Tumgik
#どっぺり坂
roundtripjp · 6 months
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充滿異國風情,曾為著名電影閃爍的愛情取景地之一,不僅是當地學生、居民經常利用的坡道,同時也蘊含著雙重涵意的坡道的「どっぺり坂」!
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elle-p · 4 months
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Scan and transcription of the Persona 3 part of Newtype Magazine February 2016
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春、夏、秋を経て冬、理が出す答えを見届けて
監督 田口智久
死を見つめる季節のフィナーレに
第1章でコンテ、第2章で監督を務めてこられた劇場版「ペルソナ3」ですが、ファイナル・シーズンである第4章は、どのような気持ちで臨んだのでしょう?
田口 第3章で自分が監督としてかかわっていない劇場版「ペルソナ3」を見ることができたのが、刺激になりました。自分とはまったく違う方法論で構築されていて、僕がやったら確実にこうならないですし、なんというかジェラシーのようなものを感じまして。ああ、ペルソナって、こういうふうにつくることもできるんだ、と。それを受け止めることができたからこそ、第4章では、自分のやり方を突き詰めたフィルムにしなくてはと思いました。あとは、やっぱりフィナーレということでのプレッシャーが大きかったです。
第4章の物語の関となるのは?
田口 理と綾時の関係性ですね。そこヘシャドウの母体であるニュクスが襲来したり、それに伴ってみんなの心がダウナーになって⋯⋯という展開で、ずいぶん重いものになっています。でも、みんなが悩んでいる部分にしっかり尺を取って描いているので、映画ならではの見せ方ができているのでは、と思います。
理にスポットが当たっていきますが、どのように描きましたか?
田口 第3章に、理が旅館の池に落ちて笑うシーンがありますけど、あの理を経ての理をしっかり追っていこうと考えていました。今作では、抱えきれないほどの絶望を前に、悩み、立ち止まってしまうというところまで、みんなが落ちてしまうんですけど、そのなかで理が見つけ出す答えというのが、全4章通してのテーマでもあり、象徴的なセリフになっています。そして、それは、第3章で笑った理がいなければ、たどり着けなかった答えなんじゃないかな、と。
それから、綾時とアイギスも、重要な存在ですね。
田口 すごく極端な⋯⋯本当に超極端な言い方ですけど「綾時と理は両想い。アイギスは理に片想い」っていうのを、こっそり頭の片角に置いてました(笑)。もちろん僕独自の解釈なので、いろんなとらえ方をしてほしくもあるのですが。ただ、そうやって、アイギスがヒロイン然としているわけではないからこそ、ペルソナならではの仲間感が出る、というのもあるんですよね。
理と綾時に重点が置かれていくとなると、その二役を演じられている石田彰さんのアフレコもすさまじいものになったのでは。
田口 石田さんだけ別の週に理以外の綾時を中心とした声を録らせていただいてから、全体アフレコの週に理としてみんなといっしょに録らせていただいた感じなんですけれど、本当にすばらしかったです。演技に対するストイックさが本当にプロフェッショナルで、ご自身で「今のは少し綾時が出てしまったから」とリテイクを申し出てくださったり。
全体的にも、とてもスムーズなアフレコになったそうですね。
田口 圧倒的にスムーズでした。特に今回は静かなシーンが多くて、感情的にセリフを吐くような場面はほとんどないんですけど、その淡々とした空気感を成立させるのは難しいはずなのに、自然にスッとやってしまえるのがこのチームの方々の成せる技。こんなに研ぎ澄まされた現場は、なかなかないのではないかと。
細かな心情描写という意味では?画づくりにもこだわられたのでは?田口監督の描き出すダウナーな情景描写が楽しみです。
田口 カッティングが終わった後に、編集さんに言われたひと言が「暗っ!」でしたからね(笑)。刺されて死ぬとか大惨事が起こって死ぬとかのサスペンス的な死ではなくて、非常に観念的な死についての物語なので、精神的にどうやられていくかというのを、どう表現するかが課題で。光や色味の演出であったり、降ってくる雪の量で表現していきました。アニメで雪が降りつづけている作品もあまりないんじゃないかと思うんですけど、心情とマッチさせたいなあというところで、力を入れています。作画もすごいアニメーターさんたちが集まってくださっていて、誇張された動きというよりはリアル寄りの芝居をていねいに描いてくださっています。全然動いているように見えないところにも実は枚数が割かれていて、作画枚数もこれまででいちばん使っているんですよ。
最後に、今作を描くうえでの最大のポイントだったと考えるシーンを教えてください。
田口 ラストですね。それは第4章を担当すると決まったときから、見据えていたビジョンでもあります。第1章の春からともに季節を経てきた理と仲間たちが迎える、そのラストを見届けてほしいです。
#1 Spring of Birth
1日と1日のはざまに隠された影時間。そこにはびこる怪物・シャドウに襲われて、無気力症となってしまう者が町に続出していた。対抗できるのは、ペルソナという特殊な能力をもつ者だけ。春、私立月光館学園に転校してきた結城理は、ペルソナの力に覚醒し、同じくぺルソナの力をもつ者たちが集う特別課外活動部へと引き入れられる
#2 Midsummer Knight's Dream
夏休みに屋久島旅行に向かった特別課外活動部。そこでアイギスという女の子に出会う。彼女は対シャドウ特別制圧兵装のラストナンバーであり、なぜか理のそばにいることを望むのだった。理たちは影時間の謎を追いながら、さらに新たな仲間と出会い、きずなを深めていく。だがそこにストレガと名のる者たちが現われ⋯⋯
#3 Falling Down
季節は秋。特別課外活動部は、影時間を終わらせるため、シャドウや滅びを望むストレガとの死闘を重ねていた。ある者は仲間や家族の死と向き合い、ある者は護るべき者に気づき、ある者はこれまでの戦いの意味に葛藤する。そんなとき、理の前に謎の転校生、望月綾時が現われる。その出会いの先にあるものは⋯⋯
「PERSONA3 THE MOVIE #4 Winter of Rebirth」
●1月23日土全国ロードショー
●第3章Blu-ray&DVD 1月20日水発売
WEB▶http://www.p3m.jp/
Twitter▶@P3movie
illustrated by YUKIO HASEGAWA, finished by SAORI GODA
background by BIHOU, text by HITOMI WADA
©ATLUS ©SEGA/劇場版「ペルソナ3」製作委員会
STAFF 原作=「ペルソナ3」(アトラス) 脚本=熊谷純 スーパーバイザー=岸誠二 キャラクターデザイン=渡部圭祐 ペルソナデザイン=秋恭摩 プロップデザイン=常木志伸 色彩設計=合田沙織 美術監督=谷岡善王(美峰) 美術設定=青木薫(美峰) コンポジット&ビジュアルディレクター=高津純平 編集=櫻井崇 音楽=目黒将司、小林哲也 音響監督=飯田里樹 第4章監督=田口智久 制作=A-1 Pictures
CAST 結城理=石田彰 岳羽ゆかり=豊口めぐみ 伊織順平=鳥海浩輔 桐条美鶴=田中理恵 真田明彦=緑川光 山岸風花=能登麻美子 アイギス=坂本真綾 天田乾=緒方恵美 荒垣真次郎=中井和哉 イゴ ール=田の中勇(特別出演) エリザベス=沢城みゆき
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kyoto4 · 2 months
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『 京都食堂探究  「麺類・丼物」文化の美味なる世界』加藤 政洋、〈味覚地図〉研究会 著 (筑摩書房)
食の本にしてはやや薄味。
はしがき 西陣のうどん屋から/寿司、カレーライス、もち/本書のメニゥ 第1章 上方〈麺〉問答─諸説覚書 1「きつね」は「けつね」か 「このうどんはたまらねえ」/「まったり」として……/断じて、きつね/エンタツ・ アチャコの回想 2 「きつね」か「たぬき」か 「めしのお菜」/「大阪にそんなもんはない!」/「うどんですか、そばですか?」/ たぬきは一枚上手 3 「きつね」は化ける (仮想)小林カツ代の驚き/謎の狐蕎麦 4 油揚げの魅力 油の臭み/惑いの〈麺〉問答 第2章 〈しっぽく〉の美学 1 京都のうどんには〇〇がのっています 華麗なる上おき/薄くて小さい○○ 2 卓袱から〈志津ぽく〉へ 《下河原》の卓袱料理/「京坂の温飩屋」と「江戸の蕎麦屋」/江戸麺界の下剋上/異 風か異称か/「おかめ」のような 3 にゅうめんの正体 玉子焼き幻想/むかしのメニゥ/土鍋の真ん中に/「にゅうめん」は夏の味覚か 4 〈しっぽく〉鍋のミッシングリンク 「長崎ちゃんぽん」鍋の謎/「うどんのすき焼き」/ベトベトの蕎麦/〝エンタツ〟鍋 /「芳香炉」をめぐる語り/食堂の「しっぽく鍋」 第3章 なにを「とじる」か 1 謎かけ丼 丼物の名前/「親子」と「他人」/どちらをとじるか?/玉子で蓋をする 2 〈麺・丼〉問答 丼物の「都鄙問答」/しっぽくの変態 3 とじなくても美味しいんです ねぎの切り方/食堂でお月見を 4 「あんかけ」をご存じですか? 出汁を食べる/それは玉子とじなのか?/「たぬき」にあらず/夏の涼味/のっぺいの 謎 第4章 食堂と町中華の不思議 1 どこでも 〈中華そば〉 スバといなり/かまぼこはあるやなしや 2 〈ちゃんぽん〉とりどり 丼のなかの別世界/昭和京都の「チヤンポン丼」/長崎憧憬/〈中華〉と〈和風〉 3 〈あんかけ〉の都 [龍鳳]の品書き/町中華のチャンポン麺/魅惑の白/〈けいらん〉系中華/カレー丼 の正体 4 台を替える愉しみ 「そばだいで」/うどん出汁の中華麺/「キーシマ」と「中はく」/京料理のような/ 「台ぬき」のいろいろ/空飛ぶマダムの後口直し/「玉吸い」と甘味でささやかなぜい たくを
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m12gatsu · 1 year
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無題
義兄の命日で、事故現場に同行させてもらった。彼女はあらかじめ1週間の休みを取って、丈母と2人で西日本を漫遊していた。坐禅体験とかしたらしい。俺は当日日帰りで、早朝の新幹線で日本列島を下って合流した。350mlの缶ビールを2つだけ空けた。やはり日帰りの岳父もそこへ合流して、4人揃って在来線に乗り換えてさらに小一時間、徐々に口数が減っていく中、緑豊かな山間にある郊外の駅に降りたった。
駅中のファミマでお供物の水や菓子や缶ビールを買い込んで、乗ってきた線路にまっすぐ沿っている坂道を上っていった。ガードレールのない歩道はひび割れて、わずかに陰になっているところに苔類がむしていた。陰湿な6月の陽射しがじりじり蒸し暑かった。あそこだよ、と彼女がいうので目を上げると、すぐ向こうが見通せる短いトンネルがあった。その手前が現場だった。片側二車線の国道で、中央分離帯の縁石にわずかな白い跡が残っている。事故の痕跡だという。
そばの街灯に岳父の設置した花立があって、そこに買ってきた供花を生けるのだが、近づいてみると、配電盤の筐体が大きくひしゃげて、黄色い規制線みたいなテープが何周も巻きつけられていた。新しい事故の跡らしかった。歩道にも削り取られたようなタイヤ痕が残っていた。単車だろうか。義両親は特段そのことには触れず、慣れた手つきで花立を洗浄し、水を入れ替え、供物を並べていく。短い蝋燭と線香を一本焚く。甘い匂いがする。そうしている間にも、すぐそばを猛スピードで車が駆け抜けていく。
道路はトンネル手前の緩やかなカーブを抜けたらほぼまっすぐに伸びて駅の方まで続く急な下り坂で、現場のすぐそばに傾斜8%という標識があった。あとで航空写真を見ると、トンネルの入り口手前からのっぺりした白い文字で速度落せという標示が繰り返されていた。街灯にはスリップ注意という標識があった。去年はなかったよね、と彼女が岳父にいっていた。
義兄の車は何らかのきっかけで短いトンネルの入口でバランスを崩し、最終的に数十メートル先で電柱の支線に後方から乗り上げる形で停止した。致命的だったのは、運転席に横から直撃した街灯だった。午前3時だった。街灯は捥ぎ取られていた。今あるものは事故後に新しく建て直されたもので、その費用は義両親が補償したらしい。
茫然としていると、岳父が淡々と顛末を語ってくれた。直前に義兄の追い抜いたバイクが事故を目撃して、通報してくれたのだと。
駅でタクシーを拾って、昼食をとるためにもう少し大きな駅まで移動した。ロータリーの横断歩道で若い男が飛び出してきて、運転手が急ブレーキ踏んで悪態をついた。岳父が、自殺行為ですね、といって笑った。土地の名物を食べた。生ビール2杯飲んだ。
現地で義両親とは別れた。来てくれてありがとう、と丈母がいうので、来られて良かったです、と俺は素直にいった。新横浜に帰り着いて、ビアホールで彼女と献杯して、色々話した。
あの場所に行っていつも考えるのはね、と彼女がいった。あの場所に行っていつも考えるのはね、兄が最期に見た景色はこれだったのかっていうこと。
今もああやって生々しい事故の跡が新しく増えていたわけで、車もビュンビュン飛ばしてた、事故現場そのものというか、標識ばかり増やして何も対策しない行政とかに対する義憤みたいなものはないの? と俺は思ったことを訊いてみた。
道路のせいとは思わない、あくまで兄がばかをやらかした、と私たちは考えている。と彼女は答えた。私たち、と彼女はいった。
兄の声が思い出せないのが嫌なんだよね、といって彼女は目を潤ませた。この日初めて見る彼女の涙だった。忘れていることが年々増えている。バイクの人が通報してくれたことも、岳父の話を聞くまで忘れていた、と。
忘れることは、悲しみやトラウマから人間が立ち直っていくために必要な機能だから、と俺はありきたりなことをいった。しかしまた、思い出すことが供養になる、ということも話した。祖父の十三回忌の時に、坊さんの説法で聞いた話だった。俺はこの考え方を信仰している。リメンバーミーみたいな話だけど。あの場に行って、俺がここにいる意味は何だろう、とずっと考えていた。丈母が立ち尽くして泣いている横顔を見て、俺にできることはマジで何にもないな、とさえ思った。この考えが既に傲慢なんだけど、けど。
義兄に会ったことはない。思い浮かべることしかできない。岳父と、丈母と、彼女と、そこへ俺がもう一人加わった。マイナスではないはずだと思いたい。悼む、偲ぶ、思う、祈る、なんでもいいけれど、そうする人間が一人増えた。それだけで良いことだと思いたかった。
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fukagawakaidan · 1 month
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「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ)  五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが���猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた)  猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。  この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。  轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話��では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下)  家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね)  長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
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cinnamonrollshelly · 1 month
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THIN K FAST CHUCKLEN
[Chorus] 僕をそんな目で見ないでまま 死んだのが恥ずかしくなるだろ (まーまー) ぐにゅぐにゅのほっぺが ポップコーンのように吹っ飛んだ僕を そんな目で見ないでぱぱ 死んだのが情けなくなるだろ (ぱーぱー) 迎いのパレードは 魂をピンセットでひょいと抜いて
[Post-Chorus] 放り投げて ちんとんしゃん しゃばだばだば とれろ とれろ トレモロ ラレルラ トレモロル ラリラ トロトロにむけたぼくは どこにいくんだろ?
[Verse 1] お空を飛び越えて オルゴールの櫛歯 に挟まる 櫛歯 の震えが気持ちいいので ぴゅっぴゅっと小刻みに僕は弾けちゃう 体が小さく 飛び散って僕はたくさんになる 空っぽの脳みそが トロトロにとろけてお星様になる
[Pre-Chorus] 兵隊の銃声は なりやまない 演奏は なりやまない オルゴールは いつまでも止まらない 遠い国の果てで オルゴールは鳴り続ける 大丈夫みんな 星になれば仲間さ 虹のように光る 魂の最期は ぷるんとグミのように 砕けて溶けて消える だから
[Chorus] 僕をそんな目で見ないでまま 死んだのが恥ずかしくなるだろ (まーまー) かわいいじぶんを きもちよさに負けて捨てちゃった僕を そんな目で見ないでぱぱ 死んだとこ見ないでおくれよ (ぱーぱー) だって死ぬの気持ちよかった僕は 恥ずかしくって
[Post-Chorus] じゃんじゃんぱっ じゃんじゃんぽっ しゃんしゃんぱらドロリトロル とれろ とれろ トレモロ ラレルラ トレモロル ラリラ 白くトロトロに パラパラ ハララララ
[Verse 2] お昼の帰り道 自転車で下り道くだるくだる 補助輪つけて狭いおうちの 狭いスキマの間を抜けて 初めて風になる 僕の心は風に壊される こんなに気持ちいいなんて 僕が風に壊されてくのは
[Pre-Chorus] いつまでも下る下る 終わらない坂道 人の姿は どこにも見つけれない 家は消滅して 電線は歪みくねる 風に削られて 体が赤く溶ける そして僕は消える 魂を残したまま あるはずのない 自転車と一緒に いつまでも どこまでも
[Chorus] 僕をそんな目で見ないでまま 僕はもうどこにもいないんだから ままはミニカーやまんがを いっぱい買ってくれたよね そんな目で見ないでぱぱ 僕は消えるのが気持ちよかったんだ ぱぱはオルゴールやおもちゃの兵隊を いっぱい作ってくれたけど 僕はもうどこにもいない 僕の魂は夢の世界へ消えた ままのいっぱいのおもちゃも 一緒に仲良く溶けて消えたんだね 僕はもうどこにもいない また夢で会うまでさようなら ぱぱの兵隊さんは オルゴールの隙間から手を振っていた
[Post-Chorus] ぱ ぱ ぱ ぱ ぱ ぱらぱら ま ま ま ま ま ばらばららららら ラルレロルリレロラルロ ホー
Is....is that a song..?
I don't really understand the lyrics all that well...
It sounds very pretty, though!
<ooc: YOOOOOOO KIKUOOOOOOOO>
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14-sakiii · 2 months
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なんとかしよう、なんとかなった
7月11日(木)
誕生日。日を跨ぐ前にノンちゃんからバースデー動画が送られてきて感動。朝起きたら、友達からLINEが来ていてミスド券を貰った。誕生日���て、祝われなくなるタイミングで関係が薄くなってるんだなってことを実感するし、逆に誕生日というタイミングでしか連絡を送ってこないよな?って気づいてしまったり、結構悲しい側面もあるよなあって思った。誕生日だけ大事にされましても…。みたいなひねくれた魂がある。やっぱり大事にすべきは遠い人より身近な人で、遠くてもいつもSNSで何かしらリアクションをしたり、やり取りをし合う人だなと思った。短くてありふれた言葉だとしても言葉の温かみが全く違う。あと、お互いに協力し合える関係性ってかなり、貴重。言葉をくれてありがとう。
お昼、祖母とココ壱!今季初ベジカレーを食べた。いつも平気な3辛が何故か異様に辛く感じた。あと、ライス200gがキツイぞ?となった。これが老いるということ??ここの店舗は丁度10周年の節目を迎えたらしく、団扇が貰えた。帰宅後、眠っていたら担当者さんから連絡が来て、火曜日に面談が決まった。寝起きがバレた。その後もずっと寝てた。誕生日ってこれで良いのか?毎年、自分で自分を喜ばせる為にあの手この手とやってきたが、金銭というよりメンタル的に無職だとそれが厳しいのだと悟った。夜、母と電話。明日から3日間実家に帰ることに。耳の調子が治らない。
7月12日(金)
1日引きこもり。耳の調子が悪くて、雨も凄くて、ズドーンと気分が沈んでいた。夜、実家に帰ったら元気が出てきた。妹とお互いにプレゼント交換をし合って仲直��。Paul & JOEのポーチとリップとフェイスパックをあげた。自分じゃなかなか買わないけれど、買う瞬間、楽しかったし、あげた瞬間も楽しかった。喜んでもらえて良かった。妹からは黄色い雨合羽を着ているアヒルのキーホルダーをもらった。足が少しぶらんぶらんするタイプのアヒルだった。セリアに居るらしい。
7月13日(土)
朝早くから妹とお出かけ。耳鼻科とさくらももこ展と西原珈琲とBOOK・OFF、セリアを梯子。かなり歩いた。西原珈琲は頑張って並んだ。誕生日ケーキを食べていなかったから、ケーキを頼んだ。お豆のケーキを奢ってもらった。さくらももこ展は松坂屋が開店したと同時に入館し、気合い満々でみた。素晴らしかった。展示の数がとにかく多かった。耳鼻科では病状がやはり悪くなっているとのことで違う薬を処方してもらった。帰宅後、コード変換作業。どうしていつもこんな差し迫った時に…!こういう時に要領良く生きられたらと思う。
7月14日(日)
今朝、寝不足だった。5時くらいに目が覚めて昨夜の続きのコード変換。苦戦を強いられた。その後、人生初ヒッコリー。ヒッコリーはハンバーグ屋さん。近年、実家でブームがきていて、ついに私も連れて行ってもらった。父が撮った写真を見たら、顔がとんでもなく浮腫んでいた。丸いぞと言われ、ムッとなる。ミネストローネもおろしハンバーグも美味しかった。お肉の味が良かった。帰宅後、準備して再び外出。西原珈琲に忘れてきてしまったWi-Fiを救出。雨が凄くてコメダに避難。生レモンスカッシュの甘さが丁度良くてうれしくなりながらコード変換の続き。その後、ノンちゃんとタイフード。プレゼントが、ずっと欲しいなと思っていたukaの頭のツボを刺激するやつでびっくりした。この話、したことなかったのに!あと、皆川明さんの本や、ブローチ、無印のライチゼリーなどを頂いた。一つ一つが全部きらきら。嬉しかった。
7月15日(月)
東京、コメダにて再会。スタジオに入り、みっちり2時間練習。凄いメンツ。考えると緊張するから、あまり考えないようにしていた。バンドマンは凄い。音楽は深い。その後、モスにて檸檬会議。この時点でコメダとモスしか楽しめてない。コメダもモスも名古屋にあるのに…。と言いつつ、黙々と会議。無事にレコーディングができますようにと願うばかり。
その後、七面鳥へ。中華屋さんなのだけど、カツカレーを食べた。味が濃い目でボリューミー。スープと浅漬けも付いてきた。食後、30分くらい歩いた。とても涼しくて、散歩に最適な温度だった。荷物が重たかったけれど、それすら忘れるくらいルンルンだった。そして、あおちゃんのお店に遂に行くことができた。居心地が良すぎて、油断しすぎて、夜行バスを逃しそうになり、かなり焦った。
7月16日(火)
職場を見学。ああ、ここに決まりそうだと妙に納得。担当さんが1つ歳上で距離感が難しかった。初対面の人との恋バナの匙加減って難しい。踏み込みすぎても、踏み込まれすぎても困る。困るな〜って思いながら、薄っぺらい笑顔で切り抜けたなって思う。気疲れしてスーパー銭湯へ。行こうとしたら、休館日。めげずに近場を探して、違うスーパー銭湯へ。そこは、とても綺麗な場所だった。極楽ここにもありけり。次回使える割引券もゲット。
7月17日(水)
有給休暇最終日。黙々と部屋の掃除をして、夜になり、正式に職が決まった。有言実行。めでたし、めでたし。一時はどうなるかと思ったけれど、なんとかなった。8月から無事に社会復帰だ。油断し過ぎず健康生活を心掛けることを決意。
7月18日(木)
無職一日目。早起き。自分の部屋で作業をしていて、リビングへ降りたら犬が居た。叔母の犬だ。びっくり。かなり久しぶりの犬との遭遇。もう、老犬なので音は聴こえないし、目も見えない。でも、匂いはわかるらしい。だから、叔母は仕事を辞めて付きっきりで面倒をみている。抱っこをしても大人しくて、重さ的にも猫みたいだった。叔母が赤ちゃんみたいでカワイイの〜って言っていて、命に対する優しさ半端ないなって思った。叔母はうちの母とは違いかなり明るい人である。何年経っても、やっぱり明るい。
7月19日(金)
無職2日目。初めてのエステ。これまで音楽にばかりお金を使っていたから、自分の身体にお金を使ってみた。全身をオイルマッサージ。肩凝りが治るといいなって伝えたら、いやいやおしりがヤバいですよって言われ、お尻を重点的にマッサージされた。before afterの写真を見たら、骨盤が恐ろしいくらい歪んでいたことに気付かされた。本当にやばかった。この歪みがあらゆる不調に繋がっていたらしい。「この左右差は疲れやすいに決まってる」と言われたり、「マッサージをされてくすぐったいということは痛いよりヤバいです。感覚が麻痺してますよ…」って言われたり…。兎に角、ヤバいの嵐。恥ずかしがってる場合ではなかった。凄い時間だった。どっと疲れて、20時には寝た。
7月20日(土)
無職3日目。早起き。もう一人の祖母に会いに。手土産を買うためにお気に入りの和菓子屋さんへ。時間が余り、気になっていた喫茶店にも行ったら最高だった。オアシス。お気に入りが増えるって嬉しい。祖父母は元気だった。会えない間もこれをあげたら喜ぶかな?って思ってお菓子や生活用品をダンボールに溜め込んでいる祖母の優しさが半端ない。大事に想われすぎている。でかすぎる愛。これにわたしはめっぽう弱い。誰かに強く想われるということに慣れてなさすぎる。小さい頃、祖母とバイバイしたあとに必ず泣いていた。こんな優しい人が死んじゃったらわたし、どうしよう〜って。今は年齢的にだんだん死というものが現実味を帯びてきて、余計に泣けた帰り道だった。大事な人ってこわいよなあ。
帰宅後、シャワーを浴びながら引き続き泣いていて、浴び終わって足ふきマットを乾かそうと思い、持ち上げたらGと対面。たぶん、わたしがマットの上から踏んでて、既に弱っていた。わたしも、泣きたくても既に泣いていた。もう、悲しくて涙が出てるのかよくわからなくなって最終的に涙が止まり、Gにも勝った。なんだこれ。
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luncott · 6 months
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事件です 大事件
上海アリス幻樂団より
8年ぶりの秘封倶楽部新作が発表されました!!!!!
8年ですよ8年!え!?って事は旧約酒場から8年ってコト!?ルンフェそれは流石に嘘だよ、旧約酒場はまだ…
…え?
…東方は知ってるけど秘封倶楽部はご存知でない!?!
ではそんな方々に説明していきましょう。
秘封倶楽部とは!2003年に上海アリス幻樂団より発売された『蓮台野夜行 ~ Ghostly Field Club』から始まるショートストーリー付き楽曲CDシリーズのことである!
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けっこう歴史あるぞ。
舞台は幻想郷の外側、我々の住む世界の日本。さらに時は我々の生きる時間より少し先の近未来。
そんな時代の不良オカルトサークル『秘封倶楽部』のメンバー、行動的で切れ者の「宇佐見蓮子」と控えめでたまに幻想郷に紛れ込んでしまうとんでもない少女「マエリベリー・ハーン(通称メリー)」の二人のお話。それぞれの話を付随した楽曲と共に味わっていく…というものになっています。
収録されている楽曲はオリジナルと東方Projectからのアレンジが混ぜこぜ。
オリジナル楽曲は原作ゲームに匹敵するほどの名曲揃い、こちらは激しい弾幕から離れて原作の雰囲気とは一味も二味も異なる楽曲が満載です。しっとり系や仄暗いダーク系が多く人によってはこっちの雰囲気の方がハマりそう。
アレンジ楽曲は秘封倶楽部オリジナルのバックストーリーを与えられた味付けになっているのが特徴。音源がゴージャスでオリジナルパートが追加された曲も多くそこに辿り着いたときの脳汁たるや、元との印象が異なる曲も結構あり。
で、その秘封倶楽部が!!
8年ぶりに!!やってくる!!!!(すごくうれしい)
これね…今だからこそ沁みるシリーズだと思いますね…。
楽曲は一つ一つを配信や動画サイトで聴く…という時代になって久しいですが、このシリーズはCDを回し、ブックレットをぺらりぺらりと読み進めながら頭の中に情景を生み出し浸っていくわけで。
動画もコメントも他人の評価も何にもない、なんとも昔ながらな楽しみ方。けれども今だからこそネットから切り離されたコレが沁み入ると思うんですよ、早く沁みっ沁みになりたいね。
余談
秘封倶楽部、片側のメリーが前述の通りたまに結界の隙間を通って幻想郷に迷い込んでしまうという凄まじい爆弾能力持ちの子なんですけど、そのキャラが新作で大変な事になるんじゃないかと今界隈が騒然としている状態です。なぜなら…
この子、八雲紫との共通点が当初からあまりに多く
「いずれ八雲紫になる存在なのでは?」と相当前(約20年前)から考察されていたキャラクターであり
今作のジャケット絵と収録曲名からその件が進展しそう&かつてなく不穏な空気がバチクソに溢れているためです。
これまでメリーの帽子に無かった赤リボンが今回のビジュアルだとあるんすよこれがあると八雲紫そっくりになっちゃうんすよアアアアアアアア!!!!!曲名もあの世だとかひとりぼっちだとか不穏な語句まみれじゃねーかンアアアアアア!!!!!
近年の神主は東方界隈に爆弾投下しがちなので今回も何かしらしでかしてくれる可能性が高いです…どうなっちまうんだ…助けてくれ…。
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neigesucre · 2 years
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2月の外食記
2月4日 ABCラーメン@銀座/tabacco@恵比寿
歌舞伎観たあと、受験で弟が遠路はるばる来てくれたので銀座でランチ。東京で、ラーメン食べたいとのご所望があればここ一択。育ち盛りをいいことにサイドメニューもたらふく食わせる。大学の下見に付き合ってから好きな人①に会いに恵比寿に。彼の行きつけのラーメン屋向かってから、かよ先輩が行っていて気になってたイタリアンにお邪魔。串カツ屋さんみたいなノンストップタパス、楽しいなあ。大はずれだったビブグルマンフレンチの話して、ここは好みと伝えたら俺たち情報食ってるからねと返されて、たしかになと思った。情報を噛み締めて気持ち良くなりたいよね。4度目も手を繋いで健全解散。デートはこれが最後かな。
2月11日 うゆう@渋谷
大学時代のバイト同期と飲む。私以上に食にうるさいから、お店サジェストするときどきどきしちゃう。芸術品のようによそわれたお通し6品に毎度見惚れる。褒めてもらえて嬉しい。酔ったノリでハプバ行く。摘発されていたからどんなもんかと思っていたけど、プレイルームはホテルとして別会社が運営、行きたいときはスタッフにこっそり声かけるっていうパチ屋仕様になっていてウケた。たしかに懇ろになった男女がホテルに行くのは誰にも憚られませんからね。声かけてくれた男性2人と、半分おしりが見えるセーラー服着てダーツした。失礼だけど、私たちがアプリで会ったら初手で切ってしまう、なんならそもそもマッチしない属性の人。でも2人とも私たちに楽しんでもらいたい気持ちがまざまざと伝わってきて、人間っていとしいなと思えた。ここに来るといつだってあたたかい気持ちで帰路に着く。ありがとう。
2月12日 小野田商店@学芸大学
2ヶ月ぶりの加藤。大好きなホルモン屋さんとワインバー行く。ここに訪れるたびにお客さまは神様じゃないのを思い出す。この街がぜんぜんしっくりこない男だなと思う。ずっと日比谷線にいたほうがいいよ。そのあとなぜか六本木行こうや、と向かったもののバーはろくに空いておらず、さらになぜか遠隔プレイしようや、とドンキ行く。ぜんぜん思っていたのと違ってAVはフィクションだねと笑い転げた。
2月13日 友@目黒
3年前からときおり会っているティンダーの男友達とサシ。はじめて会ったときは私は22で彼は27だったと思うとこわい。手書きのメニューが適当に壁に引っ付けてあるお店ってだいたいはずれがない。M1出場を打診されノーシンクで快諾。だってM1経験のある人生のがおもろいじゃん。いったん彼の芸風見てからコンビ組もっと。
2月15日 ilungo@自由が丘
お気に入りのおでんやさんで飲むつもりが、煩いおじさん客がいるからっておでんやの女将さんと2人して抜けてビストロで飲んだ。日本酒フリーフローは嬉しい。彼女は代理店の大先輩でもある。さんざん仕事の愚痴を連ねる。最近仕事干されてイヤイヤ期だけど、たしかに私はキャッチアップ遅いんだった。背中押される。私も彼女みたいに着物を自由に纏えるようになれるなら、アラフォーもそう悪くない。ハナエモリのお着物ずっと狙ってる。
2月18日 のんき屋@浅草/Trattoria Azurri@神楽坂
日本舞踊のお稽古に浅草へ。せっかくだし、と帰りにホッピー通り寄るもおひとりさまだからと4軒連続で断られる。もしかしてお呼びじゃない?半ば憤って入った立ち飲み屋が大正解で息をつく。もつ煮150円なんてマネタイズが心配です。ほろ酔いで神楽坂。電話でのリファレンスチェックも功を奏し案の定楽しかった。国家公務員からコンサルに転職した理由を問うたら、「それでいうと理由は3つあって〜」とお手本のような仕草を垣間見てにやにやしちゃった。まだ遊んでいたいと恋愛したいの狭間で揺れてると聞いて、正直な人だなあと思う。でも恋人がいないと甘えたくても甘えられないと溢されて、そんなの傷口の舐め合いじゃんと返したけど、まあ、そうだよね。だって私たち、頑張ってるもんね。男の子、みんな葛藤してて可愛い。菜の花とホタルイカ、旬のうちにリベンジしたいな。好きな人②に昇格。
2月21日 ゑぶり亭“@横浜
ダンサー3人で飲んだ回。まあダンサーじゃないんだけど。炙りしめ鯖にレモンを搾るさまさえもべた褒めしてくれるから自己肯定感あがる。元気の良い居酒屋って大好き、絶対にバイトしたくないけど。業界人でもないのにフースタ見てる人は変態と聞くけど、フースタは間違いない。
2月22日 カクニマル@神泉
某ギャラ飲みの日。ここも接客がいい意味でやたらやかましい。刺し盛を出血大サービスしてくれた。こういう人も、まだこういうお店で飲むんだなと思った。でもしっとりしない雰囲気で逆に良かったのかもしれない。女友達と来たかったなあ。
2月23日 da GIORGIO@湯島
好きな人②と飲む。彼から教えてもらったこのお店、かよ先輩が「東京で1番美味しいピザ」とツイッターに残していたのを思い出して俄然楽しみになった。MECEな恋愛の話する。MECEな恋愛なんてないだろ。私はやっぱり一緒にボトルを空けてくれる人が好き。いつだって飲みきる責任を背負った共犯関係でいたい。
2月25日 串カツ田中@横浜
サークルの同期3人と鎌倉で座禅を組んだ日。幸せってなんたるか、良い家に住むでも素敵な配偶者と巡り合うでもなく、皆さんの足元にあるそうですよ。頭ではよ〜くわかってるんだけどな〜!シャバい経営者は全員座禅したほうがいい。私もまだまだ先は長そう。そのまま横浜向かって、田中とカラオケとハブをはしごする煩悩に塗れた夜。田中で串カツ選ぶのってなんであんなに楽しいんだろう。好きなチェーンは田中と松屋とふたごです。
2月27日 どん底@新宿
「お会計30%オフになる年賀状が今月いっぱいだから!」と誘われてティンダーの男友達と飲む。彼ともかれこれ2年になる。ここ、クラシックでとっても美味しいけど絶対にスタッフが堅気じゃないんだよな。そこも含めて良店です。ティンダーを辞めた理由のひとつは彼で、彼に出会えてもう辞めても悔いないなと思った。好き同士ならただ一緒にいれば良いじゃない、なんて互いに婚姻アンチだけど、でも結婚したらバイブス上がりそうじゃね?!と盛り上がる。それもわかる。私が結婚式をするなら彼を「インターネット」のテーブルに着席させる。26歳、春からようやく社会人になるらしい。おめでとう。帰りに店員さんに「しこたま飲んだなあ!」と言われて笑う。2人でシーバスのボトルキープした。勝手に飲ませてね。
今月がはやく過ぎたのは決して日数だけの話じゃない。総じて非常に楽しかったんですよね。よく食べ、よく飲んだ。数えたら2日にいっぺんは飲み歩いていた模様。あと、思い返せば浮き足立つデートが毎週末あって幸せだったな〜!私、やっぱりときめいてたい。来月も素敵なお店で大好きな人たちと過ごせますように。
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a-class03 · 10 months
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西大畑・西海岸公園エリア
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【西堀通】
昔は名前��通り堀があったが、のちに埋め立てられ道路となった。
多くの寺が1直線上に並んでいた。
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【地獄極楽小路】
2つに分かれた路地。黒塀側が極楽、レンガ側が地獄となっている。極楽側は高級料亭、地獄側には昔新潟刑務所があった。
料亭からの三味線の音や歌声は収容者にも聞こえていたそうだ…
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【新潟大神宮】
「新潟のお伊勢様」の名で親しまれている。
住宅が隣接していたり、境内には幼稚園があったりと地域住民の生活の一部になっていることが伺える。
いろしらべのおみくじを引いてみた。挑戦の時、行動に移せと書かれていた。
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【カトリック新潟教会】
和洋折衷の木造建築として昭和2年に建堂された。
教会に入ると色とりどりのステンドグラスやパイプオルガンがあり、神聖な空気を感じられた。
平日、そして日曜のミサには誰でも参加できる。
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【どっぺり坂】
坂の名が付いているが階段である。上からはネクスト21など古町の街並みを一望できる。
下にはヒロクランツというドイツやスイスの伝統菓子を販売するお店があった。紅茶のクッキーを購入した。優しい甘さ、本格的な紅茶の風味がとても美味だった。
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onishihitsuji84 · 8 months
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泥棒のいる町
 一月、僕を含めた三人は円城塔の「道化師の蝶」を読む。  僕達は現在、毎週土曜日の夜に読書会をひらいている。2010年からの芥川賞受賞作をひとつずつ読み、それについて話すというものだ。人数はごくささやかで、様態もしずかだ。様態というのはつまり、存在のルールみたいなもの。昨晩も囁くように読書会は開かれていた。僕と、他の二人はそこで話した。銀色の網の秘密。構造がもたらす潤い。鱗翅目研究者のいざない。狭い暗いその部屋で、僕達はアルルカンの蝶を考える。存在のルールについて言葉を交わす。テーブルでは一本のロウソクがじろじろ燃えたっている。ゆらめき、歪むひとつの火だけを頼りに、僕達は秘められたことについておずおずと話す。まるで隣に赤子でも眠っているみたいに、三人が三人、つかう言葉はとてもしずかなものばかり。 「ほんとうに恥ずかしいことですが……アルルカンはいまも僕達の頭上をひらひら飛んでいるんじゃないかとさえ思っています」 「じつは、私もです」 「僕もです」
***
 一月の午後。僕は雨のあがったあとの町を歩く。アスファルトは朝の弱い雨でじんわりと濡れている。足跡がそっとできては瞬く間に乾いて消える。僕はぺたぺたと足音を立てながら、濡れた町の坂を下ってゆく。ダウンのフードをすっぽりとかぶっていたから、その姿は泥棒みたいにもみえた。  歯抜けの子どもが笑いながら駆けてきて、そんな僕のまわりでくるくるとおどる。可愛らしくイエローのレインコートの袖をふりふり言う。 「ねえお母さん! 泥棒さん!」 「泥棒じゃないよ。小説家だよ」僕は素早くそう言って、そそくさと歩く。後ろでは母親が子どもをつかまえ、町の人々は怪訝な視線を僕に送る。おい。おれらはお前のことを見ているぞ。この町で泥棒は許さないぞ。そう言わんばかりに偽泥棒の僕をにらむ。逃げる――
 僕は坂のカフェでコーヒーを飲みながら日記を書いている。カフェでも、僕は泥棒みたいだ。わずかな人々からの、ありったけの視線を感じる。後方からはかつかつとテーブルを弾く意味ありげな信号が届く。僕はカフェの隅にちょこんと座り、書きものに必死になっているふりをし、自分という存在をひた隠しにしようと努めている。もちろん、他の客やカフェの従業員にそんな思いは筒抜けだ。
 坂のカフェから見えるものは、坂だ。坂、坂、坂。  坂は過去の雨から遠ざかり、いまのところはスニーカーたちの往来がメインになっている。履かれて歩く、赤白青のスニーカーたちはことばを話すことはなかった。ただ、どれもすごくきびきびと動いていたし、一歩一歩でまるで体操選手みたいにしてしなやかに靴底を曲げて、きゅっきゅっとかろやかに踊っていた。スニーカーたちはたしかに言葉を持たなかったけれど、僕達人類よりもずっとこの坂を楽しんでいるみたいだった。  坂を歩いている人類は駅に急いでいるか、プラスチック製品みたいに寡黙を守っていた。
***
 坂でいま、二匹の犬が出会った。  犬たちがどんなことを話しているかはわからない。なぜなら僕はカフェのこちら側にいて、坂とは分厚いガラス窓で仕切られているからだ。聞こえてくるのはカフェのマスターと客の政治談義ばかり。安倍一派への追求について。  僕はしばらく日記を書く手を止めて、ただそうした犬たちを眺めることに徹していた。鼓膜には安倍晴明について喧々諤々する老人たちの声が届いた。 「安倍晴明は、未来がみえた。いまの日本のことも、みえていた。だから元旦の地震のことも、誰よりもずっとわかっとんだろう」 「地震で誰かが死ぬべきやったんか?」 「わからんよ。安倍晴明には、わかっとんやろか」 「わかっとったはずや。陰陽師やから。けど、なにもしてくれんかった。悲しい」 「ほんまに地震で誰も死んでほしくなかった。悲しい」 「うん。悲しいな」 「悲しい」 「もう地震なんて起こらんかったらええ」 「うん。起こらんかったらええね。起こらんかったら、みんな最高、ハッピーや」 「けどね、もう地震は起きたんや。死んだ人は生き返らん。ぼくらにできることは限られるとる。だからこそ、いまは祈る時間なんやと思うんや」 「わかった。祈る」 「うん。祈ろう」  僕はそれでも犬をみていた。僕は小説家だったから。でも、部分的には泥棒だった。みることはいつも盗むことだった。深々とフードをかぶり、僕はあらゆる風景を盗んでいた。そのとき、僕は薄いコーヒーをすすりつつ息を殺してすべてをみていた。駆け回る犬の幸せを、老人がする死者への黙祷を盗んでいた。
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myscrap · 2 years
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みどうぺんぎん(グッズ再販2/14まで受付中)さんはTwitterを使っています: 「凛ちゃん生誕祭ということで、4人でお絵かき配信してました。みんなお疲れ様でした、楽しい幸せな時間でした。そして見てくださってた方、お付き合い下さりありがとうございました! #遠坂凛生誕祭2018 https://t.co/fnhlnquWcB」 / Twitter
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elle-p · 3 months
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Scan and transcription of the Persona 3 part of Otomedia February 2016. Don't repost without permission
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●第4章2016年1月23日より新宿バルト9、梅田ブルク7ほかにて全国ロードショー/2016年1月20日第3章Blu-ray、DVD発売
©ATLUS ©SEGA/劇場版「ペルソナ3」製作委員会
HP   http://www.p3m.jp
STAFF   原作/「ペルソナ3」 (アトラス)、脚本/熊谷 純、スーパーバイザー/岸 誠二、キャラクターデザイン/渡部圭祐、ぺルソナデザイン/秋 恭摩、プロップデザイン/常木志伸、色彩設定/合田沙織、美術監督/谷岡善王 (美峰)、美術設定/青 木薫 (美峰)、コンポジット&ビジュアルディレクター/高津純平、編集/櫻井 崇、音楽/目黒将司・小林哲也、音響監督/飯田里樹、第4章監督/田口智久、制作/A-1Pictures
CAST   結城理/石田 彰、岳羽ゆかり/豊口めぐみ、伊織順平/鳥海浩輔、桐条美鶴/田中理恵、真田明彦/緑川 光、山岸風花/能登麻美子、アイギス/坂本真綾、天田乾/緒方恵美、イゴール/田の中勇 (特別出演)、エリザベス/沢城みゆき   ほか
◀スイートピーの花言葉は「優しい思い出」。滅びの運命の中、理は“奇跡”を掴むことができるのか⋯⋯?
ゆ う き まこと
結城 理
声/石田 彰
4月に月光館学園に転入した2年生。類まれなるぺルソナ能力を持ち、「特別課外活動部 (S.E.E.S.)」のリーダーを務める。
バレンタイン ホワイトデー
ペルソナ使いのV&W予想
チョコをもらっても、ホワイトデ一は全無視しそう (笑)、周囲に「あんだけもらっといて返さないのかよ!」と怒られて、しぶしぶコンビニとかで気を使ってない感じのお返しを買ってそう。(田口監督)
▶両親を失った幼い日の事故の様子が明らかに!?
夜の女神が微笑む甘くほろ苦いV&Wの運命
思わぬ人物から滅びの運命を突き付けられた理。下した決断は―。全4章にわたる超大作がついに終幕!第3章での理&綾時の様子を見ていると、今作での関係の変化が気になるところですが⋯⋯?「理と綾時の関係は、一言では表せないですね。友達以上ではあると思うのですけど、親友ともちょっと違うし、兄弟とも言えない。アイギスも理にとって重要なポジションにいますが、それでもこの二人の間には入っていけないんです。関係は変わってしまいますが、お互いがどんな立場でも、強い絆で繋がっている気がします」と語るのは最終章を担う田口智久監督。しかし滅びの時が刻一刻と迫るなか、理たちのバレンタインはどうなっちゃうの!?
▲見所のひとつはコロマル(のプリケツ)!「今作中唯一の癒しポイント!」と太鼓判です
●作画/山田裕子   仕上げ/合田沙織
真冬のラブFIRE!!
LOVE
❤️💙💛本命男子サーチ&バレンタイン💚💜🩷
◀自らの正体を知り、理に重大な決断を迫る
も ち づ き りょう じ
望月綾時
声/石田 彰
理たちのクラスに転入してきた謎の少年。明るく朗らかな性格で、何かと理に接し、交友を深めていくか⋯⋯。
ペルソナ使いのV&W予想
女好きが浸透してしまって、意外ともらってなさそう。というより、むしろ配ってそうですね!気の利く男です (笑)。ホワイトデーは大盤振る舞いで、大量のお返しを用意してそう。(田口監督)
S.E.E.S.のV&W予想
本命大量!?
さ な だ あ き ひ こ
真田明彦
声/緑川 光
月光館学園の3年生。2年前からシャドウ討伐隊として活動している。トレーニングを欠かさないストイックな人物。
本命チョコをたくさんもらうのに、行事に疎くてなんでチョコをもらえるのかわかってなさそう⋯⋯。(田口監督)
お返しは手作りで
あ ら が き し ん じ ろ う
荒垣真次郎
声/中井和哉
月光館学園の3年生で、真田の幼馴染。S.E.E.S.の一員だったが、ストレガとの戦いのなかで命を落とした。
寮の女子たちすら、渡すのをためらいそう (笑)。ただ、もらったら手作りのお返しをくれそうですね。(田口監督)
見栄っ張り侍
い お りじゅんべい
伊織順平
声/鳥海浩輔
月光館学園の2年生で理のクラスメイト。時折悪のりもするが、気のいいS.E.E.S.のムードメーカー的な存在。
義理チョコ多そうですね!ホワイトデ一はもらった以上の数のお返しを用意して、見栄を張ってそうです。(田口監督)
律儀な紳士
あ ま だ け ん
天田 乾
声/緒方恵美
月光館学園初等部の5年生。S.E.E.S.最年少のためか、少し背伸びをして大人っぽく振る舞おうとする一面も。
本命多そうですね。お返しはきっちり準備して、周囲に「まだ用意してないんですか?」って言いそう (笑)。(田口監督)
みんなのアイドル
コロマル
長鳴神社の“忠犬”として話題の柴犬。長らく野良犬だったが、ペルソナ能力を覚醒させS.E.E.S.の一員となる。
街を歩くだけで、いろんな人から犬用のおやつとかもらいそうですね!ホワイトデーももらってそう。(田口監督)
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a-class04 · 10 months
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西大畑、西海岸公園エリア
「御林稲荷神社」
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細長い敷地にそびえる小さな神社です。鳥居をくぐるだけで異空間に迷い込んだ雰囲気になれます。
祠の奥にはかわいいキツネの置き物がありました。上手く写真撮れなかったので気になる方は参拝しに行ってみてください。
「どっぺり坂」
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名前の由来(砂丘館ホームページより引用)
『あまり上り降りする(町に遊びに行く)と落第すると旧制新潟高校生の間で言われたどっぺり坂(ドイツ語のverdoppeln(フェルドッペルン)=ダブる → 落第する、からつけられたらしい)』
写真だと分かりにくいですが、かなり急な角度です。赤レンガと植物の緑の対比が良いですね。アニメのワンシーンにありそうです。
坂を上ったすぐに砂丘館があります。
「砂丘館」
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日本銀行新潟支店の支店長役宅として、平成11年まで使われていた場所です。現在は芸術・文化施設となり、企画展や一般の方への貸し出し等を行っています。
書院造り(応接室は洋室)の部屋と庭を入館無料でご覧いただけます。
立派な和室を至近距離で見る機会はあまり無いので、良い経験、作画資料になります。写真撮影可能です。
初めて訪れたのですが、和室だからかどこか懐かしいような、おばあちゃん家に遊びに行ったような温もりがありました。
ホームページ 
https://www.sakyukan.jp/
「西海岸公園」
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公園というよりは林です。林の奥に海が見えます。自然豊かです。イノシシが出るらしいのでお気をつけ下さい。
「ドン山」
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昔時計が無かった時代に大砲(空砲)で正午を知らせていました。その音が由来でドン山と呼ばれ親しまれていました。当時の大砲のイメージが復元されています。
「寄居浜」
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日本海!学校から20分ほど歩けば海です。かなり近い。程よい運動になりました。取材時は天気が良く、穏やかな波の音に癒されてきました。小魚の群れがいくつか見え、釣りをしている人が多くいらっしゃいました。
「Pitu
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小さなお菓子屋さんです。坂道の多い住宅街にあります。赤い旗が出てたら営業中らしいです。
左が山椒のサブレ、林檎のファールです。ファール初めて聞きましたが、もちもちしていて美味しかったです。
お店が火、水、木曜の11時~16時のみの開店なのですが、珍しいメニューが食べられます。
ホームページ
https://pitu.jp/
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sawaki-col · 11 months
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マリーの坂をぐんぐんと
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マリーゴールドと同じオレンジの服と、秋空と同じ水色の帽子を被った子供が坂を駆け上っていく。てくてく目指すてっぺんは、ちょうど流れる雲の、そのあたり。
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utakata-blog-n · 1 year
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怪物
いくら自分が絶対的な正だと思っても、決して相手の立場に立って考えるのを怠らないこと。
自分が何気なく発したひとことが、簡単に人を傷つけてしまうことを忘れないでいること。
そして、上に書いたような事を日々忘れずに気をつけているつもりでも、加害者になることから完全に逃げることはできない。そして、まず自分が加害者になっていることに気付くのは本当に難しい。皆が皆自分の大切なものを守るために、だれかの加害者たりえる。
“普通”なんて結局幻想でしかないのに、いわゆる“普通”じゃない人たちを揶揄する雰囲気、差別してるつもりじゃなくても勝手にレッテルを貼って決めつけて、当たり前を押し付けてしまう雰囲気があるし、自分自身もそんな雰囲気に嫌悪感を感じながら、感覚が同じ人と距離を縮めるために思ってもないのにそういうことを行ってしまったことがある。反省した。
そういうふうに、自分の何気ないひとことが気づかないうちに誰かを傷つけてしまうのならば、余計なことは言わず、踏み込まず、殻の中に閉じこもっていたほうがいいのか。自分も他人も傷つけないように、閉じこもっていれば楽だし安全だろう。怖い。近づきすぎて、傷つけてしまうのも傷つけられるのも怖い。でも、あの坂元裕二がそんなこと言いたいはずがない。
答えは、堀が「先生が間違ってた、ごめん、麦野は何も悪くない」とみなとに謝りに来るシーンにあったのではないか。どうやったって人間は自分の視点からしか物事を見ることはできないから、生きていれば誤解してしまうことも思わず傷つけてしまうこともある。しょうがない。でも本当に大事なのは、自分の誤解や過ちに気づいた時、堀のように行動できるかどうかだと思う。自分の見方に固執せず、自分の過ちに気づいたら本人に真摯に謝罪する。これができる人がどれだけいるだろうか。堀のあの一言があったから、ハッピーエンドかどうかは置いておいても、少なくとも希望のある終わり方ではあったと思う。
自分の普通は相手の普通ではないこと、だからいつも相手の立場に立って考えることを忘れずにいること、自分の何気ない一言が誰かを傷つけるかもしれないこと、そういうことたちを心に留めながらも臆病にならずに人と関わり続けて、もし傷つけてしまったら真摯に認めて謝れる人でいること。そういう努力を惜しまないこと。まとめるとそんなことを伝えていた映画だったように思う。道徳の教科書みたいにすごく薄っぺらな言葉になってしまったし、間違った受け取り方をしているかもしれない。それでも自戒として、忘れないようにここに残しておく。今よりもっと、人と人が分かり合う希望に満ちた、優しい世界になることを願って。
以下雑記
最初は理解できなくて怖かった、それこそ怪物だと思っていたような人たちの立場から見ると、その人たちの表情が全く違うように見えた。血の通った人間に見えてきた。演じ分ける技術がすばらしい。
時折まったく同じ音とか映像を混ぜると伏線回収って感じでゾクゾクするね 楽器の音とかガラスの割れる音とか あの後ろに実はいたんだとか あの行動そういう意味だったんだとか それぞれの立場からきちんと説明がされていく度に、どうして伝わらなかったんだろう、すれ違っちゃったんだろうって息が苦しくなった
「男の子なんだから」「男らしく握手で仲直りだ」「それでも男か」「こいつは豚の脳だ、病気だ」「結婚して家族を持つことがしあわせ」→「好きな子がいるけど、幸せになれないから言えない」「ぼくはお父さんみたいになれない」
大人たちの何気ないひと言たちがどれだけみなとを蝕んでいたんだろうか
「かいぶつだーれだ」「敵に攻撃されると、全身の力を抜いて、感じないようにする」「それはほしかわより君ですか?」←つらい
「そんなのは幸せって言わないよ」「誰でも手に入れられるものを幸せっていうんだよ」
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