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#ポールオースター
reflections-in-t · 1 year
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. . 2022年の、そして2023年の最良最高の一冊になりそうな気配がしている . ポール・オースターの『ティンブクトゥ』 . 死を目前にしたうらぶれた詩人と飼い犬との最期にいたるまでの交流と . 残された犬の夢の中にもあらわれる詩人とのあいだの魂の触れ合い . そしてヒトが一生で体験し得る愛、自由、創造、無常観や死生観などが犬(メタ)目線で思慮深く語られる心に沁み刺さる一冊 . 読み進むのが愉しくてうれしくて切なくて哀しくてならない、すばらしい本 . . #Timbuktu #PaulAuster #ティンブクトゥ #ポールオースター #柴田元幸訳 #愛 #自由 #創造 #無常観 #死生観 #哲学 #新潮社 #LeicaC #ライカc #LeicaC112 . . https://www.instagram.com/p/CmwSm-iPpf6/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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patsatshit · 5 months
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2023年も色んな本を読みました。なんだかんだで再読が多いのですが、はじめて出会った作品からもたくさんの刺激をもらいました。なかでも特に印象に残っている5冊を本年度のベストとしてセレクトしてみました。今年出版されたものではなく、あくまでも今年僕が読んだもの、です。
1、齋藤なずな / ぼっち死の館
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76歳の著者が描く「老い」こそが最も躍動的で生き生きとしていて、清々しかった。タラウマラ周辺の日常がSF的世界観と地続きであることを改めて思い知らされた。このなかの数編はカフカのその先をも垣間見させてくれる。
2、西川勝 / ためらいの看護
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かつてブルーハーブのボスは「これ以上きれいごとは無しにしようや」と息巻いたが、その当人がすっかりきれいごとに取り込まれてしまった。ボスとシンゴ西成との楽曲からこぼれ落ちたものが本書のなかには全部つまってる。著者は障害のある無しに関わらず、ときには人を抱きしめ、ときにはぶん殴り、愛して罵倒する。一切のきれいごとは無しだ。きっとこれからも何度も読み直すだろうし、もうこういうものしか読みたくない。
3、西井一夫 / 日付のある写真論
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西井一夫もまた美辞麗句とは最も隔絶した場所からものごとを俯瞰している人だ。ここで論じられている状況から世界はより一層に退化の時代を歩んでいると言わざるを得ない。こういうものを読んで、自分の足元からグラつかされた方が良い。知性は野蛮だし、野蛮は知性だ。それを放棄したテンプレート社会からはなにも生まれない。
4、筒井康隆編 / 現代世界への問い
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本書は地べたから自分を叱咤激励してくれた。畑を耕せど耕せど、な日々を継続中ではあるが、それでもまだその手を鍬から手放さなくて良いんだと思わせてくれた。希望がないことが希望、そういう本。
5、田中茂樹 / 子どもを信じること
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子どもを信じるという行為は誰もができるがゆえに最も困難な問題を孕んでいる。それは反戦の意を唱えること以上に難しい。本書で記されていることを実践できる自信はない。それでも読む前と読んだあとでは見える景色が確実に変わった。わかりやすい旗印を掲げること以上に大変なことが各家庭にはある。それを無下にしてはならない。
上記の他にも小指『宇宙人の部屋』、リーアンダーツ『母がゼロになるまで』、済東鉄腸『引きこもりの俺が、ルーマニア語の小説家になった話』、今村夏子『あひる』、磯崎憲一郎『我が人生最悪の時』、関口良雄『昔日の客』、マークフィッシャー『夢想のメソッド』、ポールミラー『リズムサイエンス』、ポールオースター『空腹の技法』、松本大洋『sunny』、山口貴由『劇光仮面』、大山海『令和元年のえずくろしい』などなど素晴らしい書籍がたくさんありました。でももう言わなくてもわかってもらえるでしょうけど、圧倒的ベストは…
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gyohkou · 9 months
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29/07/23
会社の近くペルシャ料理屋があって、そこへいくと必ず幸福な気持ちになれる。店内にある大きなタンドールが放つ熱で店内がほかほか暖められていて(背中向かいの席では熱いくらい)、照明は薄暗くて、食事はおいしくて、なんだか居心地がよくて眠くなっちゃう感じ。ワンプレートメニューが大半だが、基本的な組み合わせとしては、バスマティライス、チキンorラムor両方の炭火串焼き、サラダ、焼きトマト、一欠片のバター、が盛り付けられている。若干酢にくぐらせたような風味のする、炭火で焼かれたチキンがお気に入りで毎回それを頼んでいたが、こないだはものすごくラムを食べたい気持ちになって、ラムはあまり好んで食べないけど美味しく食べられるのか心配半分、ラムが美味しいということになったならばそれはさぞかし美味しいだろうという楽しみ半分で店へ向かい、いつものチキンと、ラム(ミンチにしたラムを小さく成形した、ラム苦手な人にとって一番難易度低そうなやつ)が両方乗っているプレートをお願いして、食べたら、ラムが...とっても美味しかった..!
美容師の友だちに髪の毛を切ってもらうようになってから3ヶ月経つ。今回は彼女のお家にお邪魔して、髪を切ってもらって、ビールとおつまみをいただいた。ヘアカット中のBGMは千と千尋で、おつまみは彼女のシェアメイトが作った夕飯の残り物で、ああいう時間がもっと人生の中にあればいいなと思った。またすぐね。
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金曜日に有給を取って3連休を作り、マルタへ旅行した。イギリスは秋みたいに寒いけど、ヨーロッパには記録的な熱波がやってきており、マルタも例外ではなく、空港を出たら暑すぎて、いっぱい歩くのはやめよう..と危険を感じた。マルタには電車がなくて、移動手段はバスだから、3日間で15回くらいバスに乗った。前回のオスロ旅行で、自分の興味関心に基づいて行きたいところをいくつか選んでおくべきだという教訓を得たため、ワイナリーとかレストランとか色々ピックアップしておいたのに、バスが来なくて閉館時間に間に合わな��みたいな理由で立てた予定はほとんど全て崩れ、行きたかったところの9割は行ってない。
立てた予定が全て崩れて向かったバスの終点には、イムディーナという静まり返った美しい城塞都市があった。後から調べてみたらマルタ最古の都市で、かつてはマルタの首都だったらしい。なんか普通のマルタの街に到着したなと思ってぷらぷら歩いていたら、お堀じゃないけどお堀みたいな高低差のある場所へ出て、中へ入るととっても別世界だった。旅をしている時(文字通りの旅ではなく、その場に意識があってその場に集中してわくわくしながら歩いている時)は自分の足音が聞こえる、とポールオースターの友だちが言ってたが、わたしは匂いもする。暑すぎるのか、痩せた雀が何羽か道端に転がって死んでいた。馬車馬は装飾のついた口輪と目隠しをされ、頭頂部には長い鳥の羽飾りが付けられていた。御者がヒーハー!と言いながら馬を走らせた。とにかく暑かった。
ほとんど熱中症の状態で夕食を求め入ったレストランで、ちょっとだけ..と飲んだ、キンキンに冷えた小瓶のチスク(マルタのローカル大衆ビール)が美味しくて椅子からころげ落ちた。熱中症なりかけで飲む冷たいビール、どんな夏の瞬間のビールよりうまい。
安いホステルにはエアコン設備などもちろんついていない。さらに、風力強の扇風機が2台回っている4人部屋の、私が寝た2段ベッドの上段だけ空気の溜まり場になっていた。明け方に頭からシャワーを浴びてさらさらになって、そのまま二度寝する。隣のベッドのイタリアから来たかわいらしい女の子2人組が夜遊びから帰ってきて、わたしは出がけに、部屋で少し話す。8年前に来たコミノ島はプライベートビーチのようで素晴らしかったけど、昨日行ったらツーリズム化されていて悲しかった。耳の裏に日焼け止めを塗り忘れて痛くなっちゃったから、あなたは忘れないように。わたしたち今ちょっとおかしいのよ、と言いながらドレスも脱がずにそのままベッドの上で眠ってしまった彼女は天使か何かみたいだった。扇風機をつけたまま部屋を出て行く。
地面がつるつると滑る。
砂のような色をした街並みが広がるマルタにもイケてるコーヒー屋は存在する。これも近代化・画一化の一途かと思うと、微妙な気持ちにもなるが、こういう場所へ来ると息が深く吸えるので有り難くもある。
マルタは3つの主要な島から成る。そのうちのゴゾ島へ行く。首都のバレッタから港までバスで1時間強、フェリーで20分。
フェリーほどいい乗り物はない。売店でビールとクリスプスを買って、デッキへ出て、なるべく人がいない場所で海を眺める。乗船案内と音楽が止んで、フェリーが作る波と風の音しかしない中に佇むと、これでいいような気がしてくる。ビールはあってもなくてもいいけど、フェリーのデッキで飲むビールの味というのがあって、それはめちゃくちゃうまい。
ゴゾ島へ降り立つと、足音と匂いがした。適当に道路沿いを歩いていたら、また別世界に続きそうな脇道があって、進んだらやっぱり別世界だった。ディズニーランドのトムソーヤ島で遊んでる時みたいな気持ちで謎の小屋へ入り、人で満杯のhop on hop offバスを眺めやりながら、人懐こすぎる砂色の猫と涼む。港とは反対側の海辺へ行きたかったのでバスを待つものの、一生来ないため、バス停近くのローカルスーパーを覗く。これといった面白いものは置かれていなくて、見たことある商品ばかりが並んでいた。バスは一生来ない。
バスを降り、水と涼しさを求めて入った地中海レストランは目と鼻の先に浜があり、今回の旅は下調べなしの出会いが素敵だなあとしみじみする。カルパッチョと白身魚のライススープ、プロセッコと、プロセッコの10倍あるでっかい水(笑)。カルパッチョは、生ハムのような薄切りの鮪が敷かれた上に生牡蠣、茹で蛸、海老が盛られていた。鮪は日本で食べるのと同じ味がした。カルパッチョは旨く、プロセッコはぬるく、ライススープは想像と違った。パンに添えられたバターは外気温のせいで分離していた。水が一番おいしかった。
おいしいものとお酒が好きで楽しい。
ヨーロッパ人の色気の正体ってなんなんだろう?アジア人が同じ格好をしてもああはならない。胸元がはだけていてもスカートが風で捲れてもはしたないと全く感じない。むしろロメール作品のようにさえ見える。そもそも'はしたない'という概念がアジア(少なくとも日本)にしか存在しないのではないか?色気って品かと思ってたけどそれは日本だけかもしれない。
地元料理が食べられるワインレストランを夕食に予約してみたらコース一択だった。お昼食べ過ぎてあんまりお腹空いてなかったからちょっと小走りで向かってみる。ラザニア、ムール貝と魚のスープ、うさぎの煮込みなど。人ん家の料理みたいな美味しさだった。マルタのワインはほとんどが島内で消費されるらしい。ゴゾ島の白ワインの感想:暑い村、お絵描きアプリのペンの一番太い線(色はグレーがかった白で透過度50)。食後のグリーンティーは、TWININGSのティーバッグで、お砂糖をいれる選択肢が与えられて、洋風の装飾がたっぷりついた受け皿付きの薄いカップと共にポットで提供された。カップの底に描かれた静物画のような果物が綺麗でうっとりした。
どこにでもあるような早朝からやってるスタンドでドーナツとオレンジジュースとコーヒー。扇風機に当たり続けていたいが荷物をまとめて宿を出る。行きたい街へ向かうバスが一生来ないため、行きたい街に名前が似てる街が行き先に表示されているバスに適当に乗ったら、行きたい街より30度北へ行くバスだった。でもやっぱり行きたい街へ行きたかったので、30度北の街へほとんど到着してからバスを乗り換え行きたい街へ向かったが、Googleマップの示すバス停へは行かず、行きたい街を通過してしまったため、行きたい街から30度南の街に降り立つこととなった。海辺でチスクを飲みながらメカジキを食べた。暑すぎて肌着1枚だった。店先のガラスに映る自分に目をやると、いわゆるバックパッカーの様相をしていた。
空港行きのバスだけは遅延なくスムーズに来て着く。肌着状態からシャツを身につけ普段の姿(?)に戻ると、途端に具合が悪くなった。日に当たりすぎたみたい。お土産を買ってセキュリティを通過し、充電スポットの近くに座って搭乗を待っていたら、すぐそばにグランドピアノがあることに気がついた。誰か上手な人が演奏しないかしらと思っていたら、青年によるリサイタルが始まった。父親が彼を呼びにやってくるまで、クラシックからビートルズまで5-6曲。思わぬ良い時間だった。
都市に住むと、旅行から帰ってくる時安心する。
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会社の人たち語録 ・やりたいことたくさんあるけど、今はやりたくないです。 ・返事がないのはいい知らせではないので。 ・Are you alright? まあまあ、ぼちぼち。
夕方、商店街へ買い出しに行く時がすごく幸せ。食べたいと思うものしか買わなかった時は特に幸せ。ぱつっと瑞々しい野菜、ちょっといいパスタ、ジャケ買いしたクラフトビール、好きな板チョコ。そんでキッチン飲酒しながらご飯作る。ビールを開けて一口目を飲むまでの間だけは音楽を止めるというのにはまっていて、そういえばフェリーのデッキで乗船案内とBGMが止んだ時の感じに似ていなくもない。フラットメイトが、夜中3時まで友人とリビングで遊んでいたり、土曜の夜にパーティへ出かけたりしているのと比較して、わたしが幸せ感じてるポイントは内向的だ。
やりたいことが浮かぶ。それをやる前に、比較対象の選択肢や判断軸を不必要なほど増やしてしまいがちだが、最適な選択を選び取ることよりも、やりたいと思う気持ちを満たすことの方が幸せなんじゃないか?
色々比べて悩んじゃったら「朝から決めてたことだから」って言うとスッと選び取れる!
食材の買い出しで1週間くらいはもつかなと感じるくらいたくさん買っても実際3日もすれば冷蔵庫空になるやつ、悲しさというかやるせなさを覚えるんだけど、こないだ500gパックの美味しそうなミニトマト買った時に、長く保ち続けること(終わりを迎えないようにする、終わりを想像しないようにすること)よりも、きちんと消費する(終わりを気持ちよく迎えること)を考えるようにしたら明るくなれてよかった。終わりって何事にもやってくるもんね。
食の話ばっかり回。
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yuurn1n · 11 days
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0423
昨夜から母親が実家に帰っているので朝起きると信じられないほど静か。兄は先に出勤していないし、父親はまだ寝てる。一人で起きて、パン焼いてスープの元にお湯入れて飲む。ずっと実家住まいだから、わたしよりも母親の方が起きている方が普通だし、それしか知らないから、こういう日はやたら寂しい。無音も仕方ないから、いつものようにめざまし見ながら天気予報チェック。朝食後は昨夜の兄の食器と自分の食器洗って、お弁当の準備。干していたかっぱを畳んで化粧して8時だ。紅茶を飲みながら、朝ドラ『虎と翼』の時間。今週はよねさんがずっと可愛い。彼女のことを、名誉男性だという人がたくさんいそう。それこそ、想像力の欠如である。出勤。RIIZEの新曲マジでサイコー。昨日途中まで考えた公休の割り振り考え直したりした。帰り際に、今月末に退職する先輩がギリギリまで上司と揉めたと聞く、愚痴を話している時間は連帯感が出るから楽しいけど、後輩は居心地悪いのかもしれないなと思いつつ退勤。夕飯は母親とくら寿司、かつおが美味かった。そのあとはずっと借りてた、『ヤンヤン夏の思い出』のDVDを返却しに中央図書館へ。夜の図書館は綺麗で静かだった。新たに『underground』とポールオースター借りて、2階で北海道新聞読む。たまたま知り合いの記事が掲載されてて嬉しくなると同時にやるせなくなる。自分は社会のために何ができるのかな、電車で帰宅。西友よって色々買った。帰ってからもう一回朝ドラみた。
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爺ちゃん仏様🦠は、最初、生き物と、植物の中間である、アメーバ🦠として、誕生した。宇宙を、創造した、ホンマルの手によって。そして、爺ちゃん仏様🦠は、生まれるやいなや、永久溺れ状態に、あった。そして、勿論、その時代に、宗教なんか、あるはずはなく、頼るべきものは、自分に、備わった、野生の勘だけだった。故に、自分自身の、力だけで、永久溺れから、脱出する必要に迫られていた。そこで、爺ちゃん仏様🦠は、自ら、細胞分裂することで、永久溺れ、つまり、呼吸ができない苦しみを、分裂した、もう一人の自分に、苦しみを少しだけ、負担させる方法を、ある日、気付き、そこから、数億年、分身の術を、身につけるための、過酷な、修行の日々が、続き、ある日、細胞分裂した方の、もう一人の自分が、さらに、細胞分裂していることに、気付き、水中での、溺れの苦しみを、徐々に、徐々に、克服していき、最終的に、仏様🦠🤡と、なられた。
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ポールオースター著作 幽霊たち = 人のノート、覗き見する奴ら=永久、溺れ、確定集団。
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48=しや=死や
ポールオースター著作 幽霊たち = 人のノート、覗き見する奴ら=永久、溺れ、確定集団。
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で、🍎は、霊界の再臨で、頑張らなかったから、とりあえず、意識明快の、一兆年、石像に、なることで、今のところは、まぬがれてるんだからな。永久に、なる可能性もあるし、はたまた、永久溺れも、可能性、あるんだからな。
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reallife-ffpwcdab · 3 months
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今日はさみしい音のする曲と一緒に重い荷物を背負いながら帰り道の4駅分を歩いたせいかトラックと控えめにぶつかった人じゃなきゃありえない量の湿布を貼りながらベッドに入った。それでもわたしは大人になったので、例えばひとえに心がボロ雑巾状態になったとしてもメソメソするとか病んだ無理死にたいとかになるわけもなく普通の顔して生きていける。けど、生きるうえでの最低限の動き以外のもろもろが全部シャットアウトされるか主電源がオフになるような感覚があるし、好きな音楽や好きな作品を主語とした〇〇にすくわれるという言葉への寒気が止まらないため、こういったモードになると途端に好きなものに触れることができない。これはMBTIでいうところのFとTに値すると思っており、自ずと後者に立っているが、先週、仲良くなるんだろうな〜と初対面から薄々感じている人との会話のなかで「このキャラは確実に周りに恵まれたinfpなんだよな」と言うと「何でもかんでもそれで判別しないでほしい」と食らったお咎めが可愛かったから弁解の余地もなくこの話はやめる。ちなむとひらいての登場人物は全員きらい。一人でいるときに限り喜怒哀楽でいう哀が強くなるので、ケーキ屋さんで声のない音楽を聴きながらタルトタタンを食べていたらガラス張りの窓を視界にやってきた紅茶の香りに泣きそうになったとか、ポールオースターのガラスの街を読むために作ったプレイリストがいつのまにか夜を象徴するようになったとか、そういう毎日を過ごしている。最近の好きな歌詞は「読みかけの本が増えていた。書き出しで嘘は熟れていた。記憶より肌を信じてた。」と「海をいっぱい抱いたきみの心のなかは空の光の音が聞こえてくるみたい」で、何にも誰にも期待したくなくて、どれもこれも最後の最後は孤独に越したことはない、を今冬の知見としたい。好きで孤立を選ぶもどうせ孤独が嫌になるくらいなら、やさしさなんかはなから知らなければよかった。おやすみ。
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singosblog · 4 months
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【福岡市早良区役所、わらしべ文庫、成りて☹️💬】
早良区役所の、わらしべ文庫にて、二冊、ゲット成りて☹️ちなみに、ムーンパレスは、めちゃくちゃ面白いから👀俺、かれこれ、5回は、読み返してるからな👀とにかく、ヤバいんよ👀主人公が、金に尽きて、公園で、ホームレスする、体験が書かれてるんよ👀で、作家の、ポールオースターが、作家で売れるまでの、生き方が、良いんよ👀船の港湾員の重労働についたり、とにかく、ありとあらゆる、色んな、底辺の職業体験するんよ👀ちょうど、遅咲きの、ブコウスキーが、郵便局の、配達員したり、日雇い重労働に従事したり、沖仲仕の哲学者、エリックホッファーが、沖仲仕の重労働したり、日雇い重労働したり、働かない期間、ブラブラ、カリフォルニアの、道を歩きながら、路上に落ちてる、オレンジを拾っては食い、拾っては、食いしてたようなとまでは、いかないけど、ポールオースターも、とにかく、底辺労働者の、苦渋を、たっぷり、味わってるのよ👀
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3103dayo0201 · 7 months
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それで、最近、ルーリード繋がり検索してたら、スーザンソンタグって人の本があがってきて、あたしはなんでこの人の名前を知ってるんだろうって思ったら、実は、本屋でこの本を20年前ぐらいに買ってたの(ソンタグって苗字すっごい印象に残るっていうのもあるけど)。
 
当時は表紙の写真を見て買ったのだけど、内容を全然覚えてないから買いなおすかも。この頃は村上春樹の短編とポールオースターの本の私の中で言う、『だから何』的な日常なんだけど映像が浮かぶあの世界がとにかく好きで、ポールオースターの本はフリーがおすすめしてたから知ったんだけど、実はSmoke書いたのオースターだったんだって後から気づくみたいなそんな感じだった。
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honnakagawa · 2 years
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3月16日(水)open 12-18 晴れ。 窓を開けて営業できるのが気持ち良くて嬉しいのですが、花粉多めです。 今週もどうぞよろしくお願いいたします。 タダジュンさんの関連書籍がまた追加で届きましたよ。 ギャラリー内に展示している、銅版画の版はアーサー・マッケン傑作選『恐怖」の表紙のもの。 作品も並んでおります。 本も是非お手に取ってくださいね。 他に 『ガルヴェイアスの犬』 ジョゼ・ルイス・ペイショット 『カールの降誕祭』 フェルディナント・フォン・シーラッハ 『ガラスの街』 ポール・オースター も並びました!
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atelier-rocket · 4 years
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【鍵のかかった部屋 】 ・ 『ガラスの街』『幽霊たち』に続くポール・オースター ニューヨーク3部作の〆となる作品 未読だった3作目届く 前2作とも良かったので楽しみです ・ 『すべての人に希望がある。 希望が世界を動かすのだ。』 ポール・オースター Paul Auster ・ #読書#本#本が好き#古本#古本屋が好き#本との出会い#本好き#小説#美容室 #美容院 #本のあるヘアサロン#今の気分#ポールオースター#鍵のかかった部屋 #名言#それな https://www.instagram.com/p/B5olIVDnZVI/?igshid=vni51nnxiei8
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shinshinbooks · 5 years
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冬の日誌 /ポール・オースター 主人公は『僕』ではなく『君』と呼び、作者の回想録なのかも知らないが、俯瞰した視点が自分のことの様におもう。わたしが男ならば。 #本 #読書 #エッセイ #小説 #book #books #ポールオースター #paulauster (Kagoshima, Kagoshima) https://www.instagram.com/p/BwlmatxnzFE/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=1dk9pvxsmkxbs
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reflections-in-t · 2 years
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. . ポール・オースターの回想録『冬の日誌』を読みはじめた。 . 帯には「人生の冬」にさしかかった著者が、若き日の自分への共感と同情、そしていくぶんかの羨望をもって綴られる「身体の物語」である、と訳者。 . 幼時の大けが。性の目覚め。パリでの貧乏暮らし。妻との出会い。自動車事故。暮らしてきた家々。記憶に残る母の姿と、その突然の死…それらを「いま語れ、手遅れにならないうちに」と著者。 . これは一人の男の身体を通じて作り上げられた、彼自身の歴史の精巧な目録であり「人生の冬」を迎えた作家の肉体と感覚をめぐる率直で心に沁みるメモワール。そして死と生をめぐる黙想でもある、と米書評誌。 . 柴田元幸による訳は、例によって的確で非の打ちどころのない流れるような美しい日本語に。 . ノスタルジックな思いになりかけると「古きよき日々などに用はない」というオースターならではの反骨精神と、老いに対する向き合い方に魅かれて選んだ一冊。 . まだ序盤だけれど、ページを繰るごとに共感があり勇気もあたえられ『名著』になりそうな予感。 . . #冬の日誌 #WinterJournal #ポールオースター #PaulAuster #柴田元幸訳 #TranslatedBy #MotoyukiShibata #Photo #WashingtonSquareNY #1954 #AndreKertesz #新潮社 #LeicaC #ライカC #LEICAcTyp112 . . https://www.instagram.com/p/CZZdK_avnO8/?utm_medium=tumblr
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gyohkou · 10 months
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01/07/23
ceroがかっこいい。自分が真面目でうんざりとする。ちゃらんぽらんな知性がほしい。cero聞いてると海外文学読みたくなる。海外文学好きな友達にポールオースターを勧められ続けついぞ読んでいない。その人からの信頼を少しずつ裏切ってきてしまった気がする。もう1年は会っていない。自分の中に今まで出会ってきた人たちのための椅子があって、今も座っている椅子、いつか座りに来るかもしれない椅子、座りに来ないかもしれないけど綺麗にしている椅子、もう無い椅子、仕舞っている椅子などがある。爪切りは排泄行為と捉えられると聞き、夜中部屋でこっそり切っている。夜寝る前に清潔なキッチンで果汁100パーセントのオレンジジュースを透明なグラスで飲む時の気持ちがあって、爪切りってそれと似ているんだけどな。スマホのケースに直島行きフェリーの半券を挟んでおり、それなんですか?と話題にしてもらえることが多く、直島ではないが豊島美術館に対する賛美を、空間が生きているんです、などつらつらと並べ立てる。ボーナスの支給額を決める年一の自己評価シートみたいなやつが何よりも大嫌いなのだが、興味のあることに対しては熱量がすごいみたいなことをコメントされたのを思い出す。興味のないことに興味を持とうとすると魂がねじくれていく。ねじれの位置。1日に煙草を3本以上吸うと必ず喉風邪を引く法則がある。箱開けたて一本目のピースが恋しい。特別な日にしか喫煙しないため、ピースを3本吸って箱ごと捨てることを自分に許していた。今回も例に漏れず喉風邪を引き、喉風邪を引いて喋るのが少ししんどい時のトーン、スピードが心地よい。自分に余裕をもたらすための喉風邪。喉風邪を引くための煙草。風邪で声がおかしいと英語の発音がよくなる。イギリス訛りになってきている。フラットメイト1はインスタやtiktokを見て大爆笑するのが常なのだが、わたしも何かコンテンツで大爆笑したい。お笑いとかでツボに入りづらくて。最近爆笑してないなー!高校生の時爆笑しすぎてお腹がつって青ざめて吐いたことがある。フラットメイト1は今日も今日とて大爆笑。同居人としての同居人が心地いい。友達としての同居人は少し難しい部分が出てくる。同居人としての友達は如何だろう。豆の缶詰、トマトの缶詰、サバの缶詰ばかり買い込み、肉や野菜なども加えたりしてつけるソースあるいはかけるソースに応用している。レモンを1日1個絞って飲んだらどんどん新しくなれるかもしれないと、せっせとレモンを絞っている。人が集まる都会はどこも似たような顔をしている。丘や海岸や物価の安い全く空気が異なる文化圏へ行きたい。没頭がほしい。
家族がイギリスを訪れていた。観光の要所を回る絶好の機会であり、色々なところへ足を伸ばした。観光らしい観光に恥を感じるのだがなぜだろう。わたしの旅行はおそらく観光とは少し異なるもので、グーグルマップと嗅覚を頼りにローカルの雰囲気が漂う場所や飲食店を探しそこへ澄ました顔して入り込んでいくことに価値を感じる傾向にある。
オックスフォードでローカルガイ��を頼んだところ、ハリーポッターのコスチュームを着せられハリーポッターの土産屋の前で記念写真を撮影するというド観光イベントから始まったため少々不安になった。というのも無計画で渡英してきた家族に慌てて事前のチケット購入を促したため、ハリーポッターの食堂・図書館が見れるツアー!的なものを予約しており、家族の誰一人としてコアなハリーポッターファンでもなければツアーガイドをつけたかったわけでもなかったのだ。マントと杖の着用を一旦断り苦い顔をしながらいそいそと写真撮影に応じるツアー客に対してガイドは若干拍子抜けもしただろう。しかし、個人的に訪れたら2時間も経たず引き上げてしまうような小さな街を、さまざまな歴史的解説付きで5時間も案内してもらい結果としてよい体験となった。オックスフォード修士だというガイドのケンブリッジジョークがわずかに度を越しており、私は楽しかった。ケンブリッジという街は常に変な匂いがし馬糞だらけでなにもかもが最悪だ!もしケンブリッジ大学へ進学したならば俺は一生お前と口を聞かない!(本屋にあるようなくるくると回る棚に陳列されたポストカードの上段にオックスフォード、最下段にケンブリッジの商品があったため、)ほらみろケンブリッジが一番下だ!(と言いながら商品を蹴り付ける)などといった具合である。ケンブリッジをトリガーにしてこのガイドを何度も思い出すだろう。
また明る日はストーンヘンジへ行った。こちらもツアー形態で、現地では自由行動だが行き帰りの交通手段としてツアーバスが提供されるものだった。イギリス観光客はハリーポッターのファンというマーケティングがなされているのか、行きのバスではハリーポッターと賢者の石、帰りのバスでは秘密の部屋が上映された。バスの中は冷蔵庫のように寒く、片道2時間以上かかる道中は眠るか、ほとんど音が聞こえないハリーポッター上映を観るかして寒さから気を紛らわせていた。ストーンヘンジは言ってしまえばただのでっかい岩の集合であり、片道2時間以上もかけて此処へ?と思ってしまうかもしれないが、事前に同僚から聞いていた評判と予想に反して非常によかった。駐車場から岩までは徒歩30分程度で、どこまでも広大な草原が広がる中を汗ばみながらゆく。北海道へ住んだことのある人が北海道みたいだと表現していた。欧州の北海道ことストーンヘンジ。広い草原には実は囲いがあって、放牧されていると思われる牛達が暑さから逃れるためわずかな木陰に集まっていた。まさにぎゅうぎゅう詰めである。ん、ぎゅうぎゅう詰めってそういうこと?ストーンヘンジはメインの岩、サブの岩たちが直径100メートルくらいはあろう囲いの中で環状にまとまったり散らばったりして点在しており、どうやら夏至と冬至に関係した配置らしいが、詳しいことは未解明らしい。囲いの外側も一回り大きな囲いがあり、囲いと囲いの間をぐるりと一周して岩を眺めて回る。270度くらいの地点で草原に座り、ポテチを回して食べながら、成分表示でタンパク質が12gあると喜ぶ弟に、それは何g当たりなんだと詰め寄ったりする。ポテチに飽きてきた頃、内側の囲いの内側にミッドサマーのホルガ村の人たちのような装いをした人たちがいることに気がつき恐れ慄く。白く長くゆったりとした服を纏い、花で拵えた被り物を身につけている者もいる。この日は夏至の翌日で、スウェーデンからか国内からか、夏至を祝うためにやってきた人たちが儀式を行っていたようである。
土曜日にはいつも行ってるダンスに弟も連れて行った。ロックは基礎すらやったことないようだが、大丈夫と参加を促す。気を抜くと父親に硬派な教育を施されてしまいそうな弟の、ダンスという楽しみだけは、勝敗や良し悪しに捉われず純粋に続けてほしいと願っている。
皆が帰ってしまってからコロナに罹り、寝たきり廃人生活を終了し外へ出ると世界は7月になっていた。
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310kori · 4 years
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夏休み
20200818
今日は前々から楽しみにしていたお出かけ。街中の雑貨屋さんと喫茶店、あと本屋などを回る。天気も夏らしく明るい晴天で嬉しい。しかし比例して暑い。日焼け止めを腕に重ね付けするなどしつつ、先日買ったスカートにTシャツ、帽子という格好で夏の街をてくてくと歩いた。
まず雑貨屋さんを目指す道すがらダイソーに寄った。ウエットティッシュが欲しくて寄ったのだが、涼みがてらしばし店内を見て回る。すると、画材のコーナーにアクリル毛の筆があるのを発見。以前買ったことがあり、なかなか良くてまた欲しかったのだが、一時廃盤になっていたのか、しばらく店頭で見かけなかったので見つけて嬉しい。興奮して、平筆と丸筆と二種類買った。興奮を引き摺って、何故か小さな刷毛も買った。満足して一度会計を済ませたが、店先に花火のセットがあるのを見つけて、戻ってそれもひとつ買った。
雑貨屋さんに行く。休みだった。いやそんな確か木曜定休では……と思ってよくよく確かめると、TuesdayとThursdayの表記を見間違えていたのだった。私はこのふたつの曜日の英語表記をよくよく間違える。
まあしょうがないね……と思い、近くのショッピングビルに行く。レコード屋さんに行くのだ。
行った。休みだった。
うおい!!と思って案内を見ると、昨日今日たまたま休みだったらしい。事前調査の甘さを思い知りつつ、同じビル内のジュンク堂へ向かった。レコード屋、後でまた行こう。
ジュンク堂(と、さっきのダイソー)は前の職場の近くにあり、仕事帰りや昼休みによく行っていた。人文社会、主に哲学の棚と、海外文学の棚を見るのが好きだった。もちろん今でも、どの書店に行ってもその棚が好きだけれど、ジュンク堂のそれらの棚をぼんやり見つめるのは久しぶりのことだ。
装丁がめちゃめちゃにいい「失われたドーナツの穴を求めて」と、海外文学が読みたくてポールオースターの「ブルックリン・フォリーズ」を買った。とても久しぶりにどきどきしてわくわくしながら本を選び、買った気がする。
それから、同じビル内にある文房具屋さんへ行く。前から気になっていた、可愛いグミベアモチーフの蛍光ペンを買う。オレンジと黄色。何気にインクの発色も良くて面白い。机の上に飾ったら絶対可愛いやつだ。それから、ロルバーンの薄いノートと、ボールペンも買った。
昼を回って、お腹がすいてきたのでお昼を食べに喫茶店へ行った。思えば、こうしてどこかお店に食事をとりにいくというのは久しぶりだ。盛岡城のお堀に面したこの喫茶店も、以前の職場の時によく通っていた店だ。そういうのも含めて、何もかもがなんだか不思議に懐かしい。お昼時なこともあってお店は繁盛していた。相席用のテーブルにはアクリル板の仕切りがあった。
名物のトマトスープのスパゲティをお願いして、待っている間、買ったばかりの本を少し読んだ。思えば、前もこうして海外の本を読みながら、時折池の様子を眺めてスパゲティが届くのを待っていたのだ。いろいろな不安とか、鬱屈とか、そういうのを抱えながら。私は歳を重ねて、自分がどこか変わってしまったみたいに感じていた。でも本当は、よく考えたらあまり変わっていないのかもしれない。今でも私は私のままだし、多分きっと、これからもきっと私なのだろう。
食後のアイスコーヒー(サービスで付く)を飲んでお会計に行ったら、いつもの店主が「毎度どうも」と声をかけてくれた。お久しぶりです、ご馳走様でした。
もうちょい書きたかったけど、眠くなってきたのでとりあえずこのへんで。またどこかに出かけよう。
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ポールオースター著作 幽霊たち、3部作
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shinjihi · 5 years
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親父は貧乏農家の小倅で隣町の病院の裏の空き地に行ってはアンプルだの紫のフラスコだのを拾って宝物箱に大切にしまっていた。
ある時二眼レフのネガ的な物を拾う。光に翳すと眼鏡にスーツ姿の紳士と幼女が写っている何せ田舎の貧乏家庭の親父だからそのフィルムも宝物にして箱の中へ大切に保管。
やがて結婚し新居に引っ越す時その宝物箱が出て来て母に説明しながら見せていた。
すると母は例のフィルムに反応し詳しく聞き出した。
おどろいた事に写っていたのは母と満州で病院をやっていた今は亡き父親であった。
母は小さすぎて自分の父の思い出がほとんど無い。
その後、その写真は引き延ばし修正を施し仏間に飾っていた。
母は自分の父と再会した。父は生涯の伴侶となる人の写真を10歳の頃から宝物として大切に守っていた。まるでポールオースターの小説みたいな話だ。
うちの両親は良い所は一つも無いが、このエピソードだけは正直うらやましい。
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