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アントロポモルフィズム(Anthropomorphism)の起源としてのアンシャン・レジーム(Ancien régime)
権威主義の伝統が強い地域では、当然反感も強まるが思うほど一気には脱却できないものだ。そもそも権威主義が弱まると反権威主義も弱まって空白が生じる。そして概ねこの空白を巡って事態は悪い方向に転ぶ。
https://www.evernote.com/shard/s45/sh/c7c7cc66-3277-49d6-99f5-0e349768aa2c/35d3ef98935776ea425fe5eeb731ba02
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未来が常に先行き不透明な低エントロピー社会と、熱死か最終決戦を間近に控えた高エントロピー社会
そもそもポルノグラフィ(pornography)とは、ギリシャ語のpornē (娼婦) と graphos (書くこと,描くこと) を組み合わせた造語で、「エロティズム表現は神話的世界��聖書的世界に立脚した場合のみ公表を許される」と狂信していた19世紀後半フランスのアカデミック芸術擁護派(自称「新古典主義派」)が「近代詩の父」ボードレールや「近代小説の父」フローベールや「近代絵画の父」マネを違法化と訴訟によって葬り去ろうとした時「正義を貫く為に殲滅すべき敵の総称」として振り翳したスローガンだった様だ。「様だ」というのはウェブスターの「国際辞典」には「1850年前後に英国で作られた言葉(『オックスフォード英語辞典』に掲載された用例の文献初出は1857年)」とあるからで、その事と「ボードレールやマネが当時の有識者層に衝撃を与える為にあえて売春婦を作品���題材として選び、実際に売春婦芸術と罵倒された事」がどう関係してくるのか、そもそおも本当に関係があるかも分からない。
皮肉にも絶対王制期フランス末期から「新国際スタンダード」を自称してきた「新古典主義派」は、フランスに産業革命を定着させた「ドイツ贔屓」皇帝ナポレオン三世をも「ポルノグラフィを擁護する全フランス人の敵」と弾劾し続け、普仏戦争(1870~1871年)敗戦によって彼が廃位に追い込まれると「遂に国際正義が遂行された」と歓喜し、ドイツ軍によるパリ占領を大歓迎したので国民的支持を失ってしまった。
そして近代芸術はむしろ彼らが全面否定しようとしたしたフローベールの「ボヴァリー夫人(Madame Bovary,1856年)」やボードレールの「悪の華(Les Fleurs du mal,1857年~1868年)」、ティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス(Venus of Urbino,1538年、悪名高いマルキド・サド公爵が手放しで絶賛した事で知られる)」やフラゴナールの「ぶらんこ(1767年)」の世界観に立脚するマネの「オランピア(Olympia,1863年)」といった作品群から出発する展開となる。さらに現代人はディズニーランド的優美さに満ちたロココ芸術についても「一刻も早く地上から殲滅すべきおぞましき頽廃」ではなく「欧州貴族文化が最終的に到達したメルヘンの境地」と認識し、これを語り継ぐ立場を選んだ。
それから色々あって、この問題は最終的には「デカメロン(1971年)」「カンタベリー物語(1972年)」「アラビアンナイト(1974年)」の三部作で評論家筋から「ポルノ作家」の烙印を押されたピエル・パオロ・パゾリーニ、父親がムッソリーニに絶対忠誠を誓ったファシスト英雄で当人は「イタリアで最も赤い都」ボローニャに生まれ育ち筋金入りの共産主義者に育ったパゾリーニ監督が遺作「ソドムの市(Salò o le 120 giornate di Sodoma,1975年)、」で提唱された「自由主義は究極的には反対意見を完全に圧殺し尽くす独裁によってのみ達成される」なるジレンマに到達。最近の日本人リベラル層からはこの立場より「欧米も日本も結局は前近代的拘束から脱却出来する事が出来なかった。正義の遂行に際しては一切の反対意見を切り捨て得る事を証明した中国共産党や北朝鮮政府こそが自由主義的理想の完成型なのだ」なる主張を展開する論客まで現れた。
こうした歴史展開に「運動エネルギー発生の前提となるエネルギー源の局所遍在が著しいほどエントロピーが低い」と考える統計力学の概念を導入すると、21世紀にまで持ち超された人間社会理解の基本構造が浮かび上がって来る。
「低エントロピー社会」…(ものによっては中世分権期における身分階層制まで遡る)人間集団間の落差とそれを巡る衝突が絶えない状態。ヴォルテールの「貴方の発言は私にとって不愉快極まりないが、貴方がそうした主張を続ける権利は善良で守り抜く」発言に象徴される帝政理念や議会制民主主義や市場経済の根幹を為す概念で、選択肢の豊かさと引き替えにフラストレーションが多く、未来は常に先行き不透明。
「高エントロピー社会」…(ものによっては絶対王制時代における国王や境界への権力集中にまで遡る)単一の価値観の圧倒的勝利、もしくは(キリスト教圏とイスラム圏、シーア派とスンニ派、強硬派と皇帝派、フランス王家と神聖ローマ帝国皇統ハプスブルグ家、資本主義陣営と共産主義陣営といった)互いに相容れない数種類の価値観が最終決戦状態を間近に迎えた状態。パゾリーニ監督が提唱した「自由主義は究極的には反対意見を完全に圧殺し尽くす独裁によってのみ達成される」発言に象徴される様に(人間集団間に衝突の余地がなくなった)熱死状態か(その状態への到達を間近に控えた)最終決戦(ハルマゲドン)前夜の風景にまで人間の社会認識が単純化されてしまっている状態。そもそも「最終決戦前夜」とはいえカミュが指摘した様に(未来永劫王権と教会権威に対する絶対反逆者であり続ける事を誓い二十世紀前半から中盤を賑わせた)政治的ロマン主義者達が政敵消失後、存続理由を喪失して一人残らず破滅していった様に、新古典派絵画が権威性を喪失するとマネのカウンター路線もまた通用しなくなってしまった様に、最初から「光と影」の関係にある対立関係も少なくない。
はてさてどちらがユートピアで、どちらがディストピアなのか? それとも両者はあくまでそれぞれ同じ実体の別側面に過ぎないのか?
https://www.evernote.com/shard/s45/sh/2a288928-4b81-4a1f-b039-092d563779eb/2b9554970f0898612818fd61eb67b444
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ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義(1912年)」
ドイツではマックス・ウェーバーと並び称される経済史家たるヴェルナー・ゾンバルトは、自らの初期資本主義研究の対象を「1200年から1800年までの欧州」に区切る事で「奢侈の一般的発展」という特徴を見出した。
中世欧州の王侯貴族にとって奢侈は「名声による動員力の誇示」と表裏一体を為す公共事業だった。すなわち年中行事として繰り返される馬上槍試合、華やかな戸外の催し物、行列、野外での宴会において吝嗇でない側面を示す事が、動員人数増加の為にも不可欠だったのである。まさしくジョルジュ・バタイユやカール・ポランニーいうところの「蕩尽」概念そのもの。当時はそもそもキャパシティの問題で国王の宮廷が特定の場所に留まり続ける事自体が不可能だった事もあり、そうした振る舞いこそが王侯貴族を束ねる国王のアイデンティティとして必要とされたのだった。
すると最初に起こった変化は(イスラム威力と直接対峙したイベリア半島北部、ノルマンディやブルゴーニュやロンバルティアの貴族が最初に広めた修道院文化に端を発する)壮麗なロマネスク建築やゴシ��ク建築、(ヴェネツィアやザクセンなどで典型的な形で見受けられた)聖遺物収集熱の高まりとその常設展示による権威付け辺りだった事になる。同時期には南仏プロヴァンスや南仏シチリアの宮廷で吟遊詩人達が騎士道と恋愛を讃え、イタリア・ルネサンスや(ホイジンガが「中性の秋(1919年)」で注目したブルゴーニュとフランドルの統治者)ブルゴーニュ公の奇矯な振る舞いを経由して欧州宮廷文化が基礎付けられていく。
ブルゴーニュ公は、国王を頂点に戴く官僚制的中央集権の台頭に脅かされる大貴族連合の盟主として「公益同盟戦争(1465年〜1477年)」を戦ったが、同時期英国を席巻した薔薇戦争(Wars of the Roses、1455年〜1485年)やフロンドの乱(La Fronde 1648年〜1653年)同様に一丸となれない紐帯の弱さを露呈して自滅していく事によって、却って絶対王制への道を開く事になった。こう説明すると勇壮なバロック文化が想起されるが、ゾンバルトはむしろ神聖ローマ帝国皇帝カール五世に対するローマ教会やフランス国王フランソワ1世の敗北の副産物ともいうべき内省的で神秘主義的傾向を強く宿すマニエリスム文化や(武骨な城塞を優雅な貴族の居館に変貌させた)フレンチ・ルネサンス運動の台頭に注目する。
こうした一連の歴史的流れが18世紀前半のフランスにロココ文化を台頭させた。ゾンバルトはこの流れを「年間行事として開催されてきた公共性の強い野外の催し物から、宮廷で貴族だけが楽しむ毎晩の夜会へ(屋内化)」「祝祭日に従者や家臣や招待客を一人でも多く集めて楽しませる義務から、有益な品物への惜しみなき蕩尽へ(即物化)」「叙事詩的理想主義から叙情的繊細さへ(感性化)」の三点に要約する。それはゴングール兄弟が指摘した様に「芸術の庇護が青銅細工や木工細工の職人、刺繍師、裁縫師の保護に転落した」時代であり、宮廷ではファッションや料理が、サロンでは言語芸術が洗煉され、蝋人形や(後のコンピューター発明につながる)自動人形が貴族を喜ばす玩具として発展した時代であり、フランスにおける最初期の近代工業はこうした需要に牽引される形で発達したのだとされている。
ゾンバルトの研究が1800年時点で筆を置くのは、こうした文化史がフランス革命によって全面否定され、貿易の中心地ボルドー(ジロンド派粛清によって大打撃を受けた)も工業の中心地リヨン(大虐殺と徹底破壊が遂行された)も灰燼に帰してナポレオン三世による産業革命再開までおよそ半世紀を棒に振った歴史を直視したくないからであろう。かくして(マダム・タッソーの蝋人形館がパリからロンドンへの移転に象徴される様に)19世紀は大英帝国の時代となり、市場経済を牽引する消費の主体も王侯貴族から新興ブルジョワ階層に推移し、産業革命のもたらした生産過多状態解消の為に遂には労働者まで消費者として動員される展開となる。
https://www.evernote.com/shard/s45/sh/1e91a5fc-8a4b-445a-be7c-0c1871acc646/319f19a705ee070bf6f6f2c3c2e82a0b
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欧州無政府主義の源流
日本の無政府主義が何故ISIS団の様に過激化に向かうかというと、おそらく欧州のそれの様に伝統に深く根差していないからである。この事実はむしろ60年代安保を真剣に「統括」した元闘士層の間にコンセンサスとして共有される一方で、現在日本の無政府主義に継承される事はなかった。 https://www.evernote.com/shard/s45/sh/a5c7a161-c623-4824-8d0c-ab31f4ff8d20/cf9d49218a2e12705bd590360bd2ad4c
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「革命はパンの不足から始まる」というテーゼ
興味深い事に国際的に18世紀以降、飢饉による餓死者を減らし人口増加を助けてきた新大陸起源の作物はマルクス史観の天敵とされてきた。歴史段階説の立場からすれば南米における諸文明の発展を妨げ、本来なら地主階層の搾取に絶え切れず革命を起こす筈の農奴階層の不満を水面下に宥めてしまう「悪魔の作物」という訳である。実際、大正時代の工場主達はクロポトキンの「革命はパンの不足から始まる」を「白飯さえ充分に与えておけば、それだけで工員の不満は半減する」と読み替えて実践し相応の成功を収めていた。産業革命時代の英国が労働者の不満を食パンと砂糖入り紅茶で懐柔してきた様に。
一方、戦後日本の歴史観は1990年代までマルクス主義の影響で「江戸幕藩体制下の日本は古代ギリシャ時代のスパルタを超越する冷酷な身分制社会だったが、一揆の繰り返しによって次第に農民が人道的勝利を勝ち取っていった」という立場を取ってきた。「明治維新は被支配階層の生活を何も変えなかった。天皇家を打倒しない限り日本に近代は訪れない」とする講座派と「明治維新によって日本の農民は一応の勝利を勝ち取った。次に打倒すべきは商業と工業を牛耳るブルジョワ階層である」とする労農派が激しい内ゲバの末に共倒れとなった戦前社会主義思想史の最期の残滓。それさえもその後の歴史研究の進展によって「実際には何時の時代にも領主と領民が妥協点を探り合う交渉史しかなかった」事実が明らかとなり、こうしたイデオロギー主導型歴史観の全てが「歴史の掃き溜め」送りとなってしまった。
欧米人の諦観に従うなら、そもそも人類が民族単位に峻別され、それぞれが死守すべき固有の伝統を背負わされているとするポストコロニアル的決戦思想自体が間違っている。そもそも文化とは互いを「他者」と認定し合う集団間における「スパーク(再現性を伴わない一瞬の煌めき)」とその結果を受けての全体像の再定義こそが全てとする考え方が現在では主流となりつつある。こうした考え方の源流は、イタリア・ルネサンス期にボローニャ大学やパドヴァ大学の解剖学部で芽生えた「実践知識の累積は必ずといって良いほど認識領域のパラダイムシフトを引き起こすので、短期的には伝統的認識に立脚する信仰や道徳観と衝突を引き起こす。逆を言えば実践知識の累積が引き起こすパラダイムシフトも、長期的には伝統的な信仰や道徳の世界が有する適応能力に吸収されていく」なる16世紀新アリストテレス主義の源流まで遡る。
現在では江戸幕藩体制下日本でも、近世欧州でも、ランティエ(rentier、地税などの不労所得に依存する生活者)の没落を招いたのは貨幣流通量増大に伴う大幅な物価上昇(インフレーション)だったとされている。残念ながらこの観点がマルクス主義経済には欠けていた。そもそも「貧富の差の拡大は、革命によってのみ実現される搾取関係の逆転によってのみ是正される」とするテーゼを金科玉条として掲げてきたのは「虐げられ餓えた状態にある貧民」そのものというより、彼らを扇動によって動員する事で主導権を握り巻き返しを謀ろうと画策してきた没落階層(市場経済化の波に乗り遅れ、凋落を余儀なくされたランティエ階層の負組)だったのだ��ら、それにはある種の必然性さえ伴っていた。
https://www.evernote.com/shard/s45/sh/70c7997b-0b3a-4bae-8656-fbcca6eb43f8/e8267c6cb75f5230f25b886e335543e5
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奢侈の一般的発展
北ヨーロッパでは、夏でも朝晩は冷え込む為に暖房が一年を通しての必需品だった。それで自然と鉄で作られたストーブの中で薪を燃やし、その上に鍋を載せて料理を作る文化が発達。弱火で慎重に調理しないと臭みがでてしまう牛乳や出汁を使った料理やソースがまず家庭料理として定着した。 そして中東から輸入する高価な香辛料が魅力を失った17世紀以降、貴族は「具を一切含まない透明なスープ」に熱中。 18世紀パリでは、これを繁華街で新興ブルジョワ層に振る舞う「レストランテ」成功を収める。 一連の革命騒ぎを経た19世紀フランスでは下放された宮廷料理人達がそれを通じて「具材の万難隠す」デミグラソースやペシャメルソースを頒布。この流れにチーズを工場で大量生産する様になったスイスやイングランドや米国が便乗。 そして20世紀に入ると遂に米国における「キャンベル・スープ缶の世界」や、日本の「街の洋食屋のB級グルメの世界」に到る。
ドイツではマックス・ウェーバーに匹敵する人気を誇るヴェルナー・ゾンバルトは、代表作「恋愛と贅沢と資本主義( Liebe, Luxus und Kapitalismus、1912年)」の中でこうしたプロセスを「奢侈の一般化」と総称している。 https://www.evernote.com/shard/s45/sh/757ee4fe-c4d0-4648-9dc0-64eb1e16ccf3/dc110d9ede1c6fc9ed9f228cc148c6d9
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��メリカ合衆国とはとどのつまり全土が北海道みたいなもの
アメリカ合衆国とは、とどのつまり全土が北海道みたいな国なのかもしれない。
比較的最近開拓された地域特有の荒々しい歴史の足跡をあちこちに留めている。
感情に振り回されて過去を裁こうとする事なくそれを振り返るには鳥瞰的態度を貫かねばならない。
そうした立場からの語り口調には時代を超越した独特の余韻が宿る。 https://www.evernote.com/shard/s45/sh/9cbf2ada-2ebc-46fd-bdf7-b6f698b67414/ba4e89df0e667e758b81cdce52e631d1
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「金づちしかないと、あらゆる物が釘に見えてしまう」問題
データサイエンス的世界観は、既存統計学が立脚するN次元とか正規分布とかべき分布といった概念に発想を拘束されている。
そもそも話は17世紀、当時までは数学レベル的には遜色ないレベルに到達していた和算に先駆けて微積分計算に到達したライプニッツが「空間を構成する最小単位と全体としての振る舞いの相互関係」を説明する為にモナド(Monad:単子)論を打ち立てた時代まで遡る。その延長線上にダニエル・ベルヌーイ「流体力学(1738年)」の気体分子運動論が現れ、遂にはアインシュタイン「ブラウン運動の理論(1905年)」に到達する訳だが、その間ずっと前提とされてきた約束事が存在した。
実は学習曲線や忘却曲線の導出過程も同じ問題を抱えているのだが、要するに観測対象に「相互認知とその各行動へのフィードバック」があってはならないのである。それを許してしまうと諸要素の相関関係を各価値観が直交するN次元空間として厳格に把握しようとする「主成分分析(principal component analysis、PCA)」や「因子分析(Factor analysis)」も瓦解してしてしまう。
こうして全体像を俯瞰してみると、消費者行動の主舞台が「お互いの振る舞いを絶えず盗み見続け、自分より上手くやってるのを見掛けたらすかさず取り入れる」アカウント集団で構成されるSNSに推移するにつれ既存データ・サイエンスに消費者行動予測が当たらなくなっていくのは必然とさえいえるのかも。
https://www.evernote.com/shard/s45/sh/a85aa91f-fcb0-4506-9824-ef4f36545c67/5fcf691bff6b70a131d40e1d020e2c54
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