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白い犬のアトリエ Since 2008
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The Atelier White Dog blog
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whitedogcom · 6 years ago
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2019. 5.15
ちょっと、どうでもいいお話を書きたくなって、久しぶりのブログです。
絵画の傘��話。
母が、安めのプリントの、”西洋絵画シリーズ“のような傘を何本か持っているのですが、年末ごろに家族で集まった時のこと、お使いに出掛ける私に姉が「傘を持って行きなよ」というような場面があって。
手渡してくれた姉に、「私、ルノアールの方がいいわ」と言ったら姉は迷いもなく1本の傘を差し出した。
それは私の意図した物だったので、ありがとう、と持って出たのですけど、
傘を差した帰り道に、ふっと、果たしてこれは本当にルノアールなのかしら?と思って調べたら、なんとモネでした。笑
モネはあまり人物画を描かないと思っていたので、繋がらなかった…
でも有名な絵なんですよね、こちらです。
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日傘の女Ⅰ
で、実験してみようと思いまして、それからしばらく、いろんな人に「ルノアールの傘を取って」みたいな事を繰り返してみたら、見事にみ〜んな、モネを選ばれる。笑
これって面白いと思いません?
この中に、本物のルノアールの静物画を混ぜておいて、そちらを渡してきた人が居たら、その人はかなり美術に造詣の深い人、という事になる。
あるいは、私はピカソのデッサンとクリムトが好きで、その辺りはかなり詳しいので、きっとオタクな選択をするであろう。
興味の方向性を知るのに“絵を選ばせる” というのは、実は血液型占いなんかよりも、その人を語るのかも識れないな、と思った出来事なのでありました。
余談◆クリムトと音楽
私が、あらゆる絵画の中で、一番好きなものが何かと問われたら、間違いなく、
Gustav Klimt  Music. Ⅰ    1895年
です。
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この絵は、クリムトが当時並ぶものがないほどの高い技術力を持ちながら、美術学��の教授職選考に落とされた後に失意の中描いたもので、
音楽学校の扉のために作られたと聞いています。
彼が作品絵画の中に”音楽”を描きとった最初の作品であり、このモチーフは後にベートーヴェン・フリーズの中に現れていて、一連の流れは
「この世の哀しい事や悪を、音楽が清める」という、信念とも、祈りとも、事実の描写とも言える、美しい思想に貫かれて生きた人であった事を教えてくれます。
また、美術教師になれなかった事で、クリムトは知見を広げるためにモロッコを旅し、そこで見たモロカン・タイルの様が、後に、私たちがよく知る【クリムト調】絵画の基礎となるのです。
それを考えると、本人は死ぬほど辛かった事とはいえ、「美術学校、よくぞクリムトを落としてくれた!」と思わずにはいられません。
だって、後期の彼の作品を見ることが出来なかったなんて、どんなに多くの人の人生の楽しみや希望を減らしてしまうことか。
でもね、本人は本当に嫌だよね… 分かるわ。
私にとってクリムトは「再生」した画家であり、希望の人。このmusic.Ⅰは、再生の扉口なのです。
まだ、夜が明けてはいない。この絵の中にまだ光はない。でも、光っているでしょ。
暗闇の中で、日が沈んでゆくのか、夜が明けているのかは、私たちはちゃんと判る。それはただの“空気” なんだけれども、
実は光そのものよりも強い力を持ったものが、この空気、なんだと思います。
私、「あなたは運が強い、そして、回復力がすごい」と、昔占い師さんに言われていて。ちょくちょく、言われることがあるんですよ。周りからも。運がいいって。自分では全然!思わない。笑
ちょっと、鼻が効くかなぁとは、思います。
少し占いの出来る人なら誰もが言う、“海外に縁がある”というのは認めるとしても、私の人生をして、運が強いとはどういう事か。あちこちで方向転換を余儀なくされ、こんなに骨折り損のくたびれ儲けな半生も無いでしょうに、と思っていたのですが、
最近…そうだったらいいな、私もモロッコに行ってみようかな(笑) と、思っている。
何故ならね、なるほどと思うような言葉に最近出会ったのです。
「大変な事があった時にね、運が悪かったと人は言うでしょう。私はそうは思わない。普通だったら死人が出るような場面に近付いておいて、それを切り抜けて笑える人っていうのは、強運なんですよ。
そういう人って、確かに居るの。運と幸運(ラッキー)って、別物なのよ。」
もしも運というのが、普通に考えられているような、キラキラしたラッキーなものではなくて、もっと何かこう、神さまのパンチみたいな強烈な方向修正なのだとしたら。
私は確かに、運が強いのかもしれない。いろんな目に遭いながら、まだこうやってヘラヘラ笑って居られるし、
いい人に囲まれていて、大好きなものが周りにあって、そのために努力が出来て、
何よりも、病気のあと『第3の耳』を持った事は、僥倖だと言ってもいい。
巨匠の言葉を借りるのはおこがましいけれども、
クラウディオ・アバドが言ったという言葉が、いまよく分かるのです。
「私の病気は恐ろしかったけれども、その結果は悪い事ばかりではなかった。私は今、体の中から音楽が聴こえるような気がするのです。胃がなくなった代わりに、体の内側に耳ができたような… 。これがどんなに素晴らしい事か、言葉にする術がありません。病気になった時、音楽が私を救ってくれた。それは間違いない事です。」
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今度ゆっくり書きたいのですが、近くのコンサートホールのリハーサル室を時々練習で使わせて頂けるようになりました。
今は主に作曲はそこでしています。
最初にそのピアノを触った日、調律のズレた黒いお友達の声に、胸が震えた。
やっとここまで来た、と、思った。
今まで、小さな練習室のアップライトを弾きに市内まではるばるドライブしていた事を考えると本当に贅沢ですよね。
建物も新しくて綺麗で、中庭が見えるし。
部屋に行くまでの楽屋感も、すっごく好き。
あぁ、私舞台裏が好きだな、ここが私の所属している世界だな、と思ってしまう。勝手に…
本当に本当に嬉しいです。
何よりも、やっぱりグランピは響きが違うのです。忘れていた。
次にどの音を描いたらいいか、教えてくれる。
広い部屋にポツンと置かれたグランドピアノ、何年振りでしょう、弾いた時に、音の外側の音が凄くって、それが前よりも聞こえるようになっている自分が居て、「おかえり。また宜しくね」って音楽に抱きしめられているようで。
先ほどの、空気、というのに繋がっているのですが、
実はこれ、今お世話になってるフルートの先生に初めて音を頂いた時にも感じました。音が話しかけてくる。
だから、あなたは誰なの?って、追いかけたくなる。
私は今のお師匠さまに出逢ってから、音楽は音として聴こえる前から存在している、と信じるようになった。上手く言えるようになったら、このお話が出来たらいいなと思っているのですが…
私達の目に見えず、聴こえていない力が世界にはたくさんある。
それを自分の味方にしようなどど、畏れ多い事は思わないけれども、
それに触れる事が出来て、
叶う事ならば、その泉から少しの水を人に持ち帰り与える様な人生を歩めたら幸せです。
愚直に学び、美しい音の前にひれ伏すしかない。その自分の小ささを、むしろ嬉しいと思える世界がある事。
病気をして、一度は人生を完全に諦めた。
でも生き直したい、音楽家として死にたい、と思った時に、
私は体ではなく魂を捧げる契約をしたのかも知れない、と思う。
悪魔なのか、神様なのか分からないその人は、願いを受け入れてくれたのだろう。そのくらい、今、音楽に向かって伸びている道がちゃんと色付いている。
料理とか、音楽とか、お芝居や美しい家具など、
いろんなもので、人は人を癒してゆく。
私もその流れに参加していたいのだけれど、
我が家のうさちゃんの圧倒的な癒し力を毎日目の当たりにしていると、
私が気張ったってたかが知れているんですもの、楽しむ事にしよう、と思います。
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〈ティモテするくまちゃんと うさケツうさ国宝〉
★お店に関しては、まだ準備中です。
でも、やりたい事は固まっているし、やっぱり私にはお店としての活動も必要で、楽しみだなと思っています。
もう、白い犬のブログでも何でも無くなってしまったけど、
ドメインの料金も払っている事ですし、いろいろ心配して、覗いて下さる方もいらっしゃるので、ここはずっと日記として使っていたい。
もともと、外へ向けて話をするのは得意ではないので、本当に、独り言なのだけれど。
取り敢えずの、近況報告でした。
※ブログの中には、見聞きしただけの不確かな情報も大いに含まれています。ご注意ください。
私信   Ⅰ
花の園くぼた様
いつもパンフレットをありがとうございます。
なかなか展示会に行けなくてごめんなさい。応援しています。
またもう少ししたら、お世話になります。
私信  Ⅱ
もしご覧になったら…と思って書きます。
毎年、のぞみさんのお店に送ろう���思って、てんとう虫のバレンタインチョコを買ってしまいます。
そして、気候が暖かくなって送れずに、自分のお腹の中へ入ります。
今年も美味しく頂きました。もう、4年目です。笑
ごちそう様でした。
近いうちに、お会いしたいです。
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whitedogcom · 8 years ago
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来年もよろしくお願い致します
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2017.12.7
12月になりました。
ブログの更新も連絡もできていなくて、いろいろと心配をしてくださっている方もいらっしゃると思い、取り敢えずの写真だけでもとUPします。
年賀状はやっぱり今年も書けないです、多分。
でも、来年を形作るペースと彩りが、もう見えてきているので、
楽しい場所、楽しい時間の中で、少しずつ人と会っていきたいなと思います。
ブログに書きたいこともたくさんあるのですが、何もかも欲張っては出来ない、今のわたし。それでいい、と 思うようにしています。
Ⅰついに来年から動かしていくことになる新しいお店、Over Dressed Bunny 、ロゴとか、お品物のだいたいの傾向が固まりました。
恐らく中心で使わせていただく事になる、包材屋さんのHOSHINOさんの紙とリボンの美しい事!展示会で一目ぼれで、それをインスピレーションにして生まれたものもあります。
もともとは梨畑で使う紙袋を作られていた会社を前身にしているそうで、そのせいか優しい独特の色合いと質感は自然のものにとてもよく合います。
いろいろ迷走した結果生き残った、だっこくま&だっこうさぎピアス。
世界観を一緒に彩っていく、挿絵テイストの絵も、頑張って自分で描いたぞー! 笑。上手くなってきています。
Ⅱエリザベスくまちゃんのお部屋、フォロワーが1100人になりました♪ 寝てるか食べてるか、といったところですが ママ’s チョイスの写真を自慢気に貼ってみます。
Ⅲ再度、真剣に音楽を勉強することにしました。いつかお店のイベントと演奏会を融合できたらいいな、と思います。
Ⅳ翻訳で地味に稼いでいます。学生の時には赤点まで取ったことがある英語なのに、働いている間中ほとんど英語がらみで食べさせてもらう未来が待っているとは思いませんでした。
では、まだイマイチな感じではありますが、お店の写真と、かわいいくまちゃん(うさぎ)の写真をよろしければご覧ください。
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whitedogcom · 8 years ago
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着飾りうさぎの道具箱     2017.3.28
「作品」になる前の、かけらたちを少しだけご紹介します。
やっと、ある一定のハーモニーを奏でてくれるようになって、
いいものになりそうで、ホッとしています。
これはまだ、 モノ の部分ですけれど、多分だんだんにお見せできるのは
この子たちが生まれてくるときに持っていたスピリットというか、
あぁこういう空気の世界から来たのだな、という部分です。
切り花は、その姿で飾られるのも十分に美しいけれども、育った畑を見にゆくと
実はこんな風に咲く花だったのだ、と分かったりして
やっぱりちゃんと根っこが繋がっていて自分の世界にいる時の輝きというものがある。
私は商品として切り離してモノだけを渡すのではなくて、そういうものも一緒に届けたいと思っているので どうやって?というのが一番難しいのです。
でも、そこをやらないと旅立ったものたちはお客さんと一緒に育ったり、語り合っていくことが出来ない。
それにしても、tumblr にお引越しして良かった~。写真がいっぱい載せていけそうです。
ノートパソコン、 iPad、i pod touch の三つの環境でチェックしていますが、ちょっと見にくいけど総合的には良くなったと思います。いままではパソコン環境にある方達を中心に考えていたのですが、スマホやタブレットで見て頂くことを主と考えて、見せ方を工夫していきたいです。可能ならアプリを入れていただくと、見やすいみたいです。
広告は切っているつもりなんですけれど、出てしまったりする事があるみたいでごめんなさい。
看板うさちゃんのお話し、するつもりだったのですが次になってしまいました。
とりあえずリンクは繋がっています。エリザベスくまちゃんのお部屋 と書いてあるところがそうです。もう、親バカです。
良かったら覗いてみてくださいね!
ぴょんぴょんバキューン というCMを作ったおおくまカバン店の人は、きっと��さぎを飼っていて毎日萌え死にしていたに違いないと思う今日この頃。
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p.s. 今日の楽曲は、スクリアビンのソナタファンタジーでお願いします。
と、思ったけどやっぱりシューベルトを貼ります。→アヴェ・マリア
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whitedogcom · 8 years ago
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主な登場人物
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白い犬 
不思議な白い犬。紅茶と花と甘いものをこよなく愛している。たくさんの人を幸せにしてしまう不思議な力を持つ。
シルヴァーホース  
寡黙な白い犬の親友。二人の間に固い友情が結ばれたのは、ずぶぬれ山でのある事件がきっかけだった。私の所に白い犬のお砂糖を運んでくれるのも、多分この馬。
しょっぱい・バニー  
本名、フリッツ・サンドリヨン・しょっぱい 
白い犬の隣の国の王子。(次男)わがままだけれど情にもろい。 兄は白いウサギ、妹は黒いウサギである。
ゆかした・ねずみ族  
壁の穴の中に大ネズミーマンションを構えているが野外活動も積極的に行う。
やねうら・ねずみ族  
青空のペイントをした屋根裏部屋に住むねずみ達。まっ青な部屋にいるうちに、体も青くなってしまった。こちらは、チーズは食べない。
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whitedogcom · 8 years ago
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なかよしくまのおはなし
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こぐまたちが初めてにんげんのおうちに引っ越して来る日のこと、彼らはそれまで世話を受けていたヤマアラシの奥さんから、にんげんのママに宛てた手紙を言づかっていた。 今からしばらく、とてもめずらしい にんげん のおうちで暮らすことになっているのだ。 白いくまと黒いくまと一枚ずつ、小さな紙切れになにやら書きつけたものを手渡すとヤマアラシの奥さんは言った。 「新しいおうちに着いたら、すぐママにこれをお見せしてね。手のなかにきっちり持っていきなさい。さぁ、可愛がってもらうんですよ」 くまたちは気楽なものだった。よたつく足取り、ポシェットに小さなふろしき、といういでたちでふたりは元気よく出発し、途中でいつもの大きな川にさしかかった。 「にんげんのママのところには、どのくらいいる?」 ざぶざぶ川を渡りながら、黒いくまが訊いた。 「とってもたくさん。つまらなくなるまで」 「じゃあ、しばらくここで遊ぶことはないんだもの大きなおさかなを捕ったら楽しいじゃない?」 白いくまはすぐに賛成した。 「晩ごはんが何かなって思っていたの。おさかながひとつあったらあんしん。食べられないものばっかりなら、お腹がすいて眠れないから。」 それから昼ごろまで、ふたりは水の中をころげまわり、跳ね回りしていくつかの大きな魚をつかまえた。白いくまは、自分で捕ったさかなのほとんどを、その場でしっかり食べてしまった。 預かったメモはとっくに手の中から流れ去り、しばらく歩いてそれに気が付いたふたりはちょっと立ち止まって顔を見合わせた。
「なくなっちゃったって、知ってた?」小さな声でおかしそうに、白いほうが言った。
黒いほうはちょっと黙っていたが、やがて肩をすくめた。 「へいき。あれは、おみやげ、ってほどじゃなかったから」 ふたりはずんずん歩きだし、みつばち達がいそがしく動き回るクローバーの畑の手前まで来た。 きっとここまで来たら、にんげん のおうちまでは、もうすぐ。 それでも、少し行ったところで黒のこぐまはぴったりと立ち止まった。 「そうね。紙に何か書いてあればいいんじゃないかな。何にも持たないよりは、とってもいいって意味なんだけど。」 白いくまは、自分は手ぶらで平気だけれども、実のところ黒いくまが紙切れをなくしたことを気にしているのはちゃんと分かっていた。そこで、自分の大事なお絵かき用のメモと、いろんな色の出る木の実をふろしきから取り出して並べはじめた。 それにふたりのこぐまは、いまや "ママにお見せする"手紙を好きなように書かれる、という誘惑に勝てなかったのだ。 黒いほうが、白いくまのぶんのちいさな紙を広げて地面に這いつくばると書き出した。 ≪おたくのしろいくまさんは みぎのあしが はやいです≫ 白いくまは手を叩いて喜ぶと、黒いくまのぶんの紙を自分の前に広げた。 ≪くろいくまさんは なかなか わるいことをしません。おぎょうぎのこと≫ 黒いくまは、自分の素行に触れたこのお手紙の内容を すこし控えめすぎる、と感じたのでもう一枚書くようにそっと相棒に紙を差出した。 「もっと、強そうなお話も書いて」 夕暮れのころ、ふたりは、お互いを褒めあう手紙をポシェットにいっぱい詰めて新しい家にたどり着いた。 にんげんのママは、くまたちをおうちに棲ませるのは始めてで少し心配していた。 けれども可愛い二匹のこぐまと、彼らの運んできた荷物をひとつずつ眺めて「これは楽しいことになったわ」と嬉しくなって笑ってしまった。 家には大きなお鍋にたくさんのスープと、焼いたキノコやおさかなを山盛り用意してあった。 「さぁ、ごはんにしましょう」 夜、ふわふわの寝床に入ったふたりは、にんげんのママがきれいな飾りのついた箱に入れてくれた紙切れのいっさいを、もう一度お互いに読み聞かせ合って幸せな気持ちで眠った。 ベッドはあまいいい香りがするし、にんげんの家でのすべては、とても素敵で楽しそうだった。 そんなわけで、ヤマアラシの奥さんが小さな紙切れに何を書いたのか、誰も知らないままになってしまった。 そのあくる日、川のずっと下流のほうで大きな”箱鳴き鳥”が巣の材料を集めていて、紙切れは立派な子供部屋の壁紙になった。 ヒナたちは巣の中でその文字を見ながら育ったので、空を飛ぶ頃にはすっかり覚えてしまっていて、時々川辺の砂にその形を書いてみたりした。 のちに、こぐまたちがこの鳥たちに出会って紙切れの内容を知るのかどうか・・・ それは、いつかのお楽しみ。ちょっぴり先のお話です。 
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————白い犬の国ガイド 1 ———- 白い犬の国では、動物たちの生活はとても自由です。 ファミリー単位でしっかりと住居を構えている生き物もいれば、友達どうしで住んでいたり、 住む所が特に決まっていないでふらっと現れるもの、声はするけれど何処にいるのか分からない生きものもいます。 こぐまたちは面白いことが大好きなので、新しい刺激を求めていくつかの家を渡り歩きます。そして家の主人がいいと言っている限りそこにいて、長い長いホームステイを繰り返しながら育ちます。ただ甘えん坊なので ママ、のいる家にしか居着かないみたいです。 写真は、ナショナルジオグラフィックより。 この可愛い写真を見た瞬間、思いついたお話を書き留めてみました。 
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whitedogcom · 8 years ago
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しょっぱいバニーのおはなし
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しょっぱい・バニーは砂漠の国に住む王子様です。 彼と家族の住んでいるお城は、いろんな色の塩が渦巻く砂漠の上に建っています。 見渡す限り、彼の国にはどこまでも続く塩の砂漠しかないのでした。 しょっぱい・バニーはいつも腹を立てていました。 王様も王妃様も一番上のお兄さんうさぎも、毛の色は真っ白。 末っ子の、三番目の妹は、とてもめずらしい真っ黒。 しょっぱい・バニーだけ、なぜか中途半端なグレーのうさぎだったのです。 お兄さんは、美しいまっしろなうさぎで、お行儀もよくて、おべんきょうや穴ほりもよくできます。 それに比べてしょっぱい・バニーは、朝ごはんの時間にもいつも遅刻してしまうくらい。 しかも、もう5歳になるというのにまだおしめを取ることができないので、 いつもみんなに笑われていました。 妹はというと、たった一匹の女の子ですしまだちっちゃくてかわいいので 何をしてもみんなが喜ぶという状態です。 「二番目のうさぎは、王さまになれる訳でもないし、 自分はきっといらない王子様なんだ、このグレーの毛の色のように呪われているんだ。」と 塩の砂漠をひとりで跳ねまわっては悲しい気持ちになりました。 どこか別の、いい所へいきたいと、いつも思っていました。 しょっぱい・バニーはみんなから、怒りっぽくてとてもわがままなうさぎだと 思われていましたが、本当はとてもとても、寂しかったのです。         §    §    §
いつものように、砂漠の砂を蹴散らしながら散歩していると、 白くてふわふわした生きものに会いました。真っ白な犬のようです。 しょっぱい・バニーは白い動物が大嫌いでしたから、 その白い犬に後ろ足でいろんな色の砂漠の砂をひっかけてやりました。 白い犬はおどろいていましたが、真っ白���った体がだんだん 青やピンクやオレンジに変わっていきながら、とても楽しそうに笑いました。 白い犬のほうは、生まれてからずっと真っ白だったので 一度色のついた体になってみたいと思っていたのです。 しょっぱい・バニーもなんだか楽しくなって、笑ったあと、長い耳を下げて丁寧にあやまりました。 白い犬についたたくさんの塩を落とそうとしましたが、ちょっと舐めてみてびっくり。 白い犬の体についた部分だけ、今まで食べた事がないような甘い味に変わっていたのです。 砂をかけ合ったり、走り回ったりしながら、二人はすぐに仲良しになりました。 その白い犬の国では、全部がそんなふうに甘いお砂糖なんだと聞いて、 しょっぱい・バニーはついて行って確かめようと思いました。 もしもそんな国があるなら、自分があたらしく住むのに、ちょうどいいとも思って。 家出は勇気がいるけれども、たのしい所ならさみしさもすぐに忘れてしまうでしょう。 そう思ったとき、しょっぱいバニーの心はずきんと痛みましたが とにかく一度はじぶんの知らない所へ行ってみたいと思いました。 白い犬についてどんどん進んでいくと、砂漠に固い草が生えはじめ、その先は森に続いていました。 しょっぱい・バニーは甘い味も初めてでしたが、森みたいな木のたくさん生えた場所も初めてでした。 白い犬はおうちにつくと、お砂糖でできた甘い木の実をたくさん食べさせてくれました。 そして、いつでも遊びに来ていいと、しっぽを振ってにっこり笑いました。 お城に戻ってからも、しょっぱい・バニーは白い犬の家で食べたお砂糖の味が 忘れられませんでした。 なんだか住みごごちがよさそうな、木でできたおうちの事も。 またどうしても、あの甘い木の実を食べたい。 それにきっと、白い犬の家へ行けば、うるさい兄弟も両親もいないし 好きなだけわがままが出来るのです。 しょっぱい・バニーはお城を抜け出しては、しょっちゅう隣の国に住む 白い犬の家へ来るようになりました。 白い犬はいつも彼が来るとよろこんで、彼の大好物を並べたお食事まで用意してくれるのです。 ときどき、白い犬の国に住んでいる鳥たちとお茶会を楽しむ事もありました。 この国の生き物たちは、なんだかいろんな所がしょっぱい国と違うなと、 しょっぱい・バニーは嬉しく思うことがたくさんありました。 さいしょはわがまま放題に振舞っていたしょっぱい・バニーでしたが、 ある時を境に、自分の砂漠で採れる砂を ビンにつめて持って行くようになりました。 こんなしょっぱいもの、食べられないし、みんな好きじゃないと思いましたが 他に何も、持っていけるものが無かったのですから。 それにそんな心配はいりませんでした。 どういうわけか、ビンいっぱいに詰めた色の塩は白い犬の家に着くと 全部お砂糖に変わっていくのです。 白い犬はしょっぱいバニーのお土産をとても喜んだので、彼が持ってくるお砂糖のビン詰めはだんだん増えていきました。 さいしょは1つだったものが、右手と左手にひとつずつ、 次の時には背中にもしょって3つ。 白い犬に持っていくために、せっせと砂漠で砂を詰めるしょっぱい・バニーは 今までどこへ行ってもつまらなくて、大嫌いだった自分の国にひろがる砂漠が なんと色とりどりに輝いていることか、その美しさにうっとりと見とれる時があります。 そして、そこに生まれた灰色の自分のことも、前よりちょっとだけ、好きになっていたのです。 
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whitedogcom · 8 years ago
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白い犬の国しんぶん 1
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ボロうさぎのアニーをはっけん! 先月28日にゆくえふめいになっていた、ボロうさぎのアニーがみつかった。 おもちゃ箱の中から、食器だなの中から、 おとなりの物置きのかいだんまで そうさくされたがみつからなかったアニーは、 なんと お姉ちゃんのへやではっけんされた。 お姉ちゃんのしょうげんによると、おふとんのしたに隠れていて きがつかなかったという。 ほんとかな? お姉ちゃんにはらいげつのしんぶんまでに、くわしく話をきくやくそくをしている。 ボロうさぎは、けっこう大きいのに どうして何日もみつからなかったのか ふしぎだという声もあがっている。 お姉ちゃんは、くまがこわいので はなしを聞きにいくときは くまのハチミツは抜きで行かなければならないだろう。 ハチミツは、3がつ10かうまれの 白いくまだ。 
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whitedogcom · 8 years ago
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繋ぐ手
2016.7.17
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画像はwikimediaより カテドラル《大聖堂》 突然の独り言ブログ、今回は美術(?)です。 自分のやっている事に不安を覚えるとき、私は"本物"を見て調律しようとするのですが、 この カテドラル は昔から大好きな作品。 そこは流石のロダン作、ということで写真でもオーラがあるし、特にこの画像は撮った人の感性が見えますよね。 この、女性側の手(と私は思っている)が儚く優し気に、美しく見えるアングルで撮られた カテドラル は実はなかなか無いのです。 この作品は私にはもう一つの意味があって。 それは、「自分を信じる」ということです。
これが創られた当時、つまりロダンが生きていた時代、造形美術の中でこういった部分像というのはかなり異色だったそうです。 実際、彼の親友フェルギエールの方が当時の評価が高く、'全体が完成された'公共の作品をたくさん遺しています。 ロダンは、発注者に突き返されたりしながらもこういった独特の感性の作品を創り続け、現在での評価はご存知の通りです。彫刻家の中には、造形美術の歴史をロダン前 ロダン後 で分けて捉えている人もいるとか。 全体像が当たり前だった時代に、「出来ました!」と言って手だけ持ってこられたら確かに驚いてしまう。 でも、これで完成している ということを譲らず、評価を後の世の人に委ねた そういうスピリットは、根っからのアーティストではないと持っていないですよ。 美しいものが人類に貢献するという信念が、自分の名誉・命よりも前に来る。 そしてそれに応えられた人達がいる。 その事が、人間社会への福音のように私には感じられるのです。 作品名が、大聖堂 であること、 二本の手が、はっきり男性女性と分かるように作られていないことも この手の中の空間が作品になっていることも、 想像力の豊かな人間にとってはこの上なく美しく優しい。 いつか家に石膏像を置きたいな、と思っていますが イギリスで作られたやつが形が良く、Amazon UK で売っているのだけど日本へは配送してくれないそうで残念。 ヨーロッパ旅行に行けたとするならば、アンティークショップで運良く大理石の好みの物に当たらないかと期待しています。模造品は、やはりちょっとずつ形が違うので、好きな物で、お財布ともお友達になれるものに出会うのはなかなかに難しいです。 それで初恋の人を想うように、いつも写真で眺めているけれど、 このロダンの館で実際に目にして、こんなんじゃなかった と思う可能性はあるなと。 パウロ・コエーリョの「アルケミスト」で、ガラス屋の主人が 長年焦がれていながら絶対に巡礼に行かない自分を知っている、行きたいと願うこと自体が私の人生そのものになってしまったからだ と言うのですが、その気持ちが分かる、と感じるのがこの作品と私との関係なのです。 不足の美、ということで言うならニケ像も美しいけれど、やはりあそこにあるのは 欠損、 のオーラで こういった部分作品とはまったく違う。 人って、「これが足りないんじゃないか」とはすぐ思うけれど、 無い方がいいんじゃないか、これがあったらいけないんじゃないだろうか?とは普段なかなか考えていない気がします。 21世紀になって、何が必要なかったか、人を逆に不幸にしてしまう物をあぶり出し捨てていくことが出来たなら みんなが幸せになる世界に、もっと近付ける気がする。 そういう祈り、ということでもう一つ並べるならこれかな〜
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ミヒャエル・エンデのお父様、エドガル・エンデ の  「ラザロは待つ 」です。 この作品の解説をするにはわたし色んなものが足りないので、完全に主観なんですけれど、 私は、これは祈りの絵だと思っているのです。 聖書を学んだことのある方なら、このタイトルとこの絵、ということでそう感じる理由が分かるかも知れないです。 私の病気というのは、乳がんだったのですけれども、 年齢的に微妙な時期だったこともあり、子供を諦めなければならなかったり 小さなお店を始めるために苦労して貯めてきたお金も失ってしまって、夢も描けなくなってしまった。 そして、こんな時こそしっかり支えてくれる、と期待していた人も思っていたのと違った…誰も悪くはないのだけど。 女性として非常に辛い出来事でありました。 今まで、理不尽でもたくさんのことを乗り越えてきたのに。 どんなに辛い時でも笑ってきたのに。 頑張るほど、より強いパンチが飛んでくる現象を目の当たりにして、2年間心が折れ続ける日々。 でもやっと、もう少し進んだら、いい経験をした と言える場所まで歩けそうな気がする。 未だ、二つの心の中で揺れています。 どうせあの時 「わたし」は死んだのだから、残りの人生を思い切り美しく生き切ってみよう という利他の精神と、 あんなに頑張ってきてこんな目に遭うのだから、これからはもっと我が儘に自分を大事にしてみたい という気持ち。 今は、不安定に揺れながら、一瞬一瞬を全身で感じてみようと思います。 わたしにはずっと、 「この世にはつらいことが有る」と語る勇気がなかった。 どんな目にあっても、笑おうとしてきたし 秘すれば花、で苦労は隠して、輝くものだけを、明るい部分だけを伝えていくことが出来たらと思い また、自分には弱音を吐かずにそれを成し遂げる能力があると信じたいと思っていた。 周りの人のおかげでこんなに幸せです と語るのが恩返しになるとも。 でも、信じてきたもの、積み上げてきたものを全部無くして ただ、壁の模様を見つめながら1日をやり過ごすしかなかった時、 私の心に入って来られたのは、頑張って!という励ましではなくて たくさん泣いた人達の 「泣いてもいいんだよ」「負けてもいいんだよ」「不満に思ってもいいんだ」という形でのエールだけだった。 この世には、努力でどうにもならないことがある。 理不尽な、悲しいことがいっぱいある。 どう光を当ててみても、陰になる場所がある。 だから人はお互いにいたわり合うために、こんなにたくさん集まって生きているのではないか。 だから人は、ほんもの の美しさにこんなにも惹かれて慰められるのではないか。 私が、 あぁ、また生きられるかもしれない と思ったのは、ふと、シプリアン・カツァリスの ショパン、バラード2番、「火のように」演奏する部分を聴いた時でした。 手術から1年、笑ってみせるけれど希望なんか何処にもなかった。何を見ても、考えても、1秒1秒が、つらくて。 でも、美しい旋律、神の手のような演奏を聴いた時、この世界にはこんな素晴らしいものも一緒に生きているのだったな、 ピアノが弾きたい!今度こそ大好きな美しいものに没頭するためにもう少しこの世に留まりたいという気持ちが湧いて、暗闇から立ち去る一歩を踏み出すことができた。 それは奇跡みたいでした。 そこから少しずつ心も体も回復してきて、今は、 下手でもいい、みっともなくてもいいから、本当に心が動くものと時間を紡ぎたい 自分の弱さ、ダメな部分を取り繕うためにエネルギーを使うのはやめよう 人から立派だと思われたいという(あるいは変な人だと思われたくないという)意識はもう無い そんな感じの気持ちで過ごしています。 ショパンのバラード、私が音楽家になりたいと確信した中学の時に母と聴いた交響曲のこと、今作っているフルート曲のシェア、なんちゃって音大講習時代のお話など、おいおい書きたいことはあるのですが今回はこの辺で。 それからシリア支援のことも。 今まで、あまりシリアスな話題を取り混ぜると、せっかく夢を見に来て下さった方の気持ちを壊してしまうと思って こっそり別の所でお話していた「世界のために私たちができると思うこと」について カテゴリーでしっかり分けながら、ちゃんと発信していきたいと思います。 乳がん治療経験者として、お役に立てそうな情報も。 ここまで、有形無形の形で応援しながら待っていてくださった方達へ心からの愛と感謝をおくります。 ほんとうに ほんとうに。 髪の毛も戻ってきて、ちょっとずつ外出出来るようになっているので、いろいろまた、お声掛け下さい 。 そ れ か ら! じつは友人たちと共に、私の復活を支えてくれた可愛い存在のことをずっとずっ〜とご紹介したかったのです。 彼女と共に、新しい作品・新商品の開発を進めています。 ということで、次回    看板うさぎがやってきた! ご期待ください〜 笑
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whitedogcom · 8 years ago
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あけましておめでとうございます。
2016.1.3
年賀状を下さったみなさま、ありがとうございます! そして、こちらからは差し上げていなくて本当に失礼致しました。 まだ、やはり体力が付いて行かずに日々の生活を立て直す事で精一杯で、今年まで、年賀状をお休みさせて頂きました。 ですので、どなた様にもお出ししていません。 なかなかお約束がし難いですが、春頃までに一筆書いてお届けできたらと思います。 どうぞ、気長にお待ちください。 お年玉はがきの当選の可能性を、一枚分減らしてしまった事は償う事が出来ませんが。 他の交友関係の方で、頑張って当てて頂きたいと思います。 お店として、もっと楽しい話題を書きたいな、 綺麗な楽しいものをはやくお見せしたいな、と毎日のように思います。 そして実は、結構可愛らしい話もあったりするのですけれど、いかんせん 1日に元気いっぱい動ける時間が4時間程度といった具合で 今は体と気持ちをゆっくりさせる事に決めています。 フラワーアレンジの本や、画集なんかを見る事が多くて わたし、再来年イタリアかフランスに留学します!多分。 断捨離もしています。持ち物を2割に減らす事が目標で、(2割減らすのではないです。10個を2個にするのです) お洋服も、微妙なラインのものとはすべてお別れしました。 そうすると、今までと同じ予算でずっと良いものが持てる、と気がついたんです。 治療中、得たもの失ったものたくさんありました。 いろんな事がずいぶん変わったと思います。 その事について、今はまだ真実に近い話が出来ないと思うのですが、一つだけ言える事は 私は本当に人に恵まれていて、真剣な、人の思いやりというものを沢山見せて貰いました。 そのことに、只々  ありがとうございます。 今年もよろしくお願いいたします。 いろいろと、楽しみにしていて下さいね〜♩
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whitedogcom · 8 years ago
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もうすぐ復活します
2015.8.28
大変お久しぶりでございます。白い犬のアトリエオーナーです。 何のご説明もないまま、急にブログと受注をストップさせてしまっておりまして本当に申し訳ありませんでした。 下にも書きましたように、ちょっと大病をしまして約2年という間治療に入っていたのですが お店運営と同時進行というのは私には荷が大きすぎて無理でした。 夏の復帰などと書きましたが、まだまだ体力が戻っていなくてゆっくり助走をつけながら冬に少しだけ形がつけられるかな、本格的には来年の4月ごろにはまた、「わぁ綺麗」と言って貰えるようなお品が揃えられるかな、という目算でおります。 その前に、以前お付き合い頂いていた業者様などにも再開のご挨拶に行かなければならないと思っていまして そのあとお店の埃を落としたら、仲良くしていただいていたお客様達にはご案内状を送らせていただく予定です。
お砂糖作品の創作というのは非常に体力の必要な仕事で、フル稼働では鮮度管理が難しいかなぁと感じるので 新しくお目見えする作品達とお砂糖との二人三脚な状態がしばらく続く予定です。 撮影などは徐々に進めていますので、早くお見せしたいです。 お砂糖よりも扱いやすく、よりファンタジックになるのでお好きな方はお好きだと思うのですが。 :)) そんな訳で、時間的にも体力的にもウェディング用のプチギフトは数年という単位でお受けできないような気がします。 しばらくお砂糖は、オーダーメイドではなく季節の定番をご用意させて頂く予定です。 お土産や、お誕生日プレゼントに添えて渡していただく様な少し気軽なものになります。 写真など出来ましたらここで見ていただきますし、ご注文方法もガラッと変わると思うので諸々だんだんにこちらでご案内をさせて頂きます。 個々にご連絡ができていなくて一括で大変失礼致しますが、治療中ご心配くださってご連絡を頂いた方々、 また陰ながら応援してくださっていた方々、ほんとうにありがとうございました。 復帰を待ち望んでくださるお声が、どれほど励みになったことか。 また、のんびり��っくりとアトリエ運営をがんばりますので、もう一度仲良くして下さいますと幸せです。 味気ない投稿になりましたが、取り急ぎのご連絡とこれをもちましてまずはお詫び、お礼にかえさせていただきます。 8.28.2015 白い犬のアトリエ   くめさゆか
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意味はありませんが、カーク レイナートのうさぎ。あまりにも可愛かったので^_^
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whitedogcom · 8 years ago
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2014.12.11
**** ただいま病気治療中のため、 しばらくお休みをいただいております。 **** 2015年の夏ごろに活動再開予定です。ご迷惑をおかけいたします。 またみなさまとお話しできますことを、楽しみにしています。 Merry Christmas and a happy new year !!   :))
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whitedogcom · 8 years ago
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仮設website
2014.7.9
§おしらせ§ 仮設website が出来ました。こんな感じで↓
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いちおうスマホ対応なのですけど、ちょっと見にくいと思います。気合を入れてスクロールさせてください! まだ英語版だけです。そしてご依頼を頂くシステムもまったく整っていません;ごめんなさい。 でも、前のホームページが大好きだったとか また写真が見たいですと言ってくださる方が本当に多くて。 専用ドメインのアドレスにもエラー表示なのにアクセスしてくださっている方が未だにいらっしゃいますし、 お友達へ紹介してくださる方も写真がないとどうにもならないと... そうですよね。本当にすみません! そういう状態でいるのが心苦しくて、大急ぎで世界観だけでも味わってもらえるように致しました。 ぜひぜひお立ち寄りください♪  →こちらからどうぞ 白い犬のアトリエ Website
ギャラリー直通  ↓
http://chuchustore2.wixsite.com/white-dog/enchanted-cube-sugars
圧縮処理していないので重たいです。ごめんなさい。
google map のストリートビューみたいに、白い犬の国の地図の中を歩き回って楽しんでもらおう~ という企画があって、 また撮影大変ですが頑張りますので楽しみにしていてください。 :)
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whitedogcom · 8 years ago
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最近のお仕事
2014.6.5
******************** §裏バナシ§ about/最近のお仕事 Weddingのプチギフト 
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これ、実は紙のデザインが結構時間が掛かっています。原版はこれ↓
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銅版画風の擦れ感を出したかったので、フォトショップ上で薄いデッサンを何度も何度も重ねて形を作りました。 プリントしてしまえばベタはベタでしか出ないのですが、逆に削り込んでいったデザインとはやっぱり何だか味が違うような気がする~!と自己満足。 モチーフは時計の針です。 ”二人で時を刻んでいく” という意味を込めて。 世界中で、最後まで一緒にいられるのは夫婦ふたりだけでしかない。 親子でも親友でも、本当に同じ時を重ねることはじつはほんのひと時でしかない。 最近魅力的な友人知人に出会い、やっぱりお互いの道を歩んでいく中で骨まで親しくなったり疎遠になったり そんな事を繰り返しているうちに、たったひとりだけはいつも側にいて、共にお互いの歴史を生きていくことのすごさを思わずにはいられなかったのです。 The Notebook という映画、お勧めです。 何も新しいことはないラブストーリー。だけど、とても美しいし、あらゆる意味で感動しました。 ネタバレになっちゃうから言えないけど、本当はラストについて話したい! ラブストーリーなんかは絶対見ないという夫が、私の横で初めて「素敵だね」と言った奇跡の名作。 私たちも変わっていくね、でも変わらないね。 いつも側にいてくれてありがとう。 大切な家族や友人にも大きなハグを贈りたい。生きていくってことは、愛の告白を時間の中に刻み込んでいくってことなのかもと、最近思います。
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whitedogcom · 8 years ago
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未完成
2013.7.22
トルコに仲のいい友人が出来てから、彼女とチャットするために毎朝4時半に起きるという生活になってきました。 楽しく盛り上がって、一息つくころには輝く朝日が部屋を照らしている。 吟味して集めた大好きな木たちがやさしい影をリビングに落としている。 あぁ、なんという幸せな日々....。 おしゃべりの余韻と一緒に窓辺に座り込んで紅茶を飲んでいると何はなくとも、何があっても、あたたかい気持ちになれます。 生きていて嬉しい と思うのは、こういう何気ないものの魅力の方が強いのではないでしょうか。 人の幸せって実はなにも派手なことはない。 出不精な私にとってITの発達は本当に喜ばしいことでありまして、
お互いパソコンの向こう側で笑ったりギャーって言っているのは自分でも笑えちゃうのですが こういう出会いがもらえる環境にあることを感謝しています。 昨年の2月、これから3年間で英語をきちんとしようと決めました。 ルーマニア個展のときに自分の気持ちをきちんと伝えきれなくて、悔しい思いをしたから。 そこから1年半経って実力としては....まぁ、いいのではないかなと思います。 お商売をさせて頂いているとアーティストとはいえ、やはりお客様があってのお話になりますから 大事な仕事であってもそれだけで自分の人生が決まるのは嫌だった。 仕事には波があって、どんなに心血を注いでも潰れてしまうことや、評価されないことや、自分の思う通りに舵を切れないときがあるとよく分かっているので どこかに自分次第で前に進んでいける目標を持ちたかったのです。 3年経ってもしも何も残っていなくても英語で世界中の人と話す力だけは残せるように。 それを使って、次の扉を開けることもできるだろうし、とりあえず英語がないとフランスやイタリアに勉強に行くことも出来ないのだし。 占い師さんの話では、私は前世がほとんどヨーロッパ人だそうで 英語(アルファベットの言語)の方が自分を表現しやすく、話していて落ち着くのはそういう訳だそうです。 彼女はトルコでおそらくかなりきちんとした教育を受けている人で、 臨時ではあるがアートディレクターとして仕事があると言っていました。 ヒストリーの知識を使って、映画撮影用の武器・防具や小物を制作する工房に出入りしています。 他の時は...遊んでいますが。 実際話しているとかなり正確な歴史認識や各国に対しての知識があって、 それを面白い言葉で話してくれるのですごいなぁと思います。 たとえばハリー・ポッターは古いイギリス文化と古典文学や神話を背景にしているのですが そこに歪みがなく面白いのは作者自身の専攻が古典文学だからなのですね。 いまではファンタジーとして扱われていますが、ケルト神話やギリシャ神話、占星術なんかは 古代では最先端の学問だったのです。 わたしたちはそういうファンタジー好きということで気が合い、 国境と若干の年の差を越えて親友になりつつあります。 英語で話していていつも思うのは、これはとても自由な言語だな!と感じるのです。 主人も言うのですが英語は「事実をはっきりさせる」性質を持っています。 そして、常に自分にフォーカスされている感じがします。 アメリカに行ったとき嬉しくも驚いたのは、出会う人すべてにほとんど先入観がない事でした。 アジア人だからこうだろうとか、若いからこういう考えを持っているだろうとかこうあるべきだ、みたいなのがとても少なく 常に ”あなたはどういう人なの?”と真っ直ぐに問いかけてくれる姿勢が本当に嬉しかった。 日本にいると、自然とまわりとの調和を気にして、 自分の信念を胸を張って語る機会がどんなにか少ない事かと。 でも、英語圏ではどんな見た目でも英語を話すかもしれないし話さないかもしれないし ショップのオーナーはゲイかもしれない。 一緒にいる母親はステップマザーかもしれない。 レギュラー なことの枠がとても脆いので、「聞いてみないと分からない」世界なんじゃないでしょうか。 そして、好意や賞賛をものすごく大げさに表すこと どちらかといえばポジティブな話を好むこと。 例えば試合に負けた時に、自分たちがどんなにグッジョブ!だったかをまず最初に話すのはあんまり日本にはない感覚かなと思ったりします。 なので英語を使っていると、自然と心が開いていくような感じがある。 言葉の勢いと一緒に、自分の中にやさしいエネルギーが満ちてくるような気がするのです。 外���語が日本語と全然ちがう、と痛烈に感じた最初の体験は17歳の時です。 言葉というよりは感性の違いのような気もします。 ある日、作曲の先生のところに昔の教え子だという40歳手前ほどの方が遊びに来ていて 彼は武蔵野音大ピアノ科を卒業した後フランス・ドイツで研究をしているそうでした。 情熱的なバッハとリストを聴かせて下さったあと、ピーピーの音楽卵だった私に 「どのような音楽性を生きていかれたいと思っているのですか?」とのたもうた。 その質問の内容と真剣な姿勢に、女子高生だった私はぶったまげてしまいました。 おそらくその言葉自体は、フランス語で作っ��質問をグーグル翻訳のような精度で訳してしまったために起こったミスなんだと思えたのですが、 いくつかの会話を通して感じたのは、私を若造扱いしないどころか 同じ音楽に情熱を持ち一生をささげたいと願っている仲間として彼が話しているのだ、という事でした。 その栄誉はホウレン草パスタのクリームソースを取り分けている間もずっと私を高揚させ続けましたが、 更に衝撃を受けたのは彼の言葉使い。 トレビアン、に当たると思われる 素晴らしいですね!を連発し      --------書きかけのままですが、ブログの更新がしばらく出来ません。            楽しみにしてくださっている方には申し訳ありませんが、            近日中に更新致します----------------
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whitedogcom · 8 years ago
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ブラームスは深い蒼のイメージ
2013.5.21
大変お久しぶりでございます。 ブログを書かなきゃ書かなきゃと思いつつ、作品作りに夢中になっていまして ウェディングの箱が300個積みあがった時には、私も何だかプロになったなぁ...と少し感慨深いものがありました。 最初のころは、続けでやっていると腱鞘炎?のように寝る時に手首がすごく冷たくなっていたんです。 それが今回21時間ほぼノンストップの薔薇絞りにも耐えた! 次の日お皿が洗えないという事もなくいつの間にか強くなっていた。もう、ルーマニアの時の悪夢はやってこないに違いない。 体に、その仕事のための筋肉を持つことがプロと呼べる最初の一歩のような気が致しますが 何だか こんなに遠くまで来たんだね頑張って良かったね、と自分に言ってあげたい気持ちになりました。 お砂糖たちも綺麗に咲いてくれて、幸せでした。
私はご依頼のものも、アーティストとしての作品も、テーマを決めてから作り上げます。 テーマは音楽や絵画を当てはめる事が多く、 このお客様のものは、ブラームスのInteremezzo 118-2 でいこうとか これはルノワールのイレーヌのような感じで、と。
時にはぼんやりと、夏の雨のよる ドイツトウヒの林でざらざらなカエルに出会った みたいな場面であることもありますが、(だからといってカエルのお砂糖になる訳ではないです)それにしてもテーマ音楽は決まっているほうが気分が高揚して作りやすいのです。 いくつものお客様のストーリーを同時に手掛けているので、そういうちゃんとした「入れ物」があるから同じような使い回しを避けられるのかも知れません。 いま、可愛らしい方へ向けてショパンのバラード3番がテーマ曲な作品作りをしています。 イメージは赤ずきんさんではないけれど、森の中いろんな花を集めているうちに夢中になって奥まできてしまった、そこで踊る動物たちに出会うのです。 さぁどうぞ、あなたもいっしょに。 帰りに分厚い本のようなお土産をもらいます。それを家で開けてみると... というのが、この作品のプロローグ。 ずいぶん長い間気が付かなかったのですが、どんな事でも音や絵や物語をくっつけてでないと上手く消化できないのが私の頭のつくりのようです。 数学が得意な人は数字に分類したりするそうですね。 知らないうちに出来上がったそういう癖、それから好みのようなものって一体どこからやってくるのかしらということを最近考えていました。 ちょっといいな、という軽いものではなくて、絵でも音楽でもファッションでも、ドキッと心臓を掴まれるような事があります。 19歳の時、作曲の先生はその正体を探していくのが芸術なんだと教えてくれました。 それまで正直 好み というのを真剣に考えたことがなかったのですが、 同じ音の動きをいつも使いたくなってしまう、綺麗だと思う音が似ているから。と相談した時にこう言われたのです。 「知りたいと思うだろう?自分を震え上がらせるこの音の正体は何なのか。探していきなさいそれが君自身だ。君にしか書けない曲だ」 たとえば私が一番好きな音楽家はブラームスです。 でもこれは、最初からブラームスを聴いて好きだなぁと感じたのとはちょっと違っていて、ショパンでもベートーベンでもすごく好きだと思う所には10度の重音が絡んできていると知ったのです。 そしてブラームス的、と表現される音たちは10度とか二七の和音が多い。 おそらく彼も10度の虜だったのではないか.....気が合うじゃない、ブラームス。 という経緯。 そこまでなら、趣味、と言っていいと思うのですけど不思議なのは 5歳ぐらいのころ繰り返し母がかけてくれていたテープ(そう、私は30代ですからCDではありませんことよ! )がブラームスのFor Four Hands《連弾》 だと最近になって知ったことです。 そんなにメジャーに扱われることのない曲で、今まで探してもなかなか見つからなかった。 音はすべて耳に残っていて、改めて探したらなんとブラームスだったとは。 その驚きは、 えっ? というものではなくて はわぁぁ...やっぱり、そうだったのか という感じでした。笑 その時に思ったのですね。 幼い時に見聞きしたものがその人の性質を作るんだろうか。 それとも、生まれたときすでに何を愛しいと思うか決まっているのだろうかと。 私は女子校育ちということもありますが女の人が大好きで、仲良くさせて頂きたいと思う女性の多くは絵画的な性質やその人の中に流れる音楽を感じることができる人です。 源氏物語では、光るの君がさまざまな女性に恋に落ちます。 これは私には自分を憧れさせて止まない、情熱を追いかける姿に見えるのです。特定の女性そのものではなく、そこに漂う音楽を聴いて回るような。 いつからか、聡明な紫の上はそれに気が付いてしまう。 そして衣配りという行事で「紫と白」という最高に高貴な色合いを明石の上に選んだ夫にショックを受ける。 それはとても美しい音楽を彼女の中に聴いていることを、現しているからです。 そういった、その人独特の音や色合いはいったいどこから来るのでしょう。 明石の上で言えば、どうしようもない田舎で育ってまでその高貴さを花開かせてしまうような その人をその人であり続けさせる性質とは、いったい何なのか、私はずっと気になっているのです。 神様が私たちのうえに絵を描いたのか。 そしてそれを何とか現したくて、私たちは筆を取り鍵盤を叩くのか。 これはオーラの色にも繋がってくるので話は膨らみますが、今日はこの辺で。 いつも取り留めのないお話にお付き合いくださり、ありがとうございます。 英語と音楽と絵と樹や花、鳥とお菓子と紅茶。 こんなものがあれば幸せな私にとってこうやって文章を書くことはなかなか難しいのですが こんなものでも楽しみに読んでくださっている方がいると思うとありがたく幸せな気持ちになります。        いつも「あれはどんな曲なのですか?」とお訊ねになる方も多いので、 これから出来うる限りブログ上で曲のリンクも繋げていきたいと思います。 よく考えたらいつも何かしらの音楽が出て来ていますね; 本当は画像無しの方がよろしいですが、Youtube です。        ◆ 今月の楽曲 ◆ Brahms Interemezzo Op 118-2
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Chopin - Ballade No.3 カツァリス先生の素晴らしい演奏もあったのですが、私の一番好きな↓3:04のところの和音を弾き崩していたのでこちらを採用。
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whitedogcom · 8 years ago
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やさしい木陰で
2013.3.2
なかなか記事が更新できずに、楽しみにしてくださっている大変奇特な方々には 申し訳ない思いでいっぱいです。 書きたいことは毎月数個ずつ胸にのぼってきて、下書きは山ほどあるのですけど きっちりと書き上げる時間はまだ少し取れそうにありません。 4月の最初にはできそうだ、と思っています。 今月、 3/17に熊本のテラス江津湖でPFKさんのイベントに出店させて頂きます。 よろしければ是非、お待ちしております。 ご案内はこちらをクリック 白い犬の夢の世界を、この素敵な芝生の上に運んで行っていっぱい見てもらって 「あぁ 幸せだな」と思って頂きたくて、 木のショーケースをDIYしたり新しくパンフレットや箱を作ったり、毎日こつこつと作業を続けています。 お菓子用のトレーが売り切れて注文できなかったとか、 準備中のハラハラドキドキちょっとほろりな出来事を、後日談でブログに書くかも知れません。 強力な応援団である窓の外の聖歌隊、ひよどりとメジロとすずめ達のことも書きたいです。 福岡というと割と大きな町ですが、ここは郊外なので畑や大きな木がたくさん残っていて 鳥たちの種類の豊富さに驚かされます。 よく見知った仲の子達だけでも、16種類はいるのではないかな。 色も赤、青、黄色、黄緑など、たくさんです。白黒部隊も負けてはいませんよ。カチガラスなんかは本当にきれいだし、チカディーはかわいいし。 カチガラスは、かささぎって言うんですよね。 村上春樹さんの本に「泥棒かささぎ」という音楽が出てきますがこの言葉がとても好きです。 どろぼうかささぎ しょっぱいバニー 森のろうそくと金貨 なんだかこういう言葉を並べているだけで幸せになってしまう。 脱線・・・ とりあえずはイベントへ力を出し切りたいので、お砂糖の国のみんなと毎日さくせん会議です。 楽しみにして頂けるって、とっても嬉しい事。 でも、とても怖いこと。 それでも、鳥たちの歌声の中で美しい砂糖の花を咲かせていると、本当に素直に 涙が出るくらい幸せだなぁと思います。 500個ほどの角砂糖をご用意する予定です。 ひと粒ひと粒アソートで、ブーケタイプなど凝ったものもかなりの数を作る予定なので 来て下さった方はよかったら写真をいっぱい撮ってください。 凝ったデザインが大量に並ぶことは、うちのアトリエでも初めてのことなので。 もちろん、みなさまに大人気の「ねずみきのこ」「鳥と花」「3色ハート」 意外に人気のメロンパンなどなどもご用意いたします。 ひとつひとつ手貼りの古本型BOXに入れて持って帰って頂きます。 カバーはいつも通り素敵な柄の布と、今回はヴィンテージの壁紙も使ってみたいなと考えています。間に合うかな? 2年前はイギリスやフランスから個人輸入しないと買えず、なかなかコストが合わずに何にでもは使えなかったヴィンテージの紙もの。 フランスでは厚紙に布や紙を張ってバッグを作ったりする手芸の技を"カルトナージュ"というのですけど、 それで箱を注文したいなと思ってもなかなかいい柄を探すのに苦労の連続でした。 グラハムandブラウン のようなメジャーなメーカーでさえ、どこで頼んでもダメだったのが嘘のように最近は通販で買えて嬉しい!いい時代に商売をさせて貰っているなぁと思います。 でも個性的なものはやっぱり現地にお願いメールで手に入れています。 わたし趣味が変わっているのか・・・いいなと思うものが廃版になる確率が高すぎて; 早く2年に一度ぐらいは、自分でヨーロッパへ仕入れに行けるようになりたいです。 布、紙、リボン。お花屋さんを巡って、いろんな花をたくさん研究したい。 街を離れた農村へ行って、野の花や鳥の様子も知りたいし。 ショーケースの中で、宝石のように、お花畑のように、砂糖たちが輝いてくれるといいな。 どれひとつとして同じものはない、物語のかけらたち。 本当の持ち主が迎えに来て旅立ってくれますように。 写真は、イベント用に開発したお砂糖の国のオレンジピールケーキです。 角砂糖(Enchanted Cube Sugar)の他にはこれと、 濃厚な焦がしバターとレモンの風味がおいしい ミニウィークエンド バージョンを少しだけ持って行きます。
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whitedogcom · 8 years ago
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美し野暮ったい
2012.5.26
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   <写真: 庭で雨宿り中のすずめの赤ちゃん>     ※記事のUPが遅くなり、内容が季節に合っていなくて申し訳ありません 7/16 今年も雨がしとしと、美しい梅雨の季節がやってまいりました。 仕事柄、湿気は頭の痛いことなのですが、私は雨の日が大好きです。 だって紅茶が美味しいのです。 暑い5月を越えて肌寒ささえ戻ってくる6月は、それでもやはり冬の冷気とは違う空気を感じます。 ゆっくりとお茶を入れて、ハーモニカの美しい前奏を思い浮かべながら「雨の日と月曜日には」を口ずさむ、歌詞とは裏腹にのんきな月曜日。 毎年、台風の時期にはうちはすずめの幼稚園になります。 お母さん鳥たちが、ブルーベリーやオリーブの木の中に赤ちゃんを預けていくのです。 ママと離ればなれになって鳴く子供たちの声が、ピイピイと可愛いこと。 でも暫くすれば思い思いにくつろぎ出し、何匹かは寝てしまいます。 レースのカーテン越しに興奮しながら見守る私・・・ 写真は、運良く撮れたそんな雨の日の一枚です。 黄色いゴムパッキンとつぶらな瞳がたまりません。
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近ごろ首ったけな、コーネル大学鳥類学研究室から会報が届きました。 何だか綺麗な新聞でしょう? まったく考えていなかったので嬉しいです。 少額の寄付なのにわざわざ日本にまで申し訳ない; でも嬉しいな~。しばらく読むものが出来て。エキサイティングな情報が満載です。 Thank you のサインだけは直筆で同封されていて、やはり肉筆って嬉しいものだなぁとしみじみしてしまいました。 私は白い犬のアトリエオタク なので、なんでも仕事に繋げて考えてしまうのですけれども、 私がお客様にいつも添えている手書きのメッセージもまんざら悪いものではないかもね、と少し勇気を頂きました。 何故なら私は字がとても下手なのです。 ブランドイメージとして、これは逆に無い方がいいのでは?あるいはどなたかに代���をお願いするべきなのではとずっと思っていたのですが、いつも巻紙に筆でお便りを下さる年上の友人に 字が汚いので仕事で困っている、こうしてあなたにお手紙を差し上げるのもとても恥ずかしいのだ と言うと 「字は人柄。整っているのがいい事ではないのです。沙由佳さんの文字は心の温かさが見えるよう。分かる人には分かることだから、気に病む必要はありませんよ」と、 それはまた立派なお手跡で慰めて頂いて・・・ ご本人も本当に素敵な方なのです。 でもこれは真に受けてはいけなくて、やはり文字に関しても努力するべきと分かってはいます。 美しい文字のお手紙を頂くと、嬉しいですものね。 でも、字の汚いすごくいい人に出会うと嬉しくなってしまうのは、失礼ながら止められないのです。 コンプレックスを感じていることは他にもあって、 私が選ぶもの、創り出すものはいつもどこかにゆがみや古臭さ、洗練されきれない何かを宿しているように感じます。 一言でいえば、少し野暮ったいと思うのです。 それは文字と同じように、私の人柄が現れているのでしょう。 私はそこもやっぱり大好きなんだけれども、どうにもならない自分の力の無さに、涙することもしばしばです; こんなことを言うと、お客様に失礼だなと思います。 うちのお客様たちはみなさん何故か本当に心優しくお洒落で、人との繋がりを大切にする素敵な方達ばかりであることが伝わってきて こんなにお客様の質に恵まれる事はなかなか無い、ありがたい事だと思っています。 そんな方達がうちを選んでご注文を下さるのですから。 おかげ様でまだいちども宣伝をすることのないまま、ご紹介だけで今までいろんな方に巡り逢ってきました。 選んだわけではない筈なのに、 自分と何か近しいものをメールの文字の向こうや電話のお声の中に感じる時があります。 少し落ち込んでいても、白い犬の世界観が好きです、と言って頂くと元気が出ます。本当に幸せな事です。 そして、そんな声を掛けて頂くと必ず心をよぎるひとつのエピソードがあります。  私の敬愛するクインシー・ジョーンズのお話。 亡くなった私の父はドラムをやっていた頃があったので、ジャズが大好きな父のCD棚を漁って私は小学生でブラコンというものを知ってしまい、今でも大好きです。 彼は誰かをプロデュースする時、アーティスト達の泥臭ささをとても愛したといいます。 Just Onceのジェームズ・イングラムとの出会いのエピソードが『フロム・Q・ウイズ・ラヴ』の解説に以下のように添えられていました。         ❁    ❁    ❁ ヴォーカルは、当時ほとんど無名の新人だったジェイムス・イングラムで、 イングラムは、ここでソウルフルなバラードシンガーとしての実力を発揮し、 彼は一気にスターの座にのぼることになりました。 クインシー:「これがジェイムス・イングラムと私を結びつけた歌です。 親友が最新の作品を私に見せようと、小包を贈ってきたのです。 歌詞と曲にはひざまずきたくなりましたが、 デモで歌っているシンガーには本当にひれ伏したくなってしまいました。 電話のところへ行って、バリー・マンにこの若者の名前を尋ねるのが待ちきれないほどでした。 彼は、シンガーの名前はジェイムス・イングラムで、 当時はレイ・チャールズとコースターズのところでピアノを弾いているのだと教えてくれました。 ジェイムスは自分は「ウィスキー声」だから歌うことはあんまり考えていないとほのめかしましたが、 もっと滑らかになるように頑張ってみるとも言いました。 私は何一つ変えることなんてないと言いました。 私にとってもっともすんなりくるのが、そういった「ウィスキー」だったからです。 混じりっけのないスコッチがね。 私は、ジェイムスの電話番号を聞いて彼の家に電話しました。 彼は仕事場の閉ざされたドアの向こう側にいて、 邪魔されたくなかったようですが、 奥さんのデビーがこういって彼を引っ張り出してきてくれました。 「この電話はきっと取りたいと思うはずよ」。 その日から今日に至るまで、ジェイムスの名前は、 いつも私のお気に入りのシンガーのリストのいちばん上にあるのです。 翌年、彼はグラミー・アワードのオープニングで私の指揮で 「ジャスト・ワンス」を歌いました。 彼のことを当時と同じように今も誇りに思っています。」  ----------------------------------------- 私が10年以上前から持っているCDのこのエピソードに出会ったのは、 父が亡くなった追悼に古い音楽をひっくり返していた去年のことです。         ❁    ❁    ❁ それ以来、白い犬のアトリエ の世界を演出するときに、作品を作り上げる時に、いつも気を付けている事があります。 それは、洗練されすぎないこと。 どこかちょっと、土臭い感じを残すようにしていますし、それが独特の良さなのじゃないかな と思うようになってきました。 撮影で砂糖と一緒に写る花材を選ぶときに、バラ・芍薬・ダリア・・・時にはすごく高いものやめずらしい花まで。いろんな花を置いてみて、 最後にやっぱり豆科の植物だったり、野草に近いようなものが「これでいきましょう」と決まるとホッとします。 そういうものが似合う子達であるということが嬉しいのです。 清水義範さんの”12皿の特別料理”という本の中に 貧乏でスタートした夫婦が仕事が充実し、飲むワインばかり高級になっていくけれども、 安いテーブルワインで晩餐した頃のあの楽しさにはもう戻れないのだ、 というようなお話があるのですが それと同じで  どんな美食を覚えても、お母さんの卵焼きはやっぱり美味しい そんな所が人間にはあると思うし、人生というのはそういうものであって欲しいなと。 お砂糖の世界は、そんな部分に寄り添う素朴さを、いつも忘れたくないなと思います。 それでもやはり、スタイリッシュなものには憧れるのですけどね~ デザインに魅せられた者としては、悩ましいところです。 ということで、懐かしい2008年当時の写真を2枚。
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そして今。
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やっぱりあんまり変わっていない・・・かな?
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