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#代々木上原バー
reikofujishima · 2 years
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みなさまお休みありがとうございます! 新しいお酒をロンドンから持ち帰りました。みなさま多分珍しいお酒飲みにいらしてください。 #bar#お酒#ヨーロッパジン#大人の社交場#バー#ザサルーン代々木上原 #焼き菓子#コーヒースタンド#スコーン#ヴィクトリアスポンジ#英国展#英国#イギリス焼き菓子#お酒と焼き菓子#ハーブスコーン#ケーキ#紅茶#オリジナルサラダ#ミートボール (THE SALOON) https://www.instagram.com/p/CoaIUJtyKXn/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 6 months
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SM緊縛パーティのような様相を呈する写真 アイドルグループ・AKB48の制服を模した衣装に身を包む男性が、被り物と下着のような衣装一枚の男性を縄で縛り、カラオケに興じている。まるでSM緊縛パーティのような様相を呈する写真に収まる人物は、いずれも自民党埼玉県連の青年局に属する県議たちなのだ。 「場所は埼玉県の蕨駅近くのバーX。1人あたり1時間2000円程で、店内には〈亀甲縛り始めました〉の文言が掲げられているユニークなお店です。写真が撮られたのは2016年1月5日のこと。AKB48のコスプレ姿だったのは、田村琢実県議。縄で縛られている人物は同僚の元県議(撮影時は現職)でした。  当日は15名程で来店していましたが、主催者は田村氏で参加者の一人が行きつけということでこの店に決まったようです」(居合わせた客)  埼玉県議団の団長をつとめる田村氏の名が全国に轟いたのは、昨年10月に県議団が提出した「虐待禁止条例」改正案だ。 「小学3年生以下の子どもを放置することを禁じるという内容です。親が子どもを自宅や車に放置すると『虐待』とみなされ、罰則こそないものの県民に通報を義務づけていました。子育て世代から猛反発を受けて撤回に追い込まれましたが、この改正案の成立を主導したのが田村氏だったのです」(地元記者)  さらに条例改正案の撤回直後、文春オンラインで報じたのが田村氏の「 不倫キス写真 」だった。2次会は参加費が徴収されず…パーティ代の出処は? 党県連青年局の懇親会でSMプレーに興じるのは不適切にもほどがあるが、問題なのはパーティ代の出処である。 「その日、1次会は参加費が1人当たり5000円となっていましたが、2次会は事前に店が決められておらず参加費も徴収されませんでした。県連から支給されている青年局の活動費から支払っていた可能性があります」(県連関係者)  この懇親会に参加したある県議は「公費で支払っていない」というが、青年局の活動費以外の公費が用いられた可能性がある。  2016年分の自民党埼玉県連の収支報告書によると、“ハレンチ写真”の会が開催された日付と同じ1月5日付で県議らに10万円が支給されているのである。  政治資金に詳しい神戸学院大学教授の上脇博之氏が解説する。 「県連が支出している活動費は、個々の県議に収支報告義務がありません。原資は事実上税金です。国会で追及されている政策活動費と同じ性質を有しており、支出先や支出理由が外部からは分からない使途不明金、いわゆる裏金になっているのです。政治活動以外の個人の飲み食いなどに使っている可能性もあり、そのような使い方をすれば脱税を指摘されることになります」  田村県議に取材を申し込むと、代理人弁護士を通じて「私的な懇親会のため、会費が青年局からの助成金及び田村氏の活動費から支払われたとの事実はなく、田村氏及び一部参加者のポケットマネーから支払われています」と回答した。  3月19日(火)12時配信の「 週刊文春 電子版 」および3月21日(木)発売の「週刊文春」では、埼玉県連のSM緊縛パーティの写真を公開。出席議員への直撃取材、さらに和歌山県連の“過激ダンスショー”の内幕についても報じている。
「パンツ1枚の県議を縄で縛り…」和歌山過激ダンスショーにつづき…自民党青年局に再び激震「SM緊縛パーティ」を開催していた(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
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gyohkou · 2 years
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26/12/22
日記、人に見せるものという意識があるために、あまり重たくならない様に調整してしまうが、それでは嘘になってしまう。わたしの人生における出会いも気づきも抑うつもまた、全て等しくこの身に起こっていることであり、どれも誇張されたり退けられたりするべきではない。しかし、やはりこれは他者が読むものであるため、生々しい言葉を使うべきでもない。色んなべきではないを抑えて折り合いが付くように言葉を選んでいくのは、自分に正直であり続けるためだな。
スペイン旅行の3日目にバルセロナで高熱を出し、5日間は調子が戻らずほぼ寝たきりだった。バルセロナではピカソ美術館とカタルーニャ美術館へ行ったきりで、海辺のホテルで療養していたにすぎない。熱を出した翌々日に宿の関係でマドリードへ移動せねばならず、熱で二倍になった重力の元、特急の始発駅へ向かっていた。運が悪いことに地下鉄で貧血を起こし、降りた駅のベンチで横になっていたら、心優しく声を掛けてくれたスペイン人が水を買ってバナナを分け与えてくれ、本当に助かった。マドリードの宿へ到着してからも、一日に二度、外食のために身体を起こすのが精一杯で、ただずっと具合が悪かった。せっかくのスペインだったのだが、ベッドでM-1決勝戦ネタを観たりしていた。イギリスに帰って、餅、つこうぜ。
どうしてもうどんが食べたくなる。Googleマップでうどんと検索し、ちゃんと日本人が作っていそうなおうどんの写真が出てきたので、今夜はここへ行こうと星マークをつけようとしたら、店名が「donzoko」だった。どん底スペイン旅行。お店へ行くと、おそらく同年代の日本人の男の子が接客をしてくれ、スペインでワーホリをしているとのことだった。スペインワーホリは4年前くらいにできたらしい。英語圏の次は別の言語の国へ行ってもいいね。海外にはトリリンガルの人とか結構いるし、フランス語なんか喋れたら素敵だな。肝心のおうどんは、おつゆが甘じょっぱすぎた。かなりまともな日本料理屋だったけど、味はなんだか惜しい。お出汁にこだわる家で育ったから、もしわたしが日本料理屋で働いたらお出汁にめちゃくちゃ口出ししちゃうかもしれない。オーダーではなく出汁をとらせろ。ちなみにどん底の由来を彼は知らないとのことだった。
具合が悪いとしか言いようがない。これがコロナなんだとしたら、全く脈絡のない刺激で悲しくなってしまうのも症状のひとつなのかもしれない。着ているフリースの毛流れがあまりにふわふわと立体的で、悲しくてたまらない。ひとしきり悲しんで眠りに落ちると、フリースを着て眠っていたはずなのに脱いでいて、足元のベッド枠に掛けられている。睡眠時遊行症もコロナの一症状なのかもしれない。
マドリード3日目。ずいぶん長く歩けるようになるまで回復する。病み上がりにはいつも辛いものが食べたくなるが、今回も例に漏れず、口コミのよい韓国料理屋を探して向かう。店内はいっぱいだからテイクアウトなら、とのことでスンドゥブチゲを注文。女将さんがスペイン語と韓国語と英語をない混ぜにして喋るので全然わからなかった。英語圏ではない国へ旅行する場合、必ずしも英語が通じるとは限らず、メニューが現地言語表記のみだったりすると本当に詰んでしまう。ヨーロッパ言語は英語に似ているみたいな話をしたけど、音が似ているわけではなく、全くスペイン語がわからない英語学習者にとってのスペイン語はもちろんどうぶつ語である。20分後にできるからとのことで、外へ出てベンチに腰掛けスンドゥブを待つ。マドリードは至るところにベンチがあってよい。バルセロナは暖かくて春の匂いがする午後さえあったが、マドリードは少し肩が縮こまる。それでも、ふくらはぎが出るワンピースを中に着て20分間ベンチに腰掛けることはできるような温度感だ。店へ戻ってスンドゥブを受け取る時、女将さんがにっこりしながらポンポンと肩を叩いてくれたが、韓国語を喋っていたのでどういう意味だったのかわからない。ゆっくり食べられそうなベンチを探しながらしばらく歩いていると、○○町第一児童公園 みたいな名前が付いていそうな、寂れつつ小綺麗な公園があったので、そこでスンドゥブを広げることにする。付け合わせで、火を通した茄子を塩辛い餡のようなもので絡めたおかず、じゃがいもとにんじんを千切りにして塩で味づけした炒めもの、がびっくりするほど美味しかった。塩気の効き具合と火の通し加減が絶妙で、こういうのを家庭料理のおいしさというのかな。スンドゥブは辛さが足りずもどかしかったので、辛さを求めて、夜にまた別の韓国料理屋へ行く。両側をスペイン風のアパートで挟まれた、狭くて歪んだ石造りの坂道を少し登ったところにある、地下に店を構える韓国料理屋で、地上から階段で半分下がったところに入り口があり、お辞儀をするような格好でドアを押す。ここではビールを解禁してサムギョプサルをしたのだが、にんにくが付いていなくてふざけているのかと思ってしまった。シメにいただいたユッケジャンは微妙な見た目して味は一品だった。熱くて舌が焼けそうなほど辛い。そういえばどちらの韓国料理屋でも、日本人だと告げると(韓国人ではないため)ちょっと残念そうな顔をされつつもなんだかんだ良くしてくれて、アジア人というアイデンティティが芽生えつつある。満足して帰路につき、ゆっくりシャワーを浴びて早く寝ようと思っていたのだが、なぜか宿のバー巡りイベントに参加することになり、お酒を解禁してグラスビールを許した段階なのにショットを5杯飲む夜になってしまった。塩とライムで飲むテキーラっておいしいんだね。同じ宿に泊まっている人たちと英語で喋るよい機会だったけど、ナイトクラブの雰囲気がめちゃくちゃ苦手だったのでそそくさと抜け出して帰った。
丸一日自由に使える日を二日間残して体調が戻る。マドリード4日目。普段の調子も戻ってきて、スペインでようやく息ができた朝だった。宿の近くに、スペシャリティコーヒーと看板を掲げるカフェが連なるスペシャリティコーヒー通りがあり、どれもわたしが知っているそれとは雰囲気がかなり違ったので、広義のスペシャリティコーヒー、と思った。スペシャリティコーヒー通りのカフェのひとつがBrunchをやっていて惹かれたのでふらりと入る。(おそらくスペシャリティ)コーヒー、足のついたグラスに注がれた生のオレンジジュース、アボカドと生ハム(たっぷり!)とトマトソースのバケットトースト、クロワッサン、グラノーラと果物のヨーグルトで完璧なブランチ。ヨーロッパでは基本的にどんな食事にもナイフとフォークが添えられているが、バケットトーストをナイフで切ってフォークで口に運ぶのも優雅でよかった。オーダーを取ってくれた店員が、日本好きだよ、In the Mood for Loveが好きなんだ、と話すのに対し、背中合わせの客が、それは韓国映画だね、と割り込む。どうやらウォンカーウァイの花様年華のことを話しているらしかった。お会計の時、あなたは主人公によく似ているから観てみてと、伝票の裏にIn the Mood for Loveと書き込んでくれ、なんだか映画のワンシーンみたいだった。カフェを出てプラド美術館へ向かう。スペインといえばプラド美術館と思っていて、それはそれは様々な西洋画が見られるのだろうと期待していたのだが、展示内容にはかなり偏りがあった。Wikipediaによると、プラド美術館は歴代スペイン王家のコレクションが大半で、歴代王の趣味やスペイン史を反映しているためにルネサンス、バロック絵画に偏っているとのことだった。確かに、モネとかゴッホとかは全くなく、宗教画ばかりだった。じっくり館内を見て回っていると、ぐっと引き込まれてしまう絵がいくつかあった。なぜだろう。おっきくて本物だから?光って見える絵とかもあった。宗教画はものすごく精巧な絵画で、一言でいうと、絵がめちゃくちゃうまい。そしてどの絵にもドラマ、ストーリーがあって、人が血を流して死んでたり泣いてたり呆然としてたりなど、どうしたんだろうとシリアスになって絵に近づいていってしまう。Antonio Munoz Degrain の The Lovers of Teruel と、Juan Luna の Cleopatraが特に美しかった。ところで翌日も酔い続けているタイプの二日酔いで訪れる美術館てなんて心地いいんだろう。身体に一定の負荷がかかっているために、余計な言葉や思いだしたくない悩みが引っ込み、視覚から絵を楽しめる。あとこの日はコンタクトレンズをしていて、眼鏡とは見え方が異なる気がした。コンタクトレンズの方が、より鮮明に立体的に見える、ために絵が飛び込んでくる。一通り見終えて、ソフィア王妃芸術センターへ本物のゲルニカを見に行くため、マックで腹ごしらえをする。小腹が空いていて時間も微妙な時にちゃくっと行くマックは楽しくて美味しくて好き。閉館まで時間がなくて、駆け足で回っても全ての展示室へは行けず、近代的なおもしろい展示もやっていたから勿体なかった。この夜も韓国料理を食べる。
マドリード5日目。マドリードはよい街。まずスーパーがいい。並んでいる野菜や果物はぱつっと新鮮だし、鮮魚コーナーはでっかい魚が氷に埋まっていて、精肉コーナーには生ハムの原木がぶらさがっている。何より床が綺麗で店が明るい。(ロンドンのスーパーはなんか散らかってる。)ティッセン=ボルネミッサ美術館へ行く。ここはプラド美術館とは異なり、かなり満遍なくコレクションされていて、おすすめルートで回ると西洋美術史の流れに沿って作品を鑑賞できるようになっていてかなりよかった。Edward HopperのHotel Roomを長い間眺めていた。とても好きだったので、絵がプリントされたクリーニングクロスをお土産に購入した。さすがに二日酔いは治っていたと思うけど、心地よさは継続していて、夏を想起させる様な色彩鮮やかな厚塗りの抽象画を見ていると、幸福な気持ちでいっぱいになった。美術館行って幸福な気持ちになって出てくるって体験として最高だなあ。
美術館へ行ってばかりの旅だったけど、美術館でわたしは何をしているんだろうとふと。多分、作品を見てるだけじゃないんだよな。建築設計の妙でもたらされる幸福感とか、絵を眺める人を眺める時、すれ違う人の放った言葉が耳に入ってくる瞬間、あんま面白くない作品が続くゾーン、はっとして吸い寄せられてしまう絵、の合間合間でメモアプリに書き留められる断片的な自己理解や新しい思いつき、の全て。チケットの列に並んでから夕暮れ時に出口をくぐるまでに起こる全ての体験。そういう娯楽。
旅をしていると、こうすればこうなるだろう、からこうする、みたいに、今の不安を未来の自分に解消させるべく、筋道立てて人生設計して未来を計算しながら生きるのをどんどんやめていくことが今を幸せに生きる方法のような気がしてくる。そのような設計はどうしても垂直な要素を含むが、わたしは人生をどこまでも広い平面として生きていきたい。設計が必要になったとしても、資本主義的垂直ではなく平面的な心持ちで努力をする。垂直に生きないと何かがダメになるというのは資本主義社会の幻想であって、平面的に生きても、何かが減ったりツケが増えたりするわけではおそらくない。やりたいこと、知りたいこと、行きたいところを正しく把握するために、自分の心の機微に敏感になっておくこと。今嬉しいのかつまんないのかをわかるようにしておくこと。その上でやる力、やり通す体力と精神力を備えておくこと。この辺りが大切なんだろうなと思う。
クリスマス当日は快晴。ロンドンへ戻る。滞在中に何度か行った宿の近くのカフェへ朝ご飯を食べに行った。おおきな(本当におおきな)チョコレートケーキを食べながら、これクリスマスケーキだ、と思う。大型犬を連れた客が入店してきて、ヨーロッパの犬寛容社会、と思う。フライトの時間が迫っていたので、バタバタとチェックアウトして駅へ向かうと、広場で露店マーケットが開かれていた。15分だけ、と急足で露天を見て回り、変な蟹のピアスを3€で購入した。うれしい買い物。ピアスだけはいくつ所持してもよいことになっている。空港で手荷物、予約時の規定では8キロ制限だったのに、チェックイン時に計って9キロで、超過してるか聞いたら問題ないとのことで首を傾げていたら、搭乗時に10キロまでと書かれた表示を見つけ、何がどうなってんねん。手荷物検査すぐ終わって余裕だと思っていたら出国審査に並んだ。出国審査はある空港とない空港があるけど、どうなってんねん。昼下がりのエアヨーロッパ。搭乗した機内には柔らかく日が差し込み、滑走路の離陸ポイントへ移動する間、角度を変えて入り込んでくる日が窓際、手元、手荷物棚とあちこちにひだまりを作る。空調が機能していないのかよく暖まり、うとうと眠りに落ちてしまう機内は、まるで水泳の後の授業か、あるいは放課後のようだった。到着先のガドウィック空港のストライキを心配していたが問題なく入国でき、ロンドン市内まで帰ってきたが、鉄道とバスのストライキは全く予想しておらず、家に帰る手段がタクシー以外に何一つな��った。距離を調べたら徒歩3時間だったので余裕じゃん!と心が軽くなり、旅行前は氷点下だったがこの夜は10度近くあったため、歩いて帰ることを決めた。
一人旅、向いていないかもしれないけど、好きでいたい。旅行中に、そういえば母親にスペイン旅行のこと連絡していなかったなと思ってラインしたら、ひとり旅!? あなたは勇気あるねえと返事がきた。誰かがいないとできないとか、ひとりだと寂しいとかいう次元とは別のところにいたくて、旅に限らず、お酒を飲みに行ったり映画を観に行ったり、なんでも一人でやっているのかもしれない。そして一人旅では、すぐには言葉にならない水面下で何かが、大きな攪拌が起こっているような気がする。旅行前半は、ちゃんと仕事も決まっていない無職なのに貯金を切り崩して10日間もスペイン旅行だなんて、という思考に囚われていたけど、ロンドンに帰ってきたら、そういう悩みが削ぎ落ちていて、空いた分をどうでもよさ、寛大さが占めていた。まだ無職でいいや、というニュアンスのどうでもよさではなくて、もっと前向きな力の抜け方。旅行をすればするほど、人生に対して前向きにおおらかになっていくのかもしれない。
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hachinana87 · 2 years
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The New Yorkerのハミルトン特集翻訳
The New Yorkerの2015年のハミルトン特集の翻訳してみた。1万7千字ぐらいなっちゃってますが。。。できてすぐの記事なので、のちの評価の俯瞰はないのですが、創作過程とミランダのキャリアがわかる記事です。締めがエモい。
【このカッコが私の注釈です。例のごとく誤訳マシンなので気になる人は原文を読もう!】 
ハミルトンについてのすべて 
The New Yorker, FEBRUARY 9, 2015 ISSUE  
レベッカ・ミード 
2009年4月、作家・作曲家・パフォーマーのリン=マニュエル・ミランダは、ホワイトハウスからの連絡を受けた。新しい大統領とファーストレディが「アメリカの経験」をテーマにしたライブ・パフォーマンスを企画し、ミランダは招待されたのだった。当時29歳だったミランダは、前年に彼が作曲・作詞したブロードウェイ・ミュージカル「イン・ザ・ハイツ」に出演していた。ワシントン・ハイツを舞台に、サルサとメレンゲをラップやヒップホップと融合させた音楽と、ブロードウェイにありがちな展開を効果的に混ぜた物語だ。「ハイツ」はベスト・ミュージカル賞や作曲賞などのトニー賞を受賞し、後者の受賞の際には「Sunday in the Park with George」を引用した快活なラップを披露した。“Mr. Sondheim / Look, I made a hat! / Where there never was a hat! / It’s a Latin hat at that!”(そしてタキシードのポケットからプエルトリコの旗を取り出した)ホワイトハウスはおそらくミランダからラテンアメリカンの経験を期待していたのだろう。「イン・ザ・ハイツ」からの曲でも良いと提案された。 
ミランダはもっと違うことを考えていた。数ヶ月前、彼と彼のガールフレンド、ヴァネッサ・ナダルは結婚し、メキシコへ新婚旅行へ出かけた。プールの浮き輪に揺られながら、彼は気まぐれに読書を始めた:ロン・チャーナウによる800ページ超の、アレクサンダー・ハミルトンの自伝だった。ミランダはハミルトンの初期の人生に魅了された。婚外子で、セント・クロワ島で極貧のうちに育った。父に捨てられ、幼い頃に母を亡くし孤児となり、ハミルトンは青年期に自力で革命の熱気高まるニューヨークに移民した。雄弁で筆の早い文筆家で、フェデラリスト・ペーパーの2/3を執筆した。独立戦争でジョージ・ワシントンに仕えた後、アメリカ初の財務長官となった。のちに、不倫問題が明るみになり、政界初のセックス・スキャンダルにより悪名を集めた政治家となった。その後閣僚に入ることはなく、50代になる前に死んだ。個人的不和が修復不可能となったために、決闘で副大統領のアーロン・バーに殺されたのだ。 
ミランダはハミルトンの波乱万丈な人生、才気、言語の巧みさ、そして自己破壊的なまでの頑固さを、独特のレンズを通して眺めた。それは、ヒップホップの物語、移民の物語としての視点だ。ハミルトンは彼の父、ルイス・ミランダJr.を思い起こさせた。プエルトリコの地方で生まれ育った若く野心的な男で、18歳になる前に大学を卒業し、ニューヨーク大学で学業を治めるためにニューヨークに移住した。ルイス・ミランダはエド・コッホ市長のヒスパニック関連の特別顧問をつとめ、その後政治コンサルト会社のMirRamグループを設立し、フェルナンド・フェラーなどの顧問を行った。高校の夏休みには、リン-マニュエルも父の会社で働いた。のちに、彼はエリオット・スピッツアーの2006年の知事選などの、MirRamグループの顧客の政治広告のための宣伝曲を書いた。チャーナウの1800年選挙の描写はーー現代の政治キャンペーンの起源だーーミランダの政治キャンペーンに対する内部の視点と共鳴した。ハミルトンと同胞たちが行った政府の目的に対する議論は、MSNBCとFOXの対立のごとく今も活きている。 
ミランダはまた、ハミルトンのなかにトゥパック・シャクールを見た。西海岸のラッパーで、1996年に射殺された。シャクールは複雑な、社会派の歌詞を書いた。ミランダは特に“Brenda’s Got a Baby,” に魅了された。21歳の娼婦になった女の子が暴行者のこどもを産む物語を描いたヴァースだ。シャクールはまた極端に気難しく、気に入らないラッパーのことを公に罵倒した。ミランダはハミルトンの中に同じ言語的才能と、これまた似たような、致命的な、引き際の知らなさを見た。これらはハミルトンの物語の中でとてもドラマティックな要素だった。彼がのしあがるために必要だった性格が、彼を転落させると言う点だ。ホワイトハウスのイベントの主催者が電話した時、ミランダはハミルトンについてのラップを提案した。彼らは了承した。 
5月の夜、ミランダと他のパフォーマーたちはーージャズベーシストでボーカリストのエスペランザ・スポルディングや、ジェームス・アール・ジョーンズがいたーー大統領に紹介された。ミランダは彼に空港で買った”Dream from My Father”にサインを頼んだ。ステージで、ミランダはハミルトンのコンセプト・アルバムに取り組んでいると発表した。「ハミルトンはヒップホップを体現していると思う」と彼は言い、人々は笑った。まだ一曲しか書いていないとは言わなかった。ミランダはハミルトンが「言葉が違いを見せる」ことの体現をしていると説明した後、ハミルトンの最初の20年の人生を4分の複雑な歌詞で要約して見せた。華奢で、黒く短い髪で濃い髭のミランダは跳ねるようなエネルギーをまといながら、ステージを歩き回り、ラップした“the ten-dollar Founding Father without a father / Got a lot farther by working a lot harder / By being a lot smarter / By being a self-starter.” 彼のパフォーマンスは観客から歓喜の呟きを引き起こし、オバマ一家は熱狂した。(ミランダは後から、大統領の最初のリアクションは「ティモシー・ガイトナー【オバマ政権の財務長官】も見るべきだったな」というものだった、と教わった。) 
6年後、その歌は、2月17日からパブリック・シアターで開幕した「ハミルトン」のオープニング・ナンバーとなり、ミランダがタイトルロールをつとめた。ヒップホップに根付いているが、R &B、ジャズ、ポップ、ティン・パン・アレー【ブロードウェイの音楽を起因とした商業ポップス】、現代ブロードウェイの合唱などを包括した。「ハミルトン」は歴史と文化の再イメージ化の到達点である。ミランダの語りの中では、成り上がりで向こうみずな移民の物語は、アメリカの物語となる。ハミルトンが自ら宣言するリフレイン“Hey, yo, I’m just like my country / I’m young, scrappy and hungry / And I’m not throwing away my shot,”は、その戯曲家にも言えることだ。ミランダは自分のツイッターのアイコンをハミルトンの10ドルの肖像に、自分のニッと笑った口、黒い眼、あごひげを抜めなく重ねている。 
「ハミルトン」はアメリカの歴史を現代の設定に置き換えたものではない。ミランダの建国の父たちはヴェルヴェットのフロックコートと半ズボンを着る。フーディやジーンズではない。デヴィッド・コリンのセットは、裸のレンガに木の足場。暖かな照明は蝋燭の光を思い起こさせる。ロープと金具の固定具で飾られたステージは、船の建設ーーそして建国、または18世紀のニューヨークの構築ーーを思い起こさせる。  
ミランダはアレクサンダー・ハミルトンを眩いばかりの焦点を持って描き出す。多才で、抑えるのがやっとの怒り。ハミルトンは条約を書く時歩き回り独り言をいうことで知られていたが、舞台ではラップでの独白は驚くほどの自問で彩られる。「死のことを思い出の様に想像する/いつ掴まるか/眠りのうちか/7フィート目の前か/逃げるか受け入れるか」“I imagine death so much it feels more like a memory / When is it gonna get me? / In my sleep? / Seven feet ahead of me? / If I see it coming do I run or do I let it be?”ミランダは閣僚会議を、囃し立てるサポーターたちに囲まれたラップバトルに置き換える。州の債務を補償するために設立を目指した国立銀行ーーハミルトンの先見的な発明だーーに関する議論は生き生きしたやりとりを生む。ハミルトンは悪意を込めてトマス・ジェファソンを貶す。“Always hesitant with the President / Reticent—there isn’t a plan he doesn’t jettison.” 
「ハミルトン」が初のアフリカン・アメリカンの大統領在職期間に創られたのは偶然ではないようだ。このミュージカルは国の誕生を意外にも、しかし必然的に、軽く描き出す。エリートの白人による荘厳な所業としてではなく、全てのアメリカ人の創造の物語として描いている。トマス・ジェファソン、ジェームス・マディソン、そしてジョージ・ワシントンはアフリカン・アメリカンによって演じられる。ミランダはまた、女性たちにも重要な役割を与えている。ハミルトンの妻イライザ・スカイラー(フィリッパ・スー)や義理の姉アンジェリカ・スカイラー(レネー・エリーズ・ゴールズベリー)だ。3人目の妹が加わったジグザグのハーモニーはまるでデスティニーズ・チャイルドのようだ。ミランダは建国の父たちを高尚な政治家とではなく、孤児や、無鉄砲な革命家として、時にはケチなライバルとして、極端に不安定な機運、機会、リスクを抱えて生きる。この瞬間の業績と危機はーー国の境の島で生まれた、移民の息子、父無し子の大統領の時代に生きる今にとってーー、決して時代の遠い出来事ではない。 
今年でパブリックの芸術監督就任10年目を迎えるオスカー・ユスティスは、「ハミルトン」はここ数年で最もエキサイティングな作品だというーーたぶん、1992年に彼が依頼し、プレミアのプロダクションを監督した、トニー・クシュナーの「エンジェルス・イン・アメリカ」以来の。彼はミランダのこの作品と、シェイクスピアの初期の史劇であるヘンリアド【リチャード2世、ヘンリー4世第一部・二部、ヘンリー5世を一塊としてみる言い方】との関係をみた。「リンがしていることは、国の市井の声を韻文に昇華しているということだ。それがヒップホップのしていることだし、強弱韻文がしてきたことだ。リンは彼の国の創造の物語を、現在のわたしたちのこの国がしているのと同じように語っている。韻文の形で、シェイクスピアは英国の物語をグローブの観客たちに語り、英国を英国たらしめる手助けをしたーー英国人としての意識を持つことに貢献したのだ。それをリンは「ハミルトン」でやっている。彼は建国の物語を『私生児の、移民の孤児』の目から、有色人種の目を通して語りこう伝える、『ここは俺らの国だ。俺たちのものだ』と」。 
10月の晴れた日、ミランダと彼のコラボレイター、「イン・ザ・ハイツ」と「ハミルトン」の演出家トマス・カイルは、パブリック・シアターを出てニュージャージーのウィーホーケンにあるハミルトン公園に向かった。「ハミルトン」を考えついて数年の間に、彼は数個のプロジェクトに携わった。チアリーディング映画のミュージカル化「Bring It On: The Musical」を共作、2012年にブロードウェイで上演された。「モダン・ファミリー」と「ママと恋に落ちるまで」に出演。即興ヒップホップ・コメディ・グループのFree Style Love Supremeとして、ジョーズ・パブやその他でパフォーマンスし、去年の秋にはTVシリーズが放送された。その間中もずっと、製作中の作品のために歌を書き、歴史書を読み続けた。2012年、彼は「ハミルトン」のコンサート・プロダクションをリンカーン・センターのアメリカン・ソングブックシリーズで上演した。タイムスでは、スティーブン・ホールデンが「ゲーム・チェンジャーとなることは明らか」と称えた。 
ミランダはミュージカルに取り組みつつ、ハミルトンの膨大な手紙や出版物を読み、独立戦争の名残の残るニューヨークのさまざまな場所を訪れた。パール・ストリートにあるフランシス・タバーンは、英国軍に敗北した後のジョージ・ワシントンが将校たちと涙の別れを告げた場所だ。しばらく、ミランダは西162番街のモリス=ジュイメル・マンションで執筆する許可を得られた。国の歴史的な建築物で、マンハッタンで現存する中では一番古い建物だ。ワシントンは邸宅をハーレム・ハイツの戦いでの司令部として使用し、のちには副大統領のバーの居住となった。「アメリカ金融博物館の館長に会ったんだけど、彼は建物の表札を見せてくれて『ここはトマス・ジェファソンのニューヨークでの家だったんですよ』って教えてくれたんだ」とミランダは言った。「僕たちはこの大騒ぎの地層の上にいるっていうのが良いんじゃない?」ロン・チャーナウはホワイトハウスのパフォーマンスの数ヶ月前にミランダと出会い、作品の歴史監修となった。「リンは無駄な発明はしなかったよ」とチャーナウ。「まずは史実に忠実にしようと努めた。それでもし事実から逸脱しなきゃいけない時は、大体納得がいく理由があるのがわかるんだ。彼に尋ねたんだ、『もし歴史的に間違ってたら指摘したほうがいいか?』と。彼は答えた。『もちろん。歴史家にもこの作品を尊敬してほしいからね』」 
ウィーホーケンへの小旅行はミランダにとっては初めてだった。決闘はここで、1804年の7月に行われ、バーはハミルトンを撃ち、彼はその負傷が元で翌日に死んだ。当時、決闘はニューヨークでは禁じられていたが、ニュージャージーでは許容されていた。「ハミルトン」では3つの敵同士による3つの決闘がドラマ化され、そのうちの2つが致命的なものである。死者の中にはハミルトンの息子フィリップを含む。「決闘は現代の仲裁裁判みたいなものだったんだ」とミランダは驚きを含めながら言った。「まるで『おい、納得できないんだったら、ニュージャージーの広場に行くぞ。武器と医者を連れてこい』みたいなノリだよ」 
台本を作る中で数年を費やしてもなお、ミランダはハミルトンの最期の瞬間をどう描けばいいかわからなかった。さまざまな困難があったが、歴史の記録が曖昧だったことが一つの理由だ。バーはハミルトンを最初の一撃で撃ったが、のちにハミルトンの行動がー銃を確かめる様子や、眼鏡をかけていたという事実がー自分を本気で殺しに来たことを示していたと主張した。ハミルトンはしかし、多くの手紙の中で、彼はバーを外して撃つつもりであるーーショットを投げ捨てるつもりだーーということを示唆していた。目撃者はのちに、ハミルトンは空に向かって撃ったと証言した。 
5月のワークショップ・プロダクションでは、ミランダはハミルトンに決闘の準備のラップを与えた。「目に日が入り思わず目が眩む/私のニューヨークがゆっくり立ち上がるのを見た」“The sun is in my eyes and I’m almost giddy / As I watch it slowly rise over my New York City”ーそしてバーを殺すか殺すまいかと考えあぐねた。音楽的にも歌詞的にも、この歌はミランダが捉えようとした賭けを捉えることはできなかった。 ハミルトンがバーに対して持っていた誠意の欠如への不信は、国の不透明な行く末への恐怖と重なった。その歌は、ハミルトンの柄にもない躊躇と、バーの柄にもない積極性がもたらす、避けられない悲劇への予感を表現することができていなかった。ミランダは再び歌を作り変えつつも、リハーサルへの心配もしていた。彼は言う。「存在しないもの、どうしても現れてこないものがあるのに、役者たちが部屋に入ってきちゃって『うわー!』ってなる」。カイルはミランダに締切を設けて、全ての歌の草稿に反応した。彼がいうに。「プレッシャーがある時のリンの反応はもっと多くのものを生み出す起爆剤なんだよ」 
バーとハミルトンの危険を孕んだ関係は、ミランダのショウの肝だ。オープニング・ナンバーでバーはハミルトンのことを「私生児、孤児、売女の子でスコットランド人」と紹介する。この歌詞はジョン・アダムスのハミルトンに対する侮蔑に由来している。バーは特権を持って生まれた。父はプリンストン大学となる学校の学長で、母方の祖父はジョナサン・エドワーズ【著名な神学者でプリンストン学長】だった。ただ、ハミルトンと同じく、彼は若くして孤児となり、法律を学び、政治の世界へ足を踏み入れていった。ミランダの語りでは、彼らはお互いの反転図だった。ハミルトンの熱心なまでの無鉄砲さはバーの冷たい慎重さと対を成している。「ハミルトンは失うものもない孤児だけど、バーは失うものしかない孤児なんだ」とミランダは言う。 
バーをハミルトンの引き立て役とすることは、史実に沿うばかりでなくミュージカルの前例からも必然だった。「ジーザス・クライスト・スーパースター」はユダが物語を語る。ミランダは宿敵の視点からハミルトンを見せるというアイディアに魅せられた。スティーブン・ソンドハイム(2009年の「ウエストサイド物語」のリバイバルの時、劇をスペイン語に訳すためにミランダを採用した)はミランダが払うミュージカルの歴史に対しての尊敬の態度を称賛した。「現代の劇作曲家の多くはあまりこの業界の歴史に興味を払わない。でもリンはミュージカルシアターがどこから来たのか知っている。ミュージカルがどこから来たかを大事にしている」。ミランダはハミルトンの初期の曲を数年前、ソンドハイムに披露している。「圧倒されたよ。素晴らしいと思った」ソンドハイムは言う。「とても新鮮で、念が入っていて、舞台的だと思う」 
ミランダはソンドハイムのように、音韻構成と音楽のフレーズの組み合わせに注意を払っている。だが「ハミルトン」を作曲する際、商業的ブロードウェイ音楽からもインスピレーションを得た。「”レミゼ”的な音楽を作りたくてね。テーマを再登場させるのに賢い手が必要だった」彼は言う。「涙腺に直接響くと言う点では、あの作品の上を行くものはないよ」。「ハミルトン」はまた、ミュージカルの先人たちにもちょっとしたリスペクトを払っている。アーロン・バーがハミルトンや未来の革命家たちに怒りを鎮めるように忠告するせりふは、「南太平洋」からの引用。“I’m with you but the situation is fraught / You’ve got to be carefully taught.” 「これはロジャー&ハマースタイン的レイシズムの引用」ミランダは言う。ちょうど車はニュージャージーに向かうリンカーントンネルを通ったところだ。クリストファー・ジャクソン(彼は「イン・ザ・ハイツ」でも出演した)演じるジョージ・ワシントンは、自分のことを皮肉っぽく語る(“The model of a modern major general / the venerated Virginian veteran whose men are all / Lining up, to put me on a pedestal.” )が、これは「ペンザンスの海賊」からの引用で、ミランダ曰く、ギルバート&サリバンの改善である。「mineralは一番ベストな韻じゃないっていつも思ってたんだよね」 
ミランダのスコアは音楽のジャンルに対しても意味を込めた。キング・ジョージが去りゆく植民地に歌う曲は“You’ll Be Back”。ブリティッシュポップ的なーーただしハープシコードでーーウィットと美しい旋律に満ちた悪意。(“When push / Comes to shove / I will send a fully armed battalion / To remind you of my love,” と高慢な王を演じるブライアン・ダーシー・ジェームズ【オフ・ブロードウェイでの時は彼がジョージ3世を演じた】は歌う。)ミランダはハミルトンとジェファソンの世代の違いを、音楽で表現する。ジェファソンはハミルトンよりも一回り以上も年上なので、ちょうどパリから帰ってきた彼に屈折したジャズナンバー “What’d I Miss?” を与える。ジェファソンはラッパーのダヴィード・ディグスが演じる。彼は「ハミルトン」のために、国際ツアーを延期しなければいけなかった。彼は言う。「リンは普段滅多に交わらない世界の交差点に存在してるんだよ。ラップ音楽の熱心なファンで、とても優秀なラッパーでフリースタイラー。そして偶然にもミュージカルシアターと非常に親密な中で育った。その全部がオーセンティックに感じるんだ。」 
90年代初期のポップ音楽ーーミラ��ダの青春時代のサウンドトラックだーーが、スコアの中に織り込まれている。聴衆はフージーズやモブ・ディープ、ブランド・ヌビアンの要素を聞きつけるだろう。作品はノートリアスB.I.G.ことクリストファー・ウォレスにさまざまな形で言及している。ニューヨークのラッパーで、1997年に24歳で射殺された。ハミルトンが自己紹介する時、自分の名前のスペリングをテンポに乗せて歌うが、これはウォレスが“Going Back to Cali.” でしたことだ。ミランダは特に楽しんだのは“Duel Commandments”において、ウォレスのドラッグ取引入門の曲“The Ten Crack Commandments”のリフを使った部分だ。この歌は作品の最初の決闘で現れる。ここではハミルトンとバーは敵手のセコンド同士だった。5月のワークショップでは、ミランダはハミルトンとバーの決闘でもこのカウンティングの構造を用いることにした。演出家のカイルが説明する。「ハミルトンとバーの決闘のために準備をする必要があった。ハミルトンは死ぬことになるからね。だから構造的にもその下準備が必要だって僕らは思ったんだよ。同時にヒップホップファンが愛する何かを入れることは、15年前にビッギーが言ってたようなことを、ずっと昔のやつらもやってたってことを表してるんだ。」ミランダは頷く。「これは不法な行為についての曲で、それがどう行われているかについての歌なんだ」彼は言う。「そして僕らも彼も両方ともモーゼからの盗用した構造で作っている」 
ウィーホーケンの柵に囲われた広場についてから、ミランダとカイルは不毛にもハミルトンが倒れた方向の手がかりを探した。1806年の初めには決闘のハミルトンの立ち位置に大理石のオベリスクが建ったが、数年のうちに壊された。のちに、崖の尾根に列車のレールが敷かれ、決闘場を根こそぎ無くしてしまった。最終的にミランダとカイルは1919年にハミルトンの胸像が立っていた柱を見つけた。 42番街の向かいにあるそのメモリアルは、驚くほど小さかった。ジェファソンやワシントンなら全身の像が建っていただろう。 
メモリアルは閉じられた門の向こうにあった。ミランダが低い壁を登って崖の端から見下ろすと、茂みと木々の間から、下にあるアパートメントの建物が見えた。「こんなに手入れされているとは思わなかった。歩いて入れる林を想像してた。頭の中では、僕が生まれ育ったところの林みたいに、鬱蒼として隠れたところを考えてたよ。その想像がこれに置き換わることはないかな」ミランダは携帯電話でハドソン川の向こう側にあるマンハッタンを撮った。「聖地巡礼」、のちにそうツイートした。 
「イン・ザ・ハイツ」の作曲家はワシントンハイツではなく、そこから30ブロックほどアップタウン側の、インウッド・ヒル・パークの近くで育った。マンハッタン最後の自然の森があるところだ。ミランダは2人姉弟の末っ子。姉のルツ・ミランダ-クレスポはエンジニアとして鍛錬し、今はMirRamグループのCFOである(リン-マニュエルの珍しい名前は、プエルトリコの作家ホセ・マニュエル・サンティアゴのベトナム戦争に関する詩“Nana Roja Para Mi Hijo Lin Manuel”から取っている。ルイス・ミランダが10代の頃に読み、将来のために取っておいた名前だ)。母は、プエルトリコで生まれたが赤ん坊の頃にすぐニューヨークに移民した、病院の心理士だ。 エドムンダ・クラウディオは住み込みの乳母で、プエルトリコから来た親戚。ミランダは彼女をアブエラ(おばあちゃん)と呼んだ。「うちの両親はずっと働き通しで、週末しか会わなかった」と彼は言う。「父と僕はアクション映画を見に行って、卓球やビリヤードで遊んだよ。同じ家に住んでるのに、週末だけ遊びに来る人みたいだった」 
夏には、彼と姉はプエルトリコに行き祖父母の家に滞在し、言語の上達に努めた(ミランダのスペイン語は流暢だが、ネイティブスピーカーのそれとは違う)。子供たちは学問の面でも文化の面でも、多くを期待されていた。ルイスは彼らにサルサの踊り方を教えた。「僕にとっては、踊りを教わったことは本当に本当に大事なことだった」彼は言う。家族は経済的にはさまざまな背景があった。ミランダの父方の大おじはプエルトリコ独立党の創設者だったが、基本的には親類は労働者階級だった。5歳の時、ミランダはハンター高附属小学校の試験を受けたが、そうしたのは近所では彼だけだった。「プエルトリコ人の父にとってどんなことだったか、僕には想像もつかない」彼は言う。「僕の友達はみんなユダヤ系だった。ハンターに行くのはそうだからね。僕は学校ではリンで、家ではリン-マニュエルだった。学校と家では別人だった。友達はみんなアッパー・ウエスト・サイドやアッパー・イースト・サイドに住んでいて、僕は彼らのナニーたちとはスペイン語で話してた」 
ミランダは6歳の時にピアノレッスンを受け始めた。「先生がリサイタルを催した。子どもたちがそれぞれ何曲か弾くんだ」ルイス・ミランダは思い返す。「リン-マニュエルが最初の曲を弾いて観客が拍手して、2曲目を演奏する。その時彼は『これもできる、これも知ってる』っていう感じになっちゃって。ピアノから引きずり下ろさなきゃならなかった。彼は拍手が大好きだからね」。彼のショーマンシップは時に宿題にも現れた。3年生の時の宿題、ジーン・メリルのThe Pushcart War(手押し車戦争)についてのレポートとして、彼は家族を巻き込んで本の中の出来事を再現したショートビデオを提出した。その中で彼はニュースキャスター風のスーツを着て、気取ったナレーションをした。「賢い子どもたちの中での必要通貨はファニーなこと。ファニーになれるなら大丈夫。だから僕はとても楽しい」(ミランダは今でも友人や家族を彼の創作意欲に巻き込んでいる。企業弁護士のナダルと2010年に結婚した時も、招待客を巻き込んで「屋根の上のバイオリン弾き」の”To Life”の寸劇で彼女を驚かせた。40万人がYouTubeでその様子を見ている) 
両親はミュージカルの愛好家だった。「たくさんパーティをしたけど、流している音楽はほぼラテン音楽だった。サルサやエル・グラン・コンボ」彼は言う。「でも掃除の時の音楽はいつもキャスト・アルバムだった」ブロードウェイに頻繁に行くほどのお金はなかったが、ミランダは”聖なる3作”「レミゼ」「ファントム」「キャッツ」に連れて行ってもらった。「7歳の時にレミゼを見に行ったのを覚えてる。フォンテーヌが死ぬところで泣いて、少し寝て、ジャベールの自死のシーンの時にはまた起きてた。あのショウを体験するにはすごくいい方法だったと思う。『キャッツ』を見たときは、花道を走り抜ける猫たちに触れられたのを覚えている。『ファントム』を見たときは『うわマジか!』て感じだったね。だって醜い作曲家が自分の意志を世界に押し付ける話だろう。親近感が湧いた。」 
ミランダは音楽を正式に勉強したことはない。ピアノレッスンは小学校を卒業するころには行かなくなっていた。ただ、ベッドルームのキーボードで、趣味としての音楽は続けた。高校で、彼はミュージカル演劇を始めた。9年生の頃、「ペンザンスの海賊」でシニアの生徒を負かして役を得た。「まだあの時の拍手を覚えてるよ。僕の人生で一番お気に入りの歓声だ」彼は言う。最終学年では、「ウエストサイド物語」を監督した。「シャークスにはラティーノがいなくて。いろんな濃さのブラウンと、アジアンの生徒たちだった」ミランダは思い返す。「だから父に来てもらって、シャークスのアクセントをつけてもらった。他の子たちにどうやってラティーノになるか教えたんだ。学校では全然ラティーノとしての自分は出してこなかったから、『ウエストサイド物語』はそのための方法だったね」ミランダが『ウエストサイド物語』の作詞家ソンドハイムと初めて道を交えたのはハンター高でだった。ソンドハイムは、同級生の父親(彼が生徒のためにアレンジを頼んだのだった)の友人だった。「彼はどうやってショウができるのかについて、素晴らしい話をしてくれた」ミランダは言う。「彼は僕らに、どうやってオープニング・ナンバーと台詞を書いたか教えてくれたーー歌詞に載せて歌い始めたーーでもジェローム・ロビンスは『いや、全部踊りで行こうと思う』と言ったんだって。すごく印象的だった。その時が初めてミュージカルが本当に作られるのか見た瞬間だった」 
1997年、17歳の誕生日の時、ミランダは『レント』をブロードウェイで見た。「僕は思ったよ、これならできる!って。今のことをミュージカルにしてもいいんだ」。彼は学校の文化祭で20分ほどのミュージカルを描き始めた。MSNBCのブロードキャスターで、その時ハンター高の生徒だったクリス・ヘインズは、ミランダの初期作品の「ニ長調の悪夢“Nightmare in D Major” 」を演出した。ヘインズが思い返す。「主人公の名前はディランで、悪夢の中にいる。彼の過去から愛は奪い去られ、その途中で邪悪な豚が出てくる。悲しいバラードがあって、忘れ去られた恋愛に関する歌なんだけど、今でも歌えるよ」ヘインズによると、ミランダは自分の才能に気づいていた。「それが彼の力だったと思うんだよ。自信と自尊心が彼のカリスマの一部なんだ。変に謙虚ぶらないんだよ。遠くから眺めてて、想像したよ、『あいつ、自分のことをなんだと思ってるんだろうな?』答えは、”世代に一つあるかの音楽の天才”だ」 
ハンター高を卒業した後、ミランダはウェズリアン大に行き、高校の頃の作品を再演した。「天国での7分間」という作品で、7年生のファースト・キスに関するミュージカルだ。「ウェズリアンはハンターに似ていて、頭にある馬鹿げたアイディアにを具現化することができるんだ」彼は言う。2年生の頃、ミランダはラティーノ文化センター兼寮のラ・カーサに移り住んだ。そこには8人の移民一世の生徒たちがいた。「この時が初めてラティーノの友達ができた時だった」彼は思い返す。「初めてマーク・アンソニー絡みのジョークと‘The ThunderCats’とか馬鹿げたアメリカ文化に関するジョークが、同時に通じる瞬間だった。『レント』が僕にミュージカルを書く許可を与えたみたいに、自分のホームについて書く許可が与えられた瞬間だった」 
2年生の頃、彼はワシントン・ハイツを舞台にしたミュージカルを書いた。ラテンミュージックとヒップホップで近所の音を再現した作品だ。ラテン音楽も、ヒップホップも、それまで作曲したことがなかった。苦しい三角関係を取り上げたストーリー自体に新鮮味はなかったが、2000年の春に作品が上演されたとき、ミランダはヒップホップが席にいる観客との距離を縮めることに気づいた。「ラテン音楽とヒップホップの融合は強い効き目がある。このグルーブには何かがある。」 
後の大学の二年間には、彼はそのミュージカル(初期の「イン・ザ・ハイツ」)の台本は棚にしまった。しかし、演劇関係の学生のあいだで評判は回って行った。2002年、ミランダの4年生でのプロジェクト“On Borrowed Time”がウェズリアンの劇場で上演されていた。2年上の卒業生トマス・カイルは劇団の立ち上げの手助けをしていて、劇場に立ち寄っていた。「イン・ザ・ハイツ」を気に入っていた彼は“On Borrowed Time”にはあまり興味がなかった。終了後ミランダと握手をして、横柄にも、「楽しめよ」と告げた(二人はいまだにこのフレーズを週に何度かお互いに言い合っている)。一ヶ月後、ミランダとカイルはニューヨークの西14番街にあるドラマ・ブック・ショップの地下で待ち合わせ、5時間話し込んだ。「『イン・ザ・ハイツ』のことを二年間ずっと考えてたから、話をはじめたら止まらなかったよ」カイルは言う。 
ミランダがウェズリアン大を卒業した後、父は彼をロー・スクールに行かせたがった。ルイス・ミランダはルーベン・ブラデス【作曲家でサルサ歌手。アメリカに亡命する前はパナマで弁護士をしていた】を引き合いに出し、大成する前に法律の学位を取って保険をかけておけば、と説得した。そうはせず、ミランダはハンターに戻り、7年生の英語の代用教師となった。「文法の授業をしたね。僕たちの頃はやらなかったんだけど。だから子どもたちに教えるために文法を勉強した」。同時に彼は「イン・ザ・ハイツ」の制作に取り組んだ。数ヶ月の間、彼とカイルは役者を交えて素材を試した。ミランダはボデガの店主でナレーターのウスナビを演じることにした。「この契約でいちからラップを習ってくれる人が見つからなかったから、僕に回ってきたようなもんだね」 
作品は最終的に数人のブロードウェイ・プロデューサーの目に留まった。「アベニューQ」などを手掛けることになるケヴィン・マクコラムもその一人だ。「彼は『なんの話かわかってきたらまた来な』て感じだったね」とミランダは言う。(マクコラムは「ハイツ」のブロードウェイでのプロデューサーとなった)2004年、ミランダとカイルは若き戯曲家キアラ・アレグリア・ヒュデスを雇い、脚本を書き直した。ヒュデスは大胆な書き換えをした。三角関係をなくし、ウスナビを謙虚ながらもカリスマのあるアンカーとして中心に据えた。【ハイツのメイキング本曰く、ベニー、ニーナ、リンカーン(ニーナの兄)の三角関係をなくしたのはプロデューサーの提案だったそうです】ミランダの愛するホームを描いた物語の中心だった���マンスは、二次的な要素になった。 
2007年、数回のワークショップを経て、作品はオフ・ブロードウェイで上演された。翌年ブロードウェイに移った。いくつかの感情的・ストーリー的矛盾はあったが、その独創性と中毒性は多くの賞賛を得た。タイムスのチャールズ・イシャーウッドはこう書いた「『イン・ザ・ハイツ』は+サルサ・フレスカ−(セックス、ドラッグ、病気)のアップタウン版『レント』である。」 
ミランダは動きの中で作詞をしている。アパートメントの近くのフォート・タイロン・パークを散歩しながら。または181番街からダウンタウンにゆく地下鉄の中で。彼のiTunesのフォルダはミュージカルのかけらでいっぱいだ。”Battle Loop”、”Burr-Hamilton Loop”はLogic Proで作曲した。「いいなとか面白いなとか、キャラクターに話してほしい片鱗とかを思いついたら8から16小節ぐらいの音楽をまず書く。そしてヘッドフォンをつけて出掛けて、犬の散歩をしながら独り言を言ってる」。時には作曲中の節をボイスメモに吹き込みながら、他のものをループで聞く。アーロン・バーを象徴する”Wait for It”のリフレインは夜地下鉄に乗りながら思いついた。「ダンボでやってる友達の誕生日パーティに行く途中だった。メロディをiPhoneに録音して、15分パーティに出て、帰りの電車で後の部分を作曲したよ」 
長い間、ミランダはハミルトンか、アメリカの歴史の中では悪役となることの多いバーか、どっちを演じたいか決めることができなかった。ハミルトンの死後、バーは南西部で謀反を画策したとの疑いをかけられた(最終的には無罪となったが)。ミランダは多くの歴史家とは違い、バーに同情的だ。「バーには同じぐらい親近感があるよ」彼は言う「バーはハミルトンと同じぐらい賢くて才能があった。それにハミルトンと同じぐらい失ってきた。ただ、だからこそ、ハミルトンが前に進むところでバーは一歩引いてしまった。人生の中で、自分がハミルトンのようだと思うのと同じぐらい自分はバーだったと思う。誰しもこう言うことがあるだろう、友達や仲間が自分を通り過ぎて、成功したり、結婚したり、家を持ったりする。自分は一文なしで、独身で、仕事もなくもがいているのに。そして自分に言い聞かせる、『機会を待て』と。」ミランダは最近35歳になった。「ハミルトンがこの歳に達成したことを考えると、すごくバーみたいな気持ちになる。それか、ポール・マッカートニーと比べたりとか。ソンドハイムとか。ガーシュインとか。アウトキャストとか。彼らの業績を考えると驚いてしまう。」 
最終的には、キャリアの面を見通した打算が勝った。「ハリウッドから連絡があると、大体は白人の主人公の友人役。もし主人公を演じたいなら自分で機会を見つけて、自分で書くしかない。ジョン・レグイザモもおんなじことを言っていた」(パブリックでは、バーは最近のNBCのドラマシリーズ”SMASH”に出演したレスリー・オドムJr.が演じている)ハミルトンを演じることは、ミランダいわく「本当の自分よりも生意気に、賢く、衝動的にならなきゃいけない。2時間半は自分の手綱を外さなきゃいけないね」 
トマス・カイルはミランダが最終的にハミルトンを選んだことには驚かなかった。彼いわく「ハミルトンが自分を時限爆弾のように感じてるのは、リンの性質ととても合ってる」。「ハイツ」のブロードウェイ公演のリハーサルの時に、開演前に死んでしまうという迷信的恐怖を発達させた。「いつもジョークを言ってたよ。『無名の作曲家、マンホールに落下』『無名の作曲家、バスに轢かれる』」ミランダはいう。「ハミルトンの『死はいつも思い出のように感じる』と言う歌詞を書いた時、『ああこいつのことは知ってるな』って思ったよ」 
親友となったキアラ・ヒュデスいわく、「ハイツ」は自伝的処女作である。「これが僕だ、これが自分が来た場所だーそれを爆発的なエネルギーで表現する必要があった」。対して「ハミルトン」は、彼女いわく、ミランダが大人として書いた初めての作品である。そしてこの作品も、彼のさまざまなアイデンティティと強く関わっている。「彼はプエルトリコで、彼はニューヨーク、彼はヒップホップで、彼はブロードウェイ。彼は異なる世界の全てだと言うこと。それを一つの部屋に全部持ってくると、人々は熱狂するって彼は気づいた。だってそれはこの国そのものだから。」 
パブリックシアターのミランダのチームは、このショウがヒップホップミュージカルと表現されるのを好まなかった。それも妥当な反論だろう。色々なジャンルを含んでいるから。また、戦略の面でもそうだった。そういったカテゴライズは聴衆の興味を限定する恐れがあった。特にブロードウェイ(最終的にそこを目指していた)では。(「ハミルトン」は2014年の終わりにはパブリックでソールド・アウトし、2回公演を延長した) 
ヒップホップは音楽シーンでは世代を制覇しているが、ブロードウェイでは影響が小さい。3年公演が続いた「イン・ザ・ハイツ」以外で試みがあったとしたら、去年の“Holler if Ya Hear Me”(トゥパックの歌詞を元にしたミュージカルで、6週間の公演だった)が唯一だろう。「ハイツ」のプロデューサーで「ハミルトン」に大金を注ぎ込んだジェフリー・セラーいわく。「誰も一晩中ずっとヒップホップを聴きたいわけじゃないし、こっちもそうするつもりはない。『ハイツ』を三年間公演したけど、もしヒップホップミュージカルと言われていなかったら、もっと長くできてたと思う。美しくて感動的なショウだったからね」 
「ハミルトン」宣伝の障壁は音楽の認識だけではなかった。セラーは観客たちが「誰がアメリカの官僚についてのショウを見たいんだ?」と言っているのが想像できた。同じ問題は、2010年のブロードウェイ作品“Bloody Bloody Andrew Jackson”でも起こった。7代目大統領についてのエモ・パンクミュージカルだ。評価は高かったが、興行面で振るわず四ヶ月の公演を終えた。 
セラーの警告に反して、ミランダの独立戦争についてのラップ・ヒップホップを作曲する才能は、アウトキャストを聞いたこともないであろう聴衆に受け入れられた。戯曲家のジョン・ゲールは去年の春、友人にワークショップ公演に誘われた。「ショウを見ながら、こんなに生を感じたことはなかった」ゲールはいう。「ドアを開けて新鮮な風が吹き込む時のあの爽快な気持ち。彼はハミルトンの精神をとらえ、ロン・チャーナウの本の空気をとらえ、時代の精神をとらえた。おかしなことだが、それを優雅さと注意深さと統制と、狂気を持ってしてやり遂げた」。ミランダのヒップホップ・フリースタイラーとしての才能の証明はまた、新しい観客も捉えたようだった。ブルックリンを拠点にしたパフォーマンスアーティストのレモン・アンダーソンは「ハミルトン」をこう表現する。「劇場に行ったこともないコミュニティが、これを見にくる。いつも自分達の文化圏のみんなに言ってるんだ、『ラップの観点からもこんな歌詞が凄いショウはないよ』って」。ミランダと「ティモシーの小さな奇跡」で共演したコモンは言う。「ランチタイムにセットでフリースタイルをした時のことをいつも思い出すよ。『うわ、こいつは凄い才能があるな』と思った」 
ミランダの作品はオペラのように歌い通しなので、キャラクターがラップに移っても違和感がない。「ハミルトン」のジェファソンを演じるダヴィード・ディグスは、そのことをアメリカをステージで表現したものだと言う。「それがお互い会話する唯一の方法なんだよ。それが大事だと思う。いつも省かれてきた自分達を、歴史の一部として見ることができる。ラップは僕たちの世代の声なんだ。有色人種の人々の声だ。それがこの作品の中にただ存在して、特異な扱いをされないと言うことが、歴史は僕たちのものだと言う感覚をもたらす。」威厳に満ちたジョージ・ワシントンを演じるクリストファー・ジャクソンは、低く響くヒップホップのビートに乗せるラップから、朗々とR&Bバラードまでを歌い上げる。彼いわく、この作品は奴隷制の構造とその悪影響について潜在的に批判している。「ブロードウェイの観客は説教されるのは嫌いだから。多人種のキャストにすることで、有色人種である我々役者たちがキャラクターを演じると言うことだけで、追加的な文脈を加えることができる。」 
「ハミルトン」のリハーサルは、タイムズ・スクエア近くの貸スタジオで行われた。12月初旬のある午後、キャストは”My Shot”に取り組んでいた。独立戦争前夜の活気に満ちたナンバーだ。出演者ほとんどが出てくるヒップホップダンスを、振付師のアンディ・ブランケンビューラーが振り付けていた。ミランダの音楽は、今やアレックス・ラカモアによってオーケストラ化され、力強いクレッシェンドを作り上げていた。彼もブランケンビューラーと同じように、「イン・ザ・ハイツ」からの付き合いのベテランだ。若き俳優アンソニー・ラモスが、舞台の向こう側から怒りを込めて突進する。彼はハミルトンの親友で、奴隷所有者の息子のジョン・ローレンスを演じている。独立戦争の頃、ローレンスは奴隷たちを兵士としてリクルートし、勝利のあかつきには身分を解放すると約束し、黒人連隊を作ろうとした。彼は1782年の終戦間近に戦死する。“Don’t this shit make my people wanna rise up!” とラモスは歌い、反乱者たちのコーラスをリードする。 
役のために髪を肩まで伸ばしていたミランダは、心配そうな空気を纏い、目は疲労に縁どられていた。11月の初めに、長男セバスチャンが生まれていた。それにも関わらず、ミランダは役としていきいきを動き回っていた。あるときはアンサンブルとダウンステージを踏ん反り返って歩き、指を頭の上に高く上げる。まるで銃を撃つように。次の瞬間にはパソコンやスマホに何かを打ち込む。「頭の中のアプリがたくさん開いてる。台本、振付を覚えること、ツイッター。それからニュース」 
その午後、ニューヨークでは、大陪審は警官のダニエル・パンタレオを殺人罪では起訴しないことを決めた。ステタン・アイランドのエリック・ガーナーは、去年の夏単本のタバコを売っていたことで逮捕された際、首を絞められ死んだ。その1週間前はミシシッピのファーガソンで暴動が起こった。これもまた大陪審がアフリカン・アメリカンのマイケル・ブラウンを射殺した白人の警官ダレン・ウィルソンを起訴できなかったことがきっかけだった。「『立ち上がれ』と僕らは叫んでいるけど、多くの人も同じように思っている」ミランダは言った。 
2009年、ミランダのホワイト・ハウスパフォーマンスのあと、パーティはロビーのレセプションエリアに移った。そこではDJがヒップホップを流していた。ミランダは驚いた。アメリカはついに昔の人間ではなくて、自分達と同じ時代を生きる人間が大統領をしてるんだと思った。もしここ最近の社会がその包括の約束を裏切る辛い証拠だとしても、ミランダはまだ言葉の力を示すことができると思った。デモの参加者がマンハッタンでのデモを始めた時、ミランダは”My Shot”からの歌詞を呟いた。“If we win our independence / Is that a guarantee of freedom for our descendants? / Or will the blood we shed begin an endless / Cycle of vengeance and death with no defendants?”  
午後のリハーサル室は静かだった。ミランダとジャクソンはカイルと別のシーンに取り組んでいた。1776年の8月、絶望的なブルックリンの戦いの後の、ワシントンとハミルトンの出会いのシーンだ。”Right Hand Man”の中で、ワシントンはハミルトンを召集し兵士としてでなく秘書として働くようにオファーする。“Head full of fantasies of dying like a martyr? / Dying is easy, young man. Living is harder.” ハミルトンは反論する。彼は連隊の指揮権が欲しいのだ。 
カイルはミランダにハミルトンは何を考えているのか尋ねた。「保身モードになってる。ワシントンが正直になるまでは」とミランダは返答した。「『ゴッドファーザー』でアルパチーノが列車の音を聞いて、行くか行かざるか、と考えているところみたいな感じ。警察署長とソロッツオのところに行くか?それとも、ディナーに行くか?」ハミルトンは、ミランダが言うには、「勝利のための生贄」になる決心をしていた。戦場を離れるのはいつも最後だった。今やハミルトンはワシントンの側に着くことの将来の利点を素早く計算していた。この計算は一小節で示される必要があった。「この瞬間、彼はいう。『これをのしあがる手段にしよう』と。『戦場で成り上がると思っていたが、この方法で行くしかない』」 
数回歌を繰り返して、ミランダはワシントンへのハミルトンの返事を考え出した。“I am not throwing away my shot.” 数曲前では、ハミルトンの戦場で命を投げ出す決意を示すフレーズだった。今ここでは、彼の人生よりも続くレガシーを築くチャンスを掴んだ瞬間を示すものだった。台本では、ワシントンはハミルトンを一言で遮るーー「息子よ」ーーこれはワシントンの若い部下に対する親心が現れている。(チャーナウは、ハミルトンは根拠なくワシントンの私生児であると噂された、と書いている。)だがジャクソンの「息子」の言い方はまた、ヒップホップ風の、ブラザーフッドや対等さもまた示している。 
ミランダとジャクソン、そしてカイルは台詞を繰り返し、ワシントンのハミルトンの新しい目的に対する理解をどう表現するか探っていた。兵士から未来の政治家になるハミルトンの変化を聴衆に感じ取ってもらいたかった。ミランダは自分の原稿を確認した。「息子よ、じゃなくてシンプルに『いいぞ』と言った方がいいかな?」と言った。「『いいぞ』ってことは『お前を雇うぞ』てことだし。それでハミルトンは新しい才能が開花するんだから」 
ミランダの台本はまだ草稿状態だった。ハミルトンの死のページは「新曲製作中」と書いていた。数週間後、まだミランダは旋律に悩んでいた。「最後の瞬間ハミルトンは何を考えるだろうか?」彼は言った。「トミーが筆を置けと言うまでずっと考え続けるだろうね」続けて、「目の前のバーは、彼が10代の頃から知り合いだ。そのことを考えるだろう。たくさんの子供たちと共に置き去りにすることになる妻のことを考える。負債と、それに対する罪悪感について。でも彼はクリスチャンだったし、また会うことができる息子がいる。ジョージ・ワシントンともまた会える。たくさんの愛する人が、彼を向こう側へと呼んでいる。弾丸が銃を離れるまで、そのことを表現する時間がどれだけあるのか」 
決着はほとんど最後の瞬間に訪れた。元旦の早朝のこと。眠る赤ん坊の息子を胸に置いて彼はベッドに横たわっていた。隣ではナダルが寝ている。長いことなかった静かな時間だった。静寂。彼は考えた。それは「ハミルトン」でまだ演奏していないものだった。何も音楽がないのはどうだろうか。犬の散歩に行く。この時はヘッドフォンは家に置いていった。時々ノートにメモするために立ち止まった。次の日の朝5時まで起きて、ハミルトンの最後の瞬間をついに聴いた。 
3週間後、パブリック・シアターでプレビューが始まった。ロビーにはニューヨーク・ヒストリカル・ソサエティから借りた、バーとハミルトンが向かい合わせで銃を引く銅像が立っていた。舞台では、ミランダのキャストは慣れない衣装を着て心地よく、観客の祝福を楽しんでいた。宝石に飾られたキング・ジョージの尊大な忠告は笑いを呼び、“Duel Commandments”でのビッギーのオマージュは喜んで迎えられた。「レ・ミゼラブル」“One Day More” のスタイルを恥ずかしげもなく拝借した一幕の最後は歓声で迎えられた。ハミルトンの自慢の息子、フィリップの痛ましい死は、観客の涙を誘った。 
2時間半の音楽の嵐の後、バーとハミルトンの決闘の瞬間が訪れた。バーが致命的な銃弾を放った後、ハミルトンは長く思い描いた死が訪れたことに気づくと、音楽は消えた。黒の喪服に身を包んだミランダはラップではなく、詩を語った。彼の最後の思考と感情のひらめきはもはやビートや旋律にはつながれていなかった。「誰かが私のために歌う旋律を書く/アメリカ、素晴らしき未完成の交響曲/あなたが私を呼んだ」と静かに語った。ハミルトンは妻や友人たちを思い、思考は飛び交い、昔の歌を歌う。言葉はばらばらになり、儚く浮かび上がる。彼はよろめき、そして静寂が落ちた。◆
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kanabass · 25 days
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2024年9月10月の予定
いつもご覧いただいている方、いつも応援ありがとうございます! 初めて見てくださっている方もご訪問ありがとうございます^^
8月も終わりに差し掛かってやっとこさ暑さも和らいできましたね。 寒暖差が大きくて、1週間のうちに10度以上も変化して、台風も来て、おかしな気候ですが、体調管理気をつけて、やっていこうと思います。 10月に半年ぶりの、みわさんとのツアーがあり、いまからとっても楽しみです。他にも楽しみなプロジェクトが水面下でうごき始めたので、本当に楽しみ!早くお披露目したいです!笑
9/1(日)15:00〜(inst) w/水野修平(pf) 鈴鹿・carrera(鈴鹿市江島台2丁目2-1 080-6970-0187)  →台風の影響で中止になりました。 リベンジライブ11/3日曜15時〜になりました。
9/3(火)19:00〜(jamsession) w/森田純代(pf) 定例セッション。みんなで楽しみましょう。 津島・くれよん
9/6(金)19:00〜えぼにージャズ部(jamsession)   w/水野修平(pf)舩尾真伊年(ds)  新栄・ebony and ivory 顧問のお言葉は愛!楽しく切磋琢磨しながら活動中!
9/7(土)19:30〜(inst) 【音セレブ】w/松本コウ(gt)佐藤暁彦(ds) 土岐・Bird &Diz 良き音で奏でます、ギタートリオ。
9/12(木)19:00〜21:00 ワークショップ 刈谷・cafe nation ゆっくりまったりやっています。 *9月も変則的に第2木曜です。
9/13(金)20:30〜 w/青木弦六(gt) 稲沢・Speak Low(愛知県稲沢市高御堂1-20-20-102号) 金曜のまったりduo。
9/17(火)19:00〜 w/水野修平(pf)舩尾真伊年(ds) 覚王山・stareyes 修平さんのオリジナルやピアニストならではの選曲でお送りします。
9/21(土)19:30〜 w/田中淳(tp flh)小関信也(pf) 岡崎・SATIN DOLL ジャズの名曲を田中さんチョイスで演奏します。
9/22(日)夜 【9th call】w/足立拓郎(ds)三宅史人(gt) 松阪・Serai    もうかれこれ7-8年やっている若い二人とのギタートリオ。 このバンドならではの攻めた選曲でサライ初出演です。
9/27(金)19:30〜(inst) w/館岡紅介(tp)坂井彰太郎(sax)餌取雄一郎(tb)藤井浩樹(pf)浅井翔太(ds) 新栄・swing  3管の色彩豊かなハーモニーも個人のソロの楽しめる欲張りバンドです。
9/28(土)夜 Hot O'馬橋Trio @伊勢 河崎蔵
9/29(日)15:00〜 Eclat (inst) (森田純代pf 林かなba 上野智子ds)guest:剣山啓助(gt) 松阪・Serai    津ジャズの打ち上げで盛り上がり、コラボが実現。
9/30(月)19:00〜 w/Alex Matocks(tp)水野修平(pf)三宅昌徳(ds) 覚王山・stareyes 初めましてのアレックスさんと。
*****************
10/1(火)19:00〜(jamsession) w/森田純代(pf) 定例セッション。みんなで楽しみましょう。 津島・くれよん
10/2(水)PM 四日市演奏 林宏樹(ds)近藤有輝(pf)他
10/3(木)19:00〜(inst) 【bois】w/森永理美(pf) 栄・SLOW ART CENTER NAGOYA内 SAKURA ENTERTAINMENT RESTAURANT
10/5(土)19:30〜(vocal) w/柚希(vo)風呂矢早織(pf) 池下・Tenderly(池下1-3-1パックス池下ビル8F)
10/9(水)20:00〜(vocal) w/さくら(vo)森永理美(pf)上野智子(ds) 岐阜・BAGU
10/12(土)13:00〜えぼにージャズ部(jamsession)   w/水野修平(pf)舩尾真伊年(ds)  新栄・ebony and ivory 顧問のお言葉は愛!楽しく切磋琢磨しながら活動中!
10/12(土)19:30〜(vocal) w/原れいこ(vo)青木弦六(gt)三間大輔(ds perc) 西区・JAZZ CHICKa ブラジリアンナイト。
10/14(月)15:00〜(inst vocal) 【岐阜トリオ】藤井孝紀(pf)黒田淳司(ds vo) 津島・くれよん
10/14(月)19:30〜(inst)  w/水野修平(pf)  隠れ家バーで和気藹々とお過ごしいただけます。  安城・Jazz Bar Y’s
10/17(木)19:00〜21:00 ワークショップ 刈谷・cafe nation ゆっくりまったりやっています。
★★★若林みわ(vo)+林かなTrio秋のツアー★★★ w/若林みわ(vo)後藤浩二(pf)倉田大輔(ds) 素晴らしいvocalみわさんとの3days! Backも素晴らしい先輩方とかためます。 ご予定くださると嬉しいです! 10/19(土)19:30〜静岡・LIFETIME 10/20(日)四日市JazzFestival  14:00~14:40 veejay  16:10~17:00メイン会場(諏訪公園)  20:30〜veejay(charge別途必要) 1stage+ジャムセッション 10/21(月)東桜・The wiz  19:00〜
10/26(土)15:00~ Eclat (inst) (森田純代pf 林かなba 上野智子ds) 四日市・JAZZ TAKE ZERO  
10/29(火)PM 豊田生協イベント演奏 w/林宏樹(ds)ナタリー成田(pf)他
10/30(水)19:30〜【Girls’ Night Out!!】(vocal) ***Halloween special*** w/Juju Sumire vo 竹中優子as ss 中嶋美弥pf 上野智子ds 爆発的女子会アンサンブル。 新栄・Jazz Spot Swing 
どこかでお会いできますように!
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◆『ジャンポール・ゴルチェ ファッション・フリーク・ショー(jean Paul Gaultier Fashion Freak Show)』鑑賞レポート◆
ロンドン、テムズ川沿いのサマセット・ハウス内のコートールド・ギャラリーに展示されている秀逸な絵画の一枚がエドゥアール・マネ(Édouard Manet)による、『フォリー・ベルジェールのバー』(Un bar aux Folies Bergère)です。 絵画を見る者は否が応でもバーにいる女性と対峙しなければならない斬新な構図になっています。 幅広のキャンバスには様々な酒瓶が並んだ大理石のバーの向こう側には女性が立ち、その背後には鏡が配置され、それには演じられている曲芸、集う人々、巨大なシャンデリアが映し出されている様が描かれています。 ミュージックホール、フォリー・ベルジェールはジョセフィン・ベイカー(Josephine Baker)、チャールズ・チャップリン( Charles Chaplin)、ジャン・ギャバン(Jean Gabin)等が出演し、演じられたレヴューはミュージカルの原型となりました。 多くの観衆が集い、芸術家、パトロン、娼婦達の社交場でもありました。 この正統的な芸術を崇拝しながら、スキャンダラスな作品で知られる画家が晩年に左足の壊疽に耐えながら完成させた最後の大作は自身の代表作であると同時にベルエポックと呼ばれるパリの最も華やかな時代の象徴としても知られています。 幼いジャンポール・ゴルチェはその後のフォリー・ベルジェールの様子をテレビで観ました。 そしてベルエポック時代のレジェンド達の最後の姿も祖母に連れて行かれた劇場で目に焼き付けました。 世界の中心であったパリの輝きを目撃した無垢な9歳の少年は、まず熊の縫いぐるみでそれから得たインスピレーションを基に創作を実践しました。 18歳にしてピエール・カルダンのアシスタントとして働き、以後1970年代のモードの激動の最前線に立ち合い、ロンドン・パンク・ムーブメント前夜の1976年にデビューを果たします。 1990年にはマドンナのスタンス、人気を決定付けた『Blond Ambition Tour(ブロンド・アンビション・ツアー)』の衣装を担当しました。 彼の半生そのものが、モード史に於いて最も重要な出来事と必然的に完全に一致し、それだけでも稀有な現役ファッションデザイナーであることを証明しています。 そしてフォリー・ベルジェールの原体験と半生を彼なりのスタイルで再現されたのが、『ジャンポール・ゴルチェ ファッション・フリーク・ショー(jean Paul Gaultier Fashion Freak Show)』です。 世界で35万人が鑑賞しました。
歌と踊り、コメディとファッションショー、ストリップ、ありとあらゆるものが展開され、そこににないものはただ一つ、タブーだけです。 唯一無二のレヴューを全編彩るのはエドゥアール・マネと同じく、フランス、世界の衣服の変遷を深く研究し、リスペクトし、伝統的手法を以てジャンポール・ゴルチェによって生みだされたアヴァンギャルドな衣装です。 極めてプライベートなことをベー���としながら、ファッション史、文化史として貴重で、高い芸術性を保ったまま、エンターテインメントとして昇華されています。 長いキャリアに於いてゴルチェのタイプライター文字の上から斜めにステンシルテンプレートで描かれたブランドロゴ以外にブランドアイコンになったものは多く、実に個性的です。 マリンストライプ、タトゥープリント、コーンブラ、ボンデージ、ブリキ缶等、人々はそれらの断片を見ただけで、彼の作品をイメージします。 しかしながら、それらの一つたりとも彼が創出したものではありません。 彼は手垢の付いた土産品、誰もがその存在自体忘れたもの、一部の好事家同士の証としての悪趣味、その様なものを人知れず拾ってきて、埃を払い、磨き上げて、その美しさを繰り返し理解するまで私達の眼前に差し出したに過ぎません。 それらは功績ではなく、キャリアの最初から行われている活動の方向性の結果の一部でしかなく、その方向性そのものが、彼のアイコンとなっています。 それはありとあらゆる境界線を切り崩すことです。 切り崩すことにより、相反するテーマを融合し、それぞれの美しさを纏ったまったく新しい完璧な作品を高度な技術を用いて創造しました。
初期はいわゆるデザイナーらしく、パンツとスカートやアクセサリーと衣服の融合、表と裏や上着と下着の逆転といったテクニカルなことに始まりました。 ストリートとオートクチュール、男女、階級、異なるイデオロギーとなると社会的、哲学的な問題提起へと変遷していきます。 聖域のないデザイナーは衣服と裸体、リメイクと創作、衣服を身に着けているかもしくは前にぶら下げているだけかの違い、自身のオートクチュールブランドを他のデザイナーに制作して貰う等、自身のアイデンティティーそのものも危うくする位、挑戦的にその境界線を切り崩しています。 『ジャンポール・ゴルチェ ファッション・フリーク・ショー(jean Paul Gaultier Fashion Freak Show)』のクライマックスも同じ様なメッセージで締め括っています。 楽しい結末ですが、観るものに今後の自身の服との付き合い方、もしくは生き方さえも考えさせます。 「多様性」という言葉すら認知されていなかった50年以上前から、醜と思われていたものから美を見出し、マイノリティに共感してきたジャンポール・ゴルチェはデザイナーにして芸術家であり思想家です。 高度な哲学、技術を惜しみなく発揮しながら、この上なく楽天的にフランス的エスプリで解りやすく作品にテーマを示すゴルチェ。 彼の作品を身に着けることは彼のイデオロギー、審美観の共犯者となるに等しいのです。
弊店は縁あって、ジャンポール・ゴルチェブランドの黎明期である1984年頃から作品を取り扱ってきました。 そして、彼自身の名前を冠したブランドだけでなく、多岐に渡る彼の作品を世界的にも稀に見る程フォローしてきました。 ゴルチェのオンリーショップから2005年にセレクトショップへと移行。 現在でも商品セレクトのベースとなる価値観はジャンポール・ゴルチェによって培われています。 また、依然として世界的に貴重なジャンポール・ゴルチェのアーカイヴスも多く保有しています。 余すことなくその作品を御見せし、そのテーマ、由来、特徴を御伝え出来ます。 彼の世界観に触れ、もしくはその共犯者となる、またとない機会です。 『ジャンポール・ゴルチェ ファッション・フリーク・ショー(jean Paul Gaultier Fashion Freak Show)』を観た方もそうでない方も、一度弊店に足を運んで頂ければ、幸いです。 スタッフ一同、御待ち申し上げております。
Gallery なんばCITY本館1F店 〒542-0076 大阪府大阪市中央区難波5-1-60 なんばCITY本館1階 【営業時間】11:00~21:00 【休館日】8月24(木) 【PHONE】06-6644-2526 【e-mail】[email protected] 【なんばCITY店Facebook】https://goo.gl/qYXf6I 【ゴルチェ派Facebook】https://goo.gl/EVY9fs 【instagram】http://instagram.com/gallery_jpg 【Twitter】https://twitter.com/gallery_jpg_vw 【tumblr.】https://gallerynamba.tumblr.com/ 【ブログ】http://ameblo.jp/gallery-jpg/ 【オンラインショップ】http://gallery-jpg.com/
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gallerynamba · 1 year
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◆ジャンポールゴルチェ『ファッションフリークショー』鑑賞レポート◆
ロンドン、テムズ川沿いのサマセット・ハウス内のコートールド・ギャラリーに展示されている秀逸な絵画の一枚がエドゥアール・マネ(Édouard Manet)による、『フォリー・ベルジェールのバー』(Un bar aux Folies Bergère)です。 絵画を見る者は否が応でもバーにいる女性と対峙しなければならない斬新な構図になっています。 幅広のキャンバスには様々な酒瓶が並んだ大理石のバーの向こう側には女性が立ち、その背後には鏡が配置され、それには演じられている曲芸、集う人々、巨大なシャンデリアが映し出されている様が描かれています。 ミュージックホール、フォリー・ベルジェールはジョセフィン・ベイカー(Josephine Baker)、チャールズ・チャップリン( Charles Chaplin)、ジャン・ギャバン(Jean Gabin)等が出演し、演じられたレヴューはミュージカルの原型となりました。 多くの観衆が集い、芸術家、パトロン、娼婦達の社交場でもありました。 この正統的な芸術を崇拝しながら、スキャンダラスな作品で知られる画家が晩年に左足の壊疽に耐えながら完成させた最後の大作は自身の代表作であると同時にベルエポックと呼ばれるパリの最も華やかな時代の象徴としても知られています。
幼いジャンポール・ゴルチェはその後のフォリー・ベルジェールの様子をテレビで観ました。 そしてベルエポック時代のレジェンド達の最後の姿も祖母に連れて行かれた劇場で目に焼き付けました。 世界の中心であったパリの輝きを目撃した無垢な9歳の少年は、まず熊の縫いぐるみでそれから得たインスピレーションを基に創作を実践しました。 18歳にしてピエール・カルダンのアシスタントとして働き、以後1970年代のモードの激動の最前線に立ち合い、ロンドン・パンク・ムーブメント前夜の1976年にデビューを果たします。 1990年にはマドンナのスタンス、人気を決定付けたBlond Ambition Tour(ブロンド・アンビション・ツアー)の衣装を担当しました。 彼の半生そのものが、モード史に於いて最も重要な出来事と必然的に完全に一致し、それだけでも稀有な現役ファッションデザイナーであることを証明しています。 そしてフォリー・ベルジェールの原体験と半生を彼なりのスタイルで再現されたのが、ジャンポール・ゴルチェ『ファッション・フリーク・ショー』(jean Paul Gaultier『Fashion Freak Show』)です。 世界で35万人が鑑賞しました。
歌と踊り、コメディとファッションショー、ストリップ、ありとあらゆるものが展開され、そこににないものはただ一つ、タブーだけです。 唯一無二のレヴューを全編彩るのはエドゥアール・マネと同じく、フランス、世界の衣服の変遷を深く研究し、リスペクトし、伝統的手法を以てジャンポール・ゴルチェによって生みだされたアヴァンギャルドな衣装です。 極めてプライベートなことをベースとしながら、ファッション史、文化史として貴重で、高い芸術性を保ったまま、エンターテインメントとして昇華されています。 長いキャリアに於いてゴルチェのタイプライター文字の上から斜めにステンシルテンプレートで描かれたブランドロゴ以外にブランドアイコンになったものは多く、実に個性的です。 マリンストライプ、タトゥープリント、コーンブラ、ボンデージ、ブリキ缶等、人々はそれらの断片を見ただけで、彼の作品をイメージします。 しかしながら、それらの一つたりとも彼が創出したものではありません。 彼は手垢の付いた土産品、誰もがその存在自体忘れたもの、一部の好事家同士の証としての悪趣味、その様なものを人知れず拾ってきて、埃を払い、磨き上げて���その美しさを繰り返し理解するまで私達の眼前に差し出したに過ぎません。 それらは功績ではなく、キャリアの最初から行われている活動の方向性の結果の一部でしかなく、その方向性そのものが、彼のアイコンとなっています。 それはありとあらゆる境界線を切り崩すことです。 切り崩すことにより、相反するテーマを融合し、それぞれの美しさを纏ったまったく新しい完璧な作品を高度な技術を用いて創造しました。
初期はいわゆるデザイナーらしく、パンツとスカートやアクセサリーと衣服の融合、表と裏や上着と下着の逆転といったテクニカルなことに始まりました。 ストリートとオートクチュール、男女、階級、異なるイデオロギーとなると社会的、哲学的な問題提起へと変遷していきます。 聖域のないデザイナーは衣服と裸体、リメイクと創作、衣服を身に着けているかもしくは前にぶら下げているだけかの違い、自身のオートクチュールブランドを他のデザイナーに制作して貰う等、自身のアイデンティティーそのものも危うくする位、挑戦的にその境界線を切り崩しています。 ジャンポール・ゴルチェ『ファッション・フリーク・ショー』(jean Paul Gaultier『Fashion Freak Show』)のクライマックスも同じ様なメッセージで締め括っています。 楽しい結末ですが、観るものに今後の自身の服との付き合い方、もしくは生き方さえも考えさせます。 「多様性」という言葉すら認知されていなかった50年以上前から、醜と思われていたものから美を見出し、マイノリティに共感してきたジャンポール・ゴルチェはデザイナーにして芸術家であり思想家です。 高度な哲学、技術を惜しみなく発揮しながら、この上なく楽天的にフランス的エスプリで解りやすく作品にテーマを示すゴルチェ。 彼の作品を身に着けることは彼のイデオロギー、審美観の共犯者となるに等しいのです。
弊店は縁あって、ジャンポール・ゴルチェブランドの黎明期である1984年頃から作品を取り扱ってきました。 そして、彼自身の名前を冠したブランドだけでなく、多岐に渡る彼の作品を世界的にも稀に見る程フォローしてきました。 ゴルチェのオンリーショップから2005年にセレクトショップへと移行。現在でも商品セレクトのベースとなる価値観はジャンポール・ゴルチェによって培われています。 また、依然として世界的に貴重なジャンポール・ゴルチェのアーカイヴスも多く保有しています。 余すことなくその作品を御見せし、そのテーマ、由来、特徴を御伝え出来ます。 彼の世界観に触れ、もしくはその共犯者となる、またとない機会です。 ジャンポール・ゴルチェ『ファッション・フリーク・ショー』(jean Paul Gaultier『Fashion Freak Show』)を観た方もそうでない方も、一度弊店に足を運んで頂ければ、幸いです。 スタッフ一同、御待ち申し上げております。
Gallery なんばCITY本館1F店 〒542-0076 大阪府大阪市中央区難波5-1-60 なんばCITY本館1階 【営業時間】11:00~21:00 【休館日】8月24(木) 【PHONE】06-6644-2526 【なんばCITY店Facebook】https://goo.gl/qYXf6I 【ゴルチェ派Facebook】https://goo.gl/EVY9fs 【instagram】http://instagram.com/gallery_jpg 【Twitter】https://twitter.com/gallery_jpg_vw 【tumblr.】https://gallerynamba.tumblr.com/ 【ブログ】http://ameblo.jp/gallery-jpg/ 【オンラインショップ】http://gallery-jpg.com/
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ichinichi-okure · 1 year
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2023.4.19_tokyo
最近の朝は夕方だし、夜は昼だ 1日の境目がぐちゃぐちゃなせいで昨日がどこまでなのか分からなくなる バーに立つようになってから、「日付変わって」という言葉をよく使うようになった
日付が変わって4/19になった時はバーに立っていた ずっと忙しい日で締め作業が終わったのは5:30 既に活動を始めている東京を横目に自転車で帰路に着く 朝日に照らされながら代々木上原の急な坂道をのぼる時間ほど苦痛なものは無い 夜の気温に合わせて羽織ったコートに後悔する
家に着いた時には6時を回っていた 2月に買ってから毎日水をやっていた真柏に新芽が付いていていことに気づき少し嬉しくなる
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疲れているけど眠くは無くて、リビングでダラダラしていると同居人の拓郎が起きてきた 2人分のアイスコーヒーをいれ、優雅や丁寧という言葉が似合うのか似合わないのかよく分からない午前が過ぎる
気づけば正午を回っていて、出社する拓郎を見送りようやく布団に着く 寝たのは多分14時頃
20時前に目を覚まし、出勤の準備をしていると拓郎が帰ってきた ほぼ入れ替わりで家を出る あの上原の坂道を嫌いになりすぎないようにコートはやめた やっぱり少し肌寒い
21時またバーに立つ ようやく4/19が始まる
-プロフィール- 徳永健臣 19 東京 杉並区家賃2万5千円男 IG/@tokunagakenshin,@matsunoki_house
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reikofujishima · 2 years
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年末年始の営業について   年内最終営業日は26日(月)まで 年始は1月5日(木)より営業いたします。 また来年1月より店内改装のため、COFFEE STAND は週末のみの営業となります。 BAR &MEALSも営業日が変更となります。 お手数おかけしますが、よろしくお願いいたします。#thesaloontokyo #ザサルーン代々木上原 #スコーン#焼き菓子#コーヒー#バー (THE SALOON) https://www.instagram.com/p/CmT7JXdSrFb/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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arakawalily · 1 year
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初めてのビールアート🍺 ビールの泡にラテアートならぬ、ビールアートを描いていただきました❗️洒落乙です🍺 ドリンク編② 新鮮モツ料理をたくさんいただき、モツベーション爆上がりリー❣️ ホルモンヌ(ホルモン女子)大集合❗️ モツつもたれつ、モツ好き女子が集まるモツ専門店❗️イタリアンミックスなおしゃれな酒場となっております!モツ×日本酒×ナチュラルワインは、理に適った、ごモツともな組み合わせ🌾🍺 そして、なんと❗️🍺ビールの泡で、ラテアートならぬ、ビールアートも描いていただき、益々モツベーション爆上がりりー❗️ モツ酒場 kogane(こがね) @kogane.sake 様々な調理法で、モツをこれだけオシャレにいただけるお店は、初めてで、すごく新鮮な驚きがありました❗️やはり仕事帰りの、感度の高い原宿系リーマンが集い、大人気の様子で、夕暮れどきには、満席の賑わい❣️ モツ酒場となっておりますが、今までのモツ酒場とは、一線を画す別世界観❗️ やはり原宿キラー通りのモツ料理店は、オシャレでスタイリッシュ✨✨ランプレドットまでいただけましたよ❣️🇮🇹 手の込んだクリエイティブ溢れるモツ料理にドキドキして、冷静さを、たモツのに一苦労でしたよ❗️ モツ酒場コガネさんで、モツをいただき、おモツった感想を率直にリポートしていきモツ❣️ 新鮮で良質なモツ料理を中心に、和・洋・エスニックの 要素、特にイタリアンを取り入れたお料理とナチュラルワインのほか、居酒屋の定番、生ビールや焼酎、サワーやハイボールなどもお楽しみいただける、枠にとらわれない新しい酒場です❗️ 縁起が良い色=黄金色から名付けられたという、「kogane(こがね)」さん🌾🍺 随所に、金色モチーフが散りばめられ、運気上がりそう❗️ “お燗の魔術師”と呼ばれる高木晋吾氏の監修の下、燗酒カウンターを設け、常時20~30種ラインナップされた季節の純米酒からそれぞれに合わせた温度帯や飲みたい温度に合った銘柄を提案しています。 食べるのが、モツたいない❗️ クリエイティブ溢れるモツ料理が次々と飛び出しますので、じっくりリポートしていきモツ❗️ ドリンク編からお料理編へ 続きます👉 モツ酒場といえ、かなり現代風で酒場というより、オシャレカフェのような雰囲気❗️なるほど、自然派ワインを中心に扱う、自由が丘ニショクさんや、イタリアンのルリイロさんと系列店ということを、シェフに聞いて、納得しました❗️🇮🇹🍕 #モツ酒場kogane #supported#キラー通り#キラー通り商店街 #原宿ディナー #外苑前グルメ #表参道グルメ #青山グルメ #外苑前ディナー #表参道ディナー #青山ディナー #昼飲み #日本酒女子 #kogane#ホルモン好き#ホルモンヌ#ホルモン女子#レバー好き#イタリアン #イタリア好き#日本酒好き#日本酒バー #荒川リリー#lilystudio#チーズ天使#ビールアート#ノンアルコールビール (モツ酒場 kogane(こがね)) https://www.instagram.com/p/CqZRuTIyDtb/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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deisticpaper · 2 years
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蜃気楼の境界 編(五六七)
蜃気楼の境界 編(一二三四)から
「渦とチェリー新聞」寄稿小説
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蜃気楼の境界 編(五)
界縫
 正嘉元年紅葉舞い、青い炎地割れから立ち昇る。音大きく山崩れ水湧き出し、神社仏閣ことごとく倒壊す。鎌倉は中下馬橋の燃える家屋と黒い煙かき分けて家族の手を引きなんとか生き延びた六角義綱という男、後日殺生も構わぬ暮露と成り果て武士を襲えば刀を得、民を襲えば銭を得て、やがて辿り着いた河川で暮露同士語らうわけでもなく集まり暮らす。或る夜、幾度目のことか絶食にふらつき目を血走らせ六角義綱、血に汚れた刀片手に道行く一人の者を殺めようとするが、嗚咽を漏らし立ち竦みそのまま胸からあの日の紅葉のごとき血を流し膝から崩れ落ちる。道行くその者、男に扮した歩き巫女だが手には妖しげな小刀、その去る様を地べたから見届けんとした六角義綱のすぐ背後、甚目寺南大門に後ろを向けて立つ闇霙(あんえい)と名乗る男あり。みぞれ降りだして、人とも呼び難いなりの六角義綱を一瞥し、闇霙、口開かず問いかける、そなたの闇は斯様な俗識さえ飼えぬのか。六角義綱、正嘉地震から甚目寺までの道中で妻を殺され、涙つたい、儂には女は切れん、と息絶える。その一通りを見ていた青年、六角源内、父を殺した女を浅井千代能と突き止めて敵討ちを企てるが、知られていたか検非違使に捕らえられ夷島に流され、以後誰とも交流を持たずに僻地の小屋で巻物を記したという。それから七五九年の時が経ち、二〇一六年、仟燕色馨を内に潜める二重人格の高校生市川忍とその同級生渡邉咲が、慧探偵事務所を相手に朔密教門前また内部にて些細な一悶着あった、その同日晩、奇妙な殺人事件が起こる。場所は百人町四丁目の平素な住宅区域、被害者女性、五藤珊瑚(三〇)の遺言は、残酷な苦を前に千年二千年なんて。戸塚警察署に直ちに捜査本部が設置され、その捜査とは別に警部補の高橋定蔵、市川忍の前に立つ。何故おれなんかに事情徴収を、と忍。事件当日、校門の監視カメラに映っていたきみが何か普段と違うものを見てなかったかと思ってね、若き警部補が爽やかに答え、それで市川忍、脳裏の人格に声を送る、一顛末あった日だ厄介だね。対し仟燕色馨、おそらくこの警部補、謎多き朔密教を疑っている、ならばこの事件あの探偵にも捜査の手が伸びる、ところで気づいているか探偵事務所の探偵に見張られている。
 小料理屋点々とある裏通りの角に螺旋階段へ繋がるアーチ状の古い門を持つ築古スナックビルの入り口で刈り上げマッシュショートにゆるめパーマの少年のような青年がただ立っていると突然背後から強面の男がどこに突っ立っとんじゃと怒鳴ってきたので青年は冴え冴えとした眼差しで振り返り、幻を見てたんじゃないですか、俺はずっとこの位置でスマホを見てました、俺の輪郭と色、背後の風景と俺のいる光景をもっと目に焼きつけてください。男は動転し不愉快な目の前にいる青年を忘れないようじっと食い入って見る。だが、その光景はすでに幻で、スマホを見ていた青年はもういない。走り去っていたのだ。朝のホームルーム直前にその青年、六角凍夏(むすみとうか)が現れ席につく。振り返り、後ろの席の渡邉咲に聞く、きみ、部活入ってるの。隣席美術部員中河原津久見が聞き耳を立てている。渡邉咲は初めて話しかけてきた六角凍夏が先々で勧誘しているのを知っていて、文芸部でしょ、と冷えた目を送ると、文化琳三部だよ、と。咲が琳三って何という顔で惑うと、清山琳三ね、俺らの界隈で知らぬ者はいないよ、とくるが、咲はどこの界隈の話なのと内心いよいよ戸惑う。だが、聞き耳を立てていた中河原津久見はピクシブなどで目にする虚無僧キャラねと気づくが話に加わらない。きみ、机の上の本、和楽器好きでしょ、清山琳三は気鋭の尺八奏者。私、渡邉咲、と口にしながら、尺八ね。放課後、六角凍夏は一人、文芸部部室の小さな教室に入って電気をつけるとドアを閉め、密室と成る。中央辺りの机に、鞄から取り出した古びた筒を置く。目を閉じる。刹那、周囲にぼろぼろの布団が幾枚とどさっと落ちてき動きだす。それは天明四年鳥山石燕刊行妖怪画集「百器徒然袋」に見られる暮露暮露団(ぼろぼろとん)だが現実に現れたわけではなく、六角凍夏の想像力は小さな空間で全能となり百器徒然袋の界隈と接続し、今回ならばそこに記された妖怪があたかも姿を見せたかのような気分になったのだ。密室に、江戸の布団の香りが充満する。ときに、異界からの香りが漂ってくることもある。翌、静かな夜、百人町四丁目にて更なる殺人事件が起こる。被害者は志那成斗美(四〇)遺言は、潔く煮ろうか。魔の香りも、又、此処に。
蜃気楼の境界 編(六)
五鬼
 出入りする者らの残り香も錯綜の果てに幻影さえ浮かべる夜の街。串揚げ並ぶコの字カウンター中程で束感ショートの若い警部補が驚きのあと声を潜め通話を切ると手話で勘定を頼み、さっぱりとした面立ちの探偵仲本慧に目をやり、五鬼事件だがまだ続いていたと輝きの瞳隠せないながらも声を落とし去っていく。百人町四丁目連続殺人事件の犯人佐々木幻弐が第二被害者志那成斗美の最期の正当防衛で刺され意識不明のまま病院で死亡したという話、監視カメラから犯行も明確、第一被害者五藤珊瑚への犯行とも繋がり既に報道もされた直後の第三事件発覚。カウンターに残された探偵仲本慧、ビールを追加し面白い事件だが依頼がきてないから何もできないね、と奥に座る長髪黒はオールバックの男に突然話しかける。その男、串揚げを齧りながらチラと目線を合わせる。慧、ビールを飲み干し、隣に座っていいかなと距離を詰め、そっと名刺を置き、歓楽街案内人の市川敬済だね仕事柄我々は抜け目ない、聞き耳を立ててたね、という。黙す市川敬済に、優秀な探偵の知り合いは二人と必要ないかなと強い声で独り言のように笑みを送る。店内、音楽なく、静かに食す客、座敷からの賑わい。この辺りで、青島ビールが飲める良いバーを探してる客がいたなそういえば、と市川敬済、懐から名刺を取りだし横に並べる。直後、和柄のマフラーをしたギャル僡逢里が現れた為、仲本慧、名刺を拾い、勘定を済まし去っていく。お知り合いさんなの、と尋ねつつ座る僡逢里に、池袋の二青龍で今は探偵の男だ知ってるか、と尋ね返す。誰よ、テリトリー渋谷だったし、今日はいないの。暗に警部補のことを口にする。僡逢里の耳元で、まだ続いてるらしい千代女のママ心配だな。食事の注文をしながら僡逢里、出勤前に縛られたい、と呟く。夜十一時、一人になった市川敬済の前を男女が横切る。片方の男が枯淡の趣ある着物姿でありながら凍風をただ浴びるがごとく静かであったため変に気にかかるが、気にするのをやめて電話をかける。あら敬済さん、と通話先、青藍に杉の木が描かれた着物の女、さっきまで警部補さんがいらしてたのよ、お店は営業してません、今朝三人目の不幸がありまして五鬼も残すところ二人なの。語るは浅井千代女である。
 遥か彼方より朗々と木曽節が諏訪太鼓と絡まり聞こえる、それは五年前の、冬の宵、一人の女、吉祥寺の麻雀ラウンジ千代女の開店準備中、六人の女達を前に、肩に雪積もり震えている。浅井千代女が側に近づき、貴女の血に刻まれし鬼の禍、憎しと思うなら、受け継がれし技術でお金に変えて楽園を造るのよ、弐宮苺(にきゅういちご)の源氏名を授けるわ、そちらの西クロシヤ(五〇)引退で貴女の席があるの。語りかけてきた浅井千代女を取り囲む五人の女達、五鬼を見る。はい、と涙流し、生まれて初めての愉しい月日流れ、今、浅井千代女の周りに残る五鬼はその弐宮苺(三〇)と柵虹那奈(さくにじなな、四〇)だけだ。今朝殺害された紫矢弥衣潞(しややいろ、五〇)の遺言は、一路ゆくは三人迄。殺害現場で弐宮苺は両拳固く握りしめて言う。千代女さまを死なせはいたしません、次はこの私が千代女さまの匂いを身につけ犯人を誘いだし返り討ちにしてやります、これまで通り千代女さまは、五鬼にはできない私達鬼の禍の力を強める祈祷にどうか専念してください。浅井千代女の頬に涙が伝う。紫矢弥衣潞の形見の側に六歳の娘が一人。この災い突如訪れ、犯人の心当たりなく、志那成斗美が相打ちにし病院で死亡したという佐々木幻弐が何者なのかも分からない。不気味であったが浅井千代女は思う、そもそも私達がこの現世において得体知られていない存在なの、それに。相手は私達より強い、と震える。市川敬済に連絡を入れる。丑三つ時に市川敬済が女と帰宅、玄関騒がしく、津軽塗の黒地に白い桜が控えめに描かれた高さ一尺程のテーブルに女が横たわる音がする。自室でスマホを触っていた高校一年生の市川忍、悠里と帰ってきたのかあの女嫌いだな、と不機嫌になる。脳裏から仟燕色馨の声、きみの父だが今着信があり通話している。女といるのに別の女と喋ってるのそりゃあ母も出ていくよ。連続殺人の件だ探偵仲本慧の名前も出ている。いつも大人達は都合で何か企んでいて不快だよ。翌日、暑し。ホームルームの前に近寄ってきた同級生渡邉咲が、低血圧以外の何物でもないローテンションでいつもより元気な声で市川忍に話しかける。事件は解決してなかったのよ、貴方のお知り合いの探偵、仟燕色馨の出番じゃない?
蜃気楼の境界 編(七)
境迷
 昼か、はた、ゆめの夜半にか、北原白秋「邪宗門」の一節に紛れ込んでいた六角凍夏は国語教師茨城潔に当てられて、地獄変の屏風の由来を申し上げましたから、芥川龍之介「邪宗門」冒頭付近をちらと見、朗読し始めるが、正義なく勝つ者の、勝利を無意味にする方法は、いまはただ一つ、直ちに教師が、むすみその「邪宗門」は高橋和巳だ、遮ってクラス騒然となる。六角、先生、界をまたぐは文学の真髄ですと逸らす。教室の窓から体育館でのバスケの授業を眺めていた市川忍に、脳裏から仟燕色馨の声、百人町四丁目連続殺人事件、慧探偵事務所の手にかかれば一日で解決する探偵はあの少女が呟く数字で結論を読みとるからだ朔密教での一件はそういう話だっただろう。それじゃあカジョウシキカ勝ち目が。否あの少女がいかなる原理で数字を読むか今わかった。その時、教室の背後から長い竹がぐんと伸び先端に括られた裂け目が口のごとき大きな提灯、生徒らの頭上でゆらゆら揺れる。「百器徒然袋」にある不落不落(ぶらぶら)を空想した六角凍夏の机の中に古びた筒。不落不落を唯一感じとった仟燕色馨、市川忍の瞳を借り生徒らを見回す。何者だ。その脳裏の声へ、何故だろう急に寒気がする。界か少女は先の「邪宗門」のごとく数多の界から特定している市川忍クンきみはこの連続殺人事件どう思う。昨夜の父の通話を聞くに麻雀ラウンジ千代女のスタッフが四度狙われるから張り込めばだけど犯人佐々木幻弐死んでも事件は続いたし組織か警察もそう考えるだろうから現場に近づけるかどうか。吊り下がる口のごとく裂けた提灯に教師も生徒も誰も気づかず授業続く。休み時間スマホで調べた麻雀ラウンジに通話。まだ朝だ、出ないよ、休業中だった筈だし。仟燕色馨は通話先を黙し耳に入れ続ける。浅井千代女らは、魔かそれに接する例えば鬼か、ならば逞しき彼女らが手を焼く犯人も、人ではないと推理できよう恐らく一人の犯行による。驚き市川忍、犯人が死んだというのに犯行は一人だって。きみは我が師仟燕白霞のサロンで幼少時千代女と会っていたことを忘れたか父と古く親しい女性は皆その筋だろう。側に、一人の同級生が近づいていたことに突然気づき、晴れてゆく霞、市川忍は動揺する。渡邉咲が、不思議そうに見ている。
 柵虹那奈、と雀牌散らばりし休業続く麻雀ラウンジで浅井千代女が呼びかける。はい千代女さま。志那成斗美あの人の槍槓はいつだって可憐で美しかったわ、五藤珊瑚あの子の国士ができそうな配牌から清一色に染める気概にはいつも胸を打たれていたわ、紫矢弥衣潞あの方の徹底して振り込まない鬼の打ち筋には幾度も助けられたわ、三人とも亡くしてしまった、弐宮苺は私達を守ると意気込んでいるけどあの子を死なせたくないの。ラウンジを出て一人、浅井千代女は市川敬済から聞いた池袋北口の慧探偵事務所へ出向く。雑居ビル、銀行かと見紛うばかりの清潔な窓口が四つあり小柄の女性職員田中真凪にチェックシート渡され番号札を機械から取り座る。呼ばれると先の職員の姉、同じく小柄な三番窓口女性職員田中凪月が青森訛りで対応するがシート見てすぐ内線で通話し真凪を呼び千代女を奥へ案内させる。無人の応接間は中国人趣味濃厚で六堡茶を口にしながら十分程待つと仲本慧現れ、異様な話は耳にしている我が慧探偵事務所に未解決なしさ安心して、笑顔に厭らしさはない、依頼費は高くつくけどね。千代女は私達に似てるわと思う、職員は皆日本人名だが大陸の血を感じる、理由あってここに集い共同体と成っている、市川敬済とは昔SMサロン燕(えん)で業深き運営者は仟燕白霞に紹介された、世俗の裏側で通信し合うルートで辿り着いた此処は信用できる。受け応えを記録する仲本慧に着信が入り中国語で喋りだす。六堡茶を喉へ。探偵職員二名曰く、監視対象の市川忍が早退し校門前で謎の探偵仟燕色馨と通話していたという。仟燕色馨が仲本慧に仕掛けた誤情報だが、千代女を上海汽車メーカーの黒い車に乗せ吉祥寺の麻雀ラウンジへ。市川敬済はその謎の探偵にも件の連続殺人事件を探らせているのかなぜ子の市川忍が連絡を、空は雲一つない、SMサロン燕は五年前の二〇一一年に閉鎖し今は仟燕家のみその調査は容易ではないが必要かすぐ崔凪邸へ行くべきか。麻雀ラウンジのドア、鍵開き、僅かな灯火の雀卓で盲牌していた柵虹那奈、差し込む外光より、冷気識る。現れるは、病室で死に顔さえも確認した、佐々木幻弐である。上海汽車メーカーの黒い車は崔凪邸に着く。少女崔凪は、使用人二人と土笛づくりをして遊んでいる。
by _underline
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「渦とチェリー」チャンネル
【音版 渦とチェリー新聞】第27号 へ続く
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仟燕色馨シリーズ 全人物名リスト
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babacchicom · 2 years
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2022年 秘密クラブ
秘密クラブは多幸感溢れる秘密のクラブ。 この仮面を被って陽気にパーティーをしよう。 という妄想。
幡ヶ谷仮面展  2022 場所:代々木上原 喫茶バー ナイマ 会期:2022年10月15日(土)〜10月29日(土)
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ryosukeshimizu · 4 years
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【ベロが好き👅】   代々木八幡のauxに行ってきました🥩   食べた物 ↓ •豚タン&ゴーヤ •黒い炭の唐揚げ •イチジクと白い生ハム •世界一美味しいレバーと野菜の盛り合わせ   前からauxに憧れていた学生の上原さんとauxのゆうきさんをお繋ぎさせて頂きました🙋‍♂️🌹   上原さんと5回くらいズームしていましたが会ったのは初めて❗️ たかしさん、ご紹介ありがとうございます😊   お店の中を改装していたので、店内がかなり広くなりました! @dreamroad4u @aux1220 @ueharu_dayo @ueharu_gourmet #代々木八幡グルメ #代々木上原グルメ #バー #豚タン #ゴーヤ #唐揚げ #レバー #イチジク #無花果 (aux) https://www.instagram.com/p/CEgfdNHgfDQ/?igshid=13qtm1upqmr5q
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helldogs-movie · 2 years
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<特別映像解禁>男たちは美しく滅び、女は強く生き抜く。強かに美しく生きるクセ強女たちの狂乱が世界を彩る!!
裏社会を生き抜く強かさが強烈! 映画『ヘルドッグス』の世界を彩るクセ強女たちの特別映像解禁!
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「男たちは美しく滅び、女は強く生き抜く。」そう明かした原田監督の言葉から始まる本映像は、裏社会に生きる強さと美しさを持つ女性たちに焦点を当てた特別映像。関東最大のヤクザ組織「東鞘会(とうしょうかい)」の中では、岡田准一演じる兼高や坂口健太郎演じる室岡、その他MIYAVI演じる十朱、北村一輝演じる土岐など、男たちがしのぎを削って組織内で成り上がり、嘘と真実が入り交じる闇社会で命をかけた戦いを繰り広げる。そこでは、時に彼ら以上の強さを必要とされる女性たちの姿も映し出され、強烈で、強かで、美しい“クセ強”な女性たちの魅力も爆発している。映像内では、本作に登場する様々なクセ強女性たちの姿が映し出された。 松岡茉優が演じるのは、土岐の愛人であり兼高とも道ならぬ関係を持つ刺激が大好きな極道の女・恵美裏。美しい鳳凰の刺青を見せつけるように登場し、「冷たくされたら喋っちゃう…」と妖艶な色気で男たちを翻弄する。息子を「東鞘会」に殺され、内部に入り込みながら虎視眈々と復讐の時を狙う凄腕マッサージ師・典子を演じた大竹しのぶ、サイコボーイ・室岡の幼馴染で「足洗えよ!」と一喝する強気な一面を見せるのは、近年、話題作への出演が絶えない木竜麻生演じる杏南。そして、赤間麻里子が演じたのは見事なリーゼントに室内でもサングラスを欠かさない個性がとどまることを知らない佐代子。彼女は 「東鞘会」幹部である熊沢(吉原光夫)の妻であり、SMバーを経営するやり手女性として、猛者たちに負けず劣らずの強烈さを放っている。さらに最恐の女殺し屋・ルカとして登場するのは、元宝塚歌劇団、星組の娘役スターとして活躍した中島亜梨沙。アクション経験ゼロの状態から、近接戦のスペシャリストとして、技闘デザイン(アクション振り付け)に名を連ねる岡田にみっちり鍛え上げられた圧巻のアクションを披露している。東鞘会メンバーも気を許す筋の通ったクラブのママ・恭子を演じたロックバンド「BARBEE BOYS」のメンバーでもある杏子や、象牙ビジネスで十朱と提携する中国系マフィア、ミス・チャオとしてミステリアスな雰囲気を纏う小柳アヤカの姿も映し出された。 劇中では、一癖も二癖もある濃厚すぎるキャラクターたちが暴れまわり、ぶっ飛んだ展開が荒波のように押し寄せる本作。男性陣だけでなく、女性たちが巻き起こす狂乱と強かな思惑は予想外の結末を巻き起こす!? 男たちに負けず劣らず、クセ強な魅力を放つ女性陣の活躍にも、ぜひご期待ください!!
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na-mmu · 3 years
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BACK TO WEST   4   - Geraskier modern AU
Chapter 4 ハングリーバード
「君の髪、すごく綺麗だね」  組んだ手の甲に顎をのせながらうっとりとした顔でヤスキエルが言うと、向かいの席に座る白い髪の男――ゲラルトは、眉を寄せて手元のメニューから顔をあげた。 「それって染めてるわけじゃないんだよな?」 「ああ…地毛だ」 「そうなんだ、珍しい色だよね。光に照らされるとさ、銀色に光ってとても奇麗だよ」  ゲラルトは目線だけを横へ向けると「…ありがとう」と居心地の悪そうな顔で返事をした。 「よく言われるだろ?」 「…そうでもない」 「ほんとに?こんなに素敵なのに」  ヤスキエルが驚いたように返すと、ゲラルトは何も答えず固い表情のまま手元のメニューへと視線を戻した。ヤスキエルはすでに注文する料理を決めていたので、メニューを見る代わりに海へと視線を向けた。太陽の光を受けた水面がキラキラと輝いている。  二人はレストランのテラス席に座っていた。と言っても店の前の歩道にテーブルが並べられているだけの簡素なテラス席だった。テーブルの間を縫うように進む通行人が二人の横を通り過ぎていく。少し落ち着きはないかもしれないけれど、オーストラリアの陽気を堪能しながらランチを味わうにはこのテーブルがもってこいだろう。すぐそばに立つ、葉の生い茂った街路樹が二人のテーブルに心地よい日陰を作っていた。木漏れ日がゲラルトの頭に降り注ぎ、日の当たるところだけその白い髪が銀色に光っている。その光景が美しくて、いつまでも眺めていられそうだとヤスキエルは思った。  レストランの向かいには、ターコイズブルーの海をたたえたシドニーの入江が広がっていた。  ヤスキエルとゲラルトは、まだシドニーにいたのだった。  意気揚々とローチ――ゲラルトのキャンピングカーに乗り込んだものの、出発してから五分も経たないうちにヤスキエルの腹が盛大に鳴ったので、まずは先にランチを済ませておこうとローチを停めて近くのレストランへ入ったのだった。The Butcher's Blockと店名の書かれたレストラン正面の大きなガラスが太陽を反射し眩しく光っていた。  体長が五十センチメートル以上はありそうな大きな鳥が、ゆっくりとした動きでテラス席の間を歩いていた。長いクチバシの先端から首の途中までが真っ黒で、頭部についているはずの目がその黒に埋もれて少し不気味な印象を与えている。体は汚れているのかくすんだ白色で、尾羽は黒かった。その大きな鳥が食べ物を探すようにテーブルの下を彷徨っている。ゲラルトは特に気にしていない様子なので、どうやらその辺によくいる鳥のようだ。昨日もホステルの近くで見かけたのを思い出した。こんなに大きな鳥が当たり前に近くにいる事がなんだか不思議だった。イギリスだと動物園か、よっぽど自然の多い場所でしか見られないだろう。  少しすると、さっき二人を案内してくれたラテン系の若い女性スタッフが黒い巻毛のポニーテールを揺らしながらオーダーを取りにやってきた。ヤスキエルはビーフバーガーを注文し、ゲラルトはブルスケッタを頼んだ。女性スタッフは訛りのあるアクセントで陽気に返事をすると、蛍光色のスニーカーをキュッキュッと鳴らしながら店内へと戻っていった。 「ブルスケッタってどんな料理だっけ?」  ヤスキエルはテーブルの上のメニューに視線を落とした。 「スライスしたパンの上に具材が色々のってる。ここのブルスケッタはフェタチーズと生野菜と…確かポーチドエッグだ」 「ふーん、なんか朝食みたいだね。ランチにしては少なさそうだけど…肉も魚もないし。君ってベジタリアンなの?」 「違う、腹が減ってないだけだ。…お前と違ってな」  ゲラルトは、こんなに早くランチにするのは不服だと言いたげな顔をしていた。 「仕方ないよ、昨日遅くまでナイトクラブで遊んじゃったんだから。寝坊してホステルの朝食逃したんだよ。わざわざ朝食付きのとこに泊まったのにさ…スタッフの子が余ったクロワッサンくれたから良かったけど。今日はまだそれ一個しか食べてないんだからお腹も空くよ」  当然の事だと言わんばかりにヤスキエルは口を尖らせた。  昨日はホステルの十人部屋に宿泊し、着くなり同室の若者数人と仲良くなったので彼らと一緒にシドニーの街へ繰り出したのだった。最初にシーフードマーケットへ行き、実のたっぷり詰まったロブスターと殻付きの大きなホタテを堪能した後、バスでボンダイビーチに向かって観光客で賑わう浜辺に腰をおろし、海を眺めながらパッションフルーツ味のアイスクリームを楽しんだ。日が暮れてからはライトアップされたオペラハウスを横目にバーとナイトクラブをはしごした。晩ご飯はほとんど食べていなかった。ホステルに戻ったのは午前三時を回っていただろう、そのまま服も着替えず寝てしまい、朝起きたらチェックアウトぎりぎりの時間になっていたのだった。パサパサのクロワッサン一個だけでは空腹が満たされる訳もなかった。  ヤスキエルはテーブルに置かれたグラスを手に取り水を一口飲んだ。氷の入っていない液体はこの暑さでは物足りなく感じる温度だった。 「まあ、ブルスケッタでお腹いっぱいにならなかったら、僕のビーフバーガー分けてあげてもいいよ」 「牛肉は食べない」  ゲラルトは言った。静かな、しっかりとした口調だった。 「そうなの?」ヤスキエルはきょとんとした顔を向けた。「それって…環境のためとか、そういうやつ?」 「ああ、そうだ」 「なんだっけ、牛の吐く二酸化炭素のせいで温暖化になっちゃうんだっけ?」 「少し違うな。牛のゲップに含まれるメタンが地球温暖化の原因の一つになっている」 「ふーん、メタンね。…メタンとサタンで韻踏めそうだな…でもちょっとクドいか…まあいいや。でもさっきベジタリアンじゃないって言ってたよね。牛肉食べないなら何の肉食べるんだ?豚肉?鶏肉?」 「豚はたまに食べるが、大体は鶏肉だな。あとは…」ゲラルトは海の方へ顔を向けると、思い出したように視線をヤスキエルへと戻した。「カンガルーだ」 「そうだ、カンガルー!」  ヤスキエルは興奮気味に指をパチンと鳴らした。 「オーストラリアじゃカンガルー食べるって聞いたんだよ!僕も食べてみたいと思ってたんだ。あ、もしかしてメニューにカンガルーあったのかな?くそう、それにすれば良かった」  ヤスキエルは悔しそうにメニューを覗き��んだ。カンガルーなんて他ではまず食べられそうにない。ぜひ試してみたかったけれど、メニューのどこを見てもカンガルー料理は載っていなかった。このレストランでは扱っていないようだ。 「別に今食べなくてもいいだろう。スーパーに行けばいくらでも売ってる」 「そうなの?じゃあ、君がカンガルー料理作ってくれるのか?」  ヤスキエルが期待のこもった表情で顔をあげると、整った顔を胡散臭そうに歪めた男は「俺じゃない。お前が、作るんだ」と言った。 「ああ…そうだった」  ローチに乗せてもらう条件としてヤスキエルが道中の料理担当になっていたことを思い出した。 「まあ、他のお肉と変わんないよね。なんとかするよ」  ヤスキエルはメニューを脇へ押しやりながら軽い調子で言った。 「でもさ、カンガルーってこの国の固有種だろ?そんな貴重な存在食べちゃっていいの?しかもあんな風にぴょんぴょん跳ねて可愛いのに、可哀想だと思わない?」 「地産地消は良い事だと考えている」  ゲラルトは確信を持ったような表情で答えた。この男は、自身が口に運ぶものに対して彼なりの信念を持っているようだ。 「なるほどね…そういう考え方もあるか」  体を椅子の背もたれにあずけて店内へ目をやると、スタッフが特大のスペアリブステーキを運んでいるところが見えた。  ゲラルトはグラスから水を飲むと、思いついたように口を開いた。 「イギリスだってウサギを食べるだろう?あいつらも跳ねるぞ」 「確かに…それは考えたことなかった。可愛さで言ったら、どう見てもウサギの勝ちだもんな」納得した顔で頷いた後、ヤスキエルは反論するように口を尖らせた。「でも可哀想かもしれないけど、ウサギのシチューは美味しいよ」  ウサギのシチューはヤスキエルの父方の祖父母の家に行くといつも出される定番メニューだった。トロトロに煮込まれたシチューの中のウサギのモモ肉のほろほろとした食感と、鶏肉よりも野性味の強い味がヤスキエルは好きだった。 「…というか、なんで僕がイギリス出身だって分かったの?言ってなかったと思うけど」 「お前のアクセントを聞けば分かる」  ゲラルトは大したことじゃないという風に言った。 「ああ、なるほど。そりゃそうか」  考えてみれば出会って間もないとはいえお互い第一言語は同じなのだから、アクセントから出身地が分かってもおかしくはなかった。 「そういえば君もさ、ちょっとイギリス訛りがあるよね?」 「父親がイギリス人だ」 「あーやっぱり!」  ヤスキエルは嬉しそうにテーブルを叩いた。振動でゲラルトの前に置かれたグラスから水がこぼれた。 「そういう事だろうなって思った。イギリスには住んでたことあるの?」 「ああ…生まれたのはイギリスだ」  ゲラルトはこぼれた水に眉を寄せながら答えた。 「俺が七歳の時に家族でオーストラリアに越してきた。母親がオーストラリア人なんだ。それからは、ずっとここだ」 「そっか。イギリスではどこに住んでたの?」 「ブライトンだ」 「わあ、いいとこじゃないか!海辺の街なんて憧れるよ。あそこはビーチの近くにステージがあるから良いよなあ、前に行った音楽フェスも最高だった」  ロンドンで生まれ育ったヤスキエルからすると、ブライトンは独自の文化を持った開放的で魅力的な街だった。このオーストラリアで知り合ったばかりの目の前の男が、ヤスキエルの憧れるブライトンに子どもの頃住んでいたというのは不思議な感じがした。彼はそこでどんな子供時代を過ごしたのだろうか。  ゲラルトは目の前の入江を眺めていた。ブライトンの海を思い出しているのかもしれない。イギリスの中でいえば、ブライトンの持つ雰囲気はオーストラリアらしいと言えなくもなかった。 「そういえばブライトンのフェスに一緒に行った女の子のママが、ウサギのシチュー作ってくれたことあったな」  ヤスキエルがポツリと言うと、海を見ていたゲラルトがヤスキエルに視線を戻した。 「その女の子とは半分付き合ってるような感じで、大学の夏休みにその子の実家に行ったんだけど、その時にウサギのシチューを出してくれたんだ。シチューのはずなのに異様に辛くてさ、もしかてあれはカレーだったのかな?とにかく、もうどうしようもないくらい辛くて…何とか全部食べたけど、次の日僕のお尻は一日中火を吹いてた。あれは悪夢だったね…」  あの時はシチューの中の強烈な香辛料にヤスキエルの胃腸が根をあげたので、翌日タバスコを直接塗られたとしか思えないほどの痛みを尻の穴に感じながら一日中トイレに篭る羽目になった。悪夢というよりは何らかの地獄だった。 「同じもの食べたのに彼女と彼女の家族は全員なんともなくてさ…みんな胃袋どうなってたんだろ。でも…彼女自体は優しくていい子だったなあ。トイレに篭りっぱなしの僕のことすごく心配してくれたし」  ヤスキエルは頬杖をつきながら、ため息をついた。 「…でも結局、彼女とはうまくいかなかったけどね」 「また辛い料理を食べさせられそうになったのか?」 「違うよ、振られたのは僕の方だ」 「…何をしたんだ?」 「あー…」ヤスキエルは気まずそうに肩をすくめた。「僕が…彼女のいとこと寝ちゃったんだよね」  二人でベッドにいるところを見つかって、怒り狂う彼女に全裸のまま外へ追い出されたことを思い出して、ヤスキエルは苦い顔をした。ゲラルトへ目線を向けると、唖然とした顔がヤスキエルを見ていた。 「そんな顔しなくてもいいだろ。その子とはまだちゃんとした彼氏彼女になる前だったし、それにそのいとこの彼すっごく可愛かったんだよ!笑った顔がちょっとハリー・スタイルズに似ててさ。しかもキスが天才的に上手いんだ。そんなの抗えると思う?」 「…彼?」 「そうだよ。まあ彼とはその後何回かデートして良い雰囲気だったのに、向こうが他の男と仲良くなっちゃって僕はあっさり捨てられたけどね。ほろ苦い思い出だな…」ヤスキエルは想いを馳せるように遠くを見た。「ああ…でも彼とのキスは最高だった…」  甘美な記憶を引きずりながら目の前の男へ視線を戻すと、ゲラルトはほんのし少しだけ気まずそうな顔をした。大きな手で水の入ったグラスを持ち直すと、気まずさを悟られまいとするように口を開いた。 「お前は、バイセクシュアルなのか?」 「あー、そうだね。うん、僕もずっと自分をバイだと思ってた」  ゲラルトとは正反対に、ヤスキエルはあっさりとした口調で返した。 「…思ってた?」 「うん。でも最近はパンセクシュアルなんだろうなって思ってるんだよね。そっちの方がしっくりくるから」 「…パン…なんだって?」 「ああ、パンセクシュアルを知らないか」  思わず驚いたような声が出ていた。普段、身の周りでヤスキエルの���クシュアリティを知らない人はいなかったので、自身の性的指向が認知度の低いものだということを忘れていた。少し新鮮な気がした。 「…まあ、そうだよね。君っていかにも典型的なストレートの男って感じだし、LGBTQの文字の後にずらずら続いてるアルファベットに関心なくても、別に驚かないよ」  ヤスキエルのためらいのない物言いにゲラルトは気を悪くしたように眉を寄せた。後ろにアルファベットが続くことを知らない、という顔かもしれなかった。知らない人も多いのだろうとヤスキエルは想像した。LGBTQの後に続く頭文字は年々増え続けていて、それは多様な仲間を誰ひとり取りこぼさないようにするためだという事を。  ヤスキエルは大げさに両手をあげると、全く悪びれない調子で言った。 「ごめん、人のセクシュアリティを見た目で判断しちゃいけないよな。悪かったよ」  ゲラルトは言いたい事はそれじゃないという顔をしたが、ヤスキエルは気にせず続けた。 「パンセクシュアルってのは、どんな性別でも恋愛対象になる人のことだよ」 「それは…バイセクシュアルとは違うのか?」 「うーん、ちょっと違うんだよね。何て言えばいいのかな…恋愛する相手の性別には拘らないし、好きになる基準にはならないって感じかな。たとえ男だろうと女だろうと、ノンバイナリーだろうとね」 「ノンバイナリー?」 「あー、それもか」ヤスキエルはまた驚きの声をあげていた。「えっと、ノンバイナリーは性自認が男でも女でもない人の事で…まあ、詳しい事は自分でネットで調べてよ。たぶんウィキペディアに詳しく書いてるから。LGBTQほにゃららの、ほにゃららの部分をいちいち君に説明してたらキリないからさあ」  ヤスキエルは片手をひらひらと振りながら、もう片方の手でグラスを取るとぬるい水を口に含んだ。 「僕のセクシュアリティに話を戻すとさ、恋愛に関して言えば僕にとって性別は服みたいなもんなんだよね。その人がたまたま身につけてるものっていうか。相手がどんな服を着ていようと構わないんだ」  グラスをそっとテーブルに置く。 「別にその相手が途中で服を着替えても気にならない。着てる服は重要じゃないんだよ。だって、僕が見てるのはその人自身だからね。その相手が素敵だと思ったら…」ヤスキエルは首を傾け、ゲラルトの目を見つめると微笑んだ。「好きになっちゃう」  ゲラルトは少し驚いたようにその黄色みがかった目を開いた。そして、考えるようにして目線を下へ向けた。 「…なるほど」 「まあ、別に理解してくれなくてもいいよ。そういう人がいるんだって思ってもらえればさ」  ヤスキエルはゲラルトを見つめたまま口の両端を上げ、ニッと笑った。ゲラルトはまだ思案するように沈黙していたが、しばらくしてから口を開いた。 「…その…悪いが俺は…」 「…何?」 「お前とは…」  歯切れの悪い調子だった。 「ん?」 「そういうつもりでお前をバンに載せたわけじゃ…」 「ちょっと、もしかして僕が君を口説こうとしてると思ってるのか?まさか!それだったらとっくにそうしてるよ!」  ヤスキエルは笑い声を出していた。ゲラルトは納得がいかないように、じとりとした目をヤスキエルに向けた。 「何?」 「…俺の髪を褒めただろう」 「はは!あんなの口説いたうちに入んないよ!君の白い髪が素敵だって思ったから、その通りに言っただけだ。良いと思ったら僕は誰に対してもあんな風に褒めるんだ」 「…なら、本当にそういうつもりじゃないんだな?」  ゲラルトはまだ少し疑わしげな様子で、念を押すように聞いた。 「ないよ」  ヤスキエルはきっぱりと答えた。  目の前の男に対して本当にそういう気がないのかと言われると嘘になったけれど、それは隠しておくことにした。まだシドニーすら出ていないのに、ここで旅の仲間を解消される訳にはいかなかった。自分の気持ちを優先したせいでイギリスに帰れなくなるなんて事は避けたい。 「そうか」  ゲラルトは小さく息をついた。その表情から安堵した様子が伺え、ヤスキエルは思わず目を逸らしていた。長いくちばしの大きな鳥がまだ食べ物を探し回っているのが視界に入り、何故かそれからも目を逸らした。  気まずい雰囲気を打ち消すかのように、さっきの女性スタッフが軽快にスニーカーを鳴らしながら二人のテーブルまで料理を運んできた。 「はい、お待たせ」  ゲラルトの前にグレーのプレートを置く。 「ブルスケッタと…こっちのバーガーはあなたね」  ヤスキエルの目の前にビーフバーガーとフライドポテトの載った木製のプレートが置かれた。バーベキューソースと揚げたてのフライドポテトの香りがヤスキエルの鼻をくすぐる。ゲラルトの頼んだブルスケッタも、トーストされたパンの上に飾りつけられたトマトやケールの彩りが美しく、想像していたよりもずいぶん美味しそうだった。 「あ、メニューを下げるの忘れてた。もらっておくね」  スタッフがテーブルの反対側に置かれたメニューを取ろうと手を伸ばしたので、ヤスキエルの目の前にあらわれた彼女の二の腕にタトゥーが彫られているのが見えた。水彩画のようなタッチで繊細に描かれた薔薇と、美しい幾何学模様が組み合わさったデザインだった。 「わお…君のタトゥー素敵だね」  ヤスキエルが感嘆の声をあげると、メニューを手に取ったスタッフは嬉しそうにちょこんと肩をすくめた。 「ありがと」 「君によく似合ってるよ。このタトゥーが君の美しさに文字通り華を添えてるって感じがするね」  ヤスキエルはにっこりと笑顔を作った。 「ありがとう!でもそうやってナンパしようとしても無駄だからね。残念だけど私にはもうボーイフレンドがいるの」  彼女は陽気な、しかし釘を刺すような声で言うと、くっきりとした濃い眉をあげた。 「だろうな、君みたいな人を放っておくやつがいるわけないよ。君のボーイフレンドはとってもラッキーだな」 「そうよ」  チャーミングな笑顔を見せると、スタッフは踊るようなステップで店の中へと戻っていった。ヤスキエルが彼女の揺れるポニーテールからテーブルの正面へ視線を移すと、呆れた顔をしたゲラルトと目があった。 「…お前の言ってることがよく分かった…」 「だろ?僕はいつもこうだ。良いと思ったらそれをすぐ口にする。さあ、料理も来たんだし、早速食べようよ」  両手をイタリア人のような仕草で動かし「ボナペティート!」とデタラメなアクセントで言うと、ヤスキエルはビーフバーガーを両手で持ち上げた。厚みのあるフライドオニオンの下には、こんがりと良い色に焼けた肉厚のパティが鎮座し、その上のチーズがとろりと溶けてパティの下のシュレッドビーフに垂れている。それが全て白ゴマと黒ゴマのたっぷりついたバンズに挟まれていた。この大きさならナイフとフォークを使った方が奇麗に食べられるだろうけれど、この料理の美味しさを本当の意味で味わうなら、手でつかんで食べるのが正解のような気がした。溢れだす肉汁と濃い色のソースが絡みあって下へと垂れ、そのしずくがバーガーを持つヤスキエルの指をつたってポタポタとプレートの上に落ちた。  ヤスキエルは大きく口をあけた。  勢いよくかぶりつく。  噛みごたえのある食感と共に、がつんとくるような濃厚な牛肉の味と、ジューシーなバーベキューソース、揚げた玉ねぎの甘く香ばしい香りが口の中いっぱいに広がった。 「オーマイグッドネス…」  ヤスキエルは天を仰いだ。 「なんて美味いんだ…」  ビーフバーガーは信じられないほど美味しかった。こんなにもしっかりと肉そのものの味を感じたのは初めてだった。今まで自分が美味しいと思って食べてきた牛肉は一体なんだったのだろう…イギリスに戻ったら牛肉を口にする度に今食べている肉の味が恋しくなってしまいそうだった。 「オーストラリアのビーフがこんなに美味しいなんて知らなかったよ…」  ヤスキエルは目を閉じてビーフバーガーの味を堪能しながら、ほとんど喘ぐような声を漏らした。 「君がこれを食べることがないなんて残念だ…こんなに美味しいのに」 「牛肉が美味いのは知ってる…昔は普通に食べていたからな」  ヤスキエルは夢から覚めたように目を開けた。 「美味しいって知ってるのに、食べたくならない?」 「自分の好みよりも、優先すべきものがある」 「…ふーん」  素っ気なく返事をすると、ヤスキエルは二口目にかぶりついた。ビーフの肉々しい味が口の中を満たし、ヤスキエルはまた知らずに目を閉じていた。  自身の信条に基づいて食べるものを取捨選択するという感覚がヤスキエルにはよく分からなかった。周りにベジタリアンやヴィーガンの友達は多いけれど、ヤスキエル自身は食べるものについて気にかけた事はない。食べたいものはなんでも食べる。ヤスキエルはそうやって生きてきた。  ビーフバーガーをじっくり味わっていると、アジア系の三人組がレストランから出てきたのが目に入った。はしゃぐように歓談しながら、食事をするヤスキエルたちの横を通りすぎていく。ヤスキエルは口をモグモグと動かしながら彼らの会話に耳をすませてみた。けれど、彼らが何語を話しているのかヤスキエルにはさっぱり分からなかった。  プレートから綺麗な狐色に揚がったフライドポテトをつまみ上げる。 「あの子たち、どの国から来たんだろ」  ゲラルトは目だけをちらりと向けると「…さあな」と興味なさげに答えた。 「昨日さ、ホステルで同じ部屋になった子たちと一緒にシーフードマーケットに行ったんだよ。彼らは確か韓国から来たって言ってたかな…違う、中国?いや、台湾だ」  ヤスキエルは頭の中の地図を確認するように目を上へ向けながら言った。数ヶ月に渡ってアジア諸国を旅したはずなのに、ヤスキエルの脳内にあるアジアの地図はいまだに霧がかかったみたいにぼんやりとしていた。 「そのシーフードマーケットでさ、カウンターで注文して待ってる時に僕の横にアジア系の小柄な女の子が二人並んだんだ。どっちもおしゃれで可愛いらしくてさ、僕はニーハオって声かけたんだよ。そしたら二人ともそれまで楽しそうにお喋りしてたのに急に黙って、愛想笑いしながらどっかに行っちゃったんだ」  ゲラルトは不思議そうに眉を寄せた。 「まあ…僕が悪かったんだけどね。一緒にいた子たちが、あれは日本人だよって教えてくれたんだ。なんで分かるのって聞いたら、話してる言葉と、あと服装で分かるって言ってた。日本人だったらコンニチワって言わなきゃいけないのに、僕が勝手に一緒にいた子たちと同じ中国人だって思いこんでニーハオって言っちゃったんだよ。だって僕には見た目だけじゃ全然違いが分からなかったからさ」  ゲラルトは黙って話を聞いていたが、静かに口を開いた。 「確かにヨーロッパから見れば、アジアの国なんてどれも同じに見えるだろうな」  ヤスキエルは首を傾げた。 「オーストラリアは違うの?」 「まあ、物理的に距離が近い分、アジアひとかたまりで見ることはない…おそらく」 「へえ、じゃあ君は見ただけで、誰が中国人か日本人か分かるってこと?」  ヤスキエルが興味深そうに聞くと、ゲラルトは何も答えずに肩をすくめた。 「それは…分かるって意味?それとも分からないって意味?ジェスチャーだけで何が言いたいか理解できるほど、まだ君と充分な時間過ごしてないんだけど」  ゲラルトは小さくため息をつき、少し考えたあと口を開いた。 「分かる時もあれば、分からない時もある。分からなければ何も言わないか…」ヤスキエルに目線を合わせると、響くような、低い声で言った。「直接相手に聞くだけだ」  ヤスキエルはしばらくゲラルトの黄色い目を見つめ返した後、鼻から息を漏らしながらドサリと椅子の背にもたれた。 「人を見た目で判断するな…か」思案するように上を見上げる。「僕が入れるタトゥーのフレーズはこれで決まりかもね…」 「タトゥーを入れたいのか?」 「まさか!タトゥーは格好良いけど、針で体を引っ掻かれるのは嫌だよ。なんでそんな痛い思いをしてまでタトゥーを入れたがるのか僕には全然分かんないな。自虐趣味があるとしか思えない」  ヤスキエルが言い切ると、ゲラルトはまた肩をすくめ何も言わずにブルスケッタの残りを食べ始めた。ヤスキエルも食事に戻ろうとしたが、ふと手を止めて、顔をあげた。 「…待って。もしかして君…タトゥー入ってるのか?」 「…さあな」  ゲラルトは顔を上げずに答えた。 「誤魔化すって事はやっぱり入ってるんだな。入ってなかったら、入ってないって言うはずだ。どこ?どこにタトゥー入れたんだ?」 「お前に関係ないだろう」 「言いたくないような際どいとこ?お尻とか…まさかペニスじゃないよね?分かった!元カノの名前入れちゃって後悔してるパターンだな。今だったら消す方法もあるみたいだよ、高いらしいけどね。調べてみたら?」  勝手な決めつけでペラ��ラと喋るヤスキエルを睨みつけると、ゲラルトは怒ったように鼻から唸り声を出した。獰猛な野獣が威嚇するような声だった。 「わお凄いね、そんな恐ろしい音どうやって顔から出すの?」 ヤスキエルの感心したような声に、ゲラルトはすでに深く刻まれた眉間の皺を更に深くさせた。 「悪かったよ、もう言わない。君のプライバシーを尊重する。それに、これから四六時中一緒にいるんだ、君のタトゥ���を見るチャンスなんていくらでもあるしね」  ゲラルトがまたじとりとした目を向けたので、ヤスキエルはうんざりした声をあげた。 「だから、そういうつもりじゃないって。僕にだって好みがあるんだから。あのさ、毎回このやり取りするの面倒だからさっさと僕に慣れてくんないかな?」  ゲラルトは鼻からふん…と音を漏らすと、フォークでトマトを突き刺し口に入れた。ヤスキエルもポテトを乱暴につかむと口に突っ込んだ。二人ともしばらく黙って口の中のものを咀嚼した。 「Hola!」  少し離れたところで元気の良い声がしたのでそちらを向くと、レストランの入り口で先ほどの女性スタッフが、同じラテン系の若い男に抱きつき頬にキスをしていた。どうやら彼が、彼女のラッキーなボーイフレンドのようだった。  その足元に視線を落とすと、テーブルの周りをずっとうろついていた大きい鳥が、誰かが落としたらしいソーセージのかけらをその長いクチバシでつついていた。この鳥はヤスキエルと同じように目の前に出されたものなら、なんでも食べそうだった。 「あの鳥はなんて言う名前なの?」  つまんだフライドポテトで鳥を指しながら、ヤスキエルはゲラルトに顔を向けた。 「…ああ、あれはビンチキンだ」 「ビン…チキン…?ビンって、ゴミ箱のビン?ゴミ箱のニワトリってこと?」 「そうだ。あいつらはそこらじゅう徘徊して、人の食べ残しを狙ってゴミ箱を漁るからな。好かれてはいない。元々は魚や貝をつかまえるためにあれだけ長いくちばしになったんだろうが、今は人間が出したゴミを漁るのに便利に使っている」 「へえ、なんか皮肉だね。チキンって名前だけど、見た目はニワトリっぽくないよね」 「ああ、種類でいうとトキの仲間だ。正式名は…たしかオーストラリアン・ホワイト・アイビスだ。おそらくシドニーには年中いるが、南の方に生息してるやつらは、冬になると北のあたたかい場所へ移動する。寒さにはあまり強くないからな」 「ふーん、よく知ってるね。君って鳥とか動物に詳しいの?」 「少しな」 「じゃあ僕にオーストラリアの動物のこと色々教えてよ」 「興味あるのか?」 「もちろん。こんなに見たことない生き物がいっぱいいる場所は初めてだ。知らないことなら僕は何でも知りたい」 「…そうか」  ゲラルトは薄く口角を上げた。その表情が少しだけ嬉しそうに見えて、ヤスキエルも自然と笑顔になっていた。  ゲラルトの額にかかる細い髪の束が日に当たって銀色に輝いている。柔らかくウェーブしたその髪は絹糸のようにも見えた。もし彼の髪に触れたら、その肌触りもやはり絹のように滑らかだろうか。 「あのさ」ヤスキエルは口を開いた。「あらためて言うけど、僕をローチ…君の車に乗せてくれてありがとう。君は命の恩人だよ。教えてくれたら料理だってすぐ上手くなるし、僕の歌で稼いだお金で最高級の料理をご馳走するから、楽しみにしててよ。もちろん牛肉抜きのやつ」  顔をあげたゲラルトは少しの間ヤスキエルを見つめていたが、テーブルへ視線を戻すとフォークをパンのかけらに刺した。 「…分かったから、黙って食べろ」 「うん」  ヤスキエルも下を向いた。木製プレートの上のビーフバーガーはあと一口になっていた。名残惜しい気持ちでそれを口に放り込み、モグモグと顎を動かしながらその味を噛みしめた。  残り少なくなったフライドポテトを掴もうとした時、ビーフバーガーのソースで濡れた指が滑りフライドポテトが一本テーブルの下にぽとりと落ちた。すると、とっくにソーセージを食べ終えていたビンチキンがそれに気付いたように目ざとく首を持ち上げた。ゆっくりとその大きな体を揺らしヤスキエルの元へやってくると、落ちたフライドポテトを長く黒いクチバシで持ち上げ、羽を広げながら器用に喉の奥へと放り込んだ。背の部分とは違い、広げた羽の内側は新しいシーツのように真っ白で、ふわふわとした羽毛が心地よさそうだった。ヤスキエルは目の端でそれを眺めながら小さく笑んだ。  顔を海へと向ける。  遊覧船らしきフェリーが横切っているのが見えた。  キラキラと光る海面が眩しくて、ヤスキエルは思わず目を細めた。  街路樹の葉のさわさわと揺れる音が、鳥たちのやかましい鳴き声と共に聞こえる。  そこらじゅうに漂うオーストラリアの陽気が、ヤスキエルに笑いかけているようだ。  その空気をしばらくじっと味わった。  楽しい旅に、なりそうだと思った。
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The Butcher's Block - シドニーのレストラン https://goo.gl/maps/kJVjGhAioJEKAout7
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hiraharu · 3 years
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5つのハーブ・スパイスによる ノンアルコール・ボタニカルシロップ 草譯(くさわけ)
長野県松本市にあるジン専門のバー「KINO」。店主の野村仁嗣さんは和歌山県出身で、25歳でバーテンダーを志しました。2014年、バーの街としても知られる松本へ移住。修業期間を経て2019年7月にKINOをオープンしました。 KINOはジン専門店のバーながら、野村さんと同世代の方にも楽しんでもらえるような空間、「ジンがある場所」くらいの感覚を目指して営業を開始しました。しかしオープン後間もない翌年よりコロナ禍でKINOの休業を余儀なくされました。様々な業種の方々が苦しむ中でお酒を扱うバーも例に漏れず、苦しい期間を過ごしました。その中でノンアルコールドリンクの思案・試作を始めたという野村さん。
故郷・和歌山の特産品である生姜と、スパイスやハーブの組み合わせで独自の香りを作り上げていく「ジン」の考え方をヒントに、ノンアルコールのシロップという形で香りを楽しむ「草譯(くさわけ)」を完成させました。 そんな草譯をこの度わざわざでも取り扱うこととなりました。先日の出張わざわざ@東京で先行販売したのをご覧いただいていた方も多いと思います、そうです、あのシロップがオンラインストアでもご購入いただけるようになりました!
草譯とは、様々な草根木皮(ハーブ・スパイス)をすべて植物=草と捉え、その譯(わけ)を汲み取り香りを整えることに由来しています。原材料は、カルダモン、バニラ、生姜、コリアンダーシード、レモン。そこに糖分としてグラニュー糖が加えられているのみ。
瓶を開けて注ぐと香る生姜やカルダモンの香り。口に運ぶと、自然を連想させるようなカルダモンや生姜の香りにグラニュー糖とバニラのふんわりと甘い味わい。レモンのさっぱりとした後味も飲みやすく、甘さがあとを引くような印象がありません。
香料や保存料等の添加物は使われておらず、この5つの素材がまさに「絶妙」なバランスで味わいを生み出しています。 草譯において大切にしていることは「新しい香りを作る」ではなく、「素材それぞれが最高の働きをする環境を作る」こと。何十種類もの素材を合わせて香りを複雑にするのではなく、1つのポジションに1つの素材。使う素材に明確な意味をもたせることを大切に考えて作られています。
自由な楽しみかたで草譯を味わってみてください。お酒と同じようにロックやソーダ割りなど様々な味わい方を楽しめます。ビールや焼酎、ジンなどに加えればカクテルとして楽しむことができます。
お湯割りもおすすめ。カルダモンや生姜から生まれるハーブ・スパイスの香りがふわっと立ち、心地よい甘さが広がります。どの飲み方でも草譯の香りの良さが光り、またそれぞれの味わい方によって香りや味は繊細に変化をしていきます。アルコールで割っても、アルコール以外と割っても楽しめるのが草譯の魅力のひとつでしょう。
カルダモンや生姜のスパイスやハーブの香りを楽しめながら、グラニュー糖で甘さを程よくプラスした草譯は、多くの方が好きであろう飲みやすい味わい。手土産や贈りものとしても喜ばれる一本です。
KINO | ボタニカルシロップ 草譯 https://wazawaza.shop-pro.jp/?pid=166961144 ・・・・・・・・・・・・・・・ #パンと日用品の店わざわざ #わざわざ #草譯 #KINO #長野県 #松本市 #シロップ #ノンアルコール #スパイス
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