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#かんから三線始めましたがチューニングすら出来ない
nemosynth · 1 year
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Season 2, episode 4 - PPG/waldorf
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「世界三大発明」
左から、盆栽、ハンバーガー、そして2Uラックマウント型音源モジュール。その音源モジュールの色は当時めずらしかったネイビーブルー、真ん中近くにモノアイの如き大きく丸く赤いダイアル、その下に長円形の赤いボタンが、しかも斜めにあしらってあって「O.K.」と書いてある。 「おっけーボタン!」 シンセ界のガッツ石松と見まごうそのセンス。それはコアでヲタな音源モジュールに似つかわしくない不思議にポップなセンス。のちにシンセ・デザイナーの神となった若きAxel Hartmann駆け出しのころの作とは誰も気づくまい。
これは当時の雑誌宣伝広告、そのコピーをNemo版超々訳すると「世界三大発明」。 広告の主旨は、当時の先進工業国3ヶ国がおのおのみずから誇る文化的な発明品を出展しているという風情。
そう、最も右にあった音源モジュールとは何を隠そうWaldorf社のデビュー作、microWave初号機。
時に1989年、KORG M1が出た翌年、奇跡の大ヒットで息を吹き返したKORGはT1, T2, T3という巨大PCMワークステーションシンセ三連星を繰り出し、YAMAHAはDXシリーズの次をめざしてV80FDもといSY77でもって仕切り直し、RolandはDシリーズの末っ子D-5をプリプリの今野登茂子ちゃんのマスコット・キーボード的に新発売しLA音源シンセD-50, D-20, D-10, D-5, D-550, D-110鉄板ラインナップ完成、KAWAIなんてK1 IIのみならず中堅かつ16bit PCMシンセの名機K4ローンチ! 怒涛のPCMサウンドに全世界が押し流されていたそのとき、底抜けにあさっての方向を向いた削ぎ落としの音源モジュール、リアルな音なんて出るはずもなく、ファンシーな内蔵エフェクトにも目もくれず、すでに32音ポリまで具現化していた時代に渋い8音ポリ、廃業したPPGから受け継いだ独創的なウェーヴテーブル音源だけを搭載し、あとはなん〜にもないただの箱。 それこそが技術大国ドイツが誇る切れ味さわやかゾーリンゲンの如き鋭利な音ばっかする尖ったシンセmicroWave。電子レンジにかこつけたその名こそは、だが、いくたびの谷を乗り越えて何度でも不死鳥のように蘇りつづけるメーカーの誉れWaveシリーズ末裔たるあかし。
今回はその創世と輪廻転生を見ていきたい。
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「選ばれし者」
ヴォルフガング・パーム(Wolfgang Palm)。1950年、当時の西ドイツ北部の港街ハンブルグ生まれ、今なお同市に在住。 ビートルズやストーンズ大好き電子工作少年ヴォルフガング坊やは、ギターを自前でこしらえた挙句、父にファルフィッサのトランジスターオルガンを買ってもらう。だがどうにもその音色が気に入らない。憧れのハモンドみたいな音がどうしても出ない! 思いをつのらせた彼はバンド仲間が勤める楽器屋でつぶさにハモンドを検証、そのトーンホイールから出る音がサイン波なのに対し彼のオルガンの音はもっとブライトな鋸歯状波みたいな音であると見抜いた。なるほど! 早速彼は一種のローパスフィルターみたいな回路をつくりあげ、それを自分のオルガンにくっつけた。
ここですでにヴォルフガング君が尋常ならざる非凡ぶりを発揮するに、そのトランジスターオルガンに搭載されし70基もの鋸歯状波オシレーター1個ずつに対し、フィルター回路も1個1個つくってくっつけたのである。計70個にもおおよぶ自作フィルター回路がおのおの音を丸めてくれたおかげで、それなりに彼は満足したらしい。
ドイツ人が時として自嘲気味に言うドイツ完璧主義:ドイッチェ・パーフェクツィオーン。 ドイツの技術は世界一ィィィィーーーーー! 天才とは恐ろしいもので早くもここに将来彼がこだわりまくって会社をつぶすことになる片鱗がうかがえてしまうのだ。すでにフォースが強かった少年にとって運命の邂逅とはシンセではなく、彼にしてみればツッコミどころ満載だったファルフィッサのトランジスターオルガンなのであった。それに自作のフィルター回路を70個もくっつけてしまった運命の少年ヴォルフガングは、オルガンをSFポッドレースの車両のようにチューニングし、壮大なサウンド・キャニオンの中を疑似正弦波駆動エンジンにてかっ飛ばそうとしていたのかもしれない。
1960年代に入って物理学を学んでいるとき、moogシンセを知りELPも聞いたヴォルフガング・パーム。斬新でつややかな音色もさることながら、とりわけ彼を魅了したのはポルタメント。すなわちオルガンを始めとする既存の楽器ではなかなかありえないねちっこくも滑らかに自由なピッチ。
シンセは自由! クロマティックに微分化されえないめくるめく自由なピッチ!
こういう音がバンドにもほしい! また思いをつのらせた彼は、自分のオルガンから演奏できるシンプルなモノフォニックVCOを制作。すなわちpitch to CV変換器を内蔵することで、オルガンを弾けばVCOが鳴るシカケ。それもmoog式Oct/Vではなく、作りやすさとピッチの安定性からHz/Vで制作。このピッチ安定性へのこだわりが、のちに彼をして時代に先駆けデジタルへ傾倒させる伏線となる。ポルタメントにしてもピッチが安定するからこそ意味がある。いや、ここでも正確無比なドイッチェ・パーフェクツィオーン!
1974年、minimoogを手本につくってみた小さなシンセDer Kleine(デア・クライネ、ドイツ語で「ザ・ちび」という意味)。2基VCO、1基VCF、1基VCAという仕様。それを3台制作。 次に作ったCompact Synthesizerなる機種は、なんとminimoogを凌駕するアドバンテージとしてパッチケーブルを「内蔵」。すなわち掃除機の電源コードよろしく使わないときは本体内部にしゅるしゅる内蔵、使う時にびよ〜んとひっぱってパッチング。さしずめスプリング式リトラクタブル・パッチケーブル・システム! 新開発エルゴノミック・準モジュラーシンセ! おまけにフロントパネルの文字が光るというヤンキーまがいの自照式! 暗いステージやスタジオにもいいね!
翌1975年、PPGことPalm Products GmbH社またの名をPalm Products Germany社とも言うちっちゃい工房を設立したヴォルフガング・パーム。タンジェリン・ドリームのメンバーたちとも懇意になり、モジュラーシンセを初めどんどん大型機種を開発。クラウス・シュルツェやジャン=ミシェル・ジャールなどイケメン・シンセ貴公子たちもお買い上げ。特にタンジェリン・ドリームのエドガー・フローゼに言われるままにモジュレーションホイールが8基もあるヤマタノオロチみたいな怪物キーボード・コントローラーを制作。これはもう8つのパラメーターを同時にあやつるヤマタのハイドラ! あのよくタンジェリンの写真で見る特注キーボードはヴォルフガング・パームの手になるものなのですよ。
そんな彼は、しかしアナログシンセのピッチがどうがんばっても安定しないため、ついにデジタル・オシレーターを開発。 それは誰よりも早く1976年にデジアナハイブリッド・モノシンセPPG 1020となって結実。デジタルだから波形も自由。音源波形6つ。 DCOどころではない。DCOとはピッチだけをデジタル制御したアナログオシレーターであり、その波形生成はアナログ回路で行っている。だがそんなものすっとばして一気にピュアなデジタルオシレーターを搭載せしめたシンセ爆誕。当時まだマイコンだなんだというのは彼の界隈には存在せず、やたら苦労して回りくどくつくったのだという。だがテクノロジーが未熟だろうが彼は言い訳しない、着想した夢は必ず具現化せずにはおれない気骨の人、それがヴォルフガングなのだ。
デジタルオシレーターに続き、翌1977年にはデジタル音色メモリーを実現。かくしてフルアナログ・モノシンセに音色メモリーをカップリングさせた世界初フルプログラマブルシンセPPG 1003 Sonic Carrierまで開発。 レゾナンス8ステップ、カットオフ64ステップにするという量子化への苦労があったものの、全パラメーターを記憶できる50音色メモリーを搭載。Prophet-5よりも早く、OB-1よりも早く、デイヴ・スミスよりも早く、デイヴ・ロッサムより早く、トム・オーバーハイムよりも早い、まぎれもなく史上初のフル・プログラマブルシンセの誕生を人類は目撃!したはずなのだが、15台ほどハンドメイドしただけなので目撃した人類といえば作った本人の他は、クラウス・シュルツェ、エドガー・フローゼ、あとほんの若干名だけ。それでもタンジェリン・ドリームの面々に納品した個体は、鍵盤をはずしてPPGモジュラーシンセの中に組み込み可能など、相変わらず独創性の強いキャラが光る。しかもパラメーターを数値化したおかげでノブもなにも無い、のっぺりひらべったい顔した数値入力シンセ、え、それってつまりDX7やPoly-61が躍り出る5、6年前にすでにのっぺりシンセ! なんかそれってもはや人類初のジェット戦闘機メッサーシュミットMe262みたいなもんですか!? ちなみに機種名「1003 Sonic Carrier」にあるキャリアというのは、もちキャリア波、変調における搬送波に由来。
とどまらないデジタル快進撃。 デジタルオシレーター、 デジタル音色メモリーに続く3つめは デジタルシーケンサーPPG 350 Computer Sequencer。これを開発。
ところがフランクフルト・ムジークメッセのデモで電圧が足りずシーケンスデータ吹っ飛ぶ。Roland MC-8が出たのと同年であり、やはり同じ問題にぶちあたっているところは「テクノは忍耐」と松武秀樹をして言わしめた初ものデジタル・シーケンサーならでは。 だが、それでもなおヴォルフガング・パームがぶっちぎっているのは、このシーケンサーに4オクターヴ49鍵のキーボードを装着し鍵盤入力も可能としたことで、つまりすでに擬似ワークステーションシンセ状態であったこと。またRolandはインテル8080を使ったが、PPGはモトローラ 6800 を中核に据えた点でも興味深い。
・デジタルオシレーター ・デジタル音色メモリー ・デジタルシーケンサー
こんだけ一気に立て板に水のごとくデジタル三羽ガラスを作った彼は、1977年にしてすでに誰よりも先に今日的デジタル・ドメインで音色や音楽をつくることに着手していたわけ。DAWなんて二十年くらいあとの話なのに。
だが、デジタルまっしぐらの彼を待ち受けていたのは、その足元をすくうやつらであった。 すなわちKORG MS-10 / MS-20など日本製の安価なアナログシンセが人気を博し、高価格帯にとどまるデジタルPPGのビジネスは窮地におちいった。 そうこうしてるうちに、その高価格帯ではOberheim 4Voice / 8Voice、Sequential Circuits prophet-5などアナログ音源ながらに革新的なシンセという競合が出てきてますます厳しい。誰でもCPUとSSM音源ICとデジタルスキャニングキーボードとを手に入れることができる今、スキルとカネさえあれば参入障壁はかつてなく低くなったのだ。 ヴォルフガング・パームは、すみやかに次の一手を打つ必要に迫られていた。
にもかかわらず彼はもっと別な方向の未来をじっと凝視していた。彼が孔があくほど見つめていた明日へのヴィジョン、それが彼をしてますます遠く遠く未知のデジタル深宇宙へと跳躍させ、まるで重力レンズのごとく虚空の彼方へといざなうのである。
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「波形パラパラ漫画への道」
彼のこころを鷲掴みにして離さなかった魅惑のシンセシス、その挑戦とは、いかにしてアコースティック楽器や自然界のような豊かな倍音を出すか、であった。 しかも彼に言わせれば、アナログシンセの音なんて変化が無くて凡庸であった。彼にしてみれば同じ波形ばっか繰り返すのではなく、1周期1周期が違う波形であり違う音色であってほしかった。これはモーグが発見した音色の経時変化そのものであり、その追認であり、その次世代への模索でもあった。いみじくも元ローランド社長の菊本氏が見抜いたように、音とは時間軸上に展開するアートであり、��まり菊本氏の言葉を借りるなら音色とは本質的にtime variantであった。そんな音の本質にヴォルフガング・パームも気づいていたばかりか、本人曰く「僕はモーフィングするサウンドの大ファン!」なのであった。
考え抜いた彼は、もはやお家芸のデジタルテクノロジーを応用。 当時PPGの他にはアナログシンセしかなく、まだデジタルサンプリングが一般的ではなかった時代、彼は現実音をサンプリングして波形データを作成。さらにアナログシンセのフィルター・スウィープをデジタルで再現すべく、鋸歯状波をデジタルで生成し、そこから徐々に高次倍音から削っていってサイン波へと近づけていき、その変化を1波ずつデジタルでキャプチャー。それら1波1波をずらっと時間軸上に並べてスキャンすれば、パラパラ漫画そこのけに鋸歯状波から正弦波へとなめらかにスウィープするを再現できる、しかも安定したデジタルで。
史上初、ウェーヴテーブル音源が産声を上げた瞬間!!!
これでもう実世界の音色変化をいくらでも再現できる! 単に1つサンプリングしただけでは静止画と同じでおもんない。いろんなサンプルから1周期だけ波形を抽出し、パラパラ漫画の如く時間軸上にたくさん並べ、あたかもコマ送りで動画にするようにスキャンすれば、しかも自分の好きなタイミングや好きなテンポや好きな順番でスキャンすれば、単なるスタティックなサンプリングではなく動的に音色を生き生きと経時変化させられる。各フレームに入る1波1波が異なる波形でありさえすればいいのでメモリーも食わない。人工音テーブルや波形遷移順序を入れ替えたテーブルを作成すれば、非現実的な音色変化すらをも実現できる。フィルターにとらわれない自由奔放な音色変化! デジタルだからこそ可能な自由! しかもデジタルだから常に結果は安定して同じ! おまけにデジタルだからコストも安い!
ヴォルフガング・パームにとってデジタルとは、高くて不安定きわまりないアナログを安価かつ安定した結果に置き換えられる未来テクノロジーであった。
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かくして1979年、史上初のウェーヴテーブル音源シンセPPG 360 Wave Computer 爆誕!
しかもフィルターが無い! ただひたすらウェーヴテーブル・オシレーターで音創りをする原理主義的なまでにストイックなデジタルシンセ。アナログなんていらねーと言わんばかりに割り切ったぶん、コンセプトから仕組みからシンプルかつ明快。音のキャラもはっきり分かった。搭載されしウェーヴテーブルは8種類。当時これでも最先端だった 8bit につき正直音が粗かったのだが、フィルターに依存しないぶん自在に音色が変化するフリーダムな PPG 360 は話題となり、そのぶん仕様への要望もたくさん出た。お客様のご要望に応えるべくLEDをLCDに変え、シーケンサーも搭載、2オシレーター化、そしてなんだ結局はアナログVCFもSSMチップでもって追加搭載してしまったのが2年後1981年の後継機種、でたWave 2!!! 「だって営業が『みんなアナログフィルターが無い無いってよ』なんてうるさく言うもんだからさぁ」 とは本人の心の声(?)。
その1981年、フランクフルト・ムジークメッセ話題No.1 は Fairlight CMI、そしてNo.2がなんと発表デビュー初陣を飾ったPPG Wave 2であった。デジタル楽器ワンツーフィニッシュ! あまりのWave 2人気殺到ぶりにFairlight社のピーター・ヴォーゲルがわざわざPPGブースまで陣中見舞いにやってきて「うちら1位だけど君らが2位だね」とリスペクトを表しにきた。
して発売してみれば月産20台という、じつはたった5人しかいない個人商店 PPG 史上最大の大量生産しないと追いつけないほど受注してしまい、逆にたいへんなことになってしまったのであった。初採用の青いフロントパネルはPPGを象徴するアイコン的存在となって一人歩きしだす、人気っぷり。タンジェリン・ドリームに至ってはWave 2がひらいた新しいサウンド銀河にみちびかれるままにアルバム「Exit」を制作。ちなみにこの1曲目の名前はなんと「Kiev Mission」、彼らにしては珍しく声入り、しかもスラヴ系の言語、そして暗示的に平和を希求するメッセージが行間から読み取れる、その冷戦時代センスが今また予見的。
ちなみにWave 2デビューと同じ1981年、prophetやOBといったアナログポリシンセは頂点を極め、フォロワーとしてRoland Jupiter-8、同JUNO-6、KORG Polysixも誕生。日本のシンセもまた欧米への追いつけ追い越せという駆け出しのフェーズを脱し、海外大型ポリシンセたちと互角に肩を並べるところまで来た歴史的転換期でもあった。Jupiter-8がRoland1社という枠を超え、もはや日本のシンセ全体の象徴となったのは、歴史の峠に屹立したからかもしれない。そしてそんなポリシンセの波頭にCMIやPPGといったまだ天文学的にお高い次世代デジタル楽器が、とんがった先鋒となって風を切っていたのである。
このあとPPGはウェーヴテーブルを30種類にまで拡大させた改良機種Wave 2.2や、eltec社パソコンeurocom IIをカスタマイズした専用サンプラー波形編集コンピューターシステムWaveterm、ピアノタッチ鍵盤コントローラーPRKことProcessor Keyboard、そしてサンプリングしたオーディオをデータ転送できるよう8bit8パラレル独自インターフェイス規格PPG Busを開発する怪力ぶり。しかし身の丈を超えた無理が祟ったのかWave 2シリーズで不良を量産してしまい、逆にprophetが売れてしまうPPGオウンゴールな事態もあったという。 そしてご多分に漏れず自分たちのネットワークシステムに未来を託すあまりMIDIを軽んじてしまい出遅れることトム・オーバーハイムの如し。ようやく1984年にMIDI対応したPPG Wave 2.3は、Oberheim 初のMIDI対応シンセXpanderと同窓生。
そのPPGは不良率が高いだけでなく、デジタル化を過激に推し進めたために基板回路が緻密すぎて部品単位で修理できず、さりとて基板まるごと交換修理するにしてもそれを安価に行うだけのテクノロジーが存在せず、しかも故障品には対価が支払われないことから採算がシビアになり開発部隊と販売部隊とで軋轢が生じるようになった。この火種が元になってのちに販売部隊がwaldorf社へと、半ば喧嘩別れするがごとくに変貌する。事実、開発拠点があったのはヴォルフガング・パームが住んでいた北ドイツのハンブルグであり、一方、販売拠点があった小さな町はまさにヴァルドルフことWaldorfだったのである。
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「倒産ではない、清算」
すっかりMIDI時代になった1985年ムジークメッセ、そこにロバート・モーグがふらっとやってきた。 「あんたらデジタル・ガイってさぁ、なんでデジタル・フィルターつくらんのさ?」 そうだ、そのとおりだ、そしてそのころヴォルフガング・パームが構想していたのはシンセもエフェクトもミキシングもレコーディングもみ〜んなコンピューター1台の中で実現し、モニターひとつで快適に操作できることであったSteinbergがCubaseにVSTプラグイン規格を搭載する10年も前、それどころかまだCubaseはオーディオを扱えないMIDIシーケンスソフトでしかなく、名前もまだPro-24だった時代、さらなる高みを求める彼はついに究極のデジタルドメイン仮想スタジオを実現せんとしたのである。
モトローラ68000をCPUに迎え、DSPを複数投入することで夢の2機種を並行開発。それは:
・HDU(Hard Disk Unit): DSP 2個使ったハードディスク・レコーディングシステム ・Realizer(リアライザー): DSP 8個使ってminimoog、FM音源、サンプリング / ウェーヴテーブル音源、モジュレーションマトリクスを実現したヴァーチャル音源専用機、しかもHDUを8基制御可能
もはやこれは規模的にも価格的にも真っ向SynclavierやFairlight CMIと対決するぶっちぎり最先端デジタルスタジオ・システムであった。なんでもかんでも全て網羅したがるあまり理想すぎる重厚長大トータルソリューションをめざしてドイツ完璧主義ドイッチェ・パーフェクツィオーン最終進化。あの久石譲さんも、一時期PPGに賭けようかと思ったことがあったとか。
しかし、時すでにDX7が台頭して数年、もはやデジタルはPPGの特権ではなかった。PPGと同じ高価格帯にてSynclavier、Fairlightの牙城は崩せず、PRKには Kurzweilというすぐれた相手が出現。しかもここでもダークホースとして姿を表したるは、あのE-muをも唸らせた信じがたいローファイ価格破壊サンプラーensoniq Mirageという道場破り。1986年にHDUやRealizerのプロトタイプができたもののバグの暴風雨。HDUに搭載されし40MBという当時の「大容量」ハードディスクに笑うことなかれ、バグを笑う者はバグに泣く、失敗したやつだけが語る資格がある。ついに1987年、かさむ開発コストにPPGは経営崩壊、会社を清算することになった。Realizerはrealize(実現)しなかったなどと切ないことを北米キーマガに言われたゆえんである。
ちなみによくPPGは倒産したと言われるがそれは違う、きれいさっぱり清算したのである。すっきり飛ぶ鳥あとを濁さず。ヴォルフガング・パームさん、そういうところもきっちり完璧主義パーフェクツィオーンしているのね。流石だわ。
自分一人に戻って身軽になったヴォルフガング・パーム、同じドイツ企業Steinbergへ出向きHDUとRealizerに関する情報を渡してきた。さぁ、もう���気づきですね聡明なる読者の皆さん! はたしてその後Steinbergはハードディスク・レコーディングを確立、それでもってCubaseはMIDIシーケンスソフトからオーディオトラックも兼ね備えたDAWへと脱皮、さらに約十年後にはCubase VSTプラグインシステムを引っさげてメジャー・アップデート登場。前述の「シンセもエフェクトもミキシングもレコーディングもみ〜んなコンピューター1台の中で実現し、モニターひとつで快適に操作できる」というHDU + Realizerが描いた理想のデジタルスタジオとなりしSteinberg Cubaseは、DAW 業界に覇を唱えてしまったわけですよ。
そしてだからこそこれを10年早く80年代半ばに具現化せんとしていたおそるべしヴォルフガング・パームに震撼せん!!!
一方、旧PPGの販売部隊はwaldorf社となり、 PPGの遺産ことウェーヴテーブル音源を引き取ることになった。彼らに 「Wave 2.3 を安ぅでけへんもんやろか?」 とwaldorfから依頼されたヴォルフガング・パームは、開発外注として新しい音源部分を設計。これが1989年に「世界三大発明」というキャッチコピーとともにデビューしたmicroWave。ウェーヴテーブルは360 Wave Computerの8種類、Wave 2.3の30種類をすべて内包した64種類となり、渋くストイックながら実は多彩な音の小宇宙となった。
独創的なウェーヴテーブル音源を引き継いだwaldorf社はPCMシンセへのアンチテーゼを唱え、その盟主となって黄金期を迎える。 彼らはThe Waveという究極のフラッグシップを看板にしつつ、うまくその後、ヲタな仕様をポップにまとめてツウをうならせる軽妙洒脱なラインナップを展開。
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microWave XTに至ってはドイツの貨物列車みたいなくすんだオレンジのスウェード調にあたたかい太陽系のようなフロントパネルをレイアウト、見た目も音色もシックに尖って個性的。
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ヴァーチャルアナログの名機Qなんかクエン酸を連想するくらいイエローまぶしく、挙句その名もGekkoというヤモリをモチーフにあしらった勾玉デザインのかわいい柑橘系MIDIデバイス(?)も販売。そしてD-Pole、PPG Wave 2.V、Attackといったソフトウェアシンセも積極展開。
かくして90年代はPCMワークステーションシンセへのアンチテーゼがひとつの大きな主張となり、音色銀河の辺境宙域はwaldorfを筆頭にnord lead、access Virus、Quasimidi、Roland JP-8000、同JP-8080、YAMAHA AN1x、KORG prophecy、同Z1といった、ちょっとあやしげなくらい個性派なデジタルシンセたちが跳梁跋扈する領域となった。同じ空間でRoland MC-303のようなグルボが登場したのもこのとき。時代はまさしくへんてこなシンセたちが牽引したのである。 2003年にはプラグイン版リアルアナログ・フィルターことAFB-16を開発。これは2Uラックマウント型アナログフィルターモジュールをパソコンとUSB接続、DAWにモノホンのアナログフィルターを挿すというアクロバティックな機種であった。その制御ソフトにはカットオフを変調できるステップシーケンサーまで搭載。でもこれ、あんまし見かけませんよね。またしても開発コストかさんだのかなぁ?
案の定、その第2の黄金時代のあとふたたびの業績悪化でwaldorfは沈没。だがもうここまで来たら世間さまがウェーヴテーブル音源を見逃すはずもなく、圧倒的な呼び声に応じ2007年blofeldを皮切りに3度めの復活! 完全独立4系統で音創りできる充実のソフトシンセlargo、iOS版から始まった軽快なアプリシンセnave、コンパクトな卓上音源 rocketにstreichfett、モジュラー宇宙へのいざないnw1、そのモジュラー宇宙を楽器に変えてしまうkb37、Studio Logic社sledgeへの音源供給、Axel Hartmann自身のデザインオフィス20周年2万ユーロ・シンセ「20」への音源提供、そして3度目のフラッグシップしかも新音源方式もたくさん重層的に搭載したQuantum、iridium、Mなどなど重厚な頂点機種はじめ多彩な機種が今をいろどる。
すべからくwaldorf機種は中身は濃いぃのに、それでも打ち出しは妙にあかるくポップでハイセンス。彼らが不���鳥のように何度でも舞い上がれるのは、このポップさ、軽さゆえであろう。ヲタなちからこぶを消化するオサレ感覚。それはAxel Hartmannのなせるわざであり、軸足が定まったディレクションの勝利なのであろうか。
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「創世神話、楽器進化論、そして輪廻転生」
独創的かつ求道師のようにストイックすぎて窒息しそうに生真面目だった PPG。それを継承したwaldorfがヲタながらに軽快に消化。
そしてensoniqをはじめ多くのメーカーが自分なりのウェーヴテーブル音源を開発するようになり、ついにソフトシンセXFR RECORDS SERUMにてウェーヴテーブル音源はブレイク、アナログに回帰したもののフィルターに飽きてきた業界にウェーヴテーブルのサウンドはかつてなく流行することになった。
その一方、ひっそりと未来シンセシスを探求する究道士。ヴォルフガング・パームその人は、2002年にSteinbergからソフトシンセPLEXを発表。これは音をコンポーネント化しておきユーザーがモンタージュのように組み合わせる、言わばオブジェクト指向のシンセ。じつは音創りする上では画期的なアプローチであり、フィルターだエンベロープだロー・フリケンシー・オシレーターだなどと分かりにくい理屈を知らなくとも、音を既存の楽器や物体の部品に分解して組合せを変えて違うものへと換骨奪胎、今までとは全く違う方法で音色を再合成できる革新的なシンセなのであった。 そしてそれは彼が構想したHDU + RealizerというDAWコンセプトの上で、彼がつくったプラグインシンセが踊るという感慨深いものなのだが、彼自身はどう思ったことであろう。
やがて彼はiPad版 Animoogを見てマルチタッチスクリーン操作にあらたな可能性を見出し、「ひとり PPG」としてPPG WaveGenerator for iPad、同Wave Mapper 2 for Mac、そして同infiniteへと進化するようにシンセアプリを開発。それらにてオブジェクト指向の音創りUIを進化させる一方、次世代ウェーヴテーブル・テクノロジーことTCS - Time Corrected Sampleを開発。サンプリングした音において時間軸上を正再生逆再生するだけでなく、音量も正規化つまりノーマライズすることで原音が持つ音量変化からも解放され、ユーザーがほんとうの意味での音量エンベロープを自在に設定できる、ユーザー音量エンベロープを鋳型にしてサンプルを流し込むことができる、時間軸上でも振幅軸上でも原音の束縛からかつてなく自由で画期的な表現をもたらした。
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それは、オリジネイターだからこそ次へ進化できるという実例であり、TR-80を進化させたドラムソフトシンセRC-808を作りあげた菊本忠男氏と同じであった。凡百の808エミュが808に到達することばかりをめざすのに対し、"Re-Create 808" を標榜するRC-808は元祖808のモノマネはもちろん、そこからさらに進化して聴いたこともないあたらしい808の音色表現が可能なところにポイントがあった。聴いたこともない808の音なのに、まぎれもなく808の音がするRC-808。基本的には減算方式であるにもかかわらず、あらゆる音色を再現できる8パーシャル分析型合成。その一例として、ドラム音色にサスティンがあってもいいじゃないか、ドラム・シーケンスにゲートタイムがあってもいいじゃないか、ドラム・シーケンサーにピアノロールがあってもいいじゃないか、そんな自由奔放な問いに、先をゆく表現を聴く。
菊本氏もパーム氏も、常に前を向く人たち。ファンから熱望されて過去をリバイバルするではなく、あくまで今後未来の音源はどうなるか、これから何にプライオリティをおくのか、その答はまだ彼ら生みの親たちからしか提示されていない。わたしたち後輩は、彼ら時代のパイロットが操縦する飛翔体の乗客であった。そしてわたしたちはそのバトンを受け取れるようになり、操縦桿を握り、そしていずれ後世へ渡す。 その具現化において制作のためのプラグインならいざ知らず、演奏のためには音源だけでなくUIを組合せてこそであり、両者を両立しうるは音源に最適化されたハードを身にまといし未来のハードウェア楽器なのであろう。
音源やシンセシスに最大の関心があるがゆえなのか、ヴォルフガング・パームはソフトウェア・シンセを作りたいのであってアナログやハードウェアに戻るつもりは無いときっぱり言う。 菊本氏は、アナログシンセに戻ることは無いがソフト・ハードは手段として都度最適なものを選択するまでであって等価に扱いつつ今なお開発を続けている。 デイヴ・スミスはあくまでハードウェアにこだわり、OSアプデ無限地獄なんかについていくのは無理、画面の奥に引っ込んで触れないソフト楽器なんてありえないと言いきっていた。 アナログもデジタルもハードもソフトも全てを経験し、今なお単純復刻ではなくつねに新しいものを追い求めたこの三人、それでもなお三者三様にアプローチが違うのが面白い。
PPGがついえさったあとも一人PPGを名乗り、孤高の開発をつづけたヴォルフガング・パーム。全てを見渡した彼は70歳になったのを期に引退を宣言。ファンとしても年齢からしてもちょっとまだ早すぎるようにも思えるも、無論ひとさまのことを外野席からとやかく言えるわけもなく。そこはヴォルフガング・パームらしく、みずからに対しても完璧主義であったがゆえ、なみなみならぬ決意なのかと推察するばかり。時に西暦2020年3月18日。ドイツ完璧主義ドイッチェ・パーフェクツィオーンをあくまで貫き通した老将の旅路、その終着駅、彼の個人サイトに掲載されし最後の文章、その老境あふれる思いが行間にそこはかとなくにじみ出るを、不肖Nemo版超々々訳を添えてリスペクトを込めつつ引用しておく。
Dear Customer,
after 50 years of creative work in the field of sound synthesis I decided to stop doing business. I’ve been thinking about this step for some time now, especially since I’ve turned 70 this year. Therefore, I am very happy to have found a competent company in Brainworx Audio GmbH that will take over and continue my products and ideas.
I would like to thank you for the support I’ve received over the last six years. PPG VST plug-ins and iOS apps are no longer available for purchase. We will continue to provide downloads of your previous plugin purchases until end of 2020.
However, we do not recommend updating the hosts or the operating systems, as we cannot guarantee that our products will still run perfectly.
Customers of PPG plugins will receive a mail from SendOwl, which gives more infos on how to connect to Brainworx.
The future of the iOS apps has not been decided yet.
Thank you again for your support. March 2020, Wolfgang Palm
親愛なる顧客各位
これまで音色合成なる分野において50年にわたり様々なものをつくり続けて参りましたが、このたび仕事から身を引くを決意致しました。特に今年は古希を迎えたということもあり、ここしばらくは身の振り方についてずっと思いをめぐらせておりました。それ故、私の商品やアイディアをBrainworx Audio GmbHという優秀な会社が引き継いでくださると分かり、たいへんに嬉しい気持ちでいっぱいでございます。
過去6年にわたり皆様からご支援いただけたこと、感謝いたします。すでにPPG VSTプラグインとiOSアプリとは新規購入はできませんが、これまでにご購入いただいたお客様に限り、2020年の終わりまでは再度ダウンロードいただけるよう手配いたしております。
ただし、ホストマシンやオペレーティングシステムをアップデート致しますともはや私どもの商品が完全に動作するとは保証できなくなるため、これら環境の更新は推奨いたしかねることご理解たまわりますようお願い申し上げます。 またPPGプラグインをご使用のお客様には、SendOwlからメールが届くことになっております。そこにBrainworxへの詳細な案内が書いてございますのでご参照くださいませ。 なお、iOSアプリの今後についてはまだ決まっておりません。あわせてご理解たまわりますよう、よろしくお願い致します。
皆様からのご支援に重ねて感謝致します。 2020年3月、ヴォルフガング・パーム
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「time variant time」
ヴォルフガング・パームが去った今、わたしたちにはいかなるバトンが手渡されたのであろう。
「シンセはアメリカで始まったのではない。その前にフランスでミュージック・コンクレートがあったのであり、ドイツでは西ドイツ放送ケルン局の電子音楽スタジオがあったのだ。」 そう冷静に見つめるは、ヴォルフガング・パームが作りあげたシンセのご贔屓さまジャン=ミシェル・ジャール。 「シーケンサーはレコーダーではない。シーケンサーはグルーヴをもたらすものである。」 もはやプラットフォームと化すまでに肥大化したDAWに対し、その上でなお存在しつづける楽器とは何かを問う、示唆に富んだジャールの見識。
もともとヨーロッパには長大なインストゥルメンタルとも言うべきクラシック音楽という長い背景があり、その新しいうねりとして現代音楽にシンセをはぐくむ源流があったのであり、戦前からレフ・テルミンら先駆者による幻影と伝説がこだまする中、自宅スタジオにシュトックハウゼンを招いたEMS共同創業者ズィノヴィエフ然り、テクノの開祖クラフト・ヴェアク(クラフトワーク)然り、ヴォルフガング・パーム然り、ストイックな究道士のごとく理想を希求する彼ら皆、その同じ空気を吸って育ったことであろう。
そこから欧州大陸を飛び出し、大西洋を渡って新大陸を発見したドイツ系エンジニアことハラルト・ボーデ。その新大陸アメリカへ彼が持ち込んだるは欧州から長大なストライドでもってやってきた振動の巨人、電子楽器。すなわち1960年アメリカAESショーで彼が出展した史上初の電圧制御式シンセ。それはオシレーターの代わりにオープンリールの磁気テープを使い、あらかじめそこに録音されていた音を電子回路で加工する、それでもなお電圧制御式たるところがこんにち的。そのミュージック・コンクレートっぷりとケルン電子音楽スタジオっぷりとの武骨なアウフヘーベン、そこからいづるサウンド。そしてその聴衆の中にいたのはボーデのシンセに未来からの衝撃を聴きそのヴァイブを全身でびりびりしながら受け止めた若き日のボブ・モーグ。 新世界にてシンセ界が指し示す未来へのヴィジョンを見てしまい、見てはいけないものを見てしまったその禁断のショックに打ち震えたボブ・モーグが後遺症のように感慨をこめて作ったのが彼のテルミンでありmoog modularでありminimoog。みずみずしい感性と機動力がヴォンヴォンみなぎる新種の楽器minimoogは、あたかも反射波のように大西洋を逆向きに渡り、イギリスのズィノヴィエフや、ドイツのヴォルフガング・パームや、旧ソ連の軍需産業エンジニアことセルゲイ・マリチェフらをインスパイア。同じ空の下、コール・アンド・レスポンスのようにこだましあい、それぞれ独自の楽器をつくって響かせあい、さらにそれら波濤は遠く極東の島国にまで到達。
その波濤が全地球をくるんだ後に残したもの、そこにはトム・オーバーハイムが夢想したネットワークとそのノードにたゆたう数々の名機シンセという、おしゃべりしあう楽器たちがあったであろう。あるいは派手派手しいスターの如きシンセがデビューを飾る影に隠れてデイヴ・ロッサムがピースサインする基礎研究という、どっしりと盤石なるテクノロジカル土台への深きリスペクトもあったであろう。センセがほしがる答を生徒の口から言わせるという紋切り型教育には思���もつかないensoniqというあまりにも惜しまれる異議申し立てもあった。そしてヲタな本質を見抜くもポップに分かりやすく提示せんとするサービス精神旺盛なwaldorfと、最後の一人になってでも己に正直な究道士たらんとしたヴォルフガング・パーム。 かくして音のフロンティアに生まれたおびただしい数のへんてこなシンセたちこそが、クラシックな楽器とはおのずと違う異端児として、時代の音色をつむぎ出し時代のエンベロープ・カーヴを描きつつ時計の針を推し進めたのだ。そしてその時計の名は菊本氏が看破するtime variant、つまり時間すらもが自由な時計という異次元の楽器であろうか。タイムドメインの牢獄から解放されたとき、果たしてあなたには時間が見える?聴こえる?
まのあたりにするは人類進化の最先端。外宇宙がしみでるように青黒い虚空の中、いつわりの影ばかりを漆黒の闇の銀河へと落とす虚の惑星にて、目にしみる絶海の碧の中、しずしずと見えてきた小さく黒く尖った島がその引き締まった存在感を物語りはじめるとき、忘れ去られた楽園のようにしたたる緑の群落に、傾きゆくあったかいオレンジ色の陽射し、火焰山のように燃えあがる岩肌の陰影ふかく、上に飛鳥なし、下に走獣なし、故郷のものとは異なるおごそかに小さく引き絞られた陽のもとで、そこにたったひとつ持参できるとしたらその音は何?
すべてシンセには存在意義があるのであり、どんな「ぷー」な音しかせずともその音には使いみちが、存在意義がある。 こんにちの電子楽器が実現しえたものはまだ着想の2割くらいでしかないであろう。MIDI 2.0だなんだと解像度だけを追い求めるのではなく、まだまだ根本的に異なるパラダイムからの表現が埋もれているを、たとえば菊本氏のラボに垣間見る。技術そのものに夢があった時代は遠く去ったように思えても、それでもなお次なる技術、次なる応用、次なるひねりが新しい事象の地平面を切り拓くであろう。 どこまでも限りなく拡大し続ける知の地平。宇宙の挑戦を受けて立ち、まだ聴いたこともない音の銀河をめざして遠く飛翔するシンセの試み。その旅路の航宙図をもとめてシンセのミッシングリンクを解き明かし、なおかつ未来への触媒となす旅。いずれまたそれら切っ先の最先鋒について、機会あれば描いてみたい。
皆さん、ここまでお付き合いくださり感謝の極みです。くれぐれもお健やかに。Stay healthy.
(2022年8月13日、同人誌にて初出)
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rikuyoshizawa · 2 years
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#かんから三線の楽譜 #なんじゃこりゃ #かんから三線始めましたがチューニングすら出来ない #かんから三線 #カンカラ三線 #カリンバ #ウクレレ練習 #ギター練習日記 #人にできて自分に出来ないことなんてない #ギター #アコースティックギター #guitar #acousticguitar #ボクシングジムでギター教室 #ボクシングジムでウクレレ教室 #尼崎 #武庫之荘 #武庫之荘ギター教室 #尼崎ウクレレ教室 #武庫之荘ウクレレ教室 #ウクレレ (ボクシング&スポーツジムBMC) https://www.instagram.com/p/CdAtrierr9J/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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arthur-meursault · 3 years
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ひさびさの日記だよ。
またグダグダくだを巻くと長くなっちゃうから、最近読んだ漫画に点数つけてくね。100点満点だよ。
前から読んでた作品は省いて、最近読み始めたものだけにするよ。
ちなみにダンジョン飯、沈黙の艦隊、火の鳥、ジョジョ、ワールドトリガー、ウォッチメン辺りが95点以上の作品。チェンソーマン、呪術廻戦、鬼滅の刃が90点。ゴールデンカムイが85点、アンデッドアンラックが83点。映像研が80点。
こういう感じで減点方式でやらせてもらうよ。
あ、ちなみに前から読んでる作品はレビューしないよ。
あと買ってある単行本をまだ読んでない作品もできません。
レビューの順番はバラバラだからスクロールして気になるタイトルがあったら読んでね。
・葬送のフリーレン/アベツカサ,山田���人
85点
うまい、新しい、面白い。
現3巻で連載中。のっけから点数高めの作品。これは1巻が最強に面白かった。
勇者が魔王を倒してからいく年が経った。1000年以上もの長い長い寿命を生きるエルフが勇者の仲間として(本人としては)たった10年だけの冒険を思い出しつつ旅してく話。まず設定がエモいし、それを料理する手腕もうまい。また魔王勇者ものの設定のアレンジが絶妙で、そこかしこで感心させられる。
2巻以降は新たな仲間を得て再び旅路につくのだが、この展開もなかなか面白い。が、面白さのピークは1巻に詰まっていた。これを超えてくれることを望む。そしたら90点越えも視野だよ視野。ぜんぜん期待できる。この作品は強い。
今後アニメ化などをきっかけに大ヒットしていく作品だろう。すげーぜ。
・嘘喰い/迫稔雄
93点
歴史的大傑作ギャンブル漫画
49巻で完結済み。
全巻買いしたのを20冊ペースで読んでいきました。
面白いねえ。よく作者はこんなこと考えつくなというトリックの数々。途中で先読みは諦めて素直に漠さんの掌で楽しむことにした。
まずなんといっても嘘喰いこと斑目獏のキャラクターが良い。このキャラ一人がこの漫画をここまで成長させた。本当に天才の思考を覗き見ている感覚が味わえる数少ない作品ですよ。彼は訳がわからない天才ではなくて「常軌を逸して観察力に長け、かつ周到」という本質の部分が丹念に描かれてる。
そんなの獏さんにしかできないだろ、という説得力がある。
やってることはババ抜きとかじゃんけんとかポーカーとかなーんも難しくないのに、裏ではこちらの読みを遥かに超えた戦略同士がぶつかり合ってる。
減点ポイントがあるとすれば作者の迫稔雄氏はツイッターのレスバが弱すぎる。
・ハイパーインフレーション/住吉九
76点
なんだこりゃで知的なオモシロさ
ジャンプ+にて6話まで更新中。
若干異世界の入った中世西洋文明にて、迫害される少数民の少年が生殖機能と引き換えに無限に偽札を生む能力を身につけ、資本主義社会に立ち向かっていく話。なんかもう、説明不要なんだよね。なにが面白いのかよくわからないけど、キャラとか、セリフ回しとか、なんもかんも面白い。
最近読んだ歴史系(歴史ものではない)の漫画ではピカイチの独自のセンスを感じる。単行本で早く読みたい。
・満州アヘンスクワッド/門馬司.鹿子
62点
1巻最高、その後ひどし
現在3巻で連載中。
落ちこぼれの日本兵が満州でアヘンを栽培し裏社会を手中に収めていく話。一巻は問答無用で面白かった。窮地に追い詰められて金を欲する日本兵の青年が、嗅覚と植物の知識を活かして芥子を手に入れアヘンを作る。ダウナーなクライムサスペンスとしてワクワク感がすごかった。でも2巻以降は勢い重視のB級サスペンスになっちゃった。この漫画に求められてるものってそうじゃないと思うんだけど。
本来なら50点以下でもいいけど、1巻めちゃくちゃ面白かったからそのぶん加点。
・逃げ上手の若君/松井優征
72点
さすがの松井
現在3話まで連載中。
松井優征作品はそこまで好きではないのだが、それでもやっぱり面白いし上手い。うまいというか、テクい。うーん。1巻出たらたぶん買うな。
ジャンプに掲載するのに最適な形にオミットされた歴史もの。見習う箇所多々あり。
・ネオ・エヌマ・エリシュ/マミー
62点
緻密な歴史もの
現在全2巻で完結。
ツイッターでアップされていた古代における奴隷の扱いに関するくだりが気になり購入。
完全記憶能力を持つ女子高生が博物館でうっかり古代のピポグリフを読み解いてしまい、魔法の力?で過去に飛ばされ預言者扱いされつつ、魔法の石板の破片を集めて元の世界に戻ろうとする話。
歴史ものとしては豆知識などが横溢してて面白い。舞台も目新しくて楽しい。
異世界転生もの(タイムリープもの)としては微妙。専門性は極めて高いがお話としては上質と言い難い。キャラ作りもハズし演出など頑張ってはいるのだがもう一歩といったところだ。
ところで本作は2巻が電子書籍でしか発売されてないので渋々全巻電子で購入した。売れなかったら最終巻とか紙本で出さないやつ、本当に嫌い。
・四ツ谷十三式新世界遭難実験/有馬慎太郎
73点
奇才が描いた異世界探訪もの
現在全1巻で連載中(休載中?)
ワープ技術を開発した天才研究者四ツ谷十三は性格がとにかくねじ曲がっており、他人が苦しむ様を見るのが大好き。そんな彼の弟妹はいつも苦労させられていて……そんな導入から四ツ谷が弟妹と友人2名を全く知らない惑星へ放り込んで置き去りにする『いたずら』から物語ははじまる。転送先はワープ技術の元ネタとなった特殊なワープ生物が生息する未知の惑星。帰る方法はワープ生物を捕らえること。地理も生態系もなにもかもが常識離れしたダンジョン的異世界で彼らの5人のサバイバルがはじまった……5人というのは四ツ谷もうっかり帰りそびれたからである。というあらすじ。
長くなったが、この話のキモは四ツ谷十三というキャラクターなのだ。
天才であり度を越した皮肉屋で楽天家でドジな『いたずら』好き。かといって人を真顔で殺すよくある極悪人ではなく、あくまで度を越した嫌がらせ程度。そんな四ツ谷と四人のメンバーがつかず離れずで異世界を探索していく、これが面白い。
ただし欠点としては、異世界探訪ものとして突出した面白さがないということ。設定はかなり緻密なのだが、どことなく既視感が漂う。また異世界で意思疎通��能な生物が出てこないので人間ドラマにも寄与しないし、仲間内も基本仲良しなので四ツ谷十三以外のキャラ同士でドラマが生まれない。
ただし1巻のオチに当たるくだりでは少し息を飲まされた。上記の減点ポイントは要するに序盤だからで、これからどんどん面白くなっていくのだろう。しかし2017年以降続刊が出てない…打ち切られたか廃刊したのかなんなのか。無念。
・攻殻機動隊/士郎正宗
95点
天才が描いたアウトローガンアクション
全3巻(1〜1.5〜2)で完結済み
説明不要の傑作。
僕がいうことなんかないかな。本作は岡田斗司夫のYouTubeチャンネルで紹介されてて興味を持った。
いやー面白い。当然SFとしても面白いし、アウトローものとしても古臭くて面白い。そのチグハグ感がたまらない。
SF的ギミック描写が今なお古びていない、というより示唆的であるというその点は素直に凄み、賞賛する。
押井守が才能の大半を費やしたのも理解できる。庵野秀明や宮崎駿が褒め殺すわけだ。
傑作!
怪獣8号/松本直也
70点
普通
全1巻で連載中
普通だなあーー……普通にうまいし普通に面白いし大衆ウケしそうだなあー……。俺としてはそんな惹かれるものはなかった。
作家として気になるポイントは、本作の見開きの作り方がウェブにも紙にも対応している、ということらしいのだ。見開き漫画としてドバーンと一枚絵をただ描くのではなく、一枚1コマの情報量を意識して描くと。それが縦スクロール漫画にも対応してるというのだ。面白い。勉強になるなあ。
抜刀/ザビエラー長谷川
45点
キメ絵はすごい、それ以外が……
全2巻で連載中
作者のザビエラー長谷川さんはすごい人なんである。そのすごさは抜刀の1巻巻末に掲載されている「僕はアナタに殴られたい」という漫画を読めばわかる。嘘喰いの顔面ドアップ演出をさらに力強く汗臭く荒削りにしたようなど迫力の『顔』。これを見るだけで惚れ惚れしてしまう。
他にもストーリーの山場で銀杏BOYZの歌詞をそのままオノマトペのように叩き込む。音楽を漫画化したものとしてこれ以上の圧がありえるだろうか。ロックンロールだ。嫉妬する。
だが一方で、この作者さんに連載は難しいんじゃないのか、長編構想はできないのでは?とも感じていた。
キャラクターのバリエーションは多いわけではないし、世界観や凝った展開で魅せることはできるのかどうか。
ストーリーも作れるのか。
あと、根本的に画力はどうなのか。
圧のある顔面に一点特化された画力が連載漫画の強度を保てるのか?
で、その懸念が全部当たったのが本作。
45点は正直あげすぎかな?と。
20点でもいいくらいだ。それくらい本作はひどい。背景はおろかキャラの画力すら伴っていない。お話に関しては素人以下といってもいい。
でも1巻巻末についてくる読み切り『僕は〜』の衝撃にはそれを補ってあまりある価値がある。
そういうわけで25点上乗せして45点です。
最果てのソルテ/水上悟志
73点
ああ、これが水上悟志だ
全1巻で連載中
水上悟志は好きな作家だ。何が好きって、作品がじゃない。作品はとにかくうまい、うまいと思う。だが最高傑作の惑星のさみだれも僕にはあんまり合わなかった。
すごくわかりやすい作家なのだ。そして優しいのだ、水上悟志は。そこが好きだし、だからこそピンとこないのかもしれない。
いうなればコロコロの冒険漫画を200%上質にしてすこしビターにチューニングしたような、そんな世界観なのだ。そして僕はそういう作品があんまり好きではない。この持ち味は石黒正数にも通じる。彼らは藤子・F・不二雄の影響が多大なのだろう。そして藤子先生はそんなに好きでない。ドラえもんとかも、子供の頃あんまり面白いとおもってなかった。僕はパーペキにブラックジャック派だった。手塚治虫派だったのだ。
それでも僕は水上悟志が好きだ。尊敬してる。こんなにも縦横無尽に自分の描きたいものを描き切れる人はいない。こんな作家になりたい。
だから追いかけますよ、水上先生。
九国のジュウシ/西公平
75点
なんじゃこりゃ〜ヘンテコ〜な歴史もの
全2巻で連載中
作者があの『ツギハギ漂流作家』の西公平だという。何が嫌いかよりなにが好きかで自分を語れよ!という。俺によく効くセリフである。
そんなことまったく知らずに購入し、読了し、感想を呟いた。よかった、それで。おかげで本作は『打ち切り漫画家が描いた妙な作品』というレッテルでは済まされない奇妙な魅力を持ち得たからだ。
戦国時代。主人公の十四郎はニホンオオカミに育てられた野生児。超人的な強さを持ち、戦場を育て親の母オオカミの狩場としか認識していない。そんな彼が大友家家臣であり岩谷城主である高橋紹運、その息子で戦国と江戸を跨ぐ傑物・立花宗茂と出会い、彼らの運命を少しずつ変えていく(史実とは変わらないケド)という。
いわゆるメアリー・スーものである。
とにかく面白いのは主人公のチートじみた強さ……ではなく。
濃いキャラ群である。主人公の十四郎は狼に育てられたため人間を冷めた目で見ており、戦場も「弱い同種が争ってるな』程度の認識しかない。この冷め方、突き放し方が面白い。
またとぼけたハゲだがそこそこ強く優れたリーダーである紹運、軟弱だが十四郎の修行を経て覚醒していく宗茂、その許嫁である性悪だが憎めない誾千代、さらにはたびたび出てきては十四郎に首をスポスポ吹っ飛ばされるモブたちまで……全員キャラ立ちしてる。
そして時代考証もしっかりしている。最初はこの手の歴史物に詳しい新人の作品かと思ったほどだ。巻末を読むと一から調べたらしい。なるほど。
そんでアクション描写だが、なんだろうな、���れは。もうまさに……すポポポーンという感じで人が死んでいく。かといって迫力がまったくないわけではなく。刃牙と榎本俊二を混ぜたような。
……もう読んでいただきたい。
面白いんだよお〜!
仄見える少年/後藤冬吾,松浦健人
65点
普通のジャンプ漫画じゃ
全2巻で連載中
なんかもうあんま言うことないな……実は一巻だけで読むのをやめてる。呪術廻戦に影響されてるのはもちろんわかるんだが、呪術で面白いのはあの過剰とも言える世界観を覆う悪意と殺意、高度な駆け引きを要求される戦闘描写、そして残酷な世界を打ち破り、時として叩きのめされ、それでも立ち上がる愉快で軽快で型破りなキャラたちなのだ。それがないときちゃあもう……なんかブリーチが連載してた頃のジャンプ漫画読んでるみたいだったな。
メダリスト/つるまいかだ
70点
普通の青年漫画、絵が良い
全1巻で連載中
もうあんまり言うことないのだが、幼女と兄ちゃんという組み合わせで買った。アフタヌーン系にしては珍しくロリらしいロリキャラだったので。中身は普通にアスリート漫画だったな。絵はめちゃくちゃうまいし華がある。ヒットしてもおかしくないな。ブルーピリオドもそうだけど、アフタヌーンは俺が興味ない面白い漫画を作るのがうまいな。
レベルE/冨樫義博
85点
面白いけどさすがに古びてる
全3巻で完結済み
ハンターハンターなんだよなあ、これ。面白い。
あんま言うことねえや。個人的にはそんな気に入らなかった。暗黒大陸編のほうが百倍おもしろい。
でも技術点で85点もってくのはやっぱ冨樫おかしいよ。無敵素敵。
終わりの国のトワ/上田完
72点
良質!
全1巻で連載中
この世界から失われた言語と『あるもの』を求めて古代ローマ的ファンタジー世界観を旅する若者の話。
話は『あるもの』の正体とそれを突き詰めるところに向かっていくのだが、この設定が面白い。
メタ的にいうと、BLというジャンルをこういう形に落とし込んでくるのか!といったような。萩尾望都だなあ…。
まだ大きな山場はないけれど、ゆったりと3巻ぐらいかけた中編として読みたい作品だ。
絵も美麗。
続刊が楽しみである。
そのへんのアクタ/稲井カオル
90点
もう好きすぎますよこの世界観
全1巻で連載中
宇宙生物による海岸からの侵攻がはじまった世界。とてつもない強さで敵を打ち倒し人類を救う、『終末の英雄』と呼ばれた男がいた。彼の名は芥。人々は彼に続いて立ち上がり………その数年後、人類はなんとなく平和を取り戻していた。宇宙生物は相変わらずやってくるが対処法がマニュアル化されてるため誰でも倒せるようになった。もはや英雄は必要ない。というわけで思春期の大半を怪物退治に費やしたばかりに人間性と社交性を失った英雄が鳥取に左遷される場面から物語ははじまる。
シリアスな世界観を下敷きにしたコメディ作品。なにより情報量マシマシのギャグがたまらん。
それがいちいちキャラ立ちに繋がっている。
無駄なキャラクター、不要なキャラ描写が一切ないタイトでキレキレの構成と、『終末も回避できたしゆる〜く生きていきましょう』というゆるゆるアポカリプスなテーマがなぜだかベストマッチ!
全キャラ好きじゃー。打ち切りはやめておくんなまし。無限に読みたいんだ。
宙に参る/肋骨凹介
75点
良質な宇宙SF最前線
もともと宇宙SFものというジャンルはそこそこ好きで、あさりよしとお作品とか主要なものはだいたい買ってある。この宙に参るもそうした系譜の作品だ。
この手の作品の特徴として、まず知識量がハンパではない。つぎに、ストーリーよりも考察第一。そして、考証や設定に限らずキャラクターの死生観や着眼点が目新しい。最後に、キャラがなぜか全員ドタバタしがち。
本作もこれらの課題?的なものをしっかりクリアしている。こういう作品はいつの時代も作られていかねばならんと思う。まあ、宇宙SFを義務感で描く人だーれもおらんだろうな。それでいい。
出版元が大手ではないらしいので頑張って続いてくれ。人気出て欲しいなあ。
ドゥームズデイ・クロック/ジェフ・ジョーンズ(脚本),ゲーリー・フランク(作画),ブラッド・アンダーソン(着色)
85点
ヒーローものとしてのウォッチメンの決着
ウォッチメンの続きをやってやろうという、ヒーローものを好む人間なら誰しも一度は夢見る大海を目指したコミック。
ロールシャッハの手記により再び崩壊の危機に面したウォッチメン世界。彼を再生してもらうべくドクターマンハッタンを追いかけロールシャッハ二代目とオジマンディアスが手を組んでDCユニバース世界に飛び込む……。
この設定だけでワクワクさせられるが、端々の描写もいちいち秀逸。
ジョーカーやバットマンとロールシャッハのやりとり。
ドクターマンハッタンVSヒーロー総当たり戦で圧倒的な強さを見せつける我らが青ハゲ超人(ついでに元ネタのキャプテンアトムも倒していく)。
マンハッタンとスーパーマンがもし出会ったら?これをまさに『完璧に』描き切るとは……ジェフ・ジョーンズ恐るべし。
原作のような圧倒的カリスマ性を帯びることはなかったし、もちろんそんなことは期待していない。それでも本作は十分に成功したヒーロー漫画だった。
ヒーローに鮮烈な負の疑問を投げかけ、陽炎のように消えていった『ウォッチメン』。
その疑問に終止符を打つのもまたヒーローなのだ。
アメコミの底力を見せられた気がする。
以上、最近読んだ作品の個人的レビューでした。
つまらない作品を買うことは基本しないので点数高めだな。といっても異世界転生もののしょーもない作品も一巻だけ買ったりしてるのだが、まあ当たりはそうそうないよねえ。
日記っぽいことも書いておくか。
ここんところは資料本とかハードカバーをパラパラ読むことが多い。漫画の資料本はバカスカ買い漁るタチなので。
漫画、わりと買ってるつもりだったけど、思ったより新規参入作品に手をつけてなかったな。
連載中で追いかけてる作品は
・ゴールデンカムイ
・ワールドトリガー
・呪術廻戦
・チェンソーマン
・ハンターハンター
・アンデッドアンラック
・亜人
・映像研には手を出すな
・ハクメイとミコチ
・ダンジョン飯
・空母いぶき(シリーズ)
・デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション
・ブルージャイアント(シリーズ)
・ゴールデンゴールド
・上野さんは不器用
・キルミーベイベー
・ねえピヨちゃん(あ、これ最高)
・ヒストリエ
・大ダーク
・ドリフターズ
この20作品かな。ハンターとかドリフは全然新刊でないけど、それでも毎月なにかしら新刊買ってる気がする。
他にもいろいろ読んだ気がするけどこの辺でやめとくか。
最後に、購入したけどまだ読み切ってない作品を下記しておく。
・カムイ外伝
・ミステリと言う勿れ
・不滅のあなたへ
・銃座のウルナ
・ブルーピリオド
・ヴィンランド・サガ
この辺かな。
まあ頑張ってそのうち読みます……。
それではまた。
2月の日記でした。
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gotch1976 · 5 years
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ホームタウン全曲解説 M2 ホームタウン
Q.アルバムの中でもパワーポップ感が一際目立つ曲に感じます。 この曲のサビのメロディは2年前くらいにペッパー君とコラボした時の歌のメロディによく似てるなあと思ったのですが、ずっと温めていたアイデアだったりしたのでしょうか?  その通りです。ホームタウンのパワーコードのリフは「荒野を歩け」と一緒に書き溜めていたフレーズのひとつなんです。それを使いました。メロディは、言葉も含めてCM撮影現場での即興だったんです。それを覚��ておいたのではなくて、一度忘れて(ここが結構重要)、アルバム制作の終盤に作り直しました。
 前作の『Wonder Future』を完成させたあと、パワ���ポップというか、90年代風のギターロックをモチーフにしたアルバムを作りたくなったんです。でも、タイアップのシングルワークとの絡みもあって、このタームでは実現できない風向きだったんですね。スタッフたちは、いつだって「シングル曲はなるべくアルバムに収録して欲しい」というスタンスですから。
 だから、コラボなどでバンドの可能性や音楽性を広げて、プレイリスト的な、バラエティに富んだアルバムの方向に舵を切って作業をしていたんです。
 けれども、ベスト盤の発売があって、いくつかのシングルがベスト盤に収録されました。それで諸条件がクリアになって、アルバムについて1から、いや2か3くらいから考え直すチャンスを得たんです。当初のアイデアを復活させて、『ホームタウン』というアルバムを作りました。結果、3年半もかかってしまったんですが…。
Q.間奏の軽快なギターソロから「こんなことして何のためになるんだ」の流れがとても好きです。近年のアジカンの楽曲は喜多さんががっつりギターソロを弾く傾向にある感じを受けるのですが、楽曲制作時に意識してギターの見せ場を作っているのでしょうか?  アジカンは、長らく「喜多君待ち」みたいな状態が続いていました。
 すごくユニークな才能のあるギタリストで、もっとやれるはずなのに、一皮剥けきれないでいると僕は思っていました。肝心なところで自分を引っ込めてしまったり、違うところで突っ張ってみせたり。でも、変わらず、僕も山ちゃんも潔も、大きな期待を寄せ続けてきたんです。「この人は大化けするんじゃないか」と思わせてくれるところがあるんです、不思議なことに。
 そして、ここ数年でようやく突き抜けた感じがあります。音も良くなったし、顔つきも良くなって、なんだか頼もしい。そういうわけで、彼のソロが増えています。ソロだけじゃなくて、曲中のフレーズも印象的なものが多いですよね。
 でも、まだまだこんなもんじゃない、ような気もします。不思議な人です。
Q.ホームタウンのリズムやドラム(スネア)のスコーンと突き抜ける音作りが印象的だったのですが、どのように作られたのでしょうか。  カン!と高い音が出るようにスネアの皮を張って、リム(枠の金属のところ)にスティックを引っ掛けて叩いてるんだと思います。ゆえに金属音も混じってますよね。
 録音のときは、ドラムテックの三原さんと「あーでもない、こーでもない」と言いながら、曲ごとにドラムはチューニングしています。タムもキックも全部です。もちろん、潔が理想とする音色が曲ごとにあって、それに対して三原さんの技術的なアプローチによる音づくりが行われます。その流れのなかで僕が音色について注文する、みたいなケースが多いですね。ドラムの録音はそんな感じで、わいわい楽しくやってます。
Q.スネアの響きがよく何度も聞きたくなりリピートしています。低音に重点を置いてきたかと思いますがその分それよりも高い音にはどのような考えがあったのでしょうか。  スネアの音がよく聞こえるのは、それを邪魔する音がないからなんです。
 キックやベース、フロアタムなんかがぐっと重心を下げていますし、ギターも左右に開いて配置していますから、スネアがよく聞こえるスペースがあります。良い音で録音しても、音が鳴るスペースがなければ、他の楽器の音にマスキングされてしまいます。そういうミックスの妙もありますね。
 低い音をより低く録音して配置したかったのは、ギターやボーカルの音域を広く使いたかったからなんです。ロックバンドにとっては生命線ですよね。このあたりの音域は、低音に対して、中域と僕たちは現場で呼んでいます。中低域や中高域という言葉を使って話すこともあります。
 高い音っていうのは、シンバルのシャーンという金属音とか、ギターのエッジーな部分だとか、歌の子音のTとかSなどのアタックの部分ですね。このあたりのボリュームをグンと上げると派手になるけれど、やりすぎると耳が痛く感じるので、そのあたりは低音との相対的なバランスで判断しています。
Q.メロディもですが、歌詞が未来に希望を持っているようで好きです。これまでは比較的「君」と「僕」は同年代というか距離が近かったように感じるのですが、この曲は特に「問いかける相手」が若い世代のように感じます。歌詞を書く上で心境の変化などありましたか?  歌詞は読み手や聞き手のイメージで読まれるので、「読み手がそう感じただけだ」と言い切ることもできます。
 作品のなかの一人称は、必ずしも書いている本人のことだとは限りません。けれども、歌詞になると、「僕」や「わたし」っていうのは書いた本人のことで、それに読み手が共感できるかできないのか、みたいな話になってしまうことが多い。「君」や「あなた」みたいな二人称が特定の誰かを表さないこともあります。
 作詞の個人史で言えば、『サーフブンガクカマクラ』くらいから、僕が書く一人称や二人称は、自分の手から離れてます。「僕はこう思う」ということを直接書くような、叙情詩的な要素が減っています。
 逆に『ワールドワールドワールド』までは、叙情詩に社会的な風景が盛り込まれているような歌詞が多いです。でも、そうやって書き続けることは難しいと思いました。
 ゼロ年代の中頃は詩人の端くれになりたくて、400篇くらいの即興詩を歌詞とは別に書いていましたけれど、言葉が自分のなかにあると思ってはいけないと感じました。世界(言葉も含め)は自分の外に広がっているのだ、と。自分の「心」みたいな場所から言葉を離さないと、箱庭のなかで書くことになってしまうと思ったんですね。
 そんなこんなで、書き方は変化し続けています。
 あとは年をとったことも関係していると思います。ロックンロールはどうやったって、青年や少年の音楽です。だから、実年齢としての青年や少年との距離が物理的に生まれます。そういうところに、意識的な、無意識的な、言葉の向きみたいなものが宿ってしまう。
 でも、書いてる本人はオッサンながら、バリバリの少年性を発露させて、実年齢なんかどこかに忘れて書いてるつもりなんですけれどね。誰しもが魂の中に、老けこまないところを持っていると僕は思うんですけれど、どうでしょうか。
 そういう魂のどこかに引っかかる言葉を書いているつもりです。
Q.Aメロの 『それに先立って』と 『君にまたがって』の所で声重ねてあると思うんですが 『それに先立って』の方が違和感があるのですが(主旋律自体も低い?) これはやっぱり狙ってやってるんですか?それとも気のせいですかね?  主旋律の入り口のメロディが微妙に違いますよね。コーラスは同じ音で当てているので、そこに違和感を感じるんでしょうかね。僕はまったく違和感がないです。
 ちなみに、僕は言葉のイントネーションに引っ張られて、メロディを統一できないタイプのシンガーなんです。なので、一番と二番でメロディが違う場合が多い。同じサビなのに違う、なんてこともあるので、イントネーションではなくて能力の問題かもしれないですけれど。笑。
Q.最初にラジオで聴いた時から清志郎さんへのオマージュだと感じました。だとするとダブルミーニングなのですよね?? 「跨って」もあまり好きな表現ではないのですが、「蹴飛ばして」がどうしてもDVを連想してしまいます。凄く明るい曲調なので、更にホラーです。後藤さんの意図が知りたいです。  確かに、この曲は「雨上がりの夜空に」へのオマージュが含まれています。ただ、僕の場合はダブルミーニングと見せかけて、単純にバイクのことを歌っています。蹴飛ばしているのはエンジンのスタートペダルだし、またがっているのはシートです。深読みすれば、確かにちょっと不気味で飲み込みにくい言葉ですよね。
 角度を変えると引っかかるところがある、そしてそういう言葉から何かしかの感情が生まれて、それにバリエーションがある、というところが言葉や詩の面白さだと僕は思います。
 僕が書いているからと言って、僕が実際にそう思っているわけではない、という読み方もできますよね。これは誰かの願望を書いたものかもしれない。1あるものを1だと伝えるために歌詞や詩があるわけではないんです。だから、すべての歌や言葉になんらかの絶対的な意図があると考えるのは、あんまりいいことじゃない気がします。
「ホラーじゃん」というような感想は素敵だなと思います。僕もこの部分の歌詞、ちょっと怖いです。
Q.アルバムの中で特に低音の豊かさが伝わる曲だと思います。 ドラムのフレーズやチューニング、パン振り等が曲の芯のようにも感じられますが、これらはコンセプトのもとで意図的に決めていかれたのでしょうか? フレーズのアイデアは潔さんによるものですか?とても面白く、心地よいです。  歌詞とは違って、ミキシングには意図があります。
 低音を出したいとよく言っているのは、単に「低い音を大きく出したい」のではなくて、キックやベースの重心が下がると、他の楽器がよく鳴るスペースを確保できるからなんですよね。
 録音物って、大体20Hzから20kHzまでの周波数を、どういうふうに各楽器や歌に割り当てるかってことなんです。そこにはメンタルとは関係ない、物理的な世界があるというか。数字の話なんです。そこを整理して、より豊かな楽器の鳴り、新しい生演奏のロックの音像をデザインしようっていう野望が今作にはありました。
 ドラムのフレーズは潔が考えています。アジカンは基本的に、自分のパートは自分で考えます。ただ、録音やセッションのときにはお互いに意見しますけれど。
Q.サビのコーラスのキーがおそろしく高いのですが誰が歌っているんですか?  一番高いのはオクターブ高いファルセットですね。僕が歌っています。
 アジカンのコーラスワークは、マジックディスクの頃から、考えるところから録音するところまで、僕の「孤独の作業」と化しています。人数感が欲しいときだけ建さんや山さんに歌ってもらっています。
Q.ホームタウンの最初の方は穏やかな曲調で途中でゴリッとした感じに変わりまた穏やかに変わるところが、歌詞と曲調とでイメージすると天気の晴れからちょっと悪天候に変わりまた再び晴れたみたいな印象を受けましたが、どんなイメージを持って曲調の展開を作りましたか?  A#から始まっていたコードリフがF#始まりに変わりますよね。ゴリっとしたところは山ちゃんがアイデアを出してくれました。
 山ちゃんは歯の隙間からシーシーと息を吸いながら、曲の構成について納得が行くまで悩んでくれます。ベースという楽器の特性もありますが、コード進行や和声についての面白いアイデアを出してくれることが多いんです。優しく頼もしい男です。
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nodatan · 4 years
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もう一度行きたいラーメン屋2019
のだたんが選ぶ、もう一度行きたいラーメン屋、2019〜!
(あたりさわりのないBGMイン)
さて今年も始まりました!視聴者が選ばない、アンケート投票ガン無視の独断と偏見ランキング!
その割にブログ主はハートがうたれ弱いので、絶賛のコメントのみ感想は受付中!
今年も年間約100杯食べたラーメンつけ麺油そば系の中から、味、サービス、雰囲気その他を総合的に判断しております。
いやあ楽しみですねえ、令和初のドリームレースを制するのは、果たしてどの麺なのか!?
それではいきます。第10位!
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桜木製麺所(五橋)
https://twitter.com/sakuragiseimen
昨年から2ランクダウン、ミシュランも認めた名店が今年もランクイン!
場所は1年ほど前に、多賀城から五橋に移転。なお五橋は現在かなりのラーメン激戦区となっている模様。
あっそういえば、昨年の時点では、移転してから行けてなかったですね…。
移転に伴い、メニューも大きく変わっていました。前は濃厚メニューがあったのが、現在は塩と醤油、トッピングは玉子と大盛りがあるのみ、大変シンプル。
それを仕上げる店主、激シブ!男の直球勝負!!
さらには店内…BGMがない!!!男らしすぎる…!!!!有線かけてもいいよ…
で、肝心の味。すっげーーーーうめえ。
昔から特徴的な、小麦が香る麺、2種類のチャーシューしっとり仕上げ、スープはかなりあっさり。
場所が結構わかりづらいです、Googleマップ片手に探してください。
第9位!
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麺屋とがし(南光台)
https://twitter.com/menya_togashi
昨年4位から5ランクダウンです、が、いつでも僕のハートの中にはとがしがいます。
平成最後のラーメンはとがしで締めました。
一応説明から。かいじ、龍冴、みなもと屋など、系列店がどこも大人気のグループ本店、こちら南光台に佇んでおります。
メニューは主に濃厚魚介豚骨がウリ。
10年近く前、とがしと初めて出会った時から、僕のラーメンライフは始まりました。
いや、そんな人も多いのでは?
とにかく偉大なお店です。
今年も何度か来訪したのですが、系列店がカラーを強める中、とがし本店は良くも悪くも、全てのパラメータがバランス良く振られた、主人公タイプの一杯と感じます。
そんな中あっさりメニューを産み出したり、攻める姿勢を忘れないとがしと共に、この令和の新時代をまた歩いていきたい。そう思うのだたんであった。
第8位!
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らぁ麺屋09。(中倉)
https://twitter.com/ramenyasuzuki
今年初登場!話題の新店がいきなりランクイン!
お店の名前は、まるきゅうと読むそうです、。までが名前。
09はとがし系列店の方が独立してオープンさせたお店。
過去、そのパターン含めた広義の「系列店」が、本店を抜いたのは、のだたんランキング史上初です。
すみません勝手にエモくなってます…最後までお付き合いください。
さてそんな09ですが、4号沿いの、もともとサバ6製麺所があったとこに、今年11月にオープン。
オープンしたてなのもあって店内とてもキレイ、テーブル席あり。ただ駐車場はややとめづらいので注意。
オーダーしたのは写真の、特製濃厚魚介らぁ麺、濃厚なんだけど案外スープはさらさら。固め細めの麺はとても食べやすい。
とがしらしさもありつつ、ビジュアルとも比較してしまうが、鶏ならくまがい、魚介ならここ、という棲み分けになりそう。さらなる飛躍までありますよこれは。
現在12/30の午前。
果たして大晦日までこのペースで間に合うのか。今年もオールスマホ、つらい。
第、7位〜!
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こもれ美(大衡)
https://twitter.com/hellskitchen128
ベスト10にカムバック!あの伝説のヘルズキッチンの魂が宿るこもれ美。
みなさん辿り着けましたか?すっっごいところにあります。こんなところにほこらが…!?みたいな、小さなメダル的場所。
そんな、人類生誕史上最濃スープを産み出した店主が作るあっさり…当然ただのあっさりではありません。
塩をオーダーしたのですが、濃厚な鶏油はあの頃の伸び足そのままに、大衡の直線を強引に駆け上がってきて、そのままゴーーールイン!
パワー型の父系から、切れ味も持った最強の産駒が誕生しております。
店内ログハウスみたいな内装で、メニューも豊富、お休みの日は大衡までドライブいかがでしょう?良い休日間違いなし。
第6位!!
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伊藤商店(俺は主に古川)
https://twitter.com/CSoWoDwjScBw12p
久しぶりのランクイン?のだたんジャパンに再招集です。
伊藤商店っていうと、あっさりなイメージないですか?
最近どうも、のだたん内で、写真の白の中華そば(背脂を結構入れたやつ)がパワーアップしてるのではないかと話題。
そんでもう、県内いろんなとこにありますよね?どうやら富沢にもできてそこは夜にもやってるんだとか。最高すぎじゃないですか。
てかさらに言うと、伊藤商店こそ国分町にあってほしいなと思うんですよね…飲みの締めにこれがあったら、くうー!
おっと某番組みたいにラーメン談義してしまった。閑話休題。
その白の中華そば、あっさり透き通り系スープの流れから、こってりマンも認めるパワーも兼ね備えた、最強の産駒が(またこの流れ)
いやほんと、あっさりとこってり結婚して生まれた子供みたいな、超王道ストレートど真ん中の勇者が誕生しとりますよ。
まじで、行ってくれ。あっさりの人は金の中華そばでよろしく。10時までに行くと一杯500円は歓喜!
はい。
おなかがリアルに、ぐうーと鳴っております。
ここで今年の特別賞。
ランクインは逃したものの、紹介したい一杯のコーナーです。
どうやら中継があるようです、中継先の、野田さ〜ん!
はぁい!リポーターの野田です!
今回は青葉区国分町に来ております。
今年も忘年会シーズン真っ盛り!国分町は今夜も、フィーバーしてますよ〜!
そんな飲み会のシメにぴったり!国分町のラーメン店をピックアップします!
まず取材に訪れたのはこちら!
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はま家さんでーす!
ハマグリスープが自慢のあっさりスープ!
オルニチンが年末年始のあなたの胃袋、やさしくしちゃいまーす!
(画面下のテロップ いやそんな人はラーメン食わずに帰ろうよ)
続いては…じゃーん!
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油そば一二三さん!
油そばって、どんなラーメンなんですか?
…はい、はい、へえ〜、名前は油だけど、思った以上につるっといけちゃうメニューなんですって!
この日も私、卓上の酢のおかげで、美味しくいただきましたー!
(画面下のテロップ 無料でもらえる鶏スープはあつあつだど)
最後は、一閃閣さんでーす!
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最高。
(画面下のテロップ 最高)
(画面下のテロップ とらの締めでよくお世話になりました)
(画面下のテロップ とらの尾たくさんの思い出をありがとう)
…野田さんどうもありがとうございました〜
(ざわつくスタジオ)
(固まるお茶の間)
(リポーター野田さんのとらでの当時の写真が流出し荒れるインターネット)
ランキングに戻りまして、第5位!!
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中華そば雷電(明石台)
https://twitter.com/mkr_gekko
話題の新店がこれまた初ランクイン!
魔界ラーメン月光というツッコミどこ満載の名前のお店の2号店。
場所は富谷の明石台ですね、車でgo。テーブル席有ります。
店内、乃木坂のDVDが大音量で流れており大変カオス。他諸々ふざけ倒してるけど味は間違いなく本物。最高に美味いです。
初めに食べたのは写真の、懐かしの平成中華そばというメニュー。ものっすごい昆布。俺梅干しそんな得意ではないんだけど、酸っぱさが昼休憩で疲れを癒してくれた。
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もう一度行ってみて、今度はコッテリ系のナショナルニボグラフィックをオーダー。エグくてしょっぱめの濃厚煮干しスープは、トロトロ感により永久にいけます。ちょっと麺は「はっと」っぽいかも。
あっさりだけでなくこってりも美味い、これはもはやフロックではない。県内でも指折りのクレイジーなお店、店を出る頃には乃木坂ごと好きになってるかもしれない。
第、4位〜〜!
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麺や碁飯(名取)
https://twitter.com/menyagohan
これまた新店がいきなりの4位にランクイン!!今年の勢いを象徴してますね。
名取の愛島という地区にあります。店の入口が2つあり、なんとそれぞれが別の部屋に出ますw小上がり席は右側の入り口からどうぞ。
ここのスープは、牡蠣スープ。ですがそこまでオイスターの主張は弱め、なんかわからんけど美味しければおっけいです!焼きバラ海苔もぐっじょぶ。
そんですごいのが、塩こうじトロロ飯。考えた人すごいわは俺はこっちに捧ぐ。うっめえ!!
どうも玄龍出身の方のようで、味噌もその感じだと思います。えっそれって強くない?なんかもっと人気出そうです。絶対行くべし!!
さーてここまでお送りしてきました。
惜しくものだたんジャパン入りを逃したメンバーはこちら。
第11位��蒼穹(下馬)
第12位 嘉一(二日町)
第13位 自家製麺くまがい(吉成)
第14位 麺屋くまがい(鶴ヶ谷)
第15位 太平楽(泉インターそば)
第16位 麺屋とがし龍冴(榴岡)
第17位 渡辺(七北田)
第18位 杉のや(柳生)
第19位 麺牛ひろせ(福室)
第20位 中華そばさかうち(若林)
そうそうたるメンツ、まさに20位までも含めて、ONE TEAMですね!(今年向けのカンペ)
さーーー、あとは残すところ3つ!
令和最初のグランプリを手にするのは、果たして!?
第、3位〜〜!
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めん屋みの家(柴田)
https://twitter.com/308minoya
昨年の3位をキープ!県南の雄!ちなみにめん屋みの家で屋と家がややややこしいプチ情報。
行ったことないけど一目千本桜の辺りらしいです、車で行きましょう。
今年で二度目の来訪でしたが、迷わず塩をオーダー、豚、鶏どっちのチャーシューも絶品だったのでWトッピング。
写真の通り、透明感溢れるクリーントーンにナチュラルなオーバードライブ(鶏油)+浅めにゆらぐコーラス…これはおそらく柑橘系。
チャーシューは3種類+1つくね。どれもあっさりスープを邪魔しないさわやか仕立て。
他の競合とは頭ひとつ抜けた感あります。強い!
第、2位!!!!!
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きく屋(丸森)
昨年5位から3ランクアップ!ツイッターアカウントはないみたい。
今年の宮城は台風の被害がありました。きく屋は丸森で、断水で営業できていないようでした。
俺のランキング、そういう事情は一切加味していないけれど、是非ともこれを読んでいる皆さん、丸森のきく屋に足を運んでいただきたい、です。
きく屋ですが、特筆すべきは、この薄口醤油スープ。
語弊恐れず言うと、もうほんとお冷と変わんないぜってくらいの、衝撃的なさらさらスープ。
どクリーンです。
麺はそうめん的なつるつるさわやか麺、量は多めだけどするっといけるのは、この薄口スープの仕業。
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さらには100点満点の、ガーリック系肉ごはん。うますぎてやれやれだぜ…!
みんな2020年の週末は、丸森までレッツドライブ!
ということで。
ランキング、1位を、発表します!!
(ドラムロール、イン)
令和初ののだたんランキング、1位のラーメンは…!!
ドゥン!!!!!!!
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麺や遊大(富谷)に決定しましたーーーー!!!!!
おめでとうございます!!!
3連覇!トリプルクラウン誕生ーーー!!
今年も悩みに悩みました…。正直、1〜3位がとても僅差。
でも、もう一度行きたい、一口目のインパクト、誰かにお勧めしたい、お店の雰囲気…いろんな要素を加味した結果、アタマ差で逃げ切った感じです。
おめでとう、遊大!
説明しましょう。遊大は富谷、厳密には富ヶ丘という地区にあります。
メニューのメインはタンメン。野菜の旨味あふれる豚骨スープは、元気の源!
うっめえんだ…。
昔よりどんどん食べやすくなってる気がします。
そんで、から揚げよねーここはやはり。
昨今から揚げを推してるお店は多いけど、良い意味で、ご飯と合わなくて遊大のタンメンには合う、ベストオブベストのチューニング。
店内は明るくテーブル席もあり。どうも最近は店主ではなく新しい店員さんが調理を担当しているとのこと。
令和の新時代も明るいな!!
ということで2019のグランプリは遊大でした。
あなたの推し麺は入っていましたか?
来年は、醤油をもう少し攻めたいと考えています。
かなり塩に偏ってきてるのと、この前醤油久しぶりに食べたら、おっ?となったので、まだなんというか自分にも伸びしろを感じています。
それではまた来年もお会いしましょう!
良いお年をお迎えください!
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oinkgms · 6 years
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ゲームデザイナー座談会 in 名古屋
この記事は「Board Game Design Advent Calendar 2017」1日目の記事です。
去る2017年8月16日、名古屋で開催された「ファミリーゲームフェスティバル2017」のオインクゲームズブースの特別企画として、「ゲームデザイナー座談会」を開催しました。オインクゲームズ代表でありデザイナーである佐々木が、ダンジョンオブマンダムのデザイナーである上杉さん、インサイダーゲームのデザイナーであるイトオさんの2名をお招きして、ゲームデザインに関するあれやこれやをざっくばらんにお聞きするというものです。予定の一時間を大幅にオーバーして、濃密で大変貴重なお話が伺えたので、ここに公開致します。
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佐々木隼(ささき じゅん) @44gi オインクゲームズ代表。同社発売ゲームの企画・ゲームデザイン・グラフィックデザインを手がけている。ボードゲーム作品は、海底探険、藪の中、エセ芸術家ニューヨークへ行く、小早川、スタータップス、死ぬまでにピラミッドなど。
上杉真人(うえすぎ まさと) @dbs_curry 名古屋在住。2010年から I was game としてボードゲームを制作。好きな食べ物はグミ。ダンジョンオブマンダムエイト、ヴォーパルス、ドワーフの城塞など。
アキヒロイトオ @etiquettepistol 1992年生まれ、teamInsiderrrr代表メンバー。FPS歴15年、アナログゲーム歴1年。こっそり新作製作中。インサイダー・ゲームなど。
製品になるアイデアは数パーセント
佐々木 こういう試みは初めてでちょっと緊張しているんですけど。三人でアナログゲームのゲームデザインや、ゲームを作るとはどういうことかみたいなことを、ざっくばらんに話していければいいなと思っています。 みなさんのゲームを、オインクゲームズから出させていただいています。上杉さんは「ダンジョンオブマンダム」、イトオさんは「インサイダー・ゲーム」。ぼくも「海底探険」や「スタータップス」、「藪の中」などなど。まずは、そういう「自分のゲーム」を完成させるまでに、みなさんはどのくらいボツを出しているのか聞いてみたいです。 上杉さんアイデアベースではたくさん出していらっしゃる方だなという印象があるんですけど、いかがですか?
上杉 そうですね。僕の中では5%の法則というのがあって。思いつくうちの5%が真面目にプロジェクトとして取り組む価値がある、と考えています。
佐々木 「思いつく」というのはどういうレベルのものでしょうか?
上杉 まあ、本当に一行アイデアレベルですかね。
佐々木 その一行ではどういうことを書くんですか?
上杉 例えば「ダンジョンオブマンダム」だと、最初に思いついたのは、「マンマミーヤ」というピザを作るゲームがあるんですが、そのような感じでみんなで一個のダンジョンを作るゲームっていう一行のアイデアから始まっています。 そのアイデアを実現するために、どんな現実的なゲームデザインが必要か、というのを一つのプロジェクトとして立ち上げて、進めていくという流れですかね。
佐々木 なるほど、そういう一行のアイデアが20個あったとしたら・・・
上杉 そのうちの一個は具体的に考えはじめる価値がある。
佐々木 いま、製品になってるのは何作品��りますか?
上杉 4個か5個くらいです。
佐々木 ということは、その20倍の量のメモがあるってこと・・・
上杉 いや、その20倍のプロジェクトがあってその20倍のメモがある。
イトオ 400!
佐々木 あ、なるほど! プロジェクトになるのが5%で、そこからさらに5%しか製品にならないってことなんですね。
上杉 そうです、そうです。 5%が二段階あるんですよ。
佐々木 400個のアイデアから一個ができあがるんですね・・・ イトオさんはどうですか?
イトオ ぼくは製品化って言ってもインサイダーゲームしかないですし、そのほかも特にない状況なので・・・
佐々木 はじめて完成したのがインサイダーですか?
イトオ はじめて作ったのがこれ。だから、これ以降がもう分からない状態なんですよね。
佐々木 じゃ、まだ何分の一かが出せないんですね。
イトオ 何分の一かが確定してないんですよ。無限分の一みたいな状態。
佐々木 僕の場合は、だいたい10個に1個くらいですかね・・・
イトオ すごい。
佐々木 どこからを「1個」と考えるかによって、もっと全然多くなると思うんですけど、だいたい10%くらいかなと思っていて。
上杉 佐々木さんに聞いてみたいんですが、僕やイトオさんはアマチュアなので、締め切りのない世界じゃないですか。でもオインクゲームズさんは企業なので、たぶんゲームマーケットに合わせてゲームを発売するというスケジュールがありますよね。そこに向けて製品を完成させなきゃいけないというときに、必ずしもうまくできあがっていかないんじゃないかと思って。そういうときどうするんですか?
佐々木 イヤこれはもうほんとに胃の痛い話で。仰るとおり、ゲムマに合わせて新作を完成させなきゃいけなくて、締め切りはあるんですよね。 僕らみたいな小さい会社にとっては、ゲームマーケットの売り上げって全然馬鹿に出来ないどころか、それがなくなると会社が傾くかも、ぐらいの勢いで重要なんです。
単純にゲムマ自体であげる売り上げという意味でも重要ですし、ゲムマみたいな大きなイベントに合わせて新作を出すことでプロモーションコストも抑えられるんですね。宣伝を頑張らなくても、みんながイベント自体に注目しているので、話題になりやすい。だから、ゲームマーケットの新作を絶対に出さないわけにはいかない。
その「絶対に」をどう守っていくかですよね・・・。それは本当に苦労しています。答えとしては「必死にがんばる」ことしかできていない状況です。 本来なら何個もストックがあって、余裕を持って「次はこれを出しましょう」みたいに考えることができるのがいいんでしょうけど。いつも、ううーアイデアが出ない、出ない、どうするどうしよう・・・みたいな感じで悩みに悩んで、考えに考えて、ギリ間に合う、みたいな感じです。
上杉 佐々木さん以外の、オインクゲームズの外のデザイナーの方の作品も出版されたりしていますよね。 例えば春には自身の作品で、秋には人のゲームをパブリッシュして、とか、ペースを考えたりもされているんですか?
佐々木 ざっくりはあります。ですが、そんな都合よくよい作品を見つけられるわけではないので、埋まらなかったら自分が埋める、みたいな感じなんですよね。ただ「よいゲーム」というだけでは駄目で、オインクゲームズが出すことでお互いを活かすことができるような作品を見つけなければならないので。
上杉 大変ですね。
佐々木 そうなんです・・。自分でゲームを考えるのは本当に大変で、常日頃なんか良いアイデアないかなと、ずーっと探してる感じになるんですよね。ずっと休まらない。
あ、ただ、僕の場合、ゲームデザインする人とグラフィックデザインをやる人がどっちも僕なので、ゲームアイデアが出てからはすごく早く仕上げていけるんです。ゲームデザインがこれで行ける!となってから、実際に発売されるまでの時間はすごく短縮できるので、ギリギリまで粘ることができる。締め切りに間に合わせるという意味ではそこは利点なんじゃないかなと思いますね。
イトオ なるほど。
これはいける!と思う瞬間
イトオ ちなみに次のゲームマーケットまでには、何か考えてらっしゃるんですか? 次どんなの来るんだろうと、みんな見ていると思いますよ。
佐々木 当然、考えてはいますが・・・今年もエッセンに出展するので、なんとかそこに間に合わないかなと思っています。
上杉 もうホントすぐですよねエッセン。じゃあ「考えてます」っていうレベルじゃなくて、具体的にあるんですね? (注:この対談は8月6日で、エッセンシュピールは10月26日から4日間開催)
佐々木 ぜんぜんそんなこともなくて・・・。この質問難しいですね(笑)
イトオ 社会人(笑)
佐々木 僕の場合、ゲームをつくるとき「できた」「できてない」の境目がすごくはっきり分かれている感じで。調整していくことでじわじわ完成していくのではなく、それまで雲のようにもやもやしていたもの���、ある瞬間に「あ、ゲームができた!」みたいになる感じなんです。それまではまったくゲームじゃなくて、そこからはっきりとゲームになる。もちろんそのあとしっかり調整するフェーズはあるんですけど、その「ゲームになったー!」が来てしまえば、あとはすごく早く完成まで持っていける感じなんです。その瞬間をギリギリまで粘って待つ感じですかね。
上杉 それは面白いですね。僕はむしろゲームっていくらでも調整できる、完成してから本当にもうなんの一分の隙も無く完成したっていう状態まで、すごくムラがあるなと思ってるんですよ 佐々木さんの場合は、すごくメカニズムで完成している、なんていうか、データのあまりないゲームにしてるじゃないですか。そのあたりに違いがあるなといま思いました。
佐々木 あ、確かに。僕は構造ができあがったら、そのまま突き進めることが多いです。例えば海底探険だったら、ピースの枚数や、ピースの裏の点数などの調整はわりとすんなり決まっていきます。「こういう面白さが実現したい」というのがあって、それに向かって、「これしかない」というところに行き着くのは早い。それよりは構造自体が出来るまでがすごく悩むし、時間がかかります。そこは上杉さんと個性が違うところかもしれないですね。
おふたりに聞きたいんですが、さっき上杉さんがおっしゃられていたように、例えばダンジョンオブマンダムが一行のアイデアから生まれて、ひとつの作品になっていきますよね。そんなふうに最初のアイデアをかたちにしていく中で、「このアイデアは行けるな」みたいに思う時ってどんなときなんでしょうか。イトオさんは、インサイダーゲームを、どこで「これはおもしろい!」って確信しましたか?
イトオ 僕の場合は最初インサイダーをオンラインのチャットでテストプレイしてみたんですよ。でもあまり面白くなくて。 チャットだと、マスターの人がすごい速さで答えをタイピングしなければいけなかったんですよね。もうタイピングゲームみたいになってしまって。あとは、顔が見えないので、発言の印象が文字だけになり、誰が何を言ったのか記憶に残らなかったんです。表情も見えませんし。ところが、対面でやってみたらすごく面白くて。「うわこれは」みたいになりました。
佐々木 なるほど。オンラインでやってる状態ではいまひとつ来るものがなかったんですね。で、対面でやったときに「これはいける」と感じた?
イトオ それがですね、実は僕、地元は愛知県なんですけど、そのときは仕事で地元を離れて暮らしていたんですね。で、帰ってきたら友達の間でインサイダーが流行っていたんですよ。
佐々木&上杉 おお~
イトオ 逆に僕に対して「お前インサイダーって知ってる?」みたいな状況になっていて。それを聞いて「あ、いけるんだ」って思って。 だから僕は、その「いける」っていう瞬間を見ていないのかもしれないです。勝手にまわりが「すごく面白い」みたいになっていた。
佐々木 自分のいないところで、周りが勝手に盛り上がっていた(笑)
イトオ そう、勝手に盛り上がって(笑)
佐々木 上杉さんは、例えばダンジョンオブマンダムならどこで「いける」と確信したんでしょうか?
上杉 僕はですね、「ダンジョンオブマンダム」を作った時に、この作品はすごく削ぎ落とした、要素の少ないゲームにしようと思っていて。 このゲームには元々オリジナル盤には6つのアイテムがあるんですよ。このうちの2つはHPを上げる防具で、1つは小さなモンスターを倒す「たいまつ」、それと大きいモンスターを倒す「ドラゴンランス」で、最後に中間のモンスターを倒す「聖杯」というのがあって、その5つのアイテムでパターンをもう全部網羅したから、完成度で言えばこれは完璧な構成だなと思ったんですけど。それだと一味足りない感じだったんですよね。 それで、妻に『何かあと1個足したいんだけど何がいいかな?』と聞いたら、『剣がいいんじゃない?』と言われて。
佐々木 おおー
上杉 『剣って言われても、もう武器あるからなー』と思ったんですけど、そこでプレイヤー自身がどのモンスターを倒したいか決める「ヴォーパルソード」というアイテムを試しに作ってみたら、それがすごくハマって。普通に考えたら、このアイテムは揺らぎが大きくて、ゲームの完全性からしたら少しずれるようなアイテムなんですよね。プレイヤーの選択によって大きく揺らぐので。
佐々木 なるほど
上杉 むしろ揺らぎがあった方が、ゲームが上手く引き締まるなっていうのを発見しましたね。
佐々木 なるほどなー、なるほど。
僕の場合は、「これはいけそう!」って思うことは割とあって。でもそれはだいたい誤解で、そこから全然ダメで完成しないこともあるんですけど。 ですが、本当の意味で「これでいける」となったなとあとから思うのは、構造的に破綻がなくなって、まあ実際は完全にないわけではないんですけど、自分的にいろんな仕掛けが腑に落ちて、やりたかった面白さが実現できたなーと思ったときなのかな・・・。そんな感じです。
上杉 それすごいわかります。破綻のなさってすごい重要ですよね。やっぱり破綻している部分って、あると感じちゃいますよね。
佐々木 でも、ちょっと矛盾しますけど、最後の最後で、『何かここバランス崩したいな』ってなってテストプレイしてみると、そのほうが面白かったり、盛り上がったりすることがよくあるんですよね。で、実際崩したほうのルールを採用したりすることも多い気がします。さっきの上杉さんのヴォーパルソードの話に通じると思うんですけど。
上杉 テストプレイって、バランスとるんでしょって思う方がよくいると思うんですけど、いかにバランスのおかしいところを作るかっていうのを考えたりすることもある。それを表面的には隠蔽しつつ、内部的にはすごく崩れている、みたいなところを作りたいなーっていう場合もあって。そういうのが大事ですよね。
佐々木 ほんとそういうところがあって。 「海底探険」という作品では、最後全員が0点で終わるみたいなことがまあ起こるんですけど、これ微妙だなと思った時もあるんですよね。でも、全員0点で終わったーワハハーみたいなのがやっぱり面白かったんですよね。もうこれはこれでいこう、となった。
上杉 それは、テーマの良さもすごくありますよね。海底探険は海底で死ぬんだったら結構ロマンがあるし。
佐々木 たしかにテーマにも助けられていますね。 あとは全員0点でも、もっかいやろうってなれば、それでいいのかなあ、とも思って。
なんか「いける」となってからもいろいろ崩していく、っていう話になっちゃいましたね(笑)
ゲームをデザインする上で最も重要なこと
佐々木 ゲームデザインをするうえで「これが最も大事だ」「これは押さえておかなければ」みたいなポイントってあったりしますか?
上杉 僕は「楽しさ」ですかね。「楽しさ」ってあまりに当たり前すぎて、軽視されてる部分もあると思うんですけど、ゲーム自体の構造がどんなに優れていて、すごく革新的で美しいゲームであっても、楽しくなければやはり誰もプレイしない。だからとにかく楽しさを第一に考えなければならないと思っています。ゲームの存在価値はプレイされることだと思っているので。
佐々木 なるほど。 イトオさんはどうですか?
イトオ 僕はですね、上杉さんの話に若干かぶるんですけど、一つ一つのゲームの間で、中だるみしないみたいなことが結構重要だと思っていて。 例えばデジタルゲームとか特にそうだと思うんですけど、1個アクションした時の手触り感みたいなもの。例えば海底探検の場合は、サイコロを振るだけでも楽しかったりするじゃないですか。そういう所がすごい大事なんじゃないかなと感じています。まだゲーム制作については見習いみたいな感じですけど、そういうのめちゃくちゃ思います。
佐々木 なるほど。 僕は大きく二つあって、一つは、最初に自分が思った面白さの種みたいなものが実現されていることです。 最初のところからズレて行って、違うところに着地するみたいなことがあまりなくて、最初に描いたものが実現されてることが自分的にはすごい大事っていうのがあるんですよね。
もう一個は、ずっとおぼろげに思っていたことを最近理解した感じなんですけど、「プレイのコスパ」というのを自分は重視しているみたいなんですよね。例えばそのゲームを遊ぶ時に、購入するためのお金もそうですし、家に保管しておいて、人を集めて、運んで、箱から出して、インストをしてとか、そういうことを全部含めた、プレイにかかるコストというものがありますよね。それに対して、面白さがどのくらいの大きさか、という考え方なんですね。それが大きくなるようにしたい。
例えば、今から2秒でやりますっていうゲームであれば、コストが小さいので、コスパはよくなる。逆に、すごく値段も高いし、プレイ時間も2時間かかるようなゲームであれば、その2時間分のプレイのコストを超える面白さがないと、厳しいと思うんですよ。で、なるべくプレイのコスパが高くなるようなゲームをつくりたい。 面白さって結局主観的なので、難しいんですけど、このぐらいの面白さならもうちょっとゲームの時間短くしたいなみたいなことがあるんですね。逆にこのくらい面白さが大きいんだったら、もうちょっと準備に手間がかかってもいいから、これを入れようみたいな考え方。
ゲームデザインとしてだけではなく、製品になった時に、どうそのコストを面白さが上回っていくか、という考え方を自分はしているなあ、と。最近気づいたんですけど。
上杉 そのコスパっていうのを聞いて思い出したのが、PCのシビライゼーションを作ったシド・メイヤーの言葉だったと思うんですけど、『面白さというのは、ある単位時間における意味のある選択の量である』というものがあって。それってまさにコスパの話ですよね。
佐々木 なるほど。まさにそうかもしれないですね。
上杉 あと一つ目におっしゃってたいたのは、コンセプトが大事だぞということですよね。 テストプレイとかでよく『このゲームどうしたらいいんですかねー?』っていう話になるんですが、そういうときに、「このゲームで何がしたかったの?」と、一番最初に立ち戻って考えるアドバイスが一番重要かなと思っていて。今おっしゃったことと近いことなのかなと。
佐々木 テストプレイしてると、いろんな面白そうなアイデアがどんどん出てくることがあるじゃないですか。でも何を実現したかったのかがないと、そこでふわふわして、完成まで中々行かないんですよね。
上杉 そうですよね。
イトオ インサイダーをオインクゲームズと作っている時にも、どう調整するか電話やメールでもたくさんやりとりしましたね。
上杉 最初のバージョンからけっこう変わったんですか?
イトオ そうですね。僕がやっていたバージョンは、インサイダーの人がマスターの人にお題を渡すっていうスタイルでした。それで答えを言わす、みたいな、映画のSAWパート2のように、本当に悪いやつと、その手前で動いている悪いやつとがいるような感じでした。
上杉 真の黒幕と。
イトオ そう。そういう話だったんですけど、佐々木さんと話しながらいろいろ変化していって。
佐々木 イトオさんが元々作ったオリジナルはもちろんすごく面白かったんですけど、製品としてどう出してどう売っていくか、という時に、インサイダーの持ついろいろな側面の中で、よりここを強めたいというのがあったりして。そこはだいぶ電話をしながら・・・
イトオ 長電話をしながら・・・
上杉 なんかいいですねー。熱いじゃないですか。
美しいと感じるゲーム
佐々木 インサイダーって製品にするときにいろいろなバリエーションがある気がしていて、例えばもっと複雑にしていくとか、もっと推理をしあう方に注力していこうとか、もっとクイズ寄りにしていこうとか、いろんな方向にチューニングができると思うんですね。
そういう、可能性がいろいろある中で、ゲームにおいて、こういうゲームが美しいとか思うことってあります?こういうゲームに美しさを感じる、というような。
上杉 さっき佐々木さんが、完成に向かう時って自分の中で破綻がなくなった時っておっしゃってたと思うんですけど、僕もそれが一番美しさかなと思っていて。要は、ゲームの中での経済が完全に成り立っていること。たとえば、コストとリターン、リスクとリターンが、完全に美しく同等に成り立っていること。
佐々木 それは、すごい危険な選択肢を取れば、それに見合っただけのものが手に入る可能性がある、というようなことですか。
上杉 ひとつにはそうですね。で、かつ、それが明瞭すぎない。 それはプレイヤーから隠蔽されているんだけれども、ゲームとしてはうまくそういうことが取れてるよというのが美しいなあと思います。
佐々木 なるほど。 イトオさんはどうですか。ゲームにおける美しさってなんだと思います?
イトオ なんですかね(笑)
佐々木 なんですかね(笑) さっき手触りが、とかそういう話がありましたけども。
イトオ 僕は、なんか逆に美しくないことが美しいみたいなのもあるんじゃないかなーと。
佐々木 なるほど、崩してある?
イトオ あー崩してある、そうですそうです。
佐々木 一見不整合なように見えて・・・
イトオ そうです。例えば格ゲーとかで、あのキャラが強くてあのキャラが弱いみたいなことがある。でも、弱いキャラが強いキャラを打ち倒した、みたいな時にドラマって生まれると思います。
キャラの強弱があるのは、一見、あまり美しくないじゃないですか。バランスが取れているゲームがいいゲームだと錯覚しがちですけど、そうじゃなくて、実はバランスが悪いことがきれいなゲームに繋がったりするのかなあと思います。
佐々木 僕は、遊んだ時に、作者の意図に触れるようなゲームに美しさを感じますかねー。
例えば、クニツィアの「モダンアート」には12枚から16枚の絵のカードがありますけど、「あ、こうだから12から16なんだ!」みたいなことをちょっと感じたりとか、「あ、こうだから4ラウンド制なんだ!」とか感じるというか。たぶん、みんな意図を持ってゲームデザインしていて、でもそれを感じるところまで表現されているって結構レベルが高くて、でもそういう部分に触れた時に美しさを感じる気がするんですよね。逆に意図を感じないうちは美しさが見えていないんですよね。こういう意図でこうなってんだ、すげーみたいな時に、美しい。
上杉 その気持ちはプレイヤーとしてすごくわかりますね。プレイヤー目線で考えているんですね。
佐々木 逆にだから作るときも、細部に至って意図を埋め込んでおきたいと思う。
上杉 そうですよね、意図を持って作って欲しいですよね。デザイナーに。
佐々木 グラフィックとかに関しても、結構細部まで意図を埋め込みたい方で、感じてもらえてるといいなと思いつつ、感じないようなところにも色々意図を埋め込んで、誰か一人でもいいから気付いてくれーみたいな気持ちで作っています。
ゲームにおけるグラフィックやストーリーの役割
佐々木 またちょっと話は変わって、ゲームにおけるグラフィックとか、ストーリーについてはどう思いますか?そういうもの意義について。 ボードゲーム好きの中でも議論になったりするじゃないですか。システムが大事だとか、見た目も大事だみたいな。まあどっちも大事だとは思うんですけど。ストーリーなりグラフィックが、ゲームにおいて何をしていると思われますか?
イトオ 僕は、例えばインサイダーであれば、「インサイダー」や「マスター」という名前は、想像させるものとして、インストされる時にイメージしやすいと思うんですよ。例えばダンジョンオブマンダムなら、積み上げられた山がダンジョンになりますよと言われたら、あーなるほど、と理解することができる。それも物語の一つだと思っていて、そういう意味で言えば、さっき佐々木さんが言った「プレイのコスパ」の、コストを下げる、下げやすくする工夫の一つなんじゃないかなと思います。
佐々木 プレイするときの心理的な障壁を、ぐっと下げられる。
イトオ 箱見て、あー、これこういうことするゲームなんだと理解できた方がいいんじゃないかなと思います。
佐々木 上杉さんはどうですか?
上杉 さっきゲームデザインで一番大事なのは楽しさだって言ったんですけど、それはかなり観念レベルの話で。実務レベルでは、調和が大事だなと思っています。ゲーム全体で調和がとれていること。 メカニズムという無味乾燥なものがたくさん箱の中に詰まっている。それを本当に結びつけて、一つの体験にしてるのは、テーマでありそのテーマを作るグラフィックだと思っているんで、そういう意味ですごく重要だと思っていますね。
佐々木 僕はグラフィックは、すごい重視はしているんですけど、グラフィックはストーリーのためにあり、ストーリーはゲームのためにあると思っています。
ゲームを一回プレイすること自体、みんなで何をやっているのかっていうと「物語」を作ってると思うんですよ。ゲームプレイ自体が物語ではあるんですけど、テーマが何もないゲームだと、その物語に浸れるのは少し難しくなると思うんですよね。
さあ、みなさんは何々で、こういうのを目指しています、というバックストーリーがあると、プレイの中でも物語が生成されやすいと思う。誰かが何かゲームの中でひどい目にあった時なんかに、それに対して意味づけを行うことができる。ぐっとそのゲームに入って行きやすくなるんですよね。だから、与えられているフレーバー自体が魅力的であることが重要だなあと最近より強く思うようになりました。
上杉 プレイヤーを��き込みたいんですよね、ゲームの中に。いわゆるマジックサークルの中に入ってもらって、ゲームの中の出来事を実体験として感じて欲しい。そのためのものですね。
佐々木 まさにそうですね。でもなかなかストーリーとゲームシステムってうまく合わない時があるじゃないですか。 ちなみに、どちらから考える派ですか?ゲームシステムか、テーマからか。
上杉 僕はまずコンセプトがあって、でそのコンセプトのためにテーマを考えるんで、メカニズムよりはちょっとテーマが先ですね、結構重視してます。
佐々木 イトオさんはどんな感じですか?
イトオ 僕は、メカニズムっていうか、こういうことをさせたいなーみたいな。 させたいなっていうか、こういうことしたら面白いんじゃないかっていうのから引っ張ってきてっていう感じです。
佐々木 僕は構造からで、ストーリーはほとんど後付けです。「海底探険」だけは例外で、ストーリーから。構造が先にできるので、後でどういう物語をつけるかのか、すごく悩むんですよね。「マスクメン」とかめっちゃ悩んだんですけど。
上杉 それはすごくいいアイデア見つけましたね、最後に。
佐々木 そうですね、すごく悩みました。「藪の中」も、殺人事件とか何もなかったんですよね。最後に芥川の小説の物語がぴったりだ、と思いつきました。
ゲームを売ることに対する思い
佐々木 ゲームデザインの話から少し離れて、「ゲームを売る」ということについて話してみたいんですけど。 イトオさんは、インサイダーのゲームルールができあがってから、Webサイトでそれを公開してましたよね。自分でパッケージをつくって売ろうという気持ちはあったんですか?
イトオ ルールができてから、team insiderrrっていう名前でツイッターのアカウントを作ったんですよ。パクられないために(笑) 完全に盗まれたら嫌だなと思って、ツイッターのアカウント作って、先にやっていたことを主張できればと思っていました。
佐々木 売りたいとは思っていたんですか?
イトオ 「どっかから声はかかるやろ」みたいな(笑) でも、それよりパクられるのが先かも、とも思っていました。ただ、なんかよくわかんない自信に溢れてましたね。
佐々木 上杉さんはどうですか? 自分でゲームマーケットにも出されて、販売もされてますけど。
上杉 そうですね、最初は自分のゲームを製品っぽく売りたい、いわゆる「ゲームを作る人」になりたいな、っていうのがありました。ですが、それはすでにある程度達成されちゃったので、今はそんなに思わないかもしれないです。
佐々木 なるほど。 僕は今まさに売るっていうことと常に向き合わざるをえなくて。会社でやっていますから、どう売っていこうか日々考えざるをえないんですよね。ただ、最初はじめたときから売りたいという気持ちはあって、会社を作ったのも、自分が作ったカードゲームの裏にバーコードを付けたかったからなんですね。法人格がないとJANコードをとるときにややこしくて、じゃあ法人作ってみようかなと思って、でも結局最初の製品を作るときには法人が間に合わなくてバーコード付けられなかった(笑)
売れると言うのはある種わかりやすい評価だと思いますし、売れないと続けていけないとも思っていました。持続可能性がちゃんとあるものにしたいと思っていたので、ゲームを作っていくにはこれくらい売れてないと続けていけない。そうなると、販路がないとダメだ、と思ったんですよね。製造原価を見て「高っ」て驚いて、販路がないとこれはやっていけない、大赤字になる、というのを覚悟したんですが、でもバーコードが付いていれば販路を後で開拓できるから、ちょっと希望があるかな、と思ったんです。
上杉 オインクゲームズさんて、本当にすごい大き��なりましたよね。最初って、個人で?
佐々木 最初は一人しかいなかったですね。
上杉 ゲームもゲームマーケットのバカ売れするようなタイプではなくて、むしろちょっとアウトサイダー的なところから始まりましたよね。それで今はゲームマーケットを代表する企業になっている。それってすごいなと思います。
何がカギだったんでしょうか。代表作がものすごく売れたとか、自分にノウハウがあったとか、なにかありますか?
佐々木 ノウハウはなかったですよね、ぜんぜん。
上杉 誰にもなかったしれないですよね、当時。
佐々木 うーん、カギというほどではないと思うんですが、僕のもともとの性格として、何かを本物っぽく作るのが好きなんですね。 先日、僕が10歳か11歳くらいのときに学校の図工の時間に作った絵本が出てきたんですが、その一番後ろとのところ、手書きで、なんとか社発行とか、何月何日初版とか、複製禁止とか書いてあったんです。そんなふうに、製品っぽいものがたぶんもともと好きなんです。自分で作るものを、製品のようなクオリティで磨き込みたかった。最初にゲームをつくったときも、誰よりも製品っぽい同人ゲームを作りたいと当時たぶん思っていたんだと思います。そのためには箱がこうじゃないとダメだとか思っていました。そうやってある種過剰にやったのが、ちょっとまわりに引っかかってくれたのかもしれません。
それと、途中からは、売るためにはブランドってものがちゃんとないといけないとも思っていました。そうしないとゲームが単発単発で終わってしまうと。毎回、ゲームを作るのがあまりに大変なので、「このゲーム」っていうひとつの製品だけじゃなくて、作り続けたものが蓄積していく何かがほしいと思った。それがブランドなのかなと。ブランドっていうとたいそうなものっぽいですけど、統一したロゴマークを推していくとか、箱のサイズを統一するみたいなことで、ひとまとまりを作りたいなと。
例えば「海底探険」ていう代表作ができたら、その経験値がブランドってものに跳ね返って、よりブランド側も大きくなっていくような構造にしたかった。いまのところそれがうまくいったのかもしれないなとは思っています。一個一個の作品が単発で終わらずに、売れたものも売れなかったものもブランドの価値として、ブランドが高くなっていく。そういうことが、ノウハウはなかったけど、もともとそういうのが好きだという性格で、やれたっていうことなのかなと思いますかね・・・。
あとは、めっちゃたくさん作ったってことですかね。年2〜3個、できれば3個っていうのを、コンスタントに、この7年ずっと作ってるんですよ。実はそれが一番大事だと思います。それぞれ売れた量には差があったりもしますけども。
上杉 そのブランディングの中で、年3個つくると、ちょっと一個他より劣るんじゃないかみたいなのができちゃったときはどうするんですか?そのブランドに対して、これで大丈夫なのかなみたいなのってありませんか。
佐々木 ある一定のラインを超えないと出せないという気持ちはあります。これだと出しても埋もれてしまうから、出せない、というような。 だから、全体の出来どうこうもあるんですけど、どんな製品も必ず突出した何かをつくりたいと思っています。別に不細工でもよくて、でも、こいつはちょっとアゴ長めだなってなったら、ひたすらアゴを長く長く調整していくと、他と並んだときも顎の長さでは秀でるんですね。そうなるとそれは製品として出る価値が出る。アゴの長さという意味ではナンバー1なわけだから。
上杉 所有する理由をつくってあげるっていうのはありますよね。
佐々木 この製品の価値がなんなのか、ていうのは考えますね。どういう価値をつくるか。毎回作ったものに対していろいろ言われたりするのも、アゴを伸ばしたからなのかなあって・・・。
ゲームへの批判と制作のモチベーション
佐々木 僕は批判を食らうと悲しいんですけど、そういう自分が作ったゲームへの批判とかそういうのって、どう思いますか。批判されるとどういう気持ちですか?
上杉 僕は自分では自信を持って作っているつもりなので、そんなに批判されて「うわー」とはなりませんが、褒められてばっかりだと同じことばかりしてしまうので、批判は変化のきっかけだなと思ってよく読むようにはしています。
佐々木 ゲームの内容とか関係ないことで批判してこられたりとかはないですか?
上杉 よくありがちだと思うんですけど、ルールをすごく間違ってプレイして、これクソゲーだなと言われたりすることはあります。そういうのはちょっと反省点になるなと思って。
佐々木 「伝えられなかった」っていう感じですね。
イトオ 僕は正直あんまり気になりません。たぶん今一作目ってのもあるし、一作目だし良いっしょみたいな気持ちです。
佐々木 僕は批判を食らうとすごいダメージをくらって、毎回ぐったりして、ベッドでうつ伏せに寝転がっているみたいな感じなるんですよね。
上杉 批判は自分から見られるんですか?
佐々木 ゲームの評判を知るのは大事だと思っているので、普段は調べたりもします。ですが新作を出した直後などには意見の量がバッと増えますよね。批判を批判と捉えられれば良いんですけど、それにはちょっと時間が必要で、そういうときには一旦リサーチを完全にやめて、しばらく一切見ないですね。誰かに、良いのだけ教えてくださいみたいなことをしますかね(笑)
イトオ 良いシステムですね、ジャンプのアンケートみたいな(笑)
佐々木 なにせモチベーションを保つのがすごく大事だなと思っていて、作る気がなくなるのが一番困るんですよね。批判をちゃんと読んでいくのも大事だと思っていますが、それ以上にモチベーションが大事だと思っていて・・・。それが下がったらおしまいだな、という。
上杉 モチベーションって本当に大事ですよね。一番大事じゃないですか、制作続ける上で特に。
佐々木 本当にそう思います。批判読まなきゃなと思いながら、一旦シャットダウンして、落ち着いた頃にまた調べ始めます。
モチベーションって、なにをモチベーションに作りますか?ちょっとふわっとした質問ですが。
上杉 「シェフィ」を作ったポーンさんの言葉なんですけど、『自分の創作はミューズへの捧げ物である』っていう。ミューズって芸術の神で、美に対する捧げ物として作っているっていう、良い言葉だなと思ったんですよね。自分でも、自分の中での美しさというものを形にしたいから、それがモチベーションですね。
佐々木 なるほど。
イトオさんはどうですか? インサイダーはどういうモチベーションで作られました?
イトオ 一人で仕事で県外に来て、寂しくて。
佐々木 寂しさがモチベーションだった?
イトオ 楽しいことを自分で探さなければならなくて、そういうので作ってました。逆に今は、地元帰ってきそれがなくなっちゃってどうしようみたいな感じです。前ほど一人でじっくり考える時間がなくて。なにかを作るときは、一人でじっくり考える時間も必要じゃないですか。
上杉 やっぱりどこかハングリー精神が必要ですよね。
イトオ 実家にいるとハングリーさがどんどん失われていって、ただ寝てるだけになっちゃう。
佐々木 満たされてしまうんですかね。
イトオ でも、もう一個ゲームをつくりたいなあというのはやっぱりあって。人と集まった時に、自分のゲームで面白いねとなりたいですね。
佐々木 僕はモチベーションでいうと、身近な人を驚かせたいとか、そんな感じです。ほらこんな面白いの作ったよみたいな
一同 (笑)
佐々木 そんな感じなんですけど、今は若干責任感みたいなものが出てきちゃって辛いところもありますね。ただやっぱり、最初のモチベーションは身近な人に遊んでもらって、おお、面白いじゃん、って思ってもらいたい。 あと、自分が作るゲームだと、自分も見たことないゲームができるわけじゃないですか。自分も知らない、完全に自分好みの何か。それが見たいという気持ちもありますかね。
イトオ あ、それすごくわかります。
佐々木 細部にわたって全てコントロールできるものってなかなかないですよね。自分の作品ってそういう意味でもいいですよね。
上杉 全体をコントロールできることってボードゲーム作りの良さですよね。とくに佐々木さんてグラフィックまで自分でやられてるから。
佐々木 そうですね。ボードゲームって少人数で作れるし、そういう意味ではすごくいいジャンルですよね。
なぜボードゲームを作るのか?
佐々木 なぜ他の創作形態でなくて「ボードゲーム」なのか、みたいなのもあると思うんですよね。 上杉さんは、なぜ創作する対象として、ほかのメディアではなく、ボードゲームなんですか?
上杉 ひとつ、ゲームって総合芸術だなって思うところがあって、一般的に総合芸術っていうと昔は演劇、今は映画ですけど、ゲームも長いストーリーを語れるし、グラフィックもあるし、いろんな体験が生まれる。だから総合芸術だなと思ってて。 ゲームの中でも、なんでボードゲームなのかっていうと、普通のゲームって、まあビデオゲームは規制されたルールの中で勝手に動くじゃないですか。でもボードゲームって、この箱の中に、言ってみればガラクタが入っているだけで、それがルールによって意味を与えられている。それってすごく宇宙感があるなと。 宇宙って、ただ単に大きなストレージがあるだけなのに、それが物理法則というルールによって、たとえば人間のような複雑なものが生まれたりするじゃないですか。ボードゲームも、単純なピースからルールによっていろんな体験が無限に生まれるのがすごく面白いなっていうのがあって。
佐々木&イトオ なるほどなるほど。
佐々木 イトオさんはどうですか? なんで、フラストレーションがたまって何かやろうって時に、ゲームなのか。それが別に違う作品なり、違う解消の仕方でもよかったはずなのに、なんでゲームを作ったのかなっていう。
イトオ 僕はやっぱほんとゲームがすごい好きで、特にデジタルゲームがすごい好きで。ボードゲームに行き着いたのは、人の顔が見れるし、デジタルゲームにはないところがあるなあっていうのがあって。 チャット人狼だと、嘘ついている顔なのか何なのかわかんないところがあるじゃないですか。インサイダーもそう。僕はそういうところがボードゲームの魅力だと思ってます。
上杉 対面の良さってありますよね。
���々木 僕は、ボードゲームのすごい好きなところは、、今ここでルールを作った瞬間に、そこにいきなり面白さが現れるってことがすごいなって思っていて。 例えば子供が横断歩道を渡るときに、白いところだけ踏んでいくぞ、って思っただけで世界が面白くなるじゃないですか。ルールっていうものの凄さ。それでいきなり面白くなる。それが最も生のまま、刺身で出てきているのがボードゲームかなと。
イトオ あぁ。
上杉 確かに。
佐々木 僕、デジタルゲームもめっちゃ好きなんですよ。よくやるんですけど、デジタルゲームは誰かが見つけてきた魚を調理する感じがけっこうあると思うんですよ。一人称シューティングっていう魚を誰かがとってきたら、それを味噌漬けにしてみたり、焼いてみたり、味付けを変えて、切り方を変えて料理をつくったりする。それに比べて、ボードゲームもそういう部分もあるんですけど、一人一匹捕まえてくるみたいな感じがあるよなあと。
上杉 コンセプトがそのまま出ていて、素材の良さがそのまま生きている、みたいなことですね(笑)
佐々木 そうですね。刺身でやるからごまかしも効かないし、味付けにしても、醤油にするか、違うものつけるかくらいの、ルールむき出しの良さがすごい好きなんですよね。このたとえ変ですかね?大丈夫ですかね・・?
上杉&イトオ はい(笑)
佐々木 でも刺身だからこそ大変ていうところはありますよね。いつも新しい魚を捕まえてこなければいけないですから。誰かが捕まえてきた魚を、調理法を変えるだけではなかなか形にできない。新しい魚採るの大変ですよね(笑)
最近すごいと思ったもの
佐々木 あ、そろそろ時間なのかな?じゃあ、終盤に話を向けて行きたいんですけど、最近、これは凄いなと思ったものあります?これ全然終盤に向かってないか。
一同 (笑)
佐々木 単純に聞きたかったんですよね。どういうことに興味を持たれているのかなみたいな。
上杉 これ本当にどうでもいい話になっちゃうんですけど、最近僕の中で一番ブームなのがフリースタイルダンジョンていうテレビ番組です。
佐々木 あー
イトオ 僕もめっちゃ見てます。
上杉 フリースタイルっていうのは、ラップの一形態でその場で即興でラップすることで。フリースタイルバトルっていうのがあって、その場で即興でディスりながら勝敗を決める。それがすごく面白いんです。
イトオ 僕は、FPSをずっとやっているんですが、最近はスプラトゥーン2を買ってやっています。先日、後輩のそれなりにゲーム好きだけど洋ゲーとか全くやらない女の子から「リスキル」っていう単語が出てきたんですよね。復活して生き返ったところをすぐ狙われるっていうことで、洋ゲーだと当たり前の単語なんだけど、ゲーマーじゃない人から使われたことなくて、聞いたことも見たこともなかったので、マジで?って変な声が出ちゃって(笑) 本当それ最近一番驚きましたね。腰抜かしました(笑)
一同 (笑)
上杉 すごいですね。まさに本当、キャズムを超えた例っていうか。
佐々木 スプラトゥーン2面白いですよね、僕も本当好きなんですよね。1の時からずっとやってて大好きですね。 僕は最近凄いなと思ったものは、自分で聞いておいてあんまりないんですけど・・・あ、Nintendo Switchはすごいなと思ってて、何が凄いって、何が凄いのかよくわからないところがすごいなって思ってて。すごく売れてるじゃないですか、でもWiiとか3DS、DSみたいに、根本的にこれがウリっていうのが見えにくいハードだと思うんですよね。何でこれが売れてんのかって考えてもフワフワしてて正解が見えないんですよ。でもたぶん、作った人はわかって作ってるんですよ、絶対。
上杉 僕もすごく思ったのが、Nintendo Switchの一番のウリって、テレビでもできるし、置いても手元でもできるしってところじゃないですか。それ、『欲しい人いないでしょ』ってすごく思うんですよ。実際手に入れてみると一番いいのは、ゲームしようかなって思って起動するまでがめちゃくちゃ早い。今までのほとんどのハードより早い。GameBoy並み。それ凄いなと。
佐々木 うんうん、それはめっちゃいいところですよね。
イトオ なにげにSwitchってソフトの幅が広いなって思ってて、ダウンロード版で結構マイナーなゲームが出てる。ネオジオのとか出てる。そういう裾が広いなってのはすごい思います。
上杉 オインクゲームズさんってスイッチでゲーム出したりしないんですか?
イトオ それ気になってる。
上杉 スマホゲー出してるからね。
佐々木 デジタルゲームも作る会社なんですけど、まあ、色んなハードは常に考慮に入ってはいます。
上杉&イトオ おー
上杉 楽しみにさせていただいて。
佐々木 そうですね、Switch大好きなハードなんで出せるなら出したいですよね。
今後について
佐々木 じゃあちょっと本当にまとめに掛かっていきたいんですけど。えっと・・・今後どうなっていきたいですか?
上杉&イトオ (笑)
佐々木 ゲームも出て、売った。で、先ほど満足したみたいな話もありましたけど、これからどうなっていきたいか。ゲームに限らないんですけど。
上杉 今後もぶれずにゲーム作っていきたいな。自分が求められているようなゲームを作っていきたいです。
佐々木 どんなゲームが求められていると感じてますか?
上杉 これは自分で言ってあってなかったらイヤなんですけど、よくいわれるのがヴォーパルスみたいなのをまた作ってくれって言われるんで、そういうのを作っていきたいなと。
佐々木 ほんとああいう、緻密に、様々な変数を上手くまとめていくデザイナーってすごいと思います。そういうのを作っていくんですね。
上杉 そうですね。希望として。
佐々木 もう具体的なやつはあるんですか?
上杉 全然無いです。
佐々木 イトオさんは?
イトオ 僕はうーん、そうですねやっぱりチャット版のインサイダーがどうにかなんないかな。
佐々木 あー前々から相談はあるんですよね。
イトオ どうにかなんないかなーってのはずーっと思ってて。でもまあそればかり考えてても仕方ないんで別のゲームも作りたいなとずっと思っていて、ちょっとずつ着手はしてるんですけど、 考えながらハングリーさがちょっと失われちゃってるヤバいですね。ちょっとおなかが出てきたなーみたいなことを思ってるんですけど(笑)
佐々木 (笑) 是非出来たら遊ばせてください!
イトオ よろしくお願いします。
佐々木 僕は・・・ 2010年にオインクゲームズをはじめて、2012年くらいであんま売れないし、批判は食らうし、もうやめようかなーみたいになった時期があったんですけど・・・。それでもやっぱり継続をしていきたいなと思っていたんですよね。ゲームをとにかく一生作っていきたい。なんとか継続していきたいというのが常に願いとしてあって。 メディアからインタビューを受けるときとかに「今後の目標は?」って聞かれるんですよ。大体期待されてる答えは「世界で何万本売りたいです」みたいなことなんですけど、正直に「えっと、このまんまで継続したいです」みたいな感じで言うと、「あ、はぁ」みたいになっちゃう。全然面白みのない答えなんですけど。「継続をしたい」ですね。
上杉 でもそれが一番すごいですよね。しかも年に2、3個出すことを、継続している。
イトオ 本当すごいと思います。
佐々木 数は出せるだけ出したくて、量は、質を凌駕するとまでは言わないんですけど、質くらい量は大事だと思っていて、これからもコンスタントに作り続けられるような形を上手く作っていきたいなーってずっと思ってますね。
観客からの質問タイム
質問者1 今日の、一時間くらい割と長時間の対談で、三人での対談を通して「これは新しい発見だったな」みたいなところがあれば教えてください。
上杉 僕は新しい発見というか再確認なんですけど、オインクゲームズはすごい。
佐々木 えっそうですか。どの辺で思ったんですか。
上杉 やっぱり何も無いところか始まっていまこれだけ大きな存在になってる。すごいなーって。いずれ、ホビージャパンとかアークライトも越えてオインクゲームズが日本のボードゲーム界を支配するという。
佐々木 そんなことは全然・・・そうなるとは思えない(笑)
上杉 やっぱその継続して作っていくのもそうだし、自分の製品のコンセプトを統一してやっていくみたいな、完成度の高さがすごくありますよね。
佐々木 嬉しいです。
上杉 今後とも応援しております。
佐々木 ありがとうございます! イトオさんなんか今日の対談を通してありますか?
イトオ 佐々木さんが意外と打たれ弱いって意外だなーって思いました。寝込んじゃうとか。 確かにインサイダー出た時にメールで「批判とか見ても落ち込まないでくださいね」みたいなメールが来た。
佐々木 そう僕、人も心配になっちゃって。僕がこんな落ち込むんだからイトオさんも落ち込むんじゃないかと思って(笑)
イトオ 「え、ヤバいの来るのか?!」と思ったら、意外とそんなでもなく(笑)
佐々木 単に僕が耐性が低いだけでしたね(笑)
イトオ それを再確認しました。
佐々木 僕はもうみんなの前でこんな風に喋ることが新鮮でしたね。 その中で、この3人の中での自分の位置、自分のアゴがなんなのか、なにを伸ばしていけばいいのかが、ほんのちょっと見えてきたような気がするようなしないような。 自分のアゴはいろんな出来事を通して浮き彫りになっていくと思うんですけど、そういうワンオブザ浮き彫りの一つだったかなと思います。
質問者2 ゲームを出しているんですが、一番最初のプロトにあたるものを私が書いて、相方がそれに色を付けてくる形になるんですけど、プロトの段階で「おめえのゲームはとってもわかりにくい最初の文章がまずわかりにくい」と言われてしまいます。みなさんどういうわかりやすいプロトの出し方をしますか?なんかコツとかあれば教えていただきたいです。
イトオ インサイダー作る時に、僕も確かにわかりにくいねみたいなことを言われることがあって、それは僕の文章力とかそういうのもあるんですけど。その時に動画をつくってもらえて。それはチームインサイダーのオカノダイチくんって子なんですけど。その動画を作ってもらえて、やっとわかりやすくなりました。その動画はYouTubeにもアップされています。それを佐々木さんにも見てもらったんですよね。
佐々木 見ました見ました。ルールが伝わりやすい動画ですね。
イトオ あれって製品が何も無い状態、紙ペン状態の頃だったんで、たまたま知り合いにそういうのがいたからラッキーだった。っていう話ですね。ほんとうによかった。
佐々木 上杉さんは?
上杉 難しいですね。僕が自分でルールのひな形を書く時に気をつけているのは、自分がもしその文章に書かれていることしか理解できないロボットだったとしても理解できるようにしようっていうことで。もう本当に文章に書かれていることだけを、頭を空っぽにして、その動作をやるだけでゲームがちゃんと成り立つように細かく書くっていうことですかね。これが役に立つかどうか分からないんですけど。
佐々木 上杉さんは他の作家さんとコラボレーションもされてるじゃないですか。例えばプロダクトアーツの坂上さんと一緒に作ったり。そういうときってお互いの意思疎通はどういう感じでやられるんですか?
上杉 対面でずっとやってると、むしろあんまり明示的な意思疎通がいらなくなりますよね。そんなふうに、意識を常に共有していく感じで。
佐々木 僕の場合は、これは結構僕の利点かなと思うんですけど、プロットが要らないんですよ。僕が一人で作るから。着想から製品化までほぼ一人で行けるんで、伝える必要がないし、コミュニケーションロスが無いんですよね。
上杉 それはでも、見習うの難しい奴ですね。
イトオ ずるいって言われるレベルですね。
佐々木 でも一つ言えるとしたら、僕は人に見せるときは必ず遊べる状態で見せます。テキストで説明するわけじゃなく、テストプレイしてもらう。変なコンポーネントでもいいから作って、ちょっとテストプレイいいですか?みたいな感じで呼んで、全然まだルール出来てないんですけど、一回このルールを動かしてみたいんでお願いしますみたいな感じでやります。 だからもういきなり動かすんですよ。文字の状態では見せないです。やっぱり動かしてナンボだと思っていて。 すみません・・・全然いいプロットを書く方法じゃ無かったですね。
質問者3 オインクゲームズさんは、いつも一箱に全てが凝縮されてるじゃないですか。そのまとめる・・なんて言うんでしょうか、説明しづらいんですけど、そのまとめる力というか着想というのはあるんでしょうか
佐々木 これはじゃあ僕が答えますけど、まずこの箱サイズを決めたんですね。最初に。まずは箱にどう詰めるかって言う前に、この箱サイズで全部作ってやろうと思ったのが最初で。でも途中で上手くいかなくて今は二倍の厚さになっちゃったんですけど、でもこのサイズに収めてやろうというのは毎回思ってて。そもそも自分がコンパクトなものが好きなんですよね。 で、どう納めるかってのは非常に難しくて。もう納まるようにしていくしかないんですよね。毎回。
上杉 これ、もうちょっと大きくしておけばなあというのは。
佐々木 めっちゃ思いますよね(笑) どうしようも無くなったらもっと大きい箱が出来るかもしれないんですけど。
上杉 このダンジョンオブマンダム見ると相当すごいですよね。この納め具合。
佐々木 大変でした(笑)
上杉 ダンジョンオブマンダムエイトは、元々海外で出てたものを逆輸入して作っていただいてるんですけど、海外のやつはこの1.5倍くらいの箱が2つなんです。それがオインクゲームズの箱のサイズに納まっている。ものすごく圧縮しましたね。
佐々木 まず、この箱のサイズを見たらオインクゲームズのゲームだって分かるようにしたいんですよね。だからちょっと独特のサイズなんです。あとやっぱり持ち運びとか、常に自分がボードゲームを遊ぶシーンを考えた時に、自分ちに人呼ぶってあんまり考えにくくて。いろんな人がいるとは思うんですけど。
だから、鞄に入るサイズってのがひとつあって。あとは、プレイのコスパですよね、さっき言った。家の中のスペースをより大きく消費するゲームほど、面白さもそれに比例して大きくならなければいけないと思って。コンパクトにした方がプレイのコスパがよくなる。ただ、そのせいでプレイしにくくなると結局コスパ上がってしまうんですけど・・・そこはすごく難しいですが、これに無理矢理納めるように知恵を絞るみたいなことしかないですよね。
イトオ 知恵を絞る(笑)
佐々木 でもすごい知恵を絞るんですよね。
上杉 でもきっと、今までの積み重ねでノウハウがあるんですよね。三分割したりとか。
佐々木 ありますあります。ずっとこれで作ってるから、色々積み重なってノウハウは貯まっていきます。 インサイダーははじめて砂時計を入れたんですよ。さあ、砂時計どう納めるかみたいなのはすごく難しかった。あとは、お題カードはホントはもうちょっと多い方が良いかもしれないけど、この箱に収めるためにはギリギリこの枚数だ、みたいなな葛藤もあったりして。 自分の作品では、ときにはプレイアビリティ以外の、ゲームシステムの方にも手を加えてでも箱に納めるということもあります。ある種ルールまで戻って考えられるっていうのは僕が一人で作ってるからっていうことの利点でもありますね。なんか箱に納まんないやってルールをいじるって、なかなか出来ない。
上杉&イトオ できないですね、普通ねー。
佐々木 そこまで立ち返れるって言うのが一つポイントなのかもしれないですね。
いかがでしたしょうか。お三方の作品の根底に流れる考えや哲学が少し垣間見えたような気がします。今後の作品も楽しみですね!
明日から二日間開催の「ゲームマーケット2017秋」では、佐々木隼の新作「トロイカ」がオインクゲームズブースで発売されます。詳細はこちら。お時間があればぜひお越しください。
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heyatoengeki · 4 years
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屋根裏ハイツ『私有地』感想戦 2019.12.01
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撮影:本藤太郎
どっちでもいい、状態
中村  残っていただいた方ありがとうございます。感想戦というのは今回『私有地』ではじめて試みていることで、将棋の感想戦になぞらえて観客の皆様の感想を聞ければと思っています。で、誰に感想を聞きたいかな、と考えたときにいくつか名前が浮かびまして、一人は昨日来てくださったお布団という劇団の得地さん、それから今日ここにいらしている野村さん、福井さんのことが浮かんで。2人とは今年の6月くらいから部屋と演劇という企画を一緒にやっています。まずは感想を聞ければ。
野村  6月の『寝床』のときも拝見させていただいて、そのときにもコラージュ的な作品は普段あんまりやらないっていうことをおっしゃってて、今回のこれは、どういう位置づけなんですか?
中村  僕らの通常公演だと最近はストーリーががっつりあるのをやっていて、なので下にいっているバージョンは普段とは違う位置づけでいます。
野村  前回のときも言ったかもしれないけれど、僕は基本的にこういう重層的な螺旋状に上がっていく形式や構造が好きなので、ずっとそもそも観れちゃったっていうのがあって、おもしろかったし、直感的に物を動かしたりそれに対してなにかしたりとかっていうことは、それを言語というよりは、こういう意味だとか、っていうふうに捉え直さなくても、面白いな面白いなっていう瞬間があらわれるっていうふうに見えて、それがとても心地よいなと思いました。だからあんまりこう、どういう意味なんですか?みたいな質問を用意してなかったなっていう。(会場笑)
中村  めちゃ感想ですね、(笑)
野村  え、だって感想でいいんですよね?
中村  もちろん全然いいです。
野村  後、嘘だからいいなと思っていて、ボケっていうか認知症という感じの最初一人が寺田さんがそうなのかなって思ったんだけど、そうなのかもしれないし、どっちでもいいっちゃいいし、でもそれがさっきも言ったみたいにどういう意味というわけでもなくて、これでいいんじゃないかな、みたいな許容できるというのが心地よかったですね。
中村  どっちでもいい、状態はずっと作ろうとしているかもしれない。あと、『寝床』のときはリビングのシーンが4シーン��ったけど、今回は部屋じゃない場面もあって、より嘘の度合いが高かった。
野村  あと、音響とかも、あえて言うなら面白かった。あとシーンとしてすごく好きなのは、最初渡邉くんが椅子を座り直すところとかはとてもわかるーって思ってました。
中村  どういうこと(笑)
野村  これ多分中村さんには言ったと思うんだけど、#部屋と演劇の企画で色々月イチくらいで話してるんですけど、自分の家のレイアウト模様替えとかしますか?って話になって、福井くんは結構する、僕は実家の母親がめちゃくちゃするけど、個人的には全くしないっていう話をしていて。いつもそこにいる、っていう場所が家の中で僕の場合はきまっていなくて、普段机で作業する時もあれば、キッチンで床に座ってすることもあるし、別にどこでもそこにいればそこが居場所って感じだから、模様替えとかしない。で、(舞台でセットにおいてあった)椅子が最初に真ん中においてあったのをいきなり動かされて、
中村  なんか重要な感じしてましたもんね。
野村  そうそう、で、いきなり別のところに動かされて。「あ、どこでもいいんだ」っていうときの、自分の部屋はそういう感じだし、おもしろかったすね。同様に、ミニカーをポンって置くとかは面白かった。
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撮影:本藤太郎
嘘ではない状態でいる
福井  さっき嘘の度合いが高くなったっておっしゃってましたけど、僕は別にそうは思わなかったんですよね。お話そのものとかここが部屋じゃないみたいなことは嘘ですけど、この場所が嘘っぽくなったっていうより意味がなくなった、無になったというか。ここはSCOOLでもないし、俳優がどこか別の場所を引き連れてきたって感じでもない。言葉がただ俳優間で交換されて、僕らは純粋な出来事だけを観せられてる。YouTubeのジャルジャルのコントとかホワイトバックの映像みてるみたいな気分になりました。だから俳優さんの居方というか、場所に対する感覚を伺ってみたいです。
野村  やってるときなにをどう考えているか、とか?
福井  はい。演出としてシチュエーションがスイッチするじゃないですか。セリフが起点でわかりやすく「こんなところで寝てちゃダメだよ」とかは、俳優さん的にはわかりやすそうですけど、もうちょいぬるって変わるところもあるから。
中村  ああ、最初のコンビニから漫画喫茶に変わるところとかは、そうかもね。どうすか?
村岡  演出はなんか最初と満喫のシーンで「陣取りゲーム」をしているみたいに言ってたんですけど、俳優としてはそっちに何がある、みたいなことは最初は確かにあるんだけど、別にそれをそこまで重要視していないというか、その場で俳優同士とかが物との間で起こっていることのほうが重要だなと思って。
中村  シチュエーションとかではなくて?
村岡  シチュエーションとかではなくて、そこで起こっている現象にフォーカスをあてているから、だからどこかわかんないみていなことが起きているのかなと思います。
福井  あと、食べもの・飲みものが多かったですけど、それはなにかあったんですか?
中村  「食べもの」については、まず、食べてから咀嚼音が聞こえて、それが喉に落ちるみたいな、そういう音が僕は好きなんですね。フェチとしてはそういう、プルトップ開ける音聞きたい、みたいな。でも食べ物の存在は物語とは別個に、グロテスクだったり、エロく、生々しくみえるというか、そこだけは100%のリアルじゃないですか、胃の中に食べ物が落ちていくとかということは。だから舞台空間、セットを再現したりしないけど、こうなんか口に含むとかのものだけは本物使いたいっていうのは、ずっとそうですね。
福井  舞台上で食事ってやっぱり難しいと思うんですけど、今回例えばお菓子多いじゃないですか。あとペットボトルの飲み物とか。管理しやすいものですよね。要するにクッキーが一個体としてではなくて、食事のリアリティーを成立させる素材として選ばれてるように見えて。それはなんか堅実じゃないなって思うんですよね。穿った見方ですけど。
中村  都合でクッキーになっている。
福井  そう、都合クッキーに見える(会場笑)
中村  確かに、いつもナッツとか、乾きものか飲みものが多くて。
村岡  咀嚼音が聞こえる、
中村  そうそう、咀嚼音が聞こえるもの。
福井  個包装の?
中村  や、皿に開けたりもするけど、でも確かにステーキ焼いたことはないな。それは確かに予算の問題みたいなのはあるけど、あんまり気にしてなかった。
福井  そういう都合が見えちゃうのは仕方ないけど、無視もできないなと思います。実際ステーキとか持ってきて食われても困るけど。
中村  マジで焼いてくれるならいいけど、冷めてるだろうなって思うと、観てる側も冷めるというか、「うまそう、このステーキ」って言ってるのにステーキから湯気出てないと、嘘じゃん、美味しくなさそうって思うから、管理できるリアリティのものを使うっていう。
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撮影:本藤太郎
観客との応答
中村  なにかお客さんの中でもありますか、全然関係なくてもいいですし関係があってもいいですし。
観客1 僕はこれを見に来たのは、ステートメントやツイッターにも書いてあるようにやっぱり「所有」ということについて、演劇でどこまでできるのかなっていうことに関心があったんですけど、ちょっとがっかりです。陣取りで終わったらつまらないなというか。非常に単純なところでそこから入ってどこまで深く行くのかっていうのはちょっと時間もあるし場所もあるし、もっと作ってもらえたらな、と思います。もう一つ、僕は演出のことがよくわからなくて、非常に工夫されてたと思うんですけど、ちょっと年をとったっていうこともあってあの方(村岡佳奈)の声がやっぱり聞き取れなくて、わざわざ(袖に)行って話すのには意味があると思うんですけど、観客にとって会話の内容が、聞き取れて意味がないのと、聞き取れなくて意味がわからないのとでは全然違うので、どこまで配慮しているのか伺いたい。そして俳優さんがそれをどの程度の声量ですごく声が出る方だというのはわかったので、管理されていたのかがわからない。
中村  まず、声の大きさについては、声を小さくすることでお客さんが耳を澄ませる。そしたら聞こえるようになると思って演出をしています。ただ、最後のシーンに関しては、「聞こえなくてよい」ものとして処理をしています。ただ、音として気になって、袖から声が聞こえてきたとしたら、そのことと舞台上で起きている出来事がリンクしたりしなかったりっていうのがお客さんの頭の中で起きたらいいなっていうのがまずひとつ。そして前者の「所有をめぐる」ということに関してはご指摘の通りフォーカスがあまいというか、まだまだ掘り下げられるところはあるなとは思っていて、それはこの作品自体が「加害について」というシリーズの第一作で、加害と所有をめぐる関係については、一足飛びに答えが出せない、これは私の答えですということで答えは出せないなということが、一つあってですね。で、僕自身が踏み込めてなさというのはあるかもしれないんですけど、陣取りゲームと他者をモノ化する振る舞いというのを積み重ねていく、そこはどこまでエスカレートできるかを考えたときに、僕の信じる役者の身体の状態でどこまでエスカレートできるかというの、例えばどこまで残酷なシーンが描けるかっていうことだったりするんですけど、それは今以上にはやりきれないなと結論を出しました。つまり、この上演は中途段階ではあるんです。「所有」というキーワードに対してはもっと様々なベクトルでの攻め方があるかなとは思っています。
観客1 お菓子がなにかつながってくるのかなと思ったんですね。彼は「人からお菓子をもらえない」という病だといっていたのが、とてもおもしろかったんですが、それがつながってこなかった。
中村  お菓子については「感覚を分有する」というか、テキストとしてはわかる/わからないの感覚を2人はすごく細かく喋っているだけですね。それがピッタリ(所有というキーワードに)なにか結びついているかというとそうでもないかもしれないけど、感覚の分有をし続ける先、観客もそういう身体になる、というか、どの感覚が自分にはわかってどこからがわからないっていうのを観客も選択していくことと、他者を攻撃するということはつながるんじゃないかと思って書いてはいました。
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撮影:本藤太郎
目線と「所有」
観客2 拝見していて、俳優の皆さんの視線がとても面白いなと思ったんですけど、みなさん視線の訓練はなさってるんですか?(会場笑)
村岡  いや、
観客2 なんか、インドのカタカリとか、目をあちこちやって筋肉を鍛えているみたいな(笑)
渡邉  動いてたり音がするところは基本的に観てしまうところもあるけれど、取捨選択はするようにっていうのがあって、何でも観るわけじゃない。音を拾うのはオッケーだけど、何でも拾ってたらいっこうに劇が進まないので、その感覚は本番を重ねていく中でこれは拾わなくていい、とかこれを拾えたのがよかった、とかいうフィードバックは上演が終わる都度常にすり合わせているので、それが身体に落ちてきているっていうのはありますね。ただ目の訓練はしてないです。(会場笑)
観客2 さきほどの「所有」ということと、視線の使い方が関連しているのかなと思って、まずあんまり日本の社会だと相手をジロジロ見るってことをしないじゃないですか、でもここでガッと観るっていうのは意識してるのかなと思ったんですけど、
中村  車のシーンで見つめ合っているところとかは、「所有」という振る舞いだから選択されたというよりは、初めて知らない人の車に乗るときの気まずさ、を立ち上げるときに、目線を合わせることで、気まずい時間を気まずいままで過ごす、ていうことをすればよりその時間が観客に伝わればいいんじゃないか、それを伝えようっていうことで車のシーンとかは目線をあわせたりしました。
観客2 漫画喫茶の場面で、お客さんの顔を見て、ネットをいっぱい使うのがわかるか、とか、部屋汚くしそうとか、あと、
村岡 「回線つまらせ顔」(会場笑)
観客2 そうですね、つまり日本の文化だとあんまりまず言葉を交わすときには多少顔は合わせるけど視線は完全には合わせないみたいな、そう、でも言葉をかわさない状態で人をじっと見るっていうのはある種「人を物化する」っておっしゃってましたけど、そういう意識があったのかなって思ってます。
中村  漫画喫茶の場合は、対象を見ながら言うことで、言ってることがより観ている人に聞こえることで、意図が見えてくるかな、と。
野村  「所有」ということが書いてあるんですけど、所有することとか、何かを所有するということはまだ掘り下げられる、もっと残酷なことになっていく余地はあると言ってましたけど、僕はそっちは確かにそう観ていなかったんですけど、ただなんかモノが動かされたり、クッキーなのかビスケットなのかとかも結構どうでもいいじゃないですか、そういう様々な情報が持ち込まれていって、持ち込んだ人たちが去って、舞台にモノが残ったときにエモくもなんともない、やっぱりどうでもいいものに見えたっていうのが面白かったですね。
中村  一つの意味を持つとか手触りがあることで意味をもつとか、
野村  そういうのがあってもいいじゃないですか、結局なんかクッキーはクッキーだなっていうふうに見えたのがわたしにとってはよかったですね。手放した後のモノの見え方が変わらなかったっていうのが「所有」に関しては面白かったです。
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撮影:本藤太郎
観客のチューンを合わせる
観客5  2点お聴きしたいことがあって、まず観客をどのくらい置き去りにする気があるのかっていうことが結構気になっていて、今回屋根裏ハイツを観るのが2作目なんですけど、前回見たのが「ここは出口ではない」で、そのときも今回も思ったんですけど、突飛なことをやる前に丁寧に丁寧に観客のチューンをあわせてくるなっていうのがあって、例えばクッキーの手触り、垢がつく云々の話のときに感覚の分有っていう言葉をさっきおっしゃったとおもいますけど、クッキーはクッキーじゃないですか、でも手垢がついてるかもしれないというわけのわからない圧をかけると、とたんに食べられなくなるっていうことが、シチュエーションがどんどんどんどん変わっていくことによって、本当は全然気まずくないはずなのに、まるで役者の肉体に気まずいシーンっていう圧がかかるかのような、目の前に現前しているブツとしての役者の身体とシチュエーションがかける圧と、クッキーの想像によってかかってしまう圧とクッキーという現前しているものとの関係がなんか似たようなものに見えたので、なので最初にあのクッキーの話をされたあとに、いろんなシチュエーションがどんどんかわっていって、シチュエーションに合わせて役者の身体に圧がかかるっていうのは僕は結構スッとはいって来たんですよね。それが、そういう狙いでやってるかわからないんですけど、突飛なことをやるまえに観客を受け入れさせるような結構準備をしているというイメージがあるので、観客を置き去りにしないのかなということを思っていたんですけど。
中村  基本的には、演劇を初めて見る人でも楽しめると思って作っていて……(会場笑)、わかるようにしようとこれはわりと本気で思っていて。客層が結果的にそうではないこととか、このサイズの劇場でやっていることの限界はもちろんあるんですけど、それは本気で思っていて、なのでそういった不親切な飛躍をできるだけせずに、そのなかでどれくらいジャンプできるのかっていうことを試していて。しかしそうなるとワンシチュエーションの部屋の演劇を作ることしか出来なくなってしまう、っていうのが『ここは出口ではない』くらいまでで、でも部屋ばかり描いていても、まあ飽きてくるというか、もっといろんなことできるようにしときたいっていうのは作家の欲望としてあって。今作『私有地』がどれくらい親切だったかわかりませんけど、平常の身体が舞台上にあるというか、役者って圧をかけたりしてパワフルになったりすることができるけど、そうじゃない劇を観ている観客と同じ身体が目の前にある。日常、リビングで過ごすわたしたちの身体とおんなじモノがある、というところからどうしても始めたい。そのうえで感覚をすり合わせるとか、感覚をチューニングするみたいな作業を入れることで、観客が理解できる、答えがわかるわけではないですけど、なんか観れる、っていうふうにする。そこには意図があります。
観客5 すごいチューニングが丁寧であるだけに、今日の感想の中だと、所有の暴力の話になったときにあんまり極端な方向にはいかないでその、観客の日常の中に潜む日常の中の暴力みたいな話になるのかなと思いました。で、いまちょっとお話がでたんですけど、部屋を超えたいっていうのは結構気になっていて、陣取りゲームっていうモチーフは家の中の部屋で起こることではないのかなと思います。
中村  公共空間を私有地化するときに起こる。
観客5 そうそう、まさに。なので今回は部屋というよりは公共空間の話だなと思ったんですね。とくに、私は大きいかばんを持ってしまっているのでこれをどこにおくかでどこまでの空間を私有化するかっていうのは周りの人とのガチガチのバトル��あったので(笑)なのか今回は部屋じゃなくて公共空間の話かなっていうことが聞きたかったんですけど、
中村  そうです(笑)だから、一応公共空間を私有地する場面からはじめようっていうことで、コンビニの前でたむろする2人っていう、でもそれはコンビニとは伝わらなくてもいいということに最終的にはしましたけど、そこから書き始めたという感じです。 ……というところで、そろそろお時間です。ありがとうございました。
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撮影:本藤太郎
三鷹SCOOL 中村、野村、福井、寺田凛(青年団)村岡佳奈、渡邉時生(屋根裏ハイツ)、来場者の皆様
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lostsidech · 5 years
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mukmagazine · 5 years
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Corner Of Kanto  【INTERVIEW】
「メンバー各4名の実力が存分に発揮される演奏と曲構成で、抒情や風景の表現を続けたい」
矢部諒(vo./gt.)、小紫峻(gt.)、成塚優貴(ba.)、漢人尚哉(dr.)の四人からなるバンドcorner of kanto、地元が八王子周辺のメンバーを中心に、さらに2016年に成塚(ba.)が加入し現在にいたる。都市と自然のせめぎあいの風景の中で切実な音楽を奏でる彼ら。ボーカルの矢部さんに話を聞くことができた。
Q1.バンド結成のきっかけを教えてください.
「私とギターの小紫は高校時代の知り合い、小紫とドラムの漢人は中学からの同級生、私とベースの成塚が大学の同級生という関係です。成塚以外の3人は地元が八王子~豊田と近く、私と小紫、小紫と漢人でそれぞれ高校時代にバンドを組んで活動していました。八王子~立川には独立した小さなライブハウスシーンがあるのですが、そういったローカルな活動の中で、我々3人は出会いました。その知り合い同士の関係に大学で知り合った成塚が加入しました。成塚と私は、彼がボーカルギター、私がリードギター担当のボクノクロエというバンドを組み、大学時代約3年半活動していました。2015年にそのバンドのベースとドラムが遠方に勤務することが決まり同バンドは解散したのですが、彼はなんでも器用に楽器が弾けるためベースもすぐに上達するだろうという見込みもあり加入してもらいました。2016年11月に成塚が参加してから約3年間活動しています。」
Q2.印象的なバンド名ですが,どのような由来なのでしょうか.
「高校3年生の終わりに一瞬だけブログを書いていたことがあり、そのブログのタイトルから引用しています。 結局投稿2回くらいで辞めてしまったブログなのですが、構想段階ではそれなりの物になる予定で、居住地の名前をタイトルに冠して物々しさを出そうと考えていました。最初、「from the minamitama(南多摩)」だとか「center of asakawa(浅川)」などいくつか考えたのですが、「from the corner of kanto」という名前が、ゴロも良いし浅川や南多摩ほどフォーカスしていなくて、ちょうど良さげだと感じ採用に至りました。  すぐに更新停止したブログなのですが、バンドも心情や体験を表現する場所という点で近いものがあり、また、特にメンバーの3人は八王子や日野など東京の端出身だったのでちょうど良いとも感じ、そのまま引用することにしました。辻褄合わせの様ですが、偶然にもベースの成塚も千葉の野田で育ちましたので4人ともcorner of kantoに関係のある人間でうまく収まっているな、と思っています。我々の音楽を作るのに、自然と都市の境界線に生まれ育つことで醸成される感性?が必要なのかもしれません。」
Q3.影響を受けた音楽はありますか.
メンバー全員が2000年代の邦楽ポストロックシーンの影響を受けています。メンバー全員people in the boxが好きで、特徴である歌のメロディと演奏のアグレッシブさを我々も両立できているか、常に意識しています。他にもBOaTやdownyなど、歌と演奏の両方をウリにしているバンドを好んで聴いています。 小紫と漢人はovallやliteなどより演奏に特化したバンドも聴いていて、私と成塚はart-schoolやgrapevineなどより歌のメロディに重点を置いたバンドも聴いています。また、成塚以外の3人は任天堂のゲーム音楽にも興味があり、ゼルダの伝説やピクミン、どうぶつの森シリーズはよく会話の最中に挙がります。ゼルダの伝説シリーズは販売されているサウンドトラック集の9割くらいはメンバーの誰かしらが所有しているはずです。
私と成塚はオルタナを経由したので周辺の音楽はある程度精通していて、成塚はnirvanaやmy bloody valentine、私はpixiesやtortoiseなど好みの傾向の違いはありますがオルタナっぽい即興演奏をよく二人でやって遊んでいます。
漢人は大学でジャズを練習していて、チックコリア以降のモダンジャズはそれなりに理解しているはずです(多分)。私もここ3年ほどジャズに挑戦していて、最近ようやく好きなジャズの傾向を掴んできました。今のところ60年代前後のハードバップやモードジャズ、フリージャズの最初期の頃が好きなようで、漢人と趣味の共有はしていません。
私は、ベイシティローラーズ、カーペンターズなど欧米のポップス、はしだのりひこ、西城秀樹、伊勢正三など日本の歌謡曲やフォーク、95年ごろにNHK教育で放送されていた「おんがくファンタジーゆめ」という幼児向け音楽番組などを子供の頃によく聴いていました。 その後スピッツ、the eagles、led zeppelinという3バンドを知り、ギターという楽器の良さ、アルペジオという演奏方法に本当に心を奪われました。その後プログレ、オルタナ、ポストハードコアとロックの道に入って行きました。 ポップスやクラシックの楽曲構成と、ロックの感情表現の二つが自分の音楽観の根幹を成していると考えています。」
Q4.最近聞いている音楽があれば教えてください
最新の音楽をちゃんと追いかけられていないのですが、最近はOrnette ColemanやJohn Coltraneなど60年代のモードやフリージャズを一枚一枚聴いています。個人的におススメなのがOrnette Colemanの1965年発売の「at the golden circle」、John Coltrane だと1971年発売の「sunship」、で、迫真の演奏でありながらわかりやすさもあるジャズで大変気に入っています。邦楽ではcolormalや長谷川白紙など新形態の宅録ミュージシャン達をよく聴いています。今までの宅録音楽とは全く違う持ち味の音楽を作っていて、勉強になるしとてもかっこいい音楽だと思います。海外の音楽でグッときたものは、最近だとflying lotus、Yves Tumorなどです。基本的に生演奏の録音が好きなので、PC上の作業で生み出された曲でも、楽器を録音したファイルを編集した音楽や楽器の質感に近い音色を使った曲を聴いています。新譜ではありませんがthe avalanchesのファーストも似たような理由でよく聴いています。」
Q5.一つ一つの曲が丁寧に積み上げられている印象を受けます.どのように作曲されているのでしょうか.
「まず、ドラムのリフやギターのリフ(メンバーの手癖や提案してきたフレーズなど)、各楽器をどう鳴らしたいか、曲をどのように始めて終了させたいか、などの音楽の思いつきをメンバーで集めます。そのネタに、日常で得たふとした気づきや心の揺れ動きを組み合わせて作曲を開始することが多いです今バンドで取り組んでいる「堰堤」という曲を例にして、なるべく具体的に説明したいと思います2年前の夏、ダムを管理している行政機関が「ダムカード」と呼ばれるカード型のパンフレットを配布しているのを知り、それを集めるために南関東と甲信のダムを巡ったことがありました。大体35か所ほど訪問し様々な形のダムを堪能したのですが、そうやって幾か所ものダムを訪問しているうちに、「ダム」のイメージが、巨大なダムが押し黙っているサマや、夏のダムに広がっていた生物の鳴き声と落水の轟きが混ざるサマなど、象徴的な幾つかの風景に纏まってゆくのを感じました。
それとは別に、私は今ジャズにハマっていて、(正しい解釈が出来ているか不安ですが)ジャズの様に各楽器を飛び交わせて立体的で性急な音響を作り出したい、と欲していました。そういったイメージや欲望をなんとなく頭の隅に置いておくと、頭の中に、楽器の飛び交���様をうまく再現できれば生物の声や落水の轟きの混ざったあのカンジを表現できるのではないか、というアイデアが出現しました。こうして抽象的ではありますが「堰堤」という曲のテーマを得ることができました。そして、参考音楽を探したりセッションしたりメンバーで貯めてきた音楽のネタを試しながら、轟きのイメージがうまく演奏に変換できるよう試していきます。狙いがうまく達成できたかを判断するのは基本的に私なのですが、今日の演奏はいいカンジだねという感覚は全員が共有できているのでそれなりにうまく作曲できています。こういった作業工程を曲が5分の長さになるまで継続するスタイルで、地道に音楽を積み上げています。
また、そういった挑戦の中で誕生したフレーズや音のまとまりをアイデアとして保管しておいて次の段落で試すことがとても多いです。「堰堤」の場合では、イントロで差し込まれていたアルペジオフレーズをボツにしてそれを曲の中盤で再利用しています。すでに発表している曲はどれもこれもフレーズの再利用を積極活用して完成させています。 作ったフレーズのリサイクルが、ご指摘いただいた丁寧な積み重ねを醸し出す秘訣になっているかも知れません。」
Q6.歌詞が非常に文学的に感じられました.作詞はどのようなことを意識して行っているのでしょうか.
「もう昔の話ですが、私は高校時代くらいまで将来は小説を書いて暮らしたいと夢見ていて、幼い頃から近代以降の日本文学作品を好んで読んできました。何編か習作を書いてみたくらいの挑戦であきらめた子供の夢でしたが、今でも文学には思い入れがあり気になった作品はなるべくチェックするようにしています。今回の様に歌詞について指摘を頂けるのは本当に嬉しく、文学に親しんでいてよかったと思います。詩の醍醐味は、言葉の意味が前後の文章関係によって整頓されておらず抽象的なまま留め置かれている点にあると感じています。それぞれの言葉の意味が多義的なまま広がっていて、隣に並んだ言葉との間にだけ具体性が出現する、というイメージでしょうか。文意に沿って言葉の内容が制限されない分、言葉を選んだ人間の精神がより野放しに表現されているのが詩の特徴であると感じていて、出来るだけそれらを削らない言葉の選び方をしたいと思っています。(本格的に詩の理論を勉強したことがないので飽くまで勝手な感想ですが)。都市と自然のそれぞれの終わりであるニュータウンに生まれたことや、相反をテーマにした文学に多く触れてきたことから、そのようなどっちつかずの心の状態や土地の構造は非常になじみ深いものでした。私自身非常にナイーブな人間であるため、不安定な心情と郊外の風景は人生の土台でもありました。
私は、団地や暗渠、もしくはダムや稲穂の広がりなど、自然とせめぎあい、自然に生かされている光景が心の緊張と弛緩の関係にとても近いと感じていました。詩について考えるうちに、そういった私の思想は、お話の舞台や登場人物の関係を欠いた詩という形態で表現するのに適しているのではないかと思い、それ以来郊外と心の揺れ動きを一つのテーマにしています。 バンドを始めたころは歌詞に気を配る必要性を感じたことがなく、有体な内容をただ書き連ねているだけで、今までの文学体験をバンド音楽に投じることはありませんでした。大学2年生の終わり頃、バンド活動をやれるだけ真面目にやってみようと決めてから、作詞、作曲共に格段に真剣に取り組むようになり、現在の作詞の姿勢になりました。
あとひとつ、そういった視覚的な騒音を前に長いこと立ち尽くしていて、いつの間にか自分の心の揺れ動きに自覚的になっていて、ああ、心が動いている、と気づく瞬間もテーマの一つとして歌詞に入れ込むようにしています。突風の中で逆説的に無音を感じ取った時の、心が刷新される感覚とでもいうのでしょうか。面前の錯綜した光景と対面するうち、精神的なしじまを自分の内側に見出すことができ、その静寂の中に心に関する素朴な気づきがあった、という感動が好きで、歌詞の中の動きとして登場させています。詩は場面を表現するのに適した文学だと思っていますが、風景に対峙する場面と自身の内面を振りかえる場面の二つが小さな時間の流れを生み出していて、このような詩の構造は音楽という時間の表現に合っているのかなと感じています。
簡単に表現すれば自然に飲み込まれるというだけの歌なのですが、黙り込む風景を眺め、そのうちに自分の心が露わになっていることを発見し、「ほっ」としたい、という人間の感覚に20年以上美を感じています。普遍的な芸術観ではありますが、自分の中でやりきったと思えるまでしばらく同様の表現を突き詰めたいと思っています。」
Q7.「私たちの伴奏曲」はバロック調のフレーズがミニマルにくり返されながら作られる調和に思わず感嘆してしまいました.どのようなコンセプトの曲なのでしょうか.
「映画に熱中していた時に感じた映像の美を自分なりに音楽にできないだろうかと考えているうちに組みあがった曲です。 恥ずかしながら私は22歳まで映画に関心がなかったのですが、恋人と友人にそれぞれゴダールと小津安二郎を教えてもらってから映画に目覚めました。いかにも学生が言及しそうな監督たちで詳しい方からすると噴飯ものの話だと思いますが、そこから映画にハマりその年に100本ほど50~60年代の映画を観ました。映画では構図の美というものを初めて知りました��場面の構図が厳かで徹底的に管理されたものであれば30分でもその画面を見続けていられることを体感し、全く新しい文化体験にしばらくのめり込んでいました。
大体同じ頃、チェスを題材にした映像作品の音楽を作る機会がありました。その作品にはチェスの試合と音楽が共に進行していくという、音楽と映像の同期がテーマとして与えられていました。 私は、チェスの盤一マス一マスに固有の楽器の音とリズムから成る短い繰り返しを設定し、チェス駒がマスに乗ると設定しておいたループフレーズが流れる、というルールを用意して曲を作りました。大量のループフレーズが試合の進行に合わせて出現し、試合の終了と共に消えていくというのが見せ所の曲です。相当に大変な作業だったのですが、出来上がった音楽は個人的にかなり満足できる出来栄えで、曲の緩急を全部の楽器が共有するタイプの音楽しか作ってこなかった私に新たな作風を与えてくれました。 試合が白熱し駒が中央に進出してくるほど多層的に音楽が展開され、決着に近づくほど盤上の駒が減りフレーズ数も収まっていくという音楽の趣向はその後も強く心に残り続け、バンドの曲にもこの作風を反映させたいと思うようになりました。その2つの体験から、構図の美とループフレーズの多層的な展開、というイメージを手にいれることができ、では具体的にどう作っていくか、という段になりました。
当時、中学以降率先して聴いてきたロックに少し満足してしまったという感覚がありました。22歳になり、がむしゃらな熱意だけではどうにもならないことがあるのを受け入れだしていて、肉体的な興奮をあまり引き起こさない音楽を探し出していた時期でした。 なので、という訳ではないのですが、ふと、自分が大昔に習っていたピアノの感覚でフレーズを作ってみようと思い立ちました。 私はギターとピアノの顕著な違いの一つに弦の本数があると感じていて、ピアノは1音に1弦を使うことが出来ますので音を重ねることが大変容易ですが、ギターは基本的に6本しか弦がないので二つの隣り合った音を同時に鳴らすには相当の工夫が必要です。同時に、それを克服できさえすればピアノ的なフレーズもそれほど違和感なく演奏できるのではないかと見込みこのリフを作成しました。メロディ自体は15分くらいで作ることができ、指使いに1時間くらい掛けた記憶があります。当時の我々はフェイザーやワウなどを頻繁に使うサイケデリックな要素を持ったバンドだったのですが、そういう尤もらしいギター音(当時はそう感じました)に私は虚無を感じ始めていました。ポストハードコアを比較的よく聴いていた時期でもあり、リードギターの小紫からも機材が重いという苦情を常から受けていたので、ここからしばらくクリーンサウンドで曲を作ろう、と考えました。クリーンサウンドで良く練られたリフを繰り返すというのが、「私たちの伴奏曲」の音楽的なテーマです。
歌詞についてですが、服から露出した部分の皮膚が感じる冷たさと、服に覆われた部分の皮膚のぬくもりの明暗に命の充実を感じた、という体験を発端にして書きました。「泥を握り 頬になすった」後から「兆し」が見え、瑞々しい皮膚感覚が「不安」を山向こうの街に放りなげてくれることを信じ、今はそれを待っていよう、という主題の詩で、兆しをじっと待つという祈りの行動が感動を生んでいるかもしれません。クリーンサウンドが透明度の高い晩秋の空気を醸し出している様に感じ、歌詞と合わせて冷ややかな景色がよく描かれている音楽だと感じています。」
Q8.新曲「稲穂の海」は個人的にこれまでの曲とは少し違うアグレッシブな一面がみえるのですが,どのようなコンセプトの曲でしょうか.
「この曲は新潟に旅行に行った時、日本海側特有の激しい低気圧が訪れる直前、それまで好き勝手に乱れていた稲穂の群れが一瞬だけ凪の状態になったのを見た記憶を曲の切っ掛けにしています。私は、稲穂たちが何か覚悟を決めたのか、もしくは次起こる事態をいち早く察知しようと耳をそばだてているのか、形容しがたい緊張感を醸し出しているのを目撃して、強烈な印象として心に残りました。この曲の一つ目の特徴は、延々と繰り返されるドラムリフだと思います。ドラムの漢人が作ってきたリフで、バスドラムとハイハットを5/16拍子で繰り返す中で、スネアを通常に2拍目と4拍目に打つという大変面白いアイデアです。このシステマチックなドラムリフが8ビート感と16ビート感を併せ持った絶妙なリズムを提供してくれているので、残りの3人も違うタイミングで16分と8分の組み合わさったフレーズを演奏してリズム的にそれぞれ棲み分けることができれば、激しく翻弄されている稲穂の海の情景を描けるのではないか、と考えました。また、個人的に黄色みがかった稲穂の風景はフラットなキーが似合うと感じ、レギュラーチューニングでは少々弾きづらいA♭スケールにしました。唯一使用可能な3弦開放の「ソ」がいなたい質感を作り出してくれるだろうと期待してチューニングは変えませんでした。
この曲から私はジャズの影響を受けていると認識しています。アグレッシブさはそこから滲み出ていたのなら嬉しいのですが…。 例えばピアノレスのジャズで二本の金管楽器が参加しているバンドだと、和音を演奏する楽器がない中、左右で違うメロディを吹きまくる曲が結構あるのですが、それを本当にかっこいいと感じました。そこに猛烈なドラムとベースが流れ込んでくるのですが、基本的にそれまで音楽と言えば和音を主体にしたもの、という刷り込みがありましたので心の底からカルチャーショックを受けました。変化のないコードの上で左右で違うテーマが演奏され、激しくリズム隊が主張するという構造は是が非でも物にしたい音楽でした。 金管楽器は占領する帯域が巨大で単音のメロディだけで十分な存在感をアピールできますが、我々はエレキのクリーントーンでその厚みを出さなければいけません。そこで私たちの伴奏曲で培ったアルペジオをメロディに織り込んだリフの手法を引用することにしました。今回はメロディをより際立たせるため、一番高い音を絶えずメインメロディとして使用し、それより低い音を順にアルペジオで追加して音に厚みを持たせるというアイデアでフレーズを作りました。私と小紫で完全に別々にフレーズを構築したので本当にギリギリのバランスだと思いますが、バンドのレパートリーで最も革新的なイントロだと満足しています。この曲はイントロとベースソロと最後のサビのギターフレーズとコードが完全に同じであるところがもう一つの特徴で、最後のサビの高揚感はなかなかのものがあると自負しています。」
Q9.どのような音楽を作ることを目指していきたいですか.今後の活動の展望について教えてください.
「メンバー各4名の実力が存分に発揮される演奏と曲構成で、抒情や風景の表現を続けたいと願っています。最近聴いてくれる方がちょっとずつ増えてきたのでズレた活動をやっているわけではないのだなと安心していますが、我々の感じたものを共有できる方がどんどん現れてくれたら嬉しいです。 そういった方とこれからもお会いするために頑張っていきたいですね。」
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暗号機「エニグマ」を解読した数学者アラン・チューリングが英国の新50ポンド札の顔になる
暗号機「エニグマ」を解読した数学者アラン・チューリングが英国の新50ポンド札の顔になる
 英国の新50ポンド札(1枚で約6700円相当)に、第2次世界大戦でドイツ軍の暗号機「エニグマ」を解読し、対独戦争の勝利に大きく貢献をした数学者・コンピューター科学者アラン・チューリング(1912-54年)の顔が使われることになった。
 イングランド北部マンチェスター市の科学と産業博物館で新札の図柄を正式発表したイングランド中央銀行のマーク・カーニー総裁は、チューニングを「AIのパイオニア」で、情報時代の到来に道を開いた人物と評した。「私たちの身の回りに彼の遺産が残っている」。
 博物館では、チューリングにまつわるコンピューター関連の展示が行われている。
 英国では5ポンド札、10ポンド札、20ポンド札を紙ではなくポリマーに変更しており、新50ポンド札もこれにならう。市中に出回るのは2021年末の予定だ。
チューリングとは  1912年、チューリングはロンドン西部で生まれた。英南部ドーセット州にある私立の中等教育機関シャーボーン校で学び、ケンブリッジ大学キングズ・カレッジに進んだ。第2次大戦中は当時政府の暗号学校が置かれていたブレッチリー・パーク(バッキンガム州)でチームの仲間とともにドイツ軍の暗号機「エニグマ」の解読に成功した。解読までの苦労は映画「イミテーションゲーム」(2014年、主演ベネディクト・カンバーバッチ)でドラマ化されている。
 チューリングは初期のコンピューターの開発にも貢献したが、1952年、ある男性と同性愛関係を結んだことが警察に知られ、彼の人生は急展開する。
 当時、英国では同性愛行為は違法だった。チューリングは弁護士のアドバイスを受けて「有罪」であることを認めた。刑務所に入るか保護観察かを選択するように言われて後者を選んだものの、性欲を抑えるためにホルモン注射を余儀なくされた。
 現在の私たちからすれば、屈辱的、非人間的な要求を受け入れざるを得なかったチューリング。暗号学校での仕事も続けられなくなった。上司や仕事の仲間に、自分の私生活の内情を知られてしまった。
 1954年8月、チューリングが自宅で亡くなっていることを家政婦が発見したという。死因審問の結果は自殺であった。
 同性愛行為が違法ではなくなったのは、1967年。チューリングの死から13年後である。
 2009年、ゴードン・ブラウン首相はチューリングを当時の性犯罪法で��罪としたことを謝罪。2013年、エリゼベス女王はチューリングを赦免した。17年には、かつて同性愛行為で有罪となった5万人以上の男性に恩赦が与えられた。
キャッシュレスが進む英国  現在、50ポンド札は約3億4400万枚、出回っている(イングランド銀行)。しかし、通常、ほとんどの人が50ポンド札を使うことはまずないと言って良いだろう。せいぜい20ポンド札があれば大概のことは間に合うし、英国ではキャッシュレス化が急速に進んでいるからだ。
 現金利用による金額とデビットカードを使った場合の金額はすでに後者が上回っており、その差は拡大するばかりだ。筆者自身、買い物や交通費の支払いなどで現金を使うことはほとんどない。ロンドンでは、現金ではバスの利用ができないようになっている(交通専用のプリペイドカード「オイスター」か、デビットあるいはクレジットカードを利用)。
 新たにお札を作る必要があるのだろうか?
 カーニー総裁は「英国では、これからも長い間、現金の需要はある」と述べているが。
 チューリングがその科学分野での業績によって新札の顔になるのは喜ばしいとしても、もしお札に刷られる顔が国民に希望を与えるものとして解釈するならば、「女性が少ない」ことは残念かもしれない。
 どの札にも登場する国家元首のエリザベス女王を除くと、他の女性は作家ジェーン・オースティン(10ポンド札)だけだ。5ポンド札は第2次大戦の宰相ウィンストン・チャーチル。有色人種の人も絵柄に入れて欲しいという声も出ている。
***
 ちなみに、英国で同性愛行為が犯罪ではなくなるまでには、紆余曲折があった。著名人としては、19世紀の文豪オスカー・ワイルドが男性同士の「著しいわいせつ行為」を犯したとして逮捕され、投獄された例がよく知られている。
 同性愛行為が合法になるまでの動きを綴った、筆者の記事(「論座」掲載)も、よろしかったらご参考に。(有料記事ですが、途中までは無料で閲読できます。)
英公文書が伝える社会の変容(2)
チューリングも苦しんだ法律が変わった――英で同性愛行為の非犯罪化に50年
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小林恭子 ジャーナリスト 英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。中公新書ラクレから新刊「英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱」が出ました。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。
https://news.yahoo.co.jp/byline/kobayashiginko/20190716-00134395/
数学の嫌いな 一般の方 向き:
再生核研究所声明 498(2019.7.11) ゼロ除算は 何故 驚きか
人の世で、もし絶対という事が有れば、我思う故に我あり、などと共に 数学の世界くらいしかないのではないだろうか。 万物流転、夢、幻と捉えても 数学の世界は信じられ、頼れる。実際、初めての本格的な数学の著 ユークリッド原論、ユークリッド幾何学は、2000年を経て、新しい幾何学、非ユークリッド幾何学を誕生させたものの、ユークリッド幾何学の実体は 少しも変化していない。 ここで、我が国の誇りを以って 奥村博氏が内外の研究者と共に創刊された、国際学術雑誌:
Sangaku Journal of Mathematics
で 今なお美しい幾何学をどんどん発展させているのには驚嘆させられる。 ユークリッド幾何学は終わったものと考えられがちであるが、美しい定理たちの凄い誕生には驚かされる(声明491:2019.6.26)。
ところが、ゼロ除算の発見で、ユークリッド幾何学に変更が求められる、全く新しい事件が起きた。
この観点、少し内容について触れたい。 ユークリッド幾何学は 無限の彼方について、いわばどこまでもどこまでも一様に続いているとの考え、思想を実現させているので、無限遠点の考えを用いない範囲では 従来の幾何学はすべて正しい。 しかしながら、無限の先を考えるときに新しい世界、現象が現れて驚嘆すべき結果や、世界が現れる。その意味で、 ユークリッド幾何学は 本質的な発展がなされる。 従来の結果に新しい結果が加わる。
ところが、従来の有限の世界での結果でも、沢山の新しい美しい結果が導かれてきた。 例えば、一般の三角形で成り立つ公式が 特別に、2等辺三角形や直角三角形、あるいは退化した三角形で成り立たないような公式になっている場合でも 公式が例外なく成り立つようになるなど、美しい、完全な結果になる現象さえ沢山発見されてきた(沢山の具体例が挙げられるが、ここでは式を用いない表現を試みている)。 沢山の実例が、奥村先生たちによって創刊された雑誌などに どんどん出版され、躍動する状況がある。
我が国の名著、高木貞治氏の解析概論、世界的な名著L. V. Ahlfors の, Complex Analysis などの基礎数学は 基本的な変更が要求されることとなった。 それはそもそもゼロ除算、ゼロで割ってはならないの 数学十戒 第1: 汝ゼロで割ってはいけないが覆され、ゼロで割って新しい世界が現れてきたことによる。 そこから現れた、現象とは、無限遠点が曖昧であった、無限ではなく、実はゼロで表されるという事実をもたらした。 それゆえに、直線は原点を代数的に通り、その意味で平行線の公理は成り立たず、しかもいわゆる非ユークリッド幾何学とも違う世界を示している。解析関数は、孤立特異点で固有の値をとり、ピカールの定理さえ変更が求められる。いわゆる直角座標系で y軸の勾配はゼロであり、\tan(\pi/2) =0 である。基本関数 y=1/x の原点における値は ゼロである。リーマン球面のモデルは、ホーントーラスのモデルに変更されるべきである。 微分係数の概念や、特異積分の概念さえ変更されるべきである。 微分方程式論は本質的な欠陥があり、2次曲線論や解析幾何学、複素解析学さえ本質的な欠陥を有している。このような変更は、数学史上かつてなかった事件であり、それ故に 令和革新を 求めている:
そこで、初等数学の 令和革新 を広く提案して、将来 数学での日本初の世界文化遺産 になるように努力したい と述べている。
これらの数学の素人向きの解説は 55カ月に亘って 次で与えられている:
数学基礎学力研究会公式サイト 楽しい数学
www.mirun.sctv.jp/~suugaku/
数学的な解説論文は 次で公表されている: viXra:1904.0408 submitted on 2019-04-22 00:32:30, What Was Division by Zero?; Division by Zero Calculus and New World 我々は 初等数学には基本的な欠陥がある と述べている。ゼロ除算は数学者ばかりではなく 人類の、世界史の恥である と述べている。その真相を知りたいと 人々は思われないでしょうか。 なお、上記解説については ゼロと四則演算の発見国であるインドでの 下記の大きな国際会議(講演数155)の冒頭講演者として招待を受けている:
ICRAMA2019 (16-18 July, 2019) Technical Program with session-wise details
DAY-1, 16 July 2019 (Tuesday) 8.30 am – 10.00 am Registration Venue: Dept. of Mathematics, Academic Building 11 Breakfast, Academic Building 11 10.00 am – 11.00 am Opening Ceremony. Venue: Auditorium-1, Academic Building 11 11.00 am-11.30 am Tea Break 11.30 am – 12.15 pm Keynote Address: Prof. Saburou Saitoh (Auditorium-1, Academic Building 11) (Chairman- Prof. R.N.Bhaumik) 12.15 pm – 1.00 pm Plenary lecture: Prof. M. N. Mukherjee (Auditorium-1, Academic Building 11) (Chairman- Prof. R.N.Bhaumik)
    以 上 数学の嫌いな 一般の方 向き:
再生核研究所声明 497(2019.7.9) ゼロ除算は何故難しいか、なぜ当たり前か
元々 ゼロ除算の発見は 素人の方の 100/0 に対する質問に その動機の一つがあります(声明148)。 何十年もゼロ除算について考察をしていて、沢山の書き物や本さえ出版されている方がいますが、現在のところ、それらのすべての立場を否定し、我々の主張を繰り返し説明して、ついに皆さんは沈黙や 黙認のようになっていると考えられます。大体世界で20名の 方々です。 その中には 1/0  は 神秘的で、想像さえできないと 公言されている方もいる程です。 かのアインシュタインも 人生最大の課題と考えられていた という事です。 ブラックホールなど 宇宙論にも関係しています。 どうして、そのように難しく、実は当たり前 だったのでしょうか。 このことを 素人向きに 述べたいと 思います。 1割るゼロ 1/0 の問題の 本質です。 難問の理由は 上記20名くらいの方々の 考え、そして 世の人々の考えも 数学界の考えも 皆さん それを 1割るゼロの意味と考えて、 その意味を 問わなかったことに 由来します。 それは どのような意味かといえば、 それが普通考えるように 1/0=X とすれば、0 掛ける X で ゼロになり 1 と矛盾になってしまい、困ってしまうことになります(不可能であることの証明)。 そこで、1/0 とは なんだろうと考えて しまいます。 実際、多くの人が それは 虚数のような 我々の知らない 幻の数と考え 凄い世界を 考えたりしてきました。 他のありふれた考えは、今でも多くの人が迷い込んでいるように、ゼロを小さな数の先と考えて、それゆえに 1/0を無限大と考えています。 - 1/0 が分かった と電話したところ 先輩名誉教授が、無限大でしょう と 元気よく確信に満ちて叫ばれたのが、鮮やかな記憶として残っています。 無限大は数ではないでしょう と 即座に否定、それは 何とゼロであると答えました。 ゼロの答えに対し、他の名誉教授の、とても 信じられない との 確信に満ちてた言葉も 新鮮に記憶に残っています。 ゼロ除算の本質を簡明に解説したいのです。ですから、予備知識もできるだけ少なく、したい。 しかしながら、基本的な関数 y= 1/x のグラフが思い浮かぶ方なら、下記の解説は分かりやすいです。 x  が正の方向からゼロに近づけば、y はどんどん大きくなり、負の方向からゼロに近づけば 負の無限大に近づきます。 その関数の 原点 x=0 での値を問題にしたいのです。もし、 x=0  での値が有るのならば、それは形上 1/0 と書けるからです。
平らな面に棒を立てて、 太陽の棒の影を考えて下さい。 もしも太陽が 棒の丁度真上にある場合を考えると 影の長さは、 棒の太さになると考えられます。 したがって、棒が細く、線分だったら、その時の影の長さはゼロです。- これは 数学できちんと表現すると 0/0=0 になりますから、 実は凄いことを既に述べています。 問題は、太陽がどんどん沈んでいく場合を考えます。 その時、どんどん影の長さがながくなっていく様子が分かります。 このようなことは容易に、簡単に想像できるのではないでしょうか。実験でも、数式でもそのことは確認されます。 問題の核心は ここにあります。 太陽が棒の先と平面と平行になった場合、どうなるでしょうか? ー 太陽が沈む瞬間ですね。平行ですから、影はできません。 しかし、それは、影がどんどん限りなく長くなって行った先のことです。 その場合、影の永さは無限大とみなされるべきでしょうか? 影は突然できていません。無限に大きくなる先です。それは無限大だと考えるのが今までの考えで、どんどん無限に大きくなっていく先だから、無限大と考える考えは、連続性の概念、考えで アリストテレスの世界観だとされてきました。しかし、実は、影はできないのですから、その時ゼロとすべきではないでしょうか。この部分 インドの数学者 Bh\={a}skara(1114-1185) は その事情を数式で表して、1/0=無限大 として、現在に至っています。ー どんどん無限に大きくなっていく先に ゼロがある。ゼロは無限大より大きい と考えると、限りなく楽しく、何か新しい世界観を感じさせられないでしょうか。 それがゼロだというのが、私たちの発見です。当たり前ですね。影の長さはゼロです。 そこで 関数y=1/x の場合 x=0 の値をゼロとするのは、受け入れられるとなります。ここに現れたのが、突然飛んでいるという 凄い現象です。 しかし、気づいて見れば、図形的にも原点はそのグラフの 美しい点です。中心です。 そこで、そのことを1/0=0 の意味 とします。その関数の値をもって1/0=0 の定義である とします。 その時、それは元々の割り算とは違う意味です。 最初の論文で、1/0 の意味のある定義、意味のある意味を与えた者が (世に)いないので、我々は、��しい意味を与えたと、最初に述べました。 この最も大事な部分を ゴシックで書いたのですが、初めから誤解して、分からない、分からないと 数年も繰り返してきました。 1/0 は 普通の意味での分数では意味がない、考えられないので、我々はその意味を与えたという事が、ゼロ除算を発見したことの意味です。
それを発展させ、ゼロ除算算法として定式化し 沢山の応用例を挙げました。それらは、初等数学全般の補強、拡充、ある完全化をもたらし、世界観の変更さえ要求しています。
そこで、初等数学の 令和革新 を広く提案して、将来 日本初の世界文化遺産 になるように努力したい と述べている。
これらの数学の素人向きの解説は 55カ月に亘って 次で与えられている:
数学基礎学力研究会公式サイト 楽しい数学
www.mirun.sctv.jp/~suugaku/
数学的な解説論文は 次で公表されている: viXra:1904.0408 submitted on 2019-04-22 00:32:30, What Was Division by Zero?; Division by Zero Calculus and New World 我々は 初等数学には基本的な欠陥が存在する と述べている。ゼロ除算は数学者ばかりではなく 人類の、世界史の恥である と述べている。その真相を知りたいと 人々は思われないでしょうか。
                                                                       以 上 数学の嫌いな 一般の方 向き:
再生核研究所声明496(2019.7.8) 初等数学の 令和革新 の意味 -  数学嫌いな一般の方 向き
ゼロ除算 は 何故理解が難しいのか との疑問が 関心を抱く方々から寄せられている。 ゼロ除算は 後5年も世に出られないのではないかなどの意見も 寄せられている。世の理解の問題です。確かに共感し、同調できる面が有るので そのような意見に 正面から回答してみたい。 まず、大事な観点は そもそも数学には興味も関心も無い方が多いという事です。初めから、数学はダメ、興味も関心もないのですから、最初の1歩にも入れない状況が広くあると考えられる。そこで、数学以前に 割り算、除算に 興味関心を抱かないので、そこから、そのような人たちに向けての解説を準備していきたい(声明495前書き)。
この続きを纏めてみたい。 その前に 世に数学嫌いな人々を沢山出している事実が存在して、その理由は 全く、関係 数学の教員に問題があると述べたい。それを許している数学界の問題でもあり、そのような在りようを許している教育行政の問題にも繋がると言及したい。 その意味は 数学は 人間を離れた美しい存在で およそ事実を知りたい、世の道理を知りたいという 人間本来の本能に根差して、万人が興味と関心を抱く、いわば 最高の芸術作品 のようなものである。数学は 神の言語のような存在 である。しかし、問題は 人間にも 個性があり、興味や関心は 人により、享受するにも個性がある。  この個性を無視して、押し付けたり、強制したり、急がせたりすれば 消化不良になってしまい、折角の芸術も享受できない。 まして 何か競争の手段にしたり、偏見に満ちた人間の才能のバロメーターのように考えれば、数学嫌いな生徒を沢山育ててしまうだろう。 数学の先生に馬鹿にされた事は 巷に聞く歴然とした事実ではないでしょうか。 数学の先生の不遜な態度にも目につくと 人は見ているのではないでしょうか。 もしそうなら 誠に残念なことです。 数学を能力判定の基準に 考えがちな世相は改められ、数学の理解能力も 走る能力と同じように 個性に根ざす 一能力である と考え 数学コンプレックスを克服して 楽しむ数学を基礎とする考え を 基礎に 数学教育の改革 を提案したい。 計算機と人工知能の発展は 数学教育の在りようの変更を求め、楽しむ数学が大きな多様な創造性を可能にするだろう。
世にも稀な 数学上の事件 が起きている。 何とゼロの発見者が算術の四則演算を確立して1300年も経過していて (628年) (Brahmagupta (598 -668 ?) 、その発見者が述べていたゼロ除算、0割る0は0である との定義に対して、現在まで それは間違いだとされ、しかも現在でも混乱している。ゼロ除算発見後5年(2014.2.2)を経過しているのに 混乱を続けている現実がある。 創始者の考えは 実は正しかった。 逆にそれは、アリストテレス、ユークリッド以来の世界観と空間を導いている。 ゼロ除算については 偶然、世の天才たち、アリストテレス、オイラー、ニュートン、アインシュタインなどが考察し、問題を提起してきた。 それが、無限の彼方がゼロで表されることや、傾き(勾配)の考えに全く新しい現象をあらわにしてきた。 数学でやってはならない、数学十戒、第一  汝ゼロで割ってはならない の考えは変更され、我々はゼロで割れて、その時、新世界が現れると変更されるべきである。そこで、初等数学の 令和革新を広く提案して、日本初の将来世界文化遺産になるように努力したい と述べている。
これらの数学の素人向きの解説は 55カ月に亘って 次で与えられている:
数学基礎学力研究会公式サイト 楽しい数学
www.mirun.sctv.jp/~suugaku/
数学的な解説論文は 次で公表されている: viXra:1904.0408 submitted on 2019-04-22 00:32:30, What Was Division by Zero?; Division by Zero Calculus and New World 我々は 初等数学には基本的な欠陥が存在する と述べている。ゼロ除算は数学者ばかりではなく 人類の、世界史の恥である と述べている。その真相を知りたいと 人々は思われないでしょうか。
                                                                       以 上
再生核研究所声明495(2019.7.6) ゼロ除算 は 何故理解が難しいのか - 再生核研究所声明493(2019.7.1) ゼロ除算 分らない、回答���- 初等数学の 令和革新 の意味 の前段階
ゼロ除算 は 何故理解が難しいのか との疑問が 関心を抱く方々から寄せられている。 ゼロ除算は 後5年も世に出られないのではないかなどの意見も 寄せられている。世の理解の問題です。確かに共感し、同調できる面が有るので そのような意見に 正面から回答してみたい。 まず、大事な観点は そもそも数学には興味も関心も無い方が多いという事です。初めから、数学はダメ、興味も関心もないのですから、最初の1歩にも入れない状況が広くあると考えられる。そこで、数学以前に 割り算、除算に 興味関心を抱かないので、そこから、そのような人たちに向けての解説を準備していきたい。 ところが、面白い事実が存在する。ゼロ除算というと、数学十戒 数学でやってはいけない第一、汝ゼロで割ってはならないの 2000年を越える戒律が有る。 そのことは多くの人が知っている。さらに、ゼロ除算は不可能であることの証明さえ有って、ゼロ除算不可能は 数学界の永い定説 でもあり、ゼロ除算に触れると数学者の多くが 直ちに否定的な態度を 感情むき出しで表明する事が多い。それらは事実です。例えば大きな国際会議に全体講演者として招待を受けて講演したところ、現代数学を破壊するもので 全て認められないとの発言があったほどです。destroy という言葉が会場に響き、出席していた妻に その異様な点を繰り返し、指摘されている。本人とも話し、論文を読むと約束したのに、その後の反響は寄せられていない。 他方、指導的な数学が今回の国際会議での画期的な発表内容で 話題の中心であったとの発言もあった。 ー ゼロ除算についての反響についての名言 をいずれ公表したい。詳しい記録をとっている。例として、次の文はある物理学者の表現であるが、著書にも入れる予定である: {\it Here is how I see the problem with prohibition on division by zero, which is the biggest scandal in modern mathematics as you rightly pointed out} (2017.10.14.08:55). 確かに不可能が証明されていることに対する 否定的な、覆す理論と誤解をしてしまい、初めの段階で拒否される事は多い。もちろん、気を付けて、初めから注意して述べているが、初めに誤解して 最初からダメの印象を数学者たちが抱いていることは 世にも珍しい事件である。 その原因として、著者たちの信頼の問題として 根が深いことも認めざるを得ない。 それは確かである。 ところが、論文も、講演でも相当沢山発表し、行ってきているが それらの不備を具体的に指摘してきた者は皆無である(数学には どのようなあいまいさも 間違いも有ってはならない)。 助言や意見を積極的に公然と求めてきているにも関わらずである。 何か間違いがあるのではないだろうかと 勘ぐっている者が居るようであるが、思えば発見して5年以上も 初めから当たり前 と言ってきたように間違える筈はないと考えている。およそ、数学者とは間違わない者であり、数学セミナーなどでは 論理の厳しさを特訓される場である。ー 実際、小松勇作先生の下で鍛えられた者に間違える筈がないとの嬉しい、名誉ある言葉を 東工大出身の同僚から頂いた。ー 東工大で 小松勇作、小沢満、吹田信之先生の下で 厳しい特訓を畏友酒井良君と共に受けたのは 研究者としての 終生の誇りである。思えば、3先生とも最も充実していた年代であった。 ゼロ除算が無くても 一向に困らない、何も問題なかったから、ゼロ除算は知らなくても良いとの 面白い意見が寄せられている。これも面白い文章なので著書原案に入れている:
{\it mathematical life is very good without division by zero}(2018.2.8.21:43). \medskip
- これは全然間違っている。 初めて飛行機を作って乗った方、車を初めて作って乗った方を見たとき、人はどうして今日のような時代を迎えるだろうと想像できたでしょうか。ゼロ除算の世界は 真に新しい世界、その世界を覗かないで どうしてゼロ除算の世界について想像したり、語れるでしょうか。 考えられない世界のこと、想像もできないのが当たり前で、その世界を 未だ想像すらできない方で満ちている と 表現せざるを得ない。 それは長年考えてはならない数学、世界のことです。ゼロ除算の世界を探検して 初めてその雄大な新世界を想像できると考えるのが自然ではないでしょうか。 あのピッツバーグに始めて達して、そこに定住しようと考えた先住者が、現代のような街に発展すると どのように想像できたでしょうか。それが先駆者の孤独な大きな夢と言えるのではないでしょうか。ー 開拓者の姿 を想像している。 古い歴史を持つ日本人は追従型に優れ、開拓者精神に弱いように感じられる。ゼロ除算は 未知の広大な数学、新世界を拓きます。 私たちは、既に確かなゼロ除算の世界の 雄大な 真に新しい数学を 熱情を持って見ている。
世の話題の観点では、マスメディア関係者の、多くが いわば文系出身者で占められ、数学ばかりではなく 広く自然科学の話題が 世情を賑わすことは 稀である。数学界最高の話題すら、日常の些細ともとれる話題ほどにも とりあげられない。 それらは事実ではないでしょうか。数学者は、分けの分からないことに はまっている集団 と見なされている? 
他の重要な視点が強く意識される。それは、指導的な数学者や研究者、あるいは教育界の指導的な人たちが、自分の研究課題に深くはまっていたり 忙し過ぎる状況の中で、他の世界を考える余裕が無く 新しいことの理解には興味や関心が湧かない状況、中々全く新しいことには入りずらい事実です。 多くの場合、今更の気持ちが湧いてしまうのではないでしょうか。 他方、若い世代の方は、社会状況が厳しく 確立した確かな研究課題で確かな業績を上げたいと、忙し過ぎる、余裕のない世相に追われているのではないでしょうか。そこで、興味、関心を抱いてくれる方を 内外を問わず、年齢、身分を問わず 広く探している。その精神をクレソンの教えとして心得ている。 しかしながら、我々は 初等数学には基本的な欠陥が存在する と述べている。ゼロ除算は数学者ばかりではなく 世界史の恥である と述べている。その真相を知りたいと 人は思わないでしょうか。
                                    以 上
再生核研究所声明493(2019.7.1) ゼロ除算 分らない、回答 - 初等数学の 令和革新 の意味
ゼロ除算について 分からない と表明される方が結構多い。 そこで素人の方を想像して、できるだけ 簡単に 分かるような表現を試みたい。
割り算 例えば6割る2は 3ですが、それを分数で 6/2=3 と書きます。これが除算と呼ばれる意味です。 関係解説は55カ月に亘ってその意味も込めて下記で与えられています:
数学基礎学力研究会公式サイト 楽しい数学
www.mirun.sctv.jp/~suugaku/
数学的な解説論文は 次で公表されている: viXra:1904.0408 submitted on 2019-04-22 00:32:30 ゼロ除算とは 分母がゼロの場合を考えること、例えば 6割るゼロ 6/0 を考えることです。 これは難しいのですが、これはできない、不可能であることが分かれば、相当にゼロ除算の本質が理解できる方と言えるのですが 如何でしょうか。 これが分からなければ、以下の解説は難しいですから、上記解説で 理解される必要があります。 - 理解や学習、学びには それなりの背景、基礎知識などが 必要だからです。 それはできない、不可能である。 これは何と、アリストテレス以来の数学十戒の第一 (数学で やってはいけない 第一)で 2000年以上の神秘的な歴史を有していて、現在でも混乱を起こしていると認めざるを得ません。  この意味は ゼロ除算を発見して 5年を経過しているにも関わらず、世の十分な理解が得られず、ゼロ除算の世界は、未だ混乱を起こしているのが現状だからです。 さて できない、不可能が証明されているのに ゼロ除算を発見した という事はどのような事でしょうか。どのような意味でしょうか。 ゼロ除算の意味を考えてきたような意味で考えれば できないのですから、これは割り算の意味を 新しい自然な意味 を発見したという事です。ゼロ除算の新しい意味を発見したという事です。 もちろん、数学者が勝手に いろいろ抽象的に考えるのは勝手だ と思われるでしょう。 そこで、どのようなことを発見したかを 例をもって 示したい。 基本的な関数 y=1/x を 図を思い浮かべながら考えて下さい。 実は x=0 でその関数の値がゼロであることを発見しました。 ですから、書くと、1/0=0 となりますね。あたかも1割る0が ゼロのように見えますね。 物理の多くの公式に、分母がゼロになるときに考えたくなる公式が沢山あります。それらの公式に 分母がゼロになる場合に意味を与えたという事が、ゼロ除算の発見です。 正確にはゼロ除算算法と名付けた新しい考え方です。 基本的な考え 勾配(傾き)を考えてみます。 原点から出る半直線の勾配の公式 y = tan A:  A は その直線とx  軸の正方向とのなす角です。 A が90度の時、それはどうなるでしょうか? 何と、その時、勾配はゼロであることを発見したというのです。y 軸の勾配はゼロです。 勾配の公式 y/x で 1/0 はゼロです。ー 多くの人々はそれは当たり前だというのですが、数学界では tan x は そこで極を有して 考えられないというのが、現代数学の定説です。 そこで、それはおかしいと言っている。 これらの例は数学の基本にかかわるので、しっかり、深く、神の意志を 想像するように 深い祈りの気持ちをもって考えてください。 これらはもちろん数学だけの問題ではありません。数直線でさえ、 無限の直線を数直線ととらえる世界観や、 無限遠点を加えて 数直線を円で実現させる古典的な数学がありましたが、ゼロ除算の拓いた世界は、無限遠点はゼロで表され、全実数直線はゼロと無限遠点が一致して 無限の記号のように8の文字を倒した世界になるというのです。平面の場合には ホーントーラスが  複素数の世界を 全平面を表現する世界である と言っています。 これは、我々の数学ばかりではなく、世界ばかりではなく、世界観の変更を要求しています。そこで、初等数学の令和革新を 広く訴えています。 この辺までの詳しい解説は、上記案内で詳しく解説されています。 再生核研究所声明490(2019.6.21)令和革新の大義、 趣旨 ー 初等数学
-- 解析関数は 孤立特異点その所で 固有の意味を有するという 新世界が現れてきた。これらのことは 四則演算の除算の欠けていたゼロ除算を可能にしたのであるから、初等数学全般の革新を意味するのは 当然である。 これらの改革には 10年くらいの歳月を必要として、多くの人の参画が必要であり、これらの基本数学の変革は 将来 日本発の世界文化遺産になるべきもの であることは、絶対である数学の必然として 既に歴然であると考える。
                             以 上 再生核研究所声明490(2019.6.21)令和革新の大義、 趣旨 ー 初等数学
次は2019.6.17日 に書かれたブログの一部である:
公表の下記の文章を見ると おかしな人の文章に見える。 内容が凄いからである。しかし、文体を 文章を読むと可笑しい感じではない。しかし、内容は。 述べられていることは真実か 否か。大げさに 書かれていないか。 小さなことを 大きく述べていないか。 などなど当然考えられる。
しかしながら、繰り返し 数年にわたって、その思いは 確認され、信念は 深まるばかりである。 内容は、ほとんど当たり前なのであるが、それが、ユークリッド以来、アリストテレス以来の 空間の認識を変え、全く新しい世界が出てきた。 沢山の明確な例を得ている。 超古典の数学の補完、修正である。 ゼロで割れて、新しい世界が現れてきた。夢のような事件である。 2019.6.17.6:14
現代初等数学に 基本的な欠陥があるのは 歴然である。 2019.5.17.3:30 1/0, 0/0, \tan(\pi/2)  が分からないとは、何と恥ずかしいことか。 令和時代に 日本発の 文化として、世界史に貢献したい。 令和とは 偶然、ゼロ除算の概念から、全ての和を考えるとゼロになるという、ゼロの雄大で深い意味を表わす。2000年を越える数学の歴史には 未だ数学の前史時代を思わせるような基本的な欠陥がある。 改元を機会に、令和時代にゼロ除算算法を取り入れた新数学を発展させて、令和時代の世界文化遺産 になるように 日本国は先導し、努力して、今こそ世界の数理科学に貢献しよう。 再生核研究所 令和 元年 5.1. 付記:  再生核研究所声明481(2019.4.4.) 改元に当たって、日本からの贈り物、ゼロ除算算法 ー 新数学
そこで、上記を裏付けるために 改められるべき数学の大勢を一般向きに述べて、いわば、令和革新の内容を 述べて、令和革新の大義を明らかにしたい。
まずゼロで割っていはいけない、分母がゼロの場合を 極限などの概念を避けて考えてはならないの 2000年を越える 数学十戎の第一 を改め、ゼロで割ることを考える、新世界を拓く。 分母がゼロである場合、またゼロで割ることを 今後は広く考える。 これはゼロ除算の意味を正確に捉え、ゼロ除算算法として定式化することによって 何時でも可能になり、 従来考えてこなかった新世界が現れてくる。その意味で、1/0=0/0=z/0= \tan(\pi/2)= \log 0=0 であり、無限遠点はゼロで表され、直角座標系で y軸の勾配はゼロである、基本関数 y=1/x  の原点での値は ゼロであるなど、驚嘆すべき新しい結果を導く。ユークリッド空間のモデル、リーマン球面のモデルの 超古典的なモデルはアリストテレス、ユークリッドの世界観、数学観さえ変更が要求される。 微分の概念や積分の概念さえ補完されて修正されなければならない。曲率や特異点の概念さえ変更が 要求される。 -- 解析関数は 孤立特異点その所で 固有の意味を有するという 新世界が現れてきた。これらのことは 四則演算の除算の欠けていたゼロ除算を可能にしたのであるから、初等数学全般の革新を意味するのは 当然である。
これらの改革には 10年くらいの歳月を必要として、多くの人材の参画が必要であり、これらの基本数学の変革は 将来 日本発の世界文化遺産になるべきものであることは、絶対である数学の必然として 既に歴然であると考える。
これらの数学の素人向きの解説は 55カ月に亘って次で与えられている:
数学基礎学力研究会公式サイト 楽しい数学
www.mirun.sctv.jp/~suugaku/
数学的な解説論文は 次で公表されている:
viXra:1904.0408 submitted on 2019-04-22 00:32:30,
What Was Division by Zero?; Division by Zero Calculus and New World
                                   以 上
神の数式:
神の数式が解析関数でかけて居れば、 特異点でローラン展開して、正則部の第1項を取れば、 何時でも有限値を得るので、 形式的に無限が出ても 実は問題なく 意味を有します。
物理学者如何でしょうか。
計算機は 正しい答え 0/0=0 を出したのに計算機は何時、1/0=0 ができるようになるでしょうか。
カテゴリ:カテゴリ未分類
​そこで、計算機は何時、1/0=0 ができるようになるでしょうか。 楽しみにしています。 もうできる進化した 計算機をお持ちの方は おられないですね。
これは凄い、面白い事件では? 計算機が人間を超えている 例では?
面白いことを発見しました。 計算機は 正しい答え 0/0=0
を出したのに、 この方は 間違いだと 言っている、思っているようです。
0/0=0 は 1300年も前に 算術の発見者によって与えられたにも関わらず、世界史は間違いだと とんでもないことを言ってきた。 世界史の恥。 実は a/0=0 が 何時も成り立っていた。 しかし、ここで 分数の意味を きちんと定義する必要がある。 計算機は、その意味さえ知っているようですね。 計算機、人間より賢くなっている 様が 出て居て 実に 面白い。
https://steemkr.com/utopian-io/@faisalamin/bug-zero-divide-by-zero-answers-is-zero
2018.10.11.11:23
https://plaza.rakuten.co.jp/reproducingkerne/diary/201810110003/
計算機は 正しい答え 0/0=0 を出したのに
カテゴリ:カテゴリ未分類
面白いことを発見しました。 計算機は 正しい答え 0/0=0
を出したのに、 この方は 間違いだと 言っている、思っているようです。
0/0=0 は 1300年も前に 算術の発見者によって与えられたにも関わらず、世界史は間違いだと とんでもないことを言ってきた。 実は a/0=0 が 何時も成り立っていた。しかし、ここで 分数の意味を きちんと定義する必要がある。 計算機は、その意味さえ知っているようですね。 計算機、人間より賢くなっている様が 出て居て 実に面白い。
https://steemkr.com/utopian-io/@faisalamin/bug-zero-divide-by-zero-answers-is-zero
2018.10.11.11:23
ゼロ除算、ゼロで割る問題、分からない、正しいのかなど、 良く理解できない人が 未だに 多いようです。そこで、簡潔な一般的な 解説を思い付きました。 もちろん、学会などでも述べていますが、 予断で 良く聞けないようです。まず、分数、a/b は a  割る b のことで、これは 方程式 b x=a の解のことです。ところが、 b がゼロならば、 どんな xでも 0 x =0 ですから、a がゼロでなければ、解は存在せず、 従って 100/0 など、ゼロ除算は考えられない、できないとなってしまいます。 普通の意味では ゼロ除算は 不可能であるという、世界の常識、定説です。できない、不可能であると言われれば、いろいろ考えたくなるのが、人間らしい創造の精神です。 基本方程式 b x=a が b がゼロならば解けない、解が存在しないので、困るのですが、このようなとき、従来の結果が成り立つような意味で、解が考えられないかと、数学者は良く考えて来ました。 何と、 そのような方程式は 何時でも唯一つに 一般化された意味で解をもつと考える 方法があります。 Moore-Penrose 一般化逆の考え方です。 どんな行列の 逆行列を唯一つに定める 一般的な 素晴らしい、自然な考えです。その考えだと、 b がゼロの時、解はゼロが出るので、 a/0=0 と定義するのは 当然です。 すなわち、この意味で 方程式の解を考えて 分数を考えれば、ゼロ除算は ゼロとして定まる ということです。ただ一つに定まるのですから、 この考えは 自然で、その意味を知りたいと 考えるのは、当然ではないでしょうか?初等数学全般に影響を与える ユークリッド以来の新世界が 現れてきます。
ゼロ除算の誤解は深刻:
最近、3つの事が在りました。
私の簡単な講演、相当な数学者が信じられないような誤解をして、全然理解できなく、目が回っているいるような印象を受けたこと、 相当ゼロ除算の研究をされている方が、基本を誤解されていたこと、1/0 の定義を誤���されていた。 相当な才能の持ち主が、連続性や順序に拘って、4年以上もゼロ除算の研究を避けていたこと。
これらのことは、人間如何に予断と偏見にハマった存在であるかを教えている。 ​まずは ゼロ除算は不可能であるの 思いが強すぎで、初めからダメ、考えない、無視の気持ちが、強い。 ゼロ除算を従来の 掛け算の逆と考えると、不可能であるが 証明されてしまうので、割り算の意味を拡張しないと、考えられない。それで、 1/0,0/0,z/0 などの意味を発見する必要がある。 それらの意味は、普通の意味ではないことの 初めの考えを飛ばして ダメ、ダメの感情が 突っ走ている。 非ユークリッド幾何学の出現や天動説が地動説に変わった世界史の事件のような 形相と言える。
2018.9.22.6:41 ゼロ除算の4つの誤解:
1. ゼロでは割れない、ゼロ除算は 不可能である との考え方に拘って、思考停止している。 普通、不可能であるは、考え方や意味を拡張して 可能にできないかと考えるのが 数学の伝統であるが、それができない。
2. 可能にする考え方が 紹介されても ゼロ除算の意味を誤解して、繰り返し間違えている。可能にする理論を 素直に理解しない、 強い従来の考えに縛られている。拘っている。
3. ゼロ除算を関数に適用すると 強力な不連続性を示すが、連続性のアリストテレス以来の 連続性の考えに囚われていて 強力な不連続性を受け入れられない。数学では、不連続性の概念を明確に持っているのに、不連続性の凄い現象に、ゼロ除算の場合には 理解できない。
4. 深刻な誤解は、ゼロ除算は本質的に定義であり、仮定に基づいているので 疑いの気持ちがぬぐえず、ダメ、怪しいと誤解している。数学が公理系に基づいた理論体系のように、ゼロ除算は 新しい仮定に基づいていること。 定義に基づいていることの認識が良く理解できず、誤解している。
George Gamow (1904-1968) Russian-born American nuclear physicist and cosmologist remarked that "it is well known to students of high school algebra" that division by zero is not valid; and Einstein admitted it as {\bf the biggest blunder of his life} [1]:1. Gamow, G., My World Line (Viking, New York). p 44, 1970.
Eπi =-1 (1748)(Leonhard Euler)
E = mc 2 (1905)(Albert Einstein)
1/0=0/0=0 (2014年2月2日再生核研究所)
ゼロ除算(division by zero)1/0=0/0=z/0= tan (pi/2)=0 https://ameblo.jp/syoshinoris/entry-12420397278.html
1+1=2  (      )
a2+b2=c2 (Pythagoras)
1/0=0/0=0(2014年2月2日再生核研究所)
Black holes are where God divided by 0:Division by zero:1/0=0/0=z/0=tan(pi/2)=0 発見5周年を迎えて
今受け取ったメールです。 何十年もゼロ除算の研究をされてきた人が、積極的に我々の理論の正当性を認めてきた。
Re: 1/0=0/0=0 example JAMES ANDERSON [email protected] apr, 2 at 15:03 All,
Saitoh’s claim is wider than 1/0 = 0. It is x/0 = 0 for all real x. Real numbers are a field. The axioms of fields define the multiplicative inverse for every number except zero. Saitoh generalises this inverse to give 0^(-1) = 0. The axioms give the freedom to do this. The really important thing is that the result is zero - a number for which the field axioms hold. So Saitoh’s generalised system is still a field. This makes it attractive for algebraic reasons but, in my view, it is unattractive when dealing with calculus.
There is no milage in declaring Saitoh wrong. The only objections one can make are to usefulness. That is why Saitoh publishes so many notes on the usefulness of his system. I do the same with my system, but my method is to establish usefulness by extending many areas of mathematics and establishing new mathematical results.
That said, there is value in examining the logical basis of the various proposed number systems. We might find errors in them and we certainly can find areas of overlap and difference. These areas inform the choice of number system for different applications. This analysis helps determine where each number system will be useful.
James Anderson Sent from my iPhone
The deduction that z/0 = 0, for any z, is based in Saitoh's geometric intuition and it is currently applied in proof assistant technology, which are useful in industry and in the military.
Is It Really Impossible To Divide By Zero?
https://juniperpublishers.com/bboaj/pdf/BBOAJ.MS.ID.555703.pdf
Dear the leading person:
How will be the below information?
The biggest scandal:
The typical good comment for the first draft is given by some physicist as follows:
Here is how I see the problem with prohibition on division by zero,
which is the biggest scandal in modern mathematics as you rightly pointed out (2017.10.14.08:55)
A typical wrong idea will be given as follows:
mathematical life is very good without division by zero (2018.2.8.21:43).
It is nice to know that you will present your result at the Tokyo Institute of Technology. Please remember to mention Isabelle/HOL, which is a software in which x/0 = 0. This software is the result of many years of research and a millions of dollars were invested in it. If x/0 = 0 was false, all these money was for nothing. Right now, there is a team of mathematicians formalizing all the mathematics in Isabelle/HOL, where x/0 = 0 for all x, so this mathematical relation is the future of mathematics. https://www.cl.cam.ac.uk/~lp15/Grants/Alexandria/
José Manuel Rodríguez Caballero
Added an answer
In the proof assistant Isabelle/HOL we have x/0 = 0 for each number x. This is advantageous in order to simplify the proofs. You can download this proof assistant here: https://isabelle.in.tum.de/
Nevertheless, you can use that x/0 = 0, following the rules from Isabelle/HOL and you will obtain no contradiction. Indeed, you can check this fact just downloading Isabelle/HOL: https://isabelle.in.tum.de/
and copying the following code
theory DivByZeroSatoih imports Complex_Main
begin
theorem T: ‹x/0 + 2000 = 2000› for x :: complex by simp
end
2019/03/30 18:42 (11 時間前)
Close the mysterious and long history of division by zero and open the new world since Aristotelēs-Euclid: 1/0=0/0=z/0= \tan (\pi/2)=0.
Sangaku Journal of Mathematics (SJM) c ⃝SJMISSN 2534-9562 Volume 2 (2018), pp. 57-73 Received 20 November 2018. Published on-line 29 November 2018 web: http://www.sangaku-journal.eu/ c ⃝The Author(s) This article is published with open access1.
Wasan Geometry and Division by Zero Calculus
∗Hiroshi Okumura and ∗∗Saburou Saitoh
2019.3.14.11:30
Black holes are where God divided by 0:Division by zero:1/0=0/0=z/0=\tan(\pi/2)=0 発見5周年を迎えて
You're God ! Yeah that's right...
You're creating the Universe and you're doing ok...
But Holy fudge ! You just made a division by zero and created a blackhole !! Ok, don't panic and shut your fudging mouth !
Use the arrow keys to move the blackhole
In each phase, you have to make the object of the right dimension fall into the blackhole
There are 2 endings.
Credits :
BlackHole picture : myself
Other pictures has been taken from internet
background picture : Reptile Theme of Mortal Kombat
NB : it's a big zip because of the wav file
More information
Install instructions Download it. Unzip it. Run the exe file. Play it. Enjoy it.
https://kthulhu1947.itch.io/another-dimension
A poem about division from Hacker's Delight Last updated 5 weeks ago
I was re-reading Hacker's Delight and on page 202 I found a poem about division that I had forgotten about.
I think that I shall never envision An op unlovely as division. An op whose answer must be guessed And then, through multiply, assessed; An op for which we dearly pay, In cycles wasted every day. Division code is often hairy; Long division's downright scary. The proofs can overtax your brain, The ceiling and floor may drive you insane. Good code to divide takes a Knuthian hero, But even God can't divide by zero! Henry S. Warren, author of Hacker's Delight. 
https://catonmat.net/poem-from-hackers-delight  
再生核研究所声明 125 (2013.8.24): お金の問題 ― 貨幣について ― 本質論 (2013.8.17 再生核研究所声明に関心を抱く人の 結構永い間の要望であるが、難しい多面性を有するので、中々纏められなかった。今朝 夏休みを利用して 夏休みの宿題と考えて纏めてみる気持ちになった。1回では無理なので、本質論、収入面、支出面などに分けて 順次触れたい)
まず、お金の述語 を確認しておこう: 貨幣とは、経済学上は(欧米のMoneyやMonnaieなどの用語に対応する訳語として用いられ)、「価値の尺度」「交換の媒介」「価値の保蔵」の機能を持ったモノのことである。 広義には、本位貨幣の他にも、法律により強制通用力を認められている信用貨幣も含めて指している[1]。つまり 「貨幣」という語で、鋳貨・紙幣に加えて(当座預金などの)信用貨幣も含めて指す場合が多い[2]。 貨幣(として用いられるモノ)が額面通りの価値を持つためには、その貨幣を発行する政府に対して信用が存在することが必要条件である。政府は、租税の算定に通貨を用いる。 なお、慣習的な用法として、法令用語の意味における貨幣と紙幣・銀行券をあわせて「お金」と呼ぶことが多い。(ウィキペディア)
お金の重要性、価値については、簡潔に 地獄の沙汰も金次第 という諺に表されるであろう。実際、人間の多くの価値が お金で数値化されて、人間の持つ多くの価値がお金を通して交換されるということに その本質が見出される。人間の価値には 生命の延長や場合によっては命の値段さえ関係してくる。実際、高度な医療で 生命が救われたりする状況は 身近に体験される。ある時間の労働から、芸術作品、アイディア、食品、ほとんどのもの、地位や名誉さえお金で評価されて、交換が可能になる。― 資本主義の発達したアメリカでは アメリカンドリームとは 大金持ちになることで表現され、最近でも、アメリカの大使は、大統領選挙における 献金の額で決まるなどと揶揄されている。そこで、人生の多くの部分が その大事なお金を得るための努力であるとさえ、錯覚してしまうほどである。 ところで、そのお金の価値であるが、人間の欲求の数値化であるから、生鮮食品の価値の変動や、株価、外国為替の変動のように絶えず、変化するものであるが、他方国家が、国家予算を通して国家を運営している現実が有るので、世の価値としては最も信じられるものであることには変わりはない。普遍 (不変) 的な価値を持つとされる、金 でさえ非常時やハイパーインフレーションの際、本物か否かの判定や流通性に問題を起こして、有効ではなかったとされている。 さまざまな価値の数値化であるから、実際には極めて難しく、ものの値段や年俸、報酬など歴史と文化を反映させ、慣例さえ尊重しなければ、数値化はたちまち、大混乱を起こしてしまうだろう。再生核研究所声明 72(2011/12/06) 慣性の法則 ― 脈動、乱流は 人世、社会の普遍的な法則 も参照。 そこで、人間の多くの欲求が お金で叶えられるものであれば、お金が大事は無理からぬという現実がある。実際、お金が十分あれば、相当な自由を得て、好きなことが出来るのであるから、一応の理想的な状況に相当近づくことが出来ると考えられる。 美しい曲を奏でる、それが幾らに値するかは 聞く人の個人によって評価はいろいろであるが、プロとなると 自分で評価して、客を呼ぶのであるから、厳しさが有るが、しかし、それは音楽に限らず多くの価値がそうである。画家は、この絵を幾らで売りたいと宣言するだろう。漁師がこの魚を幾らで売りたい、と同様である。ギャンブルや宝くじのように 夢さえお金に変えて売買できる。人間の価値さえ、その稼ぎの大きさによって評価される面は 確かに世に多いと言える。作家、画家、スポーツマン、芸能人、等々、また地位さえ、収入で評価される面は多い。近年、大学の人事評価などでも 研究費をどれほど得ているかは、大きな評価の要素に成っていて、科学研究費など生涯の研究補助金額がインターネット上に公開されている。 これらは要するに、かつての農村社会で広く実現していた いわゆる自給自足を基本とする社会から、今では農村社会でさえ、電気、ガス、機械の購入、医療、社会活動などで、生活していくためには お金が必要であると纏められる。お金本位制にみえるような社会は、資本主義の発達したアメリカで 上述のように極めて顕著に見られる。いわゆる いろいろなサービスに対するチップなども重要で、適切にお金を払わなければ、大きな問題になるだろう。さまざまな価値が お金で評価される社会である。お金が大きな役割を果たす資本主義の問題点については、 再生核研究所声明75 (2012.2.10):  政治・経済の在りようについて も参照。 宗教界でもお金は必要であるから、神のごりやく(ご利益)を除いても 関係者の生活費や、神社、仏閣の維持の観点からも お賽銭や寄付を必要とするのは当然である。少し、間違えると、中世、西欧で行われた免罪符の発行や救われるための献金を要求しかねない状況に追い込まれてしまう。いわゆる戒名なども売買される、布施の額の大きさで左右される可能性を有する。無理からぬ面も有ると、理解できるだろう。選挙におけるいわゆる買収などは、何時も起きている現象ではないだろうか。 されば、お金とは何か お金の背後にあるものは、それは様々な人間の考える価値の数値化で、その価格によって、交換される数値化であり、国家と複数の人からなる社会の一定の承認を得た数値化であると言える。 ある人が、この本を1000円で売りたいと宣言して、買う者が現れれば、立派な数値化であり、その本は1000円のものとして、有効性を持ち、その時は 本の価値と1000円が 等価であるとして、評価されるだろう。本を売った者がそのお金で食品を購入すれば、1000円を通して、本と購入した食品の数値化は 等価となるだろう。このような連鎖を続けて行くのが お金の本質であると言えるだろう。 お金とは、そのような数値化における、交換を物理的に行うもの、可能にするものであると言える。
以 上
https://twitter.com/SLANG_SCHC/status/667233481408184321
再生核研究所声明 126 (2013.8.25): お金の問題 ― 貨幣について ― 如何に使うか、支出について
(2013.8.17 再生核研究所声明に関心を抱く人の 結構永い間の要望であるが、難しい多面性を有するので、中々纏められなかった。今朝 夏休みを利用して 夏休みの宿題と考えて纏めてみる気持ちになった。1回では無理なので、本質論、収入面、支出面などに分けて 順次触れたい)
上記で 声明125で 本質論を纏めたので、多くの人の関心を抱く、収入 のまえに 支出 について考察して置こう。地獄の沙汰も金次第 という大事なお金 を如何に使うかである。 あらゆる生物は 自分が好きなように生きたいは、道理であり、まず、自分の好きなように 声明1 公正の原則に背馳しない限り、使うは道理であり、お金を好きなように使うということがまず、第一の原則である。しかしながら、世には、お金が入って仕方がない、大金持ちになって惨めな人生を送った人は 実に多いことが直ぐに分るだろう。実際、好きなように生きるは、生きるということはどのようなことか と同じように、実はそう簡単でないとも言える。 純粋な数学の研究者たちは、若いころは お金に関心を持たず、自由な時間こそ、尊いと評価している人が多いのではないだろうか。家族をもって、家族のためや、子供の為にお金が必要だと気づくのが多いのではないだろうか。再生核研究所声明36を参照。 自分達の生活と将来の為に特にお金を大事にしたいは、まず、第1歩である。それは社会に迷惑をかけないで 自立して生きることであるから、尊いとも言える。後は、多様性の原理で余裕のあるお金を如何に使うかであるが、それは、個々の価値観に依るのは当然である。そこで、支出で 悩ましい事例を挙げて、世の問題として、提起して置きたい: 1)  多くの国に行くと、物乞いに会うが、どうしたら良いか - 困っている人は助けたい心情が湧くが、きりがない状況が起きる。また、そこで、与えれば、逆に頼り、何時まで経っても 物乞いを無くすることが、できないだろう。 2)  これは世に多く有る、募金や献金もそのような面を有して、場合、場合によって悩まされる。募金など、あちこちにあってきりがない状況であり、何時も割り切れない気持ちを残すだろう。 3)  政治献金などは より大きな世界であるが、自己の生活と効果を考えると同じような問題を感じるのでは。さらに特定組織の応援となると、どうしても不満を有して、全面的な支持は 殆どできないのではないだろうか。 4)  いわゆる援助では、多くの場合、その時、援助に成っても それが自立を妨げ、永く尾を引く問題を抱えているのではないだろうか。 5)  お坊さんの托鉢については、中々理解しにくいところがある。インドでは鐘を鳴らして、家々を回っている習慣が有るが、大抵何らの施しを与えているようである。イタリアでは若い女性が正座して、物乞いしていて、奇妙に見えた。パリでは読書しながら、他方で 献金を求めている様を見て、流石、文化都市のよう感じられた、修行僧への施しの1種と解釈すべきか? ところで、なぜ修行僧への施しをするのだろう。 6)  上記に対して、大道芸人、ライブ、演奏、教室などなど 一定のサービスを受けた場合には、そのような立場の人の生活を考えて、多めの献金が 良いのではないだろうか? もちろん、良い社会のための営みと判断される場合は 多めであるのは道理ではないだろうか。しかし、信号の合間を見て、窓ふきや芸当して物乞いをしているのは 有難迷惑に当たり、そのような押し付けは世に多い。 7)  いわゆるチップであるが 日本人にはなれない習慣で戸惑うが、土地の習慣が大事では。場違いに出すと嫌な気分を擁かれる場合もあるが 大抵は多めだと喜ばれるのは当然である。有難迷惑も多い。
言えることは、自我をしっかりさせて、再生核研究所声明1の公正の原則に即して、心が弾むように お金を楽しく 自由に使えば良いと言うことである。大金を得て、塔からばら撒いた人がいたが、それはこの声明1に背馳している反社会的な行為として批判されるのは当然である。一般には 余裕のある人は楽しく使って、社会に活かすように心すべきと考える。大事なもの 独り占めにしないで、分かち合い、共に楽しむような気持ちが大事と考える。金は天下の回り物 という諺は 良い心がけではないだろうか。
以 上
再生核研究所声明 127 (2013.8.26): お金の問題 ― 貨幣について ― 収入について
(2013.8.17 再生核研究所声明に関心を抱く人の 結構永い間の要望であるが、難しい多面性を有するので、中々纏められなかった。今朝 夏休みを利用して 夏休みの宿題と考えて纏めてみる気持ちになった。1回では無理なので、本質論、収入面、支出面などに分けて 順次触れたい)
上記で 声明125で 本質論を纏め、声明126で 支出を纏めたので、多くの人が関心を抱く、収入について考察して置こう。地獄の沙汰も金次第 という大事なお金 を如何に得るかという観点である。 あらゆる生物は 自分が好きなように生きたいは、道理であり、まず、自分の好きなように 声明1 公正の原則に背馳しない限り、大事なお金を得たいが道理であり、お金を好きなように得るということがまず、第一の原則である。このような意味で、好きな職業に、あるいは好きな仕事に就いて、ひとりでにお金が入ってくる者は 幸いであると言える。理想国家では どんどんそのような人が増えるのではないだろうか。それが、国の、社会の目標であるとも言える。 特に資本主義社会では 人間の自由な活動が大幅に許されているので お金を得る方法は分類さえできないほど多様であるということである。特にインターネット、情報産業の発展によりその多様性は格段に増加して、どんどん新しいビジネスの方法が開拓されているのが現実である。サービス業や創造活動によるビジネスもきりがないほどである。 されば、収入における問題点とは何だろうか? これは始めから大問題である。収入のある人は問題ないとも言えるので、収入のない者の立場にまず、思いを致そう。 日本国憲法は 日本国憲法 第25条は、日本国憲法第3章にあり、社会権のひとつである生存権と、国の社会的使命について規定している。 第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
と謳い、実際に最低生活を保証し、実際に施行しているから、実に素晴らしい社会の実現であると高く評価される。 この最低生活の保障について、実際に働いて給与を得ている者より、逆に、働か���、最低生活の保障の額の方が高い収入という、一見奇妙な逆転現象さえ起きて、社会問題になっている。 しかし、ここで、生存権として、人は基本的に同じように生きる権利が有り、同じように収入を得て生きられるようにするは、収入にあたっての一つの原則であると考える。 かつて、(教授、助教授、講師、助手の) 職種に関係なく 年齢給で支給していた大学が有ったが、それは流石に行き過ぎだろう。 しかし、身分によって あまりの差を付けることは この原則に抵触すると考える。  最低生活の保障は 主に先進国における大量の失業者の増大と共に世界的な問題になっている。 収入のない失業者の問題である。 失業問題自身の対応については、 再生核研究所声明 42: 大失業時代 を参照。 次に注目すべきは 価値あるものを得たり、創造したり、作ったりしてもそれらだけからは、お金には変えられないという事実である。お金は作るわけにはいかず、それらの価値あるものを認めて頂いて、それで、お金に変える必要が有り、この時点が重要な観点ではないだろうか。この換金手順に、本質的な問題があり、そこに大きなビジネスの世界も展開していると言えよう。営業部門が製造部門以上に重要な役割を果たすことは 世に多い。 その点、投資、ギャンブル、為替の売買などは 直接的で、簡明な手順だが 元金の有無が問題であり、危険性も伴うだろう。 安定収入を得るには いわゆる固い職業に就くことであるが、冒険的に生きたい者は、ビジネスの開拓、ベンチャービジネスを志し、いわば持てる能力を思う存分に複雑な社会で活かしたいと考えるだろう。実際、成功して、大きな夢を実現している者は世に多い。活力ある社会を創造し、豊かな社会を築くために歓迎されているが、大きな視点からは、地球環境問題に抵触したり、社会性に反する形相を持つ面が強くなる可能性が高くなるので、大いに気を付けたい。 一応は以上で良いとしても 大きな問題が、抜けていることに気づくだろう。それは権力とお金を同時に得る方法である。古来から、公職に就くための人材登用の試験は 科挙制度のように現在も続いている公務員や高官への道である。国家の指導者たちであるから、一定の高級と権力を得るのは当然である。公正な裁判を可能にするために 判事などには、特別に相当な給与が 法律で保障されている。これらに類似する者として政治家が存在するが、これらは民主的な手順で、選挙で選出される訳であるから、それらの適否は 選出する国民の責任であり、原則的には、理想的な在りようであると評価される。
以 上
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oharash · 5 years
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Home,sweet home.
電車のなかで、俺はいつも音楽を聴く。ドアのわきに立って、デイパックを足元に置いて。iPodはジャケットのポケットに入れている。ネックウォーマーをずり上げて、鼻も口もうまるようにうつむいている。
 ネックウォーマーは何本も持っているのでしょっちゅう洗う。顔を埋めた時に柔軟剤のにおいがするように。
 こうしているととても安心した。まわりにどれだけ人がいても、こうしていれば誰も俺を見ないし話しかけない。イヤフォンからはBUMP OF CHICKEN。俺は全然聴かないアーティストだったけど、ユウくんが好きだというので最近聴くようになった。気に入った曲がいくつかあったのでよくプレイリストに入れている。弱音という名の地雷原を最短距離で走ってこい、藤原基央が俺の耳だけに歌いかけている。
 ふだんの下校と違うのは俺が特急に乗っていることだった。桑川を過ぎたあたりで隣のボックス席が空いたので座ることにした。羽越本線の景色はひたすらに鉛色だ。水平線に行くほどに薄いグレーになっていく海に、それに少し暗さを足した雲が垂れ込めている。それでも今日は雲が薄い方で、その隙間からいくつか光の筋が伸びて海を貫いていた。
 インスタをスクロールすると兄が雪山でトリックを決めている動画をアップしていた。
  今年、兄が高校を卒業すると同時に俺は高校生になった。俺は相変わらず一年の3分の2は海外で過ごしていて、それはほとんどにおいて兄と一緒だった。物心ついてからの記憶にはずっと兄がいてそれは今も何も変わらない。合宿もふだんの練習もメシも寝るときも。俺がメディアに取り上げられることが増えたとかそういうことはライダーとしての俺たちにはそんなに重要なことではなかったけれど、俺だけが招待される大会が増えたことだけは岩みたいにゴツゴツした現実だった。
 プレイリストが切り替わってヒップホップが流れ出す。デイパックのポケットから水筒を取り出し口に含んだ。サラサラと薄い音がする。澄んだ水の冷たさ。
 兄のできることや得意なことが、俺のできることや得意なこと、好きなことに自然となった。俺たちはそういう兄弟だった。今も次の遠征に兄に一緒に行ってほしいし一昨日までの遠征だって一緒に行きたかった。そんなことが続くたび、チューニングがずれるみたいに言葉が通じなくなってゆく。それは兄と俺だけの言語で、今までの俺たちは「あつい」のひと言でそれが25度なのか30度なのかまでぴったりとわかりあえた。曇りくらいで気が塞ぐのはそのせいかも知れない。あるいはユウくんの誘いにのったのだって。
  画面が更新されシュウイチくんがバックカントリーの下見をしている写真が流れてきた。滑らかに雪上を駆ける感覚が足に蘇り、一昨日の雪上練習でできたこめかみの擦り傷がじん、と震えた。
 T市の駅で降りて西口にまわる。S市行きのバスに乗る頃には光はすっかり黄色く、その後バスで寝たまま到着したS市は光の粒が舞っていた。当たり前だけど俺の地元であるM市よりずっと都会で、M市にはない広告看板やネオンが瞬いている。街だけど風に冷たいかおりがするのが心地よかった。「着いたよ」とメッセージを送ると「予定通りにC駅に迎えに行くね。S駅まで迎えに行けなくてごめん」と返ってきた。仕方ないユウくんがターミナル駅にいたら目立つし。ましてここは彼の地元にほど近いし。昨日LINEで送られてきた通りに鈍行に乗り換えて、指定された駅で降りる。階段を登ると、自動改札の前にキャップとメガネのユウくんがいた。アンダーアーマーのスリムなダウンジャケットを着ている。
「おつかれ」
「おつかれ」
   最初の言葉はどうしてもぎくしゃくして居心地が悪い。
「来てくれてありがとう。疲れたでしょ。とりあえず出よ。荷物持つよ」
 ユウくんちの最寄駅前は小ぢんまりと栄えていた。ここでユウくんが育ったなんて嘘みたいな好ましい控えめさ。大晦日の夕方だからか、知らない街だからか、すれ違う人はみんな家路を急いでいるように見える。もう少しで街から誰もいなくなってしまいそうだ。半歩先を行くユウくんの背中を早足で追いかけた。
「これもしかしてお土産?」ユウくんがさっき俺から受け取った紙袋を少し上げる。「母さんが持ってけって」「いいのに。大晦日に大事なアヅを預かるんだから、お釣りがくるよ。アヅと年越しできるなんて嬉しい。来てくれてありがとう」ユウくんは嬉しい、とかありがとう、とかそういう言葉をよく口にする。まだそれに慣れなくて俺はすぐに言葉を返せない。道路の向かい側の道を歩くカップルの、馴染んだ後ろ姿を羨ましく眺めた。同じように半歩ずれて歩いていても、楽しそうに話しながら歩く後ろ姿。俺はピアスを外してポーチにしまった。ひとつ無防備になった気がして心細くなった。
 ユウくんの家の玄関を開けると、湿度の高い空気に包まれた。リビングではお父さんがテレビを見ていてお母さんがオープンキッチンに立っていた。「遠くから来てくれてありがとう。ゆっくりしていってね。困ったことがあったら何でも言って」お父さんはわざわざ立ち上がって俺に握手を求めながらそう言った。大きくてかさついた手は全然ユウくんに似ていない。古い木の幹みたいに頑丈そうな男の人だ。校長先生って聞いていたけど本当にそんな感じ。にこやかで、俺の茶髪もオーバーサイズのファッションも気に咎めるふしがないのがかえって居心地が悪かった。うちみたいに部屋の隅に雑誌や脱ぎ捨てた上着や書類が溜まったりしていなくて、代わりに背の低い観葉植物が葉っぱを広げている。兄弟喧嘩で空いた壁の穴だとか落書きの後なんかもない。清潔で整った住まいを見ていると、ユウくんがどうしてあんなに物怖じせず人に好意を示せるのか少しわかった気がした。
 ユウくんの家族と鍋と寿司を食べて、紅白を見た。俺の家ではいつもガキ使だったのでちょっと新鮮だった。一年のほとんどは海外にいるのでたまに帰国して音楽番組を見ると歌手も歌もほとんどわからなくて、弟が解説を加えてくれる。そんな話をしたらユウくんが「わかる!  俺も姉ちゃんに教えてもらう」と機嫌よく笑ってくれた。寿司はお店からとったものだった。きちんと握られた寿司はめちゃめちゃ美味くて、それなのに俺は母の手巻き寿司が恋しくなった。母のつくる手巻き寿司は兄と俺の好物だ。ぬるい酢飯と、母が産直で買ってくる刺身が唇に触れる最初の一瞬が好きだ。あのつるつるとした滑らかさが。
 ユウくんのお姉さんは友達と旅行に行っているそうで会うことはなかった。紅白が終わる前に布団に入った。午前5時に出る、という約束はそのときにした。元日の朝一番に、誰と何をするより先に、出かけようという約束。
「大丈夫?」
すっかり全部話がまとまった後になってユウくんは聞く。
「アヅ、移動で疲れてるでしょ。もっと遅くていいんだよ」
「いい、5時」
「まだ暗いよ?」
 ユウくんは時々、変なところで煮え切らない。
「知ってる」
 視線だけを向けて言うとユウくんは観念したらしく、じゃあアラームセットするね。とスマホを手に取った。
 ユウくんの部屋は家具としては勉強机と、窓の脇にぴったり寄せたベッドと本棚がふたつしかない居心地の良さそうな部屋だった。けれどその本棚が俺の身長ほどあり、本はそれぞれ2段ずつしか収められておらずほかの段にはさまざまなものが置かれている。トロフィーや賞状なんかは別の部屋に置いてあるのか姿はなく、大部分は何の役に立つとも知れないがらくた同然の品々だった。なぜか古びた羅針盤、アンモナイトや三葉虫の化石(フェイクかもしれない)、RPGに出てきそうな剣に龍が巻きついているキーホルダー、象牙や石英やサンゴを加工したアクセサリー、ガラスの香水瓶、三角プリズム、チェスの盤と駒、そしてスワロフスキーなどの凝った装飾を施されたヘッドフォンとイヤフォン。まだまだあったが、どれもユウくんらしい趣味のもので俺の部屋にはないものばかりだった。俺がクリスマスに贈ったTiffanyのブレスレットは箱と一緒に一番上の段へ置かれていた。
 海外遠征に出るたびに集めるのだろうか。これらとりとめのない収集品のひとつひとつに、ユウくんの嗜好だとか経てきた時間にまつわる何らかの記憶のかけらが���じ込められているのか、と俺はため息をつくような気持ちで考えた。この部屋をなんとなく居心地よく感じるのは、ユウくんが短いけれど分厚い時間を一緒に過ごしてきたこれらのものが含む記憶のふくらみのせいなのかも知れなかった。
 灯りを落とした部屋で、気がつくとユウくん目を開けて俺をじっと見下ろしていた。すこし面白がっているような顔つきになっているのはユウくんの目に、布団の上でまんじりともせずいる俺もまた収集品のひとつのように映っているからだろうか。やがてその表情も失われ、ユウくんはゆっくり目を閉じた。彼の瞳にいたずらっ子のような表情が一瞬ちらりとまたたいたのが俺は気に入って、もう一度それを見たいと待ち続けたけれど、それきりユウくんは目を開かない。呼吸のリズムがいつのまにか寝息のそれに変わっていた。
 4時すぎに目が覚めた。アラームが鳴るまでうとうとして、ユウくんと一緒に着替えて顔を洗った。真っ暗だ。
 何も咎められることをしているわけじゃないのに、なぜかどきどきした。
 玄関へ向かうとき、ユウくんの両親の寝室のまえを通る。俺は息をひそめ、床がきしまないようにゆっくりと、最大限の注意を払って一歩ずつ歩いた。
 玄関には、活けたばかりの水仙の香りが漂っていた。消臭剤じゃなくて生花ってあたりに俺の家との違いを感じる。お正月の冷たいかおり。
 なるべく音をたてないようにドアをしめた瞬間、何か取り返しのつかない悪いことをしてしまったような気持ちになった。眠っているユウくんの父さんと母さんのもとからユウくんを連れ去って、悪いことをさせるような気持ち。
 おもては寒く、まだ月も星も見えた。ユウくんはエレベーターの中で俺の手を握り、そのまま自分のダウンジャケットのポケットに入れた。
俺は空いている方の手でニットビーニーを少し下げた。今までで一番ユウくんを親しい人として感じた。
 道は海の底みたいにしんとしている。玄関灯に照らされて、どの
家にもしめ飾りが飾られていた。
「しずかだね」
ユウくんが言うので俺は頷いて「さむいね」と空を見上げる。ずっと手を繋いでいた。
  3時だとまだ、カウントダウンを終えて帰ってくる人がいる。6時だと早起きの老人が元朝参りへ繰り出し始める。5時の住宅街はまだ眠っていて、息を吸うと鼻と口の周りに冷たい空気が集中した。まだ誰も吸っていない新しい冷気だ。
 車のいない道路をいくつか渡って、古めかしいというか単に古い岩造りの鳥居の下にたどり着いた。鳥居の右も左も民家。道路を挟んで向かい側にはシャッターを下ろした商店。有名でも何でもない、ユウくんが子どもの頃に友達と初詣に行った神社を希望したのは俺だった。
 それでも神社だけあって、てっぺんの見えない石段を登る。石段の両側には赤松や杉が生い茂って石段をトンネルのように覆っていた。
「S市は初売りが有名なんだよ。他の地域に比べて福袋の中身が超豪華なんだって。2日の朝からだけど、みんな今日の夜とかから並び始める」
「行ったことあるの?」
 ヤッケを着て長靴を履いたじいさんが階段を降りてくる。うちの地元で見るようなスタイルに少し心が和む。繋いだ手を離した。
「ない」「ないのかよ」
 石段を登り終えると社の前は小さな広場になっていて、神社の人とおぼしきばあさんが火を焚いていた。
「アヅ知ってる? 正しいお参りの作法ってさ」
「うん」
「鳥居をくぐったらしゃべっちゃいけないんだって」
「何でそれ今言うの」
「だよねえ。今思い出したよ。水で口を洗うやり方とかも見てきたんだけどさ、そもそもここ水場ないしね。昔はあったような気がしたんだけどな」
 お賽銭を入れて手をふたつ叩いて目をつぶった。閉じたまぶたが冷たい。炎の中でバチっと木がはぜる大きな音が耳の奥へ残響を残した。
  息を吸いながら目を開けると、ユウくんはまだ目を閉じて手を合わせていた。邪魔をしてはいけない気がして体がこわばる。やがてユウくんは目を開けて、うっとりと御神体に目を向けたまま少し微笑んだ。
  おみくじを引いた。特に飾りやお守りの入っていない100円のシンプルなやつ。俺は末吉、ユウくんは小吉。庭火にあたりながら神さまの言葉を読み上げていく。
「なんかふたりともショボい」
「持ってる男ふたりなのにね。ねえ末吉と小吉ってどっちがいいんだろうね?」
「末っていうくらいだから俺のがやばくね」
 スマホを取り出して検索窓に「末吉 小吉」と打ち込む。ユウくんは覗き込むように俺にもたれ、スマホと俺のおみくじを見比べていた。
「あらそいごと、あぶないです、全力を尽くしましょう。転居。取り返しのつかないことになります。注意しましょう。お産。安産です。アヅもう出産するしかないんじゃない、これ」
「はー? あ、やっぱ末吉のがヤバイって。その下、すぐ凶じゃん。凶なんてそうそう入ってないだろうからどっちみち俺らヤバいね。つか俺‘学問 茨の道である’とか知ってるっつーの。ユウくんの…しせもの」「うせもの」「うせもの。‘でない’とか見も蓋もなくね」
「失くさなきゃいいってことでしょ。それより恋愛、俺‘一途な思いが愛を深める  行動で示せ’…行動かあー。行動って難しいよね。俺ジュニアの頃から結構気合い入ったストーカーの人いるんだけどさ、あの人だってあれで俺への何かを示してるつもりなんでしょ」
「何それめっちゃヘビーな話」
「話さなかったっけ」
「ストーカーいるのは知ってたけどそんな前からだとは思わんかった。ていうかいいの、タクシーとかで来た方がよかったんじゃねえの」
「ううん、さすがに正月はあっちも休みたいのか、海外に行ったままだと思ってるのか来ないんだよね」
  木を燃やしているとき独特の煙のかおり。ユウくんがぐいぐいと俺にもたれてくるので、お互いのダウンジャケットがこすれあって軽薄な音をたてる。「なんかされない?」「へーき。さすがにカナダに住むわけにいかないのかあっちにいる時も四六時中張ってるわけじゃないし、大会とかのときはSPつけるし。アヅも気をつけなよ、これからどんどん人気出てくるんだから。ていうか何の話だよ。行動で示せってって話だよね。今年俺めっちゃ示すために行動するわ。何してほしい?」「肩が重いから自力で立ってほしい」「うわ塩っ。でもほんと、基本は自分で考えて行動するけど、してほしいことあったらいつでも言ってよ」
 ユウくんが俺の顔を覗き込むので、そのつるりとした頰が間近にやってきた。骨の上に薄い皮膚が張っていて女の子みたいに白い。
  俺のおみくじ。‘恋愛 心落ち着ければ吉’。神さまは簡単に言ってくれる。落ち着いてできる恋愛なんてそもそもしない方がいい。
 行動ねー、とユウくんは繰り返した。白い息が泡みたいに消えていく。俺は丁寧におみくじを畳んで財布に入れた。
 帰り道、国道から一本入ったコンビニで温かい烏龍茶を買った。お正月の早朝のセブンイレブンはそこそこ静かだ。客は眠そうな顔をした若い男女の集団と、親密そうな若い女の子ふたり、そして俺たちだった。
「初めてだね」
 外のベンチに座るとユウくんが言った。
「え?」
 ユウくんは深く腰掛けて背筋を伸ばしている。俺は浅く腰掛けるのが癖だ。膝が前に出て、ちょっとだらしない具合になる。
「会うの、今年はじめて」
  ホットレモンに口をつけて言う。小さな飲み口から湯気が立ち上って消えていく。
「……そだね」
  俺は息をついてもうひとつ脱力した。コンビニ前の適当な空気が落ち着く。空にはまだ暗さが満ちていた。真夜中の高速を走っている時の抵抗感のあるぬるぬるした闇じゃなくて、頰をさらさらと撫でる細かな粒子の闇だ。
「おめでと」
 俺が言い、
「今年もよろしく」
と、ユウくんが言った。
 ユウくんがトイレ、というのでもう一度コンビニに入った。ユウくん
が思い出して年賀状を会計している間、俺はユウくんの横に立ってガムとか小さなぬいぐるみとか、食玩とかミニカーなんかが並んでいる即席の棚を眺める。
「あ、プー」
 それは柔らかいプラスチックでできたくまのプーのコインケースだった。顔の裏側に垂直な切れ込みが入っている。俺の手のひらの半分くらいの大きさ。手にとった顔だけのくまのプーは首からかけられるようにひもが付いている。
「買ってあげようか」
 ユウくんが言った。
「え、いいよ」
 俺が言うより早く、ユウくんはそれを掴んでレジに出していた。
 帰り道、俺はそれを首にかけて小銭を入れてみた。歩くたびに小銭がかすかに音をたてる。俺の姿を見てユウくんが少し驚いていた。
「無理やり買っといてなんだけど、意外。アヅが身につけてくれると思わなかった」
 俺も同感だった。ここまでファンシーでなくても、キャラものをあえて身につけてファッションをハズす奴はいる。けど俺はそういうのはあまり好きじゃなかった。人のリアクション待ちのようにも感じるしそんなもので目をひくのはすごくダサい気がするから。
 自分でも驚いたのだけれど、俺はこのプレゼントがすごく嬉しかった。すごくすごく嬉しくて、ばかばかしいくらい胸にしみて、俺はこんなにひとりぼっちだったのかって思った。
 そっとドアを開けると、家はまだ眠りの中だった。俺たちは部屋に戻り、部屋着に着替えてもう一度ベッドにもぐる。正確にはユウくんはベッドに、俺は床にしいた布団に。
「母さんも父さんもココの出身なんだけどさ、なんでかお雑煮は関西風なんだよね。元日はいつもそれ」
「関西風ってどんなの」
「餅が丸くて汁が白い。ばあちゃんちで食べるのは普通のさ、いや普通って言ったら変だけど、いわゆる関東風のすまし汁みたいなやつで。俺、言われるまでふたつが同じ‘お雑煮’だって知らなかったよ。うちが関西風なのはただの母さんの好みらしいけど。アヅんちは?」
「たぶんユウくんのばあちゃんちのパターン」
「だよねえ。まあ、とりあえず食べてみてよ」
 眠る前にキスがしたいなと思っていると「やっぱり一緒に寝る」とユウくんはベッドからずるりと体を落として俺の隣に潜り込んだ。そしてむく犬みたいに俺の腹に額を押し付けた態勢に落ち着く。俺の頰を撫でていったユウくんの柔らかい髪は外のかおりを残していた。俺は自分が懸命に無表情を取り繕いながら、実はややもすると埒をこえてごぼりと外へ溢れ出してしまいそうになる気持ちを押し殺そうと必死になっていることに気づいた。それが寂しさであることをユウくんは知らない。俺以外に誰も知らない。
  ユウくんは俺よりずっと大きいけれど小さいペットみたいな振る舞いをする。身のうちに飼っているうちにどんどん情がうつるような。餌をやり忘れてるんじゃないか、ときどき不安になる。餌をやり水をやり、ユウくんが満足そうにごろごろ喉を鳴らし始めると、俺は彼の柔らかな髪だとか張り詰めた背なんかを撫でてやる。ユウくんが安心してゆく一方で俺はどんどん不安になって、寂しさがぱりぱりと耳の奥でひび割れていく。
「ねえアヅ」
   ユウくんが俺の腹に頭をぐりぐりと押し付けてくる。
「神社で何お願いしたの」
「…俺もユウくんもケガしませんように」
「うわめっちゃ現実的。夢がない」
「いやすごく大事でしょ。全然、一番大事」
「そりゃそうだけど。俺はアヅが俺のことめちゃめちゃ好きになってくれますようにってずっとお願いしてたよ」
  ユウくんはペットみたいに振る舞うし時々年齢より幼く見えるけど、一方で期待というものを何ひとつ持っていないように見える。最初からきれいさっぱり。
  普段は可愛く見られるような仕草を意識してやっているくせにそんなところは全然可愛くなくて、そういうところを見ると不安になるばかりの俺の心は少し凪ぐ。
  それから、俺が何も言わなくても言葉を催促しないところも。
「俺を幸せにできたのはスケートとアヅだけ。俺を悲しくできるのもスケートとアヅだけだよ、」ユウくんは言葉を探すように少し黙る。「そりゃ、スケートはひとりでできるものじゃないから家族とかコーチとかサポートしてくれる人含めてのスケート、だけど」
 ユウくんはもぞもぞと上体を起こして俺を見下ろす。こめかみのかさぶたに指がそっと触れた。
「アヅ疲れたでしょ。人見知りなのにうちの親とたくさん喋ってくれてありがと。親に俺のカッコいいアヅを紹介できてよかった。改札で見たときすごく心細そうで、悪いことしたなって思ったんだ。年越ししようって無理やり誘ったし。でも俺アヅのこと大好きだからさ、連れてきたかったし、これからもそうするよ。ねえ。だから約束しよ」
  何に、という言葉すらなかった。ユウくんが俺の瞳の中を覗き込んでいる。その目はピカピカと光っていて、本物のけもののようだった。何月何日に、とか、何時にどこで、とか決めなくても、約束はできるのだ。ユウくんに会って俺はそんなことを初めて知った。
  ユウくんの母さんが作ってくれたお雑煮を食べてテレビを見た。ユウくんの箸づかいはとてもキレイだ。それを見ながら慣れない中指を使って箸を駆使し餅を拾ってみる。ユウくんの父さんがお年玉を渡してきてすごく困った。どう言ったら気を悪くさせないで断れるかを考えていると「君がプロのスノーボーダーなのは知っているけれど、私にとって君はユウの友達の高校生だから」と言ってユウくんの父さんは俺の手をとってポチ袋を握らせた。お礼を言うとユウくんが嬉しそうに俺の肩を抱いた。穏やかで暖かいこの家の空気が少し体に馴染んだ気がする。
「アヅはスケボーも上手いんだよ。小4からスポンサーついてるから、メディアにも全然物怖じしないしすごいかっこいいんだ」「いや前の大会のとき全然喋れてなかったじゃん」「えっ喋ってたよ。すごく落ち着いてた」「帰国後の会見で、報奨金どうしますかーって聞かれたとき俺とスバルくんが貯金っすねーへへっとかまだ決めてないっすとか言った後に超ハッキリ‘僕は全額寄付します’ってユウくんが言って、あとで仲間に俺すんごいいじられたし。俺ら超馬鹿っぽいって」「いやあれはほら、まあ、アヅは疲れてたし仕方ないよ」「何そのフォローになってないフォロー」「エックスゲームスの賞金のほうが高いんでしょ? 俺あれ聞いて、ああ俺の世界大会の重さとこの人たちのは違うんだなって思ったもん。何か、色んな世界とか考え方があるんだなって思った」
  ユウくんはにっこり笑った。薄い唇の間に少しだけ歯がのぞき、それは結構キュートな笑顔だった。ユウくんの父さんも同じ笑い方をしていて、それはとても似ていた。
   そういえば昔の写真を見ると俺と兄は同じ顔をしていたけど、去年くらいからはっきりと違う顔になってきた。あるものを選ぶ、あるいは選ばされるというのは別のものを選ばないということで、俺たちはそうした大小無数のむごく切ない分岐点の連なりから成り立っている。そのうちのひとつが痛切な悔恨だとかそういったものとともに想起されて、その分岐から以後の‘全てのちがい’が生じたのだとあるとき突然思い込む。でもきっと、それは生まれた時から決まっている。
 ぎゅうと締め付けられる胸を抑えると、なぜだか笑みがこぼれた。決まっているから、だからそんなことは悲しんだって詮無いことだ。その代わりに俺はおみくじだとかプーの財布だとか、そんな小さなものを積み重ねる。
 甘やかな餅が咀嚼され喉奥に追いやられていく。ユウくんが優雅な仕草で黒豆を取り分けてくれるのを見て、いつか兄に会わせたいな、と思った。
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carguytimes · 5 years
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【朝霞の種馬 GT-R】RB26改2.9Lの強心臓を持つBNR32筑波タイムアタッカー!
デートカーとしても活躍するアタッカー狙うは筑波アマチュアR最速の座! 空力からサスまで徹底チューニング 「朝霞の種馬」という通り名を知っているってOPTION読者も少なくないはず。筑波、鈴鹿、オートポリス、菅生といったサーキットで開催されているタイムアタックイベント『Attack』の選手会長として、愛機のBNR32で参戦。誌面にもたびたび登場していた有名アマチュアドライバーだ。 そんな種馬の愛機だが、ベストタイム57秒196を記録した2015年3月から、大幅なアップデートが行われた(2016年時点)。エンジンはHKSの2.8L仕様から、BCの2.9L仕様へ。補機類もタービンや制御ユニットの変更に始まり、インマニやエキマニも刷新。最高出力はなんと850psにまで高められている。 さらに、タイムアタックシーンにおいて最大のトレンドとなっているエアロメイクも、時間を掛けて作り込んできた。空力を徹底追求したフロントバンパーと大型の2枚カナードは、ボディショップニュータイプのスペシャルメイドだ。合わせて、フロントフェンダー上部にビス留め装着していた5連ダクトの埋め込みやステッカーの整理が行われ、以前はやや雑多な印象があったエクステリアが、スッキリとまとまったイメージへと変貌。 ちなみにこのマシン、ナンバー付きであることも拘りのひとつ。「セミパイプフレーム化しているサーキット仲間やライバルも増えているんですよ。負けたくないしボクもやりたい!…んですけどねぇ。でも、普段から乗れてデートにも使えるのに速い!! そんなGT-Rのほうがカッコいいじゃないですか!」と朝霞の種馬は語ってくれた。   製作が間に合わずアタックできなかった15-16シーズンの悔しさは、来期に爆発するハズ。まずはホームコース筑波2000で、56秒台を飛び越えての55秒台入りを狙う! (2016年6月掲載) PHOTO:Akio HIRANO 取材協力:ハイテックパフォーマンス スペック ■エンジン:RB26DETT改2.9L仕様(850ps/90kgm)/BC ピストン、コンロッド、クランクシャフト/HKS カムシャフト(IN&EX272度10.2mmリフト)/サンアイ ビレットタービン(TF-08)/iR ワンオフエキマニ/プラズママン インマニ、スロットル/BOSCH 1000ccインジェクター、燃料ポンプ×2(送り用)/ニスモ 燃料ポンプ(吸い上げ用)/Link フルコン/ARC インタークーラー/トラスト 20段オイルクーラー、3層ラジエター/ハイテックパフォーマンス フルチタンマフラー、ヘッドチューン/ケミテック クーラント ■ドライブトレイン:ホリンジャー シーケンシャル6速ミッション/ATS LSD(F1.5ウェイ R2ウェイ)/4.1ファイナルギヤ ■サスペンション:アラゴスタ 車高調/ハイパコ スプリング(16.1kg/mm)/BNR34用メンバー/イケヤフォーミュラ ナックル、アーム類/ナギサオート アーム類/ガレージワーク フルスポット溶接、サイドシル補強/ボディワークス ウインドウ開口部補強 ■ブレーキ:エンドレス MONO6キャリパー+355mmローター(F)、MONO4キャリパー+330mmローター(R) ■ホイール:ボルクレーシングTE37RT(11J×18) ■タイヤ:アドバンA050(295/30-18) ■インテリア:ナルディ36φステアリング/レカロ SP-A/オクヤマ ボディショップオガタ製作18点式ロールケージ/イズミー ダッシュボード張り替え/デフィ 追加メーター ■エクステリア:ボディショップニュータイプ フロントバンパー、カナード、アンダーパネル/ショーリン サイドステップ、リヤバンパー、フロントワイドフェンダー加工/TM工房 リヤワイドフェンダー/ベネテック ドライカーボンボンネット、ドライカーボンルーフ、スワンネックGTウイング フレーク入りの水色ボディカラーはRE雨宮の風林火山号を真似たもの。ダクトをセンターのみに配して空気抵抗を低減させたフロントバンパーと、その両サイドの大型2連カナード、大型アンダーパネルは、ニュータイプがこのマシンのために設計し、空力形状に特化させたモデルだ。295タイヤをインストール可能なフロントフェンダーはショーリン製がベースで、上部にレディゴーネクストのエアダクトを埋め込む他、三連スリットの最下部は追加加工したもので「アディダスマークみたいでしょ」とのこと。マグブルーのボルクレーシング TE37RTは、この撮影に合わせて新調したものだったりする。ベネテックのドライカーボン製パーツもふんだんに採り入れて軽量性も追求。現在の車重は1350kgだ。 デートカーを標榜するだけに、アタックマシンらしいスパルタンさの中に、お洒落さも兼ね備えるインテリア。ダッシュボードはイズミーの手によりアルカンターラが張り込まれている。ちなみにサイドバーは「ミニスカの女の子を乗せるときにも役立ちます」とは種馬の弁。なお、軽量化のためにエアコンは泣く泣く取り外した。 RBユニットにはBCの2.9Lキットが組み込まれる。タービンはビレットインペラ採用の三菱製TF-08。ハイパワーなだけではなく、Vカムなしでも低域からのレスポンスにも優れるスペシャルモデルだ。また、エキマニはiRによるワンオフもの。一方、サージタンクとインマニは耐久性に定評のあるオーストラリアの吸気系メーカー、プラズママンのものをセレクト。最大ブースト圧2.3キロ時に850psを発生させる。 「BNR32に乗り替えて10年目。筑波55秒台を目標にエンジンもエアロも作り込みました。でもパドルシフトにもしたいですし、本当はパイプフレーム化もしたいんです。でも“種の保存”もBNR32の使命だったりもするじゃないですか。しばらくはこの仕様のまま、タイムアタックを楽しみますよ」 (web option編集部) あわせて読みたい * 【MEISHIN TIRE S2000】2.2Lハイコンプでセントラルに挑むAP1タイムアタック仕様! * 【OPTION誌 86/BRZ総選挙 総合4位】サーキット派プライベーターが駆る等身大の86【赤崎雅基 ZN6】 * 【土屋雅司GT-R】JGTCマシン同様の全幅1880mmワイドボディを纏うBNR32! * 【GARAGE ITO S2000】2.2Lにスーパーチャージャーをセットして350psを発揮するAP1 * 【コンパクト戦線異常あり!】軽さを活かしたセットアップで仕上げられたEK9サーキット仕様【ZEROFIGHTER CIVIC TYPE R】 http://dlvr.it/Qrqgdh
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otoha-moka · 5 years
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I seek you, seek you
「これは?」近侍の長義くんが審神者に尋ねる。こういうものも乙なもんだろ、と言って審神者から手渡されたのは無線機だった。「こういうのでな、適当にこのつまみをいじって…あ、聞こえた聞こえた」審神者がなにか無線機を操作すると、ザーッザーッというノイズに混じりなにか声が聞こえる
どうやら女性の声だった。「応答願います!誰かいませんかー?」間延びした声は慌てている様子がなく、審神者が応答したところ、どうやら雑談相手を無線機で探していたらしい。
あ、忘れてた!ちょぎくにです!刀剣破壊?描写注意。 「無線機って面白いですよね、どこに繋がるのかわからない電話みたい」女性がそう言っていたのが、特に意味は無いが長義くんには印象深く思えた。 この本丸にまんばはいない。それは長義くんが配属された時には既にそうで、聞けば彼は初期刀で、
まだ審神者が右も左もわからない頃、戦闘中に行方がわからなくなってしまった。恐らく折れたのだろうということだった。再顕現しないのかと問えば「代替なんて、あいつが一番嫌がりそうだろう」とのことで、それはまあ、納得のいく理由だとは長義くんは思う。
この本丸は顕現番号が割り振られているのだが、その1番目が永久欠番になっている記録を見て、思うところがなかったと言えば嘘になる。 「まだ来てまもない頃に、落ち込むあいつに写しってそもそもなんだよって聞いたら、お前のことも少しだけ話してくれたんだ」と審神者は長義くんに語った。
「へえ?」「紛れもなく美しい名刀で、しかも霊剣、あいつもまた傑作なんだってな。だから、自分を汚せば比較もされないとかなんとか…あとはいつも通りだったけど」そう笑う審神者は少し寂しそうで、長義くんは何か言おうとして、でもやめてしまった。 長義くんはふと配属されてまもない頃に
思いを馳せながら部屋に戻ると、何気なく、貰った(押し付けられた)無線機のつまみをいじってみた。チューニングと言うらしく、ここで電波を合わせるのだという。ザーッザーッと砂嵐の音、無音、また砂嵐。無線機自体そこまで利用されていない今、どこかへ繋がることの方が珍しいのかもしれない。
そう思っていた矢先の出来事だった。「…誰か聞いているか?」長義くんはぴたりと手を止める。聞き覚えのある声。「…聞こえているなら応答してほしい。…ダメか。また、明日発信する」「ま、待て!」「…え?」それは、他でもない、先程まで思い出していた、自分の写しの声だった。
まんばの話を聞いていくと、自然と色々なことに気が付いた。どうやらこのまんばはどこかの本丸の初期刀で、本丸は立ち上げてそこまで時間が経っていない。それに、聚楽第の任務も知らないという。つまり、まだ山姥切とは会ってないのだそうだ。「…そうか、山姥切も来てるんだな」
「いつの話だと思ってるんだよ」「…結構前なのか?」「まあね」…といった具合で、少々時差ボケめいた会話も交わした。淡々としながらも、意外と会話は弾んだ。面と向かって話すわけではないからか、あるいは別の本丸の奴だからと無意識に遠慮してしまうのか…ひょっとしたら、
少し寂しかったのかもしれないが。どのくらい話したのか、気がつけばもう夕餉の時間で、長義くんがそれを伝えるとまんばの「すまない、らしくもなく話し込んでしまったな」と困ったような声が無線機越しに聞こえてくる。きっと眉を下げて、ついでに顔も下に向けて、なんなら布を自分を隠すように
引っ張っているんだろうということは容易に想像できしまって、長義くんはなんだか可笑しい気分になった。「じゃあ、俺はこれで」「ああ…そう、か…でも、お前がいるなら安心だな」「何が?」「いや、その、戦力として…」「当然だよ、俺がいるからには心配はいらない」
お前の本丸に俺がいないことが残念だよ、と最後に伝えると、まんばは少しの間のあと、曖昧に頷くような返事をする。長義くんはなんとなく、これで終わらせたくなくなって、「それじゃあ…また明日ね」と言ってから、返事を聞かずに通信を切断した。
次の日も、また次の日も、長義くんが同じ時間に無線機を繋げると、生活リズムでも似ているのか、すぐにまんばは応答した。話したいことは山ほどあった気がするけれど、実際に話す内容といえば、その日あった出来事について話すことばかりで、さらに言えばそのほとんどは長義くんが話す内容に
まんばが相槌をうつという状態だった。でも、お互い自然とそうなったし、少なくとも長義くんは楽しいと感じていた。まんばの返答は大体いつも、少し間をあけてから。無線機を通していると、実際にまんばがどんな顔をしてその空白を作っているのかはよくわからなくて、少しもどかしくて、
でもまんばが今何を考えているのかを想像するのも楽しくはあった。そうして無線機での「いつもの一時」が定着しつつあった時だった。その日は長義くんは出陣があり、なおかつそれなりに大きい傷を作ってしまい、手入れを行っていた。だから、いつもの時間に無線機を繋げることは出来なかった。
必ずの約束でもなかったが、もしも待たせていたりしたら、なんとなくばつが悪い。長義くんは遅い時間になってしまったが、もしもまんばが無線機を繋げていたら、と思い、部屋に戻るなり自分の無線機を手に取った。「あー…応答願う。誰かいる?」無線機でそう発信する。無音。
それはそうだ、彼とて立ち上げたばかりの本丸での初期刀ならばきっとそれなりに忙しい毎日を送っているに違いない。いつでも時間が合うわけがないか、と諦めかける。「…山姥切?」そう、諦めようとしたときに、無線機から声が聞こえた。「飽きたのかと思った…」「手入れがあったんだよ」
「手入れ…?怪我したのか?!」「もう治ってる。戦場なんだ、付き物だろう」「それは…そうだが…」「それに、お前だって立ち上げたばかりの本丸の初期刀ならば、よく世話になっているだろう?」「…」「…どうした?」「いや…ああ、そうだな…そうだった」心配する様子だったまんばが、
長義くんの言葉に急に押黙る。長義くんが疑問に思って声をかけると、まんばは自問自答でもするように答えた。「ところで、お前の本丸はどう?もう6月も終わるけど」「どう…と言われても。梅雨入りしているから、洗濯物が干せないと兄弟が…」「…」「…山姥切?」「いや、なんでもないよ」
今度は長義くんが黙る番だった。饒舌な長義くんが黙り込むことで、まんばは少なからず不安にでも感じたのか、少し小さい声が無線機から聞こえてくる。長義くんはその声に答えるように取り繕った。長義くんにはわかってしまった。まんばが、本丸について何か大きな嘘をついていることに。
今日も異常気象とやらで、季節を2ヶ月くらいずらしたのかというほどやたらと暑い。内番は水分補給忘れないように!とのことで、厨から冷えた500mlの水筒を取り出して、長義くんは外に出た。(景趣という概念のない世界観だと思ってください)そう、今年は異常気象で、雨が降らない6月だった。
ひとつ疑問に思えば次々と不思議なことに気が付いた。まんばはもともと、いつも同じような時間帯にずっと発信し続けてきたようだった。誰かに連絡を取りたかったように思われる。雑談相手を探したいなら「また明日発信する」などとは言わないだろう。ところが、長義くんと話をするようになって、
発信を続けているかと言われるとそうではない。この電波帯に用があったのに、なくなった?自分に用があった?しかしまんばは、長義くんが各本丸に配属されていることを知らなかった。それどころか、聚楽第任務の存在すら知らなかった。「…何が、目的なんだろう」ぽつりと呟いた言葉は夏空に消えた。
今更だけど、審神者も出張ってるのでご注意ください。 「乱知らない?」審神者から声をかけられて長義くんは振り返る。「さあ?見てないけど…」「万屋に行ってから戻ってきてないんだよね…どこいったんだか」「…万屋では?」「いや、今回のはマジなんだって…」
そういう審神者は本当に困っているようだった。恐らく、数時間以上は前に出かけた乱が帰ってこないということだろう。「…端末は?」「それが繋がんなくて…あ、そうだ、お前に無線機渡したよね、ちょっと貸して」「貸しても何も、あれは君のだろう」そう言って、自室にある無線機をとってくる。
そうだ、と雑に手元の紙にまんばへと繋がった電波の数値のメモをとった。そのまま部屋を出て、扉の前で待っている審神者に無線機を手渡す。「…でも、一体何を?」「まあ見てなって。乱は初鍛刀でさ、見た目が小さいと見てて不安だからって無線機渡してたなって思ってさ。今のご時世の無線は、
時に端末よりも強いんだよ」審神者はそう自信満々に言いながら無線機をいじる。時折乱を呼んでいるところから、無線で連絡を取ろうというところだろうか。しかし返答はない。しばらく呼びかけていたが諦めたのか、審神者は仕方ないなあと、今度はコンピューターを取り出した。「位置情報を割り出すか」
「…乱はそれを?」「いーや知らないと思う」「犯罪じゃないのかな、それは」「まあまあ…こうして役に立ちそうだろう?」呆れを隠しもしない長義くんに対して、審神者はこともなげにコンピューターを操作する。その時。ザーッザッといういつもの砂嵐とは微妙に違う、不明瞭で非定型なノイズ。
それから、「…だ、……ね…う…」と誰かの声がノイズに交じって聞こえる。そして、ぷつりと消えて、あとは無音。ふたりはしばし無言になり、互いに顔を見合わせた。「何をしたんだよ…」「…さあ?」それから間をあけずに、乱の「迷子になっちゃったー!」という元気のいい声が玄関口から聞こえた。
今更だけど、出張ってる審神者はきめてないけど多分男。無線機渡して回ったりしてるのからお分かりいただけるかと思いますが、その方面の要するにオタクで、初期刀まんばで初鍛刀は乱っていう��定はある。あとはご自由にご想像ください。一応念の為言っておくと、恋愛描写は微塵もないです。
見渡す限り、一面の暗闇だった。影を落とした闇ではなく、まるで光のように辺り一面に闇が降り注ぐかのような、闇が辺りを照らすような、そんな暗闇だった。気が付けばまんばはそんな空間倒れていた。どのくらい倒れていたのか、時間感覚も全く曖昧だった。ともすれば自分の姿すら闇に飲まれそうだ。
まず感じたのが恐怖だった。次に、何も無いこの空間に、何も出来ない自分に絶望して、最後には全てを諦めた。自分はこの空間で、途方もない時間をきっと過ごしていく、何故かそんな確信があった。どのくらい経ったのだろうか、この空間は眠気もなければ腹も減らない。物に戻ったかのようで、
ただそこに人の形をもって存在している自覚はあるから、完全に物に戻れたわけでもない。早い話が、気が狂いそうだった。そんな中、暗闇にいたから黒いそれが足元にあるのにも気が付かなかったのだろう。何かを小さく蹴ってしまったような感覚がして、拾い上げる。真っ暗闇で光源はどこにもない。
自分の手元すら見えないが、ぺたぺたと拾ったものを触って、気が付いた。無線機だ。それから、なんとなく、あくまで自分の感覚ではあるが、一日につき一度、無線機で連絡を取ってみるという手段に出た。なにせ何も無い。それくらいしか、することも出来ることもなかったのだ。
さらに時が経ち、もう何度目の発信かも数えなくなり、なぜこの行為を続けているのかもよくわからなくなってきた頃のことだった。いつもの一言を言い終え、無線機を置いて座り込む。今日もダメだったか。そう思ったときだった。「待て」と自分を制止するような声。自分以外の誰かの声を聞いたのは、
もうどれだけぶりだっただろうか。それだけで思わず泣き出しそうになってしまい、自分でも随分と間抜けな声で返答をしてしまったような気がする。よく聞けば、その声の持ち主は本科である山姥切長義のものだった。 長義くんはかつてまんばのいた本丸にいるようで、
あの日以来、自分以外の犠牲がないことにまずはほっとした。それから長義くんが本丸にいるということについて、とても強い戦力になるという安心感と、それならもう、写しの自分は主にとっては本当にいらないのかもしれないな、という絶望感がぼんやりと頭の中に浮かんでいく。本丸に戻ろうと思った。
俺は折れてないと、あんたの采配は何も間違えてなかったんだと、主に伝えられたら、と思っていた。しかし、それをして何になるだろうか。もしかしたら、もう人間にとっては途方もない時間が経っているかもしれないのに?その考えが、まんばに長義くんに対して、違う本丸の刀だと嘘をつかせた。
それからの日々は変わらなかった。審神者は長義くんに無線機をまたも押しつけていった。「それと乱に渡した2台しか、今は手元にないんだ。その2台はどこにいても繋がる仕様になっているんだけどな」「…じゃあ、主の君が持っていた方がよくないか?」「手元にないって言ったろ?
今度別のも持ってこようと思ってるんだ。だから、それは今の近侍に渡しておくよ」とのことで、結局持たされた無線機をありがたく使い、同じ時間の、ほんのひと時を楽しんだ。ただ、その一方で、長義くんの疑問は膨らむばかりだった。都合のいい妄想まで、脳裏をよぎるほどだった。
しばらくして、審神者が一度実家にある無線機を取りに戻ったときだった。「無線機?今は持ってないよ」乱はきょとんと首を傾げる。「あの日の出陣の時に、落としちゃったって言ったんだけどなあ…あるじさん、あの時それどころじゃなかったから、覚えてなかったのかも」「…あの日?」
「そっか、長義さんは知らないんだよね、本丸を立ち上げて、まだそんなに経ってたい時だったから。山姥切さん…えっと、国広さん、わかる?…ってわかるか、長義さんの写し刀だもんね。…それで、彼はうちの初期刀だったんだけど、戦闘中に行方不明になっちゃって…それで…その時」
つまり、乱ちゃんに手渡された無線機は、どこかの戦場でなくしてしまった、ということだった。しかも、それがまんばが折れたと言われている戦闘のことだったという。都合のいい妄想が現実めいてきた。「…そう、辛いことを思い出させたね」「ううん、戦ってるんだもん…すごく嫌だけど、覚悟はあるよ」
長義くんの確信的な予測は、長義くんを動かすには十分すぎた。「ねえ、この前の位置情報のことだけど」「いきなりどうした?」「もう一度やってもらっても?」「なんで?別にいいけど…」審神者の部屋を訪ねると、早速本題に入る。審神者は疑問符を頭に浮かべながらも、コンピューターを取り出した。
また起きた。ザーッザッという音。誰かの声。無音。今度は覚悟ができていたから、声の主にも気が付くことが出来た。それは他ならぬまんばの声だった。「山姥切国広だ、応答願う」なぜ位置情報を割りだそうとしてその声が聞こえるのかは、わからないけれど。「…山姥切…?いや、でも…」
審神者の手が止まる。長義くんは「手はとめないで!続けて!」と少し審神者に伝える。審神者は「ああ、うん…」と戸惑いながらもキーボードに乗せた手をカタカタと動かした。「位置情報、出ないな…いや、大まかな位置なら出るけど…ピンポイントじゃない…」審神者の言葉に長義くんも画面を覗き込む。
確かにそれはとある戦場の一部を指していた。しかし、探し回るにはやや広範囲といったところだ。「…探す」「何言ってるんだ」「君もさっき聞いただろう?!君の初期刀がいるかもしれないんだ!」「何年前のことだと…いや、お前が言うんだから、何か確信があるんだろうな」「…勿論」
そうして、主は長義くんの他に、主に本丸を立ち上げた頃からいるメンバーで部隊を構成し、その戦地へと向かわせることにした。その決定が下された日も、無線でのひとときは続いていた。何気ない会話、日常の一部を切り取ったようなやり取りだった。「…明日、出陣があるんだ」「…そうか」
まんばは、いつものようにしばし間をあけて「…怪我などには気をつけてくれ」と告げる。長義くんはそれには何も返答せず「お前こそ、明日は覚悟を決めておけよ」と返した。「覚悟?」「…お前、この本丸の初期刀の山姥切国広だろう?」「…なにを、」「…そういうことだ。覚悟は、いいね?」
「とはいえ、俺たちも散々探しはしたんだがな…」古参の一振である薬研くんは、戦地跡に着くなり辺り一面を見回しながらそう言う。「そうそう、この辺りにはいなかったよね」「…気配もなかった」乱ちゃんとばみがそれに対して答えるように続けた。
「それは、そうだろうな…」長義くんは考えるように顎に手を当てて答える。刀を大事にする主と、極めて健全な本丸のことだ。折れたとわかりきっているならともかく、行方不明の刀を探さないはずがない。探したけど、いなかったのだろうことは、考えるまでもなくわかることだった。「…だが、生きてる」
長義くんはしまっておいた無線機を取り出す。「…応答願う。いるんだろう?」無線機の通信をメモしておいた電波に合わせると、ザーッというノイズにまじって声が聞こえる。「山姥切?出陣って…」その声に、長義くん以外の部隊の皆が驚いた。「今の声…」「山姥切さん?」「別の本丸なんじゃ…?」
長義くんは皆の方へ向き直って、しーっと人差し指をたてる。まんばにも周りの声が微かに届いていたようで、戸惑うような声で「山姥切…何して…」と小さく聞こえた。「お前のいる所を教えろ」「は?何を…」「どこへでも、迎えに行ってやると言ってるんだ」「…」「どこにいる?」
しばしの沈黙の後「…暗闇で、何も見えない。何も無い。そんな空間だ…多分、時間遡行の際に出来る、亜空間の類…、時間の流れが、ないから…だから、探しても…」と答える声が聞こえる。「…わかった、動かずそこにいろ、必ず行く」「え、ちょ…ま、」その答えを聞くなり、長義くんはそう言って、
まんばの返答を聞かずに通信を切った。「皆も聞こえたね?」無線機を見せながらそう確認すると、部隊の顔色は先程までとはうってかわって、希望に満ちていた。「…もっちろん、探すよ!」「…なんてところに飛ばされてんだ、山姥切の旦那」「俺は向こうから行く」口々に言うとばらばらに行動を始めた。
しかし、そうも上手くいくはずもなく。それらしいものは見られない。位置情報は確かにここなのに。次の手を集まって考えているときだった。「…待てよ」長義くんは、審神者が位置情報を検索した時、まんばの声が聞こえたことを思い出す。…あれは、いつのものだ?
長義くんが初めに聞いたまんばの声では、まんばは名乗ったりしていない。だが、位置情報と共に乗った声なら、思念体かなにかだろう。ここにいるという思いが、あのメッセージになっているとしたら。「…ここの近くにいると思っていたが、まさか」「さっきから何をぶつぶつ呟いてんだ?」
声に出ていたらしい。隣に座っていた薬研くんが、長義くんに声をかけた。「…亜空間って、無理やりこの場に出現させることは可能かな?」「さてな…出来なくはないと思うが…あいにく俺は戦場育ちなんもんでな、そういうことにはあんまり明るくない」「…そう、か」それなら仕方ない、と続ける。
「…出来る」それに答えたのは骨喰くんだった。「三日月が、そんな方法がある、と以前言っていた…危険だから、あまりやるべきではない、とも」「危険?」「地脈の傷のようなものだから、と」「なるほど、傷口と同じで、傷を塞ごうとする、元に戻ろうとする性質が働くってことか」
「…だが、やるしかない」「長義さん、なにか考えでもあるの?」「位置情報を調べた時、あいつの声が聞こえたんだよ。ここから繋がる近くの亜空間を探していたが、違う。あいつがいるのは、きっとここの亜空間そのものだ…だから、ここの亜空間をこじ開ける」手は荒いがそれしかないだろう。
亜空間を無理やりこじ開ける、とは言ったもののその方法は至って単純だった。地脈を探して、切れ目の入れられそうな、薄く弱いところを切る。まさに刀向きの方法だ。ただし、開いた亜空間はすぐに閉じる。急がないと、ミイラ取りがミイラになるといったところか。上等だ。方針が決まるや否や、
長義くん達は意識を集中させて、地脈を辿り始めた。 「あったよ!」しばらくたって、乱ちゃんが走り出す。何も無い、荒野のような空間。その真ん中で、乱ちゃんは「ここだよ、ここが弱いところ」と一点を指す。「よしきた、旦那」「…俺が行く。言い出したのは俺だからね、迎えに行くと言ったし」
すう、と落ち着かせるように深く息を吸って、自らの刀を抜く。「…長義さん」心配そうに長義くんを見やる乱ちゃんに「…大丈夫、心配はいらない」と言ってから、地面に刀を突き立てた。途端、大きなエネルギーが一度に放出されるように風が吹き荒れる。気が付くと、一点の光以外は何もない暗闇にいた。
「…あそこが地脈の傷」すでにその幅は目に見えて小さくなろうとしている。「思ったよりも早いな…急ごう」無線機を繋げた。繋げた途端、もう誰につながっているのかわかっているからか、まんばは無遠慮に声を上げる。「…っ何をしているんだ、お前まで取り込まれたら…!」開口一番がそれか。
「お前を迎えに行くと言っただろう、俺は約束を違えるつもりはないよ」「そういう問題じゃない、俺ひとりならいいものを…」「よくないんだよ、俺が配属されてから、何度もお前の話を聞いた。誰も何年も前に行方不明になったお前を忘れてないし、今だって必要としている、聞こえただろう、さっきも…」
一点の光があるだけでも暗闇は暗闇ではなくなる。自分の姿も、目の前にいる誰かの姿もまんばには見えた。薄暗い中でもわかる白銀、何度も話した、今も言い争う無線の向こうの声が、無線と重なって聞こえてくる。「…ほら、約束通りに見つけただろう」こちらを見る長義くんは、暗闇なのに眩しく見えた。
再会を喜ぶ、なんてことをしている場合ではなかった。長義くんはまんばの姿を認めると、駆け足で手を取って、そのまま引っ張って走り出す。「急ぐよ、時間はあまりない」「やっぱりなにか無茶なことをしてるんじゃないか…!」「お前の御託などどうでもいいな、いいからさっさと走れ!」
言い合いながら一点の光を目指す。もうほとんど閉じかけているそこに滑り込んだ。��まりの眩しさに目を細める。そこで、ふたりの意識は暗転した。 気が付くと、手入れ部屋にいた。「全く、無茶なことをしやがって…」審神者がそういって部屋に入ってくる。がばっと慌てて体を起こして周りを見る。
「…あいつは」敷かれた布団はひとつ、部屋にいるのは長義くんの他には審神者のみだった。審神者にそう問おうとすると、審神者は長義くんに向かって頭を下げた。「…ありがとう」「…礼を言われるようなことをしたかな」「本丸の仲間を、うちの初期刀を、あいつを連れ帰ってきてくれたこと、礼を言う」
その言葉に、長義くんは少なからず驚いた。「…え、それじゃあ」「今は手入れをしている。とはいえ、薬研が見てくれてるけど、しばらくはリハビリってところだな、ずっと暗闇にいたから視力もかなり弱くなってて…って聞いてる?」審神者の言葉も遠くなり、長義くんは倒れる前のことを思い返す。
手を取って、それから。閉じかけた光の穴のところへと走っていった。眩いほど��光の下に立ち、それからどうやって戻ってきたのか、はっきりと思い出せない。「地面が光って、とおもったらお前らが倒れてたって、報告」「…そう、なんだ」「みんな心配してるから、手入れ終わったら顔見せにいけよ」
ああ、と相槌をうつと、審神者はそのまま部屋から出ていった。重力に任せて再び横になる。「…助かったんだ、俺も、あいつも」枕元を見ると、無線機があった。これも無事だ。なんとなく繋げてみる。「何年も心配してたんだから!」聞こえてきた声はまんばのものではなく、もっと高い、乱の声だった。
どうやら向こうの無線機も持ち帰っていたらしい。すぐ隣の部屋なのだろうか。しかも、彼は通信を切断していないようだ。本丸立ち上げ当初とだけあり、短刀が中心のようだが、次々と誰かが入ってくるようだ。「長義さんと連絡取れたんなら、その時点で言えばいいのに」「…それは、その…すまない」
そんな昔馴染み(というべきなのだろうか)に次から次へと説教を受けて、まんばは大人しく項垂れている様子が聞いて取れて、長義くんも思わず小さく笑ってしまう。そうだ、もっと言ってやれ。そんなことを思いながら盗み聞きを続けていると、ガラ、と戸の開く音がした。「…主、」審神者のようだった。
ざわついていた部屋が静かになる。「…色々と、聞きたいことも言いたいこともあるんだけど」「…」「でも…まずは、おかえり」「…ただ、いま」ふたりがどんな表情をしていたか、無線機からはやっぱりわからなかったけれど、長義くんには容易に想像がついた。声が少し震えていたから。
おしまい! まだできてないふたりだけど、後日、まんばの時差ボケが凄まじく、例えば「えっ修行ってなんだ…?」状態なのを長義くんが教えることになったり、政府命令で亜空間出現の責任を取らされそうになって調査に駆り出されたふたりがなんやかんやで進展したりします。
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astavt-eretah · 5 years
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ソウル・ラメント
1  綺麗なものが好き。璃々は思う。意志を持たないものは美しい。人は、写真になると美しいが、絵になるともっと美しい。  璃々はジアゼパムを一錠、シートから取り出して、水で飲む。人が薬を求めるのも、自らの意志を剥奪したいからじゃないかしら? 人がお酒を飲むのは、何かを得たいからじゃない。脳細胞を殺したいからだ。明日明後日のことより今日や今が美しいのは、それが失われるものだからで、過去が美しいのは、それが失われたものだからだ。過去は、意志を持たない。それ故に尊い。本当は、失われたと思っている過去が私たち自身なのではないか? 私たちは無機物に帰りたいと思っている。失われたものこそが、本当は永遠。私たちは過去へ過去へと帰りたいと思っている。それが出来ないから薬を飲む。あるいはお酒を飲む。  ジアゼパムをもう一錠。今度は噛んで飲む。甘味のなく、苦い、ラムネのような味がする。それを飲み下すと、璃々は煙草に火を着けた。  璃々の緩く閉じられた唇からメロディが漏れる。部屋の真ん中に置いたツイン・リヴァーブからジーッというノイズ音がずっと漏れている。彼女は本当は、ツイード・カラーのアンプ、ベースマンや、フェンダー'57デラックスの見た目が好きだったのだけど、無骨で、どこか可愛らしい、黒いツイン・リヴァーブの見た目には、何故か頬ずりをしたくなった。そこから出てくるサウンドが青く柔らかな波を保っていることも、彼女がツイン・リヴァーブを好きな理由だ。  外では淡く、白い雪が降っている。部屋の中は暖かい。彼女は時々愛の世界にいた。音楽を聴いているとき、画集の頁を何の気なく捲っているとき、突然それは訪れる。信じることのセンシティブさ。「誠実さ」という言葉が、普段の璃々は嫌いだった。それは透明なフラスコの中でただよう透明な気体のように、ラベルに拠ってしか識別出来ないものだった。例えば、ある芸術作品が高値で売れるのは、それを作った芸術家が制作に際してとても「誠実」だったからだろう。そうでなければ……璃々は思う……一番美しいのは、どう考えても自然の造形だし、そして工場生産のレディメイドだ。ゴッホの絵が高価なのは、ゴッホが狂気と言えるほど誠実に絵を描いたからだ。あるいは、そう信じられているからだ。人はそこにある美しさそのものよりも、絵に込められた思いに感情移入しがちだ。「思い」なんて見えやしないのに。ねえ、……璃々は誰にともなく語りかける……全ては愛によって描かれている。この世界の全ては。どんなイラストだって。贋作だって。……そう思いながら、璃々は、物ごとの、普段とは違う側面を見ている。あるいは普段とは違う場所から物ごとを見ているように感じる。  璃々は膝に乗せていたギターに目を落とす。シングル・カッタウェイのホワイト・ファルコンで、ビグズビーのアームが付いている。真っ白だったボディとヘッドをシーフォーム・グリーン(初音ミクの髪の色)に塗装し直して、元は金色パーツだったものを、全て銀色のパーツに交換してある。とっても美しい、愛おしい愛おしいギター。アンプの前に座り込み、ギターを抱いていると、何かに守られている気がする。璃々はどんなに長くても二週間に一回は弦を交換する。使っている弦はロトサウンドだ。一番、ぴんと張り詰めた、きらびやかな音がする。それなのに耳障りじゃない。張り詰めてはいるけれど、その中に、太い、柔らかさがあるような感じがする。元はアーニーボールを使っていたのだけど、友人の入谷からロトサウンドの存在を教えてもらって、それ以来、ずっと気に入って使っている。プロのベーシストをしている友人の間宮も、ロトサウンドを使っていて、入谷も元は間宮にロトサウンドの弦を教えてもらったのだそうだ。  璃々は三弦を軽く引っ張る。弦が少し錆びている。璃々は少し錆びかけた弦の音も好きだ。それ以上錆びると、弦が「死んだ」状態になるのだけど、錆びきってしまう前の特有の、少し丸く、同時に擦れたような音も、璃々は好きだった。それからロトサウンドの弦が好きなのは、張ったばかりの時の音が、他の弦に比べてギターに一番馴染んでいるように感じたからだ。 §  僕は単調なドラムマシンの音に合わせて身体を揺らしていた。廉価なドラムマシンなので、四拍子の音しか鳴らない。四拍子のリズムに三拍子のギター・リフを乗せたりするのは楽しかった。でも今は、ただ単に、ドラムマシンの音だけを鳴らしていた。リズムは多くを教えてくれる。僕たちの身体の中にある、根源的な「生」とはリズムだ。音楽を聴けること、踊れることは有機的生命体の特権だと、大好きな小説の一節に書いてあった。そして、生命が音楽を作るのではなく、生命とは音楽の副産物なのだ、とも。……リズムが胸の奥で身体と同調して、疼き始めると、僕は傍らに置いてあったテレキャスターを手に取る。  僕はリズムに合わせてコードを繋げていった。ギターの六弦全部を使って。不穏なコード、美しいコードを次々と。C7-A7-Ddim7-B7-Edim7-C#7-B7-G7。それから、四弦を押さえたDコード、スライドさせてE、Dコードから中指を外してF#m、開放弦を使ったB7、再びD、E、そしてC#m7、A、G#7、F#m、B7、そしてまたDに戻る。D-E-F#m-B7-D-E-C#m7-A-A-G#7-F#m-B7。美しいコード進行を見付けることは、新しい花を咲かせることに似ている。心の底から指先を伝ってコードの花は咲く。  多分、教則本には書かれていないような、定型を外れたコード進行だろう、と思った。僕にはコードの知識が殆ど、全くと言っていいほど無かった。本当はいろんな音楽の知識を身に着けたかったのだけど、僕の灰色の脳細胞は、まず体系立った基礎というものを全く受け付けなかった。何も勉強することなく、瞑想するように、あるいは泳ぐようにギターを弾けたら、どんなにいいだろう。  璃々は窓の外の青に擦れた空を見る。空は、遠いとは言っても壁なのだ。私たちは部屋に閉じ込められているだけでなく、地表という監獄に閉じ込められている。それでも、自由に限りがあるなんて誰が決めたのだろう? 璃々は、決まり事を嫌っていた。決まり事通りの、決まり切った結果、と考えると恐ろしくなった。  僕はこの頃、声が出にくくなった。声というものは、年齢や、筋力よりも、その時々の身体や感情の状態に、大きな影響を受ける。強ばった身体からは、伸びのある声が出ないし、憂鬱な心からは灰色の声しか出ない。僕は今、軽い絶望を抱えているような気がしていた。多分年齢の問題ではないだろう。僕は32歳だ。それはとても素敵な年齢だと思う。僕は歌うことが好きだ。と言うより、歌うことが生きることだ(書くことや、音楽を聴くこと、ギターを弾くこともまた、生きることだけれど)。今はまだ、若い頃と全く同じように歌えるけれど、歳を取って、歌えなくなるかも知れない、という不安を、僕はうっすらと抱えていた。でも、例えばビョークは50歳を超えても、エモーショナルな、人を惹き付ける、そして幼女のようなとも、老女のようなとも付かない、不思議な震えるような声で歌っている。あんな風になりたい、と僕は思う。心の底からの感情を、歌声に満遍なく滲ませられるように。 §  僕は白い薬を飲んで待っていた。近頃では薬もあまり働かない。コリシディンの瓶がデスクに並び、MacBookが真空管の樹林に囲まれているように見える(コリシディンの瓶は、スライド・ギターを弾く時に使用する人が多いのだけど、僕は今のところスライド・ギターには興味がないので、溜まった瓶は全て地下一階の楽器屋『サクラメント』に引き取ってもらっている)。ディスプレイではカーソルが点滅し続けている。片言の点滅。そこに言葉を乗せて、僕は言葉をスウィングさせる。スピーカーからはルー・リードの、チャンスを掴んだ瞬間のような人の、また死を垣間見てきた人のような、苦い声が拡がり、空間に線を引いている。こんな歌だ。 Teenage Mary said to Uncle Dave I sold my soul, must be saved Gonna take a walk down to Union Square You never know who you're gonna find there You gotta run, run, run, run, run Take a drag or two Run, run, run, run, run Gypsy Death and you Tell you what to do  ペリエを入れたグラスに口を付ける。ぬるい。湿地林の植物の樹液のような味だ。(食堂の方で花が咲くような気配がする。)僕は椅子の傍に置いたギターアンプの電源を入れる。フェンダーの、出力の低い真空管ギターアンプだが、音は素晴らしい。アンプの中にはパルスが溜まっている。電源を入れるとパルスがふわっと飛び出す。パルスは波となり、僕の部屋を満たす。ギターを弾くとはそういうことだ。数秒経って、アンプから目覚めた祈りのようなノイズが鳴り始める。この数秒間が好きで、僕は真空管アンプを使っているのかもしれない。他に、デスクの端にクリーム色の小さなトランジスターアンプを置いてある。そちらからは、もっとガチャガチャと、チープなプラスチックのおもちゃみたいな音がする。僕はどちらも好きだ。  テレキャスターを手に取る。「つまり、この重さなんだ」というように、僕の身体に、それはすっぽりと収まる。チェリー・バーストのアメリカン・デラックス。アンプの音量を最大にし、ギターのヴォリュームを絞って、リア・ピックアップに合わせ、セルロイドのピックを手に取る。GコードとCコードを交互に弾く。黄色く、空間の粒子が弾けるような音がする。細かな金属片が空中に拡がっていく。Dコードを交ぜる、とGコードが暗く響くようになる。Dコードは金色に青を散らしたような音。アメリカン・デラックスは銀の鈴を弾いたような音がする。普通、テレキャスターはもっと、ガラスのような音がするものだと思うのだけど。 §  優しい気持ちを共有出来ることは本当に本当に稀だ。私は時々ファンタジーの中に生きている。様々なファッションがモノクロに、平坦になっていく。全てが絵みたいになっていく。現実の世界はモノクロなのに、絵の中は胸の内から笑いのさざ波が広がってくるほどにカラフルだ。  初めは僕がバンドを作りたかった。そこで間宮と璃々を誘った。でも僕のギターの腕前(付け加えればヴォーカルの技術も)は十年間少しも上がらなかった。間宮はベーシストを本業とするまでになったし、璃々は様々なスタイルのリズム・ギターやギター・ソロを弾けるようになった。でも、妙なことに、間宮と璃々は、僕の不器用さ自体を評価してくれているみたいだ。  入谷には独特のセンスがあった。こんなことを言うと彼は嫌がるだろうけれど。彼は細かい周期での躁鬱病者だった。それに加えて、大きな周期での躁鬱もあった。彼は薬を必要としすぎていた。彼は誰の影響も受けなかった。あるいは、良い影響だけを貪欲に吸収していた。彼は夢想家だった。しかし殆どの時間、彼は夢見ることが出来なかった。最も暗い場所からの静かな叫び。それは誰の耳にも届かない。だが稀に、心の一番深い場所からの声を形に出来る人がいる。それが彼だ。もちろん彼は否定するだろうけれど。  彼はいつも、雨が降るような音がする。 2  僕は薬を飲んで待っていた。その間にテレキャスターと、赤いエピフォン・カジノのチューニングとオクターブ・チューニング、ネックの調整と弦高調整を終わらせる。弦交換をしようと思ったけれど、やめた。まだ張り替えて三日しか経っていない。  ツイン・リヴァーブの上に置いた飲みかけのコーヒーカップに手を伸ばす。冷たい。飲んでみて、僕は喉が渇いていたことに初めて気付く。  冷蔵庫を開けて、緑色の瓶に入ったペリエを瓶のままで飲んでいると、ドアベルが鳴った。ドアを開けると、紫色に発光する煙を背景にして、璃々が立っていた。白いハードケースだけを黒い手��を嵌めた手に持って。コーラルピンクのダッフルコートに同色の口紅を付けて、ケースが重かったのか頬が上気しているのに、おそろしく冷たい眼付きをしている。一瞬、その眼を覗き込むと、覗き返された。その眼が少しだけ細められる。それから、彼女は唇だけで、にっと笑う。眼の色が、黒から深い青に変わったように感じる。 「こんにちは、入谷くん。元気そうね」 と、少し擦れた声で囁くように言う。彼女の声は暖かく響く。 「うん。どうぞ、璃々」  僕は少しだけ仰け反った格好で、ドアを押さえながら言う。  璃々は部屋の中に入ると、ギターのケースを床に置き、コートを脱いで、ソファの背にかける。コートの下には、薄い灰色の、オーバーサイズの、まるでパジャマみたいなスウェットを着ていた。璃々は襟の中に入れていた長い髪を、両手を使って引き出した。  彼女は小さくハミングしながら、すぐさまギターケースを開き始めた。ギターのネックを持ち上げながら、思い出したように、テーブルの上に置いたペリエの瓶に目を遣って、 「それ、入ってる?」 と言う。 「僕が今飲んでたやつだけど」 「ちょうだい」  僕がペリエの瓶を璃々に渡すと、彼女はスウェットのポケットからピルケースを出して、中に入った小さな白い薬を一錠口に含み、瓶のままのペリエで飲み下した。それから、もう一錠飲むか、迷うように首を傾げたけれど、結局ピルケースをポケットに戻した。僕の方を見て、 「ねえ、入谷くん。私たちは不安を飼っているよね。何だかナイーブな部分での共感みたいなものを、今感じるの。錯覚ではないと思うのだけど」 と言う。僕は、いつもの癖で、壁に凭れて立ったまま、璃々を見下ろしていた。客人が来ると、それがどんなに親しい誰であれ、僕の思考は変化した環境に適応するまでの間、停止してしまう。「共感」と言われて「そうかな」と僕は小さく呟く。璃々は、 「不安というのは、本当の美しさの裏返しじゃないかしら? 美しさは本質的には一つだと思うのだけど、私たちはそれを、そこから切り離されたものとしてしか感じられないのではないかしら?」 と言って、愛おしそうに青いホワイト・ファルコンを手に取る。 「故に孤独は美しい。あるいは美しさの唯一の現れである。そう思わない?」  僕は黙ったまま、俯いた璃々の眼を覗き込んだ。錯覚ではなく彼女の眼は青みがかっていた。一度眼を瞑り、開くと、彼女の瞳には、確かな、鋭い理性が宿っていた。  僕はコーヒーを沸かそうかと考えたけれど、ギターを眺めていると、何故だかワインを飲みたくなってきた。  僕が赤ワインのボトルをワインセラーから出してきて、テーブルの上に置くと、それを横目で見ていた璃々が、今度は満面の笑みを浮かべた。  ワイン・グラスが無いので、普通のグラスを二つ出して、栓を抜いて、なみなみとワインを注いだ。一つのグラスを璃々に渡し、僕は自分の分を一気に半分ほど飲み干した。璃々が「薬あげようか?」と言うので、一錠貰い、ワインで流し込んだ。頭の中にじんわりとした紫色のものが拡がる。やがてそれは藍色になり、明るい水色になる。  僕はテレキャスターを手に取った。  璃々はワインを一口飲むと、グラスをツイン・リヴァーブの上に置いて、ギターのケーブルを、アンプの右側のプラグインに差し込んだ。  僕は左側にケーブルを差し込んで、ヴォリュームと音色を調節した。頭の中で器楽隊のパレードのような緑色の耳鳴りが鳴っている。僕はそれに合わせて、まずCのコードを弾いた。璃々がまるで砂漠に舞う青いラメのような乾いてカラフルなストロークを織り交ぜる。僕たちは顔を見合わせて微笑み合った。璃々は座ったままで弾いている。僕は緑のストラップを肩にかけて、壁に凭れて弾いている。段々指先が勝手に踊り始め、自分たちが弾いているのか、アンプが勝手に空間的なタペストリーを織り成しているのか分からなくなってくる。頭の中で色のない虹が渦巻いて、視界に透明な雨が降ってくる。  空白。璃々は膝の上に置いたギターに折り重なるようにして眠っている。アンプからフィードバックの単調な音が流れ続けている。空白。僕は立ったままで煙草を吸っている。璃々は世界の美しさについて僕に問う。空白。空白。でも僕は僕の空白を誰かに触れて欲しいだけかもしれない。頭の中に排水溝があって、薬とお酒の一瞬の陶酔感は、僕に関わりの無い場所に流れ落ちてしまい、あとには乾いた空虚感だけが残るみたいだ。璃々が寝言で、何事かを呟いた。  僕は突発的な鬱を予感した。冷蔵庫を開け、缶ビールを取り出す。頭の中の虚を満たさなくては。僕は風邪薬の瓶を洗面台の上の、鏡の裏の棚から出してきて、手の平に十錠出した。ビールと一緒に飲み込む。急がないと。僕は、生きることがどうでもよくなってしまう。顔に嫌な汗を掻いてくる。床で寝ている璃々が大きな、乾いた布の固まりのように見えてくる。璃々が動いた。そして僕を見て、眼を丸くして、「大丈夫じゃなさそうだよ、入谷くん」と言う。僕は手の平の上にさらに十錠風邪薬を乗せていた。璃々が見ているのも構わずに、またそれをビールで喉に流し込む。ギターが死んだ木の歪な固まりに見えた。僕は璃々に向かって微笑を作り、 「どうしよう、璃々」 と言う。言いながら笑ってしまう。泣きたくなる。何もかも、そんなはずじゃなかった、という気がしてくる。と、不意にフィードバックの音が止まり、微かな、青い波のような音が流れ出す。璃々は目を瞑り、 「ねえ、入谷くん」 と呟くように言う。青い波は、僕の世界に流れ込み、世界の外に流れ出していく。 「私も同じなんだ」 そして、彼女はギターを床に置いて、立ち上がった。サイズが大きすぎるスウェットがずり落ちて、肩と鎖骨が半分見えている。璃々は自分の肩を両手で抱くような格好をした。 「とても孤独なの。孤独が美しくても、孤独は孤独で、とっても孤独で、それでも目を瞑って、私は入谷くんのことを考えるよ。何もかもがどうでもよくなったとき、死にたくなったとき、私は入谷くんのことを考える。それから入谷くんの雨の音のことを」 「雨の音?」  僕の鬱の予感は遠ざかりつつあった。 「そう、入谷くんにしかない、音。入谷くんのギターの中にも、言葉の中にも、歌の中にも、必ず存在する、その、音。私なんかには全然無い、音」 「それは璃々にだって」 「私なんかはちょっと賢しらなだけよ。私は、でも、孤独で、いいえ、虚ろで、その空っぽをいつも入谷くんに満たしてもらっている。それだけよ。ねえ、入谷くんは生きている。そのことを、忘れないで欲しいの」  璃々が僕に向かって片手を伸ばし、僕はその指先に軽く触れた。その瞬間、僕は、軽い、黄色い目眩がした。気が付くと、璃々がビールの缶を持っていた。彼女はにっこり笑ってから、ビールを一口だけ飲む。それからすっと目を細め、「あなたはお酒を飲み過ぎるわ」と言った。それから僕にビールを返し「目が覚めたけど、眠い」と言って、ギターのストラップを肩にかけて、ソファに座り込むと、心から愛おしそうにホワイト・ファルコンを胸に抱いた。 §  世界は私の分だけ存在する。生きているということは、即ち世界が在るということだ。もちろんこれはひとつの考え方に過ぎない。世界にはまた、私には知れない膨大な部分が存在する。私の中にも。入谷くんは、何もかもを分かりきったと思っている私の心の、眠ってしまった部分を覚ましてくれる。  また、温かい時間がやってくる。 「何かが違う」といつも僕は思っていた。いつも何か違和感があった。その違和感をうまく言葉に表すことが出来ない。あるいは……それにぴったり適合する言葉が存在したなら、僕は書くことをしなかったかも知れない。僕はある意味、言葉の不完全性に支えられ、生きている、と言えるのかも知れない。書くことは、生きることだ。  けれど、璃々と話していると、違和感とはまた違う、何か、冷たい温かみのようなものを、自分の中に感じる。違和感では無く、それこそが僕の探していたものかもしれなくて……。  僕は台所の椅子にかけた、僕の黒いダッフルコートを持ってきて、眠ってしまった璃々にそっとかける。僕の中に温かい、幸せのさざ波のようなものが腕を伝って、胸の方まで流れてくる。 「璃々、ありがとう」 僕は小さく、呟いてから、部屋の壁際に置いたセルロイドの椅子に座り、ギタースタンドに立てかけたままだった、エピフォン・カジノを手に取る。アンプの音を小さく絞る。それから静かな音で、璃々がよく弾いてくれとせがむけれど、普段は滅多に弾かない『ソウル・ラメント』を弾き始めた。
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ruina-miyashiro · 5 years
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#02 - Cetus
ここでお会いするのもまだ記憶に新しいですね、この度のご来場誠にありがとうございます。”Ruina”と申します。
最近は前髪が燃えたり日焼けが酷くてお風呂で騒いだりしております。
只今より私利私欲の産物”Cetus”(ケートス)について、それはもう事細かに短編小説を書く勢いで好き勝手にオタクしていこうかと思います。いつも通りですね。よろしくをお願いしたい所存です。
今回も多大なる自慢にお付き合い頂くことになるかと思います、予めご了承下さい。お楽しみ頂ける事を切に願って。
それでは早速参りましょう、まずは全体像。
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「ぽっ」(画像を添付した時の効果音を口で出している
まず最初に強引に眼玉をこじ開けてくるのはトップ材担当、バックアイバール氏。
白を多く保有したまるであの有名な海賊映画の宝の地図のような風貌。高級ベースブランドを彷彿させる陶磁器のような上品な色合い。
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もちろんただの気品漂う材ではない。
中心からハの字に伸びる髭のような穴、ネック周りに茶色が多い事からブリッジ付近にも茶色を付与した。
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加えて、両サイドから扇を広げ、なぞるようにびっしりとボディを埋め尽くす杢目、メイプル系にも匹敵する杢をも内包した大変ユニークな模様(杢の名前に詳しい方居ましたら教えてください!
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そして、この手の材にありがちな穴をレジンで埋めず、少量の樹脂を流し込み固定したのちコーティング。このボコボコは触るたびにニヤニヤと笑みをこぼすことが出来る(ニチャニチャ
続いてミドル材担当、ブビンガ。
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表から見えないのにも関わらず杢目の出たアコースティックギター用の贅沢な材をあしらった(完全に自己満足
この層があるのと無いのでは大きな違い、木材は重ねれば重ねるほどかっこ���いのである(暴論
そして��馴染みのバック材、アッシュ。
木材に関しては至って普通だが、形状に注目して頂きたい。
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ベースなどでありがちなシングルカット仕様なのだが、ご覧の通り穴が空いている。思わず眼が吸い寄せられ、うっかり眼球を埋め込みたくなるような異質な容姿、握り込んだ際には穴から親指が生えてくるのだ、かわいくて仕方がない。
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また、ご覧の通り背面も落とし込んでいる。
どこかで見た、と言う方は静かに笑みを浮かべて頷いてみて欲しい。”アレ”である。
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ボディは厚いものから削り出している為、外見より軽く感じられ、身体との接地面積が多いので非常に抱えやすい。もちろん例のジャックも採用している。
そしてこの凹み加工の延長線、ネックジョイント部も見て頂きたい。
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“太陽系と小人の帽子” と製作中に自慢したところ、皆揃って意味がわからないそうな顔をしていた。
無用だとは思うが念の為に説明しよう。
ボディからネックに行く過程であるネックポケット部に、ミドルでも使用したブビンガを挟んでいる、この材のラインをよく見て欲しい、帽子に見えてこないだろうか(見える(強要
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そしてその帽子の先端から伸びる潰した楕円のような形状、これが教科書などで図表として描かれている太陽系に見えた、と言うわけである。
そしてこの意味不明な造形物に巻き込まれた被害者、ネック。
ローズウッドを贅沢に削り出し、1ピースで使用。
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非常に綺麗な縦のラインを貫く柾目の材に加え、カーボンロッドを2本、ハの字に入れてある。気合い十分である。
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そして、1番のこだわりポイントを紹介しよう。眼を取り出して見てほしい。
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まるでバックアイバールによる荒廃した土地に、アッシュ・ローズウッド・ブビンガの手によって半円型のアーチ橋が現れたではないか。
ボディ背面の凹みも相まって、空中都市のようなこの造形、まさに創り出したかった理想そのものである(やったぜ
そして本個体の”軸”を担当する指板材も忘れてはいけない。
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まるで幼いシマウマような茶色い縦縞模様の毛並みを持つマッカーサーエボニー。
そう、これをピックアップにまであしらっている。まるでシマウマの兄弟が並んでいるようにも見える(強引
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1つの材から各パーツに分割し製作した為、木目の繋がった完全な一点物仕様。
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そしてこの木目、実はヘッドプレートまで繋がっている。親戚のシマウマの子供が登場したわけだ(上手いことが言えたと思っているのでシマウマが頭から離れない。
ヘッドからピックアップまで途切れる事なく繋がった木目。まるで世界三大河川の1つに加わったかのような表情を浮かべている事が伺える(擬人化するな
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カラーリングとしてだけでなく木目も統一させてみたのだが、いかがだろうか。読者の皆様も興奮で鼻息を荒くしているとなれば筆が乗ると言うものである。
そしてこだわりのヘッド、ペグの角度に注目してもらいたい。
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「三味線か?」
操作性はもちろん、このスチームパンクな円柱のボタンも相まって武器感が溢れ出ているのがもうたまらない。機械龍のようなこの佇まいによだれが垂れる。
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この円柱ペグだが、見た目的な恩恵だけでなく回した際のグリップ感、持ち運びの際のチューニングの狂いを抑える、などの効果を期待し採用したが、感想は”個人差があります”と言い切れる範疇に留まるだろう。グリップ感については非常に好みであったが結局見た目である(重要
そしてヘッド周りの特徴と言えば、ゼロフレット機構や共振防止のスポンジはもちろんのこと、実はナットもかなり希少な逸品を使用した。
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Ivoryである。象牙である。アイボリー(しつこい
数年前、とある有名な象牙彫刻家の方のお話を聞いた時の事。
講演終了後も飽きずに象牙をいじくり回す僕。いつまで経っても帰る気配のない僕。すると諭すように
「持って帰って好きなだけ削りな」
と言われ、高級印鑑の代名詞。森の真珠とも言われるあの象牙を手に入れるに至ったのである。もちろん正規輸入品。
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象牙といえば密輸などの問題もあり、ワシントン条約も介入してくるデリケートな品ではあるが、環境省によれば
“象牙のカットピース、端材、印材、製品を出品することは、特に手続き無く可能であり、個人的な利用を目的としたこれらの購入も可能です。”(引用)
との事である。つまり、個人で使って楽しむならOK!って感じらしい。
ちなみにゼロフレット機構の為、弦はナットよりもゼロフレットを支点に振動する。つまりナットの干渉はわずかなもので、せっかくの希少な象牙も音響特性に全く関係ないと言えるだろう。結局ただの自己満足だったというわけだ。
だが、逆に言えば負担がゼロフレットへ向かう為、ナットは長年使えるはずだ。また、材質の特性上、経年劣化により秀美性にも磨きがかかること期待ができる。あとは自慢が出来る。
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ちなみに質感だが、繊維質を強く感じ、きめ細やか、切削も快適であった。非常に優秀な材質。柔らかい。
象牙ならではの美しい格子状の模様が大変気に入り、まさしく一点物に相応しいナットになったのではないだろうか。気になるお値段の方だが7弦ギター用ペグワンセット分だと思ってもらって差し支えない。
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『Ivory nut』(アイボリーナット…////
それにしてもいい響き…つい言いたくなるもん。特有のツヤ感はなににも変えがたい。
さて、続いては肝心な音に関してだが、その前にブリッジに関してさらっと説明しておこう。
ABMシングルサドル(ドイツ製品すき
カラーは全てブラックで統一した、今後の気分次第では混合する可能性もある。乞うご期待。
そしてここ、注目して欲しい。
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こちら、弦ゲージ .009-.042 の6弦セット、そして7弦に.062 が張られる事を想定し、弦間のピッチが均等になるよう、各ブリッジが調整され鎮座している。
低音弦での弾き心地や、コードを鳴らした際の振り抜き感などの好みの関係で標準仕様とした。なによりこの弦間を身体が覚えてしまい、これじゃなきゃダメな右腕になっているのだ。
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ちなみに僕の尊敬する”Skervesen Custom Guitars”と完全に同じ機構を模倣しているが、好みの世界である。どちらでもいい趣味の枠を超えない話に過ぎない。
ただ、ブリッジが7個も弦ゲージを考慮し並べられている様子を眺め、アイスコーヒー片手に至福のひとときに興じたいと思うのは人間の心理としてとても自然な事ではないだろうか(いや色々おかしい
さて、しつこいがまた裏側の話に戻る。
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こちら裏蓋、ギター製作者から見たら大したことないとは思う。だが、市販のギターではあまり見かけない仕様になっているので説明しよう。最高な刻印があることも忘れないでね。
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実は、裏蓋とキャビティの縁取り部分に磁石が埋め込まれている。
3点の磁力により貼り付けられているが表面に指などを引っ掛ける場所がない。
どうやって取り外すのか、その謎を解明すべく、流石にアマゾンの奥地までは向かわなくても大丈夫なので安心して欲しい。
キャビティの形状をみて察しがいい方ならもうわかるだろう。
この縁取りのない部分に力をかけるのである。
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上部以外の三方向からは下に縁取りがあるので力を加えても外れはしないが、上部の縁取りのない部分を押せば簡単に外れるのである。
わかってしまえば大した事ない内容を大層に語ってしまったが、スマートに取り外し出来、ネジで木目の流れを阻害したくないとかいう意味のわからない理由。ここはオタクフェチポイントの1つなのでご了承頂きたい。
よし!もう流石に音の話に行こう!
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ピックアップはお馴染み、
Nazgul / Sentient の仲良しペア。
コントロールは
1Vo. 3Way switch
あと、ボリュームノブを引っ張るとシングルコイル化する。
音は…まあ想像はつくだろう、楽器屋にたくさん置いてあるメタルなギターのイメージ、そのままである。以上。
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楽器の説明をする記事なのだが、音に関する内容が薄いのはどうなんだろうか。だがそろそろ指が痛い。あとがきに移らせてもらう。
【謝辞】
毎度、並々ならぬ協力をしてくださるGoさん(GTI: @go_drums )
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(写真: GTI)
今回は指板周り・ピックアップカバー・裏蓋文字入れなどの図面作成、CNCの操作。
他にもPUのスラント化を始め、塗装のあれこれだけでなく、昼食に連れ出してくれたり銭湯に一緒に入ったり、深夜まで熱く語り合ったり…多大なる技術指導をしてくださいました。
お世話になりました、これからもご迷惑お掛けしますよろしくお願いします。
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(写真: GTI)
〜あとがき〜
いやいや、今回も長文過ぎた…ここまで読んで下さってる方、相当な時間を頂戴してしまいました。お楽しみ頂けていると幸いです。
ちなみに、最近帰宅した”Cocytus8”
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こちらの"Cocytus8"と今回製作した”Cetus7”はいわゆるプライベートストックとして手元に置いておきますのでご指名とあらば試奏可能です。
追記:2020/3/20 
コキュートスは現在、ヘビーグルーヴメタルコアバンド"Delusionist"(ディルージョ二スト)のコンポーザー兼、ボーカルを担当するYuza氏に貸し出し中。
Delusionist : @delusionist_jp / Yuza : @Br1ngMeAGu1tAr
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「遊び行こ!」
なんて嬉しい声をかけて下されば、すぐに駆けつけます、お待ちしてます。声かけます。仲良くしてください。夏なのでキャンプしたいです。あと先日、ついに成人を迎えました。おめでと。酒!酒!
実は“Cetus” は自分への誕生日祝いというこじつけもあり、これ以上ないくらい廃課金な仕様にしました。
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(写真: GTI)
ちなみに名前の由来ですが、シングルカット部がクジラの頭に見える事から、それに関するものを探していたところ”Cetus”と言う表現がありまして。
どうやら鯨座というトレミーの48星座の中の1つのようです。前作である”Cocytus”を派生させるコンセプトで固めていた為、名前もシリーズっぽくてかわいいので採用しました。
また”海獣”という意味もあるらしく、まさしくこれだ!とはしゃいで命名してみました、いかがでしょうか。クジラを連想してもらえていたら幸いです。
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毎度ですが、読者の皆様からの質問・意見・アドバイスなど何かしらで反応頂けたらもう飛んで喜びます。よろしくお願い致します。
それでは今回もお付き合い頂き誠に有難うございました。
これからも”Ruina Miyashiro”の活動をお楽しみくださいませ。
それではまたお会いしましょう。
ぽ(効果音
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【Spec】
Model: Cetus 
string: 7
Scale: 25.5-26.5
1Vo. 3way switch coil split
・Body 
Top: Buckeye burl
Middle: Bubinga
Back: Ash
・Neck
stainless 0fret / 24fret
Rose wood 1peace neck
Macassar ebony fingerboard 
・Head 
Macassar ebony top plate
・Hardware  (Black)
ABM Single saddle 
Hipshot tuners
・Pickup
Seymour Duncan Nazugl / Sentient 
Macassar ebony cover
Nut: Ivory
: 新しい項目が追加されました。
『New model : Cetus (ケートス)』
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kkagtate2 · 5 years
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偽善者の涙[六]
[六]
一方その頃、――正確には佳奈枝のもとに多佳子がやつて来るつい三十分ほど前であるが、里也と沙霧はシンフォニーホールのとある席、――正確には舞台真向かひの二階席、ちやうど正面に指揮台のある演奏を楽しむのにはうつてつけの席、――そこに並んで座つてゐた。外に出るとめつきり喋ることの無くなる彼女は、今日はいつも以上に静かであつた。里也が例へば、
「意外とガラガラやな。やつぱりラフマニノフの一番て、人気無いんやろか」
と云つても、
「さうですね。……」
としか返つてこない。道を歩いてゐる時ならまだしも、ホールの中に入つてもこの調子なのは珍しく、普段沙霧とコンサートへ訪れて上記のやうな適当を云ふと大抵の場合、やんわりと訂正した後普段喋らない分饒舌に薀蓄語りが始まるのである。それが無いといふことは、やつぱり気分では無くなつたからだらうか、それともゝう疲れてしまつたからだらうか。
今日の彼女はそれとは別に妙に小奇麗であつた。普段は洗つてゐるのかも分からないボサボサの髪をばう〳〵にして、ちやんとしても微妙に時期を外した格好をしてゐる姿に見慣れてゐる里也は、よくもまあこゝまで綺麗になつたものだと感心してゐた。先日に佳奈枝がふらりとゞこかへ出かけて、何故か梳きバサミを買つてきて、まさかと思つてゐたらほんたうに練習台にされて、そのせいで彼はすつかり髪が薄くなつてしまつたのであるが、シャクシャクと小気味良い音を立たせながら綺麗になつて行く沙霧の姿を見られたゞけでも安いものである。彼女が押し黙るやうになつたのは、その時からなのであつた。以前美容室に連れて行つた時は、嫌々ながらも鏡を見てほつと安心したやうに息をつくだけであつたけれど、いつたいどうしたのであらうか。化粧も服も含めて慣れない自分の姿に戸惑つてゐるのであらうか、それとも髪を切るなどとは彼女には伝えてなかつたから機嫌を損ねてしまつたのであらうか。
何はともあれ里也は久しぶりに沙霧と一緒にコンサートに来ることが出来て満足であつた。上手く返事が返つてこないとは云へ、彼に手を引かれて歩いてゐる彼女の顔には笑みが見られたし、今も食ひ入るやうにプログラムやらパンフレットやらを見つめてゐる。かう云ふ時に話しかけては興も削がれるであらう、――里也はさう思つて自分も今日の演目を眺めることにした。前曲、中曲は兎も角として、やはり楽しみなのはメインのラフマニノフの交響曲第一番である。
かの作曲家の作品は往々にしてあひだの曲、――交響曲なら第一番と第三番のあひだにある第二番、ピアノ協奏曲なら第一番と第四番に挟まれた第二番三番が特に有名なのであるが、だからと云つて他の曲に味はひが無いかと云へば全くさうではない。単に知られてゐないだけで、例へばピアノ協奏曲第一番に関して云へば、耳をつんざく運命的なピアノの下降音形から始まり、ラフマニノフ特有の音と音を隙間なく丁寧に繋いで奏でられる耽美な旋律や、後年を���はせる第三楽章の一転して小気味良いリズム、それにオクターヴで駆け上つて絶頂へ達する華々しいクライマックスが聞ける。後期の作品よりもさらに哀愁に満ちた息の長い旋律には、ピアノ協奏曲第一番にしか持ちえない美しさと希望の薄さがある。だが、何に増してピアノ協奏曲第一番が素晴らしいのは、神秘に満ち溢れた第二楽章であらう。人気のある第二第三番と比べて緊迫感の無い楽章ではあるけれども、人間の不安とか焦りだとか、さういふものとは関係のないところで音楽が鳴つてゐるやうな気がして、ほんたうに何時間だつて聞いてゐられる。ラフマニノフの評論で必ず云はれる甘く切ない旋律も鳴りを潜め、ただ〳〵美しい調べが止まること無く永遠に続いて行く。若い時分には後年のアダージョのやうに絶望と希望の減り張りに大いに感動を憶えたものであるが、このピアノ協奏曲第一番に関してはそんな緊迫感なぞ無い方がいゝ。絶望と希望に揺れ動くことすらないほどに打ちのめされたある一人の男が、川のせゝらぎを聞きながらじつと佇んでその時を待つてゐるやうな情景は、それこそこの緩徐楽章の味である。有名なピアノ協奏曲第二番ではもう少し希望はあつて、第一楽章で提示された鐘の音がかなり絶望的ではあるけれども、曲を追ふに連れて見えてくる天からの微かな希望を、決して届かないと云ふのに手を伸ばして掴まうとしたり、もう諦めてしまつたかのやうに項垂れたり、何とか自分を奮ひ立たせて立ち上がつたり、でもやつぱり掠りもしないから恨めしく天井を仰ぎ見たり、……そんな絶望と希望のあひだを行つたり来たりするところが、第二番第二楽章の味と云つたところであらう。尤もこの場合は本来はロマンスであるから、希望云々といふ話は邪道かもしれないが、しかしそのやうな葛藤がピアノ協奏曲第一番では見られないのである。兎に角ラフマニノフのピアノ協奏曲第一番は、作曲者自身が後年になつて改訂したとは云へ、他のピアノ協奏曲とは若干違ふ、苦くも決して不味くはない味はひを持つてをり、どうしてこれがもつと世に知られないのか、里也は疑問に思つてゐるのであつた。
そしてその疑問は今日聞くことになつた交響曲第一番でも云へるのである。だがこれについては確かな理由があるかもしれない。
「グラズノフも酷いもんだよな、あんな酔つ払つて指揮するなんて。ロシア人つて云ふのはそんなに酒飲みなんやろか」
何でも初演時に、指揮を努めたアレクサンドル・グラズノフが酷く酒に酔つたまゝ舞台に上がつてしまひ、それは〳〵大変な演奏をしてしまつたらしい。当然笑ひ話で済むはずがなく、その結果、ラフマニノフはピアノ協奏曲第二番を途方もない神経衰弱に陥つたまゝ作曲したと云ふ。
「………」
沙霧は相変はらず静かであつた。チラリとこちらを見てきたやうな気がするが、このときに振り向いてしまふと余計に押し黙つてしまふので、こちらも変はらずパンフレットに目を落としてゐると、
「実は、最近ではさうでもないみたいです。………」
と聞き取れるか聞き取れないか怪しい音量で云つてくる。振り向くとすぐに目線を逸らされてしまつたが、話は続いた。
「と、云ふと?」
「えつと、………兄さんもご存知ですよね、この曲の楽譜が一旦喪失したことを」
「たしか亡命時に家に置きつぱなしで、以来行方不明なんやつてな」
そして今日に至るまで元々の総譜は発見されてゐない。
「さうです、さうです。さすが兄さんです。それでラフマニノフの死後、レニングラード音楽院の図書館からパート譜が発見されて、そのパート譜からスコアが復元されて、一九四五年にアレクサンドル・ガウクの指揮で復活した、……とこゝまではいゝのですが、そのパート譜からスコアを復元する時に問題があつたさうで」
「ほう? と、云ふと?」
沙霧はむず痒く笑つて話を続けた。
「その復元されたスコアとパート譜の食ひ違ひがあまりにも多いらしいのです。例へば、……例へば、………えつと、第一楽章のオーボエの第二主題の、………」
「どこだ、………」
「あ、……えと、こゝです。………」
と身を寄せて小さく歌つた。それは中々一言が云ひ出せない朴訥な男が語りかけてくるやうな、聞いてゐる側からすればもどかしい主題で、沙霧がうたふとひどく魅惑的であつた。
「あゝ、そこか。思ひ出したわ。哀愁があつて綺麗なんやけど、なんか微妙やな」
「ふふ、……さうですよね。でも、その微妙さこそが原因なのです。ラフマニノフの交響曲は往々にしてリズムだとか音量の濃淡が重要でして、……あ、それは第二番を実際に演奏なさつた兄さんの方がお詳しいですよね」
「うむ。……あんなに細かく強弱記号で音量を指定されたのは初めてだつた」
これは楽譜をたゞ眺めるだけでも分かることであるが、ラフマニノフの交響曲第二番は鬱陶しいまでに強弱記号で演奏者を縛つてゐる。冒頭にある教会での礼拝からしてピアニッシモからクレッシェンドデクレシェンドで音量を支配されるし、その後のディエス・イレを思はせる動機もまた、たつた三小節弱の旋律ではあるけれども五つもの強弱記号が付いてゐる。そんな風に、その後も裸のまゝ投げ出される音符は無いと云つても云ひ過ぎではないのだが、そこへ持つてきて第一主題ではさらに一小節刻みでpoco rit. だとかa tempo と云つたリズムの変化も細かく指定される。交響曲第二番はさうやつて出来た緩急の匙加減が演奏における醍醐味と云つたところで、客席に居る者は交響曲と云ふよりはむしろヴォカリーズを聞くやうな心地にさせられるのである。たゞし、素晴らしい演奏では気が付かないほど巧妙に料理されて出てくるので、コンサートなぞで聞いた暁にはもう一度聞きたい衝動に駆られてしまふ。恐らく一度も演奏しないまゝ、一度も楽譜を見ないまゝ、何も考へず何も意識すること無く聞くのが、交響曲第二番を味はへる最高のコンディションであらう。
「先程のオーボエの主題における濃淡といふのは、リズムの濃淡でして、らら~、ら~ら、らら~、……とほとんど同じことを繰り返すだけなんです。だから記憶にもあまり残らないし、なによりはつきりとしないので、うつかり記譜を間違へてしまうんです」
「それでスコアとパート譜が食ひ違つてるつて訳か」
「――えゝ。スコア譜では先程の音形が、……らら~、らら~、らら~、………になつてゐたりします。あ、それで話を戻しますと、ラフマニノフが死んだ後に復元されたスコアで、しかも主題でそんな間違ひを犯すほどですから、初演時には一体どれだけの不備があつたことやら、……」
「なるほどなあ、……確かにそれはあかんなあ」
「で、最近ではそんな記譜上の曖昧さが混乱に次ぐ混乱を呼んで、結果、演奏もはなはだひどかつたと、そんな見解が広がつてゐるらしいです」
「へえ、なるほどなあ。練習の時にグラズノフは何も文句を云はなかつたんかな」
「さあ、どうでせう? あの演奏はかなり放漫であつたらしいですから、それこそ酒に酔つて、練習も本番も勢ひで乗り切つたのかもしれませんね」
ふゝ、と沙霧はさも可笑しさうに笑つた。
「はゝゝ、かもな。ありがたう、勉強になつたよ」
「いえ、そんな、……私はこのあひだ読んだことを話したゞけですから、……」
「いや〳〵、同じラフマニノフ信者な俺でも知らなかつたんだから、そんな謙遜せんでえゝんやで。さすが沙霧やん」
「そんな、……ふゝ、そんなおだてゝも、これくらゐしか出てきませんよ。ふゝゝ、……」
「あゝ、さうだ。さう云ふ話を佳奈枝にもしてやつてくれ。まだネタはたくさんあるだらう? あいつはすぐ俺を知識で負かさうとしてくるから、ぎやふんと云はしたつてくれ」
と、里也は、普段あゝだかうだ云つてくる佳奈枝の顔が突然浮かんできたので、冗談めかしくさう云つたのであるが、
「………」
と沙霧の顔からみる〳〵うちに消えていく。
「沙霧?」
と再三呼びかけたが、崩れた笑みはもう戻つてこなかつた。
今日の客入りはほんたうに少ないらしく、開演時間間近になつても自分たちの両隣に人が居ないほど空席が目立つてゐた。少しばかり立ち上がつて一階席の方を覗き込むと、いつも客席を埋めてゐるご老人方がそれなりに居るやうであるけれども、やはり数は少ない。かう云ふ折には大学生くらゐのキラキラとした集まりがいくつもあるものだが、それもまたちらほら見かけるだけである。里也は日本のオーケストラを聞くのは学生の頃以来で、昔はよく講師の先生からチケットを安く買つては佳奈枝と共に訪れてをり、今日はその思ひ出にも浸らうかと密かに考へてゐたのであつたが、かうも学生が少ないと少し残念にも感じられる。学生として最後に訪れたコンサートは、たしかセザール・フランクの交響曲ニ短調を聞いた時であつたゞらうか。折良く定期演奏会の一月前に同じ曲をプロの演奏で聞けると云ふので、練習終はりに同じ金管楽器の連中と、楽器を背負ひながらこのシンフォニーホールに訪れたことはよく憶えてゐる。もちろんその時も佳奈枝は居て、隣りに座つてきたかと思へば、ブルックナーと同じくオルガン奏者であつたフランクへの愛を熱く語つてゐた。この交響曲の魅力はやつぱり何と云つてもその重厚かつ上品な響きにあつてゞすね、今日はそれが楽しみで来たんですけど、演奏に依つてはほんたうにオルガン版とオーケストラ版つて同じ響きをしてゐてゞすね、あ、でも悲壮感はオルガン版の方が上ですね、やつぱりあの強烈な響きには勝てません、やつぱりフランス人なのでオーケストラにするとどうしても音が華々しくなつてしまうんですかね、ま、兎に角、暗雲立ち込める冒頭からしばらく経つて、空が晴れ渡つた時の、あの天が歌つてゐるやうな抱擁感! もう素晴らしいとしか云へません。と云ふより、そも〳〵調性がニ短調の時点ですでに天上の音楽ですよね。それで、第三楽章へ向けてのあの例の主題がですね、――これ以降は忘れてしまつたが、演奏に関しては佳奈枝の望む通り、重厚かつ上品な響きに美しい旋律がそつと乗つてゐるやうな、そんな印象を受けた記憶がある。たゞあまりにも素晴らしい演奏をしてくれたものだから、第二楽章でやつぱり寝てしまつて、後で佳奈枝にこつぴどく怒られてしまひ、今でもコンサートの前には必ずと云つていゝほど寝ないでよね、と里也は云はれてゐるのであつた。
今日はそんな彼女がゐないので、里也は意識が遠のくほど存分に、自分の世界に入り込んで演奏を聞くことが出来た。プログラムもよく把握しないまゝに訪れた演奏会ではあつたけれども、ラフマニノフの死の島が始まつた途端から、船に纏はりつくやうにうねる海に心が囚われてしまつた。隣に座つてゐる沙霧は、里也以上に演奏に聞き入ってゐるのか瞬き一つすらしない。昔、彼女から聞いた話ではこの曲は、アルノルト・ベックリンの「死の島」といふ油絵か何かを見たラフマニノフが、その霊感に感動して作曲したさうだが、なるほど確かに原画を思ひ浮かべながら聞くと一つのストーリーのやうなものが現れる。死の島と云ふからおどろおどろしい想像をしてしまふけれども、ベックリンの意図では全体が墓場となつてゐる島ださうで、そのことを頭に入れておくと、不思議なことに不吉さは感じられず、代はりに何かしら形容し難い存在、いや、存在と云ふよりも概念と云つたところであらうか、それこそ死の概念がすぐに頭に上るけれど、しかしそんな人を恐怖に陥れるやうな概念ではない、葬送と追悼の意味をも込められた畏れ多い何かを、ラフマニノフの死の島を聞いてゐると感じる。里也は美術についてはかなり疎く、いまいちこの曲についても理解出来てゐないところがあるのだが、それでも同じ交響詩である岩よりも好きであつた。想像以上の演奏に、オーケストラの団員が舞台から去つても彼は目をつむつたまゝ、しつとりと心地よく響いてくる話し声や足音にじつと耳を傾けてゐた。
ふと隣を見てみた。隣では沙霧もまた彼と同じやうに静かに、身動きすること無く、演奏の余韻に浸つてゐるやうであつたが、なぜかじいつと里也の目を見つめてゐた。普段ならば目を合はせるとすぐに逸らされてしまふけれども、今だけは首を彼女に向けてもしつかりと見つめ返して来てゐる。軽く笑つてみてもそれは変はらず、つひにこちらが耐えきれなくなつて目をそらすと、彼女は目を閉じて深呼吸を一つした。
「兄さん、話しておきたいことが一つあります」
と沙霧は決意を新たに背筋を伸ばして座り直す。その目はやはり里也を真直ぐに捉へてゐる。
「どうした、そんなに真面目な顔して、何かあつたか?」
「いえ、……あ、いえ、あながち間違つてはゐませんが、さうではありません。これはずつと、……ほんたうは一生黙つてゐるつもりでしたが、どうしても兄さんにはお知りになつていたゞきたくて、……」
一生、の部分で彼女の手が震へてゐるのに気がついて、里也はそつと手を伸ばしたが、静かにはねのけられてしまつた。
「すみません、せつかくのコンサートにこんな真面目なことを。ご容赦くださると、たいへんありがたく存じます」
そこで沙霧が頭を下げたので、一旦目線は途切れることになつた。里也はほつとしたやうな心地になりはしたが、再び頭を上げた彼女の目元から、コンサートホールの薄暗い照明に淡く照らされて、一筋の涙のこぼれ落ちるのが確かに見えた。
「……よし、準備出来たぞ。なんかよくわからんが、もし何かあつても見捨てたりはせえへんからな、云つてくれ」
「ありがたうございます、兄さん。愛してをります。ですが、こゝまで真剣になつておいてかう云ふのも何ですが、私が大げさな態度を取つてゐるだけで、もしかすると大したことないかもしれません。気楽にお聞きになすつてください。それと、今日はこのことがどうしても気になつて、兄さんの言葉に反応できる余裕がなく、大変失礼な態度を取つてしまひました、ほんたうにすみません。………」
「大丈夫〳〵、かうしてその原因を語つてくれるんだから、別に何も気にしてへんよ。――ぢや、気楽に聞くとするかな。俺の分のパンフレット返して」
と客席に座る際に預けたまゝになつてゐたパンフレットを受け取つてから、里也は何気ない体を装つて眺め始めた。実際には手が震へるほど動揺してゐるのであるが、かつて壁に話しかけるやうにそつぽを向いて、自身の身の上を曝け出した彼女を思ふと、やはり今日も自分は物云はぬ壁になつた方が良いやうな気がした。それになぜか嫌な予感がするのである。彼女の云ふとおり、大したことがなければいゝのだが、………
沙霧はありがたうございます、と再び云つてから一つとして言葉に詰まること無く語りだした。それは十年以上昔のことながら日付まで憶えてゐるほどに細かゝつたが、要点を掻い摘んで云ふと、私が中学生の時分に受けたいぢめの中には、兄さんに云つてゐない部分が多々ある。それは当時伝へきれなかつたものから、別に伝へなくてもよいものまで多数あるが、今から話すことはその中でも後者に属してゐた(点々)ことである。と云ふのもこれは佳奈枝お姉さんに関することで、単刀直入に云ふと彼女にも私はいぢめられてゐたのである。その内容はありきたりなものだつた。ある日は隠された教科書の在り処を訪ねる私を門前払いしたり、ある日はいくつも鞄を持たされた私を嘲笑つてゐたり、ある日はこちらを見て友達数人と大きな声で陰口を云つたり、そんなことは日常茶飯事であつたので、何も感じてゐないと云へば嘘になるが今では記憶が薄れつゝある。が、絶対に忘れられないことが一つあつて、それは体育の授業中に三人の組を作らなければいけなかつた際、ちやうど一人でぼんやり立つてゐた佳奈枝お姉さんに勇気を出して話しかけたところ、(――こゝから先は涙声で上手く聞き取れなかつた。)嫌さうな目だけをこちらに向けて、あつち行けと云はんばかりに背を向けられてしまつた。言葉は無かつた。あの時の目は今でもお姉さんの姿を見るだけで思ひ出される。鬱陶しさうな、冷たい、憎しみすら紛れ込んでゐる恐ろしい目、――あんな目を見せたのは今にも後にもお姉さんたゞ一人だつた。怖かつた。今でも怖い。いつまたひよつこりあの目が私の前に現れるかと思ふと、怖くて仕方がない。あの人を前にすると私は萎縮してしまふ。あの人の声を聞くと私の頭の中は空つぽになつてしまふ。あの人に髪を切られてゐると、命を刈り取られてゐるやうな気分になつてしまふ。私はもうお姉さんとは自然にお話が出来ないかも知れない、もうお姉さんとは仲良くなれないかも知れない、でも私にとつてはかれこれ十四年ぶりの友達だから、しかも趣味を同じくしてゐて、とても私では敵はないほど沢山のことを知つてゐて、人望もあつて、何でもかんでも出来て、私の理想とも云へる人だから、それに、今度の京都ではいよ〳〵二人きりで行動するのだから、……でも怖い。怖いし、何より当時の恨みがどうしても思ひ浮かんで良からぬことを企んでしまふ。もうずつと〳〵〳〵、あの人に対する恨みが募つて〳〵〳〵、どうすることも出来なくなつてしまつた。でもあの人は兄さんの、兄さんの、―――
「沙霧、もういゝ、いゝから、――」
と里也はたうとう耐へきれなくなつて沙霧の言葉を遮つた。
「沙霧、……も��何も云うな、云ひたいことはだいたい分かつたから。今はもう、何も考へずにゆつくりと演奏を楽しんでくれ。いゝな?」
沙霧はありがたうございます、と消え行く声で云つて、ゆつくりと目を閉じた。濡れた瞼の縁から溢れ出た涙を拭はうと、里也はハンカチをポケットから取り出したのであるが、今直ぐでは一層涙を誘ひ出しさうな懸念があるので差控へた(パクリなので変える?)。
気がつけば舞台の上ではオーケストラがオーボエのA の音を基準にチューニングを行つてゐた。ふつと力の抜けた里也には突然聞こえてきたやうなものなのであるが、さうかうしてゐる間に指揮者が壇上へとやつて来て、拍手が鳴り止まぬうちに交響曲第一番の復活を意図する強烈な一手が聞こえてきた。指揮者が出てきた時に弱々しく拍手をしてゐた沙霧の方を見てみると、項垂れてはゐるけれどもゆつくりと呼吸をしてゐるらしく、平らな胸元が静かに上下してゐる。クラリネットで奏でられる最初のDies irae を聞きながらひとまず話に区切りがついてほつとした里也は、沙霧の話は後で考へることにしてそつと深く腰掛けると、長く息をついて自身も項垂れてしまつた。交響曲はもう冒頭部分が終はつたらしく、最初の頂点を目指すべくトロンボーンで奏でられるDies irae が聞こえてきて、本来ならば耳を澄ますところなのであるが、しかしいつたいどうしてこんな時にこんな不吉な曲を聞かねばならないのか。
ラフマニノフの交響曲第一番には人間に優しいところなぞ何一つ無く、そこには神によつて無理やり復活させられた一人の人間の、気が狂つて必死に慈悲を乞うまでの物語があるだけである。冒頭から聞こえて来るグレゴリオ聖歌のDies irae を聞くだけで、もうこの曲は死の曲なんだな、といふことが分かる。と云ふのもDies irae は当時の作曲家、――例へばフランツ・リストだつたり、エクトール・ベルリオーズだつたりが死を象徴するモチーフとして使つたからで、同じロマン派に属するラフマニノフがその意図でDies irae を使はなかつた訳はなく、むしろ最初から最後まで幾度となく聞こえてくるところを顧みると、幻想交響曲のやうにある楽章だけ、と云ふのではなく全楽章に渡つて死後の世界が描かれてゐるのであらう。そして冒頭の強烈な三連符を、キリストによる死者の蘇生だと解するならば、明日があるさなどと呑気に云つてゐる場合ではない、天国に行けるよう目まぐるしく動き回らなければならない。最初の頂点を経て沈静部に入つた時こそ諦めに身を投げだしてゐるやうな気持ちであるが、やがて思ひ出したかのやうに暴れまはる。しかし男にはやましいことがあるのであらう、何度も〳〵もDies irae を聞くうちに正気を失つていき、ひとたび神が強烈にDies irae の主題をうたふ、――のかは知らないが、神の楽器による途方もない冷たさのDies irae が聞こえてくるとつひに気が狂ひ、大声で泣き叫ぶ。それが収まるのが第一楽章の後半、フルートで奏でられる悲哀の籠もつた美しい旋律が流れてゐる箇所であらうか、男は落ち着きを取り戻すものゝ、最初の審判を目にするや直ぐさま不安に襲はれ、再びDies irae が聞こえると共に気を失ふ。
第二楽章はそんな男の見た夢であらう。悲劇的な第一楽章の結尾から一転して可愛らしい妖精のスケルツォではあるけれども、いゝところでDies irae に邪魔をされる。が、実に良い夢である。舞踏会そのもの、と云ふよりは舞踏会を抜け出して、この世にあらざる者たちの踊りを見に行くやうな背徳感を感じる。しば〳〵天から降り注ぐDies irae は、しかし甘いお菓子に塩を加へるのと同じく、可愛らしい妖精たちの踊りをより可愛らしく見せるのに役立つてをり、彼女たちもそれに上手く乗つて踊る。が、最後の最後でヴィオラ以下の弦楽器によつて突然奏でられるDies irae はひどくおぞましい。今まで楽しく遊んでゐた妖精たちが突然踊りを止めたかと思ひきや、一斉にこちらを向いてDies irae を歌ふ、そんな心地がして一気に背筋が冷たくなつてしまふ。しかもそこで唐突に曲が終はるものだから、嫌な感覚のまゝ目を覚まさゞるを得ない。しかし、目を開けるとそこにはかつて愛してゐた女性がこちらに手を差し伸べてきてゐ、彼女に導かれるまゝ、最後の審判で沸き起こる人々から遠ざかり愛を囁き合ふ。遠くでは神が次々と判決を下してゐるのが見え、これが長くは続かないことを悟る。――第三楽章はそんな甘く切ない愛のシーンであらう。せつかくオーボエが甘美な旋律を歌ひ上げてゐるといふのに、ヴァイオリンが耳障りな音でそれに纏わりついたり、ホルンのシンコペーションで強烈に不安を煽られたりするが、ラフマニノフ特有の永遠に続きさうな旋律によつて表現された二人の優雅な愛が、その甘さで観客をとろけさせつゝも屋根の元で暮らすやうな安堵感を与へる。
そんな二人の甘い時間は民衆に巻き込まれる形で突如として終はりを迎へることになる。それが第四楽章の冒頭なのであるが、何と勇ましいファンファーレであらう。第一楽章への回帰と云ふドイツ人ならば必ず勝利の意味を込める構成よりも、その華々しさに目が行つて、第三楽章で寝てしまつた人のための目覚ましのやうにも感じられる。だが、第三楽章で目が覚めたと思つてゐた男も、ほんたうはこゝで目覚めるのであらう。しばらくは愛の余韻に浸るのであるが、木管の民族的な旋律が流れてゐるコントラバスの奇妙な蠢きに駆られて、やはり気が狂つてしまふ。眼の前に夢で見た妖精の踊りが見える。かと思ひきや、壮大な自然が見える。いや、今度はかつての恋人が見え、名も知らぬ肌の黒い美人が見え、一体どこの世界に居るのか、自分が生きてゐるのか死んでゐるのか分からぬ。何もかもが現れては消えていく。……そんな情景が繰り返された後、気がつけば神の御前に向かつて歩いてゐる。体の自由が効かぬまゝ無理やり一歩〳〵確実に歩かされ、絶頂へ達した民衆によつて神の元へ突き出され、一瞬の静寂のうちに必死に懇願する。懇願するが、圧倒的な存在を前に体中が焼き焦げていく。皮膚は溶け、髪の毛は抜け、目の玉は飛び出す。だが耳だけはゝつきりと聞こえる。もう何度も聞いたDies irae が確かに聞こえてくる。男は神の楽器による神の判決を聞きながら灰となつて散つていく。―――
聞いてゐると勝手にこんなストーリーが思ひ浮かぶものだから、里也はラフマニノフの交響曲第一番には何ら吉祥(きちじやう)ごとを感じられないのである。同じ天から降り注ぐ曲としても、フランクの交響曲ニ短調は神の抱擁であるが、ラフマニノフの交響曲第一番は神の審判である。いつもの彼なら、この希望の無さが素晴らしいんだよと云ひながらじつくりと耳を傾けるのであるが、やはり沙霧の話がチラついて結局最後の最後まで集中出来ずにゐた。かう云ふときには同じラフマニノフであつても交響曲第二番の方が、「暗黒から光明への道」といふベートーヴェンから続く交響曲の流れを汲んでをり、今の気分に合致してゐる。演奏が終はつた後、里也はいつものやうに動けずにゐた。違ふのはそれがなぜかと云ふことだつたけれども、自身の心の痺れから素晴らしい演奏をしてくれたのには間違ひなく、隣に居る沙霧を見てみると、彼女もまたどこか柔らかい表情をしてをり、試しに無言で笑ひかけてみたらくすりと笑ひ返されてしまつた。彼女があの後何を云ひたかつたのかは、何となく分かつてはゐる。恐らくは自分に、避けやうのない佳奈枝との関係をほんたうの意味で取り持つてもらひたいのであらう。今まで云ひ出せなかつたのは単に勇気がなかつたとしか云ひやうが無いが、今度二人きりで出かける際にもう怯えたくない。自然に佳奈枝と話し、自然に佳奈枝の友人として振る舞ひ、出来るだけ恥ずかしい事が起きないように、出来るだけ二人のあひだで問題が起きないようにしたい。もうあの旅は避けやうが無いのだから、せめて何事も滞りなく一日を過ごしたい。過去を忘れたい。さう云ふ思ひがこの二週間で募りに募つてしまつたのだ。いや、これまで佳奈枝と会ふ度に募つていつたのが、三年の時を経て今こゝで爆発してしまつたのだ。もし里也があの時沙霧と佳奈枝を引き合はせなければ、あの時佳奈枝を人生の伴侶としてしなければ、あの時佳奈枝を変な後輩だとしか思はなければ、あの時佳奈枝と出会つてゐなければ、………云ひ始めるとキリが無いが、佳奈枝の存在を彼女に伝へなければ、妹は過去のことなぞ自身の薄い胸の内に秘めて、決して外へは出さなかつたであらう。里也は自分たち兄妹の爛れた関係が変はりさうな予感がした。舞台の上ではもうすでに椅子が片付けられ初めてゐ、自分たちの周りに居たお客は皆居なくなつてしまつてゐた。
「そろ〳〵帰らう」
「………はい」
彼にとつて沙霧とはたゞの妹だつたかもしれない、愛しい恋人だつたかもしれない、物云はぬ傀儡だつたかもしれない、夢見がちなお姫様だつたかもしれない。しかしせめて今だけは、自分の妻としてこの憐れな妹を愛してあげようと思ひ、そつと手を差し出して、その冷やつこい小さなぬくもりを握り込んで、かつて新婚旅行と称して二人きりで行つた金沢への旅行に思ひを馳せた。
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