『ハリウッド・スターはなぜこの宗教にはまるのか』 ジョン・スウィーニー 栗原泉 訳
原題は "The Church of Fear" なんだが、日本ではサイエントロジーはほとんど知られてないのでセンセーショナルな邦題はいいと思う。でもサイエントロジーのやってることと、この本が暴露する内容からしたら、恐怖の教会の方が正しいけどね。作者はBBCの報道番組のリポーターで、この本はこの人が取材したことについて書いてある。この人イギリス人なので、イギリス特有の皮肉ったコメントや反語的な物言いのためちょっと読みづらかったりしたが、どんどん読めた。
アマプラでここを脱会した女優(この本には信者として出て来る)の名前を冠したドキュメンタリーがあって、それを最初は好奇心から見てここはこんなとこだと驚き、こんなものだったんだと知った。教祖は元SF作家。これの聖書的なものはこの人の作品。でも表面的には悩んでいたり困っていたり弱っていたりする人に自信を持たせる教えもある。人類や世界の起源神話を作っていたり、人類を救うために立ち上がらねばならないとあったり、これをどうしたら信じられるのか俄には理解出来ないが、ここ、洗脳をうまく使うらしく、また、信者とのカウンセリング(ここでは他の名前で呼ぶ)を通して、信者個人の誰にも知られたくないような秘密を吐露させそれを担保として脱会させないようにしてるそうだ。それでも脱会した人には徹底的に嫌がらせをし、また、教会内にいる家族と絶縁させ孤立させる。二世信者たちの多くは子ども時代にここが作った学校に行ったり、または学校には行かなかったりしてまともな教育が受けられない。サイエントロジーの中でした生きていけないように仕向けるのだ。
教祖のハバードは1980年代だか90年代だかに死去し、その跡を継ぐミスキャヴィッジがどえらい独裁者で、暴言を吐きまくれば幹部信者に平気で暴力を振るう。この人が死んだら後継があるのか、ちょっと気になるところ。
楽しい読み物ではないが、興味深く読んだ。
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戦略会議 #06 現代アートキュレーション/ Anne d’Harnoncourt アン・ダノンコート読解
昨日に引き続き、今日も「キュレーション 「現代アート」をつくったキュレーターたち」の担当を読解。
②Anne d’Harnoncourt アン・ダノンコート
1982年から2008年まで、フィラデルフィア美術館の館長を務める。
1969年夏にマルセル・デュシャン没後、カサンドラ財団を通して、ビル・コブリーからの寄贈というかたちでデュシャンの遺作<与えられたものとせよ>の寄贈を受け、その時に実際に設置にあたる。
直後にウォルター・ホップスとともに美術館の紀要として<与えられたものとせよ>についてエッセイを執筆。マルセル・デュシャンをはじめ多くのアーティストのエキスパートとして知られる。
<影響を受けた人物>
・ルネ・ダノンコート (父)
1939年 サンフランシスコ世界博覧会で、ネイティブ・アメリカン・インディアンのアートを、アートとして、かつ民族的な素材として紹介した
・ジェームス・ジョンソン・スウィーニー
MoMA?、グッゲンハイム、テキサスの興行師
・A・ジェームス・スペイヤー
1961年から1986年までのあいだ、シカゴ アート・インスティチュートの20世紀美術のキュレーターを務める。ミース・ファン・デル・ローエの弟子。
シカゴ アート・インスティチュートのモートン・ウイングでの数々の展示を手がけた。
1969−71年にアン・ダノンコートをアシスタント・キュレーターとしてともに仕事をした。
上記3人の影響を受ける。
3人は展示の仕方に焦点を当て、作品がどのように見せられるかということに関心をもっていた。
作品を展示の方法に埋没させることなく、その真価を問う。
アーティストと直接一緒に仕事をすることの絶対的な喜び。
<フィラデルフィア美術館、マルセル・デュシャンとの出会い>
1967年秋、フィラデルフィアにて彼の作品を持ってきたアレンスバーグ家という偉大なコレクターについてインタビューをした。
1968年夏デュシャン死去
この後、フィラデルフィア美術館は、カサンドラ財団を通して、ビル・コブリーからの寄贈というかたちでデュシャンの遺作<与えられたものとせよ>の寄贈を受ける。
秘密裏にNYより、作品を移動設置し、1969年夏に<与えられたものとせよ>は公開。
その時に、ウォルター・ホップスとともに美術館からのコミッションにより<与えられたとせよ>についてのエッセイを執筆。
フィラデルフィア美術館のアレンスバーグ・コレクションは文字通り、デュシャン・ギャラリーとなった。アートとアーティストが好きな若者にとって「最高の環境」となった。
この後、シカゴのアート・インスティチュートへ行き、ジム・スペイヤーのアシスタントとして1971年まで働く。
1971年にフィラデルフィアに戻り、それまでなかった20世紀美術のキュレーターに就く。
<美術館の役割、キュレーターの役割>
「キュレーターというのは、アートの喜び、アートの強さ、アートの破壊力などについて、人々の目を開かせるものだと思っている」
「見て見て見て、さらに見て見て見て、またさらに見て見て見よ、ということです。見ることに代わるものはないですから。アートとは全て、見ることに集約されるのです。それは表面を見ることにとどまりません。より深く見るということであり、つまり見ることで考えることになるのです。これはデュシャンのいう「網膜的」であれと言っているわけではありません。アートと「共に」あれということです。ギルバート&ジョージの「アートと共にあれ」というのはまさしく名言ですね」
pp.254
現代アートで面白いのは「作品の横に解説を貼りますか?それとも来場者に考えてもらうことにしますか?」という言説が常に繰り返されることです。私は、もしアーティストがよほど嫌がらなければ、充実したテキストを置くことを勧める立場をとっています。<中略>来場者はそれを読んで、同意したりしなかったりすることで、考えの叩き台が得られるからです。<中略>こういう解釈をしている人もいますが、これが正しいということではありません。という立場です。あくまである種のフレームワークの提案なのです。
pp.259
こうすればいい、という正解はないのです。好きなように反応してもらって良くて、美術館はそこで新たな見方をする可能性やそのための情報を提供しますよ、ということです。
pp.261
美術館は、外から見ると巨大で威圧的なネオクラシカル様式の神殿のような建物に見えますが、なかで行われていることは、外観からはまるで想像がつかないということです。<中略>世界に向けられて開かれた窓のようなもので、光があり空気があり広い空間があるので、いろんなつながりを見出す余裕があります。
pp.263
大事なのは全てが同じになることではなく、むしろ全てが異るままに、異なった空間の中で経験する可能性を、提供することです。
pp.265
美術館のあり方からフィラデルフィア美術館の拡張時に考えたこと、
ユートピア的なプロジェクトの質問では美術館の無料化(図書館のように)インターネットの活用によりかえって「モノ感」を失わないことなど。
忘れられない展示として1979年の「シヴァ神の出現」と話はつづく。
<関連のあった作家>
マルセル・デュシャン
マーク・ロスコ
ルイーズ・ネヴェルソン
アレクサンダー・ガルダー
ジャスパー・ジョーンズ
ジョン・ケイジ
マース・カニンガム
キーン・ホルツ
ギルバート&ジョージ
他多数
とざっとこんな感じ。
<概要>
父、ルネ・ダノンコートのもと、MoMA、フィラデルフィアで若い頃から多くのアーティストと接点はあった。1960年の後半、特にマルセル・デュシャンの死後彼の遺作<与えられたもの>の秘密裏な寄贈・設置というプロジェクトに関わり、ウォルター・ホップスとともに<与えられたもの>についてのエッセイを執筆。その後、積極的にアートの世界での活躍の幅を広��る。1969−71年の間、シカゴのアート・インスティチュートにてジム・スペイヤーのもとアシスタント・キュレーターとして働く。
1971年にフィラデルフィアに戻り、当時はなかった20世紀美術のキュレーターとして10年にわたり、20世紀美術のコレクションを作り、NY、シカゴと連携し多くの展示を手がける。
現在は多少なり浸透している、現代アートへの見方の基盤となる考え方、美術館と現代アートのアーティスト、作品との関わり方、あり方などの基本的な考え方は彼女の言葉から出てきたのではないか?と思えるほどに現代アートへの考え方を明確に言語化している。
戦略会議 #06 現代アートキュレーション
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