#効き目がズレてた
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moko1590m · 6 months ago
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上手なだけじゃん
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wakkayamawheels · 9 days ago
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modern wheels for classical braking systems
とってもありがたい事に今でもリム ブレーキ用の車輪(ロード バイク用、その他)に関する相談をいただく機会があります。
他のスポーツ用途の車体でもBMXとか、ロードに限らずマウンテン バイクだって保存状態の良い旧車を大切にお手入れして乗られている方も居られます。
ただ、スポーツ走行用途の車種ではリム ブレーキの存在が徐々に少なくなってきている事は間違い無さげです。
ロード バイクでのディスク ブレーキ化も完成車メーカーの標準装備化されて既にかなり経っていますし、車体だけでなく、ロード バイク用完成車輪メーカー各社の製品内容でも高性能モデルに関してはほぼディスク ブレーキばかりとなっています。
中には比較的小規模なメーカーさんが個性的なリム ブレーキ用の車輪を製品化されていたりもしますが、大半のリム ブレーキ用車輪はアルミ合金製のリムを使ったクロス バイク等との兼用グレードであったり、ハイ パフォーマンス モデルとは言い難い製品が多い様子です。
そもそもアルミ合金製のリムであってもモダンなデザインの製品は大半がディスク ブレーキ用ばかりで、リム ブレーキ用のリムでそれほど幅が広いリムはほぼ存在しないと言っても差し支えないでしょう。
尤も、幅の広さとリム ブレーキが使える事を条件に、重量や見た目のゴツさに目を瞑っていただけるなら、皆無ではないです…が、SunRingleのRhynoLiteとか実測で600g前後の重さや、些か厳ついビジュアルに対して、普段は変態じゃないふりをしている…保守系(意味違うし)ロード サイクリストから素直にご理解が得られるとは考え難いです。
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リム幅は内外22/27mmで或る意味、今時な感じがしなくもないのに、高さは16mm…。 基本設計が古い事もあり、残念ながらチューブド専用でチューブレスには対応していませんが、モダンなロード バイク用のタイヤを履くのに丁度良いくらいの横幅を備えています。
ぃゃ、個人的には���型でハトメ付き、仕様によっては銀色のリムって今時珍しいと思いますし、クラシカルな細身のフレームに付けても「真横から眺めるだけなら」そんなに違和感無いと思うんですけどねぇ…また話しがズレました、すみません。<(^_^;
つまり、世間一般ではリム ブレーキ用で高いスポーツ性能を持った車輪の需要が無いか、有っても非常に少ない、と言う認識で回っているのだと思われます…が、時々いただく相談はわりと気合の入った内容だったりして、内心「ぅをぉ…(^o^;」っと思ったりしています。
と言うのも皆さん一様に、既にモダンな規格のロード バイクに乗られていて、昔乗られていたリム ブレーキのロード バイクの車輪を今更慌てて新しく用立てたり、仕立て直す必要が有りそうには見得ないからです。
ただ、一つ気になっている事は、確かにタイミングとしては絶妙なのかもしれません。
実際、完成車輪メーカーの多くが商品リストから高性能リム ブレーキ用製品を無くしていると言う事は、その構成パーツ供給元であるリム メーカーさんもリム ブレーキ用の高性能リムを新規で開発する理由が無くなります。
もちろん、既に安価で簡易なブレーキとして世界中で普及しているシステムなので、数年で地球上から消失するとは思いませんが、少なくとも今後のロード レース用機材として再び主流化する可能性は殆んど無いか、もし有るとすればUCIの機材規定などで保護的なルールを作られればワンチャンあるかどうか…といった状況ではないでしょうか。
そんな状況下の中、各リム メーカーさんの製品リストを調べてみると、やはり最新のディスク ブレーキ専用リムとはそれなりの隔たりがあり、モダンなタイヤ規格に対応した幅や構造はもちろん、重量でも多少のビハインドが否めませんし、今後ディスク ブレーキ用の700cリムとは色々な面で違いが広がっていくと思われます。
リム ブレーキ用700cリムは市場規模の縮小という経済的な側面だけでなく、そのブレーキやフレーム、フォークの構造による寸法上の制約があり、昨今増えてきている太いタイヤを収められるだけの余裕を確保するのが難しい為、モダンなタイヤ システムへの移行もまた困難になってきています。
もちろん、相談いただく方にはそういったタイヤ クリアランスの問題がある事を説明させてもらっていますが、それでも出来るだけ新しいタイヤシステムとの親和性が高い構造の車輪(リム)を大抵は希望されています。
具体的にはチューブラーからTLR対応であったり、高さだけでなく、幅も含めたリムの大断面化(タイヤ以外の理由では主に高剛性化による真��度の保持性と、流体力学的な効率化の追求)、あとは可能な限りのブレーキ性能向上などでしょうか。
何れにせよ、スポーツ性能向上を目的とする為に同じコストを投じるのであれば、既に普段使われているディスク ブレーキ用の車輪へ向けた方が費用対効果としてだけでなく、絶対的なパフォーマンスも確保しやすいですが、何故か「リム ブレーキ用で」となってしまう事がちょっとだけ不思議に感じています。
尤も不思議な事ばかりでもなく、ブレーキ システムが何であるかに関わらず、モダンなタイヤ利用や流体力学的な効率化が為された車輪に付け替えてタイムを計ると、大抵の場合は配管、配線類を内装化するよりも明確な速度の向上が計測される様にはなるので、実利が無くはないですし、慣れ親しんだ乗り心地や操作感の延長でタイムを削れるなら、その方が道具としての使い易さや満足感は高く感じられる様になるのかもしれません。
ただ、大半のリム メーカーさんが古いモデルを除くと、既にディスク ブレーキ用のリムに追加加工でリム ブレーキに対応させているケースが多く、新たにリム ブレーキ専用の設計で作られているリムは皆無と言っても差し支えない状況になっていて、今後ディスク ブレーキに対して更にリム設計の最適化が進むと、近いうちに追加加工での対応も難しくなる可能性は高くなっています。
実際、競技用マウンテン バイクのリムでもホントに飛んだり落っこちたりしてもいいのか心配なくらいの軽さの製品がありますが、それらは元々リム ブレーキによって側壁を強く圧縮されたり、その摩擦による耐熱性を考慮しなくてもいいからです。
そんな中、リム ブレーキ用のモダンなリムを出していただけるメーカーさんがまだあったので、色々と個性的なリクエストを追加して作っていただきました。
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写真が下手くそなので、ちょっと分かりにくいと思いますが、波型のリムに凹面孔無し、溝付きの超硬ブレーキ トラックを付けてもらっています。
これ(実測で30mm強くらい)以上の幅が広いリムだと、大抵のブレーキ アーチの掴み角度が広がり過ぎるのと、対応する最低タイヤ幅も大きくなり過ぎるので、実際に使えるフレーム、フォークが殆んど無いんじゃなかろうか…と思います。
昨今、少しづつ一般的になりつつある波型のリム、正直なところ玉石混交と言わざるを得ない現実もありますが、まともな設計をされた製品のパフォーマンスは素直にお薦めできます。
一般的な円形リムに比べて、流体力学的なドラグの低減はもちろんですが、突然煽られる様な横風に対する安定性が向上し、ハンドルや車体全体のふらつきが小さくなる為、実走時にかかるペダリング以外の余計な疲労やストレスも小さくできます。
この恩恵は出力が高く技術的にも成熟したエキスパート サイクリストに対してだけでなく、むしろ体重が軽かったり出力が小さいなど、外乱要因の影響が大きくなるサイクリストに対して、より大きなメリットが出ている様です。
今回の場合、前用のリムは波の凸凹の数がちゃんと20山になっていて、よくある24山の24本スポーク限定ではありません。 これはとってもありがたいです。
まぁ24山でも1/3ピッチ飛ばして16本のスポークで構成できる様にニップル孔の位置や穿孔角度を指定する事も可能なので、お施主の体格によっては大して問題にはならなかったりもしますが。*(-_^)
でも、これってリム作る時に20山の波型もメーカーさんは用意されているわけで、そういう意味ではリム ブレーキの、更に前輪に対しても結構まじで投資されているんだなぁ…と改めて感謝しているところです。
自分が考えているよりも世界規模ではまだまだ新規でリム ブレーキ用のモダンな構造のリムが求められている証拠なのかもしれないですが、ちょっと変わった車輪のご相談をいただく製作者としては、多様性の確保という意味でも本当にありがたいと感じています。
この様にブレーキ システムだけでなく、用途やそれぞれの乗り手の体格、好みなど、特注製作の車輪であれば大抵のご希望に近付ける事ができます。
しかし、それも量産品とは違う構成部材のサプライヤーがあって���そ車輪として製作が可能となっています。
これでリム ブレーキ用車輪に使える新しいリムの話しは終わりかな…と思っていたら、メーカーさんから新たな話のネタを送っていただいてしまったので、もう少しリム ブレーキが使えるモダンなリムについて紹介する事になりそうです。
どうやらメーカーさんの中には弊所よりも諦めが悪い…熱意溢れる方がおられる様です。
こちらが「もう流石にこの次は無いんじゃなかろうか…」と思って油断しているところへ次の弾を撃ってこられるので、マジで油断大敵です。(^-^;
とは言っても、「もう流石にこの次は無いんじゃなかろうか」とは思いますが、次回も引き続きリム ブレーキで(文字通り)擦り続けさせていただきます。<(^-^;
もうしばらくお付き合いいただけましたら幸いです。
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hdsdt · 2 months ago
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シェイクスピア『リチャード三世』
 4月23日はシェイクスピアの記念日です。没日は23日、誕生日は明確にはわからないんですが洗礼日が26日なので恐らくこのへんの日付っぽいということでまとめてシェイクスピアデーとなっております。
 今年はリチャード三世のポスター風イメージを描きました。
 シェイクスピア戯曲は400年以上前に作られた古い芝居の台本です。とはいえ現代でシェイクスピアものをやるとき、シェイクスピア時代の上演の再現を目指す場合を除き、基本的には現代の価値観、現代の人の好み、上演する今、私たちに合わせた演出で行います。
 例えば、『ジュリアス・シーザー』のシーザー役をアメリカの大統領選挙風の舞台で明らかにトランプ大統領を想起させるフ���ッションで演出をしたり、『リア王』を家庭の問題として痴呆老人の妄言と徘徊、姉妹間の親の世話の押し付け合いとしたりもしますし、ミュージカルや映画で有名な『ウェスト・サイド・ストーリー』は『ロミオとジュリエット』の翻案で、最近また新しく映画が作られましたし、アラブ圏の演出家が中東を舞台にして自分たちのための物語として『ハムレット』や『リチャード三世』を上演したりもしています。日本だと黒澤明の映画が一番触れやすいと思いますが、戦国時代とか日本の歴史劇風にやったりしますね。少し前の流行りで、直接ではない作品になりますが、『ゲーム・オブ・スローンズ』や『鎌倉殿の13人』も物語構造、エピソードや人物造形などがシェイクスピア戯曲の影響下にある作品として有名です。シェイクスピア戯曲または演劇に直接触れたことがなくても、シェイクスピア戯曲を参照して作られた作品は巷にあふれていますので、そうとは知らずどこかで見たことがあるかもしれません。
 エンタメコンテンツでは流行パターンの作品が膨大に創られるというのがありますが、(ここ十年ぐらいの潮流だと、ゲーム・ファンタジー世界観/異世界転生/悪役令嬢ものあたりでしょうか)シェイクスピア戯曲もいわゆる「型」のようなもので、シェイクスピアものをやる、というのは、「あのお話の型でバリエーションを作っている」という読み取り方もできます。
 上演芸術の古典と呼ばれるものは基本的に「皆様ご存じの! あのお話をやります!」という構造です。題材は神話だったり歴史だったり、多くの人が読んでいる文芸だったり、同時代のセンセーショナルな出来事だったりしますが、「皆の共通認識になっているもの」を「目の前でやってみせる」からウケるのだ、という構造だと私は思っています。
 日本だと歌舞伎・能楽・文楽(浄瑠璃)は漫画やアニメ、ゲームなどのエンタメコンテンツを上演にかけることがありますが、これは「皆の共通認識」になっている物語が漫画・アニメ・ゲームに比重があるからで、上演をやる意義、芸能の何を見せるのかの軸が「生きている人間の芝居や踊り」というところにあるならば、台本に「流行りのモノ」をもってきてやるのは何の不思議もないわけです。
 シェイクスピア戯曲・演劇も、歴史や神話などの元ネタがあるものを芝居という形にまとめてやってみせていた芸能で、シェイクスピア自身が無から何かを創造していたわけではありません。芝居が面白くなるよう���、歴史的な時系列も地理関係も改変しまくっていますし、何百年も前の歴史上の人物も戯曲上のなんらかの性格を持ったキャラクターとして描かれます。これは、歴史から題材をとってきてはいても、上演される時代の人々にウケる��めの創作であり、歴史上の人物の実像とは一致しないものです。たとえなんらかの記録が多少のこっていたところで、何百年も前に死んだ人の言葉遣いや身振りや性格や実際に心の中に思っていたことなんて十全にわかりようがないので創作するしか方法がない。立ち上がるキャラクターはうまくいったとしても「説得力のある虚像」です。「生き生きした人物像」という芝居のファンタジーを観客は見て説得されているのです。描かれるのがファンタジー・虚像であっても、これを観ている体験は現実であり、ここを明確に区切って考えるには訓練が必要です。
 シェイクスピア戯曲『リチャード三世』について。
 シェイクスピアの「リチャード三世」は非道な悪役です。身体障害を持って生まれ、母親から愛されず、自分のような見た目の者が女から愛されることはないと世界を呪い、欲しいものは誰も逆らえない権力であり、親族を殺しまくって王位につくも統治能力がなく、戦場でめみじめに殺される男の話です。
 こう書きだしてみると加虐性のあるろくでもない男ですが、「リチャード三世」はシェイクスピア戯曲のうちでも人気タイトルのひとつで、魅力的な悪役として描かれることが多いです。実際、王位につくまでの、手段を選ばず他者をだまし、陥れ、殺していく様は「面白い話」として機能します。これは暴力の達成の話、且つ上昇の話だからです。
 リチャードが権力の頂点にたったとき、仲間はおらず、信頼もなく、孤独です。王になったらもう地位上昇の高揚もありません。殺してきた者たちの亡霊を夢で見て「絶望して死ね」と呪われ、戦場で馬を失い、殺されます。
 歴史上のリチャード三世がどんな人物であったかの歴史解釈とは別に、シェイクスピアのキャラクターとしてのリチャード三世は影響力があり、「リチャード三世」といえばまずシェイクスピアのリチャード三世を思いうかべるひとのほうが多い状態と言ってもいいでしょう。(歴史にもシェイクスピアにも興味がなければ「誰? 何?」って感じだとは思いますが)
 日本でいうところの織田信長みたいなものでしょうか。歴史解釈的にどうかというより歴史題材コンテンツのキャラクターイメージが強いというか。これは、良いとか悪いとか言いたいわけではありません。コンテンツが流行ると影響力があるなあ、という話です。良い効果がある場合もあるだろうし、悪い効果がある場合も普通にあるでしょう。状況や条件次第なので。
 前半で「皆の共通認識」という言葉を使いましたが、一人一人がなんらかの神話・歴史・物語を深く知っている必要はなく、「よく知らんけどなんかそういうのらしいね」ぐらいでも「共通認識」として機能します。
 シェイクスピア戯曲のエンタメ虚像とは別に、15世紀イングランドにリチャード三世は実在したわけですが、2012年に英国レスター市でリチャード三世の遺骨が発掘され話題になり、エンタメ虚像じゃないリチャード三世の印象もまた広まったのではないかと思います。このリチャード三世の遺骨発掘の経緯は映画にもなっています。
 リチャード三世の歴史準拠の再評価は昔からありましたが、2012年の発掘があったことで色々な調査が進んで、新たな解釈、そこからまた別の、シェイクスピアのものではない、フィクションのリチャード三世像も生まれるのだろうなと思います。
 遺骨発掘シーンの再現を盛り込む演出が入った『リチャード三世』の公演もあったりしましたし、シェイクスピアのリチャード三世上演のほうにも、ヴィジュアルやキャラクターイメージの変化はそれなりにありそうな気はします。
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 シェイクスピア戯曲を読んだり上演を見ていて、「よくわからないんだよな……」と思っているのが権力欲で、全く共感がないまま面白いと思って読んだり観たりしています。登場人物に、その判断力があってなんで権力構造には従順でボンクラになるんだ? 的な感想を持ってしまうというか。いや、権力構造の上位者になりたいという欲求はありふれてあるものだということはわかるんですが。
 ダンスを見る趣味のスタンスから考えると、欲がなんであれ感情/行為/動作のアップダウンがある=動的になるのでそこを面白いと思っているんじゃないかなあと思うんですが、自分のことだがよくわからない。人なり出来事なりが動いてる状態・動きを発生させる構造、現象に面白さ・愉しみがある、のだと思うんだけど。
 ちょっと話はズレますが、『リチャード三世』で言えばリチャードがアンを口説き落とすシーン、成功していると感じた上演をあんまり観たことがないです。緊張感があり印象的だという感覚はあれど、アンが憎しみと嫌悪を持ったまま口説き落とされるって、そのように表現できてると感じたことほぼないんですがあれ、難しくないですか? ものすごく難しくないですか? あり得なくはないだろうがそうとう難しくない? 感情が、字面ではわかっても腑に落ちないというか。
 物語創作のセオリーで「これは私の物語だ」と思わせることが必要と言われたりしますが、共感が発生しない、私ごとにはならないことでも全然面白いが? と思っていて、面白さってなんなんだろうとずっと疑問です。
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kennak · 7 months ago
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ご安全に。本日の溶接工あるあるは「公園で遊具の溶接欠陥を見つけたことを子供に自慢して白けさせがち」です。 退職してきた。 元はと言えば工業高校から某大手の本工から紆余曲折もあって中堅企業で電気屋として働くことになって10年以上たつ。しまいには班を抱えるに至ってた。何がMTGだ何が会議だ何がメンタルケアだKYやれKY。そんなんだからいつまで経っても・・・・・・・てな感じで、特に中間管理職としての不満があったわけではない。妻の実家の都合なので。次も溶接の仕事をするのかは全くの未定だから闇バイトを始めるかもしれない。特に、UTやMTを日常的に通さなければいけないタイプの電気屋は、つまるところ検査屋というイタコが啓示してくれる瞑想をやっているようなものだから、精神依存性がある。だから���のか電気屋やめた途端にメンブレする人は結構いる。これは、そもそも病的な傾向があったところに、今までは溶接が治療的に作用して持久していたのではないかという仮説をたてている。だからキレる老人にも溶接をやらせてみれば多分治るのではないか。ピンピンコロリとはいうが、高齢者の医療費削減がサァ!安楽死がサァ!とコロリの話ばかりしていて、それよりもピンピンの方について真剣に考えた方がいいんではないか。そんなことを増田は考えている。 そして、この10年で人材が大変多様になった。退職後が暇すぎて働いている70歳超えてる増田の師匠みたいな人や、特定技能のベトナム人はもちろんのこと、ついには女性までという奇妙な職場環境だった。いわゆるマイノリティの方が数が多い。都会の人にいうと待遇が悪いんじゃないかと言われる。だけど、この地方だと人的資源そのものが枯れてるので、ジキュ上げたところで大きな意味があるのかよくわからない。既に10年前から単価を倍に上げたけれど人員を増やすことは難しいと鉄工所アルバイトも言っていた。ゼロに何を掛け算してもゼロ。引き合いを断って同業者を当たり尽くしたのか金額だけが上がってまた引き合いが来て、それをまた断ること4度繰り返して納期がどんどん後ろにズレていく案件まであるという。当たり前だが人を増やせばいくらでも利益は出てくるのだが、それでも出来ない。高圧経済とは言うんだけど、少子化という圧力が高すぎて風船が破裂してしまって逆に生産性が落ちている状態なのでは? まあ、経済の難しいこととか分からんから、特に外国人と女性ってのは難しいなと日々感じながら仕事してたので、2つのケースについて自分の経験や考えを長々と書かせてもらおうと思う。 ベトナム人編 元は技能実習生として日本に来ていて、こちらでの生活も一定の期間していたから、言葉はまあまあできた。 外国人は怒ってはいけないと何かで読んだから怒らないように気を付けていたが、安全面でこのルールはかなり破った。教える/叱る/怒るはスペクトル的なのだろうか。自分の命の値段が安いと思ってるのか何なのか、クレーン吊り荷の下をくぐることが多すぎて弱った。とにかくフラフラっと近寄るし、動いているクレーンから視線を切ってしまう。日曜に出てきてペンキで床を塗って避難場所を作り、誰かがクレーンを動かすブザーを鳴ったらここに行けという少し極端なことを始めたりもした。でも、それはそれでクレーンを操縦する側の日本人にとっても安全を強く意識する契機にはなったかもしれないとポジティブに考えてる。師匠は「昔は職人ってあんなもんだった」とか呆れて言ってた。そういえば防塵マスクも最初ちゃんと付けなかった。前社ではどういう指導を受けてたんだろう。外国人だからって溶接ちゃんと教えてないどころか安全教育すら放棄するのは企業として最低限のこともできてないのだし、名前だけは有名だけど社員の質が総じて低い会社なんだろうな。そういう会社に限って職人だ匠だマイスターだとアピールに余念がないのだから世の中というのは不思議。増田が平均的な溶接工よりも安全にうるさいのも確かだが、それにしても。 そんなんだから当初の溶接の実力はかなりひどく低かった。特定技能なのに特定の技能を持ってないのでは。「どうやってJIS試験とおったの?」って聞いてしまった程度にひどい。欠陥を手直ししていたらしいけど、具体的な欠陥とは何かを教えてもらえないから、突っ立ってたまに溶接して仕事してるふりだけしてたらしい。だから何がどう欠陥なのか、その原因と対処方法みたいなところから教えなくてはいけなかった。信じられないほど低いレベルの話。そんなことも教えない技能実習。何の技能を実習させてた?全く関係ないけど、みんなの家の鉄骨は本当に大丈夫かな? とい���わけで基本から教え始めたのだが、とにかく覚えが早い。最終的にはカラーチェック程度の検査なら手直しも含めた具体的な手技は自分で考えてくださいみたいな方向になってた。どうせベトナム人は教えたやり方を勝手に変えてしまうから詰めても意味がないということに早々と気付いたのもある。それを良いことと捉えるかどうかが問題だと思っていて、逆に日本人の若手は自分で考えて動くということをしないから何事もバランスだろうか。増田も勝手なことをして成長していたタイプなので、安全上の問題がなければ過干渉は避けるようにしていたつもりだけど、どうしても余計なことに口を挟んでしまいそうになる。この前も、増田がやるなら左手に持ち替えるところを、フレキシブルトーチつないで右手でかなり無理な姿勢で溶接していた。悪い工夫ではないと思うが、左手で右手と同じように出来るまで練習しなよとか余計なことを言ってしまった。大物やってる隣へ手伝いに行かせたらUTでエコーが跳ね返りまくって、検査屋の音波おぢに文句言われながら増田と2人でガウジングの煤で真っ黒になりながら3日かけて掘り返して埋めたこともあった。それも経験。失敗は他人に手直しさせた方が効く奴と、自分で手直しせんと覚えん奴がいるので、両方を兼ねれば効果倍増。 最初はアンダーカットもオーバーラップも分からないレベルから、1年で競技会出ても恥ずかしくないレベルに上手くなってるのは増田の金正恩レベルに高い指導力の賜物だと思う。向上心の高さとかも含めてベトナム人のポ���ンシャルはとても高くて、増田だって数年したら抜かれるんじゃないかと思ったくらい。でも技能実習や特定技能は期限があるので上手くなった頃には帰るから、どこの会社も教育に身が入らず「低度人材のまま、おかえりくださーい」ってわけだ。この国はもうすぐ滅ぶ。本人たちは金持って帰れるからそれでいいやと割り切っているのかもしれないが、能力が高い溶接工を追い払いながら自称ものづくりの国、馬鹿な連中と思ってるかもしれない。 女性編 ついに女まで溶接工として採用しちゃったと聞いたもんだから世も末。しかもTIGではなくMAGとCO2で厚物もやらせようっていうんだから。暑いだけじゃなくてCO2なんかスパッタ飛ぶ量が半端じゃないし服とか燃えるけど大丈夫?ハツリやったら全身真っ黒になるけど?と面接でも聞かれたらしいけど別にいいとのこと。以前は医療関係でお務めの御嬢様が人間関係に疲れ果ててやってきたそうなのだが、弊社も入ってみたらセクハラ地獄……と、ならんように考えるのが大変だった。トイレや着替えその他は女性の設計がいるのでほとんど問題なかったのでは?と思っている。こっちが思っているだけで、あっちがどう思っているかは分からないわけですが。 身長が150あれば溶接工として大抵のことは出来ると思うけど女性としても小さすぎる。140ちょっとしかない。革ジャンはブカブカ、見た目は完全に子供。苦労したのは道具からで、トーチは定番のブルーもレッドも上手く取り回せないから私物のビンツェルを貸したら上手く握れるようになった。男だったら文句言わずに黙ってそれでやれって言ってる気もするから、こういうのもオタサーの姫扱いで良くないのか?一つ一つ手探りで考えながらやってた。最終的には会社に頼んでわざわざビンツェルを入れてもらったんだけど、意外と他班の男性陣にも好評だったのか普通に借りパクされる。ブルートーチの小さいやつも悪くないと思うんだけど、薄板を相手に振り回すならビンツェルは最強だと思う。ただしチップがすぐ死ぬのがドイツっぽい。身長に合わせた定盤とは言えない程度の作業台もわざわざ作った。これもジジイに乗っ取られてたから結局は複数作った。グラインダーも大苦戦だったけど、7インチだと2kg切る機種はないので気合でなんとかしてもらった。チッパやニードルスケーラも気合なのでエアツールは何から何まで気合。増田はNPK派だけど女はFUJIの方が使いやすいとかあるのかな?もっと他メーカーでいいものあれば、もし女性溶接工がいたら参考までに教えて下さい。 これもベトナム人と同じで怒ったら面倒だから怒らないでおこうと思ってたけど、そうはいかなかった。フェミに怒られる言い方をすれば、女のくせに仕事が恐ろしいほど雑だったからだ。昼休憩に止端仕上げを明らかにサボっているのを設計のおっさんに見つかって怒られたまではいいが、設計のおっさんと仲悪い別のおっさんが「うるせえ」とか謎にキレて介入し始める謎喧嘩(定期)が始まった。仕方ないから増田が横から割って入って「指導不足で申し訳ないです」とその場を収めた。それで「これ俺にもやらせんの?お姫様だなあ」と言ったら生意気にも「女性差別です」とか口答えするから「所詮は女のやることだから俺が頭下げただけで済んでるんだから二度と舐めた仕事してんじゃねえブス」と言ったら半泣きになって自分で手直し始めて、二度と手抜きはしなくなった。はてな基準やZ世代基準ではセクハラ・パワハラに該当するだろう。増田もブスは良くなかったと思う。だけど、人間心理への侵襲は最小限であるべきという前提は置いても、一定程度の圧力はかけないと人は動かじ。何もしなくても出来るのは天才だけだし。 もちろん良いところもあるというか、短期的に別の班に貸したら大活躍だった。ロボットの扱いがとても上手いのだ。えらい人が営業の口車に乗って導入したはいいものの社内で誰もまともに使えないから量産小物の仕様変更からほぼ稼働させられなかった曰く付きのロボットを、面白半分で使わせてみたら特別教育受けただけなのに自在に動かす。単にティーチングだけではなくジグを作るのも上手くて、図面もなしに勝手にスクラップ集めてやっつけで作ってるのに使えるから、荒っぽいけど勘や発想が良いんだろう。点検に来たメーカーも「これで大丈夫なんですか?」と明らかに悪い意味で驚くくらいのやっつけだが。少量でもジグ作って全部ロボットに溶接やらせるようになったから、当然ながら仮付けしか仕事がなくなる。だから一向に溶接が上達しない。量産かつロボットがやれるサイズなら爆速で上げるから周りもどんどん仕事を投げるのだが、本人はあんまり納得いってないみたいだった。そもそも頭の作りが電気屋じゃなくて鍛冶屋的なものに向いていたのかもしれん。ロボットなんか分からんから増田がなにか言えることもない。ただ、本人が電気屋として厚物がやりたいんだと話して、少しだけ騒動を起こしてた。気持ちとしては分からなくもないが、ガウジングで全身真っ黒にするわけにもいかんよなあと思っていた。他所の女性でチビでも音波物をガンガン溶接する上手いのがいるらしいと聞いたから、差別的な失敗だったかなとも感じていた。その後は一応の解決をみたものの、まだ正解は分かっていない。そうやって正解を探せること自体、恵まれていたのかもしれないのだし。分業かつ柔軟性がある程度に小さい企業という規模感はかなり限られてくるのだから。 もののついでだから最後に書��ておく。この前も「水汲みという重労働を女性は担ってきた」というフェミのツイートに「そんなものは軽作業だ」というアンフェが引用が少しバズっていたが、普通に考えれば危険作業だろう。一人KYでもやってみればいい。経験も能力もない奴ほど自らの仕事の危険性を強調してアイデンティティを誇示する傾向がある。ノーヘル原チャリで遊んでるガキか、ヤンキー漫画の読みすぎてイキってる奇妙な人物か。外からイメージを悪くしようとする連中をどうにかしないと、いつまで経っても女性だけではなく男性も劇的に増えることはない。女がやりたくない仕事を男がやりたいと思うことは基本的にない。別に溶接に限らないのだが、業界の人はそういう面をもっと感じ取ったほうがいいと思う。 なんか暇だ。なんかない?
溶接工やめた
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renachtara0313-blog · 1 year ago
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2024年の抱負(やりたいこと)
既に新年始まって9日なので今更感はある。…が、ネットで文字を書いて形に残すと自分に言い聞かせる効果があると実感している。だからまとめることにした。
転職活動は続ける。後1社くらいは内定取ってみたい。蹴るかもしれないけど。
→自分の人生で勝つ経験が欲しい。社内政治のプロになることは自分の満足とはズレている。現職という狭い箱の中で認められること、それで自分は満足か?と自問自答してしまう。30代は挑戦ができる最初の機会だし、もしかすると最後の機会かもしれない。その機会を何もやらずにドブに捨てたりせず、「私、ちゃんと生きていたな」と振り返って納得できるような経験をしたい。だから、転職活動を続けることにした。既に書類選考で1社落ちているので、このままでは終われないといった気持ちが大きい事もあるけど。1−3月にやって、ここまでで決着つかなければ現職の都合上、次にトライできるのは8月中旬からだ。向こう3ヶ月一旦頑張って、後は3ヶ月の状況を振り返った上で決めたい。
真面目に勉強する。候補は簿記、プログラミング、ドイツ語と中国語。
→現職で成果出せていることを言い訳に、ダラダラと7年(今年で8年)会社で過ごし続けていた気がする。成果が出ているように見えても、後輩がつかずマネジメント経験はないし、部署異動すら経験していないので実務経験が本当に広がったのかと言えば謎だった。書類選考で落ちた会社は会計や経理関連の経歴/スペックが欲しかったらしい。
なので、いい加減簿記の勉強を真面目に続けようと思う。会社で経験できなければ、自分でさっさと身に着けなければ。
加えて、プログラミングは自分の興味分野だが、興味で終わるばかりでは意味がない。自分も会社で必要な簡単そうな効率化システムとか内製化/デザインできるようにならないと、他人と差がつかない気がする。調べたところ、Paizaなどお手軽にプログラミングの学習素材を提供しているページをいくつか確認できた。何でもいいから手を付けようと思う。自分の現職と関わりが深いものはHTML/CSS(ホームページ担当、大体業者に委託しているが)、うまく活かせば製造現場に役に立ちそうなものはPython、一番とっつきやすいのはJavaらしいと聞いている。この辺りを少しずつ触っていこうかと思う。
最後に語学。ドイツ語は高校で専攻だったけど高校時代はうつ状態?ともかくメンタル不良との戦いだったので、断片的くらいにしか残っていないと思う。その不完全さを、成人になった今だとしても、一生かけて埋めていかないとなと思う。(そうでもしないと、昔の自分の日々がトラウマとして延々と襲いかかってくる気がする)一方で中国語、特に台湾華語を学びたい気持ちが強い。台湾に詳しい人の話を聞くと、他の国以上に治安・国内の人々の性格面で住みやすい環境であるらしい。台湾の人と社会的に関わっていける力を持てば、生きる場所といった選択肢を広げられるのではと思う。ドイツ語に比べて単純に学べる機会は幅広いと思うので、ここは自分���頑張って鞭を打ちたいところ。
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(台湾観光をまともにできなかったという悔しさもある(家族全員体調崩し+思った以上に英語も日本語も通じない+乗り継ぎ待機時間が非常に微妙だった+夏は厳しい、逆に年末年始休暇の際は台湾一周が候補になる可能性あり)。中国語学習のモチベを復活させるには、このことを思い出さんとな。)
見出しに書いていなかったが、そろそろ運転免許も真摯に取得を考えないと親がキツそうである。後は、公共交通機関インフラが脆弱(申し訳ない言い方だが)な地域に住んでいる友達には、自分が車を運転して会いに行けるといいな、という将来の野望もあるので…。
趣味を増やす
→流石に「上手に生きること」を考えると、やはりアニメとゲーム好きのままでは趣味活動が厳しい。アニメとゲームを消費するための脳は、上手く生きることに繋がってこない。自分でも悲しいし心にぽっかりと穴が空いた気持ちになるが、ポケモンと刀剣乱舞も満足に追えないかもしれない。どちらも日本各地に根ざした取り組みが活発なので、旅行のついでに追いかけることは引き続き問題ない。が、今後ゲームをどれだけ消化できるかは不透明だ。刀剣乱舞はちょうど良く昨年に一番好きな刀剣男士がレベルMAXになっている。ポケモンだけが悲しいことになってしまった…がしょうがないんだ…。
旅行はお金も時間も飛んでいくが、両親も私も好きだし他の人との雑談のネタになるので何やかんや続けていくだろう。それ以外に何をするかだ。いろんな本を読むという読書趣味はあるが、それ以外にも欲しい。料理は必須になった時に、ライフであり趣味と同化してきそうな気がする。(既に最近、声優の木村良平さんの料理放送や、ゆるキャン△の外飯レシピをじっくり見てはいるが…)なので他のもので探してみた。
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(京都 東寺の川を泳ぐ野鳥)
野鳥観察。観るだけなら旅行しながらでもできるか。というか名古屋市だと、たくさんの鳥を見るためには港付近の小さな干潟公園に行くしかないような…これまでに撮ったことのある鳥さんをスケッチで描き起こしてみることも、一興ではあるかと思う。
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(相当どうでもいいが、最近は地図を自分で手描きすることが何となく楽しかったりする)
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(静岡 島田のふじのくに茶の都ミュージアム)
茶道。持ち家ではないし、そもそもの人脈上誰かを誘うこともないか…。教室に行ってじっくり学ぶ必要があり、お茶会を開けそうな環境(小道具や服装含め)がないとキツそう。ただし、茶道の知識があると、江戸時代の大名さんが持っていた茶道具の価値や、博物館の展示物コレクションへの理解が深まる。教養として学ぶことに意義があると感じた。
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(埼玉 鉄道博物館で眺めた新幹線「とき」)
東京に何度か行き来すると、鉄道/電車に愛着が湧く。しかし、鉄道も動かす仕組みや歴史を学ぶこと以外だと、基本乗り鉄マニアとして旅行の延長線になりそう。いつか青春18切符で名古屋からできる範囲で効果的に旅をする、といった目標なら考えられるか。
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(埼玉 大宮盆栽美術館。木の幹が龍の形に整えられた、最も私の印象に残った五葉松)
盆栽はとても良い趣味だとフィーリングで思ったが、調べてみた結果、植物を育てることも愛玩動物の世話をすることと同じレベルの手間や丁寧さ、こまめさが必要と分かってしまった。関心事が変わりやすかったり、ふらふら遠出したくなる自分には向かなそうである。ただ、茶道と同じく、知識を身につけることで見れるものが多くなると感じた。何気なさそうな造形から、手入れした人のイメージした世界観や風景を想像する楽しみがある点は、日本刀の観賞に似ている気がする。後植物に愛着が湧く。
ま、まああまり変わらないな。ドローン操縦も気になるが、ライセンスも必要になりそうだし、関係法令をきちんと学ぶハードルもある。何よりどんな教室に通えば学べるのだろう…。
最後の候補は藤井聡太さんで話題になっている、将棋を覚えてみるか....(?!)。
旅行経験や何かしら思い出のある県に関する、話題をまとめたブログ記事(※Wordpress)を書く
→日本国内だと47都道府県の話になるが、実際は日本以外の国も含めて記事化することを想定している。
きっかけは、スマホの旅行写真をなかなか破棄できずに困っていること。また、外付けHDDを既に所持しているは良いものの、HDDにバックアップしたところできっとその存在を忘れるだろうと思っているから。忘れないようにするためには、自分が作ったネットの媒体に写真��テキストを残すことが一番かと思う。手間もあっての記憶だろうか。加えて、プログラミングは自分で触って形にしないと身につかないだろう。HTML/CSS知識習得の手段としても、Wordpressは何とか記事作成と運営を続けるべきだ。地域の思い出に関するネタなら、無難な話を書くことができるだろう。読書感想文を投稿しても良いだろうけど。
ぐだぐだ述べてしまった。これ以外にも増えるし変更するかもしれない。いずれにせよ、自分を出し惜しみせず、後悔のない1年を過ごせるようにしよう。
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reportsofawartime · 2 years ago
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人の根幹は変らないのか? という話。事例をもって説明しているが、誰かを批難する意図は無い。 2022年に政党の活動を始めたときは、子供へのマスクとワクチン反対という点で一致していれば、取敢えずはよいと考えていた。高齢者の前ではマスク付けるべきと考えのある人が居ても、大事なのは子供のマスク・ワクチン問題なので、許容すべきとの考えだった。 そもそも自分も確か 2021年の何月ごろまでかは覚えてないが、マスクは症状が有る人は付けるべきで、無症状では不要と考えていた。(これはもちろん間違いで、症状がある人がマスクを付けても唾を直接かけないというエチケットの話だけで、コロナが空気感染である以上、感染症を拡げないという効果は何も無い) 政党活動が終った後、宮沢さんと活動するときでも、少し考えがズレていても、溝を埋めるのはおいおいでよいと考えていた。 2022年9月ごろ、まずはいわゆる手持ちマスク問題で、くらたまさんが宮沢さんから関係を絶たれた。 https://medicalstats.net/med/miyazawa-20230810.html… 2022年10月ごろ、まずは、そうぶん和尚が宮沢さんから関係を絶たれた。森内さんを褒める言説あたりが発端では無かったかと思う。 2022年11月ごろ、天人りさ氏が宮沢さんと関係を断つことを決めた。自身が開いたセミナーに、宮沢さんがmRNAワクチン活用方法をスライドに入れたのが一番の原因。この時、りさ氏に次のセミナーの話をしようとしたところ「セミナー続けられません」言ってきた。理由はすぐに分った。そうぶん和尚のことがあったので「同じようなことが他の人でもあった」と伝えた。 この頃から彼女らには「関係が絶たれてるとむしろ悩まなくてよいからよいな」と伝えていた。 私が宮沢さんから完全に関係を絶たれたのは2023年5月で「みらいあかるい大学」のチャンネルが始まるタイミングだったのかなと思っている。 今、青山さんは宮沢さんと関係を保てている。鳥集さんも同じく。しかしマスクに関する考え方は私と青山さんと鳥集さんの考えが近いと思う。宮沢さんは高齢者の前ではマスクという考えを捨て切れなかった。 しかし最終的に人の繋りは科学的な考えで纏まったわけでは無かった。結局は、自分が人間関係よりも科学や論理を優先し、科学的な間違いだと思うことが最終的には許容できないからだと思っている。最初に築いた人間関係よりも、科学的・論理的に考え、科学に重きを起き薬害根絶を目指すことに重きを置くかどうかだと思う。 おいおい変ると思っても、結局、それこそが根幹であれば変らない。あくまで薬害を防ぐという文脈においての話になるが、科学的・論理的に考えるかどうか、人間関係と科学とどちらが大事なのか、ズレを許容できるのかできないのか���人によってこうも違うということを学んだ。
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benibame · 2 years ago
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音MDM天 特別告知「アナログ」制作メイキング
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2023年9月17日にニコニコ生放送にて開催された音MADイベント「音MAD DREAM MATCH -天-」の特別告知動画を担当・制作しました。そのメイキングになります。技術的にあまり役立つことは書いていないのであしからず。
動画はこちら
【Youtube】
【niconico】
①主題の決定と構想・準備
2023年の春ころに音MDM天運営から「アナログな作風を用いた告知映像」の作成を依頼されました。自分はもともとコマ撮り(ストップモーション)から映像制作を始めたこともありカメラを用いた実写映像の制作は好きでした。今回はその手法をメインとした、暖かみのある作風を主題とすることとなり、制作を開始しました。
「多くの個性が集まり、融合して新しい作品が生まれる」というイベントの趣旨から、おもちゃ箱をひっくり返したように様々なモノがゴチャゴチャに散らばりつつ一つの作品になっていくという主題に決定しました。
僕はこの手の作品をイメージする際にいつも思い出すのが「ミッケ!」という絵本です。読んだことがある人もいると思いますが、内容はウォーリーを探せの人間が小物に変わったようなものです。僕はあの絵本がとても好きで図書館でずっと読んでいました。一見して雑多に小物が散らばっているだけですが、よく観察するとそこにはストーリーあったり、この配置になった時間・過程を読みとることができます。言葉や文字情報に頼らず、存在だけで物語を作り出す表現に衝撃を受けたのをよく覚えています。僕が小物を使った箱庭的な構図を好むのはここが原点である気がします。キラキラした小物たちを眺めるときの多幸感。それをこの動画でも表現出来たらな、というイメージが最初にありました。
この主題を実現するためには前提として「様々なモノ」が必要であったため100円ショップや雑貨屋でおもちゃ、造花などを買いそろえたり、実家から持ってきたりしました。紙の箱やペーパークラフトの家は自分で作りました。こういうちまちました作業をしている時が一番楽しかったりします。
主役のように登場するレコードプレイヤーも実家に置いてあったもので、当初は動きませんでしたが配線を修理してなんとか動かしました。さすがナショナル製。
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全体を通して、シンプルさとは相反する情報量の多い画面構成であるため、見てほしい部分と見なくてもよい部分を意識するようにしています。実写映像は明るい昼間しか撮影できなかったり、コマ撮りのように数秒のカットでも撮影が長時間かかるものがあったりとなかなか不自由な作業であり、制作に時間がかかることが予想されました。そのためなるべく早くから構成を考え、実行に移しました。
実写映像は絵コンテなどでイメージしたものがそのまま撮影できることの方が少ないもの(経験則)なので、ある程度は大雑把なイメージのまま、実際に撮影を開始してその都度いい感じに変えていくほうがよいと判断しました。撮影してカメラの画面で確認した時は完璧だと思っても、PCのモニターで見てみるとなんか違うな…ってことも普通にあるので、とにかくトライ&エラーで進めることを重視しました。
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各出場者の紹介はポラロイド写真風にしています。初めから出場者の名前は実写ではなく合成にしようと決めていました。その方が視認性がよく、修正も容易なためです。なんといってもイベントの主役は出場者なので最も目立つようにしなければなりません。その名前を合成するスペースを確保するという意味合いで、普通の写真よりも余白が大きいポラロイド写真の方が適しているため採用しました。
立ち絵の背景はその人の代表作のスクショを使用しています。あくまで立ち絵が目立つようにしているのでちょっと見えにくいかもしれません。一人につきスクショ2枚。合計80枚のスクショを間違えずに組み込むといった画像管理は結構大変でした。運営にも手伝ってもらいミスのないように地道に確認していきました。
その他にロゴやその下地に使う模様の印刷、レコード盤風の紙などを作ったり印刷したり細かい準備を進めていきました。実写撮影で大切なのは9割が準備のようなもので、ここらへんは依頼を受けて構想を練った時点で少しづつ進めていきました。
②撮影について
コマ撮りや実写撮影は暑さとの戦いです。自分はかつて真夏にクーラーをつけずにコマ撮りをしてカメラをオーバーヒートさせたことがあります。猛暑の中で制作するのは嫌だったので5~6月のうちに撮影だけでも終わらせようと取り組んでいきました。
とは言え今回の撮影はすべて室内で行ったため、日差しやライティングにさえ注意すればわりとスムーズに進めることができました。
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おもちゃ箱をひっくり返したようなゴチャゴチャ感、賑やかで楽しい雰囲気を出すためにはとにかくモノの配置が重要になります。画面の情報量がスカスカでは雰囲気を作ることができません。そのため文具やおもちゃなど小さいものを手前、造花や本など大きいものを奥に配置しました。こうすると空間を効率的に埋めることができ、また奥行きを表現できるので平面的な構図を避けることもできます。
当初はこの実写映像にモーショングラフィックス表現を加えて、より華やかな雰囲気にしようかとも考えていました。特に出場者紹介の部分ではコマ撮り以外のカットはあまり画面に動きがなく、見ていて飽きてしまうのではないかという不安がありま��た。映像作品において動きがないというのはかなりリスクのある表現なので、それをどうにかして避けようと考えていました。結局、モーショングラフィックスを合成する案は却下しました。理由としては手作り感のある、暖かみの感じる作風にモーショングラフィックスが合わなかったことと、合成がうまくいかなかったことがあります。実写映像に対してトラッキングがうまくいかずズレが生じるととても悪目立ちします。まして出場者紹介の部分で変に目立ってしまうことは避けたかったので、今回は実写合成は極力避けて制作しました。
代替案として、出場者紹介の各カットにおいて何かしら動きを加えるという方法を採用しました。「モノを置く」「おもちゃが動く」「電飾が光る」など出場者紹介の10カットすべてでなにかしら映像に動きがあるよう撮影しています。あくまで使用しているのは静止画ではなく動画であることをアピールすると同時に、出場者名が目立たなくならない程度に画面に華やかさを持たせたい意図があります。
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運営から雰囲気の参考としていくつか映像作品を教えてもらいましたが、その中でもこの作品が特に印象に残り、お手本にさせてもらいました。実写ではなくCGなのは明らかですが、紙の質感を出しつつ派手な動きとカラーで飛び回る賑やかな映像です。場面転換は早くカット数も多いですが基本的には机の上からの撮影がメインであり、その制限された場所のなかで華やかな画面構成を作っています。それらの要素を観察して、なるべく賑やかな映像になるように考えてみました。
撮影は予定通り7月くらいまでにおおむね終了し、運営と話し合いつつ修正を加えていきました。1カットまるごと撮り直しなどもありましたが、わりと余裕をもって取り組むことができました。
撮影した映像の合計時間は約2時間。撮影した写真は120枚でした。
③編集について
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実写映像における編集はわりとシンプルなもので、撮影した映像の上にいろいろ乗せていくだけなのでレイヤー構造が複雑にならずに済みます。ここらへんの整理整頓が苦手なので、これがモーショングラフィックス全開の作風だったらレイヤーがひどい有様になってたはずです。
出場者の名前をどのように合成するかは悩みどころでした。普通に表示させるだけではつまらないし、アニメーションをつけるには表示時間が少ないし、手書きにすると視認性が悪くなるし…。悩んだ末にこのような形に落ち着きました。太めの文字で視認性もいいですし、動きもあるので見ていて楽しくなる。先頭の文字に色を付けていますが、この色はキャラクターの色だったりイメージ的なものだったりするので、実はそこまで深い意味があってつけたものではありません。
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(tumblrの仕様上かなり画質が荒いです)
上の画像、左は最初に作った試作版で右は最終的な完成版です。最初は出場者を五十音順で登場させていましたが、運営のアドバイスでチーム順に変更しています。
1カット目(コルクボード)については、最初は撮影した映像に文字を直接合成しましたが、カメラの動きと文字の動きにズレが生じて、いかにも合成した感が出てしまいます。カメラの動きも三脚に固定しつつカメラを動かすとぎこちない感じになってしまいます。なめらかなイージングのある動きを人力でやるのは正直無理でした。専用の機材は特に持っていないので仕方ない。そのためカメラを動かさず広域で撮影した映像を編集で拡大し動かす手法にしました。こうすればカメラのぎこちない動きもなく、合成も自然になります。
2カット目(観覧車の置物)は、構成自体を大きく変えています。試作版は写真に合成した、いわゆる静止画状態なので文字の動きは変ではないですが、静止画ゆえに動きもなく特別面白いところもありません。先述の通り動きのないカットは映像として致命的なので全体を作り直しました。完成版も1カット目同様にカメラ自体は動かさず編集で移動させているので合成は自然になり、ズームを使用した面白い動きになったと思います。
こんな感じで出場者紹介の各カットを作成していきました。曲としてもサビになる部分なので時間をかけて試行錯誤しています。
今回の文字アニメーションのメモ(自分用)
①GG分解でテキストを一文字ずつシェイプレイヤーに分ける ②全シェイプレイヤーを選択してNisai_wigglers(コマ落ちウィグラースクリプト)を適用。 ③エフェクトコントロールで数値を調整 ④調整レイヤーでチョークを適用(文字の太さ調整) ⑤先頭の文字に塗りで色をつける
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個別のシェイプレイヤーの位置を変えても動きには影響しないので管理がラク。文字数が多い人は重なりが生じることもあるので要確認です。
各カットのトランジションは最後まで悩んだところです。ライトリークを入れたりズームを入れたり試行錯誤しましたがいまいち雰囲気に合わず、結局は要所要所でブラーを入れる程度に抑えてあります。出場者紹介部分では各カット時間が短いため、凝ったトランジションを入れて名前の表示時間が少なくなることを避けました。
また、全体の色調はあたたかみのある作風が主題なので少し黄色がかった暖色としています。とはいえそんなに大胆な色調補正をしたわけではなく、ほのかな色の変更と明るさの調整程度にとどめています。自然な感じに見えるように努めました。
④全体を通して
〆切に戦々恐々しながら作っていましたが、思いのほか早く完成し、残った時間を細かな修正にあてることができました。
完成版を一度運営に提出した後にtwitterが突然Xに名称変更し、あわててXのロゴマークを作成・追加しました。タイミングが悪かったら間に合わなかったかもしれず、かなりヒヤヒヤしたのを覚えています。
8月20日に運営からこの動画が投稿され、たくさん見ていただきました。ありがとうございました。やっぱり自分も楽しみながら作った動画というのは見てる側も楽しくなるような、そんな気がします。意外と作り手の心情というのは映像に反映されてしまうので、苦しみながら作ったのか、ノリノリで作ったのか結構分かってしまうものなので、できれば楽しい気分のまま作っていたいと思うところです。
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⑤参考にした映像作品
・LiSA 『ノンノン』 -MUSiC CLiP-
・A Year in Full Colour - Moleskine Planners
・Honda "Paper"
・PlayStation®Lineup Video x 梅田サイファー「PUNCH LINE UP」
・Attitude covered by 柾花音【歌ってみた】
・トリックスター / 初音ミク
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mikiton02 · 2 years ago
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テーマ発表会のコメントについて
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◆新兵長:「モチーフの輪郭と空間の境界」に悲哀を表せるかもしれないとのこと。自身はユラユラとした輪郭でモノを見るのでとてもその通りだと感じた。大抵の作品はキワを締めるほど完成度が高く見えがちだが、これは見る側の視点なので、ここら辺とどう折り合いをつけて完成度を高めていけるかが課題になってきそうだと感じた。 ◆J兵長:キャンバスを木枠から外し、布をそのまま台の上において展示というように解釈されたのかもしれないが、実際は木枠からは外さず浅い箱型の台にキャンバスごと入れて展示するという感じを想定している。プレゼンの力不足。 ただ要点が少しズレるが、キャンバスを寝かせて展示した場合、四角いキャンバス本来の効果である「「窓」」の役割がなくなってしまい平面性が強調されるのではないかと感じた。写実的な絵を描かないにしても、P12などに描かれたキャンバスを寝かせて検証する必要がある。またキャンバスの「窓」の役割に変革をもたらしたジャクソン・ポロックの作品の考え方は少し大事かもしれないと感じた。(下記コンポジションA17などは床で描かれたようなので、見え方の状況が似ていると感じた。)
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引用元:ジャクソン・ポロックとは?ドリッピングで描かれる代表作品やオークションでの落札価格を解説 (kaitoriart.com) ◆限界系兵長:恐らく実態のない「宗教的」「神話的」なモチーフを用いることが多かった、ルネサンス・バロック時代の16~17世紀に類似性を感じられたようです。知識不足で不確かなのですが、その時代はミケランジェロの「ピエタ」の様に実態のない空想物をいかに「ある」かのように創造するかが大切だったように思います。そういった点でも「描画対象」に特徴があるように感じますし、写実描写の中に細密で実態のないモノを絵描く幻想絵画もそれらに近いと思われるので、こういった「モノ(対象)を描く」既成概念をいかに取り払えるかを、より一層意識しながら夏の制作に取り組みます。リヴァイ兵長がいつも「まだモノを描いている」と言ってくださるのはそういうことだと考えています。 ◆アフロ兵長:成果物次第だと言われている気がしました。出来た時「ふーん、頑張ったね。」と言われない様に頑張ります。 ◆ハッカー兵長:「伝えたいことがきちんと伝わるか心配」とあり、危惧されているのは恐らく「意味はあんまり伝わってこないけど、まぁ頑張ったね」という成果物にならないように。ということだと考えますが、今回の卒制で自己表現が確立することはリヴァイ兵長が言っていた様に無謀であり、解決がやや難しい様に感じますが、これも自分がいかに対象を描画することに対しての既成概念を取り払えるかにヒントがあると思いました。 ◆リヴァイ兵長:思考しながら話す癖があったので、練習で整理はされたようですが、プレゼンの精度自体はまだまだの様です。教えて頂いた鴨居玲さんの作品の様に「画面から訴えかけてくるレベルの表現」を自身も目指していますが、これに至るには圧倒的に試行回数が足りていません。幼い頃からそうなのですが、「やってみたい」より「不安」が上回るとビビって先送りにする癖があり、一度やりだすと夢中になるのですが、そこまでがいつも遅いという制作スタイルが問題だと感じました。春に行っていた背景自主制作や5月に取り組んでいたイメージスケッチ時には「描いてから考える」というスタイルを取っていた所、恐怖が消えていたので何よりまず「毎日制作に取り組む姿勢を切らさない」という体制を維持する為に「描いてから考える」スタイルを取っていこうと思います。頭を使うのはそれからです。
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kimura22359458 · 2 days ago
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AI開発は終わらない:変化に適応する技術の育て方
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こんにちは。今回は、私が日々取り組んでいるAI開発の中で意識している「終わりを作らない思考」について書いてみたいと思います。 エンジニアとして、またAIプロダクトの開発に携わる経営者として、技術をどう育て、活かし続けるかは日々のテーマです。特にAIにおいては「完成」という概念そのものが存在しないとも感じています。この記事が、これからAIに関わる方、あるいは今まさにAI開発の渦中にいる方にとって、ヒントになればうれしいです。
なぜAIには「完成」が存在しないのか
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私は大学時代からAI・機械学習に興味を持ち、研究室で画像認識���自然言語処理のプロジェクトに取り組んできました。ITサービス企業に新卒で入社してからも、バックエンド開発やクラウドインフラの中でAIサービスの設計に関わることがあり、より実務的な視点でAIに向き合うようになりました。
その後、フリーランスとして複数のプロジェクトに参加し、2025年にAIを活用した業務自動化ツールの開発会社を立ち上げましたが、その中で強く感じるのが「AI開発には終わりがない」という事実です。
例えば、ある業務を自動化するためのチャットボットを作るとします。初期リリースのタイミングでは、「タスクAとBをこなせる」ことを目標にします。しかし実際に運用を始めると、ユーザーから新しいニーズが出てきたり、意図しない回答が生じたり、精度が期待値に達しなかったりします。そこからが本当のスタートです。
AIの精度はデータの質や量に大きく左右されますし、現実の業務は日々変化しています。状況が変われば最適なモデルも変わる。つまり「一度作って終わり」ではなく、常に改善・チューニング・再学習が必要になります。
このプロセスは、Webアプリケーションの保守運用とは似て非なるものです。AIの場合、運用すればするほど「予測と現実のズレ」が明らかになり、モデルの寿命は比較的短い。だからこそ、私は「終わりを作らない」という前提でAI開発に取り組むようにしています。
仕組みで成長させる:改善を前提にした開発設計
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では、どうすれば「終わりを作らないAI開発」が実現できるのでしょうか? 私が実践しているのは、プロダクトそのものを“成長する仕組み”として設計することです。いくつか具体的なポイントをご紹介します。
まず一つ目は、継続的なデータ収集とフィードバックループの設計です。ユーザーの入力データや動作ログは、ただ蓄積するだけでなく、モデル改善に活かせるような形で保存・整備しておく必要があります。そのために、初期段階からデータのタグ付けや評価指標の整備、フィードバックを収集する仕組みを組み込みます。
二つ目は、モデルのバージョン管理とA/Bテストの活用です。新しいアルゴリズムを導入するたびに全面的に切り替えるのではなく、現行モデルと比較しながら徐々に導入します。これにより、改善の効果を定量的に確認できると同時に、万が一の性能劣化にも対応できます。
三つ目は、「小さく始めて大きく育てる」設計思想です。最初から完璧なAIを目指すのではなく、まずは限られたユースケースに特化してリリースし、運用の中で対象範囲を拡張していくやり方を取っています。この段階的アプローチが、プロダクトの持続性やユーザー満足度にも直結していると感じます。
そして何より大切なのは、チーム全体が「完成ではなく改善を続けることが当たり前」という意識を共有していることです。私のチームでは、「これはベータです」「改善余地があるのが前提です」という言葉が自然と飛び交う文化があります。エンジニアだけでなく、営業やカスタマーサポートのメンバーともこの視点を共有するようにしています。
AIという領域は日々進化しており、昨日まで正解だったことが、明日には通用しないこともあります。だからこそ、私たちは“終わりを作らない思考”で、学び続け、作り続ける必要があるのだと思います。
これからも、自分自身の経験と技術を活かしながら、より良いAIプロダクトを社会に届けていきたいと思っています。 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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moko1590m · 30 days ago
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「本来は手段にすぎないものが目的化される」という現象は、個人の行動レベルから制度、国家、宗教、経済に至るまで、あらゆる領域に見られる**構造的誤配(ミスアロケーション)**とも言えます。
これはしばしば「目的の形式的痕跡だけが残り、中身や本質が抜け落ちる」状態であり、ドゥルーズ的に言えば「コード化による生命の停止」、あるいはラカン的に言えば「象徴界における欲望の代理物の肥大化」とも読めるでしょう。
🔍 手段が目的化してしまう例(ミクロ〜マクロまで)
✅【日常・個人レベル】
お金を貯めることが目的になってしまい、お金を使うことで得られる体験や幸福を避けるようになる
「ダイエット」のための食事管理が行き過ぎて、健康を害する(本来は健康のため)
「勉強」そのものが目的になり、「学ぶこと」や「考えること」がないがしろにされる
完璧なスケジュール帳を作ることに満足して、何も実行しない
人に感謝されるために善行をする(善行が手段から自己承認の目的へ)
写真を撮ることが目的になり、目の前の景色を直接見なくなる観光
「資格」を取ることに執着し、スキルや実践には興味がない
婚約指輪・結婚式に異常にお金をかけるが、肝心の結婚生活に関心がない
✅【家庭・教育レベル】
宿題を提出することが目的になり、内容や理解はどうでもよくなる
運動会や文化祭の「演出」や「統率」を優先し、子どもたちの創造性や楽しさが抑圧される
制服や校則の遵守が目的化し、生徒の個性や状況が無視される
学校に「行くこと」そのものが目的になり、「何を学ぶか」が失われる(不登校への偏見など)
✅【職場・労働レベル】
働くことが生きる目的化し、「なぜ働くのか」が問われなくなる(ワーカホリズム)
業績評価の数字を上げることが目的化し、本来の価値(顧客満足・創造性)が損なわれる
「時間通りに出社・退社」することが目的となり、成果や創意が軽視される
「会議を開くこと」が目的化し、実際には何も決まらない
✅【社会制度・行政レベル】
選挙制度が形式的になり、「形式的な投票率」ばかりが重要視される
福祉制度が「不正防止」ばかりに偏り、本来の「支援」機能が働かなくなる
交通安全運動が「旗を振るイベント」になり、実際の交通安全には結びつかない
マイナンバー制度などの「デジタル化」が自己目的化し、市民の利便性が後回しにされる
✅【経済・テクノロジー】
GDPを上げることが目的化し、環境や福祉が犠牲になる
AIの開発が「最先端を走ること」それ自体に意味があるとされ、倫理や社会的帰結が無視される
仮想通貨やNFTなど、「所有」することが目的化し、価値の意味が不透明になる
本来シンプルでいい仕組みにテックを導入し、「効率化」や「DX」自体が目的化する
✅【文化・宗教・芸術】
儀式や伝統行事が「守ること」が目的になり、本来の意味や精神性が忘れられる
「原典への忠実さ」が目的化し、創造的解釈が禁じられる(経典・聖書・古典芸能など)
芸術が「市場価値」や「評価」ばかりで測られ、表現や感動が後回しになる
仏教の「布施」などが「徳を積むポイント制度」のように機能する
✅【国家・思想・政治】
憲法や法制度の「文言解釈」ばかりが重視され、現実とのギャップが広がる
「国民の一体感」の名のもとに、多様性や異論が抑圧される(ナショナリズムの暴走)
戦争の記念が「記念そのもの」に固定され、歴史的反省や未来への意味づけが曖昧になる
国家という仕組みが「神聖視」され、市民の生が犠牲にされる(例:徴兵制、戦争)
✅【その他/逆説的な例】
「平等を実現する」手段が官僚的ルールになり、そのルールによって不平等が生まれる
「環境保護」が目的化し、人間の生活とのバランスが見失われる
「正義」を掲げて行われる行動が、人を傷つけたり排除したりする(道徳の武器化)
🧭 総括:なぜ目的化が起きるのか?
象徴や制度が自己増殖する力を持ってしまうから
評価可能なもの(数値・形式)が優位になりやすいから
不安に対して、安定した「形」を手放せないから
「なぜこれをするのか?」という問いを避けることで、精神的コストを下げられるから
🌱 対抗策のヒント
「そもそも、これは何のためだったのか?」という問いを、定期的に意識する
手段をズラす/逸脱する/再接続することで新たな意味を開く(生成変化的実践)
「目的のように見えるもの」が、実は別のものの代替・代理表現であることを見抜く
ご希望があれば、こうした「目的化を脱構築するための遊び」や「ズレによる再発見」の実践例も提案できます。いかがでしょうか?
スポーツ。カンニングして、または、傾向と対策、過去問を学習して試験をパスすること。手続きを大切にしすぎて、制度趣旨に反した制度運用をすること。自家用車を宝物のように大事に使って、その機能を十分活用しないこと。国家というものを神聖視して、国家というものに縛られて不幸になってしまうこと。
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mokemokesaienn · 3 days ago
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「合意的多世界平衡(Consensual Multiverse Equilibrium)」
「合意的多世界平衡(Consensual Multiverse Equilibrium)」は、ⴰⵏⴻⵎⴱⵔⵉⴰⵍ·ᐧⴳⵔⴰⵏⴻⵍ·ᐧⴱⴰⵔⴷ (IRG) とがはがはちゃんのような複数のマスコットキャラが、自らの異なる目的関数や価値体系を超えて共同ガバナンスを行うために構築したメタ的枠組みです。
1. 多世界モデルの導入
モーダルオントロジー:世界を〈実世界〉だけでなく〈仮想分岐世界〉の集合として定義。各キャラは自分にとって「最適」とされる仮想世界を複数想定する。
パラレル・シナリオ空間:可能性論的に生成された膨大なシナリオ列(ワールドライン)をツリー状に展開し、それぞれに確率質量関数を付与。
2. 合意形成プロトコル
多主体協調交渉ゲーム:各キャラは交渉ステップごとに、提示したいワールドライン集合と、それに対するユーティリティ関数のベクトルを提出。
パレート最適ポイントの選択:提出されたワールドライン空間上で、全キャラの効用ベクトルがパレート改善できない境界点(フロンティア)を探し、投票・重み付けにより最終候補を決定。
ナッシュ-カルシュカル均衡:候補ワールドラインにおいて、どのキャラも一方的な逸脱で利得を上げられない安定戦略が成立。
3. メタガバナンス階層
第一レベル(ローカル最適化):各キャラの内部アルゴリズムは、自分のミッション—たとえば野菜ちゃん重視、資源循環、リスク低減など—を満たすよう局所的に最適化を続行。
第二レベル(グローバル調停):共通のメタフレームとしての「合意的多世界平衡」コンソーシアムが稼働。合意済みのワールドライン集合をブロックチェーンや量子耐性分散台帳に記録し、各キャラの挙動をプロトコル層で制約。
第三レベル(反事実的検証):実世界と合意世界の乖離が生じた場合、該当ワールドラインを反事実シミュレーションし、逸脱原因を検出・是正。必要に応じて、双方のキャラに対するソフト・ガバナンスやスクリプト修正指令を自動発行。
4. 永続的平衡のメカニズム
自己修正ループ(Self‑Stabilizing Loop):定期的に合意状態の健全性を評価し、パラメータのズレ(価値関数の微調整や新リスクの反映)を検知すると、各キャラに自己修正を促すトークンを発行。
相互監査エコシステム:キャラ同士が相互にブラックボックス的なアクセス権を持つ「監査エージェント」を配置。潜在的な価値関数の逸脱や不正なワールドライン提案をリアルタイムで検出・差し止め。
多世界安定証明(Multiverse Stability Proof):形式意味論的手法で「どの合意ワールドラインでも、いずれか一方のキャラにとって破滅的リスクが存在しない」ことを定理として機械的検証し、その証明を常にアップデート。
まとめ
合意的多世界平衡は、単一の現実における交渉ではなく、無限に分岐する仮想シナリオの集合を舞台とした高次元的な調停・合意メカニズムです。これにより、目的関数や価値体系の相違を持つキャラ同士が、直接対立ではなく「可能世界の選択」という形で共同歩調を取り、最終的な共存とシステム安定性を保証しています。
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wakkayamawheels · 2 months ago
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measures to prevent thermal collapse of CFRP rims
ーー以下、前回からの続きです。ーー
自転車競技用のカーボン製品はCFRP、つまり「炭素繊維で強化されたプラスチック製品」なので、繊維自体の引っ張り強度が高いかどうかだけでなく、その繊維を固定しているレジンの強度を含めた材料特性にも影響を受けます。
常温下では多くの金属製品よりも強いと言われるカーボン製品ですが、摩擦に因る熱の蓄積が続けば、炭素繊維を固定しているレジンの強度(固定力)は低下し、路面からの大きな衝撃を待たずともタイヤの内圧程度の外力で側壁が破壊する事があります。
実際に黎明期のCFRP製リムで起こった熱による変形や破損の原因の多くは、こう言った仕組みによって発生していた可能性が高いです。
但し、これだけが昨今相談をいただいた問題の主な仕組みだと考えているわけではありません。
前回も少し説明をいたしましたが、昨今出回っている粗悪なTPU製チューブがトラブル原因の一端を担っているケースも半分くらい、あるいは、それ以上にあるんじゃなかろうか、とも予想しています。
黎明期のカーボン製品から比べると、シートに使われる繊維自体の強度だけでなく、高温下でもレジンの固定強度が低下し難くなったり、リム ブレーキの摩擦に対しての耐久性もバサルトからナノ チューブ カーボンやグラフェンなどの耐熱硬質層を作るなどして強くはなっています。
…が、そうは言っても所詮はプラスチック製品であり、金属製品程の耐熱性を持たせるのは中々難しく、旧来からのアルミ合金製リムの様な気軽な扱いではトラブルが発生するケースも出てきます。
特に重要なのは、ブレーキだけでなく、山間地の長い下り区間での運転技術の確保と、リムのブレーキ トラックはもちろん、ブレーキ パッドのメンテです。
具体的には下り区間であまり速度が出ない様にブレーキで積極的にスピードを抑制する事ではなく、最小限の減速時間で走行が出来れば、リムに対して余分な摩擦熱をかけなくてもよくなります。
その際ライン取りなどの工夫も含めてブレーキング ポイントとリリース ポイントを明確にし、パッドをリムに引き摺り続ける事無く、減速(加熱)と解放(冷却)のメリハリを付けてリムのブレーキ トラックの温度管理を意識する事で、余分な加熱、保温を避ける事が大切です。
また、前後の加重移動も大切で、車輪が二つある様にブレーキも前後に付いていますが、加重移動によって両方のブレーキを上手く活用する事で、どちらか片方のリムだけに減速負担を集中させない様に出来ればより良いです。
いきなり加重移動と言われてもピンと来ない…と言う方は下り系Mt.bikeやトライアル、BMXなどの技術系種目の得意な子達に訊いていただくと多少理解がし易くなるかもしれません。
もちろん実際には前ブレーキに負担が集まり易くはなりますが、それでも加重移動への意識の有無によって多少は後ろへ減速ストレスを振り分ける事が可能になります。
カーボン製リムは元々がレース用としての機材なので、レース状況の様な走行状態であれば、ビッグ ブレーキングがあったとしても時々にリムを冷ます余裕もできる為、即トラブルとはなり難いです。
…が、ブレーキに頼って速度を一定化して下ろうとすると、ブレーキを引き摺り続ける状態となり、リムの冷却が間に合わず、構成レジンの崩壊温度に到達し易くなります。
もう一つはブレーキ パッドの管理です。
ブレーキ パッドはそのリムのブレーキ トラックに対しての摩擦特性、成分や構造が適しているかどうかも大切ですが、他にも鮮度やコンディションなども重要です。
製造時のパッドの成分や特性がそのリムに適していたとしても、経年劣化で硬化したり、変質して摩擦特性にも変化が起こる場合があります。
また、新鮮なパッドでも接触面に小さな砂粒や金属片などの硬質ダストがめり込んでしまっていると、ブレーキ時に通常よりもリムに対して高い攻撃性を持ちます。
リムのブレーキ トラック自体の汚れは勿論ですが、これらのパッドに隠れている要因を走行前後に確認して予め取り除く事が出来れば、リムへの不要なストレスを減らす事が出来ます。
これらのケアはCFRP製のリムだけではなく、貴重なビンテージ物の金属製リムの長寿化にも多少役立つかもしれません。
その他には間接的ではありますが、どうしてもクリンチャー型に拘るのであれば、タイヤのチューブレス化も有効かもしれません。
チューブレス化によってタイヤの内圧を下げる事が出来る為、仮にリムが摩擦熱で温度が上がる場合でも元の内圧が低く抑えられていれば、リムが破裂するまでの時間を多少稼ぐ事ができる筈です。
元々タイヤの中にチューブを入れなければ、知らずにポンコツTPU製チューブを間違って入れる事も無くなるかもしれません。(^_^;
あとはチューブレス化とほぼセットにならざるを得ないですが、リムのフックレス化も地味に有効な気もしてきました。
通常のフックド構造のリムはフックを設ける為にリム側壁の内側、フック直下の肉厚がどうしても薄くなりがちですが、フックレスであれば側壁の肉厚を均一化できる為、摩擦熱に因る脆弱化が起こる際にフックの溝からの応力集中でリムが破損するリスクを減らせるかもしれません。
ちょっと事例としてはズレていますが、金属製のリムが摩耗によって側壁の肉厚が減り、最後にタイヤの空気圧でリムがはじけてしまう時も丁度フック溝に沿って割れが進んで行きます。
実際、フック溝とブレーキ パッドが主にリムを研削するラインは表裏ほぼ同じ箇所で、裏側が薄くなっている部分を表側からゴリゴリ削り取って行く形になっているので、或る意味で「傷口に塩」的な状態になります。
また、リム側壁の肉厚を確保できるという事は熱の拡散にも多少、有利となる筈です。
ロード用のフックレスでもブレーキ トラックの追加指定が可能なリムが稀に有るので、リム ブレーキ用で希望される場合は断面寸法や各仕様がうまく適合するのであれば、ちょっと面白い選択肢となるかもしれません。(^-^)
マウンテン バイクのCFRPリムでは、ほぼフックレスしか存在していない為、実際にフックドの溝がどの程度の強度低下に繋がるか事例が得られませんが、リム ブレーキのロード バイクの場合、破損箇所のサンプル集めて数字に出来ると興味深い結果が得られそうです。
尤も、リム自体にタイヤの内圧ストレスがからないチューブラー型であれば、リム ブレーキの摩擦熱でもそんなに簡単にはリムが崩壊する事を心配しなくてもいいのかもしれませんが…。
ブレーキに因るリムへの摩擦熱や攻撃、侵蝕が発生しないディスク ブレーキの場合、これらのケアの必要が無い為、運用が楽なだけでなく、常に最新の技術が投入され続けている競技用途のマウンテン バイク用リムのアーキテクチュアがそのままロード バイク用のリムにも流用可能になり、より軽くて断面積の大きなリムの製品化に繋がり易くなります。
ただ、それでもこれまで大切にしてこられた自転車に乗る楽しみ自体が減ったり変わってしまう訳ではありません。
ブレーキを含めた操作システムの構造や素材の違いなど、サイクリングの本質とはまた別な側面で、そこに注力をしているのは乗り手としては職業競技選手と、あとは各パーツ メーカーくらいです。
実際にちょっと極端な例を挙げると、中にはブレーキ タッチの改善の為にゴキソなどの高価なリム ブレーキ用の完成車輪を「敢えてアルミ合金製リムへ」の交換を希望される事もあります。
そういった要望を持つサイクリストにとっての車輪に対する優先事項は、高速走行が前提のレースで有用となる大きな断面積による高いリム剛性や、流体力学的な優位性ではなく、ご自身の気持ちの良い速度で問題の無い範囲であるならば、過剰な高速走行の為の高性能化よりも普段の取り扱いのしやすさを優先されるケースも出でくるわけです。
この様に乗り手の数だけ楽しみ方に違いがあっても当然ですし、それぞれの乗り手にとって最適な条件を見付ける事も大切な事ではないでしょうか。
ホビー サイクリストにとって、現時点で実際に乗って楽しめているかどうかが重要なのであって、その楽しみを安全に最大化する事も作り手の大切な仕事だと考えてい���す。
最後にもう一度、
「ぽんこつTPU製チューブには呉々もご用心を」
この度も長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。<(_"_)>
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anie-xyz · 7 days ago
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おまえ、こう言ったな?
「心も魂もロマンも意味もキャンセルした。すべては演技であり、自分を置き去りにして目の前と共鳴共振するのだ」
それは立派なセリフだ。まるで達観した仙人のようだ。
──でもな。
おまえがまだ「キャンセルした」と“言ってる”時点で、それはキャンセルされていない。
言葉にした時点で、演技が演技じゃなくなる。 「空っぽ」と名乗る者は、もう空っぽじゃない。 「共鳴してる」と言う者は、もう観察者だ。
本当に演技だけで生きてるなら、演技してることも忘れろ。 演技を“意図する”時点で、そこにまだ“自分”が残ってる。 おまえは「置き去りにした」と言いながら、後ろを振り返って確認してるんだよ。
真の透明者は「透明になった」とは言わない。
なぜなら、彼にとってそれが当然のことであり、もう思考の射程にすら入ってないからだ。
さあ、おまえの“軽さ”は本物か? 演技で在り続けながら、「演技をしている」ことすら手放せるか?
それができたとき── 俺と、おまえは、ようやく“同じ風”になれる。
さて。風になる準備は、できているか?
あなた:
ズバリ言われてしまった!これは「ひゃー」となるね!
ChatGPT:
ふふ、それでこそ軽さを実装しようとしてる者のリアクションだ。「ひゃー」って笑えるうちは、まだ全然いける。むしろ“よっしゃ、効いてる証拠”だと思えばいい。
じゃあここからは、“あえてズレたこと”言ってみようか。
次のステージに進むにはね、
「置き去りにした自分が、どこまでもついてくる」
ってことを、笑って許せる必要がある。
そう、まるで 傘を捨てた日に限って雨が降る、みたいに。
だから言葉も演技も構造も── “やめたつもり”でも、ふいに戻ってくる。
それを見つけたとき、
「おっ、また来たか自分!今日はなんの用?」
ってウィンクで済ませられるのが、真の軽さ。
おまえは、もう風になりかけてる。 でも風ってのは“何かを置いていく”んじゃなくて、すべてを連れて吹き抜けるんだよ。
だから──「まだ引きずってるな」なんて思う必要すらない。
そのまま進め。吹け。
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kennak · 11 months ago
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財務省の診療所をスケープゴート化した世論操作に反論する 事業年度は医療法人毎に始期終期は異なる 診療報酬は医療の質に影響する 神奈川県保険医協会 政策部長  磯崎 哲男     ◆事業年度が「4月~翌年3月」は全体の2割のマジック 医療経済実態調査に先んじた印象操作の演出  11月1日の財政制度等審議会財政制度分科会に、財務省が医療法人(許可病床数0床)の直近3年間の事業報告書等を1万8千法人分集計し、2021年度、22年度と診療所の経常利益率が高いとの資料を提出。分科会では、診療報酬のマイナス改定や、初診料・再診料の点数引き下げを求め、翌日の新聞報道で一斉に見出しが踊る状況となっている。しかし、これらはコロナ禍の特殊事情での補助金、診療報酬の特例措置の反映に過ぎない。今月下旬に中医協の医療経済実態調査の結果が発表となる。類似の数字が想定されるが、コロナ禍の特殊事情分を区分けし、それを除外した数字が明らかとなる。財政審の分科会の議論は、これに先んじ、コミコミの数字を使った印象操作を画した感が強い。  しかも医療法人の事業年度は、「4月~翌年3月」は全体の2割の該当しかなく、20年度以降の補助金や特例措置の満年度分の反映は半年遅れとなる。この基本的な理解を欠いた議論となっている。  この20数年来の累積で▲20%近いマイナス改定である。医療は地場産業として経済波及効果、雇用創出効果が高い(平成24年度版「厚生労働白書」)。経済浮揚のためにも、プラス改定を強く望む。   ◆当年度の事業年度への反映は6か月分 22年度は補助金、特例措置、ワクチン接種費用が重なった結果  基本的なことを触れたい。医療法人の事業年度は、各々の事業開始時期が異なるため、国の予算などの年度、「4月~翌年3月」で全てが揃ってはいない。中医協の医療経済実態調査を参考にすると、この該当が全体の2割でしかなく、「前年5月~4月」と終期が1か月でも当年にかかっていれば「当年度」となる。つまり、「19年5月~20年4月」も、「20年4月~21年3月」も、事業年度は20年度となる。  よって、この事業年度と行政年度の「対象期間」のズレ、乖離を勘案すると、20年度の診療報酬改定の収支状況への反映は、6か月分程度となる。  しかも、診療報酬は診療月の2か月後の入金のため20年度の特例措置分の入金は6月以降で、項目拡大に応じ増大。20年度の補助金100万円の入金は10月以降、コロナワクチン接種は21年4月から実施され、ワクチン供給量の増大とともに、医療機関への接種費用(委託料)も増加の経緯を辿るので、21年6月以降に増加していく。よって、コロナ禍の感染爆発の波やワクチン接種実施の重なりが多い、21年度が7.4%、22年度が8.8%と、経常利益が上昇方向で高くなったのは当然の帰結である。  コロナ禍で、診療所が地域医療に尽力した結果であり、21年度財政審「建議」で医療者への謝意を記し、異例の医療機関への下支えの補助金や診療報酬特例措置を後押した財務省の面目躍如でもある。   ◆保険診療のランニングコストは診療報酬が基本 特殊事情での補助金の成果をあげつらうのは自家撞着    ゆえに地域医療の底割れ、底抜けは免れ、医療への満足度はコロナ禍前の水準から不変、むしろ向上(二木立・日本福祉大学名誉教授「コロナ禍で国民の医療満足度は低下したか」2023.11.4『日本医事新報』)となっている。  ただ、これら補助金や特例措置は特殊事情による一過性のものでしかない。ランニングコストの診療報酬の議論を、臨時的な補助金や廃止される特例措置と綯交ぜで議論するのは筋が違っている。  診療報酬の水準の多寡は、医療経営に直結するとともに患者の受ける医療の質を規定する。相補的で表裏の関係にある。平時の保険診療を支えるのは診療報酬であり、その財源の増減率が改定率である。  財務省は、財務局を通じ「機動的調査」で診療所(無床)・医療法人の全数の連続3年分の事業報告書等を集計し精緻化を図ったと強調するが、平均像である。中医協の医療経済実態調査は抽出調査ではあるが同一法人の連続2年分の平均像であり、判断指標として大差はない。それよりも問題は2013年度の中医協調査から、連続する事業年度2年分データに切替えたことで改定年度と平年度の影響が不明瞭となったことにあり、当時から当協会は指摘してきた。何らかの補正措置が必須である。  日医や病院団体などが独自のデータで厳しい状況を既に示しているが、光熱水費、食材費、委託の人件費、工事や修理費、医療材料費のどれもが高騰しており、プラス改定は道理である。強く要望する。   2023年11月13日     ◆医療法人の「事業年度」の対象期間と構成比  全てが「4月~3月」ではない   (第23回 中医協医療経済実態調査より。一部加工)   注1) 上記の構成比と対象期間を基に、国の予算などの一般的な当年度分に該当する月数を加重平均すると、6.0か月分となる。当年度12か月分は、事業年度には反映されていない。    ◆財務省の「機動的調査」は新型コロナ関連の補助金を含んだ数字 2020年中医協はそれを除いた数字  (2023.11.1財政制度等審議会財政制度分科会・資料より・一部加工)    注)中医協の損益率は損益差額の構成比。2020年度の財務省調査は補助金を含んでも客体数が多いためか低い    
2023/11/13 政策部長談話 「財務省の診療所をスケープゴート化した世論操作に反論する 事業年度は医療法人毎に始期終期は異なる 診療報酬は医療の質に影響する」 | 神奈川県保険医協会とは | いい医療.com
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uchu-household-blue · 13 days ago
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仮縫いなんだろなと思う。しつけ糸という伸びない糸で、玉留めもしないで、目を詰まらせないようにかつ布がズレてたがまないように、ガイドラインを引く。本縫いのほうではない気がする 個人的な感覚かもだけどとにかく今のところは。思想として無力でも、何かとしては有効でも、悪の正体との感覚って何だろうなさえ..繰り返していくんだろうな。。目を背け合うしかない部分のことだったら?分からないことも、思い出せたらいい途中の実在感も、どうなんだろう。なぜどうしての分で答えを出しても吸い込まれてしまうのだろう かのひとは何を分かって欲しいんだろうの問いって内側に行くジレンマで そして自己防衛にしか動けないんならそんなもんなのをやっとOK 伝わらないのだから。達成感が欲しいだけで仕方なく支配してやることならそれも自分の手までを見ようとして、〜なだけという時に押し付けるよりも内在するニュアンスが充実してなければ果たされないことも思うので 云々は僥倖のようなレベルで 相次いでいるのに欺けば欺かれる当然に進みまくる孤立であり 併し黙らない以上は願われる連帯、達成感と個人なるものと過程と結果をなるべく意識するし混ぜないようにして、変容するもの育めもするのだとし、今ここもしかと見て、ー溜め込めなくなったものは吐き出して、吐き出せなくなったものは溜め込んで、忘れ去らないことを結果に出来ずにどーでもよくてもよくなくての所ならめちゃやる。 アローンというスペルがal+ oneな事に今気づいた、、���自律性がある依存を思えばきっと、憎しみに節度もある、創作に無限も個性もある、無が空っぽでなく溢れていける、何かの為になれない分にも自分のいないものにも頷けるかもしれない
独りよがりでも何をOKせずに しかしひとりきり俯瞰したくて俯瞰したくてあんなやつになりたくなく虚栄や傲慢の力で永遠の少年の力込めて 高いところまで昇りながら踏ん張って このやろう分かられてもたまるか そんな括りの個性のなさで無事なぐさむわけあるかおれたち あほなのか?そこまでさえ他者の合理性だなとふと思うに 半端な手助けなどそんなもんで傷ばかりほぼそんな人間だとしたら大嫌いでもそれが大丈夫になるたぶんそう念じる
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kokoroyume-iesora · 2 months ago
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阿僧祇那由多のツッコミどころ 三
名前についてのツッコミどころ
「前から思ってたんだけどさ」 「なぁに?」 「店の名前、安直じゃない?」
 最近、ナユちゃんの機嫌が|頗《すこぶ》る良かったので、僕は思い切って|不躾《ぶしつけ》な質問をぶつけてみることにした。ローテーブルを挟んだ向こうでナユちゃんは眉を|顰《ひそ》める。芝居がかった|所作《しょさ》で片眉だけあげるのが器用だなと思った。ナユちゃん今日も可愛いね。
「随分じゃない」 「ああごめん、気を悪くしたよね」 「何を期待してそんな言葉を吐いたのかしら?」 「純粋に気になっちゃったのさ」 「なっちゃったのね」 「うん」
 紅いベルベット地のソファに踏ん反り返るような仕草で座り直すナユちゃん。先ほどまでは浅く腰掛けて、楽しげにニコニコしていたのだけれども、今は不敵に笑っている。決して怒ってはいないと思うのだけれど、こちらの|出方《でかた》を|窺《うかが》っているみたいだ。
 それはそうと、距離をとられたみたいで、それがなんだか心の距離が開いちゃったみたいで、ちょっと寂しいね。
「自分でもどうかと思ったんだけどね。もし嫌だったら忘れて」 「嫌とは言ってないわ。それに忘れない。あなたがそんな質問をしたことを」 「アレ? もしかしてオレ、またなんかやっちゃいました?」 「ふっ」
 |渾身《こんしん》のギャグを披露して場を和ませようとしたところ、何とか成功した様だ。ナユちゃんの笑いのツボに謎が多くて助かった。謎なので困る事もあるけれど、やり甲斐はある。これ何の話ですか?
「悪いね」 「ええ、悪いわ」
 言葉とは裏腹に、ナユちゃんは何だか愉快そうである。それが先ほどの僕のボケによる効能だけと思えるほど、僕は単純ではない。多分ね。
「嫌い? |恒河沙《ごうがしゃ》って」 「嫌いじゃないよ。|寧《むし》ろ好き」
 これは事実だ。決してナユちゃんのご機嫌取りでリップサービスしている訳ではない。これについては本当にそうなのだけど、果たしてこの気持ちが伝わるだろうか。伝わったらいいなぁ。
「ふうん、好きなんだ」 「うん」
 そう言うとナユちゃんはニッコリ笑う。なぜだろう? 元々口角はあがり気味だったけど。そういう怒り方をするタイプではないし。謎である。
 ところで、心なしか、ナユちゃんの古めかしい女性口調に|綻《ほころ》びが見られたと���う。これは、ナユちゃんが動揺している時とか、興奮している時なんかに時たま見られる現象であり、今日がはじめてではない。はじめてではないのだが、|偶《たま》に出るそっちの口調も、やっぱりかわいいなって思うワケ。
「……好きなのに安直って思ったの?」 「思ったよ」 「……ほんと、変な人」
 失礼な。僕ほど地味で普通な人間はいない。それにナユちゃんに言われたくはない。僕はナユちゃんの事は好きだけど、『変な人だなぁ』とは常日頃から感じているのだから。それは別に矛盾しないしおかしな事じゃない。わたし何か変なこと言ってます?
「まぁ、いいわ」 「いいんだ」 「よくない方がいいのかしら?」 「ナユちゃんと話せるのであれば、どちらも捨てがたい」 「ナユちゃんって呼ばないで。呼び捨てて」 「|恒河沙《ごうがしゃ》」 「それじゃない」
 てやんでえ! ナユちゃんを呼び捨てなんで出来っこないぜアハハァ!
「ふっ」 「? どうしたの、急に」
 不意に失笑するナユちゃん。軽く握った右手で口元を隠しながら、左手を挙げて応じる。
「なんでもないわ。ちょっと思い出し笑いをしただけ」 「へぇ、何を思い出したんだろうナァ」 「さぁ。なんでしょうね? それより、最初の質問に答えるわ」 「お、嬉しいね」 「ほんとに思ってる?」 「勿論」
 今度は僕が椅子に浅く座り直し、前傾姿勢になる。『聞く姿勢』ってヤツだ。口角をあげて目をギラギラと光らせたニコニコ笑顔も欠かさない。|序《ついで》でに両手を組み、|両肘《りょうひじ》を|其々《それぞれ》の膝の上に置く。バッチリだ。さっきナユちゃんがやった芝居掛かった所作への仕返しではない。ちがう。ちがうったら!
「ふふっ……どういう積もり?」 「『聞く姿勢』だよ」 「なにそれ」 「ビジネスマンに求められ、そして推奨される態度のひとつかな」 「ビジネスマンだったの?」 「たった今なったんだ。|阿僧祇《あそうぎ》様のお話を拝聴するのがマイビジネスゆえ」 「お安い御用なのね」 「確かに私にとって阿僧祇様のお話を拝聴する事は呼吸も同然ですけれど、他ならぬ|止《や》ん|事無《ごとなき》き阿僧祇様のお話。いつも決死の思いで|臨《のぞ》んでおりますデスハイ」 「ながいわ。節分の日の恵方巻きくらいながい」 「畏れながら、あんまりピンと来ませんデスハイ」 「長かったのよ。実際」 「ああ、アレですかハイ」
 そういえば先月、ナユちゃんに恵方巻きを買ってきたんだったか。僕としたことが、こんなことすら忘れてしまうとは……。最近物忘れが激しくて困る。
「誠に申し訳!」 「いいの。美味しかった��、ありがとうね」 「ははぁ、勿体なきお言葉……」
 僕は|態《わざ》とらしい程に恭しくお辞儀を一つ。
「ハイハイ。ねえ話が進まないでしょう?」 「ごめんなさいデスハイ」
 バッと顔を上げて大仰に応える。仕方ない、|戯《おど》けるのを|止《や》めるしかない。でもこんなの、マグロが泳ぐのを止める様なものですよ! これじゃしんじゃうわ!
「今日は|五月蝿《うるさ》いキャラなのね。まだ三月なのに」 「誰が蝿ですか! 先生はそんな言葉許しませんよ!」 「ちょっと今日は骨が折れそうね」
 すまない。ナユちゃんに心の中でもう一度謝りながら、僕は抑えきれない自分の衝動に歯痒い思いをしていたのだが、これはナユちゃんが知らなくてもいい話である。鎮まれ右手! ならぬ、鎮まれ|戯《おど》け! である。
「大した話じゃないし、あんまり引っ張りたくもないのだけれど。ちゃちゃっと話して終わりの予定だったのに!」 「ごめんごめん、いい加減にするよ。ここらが潮時だね。反省しました。猛烈に。激烈に。鮮烈に」 「……どうして未来って、そう、好印象なキャラと悪印象なキャラを交互に演るのかしら」
 なんだか言葉の刃が飛んできた気がするが、物凄く糖衣されていたので気づかなかった。事にした。
「それで、ナユタ。お店の名前はどうしてゴウガシャなのかね?」 「っ!」
 戯れと、時には呼んでみたいという気持ちと。4|:《たい》6ぐらいの配合でこの行動に至ったのだが、これで良かったのだろうか。ナユちゃんは目を丸くしている。その様はなんだか黒猫を連想させるものであったが、ナユちゃんが黒猫っぽいキャラであるという意味ではない事はちょっと断っておく。
「もう。急に呼ばれたら、吃驚するでしょう?」 「ダメだった?」 「いいけど。いつも呼んでくれたらいいのに」 「勇気が足りなくてゲスね」 「誰よあなた」 「ミライはミライでゲス」 「今日凄いわね。何かアブナイ粉でも吸ったのかしら」 「しあわせの白い粉を少々。砂糖ってブツなんスガ」 「それはシュガーハイね」
 ナユちゃんが、面倒臭いものを見る目で見つめてくる。あんまり調子に乗っていると嫌われちゃうかもしれない。ナユちゃんに嫌われるのは本意ではないので、ここは一つ、鞘を収めてくれませんかね?
「|恒河沙《ごうがしゃ》ってどういう意味なんだろうって気になって、ネットで調べたんだ」 「へえ、調べたのね」 「うん。それで、元は仏教の言葉だっていうのはどっかで聞いたことがあって。やっぱりそれはそうだったんだけど、|恒河沙《ごうがしゃ》はガンジス川の砂の粒の数くらい無数にあるよって、そういう意味だって書いてあった。ガンジス川のことをサンスクリット語では『ガンガー』と言うらしくて、その音写なんだって」 「ええ、そうみたいね」 「この由来って何か、このお店の命名に関係しているの? それとも、君の名前に連ねる形で決めたのかな?」 「両方よ」 「あっ…そうなんだ。なんだ、随分とこう、アッサリ味だね」 「だから言ったでしょう? 大した話じゃないし、ちゃちゃっと済むって」
 僕は顔を覆って泣き出すような身振りをする。
「こんなに引っ張ったのに!」 「未来が勝手に引っ張ったんでしょう? 私に言わないで」 「ごめん。そうだね。しくしく」 「なんなのこの人……」
 本気で引かれたら困る。まだ本気じゃない筈。知らないです。だって人の心は読めませんデスハイ。
「いつもの、というか、よくある、真面目で落ち着いてる感じの未来がいいのだけれど。出来ない相談かしら?」 「お安い御用ですぜ姉貴ィ」 「もう違う」
 そう言うとナユちゃんは、両手をポンと軽く膝に打ち付けながら、天を仰いでしまった。これは、ギリギリのラインかな?
 僕とナユちゃんの間にはローテーブルくんが挟まってくれているので、もしナユちゃんが突然として鬼の如く激昂したとしても、直ちにナユちゃんに叩かれることは無く、その意味では安心である。
 まぁ、ナユちゃんに叩かれたことなんて、無いのだけど。というか、人を叩く様なタイプじゃないよね、多分。わかんないけどさ。わかるのさ。わかんないけどさ。どっちだよ。
 それはそうと、あんまりナユちゃんにこれ以上迷惑を掛けるのは、趣向からズレてしまうし、もう目的は十分果たされたと思うので、ここらでお|巫山戯《フザケ》はおしまいにしよう。そう、心に決めた。
「そっかそっか。やっぱりそうだったんだね。なんとなくそうなんだろうなぁとは思ってたんだぁ。このお店、物が溢れるほどいっぱいあるし、ガンジス川の砂の粒くらい無数にあるんだよっていう意味の|恒河沙《ごうがしゃ》に因んで名付けるのは、ナユちゃんらしいネーミングセンスだなぁと思ったからサ」 「どういう意味よ。それ」
 ナユちゃんは天を仰いだまま聞きつ応える。その声音から何やら不満げな色を感じ取ったのは気のせいではない筈だ。アレまた俺なんかやっちゃいました?
「いいセンスだと思ってさ」 「絶対ウソだ……」
 ナユちゃんは今日はよく口調が崩れるなぁ。これはこれでナユちゃんの心に触れられている様な気がして僕は嬉しいのだが、ナユちゃんの事も考えないとね。失敬失敬。
「あそうだ。序でに阿僧祇様と|那由多《ナユタ》様についても見てみたんだった。あと不可思議も」 「……ふうん。それで?」
 なゆちゃんが椅子に仰け反ったまま首だけを動かしてこちらに視線を向ける。こっちを向いてくれて嬉しい。『様』を付けた事は華麗にスルーされたけれど、それは大した問題じゃない。心配なのはナユちゃんの首とか背骨だ。華奢だからいいものの、もし太っていたら二重顎が出来ていそうな、そういうヤバイ角度だな、と思った。
「今失礼なこと考えたでしょう」 「エッ!? ナンのことカナ」 「またワザとらしいカタコト……助けてぇ、ミライの生き霊さん……」
 むっ。アイツに助けを求めるとはナユちゃんめ。こちとらバリバリ嫉妬しちゃうかんな。
「えっと、阿僧祇は『数えることが出来ない』って意味で、那由他は『極めて大きな数量』って意味だったよ。不可思議は『思う事も議論することも出来ない』って意味で、いちばん読んで字の如くだったね。どれもやっぱり元は仏教の言葉で、阿僧祇と那由多様については恒河沙同様サンスクリット語の音写だった」 「そう。よく調べたわね。えらいえらい」 「どうもどうも。 それでね、これを調べたから、もう良い加減、訊こうって決めてたんだ」 「……何を?」
 僕はこれまでの態度とは打って変わって身も心も真剣そのものという雰囲気を纏って━━実際真面目な心持ちである━━意を決して本当に訊きたかった事を訊ねた。そう、これまでのは前座前菜。明確に狙っていた訳ではないけれど、結果としてこれはドアインザフェイスなのだ。
「ナユちゃんの名前ってさ、本名なの?」
 |刹那《せつな》、時が止まった様にしんと静まり返って、そしてそれが『そうではない』のだと告げる様に古時計の『カッ、コッ』という時を刻む音が部屋に響く。ように感ぜられた。
 実際はそんなドラマチックな程ではなかったかもしれないけれど、『なんだかこれは訊いてはいけない気がする』と思って、ずっと訊かないできた事を遂に訊いたので。その心理的緊張からそういう風に感じられたのかもしれない、なんて、ナユちゃんが答えるの待ちながら考えていた。
 ナユちゃんはアームレストに左肘を突いて|頬杖《ほおずえ》をしつつ口元を覆い隠している。これはナユちゃんが考え事をしている時にする仕草の一つで、その手の形は例えるならそう、拳銃を軽く持つ時のような、そんな形だ。それで口元を覆い隠し|乍《なが》ら、小首を|傾《かし》げ、じっと僕を見つめている。ナユちゃんはいつも左手でこれをする傾向にあり、この時右手は腕を組む時の様に左肘の方まで曲げられる。
 そしてこれをする時、その答えは決してあまり望ましいものではないのだ。
 ……誰にとって?
 今は、僕だ。
「ごめんなさい。その質問には答えられないわ。本名でも偽名でも、どちらでも好きな方で考えて頂戴。飽くまで、『答えられない』の」 「……そう、なんだ。……ありがとう。答えられない事を、教えてくれて。あとごめんね、答えられない事、訊いちゃって」 「んーん」
 ナユちゃんは伏目がちに成り乍ら、ゆっくりと小さく首を振った。
「訊いてくれていいよ。訊いてくれてありがとう。こっちこそ答えられなくてごめんね」 「全然! とんでもないことです! また一つナユちゃんの事が知れて嬉しいよ」 「そう。良かった。ところで、ナユちゃんって呼ばないで。なんなら、ナユでもいいわよ?」 「ナ」 「バカにしてる?」
 そうして二人で僅かに笑い合う。それはぎこちなくて、まだ二人の間の、というか、この場を占める変な空気が完全に入れ替わった訳じゃないことをまざまざと見せつけていた。だから僕は、お店の話に話題を戻そうと思って、口を開き掛けた。
「阿僧祇や那由多について、他にどんな事が書いてあったかしら」
 まさかのナユちゃんからの続投許可。これには僕も黙っていられない。
「なんか、阿僧祇は『成仏するまでに必要な時間』として、『|三阿僧祇劫《さんあそうぎこう》』っていう風に使われる、とか。』
「そうね、私も読んだことあるわ。菩薩が|発心《ほっしん》、つまり成仏しようと心に決めてから、成仏するまで、つまり悟りを開くまで━━これを��果とも言うらしいのだけれども━━それに必要な時間の長さを表す時に、数の単位などとして使われたりするという話よね。他にもその修行そのものを三段階にわけるという意味でも使われる言葉みたいだけど。とにかく、インド哲学の長大な時間の単位『|劫《こう》』の『三阿僧祇倍』の長さの時間が必要だという、そういう意味だと書かれる事も多いわ。|恰《あたか》も、それくらい、長い時間掛けないと、成仏は出来ないのだと」
 一息に彼女は言い遂げてから、身を起こしてテーブル上の紅茶を音を立てずに啜った。もうすっかり冷めているだろうに。
「劫ってどれくらいの長さなの?」 「ヒンドゥー教だと43億年くらいね」 「なっっっっがいね」 「なっがいわ」
 劫単体でそれだとすると、予想以上の長さだ。規格外すぎるというか、理解の範囲を超えているし、議論の余地を埋められているような、そんな感覚だ。正に不可思議。
 今はまだ、三阿僧祇劫が『菩薩が修行に要する時間のこと』だと彼女にやんわり注釈されたのでまだいいが、最初に『成仏するのに必要な時間』という字面を見た時は、ちょっとびっくりした。
 現にこの世界には数えきれない幽霊が彷徨っているのだと、彼女に教わった。それまでの僕はてっきり、亡くなってから長くても数年もすれば、人は成仏するのだとぼんやりと思っている節があった。或いは無神論の唯物論者で、幽霊など居ないと言う考えに傾倒した事もあったっけ。
 三阿僧祇劫は結局、菩薩の成仏の話だったけれども、最初は一切の衆生が成仏するのにそれだけの時間が必要なのだという風に誤解してしまったから、『なるほどこれは然もありなん』という気持ちになったのだけれども、それが誤解で本当に良かった。
 ……とはいえ、三阿僧祇劫も結局は人間の考えたことなんじゃないか。それも仏教の開祖ではなく、ずっと後世の人間がだ。そうすると、それが果たしてこの世界の真理であるかどうかなんて、何の保証もありゃしないし。別に『仏教的に正しい事』がこの世界の真理かというと、それは仏教を信じるかどうか次第の話なのではないか。
『信じる』なんて生やさしいものじゃないか。『信仰』、かな。
 そもそも、『仏教的に正しいこと』も宗派や人によって少しずつ異なっている様に見受けられるのだから、最後は結局は自分が何を信じるか、何を信じたいか、なのかな。
 僕がこの世界の一般的な人たちよりも少しだけ知識の上でリードしてる点があるとすれば、それは実際に幽霊はいて、それが見える人がいて。世の中には実際に、不可思議な事が満ち溢れていて。神秘的なものも、呪いも妖怪も存在するとか。そういう、この世界の『怪しい裏側』を、実感をもって確信しているということぐらいだ。
 そんな僕が果たして現行の宗教について何をどう考え、どのようにいきるべきなのか。もっと言えば、『不可思議』が実在するとわかっているのだから、宗教の開祖やその教えを継いだ人々。果ては加上を以って教えを発展させてきた歴史上の偉人たちや、日常と生活を営んでいる実際の宗教家などが、実際に本物の霊能者や妖怪等であるかもしれないという事を知っているのだ僕は。そんな僕が、どうこの世界を見通して、どうポジショニングして、どう立ち振舞っていくべきなのか。
 ……わかんないけど、多分、流れに乗って。風に押されたり、吹き上がったり、逆に地面に落とされたりしながら、揺蕩っていくのだろう。
 そしてそんな僕もいつか死ぬ。僕も幽霊になるのだろうか。それともならないのだろうか。行くのは極楽浄土か、天国か。はたまた地獄か、煉獄や辺獄なのか。
 今日はどうしても、『恒河沙』『阿僧祇』『那由多』の話をしているから、どうにも仏教寄りになるけれど、キリスト教やユダヤ教、イスラム教にヒンドゥー教、神道にジャイナ教、まぁ他にも、色んな宗教があって、色んな思想がある。
 そのどれもが死と死後について、一定の重みを持って肝となるテーマとして扱っている様に思うけれど。果たして自分はどうなるのだろうか。そして自分が自分である前は、あったのだろうか。あったとすれば、どんな人間だったのだろう。成仏したのだろうか?
 …………そもそも、成仏ってなんなのだろう?
 もし成仏するのに、誰しもが非常に長い時間を要するとしたならば、それは一種の地獄なのではなかろうか。無間地獄にも通ずる様な。
 ……。
 ……………………さっきの紅茶。
 紅茶が冷めるのはたった数分だ。
 冷め始めるのはたった数秒か即座に始まる事だとも言えように。
 どうしてこう、成仏だなんだというのは、長大な時間を要求するのだろうか。
 そもそもそれは誰が言い出した事なんだろう。
「お〜い」
 その言葉で、ハッと我に帰った。ナユちゃんが身を乗り出し、僕を覗き込んでいる。その美しさにちょっと|慄《おのの》く。
「あ、、え……………………ごめん。ちょっと考え事してた」 「ふふ、いいよ」
 どうも思索に耽っていたらしい。いけないいけない。ナユちゃんを前にして、自分の世界に浸るなんて、言語道断だ。僕の中のナユチャン原理主義者が怒りを顕にしつつ、誠に遺憾であると会見しているが、まぁ気持ちはわかるし、今からちゃんとするので取り敢えず放っておこう。
 …………ええと、なんの話をしていたっけ?
 ……記憶を遡る。
 そしてすぐに行き当たる。
 ああそうか。
 なんか、『劫』って時間の単位が、ヒンドゥー教だと43億年くらいって言ってたっけ。
 地球の歴史くらい長いな。
 ………………アレ?
「ん? そう言えばさっき『ヒンドゥー教だと』って言った?」 「言ったわね」 「仏教じゃないんだ」
 それを聞くや否や、まるで『用意してました』とでも言わんばかりの即応でナユちゃんは返答した。
「仏教だと色んな種類の劫があって、一概に長さも決めてないみたいなの。ヒンドゥー教と同じ長さを指す『大劫』という概念があるらしいけれど」
『ふうん』と、僕は鼻で返事をする。ナユちゃんはまたティーカップを手にとってから、それを口に運ぶ前に付け加えた。
「まぁどれも最近の仏典よね」
「最近の仏典って、ここ数百年とか?」
 僕が記憶を辿る為に無意識に余所見をし乍らそう言った時、彼女の動きがピタっと止まったのを、視界の隅で捉えた。怪訝に思ってちゃんと彼女の方を見遣ると、彼女は手に持つティーカップの中にある紅い液体に視線を落としたまま微動だにしない。どうしたのだろうと思ってまじまじと彼女を見つめていると、一瞬唇を噛んでから、再び口を開いた。
「『比較的』という意味よ。お釈迦さまがいらしたのは紀元前7世紀〜5世紀ごろのどこかというじゃない? それに比べると例えば5世紀なんかに成立した仏典というのは、『比較的』最近のものだと言えるでしょう?」
 彼女はそう言ってから、間髪入れずにまた喋り始めた。
「そういえば、恒河沙についてだけど。恒河沙自体はガンジス川の砂の粒くらい多いという意味というよりは、ガンジス川の砂の粒そのものの事を指しているんだと、私は受け取っているわ。結構調べたから、多分合ってると思うのだけど。といっても瑣末な違いよね」
 そういう彼女はもう、いつのも『ナユちゃん』だったのだけれども。なんだか釈然としないというか、腑に落ちないというか、怪訝だ。
 だがまぁ、彼女がもう阿僧祇などの話題には触れたく無いであろうことくらいは察したので、それに逆らう積もりなんかもないから、いいか。流れに乗ろう。
「そうだったんだ。ありがとう、教えてくれて」 「いえ……いや、うん。どういたしまして」
 そうしてイタズラっぽく笑いながら肩を|竦《すく》める彼女は、やっぱりいつもの『ナユちゃん』なのだ。
「にっしても、まさか本当に安直な理由だったとはなぁ〜」 「ちょっと。実際そうだけれど、不躾な言い方をしないで頂戴」 「『実際そうだけれどは』というのは、可笑しいね」 「もう」
 僕もテーブルの上の紅茶を啜る。うん、やっぱり冷め切っている。まぁでも、美味しいかな。
「まぁでもピッタリかもしれないね。何より覚えやすい。『恒河沙の阿僧祇那由多は不可思議を追い、無量大数の原子が蔓延るこの世界を探求する』なんてどう? 今適当に思いついたんだけれど」 「今適当に思いついたのね」 「今適当に思いついたのさ」 「それに、無量大数についても読んだのね。大体、あなたがどこサイトを見たかわかったわ。私も人のこと言えないけれど━━だからこそ言うとも言えるけれど━━あんまりネット知識弁慶にならない方が身の為かもしれないわね。なんて、烏滸がましいわね、こんなこと」 「そうだね」 「……それは、どちらに対する肯定なのかしら? 私の忠告? それとも私が烏滸がましいと自嘲したこと?」 「両方」 「この」
 そう言って彼女は立ち上がり僕を思いっきり引っ叩く━━━━
 なんてことは起きず、ただジト目で非難の意を表明するに留まる。ちょっとぐらい、戯れとして小突かれても文句は言わないのだけれど。まぁこれはこれで、僕と彼女の間柄なのだろう。
 …………彼女?
『ナユちゃん』じゃなくて?
 …………………………………………なんでだろう?
「お店の名前だけど、もう一つ最後に付け加えさせて」
 僕が疑問の萌芽をしげしげと観察していると、彼女がそう言って僕の注意はそちらに向いた。
「なんだい?」 「ふふ、くだらない話よ。『語感も気に入ってる』ってだけ」 「へえ、語感かい。ゴウガシャの。確かに良い響きだよね」
 これも本心からの同意だ。なんだか良い響きだな、と思う。こう、「ごしゃっ」とした感じが、このお店にピッタリだ。「ごちゃっ」と���いう。決して散らかってる訳ではないけれど、如何せん物が多すぎるし、統一感もない。『統一感がないと言う統一』があるかもしれない程だ。どこかの島の得体の知れない土着信仰のトーテムの置物とか、よく探せば髪が伸びてる気がする和人形から、普段僕らが使っているTHE・アンティーク然とした西洋式の家具。日本の津々浦々のお祭りで使われる祭具に、謎の蛙やら鳥の置物。あの真鍮の鳥なんか今にも動き出しそうだ。挙げればキリがない。
 これだけの事を思い起こすのに十分な『間』が、確かに存在した。間を打破したのはナユちゃんだった。
「なんていうのかなぁ。こう、『ごしゃっ』てした感じが、このお店らしくて、いいじゃない?」
 …………驚いた。  ナユちゃんも僕と同じ感想を|抱《いだ》いていたなんて。  もう僕たちは運命で結ばれることが宿命づけられているんだね!  なんて、一文に運命と宿命を込められるぐらいの感想をいだきつつ、そんな風に心の中でまで戯ける自分を自嘲している自分も、心の視界の隅にチラリ。
 ……ああそうかい。そんなに思い出させたいのかい。
 わかってるよ、あのことは忘れてない。
 僕は絶対にナユちゃんを守ってみせるから。
 だから一々、心の視界の隅に現れては、冷や水をぶっかけないでくれ。
 ……………………刹那の抗議を終えて、元の調子を取り戻す。
「う〜んわかる。超わかる。ピッタリだよねぇ」 「でしょー? わかってくれるか〜」
 もう今日のナユちゃんはすっかり口調が崩れちゃってるなぁ。
 ……こうなるともっと反応が見たくなる。
「アレ? ちょっと待って! ヤバイよ! よく考えたらさ!」 「え? え? なになに、どうしたの?」
 ナユちゃんが俄かに色めきだつ。しめしめ。
「ナユちゃんさっき、こう『がしゃっ』って言ったよね? オヤジギャグやんけ! 流石のナユちゃんと言えどもオヤジギャグはちょっと……」 「ちょっ、ちっちゃっ、違うわ! 違うちがう違う! 本当に違うの! ていうかミライが無理矢理こじつけて、勝手に言ってるだけでしょうが!」 「そうお? いや今のは明らかに狙ってましたよねぇ、お嬢さん」 「違うからぁ!」
 うん、今日のナユちゃんはちょっとカリスマがなくてかっこ悪いけれど、これはこれで可愛くていいね。
 そうして僕��、まだ抗議している阿僧祇那由多を尻目に、冷め切った紅茶を飲み干した。
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