Tumgik
#お茶の水女子大学こども園
elle-p · 9 months
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Persona 3 Club Book Pawlonia Mall people pages scan and transcription.
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ポロニアンモールの人々
People of Pauloownian mogol
月光館学園に隣接する巨大ショッピングエリアのポロニアンモールは、買い物と娯楽の一大スポット。タルタロス探索の準備のためだけでなく東の間の息抜きにもふさわしい。
黒沢巡查 辰巳東交番
港区の辰巳東交番を守る地域課の巡査。かつては敏腕のエリート巡査として知られていたが、正義感のあまりに10年前の桐条研究所事故の真相に深入りし、出世の道を外れた。
だがそのときの捜査によって真相に警察機構の手に負えない、人外のモノの存在を感じ、以降は独断で関係者と接触し、事件解決のサポートを行なうようになる。
なお巌戸台地区に配属されたときの最初の担当案件は、真田兄妹の入寮していた孤児院火災事故の再捜査だった。結局この事故もとくに人為的な点は見当たらずに決着しているが、そのときに現在の真田との関 係がつくられた。
基本的に非番はなく、昼は交番での勤務と武器の横流し販売、夜は担当地区一帯のパトロールと、とにかく黙々と働く男。毎週月曜日にご機嫌で値引きしてくれるのは、勤務明けに彼女とのデートが待ってい るから······かもしれない。
話しかけるのを躊躇させる強面の巡査。見かけによらず港区の平和を心から願い、特別課外活動部員への武器提供を請け負っている。
寡黙な平和
の守り手
眞宵堂店主 眞宵堂
隠棲の美人
科学者
断片的ではあるが港区で起こる事件のカラクりを知る数少ない人物。黒沢巡査とは桐条がらみで知り合い、頻繁に情報交換をする仲。
趣味で集めた骨董品を売る、凄みのきいた笑みが魅力的な女性。
学生時代から考古学を専攻していたのが縁で、桐条鴻悦が存命のころ、非公式計画の中核であった「エルゴノミクス研究所」の研究所員として、岳羽詠一朗の下で研究の一端に関わっていた。おもな研究は、過去のシャドウ関連の記述や痕跡を考古学的見地から分析・解析するもの。中心研究から一歩引いたところにいたことが、早期に研究 の問題を知ることとなり、事故の起こる数年前には研究所を去っている。しかし研究の真相を知りながら、その事実から身を引いたことに呵責を感じていて、桐条の膝元の土地を去れずにいる。そんな自分の迷いを自嘲し、店の名前を「眞宵」堂と名づけた。
上司であり師弟関係にもあった詠一朗には、妻子ある相手と知りながら道ならぬ感情を抱いていた時期があり、彼がすべての罪を負わされる形で世間的な決着がついていることも、彼女の桐条への複雑な感情をを助長しているようだ。
青ひげ店主 青ひげ薬局
欧米型ドラッグストアがこの国に根を下ろして十数年、今やすっかり市民権を獲得した中、昔ながらの対面販売式「薬局」としてがんばる、青ひげ薬局の店主。洗練された雰囲気を全面に押し出す新興のショッピングエリア・ポロニアンモールの一等地にて、このスタイルを貫く心意気はさすが。顧客は若者はもちろん、仕事帰りのサラリーマンや、いろいろ不具合に悩むお年寄りまで、幅広い年代をカバーしている。
仕事柄幅広い医薬品を扱ってはいるが、なにを置いても養生がいちばんという、東洋医学に基づいた主張をもっている。その証拠に料理の相談を持ちかけると、医食同源の秘蔵のハブの干物を熱心に勧められたという、部員からの報告あり。
店主渾身の青汁スムージーは販売1年目には罰ゲームのネタにされるという不幸な歴史を持つが、本人はその味わいと健康的な価値とに自身を持っている様子。
家庭の医学の体現煮
立派なひげをたくわえた恰幅のいい店主。豪快な人柄と取扱商品の怪しさにただの薬屋ではない気配がただよう。
ヤリ手の女性記者 ポロニアンモールほか
ペンを武器に三流ゴシップ誌で戦う女性記者。全国的に広がりつつある謎の社会現象の真相に、たったひとりで挑んでいる。その行動力と洞察力で、無気力症患者の発生のメカニズムにいち早く着目したほか、月の満ち欠けと無気力症患者の増減や、無気力症拡大と桐条グループ関係者たちの動向との関係をかぎつけるなど、本来桐条の関係者にしか知り得ない真相に徐々に迫りつつある。そのため上司や「さるところ」から圧力をかけられることも多数あり。それが彼女の自由報道への情熱に一層拍車をかけているようだ。年末に向かって無気力症が猛威を振るうようになっても、さらにそこに謎を解く鍵を見出す、恐るべきバイタリティの持ち主。
無気力症におちいったタクシー運転手の間近でも冷静に状況を分析。報道に携わる者の鑑。
記者eyes
事件の気配をいち早く見分ける千里眼!!
記者brain
巧妙に隠された真相を見抜く冴えた頭脳!!
記者heart
おばさんと呼ぶと無反応になる乙女心!!
記者suit
体を張った取材に耐える丈夫な素材!!
記者hand
記事を書きなぐる武器!ペンだこは勲章!!
記者pumps
走っても足を痛めない低めのヒール!!
●図解!デキる雑誌記者!!
●女性記者の真実への軌跡
老いてますます盛んな老人 噴水広場
日がな一日、噴水のそばに腰を下ろして遠くを見つめるお爺ちゃん。多少弱々しく見える現在からは想像もつかないが、若いころは結構な女泣かせだったらしく、会うたびに盛んに「若いころにはギャルと遊べ」と力説される。このところ、かつての友だちがひとり、 またひとりと冥土に旅立ち、寂しさを隠し切れない様子。ポロニアンモールを訪れて無事な姿を確認するたび、「元気でよかった」を胸をなで下ろさずにはいられない、噴水広場のシンボル的存在になっている。
影人間が増え出す時期以外は一年を通してこのベンチで過ぎ去った時間を思い返している。
聞かせて!おじいちゃんの武勇伝
ビー・ブルー・ヴィーの店員 ビー・ブルー・ヴィー
感度の高いアイテムで、月高生をはじめとした地域の女子高生に人気のアクセサリーショップの、カリスマ店員。彼女の提案する小物使いは、必ずといっていいほど10代女子のハートをがっちりつかむ。見た目の派手さに反して、気さくな人柄と丁寧な応対で、相手の目線で接客する態度が好感度高し。自然と恋愛相談を受けることも多くなり、客同士の人間関係や恋の成り行きにはちょっと詳しいようだ。信条は「おサイフに優しい値段でセレブ感のあるオシャレ」。
クレーンゲームの月高生 ゲームパニック前
齢17にして初めてクレーンゲームを知り、世間から10年以上遅れてやってきた、景品釣りのスリルと興奮に盛り上がり中の男子生徒。友だちの誘いもむげにして、熱心に攻略方法を研究しており、影人間が徘徊を始める時期以外は、青春の貴重な時間と多くない小遣いを、その娯楽に費やしてポロニアンモールで過ごしている。かつて一世を風靡したこのゲーム、最盛期には亀や伊勢海老まで景品になっていたのは本当の話。
買い物途中の主婦 噴水広場
夕方の買い物の途中で油を売っている主婦ふたり組。日々成長する子どものしつけと教育問題に頭を悩ませている。家事と買い物で疲れたと言ってはたびたびお茶に繰り出しているらしく、ポロニアンモールや巌戸台商店街の飲食店には、月高生以上に詳しい。
●髪を結った主婦
高校2年生の年頃の娘を抱える母親。勉強そっちのけでオシャレに凝り始めた娘にあきれ顔。
●髪の短い主婦
中学3年生の息子を持つ母親。月高を目指しているが不穏な事件続きで躊躇気味。
Syuhu's COMMU
高2の娘 ← シャガールばっかり行って!← 髪を結った主婦 買い物友だち
髪の短い主婦
ご近所さん? 購買のおばちゃん
→ 目指せ月高!→ 中3の息子
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gupaooooon · 1 year
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NoBarbenheimer
今回の件、原爆投下/原水爆をミーム化/ネタ化する動きの加速に対して。フェミニズムな作品であることがとても楽しみだったバービーの……“公式アカウント”が乗っかっていたという事実。そのショックについて。自分も抗議を送ったりTwitter/Tumblrでタグを使ったひとりですが、
「日本のみ」が被爆国ではないし、「日本人とされれる人々のみ」が被爆被害者ではない。
凡ゆる国と地域で被爆被害があり、凡ゆる国や地域の人々が、被害者が、世界中にいること。
“戦争被爆国”としての日本においては、戦時下で、軍国主義/差別主義の中で更に更にマイノリティとして虐げられた人々が、植民地支配/強制連行による被害者や、捕虜として収容されていた人々が、沢山、犠牲になっているし、その後も苦しみ続けている。日本/政府による迫害と差別に晒されている。その存在が、事実が、歴史が、蔑ろにされ続けている。
原爆/原水爆の犠牲者が、被害者が、いまも、世界で、さまざまな場所で、苦しみ続けていること。その歴史について。
それらを踏みにじるような言葉も、それらについて誤った認識を与える言葉も、Twitter上では多く(差別主義者/ネトウヨ/極右なども、バービーという作品そのものとそこにあるフェミニズムや多様性に対する一方的な揶揄/叩きや、韓国へのデマ/ヘイトや、他の悲惨な歴史や事件を更にミームにして茶化し出すという……醜悪な最低最悪な行いをぶち撒けながら、この抗議タグをTwitter上で利用してきていることもあり、)かなり蔓延してきてるようなので。
Twitterで今回自分がRTさせて頂いた……さまざまな方々が紹介���ていた記事やアーカイブ/今までTwitter上で自分がRTしてきたり引用してきたりした記事なども、自分用と兼ねて、いくつか、改めて、此方にも引用してみます。
また、再度、強調したいのですが、
日本は、今なお、戦争責任/加害の歴史に向き合おうとしない。戦争の責任と記録と歴史を忘却し、捻じ曲げようとする歴史修正主義が、まさにいま、どんどん勢いを増し続けている現状。核廃絶について背を向けるばかりか、核武装について“柔軟な議論”などとほざいて嬉々として語り出す連中が、差別主義者の糞どもが、万年与党であること。
そこを無視することこそ、恐ろしいことで、忘れてはならないこと。(これもほんと繰り返しだが、この現状だからこそ、戦争/核を軽視しないための抗議の責任があること、強調したい)
・日本だけではない、被爆国
「核兵器を開発するためには実験が必要です。1945年、アメリカのニューメキシコ州で世界で初めての核実験が行われてから、これまで2,050回以上の核実験が行われきました。
アメリカはネバダ砂漠や太平洋でロシアはカザフスタンや北極海で、イギリスはオーストラリアや太平洋の島国で、フランスはアルジェリアや南太平洋の仏領ポリネシア・タヒチで中国は新疆ウイグル自治区で実施しました。ワシントンやモスクワなどの大都市から遠く離れ、多くの場合は植民地や先住民族の暮らしている土地でした。(川崎 哲「核兵器はなくせる」、岩波ジュニア新書、2018)」
・Hiroshima and Nagasaki: A Multilingual Bibliography
「ABOUT US: The Aim of Our Project
In 2014, a year before the 70th anniversary of the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki, we started our survey and research into the multilingual publication of atomic bomb literature. Our goal is to make a comprehensive survey into the process of worldwide acknowledgment of Hiroshima and Nagasaki for 70 years.」
・外国人戦争犠牲者追悼核廃絶人類不戦碑
「この戦争の末期、長崎では数次にわたる米軍の空襲、潜水艦攻撃、そして八月九日の原爆 によって七万余の日本人、数千の朝鮮人、中国人労働者、華僑、留学生、連合軍捕虜(イギ リス、アメリカ、オーストラリア、オランダ、インドネシア等)が犠牲となった。
特に浦上刑務所のあった隣接する丘では、三十二名の中国人、十三名の朝鮮人が、日本人 受刑者とともに爆死し、また香焼や幸町の捕虜収容所では、被爆前に病気や事故などによ って数百名の連合軍兵士が死亡した」
「碑の建立に力を注いだのは、戦時中に収容所の職員だった田島治太夫さん(九九年死去)。一緒に運動した鎌田信子さん(72)は「日本人だけでなく、多くの外国人が犠牲になったことを知ってもらいたい」と語る。」(2005/07/15 掲載記事)
・被爆2世、女性として直面した複合差別 ――「韓国のヒロシマ」陜川から
「2023年2月7日、被爆者の援護を定めた法の対象外となっているのは不当だとして、被爆2世が国を訴えていた裁判の判決が広島地裁で言い渡された。「不当な差別とは評価できない」などとして、原告の訴えは棄却された。被爆2世に対しては、厚生労働省が定めた要綱に基づく健康診断が実施されているものの、がん検診はそこに含まれず、各種手当の交付なども受けられない。」
「原爆被害に加え、それ以前からの植民地支配に翻弄されてきた韓国人被爆者の次世代も、「線引きの外側」に置かれ、公的な支えを受けられずに生きてきた。」
・80歳を過ぎて語り始めた被爆体験――福島へ手渡したい思いとは
「切明さんの話は、「あの日」から始まるのではなく、軍都「廣島」の話から始まる。
「広島は今、平和を守ることや、核兵器廃絶を掲げていますが、77年前までは軍国主義の街でした」
切明さんが国民学校2年生の時、満州事変が起きる。広島城の周辺には陸軍の師団が置かれており、宇品港は中国大陸や、その後の東南アジアの国々侵略のための出発港だった。」
・「存在しない」とされた残留放射線、内部被ばくの被害を認めない政府
「こうした政府の態度の根底にあるのは、残留放射線による内部被ばくの否定だ。放射性物質を体内に取り込む危険性から目を背ける、その姿勢の源流を知るためには、日米の歴史を紐解く必要がある。
『原水爆時代〈上〉―現代史の証言』(今堀誠二)や 『核の戦後史:Q&Aで学ぶ原爆・原発・被ばくの真実』(木村朗、高橋博子)でも示されているが、原爆投下から1ヵ月後、マンハッタン計画の副責任者であるトーマス・ファーレル氏は、下記のような声明を発表したとされる。
「広島・長崎では、死ぬべきものは死んでしまい、9月上旬において、原爆放射能の余燼ために苦しんでいる者は皆無だ」
残留放射能が存在しないとした理由について記者からの質問を受け、ファーレル氏は「相当の高度で爆発させた」ことを挙げていた。
なぜこうした声明を出すに至ったのか。『核の戦後史』の他、『封印されたヒロシマ・ナガサキ』などの著者でもある奈良大学の高橋博子教授は、占領を円滑に進める必要がある米国側の意図を指摘する。
「声明には、原爆投下が国際法違反であることを否定し、広島を取材した連合国軍記者による報道を打ち消す狙いがあったと思われます」 」
「 「日本政府は核兵器の残酷さや非人道性を訴えるどころか、その“威力”を重視し、原爆攻撃をした米国と一緒になって、核兵器の有効性を世界に向けて訴えてきたといえます。核の“パワー”の肯定的イメージを拡散してきた、世界に対する責任は重いと思います」 」
・«さもしいといって下さいますな» 福田須磨子さんの思い 原爆を背負って(30)
「 《何も彼(か)も いやになりました 原子野に屹立(きつりつ)する巨大な平和像 それはいい それはいいけど そのお金で何とかならなかったかしら “石の像は食えぬし腹の足しにならぬ” さもしいといって下さいますな 原爆後十年をぎりぎりに生きる 被災者の偽らぬ心境です》
 1955年8月、被爆詩人・福田須磨子さん=74年に52歳で死去=が詠んだ詩「ひとりごと」です。須磨子さんは23歳のとき、爆心地から1・8キロ地点で被爆。高熱や脱毛など後遺症に苦しみ、紅斑症にもかかります。身体的、精神的苦痛と生活苦にさいなまれる日々…。3千万円の巨費を投じて造られた平和祈念像を見て、この詩を詠みました。」
・問われる空襲被害者の戦後補償
この記事は2020年放送のNHKスペシャル「忘れられた戦後補償」を下地にした2021年放送のクローズアップ現代の記事です。もとのNHKスペシャルを記事化したページは……もう削除されてしまい、この別番組の記事しか残っていない状況です。
被爆被害とは違った話なのですが、日本が戦後も、ずっと、いかに、国内外問わず、戦争責任に向き合っていない国であるか。民間人/市民を切り捨て、権力者/軍部を優遇してきたか。それがわかりやすい記事のひとつとして、引用します。
以下はNHKスペシャルの特集記事から当時引用した文面です。
「大将経験者の遺族には、戦犯であっても、兵の6.5倍の補償を実施。閣僚経験者に対しては、現在の貨幣価値で年1000万円前後が支払われていた。その一方で、旧植民地出身の将兵は、恩給の対象から外された。」
「国家が総動員体制で遂行し、破滅への道をたどった日本の戦争。犠牲となった民間人は80万人。戦後、国家補償を求めた民間被害者の訴えは一貫して退けられてきた。」
「ドイツやイタリアと違い、軍と民の格差が時代とともに拡大していった日本の戦後補償」
(しかしNHKの戦争責任を問う特集関係の読みやすいWEB記事や記録は……数年しか残さない、消されてしまうし。オンデマンド配信に全て入る訳ではないようだしで。戦争の真実シリーズの731部隊の特集の書籍化は何年も延期が続き、今年やっと……出版されそう……?である現状(何かしらの検閲を受けていないかが、不安である)、本当に不気味で、最悪だ)
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rosysnow · 4 months
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柔らかな熱
僕がこの世界に生きている証
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 体育祭なんて、誰ひとり楽しいと思っていないのだから、とっとと廃止すればいいのに。
 痩せた脚のせいで徒競走で転んで、ひとり手洗い場でハンカチで膝の血をぬぐっていた。ああ、またかっこ悪かった。しかもこの中学の全校生徒、先生たち、保護者たちの前で。
 冷たい水分が擦り傷に響く。思わず顔を顰めていると、「城木くん、だっせえ」という声がして振り返った。いつもの何人かのクラスメイトがいて、僕はぎゅっとハンカチを握る。
 その中のひとりの手が蛇口に伸びて、きしむような音を立てて水音が止まった。
「向こうつまんねえから、つきあえ」
 前髪の隙間から目だけ動かして、そう言ったクラスメイトを見る。
 こちらを見る目は、嗤ってすらいない。本当に、ただ怒っている。くそつまらない体育祭にいらついている。僕がうざいとか、そんな感情すらない。ゴミ箱や便器に向けるような、汚物を嫌悪する目──
 背中を押されて、囲まれて、静まり返った校舎に入った。「かったるいよなー」とか「親は来るなっつったのに」とか、うんざりした言葉と足音が廊下に響く。
 一年二組。僕たちの教室にたどりつくと、「また転べよ」と肩を突き飛ばされて、前のめりになった僕は転ばず立てそうだったけど、わざと床に膝について座りこんだ。
 擦り傷が痛覚に刺さる。笑い声がぐるぐる降ってくる。
「マジ城木だせえ」
 がつっと肩胛骨のあたりを蹴られて、脇腹も鋭く爪先でえぐられる。小さくうめいて、上履きの臭いが染みついた冷たい床に顔を伏せてうずくまった。頭、背中、腰にいくつも嘔吐のように足が飛んで、まだ治っていない軆じゅうの痣を踏み躙る。
 目をつぶって、唇を噛んで、こぶしを握って、頭蓋骨に直接響く攻撃に耐える。上履きの臭い硬いゴムの靴底が、全身を強く穿って、本当に軆に穴が開くんじゃないかと恐怖がこみあげる。
 虚ろになる頭に、校庭の次の競技の放送がぼんやり聞こえる。熱中症に厳重注意の日射しが、教室に白くあふれている。
 いつまで吐き捨てられていたのだろう。気づくと、教室に取り残されていた。
 ぐらぐらして取り留めのない声をつぶやいて、ゆっくり起き上がった。体操服をめくってみると、内出血がべったり広がっていた。少しカッターで切れ目を入れれば、血管から破裂しているその血がほとばしるのかもしれない。
 ため息をついて、自分の席にまで這いずっていくと、椅子によじのぼって座った。背もたれに寄りかかろうとすると、腫れた感触がずきっと脊髄を刺した。だからつくえに顔を伏せて、丸くなって、乾いていく瞳で日がかたむくのを見つめて教室で過ごした。
 緩やかに赤く焼けていく空の下で閉会式が行われたあと、生徒はいったん教室に集まって、参加賞のノートと鉛筆、そして紅白饅頭が配られる。
 勝ったのは紅組だった。得点に一番貢献したクラスには、賞品が贈られる。もちろんそれは僕のクラスではなかったし、それどころか僕は先生に不在を知られていたらしく、「城木くんにはこれはあげられません」と参加賞をもらえなかった。
 だって、みんなが、僕を。
 言いたくても、絶対いつも言えなくて、僕はうつむいて「はい」とだけ言った。先生は教壇で今度作文を書くこととかを話して、すぐ解散を言い渡した。すぐに日は落ちて、怪我した脚を引いてひとりでたどる帰り道は、もう暗かった。
 住んでいるマンションのそばにまで着いて、明日回収の生ゴミが積まれたゴミ捨て場の前を横切ろうとしたときだった。不意に泣き声が聞こえた。子供の泣き声に聞こえた。あたりを見まわし、その声はすぐ足元からだと気づいてびくっとする。
 でも、そこにいたのは子供ではなかった。口をきつく縛られたビニールぶくろを破って、頭だけ出している焦げ茶の猫だった。
 ほっとしてから、しゃがみこんでみた。飼われていた猫だろうか。ほとんど警戒しなくて、頭を撫でると嬉しそうに鳴いた。ふくろに入れて、口を縛って、生ゴミと一緒に置いておくなんて──
「ひどいね」と小さく言っても、緑色の瞳は無垢に開かれている。僕は猫をがさがさとふくろから出してあげた。そして立ち上がろうとして、振り返って、また身をかがめてしまう。
 猫が哀しそうに鳴いた。ペットは飼ったことがないから、猫のつらい鳴き声がこんなに泣いている子供の声に似ているのは、初めて知った。
 ふかふかした軆を抱きあげてみると、連れて帰りたくなったけど、マンションだからもちろんペットは禁止だ。どうしよう、と動くに動けず、ただその猫の頭を撫でていた。とりあえず生ゴミの臭いから離れて、マンションに隣接している公園に行った。
 街燈だけ灯って、誰もいない。ブランコで猫の顔を覗きこんだり、胸に抱きしめたりしてると、猫のほうも僕に慣れてきて鳴き声が落ち着いてきた。僕でも知っている、「にゃあ」という鳴き声だ。
 このまま、あのゴミ捨て場に置いておくわけにはいかない。心を決めると、猫を抱いたままマンションに入って家に帰った。
 鍵をまわしてドアを開けると、おかあさんの声がした。電話をしているみたいだ。「日曜日も私たちのところには帰ってこれないの⁉」──怒鳴っている相手は、おとうさんだとすぐ分かった。
 おとうさんは一度、僕を知らない女の人に会わせたことがある。いつも家にいないのは仕事だと思っていたのは、それで崩れた。
 おかあさんに気づかれないように、自��の部屋に駆けこんだ。猫はベッドの上に下ろして、部屋をあさって悩んで、口が大きく開くリュックを広げて服を詰めて、寝床みたいにした。ベッドの上を歩いていた猫を抱くと、そこに移させる。
 大きくない猫だったから、さいわい大きさが足りないこともなくて、そこに丸くなってくれた。牛乳なら飲むかな、と部屋を出て、キッチンに行くとリビングのおかあさんが僕をちらりとした。でも「おかえり」を言う前に、「切らないでよ!」とケータイ相手にヒステリックに怒鳴る。
 僕はコーンフレークの食べるときの皿と牛乳、魚肉ソーセージを素早く抱えて部屋に戻った。
 服を着替えると、その夜はずっとその猫を見つめていた。冷房でちょっと部屋を冷ました。猫は牛乳でお腹がいっぱいになったようで、魚肉ソーセージは残して眠りについてしまった。
 おかあさんは遅くまで叫んでいて、僕はその声が怖くて小さくなる。うつらうつらしてくると堅いフローリングに横たわって、すぐそばで猫の寝顔を見ていた。
 翌日は、代休で学校は休みだった。このままおかあさんに気づかれず猫を飼えたら一番だけど、そんなのうまくいかないのは分かっている。おかあさんが出かけて家が空っぽになった隙に、猫を抱いて外に出た。
 九月の白日は、まだまだ暑い。でも、猫の体温は優しいから心地いい。
 ひとまず向かったゴミ捨て場は、空っぽになっていた。この猫がゴミと思われて、収集車のあの回転する圧迫につぶされていたかもしれないと思うとぞっとした。
 この猫の飼い主は探さないほうがいいのだろう。あんまり僕も会いたくない。だとしたら、新しい飼い主か。どこに連れていけばいいのだろう。
 たたずんで猫と見合って悩んで、そういえば、駅までの道にある動物病院が迷い犬を預かっている張り紙をたまに出しているのを思い出した。よく分からないので、僕はそこに行ってみることにした。
 猫は僕の腕に抱かれて、おとなしくしている。いつも抱かれていたから、慣れているのだろうか。いつも抱いているような飼い主だったのに、あんなふうに捨てたのか。何で愛したはずのものにそんなことができるのか、どうしても分からなかった。
 動物病院の前に着いても、嫌な顔をされたらどうしようとドアを開けられずに躊躇っていた。そうしていると、後ろからビーグル犬を連れた女の人がやってきて、入口のドアを開けて犬を先に中に入らせ、「どうぞ」と僕のことも自然と招き入れた。
 僕は挙動不審になりそうになっても、動物のにおいがする病院の中にぎこちなく入った。
 その瞬間だった。
「せぴあ!」
 突然そんな声がして、おろおろする間もなく、高校生くらいの女の子が僕に駆け寄ってきた。猫はするりと僕の腕を抜け出して床に降り、その子の足元にすりよる。女の子は待合室の床に座りこんで、いきなり大声で泣き出して、ビーグル犬も、その飼い主の女の人も、顔を出した白衣の男の獣医さんも、もちろん僕もぽかんとした。
「ほたるちゃん」
 そう呼ばれた女の子は、獣医さんを振り返って「先生、せぴあ見つかったよお」と大粒の涙をぼろぼろこぼす。すると、獣医さんもほっとした表情を見せて、突っ立っている僕を見た。
「君が見つけてくれたのかい?」
「え、……あ、はい」
「どこにいたんですか⁉ 私、昨日の夜からずっと探してて、」
「夜……は、僕が部屋に連れていってました。すみません」
「どうやって連れていったんですか? この子、家猫で外には出ないのに──」
「えっ……と、……ご、ゴミ捨て場に、いたので。マンションの」
「……え」
「ふくろに入れられてて、そのままじゃ、ゴミと一緒連れていかれるかもしれないと思って」
 待合室が静かになって、奥から犬の鳴き声だけが響いた。女の子は猫を抱き上げて、「あのくそ親父」と苦々しくつぶやいた。
 それから立ち上がって僕を見て、「ありがとうございます」と頭を下げた。
「たぶん、それをやったのは父です。ご迷惑かけてすみません」
「あ、いえ。連れて帰ります、か」
「はい。もちろん」
「大丈夫、ですか」
「……父は普段、家にいないので。ふらっと帰ってきて、この子がいたからそんなことしたんだと思います。昨日、私が留守にしてたのが悪いんです」
「ほたるちゃん、またそんなことがないとは限らないだろう。ここで一時的に預かってもいいんだよ」
 獣医さんはビーグル犬の前にかがんで、その喉を撫でてやりながら言う。
「でも」
「来年、高校を卒業したら家を出るって話してたじゃないか。それからまた、せぴあちゃんと暮らすほうが安全じゃないかな」
 女の子はうつむいて押し黙った。僕はその横顔を見つめて、ずうずうしいかとも思ったが、「そっちのほうが」と言った。
 女の子は僕を見て、「少し考えてから」とせぴあというらしいその猫を抱いてソファに座った。「ゆっくり考えなさい」と言った獣医さんは、ビーグル犬を抱き上げて女の人と診察室に入っていった。
 僕はどうしたらいいのか迷い、ここで去るのも冷たい気がして、何となく女の子の隣に隙間を作って座った。女の子は僕に顔を向けて、「この子がいないと」と泣きそうな顔で咲った。
「私、家でひとりぼっちなの」
「……ひとり」
「おとうさんはそんなだし、おかあさんとは血がつながってないし。妹はおとうさん同じだけど、おかあさんに懐いてるから」
「………、そっ、か」
「私なんか、存在してないみたいなの。この子だけ、私にあったかくて、話聞いてくれて、優しいの」
 僕はうなずいて、視線を下げた。ふと、彼女がこんな残暑に長袖に着ているのに気づいた。
 ちょっと考えたあと、「でも預けたほうがいいと思う」と僕はつぶやいた。何か言おうとした彼女に、勇気を出して先に言ってみた。
「僕が話を聞く」
「えっ」
「あったかい、とかはできなくても。僕が君の話を聞くよ。またその子と暮らせるまでのあいだ。僕でいいなら」
「………、」
「変な、意味とかはなくて。その猫がまた同じ目に遭うのは、僕も怖いし。次も僕が助けられるかなんて分からないし」
「……いいの?」
「うん。あっ、でもすごいこととか、意見とかは言えない。聞くだけしか、できないと思う。それでよければ」
 彼女は僕を見つめて、ふと柔らかに咲うと「優しいね」と言った。慣れない言葉に狼狽えて、僕は首をかしげた。彼女はせぴあを抱きしめて、涙の痕がある頬を焦げ茶の毛並みに当ててから、「分かった」と目を閉じてうなずいた。
 そうして、せぴあは動物病院でしばらく保護してもらうことになった。
 僕は学校が終わると、ほたるさんというその人と待ち合わせて、晴れの日は公園で、雨の日は図書館の軒下で、いろいろ話して過ごした。僕は僕のことをあんまり話さなくて、ほたるさんが空を眺めながら自分のことを話してくれた。
 ほたるさんの歳は十九歳。ほとんど記憶にない二歳のとき、本当のおかあさんは出ていった。おとうさんはまもなく再婚した。おとうさんはリストラ以降働かなくなった。義理のおかあさんと妹は結束しておとうさんを疎み、まとめてほたるさんの存在も疎んでいる。家族に嫌われているうち、いつのまにか人間関係に混乱するようになった。自然と作れていた友達との距離が測れなくなった。
 もしかして今のうざかったかな。ううん、逆に冷たかったかも。でもどうしよう、目を見て確かめられない。あれ? 人の目の見るのってこんなに怖かった……?
 眉を顰めてうつむきがちになって、やがて周りにはひとりも友達はいなくなっていた。明らかなイジメはない。強いて言えば仲間外れ、無視、孤立。
 笑い声が恐ろしい。その場にいて申し訳ない。消されていなくなりたい。中学を卒業し、ベッドでふとんをかぶって一年引きこもった。
 おとうさんは部屋に怒鳴りこんでくる。おかあさんと妹は蔑んだ目を向けてくる。
 ここにいても救われない。この家庭は居場所にならない。どこかへ逃げなきゃ!
 気づけば、手首がいっぱい泣きじゃくって、赤く染まっていた。このまま病んでしまわないために、自分ですべて調べて、通信制高校に通うようになった。友達は相変わらずできない。けれど、通信制高校ならそれでもわりと浮かない。
 淡々と単独行動で登校し、ついに今度の三月にほたるさんは高校を卒業する。
「ずっと明日が地獄だった」
 晴れた冬の日、薄く白くなるようになった吐息と、ほたるさんは公園のベンチに腰かけた。僕も隣に座った。
「でも、やっと春から自由なんだ」
「うん」
「楽になれるといいな。家さえ離れたら幸せになるってものでもないだろうけど」
「そうかな」
「分かんないけど。切ったりするのは治ってほしいな」
「今でも切るの?」
「いらいらするとね。吐きたくなるの。食べ物吐く人と一緒だよ。血を出してつらさも流す」
「……そっか」
 僕は自分の無傷の蒼い手首を見る。それに気づいたほたるさんは、「真似しちゃダメだよ」と微笑んだ。僕は小さくこくんとする。
「ずっと、切ることしか手段がなかったけど。せぴあ拾ってから、あの子が気持ちを癒してくれるの。抱っこしたらあったかいことで、すごくほっとする」
「せぴあ、あったかいよね」
「うん。あの子がそばにいるあいだに、人間として立ち直れたらいいな」
 冷えこむ指先を握りしめて、そうだな、と思った。せぴあがほたるさんに生涯寄り添ってくれたら安心だけど、そうはいかない。あるいは、せぴあのように思える人間とほたるさんが出逢えたらいいのに。
 それを言いたくてもうまく言葉にまとまるか悩んでいると、「ふふ」とほたるさんはおかしそうに咲った。
「何か、いつもだけど。私の話ばっかりだね」
「えっ。あ──いや、ほたるさんの話を聞くって約束したから」
「君のことは訊いちゃいけないの?」
「……僕、は」
 イジメられてるから。さくっと言ってしまうのは簡単なのだけど、そのひと言で終わらせるのが妙に苦しい。
「あんまり、おもしろくないよ」
「私の話もおもしろくないでしょ」
「そんなことないよ」
「私は、君の話も聞きたいけどなあ」
「僕の話……」
「無理は言わないけどね」
 僕は顔を伏せて考えた。学校や家庭での光景が、またたいて頭の中を走り抜ける。
 蹴る。怒鳴りあう。罵る。放り出す。貶める。
 僕は学校では生きている価値がない。僕は家庭では存在している価値がない。けれど、それを言葉にしたら、声が空中を引っかいて何かの痕痕になるのだろうか。そう思った僕は、ゆっくり口を開き、「嫌な話だけど」とぽつりぽつりと学校や家のことをほたるさんに話していた。
 ほたるさんの地獄は、春になれば終わる。僕の明日にはまだ地獄が来る。クラス替えまでだろうか。卒業までだろうか。死ぬまでだろうか。死ぬまで僕は「みんな」の中に溶け込めず、孤立して心を粉々にしていくのだろうか──
 ふと、ほたるさんが僕の頭に冬が染みこんだ冷たい手を置いた。僕はほたるさんを見た。
「泣かないんだね」
「……え」
「泣いてもいいんだよ」
 目を開いた。色づく息が震えた。
 何、で。何で、そんなこと。
 だって僕は、苦しくていいのに。みんな僕に怒りを捨てていくけど。哀しくていい。僕がいなければ離婚できるけど。痛くてもいい。心も軆もぼろぼろだけど。全部全部、慣れてしまったから。
 でも、優しくはし���いで──
 僕の頭を撫でて、ほたるさんの袖の陰が見えた。
「かっこ悪いとか、気にしなくていいんだよ」
 優しい声に、視界が滲んだ。そのまま、熱い雫が頬を伝っていた。ついで、どんどんあふれてくる。ほたるさんは袖を引っ張って、その手を僕の手に重ねた。僕の手もほたるさんの手も冷えている。
「この手でせぴあを抱いて、助けてくれたでしょう? 君が拾いあげてくれたから、今、あの子は生きてるんだよ」
「………っ、」
「君がここにいるから、春になったら、せぴあはまた私と暮らせるんだよ」
「……そんな、の」
「君には、そんな温かさがここにあるんだよ」
 何も持たないほたるさんの手が、僕の何も持たない手を握った。すると、ゆっくりと微熱が生まれてくる。
 ここに、ある。僕も、ここにいる証拠を持っているのだろうか。
 ひとつでいい。小さくていい。ここにいる証明。
 せぴあを拾ったあの日、当たり前にもらえる参加賞ももらえなかった。でも僕も、生きている参加賞を持っているのだろうか。訊きたくても、もう嗚咽で声が出なくて、ただ手を握りしめていた。その手をほたるさんが包んで握ってくれていた。
 春になり、ほたるさんはせぴあと一緒に町を出ていった。僕は春風に桜が舞う中でそれを見送り、ほたるさんと最後に交わした握手で、手の中に残る柔らかな熱を握った。
 数日後、新しいクラスで学校がまた始まる。今度はクラスメイトにきちんと挨拶してみよう。死ぬ気になって。どうせ本当に死ぬわけじゃない。なのに何にビビるっていうんだよ。きっと、何も怖いことなんてないんだ。
 ほたるさんとせぴあみたいに、僕も新しい毎日をつかもう。伸ばせば誰かに届くこの手で、きっとつかむ。だって、この陽射しの下、僕も確かにこの世界を生きているひとりなのだから。
 FIN
【SPECIAL THANKS】 参加賞/それでも世界が続くなら 『彼女の歌はきっと死なない』収録
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tanashin · 1 year
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その夜 
ミカと会うのは何年ぶりか。
初めて会ったのは新宿のキャバクラでまだ大学生だった。ある日ライブハウスで見かけて何度かメシに行き撮影した。よく食べとにかくいろんなことに悪態つきながらタバコをふかす姿がかわいかった。就職したあとは会うことはなく、何度か転職して最近は小さな広告代理店に就いていることはSNSで知っていた。近所に引っ越してきたとメッセージをもらい会うことになった。
サウナに4回入って向かった。予約してもらったのはサバ専門の居酒屋。初めて来たがとても良い雰囲気。老夫婦で切り盛りしていてカウンターは常連ばかりで座敷がありテレビがあってこれでタバコが吸えれば100点なんだけどなーと。。遅れるとのことで、何品か注文し先に瓶ビールをもらう。冷えてなかったが半分くらい飲んで緑茶ハイをすぐに注文した。刺し盛りの真っ赤なマグロが不味そうでよかった。刺身は醤油をなめる為の口実。残りのビールで流しこみテレビを見ていると、ミカが入ってきた。「常連さんみたいやん、ひさしぶり」濡れ髪とタイトなワンピースのミカは年頃の大人の女性になっていた。若い時の見定めするような無意識なイヤな視線はなく、フランクによく笑っていた。でも嘘っぽくはないけど、壁を感じた。社会性を身につけたということか。
仕事や音楽やオードリーの話しをした。今日の飲み会をそれはデートやんと心配した友達のミュージシャンが同席していい感じにプレゼンしようかと真顔で聞いてきたのを思い出し笑いした。楽しい夜です、大丈夫と心の中でつぶやく。
恋はどうなの?と聞くと上司と不倫していると。とても相性がいいだとか、将来2人で新しいプロダクションを起業する予定だとか、楽しく話す姿がかわいかった。恋してるときは綺麗になるよなーとぼんやり。とじじいになったなーと。サバのいろんな料理をたくさん食べ普段飲まない日本酒をあおり2人ともおおいに酔っ払った。2軒目は立ち飲み屋に行き、バツ3の中年カップルに絡まれて面白かった。ゲーセンのお菓子のクレーンゲームでチョコが結構な数取れてとても喜んでいた。チョコは小さくて固くて味がしなかった。コンビニでアイスを買い近所を散歩することに。甲州街道をふらふら。店はほとんど閉まっていたけど、明かりがついてる誰もいない小さい雑貨屋を外からのぞいたりした。なんかこういう映画観たなと、自分がジジイなの忘れてドキドキした。
信号待ちの間、今日はそいつに会わないのか?と聞く。一瞬間が空き「今日は会えない。休日だから。会うのは平日の終わったあとだけ。家族に残業と言い訳出来るから」迂闊だった。。バツが悪く、ひさしぶり撮ろうかと誘う。ガソリンスタンドとコンビニを挟んだ縁石に座ってもらう。なにやら口ずさんでるので尋ねると「ランタンパレードの甲州街道の歌。学生の頃好きだったなー」と笑う。オレンジの街灯、行き交う車のライトに照らされるタイミングでシャッターを押す。たびに表情が変わっていき泣き出した。「あれ、どんなメロディーだっけ。歌詞も思い出せない。毎日聞いてたのに。。」止まらない涙。過ぎていく大型トラックの風が髪を揺らす。飲み過ぎたな、あとずっと泣けてなかったんだろうなーと思った。タバコに火をつけて落ち着くのを待つ。居酒屋に入ってきたときの違和感は、どうにかやりくりするためのキャラだったんだろうなーとぼんやり。撮りたいがやめておく。コンビニで水とポカリを買いにいく。戻ると苦しそう。過呼吸か、と落ち着かせようと深呼吸を促したり水を飲ませるが悪化してきて手が震えて硬直してきた。救急車を呼び待ってるあいだ意識朦朧とごめんなさいごめんなさいと、つぶやくミカ。救急車に乗るとだいぶ落ち着き、病室に入るころには意識もしっかりしていた。さっきよりもはっきりした声でごめんなさいと言ったが泣き続けていた。
待合室で待つことに。肩はじぶんの汗か彼女の涙かで濡れていた。ランタンパレードをYouTubeで聞いた。雑に言うなら、男が夏の甲州街道で職質された、だけの歌だった。短い歌詞と良いメロディー、リスナーは語りやすいだろう。この余白は無責任で空っぽだと、だからミカにメロディーや歌詞も残せないんだ、と思った。我にかえる。八つ当たり。いい曲。
看護師さんから案内されると、点滴しながら横たわっていた。眠りながらまだ泣いているようだ。先生から説明を受ける。点滴が終わって落ち着いたら帰っていいとのこと。はだけたタオルケットを戻して待合室で時間をつぶす。ずっと昔の恋人が過呼吸になったことを思い出していた。離れたり引っ付いたりを何回も繰り返していて、友達がセッティングした仲直り飲み会に行き、2人で公園で話した。離れている間の風景のスナップ写真を見せながら話した。それでも仲直り出来ずもういいやって持ってきた写真を公園向こうの川に投げ捨てると彼女は過呼吸になった。初めてで手に負えず慌てて友達を呼んだ。いつだって自分自身に大いに問題があるが、自殺したり出ていかれたり何回も離れていった、写真では繋げない紡げないことを繰り返せばいいんだろうと、頭抱えた。空しい、でも写真しかないからしがみつく。
iPhoneを出すとランタンパレードの続きでくるりの奇跡のライブ動画をぼんやり見始めた。歌詞が刺さるとかどうのこうのじゃなく、とんでもないライブだった。フィッシュマンズの男達の別れや中村佳穂のそのいのち、の時のような、空間が歪んで光り続けるライブ。気付いたら泣いていた。
点滴が終わりミカがきた。「あー生理前で酔ったのかなーごめんね。」薬をもらい外に出ると明るくなっていた。病院の脇から差し込む逆光のシルエットが心底美しく思わずカメラを出す。「泣きすぎて顔が腫れてるから見ないで」って言う。のでカメラをしまう。代わりにカ��ンに入っていた無印の日焼け止めスプレーを渡す。受け取ると一振り二振りして投げ返してきた。「帰るね。またね。」と歩道橋をかけていった。もう会わないかもしれないなーと、なんとなく思った。
ランタンパレードの歌詞の中で
潤すために 乾かしたかのような僕の喉が
できれば夜明けから 夜更けまでを
見届けたいのだけれど 僕は
見届けたいのだけれど 僕は
と歌っていた。
オレは夜更けを見届けたから勝った。ってことじゃないな。。にしても暑い。このまま今日もサウナに行くことにした。
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parkhabiomaster · 1 year
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ザ・パークハビオ
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江戸川区の最大の特徴は、区民の平均年齢が41.4歳と23区の中で最も若いことです。 これは、特に子どもの数が数字に反映されるためで、平成24年1月1日時点の東京都の市区町村別年齢別人口統計によると、0歳~14歳の人口比率は約17%を占めています。 私はここにいます。 国勢調査のデータによると、28.3%が既婚子持ち世帯、19.0%が4人以上の世帯、3.35%が3人世帯で、いずれも23区の中で最も高い。 合計特殊出生率は 1.45 で、23 区平均の 1.16 を大きく上回っています。 江戸川区といえば、東京東部臨海部の繁華街を代表する区の一つですが、太平洋戦争では大型台風の直撃や家屋倒壊など大きな被害を受けました。 . 海抜が低い地域と揶揄され、津波や洪水の危険性が高いことが懸念されています。ザ・パークハビオ
臨海部の住宅開発により、子育てしやすい区として多くの若者の流入に成功しています。 ディズニーランドに行きやすいところも、子育てファミリーの魅力の一つかもしれません。 支援制度は子育て世帯だけでなく、中高年向けの「家賃補助制度」や高齢者向けの配食サービスなども充実。 区内のスポーツセンターも温水プールなど設備が充実しています。 やはり海抜の高い地域が多く、自然災害のリスクが高いからです。 しかし、家賃が安いので外国人も多く住んでおり、国際色豊かな街です。 492haの広大な敷地を持つ葛西臨海公園は緑豊かで砂浜もあり、日本の渚百選にも選ばれています。 動物園併設の公園もあり、区内の公園面積は756haと23区の中で最大です。 水族館では魚も見ることができます。 区内を流れる江戸川や那珂川でも自由に遊べます。 荒川沿いには2003年に小松川千本桜、2013年には新川千本桜が完成し、多くの市民に人気の花見スポットとなっています。 江戸川区は若者の流入が活発ですが、江戸時代から庶民の街として栄えた長い歴史を持つエリアです。 江戸川区には伝統工芸品や特産品もあります。
江戸切子は東京都の伝統工芸品の一つで、主に江東区、江戸川区、墨田区などで作られています。 ガラスの表面に金の板や砥石を使って様々な模様を刻む技法です。 18世紀初頭頃から鏡、眼鏡、風鈴などの製造が始まり、明治時代に入るとヨーロッパの技術が導入・近代化され、東京の地場産業となりました。 2002年には東京都の伝統的工芸品に、2014年には経済産業省より国の伝統的工芸品に指定されました。 もうひとつ、江戸川区を代表する商品が小松菜です。 江戸時代の将軍が江戸川区の小松川村に鷹狩りに訪れ、小松菜の入った澄んだ汁を好んだことから村名がついたと言われています。 江戸川区は今でも作付面積第1位。 カルシウムや鉄分を多く含み、今や全国どこでも一年中食べられる野菜になりました。 現在、江戸川区がこの小松菜のブランド化に取り組んでおり、生で食べられる新しいサラダ小松菜が誕生しています。 近年、急激な人口増加により若い世代に人気の江戸川区ですが、治安面で不安の声も多くあります。 子供が多く、ディスカウントスーパーもあり、都心へのアクセスも便利という利点から、空き巣や強盗などの犯罪が多発しています。 長い間、江戸川区は北側を鉄道しか通っていない交通アクセスの悪さから「孤島」と呼ばれていました。 1969 年の東西線開通、1983 年から 1986 年の都営新宿線開通以降、この問題は徐々に改善されてきた。
現在、都心と千葉エリアを結ぶ東西線は完成していますが、区の南北を結ぶ鉄道路線はなく、交通手段はバスのみ。 バスの路線数を増やすなどの対策がとられていますが、1世帯あたりのマイカー保有率は23区内で5位であることからもわかるように、クルマは生活の必需品です。 杉並区は23区の西部に位置しています。 区名は青梅街道沿いに杉の木が植えられたことに由来するが、現在はそのような木はない。 杉並区は、関東大震災後、多くの人が杉並区に移り住み、郊外住宅地として発展してきました。 緑被率は23区で3位、人口密度は11位というデータを見ると、広々とした住宅が立ち並ぶ街であることが想像できます。 震災後に杉並区に転居した者のうち、富裕層は防災のため都心部には戻らず、杉並区にとどまり、広々とした邸宅を建てて優雅な生活を送った。 戦前から文人や画家など多くの文化人が暮らしてきた。 杉並区は、専業主婦の就業率23位、専業主婦率1位、シングルマザー率1位、離婚率23位、高卒大学進学率が高い区です。 . 東京の山腹を代表する住宅地の多いエリアです。 そして杉並区の魅力はそれだけではありません。 沿線には若者が多く住むエリアがあり、安くて魅力的なお店が並んでいます。
意外にもレジャーマダムだけでなく、若い人も多いです。 杉並区は専業主婦が多く、広々とした家で優雅に暮らすだけではありません。 杉並区に住む年齢層別の住民比率を見ると、18~29歳の若者の割合は男性4位、女性2位、全体では3位です。 中央線沿線の吉祥寺、荻窪、西荻窪、阿佐ヶ谷、高円寺エリアに多くの若者が住んでいます。 個性豊かな雑貨店や古着屋、古本屋、ジャズ喫茶、ライブハウスなどが軒を連ねるエリアです。 生活しやすい大きな商店街もあり、乗り換えなしで移動できる新宿へのアクセスも非常に便利です。 昭和の高度経済成長期に生まれ育った人にとっては、広大な土地を持つ一戸建てが杉並の生活かもしれませんが、20代の若者にとっては、音楽や古き良き文化、 、 バラエティショップに囲まれ、毎日刺激を受けながら生活を楽しめるのが杉並の魅力です。 この2つの特徴が、杉並区が住みたい街として人気の理由です。この2つの文化がうまく受け継がれ、融合し、独自の杉並文化が生まれています。 現在、杉並区では音楽を通じたまちづくりに積極的に取り組んでいます。 設備の整った公会堂や毎年恒例の音楽祭など、音楽の街としての地位を築いてきた杉並区。
アニメも地場産業の一つと捉え、その発展支援にも取り組んでいます。 荻窪音楽祭は杉並区を代表する音楽活動の一つです。 21世紀荻窪考える会が主催し、クラシックコンサートを通じて荻窪のイメージアップに貢献してきました。 荻窪駅周辺の銀行、協会、音楽スタジオ、喫茶店など様々な場所で期間限定で音楽フェスが開催されます。 運営スタッフを募集し、ボランティアで開催しています。 無給のスタッフに加え、街のバリアフリー化や音楽祭開催のスポンサーを募り、音楽祭の資金を募っています。 区民が運営側と出演者に分かれて開催する荻窪音楽祭は、2016年で28回目を迎え、町おこしの一大イベントに成長しました。荻窪音楽祭の他にも、 もう一つの有名な音楽イベントは阿佐ヶ谷ジャズストリートです。 1995年のスタート時は、小学校の体育館や企業ロビー、ライブ会場など13会場で開催されていましたが、現在では60会場以上に規模を拡大。 音楽の力で街を元気にするために始まったこのイベントも、地元の有志によって運営されています。 全国に600のアニメスタジオがあると言われ、そのうち70以上がここ杉並区にあります。 杉並区にアニメ関連の企業が多く設立されたのは、自社の住居を確保したことと、交通の便がよかったからです。
杉並区は都心へのアクセスが便利なだけでなく、静かで広々とした緑豊かな環境で仕事に没頭しやすい環境です。 杉並区は、日本で初めてアニメを地場産業として位置づけ、その発展を後押ししています。 2014年3月には、線路下にアニメ関連のショップが集まった施設「阿佐ヶ谷アニメストリート」をオープン。 日本のアニメーションの歴史を紹介するアニメーションミュージアムも開館し、展示のほか、ワークショップやアニメーションの上映会など、さまざまなプログラムが用意されています。 アニメウォークという街歩きイベントも。 アニメーション制作者と視聴者が交流する場として、アニメーション産業の発展をサポートするイベントです。 練馬区は、1947年8月に22区制であった板橋区から分離して設置されました。 練馬区は、東京都の北西部に位置し、23 区の中で最も標高が高く、面積は 23 区で 5 番目、人口は 2 番目です。 まだまだ畑が多いことから「緑豊かな区」というイメージを持たれている方も多いと思いま��が、区は農地だけでなく公園もたくさんあります。 緑の多い練馬では、農業が主要産業の一つです。 2013 年 1 月現在、農地面積は 240ha で、23 区の中で第 1 位です。 農家数も372戸と1位ですが、33%の農家が農地面積0.3ha以下、約4割が農家収入0~49万円、500万円未満です。 9割のデータを見ると、大規模な農業をしている人は少ないことがわかります。 1975 年に 746 ヘクタールの農地と 1,342 戸の農家があったことを考えると、農業が衰退していることは明らかです。 農業以外にも、練馬の知名度を上げたアニメがあります。
練馬区には、90 を超えるアニメ関連企業、大学の芸術学部、音楽大学もあります。 都心へのアクセスの良さ、緑豊かな環境、家賃の安さは漫画家志望者の求める条件であり、日本を代表する漫画家が次々と誕生しました。 農業では地元の特産品をブランド化することが多いですが、かつて練馬には練馬を代表する野菜である大根がありました。 練馬大根は江戸時代から盛んに生産され、明治時代になると日清戦争や日露戦争により需要が高まり、その名は国内外に知られるようになりました。 大正時代になると、首都東京に人口が集中し始めます。 この頃から、練馬地区は都心部の農産物の供給拠点となり、その役割は年々強くなっています。 最近では大根の生産も盛んです。 練馬の農業は、鉄道の開通により流通が活発化し、拡大期を迎えました。 練馬大根の最盛期は、明治末から昭和初期の約25年と言われています。 昭和の終戦とともに、それまで大根漬けの一大供給地であった軍部の解体により、大根の生産は衰退し始めます。
大根の収穫は大変だったので、農家は大根からキャベツに主力生産を移しました。 現在、大根は練馬ではほとんど生産されていません。 農地面積は、1975 年の 745.6ha から 239.8ha へと減少し、2012 年度には 3 分の 1 以下となった。 練馬区内の農家・農家数は、1975 年の 1,342 世帯・7,232 人から 2012 年には 498 世帯・1,075 人に減少している。 、ブルーベリーとブドウ、およびその他の植物の 3,549 ヘクタール。 平成23年度東京都土地利用面積データによると、練馬区の農地利用率は区総面積の5.1%で第1位。 23区で最も農業が盛んな地域ですが、全体として農業の規模は縮小傾向にあります。 農産物の出荷量や作付面積は減少していますが、練馬区ではこれまで培ってきた農業のノウハウや既存の人材を活かし、農業を観光資源として活用しています。 大都市東京に近いという利便性を活かし、練馬区には現在約30のブルーベリー農園があります。 農業を観光資源化し、他地域から多くの観光客を呼び込む練馬の生き残り策の一つとして注目されています。 また、小学校での総合学習の一環として、区内の田んぼや果樹園を積極的に小学校に開放し、次世代への農業振興を積極的に行っています。 小中学校での田植え、カキやキウイの選別、受粉・収穫、野菜くず・残飯などの体験を通じて、子どもたちの農業への関心を高める活動。 肥料にリサイクルされています。 日本のアニメーションは、その技術とソフトウェアの両面で海外から高く評価されるようになりました。
練馬区は、日本一のアニメタウンとしてアニメ発展の歴史に深く関わってきました。 区内のアニメーションスタジオが日本初のアニメーションを制作し、1963年にはテレビでアニメの放送が始まりました。 当時の漫画家や後に有名になった漫画家のほとんどが練馬区で働いていました。 現在でも90社以上の関連会社が練馬に集まっています。 練馬区では、区が主体となってアニメ産業を戦略的に強化するための政策を策定するとともに、多数のアニメ関連産業を誘致することで区内産業全体の活性化に向けた活動を行っています。 国勢調査によると、2000年から2005年までの中央区の人口変化率は135.7%、2005年から2010年までは124.8%でした。 どちらのデータも、日本で最も高い人口増加率を示しています。 これを見ただけでも、中央区がますます人で賑やかになっていることが想像できます。 また、2020年のオリンピックに向けて、晴海に選手村が建設され、敷地内に約6,000戸の住宅が建設されます。 江戸時代から現在に至るまで、日本の文化・商業・情報の中心地として発展してきた中央区は、今後も人口が増加し続ける日本最大級のメガシティとして君臨しそうです。 順調そうに見える中央区ですが、紆余曲折がありました。 現在増加傾向にある人口は、1960 年から 1980 年までの 20 年間で 16 万 1000 人から 8 万 3000 人に減少しました。失われた人口を補うために、区は住宅建設を促進するためのさまざまな政策を導入しました。 中央区は区内定住者数の増加に成功したものの、その生活を支えるスーパーマーケットなどの商業施設や、子育て世帯が望む大規模な公園が不足しています。 便利で住みよい街を目指した地域づくりが今後の課題と言えます。 中央区だけでなく、現在の千代田区や港区などトップクラスの23区でも入居者が減少。ザ・パークハビオ
この時期は「都市のドーナッツ化現象」と呼ばれた。 高度経済成長期と呼ばれる1954(昭和29)年から1973(昭和48)年は、急速な都市化の時代でした。 石炭から石油へとエネルギーが変化する中、東京湾沿岸には次々と工場が建設され、産業が発展していきました。 都市部の工業化が進み、所得が増加した結果、裕福な人々はより良い生活を求めて広々とした家に住みたいと思うようになり、郊外に一戸建てを購入するようになりました。 私はそうでした。 この時期、都心部の大企業のオフィスや工場が集中する地域から、快適な住環境を求めて人々が離れていった。中央区では1957年から人口が減少に転じた。 バブル期に入り、中央区の地価が上昇したことで人口はさらに減少し、2000年1月1日現在、69,695人にまで落ち込んでいた。 バブル期の終焉後、都心部の不動産が大量に解放され、比較的安価な住宅が大量に供給されるようになり、都心部に住む人が増え始めました。 これがアーバンリターン現象の始まりです。 中央区は1981年に定住人口10万人を宣言し、1988年には定住人口回復の年を宣言した。 続々と紹介されています。 これらの施策により、長年減少傾向にあった中央区の人口は1998年から増加に転じました。 隅田川流域の住宅開発により、30~44歳の子育て世代の割合は33.9%を超えています。 これは、23 区の平均である 26.0% を大幅に上回っています。 2005 年から 2010 年までの 6 歳未満の子供の人口増加率は 56.0% と、23 区の平均である 5.7% をはるかに上回っています。 2020年東京オリンピックを控え、全国から注目を集めるエリアとなる中央区。 人口が増加の一途をたどる一方で、生活関連施設の整備が遅れています。 前述のように、日常の買い物ができる店舗はまだまだ不足しています。 大型スーパーはなく、食品スーパーも少ない。 ミニスーパーも増え、買い物の悩みも少しずつ解消されつつあります。 また、緑被率が23区内で最も低いことからもわかるように、緑のある公園の数は非常に少ないです。
浜離宮公園を除く公園面積率は23区中20位。 小さいお子さんがいるご家庭にとっては、外で遊べる場所がないというのは深刻な問題です。 現在、中央区内にはオリンピック選手村跡地や築地市場跡地など、いくつかの再開発候補地があります。 これらの広大な敷地を今後も住居専用にするのか、それとも緑の広場を追加するのかについては、議論の余地があります。 東京都が作成した東京都の人口によると、千代田区の人口は昭和35年以降減少傾向にある。 都心復帰の影響。 2016 年 1 月 1 日現在、千代田区の人口は 55,131 人です。 東京23区の中でも大きな役割を担う千代田区は、一言で言えば昼と夜の人口差が最も大きい区です。 昼間は人口が多く、夜間と夜間の差は20倍。 日本一にぎわうオフィス街には家がほとんどなく、夜もほとんど人がいません。 千代田区は23区の中で最も人口が少ない区です。 居住者が非常に少ない地域です。 夜間の人口が少なく、昼間の人口が多いということは、この区は昼間に多くの人が働きに来る場所です。 千代田区は業種別に分類しやすいです。 丸の内や大手町は大企業が集積するビジネス街であり、日比谷や有楽町は銀座の繁華街に近いため商業施設や娯楽施設が充実しています。
パークアクシスブランド レジディアブランド コンフォリアブランド パークハビオブランド プラウドフラットブランド パークキューブブランド アーバネックスブランド ルフォンプログレブランド カスタリアブランド オーキッドレジデンスブランド ディームスブランド ブリリアブランド 東京都心のブランドマンション 白金ザスカイ仲介 ワンルーフレジデンス田町仲介手数料無料 ザ・パークハビオ渋谷クロス仲介手数料無料 コンフォリア新宿イーストサイドタワー仲介手数料無料 パークタワー勝どき仲介手数料無料 HARUMI FLAG/晴海フラッグ仲介手数料無料 白金ザ・スカイ仲介手数料無料
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erairuka · 1 year
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2023 紙漉きしてきた
0701
すかすかの奴隷船でいつも通り東京へ
もう慣れたものです 毎月何回行ってるんだろう。
冬の最後に、わたしと一緒になにか作ってくれませんかって 初めてお願いしに行ってから。
様々な運命がわたしを殺してくれなかったのもあるし。
昨日は知久さんのらんちうを回し2回とも緑。片方はいっしょにいた人にあげた。
タバコの吸える喫茶店に入った 
また色々見たりして 飲み屋さんハシゴして吐く寸前まで食べた。
一軒目のお店で音楽の話。
就職の面接で持って行った作品集に鍵盤の絵を入れていたら偶然社長が鍵盤弾きで 何聴くんですかって聞かれて。特に意味はなかったけどとりあえずはっぴいえんどって答えたら誰好きなのってさらに突っ込まれて。ここで趣味がバレる…と思いつつ 全員好きだけどその時バンドワゴンよく聴いてたので鈴木茂って答えたって話した。あなたにとってはそれが正解だねって言われた。
鈴木茂知ったのはキーボードマガジンで、エレピがいい曲でみんながやたらと砂の女をあげるから気になって聴いたのだった。
社長には「そっちか〜」って言われた。どっち?って思ったけど社長は熱烈な細野晴臣ファンだった。なるほどね。
それ以来今住んでる土地で音楽何聴くのと言われたらとりあえずはっぴいえんどって言っといて様子を見がち。
2軒目はお腹いっぱいすぎて記憶がない。ただ上京してすぐの香ばしい男がいた。かわいいねえとも言えないレベルの尖りようで 癖の強い笑い方がずっと頭に残ってる。
頑張って帰ったけど吐くかと思った本当に。
嘔吐にブランクあるからもう吐こうにも吐けない体になってて 口呼吸でヒューヒューしていた。
0702
起きて少し遠くへ足を伸ばした
そういえば去年この日にceroのライブ見に行ったな
紙漉きしてるからやります?って聞かれてはい、って言ったら小学生の夏休みに混ざった
イルカとまんぼう なるほど紙漉きっていいなって思った
公園でひたすら散歩した 暑くてどうだったかあまり思い出せない かき氷のシロップかけ放題で頭回らなすぎてコーラとブルーハワイ入れたら大地と水の色になった 
神社に行ったら2匹のねこが立ち入り禁止ゾーンでお昼寝していてあなたのことを思うなど。
なんかついてきて可愛かった。いいなあねこ
スピッツのカバーしてた時、猫になりたいのMCを完全にコピーしたことがあったけど(小岩井の土になりたいやつ)みんな誰もわかってなくて面白かった。「最近髪切ってさあ らくだとかロバ見たいって言われて前世は羊だったのかなあなんて えー、猫になりたい」みたいなやつ 
猫みたいな人を飼いてえのモチベーションで労働してるよ、ずっと。
あまりにいい町並みでいいマンションたくさんあったな、一回家入れてほしいな
記憶が鮮明なうちに〜と思ったが逆に疲れてなんもかけないかも 足の豆が爆発しそう はやく靴買い替えたい
フィルム撮り切れるかと思ったけどあと4枚残しちゃったから今週末撮れたらな というところです
ああお腹すいた 困るなー 冬眠みたいに胃に蓄えた栄養少しずつ齧り取るみたいな生活でいいのに
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tokyomariegold · 1 year
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2023/2/27〜
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2月27日 通勤途中の5000円の紙は今日やっとなくなってしまった。
また一段と日が延びて、早く帰ることへの罪悪感が増していながら、でも本当に心ここに在らずのふわふわ感も増して、何だか何を思っていれば良いのかわからない感じ。
程よい感じで泊まってみたい奈良のホテルがあって、ゴールデンウィークはもう埋まってしまっていて、でも新幹線のパックツアーで抑えられていたようで、そのパックツアーを予約してみた! 今年もゴールデンなゴールデンウィークを過ごせるのか、それまで生きていけるのかわからないのに楽しみ!
日記の文字起こしがどうしてもできなくて滞ってしまっている。もっとSNSで生きたいし、写真のことやインターネットのことを学びたい。気持ちが行動に動けるときまで、今はじっと待ってみようと思う。
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2月28日 嘘みたいに暖かく春が来ることもあるのですね。昼休みに梅がとても可愛く咲いた。 今日で2月が終わりということは、今日は妹のお誕生日。
少しずつ新しいパソコンや、置きたいテーブルを注文して生活を向上させたい。
親子レクレーションに参加した職員さんから、ドッジビー(ドッジボールのフリスビーバージョン)をしてきて、我が我がの子供ばかりでちょっと驚いたという話を聞いた。 最近の子は、みたいな、世代ひとくくりが苦手だけれど、やっぱりある時代を同じ年齢で生きてましたね、って共通の何かを生んでしまうんだろうか。
音楽サブスクをApple Musicにしてみたらとてもお耳が嬉しい楽しいです。
3月1日 今日は一段と暖かくて春めいている。
朝から鼻水が止まらなくなってしまい、花粉症になったのかも知れないし、去年感染症の発症始めが鼻水だったのを思い出して、また患ってしまったのかも知れない、と思っている。
朝の電車の高校生たちが今日はとても少なくて、そんなことは忘れて帰り道を歩いていたら、胸に花とリボンのブローチをつけている高校生とすれ違い、3月1日は卒業式。
今日は、確かに卒業式の日のように、午前中で式を終えてから、帰宅して家で遅いお昼ご飯に飲んだインスタントのコーンスープを思い出した。
今日から採用された職員さんがいて、違う部署の私は認識していなかった方に気付かぬうちに知られていることを知って、どこでどうみられているかわからないので、なるべく丁寧でいたい、と素直に思ったりした。
amazonのカードをつくったり、定期便を利用してamazonお得生活をしている方の話を聞いて、生活用品のほぼ全てをamazonに頼っているので、ちょっと運用してみようかな、と思い立って、大人になった気分にだけ味わっている。
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3月2日 職場の方々と仕事以外の話をするのに慣れてきて、でもその話したことを相手が全く覚えてくれてなかったこと、全然悲しくなくって、そんなこともあるんだ、と思った。
プールの授業と運動会のダンスって最悪!みたいな話をした。
お昼にポッドキャストを聴き始めた!
あと、先週大���でお茶した友人夫婦に教えてもらったNHK大阪の番組に、ちゃんといつも通りの友人が出演していて、わたしとお茶をしていた時のように画面の中でお話ししていて、とても不思議だった。 わたしは今日オンライン採用説明会の練習で、画面に映る自分を気にしながら、とってもよそ行きの喋り方をした。
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3月3日 色々予定を揺らぎながら、結局、ちゃんと起きて庭園美術館へ行けた! 機能と装飾のポリフォニーを鑑賞。 平日だけれど、会期末ということもあって混雑していた。 ポール・ポワレのドレスがかわいい。すこしmameのワンピースの形にも似ていた。 白いテーブルの出角に◯が連なってくっついている家具も可愛かった。 平日の昼間に、学生やご婦人に混ざって美術館にいると不安になること、まだ少しあるけれど最近少し麻痺して楽しめるようになってきた。
東京駅は平日というのはあまり関係なく、旅行客がとても多い気がした。春なのかもしれない。ホワイトデーの何かにみんな並ぶ余裕があるみたいで、いいな〜と眺めながら、何を買うわけでもなく丸の内をふらついてきた。 某航空会社の旅行窓口?のエントランス前で、何かを叫んでいる人たちがいた。
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最果タヒの“もぐ”を読んでいたら、思いがけず写真集と写真について書かれていて、写真を通して、人と人は関わり合えず平行線を生きていることを実感する、と言っている気がして元気になる。
それと、ちーちゃんから、彼女が結婚した夢を見て悲しかったことを伝えたメッセージにお返事がきていた。おめでたい、おめでとう、と思えなくっても、その事実を受け入れたり、ほへ〜と聞くだけでも良い、と言ってくれていて、大好き。 中之島から最果タヒのポストカードを送った友人からも、嬉しすぎて玄関に貼ってます、とメッセージをいただいて、ほんのその場しのぎでも、その夜だけ泣かない日になるようなことを、好きなひと達にできたらいいな、と思った。
ボタン電池を交換したのに、フィルムカメラの露出計が動かない。 撮れているのかわからない状態でシャッターを切れるほど貴族ではなく、あまり写真を撮れなかった1日。
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runpenparis · 2 days
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るんぺんパリ【RunPenParis】
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【自己紹介 2024年9月22日追記 5133文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある 三重県亀山市に二つか三つ年上のお兄さんいるらしいが あった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした
伊賀市でそこそこ有名なのが 伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で 営業している 伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で 森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には伊藤の牛丼が好きだ 上野天神祭の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 2024年は10月18・19・20(金土日) 19(土)は久しぶりに一人で一日中お祭りを楽しむ 20(日)は実家と親戚に顔を出して静岡へ帰る 松尾芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は見ない 俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 普段はこれといって何もないけど 俳聖殿のたたずまいは何か「The Haiku」という感じ 上野城のお堀の高さ日本2位? 一時期は日本1位説もあった 中学生の頃は上野城で体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも上野城が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい あと小さなパチンコ店「マルト」があった 「フルーツパンチ」という機種で勝った覚えがある あと「麻雀物語」もあったかな 上野で住んでいた時期に一日で20万近く負けて それからパチンコは完全に辞めた 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 新天地には映画館もあった気がする 当時は賑やかな商店街だった 当時からあった「喫茶店フランセ」は今もある 大きな化粧品店は更地になっていた 高校の時の知り合いが「クワトロNo.4」という バーを経営しているが、まだ入った事はない いつか行ってみたい気持ちはある 最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる
市部という地区だったと思う 近くに市部駅という無人駅がありその近くの 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった おかんは去年の年末まで 81歳でまだ自転車に乗って 小田町の坂を下っていたらしい いまは親戚から危ないからと 召し上げられた 小学校6年卒業までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 バスケ部の試合で名張の体育館で遊んでいて 二階から飛び降りたら右足のかかとがにヒビが入った その夏にはバスケ部をクビになり陶芸部に入った 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーで 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 「どかどかうるさいR&Rバンド」 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時はただのバイトに明け暮れた 高校生だったから バンドマン目線のそういう女子には興味がなかったから 冷たい感じだったかも 本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。 高校生の頃はたくさん恋をしたが 自分が不器用だったので自分が好きだった人からは つきあえてもすぐにフラれた 人を好きになることに迷走し始めて 最終的に好きになる事はやめて なんとなくという感情で奥手に過ごしていった そのせいか、他校の女子からゲイだとウワサされる事もあった なぜそうなるか不思議だったけど 当時は楽しければなんでもよかった
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 カツカツ生活 家賃と車のローンがきつかった 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった この「ふる川」は今もやっている 当時はお店の小学生の女の子が手伝っていた 夫婦だけでやっていて 週3回ぐらい夕飯でお世話になった 「さば定食」もよく食べた気がする
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(もう51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から ��近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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elle-p · 9 months
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Persona 3 FES Official Fanbook pages 148-149 transcription.
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用語集
Glossary of PERSONA 3 & PERSONA 3 FES
甘味処 小豆あらい
【Y編/場所名】
巌戸台商店街にある甘味処。コミュニティのイベントで何人かの友人と入ることになるが、店内の様子は残念ながら不明。とりあえず男女共に人気の店らしいので、味もなかなかなのだろう。店頭に飾られた “小豆ちゃん” というマスコットキャラクターがトレードマーク。店名の “小豆洗い” とは有名な妖怪の名前が由来。“小豆とぎ” とも呼ばれ、川のほとりで小豆を洗いつつ「小豆とごうか、人とって喰おか、シャカシャカシャカ」と不気味な歌を歌うといわれる。基本的に音のみの妖怪だが、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』では、目が大きな痩せた小男という姿で描かれている。新潟や福島、長野といった大きな水系がある地に伝わる例が多いが、東京でも江戸時代に某旗本家の炊事場で音を立てたという記録があり、ほぼ本州全域に分布する妖怪話である。
アルカナ
【共通/基本設定】
タロットカードの種類を表わす言葉。本来はラテン語で “神秘” という意味で、18~19世紀ごろにタロットを占い用として使用するようになり、カード1枚ごとに隠された意味を見出すようになってからこの言葉が使われるようになった。1組のタロット78枚中、寓意画を描いた絵札22枚を大アルカナ、それ以外の56枚を小アルカナと呼んで区別する。小アルカナのほうは、さらにソード、ワンド、カップ、ペンタクルの4つの組 (スート) に分けられ、さらに各スートは1から10までの数札と、ペイジ、ナイト、クイーン、キングの人物札4枚に分類される。一般的なタロット占いでは大アルカナのカードだけを使うものがメジャーだが、実際には56枚の小アルカナそれぞれにも隠された意味があり、本来は78枚の全カードを使用するのが正式なものとなっている。ちなみに、小アルカナのタロットが現在のトランプの原型といわれるが、実際にはトランプが先にあってタロットの原型になったという説や、そもそもトランプとタロットの発生はまったく無関係という説もあり、その正しいところは判明していない。
アルダナ
【Y編/バトル】
塔シヴァと女教皇パールバティによるミックスレイド。技名の由来は、性的信仰 (シャクティズム) を伝える聖典『カーマ・スートラ』に記された言葉 “アルダナーリーシュバラ”。これは “半身が女性のシヴァ神” という意味で、シヴァとパールバティとの合体によって両性具有神となり、宇宙創造のシンボルとなったものである。
伊織順平アワー
【Y編/イベント・6月1日】
学校にウワサとして流れた怨霊話を寮で説明するときに、順平が始めた小芝居。おそらく、怪談で有名な某タレントの語りを意識したものであると思われる。ただ順平の語りは、発音が良すぎてやや怖さに欠ける。本家のように、もっとボソボソと囁くような声でやれば完璧。
伊織の叫び声
【Y編/会話・5月17日】
試験前になると、自室から聞こえてくる。上の階にいる女子や、さらに上の作戦室にいる美鶴にまで聞こえているようなので、相当なボリュームの叫び声なのだろう。苦情が出ないのが不思議なくらいだ。もしかして他人の勉強の邪魔をしようという順平の策略なのかも?
幾月修司
【Y編/人物】
最初は月光館学園の理事長と紹介されるが、実は桐条でシャドウとペルソナを研究していた技術者であり、特別課外活動部の顧問である。昼行灯的なのん気さを持ち、周囲が凍りつくほどの冷たいダジャレを連発するのが好き。だが、さらにその姿すらも世間をごまかすためのもので、シャドウ研究を始めた桐条鴻悦の遺志を継ぎ、ひそかに滅びを召喚する宣告者 “デス” を捜し求めていた。10年前の事故時点では、さほど高い地位にはいなかったが、率先して事故の後処理を行なうことで信頼を得て、桐条家現当主である桐条武治の右腕的存在となっている。入寮直後に主人公のペルソナ暴走を見て、10年来追い求めていたデスを発見したことに 気付き、滅びを招くための儀式を密かに進めていた。最終的に死の儀式は失敗し、幾月は天文台から墜落して死亡。ただし、その遺体は未確認である。恐ろしい計画を誰にも気付かれずに遂行したところから、終末思想という滅びの狂気に蝕まれていたように言われているが、監視カメライベントで見られる一生懸命にダジャレを考案する様子を見ると、ダジャレ好きという部分だけは演技ではない愛すべき幾月の一部分であったと思われる。
イゴール
【共通/人物】
ベルベットルームの主で、この世界で唯一ペルソナ合体を行なえる存在。メアリー・シェリー原作の小説『フランケンシュタイン』に登場する召使い、イゴールが名前のルーツとなっている。極端に長い鼻を持ち、『ペルソナ』シリーズをとおして徐々に長くなっているのでは?との疑惑がある。ちなみに相方のエリザベスの名前の由来も、主のイゴールと同じく『フランケンシュタイン』から。ただしこちらは、小説版ではなくハリウッド映画版。シリーズ2作目として作られた『フランケンシュタインの花嫁」に登場する、女性型人造人間の名前から取られている。
「以上、ナビでした」
【Y編/イベント・4月7日】
ゲーム冒頭、登校時に主人公を案内してくれたゆかりが、別れ際に言ったセリフ。入寮直後にはやや硬かった態度が柔らかくなり、ちょっと無邪気で子供っぽく見える瞬間である。戦闘時のナビは美鶴と風花の役目となっているが、ゆかりのこの口調でナビをしてもらいたかったかも?
痛いの痛いの、飛んでけー!
【Y編/テレビ・4月9日ほか】
テレビ番組『偶然見かけたこんな人』で、レポーターのトリッシュが使う決めゼリフ。トリッシュはペルソナシリーズの『女神異聞録ペルソナ』と『ペルソナ2 罪』および『ペルソナ2 罰」で、回復施設を営む妖精として登場していたのだが、そのときの挨拶がこの「痛いの痛いの⋯⋯」だったわけだ。ちなみに『偶然見かけたこんな人』で紹介される街の人は、みな前作・前々作の登場人物となっていて、しかもその人物の誕生日に現われるようになっている。興味がある人はチェックしてみよう。
一期一会
【A編/イベント】
真田が順平との出会いをそう表現した。とくに言葉の使い方として誤りがあるというわけではないが、そもそも一期一会とは “誰かとの出会いは、それが最初で最後のつもりで誠意を尽くさねばならない” という意味の茶道で使われていた言葉。むしろ真田たちにとっては、主人公や荒垣との関係において、この言葉を使うべきかもしれない。
稲荷社
【Y編/場所名】
長鳴神社にある稲荷社。小さい社だが、近所に住むお年寄りたちはマジメに拝んでいるようで、お供え物のイナリ寿司が常に置かれている。ここで祈ると、さまざまな効果があるらしいが、何が起こるか祈ってみないとわからないのが玉に瑕だ。
犬語ホンヤク機能
【Y編/イベント・7月29日】
順平が評して言った、アイギスの特殊能力。監視カメライベントでは荒垣もそう言っている。もしかしてアイギスの製品仕様書に、“犬語翻訳機能 (オプション)”とでも書いてあるのだろうか?アイギスが言うには、高次な精神を持つ生き物は、言葉ではなくイメージを発することができ、それを読み取っているのだとか。人間にもあった能力だが、言葉に頼ることで失ったらしい。もちろん、メティスも同様のことが可能。
「今ならお買い得であります」
【Y編/会話・8月1日】
自分のペルソナの長所をアピールするアイギスが言った。本当に買えるものなら買いたいと思う ユーザーは少なくないだろう。ちなみにフィギュアなら、壽屋から 「ペルソナ3 アイギス 1/7スケールPVC塗装済み完成品」(6,090円/原型師:新居興介) が2007年8月に発売。また2007年10月にも、アルターから「ペルソナ3 アイギス 1/8スケールPVC塗装済み完成品」(6,090円/原型師:齊藤史樹) が発売される予定。
妹ちゃん
【A編/人物】
順平がメティスを呼ぶときの呼び方。いろいろとオリジナルなニックネームをつける順平にしては、ちょっと手抜きっぽいかも。やはり多少、壁を感じていたのだろう。
要らない苦しみ
【Y編/イベント・11月21日】
チドリが順平にもたらされたと言い、彼を遠ざけようとした。順平のことを考えると胸が苦しくなるとは、どう考えても恋愛感情なのだが、チドリがそんな経験のないまま成長してしまったが故の悲劇である。ただ、恋だとわかっていても苦しいものなので、彼女の気持ちもわからなくもない。
イレギュラー
【Y編/基本設定】
タルタロス外で出てくるシャドウ。ゲーム中の主人公たちは知らないが、そもそもシャドウは人間の中から発生するため、すべてのシャドウは発生時点においてはイレギュラーとなる。ただ、その瞬間を捕捉されることが少ないため、シャドウはタルタロス内にいる、という状態になっているだけである。ゲーム中に確認されたイレギュラーは、まずコロマルが神社で戦ったものがそうだが、それ以外では天田の母が死んだ晩に出たシャドウも同様である。
巌戸台分寮
【共通/場所名】
月光館学園の学生が入る寮。学校からやや離れた巌戸台地区にある。本来、学生寮は男女別であるのが原則だが、ここだけは特別課外活動部の拠点という関係から男女共用。またその成り立ちに関しても、妙に内装が広く豪華だったり学生寮には相応しくないとも思えるカウンターバーがある点からわかる通り、元はホテルとして使われていた建物だったという裏設定がある。なお、ゲーム中には台所や風呂が見当たらないが、じつは奥にあるドアから行ける場所にそういった施設がある ことがドラマCDでの描写から明らかになっている。
ヴァルホル
【Y編/バトル】
皇帝オーディンと剛毅ヴァルキリーによるミックスレイドで、仲間ひとりを3ターン完全無敵にする技。“ヴァルホル” とは別名で “ヴァルハラ”。古ノルド語で “戦死者の館” という意味となり、戦争で命を落とした戦士の魂がヴァルキリーによって集められ、オーディンの居城となるこの場所で不死の戦士として来たるべき終末に備えると言われる。
ウインナーコーヒー
【Y編/会話・8月1日】
天田は真剣にウインナーコーヒーが何かということを知らず、コーヒーにウインナーソーセージを入れるのだと勘違いし、からかわないで下さいと文句を言っていた。なんて可愛いんだ、コイツは。
ウエストすっきり低周波パット
【Y編/監視カメラ】
風花が時価ネットたなかで密かに買ったというダイエット用品。低周波を流して起こる筋肉の痙攣によって、強制的に腹筋を動かして脂肪を燃焼させるという仕組み⋯⋯かと思ったら、お腹がビクビクするのがメチャクチャくすぐったくて、笑いをこらえることで腹筋を鍛えるようになっているようだ。また、タイマーロックでもついているのか、一度装着するとしばらく外せないという構造的欠陥を持つ。ちなみに、これをつけて悶絶して苦しむ風花の声を、部屋の外で聞いた美鶴は、気まずそうに「気にせず続けてくれ」と言うが、いったい何をやっていると勘違いしたのだろう?
受付のオバチャン
【Y編/会話・9月28日】
順平が言うには「オレとチドリの仲を阻む、思わぬ伏兵」。ふたりの関係やその他を、根掘り葉掘り聞いてくるらしい。順平の表現を借りると、“オレとチドリの聖域に、イボつき健康サンダルで踏み込んで” くるとか。何やら戦う気満々だが、順平レベルでは返り討ちにあうのがオチだろう。
海丑
【Y編/場所名】
巌戸台の複合ビルに入っている牛丼チェーン店。真田のお気に入りの店で、彼は外で食料をテイクアウトする場合、ここの牛丼しか買ってこないとか。ただしプロテインと同時摂取するという、牛丼好きならずとも目を背けたくなる食べ方をする。それより減量が必要なボクサーとして、栄養の取りすぎが心配だが大丈夫だろうか?
裏口
【Y編/場所名】
入寮直後、大型シャドウに寮を襲撃されたイベントの際、主人公を連れたゆかりが最初に脱出しようとした扉。1階の奥に存在するが、普段は開けることができない。ただ、ゲーム中には用がないからこのドアの先には行かないだけで、実際はみんなが利用する厨房と風呂がこの先にあるらしい。プレイヤーが操作していないあいだに、主人公も食事に入浴にと利用しているに違いない。
占いゲーム
【Y編/場所名】
ゲームパニックにあるゲームで、1回2000円。ドクター・エドガーによる怪しげな占い、と説明されるが、もしやこのドクター・エドガーとは某学園の保健教諭のことかも⋯⋯?占いを行なうと装備ペルソナの魔力がアップする効能があり、このへんの怪しさも江戸川説の根拠となっている。
ウワサ
【Y編/イベント・4月7日】
ゲーム冒頭で流れた、主人公とゆかりが付き合ってるとのウワサ。転校初日の登校時にゆかりに付き添ってもらったのが原因である。その後ゆかりが入寮時の影時間の件について、「昨夜のこと言ってないよね」とわざわざ自分から学校で漏らしたせいで、きっとウワサに拍車がかかってしまったのだと思われる。
運命と言う名のフォーチュン
【Y編/コミュ】
鳥海先生の隠者コミュ後日談で、英語の寺内が言う。インド人の旦那と出会ったのが、運命という名のフォーチュンだったらしい。日本語がおかしいというか、英語がおかしいというか、いつもはツッコミ��入れられる側の鳥海先生をして、「“頭痛が痛い” よりビックリだわ⋯」とツッコませしむ発言である。なお、珍しくセリフが多いこのイベントで、寺内先生はここぞとばかりに名言を連発する。「素晴らしい発想のチェンジ」、「私にもセイム体験あります」など必見。
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yotchan-blog · 9 days
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2024/9/15 8:00:11現在のニュース
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rosysnow · 5 months
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水滴がつたって
待って、まだ私に触れないでいて
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『正行さんの奥さんですよね』
 スマホに知らない番号で着信があった。宅配便が来るとか、知らない番号から電話がかかってくる心当たりはない。だから無視したら、同じ番号からSMSが届いた。
『早く彼と別れてください』
 来たのは、その二行だけ。それだけで、私はじゅうぶん理解した。
 もしかして、とは思っていた。息子の勇多が生まれて、今年で四年。夜の生活はとっくになくなっている。男の人が、何もしていないなんてありうる?
 勇多を部屋で寝かしつけて一階に戻ると、正行さんはお風呂を上がって、夕食の鰆の塩焼きをほぐしていた。私は正行さんと食べるために、勇多にひとりで食べさせたのに、この人はひとりでさっさと食べはじめるんだな。そんなことを思いながら、正行さんの正面の席に着く。
「あなた、勇多はもう寝ちゃったから」
「そうか。俺たちも早く寝れるな」
「……あの」
「ん?」
「勇多の兄弟とか……考える?」
 見逃さない。一瞬、眉間に刻まれた不快そうな皺。
「あの子、保育園でもなかなか友達ができないみたいだし、兄弟となら──」
「友達は、そのうちたくさんできるだろう」
「でも」
「心配しなくていい。俺たちのかわいい息子じゃないか」
 私は顔を伏せ、じゃあどうやったら私を見てくれるの、と息苦しくなった。このあいだ、排卵日じゃないからってそれとなく声をかけたら、「恵まれないとき、わさわざしなくていいじゃないか」と言われた。だから、排卵日である今日に言ってみたのに。
 夕食のあと、正行さんはさっさと寝室に行ってしまった。私は家事を済まして、シャワーも浴びて、同じ寝室に踏みこむ。わざとらしく、正行さんはふとんを頭にかぶる。
「起きてるの?」
 返事はないけど、寝息がないから起きている。私はベッドサイドに腰かけ、「今日、しない?」と言ってみた。正行さんは黙っていたけど、不意に唸ると「疲れてるんだ」とぼそっと答えた。
 本当に、よくある台詞。でも、それで納得して、強く求められない私も私。
 正行さんがしっかり寝てから、私はワンピースのルームウェアの裾をめくって、内腿に指を這わせる。焦れったくて、中が切なく動く。ショーツに手をもぐらせ、そこに触れると、もうふっくら充血していて、私は吐息を殺して自分をなぐさめる。
 ねえ、私だってこんなことをしている。あなたが何もしていないなんて悠長なことは、微塵も考えなかった。分かっていた。
 正行さんには、妻の私をさしおいた「彼女」がいる──
「ママ、あのね、僕、保育園で友達ができたの」
 桜がほろほろと風に舞う四月、手をつないで帰宅する息子の勇多が、嬉しそうに言った。
「お友達?」
「うん、みっちゃん!」
「女の子?」
「男だよっ。お話してたらすごく楽しくて、モノレール好きなのも同じなの」
「へえ、そうなのね。それは嬉しいね」
「うんっ。去年みっちゃんが、たいけん……に来たときにも楽しくて。今月から、同じ組にいるんだよー」
「ママも会ってみたいなあ」
「会えるよ。さっきもいたよ」
「そうなの? ご挨拶すればよかった」
「みっちゃん、僕が先に帰っちゃうの嫌みたいだから、見送りはしてくれないの……」
 長時間保育を利用している子なのだろうか。少し気になったので、翌日、保育士さんに「みっちゃん」について訊いてみた。「光斗くんですね」と保育士さんは、教室の隅で壊れた人形みたいに座りこんでいる子をしめした。
「ええと……」
「あ、基本的に元気な子なんですよっ。ただ、勇多くんが先に帰っちゃうと、あんなふうに」
「そうなんですか。親御さん、このあとすぐいらっしゃるんですか?」
「いえ、高校生のおにいさんが、放課後になってから迎えにくる感じですね」
「寂しいでしょうね……」
「光斗くん、勇多くんが一番のお友達みたいですから」
 私は抜け殻みたいになっている光斗くんを見つめ、「よかったら」と光斗くんを私の家で預かり、勇多と過ごさせたらどうかと申し出をしてみた。おにいさんも、来れる距離なら私の家に迎えに来てくれたらいい。「よければというお話で、伝えてみます」と保育士さんは請け合ってくれた。
 光斗くん側からは、最初はもちろん遠慮された。けれど、光斗くんは家では置き去りにされる寂しさをわめき散らしているらしい。それで最悪、保育園に来なくなったら、哀しむのは勇多だ。
 その気持ちを言い添えると、その後、「恐縮ですが、お願いできたらと思います」という光斗くんの親御さんの伝言が届いた。私は十五時に保育園に行くと、勇多と光斗くんを連れて帰宅するようになった。光斗くんはもちろん、勇多も嬉しそうでほっとした。
 そして、夕方になる頃に光斗くんのおにいさんが訪ねてくるようになった。克斗くんと名乗ったその子は、「もし光斗がご迷惑かけたら、遠慮なく保育園に置いていってください」と初対面で断りを入れる礼儀正しい子だった。
「大丈夫ですよ。ふたりでモノレールで遊んでるみたいです」
 私はそう言いながら、すでに半袖になった制服のシャツから出る、克斗くんの腕を見た。顔立ちはまだ幼さもあるけれど、その腕はしっかり筋肉がついている。
「光斗、交友で不安定なところがあって。通わせる保育園も、なかなか決まらなかったんですよ」
「不安定? 勇多と遊んでる感じでは──」
「そう、ゆったんとは仲良くなれたって光斗が初めて宣言したから、うちの家族、即入園希望提出です」
「そうなんですね。ちなみに、家はここから歩いて帰れそう? ごめんなさいね、そこだけは克斗くんの都合を聞けなくて。もし遠いなら、私が車で送るので」
「大丈夫です。駅前近くのマンションに戻るだけなんで」
「そうですか。よかった」
「ありがとうございます、気遣ってもらって」
 そう言ってくれる克斗くんの声は優しい。彼女とか、いるのだろうか。その女の子は大切にしてもらえてるんだろうな、と思う。私とは違って、その子はその腕に力強く抱きしめられている。
「──ねえ、今夜……ダメかな」
 その後も、夜、私が何とか誘ってみても、正行さんはそっけなかった。
 私はスマホに目をすべらせ、あれ以来、追撃は来ていないと自制した。でも、その子は私は触ることも許されない正行さんのスマホに触れて。私の番号をひかえて。そうできるくらいには、正行さんはその子の前では隙だらけということで。
「正行さん」
「何だよ、もう話は明日に──」
「好きな人、いるんでしょう」
 正行さんは、ごそっと顔をあげた。
「何を言ってるんだ」
「若くてかわいい、それだけの子よ」
 正行さんの表情がゆがんだ。ばさっとふとんをかぶり直し、背を向ける。「正行さん」と言いかけると、いらついた声が返ってきた。
「老けていくだけのお前より、ずっといい」
 心臓に氷が刺さる。私は目を開いたものの、言葉は出なかった。やがて、正行さんは眠りについて、寝息を立てはじめた。
 なぜ、私はいまだにこの人を想って自分をなぐさめるのだろう。快感すら機械的になっている感じがする。もっと、溺れるように気持ち良くなりたい。満ちてあふれるような快感が欲しい。
 もし──あの、若い筋肉が私を抱いてくれたら、何か変わるのかしら。
 そんなことを思ってしまい、いけない、とセーブしようとした。でも、止まらない。あの腕に強く奪われて、あの声に耳打ちされて。ダメ、考えちゃダメ。そう思うほど、あの黒い無垢な瞳にたまらなくなる。
 咲うときにこぼれた白い歯が、もし私の肌に咬みついたら、それだけで──
 軆がこらえきれなほどわなないて、私は押し寄せた快感をこらえた。このまま絶頂したら、すごく気持ちいいけど、でも、まだ、長く感じていたい。指先の力を抜いて、でも消え入らないようにかすめて、自分を焦らしてイジメる。
 どうせ正行さんが起きるなんてない。万一起きて気づいても、うんざりと無視するだろう。ため息と声を綯い混ぜて、私は中にも指をさしこんで音を立てた。すごく熱くて、濡れている。
 だらしなく焦らし、その瞬間にはかすれた声で彼の名前を呼んでしまった。じゅわっと軆の端々まで感覚が研がれ、澄み、満たされる。噛んでいた唇がほどかれ、急に息があふれる。
 いけないことをしてしまった。罪悪感はあったけど、でも、もう止まらない気がした。これから私、自分でするときは、こんな夫よりあの男の子を想ってしまいそう。
 彼には、私なんか子持ちのおばさんなのに。本当に、それこそ老けていくだけの女。分かっていても、あの腕に抱かれる夢を見てしまう。
 克斗くんに気持ちをほのめかすなんて、もちろんしなかった。気づかれたら、絶対に気持ち悪いと思われる。それは怖い。だから、絶対に知られてはいけない。
 夕暮れが来るまで、子供たちはまだ遊ばせて、私と克斗くんは玄関先で世間話をする。中でお茶でもしながら、と言うぐらい良かったのかもしれないけど、距離が縮んだら我慢できないかもしれない。オレンジ色の光が窓から射しこみ、それがお別れの合図だ。
 やがて夏が来て、夏休みになった。自由登園になるけれど、勇多は光斗くんと遊ぶと言って行きたがった。光斗くんも同じだったようだ。十五時に迎えにいくと、ふたりは楽しそうにモノレールを組み立てたり走らせたりして遊んでいる。
 迎えにきた保護者の中には、克斗くんがいた。「学校は?」と私はバカみたいに訊いてしまったけど、「俺は夏休みには休む派です」と克斗くんは苦笑した。そうか。だったら、克斗くんはうちにも来なくて、お話もできない。
 夏のあいだ、ぽっかり胸が空いてしまったせいかもしれない。九月になって、また克斗くんが訪れるようになっても、どこか寂しかった。
 こんなのは、ひとときなのだ。勇多も光斗くんも、いつか保育園を卒園する。その前に、克斗くんは受験生になる。私とこうしてお話をしてくれるのは、もしかしたら、彼が高校一年生のあいだ続けば、いいほうなんじゃない?
「今夜、飯が出前なんですよ」
 九月の終わり、克斗くんがそんな話をした。おかあさんがどうしても仕事で遅いのだそうだ。私は口を開きかけ、少し迷った。こんなこと言ったら、怪しいかな。そう思って一考したけど、たぶん大丈夫、と思って私は声を発した。
「それなら、うちで食べていきなよ」
「え、でも」
「今からでも、買い足し行けば間に合うから」
「いや、けど、かあさんに金もらっちゃったし──」
「気になるなら返せばいいし、何なら、克斗くんがもらっちゃってもいいんじゃないかな」
「そ、そうなのかな」
 満更でもなさそうに克斗くんの声が上擦ったので、「もらっちゃえ」と私は魔女のようにささやいた。
「私、ちゃんと秘密にするから」
 克斗くんが私を見る。黒くてかわいい瞳。本当は愛おしく見つめたいけど、こらえて、「じゃあ、急いで買い物行かないと」と私はかがめた体勢を正す。
「俺、せ���て荷物持ちますよ」
「ありがとう。でも、子供たちがいるから。家にいてくれると安心かな」
「あ、そっか。そうっすね……」
 克斗くんの声ががっかりしたように聞こえた。私の都合のいい錯覚だろうか。
「じゃあ、みんなで買い物行こうか」
 私が提案を直すと、克斗くんは笑顔を上げてうなずいた。その笑みに笑みを返しながら、期待させないで、とわがままなことを思ってしまう。
 買い物に連れていくというと、勇多も光斗くんもすぐ部屋を出てきた。「お菓子買ってくれるの?」とさっそく期待されて、「好きなものを、ひとりひとつずつね」と私が答えると、勇多と光斗くんは「ふたりだから二個だ!」とはしゃいだ。夕食も一緒だと知ると、ふたりはますます喜んで、「じゃあハンバーグ!」「チーズ入った奴!」と騒ぎ立て、結局予定していた献立でなくチーズハンバーグを作ることになった。
「持ちますよ」
 帰り道、遠慮した私を制して、克斗くんは荷物を持ってくれた。自分で持って、けっこう重いのは分かっていたので、「ごめんね」と言うと、「平気です、このくらい」と克斗くんはわずかにはにかみながら咲う。
 その笑みが赤みがかっていて、空が暮れはじめていることに気づいた。橙々色に景色が染め上げられている。薄くたなびく雲が、暮れゆく色を受けて濃く彩られている。
「ばいばーい」
 そんな声に向けると、道端にいた小学生たちが別れて、それぞれ家に向かっていた。仕上がった夕食の匂いがする。カーテンを閉めて電気がつく。肌を撫でて冷ます風は心地よく、でも今日はまだ少し克斗くんといられる、と心がはずんだ。
 克斗くんをちらっと見ると、彼は慌てて視線を少しうつむけた。でも、私が正面や子供たちを向くと、克斗くんの視線は私の軆に触れている。だから、また彼を見て、私は優しく微笑んだ。
 ……いいの。
 もっと見て。まだ触れずに、私を見ていて。
 触れられない距離感で、甘くて深い蜜が満ちていく。私が熟していく。
 克斗くんは恥ずかしそうに微笑み返してきて、私にたやすく触れようとはしない。
 食事中に正行さんが帰ってきたけれど、勇多や光斗くん、克斗くんにはともかく、相変わらず私には冷たかった。何だか、それがどうでもよくて、そんな自分の気持ちは何だか哀しいことだと思った。
 克斗くんとは、相変わらず毎日、夕暮れまで立ち話をする。淡い夕陽の中、彼の声に心が蕩けていく。
 瑞々しく濃い蜜が、私の中に溜まっていく。夫である正行さんがどうでもよくなって、高校生である克斗くんで頭がいっぱいになる。深奥から指先まで、苦しいくらいに、熟れていく。
「咲花さん」
 私は克斗くんを見た。克斗くんは、いつのまにか私を名前で呼んでくれている。私はそのたび、どきどきしてしまう。
「ゆったんには、咲花さんは自慢のママだと思いますから」
 なぜか励ましてくれる克斗くんに、私は弱々しく微笑む。
 違う。そんなことはない。勇多のことはもちろん大切だけど、私はあなたを求めて蜜を肥やす、良くない母親だ。あの子の父親をもう愛していない。あなたに出逢ってしまった。あなたが私を抱いてくれるなんて、ありえないのに──
 優しくしてくれる克斗くんに恋い焦がれているのに、もう優しいことは言わないでとつらくなって、私はつい顔を伏せてしまう。
 次第に、日暮れが早くなってきた。そのぶん、克斗くんが光斗くんを連れて帰るのも早くなる。勇多は寂しそうに「お部屋片づける」と二階に行こうとして、私が「明日も光斗くんと帰ろうね」と声をかけると、黙ってこくりとして二階に行ってしまった。
 私だって寂しい。もっと克斗くんといたいのに。
 そんなことを思っていると、リビングに置いていたスマホが鳴ってはっとした。電話着信。誰だろうと手に取ると、念のため登録していた番号が出ていた。
『彼女さん』
 私は揺らいだ心を抑え、深呼吸した。コールが切れる前に、通話ボタンをタップする。
「もしもし」
 一瞬、息をのむのが聞こえた。しかし、相手はひるんで切ったりしなかった。
『何で別れないの?』
 私が無言でいると、その女の声は正行さんが愛しているのは自分だとか、離婚するって言ってくれてるとか、何とかかんとか、ヒステリー気味にまくしたてた。途中からは、泣き出していた。
 私はため息をつくと、ゆっくり声を発した。
「待っていたからよ」
『っ……えっ?』
「ありがとう」
 私は一方的に電話を切る。今の通話が、録音できていることを確認した。
 夜、私は正行さんに離婚を切り出した。正行さんはわけが分からないように見えた。バカバカしい演技にいらついて、「老けるだけじゃない女がいるんでしょう?」と言うと、「被害妄想もいい加減にしろっ」と正行さんは怒鳴りはじめた。
「いるんでしょう?」
 私は語気を強めた。「仕事で大変なのに、そんなの」と言いながらも、正行さんは目を合わせない。不倫を認めてお金を出すのが嫌なだけだろう。私たちの言い合いに、勇多が部屋で怯えて泣き出し、「話にならない」とうんざりした様子で正行さんはそれをあやしにいった。
 いっそ録音を聞かせてしまいたい。しかし、こらえた。この録音の存在を知られたら、どんな小細工をされるか分からない。冷静に、証拠として弁護士に渡さないと。
 私も勇多の部屋に行った。勇多はまだ泣いている。「弁護士に相談するね。親権は私だと思うから」と言うと、正行さんはまた何か怒鳴った。私はそれは聞かず、「勇多の前で、大きな声を出すのはやめて」と正行さんの肩を遠慮ない力で突き飛ばした。かがんでいた正行さんは尻餅をついて、解放された勇多は「ママ」と私に飛びついてくる。
「ママ、あのね、パパが今──」
「勇多、言うんじゃないっ!」
 勇多がびくんと私の腕の中で小さくなる。私は勇多をかばって、頭を撫でてやりながら正行さんを見つめた。
「あなた、そんな人だったかしら」
 正行さんも私を見た。久しぶりに瞳が重なった気がする。でも、そのあいだには何も残っていなかった。
 それから、日中に弁護士への離婚の相談に出かけて、十五時には勇多と光斗くんを迎えにいく毎日になった。喧嘩の翌日は、勇多は光斗くんに何か相談したのだろう。ふたりの視線が、何だか恐縮していた。「コンビニでおやつ買って帰ろうか」と私が微笑むと、ふたりはやっと少し緊張をほぐして、うなずいてくれた。
 十月のなかばにさしかかっていた。弁護士から、正行さんの会社宛てに、慰謝料と養育費の請求を送った。もちろん「彼女さん」にもだ。夜、初めて正行さんが蒼ざめて平謝りして、土下座までしようとした。私はそれを見届けもせず、「生活できるお金さえくれたらいいから。今までと同じでしょう」と言い捨てた。
 翌日、克斗くんが変わらずに光斗くんを迎えにきた。あの人と離婚するの。そう言っても、この男の子はびっくりするだけだろう。ましてや、だから私を好きなようにして、なんて言えない。
 けれど、ふと会話が途切れて沈黙になったとき、克斗くんは私を見た。その瞳には、はっとする潤みがあった。まさか、と思いながら私は笑みを作る。
「なあに?」
 克斗くんが、拳を握ったのが見えた。合わせて、腕の筋肉も動く。
「何でも……ないっす」
 少し、かすれた声だった。苦しそうな声音だ。私はなおも克斗くんを見つめる。
 ああ、私、この子の何を見ていたのだろう。
 無垢だった黒い瞳は、切なく傷ついている。腕も肩も、筋肉はもっと力強くなっている。渇いた心が、狂おしく求めているせいだ。
 私の、ことを。
 私のことをさらってしまいたいと。
 たっぷり食べて、貪るように味わって、蜜一滴残さず、飲み干してしまいたいと──
 その思った瞬間、軆の奥がじんと疼いて、熱く灯って、脚のあいだが、つたいおちそうなほど濡れたのが分かった。
「……光斗、遅いっすね」
 小さく息をついて、克斗くんはつぶやいた。
「そう、だね」
「ちょっと、呼んできます」
「うん」
「失礼します」
 克斗くんがスニーカーを脱ぐ。こちらを見ない。見間違い? 私のことなんて、見るわけない? そう思ったけど、私はこらえきれずに克斗くんの名前を呼んだ。
 克斗くんは階段の手前で足を止め、振り返ってくる。
 ああ、やっぱり、その飢えた眼。
「まだ、待って」
「えっ?」
「まだなの」
 克斗くんは、ぽかんと私を見た。私も克斗くんを見た。あふれそうな想いに、瞳が潤んで揺れる。
 克斗くんも、すぐ、私の瞳に気づいた。一瞬覗いた、泣き出しそうな顔。それから、克斗くんは私の元に駆け戻ってくる。
 私も一歩踏み出した。伸びてきた克斗くんの腕が、私の腰にまわる。ぐっと引き寄せると、躊躇いなく口づける。
 上手なキスじゃない。もしかしたら、キスは彼には初めてなのかもしれない。それでも、必死に私をあまさず食べる。
 くらくらした。このままここで、抱かれてもいい気さえした。
 でも、ダメだ。そしたら、あの人との離婚がうまくいかなくなるし、高校生である彼に私はまだ触れてはいけない。
 情熱的すぎるほどのキスから唇をちぎり、軆を離して、「まだよ」と私は言った。私の言葉に、克斗くんの息遣いが痙攣する。
「我慢できない」
 初めて訊く、克斗くんの「男」の声。低いけど、まろやかで、私の細胞すべてをそうっと撫でる。
「まだ見ていて」
 克斗くんの瞳を見つめた。どうして、と言われる前に言葉をかぶせた。
「今は、ダメ」
 克斗くんの泣きそうな目が、私の発熱をかきたてる。今すぐ抱かれたい。あなたのすべてが欲しい。ひと思いに、この男の子と結ばれたい。
 でも、まだ、だめ。
「にーちゃん、帰ろーっ」
 光斗くんの声がした。克斗くんははっとして、いつもの少年の顔に戻った。階段を駆け下りてきた光斗くんに、「お、おう」とぎこちなく答えている。
「え、と……じゃあ、失礼しました」
 私はただ微笑む。追いかけてきた勇多が、「また明日ね」と言うと「うんっ」と光斗くんは元気よくうなずく。
 風通しの窓の向こう、茜色の夕暮れが藍色に暮れていく中に、ふたりは帰っていった。
 お願い、分かって。まだ、そのときではないの。そのあいだに、どうかもっと強く、つらく、痛いぐらいに切なくなって。匂い立つほどに、心臓を私にちぎって。
 ドアを閉めたあと、そのドアをじいっと見つめてから、勇多がぽつりとつぶやいた。
「みっちゃんのおにーちゃんが、パパだったらいいのになあ……」
 私は勇多を向き、「そうね」と笑んだ。
「克斗くん、優しいもんね」
「ママに優しいもん。僕にも」
「……うん。ママもそう思うわ」
 風通しの窓から、ゆったりした秋風が流れ込んでくる。その揺蕩うような風は、彼のため息に似ていると思った。
「今日の夕ごはん、何?」
「さんま焼こうかな。塩焼きと蒲焼き、どっちがいい?」
「甘いの」
「蒲焼きね。じゃあ、お部屋片づけておいで」
 返事をした勇多は、二階に上がっていった。私はキッチンに立つ前にトイレに入った。膣の入り口を指先ですくうと、やっぱり粘液がとろりとこぼれている。
 高校生の男の子に片想いなんて、バカみたい。くだらない。はしたない。そう思ってきたけど、私、あなたへの想��をもっとふくよかになるまで育てていいのね。
 夕暮れのあいだは焦らす。夜が来ても一緒にいられるようになったら、あなたに私を預ける。温かな夕映えの中、たっぷり、しっとり、私たちは焦らしあって。暗くなった部屋のシーツのあいだで、ついにお互いを喉を鳴らして喰らう。
 熟した想いが、まるであふれるように水滴を伝わせる。彼に私の中に来てほしい。その疼きを穏やかに包んであげたい。
 トイレを出て、洗面台で手をしっかり洗ってから、キッチンに立った。冷蔵庫から食材を選んでいると、「ママ」と一階に戻ってきた勇多が言った。
「今日、お月様がきらきらだよ」
 キッチンの窓から月を見た。まろやかに光が満ちて、完熟した果実のような月。私は彼と迎える夜を想い、目の奥がめまいに溶けてしまいそうに感じた。
 FIN
【SPECIAL THANKS】 メロウ/杉野淳子 『成長痛』収録
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ZINE提出と屋上庭園
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Wednesday 3 September 2014
ハルオは、東京に向かった。バスは順調にハルオを東京へ連れて行ってくれた。東京駅にバスが着き中央線、総武線に乗り換えて市ヶ谷駅まで。今日は、学校だった。授業では先週に引き続きZINEの提出&プレゼンをした。クラス全体の内、4人の生徒が未提出だった。未提出の生徒の言い訳を聞いたが情けなかった。言い訳は何歳になっても情けない。授業後、学内でZINEを展示をする。3人の生徒が自主的にお手伝いをしてくれた。その後、いつもの様に図書室のSさんとおしゃべりをして学校を出たのは3時半だった。2つの写真集の情報を得る。
4時、ハルオは、新宿の紀伊国屋書店の前でn ncoさんと会った。約3ヶ月振りの再会だった。n ncoさんのオススメで丸井の屋上庭園に行く。屋上に上がる前に1階のベーカリーでデザートとコーヒーを買った。n ncoさんのオススメのデザートは、n ncoさん曰く、『色っぽい味がするの。ワインが欲しくなる。』と。屋上に着くと気持ちの良い空間が広がっていた。ハルオは、n ncoさんとベンチに座っておしゃべりを始めた。そのデザートを食べてみた。彼女が言う様に"大人のデザート"だった。n ncoさんから彼女の手作りパン「n ncoパン」を貰った。『トーストにしてクリームチーズと一緒に食べると美味しいよ。』と言う。おしゃべりに夢中になっていると夕方になり辺りは暗くなって来た。隣りの伊勢丹のシンボルマークのネオンが赤く照り出した。ハルオは、『ここは、カップルにもってこいの場所ですね。』とn ncoさんに言った。nncoさんと一緒の時間は楽しかった。あっという間に時間が過ぎた。
2人で新宿の西口方面に移動した。n ncoさんは、歩いて帰れる距離に自宅がある。『少し遠けどちょうど良い散歩になるのよ。』と言う。ハルオは、n ncoさんに『もう少しおしゃべりしませんか?』と誘ってみた。すると快諾を得たので、さて今度は西口でどの場所に行こうかと考えてみたらn ncoさんは、『いい風が回る場所があるの。』とある場所をススメてくれた。その場所に行く前にヨドバシカメラで買い物と先週現像出しをしたフィルムをピックアップした。
その場所は、ハルオも知っていた。かつてはよくその場所で煙草を吸っていた。(今その場所は禁煙になっている。)確かに風が吹いて回っていた。辺りはもう夜になっていた。ハルオは、話の流れから風水の話をn ncoさんにした。以前、風水師になれる!と友人から言われたことを思い出した。
8時過ぎ、n ncoさんとハグをして別れた。約4時間ぶっ通しでおしゃべりした。4時間話すと充実感は大きい。先月夏の帰省で従姉妹のKちゃんと会った時、やはり4時間おしゃべりした時と同じフィーリングだった。
この3枚は、nncoさんが撮ってくれた。 n ncoさんもカメラマンなのだ。 今度彼女の写真を撮ることになった。
8時40分のバスに乗って静岡に帰る。 バスの中では疲れて寝ていた。 茶畑庵に戻ってから坐禅をしてから寝ようかと思ったが無理だった。
S子 『ハルオ君、お疲れ様〜。』 ハルオ 『フルパワーで忙しい日だったよ。でも充実していた。おやすみなさい。』
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kachoushi · 2 months
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各地句会報
花鳥誌 令和6年8月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和6年5月2日 うづら三日の月句会 坊城俊樹選 特選句
ホロホロと鍬に砕ける春の土 喜代子 亡き猫の声かと覚む春の闇 同 四姉妹母に供へる柏餅 由季子 薫風にうだつの揚る港町 都 青嵐甍の波をひとつ飛び 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月4日 零の会 坊城俊樹選 特選句
誰待つや水子地蔵と風車 毬子 愛宕山水の匂ひのして立夏 光子 湧水の鯉は真珠になりたくて きみよ 虎ノ門ヒルズそれとも蜃楼 光子 そそくさと愛宕詣での蟻ひとつ 三郎 新しきビルの隙間にある新樹 久 常盤木の落葉は坂の底の底 小鳥 日傘手に男の上る女坂 昌文 虎ノ門ヒルズ這ひ来し蚯蚓かな 美紀
岡田順子選 特選句
新緑の堂宇律する木魚かな 毬子 猿寺のへその緒めきし花藻かな 小鳥 耳に髪かけたる指が蝶を呼ぶ 和子 生まれては緋目高といふ名を借りて 小鳥 風車回らぬほどの風を受く はるか そそくさと愛宕詣での蟻ひとつ 三郎 馬駆けし愛宕山とは蝶ひとつ 俊樹 緑蔭のどれも過去向く拡声器 きみよ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月4日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
壱岐対馬越えて釜山へ卯波立つ たかし 人を待つ昂りに似て卯浪立つ 孝子 春愁はもつれたあやとりの紐 修二 さまざまの風に出合つて若葉かな 孝子 逃水を追ひいくばくの疲労感 修二 しやぼんだま戦火の子らに向けて吹く 朝子 雲雀の巣踏み潰し行く重戦車 たかし チューリップ手足ふつくり乳母車 成子 八方に餓鬼うづくまる黄砂かな 朝子 糸柳お岩は細き指を垂れ 修二 十字架を仰げば風の薫りけり 孝子 廃校の土俵に花の散りしきぬ 朝子 卯波立つ沖を眺めて昼の酒 かおり
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月6日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
柿若葉母の天麩羅語り種 和魚 ふくよかに葉音さらさら風五月 聰 山匂ひ水音響く五月かな 三無 沖へ帆の連なりわくや風五月 聰 パステルを選びて描く若葉山 ことこ 浅間への雑木若葉の葉音きき ます江 岩に波飛び散る光五月来ぬ 秋尚 日に濡るる若葉見上げつ峠越ゆ 三無 鯖街道歩きしところ穂高見ゆ ます江 甥つ子の声変はりして五月来ぬ 美貴 風五月江の電海へ大曲り 三無 思ひやる言葉を選び五月の夜 貴薫
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月6日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
蛇穴を出でて振り向く顔もたず 雪 聞きに来よてふは椿の落ちる音 同 女踏む如く男の踏む椿 同 藤房の先に見えざる風生まる かづを 葉桜の神社まはりを鎮めをり 匠 アイリスを活けてサツチモ聞く深夜 清女 朧夜や母に逢ふ夢覚めやすき 笑子 荷を解けば青き匂ひの莢豌豆 希子 葉桜や旧制校のありし跡 泰俊 万象の輝く五月来りけり 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月11日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
やはらかき音の騒めき若楓 秋尚 結び目に母の思ひの粽解く 百合子 リハビリを終へて正午や街薄暑 恭子 中子師を偲ぶ五月の句座なりし 亜栄子 樟若葉風に煌めく音静か 秋尚 海の風山の風吹く捩花 亜栄子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月12日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
何某の宿祢の杜やかかり藤 都 花祭瑞雲を呼ぶ釈迦の指 宇太郎 余花の雨幹の裂傷深くして 都 新緑にろ過され朝の息甘し 佐代子 手に湿り春椎茸の肉厚く 和子 葉桜の土手ゆく白き犬曳いて 悦子 老眼のルーペで愛でし花楓 宇太郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月13日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
後遺症無いとは云へず蝶の昼 清女 福助の貯金箱あり五月晴 ただし 手鏡の髪なで乍ら土用干し 世詩明 戻り来て剥がす日めくり四月馬鹿 ただし 花卯木友と語りし通学路 英美子 金色の囲む在所や麦の秋 みす枝 夏来るシャンパングラス走る泡 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
紙灯篭復興祈る輪島初夏 みえこ 初夏の列車に恐竜描かれし あけみ 花水木街路にいつか咲いてをり 令子 折紙の金環太き鯉幟 実加 祭町子等のよろこぶ菓子選び 令子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月14日 萩花鳥会
鴨ゆきて燕戻りて川住居 祐子 花の雨抜けて仮眠の深夜便 健雄 残されしボール一つに浅き夏 俊文 更衣する間も無くて半袖に ゆかり 水田の浅瀬泳ぐや鯉のぼり 明子 急階段挑みて天守若葉風 美恵子
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令和6年5月15日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
扁額の一字が読めず梅雨の宿 世詩明 若葉風わらべ地蔵をつつみゆく 笑子 お精舎の風鐸ゆらす梅雨晴間 同 路地裏をしよぼしよぼ歩く梅雨鴉 希子 獣めく匂も混じる草いきれ 泰俊 古りたりな三国祭の誘ひ文 雪 牡丹を切りて一日の贅とせん 同 牡丹に待てば現れさうな人 同 退屈を欠伸してゐる葱坊主 同 椿落つ終の一花と云ふ色に 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月17日 さきたま花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
葉桜や百葉箱はぽつねんと 月惑 黙祷の黙に扇子の音止まず 裕章 古民家も古木も包む若葉風 泉 せがまるる父の草笛音の出ず 康子 十薬の干されしままに家売られ 順子 蚕豆は反重力の世界とも 月惑 朝日受け夜来の雨に��る薔薇 彩香 道をしへ誘はれ来れば妓楼跡 裕章 薔薇一輪仏に供へ留守頼む 順子 祝酒ちよこに浮き立つ夏の月 同 結跏趺坐する禅堂に蚊は廻る 月惑 お互ひにためらひもなき更衣 八草 母の日や乳を持ちたる大銀杏 紀花 菖蒲田に挙るサーベルの直線 月惑 五月晴れ複々線の縄電車 良江 母の日の無口の兄の大あくび としゑ 掌に乗る子猫にも髭のあり みのり 夏館蒼穹の野へ開け放つ 裕章
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月19日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
万緑を深く映して奥の池 亜栄子 師の句碑に句友の墓碑に黒揚羽 三無 沙羅の花散りて積れる密寺かな 慶月 雨雲の近づく気配蝸牛 久 草むらに昼顔溺れさうに浮く 秋尚 十薬の花もかをりも無縁墓と 亜栄子 D51は永遠や夏野に据ゑられて 久子 新緑のメタセコイアは太古の香 久子 蛙田に昭和の声の残りたる 千種
栗林圭魚選 特選句
子等のこゑ池塘に生るる太藺かな 幸風 鮮やかな青翻へし瑠璃蜥蜴 久 一面の青草の丘登り急 軽象 師の句碑に句友の墓碑に黒揚羽 三無 沙羅の花散りて積れる密寺かな 慶月 暗闇坂薄暑の袖を捲りけり 斉 老鶯やメタセコイアの闇を抜け 亜栄子 新緑の森に山鳩奥の池 経彦 隠沼の静寂破りて蟇 芙佐子 新緑の木漏れ日揺るる年尾句碑 経彦 寺出でて定家かづらの香に触るる 秋尚 キャンパスに続く山道夏薊 久子 花卯木森の昏さに寄り添ひし 斉 草むらに昼顔溺れさうに浮く 秋尚 峠路に仰ぐ卯の花空重く 芙佐子 寄せ墓に甘茶の花の日和かな 亜栄子 ひと筋に姫沙羅の花すつと落つ 秋尚 隠沼にメタセコイアの新樹光 幸風 お絵描きの子らや泰山木の花 斉 野薊のぱつと明るき母の塔 文英 日ざしきて暗さ呼び込む新樹蔭 千種 石仏の眼にも優しきさつき雨 軽象 切株に園児忘れし夏帽子 経彦 菖蒲田の間に間に低き白菖蒲 久子 新緑のメタセコイアは太古の香 同 走り茶を呷り民話の始まれり 経彦 堂前に沙羅の花散る僧の留守 亜栄子 初夏の少し気怠き二人の歩 斉 庫裡裏に零れる実梅夥し 芙佐子 蜘蛛の囲の元禄仏の肩に揺る 慶月
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年5月22日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
覗くまじ編笠百合の笠の中 雪 伊勢神楽牡丹の庭に舞ひ納む 同 大蚯蚓這ひ出て暗き穴残る 同 花は葉に店に残りし桜餅 ただし 大杉も岩も当時の夏の庭 洋子 かづら橋渡りきりたる夏の声 紀代美 万緑に全身染まる露天風呂 みす枝 胸奥は語らぬことに草を引く 一涓 春炬燵触れたる足のなかりけり 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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lajuventus · 3 months
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色白神スレンダー体型の19才黒髪美しょ.う女がKの餌食に。 連続イマラチオちょ.う教後、大号泣しながら大痙攣イキまくりセックスで精神崩壊。Disc-1
色白神スレンダー体型の19才黒髪美しょ.う女がKの餌食に。 連続イマラチオちょ.う教後、大号泣しながら大痙攣イキまくりセックスで精神崩壊。Disc-1 スタジオ: FC2 更新日: 2024/02/24 時間: 131分 女優: 【天国編】 一夫多妻制度を夢見るクズ男。汁ハッピーです!高.こ.う. 3年間遊びや恋愛に目もくれず受験勉強と陸上部でスポーツを頑張りながらお茶の水女.し.大に入学したえりかちゃん。趣味はお菓子作りと弟がやっている高こう野球の甲.し.園観戦の応援と言う19歳になったばかりの女の.こ.えりかちゃん。セミロングの黒髪で色白スレンダーの美しょ.う女で健気で真面目の頑張り屋さん♪男性経験も殆どなくて、ホテルに入るのすらも緊張気味のえりかちゃん。「ちょっと... もうっ♪」恥ずかしそうに隠す仕草が可愛いです。服の上から胸や股間を触ろうとすると赤面して羞じらう表情が可愛すぎます。カメラに向かってダブルピース ***********************************
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【DVD村】 https://uradvd-mura.com/ ストリーミング・ダウンロード・DVD 大手メーカーから個人撮影まで $1.49~ ***********************************
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sahasite · 4 months
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「演出家の読書術」5夜連続配信
(「演劇エリートスクール」第3期プレイベント) 2024年6月5日(水)〜9日(日) 各日19:00スタート(最終日のみ14:00スタート) 「演劇エリートスクール」第3期の開催に先立ち、配信イベント「演出家の読書術」を実施いたします。
「演出家の読書術」では、「演劇エリートスクール」第3期講師演出家の5人が20冊ずつ本を選び、語ります。 演出家たちは何を読み、何を考えてきたのでしょうか? 選んでみると意外に多い20冊、折々に受けてきた影響から、もはや手に取ることすら恐ろしい一冊まで、ジャンルレスに拾いあげます。 上演に関心のある方のみならず、新たな角度から書籍に出会いたい方や、並んだ本の背に喜びを覚える方にもぜひお聴きいただきたいと思います。
これまで演劇エリートスクールの募集告知では、講師演出家陣をイメージした選書棚をつくり、その背表紙を美術家たち(原田裕規、梶原あずみ、西澤諭志)に撮り下ろしてもらい宣伝ビジュアルとして用いてきました。 久々の再開となる第3期ではさらに講師演出家が自ら書棚を紹介する機会を設けて、スクールのイントロダクションとします。
本企画は『建築家の読書術』(TOTO出版、2010年)、なかでも中山英之「本のなかとそと」を参照し立案しました。記して感謝します。
【配信スケジュール】 サハYouTubeチャンネルより無料配信 https://www.youtube.com/@1989saha
第一夜 6月5日(水)19:00〜21:00  亀井純太郎(転回社) 第二夜 6月6日(木)19:00〜21:00  羽鳥嘉郎(けのび) 第三夜 6月7日(金)19:00〜21:00  村社祐太朗(新聞家) 第四夜 6月8日(土)19:00〜21:00  澄井葵(,5) 第五昼 6月9日(日)14:00〜16:00  持田睦(PuP)
【登壇者プロフィール】 亀井純太郎(転回社) 1977年福岡生まれ。劇作家、演出家。2001年に劇団「第七インターチェンジ」を旗揚げ。小学校から大学まで様々な教育現場での演劇ワークショップに携わるほか、「くまもと子ども芸術祭」舞台部門演出を務めるなど地域の芸能にも関わる。2015年よりミュージカルスタジオ「studio in.K.」を共同運営、小学校公演などを行なう。第二回「外山恒一賞」受賞。熊本学園大学非常勤講師。 https://tenkai.org/
澄井葵(,5) 岐阜県出身。演出家。明治大学文学部演劇学専攻卒業。自身のユニット「,5(てんご)」を旗揚げ以来、東京で活動していたが、2011年から地元に戻り、名古屋を中心とした活動を始める。人の持つ感覚や普通さに働きかけ、観客俳優問わず感覚を足したり引いたりして、よく台無しにする。最近は年1回程度上演しており、2023年は,5(てんご)公演にて「黒門児童遊園」を演出。
羽鳥嘉郎(けのび) 1989年ブリュッセル生まれ。演出家、「けのび」代表、サハ。ワークショップ「自治」シリーズや、石をおかずにご飯を食べる「おかず石」などを各地で展開。京都国際舞台芸術祭 KYOTO EXPERIMENT フリンジ企画「使えるプログラム」ディレクター(2013-2014年度)、TPAM – 国際舞台芸術ミーティング in 横浜 アシスタント・ディレクター(2014-2017年度)。編著『集まると使える—80年代 運動の中の演劇と演劇の中の運動』(ころから、2018)。女子美術大学非常勤講師、立教大学兼任講師。 https://kenobi.org/
村社祐太朗(新聞家) 新聞家主宰。演劇作家。訥弁の語りを中心に据え、書くことや憶え繰り返すことを疎外せずに実現する上演に取り組んでいる。その最中には、様々な取り組みに目配りをしている。近作に『とりで』(2023、作・演出、THEATRE E9 KYOTO)、明倫茶会『生鶴』(2024、席主、京都芸術センター)等。戯曲『とりで』が第22回AAF戯曲賞大賞。2019-20年度公益財団法人セゾン文化財団セゾンフェローⅠ。2020-22年度THEATRE E9 KYOTOアソシエイトアーティスト。 https://sinbunka.com/
持田睦(PuP) 1971年生。演出家。ヘルダーリンのピンダロス翻訳を原作とした『SoPrates』(2004年)を最後に12年間、演劇活動を休止する。石川達三の『鳳青華』(1938年)と白信愛の『旅は道伴れ』(1939年)を原作とした『朝、鮮、人!』(2016年)で活動再開。コロナ禍をきっかけに映像作品作りを開始し、YouTube上で、フランスの映画監督ユイレ&ストローブに倣った作品『あらゆる革命はさいころの一振りである』(2022年)を公開中。ユイレ&ストローブの研究者として、「追放! 追放! 追放! そして……、解放?——ユイレ&ストローブのカフカ映画『階級関係』の最後の風景 」を、『現代思想』(2024年1月臨時増刊号「総特集=カフカ」)に寄稿した。
【お問い合わせ先】 主催:サハ http://saha.fun/ 協力:汀線 https://www.teisen-books.com/ お問い合わせ:[email protected]
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【選書リスト】
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tokyomariegold · 2 years
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2022/9/23〜
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9月23日 今日はとにかくいろんなものを見過ぎて、 いろんな表情をつくり過ぎて、 いろんなことを喋り過ぎて、相槌を打ち過ぎて、 目と顔の筋肉と喉が痛い。
初めての逗子の町の、観光地と絶えないほどの、リゾートまで華やかではないけれど、海の町特有の小さいお店がある感じの町のつくりを中途半端に体験して、浜辺で波を見ても全然怖くなくて、気がついたら鎌倉で八幡宮のお参りをしれっとしてしていて、ばちが当たりそう。 人とお話して時間を過ごすことと、自分が街やその空間を楽しむことを両立できる日はくるのかしら。
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アレック・ソスの展示は、思っていたのと違ったけれど楽しめた。 フライヤーの写真とデザインが、あまり今回の作品展と合っていない気がして、予告編だけ好きな映画ってあるかも、と思った。 山間部にハンガーかけやミラーボールをセットして生活している人のインタビュー記事の写真シリーズが好きだった。
とにかく長い時間だった気がする。 我に帰ったのは、行きも帰りも、日暮里駅の2階のサイゼリアの窓際のボックス席を車窓から見た時で「こんな時間(と、いうほどおかしな時間ではない)にサイゼリア…」と、思った時だった。 昔、雷雨で中断した花火大会の帰りに、びしょ濡れで入ったファミレスは、このサイゼリアな気がする!
一緒に展示を見た友人は、子供の話と動物の話をいつもしていて、今日も友達が子供を産んだ話をしたので、彼女自身がそろそろ子供を持つのかな〜、と思っていた。それと、動物が可愛いうんぬん、と言っていて、犬でも飼うんだろうか〜、とも思った(今日は子豚の話をしていたけれど)。
私は出産がどんなものなのか経験してみたいけれど、子育てはしたくないので、他人の子を産めば良いのかな、と考えて、でも倫理的にアウト?
帰り、旦那さんと合流して帰る友人と横浜駅で別れる。いつも私と遊ぶ時、私たちが遊んでいる場所の近くまで旦那さんが来ていたり、待ち合わせのラインを仕切りにしていたり、常に影が見え隠れする感じで、彼女との時間を過ごしている。私はいつか、彼女と2人で遊ぶ待ち合わせの場に、しれっと旦那さんもいて、今日は3人で……みたいなことになったりしないかドキドキしている。
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9月24日 人付き合いがだめなターンなので、1時間くらいキュッとおしゃべりするだけでよかった。 今日は、クラシカルなメイド喫茶で本格紅茶を飲んで、人の物件探しに付き添った。
メイド喫茶は、電子ケトルで沸かしたお湯を、高い位置からティーポットへ注いでいて、やかんでなくてケトルで可愛い。
物件探しは、楽しそうなので付き添っちゃお!と思っていたのに、結果、不動産屋ってこの世の嫌い空間わりと上位に入るのでは!と気が付いたのと、人の生活に関わっている暇はない!と、自分の生活のタスクをいろいろ思い出して、先に帰ってきてしまった。
駅の広場でちいかわとサンリオのコラボグッズが売られていた。たくさんの女の子達が本当にちいかわを愛でている!と驚き、友人に報告のメッセージを送る。
メイド喫茶から不動産屋までの移動中、マンスーンさんとすれ違ったのかもしれない…でも人違いかもしれない…ちいかわグッズを見にきていたのかもしれない…テンションが上がっている、と久しぶりに実感した。
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9月25日 このところの人間関係の悪態を反省して一日を過ごした。 昨日の雨で、川の水が増大していて、いつも野球やサッカーをしているところまで川が拡幅していた。ボートで何かを捜索している様子もあり、土手からたくさんの人が見ていた。
昨日投稿した日記を読み返すと、毎度のことながら誤字だらけ!最近はiPhoneで文字起こしをしているのだけれど、変換の精度が高すぎる(?)。 「うそみたい」→「朝みたい」、「かるいんで」→「辛いんで」、「ぶしょ」→「場所」、「きえないと」→「変えないと」。 読みと異なる変換を一番上に持ってくるのをやめてほしい。でもこれがiPhone的正解ワード。 30歳で変えないと!
9月26日 「落とし物が届いています」と、朝一で内線に電話が届く。ありがとうございます。まるっと落としたパスケース全部が手元に戻ってきた。
文化庁メディア芸術祭の展覧会が今日までだった!毎年、情報収集のために会場へ行っていたけれど、今年はネットで眺めよう、と、マンガ部門の大賞を確認する。北極百貨店?という素敵なタイトルの漫画をKindleでダウンロードしてみた。
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9月27日 2日分の洗濯物を溜めて洗濯機を回してみた…!ドキドキ。確かにこちらの方が回し甲斐がありそう。
隣の席の上司から、アメリカのチョコレートをもらう。お姉さんが、アメリカ在住とのことで、日本に一時帰国されているらしい。最近のアメリカは、グルテンフリー 、パレオ、ケト、と健康志向の食事がブーム。マックにはあまり行かない(そもそもマックの値段が高い。ハッピーセットで1000円弱するとか。)とのこと。コーラもみんな飲んでないんだって! プレッツェルのお菓子のパッケージには“BIG TIME FLAVOR”とあり、大きい時間風味…? 大味ってこと?となった。
日本で言う、ハワイアンとかミラノ風とか清涼感とか、味覚以外で食べ物を感じる感覚の表現なのかな。
明日は出張(研修)で、乗ったことのない電車に乗って、行ったことのないところへ行くのでへとへとになってしまうと思う。
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9月28日 研修のため、いつもより2時間遅い出勤。 朝にいろいろお掃除ができて精神衛生も良くなる。 空港へつながる路線、違う駅名だけど乗り換えできる駅間の30秒くらい歩く町、目印のデイリーヤマザキ、4匹の猫の親子、多分もう全部見ることはないんだと思うものばかりを通過して研修先へ行く。 (帰りに、オンライン研修でしか顔を合わせたことのなかった同期にこのことを話したら、めっちゃわかる、と言ってた。)
幼稚園や小学校の施設のにおいが苦手なので、気持ち悪くなりながら2時間歩き回った。 黒板に、前の授業の板書が残されていて“ゆでる→ものをやわらかくする。ゆで汁は捨てる。 煮る→味をしみこませる”とあり、思わずメモに書き写す。研修の報告レポートには使えない。
“BIG TIME”とは“すげーまじうまい!”的な意味らしい。
乗車駅でメロンくらいの巨大梨が売られていた。下車駅では行方不明の女の子を探すチラシを配っている人がいた。
9月29日 エドワード・レルフの場所性の本を冒頭から読み直し中。目次を見て、興味のある章から読んでいたけれど、ばかみたいに頭から読むと、ちゃんと点と点が繋がるように理解できるところが増えた。 ①物理的なもの②人々の動き③感覚 が、場所を構成していた、①と②は定量的なもので捉えやすいが、③は一概に言えるものがなく捉えにくい。そもそも①②③の相関関係を探ることが重要。 自分を中心とした同心円を描きながら人は移動をし、その円の内にいれるものに人は愛着を持つ。愛着の持てる場所には配慮があり“つつましさ”が、ある。……などなど。
研修のレポートを3枚提出した。 1から自分で文章を作り上げるのは、始めるまで気力がかかるけれど、始まってしまえば添削までずっと楽しいし、良い疲れかたができる。
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9月30日 研修のレポートを上司に褒めてもらう。 内容というより、レポートの構成や読みやすさ、伝わりやすさ、独自の視点の効果的な入れどころなど。こういう場の書き物には正解がある気がしていて、それを叩き出してしまった複雑な気持ち。でも褒められるのは嬉しい。
一期下の方とロッカールーム前でおしゃべりした花金の終業後。やっぱり私はこの方がすごく好きなのだと思う。写真を撮りたい!とも思えて、その発見に嬉しくなり帰り道はなんだか明るい気分。
社会の人をみんな嫌いなわけではなくて、その人個人をみてしまって、それでもっと関わりたい!と思ってしまうこともある。
そして、昔からの友人達を撮りたいと思わなくなったのは、新鮮さがなくなってしまったこともあると思う。 たぶん、今日ラインを交換して、「一緒に遊びましょう!」と言い合った時が、一番楽しい時だったかもしれない。 人と関わると��の新鮮さが好きなので、なるべく頻度や距離を、高めず詰め過ぎずにしたい。
やっと粗大ゴミセンターに電話を繋げ予約をした!えらい!
帰り道の遠くの茂みと、私が立っている道の間で、猫が何かを捕食していた。
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