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#デイヴィッド・コパフィールド
straycatboogie · 2 years
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2022/12/24
BGM: HAL FROM APOLLO'69 "TERRAPLANE BOOGIE"
朝、インドネシアのジュディスさんからメッセージをいただく。日本に行きたいとのこと。そう言って下さるのを聞いて嬉しくなる。今年ももうすぐ終わる。彼女ともclubhouseでつながらせてもらって、いろいろお話しすることができた。来年も交際できればいいなと思う。今日は早番だったのだけれど、仕事前にHAL FROM APOLLO'69やコーネリアスを聴く。そして仕事をこなし、休み時間はぼんやりと過ごす。つまりいつもの時間を過ごしたわけだ。クリスマス・イブだろうがお正月だろうが、私の時間は極めて平々凡々に流れていくのだった。多分明日地球に隕石が衝突するという日になっても私はそう過ごすだろう。
年末年始で困ることの1つが図書館が閉館するということで、借りたい本は借りておかなくてはならないが私の関心は猫の目のように激しく移ろう。なのでいったいどんな本を読みたくなるか私にもまったくわからない。昨日までジョン・アーヴィングがどうとか言っていたのが、今日は夏目漱石を読みたくなっている。とりあえずフランスの友だちと約束していたディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』の第1巻を借りる。『二都物語』や『オリヴァー・ツイスト』と併せて読むかもしれないし、見向きもしなくなるかもしれない。私には皆目わからない。
クリぼっちという言葉があるが、今年もクリスマスは1人でグループホームで過ごすことになる。不幸なことにと言うべきか、今年のクリスマスは寒波の影響を受けそうだ。今日はDiscordでチャットを楽しんでいたら友だちから「World's End Girlfriendのライブをオンラインでやってますよ!」と教えてもらう。見てみたのだけれど老いの悲しい現実として眠気に勝てなかった。なので眠ってしまった……こんな感じで老化に悩まされながら生きていく。シングルベルな日々。今年はグループホームの施設長の方にもソウルメイトのこと、女性っ気がまるでない日常のことを相談したこともあったっけ。バカなことをしたものだ。いや、切実な悩みではあるのだけれど。
読んでいない本で読んでおくべきだと思う本はたくさんある。『グレート・ギャツビー』や『自負と偏見』など(特にジェーン・オースティンは全作品を読みたいとも思う)。だが、私は関心のあること、これをやりたいと心から思えることでないとできない。なので「今まで何やってきたんだ」「こんな本も読んでないのか」と叱られようが、できないものはできないのだからできないというトートロジカルな理由で不可能なのである。そうした「できない」を受け容れてできることの制約の中で楽しむこと。それが人生の秘訣ではないだろうか。私は発達障害の影響で車を運転できないけれど、その制約の中で何とか人生をエンジョイできている。スピノザや國分功一郎から学んだ人生の秘訣だろう。
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misasmemorandum · 3 years
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『デイヴィッド・コパフィールド』5 ディケンズ 石塚裕子 訳
とうとう読み終えた。最終巻では、全ての登場人物がどうなったかが書かれていて、ほっとしたり気の毒になったり。デイヴィッドの継父とその姉の末路はすっきりするものだったが、この人たちの名前を、私はすっかり忘れていて、誰だったっけかと思いながら読みました(苦笑)。私、ミコーバーはあまり好きなキャラクターではないんだけど、オーストラリアに行って成功したんだから、ミコーバーの妻は夫をかいかぶっていたわけではなかったのだなと思ったり。しかし、本国で埒があかなくなった人々を植民地に送るってのは、イギリス社会の閉鎖性がガッツリと見られて、いいんだか悪いんだか複雑な気分になった。
ディケンズ、次は『大いなる遺産』を読もう。それ以外(『オリバー・ツイスト』や『リトル・ドリット』など)はもう読まなくてもいいんじゃないかと思ったりしてる。
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readleafbooks2022 · 2 years
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【素敵な洋書絵本の紹介】 チャールズ・ディケンズ(1812-1870)は、ヴィクトリア朝時代を代表するイギリスの小説家です。 「オリヴァー・トゥイスト」「骨董屋」「デイヴィッド・コパフィールド」「大いなる遺産」「ハード・タイムズ」「クリスマス・キャロル」「ニコラス・ニクルビー」「二都物語」 代表作の8作品を、子どものために語られる最も愛されている作品として収録されています。 ディケンズの作品は日本でもたくさんの人々に読まれています。書店の本棚にも定番タイトルとしてあるかと思います(「クリスマス・キャロル」は季節の本としても必ず店頭に並びますね!)。 子どもたちが読みやすいように、再構成され、イラストをふんだんに盛り込んだディケンズの作品集です。 A World Full of Dickens Stories: 8 Best-Loved Classic Tales Retold for Children Contributor(s): McAllister, Angela (Author), Hansen, Jannicke (Illustrator) EAN: 9780711247727 Publisher: Frances Lincoln Ltd Binding: Hardcover Pub Date: May 19, 2020 Target Age Group: 09 to 11 Physical Info: 1.52 cms H x 27.69 cms L x 24.38 cms W (0.79 kgs) 128 pages Annotation: A beautifully illustrated anthology of some of Charles Dickens's greatest works retold by the incredibly talented Angela McAllister. Including Oliver Twist, David Copperfield, A Christmas Carol and several more, these much loved classics are brought to life with the perfectly paired artwork from Jannicke Hansen. #jannickehansen #readleafbooks #art #本 #本棚 #絵本 #児童書 #絵本屋 #洋書絵本 #絵本が好き #絵本が好きな人と繋がりたい #絵本のある暮らし #芸術 #英語 #イラスト #base #baseec #ディケンズ @readleafbooks Webショップで紹介中。プロフィールからぜひどうぞ! https://www.instagram.com/p/CcnKM4Bvp8v/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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173  でんちゃん(東京都) :2011/02/13(日) 15:43:16.76 ID:BmTkD6KcP
超名作 赤と黒 失われた時を求めて カラマーゾフの兄弟 城 神曲 戦争と平和 特性のない男 ドン・キホーテ 白鯨 ファウスト ボヴァリー夫人 魔の山 ユリシーズ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 名作 悪霊 嵐が丘 アンナ・カレーニナ 異邦人 史記 大いなる遺産 審判 罪と罰 人間の絆 白痴 響きと怒り 百年の孤独 パルムの僧院 ブッデンブローク家の人々 ペスト レ・ミゼラブル ロリータ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 良作 阿Q正伝 嘔吐 オデュッセイア ガーブの世界 ガラス玉演戯 グレート・ギャッツビー ゴリオ爺さん 桜の園 デイヴィッド・コパフィールド ハックルベリー・フィンの冒険 ハムレット はつ恋 緋文字 フェードル 北回帰線 八月の光 マダム・エドワルダ 冷血 夜の果てへの旅 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 佳作 アレクサンドリア四重奏 怒りのぶどう イワン・デニーソヴィチの一日 女の一生 ガリヴァー旅行記 感情教育 巨匠とマルガリータ クオ・ワディス 高慢と偏見 紅楼夢 三国志演技 失楽園 ジャン・クリストフ 千夜一夜物語 大使たち 大地 チボー家の人々 溶ける魚 トリストラム・シャンディ ナジャ ブリキの太鼓  ホテル・ニューハンプシャー モンテ・クリスト伯 ライ麦畑でつかまえて 老人と海 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
178  ユートン(長屋) :2011/02/13(日) 15:46:34.92 ID:qGe8s4Z90
»173 これコピペ?よく出来てるね
181  プイ(catv?) :2011/02/13(日) 15:54:13.43 ID:mZpvvqeV0
»173 はつ恋って新訳でたの? 主人公の親父と初恋相手がSMプレイしてるとこを目撃した主人公が 心のなかで南無三って叫んだときは流石に吹いたわ
198  だっこちゃん(catv?) :2011/02/13(日) 16:09:18.70 ID:Qjnvyoyi0
»173 ナジャが佳作とか頭わいてんじゃねえのかカスが
269  なまはげ君(チベット自治区) :2011/02/13(日) 16:45:38.49 ID:iO+AVwu60
»173 史記って小説かよ 列伝とかは面白いのか?
295  赤太郎(長野県) :2011/02/13(日) 16:59:43.98 ID:XJuFWxHH0
»173 自分はこのリストの八割は未読だけど これ作った奴もほとんど読んでなさそうだな
311  BMK-MEN(京都府) :2011/02/13(日) 17:33:52.85 ID:LboV9si/0
»173 これは例のコピペと違って普通じゃね
416  環状くん(catv?) :2011/02/13(日) 20:57:12.90 ID:0DCqvbLL0
»173よりもこれを読め 有名どころばかりが面白いってわけでもないぞ スタンダール『恋愛論』  マルセル・プルースト『ジャン・サンタトゥイユ』  フョードル・ドストエフスキー『未成年』 フランツ・カフカ『変身』  ダンテ・アリギエーリ『新生』  レフ・トルストイ『復活』  ロベルト・ムージル『黒つぐみ』 ミゲル・デ・セルバンテス『ペルシーレスとシヒスムンダ』 ハーマン・メルヴィル『ビリー・バッド』   ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ『若きウェルテルの悩み』  ギュスターヴ・フローベール『ブヴァールとペキュシェ』 トーマス・マン『ヴェニスに死す』  ジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』  エミリー・ブロンテ『カラー、エリス、アクトン・ベルの詩集』 アルベール・カミュ『カリギュラ』  チャールズ・ディケンズ『二都物語』  ウィリアム・サマセット・モーム『月と六ペンス』 ウィリアム・フォークナー『サンクチュアリ』 ガブリエル・ガルシア・マルケス『迷宮の将軍』  ヴィクトル・ユーゴー『ノートルダム・ド・パリ』 ウラジーミル・ナボコフ『断頭台への招待』 魯迅『狂人日記』  ジャン・ポール・サルトル『自由への道』  ホメロス『イリアス』 ジョン・アーヴィング『サイダーハウス・ルール』 ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』  フランシス・スコット・フィッツジェラルド『バビロン再訪』 オノレ・ド・バルザック『谷間のゆり』  アントン・チェーホフ『かもめ』 マーク・トウェイン『トム・ソーヤーの冒険』
418  環状くん(catv?) :2011/02/13(日) 21:00:49.37 ID:0DCqvbLL0
»416の続き ウィリアム・シェイクスピア『リチャード三世』  イワン・ツルゲーネフ『父と子』  ナサニエル・ホーソーン『ウェイクフィールド』 ジャン・ラシーヌ『アンドロマック』  ヘンリー・ミラー『南回帰線』  ジョルジュ・バタイユ『エロティシズム』 トルーマン・カポーティ『ティファニーで朝食を』  ルイ・フェルディナン・セリーヌ『なしくずしの死』  ロレンス・ダレル『黒い本』 ジョン・スタインベック『エデンの東』  アレクサンドル・ソルジェニーツィン『収容所群島』  ギイ・ド・モーパッサン『ベラミ』 ジョナサン・スウィフト『ドレイピア書簡』  ミハイル・ブルガーコフ『犬の心臓』  ヘンリク・シェンキェヴィチ『火と剣とをもって』 ジェーン・オースティン『エマ』  羅貫中『三遂平妖伝』  ジョン・ミルトン『復楽園』  ロマン・ロラン『ミケランジェロの生涯』 ヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転』  パール・バック『息子たち』  ロジェ・マルタン・デュ・ガール 『ルルー爺さんの遺言』 アンドレ・ブルトン『狂気の愛』  ローレンス・スターン『センチメンタル・ジャーニー』  ギュンター・グラス『蟹の横歩き』 アレクサンドル・デュマ・ペール『三銃士』  ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー『ナイン・ストーリーズ』 アーネスト・ヘミングウェイ『武器よさらば』
” - 読まなきゃ人生八割損する小説 (via toshigus)
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abraxas174 · 5 years
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『レス』アンドリュー・ショーン・グリア
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『レス』というのは主人公の名前である。最近では珍しくなったが、『デイヴィッド・コパフィールド』しかり、『トム・ジョウンズ』しかり、長篇小説の表題に主人公の名前をつけるのは常套手段だった。原題は<LESS>。これが「(量・程度が)より少ない」という意味を持っていることくらい、最近では小学生でもわかる。そういう名前の持ち主が主人公であり、それが表題や各章のタイトルになっているとしたら、初めから内容が想像できるというもの。
口の悪い評者がハリウッドの二流のロマコメのようだ、と評していたが、いいじゃないか。ロマコメは嫌いではない。スプラッターやホラーより、ずっと好きだ。でもこれはロマコメではない。男女間の恋愛は一切出てこない。というより主人公のアーサー・レスはゲイなのだ。ただし、コメディではある。行く先々でトラブルが待ち受けており、アーサーはバナナの皮に滑り、落とし穴に落ちる(いうまでもなくこれは比喩である)。読者は痛い目に遭うアーサーのしくじりを笑いながら、しだいに愛しはじめていることに気づく。
「行く先々」と書いたが、これは比喩ではない。本文中にもちらっと出てくるが、小説の中で主人公は世界を一周する。そう、ジュール・ヴェルヌの『八十日間世界一周』のように。ただし、相棒のパスパルトゥを連れずに。それというのも、それまでパスパルトゥ役を受け持ってくれていた恋人のフレディが結婚式を挙げることになったから。勿論、喧嘩別れではないので式に招待されている。アーサーは式に出て、みんなに笑いものにされることをひどく怖れている。しかし、欠席しても陰口を叩かれるのは同じだ。
アーサーにはかつてピュリッツァー賞を受賞した詩人のロバートという年上の恋人がいた。マリアンという女性と結婚していた詩人を奪って長い間一緒に暮らした過去がある。その彼が若いフレディと暮らしていることをみんなが知っている。今度は、もうすぐ五十になる自分が捨てられた格好だ。式を欠席する口実を作るため、彼は放ったらかしてあった手紙の束を手にとり、スケジュールを組み上げた。世界各地で行われるコンテストや、講演、対談の依頼をかたっぱしから引きうけるのだ。言い忘れていたが、アーサー・レスは作家である。
処女作『カリュプソ』は、『オデュッセイア』の「カリュプソ」の視点からの語り直しだった。これは世界で訳書が出されるほど評判を呼んだ。ただし、最新作『スウィフト』は、出版社に留め置かれたままで出版のめどが立っていない。アーサーは長年の恋人と別れ、独りで五十歳の誕生日を迎えることに耐えられそうもない。そこで、旅に出ることにした。そうすれば、次々と立ち現れる新しい土地のできごとに気がまぎれ、フレディのことを考えずにすむだろうし、友人たちとサハラ砂漠をラクダで越えながら、誕生日を迎えられる。
一番目はサンフランシスコの自宅からニューヨークへ飛び、SF作家との対談。二番目はメキシコ・シティで開かれる学会に参加。三番目はトリノで最近イタリア語に訳された本に賞が与えられることになっている。四番目はベルリン自由大学の冬季講座で、好きなテーマで五週間の授業が待っている。五番目はモロッコでマラケシュからサハラ砂漠を越えてフェズまでの旅。これは自費の旅行。六番目はインド。フレディの義理の父である旧友カーロスの提案でアラビア海を見下ろす丘にある隠遁所で小説を執筆する。最後が京都。懐石料理を食べて機内雑誌に記事を書く。東から飛び立ったアーサーは世界を一周して西から帰ってくることになる。
しかし、対談相手のSF作家は食中毒に苦しんでいるし、メキシコの学会は終始アーサーには理解できないスペイン語が使われている。トリノでは最終選考に残った作家たちの間で自身を喪失し、ベルリンでは自分のドイツ語のひどさを思い知らされる。ただし、悪いことばかりでもない。ベルリンの授業は若者たちに大うけだし、ヴィンセントという恋人もできる。サハラ砂漠ではお定まりの砂嵐に遭遇するが、自分の小説に足りなかった点を発見することもできる。��ンドでは、それを手掛かりに小説を書き直し始める。
主題は、アーサーがオーラのように身に纏うイノセント(無垢)である。よくある手法だが、語り手は知っているが主人公は知らない。アーノルド・ローベルの『お手紙』という絵本がある。かえるくんが親友のがまくんに手紙を書く。それをかたつむりくんに配達してもらうのだが。「まかせてくれよ」「すぐやるぜ」というが、勿論手紙はなかなか届かない。がまくんの家を訪ねたかえるくんはがまくんに書いた手紙を聞かせる。「いい手紙」を待つ二人の長い時間が愛おしい、というあの手法だ。
アーサーの小説は「仰々しく感傷的」と評されたり、自分がゲイであることを恥じている「駄目なゲイ」であることを書いている、とゲイの作家に言われたりする���そう言われるたびに傷つき、自信を無くすアーサーだが、彼の小説が好きだ、という人物は周りにたくさんいる。アーサーにそれが見えていないだけだ。五十歳が近づき、年取った独身者のゲイになることを心の底で怖れてもいる。しかも、それを隠そうともしない。人前にまっさらな自分を開けっ広げにできる人間などめったにいない。それも五十歳にもなって。
授業で取り上げられる作品がジョイスだったり、ウルフだったり、レイモンド・チャンドラーの言葉が引用されたり、とお気に入りの作家がチョイスされていることも嬉しい。ネタバレになるので詳しくは書けないが、手の込んだメタ小説でもある。「信頼できない語り手」という手法も取り入れて、予想される結末へと向かってじっくり迂回しながら歩を進めてゆく。伏線の回収のされ方も堂に入ったもので、失くしたものと手に入れるものの均衡すら美しい。コメディでピュリッツァー賞(文学部門)受賞というのも、なかなかないことらしい。人物や衣装、風景の美しさはまさに映画向き。チャーミングな小説である。
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n0-l · 8 years
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2017.03.18
昨日は22時過ぎに寝て、今日は7時に起きることができた。今日も母に整体に連れて行ってもらった。震動する球の機械を頭に当てたら、母とは違う音がするそうだ。やはり強張っていると。整体に行く前、僕はヴァレスの「子ども」を読んだ。子どもを描いた小説において、主に主人公などの主要な作中の人物が、同性だが羨望の念を抱かざるを得ないような、相対的な、そういった強烈な性向を持っている人物が出てくる作品がある。例えば、トニオ・クレエゲルに出てくるハンス・ハンゼン、恐るべき子供たちのダルジュロス、デイヴィッド・コパフィールドのスティアフォース、車輪の下のヘルマン・ハイルナーなど。これらの人物に僕は大いに惹かれるところがあるのだが、この子どもにはそういう気迫を持った人物が出てこなかった。
そして、僕も「子ども」を題材とした自身の小説に、そのような人物を登場させたほうがいいか、迷うところではある。
整体が終わると、首を激しく前後に揺らしたり、筋肉や骨をバンバン叩かれたりしたせいか、揉み返しが起こり、車の中で僕は調子が悪くなり、吐き気がした。なにもできる状態ではなかった。一刻も早く家に帰りたかったが、妹が迎えに来てほしいとのことだった。高校の友達もいるそうで、高校生の女性と僕は一緒の車に乗るのか、と思うと少し緊張したが、僕は半纏を着ており、車の後部座席で倒れているしかなく、早く家に帰って布団に入らなければ気が済まなかったので、帰ろう、と母に言い、そしてトラベルミンを薬局で買ってきてもらい、舐め、布団で寝た。言葉を漏らすことにいちいち後悔を覚えた。自分が前の運転席にいる母に発した言葉を、自分で聞くということに耐えられなかった。しゃべりたくなかった。一人になりたかった。あまりにも話が噛み合わない。
ここで「自閉症」という言葉が浮かんだ。僕は昨日、市内のメンタルクリニックに行った。
診察の際の会話を思い出した。僕は医師に中学の頃の話など、生活歴を聞かれ、話した。 「サインバルタという抗うつ薬飲んで効果あるような感じした?」 「はい。ただ、リスパダールの副作用があってから、薬が怖くて飲めていません」 「だったら今まで全然飲んでないお薬に変えてみる?」 「そうですね。それがいいんでしたら」 「どうも私あなた自閉症の要素がある気がするから、私がオススメの薬があるから飲み始めてみてください」
(え、自閉症…?)と驚いた。
「自閉症っていっても何が当てはまりますか?」 「自閉症スペクトラムっていうのは、いろんなのを含んでるから自閉症スペクトラムっていう容態でいいんじゃない? 新しいお薬は、自閉症スペクトラムの方に私はよく出すんですけど、デパケンって言って癲癇の治療薬なんですが、私はじんわり効いてくれる薬だと思ってるんで、出しときますね〜」 「具体的にどういう効き目が現れてきますか?」 「混乱とか、神経が不安定な方に関しては私はいい薬だと思ってま〜す」
それから市の図書館で「自閉症スペクトラム障害」という軽い本を一冊読んだ。出席停止になったという話をすると、その医師は中学の頃の先生の判断は正しかったんじゃないか、というようなこと言った。確かに、先生は、僕の行動を見て、いわゆる不注意型、多動・衝動型、混同型の三つに分かれるらしい「ADHD」のようなものを疑って、深刻化していた。だが、学校はそういうものの専門家ではないから、一旦専門機関に見てもらえという意味で出席停止にもしたのだと思う。だが、両親は、僕が言葉をきちんと話すことができなくても、注意散漫でも、僕を信じたい、というか信じるべきだ、という気持ちが先行していたと思うし、さらに義務教育なのに、生徒を学校側から行かせなくするのはおかしい、と学校に対して疑問を抱いて、また自分たちを責め、不安定にもなっていた。さらに、自分の子供が自閉症と診断されることに少しばかり心理的な抵抗があり、恐れていたのではないかな。
でも、もし僕がその時、専門機関できちんと検査し、自閉症と診断されていたら?今の僕はどうなっていただろう。もちろん僕も当時、自分が自閉症と診断されることを断固として拒絶し、許さなかっただろうが、もしそれを受け入れていたら?
その本の145pに「高機能自閉症を抱えていると、言語的な表現が偏ってくることがしばしばある」と書かれていた。確かに「当てはまっていた」ような感じはする。が、今までの自分はそれを拒んできた。
僕は自閉症だったのか?というか、自閉症なのか?先天的な脳機能障害、つまり、遺伝子異常が自閉症の要因としてあるらしいが、特定の��伝子異常から自閉症を説明することはまだ困難らしい。
もし、昨日もらったデパケンとやらで、この生活の中で常に体験されている檻みたいな感情から解放されたとしたら?
そしたら僕はもう自閉症でもいいと思った。車の中で僕は「自閉症のような自分」を意識した。そして悶々としていた。
そのあと、「高機能自閉症」と診断される夢を見た。
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straycatboogie · 2 years
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2022/12/09
BGM: RHYMESTER "LIFE GOES ON"
今日は遅番だった。朝、clubhouseで開かれていたジュディスさんの部屋に入る。そこで英語で話をする。ジュディスさんは私が自分の英語に自信を持てていないという話をしたら、いろいろアドバイスを下さった。もちろんありがたいことだと思うのだけれど、昨日も書いたけれど私は自分の英語が自信がないならないで開き直ろうとも思っている。破れかぶれで話すというか、流暢に喋れなくとも気の利いたことを言えなくとも、それが自分の英語なのだからしょうがないと居直って喋ろうとも思っているのだった。そうすればきっと悪いようにはならない、と。
その後イオンに行き、ジョン・アーヴィング『未亡人の一年』の続きを読む。ああ、アーヴィングの小説が沁みるようになったとは、自分もずいぶん歳をとったものだ。私も昔はライトノベルを読んでみたり、もっと型破りな展開の作品を読んだりして悦に入ったものだが今はこんな「人生の実相」を見せてくれる作品に興味を持っている。アーヴィングはディケンズと並び称される存在だそうだが、意外と(?)今の私ならディケンズの良さもわかるのかもしれない。『デイヴィッド・コパフィールド』を年末年始に読むのもいいかもしれない。
ふと、2015年のあの日のことを思い出す。4月3日、私は断酒を始めることを決意した。あの日再び酒に手を付けていれば、私はそれこそ50代か60代で死ぬ人生を歩んでいたかもしれない。確かにそれも人生ではあるが、そんな人生は悔しいとも思って断酒を始めたのだった。酒が生きがいだった私から酒がなくなるというのはとても怖いことだったけれど、今思えばそんな風にして幸せになることを選ぶのも勇気のいる選択だったということになるのかもしれない。知り合いにひきこもりから脱出した人がいるが、彼もまた勇気を必要としたのだろうか。
そして今……英語に自信がない、と書いたことと矛盾するかもしれないが私は今の自分自身を誇りに思う。いや、私より英語が上手い人、私より本をたくさん読んでいたり賢かったりする人はゴマンといるだろう。そんな比較によって自信を持つのではなく、自分の内側からこんこんと湧き出てくる自信を大事にする。そうして生きていきたいと思っているのだった。ここまで来た。ジョブコーチのことも実現し、英語も少しずつ修練を積んできた。そして、これからも少しずつ。ライフ・ゴーズ・オン。人生は続いていくのだ……焦らず腐らず諦めず。
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straycatboogie · 2 years
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2022/11/27
BGM: SION "冬の街は"
今日は休みだった。朝、どう過ごすか迷った挙げ句図書館に行き本を借りる。ジョン・アーヴィング『オウエンのために祈りを』と『神秘大通り』、そしてディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』だ。ジョン・アーヴィングの本を読むのはずいぶん久しぶりになるな、と思う。実を言うと高校生の頃に村上春樹が翻訳していたという理由で『熊を放つ』を読み、そこから『ガープの世界』『ホテル・ニューハンプシャー』を読んだはずだが何せ30年前のことだからぜんぜん覚えていない。考えてみれば高校生にジョン・アーヴィングがわかるだろうか、とも思ってしまう。
それで『オウエンのために祈りを』を読み始めてみた。すると文章がさすがというかこちら���グリップする力があり、読める。ここ最近本を読んでいてもどの本も同じようなことしか書かれていないとさえ思い、端的に退屈してしまっていたのだけれどこれは読めそうな気がしてきた。もしかしたら30年ぶりに『ガープの世界』や『ホテル・ニューハンプシャー』を再読する機会になるのかもしれない。そして、ジョン・アーヴィングがしみじみと沁みるようになってきたというのは私の人生も別のステージに達したということなのかもしれないな、と思った。
昼、ネットフリックスのドキュメンタリー『Racionais MC's:サンパウロのストリートから』を観る。ブラジルに友だちがいて彼がいろいろ彼の地の話をしてくれるので、その友だちのことを思いながら観た。ハショナイスが戦っている相手がどういう「巨悪」なのか日本にいる私は見極められていないとも思って、自分が確かに「平和ボケ」しているかなとも思う。このドキュメンタリーを観て私はハショナイスのファンになった。ブラジル版『ストレイト・アウタ・コンプトン』とも言える実に硬派な作りの映画で生々しい迫力を感じた。
夜、ジョージ・クルーニー『僕を育ててくれたテンダー・バー』を観る。ネットスラングで「親ガチャ」という言葉があるのを思い出した。親は選べない、という現実。だが、その現実の中ででも学べることはたくさんあるだろう。この映画の主人公JRはバーで大人たちから成長するための手ほどきを受け、一歩ずつ大人への階段を上っていく。その酒は旨そうだな、とも思った。いや、私はもう酒とは無縁に生きたい。二度とあんな地獄のドロドロした日々は過ごしたくない。だが、こういう映画は酒場がもたらす幸福な側面について教えてくれるとも思う。
※今年の冬もシングル・ベルになりそうなので、SpotifyでSIONの珠玉の曲たちを聞いて静かにXmasを祝おうと思う。
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misasmemorandum · 3 years
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『デイヴィッド・コパフィールド』(一) ディケンズ 石塚裕子 訳
これは非常に楽しくどんどん読めてる。著者の自伝的作品らしいが、そのせいなんだろうか。主人公の母親が自主性も自立性も覇気も何もない、しかもちょっとおバカなんだろうか金目当ての一見チャーミングでコントロール・フリークなDV男と再婚するのには苛々した。そして、この外見はいいがDV男が他にも出て来るし、人はいいけどどっか間抜けな男とかもいるし、主人公の知り合い周りでは、この当時の下層階級である主人公の母付きの召使いだった女性の親戚あたりが一番まともだった。しかし、この時代は生まれが貧しいだけでまともとはみなされないんだから噴飯物だ。
主人公、まだ10歳くらいなのに、とても礼儀正しいし謙りすぎと思われるくら丁寧に話すし、継父から仕事に出された先でも(継父は賃金を自分の懐に入れていただろう!)きちんとやってのけるし、頭のいい子なんだろうと思う。他の庶民/貧民たちと中産階級出身の自分は違うんだ!と己を奮い立たせるが、ま、これは時代。この苦境から逃げ出すところで岩波文庫版の一巻は終わります。
二巻も読み始めてる。
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misasmemorandum · 3 years
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『デイヴィッド・コパフィールド』(四) ディケンズ 石塚裕子 訳
デイヴィッド、大人になって行きます。
この時代の中産階級での女性のあり方、『ミドルマーチ』でも思ったが、良く言えば「家庭の天使」だろうけど、悪く言えば夫の愛玩動物だわ。ドーラはお嬢様過ぎて、一家の主婦になる教育など受けてなくて(『ミドルマーチ』でもそんな女性は出てましたが)、それでもデイヴィッドはドーラが可愛くて仕方ないんだから、デイヴィッド馬車馬のように働いて金を稼ぐしかないな。『荒涼館』の主人公が荒涼館の女主人として有能であると描かれていたのは、こう言う可愛いだけの女性とは一味違うことを表したかったからか?あまり美人でないことになってる上にあばたなっちゃうしな。しかし、ここまで何も出来ない、でも私って可愛いでしょう、な女性は歯痒いを通り越して腹が立ってくるが、これは現代的な感覚で、この時代の感覚を持つ人は、ドーラが金持ちと結婚できなかったことを可哀想だと思ったりするんだろうな。ま、どうでもいいが。
残るは最終巻の五巻。他の本を読んでてちょっと休憩中になってます。どうやらディケンズ、力技で大団円に持って行くようだ(五巻の巻末にある解説を読んでしまったのだ。ネタバレってか、どうにかしてそうなるだろうと思ってたし、その予兆は四で描かれてるしね)。ぼちぼち読みます。
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misasmemorandum · 3 years
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『デイヴィッド・コパフィールド』(三) ディケンズ 石塚裕子 訳
デイヴィッド、ドーラに恋をする。のぼせあがってて、これはこれで可愛いと思う。ステアフォース、やっぱりな、だった。これに関するこの人の母親の反応が凄かった。自分から息子を奪った、って奴。何事も自分が中心なのだな。
そして、大伯母が破産、、、、、。デイヴィッド、また金の苦労が始まる。そうそう、アグネスはデイヴィッドが好きなんだろうな。アグネスにしといたほうがいいよ、絶対、とおばさん(私)は思う。でも、華やかでかわいいドーラがいいんだろうな、若者は。そんなもんだけどさ。
私、ミスター・ミコーバー、嫌い。『荒涼館』のあの「子供」とは違うけど、金勘定が全く出来ない、でも自分はすごい人物と思ってる人で、他人に保証人になってもらった金を返さず、返せずなんだけど、この難を逃れたと借用証書を保証人に渡したり、またこのミコーバーの奥さんも夫の能力を盲信していて呆れ返るんだけど、もう、私はこの二人が嫌いで、残る2巻で出てきて欲しくないです。もう、1行たりとも。どうなったか分かるくらいだったらいいけど、デイヴィッドや保証人になったトラドルズとは関わらなければいい。
そして、気になるのが、大伯母さんが憂慮する点でもあるのだが、ドーラのおつむにしっかりと脳みそが詰まってるかどうか。どうやらドーラの脳内はお花畑なようで、デイヴィッド、これまた苦労しそう。ま、ドーラは自分で選んだんだから苦労してもしゃあないかな。
そうだ、あの継父、再婚してた。金蔓になる女の人がたくさんいるんだろうな。継父とその姉(ドーラのシャペロンになってるのがオロロき)、まだまだ出てきそうだわ。
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misasmemorandum · 3 years
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『デイヴィッド・コパフィールド』(二) ディケンズ 石塚裕子 訳
大伯母には可愛がられるのでよかったなと一安心。この大伯母が恐る謎の人物の正体は後々出て来るのかな?
学校に(まともな学校。一巻目で入っていたところは、暴力傾向のある子どもの矯正場を兼ねたところだったようだ)入るんだが、自分が下層階級と一緒になって同じように汗水垂らして働いていたことが知れたらどうしようと怖がったり、子どもが世事で気を揉まねばならないとは悲劇だ。
しかし、ま、デイヴィッド、憧れのスティアフォースと再開したり、成長して恋したり、仕事も始めるのだ。で、散財もしてみる。中産階級は、働くが金にあくせくしてはいけなかったんだろうな。
これをかなり楽しく読んでいるので、男の子が主人公の『偉大なる遺産』と『オリヴァー・ツイスト』も読みたくなった。そしてやはり『リトル・ドリット』。今年は『デイヴィッド・コパフィールド』とこの3作を読破するか!(いや、ちょっと待って、私。途中に違う作家のものを入れたほうがいいんじゃないか?ディケンズばっか読んでては、飽きませんか???)
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misasmemorandum · 3 years
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『荒涼館』4 ディケンズ 佐々木徹 訳
とうとう全部読んだ!
4巻目は割とサクサクと物語が進んで終わってしう。特に主人公のエスターの結婚に関してなど。物分かりのいい「うしろみ」さんだ。(何でまたguardianをわざわざ後ろ見と開いた後にひらがなにしたんだろう。女性っぽく感じさせるように?幼くはないけどまだまだ若い事を示すために?)エスターの回想部分で翻訳者がひらがなを多用してるのが読みづらかったです。
さてさて、スキンポール。やっぱ金の切れ目が縁の切れ目、みたいな感じだったな。ドラマよりもっともっと悪びれてなくて、それがより一層気持ち悪いような気がした。
バケット刑事によるスキンポール評
「世辞についちゃ、わたしは子どもなんです」なんていうやつは責任のがれがしたいだけ、そいつの本性はわかってます、身勝手なやつですよ。(p227)
その通り!
刑事がこう言ったちょっと後に、
二列の真珠貝のボタンが着いた青いコーデュロイのチョッキをきた、マイケル・ジャクソンという名の男(p230)
ってのが出て来て、ちょっと想像してしまった(笑
解説に、シャーロット・ブロンテの(出版社に宛てた手紙の中にある)感想が載っていて、
自伝的な部分に入って、自分が「りこうでない」という若い女性が物語を始めると、力強さがなくなり、だらだらしたおしゃべりのように聞こえるところがずいぶんあります。エスター・サマソンの気立のよい性格が正しく描かれる代わりに、戯画化されているように感じます。(p479)
そうだね。エスターがあまりにも控え目で良い子過ぎるからあまり没入できなかったんだね。『ジェイン・エア』の方が数倍も面白かったもの。とは言え、私は『デイヴィッド・コパフィールド』の1巻をもはや借りて来ているのでした。
これは女性が主人公でなく、またディケンズの自伝的小説と言われてるので、『荒涼館』とは違うだろうと期待してる。
『荒涼館』、私が1巻を読み終えたのが、調べたら1月下旬だった!そうして2巻が8月中旬で、3巻が9月上旬。半年以上かかったんだな。長い旅でした。さようなら、エスター。さようなら、「うしろみ」ジャーンダイスさん。さようなら、ガッピー。さようなら、バケット。ははははは。
トルストイの『戦争と平和』は、また今度、だな。
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misasmemorandum · 3 years
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『文豪ディケンズと倒錯の館』 ウィリアム・J・パーマー 宮脇孝雄 訳
原題は "The Detective and Mr. Dickens" で、副題に A Secret Victorian Journal, Attirbuted to Wilkie Collins, Discovered and Edited by William J. Palmer とある。副題の通りの体裁を取った物語で、ヴィクトリア朝にこんな事があったんだよ、ってのと、ディケンズの私生活に関して。この本の後に3冊ほどディケンズが警察と一緒に事件に携わるものがあるそうだが邦訳はされていない(し、原書で読みたいかどうかはわからない)。
公開処刑で始まり、スリやら何やら、ヴィクトリア朝の文化をうあく教えてくれてる。貧民街で売春婦同士が胸やらお尻を丸出しにしながら喧嘩するシーンはある種の読者サービスだろうし、それなりに濃厚なセックスシーンも描かれてて、これもサービスの一貫だろうし、娯楽小説として不足のない本だ。邦題の倒錯の館は、この時代と言うかいつの時代も金持ちの秘密クラブがあり、そこでは似たようなことが行われてたんだろうけれど(ヘルファイヤー・クラブだな)、一般的にヴィクトリア朝は品行方正な時代だったと思われてるから、センセーショナルであるんだろう。
さて、どの時代も人間は変わらんなと言うくだり。
[フィールド警部曰く] 「一番扱いにくいのは貧民窟の女ですよ。...男どもは頭が悪く、粗暴で、人間らしい感情を持っていない。まるで動物です。ところが、女は、愛というやつを信じている。その愛にしがみつこうとする。呆れたもんです。愛のために女は嘘をつき、物を盗み、悪事を重ねる。それを知ってるもんだから、男は女に体まで売らせる」(p68)
[フィールド警部曰く] 「...[殺人は] どうやって立ったか、どこでやったか、いつやったかは調べればわかるし、誰がやったかも、まあ、わからないわけじゃない。ところが、なぜやったかは、なかなかわからないんです。殺した当人でさえわかっていない場合もある」(p98)
次にちょっと面白かったところ。猥雑な本を健全なものに変えたい欲求に駆られたウィルキーの独白。
現実とは改竄が許されないテキストなのである。(p338)
エーコがフィクションは書かれた後には改竄出来なくなりいつまでも不変だが、現実は変化し得ると言っていたのを思い出した。
さて、トリビア。画家ウィリアム・ターナーの死後、隠れ家に500枚以上の詳細に描かれた女性の淫部の絵があったそうだ。表には決して出せなかっただろうから、誰にも隠して隠れ家に保管してあったんだろうね。
この本でディケンズが、現実で知り合った女性が苦境に合わされるのは、自分が本の中で女性と子どもを情け容赦なく殺してきたからだと悩むのが面白かった。これは、あんなにたくさんの物語を紡いだ作家だからこそ感じられるものだろう。
偶然だが、『パチンコ』で主人公の長男がディケンズを楽しんで読んでいた。私はディケンズは『クリスマス・キャロル』と『二都物語』しか読んだことがない。『荒涼館』はまだ途中。ドラマ化されたもので『大いなる遺産』、『リトル・ドリット』、そして『オリヴァー・ツイスト』を見た。ディケンズの自伝的小説と言われる『デイヴィッド・コパフィールド』を(『荒涼館』の次に)読んでみようかな。原書でチャレンジするかな。って、でもでも、他に読む本がいーーーーっぱいあるから、まだまだ先の話だな。ははははは
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