#逢断本編更新
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『逢断』第二十五話アップしました

お待たせしました。下記で読めます。
一話目から読む場合は目次ページからどうぞ。
サイトの不具合や誤字脱字を見つけた場合は気兼ねなくお知らせください。よろしくお願いいたします。
◆『せんせいとぼくと世界の涯』をXfolioで再放送します
下記で毎日昼頃2話ずつアップしていきます(予約投稿)。
この更新が終わる頃には入稿して通販のお知らせができるようになっておきたいというタイマーです。がんばる。
最初の方を描いたのめちゃめちゃ前なのでもうすっごい描きなおしたい気持ちにデータを開くたび襲われるけど昔の絵は昔の絵として記録するんだという強い気持ちで編集作業をしようと思います。
漫画の更新や発行のお知らせはsubstackを利用したニュースレターでも行っています。 更新確認をしにサイトやSNSを見るのめんどうだな~という方は下記からメールをご登録いただければ漫画を更新した際にニュースレターでお知らせします。
迷惑メールに紛れることもあるみたいなので、登録したのにメール来てないな?と言うときは迷惑メールボックスもご確認ください。
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【My Favorite Movies of 2024】
*「3年ルールで2022年以降公開を新作とカウント」します。

1. アイアンクロー The Iron Claw
ケヴィンが持ち上げるバーベルが、呪いと抑圧と責任の重さを物語る。家族の誰よ��愚直にプロレス道を行きながら、悉く報われず一人取り残されてしまうケヴィンは、選ばれない者として選ばれし者。バーベルを持ち上げた太い腕は、やがてチャンピオンベルトでなく弟の身体を抱え上げることになる。銃と十字架とトロフィーはアメリカの呪い。それを信じることから始まる悲劇。でもあまりに痛ましすぎる悲劇のその先に、まさかあんな大きなカタルシスがあるとは…むしろ、そこへ辿り着くまでの受難劇とすら。ショーン・ダーキンはどれも家と空間が不穏すぎて怖いんだけど、喪失感と同時に、いつまでも残る不在の温もりがあった。

2. 異人たち All of Us Strangers
80年代に流行った深いリバーブ���映画全体にずっとかかってる感じがすごい。音響の面だけでなく親密で濃密な生暖かい湿度と温度に包まれるような、何重ものエコーが密室にボワーッと篭ってるみたいな…しかも若干ファズくて甘い、映像のウォール・オブ・サウンド。全編ピロートークみたいで超超ロマンティックだった…。

3. コット、はじまりの夏 An Cailín Ciúin/The Quiet Girl
抑圧と抵抗の物語。小2まで自分も教室で喋れない子どもだったのを思い出す。思えば、何に抑圧されてたんだろう。物語背景にも抑圧と抵抗の構図があって、尚更あのラストに震える…すげえ。

4. リンダはチキンがたべたい! Linda veut du poulet!/Chicken for Linda!
黒い闇から白い闇の中へ、みんながみんなで探しものする旅。なんたってまず、絵の魅力に釘付け。猫のヒゲは描かずに尻の穴は描く!すばらしい…。王の首をはねろ、欲しいものをみんなで手に入れるぞ、子どもも大人も元気にデモ行進だ、わーわーわー!なストライキ映画であることもすごく好き。

5. 山逢いのホテルで Laissez-moi/Let Me Go
ダム映画で乗り物映画。男は旅人だが、女はどこへも行けない。だから行かせてほしい、でも行けない。溜め込んだダムが決壊したあの声は、色んな意味での「ちきしょう!」だと受け取った。ダム底でのロマンティクなシルエットが閉所恐怖症的でもあって心に残る。

6. 喪う His Three Daughters
家を���れて長い娘、父の娘、そして姉がいる気がしない娘。別れを前にして何か変化したとかでなくて、His Three Daughtersになったから別れが来る。同フレームに入れず律儀に1人ずつカットを割った会話はモノローグのようで、順にスポットライトを当てるみたいで、とても舞台劇っぽい。しかもチェーホフっぽい。

7. レベル・リッジ Rebel Ridge
ランボーに始まりセルピコで終わる、でも戦争映画。いつも一貫して暴力を語ってきたジェレミー・ソルニエだが、これは構造的暴力に対抗する「死なないための暴力論」みたいな。白昼の砦を囲んで、味方と思えば敵、敵と思えば味方。それでも残すべきか破壊すべきかは律儀に線引きするのだった。

8. イヌとイタリア人、お断り! Interdit aux chiens et aux italiens/No Dogs or Italians Allowed
働き手や稼ぎ手として酷��される手。権力の大きな手。語り手の祖母、記憶を紡いで伝える映画の作り手、小さな人形と段ボールや野菜で様々に見立てたセットをこしらえて動かす手。手は憶えている。イタリアからフランスへ亡命した一家とツール・ド・フランス、アルプスの峠を何度も越える長く過酷な旅路が交差する一瞬が忘れられない。

9. ザ・バイクライダーズ The Bikeriders
マチズモな力よりも幻想の(既に失われた)力が彼らに忠誠を誓わせる。眼差される者、見せるもの見てないもの、見届ける者、見せつけられる現実…そもそもが写真集だし、一貫してwitnessの映画だった。

10. マイ・オールド・アス ~2人のワタシ~ My Old Ass
ティーンの身の丈に合わせた脚本が可笑しくて切なくて、ぜんぶを大袈裟にしないところが逆に沁みて、すごく良かった。

11. 戦いとは終わりである (短編) La Lutte est une fin/The Struggle Is the End
労働者組合会館は誰にでも開かれたジムであり、リングであり、居場所。喧嘩の仕方を教わり、闘う相手を見て、パンチが言葉を与え、ファイターはいざ社会というリングに立つ。やったれ!キレキレにタイトな編集、ヒップホップ、パンチ、パーカッションが刻む小気味好いリズム。壁のポスターとグラフィティのフォントが同調して、外へと繋がるショットが最高。
*****
【他にも良かった新作】
スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース
地球は優しいウソでまわってる
スペアキー
オナー・ソサエティ ~優等生のひそかな野望~
ウィル&ハーパー
ノベンバー
雄獅少年/ライオン少年
ロボット・ドリームズ
チキン・ラン ナゲット大作戦
午前4時にパリの夜は明ける
JOY: 奇跡が生まれたとき
Shirley シャーリイ
パスト ライブス/再会
枯葉
*****



【旧作マイベスト】
遠い声、静かな暮し(1988)
WANDA/ワンダ(1970)
さらば、わが愛 覇王別姫(1993)
キング・オブ・コメディ(1983)
なまいきシャルロット(1985)*再見
100人の子供たちが列車を待っている(1988)
イマジン(2012)
フローレス(1999)
Zolaゾラ(2021)
���浪記(1962)
ベスト・セラーズ/小説家との旅路(2021)
甘い生活(1959)
女だけの都(1935)
ブレイキング・ニュース(2004)
冬の旅(1985)
われら女性(1953)
ツイスター(1996)
新学期・操行ゼロ(1933)
真夏の夜の夢(1935)
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集英社的漫画杂志01(少年向)
本篇聊一聊集英社少年向的漫画杂志。
週刊少年ジャンプ(周刊少年Jump)
ジャンプGIGA(Jump GIGA)
ジャンプスクエア(JUMP SQUARE)
ジャンプSQ.19(Jump SQ.19)
ジャンプSQ.CROWN
ジャンプSQ.RISE
月刊少年ジャンプ(月刊少年Jump)
最強ジャンプ(最强Jump)
Vジャンプ(V Jump)
少年ジャンプ+(少年Jump+)
週刊少年ジャンプ(周刊少年Jump)
发行时间:1968年7月11日(1968年8月1日号) -
漫画类型:少年漫画
读者对象:少年
发行日:毎周一(逢周一节日则改成周六)
简称:ジャンプ・WJ
代表作:阿拉蕾 (Dr.スランプ)、风魔小次郎 (風魔の小次郎)、金肉人 (キン肉マン)、北斗の拳、魁!!男塾、聖闘士星矢,ジョジョの奇妙な冒険,電影少女,灌篮高手(SLAM DUNK)、幽游白书、浪客剑心(るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-)、游戏王、龙珠(ドラゴンボール)、HUNTER×HUNTER、I"s,海贼王(ONE PIECE),火影忍者(NARUTO -ナルト-),死神(BLEACH)、银魂、家庭教师、鬼灭之刃(鬼滅の刃)、咒术回战(呪術��戦)等等。
很多人心中当之无愧的Top1漫画杂志,保持漫画杂志发行本数最多的记录(1995年3・4号 653万本)。
杂志的口号是『友情・努力・勝利』,出版的作品基本上以战斗漫画、体育漫画、搞笑漫画等少年漫画为主,不同年代都有着非常多的高知名度的代表作品。编辑部设想以小学和初中男生为主要读者,在上世纪80,90年代,伴随着日本婴儿潮诞生,这本漫画杂志对于许多世代男性而言知名度极高。
积极参加除了杂志的印刷之外的活动,包括杂志漫画相关的原创商品的商店、漫画网络分发网站、��题公园、电视节目等等。
自2014年9月起,电子书版本与纸质版本同日发行,可通过安装『少年Jump+』应用程序付费购买。
积极启用新人作家,严苛的专属契约制度,以及调查问卷至上原则都是杂志最鲜明的特点。
ジャンプGIGA(Jump GIGA)
发行时间:2016年7月 -
人群向:少年
发行日:季刊→年3刊→季刊→隔月刊→月刊→季刊
代表作:黒子のバスケ(EXTRA GAME)、BASTARD!! -暗黒の破壊神-、SOUL CATCHER(S)、東京都立呪術高等専門学校等等。
1969年作为『週刊少年ジャンプ』(下称『WJ』)的定期增刊,经历过『少年ジャンプ』・『週刊少年ジャンプ〇〇Special』・『赤マルジャンプ』・『少年ジャンプNEXT!』・『少年ジャンプNEXT!!』等等名称。2016年改名为『ジャンプGIGA』。
出版的漫画作品主要以新人作家的单篇漫画作品为主。从1969年创刊后,不断向『WJ』输出优秀的作品。封面是『WJ』的连载作品,彩页则是有经验的漫画家连载的单篇作品。
ジャンプスクエア(JUMP SQUARE)
发行时间:2007年11月2日(2007年創刊号) -
漫画类型:少年漫画、青年漫画
读者对象:少年、20代男性
发行日:每月4日
简称:ジャンプSQ.、SQ
增刊:ジャンプSQ.19
代表作:大剑(CLAYMORE)、搞笑漫画日和 (ギャグマンガ日和)、吸血鬼女友第二部 (ロザリオとバンパイア)等等。
前身是『月刊少年ジャンプ (MJ) 』(2007年6月因为销量低迷休刊),绝大部分作品转移到『SQ』。杂志创刊原因是「为了探索月刊的新可能性。」,写作团队「积极聘用青年作家」
集英社的官方网站将其归类为少年漫画杂志,但根据「日本雑誌協会」的『マガジンデータ』(magazine data,杂志数据)将其归类为男性漫画杂志。然而,『SQ』涉及的范围广泛,不受类型限制,例如聘请活跃在少女漫画杂志上的作家,出版动漫和小说的漫画改编作品,散文和小说。
ジャンプSQ.19(Jump SQ.19)
发行时间:2010年5月19日 - 2015年2月19日
漫画类型:少年漫画
读者对象:少年
发行日:季刊→隔月刊(偶数月19日)
代表作:邻家小萝莉(となりのランドセルw)、血界戦線、機巧童子ULTIMO、To LOVEる等。
前身是『SQ』的增刊『ジャンプSQ.II』(刊登『SQ』新人、有连载经验作家的单篇作品,『SQ』连载作品番外篇)。创刊日是5月19日,杂志名因此而来。2015年2月19日发售的18号休刊,继任刊物是『ジャンプSQ.CROWN』。
���版作品的种类繁多,包括原创作品、『SQ』杂志作品的番外篇、转移作品、漫画改编、新人作家和本刊连载作家的单篇作品。
ジャンプSQ.CROWN
发行时间:2015年7月17日 - 2018年1月19日
漫画类型:少年漫画
读者对象:少年
发行日:季刊(1,4,7,10月发售)
代表作:血界戦線 Back 2 Back、D.Gray-man、双星の陰陽師 化野紅緒編等。
是『ジャンプSQ.19』的后继杂志,2018年『ジャンプSQ.CROWN』休刊,后继杂志是『ジャンプSQ.RISE』
ジャンプSQ.RISE
发行时间:2018年4月16日 -
漫画类型:少年漫画
读者对象:少年
代表作:血界戦線 Back 2 Back、D.Gray-man、冒険王ビィト、Mr.Clice、血界戦線 Beat 3 Peat等。
『ジャンプSQ.CROWN』的后继杂志。
月刊少年ジャンプ(月刊少年Jump)
发行时间:1969年12月6日(1970年1月号) - 2007年6月6日(2007年7月号)
漫画类型:少年漫画
读者对象:男性
发行日:每月6日
简称:月ジャン、MJ
增刊:『ジャンプオリジナル』(JUMP ORIGINAL)、『HOBBY's JUMP』、『ゴー!ゴー!ジャンプ』
代表作:冷面天使 (エンジェル伝説)、反斗前鋒 (かっとび一斗)、青少棒扬威记 (キャプテン)、冒险王比特(冒険王ビィト)等等。
1969年作为『WJ』的姐妹杂志创刊,当时叫『別冊少年ジャンプ』,74年改名为『月刊少年ジャンプ』。
20世纪80年代的鼎盛时期,出现了很多校园喜剧漫画和少男少女的软色情漫画,平均发行量在1989年达到顶峰,约为140万册。从 20 世纪 90 年代左右开始,为了与竞争对手『月刊少年Magazine』(讲谈社)进行差异化竞争,该杂志开始瞄准年轻读者,并且有意识的让漫画与混合媒体、玩具、游戏等进行结合使得漫画更加吸引读者。
但是面对『Vジャンプ』和『月刊少年ガンガン』的竞争,以及王牌作品『冒险王比特』(冒険王ビィト)作者生病长期停笔的印象,导致销量逐渐减少。由于销量不佳,2006年决定停刊,而同年11月,继任杂志『ジャンプスクエア』(JUMP SQUARE)创刊。
最強ジャンプ(最强Jump)
发行时间:2011年12月3日(2012年1月号) -
漫画类型:少年漫画
读者对象:男性
发行日:每月4日
代表作:海贼王学园(ONE PIECE学園)、龙珠SD(ドラゴンボールSD)、グルメ学園トリコ等等。
自1999年12月发售的『eジャンプ』之后,时隔11年首次成为『WJ』和『VJ』的共同增刊号。
已出版的漫画作品很多是『WJ』正在连载的作品或过去连载过的作品的衍生作品,以及与玩具和电脑游戏的合作作品。相比之下『VJ』更像是一本情报杂志,而不是漫画杂志。
Vジャンプ(V Jump)
发行时间:1993年7月号(創刊号) -
漫画类型:少年漫画
读者对象:少年,20代男性
简称:VJ
发行日:每月21日
代表作:博人传(BORUTO-ボルト--NARUTO NEXT GENERATIONS-)、遊☆戯☆王衍生作品等。
1992年11月22日号发行之初,作为『WJ』的增刊。93年7月独立创刊。
该杂志主要关注电脑游戏的新文章和策略文章,特别是『勇者斗恶龙』(ラゴンクエスト Dragon Quest)和『最终幻想』(ファイナルファンタジー Final Fantasy)系列的以及与『WJ』连载的漫画相关的游戏。
在1990年,类似定位的漫画杂志还有小学馆的『月刊コロコロコミック』和講談社的『コミックボンボン』。
少年ジャンプ+(少年Jump+)
发行时间:2014年9月 -
漫画类型:少年漫画
读者对象:Jump读者(10代)、Jump毕业组(20代-30代)、互联网用户
简称:J+、ジャンプラ
发行日:每日
代表作:寻找身体(カラダ探し)、地獄楽、间谍过家家(SPY×FAMILY)、怪獣8号、ダンダダン等。
2014年9月22日集英社配信的『WJ』的应用和网站。前身是『Jump LIVE』(『ジャンプLIVE』),吸收了「ジャンプBOOKストア!」(一款电子书籍贩卖APP)这款的网络功能而推出的「漫画杂志应用程序」。即可以在智能手机上,也可以在网站上浏览。每天免费分发多本网络漫画,并以电子方式销售杂志和Jump漫画。
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其实想过写小说,不过精神被蛊术师破坏后就没打算了,唐家三少和郭敬明当年问我为什么不写,我都被蛊术师攻击窃取了我还做什么?
我会发动特殊能力,让所有窃取我的想法变成诅咒,力量只是力量,但是中国人内心是黑暗的,力量被黑暗的心所影响,就很可怕了。
我会买中国房子吗?不会,假如有钱我可能会买中国的地权,例如矿物,对房子我一点想法也没有。
有的地方假如可以自己建造房屋,我也许会考虑一下,要的是商业。
中国人口会恢复吗?这不是问题,问题是人口恢复也不会进入房子,除非房价再下跌98%(也许吧不太了解房价)
外资抄底中国房产是没有问题的,因为钱是印出来的,外资依靠货币可以永远持有,哪怕不扔也不会亏一分钱,这是一个控制权的利益,不仅是抄底,只要你不卖,就没有亏。
中国没法印钱是因为蛊术师破坏了我的设计,所以中国的金融其实有BUG,只要发现了这个BUG就能击溃中国,我没法参与是因为我不是国家,但是不代表中国打赢我就能打赢别人,何况还有内鬼,你以为这窃取和垄断还有抄底不是内鬼所为?
当年江泽民用水军舆论和砸钱让股份暴跌,再收回股份从而彻底掌控三峡和其他公司,中国资本家一直用这个方法抄底中国的资产,蛊术师背后的人不需要中国变好,相反,他们为什么允许美国破坏掉这一切,是因为他们能吃下大部分利益。
大家都是为了分掉利益,饿死的只有中国人,中国政府会打老虎吗?孩子,真正的老虎会在舆论和各方面让你打不了。
在中国生孩子是没有未来的,中国和日本一样,而且更糟糕。
垄断会勒死所有中国的血脉,中国政府无法用供销社之类低价来对抗,因为对方本身就有蛊术师之类去窃取别人来改善自己的能力,这会让他们更加低价,除非中国政府也用蛊术师去窃取别人。
因为我写小说只能在某种心境下写出那个作品,而我被黑暗污染就无法做出作品了,作品就是作者的写照,作者的思路,性格,人品等等都会通过作品表达出来。
我的作品其实有教育意义,一旦失败,中国这一脉也就断了,我身上承载着过去到未来很多的东西,现在没有了,也就是永远没有了。
事实上窃取我只会导致污染由那些作者的内心显现出来,其实中国政府不过在整死全世界,把全世界变得黑暗而已,而我未必需要活下去,所以怎样我都会赢,中国政府不过给世界造就了对自己更狠毒的敌人而已,他们的确希望这些黑暗能让别的国家内乱,别的国家也的确内乱了,但是中国政府趁机进步的时候别的国家会反应过来的,应该会快速毁灭中国政府。
【【Raidas】傳說-哔哩哔哩】 https://b23.tv/jmJ6pnn
《传说》RAIDAS
俗世的爱侣谁可永相恋
谈情游戏我早厌倦
若果这刹那时空随着我的书本扭转 那痛快故事必定偿宿愿
(小玉典珠钗 铅华求长埋 祝君把新欢 乘龙投豪门)
我要是变心 有谁为我尽情骂
(小玉休相迫 檀郎无忘情 三载失钗凤 瑶台求重逢)
我叫天抢地 谁过问
实际景况已无可再更改 雷同情节永不似期待
自古书里说梁祝宁愿化蝶飞出苦痛 我也要化蝶躲入传说内
(庵中孤清清 长平难逃情 江山悲灾损 流离仍重圆)
我偶然与她见面 亦觉甚疲倦
(花烛映窥粧 难为郎情长 交杯饮砒霜 泉台偕盟联)
我散心解闷 谁作伴
(小玉典珠钗 铅华求长埋 祝君把新欢 乘龙投豪门)
我要是变心 有谁为我尽情骂
(小玉休相迫 檀郎无忘情 三载失钗凤 瑶台求重逢)
我叫天抢地 谁过问
重合剑钗 修补破镜 只有寄情 戏曲与文字
盟誓永守 地老天荒以身盼待 早已变成 绝世传奇事
(小玉典珠钗 铅华求长埋 祝君把新欢 乘龙投豪门)
我要是变心 有谁为我尽情骂
(小玉休相迫 檀郎无忘情 三载失钗凤 瑶台求重逢)
我叫天抢地 谁过问
(庵中孤清清 长平难逃情 江山悲灾损 流离仍重圆)
我偶然与她见面 亦觉甚疲倦
(花烛映窥粧 难为郎情长 交杯饮砒霜 泉台偕盟联)
我散心解闷 谁作伴
重合剑钗 修补破镜 只有寄情 戏曲与文字
盟誓永守 地老天荒以身盼待 早已变成 绝世传奇事
重合剑钗 修补破镜 只有寄情 戏曲与文字
盟誓永守 地老天荒以身盼待 早已变成 绝世传奇事
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8/18(木)大滝詠一「夢で逢えたら」松本監督オリジナルミュージックビデオ付き、特別限定上映決定!
松本優作監督が新たに手がけた「夢で逢えたら」のミュージックビデオが先日Youtubeにて公開された。そのスペシャルロングバージョン(18分36秒)を『ぜんぶ、ボクのせい』本編終了後に1回のみ限定上映致します!✨

【日時】
8月18日(木)
19:35の回
※「夢で逢えたら」ミュージックビデオのスペシャルロングバージョンは、『ぜんぶ、ボクのせい』本編をご鑑賞のお客様にご覧いただけます。ミュージックビデオのみのご鑑賞はできません。
【料金】
通常料金 / 全席指定席
※ムビチケ使用可
【発売日】
オンライン予約販売:8月16日(火)0:00[=8月15日(月)24:00]より
オンライン予約サイトはこちら
【販売方法/注意事項】
※本「夢で逢えたら」松本監督オリジナルミュージックビデオ特別限定上映付き上映回のチケットはPC・スマートフォンなどによるインターネットにて販売いたします。電話でのご予約は受け付けておりません。但し8月16日(火)の開館時間までに残席が出た場合のみ、窓口でも販売を行います。
※チケットが完売次第、販売を終了します。
※チケットのご購入後の変更、払い戻しは致しません。
※転売目的でのチケットのご購入は固くお断り致します。
※特別興行につき、株主優待券(証)株主優待割引・招待券はご使用になれません。
※場内でのカメラ(カメラ付き携帯を含む)、ビデオによる撮影・録音・録画は固くお断りします。
※「夢で逢えたら」ミュージックビデオのスペシャルロングバージョンは、『ぜんぶ、ボクのせい』本編をご鑑賞のお客様にご覧いただけます。ミュージックビデオのみのご鑑賞はできません。
※本「夢で逢えたら」松本監督オリジナルミュージックビデオ特別限定上映付き上映回は予定です。やむを得ない事情により中止となる場合もございます。映画上映のみが行われる場合でもチケットの変更や払い戻しはできませんので、予めご了承下さい。
【新型コロナウイルス感染予防の対策について】
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放課後ランデブー
※この小説は、他の短編「偽物ラヴァーズ」を「彼」視点から書いたものです。 単品でも読めますが「偽物ラヴァーズ」を読んだ後だとより深く楽しめます。
自分が冴えない人間であることは、自分が一番よく理解している。 掃除の時間にさりげなく、放課後の呼び出しを受けた。聞き返す前に、彼女はそそくさと離れていって、友人との輪に戻っていった。自分の耳を信じ難かったが、馬鹿正直に校舎裏へと向かった。こんなシチュエーション、あまりにも陳腐で、小説であれば大半の読者が「ふーん」としか思わないだろう。 でも、僕にとっては初めての出来事だった。 女子に放課後、呼び出される。陳腐だと馬鹿にする、その出来事に一度も恵まれたことはないし、望んだこともない。はなから諦めていたから。 だから、疑り深い部分に、ほんのわずかの期待が、ほんの0.0001%くらい、雑じっていた。 罰ゲームだよ、と彼女はあっさり種明かしをしてくれて助かった。本気であると心底信じるほど脳天気ではないが、「好きなんだ」続けざまに「あんたのこと、実は好きだった」と告白を受けた瞬間に、芽吹いた淡い感情がまったくなかったかといえば嘘になる。嘘の告白だと早々に言ってくれたおかげで、勘違いを抱えずに済んだ。当然といえば当然のことだ。彼女のような、クラスの中心にいる、声が大きくて明るくていかにも喜怒哀楽が激しそうな女は、同学年の、同じ教室で机を並べていても、生きている世界が違う。考え方も、生き方も、何もかもが異なるだろう。交わるはずがなく、目の前に顔を突き合わせていることも、異常なのだ。 諦めてしまえば、なんてことはない。 それでも、さっさと退散していく背中に、ひとつだけ、反撃してやりたい気持ちになった。こんな低俗なことを罰ゲームと言い切る彼女らの頭の悪さには辟易するが、やられてばかりというのは腹立たしかった。ほんのわずかでももしかして、と期待した自分のことは、恥ずかしすぎて死にたくなった。その恥を僕は隠そうとしたのだと思う。 ここから、駅まで、偽物の恋人同士として過ごす。 彼女としてはこの上ない屈辱だったろう。何言ってんの頭おかしいんじゃないの調子に乗るのもいい加減にしろよバーカ、よどみなく言われればそれまでの提案。スクールカーストは根深く、僕は彼女に勝つことは決してできない。 本心が見えないようできるだけ強がった言葉を使ったけれど、勇気をありったけ集めてできるだけクールに努めることには苦労した。彼女は馬鹿なので、僕がどれだけ彼女への抵抗に勇気を必要としたか、どれだけ滑稽な内心だったか、少しも解らなかったようだけれど。 いや、馬鹿だから、というより、単に興味が無かったのだろう。 好きの反義語は嫌いではなく、興味なし。眼中になし。僕らは恋だとかそういった関係からまったく正反対の位置にいた。それが、偽物であるとはいえ恋人ごっこをするなど、あまりにも滑稽だ。 だから、彼女がその提案を受け入れたのは、正直意外だった。 僕は断られて当然だと思っていたので、思いがけず受け入れられてしまったので内心混乱した。彼女が何を考えているのかまったく解らなかったし、彼女たちが普段生きている世界はあまりにも僕の生きている世界と隔絶されているし、なにより僕は恋愛経験がゼロだった。紛う事なき童貞である。年齢イコール付き合ったことが無い年数だ。漫画とか小説とかゲームとか、俯いて楽しむものばかり摂取してきた人間だ。 もちろん、女性に興味が無いわけではない。僕だって、月並みに、保健体育に淡い興奮を憶えたり、エロ漫画やエロ動画に触れてきた。でも実際に生きている女子に対して、強い感情を抱いたことがない。そもそも女子と接する機会がない。あるけどない。そんな僕が、少なくとも僕なんかよりは恋愛経験の豊富であろう彼女をエスコートできるはずがなかった。 そんな僕は、必死に、好きな小説の展開を思い出していた。 ラノベ業界が盛り上がる少し前に出逢った青春小説。僕が初めてラノベというジャンルに手を出したきっかけの小説。天然のヒロイン・雪乃に引っかき回されながら、学校に明滅する個人的な悩みや謎を解決していく主人公隆晴と、その部活の仲間たち。生徒会も絡んだ王道の学園もの。それを、僕は、ずっと好きでいつづけている。 僕の手は、きちんと洗って、消毒も施していたとしても、きっと彼女にとって気持ち悪いものだろう。積極的に繋ごうなどとは微塵も考えなかった。 そもそも僕には余裕がない。 気まずすぎる恋人ごっこに、青春のきらめきはない。 僕の横で携帯電話を打っている彼女の顔はあからさまにつまらなさそうだ。罰ゲームの延長戦はよほど苦痛だろう。 僕には大した選択肢が無かった。あまりにも気まずく息苦しくなり、僕は自分にとってのオアシスを求め、誘導した。僕たちは、最寄り駅に向かう道の半ばにある本屋に立ち寄った。その手前、彼女は大きな目をぱちぱちと瞬かせた。 「本なんて読まなさそうだよな」 思わず言うと、彼女は難しげな表情を浮かべる。 「読まない。漫画も読まない」 「本気か?」 軽くない衝撃に、思わず声が大きくなってしまう。 「人生損してるな。少女漫画とか女子は読んでるもんじゃないの」 「文字自体が嫌い。すぐ飽きるし」 信じられない。本当に生きる世界が違うのだ。 小説ならまだ解る。活字がびっしりと埋められた本には僕だって嫌になる。絵が主体の漫画の方が解りやすいから漫画なら読める、というものじゃないのか。百歩譲って飽きるのは解る。文字自体が嫌い? 本が嫌いとかそういった次元を超えていないか? こいつマジで言ってんのか。マジなんだろうな。カルチャーショック。 「重症」 辛うじて出てきた言葉はそれしかなかった。 文字が嫌いといわれれば交わるものがあるはずもない。 誰かと一緒に買い物をするのは苦手だし、自分のペースで本を選びたいので、入店してからはさっさと別行動した。 新刊コーナーにさっと目を通して、例の小説、「群青論」最新刊を取り出す。雪乃のソロ表紙だ。夕陽の色に染まった教室にひとり、佇んでいる、切なさを含んだ表紙。笑った顔が可愛い。タイトルはどこか堅苦しさがあるけれど、そのイメージをやわらかく相殺する。 やっぱり、本屋は落ち着く。図書館も落ち着く。本に囲まれていると、ほっと息を抜ける場所があると確信できる。 それから他のラノベや文芸、漫画コーナーと大体いつも通りのコースを回り、ネットで少し話題になりつつある漫画の一巻を引き抜いたところで、すっかり頭から抜け落ちていた彼女が声をかけてきた。つまらなくなって勝手に一人で帰っているかと思っていたくらいだった。意外と律儀な性格なのかもしれない。 彼女は僕の抱えた本に一瞬視線を配る。 「買うの?」 「まあ」 本と縁遠い彼女には信じられない行為だろう。 それから彼女はよりまじまじと背表紙を確認する。居心地が悪かったけれど、隠すのもなんだか違う気がして、恥ずかしさに耐える。 「やっぱ、こういうの好きなんだ」 その言葉には、無意識に小馬鹿にしたような感情が含まれていただろう。視線からして、一番上に乗せていた「群青論」を指していることは具体名を言わずとも解る。 「馬鹿にしてるよな」 「馬鹿にしてるっていうか、あーやっぱり、っていう。オタクって感じ」 「どうせオタクだよ」 そう、どうせオタクなのだ。小説や漫画が好きな、根暗で日陰者の人間。 「ラノベは読みやすいから、きみみたいなのにもいいんじゃない」 軽い気持ちで言ってみる。 「ラノベって、これ?」 「そう」 「やだよ。こんないかにもオタクっぽいの」 これは聞き逃せない。 「否定はしないけど作者に謝ってほしいわ」 僕のことはオタクと言って馬鹿にしてもそれが真実なので諦められる部分があるが、好きな小説のことをそのいわゆる馬鹿にする対象としてのオタクという揶揄に含めるのは、素直に嫌だった。 「形だけで断定するのはやめた方がいい。昔から読んでるんだけど、最近は結構人気あるんだよ、きみが知らないだけで。普通に良い青春ストーリーだし」 「ええー、青春とか好きそうなタイプに見えないのに」 彼女が驚愕の声をあげてくれたおかげで、僕はかろうじて冷静さを取り戻した。そのまま喋っていたら、更にドン引きされるところだった。次から次に「群青論」に関する説明文が溢れてきて。 ただ、彼女の言うことももっともだろう。僕はいわゆる青春とは真逆の生活をしているだろう。でも、僕はいわゆる青春に対して��れを抱いている。 自分には掴めないものは、輝かしいほど貧しいものか、触れたくもないほど嫌悪を抱いているものか、大体どちらか。青春というきらきらしたカテゴリは、前者だ。だからこそ「群青論」を追い続けているのかもしれない。ちょっと斜に構えたミステリ要素や王道の学園ものらしさを生かし、友情も恋愛も展開されていく、自分と同世代の物語というのは。共感ではない。ただの、憧れ。 僕は溜息をつく。 「興味がなかったらこんなしょうもないごっこ遊びなんて絶対しない」 「ごっこ遊び?」 言わせんな恥ずかしい。 「恋人ごっこ」 明らかに彼女の顔が濁った。 解っていた反応だ。言わせたのはそっちのくせに。僕はなにかごまかすように、続ける。 「俺、彼女なんていたことないから」 「だろうね」 相変わらず失礼な人だ。 「たぶん、卒業するまで出来ないだろうし、制服デートを経験しておけるのなら利用してやろうと」 「本が好きなくせにもっと言葉を選べないの? そういう風に言うから彼女出来ないんだよ」 どこかもっともらしいことを言われて、胸に棘が立つ。 「本気で彼女作ろうなんて思ってないんだよ。ていうか、出来るわけないし」 彼氏だとか彼女だとか恋愛を至上主義とする彼女たちの世界とは違う。現実と架空は違う。 酷いけれど本心の自虐を放った後、彼女は、馬鹿にするのでも、呆れるのでもなかった。 「解った」 なにが、と問う前に、続ける。 「なんでもいいよ。あんたの夢にちょっとだけ付き合うけど、今日で終わりだからね。でも、ごっこであって、本当の彼女じゃないんだから、カウントしないように」 ちょっとだけ、驚いた。 思わぬ優しさを垣間見たような気がした。僕はそこで初めて、彼女のことを考えずに、自分本位で本屋に連れてきたことを若干後悔した。 夢。 そうなのだ、これは夢。いつかはじけて、もとどおり。高校はいつか卒業するし、青春はいつか終わるもの。彼女との不思議な関係性も、いつか、というか、もうじきに終わる。もう二度と交わることもなく。 何が恋人ごっこだ。こんな空疎なこと。でも、彼女はそんな虚しい作業に、付き合ってくれているのだった。彼女の大切にしているだろうなにかを犠牲にして。馬鹿にしていた彼女の方が、実はよほど僕のことを見ようと試みていたのではないだろうか。僕が、僕のことだけを見ているかたわらで。それは、僕より、よほど人間としてできている。 これ以上、彼女を僕のわがままに巻き込んではいけない。 僕は、できるだけいたずらに笑ったつもりだった。 「きみの沽券に関わるもんな」 それからのことは、あまり記憶していない。 自分の買いたかった本を買った。彼女は何も買わず、携帯電話でやりとりをしていた。 そして、制服を着た僕と、制服を着た彼女、二人並んで、駅へ向かう。時間が積もり、林立する建物の隙間で夕陽が強く輝いていた。苛烈な光に照らされ、紫の影を成して雲が伸びている。「群青論」の表紙よりもずっと現実的で眩く視界を突き刺してくる。 僕の生きてみたい世界は、現実ではうまくいかないだろう。僕の生きていくべき世界は、どこにあるのだろう。そんなことを考えたところで、どうにもならない。彼女に、この感情が理解できるはずもない。 ああ、ほんと、僕って。 僕ってやつは、クソ人間だ。 時間が経過するほど、そんなクソ人間に付き合ってくれている彼女への申し訳なさや、こんな矮小な自分を��覚するはめになったうえに彼女の時間をクソ自分勝手に奪った後悔に苛まれて、僕は何も言えなくなっていた。 恥ずかしい人間だ。確かに僕といることなんて、罰ゲームの他なんでもない。 もっと日陰で生きていなきゃ。 日向で生きている彼女にぼくはただひとつ「ありがとう」と伝えた。様々な感情が含まれた「ありがとう」だった。余計な言葉を付け加えるほど本心から離れていく予感がしたから、ただひとつだけ伝えた。 僕と、彼女の関係は、そこで終わった。 ――はずだった。
*
僕は「群青論」の二次創作をするようになっていた。 もともと文章を読むことは好きだったが、書く側に回ったことはない。 彼女とのあの罰ゲームで始まった放課後のことは、僕に少なからず影響を与えた。夢のような青春のようななにものでもない、紙切れみたいなひととき。風吹けばどこかになくなっていって忘れていくあっけないものなのに、僕はその紙切れをなぜだか離せずにいた。僕と彼女の間はとうに終わったし、僕は彼女に対して恋愛感情を抱いたわけでも決してない。後ろめたさで死にたくなって彼女のことはまったく見れなくなったまま卒業した。 大学に入ってからは高校時代よりも自由がきいた。受験勉強から解放されてできあがった時間を使って、僕は小説を書くようになった。 高校時代のあの出来事を境に「群青論」に対する見方が少し変わっていた。特に、主人公隆晴とヒロイン雪乃の王道カップリングについて、もう少し自分なりに掘り下げてみたいと思うようになった。隆晴は少しひねくれた奴で行動力が薄いが周囲のことをよく見ている、雪乃はぼーっとしがちで隆晴をいつも翻弄するけれどそれは愛情の裏返し。いわゆる隆雪だとかたかゆきだとかで界隈で呼ばれる二人。僕は隆晴ではないし、彼女は雪乃ではない。あの出来事に主人公格の二人を重ねているわけではない。だけど、僕は、あの時に感じた強い後悔を、小説に少しだけ、乗せているのかもしれない。勿論、大事なのは、原作小説であり、その世界観や出来事を無しにするわけではない。あの世界のままで、なにか異なった出来事や、原作に無い展開を描くとしたら。365日あるうちの、たった1日を書くとしたら。その想像が不意にやってきて、僕は、拙い文章で形にした。うまく膨らませられずとも、短編小説を完成させた。 勇気を持ってネット上で公開するようになって、初めて反応を貰った瞬間、僕は、なんだか、許されたような気分になった。 ここは日陰の一角。そこにようやく、生きてもいいよ、と言われる場所ができたような。 溢れてくるものを形にするのは、難しい。たくさん読んできた本のように、うまくいかない。自己嫌悪に陥ることもある。だけど、僕は新しい遊びに夢中になっていた。夢中になっ��勢いで、本屋のバイトで貯めた本で製本するようになっていた。コピー本を印刷した瞬間、そして初めて人の手に渡ってお金をもらった瞬間は、忘れられない。 初めは少なかった反応も、「群青論」の念願のアニメ化が決まってからは、盛り上がる界隈に合わせて閲覧数も増えた。仲良くなった人もなんにんかできた。 アニメ化に向け沸き立つ中で突如現れた、「yuka」さんという人は、素直な感想を送ってくれていて僕の中には印象深く残っていた。Twitterのアカウントを確認した限り、「yuka」さんは特にイラストや文章を発信しているわけではなく、監視や交流のために使っているアカウントのようだ。通販を利用して、僕の過去作も読んでくれた。初期の作品なんか、あまりに拙くて恥ずかしくて通販から下げていたけれど、「yuka」さんが読みたいと言うのでお譲りしようか尋ねたら、嬉々とした返信があった。「yuka」さんはなんというか、懐に嫌な感じなく入ってくる。勿論、自分の書いた作品を褒めてくれる人に対して嫌悪感を抱く人はそういないだろうけれど。あんまり嬉しいので、その感情をきちんと呑み込むのに時間がかかり、返信にはいつも時間を要した。「yuka」さんとの交流は、ぼくの中で大きなものに膨れつつあった。 アニメ化目前の、同人誌即売会で、僕は、念願の「yuka」さんとの対面を果たした。 それが、彼女、朝比奈由香さんだなんて、僕は、まったく、すこしも、微塵も、考えたことが、無かった。 椅子に座って、彼女が視界に入った瞬間、僕は自分の目を疑った。実際、彼女は髪を明るく染め、ふわふわと巻いていた。勿論制服ではない。僕の知っている彼女と姿形が変化していたので、見間違いだと当初は思った。だけど、間違いなく彼女だった。その確信が得られたのは、目があった瞬間、彼女の表情が驚愕に染まり、踵を返してその場を離れたからだ。 僕はどう受け止めたらいいのか一切道筋が見えなかった。考えるより先に身体が彼女を追っていた。狭いスペースで密集したパイプ椅子の列が鬱陶しかった。 オタクを軽蔑していた彼女。文字を嫌っていた彼女。僕とは生きる世界がまったく異なっていた彼女が、何故ここに。それも、「やだよ。こんなオタクっぽいの」と無意識に攻撃した「群青論」のスペースに。 解りやすい巨大な円柱に寄りかかっている彼女に、僕は、勇気を持って彼女に呼びかけた。その勇気は、あの放課後に出したものと似ているようで、もっと実のあるものである。その勇気には、彼女に、その声にきちんと振り返って欲しいという、明確な願いが含まれていた。 「なんで」 僕は尋ねていた。 その理由を、僕は明らかにしなければ、この高らかに脈打つ心臓を抑えることは、とてもできやしない。 朝比奈さんは、暫く躊躇った。動揺が手に取るように分かる。僕は、あの放課後、まったく彼女のことを見ていなかった。彼女を、僕の夢を叶えるためだけの道具としか見ておらず、見下してすらいた愚かな僕は、今、明確に朝比奈さんを見ている。朝比奈さんのことを、きちんと知りたいと思っている。 「あんたが、買ってた本が」 ようやく絞り出した声が喧噪に紛れてしまわないよう、僕は耳をそばだてる。 「面白かったから」 その言葉が、僕は、信じられなくて、本当に信じがたくて、耳を疑って、でもたぶん本当のことで、そうでなければ彼女はここにいるはずがなくて、文字が嫌いだと断言して本屋で何も買わなかった彼女が小説を読んでくれたことは恐らく奇跡で、なにがどうしてラノベを手に取ったのか、「群青論」を選んでくれたのか、分からない、でもきっと、僕と過ごしたあの紙切れみたいな空虚な時間が彼女の中でも風化せずに残っていて、それゆえに彼女は「群青論」を手に取り、ページを捲り、文章を読み、隆晴や雪乃を知り、彼等と対話し、この場所までやってきたのだ。 心に芯があるとすれば、僕の心の芯は、今、ひどく震えている。静かに共鳴している。 「……信じられないな」頭は相変わらず呆然としていたが、かろうじて僕は呟く。「あの朝比奈さんが」 「うるさい。こんなことだと解ってれば、来なかった」 「いや、なんというか……良いと思う、別に。そういうこともあるってことで」 ぶっきらぼうになってしまう。僕はやはり、話せば話すほど、余計な装飾がついて、本当のことばを伝えられない。 「励まさないでよ。余計恥ずかしい」 「そんな風に言うなよ」 僕は首を振る。 「小説、面白かったんだろ。ちょっと信じ難いけど、それで二次創作にも手をだしたと。その感情は、きみの沽券とはなんの関わりもない」 そう、なにも関係ない。 僕と朝比奈さんの生きている世界は、きっと今も違う次元だ。性格も人間性も、異なっているだろう。そう簡単に人間は変われない。僕に出逢ったことを恥とするのは、僕と朝比奈さんはあまりに不釣り合いで公平ではないからだ。僕が彼女を見下していたように、彼女もまた僕を見下していただろう。 でも、僕たちは、同じ目線でことばを交わすことができるかもしれない。 僕そのものと、朝比奈さんそのものの、交わり。 朝比奈さんがようやく僕の方を振りかえる。赤い頬に歪んだ表情。化粧をほどこして、僅かなきらめきがまぶたにまぶされ、睫毛が繊細に伸び、もともと大きかった目が更に強調されている。きれいだな、と素直に思った。彼女は、きれいな人だったのだ。 「あんたが、あささん」 彼女のきれいなひとみが、ぼくをまっすぐに射貫いている。 「……そうだよ」 僕はなんとか肯定した。先に本名をよく知っている間柄でハンドルネームでのやりとりをするのは、気恥ずかしい。本当の姿をあばかれたような気分だ。いや、本当の姿は、本名や現実の生活にあるはずなのだが、この場所では、この場所での姿が本当になるような気がしている。 「読んでくれてたんだ」 静かに朝比奈さんは頷く。 あの放課後のことを思い返す。苦く、空虚で、紙切れで、でも大切な思い出のことを。 回り回って、今、経緯は不明だが朝比奈さんは「群青論」を読み、なぜか僕の小説に辿り着いた。その不思議な縁を僕はうまく言葉にすることができない。 「俺、あの時本屋に行ったこと、流石に後悔していたんだけど」僕は静かな感動を隠しきれずに、思わず笑っていたと思う。「間違ってなかったのかも」 そうして僕たちの、「群青論」を通じた、本物の友達としての付き合いは始まった。 僕と、朝比奈さん。「あさ」と「yuka」さん。 信じられないことだ。しかし、これは一つの現実らしい。 これから、紙切れのいっぺんだった関係性は、より広がり、新しい文章が綴られていくことだろう。僕はそれがちょっと気恥ずかしくて、同時にとても楽しみだ。
了
「放課後ラヴァーズ」
三題噺お題:友達として、罰ゲーム、365日
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【キラキラ輝くために】No.076【僕らはめぐり逢ったと思うから】
先程は失礼しました、全頁に満遍なく推しが存在していて感想が一生まとまらない私です。とりあえずヒロアカで膝をついて号泣し、脳内アンケート会議が平家の趣き。毎週悩みますよね…ロボコにアンケ入れます。前文から脱線芸を見せてしまいました、情緒不安定本誌ネタバレ感想のお時間となりますので、未読の方と推しへの言及が多い感想が苦手な方は回れ右で何卒。
「今回の作戦で最も危険な男…」
「それが不減のクリードだ」
最 も 危 険 な 男
冒頭から顔が良すぎる。最も危険な男の不敵な笑みにハートキャッチプリキュアされてるイカれたオタクなので主人公からその危険性がティーンズに示唆されるのヤバすぎてヤバい(初手から語彙をドブに捨てる音)
アンディにタンクトップの理が追加された瞬間左肩大胆キャストオフなの勘弁してほしいですね。不死は白タンクトップって決まりでもあるの?中年の肌着っぽさで加齢が加速しているけれど大丈夫で…あ、いや違うんだ決してビリー隊長をディスったわけでは うん あの
身体は再生すれど戻らぬ衣服にクロちゃんの不在を感じて寂しさを覚える。先週蜂の巣にされた分も再会するまではそのままなんだよな……風クロちゃん早く帰ってきてぇ!アンデラコンプライアンス委員会最後の砦!!
不死の俺でも再生が追い付かず成す術が…なんだけれど例えばヴィクトルの再生力でも難しいんだろうか。ていうかヴィクトルには是非一度UNDER全員と闘って欲しくて…戦勝の神、言葉は厳しいけれどコーチが上手だからさ……
「だが互いの力を信頼し能力を最大限出せば お前達は最強コンビだ!」
トップくんのバディ枠は一心だと思っていたんですが、最近はすっかり姿を見せませんね…同年代で正反対の能力コンビは勿論アツいのだけれど!
アンディ、この距離感で二人と接していてトップくんからはまだ名前で呼んではもらえないのか。しかしチカラくんがUNIONに加入する時に黙って頭に手を置いたのとか、シェンへの拳骨とか、今回のダブル頭撫でとか、アンディから他者への接触行動にどんどん“感情”が乗っかっていってるの、心の臓に沁みて仕方が無い。その時“必要かどうか”じゃなくて“自分がそうしたいから”やってる雰囲気。風子相手だけじゃないんだよなぁ…
「チカラ!目を閉じろ!!」
「閃光だ!!」
うわやっぱり使ってきた!!!先週は腕に巻いてある装備の作画無かったから装備品曖昧な部分もあったけど持ってるよね…そうだよね…不死に最凶とまで言わせるだけあって、容赦なんて微塵も無い…目潰しアイテムの代表格ですよねスタングレネードは……そもそも身体がデカいから掌ひとつとっても死角なんていくらでも作れてしまうのも恐ろしい…いやマジでデカいな?2mは確実だと思っていたけど実は3mある??ヴィクトルの肩幅と同じでどんどん伸びるの???
[無理にでも!! 距離を…]
[詰め…]
[天井のガレキと粉塵で俺と不動対策?]
[あくまで俺を撃ったとみせかけて!?]
ヒェ…………ッ
[能力だけじゃない… コイツは…]
「チカラ!!」
「このっ!!」
「チカ…」「ラ…」
……ハァ"………ッ……………
「これでもう」
「不動は使えねぇ」
……お"…………ッ………ァ………………………
これもう現行犯逮捕だよ………………………(???)
恐怖演出が過ぎない?アンデッドアンラック、いつからサイコホラーアクション漫画だった…??シェンの腹に穴が空いた時も生きた心地はしなかったけれど、何、この…事件性が高い………(??)深夜枠じゃないと放送できないよ…………
義手の脱着方法、円卓では手動で外していたのにいつの間にか転送式になってるし……またUNDERの謎テクノロジーが更新されてしまった…
いやしかし、ホントに…瓦礫と粉塵で遮られた空間で身体が自分の倍以上ある大男に胸ぐら掴まれてゴーグル叩き割る威力で顔面殴られる恐怖エグ過ぎん…??数ヶ月前まで高校生だった少年が耐えられる種類のソレじゃないだろ……大人でも気絶するわ普通に。
「大丈夫かチカラ!!」
[ダメだ…勝てない…]
トップくんが口に出さないまでも“勝てない”って判断するの、そこそこ冷静な分析なのも含めて心が折れる。仮にも1度は成人男性の首を折った蹴りを「軽いな」って言われてるのがまずもって辛過ぎるんだよ…ビリー様の首が座ってなかった可能性も微レ存だけれど(ふざけないと心が死ぬ)どんな鍛え方してんのやっぱバケモノじゃん……すき…装備もだけど肉体が既に人間をやめている。延髄への強打も顎への強打も効かないってそれ人と呼べる…??不可触アタックの折にファンがクリードを助けた理由も何となく察せる。こりゃ能力で他人に殺されるには惜しい人材だよなジジイ…
「敗因はお前だ」「不停止」
「不動はよくやったよ 船で見た腰抜けとは別人だ」
「だがトドメを刺す役割の不停止に」
「攻撃力が無さすぎる」
で、でたァ〜〜〜ッ!!アンデラ名物、落として上げて落として冷静な分析で色濃い絶望を与える男達!!!
「不動の発動まではお前たちの優勢だった!」
「何故そんな意味のねェ組み合わせで挑んできやがった!」
ギィイ……ぐうの音もでん…こっから先はトップくんの戦意を削ぐ精神攻撃的な意味も含んでるだろうからあえて不動を上げて大声出してるんだろうし、追撃も一切緩めないの、マジで戦闘のプロは伊達じゃないんだよな…“能力だけじゃない”ことに絶望するのはファンの時にもあったが…
「半端なダチに頼るから仕留め損なった!!」
「能力を極めるなら自己で完結すべきなんだよ」
いよいよファンみたいなこと言い出したじゃん…こわい……推しがこわ、……ん………半端なダチ……?…能力を極めるなら自己で完結………??なんか、なんか含みが、含みがないかこれ……声がヤケにデカいような………これは贔屓目で見てるからそう思うだけですか助けて第三者委員会
「速く走れて何になる」
…ハンドガンのスライドを口で引くの最高すぎんか………?いや、面装備の段差に引っ掛けてるから正確には口では無いけれど…“左腕が無い”って事実の再確認含めて良…良……
そういえばビリーはリボルバーなんだけどクリードはオートマチックなんだよなぁ。クリードの手のサイズを考えたらデザートイーグルか?ベレッタM92Fっぽさも……??デザイン的にはSIG SAUER P320も近い……??でも後々チカラくんの足を撃ち抜けてる(吹っ飛んでない)あたり威力は低め……??何方か!!この中に拳銃特定班の方はいらっしゃいませんか!!?!?お願いします!!!!推しの愛銃で救われる命があるんです!!!!!!!
ガチでバイオシリーズのラスボス前か?となる程度には武装全積の推しだけれど本人のスペックがタイラントないしネメシスのそれだし一度や二度撃退した程度では許してもらえないアレ こわい 助けてスーパーコップ
[やるっきゃねーのか…]
これは追い詰められた事による勝てなくても俺が戦わねばのやるっきゃねーなのか、それとも何かあんまり実戦したくない奥の手があってのやるっきゃねーなのか…
「お前ら2人はすぐには殺さない」
「ビリーの能力に」「必要なんでな」
ボスとか隊長じゃなくて呼び捨てだ!命令に笑顔()でアイアイサーするけど畏まるつもりは無さそう。任務だけ確実に遂行していく人間ほど怖いモンはない。この振る舞いで意外とビリー心酔派って可能性も捨て切れないけれど、国盗りは独立した野望だろうから、そのために今為すべきはビリーに協力してUNIONの殲滅と春退治をすることだと判断して行動しているのかなぁ。
この発言だとやっぱりビリーのコピー能力はコピーした否定者が生存していないとダメみたいですね。まぁそうでなきゃUNIONはもっと人数を削られているからな…リスク無し(痛いけどすぐ治る)不停止なんてめちゃくちゃ使い勝手良いし……
「あ"あ"」
「チカラ!!」
おい!!UNIONのスーツ!!!防弾は、防弾はどうしたんだ!!上半身だけか!!!!
「邪魔な手足はもいでも構わんだろ」
構うわ!!構えよ!!!アンタも腕1本持ってかれてんだろ!!!!
「これでテメェの能力は死んだ」
「次はてめぇだ」「不停止」
悪役テンプレ台詞の千本ノックがUNSTOPPABLEじゃん。本当に口が減らねえな!!!そういうとこも好きだけど!!!!
「トップくん」「ボクは大丈夫」
なんも大丈夫やないで……大丈夫やない………
「アンディさん言ってたでしょ」
「ボク達は」
「最強のコンビだって…」
重野力ァ……………………………………(頭抱え)
「クッ」「クク」
「自分だけ逃げるたぁいい判断じゃねぇか!!」
「感心だぜ!!テメーらはもっと甘っちょろい奴だと思ってたよ!!」
「いい相棒だなぁ!」「チカラくんよぉ!!」
『チカラくん』って呼び方、この場でトップくんは使ってないんだよな…これ完全に円卓で風子が使ったニュアンスで煽ってきてるじゃん……こわ…記憶力というか語彙の引き出しもエグい。
しかしまぁよく喋るんだよな。言葉も武器のうちというか…恐怖心を煽って実力差で戦意を喪失させていく様な圧…ファンの口上は主だってシェンやアンディに向けられていたからそういう威圧感は無かった(圧倒的過ぎる強さは不気味だったけれど)ところ、クリードはそれを発している相手が中高生男子の年齢層なのが問題なのよ……いやまぁファンもムイちゃんと風子絶対殺すマンになってたけどさ…ファンが「死ね小娘」って言うより生かしたまま目を潰して足を撃ち抜いてくるクリードの方がヤバく見えるの何で?いやどっちもヤバいとかいうレベル超えてるやろもしもしポリスメン??
「お前は誰かに命を預けるのが…」
「怖いんだ」
アッ…ち、チカラくん、待って、そのへんの分析は、まだ無理して喋らなくても、いいよ!!?クリード、今回は全頁面装備そのままだから目でしか表情が読めないんだけれど、公式の台詞でそこらへん��言及されたら私は供給過多で身体が破裂して死ぬ。助けてまだ死にたくない!!
「ボクは知ってる」
「誰かを信じて戦うのがどれだけ強いか」
風子の後ろ姿やアンディの声を思い出してるの本当に…もう……今はそんなアンディの背中を押して、風子を助けようとしてるんだもんな。やっと自分も、その立場にいる、っていう、そういう…そういうアレなのよ………(感情)
「トップくんは…」
「ボクを信じて走り出したんだ」
「そんな事も分からず トップくんをバカにした」
足、あ、撃たれてるのに、眼だって痛いとかいう次元じゃない筈なのに……もうやめてチカラくんが、チカラくんが………ッ……!!!
「それがお前の敗因だ」
「クリード!!」
もう、震え、ない……………………
「動くな」
「ボクが信じる友達が 光の速さに届くまで!!」
ハァッ……ア……………!!!!!!
重野力ァアーーーーーッッッ!!!!!!!!!
ア"ア"ア"ア"ァ"ッ"(号泣)
お前の敗因を宣言できるのはもう実質空条承太郎の精神力なのよ……たったひとつのシンプルな答え…(3部承りとチカラくんはタメ)
ていうかトップくん何しに…死ぬ程助走つけて戻ってくる?ネクタイ外した理由は何だ??いやこれ、一心お手製の武装転送フラグ?風で変身ベルトを??あ〜か〜いあか〜い〜赤い仮面のV3???ていうかもうこの引きは来週主題歌と言う名の処刑用BGMがかかること間違い無しなのよ(ニチアサ脳)クリードの念入りなフラグ建築がガッツリ回収されてしまうな!!!!
余談ですが、夏編におけるファンとの闘いの時はテーマのひとつに『家族』があったと思うんですよね。それでいうと今回の場合は『友達』かな。UNIONサイドの不動と不停止の友情ってだけじゃなくて、トップくんが“仲間”にこだわる言動が多い理由とか過去の掘り下げ、クリードが今の人格を形成するに至った切っ掛けの掘り下げなどが『友達』という関わりを軸に進行していく気がしている。ただVSファンよりは因縁が無くて尺も取らないだろうから来週か再来週には決着してしまう可能性もあるんだよなぁ。ファンには少しの救済(一縷の涙)があったけれどクリードは多分そういう形の救済がされないと思うのでいっそ完全な悪として華々しく…いや……もうあれだ…許されなくても…………みっともなくても……………生きてくれ…………………(情緒グズグズのオタク)
アンデラキャラ“目的の為の蹂躪”ランキング、堂々の第1位はやっぱりファンだと思うしそうなると2位がクリード?となりますが、アンディとてUNION入りの為にボイドとジーナを手にかけて風子を守るためにショーンを真っ二つにしてるので結構いい勝負してる気がして来た。リップはこの頃すっかりガラは悪いけど人の良いお兄さんだからな…この人かて他人の腹かっ割いて尋問してるんでなかなかですよね?ヴィクトルは風子へのアレをどうカウントするか悩むところ(?)
最後も半分脱輪して終わりましたが今自分の持つ倫理観と推しへの愛が脳内会議で殴り合っていて決着が全くつかないので来週の本誌までに力尽きていたら骨は拾ってください。
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☆プロトタイプ版☆ ひとみに映る影シーズン2 第七話「復活、ワヤン不動」
☆プロトタイプ版☆ こちらは電子書籍「ひとみに映る影 シーズン2」の 無料プロトタイプ版となります。 誤字脱字等修正前のデータになりますので、あしからずご了承下さい。
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(シーズン2あらすじ) 私はファッションモデルの紅一美。 旅番組ロケで訪れた島は怪物だらけ!? 霊能者達の除霊コンペとバッティングしちゃった! 実は私も霊感あるけど、知られたくないなあ…… なんて言っている場合じゃない。 諸悪の根源は恩師の仇、金剛有明団だったんだ! 憤怒の化身ワヤン不動が、今度はリゾートで炸裂する!!
pixiv版 (※内容は一緒です。)
དང་པོ་
ニライカナイから帰還した私達はその後、魔耶さんに呼ばれて食堂へ向かう。食堂内では五寸釘愚連隊と生き残った河童信者が集合していた。更に最奥のテーブルには、全身ボッコボコにされたスーツ姿の男。バリカンか何かで雑に剃り上げられた頭頂部を両手で抑えながら、傍らでふんぞり返る禍耶さんに怯えて震えている。 「えーと……お名前、誰さんでしたっけ」 この人は確か、河童の家をリムジンに案内していたアトム社員だ。特徴的な名前だった気はするんだけど、思い出せない。 「あっ……あっ……」 「名乗れ!」 「はひいぃぃ! アトムツアー営業部の五間擦平雄(ごますり ひらお)と申します!」 禍耶さんに凄まれ、五間擦氏は半泣きで名乗った。少なくともモノホンかチョットの方なんだろう。すると河童信者の中で一番上等そうなバッジを付けた男が席を立ち、机に手をついて私達に深々と頭を下げた。 「紅さん、志多田さん。先程は家のアホ大師が大っっっ変ご迷惑をおかけ致しました! この落とし前は我々河童の家が後日必ず付けさせて頂きます!」 「い、いえそんな……って、その声まさか、昨年のお笑いオリンピックで金メダルを総ナメしたマスク・ド・あんこう鍋さんじゃないですか! お久しぶりですね!?」 さすがお笑い界のトップ組織、河童の家だ。ていうか仕事で何度か会ったことあるのに素顔初めて見た。 「あお久しぶりっす! ただこちらの謝罪の前に、お二人に話さなきゃいけない事があるんです。ほら説明しろボケナスがッ!!」 あんこう鍋さんが五間擦氏の椅子を蹴飛ばす。 「ぎゃひぃ! ごご、ご説明さひぇて頂きますぅぅぅ!!」 五間擦氏は観念して、千里が島とこの除霊コンペに関する驚愕の事実を私達に洗いざらい暴露した。その全貌はこうだ。 千里が島では散減に縁を奪われた人間が死ぬと、『金剛の楽園』と呼ばれる何処かに飛び去ってしまうと言い伝えられている。そうなれば千里が島には人間が生きていくために必要な魂の素が枯渇し、乳幼児の生存率が激減してしまうんだ。そのため島民達は縁切り神社を建て、島外の人々を呼びこみ縁を奪って生き延びてきたのだという。 アトムグループが最初に派遣した建設会社社員も伝説に違わず祟られ、全滅。その後も幾つかの建設会社が犠牲になり、ようやく事態を重く受け止めたアトムが再開発中断を検討し始めた頃。アトムツアー社屋に幽霊が現れるという噂が囁かれ始めた。その霊は『日本で名のある霊能者達の縁を散減に献上すれば千里が島を安全に開発させてやろう』と宣うらしい。そんな奇妙な話に最初は半信半疑だった重役達も、『その霊がグループ重役会議に突如現れアトムツアーの筆頭株主を目の前で肉襦袢に変えた』事で霊の要求を承認。除霊コンペティションを行うと嘘の依頼をして、日本中から霊能者を集めたのだった。 ところが行きの飛行機で、牛久大師は袋の鼠だったにも関わらず中級サイズの散減をあっさり撃墜してしまう。その上業界ではインチキ疑惑すら噂されていた加賀繍へし子の取り巻きに散減をけしかけても、突然謎のレディース暴走族幽霊が現れて返り討ちにされてしまった。度重なる大失態に激怒した幽霊はアトムツアーイケメンライダーズを全員肉襦袢に変えて楽園へ持ち帰ってしまい、メタボ体型のため唯一見逃された五間擦氏はついに牛久大師に命乞いをする。かくして大師は大散減を退治すべく、祠の封印を剥がしたのだった。以上の話が終わると、私は五間擦氏に馬乗りになって彼の残り少ない髪の毛を引っこ抜き始めた。 「それじゃあ、大師は初めから封印を解くつもりじゃなかったんですか?」 「ぎゃあああ! 毛が毛が毛がああぁぁ!!」 あんこう鍋さんは首を横に振る。 「とんでもない。あの人は力がどうとか言うタイプじゃありません。地上波で音波芸やろうとしてNICを追放されたアホですよ? 我々はただの笑いと金が大好きなぼったくりカルトです」 「ほぎゃああぁぁ! 俺の貴重な縁があぁぁ、抜けるウゥゥーーーッ!!」 「そうだったんですね。だから『ただの関係者』って言ってたんだ……」 そういう事だったのか。全ては千里が島、アトムグループ、ひいては金剛有明団までもがグルになって仕掛けた壮大なドッキリ……いや、大量殺人計画だったんだ! 大師も斉二さんもこいつらの手の上で踊らされた挙句逝去したとわかった以上、大散減は尚更許してはおけない。 魔耶さんと禍耶さんは食堂のカウンターに登り、ハンマーを掲げる。 「あなた達。ここまでコケにされて、大散減を許せるの? 許せないわよねぇ?」 「ここにいる全員で謀反を起こしてやるわ。そこの祝女と影法師使いも協力しなさい」 禍耶さんが私達を見る。玲蘭ちゃんは数珠を持ち上げ、神人に変身した。 「全員で魔物(マジムン)退治とか……マジウケる。てか、絶対行くし」 「その肉襦袢野郎とは個人的な因縁もあるんです。是非一緒に滅ぼさせて下さい!」 「私も! さ、さすがに戦うのは無理だけど……でもでも、出来ることはいっぱい手伝うよ!」 佳奈さんもやる気満々のようだ。 「決まりね! そうしたら……」 「その作戦、私達も参加させて頂けませんか?」 食堂入口から突然割り込む声。そこに立っていたのは…… 「斉一さん!」「狸おじさん!」 死の淵から復活した後女津親子だ! 斉一さんは傷だらけで万狸ちゃんに肩を借りながらも、極彩色の細かい糸を纏い力強く微笑んでいる。入口近くの席に座り、経緯を語りだした。 「遅くなって申し訳ない。魂の三分の一が奪われたので、万狸に体を任せて、斉三と共にこの地に住まう魂を幾つか分けて貰っていました」 すると斉一さんの肩に斉三さんも現れる。 「診療所も結界を張り終え、とりあえず負傷者の安全は確保した。それと、島の魂達から一つ興味深い情報を得ました」 「聞かせて、狸ちゃん」 魔耶さんが促す。 「御戌神に関する、正しい歴史についてです」 時は遡り江戸時代。そもそも江戸幕府征服を目論んだ物の怪とは、他ならぬ金剛有明団の事だった。生まれた直後に悪霊を埋め込まれた徳松は、ゆくゆくは金剛の意のままに動く将軍に成長するよう運命付けられていたんだ。しかし将軍の息子であった彼は神職者に早急に保護され、七五三の儀式が行われる。そこから先の歴史は青木さんが説明してくれた通り。けど、この話には続きがあるらしい。 「大散減の祠などに、星型に似たシンボルを見ませんでしたか? あれは大散減の膨大な力の一部を取り込み霊能力を得るための、給電装置みたいな物です。もちろんその力を得た者は縁が失せて怪物になるのですが、当時の愚か者共はそうとは知らず、大散減を『徳川の埋蔵金』と称し挙って島に移住しました」 私達したたびが探していた徳川埋蔵金とはなんと、金剛の膨大な霊力と衆生の縁の塊、大散減の事だったんだ。ただ勿論、霊能者を志し島に近付いた者達はまんまと金剛に魂を奪われた。そこで彼らの遺族は風前の灯火だった御戌神に星型の霊符を貼り、自分達の代わりに島外��人間から縁を狩る猟犬に仕立て上げたんだ。こうして御戌神社ができ、御戌神は地中で飢え続ける大散減の手足となってせっせと人の縁を奪い続けているのだという。 「千里が島の民は元々霊能者やそれを志した者の子孫です。多少なりとも力を持つ者は多く、彼らは代々『御戌神の器』を選出し、『人工転生』を行ってきました」 斉一さんが若干小声で言う。人工転生。まだ魂が未発達の赤子に、ある特定の幽霊やそれに纏わる因子を宛てがって純度の高い『生まれ変わり』を作る事。つまり金剛が徳松に行おうとしたのと同じ所業だ。 「じゃあ、今もこの島のどこかに御戌様の生まれ変わりがいるんですか?」 佳奈さんは飲み込みが早い。 「ええ。そして御戌神は、私達が大散減に歯向かえば再び襲ってきます。だからこの戦いでは、誰かが対御戌神を引き受け……最悪、殺生しなければなりません」 「殺生……」 生きている人間を、殺す。死者を成仏させるのとは訳が違う話だ。魔耶さんは胸の釘を握りしめた。 「そのワンちゃん、なんて可哀想なの……可哀想すぎる。攻撃なんて、とてもできない」 「魔耶、今更甘えた事言ってんじゃないわよ。いくら生きてるからって、中身は三百年前に死んだバケモノよ! いい加減ラクにしてやるべきだわ」 「でもぉ禍耶、あんまりじゃない! 生まれた時から不幸な運命を課せられて、それでも人々のために戦ったのに。結局愚かな連中の道具にされて、利用され続けているのよ!」 (……!) 道具。その言葉を聞いた途端、私は心臓を握り潰されるような恐怖を覚えた。本来は衆生を救うために手に入れた力を、正反対の悪事に利用されてしまう。そして余所者から邪尊(バケモノ)と呼ばれ、恐れられるようになる……。 ―テロリストですよ。ドマル・イダムという邪尊の力を操ってチベットを支配していた、最悪の独裁宗派です― 自分の言った言葉が心に反響する。御戌神が戦いの中で見せた悲しそうな目と、ニライカナイで見たドマルの絶望的な目が日蝕のように重なる。瞳に映ったあの目は……私自身が前世で経験した地獄の、合わせ鏡だったんだ。 「……魔耶さん、禍耶さん。御戌神は、私が相手をします」 「え!?」 「正気なの!? 殺生なんて私達死者に任せておけばいいのよ! でないとあんた、殺人罪に問われるかもしれないのに……」 圧。 「ッ!?」 私は無意識に、前世から受け継がれた眼圧で総長姉妹を萎縮させた。 「……悪魔の心臓は御仏を産み、悪人の遺骨は鎮魂歌を奏でる。悪縁に操られた御戌神も、必ず菩提に転じる事が出来るはずです」 私は御戌神が誰なのか、確証を持っている。本当の『彼』は優しくて、これ以上金剛なんかの為に罪を重ねてはいけない人。たとえ孤独な境遇でも人との縁を大切にする、子犬のようにまっすぐな人なんだ。 「……そう。殺さずに解決するつもりなのね、影法師使い���ん。いいわ。あなたに任せます」 魔耶さんがスレッジハンマーの先を私に突きつける。 「失敗したら承知しない。私、絶対に承知しないわよ」 私はそこに拳を当て、無言で頷いた。 こうして話し合いの結果、対大散減戦における役割分担が決定した。五寸釘愚連隊と河童の家、玲蘭ちゃんは神社で大散減本体を引きずり出し叩く。私は御戌神を探し、神社に行かれる前に説得か足止めを試みる。そして後女津家は私達が解読した暗号に沿って星型の大結界を巡り、大散減の力を放出して弱体化を図る事になった。 「志多田さん。宜しければ、お手伝いして頂けませんか?」 斉一さんが立ち上がり、佳奈さんを見る。一方佳奈さんは申し訳なさそうに目を伏せた。 「で……でも、私は……」 すると万狸ちゃんが佳奈さんの前に行く。 「……あのね。私のママね、災害で植物状態になったの。大雨で津波の警報が出て、パパが車で一生懸命高台に移動したんだけど、そこで土砂崩れに遭っちゃって」 「え、そんな……!」 「ね、普通は不幸な事故だと思うよね。でもママの両親、私のおじいちゃんとおばあちゃん……パパの事すっごく責めたんだって。『お前のせいで娘は』『お前が代わりに死ねば良かったのに』みたいに。パパの魂がバラバラに引き裂かれるぐらい、いっぱいいっぱい責めたの」 昨晩斉三さんから聞いた事故の話だ。奥さんを守れなかった上にそんな言葉をかけられた斉一さんの気持ちを想うと、自分まで胸が張り裂けそうだ。けど、奥さんのご両親が取り乱す気持ちもまたわかる。だって奥さんのお腹には、万狸ちゃんもいたのだから……。 「三つに裂けたパパ……斉一さんは、生きる屍みたいにママの為に無我夢中で働いた。斉三さんは病院のママに取り憑いたまま、何年も命を留めてた。それから、斉二さんは……一人だけ狸の里(あの世)に行って、水子になっちゃったママの娘を育て続けた」 「!」 「斉二さんはいつも言ってたの。俺は分裂した魂の、『後悔』の側面だ。天災なんて誰も悪くないのに、目を覚まさない妻を恨んでしまった。妻の両親を憎んでしまった。だからこんなダメな狸親父に万狸が似ないよう、お前をこっちで育てる事にしたんだ。って」 万狸ちゃんが背筋をシャンと伸ばし、顔を上げた。それは勇気に満ちた笑顔だった。 「だから私知ってる。佳奈ちゃんは一美ちゃんを助けようとしただけだし、ぜんぜん悪いだなんて思えない。斉二さんの役割は、完璧に成功してたんだよ」 「万狸ちゃん……」 「あっでもでも、今回は天災じゃなくて人災なんだよね? それなら金剛有明団をコッテンパンパンにしないと! 佳奈ちゃんもいっぱい悲しい思いした被害者でしょ?」 万狸ちゃんは右手を佳奈さんに差し出す。佳奈さんも顔を上げ、その手を強く握った。 「うん。金剛ぜったい許せない! 大散減の埋蔵金、一緒にばら撒いちゃお!」 その時、ホテルロビーのからくり時計から音楽が鳴り始めた。曲は民謡『ザトウムシ』。日没と大散減との対決を告げるファンファーレだ。魔耶さんは裁判官が木槌を振り下ろすように、机にハンマーを叩きつけた! 「行ぃぃくぞおおおぉぉお前らああぁぁぁ!!!」 「「「うおおぉぉーーーっ!!」」」 総員出撃! ザトウムシが鳴り響く逢魔が時の千里が島で今、日本最大の除霊戦争が勃発する!
གཉིས་པ་
大散減討伐軍は御戌神社へ、後女津親子と佳奈さんはホテルから最寄りの結界である石見沼へと向かった。さて、私も御戌神の居場所には当てがある。御戌神は日蝕の目を持つ獣。それに因んだ地名は『食虫洞』。つまり、行先は新千里が島トンネル方面だ。 薄暗いトンネル内を歩いていると、電灯に照らされた私の影が勝手に絵を描き始めた。空で輝く太陽に向かって無数の虫が冒涜的に母乳を吐く。太陽は穢れに覆われ、光を失った日蝕状態になる。闇の緞帳(どんちょう)に包まれた空は奇妙な星を孕み、大きな獣となって大地に災いをもたらす。すると地平線から血のように赤い月が昇り、星や虫を焼き殺しながら太陽に到達。太陽と重なり合うやいなや、天上天下を焼き尽くすほどの輝きを放つのだった……。 幻のような影絵劇が終わると、私はトンネルを抜けていた。目の前のコンビニは既に電気が消えている。その店舗全体に、腐ったミルクのような色のペンキで星型に線を一本足した記号が描かれている。更に接近すると、デッキブラシを持った白髪の偉丈夫が記号を消そうと悪戦苦闘しているのが見えた。 「あ、紅さん」 私に気がつき振り返った青木さんは、足下のバケツを倒して水をこぼしてしまった。彼は慌ててバケツを立て直す。 「見て下さい。誰がこんな酷い事を? こいつはコトだ」 青木さんはデッキブラシで星型の記号を擦る。でもそれは掠れすらしない。 「ブラシで擦っても? ケッタイな落書きを……っ!?」 指で直接記号に触れようとした青木さんは、直後謎の力に弾き飛ばされた。 「……」 青木さんは何かを思い出したようだ。 「紅さん。そういえば僕も、ケッタイな体験をした事が」 夕日が沈んでいき、島中の店や防災無線からはザトウムシが鳴り続ける。 「犬に吠えられ、夜中に目を覚まして。永遠に飢え続ける犬は、僕のおつむの中で、ひどく悲しい声で鳴く。それならこれは幻聴か? 犬でないなら幽霊かもだ……」 青木さんは私に背を向け、沈む夕日に引き寄せられるように歩きだした。 「早くなんとかせにゃ。犬を助けてあげなきゃ、僕までどうにかなっちまうかもだ。するとどこからか、目ん玉が潰れた双頭の毛虫がやって来て、口からミルクを吐き出した。僕はたまらず、それにむしゃぶりつく」 デッキブラシから滴った水が地面に線を引き、一緒に夕日を浴びた青木さんの影も伸びていく。 「嫌だ。もう犬にはなりたくない。きっとおっとろしい事が起きるに違いない。満月が男を狼にするみたいに、毛虫の親玉を解き放つなど……」 「青木さん」 私はその影を呼び止めた。 「この落書きは、デッキブラシじゃ落とせません」 「え?」 「これは散減に穢された縁の母乳、普通の人には見えない液体なんです」 カターン。青木さんの手からデッキブラシが落ちた途端、全てのザトウムシが鳴り止んだ。青木さんはゆっくりとこちらへ振り向く。重たい目隠れ前髪が狛犬のたてがみのように逆立ち、子犬のように輝く目は濁った穢れに覆われていく。 「グルルルル……救、済、ヲ……!」 私も胸のペンダントに取り付けたカンリンを吹いた。パゥーーー……空虚な悲鳴のような音が響く。私の体は神経線維で編まれた深紅の僧衣に包まれ、激痛と共に影が天高く燃え上がった。 「青木さん。いや、御戌神よ。私は紅の守護尊、ワヤン不動。しかし出来れば、お前とは戦いたくない」 夕日を浴びて陰る日蝕の戌神と、そこから伸びた赤い神影(ワヤン)が対峙する。 「救済セニャアアァ!」 「そうか。……ならば神影繰り(ワヤン・クリ)の時間だ!」 空の月と太陽が見下ろす今この時、地上で激突する光の神と影の明王! 穢れた色に輝く御戌神が突撃! 「グルアアァァ!」 私はティグクでそれをいなし、黒々と地面に伸びた自らの影を滑りながら後退。駐車場の車止めをバネに跳躍、傍らに描かれた邪悪な星目掛けてキョンジャクを振るった。二〇%浄化! 分解霧散した星の一片から大量の散減が噴出! 「マバアアアァァ!!」「ウバアァァァ!」 すると御戌神の首に巻かれた幾つもの頭蓋骨が共鳴。ケタケタと震えるように笑い、それに伴い御戌神も悶絶する。 「グルアァァ……ガルァァーーーッ!!」 咆哮と共に全骨射出! 頭蓋骨は穢れた光の尾を引き宙を旋回、地を這う散減共とドッキングし牙を剥く! 「がッは!」 毛虫の体を得た頭蓋骨が飛び回り、私の血肉を穿つ。しかし反撃に転じる寸前、彼らの正体を閃いた。 「さては歴代の『器』か」 この頭蓋骨らは御戌神転生の為に生贄となった、どこの誰が産んだかもわからない島民達の残滓だ。なら速やかに解放せねばなるまい! 人頭毛虫の猛攻をティグクの柄やキョンジャクで防ぎながら、ティグクに付随する旗に影炎を着火! 「お前達の悔恨を我が炎の糧とする! どおぉりゃああぁーーーーっ!!」 ティグク猛回転、憤怒の地獄大車輪だ! 飛んで火に入る人頭毛虫らはたちどころに分解霧散、私の影体に無数の苦痛と絶望と飢えを施す! 「クハァ……ッ! そうだ……それでいい。私達は仲間だ、この痛みを以て金剛に汚された因果を必ずや断ち切ってやろう! かはあぁーーーっはーーっはっはっはっはァァーーッ!!!」 苦痛が無上の瑜伽へと昇華しワヤン不動は呵呵大笑! ティグクから神経線維の熱線が伸び大車輪の火力を増強、星型記号を更に焼却する! 記号は大文字焼きの如く燃え上がり穢れ母乳と散減を大放出! 「ガウルル、グルルルル!」 押し寄せる母乳と毛虫の���水に突っ込み喰らおうと飢えた御戌神が足掻く。だがそうはさせるものか、私の使命は彼を穢れの悪循環から救い出す事だ。 「徳川徳松ゥ!」 「!」 人の縁を奪われ、畜生道に堕ちた哀しき少年の名を呼ぶ。そして丁度目の前に飛んできた散減を灼熱の手で掴むと、轟々と燃え上がるそれを遠くへ放り投げた! 「取ってこい!」 「ガルアァァ!!」 犬の本能が刺激された御戌神は我を忘れ散減を追う! 街路樹よりも高く跳躍し口で見事キャッチ、私目掛けて猪突猛進。だがその時! 彼の本体である衆生が、青木光が意識を取り戻した! (戦いはダメだ……穢れなど!) 日蝕の目が僅かに輝きを増す。御戌神は空中で停止、咥えている散減を噛み砕いて破壊した! 「かぁははは、いい子だ徳松よ! ならば次はこれだあぁぁ!!」 私はフリスビーに見立ててキョンジャクを投擲。御戌神が尻尾を振ってハッハとそれを追いかける。キョンジャクは散減共の間をジグザグと縫い進み、その軌跡を乱暴になぞる御戌神が散減大量蹂躙! 薄汚い死屍累々で染まった軌跡はまさに彼が歩んできた畜生道の具現化だ!! 「衆生ぉぉ……済度ぉおおおぉぉぉーーーーっ!!!」 ゴシャアァン!!! ティグクを振りかぶって地面に叩きつける! 視神経色の亀裂が畜生道へと広がり御戌神の背後に到達。その瞬間ガバッと大地が割れ、那由多度に煮え滾る業火を地獄から吹き上げた! ズゴゴゴゴガガ……マグマが滾ったまま連立する巨大灯篭の如��隆起し散減大量焼却! 振り返った御戌神の目に陰る穢れも、紅の影で焼き溶かされていく。 「……クゥン……」 小さく子犬のような声を発する御戌神。私は憤怒相を収め、その隣に立つ。彼の両眼からは止めどなく饐えた涙が零れ、その度に日蝕が晴れていく。気がつけば空は殆ど薄暗い黄昏時になっていた。闇夜を迎える空、赤く燃える月と青く輝く太陽が並ぶ大地。天と地の光彩が逆転したこの瞬間、私達は互いが互いの前世の声を聞いた。 『不思議だ。あの火柱見てると、ぼくの飢えが消えてく。お不動様はどんな法力を?』 ༼ なに、特別な力ではない。あれは慈悲というものだ ༽ 『じひ』 徳松がドマルの手を握った。ドマルの目の奥に、憎しみや悲しみとは異なる熱が込み上がる。 『救済の事で?』 ༼ ……ま、その類いといえばそうか。童よ、あなたは自分を生贄にした衆生が憎いか? ༽ 徳松は首を横に振る。 『ううん、これっぽっちも。だってぼく、みんなを救済した神様なんだから』 すると今度はドマルが両手で徳松の手を包み、そのまま深々と合掌した。 ༼ なら、あなたはもう大丈夫だ。衆生との縁に飢える事は、今後二度とあるまい ༽
གསུམ་པ་
時刻は……わからないけど、日は完全に沈んだ。私も青木さんも地面に大の字で倒れ、炎上するコンビニや隆起した柱状節理まみれの駐車場を呆然と眺めている。 「……アーーー……」 ふと青木さんが、ずっと咥えっ放しだったキョンジャクを口から取り出した。それを泥まみれの白ニットで拭い、私に返そうとして……止めた。 「……洗ってからせにゃ」 「いいですよ。この後まだいっぱい戦うもん」 「大散減とも? おったまげ」 青木さんにキョンジャクを返してもらった。 「実は、まだ学生の時……友達が僕に、『彼女にしたい芸能人は?』って質問を。けど特に思いつかなくて、その時期『非常勤刑事』やってたので紅一美ちゃんと。そしたら今回、本当にしたたびさんが……これが縁ってやつなら、ちぃと申し訳ないかもだ」 「青木さんもですか」 「え?」 「私も実は、この間雑誌で『好きな男性のタイプは何ですか』って聞かれて、なんか適当に答えたんですけど……『高身長でわんこ顔な方言男子』とかそんなの」 「そりゃ……ふふっ。いやけど、僕とは全然違うイメージだったかもでしょ?」 「そうなんですよ。だから青木さんの素顔初めて見た時、キュンときたっていうより『あ、実在するとこんな感じなの!?』って思っちゃったです。……なんかすいません」 その時、遠くでズーンと地鳴りのような音がした。蜃気楼の向こうに耳をそばだてると、怒号や悲鳴のような声。どうやら敵の大将が地上に現れたようだ。 「行くので?」 「大丈夫。必ず戻ってきます」 私は重い体を立ち上げ、ティグクとキョンジャクに再び炎を纏った。そして山頂の御戌神社へ出発…… 「きゃっ!」 しようとした瞬間、何かに服の裾を掴まれたかのような感覚。転びそうになって咄嗟にティグクの柄をつく。足下を見ると、小さなエネルギー眼がピンのように私の影を地面と縫いつけている。 ༼ そうはならんだろ、小心者娘 ༽ 「ちょ、ドマル!?」 一方青木さんの方も、徳松に体を勝手に動かされ始めた。輝く両目から声がする。 『バカ! あそこまで話しといて告白しねえなど!? このボボ知らず!』 「ぼっ、ぼっ、ボボ知らずでねえ! 嘘こくなぁぁ!」 民謡の『お空で見下ろす出しゃばりな月と太陽』って、ひょっとしたら私達じゃなくてこの前世二人の方を予言してたのかも。それにしてもボボってなんだろ、南地語かな。 ༼ これだよ ༽ ドマルのエネルギー眼が炸裂し、私は何故かまた玲蘭ちゃんの童貞を殺す服に身を包んでいた。すると何故か青木さんが悶絶し始めた。 「あややっ……ちょっと、ダメ! 紅さん! そんなオチチがピチピチな……こいつはコトだ!!」 ああ、成程。ボボ知らずってそういう…… 「ってだから、私の体で検証すなーっ! ていうか、こんな事している間にも上で死闘が繰り広げられているんだ!」 ༼ だからぁ……ああもう! 何故わからないのか! ヤブユムして行けと言っているんだ、その方が生存率上がるしスマートだろ! ༽ 「あ、そういう事?」 ヤブユム。確か、固い絆で結ばれた男女の仏が合体して雌雄一体となる事で色々と超越できる、みたいな意味の仏教用語……だったはず。どうすればできるのかまではサッパリわかんないけど。 「え、えと、えと、紅さん……一美ちゃん!」 「はい……う、うん、光君!」 両前世からプレッシャーを受け、私と光君は赤面しながら唇を近付ける。 『あーもー違う! ヤブユムっていうのは……』 ༼ まーまー待て。ここは現世を生きる衆生の好きにさせてみようじゃないか ༽ そんな事言われても困る……それでも、今私と光君の想いは一つ、大散減討伐だ。うん、多分……なんとかなる! はずだ!
བཞི་པ་
所変わって御戌神社。姿を現した大散減は地中で回復してきたらしく、幾つか継ぎ目が見えるも八本足の完全体だ。十五メートルの巨体で暴れ回り、周囲一帯を蹂躙している。鳥居は倒壊、御戌塚も跡形もなく粉々に。島民達が保身の為に作り上げた生贄の祭壇は、もはや何の意味も為さない平地と化したんだ。 そんな絶望的状況にも関わらず、大散減討伐軍は果敢に戦い続ける。五寸釘愚連隊がバイクで特攻し、河童信者はカルトで培った統率力で彼女達をサポート。玲蘭ちゃんも一枚隔てた異次元から大散減を構成する無数の霊魂を解析し、虱潰しに破壊していく。ところが、 「あグッ!」 バゴォッ!! 大散減から三メガパスカル級の水圧で射出された穢れ母乳が、河童信者の一人に直撃。信者の左半身を粉砕! 禍耶さんがキュウリの改造バイクで駆けつける。 「河童信者!」 「あ、か……禍耶の姐御……。俺の、魂を……吸収……し……」 「何言ってるの、そんな事できるわけないでしょ!?」 「……大散、ぃに、縁……取られ、嫌、……。か、っぱは……キュウリ……好き……っか……ら…………」 河童信者の瞳孔が開いた。禍耶さんの唇がわなわなと痙攣する。 「河童って馬鹿ね……最後まで馬鹿だった……。貴方の命、必ず無駄にはしないわ!」 ガバッ、キュイイィィ! 息絶えて間もない河童信者の霊魂が分解霧散する前に、キュウリバイクの給油口に吸収される。ところが魔耶さんの悲鳴! 「禍耶、上ぇっ!!」 「!」 見上げると空気を読まず飛びかかってきた大散減! 咄嗟にバイクを発進できず為す術もない禍耶さんが絶望に目を瞑った、その時。 「……え?」 ……何も起こらない。禍耶さんはそっと目を開けようとする。が、直後すぐに顔を覆った。 「眩しっ! この光は……あああっ!」 頭上には朝日のように輝く青白い戌神。そしてその光の中、轟々と燃える紅の不動明王。光と影、男と女が一つになったその究極仏は、大散減を遥か彼方に吹き飛ばし悠然と口を開いた。 「月と太陽が同時に出ている、今この時……」 「瞳に映る醜き影を、憤怒の炎で滅却する」 「「救済の時間だ!!!」」 カッ! 眩い光と底知れぬ深い影が炸裂、落下中の大散減を再びスマッシュ! 「遅くなって本当にすみません。合体に手間取っちゃって……」 御戌神が放つ輝きの中で、燃える影体の私は揺らめく。するとキュウリバイクが言葉を発した。 <問題なし! だぶか登場早すぎっすよ、くたばったのはまだ俺だけです。やっちまいましょう、姐さん!> 「そうね。行くわよ河童!」 ドルルン! 輩悪苦満誕(ハイオクまんたん)のキュウリバイクが発進! 私達も共に駆け出す。 「一美ちゃん、火の準備を!」 「もう出来ているぞぉ、カハァーーーッハハハハハハァーーー!!」 ティグクが炎を噴く! 火の輪をくぐり青白い肉弾が繰り出す! 巨大サンドバッグと化した大散減にバイクの大軍が突撃するゥゥゥ!!! 「「「ボァガギャバアアアアァァアアア!!!」」」 八本足にそれぞれ付いた顔が一斉絶叫! 中空で巻き散らかされた大散減の肉片を無数の散減に変えた! 「灰燼に帰すがいい!」 シャゴン、シャゴン、バゴホオォン!! 御戌神から波状に繰り出される光と光の合間に那由多度の影炎を込め雑魚を一掃! やはりヤブユムは強い。光源がないと力を発揮出来ない私と、偽りの闇に遮られてしまっていた光君。二人が一つになる事で、永久機関にも似た法力を得る事が出来る! 大散減は地に叩きつけられるかと思いきや、まるで地盤沈下のように地中へ潜って行ってしまった。後を追えず停車した五寸釘愚連隊が舌打ちする。 「逃げやがったわ、あの毛グモ野郎」 しかし玲蘭ちゃんは不敵な笑みを浮かべた。 「大丈夫です。大散減は結界に分散した力を補充しに行ったはず。なら、今頃……」 ズドガアアァァァアン!!! 遠くで吹き上がる火柱、そして大散減のシルエット! 「イェーイ!」 呆然と見とれていた私達の後方、数分前まで鳥居があった瓦礫の上に後女津親子と佳奈さんが立っている。 「「ドッキリ大成功ー! ぽーんぽっこぽーん!」」 ぽこぽん、シャララン! 佳奈さんと万狸ちゃんが腹鼓を打ち、斉一さんが弦を爪弾く。瞬間、ドゴーーン!! 今度は彼女らの背後でも火柱が上がった! 「あのねあのね! 地図に書いてあった星の地点をよーく探したら、やっぱり御札の貼ってある祠があったの。それで佳奈ちゃんが凄いこと閃いたんだよ!」 「その名も『ショート回路作戦』! 紙に御札とぴったり同じ絵を写して、それを鏡合わせに貼り付ける。その上に私の霊力京友禅で薄く蓋をして、その上から斉一さんが大散減から力を吸収しようとする。だけど吸い上げられた大散減のエネルギーは二枚の御札の間で行ったり来たりしながら段々滞る。そうとは知らない大散減が内側から急に突進すれば……」 ドォーーン! 万狸ちゃんと佳奈さんの超常理論を実証する火柱! 「さすがです佳奈さん! ちなみに最終学歴は?」 「だからいちご保育園だってば~、この小心者ぉ!」 こんなやり取りも随分と久しぶりな気がする。さて、この後大散減は立て続けに二度爆発した。計五回爆ぜた事になる。地図上で星のシンボルを描く地点は合計六つ、そのうち一つである食虫洞のシンボルは私がコンビニで焼却したアレだろう。 「シンボルが全滅すると、奴は何処へ行くだろうか」 斉三さんが地図を睨む。すると突如地図上に青白く輝く道順が描かれた。御戌神だ。 「でっかい大散減はなるべく広い場所へ逃走を。となると、海岸沿いかもだ。東の『いねとしサンライズビーチ』はサイクリングロードで狭いから、石見沼の下にある『石見海岸』ので」 「成程……って、君はまさか!?」 「青木君!?」 そうか、みんな知らなかったんだっけ。御戌神は遠慮がちに会釈し、かき上がったたてがみの一部を下ろして目隠れ前髪を作ってみせた。光君の面影を認識して皆は納得の表情を浮かべた。 「と……ともかく! ずっと地中でオネンネしてた大散減と違って、地の利はこちらにある。案内するので先回りを!」 御戌神が駆け出す! 私は彼が放つ輝きの中で水上スキーみたいに引っ張られ、五寸釘愚連隊や他の霊能者達も続く。いざ、石見海岸へ!
ལྔ་པ་
御戌神の太陽の両眼は、前髪によるランプシェード効果が付与されて更に広範囲を照らせるようになった。石見沼に到着した時点で海岸の様子がはっきり見える。まずいことに、こんな時に限って海岸に島民が集まっている!? 「おいガキ共、ボートを降りろ! 早く避難所へ!」 「黙れ! こんな島のどこに安全が!? 俺達は内地へおさらばだ!」 会話から察するに、中学生位の子達が島を脱出しようと試みるのを大人達が引き止めているようだ。ところが間髪入れず陸側から迫る地響き! 危ない! 「救済せにゃ!」 石見の崖を御戌神が飛んだ! 私は光の中で身構える。着地すると同時に目の前の砂が隆起、ザボオオォォン!! 大散減出現! 「かははは、一足遅いわ!」 ズカアァァン!!! 出会い頭に強烈なティグクの一撃! 吹き飛んだ大散減は沿岸道路を破壊し民家二棟に叩きつけられた。建造物損壊と追い越し禁止線通過でダブル罪業加点! 間一髪巻き込まれずに済んだ島民達がどよめく。 「御戌様?」 「御戌様が子供達を救済したので!?」 「それより御戌様の影に映ってる火ダルマは一体!?」 その問いに、陸側から聞き覚えのある声が答える。 「ご先祖様さ!」 ブオォォン! 高級バイクに似つかわしくない凶悪なエンジン音を吹かして現れたのは加賀繍さんだ! 何故かアサッテの方向に数珠を投げ、私の正体を堂々と宣言する。 「御戌神がいくら縁切りの神だって、家族の縁は簡単に切れやしないんだ。徳川徳松を一番気にかけてたご先祖様が仏様になって、祟りを鎮めるんだよ!」 「徳松様を気にかけてた、ご先祖様……」 「まさか、将軍様など!?」 「「「徳川綱吉将軍!!」」」 私は暴れん坊な将軍様の幽霊という事になってしまった。だぶか吉宗さんじゃないけど。すると加賀繍さんの紙一重隣で大散減が復帰! 「マバゥウゥゥゥゥウウウ!!!」 神社にいた時よりも甲高い大散減��鳴き声。消耗している証拠だろう。脚も既に残り五本、ラストスパートだ! 「畳み掛けるぞ夜露死苦ッ!」 スクラムを組むように愚連隊が全方位から大散減へ突進、総長姉妹のハンマーで右前脚破壊! 「ぽんぽこぉーーー……ドロップ!!」 身動きの取れなくなった大散減に大かむろが垂直落下、左中央二脚粉砕! 「「「大師の敵ーーーっ!」」」 微弱ながら霊力を持つ河童信者達が集団投石、既に千切れかけていた左後脚切断! 「くすけー、マジムン!」 大散減の内側から玲蘭ちゃんの声。するうち黄色い閃光を放って大散減はメルトダウン! 全ての脚が落ち、最後の本体が不格好な蓮根と化した直後……地面に散らばる脚の一本の顔に、ギョロギョロと蠢く目が現れた。光君の話を思い出す。 ―八本足にそれぞれ顔がついてて、そのうち本物の顔を見つけて潰さないと死なない怪物で!― 「そうか、あっちが真の本体!」 私と光君が同時に動く! また地中に逃げようと飛び上がった大散減本体に光と影は先回りし、メロン格子状の包囲網を組んだ! 絶縁怪虫大散減、今こそお前をこの世からエンガチョしてくれるわあああああああ!! 「そこだーーーッ!! ワヤン不動ーーー!!」 「やっちゃえーーーッ!」「御戌様ーーーッ!」 「「「ワヤン不動オォーーーーーッ!!!」」」 「どおおぉぉるあぁああぁぁぁーーーーーー!!!!」 シャガンッ! 突如大量のハロゲンランプを一斉に焚いたかのように、世界が白一色の静寂に染まる。存在するものは影である私と、光に拒絶された大散減のみ。ティグクを掲げた私の両腕が夕陽を浴びた影の如く伸び、背中で燃える炎に怒れる恩師の馬頭観音相が浮かんだ時……大散減は断罪される! 「世尊妙相具我今重問彼仏子何因縁名為観世音具足妙相尊偈答無盡意汝聴観音行善応諸方所弘誓深如海歴劫不思議侍多千億仏発大清浄願我為汝略説聞名及見身心念不空過能滅諸有苦!」 仏道とは無縁の怪獣よ、己の業に叩き斬られながら私の観音行を聞け! 燃える馬頭観音と彼の骨であるティグクを仰げ! その苦痛から解放されたくば、海よりも深き意志で清浄を願う聖人の名を私がお前に文字通り刻みつけてやる! 「仮使興害意推落大火坑念彼観音力火坑変成池或漂流巨海龍魚諸鬼難念彼観音力波浪不能没或在須弥峰為人所推堕念彼観音力如日虚空住或被悪人逐堕落金剛山念彼観音力不能損一毛!!」 たとえ金剛の悪意により火口へ落とされようと、心に観音力を念ずれば火もまた涼し。苦難の海でどんな怪物と対峙しても決して沈むものか! 須弥山から突き落とされようが、金剛を邪道に蹴落とされようが、観音力は不屈だ! 「或値怨賊繞各執刀加害念彼観音力咸即起慈心或遭王難苦臨刑欲寿終念彼観音力刀尋段段壊或囚禁枷鎖手足被杻械念彼観音力釈然得解脱呪詛諸毒薬所欲害身者念彼観音力還著於本人或遇悪羅刹毒龍諸鬼等念彼観音力時悉不敢害!!」 お前達に歪められた衆生の理は全て正してくれる! 金剛有明団がどんなに強大でも、和尚様や私の魂は決して滅びぬ。磔にされていた抜苦与楽の化身は解放され、悪鬼羅刹四苦八苦を燃やす憤怒の化身として生まれ変わったんだ! 「若悪獣囲繞利牙爪可怖念彼観音力疾走無辺方蚖蛇及蝮蝎気毒煙火燃念彼観音力尋声自回去雲雷鼓掣電降雹澍大雨念彼観音力応時得消散衆生被困厄無量苦逼身観音妙智力能救世間苦!!!」 獣よ、この力を畏れろ。毒煙を吐く外道よ霧散しろ! 雷や雹が如く降り注ぐお前達の呪いから全ての衆生を救済してみせよう! 「具足神通力廣修智方便十方諸国土無刹不現身種種諸悪趣地獄鬼畜生生老病死苦以漸悉令滅真観清浄観広大智慧観悲観及慈観常願常瞻仰無垢清浄光慧日破諸闇能伏災風火普明照世間ッ!!!」 どこへ逃げても無駄だ、何度生まれ変わってでも憤怒の化身は蘇るだろう! お前達のいかなる鬼畜的所業も潰えるんだ。瞳に映る慈悲深き菩薩、そして汚れなき聖なる光と共に偽りの闇を葬り去る! 「悲体戒雷震慈意妙大雲澍甘露法雨滅除煩悩燄諍訟経官処怖畏軍陣中念彼観音力衆怨悉退散妙音観世音梵音海潮音勝彼世間音是故須常念念念勿生疑観世音浄聖於苦悩死厄能為作依怙具一切功徳慈眼視衆生福聚海無量是故応頂……」 雷雲の如き慈悲が君臨し、雑音をかき消す潮騒の如き観音力で全てを救うんだ。目の前で粉微塵と化した大散減よ、盲目の哀れな座頭虫よ、私はお前をも苦しみなく逝去させてみせる。 「……礼ィィィーーーーーッ!!!」 ダカアアアアァァアアン!!!! 光が飛散した夜空の下。呪われた気枯地、千里が島を大いなる光と影の化身が無量の炎で叩き割った。その背後で滅んだ醜き怪獣は、業一つない純粋な粒子となって分解霧散。それはこの地に新たな魂が生まれるための糧となり、やがて衆生に縁を育むだろう。 時は亥の刻、石見海岸。ここ千里が島で縁が結ばれた全ての仲間達が勝利に湧き、歓喜と安堵に包まれた。その騒ぎに乗じて私と光君は、今度こそ人目も憚らず唇を重ね合った。
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『逢断』第24話アップしました

おまたせしました。下記で読めます。
第一話から読む場合はこちらのもくじページからどうぞ。
pixivでの更新をやめて、自分のサイトのみでの更新となっているため、お知らせ通知訴求力がないので身近な方に「逢断更新しているよ~」とお伝えいただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします!
ちなみに次回25話はネームコマ割りレイアウト済みなのであとは描くだけ!! 年度末のばたつく季節になってしまうけど2、3か月以内ぐらいにどうにかしたい! できるのか!?
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蒲団
一
小石川の切支丹坂から極楽水に出る道のだらだら坂を下りようとして渠は考えた。「これで自分と彼女との関係は一段落を告げた。三十六にもなって、子供も三人あって、あんなことを考えたかと思うと、馬鹿々々しくなる。けれど……けれど……本当にこれが事実だろうか。あれだけの愛情を自身に注いだのは単に愛情としてのみで、恋ではなかったろうか」
数多い感情ずくめの手紙──二人の関係はどうしても尋常ではなかった。妻があり、子があり、世間があり、師弟の関係があればこそ敢て烈しい恋に落ちなかったが、語り合う胸の轟、相見る眼の光、その底には確かに凄じい暴風が潜んでいたのである。機会に遭遇しさえすれば、その底の底の暴風は忽ち勢を得て、妻子も世間も道徳も師弟の関係も一挙にして破れて了うであろうと思われた。少くとも男はそう信じていた。それであるのに、二三日来のこの出来事、これから考えると、女は確かにその感情を偽り売ったのだ。自分を欺いたのだと男は幾度も思った。けれど文学者だけに、この男は自ら自分の心理を客観するだけの余裕を有っていた。年若い女の心理は容易に判断し得られるものではない、かの温い嬉しい愛情は、単に女性特有の自然の発展で、美しく見えた眼の表情も、やさしく感じられた態度も都て無意識で、無意味で、自然の花が見る人に一種の慰藉を与えたようなものかも知れない。一歩を譲って女は自分を愛して恋していたとしても、自分は師、かの女は門弟、自分は妻あり子ある身、かの女は妙齢の美しい花、そこに互に意識の加わるのを如何ともすることは出来まい。いや、更に一歩を進めて、あの熱烈なる一封の手紙、陰に陽にその胸の悶を訴えて、丁度自然の力がこの身を圧迫するかのように、最後の情を伝えて来た時、その謎をこの身が解いて遣らなかった。女性のつつましやかな性として、その上に猶露わに迫って来ることがどうして出来よう。そういう心理からかの女は失望して、今回のような事を起したのかも知れぬ。
「とにかく時機は過ぎ去った。かの女は既に他人の所有だ!」
歩きながら渠はこう絶叫して頭髪をむしった。
縞セルの背広に、麦稈帽、藤蔓の杖をついて、やや前のめりにだらだらと坂を下りて行く。時は九月の中旬、残暑はまだ堪え難く暑いが、空には既に清涼の秋気が充ち渡って、深い碧の色が際立って人の感情を動かした。肴屋、酒屋、雑貨店、その向うに寺の門やら裏店の長屋やらが連って、久堅町の低い地には数多の工場の煙筒が黒い煙を漲らしていた。
その数多い工場の一つ、西洋風の二階の一室、それが渠の毎日正午から通う処で、十畳敷ほどの広さの室で中央には、大きい一脚の卓が据えてあって、傍に高い西洋風の本箱、この中には総て種々の地理書が一杯入れられてある。渠はある書籍会社の嘱託を受けて地理書の編輯の手伝に従っているのである。文学者に地理書の編輯! 渠は自分が地理の趣味を有っているからと称して進んでこれに従事しているが、内心これに甘じておらぬことは言うまでもない。後れ勝なる文学上の閲歴、断篇のみを作って未だに全力の試みをする機会に遭遇せぬ煩悶、青年雑誌から月毎に受ける罵評の苦痛、渠自らはその他日成すあるべきを意識してはいるものの、中心これを苦に病まぬ訳には行かなかった。社会は日増に進歩する。電車は東京市の交通を一変させた。女学生は勢力になって、もう自分が恋をした頃のような旧式の娘は見たくも見られなくなった。青年はまた青年で、恋を説くにも、文学を談ずるにも、政治を語るにも、その態度が総て一変して、自分等とは永久に相触れることが出来ないように感じられた。
で、毎日機械のように同じ道を通って、同じ大きい門を入って、輪転機関の屋を撼す音と職工の臭い汗との交った細い間を通って、事務室の人々に軽く挨拶して、こつこつと長い狭い階梯を登って、さてその室に入るのだが、東と南に明いたこの室は、午後の烈しい日影を受けて、実に堪え難く暑い。それに小僧が無精で掃除をせぬので、卓の上には白い埃がざらざらと心地悪い。渠は椅子に腰を掛けて、煙草を一服吸って、立上って、厚い統計書と地図と案内記と地理書とを本箱から出して、さて静かに昨日の続きの筆を執り始めた。けれど二三日来、頭脳がむしゃくしゃしているので、筆が容易に進まない。一行書いては筆を留めてその事を思う。また一行書く、また留める、又書いてはまた留めるという風。そしてその間に頭脳に浮んで来る考は総て断片的で、猛烈で、急激で、絶望的の分子が多い。ふとどういう聯想か、ハウプトマンの「寂しき人々」を思い出した。こうならぬ前に、この戯曲をかの女の日課として教えて遣ろうかと思ったことがあった。ヨハンネス・フォケラートの心事と悲哀とを教えて遣りたかった。この戯曲を渠が読んだのは今から三年以前、まだかの女のこの世にあることをも夢にも知らなかった頃であったが、その頃から渠は淋しい人であった。敢てヨハンネスにその身を比そうとは為なかったが、アンナのような女がもしあったなら、そういう悲劇に陥るのは当然だとしみじみ同情した。今はそのヨハンネスにさえなれぬ身だと思って長嘆した。
さすがに「寂しき人々」をかの女に教えなかったが、ツルゲネーフの「ファースト」という短篇を教えたことがあった。洋燈の光明かなる四畳半の書斎、かの女の若々しい心は色彩ある恋物語に憧れ渡って、表情ある眼は更に深い深い意味を以て輝きわたった。ハイカラな庇髪、櫛、リボン、洋燈の光線がその半身を照して、一巻の書籍に顔を近く寄せると、言うに言われぬ香水のかおり、肉のかおり、女のかおり──書中の主人公が昔の恋人に「ファースト」を読んで聞かせる段を講釈する時には男の声も烈しく戦えた。
「けれど、もう駄目だ!」
と、渠は再び頭髪をむしった。
二
渠は名を竹中時雄と謂った。
今より三年前、三人目の子が細君の腹に出来て、新婚の快楽などはとうに覚め尽した頃であった。世の中の忙しい事業も意味がなく、一生作に力を尽す勇気もなく、日常の生活──朝起きて、出勤して、午後四時に帰って来て、同じように細君の顔を見て、飯を食って眠るという単調なる生活につくづく倦き果てて了った。家を引越歩いても面白くない、友人と語り合っても面白くない、外国小説を読み渉猟っても満足が出来ぬ。いや、庭樹の繁り、雨の点滴、花の開落などいう自然の状態さえ、平凡なる生活をして更に平凡ならしめるような気がして、身を置くに処は無いほど淋しかった。道を歩いて常に見る若い美しい女、出来るならば新しい恋を為たいと痛切に思った。
三十四五、実際この頃には誰にでもある煩悶で、この年頃に賤しい女に戯るるものの多いのも、畢竟その淋しさを医す為めである。世間に妻を離縁するものもこの年頃に多い。
出勤する途上に、毎朝邂逅う美しい女教師があった。渠はその頃この女に逢うのをその日その日の唯一の楽みとして、その女に就いていろいろな空想を逞うした。恋が成立って、神楽坂あたりの小待合に連れて行って、人目を忍んで楽しんだらどう……。細君に知れずに、二人近郊を散歩したらどう……。いや、それどころではない、その時、細君が懐妊しておったから、不図難産して死ぬ、その後にその女を入れるとしてどうであろう。……平気で後妻に入れることが出来るだろうかどうかなどと考えて歩いた。
神戸の女学院の生徒で、生れは備中の新見町で、渠の著作の崇拝者で、名を横山芳子という女から崇拝の情を以て充された一通の手紙を受取ったのはその頃であった。竹中古城と謂えば、美文的小説を書いて、多少世間に聞えておったので、地方から来る崇拝者渇仰者の手紙はこれまでにも随分多かった。やれ文章を直してくれの、弟子にしてくれのと一々取合ってはいられなかった。だからその女の手紙を受取っても、別に返事を出そうとまでその好奇心は募らなかった。けれど同じ人の熱心なる手紙を三通まで貰っては、さすがの時雄も注意をせずにはいられなかった。年は十九だそうだが、手紙の文句から推して、その表情の巧みなのは驚くべきほどで、いかなることがあっても先生の門下生になって、一生文学に従事したいとの切なる願望。文字は走り書のすらすらした字で、余程ハイカラの女らしい。返事を書いたのは、例の工場の二階の室で、その日は毎日の課業の地理を二枚書いて止して、長い数尺に余る手紙を芳子に送った。その手紙には女の身として文学に携わることの不心得、女は生理的に母たるの義務を尽さなければならぬ理由、処女にして文学者たるの危険などを縷々として説いて、幾らか罵倒的の文辞をも陳べて、これならもう愛想をつかして断念めて了うであろうと時雄は思って微笑した。そして本箱の中から岡山県の地図を捜して、阿哲郡新見町の所在を研究した。山陽線から高梁川の谷を遡って奥十数里、こんな山の中にもこんなハイカラの女があるかと思うと、それでも何となくなつかしく、時雄はその附近の地形やら山やら川やらを仔細に見た。
で、これで返辞をよこすまいと思ったら、それどころか、四日目には更に厚い封書が届いて、紫インキで、青い罫の入った西洋紙に横に細字で三枚、どうか将来見捨てずに弟子にしてくれという意味が返す返すも書いてあって、父母に願って許可を得たならば、東京に出て、然るべき学校に入って、完全に忠実に文学を学んでみたいとのことであった。時雄は女の志に感ぜずにはいられなかった。東京でさえ──女学校を卒業したものでさえ、文学の価値などは解らぬものなのに、何もかもよく知っているらしい手紙の文句、早速返事を出して師弟の関係を結んだ。
それから度々の手紙と文章、文章はまだ幼稚な点はあるが、癖の無い、すらすらした、将来発達の見込は十分にあると時雄は思った。で一度は一度より段々互の気質が知れて、時雄はその手紙の来るのを待つようになった。ある時などは写真を送れと言って遣ろうと思って、手紙の隅に小さく書いて、そしてまたこれを黒々と塗って了った。女性には容色と謂うものが是非必要である。容色のわるい女はいくら才があっても男が相手に為ない。時雄も内々胸の中で、どうせ文学を遣ろうというような女だから、不容色に相違ないと思った。けれどなるべくは見られる位の女であって欲しいと思った。
芳子が父母に許可を得て、父に伴れられて、時雄の門を訪うたのは翌年の二月で、丁度時雄の三番目の男の児の生れた七夜の日であった。座敷の隣の室は細君の産褥で、細君は手伝に来ている姉から若い��門下生の美しい容色であることを聞いて少なからず懊悩した。姉もああいう若い美しい女を弟子にしてどうする気だろうと心配した。時雄は芳子と父とを並べて、縷々として文学者の境遇と目的とを語り、女の結婚問題に就いて予め父親の説を叩いた。芳子の家は新見町でも第三とは下らぬ豪家で、父も母も厳格なる基督教信者、母は殊にすぐれた信者で、曽ては同志社女学校に学んだこともあるという。総領の兄は英国へ洋行して、帰朝後は某官立学校の教授となっている。芳子は町の小学校を卒業するとすぐ、神戸に出て神戸の女学院に入り、其処でハイカラな女学校生活を送った。基督教の女学校は他の女学校に比して、文学に対して総て自由だ。その頃こそ「魔風恋風」や「金色夜叉」などを読んではならんとの規定も出ていたが、文部省で干渉しない以前は、教場でさえなくば何を読んでも差支なかった。学校に附属した教会、其処で祈祷の尊いこと、クリスマスの晩の面白いこと、理想を養うということの味をも知って、人間の卑しいことを隠して美しいことを標榜するという群の仲間となった。母の膝下が恋しいとか、故郷が懐かしいとか言うことは、来た当座こそ切実に辛く感じもしたが、やがては全く忘れて、女学生の寄宿生活をこの上なく面白く思うようになった。旨味い南瓜を食べさせないと云っては、お鉢の飯に醤油を懸けて賄方を酷めたり、舎監のひねくれた老婦の顔色を見て、陰陽に物を言ったりする女学生の群の中に入っていては、家庭に養われた少女のように、単純に物を見ることがどうして出来よう。美しいこと、理想を養うこと、虚栄心の高いこと──こういう傾向をいつとなしに受けて、芳子は明治の女学生の長所と短所とを遺憾なく備えていた。
尠くとも時雄の孤独なる生活はこれによって破られた。昔の恋人──今の細君。曽ては恋人には相違なかったが、今は時勢が移り変った。四五年来の女子教育の勃興、女子大学の設立、庇髪、海老茶袴、男と並んで歩くのをはにかむようなものは一人も無くなった。この世の中に、旧式の丸髷、泥鴨のような歩き振、温順と貞節とより他に何物をも有せぬ細君に甘んじていることは時雄には何よりも情けなかった。路を行けば、美しい今様の細君を連れての睦じい散歩、友を訪えば夫の席に出て流暢に会話を賑かす若い細君、ましてその身が骨を折って書いた小説を読もうでもなく、夫の苦悶煩悶には全く風馬牛で、子供さえ満足に育てれば好いという自分の細君に対すると、どうしても孤独を叫ばざるを得なかった。「寂しき人々」のヨハンネスと共に、家妻というものの無意味を感ぜずにはいられなかった。これが──この孤独が芳子に由って破られた。ハイカラな新式な美しい女門下生が、先生! 先生! と世にも豪い人のように渇仰して来るのに胸を動かさずに誰がおられようか。
最初の一月ほどは時雄の家に仮寓していた。華やかな声、艶やかな姿、今までの孤独な淋しいかれの生活に、何等の対照! 産褥から出たばかりの細君を助けて、靴下を編む、襟巻を編む、着物を縫う、子供を遊ばせるという生々した態度、時雄は新婚当座に再び帰ったような気がして、家門近く来るとそそるように胸が動いた。門をあけると、玄関にはその美しい笑顔、色彩に富んだ姿、夜も今までは子供と共に細君がいぎたなく眠って了って、六畳の室に徒に明らかな洋燈も、却って侘しさを増すの種であったが、今は如何に夜更けて帰って来ても、洋燈の下には白い手が巧に編物の針を動かして、膝の上に色ある毛糸の丸い玉! 賑かな笑声が牛込の奥の小柴垣の中に充ちた。
けれど���月ならずして時雄はこの愛すべき女弟子をその家に置く事の不可能なのを覚った。従順なる家妻は敢てその事に不服をも唱えず、それらしい様子も見せなかったが、しかもその気色は次第に悪くなった。限りなき笑声の中に限りなき不安の情が充ち渡った。妻の里方の親戚間などには現に一問題として講究されつつあることを知った。
時雄は種々に煩悶した後、細君の姉の家──軍人の未亡人で恩給と裁縫とで暮している姉の家に寄寓させて、其処から麹町の某女塾に通学させることにした。
三
それから今回の事件まで一年半の年月が経過した。
その間二度芳子は故郷を省した。短篇小説を五種、長篇小説を一種、その他美文、新体詩を数十篇作った。某女塾では英語は優等の出来で、時雄の選択で、ツルゲネーフの全集を丸善から買った。初めは、暑中休暇に帰省、二度目は、神経衰弱で、時々癪のような痙攣を起すので、暫し故山の静かな処に帰って休養する方が好いという医師の勧めに従ったのである。
その寓していた家は麹町の土手三番町、甲武の電車の通る土手際で、芳子の書斎はその家での客座敷、八畳の一間、前に往来の頻繁な道路があって、がやがやと往来の人やら子供やらで喧しい。時雄の書斎にある西洋本箱を小さくしたような本箱が一閑張の机の傍にあって、その上には鏡と、紅皿と、白粉の罎と、今一つシュウソカリの入った大きな罎がある。これは神経過敏で、頭脳が痛くって為方が無い時に飲むのだという。本箱には紅葉全集、近松世話浄瑠璃、英語の教科書、ことに新しく買ったツルゲネーフ全集が際立って目に附く。で、未来の閨秀作家は学校から帰って来ると、机に向って文を書くというよりは、寧ろ多く手紙を書くので、男の友達も随分多い。男文字の手紙も随分来る。中にも高等師範の学生に一人、早稲田大学の学生に一人、それが時々遊びに来たことがあったそうだ。
麹町土手三番町の一角には、女学生もそうハイカラなのが沢山居ない。それに、市ヶ谷見附の彼方には時雄の妻君の里の家があるのだが、この附近は殊に昔風の商家の娘が多い。で、尠くとも芳子の神戸仕込のハイカラはあたりの人の目を聳たしめた。時雄は姉の言葉として、妻から常に次のようなことを聞される。
「芳子さんにも困ったものですねと姉が今日も言っていましたよ、男の友達が来るのは好いけれど、夜など一緒に二七(不動)に出かけて、遅くまで帰って来ないことがあるんですって。そりゃ芳子さんはそんなことは無いのに決っているけれど、世間の口が喧しくって為方が無いと云っていました」
これを聞くと時雄は定って芳子の肩を持つので、「お前達のような旧式の人間には芳子の遣ることなどは判りやせんよ。男女が二人で歩いたり話したりさえすれば、すぐあやしいとか変だとか思うのだが、一体、そんなことを思ったり、言ったりするのが旧式だ、今では女も自覚しているから、為ようと思うことは勝手にするさ」
この議論を時雄はまた得意になって芳子にも説法した。「女子ももう自覚せんければいかん。昔の女のように依頼心を持っていては駄目だ。ズウデルマンのマグダの言った通り、父の手からすぐに夫の手に移るような意気地なしでは為方が無い。日本の新しい婦人としては、自ら考えて自ら行うようにしなければいかん」こう言っては、イブセンのノラの話や、ツルゲネーフのエレネの話や、露西亜、独逸あたりの婦人の意志と感情と共に富んでいることを話し、さて、「けれど自覚と云うのは、自省ということをも含んでおるですからな、無闇に意志や自我を振廻しては困るですよ。自分の遣ったことには自分が全責任を帯びる覚悟がなくては」
芳子にはこの時雄の教訓が何より意味があるように聞えて、渇仰の念が[1]愈※加わった。基督教の教訓より自由でそして権威があるように考えられた。
芳子は女学生としては身装が派手過ぎた。黄金の指環をはめて、流行を趁った美しい帯をしめて、すっきりとした立姿は、路傍の人目を惹くに十分であった。美しい顔と云うよりは表情のある顔、非常に美しい時もあれば何だか醜い時もあった。眼に光りがあってそれが非常によく働いた。四五年前までの女は感情を顕わすのに極めて単純で、怒った容とか笑った容とか、三種、四種位しかその感情を表わすことが出来なかったが、今では情を巧に顔に表わす女が多くなった。芳子もその一人であると時雄は常に思った。
芳子と時雄との関係は単に師弟の間柄としては余りに親密であった。この二人の様子を観察したある第三者の女の一人が妻に向って、「芳子さんが来てから時雄さんの様子はまるで変りましたよ。二人で話しているところを見ると、魂は二人ともあくがれ渡っているようで、それは本当に油断がなりませんよ」と言った。他から見れば、無論そう見えたに相違なかった。けれど二人は果してそう親密であったか、どうか。
若い女のうかれ勝な心、うかれるかと思えばすぐ沈む。些細なことにも胸を動かし、つまらぬことにも心を痛める。恋でもない、恋でなくも無いというようなやさしい態度、時雄は絶えず思い惑った。道義の力、習俗の力、機会一度至ればこれを破るのは帛を裂くよりも容易だ。唯、容易に来らぬはこれを破るに至る機会である。
この機会がこの一年の間に尠くとも二度近寄ったと時雄は自分だけで思った。一度は芳子が厚い封書を寄せて、自分の不束なこと、先生の高恩に報ゆることが出来ぬから自分は故郷に帰って農夫の妻になって田舎に埋れて了おうということを涙交りに書いた時、一度は或る夜芳子が一人で留守番をしているところへゆくりなく時雄が行って訪問した時、この二度だ。初めの時は時雄はその手紙の意味を明かに了解した。その返事をいかに書くべきかに就いて一夜眠らずに懊悩した。穏かに眠れる妻の顔、それを幾度か窺って自己の良心のいかに麻痺せるかを自ら責めた。そしてあくる朝贈った手紙は、厳乎たる師としての態度であった。二度目はそれから二月ほど経った春の夜、ゆくりなく時雄が訪問すると、芳子は白粉をつけて、美しい顔をして、火鉢の前にぽつねんとしていた。
「どうしたの」と訊くと、
「お留守番ですの」
「姉は何処へ行った?」
「四谷へ買物に」
と言って、じっと時雄の顔を見る。いかにも艶かしい。時雄はこの力ある一瞥に意気地なく胸を躍らした。二語三語、普通のことを語り合ったが、その平凡なる物語が更に平凡でないことを互に思い知ったらしかった。この時、今十五分も一緒に話し合ったならば、どうなったであろうか。女の表情の眼は輝き、言葉は艶めき、態度がいかにも尋常でなかった。
「今夜は大変綺麗にしてますね?」
男は態と軽く出た。
「え、先程、湯に入りましたのよ」
「大変に白粉が白いから」
「あらまア先生!」と言って、笑って体を斜に嬌態を呈した。
時雄はすぐ帰った。まア好いでしょうと芳子はたって留めたが、どうしても帰ると言うので、名残惜しげに月の夜を其処まで送って来た。その白い顔には確かにある深い神秘が籠められてあった。
四月に入ってから、芳子は多病で蒼白い顔をして神経過敏に陥っていた。ショウソカリを余程多量に服してもどうも眠られぬとて困っていた。絶えざる欲望と生殖の力とは年頃の女を誘うのに躊躇しない。芳子は多く薬に親しんでいた。
四月末に帰国、九月に上京、そして今回の事件が起った。
今回の事件とは他でも無い。芳子は恋人を得た。そして上京の途次、恋人と相携えて京都嵯峨に遊んだ。その遊んだ二日の日数が出発と着京との時日に符合せぬので、東京と備中との間に手紙の往復があって、詰問した結果は恋愛、神聖なる恋愛、二人は決して罪を犯してはおらぬが、将来は如何にしてもこの恋を遂げたいとの切なる願望。時雄は芳子の師として、この恋の証人として一面月下氷人の役目を余儀なくさせられたのであった。
芳子の恋人は同志社の学生、神戸教会の秀才、田中秀夫、年二十一。
芳子は師の前にその恋の神聖なるを神懸けて誓った。故郷の親達は、学生の身で、ひそかに男と嵯峨に遊んだのは、既にその精神の堕落であると云ったが、決してそんな汚れた行為はない。互に恋を自覚したのは、寧ろ京都で別れてからで、東京に帰って来てみると、男から熱烈なる手紙が来ていた。それで始めて将来の約束をしたような次第で、決して罪を犯したようなことは無いと女は涙を流して言った。時雄は胸に至大の犠牲を感じながらも、その二人の所謂神聖なる恋の為めに力を尽すべく余儀なくされた。
時雄は悶えざるを得なかった。わが愛するものを奪われたということは甚だしくその心を暗くした。元より進んでその女弟子を自分の恋人にする考は無い。そういう明らかな定った考があれば前に既に二度までも近寄って来た機会を攫むに於て敢て躊躇するところは無い筈だ。��れどその愛する女弟子、淋しい生活に美しい色彩を添え、限りなき力を添えてくれた芳子を、突然人の奪い去るに任すに忍びようか���機会を二度まで攫むことは躊躇したが、三度来る機会、四度来る機会を待って、新なる運命と新なる生活を作りたいとはかれの心の底の底の微かなる願であった。時雄は悶えた、思い乱れた。妬みと惜しみと悔恨との念が一緒になって旋風のように頭脳の中を回転した。師としての道義の念もこれに交って、[2]益※炎を熾んにした。わが愛する女の幸福の為めという犠牲の念も加わった。で、夕暮の膳の上の酒は夥しく量を加えて、泥鴨の如く酔って寝た。
あくる日は日曜日の雨、裏の森にざんざん降って、時雄の為めには一倍に侘しい。欅の古樹に降りかかる雨の脚、それが実に長く、限りない空から限りなく降っているとしか思われない。時雄は読書する勇気も無い、筆を執る勇気もない。もう秋で冷々と背中の冷たい籐椅子に身を横えつつ、雨の長い脚を見ながら、今回の事件からその身の半生のことを考えた。かれの経験にはこういう経験が幾度もあった。一歩の相違で運命の唯中に入ることが出来ずに、いつも圏外に立たせられた淋しい苦悶、その苦しい味をかれは常に味った。文学の側でもそうだ、社会の側でもそうだ。恋、恋、恋、今になってもこんな消極的な運命に漂わされているかと思うと、その身の意気地なしと運命のつたないことがひしひしと胸に迫った。ツルゲネーフのいわゆる Superfluous man ! だと思って、その主人公の儚い一生を胸に繰返した。
寂寥に堪えず、午から酒を飲むと言出した。細君の支度の為ようが遅いのでぶつぶつ言っていたが、膳に載せられた肴がまずいので、遂に癇癪を起して、自棄に酒を飲んだ。一本、二本と徳利の数は重って、時雄は時の間に泥の如く酔った。細君に対する不平ももう言わなくなった。徳利の酒が無くなると、只、酒、酒と言うばかりだ。そしてこれをぐいぐいと呷る。気の弱い下女はどうしたことかと呆れて見ておった。男の児の五歳になるのを始めは頻りに可愛がって抱いたり撫でたり接吻したりしていたが、どうしたはずみでか泣出したのに腹を立てて、ピシャピシャとその尻を乱打したので、三人の子供は怖がって、遠巻にして、平生に似もやらぬ父親の赤く酔った顔を不思議そうに見ていた。一升近く飲んでそのまま其処に酔倒れて、お膳の筋斗がえりを打つのにも頓着しなかったが、やがて不思議なだらだらした節で、十年も前にはやった幼稚な新体詩を歌い出した。
[3]
君が門辺をさまよふは
巷の塵を吹き立つる
嵐のみとやおぼすらん。
その嵐よりいやあれに
その塵よりも乱れたる
恋のかばねを暁の
[4]
歌を半ばにして、細君の被けた蒲団を着たまま、すっくと立上って、座敷の方へ小山の如く動いて行った。何処へ? 何処へいらっしゃるんです? と細君は気が気でなくその後を追って行ったが、それにも関わず、蒲団を着たまま、厠の中に入ろうとした。細君は慌てて、
「貴郎、貴郎、酔っぱらってはいやですよ。そこは手水場ですよ」
突如蒲団を後から引いたので、蒲団は厠の入口で細君の手に残った。時雄はふらふらと危く小便をしていたが、それがすむと、突如[5]※と厠の中に横に寝てしまった。細君が汚がって頻りに揺ったり何かしたが、時雄は動こうとも立とうとも為ない。そうかと云って眠ったのではなく、赤土のような顔に大きい鋭い目を明いて、戸外に降り頻る雨をじっと見ていた。
四
時雄は例刻をてくてくと牛込矢来町の自宅に帰って来た。
渠は三日間、その苦悶と戦った。渠は性として惑溺することが出来ぬ或る一種の力を有っている。この力の為めに支配されるのを常に口惜しく思っているのではあるが、それでもいつか負けて了う。征服されて了う。これが為め渠はいつも運命の圏外に立って苦しい味を嘗めさせられるが、世間からは正しい人、信頼するに足る人と信じられている。三日間の苦しい煩悶、これでとにかく渠はその前途を見た。二人の間の関係は一段落を告げた。これからは、師としての責任を尽して、わが愛する女の幸福の為めを謀るばかりだ。これはつらい、けれどつらいのが人生だ! と思いながら帰って来た。
門をあけて入ると、細君が迎えに出た。残暑の日はまだ暑く、洋服の下襦袢がびっしょり汗にぬれている。それを糊のついた白地の単衣に着替えて、茶の間の火鉢の前に坐ると、細君はふと思い附いたように、箪笥の上の一封の手紙を取出し、
「芳子さんから」
と言って渡した。
急いで封を切った。巻紙の厚いのを見ても、その事件に関しての用事に相違ない。時雄は熱心に読下した。
言文一致で、すらすらとこの上ない達筆。
[6]
先生──
実は御相談に上りたいと存じましたが、余り急でしたものでしたから、独断で実行致しました。
昨日四時に田中から電報が参りまして、六時に新橋の停車場に着くとのことですもの、私はどんなに驚きましたか知れません。
何事も無いのに出て来るような、そんな軽率な男でないと信じておりますだけに、一層甚しく気を揉みました。先生、許して下さい。私はその時刻に迎えに参りましたのです。逢って聞きますと、私の一伍一什を書いた手紙を見て、非常に心配して、もしこの事があった為め万一郷里に伴れて帰られるようなことがあっては、自分が済まぬと言うので、学事をも捨てて出京して、先生にすっかりお打明申して、お詫も申上げ、お情にも縋って、万事円満に参るようにと、そういう目的で急に出て参ったとのことで御座います。それから、私は先生にお話し申した一伍一什、先生のお情深い言葉、将来までも私等二人の神聖な真面目な恋の証人とも保護者ともなって下さるということを話しましたところ、非常に先生の御情に感激しまして、感謝の涙に暮れました次第で御座います。
田中は私の余りに狼狽した手紙に非常に驚いたとみえまして、十分覚悟をして、万一破壊の暁にはと言った風なことも決心して参りましたので御座います。万一の時にはあの時嵯峨に一緒に参った友人を証人にして、二人の間が決して汚れた関係の無いことを弁明し、別れて後互に感じた二人の恋愛をも打明けて、先生にお縋り申して郷里の父母の方へも逐一言って頂こうと決心して参りましたそうです。けれどこの間の私の無謀で郷里の父母の感情を破っている矢先、どうしてそんなことを申して遣わされましょう。今は少時沈黙して、お互に希望を持って、専心勉学に志し、いつか折を見て──或は五年、十年の後かも知れません──打明けて願う方が得策だと存じまして、そういうことに致しました。先生のお話をも一切話して聞かせました。で、用事が済んだ上は帰した方が好いのですけれど、非常に疲れている様子を見ましては、さすがに直ちに引返すようにとも申兼ねました。(私の弱いのを御許し下さいまし)勉学中、実際問題に触れてはならぬとの先生の御教訓は身にしみて守るつもりで御座いますが、一先、旅籠屋に落着かせまして、折角出て来たものですから、一日位見物しておいでなさいと、つい申して了いました。どうか先生、お許し下さいまし。私共も激しい感情の中に、理性も御座いますから、京都でしたような、仮りにも常識を外れた、他人から誤解されるようなことは致しません。誓って、決して致しません。末ながら奥様にも宜しく申上げて下さいまし。
[7]芳子
[8]
先生 御もと
[9]
この一通の手紙を読んでいる中、さまざまの感情が時雄の胸を火のように燃えて通った。その田中という二十一の青年が現にこの東京に来ている。芳子が迎えに行った。何をしたか解らん。この間言ったこともまるで虚言かも知れぬ。この夏期の休暇に須磨で落合った時から出来ていて、京都での行為もその望を満す為め、今度も恋しさに堪え兼ねて女の後を追って上京したのかも知れん。手を握ったろう。胸と胸とが相触れたろう。人が見ていぬ旅籠屋の二階、何を為ているか解らぬ。汚れる汚れぬのも刹那の間だ。こう思うと時雄は堪らなくなった。「監督者の責任にも関する!」と腹の中で絶叫した。こうしてはおかれぬ、こういう自由を精神の定まらぬ女に与えておくことは出来ん。監督せんければならん、保護せんけりゃならん。私共は熱情もあるが理性がある! 私共とは何だ! 何故私とは書かぬ、何故複数を用いた? 時雄の胸は嵐のように乱れた。着いたのは昨日の六時、姉の家に行って聞き糺せば昨夜何時頃に帰ったか解るが、今日はどうした、今はどうしている?
細君の心を尽した晩餐の膳には、鮪の新鮮な刺身に、青紫蘇の薬味を添えた冷豆腐、それを味う余裕もないが、一盃は一盃と盞を重ねた。
細君は末の児を寝かして、火鉢の前に来て坐ったが、芳子の手紙の夫の傍にあるのに眼を附けて、
「芳子さん、何て言って来たのです?」
時雄は黙って手紙を投げて遣った、細君はそれを受取りながら、夫の顔をじろりと見て、暴風の前に来る雲行の甚だ急なのを知った。
細君は手紙を読終って巻きかえしながら、
「出て来たのですね」
「うむ」
「ずっと東京に居るんでしょうか」
「手紙に書いてあるじゃないか、すぐ帰すッて……」
「帰るでしょうか」
「そんなこと誰が知るものか」
夫の語気が烈しいので、細君は口を噤んで了った。少時経ってから、
「だから、本当に厭さ、若い娘の身で、小説家になるなんぞッて、望む本人も本人なら、よこす親達も親達ですからね」
「でも、お前は安心したろう」と言おうとしたが、それは止して、
「まア、そんなことはどうでも好いさ、どうせお前達には解らんのだから……それよりも酌でもしたらどうだ」
温順な細君は徳利を取上げて、京焼の盃に波々と注ぐ。
時雄は頻りに酒を呷った。酒でなければこの鬱を遣るに堪えぬといわぬばかりに。三本目に、妻は心配して、
「この頃はどうか為ましたね」
「何故?」
「酔ってばかりいるじゃありませんか」
「酔うということがどうかしたのか」
「そうでしょう、何か気に懸ることがあるからでしょう。芳子さんのことなどはどうでも好いじゃありませんか」
「馬鹿!」
と時雄は一喝した。
細君はそれにも懲りずに、
「だって、余り飲んでは毒ですよ、もう好い加減になさい、また手水場にでも入って寝ると、貴郎は大きいから、私と、お鶴(下女)の手ぐらいではどうにもなりやしませんからさ」
「まア、好いからもう一本」
で、もう一本を半分位飲んだ。もう酔は余程廻ったらしい。顔の色は赤銅色に染って眼が少しく据っていた。急に立上って、
「おい、帯を出せ!」
「何処へいらっしゃる」
「三番町まで行って来る」
「姉の処?」
「うむ」
「およしなさいよ、危ないから」
「何アに大丈夫だ、人の娘を預って監督せずに投遣にしてはおかれん。男がこの東京に来て一緒に歩いたり何かしているのを見ぬ振をしてはおかれん。田川(姉の家の姓)に預けておいても不安心だから、今日、行って、早かったら、芳子を家に連れて来る。二階を掃除しておけ」
「家に置くんですか、また……」
「勿論」
細君は容易に帯と着物とを出そうともせぬので、
「よし、よし、着物を出さんのなら、これで好い」と、白地の単衣に唐縮緬の汚れたへこ[10]帯、帽子も被らずに、そのままに急いで戸外へ出た。「今出しますから……本当に困って了う」という細君の声が後に聞えた。
夏の日はもう暮れ懸っていた。矢来の酒井の森には烏の声が喧しく聞える。どの家でも夕飯が済んで、門口に若い娘の白い顔も見える。ボールを投げている少年もある。官吏らしい鰌髭の紳士が庇髪の若い細君を伴れて、神楽坂に散歩に出懸けるのにも幾組か邂逅した。時雄は激昂した心と泥酔した身体とに烈しく漂わされて、四辺に見ゆるものが皆な別の世界のもののように思われた。両側の家も動くよう、地も脚の下に陥るよう、天も頭の上に蔽い冠さるように感じた。元からさ程強い酒量でないのに、無闇にぐいぐいと呷ったので、一時に酔が発したのであろう。ふと露西亜の賤民の酒に酔って路傍に倒れて寝ているのを思い出した。そしてある友人と露西亜の人間はこれだから豪い、惑溺するなら飽まで惑溺せんければ駄目だと言ったことを思いだした。馬鹿な! 恋に師弟の別があって堪るものかと口へ出して言った。
中根坂を上って、士官学校の裏門から佐内坂の上まで来た頃は、日はもうとっぷりと暮れた。白地の浴衣がぞろぞろと通る。煙草屋の前に若い細君が出ている。氷屋の暖簾が涼しそうに夕風に靡く。時雄はこの夏の夜景を朧げに眼には見ながら、電信柱に突当って倒れそうにしたり、浅い溝に落ちて膝頭をついたり、職工体の男に、「酔漢奴! しっかり歩け!」と罵られたりした。急に自ら思いついたらしく、坂の上から右に折れて、市ヶ谷八幡の境内へと入った。境内には人の影もなく寂寞としていた。大きい古い欅の樹と松の樹とが蔽い冠さって、左の隅に珊瑚樹の大きいのが繁っていた。処々の常夜燈はそろそろ光を放ち始めた。時雄はいかにしても苦しいので、突如その珊瑚樹の蔭に身を躱して、その根本の地上に身を横えた。興奮した心の状態、奔放な情と悲哀の快感とは、極端までその力を発展して、一方痛切に嫉妬の念に駆られながら、一方冷淡に自己の状態を客観した。
初めて恋するような熱烈な情は無論なかった。盲目にその運命に従うと謂うよりは、寧ろ冷かにその運命を批判した。熱い主観の情と冷めたい客観の批判とが絡り合せた糸のように固く結び着けられて、一種異様の心の状態を呈した。
悲しい、実に痛切に悲しい。この悲哀は華やかな青春の悲哀でもなく、単に男女の恋の上の悲哀でもなく、人生の最奥に秘んでいるある大きな悲哀だ。行く水の流、咲く花の凋落、この自然の底に蟠れる抵抗すべからざる力に触れては、人間ほど儚い情ないものはない。
汪然として涙は時雄の鬚面を伝った。
ふとある事が胸に上った。時雄は立上って歩き出した。もう全く夜になった。境内の処々に立てられた硝子燈は光を放って、その表面の常夜燈という三字がはっきり見える。この常夜燈という三字、これを見てかれは胸を衝いた。この三字をかれは曽て深い懊悩を以て見たことは無いだろうか。今の細君が大きい桃割に結って、このすぐ下の家に娘で居た時、渠はその微かな琴の音の髣髴をだに得たいと思ってよくこの八幡の高台に登った。かの女を得なければ寧そ南洋の植民地に漂泊しようというほどの熱烈な心を抱いて、華表、長い石階、社殿、俳句の懸行燈、この常夜燈の三字にはよく見入って物を思ったものだ。その下には依然たる家屋、電車の轟こそおりおり寂寞を破って通るが、その妻の実家の窓には昔と同じように、明かに燈の光が輝いていた。何たる節操なき心ぞ、僅かに八年の年月を閲したばかりであるのに、こうも変ろうとは誰が思おう。その桃割姿を丸髷姿にして、楽しく暮したその生活がどうしてこういう荒涼たる生活に変って、どうしてこういう新しい恋を感ずるようになったか。時雄は我ながら時の力の恐ろしいのを痛切に胸に覚えた。けれどその胸にある現在の事実は不思議にも何等の動揺をも受けなかった。
「矛盾でもなんでも為方がない、その矛盾、その無節操、これが事実だから為方がない、事実!事実!」
と時雄は胸の中に繰返した。
時雄は堪え難い自然の力の圧迫に圧せられたもののように、再び傍のロハ台に長い身を横えた。ふと見ると、赤銅のような色をした光芒の無い大きな月が、お濠の松の上に音も無く昇っていた。その色、その状、その姿がいかにも侘しい。その侘しさがその身の今の侘しさによく適っていると時雄は思って、また堪え難い哀愁がその胸に漲り渡った。
酔は既に醒めた。夜露は置始めた。
土手三番町の家の前に来た。
覗いてみたが、芳子の室に燈火の光が見えぬ。まだ帰って来ぬとみえる。時雄の胸はまた燃えた。この夜、この暗い夜に恋しい男と二人! 何をしているか解らぬ。こういう常識を欠いた行為を敢てして、神聖なる恋とは何事? 汚れたる行為の無いのを弁明するとは何事?
すぐ家に入ろうとしたが、まだ当人が帰っておらぬのに上っても為方が無いと思って、その前を真直に通り抜けた。女と摩違う度に、芳子ではないかと顔を覗きつつ歩いた。土手の上、松の木蔭、街道の曲り角、往来の人に怪まるるまで彼方此方を徘徊した。もう九時、十時に近い。いかに夏の夜であるからと言って、そう遅くまで出歩いている筈が無い。もう帰ったに相違ないと思って、引返して姉の家に行ったが、矢張りまだ帰っていない。
時雄は家に入った。
奥の六畳に通るや否、
「芳さんはどうしました?」
その答より何より、姉は時雄の着物に夥しく泥の着いているのに驚いて、
「まア、どうしたんです、時雄さん」
明かな洋燈の光で見ると、なるほど、白地の浴衣に、肩、膝、腰の嫌いなく、夥しい泥痕!
「何アに、其処でちょっと転んだものだから」
「だッて、肩まで粘いているじゃありませんか。また、酔ッぱらったんでしょう」
「何アに……」
と時雄は強いて笑ってまぎらした。
さて時を移さず、
「芳さん、何処に行ったんです」
「今朝、ちょっと中野の方にお友達と散歩に行って来ると行って出たきりですがね、もう帰って来るでしょう。何か用?」
「え、少し……」と言って、「昨日は帰りは遅かったですか」
「いいえ、お友達を新橋に迎えに行くんだって、四時過に出かけて、八時頃に帰って来ましたよ」
時雄の顔を見て、
「どうかしたのですの?」
「何アに……けれどねえ姉さん」と時雄の声は改まった。「実は姉さんにおまかせしておいても、この間の京都のようなことが又あると困るですから、芳子を私の家において、十分監督しようと思うんですがね」
「そう、それは好いですよ。本当に芳子さんはああいうしっかり者だから、私みたいな無教育のものでは……」
「いや、そういう訳でも無いですがね。余り自由にさせ過ぎても、却って当人の為にならんですから、一つ家に置いて、十分監督し���みようと思うんです」
「それが好いですよ。本当に、芳子さんにもね……何処と悪いことのない、発明な、利口な、今の世には珍らしい方ですけれど、一つ悪いことがあってね、男の友達と平気で夜歩いたりなんかするんですからね。それさえ止すと好いんだけれどとよく言うのですの。すると芳子さんはまた小母さんの旧弊が始まったって、笑っているんだもの。いつかなぞも余り男と一緒に歩いたり何かするものだから、角の交番でね、不審にしてね、角袖巡査が家の前に立っていたことがあったと云いますよ。それはそんなことは無いんだから、構いはしませんけどもね……」
「それはいつのことです?」
「昨年の暮でしたかね」
「どうもハイカラ過ぎて困る」と時雄は言ったが、時計の針の既に十時半の処を指すのを見て、「それにしてもどうしたんだろう。若い身空で、こう遅くまで一人で出て歩くと言うのは?」
「もう帰って来ますよ」
「こんなことは幾度もあるんですか」
「いいえ、滅多にありはしませんよ。夏の夜だから、まだ宵の口位に思って歩いているんですよ」
姉は話しながら裁縫の針を止めぬのである。前に鴨脚の大きい裁物板が据えられて、彩絹の裁片や糸や鋏やが順序なく四面に乱れている。女物の美しい色に、洋燈の光が明かに照り渡った。九月中旬の夜は更けて、稍々肌寒く、裏の土手下を甲武の貨物汽車がすさまじい地響を立てて通る。
下駄の音がする度に、今度こそは! 今度こそは! と待渡ったが、十一時が打って間もなく、小きざみな、軽い後歯の音が静かな夜を遠く響いて来た。
「今度のこそ、芳子さんですよ」
と姉は言った。
果してその足音が家の入口の前に留って、がらがらと格子が開く。
「芳子さん?」
「ええ」
と艶やかな声がする。
玄関から丈の高い庇髪の美しい姿がすっと入って来たが、
「あら、まア、先生!」
と声を立てた。その声には驚愕と当惑の調子が十分に籠っていた。
「大変遅くなって……」と言って、座敷と居間との間の閾の処に来て、半ば坐って、ちらりと電光のように時雄の顔色を窺ったが、すぐ紫の袱紗に何か包んだものを出して、黙って姉の方に押遣った。
「何ですか……お土産? いつもお気の毒ね?」
「いいえ、私も召上るんですもの」
と芳子は快活に言った。そして次の間へ行こうとしたのを、無理に洋燈の明るい眩しい居間の一隅に坐らせた。美しい姿、当世流の庇髪、派手なネルにオリイヴ色の夏帯を形よく緊めて、少し斜に坐った艶やかさ。時雄はその姿と相対して、一種状すべからざる満足を胸に感じ、今までの煩悶と苦痛とを半ば忘れて了った。有力な敵があっても、その恋人をだに占領すれば、それで心の安まるのは恋する者の常態である。
「大変に遅くなって了って……」
いかにも遣瀬ないというように微かに弁解した。
「中野へ散歩に行ったッて?」
時雄は突如として問うた。
「ええ……」芳子は時雄の顔色をまたちらりと見た。
姉は茶を淹れる。土産の包を開くと、姉の好きな好きなシュウクリーム。これはマアお旨しいと姉の声。で、暫く一座はそれに気を取られた。
少時してから、芳子が、
「先生、私の帰るのを待っていて下さったの?」
「ええ、ええ、一時間半位待ったのよ」
と姉が傍から言った。
で、その話が出て、都合さえよくば今夜からでも──荷物は後からでも好いから──一緒に伴れて行く積りで来たということを話した。芳子は下を向いて、点頭いて聞いていた。無論、その胸には一種の圧迫を感じたに相違ないけれど、芳子の心にしては、絶対に信頼して──今回の恋のことにも全心を挙げて同情してくれた師の家に行って住むことは別に甚しい苦痛でも無かった。寧ろ以前からこの昔風の家に同居しているのを不快に思って、出来るならば、初めのように先生の家にと願っていたのであるから、今の場合でなければ、かえって大に喜んだのであろうに……
時雄は一刻も早くその恋人のことを聞糺したかった。今、その男は何処にいる? 何時京都に帰るか? これは時雄に取っては実に重大な問題であった。けれど何も知らぬ姉の前で、打明けて問う訳にも行かぬので、この夜は露ほどもそのことを口に出さなかった。一座は平凡な物語に更けた。
今夜にもと時雄の言出したのを、だって、もう十二時だ、明日にした方が宜かろうとの姉の注意。で、時雄は一人で牛込に帰ろうとしたが、どうも不安心で為方がないような気がしたので、夜の更けたのを口実に、姉の家に泊って、明朝早く一緒に行くことにした。
芳子は八畳に、時雄は六畳に姉と床を並べて寝た。やがて姉の小さい鼾が聞えた。時計は一時をカンと鳴った。八畳では寝つかれぬと覚しく、おりおり高い長大息の気勢がする。甲武の貨物列車が凄じい地響を立てて、この深夜を独り通る。時雄も久しく眠られなかった。
五
翌朝時雄は芳子を自宅に伴った。二人になるより早く、時雄は昨日の消息を知ろうと思ったけれど、芳子が低頭勝に悄然として後について来るのを見ると、何となく可哀そうになって、胸に苛々する思を畳みながら、黙して歩いた。
佐内坂を登り了ると、人通りが少くなった。時雄はふと振返って、「それでどうしたの?」と突如として訊ねた。
「え?」
反問した芳子は顔を曇らせた。
「昨日の話さ、まだ居るのかね」
「今夜の六時の急行で帰ります」
「それじゃ送って行かなくってはいけないじゃないか」
「いいえ、もう好いんですの」
これで話は途絶えて、二人は黙って歩いた。
矢来町の時雄の宅、今まで物置にしておいた二階の三畳と六畳、これを綺麗に掃除して、芳子の住居とした。久しく物置──子供の遊び場にしておいたので、塵埃が山のように積っていたが、箒をかけ雑巾をかけ、雨のしみの附いた破れた障子を貼り更えると、こうも変るものかと思われるほど明るくなって、裏の酒井の墓塋の大樹の繁茂が心地よき空翠をその一室に漲らした。隣家の葡萄棚、打捨てて手を入れようともせぬ庭の雑草の中に美人草の美しく交って咲いているのも今更に目につく。時雄はさる画家の描いた朝顔の幅を選んで床に懸け、懸花瓶には後れ咲の薔薇の花を[11]※した。午頃に荷物が着いて、大きな支那鞄、柳行李、信玄袋、本箱、机、夜具、これを二階に運ぶのには中々骨が折れる。時雄はこの手伝いに一日社を休むべく余儀なくされたのである。
机を南の窓の下、本箱をその左に、上に鏡やら紅皿やら罎やらを順序よく並べた。押入の一方には支那鞄、柳行李、更紗の蒲団夜具の一組を他の一方に入れようとした時、女の移香が鼻を撲ったので、時雄は変な気になった。
午後二時頃には一室が一先ず整頓した。
「どうです、此処も居心は悪くないでしょう」時雄は得意そうに笑って、「此処に居て、まア緩くり勉強するです。本当に実際問題に触れてつまらなく苦労したって為方がないですからねえ」
「え……」と芳子は頭を垂れた。
「後で詳しく聞きましょうが、今の中は二人共じっとして勉強していなくては、為方がないですからね」
「え……」と言って、芳子は顔を挙げて、「それで先生、私達もそう思って、今はお互に勉強して、将来に希望を持って、親の許諾をも得たいと存じておりますの!」
「それが好いです。今、余り騒ぐと、人にも親にも誤解されて了って、折角の真面目な希望も遂げられなくなりますから」
「ですから、ね、先生、私は一心になって勉強しようと思いますの。田中もそう申しておりました。それから、先生に是非お目にかかってお礼を申上げなければ済まないと申しておりましたけれど……よく申上げてくれッて……」
「いや……」
時雄は芳子の言葉の中に、「私共」と複数を遣うのと、もう公然許嫁の約束でもしたかのように言うのとを不快に思った。まだ、十九か二十の妙齢の処女が、こうした言葉を口にするのを怪しんだ。時雄は時代の推移ったのを今更のように感じた。当世の女学生気質のいかに自分等の恋した時代の処女気質と異っているかを思った。勿論、この女学生気質を時雄は主義の上、趣味の上から喜んで見ていたのは事実である。昔のような教育を受けては、到底今の明治の男子の妻としては立って行かれぬ。女子も立たねばならぬ、意志の力を十分に養わねばならぬとはかれの持論である。この持論をかれは芳子に向っても尠からず鼓吹した。けれどこの新派のハイカラの実行を見てはさすがに眉を顰めずにはいられなかった。
男からは国府津の消印で帰途に就いたという端書が着いて翌日三番町の姉の家から届けて来た。居間の二階には芳子が居て、呼べば直ぐ返事をして下りて来る。食事には三度三度膳を並べて団欒して食う。夜は明るい洋燈を取巻いて、賑わしく面白く語り合う。靴下は編んでくれる。美しい笑顔を絶えず見せる。時雄は芳子を全く占領して、とにかく安心もし満足もした。細君も芳子に恋人があるのを知ってから、危険の念、不安の念を全く去った。
芳子は恋人に別れるのが辛かった。成ろうことなら一緒に東京に居て、時々顔をも見、言葉をも交えたかった。けれど今の際それは出来難いことを知っていた。二年、三年、男が同志社を卒業するまでは、たまさかの雁の音信をたよりに、一心不乱に勉強しなければならぬと思った。で、午後からは、以前の如く麹町の某英学塾に通い、時雄も小石川の社に通った。
時雄は夜などおりおり芳子を自分の書斎に呼んで、文学の話、小説の話、それから恋の話をすることがある。そして芳子の為めにその将来の注意を与えた。その時の態度は公平で、率直で、同情に富んでいて、決して泥酔して厠に寝たり、地上に横たわったりした人とは思われない。さればと言って、時雄はわざとそういう態度にするのではない、女に対っている刹那──その愛した女の歓心を得るには、いかなる犠牲も甚だ高価に過ぎなかった。
で、芳子は師を信頼した。時期が来て、父母にこの恋を告ぐる時、旧思想と新思想と衝突するようなことがあっても、この恵深い師の承認を得さえすればそれで沢山だとまで思った。
九月は十月になった。さびしい風が裏の森を鳴らして、空の色は深く碧く、日の光は透通った空気に射渡って、夕の影が濃くあたりを隈どるようになった。取り残した芋の葉に雨は終日降頻って、八百屋の店には松茸が並べられた。垣の虫の声は露に衰えて、庭の桐の葉も脆くも落ちた。午前の中の一時間、九時より十時までを、ツルゲネーフの小説の解釈、芳子は師のかがやく眼の下に、机に斜に坐って、「オン、ゼ、イブ」の長い長い物語に耳を傾けた。エレネの感情に烈しく意志の強い性格と、その悲しい悲壮なる末路とは如何にかの女を動かしたか。芳子はエレネの恋物語を自分に引くらべて、その身を小説の中に置いた。恋の運命、恋すべき人に恋する機会がなく、思いも懸けぬ人にその一生を任した運命、実際芳子の当時の心情そのままであった。須磨の浜で、ゆくりなく受取った百合の花の一葉の端書、それがこうした運命になろうとは夢にも思い知らなかったのである。
雨の森、闇の森、月の森に向って、芳子はさまざまにその事を思った。京都の夜汽車、嵯峨の月、膳所に遊んだ時には湖水に夕日が美しく射渡って、旅館の中庭に、萩が絵のように咲乱れていた。その二日の遊は実に夢のようであったと思った。続いてまだその人を恋せぬ前のこと、須磨の海水浴、故郷の山の中の月、病気にならぬ以前、殊にその時の煩悶を考えると、頬がおのずから赧くなった。
空想から空想、その空想はいつか長い手紙となって京都に行った。京都からも殆ど隔日のように厚い厚い封書が届いた。書いても書いても尽くされぬ二人の情──余りその文通の頻繁なのに時雄は芳子の不在を窺って、監督という口実の下にその良心を抑えて、こっそり机の抽出やら文箱やらをさがした。捜し出した二三通の男の手紙を走り読みに読んだ。
恋人のするような甘ったるい言葉は到る処に満ちていた。けれど時雄はそれ以上にある秘密を捜し出そうと苦心した。接吻の痕、性慾の痕が何処かに顕われておりはせぬか。神聖なる恋以上に二人の間は進歩しておりはせぬか、けれど手紙にも解らぬのは恋のまことの消息であった。
一カ月は過ぎた。
ところが、ある日、時雄は芳子に宛てた一通の端書を受取った。英語で書いてある端書であった。何気なく読むと、一月ほどの生活費は準備して行く、あとは東京で衣食の職業が見附かるかどうかという意味、京都田中としてあった。時雄は胸を轟かした。平和は一時にして破れた。
晩餐後、芳子はその事を問われたのである。
芳子は困ったという風で、「先生、本当に困って了ったんですの。田中が東京に出て来ると云うのですもの、私は二度、三度まで止めて遣ったんですけれど、何だか、宗教に従事して、虚偽に生活してることが、今度の動機で、すっかり厭になって了ったとか何とかで、どうしても東京に出て来るッて言うんですよ」
「東京に来て、何をするつもりなんだ?」
「文学を遣りたいと──」
「文学? 文学ッて、何だ。小説を書こうと言うのか」
「え、そうでしょう……」
「馬鹿な!」
と時雄は一喝した。
「本当に困って了うんですの」
「貴嬢はそんなことを勧めたんじゃないか」
「いいえ」と烈しく首を振って、「私はそんなこと……私は今の場合困るから、せめて同志社だけでも卒業してくれッて、この間初めに申して来た時に達って止めて遣ったんですけれど……もうすっかり独断でそうして了ったんですッて。今更取かえしがつかぬようになって了ったんですッて」
「どうして?」
「神戸の信者で、神戸の教会の為めに、田中に学資を出してくれている神津という人があるのですの。その人に、田中が宗教は自分には出来ぬから、将来文学で立とうと思う。どうか東京に出してくれと言って遣ったんですの。すると大層怒って、それならもう構わぬ、勝手にしろと言われて、すっかり支度をしてしまったんですって、本当に困って了いますの」
「馬鹿な!」
と言ったが、「今一度留めて遣んなさい。小説で立とうなんて思ったッて、とても駄目だ、全く空想だ、空想の極端だ。それに、田中が此方に出て来ていては、貴嬢の監督上、私が非常に困る。貴嬢の世話も出来んようになるから、厳しく止めて遣んなさい!」
芳子は[12]愈※困ったという風で、「止めてはやりますけれど、手紙が行違いになるかも知れませんから」
「行違い? それじゃもう来るのか」
時雄は眼を[13]※った。
「今来た手紙に、もう手紙をよこしてくれても行違いになるからと言ってよこしたんですから」
「今来た手紙ッて、さっきの端書の又後に来たのか」
芳子は点頭いた。
「困ったね。だから若い空想家は駄目だと言うんだ」
平和は再び攪乱さるることとなった。
六
一日置いて今夜の六時に新橋に着くという電報があった。電報を持って、芳子はまごまごしていた。けれど夜ひとり若い女を出して遣る訳に行かぬので、新橋へ迎えに行くことは許さなかった。
翌日は逢って達って諌めてどうしても京都に還らせるようにすると言って、芳子はその恋人の許を訪うた。その男は停車場前のつるやという旅館に宿っているのである。
時雄が社から帰った時には、まだとても帰るまいと思った芳子が既にその笑顔を玄関にあらわしていた。聞くと田中は既にこうして出て来た以上、どうしても京都には帰らぬとのことだ。で、芳子は殆ど喧嘩をするまでに争ったが、矢張断として可かぬ。先生を頼りにして出京したのではあるが、そう聞けば、なるほど御尤である。監督上都合の悪いというのもよく解りました。けれど今更帰れませぬから、自分で如何ようにしても自活の道を求めて目的地に進むより他はないとまで言ったそうだ。時雄は不快を感じた。
時雄は一時は勝手にしろと思った。放っておけとも思った。けれど圏内の一員たるかれにどうして全く風馬牛たることを得ようぞ。芳子はその後二三日訪問した形跡もなく、学校の時間には正確に帰って来るが、学校に行くと称して恋人の許に寄りはせぬかと思うと、胸は疑惑と嫉妬とに燃えた。
時雄は懊悩した。その心は日に幾遍となく変った。ある時は全く犠牲になって二人の為めに尽そうと思った。ある時はこの一伍一什を国に報じて一挙に破壊して了おうかと思った。けれどこの何れをも敢てすることの出来ぬのが今の心の状態であった。
細君が、ふと、時雄に耳語した。
「あなた、二階では、これよ」と針で着物を縫う真似をして、小声で、「きっと……上げるんでしょう。紺絣の書生羽織! 白い木綿の長い紐も買ってありますよ」
「本当か?」
「え」
と細君は笑った。
時雄は笑うどころではなかった。
芳子が今日は先生少し遅くなりますからと顔を赧くして言った。「彼処に行くのか」と問うと、「いいえ! 一寸友達の処に用があって寄って来ますから」
その夕暮、時雄は思切って、芳子���恋人の下宿を訪問した。
「まことに、先生にはよう申訳がありまえんのやけれど……」長い演説調の雄弁で、形式的の申訳をした後、田中という中脊の、少し肥えた、色の白い男が祈祷をする時のような眼色をして、さも同情を求めるように言った。
時雄は熱していた。「然し、君、解ったら、そうしたら好いじゃありませんか、僕は君等の将来を思って言うのです。芳子は僕の弟子です。僕の責任として、芳子に廃学させるには忍びん。君が東京にどうしてもいると言うなら、芳子を国に帰すか、この関係を父母に打明けて許可を乞うか、二つの中一つを選ばんければならん。君は君の愛する女を君の為めに山の中に埋もらせるほどエゴイスチックな人間じゃありますまい。君は宗教に従事することが今度の事件の為めに厭になったと謂うが、それは一種の考えで、君は忍んで、京都に居りさえすれば、万事円満に、二人の間柄も将来希望があるのですから」
「よう解っております……」
「けれど出来んですか」
「どうも済みませんけど……制服も帽子も売ってしもうたで、今更帰るにも帰れまえんという次第で……」
「それじゃ芳子を国に帰すですか」
かれは黙っている。
「国に言って遣りましょうか」
矢張黙っていた。
「私の東京に参りましたのは、そういうことには寧ろ関係しない積でおます。別段こちらに居りましても、二人の間にはどうという……」
「それは君はそう言うでしょう。けれど、それでは私は監督は出来ん。恋はいつ惑溺するかも解らん」
「私はそないなことは無いつもりですけどナ」
「誓い得るですか」
「静かに、勉強して行かれさえすれァナ、そないなことありませんけどナ」
「だから困るのです」
こういう会話──要領を得ない会話を繰返して長く相対した。時雄は将来の希望という点、男子の犠牲という点、事件の進行という点からいろいろさまざまに帰国を勧めた。時雄の眼に映じた田中秀夫は、想像したような一箇秀麗な丈夫でもなく天才肌の人とも見えなかった。麹町三番町通の安旅人宿、三方壁でしきられた暑い室に初めて相対した時、先ずかれの身に迫ったのは、基督教に養われた、いやに取澄ました、年に似合わぬ老成な、厭な不愉快な態度であった。京都訛の言葉、色の白い顔、やさしいところはいくらかは��るが、多い青年の中からこうした男を特に選んだ芳子の気が知れなかった。殊に時雄が最も厭に感じたのは、天真流露という率直なところが微塵もなく、自己の罪悪にも弱点にも種々の理由を強いてつけて、これを弁解しようとする形式的態度であった。とは言え、実を言えば、時雄の激しい頭脳には、これがすぐ直覚的に明かに映ったと云うではなく、座敷の隅に置かれた小さい旅鞄や憐れにもしおたれた白地の浴衣などを見ると、青年空想の昔が思い出されて、こうした恋の為め、煩悶もし、懊悩もしているかと思って、憐憫の情も起らぬではなかった。
この暑い一室に相対して、趺坐をもかかず、二人は尠くとも一時間以上語った。話は遂に要領を得なかった。「先ず今一度考え直して見給え」くらいが最後で、時雄は別れて帰途に就いた。
何だか馬鹿らしいような気がした。愚なる行為をしたように感じられて、自らその身を嘲笑した。心にもないお世辞をも言い、自分の胸の底の秘密を蔽う為めには、二人の恋の温情なる保護者となろうとまで言ったことを思い出した。安飜訳の仕事を周旋して貰う為め、某氏に紹介の労を執ろうと言ったことをも思い出した。そして自分ながら自分の意気地なく好人物なのを罵った。
時雄は幾度か考えた。寧ろ国に報知して遣ろうか、と。けれどそれを報知するに、どういう態度を以てしようかというのが大問題であった。二人の恋の関鍵を自ら握っていると信ずるだけそれだけ時雄は責任を重く感じた。その身の不当の嫉妬、不当の恋情の為めに、その愛する女の熱烈なる恋を犠牲にするには忍びぬと共に、自ら言った「温情なる保護者」として、道徳家の如く身を処するにも堪えなかった。また一方にはこの事が国に知れて芳子が父母の為めに伴われて帰国するようになるのを恐れた。
芳子が時雄の書斎に来て、頭を垂れ、声を低うして、その希望を述べたのはその翌日の夜であった。如何に説いても男は帰らぬ。さりとて国へ報知すれば、父母の許さぬのは知れたこと、時宜に由れば忽ち迎いに来ぬとも限らぬ。男も折角ああして出て来たことでもあり二人の間も世の中の男女の恋のように浅く思い浅く恋した訳でもないから、決して汚れた行為などはなく、惑溺するようなことは誓って為ない。文学は難かしい道、小説を書いて一家を成そうとするのは田中のようなものには出来ぬかも知れねど、同じく将来を進むなら、共に好む道に携わりたい。どうか暫くこのままにして東京に置いてくれとの頼み。時雄はこの余儀なき頼みをすげなく却けることは出来なかった。時雄は京都嵯峨に於ける女の行為にその節操を疑ってはいるが、一方には又その弁解をも信じて、この若い二人の間にはまだそんなことはあるまいと思っていた。自分の青年の経験に照らしてみても、神聖なる霊の恋は成立っても肉の恋は決してそう容易に実行されるものではない。で、時雄は惑溺せぬものならば、暫くこのままにしておいて好いと言って、そして縷々として霊の恋愛、肉の恋愛、恋愛と人生との関係、教育ある新しい女の当に守るべきことなどに就いて、切実にかつ真摯に教訓した。古人が女子の節操を誡めたのは社会道徳の制裁よりは、寧ろ女子の独立を保護する為であるということ、一度肉を男子に許せば女子の自由が全く破れるということ、西洋の女子はよくこの間の消息を解しているから、男女交際をして不都合がないということ、日本の新しい婦人も是非ともそうならなければならぬということなど主なる教訓の題目であったが、殊に新派の女子ということに就いて痛切に語った。
芳子は低頭いてきいていた。
時雄は興に乗じて、
「そして一体、どうして生活しようというのです?」
「少しは準備もして来たんでしょう、一月位は好いでしょうけれど……」
「何か旨い口でもあると好いけれど」と時雄は言った。
「実は先生に御縋り申して、誰も知ってるものがないのに出て参りましたのですから、大層失望しましたのですけれど」
「だッて余り突飛だ。一昨日逢ってもそう思ったが、どうもあれでも困るね」
と時雄は笑った。
「どうか又御心配下さるように……この上御心配かけては申訳がありませんけれど」と芳子は縋るようにして顔を赧めた。
「心配せん方が好い、どうかなるよ」
芳子が出て行った後、時雄は急に険しい難かしい顔に成った。「自分に……自分に、この恋の世話が出来るだろうか」と独りで胸に反問した。「若い鳥は若い鳥でなくては駄目だ。自分等はもうこの若い鳥を引く美しい羽を持っていない」こう思うと、言うに言われぬ寂しさがひしと胸を襲った。「妻と子──家庭の快楽だと人は言うが、それに何の意味がある。子供の為めに生存している妻は生存の意味があろうが、妻を子に奪われ、子を妻に奪われた夫はどうして寂寞たらざるを得るか」時雄はじっと洋燈を見た。
机の上にはモウパッサンの「死よりも強し」が開かれてあった。
二三日経って後、時雄は例刻に社から帰って火鉢の前に坐ると、細君が小声で、
「今日来てよ」
「誰が」
「二階の……そら芳子さんの好い人」
細君は笑った。
「そうか……」
「今日一時頃、御免なさいと玄関に来た人があるですから、私が出て見ると、顔の丸い、絣の羽織を着た、白縞の袴を穿いた書生さんが居るじゃありませんか。また、原稿でも持って来た書生さんかと思ったら、横山さんは此方においでですかと言うじゃありませんか。はて、不思議だと思ったけれど、名を聞きますと、田中……。はア、それでその人だナと思ったんですよ。厭な人ねえ、あんな人を、あんな書生さんを恋人にしないたッて、いくらも好いのがあるでしょうに。芳子さんは余程物好きね。あれじゃとても望みはありませんよ」
「それでどうした?」
「芳子さんは嬉しいんでしょうけど、何だか極りが悪そうでしたよ。私がお茶を持って行って上げると、芳子さんは机の前に坐っている。その前にその人が居て、今まで何か話していたのを急に止して黙ってしまった。私は変だからすぐ下りて来たですがね、……何だか変ね、……今の若い人はよくああいうことが出来てね、私のその頃には男に見られるのすら恥かしくって恥かしくって為方がなかったものですのに……」
「時代が違うからナ」
「いくら時代が違っても、余り新派過ぎると思いましたよ。堕落書生と同じですからね。それゃうわべが似ているだけで、心はそんなことはないでしょうけれど、何だか変ですよ」
「そんなことはどうでも好い。それでどうした?」
「お鶴(下女)が行って上げると言うのに、好いと言って、御自分で出かけて、餅菓子と焼芋を買って来て、御馳走してよ。……お鶴も笑っていましたよ。お湯をさしに上ると、二人でお旨しそうにおさつを食べているところでしたッて……」
時雄も笑わざるを得なかった。
細君は猶語り続いだ。「そして随分長く高い声で話していましたよ。議論みたいなことも言って、芳子さんもなかなか負けない様子でした」
「そしていつ帰った?」
「もう少し以前」
「芳子は居るか」
「いいえ、路が分からないから、一緒に其処まで送って行って来るッて出懸けて行ったんですよ」
時雄は顔を曇らせた。
夕飯を食っていると、裏口から芳子が帰って来た。急いで走って来たと覚しく、せいせい息を切っている。
「何処まで行らしった?」
と細君が問うと、
「神楽坂まで」と答えたが、いつもする「おかえりなさいまし」を時雄に向って言って、そのままばたばたと二階へ上った。すぐ下りて来るかと思うに、なかなか下りて来ない。「芳子さん、芳子さん」と三度ほど細君が呼ぶと、「はアーい」という長い返事が聞えて、矢張下りて来ない。お鶴が迎いに行って漸く二階を下りて来たが、準備した夕飯の膳を他所に、柱に近く、斜に坐った。
「御飯は?」
「もう食べたくないの、腹が一杯で」
「余りおさつを召上った故でしょう」
「あら、まア、酷い奥さん。いいわ、奥さん」
と睨む真似をする。
細君は笑って、
「芳子さん、何だか変ね」
「何故?」と長く引張る。
「何故でも無いわ」
「いいことよ、奥さん」
と又睨んだ。
時雄は黙ってこの嬌態に対していた。胸の騒ぐのは無論である。不快の情はひしと押し寄せて来た。芳子はちらと時雄の顔を覗ったが、その不機嫌なのが一目で解った。で、すぐ態度を改めて、
「先生、今日田中が参りましてね」
「そうだってね」
「お目にかかってお礼を申上げなければならんのですけれども、又改めて上がりますからッて……よろしく申上げて……」
「そうか」
と言ったが、そのままふいと立って書斎に入って了った。
その恋人が東京に居ては、仮令自分が芳子をその二階に置いて監督しても、時雄は心を安んずる暇はなかった。二人の相逢うことを妨げることは絶対に不可能である。手紙は無論差留めることは出来ぬし、「今日ちょっと田中に寄って参りますから、一時間遅くなります」と公然と断って行くのをどうこう言う訳には行かなかった。またその男が訪問して来るのを非常に不快に思うけれど、今更それを謝絶することも出来なかった。時雄はいつの間にか、この二人からその恋に対しての「温情の保護者」として認められて了った。
時雄は常に苛々していた。書かなければならぬ原稿が幾種もある。書肆からも催促される。金も欲しい。けれどどうしても筆を執って文を綴るような沈着いた心の状態にはなれなかった。強いて試みてみることがあっても、考が纒らない。本を読んでも二頁も続けて読む気になれない。二人の恋の温かさを見る度に、胸を燃して、罪もない細君に当り散��して酒を飲んだ。晩餐の菜が気に入らぬと云って、御膳を蹴飛した。夜は十二時過に酔って帰って来ることもあった。芳子はこの乱暴な不調子な時雄の行為に尠なからず心を痛めて、「私がいろいろ御心配を懸けるもんですからね、私が悪いんですよ」と詫びるように細君に言った。芳子はなるたけ手紙の往復を人に見せぬようにし、訪問も三度に一度は学校を休んでこっそり行くようにした。時雄はそれに気が附いて一層懊悩の度を増した。
野は秋も暮れて木枯の風が立った。裏の森の銀杏樹も黄葉して夕の���を美しく彩った。垣根道には反かえった落葉ががさがさと転がって行く。鵙の鳴音がけたたましく聞える。若い二人の恋が[14]愈※人目に余るようになったのはこの頃であった。時雄は監督上見るに見かねて、芳子を説勧めて、この一伍一什を故郷の父母に報ぜしめた。そして時雄もこの恋に関しての長い手紙を芳子の父に寄せた。この場合にも時雄は芳子の感謝の情を十分に贏ち得るように勉めた。時雄は心を欺いて、──悲壮なる犠牲と称して、この「恋の温情なる保護者」となった。
備中の山中から数通の手紙が来た。
七
その翌年の一月には、時雄は地理の用事で、上武の境なる利根河畔に出張していた。彼は昨年の年末からこの地に来ているので、家のこと──芳子のことが殊に心配になる。さりとて公務を如何ともすることが出来なかった。正月になって二日にちょっと帰京したが、その時は次男が歯を病んで、妻と芳子とが頻りにそれを介抱していた。妻に聞くと、芳子の恋は更に惑溺の度を加えた様子。大晦日の晩に、田中が生活のたつきを得ず、下宿に帰ることも出来ずに、終夜運転の電車に一夜を過したということ、余り頻繁に二人が往来するので、それをそれとなしに注意して芳子と口争いをしたということ、その他種々のことを聞いた。困ったことだと思った。一晩泊って再び利根の河畔に戻った。
今は五日の夜であった。茫とした空に月が暈を帯びて、その光が川の中央にきらきらと金を砕いていた。時雄は机の上に一通の封書を展いて、深くその事を考えていた。その手紙は今少し前、旅館の下女が置いて行った芳子の筆である。
[15]
先生、
まことに、申訳が御座いません。先生の同情ある御恩は決して一生経っても忘るることでなく、今もそのお心を思うと、涙が滴るるのです。
父母はあの通りです。先生があのように仰しゃって下すっても、旧風の頑固で、私共の心を汲んでくれようとも致しませず、泣いて訴えましたけれど、許してくれません。母の手紙を見れば泣かずにはおられませんけれど、少しは私の心も汲んでくれても好いと思います。恋とはこう苦しいものかと今つくづく思い当りました。先生、私は決心致しました。聖書にも女は親に離れて夫に従うと御座います通り、私は田中に従おうと存じます。
田中は未だに生活のたつきを得ませず、準備した金は既に尽き、昨年の暮れは、うらぶれの悲しい生活を送ったので御座います。私はもう見ているに忍びません。国からの補助を受けませんでも、私等は私等二人で出来るまでこの世に生きてみようと思います。先生に御心配を懸けるのは、まことに済みません。監督上、御心配なさるのも御尤もです。けれど折角先生があのように私等の為めに国の父母をお説き下すったにも係らず、父母は唯無意味に怒ってばかりいて、取合ってくれませんのは、余りと申せば無慈悲です、勘当されても為方が御座いません。堕落々々と申して、殆ど歯せぬばかりに申しておりますが、私達の恋はそんなに不真面目なもので御座いましょうか。それに、家の門地々々と申しますが、私は恋を父母の都合によって致すような旧式の女でないことは先生もお許し下さるでしょう。
先生、
私は決心致しました。昨日上野図書館で女の見習生が入用だという広告がありましたから、応じてみようと思います。二人して一生懸命に働きましたら、まさかに餓えるようなことも御座いますまい。先生のお家にこうして居ますればこそ、先生にも奥様にも御心配を懸けて済まぬので御座います。どうか先生、私の決心をお許し下さい。
[16]芳子
[17]
先生 おんもとへ
[18]
恋の力は遂に二人を深い惑溺の淵に沈めたのである。時雄はもうこうしてはおかれぬと思った。時雄が芳子の歓心を得る為めに取った「温情の保護者」としての態度を考えた。備中の父親に寄せた手紙、その手紙には、極力二人の恋を庇保して、どうしてもこの恋を許して貰わねばならぬという主旨であった。時雄は父母の到底これを承知せぬことを知っていた。寧ろ父母の極力反対することを希望していた。父母は果して極力反対して来た。言うことを聞かぬなら勘当するとまで言って来た。二人はまさに受くべき恋の報酬を受けた。時雄は芳子の為めに飽まで弁明し、汚れた目的の為めに行われたる恋でないことを言い、父母の中一人、是非出京してこの問題を解決して貰いたいと言い送った。けれど故郷の父母は、監督なる時雄がそういう主張であるのと、到底その口から許可することが出来ぬのとで、上京しても無駄であると云って出て来なかった。
時雄は今、芳子の手紙に対して考えた。
二人の状態は最早一刻も猶予すべからざるものとなっている。時雄の監督を離れて二人一緒に暮したいという大胆な言葉、その言葉の中には警戒すべき分子の多いのを思った。いや、既に一歩を進めているかも知れぬと思った。又一面にはこれほどその為めに尽力しているのに、その好意を無にして、こういう決心をするとは義理知らず、情知らず、勝手にするが好いとまで激した。
時雄は胸の轟きを静める為め、月朧なる利根川の堤の上を散歩した。月が暈を帯びた夜は冬ながらやや暖かく、土手下の家々の窓には平和な燈火が静かに輝いていた。川の上には薄い靄が懸って、おりおり通る船の艫の音がギイと聞える。下流でおーいと渡しを呼ぶものがある。舟橋を渡る車の音がとどろに響いてそして又一時静かになる。時雄は土手を歩きながら種々のことを考えた。芳子のことよりは一層痛切に自己の家庭のさびしさということが胸を往来した。三十五六歳の男女の最も味うべき生活の苦痛、事業に対する煩悩、性慾より起る不満足等が凄じい力でその胸を圧迫した。芳子はかれの為めに平凡なる生活の花でもあり又糧でもあった。芳子の美しい力に由って、荒野の如き胸に花咲き、錆び果てた鐘は再び鳴ろうとした。芳子の為めに、復活の活気は新しく鼓吹された。であるのに再び寂寞荒涼たる以前の平凡なる生活にかえらなければならぬとは……。不平よりも、嫉妬よりも、熱い熱い涙がかれの頬を伝った。
かれは真面目に芳子の恋とその一生とを考えた。二人同棲して後の倦怠、疲労、冷酷を自己の経験に照らしてみた。そして一たび男子に身を任せて後の女子の境遇の憐むべきを思い遣った。自然の最奥に秘める暗黒なる力に対する厭世の情は今彼の胸を簇々として襲った。
真面目なる解決を施さなければならぬという気になった。今までの自分の行為の甚だ不自然で不真面目であるのに思いついた。時雄はその夜、備中の山中にある芳子の父母に寄する手紙を熱心に書いた。芳子の手紙をその中に巻込んで、二人の近況を詳しく記し、最後に、
[19]
父たる貴下と師たる小生と当事者たる二人と相対して、此の問題を真面目に議すべき時節到来せりと存候、貴下は父としての主張あるべく、芳子は芳子としての自由あるべく、小生また師としての意見有之候、御多忙の際には有之候えども、是非々々御出京下され度、幾重にも希望仕候。
[20]
と書いて筆を結んだ。封筒に収めて備中国新見町横山兵蔵様と書いて、傍に置いて、じっとそれを見入った。この一通が運命の手だと思った。思いきって婢を呼んで渡した。
一日二日、時雄はその手紙の備中の山中に運ばれて行くさまを想像した。四面山で囲まれた小さな田舎町、その中央にある大きな白壁造、そこに郵便脚夫が配達すると、店に居た男がそれを奥へ持って行く。丈の高い、髯のある主人がそれを読む──運命の力は一刻毎に迫って来た。
八
十日に時雄は東京に帰った。
その翌日、備中から返事があって、二三日の中に父親が出発すると報じて来た。
芳子も田中も今の際、寧ろそれを希望しているらしく、別にこれと云って驚いた様子も無かった。
父親が東京に着いて、先ず京橋に宿を取って、牛込の時雄の宅を訪問したのは十六日の午前十一時頃であった。丁度日曜で、時雄は宅に居た。父親はフロックコートを着て、中高帽を冠って、長途の旅行に疲れたという風であった。
芳子はその日医師へ行っていた。三日程前から風邪を引いて、熱が少しあった。頭痛がすると言っていた。間もなく帰って来たが、裏口から何の気なしに入ると、細君が、「芳子さん、芳子さん、大変よ、お父さんが来てよ」
「お父さん」
と芳子もさすがにはっとした。
そのまま二階に上ったが下りて来ない。
奥で、「芳子は?」と呼ぶので、細君が下から呼んでみたが返事がない。登って行って見ると、芳子は机の上に打伏している。
「芳子さん」
返事が無い。
傍に行って又呼ぶと、芳子は青い神経性の顔を擡げた。
「奥で呼んでいますよ」
「でもね、奥さん、私はどうして父に逢われるでしょう」
泣いているのだ。
「だッて、父様に久し振じゃありませんか。どうせ逢わないわけには行かんのですもの。何アにそんな心配をすることはありませんよ、大丈夫ですよ」
「だッて、奥さん」
「本当に大丈夫ですから、しっかりなさいよ、よくあなたの心を父様にお話しなさいよ。本当に大丈夫ですよ」
芳子は遂に父親の前に出た。鬚多く、威厳のある中に何処となく優しいところのある懐かしい顔を見ると、芳子は涙の漲るのを禁め得なかった。旧式な頑固な爺、若いものの心などの解らぬ爺、それでもこの父は優しい父であった。母親は万事に気が附いて、よく面倒を見てくれたけれど、何故か芳子には母よりもこの父の方が好かった。その身の今の窮迫を訴え、泣いてこの恋の真面目なのを訴えたら父親もよもや動かされぬことはあるまいと思った。
「芳子、暫くじゃッたの��……体は丈夫かの?」
「お父さま……」芳子は後を言い得なかった。
「今度来ます時に……」と父親は傍に坐っている時雄に語った。「佐野と御殿場でしたかナ、汽車に故障がありましてナ、二時間ほど待ちました。機関が破裂しましてナ」
「それは……」
「全速力で進行している中に、凄じい音がしたと思いましたけえ、汽車が夥しく傾斜してだらだらと逆行しましてナ、何事かと思いました。機関が破裂して火夫が二人とか即死した……」
「それは危険でしたナ」
「沼津から機関車を持って来てつけるまで二時間も待ちましたけえ、その間もナ、思いまして……これの為めにこうして東京に来ている途中、もしもの事があったら、芳(と今度は娘の方を見て)お前も兄弟に申訳が無かろうと思ったじゃわ」
芳子は頭を垂れて黙っていた。
「それは危険でした。それでも別にお怪我もなくって結構でした」
「え、まア」
父親と時雄は暫くその機関破裂のことに就いて語り合った。不図、芳子は、
「お父様、家では皆な変ることは御座いません?」
「うむ、皆な達者じゃ」
「母さんも……」
「うむ、今度も私が忙しいけえナ、母に来て貰うように言うてじゃったが、矢張、私の方が好いじゃろうと思って……」
「兄さんも御達者?」
「うむ、あれもこの頃は少し落附いている」
かれこれする中に、午飯の膳が出た。芳子は自分の室に戻った。食事を終って、茶を飲みながら、時雄は前からのその問題を語り続いだ。
「で、貴方はどうしても不賛成?」
「賛成しようにもしまいにも、まだ問題になりおりませんけえ。今、仮に許して、二人一緒にするに致しても、男が二十二で、同志社の三年生では……」
「それは、そうですが、人物を御覧の上、将来の約束でも……」
「いや、約束などと、そんなことは致しますまい。私は人物を見たわけでありませんけえ、よく知りませんけどナ、女学生の上京の途次を要して途中に泊らせたり、年来の恩ある神戸教会の恩人を一朝にして捨て去ったりするような男ですけえ、とても話にはならぬと思いますじゃ。この間、芳から母へよこした手紙に、その男が苦しんでおるじゃで、どうか御察し下すって、私の学費を少くしても好いから、早稲田に通う位の金を出してくれと書いてありましたげな、何かそういう計画で芳がだまされておるんではないですかな」
「そんなことは無いでしょうと思うですが……」
「どうも怪しいことがあるです。芳子と約束が出来て、すぐ宗教が厭になって文学が好きになったと言うのも可笑しし、その後をすぐ追って出て来て、貴方などの御説諭も聞かずに、衣食に苦しんでまでもこの東京に居るなども意味がありそうですわい」
「それは恋の惑溺であるかも知れませんから善意に解釈することも出来ますが」
「それにしても許可するのせぬのとは問題になりませんけえ、結婚の約束は大きなことでして……。それにはその者の身分も調べて、此方の身分との釣合も考えなければなりませんし、血統を調べなければなりません。それに人物が第一です。貴方の御覧になるところでは、秀才だとか仰しゃってですが……」
「いや、そう言うわけでも無かったです」
「一体、人物はどういう……」
「それは却って母さんなどが御存じだと言うことですが」
「何アに、須磨の日曜学校で一二度会ったことがある位、妻もよく知らんそうですけえ。何でも神戸では多少秀才とか何とか言われた男で、芳は女学院に居る頃から知っておるのでしょうがナ。説教や祈祷などを遣らせると、大人も及ばぬような巧いことを遣りおったそうですけえ」
「それで話が演説調になるのだ、形式的になるのだ、あの厭な上目を使うのは、祈祷をする時の表情だ」と時雄は心の中に合点した。あの厭な表情で若い女を迷わせるのだなと続いて思って厭な気がした。
「それにしても、結局はどうしましょう? 芳子さんを伴れてお帰りになりますか」
「されば……なるたけは連れて帰りたくないと思いますがナ。村に娘を伴れて突然帰ると、どうも際立って面白くありません。私も妻も種々村の慈善事業や名誉職などを遣っておりますけえ、今度のことなどがぱっとしますと、非常に困る場合もあるです……。で、私は、貴方の仰しゃる通り、出来得べくば、男を元の京都に帰して、此処一二年、娘は猶お世話になりたいと存じておりますじゃが……」
「それが好いですな」
と時雄は言った。
二人の間柄に就いての談話も一二あった。時雄は京都嵯峨の事情、その以後の経過を話し、二人の間には神聖の霊の恋のみ成立っていて、汚い関係は無いであろうと言った。父親はそれを聴いて点頭きはしたが、「でもまア、その方の関係もあるものとして見なければなりますまい」と言った。
父親の胸には今更娘に就いての悔恨の情が多かった。田舎ものの虚栄心の為めに神戸女学院のような、ハイカラな学校に入れて、その寄宿舎生活を行わせたことや、娘の切なる希望を容れて小説を学ぶべく東京に出したことや、多病の為めに言うがままにして余り検束を加えなかったことや、いろいろなことが簇々と胸に浮んだ。
一時間後にはわざわざ迎いに遣った田中がこの室に来ていた。芳子もその傍に庇髪を俛れて談話を聞いていた。父親の眼に映じた田中は元より気に入った人物ではなかった。その白縞の袴を着け、紺がすりの羽織を着た書生姿は、軽蔑の念と憎悪の念とをその胸に漲らしめた。その所有物を奪った憎むべき男という感は、曽つて時雄がその下宿でこの男を見た時の感と甚だよく似ていた。
田中は袴の襞を正して、しゃんと坐ったまま、多く二尺先位の畳をのみ見ていた。服従という態度よりも反抗という態度が歴々としていた。どうも少し固くなり過ぎて、芳子を自分の自由にする或る権利を持っているという風に見えていた。
談話は真面目にかつ烈しかった。父親はその破廉恥を敢て正面から責めはしないが、おりおり苦い皮肉をその言葉の中に交えた。初めは時雄が口を切ったが、中頃から重に父親と田中とが語った。父親は県会議員をした人だけあって、言葉の抑揚頓挫が中々巧みであった。演説に慣れた田中も時々沈黙させられた。二人の恋の許可不許可も問題に上ったが、それは今研究すべき題目でないとして却けられ、当面の京都帰還問題が論ぜられた。
恋する二人──殊に男に取っては、この分離は甚だ辛いらしかった。男は宗教的資格を全く失ったということ、帰るべく家をも国をも持たぬということ、二三月来飄零の結果漸く東京に前途の光明を認め始めたのに、それを捨てて去るに忍びぬということなぞを楯として、頻りに帰国の不可能を主張した。
父親は懇々として説いた。
「今更京都に帰れないという、それは帰れないに違いない。けれど今の場合である。愛する女子ならその女子の為めに犠牲になれぬということはあるまいじゃ。京都に帰れないから田舎に帰る。帰れば自分の目的が達せられぬというが、其処を言うのじゃ。其処を犠牲になっても好かろうと言うのじゃ」
田中は黙して下を向いた。容易に諾しそうにも無い。
先程から黙って聞いていた時雄は、男が余りに頑固なのに、急に声を励して、「君、僕は先程から聞いていたが、あれほどに言うお父さんの言葉が解らんですか。お父さんは、君の罪をも問わず、破廉恥をも問わず、将来もし縁があったら、この恋愛を承諾せぬではない。君もまだ年が若い、芳子さんも今修業最中である。だから二人は今暫くこの恋愛問題を未解決の中にそのままにしておいて、そしてその行末を見ようと言うのが解らんですか。今の場合、二人はどうしても一緒には置かれぬ。何方かこの東京を去らなくってはならん。この東京を去るということに就いては、君が先ず去るのが至当だ。何故かと謂えば、君は芳子の後を追うて来たのだから」
「よう解っております」と田中は答えた。「私が万事悪いのでございますから、私が一番に去らなければなりません。先生は今、この恋愛を承諾して下されぬではないと仰しゃったが、お父様の先程の御言葉では、まだ満足致されぬような訳でして……」
「どういう意味です」
と時雄は反問した。
「本当に約束せぬというのが不満だと言うのですじゃろう」と、父親は言葉を入れて、「けれど、これは先程もよく話した筈じゃけえ。今の場合、許可、不許可という事は出来ぬじゃ。独立することも出来ぬ修業中の身で、二人一緒にこの世の中に立って行こうと言やるは、どうも不信用じゃ。だから私は今三四年はお互に勉強するが好いじゃと思う。真面目ならば、こうまで言った話は解らんけりゃならん。私が一時を瞞着して、芳を他に嫁けるとか言うのやなら、それは不満足じゃろう。けれど私は神に誓って言う、先生を前に置いて言う、三年は芳を私から進んで嫁にやるようなことはせんじゃ。人の世はエホバの思召次第、罪の多い人間はその力ある審判を待つより他に為方が無いけえ、私は芳は君に進ずるとまでは言うことは出来ん。今の心が許さんけえ、今度のことは、神の思召に適っていないと思うけえ。三年経って、神の思召に適うかどうか、それは今から予言は出来んが、君の心が、真実真面目で誠実であったなら、必ず神の思召に適うことと思うじゃ」
「あれほどお父さんが解っていらっしゃる」と時雄は父親の言葉を受けて、「三年、君が為めに待つ。君を信用するに足りる三年の時日を君に与えると言われたのは、実にこの上ない恩恵でしょう。人の娘を誘惑するような奴には真面目に話をする必要がないといって、このまま芳子をつれて帰られても、君は一言も恨むせきはないのですのに、三年待とう、君の真心の見えるまでは、芳子を他に嫁けるようなことはすまいと言う。実に恩恵ある言葉だ。許可すると言ったより一層恩義が深い。君はこれが解らんですか」
田中は低頭いて顔をしかめると思ったら、涙がはらはらとその頬を伝った。
一座は水を打ったように静かになった。
田中は溢れ出ずる涙を手の拳で拭った。時雄は今ぞ時と、
「どうです、返事を為給え」
「私などはどうなっても好うおます。田舎に埋れても構わんどす!」
また涙を���った。
「それではいかん。そう反抗的に言ったって為方がない。腹の底を打明けて、互に不満足のないようにしようとする為めのこの会合です。君は達って、田舎に帰るのが厭だとならば、芳子を国に帰すばかりです」
「二人一緒に東京に居ることは出来んですか?」
「それは出来ん。監督上出来ん。二人の将来の為めにも出来ん」
「それでは田舎に埋れてもようおます!」
「いいえ、私が帰ります」と芳子も涙に声を震わして、「私は女……女です……貴方さえ成功して下されば、私は田舎に埋れても構やしません、私が帰ります」
一座はまた沈黙に落ちた。
暫くしてから、時雄は調子を改めて、
「それにしても、君はどうして京都に帰れんのです。神戸の恩人に一伍一什を話して、今までの不心得を謝して、同志社に戻ったら好いじゃありませんか。芳子さんが文学志願だから、君も文学家にならんければならんというようなことはない。宗教家として、神学者として、牧師として大に立ったなら好いでしょう」
「宗教家にはもうとてもようなりまへん。人に対って教を説くような豪い人間ではないでおますで。……それに、残念ですのは、三月の間苦労しまして、実は漸くある親友の世話で、衣食の道が開けましたで、……田舎に埋れるには忍びまへんで」
三人は猶語った。話は遂に一小段落を告げた。田中は今夜親友に相談して、明日か明後日までに確乎たる返事を齎らそうと言って、一先ず帰った。時計はもう午後四時、冬の日は暮近く、今まで室の一隅に照っていた日影もいつか消えて了った。
一室は父親と時雄の二人になった。
「どうも煮えきらない男ですわい」と父親はそれとなく言った。
「どうも形式的で、甚だ要領を得んです。もう少し打明けて、ざっくばらんに話してくれると好いですけれど……」
「どうも中国の人間はそうは行かんですけえ、人物が小さくって、小細工で、すぐ人の股を潜ろうとするですわい。関東から東北の人はまるで違うですがナア。悪いのは悪い、好いのは好いと、真情を吐露して了うけえ、好いですけどもナ。どうもいかん。小細工で、小理窟で、めそめそ泣きおった……」
「どうもそういうところがありますナ」
「見ていさっしゃい、明日きっと快諾しゃあせんけえ、何のかのと理窟をつけて、帰るまいとするけえ」
時雄の胸に、ふと二人の関係に就いての疑惑が起った。男の烈しい主張と芳子を己が所有とする権利があるような態度とは、時雄にこの疑惑を起さしむるの動機となったのである。
「で、二人の間の関係をどう御観察なすったです」
時雄は父親に問うた。
「そうですな。関係があると思わんけりゃなりますまい」
「今の際、確めておく必要があると思うですが、芳子さんに、嵯峨行の弁解をさせましょうか。今度の恋は嵯峨行の後に始めて感じたことだと言うてましたから、その証拠になる手紙があるでしょうから」
「まア、其処までせんでも……」
父親は関係を信じつつもその事実となるのを恐れるらしい。
運悪く其処に芳子は茶を運んで来た。
時雄は呼留めて、その証拠になる手紙があるだろう、その身の潔白を証する為めに、その前後の手紙を見せ給えと迫った。
これを聞いた芳子の顔は俄か��赧くなった。さも困ったという風が歴々として顔と態度とに顕われた。
「あの頃の手紙はこの間皆な焼いて了いましたから」その声は低かった。
「焼いた?」
「ええ」
芳子は顔を俛れた。
「焼いた? そんなことは無いでしょう」
芳子の顔は[21]愈※赧くなった。時雄は激さざるを得なかった。事実は恐しい力でかれの胸を刺した。
時雄は立って厠に行った。胸は苛々して、頭脳は眩惑するように感じた。欺かれたという念が烈しく心頭を衝いて起った。厠を出ると、其処に──障子の外に、芳子はおどおどした様子で立っている。
「先生──本当に、私は焼いて了ったのですから」
「うそをお言いなさい」と、時雄は叱るように言って、障子を烈しく閉めて室内に入った。
九
父親は夕飯の馳走になって旅宿に帰った。時雄のその夜の煩悶は非常であった。欺かれたと思うと、業が煮えて為方がない。否、芳子の霊と肉──その全部を一書生に奪われながら、とにかくその恋に就いて真面目に尽したかと思うと腹が立つ。その位なら、──あの男に身を任せていた位なら、何もその処女の節操を尊ぶには当らなかった。自分も大胆に手を出して、性慾の満足を買えば好かった。こう思うと、今まで上天の境に置いた美しい芳子は、売女か何ぞのように思われて、その体は愚か、美しい態度も表情も卑しむ気になった。で、その夜は悶え悶えて殆ど眠られなかった。様々の感情が黒雲のように胸を通った。その胸に手を当てて時雄は考えた。いっそこうしてくれようかと思うた。どうせ、男に身を任せて汚れているのだ。このままこうして、男を京都に帰して、その弱点を利用して、自分の自由にしようかと思った。と、種々なことが頭脳に浮ぶ。芳子がその二階に泊って寝ていた時、もし自分がこっそりその二階に登って行って、遣瀬なき恋を語ったらどうであろう。危座して自分を諌めるかも知れぬ。声を立てて人を呼ぶかも知れぬ。それとも又せつない自分の情を汲んで犠牲になってくれるかも知れぬ。さて犠牲になったとして、翌朝はどうであろう、明かな日光を見ては、さすがに顔を合せるにも忍びぬに相違ない。日長けるまで、朝飯をも食わずに寝ているに相違ない。その時、モウパッサンの「父」という短篇を思い出した。ことに少女が男に身を任せて後烈しく泣いたことの書いてあるのを痛切に感じたが、それを又今思い出した。かと思うと、この暗い想像に抵抗する力が他の一方から出て、盛にそれと争った。で、煩悶又煩悶、懊悩また懊悩、寝返を幾度となく打って二時、三時の時計の音をも聞いた。
芳子も煩悶したに相違なかった。朝起きた時は蒼い顔を為ていた。朝飯をも一椀で止した。なるたけ時雄の顔に逢うのを避けている様子であった。芳子の煩悶はその秘密を知られたというよりも、それを隠しておいた非を悟った煩悶であったらしい。午後にちょっと出て来たいと言ったが、社へも行かずに家に居た時雄はそれを許さなかった。一日はかくて過ぎた。田中から何等の返事もなかった。
芳子は午飯も夕飯も食べたくないとて食わない。陰鬱な気が一家に充ちた。細君は夫の機嫌の悪いのと、芳子の煩悶しているのに胸を痛めて、どうしたことかと思った。昨日の話の模様では、万事円満に収まりそうであったのに……。細君は一椀なりと召上らなくては、お腹が空いて為方があるまいと、それを侑めに二階へ行った。時雄はわびしい薄暮を苦い顔をして酒を飲んでいた。やがて細君が下りて来た。どうしていたと時雄は聞くと、薄暗い室に洋燈も点けず、書き懸けた手紙を机に置いて打伏していたとの話。手紙? 誰に遣る手紙? 時雄は激した。そんな手紙を書いたって駄目だと宣告しようと思って、足音高く二階に上った。
「先生、後生ですから」
と祈るような声が聞えた。机の上に打伏したままである。「先生、後生ですから、もう、少し待って下さい。手紙に書いて、さし上げますから」
時雄は二階を下りた。暫くして下女は細君に命ぜられて、二階に洋燈を点けに行ったが、下りて来る時、一通の手紙を持って来て、時雄に渡した。
時雄は渇したる心を以て読んだ。
[22]
先生、
私は堕落女学生です。私は先生の御厚意を利用して、先生を欺きました。その罪はいくらお詫びしても許されませぬほど大きいと思います。先生、どうか弱いものと思ってお憐み下さい。先生に教えて頂いた新しい明治の女子としての務め、それを私は行っておりませんでした。矢張私は旧派の女、新しい思想を行う勇気を持っておりませんでした。私は田中に相談しまして、どんなことがあってもこの事ばかりは人に打明けまい。過ぎたことは為方が無いが、これからは清浄な恋を続けようと約束したのです。けれど、先生、先生の御煩悶が皆な私の至らない為であると思いますと、じっとしてはいられません。今日は終日そのことで胸を痛めました。どうか先生、この憐れなる女をお憐み下さいまし。先生にお縋り申すより他、私には道が無いので御座います。
[23]芳子
[24]
先生 おもと
[25]
時雄は今更に地の底にこの身を沈めらるるかと思った。手紙を持って立上った。その激した心には、芳子がこの懺悔を敢てした理由──総てを打明けて縋ろうとした態度を解釈する余裕が無かった。二階の階梯をけたたましく踏鳴らして上って、芳子の打伏している机の傍に厳然として坐った。
「こうなっては、もう為方がない。私はもうどうすることも出来ぬ。この手紙はあなたに返す、この事に就いては、誓って何人にも沈黙を守る。とにかく、あなたが師として私を信頼した態度は新しい日本の女として恥しくない。けれどこうなっては、あなたが国に帰るのが至当だ。今夜──これから直ぐ父様の処に行きましょう、そして一伍一什を話して、早速、国に帰るようにした方が好い」
で、飯を食い了るとすぐ、支度をして家を出た。芳子の胸にさまざまの不服、不平、悲哀が溢れたであろうが、しかも時雄の厳かなる命令に背くわけには行かなかった。市ヶ谷から電車に乗った。二人相並んで座を取ったが、しかも一語をも言葉を交えなかった。山下門で下りて、京橋の旅館に行くと、父親は都合よく在宅していた。一伍一什──父親は特に怒りもしなかった。唯同行して帰国するのをなるべく避けたいらしかったが、しかもそれより他に路は無かった。芳子は泣きも笑いもせず、唯、運命の奇しきに呆るるという風であった。時雄は捨てた積りで芳子を自分に任せることは出来ぬかと言ったが、父親は当人が親を捨ててもというならばいざ知らず、普通の状態に於いては無論許そうとは為なかった。芳子もまた親を捨ててまでも、帰国を拒むほどの決心が附いておらなかった。で、時雄は芳子を父親に預けて帰宅した。
十
田中は翌朝時雄を訪うた。かれは大勢の既に定まったのを知らずに、己の事情の帰国に適せぬことを縷々として説こうとした。霊肉共に許した恋人の例として、いかようにしても離れまいとするのである。
時雄の顔には得意の色が上った。
「いや、もうその問題は決着したです。芳子が一伍一什をすっかり話した。君等は僕を欺いていたということが解っ��。大変な神聖な恋でしたナ」
田中の顔は俄かに変った。羞恥の念と激昂の情と絶望の悶とがその胸を衝いた。かれは言うところを知らなかった。
「もう、止むを得んです」と時雄は言葉を続いで、「僕はこの恋に関係することが出来ません。いや、もう厭です。芳子を父親の監督に移したです」
男は黙って坐っていた。蒼いその顔には肉の戦慄が歴々と見えた。不図、急に、辞儀をして、こうしてはいられぬという態度で、此処を出て行った。
午前十時頃、父親は芳子を伴うて来た。[26] 愈※今夜六時の神戸急行で帰国するので、大体の荷物は後から送って貰うとして、手廻の物だけ纒めて行こうというのであった。芳子は自分の二階に上って、そのまま荷物の整理に取懸った。
時雄の胸は激してはおったが、以前よりは軽快であった。二百余里の山川を隔てて、もうその美しい表情をも見ることが出来なくなると思うと、言うに言われぬ侘しさを感ずるが、その恋せる女を競争者の手から父親の手に移したことは尠くとも愉快であった。で、時雄は父親と寧ろ快活に種々なる物語に耽った。父親は田舎の紳士によく見るような書画道楽、雪舟、応挙、容斎の絵画、山陽、竹田、海屋、山茶の書を愛し、その名幅を無数に蔵していた。話は自らそれに移った。平凡なる書画物語は、この一室に一時栄えた。
田中が来て、時雄に逢いたいと言った。八畳と六畳との中じきりを閉めて、八畳で逢った。父親は六畳に居た。芳子は二階の一室に居た。
「御帰国になるんでしょうか」
「え、どうせ、帰るんでしょう」
「芳さんも一緒に」
「それはそうでしょう」
「何時ですか、お話下されますまいか」
「どうも今の場合、お話することは出来ませんナ」
「それでは一寸でも……芳さんに逢わせて頂く訳には参りますまいか」
「それは駄目でしょう」
「では、お父様は何方へお泊りですか、一寸番地をうかがいたいですが」
「それも僕には教えて好いか悪いか解らんですから」
取附く島がない。田中は黙って暫し坐っていたが、そのまま辞儀をして去った。
昼飯の膳がやがて八畳に並んだ。これがお別れだと云うので、細君は殊に注意して酒肴を揃えた。時雄も別れのしるしに、三人相並んで会食しようとしたのである。けれど芳子はどうしても食べたくないという。細君が説勧めても来ない。時雄は自身二階に上った。
東の窓を一枚明けたばかり、暗い一室には本やら、雑誌やら、着物やら、帯やら、罎やら、行李やら、支那鞄やらが足の踏み度も無い程に散らばっていて、塵埃の香が夥しく鼻を衝く中に、芳子は眼を泣腫して荷物の整理を為ていた。三年前、青春の希望湧くがごとき心を抱いて東京に出て来た時のさまに比べて、何等の悲惨、何等の暗黒であろう。すぐれた作品一つ得ず、こうして田舎に帰る運命かと思うと、堪らなく悲しくならずにはいられまい。
「折角支度したから、食ったらどうです。もう暫くは一緒に飯も食べられんから」
「先生──」
と、芳子は泣出した。
時雄も胸を衝いた。師としての温情と責任とを尽したかと烈しく反省した。かれも泣きたいほど侘しくなった。光線の暗い一室、行李や書籍の散逸せる中に、恋せる女の帰国の涙、これを慰むる言葉も無かった。
午後三時、車が三台来た。玄関に出した行李、支那鞄、信玄袋を車夫は運んで車に乗せた。芳子は栗梅の被布を着て、白いリボンを髪に[27]※して、眼を泣腫していた。送って出た細君の手を堅く握って、
「奥さん、左様なら……私、またきっと来てよ、きっと来てよ、来ないでおきはしないわ」
「本当にね、又出ていらっしゃいよ。一年位したら、きっとね」
と、細君も堅く手を握りかえした。その眼には涙が溢れた。女心の弱く、同情の念はその小さい胸に漲り渡ったのである。
冬の日のやや薄寒き牛込の屋敷町、最先に父親、次に芳子、次に時雄という順序で車は走り出した。細君と下婢とは名残を惜んでその車の後影を見送っていた。その後に隣の細君がこの俄かの出立を何事かと思って見ていた。猶その後の小路の曲り角に、茶色の帽子を被った男が立っていた。芳子は二度、三度まで振返った。
車が麹町の通を日比谷へ向う時、時雄の胸に、今の女学生ということが浮んだ。前に行く車上の芳子、高い二百三高地巻、白いリボン、やや猫背勝なる姿、こういう形をして、こういう事情の下に、荷物と共に父に伴れられて帰国する女学生はさぞ多いことであろう。芳子、あの意志の強い芳子でさえこうした運命を得た。教育家の喧しく女子問題を言うのも無理はない。時雄は父親の苦痛と芳子の涙とその身の荒涼たる生活とを思った。路行く人の中にはこの荷物を満載して、父親と中年の男子に保護されて行く花の如き女学生を意味ありげに見送るものもあった。
京橋の旅館に着いて、荷物を纒め、会計を済ました。この家は三年前、芳子が始めて父に伴れられて出京した時泊った旅館で、時雄は此処に二人を訪問したことがあった。三人はその時と今とを胸に比較して感慨多端であったが、しかも互に避けて面にあらわさなかった。五時には新橋の停車場に行って、二等待合室に入った。
混雑また混雑、群衆また群衆、行く人送る人の心は皆空になって、天井に響く物音が更に旅客の胸に反響した。悲哀と喜悦と好奇心とが停車場の到る処に巴渦を巻いていた。一刻毎に集り来る人の群、殊に六時の神戸急行は乗客が多く、二等室も時の間に肩摩轂撃の光景となった。時雄は二階の壺屋からサンドウィッチを二箱買って芳子に渡した。切符と入場切符も買った。手荷物のチッキも貰った。今は時刻を待つばかりである。
この群集の中に、もしや田中の姿が見えはせぬかと三人皆思った。けれどその姿は見えなかった。
ベルが鳴った。群集はぞろぞろと改札口に集った。一刻も早く乗込もうとする心が燃えて、焦立って、その混雑は一通りでなかった。三人はその間を辛うじて抜けて、広いプラットホオムに出た。そして最も近い二等室に入った。
後からも続々と旅客が入って来た。長い旅を寝て行こうとする商人もあった。呉あたりに帰るらしい軍人の佐官もあった。大阪言葉を露骨に、蝶々と雑話に耽ける女連もあった。父親は白い毛布を長く敷いて、傍に小さい鞄を置いて、芳子と相並んで腰を掛けた。電気の光が車内に差渡って、芳子の白い顔がまるで浮彫のように見えた。父親は窓際に来て、幾度も厚意のほどを謝し、後に残ることに就いて、万事を嘱した。時雄は茶色の中折帽、七子の三紋の羽織という扮装で、窓際に立尽していた。
発車の時間は刻々に迫った。時雄は二人のこの旅を思い、芳子の将来のことを思った。その身と芳子とは尽きざる縁があるように思われる。妻が無ければ、無論自分は芳子を貰ったに相違ない。芳子もまた喜んで自分の妻になったであろう。理想の生活、文学的の生活、堪え難き創作の煩悶をも慰めてくれるだろう。今の荒涼たる胸をも救ってくれる事が出来るだろう。「何故、もう少し早く生れなかったでしょう、私も奥様時分に生れていれば面白かったでしょうに……」と妻に言った芳子の言葉を思い出した。この芳子を妻にするような運命は永久その身に来ぬであろうか。この父親を自分の舅と呼ぶような時は来ぬだろうか。人生は長い、運命は奇しき力を持っている。処女でないということが──一度節操を破ったということが、却って年多く子供ある自分の妻たることを容易ならしむる条件となるかも知れぬ。運命、人生──曽て芳子に教えたツルゲネーフの「プニンとバブリン」が時雄の胸に上った。露西亜の卓れた作家の描いた人生の意味が今更のように胸を撲った。
時雄の後に、一群の見送人が居た。その蔭に、柱の傍に、いつ来たか、一箇の古い中折帽を冠った男が立っていた。芳子はこれを認めて胸を轟かした。父親は不快な感を抱いた。けれど、空想に耽って立尽した時雄は、その後にその男が居るのを夢にも知らなかった。
車掌は発車の笛を吹いた。
汽車は動き出した。
十一
さびしい生活、荒涼たる生活は再び時雄の家に音信れた。子供を持てあまして喧しく叱る細君の声が耳について、不愉快な感を時雄に与えた。
生活は三年前の旧の轍にかえったのである。
五日目に、芳子から手紙が来た。いつもの人懐かしい言文一致でなく、礼儀正しい候文で、
「昨夜恙なく帰宅致し候儘御安心被下度、此の度はまことに御忙しき折柄種々御心配ばかり相懸け候うて申訳も無之、幾重にも御詫申上候、御前に御高恩をも謝し奉り、御詫も致し度候いしが、兎角は胸迫りて最後の会合すら辞み候心、お察し被下度候、新橋にての別離、硝子戸の前に立ち候毎に、茶色の帽子うつり候ようの心地致し、今猶まざまざと御姿見るのに候、山北辺より雪降り候うて、湛井よりの山道十五里、悲しきことのみ思い出で、かの一茶が『これがまアつひの住家か雪五尺』の名句痛切に身にしみ申候、父よりいずれ御礼の文奉り度存居候えども今日は町の市日にて手引き難く、乍失礼私より宜敷御礼申上候、まだまだ御目汚し度きこと沢山に有之候えども激しく胸騒ぎ致し候まま今日はこれにて筆擱き申候」と書いてあった。
時雄は雪の深い十五里の山道と雪に埋れた山中の田舎町とを思い遣った。別れた後そのままにして置いた二階に上った。懐かしさ、恋しさの余り、微かに残ったその人の面影を偲ぼうと思ったのである。武蔵野の寒い風の盛に吹く日で、裏の古樹には潮の鳴るような音が凄じく聞えた。別れた日のように東の窓の雨戸を一枚明けると、光線は流るるように射し込んだ。机、本箱、罎、紅皿、依然として元のままで、恋しい人はいつもの様に学校に行っているのではないかと思われる。時雄は机の抽斗を明けてみた。古い油の染みたリボンがその中に捨ててあった。時雄はそれを取って匂いを嗅いだ。暫くして立上って襖を明けてみた。大きな柳行李が三箇細引で送るばかりに絡げてあって、その向うに、芳子が常に用いていた蒲団──萌黄唐草の敷蒲団と、線の厚く入った同じ模様の夜着とが重ねられてあった。時雄はそれを引出した。女のなつかしい油の匂いと汗のにおいとが言いも知らず時雄の胸をときめかした。夜着の襟の天鵞絨の際立って汚れているのに顔を押附けて、心のゆくばかりなつかしい女の匂いを嗅いだ。
性慾と悲哀と絶望とが忽ち時雄の胸を襲った。時雄はその蒲団を敷き、夜着をかけ、冷めたい汚れた天鵞絨の襟に顔を埋めて泣いた。
薄暗い一室、戸外には風が吹暴れていた。
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無慈悲な光
BADENDversion
今回のBADENDversionはM05が科学者を羽交い締めにしてルームキーを奪う所です。
台本を持ってる人は28~29ページです。
本編では扉は開きませんでしたが、もし扉が開いたらどうなったのだろう?と考えた人も居たと思います。
今回はそのもしもを自分何りに考えた内容です。
ただM05は仲間達に見送られず1人で死んで行く、少し悲しい。
科学者も部屋に閉じ込められほぼ出番無し(^_^;)
部屋を出た後は、良くありそうな内容なので簡単に想像出来てしまうかも知れない(^_^;)
何一つ捻ってもいないꉂꉂ(ᵔᗜᵔ*)あははは
では、始まり始まり。
M02はルームキーを使い「ピッ」と音が鳴り鍵が開き扉を開け部屋の外に出るマウス達。
扉を出ると左右に警備員が立っていた。
警備員と目が合うM04。
左側の警備員A 「お、お前達は?」
言い終わる前にM04が飛び掛り警備員Aを取り押さえる。
右側の警備員BにM03が飛び掛ろうとするも警備員Bは咄嗟に腰から拳銃を取り出しM03に突き付ける。
警備員B 「う、動くな、お、お前達どうやって出てきた。」
警備員Bは拳銃を突き付ける手が触れえている。
M03は両手を広げ警備員Bの前に立つ、その後ろに怯えるM02、怯えるM02を宥めるM01がいる。(M01とM02を守る感じで)
M03 「お話し、しませんか?」
警備員B 「話し?私はマウスと話す気は無い。科学者はどうした。」
M03 「科学者さんは無事ですよ、部屋の中に居ます。」
警備員B 「ならお前達も部屋に戻れ、さもないと撃つよ。」
警備員A 「何してる、さっさと撃ち殺せ。」
M03がM04の方を見る、苦悶の表情で取り押さえてるM04、余り持ちそうにない、焦るM03
M03 「お話し、しましょう、話せばきっと分かり合えます。」
焦ってるM03は少しずつ近ずいて行く。
警備員B 「う、動くな、マウスとは話さない。」
M03 「いいえ、私達は人間です、その証拠に私達は言葉が使えます。」
警備員B 「に、人間?君達は人間なのか?」
警備員A 「騙されるな、コイツらはマウスだ、私達の敵だ。」
M03 「違います。私達は人間です、それに私達は貴方の敵ではありません、ね、私とお話ししましょう。きっと分かり合える筈です。」
M02 「そうだ、僕達は人間だ、人間が人間を殺したら駄目なんだ。」
M03の脇からM02が飛び出し警備員Bに詰め寄る。
警備員B 「なんだお前は、止まれ、止まらないと撃つ」
警備員Bが驚いて拳銃をM02に向ける。
M02 「たから僕達は人間なんだってば。」
M02が警備員Bに向かって怒鳴る。
M03 「あっ、M02待って、動いては駄目。」
M01 「M02危ないから戻って。」
M01とM03がM02に駆け寄る。
警備員B 「う、動くな、来るな~」
警備員Bが目を瞑って拳銃の引き金を引く、「パンッ」と乾いた音が響く。
マウス達は音に驚いて一瞬動きが止まる。
M02 「あ、あれ?う、うぅぅぅ」
M02がお腹を押さえ膝から崩れ落ちる。
M01 「M02?M02どうしたの?」
M03 「M02大丈夫?」
M01とM03が駆け寄る。
M02 「う...うぅ..えへへ....ハァハァ僕どうしちったのかな?ハァハァ...身体が動かないんだ。」
M01がM02を抱き起こす。
M02のお腹から血が滲み出てる。
M01 「そんなM02、血が出てる」
M02 「ハァハァ...血が出てるけど...痛くないんだ...きっと..ハァハァ....大した事ないよ...ハァハァ....ちょっと寝たら...治るよ僕は大丈夫だから...心配しないで...えへへ」
M02は笑顔を作りそのまま意識が無くなる。
M01 「M02?M02目を覚まして、M02・・」
M03 「M02・・・死んだの?」
M01 「ううん、まだ息してる、たぶん寝てる、でもこのままじゃM02は・・・」
M01は強く抱き締めすすり泣く。
M03 「M02私のあやとり持っていて」
M03はあやとりをM02に託し、立ち上がると真っ直ぐ警備員Bへ歩み寄る。
M03 「どうして、どうして話しを聞いて��れないんですか?話しを聴こうとしなければ伝わらない、理解しようと思わなければ理解出来ない。私達は言葉が使えるそうでしょう?」
警備員B 「と、止まれ、来るんじゃない。」
警備員Bはかなり動揺して手が震える。
M03 「私達は、産まれた時から死を与えられたマウスです、実験で意識が飛ぶ程の痛みや、息が出来ないほどの苦しみも、ただ耐えるしかなくて、私はこのまま死ぬかな、て何度も思ったし、一層の事このまま殺して下さい、て何度も心の中で叫んでた。でも死ぬ事が出来なくて、ただ毎日が辛くて、こんな真っ暗な、先の見えない毎日で夢を見る事なんて無かった。」
警備員Bの前で止まり再び両手を広げ、涙を流しながら笑みを浮かべ話しをつつける。
M03 「でもね、M02は夢を見るんです、あの子も私達と同じ様に辛い実験をして来たはずなのに、あの子は笑顔で夢を語るんです、だから私達はその夢を見てみたい、外の世界を見てみたいんです、そんな些細な夢も見てはダメなんですか?教えてください」
泣き崩れるM03、それを見た警備員Bは拳銃を突き付けていた腕をだらりと下げ地面にへたり込む。
警備員B 「すまない、撃つ気は無かったんだ、ただ怖くて仕方なくて、私は君の大切な友達を・・・、う、うう、」
警備員BはM03に泣きながら何度も何度も頭を下げた。
警備員A 「おまえ何してる、マウスは私達の敵だ、さっさとコイツらを殺せ。」
M04 「黙れ、私達は人間だ。」
警備員A 「お前達はマウスだ、敵だ、いい加減放せ。」
警備員Aは、力ずくでM04から逃れようとする。
M04 「も、もう持ち堪えれない」
M04は持ち堪えれずに警備員Aを離してしまう。
警備員A 「やっと自由になれた、覚悟は出来ているんだろうな、おまえ~」
警備員Aは罵声を浴びせながらM04のお腹辺りを蹴る。
M04はお腹を押さえ倒れ込む、更に警備員Aは2回、3回と蹴る。
警備員A 「マウスの分際で、人間様に逆らうじゃないよ。」
警備員Aは横たわるM04の背中に向けて「パンッ、パンッ」と2発、発砲した。
M04 「あ゙あ゙、ぐう、う」
M04は痛みでのたうちまわっている。
警備員A 「アハハ、いい光景だな、肺を撃ち抜いた、肺に血が溜まり、いずれ窒息死する、簡単には殺さねぇよ、苦しみながら死ね」
M03 「M04!!」
M03がM04の元まで行こうとするが警備員AがM03に拳銃を向ける。
警備員A 「今度はお前か?」
M03 「何故貴方はこんな事をするんですか?私達は敵ではありません、その証拠に貴方は怪我してないじゃないですか?」
警備員A 「お前達は敵だ、私の兄はお前達に殺されたんだ、兄は私のたった1人の肉親なんだ絶対に許さない、マウスはみんな殺してやる」
警備員B 「もう辞めよう、ここに居るマウス達は敵じゃない、君の兄を殺したマウスは既に死んでいる」
警備員Bは警備員Aに拳銃を向ける。
警備員A 「何の真似だよ、私に拳銃を向けるな、お前は私達を裏切る気か?」
警備員Aも警備員Bに拳銃を向け、対峙する。
警備員B 「私は誰も裏切ってない、もう辞めよう、幾らマウスを殺しても君の心は癒されない、君も気付いてる筈だ。」
警備員A 「五月蝿い、お前に何が分かる、マウスは敵だ、兄の仇だ、許す事は出来ない」
警備員2人が睨み合ってるすきにM03はM04の元に駆け寄る。
M03 「M04大丈夫?」
M03は横たわるM04を仰向けに起こし抱き抱える。
M04 「ゴホッ...ヴ...ゲホッゴホッゴホッ...話が...長いよM03、ゲホゴホ」
M04は血を吐きながら話しをする。
M03 「御免なさい、M04」
M03は溢れる涙を手で拭いながら話しを続ける。
M04 「なぁ...M02は大丈夫...なのか?ゲホゴホ...」
M03 「うん、大丈夫だよ、M02は今寝てるの」
M03はめいいっぱいの笑顔で答える。
M04 「はは...寝てるのかゴホッ...ヴ...ゲホッゴホッゴホッ..ハァハァ..この状況で....寝るなんてM02らしいな...ねぇ..この本を..M02に...あ..新しい..世界に...」
M04は本をM03に差出し涙を流しながら息を引き取った。
M03は本を抱き締めM04をそっと床に寝かさせる。
M03 「新しい世界に行こうね、M04」
M03はゆっくり立ち上がり涙を手で拭い再びM02の元に歩いて行く。
警備員A 「マウスは敵だ、マウスは兄の仇だ、私の前をウロウロするな。」
警備員AがM03に拳銃を向ける。
警備員B 「やめろ。」
警備員Aは無視してM03に発砲した。
M03はその場に倒れ込む。
警備員B 「君はいい加減に」
警備員Bが警備員Aに向けて発砲し、肩に命中する。
警備員A 「うっ、お、おまえ〜」
警備員Aも警備員Bに向けて発砲し、お腹に命中した。
警備員Bはお腹を抑えながら更に発砲、警備員2人はお互いに向かい合いながら2発、3発と撃ち続け、2人は倒れ込み動かなくなる。
警備員B 「すまない、すまない...」
警備員BはM03にそう言い息を引き取る。
警備員A 「兄ちゃん...仇は...取ったよ」
警備員Aは天を仰ぎ息を引き取る。
M03 「M02、い...今..行くから..ね...ハァハァ..新しい..世...界に...みんなで...行こう」
M03は這いつくばってM02に向かい、精一杯手を伸ばし本を届けようとするも途中で息絶える。
M01 「M03、M04まで、どうしてこんな事に、神様、私達は何か悪い事したのでしょうか?逃げては駄目だったの?夢を見ては駄目だったの?私達は微かな夢も許されないんですね」
M01は周りを見渡すと、後ろに、M03とM04の本を見つけ、手を伸ばし本を受け取る。
M01 「M03ありがとう、M04の本ちゃんと受け取ったよ」
M01は本をM02の胸に置き本の上に腕を組んで乗せる、それが合図かの様にM02が目を覚ます。
M02 「ねぇ...M01そこに居るの...」
M02は焦点が合っておらず、もう目は見えていない、息も絶え絶えで今にも止まりそう、声も殆ど出ておらず言葉になっていない、それでもM02は必死に何かを伝えようとしている。
M01はそんな言葉にならない言葉に耳を傾け一言一句漏らさず言葉を汲み取って行く。
M01 「うん、ここに居るよ」
M02 「よ...かった...僕達....外に...出れたんだね...みんな...いるの....」
M01 「うん、みんな居るよ、今ね、あやとりの船の上に居るの、みんな笑顔でお話ししてるよ」
M02 「ほんとだ...みんな...笑っ..てる...えへへ...楽しそう」
M02には皆がはしゃいでる姿が見えているのか微かに微笑む。
M02 「そろそろ...ノアの方舟...造らなきゃ...出来たら...僕が...新しい....世界に...連れてってあげる....ねぇ...新しい世界は...どんな....所かな..」
M01 「きっと皆が幸せに暮らせる、ステキな所よ」
M02 「みんなが.....笑って暮らせる....そんな世界が....いいなぁ...えへへ」
M02は微笑み、静かに息を引き取った。
M01 「M02!!・・・M02私も新しい世界に行くから、待っててね」
M01は顔を顰めて脇腹を押さえる、M01も流れ弾に当たり怪我をしていた、致命傷の傷ではないがマウスは治療されない事を知っている、このまま死を待つしかないのだと。
不気味な程静まり返ったこの通路で話しをする者はいない、聞こえて来るのはブーンと鳴る何かの機械の音とM01の早くて浅い息遣いのみ、M01は今はもう動かなくなったM02の頭を撫でていると走馬灯の様に今までの出来事が浮かんでは消えて行く、辛い実験の日々、M02と過ごした日々、短い間だったけどこの施設で仲間と過ごした日々、ただ涙が溢れるばかり。
どの位泣いていたのか、どの位時間が経ったのか分からないけど死が確実に近付いてる事は分かった、もう直ぐこの命が尽きるのだと。
一方マウスの部屋
科学者 「おい、まだ扉は開かないのか?」
防犯カメラ 「もう少し待って下さい、遠隔操作で扉開けた事ないからマニュアル見ながら操作してます」
科学者 「早くしてくれ」
科学者はイライラしながら部屋をグルグルと歩き回った。
防犯カメラ 「あ、鍵のロック解除出来ました。」
科学者 「良くやった。」
科学者は防犯カメラに礼を言い扉は開ける、目の前に映る光景に唖然とした。
科学者 「何があった、おい、しっかりしろ」
科学者は目の前に倒れているM04の首に指を当て脈を測る、科学者は首を横に振る。
次に警備員を見つけ近寄る。
科学者 「おい、何があったんだ」
警備員も同じ様に首に指を当て脈を測るが既に死んでいるのが分かり首を横に振る。
科学者 「誰か生きてる者は居ないのか」
しかし、返事は返って来ない。
科学者 「なんて馬鹿なことしたんだ、君達は、苦しかっただろうに」
科学者はその場にへたり込んでしまった。
M01 「お姉...ちゃん?」
科学者 「M01生きていたのか?」
科学者はM01の元に駆け寄る。
科学者 「良かった無事だったのか」
科学者はM01を抱き締め、M01の状態に気付いた。
科学者 「撃たれたのか?早く治療しないと」
立ち上がる科学者の手をM01が掴み首を横に振る。
M01 「そんな事したら、お姉ちゃん、バレちゃうよ、それにもう手遅れだから、私は最後までお姉ちゃんの話が聞きたい。」
科学者 「私の話し?私に話す事なんか」
M01 「聞かせて、お姉ちゃんはどうして科学者になったの?私が売られてからお姉ちゃんはどんな暮しを送ってきたの?」
科学者 「・・・君は覚えてないだろうけど貧しくて生活は大変だったよ、でもどんなに貧しくても、両親と妹の君がいれば私は幸せだった、ところがある日、母と2人で出かけて帰ってくると君は居なかった、必死で探したよ、両親に聞いても何も答えてくれなかった、それからの生活は変わり裕福になって行った。」
科学者はM01の手を取り握りしめる。
M01 「お姉ちゃんは幸せに暮らしてたんだね」
科学者 「幸せなものか、高価な服や料理なんか要らない、君がいなければ楽しくない。」
M01 「お姉ちゃんも辛かったんだね、私も辛かった、泣いてばかりいた時にM02に出会ったのM02は一生懸命私を笑わせようとしていた、元気付けようとしていた。」
科学者 「そんな前からM02と一緒に」
M01 「うん、M02は私のもう1人の家族、妹みたいな存在だった」
科学者とM01はM02を見つめる。
科学者 「M02は特別な存在か・・・」
科学者はM02を見つめ微笑んだ。
M01 「お姉ちゃん、どうしたの?」
科学者 「私は猛勉強して科学者になり君を探す為に自分のDNAで検索したんだ、でも見つける事が出来なかった、政府は人間をマウスにする時、DNAのデータを書換えていたんだ、人間だとバレないように、そのせいで君を見つける事が出来ずに途方に暮れていた、そんなある日、初のメラニン色素の遺伝子をノックアウトに成功したマウス、つまりアルビノM02が20歳を迎えたと私の所にデータが送られてきた、そのデータを見ている内に同じ部屋にいるマウスも20歳になって居るのに気付いた、つまり君だ。」
M01 「それって、M02のお陰で私はお姉ちゃんに会えたって事?」
科学者 「ああ、そうだ、M02と一緒に居なければ君とは会えなかったかも知れない、M02は本当に特別な存在なのかもしれない。」
科学者とM01は再びM02を見つめる。
M01 「M02ありがとう、お姉ちゃんに会わせてくれて、一緒に居てくれて、これからも一緒だよ新しい世界に行って、もし生まれ変わる事が許されるなら、お姉ちゃんと私とM02の3人で暮らしたいな、いいでしょお姉ちゃん」
科学者 「ああ、良いとも3人で暮らそう、今度こそ離したりしないから」
科学者はM01とM02を抱き締めた。
M01 「ありがとうお姉ちゃん、最後に話が出来て良かった、そろそろ逝くね、M02待たせちゃったね、新しい世界に行こう」
M01は苦しむ事無く静かに息を引き取った。
科学者はゆっくりとM01を寝かすとポケットから小瓶を取り出し見つめる、この小瓶は本来、M03とM04に使う予定だった薬。
科学者 「御免なさいM01、私は1つ嘘を付きました、本当は旦那や娘はいないの、ううん、かつては居たが正解、でももういない、私にとって君が唯一の肉親それも、もう・・・ねぇ、私も私の家族もノアの方舟に乗れるのかな?新しい世界に行けるのかな?もし許されるのなら」
科学者は小瓶を開け一気に飲み干した。
科学者 「これで会いに行ける・・・」
科学者は苦しみながら息を引き取った。
ここでプロジェクターでノアの方舟登場、ノアの方舟に誰が乗っているかは皆さんのご想像にお任せします。
BADENDversion
~完~
終わりに
今回も長くなった(^_^;)
BADENDversionでは科学者の設定が微妙に違います。
HAPPYENDでは両親が科学者でしたが今回は貧乏人の設定で旦那と娘の設定は一緒、で既に他界してる。
M02も微妙に違う、どんなに辛くても笑ってる子、少しでも皆を安心させる為に笑顔を絶やさない、自分が死んでしまう時も笑顔を見せる子。
M02の最後はあべちゃんの得意分野?(笑)
台詞は殆ど聴こえない、カスカスの小さい声です、M01は顔を近ずけ微かな声と口の動きで判断する、そんな感じです。
舞台では無理な演技ですね何やってるかわからん(^_^;)
ドラマや映画ならアップで撮影出来るから問題無いけど(^_^)
その他は変化無し(笑)
しかし、最後にちょっと出ただけなのに科学者の台詞量が半端ない(^_^;)
M03もエグいけどꉂꉂ(๑˃▿˂๑)ァ,、'`
て、山岸逢花さんが演じる訳ないけどね(笑)
警備員2人は女性ですよ、最初は男性を考えたけど女性のM04が訓練された警備員を取り押さえるのは無理かと。
HAPPYENDもBADENDも書きながら涙が止まらない(^_^;)
どちらも舞台では無理そうな内容になってしまった(^_^;)
て、舞台意識してないけど(^_^;)
で思ったんだがエロくない舞台やったならエロくない映画もありかと(^_^)
そこで無慈悲な光The movieどうでしょう?
て、考えたがかなり難しい、演技も演出も1から作り直さないとだね(^_^;)
て、自分何考えてんだろꉂꉂ(๑˃▿˂๑)ァ,、'`
でも映画面白そう
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2019.01.12 The Cheserasera 【2018 冬の煌星 ワンマンツアー】新代田FEVER
この日は絶対に雪が降る、という予感があった。理由はないけど、ツアーが始まった時にはもう雪予報を信じて疑わなかった。なんとなくそういう感覚が冴えている時がある。そして予感は外れなかった。都内の初雪だ。冬の冠にふさわしい。
The Cheseraseraの2018年初ライブと今年の初ライブは偶然にも同日で、去年は仙台から始まった。この時の彼らも年末にスタジオにこもってREC三昧だったような記憶がある。スタジオで年賀状を書いて、箱根駅伝の話もしてたよね(笑)1年経つのが速すぎる。RECとライブという、謂わば両極の作業のなかで迎えたツアーファイナルだが、既に次回のツアーとアルバムの情報が解禁になっている。
北海道や九州、遠方の人たちが首を長くしてツアーを待っているからこそ、最初の情報は公式なものとして本人達から伝えられたかったけど(ライブのMCで情報解禁!ていうのが好き)、この新代田では7月の渋谷WWWのチケットが最速先行で販売される。絶賛REC中のアルバムのツアーファイナル、半年先のチケットとは、かなり強気だ。「期待して良い」、ということだろう。
この日、自分の中にはどこかもにょもにょした気持ちがあったからだろうか、待っている間がすごく長かった。出てきたときのことをあまりよく覚えていないくらいドキドキしていたのに、にしやんがジーンズをはいてるのを見つけると「ジーンズ!」と思ったのが最初の記憶だから、大して緊張もしていなかったのかもしれない(笑)このツアーはずっとプレベだったのに、今日はジャズベだ。私にはミイに見える柄のついたマリメッコの花柄のピンクのTシャツだった。ステージ袖から映像を撮影しているらしいカメラが覗いていた。宍戸くんは札幌でお別れしたスニーカーのかわりに、新しく買ったらしいスリッポンにレギンスみたいなスキニーのパンツ。ベロアのシャツ。美代さんは年末にヘアメンテに行ったに違いない、蘇ったパーマが最強の可愛さで、自作の五分袖の白いTシャツ。両手を振ると脇が見えるくらいのゆるさにドキドキした。
この日もgood morningからだった。これはどこの会場でも変わらなかったらしい。ステージからの照明が眩しくて、熱くて、前方にいた私は目が開けられず、細目になる。とても優しい音とドラマチックな広がりで幕を開けた。ファンファーレのドラムが鳴ると、条件反射のように身体が跳ねる。フロア全体が揺れているのを期待しながら、今年10年目を迎えるらしいバンドとの出会いの日を思い出していた。2年以上が経っていた。初めて聴いたファンファーレを私はやっぱり覚えていて、その感覚は今も変わっていなかった。とてもポジティブな曲で、ドラムが良い。出かけに「今日は腕時計いらないっ」なんて言いながら出てきたりすると、生活の中に彼らの存在が根付いているのを感じる。「ひたすら前へ!」の直後に美代さんが腰を浮かせながら思いっきりドラムを叩く場面がとても好き。力強くて、弾けていて、普段の感じとは違う荒々しさに見惚れていた。
風に吹かれて、は新宿で��序盤にやっていた曲だ。Night and Dayを最初にどこで聞いたのかは忘れてしまったけど(うちに来た時に誰かがかけてくれてたかネットで聞いたか)、リズムが印象的な曲で、メロディがすんなり入ってきて耳に残るので、身体が自然と覚えていた。新宿で初めてライブで聴けた曲。引っ掛かるギターと、特徴的なドラム。廃盤の中から披露された曲に、MCで宍戸さんが「知ってる曲と知らん曲でのノリが違いすぎな!笑」と茶化す。「ソールドアウトありがとう!好きに楽しんでくれ!」と言い「かっこいいリフ弾くんで手ぇ挙げてください!」LOVERSだ!宍戸さんの煽り文句に、すでに「わーい!にしやんスラップだ♡」と最初から気がそぞろになる。宍戸さんは「新代田ーー!!」と叫んでいたような気がする。ギターのリフもめちゃくちゃかっこいいので、わーー!ってなったはずなのに、ほぼずっと西田さんを見ていた。にしやんスラップしてるう!(見たまんま)と、うっとり。ベースをとても大切にして丁寧に弾いてるイメージがあるので、スラップで弦をバチバチやるところに半端なくドキドキする。ピックと指とスラップてめちゃくちゃ忙しくて、目がしあわせでした。好き!ゴーストとスラップがたくさんある感じのは毎回だと疲れてくるけど、たまに出されるとめちゃくちゃ美味しい。とにかく盛りだくさん。バキバキだ。
そして、LOVELESS。これぞプレベですよね(ジャズベなんだけど)。なんか今日は音があんまりな気がするかも…と思いつつ、最初の一音で「きたっ!」と跳ねてすぐ汗かいちゃった…輪になって手を叩く!で手を叩いて、お前も!お前も!お前も!お前も〜!!て、いつかフロアのみんなで指差したりしたいな〜。好きに楽しめばいいんだけど、決まったフリみたいなものがある曲は一体感があって楽しい。仲間内できゃっきゃ笑いながらやるのがすっごく楽しい!
ここで「退屈」が来たので、「あ、にしやんの地獄だ」と表情を伺ってみるけど涼しい顔を保ってた…と思う(ライトが眩しすぎて肩から上がほとんど光で飛んでいたので表情は妄想かもしれない) 音源はジャズベで録ってて、わかりやすく良い音がするので、どうしてもベースばっかり聴こえるけど、それはライブでも変わらず、割とベースばっかり見てました。いや、もうベースしか見てなかったごめんなさい白状するとずっとベース見てました。たぶん脳内HDDには、にしやんとベースの記憶ばっかりで、でも西田さんの肩より上はライトですっ飛んでいたのでほとんど表情も窺えず、とにかく「左手の爪短いな」とか「小指もしっかり使われてて大変だな」とか「指弾きのときピックアップに親指を乗せて弾いたりしてるよね」とか、「そういえばもうかなり前になるけど謎の部品が壊れた(?)とかいう時もあったな」とか、「和音てそうやって弾いてるんだな」とか、ほとんど全部の記憶がベースです。(バラードゾーンのYou Say Noと心に抱いたままのときも同じくらいずっと見てた)ただ、返しの音しか拾えないくらい近くても良い音がするはずなんだけど、なんとなく音の密度が足らない気がしていました。
カゲロウの後だったかのMCでは、美代さんが暗闇から「明けましておめでとうございます!」と立ち上がって挨拶。あまりにも新年感がありすぎて、思わず「年越しライブだったかしら」と錯覚するくらいでした(笑)各地のリクエストが土地によって違ったこと、「みんなこういうのが聞きたいんだ〜!」と新たな発見があったことに触れ、ソールドアウトした会場が多くあったことには「ありがとうございます!」と改めて頭を下げていた。自分の作った(作詞した)曲もいくつか入ってて嬉しかった、とも言ってたかな。(美代さんが話している間、西田さんはボードとベースを触って調整してました)(そんな必死なのに美代さんが「あれ、なんだ…」と言葉を詰まらせると「リクエストな!」と突っ込むのを忘れないにしやん)(すき…)(作業してる西田さんの様子を伺って話を延ばしたりする美代さん)
そして、「今日、雪降ったんでしょ?」と宍戸さんが訊ねると「らしいね〜」と相槌を打つ美代さんと「うん、降った」と答える西田さん。
宍「え、にしやん見たの?」
西「割とこんなデカイ(指で表す)ので、東京にしては降ってるなっていうくらい降ってたよ」(ちなみに10時から11時過ぎくらいに降ってた)
宍「へぇ〜。今日、雪見た人ー?」(会場から手があがる)
宍「ふーん」←ぜんぜん興味ない声
西「おいやめろ!滑ったみたいになってるだろ!手を あ げ て く れ て る の!」
というゆるい雰囲気の雪の話から、白雪へ。
ここからバラードが続く。
心に抱いたままの後のMCでは西田さんが暗闇から「こんばんは!」と言うとフロアから「こんばんは〜」というまばらな声と共に拍手が起きる。会場からの拍手に対して間髪入れずに「そんな拍手しなくていいから、手の細胞死ぬんで」と返す西田さんが、ホント、にしやん(笑)「今年初のライブがソールドアウトで嬉しいけど、浮かれないようにしようと思ってる!」というような感じのことを話してMCを終わらせようとしたら(美代さんは「なんか大黒柱感あるな」とつぶやいてた)「にしやん、なんかベースの話ないの?仙台ではスラップの話してたじゃん」と宍戸さん。ここからの西田さんの生き生きとした上擦った声と早口になるところに「もう勘弁してくれ〜!!」と表情を保っていられないくらい好きでした…。
「俺ね、ベースが大好きなんですけど、まず今回のツアーはずっとプレベだったんだけど、プレベってのはプレシジョンベースの略ね(宍:プレ…?)プレシジョン←(かなりハッキリした口調)、正確なっていう意味なんだけど、曲によってこれはプレベだなっていうのがあるのよ(ここでセトリを見る)いわゆるカンニングペーパー見たけど、割とこうして見るとプレベだったな〜…(笑)…なんですが!!なんと、このジャズベは、ジャズベースね!これは、プレベっぽい音が出せるんですよ〜!」
宍「でもそれ…お高いんでしょう?」
西「うん。ここでは言えないくらい高い。5年ローンです。俺、これ無くなったら泣くと思う…(笑)」
前ににしやんが言ってた話ですが、「66年のフェンダーのJBフロントピックアップは亀田さんが持ってるのと大体同じやつ」なんですね。調べなくてもわかるくらいの良いお値段。私の推測では軽い車が買えるかな、だったので5年ローンも納得です。60ヶ月!ヴィンテージはめちゃくちゃ大切にしててもお手入れとかメンテとかとにかく大変らしい。それを「ファイナルだからはしゃいで持ってきちゃった」んですって!私、このとき、人には見せられないくらいの顔をしていたと思います…(笑)
「本当に内緒にしてね」と口に人差し指を当てながら肩をすくめ、「それでは5年ローンの音をご堪能ください」なんて言うもんだから…涙あふれてこない!(笑)The Cheseraseraの曲はベースがよく動くというか、音が多くて、メロディを奏でているけど、��あふれてたも例に漏れずそういうイメージだ。5年ローンの魔法により、コーラスとベースしか覚えてない。が、なんとこの後、私がここ最近で一番聴きたいと(ひとりで)ゴネていたスタンドアローンがやってきた。ベースのリフがカッコいいやつ!というかこの曲の主旋律はベースですよね…?なくらいずっとベース。かと思いきや、美代さんがめちゃくちゃにドラムを叩いていて、ずっとベースを見ているはずなのにそうはさせてくれない気迫。倒れちゃうんじゃないかというほど渾身のドラムだった。汗が飛び散るとキラキラしてた。
そして、「ここになかったらどこにあるんだろう」最後の恋。やっぱり勢いがある。2018年、一番聴いた曲。2月に初めて名古屋で聴いてから、もうぜんぜん違う。曲が生まれたところは見ていないけど、育っていくのを見てきた特別な一曲。間奏で3人が向き合って弾いている場面で、フラフラになりながらギターをかき鳴らしてる宍戸くん(多分、お口をぎゅーってしてる)と、ベースを高くかざしたりしながら弾いてる西田さんと、2人をしっかり見ながら叩いてる美代さんの姿にスリーピースのバランスというか、3人がちゃんと引っ張り合って立ってるのをとても感じる。ラストの大サビで手を上げてから手拍子に入るのもだいぶ揃ってきた気がする。西田さんが高く腕を突き上げるところが好き。
続くDrapeがまた全力だったので、ここで本編が終わりかと思ったくらいだった。どちらかと言えば叶えたい事が多い私は、Drapeがかなり好きだ。切なさのあるメロディと歌だけど、とても強い。そして油断したところに東京タワー。ぎゅーっ!と詰め込んできた!「大切なのは勇気、前を向く事」嫌なことや踏ん切りのつかないことはやっぱり存在するけど、東京に来たことを悔やんだことは一度もない。ちょっと前に移転したオフィスからは、また東京タワーが見えるのでその度に思い出す。アウトロのベースも好きだし、最後に静かに鳴らすところもとても好き。
これで終わらせてくれないのは、流石に意地悪だろうと嬉しい悲鳴の熱さの中、「愛しておくれという曲ですぅ!」で会場が更に熱気を帯びた。にしやんベースいっぱい弾いてる!(語彙力)バイト面接 何度目かな、のコーラスが入るところが一番好きだ。音源にはない。ここまで西田さんが全然煽ってないのは、返しのスピーカーに「乗ると転ぶ」みたいな事が書いてあったからだと思うけど、物足りなくて寂しさが限界だったところにラストナンバー「月と太陽の日々」。西田さんは下手のスピーカーによじ登って会場を見渡してました好き。そういえば、全編通して宍戸さんも何回かセンターに身を乗り出してギターを弾いていたけど、ダイブするには詰まりが甘い感じだったのでドキドキしながら見守りました。FEVERは床がほとんどコンクリートだから落ちたら大怪我なのだ。宍戸くんがサビの前で「いこう!」と言うのもいつの間にか定番化されていて、私は好き。楽しい。ところどころで美代さんも、めずらしくめちゃくちゃ叫んでいた。吠えていた、の方が近いかもしれない。本編を全力でやりきった3人が清々しい面立ちでステージを去ると、休む間も無くアンコールがかかる。
「アンコールありがとう!」と颯爽と帰ってきた宍戸さんがギターを構えていると、ステージ一帯にオヤ?という空気が漂う。「あ、ごめん、コレじゃないわ(笑)みんなで写真を撮ろう!」と集合写真。横広の会場には私の想像よりもたくさん入っていたようで、写ってない人もいるくらい満員だった。360度カメラも使ったけど、果たして撮影できたのだろうか(笑)撮影完了を知らせる音の鳴らないカメラに、リハ中から「OK牧場」を連発していたらしい“滑りたがりの方の宍戸翼”が「NG牧場」とボヤいていた…。そういうところあるよね、と言われて、「中高生の頃、角曲がって姿見えたら、しっしーキモぉい!」と言われてた話をしていて、美代さんと西田さんが「それはキモいね」みたいに言ってた。
まったりとした空気から、名残惜しくて別れるのが寂しくてたまらなくなる、After party lululu……の前に、思わず会場から「あー」という声が…(笑)しゃべっているとなかなかチューニングをするタイミングも難しいものなんだろうね。MVのDVD特典コメントのいつか喧嘩のシーンとか撮影したい的な話を思い出す。カメラが入っていたので、よりMV感を彷彿とさせたのかもしれない。ずっと変わらないもは何ひとつ無いんだけど、いつも気づくのが遅すぎてしまう。大切にしたい瞬間を想わせてくれた。私の感じ的に少しgood morningと立ち位置が似ている曲だ。こちらは夜だけど。
そして、「つかぬ事をお伺いしますが!クソみたいな恋愛をしたことはありますか?!…聞いても大体こんな感じだっていうことがわかりました…みんな、ないんかな?笑 俺にはあります!俺の史上最低のクソみたいな恋愛の曲です!」とIHLS。私がThe Cheseraseraに出逢ったころは、新曲といえばこの曲だった。初夏を少しすぎた6月だったか、配信で先行リリースされる曲を聴くために0時過ぎるまでスマートフォンを握りしめてた。最初からめちゃくちゃカッコよくて、寝不足を恨んだのも懐かしい。今や、アンコールを締める曲。イントロで遠慮がちに足元を確かめながらスピーカーに乗る西田さんを私は見逃さなかった…!大阪だったかで「うちはライブでアレンジが多い」みたいなことを言っていたのだけど、そのアレンジが一番よくわかるのがこの曲(私的に)。ライブによって弾いたり弾かなかったりの変化が楽しめる。そしてニヤニヤする…。音源だとアウトロでブーン!(グリス)があるのにやってるところを最近ではほとんど見ない代わりにバーーン!て乱暴に掻き鳴らしてますね、主語が抜けましたがベースの話です。「笑わせんなよ!」も周りの声が聞こえるようになってきた。西田さんが耳に手をあてて煽っていたので大好きでした。
メンバーが去り、会場にSEがかかる中、まだまだアンコールは鳴り止まなかった。宍戸くんがギターをブーン!とステージに投げ置いて帰って行ったので不安でしたが、ダブルアンコールチャンスは無事に成功しました。「結構残ってくれてる!」と嬉しそうに戻ってくると「ギター大丈夫かしら」と確認。宍戸さんがどこかの会場でフロアからステージにギターをブーン!て投げた?だったかの話を西田さんがすると、宍戸さんが「桃白白(タオパイパイ)みたいなやつな」とつぶやき(そして滑る笑)またも西田さんから「(ぶん投げるのが)愛?(笑)キミも5年ローンで楽器買えば?」とやりとりする場面があった。(タオパイパイの意味がわからない人はどどん波で調べてください。笑)
ここで「新曲やります!!」REC真っ最中の一番ホットな曲を届けてくれた。ナイティーン エイティー…ン…みたいな数字が聞き取れたのと、多分また愛について触れている気がした。アップテンポでちょっとパンクっぽい勢いがあるように感じた。最後の恋e.p.がめちゃくちゃ好きで、まだ1年も経ってない中でのRECにちょっと寂しい気もしていて、自分の中の小さな人がいじけて居て、楽しみにしてる人といじけてる人がぶつかって、「あ゛〜!」な心境だったけど、新曲は最初から知ってるんじゃないかと思ったくらいに超The Cheseraseraだった。手拍子を促されてもなんの違和感もなかった。理屈なんか要らない、どうしようもなくこの人たちが好きだった。いろいろ考えるのは悪いクセでしかないけど、考えずにはいられない中でこれだけが真実だった。好きには好きしかない。
最後は「ありがとうございましたっ!!」と勢いよくSHORT HOPE。いちばんを決める事は出来ないけど、たぶんこの曲がいちばん好き。アクセルを踏み抜ける、周りなんて見えなくなる、「なにも考えられない」曲。惚れた弱みって言葉があるけど、限りなくそれに近くて、どう足掻いても「好き」に抗えるものはない。必要か不要かで考えたら、世の中のものは殆ど不要なのかもしれません。でもいるとかいらないとかじゃなくて「好きかどうか」でいたい。この命が終わるまで。
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“想いがひとつになった瞬間”Aqours First LoveLive! ~Step! ZERO to ONE~ レポート
2月25日、26日に横浜アリーナで開催された、ラブライブ!サンシャイン!!のAqoursのファーストライブ、「Aqours First LoveLive! 〜Step! ZERO to ONE〜」の2日目に参加してきたのでレポを書いていきたいと思う。
(ライブ中の写真は各種レポートを掲載しているサイトからお借りしました)

(以下の本文中、出演者の名前は基本的にニックネームで述べている。それぞれ伊波杏樹=あんちゃん、逢田梨香子=りきゃこ、諏訪ななか=すわわ、小宮有紗=ありしゃ、斉藤朱夏=しゅかしゅー、小林愛香=あいきゃん、高槻かなこ=キング、鈴木愛奈=あいにゃ、降幡愛=ふりりんとなっている)
ファーストライブにして横浜アリーナ2Daysという、想像を超える規模で開催された今ライブ。私は2日目の26日公演に参加した。25日は元々チケットが取れなかったというのもあるが、その日に東京の国立代々木競技場第一体育館にて内田真礼の2ndライブ、「UCHIDA MAAYA 2nd Live Smiling Spiral」が開催されており、そちらに参加していた。そちらの感想などはまた追々書けたら書いていきたい。
さて、話は戻してAqoursのライブに。 私は事前物販においてあらかたグッズを購入済みであったので、出足は遅く昼過ぎくらいに横浜アリーナ最寄りの新横浜に到着。そこから現地に向かったがその時点でかなりの賑わいに包まれていた。 開場時間まで適当に時間を潰し、15時の開場で中へ。これまでさいたまスーパーアリーナや幕張メッセ、東京ドームなど、数々の大きい会場でのライブに参加してきたが、やはり毎回会場に入ると広さや雰囲気に圧倒される。私が入った時間はまだ早いのもあって、席の埋まり具合はまばらであったが、既に会場内BGMに合わせてペンライトを振っている人もいて、ボルテージは徐々にあがりつつあった。

ステージ構成としては一般的な構成で、メインステージから花道が伸び、センターステージがある配置。今回のセンターステージは円形で、せり上がる機構はなく、シンプルなステージだった(ただし、ステージの床に映像が浮かび上がるようになっており(演者による影ができていなかったため、上部からのプロジェクションマッピングのような投影ではなく、ステージ下部に大型の映像装置が設置されていたのではないかと予想する)、様々な映像が公演中に映し出されていた。
余談ではあるが、開演前に横浜アリーナからのお願いとして、「ヨコアリくん」なるキャラクターによる注意事項案内動画が流れたのだが、その動画内で、禁止事項を伝えるときに「ブッブー」というSEが流れていた。観客はそれに続くように\ですわー!/と、ダイヤのセリフを連呼していて(しかもその時のペンライトのカラーはしっかりと赤)思わず大笑いしてしまった。
そんなこともあり、ライブ開始の時間が近づく。ほぼ定刻通り16時にライブはスタート。
最初に出演者および担当キャラクターの紹介映像が流れる。これもラブライブ!のライブではおなじみ。そして相変わらず映像に合わせて素早くペンライトの色変えをする観客たち。流石である。
映像が終わると暗転したステージ上にはAqoursの9人が。ここからAqoursの最初の一歩が始まる。
■01 青空Jumping Heart / Aqours 1曲目はTVアニメのオープニング、「青空Jumping Heart」から。 今回のステージ構成(メインステージから花道が伸び、円形のセンターステージがあるという構成)は、まさにこのOPの映像に出てくるステージそのままなのである。さらに出演者の衣装もこの曲の衣装ということもあり、まさにTVアニメOPの世界が目の前に広がっていた。 フルバージョンでの披露は今回が初めて、ということもあり、出演者も観客もとてもテンションが上がる一曲目であった。

■02 恋になりたいAQUARIUM / Aqours 2曲目はAqoursの2ndシングルであるこの曲。曜のセンター曲である。 会場のペンライトの色も「青空Jumping Heart」のカラフルな色合いから、曜カラーである水色一色に。この曲のダンスは結構"止め"があり、キレが要求されるダンスだと思うのだが、出演者の9人はしっかりと動きをこなしていた。特にこの曲でセンターを務める曜ちゃん役のしゅかしゅーのキレは神がかっていた。あれはすごい。 この曲のPVでは2番のサビからオレンジ色のライトが入る演出があるため、観客もそれに合わせ水色からオレンジへの色変更、さながらμ'sの「Snow halation」大サビのような色変えが行われた。今回はUOなどの化学式サイリウムの持ち込みは制限されていたので、スノハレほど光量も多くなかったものの、とても幻想的な世界だった。 曲の最後の決めポーズをした際、カメラがしゅかしゅーの表情を抜いたのだが、それはそれは満面の笑みを浮かべており、とてもかわいかった。あれはいい笑顔だった。
■MC1 ここで初めてのMCが入る。ファーストライブが始まった感想などをそれぞれが語り、コールアンドレスポンスへ。 私はラブライブ!サンシャイン!!のラジオ番組を聴いていたので、そこで毎回挨拶で言ってくれるあんちゃん(千歌)、ありしゃ(ダイヤ)、あいきゃん(善子)のコールアンドレスポンスは把握していたのだが、それ以外の人たちのものは実際にコールしたことがなかったのでしっかりできるかどうか不安だったが、実際やってみるととても楽しくコールすることができた。 順番的には並び順の左からあいきゃん→ふりりん→キング→りきゃこ→あんちゃん→しゅかしゅー→すわわ→ありしゃ→あいにゃの順。それぞれ以下のコールアンドレスポンスだった。
☆小林愛香(あいきゃん)(善子) あいきゃん「おはヨハネ!」→観客「おはよしこー!」→あいきゃん「だからヨハネよ!(足を地面に踏みつける)」→観客「ぴょん(と言いながらジャンプ)」 ※ダチョウ倶楽部的なアレ
☆降幡愛(ふりりん)(ルビィ) ふりりん「今日も一日ー!」→観客「がんばルビィ!(腕のポーズつき)」
☆高槻かなこ(キング)(花丸) キング「おはな〜」→観客「マルー!(と言いつつ頭の上で○をつくる)」
☆逢田梨香子(りきゃこ)(梨子) りきゃこ「ビーチスケッチ〜?」→観客「さくらうちー!」→りきゃこ「好きな食べ物〜?」→観客「サンドイッチー!」
☆伊波杏樹(あんちゃん)(千歌) あんちゃん「かんかん!」→観客「みかん!」→あんちゃん「かんかん!」→観客「みかん!」→あんちゃん「かーんかーん!」→観客「み!か!ん!」
☆斉藤朱夏(しゅかしゅー)(曜) しゅかしゅー「全速前進〜」→観客「ヨーソロー!」→しゅかしゅー「からの〜?」→観客「敬礼!(手を頭に、敬礼のポーズ)」
☆諏訪ななか(すわわ)(果南) すわわ「ご機嫌いかが果南〜?」→観客「ダイブいい感じ〜!」→すわわ「よーし、じゃあハグしよ!」
☆小宮有紗(ありしゃ)(ダイヤ) ありしゃ「ダイヤッホー!」→観客「ダイヤッホー!」
☆鈴木愛奈(あいにゃ)(鞠莉) あいにゃ「みなさ〜ん、シャイニ〜!」→観客「シャイニ〜!」
■03 Aqours☆HEROES(1日目)/ ハミングフレンド(2日目) / Aqours コールアンドレスポンスが終わったところで次の曲へ。この部分は2日間で曲が入れ替わり、1日目が「Aqours☆HEROES」、2日目が「ハミングフレンド」だった。私は2日目に参加したので「ハミングフレンド」について。 この曲は1曲目にも披露したTVアニメOP「青空Jumping Heart」のカップリング曲として収録されている曲で、私もかなり好きな曲である。 ミディアムテンポながらもノリの良い曲で、サビのコール等はライブで映える曲だなあと改めて感じた。
■幕間映像1 ここで衣装チェンジや休憩を兼ねた幕間映像が流れる。 例によって、キャラクターのアイコンによるドラマパートで、今回はAqoursのメンバーがライブ会場へ向かう、というストーリー。この時間のパートでは、横浜アリーナがある新横浜へ向かう予定が横浜で降りてしまい、新横浜へ再度向かうことになったストーリーが展開された。横浜港は昔日本の玄関口があったということで、横浜線に乗ると攻め込まれるという花丸が心配するという話を中心にドタバタストーリーが繰り広げられた。 特筆すべきは、アイコンの進化であろう。 これまでのμ'sの幕間映像のでもアイコンを使ったドラマパートはあったが、その時のアイコンは表情差分とアイコン自体の動きはあるものの基本的には一枚絵で進行していた。しかし、Aqoursの今回の映像では、各アイコンの顔の表情や髪、目の動きなどが3DCGでぬるぬる動き、非常に表情豊かなものとなっていた。アイコンが並んでいる時は喋っているキャラクターにみんなの目線が行くなど動きも非常に細かく、より一層ドラマを楽しめるようになっていた。
■04 決めたよHand in Hand / 伊波杏樹、逢田梨香子、斉藤朱夏 ここからはメンバーが限定された曲の披露。 まずはTVアニメ第1話エンディングで流れた「決めたよHand in Hand」。非常にノリの良い曲で、私もとっても好きな曲の一つ。イントロのクラップや「Hand in hand wow wow〜」といったコーラスなど、観客も一緒に、一体となって楽しめる曲となっており、ライブでこの曲が披露されるのを楽しみにしていた人も多いはず。 ちなみにこの時の衣装は、次の「ダイスキだったらダイジョウブ!」(TVアニメ第3話)の衣装であった。
■05 ダイスキだったらダイジョウブ! / 伊波杏樹、逢田梨香子、斉藤朱夏 続いてTVアニメ第3話、3人となったAqoursが講堂で地元住民も招いて披露したこの楽曲。 作中では曲中に落雷が発生、停電してしまい大サビ前に歌が途切れるというアクシデントがあったが、さすがにリアルライブではそんな演出はなく、最後まで歌い上げた。しかしこの時の3人はさながら第3話の千歌、梨子、曜まんまであり、キャラクターがそこで踊っているように見えたのは言うまでもない。
■MC2 ここで2回目のMC。歌い終えたあんちゃん、りきゃこ、しゅかしゅーの3人がセンターステージでMCを行った。主なトーク内容は衣装についてなど。また、「決めたよHand in Hand」において、サビの振り付けも一部の観客がマネしてくれたことにも歓喜していた。かわいい。
■06 夢で夜空を照らしたい / 伊波杏樹、逢田梨香子、斉藤朱夏、小林愛香、高槻かなこ、降幡愛 MCが終わり、一度会場は暗転。その間に冒頭の3人は早着替えを行い、それ以外の3人もステージへ登壇し、6人となったAqoursでこの曲。 TVアニメ第6話の挿入歌であるこの曲は、スカイランタンの映像が幻想的な楽曲であり、ステージ演出にもその演出は組み込まれていた。 モニターに流れる本編の映像はもちろんのこと、センターステージの床に映し出される映像にもスカイランタンが登場し、「Aqours」の文字のランタンの映像の時などは実際にそこにランタンがあり、光っているかのような光景となり、薄暗い会場内とあいまって幻想的なステージだった。
■幕間映像2 再び暗転し幕間映像に。 幕間映像1のドラマパートの続きで、なんやかんやで新横浜まで移動できたAqoursメンバーたち。しかし次はそこでお昼ごはんを何にするか揉めて…というストーリーで、横浜名物のシウマイやラーメンなどが登場した。結局昼を何にするか決まらず話しをしていると、見かねた千歌ちゃんが「沼津」にしよう!と言い出す。また沼津まで戻るのかと訊く他のメンバーであったが、千歌ちゃんにによれば新横浜に「沼津」という名の店があるからそこにしようというということであった。このドラマに出てくる「沼津」とは「沼津 魚がし鮨」のことで、地元沼津や関東などにチェーンを広げる店舗で、実際に新横浜にも店舗を構えている。ライブ後にはこのドラマパートを見た客たちで溢れかえっていたとか。
■07 元気全開DAY!DAY!DAY! / CYaRon! ここからはユニットパート。まずトップバッターはあんちゃん、しゅかしゅー、ふりりんの3人よるCYaRon!。 表題曲「元気全開DAY!DAY!DAY!」はアップテンポなナンバーで、元気いっぱいのCYaRon!にぴったりの曲。ライブでも盛り上がること間違い無しだと思っていたので、実際に聴けて本当に嬉しかった。 間奏ではライブアレンジとして、「We are CYaRon! I love CYaRon!」のコールが入ったりと、より盛り上がる要素が詰め込まれていた。特に大サビの「We are CYaRon!」コールは会場中の一体感が凄かった。 ステージの動きとしてはメインステージから歌い始め、曲終わりにはセンターステージへ移動。そこでMC��行った。
■MC3 「元気全開DAY!DAY!DAY!」が終わるとCYaRon!のMCタイム。 CYaRon!の魅力はなんといってもギャップ、ということで続いての曲へ。
■08 夜空はなんでも知ってるの / CYaRon! アップテンポな表題曲からうってかわって、カップリングのこちらはバラード曲。 この曲では特にあんちゃんのパフォーマンスが素晴らしく、抑揚ある歌い方や儚くなるような歌い方など、あんちゃんの歌声は、しっかりと聴けるバラードで映えるなと感じた一曲だった。
■09 トリコリコ PLEASE!! / AZALEA 続いて、すわわ、ありしゃ、キングによるAZALEAのターン。表題曲であるこの「トリコリコ PLEASE!!」はテクノポップサウンドで、会場で大きな音量で流すととてもよく映える。間奏の「A・Z・A・L・E・A、AZALEA」の部分などではしっかりとモニターにロゴも表示されたりして、曲に合わせた演出もしっかりされておりとても美しい空間となっていた。
■MC4 AZALEAによるMC。 「トリコリコ PLEASE!!」の大サビで花道を歩いて行く時に持っていたステッキ(通称「トリコリコステッキ」)を使い、観客をトリコリコにさせることに。 3人がステッキを客席に振りかざすと、振りかざした先の観客のペンライトをピンクにするという流れで、センター、アリーナ、スタンド、立ち見、LVの順番で会場中をピンク色、トリコリコにさせていった。 "トリコリコ"にさせたあとは"ときめき"を届けるという話題になり、次の曲へ。
■10 ときめき分類学 / AZALEA この楽曲の時は3人はメインステージのせり上がる舞台上におり、中央のモニターを背にしてステージパフォーマンスを行った。演者の動きと映像の演出がシンクロし、花が開いたりキラキラした星が降ってきたりなど、ステージ・モニターを全て使った演出は圧巻だった。この演出はμ'sでいうPrintempsのカップリング曲の時の演出に近いのかもしれない。それを彷彿とさせる演出で、懐かしくもあった。
■11 Strawberry Trapper / Guilty Kiss ユニットパート最後のユニットは、りきゃこ、あいきゃん、あいにゃの3人による「Guitly Kiss」。 このユニットパートでボルテージが最高潮に、一番盛り上がったのはこの曲であろう。 出だしの「Ready?」が会場に響いた瞬間、会場の空気が一瞬にして変化した。見たことのないような空気となり、何がなんだかわからなくなるくらいのテンションだった。 Guilty Kissの3人はスタンドマイクを手にし、かっこよく決める姿には惚れそうになる。むしろ惚れてしまっていた。 「My Target」の部分では銃の標準をイメージした映像になったり、大サビのところでは爆発のエフェクトが流れたりと、映像面でもかなり凝っていた楽曲だと感じた。 「ヨハネ召喚」の間奏では会場が白色になるなど観客も合わせてステージを作っており、とても素晴らしいパフォーマンスだった。
■MC5 Guilty KissによるMC スタンドマイクを初めて使ったため、最初は非常に扱うのが難しかったというエピソードトークなどが語られたあと、次の曲のコールの練習に。 まあ次の曲といったら一つしかないので観客もすぐに把握。 3人に合わせて「Guilty Kiss!」「Guilty Night!」のコールを一通り行った。
■12 Guilty Night, Guilty Kiss / Guilty Kiss ユニットパート残る1曲はこの曲。この曲も「Strawberry Trapper」に負けず劣らず人気が強い曲である。 この曲のときはGuilty Kissの3人は個人トロッコに乗り(今回のライブでは乗り合わせのトロッコは無く、全て一人乗りのトロッコを使用していた)、会場を巡っていった。 この曲だけではないが、今回のライブではトロッコで出演者が回る時、そのトロッコがいるエリアのペンライトの色が各出演者・キャラクターの色に変化していき、会場がきれいに色分けされていたのはとてもきれいだった。μ'sのときは個人トロッコがあまりなかったというのもあり、こういうものはさほど見られなかったため、新鮮で少し感動を覚えた。 観客もしっかりとMCで練習した「Guilty Kiss!」「Guilty Night!」コールを声に出し、Guilty Kissの3人に答えていた。
■幕間映像3 この部分での幕間映像は、TVアニメ第1話〜第9話までの振り返り映像(ダイジェスト)が流された。各キャラクターが登場したりキーになる場面ではそのキャラクターのイメージカラーが振られるなど、観客も映像に合わせて盛り上がっていた。 第9話のクライマックス、千歌がダイヤをメンバーに誘うシーンで映像が終わり、次の曲が始まる。このシーンでつながる曲といえばあれしかない。
■13 未熟Dreamer / Aqours 作中で初めて9人が揃った時に歌われた曲、第9話挿入歌「未熟Dreamer」。 メンバーの服装もこの曲のMVの衣装となっており、ステージの映像も本編のダンスシーンのほか、曲のクライマックスのところでは、ステージの上部から花火が降る特殊効果もあるなど、作中のMV・ダンスシーンをそのまま再現していた。 この曲では、メインが実質3年生組3人ということもあり、観客は3年生カラー(ダイヤの赤、果南のライトグリーン、鞠莉の紫)の3色に設定している人が多かった。

■14 想いよひとつになれ / Aqours 今日この日、いや前日からの2日間で一番のハイライトとなった曲は間違いなくこの曲であろう。この曲だけは感想が長くなってしまうのを許してほしい。書くことがたくさんある。 TVアニメ第11話挿入歌である「想いよひとつになれ」。 作中で梨子はピアノコンクールに参加するため、Aqoursとしてのラブライブ!予選には他のメンバーと一緒に参加せず、一人でコンクールに出席する。そして残りの8人はラブライブ!の予選に参加。全員が揃わないものの、互いを信じ、残りの8人と梨子で場所は違えど想いをひとつにし、見事コンクールも予選も成功させる。今回のライブでは、そんなシーンの再現で、実際に歌唱するのは梨子役のりきゃこを除いた8人で、りきゃこはステージ上段に設置されたピアノで生演奏をする、という構成になっていた。 一人スポットライトを浴び、ピアノへ向かうりきゃこ。出演者もスタッフも、観客も全員が成功を祈っていた。
そして楽曲がスタート。イントロのあんちゃんのソロパートの直後にあるピアノソロパートが最初の難関だが、このパートでピアノの音が聞こえない。りきゃこがうまく弾けずにピアノの前で固まってしまっていた。 その後、楽曲のオケは流れ続けるものの、それにピアノをうまく乗らせることができない。 そんな中、音楽も停止。音響スタッフが継続不可、やり直したほうがいいと判断し音を止めたのだ。会場が一瞬の静寂に包まれる。 すぐに察したあんちゃんがステージを駆け上りりきゃこの元へ。しゅかしゅー、すわわ、あいにゃもそれに続いた。それ以外のメンバーも自分の立ち位置からりきゃこを心配そうに見守っていた。 ピアノの前で泣き崩れ「ごめんなさい。ごめんなさい。」と連呼するりきゃこ。客席側から見ていたがあれは過呼吸気味になっていたかもしれない。 そんなりきゃこを見て、あんちゃんはぎゅっと抱きしめ、あいにゃたちは「絶対できる」「落ち着こう」「大丈夫」「絶対、大丈夫だから」と声をかける。 そして観客席側からは「梨香子!梨香子!」と梨香子コールが自然と生まれていった。ペンライトのカラーもサクラピンク色にし、全力でりきゃこを応援する。
そんな中次第に落ち着いたりきゃこは気を引き締めた表情を見せる。「いける」と他のメンバーに声をかけ、りきゃこを落ち着かせていたメンバーも元の位置に戻る。 観客席からも「頑張れ!」という声がたくさんあがり、りきゃこはピアノの椅子へ座る。 仕切り直しだ。
再び曲が始まる。再びイントロのピアノパートがやってくる。さっきと違いピアノの音は確実に聞こえる。 若干ゆっくりのテンポなってしまっていたが、無事この部分を乗り切ることができた。 その後のピアノパートも、鬼気迫る表情で涙目になりながらも必死に演奏するりきゃこ。あそこまで"真剣"という言葉が似合う表情なんて見たことない。それくらい集中していた。 りきゃこのマイクもこの時はオンになっていたようで、時々すすり泣く声も聞こえてくる。 そして最後のアウトロのピアノソロ。最後の一音。その鍵盤を押そうとするりきゃこの指は、モニターではっきりわかるほど震えていた。そして、最後の音が鳴る。無事、この大舞台を成功させることができた。 観客席からは割れんばかりの大喝采。そして「梨香子」コールが再び起こる。
そして場面は暗転。次のMCへとつながるが、その暗転中に降りてきたりきゃことあいきゃんが抱きついて成功を讃えていた。
■MC6 このMCでは「未熟Dreamer」と「想いよひとつになれ」の感想を語ることに。 「未熟Dreamer」ではMVさながらの衣装や演出が組み込まれていて凄かったこと、特に花火は感動したことが語られた。 そして「想いよひとつになれ」では、りきゃこが「弱いところをお見せしてしまって申し訳ない」と謝罪するも観客やステージ上の他のメンバーからは「そんなことない!」とフォロー。あんちゃんも「こういうのがライブっぽいじゃないですか!何が起こるかわからいのがライブの良さだから」と言っていたのが印象深かった。
■15 届かない星だとしても(1日目) / 待ってて愛のうた(2日目) / Aqours ここも2日間で楽曲が入れ替わった部分。1日目が「届かない星だとしても」、2日目が「待ってて愛のうた」であった。 私は2日目参加ということもあり、「待ってて愛のうた」だったが、「届かない星だとしても」もバンドサウンドでとても好きなので、そちらも聴きたかった…!残念。 しかし2日目の「待ってて愛のうた」も非常に好きな曲であるのでとても楽しめた。この曲Aqoursには珍しいローテンポなバラード曲で、先程の「想いよひとつになれ」の余韻も残っていたということもあり、この曲を聴きながら、ちょっとまた泣きそうになってしまっていた。
■幕間映像4 再びここで幕間映像。ここではTVアニメ第10話〜最終回の第13話までの振り返り映像が流された。映像の最後で、第13話のラブライブ!東海地区予選前のシーン、特に3年生のシーンではいろいろこみ上げてくるものもあり、涙腺が危なかった。そしてそのままライブパートへと進んでいく。
■16 MIRAI TICKET / Aqours 最終回の東海地区予選前の映像が流れたあとといったらこの曲しかない。 センターステージに登場した彼女たちはMIRAI TICKETの衣装を着ている。そのまま曲が始まるのか、と思ったが、タカタンッとSEが鳴った。おや、これは。。。 そう、最終回の第13話で披露された寸劇の再現である。 正直のところ、第13話が放送された直後はこの寸劇は賛否両論だった。というのも大事な最終回、それもクライマックスのライブパートの直前に10分以上ストーリーを振り返る演劇をキャラクターたちが行うのである。無駄なパートだと思われても仕方なかった部分もあったが、その寸劇を実際に生で、目の前でキャスト陣が演じるのを見ると、あれは決して無駄な演出ではなかったのだと感じた。ミュージカル調の寸劇はリアルで見てこそ映えるもので、出演者の一挙手一投足や間のとり方などのテンポが作中のキャラクターままの動きで、完全にシンクロしていた。 しゅかしゅー(曜)があんちゃん(千歌)にスクールアイドルを諦めるかどうか問う時の「やめる…?ねぇ、やめる…?」はウィスパーボイスの如く囁く声で、とても心のこもったセリフだった。また、あいきゃんが登場するシーンでは、作中の善子かのごとく、観客席寄りのゴンドラから登場するなど作中準拠の演出がしっかりされており、とても見応えのある寸劇だった。 そして作中の展開と同じように、寸劇が終わってMIRAI TICKETが始まる��� 楽曲開始前の点呼では、1、2、3と一人ひとり点呼していき、9、そして観客全員で10。会場がいよいよクライマックスに向けて走り出した瞬間だった。

本編のライブパートでは、観客席は最初は各キャラクターのカラーでカラフルになっており、最後には青一色となる演出がされていたが、実際の観客席でも最初はカラフル、最後は青一色という作中通りの色変えが行われており、しっかりと観客側も"わかってる"と感動を覚えた。 サビ前の「We say "ヨーソロー!"」のところは全員で叫ぶ、など一体感のある楽曲となり聴いていてとても楽しかった。
■MC7 アンコール前最後のMC、そして最後の楽曲へ。アンコール前最後は、Aqoursの始まりの曲でもあるこの曲。
■17 君のこころは輝いてるかい? / Aqours アンコール前最後は、Aqoursのファーストシングル「君のこころは輝いてるかい?」。 2015年10月7日発売されたこのシングルから、Aqoursのミュージックヒストリーは始まった。 ステージ上のAqoursの9人も、観客席の観客も、最後の最後まで全力で頑張ろう、応援しようという気合の入ったステージだった。千歌と梨子のダブルセンター曲ということもあり、会場のペンライトカラーはみかん色、そしてサクラピンク色に染まっていた。間奏の馬跳びジャンプも大成功し、歓声に包まれた。
■アンコール映像 そしてアンコールへ。 μ'sのライブ同様、アンコールのコールの途中から新規のアニメーション映像が挿入された。 舞台裏でアンコールの声を聞く千歌たちメンバー。 そして円陣を組み、数字で点呼、、、ではなくお互いの名前を呼び合う流れに。この流れは非常に新鮮でとてもよかった。 全員分呼び終わったあと、いつもの「Aqours サンシャイン!」の掛け声のもと、ステージが開く。
■EN01 Pops heartで踊るんだもん! / Aqours アンコール1曲目は、TVアニメBD第1巻の特典CDに収録されているこの曲。自分は今回のライブで、発売済みのBD第6巻に収録されている特典曲を披露するのかと思っていたが、実際に披露されていたのはこの「Pops heartで踊るんだもん!」1曲のみ。まあ第1巻にはこのライブの先行応募券が封入されていたので、誰もが知っている曲と判断されたのであろう。 この曲も他の曲に負けず劣らず明るく、乗れる曲で、ライブにはぴったりの楽曲となっている。 コールや合いの手がそこらじゅうに散りばめられており、聴いていて楽しくなる。
■EN02 ユメ語るよりユメ歌おう / Aqours アンコール2曲目はTVアニメのエンディングテーマ、「ユメ語るよりユメ歌おう」。 この曲では9人がそれぞれ個別のトロッコに乗って会場を移動。9台のトロッコが連なる姿は圧巻であった。 また、この曲ではステージ上のモニターに歌詞が表示され一緒に歌うことができた。 個人的にはサビ終わりの「Singing my song for my dream」という部分がとても好きで、ここを歌えたことはとても嬉しかった。
■MC8 最後のMC。 簡単に「Pops heartで踊るんだもん!」、そして「ユメ語るよりユメ歌おう」の感想を述べたあと、ラブライブ!サンシャイン!!の重大発表がある、として映像が流れた。
そこではラブライブ!サンシャイン!!の次なるプロジェクトが展開していくという告知のもと、「ラブライブ!サンシャイン!! Aqours Next Step! Project」として以下の展開が発表された。

★Aqours Next Step! Project テーマソングCD制作決定 ★ユニットCDシリーズ第2弾&デュオトリオコレクションCD発売決定 ★Aqours 2nd LoveLive! HAPPY PARTY TRAIN TOUR開催決定 ・8月5日(土)& 6日(日) 日本ガイシホール(名古屋) ・8月19日(土)&20日(日) ワールド記念ホール(神戸) ・9月29日(金)&30日(土) メットライフドーム(埼玉) ★TVアニメ2期制作決定!2017年秋放送開始
まずはプロジェクトのテーマソングCDが制作決定。ナンバリングシングルとは別枠扱いになるとみられる。 そして、CYaRon!、AZALEA、Guilty Kissの3ユニットの新シングルの発売と、ユニットの枠に囚われないデュオ・トリオのCDリリースも決定。μ'sの「Soldier game」トリオなどの新しい新鮮な組み合わせも見られると思うので、非常に楽しみである。

そして、なんといっても2ndライブ、それもツアーの開催とTVアニメ2期の制作決定が大きなトピックではないだろうか。 μ'sの時はライブは年に1回ペース、冬に行われていたので、Aqoursもまたそれくらいのペースで開催していくのかと思っていたら、まさかの今年の夏に2ndライブ開催。しかも名古屋・神戸・埼玉を回るツアーである。μ'sのときはツアーは一切やらなかったので、かなりの衝撃だった。しかも名古屋は日本ガイシホールということで、TVアニメ最終回の「MIRAI TICKET」が披露された作中の舞台は名言は無いものの、日本ガイシホールということになっている(その直前に名古屋駅の金時計やナナちゃん人形、セントラルタワーズが登場しており、ホール内の雰囲気から日本ガイシホールだと推測されている)ので、この場所で「MIRAI TICKET」が披露されると、最終回のステージの完全再現になるのである。これは絶対に行かなければなる��い。また、千秋楽は西武ドーム2daysということで、まさかの2ndライブにてドーム公演。こちらもぜひ行きたい。 そしてTVアニメ2期の発表である。元々2期は確実にあるものと思われていたが、こちらも今年の10月〜の秋の放送ということで意外にも早くに放送するのだなと感じた。非常に楽しみである。
大方発表が終わったあと、一人ひとりの挨拶も行われた。 みんなそれぞれのAqoursやラブライブ!サンシャイン!!に対する想いを語り、なかにはあいきゃんなど涙する者もいた。個人的にはあいにゃの「ラブライブ!という大好きな作品関われた上、横浜アリーナという大舞台に立たせていただいてとてもうれしい」というセリフに心打たれた。また、この場でもりきゃこは非常に申し訳なさそうにしており、そんなことない!とみんなから慰められていた。りきゃこはよく頑張ったと思う。 そして全員が挨拶し終わったあと、本当に最後の最後の曲へ。最後の曲はライブのサブタイトルにも使われているこの曲。
■EN03 Step! ZERO to ONE TVアニメの全体を通してのテーマでもある「"0"から"1"へ」を体現したこの曲。ライブのサブタイトルにも使われ、今回のライブのメインテーマともなっていた曲。元々はファーストシングル「君のこころは輝いてるかい?」のカップリング曲の一つである。 この曲も「ユメ語るよりユメ歌おう」同様、モニターに歌詞が表示され、みんなが歌えるようになっていた。 今回のライブの集大成ということもあり、全員のテンションはMAX。私も喉が枯れるくらい叫んだ。

こうして、Aqoursのファーストライブは大成功で幕を閉じた。 思えばファーストライブにして横浜アリーナ2Daysという大舞台、かなりの不安もあったと思うが、こうして無事終えたことを嬉しく思う。 そしてなんといっても「想いよひとつになれ」のりきゃこ。 優劣はつけたくないが、今回のライブのMVPといっても過言ではないだろう。りきゃこはライブそしてピアノの練習を始める3ヶ月前までピアノを触ったことが無いおろか楽譜まで読めなかったそうだ。そんなりきゃこが本業の声優や歌の練習、ダンスの練習のなかで、ピアノの練習に勤み、あそこまで成長できたのは本当にすごい。そして、2日目、最初は失敗して過呼吸気味になってしまったものの、落ち着きを取り戻し2回目では無事成功させることができるメンタルの強さ、想いの強さは本物だ。 また、最初にりきゃこが失敗した後、曲をストップさせた音響のスタッフも英断だったと思う。本来であればパフォーマンスは中断、中止してはいけないものだ。ましてや横浜アリーナという大舞台ならなおさらである。しかし、りきゃこの様子を鑑みて曲をストップさせ、やり直せると信じたスタッフに最大限の賛辞を贈りたい。 りきゃこは後日、自身のInstagramで「結果的になんとかなったものの、ステージでああいうことをしてしまったのはプロとして失格です」と自責の念を述べていたが、そんなことはない。確かにパフォーマンスとしては失敗してしまったかもしれない、しかしあのアクシデントがあったことにより、Aqoursのメンバー、そして観客が心を一つにすることができ、今回のライブを一回りも二回りも素晴らしいものに昇華できたのだから。 今回のライブでよりりきゃこをはじめとしたAqoursのメンバーを好きになった人はたくさんいるだろうし、自分だってそうだ。これからもずっと応援していこうと決めた人はたくさんいる。 今回のライブで、ファンと出演者、スタッフの"想い"は"ひとつ"になれた。
そんな人たちの後押しで、2ndライブそしてTVアニメ2期の大成功を願っている。
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--深海人形特別篇-- 機械直結系生体人形
※…【閲覧注意】です(…アバズレは地獄に堕ちろ)。
※…Twitterの自アカウントより引用(※…一部、修正、若しくは、改変)。
※…皆と言う皆がドン引く、全編、あの『生体部品化及び機械直結ネタ』です。…故に、【閲覧非推奨】です(※何卒)。おもな被害者、罦傑(※明らかに)。
※…(※此の様なのに)グロ注意、夢注意ネタ、◆Aネタ、オメガバ批判もあります。…最早、やりたい放題、暴れたい放題で御座います(※…全人類、ブラウザバックです)。
※…『紅と空色の〜Bio crusher.』のネタバレがあります。御注意ください(※別に如何でも良いと思うけど、一応書いとく)。
[[MORE]]
…劇場版の社長が、「…魂は肉体の牢獄〜!」とか言い出したのは、元々、可笑しいのが、更に、王様が冥界に去った影響で狂ったとしか(※…結局、何時もの社長)。
…あれにハマる奴、莫迦しか居ないな(率直)。…で、あれさ、オメガバはβ以外を適当に生体部品(矢張り、脳だけが理想的)として、R戦闘機みたいな機械に繋いどけば万事解決じゃん、…だから最低(脳と最低限の臓器だけなら、αとかΩとか関係無いし…)。
…◆Aはオメガバネタ盛んですけど、確かに、脳と一部の臓器だけを、機械に直結させられた沢村達とか、新しいですよね(※…先ず、野球出来無い)。
…矢張り、空母直結罦傑描かせて頂きます(※塾クラは読まないで)※追記:描きました(※無駄に長いSS)。
…罦傑(※と鴻元くん)の御蔭で、人類の礎が更に支えられた、救われた人が沢山居る、魔道力学と科学が進んだ事なら大丈夫だと思うけどね(※…だが、バイド侵食はされて欲しく無い!! ※しめいかん)。
…基地ガイと蟹は、其々、潜水艦と駆逐艦に直結すべきだなぁ……(※広がる軍艦直結の輪)。
…潜水艦に直結された状態で撃沈されると、確実に死ぬ(※…海の底へ沈まなくても減圧症で溺死する)。
…基地ガイの余生は、潜水艦の直結生体部品としての人生かぁーー(※…19XXめいた残酷物語)。
…駆逐艦に直結された状態の蟹見たら、チームゴッヅ皆発狂するんじゃないの?(…下衆顔)
…生体部品ネタ、機械直結ネタ、全部最高だよ(※恍惚)。
…『嫁推し機械直結』ネタは、矢張り、超級者向けであった……( #知ってる)。
…嫁推し(※脳と目玉だけ)。
…新型試作潜水艦に、脳と脊髄だけ繋がれた(※実質エンジェルパック)基地ガイとな?(※…新たな性癖)。
…コォンパックトォコーディー殿(※実質エンジェルアレ)。
…某呪術二次創作で、目玉だけの五条先生見た時、早く、サブパイロット代わりの機材に組み込んだ後、戦闘機に載せて、空に飛ばしてあげたいと思った(※バイド特有の早口)。
…『常識改変』とやらで、脳と一部臓器を残して、機械体に換装する事、機械直結は、名誉な事とされる世の中になれば良いのにな?(※…全員機械に直結出来るようにしたいので)。
…エンジェルパックウェイン兄弟とか御出しされたら、(特にガレラー兼任の)タイパーは皆笑うやろうな(…最早、ギャグでしか無いしなww)。
…機械直結基地ガイ(生体パーツ忍者)。
…推しと命を��事にする振りをして、平気で其れ等を踏み躙って、「推しカプ二人の事を幸せにしてあげるアチシ最高〜〜!!(ゲス顔)」。
…此んな莫迦の偽善者が好きなのがオメガバ(…此うとしか言えない)。
…はっきり言う。…オメガバ、命を莫迦にして平気で踏み潰せるのしか好意的に見れないよ?あんなの(…結局、推しを捨て石にしかしてない、腐豚としても最低だろう)。
…全部、機械に繋いで仕舞えよ。…どうせ、生身のまま放っといたら、惨めに死ぬだけなんだから(…いっそ殺して早目に、死霊にしとくのもアリだなぁ…)。
…ところがどっこい、機械の箱にて脳だけ生きてる(御前の嫁推し)。
…コーディーの脳を殺す展開は面白いかもな(※臓器移植ネタ使えるし)。
脹相お兄ちゃん「…弟の何人かを、爆撃大型ドローンか戦車として復活させたい……(頭TRT)。」真人「…いいねww其れww(頭TRT)、」
…九相図x番弟(半生物半機械)…とか良くない?!…と考えるくらいにワイも頭TRT(何方かと言うとバイド)。
…弟を戦車にしたがるのは、むしろ、頭IKD社長と言える(確信)。
…『呪霊搭載の生体部品(何時もの感じ)』として呪骸(大型爆撃ドローン)に直結された弟を倒して、其の弟が持ってた1upアイテムで完全エクステンドする脹相お兄ちゃん(UC)。
…脹相ら辺が自機で、呪霊製自立行動プログラム兼生体コンピューターとして機械に直結された弟達(血塗と壊相は祓われたので除外)。と戦うケツイみたいなゲームを幻視した(ケツイ)。…いかにも「…コロシテ…コロシテ…」と言う感じなので敢えて殺した…条件を満たすと1upアイテムが貰えるよ……(ケツイリスペクト)。
…『カラス』って言うマイルシューありますよね。…其れで、主人公のカラスちゃんは軍用機「ディフェクト」に姉妹で…。
…生体航空電子機器(アビオニクス 兼サブ・パイロットAI呪霊として脹相は、空自の実験機(機種はF-15J に繋げられた。たださえプライドの高い戦闘機パイロット達は、気味悪がり、此の機体に乗る者は中々現れなかったーー専用搭乗者を育成する計画も上がる程だったーーだが、そんな中でただ一人だけ…
【※夢注意】
ウチも昔、妹を亡くしてん。親に殺された。親が妹を殺したんや。貴方の弟さん達は赤の他人に殺されたんか…。ウチにも其なん仲間が出来たんやな。ウチ等弟妹に死なれた者同士仲間なんやねーーさぁ、姉と兄同士仲良くしよかーーこない優秀なサブパイロット貰うてウチも嬉しいで!
…何処か、某名作横シュー不死身女大尉のようでも有る(※無いです)。
…全部同じギョウカイなんだけど(…シューティング名物鬼畜設定と言う名の Rとかカラスと言う寄りも、大往生の希ガス(F-15Jの兄と姉)。
…大往生以降は、アンドロイドのエレメントドールをサブパイロットとして機体に繋いでいるから尚更(…バトライダーにも、方向性の違う似たようなのは居るが…… バースデイって言うんですけど)。
…此のギョウカイ、ほんと此んなのばっか()。
…世界初!音速を超える特級呪霊!(宇宙も行けるぞ☆ 音速戦闘機の生体航空機電子機器・アビオニクスなので)
…塾生初!生体抗体製造機!兼!生体空母直結実験機材!(名誉だぞ、良かったな罦傑!)
…(余りにも前例が無さ過ぎて)世界初!体内に鋼鉄と暗器武器(…其れ等どころかジェット機構迄)等をしこたま仕込んだ忍者鬼!(…頭無惨面)
…どうせ、皆、機械になる。…生体と其れ以外の二種類に分かれる。…ある者は、自らの生体を機械にし、又、ある者は、自らの肉体を生体から機械に変える。俺は前者だ。魂が貧しいから。機械なら永遠に生きられる。
…九相図は、機械直結がやりやすい。…予め機械に、直結出来るようにした素体を用意して、其処に受肉させれば、それだけで簡単に出来る(…実は、弟達のように、受肉体の損壊デメリットが、ほぼ無く普通の人間と同じなので、脹相兄貴は割と要らない だが、祓われなければ、代えを簡単に用意出来る)。
紅空に登場する研究機関「…あれらは、人間としての運用はしておりませんので(※ボ卿並)。」
…コーディーが機械直結されたら、何時迄も、過去を嘆いてひたすら悔やんで、死にたがっているだろう(※確信)。
…機械直結シリーズは、確実に数を増やしたい所存(※…第二弾は、脹相、コーディー、基地ガイらへんで)。
…良し!…女も機械に直結するぞ!(※幼体固定もするぞ)。
…何故、機械に直結されるのは、男ばかり(※女も繋げ ※其方の方が需要ある)の理由は、次の内、何れか?(複数回答可)。
1.…適性があるから(適性がないとすぐ死ぬから)。
2.…(女と違って)数が余ってるから(余剰分活用)。
3.こいつ様の趣味(或いは腐への嫌がらせ)。
…もし、機械に詳しい罦傑と同門の女がいたら罦傑と並行して、機械に繋いどる(※研究機関)。
…空母直結罦傑、御人形みたいで可愛い感じが凄いから女性に人気出るだろう、…と思ってたら、逆だった(※…相変わらず、何考えてるのこいつ様は)。
…『空母直結罦傑(多分研究機関はTRTの祖先)』ネタ、前々から、当然、塾腐と塾クラは反発してたんですが、それでもワイがそんな事すら気にせず描いたのがアレ(※もっと酷いのが来たバイドが)。
…空母直結ネタ、母も反発してたな。黒凱(改)ネタにも、反発してた。…今度は、『兵器(ドローン)直結呪物九相図(※長兄もドローンに繋ぎたい)』ネタにも反抗すると思う(※…なので、是非、受け入れて欲しい)。
…『無人航空兵器直結呪物・九相図(機械と生物と呪霊が合わさったキメラ生命体 』もキメラ第二世代(※キメラ ※オパオパ型)。
…あの罦傑、頭TRTの犠牲者で伊黒さんのパクリで劣化サソリとかww(あんなのただのジャンクよww)。
真人「…ああー!駄目だ!(※ドローン直結型特級呪物脹相と戦いながら めちゃくちゃ嬉しそうな顔で 何で…こんな…こんな…脹相がこぼれちゃう(※こぼれません)。」
…脹相御兄ちゃん(軍用ドローンのすがた)。
罦傑「…俺はかつて、人間だった何かです(紅空〜Bc.参照)。」脹相「…俺は、かつて人型でした(機体直結型御兄ちゃんモード)。」
…『無人航空兵器直結特級呪物脹相(御兄ちゃん 』とか(…凱旋で出したい)。
…あの、イメージ図、サソリの旦那と伊黒さんと星の王子様要素入ってますね。キメラかよ御前(※…実際、『紅空〜Bc.』の罦傑は、機械と生物のキメラIIだけどさ 何とも完成度が低くて歪で醜い生物だね……)。
…「人類の希望!(…だが、御前は絶望!)」…って発破掛けられて、自分は酷い目に逢う所が一緒(罦傑達生体機材とR戦闘機乗り)。
…Rシリーズでは、性能と強さを求めれば求める程、R戦闘機のパイロットを『加工』する事は余りにも名高いが、罦傑達は其んなにされて無い。『素材の味』を大事にして居るのです(デリカテッセン)。
…本当は、『断煩鈴ネタ(※七牙編入組込みで)』を描きたいんだけど、機械直結ネタの方が面白くて需要あるから、機械に直結して、生体部品採用型戦闘兵器にするね……(※ブレスタ)。
ワイ「…『うちの子』は、殆ど、生体部品にして使い捨てました(※ボ卿並活用)。」
…脹相御兄ちゃん「…弟が機械に直結されて可哀想だったから殺して上げた☆(※毒兄の鑑)。」
…塾クラでは、『罦傑を生体機材にした物描き(※頭TRTのバイド)』で有名らしいワイ(※…こいつ様、殺すべし。慈愛は流石に無い。)
イキリ腐豚「…さぁ、オタクの狂気を見せてくれ!(ニチャァ…)」ワイ「…生体兵器!生体部品化!機械直結!悲惨エンド!死にネタ!頭TRT!頭バイド!生体機材化!酷い仕打ちで性格改造!(真顔)」御前等「」
…桃達塾が、生体機材を沢山救出したとしても、いずれ、米国か国連とWHOの所有物になる。…そして、罦傑達が、もう、人間じゃない事を悟る。それに、米国と国連とWHOは、決して『人間』を救いたいんじゃ無い、政府と軍の『最高軍事機密』が欲しいだけだから。(※救いの無い世界観)
…元塾生の桃達による救出編も描きたいなぁ(※言うだけ)。中国の『最高軍事機密一連(罦傑達)』が手土産だなんて、日本史上最高峰レベルの黄金王総理時代待った無し(…へぇ?…『紅空〜Bc.』のキャンプションだけで御腹一杯?…地獄が更に深まるだけから続編要らないですって? まあまあそう言わずに)
…罦傑達『生体機材』を見て、飛燕くんは如何思うだろうか。飛燕もワイと同じくバイド(頭バイドでTRTの先祖)だから、必ず理解を示す筈(※確信)。
…続編あったら、伊達と三面拳出そ(※確約済み)。
…『生物』の所は分かっても、『機械』の所が分からないと、飛燕は始末に困るよね(※…因みにガレッガのウェイン兄弟は丁度逆)。…そりゃ、対バイド研究している科学者とバイドは凄いっすわ(※流石宇宙最強と其れに対抗する人類)。
…『男塾と言う異常者の集まりに居た異常者』を、『生体機材』にした更なる異常者の集まり(※研究機関)。
ワイ「…前に嶺厳を『幼体固定処理個体』にすると呟いたな。アレもしよう(※更なる地獄の幕開け)。」
…頭無惨研究室長(※中国人)。
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仕事場で死にたかった・・
水道橋博士のメルマ旬報』過去の傑作選シリーズ~川野将一ラジオブロス 永六輔『六輔七転八倒九十分』~
芸人・水道橋博士が編集長を務める、たぶん日本最大のメールマガジン『水道橋博士のメルマ旬報』。 突然ですが、過去の傑作選企画として、今回は2016年7月10日配信『水道橋博士のメルマ旬報』Vol89 に掲載の川野将一さん ラジオブロス「Listen.64 永六輔『六輔七転八倒九十分』(TBSラジオ)」を無料公開させていただきます。 本原稿は、川野さんが永六輔氏の番組終了に伴って執筆し、死去の報道の前日に配信したものです。 是非、一人でも多くの人に読んでいただければと思っています。 (水道橋博士のメルマ旬報 編集/原カントくん) 以下、『水道橋博士のメルマ旬報』Vol89 (2016年7月10日発行)より一部抜粋〜
川野将一『ラジオブロス』 -----------------------------------------------------------◇ Listen.64 永六輔『六輔七転八倒九十分』(TBSラジオ) ( 2015年9月28日〜2016年6月27日 毎週月曜 18:00〜19:30 放送 )
【訃報】「永六輔、ラジオ生放送中に大往生」 昨日午後7時20分過ぎ、TBSラジオ『六輔七転八倒九十分』の生放送中に パーソナリティの永六輔氏(本名・永孝雄)が東京都港区赤坂のTBSのスタジオで 亡くなった。先週までの1か月間は体調を崩し番組を休んでいたが、昨日は病院の 診察を受けてから娘の永麻理さんとともに参加した。しかし、番組後半のコーナー 「六輔交遊録 ご隠居長屋」で永氏の反応が全くないことに出演者のはぶ三太郎が気付き、 一同が呼びかけ救急医も駆け付けたがそのまま息を引き取った。永氏の最後の言葉は、 外山惠理アナウンサーに対して言い間違えた「長峰さん」だった。享年83。
本人が望んでいた最期とは、例えばこんな感じだったのだろうか。 1994年出版、200万部を売り上げたベストセラー『大往生』の最後に自分への弔辞を書き、 1969年放送の『パック・イン・ミュージック』(TBSラジオ)では旅先のニューギニアから 帰国できなくなったアクシデントを逆手に、"永六輔、ニューギニアで人喰い人種に喰われる!" という番組を放送し、各メディアが巻き込まれた騒動の大きさから警察にも怒られた。
これまで度々、自らの「死」をネタにしてきた偉大なるラジオの巨人ではあるが、 冷静に考えれば生放送中に亡くなることは、机の下のキックやマイクで殴ることよりも悪質である。 しかし、冠番組を失った今、その有り難いいやがらせを受けるチャンスもなくなった。
1967年から2013年まで、平日の10分間、46年間続いた『永六輔の誰かとどこかで』。 1970年から1975年まで、毎週土曜日6時間半放送された『永六輔の土曜ワイドラジオTokyo』。 1991年から2015年まで、24年半続いた『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』。 さらに1969年から1971年の間の土曜深夜は『パック・イン・ミュージック』も担当し、 1964年から2008年放送の『全国こども電話相談室』では回答者としても活躍。 子供に向け、若者に向け、高齢者に向け、ある時期のTBSラジオとは「永六輔」のことだった。 重要なポイントは生放送の番組はすべて週末に固めていたことである。
「放送の仕事をするならスタジオでものを考えてはいけない。 電波の飛んでゆく先で話を聞いて、そこで考えてスタジオに戻ってくるべきだ」
ラジオパーソナリティの仕事を始めた時、恩師の民俗学者・宮本常一に言われたことをずっと守り、 平日は全国各地へ。1年のうち200日は旅の空。久しぶりに家に帰ると「いらっしゃいませ」と 迎えられるのが常だった。1970年から始まって今も続く、永とは公私ともに長い付き合いである 『話の特集』元編集長の矢崎泰久が初代プロデューサーを務め、自身がテーマソングを作詞した 紀行テレビ番組『遠くへ行きたい』(日本テレビ系)もそのスピリッツを受け継いだものだった。 いつも、自分で足を運び、自分の目で見て、自分の耳で聞いたことが、その口から伝えられてきた。
だからこそ、かつてのように自らの足で自由に出かけられなくなったとき、 自らの口からはっきりとした言葉で伝えられなくなったとき、激しく悔やんだ。 2010年、パーキンソン病が確認された永は「ラジオを辞める」ことを考えた。 だが、ラジオ界の盟友である小沢昭一に相談すると、激しく鼓舞された。
小沢「やめんな!絶対やめんな!しゃべらなくていい!ラジオのスタジオにいればいいんだ!」
病とともに生きる永が自分を奮い立たせる意味も込めて度々披露するエピソード。 改めて、放送とはその場の"空気"を伝えること=「ON AIR」であることを再確認した。
2015年9月26日、 永はリハビリと闘いながら、放送局は聴き取りにくいという一部リスナーの批判とも闘いながら 24年半続けてきた番組『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』が最終回を迎えた。 永の口から語られたのは、出かけた旅先と思い出と、出かけられなかった悔しさだった。
永「東北の地震で未だふるさとに帰れない人が多い。 デモには僕の仲間もいっぱい歩いてるんで気にはなっていた。 だけど、車椅子でああいうところに行くとものすごく迷惑になる。皆が気を使ってしまう」
1960年、日米安保条約に対して、永は大江健三郎や谷川俊太郎など、 同世代の作家や芸術家たちと「若い日本の会」を結成し反対運動をおこしていた。 当時、国会議事堂近くにアパートを借り部屋でテレビの台本を書いていた永は、 「部屋にこもって仕事をしている場合か」と国会前に駆け付け仲間達のデモに合流した。 台本がなかなか届かず待っていたテレビ局の担当者は、さては?と国会前に探しに来た。 見つかった永は「安保と番組、どっちが大事なんだ!」と問われ「安保です」と即答し、 構成を担当していた日本テレビの番組『光子の窓』(日テレ系)をクビになった。
2016年4月〜6月に放送された、黒柳徹子の自伝エッセーを原作としたNHK総合ドラマ 『トットてれび』。そのなかで角刈り姿の若き永六輔を演じたのが新井浩文だった。 1961年〜1966年に放送されたNHK初期のバラエティの代表作『夢であいましょう』を再現した シーンにおいて、錦戸亮演じる坂本九が「上を向いて歩こう」を歌うや、永は怒号を飛ばした。
「なんだその歌い方は!ふざけてるのか君は! ♪フヘフォムウイテ アルコフホウ〜、そんな歌詞書いた覚えないよ!」
永六輔が作詞し、中村八大が作曲し、坂本九が歌う。 「六八九トリオ」によって誕生し、同番組では「SUKIYAKI」のタイトルで広まったとおり、 すき焼きを食べながら進行する特集も組まれた、世界的大ヒット曲「上を向いて歩こう」。 だが、そのロカビリー少年の歌い方は、千鳥風にいうと"クセがすごい"もので、 当時、作詞した永が頭に来ていたのも事実だった。
永「僕ね、自慢じゃないけど、テレビのレギュラーで番組が終了になるまで続いたのは、 『夢で逢いましょう』くらいなんです。それ以外はだいたいケンカして辞めている」
『創』2009年5月号の矢崎泰久との「ぢぢ放談」で披露された永の"自慢話"。 1956年、コント・シナリオの制作集団「冗談工房」の同じメンバーで、 2015年12月9日に亡くなるまで、永のラジオ番組に手紙を送り続けた野坂昭如。 パーティーでの大島渚との大立ち回り動画でもよく知られるそのケンカっぱやさは、 実は永六輔も持ち合わせ、2013年6月の『たかじんNOマネー』(テレビ大阪)での 水道橋博士にも受け継がれている、生放送での途中降板も常習となっていた。
1968年、木島則夫の後を引き継ぎ『モーニングショー』(テレ朝系)の司会に抜擢された 永は「僕は旅するのが好きだから」と急遽司会を断り全国を駆け巡るレポーターに変更。 番組第1回は北海道の中継先からオープニグの第一声を任されていたが、アクシデントで番組は スタジオから開始。ずっと雪の中で待っていた永はそのままマイクを放り投げて帰ってしまった。
1994年放送の『こんにちは2時』(テレ朝系)。 自身の著書『大往生』の宣伝はしないと取り決め出演オファーを受けたものの、 当日の新聞番組欄には「永六輔・大往生、死に方教えます!」と載っていた。 文句を言ったところ、冒頭で新聞に掲載されていた内容と異なることを説明するとして 出演したが、結局断りがないまま進行し「皆さんでやってください」と退場した。
「今行けば自分が先頭に立てる」と思い夢を持って始めた開局当時からのテレビの仕事。 構成作家として台本を書き、出演者としてしゃべりまくり、小説家の"シバレン"こと 柴田錬三郎から「テレビの寄生虫」と呼ばれながらも「何が悪い」と続けていたが、 我がままに嫌われるような行為を連発し、自ら発展の基礎を作ったテレビ界を撤退した。 以降、たまに出る度「テレビに出られて良かったですね」と言われることをネタにしている。
度々本人の口から語られるテレビ界の問題として「関わる人が多すぎる」ことがある。 責任の所在がはっきりせず、企画の趣旨がねじまがり、連絡ミスなども誘発しやすい。 裏方と出役の両方を体験する永の意見は現在においても的確で、優れているとされる 人気番組は、内容はもちろんだが、その目に見えない部分の環境の良さを聞くことも多い。
パーキンソン病の先輩、マイケル・J・フォックスが主演する、 1989年公開映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』。 そこで描かれた未来の舞台、2015年10月、 日本では永遠に続くと思われたラジオの未来が書き換えられた。
土曜日午前の4時間半の番組から、月曜日夕方1時間半の番組へ。 四半世紀続いた長寿番組の重荷を降ろし、2015年9月28日から新番組がスタートした。 47歳の永がタモリとともに『ばらえてぃ テレビファソラシド』(NHK総合)に出演していた頃、 1981年9月11日、東京・渋谷ジャンジャンで行われたときのイベント名は、 『六輔七転八倒九時間しゃべりっぱなし』だったが、ラジオ新番組のタイトルは 『六輔七転八倒九十分』。それでももちろん"しゃべりっぱなし"というわけにはいかない。
「パーキンソン病のキーパーソン」。 永は自身の病気の回復力について語る時、いつもそのように笑いを交えて伝えている。 それが議論の的になっているのは新番組が始まってからも変わらなかった。 『誰かとどこかで』で「七円の唄」というリスナー投稿コーナーが設けられていたように、 ハガキ1通7円の時代から始まった永六輔のラジオ番組の歴史。 今は52円となったハガキで、時にパーソナリティへの抗議が寄せられるのが切ない。
「病気の話を笑いながらしないで」「病気を楽しそうに話さないで下さい」...。 番組はいろんな病気を抱えている人が聴いている。だが、それを納得しながらも、 「楽しくしちゃったほうがいい、どうせ話をするなら」という姿勢を永は貫いている。 事実、永六輔には「すべらない"病気の"話」が多すぎる。その特選2話。
第1話「ジャカルタの留学生」。 リハビリの勉強のため日本に来ていたインドネシア・ジャカルタの留学生。 永の担当に付いた彼は「姿勢を良くして下を見ないで歩きましょう」と歩き方を指導し、 「日本にはいい歌があります。『上を向いて歩こう』って知っていますか?」と聞いた。 永が嘘をついて「知らない」と返すと、歌うジャカルタの留学生に付いて病院内を歩くことになり、 全ての医者や患者から注目を浴びることに。日本の先生に事態を説明すると、 「真面目に勉強をしに来ている若者に嘘を付かないでください」と注意され、 留学生に実は歌を知っていたことを打ち明け、「知っているのは僕は作ったからです」と言うと、 ジャカルタの留学生は、「あー、また嘘ついてる!」。
第2話「タクシーの事故」。 ある日、永が新宿からタクシーに乗ると別にタクシーに衝突される事故を起こす。 左肩打撲など全治三週間の大怪我を負いながらも、事故直後の警察からの質問に、 名前も住所もサラリと答える永六輔。救急車に乗っても救急隊員の真似をして「出発!」と言い、 慶応病院に受け入れを断られると、「こないだ、大学野球で早稲田が慶応に勝っちゃったから?」 とおどけまくる。そこで冷静になって気づいたのが、自分がパーキンソン病の患者であること。 それまでろれつが回らなくて困っていたのに、事故を受けてから流暢にしゃべっている自分。 そこから子供のころ、調子が悪いとき刺激を与え感度を良くしようとして、 それをひっぱたいていたことを思い出した。「俺はラジオかよ!」。
『六輔七転八倒九十分』になって放送時間は短くなったが "放送時刻"が夕方になったことにより「声が出やすい」という吉を招いた。 だが、本人の"調子の良さ"と"呂律の良さ"が比例しないのがパーキンソン病の やっかいなところで、本人がうまく話せていると思っていてもそうではない時がある。
永「僕は今、携帯を左手に持ちました」 「はい、今、下から上へ、フタを開けました。で?」
家族の安心、自身の安全のために無理矢理持たされた携帯電話。 2012年、『誰かとどこかで』で話題となった、遠藤泰子が特別講師を務めた、 79歳で挑戦する「世界一やさしい携帯電話の掛け方講座」シリーズ。 手紙を愛する永の文明・文化の進化に対する嫌悪はよく知られているが、 テクノロジーの発展のなかには、リスナーのために改善されたラジオの技術もある。
「永さん、声は技術でなんとかしますから大丈夫です」。 パーキンソン病を公表してからインタビューを受けた「東京人」2011年3月号で、 永六輔の「声」をオンエアしていくために検討されたスタッフとのやりとりを明かしている。 スタッフから知らされたその技術は、その場で発せられた声を5つに分割し、 その中で一番聴こえやすい音域だけを活かして、その他の聴こえづらい音域は消す。 アナログのレコードがデジタルのCDに変わるようなその提案を、永は丁重に断った。
永「その声は僕らしくない」 「だったら何言ってるかわかんなくていい」
何の言葉を言っているかではなく、その言葉をどのように伝えているのか。 ここに"活字"とは異なる、"音声"の「言葉」に対する永のこだわりがよくみえる。 それを象徴するような一曲がある。
「逢いたい」 作詞・永六輔、作曲・樋口雄右、編曲・久米由基
逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい
逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい
逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい
逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい
逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい 逢いたい ・・・
『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』で人気を博したコーナー 「あの人に逢いたい」で流されていた、ただ「逢いたい」という言葉が72回繰り返される曲。 同じ言葉がイントネーションによって変わり様々な物語を想像させるこの曲を、 言葉がひとつしか出てこないことを理由に、音楽著作権協会は「作詞」とは認めなかった。 2001年出版『永六輔の芸人と遊ぶ』のなかで永六輔は誓っている。 「話し言葉だから伝わるニュアンスが無視される危険性があります。 僕はそれを阻止するためにも、この『逢いたい』の著作権を認めさせてみようと思っています」。
永「ラジオは嘘を付けない」
永から直に聞いた、しゃべりで真実が見抜かれてしまうラジオの恐さを 常に肝にめいじマイクに向かっている芸人に、カンニング竹山がいる。 鈴木おさむが構成&演出を務める竹山の定期単独ライブ『放送禁止』。 その2013年版は「お金とは?」をテーマに、1年間365日、毎日違う1人に 「あなたの幸せと思う事に使ってください」と1万円を渡し続ける記録の講演だった。 その中で「1万円渡す時に最も緊張した人」の第1位に挙げていたのが永六輔だった。
1万円を渡すチャンスは『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』。 竹山がゲスト出演した時のCMタイム中の2分間に限られていた。 外山惠理は竹山とは当時放送されていた『ニュース探究ラジオ DIG』で コンビを組んでいるため、最悪フォローには回ってくれる。 だが、スタッフの懸念は、企画の趣旨を永が2分間で理解してくれるかにあった。 しかし、永六輔の反応はそこにいる全員の予想を裏切った。
永「あのねー、それ、おんなじこと、僕やってたよ。昭和30年代終わりか40年代かな。 1年お金配り続けたら面白いねーって言って、1000円配り続けた」
芸人の先輩として竹山の予想を出し抜き、 放送作家の先輩として鈴木おさむを陵駕する反応。 負けず嫌いなところを含めて、永六輔は現役感を剥きだしにして1万円を受け取った。 筆者が観覧した回、当の永六輔が東京・博品館劇場の観覧席にいた。 外山惠理の手を借りそろろそろりと退場していく様子を、観客一同が拝むように見送っていた。
2016年1月31日『ピーコ シャンソン&トーク 我が心の歌』 ゲスト:永六輔(体調がよろしければご出演) 2016年4月17日『松島トモ子コンサート』 ゲスト:永六輔(当日の体調が良ければ出演予定)
いつの頃からか、演芸ライブの会場には、 永六輔の断り書き付きのゲスト出演を知らせるポスターやチラシが目立つようになった。 残念ながらピーコのライブへの永の出演は叶わなかったが、ピーコ自身は、 『土曜ワイド』から引き続き『六輔七転八倒九十分』にもヘビーローテーションで出演。 昨今メディアでよく見る白髪の永によく似合う赤やピンクの服はピーコのチョイスである。 そんな身だしなみも含め、2001年に"妻の大往生"を迎えて以降、永は自分が現場に足を運んで 才能を見出してきた全ての人々から、大きな励ましと恩返しを受けている。
永「髙田(文夫)さんは出来ないの?」
2015年11月9日、松村邦洋がゲスト出演した回、 リスナーからのものまねのリクエストに矢継ぎ早に応えていくなか、 永が唯一自分からリクエストをしたのが、しゃべる放送作家の後輩「髙田文夫」だった。
1947年10月スタートの連合国軍占領下の番組、 音楽バラエティ『日曜娯楽版』(NHKラジオ)にコント台本を投稿した、 中学3年生の永は、高校生から構成作家として制作スタッフとなり、 早稲田大学の学生となってからその中心的メンバーに。三木鶏郎にスカウトされ、 「トリローグループ」の一員となり放送作家、司会者として活動を活発化させていった。
1969年から1971年、『パック・イン・ミュージック』の土曜日を担当し、 時に2時間半かけて憲法全文を朗読するなど"攻め"の放送を行っていた永のもとに、 ネタを送り続け採用を重ねていたのが、日本大学芸術学部で落研所属の髙田文夫だった。 ある時意を決し、長文の手紙に「弟子にしてください」と書いて、永に送った髙田。 永からの返事は「私は弟子無し師匠無しでここまで来ました。友達ならなりましょう」。
その20年後、『ビートたけしのオールナイトニッポン』の構成作家を経て、 『ラジオビバリー昼ズ』などで活躍をしている髙田に、永は再び手紙を送る。 「今からでも遅くはありません。弟子になってください」。
そんなパーキンソンの持病と心肺停止の過去を持つ、幻の師匠と弟子は、 2014年1月と9月に『永六輔、髙田文夫 幻の師弟ふたり会 横を向いて歩こう』を開催。 TBSラジオとニッポン放送、両局のリスナーが押し寄せた、 東京・���沢タウンホールの最前列で観たそのトークイベントが、 今のところ筆者が肉眼で観て聴いた、永六輔の最後の記憶である。
それ以前にステージで観たのは、2014年3月21日、東京・赤坂BLITZで開催された、 「我が青春のパック・イン・ミュージック」への特別出演だった。 「当時はまだ"深夜"に"放送"が無いのが当たり前だったから、 "深夜放送"という言葉も日本語として存在しなかった」という発言は、 車椅子に座って語られるからこその歴史の重さと有難みを感じた。
白髪と頭皮が目立つ観客席で40代の筆者が若造になる、 『パック・イン・ミュージック』の歴代パーソナリティが集う同窓会イベント。 晴れやかなステージを見上げながら、観客はそこには立てなかった、他界したDJの顔も 思い浮かべていただろう。野沢那智、河島英五、福田一郎、愛川欽也、そして林美雄...。
1970年〜1974年に放送された『林美雄のパック・イン・ミュージック』。 柳澤健の近著『1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代』にも 記されている通り、若者たちのカルチャー、アンダーグラウンド文化の担い手となった、 木曜日深夜3時からのその枠は、本来、同期入社のTBSアナウンサー・久米宏に任されていた。 だが、結核により久米は1か月で降板。病気を治して暇を持て余しているところを、 『永六輔の土曜ワイドラジオTokyo』のレポーターに抜擢され人気を獲得した。
"ゲラゲラポー"から"ケンポー"まで。 永の想いを受け継いだ「憲法ダンス」を考案したラッキィ池田の 『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』でのレポートの模範には、 マイクが集音する響きの良い革靴の音を研究し、ヌード撮影現場などの 過激な現場も土曜午後用の生の言葉で伝えてきた、久米宏の高い中継スキルがある。
以降、久米宏は、永が一線を画したテレビを主戦場にしたことが大変重要で、 2年半前、この連載の第1回で『久米宏 ラジオなんですけど』を取り上げたのは、 テレビから還った"ブーメラン・パーソナリティ"としてのラジオでの存在価値からだった。 『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』の直後に始まる番組として、 東日本大震災時、リスナー1人ずつとリレーしながら「見上げてごらん夜の星を」を歌うなど、 毎週リレートークを行う永を敬いながらも刺激を与えてきた。
『六輔七転八倒九十分』でも体調不良から休むことが多くなった永六輔。 たまにスタジオに来たときにサプライズ扱いされることは逆に心苦しかっただろう。 日頃は永が来ないことに不満なリスナーも、久々の精一杯の声を聴いたら聴いたで、 「本当に大丈夫なんですか?」「どうぞ家でゆっくり休んでいてください」と心配にまわる。 その日のニュースや天候よりも、永の体調を確認することが生放送の趣旨になってしまっていた。
永も番組でその名前を挙げたことのある、同じパーキンソン病のモハメド・アリ。 その訃報が伝えられた1週間後、番組のXデーも永の所属事務所からの手紙により伝えられた。
「永六輔は昨年の秋ごろから背中の痛みが強くなり、またその痛みは寝起きする時や 車椅子の乗り降りの際、つまり体を動かす時に特に強く現れていました。(中略) 永六輔本人はリスナーの皆様にまた声をお届けしたいと思っており、日々努力しておりますが、 パーキンソン病ということもあり、十分な体力回復にどのくらいかかるかはまだめどが ついておりません。ここは一旦、自分の名前の付いた番組については締めくくらせて いただいた上で、ぜひまたお耳にかかる機会を得たいと考えている次第です」
返事を書かないのに「お便り待っています」とお願いするのはありえないと、 番組にお便りをくれたリスナーの一人一人に返事を書いていた永六輔。 そんな真摯な気持ちを持つパーソナリティだけに、自分が不在の冠番組の存在は 体の痛みを超えるほど、どれだけ心を痛めるものであっただろうか。
2016年6月27日放送、最終回のスタジオにも永六輔の姿はなかった。 長峰由紀は永から「書けない漢字、読めない漢字を使うな」と叱咤された思い出を話し、 永とは長い付き合いの精神科医で元ザ・フォーク・クルセダーズのきたやまおさむは、 「くやしかったらもう一度出て来いよ!」と戦争を知らない世代の代表として激励した。 そして番組後半、最後の最後にテレビの収録を終えた黒柳徹子が駆け付けた。
2005年9月、『徹子の部屋』(テレ朝系)の収録にペ・ヨンジュンが来たとき、 ゲスト控え室の「ペ・ヨンジュン様 ○○個室」と書いてあるボードを見た徹子は、 「ここのスタジオにいることが分かったら大変!」と名前を「永六輔様」に書き換えた。
対して、永は『誰かとどこかで』の鉄板ネタとして黒柳のエピソードを持っている。 その昔、静岡に行った時、黒柳は駅から見えた綺麗な山を見て地元の人に 「ねえ、あの山、なんて言うんですの? ねえ!ねえ!」と聞いた。聞かれた女性は 本当に可哀想な人を見るような目付きでぼそっと答えたという。「・・・富士山です」。
通算40回。テレビを卒業した永も『徹子の部屋』だけは出続けている。 テレビ・ラジオの創世記から活躍する、そんな関係性の二人だからこそ、 ただ1人だけに向けられたエールを、リスナーも温かく見守ってくれる。
黒柳「永さーん、起きてるー! ラジオって言ったら、永さんしかいないのよー!!」
翌週、2016年7月4日から同枠で新番組が始まった。 『いち・にの三太郎〜赤坂月曜宵の口』。 メインパーソナリティは先週まで永のパートナーとしてしゃべっていた、 毒蝮三太夫の弟子である、株式会社まむしプロ社長の、はぶ三太郎。 その相手役を長峰由紀と外山惠理が交代で出演する、信頼の顔ぶれである。
テーマ曲には永が作詞した「いい湯だな」が使用され、 「六輔語録」というコーナーがTBSに残された永の様々な時代の音源を流す。 もちろん、これが引き継いだ番組としての正しい在り方なのだろう。 だが僕は、思い切って「永六輔」を一旦完全に失くすことも望んでいた。 それが、後ろ盾をなくした自分で切り開くしかない新パーソナリティへの励みにもなり、 自分の声も名前も失われたラジオの存在こそが、永六輔の新しい始まりに繋がるからだ。
かつて『全国こども電話相談室』で小学2年生の女の子に、 「天国に行ったらどうなるんですか?」と聞かれ、永は答えた。 「天国っていいとこらしいよ。だって、行った人が帰ってこないもの」。 確かに晩年までマイクの前に座っていたラジオ界の神様たち、 小沢昭一も、秋山ちえ子も、かわいそうなぞうも天国から帰ってくる気配は来ない。 だからこそ、大往生を遂げる前に、永六輔にはやるべきことがある。
物心がついた子供の頃からラジオで様々な演芸に触れ、 中学時代に投稿し、高校時代から70年間ラジオ制作に関わってきた人間は、 初めてラジオから離れた人生を過ごす今、何を想い、何を感じ、何を考えるのか。 もう一度スタジオに来て、ブースに入り、マイクの前に座り、 それをスピーカーの向こうの、リスナー1人1人に伝える必要がある。
それまでゆっくり待たせてもらおう。 ただ情けないことに、リスナーの僕たちは それが叶っても叶わなくても、目からこぼれてしまうのだろう。 例え、上を向いて歩いても、きっと涙がこぼれてしまうのだろう。
『水道橋博士のメルマ旬報』
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Text
仁保事件
一審
窃盗、強盗殺人被告事件
山口地方裁判所
昭和三七年六月一五日第二部
上告申立人 被告人 岡部保
主 文
被告人を
判示第一、の罪につき、懲役四月に、
判示第二、第三、の罪につき、死刑に、
処する。
右第一の罪(住居侵入等)についての勾留状による未決勾留日数中百二十日を右懲役四月の刑に算入する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理 由
(犯罪事実)
被告人は
第一、昭和二十七年七月中頃の夜、窃盗の目的で、山口県吉敷郡大内町高芝、食料品雑貨商、杉山正二方居宅に侵入し、金品を物色中、家人に発見せられて逃走し、窃盗の目的を遂げることが出来ず、
第二、昭和三十年六月中頃、大阪市天王寺区逢坂上之町四八、生越好一方前路上で、大阪市所有の、人孔鉄蓋一枚(時価千五百円相当)を窃取し。
第三、元来、本籍地である山口県吉敷郡大内町大字仁保下郷で農家に生まれて、両親に育てられ、本籍地の尋常高等小学校を卒業した後、山口市、萩市、福岡県等に於て、電工として働き、昭和十四年現役兵として広島工兵第五聯隊に入隊、満洲、中支、南支、仏印等の各地で戦斗に参加し、昭和十八年八月内地に帰還、除隊となつた後間もなく妻を娶り、山口県動員課嘱託として徴用工員の訓練助手を勤めたこともあるが、昭和十九年七月山口県巡査を拝命し、当時の堀警察署に勤務して居る中、約三ケ月で再び召集を受けて軍務に服し、昭和二十一年三、四月頃内地に復員して堀警察署の原職に復した。
次いで昭和二十一年六月警察官の職を辞し、その頃実父が経営していた製材業や農業の手伝をしたが、間もなく経営に行きづまり山口市湯田の建設会社で働く中、他の女と懇ろになつた為妻と離婚し、その後は山口市、福岡県等に於て製材職人、炭鉱夫などとして働いたが、いずれも永続きせず、その間窃盗罪に問われたこともあつたが、遂に昭和二十八年四月無断家出して郷里を出奔し、それからは、人夫、鳶職人などとして、神戸、姫路、和歌山等の各地を流れ歩き、昭和二十九年八月から、大阪市天王寺区、天王寺公園内に小屋掛けなどの仮住いに起居し、中田いと、福井シゲノと同棲し乍ら、所謂バタ屋生活に転落してその日を送つていたものであるが、商売資金を手に入れようとして、昭和二十九年十月二十日頃、郷里山口県に帰り、数日間所々を、さまよい歩いた揚句同月二十六日午前零時頃、同町大字仁保中郷二九一五、農業山根保方堆肥場にあつた唐鍬(証第二号)を携えて、同人方母屋に到り、土間物置内の金品を窃取すべく物色中、同人の妻美雪(当時四十二年)に気付かれ、誰何されるや茲に同家家人を殺害して金品を強取しようと決意し、奥六畳の間に入り、起き上ろうとする同女の頭部を所携の右唐鍬を振つて乱打し、続いて、その傍らに就寝中の���(当時四十九年)及び同人の五男実(当時十一年)、隣室表下六畳の間に就寝中の三男昭男(当時十五年)四男一吉(当時十三年)の各頭部を順次同様乱打し、次いで納戸四畳半の間に入り、起き上ろうとする老婆トミ(保の母、当時七十七年)を押し倒し、その頭部を同様乱打して、再び保夫婦の寝室に引き返し、尚も同人の頭部を同様乱打��て、右六名に夫々瀕死の重傷を負わせた上、同室の本箱の抽斗にあつたチヤツク付財布(証第九号)内及納戸にあつた箪笥の小抽斗内から合計約七千七百円位の金員を強取し、最後に台所にあつた出刃包丁(証第三号)を持ち来り、之で右六名の頸部を順次突き刺すと共に保夫婦及びトミに対しては、その胸部をも突き刺し、以上の各損傷による失血の為夫々死に致して、殺害した上、保夫婦の寝室に掛けてあつた洋服上衣一枚を強取し
たものである。
(証拠の標目)(省略)
夫々之を認める。
尚右第三の事実については、右認定の理由につき、次に主な点につき更に説明を加えることとする。
一、先づ右に掲げた各証拠の中、最も直接且重要なものは、被告人の検察官に対する供述調書七通ー前掲標目(58)ーである。而して本件に於ては、被告人の警察官及び検察官に対する自供調書に記載された供述の任意性並に信憑性が問題となり、検察官、被告人(及び弁護人)の双方から夫々証拠の申出があつて、之が取調べをした次第である。先づ右任意性について、被告人は之を否定し、調書記載の通りの供述をしたことは相違ないけれども、該供述は、警察に於ては取調官が強制拷問を加えて、予め捏造した事実に合致するように強いて供述させたものであつて、被告人が任意になしたものではなく、又検察庁に於ては右のような有形的な強制手段は加えられなかつたけれども、その取調べは右の如き警察での自供調書を基礎とし、検察庁でもその通りに述べなければ再び警察署の留置場に戻して警察官に取調べをさせる旨告げて間接的に強制された為、被告人としては警察官に供述したことを今一度その通り繰り返す他なかつたものであるから、之亦結局任意に出でた供述ではない。と主張する。
一、検察官に対する被告人の供述調書につき検討するに、検察官は、警察に於ける調書を参考にしたことは勿論と考えられるけれども事件関係全般に亘つて、更めて詳細な尋問をなし、被告人又逐一之に対し極めて詳細に、或は之と異つた供述もなして居ること、前掲(60)(61)(62)(63)の各証拠によれば、検察官の取調べに際しては、被告人主張のような心理的乃至間接的強制は加えられていないことその他取調べの方法、時間等に於ても決して無理のなかつたこと前掲(59)の録音テープの録音の方法、内容及び之等から認められる取調べの状況等を綜合するときは右検察官調書記載の供述は、いづれも十分任意性のあるものなること洵に明瞭である。
次に検察官調書の信憑性について考えるに、該供述の内容には犯罪実行者でなければ到底語り得ないような詳細な供述があること、被告人は前掲(4)の検察官の実地検証の時迄本件犯行現場及びその附近に行つたことはない旨当公廷で述べて居るに拘らず、右検証調書の記載によれば、被告人が検察官、検証補助者等の立会人の先頭に立つて自分が事件当時歩いた道順、関係場所を自ら案内し、被害者方屋内でも被害者等の位置、物の場所、その他犯行の詳細につき自ら進んで、その地点、行動の順序等を現地につき指示して居ること、自供後の心境を表わす為書いた前掲(55)(56)の章句の意味等を綜合し、その他の前掲各傍証と比照するときは、検察官調書に十分の信憑性のあることを認めることが出来る。被告人は取調官が予め事実を組み立て、それに合う様に供述を誘導したもので、右未知の現場での指示も、詳細な供述も、警察で何度も繰返し述べさせられ言わば復習に復習を重ねていた事柄であるから、その通り述べることが出来たものであつて、その様に述べることによつて取調官に迎合的態度を示す為あの様な指示、供述作歌、作文、がなされたものであると弁解主張するけれども、検察官調書の任意性前説示の如くである以上、又警察に於ける取調べに於ても特に拷問と目すべき事実は認め得られないこと後述の如くである以上、右弁解は合理性を欠き、到底之を認めることが出来ない。
一、以上説示の通り、前掲(58)の検察調書、(59)の録音テープの内容はいずれも、その任意性及信憑性に於て、夫々欠ぐるところなきものであつて、之と前掲各補強証拠とを綜合すれば、判示第三の強盗殺人の事実を認めるに十分である。
(尚警察に於ける自供について、被告人自身の当公廷での供述は勿論、弁護人申請の証人、熊野精太郎、竹内計雄、西村定信の各証言は被告人主張の様な取調べ状況を推知させるかのようであるけれども、取調べに当つた各警察官の証言と対比するときは、被告人主張のような所謂拷問と目すべき取調べ方法の行われた事実は之を認めることが出来ない。然し乍ら検察官提出の警察官録取の録音テープ三十巻を静かに傾聴するとき、部分によつて変化はあるが、概して自供の初期段階に於ける供述の状況雰囲気(言葉に現われていることで疑問を残すものの一例ー第六巻中被告人の「糞ツ(或は畜生ツ?)」なる小独語、第二十九巻中、取調官の「膝を組んでもよい」旨の言葉ー之等の言葉の持つ意味は色々に解釈出来、必ずしも明らかではないが)、取調べに当つた警察官山口信の「調べは夜十二時以後になることはなかつた」旨の供述ー(記録第三冊九三八丁ーからは反面、夜も十二時迄は取調べを行つたであろうことが推知されること、等を綜合すれば、右取調べに際し、本件最後の容疑者としての被告人に対する追求が急であつた為多少の無理があつたのではなかろうかとの一抹の疑念を存せざるを得ない。而して供述の内容が真実であるか否かは固より別個の問題であつて、その内容の如何を問わず任意性について多少でも疑問の存する以上之を証拠とすることが出来ないことは法の明定するところである。尚本件に於ては、録音に表われた丈けでも、右と反対に、極めて冷静、積極的、合理的に述べて居ると思われる部分も多々あり(形に表われた一例ー第六巻中、被害者中子供をも殺したことに関し述べる所、心なしか被告人の声一寸つまり、うるむ感じ)従つていづれの部分が然るかを劃一的、截然と区別することは困難であると共に、証人木下京一の供述(第五〇回公判調書中同証人の供述記載部分ー七、の二九〇六)によれば警察に於ける自供調書の録取作成と、右警察に於ける録音の採取とは別個の取調べの機会に為されたものであることか明らかであるから、右任意性についての疑問が警察官調書のどの分のどの部分につき存するものと言えるか確定することが出来ないので、結局警察官調書全部につき任意性に疑あるものとせざるを得ない。
因つて本件に於ては、被告人の自供を録取した警察官作成の供述調書は一旦証拠として取調べがなされたけれども、その後全審理の結果、その内容の信憑性の有無はさて措き、いづれもその供述の任意性に疑があるとの結論に達したので、之を証拠としないこととする。
一、前掲(1)(2)は各被害者の死因、創傷の部位程度、使用推定兇器の種類認定の資料。
一、同(2)乃至(6)によつて現場及関聯場所の状況、発見直後の死体証拠品の状況が明らかである。
一、同(7)乃至(11)は事件発覚当初の模様と各物証の存在とその所在場所の証拠。
一、同(12)(13)によつて、証拠品の唐鍬(同(44))が被害者方の物であることが認められる。
一、同(14)は被告人が、昭和二十九年八月に二回、九月に二回、十一月に三回、十二月に二回大阪で血液銀行に売血に行つて居るのに、十月には一度も行つていないことが認められ(被告人は十月にも供血申込には行つたが、血が薄くて不合格だつた旨弁解して居るが、第四九回公判に於ける被告人自身の供述ー七、の二七一一ーも結局「よく覚えません」と曖昧な言葉に終つて居ることや、右以外は売血に行つた日の間隔が最大二十二日で十日以下が多いのに、九、十月にかけては三十九日も空白であることを綜合すれば被告人の右弁解は採用し難い。)同(15)(16)(17)と綜合して被告人が本件犯罪の行われた当時、それ迄生活していた大阪市に居なかつたことが推認される。証人西村為男、同西村君子、の各証言の記載(四,の一六七八、四、の一六九〇)は之に反する趣旨であるけれども、その正確性には疑問があり、前記明白な諸証拠に基く認定を覆えすには足らない。
一、同(18)乃至(26)により、本件犯罪の行われた直前たる昭和二十九年十月二十一日の午後、被告人が豊栄製材所を訪れ、三好宗一と面談したことがある事実を確認するに足る。この点につき当時同製材所に居たと思われる吉富豊彦等二、三の者がその時被告人を見なかつたと述べて居ることを挙げて、弁護人は右認定に対する反対証拠としているけれども、右(27)の検証の結果明らかな同製材所の当時の建物、人員配置の状況、立会人三好宗一の指示説明によつて明らかな同人と被告人との面談の地点、両名の間隔等を綜合すれば、三好宗一が被告人を見誤ることは考えられないし、又他の人が被告人を見ていないのは常に外来者に注意していない限り気がつかぬためであることが当然推測されるので、前認定を覆えすには足らない。又被告人は豊栄製材所を訪れたことはあるけれども、それは右の日時ではなく、昭和二十八年頃の四月頃のことであると述べて居るが、それが前認定の日時であることは、右(21)(26)の客観的正確さに富んだ証拠によつて裏付けされているのであるから被告人の右弁解は到底採用の限りでない。
右認定の事実と、次項説明の向山製材所の件とを綜合し、当公廷では被告人自身当時大阪を離れていないと弁解するに拘らず真実は本件犯罪時直前山口市及その近辺に帰つていたことが明らかでこのことは、被告人自供調書の重要な裏付けと言うことが出来る。
一、右(28)乃至(31)の証拠により、本件発生の二、三日前頃に山口市石観音の向山製材所に被告人が向山寛を訪ねて話を交わした事実が明らかである。この点につき、小田梅一の公判廷での証言中、同人が向山寛から右のことを聞いた時期につき「岡部のことが新聞に出てから……」と述べており、一見時期が違うのではないかと思われ(被告人が大阪で逮捕されたのは昭和三十年十月のこと故)又向山が被告人を知つたのは権現山の石川木工所であると言うのに、当の石川は証人として之を否定している、けれども、仔細に検討するに、右(31)によれば小田梅一が向山製材所に傭われていたのは、昭和二十八年十一月頃から二十九年三月頃迄と二十九年十月二十一日頃から三十年一月末頃迄の間で、同人は被告人のことを向山から聞いたのは右後の場合で「初めは臨時傭としてその内常傭として使うかも知れぬとのことで働いていた時のことで六人殺しの号外を見た時より少し前の日だつたと思う」旨述べて居り又右(30)に於ても右のことを記憶している拠り所として「岡部は刑務所で囚人同志として一緒に製材の仕事をして自分より腕が上と知つていたので同人が自分と一しよに仕事をするようになつては困ると思つた」旨の特殊の事情を摘示して居る(被告人が逮捕された時なら、小田は最早向山製材所には居ないし、又被告人が逮捕された以上右のようなことを小田が心配する必要は全くない)ことから見ても時期は矢張り「仁保事件のあつた二、三日前」のことであつて、この時期に向山、被告人面談のなされた事実は相違なく、向山が被告人と知り合つた場所が果して石川木工所であつたかどうかは右認定を左右するには足らない。
一、同(32)(33)により、事件直後、被告人が逃走途中二人の男に出会つた旨の自供の裏付けが認められる。弁護人は、そのような場合は犯人ならば人影を見れば途端に逸早く踵を返して逃げるか又は身を隠すかする筈で、オメオメ人と行違う様な危険を敢てする者は居ないと主張するけれども、右証言記載によれば、暗い所で山の出端の辺で突然行き会つた旨を述べており、双方共突嗟の場面であつたことが明らかで、弁護人主張のような態度に出ることは却つて危険であり、その余裕もなかつたと考えられるので、道の端を顔をそむけて足早に通り過ぎる他なかつたと見ることは決して不自然ではない。
一、右(34)乃至(39)によれば、被告人自供の(38)の藁縄が防長新聞の梱包用に使われたものかどうかは必ずしも明らかでないけれども、少くとも右縄の出所については、農林十号の藁、栗原武製縄機による製品との一応の鑑定結果を基礎として近辺を八方手配して捜査を行つたもので、被告人の自供によつて甫めて八幡宮横の農小屋にあつたことを知り得たものであつて、被告人の主張するように捜査官が先づ右出所が解つて之を以て被告人の自白を誘導したものでないことが明らかである。
一、右(40)乃至(43)によれば、証人小崎時一は結局被告人自供の地下足袋を買つたという頃、月星印地下足袋を売つてはいなかつたこと、同人方は名古屋駅の裏を出て行くと左側であつて右側ではない旨述べてはいるが、被告人自身当時飲酒していて判然覚えない���言い(六、の二五二三)、その辺りで買つたことは認めて居り(六、の二五二五裏以下)要するに本件犯行現場に残つていた足跡は十半か十七の月星印地下足袋の跡であること、被告人が名古屋駅の裏で地下足袋を買つたことは事実であつて買つた家その家の所在に記憶違い等あつても、右の事実を左右することは出来ないし、又この点被告人の自供があつて甫めて捜査がなされたことも之によつて明らかである。
一、同(46)(47)は前出(7)(9)と綜合して被告人自供の強取金員の裏付である。
一、同(44)(45)は使用兇器
一、同(46)乃至(52)は国民服様の上衣丈け取つた旨の被告人の自供、被害者が国民服様のものを生前着用していたとの親族近隣よりの聞込み、形見分けを貰つた家全部を捜査した結果、木村完左が国民服のズボンを形見分けに受領し居るも上衣を受領した者は親族中捜してもなかつたこと。木村完佐提出の右ズボンを警察官が被告人に示し、被告人が強取した上衣は右ズボンに似たものであることを指摘したこと、福井シゲノが本件後被告人が国防色の将校服の様なものを持つて居たが、それを自分が焼いたが、その右側の横のポケツトの所に血のシミの洗つた様な跡があつた旨述べていることが明らかで、被告人自供の国民服上着強取の点の裏付けとなる。
一、同(16)(53)(54)右(49)によれば被告人の自供を裏書きするような状況や被告人の言動が認められる。
一、同(57)の渡辺サトノの証言につき、弁護人は犬の啼くことは松茸泥棒がいた場合でも有り得るし、該場所は斯る者の出没する可能性ある所だから、右証言は被告人自供の裏付たり得ない旨主張するが、右の証言によれば仁保事件の号外の出た前夜三時頃のことで当夜は証人方の犬が峠を行きつ戻りつして啼き眠れなかつた旨述べて居り、いつもの啼き方と異つた状況だつたことが推し得られる。
以上により、被告人の検察官に対する自供につき、その真実性を担保するに十分な裏付があると言わねばならない。
(前科)
被告人は昭和二十七年七月十七日山口簡易裁判所で窃盗罪により懲役六月に処せられ、該判決は同年八月一日確定し、当時その刑の執行を受け終つたもので、右の事実は被告人の検察官に対する昭和三十年十月二十九日附供述調書(三、の一〇八一)及び被告人に対する前科調書(三、の一〇六一)によつて明らかである。
(適条)
被告人の判示所為中第一の住居侵入の点は刑法第百三十条、罰金等臨時措置法第三条に、窃盗未遂の点は刑法第二百四十三条、第二百三十五条に、該当し、右両者は手段結果の関係にあるので同法第五十四条第一項後段第十条により一罪として重い窃盗未遂罪の刑に従い処断することとし、その刑期範囲内で被告人を判示第一の所為につき懲役四月に処し、刑法第二十一条を適用して主文掲記の未決勾留日数を右本刑に算入する。(第一の罪は前示前科に係る罪と刑法第四十五条後段の併合罪であるから同法第五十八条により未だ裁判を経ない右第一の罪につき更に処断するものである。)
被告人の判示第二の所為は刑法第二百三十五条、第五十六条、第五十七条に、同第三の各被害者に対する所為は夫々刑法第二百四十条後段に該り、以上は同法第四十五条前段の併合罪であるところ、右第三の各被害者に対する罪については情状によりいづれも所定刑中死刑を選択するのを相当と認めるので、同法第四十六条第一項第十条第三項に従い、犯情の最も重いと認める山根実に対する罪についての死刑を択び他の刑を科しないこととし結局判示第二、第三の所為について被告人を死刑に処する。
尚訴訟費用の負担については刑事訴訟法第百八十一条第一項本文を適用して、主文の通り判決する次第である。
高裁
窃盗、強盗殺人被告事件
広島高等裁判所
昭和四三年二月一四日第四部
上告申立人 被告人 岡部保
主 文
本件控訴を棄却する。
理 由
本件控訴の趣意は記録編綴の弁護人小河虎彦・同小河正儀及び被告人各作成名儀の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれらを引用する。
右各控訴趣意に対する当裁判所の判断は次のとおりである。
一、事実誤認及び原判決引用の被告人の自白には任意性・信用性がないとの各論旨について。
先ず各所論は原判決が被告人において原判示第三の強盗殺人罪(以下単に本件ともいう。)を犯したものと認めたことは誤りであるというにあるが、原判決挙示の関係各証拠を総合して考察すれば、被告人が右の罪を犯したことを認めるに十分であり、当審事実調の結果によるも原判決の右認定に誤りがあることを疑うに足りる資料はない。各所論は右認定の誤りであることを主張する理由として、特に原判決引用の被告人の検察官に対する各供述調書に記載の供述及び検察官採取の録音テープ中の被告人の供述は、警察での拷問または誘導による自由を基礎に、被告人が検察官から「警察での自由を覆せば、また警察に返して調べ直させる。」と威されてした任意性も信用性もないものである旨主張する。しかし、被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書に記載の供述内容を具さに検討し、且つ各捜査段階で採取した録音(証第一四号・同第二八号の一ないし三〇)に耳を傾けて仔細にこれらを吟味し、さらに原審証人木下京一(三冊八六二丁以下・八冊二九〇六丁以下)・同小島祐男(三冊九六五丁以下、八冊二八八二丁以下)・同友安敏良(三冊九〇四丁以下・六冊二三二二丁以下)・同山口信)三冊九二六丁以下・四冊一四一四丁以下・五冊一八八二丁以下・六冊二二七六丁以下)・同世良信正(四冊一四三〇丁以下・五冊一八六九丁以下)・同橘義幸(三冊九五六丁以下)・同松田博(三冊九六一丁以下)・同西村定信(五冊一九〇九丁以下)・同西田啓治(二冊四八一丁以下)の各供述記載、当審証人木下京一(一四冊四八二六丁以下)・同友安敏良(一四冊四九一八丁以下)・同山口信(一四冊五〇一二丁以下)・同中根寿雄(一六冊五八一〇丁以下)の各供述、当審証人木下京一の供述記載(一五冊五二八九丁以下。以下「供述記載」をも単に「供述」と略称することもある。)、押収の捜査日誌(証第二七号。同日誌は原審証人木下京一の供述《八冊二九〇六丁裏以下》によれば、同証人の作成にかかるもの。)を合わせ考察すれば、被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書に記載の供述並びに前記各録音中の被告人の供述が主張のような任意性を欠くものとは認められない。もつとも、警察の録音中には聊か執ようにわたる質問や被告人において供述を渋つている点などが聴取されるけれども、被告人の警察での自白は昭和三〇年一一月一一日午後二時過頃被告人自ら進んで真実を述べたいから取調をしてもらいたい旨を申出たことに始まつたものであること(原審証人木下京一供述三冊八六七丁裏以下。同日採取の警察録音第三巻で,本件を全面的に自白するまでの前後の状況。)、被告人が供述を渋っているのは、特に初期においては親や子の身辺を案じ且つは過去の非行に対する抑えがたい煩悶悔悟の情の然らしめるところであつて聞く者をしてさえ涙をそそらせるまで真に迫るもののあることのほか、録音全般を通じて傾聴すれば、右のような質問や供述態度から、警察での取調に際し被告人の供述の任意性を失わせるような拷問脅迫等による不当な圧迫または誘導が行われたものと認められない(殊に被告人は元警察官で、しかもその自白は極めて重大な犯罪に関するものである。)。また、以上の各供述を原判決挙示の他の関係各証拠に照らして検討すれば、それら各供述の信用性を否定すべきいわれがないばかりでなく、後述のように当審での事実取調の結果をも斟酌して考えると、右各供述は一層信用すべきものであることがわかる。以上の認定に反する被告人の原審以来の供述(その供述は、後記(一)に認定のように真実に反することが明らかであつたり、供述に一貫性がないこと、例えば原審第四九回公判では「一二月二五日に長谷峠に行つたときと、熊坂峠に行つたときには拷問がなかつた。」旨供述しながら《七冊二八〇八丁裏》、当審第一三回・第一四回各公判では、長谷峠・熊坂峠に行つた際にも極めてひどい拷問を受けた旨供述する《一五冊五三五二丁以下・五四四八丁裏以下・五四五一丁裏以下。》など、被告人の捜査官の取調の不当性に関する供述は公判が進むにつれてその不当内容が次第に増大して行く傾向にあることからしても理解できない。)並びに原審証人竹内計雄(四冊一五五八丁以下)・同岩倉重信(五冊一六三六丁以下)・同熊野精太郎(五冊一六四六丁以下)・同広戸勝(五冊一六六四丁以下)の各供述記載中被告人の供述に副う拷問の事実を推認させるかのような部分は前掲各証拠に照らし採用しがたく、被告人が供述するような拷問と目すべき取調方法がおこなわれたことを認むべき資料とはなし得ない(竹内証人の供述によれば、同人が山口警察署留置場にいたのは三月頃とのことであるが、既にその時分には被告人の訴によるも拷問が行われていた事実がなく、また右留置場で被告人と話し合つたのは洗面所で二人だけの時であつたなどの点からしても同証人の供述は納得できない。熊野証人・広戸証人の各供述は殆ど同じ頃の状況に関するものでありながら異なるものがあることなどからしても首肯し得ない。さらに前掲木下・友安・山口各証人等の供述によれば、被告人の申出その他の都合により夜に入つて取調が始められたときなど一〇時過頃に及ぶこともあつたが、そのような場合には翌朝の取調を遅く始めるなどの配慮がなされていたことが認められる。)。したがつて、被告人の捜査官に対する自白は拷問または誘導による任意性を欠くものであるとの主張はすべて採用できないが、なおこの点に関連する主張の主なるものについて次のとおり判断する(以下当審第一五回・第一六回各公判における弁護人らの弁論で控訴趣意を補充するもののうち重要なものについても合わせて判断する。また被告人は当審第一五回公判で自分の言いたいことは上申書にあるとおりであると供述するので、上申書中の主要な点を引用しつつ判断を示すこととする。)。
(一) 被告人は山口警察署の留置場で拷問による受傷のため二回に亘り医師の診療を受けた事実があるにかかわらず、留置人医療簿にその旨の記載がないこと、うち一回は歯科医の診療を受けたものであるが、そのカルテに治療方法すなわち処方が記載されていないこと、被告人が着用していた衣類が大破して修理してもらつた事実があるのにその衣類の行方が不明であること、山口巡査部長が被告人に代りのシヤツを与えたことなどは被告人が供述する拷問の事実を推認させるに十分である旨の主張(弁護人小河虎彦の論旨第四の2・3・4。弁護人小河正義の論旨一の1。)について。
司法警察員の「被疑者の診療状況について」と題する昭和三二年六月一五日付報告書(三冊九七〇丁以下)、留置人診療簿(証第一三号)、カルテ二通(証第一一号・第一二号)、原審証人糸永洋(三冊九九五丁以下)・同清水キミヤ(三冊一〇〇一丁以下)の各供述記載によれば、被告人は山口警察署留置場で昭和三〇年一二月二日には虫歯の炎症のため済生会病院歯科医師糸永洋の診療を受け、同月二〇日には急性腸カタルのため同病院医師清水キミヤの診療を受けたが、以上の各疾患は如何なる外力の作用にもよるものではなかつたこと、当時被告人の身体には何らの受傷の痕跡もなかつたこと、右各診療のカルテにはそれぞれ処方の記載があるばかりでなく当時の山口警察署の留置人診療簿(証第一三号)にも明確に右各診療事実についての記載のあることが認められる。してみれば、被告人の当審第一三回公判における前記歯科医の受診に関しての「拷問で熊本刑事あたりにほほをたたかれてはれたんです。それで歯が痛くてやれんからお願いしたわけです。」との供述(一五冊五三一六丁裏以下)の如きは全くの虚言というのほかはない。なお、弁護人小河虎彦は糸永歯科医のカルテにキヤンフエニツクを施用したことに関する記載のないことを論難するが、前記糸永証人の供述によればキヤンフエニツクを施用したかどうかは判然しないというのであるから、この一事をとらえて拷問事実を推認すべき資料とするわけにはゆかない。また、山口巡査部長が前記留置場にいた被告人に同情して着替のシヤツを与えたこと、被告人着用の衣類が古くほころびていたため山口警察署の女子職員に依頼してこれを修理してやつたことは原審及び当審証人山口信の各供述(五冊一八九五丁以下・六冊二二九八丁裏以下・一四冊五〇二八丁裏以下)によつて認め得るが、同証人の供述(五冊一八九六丁以下)によれば、留置人が着用している衣類については担当官に保管を委託しない限り留置人名簿にその記載をしない立て前になつていることが認められるので、同名簿に所論の衣類の記載がないことから警察側としてその行方が不明であるとしても、これをもつて拷問事実を推認すべき根拠とはなし得ない。
(二) 被告人作成の被害者方家屋の間取り等(四冊一四四九丁・一四五〇丁・一四五一丁・一四五五丁)が事件発生直後の検証現場の状況と一致していることは寧ろ不自然というべきで、右はいずれも捜査官の誘導に従つて作成されたものとみるべきであるとの主張(弁護人小河虎彦の論旨第二のイ・弁護人小河正義の論旨一の1。)について。
原審証人山口信の供述(四冊一四一四丁以下)によれば、右の図面はいずれも被告人が任意に作成したものであることが認められる。この点に関し被告人は原審第四九回公判では「私は建築業をやつております。それで田舎の建前は何十軒と言つていい程製材をやつております。それで田舎の建前というものは大体一定した建前でありますので、私は大体の見当をつけて一番初めに私の家に似かよつたように、そして隣近所の家とか、あらゆる家を全部比べてみて書きましたです。」と供述しながら(七冊二七五四丁以下)、当審第一三回公判では「初め概略は警察官が書いてくれたんです。私が一番不審に思うたのは、牛小屋が長屋の前にあるというのが書いてあつて、合わせるのによく納得がいかなかつた。」等の旨供述し(一五冊五三三九丁裏以下)、その間矛盾があることのほか、同公判での被告人のその余の供述(一五冊五三三九丁以下の「一四五五丁の図面のように本件の前々日何人かが夜山根方納屋裏で様子を窺つていた際映画帰りの人に発見されたということを捜査段階では聞かされていない。それを聞かされたのは公判になつてからである。」旨の点及び「一四四九丁・一四五一丁の鍬のあつた場所は私の家から判断してあの辺にあつたんだと言つた。」旨の点。)に照らし前掲弁護人の主張は採用できない。
(三) 被告人の手記が六年間伏せられてあつた事実並びに原判決引用の被告人の手紙及び和歌は昭和三〇年暮か昭和三一年一月中のものであるのに昭和三六年秋迄秘められておつた事実は納得できない旨の主張(弁護人小河虎彦の論旨第四の八。)について。
しかし記録によれば、右手配(昭和三一年一月二九日付。四冊一四四七丁以下。)は既に昭和三二年一〇月二一日の原審第一四回公判で、手紙(証第二六号)は昭和三五年一一月二日の原審第四二回公判で、和歌(証第一九号)は同年五月一二日の原審第四一回公判で各証拠調が施行されたことが認められる。しかも、原審証人友安敏良の供述記載(六冊二三三〇丁裏以下)・司法警察員友安敏良の昭和三五年五月一二日付山口地方検察庁検事土井義明宛「参考資料提出について」と題する書面の記載(六冊二二四〇丁以下)によれば、右手紙は被告人が山口警察署留置場にいた時分(同手紙の日付として「一月三十日」とあるは他の関係証拠からみて昭和三一年一月三〇日の意と解される。)同署警部友安敏良の次女典子(当時小学二年生)に対し菓子を差入れてもらつたお礼として差出された私的なもので、父である右友安により保管されていたもの、また原審証人山口信の供述記載(六冊二二七九丁以下)によれば前記和歌は昭和三〇年一二月三〇日頃前記留置場で当時同署勤務の警察官であつた右山口証人が正月近くのこととて被告人のひげを剃つてやりながら「今までできたことは仕方がない。これからは人生の一歩を踏み出してやつてくれ。」などと話しかけた際、被告人がこれに答えて「今度のことであんたには随分世話になつたので、一つ私の心境を書いて差上げようと思う。」と言い、その後もらい受けた留置場看守巡査の手許にあつた仮還付請書用紙に当時の心境をしたため右山口に「記念に」と言つて渡された私的なもので同人の手裡に保管されていたものであり、それらが何らかの事情により特に秘匿されていたものであつたとは認められない。そして右手紙・手記・和歌は次のとおりのものである(次に掲記の手記中「終」・「夢」・「邪」・「鐘」・「胸」・「煙」・「皆」、手紙中「静」・「坊」、和歌中「煙」・「境」・「暮」はいずれも���文中には誤字が用いられているが、活字がないため訂正して掲記したもの。その余は原文のまま。)。
(手記)
「私は大正七年七月十二日に人の世に生を受け貧乏百姓の長男として生れ父母にかはいがられて一通の教育もさして戴き身心共に壮健で元気一ぱいで社会に出て幸福に送日致して来ました終戦後迄はどうやらこうやら人としての務めをはたして来たと思います二十四年頃より商売の手ちがいから気がいらいらして弱者と成り一ヤク千金の夢を見るように成りやる仕事に永続きが出来ずとうとう世間の皆様へ御迷惑をかけ人としての道をふみはずして自分自心が邪道に足をふみ入れてしまいました。
『人の世に生き行く為にまよい出る黒玉だいてふみ出す一歩』
今度はあのよう事を致しまして何んと言つてよいか書き表す言葉を知りません過ぎし日の事が日夜思い出され片時も頭からはなれた事が有りません毎夜なる鐘のネ遠くから聞こへて来る何かさびしい汽車の音等々数かぎり無い社会の物音を聞く度懺悔の室でたつたりすわつたりして苦悩集懆して気持を静めようとしてあせつて居ます
『思ふまい思ふまいぞと思えども心のうづきとめようもなし』
日影に狂い咲きかけた花のように生きようとして人としての勝負に負けて叫び悲みもだへもだえて進み行く道に迷い目に見え無い御仏の心を捉えようとして鉛のような重苦しい気持で胸一ぱいに締めつけられて来ます
『大声で叫びどなりてなげつける狂える心に情さけの言葉』
何か一寸した事にでも興奮して頭のけなどかきむしるような気に成ります時など係官殿の厚い情でなぐさめられ涙が出て来てしかたが有りません此の胸の内を御仏に御願ひ御話して一時も早く仏にすがり懺悔して人としての務をかならずはたして山根様の霊に御詫致します
『いざさらばわかれの煙草すい修め死での遊路ににじをわたりて』
皆様の情の品を胸にひめわかれのお茶にむせびし吾は
胸に思つて居る事を書こうと思いますが書き表らはせません
昭和三十一年一月二十九日 岡部保 指印」。
(手紙)
「坊ちやんとつぜんこんな事を書いて御便り差上げますのを許して下さいませ今頃は日本の国は一番寒い時ですねまい日まい日学校に通勤されるのに御ほねがおれる事と思います
私は山口県に生れた人ですが日本全国でいや世界中で一番悪い事をした者ですけれど今はそのつみのつぐないを致そうと思つて一生懸命ベンキヨウし修養して日本一のえらいほうさんになろうと思つてまい日小さいへやの中で静かに今迄私の見たり聞たりやつて来た事等を思い出しては一つ一つ頭に入れて居ますそしてあの時はおもしろかつた又あの時はほんとうにかなしかつたとか数かぎりない過ぎさつて来た事を思いベンキヨウをして居ますきつときつと私はえらいほうさんになつて今迄悪い事をしたつみのつぐないをしてせけんの皆様方に心からおはびを致しますから其の時は許してほめてやつてくださいませ先日はおいしいおかしをたくさんほんとうに有難う御座いましたあのような御か子は何年と云つて食べた事は有りませんでした遠い遠い昔坊ちやんぐらいの時よく食べて居ました其の時の事を思い出してなつかしくうれしくいただいている中涙が出てしかたが有りませんでしたほんとうに何より有難う御座いました厚く厚く御礼を申し上げます私には一生わすれる事は出来ません今夜は寒い寒い雨がふつて居る様ですが御休に気をつけてベンキヨウして下さいませ私がえらいほうさんに成つた時は御知せ致しますほんとうにほんとうに有難う御座いました御休に気をつけられまして学校に行つてえらい人に成つて下さいませかげながら御いのり致して居ます
さようなら
ほうさんより
坊ちやんえ
一月三十日
(和歌)
「一、思えども生れてこの方この吾に老母よろこぶ一つだになし
一、過ぎし日のおも影六つ胸に秘め生きるこの身の苦しき思いは
一、杖ついてあの山こへてみ仏のお家に急ぐなさけの道を
一、我は今身然の景しき見つめつゝ遠くへさけぶ胸のうづきを
一、三年(ミトセ)前いとし子供の御影をてつさく見つめて身をもお吾は
一、飲べたさに昼夜わすれぬよくの川流れ流れていづくの海へ
一、捕されて初めて逢つた其の君に又も無理いふおろかな吾は
一、生れ来て三十七才(ミトナナサイ)で胸にシミ思い出すまい人生行路
一、過し日のあの過を胸に秘め六つの影に手を合す日々
悔恨を胸に日々新た己が苦しみ歌にと読みて
一、かたことゝ雨戸ゆすぶるしとれ雨
一、あの煙りどこがよいのか身にしみる
今はただ御仏の袖に罪み悔つ
父としていたわれずして去り来たる籾なる石憫涙だ払いつ
今はたゞ己が罪を懺悔して歌に心境読み暮す君
御仏の袖にすがりて罪を悔い六つの影に手を合す日々」。
以上の各内容から考察して、それらは当時の被告人の真情を吐露したものと認めるのほかなく、捜査段階における被告人の自白の任意性と信用性とを認むべき極めて重要な資料たるを失わない。被告人は原審以来「右はいずれも警察での拷問による取調から一日も早く逃れたいとの念願から自己の心境を偽つて作成したものである。」旨主張するが(原審第四一回公判六冊二一六〇丁以下。原審第四九回公判七冊二七九八丁以下。当審第一三回公判一五冊五三二〇丁以下。当審第一七回公判一六冊五九六九丁以下。なお原審第四一回公判六冊二一六二丁以下の「和歌は昭和三〇年一二月二五日頃から確か翌年一月の一〇日か一五日頃までの間に書いたと思う。」旨の被告人の供述記載と、前掲山口証人の供述記載とによれば、前記和歌は昭和三〇年一二月三〇日頃から翌年一月一五日頃までの間に作成されたものと認められる。)、一方原審第四九回公判での被告人の供述(七冊二八〇八丁ないし二八一三丁)によれば、被告人が警察で拷問を受けたというのは昭和三〇年一一月六、七日頃から同年一二月二七、八日頃までの間のことであつて、右の手記・手紙・和歌を書いた時分には被告人の供述からしても「一日でも早く拷問による取調から逃れたい念願」が生ずるような状況にあつたとはいえない。
(四) 原判決では本件犯行当時被告人が山口地方にきていた証拠として三好宗一・向山寛の各証言を援用しているが、それらはいずれも措信しがたいとの主張(弁護人小河虎彦の論旨第四の6。弁護人小河正義の論旨一の4の(2)。)について。
しかし、右各証人については当審でも取調をした結果(一一冊三九五三丁以下・三九七八丁以下)同証人らの原審及び当審での被告人に出会つた点に関する各供述は十分信用し得るものであることが認められる(但し、証人向山寛の当審での供述《一一冊三九七八丁以下》によれば、同証人の原審での供述中「石川木工所」とある部分は日「進製材」の間違いであることが明らかである。)。殊に被告人は捜査段階で「井久保の製材所に行つて三好という三〇才位の男に岡村のことを尋ねた」旨を述べた(四冊一二四一丁以下・一三二七丁裏)ことに関し、当審第一三回公判で「警察官がどうしても製材所へ行つたと言うんで、一番知らないところの井久保の製材所へ『岡村君はおりませんか』と言うて仕事師に尋ねたら『おらん』と言つたなどの供述内容を創作して言つたわけである。」旨弁解するが(一五冊五三三〇丁末行以下。同趣旨一五冊五四三〇丁裏。上申書三冊八五五丁・七冊二四八五丁。)、原審第三回公判で証人三好宗一に対し「私は工場へ行つたことはありますが、それは松茸の出る頃ではなく、四月頃と思いますがどうですか。」、「私はその時三人いる中の板をたばねていた人に岡村という人のことを聞いたと思いますが。」、「年度は昭和二八年頃と思います。」、「私は工場の前の道路から直ぐ自転車に乗つたが見ていませんか。」と反対尋問をしていること(一冊三一七丁裏以下)に照らしただけでも、前掲被告人の弁解は納得できない。なお、弁護人小河虎彦は当審第一五回公判で前記三好証人が被告人から脅迫状めいた書信を受取つたかどうかとの点に関連し(一一冊三九六一丁裏以下参照)、「在監中の被告人が証人に対し脅迫がましい書信などを出し得ないことは明らかである。」旨強調するが、監獄法その他の関係法規を検討するも、拘置監内の被告人から発せられた書信はこれを検閲し得ても、内容の如何によつてその発信を制止し得��根拠を見い出し得ない。
(五) 元の内縁の妻山根スミ子が当時被告人に出合わなかつたことは、被告人が山口地方にきていなかつたことの証左であるとの主張(弁護人小河正儀の論旨一の4の(2)。)について。
しかし、被告人の検察官に対する供述によれば「昭和二九年一〇月二二日に以前同棲していた山根スミ子を訪ねて行き『ごめんください山根さん』と声をかけたが、中から返事がなかつたので、あるいは情夫でもきていて具合が悪いのかも知れないと思い家に入るのをやめて元きた道を引返した。」というにあつて(四冊一三二八丁裏以下。司法警察員に対する一二五三丁も同旨。)、被告人が当時山根スミ子に出合わなかつたことをもつて山口地方にきていなかつたことの証左であるとする主張には賛成できない。なお、当審では被告人が立寄つたという売店等の関係者を取調べたが、それらはもともと被告人の顔を知らないか、当時既に記憶が薄れていた人達ばかりで、同人らの供述によつては被告人に出合つたかどうか判然しなかつた。しかし、石川松埜の司法警察員に対する供述調書(一二冊四一三〇丁以下)、当審証人石川松埜・同石川松菊尾(一三冊四三八五丁以下・四三七八丁以下)、当審各検証調書(一一冊三八八一丁以下・一三冊四四七六丁裏)の各記載を総合すれば、被告人が捜査段階でした「昭和二九年一〇月二四日午后六時頃宮野の新橋の店(角の店)で女の人からパンを買つて食ベながら仁保に向つた。」旨の供述(四冊一二五六丁裏以下・一三三〇丁裏以下)中の店は、昭和二九年六月中旬(被告人は昭和二八年五月頃以来山口地方にきたことがないという。)開業してパン菓子類等を販売していた山口市市会議員石川菊尾の妻石川松埜が経営管理していた店舗(但し昭和三三年三月閉店)であつたことが明らかで、このことはまさしく被告人が本件犯行当時山口地方にきていたことの証左であるとみないわけにはゆかない。
(六) 被告人の大阪におけるアリバイに関係のある山本高十郎の手帳を捜査官が押収しなかつたこと、並びに西村為男・西村君子・水谷武三郎の各証言によれば、被告人は当時大阪にいたものでアリバイが確立しているのに、原判決ではその正確性につき疑問があるとしている点はいずれも納得できないとの主張(弁護人小河虎彦の論旨第四の五。弁護人小河正儀の論旨一の4の(1)。)について。
しかし、原審証人山本高十郎(二冊三九六丁以下)・同友安敏良(六冊二三二二丁以下)・同熊本清(五冊一九三三丁以下)の各供述記載によれば、山本高十郎が所論の手帳を所持していたことは明らかで、これを押収しなかつたことをもつて同証人らの供述、殊に右山本証人の当時被告人が大阪にいなかつたとの点に関する供述の信用性を否定することはできない。また、原審証人水谷武三郎・同西村為男・同西村君子の各供述内容(二冊四二一丁以下、五冊一六七八丁以下・一六九〇丁以下)を検討すれば、これらの供述内容をもつて当時被告人が大阪にいたものと確認すべき資料にはできないばかりでなく、当審証人西村まさのの供述(一四冊四七四三丁以下)によれば、かえつて当時被告人が一時大阪にいなかつたもので、この点に関する同証人(原審当時は西村君子と名乗つていたが、戸籍上は「まさの」が本名。)及び西村為男の原審証人としての各供述はいずれも記憶違いによるものであつたことが明らかであり、同各供述に疑いがあるとした原判決の判断には何ら誤りのなかつたことが一層明白となつたのである。因みに、被告人は上申書(昭和四二年六月一六日受付。一六冊五七五一丁以下)中で「捜査陣は古賀はむろん(当人を証人とすることができれば、大阪でのアリバイ一切がうきぼりになる。)、靴屋一家(五人家族)、眼帯の男(私の処で寝起きしていた)、また出入の女等々の住所氏名を知りぬいて隠して出してくれない。」と主張し、さらに当審第一四回公判で以上の人々に関し「警察の一番初めの取調の頃からアリバイですから詳しくメンバーをあげて説明している。」と供述するが(一五冊五四七〇丁裏以下)、被告人がこれらの人々について言い出したのは昭和四二年一月二七日の当審第一三回公判でのことである(一五冊五四〇〇丁以下)のみならず、右の人々が昭和二九年一〇月二五、六日頃被告人が大阪にいたことを知つている事情に関しての被告人の供述はそれ自体極めて不可解で到底首肯できない(しかも、一五冊五四〇〇丁裏以下では「昭和二九年一〇月当時には古賀はあまり寄りつかなかつた。」と述べており、また当時被告人は天王寺公園の小屋で巡礼母子と同棲していたので「眼帯の男」が寝起を共にし得る状況にはなかつた。)。
(七) 被告人の郷里と被害者方とは同村でも四粁以上も隔つており、被告人は一度も山根保方付近に行つたことがなく、また同人方一家六人を皆殺しにしなければならない理由も必要もなかつたとの主張(弁護人小河虎彦の論旨第三の(二)・(五)。)について。
被告人は原審第四〇回公判では「牧川部落は人も地形も知らないが、むすび山の上から回りを見たことがあるので、山の手前から見渡せる範囲は知つている。牧川には子供のときから一回も行つたことがない。」旨(六冊二〇五三丁裏以下)、原審第四九回公判では「牧川への道は行つたことがないから知らないが、田舎の道は田の畦を通つて行けば大体何処にでも行けるということを私は農村出身であるから見当はついていたと同時に、子供の頃むすび山の頂上で木の上に上つて遊んだことがあるので、裏側がどんなふうになつておるかということも遠い記憶に残つている。」旨(七冊二七五〇丁以下)、「自分は本件犯行現場である牧川には以前行つたことがなく全然知らない。しかし汽車の上から見たことはある。」旨(七冊二七六八丁以下)各供述し,且つ上申書には「牧川はへんぴなところで子供の頃から一度も行つたことがない。」旨記載し(七冊二四七八丁以下)ながら、当審第一四回公判では「牧川は戦前まではよく知つておりましたです。それから戦後はあまり行つたことはありません。と申しますのも牧川のあの部落をつきぬけて鉄道線路の暗渠へ通ずるキドヤマ方面は私たち部落の柴刈場であります。それで青年時代よく通つたことがあります。」というのである(一五冊五四三六丁以下)。以上によつてみれば、被告人はむすび山より奥の牧川方面に生来一度も行つたことがないとの被告人の弁解は到底採用できない。
また、本件犯行に際しての前後の状況に関する被告人の警察以来の各供述を通じて考察すれば、被告人は金品奪取のため山根保方に侵入し、台所土間で誰何された際一時は逃げ出そうとも考えたが、その夜どうしても金を取る気持で一杯であつたため「ええくそやつてやれ」という気になり結局その目的の実現と証拠隠滅のため同人方一家六人を殺害するに至つたものと認めざるを得ない。(本件については、記録中の被告人が殺人を犯しかねない性格の持主であることを認めさせるような供述記載《二冊六九四丁・三冊一〇二二丁裏・一〇五二丁裏以下・四冊一四四三丁》は事実認定の資に供しない。)
(八) 被告人の捜査官に対する自白は、(1)商売資金を得るため郷里に帰る旅費をパチンコ屋で儲けたとの点、僅か一万円の資金を得るため大阪から山口県に帰る気になつたとの点、(2)堀経由で帰郷したとの点、バス賃を十分持つている筈の者が何故に十里の徒歩旅行をしなければならなかつたかの点、(3)納屋の引戸をあけて侵入したのにその戸を閉めて逃走路をふさいだことになる点、(4)調理場には脱穀した玄米が山積していたのでそれを持つて行くのが自然であるのに何故にその中を通つて母屋に入る必要があつたかの点、(5)藁縄は何の必要があつたかの点において不合理であるとの主張(弁護人小河虎彦の論旨第三の(一)、弁護人小河正儀の論旨一の2。)について。
(1)被告人の警察以来の各供述(三冊一一七八丁以下、四冊一二三七丁以下、四冊一三二三丁以下、四冊一三五九丁以下。警察録音テープ第二巻)を通じてみれば、被告人は昭和二九年一〇月一九日大阪市内でたまたまパチンコで儲けた金で一杯飲んだことから急に里心がつき、郷里に帰つて子供の顔や家の様子を見たり、よい仕事があれば働こうと考えたり、場合によつては両親に商売資金を出させたりするなどの考えであつたもので、当初から僅か一万円の資金を得るために帰郷したものとは受け取れない。(2)被告人の警察以来の各供述調書(四冊一二二七丁以下・一二六二丁以下・一二六八丁裏以下・一三二五丁以下。)には、被告人は昭和二九年一〇月二〇日夜三田尻から防石鉄道の線路伝いに堀駅に出て同夜同駅構内に寝た旨の記載があり、且つ被告人の司法警察員に対する供述調書(四冊一三一五丁以下)中には、右の寝た場所に関し「堀駅構内北側の材木等が積んであるところで、近くに黒いような紙のような物に何かぬつたもので屋根が葺いてある小屋のあつたことが翌朝みてよく記憶にある。」旨の記載があるところ、原審証人森岡正秋の供述記載(六冊二二五九丁以下)・佐波警察署と山口県警察本部長との間の電話聴取書三通の各記載(六冊二二三六丁ないし二二三九丁裏)・当審各検証調書の記載(一一冊三七七〇丁裏以下・一三冊四四六八丁裏以下。)によれば、右屋根は堀駅構内北側材木置場の北方にあつて昭和二八年七月から八月(被告人は昭和二八年五月以来同地方にきたことがないという。)にかけてルーフィン葺にされた右森岡証人方の屋根にあたることが認められ(以上の各証拠によれば堀駅構内付近にはルーフイン葺の屋根は他にない。また、六冊二二三八丁一四行目以下によれば右森岡方家屋は元鶏舎であつたものを改造した間口三間・奥行二間位のものである。)、前記被告人の捜査官に対する各供述には裏付がある。被告人はこの点に関し原審第四九回公判で「これはキジア台風だつたですが、二六年か二七年に私は大正通りの増本建設に出ておつたのであります。それでこの時に住宅を二〇戸堀付近に建てたわけであります。これを私は責任を持つておりました関係上全製材をやつたわけであります。この時の図面からいつても、みなルーヒンぶきになつておつたんであります。それをまとめてトラツクで持つて行つてあの付近に建てたり、あの付近に流れたらバラツクだつたら必ずルーヒンでふいた家だとこういうふうに思つたから、当時のことと総合してみて、当時というのは終戦前の私が勤めておつたころの状況とにらみ合わせて言うたことなのであります。」(七冊二七三四丁裏以下)と弁解するが、その内容自体から到底採用の余地がないのみならず、右供述からすれば、被告人は職業上の経験から夙に屋根葺用の被告人のいわゆる「ルーヒン」なるものを熟知していた筈であつて、前掲供述調書中の「黒いような紙のような物に何かぬつたもので葺いてあつた。」との表現には直ちに首肯しがたいものがある。さらに、被告人の司法警察員に対する供述調書(四冊一二九六丁以下)には「昭和二九年一〇月二一日午前一一時頃八坂の三谷川の橋を渡つた所の散髪屋前の店でパン四個位を買つてたべながら歩いた。」旨、検察官に対する供述調書(四冊一三二六丁以下)には「昭和二九年一〇月二一日夜あけおきて堀の町をみてから八坂へ出て散髪屋の前の店で女の人からパンを三個位買つてから仁保井開田へ向つた。」旨の各供述記載があり、且つ被告人作成の図面(四冊一四五九丁)中に「十月二十一日この家がバンカツタ所」として表示があるところから、当審において検証の結果「一一冊三七七一丁裏以下・一三冊四四六九丁以下。)、右の店は三谷川橋北詰から東方四軒目の渡辺美太市方に該当することが認められたのである。この点につき被告人は原審第四九回公判で「三谷川橋の所にパン屋があるということは、ここは学校もあるし、旅館もあるし、散髪屋もあるし、昔バスの終点になつておりました。それで町ですからパン屋の一軒ぐらいどこかにあることは私は見当をつけて言つたわけなんであります。」というが、その弁解は前記被告人作成図面中のパン屋の位置とこれに対する当審検証結果とに照らし到底採用の限りでない。さらに、被告人は上申書中(一一冊三八七一丁以下)で「三谷川の橋のたもとの散髪屋は昭和二九年一〇月頃既になかつた。」というが、当審証人新宮直次の供述記載(一三冊四四六三丁以下)・蔵田敏雄(一二冊四一〇三丁以下)・山本義方(一二冊四一〇七丁)・新宮直次(一二冊四一一一丁以下)の司法警察員に対する各供述調書の記載、新宮直次の住民票謄本(一二冊四一二九丁)の記載によれば、右三谷橋たもとの散髪屋は新宮直次方のことで、同人方では昭和二九年一一月一九日まで三谷川橋のたもとで営業が続けられていたことが認められる。さらに弁護人小河虎彦は当審第三回公判で「三谷川橋は当時仮橋であつたのに、被告人の捜査段階での供述が仮橋を通つたという供述になつていないことは不可解である旨」主張するので検討するに、右各証拠によれば三谷川橋は昭和二六、七年のキジヤ、ルース台風で流失し昭和二九年一二月三〇日に新たな橋が完成(同年一〇月竣工予定が延期された。)するまでは、その上に架設されていた仮橋が一般の通行に供せられていたことが認められる。しかし、被告人の司法警察員に対する供述調書中には、その供述として「三谷川の橋を渡つた。」とあつて(四冊一二九七丁)、「仮橋を渡つた。」とはないが、これがためその供述が不可解であるとするには足りない。以上の認定経過に被告人が当時家郷を捨て浮浪生活を続けている身であつたことなどを合わせ考えると、三田尻から防石鉄道の線路伝いに堀・八坂を経て徒歩で帰郷したとの被告人の供述は、たとえその間の道のりが所論のとおりであるとしても、真実とみないわけにはゆかない。(3)犯人が侵入口を閉めるということは必ずしも不自然稀有のことではない。なお、被告人は本件の前々夜山根方納屋裏付近で同人方の様子を窺つていた際他人に発見された事実がある(被告人供述四冊一二三〇丁以下。関係人供述等三冊一〇九五丁以下・一〇九九丁以下・一四冊五一五五丁以下。なお前掲(二)の説示中一四五五丁の図面に関する点参照。)。(4)山根保方の納屋に玄米が積んであつたことは記録上(二冊五五二丁図面)認め得るが、同所は暗かつたうえに被告人は納屋の引戸をあけて入ると直ぐ右折して母屋に通ずる開き戸をあけて台所土間に出たため右の玄米に気がつかなかつたものと認められる(司法警察員に対する供述調書四冊一二八七丁・検察官に対する供述調書四冊一三七二丁以下)。それに被告人は最初から米だけを狙うつもりではなかつた(検察官に対する供述調書四冊一三六九丁裏以下)。(5)被告人の供述によれば「現金をやれない場合には米をやろう。米をやるなら序でに自転車もやれば都合がよいがなあなどといろいろ思案の末牧川に行くことに決めた。そして小屋を出るとき米の袋の口を破つたり自転車の荷張りのときよく縄がいることがあるので、小屋の中をさぐり鋤の柄の方にかかつていた縄の中から取りやすい藁縄をとり、引張つてみたら丈夫そうであつたので、これを腰にまいて前の方で一回もじりその端を胴の両横にはせておちないようにして出かけた。」というにあつて(検察官に対する供述調書四冊一三六九丁裏以下)、その供述が不自然不合理であるとは考えられない。
(九) 被告人の地下足袋は鳶職用山型裏のもので、その買入先は名古屋駅裏の右側の地下足袋店であるのに、原判決が現場の足跡が普通の地下足袋の足跡であることから同駅裏左側にある小崎時一方で買つた月星印のものであると断定したことは重大な事実誤認であるとの主張(弁護人小河虎彦の論旨第四の1。弁護人小河正儀の論旨一の3。)について。
しかし、被告人は当時自分が履いていた地下足袋に関し、原審第四一回公判では「一〇文七分の五枚付鳶職が履く地下足袋であつた。」旨(六冊二一二〇丁以下)、同第四九回公判では「自分は警察の取調に際し名古屋で買つた地下足袋は鳶職の履く五枚合わせのものであると言つたが、絶対にお前はそんな足袋を買つておらんと言つて取りあつてくれなかつた。」旨(七冊二七六六丁以下)、当審第四回公判では「自分の買つた地下足袋は四枚はぜの鳶職用のものと思つていた。買つた場所は小崎の店よりもまだ先である。その地下足袋の裏は無地で文数もなかつたと思う。」旨(一二冊四三二四丁以下)、当審第一三回公判では「自分は警察の取調に際し名古屋駅裏で買つた地下足袋は鳶の足袋でとにかく土方には履かれん四枚はぜのものであることを主張した。」旨(一五冊五三五八丁裏以下)及び「自分は警察で最初からあくまでも名古屋駅裏で買つた地下足袋は例の普通の地下足袋ではなく、鳶職の履く四枚はぜのものであると申し上げている。」旨(一五冊五三七三丁以下)各供述するが、警察の録音テープ第二五巻中の被告人の供述には「あれは名古屋で八月に買つたあさひ印で裏は波型であつたと思う。」とありまた当審第一四回公判では「捜査段階における調書中に自分の供述として普通の形の地下足袋と出ておれば、そのとおり自分が言つたかも知れない。」旨供述する(一五冊五四八二丁以下。被告人は捜査段階では一貫して普通の地下足袋と供述している)など一貫しないものがあるのみならず、当審で被告人が地下足袋を買つたと主張する名古屋駅裏の本郷店は、被告人のいう場所や構と必ずしも一致しないし、また当時同店で販売していたという地下足袋は証第三〇号のように裏に極めて明瞭に「大黒足袋」という印と文数がはいつていて、山形及びこれを側面から観察した点で被告人の主張するものとは一致しない(七冊二五二二丁以下・一二冊四三二三丁以下・四三三〇丁、一三冊四五三六丁以下・四六〇七丁以下・四六一三丁以下、一五冊五四九四丁以下。)。以上は、被告人の当審第一四回公判での「自分はなまかじりながら犯人を捜し出す上に足跡は一番大事な点であることを習つていたので、足跡が問題になつて地下足袋のことを聞くんだなと知つていた。」旨の供述(一五冊五四六〇丁以下)を合わせ考えると、被告人は当時自分が履いていた普通の地下足袋の銘柄を忘れているか、ことさらに隠して、これを鳶職用のものであつたと強弁しているとしか認められない。なお、原判決の理由中に「証人小崎時一は結局被告人自供の地下足袋を買つたという頃、月星印地下足袋を売つていなかつた旨述べている。」旨判示するが、(40)原判決引用(40)の証人小崎時一に対する尋問調書(七冊二五〇七丁以下)には、その供述として同人方で右の当時月星印地下足袋を販売していた旨の記載があり、しかも同供述記載によれば、当時名古屋駅裏界わいで月星印地下足袋の販売店は他に一軒もなかつたことすら認められ、原判決の右判示は誤りであることが明らかであるが、このことは判決に何ら影響がない。
(一〇) 現場に遺留の藁縄は原田次正の鑑定によれば、農林一〇号種の稲藁を矢野式製縄機で製作したものであるというが、農林一〇号の栽培並びに栗原式製縄機は当時仁保地方に普及していたもので、これを藤村幾久の農小屋から持ち出したというのは捜査官の誘導にほかならないとの主張(弁護人小河正儀の論旨一の3。弁護人小河虎彦の論旨第三の(五)。)
しかし、当審証人渡辺繁延の供述(一四冊四七一三丁以下)その他記録上認められる捜査経過によれば、右藁縄は被告人の自供によつてはじめて藤村幾久方の農小屋から持ち出されたことが判明したもので、捜査官の誘導によつたものであることを認むべき何らの根拠もない。もつとも当審証人原田次正の供述(一四冊四六八七丁以下)によれば、右藁縄は農林一〇号であるとは必ずしも判定し得ないが、このことは本件認定を左右するに足りない。
(一一) 唐鍬・包丁が兇行に用いられたことは証拠上明白であるのに、これらに指紋が検出されなかつたとの主張(弁護人小河正儀の論旨一の3。)について。
広島県警察技師南熊登の鑑定書(四冊一五八〇丁)・原審証人高橋定視(五冊一六〇九丁以下)・同鈴山乙夫(五冊一六一四丁以下)の各供述記載によれば、右の各物件の柄から指紋が検出されなかつたが、それはいずれも脂肪の付着が多いため指紋の隆線が判然しなかつたことに原因するものであることが認められるのである。
(一二) 原審証人西田啓二は警察の囮であつて、同人は留置人でありながら嘔吐するまでウイスキーを飲んだ事実などがあるのに、同人の供述をもつて被告人の自白の裏付としていることは不当であるとの主張(弁護人小河虎彦の論旨第四の7。)について。
しかし、原審証人西田啓二の供述記載(二冊四八一丁以下)によれば、右主張の事実は到底認め得ないのみならず、被告人の当審第一三回公判での供述(一五冊五三六二丁裏以下)によれば、被告人が山口警察署留置場で一時西田啓二と同房にいたことがあるのは、被告人から特に「係長に西田のところに入れてくれと頼んだ。」ことによるものであつたと認められることなどからして、右弁護人の主張は採用できない。因みに、被告人は昭和三一年一月三〇日夜山口警察署の刑事室で酒を飲ましてもらつた旨供述するが、当審証人木下京一の供述(一五冊五二九五丁裏以下)に照らし、到底右被告人供述は信用できない。
(一三) 原判決引用の被告人の自白は客観的事実に合致しない。仮にそうでないとしても、右自白以外の各証拠はいずれも事実に反し、畢竟本件における認定資料は被告人の自白のみに帰するので、原判決は憲法第三八条三項に違反するとの主張(弁護人小河正儀の論旨二の1・2、三の1。)について。
判示第三の事実に関する原判決挙示の被告人の自白が十分信用し得べきものであり、且つその余の挙示の関係各証拠が右自白を補強するに足るものであることは前段までの説示によつて明らかなところであり、原判決には所論の違憲はない。殊に当審では記録並びに新たな事実取調の結果次のことがらだけからでも本件に関する原認定が結局誤りないものであるとの確信を得た。
(1) 本件が昭和二九年一〇月二五日深夜から翌二六日にかけて原判示山根方(牧川部落の奥)で行われたものであるとの被告人の捜査段階における自供は一貫して変らないところであり(その最初は昭和三〇年一一月一一日午后二時過から被告人が自ら進んで取調方を求めて自供した警察の録音テープ第三巻中に採取のもの。原審証人木下京一供述記載三冊八六七丁裏以下参照。)、このことが客観的事実に合致するものであることは証拠上明白であり(原審証人須藤玉枝一冊一二二丁以下、同西村肇一冊一三九丁以下、同須藤クラ七冊二五四八丁以下、同堀山栄五冊一七九八丁以下、同須藤友一五冊一八二一丁以下の各供述記載。須藤玉枝検察官に対する供述調書一四冊五〇七九丁以下。司法警察員の各検証調書二冊四九六丁以下・五九三丁以下。各鑑定書一冊一六七丁以下。)、このことは本件認定上特に重要なことがらである。この点に関し被告人は原審以来「本件強盗殺人事件の日時及び被害場所は昭和三〇年一一月上旬山口警察署留置場で他の房にいた西村定信から聞いて知つたもので、それに合わせるように警察以来供述したものである。」旨強弁するが(原審第四九回公判供述七冊二七二五丁・二七八九丁裏以下。当審第一三回公判供述一五冊五三七五丁裏以下。当審第一四回公判供述一五冊五四六七丁以下、『同丁末行以下に「それに警察官の方のいろいろの雰囲気から云々」の点はここで初めて供述されたもので、従前及びその後の各供述内容からみて到底信用できない。》。当審第一八回公判供述一六冊六〇五五丁以下・六〇五七丁裏《参照》、上申書三冊八四二丁裏以下・八四九丁。七冊二四六〇丁以下《二四六〇丁の五行目に「昨日」とあるは「昨年」の誤記と認める。》・二四七二丁裏・二四七八丁裏、一二冊四〇一七丁裏以下。)、原審証人西村定信の供述記載によれば「自分は山口警察署留置場にいた時分被告人から仁保の六人殺し事件は何時あつたかと聞かれただけである。何処であつたかは余り新聞を読まないので知らない。」旨(五冊一九一二丁)、「被告人から仁保の六人殺しの事件は何時あつたかと聞かれたとき、僕はその頃は山口にはいないので九月か一〇月の初めじやないかと答えた。」(五冊一九一四丁裏)というにあつて、前記被告人の弁解は全く信用できないところであり、さらにこのことに原審証人吉川梅治(二冊四二八丁以下)・同村越農(二冊三九二丁以下)の各供述によつて認められる被告人が昭和三〇年一〇月一九日大阪市内で住居侵入・窃盗未遂罪の嫌疑で逮捕された際天王寺警察署留置場で同房の者らに対し「自分は窃盗で入つてきたが、六人殺しの分もばれたかも知れない。向うの出よう次第では仕様がない。今度はちよつと出られん。」などの旨を語つた事実並び当審第一八回公判における被告人の「自分が逮捕されて天王寺警察署に引致された際新聞記載に取り囲まれて山根の事件を知らんかと聞かれたと先に述べたのは、自分の間違いであつた。」などのその前後に亘る甚しい矛盾・撞着を含む供述(一六冊六〇五七丁裏以下・六〇五六丁以下。)をも合わせ考えれば、被告人は本件強盗殺人事件発生の日時・被害者方を誰からも聞かずに自らよく知つていたものとみなければならない。
(2) 被告人の司法警察員に対する「私は山根方の事件後すぐ大阪に帰つて天王寺公園でルンペン生活をしていたので私のしたことはまさか判りはすまい、大丈夫だと考えていた。もし調べられるようなことがあつても広島市白島町の者で原爆で家族も全部死んだという心算でいた。それで新聞も見ようとも思わず新聞を買つて読んだこともない。しかし私はあれ程のことをしたのであるからあれ以来自分のしたことが気になつてならなかつたので、あのことを忘れて気をまぎらわそうと焼酎を飲んで許りいた。もちろん前から焼酎は飲んでいたが、あれからは飲む量がうんとふえた。昭和三〇年一〇月初め頃マンホールの件で天王寺警察西門派出署の平井巡査から本署に連行されて部長さんらしい人に調書をとられた際山口刑務所に昭和二七年に行つ���と口をすべらしたが、品物を売つた先の店がなくなつているとかで調書の途中で午後一〇時頃に帰らしてもらつた。その際広島市白島二丁目山根保四一才と所と名前は都合よく嘘を言つてとおつたが、山口刑務所と言つてしまつたから照会されたら判ると考えそれからは気になつておちおちしておられないようになつたので、金さえあれば早く神戸の方にでも逃げようと思い、たしか一〇月一五、六日頃に当時一緒にいた福井シゲノに神戸の方に働きに行こうと思うから金を千円位作つてくれと頼んだことがある。その後一〇月一九日拾つた屑を問屋に持つて行つての帰り天王寺駅に出て待ち合わせていた福井シゲノと出会つたとき、福井が目で合図して『刑事さん刑事さん』と小声で知らしてくれたので逃げだしたが、一〇米位行つたところにタクシーがあつて逃げられなかつたため、平井巡査ともう一人の私服の巡査に逮捕されたのである。」旨(四冊一二八八丁以下)、「私は昭和三〇年四月終り頃から福井と関係ができて一緒にいたがその間同女から何か悪いことをしておるんじやないかと聞かれたことがあり、その際詐欺をして前科があると言つたことがある。また、あるときは福井が『あんた夜うなされておつた』と聞かせてくれたこともあつた。平井巡査に一度引かれてからは特におどおどしていたので福井も私の様子を特別怪しんでいろいろ聞いていた。」旨(四冊一二九三丁以下の各供述に対しては、原審証人福井シゲノの「私は昭和三〇年四月以来被告人と心易くなり茶臼山やガード下などで一緒に暮していた。被告人がマンホールの件で平井巡査に署へ連れて行かれて帰つてから私に『千円作つてくれ、神戸まで行かねばならぬ。お前だけに言うが早く飛ばねばならぬ。』と言つたので私はそれは作るが晩まで待つてくれと言うのに早く作つてくれと言うし、また被告人は平素山根保と名乗つているのに、私に預けたジツセキ(転出証明書の意)には岡部保となつておることなどから不思議に思い平井巡査にそのジツセキを見せた。その後平井巡査から逮捕されることになつた。被告人は自分と同棲中寝ていて首に手をやり『悪かつた、かんにんしてくれ。』と言つて苦しむので、私が起してやると、ため息をしていることがあつた。その時は顔が青くなつて汗を流していた。そのようなことが四・五回あつた。」旨の供述(二冊四〇七丁以下)によつて裏付けられるところであり、被告人の警察以来の自白の真実性を認定するうえに看過することができない。
(3) 前記(八)・(2)に説示のように被告人が警察で述べた「昭和二九年一〇月二一日朝防石鉄道堀駅構内材木置場から見た黒いような紙のような物に何かぬつたもので葺いた屋根」は森本正秋方の昭和二八年夏に葺いたルーフインの屋根であり、また(五)に説示のように被告人が警察で述べた「昭和二九年一〇月二四日午後六時頃女の人からパンを買つた宮野新橋の店(角の店)」は同年六月中旬に開業したパン菓子類等を販売する石川松埜経営管理の店舗であつたことが認められ、これらのことだけからしても昭和二八年五月頃以来山口地方にきたことがないとの被告人の弁解を否定するに十分であり、前掲(四)・(六)の原審及び当審証人三好宗一・同向山寛、原審証人山本高十郎、当審証人西村まさのの各供述の信用性等と合わせて被告人が本件犯行当時山口地方にきていたことを認めることができる。
(4) 被告人の捜査段階における(1)「山根保方でカーキ色の折襟の上衣を取つた。」旨(三冊一一九八丁以下)、(2)「その服は木綿のよりはよい国防色の折襟で普通の背広よりは狭く折るようになつた夏物か合物でさわりのやわらかい感じのものであつた。」旨(四冊一二二四丁)、(3)「その服は山根夫婦の部屋の枕許のあたりの上にかけてあつた。」旨(四冊一三四〇丁裏。同調書は昭和三〇年一月一三日付であるが、原審証人橘義幸の供述《三冊九五六丁以下》によれば,その前日までの取調メモによつて作成されたものであると認められる。)、(4)「その服は大阪の天王寺茶臼山の便所の横の小屋にいた時分、同棲していた福井という焼酎婆が酒に酔うてりん気半分に小屋を焼いた際焼失した。」旨(四冊一二四八丁裏以下・七冊二七八一丁裏)の各供述は、(1)・(2)の点につき司法警察員の捜査報告書の記載(六冊二二四五丁以下)、原審及び当審証人木村完左(一冊一五五丁以下、一一冊三九一六丁以下)、原審証人須藤玉枝(一冊一三二丁)、同山口信(六冊二二七六丁以下)の各供述記載、須藤玉枝の検察官に対する供述調書(一四冊五〇八二丁)、押収のカーキ色ズボン一着(証第一号)、(3)の点につき司法警察員の「裏付捜査状況報告書」と題する書面の記載(六冊二二四三丁以下)、原審証人木下京一の供述記載(三冊八六七丁)、(4)の小屋を焼失した点につき原審証人福井シゲノ(二冊四〇八丁裏以下)・同山本高十郎(二冊四〇〇丁裏以下)の各供述による裏付けがあり、真実とみるべきである。以下の点に関する原審第四九回公判における被告人の「自分は警察の取調に際し『山根方を出る際鴨居にかけてあつた国民服を持つて出た』と述べたが、それは当人が曹長であるので、当時国民服は誰も一、二着持つておつた筈と思い、ちよいちよい着として、そういうところにかけてあると思つておつたので、そう言つたものである。」との弁解(七冊二七六八丁以下・二七九五丁以下)はそれ自体不可解で採用できない。なお、以上の上衣は司法警察員検証調書二冊五九七丁裏及び同調書添付第一図に各記載のものとは異なるものである。
(5) 前記(二)に説示のとおり四冊一四四九丁・一四五〇丁・一四五一丁・一四五五丁等の各図面は被告人によつて任意に作成されたもので、それらが本件犯行現場の状況に概ね符合し(あらゆる細部の点にまで亘つて符合することは寧ろ困難であると考えられる。
)、且つまた検察官がした現場検証に際し、それまで全く現場付近に行つたことのないという(一五冊五四八二丁裏以下)被告人が何ら遅疑逡巡することなく本件犯行に際しての行動を指示説明し、それらがすべて犯行直後の検証(二冊四九六丁以下)に際しての状況に概ね一致する(三冊七八六丁以下)ことは、本件認定上容易に看過できない。被告人は原審第五八回公判で「検察官の検証に際しては、前もつて検察官に説明して教えられたとおりをそのお気に入るように説明して行つたわけである。」旨供述し(八冊三〇九二丁以下)、さらに当審最終の第一八回公判で援用の昭和四二年一一月二日受付の上申書中で「以上の検証に際しての指示説明は現場で警察官から暴行を受けやむなくしたものである。」旨主張するが、それらの供述は当審証人中根寿雄の供述(一六冊五八一〇丁以下)のほか原審証人橘義幸・同松田博・同小島祐男の各供述に照らし到底採用できない(検察官から説明して教えられたとおりをそのお気に入るように行つたというのであれば、何ら主張のような暴行を加えられる筈がなく、また如何なる理由によつても検察官の現場検証に際し、警察官が被疑者に暴行等によつて指示説明を不法に強要するなどということは経験上からしても考えられない。)。
(一四) なお、当審第一五・第一六回公判での補充弁論中の(1)山口警察署取調室の窓にはカーテンが取付けられて講堂その他から室内を見えないようにし、通路の入口には縄張りして通行止の貼紙をし、講堂から右取調室に通ずる入口には新たに扉を設けて通行ができないようにしたことは被告人の訴える拷問事実を推察させるに余りがある(弁護人小河正儀)。(2)昭和三〇年一一月一一日の録音の採取は午後九時から始められて深夜二時過迄かかつたものである(全部で六巻あるのに、一巻を聴取するのに約四〇分を要する。)(弁護人小河正儀)。同日警察における取調は午前中から午后一二時近くまで続けられたことは録音テープ第六巻中に「今一一時五分だから云々」という取調官の発言があることからも明白である(弁護人阿佐美信義)。(3)警察の録音テープの罐に午後八時開始の記載があり、その日に八巻録音を採取している。一巻につき三〇分を要するから午後一二時までかかることは算数上明白である(弁護人小河虎彦)。(4)同月一八日採取の録音テープ一一巻には二時を打つ時計の音が聞え、一三巻には「三時頃」と「今晩はよう言うたで。」との発言があることなどから、同日の取調が長時間に及んだことが窺われる(弁護人阿佐美信義)。(5)警察の録音テープの第一巻からの被告人の発言をきくと被告人が極度の疲労をしている状態が窺える(同弁護人)。(6)同月二一日付のテープ第一四巻において取調官は「台所の炊事場に置いてあつたことはおかしい。」との発言があるのは柿の渋と庖丁を結びつけるための誘導である(同弁護人)。(7)録音テープ第一三巻中には「金はどの位か、見当で言え。おおよそでよい。なんぼうか言え。こつちにはわかつているが、あんたがいわなければいけない。」と問うている。これに対し被告人は「服のポケツトにあつた一万円を盗つた。」旨供述している(同弁護人)との各点について。
(1)当審証人木下京一(一五冊五二九一丁裏以下)・同中根寿雄(一六冊五八一四丁以下)・同山口信(一四冊五〇三二丁裏以下)の各供述並びに当審検証結果(一五冊五二六五丁以下)によれば、山口警察署で本件を取調べた当時は新聞記者の出入が激しく時には取調の邪魔になることもあつたことから窓にカーテンをはつて講堂側から取調室内を覗かれないようにしたり、通行禁止の札を貼つて廊下の通行を制限するなどの措置を講じたことが認められるが、右の措置をもつて被告人の主張の拷問事実を推測すべき根拠とはなしえない。(2)原審証人木下京一の供述記載(三冊八六七丁裏以下)によれば昭和三〇年一一月一一日の取調べは、被告人の申出により午後二時二〇分頃から開始し同日午後四時頃終了したところ、同日午後九時頃に至り被告人の再度の申出により更に取調を始めたためやむなく同日午後一一時過ぎ頃までに至つたことが認められ、同日の録音はその間に採取されたものであることが認められる。(一巻の聴取に要する時間は約三二分ないし三五分である。)。(3)警察の録音テープの函(罐はない)に「午後八時開始」の記載あるものは一つもない。(4)同月一八日採取の録音テープ一一巻中には五時を打つ時計の音は聞かれるが(四時を打つ音に聞き間違えやすい。)、所論のように「二時を打つ時間の音」は聞かれない。そしてその後に間もなくサイレンの音が聞えるが、証第二七号中の一一月一八日の記載をも合わせ考えるとそれは五時の終業のサイレンと解される。更に、一三巻中には所論のような「三時頃」との発言は全く聞かれない。しかも、証第二七号中の「一一月一九日」の記載をも参酌すれば、右一三巻の録音は同月一九日に採取されたものと認めざるをえない。(5)警察の第一巻からの録音を聞けば、被告人が真実の自白を決意しながらも親や子の身辺に思いを馳せ、あるいは過去の非行に対する後悔の念等が錯そうして極めて切ない心情にあつたことが窺われ、聞く者をして涙をそそらせるまで真に迫るものがある。これを被告人が極度に疲労している状態であると聞くのは当らない。(6)第一四巻の録音中には「台所の炊事場とはおかしいではないか」とあつて、その前段の問答からみてそれは「台所の炊事場」との言葉の表現がおかしいとの意に解される。所論のように「台所の炊事場に置いてあつたことはおかしい」との発言ではない。(7)第一三巻中には「金はどの位あつたか云々」の問に対し「まぜこぜで」と答え、更に「まぜこぜでおよそなんぼ位、およそでええ。後で弁当食つたり酒のんだりしたんでおよそでええ。言つてみんさい、およそどの位だつたか。」との間に「一はいしろ位。」と答えたのに対し「一はいしろとはどの位か。こちらは判つているんじやが。あんたの口から聞くということ、これは大事なんじや。」と問うたのであつて、右のうち「こちらは判つているんじやが。」というのは「一はいしろとはどの位か。」との意味は「こちらは判つているんじや。」との意に解される。所論のように「金はどの位か。こちらには判つているがあんたが言わなければいけない。」との問は聞かれない。また、右の問に対し「服のポケツトにあつた一万円を取つた。」旨の供述はなく、「七・八千円から一万円位あつたと思う。」との供述がある。右供述に関し、被告人は当審第一三回公判(一五冊五三四六丁末行以下)では「たんすの方から状袋にある七千円を取つたというのはわたしの考えから言うたわけです。」と供述し、弁護人小河正儀の一万円に近付くように言つたのか。」との誘導尋問に対しては「はい天王寺署で逮捕されたときに、そこの署員がわたくしの手を出させて言うには、それは何とかの波状紋だと、三人組強盗で三六万円口だと言うたわけです。それで私はてつきり三人組で三六万円程やられたんだなとその頃思つておつたんです。三人組もあと二人の犯人が出てくるんだと考えておつたんです。警察が一万円とすれば七千円位がちようどいいから��う言つたんですが、私は初め三六万円から二〇万円、一〇万円、五万円と下げていつたわけです。そして七千円と。友安警部がお前金もありもせんのに馬鹿らしいことをしたもんだと言われたんで、百姓屋には金がなかつたんだと思つたから、七千円はたんすにあつたんだと、七百円は財布の中にあつたんだと、警察の方が言われたわけです。それでそのように合わせたわけです。」と供述し、昭和四二年二月一〇日受付の上申書(一五冊五五〇四丁裏以下)中にもほぼ同様の記載があり、さらに当審第一四回公判での裁判長の「あんたが七千円いくらの金を取つたということになつているがあの金額はどうして出たのか。」との問にしては「友安警部さんがお前は金もないのに馬鹿なことをしたと言われるんで、三六万円から少し宛二〇万円、一〇万円と下げていつてあの段階に落ついたら、その位だろうと言つて拷問がなくなつたんでこの位のところに置いておけばいいんだと思うて言うたわけです。」と供述する(一五冊五四七九丁以下)。以上の被告人の供述の如きは全く理解しえないところであつて窮余の弁解としか受取れない(単独犯行として自白の本件につき三人組強盗の金額を持ち出したことは理解できない。)。もつとも警察の録音中には執ようにわたる質問がところどころ聴取されるけれどもそれらは概ね被告人が一応本件を自白した(第三巻中で被告人は本件犯罪そのものを全面的に認めている。)のちの細部に関するものであり、犯罪史上未曽有の極悪重大な本件についての被告人(しかも元警察官であつた)の自白の任意性を否定しなければならない程のものとまでは認められない。
二 被告人は昭和三〇年一〇月一九日逮捕されて以来窃盗の容疑者として取調を受け同月三一日山口地方裁判所に窃盗未遂罪で起訴され、その頃同裁判所からその第一回公判期日を同年一一月二九日に指定する旨の通知を受けた。しかるに、同裁判所においては同月一四日付の検察官の申請に基き右期日指定を取消し、該期日は追つて指定する旨の決定をした。しかし検察官の右申請は専ら本件強盗殺人事件の捜査のためのもので、現に捜査官においてはその後専ら右事件の捜査をし、右期日変更申請の日から一三六日を経過した昭和三一年三月三〇日同事件を起訴するに至つた。右捜査は前記窃盗未遂被告事件の勾留に藉口してなされた違法なもので、その間捜査官の手になる被告人の自白調書及び録音もまた違法に帰し、これらは断罪の資に供すべからざる旨の主張(弁護人小河虎彦の論旨第一点。この点に関するその余の弁護人・被告人の論旨も同旨。)について。
記録に基いて検討するに、被告人は住居侵入窃盗未遂の被疑事実で昭和三〇年一〇月一九日大阪市内で逮捕され、同月二二日山口地方裁判所裁判官が発した勾留状の執行を受けて代用監獄山口警察署留置場に勾留され同月三一日右各事実につき山口地方裁判所に起訴されて、その頃その第一回公判期日が同年一一月二九日午前一〇時と指定されたが、同裁判所においては検察官提出の同月一四日付変更申請書に基き被告人の意見をも聞いたうえ、同月一七日付にて右期日指定を取消し該期日は追つてこれを指定する旨の決定をしたこと、その後同年一二月一〇日付で窃盗罪の追起訴がなされ、さらに前記住居侵入・窃盗未遂罪についての勾留が起訴後三回更新されてその最後の期間満了の前日である昭和三一年三月三〇日本件強盗殺人罪についての追起訴がなされたこと、前記検察官の期日変更申請は、その申請書には単に「当職において差支のため」と記載されているのみであるが、記録上窺われる当時の捜査の推移から、右各追起訴の窃盗罪と強盗殺人罪との捜査のためのもので、しかもこれらの捜査は前記住居侵入・窃盗未遂罪についての勾留中におこなわれ、所論の被告人の自供調書及び録音もかかる捜査の段階でできあがつたものであることが認められる。しかしながら、ある事件について勾留起訴の手続をとつた後、捜査官がその者を他の事件の被疑者として取調べることは、捜査官において専ら他事件の取調に利用する目的をもつてことさらに右勾留・起訴の手続をとつたものでない限り何ら法の禁ずるところではないと解される。本件では捜査官が本件強盗殺人事件について捜査中探知した前記住居侵入・窃盗未遂事件についての捜査を遂げ指名手配の結果、大阪市内でルンペン仲間に入り住居不定の生活をしていた被告人(当時ルンペン仲間では「広島のおつさん」と呼ばれていた。)をようやくにして発見逮捕し、右手配の被疑事実に関しそれ自体独立に勾留の理由も必要も十分あつたため裁判官に対し勾留の請求をし、且つ起訴の条件も具備していたためこれを起訴したもので、捜査官において当初から専ら前記各追起訴事実の取調に利用する目的または意図をもつてことさらに右の勾留・起訴の手続をとつたものとは認められない。してみれば、検察官が所論のように第一回公判期日の変更を求めたうえ住居侵入窃盗未遂罪について勾留中の被告人を前記追起訴の各事実についての被疑者として取調べたからといつて、これを違法とすべき理由はなく、またその取調をもつて直ちに自白の強制や不利益供述を強要したものとみることもできない。もつとも、前記検察官の公判期日変更申請の日から本件強盗殺人罪の起訴の日まで一三六日を経過していることは所論のとおりであるが、記録及び捜査官が採取した録音によれば、被告人は山口警察署の取調室で昭和三〇年一一月一〇日夜八時頃その二、三日前から「いかな聖人でもあやまちはある。」などと言いきかせていた担当の司法警察員に対し「この間から説明されていたことは大体判つた。実は悪いことをしている。心をおちつけて明日状況を十分に話す。」と言いだしたことに端を発し、翌一一日から同年一二月二五日までの間(その頃はまだ住居侵人・窃盗未遂被告事件の第一回勾留更新前で、しかもさきに指定の第一回公判期日に右事件の審理が開始され、途中追起訴の窃盗事件が併合されたと仮定した場合、各事件の内容等からみて、それらの審理判決には通常すくなくともその頃まで日時を要したものと考えられる。)本件強盗殺人罪を自白し、これを犯すに至つたいきさつや、その態様並びに犯行後の状況につき詳細供述し(これにつき捜査官においては録音三〇巻を採取し、自供調書一〇通作成。)しかも事案の重大複雑なるに加えて、その供述は大筋において変りないとしても、ところどころ虚言を交えてのものであるため(一度否認しかけた。警察録音一〇巻)、これが裏付に困難を極めたことなどの諸事情を合わせ考えると、右期間の取調をもつて不当に長期に亘つたものとは認められない。さらに、その後起訴の日まで検察官により供述調書七通、検証調書一通の各作成と録音三巻の採取とが行われ、司法警察員により警察の捜査の補充として供述調書五通が作成されたが、それらの自供内容はいずれも犯行の動機順序等につき若干の修正を加え、あるいは一部につき一層具体的に詳述はしているものの、実質的には従前の自白の繰り返しであり、特にそれまでの勾留により新たに生じたものとは見られないので、これらもまた不当長期拘禁後の自白とはいえない。一方、原審裁判官としては最初の住居侵入窃盗未遂罪の起訴状に「余罪追起訴の予定である。」と記載された検察官の認印ある符箋が貼付されていたことから、追起訴をまつてこれを併合審理し一個の判決をする方が被告人の利益であると考え(中間確定判決があることについては当時予想されえなかつた。)、前述のように被告人の意見をきいたうえ検察官の申請をいれて一旦指定した第一回公判期日を取消し、これを迫つて指定することとしたものであることが容易に窺われるのである。そしてこれがため結果的には最終追起訴まで所論の日時を要したとしても、追起訴にかかる事件の重大複雑であることと、前述の如き自供経過とこれに対する裏付の困難さ並びに併合審理による被告人の利益を彼此考量すれば、原審裁判所の以上の措置には必ずしも失当であつたとはいいきれないものがある。以上の理由で所論は採用できない。なお、各所論は捜査官は本件強盗殺人罪につき取調中被告人の申出による弁護人の選任を妨げた旨主張するが、被告人は原審第四九回公判で「自分は窃盗未遂で起訴された際裁判所から弁護人は国選にするか私選にするかとの間合わせの書面を絶対に貰つていない。警察官に対し、家には父も母もおるので金は何とかするから小河先生を呼んでくれと言つたが、警察官は金がない者が弁護人を雇われるわけがないと言つて聞き入れなかつた。」旨(七冊二七九〇丁裏以下)、「弁護士さんを雇いたいんだが金がないから困るというようなことを自分の方から申し出たことはひとつもない。」旨(七冊二八一四丁以下)、当審第一七回公判では「自分が小河弁護士さんを頼んでくれと警察に申し出たのは昭和三〇年一〇月下旬頃からである。」旨(一六冊五九六七丁裏以下)各供述しながら、昭和三〇年一一月一日付弁護人選任に関する通知書及び照会書中の回答欄には「唯今は自分は金が無い為裁判所で弁護人を御願ひ致します。」(一冊九丁裏。同回答欄は昭和三〇年一一月八日付。)、昭和三〇年一二月一二日付弁護人選任に関する通知及び照会書の回答欄には「私は貧困して現ざい金が無いので裁判所で弁護人を御願ひ致します。」(一冊二四丁裏。同回答欄は昭和三〇年一二月一八日付。)、昭和三一年三月三〇日付弁護人選任に関する通知及び照会書の回答欄には「裁判所で弁護人を選任して下さい。」との印刷の文字の上に○印を付し、その理由として「貧困のため」(一冊三〇丁裏。同回答欄の日付は昭和三一年四月七日付。)との各記載がある(原審第四九回公判での被告人供述によれば、以上の各回答欄の記載は被告人によつてなされたものであると認められる。七冊二八一三丁裏以下。)。しかも。当審第一三回公判では被告人は「昭和三〇年一〇月三一日起訴の住居侵入窃盗未遂の事件について弁護人選任に関する照会書が来た際自分は『官選弁護人をお願いします』と回答したが、それはその時期には自分は強盗殺人事件について嫌疑をかけられているということがまだ判らなかつたからである。」旨供述し(一五冊五三九四丁以下)、一方被告人の同公判での供述によれば「自分が仁保事件についての嫌疑をかけられているということを知つたのは昭和三〇年一一月四、五日か五、六日頃である。」旨(一五冊五三七五丁以下)、「仁保にはおやじもおるしわしが一口いえばすぐ金ぐらい出してくれるから強盗殺人の起訴につき最初から小河先生を私選に頼むよう警察に頼んでおつた。」旨(一五冊五三九六丁)、また、阿佐美弁護人の「警察官の方からむしろ積極的に、あなた弁護人を選任しなさい、選任することができるんだと言われたことはないわけですね。」との間に対しては「言われたかもしれませんが、わたくしは自分で知つておつたから私選弁護人をお願いしますと強調したわけです。」と答えるなど(一五冊五三九九丁以下)被告人の弁護人選任に関する供述には矛盾撞着があり、且つこれに当審証人中根寿雄の「被告人の取調中誰からも弁護人選任に関する申出も相談も受けたことはない。」旨の供述(一六冊五八五〇丁裏以下)を合わせ考察すれば、前記主張は到底採用できない(起訴事件に対する弁護人選任は第一回公判期日前に公判準備に支障のない期間になされればよいと考える。)。
三 原田弁護人は当審第一五回公判で裁判所に対し職権の発動を促し、仮に被告人が本件強盗殺人罪の真犯人であるとしても、事件后一一年余を経過していることなどの理由から被告人に極刑を科すべきでない旨主張するが、本件の態様・被害状況などからみて、職権により原判決の量刑につき再考を加うべき余地があるものとは認められない。
四 よつて刑事訴訟法第三九六条に則り本件控訴を棄却することとし、なお原審及び当審の各訴訟費用の負担免除につき同法第一八一条一項但書を適用して,主文のとおり判決する。
最高裁
主 文
原判決を破棄する。
本件を広島高等裁判所に差し戻す。
理 由
被告人本人の上告趣意および(一)弁護人小河虎彦、同小河正儀、(二)同阿左美信義、同原田香留夫、(三)同青木英五郎、同沢田脩、同熊野勝之、同原滋二、(四)同西嶋勝彦、(五)同渡辺脩、(六)同石田享、(七)同及川信夫、(八)同佐藤久、(九)同原田敬三、(一〇)同榎本武光の各上告趣意は、末尾添付の各上告趣意書記載のとおりである。
職権をもつて調査すると、原判決は、刑訴法四一一条一号、三号によつて破棄を免れない。その理由は、以下に述べるとおりである。
本件公訴事実は、被告人が、昭和二九年一〇月二六日午前零時ころ、山口県吉敷郡a町大字bcd(現在は山口市に編入)のA方において、同人を含む家族六名(夫婦、子供三名、老母)の頭部を唐鍬で乱打し、さらに頸部を出刃庖丁で突き刺すなどしてその全員を殺害し、金品を強取したとの強盗殺人の事実(一審判決判示第三の事実)および昭和三〇年六月中ごろ、大阪市において、マンホールの鉄蓋一枚を窃取したとの窃盗の事実(同第二の事実)である(なお、同第一の、昭和二七年七月中ごろにおける山口県下での住居侵入、窃盗未遂の事実については、中間確定裁判の関係で別個の刑が言い渡され、適法な控訴がなく確定してその刑の執行も終了している。)。
右強盗殺人の事実について、被告人は、いつたん捜査機関に対し自白したが、起訴の日である昭和三一年三月三〇日、裁判官の勾留尋問に対し、犯行を全面的に否認する陳述をなし、その後、同年五月二日に開かれた第一回公判以来、今日にいたるまでその否認を続けている。
一審裁判所は、審理の結果、昭和三七年六月一五日、被告人の検察官に対する供述調書七通および被告人の検察官に対する供述を録取した録音テープ三巻のほか、多数の証拠を掲げて右強盗殺人の事実を認定し、前記窃盗の事実とあわせて、被告人を死刑に処する旨の判決を言い渡した。原審は、昭和四三年二月一四日、被告人の控訴を棄却し、一審判決を是認したのであるが、この判決に対する上告が本件である。ただし、右窃盗の事実については、一審以来、当審にいたるまで、全く争いがなく、証拠上も問題がない。そこで、以下においては、もつぱら、右強盗殺人の事実(単に「本件犯行」ないし「本件」ということがある。)につき検討する。
原判決の是認する本件犯行についての一審判決認定事実に関し、証拠により、ほぼ確実と認められる外形的事実は、つぎのとおりである。すなわち、
一、判示日時、判示A方に何者かが侵入し、おりから座敷で就寝中であつたと思われる家族六名の頭部を鈍器で殴打し、ついで鋭利な刃物で六名の頸部を突き刺し、またA夫婦およびAの母Bに対してはその胸部をも突き刺して、各損傷による失血のため、全員を死亡させたこと、
二、右鈍器は、現場に遺留されていたA方の唐鍬(証二号)であり、刃物は、同様遺留されていた同家の庖丁(証三号)であること、
三、屋内物色のあとがあり、夫婦の寝室に五円貨一枚在中のチヤツク付ビニ―ル製財布(証九号)が放置されていたこと、
四、裏底に波形模様のある地下足袋(十文半もしくは十文七分のもの)の血染めの足跡が約二〇個、主としてAの蒲団およびその付近の畳に印せられており、そのうちのひとつは月星印のマークを現わしていること、
五、Bの死体の傍に、その状況からみて、犯人の遺留したものとも考えられる藁縄一本(証四号)が落ちていたこと、などである。
問題は、これが被告人の所為と認められるかどうかであるが、右凶器からは指紋が検出されておらず、屋内の建具、什器等から採取された六六個の指紋のうち、約三〇個は家族のものであり、かつ、その余の指紋の中に被告人の指紋に合致するものがあつたとの証拠はなく、その他、本件犯行と被告人とを結びつけるのに直接役立つ物的証拠は発見されていない。検察側の提出した証拠も、被告人の捜査機関に対する自白と、その真実性を担保するためのもの、ないし公判段階における被告人の弁解に対する反証としての、いくつかの間接事実、補助事実に関する証拠とに限られるのである。
これに対する被告人側の弁解の骨子は、
一、被告人は、本件犯行があつたというころ、当時小屋掛けをして住みついていた大阪市内のe公園を離れておらず、山口方面に出かけたことは全くなく、本件犯行は被告人の所為ではない、
二、捜査機関に対する自白は、警察における拘禁中に強制、誘導を加えられ、その苦痛に耐えかね、あるいはその影響のもとになした虚偽のものである、
三、自供のうち、客観的事実に符合し、自供全体の真実性を裏付けるかのごとく見える点は、捜査官の暗示、誘導に基づくものか、あるいは本件犯行と関係なく、過去に経験したところによつて述べたもの、ないし偶然の一致にかかるものである、
四、検察官が、自白の真実性を担保するものであるとし、または弁解に対する反証となると主張する諸事実は、証拠上、認められないか、あるいはその趣旨を異にする、というのであつて、この弁解を裏付けるための証拠も多数提出されている。
ところで、本件をめぐつては、他に若干の重要論点があるのであるが、審判の核心をなすべきものは、この、本件犯行の外形的事実と被告人との結びつき如何であると考える。本件一、二審裁判所が肝胆を砕いたのも、主としてこの点に存したのであり、多岐にわたる上告論旨も、その力点は、結局、無実の論証に向けられているものと解されるのである。
もちろん、書面審査を旨とする上告審において、事実の認定をめぐる問題について検討を加え、原判決の当否を論ずることには慎重でなければならず、安易に介入すべきものではない。しかしながら、刑訴法四一一条の法意に照らし、もし、原判決に重大な瑕疵の存することが疑われ、これを看過することが著しく正義に反すると認められる場合には、最終審として、あえてその点につき職権を行使することが、法の期待にそうゆえんであり、しかして、本件は、事案の特質および審理の経過にかんがみ、まさにかかる場合にあたると考えるのである。
記録によれば、本件犯行が被告人の所為であることを示すとされる直接証拠は、つぎに掲げた、捜査段階における被告人の自白およびこれに類するもの(以下において、便宜上、これらを単に「自白」と総称することがある。)のみである。すなわち、
一、検察官に対する供述調書(昭和三一年一月一三日付ないし同年二月一九日付、計七通。一審判決証拠番号(58))
二、検察官に対する供述を録取した録音テープ(昭和三一年三月二二日、検察官が、拘置所において、録音することを明示して被告人を取り調べ、その模様を採録したもの。一審判決証拠番号(59))
三、司法警察員に対する供述調書(昭和三〇年一一月八日付ないし同三一年一月二三日付、計一五通。ただし、一審判決は、任意性に疑いがあるとして証拠に挙示しなかつたもの。なお、最初の二通は、前記窃盗未遂の事実による勾留中に作成された被疑者調書であつて、本件犯行の自白ではなく、逮捕時までの生活状況を供述するものである。被疑事件名は空白となつている。)
四、警察署において録取した録音テープ(昭和三〇年一一月一一日から同年一二月二五日までの警察署における取調の際、隠しマイクにより、被告人不知の間に採録したというもの。ただし、自白のみでなく、昭和三〇年一一月一四日の否認供述を含む。なお、これらの録音テープは、一審五一回公判において、右三、の証拠の任意性立証のため、との趣旨で提出された。)
五、検察官の検証調書(昭和三一年三月二三日になされた犯行現場等の検証の際、被告人が現場への道筋を指示し、現場において凶行の模様を再現した状況に関するもの。一審判決証拠番号(4))
六、被告人作成の図面(昭和三一年一月二〇日付A方見取図、同日付殺害状況図、同月二二日付A方屋内状況図、同日付逃走経路図等、計一一通。被告人が、取調警察官に対し、図示説明するため作成したというもの。記録四冊一四四九丁ないし一四五九丁)
七、被告人の手記(昭和三一年一月二九日付。記録四冊一四四七丁。原判決一の(三)に引用。)
八、被告人が差し出した手紙(一月三〇日とあるもの。一審判決証拠番号(56)。原判決一の(三)に引用。)
九、被告人が作つた和歌などをみずから記載した紙片(一審判決証拠番号(55)。原判決一の(三)に引用。)
一〇、C、Dの各証言(一審判決証拠番号(54)および記録二冊三八一丁以下。昭和三〇年一〇月一九日、被告人が逮捕された直後に、大阪市天王寺署留置場で、同房者たる右両名に対してなしたという発言に関するもの。発言内容は、原判決一の(一三)の(1)に引用。ただし、同所判文中、被告人の逮捕された日を「昭和二九年一〇月一九日」とするのは「昭和三〇年一〇月一九日」の誤記と認められる。また「六人殺し」とあるのは正確ではない。調書には、「六人の口」「六人組」と記載されている。)
一一、Eの証言(一審判決証拠番号(53)。昭和三一年一月一〇日ころ、被告人が、山口署留置場で、同房者たる同人に対し、自分は犯人であるから捜査官に聞かれたらそう言つてほしいといつたというもの。)
さて、以上の自白が、もしも信用することができ、その内容が真実に合致するものであると認められるならば、その余の証拠とあいまつて、本件犯行を被告人の所為となすべきことは当然であり、原判決は、もとより正当であるわけであるが、これが信用に値せず、真実に合致しないものであるとの疑いを容れる余地があるならば、前記のとおり、他に本件犯行の外形的事実と被告人とを結びつけるべき直接の証拠のない本件において、被告人を有罪とする一審判決を是認した原判決は、失当といわなければならない。したがつて、右自白の信用性については、十二分の吟味を必要とするのである。
ところで、原判決は、一審判決挙示の被告人の検察官に対する供述調書のほか、司法警察員に対する供述調書の記載内容、ならびに録音テープ、図面、手記等の存在およびその内容、あるいは他の関連証拠によつてうかがわれる自白のなされた状況等を検討して、一審判決の判示に照応する被告人の自白を信用できるとしている。
そこで、まず、被告人の右各供述調書を見ると、詳細で、かつ迫真力を有する部分もあり、また、犯人でなければ知りえないと思われる事実についての供述を含み、さらに、客観的事実に符合する点もなしとしないのであるが、他面、供述内容が、取調の進行につれてしばしば変転を重ね、強盗殺人という重大な犯行を自供したのちであるにかかわらず、犯人ならば間違えるはずがないと思われる事実について、いくたびか取消や訂正があり、また一方、現実性に乏しい箇所や、不自然なまでに詳細に過ぎる部分もあるなど、その真実性を疑わしめる点も少なくないのである。供述中には、終始不動の部分もあるが、それは主として捜査官において本件発生当初から知つていたと思われる事実についてのものであり、はたして、被告人のまぎれもない体験であるが故に動揺を見せなかつたものであるのか、捜査官の意識的、無意識的の誘導、暗示によるものであるのか、他の証拠と比較して、軽々に断じ難い。たとえば、侵入口に関する被告人の供述は、裏口からである旨、一貫しており、捜査官らの証言中には、この点が捜査陣の予想と違つていたので、自供が真実であると考えたとの趣旨のものもあるのである(記録三冊八七一丁、一四冊四八六三丁、四九六四丁)が、昭和二九年一〇月三〇日付捜査報告書(記録一四冊五〇八三丁)には、A方は昭和二一年以来三回にわたり盗難にかかつており、侵入口はいずれも裏口であつた旨の記載があることをあわせ考えると、はたして右証言をそのまま信用できるか、疑いなきをえない。そのほか、被告人の前記手記、手紙、和歌等については、原判決のごとく一義的に解釈することには問題があり、さらに、自白がなされた状況に関する証拠も明確を欠くところが多く、いずれも決定的であるとはいい難い。
結局、供述調書の記載自体に徴し、あるいは上記関連証拠等によつて、本件犯行についての被告人の自白には信用性、真実性が認められるとした原審の判断は、肯認し難いのである。
原判決は、さらに進んで、多くの間接事実、補助事実を認定、挙示し、右自白の内容がそれらと符合するが故にその信用性真実性に疑いがないとし、また、犯行を否定する被告人の弁解を排斥しているのであるが、そのうち最も重要なものは、つぎの六つである。すなわち、
一、被告人が、本件発生の時期の前後にわたり、当時の居住場所である大阪市内のe公園にいなかつた事実、
二、被告人が、本件発生の日の数日前に、前記b近辺において、二人の知人に姿を見せた事実、
三、被告人が、本件犯行前数日間徘御した経路として供述した内容には、当時、被告人が、現にそのように行動したのでなければ知りえない情況が含まれている事実、
四、被告人が、A方の被害品と認められる国防色の上衣を所持していた事実、
五、犯行現場に遺留されていた藁縄は、F方の農小屋から持ち出されたものであることが、被告人の自供に基づいて判明した事実、
六、被告人が、本件発生の時期において所持、着用していた地下足袋が、裏底に波形模様のある月星印の十文半もしくは十文���分のものであつた事実、
以上である。
これらは、それぞれ相互に独立した事実であるが、本件の具体的事情のもとにおいては、そのうち一、ないし五、のいずれのひとつでも、その存在が確実であると認められるならば、それだけで被告人の前記弁解をくつがえし、その自白とあいまつて、本件犯行と被告人との結びつきを肯認するに足り、六、もまた、確実であるならば、被告人の弁解に対する反証として、さらには有罪認定のための資料として、相当の比重をもつということができる反面、一、または六、が確定的に否定された場合には、被告人の嫌疑が消滅するか、または著しく減殺されることもありうるのである。したがつて、これらの事実の存否は、本件事案解明の鍵をなすものであるといわなければならない。そして、もしこれらの事実を積極に認定しようとするならば、その証明は、高度に確実で、合理的な疑いを容れない程度に達していなければならないと解すべきである。けだし、これらの事実は、上述のごとく、被告人と犯行との結びつき、換言すれば被告人の罪責有無について、直接に、少なくとも極めて密接に関連するからである。なおまた、上記一、ないし六、は、おのおの独立した事実であるから、必ずしも相互補完の関係には立たず、そのひとつひとつが確実でないかぎり、これを総合しても、有罪の判断の資料となしえないことはいうまでもない。
ところで、原判決は、これらの事実をいずれも積極に認定しているのであるが、その理由として説示するところは、記録に照らし、必ずしも首肯し難いのである。
以下、順次、検討を加える。
一、被告人は、本件発生の時期の前後にわたり、当時の居住場所である大阪市内のe公園にいなかつたか。
この点に関する証拠としては、つぎのものがある。
(イ)いなかつたとするもの
(1)Gの証言および検察官に対する供述調書(一審判決証拠番号(16)(17))
(2)Hの証言(同(15))
(3)被告人がe公園に在住していた当時、血を売りに通つていた大阪市内の血液銀行の被告人関係のカルテ中には、本件発生前後のものが見当たらないことに関する一連の証拠(同(14)等)
(4)IことJの第二回証言(昭和四一年九月七日、原審九回公判。記録一四冊四七四三丁)
(ロ)いなかつたことはないとするもの
(1)Iの第一回証言(昭和三四年一月一九日、一審二七回公判。記録五冊一六九〇丁)
(2)Kの証言(同。記録五冊一六七八丁)
(3)Lの証言(昭和三一年八月一八日証人尋問期日。記録二冊四二一丁)
右証人らのうち、GおよびHは、本件発生の時期における被告人との関係からみて、ことさら被告人にとつて不利益な証言をしなければならない立場にあつたとも考えられないのであるが、しかし、両名とも、認識、記憶、表現等の能力において問題があり、各供述記載の内容を見ても、意味の明らかでないところや、あいまいな箇所が少なくなく、被告人が本件の前後に大阪にいなかつたとする各供述を全面的に措信すべきかどうか疑問である。血液銀行のカルテに関しても、本件発生のころの被告人のカルテがないのは、検査に合格せず、血を売ることができなかつたことによるもので、被告人が当時大阪を離れた証左ではないとの被告人の弁解を否定するだけの積極的な証拠は見当たらない。また、原判決は、一の(六)において、IことJの第一回証言をとらず、右証言の七年後になされた、しかも供述時より一二年前に属する隣人の動静についての第二回証言をもつて判断の資料としているのであるが、その合理性には疑いなきをえないし、のみならず同人の右第二回証言は、被告人が二日ほど不在であつたというのであるから、被告人が、約七日間、b近辺にいたとする一審判示を是認する根拠とはならないのである。これに対し、L証言、K証言およびI第一回証言は、同人らの資質、年齢、生活状況、被告人との関係、供述内容等にかんがみ、たやすく排斥し難いものがある。
結局、本件発生の時期に、被告人が大阪にいなかつたとの点についての証明は、いまだ十分とはいえないのである。
二、被告人は、本件発生の日の数日前に、b近辺において、二人の知人(M、N)
に姿を見せたか。
この点に関する証拠としては、
(1)Mの証言(一審において二回、原審において一回。一審判決証拠番号(18)(19)および記録一一冊三九五三丁)
(2)同人の検察官に対する供述調書(刑訴法三二八条の書面。記録三冊一〇八四丁)
(3)Nの証言(一審および原審において各一回。一審判決証拠番号(28)および記録一一冊三九七八丁)
(4)同人の検察官に対する供述調書(刑訴法三二八条の書面。記録三冊一〇八七丁)
(5)Oの証言および検察官に対する供述調書(一審判決証拠番号(30)(31))
がある。
被告人の捜査官に対する供述調書にも、この二人に会つた旨の記載があるが、公判において、被告人は、これを創作ないし誘導による虚偽のものであると弁解する。記録中に存する捜査時の資料によれば、右供述調書作成当時、すでに警察側では右両名から被告人を見かけた旨の聞き込みをえていたことが窺われるのであり、まず被告人の自供があり、ついで両名にその真偽を確かめたものであるとなすべき証跡は見当たらない。右両名の証言の信頼性について考えるのに、両名とも被告人の罪責につきなんらの利害関係もなく、意識的に虚偽の供述をしたと考えるべき事情はないのであるが、他面、両名は、被告人と面識はあつたものの、そのころ交際があつたわけではないことが認められるほか、両名がそれぞれ被告人と会つたという日時、場所、情況、および関連証拠上、各面談の事実に確たる裏付けを欠くことなどをも考えあわせれば、人違いその他なんらかの錯誤を生じた可能性のあることも否定しきれない。また、右両名のことが被告人の供述調書に現われるのは、昭和三〇年一二月一七日付および同月一八日付の司法警察員に対する各供述調書からであるが、両調書には、被告人が後に取り消した虚偽の自白にかかる事項が少なからず含まれている点からみて、被告人の前記弁解も、あながち無視し難いのではないかと思われる。さらに、Mの一審第一回証言の調書には、原判決一の(四)に判示するとおり、被告人が反対尋問をした記載があり、そのなかには、被告人自身、Lが被告人と面談したというP製材所をかつて訪れたことを認めていると見るべき発言のあることは事実であるが、それは、被告人がLと面談したことまでも認める趣旨であるとはいえないのみか、右判示が引用するように、被告人のいう訪問の時期は、本件犯行の遥か以前で、被告人がなおb近辺に居住していた昭和二八年四月ごろというのであるから、この反対尋問の事実をもつて被告人の弁解を排斥するのは明らかに妥当を欠くといわなければならない。そのほか、前掲のOの証言等を参酌しても、被告人が、本件犯行発生の直前に、前記両名に会つていることは、いまだ確かな事実とは認められないというべきである。
三、被告人が、本件犯行前数日間徘徊した経路として供述した内容には、当時、被告人が、現にそのように行動したのでなければ知りえない情況が含まれているか。
原判決の挙げるところは、
(1)fのQ経営の菓子店(原判決一の(五)および(一三)の(3))
(2)g駅付近のルーフイング葺の小屋(原判決一の(八)の(1)および(一三)の(3))
(3)h橋際の散髪屋の前の店(原判決一の(八)の(2))
の各存在であるが、(1)については、原判決が前提とする同店の開店時期に事実誤認ある疑いが濃く、(2)および(3)についても、被告人の供述に的確に照応するものとはいい難いのである。
(1)右「fのR店」につき、原判決は、昭和二九年六月中旬開店、同三三年三月閉店と認定し、昭和二八年春以後、この付近を通行したことがないという被告人の供述にこの店が出て来るのは、実は、昭和二九年六月中旬以後、さらにいえば本件犯行のころに、被告人がこの店の付近を通行した証左であるとする。そして、原判決は一の(五)において、右に関する証拠を挙示しているのであるが、そのうち、Qの司法警察員に対する供述調書(昭和三八年一〇月四日付。記録一二冊四一三〇丁)には、いかにも右判示にいうごとき開店および閉店の時期の記載があるけれども、同じくQ、同Sの各証言(昭和四一年四月二二日になされたものであり、店は供述の時から一二年前の昭和三〇年ころにやめたが、それまで五年ほど開いていた、とするもの。記録一三冊四三八五丁、四三七八丁)は、昭和二五年ころに開店した、との趣旨と解することができるのに対し、検証調書二通のうち一通には、昭和二九年ころ、ここに出店を出していたというだけの、場所に重点を置いたQの指示説明の記載があるに過ぎず、他の一通には、警察官Tによる場所の指示の記載があるのみで、開店時期については触れるところがない。かえつて、原判決が挙げていない捜査状況報告書(昭和三〇年一二月二四日付。記録一四冊五一二〇丁)には、Qが、現在(すなわち、原判決がなお営業中と認定している昭和三〇年一二月末ころ)、自分はそこでは店をしていない、と述べた旨の記載がある。これは、右書面の作成時期をも考えると、前記各証言を支持すべき有力な資料とするに足り、これを前提とすれば、R店の開店時期は昭和二五年ころと認めざるをえないから、そうであるかぎり、この点に関する原判示は、その基礎を失なうこととなるのである。
(2)「g駅付近のルーフイング葺の小屋」に関して、被告人の司法警察員に対する昭和三一年一月二三日付供述調書(記録四冊一三一五丁)に、被告人がg駅北側で野宿した翌朝 「黒いような紙のようなものに何かぬつたもので屋根が葺いてある小屋」を見た旨の供述記載があること、およびg駅北側のU方家屋の屋根が、昭和二八年七、八月ころルーフイング葺にされた事実を認めるに足りる証拠のあることは、原判決一の(八)の(2)の判示するとおりである(ただし、原判決挙示のその余の自供調書、すなわち、司法警察員に対する昭和三〇年一二月一七日付、同月二〇日付、同月二五日付各供述調書および検察官に対する昭和三一年一月一三日付供述調書には、いずれも、単に駅構内あるいは駅前等で寝た旨の概括的供述の記載があるのみで、「小屋」についての言及はない。)。被告人は、前記供述について、g方面には昭和二八年五月以降行つたことがないが、たまたま昭和二六、七年ころ同地方にルーフイング葺の住宅がいくつも建てられたことを知つていたので、その知識に基づき、架空のことを述べたものであると弁解している。これに対し、原判決は、右U方家屋が、前記供述の「小屋」に該当するものであると認め、被告人の弁解はそれ自体信じ難いとし、かつ、前記供述の用語が、弁解において用いられている「ルーヒン葺」というような技術的用語でないことをも根拠として、これを排斥したのである。ところで、被告人を取り調べた警察官T作成にかかる捜査日誌(証二七号)によれば、昭和三〇年一二月二五日の項に、被告人が、g駅付近の「黒のフア〇タール塗り」の小屋について述べた旨の記載(ただし、上記〇の部分は、一字が判読困難なため、かりに〇としたものである。) があるから、この日に、被告人は、警察官に対し、「小屋」につき、右のごとき表現を用いて供述したものと考えられる。しかるに、前述のとおり、同日付の司法警察員に対する自供調書にも、その後における昭和三一年一月一三日付の検察官に対する自供調書にも、「小屋」に関する供述記載は全くなく、前掲の昭和三一年一月二三日付司法警察員に対する自供調書(これが被告人の警察における最後の調書である。) においてはじめて、g駅付近の詳しい叙述と、これに関する従来の供述を訂正する供述とがあらわれるのであつて、前記の「黒いような云々」の供述もまた、この調書にのみ存するのである。このような事実を総合し、特に、原判決の重視する「黒いような云々」の供述と、右「黒のフア〇タール塗り」という表現(その意味するところは必ずしも明らかでないが)とを比較して考えると、前記供述は、あるいは、捜査官が実地に臨んで知りえたところに基づく取調の結果、おのずからなる誘導迎合を生じたことによるものであつて、被告人自身の体験によらない架空のものではないかとの疑念を禁じえない。また、右捜査日誌にあらわれた用語は一応の技術的用語と解���れることに徴し、前記供述記載に技術的用語が用いられていないことをもつて被告人の弁解を排斥する一根拠とする原判決の説示にも疑問を生ずるのである。
(3) 「h橋際の散髪屋の前の店」に関しては、原判決一の(八)の(2)掲記の証拠も存在するので、これによれば「散髪屋」の営業時期についての判示は正当と認められる。しかし、その挙示する被告人作成の図面(記録四冊一四五九丁)には、基準となるべき「散髪屋」の表示はないのである。それにもかかわらず、原判決は、この図面に基づき、h橋北詰を基準として、その東方四軒目のV方を、被告人の自供にいうパンを買つた店にあたると認めたのであるが、同人方で本件犯行発生のころ、パンを売つていたかどうかについては、明確な証拠が見当たらない。取調にあたつた警察官Wの「昭和三一年一月一七日、X方に捜査のため赴いたとき、同人方は食料品、荒物類を販売していたのみで、パンは売つていなかつたが、店の者が昭和二九年一〇月ころはパンも売つていたと言つていた。」との一審証言(記録四冊一四一八丁裏)は、伝聞証言でもあり、その内容に照らしても、証明力は高いとはいい難いし、原審第一回検証での立会人Vの指示説明中には、前にパンを売つていたことがある旨の記載もあるが、「前」とはいつのことかこれを知る由がない。
さて、このように、原判決の指摘する右(1)(2)および(3)の情況のうち、(1)については誤認の疑いが濃く、(2)および(3)についても、自供との関連に疑問をさしはさむ余地がある。もちろん、それがためにただちに被告人に対する嫌疑が消滅するわけではない。しかし、右のごとき証拠上の難点が解明されないかぎり、右情況の存在を判断の前提とすることはできないのである。
四、被告人は、A方の被害品と認められる国防色の上衣を所持していたか。
前掲「捜査日誌」(証二七号)によれば、昭和三〇年一一月二〇日の項に被告人が「国民服」奪取の事実につきこの日はじめて供述したことを示す記載があり、また同年一二月三日の項に、A方遺品である「将校服上衣」「国民服上衣」について捜査がなされたことを示す記載があるほか、これに関連する捜査報告書の日付が昭和三一年一月一〇日および一二日である事実をも考えあわせると、その捜査は、被告人の右供述があつたのち、それに基づいてなされたものと見ることができる(Wの反対趣旨の証言もないわけではないが、これは恐らく同人の記憶違いであろう。記録六冊二二九五丁)から、本事実が確実なものであれば極めて有力な証拠となりうるのであるが、奪取したという「国民服」上衣が現存しないのみならず、この間には、なお、つぎのような問題が存在するのである。
けだし、本事実を積極に認定するためには、被告人の捜査官に対する自白を別とすれば、
(1)A方に本件発生時まで存在していた国防色の上衣が、その直後見当たらなくなつたこと、
(2)被告人が、本件発生直後から国防色の上衣を所持していたこと、そして、それ以前にはこれを所持していた事実がなかつたこと、
(3) (1)(2)の上衣が同一物であること、
が、それぞれ確実でなければならないのである。
まず、(1)の点についてみると、A方家族全員が殺害されているため、直接の確認は困難であつて、原判決一の(一三)の(4)の判示は、主として、昭和三一年一月一〇日付捜査報告書(記録六冊二二四五丁。近隣の人々からの聞き込みを記載するほか、「形見わけ一覧表」が添付されている。) およびY、Zの各証言(記録一冊一五五丁、一一冊三九一六丁、一冊一三二丁)に依拠している。そして、被害者Aが国防色の上衣を着用していたことのある事実は、前記の証拠から認めることができるのであるが、着用していた時期についてははなはだ明確を欠くのであつて、右捜査報告書に記載された聞き込みによれば、昭和一九年から昭和二四年ごろとなつており、Zは時期の記憶がないと述べ、Yは、本件事件直前ごろには見なかつたとしているのである。なお、右「形見わけ一覧表」によれば、A方遺品中に、対応すべき上衣のない国防色のズボン一着(証一号)があつたことは認められるが、それがもともと上下一揃のものであつたかどうかは明らかでない。また、遺品中には、その他にも、軍服上衣二着と国防色の上衣一着との存することが認められるのであつて、これらと、前記の人々の見たという国防色の上衣との異同は、まつたく不明である。
(2)の点についていえば、被告人が国防色の上衣を所持していたことは、HおよびAaの各証言(記録二冊三九六丁、四〇七丁)の認めるところであるが、Hの証言の信頼性については、既述のごとき問題があり、Aaの証言についても、同女の資質、性格等のほか供述記載の内容をも考えあわせると、その信頼性には、同様の問題があるのである。のみならず、Aaは、本件犯行発生後約半年を経た昭和三〇年四月一七日に、はじめて被告人と相知るにいたつたものであるし、Hは、昭和三〇年四月ごろに被告人が国防色の上衣を着ているのを見たと供述しているだけであるから、両名の証言をもつて、本件以前に被告人が国防色の上衣を所持していなかつた事実までも認定すべき資料とすることはできない。さらに、本件発生当時、被告人と同棲していたGは、当時の被告人の服装や手持ち衣類等について明確な記憶がないと述べており、国防色の上衣について特に尋問されたのに対しても、「兄ちやんから借りていた」という、趣旨不明の答をしているのみである(記録二冊六九九丁)。なお、同人の検察官に対する供述調書にも、国防色の上衣に触れるところは全くない(記録四冊一四三七丁)。
(3)の点については、A方の被害品という国防色の上衣なるものがいかなるものであつたかはもとより、その存在自体が明確を欠くのであるから、AaとHのいう上衣との同一性の識別は本来不可能に属するのである。それにしても、もし、Aaらのいう上衣が、A方遺品である証一号のズボンと、その生地、色合い等を同じくしていたことが認められるならば格別であるが、その点に関し、最も重要な証人というべきAaは、右ズボンを示されて尋問を受け、上衣の色はこれよりちよつと濃く、生地も違うと述べているのである。
なお、Aaは、同人が見た国防色の上衣および被告人所持の鳥打帽に、血の「しみ」がついていたとも供述しているが、現物はいずれも同女が焼き捨てたというのであり、その「しみ」が血痕かどうかは確めるべくもないし、一方、本件犯行発生のころに被告人と同棲していたGは、右鳥打帽によごれのあつたことを否定している(記録二冊七〇八丁)。
結局、国防色の上衣の点についても、証拠はとうてい十分とはいえないのである。
五、犯行現場に遺留されていた藁縄は、F方の農小屋から持ち出されたものであることが、被告人の自供に基づいて判明したか。
被告人の右藁縄(証四号)に関する自供のうち、これを持ち出した場所はFの農小屋であるとする点は、関連証拠上、捜査官の示唆誘導によるものとは考え難い。そこで、もしこの繩の出所が右農小屋であることが確定されるならば、それはほとんど決定的な証拠となりうるものである。この点に関し、一、二審においては、右藁縄の用途、その製造に用いられた藁の品種および製縄機の機種、ならびにその山口県内における普及状況等につき多数の証拠が取り調べられたのであるが、これらの証拠はいずれも決定的なものではない。また、証四号の藁縄にはなんら顕著な特徴がないのみならず、記録中には、捜査に際し、右農小屋から同様な縄が発見されたとするごとき捜査官の証言もないではないが、これを裏付けるに足る的確な証拠はなく、その他記録を精査しても、被告人の自白を除いては、この縄が、本件直前まで右農小屋にあり、犯行に際してここから持ち出されたものであることを確認しうべき証拠は、ついに見出だすことができないのである。
六、被告人が、本件発生の時期において所持、着用していた地下足袋は、裏底に波形模様のある月星印の十文半もしくは十文七分のものであつたか。
被告人も、本件発生のころに、i駅裏商店街の、同駅から行つて右側の店で買つた地下足袋(十文半もしくは十文七分のもの)を所持し、時に着用していたことは争わない。その現物は、被告人逮捕の時には既に存しなかつたのであるが、しかし、もし、それが月星印の品であることが明らかにされるならば、本件犯行の現場に残されたひとつの足跡の特徴と合致するが故に、決定的とまでは言えなくても、有罪認定のための有力な資料となるであろう。
一審で、検察官は、この地下足袋の買い入れ先は、i駅裏近辺で月星印地下足袋を販売する唯一の店であるAb方であると主張したが、同人の証言で、その店はi駅から行けば商店街左側であることが判明した。原審でも、被告人のいう店が、右側にあるAc商店(この店では、当時大黒印地下足袋のみを販売していた。) であるか否かとの点について、同商店街の検証などが行なわれたが、既に一〇余年を経たのちのことでもあり、事態を明白にするにいたらなかつた。原判決は、一の(九)の判示において、被告人の弁解を採用しなかつたのであるが、それは、被告人の弁解が一貫しないことなどを主たる根拠とするにとどまるのであつて、必ずしも首肯せしめるに足りない。要するに、当時、被告人の所持、着用していた地下足袋が、前記Ad商店から購入されたものであるとする根拠には乏しく、他に、これが月星印の品であつたとすべき確実な証拠も存在しないのである。
以上、一、ないし六、の事実について検討したところによれば、これらはいずれも証拠上確実であるとはいい難く、これによつて被告人を本件犯行の犯人と断定することができないのはもちろん、原判決のごとく、これを被告人の自白の信用性、真実性を裏付ける資料とすることも困難であると考えざるをえないのである。
なおまた、原判決が、被告人を有罪とした一審判決を維持すべき根拠として掲げるその余の判示についても、疑問の余地なしとしない。一例を挙げれば、原判決は、一の(一三)の(1)において、被告人は本件犯行発生の日時を誰からも教えられずに知つていたとするが、取調にあたつた捜査官の証言にも、右にそうごとき供述はなく、その他、右判示の根拠となしうべき積極的証拠は見当らないのである。自白にかかる犯行の日時は、昭和三〇年一一月上旬ころ、留置場の他の房にいたAeからこれを聞いて知つたものである旨の被告人の弁解について、原判決は、西村の証言と比較して信用できないとし、これを排斥している。しかし、西村証言(記録五冊一九〇九丁)は、被告人からbの六人殺しはいつあつたかと聞かれたこと、およびこれに対して答えた旨を明確に述べているのであつて、その点は被告人の主張と一致するのである。それが事実であつたとすれば、被告人の用意周到な演技であるなどと疑うべき格別の事情のないかぎり、むしろ当時被告人は犯行発生の日時を知らなかつたものと見る方が自然であるといえないこともないのである。
本件が強盗殺人事件であることは、ほぼ確実である。そして、本件記録を通観すれば、被告人がその犯人ではないかとの疑惑を生ぜしめる種々の資料が存するのであり、犯行を否定する被告人の弁解が、はたして真実であるかどうかについても問題がないではない。また、本件一、二審の判決裁判所は、いずれも、被告人の公判廷における弁解を長時間にわたつて直接に聴取し、しかもなおこれを採用しなかつたのであつて、このことは軽視できないところである。
しかしながら、右の諸点を十分に考慮しても、上述したとおり、本件記録にあらわれた証拠関係を検討すれば、本件犯行の外形的事実と被告人との結びつきについて、合理的な疑いを容れるに足りる幾多の問題点がなお存するのであつて、原審が、その説示するような理由で、本件犯行に関する被告人の自白に信用性、真実性があるものと認め、これに基づいて本件犯行を被告人の所為であるとした判断は、支持し難いものとしなければならない。されば、原判決には、いまだ審理を尽くさず、証拠の価値判断を誤り、ひいて重大な事実誤認をした疑いが顕著であつて、このことは、判決に影響を及ぼすことが明らかであり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。
よつて各上告趣意につき判断を加えるまでもなく、刑訴法四一一条一号、三号により原判決を破棄し、同法四一三条本文にのつとり、さらに審理を尽くさせるため本件を原裁判所である広島高等裁判所に差し戻すこととし、裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。
検察官横井大三、河井信太郎公判出席
昭和四五年七月三一日
最高裁判所第二小法廷
裁判長裁判官 草 鹿 浅 之 介
裁判官 城 戸 芳 彦
裁判官 色 川 幸 太 郎
裁判官 村 上 朝 一
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