#釈由美子の植毛
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agaemily · 1 month ago
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「額の広さ・M字を解消したい!」トルコ植毛の生の声
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zo-sunz · 3 months ago
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「他者」の起源──ノーベル賞作家のハーバード連続講演録
著者 トニ・モリスン(Toni Morrison)
解説 森本あんり(Morimoto Anri)
訳者 荒このみ(Ara Konomi)
集英社新書2019年7月22日第一刷発行
原著 THE ORIGIN OF OTHERS by Toni Morrison. Harvard UP. 2017.
帯宣伝文 「人はなぜ 「差別」 をやめられないのか」
 日本語版読者に向けて   森本あんり(巻頭特別寄稿)
 人は、差別主義者に生まれるのではなく、差別主義者になるのである。──トニ・モリスンのこの言葉を読んで、ボーヴォワールの「第二の性」を思い起こす人は少なくないだろう。人は、女に生まれるのではなく、女になるのだ。これを、身体的・生物学的な性(セックス)から社会的・文化的な性(ジェンダー)への発展、と言い換えてもよいかもしれない。
 だが、この類比には並行的でないところもある。女に生まれることと女になることとの間にはかなり強い繋がりがあるが、生まれたばかりの子どもには、差別主義者になるような身体的・生物学的な根拠はどこにもない。白人や黒人に生まれることと、人種差別主義者になることとの間には、実は何の関連性もないのである。
 とすると、人はいったいどこでどうやって人種差別主義者になってゆくのだろうか。それを問うたのが本書である。モリスンは、その問いに「他者化」というプロセスを示して答える。人がもって生まれた「種」としての自然な共感は、成長の過程でどこかに線を引かれて分化を始める。その線の向こう側に集められたのが「他者」で、その他者を合わせ鏡にして見えてくるものが「自己」である。このプロセスは、本書で取り上げられた作品が物語るように、明白な教化的意図をもって進められることもあれば、誰の意図ともつかぬしかたで狡猾に社会の制度や文化の秩序に組み込まれて進むこともある。
 やっかいなことに、人がこのプロセスと無関係に社会生活を営むことは困難である。「他者化は怪しからぬことだからみんなでやめようではないか」と論じたところで、実際に何かが成し遂げられるわけではない。ある時代のある文化に生まれ育つ者は、まずはその文化の規範をみずからのうちに取り込むことで成長する。つまり、われわれはみな、人としての自我をもつ存在となった時点で、すでにその文化がもつ特定の常識や価値観の産物となっている。だから人が他者化の問題を意識するときには、かならず自分の常識や価値観の問い返しとなり、それまで自分が学んできたことの「学び捨て」(unlearning)にならざるを得ないのである。モリスンの作品がしばしば読者の心に鋭い問いを突きつけるように感じられるのは、このためである。
 個人だけではない。他者化の力学は、国家や民族といった大きな集団にも同じように交錯して作用する。近現代の歴史はその典型例をいくつも示してきた。第二次世界大戦が終結すると、植民地であった地域から旧宗主国のプレ���ンスが消え、次々に独立国家が誕生した。ところが、宗主国という共通の「他者」がいなくなると、今度は自分たちの内部に新たな「他者」が見えるようになる。インドでは、独立を求めて共に闘ってきたはずのヒンズー教徒とイスラム教徒がお互いを「他者」と認識するようになり、印パ戦争を経て1947年にはパキスタンが独立する。さらにパキスタン内部でも、言語や民族の違いから東西がお互いを「他者」と認識するようになり、1971年にはバングラデシュが独立する。
 1991年にソビエト連邦が崩壊したときにも、同じことが起こった。ソ連の崩壊は、連邦下に置かれていた各国の独立や、共産主義という理念全体の失墜をもたらしたばかりではない。東西冷戦というわかりやすい対立構造のなかで彼らを見ていた自由主義世界もまた、共通の「他者」を見失った結果、みずからの内部に新たな「他者」を見いだして立ち竦むようになる。西側諸国が誇ってきたリベラルな民主主義は、共産主義という外部の敵がいなくなった途端に暴走を始め、ポピュリズムや不寛容な民族主義という内部からの脅威に侵食されるようになった。今日われわれが世界の各地で目にしている民主主義の機能不全は、すでにこのときからゆっくりと進行してきた病態の表面化にすぎない。
 だが、ここでも問題は単純ではない。こうした分断や暴走による不安定化は、たしかに歓迎されざる結果であるかもしれないが、かといってそれ以前の植民地時代や冷戦時代がよかったかと言えば、そういうわけでもないだろう。「以前はみんな仲良く暮らしていたのに」という台詞は、しばしばその背後に抑圧され封殺された多くの声があったことを覆い隠して語られる。モリスンの語り口に同調させて言えば、それは南部の善良で心やさしい白人たちが公民権運動前の時代を想い出して懐かしげに語るときの台詞に近い。
 このように、本書が照らし出す「他者化」の概念は、通りいっぺんの批評を許さない多義性を帯びている。他者化とは、他者をその総体において、つまり自分の認識能力を凌駕する何らかの名付けがたい他者であるままにその存在を承認する、ということではない。われわれはしばしば、他者の一部を切り取って自分の理解に囲い込み、それに餌を与えて飼い続ける。やがてそのイメージは手に負えないほど肥大化し、われわれを圧倒して脅かすようになる。
 それでも、人は知ることを求める。知って相手を支配したいと願うからてある。それは、相手を処理されるべき受け身の対象物となし、かたや処理する側の自分を正統で��遍的な全能の動作主体として確立することである。この批判は、かつてエドワード・サイードが論じた「オリエンタリズム」批判にも重なってくる。西洋人が非西洋を解��するときには、非西洋の本人も自覚していないらしいオリエント的な本質が特定され代弁される。まさにその表象行為によって、そういう認識をする西洋人こそが真の人間であり、対象である非西洋を管理し支配すべき正統性をもった存在であることが宣言され根拠づけられるのである。
 それゆえ本書の主題となっているのは、単にアメリカ国内に限定された人権や差別のことではない。それは、西洋と東洋、白人と有色人、キリスト教と他宗教、権力をもつ者ともたざる者といった多くのパターンに繰り返しあらわれる人間に共通の認識様式である。この認識様式は、合理的な思考や明晰な意識にのぼらない領野で神話的な構造へと転化し、他のすべての神話がそうであるように、われわれの見方や考え方を背後から支配する力をもつ。
 このような隠然たる神話的支配を意識の明るみへともたらしてくれるのが本書である。物語の名手モリスンは、この普遍的は認識様式のからくりをごく小さな個人的で特異な出発点から展開してゆく。彼女によると、「黒人」はアメリカだけに存在する。彼らは��アフリカ系アメリカ人」とも呼ばれるが、アフリカに住むアフリカ人は、それぞれガーナ人でありナイジェリア人でありケニア人である。唯一の例外は南アフリカ共和国に住む人だが、こうした事実からしても、「黒人」が科学的な概念ではなく文化的な概念であり、人種という価値軸の中で序列化された概念であることが理解できるだろう。アメリカにおける黒人と白人は、お互いが自己を定位するために相手を必要とするという意味で、ほとんど心理学的な「共依存」の関係にある。
 アメリカの奴隷制度にはキリスト教も少なからず加担しているが、これもアメリカ史に固有のことである。聖書には、古代世界の通念として、ある人びとは自由人で、ある人びとは奴隷である、という事実が前提されている。だが、それはもっぱら戦争捕虜か債務によるもので、肌の色とは無関係である。というより、キリスト教は肌の色に関して本来まったく無関心である。聖書には、エチオピア出身の人びとも登場するし、そのなかには伝説の美女や高位の官僚もいるが、彼らの肌がどのような色であったかについては、いっさい記述がない。中東人であったイエスや弟子たちの肌の色にも何ら言及がない。
 ところが、アメリカのキリスト教は肌の色と人間の価値の間に、きわめて特異な緊張関係を構築していった。18世紀以降の奴隷解放運動を担ったのは多くのキリスト教指導者たちであったが、彼らに反対する頑固な奴隷制擁護論者もまた教会の牧師たちであった。前者が頭を悩ませ、後者がしたり顔に論じたのは、聖書が「神の前での平等」を語るものの、社会的現実としての奴隷制そのものを断罪していない、という事実である。やがて19世紀のアメリカでは、長い巻き毛で白人のイエスを強調した聖画が複製頒布され、広く流通していった。20世紀後半に始まった「解放の神学」が黒人のイエス像を前面に押し出すようになったのも、こうしたカラーコードへの反動である。
 モリスンは、いくつかの特徴的な文学作品から、そしてさらに強烈な彼女自身の体験から、他者化の際に作用する「ロマンス化」の実例を描き出している。アメリカ史によく知られたハリエット・ビーチャー・ストウの小説『アンクル・トムの小屋』(1852)もその一つである。この小説が当時の白人想定読者層にどのようなメッセージとして受け取られたのか。そこに、奴隷制度の野蛮で残酷な現実を覆い隠し、あたかも非人間的なことは何も起こっていないかのような安心感を与えるロマンス化の作用がある。
 しかし同時に、読者はこの読み直しが他ならぬモリスンの語りによって薄暗がりの中から明るみへと引き出されてきた、ということに気づかされるであろう。他者の存在は、自分が「他者の他者」であるという立場の交換により、はじめて鮮明に意識される。われわれは、自分という存在の限定性から自由になることはできない。だが、文学の虚構を通して擬似的に他者の視線をもつことができ、その他者の視線を通して自分を見つめ直すことができる。本書は、アメリカの黒人という特異点を設定することにより、それぞれの読者に自分では開くことのできない窓を開けるはたらきをしてくれる。その窓を通して、読者は自分を取り巻く現実とは違う世界に目を向けることができるようになるのである。
 モリスンは本書末尾で、「自分たちの故郷にいながら故郷にいるとは言えない人びと」についても語っている。おそらくそれは、肌の色の如何にかかわらず、アメリカ国内の各地で人びとが感じ始めていることだろう。ここにも、われわれの想像力を呼び覚ます別の声が響いている。トランプ大統領の登場は、自分の国で自分の土地に暮らしていながら、いつの間にか「よそ者」のように扱われていると感じる人びとがいかに多いかを明らかにした。グローバル化の見えざる圧力は、大都市で世界を股にかけて活躍する国際派のエリートたちよりも、小さな田舎町で穀物の値段を気にかけつつ生きるほかない人びとに重くのしかかるだろう。そのひとりひとりに、自分が本来帰属すべき場所があり、心に感じながら生きるべきディープ・ストーリーがあったはずである。
 人は誰も、自分ひとりでは幸せになれない。どこかに属し、誰かと繋がっていなければ、自分の存在意義を確認することもできないのである。もしそういう居場所が現実世界で見つけられなければ、ネットという仮想空間にそれを求めることがあっても不思議ではない。他者化の力学は、そこにも作用することだろう。人はそこで、生暖かい温もりに包まれたり、凶暴な正義感に酔い痴れたりして、日常と祝祭の間を行き来する。
 他者の眼差しは、ときに人を不安にさせ、居心地を悪くする。日本人はこれまで、自分から海外へ出かけて行かない限り、こうした視線を向けることも向けられることも少なかった。しかし今や、日本を訪れる外国からの旅行者は爆発的に増え、外国人の労働力なしには日常生活すら回らないほどになっている。毎日の買い物で釣り銭を受け取るとき、あるいは地方の鄙びた温泉にゆっくりと浸かる安らぎを破られたとき、われわれの他者認識と自己認識には、どのような他者化の作用がはたらくことだろうか。
 ターネハシ・コーツによる序文
 2016年春、トニ・モリスンは、「帰属の文学」についてハーヴァード大学で連続講演を行った。これまでになされてきた数々の非凡な仕事を思い起こせば、モリスンが人種という課題に目を向けたのも驚くにあたらない。その講演はまさに時宣を得ていた。バラク・オバマ大統領は、二期目の最後の年を迎えていた。支持率は上向きだった。「ブラック・ライヴズ・マター(黒人の命も大事)」というスローガンを掲げた活動が盛んになり、黒人への「警察暴力」が全米的な話題として社会の前面に押し出されていた。これまでの「人種問題をちょっとかすめるだけの話題」とは違って、今回は結果を伴っており、効果も出ていた。オバマ政権時に、ふたりのアフリカン・アメリカン、司法長官エリック・ホルダー(在任2009〜15)とロレッタ・リンチ(在任2015〜17)は、全米の警察署の調査を開始させた。ファーガソン、シカゴ、ボルティモアでの騒乱が報告され、これまで長い間、瑣末な出来事として処理されていた、いわば組織的人種主義が現実のものであることを明らかにした。この積極的な問題解明の姿勢は、アメリカ合衆国の最初の女性大統領になるはずだった、ヒラリー・クリントンによって継続されていくものと期待されていた。じっさいトニ・モリスンが連続講演を始めたときには、政治家としてはライト級と見なされる、つまらぬ男に比べて、ヒラリーの好感度はきわめて高かった。これらのことはすべて、さまざまな歴史的規則に果敢に挑戦している国が、今、道徳の領域において長く伸びるアーチの、正義の先端へついに近づいているという動かしがたい証拠だった。
 ところが、アーチの先端はさらに先へと伸びて行き遠ざかってしまった。
 ドナルド・トランプが勝利すると、それに対する最初の反応は、アメリカの人種主義などたいしたことではないと矮小化することだった。零細企業の人びとが立ち上がり、2016年の大統領選挙は、ニューエコノミーに見捨てられた人びとが推進する、反ウォール・ストリートのポピュリスト的反乱であると決めつけられたのだった。クリントンは、「アイデンティティ政治」にこだわりすぎたために命運がつきてしまった、と批判された。
 こういった議論は、しばしばかれら自身の破滅の種を産むことになる。ニューエコノミーに見捨てられやすい人びと──黒人やヒスパニックの労働者──がなぜトランプ陣営に入らなかったのか、その理由はまだ説明されていない。そのうえ、クリントンの「アイデンティティ政治」を批判する、まさにその人びとのなかに、「アイデンティティ政治」を利用するのにやぶさかではない者がいた。バーニー・サンダーズ上院議員は、クリントンの対立候補の筆頭だったが、あるときは自分のルーツが白人労働者階級にあると誇らしげに語り、またすぐその翌週には「アイデンティティ政治」を「乗り越えよう」と、民主党員に発破を掛けた。「アイデンティティ政治」とは、どうも等しく同じことを意味しておらず、かならずしも「生まれながらにして平等」を意味するのではないようである。
『「他者」の起源』(2017。The Origin of Others)──モリスンの新しい本は、ハーヴァード大学で行われた連続講演から生まれたが──ドナルド・トランプの台頭の背景とじかに関連しているのではない。だがモリスンの「帰属」の思考や、社会の保護下にだれが置かれ、だれが外されているのか、などを読み解くために、わたしたちは今日の状況を考慮しなければならないだろう。『「他者」の起源』は、アメリカの歴史を精査し、アメリカ史上最古の、しかももっとも影響力のある「アイデンティティ政治」について語っている──すなわち人種主義という「アイデンティティ政治」である。本書は、「よそ者(外国人)」の創出、「壁」の建設、文学理論・歴史・回想録について書かれているのだが、すべてはいかにして、いかなる理由によって、わたしたちはこれらの種々の「壁」を肌の色と結びつけてしまったのか、それを理解するためである。
 本書は、20世紀の、消しがたい白人至上主義の本質に巧みに迫った一群の研究書と軌を一にしている。モリスンが同志と見なすのは、スヴェン・ベッカート(ハーヴァード大学教授。歴史学者。『コットン帝国──グローバル・ヒストリー』(2014)でバンクロフト賞を受賞)やエドワード・バプティスト(コーネル大学教授。歴史学者。『語られない半分──奴隷制度とアメリカ資本主義の生成』(2014))などで、かれらは白人至上主義の暴力的な性質や、そこから生み出される資本主義的利益の実態を暴露した。ジェイムズ・マクファーソン(プリンストン大学名誉教授。歴史学者。『自由への叫び──南北戦争の時代』(1988)でピューリッツア賞を受賞)やエリック・フォーナー(コロンビア大学名誉教授。歴史学者。『業火の試練──エイブラハム・リンカンとアメリカ奴隷制』(2010)でピュリッツア賞・バンクロフト賞などを受賞)は、人種主義が南北戦争勃発の契機を育み、その後、いかに再建の国家的努力をむしばんだかを明らかにした。ベリル・サッター(ラトガース大学教授。歴史学者。『家族の所有地──人種・不動産・都市の黒人搾取』(2009))やアイラ・カッツネルスン(コロンビア大学教授。政治学および歴史学者。『恐怖──ニューディールとわれわれの時代の源』(2013)でバンクロフト賞を受賞)は、人種主義がニューディール政策を腐敗させたことを解明する。カリル・ギブラン・ムハマド(ハーヴァード大学教授。歴史学者。『ブラックネスの糾弾──人種・犯罪・今日のアメリカの都会の創生』(2011))やブルース・ウエスターン(コロンビア大学教授。社会学者。『アメリカの刑罰と不平等』(2006))は、人種主義がわたしたちの時代において大量投獄への道を開いたことを明らかにした。
 その中でもモリスンの仕事にもっとも近いのは、『レイスクラフト(人種狩り)』(2012)だろう。この本はバーバラ・フィールズ(コロンビア大学教授。歴史学者。『レイスクラフト(人種狩り)』(2012)の共著者)とキャレン・フィールズ(歴史研究者。『レイスクラフト(人種狩り)』(2012)の共著者)の共著で、アメリカ人は、能動的に作用する「人種主義(レイシズム)」の罪を、本来そのような作用を起こさないはずの「人種(レイス)」という言葉にすり替え、消し去ろうとしてきたという。一般にわたしたちが「人種主義」に対して「人種」と言うとき、「人種」とは自然界の特質を指し、「人種主義」はその当然の結果であると認識している。だがそれはまったく逆である。すなわち「人種主義」が「人種」という概念より先にあり、「人種」を証明しようと研究を積み重ねているのである。それにもかかわらず、アメリカ人は、いまだに論点を正確に把握していない。そのためわたしたちは、「人種差別」「人種的溝」「人種の分離」「人種的プロファイリング」「人種的多様性」といった言葉を平気で口にする──あたかもこれらの考えが、わたしたちが作り出したものではなく、別のところに根拠があるかのように。このことが及ぼす影響は些細なものとはとても言えない。「人種」が遺伝子とか神々、あるいは両者による作用の結果というなら、この問題を根本から打ち壊してこなかったとしてもしかたがない。
 モリスンの問いは、「人種」と遺伝子の接点はわずかしかない、といういささか説得力に欠ける考えから始まっている。そこからモリスンは、何の根拠もないと思われる浅はかな考えが、なぜ何百万���もの心をつかんでしまったのか、わたしたちにヒントを与えてくれる。非人間的行為を通して、自分の人間性(ヒューマニティ)を確認したいという欲求が鍵だ、とモリスンは論じている。そこでジャマイカの大農園主トマス・シスルウッド(1721〜86)の記述を取り上げる。シスルウッドは、まるで羊毛刈りを記録する気やすさで、奴隷女たちを相手にした連続レイプの記録を日記に残している。性行動の合間に、農業・雑務・客の訪問・病気などについて記している、モリスンはぞっとしながら述べている。レイプに対してこんなにも無感覚になれるとは、シスルウッドの心の中でいったいどのような心理作用が起きていたのか。「他者化」の心理作用──奴隷王と奴隷との間には、自然で、ある種の神性を帯びた線引きが存在するのだと、自分自身を納得させること。さらにモリスンは奴隷のメアリ・プリンスが女主人からひどく叩かれたことを分析して、以下のように述べている。
 奴隷が「異なる種」であることは、奴隷所有者が自分は正常だと確認するためにどうしても必要だった。人間に属する者と絶対的に「非・人間」である者とを区別せねばならぬ、という緊急の要請があまりにも強く、そのため権利を剝奪された者にではなく、かれらを創り出した者へ注意は向けられ、そこに光が当てられる。たとえ奴隷たちが大げさに語っていると仮定しても、奴隷所有者の感覚は奇怪きわまりない。まるで、「俺はけだものじゃないぞ! 俺はけだものじゃないぞ! 無力なやつらをいじめるのは、俺さまが弱くないってことを証明するためさ」と吠えているようだ。
「よそ者」に共感するのが危険なのは、それによって自分自身が「よそ者」になりうるからである。自分の「人種化」した位置を失うことは、神聖で価値ある差異を失うことを意味する。
 モリスンは、奴隷を創り出す者と創り出された奴隷とについて語っているのだが、その社会的位置に関する指摘は今日でも正しいだろう。とくに過去数年間ずっと、アメリカの警官が黒人を比較的軽い条例違反で、あるいはまったく違反していないというのに、殴ったり、テーザー銃(スタンガン)を発射したり、首を絞めたり、銃殺している映像が次々と流されてきた。そのためアフリカン・アメリカンのみならず、多くのアメリカ人が恐怖に陥っている。にもかかわらず、このような行為を正当化する言説がはびこっている。警官のダーレン・ウィルソンがマイケル・ブラウン(1996〜2014)を射殺したとき(2014)、「銃弾の雨あられの中を大きな塊が走り抜けた」ようだったと報道記者に語っている。まるでブラウンが人間とはかけ離れた大きな生き物に見えたようだが、じっさい人間以下と見なしているのだ。遺体を真夏の焼けつくアスファルトの路上に放置したことがその証拠で、人間以下の扱いが強く印象づけられた。ブラウンを怪物のように描いて殺人を正当化したウィルソンは、──司法省の報告によれば──まさにギャングと大差ないような警察官たちの職権濫用もまた許し、自分たちは非の打ち所のない人間だと主張させているのである。
 人種差別主義者の対象を非人間化する行為は、象徴の領域の話ではない──現実上の権力の領域に及んでいる。歴史学者のネル・ペインター(プリンストン大学名誉教授。歴史学者。『白人の歴史』(2010))は、「人種とは考えかたであり事実ではない」と主張している。アメリカにおける人種に関する考えかたのもとでは、肌の色が白い場合は、マイケル・ブラウンやウォルター・スコット(1965〜201��)、エリック・ガーナー(1970〜2014)のように警察暴力による死を遂げる確率の低いことは明白である。しかもこのような死は、「他者」として生きるということの意味、偉大な「帰属」の枠外にいることの意味を示す最適の例である。いわゆる「経済不安」がドナルド・トランプ陣営へ投票社を引き寄せたと言われるが、かれらは大多数の黒人から見れば、明らかにより豊かな人々であった。共和党の予備選挙で、トランプに票を入れた者の世帯収入の平均値は、アメリカの平均的黒人世帯収入の約二倍だった。現在、多くは白人の(とはいえ全員ではない)間に見られる、合成麻薬の流行への危機感は、1980年代のコカイン危機に見られた非難の嵐とは違っている。特定の白人男性の死亡率には敏感に反応する今日の関心のありかたは、この国でこれまでずっと黒人の生命を脅かしてきた、黒人の高い死亡率の原因からは目を背ける、あの冷淡さと様相を異にしている。
 人種主義は問題である(レイシズム・マターズ)。この国で他者でいることには重大な結果が伴う。──悲しいことにこれからその先も解決策は見つからず、問題でありつづけるだろう。人間社会は、素朴な利他主義のために、これまで持っていた特権を簡単にあきらめたりはしない。かくして白さを信奉する者がその信仰を捨てる社会は、これまでの特権が入手困難なぜいたく品になった社会しかない。アメリカの歴史上、そのような瞬間を何度も見てきた。長引いた南北戦争の結果、黒人もそれなりの人生をまっとうするにふさわしいと、白人は結論づけるにいたった。ソ連との冷戦は、黒人差別法であるいわゆる「ジム・クロウ法」が支配する南部を世界中の物笑いの種にし、敵側諸国に格好の宣伝工作の材料を与えてしまった。ジョージ・W・ブッシュ政権では、二度にわたる泥沼戦争(2001年のアフガニスタンおよび2003年のイラク攻撃を指す)、経済の急降下、ハリケーン・カトリーナ(2005年にアメリカ南部を襲ったアメリカ観測史上最大級の超大型ハリケーン)における連邦政府の組織的初動ミスが、アメリカ初の黒人大統領誕生の道を拓いた。このような出来事が起きるたびに、アメリカは歴史上の慣例を打ち破ったぞ、というひとかけらの希望が湧いたものだ。ところがそのたびに、希望は最終的には泡となって消えてしまう。
 わたしたちが、なぜふたたびこのような状態にいるのかを理解するために、アメリカが生んだ最高の作家・思想家であるトニ・モリスンがいることは、なんと幸運であるか。モリスンの仕事は歴史にその根があり、ひどくグロテスクな歴史的事象からも美しさを引き出してくる。その美は幻想ではない。歴史がわたしたちを支配していると考える人びとのひとりに、モリスンが数えられているのも驚くにあたらない。『「他者」の起源』は、この理解を詳細に説いている。過去の呪縛からただちに解放される道が提示されなくとも、その呪縛がどうして起きたのかを把握するための、ありがたい手引きになっている。
✲ ターネハシ・コーツは1975年ボルティモア生まれ。作家・ジャーナリスト・漫画家。アトランティック、ヴィレッジ・ヴォイス、ニューヨーカーなどに寄稿。2015年、『世界と僕のあいだに(Between the World and Me)』で全米図書賞受賞。アフリカン・アメリカンについて、また白人優先主義に関する記事でよく知られる。2015年、「天才」に与えられるマッカーサー財団の助成金を授与される。父親は、ヴェトナム帰還兵で、小さな出版社を営む。
著者 トニ・モリスン(Toni Morrison)
1931年、米国オハイオ州生まれ。コーネル大学大学院で英文学修士号取得後、ランダムハウスで編集者として活躍しながら、70年に『青い眼がほしい』で作家デビュー。77年の『ソロモンの歌』で全米批評家協会賞、アメリカ芸術院賞、87年の『ビラヴド』でピューリッツァー賞受賞。89年から2006年までプリンストン大学の教授を務め、93年にはアフリカ系アフリカ人として初めてノーベル文学賞を授与される。他の代表作に『スーラ』『ジャズ』『パラダイス』『白さと想像力』など。
解説 森本あんり(Morimoto Anri)
1956年、神奈川県生まれ。国際基督教大学(ICU)教授・学務副学長。著書に『反知性主義』『異端の時代』など多数。
訳者 荒このみ(Ara Konomi)
1946年、埼玉県生まれ。米文学者。東京外国語大学名誉教授。
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mxargent · 2 years ago
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおか��くけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗���模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛���潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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2ttf · 13 years ago
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Latin//Alphabet// ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZabcdefghijklmnopqrstuvwxyz0123456789 !"“”#$%&'‘’()*+,-./:;<=>?@[\]^_`{|}~ Latin//Accent// ¡¢£€¤¥¦§¨©ª«¬®¯°±²³´µ¶·¸¹º»¼½¾¿ÀÁÂÃÄÅÆÇÈÉÊËÌÍÎÏÐÑÒÓÔÕÖרÙÚÛÜÝÞßàáâãäåæçèéêëìíîïðñòóôõö÷øùúûüýþÿ Latin//Extension 1// ĀāĂ㥹ĆćĈĉĊċČčĎďĐđĒēĔĕĖėĘęĚěĜĝĞğĠġĢģĤĥĦħĨĩĪīĬĭĮįİıIJijĴĵĶķĸĹĺĻļĽľĿŀŁłŃńŅņŇňʼnŊŋŌōŎŏŐőŒœŔŕŖŗŘřŚśŜŝŞşŠšŢţŤťŦŧŨũŪūŬŭŮůŰűŲųŴŵŶŷŸŹźŻżŽžſfffiflffifflſtst Latin//Extension 2// ƀƁƂƃƄƅƆƇƈƉƊƋƌƍƎƏƐƑƒƓƔƕƖƗƘƙƚƛƜƝƞƟƠơƢƣƤƥƦƧƨƩƪƫƬƭƮƯưƱƲƳƴƵƶƷƸƹƺƻƼƽƾƿǀǁǂǃDŽDždžLJLjljNJNjnjǍǎǏǐǑǒǓǔǕǖǗǘǙǚǛǜǝǞǟǠǡǢǣǤǥǦǧǨǩǪǫǬǭǮǯǰDZDzdzǴǵǶǷǸǹǺǻǼǽǾǿ Symbols//Web// –—‚„†‡‰‹›•…′″‾⁄℘ℑℜ™ℵ←↑→↓↔↵⇐⇑⇒⇓⇔∀∂∃∅∇∈∉∋∏∑−∗√∝∞∠∧∨∩∪∫∴∼≅≈≠≡≤≥⊂⊃⊄⊆⊇⊕⊗⊥⋅⌈⌉⌊⌋〈〉◊♠♣♥♦ Symbols//Dingbat// ✁✂✃✄✆✇✈✉✌✍✎✏✐✑✒✓✔✕✖✗✘✙✚✛✜✝✞✟✠✡✢✣✤✥✦✧✩✪✫✬✭✮✯✰✱✲✳✴✵✶✷✸✹✺✻✼✽✾✿❀❁❂❃❄❅❆❇❈❉❊❋❍❏❐❑❒❖❘❙❚❛❜❝❞❡❢❣❤❥❦❧❨❩❪❫❬❭❮❯❰❱❲❳❴❵❶❷❸❹❺❻❼❽❾❿➀➁➂➃➄➅➆➇➈➉➊➋➌➍➎➏➐➑➒➓➔➘➙➚➛➜➝➞➟➠➡➢➣➤➥➦➧➨➩➪➫➬➭➮➯➱➲➳➴➵➶➷➸➹➺➻➼➽➾ Japanese//かな// あいうえおかがきぎくぐけげこごさざしじすずせぜそぞただちぢつづてでとどなにぬねのはばぱひびぴふぶぷへべぺほぼぽまみむめもやゆよらりるれろわゐゑをんぁぃぅぇぉっゃゅょゎゔ゛゜ゝゞアイウエオカガキギクグケゲコゴサザシジスズセゼソゾタダチヂツヅテデトドナニヌネノハバパヒビピフブプヘベペホボポマミムメモヤユヨラリルレロワヰヱヲンァィゥェォッャュョヮヴヵヶヷヸヹヺヽヾ Japanese//小学一年// 一右雨円王音下火花貝学気九休玉金空月犬見五口校左三山子四糸字耳七車手十出女小上森人水正生青夕石赤千川先早草足村大男竹中虫町天田土二日入年白八百文木本名目立力林六 Japanese//小学二年// 引羽雲園遠何科夏家歌画回会海絵外角楽活間丸岩顔汽記帰弓牛魚京強教近兄形計元言原戸古午後語工公広交光考行高黄合谷国黒今才細作算止市矢姉思紙寺自時室社弱首秋週春書少場色食心新親図数西声星晴切雪船線前組走多太体台地池知茶昼長鳥朝直通弟店点電刀��当東答頭同道読内南肉馬売買麦半番父風分聞米歩母方北毎妹万明鳴毛門夜野友用曜来里理話 Japanese//小学三年// 悪安暗医委意育員院飲運泳駅央横屋温化荷開界階寒感漢館岸起期客究急級宮球去橋業曲局銀区苦具君係軽血決研県庫湖向幸港号根祭皿仕死使始指歯詩次事持式実写者主守取酒受州拾終習集住重宿所暑助昭消商章勝乗植申身神真深進世整昔全相送想息速族他打対待代第題炭短談着注柱丁帳調追定庭笛鉄転都度投豆島湯登等動童農波配倍箱畑発反坂板皮悲美鼻筆氷表秒病品負部服福物平返勉放味命面問役薬由油有遊予羊洋葉陽様落流旅両緑礼列練路和 Japanese//小学四年// 愛案以衣位囲胃印英栄塩億加果貨課芽改械害街各覚完官管関観願希季紀喜旗器機議求泣救給挙漁共協鏡競極訓軍郡径型景芸欠結建健験固功好候航康告差菜最材昨札刷殺察参産散残士氏史司試児治辞失借種周祝順初松笑唱焼象照賞臣信成省清静席積折節説浅戦選然争倉巣束側続卒孫帯隊達単置仲貯兆腸低底停的典伝徒努灯堂働特得毒熱念敗梅博飯飛費必票標不夫付府副粉兵別辺変便包法望牧末満未脈民無約勇要養浴利陸良料量輪類令冷例歴連老労録 Japanese//小学五〜六年// 圧移因永営衛易益液演応往桜恩可仮価河過賀快解格確額刊幹慣眼基寄規技義逆久旧居許境均禁句群経潔件券険検限現減故個護効厚耕鉱構興講混査再災妻採際在財罪雑酸賛支志枝師資飼示似識質舎謝授修述術準序招承証条状常情織職制性政勢精製税責績接設舌絶銭祖素総造像増則測属率損退貸態団断築張提程適敵統銅導徳独任燃能破犯判版比肥非備俵評貧布婦富武復複仏編弁保墓報豊防貿暴��夢迷綿輸余預容略留領異遺域宇映延沿我灰拡革閣割株干巻看簡危机貴揮疑吸供胸郷勤筋系敬警劇激穴絹権憲源厳己呼誤后孝皇紅降鋼刻穀骨困砂座済裁策冊蚕至私姿視詞誌磁射捨尺若樹収宗就衆従縦縮熟純処署諸除将傷障城蒸針仁垂推寸盛聖誠宣専泉洗染善奏窓創装層操蔵臓存尊宅担探誕段暖値宙忠著庁頂潮賃痛展討党糖届難乳認納脳派拝背肺俳班晩否批秘腹奮並陛閉片補暮宝訪亡忘棒枚幕密盟模訳郵優幼欲翌乱卵覧裏律臨朗論 Japanese//中学// 亜哀挨曖扱宛嵐依威為畏尉萎偉椅彙違維慰緯壱逸芋咽姻淫陰隠韻唄鬱畝浦詠影鋭疫悦越謁閲炎怨宴援煙猿鉛縁艶汚凹押旺欧殴翁奥憶臆虞乙俺卸穏佳苛架華菓渦嫁暇禍靴寡箇稼蚊牙瓦雅餓介戒怪拐悔皆塊楷潰壊懐諧劾崖涯慨蓋該概骸垣柿核殻郭較隔獲嚇穫岳顎掛括喝渇葛滑褐轄且釜鎌刈甘汗缶肝冠陥乾勘患貫喚堪換敢棺款閑勧寛歓監緩憾還環韓艦鑑含玩頑企伎忌奇祈軌既飢鬼亀幾棋棄毀畿輝騎宜偽欺儀戯擬犠菊吉喫詰却脚虐及丘朽臼糾嗅窮巨拒拠虚距御凶叫狂享況峡挟狭恐恭脅矯響驚仰暁凝巾斤菌琴僅緊錦謹襟吟駆惧愚偶遇隅串屈掘窟繰勲薫刑茎契恵啓掲渓蛍傾携継詣慶憬稽憩鶏迎鯨隙撃桁傑肩倹兼剣拳軒圏堅嫌献遣賢謙鍵繭顕懸幻玄弦舷股虎孤弧枯雇誇鼓錮顧互呉娯悟碁勾孔巧甲江坑抗攻更拘肯侯恒洪荒郊貢控梗喉慌硬絞項溝綱酵稿衡購乞拷剛傲豪克酷獄駒込頃昆恨婚痕紺魂墾懇沙唆詐鎖挫采砕宰栽彩斎債催塞歳載剤削柵索酢搾錯咲刹拶撮擦桟惨傘斬暫旨伺刺祉肢施恣脂紫嗣雌摯賜諮侍慈餌璽軸叱疾執湿嫉漆芝赦斜煮遮邪蛇酌釈爵寂朱狩殊珠腫趣寿呪需��囚舟秀臭袖羞愁酬醜蹴襲汁充柔渋銃獣叔淑粛塾俊瞬旬巡盾准殉循潤遵庶緒如叙徐升召匠床抄肖尚昇沼宵症祥称渉紹訟掌晶焦硝粧詔奨詳彰憧衝償礁鐘丈冗浄剰畳壌嬢錠譲醸拭殖飾触嘱辱尻伸芯辛侵津唇娠振浸紳診寝慎審震薪刃尽迅甚陣尋腎須吹炊帥粋衰酔遂睡穂随髄枢崇据杉裾瀬是姓征斉牲凄逝婿誓請醒斥析脊隻惜戚跡籍拙窃摂仙占扇栓旋煎羨腺詮践箋潜遷薦繊鮮禅漸膳繕狙阻租措粗疎訴塑遡礎双壮荘捜挿桑掃曹曽爽喪痩葬僧遭槽踪燥霜騒藻憎贈即促捉俗賊遜汰妥唾堕惰駄耐怠胎泰堆袋逮替滞戴滝択沢卓拓託濯諾濁但脱奪棚誰丹旦胆淡嘆端綻鍛弾壇恥致遅痴稚緻畜逐蓄秩窒嫡抽衷酎鋳駐弔挑彫眺釣貼超跳徴嘲澄聴懲勅捗沈珍朕陳鎮椎墜塚漬坪爪鶴呈廷抵邸亭貞帝訂逓偵堤艇締諦泥摘滴溺迭哲徹撤添塡殿斗吐妬途渡塗賭奴怒到逃倒凍唐桃透悼盗陶塔搭棟痘筒稲踏謄藤闘騰洞胴瞳峠匿督篤凸突屯豚頓貪鈍曇丼那謎鍋軟尼弐匂虹尿妊忍寧捻粘悩濃把覇婆罵杯排廃輩培陪媒賠伯拍泊迫剝舶薄漠縛爆箸肌鉢髪伐抜罰閥氾帆汎伴畔般販斑搬煩頒範繁藩蛮盤妃彼披卑疲被扉碑罷避尾眉微膝肘匹泌姫漂苗描猫浜賓頻敏瓶扶怖附訃赴浮符普腐敷膚賦譜侮舞封伏幅覆払沸紛雰噴墳憤丙併柄塀幣弊蔽餅壁璧癖蔑偏遍哺捕舗募慕簿芳邦奉抱泡胞俸倣峰砲崩蜂飽褒縫乏忙坊妨房肪某冒剖紡傍帽貌膨謀頰朴睦僕墨撲没勃堀奔翻凡盆麻摩磨魔昧埋膜枕又抹慢漫魅岬蜜妙眠矛霧娘冥銘滅免麺茂妄盲耗猛網黙紋冶弥厄躍闇喩愉諭癒唯幽悠湧猶裕雄誘憂融与誉妖庸揚揺溶腰瘍踊窯擁謡抑沃翼拉裸羅雷頼絡酪辣濫藍欄吏痢履璃離慄柳竜��隆硫侶虜慮了涼猟陵僚寮療瞭糧厘倫隣瑠涙累塁励戻鈴零霊隷齢麗暦劣烈裂恋廉錬呂炉賂露弄郎浪廊楼漏籠麓賄脇惑枠湾腕 Japanese//記号//  ・ー~、。〃〄々〆〇〈〉《》「」『』【】〒〓〔〕〖〗〘〙〜〝〞〟〠〡〢〣〤〥〦〧〨〩〰〳〴〵〶 Greek & Coptic//Standard// ʹ͵ͺͻͼͽ;΄΅Ά·ΈΉΊΌΎΏΐΑΒΓΔΕΖΗΘΙΚΛΜΝΞΟΠΡΣΤΥΦΧΨΩΪΫάέήίΰαβγδεζηθικλμνξοπρςστυφχψωϊϋόύώϐϑϒϓϔϕϖϚϜϞϠϢϣϤϥϦϧϨϩϪϫϬϭϮϯϰϱϲϳϴϵ϶ϷϸϹϺϻϼϽϾϿ Cyrillic//Standard// ЀЁЂЃЄЅІЇЈЉЊЋ��ЍЎЏАБВГДЕЖЗИЙКЛМНОПРСТУФХЦЧШЩЪЫЬЭЮЯабвгдежзийклмнопрстуфхцчшщъыьэюяѐёђѓєѕіїјљњћќѝўџѢѣѤѥѦѧѨѩѪѫѬѭѰѱѲѳѴѵѶѷѸѹҌҍҐґҒғҖҗҘҙҚқҜҝҠҡҢңҤҥҪҫҬҭҮүҰұҲҳҴҵҶҷҸҹҺһҼҽҾҿӀӁӂӇӈӏӐӑӒӓӔӕӖӗӘәӚӛӜӝӞӟӠӡӢӣӤӥӦӧӨөӪӫӬӭӮӯӰӱӲӳӴӵӶӷӸӹӾӿ Thai//Standard// กขฃคฅฆงจฉชซฌญฎฏฐฑฒณดตถทธนบปผฝพฟภมยรฤลฦวศษสหฬอฮฯะัาำิีึืฺุู฿เแโใไๅๆ็่้๊๋์ํ๎๏๐๑๒๓๔๕๖๗๘๙๚๛
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nemosynth · 6 years ago
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遠近法の次は魚眼レンズ
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24 年前に書いた文。じつは、北朝鮮から帰国当初に勢いで書いた文章。いま読むとこっぱずかしいが、記録なのでここに。 ------------------------------------------- 遠近法の次は魚眼レンズ  ベルリンの壁も見た。すでにソ連ではゴルバチョフがグラスノスチを進めていたとはいえ、共産体制は崩壊せずそのままに軟着陸するかに思えた。よもや壁が崩壊するどころか、私の目の黒いうちは絶対に崩れまいと思った。ナチスという求心力を失い、豊かさの中に我を見失った西側。我を見失うまいと、強大なイデオロギーの壁の向こう側に自らを封じ込めた東側。壁をめぐらせるだけで、周囲との差異が際立って見える。壁を用いるのは、自我を保つ古典的な手段。ヒステリックに自由を叫ぶ壁の落書きは、だが壁の向こうがわで展開する狂信的な体制礼讃と、奇妙なシンメトリーを成していた。  むしろ、なじみある土地から浮遊させられ、自己を相対化されたおびただしい数の難民こそが、二十世紀の真の主役ではないか。  それは両ドイツを訪れた時に私を圧倒した膨大な心象の、小さな結晶のひとつだった。私がそれを見たのは、十代最後のまぶしい夏のことであった。  帰国した日本も、そうとう不自然に歪んでいた。  樹木が巨木に育つには、何百年とかかる。どうやら、自分が植えた樹が大きくなるのを、己の目で見たい、と思ってはいけないものらしい。それは自分の死後、成し遂げられる。同様に、私たちの世代では完了し得ないことでも、5世代後に日の目を見るのかもしれない。未来を事前に知ることがかなわぬ以上、展開も見通しもないまま、じっと耐えるのも必要なキャリアであろう。  だが、日本では誰もが性急に答に、すぐ飛びつこうとしていた。  ワールドニュースが簡単に手に入り、すぐにも世界を知ったつもりになってしまう国。受け売りは受け売りを超えることが出来ないと言うのに、やたらと評論ばかりが多い国。言葉も所詮は道具にすぎないというのに、かっこいい言葉に捕われている国。 「自分の言葉で喋れ」 と言われてみたところで、今度は自分の言葉で喋ると称して、自分になじみある言葉でばかり解釈してしまい、本質を見失う。しかも、言葉さえ知っていれば他を批判するのは簡単だというのに、人は他を批判したがるばかりか、批判の対象も玉虫色の言葉の影に隠れ、自在に趣旨を変化させて逃げ切ろうとする。  それもビジネスの一つの手段だというならよいが、それはビジネスマンの口から聞ける言葉であって、評論家の賢い口から出てきても不毛なだけ。  しかし、地球はまだまだ広い。  就職してから3年ないし4年毎に、精神的危機が訪れるという。それは、それまでの教育制度のおかげで、入学と卒業という、天から与えられる転機のサイクルに慣らされてしまっているからではないか。結局、自分の問題意識すら、自力でつかめない私たち。私たちの行動が、所詮、この国独特の教育体制によって刻印された様式美でしかないなら、個性を尊重した教育なんて存在するわけがない。せいぜい、自分で新しい様式美を構築するぐらいか。 「次の問いに答えなさい」 という質問ばかり与えられているうちに、いつのまにか我々は、宇宙のすべてに答があると思い込むようになり、性急に答に飛びつくようになった。答が不明瞭に思える時は、いらいらするようになった。こうして、全てを形に起こさないと満足しない現代人ばかりが、社会を動かすようになった。  無形の、あいまいなものを嫌がるようにしつけられ、気づかぬうちに己の思考自身が既に様式美となったのが、私たち共通一次世代。選択肢が無ければ答えすら思いつかない。形が無くては満足に思考することすら不可能。形無くして生きて行けないのなら、せめて自分を規定している形がどんなかたちをしているのか把握しておきたい。  何故なら、自分が自分である必然性は、どこにもないから。  無論、自分に生まれてしまった以上、自分を生きるしかないのも事実。だが、その真の意味を解している人間が、どれほどいることだろう。  様式美の中では視界も限られてしまう。曖昧模糊に見える大衆の中、紛れ込んでしまった自己の小ささ。でも消費に励めば、高嶺の自己実現も手に届きそう。流行という多数派閥にうずもれる安心と、複製がたくさん出回るというのに商品化された自己実現による差異化への試み。この二律背反を無批判で享受する私たち。  自己実現にはげむのは、決して悪いことではない。いや、むしろぐうたらな私より数倍も崇高な行動だ。  しかし、曖昧模糊とした大衆の中では、確固たる尺度がないから、己の分を知ることが出来ない。しかも近代科学のおかげで、答えを性急に求めたがるようしつけられ、確固たる尺度もないままでいることに神経が耐えられない。尺度がないと不安に駆り立てられ、尺度がないのを良い事に、ある者は言葉をたくさん仕入れ、検証される心配のない仮想領域ばかり語る評論家になることで、台頭しようとする。ある者は真面目に人生と期待に真っ正面から取り組み、取り組んだものの、自分の達成を測ることが出来ないが故に際限もない自己実現を迫られ、疲れ果ててしまう。  きっと相手は疲れ果てているだろうと察するからこそ、私は黙してしまう。  達成への強迫にまで肥大化してしまった自己実現至上主義。これを打破するには、どうしたらよいのか。自己実現の自己表現への転化も、一つの方法には違いない。オタクどもが、まさにそうだ。  私にあるのは、インプリンティングされた枠組みであり文脈であり、それをどこまで異化して眺めることができるかという分析力であり、自己を相対化してでもその分析をいとわない意志であり、ためらっている場合ではないという状況認識であり、自己を束縛する枠組みと付き合うことを考えることである。  さらに私には理解の種を蒔く努力と、発芽するまで待つ忍耐が加わる。そして時として全てを、めんどうだ、と言って放り投げてしまう。ついつい答を求めてしまうからいけないのだ。  だが世界には答が立派に用意されている国家が、今もなお存在する。  世界には奇跡のような版図が、今もなお、たくさん存在している。  そして私には、イデオロギーが生んだ分断国家を、もうひとつ、見る機会に恵まれた。  15万人が入るというスタジアムに案内された。  東京ドームもはだしで逃げ出すスタジアムの一角には、これまた十メートル四方以上もある巨大な故金日成主席の肖像画が掲げられていた。その真下で、やっと見分けられるくらい小さく見える一人の男性が、一生懸命に両手で旗を振っていた。彼の旗の一振りが合図となり、5万人の学生が繰り広げるマスゲームが、そのパターンが、一斉に変化する。場内には金日成の息子、金正日将軍を高らかにたたえる歌が、巨大なスピーカー群も割れんばかりの大音量となって轟き、響き渡っていた。  初日に見たマスゲームには、子供のように目がくらんだ。15万人のどよめきは、関西大震災の地鳴りと、そっくりだった。それにもまして15万人の完璧な静寂は、身震いが止まらない無気味さだった。まさしく天変地異に等しいスペクタクル。壮大な無形文化財。   だが、三日目ともなると、人間を愚弄した演出の数々に、私達は憤りのあまり言葉もなかった。ただ、軍隊のようにデジタルな割り切りのはっきりした直線的で明解な動きだけでなく、波動を多用したアナログなたおやかな曲線美も演出するあたり、共産主義も90年代に入ったということなのだろうか、などと、かろうじて理性で考えることができた。それほどまでに、マスゲームは衝撃的で異質な演出であった。寒気がするほどすばらしい完成度だったが、一人でできる踊り��、一つもなかった。  演じるの中には幼い小学生の姿もあった。1万人の小学生たちが、一糸乱れぬ国家的シュプレヒコールを展開する。  あなたがいなければ私たちもなく  あなたがいなければ古里もない  金・正・日! 金・正・日! 金・正・日! 万歳! 万歳! 万歳!  そして死せる前主席、金日成を懐かしむ一万人の小学生たちが右手���挙げて敬礼し、一斉に、無気味なほどそろったタイミングで、一斉に号泣する。その声が、ただ、霞のように、飛蚊の雲の音のように、スタジアムを満たすばかり。しかも、泣きじゃくりながらも、彼らの手足はきっちりそろって行進しているのだ。  むごたらしいまでの完成度の高さ。  虚飾を排したデザイン。しかも巨大な建築ばかり。どれもこれも刑務所のような外観をした、偉大な建築の数々。鮮烈な配色を嫌うのはまだしも、そこは全てが統制された殺風景。センスもダサい。広告は一切なく、その代わりこうこうと夜も電飾で輝く政治的プロパガンダの数々。半島は一つ。偉大なる指導者・金正日将軍、万歳! 偉大なる首領金日成主席、万歳! 栄光の朝鮮労働党、万歳! 我々は絶世の偉人、金日成主席の革命戦士だ! 我々は金日成主席の人間爆弾になろう!  金日成が死去してまだ一年たらず、その巨大な肖像画は国のあちこちで共和国人民たちを見まもる。  色あせた北朝鮮では、どんなラフな格好をしていても日本人は派手。そして人民たちは、根深いひとみしりによって、絶対に目をあわせようとは、しない。  だが、住んでみたいとは絶対に思わないにしろ、言われているほど、北朝鮮は異国でもなかった。  たとえ黙り込むにしても素朴な人々の反応。裏を読むことを全くしない、すなおな田舎の心理。恐らく最近まで、東京でもこうだったはずだ。私たちが子供のころの東京や京都。今の日本でも、外国人に対して慣れていなくて構えてしまう人々はたくさんいるだろう。意外にも両国は共通項が多い。  かつてタイでみかけたのは、はにかむ上目遣いの視線だった。水気を含んでしっとりとした空気もあいまって、それはとても東洋的なセクシーさをたたえていた。北朝鮮は少し違い、乾き切った大陸の荒野そのままに、表情も荒涼としていた。それは紛れも無く偏狭で過敏な郷土愛に満ちた、ひとみしりの視線。彼らは無口でぶっきらぼうだが、物心つく前に離ればなれになって忘れ去られたままの兄弟に出会った気になったのも事実。それは帰国子女の私が、それだけ、ひとみしりする日本人に肉迫して来たと言う、個人的に感慨深い事実でもあったのだが。  しかし偏狭で繊細な郷土愛は、時に凶暴な警戒心にも転化しうる。監視され尾行され警告まで受けるのは、何度経験しても、みぞおちが堅くしめつけられる。旅を終え帰国してきた直後、我々は自由世界に帰還できたという気のゆるみから、名古屋市内の道端にへたばってしまった。ツアー・バッジを外した時の解放感は、仕事から帰宅してネクタイをはずしスーツから私服に着替えたときの気分にもまさるというのが、自分でも笑えた。  今回は、たまたま無事に帰ってこれた。だが次回、同じことをしたら、果たして帰って来れるかは未知数。最後には帰ってこれても、彼らが我々を交流することなく観光旅行を続けさせてくれるかは、未知数。生命の危険と言うだけでなく、たとえ彼らが言うところの「帝国主義陣営」の抗議により釈放してくれたとしても、そもそも釈放されなければならない事態に陥ること自体、一観光客にとってどれほどシビアな状況か。シンガポールでは、フィリピン人のメイドが故国とは違う法律によって処刑された。北朝鮮刑法でのスパイ罪は、最低7年の強制労働と修正教化である。修正教化! 皇民化教育の再来、いや仕返しか、パロディか。あとで無事帰国できたとしても、あまりに大きな代償。今を思えば朝8時にホテルを出発し、夜10時以降にホテルに帰ると言うハード・スケジュールも、早朝から夜間に至るまで我々を管理しておきたいという意図があってのことではないか。単独行動を起こす時間を、極限まで無くしてしまいたいという狙いではないのか。郷土愛は、時に凶暴な警戒心に転化する。  それにしても彼らがお膳立てしてくれたコースは、往々にして哀しくさせた。古都、開城(ケソン)の遺跡展示がつまらなかったのは、単に展示が貧相であったというだけではない。安らかに眠るはずの遺跡をたたき起こし、今なお血気盛んな共産主義の偉大な歴史背景として演出する意図に満ちているからだ。封建支配に叛旗をひるがえす農民一揆の展示に力を注ぐあたり、どこまで思想は皮肉なものなのか。抗日英雄たちの霊廟も同様、抗日戦争は素直に受け止めるにせよ、それが個人崇拝に至るなら、興ざめである。  忘れた兄弟にめぐりあえた気分にしてくれる、偏狭で繊細な郷土愛のまなざし。だがそれは、時に相手が自分よりすぐれているか劣っているかでしか判断しない。  ただ、帰国したその時、かすかだが確固たる疎外感を感じたのも事実。何を体験したか、そのシビアさは実際に行った人間でないと分からない、というだけではない。  警告するにしても目をそらすにしても、彼らは我々が眼前にいることを、はっきり認めていた。帰国直後、名古屋の道端でへたばっていた我々を見ようともしない日本人の群れの中、我々は背景の景色の一部品でしかなかった。せいぜい、その他大勢。曖昧模糊とした大衆。  私たちは、監視され VIP 待遇まがいの特別警戒を食らうことに、あまりにも慣れてしまって、人から視線を浴びない事には自我を保てなくなってしまったのだろうか。寂しいような、しかしこれが、あるべき姿でもあるという実感なのか。  そして全体主義が海をはさんで隣接しているのも意識せず、眼前に我々が存在している実感も認めさせてくれぬまま、日本はどこへ行こうとしているのか?  尾行される緊張にみなぎった行動と、背後に広がるプロパガンダ。  出発前の私は正直言って興味本位だった。地球最後のワンダーランド。目の前に、現実に展開するスペクタクル。国家権力の壮大なパロディ。北朝鮮が半世紀も続いたのは驚異だが、大日本帝国とて四分の三世紀も続いたことを考えると、それは歴史の隙間としてあり得る数字なのかも知れない。哀しいのは、それがちょうど1世代まるごと飲み込む時間であること、その中で生まれ死する世代がいるということ、他を知らずに。  しかし大日本帝国には、大正デモクラシーというリベラルな一コマもあった。極端な管理社会は極端な自由放任同様、絶対に長続きし得ない。それは判断を放棄した社会であり、そもそも純粋な体制などあり得ない。北朝鮮は国家のパロディとしか思えなかった。  だが、それは北朝鮮を理解する入口でしかなかった。決して悪くない入口ではあったが、いつまでもそこにとどまることは、できなかった。  めくるめく圧政の中、極めてまじめに生きる素朴な人たちがいたからである。  姿勢正しい人々の、礼儀正しく、まっすぐな視線。なにごともけじめを大切にする礼節厚い人々。「一人の一生で終わる生物学的生命より、世代を越えて伝わる政治的生命に自己を捧げる」などと心底ほこらしげに語って聞かせる人々。暖衣飽食の人生よりも、歴史に名を残すことを重んじる気高い人々。曇りなき自己の純粋さを尊ぶ人々。管理することで初めて得られる安心。  恐らくは儒教精神に根ざしているであろう、それら感覚や価値観は、だが日本人にとっても少なからず馴染みあるはずであり、時に基本的なしつけだったりもする。欧米にもマスゲームはあり、軍隊式マーチングバンドが盛んであり、何よりも軍では自己犠牲が叩き込まれる。集合美、組織美は、東洋の特権ではない。そして管理は生活の保障を生む手段であり、それ自体は善し悪しではない。手段の一つに過ぎないはずの管理という言葉が日本では嫌がられるのは、非本質的な管理が多いからだ。  根底の発想はまるで異質に思えても、その上に立脚し構築し見せてくれる演出は、実に念入り。一挙手一投足にいたるまでが、彼らの高い理想と純粋な使命感に裏打ちされている。そして機械に頼らず生身の人間を大量に現場へ投入する人海戦術。この彼らの誇る究極のテクノロジーを駆使することで、むごたらしいまでに高い完成度をめざす。しかし、身の毛もよだつほどむごい向上心と全体主義が、じつは日本の高度成長期の��私奉公会社人間と比べ、いかほどの違いがあるのだろう。街中をひるがえるイデオロギッシュなプロパガンダと、日本の吊り広告の中で物質文明の享楽に溺れる決まり文句の洪水と、いかほどの違いがあるのだろう。北朝鮮と日本とは、同じものの両極にいるに過ぎない。  マスゲームに参加した学生たちが退場するとき軒並み号泣するのは、演出によるものとはいえ、あながちこの社会で育った者なら、涙腺が金日成に感じるようにできているのかもしれない。  小学生たちは罪ない声で指導者たちを賛美しながら、一生懸命に踊りを踊ってくれる。褒めてあげれば、ほんとうに嬉しそうな顔をする。完全無欠の表情をつくってくれる優等生もいれば、本心から恥ずかしそうに嬉しい顔をする正直な子もいる。この年代なら、誰だって認められたいものだ。ネタがネタだっただけで、大人が嬉しがることを素直に実践する彼らに、罪も曇りもなかった。私たち観光客に授業参観させてくれたばかりか、雨をもろともせずに濡れながら純真に手を振って観光バスを追いかけて見送ってくれた小学校の子供たちの笑顔に、なんの罪も曇りもなかった。  その笑顔がこころを刺して痛かった。思わず泣けてきた。  それは私がなし得た、数少ない共感であった。彼らと私との、ダークだがれっきとした他者理解の成功例であった。北朝鮮と日本は、同じものの両極にいるのだ。  だがそれはダークだった。何も外の世界を知らず一生をまっとうできれば幸せという意見もあったが、それは、自分の価値観と使命感とを一点の曇りもなく疑わず猛烈に働きつづけ過労死するサラリーマンの一生を幸せというのと、同じかもしれない。そもそも、人民はそこまで意識できるよう教育されているのか。純粋な気持ちで子供たちが歌うのは、大政翼賛の歌。降りしきる雨に濡れながら私たちの観光バスを追いかけてくれた子供たちの背後には、校長先生だという太った中年女性が、部下に雨傘をささげさせ、かっぷくある手ぶら姿で微笑んでいた。北朝鮮では、すべてがパロディには違いなかった。しかしそれは、私たちの日常を実感として再検討させてくれる、極めてシリアスで重いパロディでもあった。  その明快さから、とかく遠近法こそが真実に忠実な画法とされがちだが、注意深ければ、視野は自分の眼を中心とする球面上に展開していることが分かるはず。だが、球面上に広がる視野を平坦な紙の上に転写すれば、それは見なれない像を結ぶ。  象徴的なまでに、すべてが単一の消失点へ収束する遠近法の技法、一点投射法。極めて単純明快、かつ熟練すれば複雑で柔らかな像を描くこともできる。だが、どこまで卓越しつづけても、遠近法は魚眼レンズのように発想の転換を迫ることはない。この国の数々の偉大なる建築を可能にせしめた一点投射法、その中心には、つねに金さん親子が燦然と輝いていたのだろう。だが、中米の先住民は世界最大のピラミッドを石で建設したが、つい��車輪を思いつかなかった。  人が意外な忘れものをしがちな存在なら、私たちもまた。  理解は、だがそこまでだった。桁外れの人みしりの向こうは熱烈な郷土愛で満ちていて、いったん心が融けると猛烈な勢いでお国自慢が始まる。出生にコンプレックスを持った田舎者が急に自信を持ち出したような、お国自慢。程度の問題かも知れないが、さすがに、かくも自尊心高く排他的な感情の奔流に、私はついていけなかった。吐露させることが理解への遠くて近い道と分かっていても、それは一方的に行われるコミュニケーションにさらされる苦痛であり、さらに偏狭な感覚から解放されたいという欲求との戦い。  アイデンティティーの名の下に、許されてしまっている我がままなヘゲモニー。南朝鮮との違いにヒステリックなまでにこだわる北韓。そんなに声を高くしないでも、北朝鮮は充分にユニークな国。共産主義(彼らは独自性を出そうとし金日成主義と呼ぶが)国家という名の儒教国家なんて、いまどきここにしかない。だのに自他の違いを徹底的に強調した舌の根も乾かぬうちに、今度は同じ民族だ、自主統一に向けて南北は一致団結しようと言い出す矛盾。  自他の差異は、じつはささやかなものでしかなく、ただそのわずかな差異すら人間には満足に乗り越えて相互理解できないばかりか、たとえ相互理解できる状況であっても、わずかな差異がありさえすれば、それは人間にとってこだわりがいのあるある差異なのか。それは、なじみある分析の筈だったか文化相対論を突き詰めたとき、今までに出会ったどの普遍論よりも広大な海原が姿を表わしたという点で、再発見に等しかった。  相対論は小気味良い思考道具であり、普遍論は桁外れに大きい。  彼らに国を憂うことが許されているのだろうか? それを私が憂うことは、主体を重んじる人々にとって、おせっかいな内政干渉になるのか? EU のように誰もが国境を自由に横断できるようになれば、なにもいま統一を急ぐこともないのか? だが、日本人である私が、他国の行く末を口にして良いのだろうか?  派遣に留まらない働きを発揮して下さった現地人ガイドさんには、是非とも訪日いただき、きれいなところもきたないところも、ぜんぶ案内してさしあげたい。何のトラブルもなく行き来できる日が、ほんとうに早く来てほしい。  しかし、ひとみしりは危険な警戒意識をも生み出す。たびたび尾行され、一時はフィルムまで没収された前科者の我々は、果たして再入国させてもらえるのだろうか。あるいは無事帰国させてもらえるのだろうか。その答は風の中。 '95年5月
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theatrum-wl · 7 years ago
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【劇評】【レポート】どこにもない演劇のまち、西和賀:東北の湖畔の町で見た演劇の風景
第26回  銀河ホール地域演劇祭(2018/09/01-09/02) 片山 幹生
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〔西和賀町文化創造館銀河ホールの空撮。手前は錦秋湖〕
岩手県と秋田県の県境、奥羽山脈のただ中にある西和賀町は人口5000人ほどの小さな町だ。この町には客席300ほどの公営の劇場、西和賀町文化創造館  銀河ホールがある。この劇場では1993年の開館以来、毎年地域演劇祭が開催されている。第26回銀河ホール地域演劇祭は2018年9月1日(土)と2日(日)に開催され、4団体4作品が上演された。今回上演された4作品はすべて宮沢賢治の作品だった。本稿ではこの4作品の舞台評のほか、銀河ホールというユニークな地方公共劇場の活動と地域演劇祭の様子について紹介していきたい。
劇団あしぶえ『セロ弾きのゴーシュ』
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〔劇団あしぶえ『セロ弾きのゴーシュ』〕
銀河ホール地域演劇祭の最初の演目は、島根県松江市の公設民営劇場〈しいの実シ��ター〉を拠点する劇団あしぶえの『セロ弾きのゴーシュ』だった。あしぶえは2016年に創設50年を迎えた長い活動歴を持つ劇団だ。『セロ弾きのゴーシュ』はあしぶえが28年にわたって上演し続けている劇団の最重要レパートリーであり、アメリカ、カナダの演劇祭でいくつかの賞を受賞している。
『セロ弾きのゴーシュ』の筋立てはごくシンプルなものだ。しかしあしぶえの公演ではそのシンプルな物語が、ミニマルな舞台美術とストイックな演出によって、さらに研ぎ澄まされたものになっていた。徹底的に磨き抜かれた鉱物の結晶のような美しさを持つ舞台だった。張り詰めた緊張感が最初から最後まで維持され、冗長さはまったく感じられない。
自尊心を徹底的に打ち砕かれ、絶望で自暴自棄の状態に陥りそうになりながら、ぎりぎりのところでゴーシュは破滅への転落をまぬがれた。夜中にゴーシュの家にやってきた何匹かの動物の前で演奏することで、ゴーシュのセロは上達し、自尊心を回復する。次の演奏会でゴーシュはそれまで自分を罵倒していた指揮者から賞賛を受ける。彼はそれまで自分がどれほど傷ついていたことさえ気がついていなかった。演奏会が終了し、帰宅して一人になったときになってはじめて、ゴーシュは自分を絶望の淵から救い出してくれた動物たちの無償の優しさに気づく。
劇の最後で彼の口から漏れる感謝の言葉の真実に、私は強く心打たれた。
俳優の表現のあらゆるディテールにまで注意が払われていることが感じとることができた舞台だった。きびしくコントールされた俳優の演技は、ゴーシュの情念の動きを精密に、ダイナミックに描き出している。ゴーシュの絶望ともがき、いらだちが、舞台から豊かなニュアンスとともにまっすぐ観客席に伝わってくる。ゴーシュ役の俳優の演技にひきこまれ、観客の多くはゴーシュの重苦しさを共有していたに違いない。
なぜゴーシュが動物たちの出会いによって停滞から抜け出せすことができたのか、動物たちはなぜゴーシュの家にやってきたのか、そしてゴーシュが最初にやってきた猫に対して謝罪しなかったのはなぜなのか。いくつもの「なぜ?」に対する回答はあしぶえの舞台でも宙ぶらりんのまま提示されない。『セロ弾きのゴーシュ』はハッピーエンドの物語だろうか。ゴーシュに感情移入していた観客は、ゴーシュの演奏の成功にカタルシスは感じた者もいるだろう。終幕のゴーシュは確かに絶望からの解放を味わっていた。しかしその解放感は愚かで未熟な自分へのいくばくかの悔恨を伴っている。彼は喜びよりは、深い虚脱感をあのとき味わっていたのではないだろうか。そんなことを感じさせる演出だった。
物語を舞台化するにあたって、雑多な情報を持つ俳優の身体や舞台空間が、作品を過剰に説明的なものにし、そのノイズによって語りの持っていた本質的な魅力を損なってしまうことがままある。あしぶえの『セロ弾きのゴーシュ』は、これとは逆だ。俳優の存在と舞台空間の抽象性が、物語の純度をさらに高め、作品に内在する象徴性を際立たせることに成功している。ほぼ唯一の具象的美術であるチェロの存在が、この舞台ではなんと雄弁なことか。28年に渡る上演のなかでテクストと真摯に向かい合ってきたからこそ、到達することができた表現の逆説だろう。強くて美しい舞台だった。(9月1日14時開演@銀河ホール)
劇団田中直樹と仲間たち『水仙月の四日』
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〔劇団田中直樹と仲間たち『水仙月の四月』〕
地域演劇祭、二本目は西和賀在住の〈田中直樹と仲間たち〉による『水仙月の四日』を見た。この公演は田中ひとりよって語り、演じられる人形芝居だった。
田中直樹はもともとは地元の劇団ぶどう座に所属していたが、考え方の違いからぶどう座を離れ、ソロで公演を行っていると聞いた。会場は銀河ホールに隣接するUホール。Uホールの建物は円錐形のとんがり屋根と赤い壁の可愛らしい建物で一階は図書館になっている。二階のUホールは円形平面で、リハーサル室・会議室として利用されている場所とのこと。観客は床に座って見るが、今回の公演では後ろの壁際に何脚かパイプ椅子が用意されていた。
『水仙月の四日』は吹雪の一夜を雪原でやり過ごす少年の話だ。舞台が始まる前に田中から、タイトルの「水仙月」と作品冒頭で出てくる「カリメラ」という語についての説明がある。これらの語はいずれもは宮沢賢治の造語で、水仙月は2月から3月の雪深く寒い時期、「カリメラ」は「赤砂糖を一つまみ入れて、それからザラメを一つまみ入れる。水をたして、あとはくつくつくつと煮る」とテクストにあるので、おそらく「キャラメル」を指す。
『水仙月の四日』は日本有数の豪雪地帯であるこの付近の人々にとっては、とりわけその情景がはっきりと思い浮かぶ作品に違いない。田中直樹は赤いケット(毛布)をかぶった少年とその少年を見守る雪童子を15センチほどの小さな人形に演じさせた。これに対して吹雪のアレゴリーである雪狼は人間の顔と同じくらいの大きさの仮面、そして大吹雪のアレゴリーの雪婆は人間をすっぽり覆い尽くす大きさの紙製の面で表現していた。雪婆が登場する場面では照明が暗くなり、蛍光ライトで雪婆の巨大な顔が白く照らし出される。小さい子供たちは狭い舞台を走り回る雪狼と雪婆を怖がっていた。
少年と雪童子を小型の人形にしたことで、白くて厳しい大自然に翻弄される人間の様子が強調された。また白い美術のなかでの少年の着た鮮やかな赤のケットの色彩の対比も印象的だった。小品だが配慮のい��とどいた工夫の数々によって、大人の観客も子供の観客も異世界に誘う、優れた演出の公演だった。人形と紙製の大きなオブジェ、紙吹雪といった材料はこの作品の上演を考えると定番的な素材だが、そのスペクタクルが作り出す幻想は、宮沢賢治の物語を冗語的に説明するのではなく、その語りの美しさをより印象的に引き立てるものになっていた。(9月1日15時半開演@Uホール)
栗田桃子(文学座)ソロ朗読劇『銀河鉄道の夜』
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〔栗田桃子(文学座)ソロ朗読劇『銀河鉄道の夜』〕
銀河ホール地域演劇祭の二日目(9/2)の最初の演目は、文学座の栗田桃子によるソロ朗読劇『銀河鉄道の夜』だった。
会場は銀河ホール。舞台にはいくつものキャンドルが並べられ、中央に椅子が一脚置かれている。背景には静止画の映像が映し出される。栗田はときおり、椅子を立ったり、座ったり、あるいは歩き回ったりしながら、声色で人物を演じ分けて朗読する。
動きもスマートだし、朗読も達者ではあるが、その動作や声色の変化がことごとく定型的で、テクストに書いてあることをそのまま冗語的、説明的になぞっているに過ぎない。テクストの記述に反射的に反応するような中途半端な工夫は、かえってテクストの世界を矮小化し、観客が世界に入り込むことを妨げてしまう。あれなら座ったまま普通に読んだほうがまだ聞き手の想像力を刺激することができるだろう。広い間口の舞台で栗田の芝居が空回りしていた。栗田桃子という魅力的な女優を使った朗読劇がこんなありさまなのはいかにももったいない。演出家あるいは演者の作品に対する思い入れや独自の解釈などを感じとることができない退屈な朗読劇だった。「朗読劇ってこんなものだろう」という演出家の作品に対する取り組みの甘さを感じてしまう。
演出の単調さと照明の暗さで、五分もすると猛烈な眠気の波が襲いかかってくた。私の周囲の観客にも観客も落ちていた人がかなりいた。公演後のアフタートークで宮沢賢治記念館の学芸員と演出の西本由香の話があったが、このアフタトークでも西本の話ははなはだ曖昧模糊としていて、学芸員の語る興味深いエピソードとの対比で、演出家の作品への関心の薄さが露わになっていた。(9月2日14時開演@銀河ホール)
劇団ぶどう座『植物医師』@ぶどう座稽古場
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〔劇団ぶどう座『植物医師』〕
銀河ホール地域演劇祭で最後に見た演目は、この地を拠点に1950年以降活動を続けているぶどう座の『植物医師』だった。これは他の上演作品のような翻案ではなく、宮沢賢治の書いた短編戯曲の上演だ。私はこの戯曲を読んだことがなかったし、上演を見たことがなかった。ぶどう座は、近年は主宰の川村光夫が高��(現在96歳)のため実質的に引退状態で、かつてと比べると活動力が大幅に衰えているという話を聞いていたのが、この『植物医師』の公演はその衰退ぶりを感じさせない充実した内容の公演だった。
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〔ぶどう座稽古場〕
公演会場は1960年代に建てられたというぶどう座の稽古場である。まさに芝居小屋といった風情の公演会場に、芝居が始まる前から心が浮き立つ。稽古場は北上線の踏切のすぐそばに、踏切の番小屋のように建っている。舞台の間口は6メートルくらいか。舞台奥の壁はさまざまな色の大きな布で覆われている。客席は板間平面と三、四段の段状、詰めれば40人ぐらいは座れると思う。
芝居の始まる前に、劇のオープニングで歌われる宮沢賢治作詞の《花巻農学校精神歌》の練習があった。観客もこの歌を一緒に歌うようにうながされる。これは楽しい趣向だった。
『植物医師』は上演時間30分ほどの小篇だ。岩手のとある村に《植物医師》を名乗る人物が引っ越してきて、植物病院を開業する。しかしこの植物医師の専門家としての知識はどうもいい加減なもののようで、いかにもうさんくさい人物だ。開業した植物病院に村人たちが次々とやってきて、枯れてしまった稲の治療法を訪ねる。植物医師はでまかせのいい加減な対処法を村人たちに伝え、お金を取る。いんちき治療法で易々とお金を稼いだ植物医師だが、彼の処方では稲の被害は収まるどころか、ますます拡大していく。村人たちが医院に戻ってきて植物医師を詰問する。植物医師は口舌でなんとかそれらの非難を丸め込もうとするが、最後には言い返す言葉もなくなり、村人たちの怒りの言葉にうなだれてしまう。善良でお人好しの村人たちはうなだれた植物医師を見て、彼に同情しはじめる。そして先ほどまでの怒りを収め、植物医師を許すのだ。その許しの言葉は、植物医師にとっては怒りにまかせた批判の言葉よりもはるかに重く感じられた。植物医師はますます打ちひしがれてしまう。
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〔ぶどう座稽古場内部〕
村人たちが入れ替わり立ち替わり植物医師のもとを訪れ、アドバイスを求める場面では、民話によく見られる同種のやりとりの反復とそのエスカレートが、笑いの効果を作り出している。岩手弁のユーモラスな響きがさらに場面の喜劇性を高めていた。不正に対する怒りと非難よりも、不正に行った人間への大らかな優しさと許しこそが力を持つという宮沢賢治らしい倫理が結末で提示されるが、最後の場面の急転が作り出すドラマの力強さと素朴さに心打たれた。村人たちの許しのことばが発せられるたびに、かがんだ体がどんどん下がり、苦悶と戸惑いの表情が深くなっていく演出と演技は見事だった。
芝居小屋の雰囲気もこの作品の上演にいかにもふさわしいものだった。まさに岩手で岩手の人たちによって演じられることによって、この『植物医師』はいっそう味わい深い作品となっていた。この地でのぶどう座の活動の歴史が染みついた稽古場で、この作品を見られて本当によかった。
終演後には稽古場内で打ち上げがあり、私も短い時間ではあったが、出演メンバーとぶどう座の旧メンバーの方々と座を囲んだ。『植物医師』は主宰の川村光夫演出でもかつて公演をおこなったが、それは27年前のことだと言う。今回の公演の演出を担当した菊池啓二さんに「今回の上演は川村さんの演出を蹈襲したものなのですか?」と聞くと「いや、前の上演はもうだいぶ昔の話で、私も見ていないし。まあ川村風にはやりました(笑)」と仰っていた。
今回のキャストには二十歳台の青年も二名参加していた。彼らは昨年から活動を始めた銀河ホール演劇部の部員だと言う。銀河ホール演劇部は、アートコーディネイターの小堀陽平氏の主導で昨年から活動を始めたサークルだ。小堀さんは「ぶどう座の表現は、この地域の人たちの身体と言葉、感覚に根ざしたものなので、銀河ホールで演劇部を作って活動をはじめましたが、外からやってきた僕たちが作る演劇が、ぶどう座を引き継ぐものにはなり得ないように思うのです。やはりぶどう座は土地の人が継承していくものだと考えています」というようなことを言っていたが、実際に公演を見るとそれが実感できる。
地域演劇祭の締めくくりでこの公演を見、そして短い時間ながらぶどう座の人たちと交流の時間を得ることがでいたのは私にとってはとても有意義なことだった。(9月2日17時開演@ぶどう座稽古場)
地域演劇祭と西和賀町文化創造館 銀河ホールの活動
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〔銀河ホール(後側)とUホール(手前側)〕
西和賀町文化創造館 銀河ホールのことを私が知ったのは二年ほど前のことだ。この劇場が、年に一度の地域演劇祭のみならず、地域に根ざした様々な演劇活動を積極的に行っていること、この地を本拠とする60年以上の伝統を持つぶどう座という劇団があること、劇場の活動の軸となっているのが東京出身で日芸OBのまだ若い青年であることなどを知ったことで好奇心をかき立てられ、いつか訪ねてみたいと思っていた劇場だった。演劇は都市のものという固定観念があった私にとって、東北の山間にある小さな劇場で多彩な演劇活動が行われていることが驚くべきことのように思えたのだ。
銀河ホールはJR北上線ほっとゆだ駅から歩いて数分のところにある。ほっとゆだ駅は北上駅から50分ほど。東京駅から北上駅までは東北新幹線で2時間半から3時間かかるので、東京からだと4時間ぐらいで銀河ホールに行くことができる。地図からの印象より案外近く感じられる。
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〔北上線ほっとゆだ駅。駅舎に公衆温泉が附属している〕
西和賀町文化創造館は、銀河ホールのある本館とUホールの別館からなっている。約三百席の銀河ホールの客席はゆったりとしていて、舞台までの距離も遠くない。暖かみのある落ち着いた木製の内装で、芝居を楽しむには理想的な空間だ。劇場の背景に広がるダム湖、錦秋湖の風景が美しい。錦秋湖の湖畔には、野外ステージもあった。
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〔銀河ホールの裏手にある野外湖畔ステージ。後ろは錦秋湖〕
人口5000人程度の自治体でこんな立派な公共劇場を持っているところはそんなにないのではないだろうか。西和賀町で演劇が特権的な文化活動になっているのは、この町で60年以上活動を続ける劇団ぶどう座の存在に負うところが大きい。ぶどう座は川村光夫という優れた演劇人のもと、地域演劇の担い手として充実した活動を行い、戦後日本演劇史に重要な足跡を残した。このぶどう座の活動実績があったからこそ、銀河ホールという公共劇場の建設が可能になったのだ。
西和賀町文化創造館(当時はゆだ文化創造館)は1993年に開催された〈第8回国民文化祭いわて’93 〉の会場として建設された。この国民文化祭を兼ねたかたちで〈第1回銀河ホール地域演劇祭〉が行われ、以後、地域文化祭は毎年秋に開催されている。当時、湯田町(2005年に沢内村と合併して西和賀町となる)の役場の職員で、この劇場運営の中核だった新田満氏に話をうかがったのだが、開館から2000年代半ばまでの銀河ホールの活動は目覚ましいものがある。毎年の地域演劇祭の開催のほか、町民を対象とした演劇学校、小中学校での音楽劇制作、行政的区画を超えた高齢者による演劇公演、そしてロシアとアメリカの演劇人を招聘し三週間にわたって行われた大規模な国際的演劇交流事業など、地方の小さな町の公共劇場としては驚異的な活動を展開していく。
しかしこの初期の黄金時代は、こうした活動に熱意をもって取り組んできたキーパーソンの退職とともに終焉を迎える。地域劇団として銀河ホールの活動に大きな影響を持っていたと思われるぶどう座も、主宰の川村光夫の高齢化とともに、活動力が低下していった。おそらく湯田町が沢内村との合併で西和賀町となり、役所内の組織にも大きな改編があった2005年以降、銀河ホールの活動は停滞期に入ったように思われる。
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〔銀河ホール内部〕
西和賀が演劇のまちとして再活性化しはじめるのは2011年以降のことだ。きっかけは2012年以降現在まで継続的に行われている《ギンガク》という学生演劇合宿事業だ。この事業の立ち上げで中心的な役割を果たしたのが、当時、日芸の大学院生だった小堀陽平さんだ。今回の滞在では小堀さんからも彼と西和賀町との関わり、銀河ホールの活動について話を聞いた。
彼は2014年以降、地域おこし協力隊の一員として西和賀町に移住し、《ギンガク》の活動のみならず、銀河ホールを核としたさまざまな演劇事業を企画・遂行していく。地域おこし協力隊の3年の任期が終了した2017年度以降、西和賀町は「銀河ホール アートコーディネーター」という職を小堀さんに用意し、彼は西和賀の嘱託職員として採用された。町の彼に対する信頼と期待の大きさがうかがわれる。
アートコーディネイターとして彼が担当する業務は文化事業全般に関わるものだが、演劇に関わる事業としては、地域演劇祭のほか、学生演劇の合宿《ギンガク》、小中学校での公演・ワークショップ、高校演劇アワード、地域中学への演劇指導、銀河ホール「演劇部」の活動、そして貸し館業務など多岐にわたっている。今後やりたい事業としては、シニア演劇、温泉・観光と組み合わせたイベント、アーティスト・イン・レジデンスなどを挙げていた。
ほっとゆだ駅から銀河ホールにかけての道に「どこにもない演劇のまちをつくろう」と書かれたのぼりが立ち並んでいるが、町外からこの町にやってきた地域おこし協力隊の青年たちがもたらす刺激によって、西和賀は演劇のまちとして新たな一歩を踏み出そうとしている。
第26回銀河ホール地域演劇祭
2018年9月1日(土)- 9月2日(日)
会場:西和賀町文化創造館(銀河ホール・Uホール)/劇団ぶどう座稽古場
主催:銀河ホール地域演劇祭実行委員会
後援:西和賀町観光協会・西和賀町芸術文化協会・西和賀町教育委員会
総合舞台監督:内山勉
テクニカルスタッフ:アクト��ディヴァイス
宣伝美術:髙野由茉 小堀陽平
特別協力(記録撮影):森山紗莉
劇団あしぶえ/島根『セロ弾きのゴーシュ』
9月1日(土) 14:00~@銀河ホール
出演:松浦 優海、門脇 礼子、上田 郁子、有田 美由樹、伊達 生、有田 美由樹、門脇 礼子、原田 雅史、上田 郁子、川村 真美、牛尾 光希、岩田 和大
演出:園山 土筆
舞台/照明:稲田 道則、岡本 敦、門脇 礼子、長見 好高、原田 雅史
音響:福井 健吾 前村 晴奈
小道具:上田 郁子
衣装:有田 美由樹 川村 真美
制作:前村 晴奈
劇団田中直樹と仲間たち/西和賀『水仙月の四日』
9月1日(土) 15:30~  総入替え2回上演@Uホール
出演:田中 直樹、田中 宏樹
演出/美術:田中 直樹
照明:小堀 陽平(銀河ホール)
雪布操作:田中 真理子
協力:湯田ドライブイン
栗田桃子(文学座)ソロ朗読劇/東京『銀河鉄道の夜』
9月2日(日)14:00〜@銀河ホール
出演:栗田 桃子(文学座)
演出:西本 由香(文学座)
照明:賀澤 礼子(文学座)
映像・音響:西本 由香(文学座)
美術:米澤 純(Jun's Light Candles)
劇団ぶどう座/西和賀『植物医師』
出演:真嶋 実、池田 慣作、菊池 啓二、高橋 節子、高橋 守、三浦 勇太
演出:菊池 啓二
舞台美術:内山 勉、新井 真紀
音響/照明:真嶋 陽
小道具:髙野 由茉
●片山 幹生(かたやま・みきお)1967年生まれ。兵庫県神戸市出身、東京都練馬区在住。WLスタッフ。フランス語教員、中世フランス文学、フランス演劇研究者。古典戯曲を読む会@東京の世話人。
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kachoushi · 4 years ago
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各地句会報
花鳥誌 令和3年3月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和2年12月2日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
ストーブの炎恋せし居候 世詩明 マスクせし老人重く愚痴こぼす ただし 冬の夜の赤き造花のうす埃 同 秋薔薇刺びつしりと人住まず 清女
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年12月3日 うづら三日の月 坊城俊樹選 特選句
花丸に思ひめぐらす古暦 由季子 心身はやじろべごとき師走なり さとみ 大掃除埃はたいて懐かしむ 同 年忘れ良きも悪しきも生ありて 同 炉辺明り老いたる顔のぬつと出し 都 荒地野に武者の声聞く虎落笛 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年12月5日 零の会 坊城俊樹選 特選句
矢切とはさみしいところ大根汁 いづみ 美男とは寒き黒衣の修行僧 光子 風天がちやんちやんこ着て小買物 荘吉 読経にかぶさり冬の歌謡曲 順子 冬の雨粒寅次郎も見ただらう 和子 背から寅さんらしき嚏して 眞理子 錆走る雨傘で土手冬ざるる 和子 亀戸大根恥ぢらひもなく束ねられ 要 水仙の岸へ帰らぬ渡し守 光子 柴又の風呂吹き啜りたれば情 順子 冬の雨絡む電線にもからむ 和子 おいちやんもおばちやんも子もちやんちやんこ 荘吉
岡田順子選 特選句
女将炊く煙高きへ極月へ 三郎 仕舞屋の煤のカーテン日短 光子 一斗缶ちりとりにして冬の朝 小鳥 葉牡丹の芯をあふるゝほどの雨 同 冬ざるる帝釈天を母の歩と 季凛 ポスターの笑顔褪せゆく熱き燗 慶月 冬ざれを架空の男徘徊す 荘吉 実万両今日は誰かの野辺送り 三郎 着ぶくれてちくととらやに入らんとす 俊樹 黒き背を向け水禽のめざす沖 光子 葛飾は都のはづれ片時雨 梓渕 葉牡丹を植ゑしばかりや川甚は 千種 矢切とはさみしいところ大根汁 いづみ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年12月8日 萩花鳥句会
門川は鴨の楽園水面幾重 祐子 冬に入るイルミネーション古駅舎 三恵子 災・厄・禍GOTO空へ煤払ふ 健雄 短日や妻の伝言簡潔に 吉之 そこここを置きざりにして年の暮 陽子 会ひたくて会へない母にセーターを ゆかり 疫病の終り願ひて冬籠 明子 川岸に朽ち果てし舟冬ざるる 克弘
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令和2年12月10日 さゞれ会
饒舌も寡黙も往き来街師走 かづを 苑師走これより黙の日々となり 同 星の綺羅咲きゐる苑の枯木立 同 鴨浮寝水面に映る雲に乗り 同 湯豆腐の土鍋どかりと卓の上 匠 極月や九十男の空威張り 同 大いなる夢を抱いて山眠る 啓子 里山に月の兎の散歩道 同 するすると蛇穴に入るだけのこと 雪 乳母車にも木の葉降る日向かな 和子 お精舎の投網のごとし枯木立 千代子 枯木立省くものなし影さへも 希 尼寺の無住となりて干大根 天空
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令和2年12月10日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
冬の橋琵琶湖疎水の流れたる 令子 けんちん汁味見して子の話聞く 裕子 蔦紅葉朽ちゆく空き家包みたる 紀子 水屋には使はぬ火鉢師も老いて 令子 映し絵の母は丸髷花八手 同 九頭竜川流れのなかを浮寝鳥 同 七十路の母の背伸びや煤払 登美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年12月11日 芦原花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
湖面打つ伝統漁や寒日和 けんじ しみわたる風ぞ子の刻冴ゆる時 依子 一本のちびたクレヨン冬紅葉 孝子 しぐるるや若き我ゐる夢の中 よみ子 吾ひとり広き炬燵に小半日 孝子 天袋の奥の奥より古日記 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年12月11日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
湯屋跡に残る煙突冬銀河 悦子 時雨虹浜の芥火小さく爆ぜ 都 結界に尼僧も御座す十夜寺 益恵 冬の浜貝殻拾ふ杖二人 幸子 汚れたる白に鎧ふよ冬の薔薇 美智子 身を埋む小春日ふいに素気なく 都 湯治して大根買ひにゆく湯宿 すみ子 故山とは白たんぽぽの返り咲く 和子 冬木剪る空師チェンソー響かせて 宇太郎 蒼天を冬の皇帝ダリア仰ぐ 和子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年12月12日 札幌花鳥会 坊城俊樹選 特選句
一門の其角が好きで芭蕉の忌 美江 百窓に灯す百灯クリスマス 同 大枯木星は鎖を連ねたる 同 枯芒風の素顔でありにけり 同 柚子風呂をわかしてをりし一人の夜 寛子 冬帝に射すくめられて電撃婚 晶子 鈴の音を待ちし聖夜の子供部屋 のりこ 熱燗を黙つて注ぎて情けあり 岬月 採血の血管叩く寒さかな 同 海女ていふ矜持は捨てず虎落笛 同
(順不同特選句のみ��載) ………………………………………………………………
令和2年12月14日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
田の中の蟬丸塚に初しぐれ 世詩明 炬燵守昔むかしを読み継げり みす枝 著ぶくれて母そつくりの歩き振り みす枝 白亳に触れず僧らの煤払ひ 世詩明 門灯を四時に点せば雪催 上嶋昭子 シャッター街迷つて着きぬ納め句座 清女 着膨れて水たつぷりと米を研ぐ 世詩明 命舞ふ畑の花の冬の蝶 錦子 薪ストーブ炎の踊り見て飽かず みす枝 数へ日となりて暦のひらひらと 錦子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年12月14日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
帰港待つ笑顔を包む冬日向 史空 冬日向縁側恋し亡母恋し エイ子 蒲団さへ重く感ずる齢かな 怜 病みし夫重さを託つ綿蒲団 あき子 大冬日石仏長き影法師 三無 マシュマロを頰張る婆に冬日さす 貴薫 石垣に手を置き冬日濃きことを ます江 定位置に母の座布団冬日向 エイ子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年12月16日 福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
幾何学の模様の如き毛糸編む 世詩明 句会終へ微笑み交し年惜む 千代子 早朝の靴音高し街師走 泰俊 街角の交番先の年の市 同 美しきものとし食ぶる蟹であり 昭子 おばあちやん正月ふくゐ帰れぬかも 令子 襁褓洗ひし川は暗渠に寒の水 清女 熱燗に酔ひ人情にほだされる よしのり 度忘れの多くなりたる師走かな 同 穴まどひてふ人の世に惑ふもの 雪 山神の降らす落葉を畏みぬ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年12月17日 伊藤柏翠俳句記念館 坊城俊樹選 特選句
散りきつて影美しき冬木立 かづを 声嗄らし師走の街に商へり 同 虎落笛築城の悲話碑に 同 木の鳥居石の鳥居も神の留守 雪 音無きは天の忍び音初時雨 同 冬帽子水子地蔵に冠せけり 富子 下校児のランドセルにも雪積る 同 冬の空どこへ消えしか流れ星 輝子 部子姫に掛くる白無垢雪帽子 やす香 雪女女人高野を憚らず 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年12月17日 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
端唄の碑ほろと時雨の色となり 志津子 霜の夜の確かに母に呼ばれたる 美穂 ほろほろと酔ひとろとろと炉火を焚く 孝子 顔中を榾火に染めて無口なり さえこ 鮟鱇や涎どうにかならぬのか 同 山眠る夢は何色問うてみむ 同 山眠るハーケンの音遠くして 睦子 蝋涙のひとすぢ十二月八日 豊子 胸に抱く埋火ひとつ母忌日 同 山眠る火を噴く山を置きざりに 同 晩学の火照り静めて山眠る 朝子 悲しみを大きく吐けば息白し ひとみ 山眠る湖も墨絵を纏ひけり 志津子 小屋閉ぢて眠れる山と別れ来し 光子 山眠る誰もいつかは覚めぬまま ひとみ 夫知らぬ妻に埋火ありしこと 喜和
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年12月20日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
道化師のやうに着脹れ影法師 久子 枯尾花ばかりの残る渡し跡 秋尚 北風に耳削がれゆく狛ぎつね 慶月 すがれ蘆水に流るる風のこゑ 幸風 数へ日の朽舟謎を積みしまま 久 枯蘆の大音声を聞く湾処 千種 水底は蒼穹の色冬の川 亜栄子 鷺立てり枯野に光る針となり 千種 挙り立つ冬芽の空の穢れなき 斉 流木をたつぷりからめ名の木枯る 眞理子 堰超ゆる時の白さや冬大河 三無
栗林圭魚選 特選句
枯尾花ばかりの残る渡し跡 秋尚 手押し井戸よりほたほたと冬の水 眞理子 枯蘆の吹かれて淡き県境 千種 鷺立てり枯野に光る針となり 同 挙り立つ冬芽の空の穢れなき 斉 冬日ため花苗小さく商へり 幸子 空つ風に向き少年のトランペット 政江 枯芒枯れの極みの日の色に 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年12月21日 鯖江花鳥俳句會 坊城俊樹選 特選句
よく笑ひよく叱られし箱火鉢 雪 手捻りのぐい呑みで待つ鮟鱇鍋 上嶋昭子 雑踏をたのしみたくて年の市 同 犬に吠えられ引返す年の暮 同 煤逃げを詫びて包丁研ぐ日暮 一涓 貰ひ来て手を焼く猫よ漱石忌 同 千本の干大根とは美しき 洋子 満々と力を貯めて山眠る 同 生涯の��傷癒す柚子湯かな たゞし 聞き捨てることも情愛おでん鍋 中山昭子 看護婦や白なる色の毛糸編む 世詩明 寡婦にして片手袋の忘れもの 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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groyanderson · 4 years ago
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ひとみに映る影シーズン2 第四話「ザトウムシはどこへ行く」
 ☆プロトタイプ版☆ こちらは無料公開のプロトタイプ版となります。 最低限の確認作業しかしていないため、  誤字脱字誤植誤用等々あしからずご了承下さい。 尚、正式書籍版はシーズン2終了時にリリース予定です。 (シーズン2あらすじ) 私はファッションモデルの紅一美。 旅番組ロケで訪れた島は怪物だらけ!? 霊能者達の除霊コンペとバッティングしちゃった! 実は私も霊感あるけど、知られたくないなあ…… なんて言っている場合じゃない。 諸悪の根源は恩師の仇、金剛有明団だったんだ! 憤怒の化身ワヤン不動が、今度はリゾートで炸裂する!! pixiv版 (※内容は一緒です。) ☆キャラソン企画第四弾 牛久舎登「かっぱさん体操」はこちら!☆
དང་པོ་  洗面所で顔を洗い、宴会場に戻る。時計は丁度六時をまわった所だ。ふと、窓の外から懐かしい歌が聞こえてきた。 『かっぱさん体操第一ィィィ!』『プッペケプッぺップー』 「うー。何だよぉこんな朝っぱらからぁー!」 「ふわあぁ~」 「ああ、かっぱさん体操の時間……」  朝っぱらから近所迷惑な体操音楽によって、佳奈さん、万狸ちゃん、玲蘭ちゃんが同時に布団から出てきた。玲蘭ちゃんと私はカーテンを開け、大音量で音楽を流しながら体操する河童の家教団を眺める。 「牛久の河童はかっぱっぱーのパァー」 「お皿を磨いてツーヤツヤーのツャー」 「「みんなで腹からワッハッハーのハァー、笑顔に勝るー力なし」」 「は? 二人なんで歌えるの?」  歌詞を暗記している私達を、佳奈さんが訝しんだ。 「佳奈さんの地元にはいませんでしたか? 河童信者」 「ぜぇんぜん」 「北関東から東北あるあるなんじゃない? 私も会津にいた時はほぼ毎朝だったのに、沖縄(うちなー)では一度も聞いた事なかった」  影電話で万狸ちゃんにも聞いてみる。 <木更津はどう?> 「一度だけ布教に来た事はあったね……あの体操で大狸様を怒らせちゃって、追い出されてた」 <あはははは>  河童の家、案外ローカルネタなのかな。 「じゃあ、どの学年にも一人はいる子河童も知らないですか? 佳奈さん地元は京都でしたっけ」 「ううん、両親両方京都だけど東京生まれ東京育ち……そもそも子河童って何?」 「そこからですか」  茨城県に本拠地を置く新興宗教、河童の家。元お笑い芸人の牛久舎登が発足し、『笑顔に勝る力なし』を教義とする。そのため宗教活動では一発芸や話術を磨く修行をし、信者は男も女も子供も、皆河童のように頭頂部を剃り上げる。この教団が近所にあると毎朝『かっぱさん体操』という体操曲が爆音でかかり、また近隣の学校には通称『子河童』と呼ばれるお調子者な学生が何人か生息する。そして彼らは将来、教団が運営する芸能事務所『かわながれ興業』に所属するんだ。でも人を笑わせる、そして人から笑われる事も最上の幸福であるという教えを拡大解釈した信者が、パワハラやいじめ、体罰を起こして時折問題になっている。 「私が知っている河童の家についての情報は、こんなところですかね」 「へぇ……やけに芸能界に影響力がある宗教だと思ってたけど、そんなだったんだね」 「ああ、東北も多いけど、大阪には芸人養成学校があるから日本一信者が多いんだって」  玲蘭ちゃんがスマホで調べてくれた。  その時、トントン、と襖がノックされる。 「おはよぉございます……。お嬢さん方。河童さんが体操終えて食堂混む前に、朝食行きませんか?」  タナカDだ。 「そうしよっか」  カメラが回るだろうから、私達は各々最低限顔を描く。眉毛面倒だから影で作っちゃった。後で朝風呂に入ってからちゃんと直そう。 གཉིས་པ་  食堂に行くと、奥の席で既にタナカDが朝食を一品ずつ物撮(ぶつど)りしていた。テーブルには全員分のネームプレートと朝食が配膳されている。 「ぅあ~~~~~~~~……」  席につくなり、佳奈さんからアイドルが一番出しちゃいけないような声が漏れた。 「どうしたんですか佳奈さん、まるで深夜バスにでも乗ってたみたいな顔して」 「似たようなもんだよ……ずっとすごい雷鳴ってたじゃん。しかもなんか救急車の音とかしなかった? それで朝はかっぱさん体操。ほぼ一睡もできなかった」 「救急車、ですか」 「はぁ……一美ちゃんは本当にどこでも眠れるよね……昨晩大雨だった事も知らなかったでしょ」 「うーん……」  本当の事を言うと、眠るどころじゃなかったんだけど。それを説明する事もできないからもどかしい。 「雷雨ぐらい気付いてました。私も全然休んだ気がしないです」 「でも寝てただけいいじゃん」 「嫌な夢を見てたんですよ。私は地元のお寺の尼僧になってて、お御堂のバルコニーが浸水して和尚様が馬頭観音になってすっごい怒ってる夢」  この内容は嘘ではない。そういう夢を見た���は事実だ。 「ば、罵倒観音? なにそれカオス……それはうなされるわ」 「おう何だ何だ、お二人共だらしないですなぁ!」  タナカDが物撮りを終えて席につく。彼は朝から声が大きい。 「まあ冷めないうちに食べようじゃありませんか。『じゅんなぎ』もありますよ」 「へえ、じゅんなぎですか」  手元のネームプレートを裏返すと、朝食メニューが書かれ��いた。 『朝食 おこんだて イシガキダイのちらし寿司 小松菜とかぼちゃのお味噌汁 わかめの辛子味噌和え じゅんなぎ』  おお、朝からなかなか豪華だ。ちらし寿司は大きな鯛のお刺身がどっさり乗っていて海鮮丼のよう。お味噌汁のかぼちゃもほうとうを彷彿とさせる大きなスライスで食べ応えがある。わかめは勿論新鮮な生わかめ。そして、千里が島で一度は食べてみたかったじゅんなぎ! 「皆さん、これはですね。『蓴菜(じゅんさい)で鰻繋ぐ』、つまり『ヌルヌルした野菜でヌルヌルした鰻を捕まえるような行いは無謀である』という諺が由来の、千里が島の郷土料理なんです。蓴菜と冷製の鰻を湯葉で巻いてあるから、『不可能を可能にした縁起物』、すなわち霊力が上がるパワーフードなんですよ!」 「おぉいおいおい、紅さん。台本もないのに詳しいですなあ! ま、僕はじゅんなぎが無くても今日は無敵ですがねぇ……フフン」 「どうしてですか?」 「いやね? お二人が眠れない夜を過ごしていた間に恐縮ですけど。昨夜、狸おじさんのおかげですごぉく縁起の良さそうな夢を見ましてですねぇ!」 「へ?」  何の事ですか? と言いたげな表情で、隣のテーブルの斉一さんがこちらを見る。 「夢に人語を話す化け狸が出てきて、僕にお酌してくれるんですよぉ。なんかご利益ありそうでしょぉ。しかもただの化け狸じゃない、ドレッドヘアのちょいワル狸ですよ!」 「ぶっ!! げほ、げほ!」  斉一さんが辛子味噌和えをむせた。ていうか、その狸、完全に斉二さんの事じゃないか。 「い、いや、わざとじゃないんだよ!? なーんか俺もタナカさんと晩酌する夢を見た気がしてたんだけど、本当わざとじゃないのマジで!!」  当の本人は必死に否定している。要するに寝ぼけてタナカDに取り憑いたまま寝ていたという事らしい。どうりで今朝あんな事があったのに、斉一さんしか迎えに来なかったわけだ……! 「狸おじさん、風水的にはどうなんですか? ラスタな狸って縁起いいんですかね??」 「ん゙っ、ん゙んっ……き、聞いた事ないですね……あれかな! 昨晩私が張った結界が効いている証拠とか! はい、ぽ、ぽんぽこぽーん……ふっくくく……ぽっ、ぽこ……」  斉一さん、完全にツボに入ってしまったようだ。佳奈さんも釣られて肩を揺らしだした。 「ちょっふっふっふ……タナカDが能天気すぎるだけだよそれ! てか狸おじさん困ってるし……なにラスタな狸って!?」 「部屋にラスタな狸がいたら報告した方がいいですか?」 「あっはっはっはっは!!」  何故か玲蘭ちゃんまで佳奈さんに調子を合わせる。じゃあ私も。 「玲蘭ちゃん、ラスタな狸はタナカさんに譲るんで、可愛い女の子狸は私が貰っていい?」 「それなら昨夜ずっと一美の隣で寝てたよ」 「きゃー! アハハハ」  皆で和気あいあいと食事していたら、いつの間にかじゅんなぎを無意識に食べてしまっていた。けどなんか、別にもういいかな……という気分だった。 གསུམ་པ་  食後。手短に朝風呂に入り、軽く荷物をまとめてホテルを発つ。今日はまず主要な観光スポットを幾つか巡って、図書館で資料を見ながら埋蔵金の場所を推理する段取りだ。ロビーを出ると、青木さんが待ってくれていた。 「おはようございます。昨晩は凄い雨けど、ご快眠を?」 「全然だよー。そこの三角眉毛は別だけど」 「おう誰がデブで三角眉毛だとぉ? この極悪ロリータ」 「佳奈さんデブとは言ってないじゃないですか。いいから行きますよ、お二人共。青木さん困ってるでしょ」  手元で地図を見ながら、一行はまず徳川徳松こと御戌神(おいぬのかみ)が祀られる、御戌神社へ。ホテルから海沿いのなだらかな丘を五分ほど登ると、右手に見えたのは『石見沼(いしみぬま)』だ。青木さんが解説をしてくれる。 「中央に大きな岩をご覧で? あれに水切りで石当てるのに成功すると、嫌いな相手が怪我を」 「初っ端から物騒な観光スポットですね!?」  驚く私の背後で、カメラを抱えたタナカDがガハガハと笑った。 「これぐらいで驚いてちゃあ後が持ちませんよぉ紅さん! なにせ千里が島は縁切りのテーマパークですからなぁ。この後はもっともっと物騒な所をお見舞いしていきますよぉ」 「タナカさん、あなた本当にこの島を応援したいんですか? それとも視聴者をドン引きさせたいんですか?」 「ナハハハ、だぶか放送後は調布飛行場に行列が出来ているかもしれませんよ? 『あの紅一美がチビった恐怖の心霊島』と……」 「青木さん、石! 丸い石ください、水切りしやすそうなやつ!!」 「あややや、喧嘩はやめて下さいだぁあ!」  と、こんな所で尺を取っても始末に負えないから、小競り合いを演じたらさっさと移動する事に。暫く進み、御戌神社の鳥居が見えてきた。 「ウゲ……」  それを見た途端、私は絶句。それは鳥居と呼ぶには余りにも不気味な色に見えた。まるで糖尿病で壊疽を起こした脚みたいな……いや、この異常には心当たりがある。 「佳奈さん、この鳥居なんか変じゃないですか?」 「え、普通じゃない?」  思った通り、佳奈さんは平然としている。これは倶利伽羅龍王を討伐した時、地元の神様から聞いた現象だ。倶利伽羅を生み出した邪教、金剛有明団にまつわる物は、信仰心に準じて見た目が変わって見えるらしい。例えば倶利伽羅も金剛信者には美術品のように美しい龍に見え、金剛に恨みがある私には汚物にしか見えない。今回もそれと同じ……つまりこの神社は散減同様、金剛にまつわる領域なんだろう。我慢して入るしかなさそうだ。བཞི་པ་ まずは普通の神社と同様、手を清める。案の定手洗い場も気持ち悪く見えて、正直とてもじゃないけどここの水に触れたくない。ていうか臭い。牛乳を拭いた雑巾みたいな臭いがする。とりあえず口はつけず指先をちょっとだけすすいだけど、後で境外で肌荒れするまで手を洗いたい!  詳しく境内を見る前に、賽銭箱に小銭を入れて手を合わせる。金剛とこれ以上因縁が続いては困るから、小銭がない振りをして五円玉をタナカDからタカった。神様に手を合わせている間は金剛への嫌悪感を読み取られないように、無我を貫いた。  参拝が終わったら、境内を進み御戌神が眠る『御戌塚(おいぬづか)』へ。境内はそこそこ広い割に、随分と殺風景だ。まず社務所がない。青木さんいわく、神社境内に職員が常駐すると現世との縁が切れてしまうからだそうだ。そして狛犬もいない。御戌様が御神体だからだという。  奥へ進んでいる途中、私はふと左手に一際強烈な禍々しさを感じた。見ると竹やぶに覆い隠されるように、傘立てみたいな簡素な祠が建っていた。厳重にしめ縄が巻かれ、星型の中央に一本線を引いたような記号の霊符が貼ってある。 「青木さん、あれは何ですか?」 「大散減(おおちるべり)というオバケを封じた祠ですだ。あまり直視したら良くないかも……ああっタナカさん、撮影など!」 「ダメかい? そんなに恐ろしいオバケなの、そのオオチルベリってやつは」 「モチのロンだから! 体が五十尺もある、八本足にそれぞれ顔がついてて、そのうち本物の顔を見つけて潰さないと死なない怪物で! しかも人間の肋骨食べて、一本足のミニ散減を生み出すとか。だからともかく、大散減は撮っちゃダメですだぁ!」 「一尺って何メートルでしたっけ、なんだか想像つかないですなぁ~」  タナカDは渋々とカメラを逸らした。人間の肋骨から新たな散減を生み出す……昨晩、おばさまの肋骨から散減が生まれた瞬間を私は見た。それに、倶利伽羅龍王も……。  そして私達は御戌塚に到着。平将門公の首塚みたいなお墓っぽい形状の石碑を予想していたら、実際は犬の石像だった。徳松さんご本人は不在のようだ。恐らく既に成仏されたか、どこか別の場所にいるんだろう。 「あれ? 一美ちゃん、これ犬じゃなくない? タテガミがあるよ」 「これはどちらかと言えば狛犬ですね。狛犬は獅子に似ているんです」 「あ。確かに、普通の神社の狛犬も、タテガミ生えてたかも! そういえば、徳川徳松は狛犬の魂を持ってたんだよね。じゃあお犬様の犬種って狛犬なのかな?」 「あはは、そうかもだ。それと、志多田さん。御戌様はわんこの『犬』でなくて、十二支の『戌』という字を」 「へー、どうして?」  青木さんによると、戌という漢字は滅ぶという字が元になっているそうだ。植物が枯れて新たな命に変わる様子を表しているんだ。早逝して祟り神になった徳松さんをよく表していると思う。 「御戌塚から伸びる道は、竹やぶで薄暗いのが『亡目坂(な��めざか)』、奥の見晴らしいい方が『足失坂(あしないざか)』で。いずれも嫌な奴を思い浮かべながら歩くと、それぞれ違ったご利益がとか。ちなみに足失坂を途中で右に下ると『口欠湿地(くちかけしっち)』が……」 「青木さん、今は特に切りたい縁はないんで大丈夫です!」  さすが御戌神社周辺は地名が物騒だ。昨晩斉三さんが言っていた、『気枯地』という言葉がしっくり来る。これ以上ここにいても千里が島のネガティブキャンペーンにしかならなさそうだから、私達は次の場所へ移動する事にした。ལྔ་པ་ 足失坂を下り、ザトウムシ記念碑がある『千里が島国立公園』へ。物騒な地名とは裏腹に本当に見晴らしが良い。閉塞的な御戌神社から出た瞬間、空がばっと広がったような感じだ。麓に見える口欠湿地も空の青を反射して美しく輝き、それをタナカDが嬉々としてカメラに収める。千里が島の縁切りや祟りといった暗い側面だけじゃなくて、こういった絶景も収録出来たのは本当に良かった。  国立公園は坂中腹からふもとまでの広い敷地を有する。地面は芝生とシロツメクサで覆われ、外周は桜並木に囲まれている。ただ、やはり気枯地だからか、桜はどれ一本として真っ直ぐ生えていなかった。  ザトウムシ記念碑は簡素な作りで、歌詞と小さなイラストだけ書かれた石碑だ。歌い継がれてきた民謡のため、作詞作曲者は不明らしい。また隣にはザトウムシの生態を説明するパネルもあった。 「ええと、『ぼくはクモに似てるけど、ダニの仲間なんだよ! 八本足に見えるけど、そのうち一本は杖なんだよ! 一人ぼっちよりも、みんなで集まるのが大好きだよ!』なるほど……ザトウムシがワサワサ密集してたらなんかちょっと嫌ですね」 「僕前に公園のベンチで、黒いタワシみたいな塊落ちてて……触ると大量のザトウムシがブワササーと」 「やだー! 青木君やめてよ~」 「わはははは!! それは最悪ですなぁ!」  公園を抜けて市街地へ降りていくと、月蔵(つきくら)小学校と併設する町民図書館が見えてきた。カメラに群がる小学生達に軽くファンサービスしながら、図書館へと急ぐ。私がお目当ての子はみんな「ドッキリ大成功! したたびでーす!!!」と絶叫しながら全力疾走で追いかけてくる。佳奈さんの影響だ。私も期待に応えて校庭をダッシュしたら、地面から急にスプリンクラーが出てきて水を撒き始めた! 「ぎゃー! また騙されたーっ!!」དྲུག་པ་ 何とか濡れずに済むも、息絶え絶えで図書館に入る。トイレを借り、やっと手を洗えた! と安堵して戻ると、皆は既に資料が並べられたテーブルを囲んでいた。太っているタナカDと大柄な青木さんは、小学生向けの低い椅子で収まりが悪そうにモゾモゾ蠢いている。私も着席するとカメラが回り、タナカDが進行を始める。 「実際に歩かれてみて、お二人何かお気付きになった事はありますか?」  気付いた事か。幾つかあったけど、金剛有明団や霊にまつわる情報は直接共有できない。少しぼやかして話そう。 「斉ぞ……ええと、狸おじさんから伺ったんですが、植物が曲がって生える土地は風水的に不吉らしいんです。それで今日気にして見ていたら、御戌神社がある坂の上に近づくほど木がねじれたりしてて、海沿いの石見地区や市街地である月蔵地区はそうでもないんです」 「御戌様が埋蔵金を守ってるからかな? じゃあ神社の近くが怪しいね!」  佳奈さんが消せる蛍光ペンでコピー地図を囲んだ。 「不吉な場所ですかぁ。だぶか神社から一番遠い南側、竹由……こりゃ『たけよし』で合ってるかい?」 「ですだ」 「竹由地区ね。この辺はまっすぐ生えてるんですかねぇ」  確かに地名に『よし』が入っていて、島の南側は縁起が良さそうではある。私達はまだ行っていない竹由地区の資料を見ると、小さなお寺が一つあるだけで後は住宅街のようだ。 「志多田さんはどうだい?」 「うーん、埋蔵金については何もなかったかなー。ところで青木君、この地図のここ、誤植じゃない?」 「え、誤植で?」  全員で地図を確認する。佳奈さんが指さしている箇所には、『新千里が島トンネル(旧食虫洞)』と書かれていた。昨日、私と青木さんが行ったコンビニの所だ。 「食虫……洞? 確かに変ですね。『虫食い洞』なら虫がトンネルを掘ったような感じで意味が通じるけ���、食虫洞じゃ洞窟が虫を食べちゃうみたい」 「でしょでしょ? それともウツボカズラがいっぱい生えてるのかな」 「いえ、『食虫洞(くむしどう)』が正解で。ウツボカズラは生えてねぇけど、暗いから虫を食うコウモリが住んでるかもだ」 「うーん、そういう問題なのかな……? まあ関係ないからいっか……」  佳奈さんは煮え切らない顔のまま、地図を机に置いた。タナカDが仕切り直す。 「じゃじゃじゃあ、まずは今まで埋蔵金探しに失敗した方々の仮説を見てみましょうよ! 青木君」 「はい、こちらを」  タナカDは青木さんが差し出した資料を私達側に向ける。インターネット上で日本各地の徳川埋蔵金に関する情報をまとめたサイト、『トレジャーまとめ』さんの記事コピーだ。これまでザトウムシの歌詞をもとに埋蔵金のありかを探索した人々のレポートらしい。上からざっと目を通す。 ・その一 ザトウムシは座頭、盲目の暗喩だ。歌詞の『ザトウムシ』という言葉の総文字数を歩数として、記念碑から亡目坂を登る。そして到着地点の地面を掘ってみた。  結果 何も出てこなかった。これを試みた探索者の一人が島を出た後(以降は修正液で消されている) ・その二 『水墨画の世界』は白黒、あの世を表している。竹由地区には名前に『虫』がつく虫肖寺(ちゅうしょうじ)があり、そこには墓地が隣接している。その墓地で、黄昏時に太陽が見える西側の井戸内を調べた。  結果 何も出てこなかった。これを試みた探索者全員が数日後、(以降は修正液で消されている) ・その三 ザトウムシが埋蔵金を表しているなら、食虫洞は金を蓄える隠し場所に違いない。歌詞の通り、黄昏時から逢魔が時にかけての時間、トンネルを調査した。  結果 翌々日、(以降は数行にわたり修正液で消されている。塗りこぼしから微かに『トンネルが永遠に続いて外に出られ』という一文が垣間見える) ・その四 『口欠』『足失』『亡目』など体の欠損にまつわる地名は心霊現象や祟りが多いという。その三箇所いずれかに宝があるとみて、調査した。  結果 それらの地点には共通して護符の貼られた祠があり、護符を剥がした探索者は肋(次の行以降は紙ごとハサミで裁断されている) 「「いや怖いわ!!」」  全部読み終わる前に佳奈さんと異口同音! 「ちょっと青木君、これ元は何て書いてあったの!?」 「すいません、あんまりにも酷いデマなどが。根も葉もねぇので僕が修正を!」 「本当にデマなんでしょうね!?」 「嘘こいてねぇです、本当に事実無根なので! 大体、コトが事実なら普通新聞に載るなど……」  事実なら新聞に載るほどの事が書いてあったのか。これは下手に島を引っ掻き回すと、またとんでもない事になりそうだ。 「まあまあまあ、お嬢さん方。要はあなた方がね、埋蔵金を見つけちゃえばいいんですよ」 「なに他人事みたいに言ってるんですか、この三角眉毛は。祟られる時は全員祟られるんですよ? わかってんですか?」 「そーだそーだ、デブちん三角眉毛!」 「おう遂にちゃんとデブって言ったな!? 今日の僕にはラスタな狸がついているんだ。一人でもしぶとく生き残ってやるぞぉ」 「一美ちゃん、ちょっと今夜御戌神社で丑の刻参りしよっか」 「了解しました。加賀繍さんのぬか床に五寸釘入ってるから分けてもらって……」  ん? 「佳奈さん、今の言葉もう一回いいですか?」 「え? だから、『御戌神社』で『丑の刻参り』」 「……それだ!」  ラッキー! 今の超下らないやり取りで、歌詞の謎が一つ解けたかもしれない! 「おぉ何だい、そんな聞き返すほど僕を呪いたいのか小心者」 「違いますよ。見て下さい、歌詞の一番と二番の冒頭……」  ザトウムシの一番、二番の歌い出しは、それぞれ『たそがれの空を』『おうまが時の門を』だ。 「いいですか? 昔の日本は十二時辰(じゅうにじしん)、つまり十二支で時間を測る単位を使っていました。その単位では、『逢魔が時』と『黄昏時』……つまり夕方から夜に変わる時間帯は、『酉の刻』と『戌の刻』になるんです」 「じゃあ歌詞に当てはめると、一番は『戌の刻の空を』、二番は『酉の刻の門を』に変換できるって事?」 「はい。ここで思い出しませんか? 御戌塚から伸びる二つの道」 「薄暗い亡目坂と、見晴らしがいい足失坂……あっ、『戌』から『空』が見えるのは足失坂だ!」 「そうです。しかも続きの歌詞が『ふらついた足取りで』、足って言ってるんですよ! 一方二番……酉の門といえば?」 「神社の『鳥居』! 坂からまた神社に戻っちゃってる!?」 「そうなんです!」  つまり、私の説はこうだ。この歌は埋蔵金のありかを一箇所漠然と示しているんじゃなくて、そこに至る道順のヒントが歌詞になっているんだ。御戌塚から始まり、足失坂を通って何らかのルートを経由。やがて��社に戻って、そこからまたどこかへ行く……こうして遠回りをする事自体が、埋蔵金を発見するために必要なのかもしれない! 「なるほど、道順を! それは今まで誰もやらなかったかもだ……それにしても、お若いのによく十二支の時間をご存知で?」 「あはは、青木さんより若くはないですよ~。小さい頃ちょっとだけお寺に住んでた事があって、こういう歴史っぽい雑学にちょっと明るいだけです。ただ……」  残念ながら、歌詞に干支にまつわる描写はそれしかないんだ。そこから先の謎はまだわからない。私が自説をフリップに書き終えると、タナカDが佳奈さんに話を振る。 「志多田さんどうですか? 紅さんがワンアイデア出しましたよぉ」 「急かさないでよー。私まだ食虫洞の謎が頭から離れないんだから。そーいうタナカDこそ何かないの?」 「僕かい? そうですな……このサビの、『月と太陽が同時に出ている』って、日蝕か月蝕って事でしょ? 千里が島で日蝕月蝕が観測された事って歴史的にあるんですかねぇ?」 「え? この歌詞って単純に黄昏時の事じゃないんですか?」 「あ、そうか。そりゃ黄昏時には月と太陽が両方見えますな」  すると今度は佳奈さんが閃いた。 「ちょっと待って、日蝕……?」  佳奈さんは私の手元から地図を取り上げ、食い入るように見つめ始める。 「……しょく、ふき、ぞう、すずり……」 「佳奈さん?」 「あー、そういう事かあ! これ、千里が島の地名ってさ、繋げるとみんな漢字一文字になるんだ!」 「え、そうなんですか?」 「どういう事で?」  青木さんも知らなかったようだ。全員興味津々で佳奈さんの指さす地図に見入った。 「例えばこれ、食虫洞はさ、食と虫を繋げて書くと日蝕の『蝕』になるでしょ。亡目坂は盲目の『盲』、月蔵は臓器の『臓』」 「すごい、本当ですね! 石見は書道の『硯(すずり)』、竹由は『笛』ですか。あれ、でも足失坂は……」 「『跌(つまずく)』。常用漢字じゃないけど」 「つまずく?」  タナカDは自分のスマホで『つまずく』と入力し、跌と変換できるか試みた。 「ああ、跌(つまずく)だ! 確かに跌ですよ跌! いや、よく読めますなあ。ところで佳奈さん、最終学歴は?」 「いちご保育園だってば。何度も聞くなー!」  佳奈さんは国文学分野で大学を卒業しているけど、年齢不詳アイドルである彼女にとってそれは公然の秘密だ。タナカDはそれを承知の上で度々ネタにしているんだ。 「あれ、佳奈さん。それを当てはめたら歌詞解読できるかもしれませんよ!」 「え本当? よーし、やってみよう!」  こうして数十分試行錯誤しながら、私達したたびチームの歌詞解釈はほぼ完成した。それが、こうだ。 たそがれの空を  ザトウムシ ザトウムシ歩いてく   (御戌塚から始まり、空が見える方向へ進む)  ふらついた足取りで  ザトウムシ歩いてく   (そのまま神社境外に出て、つまずきやすい道、つまり足失坂へ進む) 水墨画の世界の中で  一本絵筆を手繰りつつ   (足失坂のふもとから水墨画の世界、硯と水を象徴する石見沼へ進む)  生ぬるい風に急かされて  お前は歩いてゆくんだね   (石見沼から風が吹く方向、口欠湿地方面へ進む) あの月と太陽が同時に出ている今この時  ザトウムシ歩いてく  ザトウムシ ザトウムシ歩いてく   (口欠湿地から月が太陽を蝕む場所、旧食虫洞へ進む) おうまが時の門を  ザトウムシ ザトウムシ歩いてく   (食虫洞を抜けた所から丘を登り、御戌神社の鳥居をくぐる)  長い杖をたよって  ザトウムシ歩いてく   (神社境内から視覚障害者が杖を頼りに歩くような暗い道、亡目坂へ進む) ここまで考察した段階で、地図に道順を引いていた佳奈さんがペンを止めた。 「何これ……星……?」  蛍光ペンで地図に書かれた道筋は、島の中心に魔法陣のような模様を描いていた。五芒星の中心に一本線を引いたような、シンボルを。 「佳奈さん。まだ、解読できてない歌詞は残ってますけど……これはこの形で完成だと思います」 「一美ちゃんもそう思う? これ以降の歌詞って、対応する地名が見当たらないんだよね……」 「青木さん」  私はさっきの埋蔵金探し失敗談を手に取る。 「この消されている箇所、要するに全部『祟りがあった』って事ですよね?」 「はい……あ! いえ、そんな事は……」 「そうなんですね。つまり余所者が千里が島を検めるためには、正しい儀式か何かを踏まないと祟りに遭う。その儀式の方法こそが、この民謡ザトウムシに隠された暗号の正体だった」 「……」 「私、さっきこのシンボルを見たんです。御戌神社の、祠で……」  もう私の中で謎は核心に迫っていた。霊能者達は今それぞれ除霊活動に励んでいるけど、『ザトウムシ』……恐らくは、怪物の親玉であるそれを倒さなければ島の祟りは終わらないのだろう。 「結論が出ました、青木さん。ザトウムシは、徳川埋蔵金のありかを示している歌じゃありません。私はこれを……八本足の怪物、大散減を退治するための手順を示した歌だと思っています」  衝撃的な結論に全員が呆然としていると、窓の外で何かが破裂するような音がした。更に間髪入れず、河童信者が一人血相を変えて図書館に飛びこんでくる。 「たた、た、大変です! 大師が……大師が……紅さん、ともかく来てください!」 「え? どうして私が……うわあ!?」  河童信者は乱暴に私の腕を掴み、外へ連れ出した。他の皆も続く。牛久大師が私を指名したという事は、また散減が現れたのだろう。けど今はカメラが回っている。玲蘭ちゃんや万狸ちゃん達は別行動だし……私、どうすればいいの!?
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skf14 · 5 years ago
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12150006
軽快なメロディが音割れしていることにきっと全員気付いているはずなのに、誰も指摘しないまま、彼は毎日狂ったようにそれを吐き出し続けている。
時刻は朝の8時過ぎ。何に強制されたでもなく、大人しく2列に並ぶ現代の奴隷たち。いや、奴隷ども。資本主義に脳髄の奥まで犯されて、やりがいという名のザーメンで素晴らしき労働という子を孕まされた、意志を持たない哀れな生き物。何も食べていないのに胃が痛い。吐きそうだ、と、50円のミネラルウォーターを一口含んで、押し付けがましい潤いを乾く喉に押し込んだ。
10両目、4番���の扉の右側。
俺がいつも7:30に起きて、そこから10分、8チャンネルのニュースを見て、10分でシャワー、10分で歯磨きとドライヤー、8:04に自宅を出て、8:16に駅に到着。8:20発の無機質な箱に乗る、その最終的な立ち位置。扉の右側の一番前。黄色い線の内側でいい子でお待ちする俺は、今日もぼうっと、メトロが顔を覗かせるホームの端の暗闇を見つめていた。
昨日は名古屋で人が飛び込んだらしい。俺はそのニュースを、職場で開いたYahoo!のトップページで見かけた。群がる野次馬が身近で起きた遠い悲劇に涎を垂らして、リアルタイムで状況を伝える。
『リーマンが飛び込んだ』
『ブルーシートで見えないけど叫び声聞こえた』
『やばい目の前で飛び込んだ、血見えた』
『ハイ1限遅れた最悪なんだけど』
なんと楽しそうなこと。まるで世紀の事件に立ち会った勇敢なジャーナリスト気取り。実際は目の前で人が死ぬっていう非現実に興奮してる変態性欲の持ち主の癖に。全員死ね。お前らが死ね。そう思いながら俺は、肉片になった男のことを思っていた。
電車に飛び込んで仕舞えば、生存の可能性は著しく低くなる。それが通過列車や、新幹線なら運が"悪く"ない限り、確実に死ぬ。悲惨な形を伴って。肉片がおよそ2〜5キロ圏内にまで吹き飛ぶこともあるらしい。当然、運転手には多大なトラウマを植え付け、鉄道職員は線路内の肉片を掻き集め、乗客は己の目の前で、もしくは己の足の下で、人の肉がミンチになる様を体感する。誰も幸せにならない自殺、とは皮肉めいていてよく表現された言葉だとつくづく思う。当人は、幸せなのだろうか。
あの轟音に、身体を傾け頭から突っ込む時、彼らは何を思うのだろう。走馬灯とやらが頭を駆け巡るのか、やはり動物の本能として恐怖が湧き上がるのか、それとも、解放される幸せでいっぱいなのか。幸福感を呼び起こす快楽物質が脳に溢れる様を夢想して、俺は絶頂にも近い快感を奥歯を噛み締めて堪えた。率直に浮かんだ「羨ましい」はきっと、俺が人として生きていたい限り絶対漏らしてはいけない、しかし限りなく本音に近い、5歳児のような素直な気持ち。
時刻は8:19。スマホの中でバカがネットニュースにしたり顔でコメントを飛ばして、それに応戦する暇な人間たち。わーわーわーわーうるせえな、くだらねえことでテメェの自尊心育ててないで働けゴミが。
時刻は8:20。腑抜けたチャイムの音。気怠そうな駅員のアナウンス。誰に罰されるわけでもないのに、俺の足はいつも黄色い線の内側に収まったまま、暗がりから顔を覗かせる鉄の箱を待ち侘びている。
俺は俯いて、視界に入った己のつま先にグッと力を込めた。無意識にするこの行為は、死への恐怖か。馬鹿らしい。いつだって、この箱の前に飛び込むことが何よりも幸せに近いと知っているはずなのに。
気が付けば山積みの仕事から逃げるように、帰りの電車に乗っていた。時刻は0:34。車内のアナウンス。この時間でこの場所、ということは終電だろう。二つ離れた椅子に座ったサラリーマンがだらりと頭を下げ、ビニール袋に向けて嘔吐している。饐えた臭いが漂ってきて貰いそうになるが、もう動く気力もない。死ね。クソ野郎が。そう心の中でぼやきながら、俺はただ音楽の音量を上げて外界を遮断する。耳が割れそうなその電子音は、一周回って心地いい。
周りから俺へ向けられる目は冷たく、会社に俺の居場所はない。同期、後輩はどんどん活躍し、華々しい功績を挙げて出世していく。無能な俺はただただ単純で煩雑な事務作業をし続けて、それすらも上手く回せない。ああ、今日はただエクセルの表作りと、資料整理、倉庫の整理に、古いシュレッダーに詰まった紙の掃除。それで金を貰う俺は、社会の寄生虫か?ただ生きるために何かにへばりついて必要な栄養素を啜る、なんて笑える。人が減った。顔を上げると降りる駅に着いていた。慌てて降りる俺を、乗ろうとしていた騒がしい酔っ払いの集団が睨んで、邪魔そうに避けた。何だその顔は。飲み歩いて遊んでた人間が、働いてた俺より偉いって言うのか。クソ。死ね。死んでくれ。社会が良くなるために、酸素の消費をやめてくれ。
コンビニで買うメニューすら、冒険するのをやめたのはいつからだろう。チンすれば食べられる簡単な温かい食事。あぁ、俺は今日も無意識に、これを買った。無意識に、生きることをやめられない。人のサガか、動物としての本能か、しかし本能をコントロールしてこその高等生物である人間が、本能のままに生きている時点で、矛盾しているのではないか。何故人は生きる?生きるとは?NHKは延々とどこか異国の映像を流し続けている。国民へ向けて現実逃避を推奨する国営放送、と思うと笑えてきて、俺は箸を止め、腹を抱えてしこたま笑った。あー、死のう。
そういえば、昔、俺がまだクソガキだった頃、「完全自殺マニュアル」なる代物の存在を知った。当然、本を変える金なんて持ってなかった俺は親の目を盗んで、図書館でそれを取り寄せ借りた。司書の本を渡す際の訝しむ顔がどうにも愉快で、俺は本を抱えてスキップしながら帰ったことを覚えている。
首吊り、失血死、服毒死、凍死、焼死、餓死...発売当時センセーショナルを巻き起こしたその自称「問題作」は、死にたいと思う人間に、いつでも死ねるからとりあえず保険として持っとけ、と言いたいがために書かれたような、そんな本だった。淡々と書かれた致死量、死ぬまでの時間、死に様、遺体の変化。俺は狂ったようにそれを読み、そして、己が死ぬ姿を夢想した。
農薬は消化器官が爛れ、即死することも出来ない為酷く苦しんで死ぬ地獄のような死に方。硫化水素で死んだ死体は緑に染まる。首吊りは体内に残った排泄物が全て流れ出て、舌や目玉が飛び出る。失血死には根気が必要で、手首をちょっと切ったくらいでは死ねない。市販の薬では致死量が多く未遂に終わることが多いが、バルビツール酸系睡眠薬など、医師から処方されるものであれば死に至ることも可能。など。
当然、俺が手に取った時には情報がかなり古くなっていて、バルビツール酸系の薬は大抵が発売禁止になっていたし、農薬で死ぬ人間など殆どいなくなっていたが、その情報は幼かった俺に、「死」を意識させるには十分な教材だった。道徳の授業よりも宗教の思想よりも、何よりも。
親戚が死んだ姿を見た時も、祖父がボケた姿を見た時も、同じ人間とは思えなかった俺はきっとどこか欠けてるんだろう。親戚の焼けた骨に、棺桶に入れていたメロンの緑色が張り付いていて、美味しそうだ。と思ったことを不意に思い出して、吹き出しそうになった。俺はいつからイカれてたんだ。
ずっと、後悔していたことがあった。
小学生の頃、精神を病んだ母親が山のように積まれた薬を並べながら、時折楽しそうに父親と電話をしていた。
その父親は、俺が物心ついた、4、5歳の頃に外に女を作って出て行った、DVアル中野郎だった。酒を飲んでは事あるごとに家にあるものを投げ、壊し、料理の入った皿を叩き割り、俺の玩具で母親の顔を殴打した。暗い部屋の中、料理が床に散乱する匂いと、やめてと懇願する母親の細い声と、人が人を殴る骨の鈍い音が、今も脳裏によぎることがある。あぁ、懐かしいな。プレゼントをやる、なんて言われて、酔っ払って帰ってきた父親に、使用済みのコンドームを投げられたこともあったっけ。「お前の弟か妹になり損ねた奴らだよ。」って笑ってたの、今思い返してもいいセンスだと思う。顔に張り付いた青臭いソレの感触、今でも覚えてる。
電話中は決まって俺は外に出され、狭いベランダから、母親の、俺には決して見せない嬉しそうな顔を見てた。母親から女になる母親を見ながら、カーテンのない剥き出しの部屋の明かりに集まる無数の羽虫が口に入らないように手で口を覆って、手足にまとわりつくそれらを地面のコンクリートになすりつけていた。あぁ、そうだ、違う、夏場だけカーテンをわざと開けてたんだ。集まった虫が翌朝死んでベランダを埋め尽くすところが好きで、それを俺に掃除させるのが好きな母親だった。記憶の改変は恐ろしい。
ある日、俺は電話の終わった母親に呼ばれた。隣へ座った俺に正座の母親はニコニコと嬉しそうに笑って、「お父さんが、帰ってきていいって言ってるの。三人で、幸せな家庭を作りましょう!貴方がいいって言ってくれるなら、お父さんのところに帰りましょう。」と言った。そう。言った。
俺は、父親が消えてからバランスが崩れて壊れかけた母親の、少女のように無垢なその笑顔が忘れられない。
「幸せな家庭」、家族、テレビで見るような、ドラマの中にあるような、犬を飼い、春には重箱のお弁当を持って花見に行き、夏には中庭に出したビニールプールで水遊びをし、夜には公園で花火をし、秋にはリンゴ狩り、栗拾い、焼き芋をして、落ち葉のベッドにダイブし、冬には雪の中を走り回って遊ぶ、俺はそんな無邪気な子供に焦がれていた。
脳内を数多の理想像が駆け巡って、俺は、母の手を掴み、「帰ろう。帰りたい。パパと一緒に暮らしたい。」そう言って、泣く母の萎びた頬と、唇にキスをした。
とち狂っていたとしか思えない。そもそも帰る、と言う表現が間違っている。思い描く理想だって、叶えられるはずがない。でもその時の馬鹿で愚鈍でイカれた俺は、母の見る視線の先に桃源郷があると信じて疑わなかったし、母と父に愛され、憧れていた家族ごっこが出来ることばかり考えて幸せに満ちていた。愚かで、どうしようもなく、可哀想な生き物だった。そして、二人きりで生きてきた数年間を糧に、母親が、俺を一番に愛し続けると信じていた。
母は、俺が最初で最後に信じた、人間だった。
父親の家は荒れ果てていた。酒に酔った父親が出迎え、母の髪を掴んで家の中に引き摺り込んだ瞬間、俺がただ都合の良い夢を見ていただけだと言うことに漸く、気が付いた。何もかも、遅過ぎた。
仕事も何もかも捨てほぼ無一文で父親の元へ戻った母親が顔を腫らしたまま引越し荷物の荷解きをする姿を見ながら、俺は積み上げた積み木が崩れるように、砂浜の城が波に攫われるように、壊れていく己の何かを感じていた。母は嬉しそうに、腫れた顔の写真を毎度俺に撮らせた。まるでそれが、今まで親にも、俺にも、誰にも与えられなかった唯一無二の愛だと言わんばかりに、母は携帯のレンズを覗き、画面越しに俺に蕩けた目線を送った。
人間は、学習する生き物である。それは人間だけでなく、猿や犬、猫であっても、多少の事は学習できるが、その伸び代に関しては人間が群を抜いている。母親は次第に父親に媚び、家政婦以下の存在に成り下がることによって己の居場所を守った。社会の全てにヘイトを募らせた父親も、そんな便利な道具の機嫌を損ねないよう、いや、違うな、目を覚まさせないように、最低限人間扱いをするようになった。
まあ当然の末路と言えるだろうな。共同戦線を組んだ彼らの矛先は俺に向いた。俺は保てていた人間としての地位を失い、犬に、家畜に成り下がった。名前を呼ばれることは無くなり、代わりについた俺の呼び名は「ゴキブリ」になった。家畜、どころか害虫か。産み落とした以上、世話をするほかないというのが人間の可哀想なところだ。
思い出したくもないのにその記憶を時折呼び起こす俺の出来の悪い脳を何度引き摺り出してやろうかと思ったか分からない。かの夢野久作が書いた「ドグラマグラ」に登場する狂った青年アンポンタン・ポカン氏の如く、脳髄を掴み出し、地面に叩きつけてやりたいと思ったことは数知れない。
父親に奉仕する母は獣のような雄叫びをあげて悦び、俺は夜な夜なその声に起こされた。媚びた、艶やかな、酷く情欲を煽るメスの声。俺は幾度となく吐き、性の全てを嫌悪した。子供じみた理由だと、���なら思う。何度、眠る父親の頭を金属バットで叩き割ろうと思ったか分からない。俺は本を読み漁り、飛び散る脳髄の色と、母の絶望と、断末魔を想像した。そう、この場において、いや、この世界において、俺の味方は誰もいなかった。
いつの間にかテレビ放送は休止されたらしい。画面端の表示は午前2時58分。当然か。騒がしかったテレビの中では、カラーバーがぬるぬると動きながら、耳障りな「ピー」という無慈悲な機械音を垂れ流している。テレビの心停止。は、まるでセンスがねえな死ね俺。
ずっと、後悔していた。誰にも言えず、その後悔すらまともに見ようとはしなかったが、今になって、思う。何度も、あの日の選択を後悔した。
あの日、俺がもし、Yesと言わなかったら。あの日の俺はただ、母親がそう言えば喜ぶと思って、幸せそうな母親の笑顔を壊したくなくて、...いや、違う。あれは、幸せそうな母親の笑顔じゃない、幸せそうな、メスの笑顔だ。それに気付けていたら。
叩かれても蹴られても、死んだフリを何度されても自殺未遂を繰り返されても、見知らぬ土地で置き去りにされても、俺はただ、母親に一番、愛されていたかった。父親がいない空間が永遠に続けばいい、そう今なら思えたのに、あの頃の俺は。
母親は結局、一人で生きていけない女だった。それだけだ。父親が、そして父親の持つ金が欲しかった。それだけだ。なんと醜い、それでいてなんと正しい、人間の姿だろう。俺は毎日、父親を崇めるよう強制された。頭を下げ、全てに礼を言い、「俺の身分ではこんなもの食べられない。貴方のおかげで食事が出来ている」と言ってから、部屋で一人飯を食った。誕生日、クリスマス、事あるごとに媚びさせられ、欲しくもないプレゼントを分け与えられた。そうしなきゃ殴られ蹴られ、罵倒される。穏便に全てを済ませるために、俺は心を捨てた。可哀想な生き物が、自己顕示欲を満たしたくて喚いている。そう思い続けた。
勉強も運動も何も出来なかった。努力する、と言う才能が元から欠けていた、可愛げのない子供だったと自負している俺が、ヒステリーを起こした母親に、「何か一つでもアンタが頑張ったことはないの!?」と激昂されて、震える声で「逆上がり、」と答えたことがあった。何度やっても出来なくて、悔しくて、冬の冷たい鉄棒を握って、豆が出来ても必死に一人で頑張った。結局、1、2回練習で成功しただけで、体育のテストでは出来ずに、クラスメイトに笑われた。体育の成績は1だった。母親は鼻で笑って、「そんなの頑張ったうちに入らないわ。だからアンタは何やっても無理、ダメなのよ。」とビールを煽って、俺の背後で賑やかな音を立てるテレビを見てケタケタと笑った。それ以降、目線が合うことはなかった。
気分が悪い。なぜ今日はこんなにも、過去を回顧しているんだろう。回り出した脳が止められない。不愉快だ。酷く。それでも今日は頑なに、過去を振り返らせたいらしい脳は、目の前の食べかけのコンビニ飯の輪郭をぼやけさせる。
俺が就職した時も、二人は何も言わなかった。ただただ俺は、父親の手口を真似て、母親の心を取り戻そうと、ありとあらゆるブランド物を買って与えた。高いものを与え、食わせ、いい気分にさせた。そうすれば喜ぶことを俺は知っていたから。この目で幾度となく見てきたから。二人で暮らしていた頃の赤貧さを心底憎んでいた母親を見ていたから。
俺は無邪気にもなった。あの頃の、学校の帰りにカマキリを捕まえて遊んだような、近所の犬に給食のコッペパンをあげて戯れていたような、そんな純粋無垢な無邪気さで、子供に戻った。もう右も左も分からない馬鹿なガキじゃない。今の俺で、あの頃をやり直そう。やり直せる。そう思った。
「そんなわけ、ねぇよなぁ。」
時刻は午前4時を回り、止まっていたテレビの心拍が再び脈動を始めた。残飯をビニール袋に入れて、眩しい光源を鬱陶しそうに睨んだ。画面の中では眠気と気怠さを見せないキリリとした顔の女子アナが深刻そうな顔で、巷で流行する感染症についての最新情報を垂れ流している。
結論から言えば、やり直せなかった。あの女の一番は、俺より金を稼いで、俺より肉体も精神も満たせる、あの男から変わることはなかった。理解がし難かった。何度殴られても生きる価値がない死ねと罵られても、それが愛なのか。
神がいるなら問いたい。それは愛なのか。愛とはもっと美しく、汚せない、崇高なものじゃないのか。神は言う。笑わせるな、お前だって分かっていないから、ひたすら媚びて愛を買おうとしたんだろう。ああ、そうだ。俺にはそれしかわからなかった。人がどうすれば喜ぶのか、人をどうすれば愛せるのか、歩み寄り、分り合い、感情をぶつけ合い、絆を作れるのか。人が人たるメカニズムが分からない。
言葉を尽くし、時間を尽くしても、本当の愛の前でそれらは塵と化すのを分かっていた。考えて、かんがえて、突き詰めて、俺は、自分が今人間として生きて、歩いて、食事をして、息をしている実感がまるで無い不思議な生き物になった。誰のせいでもない、最初からそうだっただけだ。
あなたは私の誇りよ、と言った女がいた。そいつは俺が幼い頃、俺じゃなく、俺の従兄弟を出来がいい、可愛い、と可愛がった老婆だった。なんでこんなこと、不意に思い出した?あぁ、そうだ、誕生日に見知らぬ番号からメッセージが来てて、それがあの老婆だと気付いたからだ。気持ちが悪い。俺が人に愛される才能がないように、俺も人を愛する才能がない。
風呂の水には雑菌がうんたらかんたら。学歴を盾に人を威圧するお偉いさんが講釈を垂れているこの番組は、朝4時半から始まる4チャンネルの情報番組。くだらない。クソどうでもいい。好みのぬるめのお湯に目の下あたりまで浸かった俺は、生きている証を確かめるように息を吐いた。ぼご、ぶくぶく、飛び散る乳白色が目に入って痛い。口から出た空気。無意識に鼻から吸う空気。呼吸。あぁ、あれだけ自分の傷抉って自慰しておいて、まだ生きようとしてんのか、この身体。どうしようもねえな。
どうせあと2時間と少ししか眠れない。髪を乾かすのも早々に、俺が唯一守られる場所、布団の中へと潜り込んで、無機質な部屋の白い天��を見上げた。
そういえば、首吊りって吊られなくても死ぬことが出来るんだっけ。そう。今日の朝だって思ったはずだ。黄色い線の外側、1メートル未満のその先に死がある。手を伸ばせばいつでも届く。ハサミもカッターも、ガラスも屋上もガスも、見渡せば俺たちは死に囲まれて、誘惑に飲まれないように、生きているのかもしれない。いや、でも、いつだって全てに勝つのは何だ?恐怖か?確かに突っ込んでくるメトロは怖い。首にヒヤリとかかった縄も怖い。蛙みたく腹の膨れた女をトラックに轢かせて平らにしたいとも思うし、会話の出来ない人間は全員聾唖になって豚の餌にでもなればいいとも思う。苛立ち?分からない。何を感じ、生きるのか。
ああ、そういえば。
父親の頭をミンチの如く叩きのめしてやろうと思って金属バットを手に取った時、そんなくだらないことのためにこれから生きるのかと思うと馬鹿らしくなって、代わりに部屋のガラスを叩き割ってやめた。楽にしてやろうと母親を刺した時、こんなことのために俺は人生を捨てるのか、と我に返って、二度目に振り上げた手は静かに降ろした。
あの時の爽快感を、忘れたことはない。
あぁ、そうか、分かった。
死が隣を歩いていても、俺がそっち側に行かずに生きてる理由。そうだ。自由だ。ご飯が美味しいことを、夜が怖くないことを、寒い思いをせず眠れることを、他人に、人間に脅かされずに存在できることを、俺はこの一人の箱庭を手に入れてから、初めて知った。
誰かがいれば必ず、その誰かに沿った人間を作り上げた。喜ばせ、幸せにさせ、夢中にさせ、一番を欲した。満たされないと知りながら。それもそうだ。一番も、愛も、そんなものはこの世界には存在しない。ようやく分かった俺は、人間界の全てから解き放たれて、自由になった。爽快感。頭皮の毛穴がぞわぞわと爽やかになる感覚。今なら誰にだって何にだって、優しくなれる気がした。
そうか、俺はいつの間にか、人間として生きるのが、上手くなったんだ。異世界から来てごっこ遊びをしている気分だ。死は俺をそうさせてくれた。へらへらと、楽しく自由にゆらゆらふわふわ、人と人の合間を歩いてただ虚に生きて、蟠りは全部、言葉にして吐き出した。
遮光カーテンの隙間から薄明るい光が差す部屋の中、開いたスマホに並んだ無数の言葉の羅列。俺が紡いだ、物語たち。俺の、味方たち。みんなどこか、違うようで俺に似てる。皆合理的で、酷く不器用で、正しくて、可哀想で、幸せだ。皆正しく救われて終わる物語のみを書き続ける俺は、己をハッピーエンド作者だと声高に叫んで憚らない。
「俺、なんで生きてるんだっけ。」
そんなクソみたいな呟きを残して、目を閉じた。スマホはそばの机に放り投げて、目を閉じて、祈るのは明日の朝目が覚めずにそのまま冷たくなる、最上の夢。
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guragura000 · 5 years ago
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海辺の洞窟
 リネン君は、誰よりもまともです、という顔をして、クズだ。彼の中身はしっちゃかめっちゃかだ。どうしたらそんなにとっ散らかることができるのか、僕には分からない。
 彼の朝は床から始まる。ベッドに寝ていた筈なのに、いつの間にか転がり落ちているのだ。頭をぼりぼり掻きながら洗顔もせずに、そこらに落ちている乾いたパンを食べる。前日に酒を飲んでいたのであれば、トイレに行って吐く。
 それから自分を寝床から蹴落とした女を見やる。それは顔も知らない女であったり、友人の彼女であったり、上司の妻であったりする。ともかく面倒くさそうな女だ。
 ここで必ず電話が鳴る。誰もがリネン君が起きる瞬間を見計らったように電話をよこす。それとも彼の体が電話に備えるようになったのか。まあ、どちらでもいい。
 電話の向こうは女の関係者で、烈火の如く怒っている。朝から怒鳴���声を聞くのは気分のいいものではない。口の中から胆汁がしみ出してくるような心地になるので、黙って切る。
 リネン君にとって、彼女とその関係者の将来など、自分には関係のないことなのである。いやいや彼は彼女らの人生に大いに干渉しているのだが、リネン君は全ての責任を放棄しているのだ。誰が何と言おうと、彼は彼の行動の責任をとらないし、とるつもりもない。だからどうしようもない。
 そうこうしているうちに女が目覚める。彼女はリネン君の消えゆく語尾から、彼氏や旦那の名前を聞き取るだろう。次の瞬間彼女はヒステリックに喚き出し、リネン君は自室を追い出されるはめになるわけだ。
 リネン君はあくびをしいしい喫茶店に入り、仕事までの時間を潰す。休日であれば友人なのか知り合いなのか曖昧な人間と遊ぶ。暇な輩がつかまらなければ、その辺をうろつく汚い野良猫とたわむれる。リネン君は大抵の人には煙たがられるが、動物には好かれるのである。
 リネン君は出会う人々とろくでもない話をする。誰かを笑わせない日はないし、誰かを傷つけない日もない。彼は湧き上がった感情を、健全であれ不健全であれ、その場で解消するだけなのだ。
 僕等は同じアパートに住んでいる。リネン君の部屋は一階の一番端っこ、僕の部屋は二階の階段のすぐ隣だ。親しくなる前から彼の顔は知っていた。朝、父さんに言われて新聞を取りに行くと、みちみちにチラシの詰まった郵便受けの前で悪態を付いている彼を時々見かけた。母さんから、
「あんな人と付き合っちゃダメよ」
とお叱りを受けたこともある。その理由を聞くと、
「しょっちゅう女の人を連れ込んでいるみたいだし、毎晩のように酔っ払って何かを叫びながら帰ってくるし、たまに非常階段で寝てるし、ゴミは分別しないで出すし、昼間もふらふらして何をしているか分からないし、無精髭を剃りもしないしこの間だって⋯⋯」
と、このように、大人達のリネン君の評判はよろしくなかった。
 僕等はアパートの庭に設置されている自販機の前で出会った。リネン君の第一声は、
「おい。五十円持ってないか」
だった。小遣いでジュースを買いにきた小学生にかける言葉ではないと思うが、いかにも彼らしい。リネン君はたかった金で手に入れたエナジードリンクを一気に飲み干した。それから隣でグレープジュースをちびちび啜っている僕を、
「ガキ。礼に煎餅やるから来い」
「え? でも知らない人の家に行くなって母さんから言われてるし」
「親離れは早いにこしたことない。いいから来い」
「え、あ、あの、ちょっと」
誘拐まがいに部屋に招いたのだった。
 そうして僕は彼と親しくなった。もちろん母さんには内緒で。
 彼の部屋は余計なものでいっぱいだ。年期の入った黒電話、聞きもしないレコード、放浪先で見つけてきた不気味な雑貨、または女性。つまり彼の部屋は子どもの暇つぶしにもってこいの場所なのだ。
「リネン君はどこから来たの?」
 僕が尋ねても、彼はにんまり笑って答えない。
「俺がどこからやってきたかなんて、お前には関係ないことだろ?」
「じゃあこれからどこへ行くの?」
「嫌なことを聞くやつだな、お前は」
 リネン君は心底うんざりした顔で僕を睨みつけた。けれど僕は睨まれても平気だ。大人は彼を怖がるけれど、僕はそうではない。彼は子どもと同じだ。好きなことはやる。嫌いなことはやらない。それだけ。それは子どもの僕にとって、非常に理にかなったやり方に思える。
 大人は彼をこう呼ぶ。「根性なし」「我がまま」「女たらし」「クズ」⋯⋯。
 リネン君は煙草をくゆらせる。
「近所のババア共ときたら、俺の姿が見えなくなった途端に悪口おっ始めやがる。常識人になり損なっただけなのにこの言い草だ。奴らに面と向かって啖呵切る俺の方がよっぽど潔いぜ。違うか?」
 本人はそう言っているが、リネン君は陰険だ。この間なんて仕事で成功した友人の彼女と寝て、絶交を言い渡されてされていた。僕には確信犯としか思えない。
「バカ言え。どうしてそんな面働なことをやらなくちゃならない? 俺はな、他の奴らの目なんてどうでもいい。自分の好きなことに忠実でありたいだけだ」
 リネン君は良くも悪くも自分の尻拭いができない。つまりクズっていうのは、そういうことだと思う。
 とはいえ彼は僕に良くしてくれる。
「林檎食うか?」
 彼は台所から青い林檎を放ってくれた。
「ありがと」
 僕は表皮を上着の袖で拭き、がじっと齧る。酸っぱくて唾液がにじむ。リネン君は口いっぱいに食べカスを詰め込みながら、もがもがと言った。
「そういや隣の兄ちゃん、引っ越したからな」
 なぜとは聞かなかった。リネン君が原因だと察しがついたからだ。
「どうせ彼女を奪ったんでしょ」
「『彼女を奪う』か。『花を摘む』と同じくらいロマンチックな言葉だな。お前、いい男になるよ」
「適当なこと言って」
「悪いな、またお前の植木鉢から花を摘んじまったよ」
「本当に悪いと思うなら、もうこんなことやめてよね」
「駄目だ。夜になると女が欲しくなる。こう見えても俺は寂しがり屋だからな」
「うえー、気色悪っ。⋯⋯それでお兄さんはどこに?」
「浜辺の廃屋に越したって。遊びに行こうったって無駄だぜ。あいつ、彼女にふられたショックで頭がおかしくなっちまって、四六時中インクの切れたタイプライターを叩いてるんだそうだ」
 彼女にふられたショック? それだけではないだろう。リネン君の残酷な言葉に弱点を突かれたのだ。
 人間は隠そうとしていた記憶、もしくはコンプレックスを指摘されると、呆れるほど頼りなくなるものだ。ある人は気分が沈みがちになり、ある人は仕事に行けなくなる。リネン君は、大人になるということは秘密を隠し持つようになることだ、と言う。
 つまり、と僕は子どもなりに解釈する。大人達は誰もが胸に、洞窟を一つ隠し持っているのだ。穴の奥には宝箱があって、そこには美しい宝石が眠っている。宝石は脆く、強く触れば簡単に壊れてしまう。彼らは心を許せる仲間にだけその石を見せる⋯⋯と、こんな具合だろうか。
 リネン君は槍をかついでそこに押し入り、宝石を砕いてしまうのだろう。ばらばらに砕けた宝物。リネン君は散らばる破片を冷徹に見下ろす。物語の悪役のように⋯⋯。
 ではリネン君の洞窟は? 彼の胸板に視線を走らせる。何も見えない。堅く堅く閉ざされている。僕は酸っぱい林檎をもう一口齧る。
 午後の光が差す道を、僕等は歩いた。今日の暇つぶし相手は僕というわけだ。
「リネン君」
「何だ」
「僕、これ以上先へは行けないよ。学区外だもの」
「そんなの気にするな。保護者がついてるじゃないか」
 リネン君は自分を指差した。頼りになりそうもない。
「学校はどうだ」
「楽しいよ」
「嘘つくんじゃない」
「嘘じゃないよ。リネン君は楽しくなかったの?」
「楽しくなかったね。誰がクラスメイトだったかすら覚えていない。あー、思い出したくもない」
 路地裏は埃っぽく閑散としていた。あちこちに土煙で茶色くなったガラクタが転がり、腐り始める時を待っている。プロペラの欠けた扇風機、何も植えられることのなかった鉢、泥棒に乗り捨てられた自転車⋯⋯。隙間からたんぽぽが図太く茎を伸ばしている。僕達はそれらを踏み越える。
「友達とは上手くやれているか」
「大人みたいなことを聞くんだね」
「俺だって時々大人になるさ」
「都合の悪い時は子どもになるくせに?」
「黙ってろ。小遣いやらないぞ」
「ごめんごめん。友達とはまあまあだよ」
「どんな奴だ」
「うーん」
 僕はそれなりに仲のいい面子を思い浮かべる。けれど結局、分からない、とだけ言った。なぜなら誰であっても、リネン君の擦り切れた個性には敵わないように思えたからだ。僕の脳内で神に扮したリネン君が、同級生の頭上に腕組みをしてふんぞり返った。
「どいつもこいつもじゃがいもみたいな顔してやがる。区別がつかねえのも当然だ」
 リネン君はまさに愚民を見下ろす神の如くぼやく。だが僕は彼を尊敬しているわけではない。むしろ彼のようになるくらいなら、じゃがいもでいる方がましだと思う。
「ところでリネン君、僕等は一体どこに向かっているの?」
 彼の三角の鼻の穴が答えた。
「廃墟だよ。夢のタイピストに会いに行く」
 潮の匂いに誘われ松林を抜けると、そこは海だ。透き通った水色の波が穏やかに打ち寄せる。春の太陽が砂を温め、足の裏がほかほかと気持ちいい。リネン君の頭にカモメが糞を落とす。鳥に拳を振り上げ本気で怒り狂う彼を見て、僕は大笑いする。
 その建物は浜辺にぽつりと佇んでいた。四角い外観に白い壁、すっきりとした窓。今は壊れかけて見る影もないが、かつては垢抜けた家だったのだろう。
ペンキが剥げたドアを開ける。錆びた蝶番がひどい音を立てる。中はがらんとしていた。一室が広いので、間取りを把握するのに手間取る。主人を失った椅子が一脚悲しげに倒れている。家具といったらそれきりだ。天井も床もところどころ抜けている。まだらに光が降り注ぎ、さながら海の中のようだ。
 空っぽの缶詰を背負ったヤドカリが歩いている。リネン君がそれをつまみ、ふざけて僕の鼻先に押しつける。僕の悲鳴が反響し消えてゆく。本当にここにお兄さんが住んでいるのだろうか。
「どこにいるってんだ。これだけ広いと探すのも手間だぜ」
リネンくんは穴の空いた壁を撫で、目を細める。
「僕は何だかわくわくするな。秘密基地みたいで」
「だからお前はガキだってんだ」
「うるさいな⋯⋯あ」
「あ」
 僕等はようやく彼を見つけた。
 お兄さんは奥の小さな部屋にいた。バネの飛び出た肘掛け椅子に座り、一心不乱にタイプライターを叩いている。紙に見えない文字が次々と刻まれてゆく。テーブルには白紙の「原稿」が山積みになっていた。僕等は息を呑み、その光景に見入る。
僕は目の前の人物がお兄さんだと信じることができなかった。きらきらしていた瞳は濁っていた。締まった頬はこけていた。真っ直ぐだった背骨はたわんでいた。若さでぴんと張ったお兄さんは、くしゃくしゃになっていた。
「ご熱心なことで」
 リネン君はテーブルに寄りかかり、これみよがしに足を組む。
「おい、元気か」
 お兄さんは僕等に目もくれない。リネン君は溜息を吐く。
「聞こえてるのか」
 先程よりも大きな声だった。沈黙が訪れると、キーを叩く音だけがカチャカチャと鳴った。呼吸のように規則正しく。カチャカチャカチャ、チーン。カチャカチャカチャカチャ、カチャ。
 リネン君は懲りずに話しかける。
「何を書いてるんだ。小説か。いいご身分だな。ちゃんと物食ってるか。誰が運んでくれてる。あの女か?答えろよ。答えろっつうんだ。おい!」
 かつてお兄さんは僕とよく遊んでくれた。爽やかに笑う人だった。時折食事に誘ってくれた。決まって薄味の感じのいい料理だった。彼女が顔を出す日もあった。彼に似て優しい女性だった。リネン君が彼女を知るまでは。
「お前、俺が彼女と寝てからおかしくなったんだってな」
 リネン君はねちっこい口調で囁く。
「脆いもんだ、人間なんて。そうだろ? 好青年だったお前がこんなに縮んじまった。どうしたんだ? 筋トレは。スポーツは。��めちまったのかよ。友達は会いにこないのか? そうだよな。病人と面会なんて辛気臭いだけだ。
 お前は何もかも失ったんだ。大事なものから見放されたんだ。良かったなあ、重かっただろ。俺はお前の重荷を下ろしてやったんだよ。大事なものを背負えば背負うほど、人生ってのは面倒になるからな。
 にしても、たかが女一人逃げたくらいで自分を破滅させるなんて馬鹿なやつだな。お前は本当に馬鹿なやつだよ」
 お兄さんは依然として幻の文字を凝視している。それにもかかわらず毒を吐き続けるリネン君がやにわに恐ろしくなる。一度宝石を砕かれた人は、何もかもどうでもよくなるのかもしれない。何も感じることができない空っぽの生き物。それは果たして人間なのだろうか。もしかしてリネン君の石は、もう壊されてしまった後なのかもしれない。
 チーン。
 お兄さんが初めて身動きをした。原稿が一ページできあがったらしい。彼は機械から完成品を抜き取ると、��ボットのように新たな用紙をセットした。後は同じことの繰り返しだった。決まったリズムでタイプを続けるだけ。カチャカチャカチャカチャ。
 リネン君は舌打ちをした。
 僕等は廃屋を後にした。夕日が雲を茜色に染め上げる。水平線が光を受けて星のように瞬いていた。海猫がミャアミャア鳴きながら海を越えてゆく。遠い国へ行くのだろうか。
「壊れた人間と話しても張り合いがねぇな。ったく時間の無駄だった。まともな部分が残ってたら、もう少し楽しめたんだがな」
 リネン君はクックック、と下劣な笑いをもらす。仄暗い部屋で背中を丸めていたお兄さんの横顔が頭をよぎる。
「リネン君、どうしてお兄さんだったの?」
 僕はリネン君に問いかける。糾弾ではなく、純粋な質問だ。リネン君は億劫そうに髭剃り跡を掻きむしった。
「お前には関係のないことだろ」
「お兄さんに何かされたの? お金がほしかったの? それとも彼女さんが好きで妬ましかったの?」
「どれもガキが考えそうなことだな」
「ねえ、何で? 教えてよ」
 彼は僕の肩をぽんと叩いた。それで分かった。彼は僕の問いに答えてはくれないだろう。明日も、明後日も、その先も。ひょっとするとリネン君も、自分がどうしてそうしてしまうのか分からないのかもしれない。だから洞窟荒らしを繰り返してしまうのかもしれない。それは彼の壊れた宝石がさせることなのかもしれない。ずっと、ずっと前に壊れてしまった宝石が。
 僕は彼の手を握る。
「僕には何でも話してよ。僕、子どもだし。大人の理屈なんて分からないし。リネン君が話したことは誰にも言わないよ。友達にも絶対。だからさ⋯⋯」
 リネン君は鼻をスンと鳴らした。何も言わなかったけれど、僕の手を払いのけることもしなかった。
 僕等はとぼとぼと暮れなずむ街道を歩いた。夜が深まるにつれ、繁華街のネオンがやかましくなる。リネン君は殊更騒がしい店の前で立ち止まると、
「これで何か食え」
僕に小銭を握らせドアの向こうに消えた。
 近くの自販機でコーラを買う。プルタブを開けると甘い香りが漂う。僕はリネン君の部屋に放置されていたビール缶の臭いを思い出す。どうして黄金色の飲み物からあんな臭いがするのだろう。コーラのように甘やかな匂いだったらいいのに。そう思うのは、僕が子どもだからなのだろうか。
 僕は全速力で走る。野良犬にちょっかいをかけていたら、すっかり遅くなってしまった。早く帰らないと母さんに怒られるかもしれない。これまでの時間誰と何をしていたのか問い詰められたら、リネン君のことを白状しなければならなくなる。自白したが最後「あんな人と付き合うのはやめなさい」理論で、監視の目が厳しくなるかもしれないのだ。
 慌ててアパートの敷地に駆け込んだ時、リネン君の部屋の前に女の人が座り込んでいるのが見えた。臍が出るほど短いTシャツ、玉虫色のジャケット、ボロボロのジーンズ。明るい髪色と首のチョーカーが奇抜な印象だ。切れかけた電球に照らされた物憂げな顔が気にかかり、つい声をかけてしまう。
「あの。リネン君、しばらく帰らないと思いますよ。居酒屋に入ってったから」
 女の人は僕を見た。赤い口紅がひかめく。瞬きをする度、つけ睫毛からバサバサと音がしそうだ。彼女はかすれた声で返事をした。
「そう。だろうと思った」
 彼女はラインストーンで飾られたバックから煙草を取り出し、火をつける。煙からほのかにバニラの香りがした。
「君は彼の弟?」
 僕はぶんぶんと首を横に振る。これだけは何が何でも否定しなければならない。
「ふーん。じゃ、友達?」
「そんなところです。僕が面倒を見てあげています」
「あいつ、いい歳なのに子どもに面倒見られてるんだ。おかしいの」
 女の人はチェシャ猫のようににやりと笑った。彼女は派手な上着のポケットをまさぐる。
「ほら、食べな」
 差し出された手にはミルク飴が一つ乗っていた。
「あ。有難うございます」
「あたしミクっていうの。よろしくね」
「よろしくお願いします」
 僕は彼女の横に腰かけ、飴玉を頬張った。懐かしい味が口内に広がる。ミクさんは足を地べたに投げ出し、ゆらゆらと揺らす。僕も真似をした。
「ミクさんはリネン君の彼女なんですか」
「はあ? 違うって。昨日あいつと飲んでたら突然ここに連れ込まれちゃって、明日も来いなんて言われてさ。暇だから何となく寄っただけ。彼氏は他にいる」
 恋人がいるのに名も知らぬ男の家に二晩続けて泊まりにくるなんて、やはり大人の考えることはよく分からない。
「それにあいつ、彼女いるんじゃないの?」
「えっ。いないですよ」
 正しくは「ちゃんとした彼女はいない」だ。
「そうなの? 昨日彼女の話で盛り上がったのになあ。じゃあ思い出話だったんだ、あれ」
 好奇心が頭をもたげる。僕はわくわくと聞き返した。
「リネン君が言う彼女って、どんな人だったんですか?」
「えーとね。確か大学で知り合って」
 リネン君、大学なんて行ってたんだ。
「サークルの後輩で」
 サークル入ってたんだ。
「大人しくて可愛くて料理が上手くて守ってあげたくなる感じで」
 そんな人がリネン君と付き合うだろうか。
「結婚しようと思ってたんだって」
「まさか!」
「うわ、びっくりした。突然叫ばないでよね」
「すみません。今のリネン君からは全く想像できない話だったもので」
「そんなに?」
 やっぱ君っておかしいの、とミクさんは微笑む。
「どんな人にも、こっそり取っておきたい思い出って、あるからね」
 僕はひょっとして〝彼女〟がリネン君の宝石だったのではないかと推測し、やめた。いくら何でも陳腐だし、ありきたりな筋書きだ。恐らく宝石はもっと複雑で、多彩な色をしているはずだから。
ミクさんはあっけらかんと言う。
「ま、君の反応を見る限り、彼女の存在もあいつのでっちあげだった可能性が高いけど」
大いに有り得る。彼女は腰を上げスカートの砂を払った。
「行くんですか?」
「うん。君もそろそろ帰る時間でしょ?」
「リネン君にミクさんが来たこと、伝えときましょうか?」
「いいよ。この分じゃ、約束したことすら覚えてないと思うから」
ミクさんは僕に溢れんばかりにミルク飴を握らせると、
「またどこかでね」
カツカツとヒールを鳴らして立ち去った。
 ドアを開けた瞬間母さんがすっ飛んできて「心配したのよ!」と怒鳴った。
「まあ許してやれよ、男の子なんだから。なあ?」
「お父さんは黙ってて!」
「はい」
どうして僕の周りの男どもはこうも頼りないのか。
母さんにこってりしぼられながら、僕はかつてのリネン君の恋人を思い浮かべる。まなじりは涼しく吊り上がり、心なしか猫に似ている。けれどリネン君がどんな顔をして彼女に接していたのかという点においては、全く想像がつかない。
女性を抱いては捨てるリネン君。皮肉を言ってばかりのリネン君。人を廃人にするリネン君。リネン君にとって今の生活は、余生でしかないのだろうか。
洞窟は宝石の輝きを失ったら、どうなるのだろう。僕等は心が壊れても死なないけれど、それは果たして幸福なことなのだろうか。人は肉体が朽ちるまでは何があっても生きる運命だ。この体は意外と頑丈だから。
「聞いてるの?!あんたって子は本当に⋯⋯ちょっと、誰からこんなにミルク飴貰ったの!叱られながら舐めないの!」
「痛っ!」
頭をはたかれた衝撃で、口の中の飴がガチンと割れる。
僕の宝石は誰にも見つからないように、奥深くに隠しておこう。誰かが洞窟に侵入した場合に備え、武器を用意しておこう。相手を傷つけることのない柔らかな武器を。もしかしたらその敵は、リネン君かもしれないから。
僕がお説教されている頃、孤独なタイピストの家に誰かが食事を運んでいた。カーテンの向こう側に蝋燭の火が灯され、二人の影が浮かび上がる。
古びた机に湯気の立つ皿が置かれると、お兄さんはぴたりと手を止める。彼は凝り固まった体をやっとのことで動かし、痩せ細った手でスプーンを掴む。
その人は彼が料理を口に運ぶのを、伏し目がちに、いつまでも見守っていた。
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honryu2 · 5 years ago
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第一章     若い感受性ゆえの挫折
1976年、私は中国のごく一般的な家庭の3人兄弟の末っ子として、ハルピンという街に生まれた。両親はともに教員をしていて、中国では大学の教員は基本的に大学キャンパス内のマンションに住むことができるので、私は子供の頃、キャンパスならではの運動施設や広場、緑豊かな公園などに恵まれ、伸び伸びと過ごせたと思う。
 当時のハルピンは三階までの建物が多く、街の中でも荒地があちこちあり、それらはすべて子供にとって楽園だった。夏には、トンボや蝶を追ったり、バッタを捕まえたり、冬には野外でアイススケートしたり、橇を作って遊んだりしていた。近所の子供たちもよく一緒に遊ぶ時代で、今の中国の街では見られない風景だった。
 ハルピンは20世紀始め、ロシアが中国の東北地域の植民地支配を始めた頃、鉄道の重要な拠点として街をつくられた。ロシア本土の街と違って、極東にあって、ヨーロッパ的な都市を一から作るため、ロシア側にはしっかりとした都市計画があったようだ。20年代ではとても美しいロシア風の街のひとつで、シベリア鉄道の終起点の一つでもあった。当時ヨーロッパからの資本や銀行がたくさん入っており、ユダヤ人も大勢おり、アジアで上海の次に国際色の強い街だった。30年代に入ると日本に占領され、満鉄の重要な街として日本にも知られた。ロシア風の古い建物が多く、文化的にも東欧からの影響が濃く存在していた。今でも北京より遥かにお洒落で、ファッションセンスのある街である。
 50年代以後、毛沢東の「北大荒(中国の東北にある黒竜江省など人口密度の少ない地域)開拓」の呼びかけに応じて、多くの若者が故郷を離れ、全国各地からハルピンにやってきた。そのためハルピンの人口は膨らんだ。中国には各地方の方言があるが、ハルピンは一番標準語に近いと言われる。各地方の人たちが集まったので、標準語を使うしかなかったからだ。
 母と父は大学卒業後少し南にある遼寧省からやってきた。父は普通の鉄道員の家庭出身だが、母は資本家家庭出身で、波乱万丈の中国近代史を間近で見てきた。小さい時から母はよく戦時中のことや、社会主義の前の中国のことを話してくれていたので、日本への最初の印象はその時出来上がったように思う。
 そのことに少し触れたい。母の曽祖父は清王朝の官吏で、清が滅んだ後、賭博場(今でいうカジノ)を経営し、瀋陽で(満州時代は奉天と呼ばれた)では多少名の知られた人物であった。軍閥張作霖とも親交があり、1931年の満州事変(日本関東軍による張作霖暗殺、満州出兵)の後は日本軍から警戒されていて、相当な不遇にあった。しかし三人の娘は皆顔立ちが綺麗だったために、それぞれ満州時代の商売人や当時の高官に嫁いだ。私の祖母の嫁ぎ先、すなわち私の祖父は瀋陽で屈指の商売人だった。日本とも貿易があったため、よく母を連れて日本に来たりしていた。母は、日本の女の人が和服を着て綺麗だったと私によく話してくれた。瀋陽の中心街に住んでいたので、(東京でいうと銀座のような場所)、平和に暮らす日本人しか見ていないので、日本に対して非常に良い印象を持っていたようだ。
 母は南満洲鉄道の「アジア号」の話をよく聞かせてくれた。当時家族で豪華な車両を貸し切りに「アジア号」に乗っていたといつも自慢げに話していた。「アジア号」は当時では世界一速かったらしい。私には半信半疑だったが、何年前に日経新聞を読む時に、偶然に「日本が世界に誇る列車、アジア号」の話が出てきて、とても懐かしかった。
 私の子供頃は、よく「一休さん」と「おしん」、そして「姿三四郎」がテレビで放送されていた。そのお蔭で、その時代の中国人は皆日本に対してとても好感を持っていた。礼儀正しく、辛抱強く、真摯的で、それが90年代以前の中国人の日本に対する印象であった。もちろん、愛国主義教育で戦時中日本はどれだけ中国に対して悪いことをしたかという教育と、日中戦争をテーマとした映画の中では日本は「鬼」と化しているが、だれでも戦時中の日本人と実際の日本人とは別者に考えていた。それは今でも同じだ。最近日本のメディアではよく、中国人は愛国主義教育のため日本を嫌いになっていると言うが、それは単に中国の事情知らないだけである。或いは意図的なものかもしれない。最近の日本嫌いは、どちらかというと、日本人が自ら自分の美徳を見捨てたところにあると思う。昔の日本人ほど尊敬できるところは少なくなった、というところからだと思う。
 また、私の中では、昔から「自国が弱ければ虐められるのが当然」という考えがあった。歴史知識があるなら当然思うことかもしれない。中国はアヘン戦争以後、日本だけでなく、ヨーロッパ列強に侵略されていた。だからといって、日本の侵略戦争を好意的に解釈するつもりはない。侵略戦争はいつの時代でもどこでも起きている。しかし、近代に入ってからは、大量の民間人の虐殺の伴う侵略、とくに残酷な手段による虐殺は許し難い。ナチス・ドイツを許し難いのは戦争を起こしたからではなく、大量の民間人を意図的に迫害し、虐殺したことにあると思う。第一次世界大戦もドイツによるものだったが、そこには大きな違いがあった。
 それが過去であって、狂った時代であって、少しでもまともな人はそれが今の日本と結びつかないだろう。政治家たちは政治交渉のカードとして出すかもしれないが、本気で当時の日本と今の日本と同じ風に見る人はいないと思う。むしろ、中国の教科書には、明治維新の意義やそれに対する評価が高く、中国ではそれがうまくできなかったから取り遅れたというような論旨も見えた。私が日本留学を選んだのは、経済、技術大国となった日本への憧れもあるが、それ以上に明治維新や戦後急速な復興を成し遂げた日本に対する尊敬の気持ちがあったからだと思う。
 当時の中国では、優秀な学生たちは皆海外留学を望む時代だった。留学のことを「渡金(金箔を付けるという意味)」と言われ、企業でも大学でも留学経験のある人を重要視される傾向もあった。国としても外国に学び、自国を高めたいという時代であって、個人レベルでは、当時の中国人は海外にいくことはほとんど不可能な時代で、外の世界を見る唯一の手段は留学だった。先端の知識への渇望と好奇心が私達を駆けたてたかもしれない。
 私の場合、高校入ってからよく英語で海外の本や雑誌を読んでいたので、当時の中国の雑誌の世界観が私にはとても狭かったし、いつか海外留学したいという気持ちが強かった。当時の中国の優秀な学生は皆アメリカ、またはドイツか日本留学を選ぶ時代であった。私は日本留学を考えた。猛勉強をして、高校一年生の時にはすでに高校の卒業試験を受けて、試験に合格し、卒業証書をもらい、留学の手続きを始めた。
 *     *  *
 こうして、1992年1月、高校三年の前期を終えて、私は一人で東京にやってきた。東京・小平で月1万5千円の木造のぼろアパートを借り、高円寺にある日本語学校に通い始めた。
 当時の中国は貧弱そのもので、ほとんどの留学生は自分で生計を立てなくてはいけなかった。本国からの仕送りを受けるどころか、多くの留学生は日本で稼ぎ、本国に送金する時代だった。私も、日本語はゼロから勉強し始めたが、三ケ月ほどでなんとか伝えたいことは言えるようになり、アルバイトを探し���めた。たまたま知人の紹介で、ある指圧の先生の下で指圧を習い、三鷹、立川そして福生などで指圧のアルバイトをしていた。仕事を選ぶまでもなく、とにかく経済的に自立したかった。
 家に帰るのはいつも深夜で、疲れてすぐに寝てしまう時もあった。これでは目標としたこの年の進学には間に合わなくなるので、アルバイトが終わっても家には帰らず、家の近くの東京学芸大学の教室に忍び込んで、朝まで勉強したりしていた。今思えば、喫茶店やファミリーレストランでも勉強できたが、当時まず知らなかったことと、生計のことと進学の学費など考え、とにかくお金は使えなかった。それに、当時の中国は一食10円程度の時代だったので、日本に来てすべてがあり得ないくらい物価が高かった。来日まもなく月20万円ほど稼げたが、ほとんど貯金に充てた。
 苦労したという人もいるかもしれないが、私はそれを苦労と全然感じなかった。それより当時の中国はATMもコピー機械すらなかった時代なので、日本に来てすべてが新鮮に感じた。とにかく日本語を覚え、進学のことだけを考えていた。アルバイトに相当の時間をつぎ込んだはずだが、意外と日本語の勉強も猛スピードで進んでいた。
 大抵の人は日本語学校に一年半か二年間通うけれど、私は半年経ったところ、今年の受験でも行けると感じた。日本語はまだまだ習っていない文法や語彙も多かったけれど、雑誌や新聞を読んで、知らないものと出会ったら自分で辞書さえ調べれば、理解できるようになった。もう一年日本語学校に通うことは時間の無駄だと感じた。
 しかし、私の通った学校は社会人向けで、進学指導はなかった。多くの日本語学校では進学指導があることさえ知らなかった。すべて自分で準備するものだと思っていた。そして、その年の9月から、午後のアルバイトに行くまでの時間、東京学芸大学の図書館に通い、日本の高校の教科書を巡りはじめた。
 その二ヶ月後に、日本語能力試験とセンター試験を迎えた。有機化学ではほとんどカタカナでとても覚えられなかったし、微積と線形も中国の高校では今外されて、大学で勉強することになっていたので、さっぱりできなかったが、それ以外の部分はほぼ満点を収めたので、留学生の中では7番目だった。
 当時の自分は情報がなかったので、早稲田が日本で一番いい大学と思い込んでいた。早稲田の試験を受ける時に、試験官はとても傲慢だったのを覚えている。しかし試験問題は、それでも高校生の試験問題なのかと思うくらい簡単だった。
 1月に入ってたまたまある塾の数学の先生と出会い、彼は私の成績を見て、あなたはとても早稲田に行く人ではないよと言われた。そして旧帝国大学のことを教えてくれて、東大か、京大、東工大を受けるべきだと言われた。せっかくだから日本の政治経済の中心地に残りたいので、東大と東工大を出願したところ、東大は高卒2年以内でないと受ける資格がないと言われ、結局東工大しか受けられなかった。
 そのことを少し説明しないといけない。私は高校入って海外留学したいという気持ちがあったので、高校の授業を一年で一通り勉強し、高一の時にも卒業試験を受けて卒業証書を取得していた。そのため、卒業証書では、二年過ぎてしまったことで東大を受ける資格はなかった。そのことは、自分の中でとても悔しい思いをした。
 その後の早稲田の面接の時に、20人ほどの先生たちに一周囲まれて、日本語もまだ慣れていない来日一年目の自分は、とても緊張していた。しかし、聞かれているのはほとんど学費払えるかの経済問題。少しずつ、私が勉強しに来ているのに、なんて学費のことばかり質問するのだと反抗心が強くなり、もともと東大を受けられない悔しい気持ちが胸いっぱいだったので、なぜかすごく胸が張って答えられるようになったと今でも覚えている。
 しかしその後の東工大の試験はまったく違った。試験官も全く高圧的な態度はないが、試験問題は泣きそうなくらい難しかった。数学は三割しか解けなかった気がする。それでも合格できたのは物理と化学、英語が良かったかもしれない。面接の時も面接官はとても優しかったのを覚えている。うちの学科に来ないか、そんな具合だった。
 大学入学まで残りの二ヶ月はとにかく学費・生活費を稼ぎ、高校で習っていなかった微積と線形代数を勉強した。そんな思いだけだった。深夜のコンビニのアルバイトもした。昼間はまた普通に指圧のアルバイトをしていた。ある時、コンビニのバイトで徹夜上がり、昼間も普通に勉強できて、倍の時間を使えたと嬉しくて電話で母に話した。そうしたら、母に「体壊すよ」とすごく叱られた。でも母の言うことを聞かなかった。そんな生活を一週間ほど続けていたある日、電車を乗っていたら、吐いてしまった。母が正しかった。
 東工大入学後、更に悔しく感じることはたくさんあった。それまで高卒で東工大に入学した留学生は私一人だけだった。なぜなら、中国では高校で微積と線形代数を教科書で扱わないし、また英語の試験は国によって試験問題はまったく違うので���よほど余裕がないと、外国で受ける、つまりまったく系統の違い試験問題を受ける時にいい成績を取りづらい。だから、中国で大学に一度入って一年、二年で中退して来日した学生の方が高卒の人より遥かに有利だった。中国の大学は日本と違って、高校並に勉強できるところなので、彼らは微積や線形代数、そして英語がとても余裕だった。
 だから、東大が高卒二年以内という制約あって、競争少ないため、留学生にとって東工大より遥かに入りやすかった。東工大の場合、大学中退した実力のある学生たちが上位並んでいるので、中国高卒の留学生が東工大に入れた人はこれまで私以外いなかった。私の場合、数学以外は、彼らに差を付けられなかった。英語でさえ、もともと海外留学を考え、高二の時猛勉強したことがあり、そのお蔭ですっかり英語が好きになり、自然科学、経済、歴史、哲学まで英語で読むことが好きになった時期があって、高二の時に中国大学院の入学試験(5級)に合格していた。
 こうして、東大を受ける資格のない留学生の中の成績上位の学生たちは皆東工大に来ていたので、私の成績は東工大では7番目となったため、初年度奨学金をもらえなかった。東大を受けられれば一番になれたのに。悔しくて学校に事情を話しに行った。留学生課の先生は細かい事情を当然知るすべがなく、一応理解を示し慰めてくれた。しかし、期待したところ、何も具体的に助けてくれなかった。今思えばたった月7万円の奨学金だが、しかし、当時の私たちには大きな意味があった。なにせ、親の一ヶ月の給料は4千円だった時代。生計を自分で立てている私たちには学習時間にそのまま直結するものだった。そのことで、私の後の人生に大きな影響を与えた。二つのことを心に銘記させられた。
 一つは日本の奨学金制度に対する疑問から。奨学金は、優秀な学生にあげるべきなのに、日本の場合は、各大学に平均的にあげる傾向があった。援助金のようなものだった。皆平等に扱うという発想からかもしれない。私が日本の平等意識に疑問を抱き始めたのはその時からだった。
 もう一つは人に頼ろうとしなくなったこと。だれかが同情してくれて助けてくれるだろうと期待したところ、結局、自分しか頼りにならないことはその時思い知らされた。その時から、人や社会に頼らず、自分の力で生きていく、と心の中に決めた。それは今の自分の生き方そのものになっている。
 後の話だが、私が創り上げた馬上の旅では、日本的でないものがたくさんあった。たとえば、乗馬の際に、私は参加者を平等に扱っていない。素質のある人が私は特別扱いして伸ばしていく、けっしてできる人を抑制して平均に合わせるようなことはしない。普通の日本人の考えだったら、だれかを特別扱いして他の人から反発を受けるだろう。しかし私はそんなことを気にしない。素質のある人を伸ばすことで、他の人にビジョンを示すことができる。そうすると他の人も頑張ってくれる。結果的に皆が早く上達できる。どんどん上にいくからこそ見える世界がある。それこそ人の権利を尊重することにあると思う。もし、私が旅での中で結果的な平等のやり方にしてしまったら、だれでも不完全燃焼になってしまい、魂まで喜びを覚えるような境界は一人も達せなかっただろう。今の日本社会はまさにこういった結果的平等の考えによって、完全燃焼ができなくなっている。抑圧的な社会になっていく。日本社会はそういう意味で、平均に合わせようという力が大きすぎる。もっと上に行けて、もっと大きなものを知れる人の権利が奪われたのと同然なのだ。
 奨学金を得られなかった分、自分で稼いてやる。そんな気持ちの中、大学の最初の二年間は、アルバイトを沢山した。田園調布駅で朝の通勤ラッシュ時にホーム要員として働き、夜は工場で働き、土日は指圧のアルバイトを入れ、7つものアルバイトを掛け持ちしていた。地下鉄サリン事件の時は、永田町のビルで朝の掃除のアルバイトをしていた。事件があと10分でも早ければ、自分も被害者になったかもしれない。
 今思えば、これらのアルバイトの経験は、日本社会を間近で見る貴重な機会になった。その後、独立創業する自分に大きな意味があったと思う。
7つのアルバイトはいずれも朝9時から夜5時までの学校の時間に重なっていなかったので、大学の友人たちは私が全くアルバイトをしていないと思われた。しかし当時、アルバイトで月20万円ほども稼いだ。当時の一か月の生活費の出費は家賃を含めて3万円程度だったので、実はそんな稼ぐ必要はなかったが、中国からの貧しい留学生の中では、多く稼げることはそれも一つ能力を測る基準であった。今思えば、私達は学生でありながら、生計を自分で立てている時点で、多く稼げる人もそんなに稼げない人も、立派に社会人として独立していたと思う。が、同じ条件、同じ出発点だからこそ、その中に自然と競争意識が生まれ、一つの価値観が形成されていく。
 同じ東工大でも、アルバイトが見つからない人はたくさんいた。私に紹介してほしいと頼みに来る人もいた。私は可能な限り彼らを助けていたが、同時に彼らを叱りたくもなった。私たちは能力も状況も同じなのに、何て自分で見つけられないのだ。99軒に断られても、100軒目に期待する。それが当時の私の心意気だった。自分ができない、失敗だと認めない限り、できないことはない。その時からそう思い始めた。
 経済の独立への執念が強かったため、勉強は疎かにした。勉強時間はほとんど電車の中だけになってしまった。学習意欲も次第と下がっていた。そうさせたのは、日本の大学教育に対する失望感と進学後の挫折もあった。
 後で分かったことだが、東工大の授業は、日本の大学の中でもとりわけ難しかった。特に自分の専門とする制御システムの学科はそうだった。東工大の二年生の授業は東大の大学院一年レベルとも言われた。とにかく自分の研究をそのまま伝えている先生が多くて、どう教えれば学生のためになるかということをまったく真剣に考えていなかった。大学の先生は研究者である前に、まず教師であって教えることが仕事だということを忘れている先生が多かった。
 勿論、当時の私の日本語能力も問題だった。授業中一生懸命聞いていても、いざ演習となると、隣でずっと寝ていた学生から、これは先生が言ったのではないかと言われたりした。理系の場合、外国語で学ぶ時、ある程度知識を俯瞰できる余裕がなければいけないことは身をもって知った。
 そして、東工大の学生は、物理問題もすべてが微積で考える。それが微積を独学で習い、まだ自由に操れない自分は、微積の考えについていけなかった。高校まで物理も数学も学校では一位だった自分が、そんなふうに「差」を付けられてしまうことがとても悔しかった。今でも納得しない。微積の考えを高校の時点で物理に導入することは私が賛同できない。考えが安易になって、直感的な“物理力”ができなくなる。
 大好きな勉強に楽しみがなくなった。しかし、その一方で自信はあった。その自信はどこか別なところに訴えようとした。
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isushika-yabaize · 6 years ago
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1028年下半期 腰長~平宗太世代
前回のあらすじ
髪全部切れた。
白骨城で四ツ髪を切った翌月7月。
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ついに腰長の子どもがやってきた。感慨深い…腰長様は実のお父さん、木肌に会うことができなかったから…交神はしたけど、自分の子どもって言われてもピンときてないんじゃないだろうか。
腰長「……」
茜「ほらお兄ちゃん、しっかりして!」
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わっ……丸い(初見の印象)なんだかマスコットみたい。マスコットみたいって言ったらもっとナマズ顔とかいろいろあるけど、なんか腰長様が美形だったから、なんだかすごく丸く可愛く見えるというか。なんか胴周りもポチャッとしてそうでは?かわいい。
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そ、そつがねぇ~~心配だった体水もバーの上では十分だ~~。名前は平宗太(ひらそうだ)にした。平宗太鰹から。通称:平ちゃんだと思う。
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うんうん、良い感じ~。しいて言えば、体火が少し物足りなく見えなくもないけど、これからどうなるかわからないから、今後に期待。
性格はなんというか…素質的には心風が一番高いんだけど、来た段階では取り繕ってるっていうより、ちょっと気合が違うっていうか、ちょっと高めの心土と、心火を心水と同等にして来たあたり、堅実に頑張って行こうっていう心の表れに見えるというか…顔の勇ましさも相まって、フンスフンスって鼻息荒めのやる気を感じる。心の風は器の大きさかな。「~だぞ」「~なのだ」口調で喋りそう。勝手なイメージが留まるところを知らない。
職業は槍使いにした。できれば終始前線で頑張ってほしい。
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そして訓練は腰長様が。もう、ほんとに、マジで感慨深いというか。上で書いたけど、父・木肌に会えなくて、伯父の目鉢に1ヶ月だけ訓練をつけてもらった腰長様が、自分の子に訓練をつける、っていうのが、もうね……
平ちゃんがやる気に満ち溢れてる感じするから、腰長様のが若干戸惑いそうな感じもする。
腰長「そろそろ訓練の時間だ、平���…」
平宗太「父上!訓練のほどよろしくお願い申し上げる!」
腰長「あ、ああ」
目仁奈「兄さんが及び腰なんて珍しい。平宗太くんは髪なんかより大物ね」
伊良子「腰長兄だけに、及び腰…」
茜「後で絶対七天爆されるよ」
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で、もうそろそろマジで一刻の猶予ない交神①、目仁奈の交神。そのカッスカス…大江山越える前の世代でももうちょっとマシなバーしてるんじゃないかという火を可及的速やかになんとかする必要がある。
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仙酔エビス様でもよかったんだけど、なんとなくバーの起伏の激しさが少し不安だったので、火もカバーしつつ全体的に安心感のあった鎮守ノ福郎太様にお願いした。見た目の相性なかなかいいな…
火が、火がなんとかなりますように(切実)
そして8月、
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腰長様「好きにしたらいい」
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腰長様、庭に向日葵が植わってることすら(そうだったのか)って思ってそうじゃないか?ところで、この選択肢って何か意味があるのだろうか。
伊良子「ええー!イツ花、神社のリスに向日葵の種あげに行くんだって!私達も行こう茜!」
茜「なんで私まで!?別にいいけど…目仁奈お姉ちゃんも行く?」
目仁奈「うん、行こうかな。リスって向日葵の種食べるんですね、兄さん」
腰長「知らなかったな」(特に必要のない情報だったから)
そして腰長親子の訓練はどうだったかな、と。
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そつがない~しいて言えば技風・技土が少し低めかな。苦手科目だからね。でも全体的に安定している…さすが腰長様…
でも
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ついに…その時が来てしまった。今月が…最後…。
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そしたら目仁奈も後を追うように健康度が下がってしまっていた。いや、うん、もう、そういう時期だものね…目仁奈も辛うじて子どもに訓練がつけられそうで、本当によかったとは思うけど、できればもっと元気な状態で子どもに会わせてあげたかった気持ちはある…
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腰長様は、自分の寿命をわかってそうだな…と思う。漢方は目仁奈だけが飲んだ。無駄なことは、きっとしない。
茜「目仁奈お姉ちゃん、これ、漢方…お兄ちゃんには」
目仁奈「いらないって、言うと思うの…」
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そして猶予のない交神②伊良子の交神。伊良子は…伊良子そのバーでよくここまで心火が伸びたな…やっぱ正義の心がバーニンソウルしたのかな。とりあえずは、落ち着きのなさ(心土)、あと梵ピンが無いと心もとない攻撃力(体火)弱めの防御力(体土)をなんとかしてほしい。
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まあ奉納点的にも余裕はあるし、土をなんとかしたいな、ということで月光天ヨミ様にお願いすることにした。
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すみません。落ち着きのない妹ですが、よろしくお願いします。素直なところが取り柄です…
そして、伊良子の交神を見届けると
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わかっていたこと。狼狽える必要はない。
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当主の指輪は、平宗太へ。道は拓いた。あとはきっと、やり遂げる。平宗太は、その力を持つ。屍は、俺たちで最後だ……
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長くて短い、不思議な旅路だったように感じる。
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涙、っていう、心の象徴を慮れるようになったのは、腰長もこの人生で大きく成長したということなんだと思う。元々、「泣いてる暇があるなら」と思う人だろうと思うけど、涙を語るのは、今の腰長じゃないと思い至らないことだったと思うんだ…そして、腰長の周囲には、彼を慮って泣く人がいたんだ。
腰長は、不遇…と言うには苛烈すぎる人生を歩ませてしまった。父親は三ツ髪を討ち取った直後に燃え尽きて亡くなり、腰長は訓練をつけてもらうどころか、直接顔を合わせることすらできなかった。父親の双子の兄が、1ヵ月間みっちり有無を言わさず訓練をつけてくれたけど、その伯父もきっかり1ヶ月後には息を引き取ってしまった。
彼の人生は最初から最後まで「髪を切る」ということだけだった。元服前は緋扇っていうハイパー多彩な叔父がいたから、まだ楽だったとはいえ、本格的に世代が変わって、妹たちをまとめる立場になると、妹たちの成長が思い通りにいかなかったり、自分の才の(主に体力面での)貧しさを実感することになった。それでも役割をきっちり把握して、妹たちの力を束ねることで、6本の髪を切った。最初から最後まで1本の芯が通ってる人生で、それだけに黄川人がいくら一族を惑わす言葉を言おうと、きっとこの人は迷わなかっただろうな、という確信がある。
あとめちゃ七天爆られて普通に敗走、生死の境を彷徨った時もあった。漢方と養老水チャンポンして、全快でもないのに髪を切りに行く生命力、体力ないのに凄まじいものがあったね。やったのはプレイヤーだけど。
ここ数代の大海原家は、人数が多かったせいもあって、交神以外にも討伐にいけなかったりして、歴史に穴がある人が結構多かったけど、腰長様は初陣周辺と交神月以外、毎月何かしら○○打倒の文字が入っていて、かなり濃密な人生過ごしたな…と思った。毎月何かしらをボコったし、術やら指南書やら取って、絶対タダでは帰らない。何かしらもぎ取って帰る、という強い意志があった。
なんかな、この人、死んでもそれが本当に「安らぎ」なんだろうか。間もなくポーンと生まれかわって、またどこかでザクザクやっていそうな気がしてならない。
長くなってしまった。やっぱり髪を6本切りきったからなのか、思い入れがすごい…なにはともあれ、大きな歴史にまた一つ区切りがついた。ここからはまた、新しい歴史の一区切りなんだなぁ。
そして氏神推挙も来た。
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田力主大海原。まぁ、語感的に見てって話だけども、この人自身が爆発的な力を持っていたわけじゃないし、田力ってちょっと素朴なところも、合ってたりするかな…と思った。
氏神にはしなかった。優秀だとは思うけど交神はしないだろうと思うから。無駄なことはしなさそうじゃないか?腰長様なら。
そして、当主が変わって、9月。
腰長様の最後のお仕事、平ちゃんの訓練はどうだったか。
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悪くない。少し下がったのは、腰長様も体力がもうなかったということで…あの人もともと体力はないから…それでも下限が2ケタ行ってるあたり、やっぱり優秀なお方だったのだ。
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そして、目仁奈のお子さんも来た。
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親子~。カラーリングが完全に親子だ。カラーリングは柳葉魚の時から変わってないけども。
髪がしっかりしてそうというか、毛根強そう。少しお母さんに似て毛先に行くにつれてふわふわになってったりしたら、かわいいかも。
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火…火は結構、結構いい感じにしてくれた!でも落ち着き(心土)がなさそう!でも目仁奈、一番の課題は火だと思ってたから、まあOKということにする!
名前は鶏魚(いさき)。夏においしい魚らしい。夏終わったけど。職業はまた順当に親の職業を継ぎ、弓使いで。名弓不知火を活用できるかな?
性格は…来たばかりの目仁奈を思い出すな。ぽわぽわ系の天然間延び女子だと思う。心地バーの低さ…本質は地に足ついてなさそう。能力値で一番土が高いのは、これはきっと緊張だよ。身もフタもないけど。普段きっと緊張しないんだろうけど。
鶏魚「一族の宿願を果たさんがため、粉骨砕身の覚悟で邁進して参ります」
平宗太「そう固くならなくてもいいぞ」
鶏魚「…そっか~ありがと~!あらためてよろしくね~平ちゃん~!」
平宗太「……こちらこそよろしくなのだ」
そして、平ちゃんが実戦部隊に加わった。
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これ、平ちゃんのことだけど、平ちゃんに言ってんだよな。でもやる気めちゃありそう、という私の目に狂いは無かった…。
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実は伊良子も、健康度が下がってしまったんだけれど、茜の交神を急ぐよりかは、出陣できる大人がいるうちに、平ちゃんの初陣をしておきたい。
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鶏魚の指導は目仁奈に任せて、三人で出陣しよう。
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茜「髪切ったの三ヶ月前なのに」
伊良子「待っててくれたのね!意外と優しいとこあるじゃない!」
平宗太「私の初陣を待っていたと言うのか?私の宿命というのだな…」
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平宗太の戦いが始まる……。でも、伊良子と茜もきっと、地獄の入り口でいろんなことを考えるんだろうな。
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初成長。技風技土~~お父さんと苦手ジャンルが若干被ってる~って思った。心風と心水が大きく成長したのは、前線の伊良子と茜がギャースカやっているのを見て「父上は個性豊かな一族をまとめあげてきたのだな…私も精進せねばな」的な感じかと思った。体火体土ちょっと不安かも。
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初陣だから賽の河原の鬼を丁寧に叩いてきた。
平宗太「戻り船はない…今の私の力で朱点が討てるとは…まだ修行が」
茜「大丈夫」
伊良子「不思議な正義パワーでもうそろそろ疲れてきたな~って思うと自然と家に帰ってきてるのよ」
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宝…?となったので適当にお弁当代わりの力士水渡した。
茜「この船頭は信頼できるの?」
伊良子「仁王水で乾杯したらね、もうそれは家族よ」
平宗太「伊良子さんが訳のわからないことを言っていることはわかったぞ」
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血の池地獄に行った。急にBGMがギュイギュイしはじめてびっくりした。賽の河原らへんのBGMが「ああ…ラストダンジョン感ある…」ってしんみりしてたから。
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そうこうしてたら終わった。特に目新しい戦果というものはないけど、やっぱり初陣だから身体を動かす必要があった、という感じだし別にいいかな。
ただ、無限白波アタックは少しキツかった。
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そして、帰ったら目仁奈のお迎えが…鶏魚、みんなで見送ろう。
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「わたしの人生、何か足りなかった気がして…でも、結局わからずじまいね…」くらいかと思う。
何か足りない…何か足りない、というと、目仁奈にはいろんなものが欠けてたと思う。それは目仁奈本人の資質とかもあるけど、やっぱり腰長同様に父親に会えなかったこととか、髪を切ることという一つの大きな目標以外のこととか、そういう。
髪を切ったら、朱点との決着がついたら、家族のみんなと穏やかな日を過ごせる日が来たのかもしれない。夏の日に神社のリスをみんなで見に行ったときみたいな日がずっと続くような…。
ゲーム的な話をすると、目仁奈はマジで火が足りなかった。いや、進言はバリバリ奥義進言とかもしてきたし、腰長様の進言シカト采配でストレスで胃がキュッとなるときもあったと思うんだけど、マジで攻撃がカッスカスで…ほか3人が200とか300とかのダメージ出すのに、一人だけ80とか、そのレベルだった。
だからこそ、術を覚えてもらいたくて、サポートに回ってもらうために朱ノ首輪修行をしたりしたんだけど、そのへんプレイヤーの無知の被害を盛大に被った人だった。本当に申し訳ないと思う。でも目仁奈が石猿使えるようになってからは正直かなり安定したと言えた。
生まれた時から腰長と一緒だった目仁奈。逝く時も腰長と大差なく、死後の世界で腰長とあって少し休んだ後、どこかに生まれかわれたらいいね、と思う。
そして、目仁奈とお別れを済ませたと思ったら、
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えっ嘘…まだ余裕があったんじゃ…って思ったけど、地獄巡りで無理をさせ過ぎた…のか…ああ…腰長世代は全員を子どもに会わせてあげたいと思っていたのに…思っていたのに…ハモにきちんと2ヶ月訓練をつけてもらった伊良子が子どもを待たずに死ぬなんて…
でも遺言がどこまでも伊良子らしいのが、もう、もうな…「アハハ…無理しすぎちゃったかな!でも目仁奈姉も見送れたし、私にしては充分よね」みたいな…「子どもは心配っちゃ心配だけど、茜もいるし、大丈夫!」みたいな…茜、倒れた伊良子に泣きながらキレそう…「伊良子お姉ちゃん、まだ大丈夫だよって言ったじゃない!言ったじゃない!うそつき!」って怒ったあと、涙をぬぐった茜の表情がもう絶対に子どもたちを見守るって決意する場面だ…伊良子は終始笑って逝きそう。
伊良子は、壊し屋として腰長世代のメインアタッカーとして頑張ってくれた。腰長は体力が低くて、下手な一撃が致命傷になりうるし、目仁奈と茜は攻撃能力が低い。腰長の梵ピンを受けて敵を粉砕するのは伊良子の役割だった。攻撃はちょこちょこかわされたけど、��も体風は世代の中で一番高かった。あと、メインアタッカーだけど、攻撃を受けた兄姉の心配から、回復進言が人一倍多かった子だと思う。心の値が豊かだし、イケイケドンドンタイプの正義のアホの子というキャラを信じてたけど、優しい娘だったんだよな。あと会話考える時の伊良子の動かしやすさは異常だった。
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目仁奈は来なかったけど、伊良子は氏神推挙が来た。運命糸大海原か…運命糸…まあ正義だし…運命の糸くらい引き寄せる力はありそう。そういえば、父親のハモは「でっかい夢を口にして叶えるくらいじゃないと正義の味方は務まらないですよ」的に解釈した遺言を言ってたな、と思う。運命の糸くらい私にかかればチョチョイのチョイで引き寄せちゃうから!
氏神推挙は蹴った。化けて出ないって言ってるし、腰長と目仁奈も待ってるから。
一気に人数が減った10月。目仁奈の最後のお仕事、鶏魚の能力はどうかな。
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うん、頑張ってくれたなと思う。火は仕方ない。目仁奈の苦手分野だから。
そして、伊良子の子どもが来た。本当は会えるはずだったのに、本当に申し訳ないと思う。
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ど、どう解釈したらいいんだろう…伊良子がいたら何か変わったのかな。いや伊良子がいても「私の子なのに何考えてるのかわかんないのよね!」とか言うんだろうか。
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本当に何考えてるのかわからない顔と、何考えてるのかわからない心だな!と思った。この人の心風は本当に何考えてるのかわからない…何かを考えているのかもしれないし、考えていないのかもしれない…ただ、なんか心水がやけに低い…心水高い伊良子の子どもだけど…おお…?あとちょっと打たれ弱そうというか…
心水は優しさ≒気配りと解釈した。心風は本当に何考えているかわからないけど、心火、心土はほぼ同等で起伏が少なそうというか…そしてこの見た目…自分のことが好きなタイプではないだろうかと思った。そう思ったらなんだか愉快な人に思えてきたぞ。
名前は海蛇(うみへび)。このバーだと壊し屋を継ぐのはちょっと不安かな、と思ったのと、海蛇、鎚とか重い武器持てなさそう~、顔には出なさそうだけど箸より重いもの持ちたくなさそう…という勝手なイメージと、せっかく手に入れたのだからというエゴで、職業は踊り屋になった。似合うよ。踊るの好きそうというか、踊る自分が美しくて好きそう。そしてそのためならきっと努力もしてくれるだろうという希望。
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つよそう。
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で、今月はまた猶予のない交神③茜の交神。兄姉に比べると生まれが後の子だったから少し余裕があるかな、と思っていた。もうない。
茜は交神。訓練をつけられるのが平ちゃんしかいない訳だけど、ここは海蛇に訓練をつけてもらおうかな、と思った。まあ、言うて平ちゃんも初陣明けのペーペーだから復習感覚で気楽に頑張ってほしい。鶏魚は目仁奈に1ヶ月訓練をつけてもらったわけだし、ここは譲って自習をお願いする。
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あわよくば、平宗太世代を最終世代にしたいという願掛けで、日光天トキ様に交神をお願いした。茜も攻撃が伸び悩んでた部分があるから、その優秀な火をぜひお願いしたい。
伊良子の子どもが月光天ヨミ様の子、茜の子どもが日光天トキ様の子なんだなぁ。ここの2ラインの祖は双子だし、少し感慨深いものがある。
11月。鶏魚の自習の成果はいかに。
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まあ、こんなもんだ。ひとりでよく頑張ったと思う。さて、平ちゃんと海蛇のチームはどうなったか。
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ヴォエッ!?教え上手すぎでは…
鶏魚「海ちゃんすご~い!平ちゃん教え上手だね~!」
海蛇「平兄さんが優秀なのか、僕が優秀すぎるのか、わからない…」
平宗太「私も良い復習になった。人に教えるというのも、いいことだな」
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今月は鶏魚が実戦部隊入りしたので、平ちゃんと一緒に初陣。海蛇の面倒は茜に見てもらうことにした。
海蛇「茜さん…安心していいですよ。今月の訓練で僕の優秀さは証明された…大船に乗ったつもりでご指導ください」
茜「早くしなさい」パァン
海蛇「すみません」
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うーん、片や初陣明け、片や初陣。これで地獄巡りは怖すぎる…もうちょっとライトなところに社会科見学に行こう。準備運動みたいなものだから、気楽に行こう。どうせなら景色が良い所がいい。双翼院に行こう(ビビりすぎ)。
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初成長。うーん優しい。
鶏魚「平ちゃん見てみて~。コツ掴んだ感じするの~」
平宗太「的確に大将の頭蓋を撃ち抜く…鶏魚は天下を取る逸材かもしれんぞ」
鶏魚「やだ~!平ちゃん褒め過ぎ~!何もでないよ~!」バシバシ
平宗太「い、痛い痛い」
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パオーン
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鶏魚「……おいたが過ぎたらいけないんだからね~!平ちゃん!目仁奈地獄雨か柳葉魚貫通殺、使いたいな~!」
平宗太「歓喜の舞Cに攻撃を頼むぞ鶏魚!」
鶏魚「……平ちゃんがそういうなら、よ~し!頭蓋撃ち抜いちゃうぞ~!」
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勝った(ビビりすぎ)
その後は準備体操ということでぽてぽて走り回って討伐をして終了。今になって双翼院で欲しいものもなかったので、特にめぼしい戦果はない。無駄かもしれなかったけど、地獄も他も怖かったんだよ…(ビビりすぎ)
鶏魚も初陣が明けて12月。茜が海蛇につけた訓練はどうだったか。
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まあまあいいな。心土がすごくいいあたり、浮足立ってる海蛇を毎度叱りつけながら訓練したのかもしれない。
海蛇「あ、茜さん。僕もう足が」
茜「正座を崩さない!姿勢も猫背だよ!そんなんで美しい踊りができる!?」
海蛇「すみません」
そうこうしてる間に茜の子どももやってきた。平宗太世代最後の一人。どんな子やら。
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男の子か~男女比が腰長世代とは真逆になったな~。そしてハモと同じく、屋根や木に登るのが好きと。
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おっ…イケメンだ。肌と瞳の色が変わったけど、髪の色は茜と同じだし髪型も同じだ(茜は後ろで一つ結びと解釈している)。
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うんうん!良い感じ~。名前は夜光(やこう)にした。由来は夜光貝から。うーん、またちょっと体火は不安が残るけど、体風と体土は良い感じになってくれるかもしれない。全体的に風がすごくいいな。さすが風の神様の子。
性格は、能力値だけ見ると結構平坦なんだ��ど、バーを見ると結構デコボコしているというか…こいつも心風が高いな…でも海蛇と比べるとバーニングソウルというか。なんか微妙に喧嘩っ早そうというか。高い所好きだし、俺がトップになりたいんじゃないか?(適当)俺が最強最高なんじゃないか?まあバーはあれだけど初期能力値の心だと微量ながら心水が一番高いあたり、根はいい子なんだと思う。落ち着きはなくはないレベルかな、茜の子だけど。
夜光「平宗太!お前じゃここ(屋根の上)まで登って来れないだろ!つまり俺が最強ということが証明されたわけだ!」
茜「恥をかかせないで!このバカ息子!」パコーン
夜光「いってぇ!なにすんだよ母さん!」
平宗太「市井で、母親に反抗的な息子が『うるせーババア』と暴言を吐くところを見たことがあるが…そういうことは言わないあたり、根は親思いのいい息子なのだな」
鶏魚「やだ~平ちゃん人のいいとこ探しが上手~!」
海蛇「僕のことも褒めていいですよ」
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茜はまだ元気。いつもこの家系の子には次世代の面倒を見てもらって、本当にありがたい限り。海蛇の訓練をつけ終わったばかりだけど、今度は息子の訓練をお願いする。
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じゃあ、夜光は茜に任せて。平ちゃん、鶏魚、海蛇で討伐に行く。初陣は明けたし、地獄に行ってみてもいいかな…
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地獄巡り(3ヶ月ぶり2回目)。
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赤い火…!いい武器がほしい。
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海蛇の初成長(初進言は忘れた)。うんうん、何考えてるのかわからないけど優秀優秀。
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これは鶏魚さんの心水が死にかけたことにヒッ…ってなっているスクショ。なんか…なんか大丈夫?サイコパスみたいな成長の仕方してない?大丈夫?
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海蛇「海蛇も獣というところを見せてあげますよ」
鶏魚「ウミヘビって獣~?」
平宗太「わからん、すまんな」
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平ちゃんが梵ピン石猿を使えるようになっていた。腰長様の面影が見えるようになってきたぞ~!逞しいぞ~!
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鶏魚「チッ……調子にのったらいけないんだからね~!」というスクショ
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その手に持っている高そうな槍をよこせ~!という併せのスクショ。
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その手に持っている高そうな槍を手に入れたけど、鶏魚さんのサイコパスみが増していることに恐怖を隠せないというスクショ。
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あああもう無限白波アタックは嫌だ嫌だ増援やめて!
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平宗太「なんとか勝てたが…あのぬるぬるした敵の白波の波状攻撃は厄介だな」
鶏魚「もうずぶ濡れだよ~!も~!あの大将首次会ったら絶対頸椎撃ち抜くから~!」(逃げられた)
海蛇「平兄さんも、鶏魚姉さんも、僕のように冷静になればかわせるのに…」(一番回避した)
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ちくしょうまたか!!
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ヤバいヤバい。
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鶏魚「もう怒ったからね~!!」
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撃ち漏らしに鶏魚が…そして平ちゃんがこんな時に混乱…これはもう…ダメかもしれない。
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あああ……やっぱり……
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ヒヤヒヤしたけど、二人とも無事だった。それにしても、力不足を深く実感した…。武器は結構持って帰ってきたから戦果がゼロというわけではないけど、今いない職業の武器も多かったからな…
もう、本当に1戦1戦気が抜けない。もう最初からクライマックスなんだもの。がんばらないと…がんばらないと…
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mktmrchst · 6 years ago
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[全訳] 第100周年3.1節記念式 文在寅大統領演説(2019年3月1日) 尊敬する国民の皆さん、 海外同胞の皆さん、 100年前の今日、私たちは一つでした。 3月1日正午、学生たちは独立宣言書を配布しました。 午後2時、民族代表たちは泰和館で独立宣言式を持ち、 タプコル公園では、5000余人と共に独立宣言書を朗読しました。 タバコを止め貯蓄し、金銀のかんざしや指輪を寄付し、 さらに切った髪の毛まで売って、国債補償運動に参加した 労働者と農民、婦女子、軍人、人力車夫、 妓生、白丁、作男、零細商人、学生、僧侶など 私たちの張三李四(平凡な庶民の意)たちが3.1独立運動の主役でした。 あの日、私たちは王朝と植民地の百姓から 共和国の国民として生まれ変わりました。 独立と解放を超え 民主共和国のための偉大な旅程を始めました。 100年前の今日、南も北もありませんでした。 ソウルとピョンヤン、鎮南浦や安州、宣川と義州、元山まで 同じ日に万歳の喚声が溢れ出し 全国津々浦々に野火のように広がっていきました。 3月1日から2か月の間、南・北韓地域にまたがり 全国220の市郡のうち、211の市郡で万歳運動が起こりました。 万歳の喚声は5月まで続きました。 当時、朝鮮半島の全人口の10%におよぶ 202万人が万歳運動に参加しました。 7,500余人の朝鮮人が殺害され、16,000余人が負傷しました。 逮捕・拘禁された人の数は、46,000人に達しました。 最大の惨劇は、平安南道の孟山で起きました。 3月10日、逮捕、拘禁された教師の釈放を求めた54人の住民を 日帝は憲兵分所の前で虐殺しました。 京畿道華城の提巌里では教会に住民たちを閉じ込め火を放ち 幼い子どもを含む29人を虐殺するなどの蛮行が続きました。 しかしそれとは対照的に、 朝鮮人の攻撃により死亡した日本の民間人はただの一人もいませんでした。 北間島・龍井と、沿海州のウラジオストクで、 ハワイとフィラデルフィアでも私たちは一つでした。 民族の一員として、誰でも示威を組織し参加しました。 私たちは共に独立を熱望し、国民主権を夢見ました。 3.1独立運動の喚声を胸に秘めた人々は 自身と同じような平凡な人々が独立運動の主体であり、 国の主人であるという事実を認識し始めました。 それがより多くの人々の参加を呼び起こし 毎日のように万歳を叫ぶ力になりました。 その初めての果実が民主共和国の根である、大韓民国臨時政府です。 大韓民国臨時政府は、臨時政府憲章1条に 3.1独立運動の意を込め「民主共和制」を刻みました。 世界の歴史上、憲法に民主共和国を明示した はじめての事例でした。 尊敬する国民の皆さん、 親日の残滓を清算することは、あまりにも先送りにしてきた宿題です。 間違った過去を省察するとき 私たちは共に未来へと歩んでいけます。 歴史を正すことこそが 子孫が堂々といられる道です。 民族精気の確立は、国家の責任であり義務です。 今になって過去の傷を掘り起こし分裂を起こしたり 隣国との外交で葛藤となる要因を作ろうということではありません。 すべて望ましくないことです。 親日残滓の清算も、外交も、未来志向的に行われなければなりません。 「新日残滓の清算」は、 親日は反省すべきことで、独立運動は礼遇されるべきことであるという 最も単純な価値をただすことです。 この単純な真実が正義で、 正義がただされることが公正な国の始まりです。 日帝は独立軍を「匪賊」と、 独立運動家を「思想犯」と見なし弾圧しました。 ここで「アカ」という言葉も生まれました。 思想犯とアカは 本当の共産主義者だけに適用されたのではありませんでした。 民族主義者からアナキストまで すべての独立運動家に烙印を押す言葉でした。 左右の敵対、理念の烙印は 日帝が民族の間を離間させるため受け入れた手段でした。 解放後にも親日清算を邪魔する道具となりました。 良民虐殺とスパイでっちあげ、学生たちの民主化運動にも 国民を敵と見なす烙印として使われました。 解放された祖国で日帝下の警察出身者が 独立運動家をアカと見なし拷問することもありました。 多くの人々が「アカ」と規定され犠牲となり 家族と遺族は社会的な烙印の中で 不幸な人生を送らなければなりませんでした。 今も私たちの社会で 政治的な競争勢力を誹謗し攻撃する道具として アカという言葉が使われ、 変形した「色分け論(レッテル貼り)」が吹き荒れています。 私たちが一日も早く清算すべき代表的な親日の残滓です。 私たちの心に刻まれた「38度線」は 私たちの中を分ける理念の敵対を消す時に 共に消えることでしょう。 互いに対する嫌悪と憎悪を捨てるとき 私たちの内面の光復は完成するでしょう。 新しい100年は、その時こそ真に始まることでしょう。 尊敬する国民の皆さん、 過去100年、私たちは公正で正義が実現する国、 人類みなの平和と自由を夢見る国に向けて歩んできました。 植民地と戦争、貧困と独裁を克服し 奇跡のような経済成長を成し遂げました。 4.19革命と釜馬民主抗争、5.18民主化運動、6.10民主抗争、 そして、ろうそく革命を通じ 平凡な人々が各自の力と方法で 私たち皆の民主共和国を作り出しました。 3.1独立運動の精神が、民主主義の危機を迎える度によみがえりました。 新たな100年は真に国民の国家を完成する100年です。 過去の理念に振り回されず 新しい考えと気持ちで統合する100年です。 2017年7月、ベルリンで「朝鮮半島平和構想」を発表するとき、 平和はあまりにも遠くにあって掴めないもののようでした。 しかし私たちは機会が来た時に跳び出し、平和を掴みました。 ついに平昌の寒さの中から平和の春がやってきました。 昨年、金正恩委員長と板門店で初めて会って 8千万同胞の想いを集め 朝鮮半島に平和の時代が開いたことを世界の前で明かしました。 9月には綾羅島スタジアム(平壌)で15万の平壌市民の前に立ちました。 大韓民国の大統領として、平壌の市民たちに 朝鮮半島の完全な非核化と平和、繁栄を約束しました。 朝鮮半島の空と陸、海で銃声が去りました。 非武装地帯から13体の遺骸と共に和解の想いも発掘しました。 南北の鉄道と道路、民族の血脈がつながっています。 西海5島の漁場が広がり、漁民たちの大量の夢が大きくなりました。 虹のように思われた構想が 私たちの眼の前にひとつひとつ実現しています。 もうすぐ、非武装地帯は国民のものになるでしょう。 世界で最もよく保存された自然が、私たちにとって祝福となるでしょう。 私たちはそこで、平和公園を作るなり、国際平和機構を誘致するなり、 生態平和観光をするなり、巡礼の道を歩くなり、 自然を保存しながらも南北韓の国民の幸せのために 共同で使うことができるでしょう。 それは私たちの国民の、自由で安全な北朝鮮への旅行につながっていくでしょう。 離散家族と失郷民たちが、単純な再会を超え 故郷を訪問し、家族親戚を会えるように推進していきます。 朝鮮半島の恒久的な平和は 多くの山を超えてこそ確固たるものになるでしょう。 ベトナム・ハノイでの第二次米朝首脳会談も 長時間の対話を交わし、相互の理解と信頼を高めたことだけでも 意味のある進展でした。 特に二人の首脳の間に連絡事務所の設置まで議論が行われたことは 両国の関係正常化のために重要な成果でした。 トランプ大統領が見せてくれた、持続的な対話の意志と楽観的な展望を 高く評価します。 より高い合意に進む過程だと考えます。 これから私たちに役割がより重要となりました。 わが政府は米国、北朝鮮と緊密に疎通し協力し 両国間の対話の完全な妥結を必ず成し遂げることでしょう。 私たちが手に入れた朝鮮半島の平和の春は 他人が作ってくれたものではありません。 私たち自らが、国民の力で作り出した結果です。 統一も遠い所にある訳ではありません。 差異を認め、心を統合し、 互恵的な関係を作るならば、それこそが正に統一です。 これから新しい100年は 過去と質的に異なる100年になるでしょう。 「新朝鮮半島体制」へと大胆に転換し、統一を準備していきます。 「新朝鮮半島体制」は 私たちが主導する100年の秩序です。 国民と共に、南北が共に、 新しい平和協力の秩序を作り出していくことでしょう。 「新朝鮮半島体制」は 対立と葛藤を終わらせた、新しい平和協力共同体です。 私たちの一途な意志と緊密な韓米協調、 米朝対話の妥結と国際社会の指示を土台に 恒久的な平和体制の構築を必ず成し遂げます。 「新朝鮮半島体制」は 理念と陣営の時代を終わらせた、新しい経済協力共同体です。 朝鮮半島で「平和経済」の時代を開いていきます。 金剛山観光と開城工業団地の再開方案も米国と協議していきます。 南北は昨年、軍事的敵対行為の終息を宣言し ��軍事共同委員会」の運営に合意しました。 非核化が進むならば南北間に「経済共同委員会」を構成し 南北すべてが恩恵を受ける、 経済的な成果を作り出せることでしょう。 南北関係の発展が米朝関係の正常化と日朝関係の正常化につながり、 東北アジア地域の新しい平和安保秩序に拡張していくことでしょう。 3.1独立運動の精神と国民の統合を土台に 「新朝鮮半島体制」を耕していきます。 国民の皆さんの力を合わせてください。 朝鮮半島の平和は、南と北を超え 東北アジアとASEAN、ユーラシアを包括する 新しい経済成長の動力となるでしょう。 100年前、植民地となったり 植民地に転落する危機に陥ったアジアの民族と国は 3.1独立運動を積極的に支持してくれました。 当時、北京大学教授で、新文化運動を率いた陳独秀は 「朝鮮の独立運動は偉大で悲壮であると同時に明瞭で、 民意を使いながらも武力を使わないことで 世界の革命史に新たな起源を開いた」と語りました。 アジアは世界でもっとも早く文明が栄えた地域で 多様な文明が共存する所です。 朝鮮半島の平和をもってアジアの繁栄に寄与します。 相生を求めるアジアの価値と手を結び 世界の平和と繁栄の秩序を作ることを、共に行います。 朝鮮半島の縦断鉄道が完成するならば、昨年の光復節に提案した 「東アジア鉄道共同体」の実現を引き寄せることになるでしょう。 それはエネルギー共同体と経済共同体として発展し、 米国を含む多者平和安全保障体制を強固にしていくことでしょう。 ASEANの国とは 「2019年韓−ASEAN特別首脳会議」と 「第1次韓−メコン首脳会議」の開催を通じ 「人間中心の、平和と繁栄の共同体」を共に作っていきます。 朝鮮半島の平和のために日本との協力も強化していきます。 「己未獨立宣言書」は3.1独立運動が排他的な感情ではなく 全人類の共存共生のためのものであり 東洋の平和と世界平和へと歩む道であることを明らかに宣言しました。 「果敢に永い間違いを正し 真の理解と共感を土台に、仲の良い新たな世界を開くことが 互いに災いを避け、幸せになる近道」であることを明かしました。 今日にも有効な私たちの精神です。 過去は変えることはできませんが、未来は変えることができます。 歴史を鏡にし、韓国と日本が固く手を結ぶ時 平和の時代がはっきりと私たちの側に近づいてくるでしょう。 力を合わせ、被害者たちの苦痛を実質的に治癒するとき 韓国と日本は心が通じる真の親友になることでしょう。 尊敬する国民の皆さん、 海外同胞の皆さん、 過去100年、私たちが共に大韓民国を呼び起こしてきたように 新しい100年、私たちは共に幸せに生きなければなりません。 全ての国民が平等で公正に機会を持てなければならず。 差別されず、仕事の中で幸せを探せなければなりません。 共に幸せに生きるため私たちは 「革新的包容国家」というもう一つの挑戦を始めました。 今日、私たちが歩んでいる「革新的包容国家」の道は 100年前の今日、先祖たちが夢見た国でもあります。 世界は今、両極化と経済不平等、 差別と排除、国家間の格差と気候変化という 全地球的な問題解決のために新たな道を模索しています。 「革新的包容国家」という、私たちの挑戦を見守っています。 私たちは変化を恐れず むしろ能動的に利用する国民です。 私たちは最も平和で文化的な方法で 世界の民主主義の歴史に美しい花を咲かせました。 1997年アジア外貨危機、2008年グローバル金融危機を克服した力も すべての国民から出たものです。 私たちの新たな100年は 平和が包容の力につながり 包容が、共に良く暮らす国を作り出す100年になることでしょう。 包容国家への変化を私たちが先導することができ、 私たちが成し遂げた包容国家が 世界の包容国家のモデルになれると自信を持っています。 3.1独立運動は依然として私たちを 未来に向けて押し出しています。 私たちが今日、柳寬順烈士の功績審査を再び行い 独立有功者の勲格を高め新たに褒賞したことも 3.1独立運動が現在進行形であるからです。 柳寬順烈士はアウネ市場の万歳運動を主導しました。 西大門刑務所に収監されても死を恐れず 3.1独立運動一周年の万歳運動を行いました。 そして何よりも大きな功績は 「柳寬順」という名前だけで 3.1独立運動を忘れないようにしたことです。 過去100年の歴史は 私たちが直面する現実がいくら困難であっても 希望を捨てないかぎり 変化と革新を成し遂げられることを証明しています。 これからの100年は 国民の成長が、すなわち国家の成長になることでしょう。 中では理念の対立を超え統合を成し遂げ 外では平和と繁栄を成し遂げる時 独立は真に完成することでしょう。 ありがとうございます。 출처 : コリアン・ポリティクス(The Korean Politics)(https://www.thekoreanpolitics.com)
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hitodenashi · 6 years ago
Text
24/青い鳥小鳥
(しょたろぎとちびゆきの話)
(※CoCシナリオ「ストックホルムに愛を唄え」のネタバレがあります)
 晴れた空はつきぬけるほどにたかくまで、あおくふかく、ほかのどんないろもゆるさないといいたげに、りんとすみわたっていた。いえいえのあいまに、木のこずえに、どんなところにもぎんいろをした、雪がふり満ちている。まるでそれらは、鏡をくだいて、そのかけらひとつひとつをふりまいたようにきらきらとさざめいて、ゆらいで、うたっている。
 幼いこどもの目には、眩暈を覚えるほど、眩しい風景だった。  明るくて、美しくて、――救いようがないほど、冷たい世界だった。
 未明、東京には珍しく、雪が降っていた。水をあまり含まない、ぱさぱさした雪だった。静かに、しかし確かに体積を町に埋め続けたそれは、夜のしじまでは物足りないと言わんばかりに、町の音という音をむさぼり尽くし、たった一夜のあっという間に、世界を真っ白に塗りつぶしたのだった。  とはいえ、都内の人の営みは、それらを厄介に思ったり足止めを食らったりすると言え、こんなもので遮られるほどにひ弱でない。朝も早い時間から、アスファルトの上に降り積もった白はその大多数が踏み潰され、びちゃびちゃに湿り、踏み固められた靴跡や轍が幾つも残っていた。  自宅から離れた、それなりに閑静で大きな家がたくさんあるこのあたりでも、車が通れるくらいの大きさの道路には、雪はもう殆ど残っていない。薄い残雪は、水分で溢れており、夜に冷え込んだらきっと氷になるのだろう。  黄色と緑の両目が、アスファルトを伝う雪水をぼんやりと見つめていた。
 空木晴は踏み荒らされた雪の合間を縫って、わずかに残された綺麗な雪のかけらを丁寧に丁寧に、集めて歩いていた。両の手に抱える程の雪が留められていた。彼は、雪だるまを作りたかったのだ。  誰のためと言うわけではない。ただ、雪が積もってする遊びといえば、彼の中にはそれしかなかっただけのことだった。  最初、家のベランダで作ろうとしたのだけれど、邪魔だからと言う理由で止められた。素直に外に飛び出てみても、遊べるような綺麗な雪は、マンションの他の子供たちにもう荒らされてしまっていた。  だから、あ��どなく歩いた。  無垢な雪の残りを探して、ただ街を歩いていた。  いくら晴れているとはいえ、真冬の空の下は、きんきんと光るように寒かった。手袋のない手のひらはやがて赤く腫れ、じんじんと痺れ、剥き出しの頬は、刃物で切られるように痛かった。  行けども行けども、住宅街にも、踏み荒らされた積雪にも、終わりはなかった。  冬休みの今、どの家も子供たちは外に飛び出す機会を穴ぐらの子ぎつねのように伺っていたようで、綺麗な雪はもうあらかた誰かに占領されており、晴ひとりが息を潜めて遊ぶことができる場所なんて、どこにもなかった。  塀の片隅に、電信柱の陰に、草むらの上に。誰の手にも触れられていない雪を一すくいずつ集めては、胸に抱えた。  どこか、誰に邪魔されることもない場所で、雪だるまを作るために。  ただ、そのためだけに。
 ほうぼう彷徨って、やがて、一つの公園にたどり着いた。そこは、家のない部分を小さく区切って作った、空き地のような場所だった。ベンチと、一人漕ぎのブランコがある以外に、何もない場所だった。幸いにも、周囲には誰の気配だってない。遠くで、タイヤが水っぽい雪を掻き分けるときの、がしゃがしゃという音が響いている。  腕いっぱいに抱えた雪を地面に下ろすと、融けかけの塊はどさりと音をたて、公園の美しい無垢の上に寝転がった。ジャンパーの胸のところが冷たく濡れていた。  息を短く吸う。肺がきりきりと痛んだ。晴は赤く凍える手で、回りの雪をかき集めては、せっせとならし、凹凸のある肌をなめらかにならしていった。胴ができれば、次は頭を。柔らかな表層をすくい取って、手で丸くして、胴に乗せて、素手でならす。指が曲げる度に痛みを帯び、爪の先には少しずつ力が入らなくなっても、晴はただそれを繰り返していた。  ただ、ひとりで延々と、そうしていた。
「――星のおうじさま?」
 突然、音のないはずの公園で、後ろから声がした。  思わず振り向いてみると、一人の少女が後ろのベンチの上に立ちながら、じっと晴の姿を見下ろしている。肩で綺麗に切りそろえられた髪は、冬の河底のような密やかな青をしており、銀河色をした大きな瞳が、興味深そうに晴の姿をとらえているのだった。 「ん? や、ちゃうな。おうじさまのかみの毛は、麦の穂ぉのきんいろやったしな……」  声は、独特の抑揚を持っている。この辺りでは、まず聞かないアクセントだった。  少女はそんな調子でぶつぶつ独り言をつぶやきながら、ベンチからぴょんと飛び降り、雪を踏みしめて、晴のところまでてくてくと歩いてくる。  若葉色のゴムぐつが白を割って刺さるたび、まるでそこだけが春の日差しを受けて草花が伸び、生の息吹を受けて眠りから目覚めるようだった。 「あ、かみの毛ぎんいろ」 「、っ」 「じゃあ、雪のおうじさまなんかな?」  晴は、つい身を竦めさせた。  怖いくらい、どきどきしていた。  容姿に触れられたことが、まずひとつ。もうひとつは、公園に来たとき、誰もいなかったはずだったから。公園には誰の足跡もなく、気配もなく、息の音もなかった。今、さっきまで。彼女は音もなくそっと晴の背後に忍び寄り、ベンチの上から猫のように晴のことを見ていたのだ。  公園の反対側の入り口には、迷いなく真っ直ぐ、ベンチまで伸びる小さな足跡が一人分あった。きっと、向こうの入り口からやってきたのだろう。 「……」  晴は固まって、少女がこちらに近づいてくるのを怯えながら見ていた。少女の紺色のコートが、マフラーの裾が、ふわふわと揺れていた。彼女は晴の傍までずんずんと近づいてくると、固まっている晴の顔を覗き込んで、まじまじとその色の異なる両目をまっすぐに見つめる。 「うん。お星さまより、おひさまの下の雪みたいなかみの毛しとうもんね。でも、きみ、目ぇも綺麗やなあ! お空から降ってきた、宝石みたいや!」  少女はそう、屈託の無い笑顔で言って、ただにこにこ笑っている。  晴は。
 ――晴は、いよいよいたたまれなくなって、冷たい両手で、自分の顔を覆った。これ以上見られないように、夏の雨のように突然体を打ち据えた恐怖ごと隠すように、じりじりと二、三歩後ずさる。少女は「えっ」と驚いた声を上げて、夜空のような瞳をまん丸くして、その星図を広げる。しかし、逃げられた分の距離を、若草色のゴムぐつは迷うことなく歩を詰める。 「やだ」 「? なんて?」 「……きれいでも、なんでもないのに、なんでほめるの」
 どうして、この人、きもちわるいところなんて、ほめるの。
「だって、きれいやん」  彼の声の震えに気付かなかったのか、少女はきょとんとした顔で言った。星が大気の内側で歌うように、その銀河もまた息を吸って、ふるふると揺れる。逃げる意味を解釈することができないと言いたげに、困惑した表情を浮かべて、小鳥のように首を傾げる。 「やだ、」  晴はただひたすらに、ぞっとした。背筋にぴりっとした電流が走ったようだった。じり、と後ずさり、少女と距離をとる。小さな雪だるまの後ろに逃げ込むようにして、顔を、体を隠そうとする。 「なんで隠れんの!」 「や、だ!」  逃げた。  逃げるとは言っても、雪だるまを挟んで追いかけ合うだけだった。恐怖心が先立って足は縺れるし、混乱した頭では、公園の外へ飛び出すことなんて考えられなかった。少女は負けじと追ってくるし、諦める気配も無いようだった。 「待ってって言うとるやん!」  延々と続くかと思われた小さな鬼ごっこは、少女が晴の服の裾を問答無用でひっつかんだことで、あっけなく終わりを迎えた。二人がさんざん踏み散らかした雪の上に、晴がべしゃり、音を立てて転ぶ。 「あ、ごめ……」 「……ぅ」  雪の上に、じわりと涙がにじむ。  痛みからではない。どうしたらいいか、わからなかったからだ。そんな顔も見せたくなくて、暫く雪の上に伏せたままだった。冷たい両手は、鞭うたれたように痺れていた。  そんなところに、目の前に手が伸びてくる。それは、手袋に覆われた、少女の手だった。しゃがんで、申し訳なさそうに晴の顔を見ている。  真っ直ぐに、見つめている。 「ごめんなぁ? ……たてる?」 「……」 「だいじょうぶ?」  晴はただ、固まっていた。少女はじっと手を差し伸べたまま、動かない。冷たい風が、二人の前髪をさらさらと揺らした。どこかの木の枝から、やわらかく融けた雪の、落ちる音が聞こえた。 「……」  しばらく時間が経って、少女が寒さにふるりと身を震わせたころ、ほんとうに、ゆっくり、おずおずと、戸惑うように、躊躇うように、――晴が、少女に向けて手を伸ばした。彼女はそれを受けて、晴の体を引っ張り上げる。握られた指は鳴るように痛んだ。手袋の繊維の一本一本ですら、自分を攻撃しているような気分になった。  二人とも並んで立つと、少女の方が僅かに背が高かった。「ごめんなあ」としきりに謝りながら、ぱたぱたと晴の体についた雪や滴を払っていく。その様子を、晴は不安げなもどかしさを浮かべながら見ていた。 「……なんで、やさしくしてくれるの?」 「へあ?」 「……みんなぼくのこと、きもちわるいっていうのに」 「んなことあらへんよ」 「……なんで?」 「なんで、って……うちがきれいや思たもんにきれいって言うて、どーしてダメやって言われなあかんねん。うちはきれいだとおもたで。それで、ええことやないん?」  少女は「はい、もっときれいになった」と言って、もう一度すっくと立ち上がる。そうして、不意に思い出したように、自分の手袋を脱ぎ、素手のまま晴の両手を取った。突然手の指に重なるあたたかな人の体温に、晴の体が総毛立って硬直する。 「うわひゃっこ! なんでこんなんなるまで手袋せえへんの!?」 「……て、てぶくろ、ない」 「なんで!?」  晴がおろおろと眉根をよせて、ただ身を竦ませているのを見ると、彼女は大きく溜め息をついてから、とった両手を自分の顔の高さまで持ち上げた。そのまま、晴の両手にはあ、と息を吹きかけて、ゆっくりと摩(さす)った。  摩る、重ねられた手もまた、白く、小さな手のひらだった。赤く凍えて、濡れた皮膚を愛撫するように、少女は真剣な表情で晴の両手を温め続けた。晴は身を固くして、何度も手を引っ込めようとした。だが、少女の目があまりにも真摯だったので、何をすることもできなかった。  やがて、手のひらの冷たさは平等に二人の間に行き渡り、少女の手指が微かに赤らんだころ「はい」と言って彼女は自分の手袋を差し出した。 「はい。貸したる」 「……でも、ぼくがつけたら、寒くなっちゃうよ」 「だいじょーぶ、うち、替えのやつあるから。それに、うちがつけとったやつのほーが、ぬくいやろ」  躊躇していると、痺れを切らした彼女が無理矢理に手袋を嵌めてきた。抗おうとしても、両手で片手を握られてはたまらない。結局、晴の両手には、少女の手袋がすっぽりと被せられた。内側に、少女の体温が残されたままだった。誰かの寝ていた布団の中に、手を差し込んだ時のような暖かさだった。  晴がどうふるまったものか思案した挙句、そのままおずおずと雪だるまに手をつけ直すと、その様子を少女はじっと見つめていた。 「……雪であそぶの、すき?」 「……すき」  晴が頷くと、少女はどこか嬉しそうに、赤らんだ頬を緩めてにんまり笑った。 「うち、なまえな、“ゆきみつ”言うねん。いまあそんどる雪に、いっぱいになるっていういみの、満。で、ゆきみつ。みょーじがお風呂場にある鏡で、かがみゆきみつ」  自分を指さして言う。思わず、晴も指の指すほうに目線を吸い寄せられた。 「ゆき、みつ、……ちゃん」 「ゆき、でええよ。……きみは?」 「……はる。うつろぎはる」 「はるくんな!」  そう行って、雪満が差し出した右手の意味を、晴は理解できずに瞬きした。焦れたように、雪満が唇を尖らせて「あくしゅ」と言うと、晴はますます顔を曇らせる。 「あくしゅ?」 「ともだちになったら、そらあくしゅするやろ」 「……、……」 「どないした?」 「ともだちに、……なってくれるの?」 「うん? せやよ」 「……ほんとにほんとに、ともだちになって、くれるの」 「うん。だって、なまえ教えっこしたら、もうともだちやん」 「……、……、……やった……」  硬いつぼみが解けるような音を立てて、晴の目がきらきらと光る。焼けた石のような色をしていた。火に焼(く)べて融け出した、宝石の色だ。  そろそろと、ぎこちなく手を握る。雪満はその仕草に首を傾げてから、満足げに手をぶんぶんと上下させた。 「なあ、そんな小ちゃい雪だるまなんて作らんで、もっとおっきいやつ作ろや!」 「え」 「こーんなん!」  雪満が両手を大きく広げる。晴は目を大きく広げ、背伸びする雪満を目で追う。胸を張る雪満を、困ったように見上げた。 「え、でも、……おっきいのつくっても、こわされちゃうよ」 「そうなん? じゃあ、うちの庭につくればええ」  こっち。と言いながら、強引に手を引く。慌ててついていけば、公園を少し過ぎたところに、庭のある大きな邸宅が目に入った。塀は高く、門は優美で、前庭には常緑樹が茂っていた。表札を見上げる。晴にその漢字の意味はわからなかったが、苗字が一文字なのだということだけはわかった。  門は黒く、細いめっきのされた鉄で編まれていた。開いている。玄関に繋がるアプローチは、きちんと雪かきがされていた。
 周辺に公園ほど綺麗な雪は残っていなかったけれど、庭先には木から零れ落ちた雪が積もっていた。  それらを集めて、小さな雪玉をつくって二人で転がした。庭先には、雪玉の形にそって、除雪された道がくねくねと作り出される。土が混じり、茶色くなった雪玉は、限界まで転がした結果、二人の肩以上に大きくなった。葉っぱの切れ端や、小石が混じったせいで、雪だるまはでこぼこだらけの上、無骨で、どう評価したとしても不細工としか形容できない有様だったが、それは門の脇の木陰に堂々と聳え立っていた。  しかし、大きくなりすぎて、一つ問題ができてしまう。 「あかん! これじゃあたま、乗っけられへん!」 「どうしよう」 「うちがはるくんのことかたぐるましても、雪玉持てへんしな」  晴はおろおろと雪満と、土まみれの雪だるまを交互に見る。当の雪満は難しそうな顔をしながら、何かを考えていたが、暫く顔をもんもんとさせた後、 「うん、よし、むり。おとんにやってもらお」  と、あっけなく諦めた。 「えっ」 「おとーん! 雪だるま作ったから! 頭乗せてー!」  唐突に踵を返して、家の中へ向かって、高らかに吼える。  晴があっけにとられていると、雪満はそれを気にせず彼を引っ張って玄関へ走った。父親のことを呼びながら。晴は動転していたものの、雪満の手を握る力が強すぎて、振りほどくこともできなかった。  父親、家族。しかも、他人の。ぐるぐると晴の目が回る。落ち着いていたはずの胸が、またぎりぎりと締め付けられるようだった。  玄関ポーチの前まで来ると、中から呆れたような溜め息を吐きながら、彼女の父親らしき男性が姿を現す。晴が肩を跳ねさせた。 「なんやねんな……あ~、また日陰にえらいごっつい雪玉作りよって……」 「雪玉やないもん! 雪だるまやもん! はるくんと一緒に作ったんやで! どや、すごいやろ」 「はるくん……?」 「うん、おともだち」  ほら。と言って、雪満が手を引っ張る。晴は、おどおどと眉を下げたまま、萎縮したように体を小さくした。男性の目が、どこか品定めするように晴を舐める。思わず俯いて、足下を見た。  一瞬のような無限の時間、裁きを待つ罪人のような心持ちで天啓を待ちわびていると、「おーそか。雪満と遊んでもろてすまんなあ」と、思った以上に軽い声が降ってきて、思わず顔を上げた。 「お前らどんだけ遊び回っとったか知らんけど、全身びちゃびちゃにしとるやん……ほれ、おかんからタオルもろてきて拭いとき。風邪引いたら、たまらんで」 「そうする! おとん、雪だるまかっこよくしといてな!」 「顔くらい自分で作っとかんかい」 「ご近所でいっとーべっぴんにして!」 「オスにしたらええのかメスしたらええのか、わからへんぞそれ」  彼女らがするそんなやりとりを、あっけにとられて眺めていた。  また、ぐいと手が引かれる。雪満はほくほくとした顔で、晴の手を離さないまま、玄関の扉をくぐって家の中へ入っていった。腕の先の晴が萎縮していることに気がついているのかいないのか、雪満は「ただいまあ」と間の抜けた声を出した。  屋根の下の玄関も、庭に見合って広い。晴にとって、三人以上の人間が立って入ることのできる玄関なんて、マンションのロビーくらいなものだった。ほう、と息が出る。外界との空気が遮断されて初めて、体が芯まで冷え切っていることに気がついた。繋いだ腕がぷるぷると震える。 「お帰り。……誰やその子、ご近所の子?」 「せや! 雪のおうじさまやで!」 「アホな事言うとらんと。あんたに王子様なんておるわけないやろ」 「ちゃうてー! 外に積もっとうほーやてー!」 「はいはい。……んで、何くんやったけ」 「、はる、です」  母親からすっと目線を移されて、思わず体がぴんと張る。彼女は一瞬だけ顔の色を無くしたが、すぐにはあ、と息を吐いて、呆れたように笑った。 「はるくんも雪満も、全身びちゃびちゃやん。タオルやるから、ちゃんと服着替えて、身体拭いてき」 「おかん、おとんと同じこと言うとるな」 「やかまし。はよ着替えてきんさい」 「はぁい」  雪満がぽいぽい、と手早くマフラー、ゴムぐつを脱ぎ捨てて、玄関を上がろうとすると、ぐいと後ろにつんのめる。慌てて振り返ると、晴は困ったような顔をして立ち尽くしていた。母親と雪満が同じように不思議そうな顔をした。 「ぼく、きがえもってないよ」 「! パンツまでびちょびちょなんか!?」 「ち、ちがうけど、でも、おうちにとりにいかないと、」 「え、うちのパジャマのズボンくらいなら貸したるて」 「でも……」 「ええから! カゼ引くよりはまーし!」  それからは、追い剥ぎのようなありさまだった。濡れたジャンパーも、靴下も、ズボンまでが引っぺがされ、恥ずかしがる暇すらなく、タオルと替えのズボンを渡される。泡を食いながらも、流石に濡れた素肌では室内でも鳥肌が立ってしまうほどだったので、晴はしどろもどろになりながら、それらを身につけた。  柔らかな繊維からは先の先まで、柔軟剤の華やかな匂いがしていた。自分の家のものとは、全く異なる香りだった。  現状がめまぐるしすぎて、呼吸の仕方すら忘れそうだった。なぜ彼女の母親が、赤の他人の、それも今さっき自分の存在を知ったばかりなのに、手厚くもてなして、まるで“母親のように”自分に溜め息をつき、手を出してくれるのか全く理解の外にあった。
 着替えが終わると、雪満は彼を台所に引っ張って行った。そうして、二人で母親が淹れてくれたココアを飲んだ。暖かな甘さが、痛いほどに優しかった。目に見えないほど深い所の傷口に、沁みるような味をしていた。 「なあ、はるくんて、いましょーがくせー?」 「四月から、しょうがくせい」 「うちも! おないどしやん」 「いっしょのがっこう?」 「ご近所やったら、多分いっしょ! あそこの、かどまがったとこのピアノ教室をすぎたとこの……」 「あ、おんなじ」 「やった! じゃあ、春からもはるくんとあそべるんやね、うれしなあ」  雪満は上機嫌でココアを飲み干す。爪の先でマグを弾くと、きん、と高い音が響いた。 「ね、はるくんは他におともだちおらんの」 「……、いない……」 「きょーだいは?」 「お兄ちゃんが、……ぼくは、お兄ちゃんだと思ってるけど、」 「なか、良くない?」  その言葉には小さく頷いた。  正直に返すと、胸がじんじんと痛んで、思わず自分の膝を見た。冷たさに、心まで真っ赤に腫れ上がってしまったのだろうか。  寂しい子供だと、思われただろうか。やはり、彼女もまた、そんな独りぼっちで雪玉を固めて遊ぶ奴なんて、よくよく考えてみたら気持ちが悪いと、思っただろうか。マグカップを握る手に力が入る。  ぽっと出た杞憂の芽は、ふふふ、と隣から、堪えきれない笑いがこぼれたことでつまみ出される。
「ほんなら、今はるくんのなかで、うちがいちばんやん」  雪満は目を細めて、にやにやと、漏れ出る喜びを抑えきれないといった顔で笑う。晴は驚いた後、二度くらいゆっくりと瞬きをして、――彼女の笑いに釣られて、照れくさそうにへにゃ、と表情を歪めた。  それは笑ったわけではなく、反射的に口角が歪んだだけだったのかもしれない。上手な笑顔の作り方は、まだ彼にはわからなかったからだ。 「うちもねえ、まだ引っ越してきたばっかでともだちおらんし、一人っこやから、はるくんがいちばんやで」 「ほんとう? ……、……ぼくが、いちばん?」 「そー。うちら、いちばんどうしやね」 「……! うん!」
 軒先の雪が、固まって地面に落ちた。  窓の���こうに、くぐもった音で響いていた。壁のこちら側には、届かない。
 外は相も変わらず、底意地悪いほど青一色に晴れ渡っていたけれど、冷たい空気から室内の温さに染められてしまった二人は、ココアを飲んで肩を寄せ合って、他愛のないお互いの話に、面白そうに笑うばかりだった。  晴の赤かった指先は、いつの間にか血の気を取り戻し、柔らかくなっていた。痺れはなく、痛みも無かった。前髪だけが、少し水気に曝されて湿っているばかりだった。  雪満がマグカップを持って椅子を飛び降りる。晴もそれに続いて、流しにそれを押し込んだあと、雪満がくるりと晴を振り向いて自信たっぷりな顔で笑った。 「ね、うちの部屋いこ!」 「ゆきちゃんのおへや?」 「うん。はるくんが雪であそぶのすきなんなら、うちもうちのすきなこと教えたる」 「、うん!」  雪満の部屋は二階の、東側の部屋だった。朝の日差しが取り込めるように、東の壁が大きく出窓になっていて、水色の柔らかな色をしたカーテンが、ふっくら揺れていた。部屋の中はまだ越してきたばかりと言うこともあるのか、クリーニングの匂いがした。  ただ、それ以上に、紙の香りが溢れている。まるで森の中のようだと思った。暗い山の奥から厳かに運び出され、漂白され、苗を植え付けられた、白い森の中にいるようだった。 「うちねえ、本読むのすきなん」 「ご本?」 「そーやで」  招かれた部屋の中は、エアコンでこんこんと暖められていて廊下のような冷たさはない。足下から上ってくる冷えに耐えきれず、二人はそそくさと部屋の中に入った。淡い色のカーペットは足が長く、腰を下ろすと気持ちが良さそうだった。  真新しい勉強机が一つ、それについた椅子が一つ、ベッドが一つ。  それ以上に、晴が目を引かれたのは、部屋にぎっしり所狭しと押し込められた、本棚の群れだ。 「すごいやろ」  おおよそ、小学生に上がる子供の部屋とは思えないほどの蔵書量だった。本棚の足下にはキャスターがついており、左右に移動が容易だった。棚を動かしたその奥にも更に本が詰まっており、その中には晴にはまだ読めないくらい、難しい字のものもあった。  訳の分からない背表紙を一冊引き抜いて、小難しそうな表紙を開いてみる。中にある文字もまた、よくわからないものだった。本当に難しい字にはふりがながついているけれど、小学校で習うのであろう漢字には、ルビも何もついていない。 「よめない!」 「それはちょっとむつかしーやつやんな。うちもたまによめないもじある」 「ゆきちゃん、こんなのよんでるの……!?」 「せやで。ふふん、うちのこと、おねえちゃん扱いする気になったやろ」 「なった! すごい!」  本たちは整然と並べられている。文庫は文庫、菊判は菊判、四六判は四六判で、多少の背の違いはあれ、皆大人しく自分の与えられた隙間でじっと押し黙っていた。  雪満は本たちの背表紙を、そろりとなぞる。書棚の中でも下のほうには、子供向けの、判型がいっそう不ぞろいな絵本たちがわらわらと押し込まれていた。後ろからそれを眺めている晴にも、そのやたらめったら彩色が派手で嫌が応にも目を引くような、ページ数の薄くて紙の厚い本たちの存在は、ぴしっと背の揃った他の本たちに比べて、わやくちゃで、不ぞろいで、どこか親しみやすいものだった。  雪満はその中から、数冊の本を抜き出しては横に重ね、そうしてそれを胸に抱えて、ベッドに座る。自分の右側のスペースをぽんぽんと叩いて、晴を招いた。 「おねえちゃんらしく、うちがはるくんにご本よんであげよー」 「なによんでくれるの?」 「なにがええかなあ。いっこずつよんでこ」 「うん」  さんざん迷って、吟味して、白い小さな手はやがて恭しく一冊の本を持ち上げた。勿体ぶって、仰々しくページを開く。小さな紙面を、二人で覗き込むようにして、肩を寄せ合って、絵本を眺める。雪満の唇が、メーテルリンクの青い文字をなぞった。 「むかしむかし……」
 子供部屋は、やおら静かになっていった。
 そっと雪満の部屋のドアを開くと、エアコンが暖気を吐き出す音だけがごうごうと静かに囁いていた。晴と雪満は、二人揃ってベッドの上で丸くなり、寝息を立てている。絵本や、子供向け文学書や、たぶん、晴にはよくわからないような書籍なども、片づけられもせずその辺に転がっていた。  本を読みながら寝てしまったらしい。  母親は、雪満が頬を乗せている開いたままのヘンゼルとグレーテルの本をそっと抜いて、ページを閉じた。空っぽの絵本棚に戻す。
 幸せそうに寝息を立てるふたりのこどもを見下ろす目には、色も感情も、何もかもが、なかった。  ただ、底知れない目だった。  少なくとも、子供をもつ母親の目とは形容しがたかった。こんな目で、子供を見下ろす母親が、どのくらいこの世界にいるのだろうと、背筋の凍えるような、そんな眼差しだった。
 どこか値踏みするように一瞬息を止めた後、彼女は二人を起こさないように、ゆっくりと部屋を下がる。扉の音がしないよう、慎重に扉を閉め、廊下に立つと、その隣で父親がナイフで手遊びしながら、声を潜めて聞いた。 「殺らないんか?」  母親は目配せして、肩を竦めた。 「こんな引っ越してすぐ、ご近所の子ぉに手ぇ出したら、流石に足がつくで」 「まぁ、そうやのうても雪満が探すわなあ。恰好の獲物やったんに、流石うちらの子ぉ言うか、めざとい言うか」 「あの感じやと、おらんくなっても親も本腰入れて探さんやろ。一度相手の親御さんにもご挨拶しとかんとなあ」 「生まれながらに蚊帳の外っちゅうことか。けったいやのお」 「そういう家(の)がおるから、うちらみたいなんが居れるんやけどなあ」  二人して、にたにたと下卑た笑いを浮かべる。そうして、母親が何か思いついたような顔をして、より顔の皺をくしゃっと深めて、笑った。 「優しゅうされたことない子ぉはなあ、扱いやすいからなあ。きっとよう懐いてくれるやろなあ」 「お前、なんか悪いこと思いついたやろ」 「いやぁ? でも、せやなあ。ウチにしたら妙案やと思うわぁ。あの子、殺さんでおいて、大事に大事にしたるのも、ええんやないかって思っただけやで」 「またそら、どうして」  母親は、底知れない宇宙のような黒い目を、三日月のように細くした。
「そら、子供は肥らせたほうが、美味いやろお」
 魔女が食うもんなんやったら、余計なあ。
 たった一枚の扉だけを隔てて、廊下は寒々しく、血も凍るほどに冷たく。暖かな部屋の内側で二人はそんなことも知らず、ただ寄り添って夢を見ていた。  温い、柔らかな日だまりのようなこの夢が、どこまで続くかも知らないまま、ただゆらゆらと、まどろんでいた。  定められた最果てが、道行の無い断崖だなんてまだ知らない。  ただ、それだけ。それだけのこと。
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日本廣島自由行:廣島旅遊必去的 8大景點
Skyscanner盤點8個廣島自由行必遊的景點並附上詳細交通資訊,帶您去了解廣島的旅遊魅力!
1. 廣島和平紀念公園+原爆圓頂館
廣島和平紀念公園在1954年落成,內有廣島和平紀念資料館、幾座和平紀念碑、憑吊原子彈受害者的供養塔和慰靈碑,祈禱和平,希望不再發生戰爭和原爆悲劇。公園最著名的景點是原爆倖存建築物——原爆圓頂館。
在1945年8月6日,美軍以原子彈轟炸廣島,爆炸中心附近的建築物幾乎全數被夷為平地,僅廣島縣産業促進館的圓頂屋勉強而屹立沒有傾倒。其後,圓頂屋成為了和平的象徵,也是廣島和平紀念公園的最重要標誌,並在1996年成為世界文化遺產。雖然遊客只可從原爆圓頂館外部參觀,不可進入圓頂處和圍欄內,但看著這鋼筋被燒彎的半毀建築物,已教人痛恨原爆災難的威力。遊客又可從和平紀念資料館的窗戶眺望原爆圓頂館,入夜後原爆圓頂館經過燈光照射,會展現出和日間全然不同風貌。
地址和交通資訊
地址:廣島市中區中島町1-2
交通:自JR廣島站搭乘廣島電鐵路面電車2號線「広電宮島口」方向,或6號線「江波」方向,於「原爆ドーム前」下車。若乘電車1號線「広島港」方向,則於「本通」、「袋町」或「中電前」下車。
A post shared by Hashimoto Shota (@hashimotoshota) on May 3, 2017 at 9:01pm PDT
  2. 廣島城
除了廣島和平紀念公園外,廣島站周邊的廣島城亦很值得遊覽。廣島城由著名藩主毛利輝元在 1589年興建,曾是日本西部重要的軍事據點。廣島城主城5層高,整個城池由護城河包圍,城池範圍內有一座神社、一些遺跡及數幢重建的二之丸建築。
在1945年原爆期間,廣島城像市內其他建築一樣被爆炸摧毀,後被原址重建,主城以鋼筋混凝土建造,外圍局部由木建成,十分美觀。城堡內是介紹廣島及廣島城歷史以及一般日本城池的資料館,從城樓的頂層可飽覽市內美景。
地址和交通資訊
地址:廣島縣廣島市中區基町21-1
交通:從JR廣島站搭乘1號、2號和6號市內電軌車抵神谷町站,再步行10分鐘即可到達廣島城。從縮景園步行10分鐘或從平和紀念公園步行15分鐘也可抵達。
A post shared by @mycreativeaddiction_ on Sep 11, 2017 at 2:33pm PDT
  3. 廣島美術館
廣島美術館位於廣島市購物中心紙屋町附近,美術館以「為了愛與和平」作主題,表達了為原子彈爆炸的犧牲者祈福的心願和對和平的嚮往。廣島美術館的圓形建築充滿現代感,內有8個展區,展出法國近代美術的印象派畫作、浪漫派畫作、日本洋畫、日本畫等佳作,收錄了包括畢加索、布拉克、德拉克洛瓦、庫爾貝、德加、莫奈、雷諾阿、塞尚、梵高、高更等名師的作品。美術館亦不時舉行各種臨時和特別展覽,為遊客送上驚喜。
旅客逛完廣島美術館後,可前往紙屋町一帶的咖啡店或餐廳享受美食,也可以在附近的大型百貨公司和購物商場開心購物。
地址和交通資訊
地址:廣島縣廣島市中區基町3-2
交通:從JR廣島站乘廣島電鐵電車在「紙屋町東」下車步行4分鐘
門票:成人1,000日元;大學生・高中生500日元;中學生・小學生200日元
開放時間:09:00~17:00
官方網站:廣島美術館
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  4. 縮景園
要數廣島市中心的必去景點,還有歷史悠久的縮景園。縮景園的建築歷史可可追溯至1620年,庭園展示了日式庭園的傳統美學。庭園主池四周是多間茶屋,讓遊客一邊嚐日式茶道之趣,一邊欣賞日式園藝之美。
據說,在建造縮景園期間,園主參考了中國西湖之美,所以遊客在此會驚嘆園內有不少中國庭園的特點。園內有迷你的山谷、山峰和森林,在浮有大小綠島的池邊,還設置了山林環繞,模擬多種天然地貌和風景。全個庭園由環繞庭園中央的小路連接,沿著小路圍繞庭園漫步是遊覽縮景園的最佳方式。
地址和交通資訊
地址:廣島縣廣島市中區上幟町 2-11
交通:從JR廣島站前往縮景園只需步行15分鐘。遊客可乘市內電車線9號線到「縮景園前」電車站下車;也可從JR廣島站乘搭電車線1、2或 6號前往上幟町,然後轉乘電車線9號到「縮景園前」站。
門票:成人260日元;大學生・高中生150日元;中學生・小學生100日元
開放時間:4月1日至9月30日 09:00~18:00;10月1 日至3月31日 09:00~17:00
官方網站: 縮景園
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  5. 嚴島神社
除了原爆圓頂館外,廣島縣另一個世界遺產是位於宮島的嚴島神社。嚴島神社是獨一無二的海上神社,也是日本最重要神社之一,有日本三大景觀之一的美稱。
為甚麼古代的日本人把嚴島神社建造在海濱之上呢?傳說是因為日本人認為宮島是神存在之地,他們把整個島看作神體,當做神聖的信仰對象,因此把神社建在海上。嚴島神社的大鳥居高16米,退潮時可以步行至鳥居附近觀賞。日間,嚴島神社朱紅的神殿和背後的綠色原始森林,與蔚藍的海洋交織成壯麗的景觀;夜晚,朱色神殿被燈光照亮散發出神秘的光輝,整個神社被一種莊嚴的美麗所包圍起來。嚴島神社島居的日出、黃昏之景同樣震憾人心,難怪被日本人譽為日本三大景觀之一!
如果您在12月前往參觀嚴島神社,還可以見證嚴島神社火祭的除夕傳統。每年的最後一天,宮島上的居民都會聚集在大鳥居附近的岸邊,使用神社的火把點燃他們親手製作的小火把。30至40名 男島民會扛著較大的松明火把,點亮他們通��海洋的道路。祭典結束後,火把餘燼會作為預防火災的幸運符送給每個家庭,以迎接新一年。
地址和交通資訊
地址:廣島縣廿日市市宮島町1-1
交通:從廣島前往宮島有兩種方式。(1)從JR廣島站搭乘山陽本線到JR宮島口站,只要25分鐘就可以到達宮島。(2)從廣島市內搭乘路面電車到宮島口站,步行5分鐘到達宮島口乘船處,再轉乘「JR西日本宮島フェリー」或「宮島松大汽船」,約10分鐘船程就可以到達宮島。
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  6. 彌山
除了嚴島神社外,宮島的原始森林也很值得遊人去探索。宮島上有著豐富的自然景觀,���其是島內的最高峰彌山上覆蓋著原始林區,其四季景色各有情趣,區內還有很多只有在宮島才能看到的植物,很值得去觀賞。彌山的山頂標高535米,愛行山的遊客可以挑戰從山腳開始健行登山;想舒適出遊的遊客可以乘坐空中吊車前往山頂。山頂上不但有巨石群,還可以從展望台月俯瞰風光明媚的瀨戶內海。
登山資訊:
(1)健行上山:彌山共有三條遠足徑,分別是紅葉谷徑、大聖院徑和大元徑。大聖院徑沿路景色最美;紅葉谷徑最短但也最陡。上山時間約需2-3小時。
(2)乘纜車上山:由嚴島神社步行前往彌山纜車站約10分鐘。纜車行程約20分鐘,從纜車下車後,需要由山頂站步行約一公里路程才到彌山山頂。
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  7. 千光寺
離開宮島和廣島市,另一個值得參觀的廣島縣地區是尾道市。尾道市最著名的景點是擁有千年歷史的千光寺。傳說千光寺建於806年,朱紅色的正殿也被稱為「赤堂」,這裏著名的大年夜撞鐘馳名日本各地,鐘樓亦成為尾道的象徵。正殿旁邊的大巖石也被稱為「玉之巖」,傳說在這塊巖石上的一顆晶光閃亮的寶玉,曾經是航海者們的導航目標。
熱愛登山的遊客可以利用索道登上千光寺山,享受海風的吹拂,遠眺瀬戶內海,還可以飽覽尾道的市景。山頂上有千光寺公園,是觀賞夜景的好地方。尾道還有尾道市立美術館和數十間大大小小的佛寺供遊人參觀。
地址和交通資訊
地址:尾道市東土堂町15-1
交通:從JR山陽本線在尾道車站下車,轉乘往東方向的巴士在「長江口」站下車,步行3分鐘即可到達。或從從千光寺山口纜車「山頂車站」步行約3分鐘可抵達千光寺。
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  8. 帝釋峽
帝釋峽位於廣島縣東部,是被帝釋川沖刷出來的15公里長的大峽谷。這裏有許多懸崖峭壁,洞門、溪流、水潭、急流和瀑布等,景色雄偉。
帝釋峽有帝釋天永明寺,是祭祀佛教帝釋天的主神的一座古寺,峽谷的名稱就是來自帝釋天這位神明。在帝釋峽最值得一看的是「雄橋」。它是一座長90米、寬19米、高40米的天然橋,與瑞士的普萊希修橋、美國的洛克橋齊名,是世界三大天然橋,已被指定爲國家級天然紀念物。春季到秋季,從帝釋鄉土館附近到雄橋之間有觀光馬車,遊客可以悠閒地坐在馬車上欣賞自然美景。來帝釋峽感受廣島縣的自然風光,可感受這魅力都市的多元化。
交通資訊
交通:乘坐JR到岡山車站,從岡山車站到新見車站換車去東城車站。在東城車站下車後,乘坐巴士到帝釋。
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nanane-novel · 8 years ago
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第一話「不可思議と影」 (6)
「ハノちゃんって、いうのかい? 花が咲くような、大地にうるおいを与えるような素敵な名だね……僕はユエ、一応このフライハイトに所属している者さ」  青年はやわらかにほほ笑んで、礼儀正しく会釈をした。  ハノは、はっとして辺りを見回した。壁に飾られた、雄々しい白い鳥が描かれた旗を見つけて確信する。この建物は昨晩村長にも教わった冒険者協会フライハイトそのものだったのだ。民間人の護衛や情報収集、魔物の退治など様々な依頼を承っている、いわゆるなんでも屋のようなものだ。  清潔感漂う小奇麗な木造の建物で、大きく育った観葉植物がところどころに飾られている。それに数個ほどならべてある木の丸テーブルやイスも、使い古されているのか、傷はあれどまだまだ丈夫そうだ。スプリードの一番広い部屋より広い、酒場を思わせるような場所だ。“定職にもつかず、武器を振り回すならず者”と呼ばれる者たちのすみかにはとても見えなかった。  しかし、そこにいるがたいのいい男らは剣や斧をテーブルに立てかけ、傷だらけでごつごつした大きな手でジョッキを握り、豪快に酒を飲み交わしている。やはり、ハノが想像する冒険者のすみかなのである。 「アンタみたいなすごいひとに出会えてよかったよ。あぶないところを助けてくれてほんとうにありがとう、ユエ!」  ハノが握手をもとめると、ユエもそれを快く受け入れてくれた。 「どういたしまして。君は無邪気であたたかくて、まるで太陽を思わせるようだね。そんな魅力的な女性に出会えたことを僕は誇りに思うよ」  これが一般的には口説かれているのだということに気がつくはずもなく、彼のつむぐ言葉やどことなく優雅なしぐさが、森に住む少女にはとても神妙に映った。はじめて会ったひとは彼を一目見て冒険者だとはわからないだろう。  細身で長身である彼のいでたちは、温暖なこの国には不釣合いな北国のものだった。コートの襟や袖にあしらわれた黒い毛皮、その下にま��ったチュニックは金糸で紡がれた優美な模様が描かれ、首元をリボンタイでまとめた純白のブラウスが、高貴で上品な香りを漂わせていた。白い肌にかかった長い白藤色の髪はリボンでゆるく束ねられている。貴族のような美しい装いの青年であったが、そういうひとびとに慣れていないハノにも、近寄りがたいとか親しみにくさというものはなかった。 「なにをしでかしたのかなんて野暮なことは聞かないけれど、ユミリア王国軍には気をつけたほうがいいよ。君みたいなかわいい少女にだって容赦しないからね」  水のように澄んだ青い瞳が、ハノの表情を映す。あっけにとられたような顔だ。 「ユミリア王国軍ってまさか……」  肝心なことが頭から抜けてしまうのは、ハノの悪いくせである。村長に叩き込まれた知識が、滝のようにハノの脳内に流れて出てくる。その瞬間最初に理解できたのが、逃げきれたのは運がよかったということ。彼らはこの国が率いる兵士達で、そしてその中でも黒服を着た集団は特別治安部隊”セイバー”と呼ばれている優秀な人材を集めた者たちだ。彼らはなにか大事な任務を成し遂げようとしていたのかもしれない。おそらくハノは、その邪魔をした敵と思われているに違いないだろう。 「オレはただ、鳥人のおんなのこを助けただけなのに」  ハノはうつむいて、ささやくようにひとりごちる。ユエの眉がわずかに動いて、そっと彼女の顔を覗きこんだ。 「鳥人のおんなのこ、とは?」 「……綺麗なみどり色の目をした子だったよ。王国軍の――黒い眼帯をしている男を見てすごく怯えていたんだ。あれはただ事じゃないと思ってさ、それで思わず逃がしたんだ」 「なるほど、君は共犯とでも思われたのだろうね」  その時の状況を思い出し、ルビーの瞳は輝きをにごらせる。治安部隊に追われるということは、あの少女がなにか悪事を働いたのだろうと、ユエは予想しているのだ。しかしハノにはどうしてもそうは思えなかった。明確な根拠があるわけではない。ただ、涙に濡れなにかを訴えるようなエメラルドの瞳が脳裏に焼きついて離れないのだ。 「あの子は、悪いことをして逃げているようには見えなかった」  その言葉を聞いて、ユエはすこし考えるような仕草をした。それから一瞬おどろいたような、おもいついたようにも見える表情をすると、ハノを手招いて小声でつぶやいた。 「だとしたらそのおんなのこは、この国で起きている事件の被害者かもしれないね」 「……事件って、どんな?」  ユエの表情がわずかにくもったような気がした。ハノは聞いてはまずかったかと思いながら、物語るように淡々と話を進める彼に耳をかたむけた。 「精霊病と呼ばれた病を患ったひとがいる。そのひとは何かにとり憑かれたように、暴れまわり周囲の人間に被害を与える。ただ一般人が暴れるだけなら僕たちには止められるんだけど、厄介な事にその病にかかったひとは人間でも、鳥人が使うような魔法を使えるんだ。それも結構強力なものをね」  鳥人には、男性が鳥に変化することができ、女性は風を起こす力を持っていることは、ハノも知っていた。万物に宿る精霊に力を借りるだとかそんな話を聞いたことがある。人間にはその精霊の姿も声も聞こえないはずだった。 「そこで鳥人の王族に病にかかった人間を見せたら、なにか精霊と近いものの気配がすると言ったそうだ。精霊は純粋な血統を持つ鳥人ではない限りその姿を見たり、話したりすることはできない。見ることができても、止められなければ意味がないけどね……王族でも気配を感じ取るだけで精一杯だった。だから、今のところとり憑かれたひとを隔離するしか、対処のしようがない」  諦めたようなユエの言葉に、ハノは思わず身を乗り出していた。 「鳥人なんて街にたくさんいるだろ! 誰かひとりくらいはどうにかできるんじゃないか?」  ユエは参ったというように肩をすくめて、 「いや、ここは鳥人が治める国だけど、人間の数も半分ちかくいるだろう? 純粋な血統は年々途絶え、今は王族だけといわれているんだよ。でも、その王族も役に立たなかった。それで、さっきのユミリア王国軍のデスティ・リューリスはその精霊に取り憑かれた人を助けるべく、殺すという選択を実行している」 そう語る���の瞳はどこか遠くをみつめていた。  ハノは驚きのあまり言葉もでなかった。助けるために殺さなければならないなんて、それは助けるとは言わない。胸の奥から、言い表せないなにかがふつふつと沸いてくる。 「当然とり憑かれた人間が亡くなれば、騒ぎはしばらく治まるけど、憑きものが消滅したわけではないから……また別の人に乗り移る可能性は大きい。根本的な解決にはならないんだ。実際にもう十人以上は被害に遭っているし」 「さっきのおんなのこが、その病気にかかっているっていうのか?」 「あくまでも、憶測だよ」  念を入れるように、冷静な声でユエは言った。  こんな悲惨な事件があったなんて、全く知るよしもなかった。自分のなくしものをのん気に探している場合なのだろうか。己の無知さにハノは拳を強く握るしかない。この街は豊かで活気のある、平和な街だと思っていたのに。  ユエはうつむいているハノを見、ちいさくため息をついて、苦い笑みをうかべた。 「ああ、ごめんね。会ったばかりの君にこんな話をするつもりはなかったんだけど」  気にしなくて良いという意を込めて、ハノは黙って首を横に振った。そのあと、無意識に心のなかにうずまいていた決意が勝手に口をついてでてきた。 「なあ、ユエ! あの鳥人のおんなのこが殺されるなんて納得いかないよ。助けたい」 「その子は、君の知り合いなのかい?」 「……そうじゃないけど、ほっとけないよ。だってあの男、絶対本気だ」  まるで憎悪をぶつけるかのような紅い瞳を思い出すと、今でも背筋が凍りつく。あれを殺気というのだろうか。  ハノは先ほどからずっと、目の前にある旗を見ていた。女性の鳥人には、この旗に描かれた鳥のように大空を羽ばたく力はない。この城塞の檻の外に逃げることなんてできない無力な雛。助けてくれる者が必要なのだ。  ユエはふと、木窓の外をちらりと横目で見てから、ハノの方に視線を戻した。 「君はやさしいんだね。でも、今は自分の心配をしたほうがいいと思うよ」  ハノは理由を問うように、ユエの顔を見た。そこにはいつものようにおだやかな笑みはなく、無表情でありながらも警戒の色がうかがえた。 「三人……いや、四人かな」 「……なんのことだ?」 「この協会の周りを張っているネズミの数さ。僕が見張られているのか、もしかしたら君が出てくるのを待っているのかもしれない。どっちにしても僕は彼らからとことん信用されていないらしいね」  噂をすればなんとやらか――そう言ってやれやれと肩をすくめる時の表情は、どこか楽しんでいるようにも見えた。まるで他人事のようである。  ハノは一瞬、背筋に黒い影が通り抜けたような気がした。 「……もしかして、王国軍がいるのか?」  ハノがつぶやいたちょうどその時、カウンターの奥の扉から妙齢の女性が姿を現した。おそらく協会の職員だろうか。読書にふけっていたのか、ぶあつい本を片手に抱え、来客に今しがた気づいた様子だった。目についたハノをもの珍しそうに頭の先からつま先まで見たあと、その傍らにいたユエの方へ視線を向けあきれた風に口を開いた。 「やはりユエさんでしたか。女性をたぶらかしている場合ではありませんよ」 「やあ、ノア。君も気づいたのかい? さすがユミリアの野に咲く美しい薔薇だ。突然だけど、ここを頼めるかな」  彼女の冷めた視線を溶かすように、ユエが向ける瞳はとても嬉々たるものだった。先ほどまではハノにもそんな視線を向けていたので、どうやら彼は女性とあらばいつもこの調子なのだろう。  ノアと呼ばれた真面目そうな女性はといえば、ユエの頼みを聞いているのか聞いてないのか、さりげなく握られた手を押しのけるとハノの方へ歩み寄って軽く会釈をした。 「ようこそ、冒険者協会フライハイトへ。お話は伺っています。私は依頼の受付を担当しているノアと申します。あなた様のお名前は?」 「ハノだ」 「ハノ様、うちの冒険者がご迷惑をおかけしました。あなた様の安全は彼がお守りしますので、ご心配なく」  ノアは切れ長の目で睨みつけるようにユエを見た。それでも彼は、余裕しゃくしゃくたる態度でのん気に笑っている。ご機嫌にノアの手を握って別れを言ったあと、片手でハノの肩を抱きカウンターの奥の部屋へと促した。  ハノにはなにがなんだか把握できず、されるがままの状態でユエの横顔を見上げた。 「ユエ、これからどうするんだ?」 「僕と愛の逃避行なんてどうかな? 秘密のデートコースがあるんだ」 「無駄口は逃げ切れてからお願いします」  背後から聞こえたノアの声に、ユエは片目を閉じて合図を送った。
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