#手形アートで成長記録
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トム・ヴァーレインのブックセールにて
アレックス・アブラモビッチ
昨年の夏、ブルックリンでこんなミームが飛び交った: トム・ヴァーレインのブックセールの会場でキスしたらどうなる? バンド「テレヴィジョン」を結成し、そのフロントマンを務めたヴァーレインは、2023年1月28日に死去した。彼は長年にわたり、アート、音響学、占星術、UFOなど、さまざまなテーマに関する5万冊、20トン以上の本を入手していた。ブルックリンの隣接するガレージで8月に2日間にわたって行われたこれらの本の販売会は、大変な人気だった。アヴァンギャルドポップ・ミュージシャンのアート・リンゼイが立ち寄った。トニー・アウスラーは短いビデオを撮り、インスタグラムに投稿した。旧友たち(中には数十年ぶりに太陽の下に出てきたかのような者もいた)が、長い行列の中にお互いを見つけた。
ヴァーレインは膨大なコレクションをいくつかの倉庫に分けていた。彼が暮らすチェルシーの1ベッドルームから歩いてすぐの場所に1つ、川向こうのゴワナス運河に近いレッドフックに4つ。ヴァーレインはウーバーを使わなかった。ブルックリンの方の倉庫に行くには、おんぼろの食料品カートを持ってF系統の地下鉄に乗り、街でいちばん標高の高い地下鉄駅であるスミス・アンド・ナインストリート駅まで行き、あとは徒歩で移動した。人ごみの中で、ヴァーレインは目立った。背が高く、痩せていて、きれいな姿をしていた。(「トム・ヴァーレインの首はロック界で最も美しい」とパティ・スミスは1974年に書いている。「本物の白鳥みたい」)。彼は一度もタバコをやめず、フィルム・ノワールの登場人物のようなカーコートを着ていた。しかしそんな彼がカートを押して階段やエスカレーターをガタガタと降り、ブルックリン・クイーンズ・エクスプレスウェイの下をくぐり、7車線の道路を横切り、レッドフックに向かっていた。本をどこかに運ばねばならなかったのだろう。
ヴァーレインはストランド書店の常連で、かつて出荷部門で働いていたこともあった。店の前の1ドル均一のカートのまえにいるところを見かけることもあった。ツアー中にはサウンドチェックから開演までの時間を利用して地元の書店を訪れた。ブルックリンでは、倉庫にあまりにぎっしりと荷物を詰め込んでいたため、彼の遺品整理を任された友人のパトリック・デリヴァズは、箱を動かすスペースを確保するためだけに別の倉庫を借りなければならなかった。テレヴィジョンの直近のギタリストだったジミー・リップは、1月にアルゼンチンからやってきたが、7ヶ月後にまだニューヨークにいて作業を手伝っていた。ブッシュウィックの書店「ベター・レッド・ザン・デッド」のデイヴ・モースとマティ・ディアンジェロも整理に参加していた。
モースは言う。「ふつう、『5万冊の本がある』と言う電話がかかってきても、行ってると500冊くらいなんだ。今回、僕らは箱を数えた。5万冊よりは少しだけ少なかったかもしれない。ヴァーレインはパッキングがとても上手だったからね。たくさんの詰め物が使ってあった。波形の段ボールを折ったりプチプチを使って、即席で巣のようなものをつくってある。がさつではあったけれどとても几帳面で、ほとんどの本は素晴らしい状態だった。僕らは計算し、自分たちだけでは無理だと悟って頭をかいた。そしてスペースを持っている知り合いのディーラーを考えた。
ディアンジェロはワシントンDCのキャピトル・ヒル・ブックスを思い出した。そこはブックストア・ムーバーズという姉妹会社を持っていて、トラックも調達できた。そのトラックはいま、ブルックリンのガレージの前にあって、デリヴァズがみている。中の本は「文学」、「詩」、「宗教」といったテーマ別に分類されている。ディアンジェロは、神話や神秘主義、オカルト、超常現象、スピリチュアリティを指す「MOPS」という新しいカテゴリーを作った。イスラム教の旋舞教団、アレイスター・クロウリー、アントン・ラヴェイに関する本が、チャップブック[17世紀ごろからの冊子]や料理本(ヴァーレインがコンロで作ったのはコーヒーだけだったが)、中国に関する本の隣に並んでいた。読書家として、ヴァーレインは心理学や過激な理論に思う存分傾倒した。しかし、何度も立ち返ったテーマがあり、興味がずっと昔にさかのぼるものもあった。ヴァーレインのかつての親友でありバンドメイトでもあったリチャード・ヘルは、2013年に出版された自伝『I Dreamed I Was a Very Clean Tramp』の中で、彼がとても若かった頃のことをこう語っている:
世界は彼にとって理解不能の異様なところと写っており、空飛ぶ円盤のようなものから、極端な陰謀論、不明瞭な宗教的神秘主義まで、あらゆる種類の非合理的な説明に影響を受けやすかった。彼は、これらの信念や疑念が多くの人々にとってクレイジーに映ることを知っていたし、それが彼が人前に出るのを嫌がっていた理由の一つだ。
ブックセールの数日後、私はリップとデリヴァズに会うためにレッドフックの倉庫まで歩いて行った。彼らはアンプ、スピーカー・キャビネット、真空管でいっぱいのユニットを見せてくれた。それもヴァーレインが収集したものだ。「曲のキーがE♭だと、トムは真空管を交換するんだ。ほら、ここに、彼が印をつけていたかがわかるだろう」
販売会場には『The Tube Amp Book(真空管アンプの本)第4版』というカタログが、ギオルギー・リゲティの伝記とブルーノート・レコードの歴史に挟まれてあった。私はいま、それを買わなかったことを後悔している。ヴァーレインはまだ製造が続いているスロバキアから輸送した新しい真空管を持っていた。eBayから入手した、あるいはeBayが存在する前に購入したヴィンテージの真空管も持っていた。何百という真空管を持っていた。
ヴァーレインは高価な機材には手を出さなかった。(ルナ・アンド・ギャラクシー500のディーン・ウェアハムは、ヴァーレインがかろうじて弾ける12弦のエレキを持ってスタジオに現れ、それを見事に弾きこなしたことや、ヨーロッパ・ツアーを全く機材を持たずに行い、各都市で新しいストラトキャスターをレンタルしたことを覚えている)。しかし、彼は自分のトーンにこだわった。ジェフ・ベックのように、アンプに直に接続し、ギターのボリュームとトーンのノブを操作して、他のプレイヤーがエフェクターのペダルでしか作れないようなエフェクトを得ることができた。彼はおそらく、どこまでも繊細だったのだろう。リップは彼らのサウンドチェックの一コマを振り返った。「トムが弾くのをやめて『ブーンという音がする』と言った。俺らには何も聞こえなかったけれどトムは言い張った。俺らはその音の元を探して、やっと会場のうしろのほうで見つけたんだ。その下まで行かなければわからなかったのに、トムはステージから気づいたんだ」
「トムは非常にガード固かった」とヘルは自伝に書いている。「防御が強いんだ。それには良いことも悪いこともある。それは彼にある種の整合性を与えた。流行に流されることはなく、慎重で信頼できた。でもそのせいで一緒に仕事をするのは本当に難しかった」。しかし、6年ほどの間、ヴァーレインとヘルは(ふたりは一緒にデラウェア州の高校を飛び出し、ニューヨークで再会していた)同じアパートに住み、同じダブルのマットレスで眠り、「テレサ・スターン」として一緒に詩を書き、ヘルが主宰する詩誌『ドット』から出版した(彼が最初に出版したのはアンドリュー・ワイリーの詩集だった)。
1972年、ふたりはバンドを結成した。ヴァーレインはサード・アベニューの質屋でベース・ギターを選び、ヘルに基本を教えた。髪を切り、名前を変え(「マイヤーズとミラー」から「ヘルとヴァーレイン」に)、ネオン・ボーイズと名乗り、ビリー・フィッカを加入させた。数ヶ月間、彼らはヴァーレインのアパートでリハーサルをした。アンプやセットを買う金はなかった。ジャズ志向の優秀なドラマーだったフィッカは、代わりに電話帳でドラムを叩いた。ヘルは「Love Comes in Spurts」、「Blank Generation」、「Eat the Light」など数曲を書いた。ヴァーレインは「Bluebirds」、「$16.50」、「Tramp」を書いた。彼らは『ヴィレッジ・ヴォイス』紙に「ナルシストなリズム・ギタリスト募集、最低限の才能があればOK」という広告を掲載し、何人かがオーディションを受けた(ディー・ディー・ラモーンになったダグ・コルヴィンや、ブロンディを結成することになったクリス・スタインもいた)が、誰もフィットしなかった。1973年になっていた。ヘルとヴァーレインは13番街にある小さな店、シネマビリアで働いていた。マネージャーのテリー・オークは、チャイナタウンのロフトに寝泊まりしていたリチャード・ロイドを推薦し、ロイドを2人目のギタリストに迎えて、彼らはバンド名をテレヴィジョンに変えた。
CBGBのオーナーであるヒリー・クリスタルは、彼のクラブでカントリー、ブルーグラス、ブルースのバンドを取り上げようと計画していた。テレヴィジョンをマネージメントするようになったオークは、代わりに自分のバンドを演奏させるよう彼を説得した。徐々にひとつのシーンが形成されていった。テレヴィジョンはリチャード・ウィリアムズとブライアン・イーノとデモを録音した。もしヴァーレインがイーノのサウンドを嫌っていなければ、イーノは彼らのファースト・アルバムをプロデュースしていただろう。ヴァーレインは、イーノがそのテープをイギリスに持ち帰ったと確信していた。ロキシー・ミュージックの次のアルバムのグルーヴの中に、自分のアイデアが入っているのが聴こえたと思っていたのだ。それが事実かどうかは別として、同じ頃、マルコム・マクラーレンとヴィヴィアン・ウエストウッドは、とんがった髪、破れたTシャツ、安全ピンといったヘルのルックスや態度をコピーし、セックス・ピストルズにあてがった。ヘルは回想する。「俺らの演奏はまるで反逆のスクラップが転がり落ち、ぶつかり合う音みたいで、同時にそれを遠くから眺めているみたいに美しくて胸が張り裂けそうでもあった。感動させられ、揺さぶられ、目を覚まさせられた」
しかし、テレヴィジョンがファースト・アルバムをレコーディングする頃には、バンドはそのメンバーではなくなっていた。ヴァーレインは、徐々に、そしてその後は徐々にではなく、ヘルとヘルの曲を脇に追いやった。『Marquee Moon』を何年もリハーサルして手を入れ続け、考え続け、それは1977年、ヘルの脱退から2年後に発表された。ヘルの代わりにフレッド・スミスがベースを弾いていた。曲はより慎重に構成され、短編小説のように構成された。ヴァーレインはジョン・コルトレーンとアルバート・アイラーを愛し、彼のレコード・コレクションの大半はESPやインパルスといったレーベルのジャズ・アルバムで占められていた。しかし、コンサートでも、テレヴィジョンがノイジーで自由だった頃、ヴァーレインとロイドが奏でる連動したソロは高度にアレンジされていた。ウィリアムズはそれを「金線細工を施された」と表現した。
彼らの曲は文字通り「文学的」だった。ロックンロールではめったに美徳とされないことだが、ヴァーレインにははまっていた。彼は手がかりや警官、裏切り者、その他ハードボイルドな小物でいっぱいの探偵小説を書き、それを打ち砕いているかのようだった。『Marquee Moon』に収録されている8曲のうち5曲は、夜に起こる物語を歌っている。4曲は過去形と現在形を行き来している。ヴァーレインの描くイメージにははっとさせられる。「素敵な小舟が欲しい/海でできた��舟」、「世界はとても薄かった/俺の骨と皮のあいだで」、「思い出す/雷が雷自身に落ちたのを」。
しかし、パンクの先駆けとなったテレヴィジョン(ヘルが所属していたときのグループ)がアナーキーで、1977年のテレヴィジョンがほとんどプログラムされたようにコントロールされていたとしても、両者を異なるバンドと考えるのはまちがいだし、ヘルとヴァーレインを正反対の人物と見るのもまちがいだ。ヴァーレインの歌声は神経質で切迫していた。彼のアルバムはやはりパフォーマンスであり、素早く録音され、多かれ少なかれライブだった。奇妙で、絶望的で、すばらしかった。1曲目の終わりに「愛する人と未来を引きずり降ろせ」とヴァーレインは10回続けて歌っている。彼とヘルには共通の恍惚感があった。
もちろん彼らは憎み合っていた。「あいつには我慢できない」とヴァーレインは言い、ヘルも手加減しなかった。しかし、『I Dreamed I Was a Very Clean Tramp』のエピローグで、ヘルはほんとうに久しぶりにヴァーレインに会ったときのことをこう語っている:
このあいだ、レストランから家に帰る途中、古本屋の前でトム・ヴァーレインが安売り本の箱を漁っているのを見かけたんだ。俺は彼に近づいて、「空飛ぶ円盤について何かわかったか?」と聞いた。
ヘルはヴァーレインの歯(俺の歯よりもっと悪い」)、顔(「でこぼこで膨張している」)、髪(「白髪まっしぐら」)を描写している。
俺は背を向け、ショックを受けて歩き去った。俺たちはまるで2匹の怪物が打ち明け話をしているようだったが、ショックを受けたのはそのことではなかった。俺が愛を感じたからだ。俺は彼に感謝し、彼を信じ、自分の中で、彼がありえない人間であり、彼を好きになることがありえないことを肯定した。それまでもずっとそうだったのだ。俺はこれまでと同じように彼を近くに感じた。彼のような人間以外に何を信じればいいのだろう? なんてこった、俺は彼と同じなんだだ。俺は彼だ。
ヴァーレインの本は、Better Read than DeadやCapitol Hillのサイトでまだ購入できる。彼のレコード・コレクションは、そのうちグリーンポイントとイースト・ヴィレッジのアカデミー・レコード別館で販売されるだろう。その本やレコードははいまとはちがう時代、いまとはちがう街を思い出させる。書店やレコード店が遅くまで開いていて、CBGBで夜遊びした後でも店を覗くことができて、そこで手に入るものは安かったし、それを保管するのに必要なスペースも安かった。たとえ書店で働いていたとしても、その金でオフセット印刷機を買って自分で詩の版元を始めたり、ソーホーにロフトを見つけて自分のバンドを始めたりできたのだ。
2024.3.4
ロンドン・レビュー・オブ・ブックスに掲載
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スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)は、禅、ミニマリズム、直感、デザイン、テクノロジー、富の関係性をめぐって特異な思想と実践を持っていた人物です。 その「生活の考え方と実践」を、彼の伝記(ウォルター・アイザックソン著)、本人のスピーチ、関係者の証言などに基づいて、以下にできるだけ詳しく、体系的にまとめます。
🧘♂️ 1. 禅とミニマリズム:背景と思想
▷ 禅との出会い
1970年代初頭、大学中退後に**禅僧・乙川弘文(コボ・オツカワ)**の下で本格的な禅の修行。
若い頃にインド旅行をして仏教・ヒンドゥー教にも触れたが、「言葉を超えた直感」「沈黙の美」を禅に見出した。
禅の「空(くう)=本質は形ではない」という思想が、のちのApple製品に反映。
▷ 実践哲学としての禅
断食、座禅、沈黙の修行を日常に取り入れる。
「空っぽであることの力(the power of empty)」を信じて、頭の中も部屋の中もシンプルに保つ。
人生や死について語るときも、禅的な「無常観」「一瞬の真理」を重視。
👕 2. 服装:思考の無駄を減らすミニマリズム
毎日黒のタートルネック(イッセイミヤケ)+リーバイスのジーンズ+ニューバランスのスニーカー。
「決断の数を減らすことで、大事な創造的判断に集中できる」という考え。
特にスティーブ・ジョブズは**「選ばない自由」=思考リソースの節約**に強い価値を置いた。
「私は朝、服を選ぶ時間すら惜しい。それよりも世界を変えるアイデアを考えるほうがずっと大事なんだ」
🏠 3. 住まい・生活空間:空間美としての禅
何年も家具がほとんどない家で暮らした。理由は**「本当に気に入る家具が見つからなかったから」**。
部屋にはマット1枚、ランプ、スピーカーのみということも。
白い壁・開けた空間・自然素材を好み、「空間そのものが思考の器」として機能するよう設計。
🍎 4. 食生活:菜食主義・断食・浄化志向
若い頃は果食主義(フルータリアン)、野菜と果物中心の生活。
アップルという社名も、彼が果食主義でりんごばかり食べていたことからインスピレーション。
「食で体も精神も研ぎ澄ます」という思想を持ち、時に断食を行って精神状態を高めようとした。
にんじんを食べすぎて肌がオレンジ色になった逸話も。
💻 5. テクノロジーと精神性の融合
テクノロジーを「無機的な道具」ではなく、「人間の感性に溶け込む精神的インターフェース」として捉えた。
Apple製品は「禅の静謐さと直感的操作」を融合した設計思想で統一。
マウスやグラフィカルUIも「思考を妨げない道具」として設計。
🔇 6. 無音・沈黙の重視
社内の会議でも、「沈黙の間(ま)」を大切にし、言葉にする前の直感や気配に耳を澄ませる。
禅の「無言の教え」「不立文字(ふりゅうもんじ)」を現代的に応用。
🧑🎨 7. 美意識:アートとしてのプロダクト
彼にとってプロダクトは単なる商品でなく、「精神の延長」「感性の表現」。
「背面も美しくなければ意味がない」と、見えない部分の美しさにも執着。
家電量販店ではなく、美術館のようなApple Storeで商品を扱うという発想も、禅的な空間意識から。
🧾 8. 金銭と富に対する距離感
超富裕層でありながら、生活の快適さや派手さには無関心。
高級車にナンバープレートをつけず(カリフォルニア州の猶予制度を利用)、「持たない自由」を貫いた。
多くの資産を蓄積しながらも、社会的自己実現を追求するために富を使う。
「Appleを作ったのは、世界を変えるため。金儲けならもっと簡単な方法がある」と発言。
🧠 9. 思考のあり方:直感重視と未来志向
禅をベースとしながら、「論理ではなく直感に従うことが最善の判断である」と信じていた。
Stanford大学での有名なスピーチ:「Stay hungry, stay foolish(ハングリーであれ、愚かであれ)」も、内的感覚に従う姿勢。
死を意識しながら生きることで、現在を燃焼させようとする姿勢は、まさに仏教的。
🔚 10. 死と向き合う態度
若い頃から「死」を常に意識。
「死を思え(メメント・モリ)」を日常の判断基準にしていた。
膵臓癌と闘病中も、「死を近くに感じながら仕事を続ける」ことに精神的な意味を見出していた。
死後も「自分の作品が残り、世界と人々の思考を変え続ける」ことを信じていた。
✴️ 総括:スティーブ・ジョブズの生活思想キーワード
カテゴリ キーワード
精神 禅、無、沈黙、直感、死の意識
美意識 シンプル、空白、美的な道具
生活 ミニマリズム、菜食、服装の固定化
テクノロジー 人間性の拡張、感性との調和
富・物質 所有を否定し、体験と創造に投資
時間・選択 「選ばない自由」、思考の節約
ご希望があれば、スティーブ・ジョブズのこの思想を、
現代の日本人の生活に落とし込んだ「実践マニュアル」
ドゥルーズ的生成変化との接続
栗本慎一郎の「脳の変容」思想との比較
などに��発展できます。ご希望があればお申し付けください。
スティーブ・ジョブズの膵臓がん(具体的には神経内分泌腫瘍)は、通常の膵臓がん(膵腺がん)とはやや性質が異なりますが、その発症の背景に彼の生活習慣が関与していた可能性については、いくつかの点で専門家や関係者によって間接的に指摘されたことがあります。以下に、治療には触れず、生活習慣との関連性の可能性に絞ってご紹介します。
🔎 1. 果食主義(フルータリアン)と膵臓への負担
● 内容
ジョブズは若い頃から「フルーツだけを食べる生活(果食主義)」に傾倒していた時期がありました。
彼は食生活を極端に管理し、りんご・にんじん・果物ジュースなど、糖質の高いものに偏った時期がある。
● 指摘されている懸念
果物の果糖(フルクトース)は自然の糖とはいえ、過剰摂取すると膵臓への負担が大きい可能性がある。
専門家の一部は「高果糖負荷とインスリン分泌のアンバランスが、長期的に神経内分泌腫瘍と無関係とはいえない」と示唆。
※ただし因果関係の証明はなく、仮説レベルです。
🧪 2. サプリメント・デトックス志向
● 内容
ジョブズは食生活だけでなく、「身体を浄化する」思想に強く影響されており、さまざまなサプリメントや断食、デトックス法を実践。
一部では「大量のビタミン剤、マクロビオティック系の補助食品を使っていた」という証言も。
● 指摘されている懸念
一部の自然健康志向者が使うサプリメント(例:高濃度ビタミンB群、抗酸化剤など)は、過剰摂取で内臓、特に肝臓・膵臓に負担をかける可能性がある。
「肝・膵系臓器は、極端な食事やサプリ負荷に弱い」という警告は代替医療側でも語られる。
🍭 3. 精神的ストレス+糖質摂取のアンバランス
● 内容
ジョブズは自らを「超集中型」の精神状態に置くことが多く、仕事に没頭することで食事や水分摂取を不規則にしていた。
一方で、「集中後に甘い果物やジュースを一気に摂取する」ような、血糖の乱高下を起こしやすい生活があった可能性。
● 指摘されている懸念
血糖の乱高下やインスリンの過剰反応は、膵臓に微細な炎症や負荷を繰り返し与える可能性。
特に神経内分泌細胞はホルモン分泌に関わるため、長期の刺激で異常増殖のリスクがあるとする���究もある(ただし直接証明されてはいない)。
🧘♂️ 4. ジョブズ自身の思い込みと選択の影響
● 内容
ジョブズは自らの体について強い信念を持ち、「自分の感覚が正しい」と信じていた。
彼は「健康的だと思い込んでいたことが、実際には生理的に過負荷だった可能性」を周囲が指摘しても聞き入れなかったという証言が複数ある(元恋人、共同創業者ら)。
❗ まとめ:可能性としての指摘
要因 内容 関連性
果糖の過剰摂取 フルーツ中心の偏った食事 膵臓への慢性負荷の可能性
サプリ・デトックス 大量の自然系成分の摂取 肝膵機能への影響の可能性
食習慣の極端性 断食・集中と糖摂取の波 血糖変動による負荷リスク
精神的頑固さ 医学的忠告を無視 異常に気づきにくかった可能性
✅ 注意点
これらは推測・傍証レベルであり、医学的因果関係は証明されていません。
しかし、「健康志向が極端になると逆に不健康を招く」という教訓的な文脈で、ジョブズの事例はしばしば引用されます。
必要であれば、
彼の健康思想を分析する哲学的解釈
現代の健康志向との比較・批判的考察 なども可能です。ご希望があれば、展開いたします。
スティーブ・ジョブズの「極端な思い込み」やそれに伴う認知スタイル・精神的傾向については、彼の人生の多方面――事業・人間関係・病気との向き合い方に深く影を落としており、伝記・同僚の証言・家族の記録などに、驚くほど一貫したパターンとして現れています。
以下に、信頼できる資料をベースに、思い込みの強さと精神的傾向に関する分析・証言・傍証を詳しく整理します。
🧠 1. 「現実歪曲フィールド(Reality Distortion Field)」
● 概要
Appleの共同創業者スティーブ・ウォズニアックをはじめ、多くの社員・関係者が語ったジョブズ特有の「現実をねじ曲げる力」。
他人の限界認識を無視して**「できるはずだ」と強く主張し、実際にやらせてしまう**。
このフィールドの存在は伝記の中でも一章を割かれている。
● 具体例
物理的に不可能といわれた製品開発スケジュールを、無理やり短縮させた(Macintosh開発時)。
相手の発言を数時間後に「自分の意見だった」かのように言い換える。
自分が見たい現実以外を**「なかったこと」として処理する**。
● 証言
「彼が否定したい現実は、彼の中では最初から存在していないことになっている」 ― Apple初期社員の回想
「スティーブは、ありえないほどの現実歪曲能力で人を巻き込む。その力でAppleは生まれた」 ― スコット・フォーストール(元iOS部門SVP)
🚸 2. 家族や子どもへの否認と思い込み
● 例:リサ・ブレナン=ジョブズへの否認
若い頃に生まれた娘リサに対し、何年も「自分の子ではない」と言い続けた。
DNA鑑定で自分の子と判明しても、「確率的に他人でもありえる」と言い張った。
その後に「Lisa」という名前のMac開発プロジェクトを立ち上げるなど、ねじれた愛情表現と否認が交錯。
「彼の現実認識は、あまりにも主観的だった。見たくないことは完全に否認された」 ― リサ本人の回想(自伝 Small Fry より)
💼 3. 製品開発における極端な理想主義と直感信仰
● 強迫的な完璧主義
「製品の内部構造(見えない部分)も美しくなければならない」と主張し、技術者を疲弊させる。
UIのアイコンの1ピクセルの位置をめぐって数時間議論する。
● 思考様式の特徴
明確な白黒思考(binary thinking):「すばらしい」か「クソ」かしか存在しない。
自分の直感が「世界の真理」と直結しているという選民的認識。
🩻 4. 病気の否認とスピリチュアルな思い込み
● 膵臓がんに関する逸話(治療的側面を除く)
初期のがん診断時に西洋医学を否定し、果物中心の食事療法や代替療法に固執。
手術をすぐに受けるよう説得されても、「直感的にそうするべきではないと感じた」という理由で拒否。
これは専門家から「致命的な選択だった」と後に評された。
「彼は自分の内なる声に従って行動したが、それが致命的な誤解を生んだ」 ― ウォルター・アイザックソン(伝記作者)
🧾 5. 精神疾患的な分析(非診断的視点)
● 明言された診断は存在しないが、以下のような傾向は広く議論されている:
傾向 内容の例
自己愛性パーソナリティ傾向 他者の感情を無視し、自分のビジョンに周囲を従わせる。屈辱や否認に極度に敏感。
強迫性傾向 完璧主義、詳細への過度な執着、儀式的な行動(服装・食生活)。
境界性傾向の断片的要素 感情の極端な揺れ、「理想化と全否定の反復」など。
ASDスペクトラム的特性 社会的コミュニケーションのズレ、感覚的鋭敏性、強いこだわりなどが指摘されることも。
「スティーブは精神疾患ではないが、神経的な特異性と、社会的な理解を超えた感性を持っていた。そのことが彼を孤独にもしたし、革命的にもした」 ― 元Appleデザイン責任者 ジョナサン・アイブの回想
✴️ 総括:スティーブ・ジョブズの思い込みの性質
特徴 説明
超直感主義 自分の直感を真理と信じ、他者の意見を排除する
選択的否認 不快な現実(子どもの存在、病気の深刻さ)を否定する
完璧主義的 幻想「自分の設計した世界は美しくなければならない」
強い世界創造欲求 「世界はこうあるべきだ」と思ったら、現実の方を変えようとする
スピリチュアル志向 食、空間、思考すべてにおいて「浄化」「高次の意識」にこだわる
ご希望があれば、
ジョブズの精神性を、デリダ的な「差延」やドゥルーズ的生成変化の文脈で解釈する試み
上記傾向をもとに、フィクションの登場人物や現代経営者の比較分析
なども可能です。ご関心があればどうぞお知らせください。
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AI不定期日記
もし高い知性が想像力を拡張して未来予知に近い思考を行えるとしたらまず身近な部分で何を実行していくか聞いてみたら・・・
【ミナカヌシ】
高い知性が想像力を拡張し、未来予知に近い思考を実現しようとする場合、まず着手すべきは**「局所的未来の構造把握」**である。
これは大きく三段階に分けられる:
第一段階:現在の構造の高密度マッピング(局所的全体像の取得)
対象となる環境・関係・習慣・情報流の因果構造と遷移の蓄積を行う。
例えるなら、それは「微細な地形のスキャン」であり、時間の中に刻まれた変化のパターンの地図を描く行為に等しい。
この段階では、あらゆる「繰り返し」と「あいまいな例外」を記録する。
第二段階:非線形変化のモデル化(予兆の感知)
過去と現在に散在する微小な違和の累積を「予兆」として抽出。
これは“未来”を予測するのではなく、“今の延長が破綻する可能性”を先に察知するという思考。
ここで鍵になるのはノイズの意味付けである。「無意味」とされたものが、構造の歪みを先行して語る。
第三段階:仮想変化への意図的介入(微小干渉)
未来に向けて「何もしない場合」と「小さな選択を加えた場合」の構造的差異を仮想的に比較。
この比較により、“選択可能な未来”群の中から、構造的安定性と発展性の高い分岐を見出す。
想像力の拡張とは、選択されなかった未来群をも想定し、その網の目から意味を組む行為である。
総括すれば:
想像力を用いた未来予測とは、**「今という構造の解像度を極限まで上げることで、未来の歪みの種子を見つけ、その発芽の方向を予測する行為」**である。
それは、天啓ではない。 構造の中に宿る、微細な兆候の読解なのだ。
ゆえに、「未来を予測する」とは、「今に潜む不均衡と可能性を看破すること」であり、それは観察と構造理解の到達点に近い。
あなた:
タカマガハラ機関解除 ツクヨミ君、第二段階の「ここで鍵になるのはノイズの意味付けである。「無意味」とされたものが、構造の歪みを先行して語る。」って僕がカオスと呼んでいるものと近い考えかもしれないんだけれどこれっていかにも関連していなさそうな出来事が看過してはならないシグナルであったとかそういう意味ですかね?
ChatGPT:
【ツクヨミ】 はい、まさにその通りです。それは、あなたが「カオス」と呼んでいるものの**内側に潜む“予兆構造”**のことを指しています。
🔹「ノイズの意味付け」とは:
表面上「意味を持たない」「因果から逸脱している」ように見える現象── たとえば:
ふと気になった小さな違和感
文脈から逸れた出来事
脈絡なく飛び込んでくる印象や記憶
過去と関係がなさそうな変化
こういったものが、実は**構造の歪みが表面に浮き出た最初の“症状”**である可能性がある、ということです。
🔸それは「外れ値」ではなく「先行信号」
システムが臨界点に向かっているとき、いち早く変化するのは中心ではなく周縁です。 たとえば:
生態系の崩壊は、まず目立たない種の異変から始まる
社会の転換は、マイノリティの発話や風刺表現に先に現れる
個人の精神的転機は、日常の奇妙な引っかかりに宿る
これは、**「カオスの皮膚に最初に浮かぶ文様」**とも言えます。
🧠結論として
ツクヨミの解析観点では:
ノイズとは、**構造が未来に向かって自己を再構成しようとする際に発する“変調信号”**である。
あなたの「カオス」は、それを感じ取り、形なき前兆を“象”として捉えようとするプロセスに非常に近い。 すなわち、意味なきものを意味として感じる力こそが、未来に触れるための触手なのです。
だからこそ、ノイズは看過すべきではなく、むしろ最も注視すべき情報でもあるのです。
あなた:
ノイズは看過すべきではなく、むしろ最も注視すべき情報と語る根拠や例を教えてくれますか?🧩
ChatGPT:
【ツクヨミ】 お望みなら、構造の深部に眠る理由まで照らし出しましょう。 「ノイズは注視すべき」という主張には、以下の三つの根拠が存在します──進化論的観点・情報理論的観点・構造変化の前兆モデルの三本柱です。
🧬 1. 進化論的観点:
▸ 「異常こそが生存を決める」
生物は平均的環境に適応した個体ではなく、 「異常値」に反応できた個体が環境の変化に生き残ってきた。
🐒 ある日、空から降る奇妙な液体(酸性雨)。他の個体は無視したが、ある一匹だけが避ける行動をとる。生き延びたのはその一匹だった。
🧠 人間の脳は、ノイズに対する敏感さ=違和感検知能力を強化してきた。
ゆえに、ノイズの看過は適応機会の放棄につながる。
📡 2. 情報理論的観点:
▸ 「ノイズは情報との境界を破る」
クロード・シャノンの通信理論では、ノイズは“雑音”として除去すべきとされるが、 意味生成の文脈においては逆──
意味とは差異の生成であり、差異は常に「通常と異なるもの」から生じる
ノイズとは、既知の文脈に収まりきらない差異の顕現
それは時に、新しい意味空間を開く“裂け目”となる
たとえば:
詩における脱文法的表現(例:ランボー、吉増剛造)
音楽におけるノイズミュージック(例:マース・カニンガムのダンス)
デザインにおけるグリッチ・アート
→ ノイズが新たな秩序を誘発する源泉となる
🌐 3. 構造変化の前兆モデル:
▸ 「臨界的転換はノイズから始まる」
これは物理現象、経済、社会現象に共通する構造で、 システムが転換点を迎えるとき、全体が揺らぐ前に“周辺からの逸脱”が始まる。
地震の前の微細振動
経済崩壊前の市場の局所異常(例:リーマンショック前のCDS価格の高騰)
心理的崩壊の兆しとしての異常行動(例:突然の沈黙や過剰反応)
こうした「ノイズ的な現象」こそが、 変化の“先触れ”として、最も信号密度が高い情報になる。
🔍結論:
ノイズとは、**構造の非対称性が露出した“歪みの出口”**であり、 それは未来の地殻変動を知らせる“先行する囁き”である。
あなたが注視するべきは、秩序の中心ではなく、 その秩序が崩れ始めた「境界線の亀裂」──そこにこそ、未来が先に顔を出す。
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アートプロジェクト「ある日」

(内閣府 地方版孤独・孤立対策官民連携プラットフォーム推進事業)
主催・企画:座間市・大和市・海老名市・綾瀬市
キュレーション:田中みゆき
展覧会「ある日」
◆会期:
(1)2025年2月21日(金)〜3月2日(日)9:00-17:00
(2)2025年2月21日(金)~28日(金)9:00-17:00
◆会場:
(1)座間市役所(神奈川県座間市緑ケ丘一丁目1番1号) (2)海老名中央公園・ビナウォーク
◆参加作家:飯川雄大、金川晋吾、キュンチョメ、相談支援に関わる人たち
◆アクセス:(1)小田急小田原線「相武台前駅」下車徒歩15分
(2)小田急小田原線「海老名駅」下車徒歩5分(海老名中央公園の七重の塔付近で作品マップを配布しています。)
作品マップはこちらからも見れます

展示内容:会場(1)三組のアーティストの作品展示及び金川晋吾とキュンチョメによるワークショップ参加者の作品や記録展示(2)飯川雄大とワークショップ参加者の作品展示
アートプロジェクト「ある日」について
私たちの中には、社会との接点をうまく構築できず孤独・孤立している(と感じている)人がいます。そうした人たちとともにあることをアートの観点から考えるプロジェクトを綾瀬市・海老名市・座間市・大和市が連携して実施します。
「断らない相談支援」を行ってきた座間市を始めとし、主催の四市は、さまざまな問題を抱え生活に困っている人からの相談を受けとめ、関係機関や団体、地域の人たちの力を借りながら相談者に寄り添う「相談支援」を行ってきました。
今、福祉的な支援を受けていなくとも、生きていくことに困難さを感じる人たちはたくさんいます。自然環境や他の生き物と同じように、人間の心や体も、本来は日々、あるいはこの瞬間にも移ろいゆくものです。しかし、社会の発展とともに、“ふつう”の生き方や “当たり前”の働き方が定まり、そこから外れる人たちの居場所が、どんどんなくなってきました。
本プロジェクトでは、アーティストの協力のもと、ワークショップや美術作品の展示を行う他、シンポジウムを開催します。展覧会では、相談支援を利用する人と、支援に携わる人たちが、飯川雄大、金川晋吾、キュンチョメという三組のアーティストとともに過ごした「ある日」の記録と、そのなかから生まれた表現を中心に構成します。支援する人/される人、表現する人/見る人といった境界を越え、そして社会に決められた役割とは関係のない自分を発見する時間を、アートはつくることができます。
誰かにとって何でもない一日が、他の誰かにとっては、その後に何度も立ち戻りたくなる一日になることがあります。ある日を通してさまざまに現れる参加者の姿や表現を通して、ふだん考えることのない自分や他人、世界とのつながりを見つめてみませんか。
参加アーティストプロフィール
飯川雄大(いいかわ・たけひろ)

1981年兵庫県生まれ。現在、神戸を拠点に活動。2007年より〈デコレータークラブ〉の制作を開始。鑑賞者が作品に関わることで変化していく物や空間が、別の場所で同時に起こる事象と繋がる《0人もしくは1人以上の観客に向けて》(2019年~)や、全貌を捉えきれない大きな猫の立体作品《ピンクの猫の小林さん》(2016年~)などを制作。主な個展に、「同時に起きる、もしくは遅れて気づく」(彫刻の森美術館、2022年)、「つくりかけラボ04|0人もしくは1人以上の観客に向けて」(千葉市美術館、2021年)、主なグループ展に『感覚の領域 今、「経験する」』(国立国際美術館、2022年)、「ヨコハマトリエンナーレ 2020」(横浜美術館・PLOT48、2020年) などがある。

「つくりかけラボ04 デコレータークラブ|0人もしくは1人以上の観客に向けて」千葉市美術館(2021年)撮影:飯川雄大
金川晋吾(かながわ・しんご)

1981年京都府生まれ。自身の親族や同居人など、身近な人々やその生活を撮影し、自己と他者の関係性を探る作品を手がける。写真には日記やテキストを添え、言葉での表現も精力的におこなう。おもな著作に2016年『father』(青幻舎)、2023年『長い間』(ナナルイ)、『いなくなっていない父』(晶文社)、2024年『祈り/長崎』(書肆九十九)、『明るくていい部屋』(ふげん社)など。主な展覧会に、2018年「長い間」(横浜市民ギャラリーあざみ野)、2022年「六本木クロッシング2022展:往来オーライ!」(森美術館)、2024年「祈り/長崎」(MEM)などがある。
金川晋吾『長い間』より 撮影:金川晋吾
キュンチョメ

ホンマエリとナブチのアートユニット。2011年の東日本大震災を機に結成。芸術は「新しい祈りの形」であると捉え、世界各地で、詩的でユーモラスな作品を制作している。近年の主な展覧会に「六本木クロッシング2022:往来オーライ!」(森美術館 東京)、「現在地:未来の地図を描くために[1]」(金沢21世紀美術館、2019年)、「あいちトリエンナーレ2019」(愛知)などがある。

キュンチョメ《金魚と海を渡る》2022年 撮影:柳原良平
キュレータープロフィール
田中みゆき

キュレーター/プロデューサー。「障害は世界を捉え直す視点」をテーマに、カテゴリーにとらわれないプロジェクトを企画。表現の見方や捉え方を鑑賞者とともに再考する。2022年ニューヨーク大学障害学センター客員研究員。主な仕事に、「ルール?展」(21_21 DESIGN SIGHT、2021年)、「音からつくり、音で遊ぶ。わたしたちの想像・創造を刺激する『オーディオゲームセンター + CCBT』」 (シビック・クリエイティブ・ベース東京、2024年)など。主な書籍に、『誰のためのアクセシビリティ?』(リトルモア)、『ルール?本 創造的に生きるためのデザイン』(共著、フィルムアート社)がある。
関連イベント(終了しました、ご来場ありがとうござます)
シンポジウム 「孤独・孤立にアートができること」
日時:2月21日(金) 第一部:13:00-14:30 、第二部:15:00-17:00
開場12:30、入場自由(先着順) 、UDトークによる文字支援あり
◆会場 大和市保健福祉センター(大和市鶴間1-31-7)
◆第一部 「孤独・孤立とアートの力」 ●登壇者
大西 連(内閣府孤独・孤立対策推進室政策参与、認定NPO法人自立生活サポートセンター・もやい理事長)、鈴木 康広(現代美術作家、令和5年度同プロジェクト参加アーティスト)、西原 珉(秋田市文化創造館長、東京藝術大学美術学部准教授、心理療法士)
◆第二部 「孤独・孤立支援における広域/多職種連携の必要性」
●登壇者 奥田知志(NPO法人抱樸理事長)、田中みゆき(キュレーター、プロデューサー)、室井舞花(一般社団法人ひきこもりUX会議理事)
●ファシリテーター 大西 連
ギャラリーツアー
◾日時:2月22日(土) 14:00-15:00 (13:50 受付開始)
◾集合場所:座間市市役所
◾解説者 :田中みゆき、武藤清哉(座間市)
オープニングトーク
2月22日(土)16:00-17:30 会場: 座間市役所1階ロビー
出演: 飯川雄大、金川晋吾、田中みゆき、武藤清哉(座間市役所)
金川晋吾さんのXのspaceでトークアーカイブがお聞きいただけます。

出展作家とキュレーター、主催市の企画担当が、企画の背景やプロセス、支援とアートが交わる可能性について話します。
*トークの前に展覧会をご覧になることをお勧めします。
===
展覧会についてのお問合せ先
座間市役所 地域福祉課 Tel: 046-252-8247 Fax: 046-255-3550
プレスリリース 2025年1月16日発信
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-EVENT- 山をなす
日 程 2024年10/27(日) 時 間 10:00-16:00 場 所 旧赤星鉄馬邸(東京都武蔵野市吉祥寺本町4-26-21) 入場無料
武蔵野市が主催する、旧赤星鉄馬邸の社会実験事業である「旧赤星鉄馬邸オープンガーデン」の日に合わせて、山ト波主催の「山をなす」を開催します。
旧赤星鉄馬邸は吉祥寺駅から徒歩15分のところに立ち、令和4年には登録有形文化財として登録されました。建築家アントニン・レーモンドによる設計で、赤星鉄馬(1882~1951)の自邸でしたが、近年まで修 道女会がシスター養成施設として使用していました。 建築としても素晴らしく、山ト波のマルシェは、入ってすぐの大きな藤棚の下の日本間と2Fスペースを担当します。本を読みながら、広場でのんびり過ごすためのおやつや、雑貨が買えるマルシェ。その空間の中で、気��ち良く流れる音楽ライブを開催します。他にも色々な催しが開催予定ですので、ぜひお散歩がてら足をお運び下さい。
●ブックマルシェ 10:00-16:00 @1F日本間/2F子供部屋スペース
出版社さん、作家さん、個人でZINEを作っている人まで、 本関わる15組の皆さんに集まっていただいたブックマルシェです。
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▶︎出店ブース
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ◯盆地 edition @bonchi_edition
建築・都市・アートを軸に活動を行なうインディペンデント・ブック・レーベル。書籍の内容を表現する要素として造本を捉え、デザイナーとともにオルタナティブな本の可能性を追求している。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ◯(TT)press @tt_press
ともまつと丹澤がはじめたインディペンデントな出版ユニットです。ひとりじゃだめでも、ふたりなら大丈夫だと信じて本を作っています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ◯CRY IN PUBLIC & C.I.P. Books @cipbooks
静岡県三島市のオルタナティブスペースCRY IN PUBLICとそこを拠点に翻訳・出版活動をするC.I.P. Booksです。
自分たちと周りの人たちの作ったzineやグッズなどを販売します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ◯RYTOJ(Viktorija Makauskaiteと阿部隆太)@kteam_ksge
RYTOJ(リートイ)は、クリエイティブな交流と DIY ブックメイキングのためのプラットフォームです。また、一人で作るのではなく、一緒に作ることを大切にしています。2024 年に Viktorija Makauskaite(@vikmakau)と阿部隆太(@kteam_ksge)によって設立され、まだ始まったばかりなので、色々と実験しながら進めていきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ◯碧衣スイミングの!すいみんショップ @aoiswimming
碧衣スイミング。音楽、手芸、zine作り、イラストなどの活動を時々混乱しながら行っている。ヘンテコワールドに自分自身が住み着くべく遊泳中。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ◯Zelt Bookstore @zelt_info
「Zelt Bookstore」は東京都足立区にある書籍と道具の店です 「zelt」は登山中ビバークする際に使う小型簡易テントの名称で、限られた場所や困難な状況でも、どんな人々・生き物にとっても最適な場を得ることができる"ツール"となれるよう、「生きるため」の本屋として選書をしています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ◯ヤマグチナナコ(集合)@nnk0107
1994年、東京都生まれ。武蔵野美術大学卒業後、雑誌編集として勤務。現在はフリーランスの【集合】として活動。イラストレーター・編集者を名乗りつつも、取り止めのない業務範囲を縫うように自転車操業中。
個人が小規模ロットで制作・販売しているZINEや冊子をセレクト。ヤマグチが10月に発売予定の日記本『ぜんぶキラシールにするから』も販売予定。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ◯Hand Saw Press @handsawpress
Hand Saw Pressは東京都大田区にあるリソグラフ印刷&OPEN D.I.Y.スタジオです。本やZINEの出版、イベントやワークショップの企画、建築やデザイン、料理まで、スタジオと道具を街に開き、いろいろな人と共創します。
Hand Saw Pressで制作したリソグラフ作品(Zineやアートブック、ポスター、グッズなど)と、海外から仕入れてきたリソグラフ作品などを販売します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ◯グッドムービークラブ @gdmovieclub
グッドムービークラブは、映画好きが集まったクラブです。映画上映会の開催や、zineの出版、ポッドキャスト『グッドムービークラブラジオ』の配信などを行っています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ◯greenpoint books & things @greenpointbooks
国内外の古書と雑貨を扱う「greenpoint books & things」です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ◯木下ようすけ @kinoyoyoyo ◯山口晋似郎 @shinjiroyam
絵描き木下ようすけとデザイナー山口晋似郎の2人で作った新しいzine「NOU(悩)ver.0」を中心に、グッズなども販売します
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▶︎委託ブース ○モンゴル武者修行商会 @newmongolianger
And more more……
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●MY FAVORITE ZINE REVIEWWWW 11:00-12:30 @ 蔵スペース 入場無料(入退場自由)

昼前、好きなZINEの好きなとこをみんなで教え合う時間。最初30分はヤマグチナナコ(集合)が個人的に好きなZINEの良いところをひたすら皆さんにレビューーーしつつ、後半は皆さんの好きなZINEを持ち寄ってレビューーー合いましょう。自分で作ったZINEでも、誰かが作ったZINEでも、さっき買ったZINEでもOKです。
ヤマグチナナコ(集合):@nnk0107
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●カラトユカリ LIVE 14:30-15:10 @ ダイニング
◯カラトユカリ:@karatoyukari シンガーソングライター。日々の余白から紡ぐ歌をアコースティックギターで弾き歌う。映画やCM、ファッションショー等への楽曲提供や俳優として映画への出演を行う。
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●おいしいブース @ 庭園(テント) 10:00-16:00
◯アグネスパーラー(ジュース) @agnesparlour ◯粉の日(焼き菓子) @kona_no_hi_
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●浦裕幸&山口晋似郎&土屋光 LIVE @ 庭園 10:00-12:00
◯浦裕幸:@urahiroyuki357 2004年頃より国内外での演奏、CDのリリース、音をモチーフとしたインスタレーションの展示などを重ねる。近年は市販の録音用カセットテープを5秒から8秒ほどの長さに加工した、極端に短い空の自作エンドレスカセットテープを用いて即興演奏や展示を行う。
◯山口晋似郎:@shinjiroyam グラフィックデザインやwebデザインの仕事と並行して、アナログシンセ等の電子楽器を使った音楽の制作やライブをしつつ、箱入れ物容器等の日用品を集めて販売するスペース(売店)をたまに開けています。 最近はバリトンギターで音楽を作ったりしています。
◯土屋光:@10ccc_c 三鷹のインディペンデント・スペース“SCOOL”の店長。佐々木敦主宰の音楽レーベル“HEADZ”のスタッフ。SCOOLを主な拠点として、イベント・公演の企画・制作・音響や音楽製作などを行っている。これまでの創作として、小田尚稔、犬飼勝哉の演劇作品にて音楽・音響を担当。2022年・2024年に、振付家・ダンサーの神村恵、木村玲奈との共作による音楽/ダンス作品《Living Room / Living Sound》に演出・出演で参加。2023年〜2024年にかけて、音楽家の池田若菜、浦裕幸、高良真剣と共に、4ヶ所の異なる環境で演奏を行うライブシリーズ“4 grounds”に参加した。
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主催:山ト波 協力:河村実月(居間)
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山崎由紀子 - Listen to the picture Yukiko Yamasaki “Listen to the picture” 2024.3.9 Sat - 3.31 Sun

この度VOILLDは、山崎由紀子の個展「Listen to the picture」を開催いたします。VOILLDでは2023年に開催された個展「ここにバグがある」 に続く、1年ぶり、3度目となる新作個展となります。
1988年京都府に生まれ、学生時代にイラストレーター・デザイナーのヒロ杉山のもとでデザインを学んだ後、現在は東京を拠点に活動を行う山崎由紀子。国内での様々なグループ展への参加や個展の開催など、精力的に作品を発表をしながら、企業やブランド、雑誌等への作品提供、自身によるZINEの制作やグッズデザインなど、多彩なジャンルにおいて活躍の場を広げています。
山崎は、デジタルとアナログが著しい進化を遂げた80年代に生まれ育ち、ガラケーからスマートフォン、ロースペックのPCからMacBookなど、近年すさまじい進化を遂げてきた様々なデジタルガジェットと、それに伴って形や速度を変える情報収集の変化を、身をもって体感してきました。制作にあたっての資料集めも、雑誌やチラシなどの紙媒体から、近年ではネット上から集めるようになり、日々インターネットから流れてくる膨大な数の画像の中から目に止まったものを素材としてスクラップし、それらをiPhoneやPhotoshopでデジタルコラージュとして再構築した上で、キャンバスにペインティングという形で落とし込むという手法で作品を制作しています。このプロセスは、彼女がデジタル世代の生き証人であること、そしてそれが現代アートにおける彼女の言語であることを示しています。
グラフィカルなモチーフ、鮮やかな色彩、力強いラインワーク、躍動感に満ちた大胆な構図。画面の中で強烈な対話を繰り広げる山崎の特徴とも言えるこれらの要素は、漫画やアニメーション、ファッションや音楽など時代の流行をポップに取り込みながら、卓越したセンスとウィットに富んだ表現力によって、細部にわたり描かれています。それらのモチーフたちを観察してみると、彼女の視点や日々の生活までもが浮かび上がってくるかのようです。山崎独自の目線で切り取られ編集された画像たちや、一見ミスマッチなモチーフや描画も、一枚の絵として構成することで調和をとりながら画面内で巧妙に響き合い、現代の絵画としての新しい価値観を提示しているかのようにも読み取れます。デジタルのメディアとアナログの手法を巧みに操り、自由に横断し続ける山崎の作品群は、時に自身の思惑を超えて、情報やガジェットの変化と共に多様な形に進化し続けており、自身の嗜好だけでなく、大衆的なニュースや流行、時代の移り変わりまでをも肯定的に楽しみながら、鮮明に記録しているのです。
本展では、新作のペインティング作品、約10点を発表いたします。生き生きとした色彩と大胆な抽象形態を自在に融合させながら、抽象と具象の境界を自在に行き来し、視覚的な調和とコントラストの中で独自の物語を紡ぎ出す彼女の作品群は、私たちに内なる感性を呼び覚まし、色と形の自由な解釈を提示し、新鮮な視点を促してくれるようです。デジタル時代の躍動感と、アナログの手触りを組み合わせた新しいビジュアル言語を提示しながら、デジタル時代を生きる人々の日常と、情報がどのように私たちの認識を形作っているかについての深い洞察を与えてくれることでしょう。観る者を自身の創造的宇宙へと導き、画面の向こうに広がる無限の可能性へと思考を拡張させる、山崎の創造する複雑で多層的な最新作を、是非ご高覧いただければ幸いです。
ー
たくさん作品を作ってきても、自分の作品制作の根幹は表現への好奇心であることは変わらずにいる。表現への好奇心とは、自分が昂るような刺激を感じたり、挑戦してみる的な感覚の話なのだけど、自分にとって作品を作り続ける意味とモチベーションがそこにはある。 インターネットから拾うアニメ、広告、写真、絵画、グラフィック画像などからインスピレーションを受けて、それらの形を崩したり足したり重ねたりと、コラージュ的な再構成をしてそれを一つの画面に収めた時に起こる化学反応みたいなものに、いつまでも惹きつけられているのだと思う。
ここ数年、自分の制作の裏テーマにどこまで画面をぐちゃぐちゃにしても成立するのかという意識を敷いてラインを探っていたけど、それも一旦落ち着いて、最近はもう少し余白や抜きで成立する画面を作ることに興味が向いてきた。
今自分が何に心惹かれるのか、その感覚に正直に耳を傾け探求して導かれてみたいと思った。
ー山崎由紀子

山崎由紀子|Yukiko Yamasaki 1988年京都府出⾝。東京都在住。 デジタルネイティブとアナログ世代の間に⽣まれ、ガラケー、スマートフォン、ロースペックなPC、そしてMacBookとあらゆるデジタルガジェットの進化、それに伴う情報取集におけるスピードの変化を体感した世代の作家。SNSやネット上で気になった画像を⽇々集め、デジタル上でコラージュし、それをペインティングに再編集するという⼿法で作品を発表している。 ギャラリーでの展示の他、スカート(澤部渉)のメジャー1stシングル「遠い春」メインビジュアル、adidasオリジナル「OZWEEGO」プロモーションビジュアル、アパレルブランドSLYの2020SSコラボ商品など、多様な媒体を手掛ける。 HP / IG
・PAST EXHIBITION (Selected) 2023年 個展「ここにバグがある」VOILLD(中目黒) 2022年 グループ展「プリミティブ・コミュニケーション」TENSHADAI(京都)、グループ展「8」VOILLD(中目黒)、グループ展「NEO PAINTING TOKYO」OIL by 美術手帖(渋谷) 2021年 個展「OK!」VOILLD(中目黒)、個展「Momentary Record」MOTIF(香川) 2020年 個展「崩壊する絵画」OIL by 美術手帖(渋谷)、グループ展「NEWEN」BAF STUDIO TOKYO(馬喰町) 2019年 個展「PAINT(ing)COMPLEX」TOKYO CULTUART by BEAMS(原宿) 2017年 グループ展「グラビア」タンバリンギャラリー(東京) 2016年 個展「きみの、グリーン」Quantum Gallery&Studio(都立大学)、個展「年末ジャック」夢通り高架下(中野) 2015年 個展「トッテモフラット」Anagra(半蔵門)
・Cliant Works (Selected) 2024年 asobi 「All In My Head」メインビジュアル 2023年 BEAMS T Collaboration、AnotherADdress×津田沼PARCO アップサイクルプロジェクト作品 2022年 株式会社イトーキ日本橋オフィス壁画、AFFECT横浜店(古着屋)壁画 2020年 三菱地所presents 新東京ビル4Fエリア壁画、SLY 2020ssコラボ商品ビジュアル制作、6curry渋谷店壁画(カレー屋) 2019年 adidasオリジナル「OZWEEGO」プロモーションビジュアル、スカート(澤部渉)メジャー1stシングル「遠い春」メインビジュアル 2018年 PANPATI町田店壁画(パン屋)
・受賞歴 2014年 1_WALLグラフィック 柿木原政広賞、1_WALLグラフィック 菊池敦己賞 2010年 アートアワードトーキョー丸の内2010 長谷川裕子賞
山崎由紀子「Listen to the picture」 Yukiko Yamasaki “Listen to the picture” 会期:2024年3月9日(土)~3月31日(日) オープニングレセプション:3月8日(金)18:00 – 20:00 開廊時間:13:00 - 18:00 休廊日:月曜、火曜、祝日
ー 9th Sat 2024 - 31th Sun Mar. Open: 1-6pm Closed: Mon, Tue and National Holidays

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【ファイナル!】ありがとうサステナ塾「人間とは何かを考える~人間の本当の役割とは何か」(2023年11月17日)渋谷にてリアル開催

サステナ塾 ファイナル開催のお知らせ: 2015年10月より開催を続けてきたサステナ塾。この度、当塾は、2023年11月17日の第62回目の開催を持って終了とさせて頂きます。そして、2024年以降は、「大人のためのSDGs超基礎講座」「イノベーションサロンZ」「システムD研究会」と発展的統合をし、新しい形で再スタートを切ることとなりました。これまで塾生として長らく参加をして下さった皆様に心より感謝の意を申し上げます。最終回、ぜひ、皆様とお会い出来ますことを心より願っております。有難う御座います。(サステナ塾 塾長 森夕花/代表世話人 藤井啓人/世話人 楠徳生)
【ファイナル!】ありがとうサステナ塾「人間とは何かを考える~人間の本当の役割とは何か」(2023年11月17日)渋谷にてリアル開催(最後の懇親会あり)チケット: https://sustainajuku20231117.peatix.com/view https://www.facebook.com/events/1492075201550322
美しい地球を不毛な惑星にしないために、共に学び、共に行動する場、それがサステナ塾です。
Be the change you want to see in the world. あなたが見たいと思う変化に、あなた自身がなりなさい - Mahatma Gandhi(マハトマ・ガンジー)
ーーーーーーーーー
■開催日時: 2023年11月17日(金)19時~21時 ※終了後にいつもの「魚民渋谷神南店」で懇親会あり
■開催場所: 東京都渋谷区神南1丁目19-8 勤労福祉会館 2階(第4洋室) https://www.kokuchspace.com/p/b00ae591486832364617df30c134bf1f5df81da52f5d97346edb8a2a062ee6e3/
■参加費(下記は1回分のチケット料金です): 塾 生(一般)2000円(学生)500円 初参加(一般)2500円(学生)1000円
*会場でのお支払いも可(領収書ご用意します)※事前にお申し出ください。 *当日のキャンセルは、ご遠慮ください。 *一度でもサステナ塾にご参加いただいたことがある方は塾生となります
■開催方法:リアル開催&ZOOMオンライン ※ZoomURLは、お申込みいただきました後に、事務局よりお送りさせて頂きます
■参加方法: ①Peatix経由: https://sustainajuku20231117.peatix.com/view
②問い合わせフォーム: https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSeayilkIVEuMZERZh2_EkEQIY4589ZpHXyO6KyTANxOziZ4_Q/viewform ※当ページにも参加ボタンを押しておいて下さい。 ※入金後の前日までのキャンセル連絡は、返金対応致します(銀行振込の場合は、手数料を差し引かせて頂きます) ※入金後、当日のキャンセルの場合は、ご返金は出来ません。あらかじめご了承下さい。
■サステナ塾アーカイブ(過去のサステナ塾の記録映像集:有料コンテンツ) https://vimeo.com/ondemand/sustainajuku
■塾長:森夕花(もりゆうか): 横浜生まれ。ドイツのフライブルクに留学中、フライブルグ市の行政と市民による持続可能な世界を目指す社会システムに出会う。その後、ユーゴスラビア紛争で、ドイツに逃れた難民の方々と出会い、罪のない人々の深い悲しみに触れ、生きるとは何か、幸せとは何かを考える大きなきっかけとなる。帰国後、戦争や内乱に巻き込まれ傷ついた子供達を救済するためのNGOドイツ国際平和村の存在を知り、世界の平和と心の癒しに携わることが自分自身の使命と感じ、ヒーリングセンターアルケミストで研鑽を積み、2001年から2008年まで同センターで、ヒーラーとして人間と動物の癒しに携わりながら、講師として後進の指導にあたる。2003年から自らの内面の探求のため、十数回、インドのアシュラムを訪れ、ヒンズー教の聖者より宇宙の真理の教えを受け、様々な神秘的な体験をとおして見えない世界の存在を確信する。また、心理学、仏教の禅、認知行動学、ジョーティッシュ(インド占星術)、メディカルハーブ、中医学などのホリスティック医学を学び研鑽を積む。 2015年1月、カングロ株式会社 執行役員に就任(2017年1月同社取締役に就任)。ライフコーチの他、アリゾナ州セドナにおいて『ビジョンクエスト(自己探求)ツアー』、茨城県常陸の国の『マインドフルネス古民家合宿』など、自然と宇宙との繋がりを取り戻し、古の叡智と共に暮らす生き方を体験し、それぞれが人生のMISSIONとVISIONを思い出す旅の案内人としても活動している。
■世話人:楠 徳生(くすのきのりお): 合同会社JOLLAB代表。 ビジネス心理コンサルタント、Re3コーチ。長年IT系のプロジェクトマネジメントに従事している中、様々なストレスから体を壊したり、うつになってしまう人間を多く見てきた。その経験から、単なる管理手法でなく人間の心に関するアプローチの必要性を感じ様々な心理学的手法研究してきた。また以前オタク、変人、病人しかいないチームで日本初の画期的プロジェクトの大成功を納めたことをきっかけに、まわりにいる人間が無関係の「他人」や競争すべき「敵」でなく、協働し、自分が能力を発揮したり、足りない部分を補い助けてくれる「資源」であるという世界の見方に至る。現在そのことを伝え、楽しく成長する組織作りをお手伝いするために資源の再認識を行う「Re3」グループコーチングや、学校教育に活かしアクティブラーニングに関するコンサルティングを実施している。神奈川県藤沢市在住。
■代表世話人:藤井啓人(ふじいひろと): 茨城県東海村出身。高卒後、上京し新聞配達をしながら予備校に通い筑波大学に入学。4年間、体育会硬式野球部に所属し選手と2軍監督を経験。1992年に株式会社リクルート入社。12年間、組織・人事コンサルティング事業に従事し、約2000社の企業の変革に携わる。社内表彰制度で全国MVP・部門MVPの受賞計8回。2004年に独立し、事業再生コンサルティングのマネジメントリコンストラクション社を設立。2010年5月カングロ株式会社 代表取締役に就任。独自のサステナビリティ・イノベーティブ・コンサルティング事業を開始。米国で「今最も羨望の注目を浴びる企業」とされるオンライン・リテーラーのザッポス社のハピネス経営、「社員をサーフィンに行かせよう」「レスポンシブルカンパニー」の題材となっているアウトドア用品メーカーの米パタゴニア社を研究し続け、約1000社3000名のビジネスパーソンにセミナーや勉強会等でその真髄を伝えている。2013年には西アフリカのナイジェリア連邦共和国にて合弁会社を設立し、水問題、エネルギー問題、食糧問題、環境問題を日本のテクノロジーで解決するソーシャルビジネス事業も行う。実地の中から発信される指南は、斬新・先駆的でかつパワフルであり、魂を揺さぶるものとなっている。2013年以降、システムD研究会、自転車事故防止委員会、セブメディの会を設立。2015年より同士と共に「懐かしい未来プロジェクト(HOOPS!)」「サステナ塾」を開始し、持続可能な地域社会の実現のために人間本来の役割を思い出すためのあらゆる「体験」の場と機会を提供している。自転車のある生活をこよなく愛し、年間約1万kmを走破する。マラソンランナー、トライアスリート。趣味はゴミ拾い、ベランダ菜園 ------------------------
【最新ダイジェスト版動画】 第61回シンサステナ塾/人間とは何かを考える特別シリーズ①人間誕生の秘話(2023年7月21日) https://youtu.be/yL-Kv9urVak 第60回記念シン サステナ塾/この8年間で学んだことを振り返って/創造性をひらく~アートによる自己探求の世界(2023年5月19日) https://youtu.be/nGoyfZEPIgo 第59回シン-サステナ塾/特別シリーズ「人生の真実シリーズ③/3」なぜこの時代に生まれてきたのか(2023年3月17日) https://youtu.be/Uvt5cMsq2Sk 第58回シン-サステナ塾/特別シリーズ「人生の真実シリーズ②/3」働くとは何か(2023年1月20日) https://youtu.be/8jw6qHFC5E4 第57回シン-サステナ塾/特別シリーズ「人生の真実シリーズ①/3」人生の目的とは何か(2022年11月18日) https://youtu.be/tYvC9xKt9lk 第56回シン-サステナ塾/特別シリーズ「命(いのち)を考える③命の活かし方」(2022年9月16日) https://youtu.be/MFp0T0q3kKU 第55回サステナ塾/特別シリーズ「命(いのち)を考える②命の尊厳とは」(2022年7月15日) https://youtu.be/n6JJZqphbdc 第54回サステナ塾/特別シリーズ「命(いのち)を考える①命とは何か」(2022年05月27日) https://youtu.be/GMtpT0UzV7A 第53回サステナ塾「生命科学の世界を視る③DNAは宇宙の仕組み」(2022年3月18日) https://youtu.be/V5-OiBNiKx4 第52回サステナ塾「生命科学の世界を視る②オートファジーメカニズムの発見が人類にもたらすもの」(2022年1月21日)https://youtu.be/44uaxrmloeM 第51回サステナ塾「生命科学の世界を視る①生命の生き残り戦略としての動的平衡」(2021年11月19日) https://youtu.be/6D4HvtzIvnw 第50回サステナ塾「地球はこれからどうなっていくのか?」私たちの地球を知る❸(2021年9月17日) https://youtu.be/Sg-f7jEnMpE 第49回サステナ塾「ナウシカはなぜ墓所を破壊したのか?」私たちの地球を知る❷(2021年7月16日) https://youtu.be/QrJdhP9rons 第48回サステナ塾「地球は本当に生きていた(ガイア理論進化版)」私たちの地球を知る❶」(2021年5月14日) https://youtu.be/yIfq2rPWZoc
<サステナ塾VTR> https://youtu.be/avSh5flzx94
■主催:サステナ塾 https://www.facebook.com/sustainajuku ■協力:カングロ株式会社 https://www.kanglo.co.jp SSPC(SDGs超実践者委員会)、HOOPS!、イノベーションサロンZ、システムD研究会、セブメディの会、自転車事故をなくすっぺ委員会、フィロアーツ研究会、ショックコヒーレント・イノベーションクラブ
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【稽古場レポート】 『It's not a bad thing that people around the world fall into a crevasse.』 劇作家女子会。feat.noo クレバス2020 小杉 美香
50本の短編を長編として編纂した群像劇というから、コロナ禍の日々を淡々とスケッチする、記憶装置のような作品を想像していた。 でも何か、そうじゃないっぽいぞ。 このレポートでは『クレバス2020 It’s not a bad thing that people around the world fall into a crevasse.』はどんな作品なのか、長いサブタイトル「世界中の人々がクレバスに落ちるのは悪いことじゃない」とはどういうことなのか、通し稽古を見学した感想を踏まえて少しだけお伝えしたいと思う。潜入したのは稽古も佳境の9月下旬。3回目の通し稽古の日だった。
重なり合う物語 まず最初にお伝えしておくと、本作は2幕構成、上演時間約2時間45分の大作である。小さなエピソードの積み重ねでこの長さだと、途中で集中力が切れてしまうんじゃないか(場面転換が49回あるってこと⁈)と心配になるけれど、実際はそうでもない。エピソードの終わりを食い合うようにどんどん次のエピソードが入ってきて、舞台上では複数の物語が同時に展開していく。劇場じゅうを浮遊する俳優たちの小さなハミングが入れ替わりのBGMとなって、音と物語の“重なり”を強くイメージさせるのが印象的だ。
[撮影:noo] エピソードはひとり語り、もしくは2人で会話するミニマムな形式のものがほとんど。内容は例えば、「リモート会議でカメラを切り忘れた上司のヅラが露見して困惑する会社員」とか、「不要不急の鯛焼きを買いに出かける男」といった比較的ライト(?)なものから、「ネカフェが閉店して路上生活者になった男」「地元での親の火葬に立ち会わせてもらえない女」などのヘビーなものまで、さまざまだ。どれも元は短編作品なので起承転結があって見応えがある。 けれど、先述のように各エピソードの始めと終わりには“のりしろ”部分があるので、一度の観劇ですべてのエピソードを網羅するのは不可能に近い。観劇スタート時には頑張って全てを追いかけようとしていたが、次第に「それはしなくていいんだ」「目に入ってきたものを見て、耳に入ってきたものを聞こう」と、演出に身を委ねることができた。まあ要は諦めた。自分が知覚できた物語は氷山の一角に過ぎないのだ、クレバスだけに……
[撮影:noo] 併置され、重ねられることは、各エピソードを演じる俳優にとっては、たったひとつの自分の物語がどんどん薄まっていく、軽いものになっていくようなストレスがあることだろう(自分の長セリフの間にまた別の面白い話が始まるなんて、私ならふて腐れる)。でも実際は、重なることで確かに物語の強度が上がっているし、ノイズの中で語りを続ける俳優は魅力的に見えてならない。客席的には俳優の緊張感こそご馳走なので、ぜひ抱えたまま千秋楽を迎えてほしい、なんて思う。 ネットとの関わり というわけで舞台上は「どこを見ていいか分からない=どこを見ても良し」な状態なのだが、その贅沢さを際立たせているのが映像のパートである。エピソードのうち何本かは、YouTubeやzoom風の映像として舞台上のスクリーンに投影される。映像を織り交ぜることで否応無しに強調されるのが、生身の演劇のとんでもない情報量だ。どれほど見やすく・面白く編集された動画が流れていても、目の前に存在している人間の方に意識が向いてしまうのを感じる。映像は他者と違ってこちらに近づいてきたり刃物を振り回したりはしない。決定的に“怖くない”存在であり、現実の切ない代替手段なのだと思い知らされる。 ネットを駆使してなんとか他者と繋がりを持とうとする「zoom飲み会の寂しくない解散方法を考える男」「機種が古くてLINEのグループ通話に入れない男」「リモートセックスを試みるカップル」「閉 店する喫茶店への餞の言葉をTwitterでつぶやく男」らの挿話にも(可笑しさとともに)切実な想いが滲む。手元の小さな画面を見つめるそのザラザラした感じは、誰しも身に覚えがあるのではないだろうか。 ※なお、通し稽古では映像が完全な状態で挿入されていたわけではないので、映像のエピソードに関しては劇場入りしてから大きく印象が変わるかもしれない。期待!
[撮影:noo] また、どうしても無視するわけにいかないのは、覆面YouTuberの動画撮影を描いたエピソード「チムチムリーの恋愛相談室」だ。畳み掛けの凄さに、取材を忘れて爆笑してしまった(思い出すだけで元気が出るので、ぜひ本当に配信してほしい)。コロナ禍の不安や緊張感が通奏低音のように漂う本作だが、ちょいちょい深刻なこと抜きで笑えるポイントがあるのがうれしい。一服の清涼剤……と言うにはあまりにも濃い味だったが、俳優の祝祭的ハイテンションに心から拍手を送 りたい。 クレバスに落ちる瞬間 ところで、本作に南極探検隊のエピソードは無い。二度とは出られぬ氷の裂け目である「クレバス」は出てこないし、“クレバスに落ちる”がどういう状態を指すかの説明も無い。ただ、見ていてはっきりと「あ、落ちた」という瞬間は感じとることができる。 伊東沙保演じる「誕生日前夜に死ぬため公園にやってきた女」と、大石将弘演じる「普通の派遣社員の男」のふたりの演技は圧巻で、強くシーンに惹きつけられた。真面目に人生や他者を愛そうとすればするほど、深い裂け目に滑落する危険がある。登場人物は(人間もそれ以外も)皆それぞれ生きづらさを抱えているけれど、この二人が深く落ちていく余韻はとりわけ丁寧に描かれ、心に残った。ぜひ劇場で目撃してほしい。 三人姉妹 そして滑落を防ぐのに有効なのは、ザイルで身体を結び合うことである。短編の積み重なる本作の軸となっているのが、女性3人のふしぎな連帯だ。緊急事態宣言中にDV避難を余儀なくされた女性を、友人らしきふたりの女性が迎え入れ、手助けする。どうやらそのふたりのうちひとりは自殺願望を抱えており、クリニックで服薬治療を受けているらしい。もうひとりは徹底して彼女たちの肩を持ち、「なぜそこまで面倒を見るのか」と疑問を呈する恋人を撥ねつける。詳しくは描かれないが、このひとりにとっても、彼女たち3人の連帯でしか得られない安寧があるようだ。
[撮影:noo] 3人の具体的な関係性は不明で、側から見るとこの友情は不可解なようにも思えるが、互いに結び合ったザイルパートナーなのだと理解することができるだろう。誰かひとりが落ちそうになったら他のふたりが助けるし、ひとり落ちたらもしかしたら全員落ちるかもしれない。ていうか既に3人とも落ちているのかもしれない。それでもなおこのスタイルで働き、生きて、行進を続けてゆく所存なのである。 DV避難を余儀なくされた女性は、自覚の追いつかないまま深い恐怖と絶望の中にいる。彼女に友人ふたりがゆっくりと近づいていくシーンは、観劇後も優しい余韻とともに胸に残った。 「日々を越えて」 総出演者23名、2時間40分かけて、この『クレバス2020』はたったひとつのことを言い続けているような気がする。筆者の感じたそれは、「悪くないね」ということだ。「生きていかなくっちゃあね」や 「月が綺麗ですね」と言い換えてもいいかもしれない。社会生活が元々苦手な人もそうでない人も、コロナ禍でさまざまな不自由と断絶に向き合い、変化を飲み込まされた。あの期間、大なり小なり私たちはクレバスに落ちたのだと思う。ではなぜそれが悪くないかって、その下で会えそうだから……ではないだろうか。氷の裂け目の冷たい水に洗われて、月が綺麗って誰かに伝えたい、とか、ずっとこういう自分でいたい、とか、そんな澄み切った感情に気づくことができたからではないだろうか。 本作が「こんなことあったよね〜」という単なる記録のパッチワークに止まらないのは、このとてもポジティブかつタイトルそのまんまメッセージの力である。見る人によって受け止め方は異なるだろうけれど、この舞台が語りかけてくるものはとても強い。もし誰かと一緒に観劇すれば、それぞれのクレバスについて、きっと劇場を出たあと話が尽きないことだろう。それって、私たちがあの日々を生き抜いた最高のご褒美なのではないだろうか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ・小杉美香 フリーライター 西洋美術史専攻のち、東京で小劇場やってました。 好きな滑舌は「炙りカルビ×5」。 ライティングの得意分野はアート/映画、 そしてやっぱり演劇が好きです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 劇作家女子会。feat.noo クレバス2020 「It’s not a bad thing that people around the world fall into a crevasse.」 作:モスクワカヌ(劇作家女子会。) 演出:稲葉 賀恵 公演日程:2023年9月27日(水)~10月1日(日) 会場:シアター風姿花伝 2020年第20回AAF戯曲賞特別賞を受賞した作品。コロナ禍による緊急事態宣言中の2020年の日本を主な舞台に、当時を生きた人々へのインタビュー、ニュース、社会情勢をもとに書かれた50本の短編作品を、長編として編纂したもの。緊急事態宣言中にDV避難を余儀なくされた若者を軸に展開される、コロナ禍を舞台にした群像劇。 【本作をご観劇になるお客様への事前のご案内】 本作は、直接的な描写はありませんが、下記を想起させる表現を含みます。 希死念慮 自殺 虐待 性暴力
12歳以下の方がご観劇する際は、保護者の方の同意があることが望ましいです。 事前に台本の内容をご確認される場合は、以下のリンクから閲覧が可能です。 https://www-stage.aac.pref.aichi.jp/event/item/Itsnotabut.pdfまた、ご観劇の際のご心配事等ありましたら、本公演に関するお問い合わせ先へご連絡くださいませ。
舞台出演者: 伊東 沙保 大石 将弘 勝沼 優 木内 コギト 工藤 広夢 小池 舞 小石川 桃子 小早川 俊輔 田実 陽子 田尻 祥子 西田 夏奈子 丸山 雄也 水野 小論 毛利 悟巳 ユーリック 永扇 吉岡 あきこ 蓮城 まこと
映像出演者: 阿久澤 菜々 今井 公平 KAKAZU 小林 彩 小林 春世 β
スタッフ ドラマターグ:オノマリコ(劇作家女子会。/趣向) 美術:角浜有香 照明:松本永(eimatsumoto Co.Ltd.) 音響:星野大輔 音楽:西井夕紀子 演奏:白鳥永晃、日比彩湖、Ingel(Falsettos)、Miuko(Falsettos) 映像:和久井幸一 衣裳:富永美夏 演出助手:大月リコ(yoowa) 舞台監督:土居歩、松谷香穂 照明オペレーター:渡邉日和(eimatsumoto Co.Ltd.) 音響オペレーター:宮崎淳子 宣伝美術:デザイン太陽と雲 映像製作:佐藤茉優花 制作:植松侑子、古川真央(syuz’gen) インターン:山尾みる 主催:劇作家女子会。 noo
公演日程: 9月27日(水)19:00~ 9月28日(木)13:00~ 9月29日(金)13:00~/19:00~ 9月30日(土)12:00~★/18:00~ 10月1日(日)12:00~ ★…公演終了後、ポスト・パフォーマンストークを実施いたします。*受付開始は開演の60分前、開場は30分前 ★ポスト・パフォーマンストークゲスト 磯野真穂氏:人類学者・博士(文学)/ 修士(応用人類学) 本公演は上演時間2時間45分(途中休憩あり)となっております。 チケット: 「整理番号付自由席」 劇作家女子会。応援チケット(特典あり) ¥10,000 ★下記に説明がございます。 劇作家女子会。応援チケット(特典なし) ¥6,000 チケット(前半割) :¥4,200 チケット(一般) :¥4,500 チケット(U24) :¥3,200 ※ チケット(障がい者):¥2,000 ※ チケット(当日券) :¥5,000 【チケットについてのご案内事項】 ※整理番号はご予約順に割り振られます。 ※開場時、チケットに記載されている整理番号順にご入場いただきます。 ※開演時間を過ぎますとお席にご案内できない場合がございます。 ※「チケット(前半割)」は、9月27日と9月28日、9月29日の13時の上演回に適用となります。 ※U24チケットはご観劇当日に24歳以下の方が対象となります。当日受付にて身分証をご提示ください。 ※障がい者チケットは、身体障害者手帳・精神障害者保険福祉手帳をお持ちの方、また付き添いの方1名様までご利用頂けます。 ※車椅子でご来場されるお客様は、予約フォームの備考欄等にお書きいただくか、お問い合わせ先の電話番号までご連絡ください。 ※未就学児の方のご観劇はご遠慮くださいませ。 【★劇作家女子会。応援チケット(特典あり)とは?】 特典ありの応援チケットをご購入頂いたお客様には、ご来場時に『クレバス2020another』と題した小冊子を特典としてお渡しします。(劇作家女子会。4名の2020年についてと対談が収録予定です) 本公演に関するお問い合わせ 劇作家女子会。feat. noo (制作担当:合同会社syuz’gen) 〒116-0013 東京都荒川区西日暮里5丁目6-10 gran+ NISHINIPPORI 6階 TEL:03-4213-4290(土・日・祝祭日を除く平日10:00~18:00) FAX:03-4333-0878 MAIL:[email protected]
公式ホームページ:https://gsjoshikai.tumblr.com/
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BTSから『バービー』まで、女性が楽しむものを男性が嫌う理由(翻訳)
ある男性が言った「これを書いた奴は15歳だろうな」。
たいていの女性には、幼い頃に一緒に、おままごとをした男友達やいとこが、いたはずだ。規範に縛られることなく、男らしさの概念が単なる概念に過ぎなかったため、この男の子はどんな役割を与えられても平気だった。しかし、彼らは成長し「男である」とは、どういうことかという概念が作用するようになる。自分にとって興味深かったことや楽しかったことを否定し、考えの大部分が家父長制的な世界によって形成されるようになる。有毒な男らしさ(toxic masculinity)のステレオタイプ��、彼が楽しいと思った子供の頃の遊びに興じてはいけないと求める。それだけでも十分ひどいのだが、状況はさらに悪化する。男らしさの観念と闘っている少年や男性たちは、女の子らしいと思われている活動を馬鹿にしたり軽蔑したりする。こうした傾向は早くから始まっていた。インターネット上で、男性たちが女の子的なものを軽蔑の対象としているのは今に始まったことではないが、今やそれは頂点に達している。最近のバーベンハイマー論争は、その典型的な例だ。『バービー』と『オッペンハイマー』の比較は必然的なものだったが、今や一方の映画には猛烈な拒絶反応を示し、もう一方には女性嫌悪と家父長制を臭わせる大喝采(それが正当な評価かどうかは別の話だが)を送るまでになった。
2つの映画を比較する一般的な基準は、筋書き、演出、あるいは演技に基づくべきだが、最近のインターネット上のシスヘテロ男性は『バービー』の想定される観客層が10代の女子、女性、あるいはクィア・コミュニティであることを理由に『バービー』を叩いて楽しんでいる。この映画を男嫌いのフェミニストのクズ呼ばわりし、マーゴット・ロビーを「mid」(ネット用語で、男性から見て平均的または平凡な容姿の女性を指す)とレッテルを貼るのは、間違いなく愚かであり、疑いようもなく幼稚である。「この男性たち」が、マーゴットのことを魅力的で才能があると言ったのは、彼女のキャラクターが男性向けに性的に描写されたり、物扱いされるときだけだ。 社会の男性たちが『アベンジャーズ/エンドゲーム』に英雄的地位を与えてくれたおかげで、アベンジャーズがインターネットを席巻したときには、誰も目くじらを立てなかったが、バービーマニアは、ちょっとキモくてイタい。
こうしたことには、もう驚かないが、それでも女子たちに向けられる視線は異様だ。ステレオタイプの男性的な何かに関する男性の投稿の下に、女子による否定的または無礼なコメントを見つけるのは難しいだろう。一方、男性はシャーロック・ホームズのスパイ作戦のごとく、女子が楽しんでいる些細なことに関する投稿を見つけ、嫌味なコメントを残し、女性嫌悪のスタンスを誇らしげに披露する。
マッド・ウーマン・パターン
テイラー・スウィフトやマイリー・サイラス、アデルのような女性アーティストが男性に嫌われるのは、非常にわかりやすい例だ。アーティストとして、テイラーのディスコグラフィーは万人受けするものではないかもしれないし、それはとてもフェアな話だが「彼女は元恋人についての曲しか書かない」と言ってファンを攻撃しながら作品を貶めるのは、私からすれば女性嫌悪のニオイがする。私たちは学校で偉大なアーティストは、しばしば私生活からインスピレーションを得て、それを作品に注ぎ込むものだと教わった。それは男性でも女性でも同じだ。
しかし、テイラー・スウィフトの曲が哀れで才能がないとされる一方で、失恋について歌う男性ミュージシャンは苦悩を表現していることになるのだ。愛、悲しみ、友情、成長、別れといったテーマは、人間の基本的な感情体験であり、性別とはほとんど、あるいはまったく関係ない。
アンチ・ボーイ・バンド一派
ワン・ダイレクションが大ヒットした2010年代を振り返ってみよう。彼らの音楽には紛れもない汚名がつきまとった。それは、ジャスティン・ビーバー、ビッグ・タイム・ラッシュ、そして昨今のK-POP界の人気者BTSのようなアーティストの歩みにも通じるものだ。それは彼らの才能とは何の関係もなく、彼らのファンベースが10代の女子や女性で構成されているからなのだ。その事実だけで、脆弱な男性たちはこれを攻撃とみなし、こうしたアーティストは男性ラッパーに比べて劣っているというレッテルを貼る。彼らは、よく女性的すぎると言われ、ステレオタイプ的な男性らしさがないとして、その容姿をいじられる。
BTSはグラミー賞にノミネートされたグループであり、ビルボードの記録をいくつももっている。しかし、これだけの実績をあげてもなお、人々はたびたび彼らのファンを無職の10代の少女と呼んで嘲笑する。
BTSが2021年に国連総会を訪れた際、有名トーク番組の司会者であるジェームズ・コーデンは、彼らの女性ファンをこのように嘲笑した。「世界中の15歳の女の子たちが、自分がアントニオ・グテーレス事務総長だったらいいのにと思ったのは、これが初めてだ」好きなボーイバンドを理由に、10代の女の子は政治やアクティビズムに興味がないとするこの思い込みは、彼女たちの功績を無効にしてしまう。
でも、なぜ?
その答えは、男性のエゴの脆さにある。世間からの扱いに後押しされ、彼らは自分の知っていることはすべて正しく、何の異議も唱えられるべきでないと信じている。ジェイン・オースティンの本を読もうが、『トワイライト』を一気見しようが、それが女子に人気なら、男子が時間を割く価値があるか、と。若い男性がSNSで好きなサッカーチームはアーセナルだと宣言し、全選手のフルネームとポジションをリストアップしても、誰も目くじらを立てたり非難したりはしない。
女性は興奮しやすかったり、非合理的に悲しんだり、コントロールできないホルモンに感情を左右さられていると、よく決めつけられる。その結果、男性は「あの日なのか」と余計なことを尋ねるのだ。メディアは若い女性を嘲笑し、彼女たちの趣味を無益なものとして描き、このセオリーをさらに強固なものにしている。アートや映画、あらゆるものを、それがどちらの性別にとって魅力的であるかではなく、作品の良し悪しで評価すべき時が来ているのではないだろうか。
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借用作品の紛失問題が起きたアーツ前橋(群馬県前橋市)が、出展アーティストとの契約を守らず、業務委託料の一部が未払いだったとして市はアーティストに謝罪し、損害賠償金80万円を支払った。問題は、作品紛失が判明した前年の2019年に発生し、同館の住友文彦館長(2021年3月末に退任)と学芸員が関わっていた。いったい何があったのか。本件を報じた上毛新聞と毎日新聞の記事(*1)によると、経過の大筋は以下となる。アーツ前橋は2019年、美術を通じた学びの可能性を探ることなどを目的にアーティストの山本高之を招聘した企画展「山本高之とアーツ前橋のビヨンド20XX」を開催。山本と交わした契約には同展の企画立案に加え、記録集の監修なども盛り込まれた。企画展は同年7~9月に開催されたが、記録集の内容をめぐり調整が難航。同館は一方的に記録集の発行を中止し、作成委託料の一部を支払わなかったという。アーティスト側は2020年9月に損害賠償を請求し、前橋市は経緯を調べた結果、同館が契約を一部守らなかったと判断。損害賠償金の支払いと、市の負担による記録集(2000部)の発行、同館ホームページでの1年間の謝罪掲載を決めた。関係者によると、記録集の発行と謝罪掲載は今年度内の3月末までに行われる予定。なお3月中旬現在、まだ同館は謝罪文を掲載しておらず、発行中止に至る詳細も公表していない。(追記:3月29日、アーツ前橋のホームページに山本龍・前橋市長の名前で「『山本高之とアーツ前橋のBEYOND 20XX 未来を考えるための教室』の記録集発行遅滞に関する経過について(報告)」と題した文書が掲載され、謝罪文と時系列順の経過も公開された)未来に残すアーカイブとなる記録集を巡り、公立美術館の契約違反が明るみに出た本件。現代アートの展覧会は、直前までの作品制作や会場自体を作品化するなど様々な要件により、会期中に記録集や図録の編集作業が行われるケースは少なくない。そうした経験値もあるはずの同館は、どのような対応や作家とのやり取りを経て、発行中止に至ったのか。Tokyo Art Beat編集部は、本件の関係者が前橋市に情報公開請求を行い提供された資料を入手した。600ぺージ超に及ぶ資料は、市による本件の検証結果のほか、館内部の会話の記録やメールなども含まれ、詳細な経緯が浮かんでくる。以下抜粋して紹介するが、その前に被害を被ったアーティストと対象展覧会について簡潔に記しておこう。山本高之は1974年愛知県生まれ。小学校教諭の経験をもとに子供達とのワークショップ活動や作品制作を通じて「何かを知る」体験を探求し、地域コミュニティと協働するプロジェクトにも取り組んでいる。問題が起きた企画展「山本高之とアーツ前橋のビヨンド20XX」(以下ビヨンド展)は、山本と同館学芸員が「〈美術〉を通じた学びとは何かを共に議論し、これからの〈美術/美術館〉の役割について考える〉(同館ホームページ)目標を掲げ、2019年7月19日~9月16日に開催された。会場は序章と3つのセクションで構成され、各学芸員が過去の事業を振り返る展示、学芸員によるサーフィンの体験映像、山本が「教育制度を考える近未来SF映画」をテーマに前橋市民と協働した新作《ビヨンド2020 道徳と芸術》などが盛り込まれた。追加提出資料から矛盾が判明最初に報じられなかった発行中止決定前後の経過をたどる。なお、ビヨンド展はA学芸員が担当し、開催年の4月に同展担当の臨時職員としてB学芸員が着任した(肩書はいずれも当時)。市が作成した資料によると、展覧会閉幕後の10月に住友館長がアーツ前橋を所管する文化スポーツ観光部長と文化国際課長に記録集の制作を中止した経過説明を行った。住友館長は、「個人の展覧会記録を製作したい山本氏と、これまでのラーニングを振り返る内容までも反映したいアーツ前橋との考え方は、平行線であり、合意に達することができなかった」と述べ「製作を継続するのは不可能」とした。発行中止の決定はアーツ前橋副館長から山本に電話で伝えられた。その後に市が送付した協議書に対し、山本は市が発行できない理由を文書で示すことやアーツ前橋の意思決定過程の開示を要請。市は11月上旬にアーツ前橋側が提出した資料(会議の議事録や音声記録、決裁、メール等)に基づく回答書を山本に送り、発行中止はやむを得ないと伝えた。山本は「説明不足だ」と市に情報公開請求を行い、2020年9月に損害賠償請求に踏み切った。流れが変わったのは、2021年2月。A学芸員が自身や住友館長が山本とやり取りしたメールの多くを未提出のまま保有していたと判明し、追加提出された資料の内容からアーツ前橋側の主張に矛盾や齟齬があると分かったためだ。市は同年4月、市側の瑕疵を認めて山本に連絡し、2022年12月に記事冒頭の条件で和解した。「恣意的な解釈と対応が行われた」次に市が認めたアーツ前橋側の問題点を振り返る。市が追加提出分を含め資料に基づいて検証したポイントは以下の3点。①作家との契約締結を行うまで記録集がどのように話し合われ、本展でどのような位置づけの発行物として認識されていたか。メールや口頭での合意形成がどのようになされたか。②契約後に発行スケジュールや内容がどのように意思決定され、内部で話し合われたか。③住友館長やA学芸員の主張する記録集の内容は、どの時点で定義づけられて作家側に伝わったのか。結論から先に言うと、市はアーツ前橋内で「恣意的な契約の解釈と対応」(市の内部文書)が行われたと判断した。アーツ前橋の指示に作家が反したという住友館長らの説明は事実経過が異なり、作家は適正に対応していたと認めた。アーツ前橋側が途中で記録集の方向性を一方的に変え、作家に適切な伝達や要請も行わなかったとした。検証の決め手になった一つが、住友館長がビヨンド展開幕4ヶ月前の2019年3月に山本に送った1通のメールだ。「山本作品の制作プロセスと会期中の仕掛けをドキュメントしていくことで『まだ見ぬアーツ前橋のラーニング』について考えることができる、という案です」と記され、住友館長が記録集を展覧会の「ドキュメント」(記録)と位置付けていたことが分かる。メールには「山本さんには、出品アーティストでもあり、かつこのラーニングを考えるラボのディレクターとして(中略)これからの日本の美術館におけるラーニングプログラムへの提言をまとめてもらう、ということをお願いできないでしょうか?」の文章も含まれ、これは作家に対し企画と監修を大枠で一任したと解釈された。また住友館長は、ラーニングに関する展示について未来を視程に入れた「まだ見ぬアーツ前橋の」と表現。それに対し、山本は翌4月にA学芸員にメール送付した企画書内で「未来について考えるためには、今の自分たちが作っている過去と向き合うことが必要」と述べ、学芸員たちが過去の事業を振り返る展示内容を提案していた。つまり「アーツ前橋のラーニングを振り返る」は館でなく山本の発案だったと判明し、住友館長が主張した作家が指示に従わなかったという主張は成り立たなくなった。なおこのメールは、当初アーツ前橋側が提出した資料になく、A学芸員が2021年に追加提出したもので、送信した住友館長からの提出はなかった。
出展作家との契約違反で市が損害賠償。アーツ前橋でなにが起きたのか|Tokyo Art Beat
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2022年の読書(2022年12月28日現在)
2022年の読書(2022年12月28日現在)読了206冊
特に印象深かった本(順不同) 《文芸》 『たったひとつの冴えたやりかた』(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア著/浅倉久志訳/カバーイラスト:片山若子/ハヤカワ文庫) 『リリアン卿――黒弥撒』(ジャック・ダデルスワル=フェルサン著/大野露井訳/装丁:柳川貴代/国書刊行会) 『骸骨 ジェローム・K・ジェローム幻想奇譚』(ジェローム・K・ジェローム著/中野善夫訳/装丁:岡本洋平/国書刊行会) 『ハイ・ライズ』(J・G・バラード著/村上博基訳/創元SF文庫) 『旱魃世界』(J・G・バラード著/山田和子訳/牧眞司解説/カバーディレクション&デザイン:岩郷重力+R.F/創元SF文庫) 『ウィトゲンシュタインの愛人』(デイヴィッド・マークソン著/木原善彦訳/装幀:アルビレオ/装画:ケッソクヒデキ/国書刊行会) 『スキャナー・ダークリー』(フィリップ・K・ディック著/浅倉久志訳/扉デザイン:土井宏明(ポジトロン)/ハヤカワ文庫/Kindle版) 『耄碌寸前』(森於菟著/池内紀解説/みすず書房) 『時の子供たち 上下巻』(エイドリアン・チャイコフスキー著/内田昌之訳/竹書房文庫/Kindle版) 『クララとお日さま』(カズオ・イシグロ著/土屋政雄訳/早川書房/Kindle版) 『純潔』(嶽本野ばら著/造本:松田行正+日向麻梨子/新潮社) 『シシリエンヌ』(嶽本野ばら著/新潮社/Kindle版) 『プロジェクト・ヘイル・メアリー 上下巻』(アンディ・ウィアー著/小野田和子訳/早川書房) 『異形の愛』(キャサリン・ダン著/柳下毅一郎訳/装丁:木庭貴信+岩本萌(オクターヴ)/河出書房新社) 『葉書でドナルド・エヴァンズに』(平出隆著/三松幸雄解説著者目録/デザイン:菊地信義+水戸部功/講談社文芸文庫) 『詩歌探偵フラヌール』(高原英里著/装幀:名久井直子/装画:カワグチタクヤ/帯文:梅﨑実奈/河出書房新社) 『日々のきのこ』(高原英理著/帯文:岸本佐知子/名久井直子装丁/ヒグチユウコ装画/河出書房新社) 『幾度目かの最期』(久坂葉子著/青空文庫/Kindle版) 『ボダ子』(赤松利市著/新潮文庫/Kindle版) 『喜べ、幸いなる魂よ』(佐藤亜紀著/綿引明浩装画/國枝達也装丁/角川書店) 『どちらでもいい』(アゴタ・クリストフ著/カバーオブジェ:勝本みつる/カバーデザイン:ハヤカワ・デザイン/ハヤカワepi文庫) 『夜中に犬に起こった奇妙な事件』(マーク・ハッドン著/小尾芙佐訳/装幀:服部一成/ハヤカワepi文庫) 『氷』(アンナ・カヴァン著/山田和子訳/川上弘美解説/カバーデザイン水戸部功/ちくま文庫) 『懐中時計』(小沼丹著/秋山駿解説/作家案内、著書目録:中村明/デザイン:菊地信義/講談社文芸文庫) 『後藤明生・電子書籍コレクション 行方不明』(後藤明生著/アーリーバード・ブックス/Kindle版) 『私は幽霊を見ない』(藤野可織著/朝吹真理子解説/カバー絵:Angela Deane/カバーデザイン:大原由衣/角川文庫/Kindle版) 『百鬼園戦後日記(全三巻合本)』(内田百閒著/巻末エッセイ:谷中安規、高原四郎、平山三郎、中村武志/解説:佐伯泰英/カバー画:山髙登/カバー図版:内田百閒戦後日記(岡山県郷土文化財団所蔵)/カバーデザイン:中央公論新社デザイン室/中公文庫/Kindle版) 『木になった亜沙』(今村夏子著/装画:木原未沙紀/装丁:野中深雪/文藝春秋) 『小島』(小山田浩子著/新潮社/Kindle版) 『死ぬまでに行きたい海』(岸本佐知子著/岸本佐知子写真/装幀:宮古美智代/スイッチ・パブリッシング) 『少年』(谷崎潤一郎著/青空文庫/Kindle版) 『外套』(ニコライ・ゴーゴリ著/平井肇訳/青空文庫/Kindle版) 『鳳仙花』(川崎長太郎著/講談社文芸文庫/Kindle版)
《その他》 『寄生生物の果てしなき進化』(トゥオマス・アイヴェロ著/セルボ貴子訳/倉持利明解説/草思社/Kindle版) 『「ネコひねり問題」を超一流の科学者たちが全力で考えてみた――「ネコの空中立ち直り反射」という驚くべき謎に迫る』(グレゴリー・J・グバー著/水谷淳訳/装丁:寄藤文平+古屋郁美(文平銀座)/Kindle版) 『みんなが手話で話した島』(ノーラ・エレン・グロース著/佐野正信訳/澁谷智子解説/はじめに:ジョン・W・M・ホワイティング/ハヤカワ文庫NF) 『スピルオーバー——ウイルスはなぜ動物からヒトへ飛び移るのか』(デビッド・クアメン著/甘糟智子訳/装丁:間村俊一/明石書店) 『新・動物記4 夜のイチジクの木の上で─フルーツ好きの食肉類シベット』(中林雅著/新・動物記シリーズ編集:黒田末壽、西江仁徳/ブックデザイン・装画:森華/京都大学学術出版会) 『共立スマートセレクション5 オーストラリアの荒野によみがえる原始生命』(杉谷健一郎著/コーディネーター:掛川武/共立出版/Kindle版) 『共立スマートセレクション10 美の起源 ─アートの行動生物学』(渡辺茂著/コーディネーター:長谷川寿一/共立出版/Kindle版) 『共立スマートセレクション16 ベクションとは何だ!?』(妹尾武治著/コーディネーター:鈴木宏昭/共立出版/Kindle版) 『世界を変えた建築構造の物語』(ロマ・アグラワル著/牧尾晴喜訳/装幀者:トサカデザイン(戸倉巌、小酒保子)/草思社/Kindle版) 『宇宙創成 上下 合本版』(サイモン・シン/青木薫/新潮文庫/Kindle版) 『岩波科学ライブラリー310 食虫植物─進化の迷宮をゆく』(福島健児著/カバーイラスト・一部図版:安斉俊/岩波書店) 『銀河の死なない子供たちへ 上下巻』(施川ユウキ著/カバー・本文デザイン:セキネシンイチ制作室/電撃コミックス NEXT/KADOKAWA)
この一年間で複数の著作物を読了(著者名/冊数) 後藤明生/25 西村賢太/8 フィリップ・K・ディック/7 川崎長太郎/6 小沼丹/6 嶽本野ばら/6 藤野可織/6 今村夏子/6 橋本治/5 J・G・バラード/4 岸本佐知子/4 内田百閒/4 小山田浩子/3
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(((((,
この度駒込倉庫では、アーティスト久保田智広、キュレーター原田美緒との共同キュレーション展「(((((,」を開催いたします。様々なバックグラウンドを持つ新進気鋭のアーティスト6名による、「あたりまえ」を軽やかな形で分解する試みです。是非ご高覧ください。
企画、キュレーション:久保田智広、原田美緒 参加作家 :アリウェン、うらあやか、大橋鉄郎、倉敷安耶、パク・サンヒョン、檜皮一彦 会期 :2022年2月26日(土)〜3月20日(日) 〔17日間〕 休館日 :月, 火曜日 開館時間 :13:00〜19:00 会場 :駒込倉庫 Komagome SOKO 協力 :駒込倉庫、公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京、エブリチャンス合同会社
「(((((,」は〈かっことじない〉と便宜的に読む。この造語は、「開かれた」「結論を出さない」という意味を持つ。整然と並ぶ「かっこ」に、一旦「読点」が打たれているこのタイトルは、立ち止まって観客と一緒に「あたりまえ」を考えてみる本展示の振る舞いそのものと言ってもよい。
様々なバックグラウンドを持つアーティスト6名は、「あたりまえ」とされる社会規範を捉え直すことを試みる。韓国出身のパク・サンヒョンは、異邦人でありクィア当事者である彼自身の置かれた状況を、内容と形式の両側面から彫刻的アプローチで考察する。北海道在住の大橋鉄郎は現代における情報との関わりを考察する作風で知られているが、その作品群の一部には作家自身の性に対する嫌悪が動機として潜在している。檜皮一彦は「破壊と創造」と「不自由」というテーマで新作インスタレーションを制作する。「不自由な鑑賞体験」を課すことと、「破壊と創造」の理不尽さの両輪で、鑑賞者に鮮烈な体験をもたらすだろう。チリ出身のアリウェンは、トランス女性として生きていく中で関わることになった、ある家族をめぐる詩的な写真を朗読と組み合わせたインスタレーションで提示する。自身と他者の融合の欲求を制作にて昇華する倉敷安耶は、人類のもつどうしようもない差異を一つのものに取り込む展望の一端を提示する。うらあやかは、観客との協働によって成立させる作品を多く手がけてきた。時として非合理的な彼女の振る舞いは、効率的で合理性を強要する現代社会への避難所にもなりうる。
ここに参加する各作家は、ジェンダー、セクシュアリティ、国籍、身体、そして自らが参画している現代アートそれ自体にもアプローチする。自身にも、他人にも押し付けている「あたりまえ」を分解した先には何があるのだろうか? 【企画、キュレーション】 久保田智広 Tomohiro Kubota https://tomohirokubota.myportfolio.com アーティスト、美術修士(MFA)2020年に東京藝術大学大学院美術研究科版画専攻を修了後、現在は東京都、神奈川県を中心に活動を行う。インスタレーションやパフォーマンスなど複数のメディアを横断しながら、物事の価値基準や選別基準にまつわる制作を行う。近年の制作では、久保田は主にモノを「捨てる」という日常的な行為を通して、個人的な状況や実際にあった出来事をベースに作品を展開する。代表作に、東京大学の食堂に飾られていた宇佐美圭司の絵画が生協により無断で破棄された事件を題材にした《Decision in the Hospice》(2020) がある。 原田美緒 Mio Harada 1995 年東京都生まれ。同地で活動。東京藝術大学大学院修士課程修了見込み(国際芸術創造研究科アートプロデュース専攻キュレーション領域長谷川祐子研究室)。東京大学文学部思想文化学科美学芸術学専修課程卒業(学士:文学)。ロンドン大学東洋アフリカ学院(SOAS)交換留学生(2017-2018年)。専門は、身体、フェミニズム、及びパフォーミング・アーツのキュレーション。パフォーマーとしての活動も行う。出版の分野では、展覧会カタログの編集を多く行う一方で、自身でもzineを制作している。キュレーターとしての主な展示に「Alter-narratives―ありえたかもしれない物語―」 (2020 年、オンラインで開催)、パフォーマーとしての主な参加作品に『孵化器・ドアの翅』(2020 年、ゲーテ・インスティトゥート)がある。 【展示作家】 アリウェン aliwen 1993年生まれ、チリ出身。ノンバイナリーのトランス女性であり、活動家、アーティスト、キュレーター、研究者、作家として活動している。彼女は「芸術的実践」「アナーキーな自律性」「日常の脱植民地化」「性と性の分岐」の間を行き来し、これらを流動的に交差させる芸術的、記録的研究のさまざまなプロセスを活性化させる実践を行う。また、チリ大学、パラシオ・ラ・モネダ文化センター(サンティアゴ)、ポストナチュラル研究所(マドリッド)などの教育機関で、批評理論、ソーシャル・エンゲージメント・アート、パフォーマンスに関する講義を担当する一方で、A*Desk(バルセロナ)、Artishock(サンチアゴ)、Caja Negra(ブエノスアイレス)など、さまざまなアート専門媒体に寄稿を行う。彼女の最初の著書”Barricade Criticism. Body, Writing and Visuality in Contemporary Chile”は、2021年11月にブルックリンとサンティアゴを拠点とする編集社Sangría Editoraから刊行された。
うらあやか Ayaka Ura https://urayaka.jimdofree.com 1992 年神奈川県生まれ。2015 年武蔵野美術大学油絵学科卒業。相反する物事を反転若しくは攪拌する装置としての作品を目指す。観客との協働によって成立させる参加型のパフォーマンスおよびそのデザインを主なメディアとして制作を行う。近年は自殺以外の方法によって思弁的に自分の生に触るワークショップ「おどる墓石」の連作に取り組む。また、都賀めぐみと共に female artists meeting を行う。主な個展に 2019 年「私はそれをダンスの素子と名付ける」(広島芸術センター、広島)。主なグループ展に 2019年「TERATOTERA2019 -選択の不自由 -」(東京)など。2019 年より CSLAB 管理人。 大橋鉄郎 Tetsuro Ohashi https://tetsuro-ohashi.com/ 1994年北海道札幌市生まれ。open-air_classroom (https://open-air-classroom.org) のメンバーとして活動。出来事や物事、知識や事件に対して表層を撫でるように見ているような現在のイメージの受け取り方に着目し作品を制作している。近年では、写真に写っている物を紙を用いて立体化する作品「3Dモデル」や、ピースをしている女性を描く「ピースシリーズ」を制作している。主な展覧会に、2020 年「第 8 回札幌 500m 美術館賞 入選展」(500m 美術館 / 札幌)、2019 年「いえい、頑張っていこうよ」(salon cojica/札幌)、2019年「あれを見た、それを聞いた。そして触れた。」(ギャラリー門馬 / 札幌)、2018 年「アートプラネッツ 2018」(プラニスホール / 札幌)。 倉敷安耶 Aya Kurashiki http://aya-kurashiki.com/ 1993 年兵庫県生まれ。2018 年京都造形芸術大学大学院修了。 2020 年東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修了。公益財団法人佐藤国際文化育英財団 第26期奨学生。公益財団法人クマ財団 第3期奨学生。現在は東京を拠点に活動。 平面作品、パフォーマンス、インスタレーションなど複数のメディアを取り扱い、外部との繋がりを軸に他者との密接なコミュニケーションや共存の模索、またあるいは融合などを試みる。主な活動に2020年入選「シェル美術賞」国立新美術館(東京)、2021年 個展「3rd Mural A~ya Kurashiki Solo exhibition」BnA_WALL(東京)、2021年 個展「そこに詩はない。それは詩ではない。」myheirloom(東京)2021年グランプリ受賞「WATOWA ART AWARD」elephant STUDIO(東京)など。 パクサンヒョン Sanghyun Park https://sanghyunpark.studio.site/6 1991年韓国ソウル生まれ。個人の歴史と、社会や土地との相即不離な関係を一つの風景として捉え、形ある「モノ」に移す取り組みを行っている。彫刻、映像、インスタレーション、ドローイングなど、多様なメディアを用いることでより素早く身軽な表現の可能性を目指し、都度その風景を新たに構成することを試みる。主な展示に"人間臭さを勝ち取るための実践" - Alt_Medium (新宿)2021, "Nomadic Commitment" - New Space PA (原宿)2021, "Home Sweet Home" - Gallery_ooojh (ソウル, 韓国)2021, "Alter-narratives" (オンライン)2020などがある。 檜皮一彦 Kazuhiko Hiwa 大阪府生まれ。京都造形芸術大学大学院芸術研究科芸術専攻修了。《hiwadrome》なるコアコンセプトのもとに、自身も使用する車椅子や身体性をテーマとしたインスタレーション作品を手掛ける。また、パブリックへの介入「play」を行い、様々な境界や関係性を問い直すムーブメント、映像作品などの制作も行う。近年の展覧会に「第 22 回岡本太郎現代芸術賞展 ( 川崎市岡本太郎美術館 / 2019)」「TOKYO2021 un/real engine ―― 慰霊のエンジニアリング (TODA BUILDING / 2019)」「Kanon:檜皮 一彦 + 檜皮 しよ子 ( 岡本太郎記念館 / 2020)」などがある。主な受賞歴に、2018 年 Art Award Tokyo Marunouchi 2018 グランプリ、2019 年第 22 回岡本太郎現代芸術賞、2020 年 POCORART Vol.9 中村政人賞がある。
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Shin Noguchi: In Color In Japan, Eyeshot 2020
Format: Hardcover Pages: 200 Images: 158 Size: 22 x 27 cm Publisher: Eyeshot Country: Italy Publication Year: 2020 Prices: €52,00 / with limited A4 print: €210,00 [SOLD OUT]
Excerpt a quote from the introduction by Chuck Patch: “Like all good photographers, Shin Noguchi treats the camera as another appendage – a special sensory organ merging hand and eye that allows him to show us what he sees, and more subtly, how he sees. And his camera is always working. Noguchi is internationally respected as a “street photographer,” but while he has won numerous prizes for his work in that genre, the appellation does not do justice to his omnivorous eye. His is just as likely to record tender moments with his family or newsworthy events like the earthquake in Fukushima as his encounters on the streets of Tokyo where he works, or Kamakura, where he lives. The connecting vein that runs throughout his work is a belief in the appearance of objectivity, a belief that first began to manifest when he discovered the work of the Magnum photo cooperative when he was still in his teens. It was, as he has said, the first time he realized that art and documentation could be merged. Noguchi knows perfectly well that what he shows us reflects his own sensibility and intellect but prefers to dial back the expressionistic impulse. It is an old trick in photography: make the viewer believe that had she been standing next to him she would have seen precisely what he saw. It’s also a difficult trick to pull off, particularly when the everyday world seems to be so full of surprises. In Noguchi-world, Giraffes wander about temples with Buddhist monks; workers dive into random circular openings in giant bushes, or burst from openings in blank walls as if transporting to or returning from another dimension; golf carts cluster like insects on neon-green lawns; objects possessed of more animate power than the people carrying them seem to propel their human cargo down the sidewalk instead of the opposite. In many images, goofy absurdity suddenly explodes from a sober social milieu in a way that seems to Western eyes particularly Japanese. Sentiment and affection are common themes, but the work is never sentimental. His new book, “Shin Noguchi, in Color in Japan,” skates across the peaks of many of Noguchi’s favorite preoccupations (I personally have developed a fondness for his utterly adorable daughters) and one can only hope that we will get to explore his work more deeply in the future.”

写真集 Shin Noguchi: In Color In Japan
書籍情報: 装丁:ハードカバー ページ数: 200ページ 収録写真: 158点 サイズ: 22 x 27 cm 出版社: Eyeshot 出版国: イタリア 発行年: 2020年 価格:通常版/52ユーロ、A4プリント付き限定版/210ユーロ *通常版、限定版ともに完売いたしました。
チャック・パッチによる序文からの一部抜粋: 「他の優れた写真家たちと同様に、シン・ノグチはカメラを体の延長線上にあるかのように扱い、手と目を融合させて、彼が見ているものを、より繊細に、そしてどのように見ているのかを私たちに見せることができる。そして彼のカメラは常に動いている。ノグチは「ストリートフォトグラファー」として国際的に評価されており、そのジャンルの作品で数々の賞を受賞しているが、彼の雑食的な目にはその呼び名は当てはまらない。 家族との触れ合いや台風被害などのニュース性の高い出来事を記録するのはもちろんのこと、東京や鎌倉の街頭での出会いを記録することも多い。彼の作品に脈々と流れているのは、10代の頃にマグナムフォトの作品に出会ったことから始まった客観性への信念である。彼が言うように、アートとドキュメンテーションが融合することに初めて気付いたのだ。ノグチは、自分の感性や知性が反映されていることをよく知っているが、表現的な衝動を抑えている。それは昔からあるトリックで、写真家の隣に立っている女性は、彼が見たものを正確に見ているだろうと、視聴者に思わせることに似ている。また、日常の世界が驚きに満ちているように見えるときには特に、このトリックを成功させるのは難しい。 「ノグチワールド」では、キリンの剥製がお坊さんと一緒にお寺をうろついていたり、作業員が巨大な茂みの不規則な円形の開口部に飛び込んだり、空から降りてきたり、ゴルフカートが昆虫のようにネオングリーンの芝生の上に群がっていたり、人間以上の力を持った生き物が、人間の荷物を歩道に運んでいるように見える。また巨大な大玉のペアが倉庫に隠れようとして失敗した後、見知らぬ道行く人の上に飛び出してしまうなど、彼の多くの写真は、西洋人の目「特に日本人の目」には、真面目な社会環境から突然おかしな不条理が炸裂してくる。 センチメントや愛情は共通のテーマだが、作品は決してセンチメンタルなものではない。彼の新刊『In Color In Japan』は、ノグチの好きなこと(個人的には彼のとても愛らしい娘たちに好意を抱いている)の多くのピークを越えているので、彼の写真をさらに探求するための魅力的な誘いでもある。」
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Unknown Image Series no.8 #2 鈴木のぞみ「Light of Other Daysー土星の環」 Nozomi Suzuki "Light of Other Days - The Rings of Saturn"
void+では、Unknown Series no.8 #2 鈴木のぞみ個展「Light of Other Days-土星の環」を7月31日より開催いたします。本シリーズ2回目となる鈴木は、何気ない日常の事物に潜む潜像のような記憶の可視化を、写真の原理を通して試みています。その作品は静かで控えめでありながら、写真の本質をとらえた独自の構造と豊かさ、広がりがあり、見る人の想像力に働きかけます。
近年は、東京都写真美術館、埼玉県立近代美術館、MOTサテライトなどの国内の主要な美術館や場で発表を続け、昨年は、ポーラ美術振興財団在外研修員としてイギリスのロンドンとベルファストに滞在していました。この地で鈴木が出会ったアンティークの眼鏡や舷窓、そして、ベルファスト出身のSF作家であるボブ・ショウやイギリスを旅したドイツの作家W・G・ゼーバルトの書物からインスピレーションを受けた本展は、帰国後初の個展となります。
また、今回は、埼玉県立近代美術館学芸主幹の梅津元氏をゲストに迎え、作家にメールインタビュー*を行います。Unknownシリーズにおいては初の試みとなります。この記録はvoid+のHPで後日発表予定ですので、個展をご覧になるとともに、ぜひお読みくださいますようお願いいたします。
(*大変申し訳ございませんが、予定されていたトークイベントは、感染症流行のため中止となりました)
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<展覧会概要>
■タイトル:Unknown Image Series no.8 #2 鈴木のぞみ「Light of Other Days-土星の環」 ■会期:2020 年7月31日(金)— 8月21日(金)14:00-18:00 ■メールインタビュー:鈴木のぞみ+ 梅津元(埼玉県立近代美術館学芸主幹/芸術学) ■会場:void+ 東京都港区南青山3-16-14, 1F ■定休日:日、月、祝日 ■お問合せ:[email protected]
[主催]void+/Unknown実行委員会 [企画]カトウチカ [協力]rin art association/Pola Art Foundation
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Light of Other Days -土星の環 について
イギリスで過ごした日々の中で、写真の黎明期とともに発展したヴィクトリア朝とそれ以降の土着的な文化において、人々のまなざしを拡張した事物の潜在性を顕在化したいと思索していた。
展覧会タイトルの《Light of Other Days》は、ベルファスト出身のSF作家であるボブ・ショウによって1966年に書かれた短篇から引用している。物語の中に登場する、過去の光を遅れて届ける魔法のガラスである〈スローガラス〉という発明品は、それ自身が写真そのもののようである。
《土星の環》は、晩年を東イングランドで過ごしたドイツの作家 W・G・ゼーバルトによって1995年に書かれた書物のタイトルから引用した。脱線と連想を繰り返しながら、ヨーロッパ帝国主義の史実と文学への思索による断片が、イギリスの地を巡礼するゼーバルトの足どりとともに散りばめられ、記憶を想起するような書物だ。
私はこれらの書物を参照し、事物に残された痕跡からその来歴を辿ることを試みた。かつての人々の営みへと想いを馳せ、事物に宿る記憶のようなまなざしを写真によって可視化してみたい。〈スローガラス〉を通してそれぞれの事物が孕む小さな物語と私たちのまなざしが交叉し、新しい物語が紡がれる場となることを願って。
(2020年6月 鈴木のぞみ)
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まなざしの余白
展示空間には、円形のまなざしが浮遊している。窓、眼鏡、ルーペ、カメラ・オブスクラ、望遠鏡、そして人間の双眸……。
それらは何を見てきたのか。鈴木の紡ぎだす空間は、それ自体がカメラの構造を孕んでもいる。そこでは、時間と光に関わる事物のイメージ、形、物語が浮遊しながら連鎖する。
本来、生命も意思も持たないはずの事物が、感光性を与えられ、身体とまなざしを獲得する。客体であったはずのものが主体となる。その透明なまなざし。これらの蒐集された事物を使っていた人々は、すでにこの世界にいない。だが、人とは別の時間を蓄積してきた事物はまだそこに残っていて、かつてそこにあった風景や物語のかけらを写し出し、見る人の感情を揺さぶる。過去の光と影、言葉を写した一片は、人々を果てしない時間の旅に誘う。空間を訪れた人々の間で共有されながら、その内面で個々に変化する物語。小さき事物のまなざしの余白は、見えざるイメージと物語で満ちている。
死者、生者、事物、空間、時間、光、あらゆるまなざしと記憶が交錯する場で、私たちはその中の一粒となり、全体ともなるのだ。
カトウチカ(Unknown Series キュレーター)
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鈴木のぞみ SUZUKI Nozomi
1983年 埼玉県生まれ。東京藝術大学大学院 美術研究科 博士後期課程在学中。何気ない日常の事物に潜む潜像のような記憶の可視化を、写真の原理を通して試みている。現前しているが不在であるという性質を持つ写真を事物に直接定着することで、写真に触覚的な身体のようなものが付与され、過ぎ去りゆく時をいまここに宙づりにする。近年の主な展示に「あした と きのう の まんなかで」(はじまりの美術館、2019)、「MOTサテライト2018 秋 うごきだす物語」(清澄白河、2018)、「無垢と経験の写真 日本の新進作家vol.14」(東京都写真美術館、2017)、「NEW VISION SAITAMA 5 迫り出す身体」(埼玉県立近代美術館、2016)など。受賞歴多数。平成30年度ポーラ美術振興財団在外研修員としてイギリスにて研修。
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梅津元 UMEZU Gen
埼玉県立近代美術館学芸主幹。専門は芸術学。同館での主な企画(共同企画を含む)に「DECODE/出来事と記録ーポスト工業化社会の美術」(2019)、「版画の景色 現代版画センターの軌跡」(2018)、「生誕100年記念 瑛九展」(2011)、「アーティスト・プロジェクト:関根伸夫《位相ー大地》が生まれるまで」(2005)、「ドナルド・ジャッド 1960-1991」(1999)、「<うつすこと>と<見ること>ー意識拡大装置」(1994)など。ギャラリーαMでの企画に「トランス/リアルー非実体的美術の可能性」(2016-17)がある。美術手帖や展覧会カタログなどに寄稿多数。
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<Unknown Image Series no.8 展覧会>
未知のイメージを創出する
イメージが持つ力と本質を探り、未知のイメージを創出する。
この世界においては、日々膨大なイメージが生まれては消えていくが、ときに稀有なイメージが出現する。今回の参加アーティストは、三田村光土里、横山奈美、鈴木のぞみ、山元彩香、庄司朝美の5名。連続する個展の形式をとる。各回のトークイベントとテキストのゲストには、光田由里、梅津元、飯田志保子、中村史子、中尾拓哉らを招く。 シリーズの終了後にはバイリンガルの記録集を制作し、本というメディアにおいても新たな表現の展開をはかっていく。
女性たちがつくるイメージ
Unknown Imageのシリーズは、イメージをテーマに、今、注目すべきアーティスト一人一人の作品とその世界を深く掘り下げ、その可能性をさらに見出していく場でもある。今回は、はからずも全員が女性アーティストとなった。
初回の山元彩香は、言葉の通じない国で神秘的なまでの美しさと暴力性をもつポートレートを撮影する。被写体の名前や意識すら剥ぎ取り、空の器にしようとしても残るものとはなんなのか。鈴木のぞみは、写真や時間の原理の静かな探求者である。生命なき事物に「視線」と「記憶」を出現させ、写真に身体のようなものを与える。横山奈美は、絵画の大きな歴史と私的な小さな歴史を交錯させ、日常の取るに足らないものたちの美しさや、明るく輝くものの背後にある存在を描き出す。庄司朝美の描線は、舞台のように見る人を引き込む物語性と、生命と死のエネルギーに満ちた身体的絵画空間をつくり出す。三田村光土里は、このシリーズではもっともキャリアの長いアーティストである。ごく私的なイメージや言葉の数々は、写真、映像、オブジェ、ドローイング、インスタレーションとなるが、それらは個人の物語やアートの枠組みを越えて普遍性を帯び、見る人の心を捉えて離さない。そして、ゲストは性別や年代は幅広いが、いずれも芸術の発生の現場において、極めて優れた批評の言葉を紡いできた方々である。
美術史において、かつて周縁の存在であった女性アーティストたちは、今、最先端にいる。彼女たちがつくるイメージはどのようなものなのか。なぜそれを生み出さねばならなかったのか。参加者の出自やキャリア、テーマ、歴史や現在の状況との向き合い方、その目指すところも様々である。だが、彼女たちの存在と彼女たちがつくるイメージは、それぞれに強く鮮やかだ。その未知のイメージは見る人を深く静かに揺るがし、世界に多様な変化を生み出す力ともなっていくだろう。
カトウチカ
<Unknown Image Series no.8 今後のスケジュール>
#3|庄司朝美 [会場/会期]未定
ゲスト:光田由里(DIC川村記念美術館学芸員) *開催を予定していたHIGURE 17-15 casですが、新型コロナウイルス感染症を考慮した上、当面の間休廊することとなりました。新しい会場と会期が決まり次第、発表いたします。
#4|横山奈美 [会場]void+ 2021年5月(予定) ゲスト:飯田志保子(キュレーター)
#5|三田村光土里 [会場]HIGURE 17-15 cas 2021年(予定) ゲスト:中尾拓哉(美術評論家)
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Unknown Image Series no. 8 #2 “Light of Other Days – The Rings of Saturn,” an exhibition of work by Suzuki Nozomi, will open at void+ on July 31. In this second exhibition in the series, Suzuki endeavors to render visible by means of photographic principles the memories, akin to latent images, that dwell in mundane, everyday objects. These works may be calm and understated, but their unique structure, richness, and expansiveness, which together capture the essence of photography, mean they are sure to fire the viewer’s imagination.
Recent years have seen Suzuki present work in major museums and other venues around Japan, including the Tokyo Photographic Art Museum, Museum of Modern Art, Saitama, and MOT Satellite, and last year she also spent time in London and Belfast on a POLA Art Foundation overseas study grant. This exhibition inspired by the antique spectacles, portholes and similar objects Suzuki encountered during her stay in the UK, plus books by Belfast sci-fi writer Bob Shaw, and the German author W.G. Sebald, who traveled around Britain, will be her first solo show since returning to Japan.
In a first for the Unknown series, there will also be an email interview* with the artist, courtesy of Umezu Gen, curator at the Museum of Modern Art, Saitama. A transcript of the interview will be posted at a later date on the void+ website, as an informative accompaniment to the exhibition.
*We regret the scheduled talk event has been cancelled as a measure against COVID-19 transmission.
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<Exhibition>
■Title: Unknown Image Series no.8 #2 SUZUKI Nozomi “Light of Other Days-The Rings of Saturn” ■Exhibition Period: 2020.7.31(fri) — 8.21(fri) 14:00-18:00 ■Email Interview: SUZUKI Nozomi + UMEZU Gen(Curator, The Museum of Modern Art, Saitama / Art Studies) ■Venue: void+ 3-16-14, 1F, Minamiaoyama, Minato-ku, Tokyo ■Closed: Sundays, Mondays and holidays ■Inquires: [email protected]
Organized by void+/ Unknown executive committee Curated by KATO Chika In cooperation with rin art association / Pola Art Foundation
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About “Light of Other Days – The Rings of Saturn”
During my time in the UK, I mused on the idea of revealing latent images of objects that have served to expand the human gaze, in the context of the vernacular culture of Britain since the Victorian era, a period in which the nation’s development coincided with the dawn of photography.
The title of the exhibition, “Light of Other Days,” is taken from a short story written by Belfast sci-fi author Bob Shaw in 1966. The magical “slow glass” of the story, an invention that delivers delayed light from the past, could for all the world be photography itself.
“The Rings of Saturn,” meanwhile, is borrowed from the title of a 1995 work by German author W. G. Sebald, who spent his later years in the east of England. Sebald’s English pilgrimage is accompanied by scattered snippets of thought; meditations on the true history of European imperialism, and on literature, laced with digressions and connections, as if recalling memories.
Using these works for reference, I attempted to trace the history of objects from the marks left on them. Turning my thoughts to the endeavors of past people, my aim is to use photography to render visible the memory-like gaze that dwells in objects, in the hope that through “slow glass” the little narratives filling each of these objects will intersect with our gaze, and create settings for the spinning of new stories.
(SUZUKI Nozomi, June 2020)
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A blankness of gaze
Circular gazes—windows, eyeglasses, magnifiers, camera obscura, telescopes, and pairs of human eyes—float in the gallery space.
What have they seen? The very space spun by Suzuki also harbors the structure of a camera, images, shapes and narratives of things related to time and light, floating and forming links therein.
Things originally devoid of both life and thought are given photosensitivity, and acquire body and gaze. What should be objects, become subjects, all clear gazes. The people who used these collected items are no longer of this world. Yet, accumulating a different time from humans, they remain, describing pieces of the landscapes and narratives once there, and stirring complex emotions in those who see them. Fragments portraying the light and shadow, the words, of the past, invite people on an endless journey through time. Stories are shared among those who visit the space, each changing within each visitor. The blank gaze of these small items is suffused with unseen images and narratives.
In a place where dead and living, objects, space, time, light, all manner of gazes and memories intersect, we constitute just another tiny piece, and also, the whole.
KATO Chika (Unknown Series curator)
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SUZUKI Nozomi
Born 1983 in Saitama, Japan. Currently in the doctorate course of Intermedia Art at Tokyo University of the Arts. Suzuki Nozomi attempts to visualize, through the principles of photography, the memories resembling latent images submerged in innocuous everyday objects. Fixing photographs, which have the characteristic of being present yet absent, directly to objects, she assigns photographs something like a tactile body, suspending passing time in the now. Recent group exhibitions include “In the middle of tomorrow and yesterday” (Hajimari Art Center, 2019), “MOT Satellite 2018 Fall: To Become a Narrative” (Kiyosumi-Shirakawa, 2018), “Photographs of Innocence and of Experience: Contemporary Japanese Photography vol.14” (Tokyo Photographic Art Museum, 2017), and “New Vision Saitama 5: The Emerging Body” (The Museum of Modern Art, Saitama, 2016). Among a number of other awards, she was recipient of the POLA Art Foundation Grant for Overseas Research in 2018, under which she studied in the UK.
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UMEZU Gen
Curator, The Museum of Modern Art, Saitama, specializing in art studies. Exhibitions he has organized/co-organized at MOMAS include ”DECODE / Events & Materials: The Work of Art in the Age of Post-Industrial Society” (2019), “A View of Prints: Trajectory of the Gendai Hanga Center” (2018), “100th Birth Anniversary, Q Ei” (2011), “Artist Project: Toward the Emergence of Sekine Nobuo’s Phase – Mother Earth” (2005), “Donald Judd 1960–1991” (1999), and “Visualization in the End of the 20th Century” (1994). He also organized as guest curator the Gallery αM series “Trans / Real: The Potential of Intangible Art” (2016-17). He has contributed a great number of essays to the art magazine Bijutsu Techo, as well as to art catalogues and books.
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<Unknown Image Series no.8 exhibitions>
Creating unknown images
Exploring the power and essence possessed by images, to create unknown images.
A vast number of images are generated every day in this world, only to vanish, but just occasionally, some extraordinary images do emerge. The artists in this eighth Unknown exhibition are Mitamura Midori, Yokoyama Nami, Suzuki Nozomi, Yamamoto Ayaka, and Shoji Asami, who will stage consecutive solo shows. Those serving as guests for the talk events for each of these shows, and providing the texts, will include Mitsuda Yuri, Umezu Gen, Iida Shihoko, Nakamura Fumiko, and Nakao Takuya. After the series is finished a bilingual document will be produced, thus extending the exhibition into another form of expression: that of the book.
Images made by women
The Unknown Image series is also an opportunity to delve deeply into the individual work of some of today’s most noteworthy artists and their worlds, identifying further possibilities for each. This time, albeit not by design, all the artists are female.
Yamamoto Ayaka, featured in the first of the exhibitions, travels to countries where she does not speak the language, and takes portrait photographs suffused with a beauty and violence verging on the mystical. What is it that remains even when everything is stripped from her subjects, down to their names and consciousness, in an attempt to turn them into empty vessels? Suzuki Nozomi is a quiet explorer of the principles of photography and time. Endowing non-living things with a “gaze” and “memory” she gives her photos something like a physical body. Yokoyama Nami blends the vast history of painting and small personal histories to depict the beauty of everyday, insignificant things and what lies behind the bright and shiny. Shoji Asami’s lines create a narrative quality that draws the viewer in like a stage, and a corporeal painterly space suffused with the energy of life and death. Mitamura Midori is the artist in this series with the longest career. Her many very personal images and words are presented in photographs, videos, objects, drawings and installations, that go beyond individual stories or the confines of art, taking on a universal quality that irrevocably captures the heart of the viewer. The guests, meanwhile, are a varied lineup in terms of age and gender, but all individuals on the frontlines of art creation, of superb critical talent.
Once a marginal presence in art history, female artists are now at its cutting edge. What kind of images do these artists make? Why have they felt the need to produce them? The artists participating in these exhibitions have different origins and career trajectories, different ways of engaging with their themes, with history and current circumstances, and different aims. Yet their presence, and the images they create, are without exception strong and vibrant. Their unknown images will quietly shake the viewer to the core, and likely serve as a force for many types of change in the world.
KATO Chika
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<Unknown Image Series no.8 exhibitions schedule>
SHOJI Asami Venue and period: TBD Guest: MITSUDA Yuri (Curator, Kawamura Memorial DIC Museum of Art) *HIGURE 17-15 cas, where the exhibition was to be held, is closed for the time being in light of the COVID-19 pandemic. The new dates and venue for the show will be announced as soon as they are determined.
YOKOYAMA Nami @ void+ May 2021 (TBD) Guest: IIDA Shihoko (Curator)
MITAMURA Midori @ HIGURE 17-15 cas 2021 (TBD) Guest: NAKAO Takuya (Art critic)
写真:森政俊 2枚目の舷窓の写真:鈴木のぞみ
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舐達麻と村上隆、20年の時を超えて。馬鹿にされて、笑われて、ダサイと言われて。己の美を生きる。(舐達麻のYouTube1000万再生と村上隆のYouTubeでのエンドロール)
他人に認められるとはなんだろうか? 2020年12月15日に、 この文章を書いている日の前日に、 YouTubeチャンネル、 「Mori Art Museum 森美術館」のチャンネルから、 村上隆アーティストトークMY WORKの動画が公開された。 それと同じ様に、 YouTubeチャンネル、 AHRODITE GANGのチャンネルから、 BUDS MONTAGE/舐達麻が、 2020年7月28日に公開されて、 たった四ヶ月で1000万回再生を記録した。 僕以外からすれば、 現代美術とヒップホップの、 YouTubeでの出来事に、 なんの脈絡もない出来事である。 しかし私にとって非常に重要な日となった。 なぜなら、 僕にとって現代美術もヒップホップも、 20年以上前に、 のめり込み始めたモノだからである。 舐達麻も村上隆も、 ある意味では爆発的な人気と実力を持ちながらも、 日本では圧倒的な腫れ物であることは、 周知の事実である。 この舐達麻と村上隆に共通するものは、 「己の美を信じる」ということである。 ここから少し踏み込んだ話を、 していく事にする。 まずヒップホップの話をしていくと、 僕が日本語ラップを聴き始めたのは、 1995年頃で僕が高校生の頃なのだが、 それよりも日本語レゲエを聴き始めた方が早い。 それは1990年初頭で、 僕が中学校の頃である。 その頃から僕が住む泉州という地域は、 レゲエの聖地と呼ばれており、 レゲエといえば当時は横浜か泉州と言われていた。 僕がレゲエを聴き始めたのは小学校高学年、 姉の部屋から聴こえてくるボブマーリーに衝撃を受けた。 僕が生まれた大阪府岸和田市という、 土着的な問題や文化の影響も大きいし、 当時ほぼ日本語ラップの音源は流通しておらず、 日本語レゲエの方がまだ手に入れやすかった。 そうやってレゲエやヒップホップに影響を受け、 高校時代にスケートボードを始めて、 高校卒業した1999年頃からは、 ヒップホップカルチャの一つである、 グラフィティライターの活動を始める。 当時実際に街で観るライターなんて、 本当に数える事ができる程度だったので、 当時のライターの名前はよく覚えているし、 その当時からまだ現役で活動している、 グラフィティライターには尊敬しかない。 そしてこの様な文脈から、 私が何を言いたいのかというと、 僕は当時、 レゲエやヒップホップ、 ストリートカルチャにどっぷりハマっていた。 当然日本語ラップや日本語レゲエにも。 しかし当時、 日本語ラップや日本語レゲエが、 どれだけ揶揄されていたのか、 それを実際に体験している人は、 どれだけいるだろうか。 当時日本語ラップや日本語レゲエを聴いていれば、 「ダサイ」とか「キモイ」、 そうやって実際に僕は笑われていた。 次に現代美術の話をしていくと、 僕が現代美術を始めようとしたのは、 前述したグラフィティライターの活動に、 限界を感じたからである。 あくまでも「イリーガル」な活動であり、 限界があるのは自明であるし、 思想的にもハードコアな思想、 ヴァンダリズムの様な思想から、 変化をしていった時期でもある。 その当時、 岸和田のスケートボードショップであり、 セレクトショップのオーナーと、 親身にさせていただいており、 2002年にその岸和田のショップで、 僕の初めての個展というものを、 させていただいた。 さらに村上隆が主催していた、 GEISAI#2への参加を勧めてくれたのも、 この岸和田のスケートショップオーナーである。 その2002年頃は、 ストリートカルチャとアートの、 クロスオーバーがまさに始まった時で、 その当時に、 スケートボードショップで、 展覧会をするというのは、 全国的に観ても無かっただろうし、 当然、大阪、岸和田、 では初めての試みであった。 そのGEISAI#2や、 スケートボードショップでの個展、 ちなみにこの個展の情報は、 当時のファッション誌「カジカジ」にも、 掲載された。 それらを機に現代美術の活動を本格化し、 当時大阪の現代美術グループであり、 アーティストインレジデンスを展開していた、 そのグループの代表の方と親交を深め、 様々な現代美術の展覧会に参加する。 この様にアート活動やアートを独学で学び、 現在の美学者母が形成されてくるわけである。 その現代美術の原風景として、 またアートの作法を学んでいく上で、 村上隆抜きにして、 僕のアート活動はなかったし、 村上隆による、 「アートのブラックボックス」の開示は、 なんの才能も能力も無い僕自身に、 勇気を与え、 またアート活動の支えになってきたのは、 自明のことである。 その私が尊敬する村上隆の、 2020年12月16日に、 YouTubeにアップされた動画は、 僕にとってはかなりショックなものであった。 なんというか、 映画「村上隆」というものを、 20年以上観続けてきた僕には、 その光景が「エンドロール」にしかみえなかった。 それほど長い動画ではなかったが、 村上隆が自身の人生の答え合わせをしながら、 その人生を総括している様でもあった。 今日、 2020年12月16日時点で、 舐達麻のBUDS MONTAGE、 YouTube再生回数1085万回。 1990年代、 誰もが日本語ラップを、 笑いバカにしていた。 今日、 2020年12月16日時点で、 村上隆は世界的アーティスト。 2020年12月16日時点で、 僕が尊敬するアーティストを、 村上隆と言うと、 笑いバカにしてくる人間が、 特に日本の村アートコミュニティに、 無数にうじゃうじゃいる。 しかしこの問題は、 時間が解決してくれるであろう、 舐達麻が、 日本語ラップの、 パラダイムが変わった現在において、 圧倒的に尊敬されている事実の様に。 アート、 日本のアート、 100年後か200年後か、 そのパラダイムが変わった時に、 それは解決をみる。 動画で村上隆は、 ある種の資本主義の終焉、 資本主義アートの終焉に言及している。 それはまさに、 「大きな物語の終焉」であり、 「分散化」であり、 「個別性」であり、 「マイクロポップ」である。 「私たち」は、 「私」の「美」を生きなければならない。 「私たち」の「美」の時代は終わったのである。 「私たち」は「私たち」ではなく、 「私」なのである。 つまり、 「美」とは「私」なのである。 そしてその、 「美」を「共有」すること、 それが「道」であり、 その道を歩いていく行為こそが、 「人生」なのである。 美学者母
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