ひとみに映る影 第四話「忘れられた観音寺」
☆プロトタイプ版☆
こちらは無料公開のプロトタイプ版となります。
段落とか誤字とか色々とグッチャグチャなのでご了承下さい。
書籍版では戦闘シーンとかゴアシーンとかマシマシで挿絵も書いたから買ってえええぇぇ!!!
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(あらすじ)
私は紅一美。影を操る不思議な力を持った、ちょっと霊感の強いファッションモデルだ。
ある事件で殺された人の霊を探していたら……犯人と私の過去が繋がっていた!?
暗躍する謎の怪異、明らかになっていく真実、失われた記憶。
このままでは地獄の怨霊達が世界に放たれてしまう!
命を弄ぶ邪道を倒すため、いま憤怒の炎が覚醒する!
(※全部内容は一緒です。)
pixiv版
◆◆◆
石筵霊山きっての心霊スポット、通称『怪人屋敷』。
表から見えるそれは、小さなはめ殺し窓が幾つかあるだけの灰色の廃屋で、さながら要塞のように霊山来訪者を威圧する。
でもエントランスに入ると、意外と明るくて開放感がある。
北側がガラス張りになっていて、外の車道から街灯のオレンジ光が射し込んでいるからだ。
そのコントラストはまるで、世間の物々しい噂と私の楽しかった思い出のギャップを象徴しているようだった。
C字型の合皮張りソファで囲まれたローテーブルに、譲司さんはスマホを立てかけた。
煌々と輝く画面内には、翼の生えた赤いヤギが浮遊している。
「やあ、アンリウェッサ。何度もすまないね」
スピーカーから、男性的な口調のヤギの声が流れた。でもその声は人間の女の子みたいだった。
アンリウェッサとは、NIC内で使われる譲司さんのコードネームだ。
このヤギさんはNIC関係者なんだろう。
「姿を変えられたとはさっき伺いましたが…性別どころか、人間ですらなかったんですか」
譲司さんは分厚い眼鏡をつまんで画面を凝視した。
「この方、お知り合いですか?」
私は画面を見たまま尋ねた。
「はい。彼はNIC元幹部のハイセポスさんです。
あの時中東支部でサミュエルに殺害された一人で…ほら、オリベ。キッズルームのガブリエルお兄さんや」
<ああ!もちろん覚えてるわ!
人を騙す脳力を持った、イタズラ好きの嘘つき先生ね!>
情報をまとめるとつまり、ハイセポス元幹部は本名ガブリエルさん、
中東支部でサミュエルに殺害された被害者で、キッズルームの養護教諭の一人だったらしい。
ハイセポス元幹部はにっこり微笑むと一瞬発光して、恐らく生前の姿であろう、人間の男性に変身した。
「やあ、オリベにジャックも久しぶりだね」
本当の彼は、きりっと賢そうな三白眼を持つ、小柄な黒人さんだった。
「ハイセポス元幹部は、さっき俺とポメが新幹線に乗っとった時に電話をくれたんや。
ファティマンドラのアンダーソン氏がジャックを目覚めさせた事とか、さっくり教えてくれはってな」
「それでさっき、皆して一美がアンダーソンと会ったって話に飛びついてきたのね」
私の影でくつろいでいたリナが、胸から上だけ出てきて話題に参加した。
「それで、ご用件は何でしょうか」
譲司さんが改めて伺う。
「ああ。すまないが、僕はアンリウェッサの補佐として、ずっとこの端末から君達を監視させて貰っていた。
そこでどうしても確認したい事を聞いてしまって。質問してもいいかな…ミス・クレナイ」
え、私?
「な…何ですか?」
「君はさっきから、この石筵に観音寺があると話しているね」
「はい。私が小さい頃、和尚様と住んでいたお寺さんです」
「その和尚の名を教えてくれるかい?」
「いいですよ。和尚様のお名前は…」
あれ?
「その観音寺はどこにあるのかい?」
「あ、はい。ここからすぐ近くですよ。
外に出て、丁字路を右…いや、左…」
あれ?え!?
「ヒトミちゃん?」
イナちゃんが訝しげに私の顔を覗きこむ。
おかしい、有り得ない。そんなはずはない。
観音寺と、和尚様に関する記憶が…ほとんど思い出せないなんて!
「ちょっと待ってください。忘れるはずないんです。
だって、最後に会ったのは上京する直前…」
いや、違う。
『ひーちゃん、和尚様は今いないから、私がお土産を渡しておくね』
私の脳裏に、ファティマンドラの安徳森さんと出会った日の、萩姫様の言葉がよぎる。
そうだ。あの日は会えなかったんだっけ。
だから最後に会ったのは、玲蘭ちゃんとハゼコちゃんの事件の時…中学一年生。
中学時代に会っているんだから、せめて和尚様の顔ぐらいは…顔ぐらいは…顔は…
ハイセポスさんはばつが悪そうに顎を引いた。
「ミス・クレナイ。とても言い難いんだが、石筵に観音寺はないんだよ」
観音寺が、ない?
「ああ…なくなっちゃったんですか?跡継ぎ不足とかで…」
「違うんだ。ないんだよ。
…そんな寺は、この地に歴史上一度も存在していなかったんだ」
そんな…
「そんな、バカな!」
画面から顔を上げると、みんな私を怪訝そうに見ている。
リナはまた私の影に引きこもった。
「ち…違うんです、観音寺は本当にあったんです!
だって現に、私は怪人屋敷の中に入った事があるし…あ!」
そ、そうか!オリベちゃんはさっき、ハイセポスさんを『人を騙す脳力を持つイタズラ好き』って言ってたじゃないか。
「な…なーんだ!ハイセポスさん、ドッキリはやめて下さいよ!
そりゃあ��は『したたび』でいつも騙されてますけど、あれはテレビの演出でして…」
「嘘だと思うなら、探してみるといい。
すぐ近くなんだろう」
◆◆◆
私は咄嗟にイナちゃんの手を引いて、怪人屋敷を飛び出した。辺りは既に暗くなっている。
灯りが必要だ。私は二人分の足元の影を右手の中に集めた。
影が圧縮されて行き場を失った光源を親指と人差し指で作った輪に閉じ込めると、『影灯籠(かげどうろう)』という簡易懐中電灯になるんだ。
なにかと便利なこのテクニックを教えて下さったのだって、和尚様だったはずなのに…。
「イナちゃんは、信じてくれるよね?」
山道のぼうぼうの草を蹴りながら私は独りごちた。
「色んな事を教えてもらったんだよ。
知ってる?チベット仏教の本尊は観音菩薩様なんだよ。
だから観音菩薩様は、タルパとか人工霊魂も、ちゃんと救済して下さるんだ」
足元でバッタが一匹逃げた。
「ヒトミちゃん…帰ろうヨ…」
振り返ると、イナちゃんは寒そうに肩を狭めていた。
早くお寺を見つけなきゃ。お蕎麦屋さんの予約時間も近づいている。
「ねえちょっと、一美…」
影灯籠からリナが滑り落ちる。
「あんまり気が進まないけど、この際だから言うわ。あんたの和尚は…」「真言だって!」
私は苛立って声を荒らげてしまった。
「…ちゃんと言えるもん。オム・マニ・パドメ・フム…」
「ヒトミちゃん」
「念彼観音力、火坑変成池(観音様に念じれば、火の海は池に変わり)…
念彼観音力、波浪不能没(観音様に念じれば、溺れて沈むことはない)…」
リナは私から離れ、イナちゃんの影に宿った。
私は足を泥だらけにして彷徨った。
何だか泣けてくる。でも両目から滲み出た涙は、すかさず乱暴な北風に掠め取られる。
もうリナとイナちゃんはついてきていない。
「オム・マニ・パドメ・フム…オム・マニ・パドメ・フム…」
夜の山の寒さと焦りも、私をあざ笑っている。
「オム・マニ・パドメ・フム…」
真言を繰り返す度に、思い出とか、影とか、自分の色々な物が剥がれていく。
「オム・マニ・パドメ…あ」
我に返って見ると、手から滴り落ちた影は一筋の線になって、私達の行くべき道を示していた。
「ほら…私、ちゃんと覚えてたでしょ?」
私は再びイナちゃんの手をとって、影が示す方向へ進んだ。
◆◆◆
影の糸を回収しながら進むと、私達は怪人屋敷に戻っていた。
いや、糸の先端は…怪人屋敷に隣接する、ガレージの入口で途絶えているみたいだ。
ガレージのシャッターはやすやすと持ち上がった。鍵がかかっていなかったんだ。
背後の街灯に中が照らされると、カビ臭い砂塵が舞い上がり、コウモリや蛾がパニックを起こして飛び出してきた。
街灯の光が行き渡るようにガレージ内の影を調節すると、そこには…
「なに、これ…」
そこにあったのは、床に敷かれたままの小さな花柄の布団。錆びついたグルカナイフ。薪と木炭。鍋。
山積みの『安達太良日報』1994年刷。どこかの斎場のタオル。塩。干し柿。干しキノコ。干しイナゴ。
誰かがここで生活していた跡のようだ。何故かすごく懐かしい感じがする。
壁に光を当てると、おびただしい枚数の半紙が貼られている。
写経、手描きのマンダラ、チベット守護梵字、真言、女の子と観音菩薩様が仲良く焚き火を囲う絵。
そして、それらに囲まれたガレージの中央最奥には、私の背より少しだけ大きな何かが、白い布で覆われていた。
「ヒトミちゃん、ここ怖いヨ」
イナちゃんがガレージの入口から囁いた。
「怖い?なんでかな。あ、コウモリならもういないみたいだよ」
私は天井を照らしてみせた。でも、イナちゃんはまだ萎縮している。
「出てきて、ヒトミちゃん。ここやだヨ」
どうしてそんなに怯えてるんだろう。
「平気だよ!だってここは…ここは私が住んでた観音寺だもん!」
私は壁の半紙を幾つか剥がして、イナちゃんに差し出した。
「ほら、これ。和尚様に書道を教わってたの。
凄いでしょ、幼稚園生でこんな難しい漢字書いてたんだよ!
だから私、今でも字の綺麗さには自信があるんだ」
半紙を一枚ずつ丁寧にめくって見せる。『念彼観音力』『煩悩即菩提』、どれも仏教的な文章だ。
「なーんて、本当はね、影絵で和尚様の本を写しながら書くから、こんなに上手く書けてたんだけどね」
『而二不二』『(梵字の真言)』『(マンダラ)』『金剛愛輪珠』…
「オモナアァッ!!」
突然イナちゃんが後ずさった。
手元の半紙を見ると、書かれていた文字は…
いや、これは…アルファベットの『E』と『十』の字に似た、記号…
どうしてイナちゃんの手相がここに…?
「イナ?紅さん?」
怪人屋敷から皆が集まってきた。
イナちゃんはリナと抱き合い、震えている。
皆もそんなイナちゃんの怯えた様子を見て、不穏な表情になった。
「だ…大丈夫だってば!そ、そうだ!
観音菩薩様の御本尊を見てもらえば、きっと怖��なくなるよね!
すごく優しいお顔なんだよ。ほら!」
私はガレージ最奥の観音像にかかった白い布を、思いっきり引き剥がした。
「あぃぎいぃぃやああああああああ!!!!!」
隣の安達太良山にまで響くほどの声で、イナちゃんが絶叫した。
「え…?」
イナちゃんは白目を剥き、口の両端から泡を吹き出して倒れた。
「ガウ!ギャンッギャン!!」
歯茎を見せて吠えるポメラー子ちゃんの横で、オリベちゃんと譲司さんは腰を抜かしている。
するうちジャックさんが気絶したイナちゃんに取り憑き、殺人鬼や暴力団も泣いて逃げ出すような形相で私の胸ぐらを掴んだ。
「テメェ馬鹿野郎!!この子になんて物見せてやがる!!!」
え…なに言ってるの、ジャックさん?
「ううっ…うっ…」<ヒトミちゃん、そ…そ��、隠して…!>
嗚咽しながらオリベちゃんがテレパシーを送る。
私は真横にある観音像を見た。
金色の装飾品に彩られた、木彫りの…
「は?」
私は真横にある観音像を見た。
それは全身の皮膚を剥がされ、金色の装飾品に彩られた、即身仏のミイラだった。
◆◆◆
「なに…これ…」
私は一瞬、目の前にある物が何だかよくわからなかった。
変な話、スルメイカやショルダーハムでできた精巧な人体模型がお袈裟を着てネックレスをしているような、
それぐらい意味不明でアンバランスな物体に見えた。
<と、ともかく…公安局に連絡を!
さっきのファティマンドラの件もあるし…>
腰を抜かしたままのオリベちゃんが、譲司さんを揺さぶって電話を促す。
「あ…ああ!せやな!C案件対策班に…」
「やめてください!」
「<え?>」
私は気がつくと叫んでいた。
「つ…通報はやめてください!だ、だって…」
だって、何なのか?自分でもわからない。
ただ、ここが警察に暴かれてしまったら、何かとてつもない物を失ってしまうような気がして。
「何言ってやがる…。ここに変死体があるんだぞ!
花生やして腐ったミンチどころじゃねえ、マジの死体がだ!!」
ジャックさんがイナちゃんの身体で私を責める。
「ち…ち…違います!観音様を変死体だなんて、罰当たりな事言わないで下さい!!
これは…この人は…このしどわあぁぁ…!」
嗚咽で言葉が出てこない。もう、本当はわかってるんだ。
この即身仏は…私の…和尚様なんだ。
混乱と涙とガレージ内のハウスダストと鼻水で、私は身も心もぐしゃぐしゃになっていた。
皆はまだ何か怒鳴ったり喚いたりしているみたいだけど、もう何もわからない。
私はただ、冷たい和尚様の足元にすがりついてひたすら泣いた。
「ジャック、もうええやん。やめよう」
すると譲司さんがガレージに入ってきて、私の髪を掴んで逆上していたジャックさんを宥めた。
「紅さん、わかりました。通報は後でにします。
その前に…紅さんの和尚様に、ご挨拶させて下さい」
彼は私の頬を優しく指で拭い、小さい子に向けるような微笑みで言った。
そして和尚様の前に立つと、うやうやしく一礼し、
「失礼します」と呟いて、合掌されている和尚様の両手にそっと触れた。
譲司さんはそのまましばらく静止する。和尚様の記憶を、読んでいるみたいだ。
<ジョージ…>
オリベちゃんがまたテレパシーによる視界共有を提案しようとする。
でも譲司さんは視線でそれを断って、
「紅さん」
私に握手を求める仕草をした。
「行きなさい」
リナが私を促す。
「私も知らない真実。ちゃんとぜんぶ見届けるのよ」
私は頷いて、譲司さんの手を握る。
そのまま影移しで譲司さんの影に意識を溶け込ませ、彼と同じ視界へ飛んだ。
◆◆◆
ザリザリザリ…ザザザ…。視覚と聴覚を覆う青黒い縞模様とノイズ音が晴れていくと、目の前が病院の病棟内のような風景になった。
VHSじみた安徳森さんの時と違って、前後左右を自由に見ることができる。
「ずいぶん鮮明な記憶ですね」
気がつくと隣で、ノイズがかった譲司さんが私と手を繋いで立っていた。
今、私は彼の影だ。
「和尚様は、どこでしょうか…?」
辺りを見渡すと、昼間なのに全ての病室のドアが閉まっている。
案内板を見るに、ここは精神科の閉鎖病棟らしい。
ふと、私ば病室の一つから強い霊的な電磁波を察知した。
「譲司さん」
「そこですよね」
彼も同じ部屋にダウジングが反応したみたいだ。
ただ、空気で物を感知する彼が気付いた事は霊ではなかったらしい。
彼は『水家曽良 様』と書かれたドアプレートを指さしていた。
意識体の私達は幽霊のように病室のドアをすり抜ける。
中にいたのはベッドに横たわるサミュエルこと水家曽良と、彼を見下ろす二人の霊魂だ。
私から見て左側の霊は、すらっとした赤い僧衣の男性。
顔は指でこすった水彩画のようにぼやけていて、よく見えない。
一方右の霊は、顔と股間の部分だけくり抜いた人間の皮膚を肉襦袢のように着ている、不気味な煤煙だ。
水家曽良はまだ子供の姿。日本国籍を得て間もない頃なんだろう。
「この子の才能は実に惜しい物だった」
肉襦袢の霊が言う。喋り方は若々しいけど、声はおじいさんみたいだ。
「タルパはそう誰でも創造できる物ではない。
まして彼は、我々が与えた『なぶろく』のエーテル法具をも使いこなした。
それを享楽殺人の怪物を生み出すために使った挙句、浅ましい精神外科医共に脳力を摘出されるとは。
この子に金剛の朝日は未来永劫訪れないだろう」
なぶろく?と聞こえた箇所だけ意味はわからなかったけど、
どうやら彼は水家に何らかの力を与えた霊魂らしい。
「エーテル法具…NICで聞いた事があります。
エクトプラズム粒子を含んだ何らかのタンパク質塊、
人間の脳を覚醒させて特殊脳力を呼び覚ます、オーバーテクノロジー…」
譲司さんはそれに何か心当たりがあるようだ。
「ともかく、これ以上損失を出す前に、彼の魂を楽園へ送るのは諦めましょう。
彼はまだ子供ですが、余りにも残虐すぎました」
赤僧衣の霊が、隣の肉襦袢の霊の顔色を窺うように言う。まだいまいち話が見えない。
「その通りだ。しかし、私達もただで金剛の地に帰るわけにはいくまい」
すると肉襦袢は、眠っている水家の鼻に指を突っ込んだ。
「フコッ」
水家が苦しそうな声を発する。彼の耳から水っぽい液体が垂れ、頭の中で何かがクチャクチャと動き回る音がする。
でも水家は意識がないのか、はたまた金縛りに遭っているのか、微動だにしない。
やがて肉襦袢が鼻から指を引き抜くと、その指先には、薄茶色い粘液でつやつやと輝くタコ糸のような紐が五十センチほど垂れていた。
「どうなさるおつもりですか」
心配そうに赤僧衣が問う。
肉襦袢は紐を丁寧に折りたたむと、水家の病室から去っていった。
私達と赤僧衣は彼を追いかける。
肉襦袢は渡り廊下を通って、違う病棟に移動した。
彼が立ち止まったのは、新生児のベッドが並ぶ、ガラス張りのベビールームだった。
彼は室内に入り、生まれたばかりの赤ちゃん達の顔を一人ずつ覗いていく。
そして、壁際から五番目の赤ちゃんの前でぴたりと静止した。
「見なさい。この子だ」
肉襦袢は赤僧衣に手招きする。
赤僧衣は赤ちゃんを見ると、感嘆のため息をついた。
「この子の顔の周りだけ、不自然に影で覆われているだろう。
天井の光が金剛のように眩しくて、無意識に影を作っているんだ。これは影法師という珍しい霊能力だ。
この子は金剛級に強い素質を持っている」
安らかな顔で眠る赤ちゃんの頭上で、肉襦袢が興奮気味に語る。
あれ、そういえば…
「譲司さん。���家曽良が日本に来たのって、具体的にいつなんですか?」
「日付までは覚えとりませんが…たぶん、1990年の十一月上旬です。
俺日本の家に引き取られて最初の行事が弟の七五三やったんで」
1990年十一月、影法師使いの赤ちゃん…偶然か?
私の生年月日は1990年十一月六日だ。
まさかここ、石川町の東北総合病院じゃないよね?違うよね!?
そんな不穏な想像が脳内で回っている一方、肉襦袢は目を疑うような行動に出た。
「金剛の力は金剛の如く清き者が授かるべきだ」
肉襦袢はさっき水家から引き出した糸を広げると、その先端を…赤ちゃんの口に含ませた!
チュプ、チュプ、チュパ…ファーストキスどころか、まだお母さんのおっぱいすら咥えた事もない新生児は、本能的に糸を飲み込んでいく!
「ほら、こんなに喜んでいるだろう」
「そ…そう…ですね…」
表情の見えない赤僧衣も露骨にドン引きしている。
譲司さんが真っ青を通り越して白塗りみたいな顔色で私を見た。
「あ、あの…紅さん、一旦止めま」「譲司さんうるさい!!」「アハイすいませェェン!!!」
背中から火が出そうだ。
永劫にも思える時間をかけて、赤ちゃんは糸を全て飲み込んでしまった。
「これでこの子はタルパの法力を得た!」
肉襦袢が人皮の手で拍手する。
「失礼ですが如来、一度穢れた者の法具を赤子に与えるのは、この子の人生に悪いのでは…?」
如来?如来って言った今!?この赤僧衣、如来って言ったの!?
こんなエド・ゲインみたいな格好したモヤモヤの外道が如来!?有り得ない有り得ない有り得ない!!
如来と呼ばれた肉襦袢はキッと赤僧衣の方を向いた。
「ではどうしろと?サミュエル・ミラーの死後霊魂を収穫する価値がなくなったと確定した今、
これ以上金剛の楽園に損失を出してはならないだろうが!」
「ですが…「くどいっ!!」
事情を知らない私にも赤僧衣の言っている事は正論だとわかるが、彼は肉襦袢に逆らえないようだ。
「よかろう。お前がそこまでこの子の神聖を危惧するなら、この子に金剛の守護霊を与えてやろう」
肉襦袢は赤ちゃんの胸に煤煙の指を沈めた。
「な…待って下さい!肋骨なら、私の骨を!」
肋骨?
「ええい、既に『なぶろく』を捧げたお前に何の法力が残っているというのか?出涸らしめ!
『ろくくさびのひりゅう』は金剛の霊能力を持つ者の肋骨でなければ作れん!」
肉襦袢はわけのわからない専門用語を喚きながら、赤ちゃんの胸の中で…
うそ、まさか!?
「この赤子に金剛の有明あれーーッ!」
プチン!
まるで爪楊枝でも折ったようなくぐもった軽い音がした後、
「ニイィィィーーーギャアァァアアアアァア!!!!!」
赤ちゃんは未経験の恐怖と激痛で雄叫びを上げた。
「みぎゃーーっ!」「あーーーん!」釣られて他の赤ちゃん達も阿鼻叫喚!
すかさず看護師がベビールームに飛びこんで来るが、赤ちゃんを泣かせた原因を彼女らが知ることはない。
「お前は石英で龍王像を彫り、この金剛の肋骨を楔として奉納するんだ。
さすれば『肋楔の緋龍(ろくくさびのひりゅう)』はこの子を往生の時まで邪道から守り、やがて金剛の楽園へ運ぶだろう。
象形は…そうだな、この福島の地に伝わる、萩姫と不動明王の伝説に因んで、倶利伽羅龍王像にするといい。
この子に金剛の御加護があらん事を…」
肉襦袢は赤ちゃんの小さな肋骨を赤僧衣に手渡すと、汚らしい煤煙を霧散するようにして消え去った。
霊的な力で肋骨を一本引き抜かれた赤ちゃんの胸には、傷跡の代わりに『E』『十』の形の痣ができていた。
「すまない…ああ、本当にすまない…」
肋骨を奪われた赤ちゃんの横で、赤僧衣の霊魂は崩れ落ちるように土下座して咽び泣いた。
看護師さん達はそんな彼の存在を完全に無視して、この突然発生したパニックの対応に追われている。
「こんなん嘘やろ…」
譲司さんが裏返った声でそう呟いた時、私は『生まれつき一本少ない』と言い聞かされていた自分の肋骨のあたりを抑えて震えていた。
それから文字通り気が遠くなるような感覚を覚え、私達はこのサイコメトリー回想から脱出した。
不気味な如来を讃える赤ちゃん達の叫び声が、だんだんと遠ざかっていった。
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