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#みんなでおどろう オズのまほうつかい
pixelart-chiptune · 4 months
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みんなでおどろう オズのまほうつかい
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ari0921 · 4 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)12月29日(金曜日)
  通巻第8072号  <前日発行>
 2024 米上院の接戦州は民主党現職の九つの州
  トランプ推薦候補、こんどは捲土重来を期せるか?
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2024年大統領選挙は同時に下院議員全員と、上院のおよそ三分の一を選ぶ。現在、米連邦議会上院は、民主党が51議席で過半数を占めている。上院の権限は強く、共和党が多数で下院で法案を可決しても上院が異なる票決をすれば法案成立には至らない。
 じつは九つの民主党議員の地盤で地殻変動的な動きがあり、これら民主党州(ブルーステーツという)の多数が共和党にひっくり変えると次期上院議会も共和党が多数派となる。
 こうして民主党を追い込むように、熾烈な競合状況にあるのはアリゾナ、オハイオ、ペンシルベニアなど九つである。
 以下、各州の現状をみておこう。
(1) アリゾナ州。
 嘗てジョン・マケイン(ベトナム戦争の英雄)が強さを誇った。保守思想の源流と言われるゴールドウォーターもアリゾナ州選出だった。
 11月5日に向けて、現職上院議員キルステン・シネマは無所属。ここに民主党下院議員ルーベン・ガレゴと、元ジャーナリストでドナルド・トランプ前大統領の支持を受けたカリ・レイクの三者が猛烈に闘っている。共和党予備選はレイクが優勢。アリゾナは砂漠とサボテンの州だったが、近年はシリコンバレーなど加州からの移住がふえたうえ、インテル、TSMCなどが半導体工場を建設中だ。
 
(2)オハイオ州 過去5回の3回は共和党が勝利している。現職は民主党のシェロッド・ブラウン。彼は16年間も上院議員を務めているので知名度がある。
 共和党には、オハイオ州国務長官フランク・ラローズ、州上院議員マット・ドーラン、元自動車販売店経営者のバーニー・モレノが立候補している。 
意外に強みを発揮しているのがモレノで、J・D・ヴァンス上院議員(共和党、オハイオ州)、マルコ・ルビオ上院議員(共和党、フロリダ州)、マイク・リー上院議員(共和党、ユタ州)から支持されている。
トランプ前大統領もモレノ支持を表明した。ただし2022年の中間選挙ではトランプの推薦候補が事前の世論調査の圧勝ムードとは異なって、取りこぼしが目立ち、下院では僅差で勝ったものの、上院は過半数を獲得できなかった。
また共和党の大統領予備選ではトランプの圧勝は間違いないが、オハイオ州では二位にニッキー・ヘイリー元国連大使が猛追している。
(3)ペンシルベニア州
現職は民主党のボブ・ケーシー。再選を目指しているが、共和党員のデービッド・マコーミックとの闘いになる。マコーミックはミッチ・マコーネル上院議員と上院共和党の資金担当でもある全米共和党上院委員会(NRSC)委員長のスティーブ・デインズ上院議員から支持されている。彼は2022年のペンシルベニア州共和党上院予備選でオズ医師に僅差で敗れた。
(4)モンタナ州
退役海軍特殊部隊のティム・シーヒーが現職の民主党上院議員ジョン・テスター氏の座を奪う闘いをすすめる。 
(5)ウェストバージニア州
民主党のジョー・マンチン上院議員は再選に立候補しないと表明した(マンチンは民主党をでて、第三政党の「ノーレーベルズ」から単独出馬する動きを示している)。この州は共和党になる可能性が高い。
 ジム・ジャスティス知事はトランプ前大統領から支持を受けており、勝つ可能性が高い。民主党は金本位制復帰をとなえるアレックス・ムーニー(現下院議員)との対戦になる。
ちなみにトランプ大統領は2020年に約69パーセントの得票だった。
(6)ミシガン州
民主党の現職デビー・スタベナウ上院議員が再選を目指している。俳優のヒル・ハーパーも民主党の予備選に立候補している。
 共和党候補にはマイク・ロジャース元下院議員とピーター・マイヤー下院議員、元デトロイト警察署長のジェームズ・クレイグらいるので混戦になるだろう。
 
(7)ウィスコンシン州
 民主党上院議員タミー・ボールドウィン(現職)が再選を目指して出馬している。
 共和党議員の候補には監督官のステイシー・クライン、レジャニ・ラヴェンドラン大学の共和党支部の会長。退役陸軍予備役軍曹パトリック・シェーファー少佐もでる。
  
 (8)ニュージャージー州
 現職は民主党上院議員ボブ・メネンデス(前外交委員長)だが、エジプト援助資金で汚職容疑が固まり、起訴されているため予備選にも出馬ないだろう。
民主党予備選にはタミー・マーフィー(フィル・マーフィー知事の妻)とアンディ・キム下院議員が対峙している。
この州は東にニューヨーク、南西にフィラデルフィアと隣接した典型の郊外都市、とくにニューヨークの対岸がニューアークで日本人駐在員が多い。アトランティックシティは、東海岸随一のカジノ・シティとして有名だ。
 ニュージャージー州上院議員共和党予備選はまだ候補者が出そろっていない。なにしろ前ニュージャージー州知事のクリス・クリスティーが大統領予備選でトランプ批判をぶちまけているように、この州は共和党がよわい。
(9)ネバダ州
民主党のジャッキー・ローゼン上院議員が再選を目指している。
 予備選に名乗りを上げた共和党議員の中には、2008年にアフガニスタンに従軍中に道端の爆弾で顔に火傷を負った退役軍人のサム・ブラウン。元州議会議員のジム・マーチャントが競う。ブラウンはサウスダコタ州選出のジョン・チューン上院議員のほか、米国最大の保守系草の根���織「アメリカン・フォー・プロスペリティ」からも支持を受けている。最新の世論調査ではブラウンが5ポイント差で他候補をリードしている。
 
さるにても、トランプ推薦候補、こんどは捲土重来を期せるか?
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nrmkh · 7 months
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ずいぶん前、国語の授業で書いた何かの感想文で、多くのひとが若い頃に必ずといっていいほどこだわってしまうことについて、それは「いくつかの制限から解放されたときに錯覚する一時的な経験だ」というようなことを書いて、先生とケンカになりました。今思えば、恥ずかしいのひと言に尽きますし、それはケンカというような立派なものではなく、青臭い私を淡々と諭そうとした先生に納得がいかない私の単なる口答えに過ぎなかったように思います。それから20年近くが経ち、思いがけずまた同じことについて考えました。今度はチェーホフとともに。
さまざまな思考を磨き、大勢の血を流し、多くの涙が流れ、そして乾いていく中で、かつての私たちがそれを手に入れたということは、よく知られています。しかし、その上に立つ私たちは、はたしてかつての私たちが描いたような姿をしているのでしょうか。
20年という歳月で私に何か変化があったのか、2年または100年という歳月で私たちにどんな変化があったのか。
かつての私は差異を手に入れることによって自由という錯覚を経験すると書きました。しかし今、どうやら同じようには考えることができなくなっています。自由そのものが差異を生み出し、すでに私たちは自由から疎外されているように実感しています。
日本と韓国や中国で使われている言葉が異なるのと同じくらい、アジアとヨーロッパの自由をめぐる言葉も異なるように感じます。自由だけではありません。愛情についても、知性についても、労働についても、そして現在や未来や過去についても。いえ、もっと正確にいえば言葉そのものの人生における機能も異なる点が多いとも感じます。
私たちは言葉を使い、何かについて、何かをめぐって思いを伝え合います。そして私たちに許された自由の範囲内で、ひどくたくさんある選択肢の中からひとつを選びながら、自分自身を、または私たち自身をより良く描けるように期待します。
100年後の私たちが、今の私たちを描くとき、どのような姿をしているのでしょうか。
(第七劇場「三人姉妹」初演時のプログラムより・2013)
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3月にあった、名古屋芸術大学での、音楽と影絵のコラボ公演「ブレーメンの音楽隊」と、「赤ずきん」ツアーから、 4月にタスマニアのカンパニーとの共同制作のワークインプログレス、 5月にBelleville Camp23と、若手劇作家シリーズ#2 石見真希「ベビーカー小町」の公演、 6月にピアソラのオペラ「ブエノスアイレスのマリア」、 7月に名古屋芸術大学・舞台芸術領域2年生発表公演「白雪姫」、 8月に津市久居アルスプラザでの子どもミュージカル「オズの魔法使い」と、名古屋芸術大学・舞台芸術領域3年生発表公演「ピノキオ」 9月に津市久居の市民劇「母と会う夏」 と、ゆっくり何かを書く時間も心向きも持てないまま、気づけばもう今年も10月になろうとしています。
そして、来月は第七劇場「三人姉妹」のツアーです。
10月7・8日に三重県文化会館 10月22日にパティオ池鯉鮒(バリアフリー公演)
三重公演は昼の回の残席が少なくなってきているようです。
第七劇場では10年ぶりの「三人姉妹」。 リクリエイション版での上演ですが、これでチェーホフの4つの大きな戯曲(「かもめ」「ワーニャ伯父さん」「三人姉妹」「桜の園」)の作品化にひと区切りです。
みなさまのご来場を心からお待ちしております。
「三人姉妹」ツアー2023 特設サイト https://dainana-trois.tumblr.com/
初演時(2013)の作品情報 https://dainanagekijo.tumblr.com/post/174176399108/threesisters
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jitterbugs-mhyk · 2 years
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猟犬のゆりかご stray dogs.
 
 その黒い犬は、朝靄のなかにねむっているやさしい思い出をじっと、眺めている。おおきな身体はしなやかで、しるしの星を戴いて、凡庸に立つクリスマスの樅の木のように、朴訥としてどこか盲目な従順、ひとみ燃えるピジョン・ブラッド、星を融かし沈めたくだもの、喉を焼くサングリアの酒精、あらゆる焔に熱はなく、ただ煌々と、しらじらと、夜明けとともに世界の表層が、嘗められてゆくのを感じていた。さあ、朝だ。日が昇り、山肌を温め、空気をかき混ぜ、靄を払って、変わり映えのない日を今日も積み重ねる。羊たちは草を食み、石についたわずかの朝露と、塩分とをちびりちびりと舐めている。彼は眠るためではなく羊をかぞえ、起きだして仕事をはじめた。
 日々の多くは単調だ。どきどきしたり、わくわくしたり、ちょっとした異変や、予想できない天候の変化のたぐいはあっても、まったく思いもよらないことや、出逢ったことのないひと、見たことも聞いたこともない大事件が起きるなどというのは、魔法使いの長い人生においてだって稀なこと。未だ未開の土地も多く、ひとの手の入らない、魔法があったって生きていくのにけして楽とは言い難い南の国は、うつくしく積み上がった石の、白亜の尖塔を天へ向けて聳えさせている雄大なるグランヴェル城を有する中央の国や、華やかなりし芸術の都、花の、音楽の、絵画のそうして演劇の、文化の発展いちじるしい西の国、一年の多くを雪と嵐に鎖されて、自ら持ち得る魔法のみを恃みにし、傲慢で高潔、純粋すぎるがゆえにいっそ邪悪ですらある魔法使いたちに縋らなければ生きてゆくさえむつかしい、しかし凍てつく嵐のはざま、垣間見える土地の峻厳にして繊細なうつくしさは、他の追従をゆるすことはない北の国、それぞれの孤独で互いをぬるく慰め合う、晴れた日の雨のような、いつだって濡れて光っている石畳の東の国、それらのどこより未熟で、純朴、大陸にあってもっとも魔法使いと人間との紐帯たしかな土地である。力を重宝されるのみでなく、単純に、きびしい暮らし向きのなかにあって、それらを区別することに、意味など見出しかねるというのが実際のところだろう。区別して暮らすよりも、助け合うほうがよほど生きやすいのだ。少なくともここ、南の国では。
 開拓と、生活、日々のちいさな積み重ね、森を拓き、山を切り崩し、水を引いてようやく畑に実りをもたらす。まずは明日を、そうしてその次の日を。南の国で未来と云えば、遠いかなたの日々ではなしに、まずは来月、来年の話になる。星を詠み風を視て、やれ今年の収穫はどれだけで、食い扶持はこれだけ、来季に種にするぶんを省いた残りを備蓄と、売って僅かに贅沢にする。暮らし向きはけして裕福であるとは言えなかった。かくいうレノックスも、天候に恵まれず収穫のきびしい年には、そう易くはくたばらない魔法使いであることに胡坐をかいて、いったい何日絶食したものか定かではない。自分はかつて軍人でもあったから、満足に食うこともかなわない強行軍も経験があると請け負って、育ち盛りの子どものいる家に食糧を回してもらった。まったく苦でないというと語弊があるかもしれないが、満足にものを食えずひもじい思いをすることよりも苦しいこと悔しいこと、しんどいことがほかにもあると知っていて、較べてなんということも無い、自分には耐えられると判断したまで。のちに長じた子どもたちはあの厳しい冬、レノックスが食い扶持を分けてくれていなかったらきっと死んでいたと、彼に深く感謝をするのを、けして忘れはしなかった。感謝や、親愛、それらを求めてしたことではなかったけれども。
 羊飼いの職に就いてもう何年になるだろう。そもそもレノックスが南の国へやってきたのは、かつての知己、たったひとり誰より敬愛して、このひとのほかにあるじはないと定めた男、偉大なる中央の国の建国の英雄でありながら歴史の闇の中に消えてしまったファウスト・ラウィーニアの消息を訊ねてのことだった。革命の終局にあって、彼が率い、レノックスも所属していた魔法使いの隊は、手酷い裏切りにあってファウストが火に架けられると、文字通りに旗印をうしない、司令官をうしなって、てんでバラバラに離散してゆくほかになかった。レノックスを含めた数人が、無辜のままに焔のなかで、さいごまで親友を信じていた男の処刑を遠くから見つめていたが、彼らはどれほどファウストを慕っていようとも、彼を助けるために駆け寄ることかなわなかった。
 別段、レノックスは、まさに火に架けられようとするファウストを救うために躍り出て、そのころは影も形もなかったグランヴェル城の裏手、物見高く、興味と、熱狂の渦にのまれて、どれだけ自分が残酷になろうがお構いなしの、詰めかけた民衆を蹴散らしたって良かったし、処刑台のきざはしに足をかけた瞬間に無数の矢で射られたって良かったのだ。
 けれどもできなかった。ほかならぬファウストが望まなかったし、幼馴染の親友と、あたらしい国を夢見て故郷を出てここまで旅をしてきた男が、ずっと人のために尽くしてきた男が、たとえ自分の命を救うためとは雖も部下が人を傷つけるなど許すはずがなかったのだ。それに、今後、彼の部下であった魔法使いたちに類が及ぶのをファウストは懸念していた。すべての罪をひき被り、目立って処刑されることで、部下たちが人に紛れて逃れゆく時間を稼ごうと考えていたのは間違いないし、最後まで彼は、親友がほんとうに彼を火に架けること��どないと、信じていたかったのかもしれない。真に指揮官としてすばらしいひとだった、というのは、彼に心酔し、敬愛を寄せるレノックスのエゴからなる評価ではないだろう。
 しかし無情にも火は点けられ、英雄は自らその片腕を永遠に捥いだ。レノックスは無力だった。焔は、けして燃えやすいとはいえない男の肉のうえを嘗め尽くし、花のように、星のように、うつくしく燃え上がった。ぱちぱちと爆ぜる音の響きは懐かしくさえある。行軍中の、けして快適とは言い難かった野営の火を囲んで談笑し合う仲間たちに、人間と魔法使いの区別などなかったあの夜、あかるいすみれ色のひとみに、若い希望が輝いていたあの夜、ぱちぱちと爆ぜる篝の火に、誰もが横顔に陰を濃く落としていた、あの夜、たしかにこの人に追蹤ていこう、どこまでも、いつまでも、決意した、あの夜! 同じ音を立てて、愛した男が死に瀕していた。
 レノックス・ラムはただ佇むだけの唐変木、しるしの銀の星を戴くこともできない、樅になれない何か、楡か、花楸樹か、ああ、あそこに架けられたのがおれだったなら! そう易々とは燃えなかったろうに。
 
「レノックス、おまえさん、しばらくこの国にとどまってみちゃどうかな? バカンスだとでも思ってさ。どう? なんにもないけど、仕事くらいは斡旋してあげられるよ」
 そういったフィガロの意図はいまだに読めない。穏やかに微笑んでいるようでいて、実際のところは誰のことも愛していない、のみならず、自分自身の行く末にさえ無関心なのではと思われてならないフィガロ・ガルシア、かつて北の国で、今もってなお魔王と恐れられる大魔法使いオズと同門であり、兄弟子として肩を並べたこともあったという男が、なぜ何者でもないもののように振る舞うのか、答えは遠からず死に瀕した、彼の寿命だったかも分からないし、理由などないのかもしれなかった。死を間近にして命を惜しんでいるだとか、ただこれまでには馬鹿々々しくてやる気にもならなかった普通の暮らし、地に足の着いた暮らしというやつの真似事をやってみたくなったのかも分からない。
 なんにせよあの人のことはあれこれと考えるだけ無駄だからよせと、呆れたように、しかしどこか信頼にも似た声音でファウストが語っていたことをありありと思いおこされる。あの革命のさなか、フィガロもファウストの師として、また革命軍のきまぐれな懐刀として従軍していたが、当時のフィガロはまさにきまぐれ、ファウストがあれほどまでに人間と親密で、らしくないのと対照的に、まさに言葉の通りの魔法使いらしい魔法使いだったうえに、彼は革命を見届けることも無くふらり途中で姿を消したのだ。つまりあの短期間でファウストは、師と親友、ふたりから裏切られたことになる。
 はたしてフィガロを頼るのが正しいことであったのか。レノックスにも疑念はあった。しかし数十年、数百年と生きるうち、ファウストの足蹠を追い続けるのも難しくなった。自分が彼になぜこれほどまでに執着しているのか、おそらく明確な言葉では語られるまい。悔恨や、懺悔、つぎの機会が与えられるのであれば今度こそ、死地の果ての果てまでもファウストに追蹤ていくのだと思ったけれど、それらが自分の、身勝手な願いに過ぎないこともまた、分かり切っていた。彼はやさしいひとだから、いつか再会して、過去を詫びて、次の機会を冀ったなら、この愚鈍な、星ひとつ掲げない従者を許してしまうだろう。だからこそ見つからないように身を潜めているのかもしれないが、処刑のあと焔が消えて、そこに輝く石が残されていなかったと聞いたとき、レノックスはどうしても、彼を見つけ出さなければならなくなった。
 しかしながら、彼は決して、みずからを迷子の仔羊(stray sheep)とは呼ばない。右も左も定かでなくて、善悪が一元的なものではないとすでに学んだからには、彼もまた戸惑い揺れる寄る辺ない生きものであったに違いないのに! レノックス・ラムは縋らない。これは彼に信仰がないためではなくて、彼の信ずる神が、彼に縋られ、寄りかかられ、頼みにされるのを良しとしない、ただそれだけの理由であった。まったく、驚くほどの敬虔だ、さもなくば盲信だ、自らを擲ち穿つ、おそろしい自己犠牲の。
 腕をふるい、足を払い、身体をして成す暴力は、実際のところ、彼にとってはさしたる労苦でもなかった。激しやすく、ゆえに寡黙で、ことばのさきに振る舞われる暴力は、先祖伝来、あるいは、顔も見たことのない始祖、名前もしらない女たち、かれらから脈々と、粛々と、継がれてきた血や、歌や、儀礼や、そのほかすべての非科学的で超自然的な、迷信じみたアミニズムのなかに、流れていたかもしれなかった。フィガロ・ガルシアはバカンスなどとうそぶいたが、未だ発展の途上にある南の国で、魔法がなくとも家畜たちを抱え上げて斜面を行くことができ、肉体、精神共に健全で屈強、レノックス・ラムでなければ満たせないいくつもの条件が、彼の人生を、南の国で羊飼いとして暮らすことに引き留めた。ファウストを見つけ出し、そのうえで彼が復讐を望むならその手足になって働いて、あらゆる敵をなぎ倒し、あらゆる悪意と脅威の盾になって死のうと考えたことを、一日たりとも忘れたつもりはなかったが、短い一日も繰り返すうちに1年になり、5年になり、羊は仔を産み殖えたが、拓かれた牧草地は子どもや女、ほかの若い羊飼いたちに譲ってしまって、レノックスはますます険しい山肌に羊を追った。
「レノ、おまえは案外羊飼いの王様の素質があったのかもね」
「冗談でしょう。俺は星ひとつ、満足にかざせない」
 ばかだな、しるしの星なんておまえには必要がないだろう、輝きなんぞなくったって、それだけでかい図体が、どれだけ目立つと思ってる? いたずらそうに笑うフィガロの眸は薄曇りの冬の海に落ちた星だ。きっと怒られるけれど、肩をすくめて鼻でわらうようなその言い草に、ファウストの面影をみつけてレノックスも頬をゆるめた。
 導きの星はもうないけれど、いつかふさわしいときが来るまで、俺はずっと立っている。険しい道を歩んできたひとが、ふとひと息ついて脚を休めるそのときに、広げた枝が安らぎになりますように。
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tobiphoto · 7 months
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Nintendo Direct感想
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 Unityがゴタゴタしている時にNintendo Direct(日本版)の話題なんですけどぉ。
 2023年秋のNintendo Directはマリオ三昧といっても良いほどにマリオゲームが溢れていて、『スーパーマリオWONDER』を始めとし、『マリオ vs ドンキーコング』『スーパーマリオRPG』『ペーパーマリオ リメイク』、また、ピーチが主役となった『プリンセスピーチ Showtime!』は2005年10月20日DSで発売された『スーパープリンセスピーチ』次いで2作目になります。  「ピーチが守るのは舞台なのか」というフェミニストとしての厳しい睨みもありますが、私はすなおにピーチが主役として活躍してくれるのはワクワクしてもいます。いいですか、剣士・カンフー・吐き出せるケーキのデコレーションアイテムを持ったピーチは次回作のスマブラでMiiも多分お世話になる形態だと思います。ハイ。
 DSで言えばNintendo DSが発売されたのが2004年12月2日(日本)だそうなのですが、日本ではDS発売後比較的早期に発売された『アナザーコード』のリメイクが発表になったのは驚きました。遊んだことはないのですが、謎解き、女性主人公ということもあって当時珍しく感じた記憶がありました。 
 それから『F-ZERO99』の発表と、『炭の街のシロ』『サガ エメラルドビヨンド』、ワタクシ、『F-ZERO』をサテラビューという衛星を介したゲーム体験で遊んだことがあるのですけれど、当時の「あっ、私はこのゲームが下手なんだ感」を思い出しました。謎の追体験。
 『炭の街のシロ』は前作となる『オラと博士の夏休み』に次いで冬休みに発売という。前作は『ぼくの夏休み』という名作とノスタルジーに乗っかって、ゲーマーにも比較的受けた印象があるのですが、今作はクレヨンしんちゃんの映画っぽさが強くて、……そこをどう受け止められるのかは興味があります。  正直なところ、前作ほど食指が動いていません。『オラと博士の夏休み』も良いソフトだとは思うのですが、とても刺激的で誰かに胸張って紹介できる作品か、と言われると首をかしげます。今後のPVや紹介情報次第になるのだと思います。「いずれはやりたい」ソフトの一つではあります。
 『サガ エメラルドビヨンド』は、私が大好きな『サガ フロンティア』っぽさを感じて気になっています。私はサガプレイヤーなのでいずれ遊ぶだろうと思います。ただ、サガスカが好きな方ではないので、その点心配です。  ヒジャブを被った女性キャラクターが居たのはとても良い点だと思います。戦闘システムをサガフロのサクサク感にもどしてくれェ…。  ディーヴァNo.5という歌姫ロボに「また女AI問題か」という呆れもあります(ただ、ファミ通のインタビュー(https://www.famitsu.com/news/202309/15316963.html)でのネタバレでは姿の変化についても語られており、少し留飲は下がった。しかし、カカシに心を聞くのはオズの魔法使いか。あと「いまどき」にある以下の問題をちゃんと把握していないのでは…?)。
■女性とAI問題  AIが���性の声や肉体を持つことにより、「女性は愛想が良く従順であり、人を助けたいと思っている」という現在のステレオタイプ(偏見)を更に助長する効果があると指摘されている問題。声・姿形・仕草などを中性的にすることで改善ができる。AI開発者に女性がそもそも少ないなどの根本問題も指摘されている「いまどき」の問題。  余談だが、私が『ソウルハッカーズ2』をプレイしたくない理由がコレである。
CNN『女性の声のAIアシスタント、性差別的偏見を助長 ユネスコ報告書』 https://www.cnn.co.jp/tech/35137380.html
Newsweek:此花わか 『若く従順で美人顔──女性ロボットERICAの炎上は開発者個人だけの問題か』https://www.newsweekjapan.jp/stories/lifestyle/2023/01/erica.php
 ……そろそろ、『アンリミテッド・サガ』リメイクを考えてもいいんですよ。
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kianu-chan · 8 months
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まほやく祝祭②
チケット取れなくてェ………劇場で見られなくてェ………😭
まあ普通に1国多い上に北って5人いるからそれぞれのまほについてるファンも単純計算しても多くなるし……チケトレほんとに体調悪くなるから廃止してくれ、チケプラと同じ制度にしてくれ
中央若い子3人仲良くてかわいいね
リケはお腹の痛い(噓)オズ様に優しいしカインはかっこいいしアーサーは純真
でもアーサーのオズ様はそんなことしない!時々不安になる、、、世界征服しようとしてたのはほんとだしオズに殺された人がいるのも事実でして
いずれ言わなきゃいけない日が来るのかな〜〜〜ところでフィガロとオズの雑な距離感家族みがあって好きです
東!唯一予習してる
ゲーム本編、映画館上映ときて3回目なんだけど何度見てもオーエン新鮮に何もしてなさすぎてウケる(でもこの後もっと最悪の北祝祭が来て笑ってしまった)
矢田ファウスト健康的で歌もうまくて大好き坪ネロとも仲良し
ネロの横向いたときにハーフアップがピヨッとしてるの可愛いんだな〜〜〜ボスと並んだとき身長差で見上げる形なのもかわいい なんかかわいらしい
動きと声がつくとザシャが悲惨で、、、小さいし、、、ヒースとザシャが話してるところ救いの天使みがある、あと黒柳徹子がユニセフ活動で周った国の子の靴紐を結んであげるエピを思い出しました ブランシェットは治安めっちゃいいのかな〜いい働き先を見つけてヒースのお膝元で働きましょう
シノ頑張っててえらいね、頑張りすぎて心配だよ でも幼馴染の掛け合いほんとに仲良し子たち感があってよかった
北祝祭最悪でしたね(いい意味)
オーエンが呪鳥を飲む、ミスラの顔に吐くの2点知ってたんだけど祝祭に必要な手順とかじゃなくて純粋に嫌がらせのために飲んでるんかい!!!それでお腹痛いんかい!!かばってくれたスノウちゃまに謝れ
ミスラはまあ顔に吐かれても仕方ないだけのめちゃくちゃしてたけど最後に最高の"男"を見せつけってたからまあ……そしてその最高っぷりにきたまほ全員ほだされててワロタ オーエンの声のトーン明らかに違ったもんな
ボス頭よくて最高なのにめちゃくちゃにされてほんとに可哀想 あの2人を手駒にするのはむずいね、罪をなするぐらいにしとこう
エチュード、コンサートも楽しみです!!!現地で見たいよ〜〜〜😭😭😭仕事やめるしかないんだよな〜〜〜
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hitosajisblog · 8 months
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ないものねだり
魔法舎のバーでギスギスプレイしてるフィガロとシャイロック(2020.06.17)
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 心臓に火をくべられているようだった。  目の奥で光が弾けて息が詰まる。熱した鉄を直に当てられているような錯覚に、シャイロックはよろめく。吐き気を催すほどの、あるいは恍惚すら錯覚する激痛が左胸を灼いた。  大いなる厄災によって刻まれた奇妙な傷は、何の前触れもなく開く。胸を氷柱で貫かれたような、火で炙られているような、狂おしいほどの痛みはいつも唐突に訪れた。  左胸を押さえて喘ぐシャイロックをそっと支えたのは、客としてバーを訪れていたフィガロの腕だった。魔法舎のバーラウンジには、彼の他には客の姿はない。もうすっかり遅い時間だ。シャイロックのバーは開けていればいつも誰かしらいるものだが、その時には静寂を肴にグラスを傾けるフィガロが唯一の客人だった。  よりにもよって、この男の前で無様な姿を見せるとは。  シャイロックの内心は穏やかではなく、激しい痛みにばかりではなく舌打ちをしてしまいたくなる。それでも口の端をどうにか持ち上げて、にこりと微笑んでみせたのは精一杯の矜恃と言えるだろう。 「……ありがとうございます、フィガロ様。もう、けっこうですよ」  厄介な客をあしらうように振り払おうとしたものの、フィガロの腕は思いのほかしっかりとシャイロックを捕らえていた。長い指が輪郭を確かめるように、シャイロックの頬を滑る。エメラルドが浮かぶ暗灰色の瞳には何の感情も浮かんではいない。冷徹に相手を観察する視線に居心地の悪さを感じて、シャイロックは思わず目を逸らした。 「顔色も悪いし、呼吸も浅くなってる。痛みが強いんだろう。痩せ我慢なんて、きみらしくもない」 「……私はいつだって、つまらない見栄を張っているんです。ご存じでしょうに」  北の魔法使いとは違った意味で、矜恃のために生きるのが西の魔法使いだった。ともすれば享楽的とも刹那的とも見えるだろうが、己の美学を貫き通して死ぬのが誇りだ。それを知らぬわけでもないだろうと言外になじるシャイロックには答えずに、フィガロはうすく微笑むばかりだ。顔色も変えずに指先ひとつでシャイロックを石にできる男は、いまは軽薄な道化を演じるに徹するつもりのようだった。 「つまらない見栄を張る子を宥めて診るのが医者の仕事だからね」 「いまはお仕事の時間ではないでしょう」 「美人が苦しんでいるのを放っておくほど薄情じゃないさ」 「ご冗談を」 「この姿が気に食わないなら、君のかわいい野良猫の姿になろうか?」  フィガロは片目を瞑ってみせた。  酒に酔いながらであれば戯れるような会話も楽しむことが���きたかもしれないが、心臓を灼かれる痛みに言葉を紡ぐのもやっとだった。 「……無粋なひと」  弱々しく掠れた声音に、フィガロは肩を竦めた。 「ごめんごめん、きみとの会話は楽しくて、ついおしゃべりに夢中になっちゃうね。まずは痛みを取ってあげよう」  吐息で笑う気軽さでフィガロが小さく呪文を唱えると、突き刺すような痛みは嘘のように消えた。  けれど胸元の黒百合からは膚を焦がす炎の気配が続いている。痛覚だけを消されたのだと気づいて、シャイロックの瞳が屈辱と怒りに揺れた。  心の奥底を撫でられて、犯されるようなものだった。  他者を傀儡のように操るのはフィガロの得意とする魔法だ。シャイロックの意思を捻じ曲げるなど彼にとっては赤児の手を捻るようなものだろう。しかし、だからといって心を踏み躙られる辱めを甘んじて享受するほど落ちぶれてはいない。 「あなたというひとは、」  侮蔑を込めて睨みつけるくらいしかできないのだとシャイロック自身も分かってはいた。魔王と呼ばれたオズと並ぶ北の大魔法使いの不興を買えば殺されても文句は言えないが、それでも爪痕ほどの傷は残してやりたい。  シャイロックの怒りを受け止めて、フィガロは困ったように微笑んだ。 「俺はまた、きみの尻尾を踏んだのかな」  それがあまりにも途方に暮れたような、子供じみた顔だったのでシャイロックは毒気を抜かれてしまう。怒りのやり場を失って、代わりにため息がこぼれた。 「……もう、本当に大丈夫ですから。どうぞ、お掛けになって」  腕を離してカウンターのスツールに戻るよう促せば、フィガロは今度は素直に頷いた。シャイロックもカウンターの中に戻り、仕舞い込んでいたボトルを取り出す。二つのグラスにワインを注いで、ひとつをフィガロに渡す。かつて彼に友好の証として差し出した品だ。 「乾杯しましょうか」 「きみの『厄災の傷』に?」  グラスが軽く触れる涼やかな音が深夜のバーに響く。シャイロックは微かに笑んでグラスの縁に唇を寄せた。 「いいえ。軽口が災いして、いつか誰かに刺されるあなたのために」 「いいね、それ」  フィガロは機嫌良く笑った。 「俺はきみの傷が羨ましいんだよ。たぶんそれは、俺がずっと欲しいものだから」 「それは残念ですね。疎ましく不愉快な傷ですが、あなたに差し上げるくらいなら抱えたまま石になってしまいたい」 「意地悪だなあ」 「あなたほどでは」  軽口の応酬を楽しみながら、グラスが空になればワインを注ぐ。夜が明けるまでのあわいは瞬きをするうちに消えてゆく。  そうしているうちに左胸の紋章もいつしか熱を失っていた。
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team-ginga · 11 months
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劇団うりんこの『クローゼットQ』
 昨日6月10日(土曜)は、まず午前中に大学で関学仏文OB、OGのみなさんを相手にフランス語の授業をして、ちょっと図書館に寄ったあと、正門のところで『リハーサル』の共演者である中野聡さんと待ち合わせてピッコロシアターへ行き、劇団うりんこの『クローゼットQ』を見てきました。劇団・下鴨車窓の田辺剛の作・演出です。
 私は下鴨車窓という名前は知っていて、一度見てみたいと思っていたので随分前に予約を入れました。元々は妻と一緒に行くはずだったのですが、妻が体調を崩しているので、中野さんをお誘いした次第です。
 劇団うりんこ(イラストを見る限り、「うりんこ」というのは仔猪、つまりうりぼうのことのようです)というのは知りませんでしたが、名古屋の劇団のようです。出張公演というわけですね。
 土曜日15時の一回だけの公演のようですが、客席は8割の入り。名古屋の劇団がどうやって集客したのかわかりませんが、まずまずですね。
 物語は2層仕立てというのかな、二つのストーリーが並行して進んでいくスタイルで、一つは祖父が建てた一部屋きりの離れに引きこもっている高校生ユウキとその友人が嵐で小屋ごと流される物語、もう一つはレナという女性が小屋を押して移動させるという不思議なバイトに従事する物語です。
 ユウキの話はどういうものかというとーー
 離れの小屋が嵐で流され、ユウキとその友人は南海の孤島に漂着します。そこには乗っていた飛行機が墜落して、島に流れ着いた7人の日本人がいます(実際に出てくるのはそのうちの二人だけです)。彼らはユウキとその友人に水や薬をたかります。このままたかられっぱなしになるとまずいと思った二人は、小屋に閉じこもります(「助け合う」という発想はない……というかそういう方向には進みません。現実の厳しさ、人間の醜さを描いたというところなのでしょうか)。
 小屋は再び嵐に流され、今度は戦争をしているらしい外国の町に漂着します。偵察に出たユウキの友人は負傷した男とその姉を小屋に連れて戻ります。ユウキは最初、嫌な顔をしていますが、友人に「この人��ちはいい人たちだ」、「言葉はわからないけれど、きちんと目を見て話せば通じる」と言われて二人に水や食料(スルメ!)を与えます。翌朝、二人の客人はユウキと友人に礼を言って出ていきます(こちらは「助け合い」の精神ですね。うーん、最初に流れ着いた孤島とこの戦地では何がどう違うのでしょう。最初が「現実」で次が「理想」ってわけですか。ちょっと納得がいかない気がします)。
 その後、小屋は再び漂流し、元の場所に戻ります。ユウキの姉が小屋に来て「昨夜の嵐はすごかったね」と言います。ユウキやその友人にとっては漂流してから何日も過ぎているわけですが、ユウキの姉にとっては一晩しか経過していないのです。
 「あれは夢だったのか」とユウキとその友人は思います。しかし、彼らの体や服はすっかり臭くなっていて、何日もの時間が経過したことを証明しています。
 ユウキは小屋を出て、家族と一緒に朝ごはんを食べます。週末までには小屋を出て母屋で生活すると彼は言います。もう引きこもりはやめると宣言するわけですね。めでたし、めでたし……なんだろうか。
 一方、レナの物語はというとーー
 レナはバイトに採用になりすぐに仕事を始めることになります。彼女は女二人、男一人のバイト仲間と小屋を押して移動させます。つまり、ユウキの小屋が漂流するのは、彼らが押しているからなのです。しかし、ユウキやその友人には彼らの姿は見えないし、彼らにはユウキやその友人の姿は見えません(ただしなぜか小屋の窓を通して見た場合だけはお互いの姿が見えることになっています)。
 小屋を移動させているうち年配の女性バイトが熱を出し、やがて死んでしまいます。それほど過酷な仕事なのです。社長はそれでも仕事を続けろと指令を出します。
 男性バイトは「こんなのおかしい」、「もう我慢ができない」と言ってレナとバイトリーダーに脱走を持ちかけます。しかし、男性バイトは脱走途中に川で溺れ、バイトリーダーの女性もレナも会社側の人間に捕まってしまいます。
 気を失っていたレナがはっと気づくと、元の場所ーーレナが採用になった場所ーーにいます。新しいバイトが来て、先輩バイトのレナに仕事の内容を尋ねます。レナは「私、この仕事はもう辞めるの」と言って去っていきます(新人バイトが「荷物運びには慣れてます。演劇やってるんで」、「トラブルには慣れてます。演劇やってるんで」と二言目には「演劇やってるんで」と言うところで、中野さんと私は大笑いしました。でも、これって演劇をしている人間にしかウケないギャグですよね)。
 二つの物語は寸断され交互に置かれていますが、交差することはほとんどありません。交差があるとすれば、それはユウキとレナが小屋の窓ごしに相手を見つけて必死になって呼びかけるが、相手は気づかないというところと、レナが家族に書いた手紙が宛先不明で戻ってきて、ユウキの小屋の郵便受けに入れられ、ユウキが手紙を受け取るというところだけです。
 しかし、ラストでようやくユウキとレナは顔を合わせます。部屋を出ることを決めたユウキのところに新しいバイトとして宅配便を始めたレナがやってきて荷物を渡すのです。
 お互いどこかで会ったような気がしていますが、何も起こりません。レナが胸につけている名札を見てユウキが「レナさんですよね。僕はユウキです」と名乗るだけで、二人はそのまま別れていきます。それが「粋」なのだ……というか、表面的には何も変わらない、でも二人の内面では大きな変化が起こっているということなんでしょうか。
 この芝居の最大の魅力は一人の役者が取っ替え引っ替えいくつもの役を演じることです。最初から最後まで一つの役を演じるのはユウキとレナだけで、ユウキの友人を演じる役者はレナの書いた手紙をはこぶ郵便配達の役も演じていますし、ユウキの父親を演じる役者はレナが務めている会社の社長と南海の孤島に住む住民1の役を演じています。
 ユウキの母親を演じる役者は熱を出して死んでしまうバイト女性や戦地でユウキに匿ってもらう兵士の姉も演じていますし、ユウキの姉を演じる役者はバイトリーダーの女性も演じています。もう一人出演している男性は、芝居の冒頭でユウキの小屋に荷物を持ってくる宅配便のバイト役と、南海の孤島の住民2と、戦地でユウキに匿ってもらう兵士と、レナと一緒に脱走して川で溺れる男と、バイトにきてレナに話を聞く新人の役を演じています。
 早替わりも含めて役者は大変でしょうが、それがわかるからこそ見ていてとても面白いと思いました。
 ストーリーの方は……うーん、どうなんだろう。
 ユウキの物語は、半分『オズの魔法使い』、半分『青い鳥』ってところですか。つまり、ユウキは冒険を通して成長した、引きこもりをやめて現実と向き合うことができるようになったというわけです。
 でもなあ……無人島での経験と戦地での経験が彼を成長させたと言われても、ちょっと納得できない気がします。飛行機が墜落して無人島に住んでいる7人や、戦地で負傷したり死んだりしている人々は、ユウキを成長させるためだけの存在だったような気がして、「それってどうよ」、「ユウキは救われたかもしれないが、彼らは救われないじゃん」、「どうして引きこもりのガキひとり更生させるためにそこまでしなきゃならないんだ」と思ってしまいました。
 そもそも、小屋が流されて世界中を漂流するというのは明らかにファンタジーですよね。そこに戦争というようなリアルなものを入れるのってどうなんでしょう。無人島での生活もファンタジーと言えなくはあ��ませんが、ユウキとその友人は前からそこにいる7人を警戒し脅威を感じているーーそういう部分には結構人間の暗い部分、醜い部分が関係しているわけですから、結構リアルだと思います。
 ファンタジーならファンタジーでもちろん構いませんし、リアルならリアルで構いませんが、その二つを混ぜてしまうとおかしなことになるような気がします(混ぜるな危険!)。
 レナの物語に至っては、不条理なことばかりで、レナが自らの経験から何を得たかはさっぱりわかりません。ただ単に不可解な仕事を強制され、いつの間にかその労働から解放されていたというだけではないかと思います。言い方が良くないかもしれませんが、レナの物語はあくまでユウキの物語を補完するためだけに作られたもので、それ自体は何の意味もないという気がしました。
 とはいえ不快な感じは全くしませんでした(おかしな言い方かもしれませんが、見ていて不快な感じがする芝居も世の中には少なからずあるので、これは褒め言葉です)。
 中野さんと久しぶりに会って語り合えたこと、一緒に食べた塚口のラングルのビーフシチューが美味しかったことも含めて、いい1日でした。
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kuroiookami · 1 year
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コード5
ソーラーコード5「二つの羽根のある三角形が、夢の中のヴィジョンに現われる」
コードの現象化形態:環境との不調和。不安定な状況や立場。想像力やクリエイティヴ能力。今後の計画や企画。現実性の乏しさ。予期せぬアクシデントや大きな障害が目標実現の過程で生じ、抱いていた計画の達成が困難になる。
ルナーコード5「幾重にも折り重なった川のように流れる雲へ、上方から光が射している」
コードの現象化形態:困難な状況の中での確かな希望の訪れ。苦しい状況下での天からのサポート。天の導き(コードロジーがもたらすオラクル)に耳を傾けること。(ときに)河川の氾濫。(ときに)家屋の浸水。(ときに)暴雨、洪水、津波などによる震災被害。
【コード5】 ■対向コード:185 ■統合コード:355 ■直角コード:95
ルナーコード5「幾重にも折り重なった川のように流れる雲へ、上方から光が射している」 実は、これが極めて危険な要注意「水害」コードなのです。 「幾重にも折り重なった川」というのは、社会次元では「水が凶器となる事件や災害」「河川の増水や氾濫」のエピグラム(警告文)となっています。また、「上方から光が射している」というのは「苦境の中での助け(ようとする力の存在)」を明確にシグニフィケート(表象暗示)しています。つまり、このルナーコード5は「神の助けが必要なほどの(神に助けを祈りたくなるほどの)大水害の発生、それによる死傷者の発生」を表しているわけです。そうした水害の発生理由としては「豪雨、モンスーン、ハリケーン、台風、大地震による大津波」などがあります。また、まれに例外的ケースとして、ダムの決壊といった事象もあります。
コード156とコード330の組を作り出す鍵となる「神の目」のコード5
【天空を渡るメダリオンの太陽(ラーの舟)がコード5に入場する運命の時】
コード5「洪水の上に輝くイルミナティ・トライアングル」
来たるコード1神聖紀元年、而してその四年後から五年後にかけて、無数の人がコード101のなぎ倒された流木のごとく流れ、人魚(セイレーン=フレイヤ)が歌い踊るマイム・ラビームの上にコード5のアイ・イン・ザ・トライアングル(セトの目、新帝都の紋章)が輝く。これこそはまさにコード172の偉業。
204、205、206。メダリオンはKUU(クー、クハブス)の神戸(かみど)、すなわち、コード5の《星》(Atu17のシリウス、ソティス。そしてその水瓶から迸る大洪水)の道を開く。 255匹のウッドチャックは、神の冒瀆者たちを一人残らずなぎ倒して、その大水(マイム・ラビーム)の中に投げ込むだろう。
ほど遠からぬ内に来る前代未聞の超巨大震災によって、あめつちの神響霊が愛で産みたもう自然と生物(犬猫鳥魚虫、菌も含め)を日々苦しめ、虐げ、殺し、絶滅へと追いやっている人間たちは、地の表から未曾有の規模で一掃されるでしょう。無数の予言を成就し続けているロゴスの宣ゆえ是は確かなること。
人に苦しめられる無辜の生命たちの救いを乞う祈り、母なる大地の深い嘆き悲しみ、天に届いたその祈り悲しみに応える神の奇しくも恐るべき御業は必ず成就することでしょう。今や日本を制したメダリオンの太陽が〈円の中の五〉なる〈羽根のある三角形の中の目〉(セトの目)に入る約束された予言の年に。
しかし、この罪の暗黒の世にあって聖三活動に励む皆さんは、大規模セレクション(悪の一斉淘汰)の後に可能になる「新世界」(=コード5の対向コード185)の光、オーレリアの一灯一点です。それゆえ神は、どのような超巨大震災が日本を見舞おうとも、皆さんだけは奇跡によってお救い下さるでしょう。
アカシックのソーラーコード1(自然と本能からの切離、人間以外の他の動物からの離反)から始まる人間存在の闇は、続くコード2(観察と模倣)、コード3(権力の獲得、支配と被支配の関係性、富める者と貧しい者の区分)、コード4(性欲、色欲)、コード5(人間の願望、マーヤー)の流れを経て、コード6の「箱」(物質化)に流れ込み、コード7における濃密な闇の塊として凝集します。そして、それにコード8のリボンがかけられて、ついに「物」が完成へと至ります。
コード5:願望、考案、発案
神とその被造物との一体性が自然に(本能の内に)もたらす、神の告げへのうなずきを忘れ去った人が、次にアカシックの物語の中で神のヌースに出会うのは、コード5に描かれる不思議な夢の中においてである。そこで神は「羽のある三角形」として人の前に姿を顕わす。本能の想起を眠れる人に促すために。
世間が想像を巡らせているイルミナティやフリーメイソンの目の図象は、 コードの体系では 5「二つの羽根のある三角形が夢の中に現われる」と 23「建築事務所のデスクに置かれた白紙にコンパスで描かれた丸い円」 に該当します。それらは非常に小さなエネルギーです。
たとえそれらを二つ合わせたところで、せいぜいが「三角形の中に描かれた目」をTシャツにプリントできる程度です。 5+23=28 コード28「革命的なロゴが大きくプリントされた若者向けの洋服」
【ホルスの言葉 ーThe Words of Horusー】 願望の実現という問題について教えよう。お前の目的が完全に正しく、そして幻実の時間と空間を越えることができ、それに必要な手段を天から授かり、遂行のために必要なマナスを地から戴くなら、お前に実現できないことなど何一つない。これはコード34とコード5の領地に建つ「神の砦」の上に立つ鬼教官と万物を見通す唯一の目のコード345の教えである。
コード5の天鷲蝶の地震る神天使メダリオンとコード77のオズの魔法使い死天使アザゼルが一つになった時、その力は最強になる。エピファニー(神の力の御公現)。コード257の「イースター」(復活祭)。即ち、タロットの大アルカナ20番「最後の審判」(ホルスのアイオーン)の前に来る先触れのしるし。
コード5「アイ・イン・ザ・トライアングル」(セトの目、T.E.I.T.、新帝都[ホルスのアイオーン]の紋章)
セレクション #南海トラフ巨大地震 #首都直下型地震 #北海道大地震 #九州大地震 #東日本大地震 #新型コロナウイルス 神の目(太陽なるホルスの目=太陽黒点と月なるセトの左目=人類を消滅させるシヴァの目)のコード5+ウッドチャックのコード101+コード122=コード228
コード5「無数の人や家が地震リスになぎ倒され、暴風鳥が吹き飛ばした塵や流木の如く流れ、人魚が喜び歌い踊る大洪水の上に輝く燃える火山のような三角形の中の独眼から迸る雷電」
エピグラム:悪に染まり切った人間への神の怒りによる大地震、津波、台風、豪雨、洪水、落雷、噴火等の天変地異。
コード5「無数の人や家がウッドチャック(コード101、コード255)になぎ倒され、ウッドペッカー(コード88)が吹き飛ばした塵芥や流木の如く流れ、人魚(セイレーン、フレイヤ)が喜び歌い踊るマイムラビーム(大洪水)の上に輝くアイ・イン・ザ・トライアングル(セトの目、ホルスの帝都の紋章)」
How much wood would a woodchuck chuck If a woodchuck could chuck wood? コード5「河川氾濫」 コード91「洪水による死亡(渡津海雨の天使と地リスが家々の戸口に死の旗を立てる)」 コード101「洪水による人・家・車・橋の流失」 コード103「土砂災害」 コード255「ウッドチャック(ジリス)」
コード5+コード77=コード82 メダリオンとアザゼルが、コード82のゲートを領しました。 このコード82は、これまでセドラという悪魔が、そこからエネルギーを吸い、そして、光の子らを苦しめるためにそのゲートを使うことが多かったのですが、今後��光の影響の方が、より強まることになります。
世界の震災史に残る未曾有の大洪水を日本と中国にもたらすコード5−コード101−コード172−コード254−コード275のゴールデンラインはホロゾフィーを聖典とするティックーン(ThIQVN=566=206=メダリオン)による新世界秩序樹立のための全人類への宣告となるでしょう。
《秘神》セトのしろしめすコードは、コード1、コード5、コード154、コード280、コード309、コード358、コード360。
コード277『悪行と非道の限りを尽くす人類に判決を告げる神の声』のイコールコード187『ホルスの鷹の眼』と同期イコールコード5『三角形の中の眼 アイ・イン・ザ・トライアングル』。
わたつみ(渡津海、倭裁襲雨)の神天使が起こす大地震・津波・台風は神の岩(神海津磐戸、神戸、天の岩戸)から出て来ます。その巨岩には天の鷲(ホルス)と空の蝶(メダリオン)と大地の鹿(カリブー)と地中の黄甲虫(ケペリ)が刻まれ、神の望みにてグラウンドホッグ=ウッドチャックが開閉します。
コード5、コード9、コード22、コード97、コード101、コ���ド204、コード205、コード206、コード207、コード255、コード274、コード275、コード276、コード309に関する秘儀。これらの数は同期作動イコールコードです。
世界の震災史に残る未曾有の大洪水を予言通りもたらすコード5−コード101−コード172−コード254−コード275は、今の悪しき人間世界を巨大災害で罰し、世直し(ThIQVN=566=206=メダリオン)し、無辜の者と生き物たちのための新たな楽園を創造される神による全人類への明確な宣告となるでしょう。
これが神の予言、神の奇跡。 メネメネテケルウパルシン。 人類へのセレクションは、ホロゾフィー=コードロジーが予言した通りに成就する。 コード5『アイ・イン・ザ・トライアングル』(パノプテース、アステール・アルゴス、ホルス=セトの目、銀の星、イルミナティ)
コードロジーこそは、ディック『ヴァリス』が予言した「巨大にして能動的な生ける情報システム」です。ディックが神、あるいはVALISから聞いた「2―3―74」は、正確には「0―1―2―3―74」と記すべき、マハットマハルクタの開始年とピーク点、バフォメット(マニー)=ソフィア(ジナ)を表します。
最後の「74」は「5」であり、『ヴァリス』に記された「世を裁く5人目の救世主」、バフォメット=ソフィア(メタトロン=サンダルフォン)のことです。コード5はホルス神、あるいはその「声の娘」(神呼見)ヴァリス=コードロジーを指し、コード74は「神に従う者」(エノク)、ホロゾフィストです。
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lishutain · 1 year
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晶くんより後に来た現代日本人賢者が賢者の書を書く話。
前の賢者とその前の賢者が日本人であること、近い時代を生きていたことに喜びを覚えつつ読み進めるとあまりにも自分と人としてのあり方と精神性が違いすぎて引け目を感じる。
「てか前の賢者さんまとめるの上手くない!?フォーマット完璧か?センスもある〜!」
2つ前の賢者が日記形式だったので自分もそれに倣おうと思っていたが、その後に読んだ1つ前の賢者の書は賢者の魔法使い一人一人に紹介ページを設けておりとても分かりやすくまとまっていた。
「二人の仲で魔法使いの印象に差があるのが気になるな……。怖い人なのか面白い人なのか分からない。」
特に北の魔法使いの記述。2つ前の賢者様はとても恐ろしいと書いているが、1つ前の賢者様からはもう少し親しみやすい雰囲気がある。これは賢者個人に対する変化なのか、それとも彼らになにか心境の変化があったのか。
「まずはみんなの名前を覚えなきゃな〜」
人となりを知るより前に個人を認識しなくてはならない。性格の変化はこの際置いておいておこう。
「すごいな〜。個人の特徴の他にも他の人からの印象、後ろには軽い日記もある。」
1つ前の賢者様はとてもマメな人だったに違いない。日記形式もいいが、わかりやすさはこっちだった。事実、名前と所属の国を覚えるにはとても役立った。
「真似してみよう!」
もし自分以降に来た日本人の賢者が少しでも安心できるように1つ前の賢者様とは違う視点でまとめてみようと決めた。
(まずは名前と見た目の特徴、あと性格……?)
「えーと、最初は中央の国のオズ様。とても綺麗な長髪で赤い目の大きい人。でっかい杖を持ってる……。性格は、寡黙?」
書きながら知らないことばかりだなと感じるが、来たばかりなのだからと先に進むことにした。
「次はアーサーさん。オズ様と同じ中央の国の魔法使いで、王子様らしい。様付けしたら断られたのでさん付けしてます。銀髪のかっこいい人。しかもめっちゃ良い人!明るいし気さくだしすごく良い人!!」
(それはもうこちらが申し訳ないくらいに)
と書こうとして止まる。何書こうとしてるんだ。読んだらどう思う。誇張表現としてもあまり良くないだろ、、、。
「でも自分の気持ち書き止めておきたいんだよな。どうしよ」
ひとまずアーサーの項目を書き終え、少し悩んだあと感情の吐露用にもう1冊書くことを決めた。見せる用と自分用。不甲斐ないところを見せないようにするための言わば自己防衛のための1冊だった。
初めはおずおずと書いていたもう1冊の賢者の書はいつしか日記のようになって行った。
「オズ様は口下手なだけでとても優しい人みたい。今まで少し怖いと思ってました。ごめんなさい。」
「今日もアーサーさんの輝きに耐えられなくて1人で病んだ。こういうのが良くないんだろうな。」
「もうすぐパレードをするって言われた。笑っててを振ればいいって。嫌だな。みんなは楽しみみたいだから水は差せない。頑張らないと」
それは周りには言えない言葉。短い間でも共に生活してわかったみんなの優しさとそれに甘えることの出来ない不甲斐なさ。それらを日記として書くことで消化しているのに気づいたのはすぐだった。
「オーエンさんに賢者だからチヤホヤされるんだって言われた。前の賢者様も言われたらしい。書かれていた。その言葉にすごく安心してしまってた。今まで抱えていた漠然とした不安の正体な気がしたから。」
「オーエンさんは思考を魔力にできるらしい。読まれてるってことかな。やだな。この日記に書かれているようなこと考えてるってバレたくないな。」
「今日南の国の人達に心配された。どうしよう。バレたのかな。今度お茶を飲みながらゆっくり話すことになった。」
「最近キッチンをよく使うようになった!ネロさんとお話するの楽しい。一緒に来ていたミチルくんが今度お菓子作ろうって誘ってくれた!」
「お茶会の日が来てしまった。バレてはなかったけど悩みがあるなら相談して欲しいと言われた。難しいな。それが出来たら悩んでないのに。」
「食事の時以外外に出ずに部屋で過ごしてるのがいけないみたい。最近色々な人が声をかけてくれる。申し訳ないので明日からはもっと出よう」
「カインさんに無視されたと思った。厄災の傷らしい。前の賢者様の書に書いてあったの忘れてた。勘違いしてるところ誰にも見られてなくて良かった。」
「今日街に行かないかと誘われた。楽しそうだけど勇気が出なかった。また誘ってなんて言ったけどどうせもうないんだろうな」
「外に出ても散歩しかやることが無い。前の賢者様みたいに交流したいな。声掛けづらいな。」
「今日はみんな出払ってるみたいだった。人のいない魔法舎は新鮮だった。少し落ち着く。」
朝昼晩の食事と散歩以外部屋の外に出ることの無い賢者を魔法使い達は心配していた。
異世界から来て混乱しているのだろうからと始めのうちはそっとしておいたがパレードや戴冠式が終わった後も変わらない様子だったからだ。
そういう人なのかもと考えるが賢者が日課にしているであろう散歩の際、出会う魔法使いみなに対してどこか脅えた様子だったのが気になると誰かが言い出した。
北の魔法使いが意地悪しただの、東の魔法使いの態度が素っ気なかったからだの、口論になりかけた。その時ふらりと現れたオーエンが言った。
「賢者様は僕たちに嘘をついている」
オーエンは語った。賢者から感じた恐怖と不安、そして憧れ。意地悪しようと酷い言葉をかけたのに現れたのは安心と諦めだった。
「賢者は何を怖がっているんだ。それを無くせばいいだろう」
強気な魔法使いの少年が口を開く。その言葉に賛同するように賢者が安心できる環境にするにはどうすれば良いのかを語り合う魔法使い達。
オーエンはいつの間にか消えていた。
「あ、オーエンさん!お久しぶりですね。何かありましたか?」
こちらに顔をほころばせながら近づき上目遣いで尋ねる少女をオーエンは見下ろしていた。
少女から感じるのは期待。
突然部屋の中に侵入してきた事への怒りや戸惑いなどはないようだ。
「愚かで可哀想な賢者。この部屋に誰も訪ねてこないのはみんな賢者様には興味無いからだよ。」
オーエンからの棘のある言葉を聞いて少女は困ったように笑う。そこから感じるのはやはり安堵だった。
「わかっています。私は賢者だからここにいさせてもらっている。忘れてません。」
「本当に愚かだね」
苦虫を噛み潰したような顔をして放たれた暴言。いつもよりも更に毒づくオーエンに賢者はきょとりとし瞬きを数回する。
途端に瞳にたまる涙を見たオーエンは再び笑顔を作った。感じる悲しみと恐怖に心が踊った。
その時戸を叩く音が聞こえた。オーエンはサッと姿を消す。賢者は状況を理解できないながらも涙を拭き戸を開けた。
「……え!?賢者様なんで泣いてるんですか?」
そこに居たのは美貌を持つ青年――ヒースクリフだった。彼が驚いて声を上げる。
「目にゴミが入ってしまいました。それでなにか……」
苦しい言い訳をして要件を聞こうと口を開く。
「本当に?誰かになにかされたんじゃないのか。」
青年の後ろからすっと姿を現した男性――ファウスト。
「オーエンの魔力の気配がある。居たのか」
責められているような心地で居たと返答した声は震えていた。心配しているような声色のままファウストは続ける。
「無理には聞かない。でも話せることがあるなら教えて欲しい」
「……。図星を突かれてしまって。」
話すべきで���無い、見せるべきでは無いと思っていた己の弱い部分を何故かこの時は話すことが出来た。
ヒースクリフもファウストも賢者の言葉を繰り返しゆっくりと聞いてくれた。
賢者としてでないとみなと上手く関われないこと、オーエンの言葉に甘え期待していたこと、そして突き放されたと思い涙を流したこと。
全て自分勝手な行いで自業自得だと分かっているから「愚かだ」と言われた時にどうしようもないと思い泣いてしまった。
「……賢者様のやりたいことはなんですか」
ヒースクリフの問に首を傾げる。
「賢者としてみなの役に立ちたいです。ここに置いて貰えている間だけでも、居ていいと認めてもらえるように役に立ちたい」
真っ先に出る言葉は本心だった。過去の賢者のように魔法使い達と行動し問題を解決したい。賢者としての能力はまだ分からないが少しでも助けになるなら力になりたい。
そんな思いからヒースクリフの不安げに揺れる美しい瞳を見つめ返した。
「……賢者。空は飛びたくないか」
突然投げかけられた言葉の意味を理解する前に首を縦に振っていた。
「すごいです!魔法みたい!」
「魔法だからな」
ファウストに体を預けながら箒に跨り空を飛ぶ。初めて体験する魔法。魔法舎の中で見ることはあっても自分にかけられることは無かったため歓喜の声が止まらない。
すごいすごいと喜ぶ賢者を横目にファウストは言った。
「他の魔法使いにも聞いてみるといい。みな快く乗せてくれるよ」
花が咲いたような笑顔を作った賢者はすぐさま顔を曇らせた。
「……それはなんだか申し訳ないですね」
「どうして?空を飛ぶ事が好きな魔法使いも多い。」
少しづつ地面へ近づきながら投げかける。軽い着地音と共に箒をしまい賢者へと体を向けた。賢者は礼の言葉とお辞儀をしてから答える。
「そんなわがまま言えないですよ」
乾いた笑い。
「今回はご好意に甘える形になってしまいましたが、何も無いのに空を飛んでなんて言えないです。」
視線は地面に注がれる。賢者の言葉を聞いたファウストはため息をつく。そしてそれにも肩をふるわせる目の前の少女に言った。
「何かあればいいんだな」
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yume118 · 2 years
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5/3
目合う、スゥー
「ほんとに大好きです、死ぬほど。すごい息すいこんじゃった笑またお話ししましょ」
しよしよ!
ぽーちゃん
「だいすきーーーー」
まやま
「一緒おす!」
ライブ前にみれいちゃんと喋ってる、なんかばったり知りたいの男と会って、そういうときの態度とかで男気みせてほしいよねーて言ってて、ライブがんばってね!りったん!りったんのダンスのファンなの!ていったらりったん反応微妙で。
加藤さん(優人)がなぎら武と実家で同棲始めて、誕生日にもらったアルバムがやばかった。文面、加藤さんの写真、こういうところ、こういうところ、オリンピックみたいな怪我しちゃうところが(最後のページに)大好きだよ
てかいてあった。
オズ伊藤と話してて、ルームシェアしたいです、したらこんなに素敵なプレゼント(アルバム)もらえるってきいたーちな伊藤さん誕生日いつですか?てきいたら1/20言われてびっくり。
ちなみに家賃いくらまで出せる?場所の希望は?てきかれたから、今より下がったがうれしいから7万、場所は今まで住んだことないとこならどこでも!ていう
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liliyaolenyeva666 · 4 years
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🎼 0062 「スカート」。
台風が関東に近づいているさうで、時折 ビューっと強い風が吹いて、油断をしていると オズの国まで (頼んでもいないのに) ひとっ飛びしさうな勢いでしたけれど、なんとか無事に帰宅しました。今日は 何かと忙しい一日でしたから、お昼ご飯なんて食べる暇もありませんでした。お腹と背中がくっつきさうですけれど、冷蔵庫の中も何もかもが空っぽで 切なさが滲み出るくらいにヒモジ過ぎる.. こんなときこそ観たくなる日活青春映画があります。べっぴんな 和泉雅子さんが 飛んだり拗ねたり蹴られたりしながら成長していく姿を描いた 「非行少女」 という映画です。舞台は うちの国のどこか(たぶん金沢)。共演は この映画では あまりスレてない浜田光夫さん。物語は とある青年と少女のそれぞれの日々を 鳥を丸焼きにしたりしながら描いていますけれど、イングマール・ベルイマンの 「不良少女モニカ」 のような "救いの無さ" がないところが観ていて心地良いです。わたしが好きな "映画の中の映画な風景" があるのも好いです。学校も行かずにブラブラしていたワカエちゃんが サブローと出会った場所は とある映画館の前。ジョン・フォードの 「黄色いリボン」 が上映されていました(何故か外に音がめっちゃ漏れている)。兼六園の場面のあと、一両編成の電車で 「かほくがた(河北潟)」 という駅で下車したふたりが向かったのは 弾薬庫のある浜辺。海に向かって 「魚がおらんやうになった」 というサブローのセリフがとても気になります。二度目の浜辺の場面は ワカエちゃんが ワンピースの水着姿で 砂浜を駆けたり 海に飛び込んだりします。とってもキュートですけれど、その後の場面で 思い詰めた表情で 足踏みミシン(Clover製)をカタカタさせる ワカエちゃんに愛おしさを感じます。おしまいに映る駅(サブローが下車した) は 「かがかさま(加賀笠間)」 という駅で、金沢の次の駅のやうなことを サブローが言っていました。いつか行ってみたいです。
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jitterbugs-mhyk · 2 years
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ぶどうの森の聖者 even if.
 しあわせの約束はいつも、クロエ・コリンズではない誰かと、世界のあいだに交わされていた。いつだってクロエは、それらの外側に存在していたが、ただし一度だって、それを不幸に考えたことはなかった。思うに、幸福なひとからすれば、クロエのここまでの、人間にしてもさほど長くなく、魔法使いとしてはもっと長いとは言えない人生のなかに、幸福と呼べるものはあまりなかっただろう。あたりまえに与えられるべきものの多くを、クロエは持っていなかったし、彼にそれを与えられる人間に出会うまで、ずいぶん長い時間が掛かった。いまではラスティカというかけがえのない師を得、名誉ある、賢者の塔の魔法使いに選ばれた。十全に幸福である、というにはまったく足りないかもしれないが、しかし、なにもないということはない。
 5つある国からそれぞれ4人ずつ選定される魔法使いには、クロエと年の近いものもあったし、途方もないほど昔から、気の遠くなるほど長く生きて、毎年に訪れる災厄を退ける役目を負った大魔法使いたちもあった。彼らはしばしば、生きてきた時間や、強いふしぎの力に不釣り合いな、精神の不均一があった。長い歳月のうちに、魔法使いには変革が起こらざるを得ないのかもしれない。人間は老いて死ぬ。人が変われば街も移ろいを見せてゆく。王が立てば国が興き、政が腐れば傾く。時代が変われば価値が変わる。切り立つ山や、ゆるやかな川や、だだっぴろい平原や、命のすべてを拒絶する厳しい吹雪の夜、一朝一夕には変わることのないものも、百年、一千年、生きれば変わることもあるだろう。言葉少なにたたずむ姿からは想像もつかないが、かつては世界の支配を目論み、ひとも、魔法使いもいっさいの区別なく駆逐しつくさんとしたという魔王オズの力をもってすれば、山のひとつ一晩で、砕いて荒野にもできたという。
 想像もできないよ。言って朗らかに笑ってみせたのはカイン・ナイトレイ、中央の国に所属する舎の魔法使いである。以前は騎士団に所属していたという彼は、そのくせどこか破天荒で、よけいに気負ったところがない。中央の国の王子であり、オズの弟子でもあるアーサーとは、主君と臣下の関係にありながらも歪な友情を築いている。クロエの知っているだけでも、シャイロックとムルや、ファウストとレノックス、むかしからの付き合いだという魔法使いたちの友情は、どこか歪なところが多い。魔法使いにとって避けられない変遷、変革、変身……、あくまでも友情を続けてゆくならば、生じた差異や、微妙な齟齬を、まるまま受け容れる必要があるのだろう。それには時間がかかるかもしれないし、たった一晩、魔法使いすら惑わす祭りの一夜に、すべて塗り替えられてしまうかも。一日で生まれ変わることはできないのに、蛹を破り、殻を脱ぎ捨て、繊細な翅を延ばして乾かし、優雅に飛び立ってゆく蝶のようには生きられないのに。
 クロエも西の魔法使いらしく、楽しいことや、あっと驚くこと、とびきりうつくしいもの、歌や、音楽や、絵画や、劇や、すこしだけ恐ろしいもの、刺激的なものをこよなく愛していたが、一つだけ、どうしても好きにはなれなかったのは、かわいそうなものだった。自分が恐ろしいのはいい。自分が驚かされるのも。西の魔法使いは刺激に飢えていますからね、と妖艶にほほえんだのはシャイロックで、どこかひっこみ思案で、すぐに顔が熱くなるクロエが、好奇心に目を輝かせ、ふだんの彼からは想像もつかないような無謀な賭けに飛び込もうとしたとき、頭ごなしに反対したり、過保護にしたりせずに好きにさせてくれ、貴方も西の魔法使いですね、と言ってくれたのは記憶に新しい。それぞれの国に先生役、兼取りまとめ役を置くことを提案したのは、クロエと同じく先日に賢者として召喚されたばかりの青年で、なんと、聞くところによれば異世界からのまれびとであるらしい。そんなの絶対おもしろい! 飛び上がって喜んでから、ある日突然見知らぬ世界と見知らぬ人々、彼の世界にはなかったというふしぎの力に囲まれた青年にとっては災難だったかもしれないと反省した。正直に告げたら賢者はきょとんとしていたけれど。
 「だって、それは、仕方がないことじゃないか?」
 魔王と呼ばれ恐れられていたオズの姿を、若い魔法使いたちはしらない。不器用で、おしゃべりが苦手で、リケに言わせればいつもどこかぼうっとしていて、アーサーにはどこか厳しいけれど、オズが語る言葉の多くはアーサーのものだ。彼の力をもってすれば、向こう見ずで正義感が強く、己の力量を知りながら、けして届かぬと知りながらも立ち向かうことをやめられない未熟で若い魔法使いたちが、魔道具を構えるよりも早く、ほとんどの物事を解決できただろう。魔法使いは長く生きるが、永遠に近い時間であっても、命である以上は終わりがある。オズにもまた、いつか、百年先か、それとも明日のことかは定かでないけれど、死は訪れるのだ。そのとき未熟な魔法使いたちに十分な力がなければ、庇護を失えば彼らはすぐにでも狩られるだろう。処刑台で吊られた女、火に架けられた男、そんなものはいくらだっていた。彼らは死んで石になり、魔導機械の燃料になったり、魔法使いに喰われたりする。けれど魔法使いに天敵があるなら、同じ魔法使いというよりは、やはり人間であったと言えるだろう。
 「俺は魔王のオズを知らないし、クロエだって、出会う前のラスティカのことを知らないだろ。会ったことがないひとのことがどうして分かる? 誰かの作り話のなかに彼らはいるかもしれないが、もしも全部本当だったら、オズは山ほども大きい竜で、毛むくじゃらで、山を砕き川の流れを変えて、土を割って底なしの峡谷を作ってる。いくらかは本当のことみたいだけど、まあ、人は勝手だからさ。それっぽいことは全部オズのしわざになってるし、本人が興味ないんだから仕方がない。これから知らない顔のあいつらに会うかもしれない。そしたらそのとき考える! 楽しみにならないか? たぶん、想像よりずっと。」
 「会えると思う?」
 「どうして会えないって思うんだ? 俺は、俺のまだ知らないクロエに会うのも楽しみだよ」
 「がっかりさせるかもしれないよ」
 「ああ……それは、あるよな。俺も部屋に靴下が片方落ちているのを見られてがっかりされたことがあるよ」
 「それは別に違和感ない」
 「ええっ、そうなのか?」
 カインの朗らかさは美徳だろう。誰にだって知られたくない過去や、仄暗い気持ちのひとつやふたつあるけれど、彼ほど明け透けで、衒いのない人格はふたりとない。祝福されて、何一つ不自由のない暮らしが彼の人格を育てたというなら納得するが、同時に、彼にだってかなしみに暮れた夜はあったはず。愛するひとの肩を抱いて、あるいは抱かれて、わずかな酒精に酔って、あるいは酔わずに、朝まですごしたこともあるだろう。いつも朗らかで明るいひとに、ただかなしみのない人生をのみ見出すというのなら愚かすぎる間違いだ。見えているものだけがひとの価値ではないし、ましてやすべてであるなんてとんでもないこと。ひとは見たいように見るし、見られたいように振る舞う。捨て鉢にならずに、どう見られても構わない、誤解も偏見も厭わないひとがあるなら、本当にどうでも良いと考えているか、あるいは、すでに狂っているかだ。魔法使いは一見理知的に見えても大概は狂っているものだが、それは祈りのように、信仰のように、耳に残るメロディのように、思い出しても唾が出てくるデザートのように、心と身体を支配したものだった。かつてひとであったと知りながら喰らうマナ石は、背徳と、後悔と、おそろしい残酷さ、けれども長く生きるからには、噛んで、砕いて、呑み込んで、自らの糧にしなければ。
 「カインは自分で思っているよりウッカリしてるし、みんな割と知っているよ」
 「完璧な騎士は無理にしても、ウッカリかあ」
 「いいじゃない、ボタンなら俺がつけてあげるし」
 「その節はいつもお世話になって」
 「いえいえ、カインより服を破るひと、たくさんいるから」
 「それは分かる」
 くすくすと笑いあって、悩みを吹き飛ばすには小さすぎるけれど、心のなかに居場所を作る。不安や、恐れ、置き場所がないから気持ちがふわふわとして落ち着かないのだ。それなら、棚を作って、椅子を並べて、引き出しにしまうなり座らせてしまうなり、すればいい。勝手に歩き回って、手足を竦ませたり、舌に沈黙の重しを載せたように、だんまりさせたりするまえに。身体はどんどん重くなる。心はどんどん軽くなる。くるっと宙返りひとつ、景気づけに花火をふたつ。これはムルに教わったこと。ずっとほしかったけれど、もう、クロエ・コリンズに、しあわせの約束は必要なかった。
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manganjiiji · 3 years
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未練だよ、呪いにもならない、という旨、フィガロが言っていたと思うのですが、私はこのせりふの意味が長年わからないままでいて、今あらためて考えました。呪いになるほどまでは思いが強くない(という自嘲)から未練ということ?未練の上位が呪いと言っているのか、とやっとさっき思いついて(最初に読み取れよそこは)、最初なんで「未練」と「呪い」をおなじ土俵に乗せたのか全然わからなかった…。呪いになるほどの強さできみを思っていたわけじゃない、というフィガロなりの、自分の例の行動の動機としては弱いでしょ?俺は悪いやつでしょう?という言い方というかエクリチュールなんだと思うけど、つまりフィガロだって本当は呪いになるくらいにきみのことを思える俺ならよかったのにね(そしたら逃げたことにも多少の正当性が見込めるのに)、というくらいの、自分の性向への諦念と憧れによるせりふだったのかな…と今更ひとつの可能性を考えてみたりする。そんなに強く思える自分だったなら、もう少しきみも俺も俺のことを愛せたかもしれないのにね、という自らの性質への「どうせ俺はこういう奴だよ」感が感じられるせりふでもありました。「どうせそういう奴」のフィガロが、自分のことを「どうせそういう奴」とまた落胆するくらいには、ファウストへの思いが強かったんだなあ、と思って、そして、南の子達に出会うまでは「天命」が勘違いだったことの恥ずかしさと、それを手に入れられなかった(というか最初から与えられていなかった)ことに「未練」を感じていたのかもしれない、と今日やっと思いました。フィガロがいつ頃から南を拓きはじめたのかわからないですが、この400年の間に、ファウストそのひとのことは自分の隣でとはいかなかったけれど、かれの持っていた願いを実現することで、天命のつづき、フィガロなりに、自分の人生にやっと見えた「まっすぐの線」を追い求めた結果なのか、しらむ。今ではそれを五大陸すべてにまで広げると言っているし、その面でフィガロの人生は今や徹底的な「開き直り」のターン、吹っ切れのターンに突入しているんだな、と思いました。そのきっかけは、やはり寿命を知ったことなのでしょうか?それだと寿命を感じるのが早すぎる?ファウストと別れてからどのくらいの期間(恥ずかしいことに)悩んで(?)、そして吹っ切れて行動に移し始めたのか、少し気になります。悩みを抜けて、解決法を自分なりに実践する、という行い、もしかしたらフィガロの人生初では?と思うので、おおきなおおきな成長だったのではないかな…。一番最近ではオズがアーサーを拾ってきた十数年前くらいから、さらに学ぶところいろいろと(変わらないと思っていた弟の変化)あって、今のフィガロはだいぶん昔の、400年前のかれとは、みずからの性質との向き合い方が違うのでは?などと思う。アーサーのオズとの出会いのことを「大切な人は、望んでいなくても必要な時に現れる」というようなことを言っていたから、フィガロにとってのファウストはそれには当たらないのだろうな、とも思っていたけど(未練発言=過去の亡霊(妄執)に取りつかれている自分)、今のフィガロの変化を考えると、やはりファウストと出会った時から本当の意味でフィガロの時間は動き出したのではないか?その意味では「大切な人」では?と考えます。それまでのフィガロには「成長」の機会は与えられず、ただ迷走してぐちゃぐちゃにキャンバスを塗りつぶすだけだったけど、今はへんな曲線やいびつな揺れを伴いながらも、そこから抜けて一本の線をやっているんじゃないかな?
労働の期間に突入すると、疲れすぎて帰宅後2時間も「虚無」の時間を過ごしてしまう。Twitterを見たりなど。その2時間あればちょっとは何か書けるかもしれないのに、どうしても体が動かない。昔からの癖。肉体労働ってなかなか、対価が大きいですね。私がしているのは仕事(自分がこの生でやるべきこと)ではなくて、労働(やりたいことをしてお金をもらい生活の糧を得る)なので、早く慣れて、少しはこの「虚無」を短縮できるといいなと思います。起床、ごはん、風呂、化粧、出勤、退勤、帰宅、虚無、ごはん、睡眠。あとちょっとだけまほやくのプレイ(育成2回)。日々がすぎてゆき、自然物などに心を馳せる仕組み自体がありません。それでも睡眠時間は6時間はあるはず。うっもう眠気が…(不眠傾向なのでありがたいことです)。
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moritamiw · 4 years
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最近のお気に入り。 ひとつめ。 靴屋さんで、銀色の靴を見かけるたんびにココロがザワ、とほんの少しだけ揺れておりましたんですよね。 なんでだろな?って思ってたんです、ずっとね。 あ! 先日やっと思い当たりましたよ。 オズです。 オズの魔法使いで東の魔女が履いてた靴の色。 絵本で、家に潰されて足だけがニュッと出ていた魔女が履いてた銀の靴。 なんともお洒落で。 何十年も憧れてたんですね、実は。 ってことで、いつも愛用してるnaotoの靴に銀色のんが出てて衝動買い。です。 東の魔女になってます。 ふたつめ。 ガリガリくんリッチのチョコミント味。 チョコミントのモノってけっこうあるけど、このチョコとミントと氷の絶妙なバランスはね、もうね天才です。 ちなみに、クールなグレーっぽい色も食べものっぽくなくて(笑)好きなのです。 ガリガリくん、ガンバッテるなエライな。 嗚呼、お気に入りって楽しいですね。 楽しいですね。 ふふん。 #お気に入り #love #moritaMiW #東の魔女の銀の靴 #ガリガリくんリッチ #チョコミント https://www.instagram.com/p/CB_5_Rwl0H5/?igshid=1dhyce88gfdjj
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nrmkh · 4 years
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死ぬのではないかという恐れが、私には必要だ。病気も同様。不安と病気から解放されてしまえば、舵を失った船のようなもの。(中略)私の苦しみは、私の自我、私の芸術の一部である。切り離すことはできないし、苦しみを取り除けば、私の芸術も廃れる。私はそうした苦悩を養っていきたい。
(MM T 2748, 1927-1934)
ムンクの言葉を読んだ時、三島由紀夫がこう書いていたことを思い出しました。
ラジウムを扱う学者が、多かれ少なかれ、ラジウムに犯されるように、自ら人間でありながら、人生を扱う芸術家は、多かれ少なかれ、その報いとして、人生に犯される。ラジウムは本来、人間には扱いかねるものである。その扱いには常に危険が伴う。その結果、人間の肉体が犯される。人間の心とは、本来人間自身の扱うべからざるものである。従ってその扱いには常に危険が伴い、その結果、彼自身の心が、自分の扱う人間の心によって犯される。(中略)多少ともこういう毒素に犯されていない人間は、芸術家と呼ぶに値いしない。(「楽屋で書かれた演劇論」芸術新潮・1957年1月)
二人とも、自分を犯すものに対して敏感で意識的でした。そしてそれが必要だと認識していた点も共通しています。二人とも芸術家と自認し、そうでありたい、そうであることしかできない、というような意思や願いが文章から滲み出ているように感じます。ただ、三島はその毒素と向き合いながら、人間だけではなく、社会や国家に対しても行動を広げていきますが、ムンクは、そもそも若いころに祖国を飛び出した経緯もあって、社会や国家に対して憧憬は強くあったものの、行動や創作は人間そのものや自分の内面に向き合い続けた、という違いがあります。この違いにおいて言えば、ムンクから1世代ほど年上だったイプセンは、どちらかといえば、三島寄りかもしれません(もちろん文学作品上は大きくことなりますが)。
そのイプセンは、手紙でこう書いています。
『ブラン』を執筆していたとき、私はガラス瓶にサソリを入れて、デスクに置いておきました。するとときどき、そいつが弱ってきます。そこで熟した果物の切れ端を中に入れると、そいつが怒って、毒を果物の中に放出し、また元気になる。私たち作家にも、それと同じようなことが起きるのではないでしょうか。自然の法則は、私たちの精神世界にも当てはまります。 (ペーテル・ハンセンへの手紙・1870年10月)
これを読むと、どうやらイプセンも芸術家、つまり三島が言う毒素に犯されていたようにも感じます。
今年ムンクが去って75年、イプセンが去って約110年。来年は三島が去って50年。三人が犯された芸術家の職業病は概ね今も変わっていないでしょう。
その彼らの作品に向き合うとき、私たちはその中に他者を見つけることもあれば、自分が他者になってしまうこともあります。涙を流したり、大笑いしたり、感動したりすることだけが、作品の機能ではありません。それらも確かに一部ではありますが、毒素に犯されながら作品をつくる類の者の職能は、私たちが見えていなかったものや、見えているのに見えていないふりをしているものや、見たくないものを気づかせてくれることでもあります。その結果、そこに理解し合うことが難しい他者が見えてきたり、自分が作品から疎外されているかのような他者になってしまったり、周囲の多数にとって自分が他者であることを理解したりもします。
イプセン「幽霊」の中で、アルヴィング夫人は1幕でこう言います。
だって、ここには新しいことが書いてあるわけじゃなく、まあ、たいていの人が考えたり、思ったりすることばかりなんです。ただ、たいていの人は、それをはっきりさせなかったり、触れないでいるんです。
私たちは全員ひとり残らず、他者と生きています。それは自然であったり、社会であったり、地域であったり、学校であったり、家庭であったり、友人知人であったり、画面の中であったりするでしょう。他者を他者として意識しながら生きるのは、慣れていなければ疲れてしまい拒否したくなる気持ちもわかりますし、慣れたら慣れたで隣にいるのが他者であることを忘れてしまうこともあるかもしれません。私たちは、他者と生きていることに気づき、拒否したり、慣れたり、理解したり、許し合ったり、忘れたり、傷ついて/傷つけて思い出したりするという、絶妙な幅の中を動きながら、生きていくしかありません。その幅の中で、どのポジションが個人の安寧なのか、社会の安寧なのかは、場合によって異なりますが、自分のポジションの安全のために、好悪の別は脇に置き、他者のポジションの安全も認めることが、個々の自由の前提にあると思います。
ムンクの生まれる4年前に去ったトクヴィルによって予言されたマスメディアの覇権は、現在ではインターネットとともに、三島と同時代を生きたオルテガによって指摘された大衆に飲み込まれ、それは上にも下にも拡がり続けています。その拡張や複雑化、頽廃の進行は止められなくとも、そして日本においては虫の息だとしても、芸術家の仕事は、それに抵抗するものであり、多少でもブレーキとして機能しているはず、と私は信じています。
ということで、いくつか報告を。
7月「ワーニャ伯父さん」三重・韓国公演を終えた翌週から、「オズの魔法使い」土浦公演、三重県生涯学習センターとの夏の子どもイベント、若い演出家と俳優のための演劇合宿「Belleville Camp19」、京都造形大での知人衣装家のWSヘルプ、広島の若い演劇人との創造交流事業、愛知での「ムンク|幽霊|イプセン」関連WS、三重の絵本作家展での台湾視察などが続き、しばらくろくにFBへきちんとポストしていませんでした。
7月に上演した「ワーニャ伯父さん」は好評をいただき、来年度に国内2会場で再演される予定です。 Belleville Campもとても有意義な時間となり、来年度も実施しようと思っています。
そして、明日11月1日からチケット販売がはじまる「ムンク|幽霊|イプセン」。ムンクが描いた《イプセン『幽霊』からの一場面》と、イプセン「幽霊」を原作に、愛知県芸術劇場と愛知県美術館と協働して、劇場と美術館でパフォーマンスする公演です。ぜひお越しくださいませ。チケットは確保はお早めに。 特設サイト https://munch-ghosts-ibsen.tumblr.com
で、同時に、11月1日から東京入りし、1日と2日にリハ、3日に作品上演、という企画に参加します。昨年から引き続き呼んでいただきました。隣屋・三浦雨林さんと、ユニークポイント・山田さんのテキストで別々に演出して2作品を上演する学習院女子大学でのフェスティバル企画「演出とはなにか」。上演時間は1作品あたり20分程度の予定。休憩挟んで2作品連続上演、終演後に内野儀さんと演出2人とのトークもあります。こちらもぜひぜひ。 フェスティバル pafe.GWC2019 サイト http://pafe-gwc.info/ensyutu.html
11月末には「赤ずきん」が広島���上演されます。
12月頭には、日本ポーランド国交樹立100周年記念舞台芸術交流事業で三島由紀夫「班女」をワルシャワ、ポズナンのポーランド2都市で上演してきます。(「班女」出発前特別公演がBellevilleに11月24日にあります)
12月と2020年1月には、三重県立美術館・企画展での関連企画もあります。 http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/art-museum/000231751.htm
2020年3月には三重県文化会館にて「とびだせ!みえの絵本作家たち展2020」のお手伝いをします。 https://www.center-mie.or.jp/bunka/event/detail/27529
もう今年もあと2ヶ月。早いもんですねぇ。
※トップ画は、エドヴァルド・ムンク Edvard MUNCH 《イプセン『幽霊』からの一場面》1906年 テンペラ、画布 愛知県美術館蔵
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