#詩を書くのが好きなんだけど詩を書くだけで詩人にはなれないよ
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syaruru · 2 days ago
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i've really gotta post my writing more publicly but also proclaiming myself as "a poet" online makes my skin crawl
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koch-snowflake-blog · 1 year ago
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大原 優乃は、日本のグラビアアイドル、女優、ファッションモデル、ダンサー、YouTuberである。エイベックス・マネジメント所属。Dream5の元メンバー。 鹿児島県川内市。 神村学園高等部卒業。 ウィキペディア
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出生地: 鹿児島県 鹿児島市
生年月日: 1999年10月8日 (年齢 24歳)
身長: 154 cm
カップサイズ F
学歴: 神村学園高等部 (2018年)
事務所: エイベックス・マネジメント
愛称は、ゆーの、ゆのふぃー。趣味は、枝豆を育てること、雑誌を読むこと。特技は、犬と蛙の物真似。
魚のアレルギーがあり、加工食品も含めて食べることを控えている。一度でも魚の調理に使った器具を用いた他の料理や、魚の調理中の排煙や匂いなどにも過敏に反応してしまうため、飲食については制限があり、専用のメニューを用意してくれる学校選びなど、本人と家族は大変苦労したという。
文字は右手で書くが、その他は左利き。テレ��ドラマ『ゆるキャン△』(テレビ東京)で演じる「各務原なでしこ」が右利きだということに気づかぬまま、クランクイン前日に「右でやってみようか」と言われ、準備をする間もなくクランクインしてから練習したが全然つかめなくて悔しい思いをしたとインタビューで述べている。なお、同作品の第2シーズンにはなでしこが福原遥演じる志摩リンと共に鰻重を食べるシーンがあるが、前述の理由からなでしこが鰻重を食べる最中の姿は描かれておらず、撮影時も魚を扱うフリをしたり、代替食を用意したり、店舗外へ避難させたりと、徹底した安全対策が取られている。
2013年3月22日、当時13歳の大原は、Dream5のブログで、憧れのモデルとして桐谷美玲と北山詩織の名を挙げている。2019年3月24日(19歳時)のインタビューでは、土屋太鳳が女優としての目標で、芝居はもちろん、人柄や文章、表情の豊かなところにも魅力を感じていると言い、ダンサーとしての格好良さにも憧れていると答えている。
声優の高橋李依の大ファンを公言しており、自身が出演するドラマ『ガールガンレディ』(毎日放送)の主題歌を高橋が担当することになった際には高橋のTwitterにリプライを送った。
グラビアアイドルでは浅川梨奈を尊敬しており、グラビアで活躍できるのは彼女の存在があったからと公言している。浅川も「グラビアをけん引する存在」と大原を高く評価しているほか、後輩のアイドルにも人気が高く、本郷柚巴、田中美久、和泉芳怜などが大原のファンを公言している。
Dream5のメンバーとして活動していた頃にはすでに大きかったバストを目立たせないよう、晒(さらし)を巻いて活動していたという。
映像や雑誌を通して発信される大原のイメージは“いつも明るく前向きな女の子”であるが、先述したようなネガティブな実像とのギャップに悩んだことも多いという。大原本人は、グラビアモデルのデビュー当初は水着姿を撮られることに自信が無かったことや、生来の高い声も、Dream5に属していたころは他のメンバーとの調和が取れないと考え、自己紹介の際にわざと低めの声を使うこともあったことを述べている。
  
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chisasarasa · 26 days ago
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250217
朝、なんとなく早起きができる。 睡眠時間はとれていて、でもずっとねむっていたかった。 昨日からのまま、声が出にくい。
何か身になることに時間を使おう、と思って切り干し大根を煮る。 お弁当用に玉子焼きを作る。 フライパンに卵が張り付いて、ぐずぐずになってしまった。 仕事へ行く。 いつまでにこの実験を終えればいいですか、と教授に聞くと「できるところまで」と返ってくる。 できるところまで。それは時間の制限のある人にいう言葉で、3か月後の契約更新がなされないのではないか、と不安に思う。
彼がどらもっちを買って帰ってきた。 わたしは元気がないときは食欲がおちるのに、彼は甘いものを食べれば人はみな元気になると思っている。自分がそうであるように。 彼はクリームとあんこが47%増量中のどらもっちを食べていた。
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250218
わたしは勉強がすきだった、ということを思い出して、大学の図書館で本を借りて帰る。おもしろい。 晩ごはんは松屋の牛丼。 並盛が多く感じられて苦しい。小盛にすればよかった。
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250219
朝、日記を書く。 3日間くらい日記をかけていなくて、でも、残しておきたかったから、書いた。 今日も寒い。 はやく春になってほしい。 冬が終わることと春になることは同義であるけれど、春になってほしい。 朝ごはんは昨日買ったおいしい食パンとポトフ。 次の冬が今からこわくて仕方がなくて、次の冬が来る前にここから脱出したい。
今日は彼が会社の飲み会でいない。 炊飯器で鶏むね肉を蒸して、キムチと切り干し大根を食べた。映画を観た。 わたしは絵や詩がかきたかったんだ、これしかないんだった、と思い出す。 職場から絵や詩がなくなって、絵や詩に向き合う気持ちがよわくなっていた。職場というより、環境。わたしをちゃんとつれていかなくちゃ。 なんて弱い生き物なのだろう。 毎日、絵や詩に触れよう。どこかにいかなくたって、わたしにはわたしの本棚があるのだし。
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250220
朝、部屋がだいぶあかるくて、日が昇るのが早くなってきていることに安堵する。
生活が安定したら、絵や詩が落ち着いてかける、と思っていたけれど、逆で、絵や詩をかいて、わたしが安定したころに生活が安定するのかもしれない。 絵や詩をかいているとき、わたしの中は平穏。
夜、ずっとしゃべりつづけてしまう。 今日1日、起きたこと全部をしゃべらないと気が済まないみたいだった。 なぜだろう。頭が興��している。
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250221
(何も書いていない)
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朝、朝に正しく日が昇っていることに救われる。 冬はまだ暗いうちはねむってしまっていた方がいいのかもしれない。 目が覚めて、明るい方が上向きに1日を始められる。 ちいさな旅行にでる。 最近、たのしみがないね、と計画していたもの。 博物館と天文台にいくという小学生の理科のような組み合わせ。 博物館では束柱類の化石を見た。アショロアデスモスチルス。マッコウクジラの骨もあった。頭部に大きく窪みがあって、そこにはあぶらがつまっていることを知る。知らないことばかり。 天文台は日本で一番寒い町にあって、本当に寒かった。 空を見上げてみればいくつもの星が、こんなにも、と思うくらい散らばっていて、宇宙に感動しながらも寒かった。 望遠鏡をのぞかせてもらって、金星は欠けているということを知った。 彼が星を見てはたのしそうにしていて、星が好きだということを初めて知った。 太陽系の図鑑をひらいてはにこにことしていた。知らないことばかり。
疲れてしまって、晩ごはんはコンビニで買ったおにぎりと味噌汁。セイコーマートのおにぎりは大きくてあたたかくて、それだけで満たされる。
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250223
朝、狭いロフトベッドで目覚める。 起き上がりたくなくて少しぐずぐずとした。
湖をみにいく。 屈斜路湖、摩周湖、阿寒湖。 湖は影を映すんだと思った。鏡と違って自然にゆらぐ。うつくしい。 摩周湖がすきで、ずっと眺めていたかった。けれど、寒さがそうはさせてくれなくて、お土産屋さんに入って大豆のコーヒーを飲んでみた。きなこの味がした。 もう一度湖をみにいくと、青さが濃くなっていた。
写真に撮ってみたけれど、写真に撮ると写真の記憶ばかりが焼き付いてしまって、自分の目でみたものが、感じたものが、消えていくような気がした。 車に乗って、頼りない線でスケッチした。こっちの方が正しい、と思った。
景色のきれいなところに住みたい。
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higashiyashiki · 9 months ago
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新アルバム「委託の復讐」の配信が始まりました
ひがしやしきです。
新しいアルバムを出しました。
nyan nyan innovationから約一年ぶりなので、最近は年刊ペースですね。
今回のアルバムのタイトルはリチャードブローディガンの芝生の復讐のパロディ。
さむたいむす らいふいずみありーって感じです。
詩集みたいな掌編集みたいな変わった本です。
結構ガッとこうなんです!みたいなことでまとめるのが難しいんですけど、人生の生活抜き物語マシを注文してるのにレギュラーメニューが届き続けるみたいな感じの軸です。提供されちゃったから食べるけど、不服ではありますからね!みたいな…
以下、各曲の話
1YANGU MAGAJINN
曲名はヤングたかじんのパロディ
タイトルをヤングまがじんにしようか迷ったけどこっちの表記にしました。やりすぎだと思ったので。
シュガースティックとか洗剤(ジェルボールみたいなやつ)をガラス瓶に移し替えて満足してたくないです。
最近はやっぱギタートラックに入れるのが楽しいっすね。
それは、ヤングマガジンみたいにのところの最初8小節くらいのコードがお気に入り
2理解らせ橋
曲名は渡瀬橋のパロディ
怒りの曲ですね。
半日ぐらいで完成して、やっぱ強い動機があると捗るんすねって思った。
今夜、すべてのyoutubeliveで辺りからマイナー調のコード進行にハマってる感じあります。
IV系擦り倒してた時期も長かったし、今後もそういう進行の曲は多くなるかもです。
わしがシガールならお前ルーベラは結構いい歌詞かけたと思う。
3お年頃(18↑)
曲名は小倉唯のエンジョイ!と女オタクのbioのパロディ
ファンモンとかワンドラフトとかそっち系の曲に一瞬すごいハマって、これやりたすぎ…って思ってIKEAから帰ってすぐに書き始めました。
こういう華やかな楽器が多い編成だとミックスが難しかったので、今後はもっと上手くやりたいですね。
これも物語みたいなことがあって欲しいって感じの曲だから一貫性ポイント+1ってわけですわ。
4同人誌を買いに
曲名は夏石鈴子のバイブを買いにのパロディ
思い出です。
この前地元のアニメイトに行ったらもう完全に女の子向けのお店になってて、いろんなことを思いました。
僕の世代はオタク趣味をもってるマイヤンの子も多かったので、ヤニくさい部屋でラブライブ見たりしたものです。
Real-tもたくさん聴いた時期なんで叙情みたいな感じとか引っ張る感じはやってみたいな〜って思ってたと思う。
5せんせーにいのられたいかみさまはみーんな16さいだよっ?
曲名はせんせーのおよめさんになりたいおんなのこはみーんな16さいだよっ?のパロディ
トラックが僕たちにしてはうるさいので、ライブでやると楽しいです。こういう曲ができると心強いですね。
6stungun
曲名は原題がstungun(厄介)でteokure(泣)とかkoucha(嗜み)のセルフパロディ 説明しすぎか…って思って厄介は省きました。
更に遡ると、もともとはアイドルの方に当て書きしたんですけど、企画がポシャッちゃったので歌詞をアイドル目線からファン目線にリライトして作り直しました。
Bメロをラストに再度持ってくるのってあんまり無い気がするのでちょっと変わった構成で面白いかなと思ってます。
��判よかったらしょっちゅうライブでも披露したい曲かもしれません。
7ラブソング以外全部飽きた
曲名はラブソング以外は糞です。のパロディ
硬めのコードで引っ張るやつがやりたくて作りました。ラブソング過激派。
彼もフライドチキンじゃなくチキンサグカレーだったらもうしばらくは熱々だったのかもしれない…
8僕と女性声優とプロレス
曲名は部屋とワイシャツと私メソッドです
大坪由佳さんのお誕生日を祝うラップがめっちゃよくて影響受けたと思う。
声優業界最前線で戦い続ける姿はまるでプロレスラーみたいですね→プロレス…?そういえば三森すず子さんの旦那様って…→ご結婚おめでとうございます
↑この流れを曲でやるの思いついた時めっちゃ楽しかった。
最終的にブシロード讃歌。マイゴーもレヴュスタもずいぶん楽しませてもらってます。ヴァンガードもいつかやります。
9diner
パロディってほどじゃないですけど、全体的にwhite powderの伝説のゲームlamunationからモチーフを持ってきてます。
僕は予約して定価で買いました。つまらないドラマが終わって、つまらないドラマが始まります。
シークレットソースっていうエフェクターが大好きなのでよく使ってます。これのギターとか、人生ちゃんのピアノとか。
アルバムの軸を考えた時に、めっちゃ合致してる部分を感じて、収録しました。
10回り続けるのだ…
曲名はシコり続けるのだ…のパロディ
どんな曲で締めようかな〜って思いながら歌詞を書いてて、やっぱ立派なフリするのは無しで希死念慮の話をしましょうねと思って作りました。
右肩が下がってくる前に幕を引けたらいいのですが、そういう勇気もない、生に対する執着を拭えないカスでございます…(リンゼモリノ)
でも暗いトラックだと面白くないから爽やかな感じでやりました。
よろしくお願いします。
イチオシ、お気に入りのアルバムです。
今度ワンマンもあります。ぜひきてみてください。
このアルバムを軸でセットリストを考えるのは、この前の初めてのワンマンとはまた違った心地で楽しいです。
あわせて、よろしくお願いします。
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winterain66 · 9 months ago
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「みんなの表町書店2」のこと
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残暑、と呼ぶには、あんまりにもひどく継続中の酷暑に思考能力を奪われたまま、気づけば9月も後半に差し掛かり、いい加減にこの夏の事を振り返っておかなければ、と、今年、2024年もひと月限定でオープンしたシェア型書店「みんなの表町書店」について、まとまりのないまま書いてみる。
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「冬雨文庫」という名前で昨年に引き続き一箱本屋の棚主として出店させていただいた。昨年同様、私家版の詩集と、私物の読了本を並列に置くスタイルを取った。今年は本箱も自作して、工具と材料もほとんどは100均で揃え、それなりの形になったと思う。
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昨年は持病の症状が強く出ていた事、はじめての催しで勝手がわからなかった事もあって、棚主が交代で担当する店番ができなかったのが心残りではあった。けれど今年は比較的持病も落ち着き、数回のイベント出店を経たこともあって自信もつ���たのか、計三回店番を担当した。
ただ「店番をする」だけでは面白くない、と思ったので、レジ横のスペースに冬雨の個人所蔵の私家版詩集やzineを並べて展示した。一般書店で流通していない、文学フリマやネットで個人が販売している本の数々。冬雨として自分が作った本を並べる、という選択肢もあったのだろうけれど、岡山という地で、表町商店街という人の行き来が比較的多い場所において、自分ひとりの宣伝をするよりは、私が今まで出会って心動かされた作家を紹介する機会にしたかった。
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「自作の頒布」というのも出店の大きな動機であるのだけれど、きっと、詩を書き始める以前の、小学生時代に図書室の主と化していた、ただの本好きのひとりとして、この場にいられる事が嬉しかったのだと思う。昨年に比べて、棚主の数も増えて、「みんなの」という言葉をより感じるイベントになっていたと感じた。
「常設のお店ではない」ということも良い方向に働いているのだろう、各々の棚主が趣向を凝らした棚は見ごたえがあり、「本当にこの本をこの値段で買っても良いのだろうか」というような本との出会いも数多かった。
具体的に数えてはいないのだけれど、売れた本の数と、買った本の数がそれほど変わり無いのではないか、と思うほど楽しませていただいた。
売買、という通貨を通じた形ではあるけれど、私の実感としては見ず知らずの人々とそれぞれの持ち寄った本を交換し合っている感覚であって、(それは身内で楽しんでいるだけじゃないかとの批判点かもしれないが)好ましく思えることだった。
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(みんなの表町書店で私が購入させていただいた本たち)
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これまで関わることのなかった人々との会話が発生した、というのも嬉しい機会だった。特性としてコミュニケーションそれ自体が得意とは言い難い私でも、好きなものを介してであればそれなりに楽しく話すこともできるのだ、ということは発見であった。
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人と繋がるために創作をする、という考え方は好きではない。誰かと出会うために、繋がりをつくる為に、何かをつくるようになるくらいであれば、すっぱりやめてしまえば良いと私は私自身に対して思っている。
ただ、それとはまた別のレイヤーにあることとして、本が好きであることに変わりはなく、町のなかのひとりの生活者として、「みんな」のなかの一人として、魅力的だと思える場��在ることは望ましいことである、とも思っている。
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正直にいえば、岡山市が「文学創造都市」と急に名乗りはじめたことに疑問を抱かないでもない(ずっと岡山に暮らしていた者の実感として)。「都合良く文学という言葉を利用してるんじゃねえよ」というような呆れる気持ちもないとは言わない。
シェア型書店、という形を絶賛する立場を取りたいと思える訳でもない。従来の新刊書店や古書店に代替可能な形式ではあり得ないと思う。あくまでも「本」という文化の楽しみ方のいち形式でしかないのでは、と個人的には考える。その「文化」を大切にする、持続可能的に守って行くことを考えるならば、新たな催し事を増やす、ではなく、例えば図書館の予算であったりとか、常日頃から営業している町の本屋さんの現状を何とかする方が先決なのでは、とか考えたりもする。
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着地点がみえなくなってきた。
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きれいにまとめることはできなかったけれど、書きたかったことは大体書くことができたような気もする。
ひと夏の思い出として、素敵な場をもうけてくださった主催者さま、また、出店者の皆さま方、そして冬雨文庫の本を手にとってくださった方々、本当にありがとうございました。
来年も「みんなの表町書店」は開催予定とのこと。
毎年の夏の定番となれば良いな、と今の時点では感じているし、「商店街の空き店舗活用」という目的も、何かしら良い形で達成されると良いなぁと思っています。
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「冬雨文庫」としての売上 8,400円につきましては、令和6年9月能登半島豪雨への支援として、「特定非営利活動法人ピースウィンズ・ジャパン 空飛ぶ捜索医療団"ARROWS"」に寄付いたしました。
2024.9.23 冬雨千晶
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asoufuyu · 4 months ago
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 僕には名前がない。
 古い何処かの軍のコオトと、白いシャツ、目立たないやうに継ぎ当てしたズボンにこれも古いブーツ。伸びて目に掛かる髪。ノオトとペンと音の外れたギター。
 それが僕の外形を成す物だ。けれどそれは僕の総てでは無い。
 例えば、雨漏りの滴の音階を名前にしても良い。レシ、ド。
 例えば、君が眠る前の最後の言葉を名前にするのも素敵だ。アスハ。
 好きに呼んでくれて構わない。
 とにかく、僕は名前を持たない人間の一人だ。そして何処にも居ない。
 雨樋の下でギターを当て度もなく爪弾く。知らないメロディ。これは、この夜の為に。そんな風に僕は時間を過ごしている。
 ところで、世界の果てがどうなっているか君は知っているかな。
 其処ではとても大きな川が流れていて、毎秒小舟が出てゆく。乗る人は居ない。水音はドウゴウと酷く鳴り響いて、誰だって三分以上は留まれやしないのだ。
 それが世界の果て。
 僕はこれから朝食を食べる。一等気に入っている、山の上の小屋に行こう。名前のない人々が何人か来るだろう。
 点された灯が段々と力を失い、朝がやって来ていた。灯守りが��ちらからやってくる。
「やあ、灯終いかい。」
「そうだよ。これには毎朝気が滅入るよ。」
灯守りは本当に肩の下がった様子でそう言った。彼は、夜になるとこの村の其処此処にあるランタンに灯を移して歩き、また朝になるとそれを消して回るのだ。
「朝食を山の上でどうだい。」
僕がそう聞くと、灯守りは少し微笑んで見せた。
「それは良い、屹度温かいスウプが出るね。ああ、それと君の詩をまた聞きたいな。」
詩。僕は詩を作ることだけ覚えている。
 それは秋の日の溜め息のように。
 それは魚の跳ねた光のように。
 それは本から落ちた古い栞のように。
 灯守りとはまたすぐに会う。ギターと詩を聞かせる事になるだろう。
 山を上る道は、近くに住む者が植えた素朴な花で囲まれていて、それが僕のお気に入りだった。
 赤い実が付いた花房を摘んだ。小屋に飾ろう。
 今は冬の初めで、とても美しい季節だ。今日は晴れらしく、空の上の上の方に円を帯びた雲が少し散らばっているだけだった。
 朝焼けじゃあなくて良かった。
 それは余りにそれらしいからね。
「おはよう。早く入って、ギターを弾いて。」
無造作な小屋の扉を開けると、料理の得意なサシャが出迎えてくれた。サシャは昼間は林檎売りをしている。そのせいか、とても愛想が良い。
 僕は少し広いその小屋の隅に座って、またギターを弾く。詩をぼんやり考えているときに、この音色の風合はやたらに合うんだな。
 灯守りもやって来た。人が来る度に、扉がキイギと軋んだ音を立てる。
 ブーツでリズムを取る。朝食はやはり温かい野菜スウプだった。
「ハレルヤ!」
声を合わせてそう言うと、食事と会話が一斉に始まった。僕もギターを抱えた儘、ひと匙スウプを飲んだ。サシャの料理は美味いな。
 突然、風が吹いた。
 青色の風だった。
 それが今の僕の名前だ。君に伝わるだろうか。掴めない青色。僕は今、それを象る名前を名乗るのかも知れないよ。
 ギターを弾こう、そして風についての詩を作ろう。
 灯。
 花。
 小舟。
 そして、風。
 コオトのポケットには、昔誰かが誰かに宛てて書いたとっておきの素敵な手紙がある。僕はいつもそんな風に居たいと思うんだ。
 それでは、また何処かで。
 風が吹く頃に。ギターを弾いてあげるからさ。
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ryotarox · 1 year ago
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(【特集】『ブレードランナー』伝説の名ゼリフ『雨の中の涙』を徹底解説【はじめてのブレードランナー2】 | THE RIVERから)
この記事には、映画『ブレードランナー』第一作のネタバレが含まれています。 雨の中の涙 「おまえたち人間には信じられないようなものを私は見てきた。オリオン座の近くで燃える宇宙戦艦。タンホイザー・ゲートの近くで暗闇に瞬くCビーム、そんな思い出も時間と共にやがて消える。雨の中の涙のように。死ぬ時が来た。」 (原文:I’ve seen things you people wouldn’t believe. Attack ships on fire off the shoulder of Orion. I watched C-beams glitter in the dark near the Tannhäuser Gate. All those moments will be lost in time, like tears in rain. Time to die.)
通称「Tears in rain monologue」(雨の中の涙モノローグ)、または「Cビームスピーチ」として知られるこの台詞は、SF映画だけでなく映画史全体においても屈指の感動的なスクリプトとして知られています。 筆者の個人的見解では、『ブレードランナー』を後世に残る偉大な作品たらしめる要素の中でも、この台詞を含めたロイの最後の場面は最も重要だったといって過言ではありません。 冷酷な殺人マシーンのようだったロイが、短い人生の最後に愛おしむように鳩を抱きしめ、動かなくなっていく体を雨の中震わせながら絞り出す稀代の詩人のようなセンテンス。全ての観客を予期しなかった感動の渦に巻き込んだこの名台詞は、一般的にロイ・バティーを演じたルトガー・ハウアーのアドリブであったとして知られています。しかし私見ながら、これは正確な情報とは言えないと考えます。
オリジナル脚本にアドリブを加えて生まれた名台詞 ハンプトン・ファンチャーが製作上の意見の相違から降りた後、二人目の脚本家として招集されたディヴィッド・ピープルズ。彼がこのシーンの為に書き下ろしたオリジナル脚本では、該当の台詞はこうなっていました。 「私は冒険を知っている。お前達人間が決して目にすることはない場所を見てきた。オフワールドへ行って戻ってきたんだ…フロンティアだぞ!プルーティション・キャンプへの信号機の背甲板に立って、汗で沁みる目で、オリオン座の近くの星間戦争を見たんだ。髪に風を感じていた。テストボートに乗って黒い銀河から去りながら、攻撃艦隊がマッチのように燃えて消えていくのを見た。そう、見た、感じたんだ!」 (原文:I have known adventures, seen places you people will never see, I’ve been Offworld and back…frontiers! I’ve stood on the back deck of a blinker bound for the Plutition Camps with sweat in my eyes watching the stars fight on the shoulder of Orion. I’ve felt wind in my hair, riding test boats off the black galaxies and seen an attack fleet burn like a match and disappear. I’ve seen it…felt it!) 1ページの半分ほどもあったこの長台詞を読んだルトガー・ハウアーが、死を前にしたレプリカントの言葉としては長すぎると、台詞がもたらすイメージをそのままに要約し、そして”All those moments will be lost in time, like tears in rain. Time to die.”という言葉を付け加えて完成したのが、「雨の中の涙」モノローグです。 お気づきの方も多いと思いますが、ピープルズのオリジナル脚本には「タンホイザーゲート」、そして「Cビーム」という単語は登場しません。その代わりに、「オフワールド」や「プルーティションキャンプ」といった造語が登場しています。 ポール・M・サモン著『メイキング・オブ・ブレードランナー』(ソニーマガジンズ、1997)によると、ルトガー・ハウアー本人がインタビューで、 「私のことやあのセリフのことはよく取り上げられるが、肝心の脚本家が無視されているのはよくない。バティの独白を書いたディヴィット・ピープルズの仕事は本当に素晴らしい。私は彼が掘り下げたあのイメージがとても好きだった」とピープルズを賞賛しています。 「銀河っぽくカッコいい造語の固有名詞」を使うこと、信号灯のようなものが暗黒の宇宙で輝いていること、オリオン座の近くで宇宙船が燃えていること、これらのイメージを作り上げたピープルズを抜きに、この台詞は誕生しなかったというわけです。 このロイ・バティーの最後の言葉は、映画中盤のチュウの眼球工房でロイが口にするアメリカの詩人ウィリアム・ブレイクの詩のアレンジ「燃える様に天使は落ちた。轟くような雷鳴が岸をころがり、怪獣の火と共に消えた」や、「チュウ、お前が造った目で私が見たものを、お前にも見せてやりたかった」という台詞と対になっています(これらの台詞もピープルズによるものです)。 チュウを殺すこの場面では、戦闘用レプリカントであるロイはさぞかし凄惨な情景ばかり見せつけられて、自らの造物主に恨みを抱いているんだろうなという印象を受けるのですが、『雨の中の涙』モノローグによって、醜いものばかりでなく美しいものもたくさん見たからこそ、彼はもっと生きていたかったのかもしれないと受け取ることができるわけです。 というわけで個人的に『雨の中の涙』モノローグは、ピープルズが造った土台に、ルトガーが素晴らしいアドリブを加えた二人の共作であるとするのが一番しっくり来ます。 ちなみに「タンホイザー・ゲート」や「Cビーム」とは何か?という質問をよく受けるのですが、前述したように造語ですので正式な意味はありません。 それでも無理やり適当に解説すると「タンホイザー」とはそもそもリヒャルト・ワーグナーのオペラ『タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦』に登場する主人公の名前です。ゲートってからには、ワープの発着点のようなものが想像できます。ドイツ系のタンホイザーという人が開発したんでしょう、きっと。 「Cビーム」の方は何でしょう、宇宙戦艦がマッチのように燃えていることから『ブレードランナー』世界における兵器ではないかと推測できます。「Charged particle-beam 」(荷電粒子ビーム)という言葉はあるので、これの略ってことでいかがでしょうか。(あくまでも個人的推察です。)
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この文を書いたライターさん、上手。 「> 『雨の中の涙』モノローグによって、醜いものばかりでなく美しいものもたくさん見たからこそ、彼はもっと生きていたかったのかもしれないと受け取ることができるわけです」
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asagaquru · 1 year ago
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新雪の上を歩くと、ギュッギュッと一足ごとに小気味良い音がする。片栗粉の表面を指3本で押すような音。皮下気腫の人の皮膚を押す感覚にも似ている。それは握雪感として観察される。初めて見たときは、すぐにあぁこれが、と思えたのと同時に、雪の降らない地方では‘握雪感’と言われてピンとくるのだろうかと思った。
こういう専門分野的なことを書くと、いつも森鴎外のことを思い出す。高校の現代文の授業で習った高瀬舟。先生が「森鴎外は軍医だったからこそ、これほどにもリアルなシーンを描けたのです」と言っていた。好きな先生だった。“today’s poem”といって、毎回の授業始めに先生の選んだ詩を紹介してくれた。そのときに紹介してくれた梶井基次郎の蛸がなんだか好きで、他の著書も読んだ。そのことを先生に話すと「この平成の時代に梶井基次郎を読む女子高生がいることを嬉しく思います」と言ってくれた。8年も前のことなのに嬉しかったのを覚えている。きっともう退職されているだろう。今はどこにいるのだろう。数年前に札幌市職員の人事異動を調べてみたけれど分からずじまいだった。
大学に入ってからは、勉強が忙しくて、本より教科書や参考書を読んでいた。映画をよく観るようになったのは、2時間で完結される物語だから。忙しい私にニーズが合っていたのだろう。入職してからも、“生涯学習”と言われる職業で、3年目までは本を読む心の余裕がなかった。仕事は常に忙しくて、家に帰ってもパタンと寝てしまう。それでも最近、少しずつ本を手に取る時間ができて来た。恋人と同棲してからだ。全く読んだことのない系統の本が並ぶ彼の本棚。適当に選んで久々に読んでみると、活字になって伝わる言葉や表現の美しさに深いため息をつく。楽しかった。面白かった。これから、また新たに本を読みたい。本を読むわたしでありたい。
��んな日記の下書きを保存していた新雪の日から2週間経っている。道路がところどころ見えていて、融雪剤でザラメ糖みたいになった雪の上を歩いている。本は読めない日の方が多い。読みかけの本が、ソファの横のテーブルの上で、わたしがページを捲る時を待っていてくれている。
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manganjiiji · 9 months ago
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こんつめ段ボール
久しぶりにtumblrをひらいて、久しぶりに他人の日記を読む。みんな一生懸命生きているなあと思う。長く日記を拝読している方のことは、なんとなく親身なきもちになって、ちかくで話を聞いているような錯覚がある。まったくちがうのだけれど。日記は、もっと、まっしろな無重力空間にぱん、と打ち出された、フラットで無機質でちょっと感傷的な四角い板に羅列される日々のことだと思うのだけど、でもどうも、私はそれを人間同士の会話のように読んでしまう。まあ全然違う。私は知らない人の日記を読んでいて、知らない人は私に日記を読まれている。私の日記を読んでくれる人のことは、私はもうわりとダチじゃん、と思っているが、読んでいる人は当然そんなことは思っていないだろう。
コミティアの原稿を始めた。始めたと言っていいのか、まだ202字である。冒頭ポエム。許されるならえいえんに冒頭ポエムを書いていたいのだ。えいえんに冒頭ポエムを書いてそれを散文詩として組み立ててもいいのかもしれないが、これは小説の冒頭のポエムだからこそ、私に書かれている文章であって、おそらくそういう形でしかそこに出てこないたぐいの物である。内容は女子高生二人が惹かれ合うようすを書ければ、と思っている。むずかしそう。これはnoa(乃紫)さんのA8番出口という曲を聴いて、友人の夢小説を書こうという試みである。友人の夢小説であることを忘れてはならないと思う。友人の夢小説なのに夢主がいなくて、なぜか友人が二人に分裂してしまった感じなので混迷を極めている。黒髪の女と茶髪の女が出てくるのだが(ともに高校三年生)、まあ便宜的に黒髪の方を友人にして、茶髪の方を夢主にするしかないだろうなと感じている。それでいこう。よし。その方向で想像をとがらせていきたい。
『マイナスきいろ』の加筆版を出そうとしていたが、そちらの案は完全に消えた。いま、私にはマイナスきいろは書けないと思う。これは、もっとかなり長い時間をかけて書きたい。私が死ぬほうが早いんじゃないか?と思うが、頭の中でかなり長い話になってしまっているので、二次創作を上がってからじっくり書くくらいでいいやと思っている。あとオリジナルBLのネタのうちの一つがかなり脳内で書けてきたので、これも途中まででいいからそのうち出力したい。今は目の前の友人夢小説に取り組むしかない。
二次創作はあんスタの燐一で書きたいものが中編で一つ、短編で2つあり、燐一以外のカップリングも手を出したいものがいくつかある。そのためには膨大な量のゲームシナリオを読まなければならないので、ここはストップしている。が、なんとなくそろそろ小説が書けるんじゃないかという気がしてきた。一時期は狂ったように書いていたのに、ここ数年はまったくと言っていいほど書いていない。また書くようになるのか、もう書かないのか、それはわからないが、書くのをやめられるのか、と考えると、それはなさそうだと感じる。書くのはわくわくするし、できればずっと続けたい。名誉欲、あるいは承認欲求とは関係なしに、ただ書くことに没入する時間は楽しい(つまり私は基本的には名誉欲や承認欲求のために書いているのである)。
労働を全く行わない期間が思ったより自分には必要なのかもしれない。労働を全く行わない期間、つまり体調不良以外はすべて自由時間。労働をしていると、体調不良でだいぶ自由時間が奪われるので、そのフラストレーションが溜まっていく。とはいえ、働かないと生活を維持できないため、最低限働かねばなあと思っている。本当は無職になって小説だけ書いていたい。本だけ読んでいたい。でもそうなったら、私はみるみるうちに駄目になるだろうなと感じる。働くことという実践があって初めて、「世界を読む」ことができる。労働力として世界に組み込まれて初めて、私は社会との繋がりを意識できる。もし働かなくてもよいとなったら、じゃあ一体今までのあの労苦はなんだったのか、となってしまう。働かなくてもこの世界と繋がることができるのならば、最初からそうしている。しかしてそういうルートは私の人生にはなかった。働くことだけが、この世界に「ついていく」ことだった。あの閉じられた家から逃げ出した先で世界に参加するには働くしかなかったし、私は仕事が好きだった。そして仕事をすればするほど、世界を知れば知るほど、自分の「異常さ」、生まれた家の「異常さ」を突きつけられることになる。社会的養護に至らなかった子供たちが、大人になってまずぶつかるのがこの壁である。でも実は全然大丈夫で、この壁にはちゃんと扉が付いていて、試行錯誤すればそれを開けて向こう側に行くことができる。つらいのは、その試行錯誤の気力がなく、壁の前で力尽きてしまった子供(大人になった子供)たちだ。かれらは自死しか選べる道がない。若い精神疾患者の多くがACE経験者(※)であり、その生きることの難しさ、そしてその難しさへの世間の無理解(多くの人々にとって、かれらは見えない、知られていない存在だ)が、かれらを殺してしまう。気力勝負、体力勝負で、運もある。おおいにある。働き続けるうちに少しずつ癒される場合もあるし、働き続けて、もっと悪くなる場合もある。私は幸運なことに前者だったが、後者の存在を忘れたことはない。(※ACEとは、ここでは小児期逆境体験を指します。)
私にはまだまだやりたいことがある。やりたいことに比べたら、書きたいものというのは、そんなに強い気持ちではないかもしれない。私には書くことしかできないと思っていた頃よりも、できることがいろいろと増えた。周囲からはかなり置いていかれているが、私も結構これで、目に見えて成長していたりする。ありがたいことであります。小説���書く時間をメインに据えることはできないものの、たまに書くくらいの材料は持っているので、これからもたまに書いて、でも、ずっと書いていきたいなあと思っている。
2024.10.8
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autumnpumpkinfestival · 5 days ago
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20250521
水の女を読み終わる。いい短編集だった。特に後半の2つはケモノと水による浄化を女目線から描いていてよかった。70年代に書かれた短編というのもあって、何十年経った今では考えられないような世界観。でもファンタジーではなくて当時の日本ではよく見る風景だったのかなと思う。
村上春樹雑文集を読む。チェコではノルウェイの森、国境の南 太陽の西、海辺のカフカの三冊がチェコ語に翻訳されて出版されていると書いてあった。これに対し村上さんは世界の終わり〜とねじまき鳥をよんでみてほしいと言っていた。村上春樹の本を3冊翻訳してくださいと言われたときに、この3つを選ぶのはかなり独特な選択なように感じた。この三冊はチェコ語に翻訳しやすいのかなとか、世界観がチェコの人たちにも伝わりやすいのかなとか思う。当時現行の影響力を持ったチェコの作家としてクンデラの発言を引用した質問があったが、確かに���ンデラが好きなら国境の南は面白く読めそうだなとか思ったりした。もし私が日本語からチェコ語に翻訳する翻訳家なら、スプートニクの恋人をチェコの人たちにも読んでほしいと思う。好きだから。
治療塔を読み終わる。分断された価値観の相互にある程度の理解を示し、分断された価値観の間の子供を産むリッチャン。治療塔惑星へと続く展開が気になる。再生の意とイェーツの詩への解釈がどうなるか。
シューマイ。シューマイのことが好きだ。醤油は無くてもよいが、辛子は絶対に欲しい。焼売のパンチを辛子の風味がマイルドにしてくれる感じがする。本場では特に何もつけずに食べるのが主流らしくそれはそれで大好き。どっちがいいとかではなく、どっちもおいしい。
友人の作品を鑑賞。
山は終わり方が好きだった。サルトルの嘔吐や森鴎外の青年、村上春樹のスプートニクの恋人など終わり方が好きな作品はあるが、山もその一つになりそう。いい終わり方の作品は、いい作品だから。終わりだけど終わりじゃない。
All about the beautiful things in the worldはh.u.r.tが好み。私と違う場所に生まれて違う場所で育った人が同じ音楽を聴いたとしても、きっと聴こえ方が違う。h.u.r.tは私も好きな音楽から影響を受けていると感じたが、その音楽をどう咀嚼しているのかが面白くてよかった。もしかしたら全然違う音楽から影響を受けているのかもしれないけど、それはそれで面白いと思う。
リンクを張るので、もしよかったら。
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nemurisleep · 26 days ago
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2025/06/01
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最近日記を書いていなかったので、好きなゲームの紹介でもしようかなと思い、今やってるソシャゲ「リバース1999」の話をしようかと思う。
リバース:1999は、BLUEPOCH GAMES CO., LIMITEDが開発・運営するスマートフォンおよびPC向けの世紀末タイムリバースRPGです。2023年5月31日に中国本土でサービスが開始され、2023年10月26日には日本・韓国・英語版がリリースされました。基本プレイは無料です。 プレイヤーは「タイムキーパー」として、1920年代のシカゴや1960年代のロンドン、1910年代のウィーンなど、時代を遡って旅します。1999年最後の日、空に降り注いだ「ストーム」によって通行人や建物が溶け、世界は新しい時代へと突入します。プレイヤー以外の者はストームに侵蝕され行方不明となり、人間と神秘学家(アルカニスト)が共存する世界となります。 (引用)
設定がもう面白くて興味深く、ストーリーもどこか言い回しが詩的でいいんですよね…ちょっと難しくはあるけど。���ベントも盛んにやっていて、石も結構配ってくれるので全然無課金でも遊べます。イベント事にムービーがあるんですが、そのムービーもいいんですよね…映画みたい…あと何が良いかって、絵がとてもいい!!本当にいい!!綺麗なんです…ちょっと見てもらえませんか…
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私のプレイ画面で申し訳ないんですが、絵めっちゃ良くないですか…女性ばっかピックアップしちゃったけど、男性キャラもいるし何なら人外も沢山いる。最高だね。ちなみに1枚目のボイジャーというキャラクターは人外です。この子は芸術作品なんです。良すぎるな…私の推しは主人公のヴェルティです。クールで落ち着いていて、でも仲間思いで真っ直ぐな芯のある人、というイメージがある。素敵な女性です。大好き!
システムはコマンドカードバトルになるのかな。オート機能もあるんだけど、自分で考えてカードを選んだり強化したりするほうが圧倒的に楽しい!でも私はアホなので、戦略を立てることができず、負けることも多々あります。(メインストーリーでは殆どないかも。)メインストーリーの他にコンテンツがいろいろあるんですが、それが私にとっては結構難しく…力でゴリ押しができないので泣いています。上手く立ち回ってる人の動画とかみても???となるばかり…。こんな序盤で詰んどるのか?みたいな場所で詰んでいます。そんな〜(;_;)助けてくれ〜(;_;)やる事が多めです、やらなくてもなんとかなるが。やる事が多いのは流石中国産って感じがしますね。
リバース1999の難しいところ、スキルの名前がありすぎて覚えられない所です。キャラクター一人一人に固有のスキル名があったりするので、(勿論解説は見れますが)これどんな効果なの…?となることもしばしば。覚えられんて…覚えてる、ちゃんと理解して立ち回れる人は本当にすごい。
リバース1999、画面がオシャレなんですよね。どこ見てもオシャレ。こだわりを凄く感じる。早く設定資料集とかでないかな。絶対に買うんだが。最初��書いた言い回しが詩的、というのも見てほしい。
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わたくし、こういう言い回しが大好きでして…。スチルもめっちゃ多いです。スクショの手が止まらん。全部良い絵なので。ストーリーもこだわっていて、ただ文章が出るだけではなくちょっとしたギミックがあったりして、読んでて飽きさせないというか…後、歴史の知識があると尚ゲームを楽しめると思います。私はあんまり知識ない。勉強したい気持ちだけある。
ユーザーがまだそんなに多くないので、もっと増えてほしいなあ〜とずっと思っています。もし少しでも気になったら公式サイトだけでも覗いてみてください。ムービーも見れるので。
リバース1999公式サイト
それではさようなら。
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koch-snowflake-blog · 1 year ago
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大原 優乃は、日本のグラビアアイドル、女優、ファッションモデル、ダンサー、YouTuberである。エイベックス・マネジメント所属。Dream5の元メンバー。 鹿児島県川内市。 神村学園高等部卒業。 ウィキペディア
出生地: 鹿児島県 鹿児島市
生年月日: 1999年10月8日 (年齢 24歳)
身長: 154 cm
学歴: 神村学園高等部 (2018年)
事務所: エイベックス・マネジメント
公式サイト: プロフィール
愛称は、ゆーの、ゆのふぃー。趣味は、枝豆を育てること、雑誌を読むこと。特技は、犬と蛙の物真似。
魚のアレルギーがあり、加工食品も含めて食べることを控えている。一度でも魚の調理に使った器具を用いた他の料理や、魚の調理中の排煙や匂いなどにも過敏に反応してしまうため、飲食については制限があり、専用のメニューを用意してくれる学校選びなど、本人と家族は大変苦労したという。
文字は右手で書くが、その他は左利き。テレビドラマ『ゆるキャン△』(テレビ東京)で演じる「各務原なでしこ」が右利きだということに気づかぬまま、クランクイン前日に「右でやってみようか」と言われ、準備をする間もなくクランクインしてから練習したが全然つかめなくて悔しい思いをしたとインタビューで述べている。なお、同作品の第2シーズンにはなでしこが福原遥演じる志摩リンと共に鰻重を食べるシーンがあるが、前述の理由からなでしこが鰻重を食べる最中の姿は描かれておらず、撮影時も魚を扱うフリをしたり、代替食を用意したり、店舗外へ避難させたりと、徹底した安全対策が取られている。
2013年3月22日、当時13歳の大原は、Dream5のブログで、憧れのモデルとして桐谷美玲と北山詩織の名を挙げている。2019年3月24日(19歳時)のインタビューでは、土屋太鳳が女優としての目標で、芝居はもちろん、人柄や文章、表情の豊かなところにも魅力を感じていると言い、ダンサーとしての格好良さにも憧れていると答えている。
声優の高橋李依の大ファンを公言しており、自身が出演するドラマ『ガールガンレディ』(毎日放送)の主題歌を高橋が担当することになった際には高橋のTwitterにリプライを送った。
グラビアアイドルでは浅川梨奈を尊敬しており、グラビアで活躍できるのは彼女の存在があったからと公言している。浅川も「グラビアをけん引する存在」と大原を高く評価しているほか、後輩のアイドルにも人気が高く、本郷柚巴、田中美久、和泉芳怜などが大原のファンを公言している。
Dream5のメンバーとして活動していた頃にはすでに大きかったバストを目立たせないよう、晒(さらし)を巻いて活動していたという。
映像や雑誌を通して発信される大原のイメージは“いつも明るく前向きな女の子”であるが、先述したようなネガティブな実像とのギャップに悩んだことも多いという。大原本人は、グラビアモデルのデビュー当初は水着姿を撮られることに自信が無かったことや、生来の高い声も、Dream5に属していたころは他のメンバーとの調和が取れないと考え、自己紹介の際にわざと低めの声を使うこともあったことを述べている。
  
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m12gatsu · 10 months ago
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無題
寝言で、「いま寝ちゃいそうだった」といっていたらしい。小学生の時に、あれはサッカーの大会中で、府中の関東村だったと思うが、Yが昼休みにお弁当を食べながら「あぁ、お腹空いたぁ」といっていた。それと同じ。俺たちは、命がけで突っ立っている死体である。悪魔を魂に売った。身体が酒に残っている。安酒の海の波打ち際で朝日に晒されて目を覚ました詩人のふくれあがった死体は、検死の結果、体内から致死量の×××が検出された。この世で最も強い毒素はボツリヌス菌が作るらしい。よくしらないけど、1gで1,000万人を殺す(とAIが教えてくれた)。この世で最も弱い毒素��て何だろう。
家を決めた。決めてしまった。人生が転がっていく! これはほとんど俺たち夫婦の宿痾というか、性癖みたいなもので、結婚式の会場も、同棲する部屋も、のんびり探していこうね、などとうそぶきながら、一件目の不動産仲介業者なりブライダルサロンなりで決めてしまった。俺たちは慎重に選んでいるつもりでいながら、この機を逃したらこれ以上はないかもしれない、という駆け引きに俺も彼女もめっぽう弱い。業者にとっては格好のカモかもしれない。引きの良さ、と思えばそれまでのこと、その実、後悔したことはないのが救いではある。新居は終の棲家にするつもり。良いところをあげればキリがないけれど、閑静な住宅街に聳り立つ、新築建売の美しい一軒家。俺は京王井の頭線をどうしようもなく愛している。10畳近いグルニエは、書庫およびホームシアターにしたい。子どもたちは、神田川のあの黒いでかい主みたいな鯉に、何て名前を付けるだろう。
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monotime · 29 days ago
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2025年6月のおしらせ
・6/9(月)まで 個展「頭蓋骨を散歩する」本屋・生活綴方にて イベント開催「モノ・ホーミー 2464 ORACLE CARDで占う すなばの部屋」 ・6/1(日)「高円寺あづま通り商店街 ほんの通り道」出店 ・6/14(日)本田亮×モノ・ホーミートークイベント「そうぞうをそうぞうする」
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個展「頭蓋骨を散歩する」 イベント「モノ・ホーミー 2464 ORACLE CARDで占う、すなばの部屋」
6月9日(月)まで、横浜市の本屋・生活綴方さんにて詩画集『頭蓋骨を散歩する』の原画展を開催中です。 詩画集『頭蓋骨を散歩する』は、2024年の夏頃から日課として制作している四行詩に絵を添えた作品集です。本展は1月に西荻窪のFALLさんで開催した展示の巡回展となり、本に収録されている詩と鉛筆画の原画を展示します。詩と絵のあいだを行ったり来たり、散歩をするようにのんびりと楽しんでいただけたら、と思っています。
個展「頭蓋骨を散歩する」 会期 2025年5月16日(金)から6月9日(月) 時間 金土日月 12時から19時 (火水木やすみ) 本屋・生活綴方 神奈川県横浜市港北区菊名1丁目7−8 東急東横線妙蓮寺駅より徒歩2分
★在廊予定 6/7(土)終日 最終日6/9(月)
また、会期中にイベントを行います。
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「モノ・ホーミー・2464ORACLE CARDで占う、すなばの部屋」 日時:5/31(土)、6/7(土)    どちらも13:00~17:00 料金:10分500円(現金のみ) 【すなばさんプロフィール】 会社員として働く傍ら文筆家として活動。 著書にエッセイ集『さよならシティボーイ』、小説『SWIPE』(共にトーキョーブンミャクなど。 海とシティが好き。
4月の「本や街」で大人気だったすなばさんによるタロット占いを、個展「頭蓋骨を散歩する」会期中に再び開催していただけることになりました。
ご予約は必要ありません。お好きなときにお立ち寄り下さい。混雑時はお待ちいただくこともあるかと思いますが、いらしてくださった方から順番にご案内いたします。展示や店内をご覧になってお待ちいただいても、妙蓮寺の街をお散歩してお待ちいただいても大丈夫です。もちろん、当日はすなばさんのご著書の販売もあります!
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2464 ORACLE CARDはマルセイユ板タロットカードを参照した、モノ・ホーミーのオリジナルオラクルカードです。詳細はこちらを御覧ください。
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6/1(日)「高円寺あづま通り ほんの通り道」出店
高円寺あづま通り商店街にて開催される「ほんの通り道」に初出店します。本やZINEの販売会で、25組ほどの出店が予定されているそうでうす。お気軽にお立ち寄り下さい!
高円寺あづま通り商店街 ほんの通り道 日時 6/1(日)12時から17時 主催 高円寺 本の街商店会、高円寺あづま通り商店会 ※雨天中止
6/14(日)本田亮×モノ・ホーミートークイベント「そうぞうをそうぞうする」
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6/5(土)から、本田亮さんの個展「そうぞうしてほしい」が祖師ヶ谷大蔵のBOOKSHOP TRAVELLARさんにてはじまります。 本展会期中の6/14(土)、個展開催記念イベントとして本田亮さんとのトークイベント「そうぞうをそうぞうする」を行うことになりました。お申し込み受付中です。ぜひご参加下さい。イベントのご予約はこちらからお願いいたします。
・本田亮さん 個展「そうぞうしてほしい」 会期 2025年6月5日(木)から年6月16(月) 時間 12時から19時 火水やすみ ・トークイベント「そうぞうをそうぞうする」 日程 2025年6月14日(土) 14時から15時半頃(13時半開場) 参加費 1500円  BOOKSHOP TRAVELLER 東京都世田谷区祖師谷1-9-14
以上、どうぞよろしくお願いいたします。
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harima-ria · 6 months ago
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★2024年読書感想まとめ
 2024年に読んでおもしろかった本の感想集です。寝て起きると昨日のすべてを忘れてる……っつう繰り返しで日々一切が過ぎていくので、一年の記録をひとつにまとめとくのもいいかなと。以下ざっくばらんに順不同で。ちなみにNot 新刊、ほんとにただ読んだものの感想です。
◆◆小説◆◆
●アンナ・カヴァン『氷』(山田和子訳・ちくま文庫)  巨大な”氷”の進行によって全世界が滅亡の危機にさらされるなか、男はヒロインたる”少女”をどこまでも追い求める……。もっとゴリッゴリにスタイルに凝った幻想文学かと思って足踏みしてたのですが、こんなに動き動きの小説とは。意外なほど読みやすかったです。唐突に主人公の夢想(?)が挿入される語り口も最初は面食らったけどすぐに慣れたし。内容はウーン、暴力まみれの病みに病んだ恋愛小説という感じ? 構成の一貫性とかは疑問だったりしたんだけどそのへんはどうでもよく。後半尻上がりに面白くなっていくし色々吹っ飛ばす魅力があってかなり好きでした。  それと解説に書いてあった「スリップストリーム文学」というのがすなわち自分の読みたい小説群だなーという嬉しい発見もあり。つってもジャンル横断的な定義だから、該当するものを自分で探すのはムズいけどね。
●スタニスワフ・レム『惑星ソラリス』(沼野充義訳・ハヤカワ文庫)  何年も謎に包まれたままの海洋惑星に降り立った主人公が遭遇する怪現象の正体とは?……っていう超有名なSF。「実はこの海は生き物なんじゃね?」がオチだったらどうしよう……と思ってたけど杞憂、それは出発点に過ぎませんでした。途中に挟まる惑星ソラリスの(仮想)探険史の部分がすごく面白い。あとはこの小説のまとめ方はちょっと神がかってると思う……。自分はSFは全然明るくなく、ちょっと異様な感触みたいなものを求めてたまーに手に取るぐらいなのですが、その点この本はほんとにセンス・オブ・ワンダーを味わわせてくれて良かった……。SFオールタイムベスト1とかになるのもむべなるかなぁと。
●庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』(新潮文庫)  東大紛争終息直後の1969年を舞台に、あれこれ思い悩む男子高校生の一日を描いた中編。自意識過剰気味の饒舌な一人称文体が特徴で、すごくユーモラスだけど主人公がかなりナヨナヨした人物にも見える……。でもその中から、外界の強烈な変化に対してありのままで居られない精神の揺れみたいなものが浮かび上がってくるところがおもしろくて、確かに青春小説の名作かも……と思いました。  リアルタイムにはどうだったか知らんけど、今の眼で見るといわゆる”1968年”以降の状況とか、70年代カウンターカルチャー的な空気の”乱暴さ”に対する、一見弱々しいけど切実な返歌って感じもしました。  もっとも読み終えてから、この小説をあえて政治的な色で塗るならいわゆる”保守反動”的な感性に分類されるのかなぁとかはちょっと思ったけど。しかし、リベラルにあらざれば人にあらずみたいな価値観こそ断然間違ってるしなぁなどと、ひとりで勝手に問答したりもしました(笑)。それに現実的にはそんな二分法で単純に分けられるもんでもないだろうし。なんとなく「その時代の作品」という感じなのかと思ってたけど、今読んでも全然おもしろかったです。
●フランツ・カフカ『審判』(池内紀訳・白水uブックス)  理由も分からないまま突然逮捕された主人公が、裁判の被告の立場にずーーーっと留め置かれるっていうお話。何ひとつ確かでないものに延々振り回され続ける理不尽が、ときに笑っちゃうほど面白く、逆に陰惨すぎるくだりもあったりして、総じて非常に好みでした。バカバカしいけどブラックな不条理ユーモア小説? カフカって自分が漠然と抱いてたイメージよりもずっと大胆で、わりとアホなことをあっけらかんと書いたりもするのねーという発見がありました。このお話には裁判的なものの外枠と手続きのみがあって、そこに「法」はないのでは? というふうに読んでたのですが……。終盤の「大聖堂にて」っていう章が凄かったです。
●スコット・フィツジェラルド『グレート・ギャツビー』(野崎孝訳・新潮文庫)  ニューヨーク郊外に暮らすギャツビーという名の大富豪の生き方を、たまたま隣に住んだ青年が垣間見る、みたいなお話。ストーリーそのものはわりとベタだと思うんですけど、それを語る会話パートの書き方の巧さと、ドラマの合間の地の文が醸し出すほどよい叙情性がすばらしい。純粋ゆえの虚飾、虚飾ゆえの純粋さみたいな、テーマの核心部分にもちょっと飛躍があって面白いなーと。この短さの中に、アメリカっていう国の一断面をパチリと切り取ってる感じがするのもまた。ひとことで言うと絶品でした。英語圏小説のランキング上位に入ってるのもむべなるかなぁと。
●三島由紀夫『仮���の告白』(新潮文庫)  この人の長編はあんま肌に合わないかも……と思って敬遠してたのですが、初めて好きなものに出会えました。言わずと知れた一発目の代表作。同性にしか欲望を抱けない青年の葛藤を、韜晦まみれの絢爛たる文章で綴った青春小説。個人的には、いわゆる”ふつう”でない自分を露悪的に飾り立てるような自己陶酔を振りまきながら、でもそれは”ふつう”でない自分を守るための防御姿勢にすぎなくて、結局は苦々しい現実と向き合わざるを得ない……みたいな話として受け取りました。読み方合ってるのか分からんけど。前半が下地で、後半がその実践編(あるべきとされる自分との葛藤編)なのかな。特に後半のなんとも言えないみずみずしさとその帰結がよかったです。
●横溝正史『獄門島』(角川文庫)  初・横溝。瀬戸内海の小島で巻き起こる猟奇連続殺人事件に金田一耕介が挑む。事件の過程はわりとふつう……と思いながら読んでいきましたが結局かなりおもしろかったです。振り返ると1から10まで本格ミステリじゃなきゃ成立しないような物語だったなと思って。国内ミステリーベスト1になるのもむべなるかなぁと。
●筒井康隆『敵』(新潮文庫)  折り目正しく”余生”を送っている渡辺儀助の生活風景を描いた老境小説。章題が「朝食」「友人」「物置」などとなっていて、各章ではそのカテゴリーごとに儀助の暮らしが掘り下げられていき、その積み重なりから彼の老境が浮かび上がってくる、みたいな趣向。特に食生活に関する記述が多いのですが、自分がほとんど興味ないのもあって前半は正直重く……。しかし地盤が固まり「役者」が揃ってからの中盤以降がけっこう楽しく、終盤は圧巻! けっきょく御大はすごかった……。  的を射てるかは分からないけど、小説の語り口的にもかなりおもしろいことをやってるような。老主人公の生活が章ごとにあらゆる角度から掘り下げられていきますが、そこで語られてるのは「ここ数年の彼の生活のディティール」っていうフワッとした塊としての時間であって、実は小説内では「敵」関連以外ではほぼ全く時間が流れてないように思います。A→B→……→Zみたいに、出来事同士を順番につないでいくことでドラマを進行させていくのとは全然違う手法で物語を語っていて、しかもそれにかなーり成功しているような。もちろん類例はあるんでしょうけど、個人的にはとても新鮮な小説でした。
★★★総合しますと、いわゆる名作と言われてるものって確かによく出来たものが多い……っつうめっちゃくちゃふつうのことを思わされた年でした。というか単純に数を読めてないのよなぁ。
◆◆その他の本◆◆
●『石垣りん詩集』(ハルキ文庫)  石垣りんのテーマは、貧しさ、労働、生活の苦しみ、”女性”性、戦争、戦後の日本、生きること、殺すこと、食べること、それらもろもろに否応なく内在する「ここにあることの残酷さ」みたいなものかなと思いました。そうした感情を、ゴロッとした異物感のある黒いユーモアで表現している詩が自分は好き。婉曲的に表現された切実な慟哭という感じもします。特に「その夜」っていう、入院中の書き手が人生の孤独と疲労を歌う作品が凄かった……。こんなん泣いちゃうよ。  「詩」というジャンルに依然として親しめてないので、定期的に読んでいきたい。
●柳下毅一郎『興行師たちの映画史-エクスプロイテーション・フィルム全史-新装版』(青土社)  エクスプロイテーション=「搾取」。リュミエールやメリエスといった黎明期の作り手にとって、映画は緻密に作り込む「作品」ではなく興行のための「見せ物」に過ぎなかった――というところから説き起こして、観客の下世話な関心を狙って作られた早撮り・低予算・儲け第一主義映画の歴史をたどった本です。  取り上げられてるのはエキゾチズム(物珍しい異国の風景)、フェイク・ドキュメンタリー、魔術&奇術、畸形、セックス、特定人種向け映画、画面外ギミック映画などなど。現代の一般的な価値観や、映画=「それ単体で完結した(芸術)作品」みたいに捉えるとどうなのよ? ってものばかりなのですが、あの手この手でお客の関心をかき立て、乏しい小遣いを搾り取ろうとする映像作家たちの商魂たくましい姿が垣間見られる楽しい本でした。  見せ物小屋的映画論というのはある意味もっとも俗悪でいかがわしい映画論だと思うんだけど、確かにそれって実写映画のもっとも本質的な部分ではあるかも、という気がしてしまう……。個人的には、画面外のギミックで客を呼び込んだウィリアム・キャッスルの非・純粋なる邪道映画のパートが特に楽しかったです。一点だけ、エクスプロイテーションという概念設定はちょっと範囲が広すぎるような気はしないでもなかったかなぁ。でもこれを元に、観られるものをちょこちょこ観ていきたい所存。
●氷室冴子『新版 いっぱしの女』(ちくま文庫)  『海がきこえる』などの少女小説で有名な作者が、ふだん思ったことを自由に書き綴ったエッセイ集という感じでしょうか。一見柔らかいけどその実めっちゃ鋭い切り口と、それを表現するしなやか~な筆運びに痺れました。1992年に出た本だけど、新版が出てる通り読み物として全然古びてないと思う。おすすめです。
●『精選女性随筆集 倉橋由美子』(小池真理子選・文春文庫)  この方のシニカルさと毒気がもともと好き、というのはあったのですが、とても良かったです。それでも最初のほうはあまりに歯に衣着せぬ攻撃性がなかなか……と思ったりもしたけど、中盤の文学論、特に大江健三郎、坂口安吾、三島由紀夫に触れたエッセイがなんともよくて。”内容はともかく独自の語り口を練り上げた文体作家として大江を読んでる”みたいなことを確か書いてたりして、言ってることが面白い。積んでる小説作品も読も~という気になりました。
●吉田裕『バタイユ 聖なるものから現在へ』(名古屋大学出版会)  すんごい時間かかったけどなんとか読めた本。フランスの怪しく魅力的な思想家、ジョルジュ・バタイユの思想を、彼自身の記述を中心に先行テキストや時代背景なども織り交ぜて分析し、一本の流れにまとめた総論本。〈禁止と違反〉とか〈聖なるもの〉とか、彼の提出したテーマが結局面白いというのがひとつと、それらを論じていく手つきの周到さ・丹念さがすごい。特に日記や著書のはしばしの記述から、バタイユが影響を受けた先人の哲学(へーゲル、ニーチェ、マルクスとか)や同時代の思想潮流(シュルレアリスム、コミュニズム、実存主義とか)の痕跡を読み取り、そこから彼自身のテーマの形成過程を立体化していくあたりは本当に息詰まるおもしろさ。重量級の本でしたがめっちゃよかったです。もっとも自分は肝心のバタイユ自身の本を『眼球譚』しか読んでないので、現状この本のイメージしか持ててないというのはあるんだけど。とりあえず『内的体験』と『エロティシズム』だけはどうにか読んでみるつもり。
◆◆マンガ◆◆
●ジョージ秋山『捨てがたき人々』(上下、幻冬舎文庫)  いろんな意味で深ーい鬱屈を抱えた狸穴勇介(まみあなーゆうすけ)という青年が、新興宗教の信者である岡辺京子という若い女性と出会ったことで始まる物語。性欲と金銭欲を筆頭に、あらゆる現世の欲望にまみれた救われぬ衆生たちの下世話で深刻な人間絵巻、といった感じでしょうか。ふつうに考えるとまぁそこまではいかんやろ……という境界を軽々と乗り越えてくる常軌を逸した展開がすごい。それと人間っつうのはホントにどうしようもない生き物だね~という気持ちにもさせられます。学生のときに買ったんだけど当時はつまらなくて挫折、自分にとってはあまりに読むのに早すぎたんだな……と今にして思いました。最序盤の伏線とかをきれいに回収し切ってはいないんだけど、この際そのへんはどうでもいいかなと。ここまで徹底的な方向へ流れていくならもう何も言えねえわ……って感じの終盤もすばらしい。  これが2024年に読んだものの中で一番面白かったです。
●小骨トモ『神様お願い』(webアクション)、『それでも天使のままで』(アクションコミックス)  両方とも短編集。子供のころや学生時代のイヤ~~~~~~~な記憶、それもおもに自分の弱さや性欲といった、一番目を向けたくない部分がどんどん脳裏によみがえってくる、えげつないけど得難いマンガでした。10代なんてまだまだ若いし人生これから! っていうのも本当だけど、それと同時に人生自体はとっくの昔に始まってて、けっこう多くのことは取り返しがつかないし人間の根っこの部分は歳食ってもそうそう変わりはしないっていう、しんどすぎるけど(自分にとっては)大切なことを思い出させてくれたところが何ともありがたかった……。お話の展開も総じてすんごいテクニカルな気がします。  それでも新刊の『天使』のほうが、『神様』よりほんのちょっとだけ優しさを感じる部分は多いかしら。
●吉田秋生『カリフォルニア物語』(全4巻、小学館文庫)  自分はおそらく作り手への愛とか感謝の念にはめっぽう乏しいほうで、何でも作品単体で眺めて、あーでもないこーでもない、ワンワンギャンギャン吠え猛ってしまう人間なのですが、吉田秋生だけは例外。何でも好き。丸ごと好き。読めるだけで幸せ。どのへんが琴線に触れてるのか正直自分でも分からないのですが、気になる部分があっても好きがそれを上回ってしまう気持ちというのは幸せだなーと思ったりします。  これは最初の代表作に当たるのかな。ニューヨークを舞台に行き場のない若者たちを描いた群像劇。彼女の描く、イタミやすい少年少女が自分は好き……。舞台はニューヨークなのに題名がこれなのもスマートでイカしてる。  もっともファンみたいに書いたけど、実は『BANANA FISH』と『海街diary』っつう一番大きいふたつをまだ読んでません。買ってはあるんだけどなんかもったいなくて……。でも2025年中には読もうかな。
●高橋しん『最終兵器彼女』(全9巻、ビッグコミックス)  部屋の片隅に長ら~く積んである『セカイ系とは何か』をいよいよ読むべく、『イリヤ』ともども手元に揃えてやっと読了。結果、あらゆる方向に尖りまくった傑作じゃん! と思いました。世界の崩壊に対して主人公2人の恋愛という、圧倒的に超無力なモノを対峙させ、理屈ではなくエモーショナルの奔流として無理矢理! 成立させた名作という感じ。まぁこの2人にほとんど感情移入できないほど自分が歳取っちまってることは悲しみでしたが、いい意味でのぶっ壊れっぷりが面白く。  それと自分はこれを読みながら、たまたま以前読んでいた米澤穂信の某初期長編を思い出したり。世界は刻々と変化しているのに自分たちは無力な青春の中で何もできないでいる、みたいなこの感じって90年代から00年代の日本独自の感覚なんでしょうかね……。ちなみに『イリヤ』はまだ1巻しか倒してませんが読みます。今年中にはきっと読みます。読み切ることになっています。
●梶本レイカ『悪魔を憐れむ歌⑤』  4巻までで連載が打ち切りになってしまったマンガを、作者ご自身が5巻を自費出版して完結させた作品、だと思います。  舞台はさまざまな腐敗に揺れる北海道警察管区。人間の四肢を逆向きに曲げて殺害する、「箱折犯」と呼ばれる過去の猟奇殺人が突如再開され、そこからふたりの男のウロボロスめいた運命の輪がまわり始める……。  出版形態のためかは分からないですけど、最終5巻はこれまで以上に描写のタガが外れてる感じで、それがすごい楽しかったです。1巻の出だしからはこんなとこまでフッ飛んでくる話だとは思わなかった……。それでいて猟奇殺人ミステリーとしてもなるほどーと思うところもあって。この方はすごい前に『コオリオニ』っていうマンガも読んだのですが、主要キャラクターをとつぜん突っ放す感じがこわい。けど面白い。お疲れさまでした。
◆◆補足◆◆
 ・安部公房もちょろちょろ読んだり。今のところは、異常どころかめっちゃ理知的なアイデア作家という印象なんだけどこれが覆ることがあるやいなや。  ・『めくらやなぎと眠る女』というアニメ映画の予習をするついでに村上春樹の短編もちょこっと。ファンには超怒られそうですが、彼の小説ってパスタ茹でたりジャズを聴いたり昔の恋愛とか人間関係の失敗を感傷的に懐かしんだりといった、ザ・村上春樹なことをやってるときは…………なんだけど、その先で訳分からんことになる話がたまにあってそれがめっちゃ面白かったです。現状読んだものだと「ねじまき鳥と火曜日の女たち」、「UFOが釧路に降りる」、「納屋を焼く」が最高でした。できれば全作読んでみたい。  ・���ランク・ハーバートの『デューン』シリーズも2個目まで。SFファンタジーの大家というイメージで読んだらメインで使う語り口(作劇法?)が超・会話劇なのが意外でした。
★★★これを書いている2025年1月現在はドスト先生の『悪霊』を読んでいます。が、全体の十分の一すぎてもまだ若者世代の話に入らないので投げ出しそう……。シニカル成分100%の語り口はけっこう好みなのですが。前に読んだ『罪と罰』と比べても視点が格段にいじわるな気がして、これを書いてたときの作者の精神状態やいかに?   2025年はもうちょい数をこなせたらいいなと思っています。ではー。
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tiroru-7th · 1 month ago
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 久しぶりに昼寝をした。初恋の人と再会して交際する夢をみて、恋が全ての懸念と躊躇いを乗り越えて自分を制圧してくる感じを完全に思い出せたのだが、だからなんだよって感じだし、思い出したくなかった。そして、幸せなまま夢は醒めないで欲しかった。
 何も伝えられないままLINEのトーク欄の一番下にいる。なんで好きだったのか分からないし、今出会っても好きにはならなかっただろうけど、なぜか今でも好きで、それを考えるたびに、どうにもならないから早く終わりになりたいとばかり思う。
 こういった文脈では、自分を取り巻く全ての人を、自分という物語の中に閉じ込めることになる。このような形でパブリックにすることで、その力はより大きく発動する。
 歌を歌ったり詩を書いたりすること、それらを発表することは、個を一般化する(そして、他者を物語にする)暴力であると思うし、それは逃れられぬジレンマだ。だけど、そもそも自身が存在として社会に現れるとき(つまり、常態であるとき)それ自体が一般化となるというか、自身の一般性が巨大化する(浮き彫りになる、といった方が正しいか)ので、自己の一般化に関しては、ここで何か取り立てて特別に記述すべきことはない。が、それは他者の同一化につながるのは言うまでもない。そして、それは歌や詩が公にされる時、ほとんどの場合で起こる。なぜなら、歌や詩がそれ自身を一般化し、立ち現れることで、それを目の前にした他者を全く同じものに、物語の一部にするからだ。さらに、他者がその主体としての視点を物語に投影することによって、連鎖的に他者が物語に暴力的に取り込まれることは想像に難くない。だから、わたしの目指し続ける普遍性や永遠性というのは、形や物語として残り続けて、あらゆる問い(のようなもの)として、それぞれの他者にとっての美しい過去や来るべき未来、概念の存在を呼び起こし続けるものである。
 風景や物語を描くということは、自分の中で手法やその名前を変えながら、先述の普遍性や永遠性の希求に終始した。今はもう自分が具体的に何を描いているのかさえはっきりしていないが、結局はどこに出しても恥ずかしくないものを作りたい。「立ち現れるもの」ではなく、「呼び起こすもの」を。
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