#副作用っぽい部分が強まったという結果
Explore tagged Tumblr posts
Text
上手なだけじゃん
0 notes
Text
New Vocab (Sep 21 - Sep 30)
My new goal of trying to add 3 new words to my vocab list every day is going pretty well! I've missed a couple of days from being busy with life stuff but mostly keeping consistent! Btw, I try to keep my definitions in Japanese too, I believe it helps to get a fuller understanding of the meaning.
看護師(かんごし) Nurse, RN 例文:「彼女には2人の看護師がついている」「その看護師はずっとその患者に付き添っている(つきそっている��」
患者(かんじゃ) A patient. 病気やけがの治療を受ける人。医師の側からいう語。 例文:「その医者は予約でしか患者を診ない」「その患者はHIVウイルスを持っている」「患者は自分が巻き込まれた事故の記憶がなかった」
施設(しせつ) ある目的のために建物などをもうけること。また、その設備。 例文:「この日は、日本で初めての水族館とされる『観魚室(うをのぞき)』と呼ばれる施設がオープンした日」「どのメンバーもこれらの施設を使うことができる」「市が新たに道路や公園等の公共施設を整備します」
付属(ふぞく) 主になるものに付き従っていること。また、そのもの。 例文:「いわゆる水族館は動物園に付属してできるという流れが歴史的にあった」「会社に付属する研究所」「カメラを付属品付きで買った」
惚れる(ほれる) Pregnancy, conception, gestation 例文:「妊娠したメスが交尾相手でない別のオス」「彼女は妊娠8か月だ」「おそらく彼女は妊娠しているのだろう」「妊娠中の女性はアルコールを常用すべきではない」
哺乳類(ほにゅうるい) Mammal 例文:「哺乳類がかわいいかわからないけど」「ヒトは哺乳類にあたります」「それは哺乳類の中で一番大きい」「鯨は魚ではなくて哺乳類である」
典型的(てんけいてき) 特定のカテゴリーやグループに属する個体や事象の中で、そのカテゴリーやグループの特徴を最もよく表現しているものを表す。 例文:「ナシレマはマレーシアの国民的料理でマレーシヤの典型的な朝ごはんです」「それは典型的なエリート主義のやり方だね」「彼は典型的な英国人だ」
積極的(せっきょくてき) 物事を進んでするさま。 例文:「積極的に仕事に取り組む」「ボランティア団体で積極的な役割を果たす」「積極的に英語を使おう」「セミナーでは積極的に自分の意見を述べましょう」「今後はもっと積極的にコミュニケーションをとろう」
炊く(たく) 米などの穀物を煮て食べられるようにする 例文:「ごはんを炊く」「飯は炊くばかりになっている」
比率(ひりつ) Ratio 例文:「Oreo Thinsのクリーム比率高い!」「人口に対する出生の比率」「私たちのクラブの男女の比率は2対1です」
垣根(かきね) 敷地を限る��めに設ける囲いや仕切り。竹や植木などで作る。垣。 例文:「垣根をこえて」「垣根を跳び越える」「私は彼に垣根のペンキを塗らせた」「父は庭のまわりに垣根を作���た」
掬う(すくう) 手のひらやさじなど、くぼんだ形のものを使って、液状・粉末状のものの表面に近い部分を、えぐるようにして取り出す。また、手のひらやさじなどで、液体の表面に浮いているものやその中にあるものを、下から受けるようにして取り出す。 例文:「杓子(しゃくし)で汁を掬う」「足を掬う」「改めて手で掬う」
風鈴(ふうりん) 夏っぽいガラスで作られる鈴 例文:「風鈴がりんりん鳴る」「日本人は風鈴の音に風情を感じてきた」「どこかで風鈴が鳴った」
副菜(ふくさい) 主食とともに食べるもののこと。 例文:「副菜で沖縄そばが出てくる、すごくない?」
上回る(うわまわる) ある基準数量を超える。予定量以上になる。 例文:「視覚の表現は他の3つの感覚を上回って最も数が多いと」
結び付き(むすびつき) 関係、関わり、結合、などの意味の表現。 例文:「結びつきの強い家族」「あれはこの行動に結びつきがあると言ってる?」
幼馴染(おさなじみ) 幼い頃から仲が良い人、あるいは物心ついたときからの顔馴染みなどを意味する表現。 例文:「今日は幼なじみに偶然会いました」「幼なじみが春から大阪の大学に行くらしい」
瘡蓋(かさぶた) Scab 例文:「その少年はかさぶたを剥がしている」「傷は、結局かさぶたになる」「はれものにかさぶたができる」
講演(こうえん) 大ぜいの人に向かって、ある題目に従って話をすること。また、その話。 例文:「彼女は講演者として評判がよい」「彼女のスケジュールがいっぱいなのは講演者として人気がある証拠である」「質問は講演の後でお願いします」「講演の入場料は2ドルです」
#japanese#language learning#language acquisition#japanese language#language#langblr#learning japanese
18 notes
·
View notes
Text
ほぼ遺書
2025/5/8 、27歳になった
相変わらず鬱なのが悲しい
たたみかけ
母親の地雷踏んだら 数日続く
何を言ってもなんで?と言われる
休みの日、日中母が起きてる時間は行動しない(眠り続ける)
母が眠ってから行動開始(趣味や仕事など)
最近多分だけど鬱
躁鬱と診断されてるけど、自分が今どっちにいるのか、傾きが強い時ほど気付けない
体重は3ヶ月で5kg減っている
今は47kg
食えない 食える時もある
痩せ��くない 痩せたら体調悪くなるから、働け無くなるから怖い
病気で働けないのはカスってずっと遠回しに聞こえてくる 気付いてます わかってますし、だから無理して働いてるんだけど、そうすると無理して働くからじゃんとか言われるなら何をすれば満足しますか?
両親に褒められたいです。
彼らは私を心配してますが、過剰な心配が言葉の綾を生んで私を死に近づけます。
免許更新に行かなければいけないのに、吐き気がひどく家から出れずにいると、父は嘔吐恐怖し家から出られない私に「もうちょっとしっかりしろ」と言いました。
私は号泣し吐きました。
また嘔吐が怖くなりました。
私はしっかりしてないらしいです
頑張っているつもりでした。
誰よりも修羅場を乗り越えてきたと思ってました
ダメらしいです
所詮病気の社会のゴミらしいです
また嘔吐事件の前の日の朝は、母親を怒らせてしまいました。
私は調子が悪かったんです、なんとなく。
胃腸炎のようなのが続いてましたが今思うと普通に鬱です。異常な焦燥感、全てが敵に思えるあの感覚、起きた瞬間過ぎる自殺など。
「吐き気止めの飲みすぎか、久しぶりに睡眠薬を飲んだせいか、投薬からしばらく経つ故の副作用からジストニアのような不随意運動と軽い痙攣、イライラ、じっとしてられない、呼吸が早くてパニックが起きそう」
といった感じでした。座っていられません。
テーブルに完全に頭をつけ犬食いしかできませんでした。立ってもよろめき体はぶつけまくって、耳もなんとなく聞こえなくて、母がなんか言ってるけどよくわからないしうまく応答ができない。
気持ち悪い動きもしている。
母は捲し立てるようにわたしに「なんで」体調が悪いのか「攻め」続け、私はふと母親が先日私の部屋の配置をめちゃくちゃ変えたことに少し苛立ったことを思い出しキレ返しました。
その後発狂し部屋はぐちゃぐちゃ、ガラスは割れ、薬は飛び散り、水浸し
終わりです。今現在、見捨てられています。
誕生日おめでとうとは言ってもらえました。目は合いません。おしまいです。
結局母に敗北し、惨めです。
父は今の家族の状態を問題に思い悩んでいます。
申し訳ないです。
私がもっと普通だったら、私がもっと言語理解があれば、私が障害じゃなければ何も悪くならなかったから、私がいなくなれば、と思うけど親はそれは望んでないし申し訳ない。
でもそう思わせるようなことを言ってくるんだから、思ってます。でもそんな発言にもそんなつもりはないんだろうな、という理解もあるつもりです。
つもりでしかできないコミュニケーションが積もりに積もって、もう何にもならなくなってる
私はゴミの山
才能があるはずなのに 悔しいな
外では認めてもらえるのに、なぜ家だと私は馬鹿な障害者なの?
なぜ?働いている。将来の夢も具体的な指針もある。なぜ焦らせるの?親が死んだら普通に頑張るしかないしやれるでしょ。
自分ら死んだ後私がどうなるのか気になるみたいだけど、そこの心配よりもただただ調子が悪い時に大丈夫?がんばれ、負けるな、と勇気づけて安心させて欲しいだけなんだけど、ダメっぽい。
どうしよう
泣きすぎて3日ほど目が飛び出てる
惨め
惨めで悲しい
惨め 怒りが湧かない、惨めは危険と知っている
誕生日の日記がこれなんて、最悪だ
父はあの嘔吐恐怖の日、しっかりしろと言ったのは責める意図はなく、負けるなという気持ちだったらしい。たしかに具合の悪い人が倒れてたらしっかりしてください!て言うけど。
私は今日また号泣した、謝罪を繰り返しながら、私がうまく言葉を理解できなくてごめんなさい、優しさを無碍にしてごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい、ごめんなさい。本当にごめんなさい。
うまくいったこともたくさんあるのに、なんかもうずっと謝っていないと許されない気分が永遠に続くなら、死にたいけど死にたくない。
ホットラインに初めて電話した
自殺してしまいそうで、衝動が落ち着くまで行動の指示(手や足を触るなど現実感を取り戻す補助)をもらいながら監視してもらった。
いい年とかいわれはじめる年齢にこんなんだったら親もきついだろうな。
芸術なんてやらなきゃよかったとか言っちゃった。
死ねよマジで
死ねよ 全部 ごめんなさい
あと、父から聞いたんだけど、母が、私が調子悪いとイライラするって言ってたんだって
どうしよう 殺されちゃうかな
いなくなれって思われてるのかな
でも仲良い時もあるよね
楽しい時もあるのになんで急にこうなるの?
多分私の家族、欠陥だらけ。
私はカス
ママは発達障害、ボーダー
パパはノイローゼ 主語がない
私は天才、努力の天才だけど、結果が精神病のカスだからもう全資格名誉剥奪
おしまい
苦労のない穴へ、さようなら。
2025,05,09, 4:51
0 notes
Text
鬱 in スペイン
久しぶりにでっけー鬱の波が来ました。どうしようかと思った。まだ尾を引いてはおりますが、だいぶんマシになりました。なったと思ってる、自分では。
今回の経験で、鬱にも種類があるなあ、と気づいたのでメモしておく。あくまでもこれは私の場合ね。
身体が動かない、やる気はあるのに体が重かったり、頭痛などの不調が続く
体も動かないけど気力が枯渇する、やりたいことが何もなくなる、無になりたいと思う
今回は2だった。
「身体が動かない」が共通なので、てっきり同じ種類かと思っていたけど、どうやら違ったみたいで。日本で処方されてた向精神薬を何種類か持ってきているんだけど、前までの私が戦っていた症状は主に1だったようで、前飲んでた薬だとイマイチ良くならなかった。2番は2番でそこそこ対処できる薬を持ってい���からなのか、はたまたホルモンバランスに振り回された結果の鬱だったからなのか、今はだいぶマシになったけど、症状に合わせて薬を選ぶのも大事なんだな!と思った次第。
そもそもとして、これ以外にも
不眠もしくは寝過ぎ
食欲がなくなる
「う〜ん、今死んじゃってもいいかも」「死んだらどうなるかしら」を1日3回以上考える
生きる意味について考え、その必要性のなさと戦う
将来について考えて不安になる
簡単なタスクがこなせなくなる
等々、いろんな症状があって、その根源が「体が動かない」がメインなのか、「やる気もやりたい気持ちも枯渇する」がメインなのかを見極めるのは、けっこう難しい。出る症状は同じだからね。
わりかし長い間、「やらなきゃいけないこと、やりたいことはたくさんある、やりたいという気持ちもあるのに、身体が動いてくれない」という辛さと戦ってきたけど、今回は「生きてる必要性がない。」というところに終始しており、本当に、無になりたかった。存在として無くなりたかった。
「やる気がない」なんて当たり前のことだよ、って思われるかもしれないけど、この深さを知らない人はいいな〜って思う。あれやりたくないなー、めんどくさいなー、とかを経由せずに、一気に「生きる意味がない。消えてなくなりたい。」になるんだから、我ながら極端だなと思います。脳がバグってるので仕方がないです。
無くなりたい、というのも能動的な「死にたい」とはまた別の感情で、ただ無になりたいだけなので、自分としては希死念慮とはまた別物じゃないかと思っているけれど、「じゃあ死んじゃおっか。」につながる可能性もかなり高いのかな、とは思う。今回、生き延びれてよかった。
原因はホルモンバランスだと思っている。アクションはしてるのに状況が変わらない、という状態が長らく続いているのでそのせいもあると思うけど、ピルを変えて3シート目ぐらいで、日本にいる時は休薬期間が決まってない、連続服用ができるタイプを飲んでたけど、いま飲んでるのはシートにプラセボがくっついているタイプ。
日本で飲んでたピル持って薬局行ったら出されたやつで、成分は日本で飲んでたやつと一緒なんだけど、連続服用はしないという、前と同じようで違う薬。
今のやつを飲み始める前に一応調べはしたんだよ、PMDDに引き続き効果はあるのか?休薬を28日ごとにしててもいいのか?って。そしたら、プラセボタイプはPMDDにはあんまり良くないっぽくて、連続服用タイプがいいらしいね。そのことは知りつつも、また新しい種類のピル飲んで副作用と戦うのもなーー、とか、連続服用できるやつは処方箋もらわなきゃいけなかったりとかのめんどくささもあって。スペイン語力への不安もかなりあって。「生理期間になるとメンタルが不調になります」までは言えても、どのように不調かなんて、日本語でも曖昧な言い方しかできないのに。
でも今月のこれを経験したら、ちょっと無理だね!!!病院行こ!!!連続服用ピルもらいに行こ!!!ってなりました。プライベートの保険も入ってることだし、どうにか調べて、新しい薬に辿り着きたいと思う。本当に、女性ホルモンは簡単に私を殺そうとして困ります。女じゃなかったらよかったのになー。めんどくせえこの身体。あるいは、女性に生まれたのに女性ホルモンに殺されそうになる個体なんて死んでしまって当然なのかもしれない、自然の摂理的には。
仕事が決まらなさすぎて、金銭的に帰国を余儀なくされそうではありますが、どうにかなる!どうにかする!!という気持ちは帰ってきたので、どうにかなるよ〜どうにかするよ。スペイン語への拒否反応もすごかったけど、一転して力を入れて勉強する気になっています。
無になりたかった影響もあって、もう帰ってもいいなーという気持ちはまだ生きてる。「帰りたくない!!!」という強い気持ちはどこかへ行ってしまった。でも、ここでの仕事への応募を続けてるんだから、本当はまだ帰りたくないんだろうな〜と感じる。自分の望みはまだ読めない。でも望んでも叶わないこともあるからさ、そんときはそんときよ。
自分が適応障害だったのか、うつ病なのか、躁うつなのか、はたまたこれはホームシックか、なんなのかとたまに思いますが、ガチでホルモンバランスのせいなんだろうな、と思えてきました。生理でこうなる、ピル飲んでてもこうなるんだから、妊娠出産とか怖くて考えられん、ガチで死ぬと思う私。世の中のお母さんたちはすごいです。この世にかわいいベイビーを生み出してくれてありがとう。私にはできない仕事だ。
連続服用タイプのピルをゲットしたところで帰国かもしれんが、まあ、ゲットするために動いてみよう、うん。私は本当に生きててえらいです。生きようとしてて偉い。しんじゃったら友達がどう思うか、きっと悲しむよな、人を悲しませることはしたくないんだよなー、という気持ちで生きている部分があるので、友人のみんな、ありがとう。生きるための努力はしています。
ま、人生、どうせうまくいっちゃうもんな〜✌️ということを信じられるような自分に戻ってきたのが本当に良かったです。よくがんばりました。新しいピルをゲットして、それが体に合いますように。PMDDの特効薬が早く開発されますように。
0 notes
Text
▼各創作物の消費方法
【本】
主にビジネス書だけど幅広く、
時間があって気分が向いた時に
1冊あたり1日~3日で一気に読む。
読んでもほぼ内容は覚えていないことが多い。
ただ、心に残るフレーズや気づきがあったら
儲けもの、みたいな感覚で読んでいる。
また、ほかの人はこういう考えを持ってるのか、
みたいなほかの人の頭の中をのぞけるのが面白い。
そういう意味ではコスパは悪い気がするけど。
リラックス効果や文章力の向上という
副次効果があるため、
気が向いたときに続けていく。
【ゲーム】
これが、自分にとっては一番大切な趣味。
ゲーマーというほどではなく
数か月に1作品プレイするだけだけど、
自分の人生からは切り離せないなと思う。
まず、ゲームをしている時間は
自分は自分ではなく、操作キャラクターであるため
現実から切り離される。
第二の現実とでもいうのだろうか。
現実がつらくても、ゲームを起動すれば
そこには別の世界が広がって��る。
本とか映画は、あくまで傍観者の立場だけど
ゲームは自分が主体者となれて
一人称視点で世界に入り込むことができる。
そのため自分の趣味の中では、もっとも気分転換になれる。
特に本を読んだり勉強したりしながら、
同時並行で作業ゲームするのとかが好き。
【映画】
ディズニー映画に限って大好き。
そのほかはそれほどだけど、流し見くらいなら好き。
現実逃避という効果であればゲームの方が好きなので
自分としては「何か得るものがあるか」という観点で
映画を活用している。
そのためディズニー映画は
テーマやメッセージがはっきりしており
1つの映画から学びや気づきを得ることができるため
好んで観ている。
また、当然ながら映像や音楽すべてがハイクオリティなので
これを知ってしまっては他では物足りなくなるというのもある。
【漫画】
これも人並みだけど、気が向いたら読む。
バトル漫画や日常系はあまり好きではないけど
ストーリーが面白いものは好んで読む。
【アニメ】
前はクランチロールにも加入してたけど
よっぽど有名なもの、漫画で読んでいたもの以外はあまり観ない。
友達が好きだったからドラゴンボールとか観てみたけど、
今の高クオリティなアニメに慣れてしまうと
昔のアニメのストーリー進行の遅さとか
なかなか観づらいな、、と思った。
【ドラマ】
がちで人生通して一貫して興味がないため
危うく書き忘れるところだった。
昔は流行っていたものは観てたけど
なんだろう、、
自分がせっかちだからか、芸能人に興味がないからか
友達との日常生活の会話に支障が出るほど興味がない。
おすすめもしてもらえるけど
そんな、、何時間も何シーズンも観る気にならない。
本を読んでるときもそうだけど
「で、結論は?」とか
「この部分って意味ある?」「引き伸ばしでは?」
「もっと端的にならないの?」みたいなことが
頭をよぎる時があるので
ドラマも「こんなに長くする意味ある?」みたいな
気持ちなのかもしれない。
過程を楽しむのも大事なのにね。
0 notes
Text
20130209 なお 化学療法11週間後 術後5ヶ月目 レントゲン エコー 血液検査 乳腺癌
20130209体重3.46/0126:3.52/0112:3.52/20121229:3.44 /1215:3.38/1208:3.36/1201:3.34/1124:3.35/1121:3.38/1117:3.3/1110:3.3/1102:3.5/1027:3.5/1020:3.5/1013:3.58/1006:3.6/1003:3.68/924:3.8/920:3.8/908:3.7/811:3.7/728:3.7/714:3.7/707:3.7
肺へ転移。体重3.46胸水抜後3.42(1/26前回3.52)減った…
2/9→肺レントゲン。エコー。血液検査。皮下補液。
レントゲン(前回12/15):胸水少し溜まってる(エコーで確認)→胸水:60cc。上皮細胞有、乳腺も上皮。肺へ転移したと思われる。
☆化学療法:あくまで緩和治療 ☆消炎鎮痛剤(胃腸薬混ぜる):上皮細胞の成長を抑制 ☆胸膜炎の痛み、呼吸困難の苦しさをどれくらい押さえられるかが今後の課題。
☆胸水の症状として、舌の色が紫っぽくなる。呼吸が速くなる、口をあけて口呼吸。動かない。
○肺レントゲン、エコー検査
前回12/15、肺の下も膨らんでいて心臓も明確にわかる。同じ条件だが若干心臓の下に白っぽい物がある。肺の後ろも完全に膨らんでいない、心臓の形も今回ぼやけている。器官等が圧迫されるほど心臓が大きくなってはない。少し肺の空気を含んでいる部分の透過性、レントゲンの通りがあまり良くない。こういう場合、胸に炎症がある又は水、空気が溜まっているの二つ。確認→若干胸水が溜まっている。心臓の血液の流れの逆流化などはない。心臓がらみの胸水なのか若しくは別の要因か。(肺炎で炎症がひどくて水が出る場合もある。他要因としては乳腺腫瘍があったという事で、それがらみの水の場合もある)水を抜いて検査しないとわからない。胸水の量はかなり少ない。
○結果
溜まっていた胸水約60cc。苦しくなる程の液体の量ではないが、皮膚や上皮をつくる細胞が有。乳腺も上皮。乳腺の上皮の細胞により近い。という事はおそらく肺への転移から胸水に最後は出てきている。
○胸水を抜前と抜後のレントゲン写真比較
肺の下あたりにぼやっとした物有。2ヶ月前は何も無い。なおはステージ2~3あたり。
●化学療法について
猫に対して乳腺腫瘍への反応は良くないが、何もしないよりはした方が良いがあくまで緩和療法。11月の3ヶ月前にやらなければもっと早く移転があった可能性もある。あくまで可能性。
骨髄抑制等副作用もある。反応もよろしくない、猫に負担がかかる療法を選択する必要があるのか。ただし、明確に効くというエビデンスは無いが前回使用していない化学療法剤を使ってみるという手もある。一種類ではない。他の組み合わせもある。
●化学療法を使わない:上皮細胞の成長を抑制する様な薬、消炎剤がある。人間が飲む鎮痛剤と似ている。痛みを抑えるお薬。ただ痛み止は血行を縮めるので長く飲んでいると腎臓に負担がかかったり、早い子は3日目位から吐き出すというう可能性がある。
今後、腫瘍細胞が出ている胸水が溜まって苦しくなってくる症状があるが、それをどれくらい押さえられるかという事が今後の生活において大事。
○胸水
肺に溜まってくるので呼吸が苦しくなる。今回肺レントゲンで白っぽいの見つけてエコーで確認で60ccなので、呼吸困難になってくる場合は100cc以上溜まっている。胸水に関しては早めに気づけた。溜まる速度はわからない。これからの状況を見ていかないとわからない。
○もう片方の乳腺への転移は
血液検査にて末梢血管まで腫瘍細胞が行き渡っているとでる数値が今の段階では無さそう。
●プラスアルファで化学療法、もしくは消炎鎮痛剤をやってみるか。
痛みは今のところ無いが、人間も同じで胸膜炎とかはすごく痛い!痛みが出てくる!!実際に水が溜まっていなくても肺を包む胸膜に腫瘍細胞がおしよせ肺が膨らむたびに息をするたびに痛い!
前回副作用は出なかったが、今回出過ぎたら考えていかなきゃならない。
改めてスタートするならば安全性が確認できているものからやってみて、あまりにも反応が悪いようであれば違うお薬を併用していく。
化学療法によって副作用が強くでるならば消炎鎮痛剤の方に切り替えてみる。胃腸障害が如実に出てしまうならばそれをケアするような形で胃腸薬を飲みつつ続ける。消炎鎮痛剤は24Hしかもたない。
⭐化学療法残り4回は万が一再発した時に。
今後レントゲンは1ヶ月に1回とっていく。
0 notes
Text
卒業後-12
お疲れ様です、どうも。今回は毎年恒例の旅行の備忘録です。とりあえず箇条書きで。
・覚悟と準備をしていざ旅行へ〜台風直撃は免れない〜
・生まれて初めての格安旅行機
・ついた直後にいざ海〜俺だけ装備が水着しかない〜
・今年こそはG対策はバッチリ!出ないはず!!
・襲来。
・奇跡。
・二日目、大洗並みの海とそしてコロナ罹患。
・コロナと台風直撃
・去った台風、罹ったコロナ
・ギリギリ復活、そして福岡観光
・ホテルのベッド最高
・クソマズイオレンジジュースの謎〜コロナの後遺症かわからん〜
・帰宅〜今度は帰る方向に台風直撃〜
以上がざっくりした内容ですね。ざっくり詳しくは以下です。
と言うわけで、旅行中に台風直撃、そしてコロナに罹患しました。チクショウ!!!俺のノーコロナが!!!!!
コロナの話からすると、正確には俺は悪くないんですよ。私は今回もずっとマスク生活でしたし、旅行前に抗原体検査もしたんですが問題ありませんでしたし。問題があったのは親ですね。マスクなしで前日徹夜してた父親がまず高熱になり、病院でコロナってなりました。そして俺と父親は隔離されず俺にも罹りました。めちゃくちゃ被害者じゃないですか!!!???無駄な抵抗かもしれないけど俺も隔離してよ!!!いいんですけど!!!別に!!!
コロナに罹ったのは悔しいし、めっちゃしんどかったし、なんなら今もまだ完治してないんですけど。まぁ、そこまで恨んではいませんよ、台風直撃もあって全員道連れでまともに遊んでませんからね、ハハッ。
コロナの症状に関しては、ワクチンの副作用の期間を延ばした感じですね。はい。高熱も酷いが私は何より喉が酷かった。いまだにちょっと痛い。最大の時はまともに食事できないレベルで喉が腫れて痛みましたよ。そしておまけに中耳炎っぽいのにもなってて、ものによっては耳の奥が激痛で聴覚にも影響が出るレベル。酸味が強いとかあとはチョコレートでもなるんですよね…ただ一番凄かったのはオレンジジュース…銀○このオレンジジュース飲んだら周りの音は聞き取りづらくなるわ、くっっっっっっっそ痛いわで飲めなくて、父親に飲ませたら人生で一番まずいとのこと。コロナのせいかマジで不味かったのか……。
今はだいぶ落ち着いてものもようやくまともに食えますよ…。まぁ、まだ咳き込むし鼻水出るし、耳痛いんですけど…。一時期は唾液も飲み込むのが辛かったのでだいぶ良くなりましたよ…。噂の味覚は…一応あるけどなんか全体的にパッとしない気がしますね。まぁ、こんなものかな…みたいな……めちゃくちゃ美味しいはずのものがうーん……うん??みたいな……めちゃくちゃ美味しいらしい店に行ったんですがよくわからなくてちょっと悲しい。とりあえず完治しないとナンジャタウン行けないな……。
次は軽めに、生まれて初めて格安旅客機ってやつに乗りました。ジャンボジェットよりもめっちゃ揺れた気がする。ただ年一しか飛行機乗らないので記憶がないので確証はないです。でも揺れましたね、これは怖い。 あと帰りは九州から関東だったので思いっきり台風の中を突っ切ったんですよ。すごかった…。下手な遊園地のアトラクション並みに揺れた……。ちょっと楽しかった……。
あとは話すことは、Gと俺ですね。今年は対策グッズを用意して行ったんですよ。クローブとベチバーと言うアロマですね。ベチバーがすごいらしいんですが、今回は予算の都合上アロマストーンしか確保できずに効果はよくわからないですね…でもすごいらしいですよ…。
そして何より最初のインパクトは入って玄関にひっくり返って死にかけの野生のG…。我々に身近な家にいるやつではなく山に住むはずのおそらくはヤマトゴキブリ…なぜか玄関で死にかけてました。多分、外が暑すぎて、泣く泣く家に避難してきたら結局暑くて…そして……。今年の暑さが異常すぎるが故の悲劇でした……。
次が襲撃についてですね。
とりあえず私が持ってきたG対策グッズを展開し、結界を貼ったその日の晩…忘れもしない、月曜から夜更かしの「夏祭り、行く?行かない?」辺りのインタビューシーンの時…テレビの裏から突然、目測4、5cm級の黒いヤツが現れたのです…。去年も出てきたその場所から……絶対あそこワープゾーンあるって……。
そして私は寝ていた父親を起こして対策会議。しかし父親は殺すことに非協力的であり、Gホイホイを置いて偶然入ることを願おうと言うのです。俺はこの部屋で寝るのに。俺はこの部屋でGと寝ろと!!!???? こうして文句を言ってなんとか何かないか探しに行かせてる間、俺は睨めっこしながらヤツを直接仕留めるアイデアを考えていました…。するとなんと!!!!!父親が置いていった!!偶然入ることを期待されたホイホイに!!!!入った!!!!!!!!!奇跡!!!!!!!!!!!!!!!!!
こうして私は安寧を手に入れたものの、翌日もG対策について父親と揉めましたが、神アイテム・��ンチョーの『コックローチ ゴキブリがいなくなるスプレー』を撒いたらマジで俺の部屋には最終日まで出ませんでしたよ。マジ神アイテム。
まぁ、大体こんな話ですね。いやぁ、疲れた。ホテルのベッド最高。
0 notes
Text
『TAR/ター』
カリスマ指揮者が見ている世界。かっこいいケイト様を期待して観にいくとボコボコにされます

(長いので目次)※ネタバレ注意
鑑賞直後の感想
不安を煽る「音」たち
傲慢さが招く破滅
すべてが幻想だったのか?
1. 鑑賞直後の感想
??????分からん…何…!?ひたすらリディア視点の世界だけを観たって感じ。映画が最後に近づくにつれて「みんなが憧れるカリスマ指揮者リディア・ター」の姿がどんどん崩れていって、怖かった。ぐったりしてしまった。
『ビューティフル・マインド』 を見たときの感覚に似てる。「本人はやばい自覚ないけど危険な方向に走って行ってる」みたいな感覚。リディアはあの映画の主人公みたいに統合失調症じゃないけど、指揮者としての自分の実力に自信過剰になって、傲慢さが増していった。
泣く準備万端で行ったのに全然ハンカチ使わなかった。私の感受性の問題なのかな…。映画見る前は、その音楽を洗練させていくことに重きを置いた映画だと思ってたのね。でも、なんか、何だろう、���の映画内では、指揮者っていうのはあくまで作品構成要素のひとつでしかなくて、リディア・ターっていう人物の人生の苦難を描きましたよ って感じだった。公式サイトで、トッド・フィールド監督は「子供の頃に何が何でも自分の夢を叶えると誓うが、夢が叶った途端、悪夢に転じるというキャラクターについてずっと考えていた」と語っていた。『セッション』とも違うもんなあ。最後に演奏が完成されるわけじゃない。あれは完成に至るまでの苦しみを描いているけど、『ター』では完成した後それが崩れ落ちていくって感じ。いま人生の絶頂にいるからこそ、もうそれ以上にはなれない。だんだんと周りからの信頼が崩れていって、成長が見えなくなって、あとは落ちていくしかないという雰囲気が怖かった。
2. 不安を煽る「音」たち
この映画では音がかなり大事な要素だなと感じた。「熟睡できることが少ない」って言ってたように、リディアは音にとても敏感。家の中でふと聞こえてきた音やリズムを無意識のうちに復唱したり、ピアノのメロディにおこしたり。生活しづらそうだな~。神経質な人の世界ってこんな感じかな、と思った。
冒頭の生徒たちに指揮や演奏について講義をしているシーンでは、生徒役の方の貧乏ゆすりの演技がすごかった。足を揺らすときの衣擦れの音がすごく耳に入ってきて不快で、なんで周りの生徒は気にしてなないんだろうと思ってたんだけど、あれってリディアの耳に聞こえる音を私たちに聞かせていたのか!ホールで講義をしているはずなのに、リディアの声よりも貧乏ゆすりの音の方がよく聞こえてたと思う。あれは音に敏感なリディアの感覚を味わっていたのだと思う。
リディアに辞めさせられた副指揮者のペンをカチカチ鳴らす癖もそう。周りからしたら気にも留めない音でも、リディアにとっては不快な雑音。周りの人々とリディアとの感覚の違い、周りに理解してもらえない天才が故の苦しみをこの「音」で表していた。

3. 傲慢さが招く破滅
主人公のリディアはレズビアンであることを公表しており、パートナーは演奏者として一緒に働いている。同性婚をして子供を持ち、初の女性指揮者として成功し、自立しており、多様性の時代に先駆ける先進的な人物のように見える。でも、実は全くそうとも言えない。「多様性」という言葉をバカにしたり、生徒がバッハを女性差別者だと言ったことに反論したり、女性への門戸開放のために設立した財団を男性も入れるようにしようと言い出したり。リディアは割と旧世代的な考え方の人なのではと思った。
LGBTQや女性差別、ジェンダーロールの破壊といった今の映画の流行りを取り入れつつも、そうした要素を持っているリディアが実はミソジニー的な振る舞いをしたり自分が正しいと思い込んでしまったり。リディアは性的マイノリティへの差別に対して立ち向かっていくべきだと考えているし、それをそんなに大変なことだと捉えていない気がする。だからいまいちパートナーにも寄り添えないというか。「反骨心にあふれた自分がかっこいい」と思っているふしさえある。リディアは指揮者として成功して地位があったからとは考えておらず、自分の性格や実力のおかげでそうしたものを解決したと思っている。そこがリディアの傲慢さかなと思った。
レズビアンだからって多様性に必ずしも理解があるわけでもない、こういう人もいるよって言われている気分だった。トランスジェンダーの女性施設利用やジェンダーレストイレなどが最近話題になっているけど、この映画ではLGBTQがすべて正しく先進的だという認識に待ったをかけているとも思った。

観ていてうわっと思ったのは、リディアが楽団の中で若い女性をひいきし始めて、好意を抱きつつも相手にされないシーン。冒頭では美しくキラキラしたリディアの姿ばかり見ていたからこそ、中年おじさんが若い女性におかしなアプローチをかけているのを見てしまった時のような恥ずかしさを感じた。成功し続け、周りにもてはやされてきたから生まれてしまったズレた自信が空回りしているみたいな…。なんか、観ていてすごく恥ずかしかった。このシーン観たあとクリスタの告発について知ると、本当にクリスタに振られた腹いせに攻撃したのかもしれないと思ってしまった。リディア視点でそこの真否について描かれていないということは、本当にやってたのかも。
天才が故に、主人公のリディアは魅力ある人物だが敵を作りやすい性格でもある。はじめは彼女のカリスマ性の方が際立ってて気づかないんだけど、言葉選びとか相手と話すときの態度や姿勢、問題解決の強引さとかを見ているとだんだん「あ、この人ちょっと…」ってなるタイプの。
いじめをしていた子供に忠告するシーンもそう。「私は大人だから、誰もあなたの言うことは信じない」って台詞、怖すぎ…。子供を叱るというよりも、脅しや言葉の暴力で相手をねじふせている。平和的な解決じゃないんだ。他の人との関わり方がちょっと雑というか、自分の力で全部解決しようとする。だから��ートナーにも告発されたことを相談できない。
あと、幻覚を見て転んだせいでできた顔の傷を「男に襲われた」と嘘をついたシーン。なんでそんな嘘をつくんだと思っていたけど、あらためてリディアの性格を考えるとこの嘘も彼女のプライドの高さからなのかなと思った。幻覚を見て転んだなんて、弱さでしかない。パートナーにも知られたくない。自分から孤独になりに行ってるんだよなあ。
4. すべてが幻想だったのか?
映画は全体として音、音、音で溢れていて、音に神経質な人の世界ってこんな感じなんだと思った。
メトロノームが夜中に鳴り出したり、子供が夜「足を持って」と言って怯えたりするシーンは「自殺したクリスタの幽霊がいるのかも」となんとなく思わせるけれど、鑑賞側に何が起こっているのかをはっきりとは示してくれない。クリスタの姿も現れないし、幽霊のしわざなのかリディアの夢なのか鑑賞側に教えてくれない。 何が起きているのか、私たち観る側が全部自分で考えなきゃいけない。説明してくれない。マネージャーも結局帰ってこないし、告発された後どういう結果になったのかも明確にわからないし、いつの間にか離婚してるし。全部言葉にしないよね。何が起こったとか何が起こってるとか全然教えてくれない。だからそれが怖い。この映画は観ている間ずっと不安で、本当にこれは現実?リディアの幻覚なの?ってぞわぞわさせてくる。私が今まで観ていた映画って、視聴者側にだいぶ親切に説明してくれるものばかりだったんだと思った。この映画を観ているときの漠然とし��不安感って多分それが理由じゃないかなあ。夜見たからかマイナスな感想ばかりになってるのかもしれない。ずっと破滅に向かっているようなしんどさがある。朝見たら感想もちょっと違ってたのかなあ。
最期のコンサートは衝撃だった。観客は全員民族衣装っぽいおかしな恰好をしてて、コンサートなのにそれを台無しにするナレーション付き。しかもリディア本人はヘッドフォンをつけての指揮…。あのこだわりの強いリディアからしたら考えられない。そこまで落ちてしまったんだ、というたショック。そうまでしても指揮者であり続けようとする姿には確かに狂気なのかも。
本当に実在する人物の話なのかと思うくらい、ストーリーが生々しくて演技も凄かった。ケイト・ブランシェットの苦悩する姿��リアルで怖くてちびるかと思った。最後までざわざわした不安感が続くし、正直観ていてしんどいストーリーではあるけど、自分で考えなきゃいけない余白が多くて面白かった。

4 notes
·
View notes
Text
2022/8/27〜

8月27日 カスタムくんに会いに出かけた! 片道2時間の少し複雑な乗り換えを頭にたたき込んだ。あと少しのところで初めての路線乗り換え。そこでお財布を忘れていることに気がつく。え〜〜……!!と、でも、なんとも戻るしかない。そして戻ったらまた同じ道を出発する元気もないし、カスタム君の午後の部にも間に合わない。横浜駅構内にはブルーナカフェが入っていてナインチェかわいいけれど、心はすっかりカスタムくん。
合計3時間程の旅を0円でしてしまった。
戻りながら電車で日記の文字起こしをして、最果タヒの展覧会のオフィシャルブックを読む。もう1年以上私の部屋にある本だけれど、昨日、この本にマンスーンさんが寄稿していることを知り、もう一度読むことにした。
駅のホームでおじさんに話しかけられる。 私に顔を近づけて「一言、二言で終わるから!」と言われ、イヤホンを外すと「あなたは美人です。だからすてきな彼氏がいるんでしょう。そしてその人と結婚して、絶対に幸せになって下さい。」と言って、去って行った。(“絶対に”の位置が「“絶対に”その人と結婚して〜…」だったかも知れない。) 揶揄う相手を間違えている。
ヨドバシカメラで洗濯機をみる。 1人だとただの鑑賞会をして終わってしまうので友人に付き添ってもらった。ドラムより縦型の方が私の生活には合っていそう。コストダウンできた分で何かしようと思った。 友人がフィルムの現像を出していて嬉しかった。自分以外の人が写真を撮っていると嬉しい。

8月28日 夜にライブイベントに参加する予定があり、1日を、それまで体力を保たせて帰宅後もきちんと過ごせるように時間を過ごしていた。 夜の予定が本当に苦手になってしまう。 もともと、ライブには1人でよく行っていたけれど、チケットを取った時の喜びから、そのライブが近づくにつれて憂鬱になることばかり。ライブの中身より、その時間を耐えた開放感と夜の街にいる喜びに、ライブ=楽しい、という印象をもっていて、ライブって楽しい。
でも、いつもの日曜日をいろいろ終えて、そこからお出かけするのはなんかいい感じ。みんな帰っていく中でわたしはこれから!みたいな。 途中、ディズニー帰りのお姉さんが隣に座り、携帯で新幹線を予約している様子で、これから大阪まで帰るのか〜と眺めていた。

臨海副都心の街に久しぶりに降り立てて、しかも日暮れ時の涼しい夏の日曜の夜で最高だった。ライブ中も、外の景色とか今の空の暗さとかが気になって、元々終演までいるつもりはなかったけれど、早めに会場を後にした。 フットサルをしている人達、それ以外は、日暮れ時の公園の人達はみんないなくて、ビルの赤いランプが点々と映えていた。
夜の海沿いの首都高を眺めながら、ほとんど千葉なのでは?と思いながら、意外と日曜日もお仕事お疲れ様な人が多い、と思いながら、ライブ会場の粗悪なパイプ椅子から座って鑑賞することを想定されていない高さの舞台を見ることで痛めた身体を引きずりながら、涼しい夜を帰ってきた。

8月29日 実家へ少しだけ帰ってみる。 母と同じ時に京都にいたらしい。近所の梨園で無人販売を始めたらしく、梨を1袋買った。ちょうどもぎ取ったところで、その場で詰めてくれる。1,000円で5,6個入っていて、1つだけ貰ってあとは実家に置いてきた。

実家は色々家の補修を済ませていた。 庭の一部にコンクリートを打って通行しやすくしたり、かなり劣化していた木のデッキと縁側をプラスチックの擬木のデッキにして手入れしやすくしたり、施工不良でずり落ちた屋根を葺き替えたりしていた。 また駅まで車で送ってもらう。 昔、塾に行くために下車していた駅は、駅ビルがかなり充実していて、駅横のデパートはショッピングモールみたいになって格が落ちていた。
池袋のビッグカメラで洗濯機を買った! 他店で目星をつけた製品をもう一度紹介してもらい、その内、一つ前の型がかなりお買い得だった製品に決めた。満足のいく行程で購入まで漕ぎつけた、と思っていると、最後にポイントプレゼントキャンペーンの紹介(セールス?)。どこかの国の必殺技くらいにしか思っていなかった“格安SIM”のことが少しわかった。

帰宅して眼科へ。ペッパー君みたいなお兄さんに検査してもらう。使っているコンタクトのゴロゴロがつらくて、とても毎日装着できないことを伝えると「そうですよね〜、◯◯さん(私の名前)はかなり乱視が強いので違和感はあると思います。」と流れるように答えてくれてペッパー君。「目薬や装着液を使ってもあまり軽減しなくて…」と言うと、「え…?装着液ですか…?」と人間になってしまった。装着液ってハードコンタクトにしか使わないらしい。「(ゴロゴロするのは)慣れれば感じなくなりますかね〜」と言うと「慣れませんよ〜。ずっと違和感は残りますよ。」とペッパー君に戻った。
梨の皮を剥いて、カットして、今までで1番カットされた梨っぽい造形になって嬉しい!包丁を新しくして良かった。

8月30日 夕食のお誘いメールをもらった。 職場の飲み会が無くなったご時世でとても助かっている身だけれど、少人数の少し心落ち着ける人選の会だと、行きます!と返事をしてしまう。 (食事の席に変わりはないので、少しずつこれから憂鬱度が増していくのだろうな。) でもお誘いメールに“参加してくれると嬉しいです。夕食を取らない派であれば飲み物だけのオーダーでも構いません。ご一緒できるのを楽しみにしています。”とあり、ならば!となったのかも知れない。 基本的に、他人から気を遣われてしまうタイプだと思っていて、(こんなにしたら逆に相手に悪いかな)と不安を抱かせてしまうくらい気を遣ってもらえると嬉しかったりする。(だから、家族や身内の無礼にしょんぼりするし、いつまでも引きずったりする。)
妹��喋れていた頃、その最後の方は彼女とそんな感じの関係でなんか良かった。祖母のお葬式を中抜けして一緒に帰った時、少しお互いの近況を話して、お葬式も大事だけど、テストや課題や明日の大事なことがあるよね、みたいな話をした気がする。
上司の思いつきで明後日は都庁へ行くことになった。昼食問題は自分に正直になって乗り越えよう。
職場で2日連続で病欠した人がいて「また病んでいるんじゃないか」「お前何かしたんじゃないか」みたいな会話が飛び交っていた。 その人がお休みすることで仕事が増えることの迷惑より、ただ何か面白がって言っている愚痴に聞こえて、とっても私は落ち込んだ。
明日で8月が終わる。暑中見舞いは2通お返事が来た。

8月31日 今日は何もなかった。 そんなことはないはず。だけど、今日は何もなかった。
9月1日 都庁へ行った。1階のエントランスの巨大なピロティが、何かの搬入口みたいな空間なのに人だけが通っていて不気味。 ロビーにはアルソックの警備ロボットがウロウロしていて可愛い。 ずっと閉鎖されていた45階の展望室は、なんと今日から再オープンのよう!警備員のおじさんが「ちょうど今日からなんですよ。」と教えてくれる。 用務まで東京観光案内所で23区と市区町村のパンフレットを眺めて、再来週行く予定の府中市のお散歩マップを手に入れた! 隣は全国都道府県の観光マップが揃っていて楽しい。月替わりショップは今日から山梨県で、オープンしたてなので信玄餅の入荷数を数えていた。
用務が終わり、昼食に行くみなさんを見送って展望室へ。新宿から眺める東京は、何かありそうで、特別何もなくて、意外と住宅街が細々とよく見える。 誰でも弾けるピアノに人がたくさん並んでいて、代わる代わるに上手に演奏していた。みなさん力強いタッチ。
午後から職場へ戻るため、中央線に乗る。 平日の昼間の中央線っていろんな人がいる。ビンテージっぽいTシャツとキャップ、短パンにサンダルを身につけて、手にはフライトの本があり、昨晩の音楽イベントのストーリーを投稿している男の人がいた。
職場に戻ると、昼食をとれない、人前で食べられないことを、また今日も明るみにしてしまい、そのことを話されているな〜小声で遠くで、というのを察知したりした。あと都庁のどこかに傘を忘れたことに気がついた。
帰り道で稲妻を5回見た!

9月2日 聴く・見る・読む、何を受け取っても、どこかで気持ち悪いレーダーが働いてしまう日。何も聴きたくない見たくない読みたくない。なので、自分の頭の中で健やかな都合の良いイメージやストーリーを流していた。
今日も何もなかった。 でも、以前同じ部署だった方にばったり会って「相変わらずかわいいですね〜」と言ってもらった。 「ヘッドホンおしゃれですね。」と言ってもらい、でもただのファッションなんです、ファッションといえば◯◯さん(相手の名前)のメガネっておしゃれですよね、といつも思っていたことを伝えることができた。「眼鏡はね、こだわりがあるんです。」と言っていた。眼鏡市場で買っているとのこと。
掃除をして爪を切って写真を撮って梨を剥いて花の水を換えて鏡を磨いてお香を焚いて洗濯をした。
場所性の本に、写真や芸術作品を作る人は場所のアイデンティティの要素をダイジェスト的に捉える、みたいな文があり、ある作家は、以前住んでいたプレーリーの土地を、グミの匂いの中に見出した、とあって、その作家の作品を観たくなった。

4 notes
·
View notes
Quote
「次室士官心得」 (練習艦隊作成、昭和14年5月) 第1 艦内生活一般心得 1、次室士官は、一艦の軍規・風紀の根源たることを自覚し、青年の特徴元気と熱、純 真さを忘れずに大いにやれ。 2、士官としての品位を常に保ち、高潔なる自己の修養はもちろん、厳正なる態度・動 作に心掛け、功利打算を脱却して清廉潔白なる気品を養うことは、武人のもっとも 大切なる修業なり。 3 宏量大度、精神爽快なるべし。狭量は軍隊の一致を破り、陰欝は士気を沮喪せし む。忙しい艦務の中に伸び伸びした気分を忘れるな。細心なるはもちろん必要なる も、「コセコセ」することは禁物なり。 4 礼儀正しく、敬礼は厳格にせよ。次室士官は「自分は海軍士官の最下位で、何に も知らぬのである」と心得、譲る心がけが必要だ。親しき仲にも礼儀を守り、上の 人の顔を立てよ。よからあしかれ、とにかく「ケプガン(次室士官室の長)を立てよ。 5 旺盛なる責任観念の中に常に生きよ。これは士官としての最大要素の一つだ。命令を下し、もしくはこれを伝達す る場合はは、必ずその遂行を見届け、ここに初めてその責任を果したるものと心得べし。 5 犠牲的精神を発揮せよ、大いに縁の下の力持ちとなれ。 6 次室士官時代はこれからが本当の勉強時代、一人前になり、わがことなれりと思うは大の間違いなり。 7、次室士官時代はこれからが本当の勉強時代、一人前にをり、わがことなれりと思うは大の間違いなり。公私を誤 りたるくそ勉強は、われらの欲せざるところなれども、学術方面に技術方面に、修練しなければならぬところ多し。 いそがしく艦務に追われてこれをないがしろにするときは、悔いを釆すときあり。忙しいあいだにこそ、緊張裡に修 業はできるものなり。寸暇の利用につとむべし。 つねに研究問題を持て。平素において、つねに一個の研究問題を自分にて定め、これにたいし成果の捕捉につと め、一纏めとなりたるところにてこれを記しおき、ひとつひとつ種々の問題にたいしてかくのごとくしおき、後となり てふたたびこれにつきて研究し、気づきたることを追加訂正し、保存しおく習慣をつくれば、物事にたいする思考力 の養成となるのみならず、思わざる参考資料をつくり得るものなり。 8、少し艦務に習熟し、己が力量に自信を持つころとなると、先輩の思慮円熟をるが、かえって愚と見ゆるとき来るこ とあるべし、これすなわち、慢心の危機にのぞみたるなり。この慢心を断絶せず、増長に任じ人を侮り、自ら軽ん ずるときは、技術・学芸ともに退歩し、ついには陋劣の小人たるに終わるべし。 9、おずおずしていては、何もできない。図々しいのも不可なるも、さりとて、おずおずするのはなお見苦しい。信ずる ところをはきはき行なって行くのは、われわれにとり、もっとも必要である。 10、何事にも骨惜L誤をしてはならない。乗艦当時はさほどでもないが、少し馴れて来ると、とかく骨惜しみをするよう になる。当直にも、分隊事務にも、骨惜しみをしてはならない。いかなるときでも、進んでやる心がけか必要だ。身 体を汚すのを忌避するようでは、もうおしまいである。 11、青年士官は、バネ仕掛けのように、働かなくてはならない。上官に呼ばれたときには、すぐ駆け足で近づき、敬 礼、命を受け終わらば一礼し、ただちにその実行に着手するごとくあるべし。 12、上官の命は、気持よく笑顔をもって受け、即刻実行せよ。いかなる困難があろうと、せっかくの上陸ができなか ろうと、命を果たし、「や、御苦労」と言われたときの愉快きはなんと言えぬ。 13、不関旗(他船と行動をともにせず、または、行動をともにできないことを意味する信号旗。転じてそっぽを向くこと をいう)を揚げるな。一生懸命��やったことについて、きびしく叱られたり、平常からわだかまりがあったりして、不 関旗を揚げるというようなことが間々ありがちだが、これれは慎むべきことだ。自惚があまり強過ぎるからである。 不平を言う前に已れをかえりみよ。わが慢心増長の鼻を挫け、叱られるうちが花だ。叱って下さる人もなくなった ら、もう見放されたのだ。叱られたなら、無条件に有難いと思って間違いはない。どうでも良いと思うなら、だれが 余計な憎まれ口を叩かんやである。意見があったら、陰で「ぷつぷつ」いわずに、順序をへて意見具申をなせ。こ れが用いらるるといなとは別問題。用いられなくとも、不平をいわず、命令には絶対服従すべきことはいうまでもな し。 14、昼間は諸作業の監督巡視、事務は夜間に行なうくらいにすべし。事務のいそがしいときでも、午前午後かならず 1回は、受け特ちの部を巡視すべし。 15、「事件即決」の「モツトー」をもって、物事の処理に心がくべし。「明日やろう」と思うていると、結局、何もやらずに 沢山の仕事を残し、仕事に追われるようになる。要するに、仕事を「リード」せよ。 16、なすべき仕事をたくさん背負いながら、いそがしい、いそがしいといわず片づければ、案外、容易にできるもので ある。 17、物事は入念にやれ。委任されたる仕事を「ラフ」(ぞんぎい〕にやるのは、その人を侮辱するものである。ついに は信用を失い、人が仕事をまかせぬようになる。また、青年士官の仕事は、むずかしくて出来ないというようなも のはない。努力してやれば、たいていのことはできる。 18、「シーマンライク」(船乗りらしい)の修養を必要とす。動作は「スマート」なれ。1分1秒の差が、結果に大影響を あたえること多し。 19、海軍は、頭の鋭敏な人を要するとともに、忠実にして努力精励の人を望む。一般海軍常識に通ずることが肝要、 かかることは一朝一夕にはできぬ。常々から心がけおけ。 20 要領がよいという言葉もよく聞くが、あまりよい言葉ではない。人前で働き、陰でずべる類いの人に対する尊称 である。吾人はまして裏表があってはならぬ。つねに正々堂々とやらねばならぬ。 21、毎日各室に回覧する書類(板挟み)は、かならず目を通し捺印せよ。行動作業や当直や人事に関するもので、 直接必要なる事項が沢山ある。必要なことは手帖に抜き書きしておけ。これをよく見ておらぬために、当直勤務 を間違っていたり、大切な書類の提出期目を誤ったりすることがある。 22、手帖、「パイプ」は、つねに持っておれ。これを自分にもっとも便利よ��ごとく工夫するとよい。 23、上官に提出する書類は、かならず自分で直接差し出すようにせよ。上官の机の上に放置し、はなはだしいのは 従兵をして持参させるような不心得のものが間々ある。これは上官に対し失礼であるばかりでなく、場合により ては質問されるかも知れず、訂正きれるかも知れぬ。この点、疎にしてはならない。 24、提出書類は早目に完成して提出せよ。提出期口ぎりぎり一ぱい、あるいは催促さるごときは恥であり、また間違 いを生ずるもとである。艦長・副長・分隊長らの捺印を乞うとき、無断で捺印してはいけない。また、捺印を乞う 事項について質問されても、まごつかぬよう準備調査して行くことが必要。捺印を乞うべき場所を開いておくか、 または紙を挾むかして分かりやすく準備し、「艦長、何に御印をいただきます」と申し出て、もし艦長から、「捺して 行け」と言われたときは、自分で捺して、「御印をいただきました」ととどけて引き下がる。印箱の蓋を開け放しに して出ることのないように、小さいことだが注意しなければならぬ。 25、軍艦旗の揚げ降ろしには、かならず上甲板に出て拝せよ。 26、何につけても、分相応ということを忘れるな。次室士官は次室士官として、候補生は候補生として。少尉、中尉、 各分あり。 27、煙草盆の折り椅子には腰をおろすな。次室士官は腰かけである。 28、煙草盆のところで腰かけているとき、上官が来られたならば立って敬礼せよ。 29、機動艇はもちろん、汽車、電車の中、講話場において、上級者が来られたならば、ただちに立って席を譲れ。知 らぬ顔しているのはもっとも不可。 30、出入港の際は、かならず受け持ちの場所におるようにせよ。出港用意の号音に驚いて飛び出すようでは心がけ が悪い。 31、諸整列があらかじめ分かっているとき、次室士官は、下士官兵より先にその場所にあるごとくせ。 32、何か変わったことが起こったとき、あるいは何となく変わったことが起こったらしいと思われるときは、昼夜を問わ ず第1番に飛び出してみよ。 33、艦内で種々の競技が行なわれたり、または演芸会など催される際、士官はなるべく出て見ること。下士官兵が 一生懸命にやっているときに、士官は勝手に遊んでおるというようなことでは面白くない。 34、短艇に乗るときは、上の人より遅れぬように、早くから乗っておること。もし遅れて乗るような場合には、「失礼い たしました」と上の人に断わらねばならぬ。自分の用意が遅れて定期(軍艦と陸上の間を往復し、定時にそれら を発着する汽艇のこと)を待たすごときは、もってのほである。かかるときは断然やめて次ぎを待つべし。 短艇より上がる場合には、上長を先にするこというまでもなし。同じ次室士官内でも、先任者を先にせよ。 35、舷門は一艦の玄開口なり。その出入りに際しては、服装をととのえ、番兵の職権を���重せよ。雨天でないとき、 雨衣や引回しを着たまま出入りしたり、答礼を欠くもの往々あり、注意せよ。 第2 次室の生活について 1、我をはるな。自分の主張が間遠っていると気づけば、片意地をはらす、あっさりとあらためよ。 我をはる人が1人でもおると、次室の空気は破壊される。 2、朝起きたならば、ただちに挨拶せよ。これが室内に明るき空気を漂わす第一誘因だ。3、次室 にはそれぞれ特有の気風かある。よきも悪きもある。悪い点のみ見て、憤慨してのみいては ならない。神様の集まりではないから、悪い点もあるであろう。かかるときは、確固たる信念と決心をもって自己を修め、自然に同僚を善化せよ。 4、上下の区別を、はっきりとせよ、親しき仲にも礼儀をまもれ。自分のことばかり考え、他人のことをかえりみないよ うな精神は、団体生活には禁物。自分の仕事をよくやると同時に、他人の仕事にも理解を持ち便宜をあたえよ。 5、同じ「クラス」のものが、3人も4人も同じ艦に乗り組んだならば、その中の先任者を立てよ。「クラス」のものが、次 室内で党をつくるのはよろしくない。全員の和衷協力はもっとも肝要なり。利己主義は唾棄すべし。 6、健康にはとくに留意し、若気にまかせての不摂生は禁物。健全なる身体なくては、充分をる御奉公で出来ず。忠 孝の道にそむく。 7、当直割りのことで文句をいうな。定められた通り、どしどしやれ。病気等で困っている人のためには、進んで当直を 代わってやるぺきだ。 8、食事に関して、人に不愉快な感じを抱かしむるごとき言語を慎め。たとえば、人が黙って食事をしておるとき、調理 がまずいといって割烹を呼びつけ、責めるがごときは遠慮せよ。また、会話などには、精練きれた話題を選べ。 9、次室内に、1人しかめ面をして、ふてくされているものがあると、次室全体に暗い影ができる。1人愉快で朗らかな 人がいると、次室内が明るくなる。 10、病気に羅ったときは、すぐ先任者に知らせておけ。休業になったら(病気という程度ではないが(身体の具合い が悪いので、その作業を休むこと)先任者にとどけるとともに、分隊長にとどけ、副長にお願いして、職務に関する ことは、他の次室士官に頼んでおけ。 11、次室内のごとく多数の人がいるところでは、どうしても乱雑になりがちである。重要な書類が見えなくなったとか 帽子がないとかいってわめきたてることのないように、つねに心がけなければならぬ。自分がやり放しにして、従 兵を怒鳴ったり、他人に不愉快の思いをきせることは慎むべきである。 12、暑いとき、公室内で仕事をするのに、上衣をとるくらいは差し支えないが、シャツまで脱いで裸になるごときは、 はをはだしき不作法である。 13、食事のときは、かならず軍装を着すべし。事業服のまま食卓についてはならぬ。いそがしいときには、上衣だけ でも軍装に着換えて食卓につくことになっている。 14、次室士官はいそがしいので一律にはいかないが、原則としては、一同が食卓について次室長(ケプガソ)がはじ めて箸をとるべきものである。食卓について、従兵が自分のところへ先に給仕しても、先任の人から給仕せしむる ごとく命すべきだ。古参の人が待っているのに、自分からはじめるのは礼儀でない。 15、入浴も先任順をまもること。水泳とか武技など行をったときは別だが、その他の場合は遠慮すべきものだ。 16 古参の人が、「ソファー」に寝転んでいるのを見て、それを真似してはいけない。休むときても、腰をかけたまま、 居眠りをするぐらいの程度にするがよい。 17、次室内における言語においても気品を失うな。他の人に不快な念を生ぜしむべき行為、風態をなさず、また下士 官兵考課表等に関することを軽々しく口にするな。ふしだらなことも、人秘に関することも、従兵を介して兵員室に 伝わりがちのものである。士官の威信もなにも、あったものでない。 18、趣味として碁や将棋は悪くないが、これに熱中すると、とかく、尻が重くなりやすい。趣味と公務は、はっきり区別 をつけて、けっして公務を疎にするようなことがあってはならぬ。 19、お互いに、他の立場を考えてやれ。自分のいそがしい最中に、仕事のない人が寝ているのを見ると、非難した いような感情が起こるものだが、度量を宏く持って、それぞれの人の立場に理解と同情を持つことが肝要。 20、従兵は従僕にあらず。当直、その他の教練作業にも出て、士官の食事の給仕や、身辺の世話までするのであ るからということを、よく承知しておらねばならぬ。あまり無理な用事は、言いつけないようにせよ。自分の身辺の ことは、なるべく自分で処理せよ、従兵が手助けしてくれたら、その分だけ公務に精励すべきである。釣床を釣っ てくれ、食事の給仕をしてくれるのを有難いと思うのは束の間、生徒・候補生時代のことを忘れてしまって、傲然と 従兵を呼んで、ちょっと新聞をとるにも、自分のものを探すにもこれを使うごときは、わがみずからの品位を下げゆ く所以である。また、従兵を「ボーイ」と呼ぶな。21、夜遅くまで、酒を飲んで騒いだり、大声で従兵を怒鳴ったりす ることは慎め。 21、課業時のほかに、かならず出て行くべきものに、銃器手入れ、武器手入れに、受け持ち短艇の揚げ卸しがある 第3 転勤より着任まで 1、転勤命令に接したならば、なるべく早く赴任せよ。1日も早く新勤務につくことが肝 要。退艦したならば、ただちに最短距離をもって赴任せよ、道草を食うな。 2、「立つ鳥は後を濁さず」仕事は全部片づけておき、申し継ぎは万遺漏なくやれ。申し 継ぐべき後任者の来ないときは、明細に中し継ぎを記註しおき、これを確実に託し おけ。 3、退艦の際は、適宜のとき、司令官に伺候し、艦長・副長以下各室をまわり挨拶せよ4、新たに着任すべき艦の役務、所在、主要職員の名は、前もって心得おけ。 5、退艦・着任は、普通の場合、通常礼装なり。 6、荷物は早目に発送し、着任してもなお荷物が到着せぬ、というようなことのないようにせよ。手荷物として送れば、早目に着く。 7、着任せば、ただちに荷物の整理をなせ。 8、着任すべき艦の名を記入したる名刺を、あらかじめ数枚用意しおき、着任予定日時を艦長に打電しおくがよい。 9、着任すべき艦の所在に赴任したるとき、その艦がおらぬとき、たとえば急に出動した後に赴任したようなと時は、 所在鎮守府、要港部等に出頭して、その指示を受けよ。さらにまた、その地より他に旅行するを要するときは、証 明書をもらって行け。 10、着任したならば、当直将校に名刺を差し出し、「ただいま着任いたしました」ととどけること。当(副)将校は副長に 副長は艦長のところに案内して下さるのが普通である。副長から艦長のところへつれて行かれ、それから次室 長が案内して各室に挨拶に行く。艦の都合のよいとき、乗員一同に対して、副長から紹介される。艦内配置は、 副長、あるいは艦長から申し渡される。 11、各室を一巡したならば、着物を着換えて、ひとわたり艦内を巡って艦内の大体を大体を見よ。 12、配置の申し継ぎは、実地にあたって、納得の行くごとく確実綿密に行なえ。いったん、引き継いだ以上、全責任 は自己に移るのだ。とくに人事の取り扱いは、引き継いだ当時が一番危険、ひと通り当たってみることが肝要だ。 なかんずく叙勲の計算は、なるべく早くやっておけ。 13、着任した日はもちろんのこと、1週間は、毎夜巡検に随行するごとく心得よ。乗艦早々から、「上陸をお願い致し ます」などは、もってのほかである。 14、転勤せば、なるべく早く、前艦の艦長、副長、機関長、分隊長およびそれぞれ各室に、乗艦中の御厚意を謝す る礼状を出すことを忘れてはならぬ。 第4 乗艦後ただちになすべき事項 1、ただちに部署・内規を借り受け、熟読して速やかに艦内一般に通暁せよ。 2、総員起床前より上甲板に出で、他の副直将校の艦務遂行ぶりを見学せよ。2、3日、当直ぶりを注意して見てお れば、その艦の当直勤務の大要は分かる。しかして、練習艦隊にて修得せるところを基礎とし、その艦にもっとも 適合せる当直をなすことができる。 3、艦内旅行は、なるぺく速やかに、寸暇を利用して乗艦後すぐになせ。 4、乗艦して1ヵ月が経過したならば、隅々まで知悉し、分離員はもちろん、他分隊といえども、主たる下士官の氏名 は、承知するごとく心がけよ。 第5上陸について 1、上陸は控え目にせよ。吾人が艦内にあるということが、職責を尽くすということの大部である。職務を捨ておいて 上陸することは、もってのほかである。状況により、一律にはいえぬが、分隊長がおられぬときは、分隊���が残る ようにせよ。 2、上陸するのがあたかも権利であるかのように、「副長、上陸します」というべきでない。「副長、上陸をお願いしま す」といえ。 3、若いときには、上陸するよりも艦内の方が面白い、というようにならなけれぱならない。また、上陸するときは、自 分の仕事を終わって、さっぱりした気分で、のびのびと大いに浩然の気を養え。 4、上陸は、別科後よりお願いし、最終定期にて帰艦するようにせよ。出港前夜は、かならず艦内にて寝るようにせよ。上陸する場合には、副長と己れの従属する士官の許可をえ、同室者に願い、当直将校にお願いして行くのが慣例 である。この場合、「上陸をお願い致します」というのが普通、同僚に対しては単に、「願います」という。この「願い ます」という言葉は、簡にして意味深長、なかなか重宝なものである。すなわち、この場合には、上陸を願うのと、 上陸後の留守中のことをよろしく頼む、という両様の意味をふくんでいる。用意のよい人は、さらに関係ある准士 官、あるいは分隊先任下士官に知らせて出て行く。帰艦したならば、出る時と同様にとどければよい。たたし、夜 遅く帰艦して、上官の寝てしまった後は、この限りでない。士宮室にある札を裏返すようになっている艦では、か ならず自分でこれを返すことを忘れぬごとく注意せよ。 6、病気等で休んでいたとき、癒ったからとてすぐ上陸するごときは、分別がたらぬ。休んだ後なら、仕事もたまってお ろう、遠慮ということが大切だ。 7、休暇から帰ったとき、帰艦の旨をとどけたら、第1に留守中の自分の仕事および艦内の状況にひと通り目を通せ。 着物を着換え、受け持ちの場所を回って見て、不左中の書類をひと通り目を通す心がけが必要である。 8、休暇をいただくとき、その前後に日曜、または公暇日をつけて、規定時日以上に休暇するというがごときは、もっと も青年士官らしくない。 9、職務の前には、上陸も休暇もない、というのが士官たる態度である。転勤した場合、前所轄から休暇の移牒があ ることがあるけれども、新所轄の職務の関係ではいただけないことが多い。副長から、移牒休暇で帰れといわる れば、いただいてもよいけれども、自分から申し出るごときことは、けっしてあってはならぬ。 第6部下指導について 1、つねに至誠を基礎とし、熱と意気をもって国家保護の大任を担当する干城の築造者たることを心がけよ。「功は部下に譲り、部下の過ちは 自から負うは、西郷南洲翁が教えしところなり。「先憂後楽」とは味わうべき言であって、部下統御の機微なる心理も、かかるところにある統御者たるわれわれ士官は、つねにこの心がけが必要である。石炭 積みなど苦しい作業のときには、士官は最後に帰るようつとめ、寒い ときに海水を浴びながら作業したる者には、風呂や衛生酒を世話してやれ。部下につとめて接近して下情に通せよ。しかし、部下を狎れしむるは、もっとも不可、注意すべきである。 2、何事も「ショート・サーキット」(短絡という英語から転じて、経由すべきところを省���して、命令を下し、または報告する海軍用語)を慎め。い ちじは便利の上うたが、非常なる悪結果を齋らす。たとえば、分隊士を抜きにして分隊長が、直接先任下士官に命じたとしたら、分隊士たる者いかなる感を生ずるか。これは一例だか、かならず順序をへて命 を受け、または下すということが必要なり。 3、「率先躬行」部下を率い、次室士官は部下の模範たることが必要だ。物事をなすにもつねに衆に先じ、難事と見ば、 真っ先にこれに当たり、けっして人後におくれざる覚悟あるべし。また、自分ができないからといって、部下に強制 しないのはよくない。部下の機嫌をとるがごときは絶対禁物である。 4、兵員の悪きところあらば、その場で遠慮なく叱咤せよ。温情主義は絶対禁物。しかし、叱責するときは、場所と相 手とを見でなせ。正直小心の若い兵員を厳酷な言葉で叱りつけるとか、また、下士官を兵員の前で叱責するなど は、百害あって一利なしと知れ。 5、世の中は、なんでも「ワソグランス」(一目見)で評価してはならぬ。だれにも長所あり、短所あり。長所さえ見てい れば、どんな人でも悪く見えない。また、これだけの雅量が必要である。 6、部下を持っても、そうである。まずその箆所を探すに先だち、長所を見出すにつとめることが肝要。賞を先にし罰を 後にするは、古来の名訓なり。分隊事務は、部下統御の根底である。叙勲、善行章(海軍の兵籍に人ってから3 年間、品行方正・勤務精励な兵にたいし善行章一線があたえられ、その後、3年ごとに同様一線あてをくわえる。 勇敢な行為などがあった場合、特別善行章が付与される)等はとくに慎重にやれ。また、一身上のことまで、立ち 入って面倒を見てやるように心がけよ。分隊員の入院患者は、ときどき見舞ってやるという親切が必要だ。 第7 その他一般 1、服装は端正なれ。汚れ作業を行なう場合のほかは、とくに清潔���正なるものを用いよ。帽子がまがっていたり、「 カラー」が不揃いのまま飛び出していたり、靴下がだらりと下がっていたり、いちじるしく雛の寄った服を着けている と、いかにもだらしなく見える。その人の人格を疑いたくなる。 2、靴下をつけずに靴を穿いたり、「ズボン」の後の「ビジヨウ」がつけてなかったり、あるいはだらりとしていたり、下着 をつけず素肌に夏服・事業服をつけたりするな。 3 平服をつくるもの一概に非難すべきではいが、必要なる制服が充分に整っておらぬのに平服などつくるのは本末 顛倒である。制服その他、御奉公に必要をる服装属具等なにひとつ欠くるところなく揃えてなお余裕あらば、平服 をつ��るという程度にせよ。平服をつくるならば、落ちついて上品な上等のものを選べ。無闇に派手な、流行の尖 端でもいきそうな服を着ている青年士官を見ると、歯の浮くような気がする。「ネクタイ」や帽子、靴、「ワイシャツ」 「カラー」「カフス」の釦まで、各人の好みによることではあろうが、まず上品で調和を得るをもって第1とすべきであ る。 4、靴下もあまりケパケパしいのは下品である。服と靴とに調和する色合いのものを用いよ。縞の靴下等は、なるべく はかぬこと、事業服に縞の靴下等はもってのほかだ。 5、いちばん目立って見えるのは、「カラー」と「カフス」の汚れである、注意せよ。また、「カフス」の下から、シャツの 出ているのもおかしいものである。 6、羅針艦橋の右舷階梯は、副長以上の使用さるべきものなり。艦橋に上がったら、敬礼を忘れるな。 7 陸上において飲食するときは、かならず一流のところに入れ。どこの軍港においても、士官の出入りするところと、 下士官兵の出入りするところは確然たる区別がある。もし、2流以下のところに出入りして飲食、または酒の上で 上官たるの態度を失し、体面を汚すようなことがあったら、一般士官の体面に関する重大をることだ。 8、クラスのためには、全力を尽くし一致団結せよ。 9、汽車は2等(戦前には1、2、3等の区分があった)に乗れ。金銭に対しては恬淡なれ。節約はもちろんだが、吝薔 に陥らぬよう注意肝心。 10、常に慎独を「モットー」として、進みたきものである。是非弁別の判断に迷い、自分を忘却せるかのごとき振舞い は、吾人の組せざるところである。
hiramayoihi.com/Yh_ronbun_dainiji_seinenshikankyouikugen.htm
21 notes
·
View notes
Text
外国特派員協会記者会見を実施しました
5月18日(火)に外国特派員協会にて、監督・脚本・プロデューサーを務めた清水ハン栄治が記者会見を実施。 会見には、清水監督を「この事実をなんとかして世界に伝えねば」と本作製作へと奮い立たせるきっかけとなった国際人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」の日本代表である土井香苗さん、北朝鮮人権問題の国際化に寄与するジャーナリストであり「NO FENCE」(北朝鮮の強制収容所をなくすアクションの会)副代表を務める宋允復 (ソン ユンボク)さんも登壇。 本作上映後、作品の余韻残るなか大きな拍手で迎えられ、清水ハン栄治監督らが登壇。海外メディアからは「この作品を観るのは2度目ですが、この北朝鮮の現状に2度目もショックを感じた。これが現代に繰り広げられているということに改めて驚きを覚える」(ジャパンタイムズ/映画評論家マーク・シリング氏)など率直な感想や色々な質問が飛び交う会見となりました。
■今日登壇されているお二方との関係性の中で本作が作られたかと思うのですが、企画の発端についてお聞かせください。
清水監督:10年前にさかのぼりますが、私は幸福とは何かをテーマにした『happy-幸せを探すあなたへ』というドキュメンタリー映画を制作していました。それ以外にもLGBTQや環境問題、過労死などのテーマに取り組んだり、そのあとは人権問題に関するマンガシリーズを手掛けていました。それらを経て、次に何に取り組もうかと思ったときに、土井さんにお会いし、北朝鮮の政治犯強制収容所での体験を記した手記を勧められて読んだところ、非常にショッキングで、強制収容所の現状が私の想像をはるかに超えるものだったのです。そこで私に何ができるだろうと、土井さんに相談したところ、この問題の専門家である宋さんを紹介していただき、そこから二人三脚のように、10年間にわたる作業が始まりました。

■アニメーションという手法をあえて使うことで、非常に難しいテーマをより描きやすくなる側面がありますが、今回実写でなくアニメーションを使うことになった理由を教えてください。また本作でインドネシアのアニメーターを使うことになった経緯は?
清水監督:今回実写やドキュメンタリーで撮るという選択肢はありましたが、描く内容の過酷さ残忍さを考えると、これを実写で作ってしまうと”ホラー映画“になってしまうのではないか、という懸念がありました。公開処刑や拷問など凄まじい内容を描くのですから。私がこの作品を撮ろうと思った一番の動機は、人々の「なんとかしなければならない」という気持ちを動かしたかったから。怖がらせることが狙いではないので、そのためにはバランス感覚が非常に大事だと思いました。あまりにもフェイクストーリーっぽいものを作ってしまうと、まるで火星で起きているかのような、他人事のようなものに思われる危険性がある。一方あまりにもリアリティを重視してしまうと観客が拒絶してしまうのではないか、という懸念がある。そんな中でアニメーションという手法が一番理想的で、観客が話についてきてくれ、しかも感情を揺さぶられる良いバランスがとれるのではないか、と思ったんです。 インドネシアのアニメーターを起用したのは、非常に才能豊かなアニメーターがいたということ、そして予算的な面で東京やアメリカでの制作よりも適していたということがあります。
■今の北朝鮮の現状に対して、各国では活動や何かアクションは起きて���のでしょうか?
土井さん:北朝鮮で起きているマグニチュード(重大さ)というのは、私が思っていることを、国連の権威ある方ですが、国連のコミッション・オブ・インクワイアリ―のチェアー(議長)であるオーストラリアのマイケル・カービーさんが発言されております。国連の見解でもあり、北朝鮮の状況を1年間調査したうえで発表したレポートで結論付けたのですが、北朝鮮の人権侵害のスケールは、「without parallel in the contemporary world(現代社会において匹敵するものがないほど)」であるというものです。私も世界中の人権侵害をみておりますが、北朝鮮の収容所内での人権侵害は特にそう思います。しかし世界の政府がそれに見合った態度をとっているかというと、そうではない。特にトランプ元大統領と北朝鮮が蜜月関係になったころから、北朝鮮に対するプレッシャーが減ったということがある。その原因の一つに北朝鮮があまりにも閉鎖的なため、メディアの方々も情報がほとんどなく報道できないため世界の注目が少なくなっている現状があります。そういう意味ではこの映画が果たす役割は大きい。これをきっかけに、各国政府や国連含め、すべてのアクターが北朝鮮の政府に対するプレッシャーをもう一度最大限にかけて、この人権侵害を止めさせる行動をとるべきだと考えています。

■映画の中で、童謡「赤とんぼ」の曲が使われた理由を教えてください。
清水監督:北朝鮮への帰還事業で、約9万3千人の在日コリアンたちが北朝鮮にわたり、そのうち日本人妻が1800人ほど、そのお子さんたちもふくめると6800人ほどは日本のパスポートをもった人々が北朝鮮に渡ったと言われています。調査をしていくと、だいたいその9万3千人のうちの2割~3割はそのまま収容所に送られ、収容所の中には日本人村もあったそうです。その中ではきっと望郷の念をもって童謡を歌っていた人たちもいたのではと思い、「赤とんぼ」を使わせていただきました。
宋さん:以前、10年間北朝鮮の強制収容所に収容されていて、その後亡命した方から話を聞いたときに、その方が「私日本の歌が歌えるんです」と話して歌ってくれたのがまさに「赤とんぼ」でした。収容所で仲良く接していた日本人妻の人が教えてくれた、と。この話は清水監督には伝えていなかったのですが、清水さんご自身のインスピレーションで映画に使われたことに驚きました。

■劇中、収容所に日本人拉致被害者がいたという事実に大変驚きました。
宋さん:これまで自分たちが証言を聞いた収容経験者は社会的バックグラウンドが強くなく、平壌に住んでいたとしても権力の中枢にいた方ではありませんでした。ところが収容所の中には、平壌で権力に仕える人たちだけを囲い込んでいるエリアがあり、そこでは一定期間厳しくつらい思いをさせて、忠誠心を確かめられたのち、また平壌に連れ帰され仕事をさせられる。そういった幹部たちがいたエリアの中に日本人女性がいたそうです。その人は日本から連れてこられたのだけれど、スパイに日本語教育をすることを拒絶したことで、収容所に何も持たずに連行されたため、布団も持っていないほどだった。そこからまた平壌にもどる他の者たちが彼女に布団を残していったという話があるのです。
■この映画は昨年世界各国の映画祭での出品を経て、ついに日本公開されますが、今後韓国やアメリカでの上映など世界に向けての展開は?
清水監督:まずありがたいことに、日本では6月4日にTOHOシネマズシャンテ他、全国にて劇場公開となります。そこで観客の皆さんからどんな反応があるのか楽しみにしています。そのあとは、色々な国の政治関係者の方にも関心を持っていただいており、なるべく色々なところで、政治や外交、人権活動のリーダーの方々など色々な人たちを巻き込んで作品を広げていきたいと思っています。

1 note
·
View note
Text
仕事したくない(2)
これまでのあらすじ: 勤め先のずさんな人事と人間の尊厳を軽んじる上層部の態度に辟易し、仕事のモチベーションの一切を失っていたけれども。「仕事したくない」を書くことでなんとかやる気を取り返したように見えたもつかの間、此度の疫病騒動で働いたぶんの賃金を貰えない運びに。奴隷状態に陥ることに抗い労働時間を積極的に短縮するも、すべての仕事には期限と顧客が存在するため止まることは許されず——!?
こんばんは。これまで夜毎にワイン1本以上を飲み干していた酒浸りをここ数日きっぱりやめたところ、摂取カロリーが急減し貧血を起こしているけれどもです。バカは死んでも治らない……。
仕事したくない(2)。
さっきメーラーを開いたら、偉い人から「リリース予定日をすぎても何の音沙汰もないのはどういうことか。状況が状況だからと言って甘えているのではないか。説明求ム」というメールが届いていて、それを読んだ瞬間に胃がギューッとなってワーッと死にたくなってしまった。いや、自業自得のギューではあるのだが。
けれどもはここ3年ほど、普通の人事判断力があればこんな小娘には任せないような大仕事を一手に引き受けさせられており、さらにその仕事を回すための残業や休日出勤に対し上層部から舌打ちされている状況にある。ちなみに回ってきた理由は「期待されているから」とかではなく、ただの考えなしの丸投げである。「奴隷労働をしろ」という無言の圧力に抗して次の8月で早3年。胃を病み、肌をぐちゃぐちゃにし、帯状疱疹を発症しながらも翌週の会議の準備が終わらないため休まずに働くような献身がすべて「莫大な経費を使う厄介者」という評価に還元にされてきた。ひどい話である。
まあ、とはいえデートのために有給を使ったり、精神統一のために有給を使ったり、甚大なストレスをやりすごすべく酒を飲み始めたらどうにも飲みすぎてしまい翌日起きられず突然の病休をくりだすなど、やりたい放題やっている。すべては復讐である。そしてこの復讐がまた私の立場を悪くしている悪循環である。奴隷というのは本当につらい。人権がない。
ちなみに奴隷なので先日不慮の事故で壊れてしまった仕事の機材の修理費を半額自腹で負担しろと強いられた。しめて5万。誰が払うか。奴隷制度は本当に悪であることを身を以て痛感している。私は今後人種差別の歴史の一切を許さないだろう。神は私にレイシズムに中指を立てさせるためにこの状況を与え給うた。
中指を立てても時間は止まらない。 相当の賃金が貰えない状況下で仕事をするためのモチベーション・システムを早急に構築しなければならない。
【案1 花の命は短いのよ作戦】
けれどもは先週30歳になった。おめでとう。 転職市場で審査対象となるのは①業績、②年齢、ざっとこの2点である。 つまるところ、とにかく時間がないのだ。華々しい業績があるからといってそれが年相応のものであればあとは有用性マッチングに賭けるしかなくなるものだ���長い時間をかければ業績が立つのは当たり前のこと。私個人としての人材の魅力は時間とともに減耗するばかりである。 将来のキャリアを見越せば、いまここで時間賃金のことにかまけている場合ではないことは一目瞭然である。
【案1のリスク】
・不確かなもの(未来)に賭ける博打性をどう処するか。私はあまり私の未来に期待していない。どうすれば自分を信じて未来に期待できるのか、その方法を見つけられるか心もとない。 ・収入を補塡するために副業を始めてしまったので、しばらくは人生の時間が労働に奪われることになる(なぜこんな年齢にもなってバイトなどするはめになってしまったのか……情けなさすぎる)。 ・そして、この年齢(まだ学びの余地のある年齢)において労働に人生を捧げることがどれだけリスキーかはっきりとわかる。胡乱な20代を過ごしてしまったことを反省し、早急に世界に追いつくための学習を進めなければならないにもかかわらず、ここで人生を一旦止めることは果たして得策なのか?
【案2 三十六計逃げるに如かず作戦】
孫子もそれを推奨している。 また、FXトレーダーも損切りは大事だと言っている。 責任感を焚き火で燃やし、何もかもかなぐり捨てて明日辞表を叩きつける。
【案2のリスク】
・①業績を捨てて②年齢に賭けるには、私は社会人として不適合すぎる。②年齢に賭けるということはすなわち「若さを担保とし馬車馬のように働きます」と宣言することである。できない。 ・これまで必死に築いてきた何百名もの仕事相手との信頼関係をすべて棄ててこの業界で生き続けることは絶対にできない。狭い世界なのだ。 ・となると別業種への転職という選択になるが、けれどもは現職を愛しており、身を転じることは望ましくない。 ・あと、自己都合退職について正当な理由が今のところ立たない。 ・自分の企画を見捨てるほど情熱のない仕事の仕方はしていない。
【案3 死ぬ】
死ぬ。つかれた。
【案3のリスク】
・人々が泣く。 ・いままで人々のことを「泣かないで」と抱きしめてきたのに私が泣かせては説得力がない。どころか、これまで伝えてきた「あなたは素晴らしい」すらも私が死ぬことで無効になってしまう。捧げる愛はすべて私の人生を担保にすることしかできなかった。そのような、私を担保としたちっぽけな愛であっても、人を勇気づけてこれたことを私はもう知ってしまっている。 ・その笑顔を自分勝手に台無しにすることはできない。私はこの人生への責任として、どんなに苦しくとも事故か病気以外で死んではならない。
結論:【案1】を採るしかないっぽい。
であれば、【案1】を遂行するためにするべきこと: ・奴隷根性をインストールするのだけは絶対に拒否する。 ・外部の仕事相手への奉仕精神を強化する。 ・低次の自尊心と低次の自己愛を極力無化する。 ・業務を学びの代わりとする(奇跡的に不可能ではない)。 ・現在でなく未来を見据える。 ・社会貢献を自己満足回路に組み込む。 ・大きな主語としての人類を愛する努力をする(今はできていない)。 ・目標期限を定め、具体的な作業計画を立てる。 ・世界の滅亡を望むのをやめる。 ・死にたい気持ちを滅却する。 ・全部終わったら3か月休むことを自分に約束する。
いけるだろうか、これで。やる気を回復できるだろうか。人生として選択を誤っていないだろうか。不安しかないが、とにかくいくしかない。 なぜならば私には明日死ぬことが約束されていないからだ。
私へ: こんなん書いてる暇があったら仕事しろ。
(2020/06/11 01:19)
1 note
·
View note
Text
自殺未遂
何度も死のうとしている。
これからその話をする。
自殺未遂は私の人生の一部である。一本の線の上にボツボツと真っ黒な丸を描くように、その記憶は存在している。
だけど誰にも話せない。タブーだからだ。重たくて悲しくて忌み嫌われる話題だからだ。皆それぞれ苦労しているから、人の悲しみを背負う余裕なんてないのだ。
だから私は嘘をつく。その時代を語る時、何もなかったふりをする。引かれたり、陰口を言われたり、そういう人だとレッテルを貼られたりするのが怖いから。誰かの重荷になるのが怖いから。
一人で抱える秘密は、重たい。自分のしたことが、当時の感情が、ずっしりと肩にのしかかる。
私は楽になるために、自白しようと思う。黙って平気な顔をしているのに、もう疲れてしまった。これからは場を選んで、私は私の人生を正直に語ってゆきたい。
十六歳の時、初めての自殺未遂をした。
五年間の不登校生活を脱し高校に進学したものの、面白いくらい馴染めなかった。天真爛漫に女子高生を満喫する宇宙人のようなクラスメイトと、同じ空気を吸い続けることは不可能だと悟ったのだ。その結果、私は三ヶ月で中退した。
自信を失い家に引きこもる。どんよりと暗い台所でパソコンをいじり続ける。将来が怖くて、自分が情けなくて、見えない何かにぺしゃんこに潰されてしまいそうだった。家庭は荒れ、母は一日中家にいる私に「普通の暮らしがしたい」と呟いた。自分が親を苦しめている。かといって、この先どこに行っても上手くやっていける気がしない。悶々としているうちに十キロ痩せ、生理が止まった。肋が浮いた胸で死のうと決めた。冬だった。
夜。親が寝静まるのを待ちそっと家を出る。雨が降っているのにも関わらず月が照っている。青い光が濁った視界を切り裂き、この世の終わりみたいに美しい。近所の河原まで歩き、濡れた土手を下り、キンキンに冷えた真冬の水に全身を浸す。凍傷になれば数分で死に至ることができると聞いた。このままもう少しだけ耐えればいい。
寒い!私の体は震える。寒い!あっという間に歯の根が合わなくなる。頭のてっぺんから爪先までギリギリと痛みが駆け抜け、三秒と持たずに陸へ這い上がった。寒い、寒いと呟きながら、体を擦り擦り帰路を辿る。ずっしりと水を含んだジャージが未来のように重たい。
風呂場で音を立てぬよう泥を洗い流す。白いタイルが砂利に汚されてゆく。私は死ぬことすらできない。妙な落胆が頭を埋めつくした。入水自殺は無事、失敗。
二度目の自殺未遂は十七歳の時だ。
その頃私は再入学した高校での人間関係と、精神不安定な母との軋轢に悩まされていた。学校に行けば複雑な家庭で育った友人達の、無視合戦や泥沼恋愛に巻き込まれる。あの子が嫌いだから無視をするだのしないだの、彼氏を奪っただの浮気をしているだの、親が殴ってくるだの実はスカトロ好きのゲイだだの、裏のコンビニで喫煙しているだの先生への舌打ちだの⋯⋯。距離感に不器用な子達が多く、いつもどこかしらで誰かが傷つけ合っていた。教室には無気力と混乱が煙幕のように立ち込め、普通に勉強し真面目でいることが難しく感じられた。
家に帰れば母が宗教のマインドコントロールを引きずり「地獄に落ちるかもしれない」などと泣きついてくる。以前意地悪な信者の婆さんに、子どもが不登校になったのは前世の因縁が影響していて、きちんと祈らないと地獄に落ちる、と吹き込まれたのをまだ信じているのだ。そうでない時は「きちんと家事をしなくちゃ」と呪いさながらに繰り返し、髪を振り乱して床を磨いている。毎日手の込んだフランス料理が出てくるし、近所の人が買い物先までつけてくるとうわ言を言っている。どう考えても母は頭がおかしい。なのに父は「お母さんは大丈夫だ」の一点張りで、そのくせ彼女の相手を私に丸投げするのだ。
胸糞の悪い映画さながらの日々であった。現実の歯車がミシミシと音を立てて狂ってゆく。いつの間にやら天井のシミが人の顔をして私を見つめてくる。暗がりにうずくまる家具が腐り果てた死体に見えてくる。階段を昇っていると後ろから得体の知れない化け物が追いかけてくるような気がする。親が私の部屋にカメラを仕掛け、居間で監視しているのではないかと心配になる。ホラー映画を見ている最中のような不気味な感覚が付きまとい、それから逃れたくて酒を買い吐くまで酔い潰れ手首を切り刻む。ついには幻聴が聞こえ始め、もう一人の自分から「お前なんか死んだ方がいい」と四六時中罵られるようになった。
登下校のために電車を待つ。自分が電車に飛び込む幻が見える。車体にすり潰されズタズタになる自分の四肢。飛び込む。粉々になる。飛び込む。足元が真っ赤に染まる。そんな映像が何度も何度も巻き戻される。駅のホームは、どこまでも続く線路は、私にとって黄泉への入口であった。ここから線路に倒れ込むだけで天国に行ける。気の狂った現実から楽になれる。しかし実行しようとすると私の足は震え、手には冷や汗が滲んだ。私は高校を卒業するまでの四年間、映像に重なれぬまま一人電車を待ち続けた。飛び込み自殺も無事、失敗。
三度目の自殺未遂は二十四歳、私は大学四年生だった。
大学に入学してすぐ、執拗な幻聴に耐えかね精神科を受診した。セロクエルを服用し始めた瞬間、意地悪な声は掻き消えた。久しぶりの静寂に手足がふにゃふにゃと溶け出しそうになるくらい、ほっとする。しかし。副作用で猛烈に眠い。人が傍にいると一睡もできないたちの私が、満員の講義室でよだれを垂らして眠りこけてしまう。合う薬を模索する中サインバルタで躁転し、一ヶ月ほど過活動に勤しんだりしつつも、どうにか普通の顔を装いキャンパスにへばりついていた。
三年経っても服薬や通院への嫌悪感は拭えなかった。生き生きと大人に近づいていく友人と、薬なしでは生活できない自分とを見比べ、常に劣等感を感じていた。特に冬に体調が悪くなり、課題が重なると疲れ果てて寝込んでしまう。人混みに出ると頭がザワザワとして不安になるため、酒盛りもアルバイトもサークル活動もできない。鬱屈とした毎日が続き闘病に嫌気がさした私は、四年の秋に通院を中断してしまう。精神薬が抜けた影響で揺り返しが起こったこと、卒業制作に追われていたこと、就職活動に行き詰まっていたこと、それらを誰にも相談できなかったことが積み重なり、私は鬱へと転がり落ちてゆく。
卒業制作の絵本を拵える一方で遺品を整理した。洋服を売り、物を捨て、遺書を書き、ネット通販でヘリウムガスを手に入れた。どうして卒制に遅れそうな友達の面倒を見ながら遺品整理をしているのか分からない。自分が真っ二つに割れてしまっている。混乱しながらもよたよたと気力で突き進む。なけなしの努力も虚しく、卒業制作の提出を逃してしまった。両親に高額な学費を負担させていた負い目もあり、留年するぐらいなら死のうとこりずに決意した。
クローゼットに眠っていたヘリウムガス缶が起爆した。私は人の頭ほどの大きさのそれを担いで、ありったけの精神薬と一緒に車に積み込んだ。それから山へ向かった。死ぬのなら山がいい。夜なら誰であれ深くまで足を踏み入れないし、展望台であれば車が一台停まっていたところで不審に思われない。車内で死ねば腐っていたとしても車ごと処分できる。
展望台の駐車場に車を突っ込み、無我夢中でガス缶にチューブを繋ぎポリ袋の空気を抜く。本気で死にたいのなら袋の酸素濃度を極限まで減らさなければならない。真空状態に近い状態のポリ袋を被り、そこにガスを���し込めば、酸素不足で苦しまずに死に至ることができるのだ。大量の薬を水なしで飲み下し、袋を被り、うつらうつらしながら缶のコックをひねる。シューッと気体が満ちる音、ツンとした臭い。視界が白く透き通ってゆく。死ぬ時、人の意識は暗転ではなくホワイトアウトするのだ。寒い。手足がキンと冷たい。心臓が耳の奥にある。ハツカネズミと同じ速度でトクトクと脈動している。ふとシャンプーを切らしていたことを思い出し、買わなくちゃと考える。遠のいてゆく意識の中、日用品の心配をしている自分が滑稽で、でも、もういいや。と呟く。肺が詰まる感覚と共に、私は意識を失う。
気がつくと後部座席に転がっている。目覚めてしまった。昏倒した私は暴れ、自分でポリ袋をはぎ取ったらしい。無意識の私は生きたがっている。本当に死ぬつもりなら、こうならぬように手首を後ろできつく縛るべきだったのだ。私は自分が目覚めると、知っていた。嫌な臭いがする。股間が冷たい。どうやら漏らしたようだ。フロントガラスに薄らと雪が積もっている。空っぽの薬のシートがバラバラと散乱している。指先が傷だらけだ。チューブをセットする際、夢中になるあまり切ったことに気がつかなかったようだ。手の感覚がない。鈍く頭痛がする。目の前がぼやけてよく見えない。麻痺が残ったらどうしよう。恐ろしさにぶるぶると震える。さっきまで何もかもどうでも良いと思っていたはずなのに、急に体のことが心配になる。
後始末をする。白い視界で運転をする。缶は大学のゴミ捨て場に捨てる。帰宅し、後部座席を雑巾で拭き、薬のシートをかき集めて処分する。ふらふらのままベッドに倒れ込み、失神する。
その後私は、卒業制作の締切を逃したことで教授と両親から怒られる。翌日、何事もなかったふりをして大学へ行き、卒制の再提出の交渉する。病院に保護してもらえばよかったのだがその発想もなく、ぼろ切れのようなメンタルで卒業制作展の受付に立つ。ガス自殺も無事、失敗。
四度目は二十六歳の時だ。
何とか大学卒業にこぎつけた私は、入社試験がないという安易な理由でホテルに就職し一人暮らしを始めた。手始めに新入社員研修で三日間自衛隊に入隊させられた。それが終わると八時間ほぼぶっ続けで宴会場を走り回る日々が待っていた。典型的な古き良き体育会系の職場であった。
朝十時に出社し夜の十一時に退社する。夜露に湿ったコンクリートの匂いをかぎながら浮腫んだ足をズルズルと引きずり、アパートの玄関にぐしゃりと倒れ込む。ほとんど意識のないままシャワーを浴びレトルト食品を貪り寝床に倒れ泥のように眠る。翌日、朝六時に起床し筋肉痛に膝を軋ませよれよれと出社する。不安定なシフトと不慣れな肉体労働で病状は悪化し、働いて二年目の夏、まずいことに躁転してしまった。私は臨機応変を求められる場面でパニックを起こすようになり、三十分トイレにこもって泣く、エレベーターで支離滅裂な言葉を叫ぶなどの奇行を繰り返す、モンスター社員と化してしまった。人事に持て余され部署をたらい回しにされる。私の世話をしていた先輩が一人、ストレスのあまり退社していった。
躁とは恐ろしいもので人を巻き込む。プライベートもめちゃくちゃになった。男友達が性的逸脱症状の餌食となった。五年続いた彼氏と別れた。よき理解者だった友と言い争うようになり、立ち直れぬほどこっぴどく傷つけ合った。携帯電話をハイヒールで踏みつけバキバキに破壊し、コンビニのゴミ箱に投げ捨てる。出鱈目なエネルギーが毛穴という毛穴からテポドンの如く噴出していた。手足や口がばね仕掛けになり、己の意思を無視して動いているようで気味が悪かった。
寝る前はそれらの所業を思い返し罪悪感で窒息しそうになる。人に迷惑をかけていることは自覚していたが、自分ではどうにもできなかった。どこに頼ればいいのか分からない、生きているだけで迷惑をかけてしまう。思い詰め寝床から出られなくなり、勤務先に泣きながら休養の電話をかけるようになった。
会社を休んだ日は正常な思考が働かなくなる。近所のマンションに侵入し飛び降りようか悩む。落ちたら死ねる高さの建物を、砂漠でオアシスを探すジプシーさながらに彷徨い歩いた。自分がアパートの窓から落下してゆく幻を見るようになった。だが、無理だった。できなかった。あんなに人に迷惑をかけておきながら、私の足は恥ずかしくも地べたに根を張り微動だにしないのだった。
アパートの部屋はムッと蒸し暑い。家賃を払えなければ追い出される、ここにいるだけで税金をむしり取られる、息をするのにも金がかかる。明日の食い扶持を稼ぐことができない、それなのに腹は減るし喉も乾く、こんなに汗が滴り落ちる、憎らしいほど生きている。何も考えたくなくて、感じたくなくて、精神薬をウイスキーで流し込み昏倒した。
翌日の朝六時、朦朧と覚醒する。会社に体調不良で休む旨を伝え、再び精神薬とウイスキーで失神する。目覚めて電話して失神、目覚めて電話して失神。夢と現を行き来しながら、手元に転がっていたカッターで身体中を切り刻み、吐瀉し、意識を失う。そんな生活が七日間続いた。
一週間目の早朝に意識を取り戻した私は、このままでは死ぬと悟った。にわかに生存本能のスイッチがオンになる。軽くなった内臓を引っさげ這うように病院へと駆け込み、看護師に声をかける。
「あのう。一週間ほど薬と酒以外何も食べていません」
「そう。それじゃあ辛いでしょう。ベッドに寝ておいで」
優しく誘導され、白いシーツに倒れ込む。消毒液の香る毛布を抱きしめていると、ぞろぞろと数名の看護師と医師がやってきて取り囲まれた。若い男性医師に質問される。
「切ったの?」
「切りました」
「どこを?」
「身体中⋯⋯」
「ごめんね。少し見させて」
服をめくられる。私の腹を確認した彼は、
「ああ。これは入院だな」
と呟いた。私は妙に冷めた頭で聞く。
「今すぐですか」
「うん、すぐ。準備できるかな」
「はい。日用品を持ってきます」
私はびっくりするほどまともに帰宅し、もろもろを鞄に詰め込んで病院にトンボ帰りした。閉鎖病棟に入る。病室のベッドの周りに荷物を並べながら、私よりももっと辛い人間がいるはずなのにこれくらいで入院だなんておかしな話だ、とくるくる考えた。一度狂うと現実を測る尺度までもが狂うようだ。
二週間入院する。名も知らぬ睡眠薬と精神安定剤を処方され、飲む。夜、病室の窓から街を眺め、この先どうなるのかと不安になる。私の主治医は「君はいつかこうなると思ってたよ」と笑った。以前から通院をサポートする人間がいないのを心配していたのだろう。
退院後、人事からパート降格を言い渡され会社を辞めた。後に勤めた職場でも上手くいかず、一人暮らしを断念し実家に戻った。飛び降り自殺、餓死自殺、無事、失敗。
五度目は二十九歳の時だ。
四つめの転職先が幸いにも人と関わらぬ仕事であったため、二年ほど通い続けることができた。落ち込むことはあるものの病状も安定していた。しかしそのタイミングで主治医が代わった。新たな主治医は物腰柔らかな男性だったが、私は病状を相談することができなかった。前の医師は言葉を引き出すのが上手く、その環境に甘えきっていたのだ。
時給千円で四時間働き、月収は六万から八万。いい歳をして脛をかじっているのが忍びなく、実家に家賃を一、二万入れていたので、自由になる金は五万から七万。地元に友人がいないため交際費はかからない、年金は全額免除の申請をした、それでもカツカツだ。大きな買い物は当然できない。小さくとも出費があると貯金残高がチラつき、小一時間は今月のやりくりで頭がいっぱいになる。こんな額しか稼げずに、この先どうなってしまうのだろう。親が死んだらどうすればいいのだろう。同じ年代の人達は順調にキャリアを積んでいるだろう。資格も学歴もないのにズルズルとパート勤務を続けて、まともな企業に転職できるのだろうか。先行きが見えず、暇な時間は一人で悶々と考え込んでしまう。
何度目かの落ち込みがやってきた時、私は愚かにも再び通院を自己中断してしまう。病気を隠し続けること、精神疾患をオープンにすれば低所得をやむなくされることがプレッシャーだった。私も「普通の生活」を手に入れてみたかったのだ。案の定病状は悪化し、練炭を購入するも思い留まり返品。ふらりと立ち寄ったホームセンターで首吊りの紐を買い、クローゼットにしまう。私は鬱になると時限爆弾を買い込む習性があるらしい。覚えておかなければならない。
その職場を退職した後、さらに三度の転職をする。ある職場は椅子に座っているだけで涙が出るようになり退社した。別の職場は人手不足の影響で仕事内容が変わり、人事と揉めた挙句退社した。最後の転職先にも馴染めず八方塞がりになった私は、家族と会社に何も告げずに家を飛び出し、三日間帰らなかった。雪の降る中、車中泊をして、寒すぎると眠れないことを知った。家族は私を探し回り、ラインの通知は「帰っておいで」のメッセージで埋め尽くされた。漫画喫茶のジャンクな食事で口が荒れ、睡眠不足で小間切れにうたた寝をするようになった頃、音を上げてふらふらと帰宅した。勤務先に電話をかけると人事に静かな声で叱られた。情けなかった。私は退社を申し出た。気がつけば一年で四度も職を代わっていた。
無職になった。気分の浮き沈みが激しくコントロールできない。父の「この先どうするんだ」の言葉に「私にも分からないよ!」と怒鳴り返し、部屋のものをめちゃくちゃに壊して暴れた。仕事を辞める度に無力感に襲われ、ハローワークに行くことが恐ろしくてたまらなくなる。履歴書を書けばぐちゃぐちゃの職歴欄に現実を突きつけられる。自分はどこにも適応できないのではないか、この先まともに生きてゆくことはできないのではないか、誰かに迷惑をかけ続けるのではないか。思い詰め、寝室の柱に時限爆弾をぶら下げた。クローゼットの紐で首を吊ったのだ。
紐がめり込み喉仏がゴキゴキと軋む。舌が押しつぶされグエッと声が出る。三秒ぶら下がっただけなのに目の前に火花が散り、苦しくてたまらなくなる。何度か試したが思い切れず、紐を握り締め泣きじゃくる。学校に行く、仕事をする、たったそれだけのことができない、人間としての義務を果たせない、税金も払えない、親の負担になっている、役立たずなのにここまで生き延びている。生きられない。死ねない。どこにも行けない。私はどうすればいいのだろう。釘がくい込んだ柱が私の重みでひび割れている。
泣きながら襖を開けると、ペットの兎が小さな足を踏ん張り私を見上げていた。黒くて可愛らしい目だった。私は自分勝手な絶望でこの子を捨てようとした。撫でようとすると、彼はきゅっと身を縮めた。可愛い、愛する子。どんな私でいても拒否せず撫でさせてくれる、大切な子。私の身勝手さで彼が粗末にされることだけはあってはならない、絶対に。ごめんね、ごめんね。柔らかな毛並みを撫でながら、何度も謝った。
この出来事をきっかけに通院を再開し、障害者手帳を取得する。医療費控除も障害者年金も申請した。精神疾患を持つ人々が社会復帰を目指すための施設、デイケアにも通い始めた。どん底まで落ちて、自分一人ではどうにもならないと悟ったのだ。今まさに社会復帰支援を通し、誰かに頼り、悩みを相談する方法を勉強している最中だ。
病院通いが本格化してからというもの、私は「まとも」を諦めた。私の指す「まとも」とは、周りが満足する状態まで自分を持ってゆくことであった。人生のイベントが喜びと結びつくものだと実感できぬまま、漠然としたゴールを目指して走り続けた。ただそれをこなすことが人間の義務なのだと思い込んでいた。
自殺未遂を繰り返しながら、それを誰に���打ち明けず、悟らせず、発見されずに生きてきた。約二十年もの間、母の精神不安定、学校生活や社会生活の不自由さ、病気との付き合いに苦しみ、それら全てから解放されたいと願っていた。
今、なぜ私が生きているか。苦痛を克服したからではない。死ねなかったから生きている。死ぬほど苦しく、何度もこの世からいなくなろうとしたが、失敗し続けた。だから私は生きている。何をやっても死ねないのなら、どうにか生き延びる方法を探らなければならない。だから薬を飲み、障害者となり、誰かの世話になり、こうしてしぶとくも息をしている。
高校の同級生は精神障害の果てに自ら命を絶った。彼は先に行ってしまった。自殺を推奨するわけではないが、彼は死ぬことができたから、今ここにいない。一歩タイミングが違えば私もそうなっていたかもしれない。彼は今、天国で穏やかに暮らしていることだろう。望むものを全て手に入れて。そうであってほしい。彼はたくさん苦しんだのだから。
私は強くなんてない。辛くなる度、たくさんの自分を殺した。命を絶つことのできる場所全てに、私の死体が引っかかっていた。ガードレールに。家の軒に。柱に。駅のホームの崖っぷちに。近所の河原に。陸橋に。あのアパートに。一人暮らしの二階の部屋から見下ろした地面に。電線に。道路を走る車の前に⋯⋯。怖かった。震えるほど寂しかった。誰かに苦しんでいる私を見つけてもらいたかった。心配され、慰められ、抱きしめられてみたかった。一度目の自殺未遂の時、誰かに生きていてほしいと声をかけてもらえたら、もしくは誰かに死にたくないと泣きつくことができたら、私はこんなにも自分を痛めつけなくて済んだのかもしれない。けれど時間は戻ってこない。この先はこれらの記憶を受け止め、癒す作業が待っているのだろう。
きっとまた何かの拍子に、生き延びたことを後悔するだろう。あの暗闇がやってきて、私を容赦なく覆い隠すだろう。あの時死んでいればよかったと、脳裏でうずくまり呟くだろう。それが私の病で、これからももう一人の自分と戦い続けるだろう。
思い出話にしてはあまりに重い。医療機関に寄りかかりながら、この世に適応する人間達には打ち明けられぬ人生を、ともすれば誰とも心を分かち合えぬ孤独を、蛇の尾のように引きずる。刹那の光と闇に揉まれ、暗い水底をゆったりと泳ぐ。静かに、誰にも知られず、時には仲間と共に、穏やかに。
海は広く、私は小さい。けれど生きている。まだ生きている。
4 notes
·
View notes
Text
頭に大きなツノがでたあ!
瞬間と永遠、中心と周縁、内部と外部、部分と全体、単一と複数、陰と陽など、いわゆる二元論的な命題をひとつに束ねるというのは私たちの夢であると思います。こと小説においては、『失われた時を求めて』のマルセル・プルーストが瞬間の中に永遠を見出したと言われ、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』は、その一文々々が小説の全体を体現している、あるいは小説の全体が一文々々に収斂しているなどと言われている。
いきなり大作の名とともに大口を叩いてしまったことを後悔もしているのですが、それらの名が思い浮かんでしまったからにはどうしようもありません。そもそも、いまからそのことについて書き連ねようとしている『かおるクロコダイル』という小説を、上に挙げた二つの小説と比較する意図もとくにはありません。ただ、何がしかの指針には成り得るのではないか、そのような予感めいたものが冒頭の文章を書かせたのです。
-薫くんの頭から生えた黒くて長いものがぶーんぶーんと揺れるのだ。こう書き始められる『かおるクロコダイル』という小説は、-わたしはそれを陽だまりのなかから眺めている。と繋がれる。そして、その「黒くて長いもの」がクラスメイトから「ツノ」と呼ばれている描写をはさんで、-そういう薫くんの頭には黒くて長いかたまりが立派に生えていて、どう形容していいかわからずツノという名称はなるほどわかりやすいなと思う。と、一人称のわたしの目線から語られている。ここでまず驚くべきなのは、頭から黒くて長いものが生えてくるという異常な事態がさも当然のことのように書かれている点です。いや、さも当然のことのように書かれているのでもない。『かおるクロコダイル』という小説において、薫くんの頭から黒くて長いものが生えてくるのは至極当然のことなのです。あえて「驚くべきなのは」と強調しましたけども、それは驚くべきことでも何でもない。それはただ当たり前のものとして、そこでぶーんぶーんと揺れている。それは何かのために(そう、それはたとえば小説という舞台のために)与えられた条件ではなく、薫くんの頭からそれが生えてくるのにハナから理由なんか存在していないのです。そういった因果とはまるで無関係なものとして、その黒くて長いものは私たちの眼前にいきなり視覚的現実として提示される。
この時点で私たちは小説から置いてきぼりになっています。ふつう、全長3メートルは優にあろうかという巨大なオッサンの顔面が彼の目のまえに佇んでいた、と書かれるならば、彼は度を逸した近眼であったとか、彼はLSDをキメてとんでいたとか、それ相応の説明が為されるべきであり、全長3メートルのオッサンの顔面が常にわけもわからず彼の眼前にあったとしたらこれは大変なことになると思われます。すると、オッサンの顔が手のひらサイズになった。オッサンは腹が減ると小さくなる。手乗りオッサンは彼の手からご飯粒をついばんだ。と、仮に続けられたとしても、奇怪なオッサンがさらに奇怪になるだけで、これでは底なしの流砂の上に家を建てようとするのとあまり大差はないでしょう。それと同様に感情が高まると黒いツノが出ると書かれたところで事態はとくに変わるはずもなく、私たちは依然として底なしの流砂の上にいる。
こういった書き方をする人の代表として、フランツ・カフカがいると思います。カフカ本人もノートだったか書簡だったかに書いていますけども、読み手はおろか、書き手のじぶん自身が驚くようなものを書いていきたい、と。このようにして、ある朝、グレーゴル・ザムザは虫になっている。ここで驚くべきなのは、ザムザが奇怪な虫になったことそのものではなく、何の身に憶えもなしに虫になってしまったことだと思います。たとえ、ザムザが虫になったとして、そこに何かしらの理由があるのなら、なんだ、そういうことか、と腑に落ちることができる。カフカはその理由のなさを最初の一文で提示してみせる。どれも未完にして、彼の代表作となった長編三部作(アメリカ・審判・城)にしてもそうなのです。
ところで、これはもう歴史的な事実といってもよさそうですが、世代を超えて読まれ続けている小説にはふしぎと未完のものが多い。カフカの長編、それから最初に挙げた『失われた時を求めて』もそうですし、失われた時とジョイスの『ユリシーズ』とともに20世紀の三大小説に数え挙げられるローベルト・ムージルの『特性のない男』も未完に終わっています。このことから導きだされるのは、小説の書きはじめは、書きおわり以上に重要であろうということです。だいたいその小説がどんなふうに締められたのかはろくに憶えていないのに、ある小説のはじまりについては、その文字の連なりを一字一句まで記憶してはいないでしょうか。『変身』の冒頭は鮮明に憶えていても、この小説がどのように締められたのかを憶えている人はどれほどいるでしょうか。『雪国』の冒頭は鮮明に憶えていても、この小説がどのように締められたのかを憶えている人はどれほどいるでしょうか。
小説のはじまりとは、"それ自体が丸ごと"ひとつの契機であると思います。それがなければ小説はのっけから存在することもできない。
理由もなく虫になったグレーゴル・ザムザ、理由もなくアメリカに渡されたカール・ロスマン、理由もなく逮捕されたヨーゼフ・K、理由もなく城に呼ばれたK、これらはカフカにとっての"それ自体が丸ごとひとつの契機"だったと思うのです。これらの理由のない契機を発端に、カフカは小説という城を組み立てようとする。理由のない驚きの上に、さらにKが困惑を重ねるように書き続ける。しかしながら、それは底なしの流砂の上に城を建てるようなものです。当時、隆盛だった実存主義の立場から、カフカの小説は不条理だと言われます。カフカの小説的磁場の中では実存が揺らぐというのです。
それにつき、カフカさながらの理由のなさを"それ自体が丸ごとひとつの契機"とする『かおるクロコダイル』はどうでしょうか。そもそも、驚かない。何度も繰り返すようですが、薫くんの頭から黒くて長いものが生えてくるのは至極当然のことなのです。何か事が起こるたびに驚いて慌てふためくカフカのKとは打って変わり、そこでは実存が揺らぐこともなく"だいじょうぶ"なのです。薫くんはもとより、幼馴染のりんちゃんも、いじめっ子から理解者になった龍一くんも、その他クラスメイトのいじめっ子も、黒くて長いものが生えてくるという理由のない異常な事態をその通りに受け止めているのです。ただひとり薫くんのツノを"問題"として捉えている人のことは後述しますが、基本的には誰も彼もツノを問題だなんて思ってはいない。せいぜいイジりや虐めのネタにされる程度のしょーもない"理由"に過ぎないのです。しかも、より過激になる虐めにたいして、薫くんの意思とは無関係にツノがひとりでに反撃に出る。クラスメイトに怪我を負わせる。でも、そのことすらも当然のこととして受け止められているのです。この事件から、薫くんは学校に来なくなる。でも、ここでの問題は薫くんが学校に来ないということで、ツノがひとりでに暴走したことは、あくまでも薫くんが学校に来なくなった"理由"なんじゃないか? 程度のものに過ぎなくて、ツノのことは根本的な問題ではなく、ただの副次的な理由に過ぎなくて"だいじょうぶ"なのです。
実存は本質に先立つという言葉が示しているように、つくづくカフカの小説はその一文々々が"最前線"にあるように思えてなりません。Kはいつも最前線にて剥き出しの生身のからだを曝している。本質、それすなわち、たったひとつの真実、二元論を超えたところにKはいる。というか、毎度のこと、一文々々ごと、その移動のさなかで、どうにかギリギリでそこにぶら下がっているような具合だと思います。Kは困惑に困惑を重ねる、でも、そうやって実存が揺らいでも、Kはそのたびごとに根拠のない行動を、次のアクションを展開する。またそのことがKをさらなる困惑に陥れるわけですけども、こうした動機のない謎の元気ががむしゃらな推進力を生み、かろうじてKを最前線にぶら下げている。
真実というものは、水平線のような類いのもので、追えば追うほど遠ざかってゆくものだと思います。イタチごっこなんです。でも、あえて追わなければ遠ざかってもゆきません。その点、カフカはその距離をどうにか縮めようしたのか、本能的にそうしたのかは分かりませんけども、"理由"というものをのっけから廃することで、あらかじめその距離をゼロにした、それと引き換えに止まっていることが許されなくなり、あくなき綱渡りのような運動を強いられるようになるわけですけども。理由というものを追ってゆけば、その理由はまた何かの理由であり、またその理由は何かの理由であり、これから起こることもまた何かの理由によるものであり、今ここの現在は、過去と未来という名の無限小と無限大のはざまに常に取り残されることになります。この無限小と無限大が追っても追いつけない水平線なのでしょう。
では、カフカと同様に契機から理由を廃した『かおるクロコダイル』はどうか。ここにはサーカスのようにアクロバティックなアクションを持続させるKのような人物はいません。誰も彼も座布団に座ってお茶でもすするみたいに暢気なのです。薫くんが虐められていたとしても、せいぜいイタズラをする飼い猫を止めようとでもするみたいに、よっこらせと重い腰をあげる程度なのです。
いっぽうで、わたしことりんちゃんは、薫くんが心機一転して部活に入ったらしいという噂を聞かされたとき、へええ、ほおお。あの薫くんが写真! と、はじめて驚いている。あるいは龍一くんの「可能性は無限大なんだから、なんでもやってみればいい」という言葉にたいして「わたしたちはびっくりしているのだ。そのまっすぐな言葉選びに。そしてそれを信じて疑わない強い心に」と驚いている。何事もとくに問題視せず、驚くことのなかったりんちゃんたちにも、ある側面では驚く能力が備わっているのです。
それでも、やっぱり、虐めの火の粉が自分に降りかかってきても、例の事件から薫くんが学校に来なくなっても、りんちゃんたちはあくまでも落ち着いている。文化祭では落ち着いて自分たちの役目を果たし、スーパーで買ってきたジュースやお菓子を広げて打ち上げをはじめる。友達の令子が影で縁の下の力持ちをやっていたことにすこし驚く。そして、令子のお姉さんの目撃情報でギャラリーに行く。
このギャラリーで、『かおるクロコダイル』という小説において、はじめて"問題"が生じます。いったいどんな問題か。いっこうに誰からも問題視されなかった薫くんのツノが、写真部の小島さんにはじめて問題として捉えられ、ツノの写真が展示されているのです。展示について詰問を受ける小島さんは言い返します「黒木(薫くん)はわたしのパートナーでいいっていってるの。お互いが認め合っていれば、なにも問題ないじゃない!」。この時、『かおるクロコダイル』という小説を根底で支えていた"だいじょうぶ"がはじめて崩れ去る。それを象徴するかのように、りんちゃんと龍一くんは、肥大化したツノの内部で果てのない落下運動を続けます。
この肥大化したツノの内部で繰り広げられる"踊り"という主題については、それだけでまたかなりの文量が必要になってきてしまうと思われるので、ひとまず、踊りという儀式を経て、底の開いた小説がふたたび自足して立てるようになった、とだけ言うにとどめておきます。ただ、この一連の喪失からの救済を、書き手はツノの内部における踊りだけにとどまらず、外部からの視覚的現実として書いていることだけは加えておきたい。
まず、ツノがいままでになく巨大化する。ワニのような姿で聳え立つそれを、りんちゃんと龍一くんは見上げている。そして、ワニの巨大な口が二人を内部に飲み込む。真っ暗闇の空洞を二人はひたすら落下してゆく。当然、このときの落下は、たんにワニの大きさでは説明がつかない。どう考えてもそれ以上に落下しているように思えます。単純にワニの内部は空洞で底がないと考えたほうが合点がいく。では、どうして、ばふん! とクッションのようなものが二人の底に現れたのか。それはつまり、こういうことだと思うのです。さらに巨大化してグングン高さを増していったワニの大口が、花の咲くように末広がりに開いて、どんどん開いて、その大口はひっくり返るみたいにツノの全体をみずから包みこんで、宙に浮かんだ球体のようになった、と。単なる球体になっただけではなく、ツノの運動は依然として持続していて、球体の内部はたえず外側に花開き、その外部がまた内部に吸収されるような循環運動を繰り返しているように思えてならないのです。
最終章になっても、薫くんは相変わらず虐められています。
じぶんはこれまで約5千字もかけて、いったい何を書いてみたかったのかと反芻してみますと、それはおそらく"問題なんかありゃしない"ということについて書きたかったのだと思います。これはじぶんの基本姿勢でもあります。もちろん、目の前に何か問題があればでき得るかぎりの対処をしようと思います。それがじぶんの身に直接降りかかるものであれば、けっこう頑張っちゃう。なにしろ面倒臭がりで、楽したい、楽したい、ということばかり常に考えていますから、そのための努力には余念がないほうだと思います。じゃあ、じぶんに直接関わらないことはどうか。なにがじぶんに関わり合いのあることで、なにがそうではないか、その線引きは非常に曖昧なものだとは思いますが、具体的に目の前に困っている人がいるならば、でき得るかぎりのことはしてあげたいと思う。ただし、こんなことは傲慢な考え方だとは思うのですが、それを承知で言ってしまえば、その行為を優しさとして受け止めてもらいたくはない、という想いがある。優しさをあげているつもりもない、ただ問題にたいする一時的な対処をしているだけだという想いがあるんです。あえて、このことを"問題"というのなら、何か対処をするとかいう以前の問題なんです。すべてのあったこと起こったことは絶対に消えてなくならないということなんです。ふいに光った小さな埃でも、甲子園の劇的な瞬間でも、死んで詫びたいほどの大失敗でも、なんかこの世に産まれてきてしまったことでも、たまたま読んだ小説を心の底から祝福したいと思ったことでも、すべてのあったこと起こったことは絶対に消えてなくならなくて、それらをとにかくそのものとしてありのままに受け止めていたいと思うからなんです。そのなかには素通りされるものも、いずれ忘れ去られるものも、あり得べからずものとて対処されるものもあるかもしれない。でも、それはその後の話なんです。たんにそういったことがあったという事実とは関係がないと思うんです。その後に忘れてしまったり、対処することで別の形に変わってしまうとしても、まずはその事実をそのままの姿で見たい、受け止めたい、それが何がしかの"問題"として捉えられる以前の純粋な姿で。強いていうなら、全てのものごとを肯定したいということかもしれません。でも、そんな、神様みたいなことを。やっぱり傲慢なところがあるんだと思います。否定だって、一日に何度もしているように思います。ただ、肯定の反対は決して否定ではないと願いたい想いがある。まず、たんに見る、受け止めるという肯定がある。それとは関係のない次の段階に否定がある。あえて、肯定の反対をなにかそこに置くとするのなら、それはひとえに"問題"だと思うのです。
『かおるクロコダイル』の最終章を読んで、このような偏屈で傲慢で凝り固まったじぶんの考えがほぐされるような思いになりました。一時的な対処を、優しさと混同してほしくはない、それはそうかもしれないけども、ようは程度なのだと。あくまでも結果として、それが優しさに帰着するのなら、それはそれでいいじゃないか、と。
言葉というのはじつに不思議なもので、問題についてならいくらでも言葉を連ねることができるのに、こと問題を取り扱わないとなると、急に言葉足らずになってしまう。言葉は問題のないことを語る術を知らないらしいのです。問題がない、じゃあ、OK、だいじょうぶ、イエス、はい。そこで必然的に言葉を続ける必要はなくなり、あえて続けようとするならば同語反復的なことを繰り返すしかない。それじゃあ、問題らしい問題をあからさまに問題視しなかった『かおるクロコダイル』という小説は、どうしてここまで言葉を持続させることができたのか、ということなんです。問題以前のところに身を置くということ、それはたんに傍観すること、流すこととは似ているようでちがっている。問題というものは解決に向かう傾向があります。問題がすっきり解決されれば、それは嬉しいですよね。いっぽうで、問題以前のところに身を置くと、それは解決されるべき問題ではなく、程度の問題になる。程度といえば聞こえはいいですけど、それは問題のようにすっきり解決されるようなものではない。程度は程度としてそこに在り続け、晦渋とした状態が続くことでしょう。すっきりはしない、わだかまったものをそのまま受け入れていなければならないんです。そこに立つということだと思うんです。その上にはじめて小説をいう城を建設しようとしていると思うんです。このことは諦念でも、苦渋の選択でもないと思います。むしろ、より積極的で建設的な提案のように思えます。問題にわざわざぶつかりに行くよりも、何よりもの近道だと思います。面倒臭がりで、楽したがりのじぶんが言っているんだから信憑性はあると思います。
最後に、この素晴らしき作者のペンネームの由来になったであろう、フェルナンド・ペソアの『不穏の書、断章』からひとつの詩を引用して終わりにしたいと思います。ここまで長々と読んでくださった方、ほんとうにありがとう!!!
世界が作られているのは、われわれがそれについて考えるためではない。
(考えるとは、眼の病気だ)
そうではなくて、われわれがそれを眺め、それに賛成するためなのだ。
2 notes
·
View notes
Text
2020.09.09
私と生理の話だけど、小学生のときから生理期間は長いし経血の量も多かった。おそらく。一番古い記憶だと、小六のときの年越しは、母の実家で親族と年末っぽく食事を楽しんでいたけどお腹が痛すぎてまともに食べられず、紅白もなんとなくしか見られなかったりとか。他には、中二のとき生理が長いせいでプールに何度しか入れず、ただでさえ運動神経が悪いから出席点と筆記試験の点で保健体育の成績は稼いでいたのに、そのせいで初めて5段階中の2という成績を取った。三年間で、後にも先にもこのときだけ。見学って出席じゃないんですか?
中学のときは月に二回生理が来たので婦人科に行ってみたり、高校生のときくらいから生理をずらすために(旅行とか受験とか、そういうので)中用量ピルを貰いに行っていたりしたので、婦人科には馴染みがあったのだけどなかなか低用量ピルを飲むところまでは踏みきれないまま数年経った。
飲もうかな、と思えたのは、サークルの先輩が就活をきっかけに飲み始めた話をして��れたことかなあ。生理痛で苦しめられることが増えてきたので婦人科に行ってみたら、とりあえず��方を飲むことを勧められた。これがまあまずい漢方で、粉末で、一日二回飲まなきゃならない。インターンや海外旅行なんかに行くと十包くらいはスーツケースに忍ばせなきゃいけなくてなかなか大変だった。漢方、効いたのかな。どうだったんだろ。身体の冷えが取れたのは確かだと思う。そういえば後から考えてみると、顔が細くなったのは漢方を飲み始めてからかもしれない、むくんでいたのかなあ。いや、たまたまかもしれないけど。
漢方、そのうち効いてくれるかなと思ったけど、生理痛のせいでライブ中ずっと座ったまんまとか、打ち上げにまともに参加できないとか、人の家から帰れなくなって結局泊めてもらうとか、バイトを休むとかが増えてきて、もう駄目だ―となってピルを飲むことにした。母が勝手に整体の先生に相談して、病気じゃないんだから……って整体とかで治すことを試みようとしてくれたけど、でも飲み始めるのは早いのに越したことはないと。友人が就職する前に飲み始めて慣れておいたほうがいいよと背中を押してくれたのも心強かった。
いざ、飲み始めて、毎日飲むのがとにかく面倒。最初はアラームを設定してみたりしたけど、大学時代って夜までのバイトとか飲み会とかで不規則な生活だったから決まって同じ時間に飲むことがかなりシビアだったな。バイト帰りの電車でこそこそ飲んだりしてた。いやこそこそする必要はないんだけど。就職してから生活リズムが整って、慣れもあって、飲むことが自然になったなあ。
最初は副作用が結構しんどくて、でも妊娠初期症状ってこんな感じか!という疑似体験としては面白かった。頭痛、吐き気、異常な眠気、それから甘いものをめちゃくちゃ求めてた。コンビニでチョコ系のお菓子を三種買って一晩で全部食べてしまったときはどうなるかと思ったな。それは半月くらいで収まったけど……。
副作用が収まったら、生理前の不正出血が始まった。生理の一週間~数日前からちょっとだけ血が出る。どうでもいいけど私は生理のことを「正」だと認めてないのにそれに加えてさらに「不正」って何なの?という気持ちがあるよね。脱線した。この不正出血が厄介で、長さも量も月によってまちまち。生活リズムが変わると長くなったりする。引っ越してきた後初回の不正出血のときは急に大量の血が出すぎてパジャマとマットが汚れた。さすがにちょっと泣いた。
血の量は二、三回目の生理から急に減って楽になった。ナプキンの消費量が違いすぎるし、夜用のナプキンはもう半年使っていない。夜用でも下着が汚れていたくらいだったのにね、これはもう本当にびっくりで、一番効果があって一番嬉しかったこと。今では半日くらいのおでかけなら二日目でも替えのナプキンを持たずに外出できちゃうくらい。荷物も減って嬉しい。
生理の長さは、前は完全に終わるまで十日くらいかかっていたのだけど今は長くても一週間くらい。これは短くなるまでにかなり時間がかかった……。とはいえ四日目くらいからはほぼ出ないくらいの感じなので、実質三日+αくらい。三日で完全に終わってほしいのだけど、どうだろうか……。とはいえ不正出血が一週間くらい続くことが多かったので小さいのとはいえナプキンを付けている期間は前より伸びたりもしていたけど……。
でもね、今月初めて不正出血なしに生理を迎えられて、もう本当に嬉しかった。生理が来た日にこんなに嬉しかったこと、この十二年で初めてだよ! 毎回この調子でいけるかは分からないけど、続いてほしいなあ。
肝心の痛みについては、だいぶましになった。痛くても動けないほどじゃないし、痛いのも一日目か二日目に限定されている感じ。薬を飲んだら治る。とはいえ私の飲んでいる薬はPMSには効かないから、相変わらずPMSはしんどくて(特にメンタルが)、どうしようかなーと、ちょっと考えているところ。
副作用については、ガリガリだった去年よりちょっとふっくらしたからもしかしたら太ったのかもしれない、けど元々脂肪が付きにくい体質だから微妙。とはいえ胸は明らかに大きくなりました。マジで嬉しい。別に巨乳になったわけではないが、平らではなくなったので、今年の冬は薄手のニットを自信持ってきてやろうと思います。しかしながら最近まあまあ乳房が痛くて若干乳腺炎を疑っている。早く婦人科に行くべきですね……ピルと関係あるかどうかは分かりません。それから肌は、どうだろうなあ。荒れるときは荒れるから分からないけど、去年の激荒れ期みたいなことになることはないかな。あと万が一みたいなことで避妊に関する心配が小さくなったのは良いことだな。とはいえピル飲んでてもちゃんとゴムはつけなきゃだめだぞ。
今回でおそらく10シート目が終わるくらいで、ここで一度振り返ってみるのも良いんじゃないかなと思って長めの記事を書きました。私から言いたいことは「とりあえず婦人科に行こう!」です。ピルは副作用もあるし、特に喫煙者にはお勧めできないので別に「ピルを飲もう!」とか言いたいわけじゃないんだけど。それこそ漢方出してもらえたりとか、血液検査してもらったり内診してもらったりして気付きにくい病気に気付くこともできるし……、という感じで。うっかりついてきた内臓のせいで苦しめられるの意味わかんないから気軽に婦人科行こうね!
あとついでに私のPMSがマシになることも祈ってて~! 以上です! 健やかで穏やかな毎日を送りましょう!
2 notes
·
View notes
Link
“──畜生! 人類がかぜをひいてほろびるなんて、なんて人を小馬鹿にした結末だ。アーメン”
こちらは日本SF界の巨匠・小松左京が1964年に発表した『復活の日』に登場する一節だ。イギリス陸軍細菌戦研究所から漏れた新型ウイルス「MM-88」が全世界に拡大する物語を描いた名作である。
「MM-88」は3月ごろから世界に広まり、当初は「チベットかぜ」という新型��ンフルエンザだと思われていたが、強力な感染力と高い致死率、完治後も再発する、発熱症状がない者も突然コロリと死亡する――といった特徴を持っていた。やがて5月下旬にソ連首相が病死したころから、各国の医療体制やインフラの崩壊がはじまる。
日本でも6月中旬から主要交通網や電気・水道網が寸断され、同月末には日本国民の8割が死亡する。事態の悪化は止まらず、7月第3週には大統領を含めたホワイトハウスのスタッフが全滅してアメリカ合衆国が崩壊。そして9月上旬までに、南極の基地にいた約1万人をのぞいて、全人類と陸上哺乳類の大部分が死滅してしまう。
新型コロナウイルスが「ウイルス研究所から流出」というデマ
良質なパニック小説を読むと、大事件が起きたときに大局的な視点を保つ訓練ができる。ゆえに『復活の日』は私の座右の書のひとつで、過去にもSARS(2003年)やH1N1インフルエンザ(2009年)の流行のたびに読み返してきた。もちろん現在も再読中である。
2019年12月に中国武漢市で発生した新型コロナウイルスCOVID-19(2019-nCoV)も、都市封鎖にともなう中国国内の深刻な混乱を招いている。ほぼ陰謀論とみていい話とはいえ、今回はウイルスが中国武漢市のウイルス研究所から流出したというデマも流れている。過去の再読時と比較しても、『復活の日』の内容にかなりのリアリティを感じる事態だ。
人類にとってさいわいなことに、今回の新型コロナウイルスCOVID-19は『復活の日』のMM-88と違って、各報道を読む限りは致死率が2%程度にとどまる。おそらく今年夏までに、ウイルスの流行自体も収束するだろう。
ただし、ウイルス禍が今後の中国社会に与える影響は甚大だ。今回の記事では、主に庶民層の動きと政治的な事情についてまとめつつ、今後の見通しを考察してみたい。
SARS当時よりも「のんき」に見えた庶民層
新型コロナウイルスの流行は、昨年12月の時点から中国に詳しい外国人の間では知られていた。ただ、多くの中国人が深刻になるのは、1月20日に習近平が「重要指示」を出して情報公開にゴーサインを出し、さらに同月23日に武漢市が封鎖されてからである。
それ以前、中国国内の報道はゼロではなかったが、報道統制によりかなり小さな扱いだった。医療関係者たちが現場レベルでは認識していたヒト・ヒト感染の発生も隠蔽されていた。ゆえに大部分の中国人は新型肺炎に注意を払わず、リスクにも鈍感だった。
これは17年前にSARSが流行したとき、公的なアナウンスがごく少ない時点から、庶民層でも口コミで危うさがジワジワ語られていたのとは大きな違いだ。「酢に予防効果がある」と謎の対策が噂されて商店の酢が品切れになったり、それなのに多くの人が公衆衛生にあまり気を使わなかったりと、突っ込みどころは多かったとはいえ、さておき中国人の危機意識自体は高かった。
SARS当時の中国はよくも悪くも発展途上国で、政府や社会に対する庶民の信頼度がかなり低かった時代だ。新聞記事を含めたあらゆる公的情報は信用されておらず、国家権力が真相の隠蔽や捏造をおこなうのは常識以前の話。大事な話は口コミで共有された。これはデマが生じやすい社会環境だったのだが、反面で当時の中国人は、情報面では当局にコントロールされにくかったともいえる。
いっぽう、今回は公的なアナウンスが出るまで、中国の庶民の反応はかなりのんきに見えた。理由のひとつは、現代の中国人が往年と比べて、報道や政府発表を信じやすい傾向が圧倒的に強まっていたからだろう。
自称「情強」になった中国人
近年、中国ではスマホの普及によって、従来はしっかり新聞を読まなかった層の庶民まで気軽にニュースに触れるようになった。彼らがなんとなくダウンロードしたニュースアプリの今日頭条や新浪新聞、チャットアプリの微信(WeChat)、ショート動画アプリの抖音(海外市場では「TikTok」)な��を通じて、大量の情報が流れ込んでくるようになったからだ。
本来、中国の国内報道は2003~2013年の胡錦濤時代にかなりの自由度があり、対して習近平時代には大幅に制限された。だが庶民レベルの主観では、スマホ時代の習近平時代のほうが、自分たちが「情強」(情報強者)になったと考えられている。
理由は彼らが触れるニュースの分量が往年の数十倍以上に増加したからだ。しかも新聞と違い、アプリを通じて配信されるネット記事は圧倒的に読みやすく、娯楽性も高くて頭に入りやすい。
結果、統制下にある膨大なニュースを通じて当局的な価値観が庶民の頭に無意識に刷り込まれ、報道を信頼する人がぐっと増えた。いわば官製のエコーチェンバーが起こされていたと言ってもいい。
習近平の「中国の夢」に染まる人民
また、中国経済の発展や中国人の海外旅行の拡大、スマホ普及と軌を一にした国内社会のスマート化などによって、「貧しい祖国を強くて豊かにした中国共産党」という当局のプロパガンダを、中国人自身がある程度は事実だと実感してしまったことも大きい。
たいていの人は、祖国が「偉大」で「富強」(強くて豊か)だと嬉しい。これも当局への信頼度が向上する理由になった。ネット世論においても、投稿内容の厳しい検閲も理由とはいえ、一昔前とちがって体制擁護的な意見が多数派になった。現代の中国を、漢や唐の絶頂期とならぶ「盛世」だと呼ぶ声も少なからず聞かれた。
習近平政権の発足以来のスローガンである「中国の夢」(中国夢 Zhōng guó mèng)は、中国人民が当局のコントロール下にある情報を素直に信じ、体制を疑わないことでハッピーな幻想に酔える状態を出現させた点において、ある意味で実現していたのである。
……だが、2020年の1月20日以降、こうした従来のムードは大きく崩れている。
メディアやSNSが異例の活発化
これまで習近平体制下の中国では、重大ニュースは「新華社」などの中央メディアの報道を他のメディアが転載する形式が推奨され、またあらゆるニュース内容が体制にポジティヴなメッセージを含む内容(「正能量」)に変換されてきた。
だが、いまや各メディアによる独自報道や、不都合な事実を指摘する���容の報道が少なからず見られはじめている。当局側の情報統制や摘発が間に合わないのか、これまでは鳴りを潜めていた、ネットを通じた問題告発や政治主張の発表も活発化している。
特に武漢市内や湖北省内からは、病院内で錯乱する医師・看護師の姿や数多くの遺体を映したとみられる現地の動画や、体制批判の演説動画などをSNSに投稿する例がかなり多く見られるようになった。
保護者が強引な隔離を受けたことで1人残された脳性まひの少年が死亡した例や、病院の手が回らず治療が受けられない老人が死亡した例など、社会的弱者が犠牲になったことへの怒りを、遺族らがSNSに投稿する事例も増えた。
2月7日にある医師の死亡が報じられたことで、同様の傾向はより強まった。この33歳の李文亮医師は、昨年12月末にいちはやく新型コロナウイルスの流行に警鐘を鳴らしたことで「デマを流した」と処罰され、やがて本人もウイルスに感染して死亡した人物だ。
彼の理不尽な処罰と感染死はウイルスの流行の発生当初の当局の隠蔽体質を象徴するものと言ってよく、中国のネット上では(従来は反体制的ではなかった人も含めて)「李医師にノーベル平和賞を」という声まで出ている。
中国のSNS・微博には言論の自由を求めるスレッドが立てられて多くの反応を集め、名門大学の教授や弁護士らが情報隠蔽の停止や言論の自由の実現を求める公開書簡を発表する例が複数出ている。いずれも昨年までの中国では、かなりの勇気を要した行動である。
すでに「都市封鎖」は70以上――「偉大な祖国」はダメダメだった
武漢市内や湖北省内では、ウイルス禍による医療体制の崩壊と社会混乱、当局に対する不信感の強烈な高まりのなかで、他にも一般市民が従来の禁忌をあえておかすケースがあらわれている。
たとえば2月11日付けの『朝日新聞』は、武漢市内の「隔離ポイント」の残酷な実態を告発する記事を当事者の実名入りで掲載している。習近平体制下の中国では、当局に目を付けられそうな問題を一般市民が実名で外国メディアに告発する事例が激減していた���、そのタブーが破られた形だ。
「偉大」で「富強」なはずの祖国は、いざ自分や家族が本当にヤバい状況になると頼りにならない存在だった――。武漢市をいちはやく封鎖した習政権のウイルス対策は、客観的にはそう悪くないとみる専門家の声もある。だが、庶民レベルの感覚では、体制への強い不満と不信感を生むものになっている。
ウイルスの広がりとともに、中国の言論状況はさながら7年前までの比較的自由な胡錦濤時代に逆戻りした感すらある。現在、「外出禁止」を含めた都市封鎖は70都市近くに拡大した。結果、不満や不安を持つ人は全国規模でどんどん増えており、おそらく新型コロナウイルス感染者の数十倍以上の規模に膨れあがっている。
この傾向は短期的にはより強まっていくだろう。タブーの赤信号はみんなで渡れば怖くないのだ。
「GDP成長率0%」から逃げる習近平
対して習近平政権は、初動段階での情報隠蔽を口実に、ウイルス流行が拡大した責任を湖北省や武漢市などの地方幹部に押し付ける方針をとっている。
たとえば湖北省黄岡市では、2月2日までになんと現地の党幹部ら337人が処分された。政権は庶民の怒りが中央政府や党体制の全体に向かないように懸命だ。
そもそも、ウイルス禍が予想以上の規模で広がってからの習近平は存在感が薄い。彼は1月28日にWHOのテドロス・アダノム事務局長と会談後、2月5日まで1週間にわたり表舞台に顔を出さなかった。2月10日には北京市内の病院視察が報じられたが、いまだに武漢入りはしていない。
1月末に新設された国務院の新型コロナウイルス感染肺炎対策指導特別チーム(指導小組)の組長も、総理の李克強となっている。習近平は2013年の政権の発足以来、金融やネットセキュリティなどの大量の指導小組を作ってその組長を兼任し、李克強ら他の高官の権力を削いで独裁体制を固めてきたのだが、ウイルス問題だけは李克強に仕事を投げている形だ。
2月7日、著名なエコノミストとして知られるアメリカISIグループ会長のエド・ハイマンは、CNBCのインタビューに応える形で、2020年第1四半期の中国のGDP成長率が0%であると予測するコメントを出した。この数字の真偽はさておき、ウイルス禍が中国経済に天文学的な規模の損害を与えるのは間違いない。
中国の中央銀行である中国人民銀行は、経済テコ入れのために1兆2000億元(約19兆円)を金融市場に供給すると発表したが、これは体調不良を覚せい剤で無理やり回復させるようなもので、副作用も大きいだろう。
今回のウイルス流行は、もはや中国政府が何をやっても中国に巨大なダメージと民心の動揺を残すことが確実だ。習近平の顔の見えなさが、責任問題から逃げる目的ゆえだと推測するのは容易である。
過去の台湾のヒマワリ学運(2014年)や香港の反政府デモ(2019年)への対処のまずさを見ても、習近平は突発的な大規模トラブルへの対処を苦手とする政治家ではないかとも思える。
ウイルス収束後、“大量処罰”が待っている
新型コロナウイルス発生以来の習近平の動きは、中長期的にはすくなからぬ禍根を残すはずである。普段は大いばりをしていながら、本物のピンチの際には部下に責任をなすりつけて前線から逃亡する指揮官は人心を得られないからだ。
習近平は政権の成立以来、従来の中国ではながらくタブー視されてきた個人崇拝や個人独裁を積極的に推し進め、毛沢東並みともいわれる強大な権力を手にした。結果、中国の官僚たちは保身と習近平への忖度が最優先課題になり、失点を犯さないために最低限の仕事しかしなくなったり(「不作為」)、まずい情報を上にあげる行為をためらう傾向が常態化した。
ウイルス流行の初期段階で地方政府が情報隠蔽をおこなったことや、問題に言及した医師らへの処分は、習近平体制の負の側面が要因だとみていい。すくなくとも当局内部の常識的な人間や、知識人・メディア関係者、さらにネットユーザーにはそうした考えを抱いた人がかなり多い。
おそらく数カ月後、ウイルス流行が収束したあとは習近平からの巻き返しがある。現在、必死で問題告発の声をあげている一部の武漢市民に対する大規模な処罰や、習近平に対して批判的な動きをみせた当局関係者やメディア関係者に対する猛烈なパージがおこなわれるはずだ(中国語で「秋後算賬」という)。
ただ、現在のウイルス禍が、これまで習近平の方針にいやいや従っていた一部の官僚やメディア関係者の心をさらに冷めさせているのは確実だ。今後の「秋後算賬」に対する庶民の反発もかなり強いだろう。これまで社会を包んでいた「中国夢」の甘い時代は、今回の事態によっておそらく終わる。
もちろん今回の件だけで習政権は倒れない。ただ、数年後あたりに再びなんらかの大規模な突発的事件(地震やデモなど)が起こった場合、現在のウイルス対応問題が習近平失脚の伏線になる可能性も、それなりに高くなったように思える。
毛沢東死後の1976年10月、実権を握る四人組を打倒した華国鋒や葉剣英らのクーデターは、庶民から支持された。中国人の価値観では、反乱には天下万民に対するなんらかの大義名分が重視される。今回、習近平は彼を引きずり下ろしたい勢力に対して、「民を苦しめた疫病蔓延の責任者」という非常にわかりやすい大義名分を与えてしまった。
「災厄が終わった時――」
禍福はあざなえる縄のごとしだ。たとえば前回のSARSの流行は結果的にアリババの台頭を生み、近年の中国社会のスマート化のきっかけを作った。人々が屋内にいたままで商品を購入するニーズが高まり、従来は不信感が強かったオンラインショッピング市場が一気に人気を集めたためだ。近年のイノベイティブな「キラキラ中国」の出現は、SARSが流行しなければずっと遅れていたはずである。
新型コロナウイルスの流行も、中国で先進国を大幅に上回るリモートワークのシステムが確立されて全世界的な働き方改革のきっかけになったり、ウイルス感染者の追跡に役だったことで中国の監視社会化に対する庶民の評価が現在以上に高まったりと、思いもよらぬ結果を生むかもしれない。
人間は忘れっぽいので、もしかするとウイルス収束の3カ月後くらいには一切がなかったことになり、人々が「中国の夢」に酔う社会が復活する可能性もある。ことに中国であれば、これも意外とあり得るシナリオだろう。
ただ、習近平政権が発足以来で最大の危機に立たされたことも確かだ。最後に『復活の日』から、私がいちばん好きなパートを引用してこの原稿を終えておこう。
“「──それよりも、このどたばたが終ったあと社会の勢力関係がどうなるかを考えといた方がいい(略)」”
“終った時──老人たちは、大ていこの災厄が終った時のことを考えていた。老人たちは災厄に出あった経験を豊富にもち、それがどんな形で終るか、終ったあと、どんなことになるかも知っていた”
“終った時──誰しも、この災厄が、いつかは終るものと考えていた。「人類」にとって、災厄というものは、常に一過性のものにすぎない、と”
1 note
·
View note