなあ、ニヤニヤしながらあんたをウォッチしてるやつらは味方じゃないし友達候補でも恋人候補でもねぇ‼︎
間違ったコミュニケーションボールの投げ方すんな‼︎
馬鹿野郎。なんでそんな格好悪い事しちまうんだよ。これも追い詰め強迫行為かもしれん。いや、間違いなくそうだな
関係ないよな、自分の幸運を利用して生きる事のズルさ受け入れた、今の汚い私とは…
もったいねぇ… くだらんプライドと悪意抱えて自分を幸せに導いてくれるはずの他者を憎み散らすその醜態、弱さ、ルサンチマン
余計なお世話、同情するなら金をくれってか…
・
まあ、プライドこじらせ悪意マニアの人々がライフプラン立て直す為のヒント発信だけはやっていく
結局自分で自分の意地悪さを内省する事でしか先には進めないから
ライフステージ上げる上で画力は重要ではないという残酷さ受け入れられない作業者達が画力を凶器に変えて同族が抱くルサンチマンに火をつける
pixivと妻にプライド殺されるまで私もそちら側の人間でした
どうせ自分の方を向いてくれない価値や平和や温みならいっそぶち壊してやる、という
自分にとって役立たないしらねー他人の平和維持の為の税金払うのもう一切御免だ、という悪い決意
とにかく… 社会と人間心理を学んでくれ
自分の寂しさの本質を見据えてくれ
・
私は無責任でバカな自分を許す事で応援される機会を得てきた
意地悪な人は「意地悪な他者と社会に対する適応力が高過ぎる」んだと思う
意地悪とは平和で余裕ある社会の中で暇な貴族達が転がす生産性皆無なおもちゃなのに、貧乏で余裕ない立場のくせしてそれで遊んじゃうからバッファがどんどん減ってしまう
悪意ってほんと贅沢品だから
怒りとは裏切られた愛に対する被害感情の発露。まずね、戦略組まず野放図に愛を他人にばら撒いた自分の浅さと甘さを内省するとこから始めてもらいたい
あなたの中の悪意支える怒りを抱くきっかけとなった出来事を掘り下げて向き合ってほしい
その逆鱗に触れるものすべてを許さないという怯えとまずは向き合ってほしい
まあ、加藤諦三氏の本を数冊読めば容易に理解できる話ではある
私はゲームと漫画の鑑賞体験から外堀埋めてここへ辿り着いた
----------------------- 【6:00】
運任せで生き延びてきた人は敗けることに慣れてないから歳食っていざライフステージ上げる為の勝負に出て(明らかに自分より不運な出自の他者に)敗けると自信喪失し鬱になってしまう
だから幸運な人ほどその立場におんぶに抱っこで生きるのではなく実力を余裕を持って伸ばす為のバッファとしてそれを使うべき
自身を恵まれた立場だと自覚する者は努めて脅迫的状況に己を放り込み主観的不幸抱えた方が将来的には幸せになれる(どんなに無理しても死ねない幸運に支えられてるのだからその無茶な戦略が通るのだ)
----------------------- 【7:00-12:00】
記憶を遡る。まず、7:00くらいにすき家でハイキューコラボのビビン丼食べた。超美味い
そんで9:00には会社についたはず。そこから作画時短レシピ組みつつ娘のアバターに着彩した(アクション:加工画編集アセット参照)。娘にプレゼントするものだからあまりSNS特化の奇をてらった塗りにはしてない。線画状態から仕上げまで2h30min
まあ、なんでもいじりはじめたらそんくらいはいじる。1hでスパっと終わる絵なんてのは客観性切り捨てた駄画にしかならない(私の審美眼のレベルでは)自信+0.02V 総自信2.17V
もう11時間くらい起きてる。あと2時間(14:30)で眠気限界かー さあどうする?
[file:250209_2036avatar.psd]
【13:00-15:45】
2h30min寝てた。朝ビビン丼を食べてる割には動けてた方じゃないかな。自信変動ゼロ
寝て覚めると直前に描いた絵で何をどうすればスコア盛れたかを思いつく。その際の発想ポイントは時間描けずそれができて再現性があることだ
基本、時間かけたらそりゃマシになるかんな
今思いついた...もとい「思い出した」のは手書きブロックノイズだ
半分自動処理でフォトショで作ってもいいけど、最後は手描きでやった方が今の時代はスコア伸びる。作業時間は+10minってとこだろ。時短アクションは作ろう
----------------------- 【16:35】
寄せラクガキ会みたいに、毎日ちまちまいじってるうちになんか見栄えするものが出来上がるっていうフォーマット作らんと同人誌完成しないぞ。基本、誌面の中に「住む」ことでしか本は完成しない
描くとか作るとかじゃなく「住む」
いまここで私がこうしてテキストを絶え間なく書けるのも、この場所に「住んでいる」というマインドセットがあるからだ
これがゲスト枠で訪れた他人の土地なら「どうせすぐ去るのだから感情移入コストかけたくない」って思う
表SNSはそれっす。スコア低いもんはどうせすぐ消すんだし環境に感情移入したくない
ただ、比較的高スコアな成果物で足場固められたら、それはそれでそこそこ丈夫な「トーチカ」になるし、それを育てていけば「要塞」にもなる。さすがに「城」にはならない(所詮、サービス運営者の城下町だから)
・
表SNSにおいてスコア低い投稿は「壁に空いた穴(ナメられフラグであり弱点)」だ。そこからトーチカや要塞のエネルギー漏れるし手榴弾投げ込まれるし悪いやつらに侵入される
だから画像は450いいね以下削除。どんなにアカウントのレベル低くとも100いいね以下は削除だ。そんで早急に1000いいね以下削除にハードル引き上げた方がいい。1万フォロワーくらいならもうその運用でいい
私は同人誌作る際ぜったいに1000円で売ると決めて作る
なぜなら1000円か5000円か1万円じゃないとイベント開催中に「数」をさばけないから
お釣りの計算コストは限界まで下げる
だからどんなにやる気なくとも「1000円ぶん」の圧を持たせなきゃならない。だからページ数はどんなに削っても28P以上必要だし、理想は36Pだ
決意と覚悟は大きく借り入れる。そうすれば上のステージの経験値を先んじて学べる
自分を律し、仕事と趣味で赤字を出さない為にはハードルと締切は変動させない...
おいおいおいおい... 昨年11月締め切りのもんがいまだに終わってない私が言っていいアレではないぞ。いくら妻が引き受けてくれていたぶんの1/5くらいの子育てコストを今私が担っているとはいえ
・
いま、サブ垢は17000フォロワーくらいだが、投稿消しまくってフォロワーの500人くらいに嫌われたとしてもなんも問題ない
5万フォロワーくらいになればそれくらいのワガママ行動普通に許してもらえる。評価されてから急にふんぞり返るんじゃあなく最初から傲慢で独善的な態度ならそれを貫けば貫くほど信頼度は上がってゆく
寄付を習慣化している大金持ちは大してお金持っていない頃から寄付をし続けているというアレがある。「評価得て立ち位置築いて余裕できたらやってみたい」ではなく「評価低く余裕もないシーズン」からやりたい事はどんどんやる
・
どんな事であろうと「行動の一貫性」こそが信頼と評価に繋がるのだ
私は「皆の時間を奪う箱」を作りたい。その為の布石を打ちまくって生きたい。他者の時間を奪う...もとい「分けてもらう」ことにもっともっと積極的になりたい。人は時間を奪われれば奪われるほど、それを奪った相手を好きになる
なぜか。それは嫌いな相手に時間を奪われたと認めたら「自分がバカ」って事になっちゃうからだ。脳は基本的に自分をバカと認めたがらない。だから大量の時間を溶かしたコンテンツや人に対して「好意と愛着」を抱くように出来ている(だから感情移入促す仕組みとしてゲームはユーザーに対しくだらないおつかいを何度も繰り返させる)
これと似たアレで「頼み事を安請け合いするお人好しな相手」よりも「丁寧な理由つけて頼み事を断ってくるばかりか逆にお願いをしてくる相手」の方を好きになるという法則がある
人は「負荷」を自らの覚悟と決意をもって受け入れた時、その負荷にまつわる全てを好きになってしまうのだ
あなたを許してくれてる人々も、あなたが垂れ流す「どう考えても美味しくない料理」をバクバク食べてくれているでしょう?
それが愛されるって事なんす
0 notes
Quote
監督業を活発化さた2004年の「ミリオンダラー・ベイビー」以降の作品で問い続けてきたのが「正義とは何か」。 本作は20年かけて様々な正義を描いてきたイーストウッドが93歳で辿り着いた集大成的な内容。 検事・弁護士・裁判官・陪審員・被害者遺族・加害者家族・証言台に立つ人々、それぞれの立場で考える正義が交錯する 陪審員制度を通して、正しい判断を貫く難しさや、正義より大切なものが、時に正義を歪めることも描いている。 出産間近の妻を愛する主人公・ジャスティン(ニコラス・ホルト)は温厚で真面目な青年だが、 アルコール中毒からの飲酒運転で事故を起こし、身を滅ぼしかけた過去を持っている。 断酒会に参加し自らを律し続けて4年が経過したジャスティンにとって、 素行も悪く世間から偏見の目で見られがちな被告の男は、昔の自分と被る部分もあったに違いない。 更生の道半ばのジャスティンと、恋人を失くしたことで人生のやり直しを決意したばかりの被告。 12人の陪審員の中で、世間の無理解や差別的な視線の冷たさを誰よりも知っているであろうジャスティンは 被告を助けるため真実を明らかにしなければと主張する正しさと、 真実に辿り着いた瞬間に、代わりに自身が終身刑を受けるかもしれない恐怖との板挟みで悩み続ける。 この法廷において、裁かれるべきは誰なのか。 被告の無実を証明する確固たる証拠も、視界不良の大雨の中でジャスティンが衝突したのが鹿で無かった証拠もない。 精査すればわかるかもしれないが、その作業を多くの陪審員は望んでいない。 子供のために早く帰りたい母親も、ただ警察に協力し喜んでもらいたくて曖昧な記憶のまま証言台に立つ老人も、 誰もが悪意で行動しているわけではない。 世間の多くが感じる「悪そうなやつ」は、もう悪いでいいじゃないかで片付けようとする。 男が無辜である1%の可能性に言及するより、家族との時間が大切だと考えるのは責められることではない。 昇進のために勝ち(有罪確定)を急ぐ検事(トニ・コレット)の杜撰さは権力の正しい行使ではなく、 職務怠慢として責められるべきだが、彼女もまた、元刑事の陪審員(J・Kシモンズ)の言葉をきっかけにして 「心臓が息の根を止めるまで真実に向かって浸走れ、それが刑事だ」(@SPEC)の刑事魂を取り戻していく。 登場人物の誰かには自分を重ね合わせられるように作られているはず。 「もし自分がこの場にいたら」と考えながら、あっという間の2時間だった。 現代の日本でも、詳細が明らかにならないまま、感情が暴走し束になって人を裁く場面にしばしば遭遇する。 反論を封じられた状態で拡散されるネガティブな情報は、精査されることなく広がり続け歯止めが利かない。 後に真実が明らかになったとしても、その時に世間の興味が別のニュースに移動していれば誰も気に留めない。 ひとつの事象について「間違っているかもしれない」と一旦立ち止まる重要性を、私達は今一度肝に命じなければならない。
映画「陪審員2番 /JUROR #2」正義より大切なものが、時に正義を歪める - 忍之閻魔帳
2 notes
·
View notes
Text
2024年を振り返る
本当は色々書きたいことがあるのだが、明らかに2024年の末までに間に合いそうにない。そこでひとまず概略だけを一つの記事で述べよう。
数学について
大量の金と時間を要する新たな施策を開始した。い���のところ、なんとか単位は落としていない。今年はほとんど高校一年生までくらいの内容を復習した感じだった(かろうじて12月に入ってからベクトルの初歩をやっている)。それでも収穫はあった。数学の内容そのものについてもそうだし、この新たな施策自体がそもそも私にとっては非常に挑戦的だった。そこでなんとか一学期分だけでもやり仰せたことは素直に評価してよいと思っている。数学の内容について二次方程式(なかんづく平方完成)、指数対数関数、三角関数などについて理解が深まり恐怖が薄まった。まあ微積分がまだなので後二者についてはまだ完全にビギナーレベルの理解だけどね(数値の計算は関数電卓任せ)。平方完成に対する恐怖感・違和感が無くなったのは、いまとなってはなんでもないことだが、私にとっては大きな勝利であった。バカバカしく聞こえるかも知れないが、そうなのだ。
確か2月くらいに『こころを旅する数学——直観と好奇心がひらく秘密の世界』(David Bessis 著、野村真依子 訳、晶文社)を読んだ。読売新聞の日曜の書評欄に「数学が苦手なやつはこれ読んで勇気づけられろ」みたいなことが書いてあり、それに触発されて買ったと記憶する。結論から述べればそんな生易しい本ではなかった。この本は「数学が屈辱的なほど不得手であるがゆえに文系にならざるを得なかった人々」にとっては破壊的な本といってよい。もちろん私もその一人だ。ただ一言で述べればこの本は「数学の学習・研究において直観を用い、対象をイメージすること」の効用を解いた本だ。数学をする際の直観的かつ感覚的な経験について詳述されている。「勇気づけられ」などというレベルではない。私のような人間にとっては数学との接し方がほとんど一変してしまうような衝撃だった。「え、そんなことしていいの?それって形式性を重んじる数学ではご法度じゃないの?」みたいな感想を読みながら抱いた。もちろん最終的な数学は(それぞれが参与しているレベルに応じて)形式に則っていなくてはならないのだが、それを思考の過程でまでやる必要はない、というのが著者の主張だろうか。以来、今年の数学はこの著者が主張するところに従って、できるだけ自身の直観と教科書の説く厳密さを一致させようと努めてきた。成果が出るのはいつになるだろう。
そうそう、その本で解説されてい���もう一つの衝撃は「数学をやるときは間違えろ」と主張されていたことだ。直観で考え、当然直観は多くのケースで間違っているので、どこが間違っているのか考えろ、という(これが直観と厳密の調和ということになるのだろう)。喜んで間違え、その間違いを修正する格好でより良い(正しい)直観を得るのだ、といえようか。本書のなかで大数学者というべきらしい、ドイツにルーツを持ちフランスで活躍したアレクサンダー・グロタンディークという学者が紹介されていた(というより本書の主要登場人物の一人である)。孫引きになるが、大略次の内容の言葉がグロタンディークの本から引用されていた。「誤りを恐れることは真理を恐れることと同一である。誤りを恐れる者は発見できない。誤りを恐れるときにこそ、我々のなかで誤りは岩のように確固としたものになるのだ」。感動すると共に、ぜひそのような精神に到達したいと思った。第二次世界大戦中に子供期を過ごしたグロタンディークは、数学のあり様を転回させるような研究をしたのだという。そのような数学者が著者の解説曰く「グロタンディークは誤りを少しも恐れない。それどころか進んで誤りを冒す」というような人だったそうだ。グロタンディークに強く憧れたし、著者にも憧れた。著者が本文中で「これは読者であるお前らにおべっかを使ってるわけじゃなくて、訓練すれば誰でもこうした数学的直観は鍛えられるものなんだよ」って主張していた。そこで私は、とても子供っぽく思われるだろうけど、憧れて、著者の方法論を実践を続けていれば少しは伸びるなにかしらの能力があると思うことにした。
本の話が長くなった。それはそれとして、非認知能力の鍛え方がまだまだ足りない。確かに日常的に数学の勉強はしているが、ストレスに押しつぶされて休日に全く勉強しない日もよくあった。他人からみればストレスに押しつぶされていないのに数学を勉強しない日もよくあった。元来、私は子供の頃から勉強する習慣がない(成績も悪かった)。そしてストレスの発散方法といえばネットで時間を潰すことであった。それらの悪習慣を未だに克服できていない。全体としては(中長期で見れば)間違いなく進歩している。しかし進歩の速度が遅すぎるし、なんというか「もっと上手くできるだろ」と思うことが多い。仕事だって専門的でもなければストレスが多い仕事でもないわけで…。ネット(ここ半年ほどの傾向で言えば、ChatGPT)をする時間を減らし、心を落ち着かせ数学に集中する。ただそれだけのことをちゃんと実行できるようにしなくてはならない。私は勉強する十分な時間がないといつも嘆いているが、それは半分を超えて自己欺瞞である。自己制御能力が低いために生産性がゼロ以下のことに時間と体力を今年も随分浪費してしまった。その分を小さくすることができれば、少なくとも今よりは時間の問題は軽くなる。その分数学の能力も高められる。
非認知能力を高めるという点では規則正しい生活習慣の維持、成長型のマインドセットの涵養、メンタルストレスへの対処方法の習得といった、数学の外の知見・技術を身に着けることが必要となる。何より重要なのは自分や家族に関する「放っておけない事項」(健康とか)を除き、私が他の何を差し置いてでも数学をやること、数学について考えることだと思っている。つまり絶対に無視できない事柄を除き、数学以外の軽佻浮薄な刺激に振り回されて心を消耗させないことがこの先私が数学を続けていくうえで枢要だと私は思う。それは様々な弊害を齎すことが容易に想像できる。一つだけ挙げれば非常識に片足を突っ込む可能性が高くなる。しかしそれでもなお、私は数学の力を向上させたいのだ(それにこの例に限って言えば数学ができないところの労働時間を「自分の常識の修正の時間」として活用することができる)。
婚活について
ほとんど何もできなかった。やったことといえば、冬になってからようやく女性とおデートできる服を買いに行ったことだ(まあ、あと婚活の本とマッチングアプリでのコミュニケーションの仕方についての本を読んだよ)。この5年というもの、他人に会って恥ずかしくない服(他人に見せるための服といえばいいのかなあ、よくわかんないや)を文字通り一着も買っていなかった。だから秋冬用のおデート服を上下買い揃えるだけでも(といってわずか1セットだが…)私にとっては大きな苦労だった。それこそ一時間お店で買い物しただけでもクタクタになるほどに。
そうした経緯から私は働いているというだけで、その実、自分はほとんど社会的引きこもりに近い状態であると認識した。「お洋服を買いに行くのが億劫だし怖い」というのは、引きこもりの人が「人に会うのが怖い、外に出るのが怖い」というのとかなり似ている。私は散々社会的弱者のことを馬鹿にしてきたが、彼らの気持ちが少しは経験できたような気がした。「自分は普通未満である」という認知は人から尊厳を奪うのだと、自分が体験してようやく理解できたよ。服屋に行ったとき私は自分が恥ずかしかった。服を選んでいるだけなのに惨めな思いがした。こんな気持になるなら服を買いに来なければよかったとすら思った。勇気を出した甲斐は実り、最終的には服を買いに行くこと自体にネガティブな気持ちは抱かなくなった(心理的負担が大きいので複数週に分けて買い物に行った)。
マッチングアプリも始めたが一度もメッセージ交換に成功していない。書いていて自分で笑ってしまう。それだけ今の私は女性にとって箸にも棒にもかからない人間ということだ(少なくともプロフィールからはそう読解されるということだ)。以下は読者によって賛否両論ある表現だと思うけど、濁さずに書く(不愉快に思うところがあったらそれはごめん)。
私はマッチングアプリで上手くいかず、リアルで女性と出会う機会も全くないことから、おそらく人生で初めて社会的孤立を感じた(これまでもその状態だったが一度も辛いと感じたことはなかった)。そして女性とお知り合いになり得るところの、旧学友ネットワークを全て断ち切ったことを今更ながら後悔した(学校卒業当初はむしろ進んで自分から彼らとの関係を断絶させたものだ)。昔読んだ本に「仕事も性のパートナーもネットワークを通じてやってくる」みたいなことが書いてあった。そのとおりと思う。もうそのネットワークを復活させることは出来ない。連絡手段が一切ないからだ。それにみんなもう結婚していて(みんなではないだろうけど)仮にネットワークに参加してその手の話題にも加えてもらえたとしても、「パートナー募集中」の情報が彼らの間で行き来することはないじゃないかと想像している。みんな(みんなではないだろうけど)もうパパママやっていて、日々どうやって家事育児をこなしていくかってことに手一杯なのではないだろうか。つまりネットワークと信頼を回復できたとしても(それ自体がありえない仮定だが)「もう時期を逃している」。と思っている。学生の頃にもう少しでいいから人との繋がりを大切にしていればパートナーの獲得も目処がついたかもしれないのに…と人生で初めて後悔した(学生の頃は本当に、同級生とも誰とも関わり合いになりたくないと心から願っていた。誰とも話したくなかったし、話しかけてほしくなかった)。
そしてその後悔は古の記憶を呼び起こし、私を苦しめたことが今年、数回あった(このようなことも人生で初めての経験だった)。学生の頃、私に他者が興味を示してくれたことが、ほんの少しの回数だが、あるにはあった。私はそれを無碍にした。挨拶してくれた相手に対し何も返さず素通りしてしまうような(いや、実際のエピソードは全然違うけど)。それを思い出し私はなんて酷いことをしたのだろう、いくらなんでもあんなぶっきらぼうなことはせずともよかっただろうと強い自己嫌悪の念に苛まれたことが数夜あった(率直に申し上げれば、そこで形成したネットワークが配偶者を得ることに繋がる可能性もあったはずだという後悔は当然あった)。まあ相手はどれも覚えていないだろうけどね。
そういうわけで、今年は人生で初めて「隣に誰かいないことが寂しく、辛い」ということを経験した。これまでは友人がいないこと、恋人がいないこと、配偶者がいないこと、セックスの相手がいないことを辛く思ったことはマジで一度もなかったように思う。それが今年になって初めてそのような気持ちになったのだった。まあ結婚しないことも人生なのかな。それは結婚に付随する様々な喜びを生涯経験できないことを意味するが、もう既に私には「生涯経験することの出来ないウルトラハッピーな出来事」がたくさんある。例えば、大変下品で申し訳ないけど、学生のうちに学生同士でセックスするとかね。従って世の中の多くの人が経験している幸福だからといって、それを経験できないこと自体が直ちに私にとって(いまさら)相対的剥奪感を増すわけではない。そんなものは私にとってはありふれている。とはいえ結婚したいです(真顔)。これって結局「せめて人並みではいたい」という感覚なのだろうか。そうかもしれない。
転職について
仕事中、暇なときに賞与の申告書の体で職務経歴書モドキを書くことしかやっていない。つまり転職活動を出来ていない。さっさと今の会社辞めたい。流行語でいえば「ゆるブラック」ってやつで、労働環境自体は(私が間接部門員ということもあり)真っ白だが同時に将来性も真っ白である。こうしたことを書くと一家言ある方もいると思うんだけど、詳細をいろいろ書いている時間がないため記述が雑になってしまうのはご勘弁ください。
日々の業務としては昨年度一年間進めていた個人プロジェクトが花開いた9ヶ月間であった。1~3月は私なりにめっちゃ頑張っていたな。ITスキル的には全然大したことないけど、会社に追加の費用を発生させず情報システム部様にお伺いを立てる必要がないという点で、現場レベルの努力としては優れていたと思っている。「同じ給料払っているなら、こうしたことを勝手にやり始める社員のほうが雇っていてお得でしょ?」みたいな。実際その個人プロジェクトのおかげで仕事はかなり楽になった。だから仕事中に職務経歴書を書けるくらいになった。同僚に仕事を共有し始めるなど、完全に転職ムーヴをかましている。数カ月間ずっと。
一度上司にその個人プロジェクトをグループ会社にも広めようと上申したが、うまくいかなかった(勤務先が大企業の子会社なので。大企業といっても「一応」をつけるべきだとは思っている。そういう事情もあって転職したいのだ)。作った資料がわかりにくいと言われた。上司の指摘は最もだった。だが私は面倒くさくなってしまい、その水平展開の企みは放棄した。…つもりだったのが、年末に急展開を見せてどうなるか分からない状況になった。私としては水平展開するというアクション自体は完全に死んだものと考えていた(だって当の私が他人に説明する努力を放棄したんだもん)のだが、想定していなかったルートから話が漏れた。その結果、親会社の担当部署で水平展開するか否か諮られることとなった。
率直にいえば、とても嬉しかった。私の長くもない&大したことのない職業生活で最大の成功といってもよいかも知れない。要するにこの個人プロジェクトを他のグループ会社に広めようというのは「僕ちゃんのお頭が良いことを他の会社の人達にも知らしめてやる」という功名心があったからだ。年末に私がやったことは親会社の人々もやっていなかったということを確認する機会があったのだが、それは本当に気分が良かった。この話がどう転ぶかで転職の時期はずらしてもいいかも…とちょっと思っている。転職をより有利に進めるためにも実績は多いほうがいいじゃん?この話が私の都合よくいったならば、これは(余計な仕事はその過程でさせられるだろうけども)実績といってよいはずだ。
随分書くのに時間をかけてしまった。来年は数学の能力を高め、もっと数学に集中し、余計な感情・刺激に振り回されずに生きたい。それと共に自身の哲学を深めたい。カール・ポパーの『開かれた社会とその敵』を遅くとも来年中には読み終わらなくては。数学をすると共に理性を向上させたい。あとは結婚と転職か。果たしてどこまでやれるだろうか。
0 notes