#ADHDの特徴
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アメリカのノースウェスタン大学の人類学者らが実施した研究では、ケニアの2つの部族を対象として、ADHDと関連していることが多いとされる遺伝子変異を持つ人の社会的地位と栄養状態が調査されました。結果として、遊牧民の部族ではこの遺伝子変異を持つ人の社会的地位と栄養状態は良好だった一方で、定住民の部族では同じ変異を持つ人は栄養失調気味で信頼できない人物と見なされる傾向にあったことが報告され、ADHD傾向が社会の性質によって異なる評価をされる可能性が指摘されています。 ペンシルバニア大学の研究者らが2024年2月に発表した論文では、オンラインで「茂みの上にカーソルを置いて、8分間でできるだけ多くの果実を集める」という探索タスクを参加者に課した上で、参加者にADHDスクリーニングテストを実施しました。結果として、ADHD傾向のある人はひとつの茂みからある程度果実を収集したらすぐ次の茂みに移り、探索行動に費やす時間が多かったとのこと。一方で、非ADHDの参加者は、ひとつの茂みからすべての果実を採集することにこだわる傾向にあり、全体の探索行動は少なくなりました。研究者らは「私たちの研究結果は、ADHDの特性が一部の環境では食糧を採集する際の利点をもたらす可能性があることを示唆しています。ADHDの人は、探索を好む性質を遺伝子的に保持している可能性があります」と結論付けています。 「落ち着きがない」といったADHD的な特徴がある人はそうではない人よりも狩猟生活の面で優れている可能性 - GIGAZINE シャザス氏は「最近の研究から、運動、日光に当たること、自然環境はすべてADHD患者に有益であり、症状の管理とポジティブな感情に役立つことがわかっています。ADHDの不利益を最小限に抑えるためには、遊牧民のライフスタイルに組み込まれたこれらの調節活動が必要であり、8時間デスクに座って仕事をするような社会では、ADHDの特性が混乱を招きやすくなっています。ADHDが狩猟採集民族の名残だとする仮説は、『すべての人にとって、朝8時ごろから夕方19時頃まで活動するというライフスタイルが適切なわけではない』という洞察を与えてくれます」と述べています。 この記事のタイトルとURLをコピーする ・関連記事 30分の有酸素運動がADHDの人々の認知能力を向上させる可能性 - GIGAZINE ADHDを障害とみなすべきか研究者らは疑問視している、多様な考え方や行動のうちの1つで正常な状態との指摘 - GIGAZINE 「落ち着きがない」といったADHD的な特徴がある人はそうではない人よりも狩猟生活の面で優れている可能性 - GIGAZINE ネガティブにとらえられがちなADHDの有利な点とは? - GIGAZINE そわそわしがちなADHDの人は「探検家」のような遺伝的特性がある可能性 - GIGAZINE ・関連コンテンツ そわそわしがちなADHDの人は「探検家」のような遺伝的特性がある可能性 ネガティブにとらえられがちなADHDの有利な点とは? 人間が「ミルクを消化できるようになる前」からミルクを摂取していた証拠がアフリカで発見される 人類が「火」を使い始めたのはいつから? 大量の科学者がX(旧Twitter)からBlueskyに移住している 医師は患者の意見を「最もどうでもいい情報」だと思っているとの調査結果 なぜ「利き手が右で利き目は左」が多数派なのか? 夜更かししがちな夜型人間はより不幸でメンタルヘルスも不調になることが明らかに
注意力が散漫になる「ADHD」は狩猟民族の名残である可能性 - GIGAZINE
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脳外科医竹田くん、ほぼ間違いなくADHDの特徴が見られる。自分の興味のないこと意外ないがしろにする所もそうだが、過集中により大量被爆は恐ろしすぎる。本人の他責的で他人の人生をめちゃくちゃにしても罪悪感を感じない性格、父や上司など周囲が甘やかしすぎなどADHDの特徴が最悪の形で出ている。
Xユーザーのモルイさん🇺🇸💉さん
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「ボーはおそれている」を観た。 以下ネタバレあり。
前に「哀れなるものたち」を観に行った時予告編を観��気になっていた映画。でもアリ・アスターといえば「ヘレディタリー」と「ミッドサマー」なので、ホラーがあんまり得意でない自分はどうかな…と思っていた。 というような話をXに書いていたらアリ・アスターの短編"The Trouble With Mom"というものを教えていただいて、おそらくアリ・アスターはこのテーマです、とのことだった。 まあ短編だしと軽い気持ちで見てみたら、これがものすごくよかった。自分がちょっと親(特に母親)が苦手なのが大きいとは思うけど、短編映画でこんなによかったのは久しぶりだし、今年観た映画のなかでもトップくらいによかった。短くてセリフのない映画でこれだけやるとはアリ・アスターすごいな…。
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というわけで俄然「ボーはおそれている」も気になって観ようという気持ちにはなっていたものの、急に仕事が忙しくなってしまってなかなか行けず、なんとか先週末ようやく行けた。日曜最後の回だったのでガラガラだったし、ど真ん中のいい席で観れた。
で、「ボーはおそれている」の話。
基本的にはTrouble With Momなんだけど、長いだけあって親子以外にも家族の話や、子供を持つことや、あまり自分は分からないので下手なことは言えないけど、精神的な病気やADHDというようなことも描かれていたと思う。なので入れたい要素が多すぎてこの3時間なんだろうな。
3時間はたしかに長かったし、最初は90〜120分くらいにカットしてもよかったんじゃないかなと思ったけど、今はこれはこれで意外とよかったのかなという気もする。3時間なんだけど、4パートくらいに結構はっきり別れていて、なんとなく海外ドラマを4本立て続けに見たような感じかな。そもそも長いのは事前に分かっていたし、長い割には意外と観やすかった気はする。それに、意外と最初の方も覚えている。
最初のボーの自宅のパートはあんまりいらないんじゃないかなと思ったけど、「ボーにとっての現実」をしっかりインパクトを持たせて打ち出すには必要だったのかな。全身タトゥーで真っ黒のカラコン(?)の人がやばかった。というかボーの近所がポストアポカリプスすぎる。Fallout級。でもそういう風に見えているってことなのか。
2つ目の謎のファミリーの家に転がり込む所はいわゆる「表面上いい人たちだけど実は…」というホラー映画の定番のパロディみたいな感じなのかな。この家族は一人息子を戦争で亡くしていて、そこから両親も妹もおかしくなってしまった、というボーとは別の「家族、親子」の話が描かれていて、戦争の多いアメリカだとある話なのかなあと思ったりもした。ファミリーやマイホーム、軍隊に入る愛国心というのはアメリカの良き象徴みたいになってるけど、実際には問題山積みなんだろうな…。お母さんはなんでここで家族っていいよねと思わせようとしたのか…。
3つ目のヒッピー劇団(?)のパートは一番好きなパートだった。また別の映画の話になってしまうけど、このパートを担当したクリストバル・レオンとホアキン・コシーニャの「オオカミの家」という映画が友人に勧められて気になっていて、でも結局見れずじまいだった。本人たちの映画ではないけど、ここでその一端が見れてよかった。演劇の舞台からという導入もよかったし、書き割りのセットのような、手書きのような不思議なアニメーションはとてもよかった。この時のナレーターというか語り手はやっぱりお母さんだったのかな…? この時のホアキン・フェニックスがボーとは全くの別人という感じで、やっぱり役者さんってすごいなあと思った。目がもう全然違う。
4つ目は意外とあっさり実家に帰り着いてからのお母さん、そして父親(?)との対決、さらに初恋の終わりとなかなか盛りだくさんだった。自分的にはやはり母親との対決シーンが良かったかなあ。Trouble With Momは短篇だしセリフがなかったけど、ボーは尺もあるし台詞もあって、母親の言い分もあるのがよかったと思う。いやほんと親子とか家族ってホラー映画より怖い呪いだ…。その後の兄と父(?)のシーンといい、ここは自分の恐怖と向かい合うパートだったのかな。
5つ目、というか4つ目のパートに入れてもいいのかもしれないけど、���タジアムのシーンはまさか最後こうなるとは思わずびっくりした。恐怖と向き合ってみたけど、結局母親からは逃れられないという…。そして結末はTrouble With Momと大体同じ。
全体的に、かなり色々やりすぎにしてあって笑ってしまう感じで、ホラー要素はほとんどなくてよかった。そして単純にボーが被害者で虐げられてるだけ、とかではなく、決められないこととか、自分が悪いと思ってしまうことを悩んでいたり、母親には母親なりの自分が親からもらえなかった愛情を子供に注いでやりたいという気持ちがあったりとか、誰にでもどっちもある、あるいは色々ある悩みや考えや恐れをしっかり出しているのはよかった。 "Guilty"という言葉が劇中度々出てきたけど、これはキリスト教を信仰しているとまた意味があるのかな。自分は特に信仰はないけど、なんとなく自分が悪いと思ってしまうことがあるのでなんとも言えない気持ちになった。 色々決められなかったり、必要以上によくないことを想像してしまったり、ちょ���と心配になるとすぐネットで(信頼性の低そうな情報を)検索してみたり、結構自分にも当てはまるなと思う所があった。Trouble With Momもだけど、なんだかアリ・アスターには勝手に親近感を持つなあ。
そういう人間の中の複雑な気持ちの表現が全体的にすごく過剰なので、真ん中あたりでヒッピー劇団〜アニメーションの見やすいパートを入れたのは構成として上手いなと思った。あれがなくてずっと過剰な表現続きだと疲れるし飽きてしまいそう。 ただ、アニメーションパート以外の映像や音楽、美術などはわりと普通かな…という印象だった。悪くはなかったけど…。まあそこを見る映画でもないかな。
音楽といえばヴァネッサ・カールトンやマライア・キャリーといった懐かしの名曲が突然かかって(しかもかかるシーンがまた可笑しい)、結構笑いそうになった。少し調べてみた所、歌詞にもかなり意味があったらしい。お母さんキモすぎる。
公式サイトに見た人向けの解説があったので読んでみたけど、やはりいろんな映画のオマージュというか引用があるらしい。サンセット大通りは好きな映画だけど気が付かなかったなあ。監視カメラの所はたしかにリンチの「ロスト・ハイウェイ」を思い出したけど、同じA24の「アンダー・ザ・シルバーレイク」っぽい雰囲気もあった気がする。
自分的にいちばん思い出したのは「未来世紀ブラジル」だった。
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よく「オーウェルの1984的な統制社会の恐怖を…」とか説明されるけど、結構親子、それも母と息子の話なんだよな。主人公のサムが夢と現実の区別がつかなくなっていく感じもボーにちょっと近い気がするし、父親が出てこない点も似ている気がする。 あと、ブラジルのエンドロールとボーのエンドロールが似ている気がした。どちらも暗くグレーな広い空間の真ん中に死んだ主人公がいて、その画の上にクレジットがでてくる。なんか共通するものがありそうな気がするなあ。
あと、もうひとつ思い出したのはデヴィッド・フィンチャーの「ゲーム」。
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これはたしか最終的に主人公の"ゲーム"は弟が全て仕組んだものだった、というオチなんだけど、全てを母親に仕組まれていたボーに近いかもなと。CRSという会社がちょいちょい出てくるのもお母さんの会社が色々なところに出てくるのに少し近いかも。見たのがずいぶん昔なので詳細は覚えていないけど、また観たいなあ。でもこの手のネタは他にもたくさんあるか。
ボーはおそれている、総合的にはまあまあといった感じだったけど、なかなか面白い映画だった。親子も家族も色んなものへの恐れも、永遠のテーマなんだなあ。どうしたらいいという答えはないけど、あれこれ考えるきっかけになる映画な気がする。この内容で3時間の映画を作って世界に配給されるというのはとてもいいことだな。ヘレディタリーとミッドサマーも怖そうだけど観てみよう。
<余談>
自分の持っていたクレジットカードの一つがサービス終了とのことで、自動的にSaison Gold Premiumというカードに切り替わった。普段、カードの優待とかはあまり気にしないんだけど、このカードの優待で「映画のチケットがいつでも1000円」というのがあって今回それを初めて使ってみた。
対応している映画館が限られているけど、自分がよく行くTOHOシネマズは使えた。ちょっと面倒なのは、まず映画のチケットが無料になるクーポンを1000円で買う→そのクーポンを使って無料でチケットを取る、という二段階の手間がかかるのと、購入の12時間後にクーポンが送られてくるという所。自分は仕事の都合で今なら行けそう…と急に行くことが多いので、これは少し残念。でも、クーポンの有効期限は3ヶ月くらいあるようなので、観たい映画がある時は事前に購入しておけば突然行くこともできそう。
最近はわりと映画行くようになったので、これはありがたいな〜
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これで子供の困った行動が不安でなくなる…「発達障害か」「愛情不足か」子供の特徴を一発で見極めるポイント 困った行動を無視したときの反応をチェックする | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
多動,ADHD,ASD,愛着,不適切行動,対人関係,チェックリスト,
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兄が反社会性パーソナリティ障害だとおもうんだけど、警察のお世話になるレベルではなく、家庭内暴力を繰り返し、金銭を要求してくるレベル。ADHD傾向があって、衝動的でキレやすい。計画性のある行動ができない。いわゆるグレーゾーン。母がもう歳なので、この暴れん坊を世話することも限界がきている。自分が引き継ぐなんて���っぴらごめんなので、地域の福祉課に電話して助けを求めた。話を聞いてくれるということで、直接話してきたんだけど、結果からいえば、何も解決できなかった。担当者は、ちゃんと心理カウンセリングの勉強をしているとすぐにわかった。否定もせず肯定もせず、熱心に聞いているようで、共感は示さない。自分も、兄の様子は子供の頃からおかしいと思ってたので、精神医学に関することは軽く調べているので、兄がなんらかの発達障害、パーソナリティ障害の傾向があるということは確信している。反社会的な行動に関しての良心の呵責がまったく見られない。反社会性パーソナリティ障害の可能性は高いと思う。福祉課に助けて欲しいと言っても埒があかないとおもったので、嘱託医制度を利用して精神科医にも相談をお願いした。この精神科医がまたひどかった。「それは性格だから問題ではない」と言った。いやいや、トラブル起こしてて困ってるといってんだろと。暴力と金銭トラブルがあって、人権で定義されるところの、財産権の侵害と、身の安全を脅かす行為をやってますよと。社会の中で問題を起こす「性格」であるから、それを「障害」と定義しているんじゃないのかよと。その後も、その精神科医は、妙に揚げ足取りをしてきたり、こっちを疑うような姿勢でずっと対応してきた。その精神科医が何を考えていたかはわからないが、自分はもう最初から、福祉につなげないために嫌がらせして追い払うのが目的で来ているとそう感じた。福祉課の人間は、あいかわらず否定も肯定もせず、話は聞いているが助けの手を差し伸べることは決してなく、こちらが諦めて帰るのをずっとまっていると感じた。時間をとって話を聞いてもらえたので感謝はしつつ、失意を絶望を感じながら相談を終了した。 終わってからその相談を反復しながら色々考える。こういう、トラブルを抱えている人と、それに巻き込まれてる人を助けようと思う人なんていないのが当たり前だ。それがたとえ福祉課のケースワーカーでも、精神科医でもそうだ。問題をこっち持ってくんなと考えるのが自然だ。相手はこちらを、不審者、嘘つき、妄想に囚われた精神疾患者、甘えん坊である可能性から探りに来る。これも精神的にきつい。まず信じてもらえない。グレーゾーンはその存在の証明も難しい。こっちも頭が良いわけでもないので、自分が抱えている困難を、短時間で人にちゃんと伝えることも難しい。これは無理ゲーだなとおもった。当事者は結局自己解決する知恵と体力と金が必要になる。しかし、困窮している人間はだいたいこの条件は揃わない。結局そうやって、自殺するか殺人するかって解決方法へ辿り着いてしまう。今回はこの手のトラブルの当事者になってみて、問題解決の困難さ、福祉、警察のポンコツさがよくわかった。ポンコツというのもよくないか。 今の頭の中はやっぱり、兄の命を絶つことでしか問題は解決できないという結論になり、いやいやそれはダメに決まってるだろう葛藤している。この思考を繰り返せば、精神的に限界を迎え、頭がおかしくなり、自分が命を絶つというなんとも無意味な解決方法にたどり着くことも何と無く想像できる。たとえそうなっても、当事者の外側の人はなにも困らない。頭のおかしい社会に害のある人間と、無害だけど社会的無価値な空気人間が二人社会から消えるだけだ。外側の人間にとってメリットしかない。トラブル抱えた人間は、こっちくんなと追い払って追い詰めていったほうが社会的に合理的選択だ。そして、当事者にとって殺人行為を行うことも合理的選択に思えてくる。そう考えると、過去に起こった殺人事件などは頭のおかしい人、精神的に弱い人が起こすのではなく、理知的で合理的な選択だったのではないかと思ったのである。追記:みんな関心持ってくれてありがとう。もうちょっと戦えるような気がするよ。コブメと言及見て少し補足する。・福祉課にやって欲しかったのは、事例と経験を多く持ってるはずだから、この先どうしたらいいのか指導が欲しかった。だから、否定されまくって絶望がデカかった。・母は痴呆が始まっていて移転が難しいと感じていることと、もう母も心が折られていて諦めちゃってるところがある。暴力による学習性無気力とかカサンドラ症候群とかの状態。・自分はもう別世帯になっているが、母が老齢で兄の世話が限界にきているので、自分が介入している。ほっとくとネグレクトになると予想してるから福祉に相談にいった。・兄は精神科へはいかない。暴れている本人は全く困ってないから。これも一部のパーソナリティ障害のやっかいさの特徴。・警察に突き出すのは、出所後悪い友人を作ってきたり、職につけなくなったり、状況が悪化する可能性があって躊躇してる。家族であるがために戻ってくる。母が縁を切りたがらない。・自分一人なら逃げる気まんまんで、母をどうするかという問題がある。・診断名がつくと、俺のような不審者のたわごとじゃなくて権威の言葉になるから、各専門家を説得しやすくなるメリットガある。匿名じゃないとなかなか相談できない。リアルだとみんな巻き込まれないと逃げていく。俺の人間関係も壊れてしまう。精神科医が否定ばかりで選択肢をガンガン潰していくのには驚いたし、絶望もしたけど、こうやってたくさんの意見がもらえて、不可逆な決断をするまえにいろいろ検討することができるよ。増田は社会福祉だと思います。
福祉課に駆け込んできた
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ADHDは狩猟生活では適応的であった
まだ全くの仮説の段階だと言ってもいいでしょうが、標題の通りADHDが古くからの狩猟生活において適応的であった可能性があるという話題です。
まず「ネアンデルタール人と古代ホモサピエンスの遺伝子サンプルを用いて、ADHDの痕跡をゲノム解析」したところ、ADHDに関与する特徴が見つかったということで、ADHDは古くからある特性で、いずれの時代かで適応的であったと考えられるでしょう。
また比較的原始的な生活をしている部族においてADHD傾向を示す個体とそうでない個体を比較したところ「遊牧民の部族ではこの遺伝子変異を持つ人の社会的地位と栄養状態は良好だった」のだそうです。
さらに「茂みの上にカーソルを置いて、8分間でできるだけ多くの果実を集める」という課題では、ADHD傾向のある被験者は一つの茂みから少しだけ果実を収���するとすぐに次の茂みに移動するということで、ADHD傾向のない被験者よりもより効率的に果実を集められたということです。これは古くから言われている「渓流釣り」に適した人と「海釣り」に適した人との違いを思い起こさせます。海釣りは一箇所のポイントでじっくりと腰を落ち着けて狙わなければなりませんが、渓流釣りではあるポイントで2~3回流してみてアタリがなければすぐに次のポイントに移動する方が収穫が大きいというわけです。
いずれにしても、上記の通りADHDが人類学的な尺度でかなり古くからあるなら、適応的な行動であったと考えざるを得ないでしょう。
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ADHDは空気が読めない(状況理解が出来ない)が、「自分が空気が読めない」ことは理解しており、その結果 「多数派には分かっているのに自分だけは分からない非常に重要なことが相当多くある」 ことを感じながら成長する。 その結果、多数派と違うことがあると、 当然その(空気が読めないという)自分の欠点が原因でその食い違いが生じると考える。 こうして自己評価が下がる。 「ADHDの自己突っ込み」はそういう認識から生じており、 「自分には分からないけれど多数派から突っ込まれるのではないか」 とありとあらゆる突っ込み、批判の可能性を想像しまくって「この点が自分の欠陥であるのではないか」と自分自身の問題点を考える。 本当の意味では多数派の「空気は読めていない」のだが、 「多数派と同じ意味で空気を読まなければならないと必死で努力を続け、見当はずれでも近付こうと努力を続ける」 というのがADHDのACの姿だ
「ADHDのAC」の特徴『自己つっこみを続ける自罰的な努力家』『他人に気を使うという割にはマイペース』 : 凹凸ちゃんねる 発達障害・生きにくい人のまとめ
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241013 OVERLAP
想像以上に「手のフィギュア」むっちゃ使えて、最初飾ってたけどもう常にそこら辺に直前に描いた絵のポーズして転がってる
ああ、この感じ
ファッション性(不必要性)ゼロ、有用性のみで作られた環境アンド、その有用なものを全然大切にしてない感じ
すなわち「身の回りの空間を肉体の延長線」として捉えている感じ
懐かしい...
散らかりの中に埋もれたHUNTERXHUNTER新刊を気ままに拾い、偶然開いたページから気ままに読む
富樫漫画はそういう読み方をするのに向いている
士郎正宗の漫画もそう
セリフ多すぎ、情報量多すぎな漫画は「食べても食べても無くならないチート食料」みたいなもん
なんかほんと、懐かしいよ。中高生の頃のテンションだ
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【過去振り返りシリーズ】
なぜここに戻ったんだろう?
「安定を失い続ける」事に成功したからだ
学生時代は先行き不透明すぎたから自分磨きの実験と投資と現実逃避し続けていた
進学目指してたらまた違っただろうけどな。就職したくないけど卒業しちゃうから消去法で就職先探すイメージ
あん時たまたま母親の再婚候補だったTさんが「タロちゃん、これいいんじゃない?」って見せてくれたKCEスクール(後のコナミスクール)のチラシが自分の運命を決定づけた
なんか学費とんでもなく高かったんだけど、母もよく許可してくれたもんだ
年、150万とかだった気す��...一応3年くらい居座れるのかな(3年いたら450万超え)
自分はそこを半年で特待生で卒業した。だから合計70万くらいだったんじゃなかろーか
19歳で就職してゲーム会社の前線にインターンで入って、20歳ん時にはPS2のメジャータイトルの2Dディレクターやってるとか、今の自分の視点で観ても「おかしなキャリア」だ
それで23歳過ぎてからあんなふざけたサイト立ち上げてWEBで毎日はしゃいでたんだから、ほんと贅沢オブ贅沢
でもなんだかんだでその後うつ病になっちゃうんだよな笑
うつ病には「うつ病になっても困らないバッファがあるやつ」しかなれない。正確には「うつ病のままでは生命を維持できない」
中途半端に余裕と安定ありすぎたよ当時はほんと
「明日食べるご飯にも困るくらい、シリアスな貧乏を味わってみたい...」
今ようやく、その贅沢味わえてる
私は幼少期、あらゆる意味で甘やかされ、恵まれすぎていた。母の自己犠牲におんぶにだっこで文句垂れまくりながら生きていた
けど、今思うとあの「思い出」があるからやれてるってのある
いつでも子供時代の「万能感や成功体験」思い出せるもの
これ、後から金では決して買えねーんすよ
「同じ挫折と喪失」味わったなら、のび太よりスネ夫の方が絶望せずに頑張れるんすよ現実においては(まだ得てないのに更に取られるってのは精神が耐えきれないんす)
・
なにこれ?!
誰のことも応援できてない。ダメでしょ。やり直し
いや、母だよ。母すげーわ。うちの母、すごかった!!
ありえねぇ... あんなクッソ生意気な運動音痴で言ってることやってる事支離滅裂なガキを... なぜ??
なぜだ...
それを知りたくて妻に娘を産んでもらったけど、秒でわかった
愛おしい。何のおもねりもなく「自分は生きていてもいい」と確信している存在は、かわいらしい
自分や妻の遺伝子からこんなにも「穢れていない」心を持った存在が生まれてくる事が嬉しすぎた
母は凄まじく封建主義的な家で育ち、結婚相手も親がすべて決めてしまうような、その時代においても「無い」とされる扱い受けて生きてきた(兄弟が沢山いたので比較的雑に扱われたのだ)
その後なんだかんだあって二人の息子(自分の父違いの兄)を田舎に残し離婚、東京でホステスやってる際に出会ったシンガーソングライターの男との間に出来た子供が自分であった
父は母の鼻の骨を折るレベルの暴力振��うカスだったので自分が生まれたタイミングで離婚。どこぞのボランティア団体から「片親では共倒れになるから里子(養子)に出した方がいい」とアドバイスされるも頑なに一人で育てると決意し自��を育てた
娘にはいい意味でも悪い意味でも自分の遺伝子が100%継がれているのを感じる
言ってることもやってる事も幼少期の自分を俯瞰視点でリプレイ観てるかのようだ。性別変更しても器質が似てると似たパーソナリティになるんだな
なので個人的には娘はかなり「男性的」な性格に感じるがおそらく私が感じているそれは男性性ではなく「ADHDの特性」なのだ
独善、無配慮、退屈耐性の無さ
いや、それは一人っ子の特徴でもあるから一概には言えない...
まあなんでもいいとにかく自分はそんな自分とそっくりの特性持つ娘と向き合っていて「めちゃくちゃありがたい」と日々思っている(妻も「娘の存在」があるから生きていられるのだと常々言っている)
自分とそっくりな人間が自分にこの感情を与えるのなら、多分母も似た感情を感じていてくれてたのだ
母は「お前を里子に出すなんて事は考えた事もない。どんな事情で生まれようと私はもう子供を決して置き去りにしない」的なことを常に言っていた
意味分からんと思っていたが、田舎に子供(兄貴たち)を置いてきた事が母の「一生の後悔」だったのだ。その罪滅ぼしとして、自分を育てていたのは明らかだが、当然それだけではあるまい
そこには自己犠牲するに足る安らぎが間違いなくあった
子供である自分がそれを「無自覚に生み出して」いたのだ。あまりにも痛みを知らず配慮を知らず、お膳立てされまくった安全なフィールドで勝手に傷つき心を病み、なんでなんでと騒ぎ立てる。こりゃ自分が護らないと秒で死ぬな、という確信
でもさ、自分の場合そこにはまた一個メタが被ってんだ。なぜならそーいう育てられ方 / 生き方をした結果「なんとかなってる」から
だから娘にも全力でコストかけて育てていけば、例え途中で大きな試練にぶち当たろうとも、いずれは自分と似たゴールにたどり着けると思ってる。まあ、親は皆そう思う。他に信じられるアレもないし
娘が「ハンデ負い人生2」やってるのを見守りつつ支えるのが自分の生き甲斐だよ
この機会、時間を与えてくれた今までのすべてに、ありがとう
【✓】
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エピソード9 Episode9 - 各宗教と政治のチェックと指標について「パワーか、フォースか 改訂版―人間のレベルを測る科学 - デヴィッド・R・ホーキンズ Amazon」
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイドの方)という前提です。
前提として、「パワーか、フォースか」はキリスト教よりなため、日本の仏教を中心にアビダンマ視点で解釈し話します。
前回、エピソード8で説明したマクロ経済学のソフトランディング的な文明の創造的破壊と再構築。
アダムスミスも言っている「道徳感情論」や「倫理学」が抜け落ちていた大量生産、新自由主義、��場主義を補完するような��工知能時代において重要な基盤を科学的に検証できる唯一の計測方法。
これにより判明したことは、全ての宗教の語ってる内容は拡大の反作用なのか言語が違うだけで同じ意味です。
仏教最高レベルの奥義が「中道」と言葉で言うのは簡単だけど、体得して実践するのは至難の業。
それを可能にする方法を段階を踏んで導いた最初の人が釈迦です。
初心者向けとして、アビダンマや八正道がそれに当たります。具体的な方法を体系化しています。
極端な見解にとらわれない(顚倒夢想:てんとうむそう)よう人が心の苦しみから逃れるには、八つの道を守れば良い。
正しい見かた、正しい思い、正しいことば、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい判断。そして、正しい考えかたである。
ところで「正しい」とは、何をもってそう言うのだろうか?
ここでは、アリストテレス(サンデルの正義)の定義ではありません。
この場合の定義は、ブッダの説いている「中道」が「正しい」という意味です。両極端にとらわれない正しい立場(中道)が悟りへと導く唯一の道なのです。
悟りから始まり、この世は、様々な概念が重なり合うため、概念の機微や均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!
最初は大変だが、ドラゴンボールに登場するスーパーサイヤ人みたいに、これを大変なレベルじゃなくなるくらいに習慣化することがコツです。
アリストテレスのニコマコス倫理学には、快楽的生活、社会的生活、真理を追求する生活がある。
思考の知的な徳は、形式知の根本?
もう一つ、性格の徳は、暗黙知の根本?
アリストテレスのいう定義である悪徳の反対は、有徳。有徳に転換する努力が必要。
悪徳に似た概念として、仏教でも、具体的に邪道四つと定義されている。
テーラワーダ仏教に似ている。顚倒夢想(てんとうむそう)になるため悪行為を段階的に最小限する努力が善行為。
こうすることで「パワーか?フォースか?」の書籍でいうパワーが人類全体で平等に底上げされる。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイドの方)という前提です
そして、ブッダの説いている「中道」は、「パワーか?フォースか?」の書籍でいう「意識のマップ」内の「中立」レベルに当たるかもしれない。
アビダンマとは異なる領域なので、うつ病、ADHD、自律神経失調症、発達障害などは、精神科医や心療内科へどうぞ。
もう少し、テーラワーダ仏教で教え伝えられている経験則を初心者向けから二、三歩、歩みを進めると「預流道心」と言われる悟りの最初の心が生まれる瞬間があります。
自力で到達するのは危険なので、お寺のお坊さんに詳しくは聞いてください。
自分の解釈では、ここに到達する感覚としては、量子力学の本質である「場の量子論」を本当に理解した瞬間が一番近い感覚です。しかし、検証できないので本当に到達したかわかりません。
テーラワーダ仏教のアビダンマでは、「預流道心」に到達すると自然と悟りの道に自動的に回帰できるようになるそうです。次に、七回生まれ変わるまでに完全に悟りの流れに乗れる。
前世で「預流道心」に到達してると子供の頃から、桁の違う天才になりやすい傾向が発現してくるそうです。
そして、六道輪廻するのは、人間界か天界のみだそうです(一神教では、天国に近い領域に似ている)他にいくつか特徴があります。
「預流道心」に到達すると「第一禅定(ぜんじょう)」状態に自動的になります。
一神教では「天国」に相当することですが、テーラワーダ仏教には、この先がありますが、ここまでにします。
厳密には違うけど、わかりやすく言うと精神領域がスーパーサイヤ人に到達するようなイメージ。しかし、すぐ心の状態は普通になります。
漫画のイメージのように身体は強くなりません。
言葉の定義として「禅(Zen)」は、ブッダが伝授された「第一禅定(ぜんじょう)」が起源。
言葉の定義として、ここでの「定」は、サマーディとも「梵天」の「梵」とも呼ばれます。
日本語ではわかりずらいけどサンスクリット語などにすると全て関連してることがわかります。
サマーディ瞑想とも深く関連していて、瞑想しすぎると「あの世」の人になってしまうので、ほどほどの八正道で「この世」の状態を維持しないと危険です。
戻ってこれなくなります。
一神教では、生きながら天国に行くとも表現します。
多神教では、悟りを開いたとも言います。
エピソード7 Episode7でも触れましたが・・・
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
テーラワーダ仏教では「色」も定義されていて、「色」とは「五蘊(ごうん)」の一部であり「存在する物や事を視覚で認識」すること。
「色即是空」の「色」です。
「五蘊(ごうん)」は「五根(ごこん)」という身体の感覚器官から執着が生じていると論じています。
偶然の一致か否か?不思議なことに・・・
「量子力学」という分野を開拓し、発展させた三人の物理学者「ニールス・ボーア」「ヴェルナー・ハイゼンベルグ」「エルヴィン・シュレーディンガー」たちは
とても奇妙なことに気がつきました。
素粒子の物理学を究極まで追求していくと、驚いたことに、はるか昔の東洋の賢者たちが説いた哲学に
どんどん接近してしまうのです。
これは何を意味するのでしょうか?
政治については・・・チェックの指標として・・・
選挙システムにどう落とし込むか!も課題ですが・・・
人工的な行政府、政治システムの安定したアトラクターなエネルギーフィールドの数値をしめしています。
無政府主義は100。ファシズムは125���独裁政治、専制政治は135。共産主義は160。神権政治は175の数値。
えっ。部族政治ってこれ以上なんですね。
部族政治は200。君主制は200。社会主義は305。連立政権は345。民主制、共和制は410の数値。
個人的には、これでは、日本はアメリカに第二次世界大戦で負けるべくして負けたのも偶然ではなさそうです。
ゲーデルの不完全性定理は、民主主義、シビリアンコントロールの根幹!プロトコルに基づいたファクトチェックの仕組みの根幹!
よく、個人では、生まれつき数値の高い赤ん坊や子供の発言が人工的な政府に対しての批判で的を得ている根拠は・・・
アトラクターなエネルギーフィールドの数値が相対的に人工的な政治システムの数値を瞬間的に上回るために生じる現象の可能性は高い。
この高いパワーが心を射抜くためと解釈できそうです。
個人の場合、ドラゴンボールの10倍界王拳みたいに瞬間的に200以上に上げる方法はあるけど不安定なため・・・
バチカンで護られるように眠る聖パウロの遺骸は、いまだに安定して900の数値です。
個人的には、もしかして、古代エジプトのミイラも高いパワー維持のための知恵?と解釈できます(ミイラはパワーを維持する知恵?記録が残る数千年続いた古代エジプトならパワーに気づいても不思議じゃない)
日本の弘法大師「空海」以外にもこんな方がいたんですね。こちらも近い数値を示します。
900の数値とはすなわち、200 未満(199以下)の数値で生きている世界中の数億人の人々の生命を支えられるパワーです。
日本の神社の神域あたりは500から600の数値を示しているのも関係がありそうです。
つまり、個人以外にも人工的な行政府、政治システムの数値が高いほど庶民の生命を支えられる社会システムのパワーが底上げされ維持できるということ?
こう解釈するとロールズも似たようなことを提唱しているけど数値的な根拠を示しているってことかな?
トマス・ホッブズの解釈の根拠?200 未満(199以下)の数値の人達は、自ら自立的に判断できないため高いパワーの社会システムのサポートに頼らざるを得なくなる?
また、アリストテレスは、国家同士の同盟は、軍事同盟であってはならないと言っています。
君主制のファラオ、古代エジプトも民主制、共和制のローマ帝国に負けてます。
国連も著作「政治学」を参考にしているそうです。サンデルの言う共通善にも通じます。
アメリカ型の大統領制は、民主制、共和制を基礎にした制限された独裁なので民主制、共和制は410の数値。情け深い君主は500の数値。
大統領に情け深い君主が就任すればベスト。これ以外の人が就任すれば、民主制、共和制は410の数値で下支えされる仕組みと解釈できそう。
各宗教のパワーについては・・・
キリスト教は、もともとイエスキリストが語った真実(真理)が1000に対して現代では498に低下しています。
広範囲に普及してるため新約聖書は、翻訳書の言語によって数値が変わります。アラム語からのラ��サ翻訳は750。欽定英訳聖書(ギリシャ語からのキングジェームスバージョン)は640など
仏教は、ブッダの語った真実(真理)が1000に対してサンガにより維持されて他の宗教よりも悪化していません。
なんと、密教(上座仏教)は890。大乗仏教は960。禅は890となります。
単独では、神道は、350で概念において誠実です。その良くない面は戦士のアーキタイプ。すなわち、ひな形に対する賛美にあります。すると、それに第二、第三に加えて第四チャクラにエネルギーを与えるという短所があります。
明治時代から始まる1930年代の極東の荒廃の間における戦前日本の軍隊による殺戮願望、そして、後に、第二次世界大戦の間の殺戮願望は、おそらく神道で太陽の直系と思われていた神としての天皇崇拝のためでした(大日本帝国憲法の誤りの証拠です)
宗教は・・・
人々の合意を短期間で強要するときに「全体主義」となります(ハンナアーレントも同じことを言っています)
神道単独ではなく、権力者を縛る「日本国憲法」と平成天皇が改善し構築した現代の神仏習合の形が日本では最善かもしれません。
さらに、オッペンハイマーから第二次世界大戦にまで拡大し、人口が半分になり、人類絶滅の手前まで古代から続いてきた戦争のレベルを超え、人類史上初の巨大な戦争による憎しみの連鎖を断ち切り終結するためには
数学のゲーム理論から連合国以外のどこかに原子爆弾を落とすことが必須ということが、計算で判明していたという事実は、一般的にあまり知られていません。
これは教科書に載らない歴史でもあります。
これは教科書に載らない歴史でもあります。
これは教科書に載らない歴史でもあります。
仏教を融合したヒンズー教もクリシュナが語った真実(真理)が1000に対して現代では850を維持してます。
ユダヤ教は、アブラハムの語った真実(真理)が995に対して現代では499。
モーゼの時代の教えであるトーラーの真実レベルは770。カバラ(ユダヤ教の神秘思想)は720。ゾハール(モーゼ五書)は730。
イスラム教はモハメッドが語った真実(真理)が740に対して現代ではイスラム原理主義などは130ですが、唯一の救いは、コーランが720で維持されてるので地道な原点回帰が必要かもしれません。
代表的な各宗教を示しましたが、最後にもう一度、全ての宗教の語ってる内容は拡大の反作用なのか言語が違うだけで同じ意味です。
感情は、エゴ(自我)の幻影のひとつの側面です。キネシオロジーによる再現実験の結果、意識レ��ル850を超えると、エゴ(自我)は消滅します(アビダンマの「八正道」「結び」がないと何度も言うように再起不能になる可能性が高いです)
ブッダも言っているように博士も他の著作で注意事項も述べています。
「200未満の方々の意志を尊重しつつ、あな��はその人との物理的な距離も大切にし関わりを調節しましょう」と(エピソード8 Episode8でも触れましたが・・・この部分はマクロ経済学にも似ています)
同じ現象でも各段階で受け取る認識が変わります。200の段階。400の段階。600の段階でそれぞれ同じ現象の中でもパワーを高めた状態に応じて受け止められるような異なるインスピレーションを感じ取れる段階があるためです。
これも教科書に載らない歴史でもあります。
ほんの一部なので、詳しくは、エピソード10 Episode10以降で続きを書く予定です。
政治に興味はありません!テクノロジーに興味があります!
キネシオロジーによる再現実験で計測、検証できるので・・・お疑いの方は是非、計測願います。
キネシオロジーによる再現実験で計測、検証できるので・・・お疑いの方は是非、計測願います。
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私は、まだまだ未熟なもので・・・いっしょに学びましょう。
ちなみにホーキンズ博士は、メンサの会員でした。
<おすすめサイト>
この世のシステム一覧イメージ図2012
ロジェカイヨワ戦争論と日本の神仏習合との偶然の一致について2019
パワーか、フォースか 改訂版―人間のレベルを測る科学 - デヴィッド・R・ホーキンズ Amazon
エピソード8 Episode8 - 知恵が試されるバランスとテーラワーダ仏教の「結び」、マクロ経済学(パワーか、フォースか 改訂版―人間のレベルを測る科学 - デヴィッド・R・ホーキンズ Amazon)
エピソード7 Episode7 - テーラワーダ仏教の「結び」と意識のマップ、マクロ経済学について(パワーか、フォースか 改訂版―人間のレベルを測る科学 - デヴィッド・R・ホーキンズ Amazon)
エピソード6Episode6 - アトラクタフィールドと人類の歴史について(パワーか、フォースか 改訂版―人間のレベルを測る科学 - デヴィッド・R・ホーキンズ Amazon)
エピソード5Episode5 - 宗教の創始者たちの概念上の教え(パワーか、フォースか―人間のレベルを測る科学 - Amazon)
エピソード4Episode4 - 政治の善性について(パワーか、フォースか―人間のレベルを測る科学 - Amazon)
エピソード3Episode3 - Light clean since there is also in the darkness闇の中にも清浄な光が存在(パワーか、フォースか―人間のレベルを測る科学 - Amazon)
エピソード2Episode2 - パワーについて(パワーか、フォースか―人間のレベルを測る科学 - Amazon)
エピソード1Episode1 - オリンピックとパワー(Olympics and Power)について(パワーか、フォースか―人間のレベルを測る科学 - Amazon)
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いわゆるサイコパスは脳の病気で危険で人類の滅亡をもたらすんだろうが みんなも少しはサイコパスを見習うべきなんだね じゃないとつまらんことに囚われてバカになるし、ものほんのサイコパスにいいように翻弄されることになるから (サヴァン症候群に見習うのを「勉強」と言い、一部のADHD患者に見習うのをトレーニングや修業と言う場合もあるように) AI による概要 詳細 サイコパスとは、感情の一部が欠如している精神病質者のことで、自己中心的な行動や反社会的行動を特徴とします。 【サイコパスの特徴】 他人への愛情や思いやりなどの感情が欠如している 道徳観念や倫理観、恐怖などの感情が��しい 衝動的、刺激を求める 社会のルールを守る意識が希薄 自信過剰で雄弁 他人の気持ちに共感することができない 人を支配する 平然とうそをつく 自分が起こした行動の結果について責任を感じない 無責任である サイコパスには程度の差があり、すべてのサイコパスがサイコパス的な要素をすべて顕現しているとは限りません。また、サイコパスではなくてもサイコパス的な要素を持つ人は少なくありません。 サイコパスは、精神障害の一種として「精神保健福祉法」で定義されています。より詳細には反社会性パーソナリティ障害者に分類されることがあります。 サイコパスには、外部には感じられない魅力的な社交性を持ちながら、その内面には冷酷さや他者への無関心を隠している「隠れサイコパス」と呼ばれるタイプもいます。 生成 AI は試験運用中です
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デジタル時代の新たな医療:ADHD治療のためのゲームアプリ「EndeavorRx」
アメリカ食品医薬品局(FDA)が認可した、ADHD(注意欠如・多動症)を持つ児童向けの革新的な治療法が注目を集めています。その名も「EndeavorRx」。このデジタル治療薬は、ゲームアプリという形で提供され、ADHDの子どもたちの特性改善に役立つことが期待されています。 Homepage EndeavorRxの特徴と効果 EndeavorRx は、アメリカのベンチャー企業 Akili Interactive Labs によって開発されたアプリで、スマートフォンやタブレットで利用できます。このアクションゲームでは、プレイヤーは自機を操作して障害物を避けながら標的をタッチするという、2つの動作を同時に行います。このプロセスを通じて、ADHD 児の集中力を養い、不注意を緩和することが目的です。ゲームは、8歳から12歳の ADHD…

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ADHDと双極性障害の連関
ADHD は DSM-5 の 「神経発達症群」に位置づけられ、「不注意(特徴 9項目のうち最低6つ、17歳以上では最低5つ)」「多動および衝動性(考 微9項目のうち最低6つ17歳以上で最低5つり」「12歳以前から存在すること」 「2種類以上の状況で認められること」「他の精神疾患で説明されえないこと」 「生活に支障をきたしている」などから診断が下される。 DSM-5 を普段からあまり参照する習慣のない筆者にはかなり厳密な診断基準に見えるが、他の精神疾患と同様、上記基準を完全に満たしていなくても日常生活に大きな支障があっての疾患が除外されれば『他の特定される注意欠如・多動症」あるいは「特定不能の注意欠雄・多動産」としてADHD診断がつく。 主に成人臨床に携わっている筆者のケースで は「不注意」「多動性および衝動性」共に完全に診断基準を満たすことは少ないので 「特定不能のADHD」と診断することが多い。 ADHD と類似した双極性障害症状としては、軽躁病・躁病エピソードの中の「注意散漫 (ADHD の中核症状でもある)」「困った結果につながる可能性が高い活動に熱中すること (ADHDの衝動行為と類似)」「気分 が異常かつ持続的に高揚し、開放的または易怒的となる (ADHDでも易 刺激性や不機嫌は見られる)」 「睡眠欲求の減少 (ADHDでは多動の結果として入眠時間が遅くなる場合がある)」 「多弁 (ADHDでも認められ る)」と抑うつエピソードにおける「思考力や集中力の減退低下(外面上 ADHD の不注意と間違われやすい)」が挙げられる。 DSM-5で別々の章 に位置づけられていながら症候論的にこれほど似ている組み合わせは 「ADHD と双極性障害」 以外にはないだろう。 両者の鑑別が容易ではな く併存が見落とされやすいのも納得がいく。 臨床家の目がADHD などの発達特性に向かいやすい小児では双極性 障害という精神病は一層看過されやすい。 Papolos ら は小児における 双極性障害過小診断に警鐘を鳴らし, 小児では成人の診断基準が通用しないことを強調している。 Papolos らによると小児と成人での最大の相 は周期であり, 小児では「より慢性的な経過をたどり、 2つの病相の 間に良好な状態の期間はほとんどみられません。……病相の交代が極めて頻繁な, 超々急速型と呼ばれるタイプの子どもも少なくありません。 このような子どもは、24時間のうちに気分の高揚と低下を繰り返しま す」と述べ, 小児の双極性障害を見逃さず早期に薬物治療を開始するこ との重要性を説いている。 Papolos らの主張には 「成人では周期に着目すれば ADHD を双極性障 害から鑑別できる」 との前提がある。 超急速交代性ないし超日交代性サ イクルを呈するケースは確かに双極I型やⅡI型障害とは診断されないか ら.気分変動の周期を根拠として、かなりの高確率で成人の双極I型な いしⅡ型障害とADHDとの鑑別や併存診断は可能である。 しかし現代の 成人双極性障害の主流は双極I型ないしⅡI型であろうか。 かつて内海 はモダニズムからポストモダニズムへの移行に伴って 「綺麗なサインカーブを描く以極Ⅰ型障害」にとって代わって「難的成分が神出鬼産に 出現し混合状態化しやすい双極Ⅱ型」が主流となったと論じた。 見解に筆者は全面同意するが、その後10年あまり経過して時代は更に先へと進んだように筆者には思われる。抑うつなら2週間以上、軽躁病なら4日以上持続しないケース、つまり抑うつエピソードや軽闘病エピソード の基準を満たすことなく、常態化した広義の混合状態をベースに「混合性の特徴を伴う抑うつ状態」と「混合性の特徴を伴う軽躁状態」が手籠 則に目まぐるしく交代して出現する症例が増加している。また「午前には制止の強い抑うつ状態 夕方には軽快, 就寝前には軽躁状態」と日 での規則的変化を見せる症例も散見され,これは内因性単極うつ病で観察される日内変動の双極性障害版と見なせる。 広義の混合状態が慢性的 に持続する不規則型であれ, 極端な日内変動を示す規則型であれ, DSM では 「特定不能の双極性障害」としか診断しようのない症例を数多く目の当たりにすると,小児症例と同様にいまや「成人症例でも双極性障害 と ADHD を周期でもって鑑別するのは容易ではなくなっている」と考えざるを得ない。
『発達障害の精神病理Ⅳ -ADHD編-』芝 伸太郎 90p
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