#たくさんのふしぎ傑作集
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honnakagawa · 1 year ago
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12月28日(木)open 12-18
よいお天気。 お会いしたかった皆さんが次々に来てくださって嬉しい木曜日。 年内最終営業は明日です。 金曜日ですが、12時から18時までとなります。 年末年始のお供の本を探しにぜひお出かけくださいね。
今年は先生(https://www.instagram.com/kusatorimusi/?hl=ja)と一緒にお飾り作れなかったので、午前中に先生のお飾りを買いに行ってきました。 一番最初に教わって自分でも作った、亀。 やっぱり先生のものはとてもきれいでうっとりします。 一番最初に作ったお飾りを見て、自分でも作れるんだ…ととても感動したことを覚えてる。 チャレンジしたい方は、本も揃えておりますので是非。 とても良い時間になりますよ。
亀好きです🐢 きっと子どもの頃父にもらったエンデの『モモ』の影響。 しかし子どもの頃に飼っていたミドリガメは、冬眠から起きてこなかった悲しい思い出… (朝ドラブギウギの亀を愛する六郎くんのことも大好きでした。) もちろん『MOMO』も定番で置いてます! しかもかわいい愛蔵版で!
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smapwpgas · 6 months ago
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彼(か)のコラボイベどうなってんの???いやマジで
現在某所で配信されてる某コラボシナリオこと某某某ー某・某ー某某a.k.a.異世界寝取りサモ太郎ですが もはやツッコむ気力さえなかったり読んですらなかったりする人もいると思うけど
パラレルともifともつかない改変が入ってるのに原作と同じ展開に着地させるいびつさが不気味なコラボを名乗る何か
と化しているので本日はこれについてお話します…
※以下の文章では前作(隠語)主人公に名前がない&前作世界で彼の体に入っているという設定で話が進むため前作主人公を「主人公」、公式の負の側面が前面に出た今作(隠語)主人公を「一部シナリオで感じ悪い選択肢で会話し始める」「ストラグルで突然『修行してないのに尋常じゃないくらい剣が強い』という謎のイキリ設定が追加された」「伏線とはいえ『召喚されたのに召喚することもできる特例で普通は一人でも大変な契約が無限にできちゃって元々は前例のない全属性で神そのものの存在から前世ポ(前世の面影を感じてデレること)でチヤホヤされる』という設定がよく考えると痛々しい二次創作オリジナル主人公っぽい」などの理由から以前からネタで使っていた「サモ太郎」と呼びます ※言わずもがな前作とコラボシナリオのネタバレしかないです ※よくいる妄想でフォローおっぱじめる人は原作に書いてないこと主張するなとは言わないから推測として成立させるための出典出してね ※悪いのはキャラではなくシナリオとプレイヤー
要点:前作が世紀の大傑作と言うわけじゃないけど丁寧に書かれてたしここまで酷くなかったのは確か
「パラレルともifともつかない」について
コラボシナリオの舞台は「前作1章のイベントである魔王アンセスターの襲来が起きなかった世界」と明言されていて、この点に関しては言い訳ではなくコンセプトとしてパラレルになっていますが、それ以外の部分もしっちゃかめっちゃかに改変が入ってるのが問題です。 とりあえずざっくりと前作基準で時系列を分けると
A:アンセスター襲来以前、各キャラの悲しき過去…に相���する部分 B:アンセスター襲来~打倒、1章に相当する部分 C:アンセスター打倒以降、2章~に相当する部分 の3つに分けられます。
前述のきっかけによって前作のパラレルになったコラボシナリオがB’だとして ・Aは変わるわけないじゃん ・B’がBと変わらない展開になるのおかしいやろ ・↑のせいでオリジナルのシナリオのテーマ性が台無しになった というのが論点です。
Aは変わるわけないじゃん:オルグスの生い立ちの説明が「エアプでもこんなんならんやろ」ってくらい雑すぎる問題
前作とコラボシナリオで共通した設定 ・国王の子供なので王位継承権がある ・事情があってその事実を隠して平民として育てられた ・現在は騎士団の団長 ・同じく国王の血を引いた弟がいる ・指輪は王権の象徴
前作での説明 ・国王(前国王)と公に認知されていない関係を結んだ母親から生まれた子 ・弟は当然異母兄弟にあたる ・王位はオルグスの父から継承権が公に認知されている弟へ移っている ・世継ぎ争いを避けるため(資料集曰く父である王から殺されかけて)死んだと偽り、事情を知る後見人以外の援助無しで平民として育てられた ・騎士の道に進んだ動機は復讐心 ・指輪は魔王アンセスターの襲撃で壊滅した王宮から持ち出された後に現国王である弟の遺言に従いオルグスに譲渡された
コラボシナリオでの説明 ・母親が王妃なのかそうでないのかすら不明 ・弟と異母兄弟なのかも不明 ・王族ではないけど血統的には継承権第一位扱いとかいうよくわからん状態で王位が父と弟どちらかにあるのかも謎 ・国のために(詳細不明ふんわり感)兄弟のどちらかを選ばなければならないということで天秤にかけた結果(妾の子では?)放っといても死なんやろ的な雑さで捨てられて平民として育てられたけど王になってもいいように教育を受けた(??????) ・騎士の道に進んだ動機は「兄だから弟とか国とか護らないかんじゃろ」という責任感 ・なぜか指輪は自分が持ってる(王族から外れたって自分で言ったじゃん)
前作でわかるオルグスの生い立ちは弟があくまでも父母の関係の副産物でメインはオルグスが王の落胤であることにある印象なのに対して、コラボシナリオではいわゆる「掟によって生き別れになった双子」的な「引き離された兄弟のエピソード」として書かれていて王の落胤という設定に関してはそもそも存在しないように扱われている気がします。 仮定は仮定でしかないけどこの推測が当たってたとしたらもうそれ別人ですよね??? 起点過程を弄り回して着地点だけ元ネタに合わせるの無理ありすぎでしょ… とシナリオを読んで呆然とした気持ちが伝わったでしょうか。 まあここからもっと酷くなるんですが…
B’がBと変わらない展開になるのおかしいやろ:「一周目(仮)*で好感度が蓄積した」とかいう雑な言い訳で即デレさせるのやめろ *一周目=コラボシナリオで触れられている前作本編と思われる本来のストーリーのこと
上の方でキャラの根本的な設定が弄り回されてることに関して説明したけど本編そのものも魔王の不在によって重大な食い違いが生じています。 コラボシナリオの状況設定では主人公がオルグスとソールにとって(オリジナルほど)大事な存在にはなり得ないからです。
これについては後ほどさらに掘り下げますが、コラボシナリオでは死にまつわる要素、重いトーンの設定がことごとく削られている気がします。 ですが、前作のシナリオはキャラクターにとってリアルな死や痛みがなくては成立しません。
主人公は「世界を見捨てれば自分は助かる」という状況から自ら命を危険に晒すことによってメタ視点における主人公としての資格とキャラクターからの信頼を獲得する。 オルグスは勇者が故郷を滅ぼした魔王への唯一の対抗手段であり、頼らなければならないという気持ちが強かったからこそ、その能力があるとは思えないただの子供だった主人公への失望によって襟首を掴み上げる程の怒りを露わにして厳しく当たり、旅の中で人格と能力を認めて初めて信頼する。 ソールは自分の命は大義のために捧げられるものという価値観の中で生きてきたことを否定され、修行を通して抑圧してきた幼少期の両親の死に対する負の感情をさらけ出すことで教会が定めた主従を越えた信頼が生まれる。
ここで描かれていた感情の重みと動きはコラボシナリオで全て無くなりました。 後に残ったのは「なんかわからんけど縁を感じる」という今作本編後半から顕著になった主人公に対しての無条件の好意と同じ初見配偶者面。 なんでかって言ったら今作みたいというところで分かる通りまあサモ太郎(を操作している「キャラは自分に対してデレデレすることにしか価値がない」という認識でガチャに費やした金額を誇るプレイヤー)のためですよね…
お前!それは!!海底都市で!!!散々!!!!批判しただろ!!!!!
歴史は繰り返す…
変な改変があるのに別のストーリーになるわけでもなく中途半端に展開をなぞるせいでオリジナルのシナリオのテーマ性が台無しになった:感情が薄い!軽い!重要なイベントをことごとくスキップするAny%タイムアタックのようなシナリオ
いよいよぶちギレ金剛してこの長文を書くに至った現時点での最of悪パートであるコラボシナリオ2話後半について前作と比較する形で触れていきます。
オリジナルである前作「竜の山を越え、西へ」の流れ
魔王に故郷が滅ぼされたことによってオルグスの故郷の人々が東へ避難している辛い現状の描写(コラボシナリオ:そんなものはないが魔王がいないので妥当) ↓ 第三者の口を通じてオルグスが前王の血引いていることが明かされる(コラボシナリオ:「育ち良さそう」と言われただけで自分からペラペラ話す) ↓ 弟への復讐心とおそらく肉親としての情*が混ざった複雑な感情(コラボシナリオ:兄だから守らないといけないけどあいつが捨てられればよかったのにという雑な感情) *「アンセスター討伐」参照 ↓ 山で生活していた部下が騎士としての誇りを失い、山賊に身をやつしていたことに対する怒りと自責の念(コラボシナリオ:山賊落ちせず騎士のままになっているが魔王がいないので妥当) ↓ 自分の命を投げ打ってでも魔王を倒したいという覚悟のオルグスと主人公から言われたいのちだいじにを説くソール(コラボシナリオ:ゆるふわ異世界テーマパークにそんなものはない) ↓ 魔王によって生ける屍として操られている故郷の人々申し訳ねぇ…という感情(コラボシナリオ:そんなものはないが魔王がいないので妥当…なわけないだろそこ抜いたらダメでしょ) ↓ 仲間の危機に今まで逃げ腰だった主人公が本気を出し、生ける屍を浄化したりオルグスの手当をしたりと自発的に行動(コラボシナリオ:そんなものはないけど「ワー言って飛び出したの見て胸キュン…」とかいうめちゃくちゃ雑でえらく出来を悪くしたようなものはあった) ↓ 他人には頼らねえ!メンタルだったオルグスが二人きりの夜に腹の底を話して打ち解ける(コラボシナリオ:三行即デレシナリオにそんなものはない) ↓ 信頼とかその他諸々の証としてボロボロになった国の失われた王位を象徴する指輪を渡す(コラボシナリオ:別に主人公になんも世話になってないけど急に「護りたくなった」とか言ってふっつ~にまだ全然余裕で存在してる国の王の配偶者が持つべき指輪を昨日今日で会った他人に押し付けてくる知らんオッサン)
出生の秘密一つとっても前作だと「主人公との間に割って入ってきた知り合いの話を立ち聞きしたせいで察してしまい、知られた本人は聞かれたことには触れず苦い顔」って流れでプレイヤーに明かされて「トラウマ解消と信頼を構築して指輪を主人公に渡すシーン」を経て初めて自分から認めて主人公に語るんですよ… https://twitter.com/rokunai/status/1271626270997008384この落差
そして上のチャートでわかるように前作で重要なテーマは「身近な人の死による痛み」「死者の冒涜(前半では死者に安らかな眠りを与えず永遠に苦ませること、後半では死者の肉体を人格を入れるための器として扱うこと)は悪」です。 何が辛いか、何が悪かという基準がないまま心の傷とその回復を扱うストーリーを展開することはできませんし、コラボシナリオは実際そのコンセプトを達成できていません。 前作とは全く別の着地をするならこの批判は適切ではありませんが、この場合は雑ななぞりを経て同じ場所(2話後半を例に出すと主人公を認める・指輪の譲渡・恋愛感情の匂わせ)に着地するので問題です。 海外ではストーリーにおいて重みのある死のわかりやすい例えとしてライオンキングのお父さんが出てきますが、それが「でぇじょぶだ、ドラゴンボールで生き返っぞ!けどおめえは父ちゃんが死んじまったみてぇに泣いて頑張って王になってくれよな!」と言われてるようなもんですよこれ。無理でしょ。
更に言うと前作はラストで「主人公(プレイヤー)が歩んだ道のりがあるからこそキャラクターたちの好意は主人公に向けられているのであり、それを別の誰かが横取りすることはできない」という明確なメッセージを打ち出しています。 サモ太郎、別の誰かですよね? もっというと相関図でキャラの感情が好き放題弄れますよね? ボタン一つで設定した恋愛関係の重みってなんですか?
コラボシナリオではまともな描写がないから好き放題に弄れるのが妥当だとしても酷いし、本来の前作本編で結ばれた「絆」とやらがボタン一つでフイにされるものだとしても酷い。 キャラクターの感情の重みを蓄積した好感度としか見ていない薄っぺらい価値観のシナリオを公式が出しちゃダメでしょ。 シチュエーションを変えてイベントだけ踏襲した結果オルグスが無意味に人の襟首掴んで喧嘩売ってくるチンピラになったとか男同士のキャットファイトみたいな不快描写やめろとか暴れて店を壊すアホゴリラと化した理性のないキャラクターありえんとか他にも突っ込みたいところは無限にあるけどもう疲れたので終わりにさせてください。
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patsatshit · 2 years ago
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いきなり偉そうなことを書いて各方面から顰蹙を買いそうなんだけど、あえて言う。僕は自分の日記より面白い日記を読んだことがない。これはハッタリでもなんでもなくて、それくらいの気持ちがないと何処の馬の骨とも知れないチャリンコ屋の日記に1,500円や2,000円を出して購入してくれている方々に申し訳が立たない。ただし「自分より」と言うのには注釈が必要。『富士日記』や『ミシェル・レリス日記』みたいな別次元の傑作は対象外として、近年、雨後の筍のように量産されているリトルプレスやZINEを体裁とした日記やエッセイ群を見据えての発言と思って頂きたい。商売としての仕入れはさておき、個人的に興味があったので色々と手を伸ばして読んでみたものの、そのほとんどが「私を褒めて。私を認めて。私に居場所を与えて」というアスカ・ラングレーの咆哮をそのままなぞらえたような内容、若しくは「持たざる者同士でも手を取り合い、心で繋がっていれば大丈夫」的な似非スピリチュアルなマジカル達観思想で構成されているので、正直ゲンナリした。しかもタチの悪いことに、そういうものを書いている人たち、あわよくば商業出版の機を窺っていたりするものだから、出版社や編集者の立場からしたらまさに入れ食い状態。「ビジネス万歳!」という感じでしょう。晴れて書籍化の際には口を揃えて「見つけてくれてありがとう」の大合唱。いやいやいや、ちょっと待って、あんたら結局そこにいきたかっただけやんってなりません?これまでの人生をかけて手にした「生きづらさ」の手綱をそんなにも容易く手放すんかい!と思わずツッコミを入れたくもなる。現世で個人が抱える「生きづらさ」はマジョリティに染まらぬ意思表明と表裏の関係にあった筈なのに、どっこいそうはさせないとばかりにどこからともなく湧いてくる刺客たちの誘惑にそそのかされては、呆気なく自らの意志で握手(悪手)に握手(悪手)を重ねる。ミイラ取りがミイラになるとはまさにこのことだ。以前、僕もある出版社の編集長から「DJ PATSATの日記を当社で出版させてほしい」という誘いを受けたけれど、もちろん丁重にお断りした。僕は自主で作った300冊以上の読者を想定していないし、それより多くの読者に対する責任は負いかねるというような趣旨の言葉を伝えた。そもそもなぜ僕が友人(マノ製作所)の力を借りながらわざわざシルクスクリーンという手間をかけて制作しているのかを理解しようともしない。編集長は口説き文句のひとつとしてECDの『失点・イン・ザ・パーク』を引き合いに出してこられたのだけれど、いま思えばそういう発言自体が安易というか不遜だと思わざるを得ない。結局その方は僕を踏み台にしようとしていただけだったので、負け惜しみでも何でもなく、あのときの誘いに乗らなくて良かったといまも本気でそう思っている。まぁ、これは僕個人の考え方/価値観なので他者に強要するものでもなければ、共感を得たいと思っている訳でもない。逆に彼らも推して知るべしだ。誰もが商業出版に憧憬を抱いている訳ではない。昔から煽てられることが好きじゃないし、賑やかで華やかな場面がはっきりと苦手だ。だからと言って消極的に引きこもっているつもりもなく���寧ろ積極的に小さく留まっていたいだけ。かつては各地の井の中の蛙がきちんと自分の領域、結界を守っていたのに、いつしかみんな大海を目指すようになり、やがて井の中は枯渇してしまった。当然、大海で有象無象に紛れた蛙も行き場をなくして窒息する。そのようなことがもう何年も何年も当たり前のように続いている現状に辟易している。そんな自分が小さな店をやり、作品を自主制作して販売するのは必要最低限の大切な関係を自分のそばから手離さないためである。何度も言うているように自営とは紛れもなく自衛のことであり、率先して井の中の蛙であろうとする気概そのものなのだ。自衛のためには少なからず武器も必要で、言うなれば作品は呪いの籠った呪具みたいなもの。そんな危なっかしいものを自分の意識の埒外にある不特定多数のコロニーに好んで攪拌させたりはしない。多数の読者を求め、物書きとして生計を立てたいのなら、最初から出版賞に応募し続ける。だからこそ積年の呪いを各種出版賞にぶつけ続けた結果、見事に芥川賞を射止めた市川沙央さんは本当に凄いし、めちゃくちゃにパンクな人だと思う。不謹慎な言い方に聞こえるかもしれないが、天与呪縛の逆フィジカルギフテッドというか、とにかく尋常ならざる気迫みたいなものを感じた。なぜ彼女がたびたび批判に晒されるのか理解できない。それに佐川恭一さん、初期の頃からゲスの極みとも言える作風を一切変えることなく、次々と商業誌の誌面を飾ってゆく様は痛快そのもの。タラウマラ発行の季刊ZINEに参加してくれた際もダントツにくだらない短編を寄稿してくれて、僕は膝を飛び越えて股間を強く打った。
佐川恭一による抱腹絶倒の掌編「シコティウスの受難」は『FACETIME vol.2』に掲載。
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ついでにこれまた長くなるが、かつてジル・ドゥルーズが真摯に打ち鳴らした警鐘を引用する。
文学の危機についていうなら、その責任の一端はジャーナリストにあるだろうと思います。当然ながら、ジャーナリストにも本を書いた人がいる。しかし本を書くとき、ジャーナリストも新聞報道とは違う形式を用いていたわけだし、書く以上は文章化になるのがあたりまえでした。ところがその状況が変わった。本の形式を用いるのは当然自分たちの権利だし、この形式に到達するにはなにも特別な労力をはらう必要はない、そんなふうにジャーナリストが思い込むようになったからです。こうして無媒介的に、しかもみずからの身体を押しつけるかたちで、ジャーナリストが文学を征服した。そこから規格型小説の代表的形態が生まれます。たとえば『植民地のオイディプス』とでも題をつけることができるような、女性を物色したり、父親をもとめたりした体験をもとに書かれたレポーターの旅行記。そしてこの状況があらゆる作家の身にはねかえっていき、作家は自分自身と自分の作品について取材するジャーナリストになりさがる。極端な場合には、作家としてのジャーナリストと批評家としてのジャーナリストのあいだですべてが演じられ、本そのものはこの両者をつなぐ橋渡しにすぎず、ほとんど存在する必要がないものになりさがってしまうのです。本は、本以外のところでくりひろげられた活動や体験や意図や目的の報告にすぎなくなる。つまり本自体がただの記録になってしまうわけです。すると、なんらかの仕事をもっているとか、あるいはただたんに家族がある、親族に病人がいる、職場に嫌な上司がいるというだけで、どんな人でも本を産み出せるような気がしてくるし、このケースに該当する当人も、自分は本を産み出せると思い始める。誰もが家庭や職場で小説をかかえている……。文学に手を染める以上、あらゆる人に特別な探究と修練がもとめられるということを忘れているのです。そして文学には、文学でしか実現できない独自の創造的意図がある、そもそも文学が、文学とはおよそ無縁の活動や意図から直接に生まれた残滓を受けとる必要はないということを忘れているのです。こうして本は「副次化」され、マーケティングの様相を帯びてくる。
ジル・ドゥルーズ『記号と事件 1972-1990年の対話』(河出文庫p262-263)
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僕は制作の際にはいつも必ずドゥルーズのこの言葉に立ち返っては何度も確認作業を繰り返し、ようやっとリリースにこぎつける。しかしそもそもが作品化を企んでいる時点で自分まだまだやなぁと思うに至る訳で、なんとも一筋縄ではいかない。そういう意味では滝野次郎という人がインスタグラムに投稿している日記のような文章には、はじめから読まれることを意図しているにもかかわらず、本来ならば読まれることを目的とした日記からは真っ先に削除されるような状況ばかりが羅列されていて、なかなかどうして凄まじい。馴染みの飲食店で見つけたお気に入りの女性店員を執拗に観察したり、断酒を誓った直後に朝から晩まで酒浸りであったり、謎の投資で10分間で40万円を失っていたり、銀行口座と手持ちの金を合わせても1,000円に満たなかったり、それでも「俺は俺を信じる」と闇雲に自身を鼓舞していたり、そうかと思えば急に脈絡もなくひたすらに左手のハンドサインを連投していたりと、しっちゃかめっちゃか。比肩しうるは円盤/黒猫から出版された『創作』くらいか。あらゆる規範から逃れるべくして逃れ得た、いま最もスリリングな読み物であることに間違いはないが、同時に、これは断じて文学ではない……とも言い切れない不気味な何かが海の藻屑のように蠢いている。
(すでに何らかの隠喩ではないかと勘ぐったり……)
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onishihitsuji84 · 1 year ago
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『ガラスの街』
 五月は読書の月だ。僕は本を読んだ。数多の本を。  最初、それは次の小説のアイデアを得るためだった。頭上の樹々からワインのための葡萄をもぎ取るような、循環を続けるにあたっての摂取だった。いきおい堕落しつつある現実から少しでも意識を逸らすためでもあった。  普段の僕は、本を読んで時間を過ごすことは少ない。長い時間ひとつの文章に集中することができないのだ。  それに読むことよりは書くことのほうがずっと大切だと僕は思っている。読む行為は、現実という制限された枠組みのなかではせいぜい膝丈ほどの優先度しかなかった。  しかし五月ではあらゆるものが落下した。熟れ過ぎた果実が枝との繋がり終え、足元に開いた坩堝に呑み込まれていった。読む行為もそうだ。落ち、煮え滾る器の中で混合した。  いまでは僕の「読む」は混沌としている。それはいまでは長身の僕、その僕以上にのっそりとそびえる一本の巨大な柱となっている。物言わぬ花崗岩の柱。五月、僕はそんな柱を中心にぐるぐると回り続けている。手は文庫本に添えられ、目は9.25ポイントの文字に注がれている。足は僕の意識から離れて交互に動いている。ひたすら歩き、ひたすら読んでいる。柱から少し離れた誰彼にどう見られているかどう言われているかなんてことお構いなしに。
 いや。そんな話自体がどうでもいい。関係ない。  きょう、僕は自分自身が”うすのろ”だということを語りにきたのだ。
***
 五月。  僕はどんなものを読んだのだろうか。   金ができて僕がまずやったことは大学生協の本屋に行くことだった。カウンターで二枚つづりの注文用紙を手に取り、もう何年も使い続けている青のボールペンで書いた。 "9784002012759"  週明け、僕は地下の生協で注文の品を受け取った。『失われた時を求めて』全十四冊。いまは第一巻を読んでいる。僕がふと目をあげると、あの遠い窓の奥で、大叔母が目を爛々と輝かせているというイメージが浮かぶ。泳ぐような精神の移ろいもまた。
 シェイクスピアの『夏の夜の夢』も読んだ。 『MONKEY』のvol.31の三篇、ケン・リュウ「夏の読書」、イーディス・ウォートン「ジングー」、ボルヘス「バベルの図書館」も読んだ。  仕方なく後回しにされていた本を買って読んだのだ。  金銭の自由は、精神という鈍い壁に茂っていた蔓植物のような不足を一太刀で解決した。
『春の庭』も読んだ。『九年前の祈り』も。  ウルフの『波』も読み始めている。  僕の貪欲は、過去に読んだことがあるかどうかなんてものでは選ばなかった。カーヴァーの『象』、春樹の「タイ・ランド」、マンローの「イラクサ」、ヴォネガットの『スローターハウス5』。マラマッドの「悼む人」も読んだ。
 一度の時に、僕はこれらの本を読んだのだった。  こんなに大量のフィクションを仕入れて、いったい何をしようとしているのか?  紛争でも起こそうとしているのか?
 何のためか。それは僕自身にもわからなかった。  僕は特定の目的をもって読んだわけではなかったようだった。五月の読書は「文章の上達」や、「ストーリーテリングの技法」といったそれまでの興味とは別物だった。振り返ればそうだとわかる。
 五月の読書は、それまでの自分を抑制しようとする、極めて機械的な態度とは違っていたのだ。  言えば、それは無垢に機械的な読書だった。  これまでの僕は断じて読書好きではなかった。どんな傑作でも一時間もしないうちに音を上げて投げ出した。ドストエフスキーやメルヴィルと出会ったときでさえ、メインストリームは”書くこと”、そして”生きること”で変わらなかった。この五月に僕は初めてむさぼるように読んだのだ。頭を空っぽにして。堆い小説の亡骸の山に坐すかのようにして。
 それで、僕は何かしら成長したか。  いや。成長なんて一つもなかった。  そこには変化さえなかった。二週間前と、すべては同じだった。僕が着るのは依然深いグレーのブルゾンだった。コミュニケーションもぎこちないままだった。  だからそこで起きたことはシンプルだ。つまり、僕はポール・オースターの『ガラスの街』を読み、ある一つの事実に行き当たった。 「僕はなんという低能なのだ」という事実に。
***
 一昨日から僕はポール・オースターの『ガラスの街』を読み始める。  『MONKEY』でオースターのエッセイを読んで彼のことを思い出し、その夜に丸善に立ち寄った僕は彼の本を久々に手に取った。  三日で読んだ。 「三日で読む」というのは僕にとってほとんどあり得ないことだった。僕のリュックサックには必ず四、五冊の本があった。読むときにはまずそのとき一番惹かれる本を手に取った。そして十数ページが過ぎ、抱いていた軽度の好奇心が満たされてしまうと、浮気性の蜜蜂のようにまた別の小説の甘いのを求めるのだった。  だから、一日目、二日目と時を経るごとに加速度的にその好奇心が勢いを増し、三日目には150ページを一つの瞬間に通貫して読んでしまったのだ。僕の読書体験において、異例中の異例だった。
『ガラスの街』を読んで、僕はうちのめされた。徹底的に。 ”面白さ”、そして”新鮮さ”の二つが、やはり事の中心だった。読書においておきまりのその二つが今回も僕を虐め抜いたというわけだ。 『ガラスの街』を読み終えた瞬間、僕の生きる世界のどこかが確実に変化した。
「祈っている。」  僕がこの最後の一文を読んだとき、曇り空の下にいた。その一節がこちらに流れ込んできたあと、僕は立��上がった。テーブルがごとりと揺れるほどぶっきらぼうに立った。取り乱していたのだった。僕はそのままであてもなく歩き始めた。 「これ以上座っていることはできない」 「このまま座っていると、僕は頭の先から崩れ落ちてしまう不可逆的に」  そうした、僕という精神を一切合切覆してしまうほどの強烈な予感のために。  僕は予感に乗っ取られないよう、何も考えないと努めていた。何も感じまい、何も見まい、と。  リラックスを意識し、肩から力を抜く。腕をぐんと伸ばし、指をぽきぽきと鳴らした。イヤホンを耳にした。『ベリーエイク』を再生する。いつか足元をくすぐった波のように心地よい、ビリーアイリッシュの声に心をしっとり傾けた。  もちろん、そんなことは無駄だった。とりあえずの形など、何の助けにもならなかった。以前との比較から始まる違和感たちは強権的に僕の感情の戸をこじ開けた。  歩く中、透明の空気が奇妙に凪いでいた。風景からは特定の色が抜け落ちていた。向こうで笑う声、衣擦れの音、靴底の摩擦。音という音がワンテンポずれて聞こえた。  変化は女王だった。彼女は支配的だった。  僕は小説による変化を受け入れ、恭順のように認めたわけではなかった。むしろ、変化は僕にどうしようもなく訪れていた。言わば、言い渡しのようにして。  女王を僕は素晴らしい小説を読んだ後の”ゆらぎ”の中に閉じ込めたのだった。何もかもが、僕に合わない形に作り替えられていた。建物を構成する直線はいまやでたらめで恐怖がつのった。頭上の青はこのように汚い灰色では絶対なかった。
――そして、当然、この点についての文章はかたちだけに過ぎない。これらは省略した文章。書く必要がないということ。  なぜなら、あなたたちもかつて同じ経験を経ているからだ。小説を読み終えたあとに来る世界の変質を。  加えて、忘れるなんてことを女王が許すわけもない。これについても言わずもがなだろう。
 そして、重要なのは変化のよろめきではない。   そうなんだ。きょうしたいのは女王の話とは実は違うのだ。ここであなたに伝える言葉は破壊だ。  破壊。  それは”面白さ”と”新鮮さ”のコンビがやったわけではなかった。変化の体験に曝されたゆえのサイコ・ショックでもない。  木々を打ち砕く手斧となり、人体を壊す剣となり、バベルの塔をゼロにする雷となったのは、オースターの書きっぷりだった。
 オースターは、考え抜いていた。  そこで”感じ”は排除されていた。  感覚による言い表しがまるで無かったのだ。僅かにイメージに依拠するものがあっても、それは必ず共感の姿勢だった。テーブルに身を乗り出し、相手の声に耳を澄ませる態度。
『ガラスの街』では、本当に一切妥協はなかった。僕はとても信じられず、街を隅から隅までしつこく歩き回った。しかし、本当に妥協はどこにも無かった。
 オースターは僕とコミュニケートすることを選んでいた。そのへんの宙に感覚という水彩画を描いて「ほらご覧」とする、ごく個人的で他者には見せつけるだけという表現は徹底的にしなかった。チャンドラーを始め、私立探偵ものに由来する例の論理的な高慢さはあった。しかし、確実にオースターは読者と対峙していた。彼は殴る、殴られる痛みを完全に了解した上でリングに立っていた。  彼の据わった眼が僕を揺るがしたのだった。彼は完全の脆弱性を知りながら、完全に書いていた。  それだから、彼を読んだとき、僕は……
 向こうから厚底ブーツの女が歩いてくる。  女は痩せている。薄い、流線形の黒一枚に身を包んでいる。背が高く、ありったけに若い。二十歳前後に見える。二つの瞳はキャップに隠れている。すれ違いざまに見える耳にさえ、カナル型のイヤホンで黒が差されている。マニキュアはあまりにも美しい銀色に染まっており、高まりを誘う。  センスがいい。綺麗だ。  彼女はなんて豊かなんだ。  僕はそう思う。  ほとんど同時に、ガラス一枚を隔てた向こうで本を読む人を見つける。  また女だったが、今回性別は重要ではなかった。その読む人は区切られたブースで、文庫に目を落としていた。化粧や唯一のファッションなどもなく、やはり装飾は重要でなかった。というのも、いまにも涎が垂れてきそうなほどに口をあんぐりと開けて読んでいた間抜けなその放心が、僕の記憶に楔として打ち込まれていたからだ。
 これらのスケッチが、何かを直截に意味することはない。二つの風景は隠喩ではない。  正直に、上記は僕が受けた印象の再放送だ。  この日記は『不思議の国のアリス』ではない。二つは作為的な意味を持たない。  書いたのは「意味を持たない」ということを明らかにするためだ。  その内容でなく、外側、僕のスタイルという基本的な骨組みを露わにするためだ。
 そう。だから、つまり……僕は痛みから逃げている。オースターとは違って。  きょう、読んで、事実は突きつけられる。
***
”言葉”はもう一度響く。
「大西さんの小説は、けっきょく古典から表現を引用しているだけ」
「僕は彼にもう興味がないんだ。かつて、彼は賢い人だと思っていた。書くものに何かしらの意味があると思っていた。でも、そうじゃないと知った」
「あなたの課題は、独自の世界観を提示できるかということです。海外の小説、そして村上春樹でなく」
***
 そして、このように敗北してもなお、僕は決定的な何かについて述べることはなかった。張りつめた表情で、まやかし、それ自体に必死に祈る。もうそのような生き方しかできないと信じ込んでいるのだ。
「この大地にあるものはすべて、消え去るのだ。そして、今の実体のない見世物が消えたように、あとには雲ひとつ残らない。私たちは、夢を織り成す糸のようなものだ。そのささやかな人生は、眠りによって締めくくられる」
 祈りの文句を何度も何度も口にした。  僕の声はいつも通りにすごく軽くで響いた。  そして一度響いてしまったものは泡沫のようにたちまち消え去った。
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togekiss4ss · 2 years ago
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SNOOZER 1998 4 Bernard Butler 天国から降り立った至福のソウル・ミュージック、遂に完成!
BERNARD BUTLER
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by SOICHIRO TANAKA photography by MIDORI TSUKAGOSHI
間違いなく、98年最初の傑作と呼びうる作品が座み落とされた。アルバム「ピープル·ムーヴ·オン��——バーナード·バトラーという類稀なる才能がようやく咲かせた、大輪の花びらである。険しさや激しさとは無縁。勿論、どこまでも気持ちが高揚するアップ·テンボのナンバーもある。だが、基本的には柔らかで、しなやかで、ゆったりとした時間が漂う、極上のソウルフルな作品集である。
■練りに練り込まれた4ピース·バンドのアンサンブル、そこに実に効果的に配置された華麗なストリングス——だが、そんなゴージャスなプロダクションにもかかわらず、バーナード本人の細かい息遣いがそのまま伝わってくるような親密さがここにはある、日当たりのいいキッチンに通されて、入れたばかりのココアを御馳走になったかのような暖かさ。薪が割れる音だけが聞こえる、暖炉のある暖かい居間に招かれて、家族との思い出話をひとつひとつ聴かされているかのような距離感。そして、妻、亡き父親、兄弟達、多くの友人達——バーナード自身と彼の周囲の人々をめぐる大小様々なドラマが平易な言葉で綴られた歌詞。ここはバーナードが招き入れてくれた彼の部屋なのだ。
■「僕が何故、落ち込んでるか聴いてくれるかい?/僕が過ごしていた日々は、ありがちな疑いばかりだったから/そう、僕が夢を語っても、君だって耳を貸しちゃくれなかった」「そう、君はわかってくれてると思ってた/友人達が僕のことを取り合ってもくれなかったってことを/だって、僕は他人のことが少しもわからないんだよ」「でも、最近は僕はひとりじゃないんだ」——アルバムに先立つ2枚目のシングルとしてリリースされた“ノット·アローン”において、バーナードはどこまでもあけすけに歌う。だが、ここで鳴らされているのは、夢、失意、孤独、離別、誤解、強がり、喜び——そんな普通的なものばかりだ。そう、これこそは我々、日常と自分自身の感情に翻弄され続ける「ちっぽけな魂」の主題歌そのものなのではないか?
■バーナード·バトラーは、自分の半径2メートルのありきたりの小さなドラマから「普遍」を生み出した、どこにでも転がっているありきたりの失意と喜び——だが、それが当の本人にとってはとれほどに深刻なドラマなのか? そして、それを細心の注意を払い、目一杯の熱意でもって奏でた時に、それはどれほどに崇高な叙事詩たり���るのか?——アルバム「ピープル・ムーヴ·オン」は、そうした事実を証明してみせた。バーナードに招かれて、我々は自分自身について語りだす。そう、アルバム「ピープル·ムーヴ·オン」は、そんなありきたりのちっちゃな喜怒哀楽に対する祝福で溢れている。
このレコードによって父の思い出が公になってしまうのは、少し哀しい。でも、そのことによって、僕自身の存在を証明出来た気もするんだよ。僕は一分一秒たりとも人生を無駄にしたくない。そんな思いを父の思い出がサポートしてくれるのさ
ありきたりに生きたありきたりの男が愛した「やせっぽちの息子」だからこそ産み落とせた、どこまでも親密な「至福のソウル・ミュージック」——
マチズモからも、ホモ・セクシャル体験のないバイ・セクシャルからも遠く離れた、奇跡のソロ・デビュー・アルバム『ピープル・ムーヴ・オン』が到達しえた、しなやかさの秘密
●素晴しくソウルフルなアルバムが出来上がりましたね。
「どうもありがとう」
●このアルバムを聴いて、何故、あなたがスウェード時代、あんなにも居心地悪そうにしていたのかがわかったような気がします。というのも——。
「ふう(と、言ったまま机につっぷしてしまう。髪の毛がスープに浸ってしまっているのも気にせずに、ガバッと起き上がり、首を激しく振り続ける)」
●もうスウェードの話はしたくないんですね?
「いや、そんなことは言ってないよ。別にいいんだけどさ。別にいいんだけど……でも、スウェードのことについては散々話し過ぎたから。ねぇ、アルバムの話にしてくれない?」
●ええ、勿論。だって、今日はスウェードじゃなくって、あなたのソロについて話しにきたんだから。
「それなら良かった。うん、もうスウェードの話はしたくないんだ。僕はスウェードでのキャリアを、本当に誇りに思ってるよ。でもさ……でも、もう5年も前の話なんだぜ?でも、ヨーロッパのプレス……特に英国のプレスは、事あるごとにそんな昔の話に固執するんだよ。昔のことだけじゃない。スウェードが何百万枚もレコードを売ったとか、そんな話をするんだ!そんなの僕の知ったことじゃないのに」
●いや、だから、僕が訊こうとしてるのは——。
「(遮って)だってさ、このアルバムはスウェードのレコードに対する反撃でも何でもないんだから……。このレコードは明らかに、今までやってきたことと違うはずだよ。僕の人生の中の、新しい時代の節目にふさわしいものなんだ。歌詞的なアプローチの方法も、個人にすごくクローズアップしていったり、うんと突き放してみていたり、すごく一般的なことに基づいていたり、様々なんだ。そう、これは全て『僕』なんだ。すごく『僕』らしいレコードなんだよ。ここには、いろんな違った角度から『僕』が描かれているのさ。それこそが、僕が常にやりたいと思っていたことなんだ。うん……でも、まあ、君がこのアルバムの中の僕と比べてみて、スウェード時代の僕は居心地悪そうにしてた、と言うのも分かる気がするよ。確かにそうだったかもしれない(笑)」
●うん、そう。つまり、僕が「何故、居心地悪そうにしていたのかが分かった」と言ったのは、このアルバムを聴きながら、「ああ、これこそがバーナードが昔からずっとやりたかった音楽だったんだなあ」としみじみと感じたからなんです。
「ああ、もう本当にその通り。大正解だ。でも、そんなことを言ってくれたのは、君が初めてだよ」
●嘘?本当に?
「ねえ、『ボトム·ドロワー』って知ってる?結婚に備えて、女の子が嫁入り道具をしまっておくたんすの引き出しのことなんだけど。お父さんやお母さんが、お嫁に行くときに持って行かせたいものを、娘のために蓄えておいたりもするんだ。で、これは、そんな感じのレコードなんだよ(笑)。今まで大事に蓄えてきたものがギッシリ詰まってる。なかなか外にひっぱり出すことが出来なかったんだけど、絶好の機会を得て、ようやく陽の目を見ることを許されたのさ(笑)」
●(笑)なるほどね。それで、このアルバムを聴いて最初に感じたのは、ひとつが最初に言ったソウルフルな作品だということ。で、もうひとつが、70年代のソングライター達がやっていたような、すごく「パーソナルな息遣い」が伝わってくる作品だということなんです。
「へえ。なるほど。いいね」
●でも、自分自身の弱さや怖れをも包み隠さずに歌うのは、最初は戸惑う部分があったんじゃないですか?
「いや、僕は隠しだてしたりしないんだ。隠すものなんて、何もないからね。むしろ人間は自分を包み隠したりしないための努力をすべきだと思うよ。ほら、去年出たレコードの大半はマッチョで、アグレッシヴなギター·ミュージックばっかりだっただろ? なんかお高くとまってると言うか、人を下に見てるって言うか。『俺はグレイトなんだぜ!俺はお前らとは違うんだ!』ってね。でも、僕はそんな風に自分のことを考えたくない。それよりも、もっと繊細なものを表現したいんだ。人間関係のことや、離別や、誰かを失うことや、家族のこととかね。僕はそういうものを自分の内側にひたすら溜めているだけなんて好きじゃない。殻に籠りたくないんだ。溜まったら吐き出して、受け入れていかなくちゃ。どんなポジティヴなことも、ネガティヴなこともね。勇気を奮い起こさなきや。『何でこんなことが僕の身に起こったんだろう?』って理由を解明するんだ。それで『きっとそれは僕が物事の悪い面しか見てなくて、考え方によっては良い側面もあるはずなのに、それを見ようとしないからなんだ……』って気付くんだ。それは変化し得るものかも知れないんだから、リスクを負わなくちゃ。それが、このレコードで表現されている僕の感情というか、感覚なんだ。とにかく、このレコードはすごくパーソナルなものなんだよ。だから、どの曲が具体的にどの人について歌っているかは、言いたくない。僕に言えることは、『このレコードは僕の人生にすごく深く関わっているものだし、多分、みんなの人生にも何らかの関係性を持っているだろう』ということだけなんだ」
●なるほどね。実際、あなたは、これまで自分自身のことを「やせっぽちの、ギターを弾くしか能のない男」という言い方をしてきましたよね。でも、この作品さえあれば、そういった自嘲的な言葉で照れ隠しするのではなく、「僕には人を感動させることが出来るんだ!」と胸を張って言えるんじゃないですか?
「そうだね。僕はこのレコードをすごく誘りに思ってるよ。でも、特に、ここ10年くらいは男が怖れや弱さをさらけ出す、なんてことが受け入れられない状況にあるだろ?実際、僕が思うに、男は普通そういうことをレコードの中で表現したりしないんだよ。男っていうのは、いっつも叫び声をあげてなきゃならない。っていうか、いつでも強気で、男らしくて、荒々しくふるまわなくちゃならなかったりするんだ。でも、僕は、終始『俺はグレイトだ!俺は最高だ!俺の書く曲はどれもこれも素晴しいんだぜ!俺はこの世代で、いちばん優れたソングライターだぜ!』なんてふれまわるような人間には興味がないんだ���(笑)。自分の道をまっすぐに、ただ前だけを見て進んでいけばいいのさ。僕はその方がずっと強い生き方なんだと思ってる。実際、怖れや弱さをさらけ出す、って言っても、何もネガティヴで、悲観的な意味かりがこもっているわけじゃないと思うんだ。本当は、もっとずっとポジティヴで前向きなことだと思うんだよ。だって、ちゃんと自分と前向きに向かい合っているわけだろ?で、その先を模索するための一段階なんだからさ。勿論、これは僕の問題であって、他の人にも強要するつもりなんかないよ。でも、もしかしたら僕のレコードが他の人の考え方に影響を及ぼすかもしれないよね。その可能性もあると信じてるんだけど……。だから、このレコードっていうのは、マッチョでもなく、アグレッシヴでもない、でも、強くてしなやかな男の作ったレコードなんだ。前だけをまっすぐ見て、突き進んでいくだめのレコードなんだよ」
●マッチョじゃないってことで言えば、ヴォーカルという面についても、ニール·ヤングの「囁くような歌い方」があなたに歌う勇気を与えてくれたんじゃないですか?
「う~ん。囁く、っていうのはちょっと違うかな。でも確かに、ニール·ヤングみたいに、ヴォーカルではなくて、表現の一部として歌を歌っているような素晴しい人達っていうのは、技巧に凝らないよね。ビブラートも使いこなせなければ、音階もまともに取れない。でも、何故彼らの歌が素晴しいのかと言えば、ここから生まれたものだからなんだ(と胸をトントンと叩く)。それにいい音符が並んでいれば、つまり良いメロディがあれば十分なんだよね。でも、僕が勇気づけられているとすれば、やっばり彼のアティテュードなんじゃないかな」
●先ほど、70年代のソングライター的なパーソナルな思遣いという話をしたんだけども、逆に、あなたとしては英国人のソングライターに多いキャラクターや物語を設定する歌詞の書き方には、胡散臭いものを感じるんでしょうか?
「そもそもイメージを作り上げようとする点では、大英帝国こそ最も悪しき存在だと思うな。この国は、もう何千年もの間時間を無駄遣いしてる。国民はずっとそれに踊らされて、『大英帝国万歳!』ってやってきた。で、その思想みたいなものが、今の時代になってもずるずると国民の頭の中に残ってるんだよな。こんな小さな国に住んでるもんだからさ、アメリカにプレイしに行ったバンドなんて、すぐ大陸を征服したような気分になってしまうのさ。『俺達はすごい!』ってね。勿論、これは一般的な英国人の考え方であって、僕の意見というわけじゃないよ。僕はそんな考え方には反対なんだ。僕の両親はアイルランド人だから、この大英帝国的な思想は相容れないものがあるし。これがさっきも言った、アグレッシヴな考え方の根底になっているものなんだ。僕は、僕のレコードを聴いた人達にイメージの刷り込みとか、餌付けみたいなことはしたくないんだ。それよりも、このレコードを聴いてくれた人達と手をとりあって、暖かな雰囲気を感じて貰いたいと思ってる。僕は火になって、誰かを暖めることだって出来るはずなんだ(笑)。まあ、確かに、その英国的なソングライティングというのは、一種のシニシズムのようなものだよね。それと、幻想みたいなものを人はそこに見い出しているんじゃないかな。というのも、みんな退屈してるからね。退屈な生活、退屈なバックグラウンドを持った人達が、大勢ロンドンにやってくる。特にロンドン郊外からね。サリー州やケント州、サセックス州といった場所に生まれ育った若者達は、ロンドンに大都会の幻影を見てるんだよ。『ロンドンに行けばきっとエキサイティングなことが待ち受けてる』ってね。でも、僕もそうだけど、元々ロンドン市内で育った人達は、そんな幻想を持ってはいないからさ。でも、郊外で育ってロンドンに来た人達は、そういう幻想を持ってる。すごく奇妙な、ロンドンのアンダーグラウンド·シーンを発掘するのに執着するんだ。むしろ僕は自分のレコードには、退屈ならその退屈をそのまま表現したいと思ってる。下手な幻想を描くのではなくてね。まあ、こういうことはロンドンに限らず、世界中の大都会に共通する風土病みたいなものなんだけど(笑)」
●なるほどね。
「諸悪の根源は、あのブリット・ポップだった。まあ、中にはいいのもあったけど、そういう地味だけどいいレコードよりも、もっとくだらないけど華やかなレコードばっかりが売れて、そういう連中だけが大金持ちになっちゃったんだよね。ヴァーヴとか、レディオヘッドとか、そういう素晴しいバンドは黙ってベンチに座ってるだけだった。僕もそうだった。でも、最近になってやっと状況とクオリティが一致してきたように思うんだ。でも、やっぱりあの時代というのは、失望させられてばっかりだったよ。まるでロンドンのイメージー=ユニオンジャックの旗、赤い2階建てバス(笑)っていう、あのステレオタイプのイメージがそのままロンドンのミュージック·シーンに持ち込まれちゃったんだ」
●では、今も話に出たレディオヘッドのトム·ヨークのような人は、自分しか気が付かないような、自分自身や世界の問題点をえぐるように見つめて、それを克服するために創作に向かっていますよね。
「僕、彼のことが本当に好きなんだ。尊敬に値するね。レディオヘッドの曲を聴くと、いつでもついつい歌詞に目がいってしまう。歌詞カードを��む、数少ないバンドのひとつだね(笑)。でも、ああいうダウンな歌詞で曲がものすごく良いバンドって、本当に少ないと思う。そこが彼らのすごいところなんだ。曲がとてもいいから、その曲と詞の相乗効果が素晴しくて、詞そのものがまるで詩歌みたいに響いてくる。世界で最高のバンドのひとつだね。それは疑いようがない。興味深くて、曲が素晴しくて、声が美しい。そして、歌詞が本当にいい。自分達の過去を忘れてしまって、最初からビッグなバンドだったような顔をしないのがまたいいよね。彼らが最初にレコードをリリースした時、この国の誰も彼らに興味を抱かなかった。『ザ·ベンズ』をリリースした時だってそうさ。でも、半年経った頃に、ようやくみんながあのアルバムの良さに気付き始めた。ファッショナブルだとさえ言われるようになったんだから。最初は誰の目にも留まらなかったものが、今では10年来の傑作レコードにまで成り得たのさ。その辺が、僕が『ロンドンのミュージック·シーンはクズだ』と言う所以なんだよ」
●ところで、あなたのソングライティングについてもうちょっとお訊きしたいんですけど、やはり今作に収められた作品のソングライティングの過程というのは、自分自身の弱点やダークな部分と向き合って、それを克服していく過程でもあったんでしょうか?
「うん、そうだね。ただ、向き合って、というのは確かにそうだと思うけど、克服っていうのはちょっと違うな。克服というよりも、『ポジティヴなやり方で自分自身を表現している』と言ったほうが適切だと思う。僕は決して紙と鉛筆を持って、じっくり腰を据えて曲を書くようなタイプではないからね。ただテープレコーダーを回して、思いついたフレーズをランダムにそこに放り込んでいく。アイディアをとっ散らかったままとにかく録っておくのさ。頭の中はいつも混沌としていて、いろんな考えや感情がぐちゃぐちゃに渦巻いている。それを簡潔な言葉で説明することなんて出来ないはずなんだ。なのに、一旦レコードになると、ちゃんと簡潔にその意味がまとまっているんだよね。自分でも不思議でしょうがないんだけど(笑)。それで、レコードをじっくり聴き直してみて、ようやく自分自身の考えていたことが解ったりするんだよね。曲作りは、本当にそんなふうな自然発生的なものなんだ。予めプランを立てておくことなんて出来ない。いや、出来たらどんなにいいか、って思うんだけどね(笑)。だけど、やっぱり駄目なんだよね」
●では、今回、ソングライティングの過程で、本当の自分自身と向き合う時、最も苦痛を伴ったのは、具体的にどんな部分だったか数えて下さい。
「そうだな……僕の父親についてのラインを書いている時かな。このアルバムには、全体を通して僕の家族についての描写がたくさん出てくるんだけど、時々胸が苦しくなったりしたね。タイトルや、そういったフレーズに引用されているのは、妻との会話や、何年も前の僕の家族との対話だったりするんだ。まあ、中にはテレビの中の会話からとったものもあるけど(笑)。僕は、基本的に、そういう具体的な会話を引用するのが好きなんだ。政治的なメッセージ性のあるタイトルなんて付けたくないからね。僕は本を読まないからさ。知識なんかよりも、もっと自分のイマジネーションや、頭の中にあるもの、感覚的なものを大切にしたいと思ってるんだ。とにかく、家族のことを曲にするのは、いつでも苦痛を伴う作業なんだ。でも、そこにこそ僕のエモーショナルな部分がいちばん生かされているとも思うし、ポップ·レコードに、もっと深い感情を与えてくれる存在でもあるんだよ。それに、父親や、祖父や、先祖の思い出は僕に残された遺産だと思うんだ。で、その遺産を僕も残していきたいと思ってる。そう、運命みたいなものだね。それに自分なりに折り合いを付けていくのは、エキサイティングなことでもあるんだ」
●実は、この作品を聴いて、かつてあなたがあなたのお父さんについて語った素晴しい言葉を思い出したんです。「自分はごく平凡なとても素晴しい人をひとり知っている。君達にはなんの意味も持たないかも知れないけど、僕にとってはとても大切な人だった。その人はとても幸福な当たり前の人生を生きて死んだんだ」って言葉を。
「ああ、そうなんだ……うん……彼はね、そう、とても平凡な人だった。ごくごく当たり前の人生を送っていたよ。人生を通して、何か特別なことをしたわけじゃない。9時から9時まで退屈な場所で働いて、夜は毎晩テレビを観て、お金の工面をして、ごくまともな死に方をしたんだ。特別に楽しいことがあったわけじゃないんだろうけど、月明りの頃……死の直前にはそれなりに残りの人生をエンジョイして死んでいったと思うよ。その父の思い出がレコードをリリースすることによって公になってしまうのは、僕にとってちょっと哀しいことでもあった。でも、それと同時に、彼の思い出を公にすることによって、僕自身の存在を証明出来たような気がするんだよ。僕自身がここに居る、その事実と理由をね。僕は一分一秒たりとも人生を無駄にしたくはない。そんな思いを彼の思い出がサポートしてくれるのさ。そう、父はとても博識で、機転が利いていて、ウィットに溢れた人だった。でも、誰も声を大にして、彼にいい仕事にありつ��機会を教えてはやれなかったんだ。君や、僕のようないい仕事にね。まあ、これって世代的な問題でもあるし、それだけのことなのかもしれないけどね」
●うん。でも、このアルバムさえあれば、あなたは彼の遺志を継いだ、素晴しい息子だという証明が出来ますよ。
「(笑)そうだね。父がそう思ってくれることを願うよ」
●先行シングルの“ステイ”は、どこかお父さんに捧げられた部分もあるんじゃないかと思ったんだけど。
「いや…… 。特にそういうわけじゃないんだ。でも、もしかしたら、潜在的にそんな思いもあったのかもしれないね。正直なところ、どういうふうに君に説明したらいいのか分からないんだけど。この曲は、『変化』について歌われたものなんだ。僕は、人が他人に『君は変わるべきだ』『君はもっと先に進まなくちゃいけない』なんて言ってるのを見ると、イラついてしまうんだ。だって、言われた方は、彼らが変わらなくちゃいけないことも、彼らが本当に先に進みたいと思っていることも、ちゃんと分かってる。それと同時に、そのことがどんなに難しいことかも分かっているんだから。でも、一日の終わりには、必ず『やっぱり自分は変わらなくちゃいけない』って思うんだ。それって、すごく絶望的な光景だと思うんだよね。変化の過程というのは、いつでも恐怖や失望を伴うものだし、違う場所に到達するのって、フラストレーションに常に苛まれるシチュエーションなんだよ。感情的にも不安定で、すごく傷つくことなんだ。実は、この曲のフレーズは、ちょうど僕がレコーディングに入る前に知人の女の子に言われた言葉でさ。彼女は僕が先に進まなくちゃいけないことも分かってるのに、僕にそんな風にばかり言ってて…おまけに、自分は進もうとしなかった。自分も前進しなきゃいけない、って分かってるのにさ。このことは、“ステイ”の前の曲 …なんだっけ、アルバムの9曲目」
●え~っと “ユー·ハヴ·ゴット·ホワット·イット・テイクス”ですね。
「その曲も、このことについて歌われたものなんだ」
●そうなんだ。なるほど。じゃあ、アルバム·タイトルにもなっている『ピープル·ムーヴ·オン』というタイトルは、そうしたあなたの人生における変化に対する認識が現われたものなんでしょうか?
「これも、もともとは毎日の対話の中から出てきたフレーズなんだ。でも、ちょっと違うのは、これは自分自身の対話というところなんだよ。『何でこんなことが起こるんだろう?』、『何でこんなことが自分の身に起こったりするんだろう?』という問いかけから生まれたものなんだ。自分の頭の中に渦巻いている、人生そのものに対する問いかけだね。このフレーズが最初に閃いた時、僕はウェストエンド(ロンドン中心街)で新聞を売ってたんだ。何年も前の話さ。で、人がただ、流れていく。流れていく。流れていく。土曜日の夜で、みんなはクラブに繰り出すために、流れていたんだ。僕は、それをじっと観察してた。自分勝手に彼らを批評してたわけさ。クラブへ向かう時にはお洒落して、皆すごくスマートに決めてるだろ? でも、帰りには口紅は剥げてるし、髪の毛はめちゃめちゃだし、あられもない格好になっていたりするんだ(笑)。そういう流れ行く人の立ち居振る舞いを、批評することだって出来るし、それを経験の一つとして自分に取り込むことも出来るんだ。そういうのって、ただの行きずりの人についても、大切な人についてもそれは同じことだと思うんだ。過去に一緒にプレイしたことのあるミュージシャンだって、一緒に仕事をしたことのある人だって、関係を持ったことのある人だって同じことさ。僕の中には、他人は自分の中を通りすぎて行く存在に過ぎないという思いがどこかにあるのかもしれない。勿論、その中には僕を救済してくれる人も、僕のイマジネーションをかきたててくれる人もいる。2度と会わない人もいる。「ピープル·ムーヴ·オン」というのは、人が自分の中を流れていく、まるで旅するように来ては去っていくシチュエーションをイメージさせるフレーズだと思うよ。このレコードも、そんな旅のようなものなんだ。色々な人や、色々な経験がこのレコードを通り抜けていくのさ」
●なるほど。で、このアルバム全編には「許し」が漂っていると思うんですよ。あなた自身、このアルバムを作ることで、憎しみや怒りという感情から解放されて、とっても清々しい気分になったんじゃないですか?
「いや、どうだろ……最初から『許し』があったというよりも、先に『評価/判定』があって、その結果から君はそう感じたんじゃないかな。勿論、ネガティヴな評価の場合もあるよ。で、そういう人間関係を自分の経験則として蓄積することが出来るんだ。そういうことだと思う。そう、それと『ビーブル·ムーヴ·オン』というタイトルには、もう一つ別の意味があるんだ。それは、『頼むぜ!動いていこうよ!』ってことなんだ(笑)。『進んでいこう、イマジネーションを最大限に使って、音楽に関する知識をうんと生かして、動いていこう、進んでいこう!』ってことなんだ。まあ、つまりは、レコードを作ろう、ってことなんだけど(笑)。スピリチュアライズドやレディオヘッドといったバンドは、それを本当に上手にやってのけたと思うよ。彼らはこの国の音楽的な財産にきちんと敬意を払いながら、全く同じことをやるということに、プレッシャーを感じてる。違和感を感じてるんだ。『お、これいいね!頂戴しよう』って上手く過去の音楽スタイルを取り入れながら、最新型のオリジナルを創り出しちゃうんだからね!すごく革新的だよ。こういうのを、アート·ワークって言うんだと思う。いろんな人から影響を受けて、それで今度は自分達がリスナーやオーディエンスに影響を与えてる。動き続けているのさ」
●うんうん。じゃあ、あと少しだけ。“ユー·ライト·ザ·ファイア"の穏やかなムードというのは、あなたの家庭のムードそのものの反映なんでしょうか?
「いや、というよりは、これは今現在の僕自身の状態についての曲なんだ。父が死んでから数年の間、僕は兄弟達と全然連絡を取り合っていなかった。でも、ちょうどアルバムの最後の曲のヴォーカル·トラックを録っていた時なんだけど、兄弟が僕をスタジオに訪ねて来てくれてさ。なんだかすっかり歳とっちゃったみたいに見えたけど、もうとても嬉しくてさ。つまり、レコーディングが一区切りついたところで兄弟が激励に来てくれたんだよ。その時っていうのが、すごく暖かな気分だったんだ。その後も、僕にも子供が出来て、兄弟にも子供が出来て、母が孫を見に来てくれて、良い時期が続いてる。すごく暖かくて、素敵な、ポジティヴな時間が続いていることを歌っているのさ」
●うんうん。でね、ちょっと気になったのは、このアルバムを聴く限り、あなたってちょっとジェラシーが強すぎる男性なんじゃないかな?って。
「ジェラシー?いや、僕としてはそんなことないと思うけどな。良く分からないな、その質問は」
●OK。じゃあ、ここ数年のあなたの活動を見て、最もやきもきしていたのは、あなたのワイフなんじゃないかと思ったんだけどーー。
「え、どういうこと?彼女が僕の音楽活動を気に入ってなかったってこと? それとも、全然働いてないことを怒ってたかってこと?」
●違う違う!だって、ここ数年、音楽活動の面であなたは色々と紆余曲折してたじゃない?
「ああ、分かった。そういうことか。うん、僕の奥さんはね、すっごく素敵な女性なんだよ。アハハハ。いやいや、とにかく、音楽のことに限らず、���々心配はかけてると思うな。僕は結構肝心なことを言わなかったりするもんだから、彼女はそれをどうにか理解して、問題を解決しようと努力してくれてるんだ」
●じゃあ、“ユー·ジャスト·ノウ”は、彼女との関係の中から生まれた曲なんでしょうか?
「そう、僕は彼女のことを何でも知りたがるからね、まるで子供みたいに(笑)。というより、彼女が僕を理解してるのかどうかを知りたがってしまうんだ。ほら、子供って何でも根掘り葉掘り訊きたがるだろ?『どうしてそんなこと知ってんの?それってどういうこと』ってさ。小さい時には誰でも、『なんで今夜サンタクロースが来るなんて判るのさ?』って両親につっこんで、困らせたりするじゃない。もちろん親はそれには答えられないんだけどね(笑)」
●でも、それって、あなたがジェラシーの強い人だってことも関係してるんじゃない?
「ああ。なるほど。それは良い見解だね(笑)。そうか。そうなのかも。ハハハ」
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benibame · 1 year ago
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2023年お気に入り映像作品5選(MAD編)
例年ブログで紹介している「お気に入り映像作品5選」から派生して、去年からMAD編として音MADをメインとした紹介も始めています。自分が普段見るのはカオス渦巻くニコニコの有象無象が多いため、そっちも紹介しないと嘘だろうということで始めた企画。2回目も厳選された5作品を紹介します。
過去の紹介作品は以下の通りです。
【2022年お気に入り映像作品5選(MAD編)】
①語彙
もはや人力で歌うのが当然とでも言わんばかりに歌いだす3バカの調律も見事ですが、替え歌や(だいたい)アイマス素材を駆使して一曲を構成する技術力と根性には感服します。これだけの大量の素材を使用しておきながら、使用MVは恋のみというこだわりも凄まじい。魅力の多い本作のなかでも歌詞の語彙力のなさを徹底的に貫き、その力強さでキャラクター愛をド直球で伝えてくる手法に思わず感動すら覚えます。見終わった後の満足感と爽やかな気分にしてくれる、短編映画を観たかのような大団円を感じさせてくれる傑作です。
②深セン東
シンプルなタイトルとサムネイル。この控えめな外見からは想像もつかないシックで鋭く、そして前衛的な本作は、その展開と演出に初見では開いた口がふさがらないほどに驚かされました。とても一朝一夕には作れなさそうな作風にプロではないかと思ってしまうほどです。駅という人々が交差する場所を、タエ・ヨコ・オクの視覚に訴える手法で表現した構成には美しさすら感じます。現実の風景から気づかないうちに異次元の世界に迷い込んでしまったかのような不安感を与えつつ、堅固で重厚な音作りによる安心感を同時に味わえてトリップしてしまいそうな、一言では魅力を言い表せない作品です。
③与謝ロック
レターパックで現金送れは全て詐欺です、でおなじみ与謝野晶子の音MAD。局所的なブームとは言え積極的に便乗してクオリティの高い映像を制作し続ける人たちには頭が上がりません。とにかくネット中からかき集めたであろう素材を巧みに使い、本人の肉声すら使って一曲仕上げるその胆力が素晴らしい一作。映像も徹底的にふざけており、やるんだったらこれくらいやんないとなぁ!という心意気を感じます。最近は本人のデータを使用してAIが好き勝手喋らせることが問題にもなりましたが、音MADの人力を見ているとAIはまだまだ遠いところにいるなぁとなんだかホッとします。
④狂風オールバック [ヤンデレCD]
ヤンデレCD!?生きてたのか!?
味のある手書きと隠せない狂暴性。愛というには重すぎる情報量。どこから説明していいか手の付け所に困る名作です。狂気を狂気で重ねる展開の中にもユーモアとネタが仕込まれており、何度も見てしまいます。また部分的に使われる狂気的トランジション(?)も画期的で、おどろおどろしくもスムーズに次画面へ展開する非常にユニークなトランジションを生み出していて、作者のヤンデレCDに対する熱い情熱が伝わってきます。肝心のお兄ちゃん自身は割と楽しそうに生きてるのが作風のバランスをとっていて最高です。
⑤【音MDM天】今日もふたりは
この曲にしてこの動画あり。そう言っても過言ではないほどにマッチした雰囲気に思わず息をのみます。静止画が中心の作品は、映像を作る人にとっては非常に難しい題材ではありますが、さすがの技術力で難なくこなされています。2Dの動画と思いや奥行きを感じさせる3Dへのスムーズな移行や、それをさりげなく表現する小物の使い方など細部にもとてもこだわった作りが伺えます。ラストシーン(3:26~)の高速で画面を切り替えつつ、動きが少ない部分に視線を誘導する表現は上記の「深セン東」でも使用されていましたが、地道な作業が必要ですが迫力のある演出が可能になり、アクセントとしてラストに使ったことでこの動画の印象が強烈に残ります。そういった構成自体も上手な作品であり、参考にすべき部分が見れば見るほど増える傑作です。
この他にも選外としましたがおススメとして
BATTLE X PRESS
厚岸イ
ハトが強すぎる強風オールバック
三冠王 村上 1点
にじかはやばいクレーマーではありませんが、大谷翔平さんとみんなで可愛くてごめんをちくちく歌いたいです
どれも最高に面白いです。やっぱりMAD最高ですね。今年も最高の動画が見つかることが楽しみです。
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play-movie0308 · 2 years ago
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青春×【eスポーツ】 『PLAY! ~勝つとか負けるとかは、どーでもよくて~』<予告編&ポスタービジュアル>解禁!
 若手俳優のフロントランナーである、奥平大兼と鈴鹿央士がW主演を務める映画『PLAY! ~勝つとか負けるとかは、どーでもよくて~』が、2024年3月8日(金)に全国公開することが決定いたしました。
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<陽キャ×優等生×クセ強>の3人組が【全国高校eスポーツ大会】決勝戦へ!
 不満はないけれど、なにかが足りない。そんなどこにでもいる10代男子がひょんなきっかけから【eスポーツ】全国大会に挑むことに。同じ学校に通いながらもオンライン上で集合・解散、学年も性格もバラバラの3人組がモニターを越え、勝ち負けをも超えたその先で、目にした景色とは―――。
 【eスポーツ】を題材にした日本初の劇映画である本作は、徳島の高等専門学校を舞台に実在の男子生徒をモデルに描いた青春映画。本音を語らず微妙な距離を保ついまどき世代を、時に笑いを誘いながら等身大に映し出す。それぞれが悩みを抱えながらも、この一瞬一瞬を全力で“PLAY”する姿はすがすがしく、観る者の心にも爽やかな風が吹き抜けることだろう。
 今をときめく奥平大兼と鈴鹿央士というふたりの若手有望株を主人公に、数々の青春映画の傑作を世に送り出してきた古厩智之監督がメガホンをとった。また企画・プロデュースは、「サクラ大戦シリーズ」等を手がけ、ゲーム界のレジェンドと称される、広井王子。
モニターを越えて、勝ち負けを超えて、彼らの青春があふれ出す、<予告編映像とポスター>が解禁!
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 周りの大人から何と言われようが、「思いっきりやったら、“勝つとか負けるとかは、どーでもよくて”」。今しかない学生生活のこの瞬間を、全力でPLAYする3人が熱中できるものを見付け、次第に仲間となっていく姿が60秒の映像の中に凝縮、青春真っ只中の爽快感があふれ出した予告編となっている。
 あわせて解禁となったポスタービジュアルでは主演2人がコントローラー片手にゲーム台に座り、楽しげな笑顔を向けている。彼らの後ろには<ロケットリーグ>の壮大なフィールドが広がり、手を伸ばせばやがて青空にも届きそうなほどの躍動感みなぎるビジュアルに!
公開日まで楽しみにお待ち下さい!
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luncott · 2 years ago
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マリオワンダークリアしました!!
…1週間ほど前に!!
最終コース打開したら即感想殴り書きするつもりがあっという間に時間が経ってしまった、時の進行が早すぎる。
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Wonderful!!
いやーー大傑作、最高に楽しい2Dマリオ体験でした。もうすぐ40年に届くかというシリーズの最新作とは思えない新鮮さの塊、操作感が魂に染み付くほど共にしてきたヒゲ男なのにどこを向いても知らない体験が満載、満足も満足ですよ…!
「しかしいくら任天堂でも数多のユーザーの手によって生み出された上質で衝撃的なコースを好きなだけ遊べる、あまつさえ他プレイヤーとレースまでできちゃうマリオメーカー2を経た上でマンネリの壁を壊すのは厳しいのでは~~?」
とプレイ前に僅かに思ってたら、マの字すら抱かさねえよとなみなみ注がれた珠玉の新アイデアを次から次へ顔面に浴びせてくれたのは嬉しい事この上なかったですね、初っ端からパックン歌っちゃうもん。
それだけで数コース作れそうな思わず唸る新ギミックでもほぼ使い切りで次々と投入していったのがとにかく印象的だった、これが期限を定めず11年熟成したマリオか…!(インタビュー談)
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知らんマリオでいっぱい。でもプレイ感覚は既存の枠から外れてないのがまた凄い。
結構な速度で横移動する上にトゲコロに押し潰されるとミス扱いになる指折りの謎ワンダー、これすき(もっと出番欲しかった)
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体験に文字通り花を添えてくれるおしゃべりフラワーも良い。
大体がその場に合わせた当たり障りのない事しか言わない、たまにクスッとさせてくる賑やかし要員なんだけど、それがちょうど良いんですよね…こちらのアクションに反応をくれる個体がいるのも嬉しい。
過去作品ではまずあり得ない、ペラペラと日本語をフルボイスで喋る異質極まりない存在のはずなのに、一切ノイズに感じず愛着しか湧いてないのが今思うと不思議。その点は拘って台詞考えてそうだなぁ、もう以前の作品やったら寂しくて仕方ないと思う。
ちゃんと距離が離れると声も遠くなる拘りっぷりも好き(動画貼ろうとしたら1記事1つまでと言われておこった)
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そして欠かせないゆるーく繋がるオンラインプレイ。
これ!!マリワンでとびきり刺さった新要素がこれです!!!
基本的にはリアルタイムで同じコースに挑戦している他プレイヤーが映るだけ、互いの画面へのギミック干渉はできず可能なのはエモートやアイテムの送り合い、ミス時に他人にタッチすると復活できる機能くらい。
これだけ、たったこれだけなのに「みしらぬだれか」との楽しい一期一会コミュニケーションが無尽蔵に生まれていく素晴らしいアイデアよ…!
偶然同時にゴールしたプレイヤーと😊を送り合うだけでも楽しいし、道中のペースが近い相手と歩調を合わせて協力してゴールまで進んで互いに称え合うなんて楽しみもある。相手の動きがラグなくスムーズに反映されるので隠しブロックの在りかや隠しルートへのヒントを貰うこともできるし、逆に迷ってる相手を誘導することもできる。楽しい…すべてが楽しい…!
干渉できる要素が全てプラスに向かう要素しかないのでこの手のマルチで発生しがちな悪意が介入する場面に一切出会わなかったのも凄かった、これだけ他プレイヤーとの関わり合いが気持ちいいゲームなかなか無いよ!?
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そのオンラインプレイの中での極めつけがこれ。みんなの広場。
ステージ内に隠された5つのフラワーコインを他プレイヤーと協力して見つける宝探しゲームで、恐らく先述した「他人の動きからヒントを得られる」点から着想を得て生まれた遊びだと思うんだけど、やった人なら分かると思うがこれが感動するほど楽しい。
難易度はこの手の宝探し系ゲームにしては隠し場所がしっかりと難しく設定されていて詰む人はとことん詰む造り。そこを先に見つけた人が他者に分かるようなんとか伝えることでクリアまで誘導する、結構プレイヤーの善意に委ねた難易度調整がされてるんですよね。
そんな善意の連鎖が赤の他人に対して果たして続くのか!?というと…
続きます!!!
何故なら身振り手振りでのジェスチャーが相手に伝わると人間むっちゃ楽しいから!!!!!
いくらでも連鎖するんです、楽しければ。
いやほんと楽しいんですよこれ……凝った隠し方がしてあると要求されるジェスチャーも難題になるものの、それがまた適度な難しさで……ああ、もう一度あの土管押してこようかな。Switch今京都じゃん。
惜しいのはそんなに数が多くないとこなんですよね、あと10広場はいける。
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最後に高難易度コース、今回もべらぼうに満足できました。
序盤からこの難易度を!?とギョッとさせるモックモックSPをはじめ、任天堂がぶつけてくる難関コースって難しくありながら意外と乗り越えられるものを絶望として描くのが上手いというか、そう思わせる調整が怪奇的に絶妙でとにかく楽しいんですよね。一番いい激辛さ。
その極めつけがスペシャル最終コースのクソムズいやつで。
あのコース、最後に相応しく各パートがどれも初見時は絶望的に映るんだけども、ランダム要素由来の難しさが殆ど無いので数をこなして全体像とパターンを掴む段階まで至れればその時点で気持ちよく突破できるものが多いんです。
そしてそれ以降は小さい労力でサクサク乗り越えられる、要は覚えゲーなんだけど見た目は絶望的難関なので何回突破しても爽快で楽しい。あれだけ苦戦したのに気づけばスイスイ突破できる楽しさ、弾幕STGのそれにも似てます。
それでいて最後の最後、真の難所は覚えゲーにせずゲーマー目線で見ても明らかな「クソムズい」を叩きつけてくるのが最高で…オデッセイの時といいあの部分は公式マリオのトロと自分は呼んでいて…。一番ふざけんなばかと声が出る部分でもある
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纏めるなら「Switchから遊びに行けるマリオのテーマパーク」のような作品でした。
ありがとう任天堂。楽しかったよ任天堂。
…と、いいだけ楽しんだマリオワンダーだけども一つだけ心残りがあって。
フレンドと4人マルチできてないんですよ!!!!!!!!!!!!
3人までは叶ったんですけどね…!
プレイ中のフレンドとの繋がり辛さはこのゲームの数少ない欠点だなぁと、12人まで入れる仕様なんだけどフレを眺めてても4人以上集まってるケースを見たことがない。
部屋を建ててもゲーム内で通知が行かないので外部で告知や声掛けが必要。
告知を流しても相手は当然マリオ中なので気づかないケースがかなり多い。
部屋建てしながら野良と遊ぶという事ができないので建てっぱプレイが難しい、告知に気づくころには大体痺れを切らして閉まってる。
恐らくこの3点が原因、箇条書き機能が使いたかった。
この点はゆるく遊ぶのと同時にゆるく繋げてくれる仕様が欲しかったですね、フレンドとのマルチは野良とはまた別の楽しさが満載なだけに…!
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いつか4人でこのポールを掴むぞォ!!!!
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magazine-hitori · 4 months ago
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書物礼賛④
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味噌ノ山/ひざが痛い!/自費出版2024
前回取り上げた『大便革命』の印象的な一節「女はたまる、男はくだる」。くりぃむしちゅーのANNで語られる、彼らの名物マネージャーからやがて独立社長となるババア大橋氏の便秘エピソードは抱腹絶倒。大橋氏への愚痴をはじめ、独身時代のくりぃむ有田氏が女性全般への不満をしばしば語るのに対し、現役のラジオ番組・中川家のラジオショーでは兄の剛氏がしばしば女性賛美を語る。
「女はどんなことでも楽しめる。友達と何時間でもしゃべっていられる。嫌いな人とも会話できる」。そうした美質が最大限発揮された入院体験リポート漫画が本書。著者はクリスマス飾りを撤去しようとして転倒し膝の靭帯を断裂。義母の介護があるためしばらく温存療法で耐えていたが、コロナ禍に突入し義母が特養ホームに入所することなったので入院・手術に踏み切ることに。
手術までのあれこれ、装具や車椅子、リハビリの様子など、確かな観察に基づく丁寧な描写、配慮の行き届いた人物造形、入院マニュアルとしても使えるよう大きな出版社から流通させてほしいと思うような充実した一冊となっている。学生時代漫研だったが創作から長く離れていたとのことで、一般社会にはこうしたポテンシャルのある人が山ほど隠れているのだろうなと。長所と短所は表裏一体になっていることが多く、有田氏の不満も剛氏の賛美も「男と女は違う」という本質論なのではないか。芸人さんのラジオは人気があるほど本質を避けて、何を買ったとかどこへ出かけたとかうわべの消費を語りがち。その人から見た本当のことを語ってほしいし書いてほしい。
藤谷治/新刊小説の滅亡・新刊小説の逆襲/破船房2023
2015年ダ・ヴィンチ誌に掲載された短篇とその続篇。文芸出版協会が新刊小説の出版を止める協定を結び、それによって新刊に占められて存在意義を失っていた既刊書籍が一定の復権を果たすも小説の退潮は止めようもなく、それでもなお良質な新刊小説に夢を託す編集者と無名小説家の悪戦苦闘を、筒井康隆『大いなる助走』の舞台設定や文体まで借りたような形で描く。「同時代を見つめた結果、タイムスリップで歴史上の有名人に会うとか、魔界に選ばれた高校生が悪の根源と闘うような小説ができたってことですか? 同時代を見つめるとか、時代の要請じゃなかったんですよ。右顧左眄ですよ。マーケットリサーチだったんですよ」。
鬼越トマホークのユーチューブ・チャンネルに三四郎の相田氏と小宮氏が一人ずつ連続で呼ばれて半生を語る企画は、金持ち学校(成城)で出会った2人の、微妙に異なる角度から語られる学園生活が陰影に富んでいて良い本を読んだような充実感があった。しかしたとえばそれに類するお笑い芸人さんのラジオ番組も、文字に書き起こして即良い本になるとは思えない。本書が言うまでもなく、小説をはじめ紙メディアにおける日本語の語りというのは終っているのだと思う。皆川博子の小説は完成度が高いが、読後感が胸糞で、2度と手に取る気が起きない。松本清張はどれも似たようで抜きんでた傑作がない。出版社であれテレビであれ東京に集中し、国民を「(支配側と)お気持ちお立場ご一緒に」誘導する官僚制の装置であって、分断と棲み分けを志向するから、メジャーな漫画雑誌やオリンピック開会式のように「意味さえ分らない」惨状を呈したのである。意味や価値観を提示すると、森喜朗のような各界のジジイが怒るからねえ。「八戸さんは自分で校正せず、専門家に出したようだ。外注だからお金がかかっている」。甘いですね、私は本をマーケットに送り込むまで、作品を書くのと印刷製本以外すべて自分でやっていますよ。
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売野雅勇/砂の果実 80年代歌謡曲黄金時代疾走の日々/朝日新聞出版2016
チラシを読んでいたら「ちょっとHな美新人っ娘」というキャッチフレーズが目についた。ミルキーというルビがふってある。新人=ルーキーというシャレだと一年以上経つまで気がつかなかった。(中略)原稿用紙に大きな文字で、「少女A(16)」と書いた。新聞の社会面と同じに見えるように、年齢もいれた。(中略)下書き用のノートに残っていた、沢田研二さん用の 「ロリータ」の設定を借りることを、苦しまぎれに思いついたのだ。「ロリータ」が、アッシェンバッハの視点から書かれたものなら、「少女A」では、カメラをタジオの視点にする。しかも、美少年から美少女に変えて。
音楽は救い。しかし私にとって音楽に包まれることは、すなわち自分が非国民であるという自覚にも包まれることになる。日本のポピュラー音楽の全盛は、浜口庫之助らが活躍し、ニューミュージック勢が台頭した1960~70年代。1978年からザ・ベストテンが洋楽を締め出す形で毎週お祭りを提供し、作曲とパフォーマンスの質が世界最悪となっていく没落が始まる。
「セクシャルヴァイオレットNo.1」「もしも明日が…」「おどるポンポコリン」…。あざとい下品な作曲、しかし広告やテレビ番組とタイアップすれば驚くほど売れて儲かる。レコード大賞を受けたウインクの「淋しい熱帯魚」は、洋楽カバーである2つ前のシングル「愛が止まらない」の曲想そのまま少し加工しただけの模造品。恥ずかしくてiTunesに入れられない。日本で一番売れたシングルも盗作だ。歌の下手なボーイズグループなんていうのは他の国では存在しえない。広告・テレビ・芸能の業界人が結託してキャラをでっちあげて素人以下の芸をヒット商品に換える、その音楽上のキーマンが阿久悠、松本隆、そして著者のような作詞家である。
沖田浩之という男性アイドル、私と近い年で、同じ時代にも業界が売り出し方を間違えている印象があった。舟木一夫や橋幸夫のようなズレたイメージ。そこへいくとやはりジャニーズ事務所は巧みだった。サザンや山下達郎が作るようなフェイク洋楽を、下手くそでも衒いなく堂々と歌う。どうせ日本語の歌なんて日本人以外誰も聞かない。低レベルでも細かな消費の記号を散りばめてメディア上で輝ければいいのさ。中森明菜のミルキーっ娘もズレていたが、不良イメージの強さが不満で一度だけレコーディングで歌えばいいからということで出した2曲目「少女A」が大ヒット、スターの階段を駆け上がる。詞・曲は凡庸だと思うが、少しふてくされて、しかし天性が発揮された歌いぶりが素晴らしいのである。
売野氏は1951年生まれ。上智大卒後いくつかの広告代理店、レコード会社宣伝担当を経てフリーランスのコピーライターから作詞家に転身。普段は無口で、自作を売り込む時だけ饒舌になる。売れない雑誌の編集も手がける。業界人としてポジションを得ている、しかしクリエイターとしてはズレていて人脈が財産というような人物から気に入られる才能があったようだ。消費の記号をたくさん知っていて流行の波を仕掛けることができる。歌謡曲やJ-popに愛着ある人なら楽しく読めるのでは。私は薄っぺらい人物だなと思いました。
色川武大/喰いたい放題/集英社文庫1990・原著1984
私の母親のところに米を運んできていたおじさんは、荷をおくと熱い茶を所望して弁当を使ったが、彼の弁当は米飯ではなかった。うどん粉のバンか、芋だった。
そうして彼等の姿も昭和三十年代にはほとんど見られなくなった。
察するに、目白のたまごのお爺さんは、そういう類の生き残りであろうか。──私ははじめそう思った。
ほどなくその考えを変えた。お爺さんがたまごをあつかうときの手つきが撫でさするように丁寧なのである。この仕事を本当に愛してるんだな、と思う。たまごを運んで、売る、そうしていることが好きで好きでしようがないんだ。そうとしかいいようがない。ただの惰性で老人に続けられるわけがない。
とにかく、ありふれた無精卵よリも、お爺さんが難行苦行して運んでくる本物のたまごの方が、ずっと安いのである。
主婦たちは皆、容器を持って並んで、ーキロ、ニキロと買っていく。周辺のおソバ屋さんや小料理屋さんも並んでいる。 せっかく安売りしたって、その人たちが商売に使って結局もうけてしまうわけで、あほ らしいようにも思えるが、お爺さんはついぞそんなことは考えないらしい。本質的に人間が高貴なのである。
(中略)まったくそれは絵になる光景だった。ものを売り買いするということは、こういうことなのだ、と思う。(中略)大切なたまごを、カチッ、と割って喰べてしまう。お爺さんの汗と執着が、つぅッと喉のあたりをすべりおちる。実にあっけなく、またうしろめたいが、ものを喰べるということは、実はこういうことなのだと思う。
長々と引用してしまいました。谷崎潤一郎が『文章讀本』の中で文章は含蓄がすべてである的に述べていたが、メディア上にこれでもかと即物的な情報があふれている今、小説家のそういう特権的な意識は通用しないのではないか。結局は、情理を尽くして分ってもらおうという姿勢、そうさせる人徳を賞味させていただくことが読書なのだと思う。それは時代や流行によってすり減らない。何度でも味わえる。著者は阿佐田哲也名義の『麻雀放浪記』でも知られる、博徒から業界紙編集を経て作家として名を成した異色の人物。30代でところかまわず眠ってしまう難病ナルコレプシーを発症、長年の放蕩のため肝臓・腎臓も弱く、それでもなお食を堪能しようとする生きざまが遺憾なく発揮された好著。60歳没。
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山本高穂+大野智/東洋医学はなぜ効くのか/講談社ブルーバックス2024
東洋医学によれば気・血・水の流れこそ生命活動の本質。脳ではない。昨夏に始まった耳鳴りと、それに伴って悪化した肩こりを癒すべく、12月下旬から鍼治療を受け始め、人体の神秘を実感。施術初日は最中にお腹がグゥ~っと鳴る人が多いとのこと。自律神経が刺激され胃腸が活発にはたらく。私の場合はそれに加え、2~3日の間風邪をひいたような症状が表れる。悪寒・鼻水・喉の痛み・関節痛など。交通渋滞を緩和しようと体のあちこちで道路工事を行っている感じがその後も続き、ちょっとしたことで調子を崩す。人手不足で道路工事の費用も高騰、そもそもアトピーだったり猫舌だったりタバコの煙を肺に入れるなんてとんでもないという神経過敏の60歳には刺激が強すぎたようである。腎経・膀胱経と呼ばれる経絡に沿って全身を少しずつ、相対的に後頭部など上半身の刺激を弱めてもらうことで症状緩和。ここに辿りつくまで7ヵ月余…。
緩和といっても、耳鳴りにせよ肩こりにせよ病気未満の生理現象・老化現象でもあり、半減がいいところでしょう。なぜ効くのか、効くと断言する書名にすがる思いで手にした本書、先史時代から積み重ねられ、経験則的に体系化された東洋医学、その効能を実証的に解き明かそうという趣旨。ツボ・鍼灸・漢方薬について「家庭の医学」的な小辞典として常備してもよい一冊。
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straycatboogie · 4 months ago
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2025/02/24 BGM: The Jon Spencer Blues Explosion - Lovin' Machine
今日は遅番だった。今朝、英会話関係のZoomミーティングにいそしむ。今日の話題はペットを買うことがどのようにして肉体的な健康のみならず精神面の健康にも「効く」かという話で、それぞれのメンバーが犬や猫のみならずメダカやはたまたAIBOにいたるまでおのおののペットをめぐるエピソードを持ち寄られて、いつもながら学び多い会になった。その後は朝食を摂った後、グループホームの本家にお邪魔させてもらった。今日は副管理者の女性がおられて、その方とすこしばかり話してスペースを借りて自習させてもらう。今日持ち込んだ本は、なんとなく部屋の片隅にあったので持ってきた『村上春樹雑文集』だった。題のとおり村上春樹がさまざまな機会に記した硬軟取り混ぜた文章たちがおさめられており、内容もスティーブン・キングからジャズから超短編まで多岐にわたる。おもしろく読ませてもらった。
本の中で村上春樹が、彼自身が文学の修業あるいは作家としてのキャリア形成にあたって「師」「師匠」と呼べる人を持たなかったことを吐露していたのが目を引く。そして、なんかここがぼくのスットコドッコイなところなんかなあとも思うが、ふと「『このぼく』ははたして『師匠』『メンター』と呼べる人なんか持ったことあるかなあ」とも思ったりしたのだった。いや、もちろん春樹はぼくが逆立ちしたってかないっこない稀代のストーリーテラー(つまり「嘘つき」)。彼がどのように事実というか彼個人のエピソードを誇張したり加工したりしているか、気をつけないといけない(彼のファンを30年ほどやっていると、いかにこのぼくが悪名高き発達障害者であるといってもそうした彼の「手癖」もそれなりに読めたりするのだった)。でも、あながち春樹がそんな「一匹オオカミ」「ロンリーウルフ」として生きてきたとみずからを形容することがまったく���嘘っぱち・デタラメとも思えない。たしかに、どこかのギルド(職能団体)なんかに属する生き方というのが性に合わないからあんな作風・生き方になるんだろうなとも思う。それで、村上龍(さいきんこの人の『限りなく透明に近いブルー』を読みあらためてすごいと唸らされた)や柴田元幸といった少数の気を許せるライバル以外の人をのぞいて、ベタベタした人間関係を嫌うのかなとかあ……とかなんとか。
話が脱線してしまったが、いまでも迷いなく・ためらわず言えることとしてぼくにとっては春樹さんが「メンター」「精神的支え」となってくれた1人であり、もっと言えば象徴的な意味で「兄貴」「父親」ですらあった。いろいろなことをこの人から教わったし、春樹さんがいなければぼくはその後ポール・オースターを読むこともなかったし、あまつさえ早稲田の英文科を物見遊山で受験するきっかけにもならなかっただろう(彼が早稲田出身であることが頭のバックサイドにあったから早稲田を受けてみたとも言えたのかもしれない)。彼の明晰に理知的な文体、ユーモアの趣味やセンス、とても几帳面で堅苦しくさえあるライフスタイルに影響を受けたりもしたのだった(これはもちろん「下衆の勘繰り」のきわみで実に恥ずべきこととあらかじめ自己批判するが、でももしかしたらそんな几帳面さって春樹さんの中にも発達障害の特性があるってことじゃないかなとも思ってしまう。いやもちろん、「診断を受けろ」という話ではないです)。彼が聖人君子や生き神というわけではないだろう。間違いだってするし、ぼくから見れば具体的な作品名は挙げないがひどい愚作を発表したことだってある。でも、そうした間違いやそそっかしさもふくめて信頼できるし、良かれ悪しかれぼくの人生と伴走している作家と言える。
昨日はなんだかこの日記でとんでもない腐ったトラウマまみれの記憶を書きなぐってしまった。女生徒たちにずいぶん嫌われて、そのせいでぼくの中にいまだ残る「ミソジニー(女性嫌いあるいは女性蔑視)」な性格ができたことだった……メンターや師匠について言えば、思えばこのフェミニズム(男女問題というか、男女がどう平等・公平に権利を享受するか)について言えばいったい誰からこの問題を考えるべく学ばないといけないのかわからず、したがって師匠も先生もガイドもいなかったっけ。入門書すら読めなかった。もちろん当時、その気になって探せば数々のフェミニストはいたはずで献身的に・懸命に論陣を張っていたそうした方々の言葉を読めたはずだが、だがまだぼくが若すぎたのと自分の中で女性たちにこっぴどく「気持ち悪い」といじめられたことでオトコであることそのものにまで罪悪感を持ってしまっていて、そのせいでそんなフェミニズムについて自信を持って・間違いを認めつつ責任ある自論を語れる主体としては対峙できなかった。だからさいきんになって、やっと虚心坦懐にぼくなりに上野千鶴子をめくったりできるようになったのだった。そして、ぼくなりにこのロートルの古くさいオトコとしての意見を鶴見俊輔語るところの「マチガイ主義」にのっとり、恐れずにぶつけられるようにもなったのかもしれない。そこから「インタラクティブ(相互)」のコミュニケーションが成り立つことを願う。
その後、1時から仕事に入る。休憩時間に、またしても村上春樹のくだんの本から派生していつだってぼくの人生において参照枠というか「北極星」となってくれた本ってなんだっただろうかと思う。どんなときも、とりわけぼくが道に迷ってしまい混乱した時に心のよりどころになってくれた本。そんな本はやっぱり(もちろん、この世にはほかにも数多ともっとすぐれた大傑作があることを踏まえても)ぼくにとっては春樹さんの『ノルウェイの森』であったりポール・オースター『ムーン・パレス』だったりするのかなと思う。10年後もたぶん、コーネリアスとかブラーとか聴いたりしながらそんな本を折に触れて繙いて暮らすのかなあ、とも。
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kanasando-movie · 5 months ago
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沖縄先行公開が遂にスタート!照屋監督の前作を超える大ヒットスタートを記録!2/1(土)&2/2(日)計8回の舞台挨拶は全て満員御礼!<沖縄先行公開記念舞台挨拶オフィシャルレポート>
『かなさんどー』が、1月31日(金)に沖縄で先行公開を迎えました。地元沖縄での公開は、観客の高まる期待とともに華々しく幕を開け、2月1日(土)&2日(日)の二日間に渡る「公開記念舞台挨拶」も全回満席の大盛況となりました!
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今年1月23日には松田るかさん・照屋監督・Kジャージさんらが、本作の舞台となった伊江島へ凱旋して「伊江島特別試写会」を開催するなど、現地へ実際に足を運んだ多くのプロモーションを実行。数々のラジオ番組&TV番組出演&新聞雑誌への露出の中、遂に1月31日(金)沖縄先行公開を迎え、2月1日(土)&2日(日)には「沖縄先行公開記念舞台挨拶行脚」として、スターシアターズ系4館で計8回の舞台挨拶を実施。 松田るかさん、Kジャージさん、真栄平仁さん、照屋監督、そして「かなさんどー」の作詞作曲を手掛けた前川守賢さんもすべての舞台挨拶に登壇し、全回満席の大盛況となりました! <2月1日(土)「沖縄先行公開記念舞台挨拶」オフィシャルレポート>
遂に沖縄先行公開を迎え、初の舞台挨拶となったこの日。主演の松田るかさん、Kジャージさん、主題歌「かなさんどー」の作詞作曲を手掛けた沖縄を代表する民謡歌手の前川守賢さん、そして照屋年之監督が登壇、MCは出演者でもある真栄平仁さんが務め、会場を大いに盛り上げました。さらにこの舞台挨拶では、映画のタイトルでもある主題歌「かなさんどー」を主演の松田るかさんが前川守賢さんと共に生歌唱し、パフォーマンスで観客を魅了!会場はその美しい歌声に包まれ、観客はまるで映画の世界に引き込まれる特別な時間を体験しました。
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沖縄での先行公開を迎え、照屋監督は「『洗骨』が上映された後も、県民の皆さんに愛され続け、映画館には途絶えることのないお客さんが訪れました。1年半のロングラン上映の中、私たちは多くのお手紙をいただきました。特に、お年寄りの方々から『久しぶりに旦那さんと、80歳を超えているけど一緒に観に行って、いい涙を流しました』という暖かい声が多く聞かれました。こんなにも愛される映画を作れたことに感謝しつつ、コロナ禍で撮影が困難を極め、6年の歳月を経てようやく『かなさんどー』を皆さんにお見せできることが叶いました。お客さんに見せたくて仕方がなかった。本当に待ちくたびれていました。」と心境を吐露。
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前作『洗骨』のからのプレッシャーについては、「監督として常に最新作を最高傑作にしたいとの思いで作っています。『洗骨』を褒めていただけるのは嬉しいですが、それを超えたいという気持ちがあります。皆さんの前に作品を出せたことで、心から満足していますし、編集の段階から感動していました。特に美花の歌には、何度も泣かされました。自分で作ったのに、キャラクターが生き生きと語り出すと、つい涙がこぼれてしまうんです。」
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さらに沖縄の周りの方々の反応について聞かれると、「昨日だけでも、本当に驚くほど感情を動かされたと感じる人が多いようで、『こんなに嫁と泣くとは思わなかった』とか、『るかちゃんという子の演技はすごいね、あんな難しい感情を演じ分けて』と言われます。あと、小橋川の演技が褒められるたびに、僕は普段はピン芸人としてやっていて、ただ癖が強すぎて、綱渡りをしている最中の息子に弁当を届けに来るお母さんという、とてもユニークなコントをするんです。そういった面白さを我慢して受け入れると、映画の奥深い彼の演技がより楽しめるんですよね。」
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それを受けて松田さんが「自分の出身地でもある沖縄が舞台の映画で主演として立たせてもらえるのはとても光栄です。今は東京に住んでいて、方言を消そうとしているんですけど、今回はその方言が武器になり、力になるのがうれしい。照屋監督も言っていましたが、昨日だけで1000人以上ものお客さんが入りました。沖縄にいた時、私はあまり映画館に行くことがなかったので、沖縄の人ってあまり映画を見ないのかなと思っていたんです。でも、こんなに満席になるなんて、期待値が高まっているのを肌で感じています」と述べました。
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続いてKジャージさんに今回の役を演じてどうだったかを聞くと、「照屋監督と一緒に稽古をさせてもらいましたが、最初は台本の解釈で大笑いされました。僕の解釈が全然違くて。それで照屋監督に手助けをいただき、セリフを固めていきました。」そこで照屋監督は「この人は読解力がないんだと思いましたが、マッチ売りの少女をギャグ漫画だと思っていたので、1から教えて小橋川が完成しました。」と冗談交じりにコメント。「お笑いの要素は全部そぎ落として、演じました」と語るKジャージさん。
さらに「あるシーンで僕が浅野(忠信)さんを肩車して、遠くに花束を渡すような場面がありました。僕が下になってバランスを取る役目で、『もうちょっと、もうちょっと』と言いながらなんとか頑張っていたんです。だけど、結構体勢的につらくて、その時は2人で照屋監督に『無理です、無理です』と何度も言って、やっとシーンを止めてもらいました。実は僕、背中にヘルニアを抱えていて、それでも何とか耐えて撮影を続けていました。おそらく浅野さんも同じように大変だったと思いますが、そんなユニークなエピソードも撮影の一部として楽しんでいました。」と明かしつつも、そのシーンは劇中でカットされており、会場はまた笑いの渦に。
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さらにタイトルの「かなさんどー」の楽曲を手がけた前川守賢さんは、今回映画化の話を受けたときの心境について「『かなさんどー』をテーマに映画にするとの話がありました。撮影地が伊江島と聞き、『じゃあ、町子さんと美花にその場で歌を歌ってもらうのはどうですか?』なんて軽く冗談っぽく言ったら、照屋監督が『いいですよ』と本気で了承!あぁ、言ってみるもんだなと(笑)。照屋監督が「撮影中は、ロケバス内にブースをつくり、前川さんが生演奏してくれていました。イヤホンを通じてその音を聴きながらの撮影はまさにライブ感満載!娘の美花がユリ畑で歌うシーンでは、生演奏が感情にぴったりで、まるで映画の中にいるよう。素晴らしいシーンが撮れたと思います。」と想いを語った。
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トークが終盤を迎えると、今回先行公開を記念して前川さんと松田さんが、本作の音楽を担当した新垣雄さんが手がけた映画スペシャル楽曲としての「かなさんどー」を舞台上で生披露し、会場中が温かい拍手に包まれました。
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歌唱後のトークとして、松田さんは「歌っている最中、会場の皆さんが一緒になって歌ってくださっている姿を見て、とても感動しました。映画の撮影を思い出しながら歌っていて、本当に良い時間を過ごせました。緊張していましたが、皆さん、温かい目で見守ってくださって、本当に嬉しかったです。感情が入りすぎちゃいましたね(笑)。映画の撮影を思い出しながら歌ってました。」と語りました。
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これに続いて、照屋監督は「これだけのお客さんに観られながら話さなければならない立場だけど、すごく個人的な感情に戻りました。げんちゃんさんの演奏が本当に素晴らしくて、プロになればいいのにと思いました。るかちゃんの歌が始まった後のバックオーケストラがふわっと入った瞬間、本作を作りはじめた2年前がこみあげてきた。贅沢な時間でした。」と振り返ると、既ににプロである前川さんをいじる照屋監督に周囲からも笑いのツッコミが。
前川さんは、「一生懸命に練習してくれた結果がしっかりと出ていて、予告編で何度も聴いていたそのままの美しい歌声でした。映画を観て、『照屋監督すごい。すごい。天才!だと。よくぞここまでいろいろな角度から上手に『かなさんどー』を表現してくれて、大変感謝しています。』」と感謝の意を示しました。
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Kジャージさんは、「僕も歌を聴きながら撮影を思い出しました。浅野さんを車いすで押しているシーンで。あまりにもすごすぎて、最高でした。ぴくりとも動けなくて。雰囲気壊せないので。何度かカットして撮り直したので筋肉痛でした(笑)。」と撮影のエピソードを披露しました。
最後のメッセージとして、松田さんは「これから本作がどんどん沖縄に広がって、そして2月には全国に広がっていくことを考えると感無量です。ぜひ海外にも広がって欲しいです。本日はありがとうございました。」と呼びかけ、Kジャージさんも「本日はどうもありがとうございました。この映画は家族の絆をテーマにしていて、いろんな立場から見ることができると思います。1回、2回どころか、何度も見ていただけたら新しい発見があるのではないでしょうか。今日はありがとうございました。」と感謝の意を表しました。
前川さんは、「映画の中で、お母さんの町子と娘の美花が『生まれ変わっても私はお父さんとまた結婚する』と言うシーンには、ものすごく心を打たれました。自分が同じような状況になった時に、こうやって妻と堂々と愛を語れるような関係が築けたら素晴らしいなと思います。もし(妻が)言わなかったら、僕が代わりに言うから、目で合図してでも伝えなさいと。堂々とそう言える関係がこの映画を通じて感じられました。こんなことを考えさせてくれる作品に出会えて、本当にありがたいと思いました。」と自身の思いを語りました。
最後に、照屋監督は「僕自身もそうですが、みんな生きていると嫌なことってたくさんあると思います。人間関係や親子関係、兄弟、恋人との関係など、さまざまな人間のしがらみや社会の中で苦しんでいる時がありますよね。僕はいつもエンターテインメントに救われてきました。この映画が、皆さんの心に少しでも元気を与えるものになれたら嬉しいです。今日は本当にありがとうございました。」と締めくくりました。
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unexpectedpersonwrites · 6 months ago
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2024年の記録
◆2024年の記録
 2024年の記録です。
 私が置鮎さんにはまっていることに、もはやなんの目新しさも面白みもないですが…いや別に面白みを狙ってはまっているわけでもないですが…。
 そもそもほぼ二次元ジャンルに縁のない私が置鮎さんの存在を知ったきっかけは、諸般の事情で『テニプリ』を読む→なんだかんだで『テニプリ』のキャラソンを教えてもらう→手塚のボイスにいい声だな~と思う→『テニプリ』のキャラソンのソシャゲ(テニラビ)が始まるのを知り、声優さんたちが出演する配信を見る→手塚のボイスを担当する置鮎龍太郎という声優を見る、という流れ。つまりテニラビのサービス稼働年数=私が置鮎さんにはまっている年数。テニラビは7周年だそうですよ。7年て。目新しさがあるわけがない。
◆ライブ・イベント系
・2/17 「声優・関智一&置鮎龍太郎と行く!『萬画の国・いしのまき』満喫の旅」 ・3/2『パリピ孔明』映画舞台挨拶×2 ・3/9 『パリピ孔明』応援上映舞台挨拶 ・3/10『Story Teller 朗読・吸血鬼 Sable -慟哭のサン・エトラス篇-』×2+トーク ・3/24 『声優朗読劇フォアレーゼン 〜ドン・ジョヴァンニ〜』 ・3/29 『タチヨミ』夜 ・3/31 『タチヨミ』×2 ・5/4ヘロQ『悪魔の手毬唄』夜 ・5/7 ヘロQ『悪魔の手毬唄』夜 ・5/12 ヘロQ『悪魔の手毬唄』夜 ・7/2 阿佐ヶ谷ロフト『置鮎龍太郎のゆるカラオケ』 ・8/18『朗読劇ボイコメvol.2』×2 ・8/24 『エニグマ変奏曲』アフタートークゲスト ・9/23 『新テニスの王子様 U-17 WORLD CUP SEMIFINAL』1話&2話+舞台挨拶×2 ・10/14ななくみ×2 ・11/14ヘロQ『Re:もっけの幸いの「もっけ」ってモノノケの事なんだって。知ってる?』夜 ・11/15ヘロQ『Re:もっけの幸いの「もっけ」ってモノノケの事なんだって。知ってる?』夜 ・11/17ヘロQトークショー「ヘロQ座談会2024語れ!歌え!祝福せよ!」 ・11/17ヘロQ『Re:もっけの幸いの「もっけ」ってモノノケの事なんだって。知ってる?』 ・11/21 『ネコたん!~猫町怪異奇譚~』昼 ・11/30 ほしこえ×2 ・12/1 ほしこえ×2 ・12/22 「劇場版 忍たま乱太郎 ドクタケ忍者隊最強の軍師」六年生全員集合!舞台挨拶8:55回
◆映像・配信・作品
(アニメ)『佐々木とピーちゃん』 (アニメ)『忍たま乱太郎』 (アニメ)『新テニスの王子様』 (アニメ)『劇場版 忍たま乱太郎 ドクタケ忍者隊最強の軍師』 (ラジオ朗読)司馬遼太郎短篇傑作選「芹沢鴨の暗殺」 (ドラマCD)『新しいゲーム始めました。』ドラマCD vol.3 (ゲーム)『戦国無双4 DX』 (ソシャゲ)テニラビ (配信)「アニメ 新テニスの王子様 オフィシャルチャンネル#32 ドイツ予習SP!」 (配信)12/24 ゆるトーク (オンライン)くじメイト vol.4
 2024年は、2月に石巻、3月に京都、8月に大阪、11月に仙台と、関東を出る機会が多かった年という印象です。パンデミックでライブ・イベントが軒並み中止になっていたときを思うと隔世の感がありますね。
 で、私が置鮎さんにはまっていることに何の目新しさもなくても、私にとってはそのプロセスは目新しさの連続です。今でも。たとえば2月の石巻のイベント。これは「電車を貸し切り、ファンたちが乗る車両に声優さんが訪れて喋ったりなんだりして、到着した先の石巻では参加者たちが各自で散策したあとに声優さんのトーク・イベント(朗読あり)が行われる」というイベントでした。「電車を貸し切るお芝居を都電でやってるのは聞いたことあるけど実際に行ったことはないし、電車の貸し切りイベントってどういう感じなんだろ~」と思って参加したのですが、実際にはこれは「バスを貸し切った声優ファン向けイベントの電車版」でした。つまり声優ファンの中でもガチ勢しか参加しないタイプのイベント。もちろん人生で初めての体験です。声優さんにはまると人生いろんなことが起きますね。
 当日の自分のツイート(twilogリンク)を読み返すと、我ながら無知と困惑と必死さが哀れかつ笑えます。せっかくどはまりした声優さんのイベントに参加するのに、完全な夜型人間なので、午前中から行動していることへの呪詛をおさえられていない。電車でもトーク・イベントでも、どはまりした声優さんがとんでもなく近いという幸運も受け止めきれてない。あと、それまでの人生で遭遇したことのない「ガチ勢のオタクの人々」がたくさんいることにかなり動揺していた記憶があります。「二次元ジャンルのオタク・アイテムってああやって人前に持ち出していいんだ!」と。もちろん、声優さんご担当のキャラのグッズをあのイベントで出さずしてどこで出すというのかという話なんですけど。
 そんなわけで私の側にさまざまな問題点はありつつ、ツアーにはしっかり企画の力を感じたし、トーク・イベントの中にあった『009』シリーズの漫画の朗読はとんでもなく素晴らしかったので、全体としては満喫しました。漫画の朗読は、『009』の漫画のページを見せながら台詞に声をあてていくという、漫画とボイスのコラボという感じのパフォーマンス。2024年に行ったイベントの中でも上位に入るすごさがありました。原作の力、ベテランの声優さん2人の実力、個性、作品の世界と物語の瞬間にこちらをぐいぐい引き込んでいく力が感じられて、見事でした。映像もなく配信もなく、いまここで聞いただけで終わりだっていう事実に、なんてむごいんだって思った記憶があります。あんなにすごかったのに、もう消えてしまって、見返すこともできない。世の中のほとんどのライブ・パフォーマンスはそういうものですが、それにしたって。このトーク・イベントが終わるとツアーも解散だったので、あんなにすごいものを聞いたのにそのまま石巻の多少閑散とした街に放り出されて、そのギャップも受け止められてませんでした。
 8月の『ボイコメ』も、どんなかな~と思いながら行ったけど面白かったです。ジャンルの慣習、演者の実力、そしてジャンルの慣習を理解している演者とその慣習のコラボが引き出す魅力。それを理解し、笑い、魅力を増幅する観客。感想ブログ書きたかった。それから、『ボイコメ』のあたりではっきりと悟ったんですが、私は2018年に書いたこのブログの続きを書く必要がある。置鮎さんの面白さ、ユニークさについて。私が置鮎さんにはまっていることには今さら何の目新しさもないけど、置鮎さんはいろんな意味での面白さを発揮し続けているわけですからね。これは2025年の宿題。
 7月のロフトのイベントも楽しかったです。でもこれも、置鮎さんが出てこられたときに会場から大きな歓声が上がって、しかもいわゆる「黄色い声」系の歓声だったので、「か、歓声だ!この人って出てくるだけでキャーキャー言われる人なんだ!!」ってなってましたが…(文字に書いてみて思いましたが、7年もたってこの認識はかなりあんぽんたんなのでは…)。でも、くじ引きに当たった人に置鮎さ���の私物をプレゼントするコーナーで、置鮎さんは某コンテンツのイベントに向けて買ったサングラスの余ったやつを持ってこられていたんですが、それがひとつやふたつではなかったんですよ?どれだけ買ったの?いやそれはイベントのお衣装の準備だからいいとして、もしこういう私物プレゼント企画がなかったら、そのサングラスたちっておうちにずっとあったの?そしてそれが示唆する、置鮎さんのおうちの…配信のコメント欄で言うところの…いややめましょう、お人柄のよく感じられるイベントでした。
 このロフトのイベントはカラオケがコンセプトだったので、置鮎さんのおうたをたくさん聞けたのもたいへん嬉しかったです。前述のとおり、私はキャラソンをとおして置鮎さんを知った、置鮎さんのおうたが好きなオタクなんですが、自分でもびっくりするくらい大フィーバーでした。なんかもう、うわー!全部好き!って感じで。高い音のときの声もまんなかくらいの音のときの声も低い音のときの声もみんな好き!メロディを細かくとってく律儀さも好きだし長い音の伸びも好き!おうたにキャラがのってるときも好きだしサービス精神が出てるときも好き!うわー!うわー!って。
 ちなみに私には、置鮎さんにどはまりしているあいだにそこそこあれな感じでメンタルを病み、しかし7年も過ぎたのでそこそこ回復したというサブ・ストーリーがあるのですが、最近読んだ本に「メンタルを病んでいて失ったものを取り戻そうとするな」って書いてありました。それは確かにそう。でもってその本は、「そのあとの人生が倍になるから」と続きます。私にもきたのかもしれません、その「倍になる」の段階が。しかし、そこそこやばかったときだって置鮎さんのおうたを相当好きだったはずなのに、そこから倍になるとは…?ひとつ前の段落に自分で「大フィーバー」って書いていますが。これがそうなんでしょうか。まあどっちでもいいか。
 声優さんにどはまりすると、いろんなことが起きますね。7年たっても起き続けている。これまで書いてきたブログを読み返すと、自分の往生際の悪さもはっきりとわかります。明らかに認知(オタク用語)されているのに「初めましてって言ったらそのていでなんとかならない?」とか。いったい何を言っているんだ。しかも今でもこれを思っている。「最後に顔をあわせてからそれなりに過ぎたし、ほとぼりも冷めて忘れてもらえてるってことない?」と。でも、なにしろ置鮎さんが出演されるイベントの告知があるとほいほい出かけていくので、秋のヘロQ公演のロビーでもふつうに遭遇しているわけです。もしかして、いい感じにほとぼりが冷めて忘れてもらうのってもう無理なのでは…?自分の往生際の悪さのほうをどうにかするしか…。
 性格のほうはそんなに簡単にどうこうならないですが、行動のほうでは成長がみられます。置鮎さんのご活動を追うにしても、取捨選択をする。どう考えても観終わって呪詛しか出てこなさそうなイベントはもう行ってません。それから、オタクの旅で無理をしない。変に「せっかくだから」とスケジュールを詰めずに、身の丈にあった=目指すイベントに焦点をしぼった移動をするようになりました。先達のありがたいアドバイスのおかげです。だいたい、2月・11月の仙台は寒すぎたし8月の大阪は暑すぎた。行って、観られたらそれで私にとってはじゅうぶんで、さらに無理をする必要なんてなかったんです。それに、新幹線をオンラインで予約するのも、その予約をオンラインで変更するのも、スマホで改札を通るのもできるようになりました。なんて便利な世の中なんだ。11月の『ネコたん!』のときは、これまでの人生で最高にタイトなスケジュールで観劇を実現しました。自分にそんなことができるなんて思ってなかった。
 2025年はどんな年になるかなあ。とにかく置鮎さんにお元気でいらしてほしい。このブログを読んでいる稀有な人々にも。私もなるべく元気でいるようにします。
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nekotubuyaki-blog-blog · 6 months ago
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2024年の「おっ!」と思った本を思いつくままに(相当なもれはあるけれど)
2024年の「おっ!」と思った本を思いつくままに(相当なもれはあるけれど)
『その昔、N市では カシュニッツ短編傑作選』(マリー・ルイーゼ・カシュニッツ著/酒寄進一訳/装画:村上早/装幀:岡本歌織/東京創元社/Kindle版) 『いずれすべては海の中に』(サラ・ピンスカー著/市田泉訳/竹書房文庫/Kindle版) 『11の物語』(パトリシア・ハイスミス著/小倉多加志訳/ハヤカワ・ミステリ文庫/Kindle版) 『失われたものたちの本〈失われたものたちの本〉シリーズ』(ジョン・コナリー著/田内志文訳/創元推理文庫/Kindle版) 『カモメに飛ぶことを教えた猫』(ルイス・セブルベダ著/河野万里子訳/白水uブックス/Kindle版) 『大いなる眠り 新訳版』(レイモンド・チャンドラー著/村上春樹訳/ハヤカワ・ミステリ文庫/Kindle版) 『P+D BOOKS 夜風の縺れ』(色川武大著/『夜風の縺れ』解題:木下弦/P+D BOOKS/小学館/‪Kindle版)‬ 『恐婚』(色川武大著/文春ウェブ文庫/文藝春秋/Kindle版) 『友は野末に─九つの短編─』(色川武大著/対談:嵐山光三郎/インタビュー:色川孝子/あとがき:色川孝子/新潮社/Kindle版) 『遠景・雀・復活 色川武大短篇集』(色川武大著/講談社文芸文庫/Kindle版) 『百』(色川武大著/川村二郎解説/新潮文庫/Kindle版) 『小さな部屋│明日泣く』(色川武大著/内藤誠解説/講談社文芸文庫) 『後藤明生・電子書籍コレクション 挟み撃ち』(後藤明生著/アーリーバード・ブックス/Kindle版) 『しあわせの理由』(グレッグ・イーガン著/山岸真編、訳/ハヤカワ文庫SF/Kindle版) 『祈りの海』(グレッグ・イーガン著/山岸真編、訳/ハヤカワ文庫SF/Kindle版) 『ひとりっ子』(グレッグ・イーガン著/山岸真編、訳/早川書房/Kindle版 『モナリザ・オーヴァドライヴ』(ウィリアム・ギブスン著/黒丸尚訳/ハヤカワSF文庫/早川書房/Kindle版) 『カウント・ゼロ』(ウィリアム・ギブスン著/黒丸尚訳/ハヤカワSF文庫/早川書房/Kindle版) 『ニューロマンサー』(ウィリアム・ギブスン著/黒丸尚訳/ハヤカワSF文庫/早川書房/Kindle版) 『ソラリス』(スタニスワフ・レム著/沼野充義訳/扉デザイン:岩郷重力+N.S/ハヤカワ文庫SF/Kindle版) 『来世の記憶』(藤野可織著/装画:濱愛子/装丁:名久井直子/角川書店/Kindle版) 『ピエタとトランジ<完全版>』(藤野可織著/挿絵:松本次郎/講談社/Kindle版) 『青木きららのちょっとした冒険』(藤野可織著/講談社/Kindle版) 『芸者小夏』(舟橋聖一著/講談社文芸文庫/Kindle版) 『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』(川本直著/装幀:坂野公一+吉田友美+島﨑肇則(welle design)/装画:TANAKA AZUSA/河出書房新社) 『好色五人女』(井原西鶴著/田中貴子訳、解説/装画:望月通陽/光文社古典新訳文庫/Kindle版) 『アルマジロの手─宇能鴻一郎傑作短編集─』(宇能鴻一郎著/鵜飼哲夫解説/カバー装画:九鬼匡規「吸血娘 陰 晒」/新潮文庫/Kindle版) 『姫君を喰う話 宇能鴻一郎傑作短編集』(宇能鴻一郎著/篠田節子解説/新潮文庫/Kindle版) 『私説聊斎志異』(安岡章太郎著/講談社文芸文庫/Kindle版) 『水車小屋のネネ』(津村記久子著/イラスト:北澤平祐/装幀:中嶋香織/毎日新聞出版/Kindle版) 『ベートーヴェン捏造』(かげはら史帆著/カバーイラスト・章扉イラスト:芳崎せいむ/柏書房/Kindle版) 『沢蟹まけると意志の力』(佐藤哲也著/Tamanoir/Kindle版) 『人喰い⭐︎頭の体操』(深掘骨著/表紙デザイン・ファイル作成:甲田イルミ/惑星と口笛ブックス/Kindle版) 『世紀末探偵神話 コズミック』(清涼院流水著/本文デザイン:熊谷博人/扉作成:小石沢昌宏/梗概構成:みずさわなぎさ/講談社/Kindle版) 『富士日記 上中下合本 新版』(武田百合子著/巻末エッセイ:武田泰淳、大岡昇平、しまおまほ、武田花/中公文庫/Kindle版)『西荻随筆』(坂口安吾著/青空文庫/Kindle版) 『鮎の宿』(阿川弘之著/講談社文芸文庫/Kindle版) 『春の華客/旅恋い 山川方夫名作選』(山川方夫著/川本三郎解説/年譜・「人と作品」坂上弘/講談社文芸文庫/Kindle版) 『P+D BOOKS 緑色のバス』(小沼丹著/小学館/Kindle版) 『ミス・ダニエルズの追想』(小沼丹著/巻末エッセイ:大島一彦/装幀:緒方修一/幻戯書房/銀河叢書) 『タマや』(金井美恵子著/講談社文庫) 『陽だまりの果て』(大濱普美子著/装画:武田史子「温室の図書館」(エッチング、アクアチント、二〇一七年)/装丁:大久保伸子/国書刊行会/Kindle版) 『まだ、うまく眠れない』(石田月美著/カバー画:beco+81/デザイン:観野良太/文春e-book/文藝春秋/Kindle版) 『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』(藤永茂著/ちくま学芸文庫/筑摩eブックス/Kindle版) 『何かが空を飛んでいる』(稲生平太郎著/国書刊行会/Kindle版) 『バッタを倒すぜ アフリカで』(前野 ウルド 浩太郎著/装幀:アラン・チャン/光文社新書/Kindle版) 『美術の物語 ポケット版』(エルンスト・H・ゴンブリッチ著/田中正之著/天野衛、大西広、奥野皐、桐山宣雄、長谷川宏、長谷川摂子、林道郎、宮腰直人訳/河出書房新社) 『人間臨終図巻 上下巻』(山田風太郎著/徳間書店) 『世界神秘学事典』(荒俣宏編/平河出版社) 『地衣類、ミニマルな抵抗』(ヴァンサン・ゾンカ著/宮林寛訳/まえがき、カバー写真:大村嘉人/序文:エマヌエーレ・コッチャ/みすず書房) 図録『特別展 はにわ』(東京国立博物館、九州国立博物館、NHK、NHKプロモーション、朝日新聞社編集) 図録『特別展「鳥 〜ゲノム解析が解き明かす新しい鳥類の系統〜」』(日本経済新聞社、日経サイエンス編集) 『バーナード嬢曰く 1-7巻』(施川ユウキ著/一迅社/電子書籍版) 『映像研には手を出すな!1-9』(大童澄瞳著/ビッグコミックス/小学館) 『志村貴子短編集 まじわる中央感情線』(志村貴子著/河出書房新社/電子書籍版) 『青い花 全8巻』(志村貴子著/太田出版) 『放浪息子 全15巻』(志村貴子著/エンターブレイン) 『サードガール 全8巻』(西村しのぶ著/小池書院) 『ファミリー! 全11巻』(渡辺多恵子著/フラワーコミックス/小学館/電子書籍版) 『一級建築士矩子の設計思考1-3』(鬼ノ仁著/日本文芸社/電子書籍版) 『えをかくふたり1 DRAWING BUDDY』(中村一般著/ゲッサン少年サンデーコミックススペシャル/小学館/電子書籍版)
注)一部、再読を含みます
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honyakusho · 8 months ago
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2024年10月29日に発売予定の翻訳書
10月29日(火)には23点の翻訳書が発売予定です。
10倍速で「未来の自分」になる方法
Tumblr media
ベンジャミン・ハーディ/著 松丸さとみ/訳
OEJ Books
シャーロック・ホームズ全集【全9巻】セット
アーサー・コナン・ドイル/著 小林司/翻訳 東山あかね/翻訳
河出書房新社
うんこの世界 : 細菌とわたしたちの深い関係
アダム・ハート/著 増田隆一/監修 梅田智世/翻訳
晶文社
おちゃめなパティ
ジーン・ウェブスター/著 三角和代/翻訳
新潮社
告発者 上
ジョン・グリシャム/著 白石朗/翻訳
新潮社
告発者 下
ジョン・グリシャム/著 白石朗/翻訳
新潮社
若草物語
ルイーザ・メイ・オルコット/著 小山太一/翻訳
新潮社
Arm Cortex-M23/M33プロセッサ・システム開発ガイド
Joseph Yiu/著 五月女哲夫/翻訳
CQ出版
休息の歴史
アラン・コルバン/著 小倉孝誠/翻訳 佐野有沙/翻訳
藤原書店
Pythonによるシミュレーションモデリング
Giuseppe Ciaburro/著 黒川利明/翻訳
朝倉書店
ロボット倫理学
マーク・クーケルバーグ/著 田畑暁生/翻訳
青土社
ウィローデールの手漕ぎ車 : または ブラックドールの帰還
エドワード・ゴーリー/著 柴田元幸/翻訳
河出書房新社
オックスフォード睡眠医学ハンドブック
Guy Leschziner/著 立花直子/監修・翻訳
丸善出版
地図で見るアメリカハンドブック〈第3版〉
クリスティアン・モンテス/著 パスカル・ネデレク/著 鳥取絹子/翻訳
原書房
塵よりよみがえり
レイ・ブラッドベリ/著 中村融/翻訳
河出書房新社
はじめまして、サンタさん
ジャーヴィス/著 万木森玲/翻訳
岩崎書店
真訳シェイクスピア傑作選 : ロミオとジュリエット・お気に召すまま・冬物語・十二夜・夏の夜の夢・テンペスト
ウィリアム・シェイクスピア/著 石井美樹子/翻訳
河出書房新社
なぜか「なんとなく生きづらい」の正体
メグ・アロール/著 野中香方子/翻訳
河出書房新社
古代ローマ帝国大図鑑
アンドリュー・ジェームス・シレット/監修 マシュー・ニコルズ/監修 本村凌二/監修 辻元よしふみ/翻訳 辻元玲子/翻訳
河出書房新社
世界一クールな気候変動入門 : 情報を正しく判断するために
ジョン・クック/著 加納安彦/監修 小林玲子/翻訳 縣秀彦/翻訳 海部健三/翻訳 鴈野重之/翻訳 小西一也/翻訳
河出書房新社
千秋 3
梦溪石/著 呉聖華/著 高階佑/イラスト
日販アイ・ピー・エス
ビートルズ vs. ストーンズ : 60年代ロックの政治文化史
ジョン・ミクミライアン/著 梅崎透/翻訳
ミネルヴァ書房
アジアン・ポップカルチャー大全~1990年代以降のアジア系アメリカ人の歴史をたどる~
ジェフ・ヤン/著 フィル・ユ/著 フィリップ・ワン/著 後藤結花/翻訳
ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス
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oivgbqiqfz358 · 10 months ago
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--深海人形-- 空母内で、潜水中で、飛行船の中で、ファミレスで自爆決行するおじさん
※趣味:復活(※98でのプロフィールデータより)
※閲覧&キャラ崩壊注意
※某対戦剣戟ゲーの自決(※4632start)ネタあり
※ネタも話題も雑多(※闇鍋)
※今回は格ゲーネタ多し(※格ゲー分からない人へ済みません)
昔、楓の声帯やってる中の人が某パチスロ台(※多分デコトラ)に出てて嬉しかったな(※昔話自体レア)。で、ソロモンの悪夢ガチ勢なら月華の剣士/The Last Bladeオススメ(※特に第二幕。末期のsnkが遺した名作の中の名作です)。
…。
メトロシティでAP⚪︎Xごっこをやった時にありがちな事(※ケアパッケージがドラム缶)。
…。
ちりてのち のざらす者の 悲しさよ
橘右京 サムライスピリッツより
イグニスいおりん紅丸京サマも其うですが、美形キャラは、基本的に中国、半島人気が高いそうです(※…其う、無論右京さんも)。
…。
…紅丸は編を跨いでも裏主人公的な所がある。先ずオロチ編の出番(※小説、ドラマCDでも)多いし、ネスツ編でも毛走、クーラたそに深く関わって来るし、アッシュ編でも相変わらず存在感処か主役級の仕事を任されてるし、最新作のXVに至っては、新人主役少年達の先輩やってる。…最早、二度目の最盛期(※京サマのライバルで、良家出身で有能ってだけで待遇良過ぎ)。
…。
KOF最高傑作八傑集
98UM
98
02
02UM
NEOWAVE
XI
XIII CLIMAX
あと一つは?
…。
ライン移動する奴が相手なら鳳凰脚を使わざるを得ない(※ライン移動しなくても使う)。
…。
ヴァンパイア セイヴァーで好きな背景一覧
Green scream 此れは140アメスポチームくらい好き(※単位が理解不能)
Concrete cave これは700アメスポ
Vanity paradise 653アメスポ
Tower of Arrogance 此れは3ニューフェイスチーム(※二個目の謎単位出現)くらい好き
の曲が流れる各ステージ
好きな性癖発表ドラゴン「俺の出番は?(※出番無いの?)。」
ワイ「食えない爬虫類は嫌いだ(※爬虫類は食用であるべし派)。」
好きな性癖発表ドラゴン「あ゛っ゛?(※NAOYA並感)。」
…関係無いけど、Fetus of GodステージのRシリーズとX-∞の最終面めいた背景を見ると(そしてBGM)流石C社とアイレムは兄弟だな……と思う(※詳しくはggると分かる)。
…。
此方秦(ジン)で、彼方宗(ゾン)ね(※間違え易いね)。
…。
…望月双角は餓狼じゃなくて龍虎かサムスピに居そうな感じがする(…其れでも、敢えて餓狼に居るのが良い)。
…。
…どうせバイオじゃなくてモータルコンバットか魔界村を参考にしたんだろうけど、セイヴァーのホラー格ゲー路線堪んないね!(※…尚、格ゲー部分と一部のキャラストーリーとエンディングにホラー要素一切関わって来ない模様)。
…。
在勲「父さん!悪が鳳凰脚パクってるよ!」
キムさん「百も承知だ!だがな!……鳳凰脚自体には知的財産権は適応されないのだ……私の身内も誰も特許を取って居ないのだ……在勲よ……。」
在勲「父さん……。」
東煥(……親父、…其の方面の知識あんのか……)
…。
KOF自体ネスツ編アッシュ編含めて、神秘主義の色合いが非常に強い。
あのネスツでさえ、神秘主義的な思想(※何が何でも神になりたい、概念上最強になりたい)を拗らせたボスが、同時に、科学技術への偏執を拗らせると如何なるか?…と言う正に良い例(※…然し、…其れを言うと、C社のヴァンパイア セイヴァーも中々……)。
…。
賢者は、同じものを、誰とも違う視点で見てるから、其う呼ばれて居るんだ。
…。
…最近、重度の偏頭痛か中程度の群発頭痛で酷く頭部が痛む事があって、…其の時に「もう自分も長く無いな(※預言)。」…と思った(※悟り)。
…。
わたしコヘレトはイスラエルの王としてエルサレムにいた。天の下に起こることをすべて知ろうと熱心に探究し、知恵を尽くして調べた。神はつらいことを人の子らの務めとなさったものだ。わたしは太陽の下に起こることをすべて見極めたが、見よ、どれもみな空しく、風を追うようなことであった。
----コヘレトの言葉 1:12~14
…何の成功も闘争も無く、平凡か底辺の暮らしをして居て非好戦的で善良なチート能力者を見ると、何故、其のチート能力を有効活用しないのだ?(真顔)。」…と、言い出す人が居るが、其の人達は、自分が強大な力なんて持った事無いから其う言える。
現に、其う言う強大な力を得ると、其れを持って居る事で得られる喜びとか全能感を一瞬で、世界への悟りとか自分の力を持ってしても世界は何も変わらない事への諦めとか虚無感が飛び越えてしまって、其のチート能力者達は、途方も無く人生と言う物を諦め初め、虚しくなってしまう。
なので、スケールの大きな目的、やりたい事が無い限りは、しょうも無くて、能天気で、雑な使い方をする(※…其れでも、人生を、世界を諦め無かった奴は偉大な悪者)。
…。
日本人の創作精神は常に自分の手先からはじまります。誰かの手先からはじまったものを奪うのが普通だと、此んな事なんて思いもよらないでしょうが。あとは自分達の色に塗り替えるのも同じく。
…。
そーけつの自決(4632start)は、天を仰ぎながら、自らの首に向かい天に四本の矢を放って、其の四本の矢を首で受けて、「勝負あり!」…って言う演出が良い(※尚、本家零サムの琉球ビキニ娘さんは只単に敵前で戦意喪失して死合放棄する模様)。
館主様
今度は腹では無く首の横に一撃(※原作読んだら分かる)。
ふーけつ
何故か車に跳ねられる(※要は事故死)。
…。
※…天サム、零サム、零サムSP原作の時点で、総じて『自決』と言う大層な名前の癖に、何故か事故死、他殺、敵前逃亡、死合放棄、降参する者が多い模様。自決とは(※哲学)。
…。
悪が相手だと言うのならば、鳳凰脚を使わざるを得ない!
それでは皆さんご一緒に!「おは鳳凰脚!」
…。
ネオジオラー「おいww公式wwトゥードゥー(の娘)を出せww」
S社「はいwwでもな、残念やったなww娘の方やwwトゥードゥー本人やないでww」
C社「…其んなに御前等トゥードゥーの事好きなんか!!!!!!!…其処迄の需要あるんなら、今度のカプエス2に出したるわ!!!!!!」
ネオジオラー達「はぁ?????????????」
S社「はぁ??????????????????トゥードゥー本人なんかよりも娘さんの方出した方が皆食い付くで???!!!!!??」
C社「よっしゃ!!!!!!!!!娘の方も出したる!!!!!!!!!!!」
※当然の様にC社は分かってない奴扱いされた。…然も、必殺技が一つだけでは無い為、カプエス2のトゥードゥーを偽物扱いするネオジオラー達迄発生した(※参考:民明書房)。
…。
何がコンプラコンプラだよ!自分で何もしねぇのに表現の自由だけは縛りやがって!
…。
…FEXLのゲストキャラで崇秀出すの、意外と行けるんじゃない??(※コマ投げあるし)。」でも、どうせ、「…何で此奴なんだよ?兄貴の方出せや!!!!!!(※秦兄弟は兄派の意見)。」…って、散々言われるだけ(※予言)。
…。
※…以下。…何時もの過激ネタ、クロスオーバー注意
殆ど蛇を使わなくなった罦傑は、暗器使いになり、メリケンサックで殴ったり、暗器針を相手に差し込んだり、火炎瓶で燃やしたり、短い鎖で相手を殴ったり、口の中に幼体毒蛇仕込んで妲己魔香殺したりする。闘魚のヴィレンか某ジャニスかレイレイ、笑龍、まりんみたいだ(※滅茶苦茶弱いけど)。
…。
操弾打っても緊急回避か前転回避される上に、物の見事に馬乗りバルカンパンチかシェル美スパイラルみたいな幸せ投げ(不幸投げ)される優しい世界(※無闇に操弾撃つ位ならゲームシステムについて勉強して置こうね⭐︎)。
…、
後は、伏せかしゃがみで、ライン移動で避けられるか(※基本、格ゲーは飛び道具に厳しい)。
…、
ザキヤマ「ほら!返すぜぇ!」
此んな感じでこf(…と言うか、新日本企画格ゲー全般で)は、飛び道具反射マン(ウーマン)多いよな(※地を這う飛び道具と同じで新日本企画名物)。
…、
飛び道具相殺って言うシステムも結構搭載されてるよね(※…其の上、りゅうこチームに至っては、銃弾すら受け流せるしな……)。
…、
館主様は多分、『秦兄弟(ライ・シュウ)同士を足して二で割った性能(※…但し、限り無く弟寄り)』。
…。
ソロモンの悪夢さんとか木星帰りに、ヘブンズアーチ、天翔乱姫、色咒、シェル美スパイラル他幸せ投げ食らって貰いたい(※幸せ投げじゃないけど、ルミナス、ダークネス イリュージョンとサングェ=パッサーレ、プロヴァ=ディ=セルヴォも同じくどうぞ♪)。
…。
如何足掻いても、館主様は中々対戦相手に勝てないので、男の格闘家及び格闘素人からはボコられ(※完全にトレモの木偶化)、格闘家の少女達、御姉様(※おばさん含む)方に可愛がられる羽目に(※最早ハーレム)。
…。
シェル美さん「りんやんくんだーいちゅき♡りんやんくんは、くりちゅとは違う魅力があって、もうたまんないわ♡。」…尚、絶賛シェル美スパイラル中の上、太腿でリンヤンの頭を掴んでる最中。
社「又好みの少年に向かって痴女ムーブしてんのか。」
くりちゅ「良いじゃない。…此う言う女なんだから。」
シェル美さん「流石ね♡くりちゅは私の事分かってる♡。」
館主様「貴様等!良い加減此の女を如何にかしろ!
社「彼奴は俺達の大事な仲間だし何も出来ねぇ。つー訳で自分で何とかしろ。じゃーな!」
くりちゅ「館主様⭐︎ バイバイ!精々頑張ってね!」
館主様「…下郎共がーー!!(外道がァー!!並)。」
…。
木星帰り「あっ!デーモン五郎だ!シバいて良いかな?!(※逆に天地返しか地獄極楽落としでシバかれるフラグ)。」
「…良いぞッ!(※下衆顔)。」
…。
木星帰り=ルガール説(※京サマ説の方が、真実に近いであろう ※適当)。
…。
ジェノサイカッタッ!、鳳凰脚っ!辺りは、木星帰りでも、確実に、出来るだろうし、…其れに、彼奴が、真空波動拳だろうが覇王翔吼拳だろうがカイザーウェイブだろうが撃てるんなら、ワイだって同じ様に撃てるよ(真顔)。
…。
在勲「父さん!悪が鳳凰脚パクってるよ!(然も龍虎乱舞要素入ってるよ!)。」
キムさん「悪は許るさん!(何時もの構えで速攻)。」
木星帰り「ん?」
〜〜暫く御待ち下さい〜〜
東煥「…悪に実力で負けてんじゃん……(呆れ)。」
在勲「父さん!めげないで下さい!父さんには空を飛べる程の正義の力があり溢れてるでじゃないですか!(孝行息子の鏡)。」
キムさん「悪は許るさん!(再戦)。」
〜〜暫く御待ち下さい〜〜
在勲「結局負けてるー?!(ガビーン!!)。」
…。
京サマ「…『京へ、今日は木偶役を親父狩り狩り感覚でスカウトしたから、其奴をボコって鍛錬して見ろ⭐︎』…とよ、トンだ最悪親父だぜ(※実はボコる気満々。例のムエタイパンツかもしれないから)。」
木星帰り(※全身を鎖で縛られて居る上に、捨てられた犬の目)
京サマ「……此奴ボコったら祟られそうだわ(※勘の良い留年高校生)。」
…そして、京サマは近々追試があるのでちゃんと勉強しました(※偉いっ!!)。
…、
木星帰り「…其処の答えは、『溶媒』だぞ(※頭滅茶苦茶良い)。」
京サマ「…一々煩ぇよ!…御前、家庭教師のつもりか?!(迫真)。」
影から見守るいおりん「…京の奴が全うに勉強して居るだと……?!(明日はきっとイグニスかオロチが復活する……!)。」
…。
自決(4632start)
ソロモンの悪夢
拳銃を口に咥えて引き金を引く
「すみません……閣下……。」
野獣大尉
拳銃を口に咥えて引き金を引く
「あばよ!」
元メトロシティの英雄
何処から共無く白い布切れを棒に括り付け旗を振りながら降参する
「徹底抗戦だ〜〜〜!!」 ※某何処にも救いが無い事で知られるロボアニメネタ
基地ガイ忍者
突然レナがトンファーを持って出て来てガイを気が済む迄殴り昏倒させる
「な、何故、…レ、レナ……何故、此処に?…おふっ!!」
※本当に文字通りの『自決』する奴は偉いと言う風潮(※原作のゲームでも本当の自決をする者は、数名しか居ない)。
…。
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team-ginga · 1 year ago
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映画『夜は千の目を持つ』
 やっと映画を見てレビューが書けるくらいにバイオリズムが回復しました。さていつまで続くやらですが、「光あるうち光の中を進め」とトルストイ先生もおっしゃっています。
 というわけで昨日Amazon Primeで見た映画『夜は千の目を持つ』(1949)について書きます。
 古い映画です。そんなに有名な映画でもないはずです。でもタイトルは魅力的ですね。
 原題はNight has a thousand eyes。コーネル・ウールリッチの同名の短編が原作で、ウールリッチ自身はフランシス・ウィリアム・バーディロンという英国の詩人のLightという詩からタイトルをつけたそうです。
 主演はエドワード・ G・ロビンソン。渋いですね。
 物語は若い女が夜の操車場で身投げしようとしているのを若い男が止めるというところから始まります。
 女の名はジーン。大企業の社長の娘。男の名はエリオット。地質学者でジーンの恋人のようです。
 エリオットはジーンをトライトンという男(エドワード・G・ロビンソン)が待つレストランへ連れて行きます。エリオットに促されジーンがオムレツとコーヒーを注文しようとすると、トライトンが「もう注文してある」と言います。
 すると給仕がオムレツとコーヒーを持ってきます。どうやらトライトンには予知能力があるようです。
 トライトンはジェニーとコートニーに身の上話をします。
 トライトンは読心術や未来予知を見せる芸人で、恋人のジェニーやマネージャーのコートニーと一緒に巡業をしていました。ところがあるときからトライトンは本当の予知能力を手に入れます。
 予知能力があればいいなと誰しも思うはずですが、トライトンは必ずしもそうではありません。彼はコートニーに株の助言をして結構な金額を稼ぎます。しかしその一方で、新聞配達をしている少年が事故に遭うのを予感しますが、少年を救うことはできず、トライトンは苦しみます。
 トライトンはさらに恋人のジェニーについてある予知をしたためジェニーとコートニーをおいて一人去って行きます。ジェニーが自分と結婚して出産の際死んでしまうことを予知したからです。
 その後、ジェニーとコートニーは結婚します。コートニーはトライトンから聞いた予言をもとに石油会社の社長にまでなり、二人の間にはジーンという娘ができますが、ジェニーは出産の際に死んでしまいます。
 20年後、ずっとアリゾナで金鉱堀りをしていたトライトンはサンフランシスコに出てきます。彼はコートニーやその娘と連絡を取ろうとはしませんが、コートニーが飛行機事故で死ぬことを予知して、慌ててコートニーの邸宅へ向かいます。
 しかし、時すでに遅しーートライトンは娘のジェニーと会いますが、コートニーの乗った飛行機は飛び立った後でした。
 翌日、本当にコートニーの乗った飛行機が墜落したことに驚いたジェニーは恋人のエリオットと一緒にトライトンに会いに行きます。
 トライトンはさらに恐ろしい予知をします。ジェニーは週末までに星空の下で死ぬというのです。
 ここで物語は冒頭のシークエンスに戻ります。なかなか凝ったつくりですね。死の宣告を受けたジェニーはその恐怖から逃れるために自殺しようとしたというわけです。
 ジェニーは週末まで自宅に閉じこもって死を逃れようとします。彼女の自宅には社長の急死を受けて事業をどうするかを相談するためお偉方たちが集まっています。
 エリオットはトライトンを不信の目で見ていて、トライトンを詐欺師とみなして警察に訴えます。警官たちがジェニーの警護にあたります。
 トライトンはジェニーを救うため彼女の邸宅に駆けつけますが、警察に連れて行かれてしまいます。その前後にトライトンは新たな予言をします。
 曰くーー「誰かが花をふむ」、「風が急に吹いて花瓶が割れる」、「誰かが「危険は去った」と言った途端、ライオンの手がジェニーに襲いかかる」、「ジェニーは夜11時に星空の下で死ぬ」。そればかりかトライトンは自分自身についてもある予知をしているようです。
 トライトンの予言は次々に当たって行きます。ライオンはどうなるんだと思っていたら、ラジオから「近くの動物園からライオンが逃げ出した」というニュースが流れてきます。
 へーえ。
[この辺りからネタバレになります。未見の方はご注意を]
 観客の関心はトライトンは本当に予知能力があるのかどうかにあります。少なくとも私はそうでした。だってエドワード・G・ロビンソンですから、どちらもありそうです。
 でもトライトンの予知能力は本物です。彼は留置場にいる囚人が自殺することを予言し、警察も彼を信じざるを得なくなり、彼をジェニーの邸宅に連れて行きます。
 11時が近づきます。カーテンの陰から誰かの手が出てきて、時計の針を進めます。時計は11時を告げます。ラジオではライオンは射殺されたというニュースが流れます。
 刑事は「もう大丈夫だ。危険は去った」と言い、ジェニーは庭に出ます。
 うーん、それはいくらなんでもバカじゃないですか。刑事は腕時計を持っていないんでしょうか。ジェニーもいくら11時を過ぎたからって庭に出る必要はないじゃないですか。「星空の下で死ぬ」と言われたら、とにかく夜外には出ないというのが当たり前じゃないですか。
 ちょうどそこへ警官に連れられたトライトンがやってきます。トライトンはまだ11時になっていないことを���っているので、庭に出たジェニーを探しに行きます。
 庭にはライオンの像があります。ライオンの腕がどうしたこうしたというのは、どうやらこの像のことだったようです。ライオン像の影から一人の男が現れます。コートニーの仕事仲間だか取引相手だかだった男です。男はジェニーに襲いかかります。
 トライトンはジェニーを助けようと椅子で男に殴りかかります。それを見た警官はトライトンがジェニーを襲っているのだと誤解し、トライントンに発砲します。
 結局トライトンは死んでしまい、犯人は捕まります。犯人は週あけに何かの契約が切れるので、それまでにジェニーを亡きものにしようとしたようですが、まあそれはどうでもいいでしょう。
 トライトンの胸には一通の手紙が入っています。ジェニーに宛てた手紙でそこにはトライトンが自分自身の死を予知していたことが書かれています。
 改めて考えると穴だらけのストーリーにも思えますし、ほんの端役に過ぎなかった男が真犯人というのもミステリーとしてどうかと思います(私自身は恋人のエリオットが犯人だと思っていました)。
 でも、警察やエリオットからすれば当たるはずのないトライトンの予言が次々と当たっていくところは非常にエキサイティングでなかなかいい映画だと思いました。
 映画史に残る傑作とは思いませんが、こういう佳作に出会えると「映画ってホントにいいものですね」と突然水野晴郎のような気持ちになります。
 
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