2024年1月10日
新スタジアム元年に加入 5本の矢 即戦力FW・大橋祐紀 親子2代でサンフレッチェ広島・中島洋太朗(RCCニュース 1月11日)2024年1月10日に追記
サンフレッチェ広島に新たに5人の選手が加わります。10日、入団会見が行われました。
石田充アナウンサー 「スキッベ監督3年目、そして新スタジアム元年に5人の個性的な選手が加わります」
FW・MF・GKと各ポジションで活躍が期待される5人が入団会見に臨みました。
決定力不足に泣いたサンフレッチェに電撃加入となったのが、FW・大橋祐紀(27)です。
大橋祐紀 選手 「新しい挑戦ということで自分、非常にわくわくしていますし、なおかつ、クオリティーの高い選手が広島にはたくさんいるので、選手たちからいろんなものを吸収して、もっともっと成長していきたい」
去年、23試合で13ゴールと “湘南のエース” ともいえる男が77番を背負い、新スタジアムでの躍動を誓います。
大橋祐紀 選手 「去年、2けた(ゴール)をとれたこともあるので、ことしも最低限、2けたとれるように。まず、そこに向かってやっていきたいなと思っています」
去年、加入も、J2水戸へレンタルされていたMFの 小原基樹(23)。J2屈指のチャンスメイカーに成長し、満を持してJ1の舞台に挑みます。
小原基樹 選手 「細かいところのテクニックであったり、相手との駆け引き、逆を取るプレーなどを見てほしいかなと思います」
J3松本山雅から期限付き移籍で加入したGK・薄井覇斗 。大迫敬介 と同じ24歳で、大学時代には 満田誠 とチームメイトでした。
薄井覇斗 選手 「ぼくはコーチングの面であったりとか、セービングやキックであったり、アグレッシブなプレーというところを自分の武器としてやっているので、そういったところを注目して見ていただけたらなというふうに思います」
サンフレユースから法政大学を経て加入したのが、細谷航平(22)。ユースの先輩・川村拓夢 が目標の左利きのMFです。
細谷航平 選手 「自分のプレーの特長は、運ぶドリブルだったり、パス。展開などでチームの攻撃を組み立てるところだと思っています」
そして、もう1人のMFが、中島洋太朗(17)。父は2013年まで広島でプレーしていた浩司さん。サンフレッチェ初、親子2代で入団となりました。
中島洋太朗 選手 「ボールを持ったときのアイディアやクオリティーは自分の武器なので。(親子での入団は)うれしく思いますし、誇りに思いますけど、特に意識しているところはないですし、プレッシャーも感じていないので」
まだ17歳。去年9月にクラブ史上、最も早くプロ契約を結んだ高校2年生のデビューが今から楽しみです。
中島洋太朗 選手 「プレーヤーとしてはチームを勝たせられる選手になりたいというのと、あとは見ている人を楽しませられるような選手、自分のプレーが見たいと思ってスタジアムにたくさんの人が来てくれるような選手になりたいなと思います」
新たな戦力とともに新スタジアム元年を迎えるサンフレッチェ。来週15日(月)に宮崎でキャンプインします。
名護市辺野古沖 大浦湾側での代執行に伴う工事 着手(NHKニュース)
沖縄のアメリカ軍普天間基地の移設先となっている名護市辺野古沖の代執行に伴う大浦湾側での工事について、防衛省は必要な準備が整ったとして、10日、着手しました。
普天間基地の名護市辺野古への移設をめぐっては、沖縄県が軟弱地盤がある大浦湾側での改良工事を承認しないことから、先月28日、国土交通省が代わって承認する代執行を行い、防衛省沖縄防衛局は着手に向けて準備を進めてきました。
そして、10日午前10時半ごろから、船の上で複数の作業員が重機の点検や海面の状況を確認するなどし、正午すぎ、ショベルカーから海中への石材の投入が始まり、工事に着手しました。
防衛省によりますと、10日行われたのは護岸の造成工事に向けた作業の一環で、今後、地盤を改良するため、およそ7万1000本のくいを海底に打ち込む工事も進めることにしています。
防衛省はすべての工事や手続きが終わり、普天間基地の移設が可能になるまでには12年ほどかかるとしています。
岸田首相「1日も早い全面返還に向けて努力」
岸田総理大臣は記者団に対し、「準備が整ったため、防衛省で工事に着手したと承知している。世界で最も危険と言われる普天間飛行場の固定化は絶対に避けなければならず、1日も早い全面返還に向けて努力を続けていく。これからも丁寧な説明を続けていきたい」と述べました。
その上で、記者から、「政府が示した9年3か月の工期の間に工事を終えると約束できるか」と質問が出たのに対し、「工程は防衛省で必要な検討を行った上で作成したものであり、これに従って工事を進めるべく全力で取り組んでいきたい」と述べました。
林官房長官「工期9年3か月の起点」
林官房長官は記者会見で、「所要の準備が整ったことから、きょう、大浦湾側の工事に着手するという報告を防衛省から受けている。工事完了までの工期を9年3か月と示してきているが、きょうの着手がこの起点にあたる」と明らかにしました。
その上で、工事に関する沖縄県側との協議をめぐり、「工事の実施設計については沖縄防衛局が沖縄県と協議を行っていて、引き続き、適切に対応していくと承知しているが、今般、着手する整備はこの協議の対象外だと認識している」と述べました。
また、沖縄県側から反発も予想される中での工事の必要性を問われ、「辺野古移設が唯一の解決策であるとの方針に基づき、着実に工事を進めていくことが、普天間飛行場の1日も早い全面返還を実現し、危険性を除去することにつながる。今後とも地元への丁寧な説明を行いながら、基地負担の軽減を図るために全力で取り組んでいく」と述べました。
沖縄 玉城知事「誠に遺憾だ」
沖縄県の玉城知事は10日夕方、報道各社の取材に応じ、工事が始まったことについて、「平成25年に工事の施工や環境保全対策などについて協議するよう定められている。去年12月に国土交通大臣によって大浦湾側の工事が承認されたことから、県は協議を開始することとしたが、協議が整っていない中で工事が着手されたことは誠に遺憾だ」と述べ、不快感を示しました。
また、林官房長官や木原防衛大臣が地元に丁寧な説明を行うと発言していることについて、「私はこれまで辺野古新基地建設問題を含む基地問題について、1度たりとも林官房長官とも木原防衛大臣とも面会する機会をいただいていない。一方的な文書の送付が重ねられ、工事の着手が強行されたことは『丁寧な説明』とは到底真逆の、極めて乱暴で粗雑な対応がなされたものと言わざるをえない。たたみかけるように工事を進めることで、『あきらめ感』をかもし出そうとしているのであれば大きな間違いだ。県民の民意を軽んじていては、日米安保体制にも大きな影響が及び続ける」と述べ、政府の対応を批判しました。
そして、「政府においては、埋め立て工事の強行がもたらしている甚大な問題を直視したうえで、沖縄の苦難の歴史に一層の苦難を加える辺野古新基地建設を直ちに中止するよう求める」と述べ、対話による解決を求める考えを重ねて示しました。
名護市長「国と協議していく手段について検討していく」
軍普天間基地の移設先になっている名護市の渡具知武豊市長は「工事が進んでいくという状況の中で、近隣住民の不安を払拭し、環境を守ることが私の責務だと思っている。これまでも基地や工事に伴って派生する諸問題について地元の声を国に伝えてきた。今後のことも含めて、国と協議していく手段について検討していく」と述べました。
宜野湾市長「返還のめどがたったと考えている」
普天間基地を抱える宜野湾市の松川正則市長は「すでに代執行によって承認されていたので、普通の流れとして受け止めている。これまでの裁判の経緯もしっかり踏まえてきょうに至り、普天間飛行場返還のめどがたったと考えている」と述べました。
移設が完了するまで12年かかるとされていることについては、「固定化に近いのではないかと言う人もいるが、返還合意からは28年に至っている。跡地の開発に向けての取り組みもあるし、騒音などの負担軽減はしっかり要請していきたい。1日も早い返還に向けて何ができるかが一番だ」と述べました。
木原防衛相「基地負担の軽減を図るため全力で取り組んでいく」
木原防衛大臣は防衛省で記者団に対し、「辺野古移設が唯一の解決策であるという方針に基づいて、着実に工事を進めていくことが、普天間基地の1日も早い全面返還を実現し、その危険性を除去することにつながると考えており、準備が整った本日、大浦湾側での工事に着手したことは適切だったと考えている。今後も地元の皆さまに丁寧な説明を行いながら、基地負担の軽減を図るため全力で取り組んでいく」と述べました。
その上で、「防衛省としては移設までの間に普天間基地の危険性除去というのが極めて重要な課題だと認識しており、引き続き、オスプレイの訓練移転などを通じて、全力で取り組んでいかなければならないと思っている」と述べました。
また、記者団から、防衛省が能登半島地震に対応しているさなかでの着手は適切だったか問われたのに対し、「あらゆることを同時に並行してやっていくということであり、必要なことは着実にやっていく。普天間基地の移設は必要なことだ」と述べました。
自民 森山総務会長「普天間基地の危険排除が大事」
自民党の森山総務会長は記者会見で、「世界の中でも非常に厳しいアメリカ軍普天間基地の危険をどう排除していくかということが大事だ。そのために工事を始めさせていただいたということに尽きる」と述べました。
自民沖縄県連 座波政調会長「これ以上協議するものないのでは」
自民党沖縄県連の座波一政務調査会長は「代執行が決まった中で予想できることだったので特段驚くことはなかった」と述べました。
そのうえで、「この代執行は本当は望ましいものではないが、残念ながらそのような形になったことは、沖縄県としても受け入れざるをえない状況だということを認識するべきだ。もう、これ以上、協議するものはないのではないかと考えている」と述べました。
県議会 照屋議員「非常に怒りを持って受け止めている」
玉城知事を支える県議会の与党会派「てぃーだ平和ネット」の照屋大河議員はNHKの取材に対し、「暴力的に事業を開始し、土砂を投入するということについて、非常に怒りを持って受け止めている」と述べました。
そのうえで、代執行訴訟の判決で、国と県とが相互理解に向け対話を重ねることで、抜本的解決が図られることが強く望まれていると指摘があったことに触れ、「裁判として普天間問題、辺野古の問題が解決したわけではないと受け止めている。そういう中で、強硬に進めることは全く県民の理解を得ることはできない」と述べました。
宜野湾市の住民「住んでいて危険性を感じます」
普天間基地を抱える宜野湾市の住民からは、速やかな返還を求める声や県内への移設に反対する声が聞かれました。
80代の男性は「住んでいて危険性を感じます。普天間基地は返還してほしいですが、工事には時間も予算もかかります。返還に時間がかかって工事にも時間がかかるとなるとあまりにも中途半端だ」と話していました。
普天間基地の近くに住む70代の女性は「普天間基地はなくしてほしいのですが、県内への移設は反対です。きょうの着工は国の横暴で、地方自治体の権利が無視されていると思います。国は一方的で、話し合いの場が全然ないと感じるので、もっと話し合いをして、そこから道を見つけてほしい」と話していました。
辺野古ゲート前で抗議
名護市辺野古にあるアメリカ軍キャンプシュワブの工事車両が出入りするゲートの前では、10日午後3時ごろから移設に反対する人たちが、「県民は諦めない」などと書かれたプラカードを持って、抗議の声をあげていました。
およそ10分後、警察官が座り込む人たちを抱えるなどしてゲートの脇に移動させると、石材や土砂を積んだダンプカーなどが次々と中に入っていきました。
抗議活動に参加していた読谷村の73歳の男性は「県民が反対している中で工事をやることは絶対に許せないし、玉城知事も『話し合いを』と言っていたので、国には県民の意思を尊重してほしかったです」と話していました。
那覇市の78歳の女性は「民主主義や地方自治も関係なく、工事を強引に進める政府の姿勢はよくないと思う」と話していました。
大浦湾埋め立て「コメント控える」 自見・沖縄担当相「振興に全力」(琉球新報 1月12日)
【石垣】自見英子沖縄担当相は11日午後、名護市辺野古の新基地建設で大浦湾側海域の埋め立て工事が10日に始まったことについて、視察先の石垣市で報道陣に見解を問われ「所管外なのでコメントは差し控える。沖縄の振興に全力を尽くす」と述べるにとどめた。
玉城デニー知事との面会の場を設けないのかとの問いには「私の強い希望で離島現場を訪れ、今回は知事との面会は行わなかった」とした。
自見氏は10~11日にかけて先島を視察。下地島空港や平良港、石垣港離島ターミナルや竹富町の複合型福祉施設などを訪問した。
「沖縄県民無視の着工は絶対に許されない」首相官邸前で200人抗議 辺野古新基地めぐる代執行・埋め立て開始に(東京新聞 1月12日)
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に向け、政府が代執行で大浦湾側の埋め立て関連工事を始めたことに抗議するデモが12日、首相官邸前で開かれ、約200人が集まった。
市民団体などが「海を汚すな」「埋め立てNo」などと書かれた旗を掲げ、工事中止を求めた。主催した「辺野古の海を土砂で埋めるな!首都圏連絡会」の尾沢孝司さん(75)は「政府の代執行は沖縄県知事の自治権を奪う暴挙。米軍基地は要らないという沖縄県民の思いが無視された着工は、絶対に許されない」とあいさつした。
沖縄県出身の会社員米須清真(きよさね)さん(35)=東京都小金井市=は「沖縄はこれまでもないがしろにされ続けてきた。耐えがたい怒りを感じている。全国の人たちが当事者意識を持って基地問題を考えてほしい」と訴えた。
政府は、地盤改良工事の設計変更承認を代執行してから13日後の10日、沖縄県の反対を押し切る形で、大浦湾側の工事に着手した。(小野沢健太)
15日正午過ぎ、沖縄県名護市の米軍キャンプ・シュワブのゲート前では、新基地建設に反対する市民約30人が、正午の資材搬入に合わせて座り込みをしています。ダンプが出入りする搬入口には30人以上の警備員がすき間なく整列しています。
1月16日午前10時20分、名護市大浦湾では辺野古新基地埋め立てに使う作業ヤード建設が進められています。ショベルカーが海底に石材を投入しているのが見えます。
辺野古周辺住民ら、新たな訴訟提起へ 国の代執行は「不当」 県民投票5年を前に「不条理止めたい」(琉球新報 1月16日)
沖縄県名護市辺野古の新基地建設の設計変更申請承認を巡る代執行訴訟で県敗訴の判決が出て、国土交通相が承認を代執行したことを受け、辺野古周辺の住民らが16日、那覇市の県庁記者クラブで会見し、判決と代執行は不当だとして、代執行の取り消しを求める抗告訴訟を提起することを表明した。弁護団によると、代執行を巡る提訴は全国初。
辺野古新基地建設に反対する民意が示された県民投票(2019年2月24日)から、5年目となる直前の今年2月22日に提訴する方針。被告は国交相を想定しつつ、訴訟の入り口論で訴えが退けられる「門前払い」を避けるため、県を被告に入れることも想定するという。
新基地建設を巡り現在、住民らが提起している訴訟は2件あり、それらの訴訟の原告らが新たな訴訟の原告にもなる予定。新たな訴訟で改めて国の工事の違法性を問いただし、新基地建設に反対する玉城デニー県知事を支援する狙い。
原告団長の東恩納琢磨さん(62)=市瀬嵩=は「承認の代執行には納得していない。まだまだあらゆる闘いができる。不条理を止めたい」と訴えた。
住民の訴訟は現在、県による設計変更申請不承認を取り消した国交相裁決の取り消しを求めた抗告訴訟が那覇地裁で係争中。また、県による埋め立て承認撤回を取り消した国交相裁決の取り消しを求めた抗告訴訟は一審で、住民の一部の原告適格が認められて審理されたが、22年4月の那覇地裁判決はその4人の原告適格を認めず訴えを却下した。住民らが控訴し、福岡高裁那覇支部で取り扱われている。
能登半島地震 広島県が県営住宅を被災者に無償で提供 10日から受付 広島市も市営住宅を提供(RCCニュース)2024年1月10日
広島県や広島市などは能登半島地震の被災者を対象に、県営や市営住宅を無償で提供することにしました。
県によりますと、県営住宅が無償で提供されるのは、新潟、石川など4つの県で被災し、住むことが困難になった人たちです。
広島市内の38戸、呉市内の5戸など、県内であわせて63戸の住宅が提供されます。受け付けは10日からで期間は半年間です。
家賃と駐車場は無償で、光熱費や水道代、共益費などは自己負担となります。布団や冷蔵庫、洗濯機といった生活必需品も提供されるということです。
広島県土木建築局住宅課 井上博臣主査「今回、広島県でも避難者に住宅を準備したので、遠方だが親戚の人とかで避難するという話があれば問い合わせしてほしい」
問い合わせ先は、広島県土木建築局住宅課です。また、広島市も市営住宅12戸を半年間、無償提供すると発表しました。
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八月二十日 日本脱出
明後日にはもう日本を出発する。今度はインドを経由してジョージアに向かう。インドからジョージアへの便が安いとパッと思いつき買ってしまったのだ。よく見てみりゃインドで二泊三日。手には30㎏のトランク、背中にはTOTOの便座。マジでジョージアに帰れるのだろうか。ホテルはまだとっていない。まずどうやって色々こなしていくのか、頭の中はすっからかんだ。
心に浮かび上がる思いは一つだけ。「日本脱出」。この三か月、大変長かった。病みそうになったことは一度や二度どころではない。どんな町を歩いても、どんな人に出会っても、家に居たって、常に不安がついて回る。よくよく考えてみればしてることは海外にいるときと変わっていない。なのになぜこんなに居心地がわるいのだろうか。得体の知れない不安感がこびりついて、離れてくれない。
町を歩けば孤独感。人と会えば疎外感。家に居れば退屈感。無能感も追加で。家に居たって始まらないと思い先輩訪ね外に出ることもあった。日本の家庭訪問はなぜこんなにも気を遣うのだろうか。一つも気が休まった事がない。むしろ早く家に帰りたいと心の中では言っている。原因はいつも自分にある。常に手持ち無沙汰でそれが周りの人に気を遣わせてる。そのような気がする。それが原因でまた気を使う。かと言って、気を使わせまいと移動したところで行くところはどこにもない。どこか行くにしても金が要る。どっかで一休みするなんて言ったて公園は少ない。喫茶店に入る?バカげたこというんじゃないよ。となると、気が付くと家の湯につかっている。ベットに寝転がれば、することの無さに気付かされる。別にその地に居る先輩らが全然構ってくれなかった訳ではない。むしろその逆で、充分に相手してもらった。なのに最後は何だか変な空気がそこにあるように感じた。それに街中でハプニングが起こることが一切ない。決まりきったいつも通りな動きの町に飽きる。結局、人が鼻を膨らませて話していることは色恋沙汰ばかり。
まだいろいろと割り切れない。自分に日本はまだ早い。
つい先日、北海道に行ってきた。あのアイヌの人たちの所に、ジョージアからのお土産を届け��いったのだ。
その時ちょうどお祭りを準備していたらしく、スタッフとして手伝うことになった。本当は家に帰りたかった。フライトまでまで数日と迫っているのに、やたらに待機の時間が長い。体を動かさなければすぐ心はふらふらし始め、そこにいる諸先輩方も自分のことを直ぐには使ってくれない。全然打ち解けられない時間がつらくて、はたまた出発への準備も済んでおらず、待機中の刻一刻と迫るタイムリミットもこれまた締め付けられるようなつらさで。とにかく自分は下っ端なりに雑用や力仕事を率先して取りに行き、少しずつ先輩方に色々命令をもらえるようにもなってきたそんな中、お祭りスタート四日前には現地にキャンプイン。帰る望みは絶たれたと思った夜だった。それでもまだまだ現れる膨大な待ち時間、辛すぎて常に掃除して回り大きな荷物があれば担いで捨てに行き、加え毎日の薪拾いに水くみ。三百人で一週間キャンプするので量も半端ない。。。毎日夜寝るときは明日は家に帰ろうと自分に言い聞かせていた。祭りが始まるとそれはそれで楽しかった、最終日の喧嘩までは。
最終日の夜、ずっと風邪で寝込んでいた十個上の先輩がふらっとやってきた。色んな人から励まされお酒が入った彼はいい気になって焚火の前でラップのリサイタルを行いだした。そこに二十個上の先輩がやってきて口論になっていた。二十個上の先輩とはちゃんと自分に色々仕事振ってくれた人で恩義をまた感じていたんだが、若いほうがその先輩に向かって「かかって来いよ」と大声で言い出した。先輩はそうなるとすぐにその場を離れたのだが、自分は気分が悪いのを抑えられなかった。ハブ酒を飲んでガンガンに効いていたのもあいまってダサいラップが終わった後、人込み書き分けその若い先輩に間違ってると思うと言ったら向こうはブチギレ。取り巻きの親衛隊が出てきて「ぶっ殺すぞ」と売り言葉にこちらも買い言葉で「やってみろや」で殴り合いに発展。結果四人ぐらいにボコボコにされて負けたんですけどね。先輩が去った時に自分も去ればよかった。そして負けた自分はしっぽ巻いて夜の北海道を歩き歩き歩き歩き通して家まで帰ってきたんですね~。もう日本はこりごりですわ。夜の北海道は本当に怖い。鹿は飛び出してくるし熊も出る。生きて家に帰ってこれたことが奇跡のように一瞬思えましたが、ベットに寝転ぶとふと気付きました。暇だということに。
それと誰も探してくれない事で自分が大人だと思われていることに初めて気付きました。
こんな自分で大人を期待されても困るんですけどね。
教訓は酒を飲んでるときは気分の悪い場所や事から離れるということ。自分もあの時は引き下がれなかったんですね~。
もう日本は十分にこりごりである。
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