#暮しの手帖リニューアル
Explore tagged Tumblr posts
Text



3月26日(水)open 12-18
定休日明け、目も鼻もカユカユの水曜日。 皆さまもどうぞご自愛ください。
3月も残りわずかとなりましたが、本が届いておりますよ。 リニューアルした『暮しの手帖35』号、つじにぬきさんの私家版絵本『ねこちゃんのまいにち』新入荷! 再入荷の本たちもたくさん届いています。 ナナロク社さんからはサイン本も一部届いていますよ。
今回の暮しの手帖も、「編集者の手帖」から読みました。 これまでと変わらぬ芯の強さを心強く感じつつ、新連載やデザインの新鮮さにドキドキワクワクしています。 これまで同様、本・中川で手に取ってくださる"孤独で、自由な、ひとりひとり"の方がたくさんいらっしゃいますように。 そして『かくれんぼねこ』の原画展で松本に来てくださった、にぬきさんの『ねこちゃんのまいにち』は目尻垂れ下がりながら読みました。 手のひらにおさまる文庫サイズ! 春らしい装丁、デザインにこちらも心うきうきです。 今週もお気に入りを見つけにお出かけくださいませ🌷
1 note
·
View note
Text
#024 「戦後」の想いで…
「戦後」のイメージ
コメカ パンスくんはさ、日本の「戦後」って言われると、何をイメージする?
パンス すごい質問だな! えーと、まず戦後の始まり、ということでパっと思い浮かぶのは、有名なやつだけど、手塚治虫の反自伝的作品『紙の砦』で、街灯が点いて��ぶシーン。
そこから年代ごとにイメージがあるんだけど (笑) 、挙げ過ぎちゃうので、もうひとつだけ。「笑っていいとも」ですね。
コメカ 手塚が「生き延びたんだ!」と叫んだところから、タモリが「終わらない日常」の象徴と化したところまでが「戦後」っていう(笑)。じゃあ逆に、日本の「戦後」はもう終わったと思う?それとも持続してると思う?
パンス うー、難しいな……。日米関係というレベルで見たら「戦後」体制はより強まっていくわけだけど、それを推進すればするほど、かつて享受した和やかな「戦後」は減退していくというパラドックスがあるよね。なので、「笑っていいとも!」的な「戦後」は、2020年あたりで終了するという見方だな。番組はもう終わってるけど (笑) 。(もはやほとんど忘れられてるけど、2003年の映像作品『ワラッテイイトモ、』にも同様のテーマが通底してたような)
コメカ うんうん。ぼくも同じような感覚なんだよ。そいでね、そういうこと���つらつら考えてたときにふと思ったのが、「今の若い世代ってもしかすると、お子様ランチにもうノスタルジーを感じない世代なのか?」って思い当たったのね、唐突なんだけど(笑)。
パンス あー、それはそうでしょう!
コメカ ぼくらバリバリノスタルジー感じると思うんすよ、お子様ランチ(笑)。
パンス いや、僕あんまりお子様ランチの記憶がない……。すまん! (笑)
ただ、 同じような意味で、百貨店的な場所にはめちゃノスタルジー感じるな。つくばの西武百貨店の、パステルカラーな風景……。ずっと夢に見たりしてるのでそんなに捏造された記憶じゃないと思ってるんだけど (笑)
コメカ あ、ぼくもまあ具体的なお子様ランチエピソードはあんま無いんだけどさ(笑)、ひとつの象徴というか、お子様ランチっていう記号が喚起するイメージはまだ共有してた世代だと思うのね、ぼくらの世代って。核家族で、中流で、百貨店でお子様ランチを食べて…みたいなイメージね。百貨店やデパートにはぼくもすごくノスタルジーを持ってる。
「戦後」が庶民に与えた安心感みたいなものの象徴が、そういう記号だった気がするのね。
パンス あと、団地とか。僕が世界一好きなマンガのひとつである高野文子「美しき町」に描かれたような(団地に住む夫婦の日常のなかに、労組の集まりがチラッと見えたり��る)。
核家族、中流といったものが完全に敷衍しきっていったのが60年代後半~80年代にかけてなので、「戦後」をイメージするときに、二人ともこのあたりに焦点が当たっているといえるね。
コメカ そうそう。たださ、90年代以降に生まれた子達は、思った以上にそういう感覚に距離を持ってるのかもなあって最近改めて思ってて。80年代生まれまでは、やっぱなんだかんだ言っても「戦後」の柔らかい空間の中で過ごした記憶が辛うじてある人が多いと思うんだけど、それ以降は…。
で、良くも悪くも、そういう「戦後」的な記憶をなまじ持ってしまっていると、さっきパンス君が言ってたような2020年以降の世界に耐えられないんじゃないか…って思うんだよな。
ポスト「戦後」の暴力を直視できるか
パンス 情報に触れるときの体力がいっそう求められる時代になっている。単純に、日々のニュースとかのハードさに参っちゃうんだよな~。それはAKBの人が坊主にさせられてたときに、痛感した。みんなこんなキツい話を日々のエピソードとして受け止めてんのか……イヤだな~、って。
コメカ 「戦後」的な空間って、自分たちの視界に入らない色んな「よその場所」に歪みや暴力を引き受けさせることで、一億総中流的なヌルくて優しい場所を作り得てた訳よね。個人が痛めつけられるような暴力は実は常にどこかにはあった訳で、今の状況はそういうものが剥き出しになって可視化されてきているだけ、とも言える。
でもホント、「戦後」的な空間を体験しちゃった人々は、そういう剥き出しの暴力をこれから直視できるんだろうか?イデオロギー云々以前に、そういう身もふたもない現実に向き合うのが怖いから、「○○に政治を持ち込むな」みたいな言葉も出てきてるんじゃないかって気がするんだよな。
パンス 「○○に持ち込むな」と言いたい人の意図も、最近変化してきていると感じていて。昔も政治とかについて語るとウザがられたりしたけど、それは「面倒な話だから」くらいのテンションだったと思うのね。いまでは政治を持ち込みたくない人の必死さがすごくて、そこに少し恐怖を感じる……。「暴力的(な感じがする)からイヤだ」から、「ああいうのは『こんな人たち』がやってるからイヤだ」くらいまで飛躍してきてる。もはや「こんな人たち」に代入されるのは左派でも何でもいいわけです。いずれにしろ、これ、恐怖が反転して迫害に近くなってるんじゃない? って思っちゃう。
「よその場所」に歪みを引き受けさせるという点で、沖縄の問題とかはまさに象徴的。それもいまは反対運動に対して変なレッテルを貼ったりするわけでしょう。理解に苦しむんだけど、そうしないと、自らの居場所が侵される、ような思考が働いてるんじゃないかなあ。
コメカ 「戦後」っていう��ィールドの上でみんなそれなりに幸せで、中流で…みたいな状況がガタついてきたら、冷静さを急激に失う人々が続々現れてきた感じ。正常性バイアスが過剰にかかって、政治に言及すること=日常的な安定性を壊すこと、みたいな謎の短絡に陥る人々が出てきている。
たださあ、難儀だよね。そういう態度が、さっき話してたみたいな「お子様ランチ」的な…「戦後」へのノスタルジー感覚に基づいているとしたら。そのノスタルジーに固執してる人は、自分の正常性バイアスを絶対に手放さないと思うんだよ。
パンス そうなんだよね~。でもふと思ったんだけど、80年代あたりに幼少期を過ごした人のノスタルジーを反映したような表現は、あまり見られないよね。僕がチェックできてないだけかもしれないけど。
コメカ あー、確かにそうだね。80年代に幼少期ってなるとまさにぼくらの同世代になる訳だけど…。ただ、表現っていう形にはあまりなってないかもだけど、ライフスタイルのレベルでは、ぼくらの世代あたりは未だに「核家族幻想」みたいなものが強くある気がするし、そこから逃れられていないと思う。
パンス ううー、単純に、経済状況が全然違うから、大変なんだよねえ。ひとごとじゃないんだけど。でも再現したい、というか持続してるからそうするんだ、っていう雰囲気は同世代を見てると伝わってくる。
コメカ 家族でお茶の間でテレビ見て、デパート行ってお子様ランチ食べて…みたいなライフスタイル以外の「目標」を、果たして私たちの社会は持てているのか?っていうさ(笑)。
でも、そういうルートから離脱してるつもりのぼくですら、そういう「ライフスタイル」に、なんつーかノスタルジーというか切ない気持ちを抱いてしまう訳ですよ(笑)。人間は、これまで自分が見てきた在り方からそう簡単に逃れられないからね。
パンス いまや伐採されてしまった感のある「森ガール」は自分たちくらいの世代が主軸になってたけど、性別問わず「ていねいな生活」みたいな志向は、シュリンクしつつある社会状況のなかで「戦後」的な和やかさを延長しようとする欲望を感じるんだよね。そこにはノスタルジーが含まれていると思うし、彼ら/彼女らのイデオローグが具体的な社会問題への言及を拒否しようとしがちなところにも、ネガティブな意味で現れている。数年前の「暮しの手帖」問題がまさにそれ……(リニューアル後はラディカルさを取り戻して���たけれど)。個人的には、ずっと気になっているところ。
4 notes
·
View notes
Text
“「暮しの手帖」は、戦後まもない昭和23年に「一人ひとりが自分の暮らしを大切にすることを通して戦争のない世の中に」という理念を掲げて創刊。” - 広告のない雑誌「暮しの手帖」 リニューアルで部数増 (1/2ページ) - MSN産経ニュース (via nsx) (via gkojay) (via usaginobike) (via lovecake) (via gkojax) (via naotake) (via paojiro) (via hoimi) (via dannnao) (via ishiatama) (via yellowblog)
0 notes
Link
あんなに待ち遠しかった春がきて四月。外に出かけるのが気持ちいい季節になったのでお知らせ。【旅手帖beppu】ウェブサイトが生まれかわってリニューアルしてます。 自分の生活する町で何かを書かせてもらえることはわたしにとって光栄で、その地続き感がとても心地よかったです。
大学生のころ『旅手帖beppu』(2011年〜12年/計5号発行)を京都のガケ書房(今は移転してホホホ座だよ)という本屋さんと大学の研究室でたまたま見つけて、すごいな、この本はどういう仕組みでできてるんだろう?という疑問をもって、そっから混浴温泉世界を知って、別府を知って、いっぺん行こうって決めて、今なぜか暮らしてる。世界は不思議に満ちている。 当時、無料配布なのに驚いたのはもちろんですが、『旅手帖beppu』のすごさは、文章と写真の根っこに、別府という町をていねいに歩いて、歩いて、実感してる「私」がいるところにあるなーと思ってました。実は今回、最初の打ち合わせで、執筆者の個性を出さずに書いてください。と言われました。これは逆説というかわたしなりの解釈なんですが、結果、あなたしか書けないものを書いてください。ということだと受け止めました。書き方は、いくらでも真似できます。どういうふうに出会って、どんな話をどういう間(ま)で聞いて、どこを拾うかというところに、隠せない書き手の癖(におい)が出るんだと思います。だから人が何かを書くには、詩であれ、メールであれ、主体をしっかり生きてなくちゃ、書き、きれない。 友達と別府を散歩しな���ら、この坂道の百日紅の色がきれいなんだよ。あの路地のお店の看板かわいいなあ。ここのランチめっちゃおいしいね。あそこのおまんじゅう買って帰りに海を見ながら食べようやー。とお話ししてるような読み味を意識してます。これはアートゲートクルーズ(2015年/混浴温泉世界)で培った感覚を、勝手に花開かせてる。 あのときあのページで見つけた「私」は当時わたしではなかったけど、数年の生活の変化でわたしが「私」に近づいたのかもしれません。 近づけたので、また、どっかに離して、いろんな方法でこれからも何か書いていけたらいいなーと思います。 癒したっぷり別府の旅に、お散歩に、または読みものとして、役立ててもらえるとうれしいです。取材にご協力いただいたみなさま、ほんとうにありがとうございました。いわずもがな、ぜんぶ超おすすめだよ。
◎わたしの取材させてもらったお店(順不同・敬称略) 杏樹〜ゴトー饅頭店〜|お好み焼きと家庭料理の店 味Dining みやこ|オセロ スペシャルティコーヒーロースター|おやつのsima,sima|かるかん堂中村家|珈琲専科グリーンスポット|小厨房 香凜|書肆ゲンシシャ|食堂研究所|スパイス食堂クーポノス|DIG coffee|P’an Crust|壁画プロジェクト|みしまじょろ食堂|Real Point ◎また『旅手帖beppu』第1号〜混浴号の記事をweb用にリライトするにあたり、たくさんの温泉・お店の方にお世話になりました。 ◎今お休みされてるお店もあるので、行く前に問い合わせされるといいかもです。
0 notes
Text



5月24日(土)open 12-17
雨予報の土曜日、オープンしています。 今日はギャラリー内にて、ひだりてさんが圭さんに捧げる「スタンド崖っぷち」を開いています。 コーヒーやお酒などお飲み物ご用意しておりますので、お楽しみください。
「暮しの手帖 36号」届いています。 リニューアルから2号目。 表紙画がぺーちゃんで嬉しい。 楽しそうなアヒル、『光のあそび』という作品だそうです。 眺めていたら涼やかで穏やかな時間がしばし訪れました。 クラフトフェアが終わったら、じっくり楽しみたいと思います。 そして夏葉社さんからの新入荷と定番の再入荷の本たち。 展示もですが、本もたくさんの方が選びに来てくれて嬉しいです。 どなたにも良い週末でありますように。
#崖っぷち男#野蛮と洗練そのはざまで#柏木圭#ある側面の回顧展#木工家#本屋#松本市#本中川#暮しの手帖#暮しの手帖社#松井一平#夏葉社#私の小さな日本文学#チェスミン#上林暁#海と旅と文と#山本善行#鈴木理策#さよならのあとで#本屋で待つ#レコードと暮らし#新再入荷
0 notes