#俵積み歌
Explore tagged Tumblr posts
Text
Hey yo nikkeijin/nihonjin friends my Japanese is not so good could anyone help me find this version of 俵積み歌 (tawaratsumi uta)? It’s sung by a man and there’s an electric guitar and shamisan
6 notes
·
View notes
Text
2024年見たもの色々
すっ��り人混みが苦手になってしまい出不精に拍車がかかってしまったな1年でした。
ライブは相変わらず感染予防が気になって積極的に行こうとは思えず、その代わり美術展とか静かに鑑賞するものへと興味が移っているかなと。
知識があるとより楽しめることを実感もしたので来年はただ出かけるだけじゃなく見る目も養いたい。
【ライブ】2
・Bruno Mars @ TOKYO DOME
・Taylor Swift @ TOKYO DOME
【歌舞伎】13
・猿若祭二月大歌舞伎 夜の部(猿若江戸の初櫓/義経千本桜 すし屋/連獅子) @ 歌舞伎座
・猿若祭二月大歌舞伎 昼の部(新版歌祭文 野崎村/釣女/籠釣瓶花街酔醒) @ 歌舞伎座
・三月大歌舞伎 昼の部(元禄忠臣蔵 御浜御殿綱豊卿) @ 歌舞伎座
・四月大歌舞伎 夜の部(於染久松色読販/神田祭/四季) @ 歌舞伎座
・歌舞伎町大歌舞伎 昼の部(正札附根元草摺/流星/福叶神恋噺) @ THEATER MILANO-Za
・六月大歌舞伎 昼の部(上州土産百両首/義経千本桜 時鳥花有里/妹背山婦女庭訓 三笠山御殿) @ 歌舞伎座
・八月納涼歌舞伎 第三部(狐花) @ 歌舞伎座
・八月納涼歌舞伎 第一部(ゆうれい貸屋/鵜の殿様) @ 歌舞伎座
・八月納涼歌舞伎 第二部(梅雨小袖昔八丈 髪結新三/艶紅曙接拙 紅翫) @ 歌舞伎座
・錦秋十月大歌舞伎 夜の部(婦系図/源氏物語 六条御息所の巻) @ 歌舞伎座
・明治座十一月花形歌舞伎 夜の部(鎌倉三代記/於染久松色読販 お染の七役) @ 明治座
・明治座十一月花形歌舞伎 昼の部(菅原伝授手習鑑 車引/一本刀土俵入/藤娘) @ 明治座
・十二月大歌舞伎 第三部(舞鶴雪月花/天守物語) @ 歌舞伎座
【映画】6
・きっと、それは愛じゃない
・鬼平犯科帳 血闘
・バンドワゴン
・室井慎次 敗れざる者
・室井慎次 生き続ける者
・ラブ・アクチュアリー
【美術】21
・フランク・ロイド・ライト - 世界を結ぶ建築 @ パナソニック汐留美術館
・マティス 自由なフォルム @ 国立新美術館
・中尊寺金色堂 @ 東京国立博物館
・Hello! セサミストリートの世界展 @ 松屋銀座
・歌舞伎衣装展 @ 銀座三越
・宇野亜喜良展 @ 東京オペラシティ アートギャラリー
・Tiffany Wonder @ TOKYO NUDE
・「オ��ルココロ」資生堂のクリエイティブワーク @ 資生堂ギャラリー
・Miss Dior Exhibition 〜Stories of a Miss〜 @ 六本木ミュージアム
・本城直季写真展 Small Cruise @ art gallery by Baycrew's
・浮世絵お化け屋敷 @ 太田記念美術館
・ロベール・ドアノー写真展 第一部「パリ郊外〜城壁の外側〜」 @ FUJIFILM SQUARE
・ハニワと土偶の近代 @ 東京国立近代美術館
・マティス - 色彩を奏でる @ POLA MUSEUM ANNEX
・草間彌生作品展 @ 日本橋三越
・ロベール・ドアノー写真展 第二部「"えいえんの3秒"の原点」 @ FUJIFILM SQUARE
・さくらももこ展 @ 森アーツセンターギャラリー
・ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ @ 森美術館
・ソール・ライター「Beauty in the Overlooked Ordinary」 @ art cruise gallery by Baycrew's
・テレンス・コンラン - モダン・ブリテンをデザインする @ 東京ステーションギャラリー
・モネ 睡蓮のとき @ 国立西洋美術館
0 notes
Text
音のない雪(たとえれば女子だけが体育館へ移動した日の)/小俵鱚太
(小俵鱚太『レテ/移動祝祭日』書肆侃侃房)
「たとえれば」が音のない雪を喩えているのか、それとも歌に表象されない何かを喩えているのかは判断できない。しかし()外の歌が表象するメインイメージである音のない雪とサブイメージである女子のいない教室・学校とがうまく共鳴しているように思える。音のない雪はただ降り積もるものの存在感だけが際立つ。また、女子のいない男子集団はもう何も言葉を発する必要性がなくなるため静かなのであるけれどゆえにただそこにいるという存在感だけが増す。学校時代の甘愁が語間に潜む。
掲歌と対照的なのが〈熱海の夜に窓を開ければ嬌声と意外と荒い波音がする/小俵鱚太〉である。雪と熱海、女子だけが移動と嬌声、音のないと荒い波音、学校と(旅館の)窓という対比がおもしろい。静と動みたいに。
0 notes
Text
iFontMaker - Supported Glyphs
Latin//Alphabet// ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZabcdefghijklmnopqrstuvwxyz0123456789 !"“”#$%&'‘’()*+,-./:;<=>?@[\]^_`{|}~ Latin//Accent// ¡¢£€¤¥¦§¨©ª«¬®¯°±²³´µ¶·¸¹º»¼½¾¿ÀÁÂÃÄÅÆÇÈÉÊËÌÍÎÏÐÑÒÓÔÕÖרÙÚÛÜÝÞßàáâãäåæçèéêëìíîïðñòóôõö÷øùúûüýþÿ Latin//Extension 1// ĀāĂ㥹ĆćĈĉĊċČčĎďĐđĒēĔĕĖėĘęĚěĜĝĞğĠġĢģĤĥĦħĨĩĪīĬĭĮįİıIJijĴĵĶķĸ��ĺĻļĽľĿŀŁłŃńŅņŇňʼnŊŋŌōŎŏŐőŒœŔŕŖŗŘřŚśŜŝŞşŠšŢţŤťŦŧŨũŪūŬŭŮůŰűŲųŴŵŶŷŸŹźŻżŽžſfffiflffiffl���st Latin//Extension 2// ƀƁƂƃƄƅƆƇƈƉƊƋƌƍƎƏƐƑƒƓƔƕƖƗƘƙƚƛƜƝƞƟƠơƢƣƤƥƦƧƨƩƪƫƬƭƮƯưƱƲƳƴƵƶƷƸƹƺƻƼƽƾƿǀǁǂǃDŽDždžLJLjljNJNjnjǍǎǏǐǑǒǓǔǕǖǗǘǙǚǛǜǝǞǟǠǡǢǣǤǥǦǧǨǩǪǫǬǭǮǯǰDZDzdzǴǵǶǷǸǹǺǻǼǽǾǿ Symbols//Web// –—‚„†‡‰‹›•…′″‾⁄℘ℑℜ™ℵ←↑→↓↔↵⇐⇑⇒⇓⇔∀∂∃∅∇∈∉∋∏∑−∗√∝∞∠∧∨∩∪∫∴∼≅≈≠≡≤≥⊂⊃⊄⊆⊇⊕⊗⊥⋅⌈⌉⌊⌋〈〉◊♠♣♥♦ Symbols//Dingbat// ✁✂✃✄✆✇✈✉✌✍✎✏✐✑✒✓✔✕✖✗✘✙✚✛✜✝✞✟✠✡✢✣✤✥✦✧✩✪✫✬✭✮✯✰✱✲✳✴✵✶✷✸✹✺✻✼✽✾✿❀❁❂❃❄❅❆❇❈❉❊❋❍❏❐❑❒❖❘❙❚❛❜❝❞❡❢❣❤❥❦❧❨❩❪❫❬❭❮❯❰❱❲❳❴❵❶❷❸❹❺❻❼❽❾❿➀➁➂➃➄➅➆➇➈➉➊➋➌➍➎➏➐➑➒➓➔➘➙➚➛➜➝➞➟➠➡➢➣➤➥➦➧➨➩➪➫➬➭➮➯➱➲➳➴➵➶➷➸➹➺➻➼➽➾ Japanese//かな// あいうえおかがきぎくぐけげこごさざしじすずせぜそぞただちぢつづてでとどなにぬねのはばぱひびぴふぶぷへべぺほぼぽまみむめもやゆよらりるれろわゐゑをんぁぃぅぇぉっゃゅょゎゔ゛゜ゝゞアイウエオカガキギクグケゲコゴサザシジスズセゼソゾタダチヂツヅテデトドナニヌネノハバパヒビピフブプヘベペホボポマミムメモヤユヨラリルレロワヰヱヲンァィゥェォッャュョヮヴヵヶヷヸヹヺヽヾ Japanese//小学一年// 一右雨円王音下火花貝学気九休玉金空月犬見五口校左三山子四糸字耳七車手十出女小上森人水正生青夕石赤千川先早草足村大男竹中虫町天田土二日入���白八百文木本名目立力林六 Japanese//小学二年// 引羽雲園遠何科夏家歌画回会海絵外角楽活間丸岩顔汽記帰弓牛魚京強教近兄形計元言原戸古午後語工公広交光考行高黄合谷国黒今才細作算止市矢姉思紙寺自時室社弱首秋週春書少場色食心新親図数西声星晴切雪船線前組走多太体台地池知茶昼長鳥朝直通弟店点電刀冬当東答頭同道読内南肉馬売買麦半番父風分聞米歩母方北毎妹万明鳴毛門夜野友用曜来里理話 Japanese//小学三年// 悪安暗医委意育員院飲運泳駅央横屋温化荷開界階寒感漢館岸起期客究急級宮球去橋業曲局銀区苦具君係軽血決研県庫湖向幸港号根祭皿仕死使始指歯詩次事持式実写者主守取酒受州拾終習集住重宿所暑助昭消商章勝乗植申身神真深進世整昔全相送想息速族他打対待代第題炭短談着注柱丁帳調追定庭笛鉄転都度投豆島湯登等動童農波配倍箱畑発反坂板皮悲美鼻筆氷表秒病品負部服福物平返勉放味命面問役薬由油有遊予羊洋葉陽様落流旅両緑礼列練路和 Japanese//小学四年// 愛案以衣位囲胃印英栄塩億加果貨課芽改械害街各覚完官管関観願希季紀喜旗器機議求泣救給挙漁共協鏡競極訓軍郡径型景芸欠結建健験固功好候航康告差菜最材昨札刷殺察参産散残士氏史司試児治辞失借種周祝順初松笑唱焼象照賞臣信成省清静席積折節説浅戦選然争倉巣束側続卒孫帯隊達単置仲貯兆腸低底停的典伝徒努灯堂働特得毒熱念敗梅博飯飛費必票標不夫付府副粉兵別辺変便包法望牧末満未脈民無約勇要養浴利陸良料量輪類令冷例歴連老労録 Japanese//小学五〜六年// 圧移因永営衛易益液演応往桜恩可仮価河過賀快解格確額刊幹慣眼基寄規技義���久旧居許境均禁句群経潔件券険検限現減故個護効厚耕鉱構興講混査再災妻採際在財罪雑酸賛支志枝師資飼示似識質舎謝授修述術準序招承証条状常情織職制性政勢精製税責績接設舌絶銭祖素総造像増則測属率損退貸態団断築張提程適敵統銅導徳独任燃能破犯判版比肥非備俵評貧布婦富武復複仏編弁保墓報豊防貿暴務夢迷綿輸余預容略留領異遺域宇映延沿我灰拡革閣割株干巻看簡危机貴揮疑吸供胸郷勤筋系敬警劇激穴絹権憲源厳己呼誤后孝皇紅降鋼刻穀骨困砂座済裁策冊蚕至私姿視詞誌磁射捨尺若樹収宗就衆従縦縮熟純処署諸除将傷障城蒸針仁垂推寸盛聖誠宣専泉洗染善奏窓創装層操蔵臓存尊宅担探誕段暖値宙忠著庁頂潮賃痛展討党糖届難乳認納脳派拝背肺俳班晩否批秘腹奮並陛閉片補暮宝訪亡忘棒枚幕密盟模訳郵優幼欲翌乱卵覧裏律臨朗論 Japanese//中学// 亜哀挨曖扱宛嵐依威為畏尉萎偉椅彙違維慰緯壱逸芋咽姻淫陰隠韻唄鬱畝浦詠影鋭疫悦越謁閲炎怨宴援煙猿鉛縁艶汚凹押旺欧殴翁奥憶臆虞乙俺卸穏佳苛架華菓渦嫁暇禍靴寡箇稼蚊牙瓦雅餓介戒怪拐悔皆塊楷潰壊懐諧劾崖涯慨蓋該概骸垣柿核殻郭較隔獲嚇穫岳顎掛括喝渇葛滑褐轄且釜鎌刈甘汗缶肝冠陥乾勘患貫喚堪換敢棺款閑勧寛歓監緩憾還環韓艦鑑含玩頑企伎忌奇祈軌既飢鬼亀幾棋棄毀畿輝騎宜偽欺儀戯擬犠菊吉喫詰却脚虐及丘朽臼糾嗅窮巨拒拠虚距御凶叫狂享況峡挟狭恐恭脅矯響驚仰暁凝巾斤菌琴僅緊錦謹襟吟駆惧愚偶遇隅串屈掘窟繰勲薫刑茎契恵啓掲渓蛍傾携継詣慶憬稽憩鶏迎鯨隙撃桁傑肩倹兼剣拳軒圏堅嫌献遣賢謙鍵繭顕懸幻玄弦舷股虎孤弧枯雇誇鼓錮顧互呉娯悟碁勾孔巧甲江坑抗攻更拘肯侯恒洪荒郊貢控梗喉慌硬絞項溝綱酵稿衡購乞拷剛傲豪克酷獄駒込頃昆恨婚痕紺魂墾懇沙唆詐鎖挫采砕宰栽彩斎債催塞歳載剤削柵索酢搾錯咲刹拶撮擦桟惨傘斬暫旨伺刺祉肢施恣脂紫嗣雌摯賜諮侍慈餌璽軸叱疾執湿嫉漆芝赦斜煮遮邪蛇酌釈爵寂朱狩殊珠腫趣寿呪需儒囚舟秀臭袖羞愁酬醜蹴襲汁充柔渋銃獣叔淑粛塾俊瞬旬巡盾准殉循潤遵庶緒如叙徐升召匠床抄肖尚昇沼宵症祥称渉紹訟掌晶焦硝粧詔奨詳彰憧衝償礁鐘丈冗浄剰畳壌嬢錠譲醸拭殖飾触嘱辱尻伸芯辛侵津唇娠振浸紳診寝慎審震薪刃尽迅甚陣尋腎須吹炊帥粋衰酔遂睡穂随髄枢崇据杉裾瀬是姓征斉牲凄逝婿誓請醒斥析脊隻惜戚跡籍拙窃摂仙占扇栓旋煎羨腺詮践箋潜遷薦繊鮮禅漸膳繕狙阻租措粗疎訴塑遡礎双壮荘捜挿桑掃曹曽爽喪痩葬僧遭槽踪燥霜騒藻憎贈即促捉俗賊遜汰妥唾堕惰駄耐怠胎泰堆袋逮替滞戴滝択沢卓拓託濯諾濁但脱奪棚誰丹旦胆淡嘆端綻鍛弾壇恥致遅痴稚緻畜逐蓄秩窒嫡抽衷酎鋳駐弔挑彫眺釣貼超跳徴嘲澄聴懲勅捗沈珍朕陳鎮椎墜塚漬坪爪鶴呈廷抵邸亭貞帝訂逓偵堤艇締諦泥摘滴溺迭哲徹撤添塡殿斗吐妬途渡塗賭奴怒到逃倒凍唐桃透悼盗陶塔搭棟痘筒稲踏謄藤闘騰洞胴瞳峠匿督篤凸突屯豚頓貪鈍曇丼那謎鍋軟尼弐匂虹尿妊忍寧捻粘悩濃把覇婆罵杯排廃輩培陪媒賠伯拍泊迫剝舶薄漠縛爆箸肌鉢髪伐抜罰閥氾帆汎伴畔般販斑搬煩頒範繁藩蛮盤妃彼披卑疲被扉碑罷避尾眉微膝肘匹泌姫漂苗描猫浜賓頻敏瓶扶怖附訃赴浮符普腐敷膚賦譜侮舞封伏幅覆払沸紛雰噴墳憤丙併柄塀幣弊蔽餅壁璧癖蔑偏遍哺捕��募慕簿芳邦奉抱泡胞俸倣峰砲崩蜂飽褒縫乏忙坊妨房肪某冒剖紡傍帽貌膨謀頰朴睦僕墨撲没勃堀奔翻凡盆麻摩磨魔昧埋膜枕又抹慢漫魅岬蜜妙眠矛霧娘冥銘滅免麺茂妄盲耗猛網黙紋冶弥厄躍闇喩愉諭癒唯幽悠湧猶裕雄誘憂融与誉妖庸揚揺溶腰瘍踊窯擁謡抑沃翼拉裸羅雷頼絡酪辣濫藍欄吏痢履璃離慄柳竜粒隆硫侶虜慮了涼猟陵僚寮療瞭糧厘倫隣瑠涙累塁励戻鈴零霊隷齢麗暦劣烈裂恋廉錬呂炉賂露弄郎浪廊楼漏籠麓賄脇惑枠湾腕 Japanese//記号// ・ー~、。〃〄々〆〇〈〉《》「」『』【】〒〓〔〕〖〗〘〙〜〝〞〟〠〡〢〣〤〥〦〧〨〩〰〳〴〵〶 Greek & Coptic//Standard// ʹ͵ͺͻͼͽ;΄΅Ά·ΈΉΊΌΎΏΐΑΒΓΔΕΖΗΘΙΚΛΜΝΞΟΠΡΣΤΥΦΧΨΩΪΫάέήίΰαβγδεζηθικλμνξοπρςστυφχψωϊϋόύώϐϑϒϓϔϕϖϚϜϞϠϢϣϤϥϦϧϨϩϪϫϬϭϮϯϰϱϲϳϴϵ϶ϷϸϹϺϻϼϽϾϿ Cyrillic//Standard// ЀЁЂЃЄЅІЇЈЉЊЋЌЍЎЏАБВГДЕЖЗИЙКЛМНОПРСТУФХЦЧШЩЪЫЬЭЮЯабвгдежзийклмнопрстуфхцчшщъыьэюяѐёђѓєѕіїјљњћќѝўџѢѣѤѥѦѧѨѩѪѫѬѭѰѱѲѳѴѵѶѷѸѹҌҍҐґҒғҖҗҘҙҚқҜҝҠҡҢңҤҥҪҫҬҭҮүҰұҲҳҴҵҶҷҸҹҺһҼҽҾҿӀӁӂӇӈӏӐӑӒӓӔӕӖӗӘәӚӛӜӝӞӟӠӡӢӣӤӥӦӧӨөӪӫӬӭӮӯӰӱӲӳӴӵӶӷӸӹӾӿ Thai//Standard// กขฃคฅฆงจฉชซฌญฎฏฐฑฒณดตถทธนบปผฝพฟภมยรฤลฦวศษสหฬอฮฯะัาำิีึืฺุู฿เแโ��ไๅๆ็่้๊๋์ํ๎๏๐๑๒๓๔๕๖๗๘๙๚๛
see also How to Edit a Glyph that is not listed on iFontMaker
#FAQ#ifontmaker2#Symbols#Dingbat#Cyrillic#Greek#Coptic#thai#character set#character sets#list#language
9 notes
·
View notes
Text
わたしの20世紀の夕べ:そして、いくつかの小さなブレークスル―」は素晴らしかった。美しい英語で語られる”若き作家の自画像”とでも呼べる内容は、詩的でウイットがあり、リズムと流れがあった。彼は淡々と率直に、作家としてのブレークスル―(突破口を開く)体験を語り、分裂する世界での作家の役割に触れている。
筆者は思い立って、川端康成と大江健三郎のノーベル記念講演を読んでみた。川端の演題は「美しい日本の私」(1968)大江は「あいまいな日本の私」(1994)である。川端は明恵上人から一休までの和歌と俳句を引き、日本人の美意識と禅の思想を語っている。一方、大江は人文学者ラブレや詩人イエィツを引きヒューマニズムを語り、反戦主義者の心情を吐露している。二人の文章は味わい深いものだが、筆者にはひっかかる箇所があった。
日本人の詩心を謳った川端は講演を次のように締めくくった。「私の作品を虚無という評者がいるが、西洋流のニヒリズムという言葉はあてはまらない。心の根本がちがうと思っている」。筆者は西洋人とは「心の根本がちがう」ととった。川端は心の底では、日本人の心は外国人には分からない、と思っていたのではなかろうか。川端の小説を英訳で読んだノーベル賞選考委員会が、国境を越える文学的価値を評価した上での授賞だったのに。
26年後、大江は川端に反論する。侵略国家の過去を忘れ、近隣諸国との真の和解��していないのに、日本のアイデンティティを「美しい日本」だけに求めていいのか。敗戦直後、不戦を誓い、日本の再生を模索した時代精神はどこへ行ったのか。日本人のアイデンティティは自然を愛する心にヒューマニズムの精神を加えるべきだ、と彼は主張する。
筆者は、大江は川端より広い視野で日本のあいまいさを見ていると思う。しかし、川端に厳し過ぎるのではないか。彼は非政治的人間で詩人なのだから。もうひとつ、大江は平和主義者だとはいえ、講演のなかで国連平和維持軍をも否定しているのはナイーブだと思う。
ただし、この二つのスピーチに共通していることもある。それはテーマが日本であることだ。国境を越えた作家イシグロはこの土俵から離脱し、記念講演で21世紀の世界と文学を語っている。
講演の全文は『特急二十世紀の夜と、いくつかの小さなブレークスル―:ノーベル文学賞記念講演』のタイトルで、早川書房から丸谷才一さんをうならせた『日の名残り』の名訳者、土屋政雄さんの手になり刊行されるので、ここでは筆者がとくに注目した最後の部分をご紹介しよう。
「わたしは最近、何年もの間バブルの中で暮らしていた、ということに気付き愕然としている。その原因はわたしが周りの多くの人々の不満と心配に、目を向けていなかったからだ」で始まる内容は、鋭い社会小説家のそれだ。以下はイシグロ演説の要旨である。
わたしの世界―リベラルな考えを持つ人々がいる空間は、想像していたより小さいようだ。子供のころから自明のことと信じてきた、ヒューマ二ズムの価値観は前進し続ける、という考えは幻想であったかもしれない。
しかし、わたしは楽観主義で育った戦後世代の一人である。なぜなら、両親の世代は全体主義、ジェノサイド、前代未聞の世界大戦を体験したあとで、ヨーロッパを世界が羨む国境のないデモクラシー圏に、変貌させたのを目撃したからだ。また、植民地帝国が崩壊し、人権が拡大することを体験した。われわれの世代は、資本主義と共産主義の間のイデオロギーと軍事対決の時代に育ったが、それはハッピーエンドで終わったと信じていた。
しかし、ベルリンの壁崩壊以降を振り返ると、われわれは自己満足に陥り、好機を逸したように見える。この間、富と機会の巨大な不平等が、国家間と国内で拡大することが容認されてきた。また、破滅的な2003年のイラク侵略、2008年のスキャンダラスな経済恐慌のあと、普通の��民に押し付けられた、長年の緊縮政策による耐乏生活がもたらしたものは、極右イデオロギーと部族ナショナリズムの台頭だった。人種差別という怪物も蘇っている。現在、われわれが団結してそれに対抗できる進歩的主張はないように見える。逆に、西洋デモクラシー諸国は分裂し資源とパワーをめぐって争っている。
一方で、科学技術と医学のおどろくべき進歩で、われわれは挑戦を受けている。遺伝子工学、人工知能、ロボットの技術は大きな恩恵をもたらすが、同時にアパルトヘイトに似た野蛮な実力主義社会と大量失業を生みだすかもしれない。
(以上のように、イシグロは現代の世界分裂、歴史逆流の現象の主因は、暴走キャピタリズムにあると言っているが、筆者はまったく同感だ。小説家の鋭いカンで時代を読んでいると思う)
続いてイシグロは次のように自問する。60代の自分は「作日まで存在していることすら考えていなかった世界」を理解し、読者になんらかの展望を与える仕事をするエネルギーはあるのだろうかと。だが「ベストを尽くさなくてはならない」「なぜなら、わたしは文学の重要性を信じているからだ。とくに現在のような困難な状況では」と言う。
イシグロは若い世代の作家に大きな期待を寄せ「書籍、映画、テレビ、演劇の世界には、冒険好きでわくわくさせてくれる20代、30代、40代の男性と女性がいることを、わたしは知っている。だから、将来を楽観している」と言う。
そう語ったあと、彼はノーベル賞アピールをする。文学が「不確かな未来へなにか重要な役割を果たす」には「今日と未来の作家から最良のものを引きだすべきだ」。そのためには「多様になる」必要があると言う。
彼は二つの提案をしている。第一は、先進国の居心地のよいエリート文化の世界を越えて、多様な声を反映すべきだ。その声は国内のものでも遠い外国のものでもかまわない。「未知の文学世界から宝石のような作品を発見する努力を積極的にやろうではないか」と言う。
第二は、「優れた文学の定義を、あまりに狭く、あまりに保守的にすべきではない」である。新世代の作家は、思いもかけない手法で素晴らしいストーリーを語るから「オープン・マインド」であるべきだと言う。とくに、ジャンルと様式について、そうあるべきだと提案している。
イシグロはスピーチを次のように結んでいる。「この危険な分裂の時代にあって、われわれは聞かなければならない。良いものを書き、良いものを読めば、障壁を打ち破ることができる。そこから、われわれを結集させる新しいアイデイア、偉大な人間的ヴィジョンが見つかるかもしれない」
イシグロの記念講演は21世紀のノーベル賞作家にふさわしい。
筆者はこの記事を書くにあたって、以下のビデオ、エッセイ、インタビュー、記事のお世話になりました。感謝いたします。Kazuo Ishiguro Nobel Lecture ”My Twentieth Century Evening-and other small breakthroughs” 2017・12・7 Nobelprize.org, “How I wrote the Remains of the Day in four weeks” Kazuo Ishiguro The Guardian 2014・12・6, ”My friend Kazuo Ishiguro: an artist without ego with deeply held beliefs” Robert McCrum 2017・10・8 The Guardian, “Many ScolwIs” Patrick Parrinder 1986・2・6 London Review of Books, “Kazuo Ishiguro in Conversation with John Wilson” Front Row 2015・3・5 BBC Radio 4、筆者の早川浩インタビュー 2017・12・12.「21世紀に向けて 作家の役割り」 対談 カズオ・イシグロVS大江健三郎 1990・6 国際交流、「阿川佐和子のこの人に会いたい」 カズオ・イシグロ 2001・11・8 週刊文春、「カズオ・イシグロをさがして」 ETV特集 2017・12・19 NHK
【フランス田舎暮らし ~ バックナンバー1~39】
著者プロフィール
土野繁樹(ひじの・しげき)
ジャーナリスト。
釜山で生まれ下関で育つ。
同志社大学と米国コルビー 大学で学ぶ。
TBSブリタニカで「ブリタニカ国際年鑑」編集長(1978年~1986年)を経て「ニューズウィーク日本版」編集長(1988年~1992年)。
2002年に、ドルドーニュ県の小さな村に移住。
土野繁樹 (id:toruhijino) 4年前
m_shori1234
m_shori1234
albertus
albertus
popmusik3141
popmusik3141
popmusik3141
popmusik3141
関連記事
歴史探訪~真珠湾攻撃の狂気の決定(10)
2021-05-14
歴史探訪~真珠湾攻撃の狂気の決定(10)
真珠湾上空から米国海軍太平洋艦隊を攻撃する日本海軍の航空隊…
カミュが愛した女優カザレス
2020-05-01
カミュが愛した女優カザレス
カミュとカザレス 彼女のアパートで Paris Review 1944年 6月5…
カミュの哲学:非暴力の平和主義者
2020-03-02
カミュの哲学:非暴力の平和主義者
アルベール・カミュ Henri Cartier-Bresson 「おそらく、どの世…
司馬遼太郎とドナルド・キーン
2019-06-12
司馬遼太郎とドナルド・キーン
司馬遼太郎 文藝春秋 ドナルド・キーン Wikipedia 中��公論社の…
ドナルド・キーンさん ありがとう
2019-04-15
ドナルド・キーンさん ありがとう
縁台で読書するキーンさん ドナルド・キーン「お別れの会」 『…
新しい記事 (2018-04-09)
英国EU離脱の大誤算
過去の記事 (2017-11-28)
マクロン大統領の実像 救国の人か蜃気楼か
記事一覧
コメントを書く
カズオ・イシグロの肖像
プロフィール
id:toruhijino
土野繁樹 (id:toruhijino)
このブログについて
検索
注目記事
中国100年の屈辱 その4「五・四運動」
2016-01-10
中国100年の屈辱 その4「五・四運動」
中国100年の屈辱 その1 「円明園の略奪と破壊」
2015-10-02
中国100年の屈辱 その1 「円明園の略奪と破壊」
中国100年の屈辱 その9 1937年 南京事件
2016-06-25
中国100年の屈辱 その9 1937年 南京事件
カミュが愛した女優カザレス
2020-05-01
カミュが愛した女優カザレス
KGBの二重スパイ:米ソ核戦争を止めた男(その1)
2020-06-30
KGBの二重スパイ:米ソ核戦争を止めた男(その1)
はてなブログ開発ブログ
週刊はてなブログ
はてなブログトップ
上へ
フランスの田舎で暮らす
Powered by Hatena Blog.
ダッシュボード PC版 ブログを報告する
0 notes
Text
短歌がわからなくて泣いていた
短歌が流行っている。たぶん世間的に流行っている。世間とはわたしの周辺でしかないし、カクテルパーティー効果?か何かでもともと世にはびこっていた短歌なるものが急に目につ��だしただけかもしれない。でも、それでもなんか、なんか絶対に流行っている。と思う。どうも短歌を目にする機会が加速度的に増えている。Twitterに流れてくる短歌に、かわいい挿絵や写真がついていたりする。それらに怒涛のfavがつく。まあわかる。短くておしゃれで平面表現と調和する素敵っぽいものは感性にダイレクトに響くから当然流行る。短くておしゃれで、一見するとわかりやすい。しかしわからない。わたしには短歌がわからない。わからないのだが、短歌に挿絵や写真がつくのが妙に気に入らない。気に入らないのがなぜなのかわからない。自分の感覚を擁護できないので悔しくて泣く。
というわけで現代短歌がわからなくて泣いていた。泣いていたらこんな本のことを思い出した。三上春海・鈴木ちはね『誰にもわからない短歌入門』(稀風社、2015年)。「誰にもわからないんだ……」と思いながら買って読みはじめた。正直、誰にもわからなくても自分にはきっとわかるぞと思いながら読んだ。ところが読んでみて、やはりわたしにも短歌がわからない。しかしわかったこともある。「短歌の何がわからなかったのか」である。ありがとうございます。

短歌の巧拙がわからない
丁寧に暮らしている中年の女をすごく好きになって背後から性器をねじこむ
きれいな男を見かけてなぐりつけおしたおしおかし孕むまで見る
前者はフラワーしげる(*1)『ビットとデシベル』(書肆侃侃房、2015年)に掲載の短歌で、後者はわたしが今テキトーに作った。別にきれいな男を見かけて殴って押し倒して犯したりはしてはいない。断っておくがそういう欲望も特にない。
さて、短歌の巧拙がわからない。丁寧に暮らしている中年の女をすごく好きになって背後から性器をねじこむことと、きれいな男を見かけてなぐりつけおしたおしおかし孕むまで見ることの事象の違いはわかるが、だいたい31文字におさまったこの2つの文字列の評価が短歌の出来としてどう優劣の差がつくのかわからない。当然、プロのフラワーしげるが七転八倒しながら作ったものは素人ですらないわたしが今テキトーに誂えたものより100億倍良いんだけど、それがなぜだかわからない。
というわけで、『誰にもわからない短歌入門』を読み通してみると、この問題についていくつかヒントが見えてくる。まず技術の巧拙という点では、現代短歌においては「韻律」「文字表記」「音の置き方」「定型の遵守/逸脱」などの選択に命が懸っている。そこにさらに文学的価値として「視点の単層性/重層性」「時間」「テーマ」「文体」「メタ度(偶発性)」などの大きな穴が被さってくるのだから難しい。本書ではこのような多種多様の論題について、38(+2)首の短歌を例題として著者の三上さんと鈴木さんを往復して論じてゆく形式をとっている。その往復のなかで挙がってくる話題をすべて拾い上げると長くなりすぎるので(ぜひ読んでください)、自分の最初の問題意識に沿ういくつかの主題についてわからないなりに感じたことを述べてゆくつもりです。
短歌の主体がわからない
さて、先ほど、別にきれいな男を見かけて殴りつけ押し倒し犯し孕んだりはしていないわたしが「きれいな男を見かけてなぐりつけおしたおしおかし孕んでも見る」、あ、間違えた、「孕むまで見る」と詠んだわけだが(*2)、そもそもこの作者のわたしと作中主体の〈わたし〉について、読者はかなり注意していないかぎり混同しがちなのではないかと思う。というのも、小説などと違って主語がほとんど明示されないため。小説では固有名詞の固有な物語が編まれることによって作者の影は薄れる(からこそ逆説的に作家論などが跋扈したのだろう)が、短歌はどうもそこがぼやけてしまう。これについては鈴木さんが言及していた。
昨今の短歌では歌の中の主体である〈わたし〉というのは、必ずしも作者の人格と同一なものではない。かといって歌の作者と〈わたし〉が全くの無関係であるとも言えない。卑怯な言い方をすれば、それは作者個々人の考え方にもよるし、また一首一首ごとにさえ揺らぐような関係性なのだろう。だから僕たち読者には��首の中の〈わたし〉と作者の関係を知ることは難しく、その判断を保留にしたまま歌を読むための便利な道具が「作中主体」なのだ。(鈴木、p.22)
「作中主体」の存在を頭に置いて現代短歌を読むと、主体のあわいが揺れて、何か深いことがわかったような気になるのだが、だからってその読みがすべてだと思ってしまうと危うい。鈴木さんが指摘したようにそれが留保に過ぎないことを、案外忘れがちだと思う。
便利なものはどんどん使っていくべきなのかもしれないが、その効果はあくまで判断を保留するだけであり、また便利な道具を使うときに捨象されるものがあることを忘れてはいけない。(同)
たとえば与謝野晶子が「柔肌の」「その子二十」と詠んだものをわたしたちはどうしても与謝野晶子の生として読んでしまう。彼女の歌は彼女の生き様とあいまって感動を呼び起こす(少なくとも大正時代の彼女の歌の読まれ方はそのようだったのではないかと思う)わけで、そこに別の「作中主体」を置いてやると途端に冷める歌の熱というものは間違いなくある。読みに正解はないが、それが便利だからといって作中主体の常用を惰性でおこなうことばかりを批評正当的な読み方だと思ってしまうと、見落とすものが多すぎるだろう。
与謝野を例にとってしまったので話が混乱しているけど、現代短歌というのは作者性を透過する傾向にあるんじゃないかな。葛原妙子などを見るとそうでもない気がしてくるが、とはいえ個人差(作品差)があるといって片付けられない程度には、現代短歌の特性として作者性の透過が発生しているのではないか。かといって透明の作者への志向性を認めてしまうと、こんどは「作中主体の存在を意識しすぎないようにする」ことが難しくなってくる。とにかく、便利なツールには警戒するべきだ。利便性と距離を置くことでしか見えないものも多い。
ところが。この慎重であらんとする態度を嘲笑うかのように、そして作者性の透過傾向などあまりに的外れな感覚だと指をさして笑うように、短歌で日記をやるという試みがよく(伝統的に?)なされているそうだ。本書に取り上げられているのは、望月裕二郎『あそこ』(書肆侃侃房、2013年)から掲出の以下の歌。
十月十八日 ペリー公園で昼食。海沿いで育っていたらどうだったかな。
この歌については、文体の乾き、私性の乾きということについて三上さんが述べていて、それを受けて鈴木さんの往信では〈わたし〉の問題に触れている。
近代短歌と日記の相性がなぜ良いのかというと、それはおそらくどちらも自己同一性を担保にしているからだと思う。(……)近代的個人にとって日記と言うのは、過去の時分と現在の自分の連続性、同一性を確認するための宿痾的作業であって、その記述は同一性に担保されつつも、それ自体が同一性証明になっているという相互依存の関係にあって、短歌における連作もまた同様に、それ自体が〈私〉の同一性を担保にしつつも、その同一性は結局連作という制度によって保証されたものであるという循環論法に陥る。(鈴木、pp.72-73)
先ほど与謝野を例示したが、もしかするとこの「自己同一性」というものについては、むしろ読み手の方に、揺るがされたくないという意識があるのではないかな。近代短歌の時代にはありそうだけれど、現代にもあるのかな。(*3)やはり、作者の存在というのは原理的には連作のタイトル程度のものにすぎないことを心にとめることは、短歌を読み解くのに重要な前提となってくるのではないか。
そういえば、日記について考えるときに思い出されるのは俵万智のサラダ記念日かもしれない。よく知られているとおり、褒められたのはサラダではなかったし、その日は七月六日でもなかったのだが、S音のために、そして印象の手垢をかんがみて恣意的な操作をおこなった結果として、完成したのがあの歌であった。サラダじゃないって知ったときは結構衝撃だった。俵リスペクトで七月六日にサラダ食べてたのに。
この歌に詠まれているのは現在の〈私〉とその同一線上の存在である過去の〈私〉ではなく、「海沿いで育っていたら」という可能世界上に存在する〈私’〉への憧憬だ。同じ日記体であっても、そこには近代短歌的な規範とは何か根本的に異なる地平に立った〈私〉の存在があるように思われる。(同)
わたしを〈わたし’〉にまで遠ざけて、短歌の主体が一体どこまで走っていけてしまうのか、少し不安になる。どこかでリアリティにしっぽを掴まれたままでなければ、そこに書かれたものを読める人などいなくなってしまう。作者の一般的な想像力に全ての読み手を振り払うほどの飛翔が遂げられるのかはさておき、そうなったときに、表現とは一体何なのかと、霧中にて途方に暮れることは幸いではあるまい。幸いだからいいということは何ひとつとしてないのですが。どこかへ進む希望を与えぬ闇は表現の在る姿としてあまり幸福でない。
短歌に絵をつけるのが気に食わない理由はわかった
主体について、〈わたし〉の先にさらなる〈わたし’〉が出現しうることが明らかになった。これをふまえて端的に述べると、短歌に絵をつけるのが気に食わないのは、短歌に詠まれた世界の多層性を台無しにしうる(あくまで「しうる」ではあるが)所業のように思えるからだ。
三上さんが「二重写し」という言葉で説明しているが、短歌に乗るイメージは一元的ではありえない。言語それ自体を志向するような詩形態を除く言語芸術の多くはたしかに未だ写実主義的であり、小説などはことさら、一文に一つの意味を乗せ(*4)、それを緻密に積み重ねていくことでイメージの多義性と時間性を獲得していくものだが、現代短歌はその方法を脱構築して多層的なイメージを31文字に取り込んでいる。
掛��や暗喩は「二重写し」の技法であると前項で述べた。星野しずるに用いられている「二物衝撃」や、上の句と下の句の呼応から生じる「短歌的喩」(吉本隆明)など、短歌の喩の多くはこの「二重写し」の技法によって成り立っている。特に前衛短歌は暗喩を基調とし、世界と反世界の「二重写し」を志向していた。(三上、p.62)
技法として挙げられた掛詞についてはこのような例が出ている。
「落ちる」のなかには「散る」が含まれて、また「落ちる」の古語である「落つる」には同じ部分に「吊る」が見いだされる。樹をしならせて花が落ちることがたとえば首を吊ることを匂わせる。単なる駄洒落と掛詞はだから微妙に違う。駄洒落は意味と無意味の重ね合わせからなるが(……)、掛詞においては複数のイメージが意味をまとったまま共存する。(三上、pp.60-61)
ひとつの言葉に意味の複数性を込めたり、並べた複数の言葉が二色のセロハンが重なるようにしてひと所に多層のイメージをちらつかせたりする。言葉を厳密に精査し繊細に扱うことによってのみ可能になる複層性が、この文字数の制限された言語表現においてきらめくのだ。
散文ではフィクションであってもノンフィクションであっても、単線的な記述をミルクレープの���うに何層も何層も膨大に積み上げていくことで、総体としての複線性、複層性を取り戻すことが目指されるのだが、韻文では文字列、あるいは語りそれ自体が単線的でありながら、同時に複線的であることが目指される(三上さんが言うところの「二重写し」)。(鈴木、pp.64-65、下線は本文中の傍点)
多層性、複線性は、冒頭に述べた主体の問題だけが担うものではない。そこに置かれた言葉にどれだけ深く潜れるかを問われる言語芸術というものに対峙するとき、とくに制限された文字数のために一字の重みを増している分野においては、「桜」を桜色の桜花としてのみ扱って過ぎてしまえば底はあまりにも浅い。イメージングの多層性の凄味があるものに対して、絵や写真をつけて揺蕩うものを固定されるのがいやだ。そんなところで楽をしたくないし、読みを蹂躙されたくない。されたくなくない?(*5)
ところが、イラストレーション=図説の是非ということについて考えると、今度は短歌がおこなう「写生」の問題が持ち上がる。
三上さんは本書の(11)で、木下こう「首飾りはづしてのち」『体温と雨』(砂子屋書房、2014年)から以下の短歌を取り上げて写生について言及している。
昏れやすきあなたの部屋の絵の中にすこし下がると私が映る
この歌はすくなくとも「写生文らしく」はない。しかし私たちはこの歌に確かな手ざわりを覚える。「昏れやすき」「すこし下がると」は現実ではなく、このひとの〈現実感〉を忠実に描いている。そのようにして、「写生文らしく」ない歌にも宿るリアリティがある。茂吉的な意味��の「写生」とはおそらくそれである。(三上、p.37)
「茂吉的な意味での『写生』」とあるので、茂吉の写生に徹したように見える歌を探して引いておくとこんなかんじ。料理歌集の『霜』(1941年)より
かぎりなき稲は稔りていつしかも天(あめ)のうるほふ頃としなりぬ
広く輝き風に波立つ黄金の海が見えるようですね……ため息でちゃう……。しかし、茂吉にも料理歌集なんてあるんですね。かわいい。平凡社とかから出てそう、料理歌集。「クロワッサン焼いて待ってる 深夜2時・深夜3時・早朝4時」とかそういう。そういう料理の。はい。あ、出てない。出てませんか。そう。ですよね。はい。クロワッサン焼いて待ってるんで出してください。よろしくお願いします。
田山花袋らの自然主義文学が目指したのは「告白」によって人間の真実に迫ることであり、齋藤茂吉は生を写すものとしての「写生」と「万葉調」によって人間の「生命」に迫ろうとした。一方で戦後、塚本邦雄などの前衛歌人は、虚構の、句またがりと句割れを多用した非生命的な韻律の短歌を唱導した。だがそこにおいて志向されたものは「魂のレアリスム」(塚本邦雄『定形幻視論』一九七二)でもあった。(三上、p.70)
すなわち、ここで言われる「写生」は「写実」とは異なり、直接的な言及を避けながら感覚を包摂すること、そして時間の経過を包摂することが技巧としての写生であるということだろう。文字通り、ひろびろと豊かな「生」を写し、抱きこむこと、あるいは明け放つこと。「二重写し」によるイメージの空間的・時系的多層化に時間感覚の包摂を加えて、歌の世界観は主体を端緒に読者を巻き込み果てしない広がりを見せる。
作為への抵抗感
ところで、ここまでわたしは作者の作為と技巧に素直に感心し続けてきたわけだが、どうも作為は手放しに称揚していいものではないようだ。この本の第一章である(1)に鈴木さんが述べたところを読んでほしい。
これは多分に恣意的な読みであるけれども、同時にそうした読者の「恣意的な」読みへと誘導する、単なるレトリックではない呪詛のような深い作為がこの一首には強く潜んでいる。僕は正直に言ってあまり笹井の歌を好かないのだけれど、それはこの深いところに通底する作為への抵抗感なのだと思う。(鈴木、p.11)
これは笹井宏之「国境のどうぶつたち」『てんとろり』(書肆侃侃房、2011年)から
どろみずの泥と水とを選りわけるすきま まばゆい いのち 治癒 ゆめ
という歌を引いて論じられたものの結語の部分なのだが、最初からびっくりしてしまった。作為への抵抗感。本書の中盤には、偶然短歌botや星野しずる��(半)自動生成短歌への言及があるのですが、作為というのは、「ことばによる表現から〈私〉の存在を消そうとする」(p.51)ことと対極に位置するのだろうか。
この返信として三上さんは以下のように述べている。
……命の実感は「まばゆい いのち 治癒 ゆめ」という高度なレトリックによって支えられている。鈴木さんはそれを『呪詛のような深い作為』と述べているけれど、これは笹井が病というその境遇において独自に編み出した方法であると同時に、現在というねじれた時空が彼の歌に要請したもの、であると思う。(三上、p.13)
主体の作為と主体である必然。表現をおこなう上で誰もが問い続けることになるこの操作と偶発のバランスがさまざまであるからこそ、すべての表現者が存在を許されるのかな、と少し感じ入るような、最適解を求める無謀さに背筋が凍るような、難しい話だなと思う。
ところで三上さんはこの返信の中で「『冥土』を挟むと『どろみず』に戻れてしまって、しりとりがいつまでも続くね」ということをおっしゃっていて、わたしはそれにも崩れ落ちました。まったく気づかなかった。わかることは読むうえでどれだけ言語感覚を鋭敏にできるかに懸かっているのだな。
ついでにほむほむの本も読んだ
まったく関係ないんですけど、短歌がわからない勢いに乗って穂村弘『ぼくの短歌ノート』(講談社、2015年)を読んだのでちょこっとだけ感想を書いておく。群像で連載されていたものをまとめた本であるらしい。この本も概説ではなく解題をおこなっているものであり、一章のなかに10ほどの短歌を並べておもしろがったり検証したりしてゆく。それにしても穂村はキュレーションと名付けがあまりにも巧い。いくつかの章についてはさすがの感性に舌を巻かざるをえなかった。女の短歌がお嫌いでない方は「花的身体感覚」の章だけでもお読みになるといいです。本章の解説文中の「そこに痛みがないからだ。」という一節は鮮やかだった。素敵な歌がたくさん紹介されていて楽しいので、気に入ったものをいくつか引いておく。

流れつつ藁も芥も永遠に向ふがごとく水の面にあり/宮柊二
奔馬ひとつ冬のかすみの奥に消ゆ われのみが纍々と子をもてりけり/葛原妙子
夜の新樹しろがねの日こゑうるみ貴様とさきにきさまが呼びき/塚本邦雄
名を呼ばれしもののごとくにやはらかく朴の大樹も星も動きぬ/米川千嘉子
こうして並べてみると自分が好ましく思う短歌にはやはりイメージングの豊かさと色彩の移ろい、揺らぎがあるようです。そういう揺らぎを固定されることへの抵抗感に端を発したのがこの記事であるわけです。ここでの文脈に乗れば、時間感覚の重層性こそが短歌を短歌たらしめる条件だと言えなくもないけど、多分それは知の欺瞞。欺瞞ゆるすまじ。短歌を短歌たらしめる条件などはもはや雲散霧消し、条件の消滅した混沌の時代を迎えており、それゆえに現代短歌を読むことについてわかるよりも感じることを許す雰囲気が漂っているようにも思われる。感じることを許す雰囲気のなれの果てが挿絵。なんでやねんこのアホ!!!!いやポップカルチャー化して間口が広がることは文化として悪いことではない。悪いことではないが、間口が溶けて消え去ることには歯止めをかけたいじゃないか。短歌がわからない門外漢なりに。短歌がわからない門外漢だからこそ、門があってほしい、くぐることを許してほしいじゃないですか。
誰にも短歌がわからない
というわけで、やはり現代短歌がわからない。しかしわからなさがよくわかったのでよかった。わからないときに「何がわからないのか」を考えるための語彙が得られてほんとうによかった。もう泣かないと思う。怒ったり、苛立ったりはすると思う。でもそれはプラスにはたらくパワーになるからいい。
ついさっき、感じるばかりのアプローチを強く非難したが、わかるための、考えるためのきっかけは感じることだとは思う。現代短歌を見かけて「わからないけれど綺麗でいいね」「色っぽいね」「この感じ、あるね」と思っていい。それが美しく飾られた入口の役目となる。現代美術の前にぽかんと突っ立って「よくわからないけれどなんか好き」「大きい」「かわいい」「変」と思っていいのと同じです。ただ31文字にぶち込んだだけではないと意識していてほしい。ニューマンの赤が無意味に赤く塗ったわけではなく、クラインの青が適当に拾ってきた色ではなく、李禹煥の岩が博物学的な意味を主張しているわけではないと同じで、現代短歌の耳に心地よい言葉のむれに俊英で明敏な作為がはたらいていることに思いをはせてほしい。わからなさに対峙してほしい。3秒で読める31文字は、決して読み流されていいものではないのだから。
わからなさといえば、最初に誂えた2首の差についてちゃんと考えないことには示しがつかないので、がんばりましょう。
冒頭2首は巧拙においてどう違うのか
丁寧に暮らしている中年の女をすごく好きになって背後から性器をねじこむ
きれいな男を見かけてなぐりつけおしたおしおかし孕むまで見る
実は挿絵の不服について述べた際にとりあげた三上さんの「二重写し」のお話��、このフラワーしげるの「丁寧に…」の解説中にあるものだった。多くの短歌が複線性を志向し二重写しの技巧によって成り立っているのに対して、フラワーしげるの歌は一重写しを志向している。二重写しにおいて二層目に現れるはずの「怪異」を一重目として平然と出していることの異常性を三上さんは指摘していた。加えて、定型を逸脱しながら初句「丁寧に」と結句「性器をねじこむ」が定型に近い姿をとっているとおり、単純に定型を破壊するのではなく、定型に阿りながらも文体によって独創をおこなっていることについても言及している。(pp.62-63)
また、鈴木さんはこの作品の異様さについて、「着想の特異さや暴力性、大胆な破調になどにあるのではなく、彼の文体それ自体から来るもの」(p.65)と見ている。等速、単線的であるこの歌に、原思考への憧憬や身体への郷愁が存在しないことの不穏さが述べられている。
はーい、そこでわたしの「きれいな…」ですが、「丁寧に…」に文意の似たものを用意しようと思ってこしらえたので、とりあえず同じ視点を使って比べてみます。まず一重写しであることには相違ない。文体の等速もそれっぽい、が。ここで突如!文体というキーワードによって、わたしが常々感じてきた、いいかげんに作られた拙い短歌の気持ち悪さについてはっきりと明らかに!なった!なりました!おめでとう!はい。というのも、歌に詠みこむ怪異を一重写ししようとしながら怪異にあるべき矛盾を含まず、そのうえ文体すら獲得せずに、つまり状況説明するだけとなっている歌は、「で?」である。��だからなに?」である。それこそ作者というパーソナリティへの回帰を強制するようなナルシスティックなものに過ぎない。芸術性を帯びないナルシシズムに付き合わされるしんどさというのはやばい。暴力。つらい。悲しい。それは人間関係でしかありえない。表現は人間関係を担保におこなってはいけない。表現は人間関係から独立せねばならない。難しい。難しいがそれは表現者が乗り越えなければいけない困難である。表現者は彼自身がコンテンツになるべきではない(なってもいいけど)。
定型の遵守/逸脱という観点についても、全体が31文字前後になんとかおさまっているというだけで意味としてとれば 8・4・5・5・3・5・2 と、滅裂です……これはひどい……。「殴りつけ」以降はかろうじてリズムを尊重できていて良いですね。褒められて伸びるタイプなので良いところは褒めます。「きれいな男を見かけて」までが〈定型としての自己の生〉から逸脱した出来事であり、「なぐりつけおしたおしおかし孕むまで見る」行動に出る際には自己の生の定型を取り戻していると読むこともできます。
また、ついでに文字表現についても指摘してみます。平仮名が実にくどい。これはですね、「お」と「し」がたくさん出てきて可愛いから平仮名にしました。可愛いから以上の理由が述べられない表現選択はあまりよくないのかもしれません。「お」と「し」がたくさん出てきて口が気持ちいいことなんて読めばわかるので、文面にまで主張しなくていいのかもしれません。どうなんでしょう、見た目の良し悪��。自分ではよくわからないです。何事も悪口を言おうと思えばどうとでも言えるし褒めようと思えばどうとでも言えるから、妥当性の在り処がわからない。批評のための文化文脈がない。つまりこれがジャンルの文化文脈を持たない人間の限界です。門外漢というのはそういうことです。なので、ここでおしまいになります。お付き合いありがとうございました。なんでわたしは自分で作ったものを自分で評しているんだ。永久機関かよ。
おわりにおすすめ
というわけで、入門しただけで道を進んで行かないことには短歌についてなかなかどうして断定的なことが言えませんが、実践的な学びがおこなえる『誰にもわからない短歌入門』はおすすめです。幅広い種類の現代短歌を取り上げていて入門者にやさしく目新しく、解釈の参考書として実践的で、かつ読み物としての構成に優れているものでした。短歌と短歌をまたがって一つのテーマを論じているのはこの本の企画構成の成果で、企画自体が往復書簡のスタイルをとっているため、連綿と問題意識が接続していく。読み手としても問題意識をぶった切られることなく読めるのでとても快適です。また無為に冗長な解説を許さない枚数制限が論旨の一貫を確かなものに仕上げていて本当に読みやすい。短歌史・短歌批評史のような事柄には薄らとしか触れていないのですが、時々出現するそれらの重要性がはっきりとわかるし、好奇心をくすぐられる。とにかく良い本だったこと、面白かったこと、おすすめであることが伝わればわたしはうれしいです。以上、短歌がわからないわたしの読書感想文に長々とお付き合いありがとうございました。もしかすると、少しはわかるようになったのかもしれません。やったね!
--------------------------------
(*1) ところで今インターネットで検索してフラワーしげるの略歴を見たら「訳書にコッパード『郵便局と蛇』、……」とあり、フラワーしげるって西崎憲だったのかよ。びっくりした。わたしは2ちゃんねる世代なのでしげると言われて浮かぶイメージが松崎しげる一択で、フラワーしげる、という名前に印象されるイメージと言えばルドンのこの絵の顔部分に松崎しげるの真っ黒に日焼けした肌に白い歯の異様に浮かぶ良い笑顔が貼りついているものだったのですが、西崎憲だったのかよ。早く言ってよ。

余談ですが学生時代に〈夏目漱石の作品とイメージ〉というテーマについて講義を受けていて、『夢十夜』第一夜にこのルドンの絵をあてた人間がいるとの噂を聞いてわたしは怒り狂い憤死した。死んだので大きな真珠貝の殻で地面を掘って埋めてもらった。それから天から降ってきた星の破片を墓標にしてもらった。今は生きてこれを書いている。百年はもう来ていたのだな。
(*2) 「孕むまで見る」と「孕んでも見る」とでは物語がまったく別の様相を帯びている。「孕むまで」の自己完結したまなざしと「孕んでも」の他者をまなざすことの不完全さみたいなもの、前者は狂気だし後者は切なさである。人生は他者を取り込みきれない切なさとわかりあえなかった挫折がつのるばかりであるから、いっそのこと狂気で自己完結できればいいのにね。人生はままならない。
(*3) 時間の変移のなかで自己同一性を確保することが近代的自我の発明の意義だったわけですが、ポストモダンにおいて自己の解体を推し進めがちな現在(もはやポストモダンなのか?)というのはいったいどこを目指しているのだろう。意識的・非意識的にかかわらず、自己解体の取り組みの発露として現代短歌というのは非常に、粗暴なまでに、あからさまに実現されている気がします。ちょっと怖い。
(*4) ただしコーマック・マッカーシー、ジョゼ・サラマーゴ、大江健三郎、金井美恵子などを除く(とはいえどんなに長い一文にだってやはり意味は一つしか込められていないのではないか?)(意味とは?)
(*5) 絵画は写実から逃れて久しいものの、ダイナミックな時間の変化やイメージの多層性を内包するには少なくともセザンヌ、できればキュビズムをへて抽象表現主義へ至る必要があるような気がする。どうかな。時間ということなら古典主義的な宗教画だって複数の時間性と複数の物語のディメンションを包含しているよな(ボスとか)。でもあれはタブローが甚大だからなー。壁じゃん壁。人間身体を凌駕する壁。短歌は壁じゃないじゃん。写真における意味の多層性についてはよく知らないのですが、しかしわたしは直感的には写真がついている短歌のほうがいやだ。絵がついている短歌よりもいやだ。猫の短歌に猫の写真がついて、「その猫」にイメージの自由が奪われるのがいやだ。本文中で桜について述べたとおり、写真が単語に挿絵するのが腹立たしい。
とはいえ、Twitterで流れてきた歌にきれいな写真や絵がついていたら、そりゃあ、抗いようなくfavつけちゃうけどさ!きれいだもん!綺麗なものには抗えない。むかつく。あのなあ、綺麗もカワイイもただの暴力だよ、あんなもんに騙されてはいけない。騙されて奪われてはいけないんだ。わたしたちは読みの自由を死守しなければ死んでしまう。絶対に暴力を許さないぞ!
( 2016/05/24 18:09)
0 notes
Photo

不条理上位時代。 両親が共働きだった為、祖父母と過ごす時間が多かった子供時代。 国営放送局の連続テレビ小説を観るのが日課であり、「君の名は」と「純ちゃんの応援歌」は今でも覚えております。 朝の15分を駆け抜け、幼稚な隊列を組みつつ、小学校へ。 春の終わりから夏にかけて、常に裸足でいなければならない不文律があり、画鋲の脅威に晒される。 校庭脇には、小さな水田と畑があり、各学年が課外授業で育てた作物が豊かに実りつつあります。 私の学年の総数は十八名。 卒業記念には、担任教師の軽いエゴの積立にて制作された校歌のCDが手渡される始末。 そのような愛すべき我が母校は、少子化により廃校となり、残るは永遠に勝ち名乗り受けることもない土俵が残るのみとなりました。 これは、この国のよくある田舎者の記憶の一部。 仲の良かった友人の母親の移動式販売車から購入したYakultラーメンの麺の蒼さは、大人の事情を知ることが無い僕らの特権でありましょう。 このように不条理と呼ばれるものは、人知れず、気付かず、生きている時間の何%かに混入しております。 その配合により個性というものが形成されるのではないでしょうか。 その黄金比を皆様と分かち合いましょう。 【土曜日】 2020,09,05(Sat) “不条理DEポン!” @ CONTORT pm19:00~23:00 ¥1000(1D) DJ's MarginalMan a.k.a.TUTTLE WATARU(W) 原 清華 LIVE 佐々木まぼろし live paint SOTA 3分間クッキング 近藤進太郎 ◇ CONTORT 〒542-0083 大阪府大阪市中央区東心斎橋1丁目19 2 19-2 ビッグワンビル4F https://www.instagram.com/p/CEuB1BijyQY/?igshid=w7xvy17f34y7
0 notes
Photo

7/6記念日の日 誕生日/シルヴェスタースタローン とよた真帆 ミヤコ蝶々 横山剣 ジョージブッシュ ダライラマ14世 長塚京三 瀬川瑛子 七海彩夏 大西結花 旭富士 誕生日 1837年 津田仙(農学者・キリスト教) 1874年 佐藤紅緑(作家) 1909年 グロムイコ(ロシアの外交官) 1920年 ミヤコ蝶々 (漫才師,女優)[2000年10月12日歿] 1932年 遠藤実(作詞・作曲家) 1935年 ダライ・ラマ14世 (チベット仏教法主,チベット亡命政府指導者)Dalai-Lama XIV太陽太陰暦06/06,チベット暦05/06 1989年ノーベル平和賞 1937年 桐島洋子(評論・作家) 1945年 長塚京三 (俳優) 1946年 シルヴェスター・スタローン (米:俳優) 1946年 ジョージ・W.ブッシュ (米:大統領(43代),41代大統領ジョージ・H.W.ブッシュの子) 1948年 瀬川瑛子 (演歌歌手) 命くれない 演歌百撰https://youtu.be/9eo74quyZTo 1949年 諸星大二郎(漫画家) 1949年 崔洋一(映画監督) 1951年 ジェフリー・ラッシュ(俳優) 1960年 横山剣 (ミュージシャン(クレイジーケンバンド/ヴォーカル)) タイガー&ドラゴンhttps://youtu.be/US8zoKCxFO4 1960年 旭富士(大相撲・横綱) 1965年 角野秀行(TUBE・歌手) 1967年 とよた真帆 (女優) 1968年 大西結花 (歌手,女優) 1973年 小倉隆史(サッカー) 1974年 佐藤亜紀子(タレント) 1977年 HIBIKI(D-SHADE・ミュージシャン) 1977年 宝積有香(タレント) 1979年 七海彩夏(女優) 誕生花は ハイビスカス、花言葉は“私はあなたを信じます”、 誕生石は ルビー(ruby)、宝石言葉は“情熱” 記念日の日 サラダ記念日 歌人の俵万智が1987年に出した歌集『サラダ記念日』(河出書房新社)の中の一首この味がいいねと君が言ったから 七月六日はサラダ記念日から。 この歌集がきっかけで短歌ブームがおき、また、「記念日」という言葉を一般に定着させた。 公認会計士の日 日本公認会計士協会が1991年に制定。 1948(昭和23)年のこの日、「公認会計士法」が制定された。 ゼロ戦の日 1939年のこの日、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の試作機の試験飛行が始った。 零戦は堀越二郎が設計した日本最後の艦上戦闘機で、時速533キロ、航続距離3500キロ。1年後の中国戦線から実戦に投入され、第2次大戦中に1万機以上が生産された。 ピアノの日 1823年のこの日、シーボルトが初めて日本にピアノを持ち込んだ。 歴史・出来事 1783年 浅間山の大噴火、死者3万5千人 1902年 笹子トンネル貫通 1957年 谷中の五重の搭焼失 1972年 佐藤栄作内閣総辞職 1972年 田中角栄、史上最年少で首相に #今日は何の日 #パーソナルカラー #カラードレープ #カラーパレット #色見本 #PCCS #ドレープ120色 #パーソナルカラー用品 #テストドレープ #金銀ドレープ #ケープ #カラーシート #カラーチップ #C³ #色のみかた #顔タイプ #顔タイプ診断 #パーソナルカラー診断 #シーキューブ #毎月 #16日 #色の日 #insta_higashinada #神戸市 #東灘区 (パーソナルカラー用品ドレープ、見本帳,PCCSのご用命はc3(シーキューブ)) https://www.instagram.com/p/CCRuOkVAVEq/?igshid=1tupguc7e03wd
0 notes
Text
J-WAVE TOKYO GUITAR JAMBOREE
東京ギタージャンボリー2017at両国国技館 2017.3.12
『山内総一郎ソロ』
1.バタアシPartyNight 2.LIFE 3.若者のすべて 4.虹
名前を呼出しさんに呼ばれ、太鼓の音の中、西の入場口からギター持って登場。 にこにこ両サイドのお客さんにお辞儀しながら歩いてくる。ちょっと緊張してそうな表情。 全体的に髪が少し短くなってた。 衣装は、白地に紺の大小のチェックが重なった柄の薄手の生地(裏地もない)のロングコート(コートというより長くてヒラヒラしたジャケット?羽織るもの?って感じで、結び紐があって、腰より上辺りの背中で結ばれていた。裾は折り返し縫いがされていな��て、布の糸がそのまま出てた)。
上は紺地で大きめの花柄が印象的。
パンツは黒かネイビーのダボっとしたワイドパンツだけど裾が締まってるやつ。
全体を最初見た時はパンツのダボダボ感にヒラヒラ長いジャケットの裾がなびいてて、アラブの王子様かと思ってしまった。
土俵ステージに上がり、客席からの「総くーん!」の声の方に向かって笑顔で軽く会釈してた。
バタアシPartyNight(Paco Santiago)
指弾きで色っぽい(如何わしい?ブルース?ジャジーな?)そんなのを複合させたような音色で前奏が始まる。
ファブリックシアターの時のようなゆったりめの歌い方。 巡り巡ってのところがまぁるい声してたような。
LIFE(J-50)
ノーマルの始まり方。間奏のところ(トゥートュル♫のところ)で、最後の高音の所で声が出しにくくなったのか、「あーしんど」と笑ってた。
MC どうもお騒がせしております。って笑って話し始める。 普段はバンドをしていまして。フジファブリックというバンドなんですけど、10年前にココでワンマンでライブをしまして。もう10年経つんだと思いますね…あの時はもっとこう普通の…普通のって言ったらアレですけど、ステージを作ってやったんですよ。今日は土俵の上ですからねー。
今日はその10年前にやった曲もやっていきますので楽しんでいってください。
((人生の半分以上ギターを弾いてます、、から始まるお話があったのですがどこだったかな??))
若者のすべて(D-18)
前奏で会場から拍手があった。この曲はそれだけ有名で、生で聴きたい人も沢山いたはず。 総くんのMCからフジファブリックが10年前にこの場所でバンドでやった曲を今日はひとりで弾き語りで歌う…それを見守って応援してるかのようだった。 歌声もよかった。 全てを背負う重たさとかは無くて、この曲の持つ、切ないけど清々しく心が晴れていくような歌詞とメロディを奏でてくれてた。
虹(J-50)
前奏から総くんの笑顔! 「もう空が持ち上がる」を歌った後、総くんも両手を挙げて「みんなで空を持ち上げよう!」って言ってくれてて、会場みんなで空を持ち上げた。そこからの後奏で前右左にジャカジャカお散歩。本当に楽しそう。
ステージを囲むように数名のカメラマンさんが居たのですが、カメラマンさんが総くんの動きが読めなくて、あっち行ったりこっち戻ってきたり忙しそうだった。
虹の後奏後は、「ありがとうございました!」と言って土俵から降りて退場していった。歩いてる感じで、出し切った感が垣間見えてた。
『ハナレグミとのハンキーパンキーでのセッション』
(セット展開中にステージの西側にフェンダーのアンプが設置されて、その時にフジファブリックのスタッフさんが総くんのテレキャスを持っている…!!これは!?何かしらのセッションがある…!!テレキャスは一旦スタッフさんが裏に持って帰ってた)
ハナレグミが始まり、何曲か歌った後、 永積さんが「ここで、ゲストを呼びたいと思います!フジファブリック山内総一郎!」と。 茶色のテレキャス持って土俵ステージに上がる。 2人だと安心するのかとても落ち着いた感じで嬉しそう。
永積「総くんはギター気狂いなんですよ、僕も気狂いですけど」 「総くんのこのアンプもギターもすごいんですよ(意訳)」
総くんはあまり多くは話してなかった。笑顔で会話するみたいな、2人の空気感が穏やかに感じた。
永積「一緒に曲をやるんだけど、総くん、僕ね、星を降らせたい。こうたくさんの星が降る感じで。」 手で星が降るイメージをジェスチャーして���。 永積「でも始りは1つの星から始まる感じ…あ、僕、今朝見た夢が叶姉妹だったの、叶美香さんね、あの服のスパンコールが落ちててそれを1つ1つ拾っていくんだけど、そのスパンコール1つ1つの感じで…」(かなり意訳)
総「分かった!」笑って快諾。
そこから総くんのテレキャスで始まる。 総くんのシグネチャーが発売された時の動画のSTARのイントロに音がどこか似てるような。アンプがその時のと一緒だからかな? 抑えめの音で始まったけど弦がしっかりしていて、だんだん弦の音が重なり合っていってた。
永積さんのアコギも加わって2人の波長に驚いた。
星が降ってくる場面でのイメージならば、永積さんはどっかの草原とかでアコギ爪引きながら夜空を見上げてて、降ってくる星を光らせてるのが総くんのギター…みたいな。 (すみません、個人の感想です。)
後半のスライドギターも優しい音色だった。 茶色テレキャスでのスライドギターは、初めて聴いたので、こんなに柔らかい音がするのかと思った。
2人のシルエットもよかった。 この曲の時だけ、照明が違った。
(この日のライブは6時間を超える長丁場だし、出演者も多い分、お客さんも多いので、出入りしやすいようにか、会場全体がずっと明るかった。)
会場の照明を落として、2人の居るステージにだけ光が当たってた。
リズムに合わせて体を揺らす2人、総くんの前髪とジャケットの裾の揺れ方がキレイだった。
曲が終わって、土俵から降りて行く時、ギターは置いてスライドバー持って帰ってた。
アンコール『我が良き友よ』(J-50)
幹事の斉藤和義さんがまず土俵にあがり、今日の出演者を呼んで行く。11人がそれぞれのアコースティックギターを持ってぎゅうぎゅうに土俵の綱の中に入る訳で狭そう。 トータスさんが入ってきた時、先に入ってた総くんに向かって「狭いよなぁ!」って話しかけてた。総くんは頷きながら笑ってた。
総くんの右手にはカノエラナさん、左手には関取花さんと小柄な女性…総くんは自分のギターが当たらないようにギターを縦にするようにしてストラップを付けてた。(皆さんがお互いに気をつけてらしたのですが…ほんとうに狭そうでした)
ムッシュかまやつさんの「我が良き友よ」を11人で歌ってて、前半一部分のところは女子3人。 歌のソロパートを歌う方、ギターのソロパートを弾く方の箇所もありましたが、総くんのソロはなかったです。 あんな、大人数でギターを弾くのも楽しそうでした。 曲が終わって、名前を呼ばれた順に土俵から降りて行く時もニコニコしてました。
この日使用ギターは、PacoSantiagoと、D-18と、J-50の3本と思います。
0 notes
Text
『シュガドノッカペラテ』記録報告 ------『シュガドノッカペラテ』に至るまでの実験的なあれこれ
(文 徳永綸)
2016年11月に上演した『シュガドノッカペラテ』では、上演台本を元に行う稽古の前に、実験と称した数々の試行を繰り返していた。そこでは何が行われていたのか? 試行の内容について、稽古日誌を追う形で紹介していく。
こ く ど う と こ う さ て ん
の、黒字部分と赤字部分をそれぞれ別の人物が発話するというようにする。それぞれの人物は一定のテンポの上で、一文字ずつ発話することばを増やしていく。つまり、何巡もすることで「こくどうとこうさてん」ということばが完成していくようにする。
1巡目 くど 2 くどう て 3 くどうとこ て 4 くどうとこう てん 5 こくどうとこうさてん
最後には「こくどうとこうさてん」ということばが完成するはずが、細切れに違う人物が交互に発音するために、何を言っているのかほとんど分からなかった。なので、「こくどうとこうさてん」と一人の人物が流暢に発音した際の音程を、二人の人物が交互にいう場合にも再現してみる。音程を意識すると、何を言っているのか、少しは分かりやすくなった��� こうした、文章を分解し、何かのルールに当てはめる、そして、ことばとして認識できるか確認、という作業を繰り返す。 2、『それからの街』のテキストを読む② 「こくどうとこうさてん」を①でやったように分解する。一方の人物が、「こ、ど、と、う、て、」とリズミックに発音している間、もう一方の人物は、「あっ、あぁ……何してるの?」と別のセリフを重ねる。この時の「あっ」は、「こ、ど、と、う、て、」の「こ」にタイミングを合わせて言うが、それ以降のセリフは特にリズムに合わせなくていい。 結果、一定のリズムに完全に縛られているわけではない「何してるの?」というセリフさえも、リズム化して聞こえるのでは、という印象に至った。 3、『サラダ記念日』を読む 俵万智『サラダ記念日』,河出書房新社,1987 9月26日の稽古。俵万智『サラダ記念日』のテキストを読む。「いいねと言ったから」という部分のみ使用してみる。二人の人物が、違うニュアンスでその部分を繰り返し読む。少し笑いながらと、怒りながらのニュアンスで同時に発話。この実験は『雪が降る街』の実験にも引き継がれる。 4、『雪が降る街』の歌詞を読む① ユニコーン『雪が降る街』,作詞・作曲 奥田民生,1992 10月3日の稽古。ユニコーンの歌、『雪が降る街』のテキストを読む。二人の人物が、歌詞から一文字ずつことばを拾って言い合う。途中、「ま」という一文字を繰り返し言う中で、「わ」に変化させられないかという試みが行われる。音楽でいうところの「微分音」であるような、中途半端な発音が面白いという話になる。「ma」を「wma」というイメージに近づけていくなど、発音法を探る。 一文字という単音だけを聞いていると、その抑揚に注目がいくという話が出る。一文字から感情を汲み取ることができる可能性についても話す。 5、『雪が降る街』の歌詞を読む② 引き続きの稽古。冒頭にある、「だからキライだよ」という歌詞を、イントネーションを変えて発音してみる。二人の人物が、「だからキライだよ」と同時に、揃えて20回繰り返して言う。21回目からは、片方が「だからキライだよ」にアクセント。もう一方は「だからキライだよ」にアクセント。しかし、わざとらしいカタコトに聞こえてきて、全員笑い出し中断。 次に、21回目からは、「本当に嫌いな時の」テンションと、「妹に言う時の」テンションで歌詞を言うようにする。この違いはかなりわかりやすく聞こえてくる。この試行は、続いての実験でも形を変えて行われる。 6、『それからの街』のテキストを読む③ 10月6日の稽古。「こう、6つに分かれてて」という作中のセリフを、三人の人物が同時に、繰り返して発話する。三人のうち一人だけが、繰り返しの9回目以降、「こう、3つにわかれてて」と言い換え、かつ、繰り返すたびに音程を高くしていく。 音程を高くしていくごとに、「3つ」が聞き取れるようになる。テンポや音量以外にも、音程を変化させることで盛り上がりをつくれる可能性について話す。 7、『シュガドノッカペラテ』原作テキストの一部を解体、再構成する① 10月9日の稽古。原作テキスト(河野当当 作)の一部が届く。その中から抜き書きし、以下のような会話文をまず構成する。
あの、でんでんむしのやつってなんていいましたっけ? え?でんでんむし? かたつむりです。 エスカルゴ?
それをさらに構成しなおすと、以下のような会話文となった(便宜的にAとBという二人の人物をこの記述上では設定する)。
A あの、で のやつってなんていいましたっけ? B え? A あの、で しのやつってなんていいましたっけ? B え? A あの、でん しのやつってなんていいましたっけ? B え? A あの、でん ん しのやつってなんていいましたっけ? B え? A あの、でん んむしのやつってなんていいましたっけ? B でんでんむし? A そう、かたつむりです。 B エ、 A ス B カ A ル B ゴ A・B エスカルゴ! A そうそれ!
空欄は発音せず、「でんでんむし」と言う分だけの間を開ける。これは言い間違いを極端にやったものかもしれない、という話が出る。「そう、かたつむりです」のあとの「エ、」が、「え?」という聞き返しに聞こえるので、その後に「ス」と言葉が続くことに意外性があるという話も。 8、『シュガドノッカペラテ』原作テキストの一部を解体、再構成する② また原作テキストを使用する。一部のテキストを、どんどんことばを欠落させていく(ことばを一語単位で抜いていく)かたちで繰り返し読む。一人の人物がそれを読み、もう一人の人物はテキストが繰り返されるたびに、その直前に「うん」という応答を入れる。「うん」と応えるタイミングをだんだんと早くしていく。すると、テキストの読み上げのテンポも自然に上がっていった。 セリフを欠落させていくと、会話の意味がだんだん違って聞こえてくる、ということについて額田が話す。もしくは洗��されていくのかもしれない。誤解を呼ぶ文字の並びになる可能性も高いし、言いたいことがまとまって聞こえるかもしれない、という話もする。 ------------------------------------ 記述したものがすべてではないが、ヌトミックの稽古は以上のような試行の積み重ねから始まっていた。これら稽古による作品への影響はどのようなものなのか、また、この稽古内容を別の新たな作品づくりに活かすことはできるのか。今一度考えるきっかけになれば幸いである。 (2017年1月 記録 徳永)
0 notes
Text
「食文化」を通じて、 社会・経済の活性化を目指すという尾尻さん。 若い人には「とにかく、がむしゃらに」という メッセージをいただきました。
http://in-shoku.info/ouendan/vol04.html

今回、ご登場いただいたのは、食の月刊誌「料理王国」を発行する株式会社アビーハウスCEO尾尻 佳津典氏です。「料理王国」は1994年の創刊以来、日本国内のみならず世界各国の「食」の最新情報を提供し、現在では毎月10万部を発行。月刊誌の発行以外にも、さまざまなイベントを主催しています。リアルコミュニケーションによって「人・モノ・情報」の交流を図り、食文化の発展にも寄与されています。尾尻氏ご自身のプロデュース能力、また文化・アートに対する深い造詣とアーティストたちとの交流が、「料理王国」の人気や各種イベントの反響を支えています。ちなみに、尾尻氏がCEOになられてから、「料理王国」の売上は、雑誌不況と言われるなかで、毎年、売上記録を更新されているそうです。
料理王国
尾尻 佳津典CEO/プロフィール 1952年東京都出身。 中央大学卒。ケンブリッジ大学留学を経て、大日本印刷に入社し18年間勤務。最少年の取締役になる。だが、41歳で独立。プロモートなどの事業を興し、成功を収める。現在、「料理王国」を発行する株式会社アビーハウス、医療情報誌「集中」を発行する株式会社集中出版社、両社の最高経営責任者(CEO)を務めている。その一方では、食材などのブランディングプロデューサー、また全国の食品メーカー、農水産物の生産者、飲食店舗の販促・広報に関するコンサルタントとしても高い評価を獲得している。
武田
本日はお忙しいなか、ありがとうございます。尾尻さんにお会いできるのを楽しみにしておりました。今日は、食にかかわるたのしいお話はもちろん、尾尻さんの過去を少し振り返りながら、いまの若者たちの指標となるお話を聞かせていただければと思います。
尾尻CEO
こちらこそ、よろしくお願いします。
武田
尾尻さんのお生まれは、東京と伺っておりますが、何年生まれでいらっしゃいますか?
尾尻CEO
1952年の東京生まれです。両親は広島の竹原と尾道のお寺の出です。父は陸軍士官学校から陸軍大学に進んだ、昔の言葉でいう「職業軍人」でした。戦後は、鶴見の総持寺で坊さんをしていました。私の菩提寺は西麻布にある長谷寺ですが、この寺は永平寺の東京別院で、大変落ち着きのある寺です。週末には必ず長谷寺にお参りに行き、座禅を組んだりしています。いつも慌しく過ごしていますので、週に一度くらいはこうして静かに過ごす時間があると落ち着きますし、とても大切な時間です。あかねさんもぜひ、寺巡りや座禅をされてはいかがですか?
武田
それは、心の豊かさということでしょうか。尾尻さんは、著名なアーティストとの交流もお持ちですが、そういう精神的なものがクリエイティブとつながっているのかもしれません。
尾尻CEO
そうですね。物質的なことだけではなく、精神的なつながりは「���がるチカラ」「継続のチカラ」を持っていますから。
武田
大事な観点ですね。いま行っておられるイベントなども、そうしたつながりを生み出す一つの仕掛けのように思えるのですが、少し話を戻して、尾尻さんはたしか、中央大学に進まれるのですよね。
尾尻CEO
中央大学杉並高校という附属校でしたので、受験はありませんでした。大学に進んでも高校時代の仲間が勢揃いしていますので、テレビ番組の青春ドラマそのままの楽しい学生時代でした。
武田
それは楽しそうですね!その後、いつ、ケンブリッジ大学へ留学されたのですか?
尾尻CEO
「井出ゼミ」の井出先生からの推薦で、ケンブリッジ大学に留学させてもらいましたが、この2年間は、日本ではした事もないほど、長時間必死で勉強しました。
武田
卒業後、大日本印刷に就職されるのですが、サラリーマン時代の尾尻さんってどんな人だったでんしょう?
尾尻CEO
モーレツ営業マンでした(笑)。当時、印刷業界では「営業の大日本、技術の凸版」と言われていましたので、営業に配属されたその日から、本当に働らかされました。入社してからの数年間は、月の残業時間が200~300時間を超え、自分自身の結婚式にも仕事が終らなくて遅刻してしまうほどでした(笑)。負けず嫌いでしたので、過酷なノルマをがむしゃらに達成していくうちに、過激に働くことが楽しくなっていました。現在の自分の土台を形成してくれた大日本印刷には、今でも本当に感謝しています。素晴らしい会社です。
武田
それは、ビックリです。私も、印刷会社にいたことがあるのですが、大日本印刷といえばガリバー企業。そんな会社の人は、もっとのんびり仕事をされているのだと思っていました(笑)。
尾尻CEO
遊ぶ暇もありませんでしたが、私には向いていたのでしょうね。逆に、楽しかった。「きびしい。だけど、たのしい」。これは、当事者の気持ちの問題。どこの世界もそうですが、飲食の世界には、特に当てはまることが多いと思います。
武田
たしかに、飲食の世界も残業が多く厳しい世界ですが、それを楽しんでいる人もたくさんいらっしゃいます。
尾尻CEO
結局、大事なのはそこで、「がむしゃらにできるかどうか」が、将来を左右すると思っています。たとえば、パティシエやシェフといった職業があります。その職業に就いている人のなかには、昔、ヤンチャをやっていたなんていう人も結構います。彼らは、どこに向かえばいいかわからなかっただけで、よし、「パティシエになろう」「シェフになろう」と方向さえ定まれば、とても強いエネルギーを発揮します。何しろ、根性が違う。飲食では、学歴よりも「やる気」や「心の強さ」が大事です。こういうハンディのない世界があること自体、素晴らしいことだと思います。
武田
私は、飲食に就職しようとされている方々から相談を受ける機会が多いのですが、大事なのは学歴よりも「やる気」「心の強さ」というのはとても頷けるお話です。飲食の、たとえば採用の判断軸は、経歴などの数字で表せないところにあるような気がします。だから、判断する側の考えがとても大事になるのでしょう。ところで、大日本印刷に就職され、最年少で取締役になられたのに、その後、あっさり退職し、起業されたと伺いました。思い切った決断ですね。どのような会社を造られたのですか?
尾尻CEO
大日本印刷で培った営業力と人脈で何とかなるのでは?と思って起業しました。グラフィックデザイナーの粟津潔先生を新入社員当時からずっと担当させていただいていましたので、先生の仕事の営業部門となるような会社を考えていました。全国の美術館での企画展や、各地で開催される博覧会の仕事などを考えていました。 ただ、赤坂に事務所を構えるのですが、半年ぐらいはまるで仕事がなかった。電話番に事務員を雇ったのですが、仕事の電話がまったくかかってこないので、先行き不安に思ったのか辞められてしまいました(笑)。転機の一つは、あの有名な世界三大テノールの日本公演の肖像権の権利を買えたことで訪れます。1994年のことです。写真集も人気になりましたし、日本橋高島屋の新春の目玉企画として「新春三大テノール写真展」を開催したところ、長蛇の列ができました。創業2年目の会社としては出来すぎでした。
武田
どのように肖像権を手に入れたのですか?
尾尻CEO
大手広告会社も手をあげていたのですが、ありがたいことに私の会社を選んでいただきました。直接、彼らに手紙を書いたんです。『独立1年目の会社だけれど、将来の自慢にしたいから』って。それが効いたのかもしれません。提案した価格は、競合していた大手の広告代理店の1/20ぐらいの金額ですから、奇跡的な話ですね。
武田
たしかに奇跡的にも聞こえますが、尾尻さんという人の強い思いが、有名な三大テノールを動かした、そう考えれば不思議でもなんでもありません。会社設立後、尾尻さんは、さまざまなプロモートを行ってこられた一方で、出版関連のお仕事もされています。「料理王国」との出会いを教えてくださいますか?
尾尻CEO
「料理王国」の前オーナーからの要請でした。前オーナーは地方の資産家でしたが、赤字が膨らんで、どうにも手に負えなくなったし、自分の息子も出版には興味がないので、会社を買ってくれないか?と。若い頃から飲んで、食べることが大好きで、何しろ30年間、平日は、家で食事したことがないぐらいでしたので、それでは、と。
武田
30年間、それはある意味凄いですね。ちょっと話は脱線しますが、どんなお店に行かれるんですか。「料理王国」のCEOがどんなお店に行かれるのか、興味があります。参考までに教えてください。
尾尻CEO
基本的には、大日本印刷時代から気に入っているお店に今でも変わらず通っています。私が「料理王国」をやっていることを知らないお店も相当数あると思います。オムライスなどB級グルメも好きですよ。ですが、たいていは人との会食なので、どうしてもそれなりのお店になります。また、外食ばかりでカロリーも気になりますので、いつも私の分はスモールポーションで、とお願いしています。それなりに気を使っているんですよ(笑)。 行きつけの店ですか?そうですね。青山斎場前にあったサパークラブ「マドリー」には通い詰めました。若い頃から週に4回ぐらい通っていました。友人の父親か経営していた素敵なお店でしてね、警視総監や銀行の頭取や航空会社の社長などもいらしていました。「マドリー」は、数年前、ビルの立退きの際に解散してしまったのですが、どうでしょう、通算すると3000回は伺ったんじゃないでしょうか。ワイフに言わせると、年間200回×30年で、6000回は通っていたと(笑)。つまり、そんな風に食べることも飲むことも好きだったし、アーティストをはじめとする人脈もあった。「料理王国」をお願いできないかと言われたとき、これなら私の持っている知識やネットワークを加えることで、大きな満月にできるかな?と判断してお譲りいただくことにしたんです。
武田
実際、CEOに就かれたのは、何年前になるのですか?
尾尻CEO
2005年ですから、6年前です。もともと赤字状態でしたが、私が欠けていたピースを埋めたことによって、うまく機能するようになりました。一昨年も、昨年も、創刊以来の売上です。
武田
出版業界が不況と言われているなかで凄い快挙ですね。尾尻さんの経営手腕を物語っています。その要因を尾尻さんなりに分析されるとどうなるのでしょう?
尾尻CEO
一つには信頼性の高さということでしょうね。「料理王国」では、掲載するまえに必ず編集担当者が試食に行き、味を確認します。それで判断するのです。つまり、情報に責任を持っています。たとえば、の話ですが、私がいいなと思ってもダメなのです。発行人や編集長たちが実際に行って食べてみると、そうでもないな、と見送られちゃうこともあるのです。だから、誰か一人の視点に偏ることもない。こういう真摯な方針が評価されているのだと思います。それ以外にも、さまざまなイベントも「料理王国」主催で行っています。そういう催しも功を奏しているのでしょう。
武田
イベントは主に「料理王国」の本社オフィスと同じビル内で開催していらっしゃるんですよね。
尾尻CEO
弊社の上階に40人程度着席できるプライベートなサロンがあります。料理教室も行っているスペースなのですが、ここはイベント会場としても使えます。東京電力さんとタイアップしまして、調理器具もすべて最新設備を整えています。著名なオーケストラのメンバーが日本公演の後にプライベートでおいでになったり、有名なオペラ歌手などが来られたりもします。彼らが、カラオケで歌うと迫力がちがいますよ。
武田
生テノールですものね。それはうらやましいかぎりです。今後も、イベントのプロデュースは積極的に行っていかれるのですか。
尾尻CEO
新しいところでは、大手百貨店とのビジネスに力を入れて行きたいと考えています。
武田
料理王国ではなく、百貨店ですか?
尾尻CEO
そうです。百貨店には催事場など情報を発信できる場がたくさんあるでしょう。その百貨店を舞台にして「料理王国100選」というイベントを開催します。「料理王国」が選んだ、文字通り100選です。食だけではなく器やキッチン周りの商材まで100選のなかに入れていきます。イメージしてもらいやすいようにいえば、モンドセレクションやミシュランのようなものですが、それを「料理王国」が主体となって日本人の手で行っていくのが、今回の企画の目玉です。そして、100選に選ばれたものを百貨店で披露しようという試みです。
武田
百貨店の売上増にも、つながるのではないかしら。
尾尻CEO
昨年、「そごう」180周年、というイベントが全国であったのですが、そごうのある部門の責任者から「ぜひ『食』を主体にしたいので、『料理王国』でプロデュースして欲しい」という依頼があったのです。それが、大成功を収めたんですね。百貨店は、ある意味、供給する側と消費する側がリアルに接するメディアなんです。そこを上手に活かしていきたいと思っています。百貨店という土俵で、「人・モノ・情報」が動き、それによって経済が活性化して欲しいと願っています。
武田
たしかに、百貨店が元気だと経済も元気だという話を聞いたことがあります。百貨店を元気にしてもらって、ぜひ、日本経済も元気にするような企画をお願いしたいですね。ほかにも、今後、考えていらっしゃることはありますか?
尾尻CEO
日本には「料理研究家」という肩書の方がたくさんいらっしゃいますが、認定機関があるわけではないので、すべて「自称」なんです。でも、それでは「料理研究家」はだれもが簡単に名乗れる軽い存在になってしまう。それで、「料理王国」が責任を持って認定し、整理しようと思っています。
武田
それも楽しみですね。このようにお伺いしていると、ほんと出版というカテゴリーを超えた活動を繰り広げておられることがよくわかります。最後に、そんな尾尻さんに成功の秘訣を教えていただきたいと思います。
尾尻CEO
これが成功の秘訣というものはありませんが、冒頭のほうでもお話しましたが、なんでもがむしゃらにやることだと思います。頭で考え過ぎずに、ね。
武田
根性も大事でしたよね。
尾尻CEO
そう、ほかには、ちゃんと情報を発信することです。私はいま農家を回らせていただいていますが、どうやって、その農家を知るかというと、やはり何かしらの情報を発信されているからなのです。みなさん、一生懸命、仕事をされている。だから、全部取り上げたい。でも、そういうわけにはいきませんから。ただ、これだけ情報が氾濫していると、情報をただ発信しているだけではパワー不足です。これが、もうひとつ大事なこと。あるイベントでシェフを160人集めることになりました。土・日でそれぞれ80人ずつ。でも、30人ぐらいしか集まらない。じゃぁ、どうするか。ここからが根性の出番です(笑)。社員が10人いれば��10人に追いかけさせる。ファックスやメールで呼びかけるだけでは30人しか集まらなくても、直接、「来てください、お願いします」といえば、160人集まるんです。いくら便利な時代だからって手間暇を惜しんではダメだと思いますね。私は、スタッフたちに「二流の仕事はするな」といっています。一流の生産者が、一流の生産物をつくるように、一流という言葉にこだわってみることが大事だと思うのです。ともかく、若い人にはがむしゃらに、便利な世の中になったからこそよけいにそういう気持ちで目標を追いかけていただきたいと思います。それが、あるとすれば唯一の秘訣ではないでしょうか。
武田
今日、尾尻さんからお伺いしたことを私たちも肝に銘じてがんばっていきたいと思います。また、「料理王国100選」も、楽しみにさせていただきます。本日は、ほんとにありがとうございました。
尾尻CEO
こちらこそ。ぜひ、みんなで「食」や「食文化」を盛り上げ、日本自体も盛り上げていきましょう。
<あとがき> 尾尻さんとは初めてお会いさせていただいたのですが、落ち着いたお話しぶりに、紳士というのはこういう人をいうんだろうな、と。作家や音楽家といったアーティストたちと密な親交があるのは、ご自身も美術や芸術に造詣が深いからでしょう。その尾尻さんがCEOを務めておられる「料理王国」の事業にも改めて触れることができ、「料理王国100選」など、今後拝見する楽しみもまた広がりました。
0 notes
Text
2020年7月3日
ライブドアニュースさん「【新型コロナ】東京都で新たに107人の感染確認、小池都知事が緊急会見へ 1日の感染者の数が100人以上になるのは、5月2日の154人以来、2カ月ぶり。都庁ではきょう2日、対策本部会議を開いたうえで、夕方には小池都知事が緊急で会見を開く予定。」 https://twitter.com/livedoornews/status/1278555790870106112
日テレNEWS / 日本テレビのニュース・速報さん「【小池都知事が臨時会見で説明】 東京で新たに107人感染確認。小池知事が感染状況や今後の対応について臨時会見で説明しました。 ・専門家の分析を踏まえ、都の考えとして「 #感染拡大要警戒 」の段階にあると認識している。 ・都民・事業者の皆さま、ぜひ意識を共有していただきたい。」 https://twitter.com/news24ntv/status/1278606622407852033
俵 才記さん「西村大臣「国民に逆ギレ」 安倍首相「西村に丸投げ」 これじゃコロナとの戦いに勝てっこないわ。 西村「これ、皆んなで努力しないと」? 国の仕事は国民の生活不安、健康不安に、あらゆる措置を講じて「安心」を与えることだ。国の無策を国民の努力に責任転嫁するな😡」 https://twitter.com/nogutiya/status/1278869554467241984
きぐるみ@コミュ障度999%の人さん「今日も100人オーバー… この状況でも誰も責任を取らない悲劇。 #東京100人 満員電車ゼロは? 2階建て電車🚃はどうなったんですかね? #小池百合子は公約実現ゼロ」 https://twitter.com/kigurumi_no/status/1278888894692388864
news zeroさん「【#感染者 まとめ】 きょうの全国の #感染 者数は196人。 #緊急事態宣言 の解除後1日の感染者数として最多となりました。 東京、 #埼玉、 #神奈川、 #千葉、この1都3県だけで、全国のきょうの感染者数の8割近くをしめています。 #newszero #有働由美子 #岩本乃蒼」 https://twitter.com/ntvnewszero/status/1278699698467901440
時事ドットコム(時事通信ニュース)さん「加藤勝信厚生労働相は、新型コロナウイルス感染拡大に伴う出入国制限の緩和に向け、検査体制を強化するため、成田、羽田、関西の3空港に出入国者専用の「PCRセンター」を設置すると表明しました。」 https://twitter.com/jijicom/status/1278646877156753410
厚生労働省さん「接触確認アプリ(COCOA)により新型コロナウイルスの陽性者から通知を受けることができる機能を、7月3日から開始します。」 https://twitter.com/MHLWitter/status/1278666480402354178
ライブドアニュースさん「【現金ブース廃止】全国の高速道路、ETC専用化へ 国交省 現金向けブースを廃止し、ETC専用にする方向で検討すると明らかにした。ETCは利用率が93%に達しており、コロナ対策として係員との接触機会をなくす。」 https://twitter.com/livedoornews/status/1278637969042288642
時事ドットコム(時事通信ニュース)さん「新型コロナウイルスの院内感染が発生し、43人が死亡した永寿総合病院の湯浅院長は「感染を疑うタイミングの遅れがあった。発熱した患者の中に感染者がいるという想定が浸透していなかった」とした上で、「最も大きな被害を受けた患者と家族に深くおわびする」と謝罪しました。」 https://twitter.com/jijicom/status/1278236925095219201
東洋経済オンラインさん「コロナ禍で大幅な減便を迫られたJAL、ANA。感染が拡大した序盤には、ほとんどのフライトがキャンセルされた結果、運賃の払い戻しが発生。大規模なキャッシュアウトの波が襲いかかりました。大苦戦を強いられる中、唯一の希望は国内線旅客の早期回復です。 #東洋経済オンライン」 https://twitter.com/Toyokeizai/status/1278503605008388096
時事メディカルさん「◇ 遺伝子ワクチンは、これまで実用化に至った例はない ウイルスが変異しても迅速に対応できる可能性も 「感染症対策は安全保障に近い問題でもある。ワクチン国産化が何より重要だ」 #新型コロナウイルス #ワクチン」 https://twitter.com/jijimedical/status/1277444965014966272
毎日新聞ニュースさん「コロナ倒産300件超す 最多は飲食業 インバウンド需要消失も打撃」 https://twitter.com/mainichijpnews/status/1278364167892692992
朝日新聞名古屋編集局さん「トランプ氏、マスク着用を表明 批判に一転「大賛成」トランプ米大統領は1日、米FOXビジネスのインタビューで、新型コロナウイルス感染予防のためのマスク着用について「私は大賛成だ」と述べ、他人との距離が近ければマスクを着ける考えを示した。」 https://twitter.com/asahi_nagoya/status/1278516525054308353
日テレNEWS / 日本テレビのニュース・速報さん「【速報 都内で新たな感染者125人前後】 関係者によりますと、きょう東京都内の新たな新型コロナウイルス感染者は125人前後だということです。 緊急事態宣言の解除後、最多の人数です。 東京都での新規感染者...推移は?▼」 https://twitter.com/news24ntv/status/1278898787117744128
U-SKEさん「香港の人たちが命がけで獲得しようとしている普通選挙と、その普通選挙で僕ら日本人がしていること。」 https://twitter.com/USKE_ASADA/status/1278730792483446790
佐藤正久さん「【昨日、ツイートしたように、本日、外交部会で決議→自民 習国家主席の国賓訪日中止求める方針 「香港傍観できず」】 報道が一部間違っているのは「重大で深刻な憂慮を表明する」ではなく「強く非難する」との表現。この決議は「憂慮決議」ではなく「非難決議」。」 https://twitter.com/SatoMasahisa/status/1278847006748729344
NHK@首都圏さん「来月5日に投票が行われる東京都知事選挙についてNHKが行った世論調査によりますと、都知事選に「関心がある」と答えた人は、89%を占めた。投票に「必ず行く」と答えた人と「期日前投票をした」と答えた人はあわせて66%となっている。」 https://twitter.com/nhk_shutoken/status/1277867947013226496
時事ドットコム(時事通信ニュース)さん「英国は1日、中国が香港国家安全維持法を施行したのを受け、香港に住むすべての「英海外市民」について、英国への入国管理規則を大幅に緩和すると正式に発表しました。英海外市民の旅券保持者が、ビザ(査証)なしで英国に滞在できる期間を延長し、市民権取得につなげます。」 小中学校の給食で3400人以上が食中毒 埼玉県
BBC News Japanさん「BBCニュース - ロシアの改憲投票、78%が賛成 プーチン大統領は2036年まで続投可能に」 https://twitter.com/bbcnewsjapan/status/1278631377693368320
TBS NEWSさん「【独自】服役の邦人男性帰国へ 中国でスパイ罪 刑期満了 #中国 で #スパイ罪 などに問われて実刑判決を受けた日本人男性がきのう #刑期満了 となり、さきほど帰国の途についた。一連の日本人拘束事件で有罪判決を受けた日本人が帰国するのは初めて。」 https://twitter.com/tbs_news/status/1278569151242493952
時事ドットコム(時事通信ニュース)さん「国家安全法で初の逮捕者 民主派デモ敢行、370人拘束―厳戒下の香港返還23年」 https://twitter.com/jijicom/status/1278346630580678656
時事ドットコム(時事通信ニュース)さん「北朝鮮に拉致された横田めぐみさん=拉致当時(13)=の父滋さんが、6月5日に87歳で死去したことを受け、トランプ米大統領から妻早紀江さん(84)に弔意を示す書簡が届いたことが1日、分かりました。」 https://twitter.com/jijicom/status/1278229940580823051
日本経済新聞 電子版さん「マイナンバーカードを持つ人を対象に上限5000円、25%分ポイント還元する「マイナポイント」の利用申し込み受け付けがきょう7月1日始まります。予算は4000万人分で、予約人数が上限に達すれば申請を打ち切ります。」 https://twitter.com/nikkei/status/1278094430218661890
もも と みらいさん「取り出してまず説明書を読む飼い主と、早速箱に収まる猫。検品されるロボロックちゃん。速攻マウントをとられるロボロックちゃん。 (๑'ㅂ')おやめ下さい。」 https://twitter.com/myumyulovemyu/status/1278290191090774016
癒しチャンネルさん「毎日こうしてたい」 https://twitter.com/iyashichannel_/status/1278511378165161984
いつでも買えると評判上々 青森・つがるのホルモン自販機 飲料用の応用に試行錯誤 - 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20200703/k00/00m/040/015000c
ボツワナでゾウ350頭が謎の死「例がない規模」 密猟の可能性は否定 - 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20200703/k00/00m/030/059000c
卯堂 成隆@お仕事募集中さん「白い球体、「所有者・目的不明」の結論…十字形の部品と2基のプロペラ付く : 社会 : ニュース : 読売新聞オンライン あれって、なんで打ち落とさなかったんだろうね? 海外の諜報目的だったらどうするのやら。」 https://twitter.com/loadofbear/status/1278897612976828418
【最新まとめ】まとめまとめさん「神奈川県のJR線の駅、多機能トイレに使用制限! 渡部建の文春砲の影響か?? #多機能トイレ #渡部建 #乙武洋匡 #拡散」 https://twitter.com/matomame3/status/1278901787932549120
Yahoo!ニュースさん「【児童ら3千人以上が下痢や腹痛】埼玉県八潮市で多数の小中学生が下痢や腹痛を訴えた問題で、県は2日、全市立学校の児童と生徒、教員の約半数に当たる3453人が症状を申告したと明らかにした。集団食中毒と認定し、原因を調べる。」 https://twitter.com/YahooNewsTopics/status/1278655978758533120
Yahoo!ニュースさん「【ミャンマーで地滑り160人超死亡】ミャンマー北部カチン州パカンのヒスイ鉱山で大規模な地滑りが起き、160人以上が死亡した。さらに多数が行方不明になっているという。現場には採掘の際に排出された土石が積まれていた。」 https://twitter.com/YahooNewsTopics/status/1278713103408959490
日本経済新聞 電子版さん「テスラ時価総額22兆円、トヨタ超え��界首位に 1年で5倍」 https://twitter.com/nikkei/status/1278334796930797569
読売新聞ブランド企画部さん「昨年1年間に全国の警察に届け出があった #認知症(疑いを含む)の #行方不明者 は、延べ1万7479人に上り、過去最多を更新したことがわかりました。 前年より552人増え、2012年の統計開始以来、7年連続の増加となったそう。 詳しくは今日の夕刊社会面で。 地域社会で見守りを強化していきたいですね。」 https://twitter.com/pr_yomi/status/1278605250752962560
聖詩さん「「JESUS」から「CALL FOR YOU」の繋がりが個人的にはかなり拘ってると言うか、作った時は2曲で1セット的に考えておりました。この繋がりを聴けるのもこのCDだけなのであり〼」 https://twitter.com/suimasenoaiso/status/1278658948707438593
池袋 手刀さん「もうすぐ放送開始です!」 https://twitter.com/ikebukuro_chop/status/1278642818198630400
池袋 手刀さん「リンク、投げ銭、差し入れ等はこちらにて。。。」 https://twitter.com/ikebukuro_chop/status/1278642975543750658
【貴族】Mörishige【KIZO-CLIMAX TOGETHER】さん「バグラジありがとうございました・・・† それぞれの場所に遊びに行って参りましたが、全て楽園プーチョーです・・・。」 https://twitter.com/KIZOKU_0927/status/1278688732695031809
キリ(luin/…。【サイレンス】)さん「初の、紙ストロー。 なんというか、ぱしぱししている。アイス用の木のスプーンと似たぱしぱし感があるよ。」 https://twitter.com/kiri_drums/status/1278652272650514432
キリ(luin/…。【サイレンス】)さん「玉露ほうじ茶ラテ◎美味しかったです◎」 https://twitter.com/kiri_drums/status/1278653344320385026
キリ(luin/…。【サイレンス】)さん「RT 「塩…少々 って具体的に何グラム?」と聞いてきた理系の実兄との会話を思い出す。 生き方が違いすぎて会話に困るけど、それが楽しかったりもします(´ω`) 今週末は姪っ子と初対面〜◎」 https://twitter.com/kiri_drums/status/1278698781106552833
lucy+peter=esolagotoさん「微熱になったからって遊びに行って39℃で帰ってくる子供のようなもんだよね・・・。 しんどくてももう2週間我慢してたら終わったのに、と思う」 https://twitter.com/lucy_peter/status/1278727730297663488
ギャラクシー2525さん「†トーキョーナンバーワンゴシックパンク†DALLEのかっこいい服が届きました。 グレゴリー・ザムザと言うとBUCK-TICKの『PHYSICAL NEUROSE』を思い出します。 この服を着てメタモルフォーゼします✨」 https://twitter.com/govat66/status/1278627299290742784
dgmldgmlさん「DALLEさんのTシャツ届いたから明日のお散歩から着るぜ。」 https://twitter.com/dgmldgml/status/1278695341877944320
Meさん「DALLEのTシャツ来たよ☺️✨ 八田さんのサインもありがとうございます🙏✨ 早速明日着ようかな😌💕」 https://twitter.com/Me_1027_oto/status/1278668075886186498
🕸𝔛𝔛𝔛𝔄𝔗𝔖𝔘𝔖ℑ🕸さん「今週の5日日曜日は都知事選挙の投票日 神奈川県民だから投票出来ないけど 山本太郎さんが都知事にならないかな〜 この街宣聴衆者数凄いね 注目されまくってる 個人的に思うのはこれオーケーならライブハウスは、、、 とか」 https://twitter.com/xxxxvalentine/status/1278843425702338560
𝔱𝔥𝔢 𝔥𝔞𝔱𝔢 𝔥𝔬𝔫𝔢𝔶さん「[announcement] 恵比寿LIQUIDROOM振替公演の日程が決定しました!!! "A DEEP TIES 2021 Reloaded" 2021年4月17日 (sat) 恵比寿LIQUIDROOM open / 16:00 start / 17:00 act : FULLTRAP THE HATE HONEY KEMURI 175R POTSHOT ニューロティカ DJ: 白鳥雪之丞(Tears of Swan) Mai (continue)」 https://twitter.com/THEHATEHONEY_jp/status/1278886724370751488
🕸𝔛𝔛𝔛𝔄𝔗𝔖𝔘𝔖ℑ🕸さん「THE HATE HONEYが出演する恵比寿LIQUIDROOMでやるイベント振替公演の日程が決定ました "A DEEP TIES 2021 Reloaded" 2021年4月17日 (sat) 恵比寿LIQUIDROOM よろしくね」 https://twitter.com/xxxxvalentine/status/1278888218138562561
白田 雄人さん「先日6/23の仁さん配信ライブの動画です! ぜひご覧あれ!」 https://twitter.com/YutoHakuta_gt/status/1278654678574624774
情次2号さん「わたしコレやりました。48周年おめでとうございます🎉」 https://twitter.com/george2nd/status/1278237437605457920
十三月 紅夜さん「ワタクシもお手伝いをさせて頂いたことがある、西新宿の和食料理店【砂々良】@sasara620) が48周年 とのこと!!! おめでとうございます✨㊗️🎉 お料理もめっちゃ美味しくて、とっても良いお店です◎ こもださん作詞作曲の可愛らしい記念ソング、皆んなも是非聴いてみてね🌸」 https://twitter.com/jusangatsukouya/status/1278391688378019840
KISAKIさん「KISAKI、未発表新曲CD「Nothingness Cage」完売ありがとう。コンピレーションアルバム「鹿鳴館伝説」も宜しくお願いします。」 https://twitter.com/KISAKI_OFFICIAL/status/1278684638945239040
Go Yanamotoさん「disc77:『蘇生』/Syndrome」 https://twitter.com/utopos_utopos/status/1262997087035068416
拓馬(紫音) NEiN 4/21全11曲アルバム発売さん「今日は仕事休みだったんで、夕方から舜さん邸に遊びに来て色々楽しい話を(o^^o) 楽しい休みだったなー! ラーメンうまし^ ^」 https://twitter.com/takuma_nein/status/1278685544952651777
舜 NEiNフルアルバム発売中さん「俺の彼女��から手出したらあかんで(*´﹃ `*) #LINA」 https://twitter.com/shun_thefuzzbox/status/1278697761714565120
拓馬(紫音) NEiN 4/21全11曲アルバム発売さん「LINA姉ー😍」 https://twitter.com/takuma_nein/status/1278698994223345664
邪悪四弦LINAさん「可愛いなぁ〜…俺様(°_°)」 https://twitter.com/L_ch_vazm/status/1278885017788149760
太三さん「暫く人前での演奏していないけど 腕は上がってるぜ💪🏻 待ってろ」 https://twitter.com/taizodiac/status/1278689077236125696
魚住 英里奈 ( 独 唱 )さん「「魚住さんは病んでいて、薬を飲んでいる事も隠してなくて羨ましい〜」と言っていた女、 薬がダサい事だとようやく気付いて、健康になったな。 そしてわたしが措置入院してから本物だと気づいたな わたしは前から知っていた、」 https://twitter.com/erina_chas/status/1278707206058205184
Köziさん「バゴンっ!」 https://twitter.com/Kzi_official/status/1278725243750633473
KENZI 7・3スター☆カフェ30th写真集発売イベント。さん「アメブロを更新しました。 『お誕生日。』 #antikenzistars」 https://twitter.com/Antikenzi2000/status/1278751055988187136
金髪豚野郎K助(偽殿下)さん「けんちゃんありがとうございます!そして誕生日おめでとうございます!アルバム中、最狂最速の曲です!」 https://twitter.com/goldenpigdrumer/status/1278816651220103170
金髪豚野郎K助(偽殿下)さん「みんなタイトルなんて読んだかな? たいこみち? たいこどう? 正解は「たいこどう」だぜ! (°_°)」 https://twitter.com/goldenpigdrumer/status/1278901009352257537
中島卓偉さん「IGTVで「高円寺」を歌いました。是非聴いてやって下さい。 #中島卓偉#takui nakajima#rocksinger#stay safe」 https://twitter.com/takuinakajima/status/1278907263542079489
0 notes
Text
<中村雅之 和菓子の芸心>狂言小謡が頭の中に… 「俵最中 ...
#歌舞伎 #中村いてう [東京新聞]その名の通り俵形をしたひと口大の最中だ。これが、本物の俵のように、きれいに積み重ねられ、ウインドーの中にディスプレーされていた。 見た瞬間、「俵を重ねてめんめんに。俵を重ねてめんめんに…」という狂言小謡が、頭の中を流れ出した。
0 notes
Text
<中村雅之 和菓子の芸心>狂言小謡が頭の中に… 「俵最中 ...
#歌舞伎 #中村いてう [東京新聞]その名の通り俵形をしたひと口大の最中だ。これが、本物の俵のように、きれいに積み重ねられ、ウインドーの中にディスプレーされていた。 見た瞬間、「俵を重ねてめんめんに。俵を重ねてめんめんに…」という狂言小謡が、頭の中を流れ出した。
0 notes
Text
■MV「エキセントリック」のメモ
▼欅ちゃん「エキセントリック」MVを観る。「なんたるカッコよさよ!」と圧倒された。ホントは「仮面ライダーアマゾンズseason2」の感想を書こうと考えをまとめていたのに…観たばかりに手につかなくなってしまったw
youtube
▼なので「エキセン」MVの感想を先にまとめたい。
▼楽曲を聴いた時は「既存の社会を受け入れず抗うレジスタンス感」と、その裏面である「既存の社会を受け入れないが故に汚れないプリズム感」とが同居した欅らしい「レジスト-プリズム曲」だと思った。
▼「レジスト-プリズム」と勝手に必殺技風に造語してみたが、これが自分の中の欅のイメージだ。そしてこの「レジスト-プリズム」のうち「レジスト感」を強く出せば「サイマジョ」「和音」系になり、「プリズム感」を強く出せば「セゾン」系になる。「セカアイ」はその中間で「エキセン」に近く「ナチュラルな欅」。だからファン人気が高いんだろう、というのが自分の頭の中の分類法(その1)。
▼ただ、「セカアイ」には近いが、疾走感のある曲の中で静かにつぶやいてる感じと、叩きつけるようなピアノの音により、クリスタルが冷たく輝きながらも、静かに燃えているイメージが浮かび、そこが「セカアイ」以上に好きで、何回もリピートしてしまう。
▼とはいえ、楽曲の世界観からするとなんとなく「撤退戦」ぽい感じもしていた。レジストするよりも「やれやれ」という感じでクールに戦線離脱するというか。そこが「ゲスの乙女っぽい曲」と言われる理由でもあると思っていた。
▼しかし「THE MUSIC DAY」を観てぶっ飛んだ!「凄い凄いとは聞いていたがこんなに凄かったか!」と。撤退どころか攻めに攻めに攻めまくってるではないか!と狂喜した。
youtube
▼「ダサい/カッコいい」「イタい/神すぎる」の基準をまるごと書き換えようとする挑戦的なダンスにシビれた!その特異な「中二病の美学」により、目立ったヤツはネットにさらしてツッこんで草を生やせばクールだと思い込んでいる「2ちゃんマインド」=「二厨病の美学」を塗り替えようとする野心的な姿勢に心をつかまれた。
▼「これをやれば確かに目に留まる。でもダッセーって言われて大恥かいたらどうしよう」と、ふつうなら尻込みしてしまう。そこを「0か100か」の100を目指し、確信を持って足を前に踏み出した。個々のダンス以上に「その一歩」に、心揺さぶられた人が多いだろう。だから「ダサい」「土俵入り」は織り込み済みなのであって「それは批判にはあたらない(菅官房長官風)」。
▼ともあれ、MVの感想だ。
▼映像は沸騰するお湯の音が聞こえるほど静かな部屋で、物憂げに横になっている「ねる」の姿から幕を開ける。窓越しの太陽の上り具合からみて、おそらく彼女は不登校状態なのだろう(まさに、先日のshowroom問題そのもののタイムリーさだ :注1)
▼そこから推測するに、それ以降の映像は、ねるの登校時の記憶と心象風景が入り混じった「心の世界」だと基本的には考えられる。
▼「手つな」「また会ってください」のMVからも分かるように、ねるは「寝る(横になる)」の力で、登場人物たちを異世界に引きずり込む特殊な能力を持っているw(おそらく「残酷な観客」も夢オチかはさておきそのパターンだろう :注2)。
▼00:15からのピアノの音も映画「インセプション」における「Non, Je Ne Regrette Rien」のごとく異世界に人を引きずり込む「音の通路」なのだろう。
▼なお、心の中のことだから映像は断片的に現れる。言い換えれば、物語の順番どおりに出てこない箇所がある。なので、物語の順番に直して書く。
▼ねるが通っていた学校。そこは「あいつがああだと言ってた」「そいつがそうだろうと言ってた」という差出人のない噂の類が、確証ないほど拡散する「閉じた世界」だ。
▼体育館では椅子がバリケードのように並べられ閉塞感が余計に増している。
▼そんな世界では、確証こそないものの何かの拍子で「噂」が拡散すれば、「本人も知らない僕」ができあがる。そして「僕」のイメージが「倒れていく悪意のドミノ」により増幅され「あいつは悪だ!」と「確定」されれば、彼女(僕)の存在は地に落ちる。対して「僕」を「悪だ」と名指した方は逆に「善だ」とされ「モナ王」のようにスクールカーストのトップに上り詰めることができる。そして、その「悪意のドミノによる悪者倒し」に加担できれば「まなカースト」(土生ちゃん、ぺー、りさ、みーちゃん、しーちゃん、米さん?)の一員にしてもらえる。
▼しかし、その噂は確証や実態のないものだ。だから、別の方向から新しい噂が流れ「空気の流れ」が変われば、カーストの下層でフワフワと風になびくように踊っているメンバーたちのごとく、右から左へとすぐに形成は逆転。
▼発信者不明の影(不在のずーみん)のように「元のネタはどこにある」のか定かでない噂であっても、「推測だらけの伝言ゲーム」が始まって尾ひれがつくと、積み上げられた「まなカーストピラミッド」でさえ、すぐさまガラガラと崩れてしまう。
▼そして、その「形成逆転の伝言ゲーム」に貢献したメンバーを中心に今度は「ぽんカースト」が実現(虹花、なーこ、もん、尾関、オダナナ、ねる)。
▼それでも、安心してはいられない。「最強のぽんカースト」に所属していようと、また別の「伝言ゲーム」が始まれば、すぐさまいじめのターゲットになってしまう。そしてねるはターゲットとなり、学校に行けなくなってしまうのだった(2:16)。
▼こうして「閉じた空間」からはじき出され部屋にこもるようになったねる。だが部屋にこもったからと言って「閉じた空間」から出られたわけではない。意識の中では「自分はカースト最下層のそのまた下に落ちた」と思っているはず。つまり心はまだ「閉じた空間」から切断されていない。窓の格子戸が「牢獄」のようだ。
▼もちろん、ねるだけでなく誰もこの「閉じた空間」が心地よいとは本心では思っていない。しかし、みんなここ以外に世界を知らない。
「この世界に外はないのか?」
▼と、その時、プールに突然の夕立が。
▼「夕立」は人々を足止めしてしまうもの。だが、欅の曲にとって「夕立」は「予測できない未来への通路」。「未来=この世界の外」へとつながる道だ。
▼その夕立を部屋の中から浴びながら、「未来=この世界の外」を感じ取ったねる。すると、彼女の脳裏にある光景が一瞬だけ映る!
▼それは、天を見上げ「世界の外」を思いながら「閉じた空間」からの脱出を決行するてちの姿(2:03)。
(映像上は、ねるが雨に打たれた後、「靴回し」のシーンになっているが「物語の順番」では今書いた展開の方が「エモいw」と思う。おそらく「干された靴下」→「脱いだ靴を回す」というイメージの連なりを作りたかったことや、サビのシーンだからインパクトが欲しかったことから「靴回し」が先に来たのだと思う。)
▼そして、決起したてちの姿は「現実」のものだった。つまり、現実の学校でもてちは「もう、そういうのうんざりなんだよ」と「閉じた学校空間」からの脱出を行っていた。
▼ねるの「心の空間」に「現実」の光景が侵入してきた。こうして「心の空間」と「現実の空間」に通路ができる。
▼そして「決定的な一瞬」がねるの心に到来したことで、彼女の想像力も変容していく。
▼それを履いて地面をしっかりと踏みしめるためのものだった靴は、宙に浮かびクルクルと不安定に回転を始める。自分たちを規律���しく縛り付けるものだった「髪ゴム」は、閉鎖空間の拘束から自分たちを解き放つ武器になる(跳ね返った髪ゴムに期せずして当たってしまうぽんがなんとも愛おしい)。
▼右へ左へと風任せに漂うフワフワとしたダンスは「外の世界」から「風」や「予測できない未来への通路」である「夕立」を呼び込む「風呼び」のダンスとなる。想像力の中で、地に天に「外の世界」から風や夕立を呼び込む。すると心の中の教室には窓から嵐が吹き込んでくる。その中でエキセントリックに舞う少女たち。
▼その風呼びのエキセントリックダンスの力が、「想像」→「現実」の通路を通ってリアルの学校にも波及。ここでも生徒たちの「閉じた空間」からの脱出劇が展開する。
▼もちろん、脱出は必ずうまくいくわけではない。学校の外までは出られるが「行き止まりの柵」に突き当たり立往生する、ちゃぷてん(悪い空気が支配するネットワークから「あと1歩」が踏み出せない様子を表すのだろう)。
▼脱出する仲間を前に「自分だけ出て行くのか」と立ちはだかるりさ。だが…
「友達から縁を切るとは普通じゃない。普通って何か分かる?」と問うりさに
「僕は普通と思ってる。みんなこそ変わりもんだ」と狂喜の笑みで返すぺー。
(ゾッとするほどクレイジーな表情に狂喜!こんな「ベリカ3号」を隠し持っていたとは!)
▼それでも。自分を縛りつけていた髪ゴムを投げ捨て、半分裸足のエキセントリックスタイルで脱出を敢行する少女が。オーディションの時から「燃え上がる恋のレジスタンス」を歌っていたナチュラル・ボーン・レジスタンスアイドル「てち」だった。
▼昼の田舎道を、車が次々と走り抜ける夜の公道を、ひたすら前へ前へ、「閉じた世界」の外へ外へと進むてち。もう「今の日本でこの人よりカッコイイ人はいるのか!?」というくらいカッコイイ!
▼そして、夜明け。半分裸足で歩き続けたてちは、海辺に立つ。その対岸にはもう一つの街(外の世界)が見えていた…。
▼想像力による美学の塗り替え(エキセントリックダンスの創案)が、現実の「閉じた世界」からの脱出を導く。そう「ダサさ/カッコよさ」「イタさ/神さ」のセン���の基準が変われば売れる商品も変わる。そうなれば生産の在り方も変わる。そして経済も変わる。「カッコイイ政治家/醜い政治家」の基準が変われば、選ばれる議員も変わる。そして政治も変わる(ホントかよ!)。
▼そんな「新しい美学」の創出に向けた一撃としてこの作品を読み取りたい。
注1)
▼世代論はだいたいズサンだが「SRねる騒動」をみるにつけ「SNS世代っていうのは、無視されることや、レスを返してもらえないことが、七つの大罪ばりに悪だと思ってるんだな」と世代論を言いたくなる。たぶん「無視」が琴線に触れたんだと思う。俺など家族に何か言っても大半無視されるけどなあ…
▼いや、「ひらがなBRODY」読んで「ねるよくデキたコ」言うてたやん!「悪夢の握手会」の後のブログ読んで「ねるの優しさに泣いた」言うてたやん!なんで、そんな一夜にして変わってまうのよ!もう怖いわ!
▼だいたい、ひらがなのツアーもやったうえに、大きな音楽番組に連日出演して、疲れてるのに仲のいいちゃぷてんが「出てよ」っていうから出てみただけやないか。基本疲れてるから頭も回らんやろうに「まあ喜んでくれるならいいか」と思ってよかれで出ただけやん。
▼それをあんなにフルボッコにされたらやる気なくすよ。
▼「ねるいじめ説」というが、そんなにねるが腹黒いなら何万人も観てる前でいじめない。裏でいじめてるはず。そして、ちゃぷてんが裏でいじめられているなら、そんなやつを自分のSRに呼ばない。よって「いじめ説」など破たんしている。
▼そう言うと「そんなこと言ったって観てて不快に感じたんだもん!視聴者を不快にさせないのがプロなんだもん!」という。ずいぶん厳しいなあ。「みんな社会人2年目でそんなプロ意識持ってたんだ。これから社会人になる人は、2年目でプロ意識満々になる自信があるんだ」と嫌味の一つも言いたくなるが、「正しい」か「正しくない」かで言ったら「正しい」だろう。
▼ならば、「2年目だから至らぬところもある。次から気をつけましょうね。以上!」でよいのではないか。
▼それをいつまでも粘着的に言うから「ラーメン大好き」ならぬ「悪口大好きサイゾーさん」にまでネタにされてしまったじゃないかw
▼本当なら毎日1個ねるのいいところをUPして「毎日起きてもねる生活365日カレンダー」を作り名誉を回復してあげたいが、そこまでヒマではない。誰かヒマな人にやってもらいたい(ちなみに自分はてち、ちゃぷ、りさ、しーちゃん推し。なので「ねる推しのねる擁護」ではないのであしからず)
注2)
▼ずいぶん以前、「手をつないで帰ろうか」の感想をメモしていたものの載せるタイミングを逸したので以下に張り付ける。ねるが「寝るの力」で異世界に引き込むとはこういうことを指す。
●「手つな」MV感想
▼「付き合っていることが仲間たちに知れたらイジられちゃうよ。だから2人の関係は秘密にしておこう!」…そんな「学校ルール」という「閉じた世界」にいた男子が、彼女を怒らせてしまったことで覚醒w。クラスメイトたちの暗黙の空気が生み出した「学校ルール」なんてどうでもいい!そんな世界からは脱出し、誰かに見られたっていいから手をつないで帰り、街角でキスをしよう!という歌。欅の曲は「閉じた世界からの脱出」が世界観の核となっているが「仲間ルール」「学校ルール」という「閉じた世界」からの脱出を歌うこの曲もその例に漏れない。
▼だが、楽曲は3段跳びで言えば「ホップステップ」。MVがつくとここに「ジャンプ」が加わる。
▼MV冒頭。ラジカセから曲が流れる中、「ちょっと待って!いやだ!行きたくない!」という女の子の悲鳴にも似た声が聞こえてくる。
▼そこに、「私たちが望んだことだったのに」「私達は不安で仕方がない」「これはきっと夢なんだ」の文字が重ね合わされる。
▼そして、ラジカセが誰かの手によりガチャッと止められるや…場面は変わって廃校のような「閉じた部屋」に。
▼そこには倒れて眠っている20人のメンバーの姿が。しばらくして目を覚ますが、皆、自分が置かれた状況が呑み込めない。ここは、一体どこなのか…?なぜ、ここで眠っていたのか…
▼そして壁には血で書かれた「犯人は誰だ?」の文字が。その「犯人」が自分たちをここに連れてきたというのか?謎が謎を呼ぶままメンバー達は「犯人」を捜すため、そして、時が止まった廃校のような「閉じた世界」から脱出するため周囲の探索を開始する。
▼かつて理科室だったと思しき場所を覗く者、仲間たちと話し合ううち意見が合わなかったのか1人を残して去っていく者、口論の末メンバーと対立する者…さらに誰かが非常用のベルを鳴らすと再びメンバーの多くは眠りに落ちてしまう(犯人は寝る。つまり…)。様々なドラマが交錯する中、手をケガして寝込んでいたメンバーの一人(てち)は、手当てをしてくれた仲間(ずみこ)の絆を感じるや、あることに思い当たる。
▼指で数えながら「5」、さらに1つ指を出して「6」、そしてその指でピアノを弾きながら「(7,8,)9」…そして確信する「1人足りない」。
▼「5.6.9」は1thシングルの1列目(5人)、2列目(6人)、3列目(9人)の編成。そのフォーメーションで「大人社会」からの脱出を始めた「欅革命軍w」だったが、それでは1人足りないのだ。
▼本来、この隊列に加わるはずだったあるメンバーが!「いい高校に入ったんだからいい大学に入って、いい会社に入れ!アイドルなんぞやってる場合じゃない!」という「大人社会のルール」によって、グループから引きはがされてしまったメンバーが!
▼彼女こそが、フライング気味に進軍を始めた欅革命軍を、ラジカセを一時停止させるように足止めさせた。そして廃校のような「閉じた異世界」に20人を引きずり込んだ。「まだ進まないでほしい」と。
(なんだか、ねるのご両親が悪者みたいだが、そういうことが言いたいのではない。言いたいのは「大人社会のルール」のことだとご理解願いたい)
▼だから「大人社会のルール」によって連れ戻されてしまったメンバーを奪還しなくてはならない。そして欅坂46の元に、彼女と「手をつないで帰ら」なくてはならない!
▼そのことに気づいた時…眠らされていたメンバーは目が覚め、大人社会のルールが発生させた「閉じた異世界」から見事脱出。これらは、全てねるの夢だったことが判明する。目が覚めたねるの前には、てちが。
▼そして、どんな夢を見ていたかを聞きつつも「犯人は?」と問うてちに、ねるは答える「わたし、かな」。
▼しかしながら、これまで書いてきたことから考えるなら犯人は、ねるというよりも、「大人社会のルール」だというべきだろう。
▼ということで、「仲間ルール」「学校ルール」に加えMVでは「大人社会のルール」からの脱出も描かれた。よって本作は「サイマジョ」に連なる曲となった。
(ちなみに「私たちが望んだことだったのに」「私達は不安で仕方がない」「これはきっと夢なんだ」の文字の意味だが、おそらくは、自分たちが了解して20人でデビューしたものの、21人そろっていなかったのでどこか不安で仕方がなかった。「何かが足りない」���思っていた。だからきっと「これは夢なんだ」…と思うようになった…ということなのだろうと思う)
0 notes
Text
2月26日。lyricalschool ラストライブ。
ライブ後、本当に心にぽっかり穴が開いたような気分だった。リリスクの曲は愛おしくて切ない。それは、その瞬間に「終わり」が必ずついて回ることを歌っているから。
その終わりが「いつか」ではなく「今日」来るから、その重さがずっしりと心にのかかった。
開場前からヘッズが集まって、異様な熱気に満ちていた。今まで見た事あるヘッズ。初めて見る人。パンパンの開場でリリスクを見るのはずいぶん久しぶりな感じがした。
開場に入るとロゴの垂れ幕にターンテーブル。いつものシンプルなセット。ラストライブだからといって特別なセットもない。
予定より15分ほど押して開演。暗転。始まってしまった。こっちの気持ちは十分高まっている。でも見たくない。始まってほしくない。それでも、送り出すからには心から100%ありがとうを込めて送り出した。このライブに全力で応えたい。100%笑って100%泣いて特別な日にしたいし、特別な日にしてあげたいと思った。
5人のアカペラから始まる「Golden」からライブが始まる。ライブで聴くとこの曲のスケールのでかさを感じる。時間の流れと空気感。自分のなんでもなかった時間が突然輝き出す。
そのまま次の曲の「プレイルーム」に流れ込む。プレイルームは今まで流し聞きしていたけど、二曲めながらに目頭が熱くなった。最後というある意味特別なライブで、心構えも整っている。でも、その時広がっていたのは特別ではない『いつもの』遊び場だった。こんな曲歌われたら、今までの事を思い出してしまう。時間が愛おしくなってしまう。縋り付いてしまいたくなる。もっと同じ時間を過ごしたいと思ってしまう。
さよならが言えなくなってしまう。
この時のひめちゃんが本当にいい顔してた。一つ一つの言葉をかみしめるように。一瞬一瞬を取りこぼしてしまわないように。次のリリスクを引っ張っていくとか、そんなこと感じさせない。次なんか関係ない。今、この瞬間を精一杯感じている気がした。
MCも少なくガンガン曲が放り込まれていく。今まで積み重ねてきたライブ。曲。全部がこのライブに詰まっていた。
天井がない楽しさ。凪のような静けさ。リリスクにはそのどちらにもある。
そんな静けさに的を絞った中盤。
「おいでよ」はリリスクの楽しさが詰まった大好きな曲。嫌なこと全部、かかえているもの全部をリリスク楽しさに変えてくれる。ライブ中はどんなことでも笑いになる。ずっと探していたものが見つかる。リリスクの魅力が全部この曲に詰まっている気がした。
最後のライブで歌う「もし」は本当にずるい。大部さんの「もしもこれでさよなら、これで最後なら」のバースが心に響く。涙腺を揺さぶる。一番アイドルに憧れて、努力してきた大部さんがこの歌詞を歌うことの重さ。もっと言えば残酷さ。それでも、アイドルと���て見事に歌いきった。その姿は超かっこよかった。最高だった。大部さんが一番アイドルだと思った。 それにひめちゃんが「もしもみんなと一緒に、いなかったら一人」のバースを客に背中を向けて卒業するメンバー一人一人に歌う。「あ、本当に最後なんだ。」って思った。メンバーから感じる「さよなら」の仕草。先輩たちに対する後輩からの最高のラップ。ひめちゃんの背中がいつもより大きく見えた。
もしもこれがよくできたお話なら、この卒業がなかったことになるのだろうか。
「一人ぼっちのラビリンス」 あみちゃんの目から涙が流れる。しきりに顔を拭う。「どこで間違ってて、こういう結果になったの」のバースがずっしりと心にのしかかる。大きいところに連れて行ってあげられなくてごめんね。あみちゃんにいつも元気もらってるのに、結果で応えてあげられなくてごめんね。って気持ちだった。こっちの涙腺なんてとっくに崩壊してる。
久しぶりに披露される「car」 ライブが終わってから家に帰るまでをたどった、冬の夜の静けさと小さな流動を感じさせられるような曲。きっと、このライブが終わったらひとつひとつ今までの景色をなぞるんだろう。それはメンバーもヘッズも一緒のことで戻らない時間を呪うんだろう。2月28日。今日と明日の土俵際。どうか踏みとどまってくれ。28日が一秒でも長く。
「マジックアワー」「サマーファンデーション」「Run & Run」
メジャーデビュー後のシングルが時系列とは逆行して披露される。マジックアワーを初めて聞いた時、今まで瞬間の儚さと愛おしさを歌い続けてきた彼女たちになんて合っている歌なんだろうと思った。R&Rのミュージックビデオがバズった時、本当に心から嬉しかった。携帯で何回再生しただろうか。何回人に見せただろうか。あー超楽しかったな。本当に、ヘッズでいることが最高に幸せだったよ。
ライブは盛り上がりパートを経て最後のパートへ。
「ラストソング」は視聴機で聞いた時に泣いてしまったほど好きな曲。「いつか来る解散ライブの時はきっと泣くんだろうなー」と思ったその約一ヶ月後。メンバー卒業のニュースが届く。そのいつかは近い未来だった。こんなにすぐそのいつかがやってくるなんて思ってもみなかった。 ライブも本当によくて、みなんの「いつかまたこの場所で」の言葉の重み。メンバーがそれぞれ続く歌詞。思い出が浮かんでは消える。今を感じ未来に生きる。道は違うけれど、それぞれの希望を感じさせられるこの曲が大好きだった。
「Photograph」めいちゃんの間奏ラップ。残るメンバーの背中を押してほしい。卒業するのに残るメンバーのことを歌うめいちゃんの優しさがにじみ出ていた。その瞬間を、曲名のごとく切り取ってしまいたい。写真の中に閉じ込めてしまいたい。
「tengal6」
過去卒業をした4人のメンバーの名前を歌詞に入れ込む。この5人だけじゃなく、それまでのメンバー含めて今のリリカルスクールとして、全員と関わってきた初期メンバーだからこその演出。yumiは卒業公演もなくリリスクを去ってしまった。推しとして心残りだったけれど、その瞬間「yumiも卒業したんだな」って思えて、本当に良かった。
一人一人の挨拶で大部さんが芸能界を引退することを告げる。静まり返る会場とかすかに聞こえる啜り泣き。大部さんは芸能界に残ると思ってたからより残念だった。女優 大部彩夏を見れる日が来るのだとばかり思っていた。接触で一番騒いだのは大部さんかもしれない。
まだ、心から卒業んなんか祝えない。今、新生リリスクをどういう気持ちで迎えるのかもわからない。もっともっと5人の音楽にすがっていたい。こんな気持ちになれるアイドルがこの先いるのだろうか。きっとしばらくウジウジするんだろうな。また、「おいでよ」してほしい。
0 notes