お地蔵様
里帰りした男の話。
これは実に二十年ぶりに里帰りした時の話である。思ひ立つたのは週末の金曜日、決行したのは明くる日の土曜日であつたが、何も突然と云ふことではなく、もう何年も昔から、今は無き実家の跡地を訪れなければならないと、漠然と思つてゐ、きつかけさへあればすぐに飛び立てるやう、心の準備だけはしておいてゐたのである。で、その肝心のきつかけが何なのかと云へば、私が小学生の時分によく帰り道を共にした女の子が手招きをするだけといふ、たわいもない夢だつたのだが、私にとつてはそれだけで十分であつた。一泊二日を目安に着替へを用意し、妻へは今日こそ地元の地を踏んでくると、子供へはいゝ子にしてゐるんだよと云ひ残し、一人新幹線に乗り込んだ私は、きつかけとなつた夢を思ひ出しながら、生まれ育つた故郷へ真直ぐ下つて行つた。
実のことを云ふと、この時にはすでに旅の目的は変はつてゐたやうに思へる。私の故郷といふのは、周りを見渡せば山と川と田んぼしかないやうな田舎で、目を閉じてゆつたりと昔を懐かしんでゐると、トラクターに乗つてゆつくりとあぜ道を走るお爺さんだつたり、麦わら帽子を目深に被つてのんびり畑を耕すお婆さんだつたりと、そんなのどかな光景が頭に描かれるのであるが、新幹線のアナウンスを聞きながら何にも増してはつきりと思ひ出されたのは、一尊のお地蔵様であつた。大きさはおよそ二尺程度、もはや道とは呼べない山道の辻にぽつんと立つその地蔵様には、出会つた時から見守つていただいてきたので、私たちにとつてはもはや守り神と云へやう。私たちはお互ひ回り道になると云ふのに、道端で出会ふと毎日のやうにそのお地蔵様を目指し、ひとしきり遊んだ後、手を合はせてから袂を分かつてゐた。さう云へば最後に彼女の姿を見たのもそのお地蔵様の前であつたし、夢の中でも彼女はそのお地蔵様の傍にちよこんと座つて、リンと云ふ澄んだ鈴の音を鳴らしながら、昔と同じ人懐つこさうな目をこちらに向けてゐた。ちなみにこゝで一つお伝へしておくと、彼女の夢を見た日、それは私が故郷を離れ、大阪の街へと引つ越した日と同じなのである。そしてその時に、私は何か大切なものをそこへ埋めたやうな気がするのである。――と、こゝまで考へれば運命的な何かを感じずには居られまいか。彼女が今何処で何をしてゐるのかは分からない。が、夢を通じて何かを訴へかけてきてゐるやうな気がしてならないのである。私の旅の目的は、今は無き実家を訪れるといふのではなく、彼女との思ひ出が詰まつたその地蔵を訪れること、いや、正確には、小学校からの帰り道をもう一度この足で歩くことにあつた。
とは云つても、地元へは大阪からだと片道三四時間はかゝるので、昼過ぎに自宅を出発した私が久しぶりに地に足をつけた時にはすつかり辺りは暗くなりつゝあつた。故郷を離れた二十年のうちに帰らなかつたことはないけれど、地方都市とは云つても数年と見ないあひだに地味に発展してゐたらしく、駅周辺はこれまで見なかつた建物やオブジェがいくつか立ち並んでゐて、心なしか昔よりも賑やかな雰囲気がする。駅構内もいくつか変はつてゐるやうであつたが、いまいち昔にどんな姿をしてゐたのか記憶がはつきりしないため、案内に��つてゐたらいつの間にか外へ出てしまつてゐた程度の印象しか残つてゐない。私は泊めてくれると云ふ従妹の歓迎を受けながら車に乗り込んで、この日はその家族と賑やかな夜を飲み明かして床についた。
明くる日、従妹の家族と共に朝食をしたゝめた私は、また機会があればぜひいらつしやい、まだ歓迎したり無いから今度は家族で来て頂戴、今度もまたけんちやんを用意して待つてゐるからと、惜しまれながら昨晩の駅で一家と別れ、いよ〳〵ふるさとへ向かふ電車へと乗つた。天気予報の通りこの日は晴れ間が続くらしく、快晴とはいかないまでも空には透き通るやうに薄い雲がいくつか浮いてゐるだけである。こんな穏やかな日曜日にわざ〳〵出かける者は居ないと見えて、二両しかない電車の中は数へられるくらゐしか乗客はをらず、思ひ〳〵の席に座ることが出来、快適と云へば快適で、私は座席の端つこに陣取つて向かひ側の窓に映る景色をぼんやりと眺めてゐたのであるが、電車が進むに連れてやはり地方の寂しさと云ふものを感じずにはゐられなかつた。実は昨晩、駅に降り立つた私が思つたのは、地方もなか〳〵やるぢやないかと云ふことであつたのだが、都会から離れゝば離れるほど、指数関数的に活気と云ふものが減衰して行くのである。たつた一駅か二駅で、寂れた町並みが現れ始め、道からは人が居なくなり、駅もどん〳〵みすぼらしくなつて行く。普段大阪で生活をしてゐる私には、電車に乗つてゐるとそのことが気になつて仕方がなかつた。さうかと云つて、今更故郷に戻る気もないところに、私は私の浅ましさを痛感せざるを得なかつたのであるが、かつての最寄り駅が近づくに従つて、かう云ふ衰退して行く街の光景も悪くは無いやうに感じられた。それは一つにはnostalgia な気持ちに駆られたのであらう、しかしそれよりも、変はり映えしないどころか何もなかつた時代に戻りつゝある街に、一種の美しさを感じたのだらうと思ふ。何にせよ電車から降り立つた時、私は懐かしさから胸いつぱいにふるさとの空気を吸つた。大きいビルも家も周りにはなく、辺り一面に田んぼの広がるこの辺の空気は、たゞ呼吸するだけでも大変に清々しい。私はバス停までのほんの少しのあひだ、久しく感じられなかつたふるさとの空気に舌鼓を打ち続けた。
バス停、……と云つてもバスらしいバスは来ないのであるが、兎に角私はバスに乗つて、ちやつとした商店に囲まれた故郷の町役場まで行くことにした。実のこと、さつきまで故郷だとかふるさとだとか云つてゐたものゝ、まだ町(ちやう)すらも違つてをり、私のほんたうの故郷へは駅からさらに十分ほどバスに揺られ無ければ辿り着けず、実家へはその町役場から歩いて二十分ほどかゝるのであるが、残念なことにそのあひだには公共交通機関の類は一切無い。しかしかう云ふ交通の便の悪さは、田舎には普通なことであらう。何をするにしても車が必須で、自転車で移動をしやうものなら急な坂道を駆け上らねばならず、歩かうものならそれ相応の覚悟が要る。私は自他ともに認める怠け者なので、タクシーを拾はうかと一瞬間悩んだけれども、結局町役場から先は歩くことした。母校の小学校までは途中まで県道となつてをり、道は広く平坦であるから、多少距離があつても、元気があるうちはそんなに苦にならないであらう、それに何にも増して道のすぐ傍を流れる川が美しいのである。歩いてゐるうちにそれは美化された思ひ出であることに気がついたけれども、周りにはほんたうに田んぼしか無く、ガードレールから下をぐつと覗き込むと、まだゴツゴツとした岩に水のぶつかつてゐるのが見え、顔を上げてずつと遠くを見渡すと、ぽつぽつと並ぶ家々の向かうに輪郭のぼやけた山々の連なる様が見え、私はついうつかり感嘆の声を漏らしてしまつた。ほんたうにのどかなものである。かうしてみると、時とは人間が勝手に意識をしてゐるだけの概念なやうにも思へる。実際、相対性理論では時間も空間的な長さもローレンツ変換によつて同列に扱はれると云ふ。汗を拭いながら足取りを進めてゐると、その昔、学校帰りに小遣ひを持ち寄り、しば〳〵友達と訪れた駄菓子屋が目に入つて来た。私が少年時代の頃にはすでに、店主は歩くのもまゝならないお婆さんであつたせいか、ガラス張りの引き戸から微かに見える店内は嫌にガランとしてゐる。昔はこゝでよく風船ガムであつたり、ドーナツであつたり、はたまた文房具を買つたりしたものであつたが、もう営んではゐないのであらう。その駄菓子屋の辺りがちやうど田んぼと人の住処の境で、県道から外れた一車線の道先に、床屋や電気屋と云つた商店や、古びたしまうたやが立ち並んでゐるのが見えるのだが、どうもゝうあまり人は居ないらしく、その多くはピシャリと門を締め切つてゐる。中には荒れ屋敷化してしまつた家もあつた。
と、そこでやうやく母校の校庭が見えて来た。町役場からゆつくり歩いて二十五分と云つたところであらうか、時刻を確認してみるとちやうど午前十一時である。徐々に気温が上がつて来てゐたので、熱中症を心配した私は、適当な自販機を見つけるとそこで水を一本買つた。小学校では何やら催し物が開催されてゐるらしく、駐車場には何台もの車が停まつてをり、拡声器を通した賑やかな声が金網越しにぼや〳〵と聞こえてきたのであるが、何をやつてゐるのかまでは確認はしてゐない。おそらく子供会のイベントでもやつてゐたのであらう。さう云へば私も昔、めんだうくさい行事に参加させられた憶えがある。この学校は作りとしてはかなり平凡であるのだが、さすがに田舎の学校ともあつて緑が豊富であり、裏には先程沿ひながら歩いて来た川が通つてゐる。久しぶりにその川にまで下つてみると、記憶とは違つてカラリと乾いた岩がゴロゴロと転がつてをり、梅雨時のじめ〳〵とする季節でも涼を取るには適してゐるやうに感じられた。一体、こゝは台風がやつて来ると自動的に被害を受ける地域で、毎年子どもたちが夏休みに入る頃には茶色く濁つた濁流が溢れるのであるが、今年はまだ台風が来てをらず、降水量も少なかつたこともあつて、さら〳〵と小川のやうな水の流れが出来てゐる。昔、一度だけ訪れたことのあるこの川の源流部でも、このやうな流れが出来てゐたやうな憶えがある。が、源流のやうに水が綺麗かと問はれゝば、決して肯定は出来ない。手で掬つてみると、太陽の光でキラキラと輝いて一瞬綺麗に見えるけれども、じつと眺めてゐると苔のやうな藻がちらほら浮いてゐるのが分かり、鼻にまで漂つて来る匂ひもなんだか生臭い。それにしても、この手の中で漂つてゐる藻を藻と呼んでいゝのかどうかは、昔から疑問である。苔のやうな、とは形容したけれども、その色は生気を感じられない黒みがかつた赤色で、実はかう云ふ細長い虫が私の手の上で蠢いてゐて、今も皮膚を食ひ破つて体の中に入らうとしてゐるのだ、と、云はれても何ら不思議ではない。さう考へると、岩に引つ付いてうよ〳〵と尻尾を漂はせてゐる様子には怖気が走る。兎に角、話が逸れてしまつたが、小学生の時分に中に入つて遊んだこの川はそんなに綺麗では無いのである。むしろ、影になつてゐるところに蜘蛛の巣がたくさん巣食つてゐたり、どす黒く腐つた木が倒れてゐたりして、汚いのである。
再び母校へと登つて、先程通つて来た道に戻り、私は歩みを進め初めた。学校から出るとすぐに曲がり角があつて、そこを曲がると、右手には小高い山、左手にはやはり先程の川があり、その川の向こう側に延々と田んぼの並んでゐるのが見える。この辺りの光景は今も昔も変はらないやうである。道の先に見える小さな小屋だつたり、ガードレールだつたり、頼りない街灯も変はつてをらず、辛うじて残つた当時の記憶と綺麗に合致してゐる。私は変はらない光景に胸を打たせつゝ、右手にある山の影の下を歩いていつた。そして、いよ〳〵突如として現れた橋の前に辿り着くや、ふと歩みを止めた。彼女と学校帰りに会ふのはいつもこゝであつた。彼女は毎回リンリンと軽快な鈴の音を辺りに響かせながら、どこからともなく現れる。それは橋の向かふ側からゆつくりと歩いて来たこともあれば、横からすり寄つて来たこともあつたし、いきなり背後を取られたこともあつた。私はゆつくりと目を閉じて、ゆつたりと深呼吸をして、そつと耳を澄ませた。――木々のざわめきの中にかすかな鈴の音が、確かに聞こえたやうな気がした。が、目を開けてみても彼女はどこにも居ない。今もどこかから出てきてくれることを期待した訳ではないが、やはり一人ぽつんと立つてゐるのは寂しく感じられる。
橋の方へ体を向けると、ちやうど真ん中あたりから強い日差しが照りつけてをり、反射した光が目に入つて大変にまばゆいので、私はもう少し影の下で居たかつたのであるが、彼女がいつも自分を待たずに先々行つてしまふことを思ひ出すと、早く歩き始めなければ置いていかれてしまふやうな気がして歩き始めた。橋を渡り終へてすぐに目に飛び込んで来たのは、川沿ひにある大きなガレージであつた。時代に取り残されたそれは、今も昔も所々に廃材が積み上げられてゐ、風が吹けば倒れてしまいさうなシャッターの中から、車だつたり、トラックの荷台だつたりがはみ出してゐるのであるが、機材や道具などが放りつぱなしになつてゐることから、未だに営んではゐるらしい。何をしてゐるのかはよく知らない。が、聞くところによると、こゝは昔からトラックなどの修理を行つてゐるところださうで、なるほど確かにたまに危なつかしくトラックが通つて行つてゐたのはそのためであつたか。しかし、今見ると、とてもではないが生計が成り立つてゐるやうには思へず、侘しさだけが私の胸に吹き込んで来た。二十年前にはまだ塗料の輝きが到るところに見えるほど真新しかつた建物は、今では積み上げられたガラクタに埋もれたやうに古く、痛み、壁なぞは爪で引つ掻いたやうな傷跡がいくつも付けられてゐる。ガレージの奥にある小屋のやうな家で家族が暮らしてゐるやうであるのだが、その家もゝはや立つてゐるのが限界なやうである。さて、私がそんなボロボロのガレージの前で感傷に浸つてゐたのは他でもなく、彼女がこゝで遊ぶのが好きだつたからである。する〳〵と積まれたガラクタの上を登り、危ないよと云ふこちらの声を無視して、ひよい〳〵とあつちこつちに突き出た角材に乗り移つて行き、最後には体を蜘蛛の巣だらけにして降りてくる。体を払つてやらうと駆け寄つても、高貴な彼女はいつもさつと逃げてしまふので、仕方なしにそのへんに生えてゐる狗尾草(エノコログサ)を手にして待つてゐると、今度はそれで遊べと云はんばかりに近寄つて来ておねだりをする。その時の、手にグイグイグイグイ鼻を押し付けてくる仕草が殊に可愛いのであるが、だいたいすぐに飽きてしまつて、気がついた時には喉をゴロゴロと云はしながら体を擦り寄せて来る。これは愛情表現と云ふよりは、早く歩けと云ふ彼女なりの命令で、無視をしてゐるとこちらの膝に乗つてふてくされてしまふので、帰りが遅くならないようにするためには渋々立ち上がらなければならない。
さう云へばその時に何かを食べてゐたやうな気がするがと思ひ、私は彼女との思ひ出を振り返りつゝ辺りを見渡してゐた。するとガレージの横に鬱蒼と生い茂る草木の中に、柿の木と桃の木の生えてゐるのが見つかつた。だが、ほんたうに一歩も入りたくないほどに、大葉子やら犬麦やら髢草が生えてをり、当時の私が桃やら柿やらを毟り取つて食べてゐたのかは分からない。しかしさらに見渡しても、辺りは田んぼだらけで実のなる木は無いことから、もしかしたら先程の橋を渡る前に取つて来て、彼女の相手をしてゐるあひだに食べてゐたのかもしれない。先程道を歩いてゐる時にいくつかすもゝの木を見かけたから恐らくそれであらう。なるほど、すもゝと云ふ名前にはかなり聞き覚えがあるし、それになんだか懐かしい響きもする。それにしてもよく考へれば、そのあたりに生えてゐる木の実なぞ、いつどこでナメクジやら毛虫やらが通つてゐるのか分からないし、中に虫が巣食つてゐたのかもしれないのに、当時の私はよく洗いもせず口にしてゐたものである。今思ふとものすごく怖いことをしてゐたやうに感じられる。何にせよ、彼女はいつももぐ〳〵と口を動かす私を不思議さうに見てきては、差し出された木の実を匂ふだけして興味のなさゝうな顔をしてゐた。なんや食べんのか、お前いつたい、いつも何食べよんな。と、問うても我関せずと云ふ風に眼の前で伸びをするのみで、彼女は彼女でしたゝかに生きてゐるやうであつた。
気がつけば私は座り込んでゐた。眼の前では彼女が昔と同じやうに、なんちやら云ふ花の前に行つては気持ちよさゝうに匂いを嗅いで、恍惚とした表情を浮かべてゐる様子が繰り広げられてゐた。少しすると彼女の幻想は私の傍に寄つて来て、早く行きませう、けふはもう飽きてきちやいました、と云ふ。そして、リンと鈴の音を立たせながらさつと身を翻して、私の後ろ側に消えて行く。全く、相変はらず人を全く待たない子である。いや〳〵、それよりも彼女の亡霊を見るなんて、私は相当暑さにやられてゐるやうであつた。すつかりぬるくなつた水を口に含むと、再び立ち上がつて、田植えが行われたばかりの田んぼを眺めながら、彼女を追ひかけ初めた。
ところで、もうすでに読者は、延々と続く田んぼの風景に飽きてきた頃合ひであらうかと思ふ。が、そのくらゐしか私のふるさとには無いのである。私ですらこの時、懐かしみよりも飽き〳〵としてきた感情しか沸かなかつたので、もう今後田んぼが出てきたとしても記さないと約束しよう。だが歩いてゐると、いくつか昔とは違つてゐることに気がついたので、それは今こゝで記しておくことにする。まず、田んぼのあぜ道と云ふものがアスファルトで鋪装されてゐた。それも最近鋪装されたばかりであるらしく、未だにぬら〳〵と黒く輝いてをり、全くもつて傍に生えてゐる草花の色と不釣合ひであつた。かう云ふのはもはや都会人である私の嘆きでしか無いが、こんな不自然な黒さの無い時代を知つてゐるだけに残念である。二つ目は、新たに発見した田舎の美しさである。これはガレージの道のりからしばらくして空を仰いだ時に気がついたのだが、まあ、順を追つて説明していかう。断末魔のやうなツクツクホーシの鳴き声を聞くために足を止めた私は、ぼんやりと眼の前にある虎杖(いたどり)を眺めてゐた。ゆつくりと目を動かすと、崖のような勾配の向こう側に田んぼがだん〳〵になっているのが見える。決して棚田と云へるほど段と段が詰まつてゐる訳ではないが、その棚田のやうな田んぼのさらに向かふ側に、楠やら竹やら何やらが青々と茂つてゐるのが見え、そして、もう少し見渡してみると空の上に送電鉄塔がそびえているのが見えた。この鉄塔が殊に美しかつたのである。濃い緑色をした木に支へられて、淡い色の空をキャンバスに、しつかりとした質感を持つて描かれるそれは、赤と白のしま〳〵模様をしてをり、おそらく私は周りの自然とのコントラストに惹かれたのだらうと思ふ。この旅で最も美しかつたものは何ですかと聞かれたならば、空にそびえ、山と山を繋ぐ鉄塔ですと答へやう、それほどまでに私はたゞの鉄塔に感銘を受けてしまひ、また来ることがあるならば、ぜひ一枚の作品として写真を撮りたいと思ふのであつた。
ところで読者はその鉄塔の下がどのやうになつてゐるのかご存知であらうか。私は彼女と一緒に足元まで行つた事がある。行き方としてはまず田舎の道を歩くこと、山の中へ通ずる道なき小さな道を見つけること、そして藪だらけのその道に実際に飛び込んでみることである。もしかすると誰かのお墓に辿り着くかも知れないが、見上げて鉄塔がそびえてゐるならば、五分〳〵の割合でその足元まで行きつけるであらう。お地蔵様へ向かふために山道(やまみち)に入つた私は、その小さな道のある辻に来た時、つい鉄塔の方へ足を向けさうになつた。が、もうお昼時であるせいかグングン気温が上がり始め、路端(みちばた)の草いきれが目に見えるやうになつてゐたので、鉄塔の下で足を休めるのは次の機会にと思ひ、山道を登り始めた。別に恐ろしいと云ふほどではないけれども、車の音がずつと遠くに聞こえるせいか現世から隔離されたやうで、足取りはもうずいぶん歩いて来たにも関はらずかなり軽快である。私は今頃妻が子供と何をしてゐるのかぼんやりと想像しつゝ、蔓のやうな植物が、にゆる〳〵と茎を伸ばしてゐる柔らかい落ち葉の上を、一歩〳〵よく踏みしめて行つた。日曜の��食時、もしかするとそれよりも遅くなるかもしれないが早���に帰ると云ふ約束の元、送り出してくれた妻は、今日はあなたが行きたがつてた王子動物園に行つてくるからいゝもん、と仰つていらつしやつたから、思ふに今頃は、子供を引き連れて遊びに行つてゐるのであらう。それも惜しいが、ペットたちとのんびりと過ごせなかつたのはもつと惜しい。特に、未だに懐いてくれない猫と共に週末を過ごせなかつたのは、もうかれこれ何年ぶりかしらん? あの猫を飼ひ始めてからだから、恐らく六年ぶりであらう。それにしてもどうして猫だけは私を好いてくれないのだらうか、家で飼つてゐる猫たちは、もう何年も同じ時を過ごしてゐるのに、私をひと目見るや尻尾を何倍にも膨らませて威嚇をしてくる。そんなに私が怖いのか。――などと黙々と考へてゐたのであるが、隧道のやうな木の生い茂りが開けた頃合ひであつたか、急に辺りが暗くなつて来たので空を仰いで見ると、雨の気配のする黒い雲が太陽を覆ひ隠してゐた。私は出掛けに���に、どうせあなたのことだから雨が降ると思ふ、これを持つていけと折り畳み傘を一つ手渡されてゐたものゝ、これまで快晴だつたからやーいと思つてゐたのであるが、次第に埃つぽい匂いが立ち込めて来たので急いで傘を取り出して、じつと雨の降るのを待つた。――さう云へば、昔も雨が振りさうになつた時には彼女も傘に入れて、かうしてじつと佇んでゐたな。たゞ、そのまゝじつとしてゐてはくれず、雨に濡れると云ふのに、彼女はリンリンと軽やかな鈴の音を云はせながら傘の外に飛び出してしまふ。そして早く行かうと云はんばかりに、山道の少し上の方からこちらを見下ろして来くる。――懐かしい。今でもこの赤茶けた落ち葉と木の根の上に、彼女の通る時に出来る、狼煙のやうな白い軌跡が浮かび上がつてくるやうである。と、また昔を懐かしんでゐると、先程の陰りはお天道様のはつたりであつたらしく、木の葉の隙間から再び太陽が顔を覗かせるやうになつてゐた。私は傘を仕舞ひ込むと、再び山道を練り歩いて行つた。
だが、雨が降らなかつたゞけで、それからの道のりにはかなり恐ろしいものがあつた。陽が辺りに照つてゐるとは云へ、風が出てきて木の影がゆら〳〵とゆらめいてゐたり、ふつと後ろでざあつと音がしたかと思ひきや、落ち葉が何枚も〳〵巻き上げられてゐたり、時おり太陽が雲に隠れた時なぞは、あまりの心細さに引き返さうかとも思つた。そも〳〵藪がひどくて木の棒で掻き分けなければまともに進めやしない。やい〳〵と云ひながら山道をさらに進んで行くと、沼のやうにどんよりと暗い池が道の側にあるのだが、物音一つ、さゞなみ一つ立てずに、山の陰に佇んでゐるものだから、見てゐないうちに手が生えて来さうで、とてもではないが目を離せなかつた。そんな中で希望に持つてゐたのは、別の山道を登つても来ることの出来るとある一軒家だつたのだが、訪れてみると嫌にひつそりとしてゐる。おや、こゝはどこそこの誰かの父親か親戚かゞ住んでいたはずだがと思ひつゝ窓を覗いても誰もをらぬ。誰もをらぬし、ガランとした室内には酷く傷んだ畳や障子、それに砕けた天井が埃と共にバラバラと降り積もつてゐる。家具も何もなく、コンロの上にぽつんと放置されたヤカンだけが、寂しくこの家の行末を見守つてゐる。――もうとつくの昔にこの家は家主を失つて、自然に還らうとしてゐるのか。私は急に物悲しくなつてきて手の甲で目元を拭ふと、蓋の閉じられた井戸には近づかずにその家を後にした。行けば必ずジュースをご馳走してくれる気のいゝお爺さんであつた。
私の憶えでは、この家を通り過ぎるとすぐに目的のお地蔵様へと辿り着けたやうな気がするのであるが、道はどん〳〵険しくなつて行くし、全く記憶にない鉄製の階段を下らなければいけないし、どうやらまだ藪と戦はねばならないやうであつた。もうかうなつてくると、何か妖怪的なものにお地蔵様に行くのを拒まれてゐるやうな気さへした。だが、引き返す気は無かつた。記憶はほとんど残らなかったけれども、体は道順を憶えてゐるのか、足が勝手に動いてしまふ。恐怖はもはや旅の友である。先の一軒家を超えてからと云ふもの、その恐怖は猟奇性を増しつゝあり、路端(みちばた)にはモグラの死骸やネズミの死骸が、何者かに噛み殺されたのかひどい状態となつて散乱してゐたのであるが、私の歩みを止められるほど怖くは無かつた。途中、蛇の死体にも出くわしたけれども、どれも色鮮やかなアオダイショウであつたから、全く怖くは無い。そんなものよりよつぽど怖かつたのは虫の死骸である。私の行く手には所々水たまりが出来てゐたのであるが、その中ではおびただしいほどのカブトムシやカマキリが、蠢いているかのやうに浮いてゐて、ひやあ! と絶叫しながら飛び上がつてしまつた。別にカブトムシの死骸くらゐ、夜に電気をつけてゐると勝手に飛んでくるやうな地域で幼少期を過ごしたから、たいしたことではない。問題は数である。茶色に濁つた地面に、ぼつ〳〵と無数の穴が開いて、そこから黒い小さな虫が目のない顔を覗かせてゐるやうな感じがして、背中がゾク〳〵と殺気立つて仕方がなかつた。かういふ折には、ぼた〳〵と雨のやうに蛭が落ちてくるのが御約束であるのに、まつたく気持ち悪いものを見せてくるものである。
と、怒つたやうに足を進めてゐると、いつしか私は恐怖を乗り越えてゐたらしく、勇ましい足取りで山道を進んでゐた。するとゞうであらう、心なしか道も歩きやすくなり、轍が見え始め、藪もほとんど邪魔にならない程度しか前には無い。モグラの死骸もネズミの死骸も蛇の死骸も、蓮の花のやうな虫の死骸も、気がつけば道からは消えてゐた。そして一軒家を後にしてから実に二十分後、最後の藪を掻き分けると、そこには確かに記憶の通りのお地蔵様が、手をお合はせになつて私をお待ちしていらつしやつた。私は地蔵様の前まで来ると、まずは跪いてこゝまで無事に辿り着けたことに、感謝の念を唱へた。そして次々と思ひだされる彼女の姿に涙をひとしきり流し、お地蔵様にお断りを申し上げてから、その足元の土を手で掘つて行つた。冒頭で述べた、かの地蔵の傍に埋めたなにか大切な物とはこのことである。二十年のうちに土がすつかり積み重なつてしまつてゐたらしく、手で掘るのは大変だつたし、蚯蚓やら蟻やらよく分からない幼虫やらが出てきてゾツとしたけれども、しばらくするとペットボトルの蓋が見えてきた。半分ほど姿を見せたところで、渾身の力を込めて引き抜き、私は中にあつた〝それ〟を震へる手で握りこんでから、今度は傍にあつた漬物石のやうな大きな石の前に跪いた。手を合はせるときに鳴つた、リン、……と云ふ可愛らしい鈴の音は、蝉の鳴き声の中に溶け込みながら山の中へ響いて行き、恰も木霊となつて、再び私の手の中へ戻つてくるのであつた。
帰りの道のりは行きのそれとは違つて、かなり楽であつた。恐らく道を間違へてゐたのであらうと思ふ。何せ、先程見たばかりの死骸も無ければ、足をガクガクさせながら下つた階段も無かつたし、何と云つても二三分としないうちに例の一軒家へとたどり着いたのである。私は空腹から元の道へは戻らずに一軒家の近くにある道を下つて県道へ出、一瞬間今はなき実家の跡地を眺めてから帰路についた。いやはや、なんとも不思議な体験であつた、よく考へれば蝮に噛まれてもおかしくないのによく生きて帰れたものだ、とホツとすると同時に、なんとなく肩が軽くなつたやうな心地がした。――あゝ、お前でも放つたらかしにされるのは嫌なんだな。――と、私はもう一度顔が見たいからと云つて、わざ〳〵迎へをよこしてくれることになつた従妹を小学校で待ちながら、そんなことを思つた。
結局あのペットボトルは再びお地蔵様の足元に埋めた。中に入つてゐたものは私のものではなく、彼女のものであるから、あそこに埋めておくのが一番であらう。元はと云へば、私のなけなしの小遣ひで買つたものであるから、持つて帰つても良かつた気がしないでもないが、まあ、別に心残りはない。
さて、ふるさとに帰るとやはり思ふものがありすぎて、予定してゐたよりも大変長くなってしまつたけれども、これで終はりである。ちなみに、こゝにひつそりと記した里帰りの話は、今の今まで誰一人として信じてくれてはゐないので、もしどなたか一人でも興味を引き立てられた者がいらつしやれば本望である。
(をはり)
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2017-11-11-SeaAir【旅行記】2歳3ヶ月幼児と行く北海道旅行
追記:PDF化しました
https://drive.google.com/open?id=1ibExtt9vgeOpKyBZQtaw2_SzcHFAtCB-
9月末に行ったのだから1ヵ月半ほど経ちますがようやくゆっくり文章をしたためる時間ができたので、記憶の欠落とともにダイジェスト的に行きます。イヤイヤ期の2歳児を連れての旅行はこうなる!というのをとくとご覧いただこう。楽しかったよ。
■飛行機はもうだいじょうぶ。
この北海道行の1ヶ月ほど前に広島帰郷でフライトしたときはぜんぜん大丈夫じゃなかった。おりるおりるを連呼し、泣き疲れるまで叫んでいた。その後は私らが「また今度飛行機乗ろうね~、飛行機格好いいよね~」などと諭そうものなら「ひこうきのらない!!」と飛行機に乗ることを拒否していた。しかしもう北海道旅行は広島帰郷のはるか以前に決定しているので今更われわれ夫婦としては覆す気はない。その後も羽田空港へ飛行機を見るためだけに行ったりしていたら恐怖感も多少は薄れてきたらしい。
フライト当日、空港でははしゃいでいたけど飛行機乗る頃にはやはり不安げ。いざフライトとなるとやはりどうしても「おりる」と言葉が出てしまったのだけれど、私らが何度も「大丈夫大丈夫」と言っていたからか彼もその言葉を真似して、「もうだいじょうぶ。」と言って不安な気持ちを押しのけて泣き叫ぶことなくフライトできたのであった。我が子ながらえらい。
■新千歳空港~夕張~富良野
数年ぶり3回目の北海道。とりあえず到着したらレンタカーをレンタルしに行く。北海道と言えばドライブよね!というほどドライブが好きなわけではないけれど、今日は富良野までざっくり120km以上あるのでサクサク行程を進めてゆきたいものです。日記的な意味でも。
さて、レンタカーを借りて息子を載せて出発進行。息子は車にのるのが大好きなので、当面の間は走行してれば文句なく乗っていてくれます。1時間弱くらい走ったところで休憩も兼ねて道の駅へ。空港から富良野間で道の駅に寄るなら圧倒的に道の駅しむかっぷが良い気がしてはいたのですが、ここであいすさん特有の『お気に入りの艦娘の名称の道の駅滞在をコンプリートしたい』という欲により前評判が『ただのスーパー』としか口コミがないと言っても過言ではない道の駅夕張に行きましたが道の駅夕張は確かにただのスーパーでした。
でもいいの。重要なのは気持ちだから。こうして私は不知火に続いて夕張の地を踏みしめたわけ。それで十分。まぁ妻にはなんじゃそりゃって話だと思うんだけどそういうのを分かち合うのも夫婦だと思うわけ。いずれ加賀にも行きましょうね。
そんな普通のスーパーの一角にお土産屋さんがあるだけの道の駅でしたが、息子にしてみれば買ってほしいお菓子があったようで、でもそのお菓子はパッケージは彼が好きそうだけど彼の好み的に絶対に食べないことが明白なやつだったので却下したら地面にひっくり返って絶叫して泣いたりしましたけど抱き上げて無理やりチャイルドシートに載せました。無理やりチャイルドシートに載せようとすると、背中を反らせて全力で抵抗してくるんだけどこいつめちゃくちゃパワーあるなぁってよく思います。
しかしどうせ一瞬を生きる2歳児なので、すぐに走り出した車からの景色に絶叫は鳴りを潜めます。そこからひたすら北上して、広くて速く走れる道路を延々と進み、途中で100均に寄ってカーステレオにスマートフォンつなぐプラグを買ったりしつつ今日の目的地であるホテル、ナトゥールヴァルト富良野に向かいます。今日は観光とかは基本的にないのだ。
■ナトゥールヴァルト富良野
妻が選んだホテル。ぶっちゃけて言えば特段に景色が良いわけでもなければ新しくて綺麗なわけでもない。オペレーションやホスピタリティが高度というわけでもない。でもすごい。具体的にはめちゃくちゃ子連れ特化している。充実したキッズコーナーがあるし、子連れ向けの部屋もある。大浴場には子供が遊べるタイプのおもちゃもあったりして、当然宿泊客としては子連れが集まるので息子が泣いてしまってもあまり恐縮しなくて済むのだ。当然他人の子供が泣いていても自分も子連れだと全然気にならないものである。
あと料理。料理めっちゃ美味しかった。色々美味しかったけどやはり外せないのは朝食のイクラ食べ放題ですよね。朝も夜もバイキングなんで、朝はイクラがいくらでも食べられるし、夜はイクラはないけどかなり上質なステーキだとか、大きな殻付きホタテの網焼きだとか延々と食べて良いのででもう北海道きてよかったな~ってなるわけ。例によって妻が引くまで食べましたね。息子と妻が食べ終わってしまい席を立ったのにまだ食べてたね。美味しかったね。それでも、いくらイクラでもいくらでも食べられるわけではないんだなぁって思ったね。好きだねこの文章...。
その他まくらを選べたり1時間だけ湯上がりビールタイムがあったりマシュマロ焼けたりとメリット盛りだくさんだったけど、とにかく息子はキッズスペースでひたすら遊んでることが多かったですね。あとは北の国からの情報コーナーがあったり、目の前がスキー場なので、スキーヤーには向いているらしい。この時は9月なので涼しいけれど流石に雪は降ってない。
なんか堪能したような書き口だけど、この日は到着して少ししたら夕食→お風呂→就寝、だったのだけどね。夜ちょっとだけ外を散歩したらめちゃくちゃデカイ蛾がいて、息子が大興奮してつつこうとしてたので子供って怖いものなしだよなと改めて思ったものです。
■二日目は旭川
ということは旭山動物園!
はいその通りです。富良野からだと1時間ちょっと。土曜日だったし早めに出発してちょうど開園の頃に到着。修学旅行の高校生がいっぱいいました。湘南から来たのね君ら。
旭山動物園ってめっちゃ有名だからだだっ広いのかと思っていたのだけど思ったほどでもなく、あと山肌に沿うようにできてるからかなり上り下りが激しいんだなと思いました。初手から登りっぱなしは辛いので、西口駐車場に停めて下っていくスタイルに。あまり詳述しても仕方ないのでサクサク行きますが、おいおい君たちちょっと手が滑ったら落ちて死ぬんだけどそのあたりは特に気にしないのかい?という猿系の方々がとりあえず最初の記憶として残っています。要するに地上10メートルくらいの高さにぶら下がれる鉄塔が伸びていて、そこから下にはネットも何もない入園者とコンクリートしかない状態なのに鉄棒にぶらんぶらんぶら下がるような激しい動作を繰り広げているわけ。手が離れたら絶対に死ぬと思う。でも大丈夫らしい。怖くないのかな...と思うけどそこは猿と人の違いなのでしょうね。猿からしてみれば、ダンプトラックが真横通ってるけど平気で歩いてる人間の方がよほど怖いのかもしれません。まぁね。ダンプトラックの運転手が居眠りしたりうっかりして轢き殺される可能性は常にあるわけだけど些細なものだなからね。それと同じように、ぶらんぶらんから墜落の危険性は常にあるわけだけど些細なものなのでしょう。
などと言うことを考えさせてくれました。
で、猿を見たあとはレッサーパンダとかの小動物系とかフクロウとかを見て、そして名物でもあるであろうシロクマの餌やりがあるそうなのでそちらへ。その途中にエゾヤマザクラの表示があったのでTwitterにアップして幕末志士クラスタ見てる~?ってやりたかったけど息子が物凄い勢いで下り坂を爆走していくのでそれどころではなかった。老夫婦の横を駆け抜けて行った時に老夫婦が「元気でいいねぇ~」って言ってくださったけど転んだらヤバめのスピードだったので元気すぎるのもアレだと思う。
シロクマはいいんだけどやっぱり人気の餌やりタイムだと15分くらい待つのよね。しかも彼は水槽最前列に行きたいんだけどその位置はもう埋まっているので少し離れたところで私が抱っこしてたんだけど、とにかく最前列に行きたい彼はもう泣くわ叫ぶわ私のスマートフォンを地面に叩きつけるわで難儀しました。出れば良いような気もするんだけどせっかく来たからしろくま見たいし...という思い。実際しろくまへの餌やりが始まったら興味深そうに見ていた。いずれ、我慢して待っているとそのあと良いことがある、というのを覚えてくれると思うんだけど先は長そうである。
続いて眺めたのはトラ。なんかこのトラすげーサービス精神旺盛で、窓ガラスの端から端までを闊歩したあと奥に戻っていったと思ったらまた反対側の端から端までぐるぐるとあるき続けてくれるのね。優しいね。そんなトラさんが目の前に来てくれたときの息子はもう大はしゃぎで「キェイァアアーー!!」みたいに喜ぶので微笑ましかったんだけど3回目くらいまででしたね。トータル30回くらいキェイァアア叫んでいたので夫婦としては後のベンチで静かに見守ることしかできませんでした。その間出入りしていく他の来場者たちも最初は「元気な子だな~」くらいの視線なんですが大体が「まだ叫んでるこの子...」みたいな視線を残しつついつまでもトラの前にいる息子を置いて去ってゆくのでした。
この調子でやると旭山動物園編がすごくなるので端折りますがそのあとはペンギン見たりアザラシ見たりキリン見たりカバ見たりしました。カバすげーでかかった。キリンはオスメスがついイチャついちゃうので柵を分けている、って書いてあったけど柵越しにイチャついて意味あるのかなと思った。それと動物園直接関係ないけど、まだ見てない動物を見るルートはこっち、というところに進みたいんだけど息子はとにかく「あの坂道面白そう」とか「あの階段上りたい」とか瞬間的な欲求で走り出すしそれを私に遮られると大層おキレになるので辟易しました。後半疲れてきて貸出のベビーカーに乗ってからはまだラクだったね。あとは狼が見たかったけど狼は夜行性だからか、隅っこに集まって重なって犬のような間延びした顔で寝てた。それはそれでよいのだけれど。オラウータンもなんかすげー高いところで折り重なって寝ていたりして、落ちたら死ぬのでは...ってまた思ったけど彼らがいいんならそれでいいんだろね。あとどうでもいいけどオラウータンを見るたびに「おまえはこのディオにのとってのモンキーなんだよジョジョォォォーーー!!!」というセリフが脳内リフレインされるのでこのあいすにとってのモンキーはオラウータンなんだなディオ、って思いました。
登るの大変そうだから西口から降りてきたわけだけど、結局駐車場に戻るためには登らなきゃいけないんだよな...という基本的な事実とともに、ベビーカーと息子を抱えて階段を延々と登って汗だくになりました。
■あさひかわラーメン村
というわけでだいたい旭山動物園に3時間くらい滞在して、続いて旭川と言えばラーメンでは、ということであさひかわラーメン村へ。動物園から近いしね。あさひかわラーメン村には皆も聞いたことがあるであろう山頭火とかあったんだけどやっぱり混んでいて、お腹のすいた息子を長時間待たせるのもアレなので早々に入れるお店にしたんだけどあっさりめの醤油ラーメンが美味しかったです。店の名前は覚えてないけどカップ麺にはなってるレベル。序盤おとなしく食べていた息子が中盤で文句言い出したのでさっさと食べて退出した記憶。
■ジェットコースターの路
妻(当時は彼女だ!)と昔北海道にきたときに富良野が雨だったので行ってみたら、すげー長い下り坂に大地のうねりを感じる景色がなんともジェットコースター!と思って感動した思い出があるのでもう一度行ったんだけどまぁまぁすごかったのはすごかったんだけど初回ほどの感動はなかった。動画で撮影するとより一層ショボく見えるのでぜひ富良野から旭川に行く際には立ち寄ると良いと思うんだけど多分私はもうそんなに感動しなかったから二度と来ることはないだろうな...と思ったらちょっとだけ胸が締め付けられたので身勝手だなと思いました。そう言うならまた来いよ。
■青い池
帰途から少し逸れただけで行ける景勝地だったので行ってみたら確かに青かった。「青いねー。」「うん青い。」5分で踵は返したけれど、見に行って損したというほどでもないので青い青いと言いに行くには良いと思う。なぜ青いのか?についても解説はあったがもう思い出せないしわざわざ調べようとも思い直さないくらいの青さ、それが美瑛の青い池。
■白ひげの滝
青い池から少し行くとこれまた白ひげの滝という景勝地があるとのこと。近くに駐車場がないので、特に看板のない他にも車の止めてあるスペースに駐車したら警備員さんが飛んできて
「ここはホテルの従業員の駐車スペースなんです!観光客が勝手に停めていて困ってるんです!従業員の車にぶつけても無視して行ってしまうことが過去にあって迷惑してるんです!今すぐ車を移動させてください!」
というようなことを捲し立てられた。とりあえず私は最初の一言の時点で、「そうなんですか知らなかったですすぐ移動します」って言ったんだけど、多分過去にムカついた言葉をすべて私にぶつけたかったらしく何度も分かりましたっつってんのにしつこく全部言われた。でも数々の観光者がここに停めようとするのも仕方ないと思う。だってここからそのホテル見えないし、従業員用駐車場って書いてないんだもん。従業員用駐車場ならそもそも入り口にロープ張るとかしなさいよ。文句だけ言って勝ち誇って去っていくのって単なるストレス解消なんでしょうどこぞのホテルの警備員さん。あなたの行為は白金温泉一帯のホテルの印象を最悪にしましたよ今後一生白金温泉のホテルに宿泊することはないでしょうしこうして白金温泉のホテルという文字をたくさん掲載して悪口を書くことによって、直接白金温泉に抗議する勇気はないけどこういったところで陰険にも遺憾の意を示させていただいているわけですよ白金温泉のホテルの方々は誤解のないように従業員用駐車場ってでっかく書いてロープを張っておいてくださいね白金温泉のホテルさん。
えー、先に妻子だけ下ろしてその後に白ひげの滝は見ましたが、白金温泉の警備員さんの思い出が中心の観光地になってしまいましたね。妻も警備員さんの捲し立てには違和感があったようなので私の性格が悪いだけではないと思います。陰湿な感じがあるのは分かるけどほらそれって私の良いところだからさ。
■二日目夜
その後はホテルに戻ってきて、ホテルすぐ近くのケーキ屋さんであるフラノデリスに寄ってプリンなどを買いつつホテルで夕食。バイキングなのでラインナップは昨日とほとんど同じだけど、昨日一通り味を見ているので特に気に入ったモノだけを集中して限界まで食べることができるので個人的にバイキングは2日連続まではむしろ良いチョイスと言える。
この日は私が息子を連れて大浴場に。部屋から抱っこして連れてきたのでうっかり靴を忘れてしまったのだけど、大浴場に着く途中で歩く歩くというので困ったりした。当然彼は泣いた。大浴場ではやはり気になるものが多いのかきょろきょろとしていたけど、人が少なかったので浴槽のぷかぷか浮かぶヒノキをあっちに持っていったりこっちに持っていったりして存分に遊んでいた。熱めのお湯とぬるめのお湯があって、息子の体調を考えたらぬるめの方がいいんだけど頑なに熱めの浴槽から出なかったので謎のこだわりが本当に強いなこの子って思った。
あと全然関係ないけど小学校中学年くらいの女の子がたまにお父さんと一緒に男湯に入ってくるんだけど、やっぱり男湯に入ってもあんまり気にならないのは小学生未満ではないのかな...と思いました。その女の子の言動からは、男湯と女湯を比較したかったみたいなことが感じ取れましたがあなた割と少女の体つきになりつつあるので目の毒なんですよね。私はロリコンではありませんが守備範囲は広そうです(謎の告白)。
■三日目朝は気球から
宿泊したホテルの近くの富良野プリンスホテルでは気球体験をやっていて、しかも朝6時から朝7時半くらいという早朝のみである。さらに天候に左右されるのでまぁまぁ参加が面倒くさいことになりそうだと思ってたんだけど、さすが最近のイベントはITを駆使していて、朝5時の時点でTwitterで今日やるとかやらないとかをツイートしてくれるのであった。ので、朝5時に目覚ましかけといてTwitterをチェック。決行を確認したら眠い目をこする息子を着替えさせて車で10分。
駐車場から森の奥へ向かうと、遠くでバーナーの音がする。どんどん進むと気球が見えてくる。なんか思ったより高くまでは上がらないらしい。気球の乗るところにロープが張ってあって、一定以上の高さにはならない様子。先客として数グループがいるみたいだからちょっと待たなきゃなと思ってたんだけどなんか知らんけど息子が全力で暗い森の奥の方へ奥の方へ行こうとして手を引っ張りまくってくる。そっちじゃないよと言っても聞かず、「こっち!行くの!」と力強く語ってくる。なぜ何もなさそうな暗い森へ踏み込むのか。気球が嫌なら車に戻る方向に逃げるべきではないのか。あの暗い森の奥底には息子にしか感知できない神秘が眠っているのかも知れない...!はたまたホイミンの呼び声が...とか思ったけど息子はドラクエⅣやってないし、普通に嫌がる息子とともに気球まで行きました。
直下まで行くと、あ、やっぱり結構上まで行くのな、と思��直す程度の高さ。息子も先ほどまでの気分は一転して気球に釘付けられているかと思ったらやっぱり元来た方向へ歩き出したりするがしばらくしたら私達の順番に。気球は基本的に、火を焚いて(バーナー)浮くか、火を止めて降りるかの2択とのこと。完全に着陸すると再び浮き上がるのに時間がかかるので、先客がひとり降りると同時にひとり乗ってくださいね、と言われる。全員乗ったら一気にバーナーを点火して上空へ。やっぱりまぁまぁ高い。でも気球って言うともっと高くまで行けそうなんだけどな、と思ったらやはり上昇できる高度も天候に左右されるらしい。冬場なんかはロープなしで結構な距離を遊覧飛行して雪原に着陸するらしい。それも楽しそうだけど真冬に北海道くるのはちょっと気が乗らないなぁ。
とにかくバーナーの音がちょうでかいので、スタッフさんの話し声が聞きにくかったり、ロープがあるのでロープがピンと張った時はかなり揺れる。高さがまぁまぁあるので苦手な人は苦手そう。ロープが無い方が揺れないらしい。あとは広角レンズでスタッフさんが写真を撮ってくれたりしてから着陸。時間にしてみればあっという間だけど、なかなかできない経験なので早起きしてよかったなと思いました。あと息子が北海道から帰ってきてからも、スーパーマーケットの焼き鳥コーナーとかに飾ってあるちょうちんを見て、「ききゅう!!のった!!」とか言うから嬉しい。提灯は気球じゃないよなどと不粋なことをな言ってはいけない。
■チェックアウト
そこから再びホテルに戻って朝食へ。朝イチだったので混雑を少し待ってから朝食を食べ、この日はチェックアウトなので荷物をまとめる...のだけど息子が予想通りキッズスペースで遊びたいマンなので、夫婦で交代して荷造りを実施。昨日購入したフラノデリスのプリンがあるのでキッズスペースで遊ぶ息子を眺めながら夫婦で食べたらめっちゃ美味しかったので各位も一度是非どうぞ。
荷物を片付けて妻子がチェックアウトをしている間に私は車を取りに行き、ホテルの目の前に回しておいて出てきた妻子とともにスタッフさんに記念撮影をしてもらっていざ出発!というギリギリでスマートフォンを持っていないことに気付く。というか出発直前にいつも確認しているからね。でもはっきり言うけど部屋出る時に確認しろよ。そうは言うけど息子も荷物もあると落ち着いて確認できないんだよね。どうあれ完全に出発して遠い地に行ってから気付くよりはマシなんだから大目に見てくれよな!
などという問答は自分で勝手にやってたんですけど、ある程度の呆れとある程度の慣れを妻の嘆息から感じつつもフロントに高速移動して事情を話し鍵を受け取って、部屋に高速移動して高速捜査したらすぐ見つかったので高速移動で車に戻った。フフン慣れたものよと思ったけどそもそも忘れなければ良いのでは?という具申も諸兄からちらほら聞こえてくるような気がするけど終わらない問答になるから今回はこれでよいのだ。しゅっぱーつ、しんこーう!、と、息子。
■かみふらのフラワーランドとトラクターとメロン
今この文章書きながら「やっぱちょうなげーじゃん...」って自分でも思ってます。でもここも書きたいことあるのよね。
かみふらのフラワーランドは、上富良野にある花が見事なランドです。きれいに咲き誇る区分けされたカラフルな花々。まぁ多分ちょっと荒れ気味なのは先週台風があったからでしょうね。台風に直撃しなかったという意味では私らラッキーだったよね。到着して売店を抜けて軽く散策したら、誰一人乗っていないからずっと停止していたトラクターバスに乗ります。要するにバスっぽい座席を農業トラクターが引っ張る、という低速な乗り物なんですけどね。そもそもこのフラワーランド、開園とほぼ同時に来たからあんまりまだ人がいないのであった。
トラクターバスはゆっくりと、そして必要以上にガタガタガタガタと揺れ走ります。歩いてすべてを回ると多少距離があるので、10分以上かけてゆっくり園内を見て回れるのは良いかもしれません。夫婦だけだったらそこそこ値がするし乗らない気がするけど、息子が旅行から帰ってからも、「トラクター乗った!」と叫ぶことがあるので親としては十分価値あるトラクターバスだったなと思います。
そのあとは徒歩で散策するのだけど、見晴らしの良い展望台に登った時に、息子が鉄枠と鉄枠の間に頭を突っ込んだら耳が引っかかって抜けなくなってたのが最高に面白かったです。花もきれいだったけどなんだかんだでそういう思い出のほうが濃くなるよね。
売店に戻って軽くお買い物。そしてメロンを食べます。メロンひと皿(1/8かな?)300円。300円のメロンを食べてみるとおおおおお美味しいィー!!ってなった。これこんな美味しいのにこれだけ量があって300円なのか!ってなった。こんな美味しいのに300円...!ってなったので持ち歩きしやすいようにパック入りになってるやつ300円のを2つ買って車に戻って移動中もうめぇ...うめぇ...って言いながら食べてました。メロン食べながら向かう先は昼食です。
■ふらのワインハウスと未遂事件
ここはチーズフォンデュで有名なところ。以前の妻との旅行でも来たところだね。しかし北海道旅行っていつも思うけど、朝食も目一杯食べているのにメロンを必要以上に食べて、さらに今から一切お腹減ってない状態でチーズフォンデュを食べるんだよな。全然腹減ることない。
というわけなので、家族3人でチーズフォンデュのみを注文。幸いにして息子がたくさんパンを突き刺してチーズにつけて食べていたのが良かった。多分面白かったんだろな。ここのチーズフォンデュは美味しいし景色も良いし雰囲気もよいので有名なのもよく分かるなと思いました。
めっちゃどうでもいいけど、食後に息子のおむつを替えようと思って息子と身障者用トイレに入り、息子を着替えさせた後で私がついでに用を足してたら息子がカチャ!っとドアの鍵あけたのでめっちゃ焦りました。「ちょま、ちょっと待って閉めて!こっちおいで!」って言ったら事なきを得ました。こえー。まぁ見えたからと言って別に減るもんじゃないんですけどね...。
■カンパーナ六花亭と転倒
チーズフォンデュで腹いっぱいにしたあとその足でお菓子を買い求めに行きます。マルセイバターサンドが有名なところ。駐車場を出て下り坂を息子がいいペースで駆け下っており、早足で追いかける私の後ろでおっさんたちが「あの子はやくね?コケるんじゃね?やばくね?」って言ってる通り下り坂のアスファルトで息子は見事に転倒。「ああっ!」と声を漏らすおっさんたち。しかし息子はこういうとき全然泣かない。けっこう痛そうに転んだけど泣かずに立ち上がる。「あの子泣かないぞすげー...!」というおっさんたちの感嘆を誇らしい気持ちで背に受けて息子の手を取ったら手のひら擦りむいて血が出てました。こいつ血が出るまでこけても泣かないのか...と思ったけど傷口をみてびっくりしたらしくて泣き出す息子。手のひら擦りむいたの初めてだもんね。
その後、店に入ってもずっとさめざめと泣いていたので、気分を変えてもらうためにも車に戻って絆創膏を貼る。するとやはり気分が変わったのか延々と絆創膏を触っていましたね。いたくないのかなそれ。その間に買い物を済ませていた妻と合流し、カンパーナ六花亭のテラスで立派なぶどう畑を眺めて出発。
■一路定山渓へ
この後は富良野から一挙に130kmくらい移動して定山渓へ。札幌の隣くらい。走行距離的には新千歳から富良野と変わらないくらいなんですけど、札幌に向かう道であり札幌市街地を通り抜けるので車が多くとにかく時間がかかるのでこっちの方が遥かに大変でした。
ちなみに定山渓に向かう前に、昨日行ったフラノデリスに再度寄ってます。昨日は夕方に行ったらケーキがほとんど売り切れてたので。今日はケーキを購入して、移動途中に息子が寝てしまったくらいにコンビニの駐車場で夫婦並んでケーキを食べたのですが、とにかくフロマージュがちょう美味しかったのでフラノデリスでフロマージュ買ってくださいね富良野に行く人は!って倒置法で表現して美味しさを最優先に文章上に登場させたくなるくらいに美味しかったのでした。
まぁあとはずっと運転してました。ここが一番疲れたかも。長時間の運転苦手マン。
■定山渓グランドホテル瑞苑
やーーーっと着いた!と思ったらぱっと見だと非常に分かりにくい入り口(工事中だった)に行き過ぎてしまい、道の関係で全然Uターンできずに数分をロスする、というのが意外とストレスなのだなと感じた記憶が定山渓グランドホテル瑞苑の原初の記憶ですね。私の運転が下手なだけですね。
なにやら随分と広くて立派なロビー。スタッフさんが一緒に部屋まで荷物を運んでくれて、通された部屋は非常に広く、部屋に露天風呂もついてるというまぁ我々夫婦にとってはある意味よくあるやつです。大浴場もなかなかに良さそうだったので、夫婦交代で息子の面倒をみつつ夫婦交代で入浴へ。男女入れ替え制らしいので、翌朝に入浴すると別の大浴場が堪能できました。簡単に記しておくと、片方は庭園みたいなお花がたくさん咲き乱れている洋風の露天風呂が売りのようでした。もう片方は江戸蒸風呂。江戸蒸風呂って初めて聞いたんですけど、要するに湿式サウナなんですよね。欧州の乾式サウナって火を焚いて乾燥させて高温にしてるわけだけど、江戸蒸風呂はもう前が見えないくらいの一面の蒸気と湯気。湯気が逃げないように腰を屈めて入らなきゃいけない入り口も特徴的でした。個人的にはサウナって喉が渇くし裸のオッサンがいっぱいいるし匂いが苦手なんですけど、江戸蒸風呂だと渇きづらいし蒸気でおっさんも見えないし蒸気で匂いも気にならないのでこれはいいなと思いました。もっと流行ればいいのに。あとどうでもいいけどここ北海道は定山渓なんだけど売りが江戸蒸風呂なんだなって思いました。江戸。
■夕食
なるほど、ナトゥールヴァルト富良野のバイキングって美味しいんだなって思いました
■補足
って思ったのは思ったんですけど定山渓グランドホテル瑞苑の名誉のために追記しておくと、こちらの方が大人数に対応できて、食べ物の種類も多かったように思います。浅く広くと言うか。でも結局はまぁまぁなものがたくさんあるよりも、柔らかくて脂の乗ったステーキが旨い!とか殻付きホタテが食べ放題!とかの方がいいんですよね。補足っつったのに結局ナトゥールヴァルト富良野を褒めてますね。また行きたいナトゥールヴァルト。
補足の補足ですけど、現地でしか食べないような魚の煮付けとかありました。あと、実際に食事してる時にナトゥールヴァルトと来るとちょっとなぁ、って思ってたら、隣のおばあちゃんがた4人のボックス席から「こんなにたくさん美味しいものが食べられて幸せだねぇ」「明日からまた頑張らないとね!」って声が聞こえてきていたく反省いたしました。
■部屋露天入って就寝
夕方に私が大浴場に行ってる間に妻が息子を入浴させてくれていたので、息子はしばらくして就寝、その後は夫婦でゆくり部屋露天に入って旅のこととか過去のこととかこれからのこととかをいつものように長々と話てから就寝したのでした。
この季節の北海道って例年はけっこう涼しいからかエアコン入ってなかったんだけど暑かったのでフロントに聞いてみたら、エアコンいれられないのでということで高性能扇風機をもってきてくださいました。あってよかった。
■朝風呂と朝食
かつあい
■最終日はノースサファリサッポロ
個人的には非常に楽しみにしていた動物園。まさか...あんなことになるなんて...!
たまたま北海道旅行が決まってしばらくしてテレビで見かけたのがノースサファリサッポロでした。日本にあるまじきB級動物園!とのことだけどマジマジ。こんな動物園あっていいんだなと思いました。動物園と言っても巨大な敷地というよりは、ふれあい動物園みたいな感じの広い版みたいなイメージ。
でも中はスゴイ。とりあえず
『免責事項 この動物園は普通の動物園ではありません 怪我や物損は全て自己責任です 了承した上でのご入園となります』
ってでかでかと書いてあるのが何よりスゴイ!果たして何が待ち受けているかと思ったら、とりあえずキリンとかハイエナが触れる距離にいた。触るなって書いてあったけど歩いてたらキリンの顔がぶつかってくるレベルなのでキリンは触った。ハイエナもちょっと触った。ハイエナに触ろうとして最近子供が手を噛まれて血まみれになりました。って書いてあった。フヒヒ。
触っても良いコーナーもあって、アカカンガルーとかマーラ(大型齧歯類)とかカピバラとかアルマジロとか動物園にあるまじき動物たちを触れました。もう名前も覚えてないような生き物も触った。あとサーバルちゃんもいた!耳長め!
有料でライオンへの肉やりとかもあった。やってないけど。息子は100円の餌で温泉に浸かるカピバラさんに野菜を食べさせていました。いたくテンションあがったもよう。あとアザラシにトングで魚を上げたりしました。
温室コーナーではなんかディズニーで出てきそうな動物たちがさわれそうなところにいたし、なんか普通に有毒のサソリもいた。毒がありますさわらないでください、って触れる器に入れてある。すごい。ナマケモノとかも初めて近距離で見ました。人生の『初○○』みたいなアチーブメントがどんどんクリアされていきました(ゲーム脳)。
そしていよいよこのノースサファリサッポロでもっともノースサファリサッポロらしかったメガネ事件が起きます。仰向けに目を閉じて寝そべるニホンザル。「このニホンザルはメガネやスマホを奪います」という注意事項。しかし奪うも何も、ニホンザルは寝ているようなので1メートルくらいの位置から顔を覗き込んだ瞬間ヘッドスプリングで飛び上がったと思ったら次の瞬間には人の手がとどかないところでメガネいじってた。自分のメガネが奪われたことに気付くまで数秒かかる。いや、メガネ奪うにしてもヘッドスプリングから起き上がってメガネのブリッジを正確につまんで引っ張っていくとは思わないじゃん。っていうか動物なんだから多少人間に対して恐怖心とかありそうじゃん。むしろ彼はメガネを上手に奪うには寝たふりして急速に奪うのが一番成功率が高いのだ!とか思ってそう。そして事実当たり。そして途方にくれている私のそばで、ついにメガネをバリバリと齧り始めたニホンザル。
我に返って自分のメガネよりはニホンザルの方が心配になって、近くにいるスタッフさんに申し訳ない感じでメガネを取られたことを申し出ると、「またか...」みたいな表情で歩きだす。メガネ噛み砕いてましたけど、って申し添えたら小走りになって、ニホンザルの枠内に入っていってメガネを取り返すというよりはバシバシとニホンザルを叩く。「取るなって...!何度も...!言ってるでしょ...!」みたいな小声すらする。
取り返してもらったメガネは右のレンズは完全になくなっており、「メガネ完全に割れるとこうなるんだな」という見当違いの感想と同時に、「はいこちらです」とスタッフさん。さすが!自己責任ですものねここでこの動物園のスタッフさんが『すみません』とでも言おうものなら「今すみませんって言ったよね?」ってなりかねませんからね!素晴らしいなるほどなぁ!と思っていたら、妻から「注意事項にメガネ取られるって書いてあったじゃんw」って言われたわけだけどそんなことは分かった上で近寄ったら取られたんだからバカにするのやめてほしい。ときちんと伝えたらそっとしておいてくれるようになったので良かった。他人から見たら馬鹿みたいにみえるかもしれないけど、大丈夫だと思って近寄ったら自分の予想を遥かに超える速度で取られたんだもん。傷口に塩塗り込まれると誰だって痛い。あと周りにいた眼鏡の女性がたから、「メガネ取られたんですか...!」って聞かれたりしたので「気をつけてくださいね...!」って返しておいた。「運転大丈夫なんですか...!」とまで心配してくれたけど妻のだけどコンタクトレンズがあるのと妻も運転できるので。
やー、一気に疲れがどっと出ましたね。ちょうどニホンザルで一通り見て回ったこともあったのでノースサファリサッポロを後に...すると思ったら大間違いで、なんとノースサファリサッポロには第二の動物ゾーンがあるのですね。その名もデンジャラスの森。割と現時点でデンジャラスだった気がするのですが、なんかもっとデンジャラスらしい。せっかく来たのでとりあえず足は運んでみようと思ってその森に入園。メインの動物園よりは狭く、スタッフも観光客もほぼおらず閑散としている。敷地の1/3に様々な種類のフクロウが止まり木の上に佇んでいて、1/3に縄につながれた(凶暴らしい)キツネがいたり、大きな檻の中にクマがいたり、ベンガルトラと大型犬が一緒に入れられて『奇跡の友情』とか書いてあった。あと世界一危険な動物としてヒト自らが檻に入って記念撮影もできる...らしかったのだけどマジで私ら家族以外誰一人観光客がいなかったのでそれが一番恐怖だった。
さて、上記ではデンジャラスの森の2/3をご紹介しましたね。それでは残った1/3は何なのでしょうか。それは、ノースサファリサッポロのデンジャラスの森の、デンジャラスゾーンです。デンジャラスにデンジャラスを重ねてきた...!悪魔的発想...!かどうかはさて置くとして、果たしてこのデンジャラスゾーンが何かというと、とりあえず同意書に署名して誓約しないと入れません。数々のデンジャラスが待ち受けており、本当に危害を受ける可能性が本当にあるらしい。
ここから先は皆様の目で、としてもよいのですがググれば出るので簡単に。オオトカゲ→ヤマアラシ→ピラニア→ミルワーム→タランチュラ→ワニみたいです。途中で脱出路があって、一度脱出するともうそれ以降は参加できない...ということになってますが近寄って「わーピラニアがいる」とかはできます。私らはとりあえずオオトカゲをクリア後、ヤマアラシのドア開けたらヤマアラシがやあこんにちは、ってくらい近くにいたのでやめました。だって『ヤマアラシは起こると背の針毛を逆立て、長靴くらいは貫通させる』って書いてあるんだもん。そしてググったらマジだったんだもん。
というわけであっさり2ステージ目で諦め、まぁ脱出路からピラニアの近くによると、ピラニアが泳ぐ水槽の上で細めの木の板を渡らなければいけないらしい。ミルワームはマル秘って書いてあった。まぁ大層気持ち悪いでしょうね。実害はなさそうだけどトラウマになり���う。小屋状になってたので見てない。タランチュラも同じく小屋になってました。最後のワニは、階段を上がってピラニアと同様に(こっちはしっかりした)足場を渡ればいいんだけど、いたるところに「落ちたら死にます」って書いてあるしけっこうマジで死ぬんじゃないかなと思わなくもない。ワニとしては上からヒトが落ちてきたらどう思うんだろう。びっくりするのかな。びっくりしたにしてもとりあえず実を守るために噛むのかな。
しかしまぁ何よりも「わたしたちのほかに誰もいない」というのが最大の恐怖でしたね。デンジャラスゾーンの外には1人だけスタッフさんいたけども。大学生なんかがワイワイと前を行ってたらさておき、マジで誰一人いないデンジャラスゾーンは得体の知れない恐怖感を与えてくれたのでした。ちなみにどっと疲れた顔で歩いて戻ってたら、大学生グループとか家族とかがデンジャラスの森��向かっていたのでタイミングが悪かった、あるいはタイミングが良かったのかもしれません。
あと最後にトイレ寄って車乗って出たわけですが、トイレがバイオトイレでオガクズでした。デンジャラスっぽい(何が?)。
■北海道の回転寿司
気を取り直して新千歳空港方面に向かいつつ、昼食は回転寿司を堪能することにします。以前妻に「北海道に言ったら回転寿司行きたい」って言ったら「え?回転寿司ぃ?」って言われた覚えがあるのですが、秘密のケンミンショーでもやってたけど北海道の回転寿司ってすごいみたいなんですよ。イクラを溢れるまで載せてくれるとか、東京では見ない魚がいるとか、タコのボイルはありえないとか。
というわけで北海道回転寿司でも有名な、なごやか亭に行きました。なんかすいてた。まぁこの日実は平日だしね。でも途中のスシローはいっぱいだったんだよ。スシローは全国展開だけどスシローといえど北海道のスシローは他のスシローよりもスゴイのだろうかゴクリ...って思ったけど寄る勇気はない。
あいすさん結構いいもの食べてそうな割には結局のところ、『大トロが一番美味しかった』という身も蓋もない結論に終始してしまいました。だって美味しかったんだもん。ウニが苦手なひとはこういうところでウニを食べてほしいね。本当に甘いんなぁウニって、ってなる。あとはアワビとかとにかく高いもの食べたんですけどこういうのはぜひご自身で堪能してみてください。
ウルトラ自己責任だけど、妻のコンタクトレンズだと少しメニューが見え辛かったですね。
■新千歳空港
あとはおみやげ買って帰った!ってことでいいんですけど、息子がおもちゃに惹かれて大変でした。余裕をもって行動しなきゃいけないんですけど、余裕を持ちすぎるとそれはそれで待ち時間がやたら発生するのが難しいところですね。ルタオとロイズのソフトクリームを両方食べましたが大層美味でした。時間があったのでロイズのチョコレート工場?をちょっと見たり、息子がハローキティが延々と何か喋っている音声に釘付けでした。なんかキティちゃんのこと好きなのうちの息子。
帰りのフライトは確か早い段階で膝の上でお昼寝してくれたはず。記憶にないということは順調なフライトだったのでしょう。私も疲れていたしね。
■まとめ
というわけで案の定でしたね。要するに長いんだよ。それでも今回は割と要点を絞ってかけたと思うゾ。要点がいっぱいあるんだよ。またいずれ北海道に行くときは、バイキングじゃなくてもっとゆっくりできるといいなぁ。保育園でも友人のお子さんでも誰よりも良くも悪くも異様に元気いっぱいな我が息子がどう育つかで、旅行の先行きも変わっていきそうな気がする今日このごろなのでした。どうあれ、こんな旅行記にするくらい、旅行はたのしい。
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