#凡庸が良い
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普通まとも常識的一般的
通常であることに価値がある場合もある。
危なくない、という選択基準で選びたい関係がある。
だけど
普通まとも常識的一般的 って
どれもイマイチ褒め言葉じゃない。
危険はない、他害はない、法律を守る
ノーマル、異常なし…
どれも褒め言葉じゃない。
ちょうど良い褒め言葉があった方がいいんじゃないかなと
思う今日この頃です。
#凡庸が良い#時もある#友だちとか#知り合いとか#凡庸って#言い方じゃね#褒め言葉#ちょうど良いもの#ないかな#日記のようなもの#人間#コミュニティ#コミュニケーション#一般的#普通#ノーマル#害がない#そんな人#もっとほめられても#良いのかもね
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50代で急に性格が悪くなり悪相になる人はとても多いです。これは良い悪いの問題ではなく凡庸だったということで、60代以降、いわゆる老害になります。早い人は40代でこうなります。30代の優秀さでは人を判断できない理由です。優秀さも無知からくるマグレかもしれない。
Xユーザーのオッカムさん
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ジブラが肉をやめた話、興味深い。肉を食べるのやめて良かったことは「イライラしなくなった」だって。えええ。イライラの感情が消えたのは良いことなの?ラッパーはイライラしてなんぼやろ。イライラしてギラギラしてラップしてリリック書いてなんぼやろ。
人類はしばしば〝怒り〟の感情をネガティブなものとして扱いがちだ。でもはたして本当にそうなのかな?僕は思うよ、心の底から出た感情ならどんな歪な感情だって愛おしいと。矛盾してたって傷つけたっていい。それに僕、何気に怒ってる人好きなんだよね。人間っぽいじゃん。逆に尖った感情を無にして何でも丸くおさめようとして、一体それの何が魅力なんだろう。そんなヒップホップのリリックのどこが刺さるというのだろう。そんなものただの凡庸じゃないか。
さっ、やっぱ魚と野菜ばっか食ってねーで肉食お、肉。
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やっぱり栞は付箋じゃないと
超遅読なので、普通のしおりは不便に感じることが多い。なぜならしおりは、どこそこのページまでは読んだとか、ページ単位での目印にしかならないからだ。
しかしオレの場合、1ページすらも読めない場合がとても多い。例えばこのページの5行目をまでは読んだので6行目を目印にしたいとか、10行目の7文字目までは読んだので8文字目をを目印にしたいとか、そういう場合に通常のしおりは対応するのは難しい。
��初はしおりを挟む位置を狙った行にピッタリ合わせる等の工夫で凌いでいたが、衝撃でズレる場合も有り結局は安定して張れる付箋をしおり代わりに使っている。
余談だが、遅読をどうにかしようとは思っていない。速読する人は、自分の解釈したいようにしか情報を捉えていない傾向が強い。オレは自分の情報処理能力の限界を超ても構わないので、��ての情報を解釈を後回しにしてありのまま捉えたいと思っている。
そこが多分自分の良い点だと思うし、他人に合わせて凡庸な物事の受け止め方をしたくない。また凡庸な見解など他に幾らでも有るのだから、それを敢えて提供する意義も余り無いと思う。
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県警は警視庁の指示に従い、警視庁は官邸に従います。米軍関係者の犯罪を隠蔽して対策を妨害するのは公共の福祉に反します。公共の福祉に反することを指示するのは、すなわち争点を作りたくない自民党による選挙運動にすぎません。機密費の選挙利用と同じ、立派な汚職です。 日本にはこうした隠蔽すら「オカミの都合」とか「大きな目的のためにはしょうがない」と捉える人が多いですが、それは民主制の市民が取るべき態度ではありません。民主制(democracyの訳語として民主「主義」というのは実態を反映していないので制度としての民主「制」という言葉を使っています)とは市民が制度の建て付けを引き受けるものです。すべてを自分で知った上で自分で判断することを妨げられたら怒らねばなりません。代議員を選んだら全部お任せではないのです。 沖縄県警の職員がこうした不正をリークしなかったのも大きな問題です。これも、「内部統制が効いている」、のように肯定的に捉える人がいるようですが、まったくそうではありません。公共の福祉と組織の都合がバッティングした時には公共の福祉にそう必要があります。組織の都合に従う態度は、ナチスのホロコーストを支えた「凡庸な悪」です。 組織の都合とはその組織を制御する誰か個人の都合であって、集団に人格を見るのは典型的な大脳のバイアスです。公共の福祉と衝突すると判断できるなら、本来は迷うところですらありません。 個人は究極的に自らの良心にのみ従うしかありません。そうでなければあなたも簡単に悪人になります。 日本文化では、組織の都合を自動化・内面化することで、反射的に・いつの間にか、この凡庸な悪に染まる人が非常に多いです。そして後で苦しみます。 自業自得といえばそうなんだけど、そうやって責任を個人に帰していると、これを強制する文化が存在することの悪を見逃してしまいます。制度を自分たちで変えていく必要があります。
壊れた社会システムは自分で直すのが民主制の前提です - はてなの鴨澤
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【日記】
決まった居場所もつるむ仲間も要らないし、華やかなスポットライトも受賞も求めていない。まして画像しか見ない人の暇つぶしのいいね数なんかどうだっていい。取扱先がただ増えればいいわけではないし、ぽんぽん売れさえすりゃいいわけでもない。 ただ、これだけは求めているのは、できてくる作品を真剣に見て対話してくれる人。属性でも経歴でも情報でもなく、とにかく作品を (展覧会に足を運び続けてくださる数少ない方は、結局みなそういう方だ)。そして当然ながら、作品が決して損ねられないこと。 あとは制作を持続できる環境。これは自分の努力で維持していくしかない。
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Facebookにたまたま流れてきた、或るベテラン美術家の方の投稿に、作品を売って生きていくことの難しさ(受ける誤解のことも)が吐露されていて、色々うなずいたり考えたりしてしまった。 私の場合、とても生業にはなっていないけど、それでも、継続的に作品を制作し、ギャラリーで発表し売っているので、そこには作り手の責任も発生するし、手を抜くことなどなく、れっきとした仕事だと思っている。どんな生活をしていても、プライドを持って作品を作り続け売り続けている人はみなプロの作家だ。制作も継続も楽じゃない。でもつくることはいろんな意味で大事な、価値あることだと私は思っているので、どうにかして周囲の理解や協力も得ながら続けている。コラージュからは20年、木口木版からは15年かな。生活の変化でペースダウンしたり、思うように発表の場を得られなかったり、身を粉にして作った作品が損ねられたり、つらい思いをしたことも度々あるけど、幸いつくることが途切れたことはない。
以前、ギャラリーの個展で作品を買ってくれた友人が、自分の出した代金の半分(場合によってはそれ以上)が、ギャラリーに入ると知って、そんなに取られるのか?と驚いていた。友人の反応にかんしては、私がまだ初期の頃、スペースを借りて自主企画展をしていたのを知っているという経緯もある。友人から見れば、どこでやっていようが個展は個展なのだ。 でも、ギャラリーが、アート作品は大切なものとして価値をつけ、対話の場を設け、かつ販売するお店であることを知らない人は意外と多いのかもしれない。価値を受け止め買ってくださる方がいるから、ギャラリーも持続していけるし、作家は多かれ少なかれ、また次作に向けた活動ができるのだけど、ギャラリーって美術館なの?レンタルスペースなの?なんなの?と聞かれることは今もあるし、ただで見せてもらうのは申し訳ないからと言��て、わざわざ高価なお菓子やお花を持ってきてくれる方もたまにいる(お気持ちはもちろん嬉しいけども、作品をしかと見てくださることが肝要で、そういうお気遣いは無用なのです。もし気に入ったものがあればそちらにお金は使って頂きたいし。) 私は自身が作る人になったのでたまたま知ったけど、作る人になっていなかったら、ギャラリーのことを知れる機会ってなかったかもしれない。
個展で何度もお世話になっている某ギャラリーの方は、"売り上げは半々。でも作家さんは作るだけ。展示やPRや販売はこちらに任せてください" とキッパリだった。自主企画から始まった私としては、急に価格を上げることもできず、正直当初は、5割しか入らないのはきついと思った。でも、自主活動では限界があることも重々感じていたので、こんなまだ売れていない安い作家をリスク承知で企画くださるのだから、それだけでもありがたいと思わなきゃ、という気持ちでもいた。けど今は、安心してお任せできるギャラリーならば、この配分は納得できる。 作家はつくるという領分に、ギャラリーは伝え届ける(かつ作品と作家を守る)という領分に、それぞれプライドと責任を持って全力で取り組むのだから。
でも、作家が作品を作るだけでは済まないようなギャラリーや(たとえば、DM制作費など開催費用が要ったり、作家さんの好きなようにしていいからと、撮影、宣伝、展示、接客など大方の仕事を作家にまかせ、それをネットでシェアするだけ、あとは販売事務くらいしかしないようなところ)、安心して委ねられないようなギャラリー(扱いや展示や発信が雑で、作品が損ねられるなど。はさすがに論外か;)の場合は、売れて5割はギャラリーの領分としては取りすぎだと思う。 作家に3割以下しか入らない所もあると聞く。それ相応の理由があるのだろうけど、よほど高額で売れなくては作家はとても活動を持続できないだろうし、これだけ聞くと、もはや信頼関係ではなく、上下関係や搾取だと感じてしまう。数字云々よりも、要は個別の信頼関係なのかな。
そのスピードについてゆけていないけど、今や、SNSなどで作家が自己発信し、よかれあしかれ、直にファンもつき得る時代。ギャラリーを介した仕事の仕方も変化を求められ、改めて手探り期に入っているのかもしれない。作家たちはとにかく作り続けているけれど、作品に真剣に対面してくれる方と出会い続けていくにはどうしたら良いのか、少なくとも私はいつも暗中模索で、はっきりしたアテはなく、また、色んなリスクに怯えて身動きが取れないことも多々ある。ただ、私は、幸か不幸か、こちらからガツガツ動いてうまく行った試しがなく、むしろ予期せぬところからやってきた出会いによって動かされて来た部分が大きい気がする。でも何もしなければそれもない。だから焦ったり、時には無理をしたりする。なんと無駄の多いことか。 "貧乏になるかもしれないけど、これは良いものだから、続けて" と、背中を押してくださった方もいた。本当に、着々と貧乏になり続けている苦笑。色々簡単じゃないけど、25歳頃ようやく、作品をつくることに開眼?して以来、これはきっと良いものに違いない、やめてはいけないと、根拠なき自信だけは失うことなく(一時的になくすことはありますが;)、好捕手がどこかにいてくれると信じて、どうにか投げ続けている。そんな実情だ。
と、無知を承知で長々偉そうに書いたけど、概ねは、日常の諸々にまみれ、流されそうになりながら、笑ったり怒ったりして凡庸に暮らしている人間です。本当に。でも不思議と、そんな隙間から作品が生まれてくる。
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九月はあっという間に過ぎていった。彼岸花の最盛期を見逃す。夏の間は休止していた近くのトマト農園の直売がまた始まった。台風がウヨウヨしていてまだ湿気はあるけど、夕方はずいぶん涼しくなり、空気が少しずつ落ち着いてきている。街灯が寂しげに灯り始める頃、近所を歩けば、みんな家にいて、ご飯やお風呂の匂い、テレビの音が漏れてくる。そういうのがどこかもの哀しくもあり、愛おしくも思える。
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2024年6月1日土曜日
病院の待合室にて19
くちずさむ歌はなんだい?思い出すことはなんだい?(1)
「5/18(土)の午後か5/19(日)って空いてますか?徳島行ったら会えるなら安倍さんに会いたいです!」
「Tです」
Tくんからショートメールが来たのは4月の19日だった。彼と最後に会ったのは2018年に挙げられた彼の結婚式だったから、もう6年振りになる。その間一回だけ私が酔っ払って電話をかけたことがあるのだけど、連絡を取ったのはそれだけ。だから「Tです」とだけ書いてある2通目のショートメールが来たのは、こちらが電話番号を電話帳から消したりしていた場合に「誰だろう…」となるのを予め防ぐための措置だと思うのだが、私はあんまり電話帳をいじったりしないから、大抵、相手が誰かわかっているのである(と言いつつもこないだ前職の会社の人間の電話番号をあらかた消してしまった。理由は、私の兄貴が前職の会社ないしは会社の人間に電話をかけようとしたためです。兄貴というのは私の別人格ではないかと思っているなにかの、便宜上の名前です)。
「空いてるよー 会おうね」
という、私には珍しく窓を全部開け放った日本家屋くらい風通しのよい返事をして、私たちは会うことになった。5月の18日に会って、19日に別れる。18日は私が空港に迎えに行き、��動はそのまま私の軽自動車を使用する。ドライブしたり観光したりして、夜は徳島の歓楽街、栄町とか秋田町とかで飲むので、2人ともビジネスホテルに泊まる。帰りは私が空港まで送る。計画は以上である。前日になってもお互い「明日よろしくね」みたいなメールはしなかった。だって私たちが中学生の時は携帯電話なんて無かったんですよ。そんなもの無くても会えていたし、来なかった時は、なんか会えなかったな、マルサン寄って帰るか、くらいのことにしていたのである。まあでも、前日に軽い挨拶くらいはした方がいいのかもしれない。2人とも今年で40知っとるけのけだし。親しき中にも礼儀みたいなことで。まあいくら後悔したところで、しなかった事実は揺るがないけどさ。
無事に5月18日は訪れたようだったので、私は軽自動車を飛ばして、「踊る阿呆に飛ぶ阿呆、同じ阿呆なら飛びながら踊らにゃ損々、ってそれだと意味変わってきちゃうね」でお馴染みの徳島阿波おどり空港にやって来た。空港に入ると、彼が乗ってくるであろう10時55分着の便が、到着の掲示板に「順調だからたぶん時間通りに着くよ」みたいな情報と共に載っていたのだが、「福岡発」となっている。てっきり東京から来ると思っていたのだけど、それに対しては特になす術もないのでベンチで待っていた。すると中学生の頃から、全く変わっていないシルエットが、全く変わっていない動きと共に現れ、あのいわく言い難い独特な調子でこちらに手を振りながら走ってくるではないか。これはTくんに違いない。T氏来徳である。手には明太せんべいという福岡っぽさと味の間違いなさの最大公約数みたいなお菓子の紙袋を持っており、こちらに渡してくる。「ありがとう!よく来てくれたね!福岡から来たの?」と尋ねると、会社の出張で福岡に行っており、仕事が終わって福岡の親戚の家に泊まり、ついでに徳島に寄ったという。地理にお詳しい皆さんはなんとなくお気づきかも知れませんが、福岡→徳島→東京はあんまついで感のない行程である。しかしそれに気づかなかったことにより再会を果たせたので、本当に良かった。挨拶もそこそこに私の黄色いオンボロ軽四に乗ってもらって、当てもなく出発した。
徳島空港は、住所的には徳島市ではあるものの、その北の端の松茂という場所にあって、そこは私の前職の高知在住の先輩に言わせれば「もうほとんど鳴門」である。だから『くるくる鳴門』に行くことにした。道の駅の。近かったから。めっちゃ混んでた。車が順番に並んで待っているのを見るとさすがに焦る。し��らく並んで警備員の誘導に従って車を停め、中に入り外に出て、車に乗った。めっ混み。やめました。徳島ラーメン食べようね。鳴門病院という名前の、「鳴門になかったら嘘だろそんなのTDLだろ」と言うほかない病院のそばに、『三八』という、気合の入った漫才コンビの全国ツアーのタイトルみたいなラーメン屋があるのを私は知っていたので、そこに行った。
そのラーメン屋に入る頃にはもう、私たちは音楽の話をしていたと思う。私もTくんもかつて音楽をやっていた。人前でライブをしたりしていた。もう12年くらい前のことである。そもそも私とTくんは、静岡県は沼津市という街に住んでいた中学生の頃にバンドを組んでいた。それが高校2年生くらいの時に自然消滅してしまって、Tくんは自分のバンドを組んで音楽をやっていくようになった。私のほうはひとりでやっていこうとして曲を書いたりしていた。ふたりとも進学を表面上の理由にして上京したり。もう遥��昔のことである。私とTくんはバンドを組んだぐらいの頃からほとんど、音楽とそれにまつわる諸々の話しかしたことがない。だから…だから?だからなのかはわからないけど、すぐに音楽の話になってしまう。この日もそうだった。最近何聞いてるの?という話になってしまった。恐ろしい。何年も会っていなくても昨日まで一緒にいたみたいに話ができる友達、そんな凡庸極まりなくて、それでいてかけがえの無い友達がいたんだ、私にも。知らなかった。
Tくんがラーメンに続いてあまりにもスムーズに瓶ビールを注文したのを聞いて私は大笑いしてしまった。ずるい。運転しないからって。コップは二ついりますか?とか聞かないでいいから店員さん。Tくんのお父さんは車を運転する時にあろうことか缶ビールをドリンクホルダーに装填するようなドリーミーな人間だったけど、私は違うから。最近のTくんはSpotifyで音楽を聞いているようだった。まず聞きたい曲を聞いて、その後はSpotifyがこれも好きなはずだ!と次々に掛けてくれる曲を聞いているらしい。好きじゃない曲は(厳密にいうと好きじゃないミュージシャンは)飛ばすという。あまりにも12年前の続きだったせいか、何を話したのかあんまり覚えてないのだけど、この辺で我々はサニーデイサービスを褒め称えたと思う。サニーデイは素晴らしい。サニーデイのライブ見たい。今のサニーデイのライブ見たいよね。我々にそのように思わせてくれるサニーデイよ、ありがとう。三八を出た後セブンイレブンに行ったのだけど、Tくんはせっかくだからとコンビニのコーヒーを買っていた。かわいいやつめ。
youtube
この時点でまだ12時10分くらいである。やばい。中学生くらい時間ある。あの頃と違って油断すると飲み屋に入店しそうなので次の場所に行かなくてはならない。鳴門…鳴門鳴門…競艇場だ!

と思って行きました。初めて行った。入場料100円取られるの知らなかった。食堂に蛭子能収さんのイラスト付きのサイン色紙が飾ってあったのを、Tくんが見つけてくれた。最近…リニューアルした…のかな?内装がものすごく綺麗だった。でもいい感じにヨレヨレのおっさんがいっぱい座っており、生きた阿波弁がたくさん飛び交っている。Tくん聞こえるか。これが阿波弁だ。ようこそ徳島へ!
一応賭けてみることになった。Tくんはギャンブルはしないらしい。私はTくんを待つ間に空港から一番近いパチ屋で4500円分の景品を取ったんだけど、あれはギャンブルじゃないから…2人ともギャンブル初心者だね!破産しないようにしよう。
それにしても競艇についての知識がない。買い方もあんまりわからない。舟券を買うためのマークシートの塗り潰し方も相当手探りである。我々はわざとらしく声をひそめて相談しあう。「ねえ…ボックスってなに…?」「しらない…」「…なんて?」「…わかんない!」マークシートを券売機にぶっこむと600円寄越せと言うので支払う。券が出てきた。何もかもわからないので、舟に乗ってる人の名前を見て決めました。この日は女性のような名前の人ばかりが舟に乗っていました。理由は分かりません。

私は入場料も含めて1300円失くしてしまった。Tくんも同じくらい失くしていたような気がする。そもそも舟が何周するのかもわかっていないので、まだゴールしてないのに「なんだよー!くやしいー!」と言ったり、もうゴールしているのに「あるある!まだあるぞ!」と言ってたりしていて(主に私が)、地獄だった。Tくんは競艇用語を携帯で調べて教えてくれて優しかった。私はロレッタセコハンのアルバムに『まくり差し』というのがあったね、聞いたことないけど、という豆知識を挟み込んでいた。音楽の話やめてお前も調べろよな。そういうとこだぞ。楽しかった。
つづく
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K-1 II&HD PENTAX-D FA 28-105mmF3.5-5.6ED DC WRでも撮影。このレンズはスペックは凡庸だが現行製品、かつ3600万画素センサーを積んだK-1への装着を前提とした設計(現時点でもPENTAXのフルサイズKマウント機はK-1(II含む)のみ)だけに、流石に必要十分な解像力を持っているし、コントラストも高い。高画素機の実力を引き出すには相応のレンズが必要であることを再認識させられた
K-1シリーズはフルサイズ機なのでフイルム時代のKマウントレンズがフル画角で使えるのはメリットだけど、AF時代の凡庸な廉価ズームでは使えなくはないが厳しい感じで、単焦点や出来の良いズームレンズも試してみるべきかも知れない
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2023年に読んで「オォッ!」と思った本や作品……その1
『長靴をはいた猫』(シャルル・ペロー著/澁澤龍彦訳/河出文庫/Kindle版) 『台湾漫遊鉄道のふたり』(楊双子著/三浦裕子訳/装画:Naffy/装幀:田中久子/中央公論新社/Kindle版) 『聊斎志異(上下巻)』(蒲松齢作/立間祥介編訳/岩波文庫) 『灯台守の話』(ジャネット・ウィンターソン著/岸本佐知子訳/装幀:吉田浩美、吉田篤弘〔クラフト・エヴィング商會〕/白水社) 『新版 小さなトロールと大きな洪水』(ヤンソン著/冨原眞弓訳/さし絵・カバー装画:ヤンソン/講談社文庫/Kindle版) 『象の旅』(ジョゼ・サラマーゴ著/木下眞穂訳/書肆侃侃房/Kindle版) 『リリアンと燃える双子の終わらない夏』(ケヴィン・ウィルソン著/芹澤恵訳/イラストレーション:中島ミドリ/ブックデザイン:アルビレオ/集英社) 『透明人間』(ハーバート・ジョージ ウェルズ、著/海野十三訳/青空文庫/Kindle版) 『世界の終わりの天文台』(リリー・ブルックス=ダルトン著/佐田千織訳/創元SF文庫/Kindle版) 『去年を待ちながら 新訳版』(フィリップ・Kディック著/山形浩生訳/カバーデザイン:土井宏明/ハヤカワ文庫SF/Kindle版) 『ザップガン』(フィリップ・K・ディック著/大森望訳/扉デザイン:土井宏明/ハヤカワ文庫SF/Kindle版) 『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』(フィリップ・K・ディック著/浅倉久志訳/早川書房) 『火星のタイム・スリップ』(フィリップ・K・ディック著/小尾芙佐訳/扉デザイン:土井宏明/ハヤカワ文庫SF/Kindle版) 『マーダーボット・ダイアリー 上下』(��ーサ・ウェルズ著/中原尚哉訳/カバーイラスト:安倍吉俊/東京創元社/創元SF文庫/Kindle版) 『珈琲と煙草』(フェルディナント・フォン・シーラッハ著/酒寄進一訳/東京創元社/Kindle版) 『シャーロック・ホームズ シリーズ全10巻 合本版』(コナン・ドイル著/延原謙訳解説/新潮文庫/Kindle版) 『イラハイ』(佐藤哲也著/佐藤亜紀発行/Kindle版) 『シンドローム』(佐藤哲也著/森見登美彦解説/カバー装画:西村ツチカ/カバーデザイン:祖父江慎+コズフィッシュ/キノブックス文庫) 『俺の自叙伝』(大泉黒石著/四方田犬彦解説/岩波文庫) 『ブサとジェジェ』(嶽本野ばら著/『三田文學 153 春季号 2023』掲載作品) 『珈琲挽き』(小沼丹著/清水良典解説/年譜・著書目録:中村明/講談社文芸文庫) 『不機嫌な姫とブルックナー団』(高原英理著/講談社/Kindle版) 『祝福』(高原英理著/装幀:水戸部功/帯文:渡辺祐真/河出書房新社) 『若芽』(島田清次郎著/青空文庫Kindle版) 『交尾』(梶井基次郎著/青空文庫/Kindle版) 『のんきな患者』(梶井基次郎著/青空文庫/Kindle版) 『城のある町にて』(梶井基次郎著/青空文庫/Kindle版) 『風立ちぬ』(堀辰雄著/青空文庫/Kindle版) 『自分の羽根』(庄野潤三著/講談社文芸文庫/Kindle版) 『幾度目かの最期 久坂葉子作品集』(久坂葉子著/久坂部羊解説/年譜・著書目録:久米勲/デザイン:菊地信義/講談社文芸文庫) 『現代語訳 南総里見八犬伝 上下巻』(曲亭馬琴著/白井喬二訳/カバーデザイン:渡辺和雄/河出書房新社/Kindle版) 『キッチン』(吉本ばなな著/カバーデザイン:増子由美/幻冬舎文庫/Kindle版) 『かもめ食堂』(群ようこ著/装画:牧野伊三夫/カバーデザイン:井上庸子/幻冬舎文庫/Kindle版) 『ハピネス』(嶽本野ばら著/カバーイラスト:カスヤナガト/カバーデザイン:松田行正/小学館文庫/小学館eBooks/Kindle版) 『猫の木のある庭』(大濱普美子著/金井美恵子解説/装幀:大久保伸子/装画:武田史子/カバーフォーマット:佐々木暁/河出文庫) 『ハンチバック』(市川沙央著/装幀:大久保明子/装画:Title: mohohan Year: 2020 Photo: Ina Jang / Art + Commerce/文藝春秋) 『文豪たちの妙な旅』(徳田秋聲、石川啄木、林芙美子、田山花袋、室生犀星、宇野浩二、堀辰雄、中島敦、萩原朔太郎著/山前譲編/カバーデザイン:坂野公一+吉田友美(welle design)/カバー装画:樋口モエ/カバーフォーマット:佐々木暁/河出文庫) 『作家の仕事部屋』(ジャン=��イ・ド・ランビュール編/岩崎力訳/読書猿解説/カバーイラスト:Guillaume Reynard/カバーデザイン:細野綾子/中公文庫) 『腿太郎伝説(人呼んで、腿伝)』(深掘骨著/左右社/Kindle版) 『硝子戸の中』(夏目漱石著/石原千秋解説/カバー装画:安野光雅/新潮文庫) 『思い出す事など』(夏目漱石著/青空文庫/Kindle版) 『文鳥』(夏目漱石著/青空文庫/Kindle版) 『ジュリアン・バトラーの真実の生涯』(川本直著/文庫版解説:若島正/ロゴ・表紙デザイン:粟津潔/本文・カバーフォーマット:佐々木暁/カバー装幀:大島依提亜/カバー装画:宇野亞喜良/帯文:魔夜峰央/河出文庫) 『駅前旅館』(井伏鱒二著/解説:池内紀/カバー装画・文字:峰岸達/新潮文庫)『硝子戸の中』(夏目漱石著/カバー:津田青楓装幀「色鳥」より/注解:紅野敏郎/解説:荒正人/新潮文庫) 『村のエトランジェ』(小沼丹著/講談社文芸文庫/Kindle版) 『午後三時にビールを 酒場作品集』(萩原朔太郎、井伏鱒二、大岡昇平、森敦、太宰治、坂口安吾、山之口貘、檀一雄、久世光彦、小沼丹、内田百閒、池波正太郎、吉村昭、開高健、向田邦子、安西水丸、田中小実昌、石川桂郎、寺田博、中上健次、島田雅彦、戌井昭人、吉田健一、野坂昭如、倉橋由美子、松浦寿輝、山高登著/カバー画:山高登「ビヤホール」/カバーデザイン:高林昭太/中央公論新社編/中公文庫/Kindle版) 『対談 日本の文学 素顔の文豪たち』(中央公論新社編/巻末付録:全集『日本の文学』資料/中公文庫) 『40歳だけど大人になりたい』(王谷晶著/デザイン:アルビレオ/平凡社/Kindle版) 『人生ミスっても自殺しないで、旅』(諸隈元著/ブックデザイン:祖父江慎+根本匠(コズフィッシュ)/晶文社) 『ロバのスーコと旅をする』(髙田晃太郎著/装幀:大倉真一郎/地図制作:小野寺美恵/河出書房新社) 『本当の翻訳���話をしよう 増補版』(村上春樹、柴田元幸著/カバー装画:横山雄(BOOTLEG)/新潮文庫) 『書籍修繕という仕事 刻まれた記憶、思い出、物語の守り手として生きる』(ジェヨン著/牧野美加訳/装幀:藤田知子/装画:谷山彩子/原書房)
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2023.10.1

制作中。曇り空を参考にしているので、遠目でボヤァと見ればグレーの画面が曇り空に見えなくもない?曇り空を描くことが目的ではないので塩梅が難しいです。 乱暴に書き殴っている訳ではないのですが、白と黒のユラユラの線の集積で画面を作っているので、まだ線が表現に昇華してないです。特に白もまだ白のままです。※ビジュアルがヤバい感じですが、鬱とか全くそういう訳ではないです。
この頃の活動 ・9/27まではトライアルと芸祭作品を制作していて、その後はそのまま展示計画書を制作していました。 展示計画について
色々変更があり、まずキャンバスを寝かせるカタチをやめました。理由は3つ。 ① モノと空間の境目に一番見せたい表現が来る、であれば画面内は空間やイメージでなければならないので、キャンバスが「窓」としての役割を損なってはいけない。(絵具が絵具として見えてはいけない) ② 最終のキャンバスのサイズを大きくすればするほど、台作りに時間を取られてしまう。見せ方にはこだわりたいが、目指しているのは「訴えかける画面」を作ることであり、台に割く時間をキャンバスに回した方が良いと考えた。 ③ 寝かせる台は、キャンバスが収まる縦長の箱のようなモノである為、注意事項の「他展示者への影響の大きな箱の設置は受け付けられない」に引っかかると思われた。 もう1点、屏風のような自立する木枠も、2m程を想定していたので、空間を仕切る可能性があり、注意事項に引っかかると思われた為不採用。 またデ情らしい技法を説明的に解説したプロセスなどは恐らく作れないが、デ情としてプロセス自体は必要だと思われたので、作品を制作時系列でならべ、技法の変化を床のプロセスで解説するカタチをとることにした。
展示がどんどん凡庸な感じになってることには結構悩みましたが、過去の卒展とかも結構見た限りだと、画面で語るタイプは殆ど特殊な展示をしてないのでこんなものかなぁと思っています。 ただプロセスの見せ方にはまだやりようがある気がしなくも、、、、うーんって感じです。後ラストのキャンバスは2��繋げて2m半あり、120号ほどのサイズになるのでどうなることやらです。

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DX7 のリバイ
なんと30年ぶりのリバイで、初代 DX7 を我が家に再びお迎えしてしまった訳ですけども。初代 DX7 は、自分が21歳くらいだった頃に生まれて初めて買ったポリシンセですが、当時の自分はシンセを全く理解しておらず、結局プリセットのエレピとベースの音を midi シーケンサー(QX5)で鳴らしてそれを 4tr のカセットマルチで重ね録りとかやりながら遊んでいただけ、という何とも勿体無い使い方で終わってましたけども。

(花の83年組)
後に Machintosh を買って DTM を始めたものの、自分で DX7 の音色を作るまでには至らず、まあ、適性がないというか、DX7 のパラメーターを捲って一生懸命数値を変えても、自分が何をしているのかさっぱり分からず、作りたい音に辿り着ける手応えも一切得られず、30歳を過ぎた辺りで手放しました。
その頃、世の中的にもシンセの音色は自分で作るものではなく買うものだったのもあり、シンセの音を自分で作らなければならない必要性に��られる機会がめちゃくちゃ少なかったというのも大きかった〜、というのは、でも今にして思えば言い訳なんですよ。
ある意味、あの時代は皆んなで時代に翻弄されていただけとも言えるのですが、当時その周りと一緒になって翻弄されている状態を「適応」と勘違いしてしまうところが、まあ、要するに人としての凡庸さの現れなのかなと。
結局、あの頃「適応」を勘違いした若かりし自分が「手も脚も出ない」と思い込んだ DX7 は、自分が還暦直前になって買い直して使ってみたら、そこそこ使い始められる程度には難しくない物だった訳なので。
もっとも、DX7 を自分が使えるかも、と思ったきっかけも R*S の Serge を使っていたからこそなので、やっぱり物事は順番を踏むのが大事、という話ではあるのかもしれません。R*S の Serge は、フィルターなしでも色んな音が出せますし、FM 変調的な事もふんだんに使って音を作っていくシンセですから、それで FM 変調を扱える下地が自分の中に出来上がっていたのは、その通りだと思います。

DX7 をお迎えして使ってみて思うのは、若い頃にやった事って、ホント忘れないんですね、という。自分はマニュアルを見ずとも DX7 を何となくいじれてしまい、 しかも Serge で経験したことをそのまま使って何となくそれっぽい音が作れてしまうという、自分でもびっくりです。指が勝手に動くんですよ。プリセットの音も、例えばブラスのちょっとチープな音をもう少しふくよかにしよう、とかも割とすんなりできてしまうので、若い頃に誰か教えてくれる人がいたら、もう少し違った人生があったのかな〜、なんてまあ、それは言っても仕方ありません。
しばらくいじっていくと、どうしてこのシンセの旬が2年かそこらで終わってしまったのか分か��気がしたのですが、このシンセはやっぱり音作りの幅は狭いんですよ。結局、DX7 は FM 変調機能の一部だけを抜粋してパッケージングしただけのシンセと言って良いのであろうと。このシンセが発売された当時の空気を自分も覚えていますが、「モンスターシンセだ!」という誇張されたイメージを自分はまんま真に受けていた、というのを、40年経って、自分はようやく気がついたのでした。これなら後の wave table シンセの方が人気が出るのは当然だろうな、というのは思いますね。
もっとも、自分は今回「音作りの無限の可能性」を求めて DX7 のリバイをしたのではなくて、early 80s の 12bit にある独特のザラついた質感が欲しくて買ったので、音作りの幅が意外と狭かったというのは、そんなに問題ではないのです。自分は古い 12bit デジタルの負荷を掛けた時に出るバグっぽい音が欲しかっただけなんですよ。
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自分の作る曲には、それなりにアンビエントの要素もありますので、 それこそ William Basinski 的な遠鳴り感が、ある種の場面では欲しくなったりするのです。で、今自分が使っているポリシンセはどれもその William Basinski 的な遠鳴り感をまあまあ苦手にしているシンセだったりします。ああいう遠鳴り感はやっぱり wave table シンセは得意だろうな、というのは何となく思うのですが、やっぱり 70s をテーマにするなら wave table は無しです。一方で初代 12bit でなら、すれすれの所ではあるものの、70s 特有の空気感を表現できる音があると、自分は踏んだのです。
自分が90年代クインシーやチックコリアのエレクトリック、LA フュージョン的な音を出そうと思うなら、間違いなく 16bit の方を買いますが、自分の用途なら初代 12bit ですよね。
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第18章:自己欺瞞 改めて「構造的無知」とは、「情報の非対称性」の中で、情報を持つ優越者が、情報を持たない劣後者に与える情報の内容や質を意識的/無意識的に操作することで劣後者の判断を操作する構造を指します。 劣後者は真実を知らぬまま恣意的な情報に基づき不利な選択を強いられる一方で「自ら考え、判断した」と錯覚し、その判断の責任を引き受けることになります。 医師と患者の関係では、構造的無知にある患者は医師の提示した選択に誘導されます。医師が構造的無知にある場合、患者を誤った医療へと導きます。 制度自体が構造的無知を生み出しているとインフォームド・コンセントの前提が破綻するのです。公平な情報共有も自由意志も存在しないこの構造は、優越者の「筋書き」をなぞる儀式に過ぎず、真の「同意」は成立しないのです。 ワクチン政策で「同意書」ではなく「希望書」が使用されたことは、この「構造的無知」の論理に整合します。「希望書」は自由意志の中で自律的に判断した錯覚を与える一方で「制度への従属」と「個人への責任転嫁」を両立させています。 「構造的無知」は提示された情報の違和感(嘘、欠陥、矛盾)への疑問を起点に「語られぬ真実」に向けて瓦解します。一方で、誤りに気づきながら目を逸らし、虚構を正当化し続ける心的操作があります。 これが「自己欺瞞」です。「自己欺瞞」は、自らの誤りや矛盾に気づきながらも社会的評価の低下、自尊心の喪失、自己像の揺らぎ、精神的負担を避けるために真実を直視せず、心の安定を保つために虚構を自己正当化し続ける心の防衛機制です。 ワクチン政策で私には理解し難い現象がありました。それは「害の全容が不明」という事実を前にしながら「安全で有効」や「利益が不利益を上回る」といった言葉が社会全体で繰り返し流布された現象です。 ここで重要なのは、これらの言葉を口にする人が「害の全容が不明」という事実を認識していない訳ではないことです。同様に、彼らが「反ワクは非科学」と主張する際も、彼らは「ワクチンの科学的全容は未解明」という現実を知らない訳ではありません。 無論、「ワクチンにチップが入っている」といった「チップ説」は非科学です。各国でバイアル調査が進む中、この説は既に輪郭を失っていますが、それでもこれに執着する人々は「自己欺瞞」に陥っていると言えるでしょう。 これと同様、「安全で有効」や「利益が不利益を上回る」といった制度の言葉を盲信的に繰り返す姿勢は、ある意味、「チップ説」と対を成す「聖ワクチン説」として疑問視されるべきものです。 「チップ説」が「陰謀の呪縛」なら、 「聖ワクチン説」は「救済の幻聴」です。 「聖ワクチン説」は、単なる「個人の認識限界」による���のではなく、「構造的無知」の状況下で生じる「自己欺瞞」によるものです。 「構造的無知」では「聖ワクチン説」が啓示する「安全で有効」や「利益が不利益を上回る」といった一貫した幻聴が、唯一正しい福音であるかのように社会全体に響き渡ります。 一度この教義に従うと、その後に明らかになる不都合な事実を直視し辛くなります。これは「自分は間違った選択をしたかもしれない」という不安や後悔、疑念、教義への背信に直面するからです。所謂「サンクコスト」の心理です。 多くの人はこの不協和音を避けるため真実から目を逸らし、教義の「正しさ」にすがり、それを繰り返し語ることで自らの選択を正当化し、心の安寧を保とうとします。これが「自己欺瞞」の仕組みです 「ワクチンは任意だが…」と、敢えて述べる必要のない当然の事実を前置きする人に出会うと、私はそこに不協和音の表れを強く感じます。他者の同意を得ることで自らの選択を肯定しようとする試みと、その背後でワクチン政策を正当化しようとする制度的意図が重なって見えるのです。 自己欺瞞が深まると「自分は正しい選択をしている」、「危険なデマや非科学を否定し、社会に貢献している」といった善良な自己像を内面化し、制度の物語を繰り返し広めることを「正義の実践」と信じて行動するようになります。 これは、倫理的自律を自ら放棄し、制度の要請を自己欺瞞的に内面化した「他律的主体」そのものの姿です。 「構造的無知」の中で「自己欺瞞」に陥り、倫理的自律を放棄した「他律的主体」は、制度の語りを朗読する代弁者として、制度の責任を他者に押し付ける共犯者となるのです。 この問題は、集団の中で自己強化的に作用します。多くの人が同じ物語を語り合い、承認欲求を媒介として相互に肯定し合うことで集団的で他律的な自己欺瞞に陥り、疑念を抱くことなく制度に服従するのです。 「巨大な悪は必ずしも狂信的な加害者によって遂行されるのではなく、思考停止と制度服従によって凡庸な人々の手によって無反省に遂行される」 ハンナ・アーレントの「凡庸な悪」より
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2025年5月26日
●今日(2025年5月26日)、病院のロビーでスマホでインターネットを見ていたら、何と『ウマ娘』の公式サイトでステイゴールドの姿と担当声優が公表されていた。この子、まさか育成ウマ娘として実装されるのか? 楽しみではあるが。私はドリームジャーニーのシナリオから、ステイゴールドはスピードシンボリらと同じゲスト枠かと想定していたのだ。まあ、私のジュエルはしばらくは温存する。そして、『シンデレラグレイ』が完結して、単行本を全巻揃えたら、私はそれ以上『ウマ娘』関係の本やその他(飲食物以外の)グッズは買わない事にする。
●勝海舟にケルベロス、ヒシミラクルに琵琶湖。明智秀満はヒシミラクルの天敵!?
●令和7年(2025年)5月26日以降、戸籍に氏名のフリガナが記載されるようになります。これまで戸籍にはフリガナは記載されていませんでした。5月26日以降に本籍地市区町村から通知が届き、誤りがないか確認し、誤りがあれば届出が必要です。(GoogleAI「Gemini」より)
●令和5年6月2日、戸籍法(昭和22年法律第224号)の一部改正を含む「行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律等の一部を改正する法律」(令和5年法律第48号。以下「改正法」といいます。)が成立し、同月9日に公布されました。
従前、氏名の振り仮名(フリガナ)は戸籍上公証されていませんでしたが、この改正法の施行により、戸籍の記載事項に、新たに氏名のフリガナが追加されることになりました。
改正法は、令和7年5月26日に施行されました。(法務省ホームページより)
●好きな馬がウマ娘化された際に言うべきなのは、「おめでとうございます」ではなく「ありがとうございます」だと、私は思う。仮に「ウマ娘」を「メガテンの悪魔」に置き換えてみれば、「おめでとうございます」はおかしいと思う。とりあえず、ステイゴールド号のウマ娘化に関して、運営さん並びに実馬関係者の皆様、ありがとうございます。
●YouTubeのコモさん(子守康範氏)の生配信のチャット欄で、余計な事を言ってコモさんにつまみ出されてブロックされる人がたまにいるけど、その「余計な事」とはコモさんの言う「自分のチャンネル」並びに、私自身が言う「自分のブログ」「自分の個人サイト」で書けば良いのだ。コメントを書き込む能力があるなら、ブログだって書けるだろうに。少なくとも、私のように紙媒体やGoogleドキュメントなどで日記を書けば良い。
●インターネット上で、他人との距離がおかしくなる人は少なからずいるようだが、親しき仲にも礼儀ありだ。ましてや、親しくない相手ならなおさらだ。
●05月26日 17:47 最大震度4、震源地 十勝地方南部、マグニチュード 5.3、震源の深さ 約50km。
●いわゆる「フィクトセクシュアル」並びに「フィクトロマンティック」の亜流として、歴史上の人物に対して性的・恋愛的な意味で惹かれる「ヒストロセクシュアル(historosexual)」並びに「ヒストロロマンティック(histororomantic)」という概念があっても良いと、私は思う。そして、いわゆる「サユリスト」の男性たち、すなわち吉永小百合氏のファンの方々は半ば「ヒストロロマンティック」的な傾向があると思う。すなわち、若い頃の吉永小百合氏は、現在の吉永小百合氏と比べると、半ば「歴史上の人物」なのである。
●『ダービースタリオンマスターズ』は『ウイニングポスト��とは違い、史実通りの年月の移り変わりではない。そ��て、『ウマ娘』の世界観は、コーエー三國志「英雄集結」シナリオや『ダビマス』と同じく「オールスター大集合」である。そして、ウマ娘ステイゴールド個人のシナリオは、史実の産駒たちであるウマ娘たちを途中ではなくエンディングで登場させれば、他のウマ娘たちのシナリオとは矛盾しない。まあ、『100万人のウイニングポスト』では、前世紀の年代にオルフェーヴル産駒を使う事が出来るので、『ダビマス』との差異はそんなにないのかもしれない。
●「凡庸な悪」の対義語の一つに「非凡な善」があるが、その「非凡な善」の代表格として、元ウルグアイ大統領のホセ・ムヒカ氏と「井戸を掘った医師」中村哲氏がいる。そして、「凡庸な悪」が文字通りありふれたものであるのに対して、「非凡な善」はめったにないものである。だからこそ、「善」は文字通り「ありがたい」ものである(これって、いわゆるトートロジーかな?)。
●某悪徳有名人と下の名前が同じ人(漢字表記も同じ)が、その悪徳有名人に対して怒っている。そりゃ、そうだ。私と同じ名前の悪人が悪事をやらかしていれば、当然、私自身も怒る。
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中産階級ハーレム② ─ ケンちゃんシリーズ
誰もわたしの心 見抜くことはできない
だけどあなたにだけは わかってほしかった
C野くんのストーカーになっていた時の俺そのもの。しかも「待つわ」がデビュー曲ながら異例のミリオンヒットとなる1982年にそうであった(高3)。強引で幼稚な歌詞。同じ時代には見下していたが、今は心を揺さぶる曲。その必死さが。
ケンちゃんシリーズは、1969年から1982年にかけTBS系で放映された子ども向け30分ドラマシリーズ���前身の四方晴美主演によるチャコちゃんシリーズ5作目(1967~68)に登場した弟役の子役・宮脇康之がリアルな子どもらしい愛くるしさで人気を呼び、彼を主演としてシリーズ化されることに。彼の成長につれ、シリーズ6作目『ケンにいちゃん(74~75)』から弟ケンジ役で岡浩也が登場、8作目『フルーツケンちゃん(76~77)』をもって宮脇卒業、9作目から岡が主演となるも次第に人気が低下、13作目(81~82)をもって岡も卒業、次の『チャコとケンちゃん』(82)をもってシリーズ終了。
宮脇による自伝的な『ケンちゃんの101回信じてよかった』(講談社2004)では、3歳から児童劇団に所属、小学生の身で人気シリーズを背負う子役として、父母や兄、一家を崩壊に導くような極端な生活ぶりが語られる。
【左】妹のトコちゃん役に佐久間まゆみを迎えた『ケンちゃんトコちゃん(1970~71)』のレコード。宮脇氏はずっと後に銀座のホステスになっていた佐久間さんと再会。【右】『ケーキ屋ケンちゃん(72~73)』の1シーン。今は見られない、太ももむき出しの半ズボンがケンちゃんのトレードマークで、真冬の撮影はつらかったとか。
宮脇氏のシリーズ出演末期、父母役の牟田悌三さん、岸久美子さんと。子どもながら番組の看板である宮脇氏への待遇は破格なもので、ロケ先のホテルで彼の部屋に招かれた牟田氏の顔がサッと曇ったという逸話も。私生活も父は飲み歩いて女を作り(のち離婚)、兄は自殺未遂と家庭崩壊。77年のシリーズ卒業後、学園ドラマなどで聞かれたその名前も、日活ロマンポルノに出演したことがきっかけで聞かれなくなっていく(たのきんと同時期にジャニーズ合宿所にいて性被害を受けたり、現ナントカ担当大臣の三原じゅん子と交際していたことも)。以降彼は漫才師の付き人、ディスコの黒服、墓石の販売、居酒屋の皿洗い、ガスの検針など40近くの仕事を転々とする。
私は2代目ケンちゃんこと岡浩也くんが好きだったので、彼の最後の『なかよしケンちゃん(81~82)』が4~5年後の早朝に再放送されていたのを録画。VHSからDVDにダビングして永久保存します!という2011年の投稿が、旧ブログでは最も訪問者数を稼いだ記事でした。
この作品では彼の設定は中1、実年齢は15歳・中3とのこと。ボーイズラブの先駆者である作家の森茉莉も当時の連載エッセイ『ドッキリチャンネル』にて美少年と言及。しかし海パン姿などご覧いただいても、貧弱でしょう。私が好きでも、子役から脱皮して大人の俳優、あるいはほかの道でも芸能界で生き残るのは難しそうな。
ところが!! ドラマの中ではかっこいいお兄ちゃんとして、サッカーやマラソンが得意という。弟たちが見守る前で逆立ちや懸垂をやってみせたりするが、右下画像のように逆立ちでも懸垂���も下半身は決して映らない。シリーズの人気絶頂時に加わった岡くんは、シリーズ卒業後しばらく芸能界で模索を続けたものの、北里大医学部を経て精神科の開業医に。「あの人は今」的企画でも呼ばれれば夢よもう一度となって2000年に「芸名・宮脇健」とした初代とは対照的な人生。
岡くんが弟役として登場したころ、亡父が一緒に見ていて「この子は顔が良すぎる」と。演技力なんて関係ないからねえ、宮脇氏は年少のときほど本当の子どもらしさがあって、ドラマの求心力につながった。2代目に引き継がれるころから、兄が優等生、弟が糞ガキという凡庸で締まりのない内容になって人気低下。宮脇氏の転変も、あみんの「待つわ」も、私の失敗前半生も、「子どもを主役にし過ぎる」弊害のようなもの。心を奪う一発屋であってほしかった岡村孝子はやがてシンガーソングライターとして成功するも、宮脇卒業後のケンちゃんシリーズのように過去・虚像をなぞる凡庸な曲しかなかったと思う─
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ここはラッシュでしょ、と風が言ってる
現在、丸一日自由に休める完全休日は1ヶ月に3日程となっている。 次の完全休日は8日後となる。今週も繁忙を極める。佳境に次ぐ佳境だがどうにかやるしかない。
しかし一瞬たりとも余裕の無い生活って、慣れてみれば割と嫌いじゃないかも知れない。 目的以外の全てを切り捨てる習慣が身に付いてきた。 オレは風任せ、自然任せの性分だ。今までは風が無かった時期だった。しかし今は、猛烈な追い風が吹いている。手を緩める理由が無い。 格闘技でも同じだ。相手が苦しい表情を見せた時は手を緩めず追い打ちに次ぐ追い打ちを掛け倒しきるのが定石。それが風が吹いた時の感覚。止まったら負けぐらいの気持ちで行け。 実際止まる時はスタミナが尽きた時だから、勝ちきれない。むしろ逆方向の風が吹く。
そういえば、水泳大会の結果は十分に練習時間が取れなかったが、そう悪くも無かった。自分でも不思議なのだが普段の練習では凡庸な記録しか出ないのに、いざ本番になると背泳ぎに関しては毎回調子が良く、今回は自己ベストも更新出来た。大会用の水着の効果なのか、或いは普段の練習では時計を自分で確認するのだが、背泳ぎの場合振り返って時計を見ないといけないので、その分で変わってくるのか。よく分からないが結果オーライとするとしよう。
ちなみにこの手の大会では他人の記録なんて気にしない方が良い。早いヤツなんて幾らでも居る。自分の記録を更新することにだけ集中していればそれで良い。そうすると気が付けば段々良くなっているものだ。
水泳に関しても方針は同じで風が吹いているうちは、手を緩めず行ける所まで行く。やれる所までやる。どうすれば良いのか?何か気になる点が一つでも無いか?それが見つかるうちはやったら良い。
何にしても本当にどうしようもなくなる時は、何も見つからなくなる。白紙の問題用紙から問題が見つかる天恵は、類い希なる幸運なのだ。後は「見つかったからやっただけ」で十分だろう。
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地方自治体の職員たちは、「殆どの書類を代筆させられる現実と立法者とのズレから起こる愚痴」(p.67)や「実情の判って居る第一線から見たまどろしさ」を訴え、「其の無意味さにやりきれない思い」がすることを隠さない。それでも彼らは、「時間が有れば、私生活の相談相手にもなってやりたい」と「専��的な業務の最前線に立っていることへの自負心」(p.67)を持って業務に臨み、時たま表彰される程度の褒賞で、この業務をやり遂げた。 日本海沿岸に住む漁村の住民たちは、自分たちの平和な暮らしを守るために、「密航船」を拿捕しようと警察や占領軍に協力する。「自警団」が警察と密接な協力のもと朝鮮人を発見しようとする姿は、植民地支配が終わったことを忘れさせる。 綴方教育を通じて平和を願う児童を育てようとする教員にとって、大村収容所の中にいる「韓国人」は、彼の担当する日本人児童のための教材に過ぎない。その教師の使う言葉に「韓国」と「北鮮」はあっても「朝鮮」はない。彼がどれほど丁寧に学級通信を発行し、1つ1つの作文を指導し、文通を励まそうとも、その教員にとって大村収容所の中にいる子どもたちは、「慰め」の欲望を向ける対象だ。 凡庸な悪という、もはやそれ自体が凡庸に響くような言葉は、本書の記述の前では陳腐だ。「外国人」は法令が制定されることによって一朝一夕に生まれたのではないことが、本書を読めばつぶさにわかる。善意に満ちた人々の、熱心な取り組みは、こうして戦後日本社会に「外国人」をつくりだし、制度の中に押し込め、それを破る力を奪う。 戦後日本における「外国人」は、本来なら無理だったかもしれないような法令を現場レベルの努力で実行可能にできるような、優秀な現場の行政職員たちと、地域の平和と安寧を願い、そのために自分自身の時間やエネルギーを割くことを厭わないような善良な個々人によって、生み出された。その熱意と親切さは、まるで良質なホラーか、ぞっとするコメディを見ているようだ。 そのホラーあるいはコメディの演者たちにとって、「外国人」たちの個々人のかけがえのない人生は徹頭徹尾、客体である。「誰がこんな仕組みを作ってしまったのか」――本書においてその答えは簡単だ。私やあなたのような、頑張り屋さんの、辛くても頑張る優しい人々が、みんなで一生懸命に力を合わせて、こんなことを成し遂げた。その制度の中に閉じ込められる人々の苦境から、目を背けながら。 もし本書から希望を見出そうとするならば、それは本書が中心的に記述した、行政と地域社会にある。いかなる法も、それを執行する人々なしに実現されないのであれば、行政の現場において、職員と「外国人」、そしてその「外国人」を支える人々が何をなし、どのような実績を積み上げるかによって、法の実態を変えることができるのかもしれない。その意味において、本書の記述は読者1人1人を勇気づけるものでもある。
朴沙羅「誰がこんな仕組みを作ってしまったのか」――李英美著『出入国管理の社会史』書評 | webあかし
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