#鼻頭角公園 安全
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huang0415 · 1 year ago
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【鼻頭角公園】 新北瑞芳親子玩水潛水.自由潛水.停車場.交通
夏天就是要玩水,在地人玩水密境!這裡除了可以游泳之外,還有很多自然生態,還可以租借浮潛裝備,人來就可以玩水,推薦給大家!Google高達4.5顆星! Continue reading 【鼻頭角公園】 新北瑞芳親子玩水潛水.自由潛水.停車場.交通
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tomoshiha · 28 days ago
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五月にみたもの覚え書き
 世がゴールデンウィークだからといって別に休みでもないのは毎年のことなのだけれども、なんもせんのもなんなのでなにかしらやることにしている。今年は東洋美術史をざっくり勉強する、と決めて、4月の末に武蔵野美大出版局の『東洋美術史』を買ってきた。ゴールデンウィーク中に通読することを目標にしていたものの、すっとろくて半分もいかず、五月も終わろうかという頃にようやっと読み終わった。ついでなのでずっと積んでいた美術出版社の『東洋美術史』も併読して、こちらも完走した。
 で、先日、用があって神戸に帰省した。ついでなので奈良に寄ったりして、あれこれ見てきた。その覚え書き。 
 大和文華館にはずっと行きたいと思っていたのだけれどもなかなか機会がなく、あっても逃し、行きたいな行きたいなと思っているうちに十年くらい経っていた。行けてうれしい。老若男女がバランスよくおり、そのどの層も、出されているものを信頼してじっくり見ているかんじがあってよかった。健全な集中力が展示室内をひたひたにしている。
 静かな衝撃だったのが北魏の石造二仏並坐像で、字の通り、仏と仏が並んで坐っている。こういう形式の仏像をはじめて見た。ほんのわずかに顔がお互いの方に傾いている。小ささも相俟って、閉じた、親密なかんじがする。とてもいい。
 青花双魚文大皿。二匹の魚のまわりに水草を二種描いている。一種は金魚藻みたいな形のやつで、もう一種は一枚一枚の葉の長いもの。前者が星を散らしたみたいな効果を出しているのに対し、後者はストロークの長い有機的な曲線が水の流れを感じさせるような効果を出していて、この取り合わせの妙がいい。外側は陸の植物複数種が切れ目なくぐるりと囲む(四季の花を組み合わせることで永続性を象徴させているらしい)。魚は、描かれている見込みの面積からすると小さめなのだけれども、背びれをグッと立てて全開にし、胸を張っるようにして頭のほうを起こし、口をギュッと結んで、上げた顎ごしに下を睨みつけるような、気合の入った顔をしている。でも小さい。小さい体に大きいガッツというかんじがして、いい。真横から描かれているが、胸びれも腹びれも左右両方が見えるようにズラしてあり、それが動きと若干の立体感を感じさせて、イキイキして見える。「魚」は中国語の発音がと「余」と音が同じなので縁起がいい、ということらしいけれども、たとえ縁起が���悪だったとしてもぜひ見たい、いい絵。
 『大和文華館所蔵品目録』として矢代幸雄直筆の書類が展示されていた。使われている紙が大和文華館仕様の原稿用紙なのだけれど、これがとても素晴らしくて、上部に広くスペースが設けられているので図なり註なりをたっぷり書き(描き)込める。一枚あたりがA5くらいの縦長で、ふつうの原稿用紙のハーフサイズ(だから200字?)になっている。もしやミュージアムショップに売ってやしないかと覗いてみたけども、なかった。売るべきだと思う。売ってください。
 国宝展開催中の奈良国博は噂に違わぬ大混雑。奈良国博が、というより奈良がもう全体的に大混雑で、鹿にしても飽食状態なんかして人間に対する関心がやや薄く、煎餅差し出されても「まあそんなに言うんやったらもらってやってもいい」くらいの反応でしかない。しんどいので、見たかったやつだけじっくり見た。
 百済観音は細身な印象が強いが、腕は案外太い。肩の丸みがそのまま腕の太さになって、そのまま肘までおりるかんじ。本体のS字のシルエットに共振するように、装飾の曲線がつく(耳飾りと袖)。全身のシルエットそれ自体が蝋燭の灯のようにも見える。
 宝菩提院願徳寺菩薩半跏像。ウナギの群れのごときぐりゅんぐりゅんの衣文がすごい。衣自体にはほとんど嵩がなくて、濡れた布が体にまとわりついているようでもある。滝を描いた山水画をなんとなく彷彿とさせる。菩薩の体を源として、なにかが激しく流れ落ちているかんじがする。この作品を取り囲む人だかりからおじさまがひとり、「ピカイチやな……」と呟きながら出てきた。ほんまやね。
 中宮寺菩薩半跏像。この一軀のために一室設けられている。白い空間の真ん中に、黒い仏像が置かれている。シルエットの簡潔さが際立つ。パッと見は安らいだ表情のようにも思えるのだが、単眼鏡で眺めてみると小鼻の上あたりの肉にやや緊張したかんじがあり、差し迫った表情のようでもある。左目の下に筋状に漆の乱れがあるようで、これが涙の跡ようにも見える(同展出品の法隆寺地蔵菩薩立像の左目下にも筋みたいなものを見つけたけどなんなんだろう)。肘の位置が左右でけっこう違うが、肩は水平で、前後にもずれない。後ろ姿がいい(今回の展示では360°どこからでも見ることができる。一生分見とくつもりで、長いこと真後ろに立ってボーっと眺めていた)。肩甲骨などの凹凸��彫り出されず、中央の溝だけが一本、すばらしい微妙さで彫られていて、背中のなめらかな曲面の連なりをつないでいる。やや前側にかがみこむような姿勢なので背中がわずかに丸まっていて、そのことによって高い集中力を感じさせる。尻は体重で潰れることなく、高さを保ったまま小ぶりに締まる。それで腰の位置が高く見え、上半身に若干浮遊感が生まれているように思う。
 神戸にいる間に空いた時間で白鶴美術館にも行ってきた。ここは春季と秋季だけ開館していて、対する私は夏と年末年始くらいしか帰省しないので、行きたいな行きたいなと思っているうちに十年くらい経っていた。行けてうれしい。阪急御影から山側に十数分くらい歩いたところにある。
 おもに本館一階の展示室の古代中国の青銅器をじっくりみた。図版で見るといかにもいかめしいかんじがあって、近寄りがたく思っていたのだが、実物を見ると案外まろやかな印象を受ける。表面がなめらかな部分なんかは翡翠みたいに見える。単眼鏡で細部を観察するのがとても楽しい。饕餮夔龍文方卣は特にのびのびとしたかんじがあって、把手のつけ根のひょうきんな顔(キリンのツノみたいなのが生えている。顎がしゃくれていて、ちょっと口角が上がって見える)とか、フタの持ち手の犬の顔がついた鳥みたいな造形とか、見ていて飽きない。象頭兕觥は字の通り象の頭が象られていて、おもしろい。
 西周時代の車馬具のなかに「節約」という名称のパーツがあっておもしろかった。綱紐をつなげるのに使う、K字状のもの。
 金象嵌渦雲文敦は足とフタのついた球形の青銅器で、器形がまずたいへん愛おしい。三本足��動物の足のような形。こどもの虎のみたいなかんじ。かわいい)に二つの把手(虎?の顔)がついていて、顔に正面から向きあうようにして見ると足の一方が近く、もう一方が離れて見えることになり、そこにリズムが生まれている。なおフタには環が三つついていて、今回は足の位置に揃えて置かれていたけれども、ズラしてみるとまた違うリズムが生まれそうで、妄想していると楽しい。この環というのがやや外向きに開くように配置されていて、その点でも大らかさというか開放感みたいなものが感じられ、好きにさせられてしまう。
 二階は漢から唐ぐらいまでの金工作品が出ていた。
 鍍金花鳥文銀製八曲長杯は八辨の花形を横に引き伸ばしたような変わった形をした器で、杯というには浅いようにも思えるけれども、皿というには深さがある。外側側面は、銀色の地の上に金色の植物と鳥の文様がたっぷり詰め��まれている。他にも唐代の小品がいくつも出ていたけれども、いずれもたいそう趣味がよくて、なんという時代であろうかと思った。自分が遣唐使だったらたぶん、船に積む品物が選べなくて泣いちゃう。
 二階の展示室の端っこの小さい区画(昔は貴賓室だったらしい)が次の展示の予告のコーナーということになっていて、出品予定の南宋と明のやきものが出ていた。次は陶磁器の名品展的なことをやるらしい。自前のコレクションであれこれ展示を組み立てて回していけるからこそできることなんだろうなと思う。賢い。
 新館ではコーカサスの絨毯をみた。閉館間際であんまりゆっくりはできなかったのだけれども、眼福だった。V字型の鳥がたくさん織り出されたカザック絨毯が特によかった。絨毯の真ん中の淡い緑色の菱形の区画に、クリーム色、黄土色、朱色、こげ茶色の鳥がわんさかいる。絨毯の縁の枠の部分にもちらほらいる。
 帰りは住吉川沿いを少し歩いた。それからどういう道を通ったのかあんまり覚えてないのだけど、途中に時間が止まったような小さい公園を見つけた。一度は通りすぎたものの、やっぱり気になったので引き返し、写真を撮った。近くのどこかの部屋からピアノの音が聞こえていて、同じフレーズがつたない指で繰り返し練習されているようだった。
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shukiiflog · 2 years ago
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ある画家の手記if.39  告白
三人で家族旅行をして、香澄の睡眠も落ち着きだしてからしばらく経ったある日に、情香ちゃんは唐突にこの家を出て行った。 もともとこのままずっとここにいる気じゃないのは僕も香澄も分かってたし、出ていくことに変な他意はなくて、そろそろいつもの体を動かす忙しい仕事に戻りたくなったんだろうなと思った。
荷物もないし玄関まででいいというから、香澄と二人で玄関で見送る。 一人靴を履いた情香ちゃんは玄関で香澄の頭を髪が爆発したみたいになるまでわしわし撫でたあとで、満足したみたいに笑った。 「ん。もうそんな痩せこけてないな」 「…うん。ありがとう。情香さんの料理おいしかった」 情香ちゃんが香澄をまっすぐ見つめる。 「困ったらいつでも呼びなよ」 「うん」 「…香澄の目は綺麗だな」 そう言って情香ちゃんが香澄の頭を両手で挟んで持って引き寄せ て 「?!」 「ちょっ…」 香澄の目元に軽くキスしていった。香澄はフリーズして目をぱちくりさせてる。 僕は後ろから香澄を抱きしめて牽制する。 「…情香ちゃん、や、やめて…。香澄口説かないで」絶対僕が負けるから。 「そう思うならもう少しお前も大人になるんだな」 情香ちゃんは笑いながら颯爽と扉の向こうに消えていった。 「……。」 「………。」 室内に残された二人でしばらく同じ体勢のまま固まる。 「……香澄…情香ちゃんに心変わり「してないよ?!」 つっこまれるみたいに否定されてほっと息をつく。…へんな感じだ。前だったらそんな、香澄が誰を好きだって、こんなに焦ったりしなかったのに…今僕に気持ちの余裕がないのかな、家族になろうって言ったときだって僕は、香澄にほかに彼女とかがいるならそれで…って思ったり…してたのに。 ……もしかしてこれが独占欲ってやつかな。 もやもやを新鮮に感じながら、香澄に提案する。 「…ねえ香澄。僕はこれからどうしてもやりたいことがあるんだけど、香澄も手伝ってくれる?」 香澄は後ろから抱きしめてくる僕の腕の上に手を乗せて、僕の足の上に足を乗せて、僕もそれに合わせて足をぶらぶらさせたり体をゆらゆらさせて二人で玄関先で一緒に揺れる。 「いいよ。やりたいこと?」 僕はそのまま足の甲に香澄を乗せて二人羽織みたいな二足歩行を戯れにしながらリビングま��戻った。 香澄をソファに待機させると、家族旅行で買ったばかりの防寒具一式をすばやく取ってくる。 ソファに座った香澄にぐるぐるマフラーを巻いて頭に大きめのニット帽をしっかりかぶせて耳まで覆った。体にコートをかける。 僕は寒さに強いから適当なコート一枚でいいや。 「よし、出発」 二人で家を出て、すぐ隣のひらけた公園まできた。 まだ雪が積もったままで、隅のほうに少しだけ子供が雪で遊んだあとが残ってる。 一番綺麗に高く積もったあたりを二人で探して見つけた。 「…よし。香澄、雪だるま作るよ」 僕の真剣な声にとなりの香澄がふっと息を噴き出すみたいに笑った。 「…え。なにに笑ったの」 香澄は手袋をした手で口をおさえて笑いを堪えるみたいにしてる。 「な、なんでもないよ…作ろっか」 …また僕へんなことやらかしたのかな…でも香澄は嫌な気になってるわけじゃないみたいだ 「香澄…」 じと…と香澄を半目で見たら、香澄が笑って両手を掲げて降参しながら白状する。 「直人かわいいなと思ってつい、だってすごく気合い入ってて、ほんとに真剣にやりたいことみたいだったから、なにかと思ったら…」 まだ笑ってる。雪だるまは子供の遊びじゃないんだぞ。 二人で小さな雪玉を転がしながら、僕が胴体、香澄が頭を担当することになった。 香澄が凍った空気に白い息を吐く。 「はー…… 今日からもう情香さんいないんだね…」 「香澄が呼べばきっといつでもまた来てくれるよ。僕が呼んでもあんまり来てくれないけど…」 「そういえば直人は情香さんと一緒に暮らしたことないって言ってたけど、二人が一緒にいるのすごく自然だったよ。幸せそうだった。どうして別々に暮らしてたの?」 「………」 僕の返事がそこで途切れたから香澄は慌ててつけくわえた。 「ごめん、口出しなんて…「いや、なんでも聞いていいよ。香澄も家族なんだから」 笑って香澄が謝るのを遮ったものの、質問には答えられずに、話は自然と別のことにうつっていった。 かなり大きくなった雪玉を、バランスをとりながらふたつ重ねて、二人で支えてしっかり立たせる。 長身の男二人で丸め続けた雪だるまの身長はなかなかのものになった。少なくとも子供が集まって作れるサイズ感じゃない。 「僕は目を探してくるから、香澄は鼻か口を見つけてきてくれる?」 「なんでもいいの?」 「いいよ」 二人で手分けして公園内の木や石を見て回って、手頃なものを探す。僕は黒々としたつぶらな石の瞳と元気に広がった枝の腕二本を見つけた。香澄も尖った石を持ってきて、顔の真ん中に鼻にして刺した。 目も腕もついて、ちょっとだけ天を仰ぐ顔の角度で、かわいくできた。完成だ。 「香澄、ケータイ持ってきた?」 「持ってるよ。写真撮ろうか」 「うん、……誰か…撮ってくれる人がいたら…」公園内は平日だからか閑散としてる。香澄と僕と雪だるまを撮っ��くれそうな人が通りがからないか待ってみる。 すると一匹の大きなシェパードが遠くから僕らのほうに向かって猛スピードで走り寄ってくるのが見えた。 人なつこいのか、雪だるまに興味があるのかな。 「首輪つけてるね、飼い主に写真が頼めないかな」 二人で飼い主の影がどこかにないか見回す。 すぐに体に触れられるほど近くにきた犬の頭を撫でる。吠えたり噛んだりもしない、よく躾けられたいい子だ。 「直人、犬には嫌われないんだ」 「ね、猫だけだよ…あんなに嫌われるのは」 「犬も好き?」 聞かれて一瞬ぼうっとする …似てるってよく言われるな 犬は好き 特に大きい犬は僕がぎゅって抱きしめても骨を折ったりしなくて安心だし 犬は好きだったよ 飼い主が …いや、飼い主のことだって別に嫌ってたわけじゃ その時、雪上に大きな指笛の音がまっすぐ空間を貫通するように響き渡った 「…あ、この子の飼い主さんかな」 香澄が音のしたほうに振り返って、丘の上の散策路に人影を見つけた。 笛の音で犬は全身をぴしっと引き締めてまた一直線に音のしたほうへ駆け出した。 犬の…首輪に下がってたあれは名札? BU…STER…? 「come,バスター」 散策路の人影が一言発した 介助犬とかの訓練用に共通で決められてる命令語だ 犬と一緒にすぐ木立の陰に消えていって僕にはほとんど見えなかった 襟を立てたロングコートだけちらりと見えた 「………人違い…」 …だと思う。あの人はこの時期に日本に滞在してることは滅多にないし ここに居るほうが変だ 「直人」 横から怪我してないほうの腕を香澄にひっぱられた。顔を覗き込まれる。 「変な顔してるよ。大丈夫?」 「…うん。なんでもない」 いつも通り笑ったつもりだったけど香澄に手袋をはめた手で顔を挟まれる。…心配かけちゃってる。 「…さっきの人、知り合いだった?」 「…ううん、人違いだよ」 今度こそうまくちゃんと笑って、香澄をぎゅっと抱きしめる。 「雪だるま…大きく作ったからきっと明日もまだちゃんと残ってる。今日は写真は諦めて帰ろうか」 「…うん」 二人で雪だるまを公園に残して家のほうへ歩き出す。 まだちょっと心配そうにする香澄の頭をわしゃわしゃ撫でて頭を胸に引き寄せてこめかみにキスした。 香澄の右手から手袋をすぽっと取ると、素手になった香澄の指に自分の指を絡めて、しっかり繋いだ手を僕のコートの左ポケットに突っ込んだ。 夜。久しぶりに二人だけで夕飯を作って食べる。 ひとり分の賑やかさが消えて、ほんの少しだけ寂しいような、不安なような。 それをかき消すように二人でいつもより手間をかけて凝った料理をいくつも作った。 食事が終わって片付けも済んで、僕がソファに座ったら香澄が横からするりと僕の膝の上に座った。…かわいいな。 香澄の体を包むように抱きしめる。 「…こういうの久しぶりだね」 って、自分で口に出しておいてだんだん恥ずかしくなる。 情香ちゃんもいたときはそういうことを意識して避けてたわけではなくて、自然とそういう気分にはならなかった。 「…香澄、こっち向いて」 僕の腕の中でゆったりリラックスしてた香澄が顔をあげて僕を見る、手で顎をとって軽く開かせると舌をさし入れて深くキスした。香澄も目を閉じて舌が口内でゆっくり絡み合う。一度少し唇を離してもう一度、角度を変えてもう一度、そうやって何度も深いキスを繰り返してるうちに、身体の芯からじんわり溶けそうになる。…気持ちよくて目が潤む。 一旦休憩。口を離すと少しだけあがった息が至近距離で混ざり合う。 「…香澄… …したい」 正直にこう言っても大丈夫。香澄はもう嫌なときはちゃんと嫌って言える。迫られても襲われても、意に沿わないときは自分の身を守れる。…帰ってきてくれた。それがすべてだった。 香澄の両腕が僕の背中に回って、ぎゅっと僕の体に絡められた。 「……うん…」 首元にあてられた香澄の顔は見えないけど、ちゃんと聞こえた、返事。 そのまま香澄の脚の下に腕を通してもう片腕で背中を支えて、横抱きにしてソファから抱え上げる。 左腕に少しだけ痛みがあった。負担がそっちにいかないように香澄の体の重心を少しずらす。 ドアを開けっぱなしだった僕の部屋に入ってベッドの上に香澄をおろすと、少し赤らんだ頰にキスを落とした。
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sassy324 · 27 days ago
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西方文明被一個瘋子劊子手牽鼻子走一納坦耶胡:
戰後西方國家吸取教訓,建立文明公義、秩序規範、聯合國、安理會、國際法、國際法庭、原子能總署等。但如今,這些文明規則完全被以色列所推翻、被猶太復國主義推翻、被納坦耶胡推翻。美國亦參與其中,令納坦耶胡有持無恐,他在傳承希特勒,瘋上加瘋、狂上加狂。
文明的基本原則,是不分國家、種族、膚色,人人生而平等,沒有種族特權、沒有信仰特權,每個人的生命都是寶貴的。但以色列人卻不是這樣、猶太復國主義者不是這樣、巴勒斯坦人更不是這樣。以色列人是“聖族”,高��在上,他們一個人的生命價值,抵得上一千個巴勒斯坦人的生命,以色列的人質只有幾十人,而以色列關押的巴勒斯坦囚犯有14000人,這就是兩個民族的性價比差異。
以色列人的特權是誰給的?是你們西方列強給的:拜登朝給了以色列九萬噸高爆炸彈,36所醫院全炸毀,聯合國估計,未來70年加沙都不適宜人類居住;在此慘烈情況下,特朗普一上台,就緊急向以色列提供了1800枚一噸重的大型炸彈,和剛研製的11噸重的「炸彈之母」计有七万噸,這明擺著是種族滅絕。
以色列一步一步走到今天,除了自己的造孽外,亦來自西方列強心的偏袒、慫恿、支持分不開,這是因果關系。西方給予以色列說謊的特權、佔領壓迫的特權、制造仇恨和恐怖的特權、極端原教旨洗腦的特權、殺戮的特權、用飢餓作戰爭武器的特權。 77年了,西方列強們、白人種族主義者們,你們不該向世界反省、謝罪嗎?你們與以色列,都是製造種族隔離、種族清洗、種族滅絕的共犯!
近們年來,猶太復國主義被越捧越高,已成為“聖族”,以至於不是猶太復國主義者,為了追時髦,也紛紛加入行列,標榜自己是猶太復國主義者。杜魯道離任時說:猶太復國主義者是光榮之事,我就是猶太復國主義者。左傾的杜魯道尚且如此,右翼的加拿大保守黨人更不用說。拜登說:我就是個犾太復國主義者,盧比歐宣布,凡批評以色列猶太復國主義的人,都不會獲得美國簽證。
所以,21世紀有兩個尊貴的「聖族」不能碰:一個是變性人或同性戀者,一個就是猶太復國主義者。一個自稱為同性戀者的候選人,當選的機率大增;否則,如不獲當選,就政治不正確,有極右翼傾向之嫌,被冠以“恐同症”'。歐盟各國尤其有此嚴重傾向。性變態往往與毒品同源,近期就發現歐盟各國領導人在外交場合有吸毒的嫌疑。
2025年5月29日,突發新聞:以色列國防部長卡茨在約旦河西岸批准建立 22 個新定居點後視察定居點時表示: 「這是解決問題的歷史性時刻,是對恐怖組織的有力回應,也是向馬克��及其朋友們發出的明確信息:你們將在紙上承認巴勒斯坦國,而那張紙將被扔進垃圾桶。”
2025年5月29日,法國作家兼醫生熱拉爾·阿達德在參加在巴黎以色列大使館附近舉行的聲援巴勒斯坦的遊行時說道:「當我還是猶太復國主義者時,我就告訴自己,我必須去以色列生活。我在那裡生活了三年,它治癒了我的猶太復國主義思想。那裡的暴力程度令人難以置信。我對所有的夢想,以及所有理想、破滅了社會的幻想。
「輿論免責權」、「以色列有權自衛”,成了西方偏袒以色列的重器,它直接讓以列受寵過度而成妖,在這個基礎上,以色列的極端原教旨拉比洗腦制度,越演越烈,為使以色列徹底撒旦化打下了堅實的基礎。遂產生一代惡魔、撒旦之子、瘋狂屠夫納坦耶胡問世。這樣一個21世紀的希特勒式人物的問世,表示以色列選民撒旦化,所以才讓他一再當選,終於組成一個了撒旦內閣。
以色列內閣,很有代表性:它將以色列及全世界最極端原教旨、最無人性、最暴戾、最無恥、最反人類的人渣,都囊括在內。什麼樣的元首,組成什麼樣的內閣,納坦耶胡和他的閣員,說的每一句話,做的每一件事,都是反西方文明價值觀的、都是反國際法的、都是違反人性的。
當下的世界舞台,中東成了主舞台,以色列成主角,美國成了配角;納坦耶胡成了主角,川普成了配角。以色列負責反人類、納姐耶胡是反人类的总指挥,美國負責支持,負責作堅強後盾,特朗普負責做支持一方的總指揮。實際上,川普成了納坦邪胡的棋子,負責遞屠刀,負責安理會提供否決權,保護、偏袒、慫恿到家。
另一個特權者是猶太復國主者。以色列人很清楚擁有這種特權,西方列強非法地給予他們的特權,所以西岸的非法定居者,每天都在放火燒柑欖樹、燒原住民的房屋、佔領他們的家園、進入阿克薩清真寺騷撓、向二十多個外國外交使團開火、在拉法口岸阻擋聯合國的救援車隊。美國的黑水集團更派出特種部隊進入加薩參戰,助長以色列人的氣焰。
納坦耶胡是個心胸極度狹隘的人,他見到以色列人質心身健康地被釋放,甚至感謝当以军空袭时,哈馬斯戰士用身體保護她們,在釋放儀式上親吻哈馬斯戰士的額頭,已完全激怒���這個瘋子劊子手。他痛恨人質釋放過程成了哈馬斯形象的宣傳片,對比以軍對待巴勒斯坦囚犯的不人道,煽了他的耳光。他恨不得將餘下的人質全炸死,不用擔心他們回來成了哈馬斯形象的宣傳片。川普贊成他撕毀停火協議,是中了他的計。
進入21世紀,情形越發肅殺:但凡批評以色列暴行的人,都被冠以“反猶”,輕則失去學業、丟了工作,重則負上刑責。納坦耶胡是最會煽動「反猶太」大棒,但凡有對以色列不利的事件、言論,他都與「反猶太」掛上鉤,而他不斷的反人類言行,違反國際法的行為,卻視為理所當然,不容異議。
特朗普不是很強勢嗎?唯有在納坦耶胡面前是個唯命是從的棋子。他是個臭名昭著的屠夫、撒旦之子,這種人,臭名遠播,避之唯恐不及,特朗普竟叫他的代理人眾議院議長约翰逊,第四次邀請他到國會演講。上任後,兩次邀請他到白宮訪問,還為他扶好坐椅,接受他贈送的血腥國禮,鍍金傳呼機。同意「加薩流離失所計畫、撕毀加薩停火協議,全面封領加沙,斷糧、斷水、斷電,攻打伊朗核設施。
川普是美國強勢總統,西方國家的領袖,尚且成了納坦耶胡的棋子,配合他胡作非為,更何況其它西方各國。現在成了以色列的時代、猶太復國主義的時代、納坦耶胡的時代,大家都被他牽著鼻子走。納坦耶胡一個人,就毀了西方文明價值、毀了聯合國尊嚴、毀了國際法。西方倒下了,無法自強。(加拿大司馬田2025.5. 谷歌翻譯,tumblr: birthday,推特:ansontao)
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wangwill66 · 4 months ago
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飲食魔幻錄
H:「民以食為天」,食到最後幻又怪。從小在口中的食衣住行育樂,以食為首。其來自「民生主義中, 提到人民有六大需要是指:(一)食、衣、住、行:為物質生活所必需。 (國父孫中山先生原著)(二)育、樂:為精神生活所必需。 「食、衣、住、行、育、樂」是民生的六大需求,因此如果從利用數位科技來創業的角度來看,成功顛覆這六大需求的任何一項,都必然產生巨大無比的影響和商機。」中華民族常自傲「地上跑的、走的、爬的、天上飛的、水裏游的,幾乎所有可以吃的東西,不管是海裏的、還是地裏的, 哪怕是看來最噁心的東西,中國人都會貪婪的送往嘴裏。」 坊間亦有言:「凡是背向天的,無論是動物、魚或昆蟲,中國人都吃。」#飲食可編成食知錄,辭典或百科。20250306W4
博客來介紹:
飲食魔幻錄(增訂版)
ISBN13:9789887624523
出版社:香港文學館
作者:杜杜
出版日:2023/02/24
作者簡介
目次
商品簡介
《飲食魔幻錄(增訂版)》結集了杜杜在《明報》專欄發表的短篇文章,增訂版新增兩篇文章,暢談飲食及菜色、由食物所衍生的想像和藝術,探討它們在日常生活與藝術世界中的角色。全書大量地引經據典,提及不少飲食相關的小說、散文,甚至附上一些小食譜。內容多樣又精彩豐富,插圖精美吸引。本書為香港文學館的香港文學經典復刻書系之一。
作者簡介
杜杜,江蘇揚州人。上海出生,香港長大,現居紐約。中學時就讀華仁書院,接受愛爾蘭耶穌會神父的天主教教育,思想背景深受其影響。其後在香港大學攻讀英國文學和比較文學。興趣是電影,立志做作家,最後主要從事教育工作,現已退休。其作品散見於香港報刊,結集作品有《瓶子集》(一九九五)、《非常飲食藝術》(一九九七)、《另類飲食的藝術》(一九九九)、《飲食與藝術別集》(二OO二)、《飲食調情》(二O一六)、《甜美的悠閒》(二O二一)等。
目次
【目錄 】
怪雞與龍蛋
夏日雞蛋幻想曲
奇異的果實
荒誕奇幻的飲食世界
靈異魔幻飛魚肉
仙境飲食奇觀
有靈性的鮭魚
罐頭的疑惑
牙齒狂想曲
牙齒的歡樂
嘴的聯想
腐臭神奇臭豆腐
可吃可玩的麵粉公仔
冬日年糕的祝福
樸素家鄉味 童年焦麵和西班牙炒麵包
蠶蛹與禾蟲
嬌俏輕盈的貝奧奇麵包
奪寶奇兵漢堡包
鴨子也升仙
歡樂賓治
名家論味精
素食者的無奈
食肉者的矛盾
危機重重的廚房
讀聊齋一嘗鬼味
乞丐的食物
吃的屈辱
浪漫的地痞小館
飲食的忘我境界
雞蛋的美學
飯桌的瓦解
無中生有鼠尾湯
愛物惜福說殘羹
神奇廚藝大觀
中產階級的晚飯
溫柔的牛油麵包
奇方妙食解相思
秋天的飯盒
羹調天下安(上)
羹調天下安(下)
杯子夢幻曲
檸檬茶與阿拉丁
書摘/試閱
〈神奇廚藝大觀〉
天下萬般事物無不相連共通:治大國若烹小鮮,做小菜如搞藝術。水果沙律做得精巧甜美,引致的精神愉悅不下於一首莎士比亞十四行詩。一席滿漢全席的震撼力,相等於長達五小時的華格納歌劇《尼伯龍根的指環》。喜歡讀書的人偶然會動筆寫文章;食家何妨趁興之所至,洗手下廚作湯羮,體會藝術創作背後的情味。我想寫一篇即興小品,於是炒出了一碟滑蛋蝦仁;我想寫一首情詩,於是調來一杯玫瑰賓治;做醃篤鮮獨缺本家的金華火腿,實行靈活變通,把意大利的聖但尼火腿借來頂替,效果特佳;那就是翻譯。
清初學者錢泳在《履園叢話》第十二卷〈治庖〉一則裡面説過,作文必需先讀書,欲下廚必需先買作料:「未有不讀書而作文,不買辦而治庖者也。譬諸魚鴨雞豬為《十三經》,山珍海錯為《廿二史》,蔥菜薑蒜酒醋油鹽一切香料為諸子百家,缺一不可。治庖時寧可不用,不可不備,用之得當,不特有味,可以咀嚼;用之不得當,不特無味,惟有嘔吐而已。」但是題材不等於是作品。山珍海味沒有高明的廚師去調理,神奇也可以化作腐朽;廚藝精湛者,有本領把青菜豆腐煮出雋永鮮味,正如出色的作家,能夠把日常平凡的題材,處理成動人的故事。
十八世紀英國小說家亨利菲爾丁在《湯姆瓊斯》的開卷第一回裡就呼應了錢泳的看法。他說紳士和腳夫的晚餐吃的都是牛肉,分別在於調味配料和排場。同樣地,藝術作品的優劣,不是決定於題材,而是看作者如何將題材處理得宜。亨利菲爾丁又說小説家不過是包伙食的廚子,要迎合花錢的大���口味。他並且如此結束了第一回:「好了閒話休提,我們既然向諸君預告了菜單,那就馬上獻出第一道菜來娛樂大家。」
吃好菜固然是一流娛樂,做好菜也是上佳的生活調劑。披頭士約翰連儂生前説:「作曲作得悶了,我喜歡烤麵包給好朋友吃。」 熱烘烘香噴噴的麵包一出爐,其滿足感不下於譜成一曲〈黃色潛艇〉。法國作家普魯斯特也曾指出作家和廚師的共通之處:「我完全沈醉在用詞造句的樂趣之中,正如㕑師純為滿足自己的口味而做菜。」普魯斯特的一部長篇小說《追憶似水年華》裡面,果然俯拾皆是美味可口的菜式和點心。其中最為著名的有那喚醒幸福的梅達林小甜餅。藝術和廚藝之所以共通,是因為兩者皆訴諸官感。音樂滿足聽覺,美術滿足視覺,而食物滿足味覺和嗅覺。至於文學,則透過文字間接地滿足所有的官感。藝術不同哲學;哲學是抽象思維,而藝術裡面即使有抽象思維,也必須通過官感的描述去表達。
《追憶似水年華》裡面的廚娘房素娃,被提升為偉大的藝術家,「除了一般常用的基本作料如雞蛋、肉片、洋山芋、糕餅之外,房素娃更會得因時施材。田園的收成,漁夫的所獲,鄰居的禮物,市場的運氣,和她本人的才華,都能使我們的菜譜有如聖堂門廊上的四分葉狀雕刻一般,反映出四季的節奏和生活上的小波折;我們有菱鮃吃,是因為魚販保證新鮮;有火雞吃,是因為房素娃在菜市場看到這美麗的生物;有雜菜骨髓,是因為她還未試過煮這菜式;有菠菜,是因為要換口味;有杏子,是因為難得;吃醋栗,是因為再過兩個星期便過造了;有覆盆子,是因為史璜送給的;有櫻桃,是因為園中的櫻桃樹兩年來第一次結出果實;有奶油乳酪,是因為我小時候愛吃;有杏仁蛋糕,是因為她前一天早已訂好了的;有奶油圓蛋糕,是因為輪到我們捐贈教會了。吃罷這一切之後,房素娃再呈上一道朱古力奶油,這是我父親最心愛的點心。這道點心輕盈有如即興的樂章,並且展示了她所有的才華。如果有人夠膽子説:『謝謝,我不餓,不想吃。』那他就會立即被房素娃列入黑名單,被視為不懂欣賞藝術的俗人。如果有人吃得不徹底,在���上剩下殘餘的話,也是極為失禮的行為,就好像演奏未畢,就當著作曲家的臉提前離場。」
房素娃這廚娘既然是藝術家,那麼她做出的食物自然都是藝術品。一粒豌豆,一棵蘆筍,在普魯斯特細緻入微的觀察之下,都成了寶物。「廚娘在剝好豌豆之後,我就逗留在桌邊檢閲那一排一排整齊有序的豆粒,彷彿是碧綠的彈珠。但是最使我入迷的是蘆筍,尖端處顯著佛青和粉紅,一路上細緻地點染著淺紫和蔚藍,然後再不經意地在腳根處轉成脫俗的熒光透明白色,腳根處還沾了一點泥土。這超凡入聖的色彩,令我相信這蘆筍乃是天外纖巧的精靈幻化而成;這蘆筍有黎明的光華,彩虹的顏色,黃昏的藍影;它們構成蘆筍寶貴的特質。在吃完蘆筍的夜晚,這些精靈(既抒情又粗俗,一如莎士比亞夢中的仙子)給我開了一個玩笑,把我的尿壺幻化成香水瓶。」
普魯斯特在描繪家常最細微的事物亦往往流露了出其不意的魔幻。小小的一棵蘆筍,在作家細緻的筆觸之下,變成了色彩明艷的天外精靈,彷彿會得趁廚娘轉身之際,一一向廚房的窗外飛升而去,重投陽光的懷抱。一切的蔬菜水果,無非是陽光孕育而成的彩色和氣味。原來太陽就是最偉大的煉金術士,憑著自身的熱和光,把一粒種子從黑沉沉的泥土中引發出來,伸展生長,幻化成綠葉金果。法國文豪域陀雨果的《巴黎聖母院》(Notre-Dame de Paris 俗譯《鐘樓駝俠》)裡面,沉迷於煉金術的僧侶斷言:「金不是金屬;金就是光。」亦即是說,太陽就是金,是一切生命和價值的泉源。廚娘利用水火將大自然的各種植物生物再度加工,變成美食:會跑會叫的豬靜止為紅艷艷香噴噴的火腿;堅硬的蘋果成為瓶中柔軟的果醬;這也是另一種煉金術吧。各種美食如同百川匯海一般送到人的口腔裡,再滑進腸胃,分化成滋養生命的營養素,餘下渣滓就是金黃的液體和固體。原來這是精靈給我們人類開的一個玩笑:尿壺中的金黃液體,正是另類香水。
〈讀聊齋一嚐鬼味〉
廣東人喜歡借鬼作為終極形容。美麗是鬼咁靚,醜陋是鬼咁肉酸,好是鬼咁好,壞是鬼咁衰��此外有鬼咁麻煩,鬼咁好相處,鬼咁有錢。好朋友是老友鬼鬼,倒霉起來是做鬼都唔靈,一錢不值的東西鬼都唔要,慘的時候是做鬼好過做人。還有鬼咁凍、鬼咁熱、鬼咁遠、鬼咁近、鬼咁平、鬼咁貴。稱外國人為鬼佬,漂亮的東西又說鬼火咁靚。好醜都是他,簡直是一網打盡,無鬼不歡。真是鬼咁好笑。不要忘記,還有鬼咁好味。
然則鬼真的好吃嗎?
以鬼稱食物的,彷彿只有一味油炸鬼,但地方性的小吃,或者還有以鬼命名的吧?孟加拉有一種血紅極辣的辣椒,就叫做鬼辣椒。那是借來形容那辣味會在你的舌頭上突然散發出來,出其不意,如同鬼魅。但是真正的油炸鬼,只有在地獄中才能一嚐真味。小時候遊虎豹別墅,至今記憶猶新。一輩子再也沒有見過更臃腫滑稽的彩色雕塑了。���些裸體美人,奇珍異獸,簡直是Camp的祖宗。當然還有地獄變;生前惡人,死後在阿鼻地獄受各種苦刑,拔舌挖眼,開肚抽腸,上刀山,落油鑊,終於變成油炸鬼。兒時看了嚇得發抖,回家做惡夢。如今卻忽發奇想:把鬼來開肚斬件,火燒油汆,莫非是要將之吃掉?
但丁的《神曲》中有地獄篇,而地獄的最底層困住了撒旦。這地獄之王半個身子陷在冰下;雖無六臂,卻有三頭,作紅、黃、黑三色;三副蝙蝠巨翼,六隻流淚兇目;那三張冒著血泡的嘴巴,都在同時間啃吃惡鬼:中間的嘴巴在吃出賣耶穌的猶大。猶大的頭已經納入撒旦的口中,雙腿垂在口外掙扎擺動如同划槳;猶大背上的皮也給撒旦的利爪完全撕掉了。其餘的兩張嘴巴吃的分別是布魯斯特和加西亞斯,卻是腳在內,頭向下。這三個被撒旦吞吃的惡靈都是欺師滅祖的叛徒,受到終極苦刑。至此,但丁的導師維吉爾也只有嘆道:「我們甚麼都看過了。」
可不是。我們以為吃人是最大的禁忌,卻原來還有吃鬼在後頭。《聊齋誌異》第一卷裡面有一篇〈咬鬼〉。話說有某翁者,夏月晝寢,朦朧間見一女子掀簾而入,以白布包頭,穿喪服麻裙。翁還以爲是鄰婦來訪妻子,但又轉念:為何會穿喪服入人家?正疑惑中,女子已出。細看,女子約三十餘,顏色���腫,眉目蹙蹙然,神情可畏。漸漸逼近掛床。他只得裝睡,以觀其變。其女子竟攝衣登床,壓腹上,覺如百鈞重。心中淸楚,卻不能動彈,不能呼救。女子以嘴貼他的臉,只覺其嘴尖如喙,冷如冰,寒氣透骨。情急之下,出盡氣力咬那女子的頰骨,齒沒於肉。女子負痛而去。翁但覺血液流於頰上,濕流枕畔。翁事後告之家人,皆笑說只是惡夢而已。但相與檢視,如屋漏之水,流枕浹席。伏而嗅之,腥臭異常。翁乃大吐。過數日,口中尚有餘臭云。
值得注意的是此女鬼流的不是血,而是似「屋漏之水」之物。換言之,是髒臭液體。這皆因人鬼有別:人有血氣,鬼沒有。《聊齋誌異》中另有一篇〈噴水〉,其鬼狀如老嫗,短身駝背,白髪如帚,冠一髻,長二尺,環走時竦急作鶴步,行且噴,水出不窮。後來在日間掘出此鬼之屍,如所見狀,面肥腫如生,令擊之,骨肉皆爛,皮肉盡清水。
這裡的還只是清水,到了〈咬鬼〉中的鬼,則是「屋漏之水」,當然髒穢不可當。李時珍的《本草綱目》裡,竟然也有〈屋漏水〉之條:「屋漏水,氣味辛,苦,有毒。但能治被狗咬之傷口,可以用水澆屋檐,取滴下之土敷在傷口上,有效。」這當然不足信。
這篇〈咬鬼〉,真正直接道出了鬼的滋味,描繪入微,叫人看了食不下嚥,絕對不敢以身試法。《聊齋誌異》描寫鬼怪百態,不但繪聲繪影,還寫出味道。〈小髻〉一篇,又寫鬼怪的氣味。話說怪異小人被擊之後四散,「惟遺下一小髻,如胡桃殼然,紗飾而金線,嗅之,騷臭不可言。」蒲松齡果然是一代誌異宗師;在他筆下的鬼怪妖異,不但具有千奇百怪的形態:美艷、嬌憨、兇殘、醜陋、詼諧,更加有具體的氣味和味道,一步一步地以特異的真實逼近讀者。
維基百科:
古怪食物 編輯
《古怪食物》(Bizarre Foods with Andrew Zimmern)是一個旅遊美食節目,主持人為安德魯·席莫(Andrew Zimmern),在旅遊生活頻道(TLC)播出。第一季在2007年2月26日日正式開播。
古怪食物
Bizarre Foods with Andrew Zimmern格式美食、旅遊主演安德魯·席莫國家/地區 美國集數20每集長度60 分鐘播出資訊首播頻道旅遊頻道
亞洲:Discovery旅遊生活頻道播出日期2006年(試播)—現今各地節目名稱中國大陸飲食奇趣錄台灣古怪食物港澳古怪食物外部連結官方網站主持人曾拜訪過的國家 Countries visited by Andrew Zimmern on Bizarre Foods (up to episode 34, including unaired episodes). Blue dots indicate when a specific city was visited.
此節目主要以美國人的觀點,介紹世界各地他們認為的令人作嘔、特別且古怪的食物。每一集中,席莫會介紹某一國家或區域的食物,完整呈現食物的取得、供應以及品嘗的過程。
此節目原本片長只有一小時,稱為《亞洲古怪食物》(Bizarre Foods of Asia),不斷地在旅遊頻道播,且受到廣大觀眾的喜愛。2006年底,節目改為每周播出一小時,著重一樣的題材,主持人也一樣為安德魯·席莫。
另外,此節目的形式與另一節目《波登不設限》(Anthony Bourdain: No Reservations)相當類似;後者比較像是一個介紹旅遊、特別食物和夜生活的綜合體,而前者主要呈現民族食物以及當地文化,特別是美國人覺得新奇怪異的事物。
席曼在節目開始和結尾時,都會說同一句話:「只要它看起來好吃,就吃吧!」[1]
亞洲:日本、泰國、馬來西亞
第一季
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首播日期拜訪地點奇特食物12007年2月26日菲律賓鴨仔蛋、椰子蟲、麵包夾冰淇淋、紅樹林蟲、水蟋蟀、五號湯(牛直腸和睪丸湯)22007年3月5日摩洛哥牛心、包餡的胰臟、烏賊、水煮小牛腦32007年3月12日厄瓜多豚鼠、檸檬螞蟻(lemon ant)、椰子蟲、chicha42007年3月19日西班牙洛磯山脈蠔(牛睪丸)、小鰻魚、鳳梨和海帶gelees、豬頭52007年3月26日美國墨西哥灣沿岸地區河鼠、負鼠、特大啃(去骨烤火雞內塞去骨雞和鴨)、豬內臟、松鼠、鯔魚、魚卵、短吻鱷62007年4月2日英國羊雜、野兔、豬頭肉凍、牛心和骨髓、鰻魚凍、餡餅和羊芋泥72007年4月10日亞洲(試播重播)生吃青蛙和活蛙心、蜥蜴清酒、烏龜、蝙蝠、燕窩、蝦醬、榴槤82007年7月9日千里達及托巴哥中南美蜥蜴、conch(一種螺類)、豬腳、牛���湯、鯊魚、三明治92007年7月16日墨西哥蚱蜢披薩、章魚、蚊子蛋、犰狳、海灘貝類料理102007年7月23日阿拉斯加白鯨和弓頭鯨魚油、海豹湯、海象、發酵魚頭、駝鹿鼻凍、麋鹿披薩、岩雷鳥、白魚冰淇淋112007年7月30日台灣臭豆腐、雞仔蛋、雞冠、雞卵巢、生豬肉、烏骨雞雞睪丸、酥炸蜂蛹122007年8月6日紐約市特別來賓:安東尼·波登
象拔蚌、活龍蝦、蛆蛹、捕鳥蛛、照燒蟑螂、水母沙拉、鵝腸132007年8月13日越南響尾蛇心和曬乾骨頭、麝貓咖啡、豬耳朵、蠶、蠍子、烤麻雀、牛鞭、鱟2008年2月26日精選地點精選第一季最佳古怪食物:鴨仔蛋、雞卵巢、樹蟲、鰻魚凍、 河鼠、章魚和鹽汁。另外也放入未公開畫面和第二季的預告
第二季
編輯
首播日期拜訪地點奇特食物142008年3月4日北京蟬、海馬、海膽、煮驢肋驢尾和驢皮、乾樹蜥、海參、駱駝腳、豬肚、dao jiao、蛇鞭、油炸鹿鞭、犛牛鞭、海螺152008年3月11日冰島冰島發酵鯊魚肉(醃鯊魚)、烤善知鳥、slatur(一種血凍)、羔羊熱狗、挪威海螯蝦(用地熱泉水烹煮)162008年3月18日聖彼得堡鹽醃魚、羅宋湯、牛舌、克瓦斯、鯡魚薄餅、salo、醃七鰓鰻、棕熊肉、魚子醬、俄羅斯烤肉172008年3月25日明尼蘇達豬腳、鹼漬魚、魯賓三明治、義大利麵和肉丸、短吻鱷串、照燒鴕鳥、野豬肝、腦和睪丸、鹿肉、德國酸菜派、炸雞胗、花生漢堡(夾花生醬和美乃滋)、鯡魚卵182008年4月1日波利維亞羔羊腎、牛百頁、牛鞭湯、內臟併盤、大羊駝腦和舌、生牛肉、醃豬腳、羔羊肉乾、豬內臟、mocochinchi(如同花生牛奶)、大羊駝肉乾、chuno(一種馬鈴薯食物)、山竹、犰狳、野豬、藜麥、Titicaca Orestias(淡水魚類)192008年4月8日智利鮑魚、Pacific razor clam(蛤蠣)、牛乳房、血腸、lucuma汁(一種亞熱帶水果)、驢奶、牛臀三明治、藤壺、淡菜、海帶、馬肉、康吉鰻、水煮牛睪丸和陰囊、羊血糕202008年4月15日中國廣州烤魷魚、點心、雞腳、鴨腳、龜湯、乳鴿、蠍子、乳豬、涼拌海蜇皮、蟹卵蛋捲、木耳、田雞腿、60公尺長麵條、stinkhorn(一種菇類)212008年4月29日印度 - 德里Pomfret(一種鱸魚)、扁���、腦咖哩、羊肝和羊腎、印度燒餅、山羊和羔羊睪丸、paneer(一種南亞起司),水煮香蕉花、香蕉樹嫩莖、水果三明治、panipuri(印度油炸小點)、lassi(優格飲料)、羊肉丸、gushtaba、薄餅
參考文獻和註解
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victor6699 · 4 months ago
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感謝行天宮關聖帝君及4恩主公助我生意起死回生
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感謝行天宮關聖帝君及五大恩主公助我連虧12年生意轉歸為盈,挺過訴訟及疫情
關羽(聖帝)
關聖帝君指的是三國時期博學多識的名將關羽。他的暱稱是雲朝,生日是農曆六月二十四日。 《關聖帝君命聖真經》雲:“孝悌忠信,為人之本;禮廉恥,為人之根本。”
八德為立身之本,關聖帝修養了八德,保衛了國家和人民,因此受到百姓的尊敬。他升天之後便成為神,受到人們的崇拜。
呂恩主(呂洞賓)
呂恩主,名顏(同甘),字洞賓。他的生日是農曆四月十四日。呂恩淑肩上的寶劍象徵無形的“道劍”,用來斬斷人們心中的貪、瞋、癡三毒。 《呂蒂心經》說,呂恩主從倫理道德的角度,導出三十六種善念,並用它們來淨除三十六種惡���。這些教誨非常有意義,又與日常生活息息相關,對於修身養性、修心修行有極大的幫助。
張單
張恩主是灶神,出生於農曆八月三日。灶神是家人敬奉的神靈,用來保佑家人平安,看管家人的善惡行為,並向上天報告家人的功過。據傳說,灶神左右各有一位侍神。一個人有“好罐子”,另一個人有“壞罐子”,他們在罐子裡記錄著這個家庭的行為。
台北大昭寺的張恩主像右手握著「筵席」(書寫用的板子),記錄著世間人的善惡功過。
王恩主(王善)
王恩主的名字叫善,生日是農曆六月十六日。王恩珠原為雷神,所以他的臉、頭髮、鬍鬚都是鮮紅色的。其為“先天火車黃羅神官”,法力無邊,能下達晴空雨露、雷電避邪、治病救人等指令。它還可以消除邪惡,控制不忠和孝順,並懲罰那些背叛貴族、父母、老師或朋友的人。
岳飛
岳恩主是宋代一位博學的名將,筆名鵬舉。他的生日是農曆二月十五日。在他24歲那年,岳的母親在他的背上刻上了「忠忠報國」四個大字,讓他永遠不忘記「精忠報國」。
岳飛秉承「智、信、仁、勇、嚴」五字,率軍與金軍英勇作戰,在戰火紛飛中保護了百姓的生命財產安全,取得了一次又一次的勝利,贏得了廣泛的尊敬。
關聖帝君降筆真經
吾是漢關聖帝,敕諭大眾聽聞,世上不齊等事,全憑一點真心,正直光明不屈,死生順逆當分。
吾嘗下遊漢季,結盟皇叔三人,桃園名重千古,單刀秉燭於今,寄曹明來明去,吞吳為漢亡身。
上帝憐我忠耿,獨敕宣化幽明。
令我日遊天下,鑒別忠佞紛紛,一切貪殘奸巧,還償果報斤斤。
最戒讀書文士,並及官宦軍民,第一休欺父母,切莫圈套鄉鄰。
貧富先交朋友,朋友乃是五倫,信心內外平等,何妨蹇難災迍。
曹操無底深險,現今受罪幽冥,孔明只緣忠義,幽冥群奉為神。
直心直受真福,巧來巧計禍因,有過昭如日月,無私天地同群。
果然兒女不誑,到處鬼怕神欽,設計偷艑女色,自已帷薄宣淫。
弄手誆騙財物,輩輩嫖賭淪侵,比比爭能爭勝,往往越賤越貧。
快快收心猛醒,休休愈墮愈深,三生輪迴惡趣,千載唾罵難禁。
筆尖添減情罪,如劍夜誅滿門,尤恨毒心狼婦,花言啜哄鄉親。
唆夫罵公罵婆,令我一見生瞋,泥像揮刀剖腹,分斬母子平均。
可喜平人孝悌,朝夕買辦糧薪,霎時風行泥馬,鴕回萬里窮軍。
欲求長生育子,急宜戒殺放生,不食牛犬等肉,可免牢獄囚刑。
男女遵奉吾語,遇難我自降臨,戰場驅逐鬼魅,刀光雷雨血淋。
護國百折不改,助爾加爵策勳,富貴永昌奕世,眉壽永無災侵。
如有毀���妄想,斗秤欺哄愚氓,不許生身人世,阿鼻地獄呻吟。
那時悔過已晚,急早佩服法文,回頭諸惡莫作,勉勵眾善奉行,(誦畢三叩首)
桃園明聖經經文
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wangwill · 8 months ago
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心路歷程
H:談到心路歷程「心中思慮所經歷的路程。多指矛盾、徘徊、掙扎的經過。」都是心中有苦,走過痛苦歲月,完整的退下來,娓娓道出成功的過程。有人希望自己從小到大到老都「無憂無慮,無災無病。」人類的渺小,就是憂慮和恐懼,害怕過多的風雨,害怕人生苦短,想避開災禍和病痛。這有可能嗎?跳脫漩渦才能成就其大。孟子告子下:「故天將降大任於是人也,必先苦其心志,勞其筋骨,餓其體膚,空乏其身,行拂亂其所為,所以動心忍性,曾益其所不能。」學習本身就是探索的過程,禮記學記「玉不琢,不成器;人不學,不知道。」琢就必須承擔痛苦和勞累,甚至引來災禍和病痛,然後才學會趨吉避兇,甚至延年益壽。每一次的醫治抗病,就是續命的開始,與病共存,也是新生的循環。奇異博士崶抗多瑪暮,使用循環法則,回說「痛苦是我的老明友」。干擾時間,赢得打敗敵人的勝利。20241103W7
網路字典:
心路歷程
心中思慮所經歷的路程。多指矛盾、徘徊、掙扎的經過。[例]這是我成長的心路歷程,希望對你有所啟發。
心中思慮所經歷的過程。 例探討一個思想家的心路歷程,必須精讀他所有的著作。
毫無憂慮。 形容心情怡然自得。 例父母的細心呵護,使我度過無憂無慮的童年。
解釋:
毫無憂慮。形容心情怡然自得。《西遊記》第九○回:「正是:無慮無憂來佛界,誠心誠意上雷音。」也作「無憂無慮」。
毫無憂慮。形容心情怡然自得。《孤本元明雜劇.群仙朝聖.第三折》:「俺出家兒無憂無慮樂醄醄,到處隨緣任逍遙。」也作「無慮無憂」。
元•鄭廷玉《忍字記》第二折:“我做了個草庵中無憂無慮的僧家。” 分類:教育類
標籤: 成語大全
朱自清
1948年8月12日上午11時40分,朱自清匆匆地離開了人世。第二天,由北京大學哲學系教授馮友蘭,在北京阜成門內的廣濟寺主持了朱自清的祭奠和火葬儀式。
無憂無慮
沒有憂患;不用擔心。
《左傳·昭公三十二年》:“ 范獻子 謂 魏獻子 曰:‘……從王命以紓諸侯, 晉國 無憂。’”《史記·張儀列傳》:“為大王計,莫如事 秦 。事 秦 則 楚 韓 必不敢動;無 楚 韓 ���患,則大王高枕而臥,國必無憂矣。” 唐 羅鄴 《上東川顧尚書》詩:“龍節坐持兵十萬,可憐 三蜀 盡無憂。” 宋 朱熹 《次瑞泉詩韻》:“終待寒泉食,無憂水鏡昏。”
佛教語。參見“ 無憂王 ”、“ 無憂樹 ”。
維基文庫:
孟子《告子下》 
孟子曰:「舜發於畎畝之中,傅說舉於版築之閒,膠鬲舉於魚鹽之中,管夷吾舉於士,孫叔敖舉於海,百里奚舉於市。故天將降大任於是人也,必先苦其心志,勞其筋骨,餓其體膚,空乏其身,行拂亂其所為,所以動心忍性,曾益其所不能。人恒過,然後能改;困於心,衡於慮,而後作;徵於色,發於聲,而後喻。入則無法家拂士,出則無敵國外患者,國恒亡。然後知生於憂患而死於安樂也。」
玉不琢,不成器;人不學,不知道。是故古之王者建國君民,教學為先。〈兌命〉曰:「念終始典于學。」其此之謂乎!——《禮記.學記》
維基文庫
布袋和尚忍字記
布袋和尚忍字記
作者:鄭廷玉
姊妹計劃: 數據項
楔子
第一折
第二折
編輯
(正末上,雲)自家劉均佐。自從領了師父法旨,在這後花園中結下一個草庵,每日三頓素食,則念南無阿彌陀佛,過日月好疾也呵!(唱)
【南呂】【一枝花】恰才那花溪飛燕鶯,可又早蓮浦觀鵝鴨。不甫能菊天飛塞雁,可又早梅嶺噪寒鴉。我想這四季韶華,拈指春回頭夏,我將這利名心都畢罷。我如今硬頓開玉鎖金枷,我可便牢拴定心猿意馬。
【梁州第七】每日家掃地焚香念佛,索強如恁買柴糴米當家。(帶雲)若不是俺師父呵,我劉均佐怎了也啊!(唱)謝諸尊菩薩摩訶薩,感吾師度脫,將俺這弟子來提拔。我如今不遭王法,不受刑罰。至如我指空說謊瞞咱,這一場了身脫命虧他。我、我、我,謝俺那雪山中無榮無辱的禪師,是、是、是,傳授與我那蓮臺上無岸無邊的佛法,來、來、來,我做了個草庵中無憂無慮的僧家。一回家火發,我可便按納。心頭萬事無牽掛,數珠在手中掐。我這裏靜坐無言歎落花,獨步煙霞。
(雲)南無阿彌陀佛,我這裏靜坐咱。(倈兒上,雲)自家是劉均佐的孩兒。俺父親在後園中修行,俺叔叔與俺奶奶每日飲酒做伴,我告知俺父親去。開門來,開門來。(正末雲)是甚麼人喚開門���。(唱)
【罵玉郎】我將這稀剌剌斑竹簾兒下,俺這裏人靜悄不喧嘩,那堪獨扇門兒砑。(倈兒雲)開門來。(正末唱)我這裏疑慮絕,觀覷了,聽沈罷。(倈兒雲),開門來。(正末唱)
【感皇恩】呀,他道是年小渾家,這些時不曾把他門踏。我將這異香焚,急半這衣服整,忙將這數珠拿。(倈兒雲)開門來。(正末唱)莫不是誰來添淨水?莫不是誰來獻新茶?我這裏侵階砌,傍戶牖,近窗紗。
(倈兒雲)開門來。(正末雲)可是甚麼人?(唱)
【採茶歌】日耀的眼睛花,莫不是佛菩薩?(倈兒雲)開門來。(正末開門見科,唱)呀,原來是癡頑嬌養的這小冤家。必定是他親娘將孩兒無事打,我是他親爺腸肚可憐他。
(雲)孩兒也,你來這裏做甚麼來?(倈兒雲)你孩兒無事不來,自從父親修行去了,俺母親和俺叔叔每日飲酒做伴,我特來告與父親知道。(正末雲)哦!你娘和叔叔在房中飲酒做伴是真個��(倈兒雲)是真個,不說謊。(正末怒科,雲)這個凍不死的窮弟子孩兒,好無禮也!想著你在雪堆兒裏凍倒,我救活了你性命,我又認義做兄弟。我見他家私裏外,倒也著意,將這萬貫家財都與他掌管著。我恨不的手掌兒裏擎著。(見忍字科,雲)嗨,孩兒,你且耍去。(倈兒雲)爹爹,你只回家去罷。(正末唱)
【牧羊關】你休著您爺心困,莫不是你眼花?(倈兒雲)我不眼花,我看見來。(正末唱)他莫不是共街坊婦女每行踏?(倈兒雲)無別人,則有俺奶奶和叔叔飲酒。(正末雲)這言語是實麼?(倈兒雲)是實。(正末唱)你休說謊咱。(倈兒雲)不敢說謊。(正末怒科,雲)是實,我真個忍不的也。(唱)也不索一條粗鐵索,也不索兩面死囚枷,也不索向清耿耿的官中告,(帶雲)忍不的了也!(唱)放心波我便與你磣可哥的親自殺。(並下)
(劉均佑同旦兒上,雲)自家劉均佑的便是。自從哥哥到後花園中修行去了,如今這家緣過活兒女,都是我的,倒大來索是受用快活也。(旦兒雲)叔叔,正是這等說。我早安排下酒食茶飯,兩口兒快活飲幾杯,可不是好?(劉均佑雲)我正要飲幾杯哩。我關上這臥房門飲酒者。(飲科)(正末上,雲)我手中無刃器,廚房中取了這把刀在手。來到這門首也,我試聽咱。(旦兒雲)叔叔,這家私裏外,早晚多虧你,滿飲一杯。(劉均佑雲)嫂嫂之恩,我死生難忘也。嫂嫂請。(正末雲)原來真個有這勾當,兀的不氣殺我也!(唱)
【哭皇天】見無吊窗心先怕,他若是不開門我腳去蹅。不由我怒從心上起,刀向手中拿,(做看科,雲)我試看咱。(旦兒雲)叔叔,你再飲一杯。(正末唱)他兩個端然在那坐榻。(雲)開門來!(劉均佑雲)兀的不有人來了也。(下)(布袋暗上)(旦兒開門科,雲)員外,你來家了也麼?(正末唱)我把這房門來緊靠,把姦情事親拿。(旦兒雲)你要拿姦情,這姦夫在那裏?街坊鄰舍,劉均佐殺人哩!(正末唱)何須你唱叫,不索你便高聲。(拿旦兒叫科)(正末唱)呀,來、來、來,我和你個浪包婁,(推旦兒科)(唱)浪包婁兩個說話咱,(見刀把上忍字科)(唱)呀,猛見這忍字畫畫兒更不差。
【烏夜啼】我則郵黑模糊的印在鋼刀把,天那,則被你纏殺我也,忍字冤家!(旦兒雲)好,出家人如此行兇!劉均佐殺人哩!(正末唱)你可休叫吖吖,一迷裏胡撲塔,咱可便休論王法,且論家法。(旦兒雲)劉均佐,可不道你出家來,你看紀念佛,剗地殺人?(正末唱)那裏有皂直掇披上錦袈裟?那裏也金刀兒削了青絲發?休廝纏,胡遮剌,我是你的丈夫,你須是我的渾家。
(雲)我且不殺你,那姦夫在那裏?(旦兒雲)你尋姦夫在那裏!(下)(布袋在帳幔裏打嚏科)(正末雲)這廝原來在這裏面躲著哩,更待幹罷。(唱)
【紅芍藥】我只一手將系腰來採住向前掐,可便不著你躲閃藏滑。(布袋雲)劉均佐,你忍著。(正末見布袋科)(唱)我這裏猛抬頭覷見了自驚呀,嚇的我這兩手便可剌答,恨不的心頭上將刀刃紮。(布袋雲)劉均佐,心上安刃呵,是個甚字?(正末想科,雲)心上安刃呵,(唱)哦,他又尋著這忍字的根芽,把姦夫親向壁衣拿,眼面前海角天涯。
(雲)我恰來壁衣裏拿姦夫,不想是師父,好蹊蹺人也。(唱)
【菩薩梁州】兩模兩樣鼻凹,一點一般畫畫。磕頭連忙拜他,則被你蹺蹊我也,救苦救難菩薩。些兒失事眼前差,先尋思撇掉了家私罷。待將爺娘匹配的妻兒嫁。便恩斷義絕罷,雖然是忍心中自詳察,(布袋雲)劉均佐,休了妻,棄了子,跟我出家去。(正末雲)他著我休了妻,棄了子出家去,(唱)我且著些個謊話兒瞞他。
(布袋雲)劉均佐,我著你忍著,你又不肯忍,提短刀要傷害人。可不道你在家裏出家,則今日跟我出家去來。(正末雲)劉均佐一心待跟師父出家去,爭奈萬貫家緣、嬌妻幼子無人掌管。但有個掌管的人,我便跟師父出家去。(布袋雲)劉均佐,你道無人掌管家私,但有掌管的人來,便跟我出家去,你道定者。(劉均佑上雲)自家劉均佑。恰才索錢回來,見哥哥走一遭去。(見科)哥哥,您兄弟索錢回來了也?(正末雲)兄弟,便遲些兒來也罷。(布袋雲)劉均佐,兀的不掌管家私的人來了也?便跟我出家去。(正末雲)兄弟,索錢如何?(劉均佑雲)都討了來也。(正末雲)好兄弟,不枉了幹家做活。兄弟,我試問你咱。(布袋雲)劉均佐,忍著念佛。(正末雲)是、是、是,南無阿彌陀佛。(唱)
【牧羊關】這分兩兒輕��重?(劉均佑雲)也有十兩五錢不等。(正末唱)金銀是真共假?(劉均佑雲)俱是赤金白銀。(正末唱)他可是肯心肯意的還咱?(劉均佑雲)都肯還。若不肯還呵,連他家鍋也拿將來。(正末雲)正是恩不放債,南無阿彌陀佛。兄弟,將一個來我看。(劉均佑遞銀科,雲)哥哥,雪白的銀子你看。(正末接銀子,印忍字,驚科)(唱)我這裏恰才便湯著,卻又早印下,又不曾有印板,也須要墨糊刷。(布袋雲)這忍字須當忍著。(正末唱)師父道忍呵須當忍,(劉均佑雲)這個銀子又好。(正末唱)抬去波,我可是敢拿也不敢拿。
(布袋雲)劉均佐,管家私的人來了也,你跟我出家去。劉均佐,你聽者。(偈雲)休戀足色金和銀,休想夫妻百夜恩。假若是金銀堆北斗,無常到來與別人。不如棄了家活計,跟著貧僧去修行。你本是貪財好賄劉均佐,我著你做無是無非窗下僧。(正末雲)罷、罷、罷,自從認義了兄弟,我心中甚是歡喜。我為一貫錢,打殺一個人;平白的拿姦情也沒有,爭些兒不殺了一個人。我如今將這家緣家計、嬌妻幼子都交付與兄弟,我跟師父出家去也。兄弟,好生看管我這一雙兒女,我跟師父出家去。罷!罷!罷。(唱)
【黃鐘尾】我說的是十年塵夢三生話,我啜的是兩腋清風七盞茶。非自談非自誇,我是這在城中第一家。我雖有錢呵(唱)一厘也不肯罰,一毫也不肯拔。我道吃了窮漢的酒,閑漢的茶。笑看錢奴忒養家,歎看錢奴忒沒法。謝吾師度脫咱,我將家緣盡齎發,將妻兒配與他,謝兄弟肯留納。我半那撥萬論千這回罷,深山中將一個養家心來按捺,僧房中將一個修行心來自發。(布袋雲)你念佛。(正末雲)依著師父,每日則念南無阿彌陀佛。(唱)到大來無是無非快活殺。(下)(布袋雲)誰想到劉均佐又見了一個境頭,將家計都撇下,跟我往岳林寺出家去,那其間貧僧再傳與他大乘佛法便了。(下)
第三折
第四折
維基百科:
奇異博士 (電影)
2016年美國電影
《奇異博士》(英語:Doctor Strange)是一部於2016年上映的美國超級英雄電影,改編自漫威漫畫旗下的同名超級英雄角色奇異博士。本片由漫威影業製作,並由華特迪士尼工作室電影負責發行,本片是漫威電影宇宙的第十四部電影,由史考特·德瑞森執導[7],德瑞森、喬·斯派茨[8]與C·羅柏·卡吉爾(英語:C. Robert Cargill)負責編劇,並由班奈狄克·康柏拜區、蒂妲·史雲頓、奇維托·艾吉佛、邁茲·米克森、黃凱旋、麥可·斯圖巴、班傑明·布萊特、史考特·艾金斯和瑞秋·麥亞當斯主演。
劇情
邪惡魔法師卡西流斯(英語:Kaecilius)帶領一群狂徒份子私闖位於尼泊爾加德滿都[註 8]的魔法聖殿卡瑪泰姬(英語:Kamar-Taj),搶走一本封為禁忌的古文書當中的一頁。至尊魔法師古一試圖阻止他們,奉勸關於書中儀式的毀滅性代價,兩者在一個千變萬化的「鏡空間」(Mirror Dimension)中決勝負,但卡西流斯仍帶領剩下的四名隨從逃之夭夭。在美國紐約,一名世界頂尖神經外科醫生史蒂芬·史傳奇原本過著安富尊榮的生活,直到發生一場嚴重車禍[註 9]而導致他的雙手神經嚴重受損(英語:Nerve injury),從此徹底失去工作能力。但史傳奇堅信能恢復雙手,因此不惜用盡所有金錢進行多次實驗手術,最後卻只是徒勞無功。由於他的自暴自棄以及固執己見,他的同事尼科蒂姆·威斯特(英語:Nicodemus West)與女友克莉絲汀·帕瑪相繼離開他。面臨傾家蕩產的史傳奇見到一名傷殘人士強納森·潘伯恩,他本應全身癱瘓卻奇蹟般地自如行走,他提示史傳奇前往卡瑪泰姬尋找答案。
史傳奇用僅存的現金搭飛機來到加德滿都,找尋目的地時遭遇搶劫,但被一名魔法師卡爾·莫度相救。莫度帶領史傳奇走進卡瑪泰姬會見古一,當古一為他介紹所信仰的魔法時,史傳奇起初認為這是無稽之談。古一便對他展現出魔法力量,揭示包括星界平面(英語:Astral plane)和鏡空間在內的其他維度,對此感到難以置信的史傳奇乞求她教導自己魔法。但由於史傳奇心態過於傲慢,古一感覺他和叛逃的學徒卡西流斯異常相似,一度拒絕教授他魔法。無處可去的史傳奇不想放棄恢復雙手的唯一機會,坐在門口苦等一夜,莫度看上他的執著而勸說古一暫時接納他。
史傳奇在古一和莫度的監護下開始嚴格魔法訓練,起初糾結於他的手無法施展好魔法,古一於是將他困在珠穆朗瑪峰上,最後讓他突破自己而創造出魔法傳送門穿越回來。史傳奇藉圖書館看守人王拿來給他參考的古文書,迅速學習各個魔法招式。學習途中,史傳奇瞭解到地球被一個強大咒語所保護,以避免遭受其他維度入侵;而咒語由世界三處至聖所(英語:Sanctum Sanctorum)所組成,分別位於紐約、倫敦和香港;而魔法師的使命是守護各個至聖所免受攻擊。史傳奇隨著法術步步高升之下,打算探討古一在禁忌古文書中隱藏的秘密,於是透過能夠扭曲時間的神器阿迦莫多之眼(英語:Eye of Agamotto),用時間倒轉形式恢復並閱讀卡西流斯搶走的書頁。莫度和王跑過來警告他說扭曲時間將違反自然法則,講述卡西流斯曾經因失去珍愛的一切而向古一尋求指引,直到被書中的禁忌內容所誘惑,認為人類皆有權利永生。
卡西流斯透過奪來的書頁召喚出黑暗維度的主宰「多瑪暮」,獲得黑暗力量下開始遵從其命令,摧毀倫敦至聖所後馬上攻擊紐約至聖所。史傳奇勉強對抗卡西流斯過程中,擺在展示櫃中的紅色懸浮斗篷(英語:Cloak of Levitation)選中史傳奇為主人,指導他打敗兩名狂徒後抓獲卡西流斯。但卡西流斯揭露古一的法力與永生之道,其實都是藉助多瑪暮的黑暗維度力量。這時,狂徒盧西恩(英語:Lucian Aster)跑回來刺傷史傳奇,史傳奇製造傳送門回到他原來工作的醫院找克莉絲汀療傷,藉助她實施的心臟電擊,得以釋放出力量殺死盧西恩。史傳奇剛回聖殿碰上古一和莫度,但卡西流斯卻脫離束縛,兩方於是在鏡空間中的紐約市進行追逐乃至鬥爭。古一展現的實力與頭上出現的黑暗印記證實卡西流斯的說詞,而卡西流斯仍然拒絕聽從勸阻,最終重創古一而使她掉回現實後摔至地面至重傷。
古一送醫搶救過程中突然靈魂出竅,欣然打算接受死亡,同時對跟著她一同出竅的史傳奇坦白實情,奉勸他有時候要打破規則行事,並希望他能藉此平衡莫度的耿直天性。古一交代完遺願後傷重去世,大受感悟的史傳奇決定不讓她白白犧牲,於是說服莫度參戰前往香港。隨著卡西流斯摧毀香港至聖所[註 10],黑暗維度開始入侵且摧毀香港。史傳奇使用阿迦莫多之眼倒轉時間,使一切返回原點。但這麼做僅是緩兵之計,直到卡西流斯的一句「超越時間」使史傳奇靈機一動,於是飛進黑暗維度中創造一個無限時間循環,把他跟多瑪暮困在循環裡。無論多瑪暮殺死史傳奇多少次,他還是會隨著輪迴一次又一次回到���面前,忍無可忍的多瑪暮只能答應史傳奇撤出地球並帶走其追隨者的要求。而卡西流斯與其隨從直接被多瑪暮吸進黑暗維度,永遠困入無盡的黑暗中。
黑暗維度隨之消失,時間倒流使周圍居民都平安無事,但莫度經此一役失去原有的信念而選擇離隊。史傳奇將阿迦莫多之眼物歸原位,王說此裝有無限寶石的儀器不宜到處使用,並告知古一的死訊一旦傳遍整個多元宇宙,則會引來其他邪惡勢力。史傳奇同時改變他想治療雙手的初衷,選擇繼承古一的至尊魔法師之位而繼續守護世界。後來,史傳奇見到回歸地球的雷神索爾,索爾希望他能協尋現已失蹤的父親奧丁,並保證找到後就會迅速返鄉;史傳奇便立即答應協助他。另一方面,莫度找到藏身在紐約的潘伯恩,強行奪走使他能行走的魔法能量,準備獵殺其他魔法師。
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kennak · 11 months ago
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【追記】 こんなに反応あるとは思ってなかった!ありがとう! 気になるコメントを返信したよ。 https://anond.hatelabo.jp/20240622221530 【追記終わり】 ~~~~~~~~~~~~ 暇つぶしでネットサーフィンをしていたら「国際結婚に憧れある!」「国際結婚したい!」「ハーフのかわいい子が欲しい!」といった掲示板や投稿を見かけた。 私の母は中国人だ。私は国際結婚した両親の子供である。ハーフである。投稿を見て「そういえば自分と同じハーフの子供たちの悩みを見てみたいな」と検索してみると「ハーフで良かったことはと聞かれるけど、悪い事しかない」との記事がある。俺もそう思う。国際結婚ってそんなに羨ましいか?ハーフってそんないいか? 記事が少ないので、自分語りでもネットに置いておこうと思った次第だ。同じくハーフの人が「そうそうw」と思い、私はこれが辛かったなと吐いてくれるといいな。 ただつらつらといろんなハーフと関わってきたうえで、ハーフの悩みや辛みを書いていく。書いていたら筆が乗って長いが、興味があって読んでくれると嬉しい。 個人差・地域差は当然あると思うので、こんな人もいるんだなと念頭においてくれよな! ~~~~~~~~~~~~ 【前提】 母…高校?の頃ぐらいから日本へ行くことを決意。「こんな国にいてられるか!」と親の反対を押し切って中国を脱出したらしい(日本へ留学)。日本で、日本人と結婚。結婚を機に日本国籍を取得。もう日本にいる年数の方が多い。 増田…生まれ育ちも国籍も日本。日本語しか話せない。自分がハーフだと知ったのは物心ついてすぐ。 ~~~~~~~~~~~~ 1:年を取ると日本語がおかしくなる母 母は通訳の仕事をしており、外国人とは思えないほど日本語が流暢だ。初見で気が付くことは不可能だと思う。見破った奴はいない。「え?!お前の母親、日本人じゃないの?!」となるくらいにはわからないらしい。ちなみに中国人に小籠包や麻婆豆腐を「日本語で発音してみて」というと「ポ」と「ボ」の発音が日本人と明らかに違うのがわかると思う。bao1やpo2の影響が抑えきれないらしい。母もよ~く聞くと違う。よく聞かないとわからないから日本語は上手いのだが。 しかしそんな母も年を取るにつれ、日本語が怪しくなる。 日本語がおかしいというか、日本語がぱっと出てこなくなったらしい。「えっと、あれだよ…あれ…えっと…」と悩んだ末に「○○!日本語でなんだっけ?」ってなる。 「中国語で話していいよ」というとスラスラ話す。やはり母国語の方が話しやすいらしい。方言強すぎて訳すのは大変である。 …今のところは元気だが、認知症やボケたらどうしようとは思っている。 ちなみに夢はどっちなのか聞いたが、普段は日本語がメインで疲れている日は混じるらしい。 2:子の日本語もおかしい ずっと認知していなかったのだが、大学生の時、論文を見てもらったら「ちょっと日本語おかしいよね。ハーフだったりする?」と教授に言われてびっくりした。どこが変ですか?と聞くと「文法としてはあってるけど、どことなく文章の形が日本語じゃない」と言われた。驚いた。語学系の教授だからか? そういえばと、高校の頃に「増田のイントネーション違うって」と言われたことが何度かあった。母親に改めて聞いてみると実は中国語の発音(イントネーション)だったりする。 成人したが改めて国語の教科書を読み直したりした。意外と間違えてていまだにそうだったのかとなることがある。 3:親が二か国語を習得させようとしてくる これが!これが大変だった。2にも書いたように変になる原因だと思う。 日本で育って生活は日本語である。しかし、母は「せっかくハーフなのだから二か国語話せたらいいよね」と、家に帰ったら中国語を学ばせていた。あろうことか「これからは英語もできないとね」と英語も習っていた。 幼少期の自分はキャパオーバーだった。ただでさえ幼稚園・学校では新しい言葉・漢字を習っているというのにさらに別の言葉が入ってくる。 しかも中国語と日本の漢字がまざる!!!それに英語が来たところで「これ日本語で言うところのなに?」となって何もわからん。ピンインと英語の発音が混じる!日本語がわからんのに英語がわかるわけあるか! 母は当然外国語ができるから国際結婚しているわけだ。英・日・仏話せる。大学で外国語の論文を書いたレベルの語学力だ。語学ができる人間なのだ。語学が"できる"人間なのだ!だから子も一緒だと思っているのだ! 小学校にあがったタイミングで親が「あ、これ混乱しているな?」と気が付いたのか家で学ぶことはなくなった。 結果、日本語が怪しい日本生まれ日本育ちハーフという人間が爆誕したのであった。大学になって中国語を選択したが案の定何にもわからん。 これは自分の家だけかと思ったのだが、国際結婚をするとバイリンガルにしようとしてくるらしい。出会ってきたハーフは8割くらいそうだった。ちなみにどっちも話せる人間は帰国子女くらいで、日本育ちだと「多少訳せる」が限界みたいだ。 ちなみに年に数回帰省していたせいもある。帰省したら強制中国語シャワーだ。方言強すぎる中国語でな! 4:幼いころのハーフいじり 特に幼稚園~小学校低学年が酷かった。幼さゆえの「それが差別や偏見だとわからない」というべきか。 なんでバレてるのかなと思ってたんだが、どうやら保護者会→保護者会で外国人同士で仲良くなる→そこに母がいた→ハーフバレ みたいな感じ。母コミュニュティも大変だな。そこから子供に伝わっちまうんだから。 ハーフ同士というのもあってアメリカ人のハーフの子(Aとする)と自分は仲良くなった。お互いに「外国人だ。怖い」「外国人が日本人に混じんないで」などと言われてみんなと距離を取っていた。 未だに酷かったなと思ったのはとある先生の言葉だった。 ドッチボールの最初のトス?二人向き合ってボールを陣地はじくやつ。それでちょうど背の高かった私とAが選ばれた。その時に「アメリカvs中国だなwこれは大きな国の戦いだ!どっちが取るかなw」と先生が言ったのだ。Aと私は子供ながらに「こいつやべぇな」となり乾いた笑いしか出なかった。(おそらく「外国人であること=羨ましい・特別な事」という思考から言ったんだと思う。悪気どころか良かれと思ってやっていたと思う。なんかこの先生、「外国最高!」みたいな思想強かったから) それもあってか私とAはますますいじられた。他のハーフもいたが、背のでかさや上記の事件もあって目立ってしまった。名前ではなく「中国人」「アメリカ人」と呼ばれたり、「中国人だから卑怯」「アメリカ人だからうるさい」となにかと○○人だから言われた。幼稚園・小学低学年でもこれだ。これは昭和ド田舎の話じゃない。00年代、23区の私立幼稚園・公立小学校の話だ。 というか私もAも日本生まれの日本育ちの日本語しか話せない日本国籍なんだがな。どっちかといえばというか普通に日本人だったわけで。 5:小学生時代の容姿いじり・○○人だから ハーフと言っても私はアジア系なので日本人と変わらない。幼稚園だと外国人というポイントだけをいじられていた。容姿については何にも言われてない。 しかし、小学校に上がるとやたら容姿をいじられる。 「中国人だから目が細い」だの「アメリカ人だから天パ」だの「中国人だからデカのっぽ竹」だの「アメリカ人だから鼻高いエイリアン」だの。ことあるごとに「○○人だから××だ」と直結させる奴ばかりだった。容姿についてとことんいじり始めるのだ。 私とAは近所だったので同じ小学校に進んでいたのだが、互いに「そんなことないよ」と慰め合って���た。Aは白人青目茶髪で顔立ちもいいのに、それでも容姿をいじられていた。よくわからない洋画のウザくてすぐ死ぬ奴に似ているからザコって言われたり、青目=魔女でちょっと変なことをすれば黒魔術だ・悪魔は消えろなど、白すぎて幽霊みたいでキショイなど。 私らが「やめろ」と怒っても「これだから外国人はすぐキレる」「日本人のノリがわからない」とかいうもうどうしようもない切り返しをされるので無視するしかなかった。(はい、バリアー無敵~くらいのノリなので相手するだけ無駄) 先生たちは何していたか?「中国人は目が細いんだよ」とか「アメリカ人は鼻が高いんだよ」とか全然擁護になっていない解説しかしなかったわ。 むしろ親が外国人であることを何故か授業中とかに暴露しやがる。社会の授業で外国が出てくると「○○さんのお母さんがここの生まれなんですね!今度この事件のお話聞いてきてよ!」とか。これがまじで数人いる。どんな教育しとんねん。×××区だよ。お前んとこのだよ。ちなみに私は天安門事件、Aは9.11の時に言われた。バカだろ。またそっからいじられんだよ。「うわ~w(戦車と同じように)引かれる~w」「(飛行機のように)突っ込んでこいよ~w」とかってな!ガキに不謹慎なんてねーんだよ!!! 6:しゃべってみてよ 普通の人なら「話すのはできないんだよ」と言えば「そうなんだ」で終わる。 しかし、世の中にはダルいやつがいる。「え~wもったいな~w」だの「ハーフなのに話せないの?w」だの「ハーフの意味ある?w」とか。まぁまぁな遭遇率でクソ。ただダメージを受けるだけである。ゲリラ豪雨みたいなもんで遭遇したら最悪。 7:「ハーフって得でしょ」 損の方が多いし、得を感じたことはない。得…得…得?八角に抵抗ないとか?本場の中華料理作るのがうめぇとか? 8:やっかいな思想の人の敵にされる 大学に入ったら保護者会もないしハーフなのはバレないだろ…と思ったんだが、第二外国語で中国語を取ったときに先生が「お~中国語ネイティブだね!」からばれちまった。幼いころ親から習ったのはすっかり忘れて話すことはできなかったのだが、母の帰省付き添いをしているうちに染み付いたっぽい。予想外の方法でバレてしまった。 そこからどうやって広がったのかは謎だが、「中国人嫌いなんだよね(お前も嫌い)」「中国人なら日本嫌いなんだろ?なんで帰らないの?」とか冗談でも言うやつ出てきた。「ざんね~ん日本国籍で~す」って言いたいがスルー安定。しかし絡まれたという事実がストレス。 9:親との常識の違い 詳細を書くと別の論争になりそうになるのでざっくりと書くが、常識の違いでよく喧嘩した。日本の思想と違いすぎる。大まかはアジア系で一緒なのだが、やはり儒教らしい考えなのか、大陸らしい考えなのか、いわゆる日本の礼儀とか考え方と全然違う。 小さいころの話だが、母と喧嘩して父に助けを求めたとき「母さんの国だと常識なんだよ」と言われたこともあった。はえ~と思いながらそのまま母に怒られた。母と父は基本仲良しだが、小さな常識の違いで険悪になることはあった。明らかに母の日本語の語彙が足りないという場面にも出くわした。それで父がさらにイライラするということもあった。家族としては仲がいいと自負できるが、やはり細かいところで日本人同士(同じ国同士)だったらしないような喧嘩をする。改善のしようがないので辛いところである。時間の考え方とかお金の考え方とかね。 高校時代、「昨日こんなことで喧嘩したんだ」と同じく中国人ハーフの友人に話したら「それ、中国だと怒られるやつなんだよね~」と言われたことがある。これが国柄の性格強めの親だと辛いな~と思う。 ~~~~~~~~~~~~ 大人になればなるほど差別的なことをいう人は減っていくし、親の常識も理解できるようになった。なおさら幼少期は大変だったなと思える。 社会人になって、社内にフランス+日本人のハーフがいて、彼はフランスで幼少期を過ごしたらしいが、同じ様にいじられていたとのこと。「学校行事で動物園に行ったとき、猿のコーナー行ったときにアジア人として晒しもんにされたよハハハ!」と言っていたが笑い事じゃないだろ…と思った。今だから笑えることになってるが。 「じゃあ親が外国人だってバレないなら…」と思うかもしれないが、Aのように明らか外国人と分かる場合は避けられない。アジア系ならまだ大丈夫かもしれんが、おそらく何かしらでバレると思う。 ちなみに小学4年?のころにフィリピン人のハーフの子とも同級生だったが、彼女は本当にひどかった。見た目は褐色系だったのですぐハーフとバレていた。つか名前が日本語+外国語だった。褐色で大きな瞳、綺麗な黒髪でいわゆる美女だったんだが、容姿をいじられにいじられまくった。「フィリピン人の髪の毛は油まみれ」「(授業で発展途上国だと習い、貧しい国=不衛生だと思われて)蠅がたかる。くっせ~」と言われてた。匂いがきついのは事実だったんだが、おそらく香辛料か香水?の匂いだったと思う。汚い匂いではなかったよ。私はその子の隣の席だったからな。フィリピンのお菓子を貰ったことがある。私は普通に接していたのだが、次の学年ではいなかったから転校したんだと思う。幼少期は根も葉もねぇ偏見を言われることは多かった。 私はメンタルがたまたま強かったからよかったものの、弱い子なら幼少期のいじり(いじめ)でボロボロになってしまうだろう。フィリピンの子だって、転校したわけだし。 振り返るとあまりハーフであることのメリットはなかったと思う。ハーフ同士で仲良くなれるとか、外国人に対して偏見をもたないとか、容姿・血筋で誰かをいじめない?とか? あぁ、帰省が外国だから「海外旅行いけて羨まし~」って言われるくらい?だけど日本人が祖父母の家行くのダルいと一緒で、小さい頃はめんどくて仕方がなかったけどな。だって言葉通じないし、気候も空気も食生活も違うから体調崩しまくりだし。何度も食生活でゲボり、体調崩したことか。羨ましい?母国で帰省できる君らの方が羨ましいけどな。祖父母と隔たりなく会話したかったよ。たまたま外国に興味があるような性格に自分が成長したからいいものの、兄弟は興味がないのでいっつもダルそうだった。 最初に戻るが、ハーフ・国際結婚の何が良いのだろうと思う。マウントとかあこがれ?だと思うけど、子供を産むのなら覚悟くらい持ってほしいと思う。かわいい子が生まれる保証もないし、十中八九子供特有の差別・偏見に晒されると思う。いじめられる率は上がる。バイリンガルにさせたいと思っても出会ってきた人のだいたいが「両方も中途半端にわからない」という状態になる。国特有の考え方っていうので喧嘩は発生しやすい。これは経験則なので絶対そうかと言われれば自信ない。国際結婚の離婚率が高いのも納得である。 私の母は「中国から逃げたかったから必死に勉強して進学して留学して結婚した。親には申し訳ないことをしたが結果として旦那も家族も認めてくれた」というちゃんとした理由で国際結婚したので納得している。当時の中国で大学って本当に努力したんだって思うから。自分がいじめれてしまっても、親のせいにはできない。これが「憧れがあって、素敵だから!母国の男とか無理w」とか薄い理由だったら「は?幼き頃いじめられたあれは何だよ」ってぶちギレてしまうところだった。 子供を産まない場合でも外国人と結婚かぁ、大変だと思うんだけどな。第二外国語って完璧にできると思ってもやっぱり母国語には劣るわけだし。現に母は年で第二外国語が怪しくなってきてるからな。大人になった今、軽い気持ちで「国際結婚に憧れある」という人に出会うとちょっとビビっちゃうよ。
ハーフ・国際結婚の辛さを書いていくぜ!
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mouniassn · 2 years ago
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諸事不順皆因不孝
以下為一位有緣人分享:
《阿伯的話─現場開示精華節錄》:「若子女小時候未對他們付出愛心和耐心,子女心裡容易不認同父母;長大後,雖為時較晚,但還是有改變的機會,父母要付出心力去圓滿,以身作則,用愛與關懷慢慢將子女導正,子女才不會反彈。」
「母子連心,要學佛,將自己的心安住,才能將子女顧好。」
父母與孩子,可以說是最親密也是最複雜的關係,有人說:「子女不是來報恩的,就是來討債的」。每個人都有自己的習氣和宿世因緣,從父母的角度來說,當不喜歡這個孩子,或是孩子不聽自己的話、給自己帶來麻煩的時候,往往就會說孩子是來「討債」的,包括我自己也曾一直這樣認為我的兩個兒子是來「討債」的。
我有兩個兒子,大寶6歲,從小體弱多病,不好帶,過敏性鼻炎引起咳嗽和支氣管炎。基本上每個月都要去醫院報到,西醫中醫輪流看;發現看西醫後,體質越來越差,就像人們常說的西醫治標,中醫治本。接下來就開始看中醫調理,中醫師說除了要調理脾胃,更重要的是要增強體質。多運動可以增強體質,我就幫大寶報了籃球班,由幼稚園中班開始練打球,每節課我都陪著他上課,當他想放棄的時候給他鼓勵,堅持打了一年多,體質終於慢慢好起來,比起之前長高長肉了,人也陽光自信起來。跟他一起打球的同學好多都放棄了,而大寶慢慢的在進步,還獲得了機會被教練選上特訓班可以參加打比賽,我們的堅持沒有白費。
小寶4歲,體質較好,但是脾氣不佳。在小寶2歲多的時候,因為孩子的爸爸生病了,我全身心的時間都投入照顧先生,除了和他四處求醫外,還要陪伴他積極抗癌,所以那一年多時間陪伴小寶的時候很少,公公婆婆幫忙照顧較多。公公婆婆為了給小孩彌補缺失的愛,就把孩子寵著、慣著,很多不良的行為舉止沒有及時指正,導致現在脾氣暴躁、說粗魯的話甚至還會打人。公公婆婆現在意識到嚴重性,讓我多花時間教育小寶。這段時間帶小寶,帶得我是身心疲憊,軟硬兼施,小寶都不願意聽,繼續我行我素,甚至會經常做一些異常的行為。
兩兄弟呆在一起,會打架、爭搶東西,鬧個不停,當我看到別人家孩子乖巧可愛、孝順依從,而我的卻是這樣,所以自己心裡很難受,我也意識到自己的身體和情緒開始不對,去看中醫診斷為肝鬱結。我知道自己再這樣下去的話情況會越來越糟糕,告誡自己要把心安好,也一直嘗試不同的育兒方法、看育兒書書、請教有經驗的媽媽,還專門去請教了育兒師。育兒師說小寶這樣的情況是嚴重缺乏安全感,異常的行為是在尋求關注。知道問題的根源後,我真的很自責,沒有在最佳陪伴期好好教育孩子,讓他的言行舉止出現異常。後來,我察覺自己的念頭不對,不應該處於這種自責當中,我要接納這個不完美的自己,讓自己重新調整心態,多花時間照顧、教育孩子,一起面對逆境,一同成長。
所謂「養兒方知父母心恩」,只有自己當了父母之後,尤其是有一個需要更花心思照顧教育的孩子,才能體會到做父母是真的不容易。這樣的歷練也幫助我對父母、師長和所有人生起感恩心、懺悔心。
誦經不只是讓我們化解過去的因果,還能藉由持誦大乘經典明心見性、提升智慧。當我們遇到困擾的問題,不要把它當作可怕的、討厭的、無奈的遭遇,而是要把它當作歷練、訓練和幫助。順境做事當然比較順,一般人最容易接受,換做逆境就都不想要,但事實上,逆境對修行所帶來的幫助往往遠大於順境。每一段人生的歷練都很重要,都是成長的養分,子女是恩或是業,除了過去的因緣之外,最重要的還是在於自己如何看待與處理這段關係。
(分享完畢)
父母含辛茹苦地照顧子女、拉拔子女長大,這個過程是非常辛苦的。當我們還是孩子的時候,總是依賴父母,需要他們的關愛、呵護和照顧;等我們長大的時候,要去建立自己的世界,父母就是我們最強而有力的後盾,無條件的支持,當我們最溫暖的靠山。父母在這段付出的過程當中漸漸老去、白髮叢生,而孩子們則在這段接受的過程當中成長茁壯。
常言道:「養兒方知父母恩」,當了父母之後,才知道父母當初照顧、拉拔孩子的辛苦。但不管多麼辛苦,父母也是咬緊牙關,不畏艱難地讓孩子有個溫暖的家、吃得飽、穿得暖、受教育、最後成為對社會有用的人。百善孝為先,中國的倫理文化崇尚孝道,重視傳承,因為沒有父母就沒有我們,沒有血脈延續,就沒有千秋萬代的傳承。所以,任何人都要好好孝順父母,什麼叫做孝順?就是「孝」了,才會「順」,諸事不順皆因不孝,勸勉各位要誡之、慎之。
淨空法師說:「孝,是中國人考核一個人的第一個關卡。」孝為德之本!中國人被人家認識的第一點就是孝道。孝道為先是每一個中國人應該要謹慎遵守的,因為別人會以此為切入點來了解你。懂得孝道的人都知道,任何事情都可以變成好事情,只要純孝,統統可以變成好事情。
父母照顧子女是費盡苦心的。大家去看看,自然中除了人類,很多動植物都沒有父母的照顧。一個果實從樹上掉下去,落入泥土中,它就會慢慢長芽,逐漸長成一棵樹,它的父母在哪裡呢?不知道。
一隻鳥,它被孵出來以後,能動,能跑,進而能飛,它就可以獨立生活了。動物都是生出來以後,自己就掙扎著開始生活了,而人最起碼要得到父母十年的照顧,否則是很難生存的。
你看,小孩一生下來,剪斷臍帶後,就哭了,是一個嶄新的生命。如果此時,你把他丟掉,他一定會死掉。因為此時的他沒有辦法自己獨立生存,如果他自己能像動物一樣,動一動,然後自己就能穿衣服了,那他就不是人,就成神仙了嘛!
父母與子女的關係是互相依賴的,上天之所以讓人類不同於其他動植物,對父母有很大的依賴性,就是在告訴我們,人類要互相依賴、互相關心、互相照顧,而不是父母把我們養大之後,就各自走各自的路,以為這樣就是獨立,這是不正確的觀念。
人要懂得感恩,小時候受到父母的照顧���長大的時候就要懂得感恩、要反哺,要照顧父母、對父母盡孝,讓他們安享晚年。這樣家庭才會安定,國家才會富強,人類才會生生不息。(引用完畢)
父母含辛茹苦拉拔我們長大,在我們還是嬰孩時期徹夜哭鬧時,父母有嫌棄我們害他們不能睡覺嗎?想去哪裡都要帶上孩子,準備各是嬰兒用品,諸多不便,父母有把我們丟在家裡,自己跑出去玩嗎?不但都沒有,還盡心地陪伴我們長大,賺錢養家,給我們一個溫暖的避風港,讓我們安心長大。所以,將心比心,父母恩重如山,現在我們平安長大了,就要對父母盡孝,照顧父母,讓他們可以安享晚年,這是做人最基本的道理,也是佛菩薩教誨眾生的智慧。
百善孝為先,孝為德之本。一個人的品性好不好,就看他是不是真心在孝順父母就知道了。一個人若是連父母都做不到和顏悅色、盡心照顧,在外肆意批評父母,認為父母都在拖累自己、束縛自己;在內閃避父母,少與父母互動,認為父母都在影響、干擾自己,壓縮自己的生活空間……。這樣對父母都不慈悲的人,還能慈悲對待眾生、對別人好嗎?所以,一個人是否有德行,就要看他對父母是否有感恩的心?是否真心孝順。老祖宗講的話一點都沒錯,一個善良的人,一定是孝順的人;一個有德性的人,一定是感恩父母的人。
佛菩薩對父母都是很孝順的,修行要修心,要真心學習佛菩薩的智慧,用心落實在日常生活當中。父母也是眾生,當我們發大願要���揚佛法,救度眾生時,別忘了自己的父母,讓他們有機緣能接觸佛法,能誦經修行,這就是給父母最好的回饋。「養兒方知父母恩」,為人子女,就要懂得報恩,父母好,我們才會好,家庭才會和諧,國家才會安定。
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南無本師釋迦牟尼佛
南無藥師琉璃光如來
南無阿彌陀佛
南無大悲觀世音菩薩
南無大願地藏王菩薩
南無韋馱菩薩
南無伽藍菩薩
南無十方一切諸佛菩薩摩訶薩
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wangwill66 · 7 months ago
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午夜夢廻
H:年輕時常以「醉生夢死」警戒自己。年長「午夜夢迴」回首前塵往事,事做完了嗎?還是「漫漫長路」尚待努力。「革命尚未成功,同志仍需努力」國父孫中山先生晚年時期遺囑。不到六十歲,偉人交待後事,以「繼續努力」,要求後人遵行,至老至死方休。百年過去又如何?平凡人想太多會睡不好,而夜長夢多更睡不著。午夜夢廻是好或壞,好夢自有人做,壞夢亦因煩惱而亂生。是好是壞各自承受!宋朝岳飛有「驚回千里夢,已三更。」辛棄疾「夢迴人遠許多愁」有馬上斬敵的英氣,有思念故人的哀思。夢不完,也聊不完。睡後夢廻,睡醒記夢,白日夢多,煩惱也不少。夢且由他夢,莫因夢廻而誤事,醒時該辦的事還得照三餐來!20241203W2
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午夜夢廻
世上總會有人很慘,總會有人更慘,比你更慘。 為什麼叫「午夜-夢回」呢?
午夜夢廻
深夜中從夢中醒來。
午夜夢迴"的意思是指在午夜時分迴想過去的事情,尋找記憶,常常帶有夢幻的,具有懷舊或者迴憶的意味。
夢微之
朝代:唐代
作者:白居易
夜來攜手夢同遊,晨起盈巾淚莫收。
漳浦老身三度病,咸陽宿草八回秋。
君埋泉下泥銷骨,我寄人間雪滿頭。
阿衛韓郎相次去,夜臺茫昧得知不?
夜半醒來入睡法
喝杯熱牛奶
舒緩過敏性鼻炎鼻塞
聽輕音樂
香芬輔助,薰衣草
離開睡眠環境
睡眠環境入睡。
註:不建議看電視或使用3C產品,避免光線刺激下反而更難入睡。
肌肉放鬆操
穴位按摩:輕按以下穴位,亦可幫助入眠。
閉眼休息或冥想
午夜 
半夜。唐.唐彥謙〈詠竹〉詩:「月明午夜生虛籟,誤聽風聲是雨聲。」唐.戴叔倫〈重逰長真寺〉詩:「蒲澗千年雨,松門午夜風。」
基本釋義詳細釋義
見“ 夢迴 ”。
亦作“ 夢回 ”。從夢中醒來。舊題 唐 柳宗元 《龍城錄·任中宣夢水神持鏡》:“夢一道士赤衣乘龍,詣 中宣 ,言:此鏡乃水府至寳,出世有期,今當歸我矣。
中宣 因問姓氏,但笑而不答,持鏡而去。夢迴,亟視篋中,已失所在。” 南唐 李璟 《攤破浣溪沙》詞之二:“細雨夢回 雞塞 遠,小樓吹徹玉笙寒。多少淚珠無限恨,依闌干。” 宋 辛棄疾 《破陣子·為陳同甫賦壯詞以寄之》詞:“醉里挑燈看劍,夢回吹角連營。” 明 湯顯祖 《牡丹亭·寫真》:“徑曲夢迴人杳,閨深珮冷魂銷。” 巴金 《靜夜的悲劇》:“有時我午夜夢回,竟然覺得我在滴血或者我的生命跟著水在滴。”
百科解釋
《夢回》是宋末愛國詩人林景熙創作的一首七言絕句。這首詩敘寫詩人大夢初醒后的精神狀態和對周圍事物的獨特感受,借以抒發郁積心頭的離愁別恨。
夢回芳草思依依,天遠雁聲稀。
出自五代李煜的《喜遷鶯·曉月墜》
曉月墜,宿雲微,無語枕頻欹。夢回芳草思依依,天遠雁聲稀。
啼鶯散,餘花亂,寂寞畫堂深院。片紅休埽盡從伊,留待舞人歸。
夢回 (林景熙)
夢回
作者:林景熙 南宋
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夢回荒館月籠秋,何處砧聲喚客愁。
深夜無風蓮葉響,水寒更有未眠鷗。
靜夜思
靜夜難眠,總是在一種沒有結局的思考中難以自拔。
“滴滴答答”的鐘錶聲,更讓人心碎。
多年來的疲憊不堪中,我早沒有了自己的夢。
相見歡
無言獨上西樓
作者:李煜 五代(南唐)
姊妹计划: 数据项
無言獨上西樓,月如鉤。寂寞梧桐深院鎖清秋。
剪不斷,理還亂,是離愁。別是一般滋味在心頭。
烏夜啼
作者:李煜 五代
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林花謝了春紅
太匆匆
無奈朝來寒雨晚來風
胭脂淚 相留醉
幾時重
自是人生長恨水長東
送鄧王二十六弟牧宣城序
作者:李煜 唐本作品收錄於《全唐文/卷0128》
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秋山的翠,秋江澄空,揚帆迅征,不遠千里,之子於邁,我勞如何?夫樹德無窮,太上之宏規也;立言不朽,君子之常道也。今子藉父兄之資,享鍾鼎之貴,吳姬趙璧,豈吉人之攸寶?矧子皆有之矣。哀淚甘言,實婦女之常調,又我所不取也。臨歧贈別,其唯言乎,在原之心,於是而見。噫,俗無獷順,愛之則歸懷;吏無貞汙,化之可彼此。刑唯政本,不可以不窮不親;政乃民中,不可以不清不正。執至公而禦下,則憸自除;察薰蕕之稟心,則妍媸何惑?武惟時習,知五材之難忘;學以潤身,雖三餘而忍舍。無酣觴而敗度,無荒樂以蕩神,此言勉從,庶幾寡悔。苟行之��願益,則有先王之明謨,具在於緗帙也。
嗚呼,老兄盛年壯思,猶言不成文,況歲晚心衰,則詞豈迨意?方今涼秋八月,鳴根長川,愛君此行,高興可盡。況彼敬亭溪山,暢乎遐覽,正此時也。
相見歡
作者:朱敦儒 宋
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金陵城上西樓
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金陵城上西樓,倚清秋。
萬里夕陽垂地,大江流。
 
中原亂,簪纓散,幾時收?
試倩悲風吹淚,過揚州。
東風吹盡江梅
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東風吹盡江梅,橘花開。
舊日吳王宮殿,長青苔。
今古事,英雄淚,老相催。
長恨夕陽西去,晚潮回。
吟蛩作盡秋聲
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吟蛩作盡秋聲,月西沈。
淒斷餘香殘夢,下層城。
人不見,屏空掩,數殘更。
還自搴帷獨坐,看青燈。
瀧州幾番清秋
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瀧州幾番清秋,許多愁。
嘆我等閒白了,少年頭。
人間事,如何是,去來休。
自是不歸歸去,有誰留。
相見歡
作者:馮延巳 唐本作品收錄於《全唐詩/卷898》
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曉窗夢到昭華,向瓊家。欹枕殘妝一朵,臥枝花。
情極處,卻無語,玉釵斜。翠閣銀屏回首,已天涯。
午夜夢回,枕邊人不是心上人,心上人已是夢中人。
喜馬拉雅:
夜深無人的時候,人們總會回想起一些往事,那些痛苦與甜蜜的過去
尤其當午夜夢回時,也是良心靠靈魂最近的時刻。
秋風殘月當稍弄。 午夜夢回枕邊人,酒醇清煙討擾繞,
人生若如初見,情何甚,意何從,路茫茫,斷橋影.
一葉落·一葉落
李存勖 (唐代)
一葉落,褰珠箔。
此時景物正蕭索。
畫樓月影寒,西風吹羅幕。
吹羅幕,往事思量着。
別讓往昔的悲傷和對未來的恐懼,毀了你當下的幸福。
沒有事事順心的生活,人生有得必有失去。快樂並不是憑藉著外物和虛榮得到的,內心真正的快樂是自己本身的強大獲取的。一個人只要心中存在美麗的景象,那麼一切都是美麗的。
人生若只如初見,何事秋風悲畫扇。
等閒變卻故人心,卻道故人心易變。
驪山語罷清宵半,淚雨霖鈴終不怨。
何如薄倖錦衣郎,比翼連枝當日願。
      ──納蘭性德(1655-1685)飲水詞〈木蘭花令〉
偶然作(鄭板橋)
英雄何必讀書史,直攄血性為文章①,不仙不佛不賢聖,筆墨之外有主張,縱橫議論析時事,如醫療疾進藥方。名士之文深莽蒼,胸羅萬卷雜霸王,用之未必得實效,崇論閎議多慨慷。雕鐫魚鳥逐光景,風情亦足喜且狂。小儒之文何所長,抄經摘史餖飣強②,玩其詞華頗赫爍,尋其義味無毫芒。弟頌其師客談說,居然拔幟登詞場。初驚既鄙久蕭索,身存氣盛名先亡。輦碑刻石臨大道,過者不讀倚壞墻。嗚呼文章自古通造化,息心下意毋躁忙。
悲哀」指的是傷心、難過,同時有一種同情和憐憫的成份,也引申為「悲劇」;
「悲痛」是難過傷心而且非常痛苦,旨在表達心中的那份痛苦;
「悲傷」指難過、傷心。
「悲痛」和「悲傷」都是傷心和痛苦的意思,而「悲哀」有哀傷、難過之意,又含有憐憫和悲劇的意味。
遺囑(註一) 民國十四年(一九二五年)三月十一日壹
余致力國民革命,凡四十年,其目的在求中國之自由平等。積四十年之經驗,深知欲達到此目的,必須喚起民眾及聯合世界上以平等待我之民族,共同奮鬥。
現在革命尚未成功,凡我同志,務須依照余所著建國方略、建國大綱、三民主義及第一次全國代表大會宣言,繼續努力,以求貫徹。最近主張開國民會議及廢除不平等條約,尤須於最短期間,促其實現,是所至囑。
孫文
三月十一日補簽中華民國十四年二月二十四日
筆記者 汪精衛
證明者 宋子文 邵元冲 戴恩賽
孫科
吳敬恆 何香凝
孔祥熙 戴季陶 鄒魯
孫中山(1866年11月12日—1925年3月12日[註 2]),名文,��化名中山樵[7]。字德明,號日新、逸仙[8],廣東香山翠亨鄉(今中山市翠亨村)人[7][註 3],中國近代政治人物。
晚晴簃詩匯
Wiki -> 晚晴簃詩匯 -> 卷一百九十
《卷一百九十》
《那遜蘭保》
《回首》
1 
憶昨避亂時,嚴冬強就道。風塵猿鶴驚,寄廡何草草。雖曰非家鄉,安居亦大好。誰知彌月間,入山恐不早。爨火斷無溫,雪冷前山皓。浮生四十年,兩度干戈擾。生恐憂患多,朱顏不自保。回首望高堂,淒然已垂老。閒閒上高樓,山遠樓與齊。綠竹罩春靄,子規啼複啼。有時微雨過,芳草何萋萋。耕夫荷鋤來,款款晴一犁。風景豈不佳,所傷客邸棲。回首望家園,嗟哉云與泥。
鄒氏遺訓序
作者:楊維楨 元本作品收錄於《楊維楨集/01》
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吳常熟鄒君玉氏,自旌德宦遊歸,理故園以老焉。其垂訓子孫,嚴其蒨畫者凡若干件,來謁余於姑胥邸次,曰:「某發已種種,懼一旦捐子孫去,故述誡若干件,雖話言拙直,使奉成規行之,亦不致畔名教、隳門地。且將勒石,位置奉先之宮。幸得子言重引之,庶吾後之人知所警也已。」
吾聞傳曰,名門右族成立如升天,覆墜如燎毛。何難易之相懸遽絕甚如此?蓋創者勞,而守者安;創者儉,而守者奢;創者畏,而守者驕也。為祖父者慮焉,故有身後之誡。雖古先哲王不能無之,書之竹帛,琢之盤盂,以遺乎後之人。蓋懼耳聽口受者易為滅絕,而托諸竹帛盤盂者,可不刊而垂無盡也。君玉氏之遺訓,著於金石,非竹帛盤盂之意乎?為其子者幸得諸耳提面誨,子子孫孫又幸得諸示無窮者,則鄒氏後人續初繼業,雖百世而可也。雖然,子弗祗服厥父事,此無先之訓也。恐無先之訓矣,故吾重告之,使之恒有其先,庶畔名教、隳門地者免矣夫。
《花非花·花非花》
【唐】白居易
花非花,霧非霧,
夜半來,天明去。
來如春夢不多時,
去似朝雲無覓處。
小重山(岳飛)
昨夜寒蛩不住鳴。驚回千里夢,已三更。起來獨自繞階行。人悄悄,簾外月朧明。
白首為功名。舊山松竹老,阻歸程。欲將心事付瑤琴,知音少,弦斷有誰聽?
夢迴人遠許多愁,只在梨花風雨處。
出自於辛棄疾的《玉楼春·风前欲劝春光住》
朝代:宋代
作者:辛棄疾
風前欲勸春光住。春在城南芳草路。未隨流落水邊花,且作飄零泥上絮。
鏡中已覺星星誤。人不負春春自負。夢迴人遠許多愁,只在梨花風雨處。
江城子.乙卯正月二十日夜記夢
江城子.乙卯正月二十日夜記夢 宋 蘇軾
十年生死兩茫茫,不思量,自難忘。
千里孤墳,無處話淒涼。
縱使相逢應不識,塵滿面,鬢如霜。
夜來幽夢忽還鄉,小軒窗,正梳妝。
相顧無言,惟有淚千行。
料得年年腸斷處,明月夜,短松岡。
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komatsuyuko · 4 years ago
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從年初開始到現在,我花了非常多時間在整頓自己。因為在家工作所以比起以前需要出門打工或上學時多了很多的時間在獨處,心境上最大的變化是我卻一點也不感到孤獨,反而獨處讓我非常安心也是最自在的時刻,也因此逐漸變得不愛出門,宅的程度是以前的好幾倍,有時候甚至一整天也沒聽見自己的聲音,會在圖如其然朋友的電話中說出「咦?這好像是我今天第一次聽見自己的聲音」。現在為了強迫自己休息,天氣好的時候會抽空一個小時去公園曬太陽,什麼事也不做,音樂也不聽,只是望著天空發呆,坐在陽光底下,感受風吹過臉龐的速度,看著走在公園裡的狗狗,花園裡的蝴蝶,風吹動時的落葉在我腳下,因為這些活著才能感受到的世界而感到欣喜。去年畢業以後,我有點像風箏,被時間吹動著,我不是個放線者按照自己想要的步調再往前,任由風宰割,但卻同時是自由的。發覺自己內心的疲勞似乎超出負荷所以今年決定要重整自己的腳步,慢慢往前走。我看了非常多哲學的書,和內心的自己談判對話,商議今天的我,和解過去的自己,發現生活裡的很多原因都是我無法放棄過去被傷害或是傷害他人的自己而緊抓著不放,所以無法釋懷。人在突然頓悟到一兩個道理後才會驚覺原來這就是「成長」。我不再執著於過去曾經很在乎的關係,也不放任何期待在別人身上,把所有的專注在這個廣大的世界與我這樣獨立個體能擁有的連結,心裡舒暢不少,也重獲對於生命裡發生的際遇與細水長流的知己感到感恩與珍惜。懂得珍惜的人是最容易感到幸福的人。前幾天收到一則私訊,一個外國人沒有任何開頭或問候語,只打了「thank you」在對話窗,我滿頭問號的回覆她「請問你是要謝謝我什麼」她說「謝謝妳所做的一切創作,讓我感受到活著與慶幸生活在這個世界」我很感動,我不常收到這樣的讚美,也不知道原來我能做的和能傳達的東西或許比自己想像的多,上一秒我還在很生氣的為我哥瞧不起我喜歡吃路易莎這件事而火大,下一秒我居然重新愛上這世界,覺得哇今天也是美好的一天!能遇到這樣對我告白的粉絲和備受喜愛,我心懷感激。即將要五月,我的未來目前還是一張白紙,但我迫不及待設想各種可能性,為自己畫上各種顏色,我想我是走在屬於自己的路上所以才能時常受到照料和提拔吧。有個朋友以前說過她覺得我很幸運,我的確是,我說「但是我也非常的努力才會有幸運」,她卻嗤之以鼻。雖然說自己很努力聽起來像在自誇,但是我們沒有人能完全理解另一個人的全部,即便是花多少時間多少心力都無法完全站在別人的角度看事情,我們能做到的就是以自己的心態解讀生命,而當你是身為朋友身份時,若對方能真心為你喝彩就很值得開心了吧,我並不要求她理解,因為這就是想法和看事情的角度上差異。有個很成熟的朋友對我說「這樣的結果本來就是妳應得的,並且妳值得更好也可以更好」。回到結果論來說,大部分的人只會看見成果這一面,但是無所謂,我並不在意,因為大多數的人,和我無關。今年也在好好檢視交友圈,把所有「有毒的關係」都捨去,只留下重要的夥伴,能視為知己、視為同伴、視為老師也同時知道自己有被重視的友誼。長越大發現原來真的是有些事需要「長大一點」才能突然想通理解的事,朋友不需要多,但絕對要慎選,你就是你身邊五個好友的平均值,不在於拉高自己或降低自己心裡的分數,而是在耳濡目染的影響之下,價值觀、人生觀、世界觀的確會有所影響,當你還沒有明確地找出自己的中心思想時,身旁的人既是老師也是同學,是學習對象也是投射自己的對象。曾經看了一本書上寫:最殘酷也最直接檢視自己的方式就是研究自己,將自己的所有缺點優點毫不客氣也不留餘地的批評檢視,才會知道究竟問題出在哪裡。前幾天過生日,好朋友們對我說「妳24歲了耶,沒想到妳也24歲了」,我看著自己去年前年大前年過生日時的照片,多半我都不是非常開心,也覺得很好笑當時的我為什麼要對別人抱有期待,因為期望總是落空,而當你不抱期待時反而有很多意料之外的驚喜。今年開始所有的一切都要自己為自己決定,不放任何期許在別人身上,因為本來就沒有人需要滿足對方的期待,那是一種束縛。幫自己安排了和喜歡好友們的聚餐,度過了美好的一天,能感受到自己是被愛也是幸福之人,才理解幸福非常簡單,不用汲汲營營地追尋,而是一種感受力、一種心境吧。那天晚上另一個好友傳訊息對我祝福,並問我「妳今天過得開心嗎?」我很高興的說我今天過得很棒!很開心。能夠���在乎你今天過得開不開心的朋友,對我來說就是世界上的珍寶。在這個成人的世界裡,大家都很忙,即便有時候「忙」成為一個不想聯絡的藉口,但是每個人的目標已經不一樣,或許這個人已經不是三年前我認識的他,能夠在時光流逝裡還留下來的朋友對我來說是珍珠般的閃耀。長時間獨處習慣了,我有非常多沒發的文章,雖然也不見得有多想與別人分享,不過搞不好今年也可以當個作家嘻嘻嘻(笑)
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greenpens-world · 3 years ago
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幸運坐在右邊靠窗位置,看到了超大超美的雪白富士山(機長還特別廣播要大家看),一路看了好多日本地圖上的景點。一覺醒來就到台灣,雖然天氣不好,但是發現有別於日本冬天時低調沈穩的色系,台灣的冬天仍是色彩鮮明繽紛。
前一晚我們住在川崎的飯店十四樓,十五樓是景觀溫泉,可以欣賞整個城市夜景,還有日出。美景當前,我在泡湯時卻無心放鬆享受,心裡只擔心著會不會被感染?如果趕不上飛機怎麼辦?就連好吃的早餐也因為怕肚子疼或想上廁所,而決定控制份量。
當時的我面對舒適飯店,只想著回家「我身騎白馬過三關,改換素衣回中原,放下西涼無人管,我一心只想王寶釧。」
一下飛機就聞到一股熟悉的潮溼霉味,很像小時候爸爸帶我們去阿里山宿舍的舊抽屜味道。
要入關前有很多人大陣仗在迎接著我們,好像我們是重要貴賓,帶我們一關一關過。機場消毒很徹底,明明沒什麼人,卻來回消毒了兩三次。發現大家消毒時都在拍照拍影片存證,可見政府的嚴格政令。
我為了省錢決定搭乘防疫巴士,拒絕防疫計程車櫃檯的伯伯時,他也沒有感到一絲不耐煩或是困擾,或是為難,很輕鬆的說,看你都可以。防疫巴士的車掌是一位年輕人,很有活力的向防疫計程車的伯伯打招呼,看到我們有個乘客行李很多,還好心幫忙推行李車,完全不怕有病毒。
久違的台灣街道,覺得既熟悉又陌生,是不常見到的新鮮景色,卻又有種無趣感。台灣高速公路很寬、很亮,台灣的汽車玻璃紙比較暗,看不到裡面。
防疫計程車司機遲到了,下著雨我在捷運站等待,一隻大肥老鼠笨拙地跑過昏暗牆角的階梯,騎機車的騎士穿上雨衣,戴上安全帽。
司機大哥也是全身防護衣,頭戴面罩,連耳朵都帶了耳罩。他拿起了酒精噴射槍,幫我把行李箱上上下下全都消毒,甚至連我的全身上下都被消毒,連鞋底也是。計程車內的座椅也都濕濕的,司機說那是酒精,不是雨水,台灣的酒精這一兩年業績應該很好。
一到飯店,發現飯店被大大的塑膠布和隔板分成兩半,我們必須經過一個酒精消毒門,並帶著行李箱被酒精雨淋個幾秒鐘消毒。飯店工作人員將資料還有便當給我時,也是透過透明塑膠布的某個小洞將東西遞給我,我們彷彿是什麼可怕骯髒的野獸,被隔離得非常徹底,幾乎沒有接觸。
第一天其實有點絕望,飯店房間雖然很寬敞,卻有點老舊,感覺打掃的沒有很徹底乾淨,又有一股怪味,不知道是不是因為我在日本住久了所以變龜毛,牆上的污漬等都覺得無法忍受。
本來期待會有社團版上那種塞滿豐富餅乾的防疫包,卻發現房間空空如也,什麼也沒有。(但隔一天超豪華版防疫包就送來了,好多零食和泡麵、口罩等)
一堆人聯絡我,村幹事、鄉公所、衛生局、旅館所在的區公所等等,每天傳訊息或打電話關心我,恐怖情人。
晚上夢到在某個團體的場合,我總是注意著某個人,覺得我們是一個組合。從後面看他的頭髮凌亂扁平,側邊向外擴散,呈現非常詭異的形狀,但我還是喜歡,他轉頭過來時,看著我哭泣,天空突然下起雨來,他的淚水混雜著雨水,我捏捏他的後頸,手輕捧著他的臉問:「どうしたの?」然後我就醒了。
躺在床上,打開電腦,打完卡,又在床上翻了兩圈。
飯店會在固定時間送來三餐,放在門外的桌子上,你在自己開門拿。雖然是好吃的便當,由於份量太多,要求減少白米飯的量時卻被告知餐點無法客製化。囚犯就是這種生活吧?每天幫你安排好固定的食物,你無法自由活動,也無法和人接觸。就是禁閉生活著。
說實話,習慣了飯店的設備之後,我發現自己其實很享受這個不受外界打擾的一人世界。還有一張舒服的雙人床,我可以在上面整天打滾,甚至躺在床上吃早餐。(夢想成真)
每天都有人送餐給你,時間到了就自己打開門,沒有太多的人際互動與糾葛,其實也是輕鬆自由。我也蠻習慣這種被眷養的生活,就像一隻豬吧?或許我很適合當一隻籠子裡的豬。
前一天做了鼻腔式PCR,先說我知道這時期的醫療人員都很辛苦,但是整個過程我都覺得非常不舒服,不只是快速像是犯人般魚貫排隊一個一個被趕上架,他們叫我不要拿下口罩,叫我不要動,棉花棒塞入我鼻腔深深深處。事後,自行戴上口罩,默默回房間,鼻子內部有液體流動,不知是鼻涕還是鼻血。像是被強暴過。
「口罩往下拉喔!鼻子露出來就好。」
有點不習慣口罩往下拉,也聽不懂他在說什麼的我習慣���的正要摘掉一邊耳朵。
「啊啊啊口罩不用拿下來!」醫療人員緊張的神情像是看到鬼。
最後一晚我把握時間,享受最後的孤單時刻,聽著音樂,我開始手舞足蹈,順便運動,旅館房間的隔音還可以,所以我的舞步和樂音應該沒有被聽到(吧)?
晚上九點,我洗好了澡,刷好了牙,等待司機來。十五分,司機準時來了,我背著滿袋的行囊坐電梯下樓。旅館大廳沒什麼人,跟剛來時一樣,靜靜的來,靜靜的走。
好不容易終於到外面,睽違的街景好像來到不同世界,斗大的中文字看板引人目光。我坐在窗邊,享受台灣街道風景,司機說冷的話可以把窗戶關上,好不容易享受到自由空氣的我,即使冷風打得哆嗦直抖,卻也捨不得關上窗。
夜晚高速公路空曠,司機時速120全力狂飆,似乎了解我的歸心似箭。如此高速,旁邊的車子卻還是輕而易舉超車,台灣高速公路太狂了,坐車坐到腿都軟。
經過熟悉的交流道,陌生的園區大樓,然後是似是而非的街道,最後到達還開著燈的房子前。
媽媽來幫我拖行李箱進屋,第一次聞到家的味道,原來我們家是這種味道呀!把名為「響」的威士忌交給爸爸,他說著謝謝,立刻把酒小心翼翼的收好。
回到家像是夢裡一樣,不可置信。
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littleyy · 4 years ago
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【小約的成長-4】
離開公園,屁股拖著臭臭尿布的我牽著媽媽的手一起走回家。一回到家,媽媽把我拎去浴室,她蹲了下來,我手扶著媽媽的肩膀,她幫我脫下了小裙子,解開包屁衣,脫下了我便便的尿布。她打開浴缸的熱水,帶著我走進淋浴間,開始幫我洗屁屁,「媽媽對不起,還要妳幫我換臭臭...」我有些愧疚的說,媽媽則笑著說:「寶寶本來就要媽媽來換臭臭嘛~」她絲毫不介意沾在我屁股上的便便,並用手輕輕搓揉著。屁屁洗好以後,一旁浴缸的熱水也接滿了,媽媽把我抱了進去,散發著蒸氣的熱水像是盈滿了全身的細胞,讓我整個人舒展開來,鬆鬆軟軟地溶化在了浴缸裡,「好舒服...」我滿足的說,看見一旁有黃色鴨鴨游了過去,我手抓起鴨鴨玩了起來,我把鴨鴨舉到空中發出「咻———」的一陣長音,接著重重地落到水面濺起了水花,我咯咯笑:「媽媽妳看!鴨鴨也喜歡洗澡!」17歲的我頓時看起來像是碰到水就興奮地發瘋的兩三歲孩子一樣嬉鬧著,媽媽她在一旁用手撐著頭在浴缸邊緣,用看著寶寶在玩耍的慈愛眼神微笑著。趁我在玩玩具的時候,她拿了一罐沐浴乳開始塗抹起我的全身,一股清香在浴室蔓延開來,我定睛一看瓶身,發現擦在我身上的是寶寶專用的沐浴乳。接著她拿紗布巾用熱水沾濕開始擦拭,包括腋下、耳後、指節細縫,還有小鳥附近,細心地注意到了每個細節,「舒服嗎小約?」媽媽問了我,「嗯!小約喜歡媽媽幫忙洗澡!」我沒有遲疑的回答。洗頭的時候,媽媽還怕我眼睛碰到水,她把我的頭稍微往後仰了一些,然後用手撈起熱水慢慢地淋在了我的頭髮上,即使我的頭髮有點長洗起來有些麻煩,媽媽還是很用心地替我潤濕,之後再用紗布巾擦拭洗淨。長這麼大了還讓媽媽幫我洗澡,但整個過程我不但沒有感到害羞反抗,反而很享受地任由著媽媽一個不漏洗遍了我的全身。
洗好以後,我從浴缸裡站起來,媽媽拿著白色的大浴巾把我裹了起來。回到了3樓我的房間,我躺在毯子上等著媽媽替我穿衣服,這時,「瑋瑋!過來一下好嗎!」媽媽喊了妹妹過來,我聽見咚咚咚的腳步聲,妹妹從樓梯走了上來,「媽媽什麼事?」「妳幫哥哥換一下尿布好嗎?媽媽要下樓準備晚餐了。」咦?!竟然要讓妹妹幫我換尿布?我大驚失色,「不要!人家要媽媽幫我換!」我立刻反駁,但想想這句話也很怪,好像換尿布對我來說已經是很平常的事,「小約乖,媽媽得下樓了,妹妹會幫你換好的。瑋瑋妳幫哥哥換好後也幫他穿件衣服再他帶下樓吧!交給妳了喔!」說完媽媽便走了。
「哥哥你放心我很會換尿布喔!」妹妹笑得像個天使也像個惡魔。「妹妹妳不用幫我換,我自己可以穿衣服,我也不需要穿什麼尿布。」我準備起身去拿自己的衣服。「誒~怎麼可以?小約哥哥還是小寶寶誒,怎麼會不需要穿布布呢?」妹妹有些困擾,「我才不是小寶寶!我17歲了!也是瑋瑋的哥哥!」我理直氣壯地說,「可是剛剛哥哥出門穿了布布吧?也拉了臭臭回來讓媽媽幫忙換,我都有看到喔!」妹妹此話一出,我像是炸毛的貓咪彷彿全身的毛髮都豎起來一樣驚慌,「我...我...唔」無法反駁,「對吧!所以哥哥還是小寶寶要人換布布吧?」「但是...也不能讓妹妹換啊…」我用小小的聲音反駁像是要哭了,「我比哥哥還要成熟,所以可以幫哥哥換布布喔!」「為什麼?」我不理解的問,「因為我不像哥哥一樣需要包尿布啊!你看!」說完妹妹撩起了自己的裙子,秀出了她穿著的花邊白色小內褲,「嘿嘿!」她得意的笑著。也是,九歲的妹妹都在穿小內褲了,而我今天卻穿著尿布還拉了臭臭在裡面,我果然真的是個小寶寶吧...被妹妹說服放棄反抗後,我任由著她解開我的浴巾,全身赤裸的躺在她面前,這跟媽媽幫我換的感覺完全不同,另一種層面的羞恥無力,我把臉遮起來不敢面對,卻忘了遮掩自己的重要部位。妹妹幫我把腿抬了起來,把尿布墊在了屁股下面,拿起痱子粉往我的股間灑,「啊!哥哥是不是被媽媽打屁屁了,上面還有痕跡呢!」「嗚嗚…」因為太羞恥我還是哭了出來,灑好後,妹妹熟悉地將尿布往上包並黏好四邊的膠帶,她的動作就像媽媽一樣完美又熟練。「好!了!」妹妹拍著我的尿布,我則在一旁鬧彆扭嘟著嘴。妹妹打開了我的衣櫃,裡面全是放大版的寶寶衣物,也是我最近除了制服外最常穿的衣服,「嗯.嗯.嗯…就這件好了!跟我的洋娃娃穿的一樣!」她從櫃子拿出的是一件粉藍色的蕾絲蓬蓬裙,底部當然有方便讓人換尿布的開扣設計,「我才不要穿那件!我要穿我自己的衣服!」「誒?可是這就是哥哥你的衣服啊?」妹妹疑惑道,「我說我想穿我自己男生的衣服!」我邊哭邊說,「可是哥哥是寶寶,寶寶穿寶寶衣再正常不過了吧!而且這個這麼可愛很適合哥哥啊~」「我不要啦啊蛤蛤蛤蛤....不要啦....」我哭著說不要卻還是讓妹妹成功幫我穿上了那件粉藍蓬蓬裙。
我哭鼻子的跟妹妹走去了一樓,「媽媽我帶哥哥下來了!」「啊!好可愛呀!」媽媽看見我穿蓬蓬裙的模樣誇獎了一番。「嘿嘿~你看吧哥哥,我就說很可愛吧!」妹妹一臉得意,「唔...」我害羞地扭著身體不知道要回些什麼,眼睛還紅腫紅腫的。「來吧小約,我們要吃晚餐了,媽媽帶你到座位上。」媽媽拎著我走到了餐廳,只見餐桌旁有個放大版的嬰兒高腳椅,「那是...」「那是小約以後吃飯的位子喔!」「這是哥哥今天下午出門的時候我幫忙組起來的喔!」妹妹笑說,我還來不及反應便被媽媽抱進了高腳椅中並扣上安全帶,「小約等等喔,媽媽去端菜過來。」我就這樣被固定在椅子上限制了行動,「哥哥要不要看電視?」說完妹妹打開了電視轉到了卡通台,我坐在高腳椅上與一旁坐在正常餐椅的上的妹妹一起看著卡通,不一會兒媽媽就從廚房端著晚餐過來了。今天的晚餐是簡單煎的牛排和冰箱剩的馬鈴薯沙拉,媽媽放了一盤在妹妹的面前又放了一盤在自己的面前,正當我以為要輪到我時媽媽卻端出了一碗用有著可愛汽車圖案點綴的碗裝著的碎肉粥和馬鈴薯蔬菜泥,「媽媽這是...」我傻住問著媽媽,「你的晚餐啊!」「可是我也想吃牛排...」「不行!牛排不是寶寶可以吃的東西,媽媽替你準備了營養滿分的粥和泥。」接著媽媽幫我圍上了小熊圖案的圍兜兜然後坐了下來,「我要開動了!」妹妹開始自己大口大口地用餐具吃起牛排,我看著覺得格外羨慕。「呼~呼~」媽媽替我吹涼了粥,「小約,啊~」「媽媽我可以跟妹妹一樣自己吃...」「不行,寶寶還不會自己吃,要讓人餵喔!來啊~」不知道是不是因為我還在氣剛剛媽媽把我留在樓上,我鬧著脾氣死不肯張嘴,於是媽媽改變策略「你看!火車要過山洞囉!嘟嘟!」媽媽一邊說一邊把湯匙裝成一列火車,想要哄騙我張嘴吃東西,她試著用湯匙把我的嘴稍微掰開想送食物進去,卻因為我掙扎而讓食物掉落弄髒了我的圍兜兜,我受不了開始起手抵抗,「哎…這樣不行」媽媽離開座位後又走了回來,手裡多了兩副手銬,媽媽抓起我的手並強行戴上手銬,然後將另一端繫在了高腳椅的邊上,另一手還雙腳都是同樣的做法,「媽媽妳做什麼!」我情緒高亢,「本來以為小約可以乖乖自己坐好讓媽媽餵,但看來還是要綁著呢!」「來~再一次,火車過山洞囉!」湯匙再度來到了我的面前,正當我下意識又要起手抵抗時,我的四肢都被牢牢綁住動彈不得,肚子因為這天一番折騰早就餓得咕嚕咕嚕叫的我只好顫抖著張開嘴巴,「哇!小約好棒呢!」「哥哥棒棒!」湯匙被送進了我的嘴裡,被燉煮的軟爛的米與碎肉在我嘴裡馬上就化了開來,根本不用我咀嚼,調味也非常淡,幾乎就是一碗實在的寶寶粥,馬鈴薯泥也是,只有馬鈴薯原本的香氣加上蔬菜的甜味而已。媽媽她餵我幾口又回去吃自己的飯菜,就這樣一來一往,「來~最後一口,啊姆~」「啊姆!」我張大嘴巴吃最後一口粥,結束了今天的晚餐。
晚餐後,妹妹幫我解開了束帶,媽媽在廚房收拾碗盤,我跟妹妹各自上二樓去完成今天學校的作業。我走進了我的房間,雖說是我的房間,但是我只有剛來這裡的第一個月睡在這裡而已,之後媽媽便把我安排到三樓佈置成寶寶房的臥室睡覺,說這裡以後就是我的房間,也是從那時開始尿布訓練的...所以二樓的房間就變成了我平常拿來做作業唸書的地方,還有社工偶爾來家訪時給他看的房間。我坐到書桌前打開檯燈開始寫作業,今天是我最不拿手的數學習題,專心解題後就沒有注意時間,幾題後遇到了瓶頸,「這題好難喔…」我在書桌前折騰了一番依舊卡著,忽然間「叩叩!」敲門聲傳來,「約我進來了哦!」打開房門的是理君大哥,「理君哥你回來啦!」「對啊!剛回來,啊!約你穿這樣真可愛誒!」哥哥見我穿著小洋裝有點戲謔的說,「是我挑的喔理君大哥!」妹妹不知道什麼時候跑來湊熱鬧的說,「哈哈,瑋瑋果然很有眼光!」「別說了!哥哥你上來做什麼?」我害羞的問,妹妹她擺了個鬼臉又溜走了,「媽要我上來看看你寫作業的狀況。」「嗚嗯…剛好有題數學不會...」「是嗎?哪題我看看。」說完理君哥便坐到了我旁邊,「喔喔!這題要這樣...」說著他一手繞過我身體的半邊把我環住開始悉心地教導我解題,他身上有跟媽媽不同的淡淡的清香。我跟理君哥相處的時間比起媽媽和妹妹並不多,他在外地上大學,只有星期五才會回家過周末,不過他給我的印象一直是個和藹親切的大哥哥,我很喜歡。哥哥高中是以全校前三名的成績畢業,用體育優異的成績保送了大學名校,182公分的高挑身材,勻稱結實的體格,親切風趣的性格,深受學校女生的歡心。他的頭腦很好,所以周末在家的時候都是由哥哥協助指導我的功課,在他的帶領下我很快弄清楚題目的脈絡,很順地一道道破解,正當要往下一題邁進時,我突然很想尿尿,可能因為剛剛晚餐吃了流質食物的關係,尿意來得又急又���,我停下了筆「哥哥我想去一下廁所...」,「弟弟不是包著布布嗎?尿在裡面就好了啊!」也是,我都包著布布了,但是...但是....我也不想像寶寶一樣隨時隨地就尿在布布裡啊!正當我內心在天人交戰的時候,哥哥他吹起了口哨「咻~咻~咻~」「哥哥你這是做什麼!」「給你把尿啊!媽媽她也是這樣幫你的吧!咻~咻~咻~」「哥哥不要!」我皺起了臉拜託哥哥住手,雖然和媽媽的聲音不一樣,但也讓我快憋不住尿意,「咻~」「咿——嘶———」一陣潺潺水聲持續了很久,繼媽媽之後,我也在哥哥的誘導下尿在了布布裡面,看著逐漸由黃轉藍的尿濕顯示,我泛著淚光看向哥哥「哥哥欺負人!」我嘟起小嘴,「哈哈哈!不要生氣嘛!尿濕濕的弟弟最可愛啊~」說著捏了我鼓起一邊的臉頰。尿完以後,一股溫熱還殘留在胯下,我包著濕濕的布布繼續寫功課,最後終於趕在十一點前完成了所有作業。「寫完了!」我歡呼「嗯!約今天很努力呢~」哥哥誇獎著我,寫完以後,我和哥哥一起聊天,聊著聊著睏意來臨,我從度估到直接趴在桌上睡著,哥哥見狀就拿起了一旁的毯子幫我披上,接著就下樓請媽媽上來抱我回房間。
朦朧之間,我感覺到媽媽從哥哥的懷中連著毯子接過我,抱著我往三樓走去,「媽媽...媽媽....」我依偎在媽媽的懷裡呢喃著。回到三樓,媽媽把我放在了軟墊上脫下了洋裝,伸手進我的尿布檢查了尿濕的情況,因為沒有很濕所以媽媽決定明早再換,接著她從衣櫃裡拿出了包腳連身睡衣,因為我還在矇,她先是抬起我的腳套進了褲管,再扶起我的上半身拉起衣服把我的手跟著套進了袖子,最後拉上了拉鏈。穿好後,媽媽把我抱進了嬰兒床,她也跟著爬上了嬰兒床想要哄我趕緊熟睡,她脫掉了上身的衣物,下面穿著的是一件前開式的哺乳內衣,解開了釦子,露出了乳房,媽媽把我的頭移到靠近右邊乳房的位置,並在我的頭下墊了紗布,然後把乳頭接近了我的嘴巴,我半夢半醒間像是還存有尋乳反射的嬰兒一樣,嘴巴開始吸吮蠕動著,閉著眼睛循著本能找到了媽媽的乳頭開始吸起了母奶,「吱—吱—吱—」房間內發出了響亮的吸奶聲,甜甜的奶水流入我的口中,嘴角還滲出了一些流到了嘴下的紗布上,好香好好吃,可能是因為晚餐只吃了流質食物消化很快的關係,我像是餓了好久大力吸著媽媽的奶水,我一邊吸一邊感覺到尿尿跟著流出,可我不像以前那麼抗拒,只是專心吸著媽媽的奶水任由尿尿繼續膨脹我的布布,我從半夢半醒間醒來,「媽媽...」因為口中還含著乳頭我有些口齒不清,「嗯?」媽媽聲音輕柔,「對不起...今天晚餐的時候跟妳腦脾氣...我以後會乖乖讓妹妹幫我換尿布,請不要生我的氣好嗎?」「傻寶寶,不管你今天做了什麼,你永遠都是媽媽的寶貝啊~但是你如果不乖做錯事媽媽還是要負起責任懲罰教育你。」媽媽堅定又溫柔地說,「嗯!小約以後會當乖寶寶,盡量不讓媽媽生氣。」「好啊我的寶貝。」媽媽說著順了順我的頭髮,「快喝奶吧寶貝,你該睡了。」說完媽媽又把乳頭塞進了我嘴裡,我吸著香甜的奶水又再度想睡,媽媽一邊輕拍著我的背,一邊哼著祥和的晚安曲,我漸漸地漸漸地熟睡,嘴巴也停止了吸吮。媽媽起身穿好衣服並把紗布拿了起來放在自己的肩上,抱起我把頭側放在上面開始替我拍嗝,在一番拍打之後我還真的打了個嗝也從口中溢出了一些奶水來,媽媽用紗布幫我擦乾後又把我輕輕放回床上,拿了奶嘴讓我吸,我以為是媽媽的乳頭又開始吱吱吱的吸了起來,她替我蓋上被子後在我額頭上吻了一下,鎖上了寶寶床的柵欄,留下夜燈後就下樓了。明天是星期六,我想到媽媽說要讓我到周六的特別幼兒園替我辦入園歡迎會。
(離開約的房間)
惠子關上約的房門後走到了二樓,在走廊遇見了理君,「喔,媽!約他真的是個好孩子呢!來了個這樣的乖寶寶真的很開心誒!」「是啊,他的適性比我想像的還要好,非常融入在調教裡,我想差不多可以進入下個階段了。謝謝你經常教他功課,以後『其他』方面的調教也要拜託你了。」「當然!弟弟那麼可愛,我當然會好好調教的。」這對母子在廊上有說有笑地談論著約往後的調教。「媽妳剛剛有親約吧!我也要!」理君突然撒起嬌來,「真是,這麼大了還撒嬌。」惠子撥開了理君的瀏海在他額頭上吻了一下「晚安囉哥哥。」「媽晚安。」說完理君就回去了自己的房間。惠子接著走到了瑋瑋的房間,看見瑋瑋把被子亂踢到了地上,衣服也掀了一半起來,她幫瑋瑋重新整理好了衣服並檢查了一下她的尿布,家裡除了約以外還有妹妹也會穿尿布,不過是因為還會尿床的關係所以只有晚上睡覺時才穿,檢查好後蓋上被子,「媽媽我也要晚安親親!」瑋瑋睜開眼向惠子討親親「好好~」惠子苦笑也吻了一下瑋瑋的臉頰。「我們家的孩子都很愛撒嬌呢…」惠子一邊若有所思一邊走回一樓的房間。
她用電腦撥打了視訊電話給名為爸爸的人,「老公,今天還好嗎?」「嗯,今天完成了一項大企劃的簽約案,計畫都慢慢上軌道了。孩子們都還好嗎?」和惠子通電話的人不是別人正是她的先生,也是理君、瑋瑋和約的父親。由於在國外工作的關係,先生一年才會回家一次過上一個月的假期,約來到寄養家庭後,他和約只有過兩次短暫的視訊,他們並不熟悉彼此,雖然是這樣,人在國外的他,還是心繫著家和孩子們,並期待能早日與約見面,他將調教約的事情全權託付給妻子惠子處理。「嗯,理君和瑋瑋都跟約處得不錯,約的適性很好,已經幾乎適應了家裡寶寶的生活,也可以接受除了我以外,哥哥和妹妹也把他當寶寶一樣照顧,相信等你回來時他就會變成一個真正惹人憐愛的寶寶了,雖然現在就很惹人憐愛就是了呵呵。」惠子說起約的事情就笑得開懷。「太好了,果然交給妳準沒錯,真想早日見到我的寶貝。」「你現在就可以看啊!」惠子說著在電腦上打開了一個視窗,螢幕中連線的是約的寶寶房中的攝影機,它架在了嬰兒床的上方,可以清楚地看見正在吸著奶嘴,睡得香甜的約。「好可愛啊~」「是吧~他今天也很順其自然地接受了我親餵母乳給他。我準備朝第二階段進行了。」惠子和丈夫聊得很盡興,字裡行間都透露出了他們對約的期待與愛,「那就先這樣了,老公晚安。」「晚安老婆。」說完後惠子掛斷了電話,想著明天要在幼兒園幫約辦歡迎會的事,她帶著些許雀躍進入了夢想。
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sugarcutebaby · 4 years ago
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遺憾的是,還是要出門的。爸爸除了見律師和警察,必須要回去公司,面對所有人強加在眼睛後面的那些好奇和興奮:小叔也必須要回到學校裡,裝作若無其事地應付學生們小心翼翼營造出來的若無其事;姐姐最幸運,因為咖啡店來來往往的都是陌生人,而她的服務生們早已同心協力地表示過對發生的事情的惋惜———她們只是把這當成了一件禍事而沒有看成是罪行——當然了,姐姐的鐵腕或許在此刻起了些作用,大家都知趣地不去講任何她不愛聽的話;媽媽最徹底,她跟單位請了長假,索性關在家裡連臥室都很少出。
我也要把自己粗暴地推到門外去了。下定決心去學校的前一晚,我居然在廚房裡和陳嫣聊了很久——災難讓我們突然接近了,並且誕生了一種溫暖的情感。媽媽對整件事情一直都是拒絕跟否定的的,姐姐又太過堅強和毫無問題,我突然覺得,此時的陳嫣���我有些地方是很像的。“明天我去學校,”我就是如此生硬地講出來開場白,“不能不去了。” 陳嫣笑笑:“是啊,不能不去了。咬咬牙就好。” 共同的脆弱讓我們相互扶持了起來,她讓我見過了她的眼淚,我也不會羞於讓她看見我的膽怯。“可是我不想去。” 我把幾個洗好的杯子在餐桌上一字排開,讓把手統一對著我——我總是在焦灼的時候做些類似此刻的無意義的事情。
“都一樣的。” 陳嫣此刻的默契簡直讓我感動了,“我也不想去上班。不過後來我發現,我就坐在自己的位子上面,不跟任何人講話,自然也沒人來跟我講話了。只要你先做出不想理他們的姿態,他們會配合的。” “可是,” 我嘆了口氣,“讓我做出不理人的樣子,好難呢。我完全不知道要怎麼樣才能不跟人講話·····” 陳嫣此刻的笑容居然有了些愉悅:“也對。你一直都是大家眼裡的小甜心。不像我,我從中學的時候起,就是不說話也不被人注意的那種孤僻小孩。” “糟糕了,” 我咬著嘴唇,“早知道有今天,我也該早點學著裝酷才對。”
“南音?” 她突然心事重重地把臉轉過去,看著煤氣灶,“問你件事好麽?我就隨便問問,你也隨便聽聽。”我不做聲,繼續挪動著那排杯子,還嫌它們排出的直線不夠直,害怕自己的視覺視覺是有偏差的,恨不能讓它們一個個都對齊一條根本不存在的準線才好。“西決,是真的喜歡昭昭那孩子嗎?你, 懂我的意思。” 我用力地說:“不,沒有,才不是那些人想的那樣。”——-到這個時候我才想起來,其實平日裡的陳嫣本身就是“那些人” 的一分子。這可真是令人惱火,溫暖的幻象這麼容易就被戳破了麼?
她神色明顯地放輕鬆了:“那麼,蘇遠智的父母那邊,對我們家,現在是什麼態度啊?”
我看著她,心突然軟了一下,也只有她會在此時想到這件事吧。我輕輕了笑了笑:“你別問了吧。我也不怎麼想知道。”
她心領神會:“好。”
北北的聲音從外面傳進來,是一長串沒有意義——或者我們不懂意義的音節,但是她沒在哭,像是在急迫地表達著什麼。陳嫣自然是立刻衝了出去,我也跟著去看熱鬧了。北北和鄭成功兩個小朋友面對面坐在地板上,可樂無辜地躺在他們中間,當鄭成功把可樂拖到自己身邊的時候,北北抿著小嘴,面無表情地拖回來;然後鄭成功再抓住可樂的耳朵,慢慢地讓可樂滑行到自己的膝蓋上面;北北總歸比較聰明,她抓住可樂把它抱在懷裡了,很緊很緊地抱著;鄭成功神色絲毫不為所動,他抓住可樂的一條腿,不緊不慢地,也不用力,但是就是不肯鬆手。北北也不鬆手,一開始還在發出一些聲音表示不滿,可是看到鄭成功一直沈默,於是便也跟著安靜起來了——這場戰鬥真是文明,並且講究禮數。成年人應該好好學習。
船不會沉的,我們誰也不會允許它沉下去。看著他們倆,這就是我此刻最想說的話。
雖然船長已經跳到海裡去了。你們倆即使已經長大了,也別問為什麼,可以嗎?
我在學校裡看到了冷杉學長。這可真的讓我尷尬了一下。我本來想躲到樓梯拐角的牆後面,但是來不及了,我的視線不小心還是和他的對上了,因此只能一面注視著他朝我的方向走過來,帶著那種“就是要和你說話”的表情;一面在心裡絕望地想他為什麼還會在這兒,難道是沒拿到獎學金麼—那姐姐跟他分開也太虧了吧···
“南音。”他終於開口叫我了。
“你怎麼還沒去美國?”我覺得我現在可以不跟任何人寒暄了。
“下個星期動身,週一去北京,週三一大早的飛機。”他還是老樣子,跟人講話的時候要附加很多的細節。
“去哪個學校?” 我想好了,當他回答了我以後,我還要再跟著問那是在哪個州,算是東岸還是西岸還是南部,之後—也許會問問飛機要飛多久或者時差究竟多少小時,總之,我是打定主意要讓話題停留在他身上了。
“你們都還好麼?——算他狠,姐姐曾經說過的,別指望他會沿著一般人的邏輯聊天。
“我們·····” 我看著他俊朗的眼睛,突然間覺得不如坦率一點,“你覺得,我們現在, 怎麼就算好,怎麼就算不好呢?”
他果然也笑了起來,儘管笑得一點都不自然:“說得也是。我看報紙上說,那個醫生還活著,其實這樣我就放心了,他活著,你哥哥就也能活著——”看來大家關注的地方還真是不一樣的,“等有了什麼新的消息,你寫郵件給我。”
“好。”
“不能敷衍我,我是認真的。” 他端詳著我,“給我寫信,南音,告訴我大家的情況。不管我去多久,多少年,一開始每個月給我一封信,哪怕以後你保證不了這個頻率,至少每年新年的時候,告訴我大家都怎麼樣了。”
“我保證。”我輕輕地說。
“雪碧和可樂那兩個傢伙還好嗎?”他問。
我沈默了幾秒鐘,為的是“雪碧和可樂”。我終於對他笑了,我說:“雪碧除了功課不好之外,一切都好;可樂那傢伙的鼻子又被拽掉了一次,不過是被我妹妹北北拽掉的。”
“她還好嗎?”——我一直在等,你終於說出來了。
“她很好。”當他聽完我這句話的時候,臉上的神情就像是懷著鄉愁。
在去醫院的路上,我一直都想著冷杉學長。因為我需要一遍遍地回憶我們的對話的場景,來告訴自己,我能面對他,就也能面對醫院裡面那些眼睛。——我當然知道這是不一樣的,是本質的區別,可是除此之外,我也想不到更好的辦法了。
爸爸已經去那間醫院道歉了,這一次是為了看看那個icu裡的陳醫生,還有——陳醫生外地的父母已經趕來了,爸爸必須得跟他們商量賠償的事情——我是說,在對話能夠進行的情況下。其實本來是爸爸和小叔要一起去的,可是就在前一晚,小叔說他今年帶的高一新生第二天正好有摸底考,他得監考。陳嫣問:“不能跟別的老師換一下嗎?你告訴他們你要去做什麼,他們不會沒人跟你換的。” 小叔說:“那好,我打個電話給···” 爸爸就在此時抬起了頭:“不用了,別換,你去監考。” 滿屋子寂靜裡,爸爸笑了笑,“真不用,又不是什麼好事情,我一個人就行了。你明天監考完了,記得再給人家律師打電話。這幾天你盯著這個律師,負責這一件事情就好。” 然後我聽到了媽媽關上臥室門的聲音——那個關門聲音一聽就是媽媽,不是外婆,因為很簡短,沒有任何拖泥帶水。媽媽這幾天,基本上連飯都是在房間裡吃的。自從大媽來過的第二天起,她會按時做好全家人的飯——但是放在廚房裡, 然後把她自己的那份拿到房間去,她端著碗筷和一隻盤子的樣子,就好像她在房間裡養了一隻生病受傷的小動物。我們到家以後,就自己開飯,大家都一起默契地接受了這個——她做的菜其實都比平時的分量多,也包括了小叔一家的。
所以,站在學校門口,我給爸爸發了短信:“爸爸,你等著我,我現在到醫院去。”
然後我就把手機關了,因為我不想接到爸爸的電話,告訴我不准過去。我不能讓爸爸一個人面對陳醫生的家人,我不能讓爸爸一個人面對醫院裡那些我閉上眼睛就能想像的寒冷的目光,自閉的人繼續自閉吧,監考的人繼續監考吧,忙著賣房子的人也的確是真的很忙,可是不能讓他一個人面對那些最難堪的事情——即便他是爸爸。
醫院的大廳裡其實沒有我想像的那麼危機四伏,我長驅直入的時候根本沒有人注意到我,所有等著掛號等著就診的病人們把那些穿白大褂的熱變成了零星的白點,這樣很好。直到我走進電梯,我都可以是一個最普通的路人。後來回想起來的時候,我還是太緊張了吧,緊張到——我甚至忘記了把手機打開。我忘記了我此刻需要打個電話給爸爸問問他具體在哪裡。我任由自己按下了電梯內一個數字的按鈕,就像我當時來看昭昭的時候。電梯們在我眼前緩緩打開,撲面而來的空氣的味道都是驚心動魄的感覺。
有人認識我嗎?真的沒有嗎?你們為何都那麼形色匆匆地從我眼前走過去呢?你們怎麼不認得我呢?不認得那個殺人犯的妹妹嗎?你們都來仇恨地看著我呀,都來用刀子一般的眼神對付我呀,別再裝作若無其事地醞釀殺機了,別再用漠不關心來掩飾你們的同盟了——他差點就的殺死了你們的同類,你們怎麼能裝作一切都沒發生過?對你們來說,所有的血跡都可以被掩蓋麼?你們早就清洗乾淨了昭昭的血對麼?你們仁慈地把陳醫生放在重症監護室裡,他們的血都殘留在了外面的大街上所以對你們來說就沒意義了麼?你們現在就來把我撕成碎片好了,我不會怪你們的——別再讓我腦袋裡的手機振動了。它又開始振動了。
一個渾身潔白的女人站在我的面前。就連頭髮都仔細秀麗地包裹在三角形的護士帽裡。她靜靜的臉上滲透出來一種非常清淡的哀戚。天使的表情應該都是如此吧?她問我:“你來幹什麼?”——我想起來了,她是那個護士長,是打電話告訴我昭昭垂危的那個人。
“我爸爸在哪裡?” 凡人跟審判者說話的時候就是有這點好處吧,不用任何鋪墊,也不用解釋什麼背景。
“你爸爸?” 她的疑問和沈思看上去都是高高在上的。然後她緩緩地舒了口氣:“明白了,他應該是在院長辦公室,和陳大夫的父母在一起談判,院長也在的。”
“我也要去。”——昭昭, 你發現了嗎?我現在講話的語氣越來越像你了。
“你···” 她突然搖了搖頭,伸出手臂把我拉到了牆角處,“你就別去了,等他出來吧,他們已經過去了好一會兒了,而且,你也沒有必要看見那種場面的。”
“我就是為了看見這種場面才來的。” 我終於做到毫無畏懼地支直視她的眼睛了,“不能讓我爸爸對一個人在那裡,他要道歉,我跟他一起道歉;他要低頭,我跟著他一起低頭;他要鞠躬,我跟著他一起鞠躬。人家就是不肯原諒我們的話,我得去站在旁邊替我爸爸擦乾淨人家吐在他臉上的唾沫。”
她輕輕地拍了拍我的肩膀。她的手真是柔軟。她說:”這樣吧,你跟著我,我帶你去看一個人。“
我好像記得。上次,也是她帶著我,在醫院曲折的走廊裡奔跑著為昭昭搶時間。後來,我才發現,每逢她對我說“跟我走”的時候,就會把我帶到生命的另一個境遇裡。她總是一身潔白,一身哀戚地出現在我生命的轉角處,從不告訴我絕境在哪兒。但是,在當時,我是不可能知道這些的。在她面前,我總覺得順從是理所當然的事。
那個小女孩站在病床前面,就像是臨著透明的窗玻璃。她身上穿的還是水手服——不過似乎是換了一套,因為裙子領口的樣子是不一樣的——我為什麼知道這個呢?好吧,我記得她,只是這些天來我一直不允許自己想起她。只要想起她,我就必須要想起她那兩條被恐懼的風刮得幾乎豎起來的小辮子,就必須要想起她那聲鴿哨一般的喊叫:“爸爸——” 我再怎麼迴避那個場景也沒用,我知道她喊的是“爸爸”。
病床上那個人沈睡著,臉色是種奇怪的蠟黃,看上去一點都不像陳醫生。自然是滿身的管子,其中的幾條管子連通著身邊一個比台式電腦略大些的機器。機器屏幕上有數字,有字母,還有些紅紅綠綠的線條。那小女孩靜默地站在機器地旁邊,讓人覺得她其實是機器地另一部分。
“她叫臻臻。” 天使告訴我,“年底滿六歲。從事情發生的那天起,她就一句話都沒說過。但是有時候會尖叫,會滿屋子亂跑,跌跌撞撞地磕到桌角上,青一塊紫一塊也不知道疼。後來她們家的人發現,把她帶到這裡來,到她爸爸身邊,她就能安靜下來。我們昨天把陳醫生從icu轉到這裡來的,他暫時是不會死了,不過也不知道什麼時候醒來,就算醒來了,大腦的功能一定是嚴重受損,不知道還能剩下點什麼——我是說,作為正常人,活下去的能力還有多少,就看老天爺的心情了。“
我轉過頭去,看著她的臉。我想我的表情一定是在懇求她停止這種描述,但是她還是一如既往地溫柔,讓我覺得如果我此刻大聲地告訴她“別再說了” 會是一種冒犯。
“她媽媽準備帶她到北京去,或者別的什麼大城市看看專家,兒童心理科的專家。其實她明年就要上小學了。你知道嗎?其實陳大夫跟這孩子的媽媽去年就分開了,她平時跟著她媽媽生活,陳大夫只是在每個星期五去接她,跟她一起過個週末——當然了,並不是每個週末都可以,要在不加班的時候。可是那天,正好是星期五。”她悠長地嘆息一聲,“為什麼偏偏是星期五呢?你哥哥有的是時間可以做他想做的事,如果他就是鐵了心要替昭昭報仇,可以晚一點啊,可以選在下週一裡陳大夫上班的任何一天,但是,為什麼偏偏就是星期五呢?”
臻臻的睫毛好長啊。可是幾乎完全靜止。就像沈睡的蝴蝶那樣。蝴蝶沈睡在不疾不徐的講述的聲音裡了,對窗子裡照射進來的陽光無動於衷。好美的小女孩,皮膚就像是玻璃杯裡的牛奶——已經盯著她看了這麽久,我居然才發現這個。
“要是你願意,就跟她待一會兒吧,你也幫忙想想辦法,要怎麼樣才能讓她開口說話。” 天使轉身轉身走到了門邊,”我還有病人,我得走了。”
“姐姐···” 我不知道該怎麼稱呼她,總不能真的叫她“天使”。
“叫我天楊就可以。” 她說——居然真的帶著一個“天” 字。
“我是南音。”難以相信,我居然那麼笨拙。
“我知道。” 她終於笑了,“昭昭常常提起你的。”
我沒有選擇,我必須在這間病房裡待著,就像我爸爸此時必須和陳醫生的父母待在一起。我現在終於模糊地意識到,哥哥做的事情對我而言意味著什麼。從此以後,我心裡有個地方,永遠都在恐懼,永遠都如坐針氈,永遠都在用最粗魯的話訓斥自己怎麼可以逃避。我再也沒有了“不害怕”的資格。別人自然看不出,甚至我自己都會偶爾遺忘。但是我還是識相一點,從現在起,跟它和平共處吧。
哥哥,你到底都做了什麼呀?
你又要受多少苦呵?我甚至希望你能在監獄裡待得久一點——前提是,一定要真的被關進監獄裡,千萬不能是別的情況——你在那裡待久一點吧,這樣等你出來了,臻臻久長大了。她說不定會痊癒,至少,表面上痊癒,你就永遠不會看見我今天看見的事情了。
“臻臻?” 我自己的聲音虛弱得嚇到了自己。像是一個噩夢中的人的夢囈。
她自然是沒有回頭。
“臻臻,對不起。” 她的安靜給了我勇氣把這句話說出來。
門開了。我以為是風。
那個闖進來的人有一雙很深的眼睛。我可以告訴你們的是,當他於未來的某一天,出現在我夢裡的小鎮上的時候,戴著滑雪帽,穿著很厚的防寒服——因為我的小鎮永遠是冬天嘛,我是說,他只露出了這雙第一次見面時候的眼睛。
“你是不是走錯了?” 他的聲音比他的眼睛要明亮很多。但是不像哥哥那麼平穩和讓人安心,他講話的時候總像是開玩笑,但其實,他通常不怎麼笑的。
“我沒走錯,你才走錯了。” 我不由自主地往後挪了兩步,似乎覺得自己應該在他面前離那個小女孩遠一點。
“我是這孩子的叔叔,你是誰?” 他挑了挑眉毛。
“我····” 對啊,我是誰呢?我遲疑著,終於說了一句懦弱得無以復加的話,“我是來看陳醫生和臻臻的。”
他沈默了一下——可是說真的,他在沈默的時候都不給人安靜的感覺:“我知道了。” 他有些黯然,“你是那個犯人的家人。對不對?那個現在在院長裡見我爸媽的——”
“是我爸爸。” 他不知道,他這麽快就猜對了,其實是幫我解了圍。
“你是那犯人的什麼人?” 他一口一個“犯人” ,像是在挑釁一樣,聽著真讓人受不了。但是——從現在起,習慣吧。
“我是他妹妹。”
“親妹妹?” 看來他表示懷疑的時候總要挑一下眉毛。
我搖了搖頭,但我說:“是的。”
“哦。這麽巧。” 他看了看躺在床上的人,“他是我哥哥。”
“我走了。” 我急匆匆地丟下這一句,然後是似乎怕被燙到那樣,繞過他站立的那一小片地方。
他在我身後說:“不送。”
他不是被害人的家屬嗎。坐在醫院的花園裡,我才如夢初醒地想到這件事。但我居然沒有害怕面對他。因為從一開始他就沒給我應有的敵意。從頭到尾,都像是在和我開玩笑那樣,尤其是那句“你是那犯人的什麼人?”
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dvijaalszweimalgeboren · 4 years ago
Text
窗外遠景|馬嘶周那
|內文介紹|
戰後AU,失明梗。失明的馬嘶與同個病房中,聲音很溫柔的青年成為了好友,青年每日都會告訴馬嘶窗外發生了什麼事,直到痊癒的那日為止。兩人相互療癒彼此,是一段雖傷心,卻選擇勇敢活下去的故事。
|注意事項|
*戰後時空線,沒有既定的時空背景 * CP 為馬嘶 x 阿周那 *取材於遙遠過往記憶中,聽聞的一段小故事
————以下正文————
你願意和我說些話嗎 說些溫柔的話 讓我忘記死亡 忘記日常的鬼魅 在我身邊遊蕩
——宋尚緯〈說話〉
      意識逐漸恢復,眼前僅剩下黑暗與空無,還有身體所傳來的隱痛之感。
      「我活下來了嗎?該死。」他思忖,不知這究竟是好是壞。回憶失去意識的最後一刻,他只記得戰友接續倒下的身影,隨後是血霧與煙硝難聞的氣息,猶如某種暗紅色的煙火,隨著塵土悠然殞落,再來是接連不斷的血腥,還有他自己。
      思緒在黑暗中游移著,他已經無法分辨白日與黑夜的差別,也無從訴說感知與意識間的變化。「這就是死亡嗎?」他思考著,腦海中想起的第一人是父親,隨後是母親,再來是一路以來陪在他身旁的戰友。死亡在此刻如開遍山林的繁花,紅得美艷,慘痛地令人戰慄。
      他聽見些聲響,遠近不一,是人們在呼救的高喊,忽遠忽近,起落不定。隨後,他的身軀隨著擔架與旁人的步伐起伏著。自己還活著嗎?他不知道,就這麼在醫院昏迷了數日。原先以為自己確實死了,死後的世界竟然什麼都沒有,他在一片黑暗中大聲呼喊,無人應答,眼前僅剩下空乏與虛無,還有什麼都令人害怕的冰冷。
      他從不畏懼與敵人作戰,也不怕佇立於戰場之上,但他從未想過,死亡竟是如此孤單的事情。這是他第一次感到全然的害怕與無助。
      惡夢接連襲來,猶如黑色的海潮,隨後他看見模糊迷離的光影搖曳著。光影將鞋子留在沙灘上,就這麼朝著海水中走去。他想衝向前拉住對方的手,卻事與願違。
      數日過後,連自己也不知道過了多久,傷口的劇痛清晰地讓他醒了過來。清醒後的世界透著薄霧的光,隨後是某人輕柔的語調。
      「你醒了。」
      這般柔軟如夢的語調,他已經許久未聞,猶如在炙熱的惡夢中灑落的冷冽朝露。他勉強地伸出手,沒有回應對方的話語,撫摸著環在眼周附近的粗糙紗布。此刻眼前僅剩模糊,再來是漸進的黑暗。他想將紗布拆下來,身上的傷口卻疼得令人無力。
      這不是夢,他還活著,只是——
      他看不見。該死,為什麼眼前一片黑暗。
      「別驚慌,我幫你請醫生過來。」
      身旁那聲音溫柔地說著,沉靜又純粹的語調聽起來像修道士,先是令他感到羞赧,隨後又因自己仍活著而感激不已。
      他感受到對方從他身旁走過,腳步洗鍊明確,找來了醫生與護理師,他才頓時明白自己躺在醫院的病床上。醫生很快就來到了兩人的病房,在他一旁坐了下來,語氣聽上去歡欣而昂揚,全是因為他終於恢復意識,並活了下來。
      他活下來,活下來了。
      卻毫無真實感。
      他靜靜聽醫生說著,雙眼的失明來自戰傷的後遺症,需要數月才能慢慢恢復,不過終能獲得痊癒。他接受對方所說的一切,也對於自己得以重拾光明而感到萬幸。然而,一切都發生得太過突然了,他覺得當下的所有,就像聽著他人的故事般,遙遠非常。
      此際,隔壁床的青年正看著自己溫柔地笑著,他看不見,卻能從那平靜而穩定的語調中聽出他的表情。
      「能夠好好活著,真是太好了呢。」
      那聲音似乎帶有某種撫慰人心的力量,彷彿穿透了他的靈魂,是他從未感受過,有種無以言狀的獨特溫柔,勾起了一絲懷念的感受,令他很是驚訝。而醫生沒有久留,允諾每日會定時來看他的狀況,離去的腳步與關門聲很響亮,隨後是病房內片刻的空白,再來是近乎半日的沉默。
      他沒有立刻答覆青年的話語,並非出於無禮,僅是內在有種說不上來的感動,令他感到鼻酸。身體上的劇痛對他來說都太過表象、淺層,而內心中,在戰場上體會到的所有苦痛、難受、對立與哀傷,是他這些年來無法入眠的罣礙,但他僅能沒頭沒尾地活下去——
      活著,同時保護身邊的人,是當時的他唯一能做的。
      有時,他不知道自己究竟是為了什麼而活,不論是為了自己,還是他人,聽起來都太過自大了。不過他還是活下來了,其中一定有自己沒有想到的意義存在。他沉默地思考著,沒有答案。
      接近傍晚時分,大地開始進入了寧靜的休憩的階段,青年在此時打破了沉默,開始跟他訴說一些日常、平和,卻充滿力量的話語。
      「今晚天空無雲,這麼早就已經能夠看見月亮了。」青年說著,似乎也像在說給自己聽。晚霞此刻已碰上了初升的月,氣溫也逐漸變得涼爽,這是青年喜愛感受的一切;不論是生命,還是所有外在的自然,於他而言都別具意義。
      青年繼續說著,開始談論這片大地,還有隨著月光一同升起的星宿,是如何散落在自己的眼前。那樣的美麗近乎無時無刻,都能透過雙眼清楚看見,只是人們很少有仰望蒼穹的閒暇。他將這份美麗轉述為言語,如讀詩般的語調,輕輕說給馬嘶聆聽。
      這些日常細語,聽上去簡明而普通,對剛離開戰場的馬嘶來說,卻是多麽地珍貴。他無意識地將身子側向青年的方向,此時他才發現,自己從未真正仔細「聆聽」言語中真正的意涵,也從未聽得如此入神。
      那聲音漸漸令馬嘶忘卻死亡,忘卻孤��,忘卻戰爭的鬼魅,曾在他身旁不斷遊蕩。字句猶如澄澈的海潮,猶如輕柔觸碰腳踝的浪花,漸漸撫平他所擔憂一切;又或者說,那語調給予他願意再信任一次生命的勇氣——至少這是他會有的典型思維,與其失落頹喪,他寧可選擇相信。
      淚水不自覺地沾濕了眼前的繃帶,他低下頭,想起了自己的父親與母親,想起了在他身前倒下的戰友,想起他救不了的那些人,想起過往無日無夜奮戰的自己,不禁感到鼻酸不已。
      那些晝夜輪替、星光燦爛、暖日微風的暢然,以及走過人生無常的喜怒哀樂,是心臟仍在跳動的人,才能體悟的特權——感受這一切自由在生命中來去,或許就是人活下來的意義。並無其他原因,就僅是「活著」——繼續活下去。沒有比這個還要重要的理由。
      他如是被點亮了。但願如此。
      但願這是他所作的最後一場惡夢。黑夜已盡,他告訴自己,此時此刻,那焦躁無助的心,終於可以闔眼睡下。
      「馬嘶。」他終於開口。
      「阿周那。」
      他們輕聲訴說自己的名字,似乎比往常的自我介紹來得更具意義。馬嘶表達對青年的感謝,確信自己的語調開朗正向,就如他一如往常那樣。他希望對方能夠接收到自己的心情。他已經許久、許久沒有這樣期望過一件事了。
      這或許是他踏出的第一步。
      ❖
      在那之後的日子,他們以言語交換著故事與生活,發現彼此年紀相去不遠,對於生命的體悟多少也有共感。在聊天的過程中,阿周那每日都會告訴馬嘶,窗外不遠處的公園發生了什麼事,今日天氣如何、陽光是否露臉、花朵是否盛放、人們又是如何重獲自由,活在自己的意志之中。
      那種感覺就像,他們在彼此都想不起的遙遠過往,就已經認識對方了,猶如孩提時代的純粹,記憶乾淨空潔,毫無紛擾——此刻的世界,就僅是從他們口中所說出的故事,天空格外湛藍,繁星格外璀璨,生命格外單純無慮——馬嘶不須凝視任何物體,萬物就已在此刻收盡眼底。
      生命或許始終就是:這一切,再加上自己。
      這樣就足夠了,馬嘶想著。這段有阿周那陪伴他漸漸痊癒的時間,或是已經是他此生所能要的最多。
      「那對情侶今天也來公園了嗎?」
      「沒錯,還牽著一隻狗呢。」
      「那麼那個小男孩呢,學會騎單車了嗎?」
      「還沒呢,不過感覺只差一點。喔對了,平常是爺爺陪他一起來,不過今天也有看見奶奶的身影。」
      「球隊呢,今天是哪方贏了?」
      「平手喔,不過大家看上去都很愉快的樣子。」
      「所以是雙贏囉,聽起來真是令人羨慕。」
      「就是說呢。」
      他們有說有笑,隨著阿周那如說書人般講述窗望之人的故事,不禁引起了馬嘶對人們的好奇心。
      在阿周那的描述中,馬嘶腦海所浮現的那片公園,微風徐徐,有著白花點綴的草地,人們愜意地在那兒度過「生活」的片刻,很是令他傾羨。他希望重拾光明的那日盡快到來,這樣就能親眼看見阿周那口中所描述的一切;他想用自己的眼睛,再度仔細觀看曾被他視為理所當然的世界。
      而現在事過境遷,人生於他而言,早已不同以往。
      他內心那雙透徹的雙眼,已經看透了生命的真實。
      「真希望我能親眼看看。我就快能看見了。」馬嘶說,而他更希望的是,能夠與阿周那一同看著這個世界的美好。不論是大是小,他都願意再度覺知生命中的每個片刻。
      「沒錯,你就快能看見了。」阿周那答覆,語氣卻有一絲寂寞之感,目光似乎已到達了無人所知的遠方。而馬嘶沒有聽出來,當然也看不到。
      兩人就這麼聊到了黑夜降臨,忘卻了時間。他們喜愛彼此的笑聲,也喜愛彼此談話的內容和說話方式。他倆所帶出的故事雖有悲傷的情節,還有令人感到遺憾的內容,不過最後皆會以溫柔又堅定的正向態度收尾。這點令彼此都很是平靜,也感受到對方的正道與堅強,使這段住院的時光,成為兩人生命中最重要的回憶之一。
      自馬嘶受傷至今已經經過了不知幾週,康復的日子也逐漸到來。然而,阿周那從未提起自己為何生病,為何受傷,為何同樣需要在醫院待上這樣長的時間。
      馬嘶曾輕輕試探過,卻被對方巧妙地轉換了話題,似乎這樣探究,就會觸碰到彼此間最敏感的界線,這是他不願樂見的。現在他所期望的就只有,等到自己康復完全後,再對阿周那說出心中的想法。
      或許就快了,或許隨著時間這麼一過,他就會知道答案。要等的就只是時機到來;就如他們時不時在故事中,所提到的溫柔寓意一樣。這是賦予馬嘶度過每一天的最大動力。
      「等到他想告訴我時,他自然會開口的。」馬嘶如是想著,他不喜歡在他人不願表達的情況下過問太多,也是父親教予他維持恆心的方式之一。時機尚未成熟前,任何妄動都是勉強。
      那一夜,如同應證了馬嘶的不安般,外頭開始下起了陣陣雷雨,打濕了大地,喚醒了在夢中的熟睡之人。此刻已是深夜時分,在戰場上馬嘶也曾在這樣雷雨交加的黑暗中守夜,於他而言並非大事。
      他坐起身,身體約莫恢復到能夠下床走動的狀態,傷口也不那麼疼痛,對他來說無非是好事。只是現在眼前仍舊一片黑暗,雷聲在他耳中比過往都來得更加清晰,也讓他回想起戰場上的喧囂與紛擾。
      他已經離那種不安全感十分遙遠了,卻有時還是會想起與死亡相隔一線的恐懼,彷彿被落雨穿透般,那股濕冷的孤獨,還有餘韻無窮的苦澀,時不時會再度找上自己。
      他發現自己竟然在害怕。
      此際,那個熟悉的聲音輕喚自己的名字,「馬嘶——」,隨後對方的溫度就這麽靠了上來,淡淡的吻落在了自己的唇上,如夢一般輕柔,很是令他驚訝;暖意也漸漸將他環抱,有如恆常那般良久。
      再來是雷聲,再來是落雨,再來是他早已遺忘已久的親吻,近乎使彼此缺氧。
      最後他發現自己竟將對方緊摟在懷中。
      他們在夜中靜靜擁抱,如蟻搬運蛾的的屍體,如花朵枯萎凋零的絕美。彼此的心跳與呼吸聲蓋過了夜雨,而他們就僅是擁抱,就僅是親吻,隨後躺在狹窄的單人病床上,依偎於彼此的懷中,就這麼度過了寂寥的夜。
      馬嘶感受著懷中阿周那的一切,溫熱的體溫、淡雅的氣味、因呼吸而起伏的身軀、因撫觸而引起的反應,還有從他指尖掃過的紗布觸感。這全都讓他感受到——人,活在世上的存在感竟是如此強烈,強烈到甚至令他顫抖不已。
      他的心臟跳得飛快。
      此刻,他明確感受到自己仍舊活著。
      行屍走肉的煙硝、震耳欲聾的傖惶,彷彿已經是上輩子的事情。
      全都是過往的記憶了,身後的苦痛彷彿已經離得遙遠。而他突然想起一股令他熟悉的暖意,隨而與懷中的這人相連在了一起。那抹微笑,那陣溫柔,還有單純如斯的初衷,究竟為何會令自己感到如此懷念呢?
      在黑夜中,就如白日一般,他什麼都看不見,一切都僅剩下其餘的感官,而感官又放大了他能察覺的所有,令他感到不可思議。
      今夜除了阿周那的名字之外,他什麼也沒多說。只剩那道聲音、那股氣息,還有過往記憶中的春日暖陽——所有令胸口陣痛的陳舊的溫柔——但他卻什麼也想不起來了。
      對方俯身揭開了自己臉上的紗布,隨後親吻他的雙眼。他發現自己的淚水已汩汩而下,並被阿周那輕柔地撫去,遂勉強睜開了眼睛,卻只能看見一個模糊,又令他感到熟悉不已的人影。
      「阿周那……」馬嘶忍著傷口的疼痛,隨著眼前的輪廓,撫著阿周那臉龐。
      阿周那接過馬嘶的指尖,從自己的嘴角往另一邊劃過。他在微笑,想讓對方透過撫觸感覺到自己的心情。這令馬嘶心頭一震,立刻伸手將阿周那拉向懷中,緊摟對方到彼此傷口發疼,卻又捨不得鬆手。
      就像生怕失去彼此似的,兩人就這麼在狹窄的病床上,毫無隔閡地度過了落雨的夜,領略生命就如蜜一般在彼此的血中流淌。若是如此,說不定他們的靈魂終於有得到慰藉的可能。
      入睡之際,在意識最朦朧轉瞬間,馬嘶聽見阿周那在自己耳邊輕喚著——
      「活下去。」
      活下去。無論如何。
      只要好好活著,這樣就好。
      馬嘶至今都還記得阿周那說出那三個字的語調,清晰地滲入潛意識之中,燃燒得比什麼都還要炙烈,亦深刻地喚醒了自己的靈魂,猶如從悠遠的夢中傳來的���息般,是必須緊緊握住的事物。
      他從沒帶著這樣的暖意入睡過,或許這是多年來的第一次……他終於能夠安心睡去了。
      雨聲間歇,直至雨停。
      夜晚逐漸變得安詳靜謐,一切都只剩下……此時此刻。
       ❖
      晨曦如波濤般灑向無垠的天際,此際天光漸亮,當馬嘶逐漸清醒時,阿周那已回到了自己的病床上。昨晚的一切猶如夢一場,彼此卻比誰都清楚什麼才是真實。
      他們收拾好自己,再來就是熟悉不已的療傷日常,護士在一早就將包裹馬嘶雙眼的紗布纏了回去,隨後叨唸了幾句後離開。在醫院養傷對人生來說,絕對不是「永遠」,於馬嘶而言,則是重生的一個起點——
      活下去。無論如何。
      他此生都惦記著阿周那說出這三個字的重量,也不斷記著那三個字的音調與情感,如信仰般強烈。他知道自己很快就能再度痊癒,身體與心靈都是。
      他最終還是找回了自己的驕傲,也懂得所有的逞強,與真正的堅強是截然不同心境;或許他早已蛻變成一個,比誰都能領略生命可貴的人,同樣比誰都還珍惜過往那些,曾被他視為理所當然的一切。就算是最微小的事物,他也細心地侍奉著——
      他想著父親德羅納,想著母親慈憫,想著往後的人生能夠與阿周那有所關聯,想著未來的每個明日,都能抬頭挺胸地繼續勇敢走下去;從內心中浮現出那股感動得令人鼻酸的暖意,或許是他離開戰場後,開始贖罪的第一步。
      戰場太過無情,過錯或大或小,他至今都還記得。人性本惡的說法,也確實親身體會。有時他會陷在傷害與死亡的苦悶徬徨中,久久無法將血腥味揮之而去。而從現在開始,或許他終於能夠真心原諒自己了。
      原諒自己。
      沒錯,他需要的,或許就只是如此。
      活著,還不夠,他該做的是——繼續活下去。
      幾日後,痊癒的光來得比想像中快,馬嘶一日忙於與醫生應答,來不及與阿周那搭上話。他沒有聽見阿周那的聲音,外人的嘈雜也蓋過了平日的聲響。他感覺自己的心,早已與對方連繫在一起,並沒有特別多想,就這麼與醫生一同離開了病房。
      隨後,卸下紗布、睜開雙眼,在他眼前所展現的光亮,就如過往般清晰如是。
      「我看得見了……?」
      他看得見了。視線、顏色、物體的形狀、眼前之人的樣貌,以及能夠收進眼底的萬物,全是那樣理所當然,他卻從未這樣珍惜,也從未這樣感激過。
      馬嘶急切地起身,頭也不回地連忙奔回昔日與那人共度的病房。
      「阿周那——!」他滿心雀躍,高喊著對方的名字,就像某種喜悅的勝利宣言。
      然而,第一瞬間映入眼簾的,卻僅是在乾淨明亮的病方中,與自己病床相連,一張整理完好的空床鋪,再來是白得令人發寒的冰冷水泥牆。
      他環顧四周,窗戶很小,近乎看不到外頭。沒有故事中的公園,沒有平日散步的行人,沒有綠意盎然的草地,沒有相互嘻笑的人們,偌大的對外窗也消逝無蹤。
      什麼都沒有。
      阿周那同樣也不在這裡。
      那股從背脊竄上來的無助,近乎使馬嘶癱倒。他迫切地問著護士們阿周那的去向,她們僅答覆對方今日一早就辦了離院手續,其他資訊就無從透露了。
      馬嘶毫無頭緒地來回,無助地喊著阿周那的名字,不論在醫院的任何角落,還是外頭早已光禿、空無一物的草地上,都沒有阿周那的身影,病房同樣沒有留下任何告別的字條。
      或許,昨晚雨夜中的相依,就是阿周那最後的道別。
      只是沒有人說破而已。    
      只是阿周那從來就沒有告訴過馬嘶——       他不願被任何人看見自己身受重病的模樣。
      這點馬嘶永遠都不會知道。
      馬嘶力氣盡失地跪坐在自己與阿周那曾歡笑過、生活過、感傷過,還有共度了所有美好光陰病房中。
      「怎麼可能……」地面是如此冰冷,他的視線絕望地落在了病房中,那小到令他近乎動怒的窗框上,語調有氣無力,如一個無助的孩子般,就這麽被奪去了最珍視一切。
      「至少讓我看看你的樣子……,」馬嘶想著,語氣哽咽,「我已經不想再失去任何人了。」
      再一次地,他又感受到生命時而殘酷,時而美麗。
      胸口所浮現的這股痛,比至今在戰場上所受的傷,都來得更撕心裂肺。
      ❖
      出院後,馬嘶跟著父親與母親一同回到故鄉去。戰爭的輸贏,對他來說早已不那麼重要,只要重要的人還活著,只要所深愛的人還活著,只要他自己還活著,這樣就足夠了。
      說沒有死命找尋過阿周那的身影,大體上也是騙人的。或許用盡了所有的辦法,或許走過了整整一生,他也還是找不到任何與阿周那有關的線索。有時他甚至懷疑,阿周那是否只存在於他臥床不起、安靜療養的那段時光中?
      無法好好與對方道別,是他人生中最大的遺憾。他不想說再見,直到現在都是。而他想著,只要繼續像阿周那所說的——活下去——他們兩人終有見面的那日到來。
      「告訴我你是怎麼想的,阿周那……」馬嘶開口,獨自一人走在星光漫漫的夜中。此時的天空,此刻的月夜,此際的寂寥,猶如阿周那初次講述故事給他聽的那晚一樣。
      馬嘶閉上雙眼,深吸了一口氣,深刻地感知著自己的存在。大地很安靜,只剩下靜謐的空氣,只剩下自己的靈魂,還有星宿們訴說秘密的聲音——
      他,活著。
      此刻的自己,是比什麼都還要單純的存在。
      就僅是活著、活著而已。
      「你想告訴我的,就是這件事嗎?」
      他探問著,心中還有許多未說出口的故事,想要好好訴說給對方聽。而說不定只要繼續活著、活下去,他就有將故事說出口的契機。
      「我的靈魂只屬於你——」馬嘶許下承諾,是阿周那的溫柔,給予他繼續活下去的勇氣,「在與你再度相遇之前,替我好好保管——。」
      所以說,下次見面時,
      別再這樣不告而別了。
      「我會繼續活下去,你就好好看著吧。」馬嘶堅定地仰望那片絕美的夜,對空中的星宿說出了自己的決意。
      晚安,阿周那。
      之後的人生,就是屬於我自己的故事了。
      晚安,阿周那。
      或許就是為了遇見這樣的你,或許就是為了重拾自身的驕傲,並坦然承認自己的脆弱,我們才會變得如此堅強而溫柔,不是嗎?
      「讓我用生命去證明吧。」
      馬嘶最後緩緩走回與父母親同住的房子,那裡燈火通明,溫暖陳舊,同樣是他渴望守護的事物之一。
      現在,他比誰都還熱愛生命,毫無疑問——
      把你點亮的人,在離開時忘了把你熄滅,
      你還是有力量,靜靜為自己發光。
---Ende---
|小後記|
     默默寫了兩個月的小故事,希望您能夠喜歡。
     主旨是想傳遞,在我們身受傷痛、深感絕望時,總會有那麼一個人,能夠給予我們繼續走下去的力量。而即使那個人不在了,我們也依舊可以靠著自己的堅定,完成生命的旅途。
     在原典神話中,阿周那與迦爾納早馬嘶一步離開了世界,德羅納也在俱盧之戰中不幸過世,馬嘶在晚年基本上是全然孤獨地走完了贖罪之旅。而我想傳達,即使馬嘶孤身一人,也溫柔堅定地勇敢活了下去。馬嘶是《摩訶婆羅多》中,個人認為最具智慧與生命深度的角色,希望未來有更多從不同角度,好好描繪他的機會。
     感謝您閱讀至此,若是您喜歡這個故事,於我而言意義重大。
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