#イタリアのシステムは日本のと違う
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和七年(2025年)4月26日(土曜日)
通巻第8756号
風情に満ちていたイタリアの古都、並木道も中華料理、中国食材、中国旅行代理店が林立
気がつけば町は乗っ取られ、えげつないチャイナタウンに化けていた
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イタリアのトスカーナ州で最も有名な観光地はフィレンツェである。その北西に隣接する町がプラトーでフィレンツェから電車で25分。いまや不法移民の中国人に乗っ取られた。
人口20万人の田舎町に5万5000人の中国人がいる!
気がつけば、伝統的な繊維企業が乗っ取られていたのだ。しかも中国人は自らの工場で縫製したアパレルを「イタリア製」とし、EU域内ばかりか世界中に輸出し、ドルを稼ぎに稼いだ。なかにはブランド品の贋物も混じっていた。
繊維産業が栄えると、夥しい中国マフィアが這入り込んできた。シマをめぐって勢力争いが繰り広げられ殺人事件も起こった。のんびりと、中世の面影のあったイタリアの古都は物騒なチャイナタウンとなった。ベルルスコーニの時代から問題視され、一度はベルルスコーニ首相(当時)自らが視察に赴いたこともあった。
それまでプラトーの繊維製品、とくに毛織物は高品質で高い評価を得ていた。グローバル化と移民の影響で、ヨーロッパにおける「Made in China」の拠点となった。中国人は、メイドインチャイナのイメージでは世界市場で悪評嘖々なことを知っていた。どうしてもMADE INITALYのラベルが欲しかったのだ。
プラトー市は中世の建物や壮麗なカソリック教会が並んでいるが、その陰で、中国人経営の繊維工場、ミシン作業所は昼夜を問わず稼働し、従業員が全員、中国からの移民という構造ができあがった。
しかも原材料の仕入れから製造、流通、販売という��プライチェーンが、中国人の手に握られている。
最大の原因はグローバリズムである。
その前提がEUの「シェンゲン協定」だ。いったんEU加盟国へ入るや人の移動は自由である。中国からの不法移民はウクライナマフィアと組んで、ポーランド、ハンガリーなどへ密入国し、あとは自由に動き廻るシステムを『活用』した。
安価な労働力の流入によりプラトーの伝統的な企業は、価格競争に負ける。
イタリア人の若い世代はプラトーの伝統家業を継がなかった。このため、市場は価格重視となり、プラトー伝統の産業は短時日裡に衰退した。
市内の空き地を買収し、次々と遊休工場、古い機械、そしてブランドを買い取ってしまった。中国人工場は24時間体制で稼働し、部外者を雇用しない。これらの工場は合法的な営業許可をえているが、実際の操業には不法労働、脱税、環境汚染など政府の検査や罰金の対象になる。
イタリアの労働組合や地元企業は、中国人移民が市場秩序を乱したと批判した。しかし中国企業は業界の隙間を狙ったビジネスだと主張し、「われわれが彼らの仕事を奪ったのではなく、彼らが自ら仕事を放棄したのだ」というロジックで反論する。
▼風情のあった並木道も中華料理、中国食材、中国語の旅行代理店が林立して、ほぼチャイナタウンに化けた
プラトー旧市街は、並木道だった地域が、中華料理店や理髪店、学校、旅行代理店が立ち並び、公園では十代の若者たちが太極拳の練習をしている。
中国人コミュニティは5万人を超え、ヨーロッパで最も中国人人口の密集した都市の一つとなった。
日本でもチャイナタウンがいつのまにか各地に形成され、やかましい中国語が飛び交い、ゴミ区別をせず、辺り構わず排尿するので地元住民とトラブルが目立ち、最近は川口のクルドと同様に、文化、生活様式の違いが際だってきた。
世界最大の高級品グループLVMH傘下「ディオール」が中国の請負業者に製造を委託していたことが判明した。EU本部はブランドの評判を守るために、製品がイタリアで作られるだけでなく、一定の割合で地元の材料と労働力を含むことを義務付ける「メイド・イン・イタリー」ラベル制度の改革を論議するようになった。しかし何ほどの政治的���いも見られない。

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新戦術として3バックに挑戦した日本代表は、堂安のいうモダンな3バックにどれほど近づけたのだろうか。ヨーロッパの最前線にも精通するアレックスは「はるかに遠い」と評価を下した。 「シャビ・アロンソ監督がつくり上げたレバークーゼンもそうですが、イタリアでいえばアタランタもそうですし、スペインでもいくつかのクラブが採用しています。このように多くのクラブが3バックのシステムで攻撃の構築を実行していて、それをモダンと表現しているのかもしれません。 日本代表がそれらのクラブと同様のことを実行するとしたら、どのようなコンセプトを立ててどのようなトレーニングを実行するのかが重要です。単純にフォーメーションをまねするだけでは何も変わりません。目標をどこに置き、それに対してどのようなプロセスをたどり、どれだけ明確化できるかが大切だと考えています。 はるかに遠いと評価したのには理由があります。AFCアジアカップカタール2023でもそうでしたが、基本的に日本代表はカウンター攻撃によって失点を喫することが多いチームです。そういったカウンターをどう防ぐかが、守備時の大きな課題となっています。それを踏まえて、今回の3バックはブラジルやアルゼンチンなど世界のトップクラスとの対戦のために準備しているのかがわかりません。そういったトップのチームを相手に最終ラインの3人で守ることを想定しているのかが、評価のポイントになったのです」 このようにミャンマー戦とシリ���戦を振り返ったアレックスだが、「いずれも対戦相手との実力差が大きすぎて、参考にはならない」と念押ししている。また、そういった状況のなかでもゲームプランを立てて戦術���考えるものだが、森保監督はゲームプランに対する解像度が低いのではないかと、アレックスは疑問を呈する。 次回はゲームプランについて解説し、現在の日本代表に起こっていることを推察する。
「はるかに遠い」サッカー日本代表の3バックをスペイン人指導者が分析。レバークーゼンと何が違うのか?「評価のポイントは…」
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OpenAIは、イタリアのデータ保護当局による同社のAIチャットボット「ChatGPT」に対する数か月にわたる調査を受けて、欧州連合のプライバシーを侵害している疑いがあると伝えられた。 イタリア当局の調査結果草案の詳細は明らかにされていない。 しかしガランテ紙は、 本日 OpenAIに通知があり、この申し立てに対して弁護するための30日間の猶予が与えられたと述べた。 汎EU体制への違反が確認された場合、最大2,000万ユーロ、または世界の年間売上高の最大4%に相当する罰金が科される可能性があります。 OpenAIのようなAI大手にとってさらに不快なことは、データ保護当局(DPA)が、確認された違反を終わらせるためにデータの処理方法の変更を要求する命令を発行する可能性があることだ。 そのため、運用方法の変更を余儀なくされる可能性がある。 あるいは、プライバシー当局が気に入らない変更を課そうとしているEU加盟国からサービスを撤退する。 OpenAI は、Garante の違反通知に対する対応を求めて連絡を受けました。 彼らから声明が送られてきた場合には、このレポートを更新します。 最新情報: OpenAI は次のように述べました。 当社は、当社の実践が GDPR およびその他のプライバシー法に準拠していると信じており、人々のデータとプライバシーを保護するために追加の措置を講じています。 私たちは、AI に個人ではなく世界について学習してもらいたいと考えています。 当社は、ChatGPT などのシステムのトレーニングにおいて個人データを削減するよう積極的に取り組んでおり、人々に関する個人情報や機密情報��要求も拒否します。 私たちはガランテと建設的に協力し続けるつもりです。 AIモデルがフレーム内で合法性を訓練 OpenAIがEU一般データ保護規則(GDPR)に準拠していることについて懸念を表明し イタリア当局は昨年、 、ChatGPTのローカルデータ処理の一時禁止を命じ、その結果 AIチャットボットが市場で一時的に停止された 。 Garante が 3 月 30 日 に OpenAI に提供 した、別名「措置登録」は、ChatGPT の基礎となるアルゴリズムのトレーニングを目的とした個人データの収集と処理に対する適切な法的根拠の欠如を浮き彫りにしました。 そして、AI ツールが「幻覚を起こす」傾向 (つまり、個人に関する不正確な情報を生成する可能性) が、その時点での懸念事項の 1 つとして挙げられます。 また、子供の安全にも問題があると警告した。 当局は全体として、ChatGPT が GDPR の第 5 条、第 6 条、第 8 条、第 13 条および第 25 条に違反している疑いがあると述べた。 OpenAI は、違反の疑いのあるこの膨大なリストを特定したにもかかわらず、DPA によって提起されたいくつかの問題に対処するための措置を講じた後、昨年比較的早くイタリアで ChatGPT のサービスを再開することができました。 しかしイタリア当局は、違反の疑いについては引き続き調査を行うと述べた。 現在、このツールはEU法に違反しているという暫定的な結論に達している。 イタリア当局は、以前に疑われていたChatGPT違反のうちどれが現段階で確認されたのかをまだ明らかにしていないが、AIモデルをトレーニングするために個人データを処理することについてOpenAIが主張している法的根拠は、特に重要な問題のように見える。 これは、ChatGPT が公共のインターネットから収集された大量のデータ (個人の個人データを含む情報) を使用して開発されたためです。 そして、OpenAIが欧州連合で直面している問題は、EU国民のデータを処理するには有効な法的根拠が必要であるということだ。 GDPR には、考えられる法的根拠が 6 つ挙げられていますが、そのほとんどはその文脈ではまったく関係がありません。 昨年 4 月 、OpenAI は Garante から、ChatGPT モデルのトレーニングに関する「契約の履行」への言及を削除するよう指示され、同意か正当な利益という 2 つの可能性だけが残されました。 AI の巨人が、AI モデル構築のために情報を取り込んで処理した無数の数百万(あるいは数十億)の Web ユーザーの同意を得ようとしたことがないことを考えると、処理に関して欧州人の許可を得たと主張しようとする試みは、どう考えても無理があるだろう。失敗する運命にある。 そして、昨年ガランテの介入後にOpenAIが文書を改訂した際には、正当な利益の主張に頼ろうとしているように見えた。 ただし、この法的根拠には依然として、データ処理者がデータ主体に異議を申し立てることを許可し、情報の処理を停止させることが求��られています。 OpenAI が AI チャットボットのコンテキストでこれをどのように実行できるかは未解決の問題です。 (理論的には、違法にトレーニングされたモデルを撤回して破棄し、トレーニング プール内の異議のある個人のデータを使用せずに新しいモデルを再トレーニングする必要があるかもしれません。ただし、違法に処理されたすべてのデータを個人ごとに特定することさえできると仮定すると、 EU にやめるよう指示した、反対する EU 各国のデータについてもそれを行う必要があります… えー、これは費用がかかりそうです)。 この厄介な問題を超えて、ガランテが最終的に正当な利益がこの文脈において有効な法的根拠であると最終的に結論付けるかどうかという、より広範な問題がある。 率直に言って、その可能性は低いように思えます。 LIは自由に使えるものではないからです。 データ処理者は、自らの利益と、データが処理される個人の権利および自由とのバランスをとることが求められます。また、個人が自分のデータのこのような使用を期待していたかどうかなどを考慮する必要があります。 そしてそれが彼らに不当な危害を与える可能性。 (彼らがそれを予期しておらず、そのような損害のリスクがある場合、LI は有効な法的根拠とは認められません。) また、データ プロセッサが目的を達成するために、他のそれほど煩わしくない方法で処理を行う必要はありません。 注目すべきことに、EUの最高裁判所は 以前、 メタ社がソーシャルネットワーク上で行動広告事業を運営するために個人の追跡とプロファイリングを行う根拠として、正当な利益は不適切であると認定している。 したがって、商業的な生成 AI ビジネスを構築するために、人々のデータを大規模に処理することを正当化しようとする別のタイプの AI 巨人の概念には、大きな疑問符が付きます。特に、問題のツールが特定の個人に対してあらゆる種類の新たなリスクを生み出す場合には、大きな疑問符が付きます。いくつか例を挙げると、偽情報や名誉毀損、なりすましや詐欺など)。 Garante の広報担当者は、モデル トレーニングのために人々のデータを処理する法的根拠には、ChatGPT が違反していると疑われるものが依然として含まれていることを確認しました。 しかし、現時点で OpenAI が侵害していると疑われる 1 つ (または複数) の記事については正確には確認されていません。 当局の本日の発表もまだ最終的な決定ではなく、最終決定を下す前にOpenAIの回答を待つことになる。 声明は次のとおりです ガランテの (AIを使用してイタリア語から翻訳しました)。 [イタリアのデータ保護局]は、ChatGPT人工知能プラットフォームを運営するOpenAIに、データ保護規制違反に対する異議申し立ての通知を通知しました。 が同社に対して採択した処理命令の暫定的制限を受け、 3 月 30 日にギャランテ 実施された予備調査の結果、当局は取得した要素が以下の規定に関して 1 つ以上の違法行為を構成する可能性があるとみなした。 EU規制。 OpenAIは、違反容疑について弁護準備書面を提出するまでに30日の猶予が与えられる。 手続きを定義する際、ガランテは、EU データ保護当局 (EDPB) を束ねる理事会によって設立された特別タスクフォースの進行中の作業を考慮します。 OpenAIは ポーランドでもChatGPTのGDPR準拠を巡っ 苦情を受けて、 、個人に関する不正確な情報を生成するツールの実体とその苦情に対するOpenAIの対応に焦点を当てた昨年夏の て厳しい監視に直面している。 この個別の GDPR 調査は現在も進行中です。 で、EU 全体で高まる規制リスクに対応しています 一方、OpenAI は、アイルランドに物理的な拠点を確立すること 。 そして 1月には 、このアイルランド法人が今後EUユーザーのデータのサービスプロバイダーとなることを発表した。 こうした動きで同社が期待しているのは、アイルランドでいわゆる「主要施設」の地位を獲得し、(現在のような)規制のワンストップショップメカニズムを通じて、アイルランドのデータ保護委員会が主導するGDPR準拠の評価に切り替えることだろう。 )そのビジネスは、そのツールがローカルユーザーを持っている連合内のどこからでも、DPAの監視を受ける可能性があります。 ただし、OpenAI はまだこのステータスを取得していないため、ChatGPT は EU の他の場所で DPA によるさらなる調査に直面する可能性があります。 そして、たとえ許可を得たとしても、問題のデータ処理は処理構造の変更よりも前のものであるため、イタリアの捜査と執行は継続されるだろう。 ガランテの声明で指摘されているように、欧州連合のデータ保護当局は、欧州データ保護委員会を通じて、GDPRがチャットボットにどのように適用されるかを検討するためのタスクフォースを設置することで、ChatGPTの監視に関して連携を図ろうとしている。 その(継続的な)取り組みにより、最終的には、イタリアやポーランドなどの個別の ChatGPT GDPR 調査全体で、より調和のとれた結果が得られる可能性があります。 しかし、当局は引き続き独立しており、それぞれの市場で決定を下す権限を持っています。 したがって、同様に、現在の ChatGPT プローブが同じ結論に達するという保証はありません。
ChatGPT はヨーロッパのプライバシー法に違反しているとイタリア DPA が OpenAI | に語る テッククランチ
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ジョージ A ロメロ監督のゾンビ映画『ナイト オブ ザ リビングデッド』(1968)は、当時のタブーに挑戦しアメリカのホラー映画の新時代を築いた作品だと位置づけられている。「タブーを大胆に描写した」内容は賛否両論を巻き起こしたが、1999年にはアメリカ国立フィルム登録簿に永久保存登録される映画に選ばれ、今日においても、映画史に残る古典的名作として評価されている。 1968年10月1日に公開された直後に書かれた評論は非難一色だった。「怖すぎる」「グロすぎる」「観ている人の気持ちを考えていない」と批判されたが、これがかえって、というか当然のように思えるが、ホラー映画に対するこれ以上ない賛辞として受け取られ、それもあってか、観客を増やした。1969年以降に書かれた評論ではまさに、「怖すぎる」「グロすぎる」「観ている人の気持ちを考えていない」という表現が賛辞として使われ、評判を上げていった。公開から5年後には、「大手スタジオの外で制作されたホラー映画の中で、最も利益を上げた作品���だと評され、公開から10年で、アメリカで1500万ドル以上の興行収入をあげた。1968年にヨーロッパで興行収入トップのアメリカ映画だったとも言われる。製作費の250倍以上を稼ぎ、史上最も利益を上げた映画作品の一つとなった。 1971年のニューズウィーク誌で、この映画が「血に飢えた映画ファンの急増により、正真正銘のカルト映画になった」と評価された。 『ナイト オブ ザ リビングデッド』に『ゾンビ』(1979)、『死霊のえじき』(1985)、『ランド オブ ザ デッド』(2005)、『ダイアリー オブ ザ デッド』(2007)、『サバイバル オブ ザ デッド』(2009)をあわせた6作は、ジョージ A ロメロ監督の「リビングデッド シリーズ」または「オブ ザ デッド シリーズ」と呼ばれる。
「タブー」とは何だったのか。「ゾンビ」そのものであり、「ゾンビ」という言葉である。 『ナイト オブ ザ リビングデッド』ではゾンビのことを「リビング デッド (生ける屍)」または「グール (食屍鬼)」と呼称しており、「ゾンビ」という呼称は次作『ゾンビ』から登場する。 映画『ゾンビ』は、原題は『ドーン オブ ザ デッド』で 国際題が『ゾンビ』である。1978年9月にイタリアで公開され、日本では1979年3月、アメリカでは1979年4月に公開された。これにより「ゾンビ映画」というジャンルを確立したと評価され、前作との2作によって「モダンゾンビ」を定義づけたとも言われる。 『ナイト オブ ザ リビングデッド』では「ゾンビ」という言葉は使われていないというのは、トリビア的な「意外な事実」であり、観た人は「ゾンビ」と呼び、「ゾンビ(の)映画」として認識していた。『ナイト オブ ザ リビングデッド』が初めてのゾンビ映画だったわけでもなく、1930年代後半から1940年代にかけて多くのゾンビ映画が製作されていた。『ナイト オブ ザ リビングデッド』の作中で「ゾンビ」という言葉が使われなかったのは、厳密には「ゾンビ」なのかどうかわからないがどう見てもゾンビが、原因不明のまま何の説明もなく現れて襲ってくる恐怖を描くためだったとも説明されるが、実際のところ物語の設定やシチュエーションなどを提示するシーンを撮影する技術や予算がなかったための苦肉の策だったともロメロ監督は語っている。「ゾンビ」はハイチのブードゥー信仰に由来するらしいが諸説あるらしいし、「ゾンビに噛まれた者もゾンビになる」という設定は、そっちの方が怖いし、そうじゃないとゾンビが大量に出てくる理由もわからなくなるから、リチャード マシスンの小説『地球最後の男』(1954)に出てくる吸血鬼からインスパイアされる形で盛り込んだ。つまり、「モダンゾンビ」を定義づけたというより、ゾンビみたいななんか怖いやつを全く未定義のまま登場させた。観客が「ゾンビ」と呼んでいるので、次作では「ゾンビ」と呼称された。 「ゾンビ」が「タブー」で「事実上の検閲対象」だったとは誰も知らなかった。「ゾンビ」が「事実上の検閲対象」だったのは、映画においてではなく、漫画においてであった。 1990年代に漫画業界が、「事実上の検閲機関」であるとして「コミックス倫理規定委員会 (コミックス コード オーソリティ。CCA)」に批判の声を上げた。そこで、実際にあった検閲の例として挙げられたのが「ゾンビ」で、「ゾンビ」を漫画に登場させたい漫画家と、それを許可しないCCA側とのやり取りについて語られた。 1960年代後半にヒットしたゾンビ映画、つまり『ナイト オブ ザ リビングデッド』が公開されヒットした後、漫画家は、漫画にも「ゾンビ」を登場させたかった。漫画においても、かつてのホラー漫画において「ゾンビ」は人気モチーフだったが、1954年にCCAが発足して、規制された。1970年代中頃マーベルは、最終的には、ゾンビを「ザベンビース (ズベンビー)」と名付ける事によって規制を回避し、ゾンビを漫画に登場させた。この時CCAが規制の理由として漫画家に説明したのが、文学的な背景を欠いており、納得のいく科学的な説明がされていないため、というものだった。これが、90年代のCCAへの批判で、バカげた理由で行われていた検閲の例として挙げられた。 2000年代初頭には、ほとんどの出版社がコミックスコードを無視するようになった。2011年にコミックスコードを付けたコミックを出す出版社がなくなり、事実上コミックスコードの廃止となった。 コミックスコードは、映画界で1934年から実施されていた「ヘイズコード」をモデルにしたとされる。ヘイズコードは、一部の映画を不道徳だとして非難する団体などに対抗してハリウッド作品の上映を保証するため、業界側が自主的に導入したガイドラインである。戦時中を除いて、ほとんど順守されなかったとも言われる。ヘイズコードは1968年に完全に廃止され、代わりに法的拘束力の弱い新たなレイティングシステムが導入された。 この映画のレイティング システムに対しても、2000年代に批判の声が上がる。ここでは、レイティングを行うアメリカ映画協会(MPAA)の極端な秘密主義と、レーティングの基準が不明瞭である点が批判された。2006年、MPAAは、適切な情報公開と、レイティングの基準について適宜明確な説明をすることを約束した。 『ナイト オブ ザ リビングデッド』が公開された1968年10月1日は、ほとんど機能していなかったヘイズコードが廃止され、MPAAのレイティングシステムが翌11月から実施される、そのちょうど何も規制がなかった期間だった。公開直後に書かれた「怖すぎる」「グロすぎる」「観ている人の気持ちを考えていない」と非難する評論は、この映画を観た人が読むと、この映画を観てない人が書いた文章のように読めた。この映画に出てこない悪霊が出てきたり、ゾンビが出てこなかったりするためである。つまり、後になって考えてみると、翌月から実施されるレイティングシステムの必要性を宣伝するために書かれたという理由以外がないように思える文章であった。
太平洋戦争目前の1941年7月に設立されたアメリカ政府の諜報及びプロパガンダ機関「OCI (情報調整局)」が、日米開戦後の1942年6月に「OSS (戦略情報局)」と「OWI (戦時情報局)」に分割した。両局とも、敵の戦意をくじくためのプロパガンダ組織だが、前者は諜報活動のような非合法な手段によって、主に敵国の公衆に、不信、混乱、恐怖を与えることを目指す「黒いプロパガンダ」を担当した。CIA(中央情報局)の前身である。 後者は国内向けに、放送などにより、情報を明瞭な事実として公衆に理解させることを目指した「���いプロパガンダ」を担当した。ここに1941年12月に国務省に新設されていた検閲局が統合された。検閲は、あくまで「自主検閲」という原則で行われた。戦後、アメリカ合衆国国務省広報部の配下になり、USIE(情報教育局)、IIA(国際情報局)、USIS(アメリカ合衆国情報サービス)と名称を変え、1953年に国務省から独立してUSIA(アメリカ合衆国情報局)へと移行した。
1953年、漫画業界は挫折を経験した。少年非行の問題を調査するために米国上院の少年非行小委員会が設立され、その翌年の1954年、漫画が未成年者の違法行為を誘発していると主張する精神科医による著作が出版され、漫画表現は主な読者層である子供に対し有害であると主張されると、漫画表現に対する反対運動が引き起こされた。漫画出版社は公聴会で証言するよう召喚された。時を同じくして起きた連邦政府による捜査は、コミック誌やパルプマガジンをアメリカ国内に配送していた流通企業の改革を促した。コミックの売り上げは激減し、複数の企業が倒産した。その結果、漫画出版社らは全米コミックスマガジン協会とコミックス倫理規定委員会(CCA)を結成した。こうして漫画出版社による自己検閲が実施されることになった。 コミックスコードでは、いかなるコミック誌も表紙に「ホラー」「テラー」「クライム」「ワイアード」といった言葉をタイトルとして使用する事を禁じていた。ECコミックは、これらの条項は、『クライム サスペンストーリーズ』『ザ ヴォルト オブ ホラー』『ザ クリプト オブ テラー』といった犯罪漫画やホラー漫画の人気タイトルを出版していたECコミックを意図的に標的にしたものだと信じていた。これらの規制及び吸血鬼、狼男、ゾンビの禁止は、ECコミックの収益を低減させた。CCA発足からの一年間で、現在でも人気のあるユーモア雑誌『MAD』を除くECコミックの全てのタイトルが廃刊した。 現代のコミックブックが初めて出版された1938年から1955年までの期間は「コミックブックの黄金時代」と呼ばれ、その内の1945年の第二次世界大戦の終結から1955年までは「漫画の原子力時代 (アトミックエイジ オブ コミックブックス)」とも呼ばれる。「原子力時代」は、スーパーヒーロー漫画の人気が衰え、漫画出版社は読者の関心を維持するために、戦争、西部劇、SF、ロマンス、犯罪、ホラーなど様々なジャンルに多様化した期間だった。また「原子力時代」は、テレビが登場し、マスメディアは各メディア企業と協力関係を結び、漫画出版社にも、当時の大衆文化を反映した漫画の出版を強いるようになった。漫画は宇宙、ミステリー、サスペンスに焦点を当てていたが、テレビや他のメディアは科学技術の進歩に注目していた。特に原子力について子供たちに教育することに関心が向けられた。 各メディア企業間の協力関係は、各業界の倫理規定の内容や運用にも影響し、しかし複雑すぎて把握できなくなっていった。こうして、あくまで「自主規制」である、���昧な「事実上の検閲」制度が出来ていった。 1966年にアメリカ映画協会(MPAA)とアメリカ映画輸出協会(MPEA)の会長となったジャック ヴァレンテは、1965年から1966年までリンドン ジョンソン大統領の首席補佐官を務めていた。ヴァレンテは1968年のレイティングシステムの責任者でもあった。
1960年代に、コミックスコードでは明白に禁止された主題を取り扱ったコミックを制作する漫画家らが現れ、しかしながらもちろん、これらのコミックは従来とは異なる販路で流通した。これらは「アンダーグラウンド コミックス」と呼ばれ、1960年代後半は「アンダーグラウンドコミックスの時代」と呼ばれる。 『ナイト オブ ザ リビングデッド』はモノクロ16mmフィルムで撮影された。予算的な制約の中で最大限の効果をねらったアイデアだとも説明され、視覚的に黄金時代のホラー漫画の影響を受けているとも語られている。ロメロ監督が子供の頃に読んだECコミックの漫画は、現代アメリカを舞台にした生々しい物語で、残忍な死や、生き返った死体が復讐を企てる場面がよく登場したという。ロメロ監督は、「漫画家が作り出せるリアルな強い影や奇妙な角度、美しい照明」を映画に取り入れようとしたと語った。 アンダーグランドコミックスの中にも、読者からするとなぜか突然市場から消えた黄金時代のホラー漫画を再現しようとする漫画があった。『ナイト オブ ザ リビングデッド』を観て、ホラー漫画を読みたくなった人が、アンダーグランドコミックスを見つけ、また、アンダーグランドコミックスで描かれてるような世界観を映画で観たいという人が、アンダーグランド映画や深夜映画、あるいはテレビの地方局で深夜に放送されていた低予算映画などを見つけた。 「カルト映画」という言葉は、1970年代にアンダーグラウンド映画や深夜映画を取り巻く文化を説明するために使用されるようになった。それ以前から「カルト的人気」というような言い方で「カルト」という言葉は映画評論で一般的に使用されていた。「カルト映画」は、カルト的なファン、すなわち熱狂的なファンを獲得した映画のことであり、作品自体よりもファンが独自に作った独特のカルチャーに焦点を当てた言い方でもあるが、1970年代の用法においては、評論家や学者あるいは業界といった権威が最低の評価をしたり、ほとんど「観るな」と言っているような非難をしてるのに、関係なく、あるいは反発するかのように人気を獲得した作品を指していた。 1960年代のアンダーグランドコミックス、あるいは象徴的かつ具体的には1968年の『ナイト オブ ザ リビングデッド』から始まったとも言える「アンダーグランド カルチャー」は、「コンフォーミズム (順応主義、同調主義。社会的な基準や慣習に従うこと)」への反発だった。 順応主義への反発が「カルト」と呼ばれること以上に皮肉なことに、というか当然のようにも思えるが、ゾンビ映画から「ゾンビ」へ反発する文化が作られていった。未定義のままでも、明らかに。何らかの理由で、あるいはもはや理由もわからないままゾンビのように徘徊する事実上の検閲への反発が、アンダーグランドから蘇るというのも、皮肉なことにも、当然のことのようにも見える。ただし、カルト映画���ームが起こって、カルト映画を人為的に作ろうとする動きが起こったり、あるいはマーケティング戦略としてこの言葉が多用されたように、ゾンビへの反発がゾンビになることもよくあるようだ。これも、皮肉なことにも、当然なことのようにも見えてくる。
2025年4月 ミキシング メモリー アンド デザイア
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TEDにて
マーク・ロビンソン:ヨーロッパの歴史を変えたノルマン人
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
時は1066年。ノルマン人の歩兵と騎兵7000人が、船で英仏海峡を渡りました。
標的はイングランド。100万人以上が暮らしていました。この短い航海が、重大な結末をもたらすことになります。
そして同じ頃、他のノルマン人の集団もヨーロッパ全土に向けて出発。この冒険は、大陸全土の歴史に影響を及ぼすことになります。さて、この戦士たちは一体何者で、どうやって、これほど広範に、その足跡を残したのでしょうか?
日本で学ぶ世界史では、ゲルマン人の大移動として知られています。
物語が始まるのは、さらに200年以上前。
バイキングがフランス北岸に定住を始めた頃です。これは北欧一帯で起きたスカンジナビア人の集団大移動の一端でした。フランスに居住していた人々は、侵入者たちを来た方角にちなんで「ノルマン人」と呼びました。
最終的に、フランク族の王チャールズは、911年、バイキングの首領ロロと和解交渉をしました。ロロに与えられた、フランスの北岸の一帯は、ノルマンディーとして知られるようになります。
ノルマン人は新しい定住先で、適応力の高さを見せました。フランク族の女性と結婚し、フランスの言語も取り入れ、間もなく、古代スカンジナビアの宗教から、キリスト教への改宗を始めました。
順応はしたもののノルマン人は、戦士の伝統と祖先であるバイキングの征服の精神を守り続けました。やがて、野心を抱いたノルマン人の騎士たちは、新たな挑戦を求めるようになります。
ノルマン人の最も有名な功績は、イングランドの征服です。
1066年、ノルマンディー公ウィリアムは、ハロ��ド・ゴドウィンソンが、イングランドの王位継承を主張したことに対抗。
イングランドに上陸するとすぐに、ウィリアムとその騎士たちは、ヘイスティングスの近くでハロルドの軍と衝突。
戦いのクライマックスの瞬間は、70メートルの「バイユーのタペストリー」に、永遠にとどめられています。ハロルドの目を射た矢が、ノルマン人の勝利を決定付けたというシーンです。
ウィリアムはこの勝利から得たものを大がかりな城を築く運動や、イングランド社会の再編成を以って、さらに固めていきました。
「征服王ウィリアム」の呼び名に違わず、実施した大規模な測量調査は「ドゥームズデイ・ブック」として知られ、そこにはイングランドの、あらゆる土地の人口と所有権が記録されています。
ノルマン・フランス語は、新しい宮廷の言語になりました。
一方で庶民は、アングロ・サクソン語を使い続けました。時間をかけて2つの言語は1つになり、今日私たちが知っている英語になりましたが、貴族と農民の間の隔たりは、今も同義語に見られます。
「cow(牛)」と「beef(牛肉)」など、[豚?豚肉?、羊?羊肉?]、12世紀の終わりまでに、ノルマン人勢力はさらに、ウェールズ、スコットランド、アイルランドへと拡大しました。
この間、ノルマン人騎士たちによる独立した集団は、地中海沿岸へ進出。
エルサレムから帰還した巡礼者の話に、刺激を受けたのです。そして、この地域一帯の主要な権力間における複雑にもつれた争いの中に、身を投じました。
ノルマン人は大変重宝される傭兵となりました。戦闘のひとつにおいて、彼らが初めて実践したと記録されているのが、槍を水平に構えた、重騎兵隊による突撃です。この圧倒的な戦術はすぐに中世の戦いにおける基本形となりました。
ノルマン人は、1095〜99年の第1回十字軍でも中心的存在となりました。これは、中東の一部地域におけるキリスト教支配を取り戻す血塗られた争いでした。
しかしノルマン人は、単なる戦い以上のことも行いました。
勝利の結果として「鉄腕ウィリアム」や「狡猾者ロベルト」といった首領たちは、南イタリアの土地を獲得し、最終的にそれらを統合、1130年にはシチリア王国が成立しました。
ルッジェーロ2世の統治下で、この王国は、他民族への寛容性の手本となりました。宗教と内乱で引き裂かれた世界においてです。イスラム教徒のアラブ人詩人や学者が、宮廷においてビザンティン帝国のギリシャ人船乗りや、建築家と共に仕えていました。
ラテン語、ギリシャ語、ノルマン・フランス語と共にアラビア語も公用語であり続けました。世界の地理に関する知識は、「タブラ・ロジェリアナ」にまとめられました。
そこに掲載された当時の世界地図は、最も正確な地図としての地位を300年にわたり保ちました。また、パレルモに建てられた教会は、ラテン様式の建築とアラブ様式の天井。そしてビザンティン様式のドームを組み合わせたもので、全てが非常に精巧な金のモザイクで装飾されていました。
では、これほどまでに成功したノルマン人は、今はいったいどこに?
実はこのことが、彼らの成功の鍵を握る部分なのです。
征服した社会システムをただ支配するのではなく、分配し、その社会システムの一部になるということでした(仏教の禅宗でも似たようなことを言っています)
最終的に、一つの民族集団としてのノルマン人はその姿は消しましたが、貢献は残りました。
そして現在でも、ヨーロッパの風景に点在する城や教会、そして英語が話される場所ならどこであれ、ノルマン人の遺産は生き続けているのです。
(合成の誤謬について)
合成の誤謬とは、ミクロの視点では正しいことでも、それが、合成されたマクロ(集計量)の世界では、必ずしも意図しない結果が生じること。物理学では、相転移みたいな現象です。性質が変わってしまうということ。
ミクロのメカニズムが個人同士の経済における仕組みであるのに対して、マクロのメカニズムは、国家間や経済全体の循環における仕組みだからである。
例えば、家計の貯蓄などがよく登場するが悪い例えです。前提条件が、所得が一定の場合!!所得が一定じゃない増加する場合は?これは、論じていませんので参考になりません!!(法人が提供する製品やサービスの価格も一定の場合も前提条件です)
1930年代のアメリカ経済が金融危機2008と似たような状態に陥った時、ケインズは、「倹約のパラドックス」というケインズ経済学の法則を発見しています。
それは、ポール・A・サミュエルソン(1915-2009)が、近代経済学の教科書「経済学」の冒頭で「個人を富裕にする貯金は、経済全体を貧困にする!(所得が一定の場合)」というわかりやすい言葉で表現しました。しかし、庶民の所得が増加し、貯蓄が投資、消費に回る場合には、「倹約のパラドックス」は生じません。
その後、この「倹約のパラドックス」は、アメリカの経済学者・ケネス・J・アロー(1921- )が「合成の誤謬」を数学的論理に基づいて「個人個人がそれぞれ合理的選択をしても、社会システム全体は合理的選択をするとは限らない」を検証してみせた。 要するに、部分最適ではなく、全体最適させていくということ。
つまり、新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との 戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!ということに集約していきます。
なお、金融危機2008では、マイケル・メトカルフェも言うように、「特別資金引出権(SDR)」は、2008年に行われた緊急対策で、一国だけで行われたのではなく、驚くほど足並みの揃った協調の下に国際通貨基金(IMF)を構成する188ヶ国が各国通貨で総額2500億ドル相当を「特別資金引出権(SDR)」を用いて世界中の準備通貨を潤沢にする目的で増刷してます。
このアイデアの根本は、元FRB議長であったベンバーナンキの書籍「大恐慌論」です。この研究がなければ、誰一人として、変動相場制での当時の状況を改善し解決できなかったと言われています。
それ以前では、固定相場制でのマーシャルプランが有名です。
続いて、トリクルダウンと新自由主義
インターネットの情報爆発により隠れていた価値観も言葉となり爆発していくことになった。
しかし、法定通貨の方が、その価値、概念に対する通貨量拡大として価格で応じることができず、圧倒的に通貨量が足りない状況が生まれていたのが、2010年代の問題点のひとつでした。
リーマンショックの後に、新自由主義が誤りであることが、ピケティやサンデルによって指摘され、当時のFRBバーナンキ議長が、通貨供給量を大幅に増やした対策により、ベースマネーの金融、銀行間の相互不信を解消して収束した。
それでも、まだ足りないが、適正水準に収まったことで、さらに価値も増幅され、マネーストックの財政政策から再分配、事前分配を大規模に行い、さらなる通貨供給量が重要となっている現在の日本国内。
例えば
Googleがしようとしてた事は、まだ新産業として、基礎研究から発展できない機械学習の先端の成果をすべて持ち込んだ社会実験に近いこと。
シュンペーターの創造的破壊は、一定数の創造の基礎を蓄積後に、未来を高密度なアイデアで練り上げてから破壊をするのが本質です。
こうして、憎しみの連鎖や混乱を最小限にする。
アルビン・トフラーの言うように、法人と行政府とのスピードの違いが縮まらないのは、構造上の違いであって、それを補うためにプラスサムな連携するということが、必要になってくることを説いています。
三権分立が、規制のないGAFAMを非政府部門としてMMT(現代貨幣理論)からプラスサムに連携したらどこで均衡するのか?という社会実験も兼ねています。
このような前提で、あらゆるインターネット企業が、創業時、貢献するためコンセプトの中心であったものが、今では、悪性に変質して違う目的に成り下がっています。
再分配、事前分配の強化がスッポリ抜けてる欠点があり、ここに明かしたくないイノベーションの余地があります!!
2021年には、新自由主義のような弱肉強食では自然とトリクルダウンは生じないことは明らかになる。
確かに、トリクルダウンは発生しないが、法律で人工的に同じ効果は、貨幣の再分配、事前分配という形にできる可能性は高い。
再分配や事前分配をケムにまく「金持ちを貧乏にしても、貧乏人は金持ちにならない」「価値を生み出している人を罰するつもりがないのであれば税に差をつけないほうがいい」(サッチャー)
とあるが、新自由主義は誤りで、ピケティやサンデルによると違うみたいだ。
2024年のノーベル経済学賞でも指摘しているように・・・
国家システムが繁栄するかどうかは、幅広い政治参加や経済的な自由に根ざす「包括的な制度(ポジティブサム)」の有無にかかっているとデータでゲーム理論から実証した。
欧州諸国などによる植民地支配の時代のデータを幅広く分析し、支配層が一般住民から搾取する「収奪型社会(ゼロサム)」では経済成長は長く続かない(収穫遁減に陥る?)
一方、政治や経済面での自由や法の支配を確立した「再分配や事前分配を同時に行う包括型社会(ポジティブサム)」なら長期の成長を促すと理論的に解明した(乗数効果とは異なる経路の収穫遁増がテクノロジー分野とシナジーしていく?)
「再分配や事前分配を同時に行う包括型社会(ポジティブサム)」は、日本の高度経済成長時代のジャパンミラクルが、一度、先取りして体現しています。
2020年代からはもう一度、ジャパンミラクルが日本で起こせる環境に入っています。安倍総理が土台、管、岸田総理が再分配や事前分配の包括型社会(ポジティブサム)の土台を形成しつつあります。
日本の古代の歴史視点から見ると・・・
安土桃山から江戸幕府初期の農民出身徳川家康が国際貿易を促進しつつ再分配や事前分配の包括型社会(ポジティブサム)を形成してます。
その後、大航海時代の覇権争いを避けるため数代かけて「収奪型社会(ゼロサム)」になってしまい、綱吉の頃には基本的人権の概念も希薄になり選挙もないため
低収入者の農民から商人も収奪していきます。
江戸幕府末期まで数度改革をしましたが、ノーベル経済学賞の人達によると包括型社会(ポジティブサム)に転換しずらい
結局、薩摩と長州が徳川家康式の国際貿易のイノベーションを復活させるも(水戸藩の文献から)国民主権の憲法や選挙がないため
明治維新を起こすしかなく、第二次大戦で原爆が投下されるまで軍備拡大して資源が枯渇します。
国家システムの独裁から法人や個人の優越的地位の乱用にすり替わるため、財産権や特許権などを含めた低収入者の基本的人権を尊重することで独占禁止法の強化も必要になっていくことも同時に示しています。
(個人的なアイデア)
ウクライナ侵攻について2022
逆に、迷惑なので、一神教のロシアとウクライナには全く興味は無い。
他国の喧嘩には関わりたくもないことを、前提としています。
動物でも喧嘩してる間に入ると両方から恨まれることになり、憎しみの連鎖が生じるし、現実の人間の喧嘩も同じだから。
日本の歴史でも戦国時代は、自国で解決しないと憎しみの連鎖が広がる危険性があった。
ブッダも同じ解決策を言ってる。
一神教のウクライナは全く知らない国。
この時点で、一神教のアメリカとロシアのガス供給利権争いが関係していそうだと直観したが、関係ないので触れない。
関わりたくもない。
それよりも、遥か、古代の12世紀の1132年から1470年のキエフ公国に原点がありそうだから調べてまとめた。
一神教のキエフ公国は、現在のウクライナ、ベラルーシ、ロシア内のモスクワから海沿いサンクトペテルブルグまでに領土があった国家。ロシア正教?
海沿いと言えば、この時代に隆盛を極めていた海賊やバイキングにも関係してそう。20代の日本人の感性をとらえてるアニメ人気にも符合。
「風の時代」とのシンクロニシティが、突然インスピレーションとして降ってきたため
世界史も学生時代に暗記したので、この時点で記録しておきます。
前回の「風の時代」は、この頃。およそ800年まえの1220年からの1420年。多神教のチンギスハーンの頃の地球史上最大の「大モンゴル帝国」侵攻とロシアのウクライナ侵攻が符合する!
日本は鎌倉時代のこの時代、「大モンゴル帝国」後に、一神教のキエフ公国ができて歴史的にスターリンまでなど、ロシア帝国の勃興に続いていく。
ここらへんの歴史も遠い日本では縁の薄い歴史で、詳しい事情はよくわからないし、俯瞰してしか見ることはできないが、違う角度から多神教の視点で解釈できそう。
一神教のアラブ、イスラム文化も近代西洋文化からヨーロッパ諸国にも翻訳されて逆輸入されていき、オスマン帝国(1299年から始まる)にも影響を与える。
さらに、多神教の「大モンゴル帝国」や一神教の「オスマン帝国」は同じくらいの規模で均衡しつつ、同じ遊牧民であるのも関係してそうだ。
イタリアでも、市場システムに自発的に結成された「フリーカンパニー」という「キャプテン」と「ランス」によって小規模にチームをつくるような傭兵的な非正規雇用があったという文献もあります。
これも「自由」や「ノマド」をキーワードとする「風の時代」の属性に適合するが、戦争ビジネスという負の遺産をインターネットのような民間開放でプラスに転化出来なかったため
1400年辺りの「風の時代」の終焉とともに歴史の表舞台から消滅しました。この頃の日本は、室町幕府。
ジョンロックやホッブズの提唱する行政府の誕生。
ピューリタン革命からの憲法の原型である権利章典が誕生するまで200年余り
古代中国から、たとえて簡単に言うと乱世。
混乱の時代が続くことに、疲れ、行政府による安定的な社会システムが希少価値を持ち始めていきます。
日本では、江戸幕府が誕生し、日本型の社会システムを安定強化していきます。
これも教科書に載らない歴史でもあります。
それから
政治家は、理不尽な銃暴力等への対抗のみ正当化される。
その証拠に超厳格な規制のある自衛隊や警察保有をしてる。シビリアンコントロールとも言われる。
日本では、古代日本の刀狩りのお陰もあるので銃の暴力は当然ダメ。
暴力的な公式スポーツはなぜOK?なら暴力はルール内でのみ正当化される?
矛盾してる?暴力もスポーツみたいにルール化して決着したらどうなるか?社会実験したら?
無差別暴力はダメだが条件決め「弱者に武器や銃以外で超柔らかいグローブで一発暴力振るう権利」を創設すれば?
大統領も限定付き独裁なら民主主義の要諦として弱者にもこの概念を取り入れても問題はない。
「一票」か「一発超柔らかいグローブで殴れる権利」をルール化して法律で創ればいい!行政府が回数記録しておいて後から執行か辞職するかトップに選ばせる。
十年に一回社会実験する価値はあると思うよ。無差別じゃなく日時を行政府が決めてある期間権力者を軟禁しオープンTV放送で執行してるから暴力ではない。
終わるまで公民権剥奪し、柔らかいグローブなら数発は平気だし人口が巨大なら回数も巨大になるしみんな観たいからTV視聴率も上がる。
自由権に基づく言葉に特化した言葉プロトコル。またの名を、言論の自由ともいわれますが
民主主義なら無差別じゃなく行政府が低収入者に一発暴力のプロトコルを一筆一票の他に権利として与えればいい。執行は行政府だから暴力概念じゃない。
テロや無差別殺傷事件犯を差別的に生贄にする監視社会システムに問題がある。
説明しないTV局や事件に便乗する警察の権力悪用を最初に取り締まれ。
大谷翔平も?一神教には無い破壊神の概念!!多神教的に解釈すると・・・
トランプ銃撃など。スティーブジョブズ、イーロンマスク含めたIT覇者は・・・
非中国系の乱世の奸雄(古代戦国の中国で言われる概念。曹操が有名)と呼ばれる破壊神が・・・
アメリカ社会システム規制内で究極の透明性で競争し、お金の形で数値化してるように多神教視点からは私には写って見える!!
だから、私は、乱世の奸雄と見ているプーチン(曹操の出生地に近いし、時空のサイクルからも可能性は高い)などは規制外だから害悪が増幅してるだけかもしれない。
これも教科書に載らない歴史でもあります。
アメリカで不法移民がなぜ?問題になり関心が高いか?
それは・・・
世界史でも言われてるように・・・
前回の風の時代。気候変動からのゲルマン人の大移動にまで遡ります!不法に侵入したこれにより隆盛を誇ったキリスト教が東西に分かれていきます。
その後、ローマ帝国が崩壊し、モンゴル帝国の支配下にも。ヨーロッパ王国が���混乱���陥ります。その太古の記憶が遺伝子レベルで呼び起こされるからかもしれません。
ヨーロッパも不法移民を本音では問題視します。一神教には、こんな歴史があり、多神教にはピンとこないから日本では、あまり関心はありません。
そのモンゴル帝国も人口が億単位になるにつれて社会システムが崩壊していきます。
今回の風の時代。現在のGAFAMが社会実験している十億人単位の人口に対しての社会システムの模索と符号してきます。
これも教科書に載らない歴史でもあります。
そして
日本では、西遊記の物語にでてくる天竺(てんじく)に行く三蔵法師が有名だが、アビダンマは、根本経典である三蔵(経・律・論)の一部。
阿毘達磨とも。サンスクリット語から、漢字に翻訳するとこう書かれる。
武道の達人でもあった達磨大師。ダルマ様とも呼ばれる。
数十年単位では、悪性でも数百年単位では善性という事象は多数ある!
なぜ?一神教に比べて、多神教や漢字などに概念が多いのは、お釈迦さまが膨大に構築し、先人達の蓄積したアビダンマが根本だから!
宗教の創始者たちの概念上の教え。
原本は、ものすごくパワー(「パワーかフォースか?」の本でのパワー)の高い状態であることが確認されている。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)
そして、「Forceフォース」は(ダークサイトの方)という前提です。
しかし、宗教概念が、二元的であればあるほど
(例えば、「神と悪魔」や「法律で暴力装置をがんじがらめにしたテロリスト集団が警察機構なのに絶対に善のような先入観を強調する構造」など)
つまり、ゼロサムになると誤訳される危険性も大きくなるように思います。
ロジェカイヨワの戦争論にある「いけにえ」も似ている。
あれこれと姿は変わっても、それらは常に存在し続けてきました。
上があれば下があるように、光と闇があります。
人間の心理への探求、そして、高い精神的レベルに達しようとするコミットメントは、宗教として社会的に組織化されます。
逆に、そうなることによって、最も低いエネルギーフィールドに落ちていくのです。
よく組織に入ると優秀な人が無能化するのもこの構造原理にあるためです。
なぜなら、組織化されると言う偽りが最初から伴っているからです!!
だから、マスメディアを通すと意味が反転して届き易くなる傾向があります。
世界中のさまざまな宗教の創始者たちの概念上の教えが言うように、慈愛と言うエネルギーフィールドは、一神教でいう神の恩恵への入り口です。
多神教の仏教では慈悲とも言う「悟りへの入り口」とも呼びます。
「ラーマ」「道(タオ)」バージョンもあります。
これらのキャパシティを増やすことで、私たちは、誰であり、なぜ?ここにいるのかと言う最終的な気づきに導かれ。
さらに、このアトラクタフィールドの光の中では溶かされ、すべての存在の究極の源へと導かれます。
これが、この世界で自らのパワーを高める唯一の方法なのです!!
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教って、すべて一神教。
数学の群論、トポロジーの圏論で多神教の仏教の視点で俯瞰すると
ある意味、多神教の一形態とも言えるんだよな。
インドでも似たようなのあるからね。ブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神など。
なお、日本では、あまり知られていないヴィシュヌ神は、日々、時空を超越して
同時に姿を変えて人々を救っていたという場の量子論的な特徴があります。
その時のそれぞれの姿は化身を意味する「アヴァターラ」と定義されており
オンラインゲームなどで呼ばれる自分の分身となるキャラクター「アバター」の由来ともされています。
日本では、観自在菩薩に似ていますが、シヴァ神よりも強くて最強。
宇宙を維持する役割もあるので、最新物理学では、イメージ的に不確定性原理に近く
スーパーストリング理論や陰陽五行理論も含まれています。
前提として、公人、有名人、俳優、著名人は知名度と言う概念での優越的地位の乱用を防止するため徹底追跡可能にしておくこと。
人間自体を、追跡すると基本的人権からプライバシーの侵害やセキュリティ上の問題から絶対に不可能です!!
これは、基本的人権がないと権力者が悪逆非道の限りを尽くしてしまうことは、先の第二次大戦で白日の元にさらされたのは、記憶に新しいことです。
マンハッタン計画、ヒットラーのテクノロジー、拷問、奴隷や人体実験など、権力者の思うままに任せるとこうなるという真の男女平等弱肉強食の究極が白日の元にさらされ、戦争の負の遺産に。
基本的人権がないがしろにされたことを教訓に、人権に対して厳しく権力者を監視したり、カントの思想などを源流にした国際連合を創設します。他にもあります。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
権限が分離されていても、各権力を実行する人間が、同一人物であれば権力分立は意味をなさない。
そのため、権力の分離の一つの要素として兼職の禁止が挙げられるが、その他、法律上、日本ではどうなのか?権力者を縛るための日本国憲法側には書いてない。
���ンテスキューの「法の精神」からのバランス上、法律側なのか不明。
立法と行政の関係においては、アメリカ型の限定的な独裁である大統領制において、相互の抑制均衡を重視し、厳格な分立をとるのに対し、イギリス、日本などの議院内閣制は、相互の協働関係を重んじるため、ゆるい権力分立にとどまる。
アメリカ型の限定的な独裁である大統領制は、立法権と行政権を厳格に独立させるもので、行政権をつかさどる大統領選挙と立法権をつかさどる議員選挙を、別々に選出する政治制度となっている。
通常の「プロトコル」の定義は、独占禁止法の優越的地位の乱用、基本的人権の尊重に深く関わってきます。
通信に特化した通信プロトコルとは違います。言葉に特化した言葉プロトコル。またの名を、言論の自由ともいわれますがこれとも異なります。
基本的人権がないと科学者やエンジニア(ここでは、サイエンスプロトコルと定義します)はどうなるかは、歴史が証明している!独占独裁君主に口封じに形を変えつつ処刑される!確実に!これでも人権に無関係といえますか?だから、マスメディアも含めた権力者を厳しくファクトチェックし説明責任、透明性を高めて監視しないといけない。
今回、未知のウイルス。新型コロナウイルス2020では、様々な概念が重なり合うため、均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!人間の概念を数値化できないストーカー人工知能では、不可能!と判明した。
複数概念をざっくりと瞬時に数値化できるのは、人間の倫理観だ。
そして、サンデルやマルクスガブリエルも言うように、哲学の善悪を判別し、格差原理、功利主義も考慮した善性側に相対的にでかい影響力を持たせるため、弱者側の視点で、XAI(説明可能なAI)、インターネット、マスメディアができるだけ透明な議論をしてコンピューターのアルゴリズムをファクトチェックする必要があります。
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・「人の頭をかち割る代わりに、人の頭数をそろえて(仲間を作って)、間違えたらやり直す」というゆるふわシステムのおかげで、成長の歴史でいえばまだ幼稚園の年少さんにすらなっていないにもかかわらず、民主主義は現在のところ、人がヒドい理由で政府に殺される率が一番低いシステムとなっているのだ。 ・ナチス・ドイツ、ファシスト・イタリア、そして大日本帝国と、世界中を敵にまわして戦争をして、とてつもない数の人間を死なせてしまった国は、みんな民主主義が未成熟なだった国、その面倒くささ、サクサクとものごとが決まらないグダグダに耐えられなくなった人たちが楽になろうとジャンプしてしまった国ばかりだ。
紙魚:So-netブログ
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『超高齢化社会のくらしとデザイン』
先週、一般社団法人ケアリングデザインの10周年記念のシンポジウム『超高齢化社会のくらしとデザイン』にオンライン参加しました。
ケアリングデザインは、西武池袋で2015年より展開し、設立当初より登録建築家として、また当初コンシェルジュとしてもお世話になった「暮らしのデザインサロン」の運営母体、西武池袋の体制変更により昨年11月で幕を閉じましたが、ケアリングデザインは10周年ということで記念シンポジウムでした。

超高齢化社会とは。
65歳以上の人口が総人口の21%を超えた社会を言います。日本では2010年に23%を超え、2023年には29.1%と過去最高となった。75歳以上の人口が2000万を超えたのも初めてのこと。2007年に生まれた子供たちは、107歳まで生きる確率が50%と言われている。
100歳を超えることに対してどう感じるか、というアンケートでは、若い人たちは、どんよりする、と答え、70歳以上の人はワクワクすると答えたそうです。わかります。
まずはじめに、建築家の中村好文さんのご登壇。1月の能登の地震をうけて話す内容を変更されたという、自給自足の小屋暮らしのお話。ちょうど私は、現在現場進行中の北軽井沢の山荘を設計する際に、好文先生の「小屋暮らし」の本を読んでいてタイムリー、だいぶ前に行った「小屋展」の写真がでてきました。決して小さくない小屋。

続いて料理家の有元葉子さんと中村好文さんが登壇されてのお話。お2人とも、イタリア暮らしの経験をもつ共通点あり懐かし情景が思い出される。
「体は道具、ぽんこつになるのかヴィンテージになるのか、メンテナンスが大事、家と似ている」
印象に残ったキーワードです。
その後、東北工業大学 石井敏先生のご登壇、高齢者住宅に転居するのは本人の意思か、というお話から。

13年前の日本では、本人の意思での転居は極めて少なかった、本人の意思決定が増えてきたとはいえ、13年前のフィンランドにもまだ届かない。
直近1週間で友人知人と会っているかどうか(2023年に比べ2015年が高いのは社会情勢に影響されていると思われますが)フィンランドとの違いがわかるデータ。

最近見た記事ですが、オランダのスーパーでは、通常の青いカゴの他に、おしゃべりしたい人のための緑のカゴが加えられたとのこと。一人暮らしの高齢者の孤独を和らげるひとつの方法。すでに2022年には『世間話専用レジ』が導入されたスーパーもあったそうです。日本でやったらどうなるのか??
続いて『現在の居住への満足度』
「日本人はどちらともいえないという答えをする人が多いことも前提に」とは石井先生談。満足と不満足で90%を超えているフィンランド人は自分たちの暮らしを、具体的に考えて、主体的にそれを求めていくということなのでしょう。

システムの違いを含めた国民性の違いは、住まいそのものの形への違いにつなっているのかもしれません。
じゃあ、家とは住まいとはなんぞや、ということで。

箱としてのHOUSEと、人と環境の相互関係でつくられる居場所としてのHOME。
例えば認知症のグループホームでも、包み込む空間によってその人の動きが変わる。
空間を含めた「環境」と「システム」のありかたひとつで人の暮らしの質は変わる。空間は、それだけの大きな可能性をもっているということ。
過去、現在、未来の、暮らしの環境を継続させること、と、選択性が必要である。とのこと。
一昨年あたりから、高齢期の住まいづくりに関わる機会も増えてきているなかで、課題が整理されるキーワードが多々ありました。
3人に一人がシニアという時代、あるアンケートでは『自宅に住み続けたい』という人が65%いたそうです。逆にいえば、快適なシニアライフをイメージできるような場所が少ないということなのかもしれません。
環境の変化がストレスにならない転居とはどんな形か、ということを自身がすぐに関われるものとして考えています。
と同時に、会の中盤で有元葉子さんがおっしゃっていた「歳をとると億劫になり動きづらくなってくる、多拠点に家があることで、否応無く環境が変わることが頭の切り替えになっている、これが大事』
というのにも合点がゆく。健康寿命の重要さ。そして、暮らしとは、家ひとつにはとどまらない広い環境のもとにあることを改めて意識した時間でした。
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猿の演劇論特別編@無為フェス/BUoY#2
#2 「アガンベンの錯乱−監獄から収容所へ、で、その先は・・・」
『ホモ・サケル』から、コロナ禍での論考まで哲学者ジョルジョ・アガンベンの思想に寄り添いながら、「収容所の愉楽」とこれからの演劇について考えます。
下記は、講義の概要をまとめたものです。
ー
今回の講義の「アガンベンの錯乱−監獄から収容所へ、で、その先は・・・」というタイトルは、イタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベンのコロナ禍での発言が問題視されたことからきていると鴻さんは言います。
コロナ禍におけるアガンベンの思想
鴻さんは、杜撰な言い方をすると、前置きしつつ、アガンベンはコロナなんて大したことないのだから、こんなふうに規制をするのはおかしい、こんな規制をされるくらいなら死んだ方がマシだというようなことを書いたのだと説明します。それに対して、とんでもないことを言う思想家だということで、発言が炎上するわけです。アガンベンはそれに応戦しますが、アガンベン批判の方が圧倒的多数でアガンベンの発言がだんだんと消えていく。その問題の発言は2020年2月26日に発表されたものです。その後は、ちょっと言い過ぎたのではないか、とか、考え方は変わりましたか?とか、あの時言った事は間違っていたというふうに言ってくれませんか?と、インタビューを受けたりします。そうした一連のアガンベンの言説が一冊にまとめられたものが、『私たちはどこにいるのか?政治としてのエピデミック』という本になっていて、そのなかでのアガンベンの最後の発言が2020年7月13日です。
鴻さんは、この本が出た時に読み、半信半疑という形でちゃんとした検討はしていなかったと言います。しかし、その後にコロナの感染状況はさらにひどくなり、事態は悪化していく。そうした中で、アガンベンの発言を探したけれども、見つからなかった。アガンベンの専門家に来てもらって話を聞きたいと思っていたけれど、それもできなかった。今回はまだ検討が終わっているわけではないけれど、鴻さんの考えるアガンベンの発言の解釈を話したいと言います。
この本の翻訳者の高桑和巳さんは、タイトルについて、日本語訳を「私たちはどこにいるのか?」としたことに関して、イタリア語原文の「A che punto siamo?」は、私たちは歴史的な展開過程のどの点にいるのか、つまり、展開に対する調査、認識を踏まえ、今こういうところにいるのであれば、その後どこへ展開するのか、それは間違っているのではないか、こうした方が良いのではないのか、という展開過程においてどの地点にいるのか、という意味があると説明しています。つまり、歴史と地理を考え、ある地点を特定し、その場の意味について自覚させられるような事がコロナにおいて起こった、それに対する自覚がないことが問題なのではないか、ということです。アガンベンはコロナによって顕在化してきた出来事は耐えがたいと言っている、ことに鴻さんは共感を持ってこの本を読みました。
そして、今回の講義タイトル「アガンベンの錯乱」は、このことに由来すると言います。この耐えがたい状態、それは、権力が私たちに馴染ませてきた例外状態が通常のあり方になったということをエピデミックが明らかに示したということ。コロナ禍において日本ではニューノーマルという言葉が盛んに使われました。コロナ禍において私たちは新しい日常、ニューノーマルを生きなくてはいけない、それに対して、多くの人たちが「わかりました」という構図になった。2020年から世界で、日本で起きている状態をニューノーマルと呼んだメディアや提案した人の問題ではなく、それを大多数の人たちが受け入れたことに問題があったと鴻さんは言います。
「ニューノーマル」という実験
この異常事態にどう対応するかという提案ならば、それを一緒に考えようということになるけれども、それを異常事態ではなく、ニューノーマルというふうに名付けて大多数の人が受け入れてしまう、そういうことが現実に起こり、これ対して、鴻さんは大きな拒否の態度を取り続ける必要があると思いながら、それが具体的にうまくできないままこの3年が過ぎてしまったと振り返ります。アガンベンも、皆がニューノーマルと言い始めた事はおかしい、それに対して抵抗しなくてはいけない、と書いています。パンデミックによって、世界の移動が禁止される、感染して死亡したものの葬儀の場に立ち会うことができない、こうした事は異常事態だけれど、この蔓延している例外状態がニューノーマルとして認定され、我々が受け入れること、それは、今の世界の監視社会の性格そのものを受け入れていくということが起きているのだ。このことをアガンベンは何度も言っている。この発言において、アガンベンが言っている事はそんなにひどいことではない。より深刻なパンデミックは過去にもあったが、今回のように私たちの移動まで阻止することまで考えた者は今までいなかった。監視と規律、移動の禁止など様々な禁止がこれほど容易にできた社会は今まで存在しなかった。私たちは永続する緊急事態を生きることに、これほどまでに慣れてしまった。自分の生が純全とある生物的なあり方へと縮減され、社会的、政治的な次元のみならず、人間的、情感的な次元の全てを失った。例えば、死者を前にしてそこに供えに行って悲しんではいけない、それを耐え忍ばなければならない。ニューノーマルという言葉を使うことで、そうしたことを受け入れる人たちは、自分たちが人間的、情感的な次元の全てを失ったということに気づいてすらいない。ニューノーマルという言葉が普通に使われることに対する危機意識を表そうともしなかった。そういう事態がどのように展開しているのかというのが、この2020年以降の世界の姿を見るなかで、いろんな形で検証できる。そして、実は、ここで展開されているの��シミュレーションなのではないか。ニューノーマルを実験として考察している人たちがいて、しかし、その人たちが何を考えているのかに対する分析を我々はすることさえしていない、そのために、思想家は思想家としての役割を意図的ではないにしろ、放棄しているに等しいのではないか。
アガンベンの収容所論
この事は、前回のエドワード・サイードの「帝国の愉楽」と似ています。例えば、大英帝国の人たちは、インドの社会システムに対するちゃんとした知識を持っていて、カースト制度を利用する事で最も安易な形で手をかけない形でインド全体を統治できる。それを持続させるために、イギリス人の子供たちにそうした知識を学ばせた。インドで生まれた少年キムは、まずインドで教育され、ある段階で、ロンドンに留学し、再びインドに帰ってきて、ラホールの博物館に滞在し、インドとはどういうところなのかを知る。インドを調査する喜びを感じながら、その喜びとともに統治する能力を身につけていく。これが帝国主義の喜びです。この喜びを知らないで戦っても勝てない。
サイードはパレスチナ人なので、自分たちを支配している帝国主義者、あるいはユダヤ人、について考える。イスラエルという国にユダヤ人を住まわせる事で、欧米が湾岸地区の石油を自在に収奪できるようになる。そのためにイスラエル建国が必要とされているという事は知っておかないといけない。帝国主義の愉楽というものを知る事なくして、植民地の独立運動はあり得ないというのが、サイードの考えです。
では、アガンベンがコロナ禍になぜこのような考えに至ったのか。鴻さんは、アガンベンの考察した20世紀の社会そのものがそう言った方向性を持っていて、このような発言に至った。つまりアガンベンの収容所論と関係があるのではないか、と説明します。
2010年代には、コロナウィルスによるパンデミックなど全く予測できなかった。その頃に書いた『ホモ・サケル』では、私たちが収容所化する世界という例外状態にいる、その危機において私たちは抵抗しなければならないと書いていた。この当時、アガンベンはその例外状態が新しい日常になり、コロナのパンデミックによってそのことが検証されるとは思っていなかっただろうと言います。
アガンベンの代表作『ホモ・サケル』が出版されたのは1995年、その翻訳が日本で出版されたのは2003年です。翻訳に時間がかかった理由はわかりませんが、あまりアガンベンが知られていなかったことがあったのかもしれません。
この収容所論における、収容所とはアウシュビッツ、ソ連の強制労働収容所が2つの重要な参照例です。1995年に近代的なノモスとしての収容所と書いたときに、アガンベンは西洋近代の社会構造の本質は結局アウシュビッツのような場所で展開された収容所に帰結する、我々の社会がそこへ向かって修練していく、そうならないための努力をどのようにすれば良いのかというのが問題であると書いている。そのときは、我々はそういう危険性に包囲されているけれども、それとの抵抗のなかで人間の生は存在していると考えているわけです。
これとほとんど同じようなことが、20年前にあたる1975年にミシェル・フーコーによって書かれています。この年に『監獄の誕生』を書くわけです。近代的なものの生政治的判例としての監獄というような形で書いています。
監獄が誕生するのは、ヨーロッパにおいては、1800年から1850年くらいの間にほぼ全ての国で監獄のシステムが出来���がる。フーコーは、近代社会の本質は監獄にある、その本質は規律訓練であると言う。監視と処罰において規律訓練を生み出し、そして従順な身体を作り上げていくというのが、監獄の役割であり、このシステムは近代社会の決定的なモデルであって、これは教育、労働などの社会システムが監獄のシステムを踏襲する形で世界が確立していく。ここからいかに脱出するのかということが、『監獄の誕生』のテーマです。
このフーコーの監獄の誕生に対して、アガンベンが収容所の誕生を『ホモ・サケル』と言う本の中で書いた。
ビオス・ポリティコスを考察する
アウシュビッツが参照例とされる、近代的なノモスとしての収容所。その収容所的な世界観からいかにして脱出するのか、いかにしてそういうシステムを壊し、人間が新しい共同体なり、姿なりを作り出していくのかということが問われている。その事例として、ギリシャのビオス・ポリティコスという言葉をアガンベンは幾度も使います。ビオス・ポリティコスとは、ポリスにおける生き方を意味します。ビオスとは人間の生という意味です。それは、古代ギリシャにおける何らかの新しい人間のより良い生のあり方として取り上げられている。しかし、ギリシャのポリスにおける人間の生のあり方が実際にどうであったのかという事は簡単にはわかりません。それを調べるための1つの非常に重要な事例が演劇です。古代ギリシャの演劇を観ることによって、ビオス・ポリティコスというものがどういうものであったのかがある程度推測できるわけです。
ギリシャ演劇、例えば『アンティゴネ』が初演されたのは、紀元前441年です。アンティゴネが生きていたのは、推定で紀元前1220年頃です。つまり、紀元前441年に上演された演劇の物語は、それから7-800年前くらいに起きたとされる出来事の伝説が芝居になっている。物語として、叙事詩として伝わってきているけれど、テーバイ伝説を聞いている人たちはその場にいたわけではないし、その辺りのことを必ずしも知らないのになぜ聞くことができるのか。それは、800年前の出来事なのに、聞いた人たちがわかるように物語が組み立てられているからです。だから、我々が今ギリシャ演劇を観て何が何だかさっぱりわからないとはならない。元々がある出来事の伝説を800年後の人が聞いている。さらに、2500年後の我々が見ても納得できる。芝居を観て、その時代の人たちの間で何が問題になっているのかがわかる。ポリスの生、ビオス・ポリティコスがどういうものであったのかが分かるのです。アンティゴネを死へと追いやったクレオンのような振舞いをする専制君主に対して、ポリスの民衆たちが何を考えたのか、ということを研究していくと、古代ギリシャのポリスにおける生の形態というのを我々はいろんな形で考察できる。
ビオス・���リティコスを英語に訳すると、Political lifeです。ナチス・ドイツがユダヤ人を収容所に送っていくその最中に暮らしている人たちのPolitical life、これが1943年のドイツのビオス・ポリティコスであり、スターリン時代のソ連で『収容所群島』で描かれているような実態がビオス・ポリティコスである。ポリス的な生のあり方がどういうふうに展開していったのか、それが歴史というものなのです。
ゾーエー「剥き出しの生」のあり方
一方で、ビオスに対して、ゾーエーがあります。「剥き出しの生」と翻訳されています。ビオス・ポリティコスは、ポリスがあるからこそ可能にしている生の形態です。そうではなく、いわゆる社会的だとか、人間的だとかいうものと関係なく「剥き出しの生」はただ生きているだけです。ここで、もう1つ、「ホモ・サケル」という言葉があります。文字通り訳すると「聖なる存在」。古代ローマにホモ・サケルと呼ばれる人たちがいて、聖なる存在で、人を殺しても殺人罪に問われない、そういう社会規範において例外的な存在がいたのです。アガンベンは、このホモ・サケルを「剥き出しの生」とつなげています。
ところが、今回のパンデミックにおいて、埋葬したい人がいても埋葬をしたいという感情を一切剥奪され埋葬はできないとか、旅行したいと言ってもウィルスを撒き散らすかもしれないから移動してはいけないとか、全てを剥奪されて、いわゆる人間として社会的活動とか、感情的・情緒的な活動を含めた一切が剥奪されてしまった、そうした人間をアガンベンは「剥き出しの生」としている。ここで、鴻さんは、アガンベンのこれまでの主張とズレを感じると話します。
収容所化した世界が、ビオス・ポリティコスの新しい形式の1つだとすると、そのビオスの中に「ただ生きている」よりもひどい形式というものがあって、つまり、悪き生へ負の連鎖の中に入ったときのビオス・ポリティコスに対して、ゾーエーは、いわばそうした社会の価値基準か離脱した存在そのものとして、潜在力を持つものとして考えられると以前は書いていたように思う。ビオスが壊れるとビオスの下に潜在力としての存在のゾーエーがある。ゾーエーは何者でもないけれども、何かになる存在、それに対して、何者かになってしまった、それは不完全で魅力的でもないかもしれないし、あるいは魅力的だったりするかもしれないビオス・ポリティコスをいかに、より良いものにしていくのかということを考える。コロナ禍におけるニューノーマルを受け入れた人たちは、そのことが、ビオス・ポリティコスのあり方を、潜勢的なゾーエーというものから生み出された1つの形式を、さらに悪い方向へ向けていく、世界を収容所化していくそういう形なのだと考えることで、『ホモ・サケル』を読み直すことで、アガンベンの言おうとしている真意を読み解いていく必要があるのではないかと、今鴻さんは考えています。
身振りについてー収容所化する身体への抵抗
また、鴻さんが『ホモ・サケル』を読むきっかけになったのは、2000年に翻訳がでた『人権の彼方に』を先に読んでいたことでした。『人権の彼方に』収められている「身振りについての覚え書き」という章において、アガンベンは、西洋ブルジョワジーは19世紀の終わりから20世紀の初めに身振りを失ったと書きます。要するに、監獄という社会の中で、監視と処罰のシステムの中で、行動を規制され、従順なる身体へと移行していったという考え方からすると、そうした従順な身体は身振りを奪われたと言うのです。しかし、20世紀初頭の演劇ほど身振りを再発見したものはないのです。セリフ劇ではなく空間と身体の動きによって生み出された演劇は19世紀末から20世紀初めに起こるわけです。アガンベンは、続けます。社会的に身振りが失われたそういう人たちの中から抵抗として身振りを蘇らせるような活動をしていた人たちが芸術家であったと言うのです。例えば、ロシア・アバンギャルドの演出家フセヴォロド・メイエルホリドは、コメディアデラルテに学び、舞台上で跳躍するような垂直的な動きを取り入れて空間をダイナミックにしました。20世紀初頭に映画が登場した初期の頃のサイレント映画は身振りによって表現されます。しかし、ロシア・アヴァンギャルドが社会主義リアリズムへと移行していくとき、身振りの演劇がリアリズムの言語的な演劇に回収されていく。そうした動きが世界の収容所化です。一方でさらに、1960年になると、それに抵抗する新たな演劇の動きが出てきます。パリの五月革命なども身振りの復権への動きかもしれないし、その身振りの復権こそが収容所化する身体への抵抗であるとアガンベンは書いています。
20世紀の芸術、その問題性を収容所論から解き明かす
こうしたアガンベンの翻訳を鴻さんが読んでいた2000年から2005年にかけては世界的にも演劇はダイナミックでした。2001年から鴻さんがアフリカ・アジア・南アメリカを転々としながら演劇を観ていました。抵抗の姿勢としての演劇についての考察を唆すような言説が溢れていた。収容所化した空間に対する抵抗としての演劇、人間の新たなるより良き生を目指すためのビジョンについて考えるための事例として収容所についてアガンベンは語っていました。ところが、そう言う戦いそのものが2015年くらいに敗北に終わるのです。サイードの悲しみでは、1993年から2003年の10年間の経緯の中での悲しみがどんどん深くなっていくことを話しました。今のパレスチナの状態を予感しながら、絶望的な文章を『オスロからイラクへ』で綴っています。ガヤトリ・チャクラヴォルティ・スピヴァクは、2007年にポストコロニアル批評は失効したと言います。アガンベンは2020年の前までは、20世紀の非常に重要な核としての収容所という言い方をしながら、しかし、世界の収容所化をいかに防ぐか、これに対する提案をしながら書いています。それが、『私たちはどこにいるのか?政治としてのエピデミック』では、収容所化したということを確認するためのシュミレーションモデルが作られ、それが実行され、実験が終わって、収容所化していたということがわかったと書いているのです。
演劇においては、タデウシュ・カントルが『I shall never return』という作品で収容所的な世界を書いています。この言葉を言って連れて行かれるのはガス室です。自分が殺されることを知っている。明日は仲間か、自分かもしれないと思いながら、この言葉を言って見送る。そういった人たちが、舞台上にいるカントルを前に「どうしてくれるんだ」となどと言うのです。彼らの言葉が耳からこびりついて離れない。カントルはポーランドのクラクフで活動をしていましたが、そこはアウシュビッツから車で1時間ほどの都市です。その場所で生まれて学生時代を過ごし、アウシュビッツのことを思いながら作品を作ってきた。そのときに「Nothing ahead」と頻繁にカントルは口にしていた。「先には何もない」、でもその言葉を呟きながら私の心は明るい軽い気持ちだった、肝心なのは断念しないことだ、とカントルは言っています。アウシュビッツで「私はもう帰らない」と言った、そうして殺された人たちが舞台に死者として出てくるような作品を作り続けていくときに、断念しない。そうした新しい世界像へ向けての死との直面の仕方であるというカントルが言うときに、鴻さんはゾーエーとビオスのことを考えていました。それを文章にしたものが、2006年の現代思想に掲載された『死と身振り』という鴻さんの論考です。アガンベンの『身振りについての覚え書き』を引用しながら書きました。
アガンベンは、以前は収容所について問題にするときは、世界は収容所化に向かっているけれども、そうなってはいけないという警告として書いていました。しかし、コロナ禍で世界は収容所化してしまったと書いた。そこで、アガンベンの錯乱なのです。収容所化してしまったことをアガンベンは許せない。監獄に入れられた人は監獄からの脱出を願う。収容所に入れられた人は収容所からの脱出を願うわけです。ところが、収容所の愉楽から、今や収容所的世界にいることに喜びを感じているという形に移行しているという���とが、コロナ禍において我々に突きつけられたことなのです。そのことをアガンベンは様々な言い方でした後で消えてしまった。戦い続けているとしたら戦っている姿が見えない。世界の収容所化について、収容所分析をすることは、収容所化への抵抗であった。それが、もうそうなってしまったとい言い方になった。それは嫌だと最初は言ったけれど、そこで諦めて沈黙してしまった。この姿勢は批評家として問題ではないかと鴻さんは感じています。収容所を問題にすることは、それを掘り起こしてくることで人間存在の本質に迫ることであって、受け入れることではない。20世紀の芸術、その歴史を掘り起こそうとするとき、その問題性に迫り、より良い展開を可能にするにはどうすれば良かったのかを考える。存在の意味をゾーエーさえもが思考する。ビオスは良い、ゾーエー(剥き出しの生)は良くないという言い方をする人たちも多いが、ビオスに問題がある場合もある。ビオスがゾーエーを不可能にしている。完全な監禁状態において、スラヴォイ・ジジェクがいうところの「監視と処罰ですか?はい、お願いします。(Surveillance and punishment? Yes Please.)」が、今の収容所の愉楽におけるキャッチフレーズのようであると鴻さんは言います。
『カラマーゾフの兄弟』でイヴァン・カラマーゾフの話す大審問官の伝説では、スペインの広場で治癒能力を持った青年が現れ、病気を治したり、死者を蘇らせたり、様々な奇跡を起こします。それを大審問官が困るから捕まえてこい、という。なぜか? 人々は皆幸せに生きていて、こんなに幸せな世界はないと思いながら従順に暮らしている。それにも関わらず、奇跡を起こすことで、何か違った夢をみたり、夢が実現しなくて今までに感じなかった苦痛を感じて、世界が混乱するかもしれない。そのような存在はいないほうが良いと言う。そうすると、その青年は大審問官のそばに立って、ひざまずいて、口づけをすると静かに立ち去っていく。つまり、収容所の愉楽をかき乱すことはやってはいけません。こうした統治論の1つの例がドストエフスキーによって与えられている。こうしたモデルを色々と知った上でアガンベンのように収容所論というのを厳密に解き明かしていく作業が必要だろうと鴻さんは言います。
フーコーもまた、『監獄の誕生』を1968年のパリ学生反乱の敗北とその反省として書きました。なぜ敗北したのか?それは統治システムの巧妙な仕組みについて考えていなかったのだと言います。近代という構造に対する批判的な分析とそれに対する戦いの方法がなかった。そのことに、68年の敗北の後に気づいた。フーコーは1984年に亡くなります。そこから10年して1995年にアガンベンが『ホモ・サケル』を書きます。
芸術の世界では、ピナ・バウシュもまた収容所的世界を描いています。ピナ・バウシュはゾーリンゲンという小さな街で生まれ育った。そこで生まれ育ったもう1人の有名人はナチス・ドイツのアドルフ・アイヒマンです。そして、自分がダンスの勉強をし始めた1960年にアイヒマン裁判が始まり、その報告記事がニューヨークタイムズに掲載されます。そうした事態の経緯がピナ・バウシュには大きく影響している。1986年に作った『ヴィクトール』という作品は、���体が大きな墓穴になっている。墓穴の底には人がいて終始踊っている。一番上の地面では、スコップで泥を使って墓穴を埋めている。それは死の舞踏であり、アウシュビッツの収容所で生き埋めにされた人たちを表現している。そうした状況でさえも、ゾーエーさえもが、ビオスというものを捨てない、という動きが展開されていく作品です。自伝的な作品『カフェ・ミュラー』では、アウシュビッツのような歴史の最中に投げ込まれて、それについて何も語ることができない少女が舞台に登場します。盲目で、目を瞑ったまま現れ、去っていく中で、幻のように頭に浮かんだ光景が舞台で展開される。この作品ではアウシュビッツの記憶がピナ・バウシュにのしかかっている、しかし、そのような中でも生というものが、いかに可能かが舞台化されている。カントルもピナ・バウシュもアガンベンの収容所論の前にこうした作品を作っている。20世紀の現実を踏まえながら作られた作品を見るときに、アガンベンの収容所論は意味を持ちます。鴻さんが『死と身振り』を2006年に書いた時は、アガンベンを読みながら、世界の収容所化とそれに抗する演劇について議論し、分析することが可能でした。それが現在どうなっているのかということに関して問題が複雑化している、ビオス・ポリティコスとゾーエーに関するア���ンベンのポジションについて確認しなければならない、と鴻さんは考えています。
文/椙山由香
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今のところまだあまり期待してはいないが Threads に登録してみる。事前に聞いていたとおり、最低限の機能を実装し、取りあえず安定的に動く、そんなところか。独立したアプリとはいえ、システム的には、Instagram を拡張していると見られる。Threads と Instagram の双方に互いのリンク・アイコンが用意されており、あたかも同一アプリのように動作する。タブ切り替えの感覚だ。実際、共通化されていないのはフォロー関係くらいか。それ以外は、Instagram の情報がコピーされる。一部、変更は可能なようではあるが。
誰一人フォローしていないにも関わらず、タイムラインには見ず知らずの人の投稿が表示される。興味深い試みだ。おそらく、使用していくとユーザの興味に応じて表示内容も変わっていくと思われる。だがいずれ、フォローしていないユーザが表示されることに違和感を持つかもしれない。これは、調整できるようになるだろうか。
私の場合、Instagram では私自身に興味を持ってくれる人とのコミュニケーションを重視しているので、基本的には私からのフォローはしていない。フォローバックが基本だ。フォローバックする場合も、フォローに対して無条件ではフォローバックしておらず、コメントをくれることが最低条件になる。このようにしてコミュニケーションを維持してきた。「いいね」の数は全く気にしていない。ではあるが、Threads ではどのようにしたらいいのかやや迷う。もう少しフォローバックを増やしたほうが楽しく利用できるかもしれない。
リアルな世界での出会いは自らコントロールすることが困難な場合が多い。だが、SNS ではそれが可能なのだ。自分の友だちは自分で選ぶ。結果的に、これは自分を安売りしないことにもなる。
表示形式は、確かに Twitter によく似ている。誰が考えてもこのようなデザインになるのかもしれないが、そこはやはり後発の Meta/Instagram らしさをもっと出してほしかったところではある。また、投稿をクリックするとその投稿だけが表示されるモードになる。投稿や写真、コメントが一覧表示されるのだ。この機能も Twitter にあるが、Instagram にはなかったものだ。これがInstagram が使いづらい大きな要因である。Instagram の場合、タイムライン上で「続きを読む」「コメント◯件をすべて見る」をタップあるいはクリックし続ける必要がある。一覧性に欠け、非常に使いづらい。「読む」と「見る」の相違も微妙に気になる。ややジャンルが異なるとはいえ、アプリとしてみると Instagram より Twitter の方が優れている点が多く、私にとっては使いやすいと感じる。正直なところ、Instagram の人気が高い理由が私にはよく理解できないのだ。Threads はそれに一歩近づいたようではある。
Threads には Web 版がないということで、Threads 以外への拡散は難しそうだ。だが、Web 版の Instagram のプロフィール画面には Threds のアイコンが用意されている。これをクリックすると、自分の投稿は確認できるようだ。だが機能としてはそこまでで、それ以上のことはできない。具体的には QR コードが表示され、スマートフォンでの操作が必要となる。全く Web 版がないわけではなさそうだ。また、Threds アプリをよく見てみると「リンクをコピー」と「シェア」というメニューが存在する。これを試してみると、他のシステムでシェアできる投稿への URL が取得できる。これを利用することで、Threads 以外へもシェアが可能となっている。現在では、プロフィールの一部が表示できる程度の Web 版 Threads であるが、アプリと同等の機能が提供される可能性が高いだろう。
現在のインターネット空間での最大の遊び場といえばSNS になる。世界中の人達と交流できるのは本当に楽しい。距離感はほとんど感じられない。あるのは時差くらいである。南半球の人達とは、季節も異なるか。SNS 以前は、音楽関係で英国やイタリア、ドイツと言った欧州諸国もそれなりの存在感はあったが、やはり「世界」や「海外」といえばそれは米国を意味していた。こうした偏った考えを修正してくれたのが SNS である。SNS における欧州の人たちの存在感はとても大きい。英国が脱退したとはいえ、EU の総人口は4億人を優に超え、未加盟国を含めた欧州全体の人口は7億人を超える。これは米国の人口の2倍以上で、彼らの存在感が大きいのは当然のことだ。社会や政治、文化を考えれば、世界を動かしているのはむしろ欧州と言っていいほどだ。それほどまでの影響力がある。今更ながら、これに気がついた。それに加え、今ではグローバル・サウスと呼ばれるインドやブラジルからの参加者も目立つ。数としては少ないが、アフリカ諸国にもユーザはいる。彼らは日本的に言えば、まともな人が多い。想像するに、途上国の SNS ユーザは比較的裕福で、教育レベルも高い人が多いようだ。
ただし、歴史的背景から、日本人やアジア系人種を嫌う欧米人が少なからず存在することにも留意が必要だ。

Threads では、登録して翌朝には既に100人を超えるフォロワーがいて驚く。1件も投稿していないにも関わらずだ。普通の SNS ではありえないことだった。フォロワーの大半はInstagram のフォロワーだった。とりあえず、親しいフォロワーをフォローバックしてみる。
Instagram 繋がりとはいえ、フォロワーが100人を超えていると、フォロワーに対する言いようのない責任感を感じてしまう。そこで、Instagram には投稿したことのない写真を1枚投稿してみる。これが、思った以上に反応があった。フォロワー以外の反応が多い。これはおそらく、投稿の露出度と言うか見せ方が Instagram とは異なっているからだろう。冒頭に書いたフォローしていないにも関わらず表示される Instagram で言うところの「発見」的な場所で表示されていると考えられる。この機能の威力をまざまざと感じさせられた。Instagram と密接な関係を保ちながらも独立したアプリとして提供されている Threads 。機能的に Instagram と共通する部分もある。実際、Instagram と同じ内容を投稿しているユーザも目立つ。これでは、Threads の本来の意義があまり感じられない。Threads を利用するに際しては、新たな投稿戦略やポリシーを持つ必要があるだろう。
個人的にはスマートフォンのアプリ版しかない SNS は利用しづらい。本格的に Threads を利用するのは、Web 版がリリースされてからになりそうだ。
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どんなに勉強しても、どんなに頑張っても、失敗する。
6月の試験そうだった。来週の試験もそうなる気がする。
また失敗するのが怖い。失敗な人になってるかな。
#試験#失敗#勉強#日本語#日本文学#思考#怖い#大学#失敗するわけじゃないけど成績高くないから私には失敗だ#イタリアのシステムは日本のと違う#時々日本の大学のほうが楽だと思う#分からないけど#pensieri#giapponese#mediocrità
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今日のランチはイタリアンに行った。そこはちゃんとしたお店で、イタリアで修行された方が始めたお店で、とても美味しいけど気取らないお店だ。
よく行くお店なので居心地もよく、でも僕はいつも迷惑をかけてないか心配で、すぐにこのお店を出ようとする。それは、そもそも一人でレストランなんてのは少し変で、そんな人がいると、その店の雰囲気を多少悪くするとおもってるから。
それで席について食事をしていると、隣りに座った男性がパスタを食べ始めた。食べている種類はロングパスタで、要するに細長い���のパスタだ。
その男性はラーメン屋や蕎麦屋でやるようにズルズルー、ズルズルーと麺をすすって勢いよく食べた。騒がしいお店でも、その啜る音は聞き慣れないせいか意外と目立った。
それにほんの少し不快な感情を抱いている自分に気づいた。その不快さというのは、この人に誰もマナーを教える機会がなかった不幸に対する苛立ちでもあり、場違いなものに対する純粋な苛立ちでもあった。
僕はそんな自分が実に不愉快だった。
なぜなら、人間の単なるそんな習慣が染み付いている自分はなんと動物的なんだろうと思ったから。自分が他人を不愉快にさせないようにするのは良い、それは生きていくための知恵だ。しかし、不快に感じるというのは、しかも、単なる習慣で不快に感じるというのは、それはヒトのシステムに溶け込んでいる証拠だ。だってその音は蕎麦屋なら不快じゃないんだから。つまりそこで感じる不快さは本質的な不快さでなく、社会性としての不快さだ。
おサルさんが勝手に決めたルールをヒトが遠目に見たら多分バカだと思ってせせら笑ったり、興味深いと思うと思う。つまり自分はそういう観察されるようなサルになってしまったということ。
僕は動物であることから逃れたい。
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米FDA、ファイザー社製ワクチンのデータを初公開 副反応が1200種以上
https://www.epochtimes.jp/2022/03/88059.html
米国食品医薬品局(FDA)は3月1日、米ファイザー社がワクチン承認のために提出したデータファイルの一部を初めて公開した。FDAは約75年後に全情報を公開する予定だったが、訴訟の失敗により早期公開に至った。
米有力大学の教授や医療専門家ら数十人が設立した非営利団体「透明性を求める公衆衛生や医療の専門家(PHMPT)」は、米ファイザー社と独ビオンテック社が共同開発したワクチンのデータファイルの公開をFDAに求めたが、拒否された。同団体は昨年9月、FDAは情報自由法(FOIA)に違反しているとして、テキサス州北部地区連邦地方裁判所に提訴した。
FDAは法廷で、関連するデータファイルは45万ページ近くあり、人手不足のためすべての情報を照合・公開するのに時間(約75年)がかかると主張した。
一方、PHMPTは、FDAがファイザー社にワクチンの緊急使用許可(EUA)を与えた際に、データを検討する期間が108日しかなかったことから、データは直ちに公開できる状態にあるべきだと指摘。何百万人もの米国民がワクチン接種の義務化によって職を失い、解雇される危機に直面しているため、データは緊急に公開される必要があると訴えた。
1月6日、米国連邦地方裁判所のMark T. Pittman判事は、情報自由法に基づくこの請求は公共の利益に適うとして、FDAに8カ月以内にすべての文書を公開するよう命じた。
FDAの生物製品評価研究センター(CBER)は3月1日、ファイザー社がFDAに提出した5万5000ページのワクチンデータ文書を初めて公開した。
文書には、38ページに及ぶ報告書「承認後の副反応報告の累積分析(Cumulative Analysis of Post-authorization Adverse Event Reports)」が含まれている。ファイザー社製ワクチンの副反応は、腎臓障害、急性弛緩性脊髄炎、脳幹塞栓症、心停止、出血性脳炎など1291種報告されている。
報告によると、2021年2月28日までに報告されたワクチン接種後の副反応は4万2086件(15万8893症状)で、米国(1万3739件)が最も多く、次いで英国(1万3404件)、イタリア(2578件)、ドイツ(1913件)、フランス(1506件)、ポルトガル(866件)、スペイン(756件)、その他56カ国(7324件)となっている。
4万2086件の副反応のうち、平均年齢は50.9歳(女性2万9914件71.1%、男性9182件21.8%、残りの性別は不明)であった。このうち、1223人(2.9%)が死亡、1万9582人(46.5%)が回復または療養中、520人(1.2%)が回復後の後遺症を有している。
最も多く報告された症状は、頭痛(24.1%)、発熱(18.2%)、疲労(17.4%)、悪寒(13.1%)、接種部位の痛み(12.3%)、吐き気(12.3%)、筋肉痛(11.7%)などだった。
米市民団体「子供の健康保護(Children’s Health Defense)」の会長兼法律顧問であるMary Holland氏は3月4日、プレスリリースサービスの「グローブニューズワイヤ」への寄稿文で、今回の事件を「爆裂弾(Bombshell)」と表現している。
記事の中で、同氏は「少なくとも、FDAとファイザー社がなぜ75年間もデータを秘密にしておきたかったのか、その理由がわかった」と述べ、「ファイザー社のワクチン接種は、深刻な被害をもたらす可能性が明らかであること、被害者がファイザー社を損害賠償で訴えることができないことから、直ちに中止すべきである」との見解を示した。
2020年12月中旬~22年2月18日まで、米国政府の予防接種後副反応報告システム(VAERS)に報告された副反応は113万4984件であった。このうち、2万4402人が死亡。また、心筋炎および心膜炎の症例は4021件で、そのうちファイザー社が2475件、モデルナ社は1364件、ジョンソン・エンド・ジョンソン社(J&J社)は171件となっている。
日本では、厚生労働省が2月18日に発表した「予防接種法に基づく医療機関からの副反応疑い報告状況について」によると、2021年2月17日〜22年1月23日までに投与されたファイザーワクチン1億7097万7414回分のうち、副反応の疑いがあるものは2万7085件、重篤な症例は5736件、死亡例は1064件であった。モデルナ社のワクチン3255万7064回分のうち、副反応の疑いがあるものは4120件、重篤な症例は707件、死亡例は55件であった。
(翻訳編集・王君宜)
https://www.epochtimes.jp/2022/03/88059.html
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togetterにもまとめられているが、サイゼリヤの数字記入型の発注システムは、「聴覚障害の方には助かる」というバリアフリーの一環としての評価や、日本語も英語もイタリア語も分からない外国人にとっては助かるシステムである、という評価が多かった。氏が情緒がないとしてケチをつけている他のものでは、プラスチックのコップは「子連れにやさしい店」になるために導入されるものだし、ノンアルコールビールを置くのは事故の被害者や遺族が生まれるのを未然に防ぐための措置であり、かつこれは運転しなければ選ぶ必要のないオプションでしかない。 なぜサイゼリヤのような大手チェーンがこのような方向に行くかと言えば、大手になるほど多くの顧客を相手にする薄利多売に近づき、それによって顧客層に庶民やマイノリティを多く含むようになり、ユニバーサルサービスとしての性質を強めるからである。 ユニバーサルサービス、すなわち「誰しもが享受可能であるべきいわゆる《人権》に近い所のサービス」というのは、基本的には《能力》が高いことを前提とすることができない。身体障害や視聴覚障害の方でも使いやすい、確認の取りやすいものを求められる。様々な知的レベルの人を包摂しようとすれば、文章は平易であることが求められ、間違いがないよう明瞭さが求められるし、(その国の)公用語を解する(これも《能力》である)ことのできない人のことを考えればピクトグラムや、あるいは無味乾燥な数字でも意思疎通できることが優先される場面もある。現代ではメリトクラシーが"正しい"とされるが、一方で《能力》が低い人を包摂できるユニバーサルサービス――英語のfoolproofも若干違うが大筋で似た概念だろう――も求められている、というのは常識的で穏当な理解だろう。
メモ - 弱者にやさしく人間味のない社会/肌のぬくもりの感じられる素朴な差別 - KYの雑記ログ
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CHRISTMAS MARKET IN DÜSSELDORF パート②
前回の投稿に続き、ドイツへの週末旅行パート②です!
約1時間半の移動を終え、
(但し集合時間からは既に4時間以上経過)
我々はようやくドイツ・デュッセルドルフに到着。
陸続きで国境跨げちゃうの、いまだに不思議な感覚。
イギリス留学中に初めてバスでフランスからドイツに渡った際、
道路表記の言語やデザインが突然切り替わったことに感激していたのを思い出しました。
天気の悪さが著しいオランダの場合、
国を抜け出せたと分かる瞬間は、悲しいかな、
道路表記ではなく太陽が見えた瞬間でした、、w
これ、ガチです。本当にドイツに入った瞬間晴れました。
さて、また��振りが長くなる前に話を戻すと、
デュッセルドルフの中央駅に着いた一行は、地下鉄に乗って宿に直行。
ちなみにドイツの電車は基本的に改札がなく、
ランダムで電車内や駅を巡回してチケットを持っているかを確認し、
チケットを持っていなければ多額の罰金が生じる、と言う
なんとも観光客には分かりづらいシステムなのです。
今回はドイツ人の子が同行してくれているおかげで
普段ならアタフタしちゃう状況でもスムーズに進行できました✨
宿は「オールドタウン」と言われる、デュッセの繁華街エリアに。
学生旅の如く、宿は寝るだけ・立地とコスパ重視で。


ここの2階
宿は大部屋が1つと小さい部屋が2つ、
着いてから数分で各々のベッドを確保してすぐにまた出る準備w
まじで修学旅行みたいなwwww
ここからは、念願のクリスマスマーケットはしご旅〜!
まるでディズニー。まずはホットワインで乾杯〜!

ちなみに今回のメンバーですが、
イタリア、イギリス、ドイツ、オランダ、ニュージー、
と、なんともインターナショナルな集まりになっております。
割合としては半分社会人、半分学生(インターン)かな?
年齢や文化ごとに価値観の違いもありながら、
笑いのツボだったり、喜怒哀楽のポイントが意外にも一致してて
普通にめちゃくちゃ楽しかったです🤣
クリスマスマーケットは街中あちこちで繰り広げられてて食べ飲み歩き天国。
プレッツェルやソーセージは定番ですが、
今回ドイツ人の勧めによりReibekuchenを試してみることに!
いわゆる「ジャーマンポテトをパンケーキ型にしたもの」で
カリッカリにあげられたハッシュドポテト的な。

一口かじった後に写真撮るwww
なんと、これをアップルソースにつけていただきます。

程よい塩味と甘味、サクサク感とさっぱり感、
食べたことあるようでない、とにかく美味しい〜!

一通り回った後には一旦宿に戻って休憩。
しばらくしたらお腹が空いてきたので、晩御飯を食べに行くことに。
(この時点でまだ夕方7時)

かんぱーい!
せっかくなのでドイツ料理を味わいたく、
またまたドイツ人のオススメ「シュニッツェル」と言う、
パン粉で揚げた薄切り肉をバーガースタイルでいただきました。

揚げ物続き、26歳の胃袋には結構ハードw
けどバンズもプレッツェル生地で美味しかった!
ここでも話が延々と盛り上がり、
その後もバーホッピングで2、3軒。
オランダではここ最近またコロナ規制が一層厳しくなってて、
お店はどこも夕方5時に閉まってしまうのですが、
お隣ドイツは深夜まで賑わってました。異世界。
この日は宿に戻ったのが深夜1時ごろ。
ワタシみたいな老婆には体力の限界、
もう追いつかないなぁ、、、、と思っていたら、
意外とみんなも疲れ果てて、帰宅後全員すぐ就寝。ほっ
そして翌朝は近所のカフェでモーニングをしに!

少し話が逸れますが、
こっちに来てから改めて気づいたことの一つは
プラントベースのメニューがめちゃくちゃ充実してる。
今回のグループの中にはビーガンの人もいるので、
お店選びは毎度みんな慎重になるのですが、
意外とどこのレストランもしっかりオプションが用意されてて全く困りませんでした。
(EU圏ではこれが結構当たり前になってきているみたいですが、
唯一イタリアはあんまり融通が効かないらしいw)
腹ごしらえをした後は、街を散歩することに〜

と言うのも、ドイツは基本的に日曜どこも閉まっているので、
散歩以外あまりすることがない🤣
なので帰りの電車の時間を待っている間、
最後にホットチョコレートでホッと一息(ダジャレじゃないよ)

ここでまさかの帰りの電車までも見事キャンセルになったことが発覚し、
早めに駅に向かって振り替えてもらうことになりました。笑
けどラッキーなことに、
もともと予約していた電車は乗り換え有りだったのが、
今回のキャンセルにより無料で直行便に変更ができた
と言う些細な喜びw

最後の最後に駅でプレッツェルを買って満足
てなわけでここで旅の話は終わるのですが、結論、
食べることの喜びは万国共通!ドイツの電車はよく遅延する!
Vちゃんたちのおかげで
オランダ生活での素敵な思い出がまた一つできました✨
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9/21(火)、9/22(水)サン・セバスチャン
出発の1時間前に起床。��舘さんがコーヒーを淹れてくれて朝食。パンとヨーグルト。急いで荷造りと片付け。また後日戻ってくるのでパリで買ったお土産などは置いていって大丈夫と槻舘さんが言ってくれる。
スペインへの特急電車が出るモンパルナス駅まで乗り換えが1回。パリの地下鉄はバリアフリーが進んでなくて階段が多い。トランクを何度も持ち上げて移動する。乗り換え駅はホームが混んでて入ってくる電車も満員。山手線みたいなペースで電車がくるので2本やり過ごして乗車した。モンパルナス駅に到着したところで、昼食のテイクアウトを買うのにどんな店があるかを槻舘さんが調べてきてくれる。パン、サンドイッチ、寿司があるけどどれがいいかと訊かれて荒木さんが寿司と答える。トランクを引いてお店に向かう途中で衛生パスのチェックをしてる係りの人に声をかける。まだ私には衛生パスが届かないので紙の証明書を見せる。すぐに認めてくれて左腕にチェック済みの印になるリストバンドを付けてくれる。さらに進むとYo Sushi! という看板が見えてくる。寿司の大きな1パックを買って荒木さんと槻舘さんは分けることに。私はその隣の店でサンドイッチとエクレアを購入。荒木さんも食べたくなるかもと思いエクレアは2つ。改札を無事に通って乗車。
7月にマルセイユに向かった時の特急電車より車内が豪華。リクライニングが電動でテーブルは2種類で荷物置き場は安全な作り。荒木さんも私も感動してる。国境を越える特急だから違うのだろうとのこと。出発。サン・セバスチャン国際映画祭のチケットは朝7時から次の日の分のチケットを予約できるため、槻舘さんの指示を受けながらサイトを開いてトライするけれど希望のチケットを取るのがむずかしい。そのうち荒木さんが静かになってる。画面を見すぎて酔ったとのこと。荒木さんのiPhoneも借りて両手でチケット予約を進める。休憩。国境付近の乗り換えまでしばらくあるので日記を書こうとしたけれどなかなか進まない。前回もそうだった。移動中は文章が書けないのかもしれない。槻舘さんは記事の執筆などをいつも移動中に済ませてしまうとのこと。尊敬。昼食。荒木さんにエクレアも食べるか聞いてみた。二つとも自分で食べた。別の車両にカフェスペースもあると知ってドリンクを買ってくることに。映画ではよく見てきたけれど、実際に利用したのは初めてかもしれない。カウンターに並んだ。荒木さんに炭酸水、槻舘さんにラテ・マキアート、自分にアメリカーノを購入して戻る。終点の駅に到着。そこから別の電車に乗り継いでサン・セバスチャンに移動するのだけれど、事前に手元に届いた電子チケットを見てもその先のことがよくわからない。槻舘さんが窓口の人に聞いてくれて、これは普通に券売機で買えばいいのではということがわかり、3人分のチケットを購入。そこからは普通の路線電車。車窓から見える街並みの雰囲気が変わっていく。iPhoneの電波が一度無効になり、ほら国境越えたと槻舘さんが教えてくれる。ローミングをし直した。パスポートの提示も必要のない国境の移動は初めてだった。無事にスペインに入国。
サン・セバスチャン駅に映画祭の車両が迎えに来てくれることになってて、槻舘さん曰く途中のアマロという駅で降りて10分くらい歩いた方が早いとのことで、下車。少し歩いただけで街が穏やかなのがわかる。ずっと雨模様と聞いてたけれど晴れてて気持ちいい。サン・セバスチャン駅に到着。迎えの車がどこにいるのかをしばらく探す。向こうが見つけてくれて無事に合流。最新の車で、サイドミラーがミラーじゃなくてカメラと液晶画面だった。海沿いの道を走って中心街から離れたところのホテルに到着。槻舘さんが笑いながら陸の孤島に飛ばされたと言ってる。スペインでの配給会社も付いてないアジアのインディペンデント作品の扱いはこんなものだと教えてくれる。確かに遠い。チェックインをしたら映画祭のエコバッグを渡される。中身をざっと見たけれど、その後どうすればいいのかなどがわからない。大きい映画祭。あとは自分たちで何とかしろということなんじゃないかということで、ひとまず30分後にロビーで待ち合わせることに。エレベーターに乗りながら、もしバスタブがなかったらごめんねとお風呂好きの荒木さんに伝える。自分の部屋に入ってまず確認。バスタブがあった。ほっとした。広いテラスもあった。いい景色。遠くに海が見える。wi-fiについてどこにも書いてなかったので受付に電話した。パスワードを口頭で伝えてくれる。喋りが早いし文字数が多くて聞き取れないので直接行くことに。年配の受付の人がパスワードの書かれた紙を渡してくれる。朝食について尋ね��ら色々答えてくれるけれど早くてうまく聞き取れない。時間を指定するとよさそうだったので7時でお願いした。部屋に戻ってメールを開くと映画祭のスタッフからの連絡。今からIDパスなどを持って挨拶に行くとのこと。放ってかれてるわけじゃなかった。槻舘さんと荒木さんに伝える。ロビーに降りたところですぐにスタッフの人が到着。IDをそれぞれ受け取りつつCovid-19についての誓約書にサイン。不織布のマスクを必ず付けること、鼻を出さないことなどが細かく書かれてる。映画祭の会場になる映画館が集まる中心街までは路線バスで移動するしかないみたいだった。槻舘さんがいてくれるおかげで一つ一つの判断が早くて本当に助けられてる。ホテルの近くのバス停から乗車。料金はクレジットカードを当てて支払うシステムだったのでスムーズに済んだ。中心街に到着。会場の映画館の場所を確認しておくために一つ一つ巡りつつ散策。槻舘さんが案内してくれる。気になるお店があったら教えてくださいねと言ってくれる。荒木さんがアヒルのオモチャだけが並んでるお店に入っていった。必要なメール連絡を終えて私も中へ。お土産に2つ購入。どの道も建物もすてきで、やってるお店はどこも賑わってて、元気のある街。途中、国際広報のグロリアさんから槻舘さんにメッセージ。この日は夜10時に濱口竜介さんと待ち合わせてみんなでご飯を食べることになってた。その前から会って軽く飲まないかとのこと。指定されたお店に行くとグロリアさんが先に着いててみんなで挨拶のハグ。ピンチョスが食べられるレストラン。賑わってるし、店の外まで人が並んでる。店頭で好きなピンチョスを選んだ。どれもおいしそうだけれど、まだ夕食の前だから2つに抑えておく。グロリアさんがイベリコ豚のハムをご馳走してくれた。輝いてた。荒木さんがグロリアさんにカードをプレゼントする。表にグロリアさんの名前のカタカナ、裏に東直子さんの歌集『春原さんのリコーダー』からグロリアさんのために選んだマヨネーズの一首が書かれてる。感激してた。短歌を訳してほしいと言われて槻舘さんがフランス語にして伝えたら戸惑いながら笑ってた。ピンチョスもハムも本当においしくてすぐに食べ終える。荒木さんもうれしそう。仲良しの槻舘さんとグロリアさんの掛け合いを見てるだけでたのしい。途中、グロリアさんが『春原さんのうた』についての思いを丁寧に伝えてくれた。それを聞いてたら泣いてしまいそうになった。槻舘さんとグロリアさんの友人で映画批評家のセドリックさんも合流。やっぱりやさしくてすてきな方。主にフランス語だけれど槻舘さんが要所要所で日本語に訳して何を話してるかを教えてくれる。荒木さんが眠そうに見えたから眠っても大丈夫だよと伝えたら、すっと眠った。
夕食を予定してるレストランに移動することに。外は土砂降り。びしょ濡れになりながらしばらく歩く。ミシュランの星が付いててすごくおいしいのに安くてしかも混んでないというセドリックさんお勧めのレストラン。サン・セバスチャンの名物のトルティーヤや牛肉をトマトで煮たものや名前のわからない様々な料理。信じられないくらいどれもおいしかった。なにこれとずっと言ってしまう。途中、セドリックさんと二人で外で話す時間があって、生まれ育った街がマルセイユであることなど教えてくれた。ブイヤベースが本当においしかったことを伝えたら、ああ食べたいと言ってた。今はイタリアに住んでて、次のクリスマスは母親と過ごすために帰るとのことだった。
前の予定から抜けられそうにないらしく、合流できないかもしれないと濱口さんからグロリアに連絡。次の朝にはイタリアに発ってしまうため、会えずに残念。ニューヨークでは同じ日程で滞在予定だから、そこで会えますように。EU圏の人はアメリカへの入国が制限されてるためグロリアはニューヨークには行けず、やっぱり残念そうにしてる。
旅の疲れとお酒をたくさん飲んだのとご飯をいっぱい食べたのとで、またもや限界に。いつの間にか眠ってしまってた。目が覚めた頃に閉店時間。レストランを出てセドリックさんと別れる。グロリアさん��タクシーを見つけるまで付き合ってくれることに。荒木さんとグロリアさんが肩を組んで歩いてる。途中の道で盛大に転んだらみんながびっくりして笑いながら心配してくれた。私もびっくりした。痛かったけど痛くないふりをした。しばらく歩いたところで、たまたま通りかかった女性2人がタクシーの乗り場はあっちにあるよと教えてくれる。たどり着くと長蛇の列。近くにホテルのあるグロリアさんとはそこでお別れ。タクシーがなかなか来ない。こういうときでも槻舘さんは盛り上げてくれる。次の乗客が一人だけだと列も進まないからちゃんとがっかりする。たくさん乗る人がいるとよしよしいいぞーとうれしそうに拳を上げる。並んでる間に後ろにもどんどん人が並んでいく。1時間くらい経ってようやく乗車。ホテルに戻って解散。雨で濡れて体が冷えてたので、朦朧としながらもすぐにシャワーを浴びて温める。就寝。
22日。ハイライトで。
ホテルの朝食はシンプルだった。卵とベーコンはやっぱりおいしい。
映画祭のチケットを取るのにまたも苦戦。でも少しだけ取れた。
火曜日から大川景子さんが代わりに受け持ってくれてる女子美術大学でのオンライン集中授業に少しだけ参加。
槻舘さんが大好きな、ステーキがメインのおじさんが一人でやってるというバルに行ってランチ。お肉すごかった。肉汁たっぷり。トマトもししとうも何でこんなにおいしいのかと思う。荒木さんはちゃんと骨肉にもかぶりついて、店員のお兄さんにナイスと言われてた。グロリアさんも合流。
歩いてたら『偶然と想像』の演出部の高野徹さんと遭遇。槻舘さんのお知り合いみたい。バナナとスナック菓子を持って歩いてた。高野さんは前日まで濱口さんがいたことを知らなかった。
名誉賞の授与式があるこの日は近くにジョニー・デップがいるはずで、きっと彼も歩いただろうレッドカーペットを歩いて記念写真。
サン・セバスチャンの一番豪華なホテルの一階でグロリアさんが仕込んでくれた各媒体からのインタビューを一気に受ける。映画祭発行の新聞のために写真も撮影するとのことで、荒木さんと二人でポーズを取ったりもした。セドリックさんもインタビューしてくれてうれしかった。この日もおしゃれなセドリックさん。昔はモデルの仕事をしてたみたい。インタビューを終えてそのままカフェでケーキとコーヒー。荒木さんと槻舘さんは映画祭記念のケーキを食べてた。
移動中に通りかかった大型モニターにジョニー・デップの記者会見の様子が映ってた。荒木さんに立ってもらって2ショット写真の撮影。
海沿いにある一番大きい劇場でメイン部門の作品を鑑賞。コンサートホールみたい。3階席でもスクリーンがちゃんと見えた。上映前に観客が手拍子を鳴らして盛り上げたり。元気。終えて外に出たら夕焼けがきれい。同じ監督の前作がとてもよかったらしく、槻舘さんとグロリアさんががっかりしてる。
バルに移動して夕食。ピンチョス、トルティーヤ、トマト料理などを食べる。高野さんも合流した。
グロリアさんと高野さんと別れて駅前のタバカレラホールへ。『春原さんのうた』の最初の上映が同じホールになるので下見も兼ねて、同じ部門の別の作品を鑑賞。おもしろく見てたのにいつの間にか寝てた。
駅前でタクシーを待とうとしたら、前に並んでたお兄さんがタクシー会社に電話して私たちの分も呼んでくれた。待ってるだけでは来ない乗り場だったらしい。やさしい。
すぐにタクシーが来て、これまでで一番丁寧な運転手の人だった。無事にホテルに戻って就寝。
















































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『バチカンーーローマ法王庁は、いま』 郷富佐子
2007年出版の岩波新書で、ヨハネ・パウロ2世からベネディクト16世に代わる頃が中心。著者は記者で法王庁も取材していた。その記録とバチカンについての基礎的知識。学者の本ではないためだろうかとても読みやすかった。
全く知らなかったが、1978年にポーランド人のヨハネ・パウロ2世が法王になるまで数百年の間、法王は皆イタリア人だったそうだ。で、この「ほほ笑みの法王」は若い頃に演劇をしていたそうだ。だからあの存在感というか、雰囲気だったのかな、だ。慈愛に満ちたパパを演じてもいたんだろうな。下に気になったところを抜粋
一九八六年に法王として初めてローマ市内のシナゴーグを訪問。...
一九九八年には、ホロコーストをめぐる報告を発表。「キリストを殺したのはユダヤ人」とするそれまでの解釈が「反ユダヤ的な誤った内容」だったため、一部のキリスト教徒による反ユダヤ主義的な思想を招き、ナチスによるホロコーストにつながったと初めて認めた。ホロコーストに対してもキリスト教とは十分な抵抗をしなかったとも指摘し、初めて謝罪したのだ。
二〇〇三年には法王として初めて聖地エルサレムを公式訪問(p118)
聖職者の独身制は聖書に明記されてるものではなく、
リベラル派の元聖職者として妻帯神父の支援活動を続け、イタリアでカリスマ的な存在のジョバンニ・フランツォーニさんは、「結婚を認めれば子孫が残る。遺産相続の問題が生まれるのを恐れたバチカンが、教会の財産を守ために定めた無用の産物が独身制なのだ。歴史的に見れば、使徒やローマ法王も結婚していた」と力説(pp133−134)
するようにとても世俗的な理由からだったようだ。清貧であらねばならない神父が遺産のために目の色変えてたら、そりゃぁ信者は幻滅するわな。
さて、エクソシスト。本物の「悪魔つき」は、
①突然、知っているはずがない外国語を話だす、
②年齢などから見てありえない怪力を持ち、物理的に不可能な動作をする、
③十字架など神聖なものを怖がる(pp163−164)
などの特徴があるそうです。2005年からレジーナ使徒大学で「悪魔払い(エクソシズム)と解放の祈り」の講座が始まったそうだ(p162)。あの、アンソニー・パーキンスが出てるB級映画を思い出すな。
税金としては、10分の1税みたいに、「Otto per mille(1000分の8)」と呼ばれるのがあって、これは、
個人所得税の総額の一���〇〇分の八に当たる額を社会厚生事業や宗教・慈善団体に払うシステムで、納税者は税金を払う際に書類でどこへ、どれだけの分配を希望するか選ぶ仕組みになっている。(p181)
ものなのだそうだ。納税者が使われる先を選べるの、いいシステムだな。こうなったのに歴史的な背景があると思われる。
イタリアにある学校の教室には十字架がかかってるそうで、非キリスト教徒の住民から外して欲しいと要求が出たそうだ。だが、この十字架には宗教的意味だけではなく、「二〇〇〇年の文明を高度に表現したもの(p202)」と私には意味不明な返答が出たりとそのままになってるそうだ。で、著者が学校に十字架がかけられるようになったのはいつからなのか調べたら、なんと、ファシズムのムッソリーニ独裁政権下の1924年と1928年の「勅令」からなんだそうだ(p204)。自分が生きてる間に習慣になったものには何らかの伝統的価値があるってやつ、日本の家父長制みたいなもんだな。だけど、以下、
現在のイタリアは共和制に移行しており、王政ではない。だからもちろん、勅令はとっくの昔に無効となっているはずなのだが、当時の習慣がまだ残っているということらしい。イスラム教徒でも学校へスカーフをかぶってきてはいけないとするフランスのように、「世俗主義」を徹底して貫く姿勢は、イタリアにはない。カトリックを文化や習慣として、「何となく従っている」という緩さがあるように感じるが、今後、移民が増えて他宗教の信者や世俗制を重んじたいという人々が増えたら、こうした訴えも増える可能性が高い。イタリア的とも言える「独特の緩さ」はもう、なじまない時代になってきているのかもしれない。(p205)
最後にキリスト教の考え方の一つ「義認」について。「『義認』とは神がキリストを通して人間を罪から解放し、神との正しい関係に導く救いの働きを意味する(p222)」もので、プロテスタントとカトリックとでは理解の仕方が違う。
[プロテスタントはルターによる宗教改革から] 「義認は人間の善行などの努力によって受けるものではなく、ひたすら神の恵みによって起こる。人間側は信仰のみによってそれを受ける」と主張した。
一方、カトリックは「信仰とともに、人間は善行を積むといった行動もなければならない」とする。
共同宣言では、義認は信仰によってのみ得られるが、善行は信仰の印であると確認した。その上で、「依然として残る相違点はもはや行利上の断罪のための機会とはならない」とし、長年の論争に終止符を打った。(段変え私 p222)
どっちがいいかは私には何とも言えませんが、宗教は尊いがその分面倒でもあるな。
トリビア:イタリアには内務省管轄の警察(polizia)国防省管轄と警察軍(carabinieri)が併存しているそうだ。
彩りで、Young Popeのギフを下に(笑
書き忘れたことを一つ
ベネディクト16世が選ばれたときの対抗馬(って変な言い方だが)が現法王フランシスコだったんだって。ネットフリックスのThe Two Popesって割と現実に沿ってるんだな。ということでギフを一つ(笑
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