#浜垢離
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wankohouse · 11 days ago
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見付天神裸祭 浜垢離・道中練・鬼踊り・鬼踊り後
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鬼踊りが終り、ぐちょぐちょの腰蓑と草鞋を捨てる。持ってってもええけどしばかれるかも知れん
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見付天神例祭 鬼踊り (見付天神裸祭) 2023年
磐田市見付の矢奈比売(やなひめ)神社(見付天神)では2023年9月17日~24日の8日間に例祭があり、9月23日には四年ぶりに「鬼踊り」が行われた。
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見付天神例祭 浜垢離する先供(さきとも) 2010年
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地域で祭組を組み参加する。御瀧車はその一つ。
鬼踊りに向う途中で街を練り歩き、集団がすれ違う度にあいさつ代わりにしばき合いをする。警固はその間に入って阻止する係だったと思う。2010年。
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鬼踊りの拝殿に向う東区富士見町の元門車(げんもんしゃ)の道中練り 撮影年不明
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鬼踊りを終えた後、腰蓑を取る。2010年。
觸鈴はリストバンドの人だけが持って良い事になっている。
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dadnews · 8 months ago
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伝統「潮垢離」ふんどし姿で海にダイブ! 西予・明浜地域で秋祭り [愛媛新聞] 2024-10-31
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picnicism · 9 months ago
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ネオジム磁石は例えば、みなさんが肌身離さず持っておられる携帯電話に使われています。中に入っている超小型振動モーターには、100%ネオジム磁石が使われております。ネオジム磁石は現在最強の磁石です。計算では1グラムのネオジム磁石で1キログラムほどの鉄を持ち上げることが出来ます。そのような磁石をどのようにして見つけたのか、これからお話しします。 1. 新しい磁石を見つけるには  まず原理的なことから。これは元素の周期表です。私たちの体を含めたあらゆる物は、この周期表に書かれている100余りの元素から出来ています。磁石の基になっているのは、元素番号26の鉄(Fe)、27番のコバルト(Co)、28番のニッケル(Ni)で、これらは「鉄属元素」(あるいは遷移元素:transitional metal)と呼ばれています。もう1つ、磁石の基になっているグループが「レア・アース」(Rare earth)と呼ばれる16種類の元素です。このうち磁石に関係の深い元素が60番目のネオジム(Nd)、62番目のサマリウム(Sm)、66番目のディスプロシウム(Dy)です。磁石を補佐する大事な役割をするのが5番目のボロン(B)。6番目のカーボン(C)も今日のお話ではよく出てきます。  では、磁石をミクロで見ると、どんな物質なのか。磁石の元はすべて電子です。例えば、鉄族元素の周囲にネオジム磁石などの永久磁石を近づけながらグルリと回すと、いつでも鉄族元素の電子はすべて同じ磁界の方向に向いているという性質があります。強い磁石となるためには、すべての電子がつねに一定の向き(N極、S極)で、変化しないということ。つまり磁石には磁気方向の頑固さ(磁気異方性)が必要で、レアアースがその役割を果たすのです。  分かりやすく言えば、みんなが同じ方向を向く「仲良し電子ちゃん」の中で、一定の間隔で「頑固電子ちゃん」が配置されている構造となっていることが必要です。1970年代の最強の磁石は「サマリウム・コバルト(SmCo)磁石」でした。これは鉄属元素であるコバルトの元素の間に、サマリウムが規則的な間隔で並んでいるような化合物(Sm2Co17)です。「仲良し電子ちゃん」の集団の間に、サマリウムの「頑固電子��ゃん」が並んでいる構造ですね。これに磁界をかけると、一方にN極、もう片方がS極となって方向がつねに変わらない、永久磁石となったのです。  ところが人間の作るものには必ず欠陥があります。本来あるべき所の「頑固電子ちゃん」がなくて、空いてしまった部分が出来ます。こうした欠陥部分が出来ると、永久磁石はその部分から磁性の変化が起きて、周囲に段々と広がり、ついにはその磁石全��が磁性体ではなくなってしまいます。純粋、無垢(むく)な化合物というものはなかなか作れませんから、どうしてもこうしたことが起きてきます。この問題を解決したのが、磁石の中を「セル状構造」にすることでした。これは元の化合物に別の元素などを加えて「合金化」し、製法などの条件を工夫することでセル状構造を作ります。セル状構造というのは、小さなセル(細胞)に区分けしてやることです。セルとセルの間は別の層、非磁性体の元素による「磁気の壁」を作ってやるのです。そうすることで、例え1つのセルに欠陥があっても、隣のセルには影響しない。1個のセルはかなり小さいので、全体としては磁石の性質を維持したままとなります。こうした方法で人類は磁石を作ってきたのです。  そのため、新しい磁石を見るけるためには、まず磁石に適したR-T(レアアース・鉄属元素)の新化合物を見つけること。そしてそれを元に、セル状構造を作るための合金組成や製法を見つけることです。こうした流れに沿って、私が新磁石を見つけ、1982年に誕生させたのがネオジム磁石です。 2.どうやってネオジム磁石を見つけたか  私は神戸大学工学部の電気工学科を卒業後、大学院に進むときには材料科学者を志しました。今でも私は材料科学者だと思っているのですが、神戸大学大学院博士課程(1966-68年)と東北大学大学院博士課程(68-72年)では材料科学の研究室に所属し、勉強しました。研究テーマはどちらの大学院でも似たようなもので、「固体表面の性質、構造、結晶成長の電子顕微鏡による研究」でした。しかし、よい研究成果が出ず、よくできる研究者にはなれなかったのです。でも自分の所属する研究室以外の、特に基礎的な研究分野の研究室に積極的に出向いて、他の分野の勉強をして、材料科学者としての実力と感覚を身に付けたと思っています。  博士課程を終えた後は大学に残りたかったのですが、その願いかなわず、富士通研究所の材料研究部(72-82年)に入りました。そこで会社から与えられた研究テーマが「リレーやスイッチに使う磁性材料の開発」というものでした。大学院時代にいろいろな他の分野の研究室に出入りしたと言っても、基礎的な研究であって材料など具体的な開発の研究をしている所ではありませんし、私も磁性材料の勉強をしたことはなかったのです。  「自信がないなぁ、困ったなぁ」と思いつつも、会社から言われたのだから、やることにしました。そして入社して5年目に、私単独に与えられた研究テーマが「フライングスイッチ用サマリウム・コバルト(SmCo)磁石を開発せよ」というものでした。「フライングスイッチ」というのは、直径が1-1.5ミリメートルの極めて細いガラス管の中に小さな円柱形のSmCo磁石を入れ、外から中の鉄ニッケル合金の針金で作ったコイルに電流を流して、磁石が動くことによって電流を断続させる高性能のスイッチのことです。しかし使う回数が増えてくると磁石も壊れてくる。そこで私への研究テーマとなったのが、「何回使っても壊れないSmCo磁石を開発せよ」というものでした。  勉強したことがないし、私1人へのテーマなので、リーダーもいないし困ったなぁと思ったのですが、やり出したらこれが面白い。自分に合っていたのだと思うのですが、それからは磁石の勉強、さらに勉強・・・と、朝から晩まで、家に帰ってからも勉強しました。全部独学です。磁石の製造の装置も、会社の遊休設備を集めてきて自分で作りました。こうしたことに、大学院時代の実力養成が生きたのです。基礎的な勉強をしていたし、いろいろな実験装置を作ることもやっていたのです。とにかく楽しくて、どんどん研究にのめり込んで行きました。  当時の磁石研究の主流はSmCo磁石でしたし、さらに勉強し、機械的な強度を改善するためのアイディアもいくつか考えました。サンプルも作って強度や特性を測ったりしながら開発は順調に進んで行ったのです。そうした中で考えていたのは、「なぜR-Fe(レアメタル・鉄)磁石はできないのか?」ということでした。鉄の資源はコバルトよりも無尽蔵にあります。鉄はコバルトよりも電子の密度が濃く、「電子ちゃん」をたくさん持っている。いわゆる、大きな“磁石の素”を持っていたのです。ですから鉄で作ればより強力な磁石ができるはずですが、だれもやろうとしない。「コバルトでなければ磁石はできない」と、だれもが思い込んでいたのです。私は初心者ですから、いろいろなことには囚われていなかったのです。  さらに勉強する中でヒントになったのが、1978年1月に日本金属学会が主催して東京都内で開かれたシンポジウム「希土類磁石の基礎から応用まで」でした。その時に出席された浜野正昭先生の講演は、ほとんどがR-Co系化合物の性質や状態などの金属学的な基礎的な説明をされたのですが、ほんの数分だけ、R-Fe化合物が磁石にならない理由を説明されました。つまり、「鉄と鉄の原子間距離が近すぎるので、強磁性が不安定になる」ということでした。  それを聞いて私は、「それなら炭素(C)やボロン(B)を合金化すれば、原子間距離を広げてくれるのではないか」というアイディアを持ったのです。当時の私には、すぐに実験するという習性がありましたので、帰ってすぐにアーク溶解炉で合金を作り、磁力を計測したり、X線回析で結晶構造を解明したりしました。すると短期間で「これは何かあるぞ」と思いました。  新磁石を見つけるには、磁石に適したR-T新化合物を見つけること、それを基にセル状構造を作るということです。これについては早く発見していました。私がヒントを得た1978年には、ネオジム(Nd)-鉄(Fe)-ボロン(B)の組み合わせが磁石として有望であることを見つけていたのです。ところがそれを他の人に説明しても、合金の粒を見せても、だれも関心を持ってくれない。それは、磁石としての構造をもっていないため、つまり磁石になっていないからでした。  その一方で、壊れないSmCo磁石の研究についてはどんどん進み、1979年には開発目標を達成して、国際会議などで発表しました。ところが発表したら、「磁石の研究は終わりだ」と富士通研究所のトップから言われたのです。私は「新しい磁石(Nd-Fe-B磁石)の開発の糸口をつかんでいるので、何とか研究を続けたい」と言ったのですが、「ダメです。もっと富士通らしい研究をしなさい」と言われてしまいました。それは会社とすればもっともなことで、磁石ではなくてコンピューターを作る会社ですからね。結局、私も従わざるを得なかったわけです。  こうして私の、Nd-Fe-B化合物を基にセル状構造を作り、新しいNd-Fe-B磁石を作る研究は、公式テーマとして取り上げられることなく、1980年までに修了してしまいましたが、決してあきらめていた訳ではありません。頭の中で研究を進め、時には余ったサンプルで溶かしてみたりしていました。そうしているうちに、上司との決定的な事件が起きてしまいました。ふだんからよく怒る上司で、その人にものすごい大声で怒鳴られたことを契機に私は辞表を出して、富士通研究所を退職しました。そして住友特殊金属に入社し、それからすぐの1982年5月に、住友特殊金属の実験室で、世界最強の磁気特性をもつ「ネオジム磁石(Nd-Fe-B磁石)」ができたのです。  よく「発明は1人でできる。製品化には10人かかる。量産化には100人かかる」とも言われますが、実際に、私はネオジム磁石を1人で発明しました。製品化、量産化については住友特殊金属の仲間たちと一緒に、短期間のうちに成功させました。82年に発明し、83年から生産が始まったのですから、非常に早いです。そしてネオジム磁石は、ハードディスクのVCM(ボイスコイルモーター)の部品などの電子機器を主な用途として大歓迎を受け、生産量も年々倍増して、2000年には世界で1万トンを超えました。 3.さらなる発展を支える  ネオジム磁石の今の、あるいはこれからの重要な用途はハイブリッド自動車や電気自動車、エアコンなどの比較的大きな発電機やモーターなどです。ハイブリッド自動車1台には1キログラムのネオジム磁石が使われますので、さらにハイブリッド自動車が作られていけば、使われるネオジム磁石も増えていきます。エネルギー消費の大きいエアコンでも、ネオジム磁石を使えばコンプレッサー部分のエネルギー効率が上がって、消費をかなり抑える効果があります。風力発電では、ネオジム磁石を発電機に使うと高効率になり、音も静かになるなど高性能になります。特にこれからのエネルギー問題では、洋上風力発電が日本の主力電力源になると考え、運動していきたいと思っています。それとエレベーターでは、モーターにネオジム磁石を使うと、あるメーカーのものでは、かなりのスペースの節約になり、電力消費も半減する効果があります。  これらの用途が広がり、ネオジム磁石の需要が伸びていけば、生産量も2015年には1年間に10万トンに達すると予想されています。ところがこうした需要に応えるためには、レア・アースなどの資源問題を解決しておかないと実現できません。  ネオジム磁石の「磁気特性マップ」に対応する応用について、縦軸に磁気の強さを表す「最大磁気エネルギー積」、横軸に「保磁力」に対応する耐熱温度を取り、考えてみましょう。  MRI(磁気共鳴画像装置)やハードディスクではあまり耐熱性は必要ないので(100℃程度)、最大磁気エネルギー積が大きい、つまり磁気の強い磁石を使います。ところが、ハイブリッドカーのモーターでは、200℃に耐える磁石が必要となります。  これに対応するネオジム(Nd-Fe-B)磁石の合金組成をみると、100℃の耐熱温度を得るには「Nd-Fe-B」の各質量%が「31-68-1」の割合でよいのですが、より高い耐熱性を得るためにディスプロシウム(Dy)を加えることが必要となり、200℃の耐熱温度を得るための組成「Nd- Dy -Fe-B」は「21-10-68-1」となります。つまり必要となるディスプロシウムの量は全体の10%、ネオジム(Nd)の半分の量です。ところが自然界では、ディスプロシウムはネオジムの10の1の量しかありません。しかも中国南部の一地域にしかない。ですからこのディスプロシウムを使わないようにしないと、ハイブリッドカーを安定して生産することはできません。ディスプロシウムを使わずに耐熱性が得られる磁石を作ることが大事な課題であり、できたらネオジムだけでこれだけの耐熱性のある磁石を作りたい、というのが目標です。  この「低ディスプロシウム・高耐熱ネオジム磁石」の開発に、当社「インターメタリックス(株)」が2004年から取り組み、さらに京都大学の「桂ベンチャープラザ」というインキュベーション施設に入居して進めてまいりました。そこではベンチャー・キャピタルや銀行などの投資家による投資のほか、三菱商事や大同特殊鋼といった大企業からの投資もありました。それから経産省やNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)の国家プロジェクト(2007-2012年)として大きな予算も頂き、この研究がある程度成功しました。つまりセル構造の微細化によって、低ディスプロシウムで高耐熱化する組成や、そうした新材料を作る方法を見つけたのです。この新材料は「Intermetallics Japan(IMJ)」という会社が2013年初からの量産開始の予定で現在工場を建設中です。 4.研究者になってよかった!  何が私を研究に駆り立てたか?——私は子どもの頃、湯川秀樹先生に憧れていました。その憧れの気持ちが、いつも私を前向きにしてくれました。研究者として駆け出しの頃、学会や研究会の会場などで私はいつも先輩研究者から軽視され、挨拶も返してくれませんでした。「今に社会のためになる研究をして、人から認められるようになるぞ!」。この強い自己顕示欲、目立ちたいという気持ちが、私を研究に駆り立てたのです。  研究者の仕事は素晴らしい!——人の最大の喜びは社会のためになることです。研究者は頭脳活動によって研究��、研究が成功すれば社会に貢献できます。研究者は地球温暖化問題など、様々な社会的難問を研究によって解決していけます。研究者、あるいは科学者ほど素晴らしい職業はないと思っています。  最後になりますが、大学院時代には涙を流していた私が、日本国際賞という大きな賞を頂き、ここに立っているのは不思議なことです。何が違ったのでしょう。大学院時代は基礎研究をしていました。基礎研究というのは何を明らかにしたら、どんな成果につながるのか、分からない。ところが企業の研究では、「これこれを開発しなさい」というようにターゲットがはっきりしています。これが私には合っていたのです。ターゲットがはっきりすると、解決のためにいろいろなアイディアが出てくる。それが今ある理由だと思っています。
世界最強「ネオジム磁石はこうして見つけた」(佐川眞人 氏 / インターメタリックス株式会社 代表取締役社長) | Science Portal - 科学技術の最新情報サイト「サイエンスポータル」
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voilld · 1 month ago
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片岡メリヤス「ハエごめんなさい」 MERIYASU KATAOKA ‘Sorry, Fly’ 2025.5.30 Fri - 6.29 Sun
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      この度VOILLDでは、片岡メリヤスによる新作個展「ハエごめんなさい」を開催いたします。本展は2021年に開催された個展「eyes」に続く、VOILLDでは2年ぶり、6度目の新作展となります。
ファブリックを用いたぬいぐるみ作品を中心に、おもちゃや木、時には機械や陶器など、様々な素材を掛け合わせ多彩な表現で作品を制作している片岡メリヤス。ぬいぐるみだけにとどまらず、作品と自らによって演出される人形劇の開催や、ドローイング、彫刻作品の制作、異ジャンルのアーティストとのコラボレーションも行い、国内にとどまらず韓国、台湾などでも展示を行うなど、精力的に活動の幅を広げ続けています。片岡が作り上げる、ふわふわとして柔らかで、優しくかわいらしい表情をもった作品群は、一つ一つが個性的なキャラクターを持っており、まるで生きているような生命力やぬくもりと、それぞれに強い意志を感じさせます。大人になりいつの間にか忘れてしまっていた、子供の頃に夢中になっていた遊びや夢を描く楽しさが、片岡メリヤスにより命が吹き込まれた作品によって懐かしい感覚として呼び起こされるかのようでもあります。その作品群は「ぬいぐるみ」という概念を超えて、世代と共に変化していってしまう、私たち自身への興味の対��や、物への愛着に対する想いに訴えかけてくると共に、忘れていた感情や大切にしていた時間に、改めて目を向ける機会を与えてくれるのです。
「ハエごめんなさい」と題された本展では、片岡メリヤス自身の原点に深く潜り込み、自身の創作行為とその原動力に改めて向き合っています。幼少期に抱いた純粋かつ無意識な衝動は、大人になる過程で私たちの記憶の底に沈んでしまいがちですが、片岡はその忘れられた感覚を丁寧に掘り起こし、問い直すことを試みました。自身の表現行為がもたらす内面的な葛藤や矛盾を通じて、アートという領域そのものを再考し、私たちに新たな視点を提示しています。日常の中で埋もれてしまった残酷さと純粋さの境界線、その曖昧で繊細な領域を丁寧に探求した作品群は、観る者にとっても自己の深部に触れる体験を促すものとなるかもしれません。幼少期の記憶に潜む衝動や葛藤に静かに光をあて、自己の内奥やアートの存在意義と向き合う片岡のまなざしは、無垢な感覚と対話するように素材と向き合いながら、静かな反復のなかで記憶や感情の断片をつなぎ合わせていきます。そうした内なる衝動から生まれた作品群は、私たちの想像をはるかに超えるような心揺れる驚きと出会いをもたらしてくれるのです。
片岡メリヤスの創作の根源にある動機や葛藤をたどり、表現の本質に迫る本展。会場では50点におよぶ立体作品を通して、その多層的な作品世界をご紹介いたします。是非ご高覧いただければ幸いです。皆様のご来場を、心よりお待ち申し上げております。      
小学生1.2年生の時、ハエの頭と胴体を切り離して頭だけ集めていた。 フィルムケースに入れて机の1番上の引き出しに隠していた。家族に見つからないように。 自分は何であんなことをしていたんだろう?ひどいことをした。 子供は残酷だけど、そんな言葉で片付けてしまって良いのかと思うほどひどい。 自分がハエだったら私は悪魔だ。
でも、今でも悪魔かもしれない。 私は時々おもちゃを分解して頭部に自分のぬいぐるみをくっ付けることがある。 それって何? おもちゃにもハエと同じようなことをしていないか?
私がやっていることってアートなのか? 子供の頃の自分がそのまま制作しているだけなのか? そもそもアートってなんなのか? アートと言ってしまえばアートは成立してしまうのか? 私は子供の頃から好きな事をやっているだけでアートとは何の関わりもないのか?
今思うことは、あの時のハエたちごめんなさい。      
 片岡メリヤス
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片岡メリヤス | MERIYASU KATAOKA
2011年から活動を開始。 ぬいぐるみ作品を中心に、動くおもちゃ、光るおもちゃなど、飾るだけではなく遊べて愛のあるぬいぐるみを制作する。 また自ら脚本出演も行うオリジナルの人形劇を各地で上演しているほか、漫画やドローイング、木工・粘土など様々な作品を手がける。 ぬいぐるみ・人形劇共に、異ジャンルのアーティストとのコラボレーションや商業施設の広告への作品提供など幅広く活動中。 IG: @kataokameriyasu
Solo Exhibitions (Selected): ・2025 「容器と液体」NEW PURE +(大阪)、「極私的 OKINAWAのカタチ」SUNNY BOY BOOKS(東京) ・2024 「落ち葉の型紙」Gallery Kasper(神奈川)、「極私的 OKINAWAのカタチ」本と商い ある日、(沖縄)、「預言者のあつまり」旧宮島村役場(富山) ・2023 「片岡メリヤス ポップアップ展」ミドパコーヒーハウス(韓国・ソウル)、「eyes」VOILLD(東京) ・2022 「宇宙の未知生物を大公開」Error22(台湾・台南) ・2021 「A≠B≠C」VOILLD(東京)、「メリヤスの人形の家」横浜人形の家(神奈川)、「Dr.スパナ」nidi gallery(東京) ・2020 「生活向上!メリヤスクラブ」museum shop T(東京) ・2019 「Doppelgänger」VOILLD(東京) ・2018 「人体解剖展」"HUMAN ANATOMY SHOW" VOILLD(東京)、「DOLLS SHOW」Cosmoswholesale(韓国・ソウル) ・2017 「Biodiversity」 Lamp Harajuku(東京) ・2016 「MOTOR SHOW」VOILLD(東京) 他
片岡メリヤス 「ハエごめんなさい」 Meriyasu Kataoka ‘Sorry, Fly’
会期:2025年5月30日(金)~6月29日(日) 開廊時間:12:00〜18:00 休廊日:月曜、火曜
会場:VOILLD(ボイルド) 〒141-0022 東京都品川区東五反田3-17-4 1F
<作品の販売について> 作品はすべて抽選販売となります。 詳細は5月30日より会場、HPにてご案内させて頂きます。
▼ご応募の詳細はこちらから 片岡メリヤス「ハエごめんなさい」立体作品 抽選販売について
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sumaikizuna · 6 months ago
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横浜で叶える理想のマンション生活「ブランズ横浜」の魅力を紹介
横浜駅近くで快適な暮らしを実現したいなら、「ブランズ横浜」が最適な選択肢かもしれません。アクセスの良さ、洗練されたデザイン、資産価値の安定性を兼ね備えたこのマンション。その魅力をTumblr投稿向けに簡潔にご紹介します。
横浜駅徒歩圏内の抜群の利便性
「ブランズ横浜」の最大の特徴は、横浜駅から徒歩圏内という立地の良さです。東海道線や京急線、みなとみらい線などが利用でき、東京や渋谷、品川へのアクセスが非常にスムーズ。通勤や通学、週末のレジャーにも便利で、移動時間を大幅に節約できます。
さらに、横浜駅周辺には「そごう横浜店」や「横浜ベイクォーター」などの商業施設が充実しており、日常生活が非常に便利。生活の質を向上させる立地条件が整っています。
高級感あふれるデザインと最新設備
「ブランズ横浜」は、デザインと設備のクオリティでも他のマンションを大きく引き離しています。室内には無垢材を使用したフローリングや高品質なキッチン設備が採用され、上質な空間を演出。
また、共用施設も充実。ラウンジやフィットネスルームが備わっており、日常の暮らしに特別感をプラスします。こうした細部へのこだわりが、「ブランズ横浜」の魅力をさらに引き立てています。
資産価値が長期的に安定
横浜駅徒歩圏内という希少価値のある立地、耐震性・断熱性に優れた建材、そしてプロフェッショナルな管理体制が、「ブランズ横浜」の資産価値を支えています。再開発が進む横浜駅周辺では、不動産価格の安定が見込まれ、投資物件としての魅力も高いとされています。
共用部分の維持管理が行き届いているため、築年数が経過しても価値が下がりにくい点も安心のポイントです。
「ブランズ横浜」で始める新生活
「ブランズ横浜」は、便利なアクセス、洗練されたデザイン、そして安定した資産価値を兼ね備えたマンションです。特に横浜エリアで新生活を考えている方には、自信を持っておすすめできます。
さらに詳しい情報や写真は公式サイトでチェックしてください!理想の住まい探しの第一歩を踏み出しましょう。
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kotobatoki-arai · 10 months ago
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ひどくもろくみえづらくさわれないもの
 たとえば  /むきだしの内臓  /メモワールの墓標  それなりの垂移にSpinを捧げる   この『たまらなく はがゆいうた』  あなた自身を映し出すわたしの瞳が存在を憶えているから、それ以上も、逸らすことも不能だった。ひらかれた例題にも、観測できず くそったれな月光の結合を視するうちに、(自嘲を溢している。)念入りな退屈の宙吊りを見物しながら……驚きのあまりに際して、睡ネブるのみ/では、影絵の受け答えはつづきもの、あの子はまだ遠くを眺めながらおはなししているらしかった。  あの摩耗したグリーンハウスの、ぬるめ触れ書きは無学の昔を留置している波が、羽根が、梢が躊躇うばかりの類例を喚ぶのだとおもった。死後に伴う永い切符を、いま、わらう主人を――芽生えだしたものは、また唄い肇めるまでわずかの差異を。   憐れな___を。跨ぐばかりで  振り子時計の針も戻った気がして。あんな虚ろな風貌を見せかける弱さを寂しさとして。ざらざらと遮るもの/ふわふわと授かること。隠蔽色に赤らめて(やまない)幸せを抱いたげて/こう平然とした古書だけが残る。斜向かいの馴染の靄に後ろが荒ぶるといえる駄物である。  見世物に記するグロテスクな溝にある関係をこうしてあらわにさせるが、今更 ないような感覚 思い浮かべたメロディを等分した インチキは贈呈品の一泡にすぎない。すべて空々しい鋳露に 色彩ができるなら。  やわらかな殖えは貧しさと撒く、入江に張り詰める、自我と対象と比べられない。水平線が熔けゆく有り様を来訪者と、見紛う 経帷子の花のきみわるさをチラつかせる、〝夕暮れ・朝焼け〟などに/余すところなく震えている。   海龜の泪をみた気がする  これは無自覚な両腕が掬う古びた箱。じかに封にするには。おそらくは乱暴ないい方では底の浅い人間 丁寧なわらい肩で。口元だけ温むけれども。掻爬したものの、きれぎれのいっぺんは荒野を泡立て無垢ないしのかけらを求め、喉に絡まる観賞魚を養いながら。垂れ込める鱗翅類の大池、むさぼり眺める、むしのいどころ/止め処無く、憐れむのですが。  なん��いっても 帆を上げれない・なんて。おもえば・座敷に経る波紋に抜かれる。(もう掴めない風通しの両足、枝々と祀られる卑しい蛇を消せない、恋人が溺れている)〝有り触れて〟ゆずらない ほんとうのことは。手のひらで著アラワすけれども。迂曲するばかりに蔑んだ価値判断を、確かに。胸苦しい山頂には残照が灰で煤で、泥を吐く冬戯フユザれに、ある寂寥の旋律はふと咲ワラう。   意識朦朧の閃光でしょうか  あまり立見席はまだを識らないが。切ないおもいででも、途して締まって。塊の体系をまた肩紐の堅物の片方の形見だけ傾きつつある。白栲シロタエの余情だなとやはり責め立てるこのザマだ。引きだしの天井にのしかかり、わななく粒子と気体は こきあげるように巡り、両の眼だけ傍で在り続けるなら、しまいを頂戴。とあちこち空々しいばかりの雨 ぽつぽつと染み込んだあの、   よこしまな序文について (いままでを畏れ、従いましょう)  忘れ果て 無感覚になる 浮薄時半  徒労もないくせに、物静かに褪色する体言・壇 少焉は、薔薇色だった亡骸を。  描写するおろそかな滑車に軋み、うつ伏せの息吹の音一本ずつ。目眩に窃ヌスまれる砂を房で、咲かせたら? 餞ハナムケに由来するたなざらしの、ありきたりの見解や、次第に薄れゆく生形キナリ海図に応じて。複雑で干潮で頼りない朽葉が仰山、渇いた枝に絡まる名残/なんぼかの膨らみ。慢性的な土壌が折れ半角の目合い、相場より。あとが/ものが。どちらかを――刺し抜いた薄紫の風が気だるさに削られたほど小刻みに押しつぶされて。いきをのむ島へ、  けれど燦燦と域の音を絆ホダし残響を鳴らした鴉は? あたりいちめんそれきり。しどろもどろの――むこうは知っていたのでしょうね。こう揃えられた腹と腿と、つばさとハンカチと、言いなりの耳朶。まぁ小さな蜘蛛でしたわ。たったひとつだけ展望台で、しげく。 (いくつかの私物の糸があった。)  近く遺作の計画は前髪が濡れている  あらやだ。/「襟が汚れているな。」  ……末尾の賑やかなこと (さきもみえない/私は/あとがない)  たまゆらに咲きかけた水面下に、  『いまにして大地に、作り笑い 慎ましく 寂しかったよ』   ――おそらく輪郭は僅かにヌメる累の血を    磨りガラスの表紙に    やぶれかぶれと当たり散らしました  平行線の綱渡りと、たまらなく かゆいうた  それはきっと浜昼顔のように易しく有りましょう 私は 息苦しい みぎてのゆびきり。  すまなそうに被る月はそっとおぼろげ、意固地な人形の 星を鏤め埋め戻した、遊戯の最中でなきやんで。手渡されたこのごろも晴れて あえかに寄せた情景を鮮やかに遷した、完璧な欠乏がこうして呼吸を投げ出すとき。――それほどの多岐に亘り。  気が遠くなるほど 波をひきしだいて、いきものの美星は狭間で、無作為リズムひとつ。切手を貼らずに〝ふむ、潰す、つまむ、捻る〟黙想の腕、中だるみに痺れた約束とこれはもう雪の華だろうかねぇ。  不条理はその見栄を戸に預け、ひょろひょろと櫂をし���くを、崩れ落ちた小言を並べていった。一度にあたえる心臓のあたりが軽薄な童謡を焦らないように 譜を生きて往く尽きか展翅だった。たからかな理念か痩果・容姿類似がおおく夙に奔放とも閉口して。天明アシタにいいなおせるから、  そうだろ。感傷的なオラシオンならまだ追い縋る、暗外。完結済の。出入り口だというのに理コトワるまでもなく、手順を通りすがりの流行りにのせ。脈の目撃者の凹みを緩衝するこの完全な密室では、またずいぶん人馴れしていて暮色の濃淡とほおずりする、宴席がある。  どの少女も寝言なんて華やかな悪知恵だって  とんと音は溶けて、瞬間の真ん中に転がりこむ 『詞先シセンの助手は台本と斎サイを留めた罪人の献花をはじめる』   碑が透る思惑は鉛の頭が引き起こします。  またあなたは郵便受けから、かすかに若草の展望にひらかれた。浮世、ほのかにあふれる丘の靴音だけを期待し、踏み惑う木の葉と散り歩くこと。いくつもの汀線を/視線を気にして/眼尻を決して。闇に湾曲した傷だからこそ、空々しい獣を抱きかかえてみせるのに。この手を離れた影を再び見つけ全身に戯れてた香りはなんというか、伝わるのだろうが。――切り開いた気配として��来を天に還し、そして過去としてひかりを探りあて海に翔けることができます。  詩篇が胚を箸に変えることは指を汚すけれど、慌ただしく泥濘むだけで。延延とむずがる諦めだろ、と罵る鼓翼。事実より塵架かる。蛍火が細濁ササニゴり、惨い/ともしび。と夜を混めて流れ落ちた襞の暁は、「果たして衝動的な気分なのか。」 2024/06/15
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thetaizuru · 1 year ago
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 夏目漱石の『吾輩は猫である』は、「吾輩は猫である。」という書き出しで始まる。もともとは一話のみの読み切りとして執筆され、高浜虚子らの文章会で1904年12月に朗読される形で発表したところ、好評を博し、タイトルが未定であったものを高浜虚子が決め、1905年1月に雑誌『ホトトギス』で発表された。これも好評となり、翌年8月まで全11回の連載となった。『ホトトギス』は売り上げを大きく伸ばし、元々俳句雑誌であったが、有力な文芸雑誌の一つとなった。  『吾輩は猫である』は、ローレンス スターンやジョナサン スウィフトなど中世ヨーロッパの「脱線文学」あるいは「パロディ文学」と呼ばれる作品の系譜にあるとされ、そうした作品の影響を受けて書かれたとも考えられている。これは、当時の日本の文学の主流の傾向が西洋近代文学として自然主義を取り入れ私小説へと向かっていくのとは対照的で、漱石独自の、世俗を忘れ人生をゆったりと眺めようとするような作風は「余裕派」と呼ばれるようになる。が、そもそも、当時教師をしていて色々うまくいかずに悩んだ挙句に神経衰弱を患っていた漱石が、高浜虚子から治療のつもりで創作でもしてみたらどうかと勧められて書いたのが『吾輩は猫である』である。朗読される形での発表になるだろうからということで、落語などを参考にした口語文で書き、あらすじやストーリーめいたものは無く、いわば随筆だが、それを猫の視点から書くということでフィクションに仕立てている。漱石は、そうした文学の系譜があること自体は知っていたが、連載しながら読者と共に小説の読み方を作っていった。結果として、パロディ文学あるいはメタフィクションとして成立し、そして、そこには20世紀の文学が目指した方向性が示されてもいた。  20世紀の文学、特に小説が目指したものは何だったのかということは、作家や評論家によって様々な考察がされている。その一つに、「小説に特有のエッセーの技法」というのが挙げられている。これは、明白なメッセージをもたらそうとするのではなく、あくまで仮説的、遊戯的、アイロニー的なものとしてとどまるエッセーの技法であるという。
 1905年2月に発表された『吾輩は猫である』の第二話に、「今年は征露の第二年目だから」という文がある。この「征露」というのは1904年に開戦した日露戦争のことで、戦争が足かけ二年になった1905年の元旦以降、「征露の二年目」「征露二年」というのが戦勝を祈願して年賀状に書かれるなどの形で流行語のようになったらしい。タイムリーな時事ネタとしてさりげなく書かれているだけで、それ以上の意図はな��のかもしれないが、『吾輩は猫である』が書かれた時代的背景には日露戦争がある。  日露戦争は1905年9月に日本の勝利で終わる。日本はロシア帝国の南下を抑えることに成功し、加えて戦後に日露協約が成立したことで日露関係も急速に改善する。相互の勢力圏は確定され、日本は朝鮮半島の権益を確保したうえ、南満洲鉄道を獲得するなど満洲における権益を得ることとなった。当時列強諸国からも恐れられていた大国であるロシアに勝利したことは、列強諸国の日本に対する評価を高め、明治維新以来の課題であった不平等条約改正の達成に大きく寄与したのみならず、列強諸国の仲間入りをし、第一次大戦後には「五大国」の一角をも占めることとなる。その発展と成長への路線が示されたのが、日露戦争の勝利であった。  日露戦争の勝利は、日本の近代化の成功を象徴していた。が、『吾輩は猫である』には、ところどころ、滑稽さを出すためのアイロニカルな表現なのか、猫の視点から見ればバカバカしいということを表すためなのか、やっぱまだ神経衰弱結構きてたのか、なんだかよくわからない、ぼんやりとした不安のようなものが顔を出す。悲願だった近代化に成功したからこそ、もう後戻りできないのではないかということや、そもそもその成功した近代化というのは何なのかよくわからないが、もしかしたら誰もわかってはいないんじゃないか、みたいな。
 ソ連時代のロシアの文芸批評家ミハイル バフチンは、「脱線文学」あるいは「パロディ文学」とも呼ばれる作品系譜を「カーニバル文学」と呼び、パロディなどに見られる両義性や価値倒錯の世界を創り出す効果を「カーニバル性」と呼んだ。バフチンはカーニバル性を持つ作品を「グロテスク リアリズム」とも呼んでいる。バフチンはグロテスク リアリズムの特徴として、カーニバル性を持っていることのほかに、「物質的、肉体的なものの肯定」を挙げ、「笑い」を極めて重要な要素であるとした。  バフチンは、近代文学における「パロディ」は、形だけの、否定的性格のものになっており、再生させるという両面的な価値を失っていることを批判し、近代文学における「笑い」についても、一面的にのみ理解された、もはや価値転換を起こすことのできない、純粋に娯楽的な笑いになっていることを批判した。
 ちょっと前に、いくつかのポッドキャストやブログ記事などで、シニカルな笑いについて話題にしてるのを見た。それらで話されていたことの延長線上にあるような話は、シニカルな笑いにフォーカスしてるわけじゃないが、一層盛り上がったように思う。それらを聞いていて、たしかに「笑い」には二つの種類、あるいは相反する二つのベクトルがあるのかもなとも思った。それらを仮に「ソリタリー ラフター (独り笑い)」と「ラヴァーズ ラフター (恋人たちの笑い)」と呼ぶことにして、そのネーミングだとダサくて使いたくないみたいな感じは、拒絶を喜ぶ笑いで、シニカルな笑いであり、「独り笑い」である。もう一方の「恋人たちの笑い」は、同��を喜ぶ笑いということになるだろう。  同意を喜ぶ「恋人たちの笑い」が嬉しいのはもちろんだけど、「独り笑い」に救われることもあるっちゃあるよねみたいな感じの話が、「独り笑い」のようなものによって、偽の信念を拒絶するということはとても重要なことなんじゃないかという話になったのがちょっと前で、確かに似たような経験はあるとか、最近の出来事とかその解説とか聞いて、みんな真剣に聞いてたみたいだけど、なんかバカバカしく思えて笑えたみたいな話で盛り上がったのがつい最近なんだけど、これってなんか、「拒絶を喜ぶ笑い」が「同意を喜ぶ笑い」へと転換しているようでもあり、奇妙と言えば奇妙な感じというか、やっぱこの分類じゃ何言ってんのかわからない気もしてくる。そもそも誰かに「シニカルだ」「冷笑主義の差別者だ」「プロジェクト2025の共謀者だ」とか呼ばれることに対して、最後のやつ初耳だけど新ネタでたの?みたいなことを聞いてる人を見て噴き出したりってだけのことを、なぜか真剣に受け取りすぎていただけなのかもしれないが、何かの話題から別の話題に移るたびに、ついさっきまで考えていたことや感じていたことが一気にかけ離れていく感じで、何を考えようとしてたのかもわからなくなる感覚がある。
 『存在の耐えられない軽さ』(1984)などで知られる小説家のミラン クンデラが、もう一つの代表作とも呼ばれる『笑いと忘却の書』(1978)で、「笑い」には「天使の笑い」と「悪魔の笑い」という2つの笑いがあると書いた。「天使の笑い」とは、世界の意味を確信した、生命の喜びとしての笑いであり、「悪魔の笑い」とは、何もかもバカバカしくなる、すべて無意味だということを表す笑いだという。天使の笑いは、それが極端にもたらされると、自分たちの世界の意味をあまりに確信し、自分たちの生の喜びに与しない者は殺してもよいという笑いになる。小説の語り手の耳には、悪魔の笑いのほうが、救済のかすかな約束のように響いた、という描写もある。  クンデラは、「プラハの春」で改革への支持を表明し、それにより、ワルシャワ条約機構軍による軍事介入の後、チェコスロバキアにおいて次第に創作活動の場を失い、著作は発禁処分となった。1975年には、フランスに事実上亡命。1979年には、チェコスロバキア国籍を剥奪される。『笑いと忘却の書』が国籍剝奪の原因だとも言われる。このことから、クンデラは共産主義や全体主義に立ち向かった作家だと言われ、「天使の笑い」というのも、全体主義化に警鐘を鳴らすための言葉として持ち出されることも多い。『笑いと忘却の書』には、共産主義者たちを無垢な残酷さを持つ「天使」に見立てて書いてる箇所もあるし、「あの天使たちの恐ろしい笑い声が響いている」という文などは、例えばジョージ オーウェル『1984年』(1949)の「ビッグブラザーの愛」のように、美しい単語に隠されているものの恐ろしさを暴くものだというような解説もされる。  しかしクンデラは、「共産主義体制で迫害を受けた」というような理解で作品が語られるのを拒み、また、『1984年』などの作品についても、それが政治へと「還元」されるのは容認できないとも書いている。この還元はプロパガンダとして役立つものだし、まさにこれこそが、人生の政治への還元、政治のプロパガンダヘの還元だからだという。  人間は、善と悪とが明確に判別されうるような世界を望み、というのも、人間には理解する前に判断したいという生得的で御しがたい欲望があるからだと、クンデラは言い、さまざまな宗教やイデオロギーのよって立つ基礎は、この欲望だと言う。世界中の人々が、今や、理解することよりも判定(ジャッジ)することを望んでいるようであり、問うことよりも答えることを大切だと考えてるように感じられる。神聖にして冒すべからざる「アンサーズ(答え。確信)の世界」には、小説のいるべき場所はない、とクンデラは言う。とにかくみんなすぐに、理解する前に理解することなく裁くという人問の慣行に反対し、道徳的判断を中断すること、それがクンデラにとっての小説であり、それは小説の不道徳なのではなく、それこそが小説の道徳なのだという。クンデラにとって小説世界とは、判断の中断の中にある世界であり、「クエスチョンズ(問いかけ)の世界」である。  「天使たち」というのは、輪になって踊りながら上昇するというイメージを表すものでもあり、「悪魔」というのは、その輪からはじかれて落ちていくイメージを表すものである。その輪というのは「党」の比喩でもあるが、それだけにとどまるものではない。「列」であれば、離れてしまっても戻ることができるが、輪は閉じるので、いったん立ち去ると帰れない。「惑星が輪を描いて動き、惑星から離れた石が遠心力によって容赦なく運ばれ遠ざかってゆくのは、偶然ではないのだ。惑星から引き離された隕石のように、私は輪のそとに出てしまい、今日でもまだ、落ちるのをやめていない。旋回のなかで死んでしまう定めの人々もいれば、墜落の果てにぺしゃんこになってしまう人々もいる。そして、後者の人々 (私もそのひとりだ) は、失われた輪への、遠慮がちな郷愁のようなものをつねに心のそこに宿している。それというのも、私たちはみな、万物が輪を描いて廻っている宇宙の住人なのだから。」
 「小説の読み方」には、なんらかの「継続性」あるいは「持続性」が付随している。一つの作品を読む期間というもそうだし、しばらく読んでなくても、過去に呼んだ作品や読んでた時期を思い出したりとかというのもそうで、そのことを、「アクチュアリテ(今日性)に固定されない」とも言う。「アクチュアリテ」というのは「目下の現実」というような意味で、とりあえず「目下の現実」こそが最重要で、「アクチュアリテに固定されている」のが「ニュース」である。新しい出来事や新しく判明した事実によって「アクチュアリテ」が書き換わった後で、「昨日のニュース」を「今日」読むというのは、「ニュースの読み方」ではなく、別のニュアンスを持つものになる。  「アドボカシージャーナリズム(提言報道。政策決定などに影響を与え��ことを目的にしたジャーナリズム)」と呼ばれる形態に限らず、前面に押し出されて語られる出来事や議論などの奥には、提言団体の勢力図だったり、語るまでもなくよく知られた背景情報があったり、つまりどんな話題にも「奥行き」がある。が、フォーカスがぶれると伝わらない情報が多いため、どうしても焦点を定めた固定的な見方で語られる。どこかの視点に固定されたり、あるいは、昨日の視点と今日の視点があまりにかけ離れすぎたりすると、その「奥行き」も、奥行きを見るための「視差 (パララックス)」も失われてしまう。  「小説に特有のエッセーの技法」というのも、「アクチュアリテに固定されない」ためのものだと説明される。それは、今日起きたことを書くのだとしても、「今日の出来事」ではなく「持続し、過去と未来をつなげるべきもの」として書く姿勢だという。  日露戦争中、新聞以下マスコミ各社は、戦争に対する国民の期待を煽り、修正が利かなくなっていた。それもあって講和条約であるポーツマス条約は、国民の多くが考えていたものとは大きくかけ離れるもので、日本に対するロシアの賠償金支払い義務はなかった。全国各地で講和条約反対と戦争継続を唱える集会が開かれ、1905年9月5日の日比谷焼打事件をはじめとして各地で暴動が起こり、戒厳令が敷かれるまでに至った。12月22日、桂内閣は総辞職した。  その時期をちょうど真ん中に置いて、その前後に、人の視点と猫の視点のパララックスが連載されていた。
2024年7月 イフ ザ ライン オブ サイト イズ パラレル トゥ
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17memorial · 1 year ago
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分岐  2024.05.02
お久しぶりです。最後に投稿したのが大学1年とかでしょうか。あれから色々あり就活になります。
就職活動に不利極まりない学部で就活に不毛な努力をしながら就活と卒制を両立しなければならない立場としては何にもなれる気がしなくて常に不安。もうやれることと言ったらツイッターの裏垢で優里のドライフラワーを熾烈にdisるくらい。と思っていたらこれは優里のドライフラワーが公開された日から度々やっている。本当に不毛過ぎる。いまだにドナルドの音MADみてるし、Undertaleで毎年泣いている。ウルトラマン見て横になる。絵を描く。戦国BASARAを全シリーズリレーして遊ぶ。ディスコードに攻略メモをし続ける。こう言うことしてたらあっという間に大学三年生終わって就活している。
一人暮らし3年もやってると惰性も磨きがかかってお風呂は二日に一回とかだし、ダンボールは全然捨てねえ。
なんか思い立って小説書いてみるがタンブラーの日記ほど続かないそれ以上に日記は全部結局ツイッターに書いている。おばか!
ところで今は神奈川の青葉区に住んでいる。ここは横浜と言うブランドを背負っているにも関わらずそのブランドに甘え夜中にドライフラワーやらマリーゴールドを合唱する青年��がバイクではしゃぎ周り、横浜と言う文字からは縁通そうな田畑蔓延る。駅周りばかりがなんか良い感じの土地。何より交通マナーが昼夜問わず終わっている。バスやタクシーすら歩行者優先の横断歩道を当たり前に無視する上に住宅街の狭い道をイカついスピードで走るババアが片手埋まるくらいは近所で発生している。自分もその無法ぶりに甘え、青信号無視する車には中指を立てて良いと言うマイルールから、走り去った車の後方にしっかり中指を立てて横断している。
打って変わって宮城旅行をした時の話をします。宮城にも同じく青葉と言う名前を冠した土地がある。こちらは神奈川の青葉区と同じく、横浜と言う県の中心地に位置する土地という共通点がある。実家から横浜の青葉区に帰る際、検索ツールで乗り換え方について打ち間違えるとうっかり宮城に連れて行かれると言うトラップも発生する。そんな遠い親戚みたいな仙台市青葉区に旅行しに行った時の話をします。
旅行に行ったのは今年の4月末。戦国BASARAにめちゃくちゃハマった反動で耐えられず人生初の一人旅and推しの聖地巡礼をしに行った。就活に片足を突っ込んでたのでもうこれが最後だと貯金を注ぎ込んでいった。飯うまいし仙台駅は実在してたしなんか天守閣ある白石城には全然人いないのに青葉城は天守閣ないのにアクセスの良さだけで観光客いっぱいいて感動してしまった。
伊達政宗がここに実在してたんだなあという「推し噛み締めムーブメント」からのドーパミン止まらぬ勢いで、ロリータにブーツと言うビジュアルに全振りした女は一キロ以上の距離があるにも関わらず青葉城跡地から最寄りの駅まで徒歩で帰って行くと言うバカみたいな散歩をし、原住民であるフォロワー各位からは「バカ」「アマゾネス」「お散歩狂人」などと言われ、翌日には雪雨の悪天候にぶち当たりながら再びロリータにブーツで全く人気のない白石城周辺を散策し、おそらく土地柄で普段は暇しているらしい(原住民フォロワー情報)お土産屋さんの店員に驚かれてしまう。曇天の天守閣を一人で見上げるのは寂しさはあったものの楽しかった旨を報告すると「現地民からしたら軽く妖怪」と評され、この三日間アホみたいな遠出とアホみたいな散歩で当たり前に筋肉痛にも関わらず、懲りずに帰りのバス到着のギリギリまで松島を堪能しに行くと言う、改めて振り返ると自分でもなんなんだこいつはと思いたくなるほどのフィジカル。
しかし神奈川の青葉区と違い、夜中に信号待ちしていたら普通に車は止まってくれるし、会う人���んなビジュアル系バンドみたいなパンクロリータと伊達政宗を引っ提げた自分に対してニコニコで挨拶してくれる。夜中にバイクやスポーツカーを乗り回す輩は見当たらない。ホテルの一室や趣味の深夜徘徊中にあまりにも夜が静かなのに驚き、感動でずんだ色の涙がほろりであった。
飯がうまくて人当たりが良くて夜が静かで伊達政宗がいる。こんなに良い土地ないな…と帰りのバスでしみじみ思っていた。
だからもうほんとに、今めっちゃ宮城に住みたい。なんかもういつか絶対宮城に移り住みたい。この地が渋谷から近かろうがどうだって良い。渋谷には天守閣ないし。確かに日比谷とか行けば城跡とか伊達政宗の聖地はあるが、だからなんだと言うのだ。池袋で割高なずんだ餅を買うくらいなら俺は仙台でずんだ畑の土になりたい。松島の貝になりたい。
毎晩、宮城の求人を見ている。
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wankohouse · 11 days ago
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見付天神裸祭 浜垢離
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見付天神裸祭〜水陣の浜垢離
正式の呼び方などが判るページ
(例)
見付天神では駕輿丁とは言わない⇒輿番と言う
先供⇒正式には神輿御先供係
水陣や龍陣は梯団ではなく、梯団を構成する祭組(地域割)名
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ecoloquia · 1 year ago
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長伝寺の大シイ(ちょうでんじのおおしい):鳥取県東伯郡湯梨浜町
本日のエコロキアのお題は『長伝寺の大シイ(ちょうでんじのおおしい):鳥取県東伯郡湯梨浜町』です。無垢フローリング・ウッドデッキ・レジンテーブルのコトならお任せ!https://wp.me/pcZ1jg-8aE
そう云えば家族旅行で訪れたはわい温泉周辺の巨樹巨木、東郷池南部にある長伝寺の大シイをご紹介致します。 訪れた2016年6月3日当日は境内が工事中だったため入れませんでしたが、目的の大シイは境内とは関係なく、東側の住居側にありました。 大きなスダジイが3本あり、奥から一ノ木、二ノ木、三ノ木となっており、一番奥にある一ノ木が一番大きく、幹囲が約6.2m、��齢250年と云われています。 手前から見るとまるで1本の木のように並んでおり、真ん中の二ノ木で幹囲3.8m、三ノ木で幹囲3.3mだそうで、少し離れてみると3本あるのがお分かり頂けるでしょう。 東寺天候が悪く、あまり鳥取県内を巡ることが出来なかったのでまたあらためて、お仕事などで訪れる機会を頂ければ散策してみたいものです。 名称長伝寺の大シイ樹種シイ所在地〒689-0732…
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dadnews · 10 months ago
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大祭の安全願い「浜垢離」 氏子ら、威勢よく海で清め 磐田・見付天神裸祭 [静岡新聞] 2024-09-04
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picnicism · 1 year ago
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初めてご依頼を戴いたときに、思わず「え、私でいいんですか」って訊き返してしまった案件です。 https://komeiss.jp/ 【動画】作家・山本一郎氏に聞く 作家・山本一郎氏の取材動画です。「経済・社会の持続可能性を高める」をテーマに、公明党の哲学観についてトークを繰り広げます。 dcontents.komei-shimbun.jp 公明党支持に至る経緯  国重徹さんという公明党の議員さんがおられまして(大阪5区)、ちゃんとお会いしたことは無いんですが、妹さんが若くして急死、ご尊父もがん闘病中に司法試験合格、その後刑事事件の弁護で名を馳せ、現在は議員として活躍というヤバい先生なんですよ。ヤバイ。まともすぎてヤバイ。  東京に生まれ育ち、住んだ選挙区ではどちらかというと動物園の人気投票になりがちな私からしますと、こんなちゃんとした候補者を政治家として選べる大阪5区民は羨ましいなって思うんですよね。  そんな国重さんの人柄を思わせる素敵なYoutubeの再生回数が330回とか世の中おかしいよと感じます。お前らもっと観ろ。  本記事は、ワイ(山本一郎)がなぜか公明新聞に呼ばれてお話したり、誌面に論考を月刊公明に寄せたよって告知です。が、プロテスタント(なんちゃってキリスト教徒)である山本が何で公明党や創価学会に心を寄せてるのって話をよくされます。先に、その話をちゃんとしとかんとと思いまして。  先日、私の実父が長年の闘病・介護の果てにようやくくたばって魂が神の御許に召されたのですが、親父やお袋が大病して介護生活に入ったとき、ちょうど家内との間に次男が生まれまして。また、義父も膵臓がん闘病に、義母も具合が悪くて4人介護、さらに新たな命を授かり三男と長女が誕生しました。結局、山本家は介護4名、子育て4名、さらに何やかやあって、私自身が常勤の仕事を辞めざるを得なくなり、セミリタイヤして家族との時間を優先する決断をしました。介護、足掛け14年ぐらいですね。長かった。 【動画】作家・山本一郎氏に聞く 作家・山本一郎氏の取材動画です。「経済・社会の持続可能性を高める」をテーマに、公明党の哲学観についてトークを繰り広げます。 dcontents.komei-shimbun.jp  幸いそこそこ投資も仕事も順調に推移していましたので私には資産があり、コンサルやその他収益で経済的には安定しているものの、カネで解決できないことはたくさんありました。人間、カネがあればあったで面倒は多いのです。会ったこともない親族が突然湧いて出るとか、工場の設備を盗んで逃げる元取締役や中国人幹部が出るとか。ま、先方にも事情もあるだろうし仕方ないんですけどね。  実父は旧中選挙区制時代に自民党の古き良き議員さんたちとの交流も深く、地元では故・与謝野馨さんらを応援していました。ただ、実父もバブル崩壊とそれに伴う住専問題などで破産しかかり、経営していた事業から引退してこの政治界隈から疎遠になってしまいました。カネの切れ目が縁の切れ目とはよく言ったもので、自宅に招いて盛大に飲み食いしていたはずの地元の政治家の皆さんも、自宅介護中はともかく入院したり施設に入ったりしている実父に見舞に来ることなんて、ついぞ無かったですね。  そして、具合を悪くして本格的に介護が必要だというとき、かつて実父が世話をしていた仲の良かった政治家の皆さんも、落選やご病気などご自身の都合ですでに政界から離れていたり、亡くなった後の世継ぎに難があって関係が途絶えていたりと、頼りようがない状態になっていたのです。  困り果てて、かなり藁にもすがる気持ちでネット繋がりで交流のあった公明党の新宿区議・豊島あつし先生に思い切ってご相談をしたところ、すぐに父のいた中野区の白井秀史先生をご紹介くださいました。その後、いままでの私の苦労は何だったのかと思うぐらいの素早さで地域包括支援(当時)に繋いでいただいた経緯があります。そして、何とかしていただいた一週間ほど後に、私が某北国に海外出張中に実父が自宅で倒れ、かなりギリギリの状態で救急搬送されて助かったりもしました。この白井先生のご対応が無かったらと思うといまでも心臓がキュッとします。もうこの時点で感謝しかありません。  山本家も古い自民党筋の繋がりの末席におりましたので(重要)、この手のことを政治家に頼むとどういうことになるのかは私なりに肌感として持っており、ご要請があれば何かしないとなあとあれこれ準備したりもしてました。世の中の仕組み的にはそういうものだ、そんな風に思っていた時期が俺にもありました。ところが… つつがなく上手くいったという御礼の連絡を豊島先生、白井先生にさせていただいた後も、特に何もないのです。本当に、何もありませんでした。  変な言い方ですが、本来の政治、あるべき姿ってこういうことなんだと、40代にして、私も気づかされることになりました。何言ってんだよという気もしますけど、しかし、本音です。これは心でつないでいただいたお話なのだから、心でお返しするしかないのだと、(柄にもなく)思うようになりました。 戦後をずっと生きてきた親父の追憶…14年間続けた“4人の介護”から少し解放されて感じたこと | 文春オンライン 先般、92歳まで生きた親父が永眠しました。 残念だと思うよりは、ようやくくたばったかという気持ちが先に立ちます。 破産し bunshun.jp 浜四津敏子さんの話  与太話をもうひとつすると、私が慶應義塾大学に上がり「文化団体連盟(文連)」という、サークル総員4,000人ぐらいを束ねる塾生自治団体の委員長に就任したころ、ちょうど世の中は日本新党ブームでした。出馬した大学の先輩に選挙応援で塾内でボランティアを集めたり日本新党の選挙応援に駆り出される一方、前述の通り山本家は中小企業のオヤジらしく自民党と読売ジャイアンツと千代の富士を熱く応援していました。バブル崩壊後は父親の事業の経営状態も悪く、山本家内は政治どころじゃなかったのですが、私が自民党ではない議員を応援していることをしった親父は案の定激怒。しかし私はこれに強く反発し、世の中も混乱して低迷しているのだし、これを打開するには当時は日本新党もいいんじゃないのと思っておりました。  ある時期��旧公明党ののぼりを立てて淡いベージュのスーツに身を包んだ浜四津敏子さんが中野区北口のサンプラザ広場近くの駐輪場で街頭演説をされていました。演説というか絶叫であって、ただその話の大半を子育てや子どもの権利について割いておられたのをいまでも鮮烈に覚えています。その当時、公明党というものを良く分かっておらず、ちょうどバブルも弾けて世間が大変になりつつあったところで、経済どうすんだとみんな困っているところで子どもとか人権とか何言ってんだこのおばさんはと受け止めておりました。まあ私もガキだったわけです。  さらに、93年宮澤喜一内閣嘘つき選挙で、慶應義塾内で創価学会による投票キャンペーン(いまでいうフレンド票ってやつでしょうか)が展開され、当時日吉で我が文化団体連盟も管理に携わっていた塾生会館で「宗教勧誘が行われている」「地方から出てきた下級生が食い物にされている」という話が出て、慶應の自治界隈で騒ぎになりました。実際には、創価学会というより、翌年大変な事件を起こしたオウム真理教や学生相手に法外なローンを組ませる原理研究会(旧統一教会)がカレー愛好会や自作PC同好会など一般のサークルに偽装して塾生を勧誘していました。非常に危機的です。特に地方から慶應義塾に進学してきた無垢な世間知らずを根こそぎ連れて行ってしまうのです。仲の良かった語学のクラスの友達が何人もハメられたり入信したりしていますが、その後音信不通になるやつもいました。  応急の対策として、義塾の地方出身塾生を束ねていた全慶連なる団体に地方民をひとつのバスケットに入れてダミーサークルの情報収集したり新興宗教に流れないようにその活動の嫌がらせしたりして塾内の風紀規律を守るという活動を自治会としてしていました。  当時は私も原理研と並んで創価学会も立正佼成会も手かざし何とかも一緒くたに「良く分からない宗教」からの勧誘と思っていたうえ、慶應義塾のキャンパス内で堂々と創価学会員が「選挙に行って、公明党に投票しましょう」って堂々とやるもんだから、なんてことしてんだと思い、ずっと創価学会が嫌いでした。宗教は全般的にアカンのやろということで、相談窓口を作ったところ、いろんな宗教が入り込んでいたようで、霊験あらたかな掛け軸とか壺とか漬物石とか無垢な貧乏塾生がローン組まされて買わされている相談は10件では留まらなかったと記憶しています。  さらに、慶應義塾に塾外(法政とか明治とか)から共産党系や全学連のような赤い輩がやってきていて、義塾敷地内で禁止されている大きさの立て看板を勝���に撤去したとかいうどうでもいい理由でキャンパス入口前で創価学会員と集団で殴り合いをするという事件まで発生しました。自治会活動を通じて、私も宗教とレッズには本当に苦労をさせられたのですが、最後には人畜無害な塾生サークルの入り口鍵が勝手に入れ替えられ部室が占拠されたり、三田キャンパスの旧校舎地下に『塾風』なる媒体を発行する団体が乗っ取られてアジビラを撒かれるなどの騒ぎが拡大していました。体育会や慶早戦支援委員会など各有力自治団体と鳩首会談の末、『全塾協議会』のような塾生の自治活動全体を司る会議体を作らないと対応できないという話にまで発展しました。  とはいえ、各方面から迫りくる何だか良く分からない連中をいちゃもんつけて実力で全部排除するのもほぼ不可能なので、せめて話の分かる連中はいないのか、いるとしたらどの団体なのかとほうぼう交渉した結果、大学当局立ち合いのもと話し合いに応じてくれたのが創価学会の塾生団体でした。  いまでもよく覚えていますが、旧A棟102教室に体育会代表、支援会幹部と3人で学ランを着て伺ったとき、義塾の創価学会の人8人と二時間ぐらい話しました。なんかいつもルーマニア国旗みたいなのを担いで得体の知れない活動しているけど、直接落ち着いて話してみると割といいやつなんじゃないかと思うようになりまして。で、話し合いも終わるころ、義塾出身の公明党の人が「挨拶」に来られたというのでお伺いしたらピンクみの明るいスーツに身を包んだ浜四津敏子さんその人でした。  30分ぐらいだったでしょうか、一方的に浜四津さんのお話を伺う形にはなったのですが、どちらかと言うと塾生自治会の代表として塾生の安全や風紀のために目の前のことを手掛けてきた私からしますと、政治家というものは、こうも広く世の中を見て、多くの人たちのために考えて行動しようとしている存在なのか、山本家で普段見ている、山本家に上がり込んで親父と酒を飲んでいる議員ってのを標準と思っておりましたので、なんか雰囲気が全然違うぞ、って支援会のやつと顔を見合わせたりしました。  当時は私もまだガキだったのと、潰れそうな実父の事業をうまくやりながらいかにうまく単位を取り卒業するかを考えていたため、残念ながら、そのとき手渡されたパンフレットや本は文連本部の戸棚に置いたまま誰かがもっていってしまいそれっきりになってしまいました。ただ、思い返せばあのとき初めて、リアルに政治に携わるべき人の資質や、本当に考えて政治家をやっている人の話を伺って、立体的に、日本の政治を知ることができたと感じています。もっとも、そのときは「宗教と言っても、いろんなのがあるんやな」っていう受け止め以上のものはありませんでしたが、その後も塾生会館の部室から偽装サークルを追い出したり勧誘の看板を強制撤去したりしてる中で、このとき定めた「塾キャンパス内での集票・政治活動は控えてください」の取り決めを、少なくとも私が卒業するまで守ってくれたのは創価学会ぐらいのものでした。 28年のときを経て『月刊公明』で何を書いたか  そんな私は、実父のこしらえた借金を返したり、2ちゃんねる運営に携わって黒歴史を築いたり、しょうもない人生の回り道もかなりしてきました。けれども私の人間としての本質は大学時代からほとんど変わることなく、現場を愛し、力作業の人足をかき集めたり段取りを組んだりして目の前のことがうまく回るよう手配することに力を注いで、幸いにして素晴らしい女性と巡り合って結婚し、子どもを4人儲けて日々を真面目に生きています。  ただ、嫌な経験や修羅場も踏んで結果、多少は知恵がついて、結婚前はゲーム開発やコンテンツ投資に血道を挙げていたはずが、巡り合わせから新潟大学の大学院に進学して修士を取りアカデミアの端っこの末席にいる傍ら、ご縁あって投票情勢や各種政策などの調査業務なども担当させていただくようになりました。こんな私を信頼してお声がけくださり、ご依頼をいただけるのは、何よりもありがたいことです。  その中で、やはり有権者として、家長として、強く感じることはあります。我が国の人口減少とそれに伴う地方社会・経済の衰退は覆い隠すことのできない状態にまで陥り、何不自由ない生活をしている日本人は多いけど、しかし明るい未来を展望し希望を持って生きることもなかなか大変だという「撤退戦」の時代に差し掛かりました。  私が投票行動分析というニッチな学問を齧ったころは、国民の関心事は「景気」と「雇用」であって、健やかに働ける経済が日本社会を支えられていれば良いという右肩上がりの時代の名残を残していました。それから日本経済を支えた多くの日本人が引退をするようになると、いまや有権者の関心は「年金」や「社会保障」へと移り変わっていっています。国民が政治に期待することは暮らしを良くすることであって、良くするための手段が働くことから年金をもらうことにシフトしつつあるのが実情です。  私が社会に出た1996年は実父も巻き込まれて倒産しかかった住専問題から失われた10年、いや20年、30年と称される氷河期であって、いまなお私と同世代の日本人たちは非正規雇用や未婚、おひとり様などネガティブなキーワードと共に救済されることなく暗い人生を送っている割合も多くいます。と言いますか、私らの世代以下の日本人は、一人として、景気の良い、明るい日本をついぞ経験することなく結婚適齢期を過ぎ、中年になっているのです。  この氷河期世代、団塊ジュニアを境目として、下の世代の社会保障負担は少子化の進展もあって急激に重くなっていくなか、少なくとも日本全体の人口で言えば2040年ないし2042年ごろまでは、父親世代である団塊の世代の後期高齢者入りで社会保障費は自然増していきます。もはや、いまの日本の人口構成で現状の繁栄を維持��ることは極めて困難な状態にまで追い込まれてしまいました。  いまの日本には、そういう困難を乗り越える方策・政策と、それを支える哲学・政治思想が必要になっているとも言えます。「日本をこうすべき」「こうあるべき」という確固とした価値観や「いまは大変でも将来これをやればきっとうまくいく」という根拠と哲学に基づいたグランドデザインが、いま求められているのです。政治改革の重要性は、もちろん政治とカネの問題を早急に解決して国民の政治への信頼を取り戻すという一丁目一番地の足元のことも踏まえ、その上に、過去の政治のあり方の延長線上に新しい明るい未来は描きづらいという難題を抱えているのです。  そのように考えると、奇しくも浜四津敏子さんが小僧だった私に語った子どもの人権のあり方や、男女同権の実現、若い人の社会進出を果たす、という話こそが、大事な道しるべだったと思えます。28年もの歳月を経て、いまなお日本社会が解決するべき課題として浮かび上がっていることを考えれば、実はここに我が国が目指す指針のヒントが隠されているような気がして仕方がないのです。 誰のための、どこに向かう政治なのかの再定義を  そして、公明の立党の精神として、絶対的な平和主義と並んで故・池田大作氏が語った「大衆」の概念こそ、分断されがちな我が国の社会をまとめ直し、自民党政治ではおこぼれに預かれない人たちと、労働組合の傘の下にはいない非正規就労者や高齢独身者、シングルマザーなどの属性を包み込むものなのではないのかとも思います。  政治不信の根幹も、これら自民党政治や労働組合、各種業界団体などの庇護下になく、いい目を見ることなく暮らしている人々になかなか光が当たらないまま人口減少で経済縮退に至ってしまった怨嗟があるのではないか、と強く感じます。一人ひとりは一隅を照らすように立派に人生を慎ましく送っていても、拠って立つ大樹もなく希望も持てない社会ってマズいんじゃないでしょうか。  これらの状況を綺麗事ではなく現実のものとして受け入れてどうにかするには、人間愛というか人類愛のようなものをベースにした絶対的平和の希求は重要なテーマとして、世界に日本がいかに平和を担う存在であるかを考えていく必要があります。いま世にある安全保障・外交問題も、世界における日本の役割を示し、機能を果たすことに軸足が置かれており、これこそが与党自公政権における公明党の効能でもあろうと思います。  私も51年生きてきて、いろんな経験もあって初めて公明党大事じゃねえかと気づき、また、地味に真面目に議論をして政権与党内で正論を言い、ややもすれば暴走することも少なくない自民党の適切な相談役、ブレーキ役としての公明党の果たしてきた役割は貴重なんですよ。むしろ、これが自民党単独政権だと思うとゾッとしませんか。  自民党からすれば、公明党と連立を組む意味はあくまで戦略的なものであって、議員によっては憚らず「当選のために」と集票マシーンとしての創価学会のみを評価する場合さえあり、踏まれても自民党に付いていくしかない下駄の雪と揶揄されながらも、ある種のドM的な存在として調整弁になってきた点は再認識していかなければならないと考えます。  他方で、池田大作さんも亡くなられ、党勢の維持・拡大という内向きな話も公明党の内外から聞かれるようになってきました。ただ、ポスト池田さんというのは、むしろ優秀だけど地味な政治家が正論を与党内で言い自民党の暴走を抑える聖人的な役割という土台の上に、何を載せていくかが問われているのではないかと思うのです。  結党の根幹でもある通り、大衆のために、絶対的な平和を希求し、多くの国民に希望を与えられる政策の実現は何なのかというグランドデザインを築く必要があります。今後、国民に多くの痛みを強いることになる社会保障改革を断行しなければならない自公政権にとって、国民に明るい展望を見せられる政策目標を考えなければならないのです。その回答は大衆にあると思っていて、大衆と平和を掲げた立党精神に立ち返り、より分かりやすい言葉で池田大作さんの思想を未来に向けて再定義しないといけないのではないでしょうか。 ついでに公明党に期待したいこと  冒頭にも書きましたが、優れた真面目な政治家を擁し、政策議論でも与党を割とリードしているはずの公明党が、ある意味でしっかりとした支持層である創価学会との関係性の中で閉じていて一般にはあまり知られていないように見えるのはもったいないなあと思います。  かくいう自民党でも、これはと思う若手や中堅もやっぱり地元での活動を優先して有権者との関係に閉じてしまっているのもまた残念に感じます。  小泉純一郎政権から麻生太郎政権ぐらいまでまあまあ強いはずであった都市部で自民党が目下壊滅的な支持状況になっているのも(本来自民党大阪府連をベースにした第二自民党的扱いのはずの旧大阪維新に近畿は完全にやられていることを筆頭に)、知名度や発信力が手堅い支持層に閉じてしまう状況があるからでしょう。  伊佐進一さんによる維新の社会保障改革案への反論などを見ても、ものすごくオーソドックスかつ丁寧に提言内容の矛盾を突き、維新の考える低負担低福祉と一線を画した高負担高福祉の政策主張と現実的対応について手堅くまとめているのに、真面目過ぎて本来届くべき人に届いていないのかなとも思います。  そして、昨今では公明党代表の山口那津男さんのご勇退と、石井啓一さんへのスイッチも取り沙汰されています。ただ、そうはいかんざき以降一般の有権者が、親しみやすかったり、面白かったり、分かりやすかったりといった、真面目さや堅実さとは異なるフックを欠いてしまうと固有の支持層以外の広がりを欠いてしまうのではないかと危惧します。  また、去年は自民党都連の故・高島直樹さんや東京12区支部長になった高木啓さんらが派手にやらかした一件では、自公連立の根幹が揺らぎかねない問題へと発展してしまいました。政治への信頼を取り戻すための政治資金規正法の改正議論で自民党と公明党との間に考え方の違いが浮き彫りになるなど、24年も一緒に頑張っているとやっぱりどこかしらパイプ役や調整弁の損耗が著しくなるものなのかなと思わないでもありません。  見ている側からしますと、やはり公明党もまた岐路に立っていて、述べた通りグランドデザインを大きく掲げて国民に希望を抱いていただける政策を分かりやすく大きく述べていくか、または本来の公明党の役割は大衆の生活に根差した地道な地方議員の活動に集約して国政に関わる部分は落としどころを考えながら徐々に縮小するかの二択になるんじゃないかと感じます。  正直考えどころだと思いますし、しかし公明党には担うべき何かがまだまだものすごくある団体であることは間違いないとも感じていますので、節目を受け身で迎えるのではなく蛮族のように仕掛けることもまた道なのではないかなあと信じる次第です。  思わずいっぱい書いちゃいましたが、こちらからは以上です。
月刊『公明』24年6月号に「退縮する地方で取り組む撤退戦」について寄稿しました|山本一郎(やまもといちろう)
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yukahatter · 5 years ago
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[4/8]神奈川県横須賀市床張り特訓(少人数)
さいたま市、横浜市と関東圏での床張りが続いております。
今回は横須賀市の木造アパートの床張りであります。大家業をはじめた方が自らも床張りを身に付けたいとのことで床張り特訓を1日ほど開催します。
COVID-19対策としては、先日発表されたリスク低下の三原則(「換気」「人の密度を下げる」「近距離での会話や発声、高唱を避ける」)を順守しつつ開催します。ということで、参加者を3名程度に絞ります。 
ある意味で、じっくり習得できるとも言えます。マンツーマンレッスンとまではいきませんが、3対1レッスンではあります。
内容は和室を板張りにします。現場の様子はこの部屋です。畳が経年劣化しております。
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依頼者は若い大家さんです。この機会に板張りにしたいとのことで、全国床張り協会を発見して依頼された次第です。
単に安く床張りをしたいという依頼は断っていることが多い弊協会ですが、今回は大家さん自身が床張り技術を身に付けたいという意気込みで、かつ今後も古い物件を再生していくそうなので、是非応援差し上げたいとお受けした次第です。
さて、和室について少し書きます。
和室は床面全体がそのままソファになるという省スペースの素晴らしいシステムです。ただ、全面に畳を敷き詰めるのは古来からではありません。板間の座る部分だけに畳があるというのが元々の使い方でした。
これがどういうわけか部屋全部に畳を敷き詰めることが一時主流になりました。
しかしこれは地域によっては具合が悪い。湿気が多い日本ので畳がカビるというリスクがあります。私個人の経験上では、北向きの部屋の畳はカビやすいです。特に一階の部屋は要注意です。
そんなわけで、古い物件を更新する際は、部屋によって和室を板張りに変更するのは有効と思う次第です。もちろん和室も残しておく寛いだり、大人数が集まるときに便利です。
賃貸物件でも、借りる際に交渉すれば和室を板張りすることができる場合もちらほら出てきました。技術を身に付けておけば物件の選択肢が広がります。
ということで、少人数開催です。参加お待ちしております。
【開催概要】 ■日時:4月8日10時集合 18時終了 ■現場:神奈川県横須賀市 ■集合:京急本線「堀ノ内」駅 改札出口 ■参加費:6500円 ■講師:全国床張り協会・伊藤洋志 ■使う予定の材料:杉の無垢材 ■定員:3名程度 ■〆切:4月3日
無事に終了しました!
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momijiyama1649 · 6 years ago
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ざこば・鶴瓶らくごのご お題一覧 1992年    1 過労死・つくし・小錦の脂肪    2 一年生・時短・ニューハーフ    3 レントゲン・混浴・アニマル    4 ゴールデンウイーク・JFK・セクハラ    5 暴走族・かさぶた・バーコード    6 タイガース・母の日・入れ墨    7 目借り時・風呂桶・よだれ    8 しびれ・歯抜け・未婚の娘    9 ヘルニア・目ばちこ・フォークボール    10 造幣局・社員割引・オリンピック    11 父の日・猥褻・丁髷    12 ピエロ・ナメクジ・深爪    13 ミスユニバース・特許・虫さされ    14 魔法使いサリー・祇園祭・円形脱毛症    15 サザエさん・ジャンケン・バーゲンセール    16 ト音記号・北方領土・干瓢    17 妊婦体操・蚊帳・ビヤガーデン    18 身代わり・車だん吉・プラネタリウム    19 床づれ・追っかけ・男の涙    20 海月・肩パット・鶏冠    21 放送禁止用語・お年寄り・ピンポンパン    22 おかま・芋掘り・大人げない    23 復活・憧れ・食い逃げ    24 蒲鉾・風は旅人・半尻    25 泉ピン子・ヘルメット・クリーニング    26 美人姉妹・河童・合格    27 スカート捲り・ケツカッチン・秋の虫    28 チンパンジー・フォークダンス・いなりずし    29 稲刈り・小麦粉・フランス人    30 日本シリーズ・鶴瓶・落葉    31 クロスカウンター・学園祭・タクシー    32 付け睫毛・褌ペアー誕生・ツアーコンダクター    33 泣きみそ・ボーナス一括払い・ぎゅうぎゅう詰め    34 静電気・孝行娘・ホノルルマ���ソン    35 暴れん坊将軍・モスラ・久留米餅 1993年    36 栗きんとん・鶴・朝丸    37 成人式・ヤクルトミルミル・まんまんちゃんあん    38 夫婦善哉・歯磨き粉・夜更かし    39 金の鯱・オーディション・チャリティーオークション    40 ひ孫・いかりや長介・掃除機    41 北京原人・お味噌汁・雪祭り    42 視力検査・フレアースカート・美術館めぐり    43 矢鴨・植毛・うまいもんはうまい    44 卒業式・美人・転た寝    45 らくごのご・浅蜊の酒蒸し・ハットリ君    46 コレラ・さぶいぼ・お花見    47 パンツ泥棒・オキシドール・上岡龍太郎    48 番台・ボランティア・健忘症    49 長嶋監督・割引債・厄年    50 指パッチン・葉桜・ポールマッカートニー    51 同級生・竹輪・ホモ    52 破れた靴下・海上コンテナ・日本庭園    53 シルバーシート・十二単衣・筍    54 ぶんぷく茶釜・結納・横山ノック    55 睡眠不足・紫陽花・厄介者    56 平成教育委員会・有給休暇・馬耳東風    57 生欠伸・枕・短気は損気    58 雨蛙・脱税・右肩脱臼    59 鮪・教育実習・嘘つき    60 天の川・女子短期大学・冷やし中華    61 東京特許許可局・落雷・蚊とり線香    62 真夜中の屁・プロポーズ・水戸黄門諸国漫遊    63 五条坂陶器祭・空中庭園・雷    64 目玉親父・恐竜・熱帯夜    65 深夜徘徊・パンツ・宮参り    66 美少女戦士セーラームーン・盆踊り・素麺つゆ    67 水浴び・丸坊主・早口言葉    68 桃栗三年柿八年・中耳炎・網タイツ    69 釣瓶落とし・サゲ・一卵性双生児    70 台風の目・幸・ラグビー    71 年下の男の子・宝くじ・松茸狩り    72 関西弁・肉まんあんまん・盗塁王    73 新婚初夜・サボテン・高みの見物    74 パナコランで肩こらん・秋鯖・知恵    75 禁煙・お茶どすがな・銀幕    76 ラクロス・姥捨山・就職浪人    77 掛軸・瀬戸大橋・二回目    78 海外留学・逆児・マスターズトーナメント    79 バットマン・戴帽式・フライングスポーツシューター    80 法螺貝・コロッケ・ウルグアイラウンド    81 明治大正昭和平成・武士道・チゲ鍋 1994年    82 アイルトンセナ・正月特番・蟹鋤    83 豚キムチ・過疎対策・安物買いの銭失い    84 合格祈願・パーソナルコンピューター・年女    85 一途・血便・太鼓橋    86 告白・ラーメン定食・鬼は外、福は内    87 カラー軍手・放火・卸売市場    88 パピヨン・所得税減税・幕間    89 二十四・J���ーグ・大雪    90 動物苛め・下市温泉秋津荘・ボンタンアメ    91 雪見酒・アメダス・六十歳    92 座蒲団・蛸焼・引越し    93 米寿の祝・外人さん・コチョコチョ    94 談合・太極拳・花便り    95 猫の盛り・二日酔・タイ米    96 赤切符・キューピー・入社式    97 リストラ・龍神伝説・空巣    98 人間喞筒・版画・単身赴任    99 コッペン・定年退職・ハンドボール    100 百回記念・扇子・唐辛子    101 ビクターの手拭い・カーネーション・鉄腕アトム    102 自転車泥棒・見猿言わ猿聞か猿・トマト    103 紫陽花寺・豚骨スープ・阪神優勝    104 三角定規・黒帯・泥棒根性    105 横浜銀蝿・他人のふり・安産祈願    106 月下美人・フィラデルフィア・大山椒魚    107 鯨・親知らず・ピンクの蝿叩き    108 蛍狩・玉子丼・ウィンブルドン    109 西部劇・トップレス・レバー    110 流し素麺・目高の交尾・向日葵    111 河童の皿・コロンビア・内定通知    112 防災頭巾・電気按摩・双子    113 河内音頭・跡取り息子・蛸焼パーティ    114 骨髄バンク・銀杏並木・芋名月    115 秋桜・ぁ結婚式・電動の車椅子    116 運動会・松茸御飯・石焼芋    117 サンデーズサンのカキフライ・休日出勤・ウーパールーパー    118 浮石・カクテル・彼氏募集中    119 涙の解剖実習・就職難・釣瓶落し    120 ノーベル賞・めちゃ旨・台風1号    121 大草原・食い込みパンツ・歯科技工士    122 助けてドラえもん・米沢牛・寿貧乏    123 祭・借金・パンチ佐藤引退    124 山乃芋・泥鰌掬い・吊し柿    125 不合格通知・九州場所・ピラミッドパワー    126 紅葉渋滞・再チャレンジ・日本の伝統    127 臨時収入・邪魔者・大掃除    128 アラファト議長・正月映画封切り・ピンクのモーツァルト 1995年    129 御節・達磨ストーブ・再就職    130 晴着・新春シャンソンショー・瞼の母    131 家政婦・卒業論文・酔っ払い    132 姦し娘・如月・使い捨て懐炉    133 立春・インドネシア・大正琴全国大会    134 卒業旅行・招待状・引っ手繰り    135 モンブラン・和製英語・和風吸血鬼    136 確定申告・侘助・青春時代    137 点字ブロック・新入社員・玉筋魚の新子    138 祭と女で三十年・櫻咲く・御神酒徳利    139 茶髪・緊張と緩和・来なかったお父さん    140 痔・恋女房・月の法善寺横丁    141 ひばり館・阿亀鸚哥・染み    142 初めてのチュー・豆御飯・鶴瓶の女たらし    143 アデランス・いてまえだへん(いてまえ打線)・クラス替え    144 長男の嫁・足痺れ・銅鑼焼    145 新知事・つるや食堂・南無阿弥陀仏    146 もぐりん・五月病・石楠花の花    147 音痴・赤いちゃんちゃんこ・野崎詣り    148 酒は百薬の長・お地蔵さん・可愛いベイビー    149 山菜取り・絶好調・ポラロイドカメラ    150 お父さんありがとう・舟歌・一日一善    151 出発進行・夢をかたちに・ピンセット    152 ホタテマン・深夜放送・FMラジオ    153 アトピッ子・結婚披露宴の二次会・おさげ    154 初産・紫陽花の花・川藤出さんかい    155 ビーチバレー・轆轤首・上方芸能    156 ワイキキデート・鹿煎餅・一家団欒    157 但空・高所恐怖症・合唱コンクール    158 中村監督・水着の跡・進め落語少年    159 通信教育・遠距離恋愛・ダイエット    160 華麗なる変身・遠赤ブレスレット・夏の火遊び    161 親子二代・垢擦り・筏下り    162 鮪漁船・新築祝・入れ歯    163 泣き虫、笑い虫・甚兵衛鮫・新妻参上    164 オペラ座の怪人・トルネード・ハイオクガソリン    165 小手面胴・裏のお婆ちゃん・ガングリオン    166 栗拾い・天国と地獄・芋雑炊    167 夜汽車・鳩饅頭・スシ食いねぇ!    168 長便所・大ファン・腓返り    169 美人勢揃い・雨戸・大江健三郎    170 親守・巻き舌・結婚おめでとう    171 乳首・ポン酢・ファッションショー    172 仮装パーティー・ぎっくり腰・夜更し    173 ギブス・当選発表・ちゃった祭    174 超氷河期・平等院・猪鹿蝶    175 コーラス・靴泥棒・胃拡張    176 誕生日・闘病生活・心機一転    177 毒蜘蛛・国際結婚・世間体 1996年    178 シナ婆ちゃん・有給休暇・免��    179 三姉妹・バリ・総辞職    180 家庭菜園・ピンクレディーメドレー・国家試験    181 ほっけ・欠陥商品・黒タイツ    182 内股・シャッターチャンス・金剛登山    183 嘘つき娘・再出発・神学部    184 金柑・恋の奴隷・ミッキーマウス    185 露天風呂・部員募集・ぞろ目    186 でんでん太鼓・ちゃんこ鍋・脳腫瘍    187 夢心地・旅の母・ペアウオッチ    188 (不明につき空欄)    189 福寿草・和気藹々・社交ダンス    190 奢り・貧乏・男便所    191 八十四歳・奥さんパワー・初心忘るべからず    192 お花見・無駄毛・プラチナ    193 粒揃い・高野山・十分の一    194 おぃ鬼太郎・シュークリーム・小室哲哉    195 くさい足・オリーブ・いやいや    196 ダイエットテープ・北京故宮展・細雪    197 若い季節・自動両替機・糞ころがし    198 おやじのパソコン・なみはや国体・紙婚式    199 降灰袋・ハンブルグ・乳首マッサージ    200 雪見酒・臭い足・貧乏・タイ米・コチョコチョ・雷・明治大正昭和平成・上岡龍太郎・お茶どすがな・トップレス(総集編、10題リレー落語)    201 夫婦喧嘩・川下り・取越し苦労    202 横綱・占い研究部・日本のへそ    203 マオカラー・海の日・息継ぎ    204 カモメール・モアイ・子供の事情    205 ありがとさん・文武両道・梅雨明け    206 団扇・ボーナス定期・芸の道    207 宅配・入道雲・草叢    208 回転木馬・大文字・献血    209 寝茣蓙・メロンパン・初孫    210 方向音痴・家鴨・非売品    211 年金生活・女子高生・ロングブーツ    212 エキストラ・デカンショ祭・トイレトレーニング    213 行けず後家・オーロラ・瓜二つ    214 金婚式・月光仮面・ロックンローラー    215 孫・有頂天・狸    216 雪女・携帯電話・交代制勤務    217 赤いバスローブ・スイミング・おでこ    218 参勤交代・ケーブルカー・七人兄弟    219 秋雨前線・腹八分・シルバーシート    220 関東煮・年賀葉書・学童保育    221 バンコク・七五三・鼻血    222 ホルモン焼き・男襦袢・学園祭
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%96%E3%81%93%E3%81%B0%E3%83%BB%E9%B6%B4%E7%93%B6%E3%82%89%E3%81%8F%E3%81%94%E3%81%AE%E3%81%94
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yoghurt-freak · 2 years ago
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いなさヨーグルト
掛川駅の売店で発見👀
いなさ酪農農業協同組合さん初掲載😍
ざっと調べたけど、公式サイトもSNSもお取り寄せもないっぽい??
オンラインで情報発信されてないヨーグルトって現地巡らんと出会えへんから、宝探し感あって楽しい✨
スペック
お名前の「いなさ」はかつての地名「引佐郡(いなさぐん)」からかな?
今でいう浜松市北区あたりらしく、製造社であるいなさ酪農農業協同組合さんのある場所と大体一致する。
ご当地ヨーグルトにしては珍しく添加物ゴリゴリ系で、プリッと固まってて甘い香りのするクラシカルなタイプと予想🤔
パッケージのレトロさというか、垢抜けなさというか、いいなぁ。
ご当地の愛されポイント💓
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧ 開封 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧
ミチっと平らに凝固しててツヤツヤ。
おっ!
すくった手応えが意外。
スプーンに吸い付くような感覚からのプリッ!ってパターンを想像してたんやけど、吸い付きがなくてフワッとすくえてしまってしばしフリーズ😶
シャープな固形ですくえるけど、思ったよりもマットな質感で柔らかい。
未来の宇宙船みたいな形状🛸
もしやと思って練ってみると、もっちりクリーム状に!
かなりまとまり感があって、スプーンから垂れる気配ゼロ。
香料は…かなり弱くて集中せんとわからんけど…バニラ??
食べてから判断しよう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧ 頂きます🙏 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧
わぁ、おいしい💕
めっちゃデザート系!
ふんわりクリーミーで甘々😋♡
香りはやっぱりバニラかなぁ?
でも本物に寄せたバニラじゃなく、やや乳酸菌飲料っぽさもあるカジュアルな甘い香り。
練らずに食べるとまろやかな歯触りが気持ちいいし、練って食べるとクリームっぽくて贅沢。
わたしの好みは練らない状態。
スイーツ感強いけどほんのり酸味があるところにキュン☺️
これは愛され系!
お子様ウケもよさそう💓
これで育った人、地元離れたら恋しくなるに違いない。
============================ 無脂乳固形分 9.0% 乳脂肪分 2.0% ————————————————— 栄養成分(1個100gあたり) エネルギー 90kcal たんぱく質 3.8g 脂質 2.9g 炭水化物 12.1g 食塩相当量 0.15g カルシウム 140mg ————————————————— 原材料名 牛乳(国内製造)、砂糖、脱脂粉乳、ゼラチン、寒天/増粘剤(ペクチン)、甘味料(ステビア、グリチルリチン)、香料 ————————————————— 購入価格 122円(税込) ————————————————— 製造者 いなさ酪農農業協同組合 ============================
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cotochira · 3 years ago
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 連日寝不足なので爆睡できた夜行バスで横浜駅に到着するとまだ六時も回っていなかった。とりあえずコインロッカーに大きい方の鞄を預けた、集合時間の十時までできれば喫茶店で時間を潰したいが、どこも開いていないのでしばらくは外をウロウロしていないといけないのだ。せっかくだから海の方へいこう、とみなとみらいとか赤レンガ倉庫とかそういう景色を想像して横浜駅の東口から歩き始めたのだが、Google Mapも見ずになんとなくで道を決めたのでどうやら方向を間違えたらしく、でっけえ工場が立ち並ぶ散歩道にはつまんなすぎる空間に迷い込んでしまい、コスモワールドの観覧車を見つけたころにはとっくのとうにスタバとか開いていた。
 それで三人と合流したときにはもう二時間くらいは普通に歩いていたのだが、結局ここからさらに三倍は歩く日になった。みんないちおうはじめて顔を合わせる相手ではあるんだけど何回も通話していたし三人が一緒に��んだ話とかも聞いていたので主観的には普通に馴染んだ。JR小田急線に乗って藤沢まで向かう。戸塚くらいまで来ると建物の配置もまばらになり、だんだん大きなマンションやオフィスなどのビルが減りきれいな一軒家が増えていく感じ。横の鯖さんとしゃべっていたがずっと景色を見ていて声だけ聞こえてきたのでほぼ通話だ。早く寝るのに睡眠剤を飲んだらめちゃくちゃ悪夢を見たらしい。みんないつも夜更かしなのに早くから来てくれてありがたいことだと思った。
 藤沢駅自体には見向きもせず江ノ電に乗る。藤沢-江ノ島間はあんまり町の真ん中を走らないしわりあいすぐなので江ノ電らしい楽しみは少なめだが、それでも江ノ電に乗っているなあということだけでじゅうぶんに嬉しい気持ちになった。くる途中に「プレーンソング」読んできたんですよねえと庶民さんが言う。そういえばこうして、まあ各々離れてではあるが家でだらだら喋ってきた人たちと急に足を伸ばして海辺まで行くって、結構プレーンソングの最後のほうっぽいなあと言ったらそこまで読んでないかったらしい。保坂和志のネタバレについて、どれくらい本気で謝ればいいか不明だ。
 江ノ島駅に着いたら改札のところに「ご卒業おめでとうございます」と横断幕がかかっている。そういえば横浜駅で袴姿の女性とすれ違ったな。昼食をどうしようか相談しながら海へ向かう。さっきから家が近いsatooさんがだいたい案内してくれている。背の低い建物が思い思いに「西海岸っぽさ」「ハワイっぽさ」「鎌倉=京都っぽさ」などを主張する通りを抜け、海に出ると思わず声が漏れた。
 海はいい! 水辺っていいからな。なかでも海は一番でかいから一番いい。砂浜は見えないが島へと架かる橋の端っこには砂が溜まっていたりして、マスクで鼻の効かないなかでも潮の気配が感じられる。あっ、とsatooさんだか庶民さんが声を上げた、──海掘ってる! 見ると海の中に浮かぶ小さな浮島みたいなところに陣取ったショベルカーが、海にショベルを突っ込んで動かしていた。あれ独断でやってたらすごいですね。ウケると思ってやったら引かれちゃったんだろうな。そうなったらもう降りられない人っていますからね。
 江ノ島に来ることになったのは、僕が江ノ電に乗りたいと言っていたら庶民さんが江ノ島に行ったことがないらしいのでそうなった。ほか二人はそこまで積極的ではなかった、僕も前に一度来たことがあったが、そのときは島に入ってからいろんな土産屋を抜けて神社まで来たあたりでその導線のわざとらしい感じにさめて途中で帰っちゃったりしたのだ。それでもわざわざ約束まで取り付けて来たのだから僕も案外江ノ島に何かしらを期待しているのかも知れない。名前といいロケーションといい、大したことないと半ばわかっていつつも、もし少しでもよかったらすごくいいだろうなあと思わずにはいられなくて来てしまうのだろうと思う。
 そういうネガティヴなイメージを共有していたおかげか、上陸してみると立ち並ぶ店々の商売っけマンマンな感じに対してそれほど辟易するでもなかった。上機嫌でひとつ道を逸れて岩場に抜ける。岩に囲まれてるせいか波は穏やかで、まだ海という感じも薄い。
 良いパック寿司の醤油皿みたいなのが落ちていた。
 メインストリートへ戻ってくると雰囲気に飲まれてイカ串と一緒にたっけえビールを買った。無敵状態だ! 両手をそれでふさいでガンガン階段を上っていった。しかし最初の展望台みたいなスポットまで来て気づくのだが本当に全く酒が効いていない。年下でまだお酒に慣れていないsatooさん庶民さんもチューハイを買っていたのだがやっぱり普通にしていて、有料で入れる庭の手前の広場まで来たときにはみんな完全にニュートラルなテンションで椅子に納まり、クレミアを食べている鯖さんを見ていた。広場では大道芸人が爆音で音楽を流しながら、僕たちが来たときにはまだ準備体操をしていて、あのまま夜まで準備体操し続けていたらすごい、と言ったのが誰だったか分からない。
 ニュートラルなテンションで黙々と階段を上るのはしんどい。なんなら通常より下がりそうになっていたところで海の見えるスポットにさしかかる。ごつごつした岩場へ降りていくと足もとにすぐ波が来ていて、見上げると白い岩の崖があり、やっと背景でない目の前の出来事として海を感じることができた。白波が足下まで打ち上げてくる。金沢ではじめて海に行ったとき、この水平線の向こうに韓国や中国やロシアがあってそこでも、また違った様式の、でも同じようなふだんの生活が営まれているんだという、月並みの感慨が鮮やかに戻ってきたことを感じた。太平洋側だとそうはいかない。どっちにしろ向こう岸なんか見えないのだが、おそらく日本海側からユーラシア大陸までの二倍ではきかない距離を思うと、その果てしない広さがひたすら水で満たされているのだという果てしなさが迫ってきて、ゼリーのようにひとかたまりの海が目の前にあった。
 東映だ〜、といってはしゃいだ。
 蒸しパンのやつも落ちていた。
 蟹もいた。
 岩場から上がっていくと導線の先には洞窟があるらしい。しかも金取るらしい。でも今更引き返すのもあれなので頓着のスイッチを切ってチケット代を払い、ズンドコ進んでいく。天井が低くて怖いなか進んでいくと、最奥は紫色のライトで照らされている。近づいてみると、作り物の竜が待ちかまえていた。一同、うわ〜、やりすぎやりすぎ、いらね〜、とはしゃいだ。
 洞窟から出ると、さっき崖の下の水面に浮かんでいた果物がまだあった。楕円形でだいだい色と黄色がグラデーションになっていたので、ぼくはマンゴー説を推した。satooさんは柑橘系説を譲らなかった。釣りするときの浮きなんじゃないか、みたいなことをぼくが言ったが、夢がないので忘れた。
 どうやらここまで下ってきた階段を登って大道芸人のいた広場まで戻らなければならないらしい。マジか。いやすれ違うひとが割といたから薄々分かってはいたけど。とくに鯖さんは心配になるくらいイヤになっていて、おかげでほかの三人は比較的元気を保てていた感じがあった。とにかく広場までひいひい言いながら戻ってきて、商店の立ち並ぶ坂を通り過ぎ、橋の手前で十分くらいは座っていた。すごく大きな犬、たぶんセントバーナード? が通ってちょっと湧いた。来るときにいた大きな犬(トイでないプードルなど)の話をして、それもとぎれるとみんな疲れに任せて意識をTwitterへ沈めていった。  ひとしきりじっとしてから、よしっ!と庶民さんが柏手を鳴らした。行きましょう。いい区切りつけてくれましたね、とsatooさんが感謝して、立ち上がった。
 とにかくみんなおなかが空いてきたので、鎌倉まで行って何か食べましょうという話になる。庶民さんが、江ノ島って、と総括らしき感想を口にした。来てる人みんなちょっとずつ垢抜けてない感じがいいですよね、──垢抜けてないだったか間が抜けてるだったかなんて言ったかよく覚えていない。ドッチラケなこと言うなあ! とぼくやsatooさんが大きめに驚いてみせると、いやほめてるんですよ、いいとこだと思います、などと言った。なんかでもわかったかも。さっき書いた淡い期待が、なんとなく来る人みんなをぽやっとさせてしまうのかもしれない。
 駅へ戻ってホームへ入る。鯖さんが自販機で買った飲み物をすごい無感情に飲みきった。なんかむしゃくしゃしてお金が使いたかったから買っただけだったらしい。そんあことある?
 江ノ電の続きに乗る。ここからは鎌倉高校前とか、「季節の記憶」の舞台の稲村ヶ崎あたりとか(鯖さんがわりと最近「季節の記憶」を読んでいたので、案外ホットな話題だった)、見所のある箇所だ。江ノ島駅を出てすぐは特に、お寺とかも見える古い町並みの中を通っていくのでおもしろい。二時くらいを回り、比較的早く帰る制服姿なんかもいてそれなりに混んでいる。真ん中あたりの、別荘みたいな綺麗な家が立ち並んでいる感じが好きだ。生活感がない静けさが、降りて歩いていても簡単に親しめず、ひどく遠くに来た感じが強くする。
 鎌倉駅で下車。駅前でマクドナルドを見つけてしまい、マックでいいじゃん! と固まりかけるが、satooさんに導かれて一応小町通りをみて行く。しかしどれもこれも観光客価格で鼻につくし、ぼく以外はみんなちゃんと昼食代に頓着しているのでちょうど良いところがない。結局引き返してマックを食べた。しばらく足を休めている間に、satooさんが古本屋に行くことを提案し、鯖さんが場所を調べてくれる。
 アトリエを改装したらしい古本屋は可愛らしく古びた一軒家で、小さいながらもおもしろそうな本が並んでいた。庶民さんが前から気になっていたという吉田健一の「舌鼓ところどころ」を見つけた。ぼくはヴァージニアウルフの自伝的な文章を集めた絶版本を三千円で買った。わりと勇気が要ったが、たぶん復刊されるにしても今年や来年の話じゃないだろうし、かなり良い買い物になったと思う。
 店を出てからコンビニへ行った。アイスが食べたいと言っていた庶民さんと半分こする約束でチョコモナカジャンボを買って出た。そこで待っていたsatooさんはジュースを買っていたのだが、鯖さんが棒アイスを手に戻ってきたのを見るや、みんなアイス買うなら言ってくださいよ! と自らの買い物を悔やんでいた。
 ぼくの荷物を回収しに、いったん横浜駅へ戻る。みんな疲れてぼんやりしていた。橙色の斜陽が雲の形を立体的に照らしていて、鯖さんがそれを庶民さんに教えてあげていた。こんなに広い空みたの久々かもしれません、と庶民さんがつぶやく。東京に来て以来、時節柄外もたいして出ないのでそういうことになるらしい。
 ついでに駅の近くのブックオフへ寄る。庶民さんがどうやら良い買い物らしい漫画を含めたかなりの大荷物をもって出てきたのも驚いたが、satooさんが解説目当てに何冊目か分からん「風立ちぬ」を買っていたのに驚いた。そんなに好きだったのか。フォローしてからも日が浅いから当たり前だけど、知らないもんだな。ぼくは、俺が買わなかったら誰も買わんだろといういいわけと共にフェルナンド・ペソアを買った。
 帰りの電車は果てしなく混んでいた。これが本当に正しいことなの〜〜!? 「よつばと」で東京の満員電車に乗ったときのよつばの台詞を口にすると、「よつばと」の話になったりした。
 今日は庶民さんちに泊まる予定だ。庶民さんたちの会話以外で聞かない駅名で下車し、お酒や食べ物などを買って庶民さんちへ向かった。本棚とベッド、机で八割埋まったワンルームにみんなして詰まって、鯖さん以外はお酒を飲み始めた。satooさんがすごい勢いで酔っぱらい、庶民さんもそれに続いた。ぼくは許可を得て換気扇をつけたキッチンでタバコを吸いながら、たぶん弱いとかじゃなくて酔っぱらってる状態に慣れてないだけだよ、と説明した。調理場は玄関上がってすぐのところにあったから、立って喫煙しているぼくが奥で座って飲み食べしている三人をみる形だ。なんか年上っぽい年上をやっているなあという自覚があった。三人とも僕より色々みて読んでいるしそう軽率なことを無自覚に言ったりしたりもしないので普段は年齢の上下を強く意識しないが、飲酒のこととなるとさすがにこうもなるか。酒飲むとイキりみたいになるのが嫌なんですよね、と庶民さんが言った。色んな味のものがあるから楽しみたいだけなのに。たしかに、ぼくも数年前なんとなく思ってたけど言葉にしてなかったことだ。
 庶民さんが吸ってみたいというので途中のたばこをあげたが、二回とも咳き込んで水を飲む羽目になっていた。こんなもんなんで平気になったのか、まだ常喫するようになってから一ヶ月くらいのはずなのにもうわからない。
 ぼくもべつに強くはないので何杯か飲んでそれなりにぼやっとしてきたころから、音楽を聞くターンになる。satooさんが教えてくれたタルトタタンというバンドが良かった。めちゃくちゃ同じフレーズを繰り返すボーカルが曖昧な意識にうまいことハマった感じがあった。庶民さんはゆらゆら帝国の「昆虫ロック」を自分の曲だと感じるらしい。おれの曲はなんだろ。飲んでないのもあって(べつに飲んでも良いだろと思ったのだが、ほかの二人がなんか執拗に止めるのでずっとコーラとか飲んでいた)鯖さんは常にやや蚊帳の外で、ヤケクソなんだか正常な判断なんだかしらないが、どっちにしてもすごいが、途中から性的なMMDの動画を流したりしていた。踊るキャラクターの局部を隠すモザイクがどんどん小さくなっていくのを見た。すごい文化だ。
 たいして飲みもしなかったが場酔いもあってなんやかんやわやくちゃになり、かなり良くない話や良くない言動をしたあといつの間にか寝ていた。起きると飲んでいた二人ももう起きていて、飲んでいなかった鯖さんは始発で帰ったらしかった。たらたら支度していたら庶民さんが友達と会う約束の時間になっていて、ちょっとあわただしく出発した。駅でsatooさんと別れると、ぼくは京都で見逃した映画を見に、下北沢に向かう電車に乗り込んだ。
 案外道中が長い。東京って狭いからどこからどこへも三十分圏内だと思ってた。江ノ島を出て橋を渡っている途中、鯖さんが言っていたことを思い出したりする。この辺に住んでる人って、みんなここが好きだからわざわざ住んでるんですよね、と言った。たしかに湘南くらいになるとそうだろう。こういう言い方をしてみると別に取り立てて好きでもない場所にあれこれの事情で住んでいることが妙なことにも思われる。僕は京都に好きで住んでいる、それを環境が許してくれている。ありがたいことだ、と思った。
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