#タテマエ
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moko1590m · 7 months ago
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偉そうな人の話ほど、「話半分に」聞くことが大事
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samantha-dan564 · 8 days ago
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たとえば電装を選ぶとき
架空鉄道で電装を選ぶとき、どんなことを考えたらいいのかな?
長いよ?
自分が架空鉄道を設定するとき、どのような車両スペックにするのかってあまり考えたことがないんですよ
たとえば「平均駅間距離1km程度の都市近郊平坦線に20m級8両つなぎ」が今回選定する路線だったら
モータ出力:190kw×4/1C4M/4M4T
車両質量:27.5t(T)~34t(M)
ギアリング:98:15=6.53
速度:定加速領域終端までの加速力3.0km/h/s、最高速度110km/h
自然にこう決まっていくわけですよ。理由なんて特にない。駅間1kmの平坦線ならこんな感じで落ち着くと思うんですよ。そんでここから取引銀行と取引企業が地縁で決まり、車両メーカーも自然と決まる感じなんですね。だから「なぜこれを選択したのか」と言われる理由を考えるのが意外と難しかったりします
まずモータは現代の電車だったら、140kw・165kw・190kwの中から選びます。これが標準車両が選択できるモータのすべてです。性能はどれも変わりません。マジで変わりません140kwだろうが190kwだろうが、ピークがどこにあるかの差でしかありません。モータの定格回転数は1,890rpmがベース。もともと「標準型車両のガイドライン」を決める際に「大は小を兼ねる」という思想から回転数を必要より高めにとっているので、ほとんどの路線ではこれで間に合います。しかしあえて高速性能を欲しているなら2,400rpm、山岳線なら1,600rpm前後に動かしてもいいですし、それが路線の特性をデフォルメして伝える役割を果たします
とりあえず出力は無難に190kw/1,890rpmを選んでおけばいいと思います。140kwを選ぶ理由はJR東日本並みに大量に車両を購入するケース。モータ出力が低い=価格が安いという「タテマエ」をアピールする以上の理由は現代のインダクションモータにはありません。なので民鉄で140kwを選ぶ理由はありません
165kwは駅間距離が少々長い路線なら選択肢に入ります。要するに190kwよりも流れる電流を抑えているわけですから、駅間距離2km前後、加速力はそこそこ、最高速度が110km/h程度を想定した事業者が選ぶモータと言えるでしょう。たとえば定加速領域終端までの加速力2.5km/h/s、最高速度110km/h、ギアリング6.53とかなら165kwモータはいい選択肢になります
それ以外は全部190kwでいいんじゃないでしょうか。細かい走行パターンはINVからの出力電流とギアリングで決めるわけですから
コントも2両つなぎ以外は1C4Mでいいと思います。これ以外の結線を選ぶ理由は本当に特別な路線や輸送事情でないと出てこないと思います
そんな数少ない例外が2両つなぎです。2両つなぎで1M1Tとする場合、1C4Mだと1コントになってしまい、コント不動時に動けなくなってしまいます。なので2両つなぎに限っては1C2M×2コントや個別制御といった選択肢も出てくるでしょう
コントの選択に関してはいろいろありますので、また機会があったら書いてみたいと思います
つぎはMT比。これも1:1以外を選ぶ理由はあまりないと思います。新幹線や阪神の普通車みたいに粘着をしっかりとって高加速をバチクソ嚙ます以外にMT比を高める理由は現代のインバータ電車においてあまりあり得ません。逆にここをいじることで明確に「ちょっとヤバ目な路線」を演出できます。ターミナルを出たらいきなり急勾配の山岳通勤鉄道なら、ここのセッティングを存分にいじりましょう。例えばそんな山岳鉄道で8両つなぎなら
モータ出力:125kw×4/1C1M/6M2T
車両質量:27.5t(T)~34t(M)
ギアリング:99:14=7.07
速度:定加速領域終端までの加速力4.0km/h/s、最高速度100km/h
となりましょう。ギアリングについては1C1Mならもう一段深く取って100:13=7.69なんてのもありかもしれませんが、山岳線だと空転リスクが大きくなるかな?
次が車両質量ですが、これは20m級ならTが27t前後、Mが34t前後でいいと思います。これよりあえて重くする理由は何か付帯設備を乗っけたときですかね。ハイブリッド車とか蓄電池車なんかだと40tくらいまで重くなります
この場合の対処はギアリングを深く取ることです。たとえばHB-E210なんかは質量39.6tとかになったうえにハイブリッドで電流ブーストが効かないためモータも95kw程度が精いっぱいということから、ギアリングは99:14=7.07になってます
また、高速性能に秀でた車を演出するならこの部分を軽くすることは必須ですね
最後がギアリングか
ギアリングは現代の通勤電車なら99:14=7.07/98:15=6.53/97:16=6.06の3つの中から選べばいいと思います。標準車両のガイドラインではこの3種類の中から選択しろ、となってますしね
ギアリングは浅くなればなるほど高速性能重視、深くなればなるほど加速性能重視です。名鉄なんかは60km/hくらいの中間加速を重視しているため、標準的ギアリングの6.06からさらに一段浅い96:17=5.65を選択していますし。東京メトロ03系は低速での再加速重視で109:14=7.79などというとんでもなく深いギアリングを採用していました。空転大丈夫だったのかなあ…
このギアリングもその鉄道会社のポリシーを明確に描き出します。ギアリングが浅いということは駅間距離が長いもしくはノンストップ区間が長い優等列車でかつ勾配が少ない路線を意味しますし、ギアリングが深ければカーブや勾配という輸送上の隘路を何となく示唆します
一方で駅間距離が短いのに例えばギアリングが6.06だったりすると、(ギアリングが浅いと起動時に電流を食うので)この路線は饋電設備がしっかりしているという演出になります
…たったこれだけのことになんかずいぶん長くなってしまったな。架空鉄道の足回りについて説明しきれるのか?
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leomacgivena · 9 months ago
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タテマエや理想論は大事だぞー。少なくとも「法は守ります」の立ち位置はね。
Xユーザーの山猫だぶ㌠さん
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whatwouldyougrabtomorrow · 1 year ago
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平成31年度東京大学学部入学式 祝辞 | 東京大学
ご入学おめでとうございます。あなたたちは激烈な競争を勝ち抜いてこの場に来ることができました。
女子学生の置かれている現実
その選抜試験が公正なものであることをあなたたちは疑っておられないと思います。もし不公正であれば、怒りが湧くでしょう。が、しかし、昨年、東京医科大不正入試問題が発覚し、女子学生と浪人生に差別があることが判明しました。文科省が全国81の医科大・医学部の全数調査を実施したところ、女子学生の入りにくさ、すなわち女子学生の合格率に対する男子学生の合格率は平均1.2倍と出ました。問題の東医大は1.29、最高が順天堂大の1.67、上位には昭和大、日本大、慶応大などの私学が並んでいます。1.0よりも低い、すなわち女子学生の方が入りやすい大学には鳥取大、島根大、徳島大、弘前大などの地方国立大医学部が並んでいます。ちなみに東京大学理科3類は1.03、平均よりは低いですが1.0よりは高い、この数字をどう読み解けばよいでしょうか。統計は大事です、それをもとに考察が成り立つのですから。
女子学生が男子学生より合格しにくいのは、男子受験生の成績の方がよいからでしょうか?全国医学部調査結果を公表した文科省の担当者が、こんなコメントを述べています。「男子優位の学部、学科は他に見当たらず、理工系も文系も女子が優位な場合が多い」。ということは、医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、なんらかの説明が要ることを意味します。
事実、各種のデータが、女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高いことを証明しています。まず第1に女子学生は浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります。第2に東京大学入学者の女性比率は長期にわたって「2割の壁」を越えません。今年度に至っては18.1%と前年度を下回りました。統計的には偏差値の正規分布に男女差はありませんから、男子学生以上に優秀な女子学生が東大を受験していることになります。第3に、4年制大学進学率そのものに性別によるギャップがあります。2016年度の学校基本調査によれば4年制大学進学率は男子55.6%、女子48.2%と7ポイントもの差があります。この差は成績の差ではありません。「息子は大学まで、娘は短大まで」でよいと考える親の性差別の結果です。
最近ノーベル平和賞受賞者のマララ・ユスフザイさんが日本を訪れて「女子教育」の必要性を訴えました。それはパキスタンにとっては重要だが、日本には無関係でしょうか。「どうせ女の子だし」「しょせん女の子だから」と水をかけ、足を引っ張ることを、aspirationのcooling downすなわち意欲の冷却効果と言います。マララさんのお父さんは、「どうやって娘を育てたか」と訊かれて、「娘の翼を折らないようにしてきた」と答えました。そのとおり、多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきたのです。
そうやって東大に頑張って進学した男女学生を待っているのは、どんな環境でしょうか。他大学との合コン(合同コンパ)で東大の男子学生はもてます。東大の女子学生からはこんな話を聞きました。「キミ、どこの大学?」と訊かれたら、「東京、の、大学...」と答えるのだそうです。なぜかといえば「東大」といえば、退かれるから、だそうです。なぜ男子学生は東大生であることに誇りが持てるのに、女子学生は答えに躊躇するのでしょうか。なぜなら、男性の価値と成績のよさは一致しているのに、女性の価値と成績のよさとのあいだには、ねじれがあるからです。女子は子どものときから「かわいい」ことを期待されます。ところで「かわいい」とはどんな価値でしょうか?愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手を絶対におびやかさないという保証が含まれています。だから女子は、自分が成績がいいことや、東大生であることを隠そうとするのです。
東大工学部と大学院の男子学生5人が、私大の女子学生を集団で性的に凌辱した事件がありました。加害者の男子学生は3人が退学、2人が停学処分を受けました。この事件をモデルにして姫野カオルコさんという作家が『彼女は頭が悪いから』という小説を書き、昨年それをテーマに学内でシンポジウムが開かれました。「彼女は頭が悪いから」というのは、取り調べの過程で、実際に加害者の男子学生が口にしたコトバだそうです。この作品を読めば、東大の男子学生が社会からどんな目で見られているかがわかります。
東大には今でも東大女子が実質的に入れず、他大学の女子のみに参加を認める男子サークルがあると聞きました。わたしが学生だった半世紀前にも同じようなサークルがありました。それが半世紀後の今日も続いているとは驚きです。この3月に東京大学男女共同参画担当理事・副学長名で、女子学生排除は「東大憲章」が唱える平等の理念に反すると警告を発しました。
これまであなたたちが過ごしてきた学校は、タテマエ平等の社会でした。偏差値競争に男女別はありません。ですが、大学に入る時点ですでに隠れた性差別が始まっています。社会に出れば、もっとあからさまな性差別が横行しています。東京大学もまた、残念ながらその例のひとつです。
学部においておよそ20%の女子学生比率は、大学院になると修士課程で25%、博士課程で30.7%になります。その先、研究職となると、助教の女性比率は18.2、准教授で11.6、教授職で7.8%と低下します。これは国会議員の女性比率より低い数字です。女性学部長・研究科長は15人のうち1人、歴代総長には女性はいません。
女性学のパイオニアとして
こういうことを研究する学問が40年前に生まれました。女性学という学問です。のちにジェンダー研究と呼ばれるようになりました。私が学生だったころ、女性学という学問はこの世にありませんでした。なかったから、作りました。女性学は大学の外で生まれて、大学の中に参入しました。4半世紀前、私が東京大学に赴任したとき、私は文学部で3人目の女性教員でした。そして女性学を教壇で教える立場に立ちました。女性学を始めてみたら、世の中は解かれていない謎だらけでした。どうして男は仕事で女は家事、って決まっているの?主婦ってなあに、何する人?ナプキンやタンポンがなかった時代には、月経用品は何を使っていたの?日本の歴史に同性愛者はいたの?...誰も調べたことがなかったから、先行研究というものがありません。ですから何をやってもその分野のパイオニア、第1人者になれたのです。今日東京大学では、主婦の研究でも、少女マンガの研究でもセクシュアリティの研究でも学位がとれますが、それは私たちが新しい分野に取り組んで、闘ってきたからです。そして私を突き動かしてきたのは、あくことなき好奇心と、社会の不公正に対する怒りでした。
学問にもベンチャーがあります。衰退していく学問に対して、あたらしく勃興していく学問があります。女性学はベンチャーでした。女性学にかぎらず、環境学、情報学、障害学などさまざまな新しい分野が生まれました。時代の変化がそれを求めたからです。
変化と多様性に拓かれた大学
言っておきますが、東京大学は変化と多様性に拓かれた大学です。わたしのような者を採用し、この場に立たせたことがその証です。東大には、在日韓国人教授、姜尚中さんも、高卒の教授、安藤忠雄さんもいました。また盲ろう二重の障害者である教授、福島智さんもいらっしゃいます。
あなたたちは選抜されてここに来ました。東大生ひとりあたりにかかる国費負担は年間500万円と言われています。これから4年間すばらしい教育学習環境があなたたちを待っています。そのすばらしさは、ここで教えた経験のある私が請け合います。
あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。
あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。
東京大学で学ぶ価値
あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。これまであなた方は正解のある知を求めてきました。これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。学内に多様性がなぜ必要かと言えば、新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれるからです。学内にとどまる必要はありません。東大には海外留学や国際交流、国内の地域課題の解決に関わる活動をサポートする仕組みもあります。未知を求めて、よその世界にも飛び出してください。異文化を怖れる必要はありません。人間が生きているところでなら、どこでも生きていけます。あなた方には、東大ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい。大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。ようこそ、東京大学へ。
 
平成31年4月12日
認定NPO法人 ウィメンズ アクション ネットワーク理事長
上野 千鶴子
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reportsofawartime · 1 year ago
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島本さんの需要引き締め政策は海外なら難民受け入れとかかなと考えてたんだが、インフレ抑えてたら金が刷れる。で景気は悪くても有価の紙切れはバブルになる。とはいえ刷りに刷った金が回り巡ってインフレが始まってしまった。まあ景気テコ入れインフレを起こすために金を刷ってるタテマエなのに、いつのまにか金を刷るために景気悪くしてるのも滑稽な話ではある。で金を刷ったら決済してもらう実物の確保に資源国を壊しに行くという…。
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brygry · 7 months ago
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しかし、そうやって民主主義政体がうまく回っていた時にも、本当の本当に全員参加でやっていたわけではなく、物言えぬ人(サバルタン)が存在していたのではなかったか。高額納税者だけに選挙権があった時代はもちろん、普通選挙制が導入されてからも投票しない人/できない人はいたし、選挙活動ができる人は限られていた。それだけではない。民意を問うプロセスにはマスメディアが関わり、これが制御弁のような役割を果たしていた。マスメディアという制御弁が民主主義政体を安定させる効果があったのは、たぶんそうだろう。しかしマスメディアという制御弁が機能する民主主義政体において、マスメディアはまさに第四の権力で、統治の片棒をも担っていて、民意は、マスメディアの提示する疑問文に基づいて問われなければならなかった。ちょっと前の時代の選挙とは、そういう、マスメディアからの影響が現在よりもずっと強く、マスメディアが問題提起能力の大きな割合を占めている選挙だった。   そうした過去と比較すると、昨今の選挙はもっと草の根っぽさがあり、ひとりひとりが投票や選挙活動に参加できて、(インターネットの仕組みのおかげで)参加している手ごたえを感じやすいものだった。それで投票率が上がり、選挙活動が盛んになり、民意がダイレクトに選挙結果に反映されるとしたら……民主主義の理念に基づいて考えれば結構なことである。しかしもし、従来の民主主義の正体が「本当の本当に全員参加するとぶっ壊れてしまう政治体制や統治様式」だったとしたら……その理念は間違っていたか、理念はあくまでタテマエでしかなく、本音としては投票する者も選挙活動する者も限定されているぐらいがちょうど良かったと疑わざるを得ない。
インターネットで民主主義が加速して良かったですね - シロクマの屑籠
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ura-samantha · 8 months ago
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今日のmaimai
『B.B.K.K.B.K.K.』赤と『タテマエと本心の大乱闘』紫S+/S抜け
『B.B.K.K.B.K.K.』はリズムさえ取れればそう難しくはない譜面だったので2プレイ目でS+へ食い込めた。でもMISS1…
『タテマエと本心の大乱闘』は終始ワチャワチャして大乱闘状態の手の動きでなんとかクリアって感じ。MISS13がそのワチャワチャぶりを物語ってる
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それでも12回か…
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kennak · 10 months ago
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本部との路線対立はあっても特に非行がない人を解雇するのはどう考えてもおかしい。労働者を守る党のタテマエすら捨てる行為でこれは納得できないよ。応援したい。
[B! 共産党] 日本共産党を除籍・解雇されました - かみや貴行のブログ 1%でなく99%のための福岡市政を
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kijitora3 · 10 months ago
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ホンネとタテマエは日本人だけぇ~とか言ってる阿呆は、欧米人のいい層の生まれの連中の人種、宗教、文化の捉え方を考えましょう
完全に口先は演技で、奴らのホンネは地球上には欧米系の白人ときれいな自然と文句言わない有色人種の奴隷だけがいればいいのにってことだから それを大手振って言えなくなったんで、環境とか温室効果ガスとか動物愛護って言ってるだけだから 代替品として
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moko1590m · 7 months ago
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左翼がいかに残酷な仕打ちを続けようとしてきたか、また明らかに
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22centuryworks · 2 years ago
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20231013@Forum Sendai
PIANO
覚悟が違うんです。こんな苦しい舞台挨拶も初めてです。出演者の覚悟もあるし、スタッフ1人ひとりが真摯に向き合い、みんなで作り上げた映画なので熱気が違う。誰も手を出していないところに踏み込んでいったので、結果的にまったく新しい映画になったという自負があります。(石井裕也)
石井裕也監督「月」という映画は、キネマ旬報の最新号に原一男監督が不満?ともとれる批評を寄稿しているが、それはよく判る気がする。宮沢りえ・オダギリジョーをとおして、障害者は「いのち」であり「言葉」であると主張されているが、それを映画は裏切りつづける仕様になっている。障害者の内面を描こうというコミットメントは存在しない。これは原一男監督のアプローチと真逆である。
私がこの映画から受け取ったのはこういうコトである。プロ野球の観戦にいくと必ず応援席の方を向く形で、指揮者のように「雇われ応援団長」が旗を振ってマイクパフォーマンスを行っている。この存在が石井裕也監督だ。客席にいるヒトはかれがいなくても応援するし、グラウンドに立つプレーヤーもかれがいなくても試合をつづけるだろう。かれは試合をみているようでみていないし、客席に寄り添っているようで寄り添わない。勝っても負けても「明日もまた応援よろしくお願いしまーす!イエーイ!」みたいなコトを言って去っていく(これは脚本・演出についての話ではない)。
それはプロ野球のような興行とはかけ離れた殺伐としたモノである。この社会では誰もが不景気で、ある部分が欠損して破綻した存在であるという前提では、プレーヤー(磯村勇斗・二階堂ふみ)は客席(宮沢りえ・オダギリジョー)に「お前らは嘘つきで何もしない」と言うしかないし、客席はプレーヤーに「私はあなたたちを守っている。付��合っている。言葉で支えている。同じ目線にいる」と声をかけつづけるしかない。
この映画で問題になるのは、双方がなぜか出生時から、客席に行くか、グラウンドに行くかを決められてしまっているコトである。双方は客席とグラウンドを行き来しているようで、じつは行き来していない、というのが、この映画の傑出した主張である。石井監督はその間に入って、指揮のようなコトをしている。原一男監督のアプローチと真逆だ。
すべての「いのち」が祝福されているという前提を覆し、また嘘やタテマエ、つまり「言葉」がなければ平和や日常は訪れないというフィクションを徹底的に覆す。この映画は、客席とグラウンドの間に立つ、その「ヒト」の力量によって、輝いたり、色褪せたりするのが人類だと語っているようだ。私はこれを文学への信仰ととった。「月」という映画は石井裕也氏の原型的なモノが強く出ている。かれにとって映画は、21世紀に打ち捨てられた人びとの殺伐として、ありふれた人形劇であり、また、その人形の影で、世界全体を召還しようという試みであるコトははっきりしている。客席にいる者はひたむきさを懸命に装い、グラウンドに立つ者は客席に行きたければ「超越」を目指すしかなくなるというような、その棲み分けは厳密に行われていたのだ。だから宮沢りえ・オダギリジョーが小さな夢を叶えてもなお、磯村勇斗・二階堂ふみが最後、障害者らに手を掛けるのは合理性がある。
石井裕也氏の著書「映画演出・個人的研究課題」を読むと、石井氏本人は完全にグラウンド側の人間なのではないだろうか?と思ってしまう。かれは奇天烈な人物である。そして、客席にいるのは常に、幼少時に死別した母親の姿なのだろう。映画監督としてのかれはその間にいて、常に引き裂かれている。それがかれのユーモアである。「月」の主要人物4人は、私がいままでみたどの4人よりも説得性を帯び、テンションが高かった。それがかれの文学の力なのではないだろうか。
gendai.media/articles/-/117512 117515
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nemosynth · 2 years ago
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9.11 / 22
22 years from 9.11
おはようございます。 皆さん、さまざまに当時のことを教えてくれておおきにです。
理解しあえなくとも共存できる。 理解しあえなくとも協力できることすらある。
多様性は人の悲劇と可能性。 Diversity is people’s both tragedy and possibility. 
♬  ♬  ♬
ハリウッドをしのぐ映像を見たのですから、非現実感しかないですよね。 だからこそちょっとでもその渦中にいた人にとっては、ガチでありえないことだらけでした。それほんま?がほんまという連続。
正義は国によって民族によって違います。正義は教育によって刷り込まれるからです。それをあえて異化して客体化して眺めるのは勇気がいります。自己の存在基盤とか依拠してた当たり前のものが崩落するからね。僕でも限度あります。
僕がするのは、体力あるときに一所懸命に見聞きして考えて、体力がなくなったら離れて休んで、その繰り返し。
テロリストやロシアの言い分を聞く時、その背景を知ることでそこに至った経緯やメカニズムを理解することは大切です。そして、理解はすれど受け入れるかどうかは別。っていうか受け入れてしまうとただの無批判。
世界の警察アメリカといえど、ひとつのnation stateに過ぎないのであって、united nationではない。 その自負心と仕様上の限界とを知るとき、アフガンとかアルカイダとかイラクとかISILとかみたいな難しい問題が隙間から出てきますね。同じ構造、同じような問題が多分これから中国やインドやもっとそれ以外のさまざまな国々からも出てくるのでしょう。
私が子供のころ住んでた米西部は、ほんとうに理想郷のような平和で自由な空間でした。
「そうか、君には太陽が緑に見えたからそう描いたのか。Good job!」 小学校のお絵かきでお日様を緑に描いたら褒められるのです。どんな色でも良いのです。
皆が描いた絵は「その色にその色ぶつけるかー!?」という奇想天外な色使いとむっちゃへたくな形とで、みんながちっちゃなアンディ・ウォーホールでした。ありえんすぎて言葉を失いました。これが、自由というものなのだと知った十歳です。正面衝突するような勢いで知ったのです。
うちの子自慢大会。 ガキ大将の親でも「うちの子は積極的♪」て鼻高々。 うちの子なんてほほほほ等と謙遜しようものなら、親からもバカにされるとはどんだけひどい子なのか、とあきれられます。 自己肯定感しか育ちません。 子供らは、いっつも我先に「自分はこうしたい!」と口々に言います。 先生からも「お前はどうしたいねん?」って常に問われます。
日本みたいに、センセが欲する答を生徒の口から無理くり言わせるなんてありえません。誰が何と言おうとまず最初に自分がしたいことを明らかにし続ける。その楽しさから出発して、それが利害衝突したらその時に話し合って考える。忖度なんて概念すらありません。
センセが欲する答を言わされてるうちにセンセに忖度するようになり、それがうまいやつが学級委員になり、不器用でへたなやつがグレて、ホンネとタテマエとが乖離し、せっかく良いことを言ってても良い子ちゃんのタテマエだとみなされ、議論が育たない。
そんな極東の忖度列島とは根本的に違いすぎてて、それもまた正面衝突するような勢いで思い知らされるわけ。
桁違いの創造性の自由と豊かさを。
でもそれは、強大な核兵器に守られた武装平和だからこそ可能な大陸深部の楽園なのだと言われたら、私には返す言葉がないです。
そうかもしれないけど、その楽園で体得した実感を周りに広めて武装なき平和が少しでも広まればいいと思うのみです。
出張で行った人生初のNYCで珍しく時間が余った時、一緒にいた米人同僚と私とでタクシーに乗り込みながら   米人同僚「ヘイ、ネモ、どっか二時間ほどサイトシーイングしよっか。どこ行きたい?」   私「......Ground Zero.」   米人同僚、まじかよって顔になって運ちゃんに「Ground Zero.」 そのとき撮った写真を添付します。事件から3年後の2004年のことでした。しかも僕の誕生日。
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理解できなくとも共存はできる。 理解できなくとも協力できることすらある。
この一番身近な例は夫婦かもね笑♪
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kijitora3 · 9 months ago
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社交辞令でこれだから、日本人含めてアジア人死ねキモイがホンネ
欧州人とは基本的にタテマエだけでお付き合いするのが精一杯だと思ってる
ヨーロッパで言われた信じられない言葉ランキング1位
「基本的にアジア人は見下してるけど、日本だけは別よ。日本は素晴らしい国だわ」
しかも、言ってる側良いこと言ったと思ってるのがグロい
https://x.com/kei_europe_tw/status/1838491561115684892?s=46&t=XBYGx0NYt69itB5p-cHcLg
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reportsofawartime · 17 days ago
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相変わらず教条的にマウント取りたがるねえ、前言語的と言っても身体の話だとは限らない、視覚もあるじゃん鏡像段階の話忘れたの?聞き足りないことがあるにしてもレトリックとしては許容範囲だろうさ。それと久しぶりに党紛いを求める発作だね。
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fuminaga · 3 years ago
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翻って日本の女性アイドル文化は、大人になりきらない「少女」だからこそパフォーマンスの質がおろそかにされることを良しとしてきた。それは1970年代に始まったオーディション番組『スター誕生!』の際、審査員を務めた作詞家の阿久悠がすでに明示していたことでもある。「つまらない上手より、面白い下手を選びましょう」と(阿久悠『夢を食った男たち』(1993→2007年)。
AKB48「恋愛禁止」ルールのタテマエと実態─女性アイドル文化の制度疲労を引き起こす古いジェンダー観(松谷創一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース
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pixiewired · 3 years ago
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ま、気にしても仕方が無いです。
抜き取り検査でタテマエ上の基準値を越えたモノはチャンと弾かれているし、ヒトってのは太古の昔から色々と汚染されたり腐ったりしたものを何でも喰って生き残って来たのだからね。
だから大丈夫です、たぶんね。
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