Tumgik
#ゲンちゃんコーヒー
tamarivernail · 2 years
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2022.12.10 4回目の #greengreenartmarché #グリーングリーンアートマルシェ ご機嫌に終了しました。 今回は天気が素晴らしくよくて、庭のテーブルと椅子でパンとコーヒー、紅茶のティータイムも楽しんでいる人も見られました。 @kawakamiyuka の #大福ベーカリー の滑り出しも順調で140個のパンは完売でした。 いつものメンバーに 新しく参加の @kaino_quiqui さんと @my_pace_cafe の喫茶も大好評で、最高の1日になりました。 ちなみに我が息子ゲンちゃんのコーヒー屋さんはこのマルシェがスタート地点で、「ゲンちゃんコーヒー」としてお姉ちゃんと一緒にやっていました。 この夏新たに「マイペースカフェ」となり、ggマルシェに帰って来られたのは、マルシェメンバーに温かく見守ってもらえたからこそです。 マルシェのお客さんも出展者もみんな上機嫌。みなさん一緒に遊んでくれてありがとうございました。また半年後に会いましょう。 #march #野川公園 #東京マルシェ #小金井カフェ #東小金井マルシェ #greengreenartschool #greengreenartworks #大福ベーカリー #たまリバネイル #たまリバ @tamarivernail #手作り腕時計ユリク @yurikounno #littlegreen @aoyamasayuri0413 #signworks @_signworks #チヨウールウール @chiyowoolwool #リバティ布小物 @naonao_handmade #greengreenartworks @kawakamiyuka (野川公園) https://www.instagram.com/p/CmGcVyyP9IM/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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aramashi · 3 years
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2022/1/8
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 現実との境がぐにゃぐにゃと曖昧なまま目覚めて9時。出かける父母の背中を玄関に見かけて、寝起きの声で送り出す。昨晩のシチューを温めてトーストと一緒に朝食を摂り、皿洗いを済ませたらコーヒーを水筒に詰めて、小学校に向かう。今日はどんどや。
 校庭の真ん中に聳えていたであろうやぐらはほとんど崩れていて、今では黒くくすぶる大きな塊が横たわっている。消防の法被を着たおじさんたちが、残る竹を燃やし切るため、���をせっせと掻き分け広げている。
 まだ燃やせますか、とおじさんのひとりに話しかけると、パチパチと音を立てる山に向かってしめ飾りを放り投げてくれた。円を描くように編まれた藁が、みるみるうちに火にのまれていく。
 体育館の前のテントで配られているぜんざいをいただいてあたたまったあと、ぐるりと校内を回ってあとにした。ブランコの位置が変わって、アスレチックはもうなくなって、飼育小屋には雑草が生い茂っていた。
 昼食のあとはバスに乗り込み、美術館「Museum」まで『アオとゲン展』を観に。
 古く重厚な趣の建物の入り口をくぐり、蹴上げの高い階段を上ると左手にある一室がそこだ。ほんのりクリーム色の壁に坂口恭平のお子さん2人の絵画が飾ってある。空間には彼ら家族が歌う音楽も流れていて、この声の持ち主がこの絵を描いたのかと答え合わせをする気持ちで眺めた。タイムカプセルと名付けて庭に埋めていた缶かんをがこんと開けて、その中身を並べたような部屋だった。
 向かいの服屋で一目惚れしたニットはぽんと出せる金額でなく、ブランド名をメモして店をあとにした。アーケードから一本逸れたところにある写真屋で替えのフィルムを買い、最近できたばかりのコーヒー屋でエルサルバドルのハンドドリップをテイクアウトして帰路に着く。果実感のある香りがあると、頭がしゃっきりする。
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hummingintherain · 2 years
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2022/07/01-2022/07/07
7月1日(金)
 ポメラを開くと昨日の日記が表示された。怒りを通り越して憎悪になっていたのではないか。憎むほどのことが起きたわけでもない。自分自身が深々と直接傷つけられたつもりじゃなかったけれども、確かに何度も何度も傷が重ねられていたのだと思う。そこをのみこみつづけて、生傷のまま放置していた自分もきっと悪かった。でもわかっていた。ずっと前からわかっていた。この人には何を言っても通じない、何を言ってもわかりあえない。諦め。虚無。でも、それならばなぜそんなにも怒りのような、憎悪のような、震えて圧の強い声が出たのだろう。単なる苛立ちを媒体とした、「荒げる」ような声とはまったく別種だった。「声を荒げる」。よく使う表現だ。「声が震える」。よく使う表現だ。叫んだわけでも、泣いたわけでもない。でも思い出してみると、もう声も聞きたくない、と思った。そのすらすらと表層上をなぞり、結果的に確かに誰かを傷つけたこと、手本とされるべき立場でありながら仕事を放棄して遊びに興じていたこと、もはや終わったこと・解決したこととして扱おうとする、言葉だけで心が明らかにともなっていない「至らぬ点だと思っています」。まるで文章を淡々と音読するように、温度の感じられない言葉たちを聞きながら――もう言わないでくれ、そんな言い訳を連ねるほどに浅ましさが露呈するから、あなたへの嫌悪が募っていくだけだから――重なる。これはニュースにも登場する、学校や社会でのいじめの加害者側の姿勢と似たような構図であると。  そこに無自覚であるとまざまざと見せつけられて、こちらに残るのは失望か。  川上未映子の『ヘヴン』を思い出す。いじめが一つの柱である物語。終盤で、加害者の言い分がつらつらと語られる。その暴力性。決してまじりあえない、長い、ひととき。
 もうあの人の声を聴く必要も、会う必要もない。どこかで不意に人生が重なることはあるかもしれないけれど。きっとここで生じた出来事は、もう誰かの心の中だけに残り、そして消えていく。あの人も、きっと、荒れながら更新されていく日々の中で忘れていくだろう。きっと、根源的に何が問題なのか、理解はできないままで。いつかわかるときがくるとしたら、なにか別で劇的なショックが到来したときだ。でもそんなのすべて、もう知らない話。
 地位が高くなることで、他者からの指摘をされにくくなり、裸の王様になるくらいだったら、地位なんてもつものじゃないな。
 私には創作があるから、あの震えた声は、すこしも無駄にはならない。
7月2日(土)
 最近は、もっぱら五時くらいに目が覚めて、睡眠時間を確保すべく、そして起きたくもなさを燻らせるように、すぐにまぶたを閉じて明るくなってゆく部屋で眠っているのだが、今朝は思い切って、目覚めてほとんどすぐ、立ち上がり、着替えて、ベランダの窓を開けるとあたりは静まりかえり、外気が冷たく心地がよかったから、散歩をしにいった。  外に出て、思っていた以上の外気の日がまだ低く、道路に落ちる影は長い。日に当たるとじわじわと暑さが沁みてくるけれども、真昼の殺人的な日射にはほど遠い。日陰の道、ときおり日向の道、を歩いていた。朝の散歩自体、とても久しぶりで、最近としては特殊ではあったけれども、なによりの違いはマスクをせずに外出したことだった。至って平凡なただの散歩で、コンビニにいくつもりも、誰かと会話を交わすこともないから。口を覆うものはなにもない。堂々とした気分ではない、あるのはどこかこころぼそさ。最早懐かしさも忘れかけている。マスクをしての生活が当然になった子どもたちの中には、素顔を見られたくないという理由でマスクをはずすことへ抵抗感を示している、というアンケート結果を出した報道を見かけたけれども、なんだかわかるような気もした。マスクはそもそも守るためのものだから。たった一枚のぺらぺらとした物でも、随分なたのもしさで防具として役割を果たしていた。二年以上もそんな生活を続けていれば、下着や服のように、外出時に身につけて当たり前のものになって、やめるのに抵抗感を示すのも無理はない。  しかしそうはいっても、マスクのない口許、なにも遮るものなく澄んだ空気を吸うと、自分にとって大事なものをすこしずつ取り戻していって、なんの違和感もなくそこに存在して町に馴染んでいる、というような心地になるのだった。  しばらく歩いているうちに、トラックが通り、一軒家でおばあさんが新聞でも取りに来たところだったのだろう、ふうふうとちょっとした軒先に出るにも息切れをして手すりに掴まっている状態でちらりと私を見て、目の前を通り過ぎて、ちょうど通りがかった家でカーテンを開ける音が聞こえて、ぽつぽつと泡があちらこちらで弾けていくように醒めていく気配がただよいだす。太陽はどんどん天上へ向けて昇り、光も強くなって、腋の下あたりがじんわりと汗ばむようになってきた頃に、家に戻った。軽くシャワーを浴びて、今ポメラに打鍵をしているうちに、普段と違うことをしたせいか、身体はだるおもい疲れが徐々にのしかかってくる。
 昨日は1日だったので映画が安い。暑すぎるし、まだしばらく職場のダメージを引きずっていたので(今もなお、ではあるのだけれど)、映画を観に行くことに決めた。決めたのがお昼前で、映画の始まりまでそんなに時間がなかったので、さくっと昼ご飯を作って食べて、急いで映画館へと向かう。観たのは『メタモルフォーゼの縁側』。配役的にちょっとしたギャップの差があるのではないかと不安がないわけでもなかったけれども、蓋を開けてみれば素晴らしい映画だった。すっかり、「普通」や「速度」や「激烈な愚痴」が声高な勢いに染まって、同調圧力にくたくたになって、鬱初期症状やなんやかんやと仮決定して過ごすおのれの日々に、幸福を細い水にして流し込まれて、じんわりと広がっていくようだった。なによりも感じられたのは原作へのリスペクト。脚本はまるきり原作通りというわけでは勿論ないけれども、原作の印象的な場面をフィーチャーして表現したり、オリジナルの部分ですこしコミカルにリズム良い表現や違った困難や優しさを表現したり、物語って、ほんとうにいいなあ……としみじみ思わされた。うららさんが泣いた時には、既にゆるゆるになった涙腺がまた刺激されてほろほろと泣いた。
 終わってから畑へ行き、茄子やピーマンを大量に収穫。トマトが赤くなりつつあり、もう少し。
 まだ6時半、洗濯機がさりげなく呼んでいる。
7月3日(日)
 今朝も5時に目覚め、一度起き上がって窓を開けると、雨のにおいがした。道路に視線を落とすと一切の水溜まりも色の変化もなかった。まだ降ってはいなかった。けれどももう充分に雨の気配がたちこめていた。散歩をしようか迷い、ひとまず着替えたけれども、あまりの眠気と怠さにもう一度布団に戻った。その間にものすごい雨の音がした。寝入って起きたら9時を過ぎていた。まだ雨が降っている。たぶん今日は降り続ける。そのぶんやたらと涼しい。エアコンを切る。冷蔵庫にいれていた昨日の味噌汁を温め、コーヒーを淹れる。
 起きる直前まで夢を観ていた。音楽を聴いている夢だった。一人は琵琶のような楽器で、もう一人はウクレレだった。琵琶の方は20歳くらいの男性で、ウクレレの方は小学生くらいの少年。少年の方は、記憶が曖昧だけれども、坂口恭平の息子さんのゲンくんだった。彼が現実でウクレレをしているのかは知らないけれども。とにかくその二人が、都会の大きな駅の開けたスペースのような場所で、音楽を鳴らしていた。そこにはものすごい人が押し寄せていて、私は最前列から三番目くらいの場所で彼らの演奏に耳を傾けていた。琵琶とウクレレだけの演奏だから、派手な部類ではない。けれどそこには音楽しかなかった。車の音や、他者の喧騒、広告の音、そうしたものは夜空のなかにすべて閉じ込められて、音楽に内包されて、消え去っていた。すべてが彼らの音に耳を傾けていた。それで音楽が終えたら、青年の方が、MCを始めた。戦争の話をして、選挙の話をした。緩衝地帯について、シリアなどの国境地帯について、ウクライナについて、ロシアについて。淡々と話していた。彼自身が琵琶やウクレレの音と化してそのまま持続しているように、マイクを通じて語っていた。その間に、目覚めてしまった。思い起こすのは、ウクライナ侵攻が始まった直後に世界各地で起こったデモ、そして日本でも起こったデモ。
 自分の体調の悪さが初期症状の鬱の傾向なのではないかと仮定してから、意識的に戦争の話題からは距離をとるようにした。そもそもあまりニュースを観ないようにしていた。でも、まぶたを閉じていた間になにか解決しているかというと、なにも解決しておらず、なにも進んでいない。これ以上悪化しないようにするには、せめてもの抗いに一票を投じるほかになく。
 そんな夢をみる直前の夜に、西加奈子『夜が明ける』を読み終えていた。その影響が夢にも出たんだろうか。戦争の話ではないけれど。この世の中に起きている貧困や虐待や差別などのあらゆる問題を描ききった物語は、読み切ると、こんなにストレートなメッセージ性のある小説は、久しぶりに読んだので、なんだか脳がすっかり火照ったままぼんやりとしていた。そもそも小説を読み切ったのが久しぶりだった。いつ以来だろう。少なくとも六月の間はまったく読めなかった。
 そういえば昨日は、職場の先輩へのお礼を買いに行くついでに、本屋に寄ったんだった。本屋は、図書館は、最後の砦なのだと、なんだかそのとき、しみじみ思った。あらゆる攻撃から逃げつつ、あらゆる豊かさを見失わないようにするための砦であり、憩いの場。人にとっては一切立ち寄らないかもしれないけれど。コンビニや、ドラッグストアや、スターバックスのほうが、利用者はずっと多いかもしれないけれど。それでもなにか、大事なものが、誰かにとって切実に大事なものが本の空間では守られていると、書架の前にじっと立って考えていた。
7月4日(月)
 一週間分の日記を昨日まとめて、やはり過去のことなんておおむね忘れている。ついでにその先まで読んでいくと、やがて鬱の初期症状ではないかという日記にあたる。ちょうど生理期間と被っているので、生理による影響が強く出ているのではないかと考える。もちろん、鬱でないにこしたことはないけれども。しかし長きにわたる異様な倦怠感とやらは、生理周期とは関係なく(もちろん、生理の影響も含む時期はあるだろう)怠いのだから、それはなんだかおかしいといえばおかしい。
 今日も雨。すこぶる怠い。午前中をほとんど寝て過ごしてしまった。夕方からはお世話になった先輩とごはんに行く。今日中に履歴書を書かなければならない。
 昨日は永井みみ『ミシンと金魚』を読みはじめそして読み終える、いつかこの本は映像化されるような気がする。『中学生から考えるウクライナ』も途中まで。第二章の最後のページでなぜか涙が出てしまうのは、未来への不安がじくじくと広がりながら、現状の直線的な方向性にはっきりとした警笛を鳴らしてくださっているからかもしれない。違和感を肯定されているような。直線から平面へしていくための、学び。
7月5日(火)
 文字を読み取りにくいという今の感覚は、英文を読んでいる感覚に近いかもしれない。並んでいるのは日本語であっても、なにか異国語のような。要所要所の単語はすくいとれるけれども、文全体を理解するのに時間がかかる。前後の文脈の流れがわからなくなる。たった140字の世界であっても。余白を楽しんだり、行間を読むといったところが、ものすごく高度な技術であるように思う(実際のところ、高度か)。なんとかどうにか小説を最近は読み始めたり、すこし前に比べれば本を読めるようになってきているような気がしているけれども、一体どれほど呑み込めているかを考えると正直疑問で、こういう時に批評文を読むのも大事なのかもしれない。なんだか補助線のようなものがほしい。
7月6日(水)
 昨日は歯医者。歯科衛生士の実習生らしき方が一緒だった。長かった治療ももう終盤を迎えている。今月中には終わる予定。あの不快なドリル音ともようやくおさらば。  夜にme and you clubで参院選について話し合う。体調がさほど良くなかったのでほとんど聴いているだけにするつもでいたけれどもが、なにか口にしたい思いに駆られてしまった。そういうのが良くない気がする。
 今日は気怠さ。雨の気配消え、とても暑くなる予感。
 面接が控えているので、それに向けてうだうだと準備をする。
7月7日(木)
 昨日は面接。もごもごとした喋り口になり、人見知りが発揮されてしまった。なんだか自分を誇張してしまったような後ろめたさが残る。長所と短所を聞かれて、なんだかそういう面接の最も常套句であるはずのことごとをちゃんと準備してくるのを忘れていたことに気付いて、舌の上でころころと転がすように喋った。手応えは半々。通りそうな気もするし、他に適した人がいれば余裕で落とされるだろう。駄目なら駄目でもいいか、という気分。とても疲れて、その後は夜ごはんも食べないまま布団に寝そべっていた。たった一回の面接でいちいちこんなふうに倒れていては、なんだか保たない。生理前のせいもあるだろうし、鬱っぽさ(仮)もあるからだろう。
 最近はなにも流さない状態でイヤホンをしているとすこし落ち着く。耳に異物がいれられたままの状態自体は邪魔といえば邪魔なのだけれども、あらゆる音が遠のく。
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kitaorio · 3 years
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スマホいじったって、なにも変わんねーよ
「またステッカー増えた?」  真冬の曇天と寒風から避けるように昼日中から喫茶店の奥に陣取り、無為な会話を続けていた。  すぐにやるべきこともなく、何となくゲームに飽きて、たまたま、本当にたまたま暇だった者土同士でコーヒーを飲んでいた。  まるで部屋の片隅に自然と集まってしまうホコリみたいなつながりだが、中学から続いているのだから正真正銘の腐れ縁だ。妙に狭い椅子とテーブルに斜向かいに座り、喫茶店の薄暗い照明が外とは違う薄暗さだなと思いながらちょっとの話題を見つけては二言三言のやり取りをしていた。  ぬるくなったコーヒーをすすろうとしていたが、ステッカーについて聞かれて片手でコーヒーカップ、片手にスマホをもち、返事をするわけでもなく眺めている。 「おまえさ、この間も貼りすぎて固まりがはがれてなかったっけ?」  向かいに座っている長年見慣れたそいつは、不摂生な生活をしているくせに贅肉はなく、筋肉もないものだから発熱シャツで薄手になっていると造形物として見ても頼りなく見える。高校生の頃だったろうか、トーテムポールを擬人化したらお前みたいな感じになるんだろうなと軽口をたたいたら、それを聞いていたクラスの面々が面白がり、トーテムという呼び名になったりしていた。その年ごろから白樺の老木みたいな印象の体つきだった。  後期の試験を終えた大学生は忙しい。  学費を稼ぐのにバイトや家庭教師など、少しでも授業のない時間を収入に変えようとしている。ふつうは。 「あの剥がれかけたのはさ、ボンドでくっつけなおした。」  実家が金持ちという訳でもなく、奨学金とかで金銭に余裕があるとかではなく、ただ、時間の隙間ができてしまったと言うだけだ。  同じ大学ではないが、同じ路線を使っていて、進学したあとでも顔を合わすと話をする関係だ。  感染病の大流行で大学に行くこともなくなり、たまに登校するにしても人と会わないようにし、さらにはマスクで顔を覆い、偶然顔をあわせるということがほとんどなくなっていた。  今日は朝一番で大学の事務局に出し忘れていた提出物を届けるというつまらない用事を済ませ、午後はほとんどあいてしまっていた。  そんなしまりのないきっかけが元で行動の流れが変わって、さらに偶然として同じ電車に乗り合わせたのだった。 「そんなにステッカー張り付けて重くない?」  どうせ教科書とかでカバンが重いのだから関係ないのだという。  少しでもいい方がいいじゃん。と、同意を求めるわけでもなく、半分独り言みたいに言う。  昔からゲン担ぎとかにうるさく、大学受験の時はトランクスの柄も受験用に運が良さそうなのを選んだと言っていた。下着の御利益があったのか志望校に合格をしたのを善いことに、その担ぎ方は強くなっていく一方だった。  大学に入ってからだろうか、かってもらったばっかりのスマホにステッカーが付き始めた。はじめは、IT系のPCにやるようなものかと思ったが、どうも貼っているものが少し違う。お守りや護符みたいな柄が目に付いた。 「それさ、いつもどこで買ってるの?」  いつだったか聞いたことがある。目に付いた神社やお寺にあれば買っているのだという。そんなに見境無く張り付けていいものなのか気になったが、信心についてはあまり興味がないのでふれないでいた。  毎日手にとってそれとなく使っているがあまり意識しないが、スマホは最高峰の技術の固まりで、その心臓部は精密な回路の固まりだ。それは、まるで航空写真で大都市を眺めるような黒や緋色の四角いところに整然と線がつながっている。その街を駆けめぐるのは極々微弱な電気で意志や感情を持っている訳ではない。精緻・精密・理路の固まりが液晶を光らせ、電波を拾っている機械だ。けれども、肌身離さず持ち歩いているからか、財布やメガネと同じように身の回りの品の一つになっている。  だからといってステッカーを貼り重ねていくのもどうかと思うが、その張り方もたいがいなものだろう。鏡のようになめらかでまっすぐだったスマホの背中は、貼り重ねられたステッカーが地層のようになり、カメラのレンズがある部分以外は、シールで貼り固められていた。長いこと使い込んだ二つ折りの革財布が手のひらに納めたときに程良いような曲線になるように、スマホの地層も奴の手のひらに程良く収まるような小さな丘のようになっていた。  当人はそんなにゲン担ぎとか気にしてないと言うが、スマホの地層がそれを否定していた。  ステッカーを眺めながら言うことには、小学生の頃から学生になった今まで、安心して先のことを見たことがない。少し歩幅がずれただけで墜落してしまうような漠然とした恐怖が、目の前とその先にある未来に影を落としていると言う。試験でD判定なんてもらうもんなら、それだけで人生設計が崩れてしまうような恐怖だ。しかも、その人生設計と言っても目の前の壁を越えることぐらいしかない。  少し前の世代であれば、それは就活が代表的な壁だったが、その就活ですら、先輩達の話が通用しないぐらいに変化し続けている。  少しでも真ん中を歩かないといけない。真ん中からずれてしまったら、それで未来が終わってしまう、という恐怖だ。  恐怖の先にはなにもない。ただ、“大人”という漠然とした世界が始まる。  なんとなくの手いたずらなのか、スマホの裏を上にして積み重なったステッカーの地層を親指で撫でている。いつもやっているのだろう、指が当たるところのステッカーは色があせているところもある。 「これさ、就活対策セミナーとか見ているときによくやっちゃうんだよね」  本人もわかっている癖なのだろう。 「それさ、触ってると気持ちいいの?」  そういうわけでもないと言うが、先のことを考えたくないときにそこを触ってしまうのだという。  逃げているわけでも、無かったことにしようと言うのでもなく、今はそこに目を向けない時間にしたいというだけの、ちょっとの猶予時間がほしい時、そこに指が伸び、そしてつみあがったゲン担ぎの山を撫でていると言う。  指を二・三往復させるだけのちょっとの思考の隙間で、膨れ上がって気持ちが入る皿からあふれそうになる、先が見えないざわめいた感情を静かにしていると言う。  その説明をしながらも、指はステッカーの山の上を何往復もし、その気持ちがぶり返してきたのを落ち着かせようとしているのかと思った。  目の前の試験対策をしているときはやることがわかっているからか、手を動かすべきことにすべてを打ち込めいいのもあり、試験に対する不安は横にどけておける。けれども、大学という策の外にでようとすると、とたんに泥沼のような濃い闇につつまれた気持ちになって、息をするのもやっとの重い感情につぶされそうになる。  ステッカーの山のことを聞いて、さっきまでスマホの背中に指を這わせていたが、落ち着いたのか、今のことしか考えない自堕落モードに戻った。  けれども、その話を聞いたこちらの頭の中には、さっきまで忘れていた重い感情が漂い始め、ただでさえ薄暗い喫茶店の店内がさらに暗くなったように感じた。
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tamarivernail · 2 years
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12月10日#greengreenartmarché 開催します。 #たまリバネイル は毎度イベントではクイックネイルをやりますので、普段ネイルをしない人も年末のご褒美に是非 からたまリバネイルは ◉クイックネイル45分 ¥4,000-(税込) ◉ハンドマッサージ15分 ¥2,000-(税込) 2メニュー用意してお待ちしています。 クイックネイルは少しゆったりと、デザインもわがままに楽しんでいただけます。 ハンドマッサージは超高級コスメ #diptique のスクラブとバームを使用します。 いつものように出展者が1番のびのびのと遊びまくるイベントですが、お客さんも一緒に遊んでくれたら最高です。 今回初参加の作家さんもいらっしゃいます。由香先生と銀座のギャラリーで展示をされた作家さん。めちゃくちゃ可愛い作品に会えるのが楽しみです。 そしてゲンちゃんコーヒーは #マイペースカフェ としてみおちゃんという相棒と2人でやります。 グリーングリーンアートマルシェのパンも #大福ベーカリー として新メニューも出ますので、そちらもお楽しみに。 https://www.instagram.com/p/ClgcpiDvdTL/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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tamarivernail · 2 years
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本日の #たまリバ #greengreenartmarché #greengreenartschool で年に2回真面目に遊んで好きな事にお金を使うマルシェ���笑 みんな自分の売り上げは推しのグッズやらに突っ込んで大笑いして美味しいものを食べて満たされて。だけどお客さんも満たされている手答えは確かです。 今回からクイックネイルは50分に変更になった為、満足のいく仕上がりになってくれたと思いました。 ネイル後のお客さんのテンションを感じるだけで私もハッピーこの上ない。 #ゲンちゃんコーヒー #げんちゃんコーヒー #たまリバネイル #ネイル #ジェルネイル #調布ネイルサロン #プライベートネイルサロン #1人ネイルサロン #プライベートサロン #大人ネイルサロン #古民家ネイルサロン #つつじヶ丘ネイルサロン #仙川ネイルサロン #成城ネイルサロン #柴崎ネイルサロン #千歳烏山ネイルサロン #京王線ネイルサロン #三鷹ネイルサロン #狛江ネイルサロン #つつじヶ丘 #仙川 #成城 #パラジェル #初回オフ無料 #コロナ対策サロン #つつじヶ丘 駅徒歩4分 #仙川駅 徒歩15分 古民家プライベートサロン (at 野川公園) https://www.instagram.com/p/CeJIUdeP8Oc/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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tamarivernail · 2 years
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大好評の #greengreenartmarché またまたやります! 5月29日(日) 11時〜17時 来てみないと何に出会えるか分からないけど、来た人はみんな笑って帰っていく。 癒し200%のマルシェです。 レギュラーのメンバーは少し入れ替わりますが、新しい時計作家さんも今回から参加します。オーダーメイドの時計も是非見ていって下さい。 今回からたまリバネイルは◉クイックネイル45分 ¥4,000-(税込) ◉ハンドマッサージ15分 ¥2,000-(税込) 2メニュー用意してお待ちしています。 クイックネイルは少しゆったりと、デザインもわがままに楽しんでいただけます。 ハンドマッサージは超高級コスメ #diptique のスクラブとバームを使用します。 気まぐれにコーヒーを淹れてもてなしてくれるオーガニックなホストのゲンちゃんも来る予定です😊 (野川公園) https://www.instagram.com/p/CdZtRbkv6tp/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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tamarivernail · 3 years
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先日の #greengreenartmarché #グリーングリーンアートマルシェ #たまリバ 半期に一度の自分が遊ぶ為のマルシェ 我が息子(広汎性発達障害15歳)ゲンちゃんがゲンちゃんコーヒーを振る舞う晴れ舞台。 私はネイルしてるから、ほったらかしのゲンちゃんは @chiyowoolwool やら @naonao_handmade の見守りの中、コーヒー屋さんを3杯だけやりました。 もっとちゃんとコーヒー屋さんさせる為には練習が必要なので、次回は5杯目標で頑張ります。 自分達が満たされたいだけのマルシェといいつつも、出店の作家さんのレベルは凄いのよ😆 次回は来年の春に。 またまた開催よていです。 その頃にはアートスクールのお庭もリニューアルしてテラスでコーヒー飲めるかも。 来た事ない人もある人も次もたくさん楽しみましょう。 (野川公園) https://www.instagram.com/p/CXJM25zKHhj/?utm_medium=tumblr
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