#映画感想絵
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罪人たち(Sinners)見たよ。

絵は歌うサミーの後ろに炎が上がっている様子。
ヴァンパイアパニックの王道を行きつつ、ミュージカルであり、ちょっと変わった演出もあり、アメリカで黒人、有色人種として生きることを背景にいろんな考察を考えたくなるような全部盛りの作品でありました。
映画を見る前は「権力を持った白人は吸血鬼だよ、って話なのかしら」と単純に考えていたけどそうではなかったなと。キリスト教が白人の言葉で語られる押し付けられた教えという極端な方向には行かないけれど、土着の呪術的な儀式があったり、サミーのお父さんが牧師だけどその言葉にサミーは単純には従わないのでそこら辺に屈折は感じる。サミーは音楽をどうしても捨てられないし、お父さんは悪魔と踊ることになるなんて脅すし、実際その通り吸血鬼を歌で呼び寄せてしまう。しかしスリムがブルースは聖なるものであり、黒人の心の奥底から生まれてくるものなのだと語るシーンもある。双子はお互いの繋がりを感じて大事に思っているけど、究極のところでわかりあうことはない。なんか屈折を屈折のまま受け入れて、生きていくことを選択するお話なのかもな。
87ちゃんの言っていた越境の根源的な恐怖を描いたのかなという解釈も面白い。しかし本当にそこまで考え(られ)ているのかはエンタメに特化してる面を考慮に入れると違うかも知れない…てのはあるw
サミーが歌う横で過去や未来の人物が歌い踊り出てくるシーンはなんかちょっとダサみがあったけど、面白かったwマイルズケイトンが歌い出す場面は本当にとんでもなかったな。才能がすごい。
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映画「ショウタイムセブン」を見た
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4月、5月に観た映画
※ネタバレ含みます
ドラえもん のび太の絵世界物語
傑作すぎる… オープニングから最高で映画代はもうそこで回収できる 最高すぎて泣いた 「はいりこみライト」で絵画の中に次々とドラえもんたちが入っていき、その絵に合わせた姿になるんですよ そんなのさぁ!子供の頃夢見るやつじゃん!!! そのラストが「ドラえもん」という漫画なの粋ッッ〜〜〜!!!!! オチも「はいりこみライト」を正面に当てて観客を絵の中に招く形で終わるの粋すぎる…… イラストの選出もセンス良かった 知名度あんまないのでは?というのも選ばれてましたね
クレアが表情豊かでかわいい! マイロとの甘酸っぱい関係もあり嬉しい
のび太の描いたドラえもん最高〜〜 ドラえもんとのび太の関係性の話をされると問答無用で泣ける
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名探偵コナン 隻眼の残像
ミステリー色が強めで好き 終盤になると規模がデカくなるの良いですよね コナン映画は景気が良い 内調が出てきたのにはびっくりした 内調の人、原作に出てきて国内の陰謀渦巻く規模がでかい事件やって欲しい
長野県警面子はちょっと地味なのでは?と思ってたけどそんなことはなかった 暴担当がいっぱい居た 銃撃戦の見応え良かったな〜 細かい動きが多くて何度か見たくなる場面ですね
勘ちゃんヒロイン枠じゃん…とか思ってたら終盤のアレが来てテンション上がった かっっこいいーー!!!!
コナンくん人間やめてる 今作のコナンくん普通に怖い
ハロ嫁のガラス張り部屋が再利用されててめちゃくちゃ笑いそうになった あの部屋なんなの!?
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教皇選挙
口コミの良さで観に行きました 公開日から人気だったので気になっていた まさか現実でもコンクラーベが行われるとは、びっくり
タバコの吸い殻で会話シーンを表現したりと演出がずっと良い…… コンクラーベという儀式は秘匿されているので実際どうなっているのか当事者たちにしか分からないけれど、その一端を垣間見れるような感じ 現実でも今回のコンクラーベに向けて映画を見て予習してた枢機卿の方が居たみたい 実際のコンクラーベはあんなドロドロ政治劇では無いらしいけど
保守派とリベラルの対立が中心にあり現実でも問題になっていることで時事性が高いと思った 最後のオチも現実への問題提起で、バチカンの今後をより良いものにしたいという製作陣のメッセージを感じる 女性の描写が特にそう 枢機卿は男性だけ教皇になる者も男性だけ そんな中で彼らを世話するのは女性 そこに対しても言及があり、男性社会で女性がどういう扱いを受けるのかの話をしている そこから変わろうとする者と自由なシスターたちを映して終わる爽やかなラストシーン良かった
それなのに映画の批評感想でも「ジジイが投票しているだけなのに面白い!」というものが散見されあれだけ女性の話をしたのに透明化されてしまうのかと暗い気持ちになった ちゃんと観ろ!!!!
やっぱり脚本が良い作品が好き〜 原作読みたいと思ったけど英語版しかないのよね これだけ話題になったのだから翻訳して欲しいな
ポスターも構図がキマっててかっこいい

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岸辺露伴は動かない 懺悔室
原作の懺悔室はマジで動かないので映画化にあたりどうするのか気になっていたけどこう来たか〜〜と唸った 実質続編じゃん! 懺悔室2じゃん!!!
露伴先生が教会は禁止なのに写真撮ってたりするカスムーブがナーフされていた ナーフというか禁止されているという情報が出てこないのでナーフされたように見える カスなのは変わらん! 神父と間違われて懺悔を聞く辺りのカスやってる心情も台詞にならなかったので無いけど、その辺の心情を表情で伝えてて凄かった 露伴先生がカスなこと考えてる!のがわかる
娘の幸せを邪魔する父親、吐き気を催す邪悪ですよ 原作だと尊敬に値する奴だったけど娘を掘り下げた話になると敵になる た、確かに…… 室内でも傘をさす喪服の男、キャラデザがバチバチに決まっててかっこいい
ポップコーンの場面良かった ポップコーンが顔に落ちてなんとかしようとしてる下りは特に役者さんがジョジョの表情してる あと鳩がすごい 鳩の演技がすごい
漫画のことに手を出されてブチ切れの露伴先生良〜〜〜 宝くじを踏みつけるシーン好き
映画オリキャラのロレンツォが良いキャラしてて最高 泉編集タイプの陽イタリア男が影のある幸薄女のマリアにベタ惚れしてるの良すぎるだろ 細かくは覚えてないんだけど「君の初めての一番になれるんだね」みたいな台詞! キザでロマンチックで最高だった
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パディントン 消えた黄金郷の秘密
パディントン三作目、ロンドンのくまがペルーに帰る!
故郷ペルーでの冒険なのでロンドンのシーンは少ないんですが序盤のパスポートを取得して正式にロンドン市民になるパディントンだけで、ロンドン味を十分に味わえる エリザベス女王陛下とお茶会友達なのに市民権持ってなかったのかパディントン 今回の映画で本物のパスポート作ってもらったらしい 晴れてロンドン市民になれて良かったね
パディントンはペルーからロンドンに来た移民な訳ですけどそんな彼が故郷にも自分の居場所があったことを知っても、ロンドンの家族たちの元を選ぶところほんと〜に良かった 自分のルーツ知った上で自分の居場所を自分で選ぶことに価値がある コメディ作品だけれども真剣にアイデンティティの話をしている
胡散臭い敵キャラが良かった 胡散臭い敵キャラは最高ということをパディントンは教えてくれる 胡散臭い敵キャラ×2でお得感がある
パディントン2の敵キャラが服役を終えるらしいことにびっくりしました そんな年月経ってるのこれ 改心自体はしてるけど懲りてなさそうなところがチャーミング 改めて良いキャラしてますよアイツ パディントン2は最高の映画 今一度改めてみんな観ましょう
続編が決まっているらしい! 次はパディントン4! パディントン3は物語に一旦幕を閉じるような話だったので次回作がどうなるのか全く予想がつかない! 今後ともペルーから来たロンドン英国紳士のクマが景気良く物を破壊してくれると嬉しいです
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Perfect Days
A film I watched between New Year's Eve and New Year's Day was Wim Wenders “Parfect Days (’23)”. A story with no beginning and no end, with timeless images and music that made two or three rounds, I was unintentionally living in the film.
The film depicts the analogue daily life of a public toilet cleaner in Tokyo, but before you know it, your heart is filled with ‘Oh, I know this person’ or some other very ordinary daily routine that emerges as a special scenary.
The film is set in downtown Tokyo, Asakusa, around Sumida and Shibuya wards, all purely tourist destinations, but this is the traditional Tokyo, the town of modest people in the Edo period. So both outsiders and insiders can fully identify with it.
It quietly depicts the most powerful strengths of the weak. Despite being in the unspoken battlefield of everyday life, he transcends it. He does not miss the sunlight through the trees or the joy. He never fights, and yet he lives unaffectedly, without giving in: ‘That's the kind of person I want to be’. It is reminding us of Kenji's masterpiece: ‘Against the rain, against the wind... never greedy, never angry, always quietly smiling...’
Am I the only one who saw true ‘Zen ideology’ and ‘ Emptiness’ in such a character?
Is Mr Wenders a reincarnation of Saigyo or Basho?
While I was thinking about this and that, the TV went on to the Hakone Ekiden marathon, a New Year's tradition, with a spectacular view of Mt Fuji and a sky reminiscent of Hokusai's ukiyo-e prints, and thought to myself that New Year in Japan is jolly good.
I had truly ‘Perfect Days’.

パーフェクト・デイズ
大晦日から元日にかけて、わたしが観たお正月映画は、ヴィム・ヴェンダース監督の『Parfect Days (‘23)』だ。始まりも終わりもないストーリー、タイムレスな映像と音楽に2周、3周しているうちに、思わず映画の中に住んでいた。
東京の公衆トイレ清掃員のアナログな日常を描いた作品で、「あ、こういう人知ってる」とか、ごく普通のあるあるの日常が、特別なイメージになって浮き出され、いつの間にか胸が一杯になっている。
映画の舞台は東京の下町、浅草、墨田区、渋谷区といった純粋な観光地だが、これこそが真の東京であり、江戸庶民の町である。だから、外の人間も内の人間も十分に共感できる。
弱者の最強なストレングスを静かに浮き彫りにする。日常という暗黙の戦場の中にいるにもかかわらず、彼はそれを超越している。決して戦わず、尚も屈することなく、淡々と生きている、「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」。「雨ニモマケズ 風ニモマケズ…慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル…」あの賢治の名作すら思わせる。
そんな人物像に真の「禅の思想」「空」を見たのは、わたしだけだろうか?
ヴェンダースさんはもしや、西行、または芭蕉の転生なのでしょうか?
そんなことをあれこれ考えていたら、テレビは正月恒例の箱根駅伝をを映し出していた。富士山の絶景と北斎の浮世絵を思わせる空を見て、日本のお正月はいいなあ、と。
まさに「パーフェクト・デイズ」だった。
#zen#mindfulness#wisdom#philosophy#nature#art#perfect days#wim wenders#tokyo#cinematography#film#movie#kenji miyazawa#new year 2025
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プレゼン振り返り
本日プレゼンの方々お疲れ様でした🎶めなめなぬーんちゃんも参加してくれて嬉しかった!自分も他ゼミもぐりんしてみたいなと改めて思った。
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Mさん
人体の数理的解釈→ライブ2D
目的…人体の動きに合理性を持たせたい
感覚でモデルを作る→人体の研究→モデル作成
数学の写像に値する、写像…ある集合を一定のルールで別の集団に変換すること
イメージ…球上の点Pをz軸上でθぶん動かす的な感じ、y軸視点なのでy軸の変化は無視できる→これは三次元のものを二次元に置き換えることと同じこと=ライブ2Dにも当てはまる
(わかりやす⁉️Mさんに数Ⅲ教えて欲しかった、そしたら自分数Ⅲマスターになれたんじゃない?)
人体を幾何学図形に近似して調査
価値…配信に対して、ライブ2Dモデルのせいでネガティブな印象を与えない
��題
どんな形態に近似するか?骨格と絵柄に多少の乖離
線対称じゃないと数理的に計算しにくい、アシメのキャラへの汎用性が低い
感覚で作るほうがうまくいく場合もあるのでは?
3Dモデルを作って参照するほうが早いのでは?
動きを研究したいらしいが、研究しようとしているのは人体の形そのものっぽい?どちらもやろうとしているようなくはしているが、それぞれにおける指標は別のものになるのでは?
細かいところだが、頭飾りのリボンは柔らかくふわふわ動くほうがかわいいのでは?今は全く動かないので、、、あと触覚ももう少し動いてほしい。
→デフォーマの変形のみ、今回は物理演算(扱いが難しい)は入れないかも
先生から…ライブ2Dの現状の問題点は何?→感覚だより。技術の向上における一定の尺度などがない。
動きを拡張する方向なら、人体そのものではなく、全く別のモチーフ等を参照してもいいのかも?
一企業がやっているものに対する依存性
Kさん①から…実際の頭蓋骨で測ってもデフォルメキャラへの応用はできないのでは?
Yさんから…ライブ2Dも作る人の個性が出るもの、この合理性的な観点がMさんの個性になったら面白そう
ライブ2Dの技術がない人向けのベースキットとして発展したらいいのでは?
Unityでライブ2D作っている人もいたが、この人は横顔までうつせる→ライブ2Dにも一応先行事例がある、が、好きではない
Kさん②から…何をもって「良くなった」と言えるのか?評価が感覚的なものに戻るのではないか?→鑑賞の際��感覚は切り離して考えていた。基準は今の段階ではない、比較した際の仕上がりが一目瞭然だとわかりやすいはず
先生から…違和感を消したことで提案できる価値がほしい。何につながって何が言えるのか?これが展示形態にも繋がる。感覚的なもののメソッドの提案もあり。平面を立体にすることが必ずしも必要とは限らない
Aさんから…モデラーに話を聞くのもありなのでは?
Kさんから…アドビキャラクターアニメーターがライブ2Dに近いものがある。もしかしたら使えるかも?
Nさん
巨大造形とかわいさの共存
大きいからこそ得られる親しみや癒しを研究したい
でかい=怖い という意識を変えたい
世の中には巨像恐怖症もある
Fホフマン ラバーダック(でかあひる)
Nさんの考える「かわいい」…一生懸命な健気さ、もふもふ感
不安要素、課題
「かわいい」の定義
IKEA(コストコだったわ、、、)のくまのぬいぐるみとか抱き枕とかあると思う。恐怖を感じるならどこからなのか?先行事例的に10mくらいのものを想定した。正直去年の卒制のイニュ(彫刻学科の先輩作/全長2-3mくらい)は怖くなかったので、3m程度なら怖くないと思う。結局外観が「ゆるかわ(まるさ、淡い/ビタミン系の色味、空気を含む質感など)」なら怖くないのでは?見た目に依存するのでは?10mでも怖くないのかも、、、
→原色なら怖くないと考えている
ぬいぐるみと健気さの両立はどうするのか?健気さって具体的に何を指す?
→あくせく動く、小さいけど一生懸命生きている
「かわいい」と感じる形状の根拠も欲しい
→求心顔、耳が小さいアンバランスさ、下膨れの顔
なぜ安心感を付与したいのか?
Yさんから…イラスト、ものくぼさん(でか生物と人間など) 空間は演出せずぬいぐるみだけ?
自立したくまのぬいぐるみの先行事例、抱きつくところだけ柔らかいのもありなのでは?
Kさん①から…ベイマックスが似ているのでは?
Kさん②から…コストコのくま→抱きしめられる側じゃなく抱きしめる側くらいの大きさのぬいぐるみを作りたい
先生から
ニーマンマーカス?(聞き取れず、、、)
そもそも大きなぬいぐるみ?大きくなったぬいぐるみ?巨大化させたなら糸の太さも変える必要もあるのでは?スケールを考える際はここも着目する必要があるのでは?
自分の美意識を一度疑って探っていく必要がある、詳細に答えを出すのではなくその先の目的や意識に目をむける、立体は量感の造形
造形性=どうデフォルメしていくか?
Tさん…10mくらい欲しい。
参考になるかも?…ぬいぐるみベッドは?ゴムボールを中に入れるのは?
Hさん
小さな気づきへの感受性、装飾に重きを置いてきた
縫い目の痕跡の可視化、見せる痕跡とかくす痕跡
縫い目に装飾的・美的価値
見せる縫い方と隠す縫い方がある
小さな気づき→見過ごされがちな縫い目に着目できる
装飾への興味→趣味嗜好
装飾→てを加えることの価値を生み出している
縫い目と痕跡についての先行研究はない
ぬいあと図鑑、透明素材に刺繍、あえて見せる縫い目(通常は見せない縫い目を見せる、目立たせる)
裏面の綺麗なミシン等ではなく、手作業の手間から生じる価値に重きを置いているっぽい=職人の手作業・手仕事に関しても参考になるかも?「織る」布製品等も手作業の堆積
先生から…裏面に意味がある、表と裏で違うとか?二面性を出せるかも、この方向もありかも?
題材に作家性などがあらわれてくる
手作業の温かみを残すのか否か(どちらでもいいが自分の中で答えは出すべき)
手芸から離れて考えていくのもいいのでは
Yさんから…表は離れた刺繍あとでも裏面は地続きなどある
Kさんから…刺繍=時間を圧縮した結果だと感じた、時計のクロスステッチは時間と手作業の圧縮が組み合わさっていて関連性がある
Nさんから…手芸は癖が出やすい、これが裏表で出てもいいかも
Kさん
ブランドのストーリーテリングと人の感情を動かすプロセス、内面に気づくジュエリーブランド
人間は物語を通すことで内容を理解しやすくなる
心を動かすストーリー=「Why?」に答えられる、顧客自身が主人公、簡単で明確、「変化」がある
Appleの広告→難しすぎて伝わらず、失敗した経験から広告を変えた(確かに!!振り返るとAppleの現在の広告はこれに当てはまるかも)
人物(ターゲット)→困難→⭐️ガイドと出会う→⭐️困難を乗り越える計画の提示→人物の成功
⭐️=ブランドが担う役割
自分自身を見つめ、内面的な変化を促すブランドがあまりない
怒りや不安からくる不安定な感情
我慢しても発散しても良くない=心を落ち着かせる必要がある
感情の気づき=認識すると意識が向き、改善に向かうから必要
ブランド「共鳴」
自然の波動と感情の共鳴
類似した安定した波動により波動は起こる
波動と共鳴できる状態を作り出し、安定したこころに
継続して意識する必要がある、ジュエリーとして身につけることの意味
広告映像 波動の擬人化にストーリーを持たせる
感情の波動はどう可視化?心拍数とか用いるのか?
キャラクター映像が出てくると一気に親しみが生まれ、ジュエリーの高貴な印象からは離れそう(それこそ最近も起用する人物についてSNSで少し話題になった)、主人公のいらないストーリーっぽいのでいらないのでは?
先生から…金属の3Dプリントも検討してもいいかも。感情と心理は分けて考えるべき
蝶の容器を出力してその中で振動を与えてもいいのでは?
Mさんから…気づきは外の環境の変化が必要なのでは?人体における振動はどう可視化?
→思考を変えれば気づきが起こるという認識だった。ジュエリーがきっかけになると考えていた。また、心臓や脳から波動が出ていると研究がある
Kさんから…科学的に人間と自然とが共鳴するのか?→しない、自分自身で結びつけた
Aさんから…器の形状によって模様は異なるのでは?結びつけたモチーフの意味は?
→森、砂漠、海、洞窟に分けた
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2025/06/21
お昼すぎまで揚げチキ🐓。お昼何故かいつもワンオペなのですが今日は特に激混みだった。常にレジが行列で発狂寸前だった。
セルフレジがあるのになぜか誰も行かない。ずっとセルフ側は空いてるのにわざわざ10人近く並んでいる有人に律儀に並んで、正直お客様はあほでございますか?と言いたくなる。 時間の無駄だし昼休みが勿体無いだろう。
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アドリブが壊滅的に駄目なので、わけわかんなくなっちゃったよᵕ᷄≀ ̠˘᷅ と頭の中がこんがらがって駄目だった。台本があっても説明は苦手でしかない、自分の中で理解してるものは相手も同様に理解していて当然だと思っている。
𖧷 ⁺.内容について𖧷 ⁺.
研究の大枠【心理的武装】
「絵が心理的な支えとなり、精神を安定させる(心理的武装)」という内容。
現在のテーマ:「キャラとの距離感と表現の変化」
この心理的武装という概念を深掘りする中で、『キャラクターと自分の“距離感”それが表現や受け取る効果にどう影響するか?』という点に着目しています。
私自身、自分の創作キャラは「理想・憧れの存在」として描いており、基本的には自己投影せず、距離は遠めです。
しかし一方で、夢絵や自己投影系の創作のように「キャラとの距離が近い表現」も世には存在しており、それぞれが心理的に与える効果が違うと考えています。
↓↓↓↓
遠い≫憧れ的存在、モチベーション、努力の原動力
近い≫安心、癒やし、共感
【 仮説 】
絵に求めるものが人によって違うため、キャラクターとの距離感の取り方も変わり、それが心理的効果や表現内容の違いに直結しているのではないか?キャラクターに自己投影するかしないかという論争も、この「キャラとの距離感」や「求めている効果の違い」から生まれている?
【 研究の進め方 】
基本的には**自分の主観(体験ベース)**を軸に進めたいと考えています。客観的な立場で進めようとすると、相手に「そう思わない」と言われた時点で話が終了してしまうので。
【 映画やアニメーションはキャラクターと観客の立ち位置を考えながら作られているという話について 】
以前履修したアニメーションの授業で、鑑賞者に伝えるための構図~~~……とかそのへんの話があったような気がする。その授業の資料を探したら、データがちゃんと残っていたので見返してヒントにしてみようと思った。
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2025/6/6
活動記録 今週はテーマシートの記入に進むために、今まで調べたことの見直しや調査、CG制作に取り組みました。 以下の画像はこれまで調べたものをfigmaにまとめたものです。(灰色の部分は調べたことに対する私のコメント等です。) 視野が狭くならないようにするために作りました。 リンク
以下はメ��ニズムの定石(機構学)をもとに生物の構造を考えて作ってみたものです。食べ物を食べる(もしくは仕事としてものを圧縮する)機械生物をイメージして、プレス機の構造を参考に内部の構造を少しだけモデリングしてみました。
そして作りながら考えた生物が以下の画像です。

以下の画像はメカニズムを調べる前に描いていたのであまり参考にはしないかもしれませんが、先週と同様のイメージラフです。

まとめるとこんな感じです。
ファンタジーを印象で語るのではなく、構造や機能を持った理屈のある造形をしたいと再確認
機構学の資料を調べ、メカニズムの理屈を応用したデザインの方が自分の興味と向いていると実感
そのため、動きの理由と機構をセットで考えた空想生物の造形を目指す方向へ整理
よって現在機械系の方向に行っている気はするのですが、結局どういった研究テーマにするのか、最終成果物を映像にするとしても、ストーリーを作るのか、といった部分で悩んでいます。 -忘れないうちに追記(考えの整理なので敬語は外します。)- 本日面談をしてみて、とりあえずメカニカル系の造形を中心に取り掛かってみることになった。 またファンタジーのイラスト等に関してはイメージを固めるためのラフと捉えていたこともあり、あまり絵柄自体に頓着はしていなかったが、絵柄自体がファンタジーの作者の作品を見て、構造や内容の他に絵柄的な部分にも着目してみても良いかもしれないと思った。(平面イラストに関しては、恐らく最終成果物がCGになることからそこまでこだわる必要はないかもしれないが、以前講義で紹介された映像(椅子から離れられないCGのショートアニメーション)ではわざと歪んだモデリングにしていたため、そういった部分から独自の世界を表すことも出来るのではないかと考えている。)
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ハロー(´ー∀ー`)2025.5.25
最近は前ほど映画を観ていないのですが、サブスクも観たいものがあまりないなーと思いつつ、映画熱があまりないだけなのかもしれません。来月はイカゲームシーズン3が始まるのでその頃にネトフリに入って色々観ようと画策中です。
先日、GEOのSwitch2抽選結果がでました。なんと当選しました😭メールが来た時は鳥肌が立ちましたwそして姉も当選しました🤣これで発売日入手が確定いたしました(別に発売日に確実に欲しい!!!ってことでもなかったのですが←)楽天ブックスもAmazonも外れたので、GEOも外れるのだろうって思っていたので驚きました。感謝の気持ちでお祈りしました〜神様ありがとう🙏
ということで6/5が楽しみですねヽ(´>∀<`*)ノマリカセットが当たったので姉と姉の子供達とチャットを繋げて遊びたいと思います笑
(周辺機器とか画面保護シートとか買わないといけないですね…というか必要なものがあるか調べないとだな)
「思い出のマーニー」を見返しながらこのブログを書いていましたが、やっぱりこの映画は号泣してしまいます。主人公のアンナが段々笑顔を取り戻していく様子も、あの湿地の屋敷に住むことになった東京からきたサヤカちゃんもめちゃくちゃ良い子だし、病気静養でお世話になったおじさんとおばさんもとても良い人だし、アンナを引き取ったおばちゃんの辛さとかにも感情移入してしまうと泣けるし、何よりマーニーの謎が解けた時の感動が何度も泣いてしまう😭
過去と繋がって、アンナがいかに周りの人に愛されていたかということに気づいていくとても心温まるストーリーですよね。マーニーがとっても可愛い。かなりデトックス効果が高めの作品です。
そして土曜に半年ぶりくらいに映画館へ行ってきました。
「ミッション:インポッシブル ファイナルレコニング」
169分という長さでしたが、トムクルーズ���本当にすごい・すごい・すごすぎるといった感想しか出てきませんでした←
今作でタイトルに「ファイナル」とついている通りシリーズの終わりってことなのでしょうか。ストーリー的には綺麗に終わりました。エンティティと呼ばれみな口々に「それ」と言ってましたが、AI(それ)対人間対人間みたいな笑
AIに牛耳られ人類は滅ぶのか、AIを掌握し自分の思い通りにしようと企む者、そしてAIを止めようとするチームイーサンの奮闘劇って感じでした。
結構ハラハラドキドキする展開が多くて、かなり体に力が入ってしまったり今回チームイーサンの中で死亡者も出たりして泣いたのもあったしかなり鑑賞に疲れましたw w
でも本当に面白かったです。しかしトムは63歳であんなに全力疾走を何回もできるもんかね…かなり走らされてました←でもあの走り方好きなんだよねぇ😌🏃💨
そして今作1で出てきた人が出演したりして、そんな繋がりがあったのか〜とか(正直1の内容覚えてないけど)過去作の映像も色々出てきたりしてこんなに長尺になったのだろうかとか考えちゃったよねん。
海の中に潜水するシーンが多くて、めちゃくちゃ苦しくなったしミサイルがいつ爆発するのかとハラハラしたし、窮地に陥って深海で裸一貫になるトムとかもうめちゃくちゃすぎるんですよ。
AIと繋がったり、プロペラ機の翼の部分でしがみついたり。でもね、敵をボコボコにするシーンを音だけで見せなかったり結構気絶させられてからの場面転換とか多くてその辺がミッションインポッシブルな感じしましたよね←(どんな感じだよ)
63歳のトムを気遣った展開なのかなとか、もちろんゴリゴリにアクション頑張っているのですがちゃんと抜くところは抜くといったところなのかw
宿敵ガブリエルとの死闘のラストが何ともお笑い全開で笑ったよね。というか笑えるポイントもいくつかあってホッとしたよね。
チームイーサンで亡くなったキャラは本当に残念すぎたけど、その後は皆無事だったから本当によかったです。(爆弾処理班が最後10秒でまあまあ遠い避難通路に走ったのは本当に間に合ったのかという疑問が出てくるが←私だったら確実に死んでる)
そしてラストがね、私的には本当によかった。人類をAIから救ったイーサン達を誰も知ることなく、あの大衆の中でチームが解散する終わり方はとてもかっこいいと思いました。だって多分ほとんどの人間が地球がそんなことになっていたとは知らなかったはずだし、普通に生活を送っている間にイーサン達や軍関係者、大統領が動いていた事とか知らなかったはずだと思ったんですよ。
だからあの大衆=映画を見ている私達なんだとも受け取れるなと感じたし、その何も知らない私達の側に確かにチームイーサンは居るんだってメッセージを私は受け取りました。
今の現実世界へ向けての大きなメッセージもあるなと感じたんですよね。AIの問題とかただの絵空事ではないと思うし、都市伝説の話とかも好きだからよく見るけど7月の予言の事とかもあるけど【もしも人間が窮地に陥ることが起きたとしても人と人は助け合える】みたいな壮大なメッセージを感じました。
(※私の勝手な解釈です)
みなさんぜひ映画館で観てください!!!と大きな声で伝えたいです。
そしてラストも涙が出て私は退場する時、階段を降りているところで鼻の両穴から鼻水が盛大に吹き出しマスクの中が鼻水祭りになったことをお伝えしたいと思います。
(どうでもいい情報だし汚いわ←
そんでさー、ソウXを観に行った時も気分悪くて途中吐いたって言ってたんだけども今回も結構気分悪くなってずっと息苦しかったんですよね。映像の点滅もきつかったし、大画面での情報過多もきついと感じることがありました。これはもしかしたら映画館という閉所がダメになりつつあるということなのか、他人が密集する閉所がダメっていうことなのかこの症状は一体何なのでしょうか。今ネットで調べてみたら「パニック発作・広場恐怖症・閉所恐怖症」などが該当しそうに思えました。今後は映画館へは気軽に行けないかもしれないなと感じましたね😭あまりに酷いようだったら病院に行くという手もあるだろうし、今のところは映画館だけなので行かないようにすればいいという対策ができるので大丈夫でしょう。悲しいけど…
そんなこんなで書き忘れていた少し前に見た映画の感想↓
「インサイドヘッド2」
とにかくライリーにイライラした。そして「シンパイ」が超イライラした←
ライリーの学生生活に何一つ共感する部分がなくて、親友達を大事にできないことに無性に腹が立ちました。私が友達だったらライリーとは友達やめます←
ただ多部未華子さんが声優めちゃくちゃお上手でした。声も可愛いよね。でもあの可愛い声じゃなくて、ちゃんとシンパイのキャラに合った声になってました。
「ライオンキングムファサ」
子ライオンって何であんなに可愛いのでしょう。ムファサっていうよりスカーの子供時代タカの話って思えた。あんなに誰よりも優しいタカがスカーになるなんて…何か嫌だよね←
しかもそのきっかけが雌ライオンの取り合いだし、ムファサがちょっと抜け駆けした嫌な奴だった←
モヤモヤだよねー。
「君たちはどう生きるか」
これさー、はっきり言うと全然面白くなかったんだよね←
今までのジブリって8割わかって2割わからんみたいな比率だと思っていたから、その2割わからん部分が見る側の解釈を広げるんだとも思っていたし子供の時と大人になって見返した時の感想が変わるのが魅力だと思っていたんだけども。
この作品は2割わかって8割わからん感じでした。(※個人の感覚です)
8割わからん=面白さも皆無
というかストーリーが本当に意味わからない…ざっくりで言うと母親が火事で亡くなって父親が母親の妹・夏子と再婚してお腹には子供がいて、主人公のマヒトが夏子の大豪邸の実家へと引っ越してきたところから始まるんだけどもそこで起こった不思議体験みたいな感じです。この複雑な家族関係もそうだし、マヒトの夏子への感情はただの苦手意識とか受け入れられないといった感情だと思っていたけどどうやらそうではないことを感じながらストーリーが進んでいくんだけど、転校先でいじめられて帰り道に自分で石を頭にぶつけて流血するシーンは「???」ってなりました。
ただ単に学校休みたかっただけなのか?とも思ったけど、よくわからんかった←
そして青鷺が現れて、言葉を喋りそこから不思議な世界へと誘われていくんだけども、その理由も行った先の世界の理とかも一切意味不明w w
どうやら生まれる前の世界のような場所ってことは何となくわかったし、あのワラワラという生物が人間になっていくということは理解できたけど、わからない部分の方が多すぎて「ふーん」ってなる事が多かった←
その世界で若かりしなのか過去世の母親なのかヒミという女の子に会います。私としてはこの女の子とマヒトの会話も意味わからなかったし距離感とかもちょっと気持ち悪さを感じました。
総じてこの作品を観て宮崎駿の性癖のようなものに触れた感じがして、私としては気持ち悪いという感情が1番に湧いてしまったことが反省点ではあります←
レビューを色々読んでいたら「ジブリファン向けの作品」と書いてる人がいたけど、ジブリ結構好きだったけど受け入れ難い作品だと思ったし、この作品を観たことによって過去作の様々なシーンへの解釈が変わってくる毒素もあるなと強く感じました←
そしてあまりにもわからなさすぎたので、この作品を考察している動画をYouTubeでいくつか見てみたら、気持ち悪いと感じる原因もわかったしこの作品の本質も���ちんと考察してくれている方がいて大変わかりやすかったです。ですがその人もこの作品はどちらかというと面白くはないですってはっきり言ってて笑いました🤣
ただアニメーションの最高峰っていうのは納得の映像ではありました。未来でまた見直すかと問われたら答えはNOですが←
最後に言わせて欲しいのは「青鷺って青色じゃないよね」
(どーでもいーわ←
とまだまだ書きたいことはあったのですが長くなってしまったので今回はこの辺でおしまいです。
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みんなの笑顔が好き
私は長い間、言葉にすることをためらっていました。周りに理解されないこの世界で生きていくのだから、自分の心の奥にしまっておこうと決めていました。
けれど、年を重ねた今、私を生かしている不変の想いを、祈るように語ってみようかと思うようになりました。これは、私の生きてきた記録です。動物たちの声なき声に、私なりに応え続けてきた足跡です。誰にも見つけてもらえなかったとしても、この記録は、いつか誰かの心に静かに届くと信じています。
1.与えられた世界で
子どもの頃、私は世の中から与えられたものを、「そういうものなんだな」と、どこか素直に受け止めて生きていました。動物が好きでした。花が好きで、蝶が好きでした。触れることも、眺めることも、すべてが新鮮で美しく、そこにある命の気配を感じながら、こういうところなんだなあと見ていたことを覚えています。
お刺身が好きでした。シチューも好きでした。それは、味が特別好みだったというよりも、他のものよりなんとなく「好き」という曖昧な感覚でした。カレーも好きでした。具材がどうこうというより、「甘口が食べやすいな」「ごはんがすすむな」そんな感じだったと思います。
本当に、それ以上のことを考えようとしませんでした。大好きな動物たちと、食卓に並ぶ料理のあいだに横たわる残酷さに、ぼんやりと気づいていながらも、「きっと万事うまくいっている」「酷いはずがない」と見ないようにしていたのだと思います。心のどこかで違和感を感じながらも、それを意識の奥に沈めていました。
2.扉が開いた日
思春期を過ぎた頃、私は食べ物を見た目や雰囲気で選ぶようになっていました。スマホも普及しておらず、情報の多くはテレビか雑誌から得る時代でした。私はジャンクフードやスナック菓子に囲まれていました。心のなかにうっすらとした違和感はあったけれど、意識的に向き合おうとしませんでした。
そんなある日の夕方、何気なくつけていたテレビから衝撃の映像が流れました。白いうさぎたちが、金具で頭を固定され、身動きもできずに実験を受けている姿でした。動物実験の現場を映したニュースだったのです。私は言葉を失い、呼吸が止まるような思いでした。まるで稲妻が私を貫いたような衝撃を受けました。
当時、私は自分の飼っていたうさぎの病気を治すために必死に看病していました。まるで自分の子どものように大切にしていたうさぎのほのかちゃん。その最中に、この映像を見たのです。私はテレビに映っていた動物実験廃止の活動団体の名前をメモし、ホームページを調べました。そこには、私の想像をはるかに超える現実がありました。
化粧品の動物実験、毛皮のために皮を剥がされる動物たち、畜産で苦しむ命、野生動物の扱い…。私は衝動のままに、郵便局へ走りました。会費と寄付金を送り、その瞬間から、私の人生は変わったのです。私はアニマルライツのヴィーガン(完全菜食)になりました。
3.失ったもの
私は迷わず、一日でヴィーガンになりました。動物たちの現実を知り、知ってしまった以上、もう以前の自分には戻れませんでした。見て見ぬふりはできませんでした。知って良かった。ソクラテスの言うとおり、無知は罪だと思いました。だから、みんなもそうなると思っていました。疑いもしなかったのです。
私は、知らなかったから食べていた。だから、みんなも「知らないだけ」。動物たちの置かれている残酷な現状を知りさえすれば、きっと友人たちは私と同じように感じ、菜食になり、一緒に声をあげてくれる…そう信じていました。
でも違った。
まさか、私が責められるとは思いもしませんでした。ましてや、自らの生き方を正当化するために言葉で攻撃してくるなんて…。「伝え方が悪かったのかもしれない」私はそう思い、もっとわかりやすく、もっと簡潔に、感情的にならないように工夫をしました。
それでも、届かなかった。
「どうして? どうして?」
情熱は空回りし、私はうるさい人と思われたかもしれません。渡したチラシは送り返されてきました。友人たちも私も互いに距離を置くようになり、やがて私は、完全に一人になりました。けれど、それでも私は、あきらめるつもりはありませんでした。絶対にどうにかしなければという使命感に満ちあふれていたのです。
4.絶望の中で
私は毎日泣いていました。動物たちが苦しみ、もがき、叫び声をあげる姿が、頭から離れなかったのです。起きているときも、目を閉じているときも、残酷な映像が脳に直接送られてきている感じでした。私は謝り続けました。何度も何度も、心のなかで、口に出して。
「ごめんなさい」と。
人間の罪は、同じ人間である自分の責任だと。人類に絶望しながら、自分もまた残酷な人類の一員であることがいたたまれませんでした。でも、だからこそ思ったのです。「私が人間に生まれたことには意味がある」と。動物たちを苦しめているのが人ならば、動物たちを救えるのもまた、人にしかできないのだと。
私は、何かをせずにはいられませんでした。駅前でのチラシ配り。パネル展。講演会。デモ行進。自作のホームページで発信し、図書館や地域の施設にリーフレットを置いてもらい、イベントに参加しました。少しでも多くの人に「現実」を知ってもらいたくて、同じように苦しんでいる同志を見つけたくて、わかりやすく、伝わりやすくすることに心を砕きました。
絵本も出版しました。動物の法律が変わろうとしていた年には、議員に何度もFAXを送りました。まだスマホがない時代です。やれることは、全部やろうと最善を尽くしました。
そんななか、私の心は少しずつ削られていきました。
情報を正しく伝えるには正確な資料が必要なので、動物実験や畜産の現場を映した写真や映像を取り寄せました。しだいに家の中は、大キライな重たい情報で満たされてきました。会報やメールでも、見たくない、知っているはずの残酷な現実が、何度も届きます。
「私はもう知っているのに!どうして、また見なきゃいけないの? 知らない人が見ればいい‼」
叫びたい気持ちを抑えながら、それでも私は、正しく伝えるために見続けました。そして、限界を迎えたのです。
5.沈黙の季節
私は人が怖くなりました。電話が鳴るだけで胸が苦しくなり、コンセントを抜きました。布団から出られず、ただ泣き、眠り、また泣きました。唯一外に出たのは、愛するうさぎのほのかちゃんのごはんを買いに行くときだけでした。ほのかちゃんは、いつも私の涙をなめていました。彼女の存在だけが、私の心を現実世界に繋ぎとめていました。
私は、自分がうつ病なのだと感じていた。今からもう二十五年以上も前のことです。電話ひとつかけられず、病院に行くことさえできなかった。誰か助けてほしい。でも、その「誰か」はどこにもいませんでした。
パソコンで「うつ病の症状」を検索すると、すべてが当てはまっていました。けれど、当時は今のように気軽に相談したり、質問できるSNSや動画の解説もありません。私はただ、苦しみもがきながらも、自分でどうにかするしかなかったのです。
人と話して傷つけられることに異常に敏感になっており、誰かと関わることが吐き気のするくらい苦しかった。だから私は決断するしかありませんでした。
「私は鬱を自分の力で治す」と。
精神世界の本を読みあさり、スピリチュアルなグッズに救いを求めました。ゲームや映画に逃避し、そして、祈りました。絵を描き、涙を流し、眠る日々。そんな状態でも、私は諦めたくありませんでした。絶対に、何か出来ることをしたい。どうにかしたいと強く思っていました。この狂った世界で犠牲になっているほのかちゃんの仲間たちを、ひとりでも多く救わなければならないという想い。そして、残酷な人類の一員として、彼らに与えた苦しみの責任を、自分が全て背負わなければならないという責任感と、深い絶望の中にいました。
きっと私なら乗り越えられる。だからこそ、この試練は私のもとにやって来たのだと、毎日自分に言い聞かせながら。
6.祈りを描く
私は、絵を描くことに没頭するようになりました。朝から晩までアクリル絵の具を広げ、静かな部屋の中で一人、天使の絵を描き続けました。描いているあいだだけは、現実から切り離された別の世界にいるような感覚でした。心の重さや痛みが、色となり、形となり、キャンバスの上に塗り固められていく感じでした。
出来上がった作品は、最初に思い描いたものとは全く違うものになっていました。けれど、そこには確かに私の魂が映り、祈りの希望が込められていました。
自然界との共同創造…私はそれを「コークリエイティブ・サイエンス」と呼ぶようになりました。100枚描けたら奇跡が起きる。そう信じて、私は描き続けました。やがて、作品は300枚を超えました。絵は、私の感情の記録であり、祈りであり、生きた証です。
私は絵のおかげで、鬱の暗闇から少しずつ抜け出していくことができたのだと思います。引きこもりだった7年間。そのうちの3年は深い闇の中で眠り続けていました。残る4年間で、私は一進一退を繰り返しながら、光のほうへ歩き出すことができました。その間、生活を支えてくれた家族には、心から感謝しています。その支えがなければ、私は餓死していました。そして何より、絵という姿の見えない希望との対話が、私の命をつなぎとめてくれました。
7.生きる努力
私は、自分の力で生活していきたいと強く思うようになりました。そのためにはまず、仕事をしなければなりませんでした。週に3日、1日4時間。選んだのは、家族経営の小さなハーブ専門店。人の出入りが少なく、ここならできるかもしれない、そう思ったのです。
けれど、現実は違いました。
「おはようございます!」と笑顔で出勤し、「お疲れさまでした」と元気よくドアを閉めたあと、私の仮面は砕け散りました。涙が止まらず、吐き気すら覚え、苦しくてしばらく休まないと家に帰る力が出ませんでした。心と体が、まだ外の世界に耐えられないのだと感じました。
ある日、店長が電話を切ったあと、不意に言いました。
「鬱は甘えなんだよ」その言葉は、ナイフのように心に刺さりました。その電話の相手が、うつ病のお客様だったと後から知り、私は深く傷つきました。
店を辞め、次に選んだのは、特別養護老人ホーム(介護老人福祉施設)での入浴介助の仕事でした。週3日、午後のみの勤務。身体はくたくたになったけれど、汗を流すことで、心が少し軽くなるのを感じました。体を動かすほうが、苦しい思考から意識をそらすことが出来る…それが、当時の私にとって大きな救いになりました。
その後も、私は少しずつ仕事を広げていきました。職業訓練校で資格を取り、正社員として介護士になりました。がむしゃらでした。鬱の再発を恐れながらも、初めての一人暮らしに喜びを感じていました。
特別養護老人ホーム(介護老人福祉施設)で3年、デイサービスで2年、介護事務、サービス付き高齢者住宅、和菓子屋、菜食レストラン、介護老人福祉施設のランドリー清掃…。
どの仕事に就いても、私は一貫してアニマルライツの菜食を貫いてきました。けれど、同じ信念を持った人には、一度も出会うことはありませんでした。
「こんなにもいないのか…」
SNSが普及した今なら、X(旧Twitter)やFacebook、Instagramで同志を見つけることは出来ます。けれど、日々の暮らしの中で、「同志と出会う」ということはありませんでした。彼らもまた、きっと私と同じように、一人でこの世界に立って頑張って生きているのだろう。もう、受け入れるしかありませんでした。変わり者なのは、私だった。
「みんなはどうしてなの?」と嘆いていた過去の私に、今なら言える。
少数派なのは、私のほうだったのだと。
8.やさしさを選び続ける
今、私は毎日、ヴィーガンの食事をSNSに載せています。日々、絶望して元気のない自分を励ます“ごはんの記録”です。
AIで描いた自然や動物たちのイラストも、フリー素材として提供しています。見た人の心が少しでも和らぎ、命を愛おしく思ってくれたら…、それが願いです。
YouTubeでは、狂った世の中で生きる同志の道しるべになればと思い、思想家や哲学者の本を朗読しています。本当に苦しいとき、祈ることしかできなかった経験から、祝詞や祈りの言葉も発信しています。
動物や、地球のすべての生きものの犠牲を減らす生き方はあります。その方法は、菜食です。「何もできない」と嘆くことはありません。たった一人でも、菜食を選ぶことで、命を救っていることになります。毛皮を買わないことで、犠牲を減らすことが出来るのです。
「植物だって生きている」と意地悪く言ってくる人がいます。けれど私は、こう答えます。
「そんなことは、あなたより知っています。知らないとでも思ったのですか?」
動物を食べなければ、動物を殺さなくて済みます。簡単なことです。
私は、動物を殺してまで食べたいと思いません。あなたは、動物を殺したいのですか?
動物虐待は犯罪です。
かつて、菜食である私に無理やり肉を食べさせようとした人がいました。それは、虐待です。いじめです。モラルハラスメントであり、パワーハラスメントです。やめてください。
言いすぎでしょうか?
私は、菜食を始めて25年以上になります。最初の3年はヴィーガンとして、その後もヴィーガンを目指した菜食を続けています。
世の中は、確実に良くなってきています。 プラントベース、マクロビオティック、ヴィーガン商品が、今ではスーパーでもコンビニでも手に入るようになりました。動物実験を廃止した国も増え、動物実験を行わない製品も多くなっています。確実に良くなっています。
そして、これから、もっともっと良くなっていきます。
高齢者虐待をなくそう!
児童虐待をなくそう!
そして、
動物虐待をなくそう!
私たち人間は、徳を積む生きものです。そのことを、私は信じて生きています。
生きものに優しい人間が増えますように
この記録を、ここまで読んでくださってありがとうございます。私は、自分の中に芽生えた違和感を大切にして生きてきました。周りに理解されなくても、自分の心が感じた痛みを、ないことにはできなかった。見て見ぬふりはできませんでした。誰かに笑われても、攻撃されても、私は自分の感じた「優しさ」の感覚を信じてきました。
動物たちは、人間よりもずっとずっと愛情深く、まっすぐで、正直で、信頼できます。一緒に生活したことのある人なら、きっとうなづいて下さると思います。
誰も犠牲にしないで生きていくことは、現実的に難しいかもしれません。けれど、犠牲を減らすことは出来ます。小さな選択の積み重ねが、世界を静かに変えていくと、私は信じています。この記録が、やさしい風となって世界を変えていきますように。
以上
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教皇選挙(Conclave)見たよ

絵はローレンスが投票をする場面
ひゃー面白かったです。選挙工作もありつつ、明らかになる真実や起こるイベント(枢機卿が増えました!)のタイミングが絶妙で、ストーリーに惹きつけられました。テデスコのような主張は信仰を保守的に保とうとするだけであり膠着状態に陥ってて、結局は時代を経るごとに色んなことが起こったり変わったりするのであり、そのそれぞれの出来事にどう信仰を持って対処するのかを考えられた人が勝つ(といういい方もアレなんだけど)ということを示してるのかなと思いました。
出来事自体は意外とシンプルで、選挙や政治的駆け引きの驚きはなかったんだけど、まぁそれがカトリック教徒以外の広く人にも分かりやすくもなってるんだろうな。
ベニテスの最後の「宗教『戦争』とはいうが、戦争を知っているのか?一体何と戦おうというのか」という語りかけがジーンと身に染みた。という点も、脚本がめっちゃ大人だし演説が効いてるな〜てところでありました。
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myheroacademia
次のジャンプ発売はまもなく… 改めまして最終回、超沢山の感想とメッセージを有難うございました 御礼&ヒロアカオリジンに戻って、アイコンでも10年使った『連載前の最初のカラー絵』を公開❗️ 全体図は多分初公開⁉︎ 今後も最終巻、アニメ、映画、イベント他とPLUS ULTRAしていきます❗️ よろしくお願いします #ヒロアカ #ありがとう読者の皆様
#Boku no Hero Academia#My Hero Academia#Midoriya Izuku#All Might#@myheroacademia#HeroAca Twitter#Twitter
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無題
平穏よりも胸のときめきをいちばんにしたら世界のぶあつい皮膚が一枚めくれたかのようになにもかもが歌い踊りかがやきはじめたのをいまでも覚えている。わたしは親が厳しくて外泊できないけれど、そのあいだに同級生の子たちはうつくしい島の海に反射する満月をみて、だれかと夜通しぴたりとからだをあわせて内緒話をするような、今にもぷつりと切れそうな糸のように細くて鋭い若さを世界の夢に浸らせている。感性を野放しにして、こどものころの感動をひとつずつ取り戻す時間がわたしにも必要だった。けれど思いどおりにいかないこともある、それも定めとおもって歯をぎゅっとくいしばる。わたしには必要だった。路上、白い廊下みたいに澄んだ朝霧をかんじる時間。薄いトップス。ズレた口紅。好きな男の子と寝て一限目をサボるとか、夜の街頭を走り抜け、くだらないことに時間とお金を費やすこと。「それだけじゃない、夜に遊ばなくても昼に釣りをしたりサッカーしたりそういう遊び方だってあるだろう。そっちのほうが幾分もまともだ」 おとうさんは夜遅くに帰ってきたわたしを叱りつけ、そう言った。わたしはけしてワルにあこがれているのではなくて、ただただ綺麗なものに飽きただけだった。わたしにとって祈りや信仰はさいしょから型があってそれに当て嵌めてハイ完成みたいなかわいいお菓子作りのようなものじゃなかった。昔も今も自分でうつくしい歌をつくれない。うつくしいものがたりをかけない。うつくしい絵を描けない。世の中にはフォロワーが万桁いる女子高生がいて、今、世界中では何千もの美術展が開催されていて、明日、いつかオリンピックに出るであろう少年がはじめてスケボーに乗るかもしれない。わたしには何もできないかもしれないけれど、彼らの生き様はわたしをわたしたらしめる微かなエッセンスとしてわたしに溶け込む。それを祈りという言葉で表象してはだめ?これからのことをかんがえると、ずっとどきどきする。目の前の光景が、訪れたことのない地の光が、風が、わたしを、わたしのからだを必要としてる気がする。世界中に張り巡らされた血管がわたしの心臓部にも繋がっているような心地。死ぬ5秒前ってどんな感覚なのかしらないけど、築き上げた塔が崩れてゆく感じなのかな、雪景色のような。
無題
朝起きたら腕に友達の噛み跡と身に覚えのない痣が3つくらいあった。耐え難い疲労がからだのあちこちにひっついて、入れ墨と化している。活字の海を、本をその背に背負えたらよかったのに、今のわたしを崖っぷちに引き止めているのはうつくしい言葉でもなくて、泥に塗れた重いカルマ。イヤホンの先から垂れ流れる音楽すらも風のように軽やかで自由なものではなくて、ねばねばした気持ちわるくてかなしいものに聴こえた。夏と、そのあつさと、その底知れぬ闇に街ゆくものすべてがこころのずっと奥の方で平伏している。昼過ぎにスクランブル交差点前の巨大スクリーンが薄青い空を泳いでいるようにみえたこと、街ゆく人の肌色が、シャボン玉のようにその熱を吸収して発光していたこと、ぜんぶなんか夢みたいにふわふわしているかんじがした。もうすぐでなつやすみなのに、大学入ってからそれまでもずーっと夏休みのような感じだったからあまりどきどきしない。みずみずしくずっと光っていたい。わたしもいつかデカい人間になりたい、いつかいつかいつかという文句ばかりが増えてゆくのを横目でみて、ぜんぶカサブタを剥がすように振り解いて拭ってくれる奇跡みたいな命、日々、音をどうしても期待してしまう。どうすればいいんだろーと思いながらまたあしたも友人と夜ご飯をたべにいく約束した。それでまた家に帰って、朝起きて虚無感に苛まされて、の繰り返しを大量の課題で中和する。薄暗い中でたべるごはんとか朝早起きして化粧をすることじゃない、今はなにもない海とか草原でなにも繕わずにその自然のデカさとか愛を仰向けになって享受するのがいちばんただしいきがする。たすけてと呼ぶには大袈裟すぎるし。
end
泣き出しそうに張り詰めた空気に鼻を啜る。世界の彩度が落ちて、ぶあつい服を着た街ゆく人たちが皆んなちっちゃな怪獣みたいにみえる。肌寒い。外はずっと灰色、モスグリーン、レモンみたいな匂い。大きな木が揺れて、木の葉の上に横たわっていた雨の滴が霧のように3秒間くらい降った。最近は毎日毎日やることが多くて、それをこなしているあいだに1日が終わる。3日連続で化粧を落とさずに寝てしまった。多くの人が電車にのっているときに外の景色に目をやらないのと同じ感覚で、わたしも生活の外側にひろがる微かな動きに鈍くなった。ずっと特別でありたかった、1番愛されたかった、そういった思春期的な熱望とどんどん疎遠になっていく自分に日々焦ったり安堵したりしている。だけど同時に、わたしの中をまだ生きている17歳のわたしがその面影をときどき覗かせる。期待させる。突拍子もなく走ったり、ゲラゲラ笑ったりする。些細なことで泣いたり、理不尽な世界に怒っている。良くも悪くも変わっていくのなら、これからの自分に期待をしたい。アルバイト先では後輩が6人くらいできて、みんなわたしよりも仕事ができる。わたしはもともと注意をされると衝動的に泣いてしまうところがあったし、シンプルに忘れっぽかった。あまりにも器用に仕事ができないので、ある日店長とそのことについて話し合ったら意識の問題と言われた。その1、人からのアドバイスに劣っている自分を見出してはだめ。その2、素直に人からの意見を受けとる。その3、自分のためでなくだれかのために働く。この3つを約束した。夜の繁華街で50歳の男性に飲みにいきませんかと声をかけられたり、あした授業にどんな服でいくかを考えながら化粧品を見に薬局に寄り道したり、腕に点々とのこる虫刺され痕をみて、それを残した蚊のことを考える。あした、図書館で借りた本の返却期限。わたしもちっちゃな怪獣になって寒さをまるごと食べてしまいたい、寒い日の、霞んだ光やクリアな淋しさ、果実のようにぎゅうぎゅうに酸っぱい気持ちを。
slow burning
大学一年生というよりも、高校四年生というような振る舞いをしているなあ、と自分のことを客観視する。新宿の横断歩道橋から行き交う人々を眺める。つい最近まで、委員会の同期の仲の良さにムラができていて、グループとかカーストとかそういう言葉が浮上してきてしまうほど揉めそうになっていた。それでも、それぞれが居心地の良い場所にしようと歩み寄っている。こういう、諦めによる愛想ではなくて心からの気持ちに胸を打たれる。明大前の飲み屋で酔っ払って「俺みんなのこと愛してるよ」と照れ笑いする先輩に、わたしたちみんな、キモいねーなんて言って茶化した。そのあと夜の大学で騒いでいたら警備員に注意された。机の下に10円玉を落としたのを拾わないで帰る。いつまでも赦されていたい。山猫のような女の子でいたかった。すぐ隣、肌すれすれにだれかの温もりを感じて弱さを誤魔化すのではなくて弱さを共鳴しあっていたい。「東京の人は生き急いでいる」なんて言葉があるけれど、わたしは美しい光景がそこに広がっていれば必ず立ち止まる人でありたい。仕事に遅れそう、とか、終電が、とかじゃない、好きな人たちのためだけに忙しくありたい。恋人は待ち合わせをするとき、「どこでおちあう?」と聞くのだけど、高2の頃、初めて会う日、それを「(恋に)落ち合う」と勝手に解釈して勝手にどきどきしたのを思い出した。それからわたしも「どこで落ちあう?」と聞くようにしている。ドア窓の形に切り取られた青い影が電車のフロアに映って、がたんごとんという音に沿ってフィルム映画みたいに小刻みにうごいていた。池袋で新疆料理をたべて、お腹を下す。スペイン語の中間試験。渋谷で5分1000円の手相占いをしたら、鎖みたいにいくつもの線が絡まっていますね、と言われた。意外と気にしいなんじゃないですか?「そうですね」と答える。駄菓子屋で1000円使い切ったほうが幸せになれそうだとおもった。電車の隣の線路にカラスが一羽いた。こんなに近くでみるのははじめてだ、と思って、じーっとみつめた。黒なのに黒じゃなくて、光を受けて渋いグリーンや紫っぽくみえる羽毛に目を見張る。なんか、空はどこまでも真っ青なのに光の細部だけ色があたたかい夕方前みたい。ふわっとなにかに気付いて、じーっとそれを見つめて、そこになにかが“視える”とぜんぶ途端にスローモーションになって、焦燥感や虚しさがたちあがってくる瞬間がある。からっぽなのにぎゅうぎゅうな感じ。AirPodsをケースにしまう音が体感的に5秒間くらい耳に残ったり、自分の息遣いにどきどきしたり、すれ違う男子高校生の会話声や、鳥が羽をはためかせる様子がクリアに輪郭が保ったまま空中を転がる。ガムを買って噛みながら、心のもやもやしたなにかを同時に小さく噛み砕いてゆく。光の洪水。家に帰ってパスタをたべたあと、お風呂で下の毛をつるつるにする。夕方終わりにお風呂に入るの、とても好きだなあと思う。コンタクトレンズを外さないまま、化粧も落とさずベッドへダイブする。瞼の裏に東京タワーの赤がたましいの塊みたいにまあるく光っている、はやく何もかも諦められる年齢になりたいと思う。
無題
なんかまじでわたしが疲弊していて悲観しているのか、世界が残酷なのかわからなくなってきた。脳科学の講義を受講したあと、テキトーに混雑した休日の街をあるいていたら皆んなの脳みそが透けて浮きでてきそうで気持ち悪くなった。地球4周分の神経線維。そう、どでかい爆弾が街ゆく人々の頭蓋骨に葬られている。ニューロンが軸索を介してつながってゆく、放出と受容を繰り返してみんな手を繋ぎあってゆく。セール中でバイトの雰囲気がぴりぴりしていて、みんな資本主義の豚みたいに働いていた。うつくしくないとおもったし、私も美しくなかった。結いた髪に、ぴたっとあげられた前髪。なにを思っているのかを書くのがずっと怖かった。もしかしたら私の感じているこの欲望はとても汚らわしいもので、それゆえにだれかを傷つけてしまうかもしれない。でも、言葉にしなければすぐにわすれてしまう感情に名前をあげなくなって、水をあげなくなって、そうしたら、じぶんの脳みその溝をうめていたみずみずしい苔までもがすっかり枯れきってしまって虚構を連ねるようになった。空洞に哀しみの音だけが響き渡る。友達はいるけど、私はその友達の1番になれない。恋人みたいな人はいるけど、私はその恋人の1番にはなれない。1番っていうのはほんとうの意味での1番、2番とか3番とかがいない1番。圧倒的な2人の世界の中でのフェアで高貴な1番。有名になりたかった。文章でも外見でも写真でもなんでもいい、だれにも敵わない羽根で世界を羽ばたいてみたかった。わたしを選ばないで、そこらへんのそれっぽくかわいい女の子を選ぶかっこいい男の子たちを信じられないでいる。外国に行ったらモテるよ^_^と投げかけられた言葉について何回も考えるけど、考えるたびにかなしくなる。でもね、神様はいるとおもう。木漏れ日の首筋に、砂丘のしずけさに、広大な空の一枚下に、その温もりと永遠が芽吹いているのをしっている。そのたびに、わたしはこの世界に愛されていて、まだ19歳で、まだ何にでもなれて、そして世界を(気持ちがあふれてしまいそうなくらい)等身大で愛しているドラゴンみたいにかわいい女の子だとまじないを唱えるようにして心を強く保つ。アスファルトに散った桜が朽ちて、吐瀉物のようにグロテスクにぬるい光を浴びている。走り抜ける。だれかの憎悪の中に、疑念の中に、見下しの中に憧憬の眼差しを覚えながら。東京で灯される光の数だけ、アフリカの広原でつややかな花が咲けばいいのに。光の重さの分だけ、銃弾が軽くなればいいのに。帰り道、ひさしぶりにパンを買って帰った。
日記
弟がiPadのタッチペンを無くしたらしくて、それを聞いた母がすぐにAmazonで検索して新しいのを買った。こういうとき、ほんとうになんか小さなことだけれど、すごく心が愛にみちる。
大学の新校舎の建物のにおいが400人もの人が集まった大教室の縁をすべっていく。扉を開けた瞬間、目と目と目がわたしの顔を捉える。湿気漂うフロアにだれかがペンを落とす音、先生のマイクが吐息までもを拾って湿った熱を加速させる。「儚いって聞いて何を思い浮かべますか?蝶?蛍?蝉?トンボ?」 教授がそう聞くと、みんなのえらぶ選択肢がちょうど均等に分かれる。講義が終わるといつもすぐに帰るイケてる男の子が蛍を選んでいて、なおさらかっこよく見えた。わたし、インスタのフォロワーが490人いるんだけど、その人数って今見てるこの人たちよりももっともっと多いのかと思うとなんか心強いような息苦しいような、不思議な気持ちになるなーとぼんやり思った。君たちはぶっちゃけ勝ち組です、という先生がキモかった。海外の大学院に行きたい。わたしはもっともっと色々な人を知るべきだし、美しい景色にであうべきだし、貪欲に学ぶべきだとおもうから。聡明になって、お金を稼いで、将来だいすきなひとたちにたらふくご飯をたべさせてあげたい。お母さんとお父さんが育ててくれた、守ってくれたこの心の真ん中にそびえる愛情のかたまりを誰かに分け与えていきたい。でも、そうとも思うけど、逆にそれをこなごなにさせてくれる危険性や若さゆえの解放にも目が眩んでしまうの。「今しかできない」ってとてもずるい言葉だなあ。
19さい
19歳とかいちばん呪われていた1年だった。まだハタチじゃないけど、もうそうさせて、と思うくらいに、1年のあいだに10年分くらいの幸せと不幸せがぎゅうぎゅう詰めに、どっちがどっちかわからなくなるくらいに入り乱れててくるしくてさみしくて悲しかった。くるしかった。わたしと同じ純度で、等しく、あいしてほしい。あいされたい。
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244.5/12の分
軽く作業+参考資料
今日はイメラの会の日でした。みんなで映画を見るのはやっぱりとても楽しいですね。もっと早く作ればよかったと後悔するくらいです。
映像学科の教授による授業もとても面白く、例として出された映画たちは見たことある物もいくつかありました。が、構成などの要点に集中してみたことはなかったので新しい発見や奥深さがありとても興味深かったです。
ESを少し進めたり、昨日まとめられなかった参考資料についても改めて調べました。
参考資料について
ヴィルヴィオラ 「旅立つ天使」など水飛沫の瞬間などを捉えたビデオ・サウンド・インスタレーション作品を制作。命、誕生、死、再生、感情といった人間の根源にかかわるテーマを持っている。 →常に変化し続ける対象(水や炎)などをモチーフに感情を絡み合わせた作品たち。どのような意味があってこのような表現になっているのか、またそういったものをインスタレーション作品として出力しているのでそういった点でも参考なった。
土佐尚子 主に映像作品を中心に感情・意識・物語・民族性をテーマに「カルチュラル・コンピューティング」を提唱し作品を制作。 音の振動×絵具や花などをハイスピードカメラで撮影しその瞬間をとらえた作品。人工的な無重力化で制作した「無重力アート」としても知られている。(無重力化でいきていく未来を想定しそのような環境でも力ずよく生きていけるようなアート) →「サウンドオブ生け花」の無重力状態で制作した作品は特に興味深く造形的なおもしろみや色の混ざり方など近しい部分が多く見うけられた。アートして最終的にどのような形にするかなどで参考にしようと思う。
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25年5月2週目
誕生日を迎えた。さすがに心待ちにしているわけもなく、起きて目覚ましを止めたときに表示される日付を見て誕生日か!と思う。年代と歳が計算しやすいので、辛うじて自分の年齢を覚えているが、きっとそれがなければ忘れてしまう。
台湾旅行の準備も兼ねて台湾映画や台湾小説を。『結婚迷走記』ずっと前にクリップしていて、たぶん『あの頃、君を追いかけた』のミシェル・チェンが出てたからかな。かなりちょい役だった。でも先日観たばかりの『ハクション!』のアリエル・リン、『藍色夏恋』のチェン・ボーリン、そしてあまり名前は出てこなかったけどリン・ボーホンが出ていた。10年くらい前の作品だけど、リン・ボーホンなんか最近出てる作品と全然変わらないように見えた。ほぼ同い年だった気がする。しっかし、久しぶりに王道のしかも30オーバーの三角関係恋愛映画を観た。結婚と仕事というキーワードを抜かせば高校生の恋愛映画の様で、観終わった後、変な毒が抜けない。あれ?自分ってもう恋愛することないのかな?と思う。誰かを想うことその相手に想われることって昔から奇跡だと想っていたけど、今でもそう思う。チェン・ボーリンがまるでバチェラーみたいな役柄でふーん、そんな感じなんだと思った。
そして『歩道橋の魔術師』を読了。以前呉明益の長編を読んだときにはなんかよく分からなかったで終わってしまったので、恐る恐る読んだが、短編の良さがここにあった。長編では最後まで読んでもよく分からないとなるのが、短編なら、途中であ、こういう感じねと分かるので、そのスタンスを理解してその先は読むことができる。それとポッドキャストの翻訳文学試食会を聞いて確かに村上春樹に対する感覚と似ている。彼の作品も断然短編の方が好みだ。翻訳者の解説に一言ある「マジックリアリズム」の言葉にも助けられた。これはキュビズムの言葉の意味が分かってからピカソの絵にネガティブな気持ちを持たなくなった時の感覚に近い。言葉とその概念を知ることって大事だな。街はいつか形を変える。どんなものでもカメラに収めたいという最近の気持ちが強くなった。
『サンダーボルツ*』観た。面白かった。MCUは単独作品は結構うーん、と思いながら観ているが、それゆえ集まってきたときの面白さが格別。アッセンブルする力が強い。まぁ、いつものことかもしれないけど、フローレンス・ピューが良いよねー。1年後アベンジャーズやるらしい。楽しみだね。
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Dengeki Playstation Vol.353 Persona 3 part pictures and transcription.




『ペルソナ3』とは新世界。『ペルソナ』シリーズは、前作にあたる『ペルソナ2罪』『ぺルソナ2罰』で1つの完結を迎えた。本作『3』は、世界観こそ同じものの、これまでのシリーズとは異なる舞台、異なる物語で描かれることとなる。それを表すように、これまで『ペルソナ』シリーズだけでなく、多くの『女神転生』シリーズでキャラクターデザインを手がけてきた金子一馬氏から福島成記氏にデザインをシフト。福島氏は今までの『ペルソナ』シリーズではゲーム画面中のキャラクター絵を手掛け、『ステラデウス』では幻想的なデザインで好評を博しているアトラスファンならなじみの深いデザイナーだ。仲魔のデザインなど『女神転生』らしさを残しつつも、これまでとは異なる、まさにシリーズとしての新世界の扉を開いたのである。『ペルソナ3』は日常と非日常の物語。舞台となるのは、美しい海ぞいの土地「港区」。港区は、新旧2つの風景をあわせ持っている。陸地側にあるのは、古くからの港街「旅戸白 (いわとだい)」。海を隔てて反対側にあるのは、新興の人工島「房已ポートアイランド」。そしてボートアイランドの中心には、島の竣工理由の1つでもある小中高一貫の名門校、「私立・月光館学園」が建っている。主人公や仲間たちは、厳戸台にある学生寮からボートアイランドにある学園へと、モノレールを経由して日々追うことになる。しかし⋯⋯彼らの青春には “光” だけが待ちうける訳ではない。世界には、じつは1日と1日の狭間に “普通ではない” 時間帯⋯⋯“影時間 (かげじかん)” が存在している。それは毎晩午前0時になると訪れ、しばらく続いたのち明ける。影時間が始まると、普通の人間は棺に似た形の結晶状のオブジェに変わり、その間のことを何も感じられなくなる (これを “象徴化”という)。そのため、影時間は世の中のほとんどの人にとって “ないのと同じ” であり、誰もその存在に気づいていない。自由に動けるのは、影時間の本来の住人⋯⋯ “シャドウ” と呼ばれる怪物たちのみ。極まれに、影時間に “象微化” しない人間もいる。彼らは異形の影時間におびえ、そしてシャドウに抵抗することもできず、精神を食われてしまう。精神を食われた人間は、影時間が明けたあとには無気力状態になってしまう。だが⋯⋯主人公と仲間たちは、その影時間の中で行動しうる “適正” を見出される。やがてそれぞれの内に目覚める、シャドウを滅ぼす唯一の力 “ペルソナ能力”。かくして彼らは、昼には友だちや先輩後輩として学園生活を送りつつ、夜にはともに戦う同士として、影時間のシャドウに挑んでゆくことになる。『ペルソナ3』は神話の象徴。主人公たちには、“ペルソナ” と呼ばれる自身の影を具現化する力がある。ペルソナなくして影時間の住人シャドウと戦うことはできないのである。ぺルソナは、人の心が1人1つであるように、原則として1人1体しか持つことができない。しかし、主人公だけは複数のペルソナを付け替えることができる。なぜ、主人公だけが複数のペルソナを持つことができるのか?そして、人の心を映すペルソナとは一体なんなのか?近いうちにそれら疑問の答えを導くことができるかもしれない⋯⋯。『ペルソナ3』は学園生活。プレイヤーは主人公を通して、「月光館学園」という学校を舞台とした学園生活を送ることになる。朝起きて登校し、授業を受けて放課後を迎える。誰もが1度は過ごす学校という空間での生活。誰もが通るゆえに、親しみや懐かしさという気持ちも強く持つことができる、 そんな舞台だ。『ペルソナ3』では、そんな学園生活での日常が、影時間という非日常の世界に大きな影響を与えることになる。『ペルソナ3』は絆。登校するなか、放課後の街中、さまざまな人々と出会いかかわりを持つ主人公。さらに、学校という空間ではクラスメートや先輩後輩、はたまた教師と、より多くの人と多くのつながりを持つことになる。人とのつながる糸は最初こそ細くもろいものだが、関係が深くなるにつれ、その糸は太く確かなものになり、やがては “絆” になる。そして絆をつむぐことこそが『ペルソナ3』における大きな目的のである。絆は仲間のペルソナの力の糧となり、主人公を助けてくれることだろう。学園での生活は、1年365日続く。1年という期間は、春があり夏を過ぎ秋を通り冬へと至る道。季節によって、また季節ごとのイベントによって絆をつむぐ手段は変わり、絆をつなぐ相手も変わる。誰もが通る学校での生活、誰もが経験する人とのかかわり。『ペルソナ3』特集の幕は、この学園生活の魅力をひもとくところから始めよう。誰もが通るがゆえに近く、誰もが通り過ぎるがゆえに遠い思春期の思い出。ペルソナという、誰もが持ち得ることなき力を手にした少年たちは、どのような学園生活を送るのか?プレイヤーはその学園生活を通して何を感じるのか?今現在、学園生活を送っている人も、すでに学園生活を終えた人も、『ペルソナ3』という新たな学園の門はすぐそこに開いている。その門をくぐろうとしているのは、あなた自身の意思?それともあなたの内に潜むもう1つの⋯⋯。
Are you enjoying school life?
PERSONA3
PS2 RPG JULY,13 RELEASE
ATLUS
7,140 yen(PRETAX)
ATLUS DENGEKI PLAYSTATION
"P3"COMING UP DPS on 23 June.
Are you enjoying school life?
クラスメートとくだらない話題で盛り上がったり、イタズラをして先生に怒られたり⋯⋯『ペルソナ3』の1日はそんな当たり前の日常。当たり前の日常だからこそ、誰もが強く共感でき、深く感情移入できる。そんな日常を表す「コミュニティ」と「絆」、2つの新システムから本作の平凡な日々をピックアップしてお届けする。
Community
コミュニティ
母親から生まれてきた時点で、人は生まれながらに “誰か” とかかわりを持って生きている。親、兄弟、友人、先輩、後輩、恩師、上司、恋人。人は人生において、さまざまな自分ではない他人と出会う。キミはこの世界で、どんな “コミュニティ” を築くことになるのだろうか?
Bonds
絆
かかわりを持った人との間には何かしらの絆が生まれる。人はその絆をたぐり、頼り、そして信じて毎日をすごしていく。はじめは細く弱い絆でも、やがては断ち切りがたい恩愛、離れがたい情へと移り代わる。人を想う���が絆となり、その絆が力となる。絆であふれたこの世界から、キミはどの糸を手繰り寄せ、どんな力を手に入れるのか――?
それは日常の学園生活
登校
朝は学園に向かう登校風景から始まる。遅刻は許されない!?
授業
学生の本分は勉学。授業中に答えを聞かれる、なんてことも当然ありそう。その答えによっては⋯?
放課後
放課後になれば学校を飛び出して街へ。そこでは、学園関係者以外の人との出会いが待っているかも。
“影時間”
そして1日の狭間、影時間へ。そこで待ち受ける者とは⋯⋯?
次の1日へ
『ペルソナ3』1日のスクールライフ
▲日常のなかに用意された会話によって、コミュニティが成長していく。
▲学園内だけでなく、放課後に街へ出てコミュニティを広げることも可能だ。
本作の特徴は、登校、授業、放課後と日常の学園生活を送ることで進行していくという点。そのなかで、クラスメートや教師、街の人などとの関係、“コミュニティ” を深めることが目的になる。ただ1つ日常と異なるのは、1日と1日の間に “影時間” と呼ばれる時間があることだが⋯⋯?
プレイヤーの力は絆
コミュニティを深め、強くなった絆は、本作に欠かせないシステム「ペルソナ」の力になる。つまり、日常の行動が夜の戦闘へ大きな影響を与えることに。昼間と夜が密接に関係しているのだ。
▼コミュニティは20種類以上存在。それは、ペルソナの属性にも影響を与える。
仲間との絆
コミュニティは、学校や街の人と会話することで発現し、仲よくなることでレベルアップする。戦闘の仲間だけでなく、あらゆる人と絆を築くことで主人公は力を得ることになる。
ペルソナとの絆
コミュニティで得た絆は、ペルソナの経験値へと変換される。コミュニティには属性があるので、どのペルソナを強化するかで人との付き合いが変わるかも?
Are you enjoying school life?
すべては6/23発売の電撃PSで明らかに!
アトラスと電プレの強力タッグで、『ペルソナ 3』の魅力を深く掘り下げていくこの企画。システムの詳細、設定の謎などは、すべてゲーム発売間近の6/23日売りの本誌で、総特集を組んでお送りする予定だ。そして、次回6/9売りの本誌では、日常のなかの非日常 “影時間” をテーマに、戦闘、ペルソナの魅力に迫っていく!
▶“影時間” とはなんなのか?そして気になるベルソナとは?次号で非日常の扉が開かれる!
影時間?
ペルソナ!?
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Do you know Shadow Time?
『ペルソナ3』を応援するページ
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