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#うきたむ風土記の丘考古資料館
kensasuke23 · 10 months
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赤湯温泉を出発しまして、うきたむ風土記の丘考古資料館で企画展を見学。すごい資料ばかり😍
おっと、山が白いぞ… このあと米沢市にむかいましたが、雪がちらほらと。来たか、冬将軍。
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米沢市に来まして、上杉神社に参拝。甥っ子の合格祈願です。がんばれ受験生。
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そのまま上杉博物館で浮世絵の展示を観賞。素晴らしかったです。
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しかし、けっこう積もったようで……
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お昼は喰処 上花輪というところでラーメン大盛りでした。さて、帰るか。大丈夫かな、峠は。
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2ttf · 12 years
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5484tabulae · 6 years
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散策研究会 Cadavre K 「徘徊する観察者 Vacant Lot」
散策研究会 Cadavre Kによる展覧会
「徘徊する観察者 Vacant Lot」
をTABULAEで開催いたします。
※散策研究会 Cadavre Kとは、2011年から開始された、美術家北川裕二によるプロジェクトの名称です
|会場|
TABULAE (墨田区向島 5-48-4)
|会期|
2018/11/24 (土) - 12/16 (日)の金土日
- 金 15:00 - 20:00
- 土、日 14:00 - 20:00
※曜日によって開場時間が異なりますのでご注意ください
オープニングレセプション
11/24(土)18:00 - 20:00
|イベント|
第5回 漂流教室 「まわり道してTABULAEに向かう」
12/8(土)14:00 - 17:00(終了時刻は前後する場合があります)
集合場所 東武スカイツリーライン/東武亀戸線 曳舟駅改札口付近
定員 5名
参加費 無料(要予約 参加申込み締切12月6日)
東武曳舟駅に集合し、3時間ほどかけて墨田区京島、向島エリアを散策しながらTABULAEに向かいます(台風・雷雨・地震・大雪など災害級の天候以外は、雨天でも決行します)。
>漂流教室について
※こちらのイベントは定員に達したためご予約の受付を終了いたしました
アーティストトーク
12/15(土)18:00 - 19:00
ゲスト 沢山遼(美術批評)
定員 15名
参加費 1000円(要予約 参加申込み締切12月14日)
美術批評家の沢山遼氏をゲストに迎え、アーティストトークを行います。ゴードン・マッタ=クラーク展図録に掲載された沢山氏の論考「都市の否定的なものたち ニューヨーク、東京、1972年」を参照しながら、都市、写真、散策と介入といったトピックについて議論します。
沢山遼 1982年生まれ。美術批評。武蔵野美術大学大学院造形研究科修士課程修了。2010年「レイバー・ワーク──カール・アンドレにおける制作の概念」で『美術手帖』第14回芸術評論募集、第一席。主な論文に「ニューマンのパラドクス」田中正之編『ニューヨーク 錯乱する都市の夢と現実(西洋近代の都市と芸術7)』竹林舎、2017年。「ウォーホルと時間」『NACT Review 国立新美術館研究紀要』第4号、2018年。「都市の否定的なものたち ニューヨーク、東京、1972年」『ゴードン・マッタ=クラーク展』(東京国立近代美術館、2018年)など。
※両イベントは予約制となっております。参加をご希望される方は、件名を「漂流教室予約」または「トーク予約」とし、①お名前②ご連絡先③希望日時④人数 をご記入の上、[email protected]までメールをお送りください。
『徘徊する観察者 Vacant Lot』開催にあたって|散策研究会 Cadavre K
散策研究会 Cadavre Kとは、2011年3月11日の東日本大震災に強烈な衝撃を受けたアーティスト北川裕二によって、同じ2011年から開始されたプロジェクトの名称です。今回のTABULAEでの新作展が、散策研究会 Cadavre Kとしては初の個展になります。あれから8年が経ったとはいえ、むろん福島第一原子力発電所は「収束」などまったくしておらず、同じように大地も揺れ続けています。したがって今回展示される作品は、そのどれもが3.11以後に制作されたものであるとしても、 むしろ“3.11下”のそれであるといってよいでしょう。
散策研究会 Cadavre Kは、以来、痙攣するこの世界を継続的に観察・記録しつづけてきました。しかし、その観察対象は福島県や岩手・宮城県などではなく、意外にもいま私たちが立っているこの場所でありました。観察対象への姿勢は当初、何よりもまず、直立二足歩行する私たちの、この足元の地面への関心から始ったのです。そのうえに築かれたあらゆるものは幻想なのではないか。であるとするならば、幻想はいかにして自然との関係を取り結んでいるのか。対立関係にあるものどもの、相反する構造(システム)と構造(システム)が、否が応でも接せざるをえない境界線、エッジが、あるいは「構造(システム)」の回収し得ない外部的なものが、観察対象として注目されました。
ほとんどの散策は、日中のほぼ一日をかけて台地や低地をひたすら歩いて横断していくというものでした。“下町”と呼ばれる沖積低地、“山の手”と呼ばれる洪積台地、あるいは武蔵野平野、奥多摩山間地など。地形学の地形区分に従っていえば、 多摩面(T面)、下末吉面(S面)、武蔵野面(M面)、立川面(Tc面)の特徴と、それらが接する際に発生する崖線等の境界線や河川についての知識が事前に取り入れられもしました。定点観測ならぬ、歩行による動線観察が何度もくりかえされ、各地域・エリアにそれぞれ漂う特有のアトモスフィア、ムードは、散策者の心理状態の変化に影響を及ぼすことが確認されました。そうして、しだいに「東京の自然史」(貝塚爽平)が把握されていったのです。散策研究会としての散策は、これまでに123回を数えます。
また、同時に、踏み固められた地面の上に存在するあらゆるもの、すなわち植生・気象・家屋との関連全般が観察対象となり、写真に記録されていきました。散策またその写真記録は、当初、アートとしてはまったく考えられてはいなかった。むしろ、3.11の衝撃は、自然災害においてのみならず、政治的・文化的にもアートの「創造」的な「表現」による「生産」を不可能にしたように思えたからです。したがって、今回の展示においても、それへの疑いが根底にはあることを記しておきます。
地形・植生・気象・家屋の全般を観察対象にするということは、いかなる些細な事象も見落とすことなく全体を知覚・認識するということ。世界のすべてを対象にするということです。生態学的に言えば、個体のみならず、個体群、群集といった階層を異にするもの全般を、そしてまた、位階秩序の異なるそれらの影響関係をも観察・記録対象にするということでもあります。身の回りの環境や社会、つまりは生活を成り立たせているアレコレは、そのようにアレやコレやソレとして一括りにされて、記憶・記録から排除されてもきました。散策研究会が関心をもったのは、まさにそのような無数のアレやコレでありました。衝撃とは、近代化の名の下に隠蔽・排除されたものどもが、「原発震災」(石橋克彦)によって再び私たちの世界に回帰してきた、そのことにあったというわけです。
写真というメディアは、このような研究にはうってつけの道具でした。なぜなら、カメラの眼は原理的にいって、ヒトの眼と違い、“すべてのものを等価なもの”として扱うことができたからです。眼で見ていたときには見えなかったものが写真には写りこんでいたというのは、カメラのこの等価性、すなわちあらゆるものを平等なものとして、なんでも選ばず記録してしまう、このアナーキーな機能によるところのものではないでしょうか。
本展は、こうしたカメラ・写真の可能性を再び抽出しようとする試みでもあります。そこには、“すべてのものが等価なもの”として記録されている。しかし、そうであるがゆえに、その可能性は、他方で、ブレもピンボケもなく構図もしっかり撮れているにもかかわらず、“誰が、いかなる目的をもって、誰のために撮影したのか、皆目見当のつかない、まったく不明なる写真”という、実に奇妙に倒錯した(不)可能性の窓をも同時に開いてしまうのではないでしょうか。この点に、写真の機能が孕む矛盾が見てとれます。そこに提示されているのは、いわば世界の「無名性」のことにほかなりません。実現しているかどうかはさておき、このような写真の(不)可能性を本展では模索しています。
セレクトされた写真と映像は、昨年から今年にかけて撮影されたものに限られています。撮影箇所は主に武蔵野面(M面)の東端であり、区としては、中野区にあたります。中野区の同じエリア、環境をくりかえし何度も徘徊する。そのようなことはこれまでに一度も試みたことがありませんでした。
そしてこのことは、先程「武蔵野面(M面)の東端」と書きましたが、本展においては、地形的特徴への関心が次第に後方へと退き(薄らいだわ��ではありません)、かわって植生(主にヒト)と家屋、そして何よりも気象への関心が全体に配されてくるものへと推移してきたことと関連しています。くりかえし同じエリアをおとずれる散策スタイルは、写真の機能をより自覚的に操作しようということに、何らかの影響を与えていると感じています。
本展のコアとなる作品群は四部構成となる予定です。 ①独立した1点ものの「写真作品」 数点 ②数点の写真が組み合わされた「写真作品」 数点 ③液晶ディスプレイもしくはプロジェクターで鑑賞する「スライド作品」 ④液晶ディスプレイもしくはプロジェクターで鑑賞する「映像作品」 ①~④の作品にはシリーズとしてのメインタイトルと、各作品としてのサブタイトルが付されています。各メインタイトルは、①Survey Point (測量点) ②Photogrammetry(写真測量法) ③Voronoi Diagram(ボロノイ図) ④Skid Movie(横滑りの映画)となっています。また、参考資料として、本展の作品に関係する散策ルートを図解したパネルも展示する予定です。
また、本展覧会としてのメインタイトルとなった“Vacant Lot”ですが、これは日本語では空閑地のことです。一時的に未使用になった空き地。英語名にしたのは、“Vacant Lot”という言葉に興味をもったからです。この“Lot”には、くじ、運、運命という意味があるようで、それが一時的に空き地となった区画を指す言葉にも使用されているというのがおもしろかった。“偶々割り当てられたもの”としての空閑地。文字通りに訳せば、“空っぽの運命”です。
これは、今年国立近代美術館で回顧展が開かれたゴードン・マッタ=クラークの仕事を想起させます。カタログに掲載された美術批評家沢山遼氏の論文にマッタ=クラークの発言が引用されていて、瞠目しました。以下、孫引きですが引用させていただきます。
「グリーン通り112番地でやったアナーキテクチャーの展覧会は[…中略…]なんらかの強い形式性によって固定されることのない、固定化した建築的ヴォキャブラリーの外部にあるものについてのものだった。[…中略…]ぼくたちが考えていたのは、隠喩的なヴォイド、空隙、残余的空間、未発展的な場についてだった。[…中略…]たとえばそれは、立ち止まって靴紐を結び直すような、日常的な動作がふと遮られるような場だ。そのような場は、知覚的な重要性を帯びていると思う。なぜならそこで人は動的な空間に触れているんだ。」 (「ゴードン・マッタ=クラーク展」カタログ p.265)
つまり、“Vacant Lot”とは、この解けた靴紐のことなのかもしれません。紐が解けて固定された意味が一時的に宙吊りとなる時。場所。その瞬間はおそらく、九鬼周造のいう偶然性のごとく「現実性へスルリと滑ってくる推移のスピード」を持っているに違いない。“無”が偶然性によってもたらされるということ。環境、生活、世界への認識を深め、未来を洞察するにも、このような人と自然の接するエッジに現象するささやかな出来事に対する認識をさらに深めていく必要がありそうです。今回の展覧会がそのような世界への見方、感じ方、考え方に寄与できれば幸いです。
最後に、Cadavre KのCadavreはフランス語で、日本語では死骸のことです。したがって、Cadavre Kは、死骸キとなります。“キ”とはキタガワの“キ”のことです。3.11以後のプロジェクトにそう名付けたのは、このプロジェクトがそれまでの作品とはまったく異なることもありましたが、同時に、3.11以後、偶々生き残った=生き延びているという感覚を今も持ち続けているからにほかなりません。それは、どこか幽霊的に仮構された作者名といえるでしょう。
散策研究会 Cadavre K
2011年から開始された、美術家北川裕二によるプロジェクト
漂流教室
第一回 霊岸島から埋立地へ (2015/milkyeast) http://ur2.link/N8ZH 第二回 河岸と下町低地(2015/milkyeast) http://urx.red/N901 第三回 山の手の<むらぎも>を巡る(2016/路地と人) https://rojitohito.exblog.jp/22767074/ 第四回 崖線上のカフカ──中野区を歩く(2017/路地と人) https://rojitohito.exblog.jp/23871177/
散策研究会 これまでの主な散策エリア
001 2011_06_11 新宿御苑 002 2011_06_18 等々力渓谷 003 2011_06_25 赤坂見附 004 2011_06_29 丸の内線・四ッ谷駅 005 2011_07_02 下末吉台 006 2011_07_06 迎賓館・明治公園 007 2011_07_09 市ヶ谷・飯田橋 008 2011_07_16 お茶の水・神田川・隅田川 009 2011_07_22 野川 010 2011_08_06 新木場 011 2011_08_11 高尾山 012 2011_08_20 隅田川・スカイツリー 013 2011_08_25 菊名・獅子ケ谷・下末吉台 014 2011_09_02 渋谷川 015 2011_09_08 皇居・日本青年館 016 2011_09_11 新宿・原発やめろデモ 017 2011_09_17 渋谷川・古川 018 2011_09_19 さようなら原発・渋谷川 019 2011_09_24 赤坂 020 2011_10_01 善福寺川 021 2011_10_07 港の見える丘公園 022 2011_10_13 山手 023 2011_10_22 宇田川跡 024 2011_11_03 御岳山・ロックガーデン 025 2011_11_09 巣鴨・田町・谷中 026 2011_11_12 神田川・小日向台 027 2011_11_17 都電荒川線・王子・荒川 028 2011_12_03 愛宕山 029 2011_12_14 上野・根津・谷中 030 2011_12_15 弘明寺 031 2011_12_21 荏原台 032 2011_12_30 立川段丘 033 2012_01_01 狭山丘陵 034 2012_01_05 三殿台遺跡 035 2012_01_12 目黒自然教育園 036 2012_01_19 明治神宮 037 2012_01_26 清瀬 038 2012_02_04 深大寺・府中 039 2012_02_08 江戸前島 040 2012_02_15 江戸前島 041 2012_02_24 ���離宮 042 2012_03_03 吉見���穴 043 2012_03_15 江東区・運河 044 2012_03_17 江東区・運河 045 2012_04_07 神楽坂 046 2012_04_14 渋谷川・明治神宮 047 2012_04_20 町田・自由民権資料館 048 2012_04_28 市ヶ谷・早稲田 049 2012_05_17 町田・自由民権資料館 050 2012_05_26 江東区・戦災センター 051 2012_06_07 全生園・滝山団地 052 2012_06_14 清瀬 053 2012_06_16 京島 054 2012_06_23 玉川上水・首相官邸前 055 2012_06_29 首相官邸前 056 2012_07_12 神田 057 2012_07_13 首相官邸前 058 2012_07_16 代々木・さよなら原発 059 2012_07_02 新富町 060 2012_08_08 六郷土手 061 2012_08_12 日野 062 2012_09_08 本郷台地 063 2012_09_15 東京湾・葛西臨海公園 064 2012_10_06 生田緑地 065 2012_11_10 青梅・横田基地 066 2012_12_01 大山 067 2013_01_12 渋谷・元麻布・六本木 068 2013_01_14 獅子ケ谷 069 2013_04_13 日本橋川 070 2013_04_27 小平・玉川上水 071 2013_05_25 赤坂・六本木 072 2013_06_06 代官山 073 2013_07_07 東京駅地下通路 074 2013_07_13 王子・吉原・スカイツリー 075 2013_07_27 多摩丘陵・百草団地他 076 2013_08_17 中央防波堤埋立地 077 2013_08_24 仙川 078 2013_08_26 谷中墓地 079 2013_10_26 渋谷・地下道 080 2013_11_09 京島 081 2013_12_28 山手 082 2014_04_24 池袋 083 2014_05_17 高田馬場・神田川・淀橋 084 2014_06_27 駒込・田端 085 2014_07_13 平林寺 086 2014_09_06 秩父 087 2015_05_16 湾岸埋立地 088 2015_07_20 白山 089 2015_11_22 深川 090 2015_12_11 武蔵五日市 091 2015_12_12 武蔵五日市・城山 092 2015_12_18 戸山公園 093 2015_12_26 板橋・赤塚 094 2016_01_06 深川・森下 095 2016_02_02 国分寺崖線 096 2016_02_26 立川段丘 097 2016_04_03 日立研究所 098 2016_05_31 水道橋・小石川・白山 099 2016_10_18 神楽坂・近美・湯島 100 2016_12_06 佐伯祐三・熊谷守一美術館 101 2016_12_13 南青山 102 2016_12_20 原宿・渋谷 103 2016_12_23 戸山公園 104 2017_04_04 野方 105 2017_04_07 江古田 106 2017_05_12 上高田 107 2017_06_09 上高田・野方 108 2017_08_15 池尻大橋 109 2017_08_17 池の上・高円寺 110 2017_08_29 桃園川 111 2017_09_15 中野区南台 112 2017_09_20 新宿住吉町 113 2017_09_22 所沢 114 2017_10_10 中野区中野台地 115 2017_10_20 野方 116 2017_10_27 新宿末吉町 117 2017_12_15 沼袋 118 2018_04_24 鷺宮 119 2018_05_29 中野区中心エリア 120 2018_06_12 野方・沼袋 121 2018_06_15 杉並・堀の内 122 2018_07_06 野方・中野区中心エリア 123 2018_09_11 野方
北川裕二
1963 東京に生まれる
主な個展
1990『形のローカリズム』 ギャラリー現(東京) 1991『A PALASITE/READY-MADE SUIT MIX』 ルナミ画廊(東京) 1992『短絡的接合体』 モリス・ギャラリー(東京) 1992『分裂機械としての身体』 ルナミ画廊(東京) 1992『暮らしの変換』 モリス・ギャラリー(東京) 1993『格子/闘争』 MARS GALLERY(東京) 1993『歴史改造パズル』 GALLERY・GEN(埼玉) 1996『What is a hole?/Make a revision of…』 SHIKI FUJIMORI GALLERY(東京) 2005『Random Open Textured』 MARU GALLERY(東京) 2006『Dust passes through the window』 GALLERY OBJECTIVE CORRELATIVE (東京)
主なグループ展
1990『Bゼミ展』 横浜市民ギャラリー(神奈川) 1992『Project for O.T』 ギャラリー・サージ(東京) 1993『In Between』 FLOATING GALLERY(東京) 1993『CONSTRUCTION IN PROCESS』 ARTIST'S MUSIUM(ウッジ、ポーランド) 1994『身体美術感』 ハラ・ミュージアム・アーク(群馬) 1995『The Age of Anxiety』 The Power Plant(トロント、カナダ) 1996『ATOPIC SITE(On Camp/Off Base)』 東京ビッグサイト(東京) 1996~98『Maniacs of Disappearance』 国立美術館(ブエノスアイレス、アルゼンチン)、Austrian Musium of Applied Arts (ウィーン、オーストリア)、その他オランダ、イタリアなど巡回 1999『第34回今日の作家展 APPROACHING REALITY』 横浜市民ギャラリー(神奈川) 2010『City Beats + Live explosions』 BankART1929(神奈川) 2015『無条件修復—UNCONDITIONAL RESTORATION』 milkyeast(東京)
散策研究会──地殻を近くで知覚する
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hangorin · 3 years
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【報告】5.9 五輪とても無理です。即刻ヤメロ!新国立競技場GURUGURUデモ
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(A photo by @mkimpo_kid: Check here for more photos.)
新型コロナ変異種ウイルスが猛威を奮い、3度目の緊急事態宣言が発出される中、都内各地ではオリンピック・テストイベントが目白押し。都立明治公園をつぶし、都営霞ヶ丘アパートをつぶし、野宿する人々を追い出して建てられた新国立競技場でも、5月9日、陸上競技のテストイベントが開催された。
私たちは、人々の命と暮しを踏みにじるオリンピックを今すぐ中止しろ!奪ったものを返せ!と声をあげるべく「五輪とても無理です。即刻中止!新国立競技場GURUGURUデモ」を開催した。
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(photo by @galbraithian; Check here for more photos)
テストイベントはTBSが生中継する力の入れよう。それに加えてオリンピック中止を求める声の高まりを受けてか、デモへの注目度も高く、開催前からスポーツ新聞を中心に「不穏な動き」などと抗議行動を予告する報道が行われ、集合場所には国内外のメディアが集結していた。
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デモ前の集会では様々な人がオリンピック反対の思いを訴えた。
まずは、98年長野オリンピック反対運動を取り組み、長野市での「聖火」リレーでも「オリンピック反対!」の声をあげた「オリンピックいらない人たちネットワーク」からの連帯アピール文が読み上げられ、続いて5月11日に福岡で「聖火」リレー抗議行動を呼びかけていた「オリンピック不要団」がリモートでアピール。
続いて、入管での面会支援を行っている学生の方が、オリンピックがいかに移民・難民の人々の人権を踏みにじっているか、実態を交えて強く訴え、「オリンピック追い出しヤメロ明治公園国賠」原告団の仲間からも新国立競技場建設における野宿者排除とオリンピック利権を糾弾するアピールが行われた。おことわりんくからは、5月1~2日の沖縄での「聖火」リレーとその抗議の様子を報告。新国立競技場建設に際し取り壊された都営霞ヶ丘アパートの元住民の方も駆けつけてくれ、生の思いを語って下さった。医療従事者の方からは「五輪をやめて医療や貧しいたちにお金を回すべき」と声が上がった。
(それぞれのアピールは記事後半に要旨を記載)
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デモは新国立競技場を2周!競技場の中からは時折、イベントを盛り上げるアナウンスや音楽が漏れてくる。
3月の2度のデモでは、警察官が車線よりはるか内側にデモを圧縮し、「早く歩け」「前につめろ」と至近距離から大声で叫ぶというデモ妨害が続いていた。同じことを繰り返さないよう、事前に抗議申し入れを行っていたにも関わらず、警察はこれを完全に反故にしたため、デモ隊は密状態を強いられながら進むことを余儀なくされた。
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それでも、目の前に公園を奪い、団地を奪い、人権を踏みにじった新国立競技場がそびえ建っている、その中でオリンピック関係者たちがのうのうとテストイベントを行っている、それだけで抗議の熱気は高まり「オリンピック今すぐやめろ!」の声は力強く轟いた。
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オリンピック再開発やめろ!
オリンピックで貧乏人を追い出すな!
明治公園を返せ!
霞ヶ丘アパートを返せ!
新国立競技場は呪われたスタジアムだ!
今すぐ解体しろ!
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デモ前日には、水泳の池江選手がオリンピックに反対する人々から「辞退しろ」という声を受けて苦しい、とTwitterで発信し、メディアではアスリートに怒りの矛先を向けるのは間違っているという論調が相次いだが、私たちは以下のようにコールした。
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オリンピックは政治だ
アスリートは極めて政治的だ
アスリートは政府の道具になるな
批判の声を封じるな
後の報道を見ると、抗議の声はテストイベント開催中の新国立競技場の中まで届いていたという。
デモが終わるころにはすっかり暗くなっていた。最後に、反五輪の会のメンバーが、オリンピック・パラリンピック翼賛教育が続く学校現場からのアピール、パラリンピックについて批判するアピールをおこない、解散となった。参加者は110名。
終了直後から、地上波テレビ番組を含む国内外の多くのメディアにオリンピック反対デモが報じられ、SNS等には賛同するコメントが無数に並んだ。いまやオリンピック・パラリンピックの中止を求める世論の高まりが、無視できないほどに大きくなってきていることの表われだ。
オリンピック今すぐやめろ!オリンピックより命を守れ!
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<各社の報道>
国立競技場で陸上東京五輪テスト大会 周辺では五輪反対デモ予定 緊迫感漂う中開幕(デイリー)
【東京五輪】「中止デモ」の予告で厳戒態勢…陸上のテスト大会がスタート(東スポ)
東京五輪中止求めるデモ行進が決行「今すぐ止めろ!」陸上テストイベント中の国立競技場周辺で(スポニチ)
【東京五輪】国立競技場周辺で大規模の反五輪デモ「中止しろ!」「誰のためにやるのか!」「貧乏人を殺す」(東スポ)
反五輪デモで国立競技場周辺は騒然…公安警察の〝抗議運動潰し〟も発覚(東スポ)
国立競技場前で五輪反対デモ「人殺しの五輪」「ぼったくり」陸上テスト大会中に抗議の声(デイリー)
国立で五輪リハ、温度差くっきり…緊急事態宣言下で“厳戒”陸上テスト大会(サンスポ)
国立競技場周辺で五輪反対デモ「医者もナースも限界だ」(共同通信)
国立周辺で開催反対デモ 東京五輪(朝日新聞)
「五輪いらない」デモの中、無観客で本番向けテスト大会(朝日新聞)
国立競技場前で東京五輪反対デモ 海外メディアも取材(毎日新聞)
東京五輪開催に抗議、国立競技場周辺でデモ(AFP)
「オリンピックより命を守れ」…東京都心で「オリンピック中止」デモ(WowKorea)
Two Tokyo Olympics: Inside and outside the National Stadium(AP)
[출처: 중앙일보] 일본 하루 확진 7000명 육박, 국민 59% “올림픽 취소해야”(中央日報)
Japan: Dozens march around Tokyo Olympic Stadium to protest against 2020 Games(Ruptly)
Protesters call for Tokyo Olympics to be canceled(Japantimes)
Tokyo Olympics: From a dream in 2020 to a risk in 2021(Times of India)
Protest against Tokyo Olympics(ABS CBN)
‘Olympics kill the poor’: Furious Japanese public protest Tokyo 2020 Olympics as calls to cancel Games continue
youtube
当日映像 :ken23quさんより
<集会アピール要旨>
1,「オリンピックいらほない人たちネットワーク」長野
皆さん、市民の力でオリンピック開催止めよう!ね。オリンピックより命が大切!あたり まえだよ! 4月1日、長野でも聖火リレー反対!東京オリンピック反対!の抗議行動をやりました。 「東京五輪開催反対!オリンピックいらない!聖火リレー反対!」を叫びました。バナーには「Fukusima Not Tokyo Olympics! (オリンピックなんかより福島だろ)」「NO Olympics Any Where!(世界のどこにもオリンピックいらない!)」「Breads Not Circuses!(サーカスよりパンを)」「オリンピックよりコロナ対策を」など。夜の7時、まるで葬式の参列者のような静かな観客の中を、スポンサー企業のデコバスと警察車両がぞろぞろ、スポンサーのための聖火リレー・オリンピックでしかないことが明らかだ。聖火 ランナーも集った観衆も IOCやオリンピックのダシにされたんだ。
そして、まさにこの時、NHKはライブ中継していた音声を30秒間「消音」した。公共放送を自称するNHKが、意図して「オリンピックいらない!」の声���なかったことにしたんだ。NHKがやったことは、私たちの声を消音しただけではなく、私たちの「思想・ 信条の自由」「表現の自由」を侵害したんだ。あったことをなかったことして、歴史を3 0秒消したんだ。
4月16日、NHK に「オリンピック・聖火リレー賛美の御用報道をやめろ!」「消音」を指示した過程などの調査公開を求める抗議文を提出。オリンピックは平和の祭典という大ウソ・五輪開催による国民意識(ママ)の統合が、憲法改正へつながる。消音は自ら報道の自由を侵害し、ジャーナリズムの自死に他ならないなどを理由にあげました。
皆さんの中にも、テレビで聖火リレーハイライトを見た人いるとおもうけど、気持ち悪い。感動の押し売りと涙。まるで戦時中の「肉弾三勇士 」、若い人は知らナイネ。
私たちは東京の皆さんへ連帯の意味も込めて 5月16日(長野)、22日 (松本)で「オリンピックいらない!コロナ下の五輪強行開催やめろ!」の連続集会をやります。
私たちは、「戦争をしない!させない!」ための練習として、オリンピックいらない!の声 を上げてきました。 私たち市民の力のリレーで、ホッケを食べてオリンピック・ファシズムをぶっとばし、貧困と格差・コロナまで拡げ、命まで奪うオリンピック止めましょう。
2021.5,8 オリンピックいらない人たちネット ワーク
Masao Ezawa
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2,「オリンピック不要団」福岡
何年も前からオリンピック反対行動をやられてきた皆さんをリスペクトします。
僕は絵をかいてメッセージを伝える職業なので、表現の自由といったテーマを中心に活動することがあります。2011年に警察からデモ行進を妨害され、国賠訴訟で争い、本人訴訟で2015年に高等裁判所で勝訴確定しました。警察相手の国賠訴訟で市民が勝つ割合は6%とすごく低いと言われているのに勝ったのが自慢です。
オリンピック反対行動をやらなければと思いつつ、福岡から地理的にも離れているので、今までなかなか腰があがらなかったのですが、聖火リレーが福岡にも来てしまうということでおしりに火がついてやっといま行動しています。
普段、福岡で脱原発、反戦、G8先進国首脳会議反対などのデモをやったり、Twitterに投稿したりすると、時々ネトウヨなどに絡まれるのですが、今、オリンピック反対と投稿してもそういうことが一切ありません。大多数の人たちが、この時期にコロナの中でオリンピックを無理やり進めようとするのはおかしいんじゃない?と感じている。マジョリティ側になって行動するのは初めてなのではないか、すごく珍しい機会だと思います。これを一緒に大きい声で福岡でも言っていきたいと思います。
福岡では、公道での「聖火」リレーは中止になりましたが、5月11日火曜日に平和台陸上競技場で聖火リレーの点灯式だけ行われます。この点灯式に夕方4時から競技場前で抗議行動をやろうと思っています。(5月11日当日の様子)
東京の皆さんと連帯して行動でき心強いです。
3,品川にある東京入管に被収容者の面会支援に行っているという学生の方
シュプレヒコール
オリンピック反対 税金使うな
オリンピック反対 コロナが優先
オリンピック反対 医療が優先
オリンピック反対 生活守れ
オリンピック反対 命を守れ
前提として、オリンピックというのは差別と暴力の祭典。それはあらゆる形で社会に現れているがその一つが入管だ。オリンピック招致が決まってから3年後の2016年の内部通達では「東京オリンピック・パラリンピックの年までに安全・安心な社会の実現を図るため、不法滞在者ら社会に不安を与える外国人を大幅に縮減することは喫緊の課題である」と述べられている。ここでいう「不法滞在者」というのは正規の在留資格を何等かの形で失った人。ただビザがない、紙切れ1枚がない、それだけのことだ。実際に2016年から収容はどんどん長期化し続け、5年以上も収容されている人もいる。
収容所内の状態は、まともな医療も食事も環境も一切提供されていない。医者に行きたいと訴えても実際に診察されるまでに一週間もタイムラグがある。検査もまったくしてくれず、嫌なら帰れと言われるらしい。死亡事故も毎年のように出ている。いかに入管の医療が医療として機能してい��いかわかる。
最近、仮放免されたネパール人女性は入管に2年1カ月収容されていて、子宮筋腫が悪化していた。外部の医者が検査結果を見て驚くほどの、いつ倒れてもおかしくない、手術をしなければならない状態だったにもかかわらず、仮放免されたのはそれから半年後。彼女は入管から、「病気が治ったらまた収容する」と言われたらしい。仮放免者は無保険で高額な医療費がかかること、就労できないためにお金がないことなど、入管はわかっていながら「出してやるから自費で治して帰ってこい」「治ったらまた収容するからな」と脅しをかける。こんな状態だ。
食事も品川入管では冷え切っていて、虫や髪の毛が入っていることもざらにある。そんなもの食べたくない。衰弱して食欲もない。しかし、食べないとハンストと思われて懲罰房に連れていかれる。だから無理に食べている。
懲罰房は、入管が問題行動を起こした人だと判断した人を連れて行く部屋。窓がなく、トイレも頼まないと流してもらえない。狭くて不潔なところ。
昨年の秋に仮放免されたフィリピン人トランス女性は、ハンストや抗議行動に一切参加していなかったにも拘わらず、懲罰房に6カ月も入れられた。これはやはり自分がトランスジェンダーだからだと彼女は語っている。
一方、オリンピックは何をやってるか。オリパラ公認プログラムとして、セクシャルマイノリティの情報発信や安全な居場所づくりを行うプライドハウスTOKYOレガシーなる事業がある。トランスジェンダーの移民をトランスジェンダーだからという理由で6カ月も懲罰房に閉じ込めておきながら、日本人のトランスジェンダーやマイノリティにはエールを送る。在留資格をもたない移民・難民を入管の中で虐待し、時には殺しておきながら、一部のスポーツができる難民は難民選手団として組み入れる。こういうレイシズム、排外主義、能力主義、様々な差別による命の選別こそがオリンピックの本質だ。だから、COVID19の感染拡大に合わせて選手やオリンピック関係者を医療面で優遇しろという話になったのも当然と言えば当然、オリンピックの論理はそういうものだ。いまはCOVID19が拡大したことで、この社会でデフォルトとされているような人にも命の選別が及んだから抗議の声が広がったが、これまでもずっと社会の中で弱い立場に置かれてきた人たちはオリンピックのために殺されてきた。それを忘れてはいけない。オリンピックが続く限り犠牲者は増え続ける。オリンピックは、様々な差別を軸にしてそれを押し広げることによって成り立っているから。
今やって���るトーチリレーも、あの火の燃料はレイシズム、セクシズム、能力主義、資本主義、新自由主義、ファシズム、優生思想、その他ありとやらゆる差別と暴力だ。それによってあの「聖火」は燃えている。だから「聖火」は消さなければいけないし、オリンピックは今ここで完全に廃止しなければいけない。オリンピックをやっている限り誰もが安心していきいきと暮らせる社会なんてものは絶対に実現しない。名古屋の入管で亡くなったウィシュマさんの問題がいま話題になっていて、「彼女が生きていけた社会を目指して」というスローガンがあるが、彼女が生きられた社会はオリンピックをやってる限り絶対に実現しない。だからオリンピックは世界のどこにもいらない。オリンピックを、いまこの場で終わらせたい。
4,オリンピック追い出しをヤメロ明治公園国賠原告団
皆さんが今いる新国立競技場は都立明治公園という公園だった。野宿者で、長い人は30年近く暮らして来た。新国立競技場を建設するため、2014年から16年にかけて、警察、裁判所、JSC、東京都が総力をあげて5名の野宿している住人を蹴散らすという国家権力むき出しの暴力が振るわれた。オリンピックという国策事業のためなら、貧民を暴力的に蹴散らして突き進む、そういったことは許してはならないということで、2年前から国賠訴訟という形で争っている。
最初は長年住んでいた仲間と追い出しをやめろ、話し合いで解決しろと交渉を重ねてきたた。それに対して2016年4月16日、強制執行という暴力で叩き出された。それから緊急避難として明治公園の一部であったこの「こもれびテラス」に半年間テントを張って暮らしてきたが、この場所も廃止された。そのあとに建ったのがこんなどでかいJOCビルだ。
もともとJOC、日体協は老朽化した岸記念体育館に本部があった。そこを建て替えても高層化できないということで困った森喜朗が東京都に相談したところ、都立公園であったこの土地が優先的に払い下げられた。立ち退き料として古い老朽化したビルは東京都に買い上げられ、その建設費も丸儲け。オリンピックだから、スポーツ団体だから、まるで私物化したように税金がじゃぶじゃぶ使われ、その一方で貧しい者、野宿している者にはむき出しの暴力がふるわれるということを、5年前、私たちはまざまざと見せつけられた。
これは日本に限ったことではなく、どこの国のオリンピックでも、もれなく巨額のお金が動くオリンピックのために貧民の暮しが蹴散らされてきた。私たちは東京で、こんなことは止めるんだということで闘ってきた。やれることはすべてやるつもりで、今現在も裁判で対抗している。
今年、こんな状況下でもオリンピックをやるとオリンピック推進事業者は言い続けている。その際には、いま皆さんの立っている新国立競技場地域一帯を封鎖する計画があるという。ラーメン屋もマンションも全部、地域一帯を囲って、そこら辺にゲートを作って、顔認証で関係者しか入れない。これを警視庁はセーフゾーンと言っている。
私たちは今年の開会式に合わせて既にデモ行進の申請をしている。警視庁からは、この辺りはセーフゾーンになるからデモができないかもしれないと言われた。この一帯にはまだ野宿する仲間、明治公園から追い出された仲間が暮らしている。その仲間のところにもいま東京都から「出て行け」「フェンスで囲うからな」「工事の邪魔だ」という圧力が徐々にかかっている。今、日本全国こんな状況下で「聖火」リレーが行われているが、東京で「聖火」リレーがやられるとき、また国や東京都が追い出しをかけてくるのではないかと皆心配している。皆で知恵絞って対抗していこう。
その一環として国賠訴訟に取り組んでいる。次回は6月22日15:30東京地裁706法廷。ご注目いただきたい。今回、東京地裁が証人として憲法学者の内藤先生を採用し証人尋問が予定されている。学者は通常書面のみで済まされることが多いので異例だ。
明治公園で起きた出来事は5年前だが、国家による暴力、オリンピックによる暴力について、一つ一つ洗いざらい蒸し返し、こんなことは二度とさせないと闘っている。皆さんも、コロナで国がこんな状況下でも暴走を続けるオリンピックに違和感を覚えているはず。ともに食い止めていきましょう。
5,おことわりんく
5月1日と2日に沖縄でもトーチリレーが行われた。沖縄ではまん延防止措置が取られているので、沖縄本島では公道を走るということはなく、人を制限した中で無観客のリレーが行われた。
私たちが行くことについて躊躇があったが、パンデミックの中でも辺野古の工事はずっと継続し、オリンピックも中止されない、「聖火」リレーもやられている、運動の側だけが止まってしまっていいのかという声におされて行くことにした。
沖縄本島の「聖火」リレーは無観客ということだったが、5月1日、名護市市民会館の駐車場を白いシートで囲った中で、100人のランナーが1日かけて走るということが行われた。上から見ると、囲った中を、さらにゴーカートのコースのように区切って、そこをランナーと警察官が走る。漫画のような光景だ。その市民会館の前で抗議のアピールをし、セレブレーションの間中私たちの声が響きまくっているという状況だった。途中、反基地運動をやっている医療従事者の方も飛び入りで参加してくれた。
翌日は沖縄戦の激戦地だった糸満の平和の礎で、人が入れないような形にしてトーチリレーが開催された。その日は那覇の県庁前でスタンディングをし、国際通りで「道じゅねー」という練り歩きを行った。沖縄ではいま、辺野古の埋め立て工事に南部戦線の激戦地の遺骨が残っている土砂が使われようとしており、人々は非常に怒り、県庁前でハンストをされている。その横でスタンディングをした。
その日は離島でもトーチリレーが行われることになっていたが、宮古島では基地反対の市民運動の人たちとともに中止するべきだという申し入れを行った。島ぐるみ共闘の中で生まれた、自衛隊基地に反対する市長は、宮古島では一切リレーをやらないという非常にすばらしい決断をした。同じ離島の石垣島では公道を使ったリレーが行われたが、日本会議系の市長で、首長の立場性が現れたのではないか。八重山諸島は9月にも史上最大の自衛隊演習が行われることになっていて、今回のトーチリレーもそれに対するセレブレーションのような意味合いを持つという風に沖縄の人々は感じているようだ。
1964年のオリンピックのときには沖縄から聖火リレーが始まった。復帰前で禁止されていた日の丸を振ることがそのときは認められて、一時期には復帰運動のシンボルにもなったが、復帰後の現状、日本として沖縄が一つに束ねられることに対しても非常に強い違和感をもち反対の行動をとっている。そういう意味でも、今回福島からリレーが始まるということも含め、トーチリレーのおかしさ、政治性を皆口にしていた。
目取真俊さんのブログの中に「5月1日に名護市では、市民会館周辺を使いオリンピックの聖火リレーが行われた。西海岸では巨額の放映権料を当て込んだオリンピック利権。東海岸では増額される工事費・警備費を当て込んだ辺野古利権。さらに選挙がらみの権力亡者たちが、新型コロナウイルスで市民に不要不急の外出自粛を呼びかけながら、自分たちは世論を無視したイベントや工事を強行している。」と書かれている。まさにこういうことが沖縄では行われている。沖縄と福島、東京五輪の問題はつながっているし、東京に住んでいる私たちの責任もすごくあると思っている。命を蔑ろにされいる人たち、暴力に抗って闘っている世界中の人たちと一緒にオリパラを中止させていきたい。
6、霞ヶ丘アパートを考える会&霞ヶ丘アパート元住民の方
<霞ヶ丘アパートを考える会>
このJOCの庭となっている「こもれびテラス」の向こうのエリアには230世帯10棟もの都営アパートがありました。ここで暮らしている人たちに対して、国立競技場ができるから、当初はラグビーW杯のため、そのあとは東京五輪のため、国策だと言って、事前の相談もほとんどないままに追い出しが行われました。2016年1月くらいまでに出て行けというのが東京都都市整備局の言い方でした。最終的に3世帯が残り、その1年後くらいまで、工事の中で、回りの棟が壊されていくひどい騒音と振動の中で暮らすという、過酷な状況に追い込まれました。今日は元住民の方が来て下さったので、ぜひ思うことを聞かせてください。
オリンピックのためにこれだけ弱い人たちが思いやりもなく追いだされたということは非常に悲しいです。日本だけじゃなく各国で弱い人たちがいじめられて強制的に排除されていると思う。その点はオリンピックに反していると思う。皆で頑張ってオリンピックより福祉に力をということでやっていきたいと思います。
<霞ヶ丘アパート元住民の方>
みなさん、こんにちは。私はこの辺、飯場があるあたりに住んでいました。国立競技場を建設するので出て行けと急に言われて、僕は重度の身体障がい者なので、そんなに簡単に出て行けないと言ったのですが、なんだかんだといろいろ言われて出ていくことになりました。出て行くにあたって、皆に一律17万円ずつ渡し、3カ所の場所を指定するからそこへ行ってくれと言われた。私は福祉関係や病院の都合で簡単に指定されたところに行けないと言ったが、ダメだと言われた。僕はすごく怒っているのです。この辺でずっと長い間住むつもりでいたのですが、強制的にオリンピックのために追い出されました。僕はいまどうしていいかわからないような状態でおります。
7,医療従事者の方から
医療関係者の一人として、なかなかこういう場で叫ぶことができない仲間に代わって声をあげたい。
日頃、ドヤ街で働いている。貧しい人、外国人労働者の人、非正規労働者でクビになった人、そういう貧しい人たちがかかるプライマリーケアの一人として従事している。日常のプライマリーケアにおいても、誰がコロナウイルスに感染しているかわからない深刻な状況だ。
いま経産省をはじめとして民間の医療機関をバッシングしている。公立病院に比べて民間病院はコロナ対策をしっかりしない、入院もさせない、そういう言われ方をしているが、いま、誰もがコロナウイルスをもっているかもしれないという懸念・危惧の中で、みんな緊張感を持って働いている。特にコロナ専用病棟の人たちは本当に大変な状況に置かれている。立川相互病院の窓ガラスに「もうカンベン オリンピック無理」という声があげられている。あれが医療関係者の声だと思う。いま医療が崩壊しようという状況、東京も今日も1000人を超えるような新規感染者数だ。緊急事態宣言が延長されようが、コロナウイルスの収束は見込めない。ここに五輪が呼べますか?五輪をここで呼んだらどうなってしまうでしょうか?(聴衆から「殺される!」の声)東京が、世界中に感染を拡大させる一大クラスターになってしまう。日本の責任、東京の責任として絶対に東京五輪はストップさせないといけない。
東京五輪、もともと6000億円と言われていた費用が、1兆6000億円、それも嘘で実際には3兆円、どんどんお金が膨らんでいる。そのお金を即刻医療に回してほしい。いま誰もが安心できる生活をするために、無料のPCR検査をしっかりとすること。そしてお金は貧しい人にこそまわしてほしい。経済対策、経済対策と言って、大企業にばかりお金を回してどうなるのか。非正規労働者の人たちが、消費に回すお金もなく、野宿に追いつめられ、自殺にまで追いつめられている。それを助けるためにしっかりとお金をあてること、それがお金の本来の使い方ではないか。
いまこれだけ全国でコロナが感染拡大したのは、まぎれもなく、菅首相と二階幹事長のGoToキャンペーンのせいだ。その責任をしっかりとってほしい。
五輪をやめて、人々のためにお金をつかってほしい。
6,東京の学校現場から
私は都立学校の労働者です。水泳の池江璃花子選手はSNSで、東京五輪出場を辞退してほしいという声に対して、「決まったことは受け入れ、頑張るだけ」と答えたことが大きな話題となっています。どこかで聞いたようなことのあるこの言葉、学校で職場で、何かにつけ「もう決まったんだから」と物言う口を塞ぐおなじみの言葉ではないでしょうか。
学校の同僚に、東南アジア出身の在日外国人生徒を何人か受け持ったことのあるというベテランの方がいます。外国人の在留資格には詳���いと自信満々ですが、話を聞いていると、例えば「そんなことをしていると強制送還される」等々、えっと思うようなことを口にすることがあります。その方は体育科で、入管法をスポーツのルールと同じように受け止めているーまさに池江選手の言葉と相通じる、「ルールとして決まっているのだから、決まったことは受け入れ、頑張るだけ」という発想なのです。それが、在留資格を認められない在日外国人一人一人の人権をいかに奪っているのか、まさに自分の目の前に在日外国人の生徒がいても、そこに思い至ることが全くないわけなのです。
話は変わりますが、4月末、赤旗が「学校連携観戦」―これは、オリパラ組織委員会が準備したチケットを都や県などの自治体が公費で購入し、それを各学校単位で子どもたちの観戦に当てるというものですが、この「学校連携観戦」についてのスクープを行いました。多くの保護者が我が子の学校の年間予定表をSNSにupして、感染症が蔓延し、修学旅行など学校行事が次々と中止になる状況の中で、オリパラ観戦だけは強行されるのか、と不安の声を上げています。幸い、私の勤務する学校は、リモート観戦にすることになり、現地での観戦はなくなりました。赤旗の報道があるまで、まさか、今の状況で生徒を競技場に連れて行くなんてありえないよね、どこの学校も同じだよね、と思い込んでいました。
学校のホームページを見ると、都立の障害児学校だけで、20校以上が今年の年間予定に「学校連携観戦」を入れていることがわかりました。基礎疾患のある生徒の多い肢体不自由校も4校が予定に入れています。
コロナが流行しなくても、猛暑の季節でなくても、チケットを一方的に公費で購入して、学校単位で観戦をさせるというのは、学校の裁量権を逸脱するものではないでしょうか。学校単位ということは、個々の生徒の立場からすれば、事実上の強制参加です。
すでに、学校連携観戦に向けて、引率担当教員による競技場の実地踏査が始まっています。多くの学校から教員が授業を抜け、子どもたちのそばを離れて競技場に赴くことを余儀なくされています。池江選手の言葉ではありませんが、多くの教員が「決まったことは受け入れ、頑張るだけ」と子どもたちと自分自身を大きなリスクにさらそうとしています。そして、それに対して責任を負う主体は全く見えてきません。
東京都教育委員会のサイトを見ると、学校連携観戦は2016年から進めてきた「オリンピック・パラリンピック教育」の「集大成」として「学校単位で直接観戦する機会を提供する」としていることが分かります。オリパラ教育で子どもたちの心と体をオリパラ成功のために絡めとり、学校連携観戦で観客席を埋める駒として利用する、それは「教育」ではなく「洗脳」に他なりません。
学校連携観戦は、神奈川や千葉など、東京都以外の学校でも、また私立学校でも多くの学校で予定されています。学校に通うお子さんのいる方、どうか、お子さんの学校の予定表を確かめてみて下さい。学校連携観戦の予定が入っていて不安を感じられたら、お子さんと話をしてみてください。担任の先生には、連絡帳などで不安な気持ちを伝えて下さい。そして、校長に「学校連携観戦をやめてほしい」と電話してください。
かけがえのない子どもの体、心、命を守るため、声を上げましょう。
まだ間に合います。
子どもにオリパラ教育、オリパラ観戦を押し付けるな!
オリンピックはいらない、世界のどこにも!パラリンピックはいらない、地球のどこにも!
7,反五輪の会から
パラリンピックにも「聖火」というものがあって、「やまゆり園」で採火するということが相模原市長から突然発表があった。障がい者も、「やまゆり園」の被害者遺族も、聞いてない!と抗議の声をあげ、抗議の結果、採火は「やまゆり園」ではしないということになったというが、このいきさつはオリンピック・パラリンピックの本質を象徴していると思う。
当事者ぬきで、権力を持っている人の思い描く「共生社会」を当事者に押し付けるてくる。私たちが全然共に生きているというリアリティを感じないような、パラリンピックの採火というもので「共生社会」を目指す決意を示す。これこそオリンピック・パラリンピックの本性を雄弁に物語っていると思う。
平和の祭典といっても、どこが平和なのか。宣戦布告をして戦争をしていないからといって、私たちまったく平和だとは感じていない。「共生社会」も同じで、当事者、障がい者やマイノリティの人たちが共生というものを感じていないのに、権力の側がこれが共生だとかこれが平和だとか押し付けてくる、それがオリンピック的だと感じる。
私たちが障害者運動から学んだことは、たぶん、それぞれの能力をのばすとか、欠点を克服するとかいうことではなく、それぞれのできること・できないことを、コミュニティが補いあい、共有する、そういう社会のありようだ思う。私たちは、競争しなくても、努力して無理しなくても、十分コンビビアルに楽しく幸せに暮らせるにも関わらず、オリンピックなどをやって、無駄に競争させられている。奴隷たちが争って支配者に気に入られるようにやっているのを、支配者が眺めて得をしている。そういうのがオリンピックだと思う。やめてほしい。
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arinkonokuni · 6 years
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【COCシナリオ】救いに非ず PL:バブさん
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KP:「救いに非ず」はじめていきます KP:  KP:【導入】 KP:あなたは理不尽な出来事に巻き込まれつつも特に変わり映えのない、平和な日常を過ごしていた。しかしあなたには一つの心配事があった。 KP:それは三花麒麟のことだ。一週間前家の前で別れて以降、彼の行方が今現在もわからないのだ。 KP:家に行ってみても、人の気配がしない、待っていても帰ってくる気配はない。あなたは独自に 三花を色々と探してみるかもしれないが、結局足取りどころか手がかりさえ掴めないでいた。 KP:失踪から、一週間たった今日の朝。 KP:あなたが玄関の扉を開くと、そこに一つの小包みが置いてあるのを見つけた。 KP:いつの前に置かれたのだろうか、伝票やシールなどは見当たらないため、宅急便ではなさそうだ。 KP:開けると中には箱より一回り小さいクーラーボックスが入っていて、ひんやりとしている。クーラーボックスには張り紙がしてある。 KP:「周東 華彩様 こちらで三花さんとお待ちしております。 このことはくれぐれもご内密にどうぞ。」 KP:という文字の下に、住所らしきものが書かれている。 周東 華彩:「………どうして、私が知らない三花さんの居場所を、しってるの……。」クーラーボックスを開けます…ひえ…… KP:【クーラーボックス】 KP:開けてみると、鈍く血色の悪い肌色が覗く。 形状は慣れ親しんでいるもののようで、しかしどこかその様子は非現実的だった。 KP:どこか土気色を帯びた指は力なくそこにあり、一見蝋細工のようだ。しかしまじまじと見ると作り物とは思えない生々しさがある。 KP:クーラーボックスに入っていたのは、切断された人間の手首だった。 KP:突然の非日常的な光景に SANC(0/1)。 周東 華彩:CCB<=64 SAN Cthulhu : (1D100<=64) → 10 → スペシャル KP:さらにアイデアができる。 周東 華彩:CCB<=75 アイデア Cthulhu : (1D100<=75) → 93 → 失敗 KP:【失敗】→見ていて気味が悪い。 周東 華彩:「………なんですか、これ。これが一体…三花さんと、何の関係が…?」 周東 華彩:「…………、」住所の紙を見て、少し悩んだ後 周東 華彩:「でも、ここに居るって言うのなら、行かないわけにはいかないですよね。」住所の場所へ行くことにします!!!! KP:住所を調べると、記載された住所は郊外の廃病院だとわかる。それほど遠くない。 KP:【廃病院】 KP:あなたは訝し気に思いながらも、クーラーボックスを持って記載された住所へと向かう。 KP:郊外の、それも寂れ切った商店街を抜けると、無機質な白い壁の建物が小高い丘に建っているのが見えた。 KP:どうやら記載されている住所はあの建物のようだ。 KP:建物に向かうため小高い丘を登る、しばらくすると入口らしきものが見えてきた。 KP:そして、そこに人影が倒れているのが見える。あなたはその人影に駆け寄る。近付くとわかるが、それはあなたのよく知っている人物。 KP:三花だった。 KP:しかしいつもの服装ではなく、白い手術服のようなものを着ている。 KP:どうやらきちんと呼吸もしているし、外傷もないようだ。 周東 華彩:「三花さん…?三花さん…っ!」駆け寄って抱き上げます 起こさなきゃ……! 三花麒麟:「…ん…」 三花麒麟:呼びかけると 三花は目を覚ます。 三花麒麟:「あ、れ…?すとう、さん」 三花麒麟:「なんでここに…」 三花麒麟:「ここ、何処?知らない場所だけど…」 周東 華彩:「………三花さん、よかった……無事、だったんですね…、」 三花麒麟:「は、はい…」 三花麒麟:「……確か、帰る途中後ろから殴られて…」あたまぽりぽり 周東 華彩:「覚えて…ないんですか…?ん……、と。」 三花麒麟:「あ…帽子…」 三花麒麟:「服もなんででしょうか…」困り顔 三花麒麟:「財布もないです…困りました…」 周東 華彩:「病院の前にいたので…そのせい、ですか…?でも、ここ……廃病院ですし……。」 周東 華彩:「もしかして、この中に、三花さんの私物、置いてきちゃったんでしょうか………?」 三花麒麟:「そう、なのですか…困りました…いや、別に外傷はないので、いいのですが…」 周東 華彩:「よくないですよ…っ、いや、あの、外傷がなさそうなのはいいことですけど…… 服や帽子はともかく、お財布もってことは、誰かが個人情報を悪用しちゃうかも……」 三花麒麟:「そ、そう、ですか…」 周東 華彩:「せめて、お財布くらいは……、ちょっと…探しに行った方がいいような……。」おろ… 三花麒麟:「…ちょっと、探して、みます…」廃病院にこそこそ 周東 華彩:「そう、ですね…もしかすると三花さんをここに連れてきた危ない人も居るかもなので、一緒に、行きます…っ!」ててて 三花麒麟:「あ、ありがとうございます…!」 KP:入口には扉があり、どこか寂れた無機質な外観だ。 KP:建物名が書かれたプレートがあったようだが剥がされている。開けるなら扉はすんなり開く。 KP:そして、それが開いた瞬間。鈍い音が建物の中から響いてくる。 KP:何か大きなものが壁にぶつかったような衝突音だが、建物の中から聞こえてきたこと以上のことはわからない。 KP:扉を開けると中を見ることができる。この建物は確かに現在は無人の廃病院なのだとわかる。 KP:しかし清掃されていたり、扉がきちんと閉まっていたり、少し人の気配がすることに違和感を覚えるだろう。 三花麒麟:「う…」明かりが無いので躊躇している 周東 華彩:「………やっぱり、ここ……人が…いるっぽいですね…?」こそこそ… 三花麒麟:「そう、ですね…」 周東 華彩:CCB<=80 幸運 懐中電灯は持っているのか! Cthulhu : (1D100<=80) → 75 → 成功 KP:懐中電灯あります!! 周東 華彩:「あっ、私こんなこともあろうかと……懐中電灯、持ってきたんです!」ぺかー! 三花麒麟:「あ、ありがとうございます!」 KP:あなた達が中に入ると、扉の一つが開き、中から誰かが出てくる。 KP:その誰かはあなたを発見すると、あっと驚いた声を出してこちらに向かってくるだろう。 グリーン:「ここは立ち入り禁止だよ、危ないから」 KP:そう語りかけてくる。その人物は、白い防護服のようなものに身を包んでおり、顔はマスクを付けている。 KP:そのため、顔を確認することはできない。 KP:ただ、腕に緑の腕章のようなものを付けているのを見ることができる。白い防護服にそこだけ色があって印象的だ。 グリーン:「ほらほら、早く出てって、お友達と一緒に」 周東 華彩:「えっ……と、あの……?」戸惑った 周東 華彩:「あの、ここに……お財布を、落としちゃったみたいなんですけど……。」 三花麒麟:「え、え…?」 グリーン:「あー…財布?」 KP:あなた達がそのようにやり取りをしていると、ガスマスクの背後から、また違う声がする。 レッド:「どうかしたのか?グリーン」 KP:声がしたかと思うと、同じ扉からもう一人、同じような格好の人物が出てくる。 グリーン:「ああ、レッドか、大丈夫問題ないよ」 KP:しかし、彼は赤い腕章をしているようだ。 KP:レッドと呼ばれた彼は、緑の腕章、グリーンと呼ばれた彼が止めるのも聞かず、あなたの前にやってくる。 KP:そしてあなたの顔をじっと見る。 レッド:「君、名前は?」 三花麒麟:びっくりして周東さんの前に立ちます 周東 華彩:「………あの、えっと……?」困って三花さんをみて、目の前の人を見みて、首をかしげている…… レッド:「どうしてここに来たんだい?」 三花麒麟:そういえば何で?って顔 周東 華彩:「……私は、三花さんを探しに……えっと、三花さんは……財布を探しに…?」??? レッド:「ふむ…だが、友達に無事会えただけでもいいだろう」 レッド:「帰りなさい」 周東 華彩:「……どうしましょう…?」三花さんをみて、困った顔をした…… 周東 華彩:「でも…お財布がないと、色々大変で……」 周東 華彩:「うぅん…?」おろ… 三花麒麟:「え、え…そもそも、周東さん、ここが、どうやってわかったのですか…?」 周東 華彩:「えっと、私は…その……家に、変なものが届いて、そこに…ここの住所が書いてあった、ので……」 三花麒麟:「え、じゃあ、この人達が呼んだのに帰れってこと…?ですか??」 レッド:「いや、違う」 周東 華彩:「えっ、この人たちが呼ん……あ、違うんですか……、」 周東 華彩:「じゃあ誰が送ってきたんでしょうか…?三花さんと、お待ちしております…って書いてあって…」 レッド:「ふむ…」 レッド:「なら、ここを見て回るといい」 レッド:「一応、我々も自己紹介しないといけないね」 グリーン:「レッド、それは……」 レッド:「いいんだ」 レッド:「私はレッド、赤い腕章を付けているからレッド、こちらはグリーン」 グリーン:「……」 レッド:「ここには何人か同じような服装の者が作業しているけどみんな私達の仲間だ」 レッド:「誓って君達に危害を加えたりはしないよ」 レッド:「実はこの建物は、私達のものじゃないんだ、来たのもつい最近でね」 レッド:「ここである事件があってそれを解決しに来た、ボランティアみたいなものかな」 レッド:「この建物は好きに見て回って構わない、ただしあちらのドアの向こうにある礼拝室だけは行ってはいけないよ。あそこ以外は安全だ」 レッド:「ここの事を、ここであったことをよく知りたいなら、事務室を目指すといい」 レッド:「それ以外にもいろいろあるけどね」 レッド:「じゃあ、私はこれで、他に質問があればグリーンに聞いてくれ」 KP:レッドはそのまま去ってしまう。グリーンはやれやれという様子だ。 周東 華彩:「はぁ………。」台風みたいな人だったなぁ…… グリーン:「レッドは何を考えているのやら、リーダーにはまた違ったビジョンがあるものなのかなあ」 グリーン:「言っとくけど、この先結構ショッキングだよ、覚悟がないなら早く帰った方がいい」 KP:そう言いつつグリーンもその場を去る。 KP:入口からではわからなかったが、建物内には何かが暴れたような痕跡がある。壁に傷があったり、天井が崩れていたり、機材が踏みつぶされたりしている。また、少しだが血痕なども見て取れる。 KP:しばらく奥へ進んでみると、ドアが破壊されていたり、壁が崩れていたり入れない部屋が目立つ。歩いていくとようやく入れそうな部屋を見つける。 KP:【実験室】【事務室】【資料室】【何も書かれていない部屋】に入ることができそうだ。 三花麒麟:「覚悟、ですか…」 三花麒麟:「あぶなそうなら、帰ってもいいんですよ…」 周東 華彩:「………でも、三花さん…、さっきの人が言ってた、ここで起こった事件に巻き込まれたから、あんな変なところで倒れてたんじゃないですか…?」 三花麒麟:「…そうかも、しれませんが…」 周東 華彩:「外傷がなくても……もしかして、身体に何か…へんなこと、されてるかも……ちゃんと、調べた方がいいんじゃ…?」 三花麒麟:「そう…ですね…ショッキングでも、何かわかれば…いいかもしれません」 三花麒麟:「すみません、また、お手数おかけいたします」頭を下げます 周東 華彩:「いえ、そんな…… 私は……、えっと、どう、いたしまして…?」照れました(?) 周東 華彩:「あ…どういたしましてって返し、可笑しいですね…」ちょっと笑った。 三花麒麟:「えっと、また…手、つなぎますか…?」 周東 華彩:「えっ、えぇっと、そう、ですね。その方が…はぐれなくて、いいのかも…ですね。」おずおずっと手を差し出しました 三花麒麟:「はい」手を握ります 周東 華彩:「ふふ。」照れ照れ… 三花麒麟:にっこり 周東 華彩:「んと、じゃあ……順番に見て回っていきましょうか…?あっちは…実験室……?」 KP:実験室 鍵はかかっておらず入ることができそうだ。 KP:実験室に入ると、鉄さびの匂いと生臭い臭気があたりに充満しているとわかる。 KP:床にはところどころ、血だまりが広がっている。そして何より目を引くのは、床を覆いつくす程ずらりと並べられた、白い布をかけられた何か。 パープル:「誰?」 KP:気付くと、あなた達の隣には紫の腕章をつけた防護服の人物が立っていた。 パープル:「どうしてこんなところに人間が?」 周東 華彩:「ま、また変な人…… えぇっと……」 三花麒麟:「すみません、レッドという方に許可を頂いて施設を見させていただいています。ここに財布を落としたかもしれなくて」 パープル:「ふーん…」 パープル:「そう、リーダーが…私はパープル、まあ見ればわかりますよね」 パープル:かりますよね」「私としては、うーん…あんまり見せたくないんですけど」 パープル:「まああなた達が勝手に見るのは仕方ないですよね」 パープル:「ここにあるのは死体です」 パープル:「本当は色んなところにあったけど、一旦ここに運び込んでいるわけです」 KP:手術台、冷蔵庫、棚をみれます KP:・冷蔵庫 KP:冷蔵庫を開けるとひんやりとした冷気が這い出してくる。その中には、人間の手首がいくつか入っていた。大きさや、細さなどは様々だ。【目星】ができる。 周東 華彩:「そう……なんですか……。」パープルさんに相槌を打って会釈しながらきっと冷蔵庫をみている 周東 華彩:CCB<=70 目星 Cthulhu : (1D100<=70) → 35 → 成功 KP:【成功】→手首の指先を見るとそこには簡単なタグが付いていた。よく見ると、それは全ての手首に付けられており、書かれている内容は、どうやら人名のようだ。 周東 華彩:CCB<=75 アイデア Cthulhu : (1D100<=75) → 61 → 成功 KP:【アイデア】→もしかして、この人名はこの手首の持ち主を示しているのではないかという考えに至る。 周東 華彩:「………これ……人の……それに、名前……ほんもの、でしょうか…?」 周東 華彩:流れでそのまま棚を見ますかね! 三花麒麟:「…!」 三花麒麟:「……手首…」 KP:棚棚には、医療キットや薬品が置いてある。また、一つの引き出しに、ノコギリやドリルが入っているのを見つける。薬品は知識がない限りは触らない方が良さそうだ。 周東 華彩:CCB<=51 医学 Cthulhu : (1D100<=51) → 14 → 成功 KP:劇薬等もあるが見知らぬ薬品は見当たらない。 周東 華彩:次は手術台かな���~~! KP:手術台には何も乗っていない。しかしその脇には様々な医療器具が置かれた台がある、医療器具は元々綺麗に並べられていたようだが、何かあったのか今はバラバラにただ置かれている。あるのはメスや鉗子等だ、知識がなければさっぱりだ。知識があるなら多少使い方がわかるかもしれない。 周東 華彩:「なんか……さすがに、実験室って感じですね……」 三花麒麟:「…なんだが、酷い実験がされていたのかもしれません…」 周東 華彩:「……やっぱり、ちゃんと…調べてから、ほんとに無事なんだって確証をもって、ここから出ないとだめですね…っ!」ふんす 三花麒麟:「そ、そうです、ね…」 三花麒麟:「資料室なども見てみますか…?」 周東 華彩:「そうです、ね……資料室っていうほどですから、なにか、手掛かりが見つかるやもですね…!」 周東 華彩:「んんと…お邪魔してすみません、でした。別の部屋に、行ってみます。」って言ってパープルさんに会釈して実験室を出ます! パープル:ぺこ KP:資料室鍵はかかっていない。中に入ると、薄��く、どこか気味の悪い部屋だ。【読み書き机】と椅子とスタンドライトが一つ。あとはいくつか【本棚】がある。どうやらここには防護服を着た人物は居ないようだ。 三花麒麟:「本棚、見てみます。何か資料があれば…」 三花麒麟:CCB<=25 図書館 Cthulhu : (1D100<=25) → 5 → 決定的成功/スペシャル 周東 華彩:「じゃあ私はこっちの机を………」 KP:本棚本棚には難しく見たことのないような言語で書かれたものが大半だ。そういうこと(未知の言語)について詳しくない限りは読み解くのは難しいと感じる。 KP:読み書き机 机には古びた本が置いてある。 そして、そこには紙の質感が違う冊子が挟まっているのも見えた。中身も表紙も古く読み難い中国語で、内容を読み取ることはできない。しかし挟まれている冊子だけは日本語訳されているようだ。 KP:書かれているのは 「イドラ/覆い隠すもの、夢の魔女」と「イ夫人」という存在についてだった。その冊子は何度も何度も読まれたようで、ボロボロになってしまっている。 KP:資料を読んだ場合は未知の存在を知り、言いようのない不安を覚える。SANC(1/1d3)。神話技能+2。 KP:<冊子の内容> ・イドラ 豊饒の女神。「夢の魔女」の呼称を持つ。 この神は本質的に変幻自在のアメーバのような生き物であり、美しい姿を取ることもあるがそれらはまやかしである。 あらゆる生き物から遺伝子素材を吸収し未来永劫生き延びる、また信者に不老不死や、自身と一体となる栄誉を与える。 イドラは時にみだらな結合の際に生き物を取り込み、遺伝子構造を再配列し、新たな発狂した怪物として生まれ変わらせる。 崇拝者は「イドラの子」と自らを呼称する。 ・イ夫人 イ夫人は数多くあるイドラの化身の中の一つである。 彼女はうねり風になびく美しい黒髪をうしろで結わえた磁器人形の様な繊細な容姿で信者達の前に現れる。 圧倒的な力を持つが、その分気まぐれである。 KP:またメモが挟まっまたメモが挟まっていた。 KP:<メモの内容>そこには【生贄鎮静に用いること】と題された、不可解な文字列が書かれていた。INT*4 を行うことができる。 周東 華彩:CCB<=(15*4) Cthulhu : (1D100<=60) → 4 → 決定的成功/スペシャル KP:【成功】→それはどうやら【記憶を曇らせる】という名前の呪文のようだった。あなたは【記憶を曇らせる】を取得する。(呪文の詳細については基本ルルブ 255p 参照) 三花麒麟:「…なにかわかりますか?」 周東 華彩:「……んん……あの、なんか……変な、メモが……あ、でも……今回の件に、あんまり関係ない…?かな…?」もにょぉ…… 三花麒麟:「…そうですか…何か思い出せればいいんですが、すみません…」 周東 華彩:「いえ、いえ……そんな、大丈夫です。私こそ……倒れていたのに、無理させて、すみません…」 三花麒麟:「いえ…」 周東 華彩:「次の部屋には、手掛かり…あるといいんです、けど……。」名もない部屋に行きます!わー! 事務室は後回しだ KP:何も書かれてない部屋 KP:鍵はかかっておらず、入ることができる。部屋の中に入ると今度はオレンジの腕章をつけた人物が居る。この部屋はどうやら個人の個室として使われていたようで、今までの部屋よりか狭い。部屋の中の人物は棚や机から物を引っ張り出して袋に詰めていく、どうやら回収しているようだ。 オレンジ:「おい、そこの人間、何を見ているんだ?」 オレンジ:「まさか教団関係者の生き残りか?」 三花麒麟:「!」 周東 華彩:「えっ、教団…?なんのことでしょうか……私たちは…えっと、」 三花麒麟:「いえ…えっと、教団…?」 周東 華彩:「探し物を、しにきました…?」 オレンジ:「はぁ?」 周東 華彩:「そこで、赤い人に…見て回ってもいいって、言われたので……」こわやこわや… オレンジ:「何!?」 オレンジ:「レッド、何を考えているんだ…理解できないぞ」 オレンジ:「こんなところに、こんな…うーむ」 オレンジ:「俺はオレンジ」 オレンジ:「ここは見ての通り物品の回収中だ、ここが終わったら資料室にも行かなければならん」 オレンジ:「そもそも誰のためにやってると思ってる…全く…」 オレンジ:「じろじろ見られると邪魔だ、そこの机の上にあるものが新しいものだからそれを見れば十分だろ」 オレンジ:「最近のものはまた別に回収するからな、それまでの間だけだぞ」 三花麒麟:「ありがとうございます」 周東 華彩:「ありがとうございます…?」机を見ます! KP:机の上 そこにはノートのようなものが置かれていた。ノートを開いてみると、その大半は血液で汚れ、くっついている。なんとか読み取れるところを読み取ることしかできないがどうやらこれはこの部屋の持ち主の日記のようだ。日記は、昨日の日付のものまである。 KP:<信者の日誌> ・人と人とが離れ離れになるというのはやはり見ていて悲痛極まりない。 これ程悲しいことはない。 ・どうにかして彼らに永遠を与えてやれないだろうか。 人々を救うのは優れた力を持つ者の使命である。 ・我々の神は慈悲深く、寛容であらせられる。 できないことなどありはしない。 ・教団の全員である計画を始動した、これで苦しむ人々を救済することができるだろう。素晴らしい。 ・これで彼らは永遠に、離れることはないのだ。 KP:日記を読むとオレンジに部屋を追い出される オレンジ:ちょいちょい 周東 華彩:「追い出されちゃった…… 事務室…みてみようかな……」仕方がないので事務室! 三花麒麟:「彼らも仕事のようですから…事務室ですか、行ってみましょう」 三花麒麟:手を握り直しておきます KP:【事務室】 周東 華彩:幸せになりました… KP:扉は開いている。入ると藪から棒に声が飛んでくる。 ブルー:「グリーン!何してたのよ、遅すぎ」 KP:声のした方を向くと、そこには青い腕章をつけた防護服の人物が居る。 ブルー:「あれ?グリーンじゃないのね、人間?」 ブルー:「なんでもいいけど、ほらほら出てった」 周東 華彩:「えっ、えっ……あの、困ります… あの、あの、一応…赤い人に、見て回ってもいいって言われてるんですけど…。」 三花麒麟:「何があったかも、知りたくて…」 ブルー:「ふーん、ここで何があったか知りたいってわけ…」 KP:防護服の人物はじろじろとあなた達二人を見る。 ブルー:「そっちのアンタはいいわよ」 ブルー:あなたを指さす。 ブルー:「でもそっちのアンタはだめ、外で待ってて」 三花麒麟:「え」 周東 華彩:「えっと……どうして、ですか…?」 ブルー:「何故じゃないわよ、アンタからも説得して、さっさと外に出しなさい」 ブルー:「なんだったら二人まとめて追い出してもいいんだからね」 三花麒麟:「…あの、なら、自分が出ますが…」 周東 華彩:「……それは……んん……し、しかたない…ですね……。」あんまり一人にしたくはないなぁ…と思いつつ… 三花麒麟:「何かあったら、声を出していただければ、外に待っていますので」 三花麒麟:頭を下げて外に出ます ブルー:「アタシはブルー」 ブルー:「レッドの考えてることはなんとなくわかるけど、あんまりにもあんまりなのよね…」 ブルー:「まあ、ここに行けって言ったってことはそういうことなんだろうけど…」 ブルー:「確かにアンタの疑問の答えはここにあるわ」 ブルー:「でもそれを知って後悔しないって覚悟が、本当にあるわけ?」 周東 華彩:「それは……もちろん。」 ブルー:「………」 ブルー:「その言葉、忘れないことね」 ブルー:「…こんなこと言っても仕方ないか、とにかくこれを見なさい」 KP:ブルーはそう言って事務室にあったパソコンを操作し始める。 あなたがその画面を見ようとしたその瞬間。 KP:また建物内に、鈍く大きな音が響き渡る。 聞き耳ができる。 周東 華彩:CCB<=70 聞き耳 Cthulhu : (1D100<=70) → 52 → 成功 KP:【成功】→どこかで聞いたことのある声がした気がした。 周東 華彩:CCB<=75 アイデア Cthulhu : (1D100<=75) → 22 → 成功 KP:【アイデア】 KP:【アイデア】→音が聞こえてきたこの方向は、レッドが言っていた礼拝室の方向だとわかる。 KP:ブルーは少し考え込んだ後 ブルー:「いいから今はこれを見なさい」 KP:と映像を見せてくる。 KP:【映像の内容】 映像は、どうやらハンディカメラで撮影されたもののようだった。 黒いローブをまとった人間が何人か集合しているところを写している。 ふとアングルが下に向く。 そこには、何本も密集して建てられた蝋燭、果物や酒、逆さに吊り下げられた鳥。 :そして何人かの人間が後ろ手に腕を縛られ、転がされていた。 そこには三花の姿もあった。 よく見ると、それらの人間には皆片方の手首がない。 もぞもぞと動いていたり、うめき声を発したりする者もいる為、生きているのだとわかる。 アングルが変わる。 少し高い台に登った黒ローブが、声を張り上げる。 「これより儀式を始める!」 それを合図に、周りの信者達が何事かを唱え始める。 それはお経のようだったが、どこか聞いたことのない言語だった。 ハンディカメラのごく近くでもそれが聞こえる、どうやら撮影者も唱えているようだ。 それがしばらく続いたかと思うと、1人の信者が「あっ!」と声を上げる。 すると、信者たちの輪の中心に、黒と白で彩られた美しいローブを着た女性が現れた。 信者たちは一瞬で静まり返り、皆首を垂れ、平服する。 女性は気にする様子もなく、ニコリと微笑む。 カメラが床に置かれたのか、アングルが一定になる。 再び床に転がされた者達が写される。三花の姿も変わらずそこにある。 ローブの女性は品定めでもするかのように、一人、また一人と検分していく。 そしてその女性は。三花の前で足を止めた。 クスリと小さく笑い声が聞こえた。次の瞬間。 女性の姿が泥のように溶け、赤黒い肉塊、黄色い脂肪、時折見える白い肌を波立たせる、一つの大きな塊となる。 ボコり、ボコりと小気味良い音を立て、肉塊の表面に無数のぎょろっとした目が現れる。 バシャリ、と音がしたかと思うと、肉塊の一部が飛び出して、鳥の脚のようになる。 三花は、その様子をどこか呆然とした様子で見ている。 それを見て化け物は口の様な部分を形成しニコリと笑った。 ぎこちなく、奇怪な動きで、化け物は三花へ近づいて行く。 ついには化け物の体に遮られ、三花の体が見えなくなる。 不意に狼狽えるような声が聞こえ。 次の瞬間、マイクは絶叫を捉えた。 ぐちゃぐちゃぐちゃ、と粘着質な音が聞こえる。 ごきりごきり、と骨が折れる音が聞こえる。 ぶちぶちと、何かを引きちぎる音が聞こえる。 周囲に赤い鮮血が飛び散る。 しかし声が止むことはない。それどころかさらに悲鳴は激しさを増し、苦しむ声と懇願する声が混ざる。 捕食されているのであれば、とっくの昔に息絶えているだろう。 そうならないのは、何故か。何か別のおぞましいことが起こっているのか。音声だけしか聞こえない今、知ることはできない。 やがて叫び声は途絶える。 アングルが変わる。 どうやらカメラを誰かが手に取ったようだ。 次の瞬間、白磁人形のような、美しい顔立ちの女性が映る。 どうやら、彼女がカメラを持ったようだ。 :その背後に、何か大きなものが映っている。 しかし、アングルが悪くよく見ることができない。 女性はカメラに向かい薄く笑う。 :そのままカメラの部分を手で覆う、直後グシャリ、と大きな音が聞こえ映像は終わった。   KP:衝撃的な映像を見た為SANC(1/1d8)。 周東 華彩:CCB<=62 SAN Cthulhu : (1D100<=62) → 30 → 成功 どどんとふ:「周東 華彩」がログインしました。 どどんとふ:「KP」がログインしました。 KP:【事務室】 ブルー:「……」 ブルー:「レッドは…一体何を考えているのかしらね」 ブルー:「折角用意したものを壊すような真似をして」 周東 華彩:「………これは……、ほんとうに…?……いえ、」 ブルー:「これ以上アタシからは何も言うことはないわ」 周東 華彩:「せっかく用意したものって、なんですか………。」 ブルー:「レッドから連絡があったわ、入口の方で待ってるって」 周東 華彩:「どうして、」 ブルー:「狼狽えないで、外のあの子に聞こえるわよ」 周東 華彩:「………用意したものって、もしかして、」 ブルー:「まぁ……死んだ方がまだマシなんじゃないかしら」 ブルー:「ほら、さっさと行きなさい」 周東 華彩:「…………」仕方なく出ていきます……スン KP:事務室から外に出れば三花と何の問題もなく合流できる。 三花麒麟:「…!周東さん…大丈夫でしょうか…顔色が…」 三花麒麟:  周東 華彩:「………いえ、あの……大丈夫です。」 三花麒麟:「中で、何かされたのですか…?」 三花麒麟:不安げ 周東 華彩:「何も…ただ、ただ……映像を、見せられた…だけで。」 三花麒麟:「それは、どんな…いや、私は、見ない方がいいから追い出されたのでしょうが…」 三花麒麟:「何か、わかったのですか…?」 周東 華彩:「ここで起こった、事件の映像です。そう、ですね……三花さんは、」 三花麒麟:「……」じっ 周東 華彩:「三花さんは………、」 三花麒麟:「はい」 周東 華彩:「…………いえ、大丈夫です、やめましょう。 私は、貴方を信じているので……。」 三花麒麟:「…��かりました…私から追及は、しません…ですが、不安な事があったら、言っていただければ…」 周東 華彩:「……本当に。大丈夫ですよ。貴方が今、元気ならそれで、」 周東 華彩:「……ありがとうございます。」 三花麒麟:「いいんです、ここまで、助けに来てくださったのは周東さんなのですから」 三花麒麟:「もう、行きますか…?」 周東 華彩:「……………、」困ったように笑う 周東 華彩:「はい。ブルーさんが言ってました。入り口でレッドさんが待っているようです。行きましょう……。」 三花麒麟:「わかりました…」 三花麒麟:「あ」 三花麒麟:手を握ろうとしたけどちょっと躊躇 三花麒麟:「いきますか」 KP:そのまま入口に戻ればブルーの情報通りレッドとグリーンがあなた達を待っていた。 レッド:「…来たか」 レッド:「ここで何があったか、多少はわかったかい?」 レッド:「最後に私の口からも説明しよう」 周東 華彩:「……わかりたくは、ありませんでしたけど。」 レッド:「しかし三花君には席を外してもらおう、ブルーの意見だが」 レッド:「頼んだぞ、グリーン」 グリーン:「ああ」 グリーン:「飯でも食おう」 KP:そう言うとグリーンは三花を連れ立って去ろうとする。 KP:三花は不安げな表情を見せます 三花麒麟:「周東さん…」 周東 華彩:「……三花さん……、しばらく何も食べてないでしょう、ご飯、いただいてきて、ください。」 周東 華彩:「こっちは大丈夫ですので……、ね。」 三花麒麟:「…わかりました…無理をしないでください…」 KP:三花は席を外す。 KP:三花の姿が見えなくなると、レッドは落ち着いた様子で話し始めた。 レッド:「……三花君は、どんな様子だ?」 周東 華彩:「……不安そうですけど、特に変わったところは…ないと思います。」 レッド:「そうか、ならよかった」 レッド:「…昨日、この施設ではある儀式が行われた」 レッド:「豊穣の女神イドラ降臨の儀式だ、しかも今回は生贄を捧げるだけでなく、新たな化身を生み出すことを、信者たちは懇願したらしい」 レッド:「儀式は成功し、イドラはここに降り立った、生贄を受け取り、要望通り新たな化身を作り出した」 レッド:「そうしてイドラは去った…問題はここからだ」 レッド:「新たに産まれた化身が、この施設の者、教団関係者を皆殺しにしたんだ」 レッド:「イドラを信奉する者の中でも、彼らは特殊だったようで、神の恩恵を信者でない者にも分け与えようとしたらしい」 レッド:「そのため今回、信者でないものが化身になってしまったのが事の原因だと推測している」 レッド:「すべてが終わった頃、やっと私達はここを見つけた」 レッド:「…」 レッド:「…実は私達は、人間ではないんだ」 レッド:「ミ=ゴという種族を聞いたことがあるかい?普段は人間を驚かさないようこんな格好をしているがね。実際はこんな姿ではないんだ」 レッド:「同じ種族が迷惑をかけたことがあるなら申し訳ない」 レッド:「私達もまた種族の中では変わり者でね、私達は人間を助けることが好きなんだ」 レッド:「この施設の惨状を見て、今回もそうしようと思った、何より、私達にはそれができる」 レッド:「人間よりずっと優れた科学力を持っているからね」 レッド:「そうした結果が、彼だよ。彼は君の知る通りの三花君だったろう?」 レッド:「この教団は、犠牲者を化身にした後、その人と親しい人間を呼び出して取り込ませるつもりだったらしい。2 人が、永遠に離れないように」 レッド:「君のところにそれが送られたのはそういうわけだ」 レッド:「君がくるタイミングを見計らって、彼をあそこに寝かせておいたのは我々だ」 レッド:「心配しなくても、彼は遺伝子的にも、記憶だってもちろん、君の知る三花君だよ」 レッド:「ブルーは、随分と張り切って記憶を抽出していたからね」 レッド:「……幸いにも、化身には脳の部分が残っていた。そこから記憶を取り出した、ただしこの施設での出来事以外の記憶をね」 レッド:「あとは君達を追い返して。それで、終わりなはずだった…」 レッド:「……けれど、この中を知りたいと君が言うのを聞いて」 レッド:「ふと、このまま帰していいのかという気持ちが沸いてね」 レッド:「こうして、中を見てもらった」 レッド:「単刀直入に言おう。その手首の持ち主である三花君は」 レッド:「生きている」 レッド:「しかし、しかしだ。君と接していた時の面影はない。知性も、自我も人の姿さえ失くなってしまった」 レッド:「ただ無作為に暴れ、目につくものを襲う。そしてもう、永久に元には戻らない」 レッド:「……何故なら今の彼、イドラの化身は不老不死なんだ」 レッド:「傷付く端から再生して、遺伝子を操作しようにもお手上げでね」 レッド:  レッド:「君に、お願いがあるんだ」 レッド:「その手首を渡してくれ。それを使っても、化身を元に戻すことはできない」 レッド:「しかしそれを使えば、イドラの化身の生命活動を停止させることが可能になるんだ。逆に言えば、その方法以外で、殺すことはできない」 レッド:「今も、礼拝室では化身をどうにか抑え込んでいる。不老不死という特徴、くわえてあの狂暴性」 レッド:「他の人間の為にも野放しにはできない。我々が隔離することになるだろう。…無理にとは言わない」 レッド:「化身になったとしても、彼こそが、本物の三花君だと君が判断するなら、命を奪うなんてできないだろう」 レッド:「先ほどまで隣に居た彼と、化身となり変貌した彼」 レッド:「どちらが三花君なのか」 レッド:「決めるのは君だ」 周東 華彩:「………、どっちが………」 周東 華彩:「どっちも、三花さんです…。」 周東 華彩:「自分を自分だと思っている彼も、化身…?になってしまった、彼も……どちらも三花さんで、本物がどっちであるかは、」 周東 華彩:「私が決めることじゃありません…。」 レッド:「…」 周東 華彩:「………化身の彼には、会えますか…?」 レッド:「……今の彼の姿は、人間にとっては恐怖の対象にしかならない」 レッド:「見れば正気を失ってしまうかもしれない」 レッド:「しかし、君の思いを無下にはできないな、会うことはできないかもしれないが…覚悟があるならついてきたまえ」 周東 華彩:「………わたしは、どんな三花さんだって、受け入れます。その覚悟は、とっくに、できています…。」 レッド:「わかった」 レッド:レッドはあなたをどこかへと案内する。やがて、大きな両開きの木製の扉の前まで来た。扉には後付けと思われる分厚い鋼鉄製の鉄板が打ち付けられていた。 KP:【礼拝室前】 レッド:「イエロー、グレー、ちょっと一旦作業を中断してくれ」 レッド:レッドがそう呼びかけると床に穴の様なものが開き、そこから防護服の人物が二人這い出して来る。片方は黄色い腕章。もう片方は灰色の腕章をつけている。 イエロー:「レッド、不活性剤は手に入れたの?もう持たないよ!」 グレー:「………」 レッド:「…カメラは設置したな」 イエロー:「それは、まあ指示通りやったけど」 レッド:「悪いが直接姿を見せるわけにはいかない」 レッド:「……写せ」 イエロー:「はーい」 KP:イエローは小さな端末を取り出す。 KP:その液晶に光が灯り、次第に映像が見え始める。粉塵が舞い、視界が悪い。 KP:そんな中、大きな黒い影がぬっと現れる。 KP:きらり、と光るものがある、大きな影には鱗があるようだ。そうかと思うと鋭く針のような体毛がびっしりと生えている部分も映る。 KP:体型としては二メートルほどの巨大な猿のようにも見えるが、頭部に当たる部分には無数の赤い目が常に何か赤い液体を垂れ流している。口は見当たらない。 KP:足は鳥のもののように見える。五本ある。指が六本あり、そこだけ白くまるで粘土のようにつるりとしている。 KP:不意に、見えているのかわからない目が、一斉にこちらを向く。 KP:一瞬ぶるりと頭部が大きく痙攣したかと思うと。次の瞬間、耐え難く断末魔のような絶叫が響きわたる。 KP:聞き耳ができる。 周東 華彩:CCB<=70 聞き耳 Cthulhu : (1D100<=70) → 41 → 成功 KP:【成功】→ 濁っていて、かけ離れているものの、三花の声と似ている気がした。 KP:またおぞましい化け物の姿に SANC 1d6/1d20。 周東 華彩:CCB<=61 SAN Cthulhu : (1D100<=61) → 33 → 成功 周東 華彩:1d6 Cthulhu : (1D6) → 6 周東 華彩:CCB<=75 アイデア Cthulhu : (1D100<=75) → 11 → スペシャル 周東 華彩:1d10 Cthulhu : (1D10) → 9 KP:奇妙なもの、異様なものを食べたがる 周東 華彩:ストレスにより、突然懐中電灯をかじりだす系女子……? 周東 華彩:1d6 Cthulhu : (1D6) → 1 レッド:「…」 KP:扉と鉄板がびりびりと振動する。化け物はそのまま何事が喚き散らしながら、まるで骨がないかのようにぶらりと垂れ下がった前足を大きく振り上げ。カメラの映像は途切れた。 三花 麒麟:  イエロー:「よくもった方だよ」 イエロー:「今日だけで三回は姿が総入れ替えしてる。そのたびに対策を練るのは無理だよ」 グレー:「攻撃した場所から部位を入れ替えていく、から、下手に手出しができない」 レッド:「…やはり接触は難しいな」 KP:一旦、周囲は静かになる。 KP:すると、どこからかこちらへやってくる足音が聞こえる。 三花麒麟:「周東さん、大丈夫ですか…!今すごい音が…」 KP:そして、三花とそれを追うグリーンが姿を現す。 グリーン:「俺は止めたからな!」 KP:グリーンのそんな声が周囲にこだまする 三花麒麟:「周東さん大丈夫ですか…」 三花麒麟:「ここは、危険ですから…やはりでたほうが…」 周東 華彩:「三花さん………、」 KP:ガリガリするのやめていいよ 三花麒麟:「…おちつきましたか…?」 周東 華彩:「…は、はい……。」 周東 華彩:「………あの、あの…もう少しだけ…待ってください。」 三花麒麟:「…わかりました」 周東 華彩:「………レッドさん、彼は……自我がないと言っていましたが、」 周東 華彩:「肉体的な苦痛は、感じ続けているのでしょうか………、」 レッド:「…」 レッド:「自我が無いや、不老不死、といえども、攻撃すればこちらに振り返り反撃をする。」 レッド:「それが、触覚なのか、痛覚なのか、我々には判断しかねる」 周東 華彩:「そう…ですか。」 周東 華彩:「私は、……どちらの彼も、救いたい。」 周東 華彩:「化身の彼が今の状態が苦痛だと感じているのであれば…それを、感じなくさせてあげたい。」 周東 華彩:「生きている彼が、自分自身を疑わないのであれば、連れて帰ってあげたい。」 周東 華彩:「私はどちらが本物か、偽物か…を選ぶ権利を持っていません…。」 周東 華彩:「だからこそ、私のエゴで…二人を助けるのは、間違っているでしょうか…?」 レッド:「……」 ブルー:「エゴね」 KP:突如背後からそう聞こえる。 KP:そちらを見ると、そこにはいつの間にかブルーが居た。 ブルー:「どっちも選べないなんて覚悟がないだけ」 ブルー:「もし助かる道があるなら、あなたはあちらを選ぶんでしょう」 ブルー:「アンタにとってはあっちが本物なんでしょう?」 ブルー:「じゃあもうこの子は要らないってことね」 KP:注射器を持ち針先を三花の皮膚に当てた状態で、羽交い絞めにしている。 周東 華彩:「………違います、どちらも本物の三花さんです。」 ブルー:「違うわ、どう変わろうと、もし、あちらに戻る手立てがあったらあちらを選ぶでしょう?」 ブルー:「そのとき二人いたら消えるのはこっち」 ブルー:「要らないなら存在したって意味がないじゃない」 三花麒麟:「どう、いう、意味…ですか…」 周東 華彩:「私にとっては、三花さんが自分を三花さんだと信じている限り、どちらも本物の三花さんです。」 ブルー:「同じ人間が二人いていい理屈なんてない」 ブルー:「そんなの悲しいでしょ」 周東 華彩:「………悲しくないです、私はもし二人の三花さんがいるのなら、どちらの幸せも、願うだけですから……。」 ブルー:「幸せ?」 ブルー:「何が幸せなの?」 ブルー:「あなたにとってあっちが本物なら、私は何のためにつくったの?」 ブルー:「だからここで終わらせてあげようと思って」 ブルー:「さあ、この子はアンタにとって何なの」 ブルー:「聞かせてもらおうかしら」 KP:三花は事態を把握できていないようで、困惑した状態であなたを見ている。 周東 華彩:「何度も言いますが、どっちも本物の三花さんです。貴方は……ただ本質の捉え方が私と貴方の意見が合わなかったことに対して、癇癪を起しているだけじゃないですか……。」 周東 華彩:「私にとっては、どちらも尊重すべき、大事な人です。」 ブルー:「…そう」 ブルー:「じゃあ、あなたは何も手を下さず、帰るのね、奥の子にも、ここの子にも」 周東 華彩:「それは、違います。」 周東 華彩:「先ほどから言ってるように……私はどちらも救いたい。だから、」 周東 華彩:「化身の彼には死んでもらった方がいいと思っています。」 ブルー:「……」 周東 華彩:「だって永遠に終わることなく苦しむくらいなら、その苦痛を取り除いてあげるのが一番じゃないですか。」 ブルー:「それを渡しなさい」そう言ってブルーは周東が持つ手首を指さしてくる。 周東 華彩:「…………貴方に、渡すんですか…?」 ブルー:「いやならレッドでいいわ」 周東 華彩:「……いえ、いいです。渡します。」手首を渡しながら ブルー:「ふん、本来なら脳味噌いじくり回してるところだけど、一応事情があるようだし、今回は勘弁してあげる」 周東 華彩:「絶対に、彼を殺してあげてくださいね。」 ブルー:「いわれなくても」 ブルー:  KP:ブルーは渡された手をミキサーの様なものにかけ、粉々にした後に何かの薬品と混ぜ合わせる。注射器にそれを詰め、レッドに渡す。 ブルー:「調合は完璧」 ブルー:「あとはヘマしない限り大丈夫なはずよ」 レッド:「上手くいったら、内側から扉を開ける」 KP:レッドはそう言って、床の穴に入っていった。しばらく待つと、扉が音を立てて開く。 KP:ED-D 【生とは救い、同時に苦痛】 レッド:「終わったよ」 レッド:「……見ていくかい」 レッド:「望む形ではないかもしれないけれど」 周東 華彩:「………見ていきます。」 KP:レッドに案内され、礼拝室の中に入る。その内装は徹底的に破壊されており、元がどんな風であったか知ることはもはやできなかった。 KP:部屋の中心付近に灰色の何かが、山のように積もっている。 KP:ただ、それだけだ、それだけしか、この部屋にはない。 KP:灰色の何かは近づくと砂山のように、触るならそれは、浜辺の砂のような触り心地だ。 KP:灰色に混じって、透明な粒もあるようで、時折光の反射でキラキラして見える。 三花麒麟:「周東さん…」 KP:特に止められなければ三花もその様子をじっと見ている。 周東 華彩:「………大丈夫、大丈夫ですよ……。だって、私は……殺す覚悟は…随分と前から、できていましたから……。」 三花麒麟:「…」 三花麒麟:「自分も、殺されるなら、周東さんがいいです」 KP:砂を持ち帰ることも可能である。 KP:帰宅する場合、建物の出口までレッドブルーグリーンが見送る。 レッド:「…私達もまた、学ぶことが多くあった、人間を救うということがどういうことなのか」 レッド:「考えることを止めないようにするよ」 ブルー:「元気でね」 ブルー:「アタシ、楽しそうにしてる人間が大好きなの、だからもう今回は最悪」 グリーン:「また会ったら、いや、会わない方が良いか」 グリーン:「うまい飯を食わせてやるよ、人間の料理得意なんだ」 KP:そんなことを口々に言いながら見送ってくれる。あなた達は廃病院を去り、家に帰る。 KP:夜が明け朝が来てまたいつも通りの日常が始まる。 KP:しかし、全てが完全に元通りになったわけではない。 KP:失ったものはもちろんあるが、それを知るのはあなただけ。そしてあなたに残されたあの出来事の痕跡は、この灰色の砂だけだ。 KP:あなたは知るだろう、この世に明確な救いなど存在しない。 KP:だからこそ、何を救いとするかは自分自身で決めなくてはいけない。 KP:「無知とは救い、同時に罪」 「感情とは救い、同時に毒」 「死とは救い、同時に停滞」 「生とは救い、同時に苦痛」 KP:  KP:お疲れ様でした
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honsuki · 6 years
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伏木気象資料館(旧伏木測候所)
古本なるやをでて、坂を登ると、丘の上になにやら不思議な形の建物があるのが見えたので、見に行くことに。
伏木気象資料館(旧伏木測候所)だ。
明治42年(1909)、現在地に建設。平成10年(1998)に無人化されるまで、99年に渡り常駐職員による気象観測が行われてきた。現在も無人機器による観測が行われており、今年はこの場所で観測が始まって110年目になる。
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平屋の屋根に小さな塔が付属する洋風の木造建築。佇まいは明治や大正のハイカラ建築だ。思わず大正の頃の映画を撮るならば此処はロケ地としてフィルムコミッションに成功しそうだなどと考えたが、脇にコンクリートの建築があって、少し厳しいかなと思った。あとで調べると、これは測風塔で、こちらも昭和13年に建てられた近代の建築だった。戦前だとどうも価値あるものに見えてしまう。
さらに聞けば、昭和13年にこの測風塔を建てたことで明治42年以来のハイカラな塔屋は解体されたらしい。今は象徴的に佇む資料館も2年前までは地味な平屋だったそうだ。復原にあたって、地下を調べると、解体された部材が見つかったとか。
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観測機器が残る部屋。
執務室の跡には気象観測の記録簿が残されている。
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この書物は明治時代のもの。気象庁の前身機関が全国の測候所の情報を元に記入してきたもの。おそらく月次や年次で発行された記録資料だろう。経年劣化を感じさせない見事な保存状態は紙質が良いからだと思われる。
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一方、当地測候所で記入していた台帳は経年劣化を強く感じさせる代物となっている。
またもう一冊には明治から平成までの測候所管轄で起こった特別な気象状態、主に災害事象が手書きで記録されている。歴代の所長が書き綴ったものだ。年によっては空白のページもあり、穏やかな年もあれば大荒れの年もあった。
1世紀、約100年に及んだ気象観測の営みが読み取れる。従事した人々はほとんどいなくなってもこの地に建物ごと保存されていることは奇跡的なことだろう。浪漫がある。
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なぜ、この丘に全国有数の測候所が出来たのだろうか。理由はこの地が近世から近代にかけての日本海貿易の拠点だったことにある。当時の船は沿岸を移動する廻船ではあるが、海が荒れると船舶は危険にさらされる。船を出すか否かを判断するためには天気を読む必要性があった。近代に入ってからも廻船問屋を前身とする海運業者が活躍するような繁栄の余韻があり、当時大きな豪商だった藤井能三により、海沿いに民間による伏木測候所ができた。これが伏木測候所の前身だった。現在地は、最初にできた観測所より海から離れた丘の上で波や災害の影響を受けにくい。それだけ丘の上は安定していたのだ。安定した土壌の上に、人の営みは続く。
...この丘にはかつて、「越中国庁」の国司館もあったとされている。国府とは律令制の時代に全国に設置された役所のこと。律令制はいわゆる中央集権の国家体制であるから、奈良の政権による地方都市の出先期間かつ直接的な統治機関であった。戦前までの県庁と思ってもらえれば分かりやすい。
国司は奈良の貴族から選ばれ、派遣される。派遣された国司は次の除目で任期を終えるまで、国府の国庁で過ごす。その国司の屋敷が現在、測候所のある丘に建っていたと見られている。
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ちょうどあの万葉集の選者とされる大伴家持も越中国司としてこの場所に暮らした。此処からは海も望め、遠く立山連峰も望める。歌人だった家持も此処で歌詠みの感覚を養ったのでは無いだろうか。
越中国府は中世に廃絶したが、入れ替わるように宗教勢力が巨大な寺を建てた。寺内町として栄えた伏木は他の地域よりは文化的な空気が残っている。また近代には芥川賞作家の堀田善衛氏(1918-1998)も生まれた。堀田家は藤井家に並ぶ伏木では有名な廻船問屋の家柄であったが堀田善衛が生まれて間もなく破綻。幼少期は金沢で過ごし、やがて東京で作家として成功を収めた。
先ほどの伏木測候所も藤井家という廻船問屋の家が生んだ。やはり富の集積は文化を生む。廻船問屋は昭和までには消滅したが、近世から近代にかけて、伏木に繁栄の時代をもたらした。伏木測候所や堀田善衛の存在はその繁栄の時代の証かもしれない。歴史的な匂いの残る伏木の街を歩いた。
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csijaki-blog · 6 years
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欧州旅日記
6月12日(日)
成田→(アムステルダム)→(ジュネーブ)→ベルン
 成田からアムステルダム経由でジュネーブに到着。すべて順調。オランダ航空のスチュワーデスさんたちは体の大きい人が多かった。はきはきした応対が気持ちがよい。機内で11時間。アムステルダムに着く直前に、隣の男性が声をかけてきた。村上春樹の「海辺のカフカ」なんて読んでいるから、ちょっと気取った奴かなと勝手に思っていたが(ゴメンなさい!)、海外のITがらみの投資企業に勤め(ニューヨーク在住)、ロンドンや東京を行き来する、気心の優しい国際ビジネスマンだった。私がNPOの仕事で電磁波問題の海外取材に行くのだと話すと、素直に「それは大事な仕事をなさっていますね」と共感してくれた。名詞を交換して「よい旅を!」と声をかけあった。
 ジュネーブからベルンに行く電車にぎりぎり間に合った。外国で電車に乗るときはいつもどぎまぎする。チケットの扱い、路線、行く先……どれも日本と要領が違うし、標識もわかりにくいものが多いからだ。途中、ローザンヌを通ってベルンに向かったのだが、レマン湖の周辺の景色のきれいなこと! 迫った山の連なり、点在する石造りの家々、湖面の深い青……これらがなんとも見事に調和している。スイスは観光で生きていける国だと感じさせられた。車窓から見る限り、路線に沿って家々はまばらで、企業のスマートなビルや中規模の工場が時々姿を現す以外は、畑と牧場だった。牛の姿を久しぶりに見たが、その数は決して多くはない。観光以外では、スイスの人たちは主に何で生計を立てているだろう?
 ベルンに到着し2日間滞在することになるホテルにたどり着いた。予約しておいたホテルの部屋がやたら大きいことに驚く。洗面と風呂場がひとつになった部屋がなんと6畳はおろうかという広さだ。これでもユニットバスと呼んでいいの?? トイレで用を足しながら妙な気分になった。
 明日は一日をかけてベルンをじっくり歩きまわる。
6月13日(月) ベルン  昨晩は早く寝たので、今朝は朝4時に起床。驚いたのは、朝5時、つまり夜が明けてくる頃に、3種類ほどの鳥の声が聞こえてきたことだ。首都のど真ん中のホテルでこんな感じだとすると、市のいたるところに小さな森がたくさんあるのかもしれない。午前5時から7時までの2時間、「電磁調理器使用に伴う低周波磁場の被曝量計量モデル」を考える。朝食をホテルでとって8時半に出かける用意ができた。朝食に出たパンがやたら��味しい。ついついたくさん食べてしまう。ベルンの中心街は地図で見る限り2時間もあれば一周できそうな感じだったが、ホテルから出て歩き始めて、それが本当だとわかる。道に沿って並んでいる建物や家屋のきれいなこと!  1階部分はアーケードで連なっていて(全部あわせると長さが6キロにもなって、ヨーロッパで最長とのこと)、しゃれた感じのお店が延々と続く。大聖堂や時計台をはじめとする背の高い中世の建物、そして道路に点在する噴水や彫像がアクセントをつけ、どの建物も全体と調和を保ちつつ一つ一つが目を引く要素ももっている。まるで一人の人間が設計したものが長い時間を経て熟成したかのような落ち着きとしっくり感がある。世界遺産に登録されるのも、むべなるかな。午前9時半頃にあいにく雨が降り出し、バラ園を訪れたときにはずいぶん降られたが、その後はさっと雨が引き、少々暑く感じるほどに晴れ上がった。  道行く人々を見下ろす位置にあるレストランのテラスで雨上がりの涼しい風に吹かれながら昼食をとり、午後にはベルン自然史博物館に出かけた。(ベルンの施設は月曜日は休館、もしくは午後2時からの開館となっていて、この自然史博物館もそうだった。)動物の剥製が多いことは前もって知っていたが、いやー、この博物館はすごい。ロンドンの自然史博物館をある面では超えていると思う。剥製技術の精巧さは言うに及ばず、網羅的に生物の種を示そうとする収集へのこだわり、内部の解剖や骨格、運動の様子なども含めて、生きている身体の様子や周りの環境とのやりとりをあの手この手を使って再現させようという点など、面白い博物館のお手本のような展示がいくつもあって、びっくりした。蟻を何千(何万?)匹も飼って巣を作らせ、その活動の様子を見せるために透明なチューブで結んだ3つほどの大きな透明なケースに住まわせて行き来させるやり方には圧倒された(人によっては猛烈な数の蟻が蠢く姿を見て、気持ち悪くなるでしょう)。生きたカブトガニも初めて目にすることができた。アンモナイトや羊歯類の化石の数や大きさも半端ではない。巨大な哺乳類、非常に多数の鳥類、そして超精巧な製作技術を要するようにみえる両生類など小さな生き物の剥製や骨格標本……いずれも作る者の執念を感じさせるこだわりの品々だった。(説明がドイツ語しかなかったのは残念。)  ベルンの街の主だった通りを歩きまわってすごした一日だったが、東京の繁華街のどこと比べても人の数がうんと少なくて、混雑した感じがまったくないのは、うらやましい限りだ。アーレ川が中心街全体をぐるっと取り囲むようにU字型に流れ、その外側にはまた街全部を覆うように、小高い丘(というか山)に緑鮮やかな木々が生い茂る。至る所に赤いゼラニウムの花が咲き、家々の屋根はすべて赤茶けた色の煉瓦屋根に統一されている。落ち着いた時間の流れを感じるのは、こうした中世の風情が残っているためだろうか? こんな街に住んでみたい、と思わないではいられない。
6月14日(火) ベルン→ジュネーブ  今日は午後から「スイス健康局」(スイス連邦公衆健康局)に取材に出かける。これは日本の厚生労働省に相当する政府の省庁だ。事前に申し込みをしていたMartin Meierさんにお話をうかがう。  午前中少し時間があったので、昨日月曜日は休館だった「ベルン市立美術館」に入る。パウル・クレーの作品が2000点以上も収められていると聞いていたので、大いに期待して入ったのだが、なんとなんと、少し離れた丘の方に6月20日に開館する新設の「クレー美術館」へ、1点を除いて全部移したのだとこと。残念でならなかった。ただ、アンケルやホドラーといったスイスの画家やドラクロワ、セザンヌ、モネ、ムンク、ブラック……など、どれも1点か2点ずつであるものの、重要な作品が展示されていて、じっくり眺め入った。帰りにクレーの絵の絵葉書を2つ買う。  その後、正午までの時間で、ベルンの大聖堂の中に入り、長くて細い螺旋階段を延々と上ってすばらしい展望を楽しむ(足元から急転直下の切り立った所からの見晴らしなので、ほんとのことを言うと、かなり怖かったです)。高さ100mのこの大聖堂はほぼ500年をかけて造られたのだという。礼拝堂は20mはあろうかと思える高さのドーム状の天井を持ち、後期ゴシック様式の彫刻とステンドグラスがじつに見事だ。美しく装飾された巨大なパイプオルガンもあり、静かな音楽が奏でられていたが、それが礼拝堂全体をなんとも美しい響きで満たしていた。造られた当時に音響設計の複雑な計算などなされたとは思えないのだが、これほど美しいオルガンの調べと響きは耳にしたことがない。職人が自身の感性を研ぎ澄ませたところに成立する技術は、奇跡的なことを可能にするものだという気がする。  午後は健康局に向かった。連邦政府の官庁なのだが、コンクリート打ちっぱなしの飾り気のない箱のような建物が郊外のだだっ広いところにポツリポツリと建っているという感じなのだが(研究都市のつくばを連想させました)、中に入ってびっくり。きわめて斬新なデザインで、個々のオフィスがガラス張りになっているところが多く、外から中の様子が眺められる。扉も開けっ放しにして誰でも出入りできそうなオープンな感じが全体に漂っている。カフェテリアで約束の時間が来るまでを過ごしたのだが、職員や研究員たちは背広を着ている人はほとんどいなくて、みなとてもカジュアルでインフォーマルな姿だ。なんと言っても若い人が多い。大学の自然科学系研究室の仲間たち、といった感じだ。  Meierさんが迎えに来てくれて、彼のオフィス(研究室)に通される。30歳半ばくらいに見える男性で、柔和な表情が印象的。生物学と物理学のPhDを持つ。私がなげかける質問に「国の政策についてはそれほど詳しくはないのだか」と断りながら、電磁波規制に関する取り組みや現在の問題点について丁寧に語ってくれた(話の中身は別のところで詳しく取り上げる)。貴重な資料もコピーをいただいたいり、情報源を教えていただいたりした。  公衆衛生・健康に関して予防原則の尊重を法的に規定しているため、個々の環境問題で予防的措置をとることに、日本とは比較にならないほど前向きである。ほとんどまったく普及していないIH調理器についても、家庭内の熱システム全体からの電磁波被曝を調べようとするプロジェクトの中で調査対象のひとつと位置づけられていることからも、それは伺える。  バスでベルン中央駅に戻り、鉄道ICでジュネーブに向かった。夜の(といっても明るいのですが)7時にホテルに到着。明日からWHOのワークショップだ。
6月15日(水) ジュネーブ  ジュネーブの中央の中央駅であるコルナバンからバスに乗って10分のところに、国際機関が集中して立ち並んでいる一角(アッピア通り)がある。不覚にも、今朝はいくつもあるバス停-しかもかなり距離的に分散している-のどれからその通りに向かうバスが出ているのか、4人ほどの人に尋ねたのだが、みんなはっきりわからず、ワークショップの開始時間のこともあったので、やむを得ずタクシーを使う。  10階ほどの巨大な建物だが全体がガラス張りで細長い直方体の形をしているので威圧感はない。周りに緑が多い。入り口でパスポートを示して参加証となる名札をもらい中に入る。昨年のワークショップでもお目にかかった日本からの参加者SさんとOさんの姿が見えたのでご挨拶する。今回は他にも日本人が4,5人参加している。中央に円卓を配して、その周りを正方形状に囲むように机が並ぶ。TVで映る国連の会議場の雰囲気とやはり似ている。  ワークショップのテーマは「携帯基地局と無線ネットワーク」だ。主たる話題は、携帯基地局からの高周波電磁波が人体にいかなる影響をもたらしているか、科学的にどこまでわかったかを検討しようというもので、1日目は「携帯通信革命」「高周波電磁波の被曝量計測」「基地局電磁波の健康影響研究の評価と今後求められる研究」……といった話が続く。30分のプレゼンで濃い内容をつめこもうとほんとんどのスピーカーがかなりの早口でまくし立てる感じだ。こちらは聞き取るのに必死。やはりあまりに専門的な内容になるとわからない部分も出てくる。幸いパワーポイントの大きな画面がスクリーンで映し出されるので、おおよそのところは把握できるが、的確な質問を瞬時に返せるくらいに聞きながら内容をつかみとるのが難しい。これは英語圏に属さない参加者にわりと共通した悩みなのではないだろうか。というのは、やはり質問する人がかなり限られているように思えるからだ。ワークショップの中身については、講演予稿集もあるので、別の機会に詳しく紹介することになる。(帰国して間もない26日に簡単な報告をする機会もある。)  日本でワークショップ形式の専門家会議を行うときと比べて、少し違うなと思えるのは、ブレイクの時間が長いことだ。昼食(1時間半)を別にして、午前に1回、午後に1回、30分の休憩が入る。コーヒーなどの飲み物とスナック類が用意される。会議中に質問の時間が十分とれなかったことを、これで補おうとしている感じさえする。  1日目の会議が終わって、簡単なレセプションパーティーがあった。数人の参加者といろいろおしゃべりした。台湾の2人の研究者(毒性学、環境アセスメント)、ドイツの社会学者、オーストリアの政府で環境関連の仕事をする女性……なかなか楽しかった。こちらがNPOだと言うと「どのようにして資金を得ているのか」という質問が必ず出てくる。オーストリアの女性はどうも私と年が同じくらいで、しかも生物学を専攻していて途中で方向転換したところも似ているので話が弾んだ。「大学に入りたてのときは、よし分子生物学を研究して癌を撲滅させるための画期的な発見をするのだ、と息巻いていたわ」と語っていた。私が発生生物学を専攻したことを述べると、「それこそ生物学で一番興味深くて核心的な分野ね」と反応してくれた。女優のジョディ・フォスターによく似た美人で、にこっとするときの知性的な笑顔が素敵だった。
6月16日(木) ジュネーブ  WHOのワークショップの2日目。  今日のテーマは携帯基地局のリスクアセスメントやリスクコミュニケーション。一番興味深かったのは、各国の事例紹介の中でスイスが予防原則をそう生かして高周波の規制を行っているか、という点とイタリアがはやり独自の規制を設けていて、それが現実に守られているかどうかをモニタリングする方法を編み出している点だ。イタリアは全国に100箇所を超えるモニタリングポイントを設け、環境中の電磁波を定点計測していると同時に、を全国で「青バス」という名をつけたバスをいくつかの都市部などで街の中を走らせて、気になる環境に赴いての計測も行っている。この2つの国は携帯基地局の問題で紛争がないわけではないのだが、それを解決していくために賢明な政策的対応をなしていこうという姿勢が著しいように感じた。  一昨日スイスの健康局でインタビューした際に紹介されたバウマンさんがスピーカーとして話をされたので、ブレイクの時間につかまえてお話をした。スイスでは家電製品からの電磁波漏洩の問題は“環境問題”として扱わないので、電磁波規制をしていく対象としてとらえていないが、全部の家庭に共通する要素(たとえば熱供給システム)や職場に固有の要素については“環境”として扱うので、規制の対象としてとらえていく傾向がある、との指摘をされていた。  会議は夕方5時半まで続き、様々出た意見をどうまとめるのか、なかなか明確にみえないまま、幕を下ろした。WHOの電磁波プロジェクトがこの問題に一定の見解をfact sheetとして示すのがいつになるのかはわからないが、世界各国でもめている携帯基地局設置の問題だけに、メディアからも大いに注目されるだろう。  昼食の後に、各国の状況を伝えるための自発的なショートプレゼンテーションの受付けがあった。日本人の参加者の中から某国立研究所に所属するある若い方が5分ほど発表をしたのだが、あまりにお粗末で筋違いな発表だったので、唖然としてしまった。「各国の報告」とは、基地局をめぐる状況を伝えることだ。何を考えているのか、総務省のホームページの紹介そのままといって過言ではない、「日本には電波防護指針があり、その中で規制をしている。生体電磁環境推進委員会があり、各種の研究をしています」といった類のことを述べただけ。基地局の設置に関する問題点や紛争のことは一言たりとも触れない。日本は他の国と比べても基地局のことでは解決すべき課題を多く抱えているはずだが、この人はとにかく上司から「日本のことを伝えてこい」と言われて、総務省のスポークスマンになればよいと考えたのだろうか。英語も非常につたなかったけれど、それ以前の問題として、他の参加者をポカンとさせることを自分がしゃべっているという事態がわかっていない。それが恐ろしい。  ワークショップを終えて、夕方の涼しい風に吹かれながら、レマン湖の突端にあたる場所(「英国公園」があるあたり)を歩きまわった。ベルンと違ってやはり大都会だ。道行く人々も様々な国籍の人がいるように見受けられる。テラスにテーブルを構える店が軒を連ねるあたりを見つ���、1軒を選んでテーブルにつき、注文する。メニューがすべてフランス語なのでよくわからなかったが、あたりをつけて3品を頼む。ここのところ野菜不足だったので少し大き目のサラダと、オムレツ(なぜか量が少ない!)とパスタ。そしてビール(これも量が少ない!)とグラスワイン(同様!)。スイスは物価が高いと聞いていたいが、これら全部をあわせて日本円で4500円もしたので驚いた。 
6月17日(金) ジュネーブ→(パリ)→ブリュッセル  今日は移動の日だ。ジュネーブからパリを経てブリュッセルに向かう。鉄道での移動は初めての旅で一番不安を掻き立てる要素だ。電車の指定席を手に入れても、ちゃんと出発の時刻までにその駅にたどり着けるか、ヒヤヒヤすることがあるからだ。今日も、パリでいったん地下鉄に乗ってブリュッセル行きの電車に乗り換えることになったのだが、この地下鉄、どれがどこ行くのかがわかりにくい(パリ駅のインフォメーションセンターのお姉さん、こちらが英語で尋ねた内容がわかっているくせに、英語で返事しないでフランス語のメモ書きをポンと渡すだけ、というのはやめてよね)。荷物も抱えているし、載り損ねたら大変だし……と、どうしても焦ってしまう。でも無事ブリュッセルに到着。朝10時に電車に乗って、待ちや乗り継ぎを経て、夕方4時20分に到着。長い車中旅行だった。面白かったのは、ジュネーブからパリに向かう列車から見た風景だ。ジュネーブを出てすぐにフランスに入ったはずだが、そこからパリの直前まで特急延々2時間半ほどの間、見渡す限り農場と牧場が広がっていたことだ。「フランスは農業国」とはよく言われることだが、それを実感させる光景ではあった。  ブリュッセルの街は立ち並ぶ建物こそ中世風の造りをとどめているといえ、軒を連ねる店舗やオフィスはモダンだし、駅の周辺や中央広場付近には高層の��ルがいくつもそびえている。ホテルにはタクシーで向かったが、いったん街に繰り出してみると方向がわからず、そもそも手元に地図を持っていないので(ベルギーだけの観光マップを手に入れることができなかった)、とにかく街に掲げてある大きな地図を見つけて、どこをどう歩けばいいのかを把握しようとやっきになった。車が多くて、けっこうスピードを出しているものもある。歩道はやたら広くて(スイスでもそうだった)、これに慣れると日本に戻ったときつらく感じるだろうなと思う。広大な植物公園がホテルから歩いて10分くらいのところにあった。中をぐるっと回りたかったが、どうもいくつかの部分はもう閉まっているらしい(夕方6時)。そこをあきらめて、目抜き通りを歩く。銀座に雰囲気がよく似た通りだ。大きく違うのは、道往く人々の国籍が多様であるという点(どういうわけだか、トルコやイランンなど中東から来ているとおぼしき人が多い)、そして通りのうんと先が見通せてそこには巨大な宮殿が控えているという点だろう。  期待のベルギービールを2種類飲んだが、どちらもきわめて美味しかった(ひとつはすごく甘みの強いビールだった)。お店の給仕の男性もがっしりとしているのに動きが軽やかで、無口だけれど笑顔が素敵な、まるで映画俳優のような雰囲気を漂わせた人だった。ベルギー人とフランス人やドイツ人を見分けるのは難しい(というよりたぶんできない)が、全体として日本人よりやや大柄といった背丈で、少し北欧系の肌の白さが強い(そして目が青い人が多い)という印象を持った。  明日は憧れの街、ブルージュを訪れる。 
  6月18日(土) ブリュッセル→ブルージュ→ブリュッセル  今日は土曜日。ベルギーのブリュージュを訪れた。ブリュッセルから電車で2時間弱。素晴らしい晴天に恵まれて、期待に胸が膨らむ。駅前の広場から街に聳え立ついくつかの聖堂や塔が見える。街の中央部に到るいくつもの道があるようだが、とにかく一番高い聖堂を目指して歩くことにした。  歩き始めて直ちにここが「屋根のない美術館・博物館」と呼ばれる理由がわかる。  車と観光客がいなければ、中世にそのままタイムスリップしたと錯覚するような光景。どの道もどの建物もすべてが一つに溶けあっている。美しい川と馬車と至る所に生い茂る大きな樹木と小鳥たちの囀り……。石造りの家々が石畳の道に沿ってどこまでも続く様は、これは映画のためのセットではないかと目を疑いたくなるほどだ。電柱や電線は一切ない(あたりまえか……)。観光客を乗せたボートや馬車がゆったりと行き来するのが、なんとものどかだ。  昼食はベルギーの名物ムール貝と美味しいビールをいただいた。  歩き疲れて川べりで寝そべり、空を見上げた。たくさんの葉っぱが太陽をさえぎったり透かされたりしながら、川の水の流れを映して刻一刻と変化する微妙な緑のグラデーションを生じている。風に吹かれて枝がゆっくりと揺れ、それがまた陰影の変化をもたらす。聞こえるのは水が流れる音、風に吹かれて葉がすれあう音、小鳥の声だけ。僕自身もこの街に溶け込んでしまいそう……。  心ゆくまでのんびりとこの美しい街で一日を過ごせたことは、一生忘れられない思い出となるだろう。 
  6月19日(日) ブリュッセル→デン・ハーグ  今日は国境を越えてオランダに移動する日。そう言うと大そうに聞こえるが、実際はブリュッセルから特急で2時間ほど乗るだけ。電車待ちの時間が1時間近くあったが、もし前もって時刻表など読めるようになっていれば、その待ち時間も短縮できる。ブリュッセルの駅もそうだったが、デン・ハーグの駅も1つではない。つまり「中央」があり、「北」があり……で3つも同じ名前で始まる駅名であったりする。これが混乱のもとなので、ホテルを予約する際は要注意だ。デン・ハーグのホテルは特急が到着した駅から近いのかなと思っていたが、まず中央駅まで一駅電車で向かう必要があった。そこからインターネット入手していた地図を手がかりにホテルに向かったのだが、この地図には駅が示されていないので、まず方角で迷う。ドイツと同じでオランダにはすべての通りに名前がついているので、一つだけでもその通りが認識できれば後は大丈夫。しかし、大きな地図に細かな道がたくさん記されていると、求める名前を探すこと自体が大変だ。大きな荷物を抱えながら目的のホテルにやっとのことで到着した(初めから路面電車のルートが分かっていれば、もっと楽だったろう)。  デン・ハーグの街は日曜日であるせいなのか、とても閑散としていた。駅前に超近代的な高層のビル(デザイン的にすぐれている)があると思えば、宮殿風の非常に大きな古い建物が運河沿いに続いている。(後で分かったのだが、オランダの国会議事堂だった。なんと立派な!)自転車道路、路面電車道路、車道、歩道と4つがきれいに分かれていて、道路が全体としてとても広いせいか、街の見通しがよく、気持ちがよい。花壇や街路樹も到るところに目にするし、洗練されたショーウィンドを持つお店などが並ぶ路地も面白い。なぜか書店、ギャラリー、古本屋が多い。日本人が着ても似合う人は少ないだろうなと思える、いかにも高級で見栄えのするスーツやドレスのお店も目に付く。もちろん、教会の聖堂や塔もある。  ただ、日曜日だということでレストランがほとんど閉まっていて、探すのにちょっと苦労した。1件見つけて入ったのはおよそ午後4時半。夏の盛りに入っているのだろうか、非常に日差しが強く、かなり暑い(蒸し蒸しはしないけど)。美味しいビールを飲んで、まったくわからないオランダ語のメニューを見ながら給仕の人にひとしきり説明を受けて、海産物の取り合わせがいろいろある品を注文した。海老やイカの揚げ物や炒め物が中心だったが、なかなか美味しかった。いつものうように、店の外にテーブルを並べているテラス風のスペースで(正式にはなんて言うのでしょう、こういうスペース?)食べたが、60席くらいあるところに数組しかおらず、日本だったらかかっていそうなBGMもまったくなく(これは街全部がそうです)、なんとも静かでさんさんと明るい夕方だった。こちらのカラスに相当するのか、日本のカラスの半分ほどの大きさのカラスが、もの欲しそうにテーブルのまわりをちょっと高めのトーンの「カァ」という鳴き声を出しながらうろついているのがおかしかった。  夜は9時半頃まで明るいので、食後もデン・ハーグの街をぶらつきながら、明日のインタビューや明後日の「被曝モデル」の相談、そして日本の友人たちのことを考えた。国際電話をかけてみようかなと思ったが、時差が7時間ほどあるので、日本は真夜中。さすがにあきらめました。
6月20日(月) デン・ハーグ  デン・ハーグでの取材の日。  朝一番に、取材先である「オランダ健康評議会」が入っている建物を探す。駅からホームページにあった指示通りに歩いてみると、なんと昨日デン・ハーグの駅に着いてすぐに通りがかった巨大でモダンな建物の中にあることが分かった。この建物自体は「健康、福祉およびスポーツ省」という政府の省庁であり、その中に健康評議会が入っている。  今日も朝から相当暑かった。部屋には冷房が欲しいほどだったが(ちょうど朝の日差しが部屋に入ってくる位置だった)、安いのホテルの悲しさで、空調はなく、トイレとシャワー室も共用。少し落ち着かない感じでシャワーを浴び、インタビューの準備をする。  お昼の2時頃に永瀬ライマー桂子さんが宿に到着。1年ぶりに再会する。今日と明日のインタビューの通訳していただくためだ。本日のオランダ健康評議会は英語でのインタビューも可能であると知らされていたが(というより、オランダ人にとってドイツ語を使われることはむしろ若干嫌われる傾向がある、第二次大戦でのドイツによる支配の歴史があるから)、相手にドイツ語で話を進めてみることを承諾してもらえるようならそれでいき、専門用語などで差し障りが生じるようなら英語を随時使うという方針にした。  インタビューの時間(午後4時半)を迎えて建物の中に入っていったのだが、ベルンの時にもまして、とても省庁とは思えない見事なデザインと構造になっていることにまず驚かされる。入口で電子入館証となっているカードをもらい、目的の部屋まで歩いていったが、階段といい、各部屋といい、資料が並べてあるスペースといい、モダンな博物館・美術館といった雰囲気がしてならない。健康評議会の入口には、何ゆえか日本の着物とおぼしきもの(ただし人が着るものの2倍くらいはありそう)が飾ってある。秘書さんが待ち構えていてくださって、部屋に通され、冷たい飲み物をすすめられた。普段から打ち合わせに使っていると思えるそのオフィスのものも、明るくて落ち着いたオレンジっぽい色調で統一されている、広くて清潔感にあるれる部屋だった。  インタビューに応じてくださったのは、健康評議会のヘッドの地位に相当すると思われるExecutive DirectorのPasschierさん。白髪の60歳ほどのお年にみえるいかにも厳格な学者を思わせる感じの方だ。マースリヒト大学のリスク分析の特任教授もしておられる。105年の歴史を持つこの健康評議会が、公衆衛生や健康にかかわる政策決定をなすにあたって必要な専門的情報や判断を政府や国会に提供するための研究機関であり、かつ審議・諮問機関でもあることから話が始まった。200人ほどの専門家(科学者、公衆衛生関係者)を擁して、政府からは独立しながらも、科学技術政策のためのブレインとして機能する極めて重要な機関だ。 Passchierさんの話は脳死臓器移植や環境問題、予防原則の一般論にも及び、驚くほど守備範囲が広いことを伺わせたが、さらに驚いたのは、おそらく扱う領域の一部でしかないはずの電磁波問題に関しても、こちらが言及した、国際的にある程度知られた報告書やデータのことはどれもよくご存知で、「日本にはこういうタイプの専門家はほとんどいないのではないか……」と感じないではいられなかった。Passchierさんは「予防原則は科学的根拠に立脚しつつ適用することができるものだ」との考えを示されていたが、オランダが予防原則をどう政策に適用していくかの方針に関わる報告書を現在まとめておられるとのことだった。年末に英語で報告書がまとまるらしい。私の直感だが、これは世界的に見て、予防原則に関する重要な文書になるのではないだろうか。インタビューの詳しい内容は、また別の機会に紹介する。  取材を無事終えて、永瀬さんが前もって教えてくれていた「オランダはインドネシア料理が美味しいのですよ」という教えにしたがって、ホテルの近くのインドネシア料理店に入る。食べ物が美味しかったのはもちろんだが、お店の店主やウエイトレスさんたちが大変フレンドリーで、思いっきりくつろげた。店を出た後もホテルの軒下のカフェ・スペースで引き続きビールをいただき、気づいてみれば4時間ほども楽しいおしゃべりに興じたのだった(次々と面白い話題が飛び出してきて、笑いすぎてお腹が痛かったです)。 
6月21日(火) デン・ハーグ→ケルン→フランクフルト  昨年も訪れたnova研究所(nova-Institute)でのインタビューのために、デン・ハーグからユトレヒトを経てケルンに向かう。ユトレヒト行きの電車が、通勤に利用されているのか、けっこう混雑していた。途中の駅で電車が何かのトラブルのために止まってしまい、「どうしたのだろう?」と思っていると、「ドアが開きません。今開けようとしています」とのことで、都合1時間近くも遅れることになった。でも乗客たちはそんなに焦っているふうでもなく、車内アナウンスが流れたときに苦笑している人が多かった。  ユトレヒトからケルンに向かう電車では、指定席のコンパートメントは4人が2人ずつ向かい合う形の座席だったが、同席したアメリカ人のビジネスマンが、同席のよしみで声を交わすうちに、なんと永瀬さんが学んだのと同じオランダの大学の同窓生であることが判明。ひょっとして同期かもしれないと、話が盛り上がった。彼は物理学を専攻して、情報系の会社、自動車メーカーと勤め、今は放送関係企業のIT関連の部署で働いている。一流のビジネスマンであり、極めて頭がよいように思われた。私が「電磁波問題でWHOのワークショップに参加した」と言ったら、俄然興味を示し、電磁波リスクのことやモバイルのシステムや規格のことなどで矢継ぎ早に質問を投げてきて、ひとしきり議論してしまった。日本では乗り合わせただけの他人とここまで話が弾むことはなかなかないので、これも国境を越える旅だからこその体験かなと思った。  電車のトラブルはあったものの約束の時間に10分遅れほど駆け込むことができそうなので、ケルンの駅について駅前の超巨大な大聖堂に見とれる暇もなく、すぐさまタクシーに乗り込んでnova研究所に向かう。  1年ぶりに再会したスタッフのPeter Nieβen博士およびMonika Bathow さんのお二人は、素敵なアパートメントの2階つながりの部屋を使った事務所で私たちの到着を待ち構えてくださっていた。「この1年の活動はどうでしたか?」と聞いてくださったので、食プロジェクト、ナノテクリスクプロジェクト、生命操作プロジェクトのことなどとともに、電磁波プロジェクトで行った、関東の鉄道会社13社への「電車内の携帯電話使用に関する公開質問状」のことなどもお話した。  nova研究所は、電磁波、過疎地域援助(EUから資金援助を受けて、旧東ドイツの産業不振地域などを対象に)、代替原料(ディーゼル→菜種油、木綿→麻などエコロジカルな原料の推奨・普及)の3つのテーマに取り組むNPOで、専属スタッフ20人、うち電磁波チームは4人でそのうちの2人が電磁波問題専属だ(インタビューに応じてくれた二人が専属である)。  このたびは、市民科学研究室の「電磁波プロジェクト」がIHクッキングヒーターの調査研究をすすめるにあたって、いかに被曝モデルを設計して有効な計測データを得るのか、そして得たデータをリスクの評価にどうつなげるかを相談するのが目的だ。ドイツではIHはほとんどまったく普及していないが(逆に「日本ではなぜ普及するのですか? 電熱器ではダメなのですか?」と訊かれました)、nova研究所が様々なところから請われて精密な電磁波計測(低周波ならびに高周波)を行っているので、私が考案した「IH被曝モデル」が妥当かどうかを議論していただこうと考えたわけである。  近くのレストランでの庭先のテーブルを囲んで、私が用意した資料などにも目を通してもらいながら、熱心に意見を述べてくださった。計測にあたっての具体的なアドバイスもいくつかいただき、本当に来てよかったと思った。2時間半に及ぶ話し合いが終わり(永瀬さん、通訳お疲れ様でした!)、お二人はアップルパイを私たちにおごってくださった。いやー、そのパイの大きいこと! お二人の心の広さ、暖かさに似つかわしい、大きくて美味しい手作りパイだった。  nova研を後にして、ケルンの駅で永瀬さんと別れ、フランクフルトに向かう。昨年泊まったのと同じ駅前のホテルを予約しておいたのだが、その場所が変わっていて、戸惑ってしまった。この欧州旅行の最後の夕食を、喉越しに気持ちよいビールとともにいただいた。ひと時の夕立も涼しい夜を招いてくれる恵みのように感じられた。
6月22日(水) フランクフルト→(アムステルダム)→成田  11日間の欧州取材旅行を無事終えて、11時の飛行機に乗るためにフランクフルトに向かった。フランクフルトは欧州最大の空港で、成田空港も作る際に日本から視察団が訪れて参考にしたといわれる。オランダ航空の便に南米からの一行が乗り合わせたのだが、陽気で騒がしく、この人たちもし12時間も飛行機で隣同士になったら大変だろうな、と思った。中継はアムステルダム空港だったが、これがまた大きい。トランジットで1時間半ほどあったので、御土産の買い物がてら時間をつぶしたのだが、「寿司バー」(カウンターで寿司とワインがいただける)あり、インターネットカフェあり、大きな書店あり、高級ホテル風のレストランあり……で飽きさせない。チーズを数種類買ったが、その際に搭乗券の提示を求められ、バーコードが素早く読み取られるシステムになっていた。  11時間のフライトは、窓際の座席の上の蛍光灯が始終点いたままになっていたので、快適とはいいかねたが(私は外が明るかったり、電灯が点いていたりすると、眠れないのです)、途中で延々と広がる雲の“大海”のはずれから太陽がゆっくりと昇る、極めて美しい“日の出”を眺められたのは嬉しかった。驚いたのは、機内でヘッドホンで聞ける音楽のうちクラシックのチャンネルをひねったら、ずいぶんと通(ツウ)向きの曲が流れていたこと。私が愛してやまない、ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲たちの嚆矢、第12番の第一楽章が、久しぶりに聞けた。雲上で体験する“日の出”とボンの巨匠の流麗な音楽。ヨーロッパの旅の締めくくりにふさわしいな、と思った。
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villa-chitose · 7 years
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平日施工のお客様がルミクールSD、シルフィードがさらに4,000円引きに!
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カーフィルム・車フィルム・スモークフィルムってなんで貼るの?
まずは優先されるのがプライバシーの保護になり、日本車のプライバシーガラスでも透過率が20~30%になり、平均で25パーセント位が多いでしょう。 下記の画像の左側が透過率20%になり、右側画像が30%になり、通常のプライバシーガラスですと、かなり室内が見えてしまいます。
 
                                                         しかし、プライバシーガラスの上からカーフィルム透過率7%のフィルムを施工しますと、透過率1~2%になりますので、ほぼ外観からは見えませんので、盗難防止などにもつながります。 下記画像はプライバシーガラスの上から透過率7%施工後の画像になります。
では、室内からの視界性はどうなの?
↑どの透過率のカーフィルムを施工しても、もともとのプライバシーガラスより若干濃くなるぐらいですので、外観の色合いだけ決めて頂ければ、室内の視界性は良好です。
UVカット(紫外線カット)カーフィルムってなに?
UVカット(紫外線カット)カーフィルムは日焼けの防止や室内のインテリアの色褪せを防ぐフィルムになっております。 今の日本車の殆どは運転席・助手席のみUVカットガラスになっており、フロントガラスや後部座席のリア3面、5面のガラスにはUVは入っておりません。 プライバシーガラスが黒いから日焼けしないかと言うと違います。下記のガラスのようにガラス右下部分にUV,UVS,UVUと記載がなければUVカットされてないので日焼けします。皆さんのガラスはどうでしょうか? 外車の90%以上はほぼUVすら入っておりません。 NSコーポレーションのカーフィルムは全てUV99%カットになります。
ガラスごとに下記のUV,UVS,UVUの刻印があるか確認してみてください。
赤外線カット カーフィルムって何?
殆どのお客様がUVカットがあれば暑さ対策や冬場の保温性につながると思われておりますが、UVの他に赤外線もカットしなければ暑さ対策にはなりません。
例として、ルミークルSDを全体的に施工した場合は車内温度に変化はありませんが、ウインコスを全体的に施工すると車内温度は5度位変化し、シルフィード カーフィルムを施工しますと車内温度は11度位変化しますので、燃費の向上にもつながります。 特に外車はガラスの透明度が日本車よりも遥かに高いのでシルフィード カーフィルムをお勧めします。
※よくある赤外線カット率ですが、カット率の測定は測定機関があるわけではなく、メーカーごとに独自の測定結果ですので、実際は体感温度が大事になります。 弊社では実際、体感でき、過去のお客様も体感の違いを実感して頂いております。 皆さんかなり違うと言います!
カーフィルムの種類と性能の違い
ルミクールSD
※ルミークルSDは紫外線カット99%カットするフィルムになります。 紫外線カットとは日焼けはインテリアの色褪せの保護になります。 プライバシーの保護と紫外線のみの場合ですと、こちらをお勧めします。
ウインコス
※ウインコスは紫外線カット99%の他に赤外線もカットするフィルムです。 車全体に貼ると車内温度が5度位かわります。 赤外線カットは夏場のジリジリ感だったり、冬場の室内の保温性を保ちます。
シルフィード
※シルフィードは���外線カット99%の他に赤外線もカットするフィルムです。 車全体に貼ると車内温度が11度位かわります。 赤外線カットは夏場のジリジリ感だったり、冬場の室内の保温性を保ちます。 シルフィードはベンツなどを取り扱うヤナセの指定フィルムですので、外車にお勧めです。
※透明断熱フィルムFGR‐500 FGR‐500はシルフィードと同じ効果があります。フロント・運転席・助手席にも施工可能です。 透過率は1%しかダウンしないので、どの車でも施工可能となります。
ニュープロテクション
※ニュープロテクションは紫外線カット99%カットするフィルムになります。 紫外線カットとは日焼けはインテリアの色褪せの保護になります。 プライバシーの保護と紫外線のみの場合ですと、こちらをお勧めします。 一番、黒いカーフィルムを貼りたい場合は透過率5%があります。
※ニュープロテクション インフレットピュア 車全体に貼ると車内温度が5度位かわります。 赤外線カットは夏場のジリジリ感だったり、冬場の室内の保温性を保ちます。 安くフロント・運転席・助手席に施工したい場合はインフレットピュアをお勧めします。 但し、日本車の運転席・助手席は透過率73%位であり、インフレットピュアを施工しますと透過率が5%ダウンしますので、ガラスの透明度の高い外車がメインになります。
3Mカーフィルム
※3Mカーフィルムは自動車整備指定、認証工場のみが取り扱えるフィルムになり、ディーラーの殆どがIR機能のついた「3M カーフィルム」が性能的にも主流になっており、フィルムの性能も今までとは違い200層を超える薄い膜を重ねた特殊な高級フィルムとなっております。
カーフィルム5年保証
※お客様の車が車両保険に加入していてガラスが破損した場合、相手方に車をぶつけられてガラスが破損した場合、カーフィルムも保険の対象になります。
NSコーポレーションのカーフィルムは激安ですが、すべてが日本製であり、量販店のような外国製とは違い色褪せがしません! また、ベンツなどを取り扱う全国ヤナセ指定フィルム採用により、他社の断熱フィルムよりも圧倒的に体感温度は違います! シルフィードはインフレットピュア、ウインコス・スタンダードよりもUVカットはもちろん、赤外線カットがとても優れたフィルムです。
紫外線を99%カットし、心地よい優しい光と快適な車内環境を生み出します。
断熱性能の違いを体感器で検証。左側がシルフィード、右側が一般スモークフィルムで、スタート時はどちらも26.4℃を示している。
照射後、5分後の温度計は31.2℃と42.1℃を示している。シルフィードを施工した側が10℃以上低いことがわかる。
万が一の事故などで側面ガラスが割れた場合、ガラスが割れて細かく飛び散り大変危険です。
シルフィードを施工したガラス。ガラスは割れますが、フィルムによって飛散が抑えられ、安全性を確保できます。
フロント透明断熱フィルムも施工しております!
カーフィルム「シルフィード」全体的に施工すると車内温度が10度変化します!
カーフィルム・スモークフィルム・車フィルム・車のスモークフィルム・ガラスコーティング ご来店の多いエリア:
湘南(しょうなん)は、神奈川県の相模湾沿岸地方を指す名称である。
語源は、かつて中国に存在した長沙国湘南県で、現在の湖南省南部地域の地名である。 歴史 国内文献における「湘南」の初出は『倭名類聚抄』で、かつて中国に存在した長沙国湘南県である。中世中国の湘南では禅宗が発展し、そのメッカであった。 現在の日本では「湘南」とは主に神奈川県相模湾沿岸を指すが、うち禅宗を保護した鎌倉幕府の拠点「鎌倉」は、現在も禅宗臨済宗建長寺派および臨済宗円覚寺派の大本山「建長寺」・「円覚寺」の所在地であり、鎌倉時代には夢窓疎石らにより日本の禅宗の中心地ともなった禅宗と非常に密接な関係を有する土地でもある。 「湘南」の定義は曖昧だが、鎌倉や江の島などは観光資源が豊富で観光集客力が高く、マスコミによるイメージ作りによって「海」や「太陽」や「若者」などを連想させ、「湘南」は範囲拡大傾向にある。 「湘南」の由来 「湘南」とは、もともと現在の中国の湖南省を流れる湘江の南部のことで、かつては長沙国湘南県が存在し、中世には禅宗のメッカとなった。日本における「湘南」も禅宗の流入に伴って広まったと考えられ、[要出典]「禅宗」を保護した鎌倉幕府の北条得宗家が居し、国内初の禅寺「建長寺」や「円覚寺」を擁した鎌倉周辺の地域が、中国の「湘南」にちなんで名付けられたといわれる。実際に、円覚寺の僧夢窓疎石の周辺には「湘南」を冠する人物・建築が散見される。また、1664年ごろ、室町時代に中国から日本に移住した中国人の子孫が小田原に居してういろう商人となり(崇雪という人物)、自ら創設した大磯の鴫立庵に建てた石碑に「著盡湘南清絶地」と刻んだものが、現在の神奈川県周辺域における呼称の起源ともいわれる。この石碑は複製品が作られて鴫立庵の庭にあり、本物は大磯町が管理している。 明治期の「湘南」 江戸期に大磯発祥の命名とされる「湘南」は、明治期に政治結社名や合併村名に用いられた。当時、相模川以西地域が湘南、相模川以東地域は湘東または新湘南という認識だった。明治期の「湘南」は、山と川が織りなす景観を持つ相模川以西地域に限られていたと考えられる。 明治維新により、当時西欧で流行していた海水浴保養が日本にも流入し、適した保養地として逗子や葉山、鎌倉、藤沢など相模湾沿岸が注目されて別荘地となり、湘南文化が芽生える。 1897年、赤坂から逗子に転居した徳冨蘆花が逗子の自然を國民新聞に『湘南歳余』として紹介する。翌1898年、元日から大晦日までの日記を『湘南雑筆』として編纂して随筆集『自然と人生』(1900年)を出版する。これを端緒に「湘南」は、当初の相模川西岸から、相模湾沿岸一帯を表すように変化する。 明治期から戦前までの湘南 1879年(明治12年)- お雇い外国人で東京医学校の講師であったドイツ人医師のエルヴィン・フォン・ベルツ博士が、内務省より海水浴場候補地の諮問を受けて江の島を訪問し、片瀬が適地と答申する。 1882年(明治15年)- 明治政府の使節団が、ロンドン近郊のブライトン海浜保養地を視察する。 1885年(明治18年)- 軍医総監松本良順の勧めで海水浴場を大磯に設営し、由比ヶ浜三橋旅館が海水浴場の開設を東京横浜毎日新聞に広告する。 1886年(明治19年)- 藤沢鵠沼海岸に海水浴場を開設する。 1887年(明治20年)- 東海道線横浜駅と国府津駅間が開業し、保土ヶ谷駅、戸塚駅、藤沢駅、平塚駅、大磯駅、国府津駅を設置する。 1888年(明治21年)- 大船駅が開業する。 1889年(明治22年)- 旧日本海軍軍港の横須賀に至る鉄路として横須賀線が開通し鎌倉駅、逗子駅、横須賀駅を設置する。 1891年(明治24年)- ベルツ博士の推奨の下、葉山に有栖川宮別邸を竣工する。 1893年(明治26年)- 葉山に北白川宮別邸を竣工する。 1894年(明治27年)- 葉山御用邸を竣工する。 1897年(明治30年)- 徳富蘆花が赤坂から逗子柳屋へ転居する。 1898年(明治31年)- 國民新聞に『湘南歳余』(徳富蘆花)が掲載される。 1900年(明治33年)- 『湘南雑筆』を含む『自然と人生』(徳富蘆花)が出版され、逗子の自然や、逗子から見た相模湾や富士山などの風景を西洋画風に紹介する。 1921年(大正10年)- 神奈川縣立湘南中學校を藤沢町鵠沼に開設する。 1922年(大正11年)- 歌誌『明星』2月号に、荻野綾子の鵠沼を詠んだ『湘南にて』が掲載される。 1928年(昭和3年)- 高瀬弥一の江之島水道株式会社が玉川水道と提携し、湘南水道株式会社として事業を拡張する。 1930年(昭和5年)- 湘南電気鉄道黄金町~浦賀駅間、金沢八景駅~湘南逗子駅間が開業し、「湘南電車」と呼ばれる。 - 神奈川県土木部、湘南海岸道路(川口村片瀬龍口寺-中郡大磯町間)の敷設計画に着手する。 1931年(昭和6年)- 湘南瓦斯株式会社が藤沢町鵠沼で創業する。 - 湘南養蚕実行組合が藤沢町で結成する。 1932年(昭和7年)- 植物学者久内清孝が、『植物研究雑誌』に「滅び行く湘南の鵠沼片瀬を弔う」を発表する。 1933年(昭和8年)- 湘南学園(小学校・幼稚園)を藤沢町鵠沼に開設する。 1935年(昭和10年)- 都市計画神奈川地方委員会が、湘南海岸公園計画地域を可決して答申する。 - 松岡静雄が「神楽舎講堂湘南国語研究会誌」第1輯発行する。 1936年(昭和11年)- 湘南氷業販売組合を藤沢町で結成する。 - 神奈川県道片瀬大磯線相模川「湘南大橋」完成し、全線開通する。 1941年(昭和16年)- 藤沢市内外の文化人や宗教家が集まり、「湘南文化連盟」を結成する。 各地域の特色 藤沢・茅ヶ崎・寒川 県の行政区域では「湘南地域」に含まれ、江の島を中心とした海岸風景は、現代の「湘南」の代表的なイメージである。神奈川県立湘南高等学校、私立湘南学園(幼稚園-高等学校)は藤沢市に位置し、江ノ電沿線の大正時代に開発された住宅地である鵠沼や片瀬地域では比較的広い邸宅も見られる。 しかし、北部は海からも遠く、現代の「湘南」というイメージとはほど遠い工業・田園地帯である。地理的にも、町の雰囲気からみても、湘南と呼べるのは事実上東海道本線以南の沿岸地域だけといえるが、キャンパスの名称やマンション・アパート名など、大学や不動産業者のネーミング戦略的な理由により、かなり広い範囲で「湘南」が当てられている。 藤沢市北部に小田急江ノ島線・相鉄いずみ野線・横浜市営地下鉄の湘南台駅があり、その西に慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスと文教大学湘南キャンパスがある。やや南の六会にも日本大学湘南キャンパス(旧・藤沢キャンパス)があるが、いずれも海岸からかなり離れた田園・丘陵地帯に位置する。 藤沢市西部、茅ヶ崎市北部にまたがる区域には「湘南ライフタウン」と呼ばれるニュータウンが存在するが、海岸地域ではなく、北部の丘陵地域を開発したものである。 現代の「湘南」のイメージが一般にも定着している加山雄三は横浜生まれだが茅ヶ崎育ち���またサザンオールスターズの桑田佳祐は茅ヶ崎市の出身であり、現在は茅ヶ崎海水浴場もサザンビーチと呼ばれている。 太平洋戦争末期、もし日本が降伏せずに徹底抗戦した場合、相模川以東で相模湾中央部の長い海岸線を持つという理由から、茅ヶ崎海岸が連合国軍上陸作戦の有力候補地点として想定されていた(コロネット作戦)。戦後海岸地区は一時アメリカ軍を中心とした連合国軍に接収された(在日米海軍辻堂演習場)が、1959年6月25日に返還された。 1940年(昭和15年)、藤沢町が片瀬町に合併を呼びかけた際、片瀬町が条件として市名を「湘南市」とする案が挙げられたが、実現せず、「藤沢市」となった経緯がある。(片瀬町が藤沢市に合併するのは1947年) 1956年(昭和31年)、寒川町が藤沢市と茅ケ崎市に合併の上「湘南市」とする話を持ち掛けるが実現に至らなかった。 明治期、相模川に接した東側の茅ヶ崎・寒川の一部地域は湘東と呼ばれていた。「湘東」は、湘江に見立てた相模川の東の意味である。 平塚 県行政区域では「湘南地域」に含まれ、県の出先機関である「湘南地域県政総合センター」を始め、湘南ナンバーを発行する「湘南自動車検査登録事務所」など湘南地域を管轄する行政機関が多く所在し、行政的に湘南地域の中心である。政治的にも「湘南市」として合併し政令指定都市を目指す構想の中心的役割を果たすが、リーダー役であった平塚市長が2003年に落選し構想は挫折する。 海岸は急に深くなる地形的理由から海水浴に適さないが、「湘南」のイメージ戦略もあり、海岸工事により近年海水浴場を開設した。相模湾を一望する湘南平は湘南海岸を俯瞰できる場所として知られる。夜景も美しく、湘南地域のデートスポットとして有名である。 関東三大七夕祭りの1つ「湘南ひらつか七夕まつり」が7月7日を中心とした3日間に開催される。サッカーJリーグの湘南ベルマーレの本拠地は平塚競技場である。市西部に東海大学湘南キャンパス・神奈川大学湘南ひらつかキャンパス(旧・平塚キャンパス)���存在する。 大磯・二宮 県行政区域では「湘南地域」に含まれる。江戸時代、崇雪が大磯の東海道筋にある標石に「著盡湘南清絶地」と景勝を讃えた言葉を刻んだことから、湘南発祥の地とされており、その碑が城山公園内の大磯町郷土資料館に保存されている。 大磯は、律令以前に豪族の師長(磯長)国造が支配する地域だが、中央集権体制の整備に伴い朝廷に仕えた渡来人が移住したと考えられ、高麗山や高来神社など、大陸からの文化を広めた高句麗からの朝鮮民族渡来人に由来する地名もある。明治以降には伊藤博文や吉田茂が別荘を構える。二宮は手狭な海水浴場で観光集客力は高くないが、温暖な気候で交通の便も良く堤義明邸も所在する。 明治期の「湘南」は「山と川が織りなす景観を持つ相模川以西地域」であり、大磯、二宮近辺には湘南馬車鉄道や、大磯町の湘南大磯病院、二宮町の湘南牛乳株式会社、など「湘南」を冠する企業が存在した。 伊勢原 伊勢原市大山は江戸時代に「湘山」「湘岳」と呼称され、歴史的に湘南海岸方面と連携する。現在は県行政区域上「湘南地域」に含まれるが、経済面では車両交通に優れる平塚市と関連深く、小田急小田原線や国道246号で結ばれる厚木市など県央地域と関係が深化している。 鎌倉・逗子・葉山 県行政区域上「湘南地域」に含まれずに「横須賀三浦地域」と呼称される。現在の逗子市域は昭和初期に湘南電気鉄道沿線となり、戦後横須賀市より分離独立して発足した。「湘南」育ちの印象が強い石原裕次郎は、逗子市で青年期を過ごしている。「歴史の街」や「御用邸」などの印象が強く、「湘南」ではなく「鎌倉」、「逗子」、「葉山」と呼称される。 横須賀・三浦 県行政区域上「湘南地域」に含まれずに「横須賀三浦地域」と呼称される。相模湾側は1000年以上昔から「湘南」と呼ばれ、鎌倉時代以降は幕府直轄領漁港として繁栄し、東京湾側と一線を引くように逗子市が横須賀市から分離する以前から最寄駅は逗子駅である。横須賀市中心部は相模湾ではなく東京湾に接し、湘南の基本的な定義である「相模湾沿岸」に該当しない。経済活動も横浜横須賀道路や京急線で結ばれる横浜と連携する。相模湾に面する横須賀市や三浦市西部では、長者ヶ崎を挟み葉山に接する秋谷海岸などで「湘南」を訴求する住宅地や避暑地も近年見られる。湘南鷹取、湘南国際村、湘南信用金庫、横須賀市中心部に所在する湘南学院高等学校など地名や企業名などに湘南を採用する例も多く、古くは昭和初期の湘南電気鉄道がある。プロ野球横浜ベイスターズ(2010年当時)二軍チームは、2000年から2010年シーズン終了まで湘南シーレックスとして横須賀を本拠地に活動した。 小田原・足柄下郡 県行政区域上「湘南地域」に含まれず、大磯 - 小田原間を結ぶ西湘バイパスの様に「西湘地域」と呼称される。温泉宿泊地やキャンプ場、城下町など独自色が強く、保養地や観光地の特色が強い。 明治期の「湘南」のイメージは「山と川が織りなす景観を持つ相模川以西地域」であり、小田原には「湘南」を冠したものが多く存在した。 南足柄・足柄上郡 県行政区域上「湘南地域」に含まれずに「足柄上地域」と呼称され、一般的に「湘南」として扱われる事は無いが、自動車登録番号標の「湘南ナンバー」適用エリアである。 相模原 県行政区域上「湘南地域」に含まれずに「県央地域」と呼称される。市内城山町小倉、城山町葉山島の両地区は、かつて湘南村という行政区が存在した。これは1889年に旧小倉村と旧葉山島村の合併で生じ、1955年に旧川尻村、旧三沢村と合併し旧城山町が成立して消滅する。2007年、旧城山町は旧藤野町とともに相模原市に編入され、現在に至る。旧村名の由来は「相模川を文人が湘江と呼んでいることにちなみ、湘江の南側の村」である。現在、1906年に創立された城山町小倉の小学校名にその名を留める。 大和・海老名・座間・綾瀬 県行政区域上「湘南地域」に含まれずに「県央地域」と呼称され、一般的に「湘南」の扱いは殆ど無いが、気象予報区における二次細分区域「湘南」適用エリアである。 厚木 県行政区域上「湘南地域」に含まれずに「県央地域」と呼称され、一般的に「湘南」の扱いは殆ど無いが、湘南ベルマーレのホームタウンの一つである。 カーフィルム・スモークフィルム・車フィルム 平塚 カーフィルム・スモークフィルム・車フィルム 藤沢 カーフィルム・スモークフィルム・車フィルム 茅ヶ崎 カーフィルム・スモークフィルム・車フィルム 鎌倉 カーフィルム・スモークフィルム・車フィルム 小田原
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kensasuke23 · 2 years
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今日から連休で山形県内をぶらぶらしてます。
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こちらはうきたむ風土記の丘考古資料館。
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この展示が観たかった。
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そんでもって羽州の名城・上山城。
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展望台からの風景。天気いいんだか悪いんだか、どっちだ。
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kensasuke23 · 6 years
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うきたむ風土記の丘考古資料館に来ましたよ。#山形県 (山形県立うきたむ風土記の丘考古資料館)
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