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#元京王電鉄
toytraint · 2 years
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gakunan railway #岳南電車 #7000形 #8000形 #9000形 #元京王電鉄 #七夕 #工場昼景 #gakunan_railway #tsnabata #factory_view ✱薩埵峠の帰りに寄ってみた。 https://www.instagram.com/p/CfqaKBhvW2y/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 3 months
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中国の王文濤(ワンウェンタオ)商務相が今月25日、日中経済協会の訪中団と北京で会談した際、中国当局による邦人拘束について「中国人にとっても日本では同様の問題が起きている」と述べ、正当化していたことが訪中団の議事録から明らかになった。  会談は冒頭を除いて非公開で行われた。議事録によると、団長の進藤孝生・日本製鉄会長や経団連の十倉雅和会長らが、2023年10月にアステラス製薬の日本人社員が正式逮捕された問題を念頭に反スパイ法への強い懸念を表明した。  これに対し、王氏は、日本で同年6月に国立研究開発法人「産業技術総合研究所」の中国籍の主任研究員が、同12月に電子部品大手「アルプスアルパイン」の中国籍の元社員が、営業秘密の情報を漏えいした容疑などで逮捕された事件に言及。「大きく騒ぎ立てるのではなく、成熟した国家間の成熟した関係を期待している」と語り、譲歩する意向がないことを示唆した。  反スパイ法を巡る不安の解消などが期待されていただけに、訪中団関係者は「あそこまで具体的に反論するとは思わなかった」と落胆した。約4年ぶりとなった経済界の訪中団は、李強(リーチャン)首相とも会談し、経済分野の連携強化で一致した。
アステラス社員拘束の中国「日本でも同じ問題起きている」…訪中団「あそこまで反論するとは」(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
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ari0921 · 20 days
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)4月10日(水曜日)
   通巻第8209号 <前日発行>
 イエーレン訪中が意味することは何か?
  過剰生産の警告は、すなわち『習近平の経済路線は間違いですよ』の暗喩
*************************
 ジャネット・イエーレン米財務長官は4月3日にワシントンを立ち、4日に広東省に到着した。何立鋒副首相等と会談し、はやくも中国の過剰生産問題に言及した。世界貿易秩序の波乱要因として懸念を表明した。
 ところが中国のメディアは、イエーレンが前回訪中時にビールを飲んで、奇妙なキノコを食べていた写真を配信し、今度は何を食べたか等とへんな記事を配信していた。
 訪中前の講演でもイエーレンは「世界の価格と生産パターンを歪め、米国ばかりか世界中の企業と労働者に打撃を与える」と発言している(3月27日、ジョージア州での講演)。
 王文濤・商務部長は、三日後にはパリでBYD展示会にのぞみ、イエーレンの主張に対しては、「補助金の所為ではなく、中国のイノベーションの賜物であり、過剰生産と言われるのは市場メカニズムの結果である」と米側の主張に反駁した。
 すでに米国は中国製EVに25%の報復関税をかけており、トランプ前大統領は、これを60%とすると唱え、またメキシコ製の中国車には100%関税をかけると訴えている。
ジョシュ・ホーリー上院議員は125%、おなじくマルコ・ルビオ上院議員は「中国車一台あたり2万ドルの追加関税をもとめる法案」をすでに議会に提出した。
 この動きに応じたのか、中国のEVメーカーはタイに進出し、値下げと補助金で攻勢をかけ、日本が圧勝してきた市場を蚕食し始めた。
中国EVのタイ進出はBYDに加えて長城汽車、長安汽車、浙江吉利など、低価格帯EVや大幅値引きでタイのシェアを増やしている。
 過剰生産への懸念か。なるほどマンションの過剰生���(建てすぎ)は人の住まないマンションが30億人分もある。どう処理するのだろうか?
辺境で乗客のいない新幹線も、高僧道路も造りすぎ、テーマパークもあちこちに建てて、いまはペンペン草が生えている。海外にも過剰生産の付け足しのようにBRIプロジェクトで各地にゴーストタウンを造った。
 中国経済の構造的欠陥はGDPに占める個人消費がすくないため(37%、米国は65%、日本は60%)、外需に依存し、さらに海外マーケットを獲得するためにダンピングと補助金をつける歪んだ体質である。これは不公正な慣行だと米国側はみるが、米国に限らずWTO違反は明らか。日本も中国製太陽光パネルなどに100%の関税をかけてしかるべきだろう。
 ▼それでも「ウィンウィンでいける」と李強首相
 「過剰生産」をイエーレンは重大な懸念だと繰り返し述べたが、中国側は聞く耳がなかった。北京では李強首相、劉鶴 ・前副首相らがイエーレンと会談した。��国側は米中対決というタイミングゆえに、むしろ異例の厚遇ぶりを示した。
李強首相は決められた台詞。「敵対関係ではなくパートナーであるべきだ」と歯の浮くような発言を繰り出した。
 直前に中国政府は鉄鋼の減産方針を全国に通知し、過剰生産対応のジェスチャーを示したが、鉄鋼、造船、風力発電、太陽光パネル、そしてEVと、その廉価というよりダンピング輸出は世界市場を潰乱させた。
風力発電の世界シェアは中国メーカーがトップ5を独占し、「金風科技(Goldwind)」「遠景能源(Envision Energy)」「明陽智能(MingYang Smart Energy)」「運達股分(Windey)」「三一重能(Sany Heavy Energy)」の順となっている。メーカー乱立で収益は殆どないというのが業界の評判だ。
 中国製太陽光パネルはトリナ・ソーラー、カナディアン・ソーラー、ジンコソーラーホールディング、JAソーラーが譲位を独占しており、世界の太陽光パネル出荷量の上位四位を寡占した。じつに世界出荷量のうち71%が中国系企業が独占した。日本列島各地を埋め尽くしたが、不評ばかり。おまけに土砂災害を引き起こした。
ついで中国製EVがEU市場を攪乱し始めたため、EU委員会は重い腰を上げて規制に乗り出す。かくしてイエーレンの警告は世界市場すべての問題なのである。
 ようするに不動産関連で墜落した中国経済の補完を、EVを筆頭にクリーンエネルギー関連、バイオなどに転化しGDP成長率を堅持しようとしているのだ。
 ▼毛沢東の亡霊、ノルマという強迫観念が国有企業に取り憑いている
 習近平の経済の理解は社会主義時代のノルマであり、強迫観念のように国有企業の宿痾、中国人の体質なのである。だから馬雲やテンセントなど欧米並みの起業家が育っても、民間企業はかならず規制され、あるいは潰される。起業家精神は大きく削がれる。だから若者は国を棄てることになる。
 4月8日、訪中最終日に記者会見に応じたイエーレン財務長官は「中国政府による特定産業への補助金などの支援が原因だ」し、「米国や世界の労働者や企業に大きなリスクをもたらす」と改めて強調した。
 入れ違いにセルゲイ・ラブロフ・露西亜外相が北京に到着した。ロシアは中国との戦略的パートナーシップをさらに強化するため、とラブロフは語った。
 ラブロフ訪中はプーチン訪中の地ならしと言われる。
 またイエーレンは習近平とは会わなかったが、おりしも訪中している馬英九・台湾元総統が4月10日に北京で習近平と会談する段取り、日米首脳会談に日程を意図的にぶつけてきた。
 イエーレンは北京で潘功勝・中央銀王総裁とも会っているが、嘗てFRB議長の経験があるからだ。結局、中国は米国側に歩み寄る姿勢を示しつつ、一方でバイデン政権の半導体輸出規制にはつよく反発し、「米国の対中経済・貿易制限措置に深刻な懸念がある」とした。「米国は自由競争という資本主義原理に基づいて行動すべきである」と耳を疑うような発言もあった。
 半導体は技術窃取や台湾、韓国からのエンジニアのスカウト、米国における「千人計画」などで、すでに7ナノ半導体生産の技術を獲得したと、米国のシンクタンクが報告している。
 米国はこのため3ナノ、2ナノ生産工場をアリゾナ州に誘致し、台湾のTSMCに1兆円もの政府支援を行って、工場をいちどに三つ建設中である。
しかしTSMCは14ナノならびに1ナノの研究と開発ラボを台湾に集中させているため、米国は次世代半導体技術の中国への漏洩を警戒している。TSMCの熊本工場は28ナノで家電、スマホ向け需要に対応するためであり、予定されている熊本第二工場とて、7ナノにとどめる。
日本がIBM支援のもと、官民挙げていどむラピダスは、北海道千歳で2027年に2ナノ半導体生産を予定している。
 ▼中国の大手不動産会社、デフォルト続く
 さて不動産デベロッパーが倒産しているのに倒産しないという「ゾンビ軍団」はその後、どうなっているのか。
地方銀行、中小銀行の不良債権を肥大化させ、こんどは銀行の経営危機を招来させている。哈爾浜銀行は不良債権率が44%増えた。遼寧省の地銀、錦州銀行は上場廃止、江西省九江銀行は不良債権が三倍ちかくに膨らんだ。甘粛銀行は2・7倍、貴州銀行は五割近く不良債権を増やしていた。
準大手以下の27行の不良債権合計は2兆2300億円と今のところ軽いレベルだと言い張っているが、不動産大手のデフォルト処理が進んでおらず、とくに外貨建て債券が軒並みパンク、不動産不況の実態は、24兆円が不良債権だろうと推計される(それでも少なすぎるが、いずれ別稿で触れたい)。
 
中国最大のデベロッパー「碧桂園」も、ついに23年10月にドル建て債権99億ドルをデフォルト、第二位だった恒大集団の破産はいうに及ばず、世茂集団は二年前の米ドル債10億ドルのデフォルト、ドイツ銀行などが香港高等裁判所に法手続きを申請した。
このほか、大手の万科、華潤、融創、遠洋などが業績不振に陥っている。それぞまさしく供給過剰(生産過剰)の悪例ではないのか。
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sryem · 1 year
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sryemさんはじめまして! 中村といいます。いつもブログの更新たのしみにしています!
Tumblerとはてなブログってどうやって使い分けているのでしょうか? 機能的な側面とか、メディアとしてどう捉えているのか、そのほかもろもろについて教えていただきたいです。
2023年2月16日のエントリー読みました! バイト受かってめでたい! あと2月1日の記事で、日記を書きはじめてから他者との相違点を愛せるようになった、と記されていて、すごく分かるな~と思いながら読んでいました。いいねってひとつしかつけられないのが惜しい。
長文になってしまいました。もしお時間あればお返事くださると嬉しいです。次のブログ更新も楽しみにしています!
 中村さんはじめまして!ブログ拝読しております。ずっとご挨拶したかったんですがなんか踏み切れず…いつも読んでくださってありがとうございます。こちらこそ中村さんのブログの更新楽しみにしています。
 記憶が正しければある日突然中村さんが私のエントリ(当時はてなブログで日記を書いていた)に星をつけてくれたのがきっかけで『大胆な動き』を知り、読み始めたんですが、中村さんは一体どうやって『死守、但翩然而放』にたどり着いたんですか?誰とも交流してなかったし、アクセスを見ても本当に誰も読んでないようなブログなので、あのときはびっくりしました。質問に答える前に質問してる。
 1日と16日のエントリ読んでいただいてありがとうございます!(エントリって言い方、中村さんははてなブログの人なんだな~という感じがする)いつも爆速で読んでくださるの激嬉しいけど、通知行ってるのなんだか恥ずかしい。
 日記を書きはじめてから他者との相違点を愛せるようになった件について、確かに日記を書く前より相違点に興味が湧くようになったんですが、そういう変化の時期が同じだっただけだったような気もしています。どうなんだろう。内省をすることで他者のそれを尊重できるようになったという可能性はあるかもしれない。中村さんとこれをお読みのみなさんは両者に因果関係あるいは相関関係があると思いますか?体験的心当たりがあればぜひ聞きたいです。
 バイト頑張ります。ピース✌
 Tumblerとはてなブログってどうやって使い分けているのでしょうか? 機能的な側面とか、メディアとしてどう捉えているのか、そのほかもろもろについて教えていただきたいです。
 そうですね。改めて書くと、2020年2月にはてなブログで最初のエントリを投稿して以降、書いたり書かなかったりを繰り返しつつ極めて緩やかな意味での”日記”を投稿していました。2021年8月を最後にしばらくはてなブログで書いてなくて、その後2022年9月に復帰。同年11月にTumblrに移行して、今。
 移行の理由ははっきりとしたものは特になくて、”気持ちを切り替えたかった”くらいのものです。ただ、2020年の当時17歳の書いた文章と成人した今書いた文章が、同じ場所で同じ温度で有るというのがなんだかちょっと受け入れがたい瞬間があったのがきっかけではあります。今は受け入れられているので、こっちで書いた文章を向こうにも載せたりしてる(最近サボってる)。
 気持ち的には、はてなブログは「私の思考歴史記念館」のような感覚です。傷つきやすいティーンの頃の私から今の私まで体系的に見ることができる。だからなんとなく堅苦しい感じもあります。Tumblrは今ハマってる音楽とか、ちょっとした思いつきとか、日記じゃないラフなことも書ける場で、でも本当にどうでもいいことは書かない場でもある。Twitterよりもフォーマルで、はてなブログよりもカジュアル。まあはてなブログにフォーマルすぎる意味付けをしたのは私なのですが。使い分けという部分についてはそんな感じです。
 機能的な面やメディア性で言うと、はてなブログよりTumblrのほうがSNS的だな~とは思います。はてなブログでのブログは読み物であって、その奥の筆者や書き表されない部分にはなんとなく意識がいかない構造になってる気がするけど、TumblrはDMがあったり質問箱みたいなのがあったり、もっと個々人の交流が成されやすい構造になってますよね。私はマジでなににも詳しくないので今感覚で喋っていることを一旦宣言します。
 noteはもっとよくわからないな。一回手を出したことがあるんだけど、合わなくてすぐやめた。noteってなんとなく読み手ファーストな感じがあって、人のブログ読むのに使ってるけど書こうとするとちょっと、って思った記憶がある。あとなんか改行したときの空白がデカくて嫌だった。ノートの罫線幅が合わない感じでした。noteだけに(ガハハ)
 中村さんが『大胆な動き』(中村さんのブログ)の一番最近のエントリで「Tumblerの日本語のフォントなんかギュッとしていてせわしない。」と書かれていたけど、マジでわかる。長文だと読みづらいかもなと思いながら書いてるけど、改行するとまた空白が大きかったりして…なかなか合いませんね。
 このブログをフォローしてくださってる方もぜひ中村さんの文章読んでほしいな…。文末で恐縮ですが、私の好きなエントリあげていいですか?
 ありがとう。じゃあ3件あげます。
・『いつかオーロラを見に行く』
 評論家みたいなツラをして言いますが、私が誰かに『大胆な動き』を勧めて読んでもらう時にはこのエントリのリンクを送るかもしれない。多分ご本人としてはもっと自信があるエントリがあったりすると思うんですが…。それくらいこのエントリは端的に中村さんの文体が詰まってると思います。そして私はそのフラットな、知の上で表現される”なんでもなさ”のようなものが好きです。
 あとこのエントリだけじゃないけど、中村さんの描写する”あなた”は、私のそれと似ていると思う。
・『「からあげにレモンかける?」』
 雑記カテゴリでは長文の箇条書きを入り組ませるような構造で書かれていて、それがそのまま思考のダイビングを見ているようで面白い。
 ・モナ王
 雑記なので、モナ王だったりもする。
 雑記カテゴリは全体的に読んでると触発されて思考がもくもくしていくので、楽しい。
・『普通自動車第一種免許(AT限定)取得記外伝』
 私もここで免許を取得したので、知ってる景色すぎてウケた。中村さんが撮られる写真はとてもいいです。旅行記カテゴリではたくさん見ることができるので、気になったらぜひdigってみてください。『京都最北端のプールで泳いで日が暮れるころに帰る(もれなく)』もとても良いです。というか少数の京都で運転免許を取った人たち以外はこっちのほうが楽しめるかもしれない。
個人的に京都は、晴れていても曇りの気配がする街だと思っているのですが(イギリスのストラトフォード・アポン・エイボンもそうだった)、写真からもそんな雰囲気が立ち上っている。
 私は自分の文章を読んだ人が何を思ったか知るのがとても好きなので、おすすめエントリについて好き勝手書かせてもらいました。
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setochitose0830 · 10 months
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ちょっと前に『文明交錯』を読んだ
日記と銘打っているが最後に更新したのは1年前である。
ひと月くらい前に読んだ『文明交錯』(著:ローラン・ビネ、訳:橘明美、出版:東京創元社)のことを、まだよく思い出している。その間に「古代メキシコ展」へいったからかもしれない。フランシスコ・ピサロたちコンキスタドールに滅ぼされたインカ帝国が、逆にスペイン、ひいては西欧を征服してゆく架空の歴史小説。ページをめくる手がずっととめられず、溺れるように読んだなあという歓びがあって、前にそういう読み方をしたのは『テスカトリポカ』『プロジェクト・ヘイル・メアリー』あたり。2023年の上半期でいちばんよかった作品としてまっさきに挙げるし、たぶん下半期でこれを超える作品に出会わないだろうという予感もある。
まさしくそのテーマについて書いていた本を思い出して、大学生の頃に一読した『銃・病原菌・鉄』(著:ジャレド・ダイアモンド、訳:倉骨彰、出版:草思社)を読み直した。1部3章「スペイン人とインカ帝国の激突」で、コンキスタドールがインカ帝国に比べて少数にも関わらず滅亡に追い込めた直接的要因に銃器・鉄製の武器、騎馬などにもとづく軍事技術、ユーラシアの風土病・伝染病に対する免疫、航海技術、集権的な政治機構、文字を持っていたことを挙げている。『文明交錯』はどの地点での歯車がずれたらそれらの要因が排除されて史実の結末が変わってゆくか、そしてその結果がどうなってゆくかを4幕構成で描く。バタフライ効果の鍵は10世紀のアイスランド。
ヨーロッパで初めてグリーンランドに入植した赤毛のエイリーク、その息子の幸運なるレイフがアメリカ大陸に到達したとされる「グリーンランド人のサガ」をもとにして、レイフの妹であるフレイディースを中心に据えた1幕が始まる。富と名誉を求めてヴィンランド(かつて存在した北アメリカの土地)を目指したフレイディースは「グリーンランド人のサガ」によれば旅のあとでグリーンランドに戻ってくるが、作品内ではアメリカ大陸を陸沿いに役畜を伴ってどんどん南下する。ニューイングランドあたりから出発し、後年インカ帝国が勃興するペルーまで多くのスクレリングたちと交流しては製鉄技術や有輪鋤についての知識を与えたり、トウモロコシの知識やココアを与えられたりするが、彼らは必ず伝染病によって亡くなってゆく。そのたびルーン文字で墓標を刻み、置き土産として何頭かのつがいの家畜を各地で残す。それが結果的に、スクレリングの子孫たちが馬にまたがり鉄の武器をたずさえ疫病に免疫を持つこととなり、その約500年後の2幕でキューバへやってきたコロンブス撃退につながる。捕虜としたコロンブスからカスティーリャ語や「外の世界」への航海地図、そして胸で十字を切る〈磔にされた神〉のことが伝わり、そうやって舞台が整備されたところで(史実では)インカ帝国最後の皇帝アタワルパが登場する3幕がはじまる。ここまでのところで全体の5分の1くらい。
全4幕は順に、サガ、コロンブス航海記、年代記、セルバンテス風の小説と書きざまも登場人物も視点も変わっているのでぜんぜん飽きない。史実との絡め方も非常に巧みで、16世紀ヨーロッパといえばルターの起こした宗教改革の時期。アタワルパたちの信仰は太陽教と呼ばれるようになるが、ヘンリー8世がアン・ブーリンと結婚するためにイングランド国教会ではなく太陽教への改宗を進めたり、ドイツ農民戦争で掲げられた農民の12ヶ条要求を太陽教はどう呑んだかなどおもしろかった。
恥ずかしながら国際情勢に疎い。職場ではずっとラジオが流れているのでそのたぐいのニュースを耳にしない日はないのだが、なんらかが話題に挙がればその場でち���っと調べ、なんとなくわかった気になりすぐに忘れるをくり返している。あるとき、これじゃよくないよなと衝動的に思って、西欧を中心に歴史とか文化や技術の流れについての書籍を読むようになった。去年の今ぐらいの時期から始めたのでもう1年くらいになる。知識をどかどか詰め込みたいタイプの性格なので、どうやらけっこう向いているっぽい。こちらの視点ではああだし逆側からだとこうだしとか、ぜんぜん関係ないと思っていた事柄が、とある地点で急につながると昂ぶったりする。ほとんど電子書籍で買っているので、いざ開いてみて難しいから今じゃないというタイトルもたくさんあり、いろいろ回り道をしてから戻るとすんなり文章が入ってくることもある。その瞬間がいちばん楽しいかもしれない。そういうようにして、ここ1年で読んできた諸々の、現時点で出された中間テスト的な作品が『文明交錯』だったんだと思って嬉しくなったりもする。でもなー、電子書籍のよくないところってページ数と行数がわからないんだよな、仕方ないんだけどそこだけが難点だ。
「ある人々は雷神トールの娘で太陽神によって遣わされたという〈赤毛の女王〉の古い伝説を思い出し、思わず太陽に向かって礼拝した。」 「タイノもインカも、数多の神々の一人としてトール神を崇めていて、しかもどちらもこの神の起源を知らなかった。」
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mitsu-maru · 1 year
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Bleu
 記憶というのはポインタとデータで出来ている。いつからか、そのように僕は信じている。忘却とはデータの在り処を指し示すポインタを失った状態であり、データそのものは確かに残っているのだと。何らかの切っ掛けでポインタが復元された時、記憶は鮮やかに蘇る。たった今まで自分が忘れていたことにすら驚くほどに。紅茶に浸したマドレーヌは暮らしに満ちている。長く生きれば生きるほど、過去が未来よりも重くなるから。
 記憶のポインタは厳密な一対一対応ではなく、大なり小なり誤差が生じる。本来想起されるべき思い出の一部が欠落したり、少しずれた思い出が蘇ったりする。あるいは、なかった記憶が新たに生成されたりもする。これは僕が2022年11月20日の午後、「Solarfault, 空は晴れて」という本を読んだ時に生じた反応を元に生まれたテキストである。記憶というのは揮発性であるだけでなく発泡性でもあるから、1週間という時間は記憶を発酵させるに十分な時間だ。読んだ小説の感想文が新たな小説であっていけない理由はない。
 青い、作用の定かでない、おそらくはあまりよろしくない液体。小瓶。『ロスマリン』だと思った。図書館で借りたハードカバーの本だった。少年たちが夏休みに高層ビルディングを抜け出して旅立つ先は暖かい海だった。映像の中で少年と犬が白い浜辺を走っていた。オゾンホールが話題になっていた世紀末。姉はフロンが使われているという理由で旧型のエアブラシをゴミの日に捨てた。その頃、一度塗った色をCtrl+Zすることはできなかった。読み終えた本の感想をTwitterで検索することはできなかった。Amazonは夜中に切らしたPPC用紙を翌日の夕方に届けてはくれなかった。
 大学進学を機に上京し、僕は私鉄の駅から坂道を登って、サンドイッチ屋のT字路を左に曲がってどこかの企業の借り上げ社宅の側を抜けた先にある青いアパートで暮らした。とても青い家だった。九州から上京した人間には東京の日暮れは地球が丸いことを実感させるほどに早く、うどん屋のつゆはありえないほど黒かった。レンタカーで意味もなく夜の新宿を走り回って、ラーメンを食べた。殺人事件が起きそうな間取りの海辺の一軒家でペペロンチーノを作った。サークルに入って本を書いた。酔い潰れた関西人の介抱をしながら、寝言も関西弁なんだと妙に納得した。
 敷地の外れの外れに、今はないその建物はあった。自治の名の下にビラがばら撒かれ、インクの匂いが漂い、アニメソングが館内放送で流れるような建物だ。そういえばビラを配っていたあの団体も青という字を冠していた。季節を問わず週に一度僕たちは集まって、ただひたすらに話をした。それが僕たちの活動だった。生協の缶ジュースは少しだけ安かった。年齢も専門もバラバラな学生たちが、教養を無駄遣いしていた。時々真面目に小説を書いて本を作り、批評会で真剣に意見を交わしたりした。僕たちの掟はただ一つ、描き始めた物語を必ず完結させること。開いた物語は閉ざされなければならない。それさえ守れば何をやろうと自由だった。その頃茨城県でバケツで流し込まれた液体が青い光を放った。
 学園祭で小遣い稼ぎをするために部員総出で占い師の真似事をした。タロットカードから客が望む物語を紡ぎ出すのは即興小説の訓練だ、というのが建前だった。原価がただ同然の占い屋はなぜだかいつも大繁盛で、僕たちのサークルは本の印刷代には困ることがなかった。
「久しぶり」
 堤が話しかけてきたのは、夫の不倫を見て見ぬふりをしつつ、別れる決心ができないと悩んでいる女性の背中を押してしまった直後だった。
「俺のことも占ってよ」
「顔見知りのことは占わないようにしてるんだ」
 本当に占いがお望みなら、と後輩のテーブルを指差す。堤は肩を竦めて、三百円を支払った。後片付けを終えた後、二人でステーキを食べに行った。安くて硬い牛肉にニンニクと醤油でえげつなく味をつけた代物だが、その頃の僕らにはそれでよかった。紙エプロンに跳ねたステーキソースが抽象画のようだった。
「なんだ、その。元気そうだな」
「どういう意味だよ」
「別に」
「ああ、聞いたのか」
「聞いたとも。なんで教えてくれなかった」
「教えたからといって、何が変わるわけでもないだろう」
「そりゃあ、そうだけどよ」
「じゃあ、いいだろ」
 堤は煙草をくるくると回して言葉を探した。最後まで、出てこなかった。
 小さ���ゲーム会社でアルバイトをした。携帯電話で話をしながら深夜の住宅街を歩いた。千駄ヶ谷のモスバーガーが秘密基地だった。自分たちが作っていたゲームのことは欠片も好きになれなかったけれども、スタッフ同士で話しているのが好きだった。六本木のライブハウスには月一で通っていた。お目当てのバンドの対バン相手のファンが自分の周りで激しく踊り出して、つられて踊っていた。強い人が集まる、という噂のファミリーレストランに自転車で乗り込んでカードゲームの対戦を挑んだりした。初めて中央特快に乗って八王子まで行った。
「で、いつ?」
 帰りの電車は適度に混んでいた。冷蔵庫にマグネットで貼り付けたメモのことを思い出した。換気扇の調子が悪いから業者に連絡すること。そうメモしてから何ヶ月が経っただろう。その頃僕はもう自炊することを止めていて、冷蔵庫には赤ワインとチーズしかなかった。黒い服ばかり選んで着るようになっていた。たまたま見つけた美容院の美容師と気があって、好きなように自分の頭を作品にしてもらうことしていた。この時は確か、虎をイメージした金のメッシュの入った黒髪だったと思う。ギターなんて一度も弾いたことがないのに、スタジオを借りてエアバンドのアー写を撮った。悪ノリしてロゴも作った。
「まだ決まってない。決まっていたとしても、お前には教えない」
「そう」
 エアバンドのベースは、本当のベーシストだった。本当はギターが弾きたかったらしいが、手が小さくてコードがうまく押さえられなかったんだと笑っていた。雷と餃子で有名な街から、時々都内に遊びに来ていた。常軌を逸した方向音痴の彼にとって、乗り換えはいつだって至難の技だった。コンピュータグラフィックスを専攻していた彼を、八王子の某大学の教授のところまで無事に送り届けるのが今日の僕のアルバイトだった。この頃のインターネット回線はZoomで面談するほど力強くもなく、クラウド環境はGitHubで自分のポートフォリオを公開できるほどではなかったから、修士論文の指導をしてもらうために直接会いに行く必要があったのだ。
「お前がいなくなるのは嫌だなあ」
 そんなことを面と向かって言われたのは当たり前だが初めてだった。正直少しだけ心が揺らいだ。努めて僕は平静を装い、東へとひた走る列車の窓から外へと視線を移した。刻一刻と時は迫っていた。冬が始まっていた。セーターの袖を鼻に押し当てた。
「バンドはエアなんだ。ギタリストがいなくたって、やっていけるさ」
「エアじゃなかったら、よかったのにな」
「そうしたら、ツアーには必ず宇都宮を入れてやるよ」
「絶対MCでいじられるやつじゃないか」
 東武線の駅の側、一階が物販になっているライブハウスを幻視する。もちろんバンドはエアなので、歌詞も曲もない。それでもステージの上で僕たちは青いライトに照らされていた。ライブの後半で必ずやる定番のバラード曲を歌えば、正確にハモってくれるという信頼があった。電車が新宿駅について、ベーシストと一緒に湘南新宿ラインのホームまで歩いた。
「それじゃあ、またな」
「ああ。今日はありがとう」
 手を振って僕らは別れる。僕には、これが最後だと分かっていた。携帯電話が鳴る。新宿駅は人が多すぎて、誰も僕のことを気にも止めない。運命が僕を迎えに来る。もうすぐだ。こうして世界は分かたれる。
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illaalli444 · 2 years
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『犬王』舞台巡り【山陽道編】
友魚の旅路/平家都落ちルートも巡りたいよね、という記録です。関西在住・北部九州出身なのでこの経路なんてもう数え切れんほど往復しているが視点を変えるだけでこんなにも新鮮な旅ができるってすごいなあと思う。
行った場所:腕塚(腕塚堂・腕塚神社)/草戸千軒町遺跡/厳島神社/花岡八幡宮/壇ノ浦古戦場・赤間神宮ほか
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腕塚(兵庫県神戸市・明石市)
腕を埋めて腕塚。一の谷の戦いに破れ西へと落ちゆく途中で非業の死をとげた平忠度の腕を埋めたと伝えられる"腕塚"は神戸市長田区駒ヶ林と明石市天文町の2箇所にある。え どゆことじゃ?と思ったけど知りたいこと全部書いてある論文ありました(大坪舞2008「祭祀される忠度の腕ー伝承を引き寄せる場をめぐってー」『論究日本文学』88)。こちらを参考にすると、そもそも忠度死地は『平家物語』でも史実でも絞り込めない。両地の忠度伝承は、駒ヶ林は17世紀後半(腕塚そのものは19世紀)、明石は17世紀初頭(腕塚は17世紀後半)までは遡れそう、とのこと。
駒ヶ林の腕塚は一の谷からちょっと東に位置。地下鉄海岸線駒ヶ林駅が最寄り。長田港に面する民家に囲まれて"腕塚堂"がある。細い路地に入っていくけど看板や標石があるので迷いはしないと思う。ガレージみたいなお堂。北西に忠度胴塚もある(こっちは看板少なくてわかりにくかった。伍魚福さんの隣)。
明石の腕塚は一の谷から西へ10kmほど離れる。山陽電鉄人丸前駅下りてすぐの"腕塚神社"。神社といってもお堂はごく小さい。木製の腕は地元の彫刻家の方が奉納されたもので、これで患部を撫でるとよくなるとか(境内においてあった「腕塚神社縁起」より)。東南に忠度塚と忠度公園もある。駅をはさんで北の丘陵にある人丸神社は柿本人麻呂を祀るが、境内に"盲杖桜"があり目の見えない人とのゆかりが深い。このへんからは明石海峡と行き交う船たちがよく見えます。
当たり前ですが京都とは全然景色が違っている。南が海、北が山。海を眺めていると友魚としてはこのへんまでは始めて来た場所であっても(見えなくても)"知ってる景色"なんだろうし逆に平家の人びとにとっては都を落ちて流浪の身になってしまったことを思い知らされる景色なんだろうなと思う。
どちらの腕塚も、いまも地元の人に愛されているのが伝わってくるたたずまい。腕塚が複数箇所にあるの、後世の人たちが"物語"を求めた結果だと思うのでそんな人間の営みが愛おしくなります。
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草戸千軒町遺跡(広島県福山市)
直接の舞台ではないのですが、湯浅監督がふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立博物館)の街並み復元模型に言及されていたので。博物館では中世の人々の生活に関連する出土品を沢山見られる。本編で町の人たちが持ってて印象的な曲物の容器もいっぱい並んでる。
草戸千軒町遺跡は当時の海岸線で芦田川の河口付近にあった中世の港町。友魚と谷一さんも寄ったかな?と思っていたのですが、拠点的な大都市というわけではないようなのと、どうやら14世紀後半は一時的に町が衰退していたようなので寄ってないかもしれません。友魚が魚をほぐしているシーンはまだ広島らしいので(オーコメより。広島を2年もまったり旅していたのはちょっと謎)、このあたりかなと思っていたのですが、お金持ちがの人がいるのは尾道とか鞆とかかな。
遺跡現地は博物館から西南約2kmに位置。調査後に掘削されあとかたもありませんが、法音寺橋に説明板が設置されている。橋を渡って芦田川の右岸には草戸稲荷神社と明王院(常福寺)がある。明王院は本堂が1321年、五重塔が1348年に建てられたものなので、友魚たちが見たかもしれない建物がそのまま残っていることになる。明王院入り口付近の石垣にはひょうたん形の石が組み込まれている箇所があり(現地に説明板あり)、犬王ポイント高いように思います。
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厳島神社(広島県廿日市市)
あれに見えるは厳島(ここでお社は映さないの超好き)。斎き島=神様をお祀りする島 として古くから信仰されてきた。1151年に安芸守となった平清盛は厳島神主家の佐伯氏と関係を深め、12世紀後半に海上の社を造営。その後何度か建て替えられているが、主要な建物の配置は基本的には変わっていないらしい。特に印象的な回廊は、現在のものは永禄~慶長年間(1558~1615)の再建。作中の回廊は、1241年に再建され、1537年に焼けたものにあたる。
干潮のタイミングで訪問したので、社殿が建ってるベースとの距離感がわかってよかった。友魚が落ちちゃっても自力で這い上がれそうな深さで安心(海の子なので心配には及ばないんだろうけど)。社殿が海に浮かんでいる姿が見られなかったのがかなり残念だけど、昼に干潮だと夜に満潮になる、という関係が理解できた。
大鳥居は改修中だったので足場が組んであり近くまで行けず。でも社殿の柱にもフジツボいっぱい付いてるのが確認できました。大鳥居も何回か建て替えられていて、現在のもの���明治期の再建。1325年に2代目が倒壊してから1371年に3代目が建てられるまで空白期間があるので、友魚訪問時(1360年代後半くらい?)、実際には建ってなかったぽい。
しゃもじって琵琶みたいな形だな~と思いながらお土産見てたのですが、弁財天の琵琶っぽい工芸品としてつくられるようになったんですね。知らなかった。
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花岡八幡宮(山口県下松市)
境内に友魚が雨宿りしてた塔(閼伽井坊多宝塔)がある。多宝塔の建てられた時期、立て看板では「室町中期」となっているのですが、ガイドブックやウェブ上で「室町末期」説も見るのでど~いうこっちゃと思っていたのですが、建築様式からみて室町中~後期、解体修理で見つかった木片に永禄3年(1560)の墨書あり、ということのようです(下松市HPより)。また、お宮そのものも創建当初の鎮座地から1489年頃に現在地に動いているらしい。作中で描かれているのは実際よりも少し下った時期の姿になるのかなと思います。
多宝塔の実物は思っていたより小さい印象を受ける。というか、ここに友魚があの感じで座っているのを想像すると、まだだいぶこどもだな...?!と感じました。
旧山陽道に面した丘陵上に位置し、高いところにあるのでめちゃくちゃ石段を登る。現代人にとっては雨宿りにちょっと寄るレベルを越えてるので、参道入り口あたりでお寺の人が友魚に声をかけたのかもとか想像します。
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壇ノ浦古戦場・赤間神宮ほか(山口県下関市)
鴨の河原と同様、壇ノ浦も始まりの場所であり終わりの場所。
壇ノ浦古戦場跡は関門大橋の下関側のふもとに「みもすそ川公園」として整備されている。ちょうどこのあたりに友魚の暮らしていた集落があったのかなと想像できる景色。作中では霧に包まれて対岸は描かれていないけど、九州側の門司がかなり近くに見える。この土地も"境界"ですね。
赤間神宮は壇ノ浦古戦場跡から南西1kmに位置。壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇を祀る。江戸時代までは阿弥陀寺で、明治の神仏分離により天皇社赤間宮へ。1940年に赤間神宮に改称。1958年につくられた水天門は「波の下にも都がございます」の竜宮城を地上に造りだす意図でデザインされている。
耳なし芳一の舞台でもあり、境内の片隅に芳一堂あり。宝物館ではいろんな種類の琵琶も見られる。境内に平家蟹の標本も置いてる。
生きてる平家蟹は市立しものせき水族館海響館で見られる。海響館ができるまえの旧下関市立水族館は長府にあったのだけど、敷地内に"鯨館"という鯨形の建物があった。現在は中には入れないけど外観は見られます。小さい頃訪れたことがあって、でっかい鯨!のイメージだったけど今回再訪したら思っていたより小さいな...となりました。場所は関見台公園。下関は近代捕鯨発祥の地とされ、鯨とゆかりが深い。たまたまかもしれませんがモチーフの重なりが面白いです。
旅してこの文章を書くことで、山陽道、というか瀬戸内の海辺が友魚の旅路であり作中作(腕塚、鯨、竜中将)の舞台でもあるという重なりをはっきり認識できたのでよかった。この作品の重層的につくられているところが大好きです。
文献(本文中で言及したものを除く)
小川國治編 2001『長州と萩街道』街道の日本史43 吉川弘文館
県立広島大学宮島学センター2020「宮島 大鳥居のひみつ」
広島県歴史散歩編集委員会編2009『広島県の歴史散歩』山川出版社
ふくやま草戸千軒ミュージアム2020『瀬戸内の交流 まちのにぎわい 人のつながり』
峰岸隆2015『日本の回廊、西洋の回廊』鹿島出版会
山口県歴史散歩編集委員会編2006『山口県の歴史散歩』山川出版社
山口佳巳2008「仁治度厳島神社廻廊の復元的研究」『国立歴史民俗博物館研究報告』第148集
頼祺一編 2006『広島・福山と山陽道』街道の日本史41 吉川弘文館
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yotchan-blog · 10 days
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2024/4/19 17:00:40現在のニュース
安保理の北朝鮮監視パネル 4月の任期切れ受け、代替3案検討 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/19 17:00:26) 毎日オープンテニス・ベテランの部、開幕 計4種目1回戦実施(毎日新聞, 2024/4/19 17:00:09) 自民、野田聖子氏を厳重注意 「共同親権」法案採決で造反(毎日新聞, 2024/4/19 17:00:09) 新潟水俣病判決「国際的な科学的知見に基づかず」 環境相が見解(毎日新聞, 2024/4/19 17:00:09) 名古屋・栄に新たな「ランドマーク」ビル 名古屋駅VS栄、共存共栄なるか(朝日新聞, 2024/4/19 16:59:24) 米、中東で究極のジレンマ チーフ・フォーリン・アフェアーズ・コメンテーター ギデオン・ラックマン - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/19 16:58:55) 福島第1原発1号機、がれき全面撤去へ 東電、残る南側も22日から - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/19 16:58:55) 免許要件緩和、物流で進む 27年にも大型車にAT限定 鉄道は取得年齢18歳に下げ 担い手確保へ裾野拡大 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/19 16:58:55) TSMC最高益、AI活況 1~3月最終 スマホから主役交代、半導体市場が回復 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/19 16:58:55) 気道確保の重要性など説明せず、3歳女児死亡 遺族が逆転勝訴 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/19 16:54:18) 「終電逃しイライラ」 ミャクミャク像の損壊容疑で男性を書類送検 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/19 16:54:18) パキスタン車列攻撃、日本人1人負傷 外務省、在留邦人に注意喚起(毎日新聞, 2024/4/19 16:52:37) イスラエルがイランを敵視する理由 「ホロコースト」の恐怖強く | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/19 16:48:53) イスラエルがイランを敵視する理由 「ホロコースト」の恐怖強く(毎日新聞, 2024/4/19 16:45:26) GWの国内旅行先、伸び率ナンバーワンは「恐竜王国」のあの県(朝日新聞, 2024/4/19 16:44:20) 改革持続の15年と停滞の15年 政治資金制度史で読み解く裏金事件(朝日新聞, 2024/4/19 16:44:20) 小池百合子知事、元側近がメール暴露した学歴詐称疑惑をまた否定 カイロ大の声明「私自身が関知してない」(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2024/4/19 16:40:20) 1型糖尿病患者の障害年金支給認める 国が逆転敗訴 大阪高裁(毎日新聞, 2024/4/19 16:38:23) 共同親権、自公維前のめり 立憲には慎重論も 参院審議入り | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/19 16:36:59) <ひとキラリ>野田線 愛してほしいから 長年研究続ける鉄道史家・相浦さん:東京新聞 TOKYO Web([B!]東京新聞, 2024/4/19 16:33:26) 「ずっと愛している」 遺族、現場で追悼 池袋暴走事故から5年(毎日新聞, 2024/4/19 16:31:09)
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ichinichi-okure · 1 month
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2024.3.25mon_tokyo
「雨は路上の屑を洗い流してくれる」とロバート・デニーロも言ったけれども、その夜は流し忘れがあったようだ。
 安物のスペイン産ワインとナッツをボロボロのトートバッグ(高校の時に買ったもので、ちょうど12インチのアナログ盤がピッタリ入る寸法になっている)に突っ込んで、仕事終わり帰路に着く。耳元で最大音量で鳴り響くのは、グラント・グリーン。駅のホームまで雨に濡れたブルーな街にはグリーンが似合う。ケニー・バレルなんか聴いていたら泣いちまうよ。
 と、水浸しのアスファルトに赤い花びらの散っているのが見えた。血まみれの鱗みたいだ。ちょうど仕事先でクロソイを捌いたばかりだったし、仕方がない。下品な比喩を許して欲しい。とはいえ夥しい数の花びら。意表をつかれて空を見上げると既にグリーンになりかけていた桜の木が両手を開いていた。桜だったんだ。随分と寂しい春の迎え方をしてしまった。雨の怠けた仕事ぶりに落胆する。全部流してしまったらよかったのに。
 春、まだ空気の冷たい春。ボクはイランにいた。ペルシア語と、現代詩と、哲学を学ぶ学生だった。留学とは言っても、授業はほとんどオンライン上で行われた。COVID19なんてものもあったが、イランにいたのは2022年のことだからこのウイルスが原因ではない。端的に言えば、イラン国内が混乱状態だったのだ。ボクがイランに入国する前日、路上での大規模なプロテストが報じられた。プロテストの内容は、1人の女性の死に関する体制に対する責任追求だった。北西部の街、サッケズから親戚の元を訪れていたクルド系イラン人女性が、その服装を理由に警察に勾留された後に息を引き取ったのだ。人々は彼女が拷問を受けていたとして、警察と政府に説明を求めたのだった。このプロテストはやがてイラン全土に広がり、各国のマスメディアはこの混乱を「1979年のイスラーム革命以降最大の危機」と報じることとなる。イランは、1979年に一つの転換を迎えている。新米政権を担っていた当時の国王(この時のイランははパフラヴィー朝として王が最高権限を持つ王朝体制だった)を、石油採掘による利益の独占や社会保障制度の不十分などを理由に国民が自らの身体を以って追放したのだ。その後に政権を樹立したのが、現在まで続くイスラーム共和制の体制だった。法制度はイスラーム法を下地としたものに刷新され、女性は外出にあたってヘジャーブと呼ばれる布で頭髪を隠す、臀部まで覆われる丈の長い衣類を装着するなどの服装既定が設けられた。2022年の抗議はこうした現体制のあり方に対する熱烈なアンチテーゼだったのだ。
 ただ、イランで暮らした日々の追憶の中でボクの脳裏に焼きついているのは「運動家」たちの顔ではないのだ。寧ろそれは、写真家であり、演奏家であり、医師であり、コックであり、整備士であり、詩人であり、教師である人々の顔だ。ボクが毎日ウィンストンを買いに通っていた売店の2人のおじさんの顔だ。柘榴から作ったという密造蒸溜酒の満ちたグラスを交わして、ハーフェズの死を誦む詩人の声、交差点を守る武装警官たちの去った闇夜の路上で吠える男のアルトサックス、北部、ラシュトの森の中で、七面鳥がボクの革靴を踏んづけるのを見ていたあなたの笑い声。近所のカフェのウェイトレスが、自殺したと聞いた夜。自らの生を生きることは、ただ生かされることとは必ずしも重ね合わない。生活する者たちの目に青い焔が揺れているのをボクは見た。そしてその灯は食事の時も、情事の後の「小さな死」の最中にも、消えることがなかった。
 午前1時35分、東京。スペイン産ワインはもう底をつきかけている。グラスを持つボクの右手の甲には火傷の跡が浮かんでいる。老子がいつか言っていた、博打をしてでも手を使え、と。だから、火傷跡のある右手と切り傷の左手で下手くそなギターを弾いている。イランでの生活が教えてくれたのは、生活が、日常が、闘いそのものであるということだった。闘いは、夏休みにやるものでも、有給を貰ってやるものでもない。何気なく呼吸している最中にも、常に流れる時の瞬間が闘いであり、生なのかもしれないと思う。だいたい呼吸は受動的なものだ。呼吸によってボクらの肺が直面するのは酸化という事態だ。望む望まぬに関わらず、生きるためには酸化、つまり腐敗せねばまならぬ。泥人形からボクたちを作った神様の気まぐれを恨むわけにはいかない。生の根本的矛盾。しかしこの根本的矛盾の間に、とてつもないエネルギーが生まれることがある。それは痙攣的なもので、重層的なものだ。電気信号のように、そのエネルギーは身体を踊らせる。テヘランの地下鉄で、印象的な場面に出くわした。ショートヘアーで、デニムと黒のタートルネックを着ていた1人の女性が突如として踊り出したのだ。ヘジャーブは身につけていない。音楽が鳴っていたのかすら、ボクの記憶にはない。混乱。彼女の周りにいた人々ができたのは何か恐ろしいものでも見るような表情で彼女の痙攣的な身体の動きを見つめるだけ。次の停車駅で彼女は何事もなかったかのように車両を降りて行った。その様子を語り尽くそうとて、虚しいことだった。例えピントを合わせたとしても、それは一部に過ぎない。言語活動というのは単焦点レンズと同じようにできているのだ。だから、「全体」を捉えようとするボクたちの試みはいつも失敗してしまう。それなのに、いや、だからこそボクはその美に魅了されないではいられない。
 午前2時をまわった。半地下の一室、レコードプレーヤーからはチリチリとしたクラックルノイズが微かに聞こえてくるだけで音楽は聴こえない。この時間になると外から聞こえてくるのは木々の囁きくらいだ。ボクの住んでいる部屋の周りにはこの地区で最後の原生林が細々と残っている。この木々たちも、踏んづけた桜の花びらで春の訪れを知った男のことを憐んでいるのだろう。とはいえ、日記をつけること、回想することは気に入っている。ボクが確かに経験してきたことと、いまのボクの生活を結びつけるか細い糸を見つけていくような気分だ。明日は朝から足元ではなく空を見てみよう。もっとも、朝に起きられたらの話だが。おやすみなさい。
-プロフィール- Nagi 23歳 東京 イタリアン料理人、演奏家崩れ https://www.instagram.com/moriarty___57
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room-n-blog · 2 months
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音聞山
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※画像引用元 中日新聞公式Web Site <あいちの民話を訪ねて> (103)きよの坂(名古屋市天白区) https://www.chunichi.co.jp/article/677305?rct=aichi
ルーム南からほど近い八事地区。地下鉄鶴舞線と名城線の八事駅があり、中京大学、八事山興正寺などがある界隈ですが、ここに、「きよの坂」と呼ばれる古来の坂があります。
この、きよの坂を下っていくと、音聞山(おとききやま)というエリアにたどり着くのですが、これは、その昔その名のとおり、音聞山という山があった場所です。現在は住宅地になっていて想像しにくいのですが、下の画像が示唆するとおり、江戸時代の音聞山は大変見晴らしのよい山だったようです。
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※画像引用元 中日新聞公式Web Site <あいちの民話を訪ねて> (103)きよの坂(名古屋市天白区) https://www.chunichi.co.jp/article/677305?rct=aichi
この音聞山に関して、室町時代中期の禅僧、正徹(しょうてつ)が編纂したとされる和歌集「草根集(そうこんしゅう)」に、次のような歌があります。
音に聞く 音聞山の峰高み ひびく鳴海の沖つ白浪
また、それより更に遡り平安時代前期、当時の歌人であり官人であった凡河内 躬恒(おおしこうち の みつね)の歌枕とされる、次のような歌もあります。
いつくなる 山にかあらむ 雁かねの おときき高く聞こゆるかな
前者の歌は、海(後述する「鳴海潟」)から届く潮騒の音が響く山が詠われています。一方で後者の歌は、雁(かり/がん)という水鳥の鳴き声が高らかに響く山が詠われています。そして、どちらも広く水辺を臨む情景が浮かんでくる歌となっていることがわかると思います。
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現代では、天白区は海とは接していないのですが、平安時代には、現在の天白区島田の辺りまで海が達していたとされています。ルーム南の近くの天白警察署前に、名古屋市営バスのバス停「西浦」がありますが、そもそもこの西浦という名称は、年魚市潟(あゆちがた)という干潟の入り江につけられた名称なのだそうです。
西浦 年魚市潟(あゆちがた)の入り江につけられた名称で、八事村の西にあたる。大字植田にも西浦がある。 ※引用元 名古屋市公式 Web Site 過去から学ぶ防災マップ(天白区) 旧地名付き 天白区標高データマップ https://www.city.nagoya.jp/bosaikikikanri/cmsfiles/contents/0000093/93310/65-72_16tenpaku.pdf
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年魚市潟(あゆちがた)とは、現在の鳴海から熱田の領域に広がっていたとされる海や干潟の名称です。南区の白毫寺(びゃくごうじ)境内には、「年魚市潟勝景」という石碑が建てられており、古くからの景勝地だったことがうかがえます。年魚市潟は、縄文海進という約7000年前の温暖化に伴う海面上昇により形成されたとされます。この干潟には、越冬のためであろう鶴も数多く訪れていたと推測されており、この情景は万葉集に歌として収録されると共に、現代においては「鶴里」という地名の由来にもなっているとされます
万葉集に「年魚市潟 潮干にけらし 知多の浦に 朝漕ぐ舟も 沖に寄る見ゆ」とある(7巻-1163の歌)。他にも、高市連黒人(たけちのむらじくろひと)の「桜田へ 鶴鳴き渡る 年魚市潟 潮干にけらし 鶴鳴き渡る」という歌があり、現在の南区桜本町あたりの年魚市潟で詠んだとされる。近辺には『鶴里駅』という名古屋市営地下鉄桜通線の駅名にも残る。 ※引用元 年魚市潟 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B4%E9%AD%9A%E5%B8%82%E6%BD%9F
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※引用元 更級日記紀行 平安時代東海道、走って渡る鳴海潟(尾張国) https://sarasina.jp/products/detail/109
上の画像は、平安時代の東海道と推測されるルートを示した図になるのですが、図の上側に、音聞山という表記があります。島田橋の近くには、現代にも残る神社「島田神社」がありますが、神社の建立時期は、現在残されている資料や記録からは、室町時代前期とされており、平安時代に存在していたのかは不明です。しかし、平安時代の島田に存在していたであろう集落を守る拠り所として、神社の前身となる何かがあった可能性も・・・と想像してしまいます。
なお、上の画像で示されている干潟は「鳴海潟」と表記されていますが、これは、潮騒が聞こえる(海が”鳴る”)が転じたものと推測されています。また、そもそも年魚市潟が広範囲に渡るため、鳴海潟など地域ごとに呼び名があるともされています。
それはともかく、こうしてみると、現代の天白区島田の辺りまで海だったと考えられていることがわかります。もし音聞山の頂上に立ったならば、南の方向へ向かって広がる広大な年魚市潟を見渡すことが出来たと推測されます。当時の東海道を行く旅行者は、熱田神宮との行き来を最短で繋ごうとするなら、年魚市潟を歩いて渡るのが最速ルートになります。しかしそれが可能なのは干潮時で、満潮時には年魚市潟沿いを歩き、島田橋と音聞山を経由して迂回するしかなかったことでしょう。
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※画像引用元 一般社団法人 日本電気協会 中部支部 プロジェクト紀行 なごやの鎌倉古道をさがす 【8】鳴海潟を渡る(上)・・・広い河原を行く https://www.chubudenkikyokai.com/archive/syswp/wp-content/uploads/2015/09/ca75d3549ec97cf7c68fcc48e7d4e9d0.pdf
一方で、年魚市潟に関わる東海道のルートに関して、平安時代から時が下った鎌倉の中頃から南北朝の時代においては、干潟を渡る複数のルートの存在を示唆する歌が詠まれています。
天白川は、精進川より後の時代まで海が入り込んでいたようです。そこは鳴海浦とか鳴海潟という名前で呼ばれ、古くは街道の難所とされたところでした。 ここは多くの紀行文に登場します。有名なのは、中世より前、菅原孝標の娘が書いた『更級日記』です。その旅日記の中では、 「尾張の国、鳴海の浦を過ぐるに、夕汐ただ満ちに満ちて、今宵宿らむも、中間に汐満ち来なば、ここをも過ぎじと、あるかぎり走りまどひ過ぎぬ」 と、苦労して渡ったことが記されています。鳴海は中世には有名な歌枕になっており、残されただけでも百数十首にのぼると言われます。その中で、街道の情景を歌っているものとして、次のような歌があります。 「なるみ潟 潮干に浦やなりぬらん上野の道を行く人もなし」 藤原景綱 「なるみ潟 汐満ち時になりぬれば野並の里に人伝うなり」 藤原景綱 「なるみ潟 汐の満ち干のたびごとに道ふみかうる浦の旅人」 宗良親王 これらが詠われた時代は鎌倉の中頃から南北朝の時代になりますが、潮の状況によって道を選びつつ渡っていたことが分かります。この鳴海潟を渡る道は、上・中・下の3つのルートに分けて考えることができそうです(図1)。 ※引用元 一般社団法人 日本電気協会 中部支部 プロジェクト紀行 なごやの鎌倉古道をさがす 【8】鳴海潟を渡る(上)・・・広い河原を行く https://www.chubudenkikyokai.com/archive/syswp/wp-content/uploads/2015/09/ca75d3549ec97cf7c68fcc48e7d4e9d0.pdf
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上の画像は、現代の音聞山付近から南南西寄りの方面を臨むグーグルマップの画像です。画像の真ん中の下あたりが音聞山になります。ちなみにルーム南は、画像の左側に位置しています。平安時代にこのアングルから眺めたとするならば、広大な年魚市潟(鳴海潟)を見渡すことができたはずで、歌に詠まれるのも頷ける風光明媚な眺めだったのかもしれません。普段住んでいて身近なエリアですが、掘り下げてみると興味深い歴史がある、と改めて感じた次第でした。
(野村)
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kurano · 3 months
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 会談は冒頭を除いて非公開で行われた。議事録によると、団長の進藤孝生・日本製鉄会長や経団連の十倉雅和会長らが、2023年10月にアステラス製薬の日本人社員が正式逮捕された問題を念頭に反スパイ法への強い懸念を表明した。
 これに対し、王氏は、日本で同年6月に国立研究開発法人「産業技術総合研究所」の中国籍の主任研究員が、同12月に電子部品大手「アルプスアルパイン」の中国籍の元社員が、営業秘密の情報を漏えいした容疑などで逮捕された事件に言及。「大きく騒ぎ立てるのではなく、成熟した国家間の成熟した関係を期待している」と語り、譲歩する意向がないことを示唆した。
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toytraint · 2 years
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ALPICO railways #アルピコ交通 #上高地線 #3000形 #元京王電鉄井の頭線 #鉄道むすめラッピング #ヘッドマーク付 #田川橋梁復活 #松本電鉄カラー #alpic_railway #kamikohchi_line #3000type #old_color_train #tagawa_bridge ✱松電カラーは引退したみたい。 https://www.instagram.com/p/CgVuXfzPxRG/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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mazelnakiken-1 · 4 months
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日程:2/18sun
イベント名:魔ゼルな規犬企画
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会場: 新宿ゴールデンエッグ https://g-egg.info/info :東京都新宿区歌舞伎町1丁目16−10 地下2階
開場・開演:18時半
料金:1500円(ドリンク付)
進行・催眠:謎の超能力者戸田
LIVE(あいうえお順): ・gloptin ・人生逆噴射 ・バロムさんwithサワラ ・Bizarre Love Triangle(Pinkspine feat.清流花+はんみょうプロジェクト華奴泉血+あなるちゃん+魔ゼルな規犬+女王様のゲストの方々) ・フレッシュコンドームス ・Roreda  ・WorldWideSize
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出演者詳細:
【 gloptin 】
"孤高の音求道者です。
ドラム缶タム、キッチンメタル、自作電子ボックス、
改造エフェクター、ストロボと照明を使ったソロ活動してます。
ライブでフライパン叩けます"
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gloptin (@gloptin) / X
gloptinです。孤高の音求道者です。 ドラム缶タム、キッチンメタル、自作電子ボックス、改造エフェクター、ストロボと照明を使ったソロ活動してます。ライブでフライパン叩けます。
X (formerly Twitter)
【 人生逆噴射 】
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世の中に真実を伝える活動をしている人生逆噴射です。ブッキング大募集中!!
ご連絡は [email protected]
スケジュールはこちら→ https://t.co/mZJfSMIk6k
DJ.YMZK 1992年3月生まれ 神奈川県鎌倉市出身 腰越という漁師町に生まれ、魚をとって生活をしていたが、都会に憧れて片道1時間かけて上京。高円寺でブルースギタリストとして活動していたが、路���を変更し、童謡DJの活動を開始。ある日、神秘体験をし人間は所詮子孫を残し続けて死ぬという輪廻を繰り返す存在でしかない。と啓示を受けJuan.Bと人生逆噴射を結成。 Juan.B 非国民ハーフ、作家、反社会的アーカイバー、そして歌手。 1994年、板橋区生まれ。海外の衛星放送毒電波の浴びすぎで周囲と話が合わなかった。クソ学生時代を経て2019年に『戦前不敬発言大全』『戦前反戦発言大全』を出版。DJYMZKと出会い、魔の手によって歌手となる。
【 謎の超能力者戸田 】
"謎の超能力者戸田です。 銀河系に住むオセロ七段。
催眠、気功、伝授できます。
「催眠サークル人間失格」の代表
有料noteあります https://note.com/todatomoya111 ”
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【とだともや✡窯出しとろける催眠術師✡ (@ecoecoazarachi) / X
謎の超能力者戸田です。 銀河系に住むオセロ七段。 催眠、気功、伝授できます。「催眠サークル人間失格」の代表。https://t.co/Wg52U5tZV9 有料noteあります https://t.co/lnuc2Auonq
X (formerly Twitter)
【 バロムさん with サワラ 】
オッチーさん エマルジョンのmika-Rさん によるバロムワン!
のようなユニット!
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今回!あの!鉄観音サワラさんが!パフォーマーとして入ります!
鉄観音サワラ:
"モデル/パフォーマー。フェチフェスガールもしています。
文脈と欲望を愛す酒好き。熊サポ。 #ヒスベ #X女 #ほんせけ
#酒場SF #桶屋になりたい #メ女tar #舞台SNS
【ご依頼】http://twpf.jp/sawaraph
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【 Bizarre Love Triangle 】
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(Pinkspine feat.清流花+はんみょうプロジェクト華奴泉血+あなるちゃん+魔ゼルな規犬)
踊れそうです!即興と4つ打ち!そして!SM!!!
(SiSeNさんは今回は関西に!
Pinkspine:
DJ | Producer | Organiser
♪(*^o^*)O https://instagram.com/djpinkspine?r=nametag…
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Pinkspine (@pinkspine) / X
♪(*^o^*)O https://t.co/eg7nlhpJEA
X (formerly Twitter)
清流花:
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前立腺は一発で仕留めます。
#mistress #domina #bdsm #ボールパイソン #鞭 #高身長 #足フェチ #聖水 #緊縛 #言葉攻め #焼印 #露出 #射精管理 #針 #BBQ串 #変態 #両性具有 #CBT 清流華
あなるちゃん
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Fée de fleur analchang (╹◡╹)
ぱふぱふフラワーあなるちゃんです。
お花がいっぱいフラワーランド 。
アバンギャルド労働組合東京婦人部。
『車掌』編集部給食係 つちのこ学会東京支部。
はんみょうプロジェクト:
since2005 原宿愛をモットーに日曜の原宿で18年活動中
代表・リアル都市伝説 #原宿ピエロ #カドッチ #華奴泉血
高尾にてカラオケ喫茶サンフラワー経営
テクノブレイク中野店で自作グッズ委託販売中
タロット占い等のご依頼はDMまで
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魔ゼルな規犬:
㎜∀Ζё∟μИÅ К↑Ж∃∩!  は シマウマなドラマーなラッパー
超能力少女(皮膚がプラ)と 広告モデルで参加する青砥撫子 と
野生の生きた飛ぶタイプの虫 全部がメンバー!
【 フレッシュコンドームス 】
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フレッシュコンドームス
元 電波パパのメンバーによる新バンドです。 vo ななしのあ) key フユキ dr papa ba 石川
 動画 youtube.com/watch?v=MmyZoxNVqck
「童貞リベンジャーよしお」 「hapy exit (お願いドクター)」 「クラクフへ行こう!」
【 Roreda 】 
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へヴィーサウンドでの歌唱や身体表現等。3DCGデザイナー、作詞作曲、MV制作・動画編集 、元ストロベリーソングオーケストラ弾身無子、元劇団ひまわり。バンド一時休止中で現在ソロ。 出演依頼・チケット予約はDMかHPにて youtubeは 「Roreda」で検索
youtube
【 WorldWideSize 】
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kouichikidoura(Gt) atukurusiioden(Dr)
freeform mathrock duo
soundcloud https://soundcloud.com/world-wide-size
mixcloud http://mixcloud.com/WorldWideSi
18:30開場 (リハー続けててます!)
19:00~「WorldWideSize」  19:25〜転換
19:30~「Bizarre Love Triangle」  19:55~転換
20:00~「フレッシュコンドームス」  20:25~転換
20:30~「Roreda」  20:55~転換
21:00~「バロムさんwithサワラ」  21:25~転換
21:30~「人生逆噴射」  21:55~転換
22:00〜22:25「gloptin」
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ari0921 · 1 year
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和四年(2022)12月1日(木曜日)
    通巻第7540号
 一度死んだはずの江沢民、あれから11年と五ケ月を生きていた
   反日を仕掛け、軍を腐敗させ、汚職天国とした江沢民が死去
************************
 11月30日、江沢民元国家主席が死去した。享年96歳。
 天皇陛下晩餐会に中山服であらわれ『歴史を鏡とせよ』と呪詛をたれて、日本人の多くがあきれかえった。反日を掲げるとこで江沢民は政治生命を維持した。
 たなばたで権力を受け継いだものの、中央政界に唐突に現れても、長老や幹部は誰も相手にしなかった。97年香港式典などは、李鵬が別の特別機を飛ばして、ふたり並んでいた。つまり、あの時点でも江沢民の権力は半分ほどだった。
 江沢民がまずやったことは権力を守る暴力装置を江沢民の親衛隊とすることで、第一に軍のアルバイトを黙認し、汚職には目をつむり、第二に大将(上将)辞令を乱発した。軍の高層部はこれで江沢民支持となった。
 彼の強運は「新しい」利権がどっさりと転がり込んで来たことだ。守旧派の牙城だった従来の共産党企業、つまり国営企業とは鉄道、炭鉱、電力、通信、銀行である。
 江沢民時代に改革開放が本格化し、外国企業が銀行証券保険に参入した。通信も携帯電話が急激に普及し、ネット通信が主流となった。守旧派の利権など問題にならない巨額の利権である。
 江沢民は自派閥形成とその強化に「新産業」を加えた。経済の繁栄、GDPの右肩上がりに、国民さえ「良い時代がきたなぁ」と吐露し、時に不満が高まると反日を煽り、日本企業、レストラン焼き討ち、大使館へ卵ぶるけ競争を黙認どころか演出し、ガス抜きをはかった。
 江沢民の反日過剰は、じつは父親が日本軍の協力者だったからで、父の兄弟の戸籍に移し替え、何食わぬ顔で世を渡った。上海交通大學(当時は中郷大學)で機械エンジニア、ソ連にも派遣され、工業畑から上海市長、同市書記。トウ��平に大抜擢され上海から北京に呼ばれたのは1989年天安門事件直後だった。
 江沢民が言い出した「三個代表論」というわけの分からない『理論』とは、企業人、財界人も党員として、一緒にがっぽりと稼ごうということである。マンション投機、株式投機に血道を上げるムードが醸成され、スポーツ選手やら不動産王やら、映画スターが人民政協会議メンバーとなった。
 さて江沢民は「いちど死んでいる」!
 2011年7月7日に産経新聞は江沢民死去の『号外』をだした。
 直後に北京に行った筆者は産経北京支局の人から「あれは北京の頭越し、東京本社が『確実だ』という情報源を元にした誤報」と言っていた。
 そして死んだはずだった江沢民は爾後も11年と五ケ月を生き延びた。十月の党大会には姿を見せず植物人間状態という噂があった。
 さてさて残された江沢民の遺族である。
 夫人の王治坪は94歳。当時の上海外国語大学をでた才媛である。
 長男の江綿恒は通信の利権やファンド経営などを言われたが、さきごろ上海アカデミーの『院長』を退任した。学識がないと評判が悪かった。72歳。 
 次男の江綿康は上海市発展情報センターに勤めるらしいが、消息は殆ど無い。68歳。この兄弟は伴に上海師範大学に学んでいる。
 
 思い出すのは江沢民最大ライバルだった李鵬元首相の子供達である。
 李鵬の子供達は地方に飛ばされ、とくに李小琳は電力業界のトップにすわっていて、リムジンで香港に現れ、ブランド品を山のように買う現場がパパラッチされたりしたが、習近平は彼女を山奥の発電所に左遷した。
 江沢民の遺族等に待ち受ける運命やいかに?
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tumnikkeimatome · 4 months
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JR東日本・京王電鉄・京成電鉄、首都圏の主要3社が大晦日から元旦にかけて終夜運転を実施:各地で年越しイベント、ただし渋谷はハロウィーンと同様にカウントダウン中止で混雑対策
2023年の大晦日から2024年の元旦にかけての首都圏の交通 首都圏では2023年大晦日から2024年元旦にかけて、JR東日本、京王電鉄、京成電鉄が初詣客向けの終夜運転を実施。これは新型コロナウイルス禍以降減少していたサービスが復活の兆しを見せていることの表れであり、2021年末には一部路線で終夜運転が再開された。 JR東日本は、山手線や京浜東北線など7路線で15分から80分間隔で終夜運転を行う。京王電鉄は新宿から高尾山口までの京王線で、京成電鉄は京成上野から京成成田までと押上から京成金町までの区間で20分から60分間隔での運行を予定している。 年越しイベントと対策 東京都では初の年越しイベント「HAPPY NEW YEAR…
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namanikki · 4 months
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ろんぶり
2023/5/4~5/8の3泊5日ででロンドンとブリュッセルに行った記録。マジで弾丸。関東に住んでる妹とふたり。
2023/5/3 蒲田に前乗り
新大阪から東京へ新幹線。一番前のちょっとだけ足元広い席が取れたのでスーツケース置けたけどこれ以上乗車時間長いと足伸ばせなくてしんどいわ。上に乗せるパワーはないし。あと東京駅バカ混みのタイミングでした。私は全然GW初日じゃなかったので考えてなかった。
京急で羽田にサッといけるので蒲田にホテルとりました。JR寄りより京急寄りのほうがいいんだね。
蒲田はファストフードと飲み屋の街。近寄りたくはないけどファーストキッチン美味しかった。ファッキンないんだもん。
セミダブルの部屋、クソ狭かった。史上最狭だった。枕低くて持参したタオル引いて寝た。持参のタオル使ったのここだけ。
2023/5/4 ロンドンへ高飛び
朝っぱらから京急乗って羽田第3ターミナルへ。モバイルwifiを二個とポケトークを一個借りました。出国はさっくりいけました。オンラインチェックインもしてたしコンビニで搭乗券も出してた。24時間前からしか無料で出来ないから帰りの搭乗券はまた今度にした。
空港内で両替。持ち物検査前にもおっきなカウンターあるけど私は検査全部済んでからにした。トラべレックスはインターネットに聞いてた通りレート高いのでおすすめしない。やっぱみずほ銀行よ。地図右側はATMだけだしポンドがでない。左側の有人カウンターでユーロとポンド、1万円ずつした。しかし最低が10£10€。
飛行機14時間、3列×3のど真ん中の席。全然揺れなかったのは席か天候か。行きはご飯の説明が日本語であったので食べたいもの食べれたけど、飲み物は何か飲み物いりますか、しかきかれなくて選択肢謎で水飲んでた。水、ビール、コーヒー、紅茶、コーラ、オレンジ/りんご/クランベリージュース、などなど。出発30分でPENNSTATEのプレッツェル、サワークリームとChive味。1時間半で機内食。そのあとスヤピー、3時間前くらいにもっかいお菓子出てきたかも。1時間半前に2回め機内食。イヤホン刺さるとこどこかわからなくてスマホに落としてたインセプション観て美少年ネス読んでた。隣の人が左利きで永遠に肘ぶつかってた。あとノートパソコン落とした男の人に大丈夫!?て声かけた数分後連絡先交換しててひっくり返った。
あのパスポートの写真のページ伏せておく機械全然反応しないんだけど!後述のユーロスターでも反応しなかった。してくれないと口頭弁論になるから困る。でもひっかかった妹は無言で顔と写真のページ見比べられてニコってされて終わったらしい。
15時半くらいには飛行機降りた気がするけどなんだかんだして、メトロ乗ったのが18時前だと思う。空港とメトロのつなぎめらへんに自販機があるのでオイスターカードを買った。25£入れたかったのに20£の次が30£だったから30にした。ダダあまりした。バス乗りたかったのに乗らなかったせい。ていうかなんかスマホアプリあるらしいじゃん……?あとメトロに降りるエレベーター、上下ボタンの反応がなくて、呼べてるのかどうなのかわからなくていきなり海外の洗礼を食らった気がした。
ピカデリーライン乗ってどんぶら。繁華街は地下だったからわからないけど田舎の方は地上だった。あの煙突いっぱいのお家がいっぱいたっててびっくりした。ラッセルスクエアで降りる。この駅なんとエスカレーターがない。絶対に階段を使ってはいけない!ノー荷物でも死ぬレベルの長さの階段が待ってる。エレベーターでかいのが3機あったと思うから絶対乗った方がいい。グーグルマップの口コミでもそう言われてる。
音楽につられてホテルと逆方向に歩いたりしつつプレジデントホテル着。受付のお兄さんいいひとだった。チェックインさっくりして部屋の前で撮った写真が18:30。クローゼット汗臭かったらしいけどあとなんも文句なかった。
だらだらしてから歩いてホルボーンへ。一日目の晩御飯はマクドナルドと決めてたので。注文全部機械なんだねえ!適当に詰められた紙袋をポイと渡された。ヨーロッパに手提げ袋とかない。
ホルボーンのSainsbury's Localで水買って帰る。多分全部軟水。spring waterを選んでおけば多分いける。ここだったか忘れたけど袋の購入をキャンセルしたいのに自力じゃ出来なくて、店員のおばちゃん呼んだ。ピッてしてなんか秘密コマンド入力してもらわないとキャンセルできない仕様だった。私はあきらめて0.3£払おうって言ったよ。おばちゃん自由だった。海外の店員さんて皆こんな自由なんだな。
あと風呂入って寝た。妹が風呂場水浸しにしてて笑ったけどホテル慣れしてる人がなぜ?もしかしたらどっか壊れてたのかも。2,3日目なんともなかったから濡れ衣かも。結構風呂釜が深くて何処も持たず跨ぐと滑って危なかった。妹は結構な痣作ってた。海外のホテルなのかこのホテルなのかわかんないけど枕が3つもあった。結構しっかりした枕。歓喜。
2023/5/5 ブリュッセル日帰り
なんで昨日ロンドンついたところでいきなりブリュッセル行くの、しかも3泊しかないのに、と思うかもしれませんけど、ユーロスター乗車実績を解除しないといけなかったんですよね。8:16くらいの電車に乗るために7時にはセント・パンクラス駅へ。スーツケースもないし徒歩圏内。
改札前で紙の王冠を配ってた、戴冠式記念。いや今いらんのよ、帰りほしいのよ。帰りは配ってませんでした。6日も行った先では配ってませんでした。かなしい
空港と同じような出国検査。でもこっちは飲食物持ち込みok。一応入った先でサンドイッチ買った。コーヒー一緒にどう?て絶対聞かれるけどNoていってごめん。
念願のユーロスター。行きは進行方向むきの座席だった。一番安い席だからか博打っぽくて、帰りは逆向きだった。机のある席に当たる可能性もあるのかなあ。多分一番安いとこは全部2列シート。ど田舎とトンネルを走る。フリーWi-Fiは激弱。車内販売車両があるけど行かなかった。Brussel-Zuid/Midi(ブリュッセル南)駅到着。
歩くつもりだったけど嫌だって言うからBruxelles-Central(ブリュッセル中央)駅まで電車。日本語インターネット曰くユーロスターの乗車券あればここまで無料でいけるらしいのでチャレンジした。なんとブリュッセルの駅、改札がない……!地下鉄じゃなくて地上のやつ。Luxembourg行きに乗ったけど全部Bruxelles-Central駅には止まるっぽい。ユーロスター降りる時前の人がドア開けるボタン押してたけど、この駅でも若い男性が押してた。でもこの人はアナウンスしてたから多分乗務員さんとかそんなん。あまりに服装がラフでわからん。普通に乗ってたらこの人が車内切符チェックに回ってくるのかなあ。
Bruxelles-Central駅の中で私が行ったトイレは人にお金払う方式だからお釣りが出るよ!それはそうと近くにあったRelayてコンビニみたいなやつ…ベルギーのチェーン店なのかな?に行ってお金崩すためにNutellaのチョコはさみクッキー3枚入りを買った。ヨーロッパと日本で売ってるNutella違うらしくて気にな���てたので、偶然でお菓子だけど味わえてよかった。違いわからんかったけど美味しかったよ。1枚だけで満足する重さ。後で駅構内に宣伝がいっぱいあったLionてチョコバーも買ってる。これネチョネチョのチョコのやつ。
改札がないない言いながら地上に出たら芸術の丘についた。予習したところだ!ベンチが空いてたのでお花を見ながらお菓子を食べて今後の計画を練る(ここで?)。とりあえず午前のうちにジュドバル広場に行くことに。歩いた。南駅の近くなのにどうして電車に乗ったかというと、南駅あたりは治安が悪いというので…明るいから大丈夫だって、と思ったけど……
ジュドバル広場で写真とか撮るの忘れたんだよね。服、骨董品中心。値段書いてないし今から観光だしで何も買わず雰囲気楽しんで一周して元の道戻った笑
中央駅でまたトイレ行って、グランプラスを目指すことに。あんま地図見ながら歩いてないからうろうろうろ、なんかいつのまにか行きたかったギャルリ・サンテュベールにもついてたし(まさかそうと思わなくて綺麗だな~と思いながら素通りした、雨もドバドバ降ってたのに)
ベルギーワッフルを食べに来たので適当に呼ばれたとこに入る。Aux Gaufres De Bruxellesていう、テイクアウトもあるしそこで食べることも出来るとこ。これひろしが旅番組で行ってたとこ、多分。外の机で食べた。店員さん親しげで英語で色々話しかけてくれたり日本人?英語のメニューで良い?とか言ってくれるんだけどごめんわからん;; メニューの裏表紙にあったワッフル+トッピングセットを頼む。ここブリュッセル式もリエージュ式も両方ある。トッピング鬼のように高い。二人で33€とか払った。セットいくらかわからんかったからぼったくられてる可能性もあるんだけど、まあいいかって。店員さんはいい人そうで、道側に無防備にカバン置いてる人とかに注意してたりとかした。結構道端ギヴミーマネーの人とかうろうろしてたし。食事中紙コップ差し出されたりした。サッと通り過ぎてくれるけどね。女の人とすれ違いざまにバラ1輪差し出されたのも一瞬だった。貰ってないよ。
母に頼まれてたセロリソルトをスーパーで探すんだけど、ない。スーパーもそんなないし。あまりに雨も酷いからって偶然入ったのがサン・ミッシェル大聖堂。思わぬ収穫、めっちゃ綺麗。おすすめ。建物もすごいし、ステンドグラスとか像とかもすごい。トイレはない。
教会出たら雨止んでたのでグランプラスで写真だけ撮ってまたうろうろ。芸術の丘戻ってその向こうの美術館とかエリアへ。それも超えて大きな道路のもっと東、チェーン店とか集まってるようなごちゃごちゃしたエリアへ。NEUHAUSのチョコは高いから店すら入らなくて、Leonidasで日本じゃ買わないような大きさの箱を買った。ユニクロも冷やかした、やっぱ基本レディースはお腹が出るデザインだね。そのまま東に向かってうろうろしたけど治安も悪くなってきたので引き返し、そんなこんなで帰りの電車の時間が迫ってきてたので歩いて南駅まで戻ることに。切符の買い方とかなんもわからんからね。
歩いてるうちに大きな道路沿いなのに人が全然いなくなってきて、向こうに男性ひとりなんか立ってる。あ、これ話しかけられるやつだわ、とおもったら案の定。Do you have any time?だって。初めて英語聞き取れた!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!無視して早歩きしたら追いかけてこなくて助かった。感謝まである。
ドキドキしながらも無事駅着いたし時間余裕あったしで駅内のチョコまとめストアへ。CorneとNEUHAUSのちっこいチョコを買った。ここのスーパーにもセロリソルトはなかった。
トラウマ出国検査。持ち物検査は相変わらずガバなんだけどロンドン出るときより出国検査が厳しかった。行きのスタンプがないけどどうやってきたの?的なことをおばちゃんに聞かれた、アワワしてたらもう1回見返して見つけてsorryで事なきを得た。ビビるよ。そしてあのパスポート伏せておく機械に今度は私が阻まれ口頭弁論列へ。列抜かされたりしてイライラしてるところに普通に質問が来た。全然聞き取れない。スマホ出そうとしたところで別の係員さんを呼ばれて横にはけることに。おーこわ!are you no englishて聞かれたのかな?no english!!!て答えたら子供にするよりゆっくり喋ってくれた。何日いるの、イギリスからいつ帰るの、OK、航空券はある?て聞かれたのでコピーしといたeチケットが火を吹いたわ。パスポートにやっと判子押してもらえた。もう泣いた(泣いてはないけどがっつり落ち込んだしトラウマ)。
ロンドン帰ってきてスーパーで晩ごはん(サンドイッチとマカロニサラダ)買って帰る。戴冠式記念クッキー缶とかあったけど高いなーてスルーしちゃった。10£くらいだったから買えばよかったのに!!!
ホテル帰って晩ごはん食べてシャワー浴びて寝る。このマカロニサラダがクッッッッソ不味くて、マカロニってこんな不味くなるんだ、調味料を全部はねのけてるよ、ていうやつ。エビだけ美味しかった。妹なんかクタクタで電車内から半分寝てた。明日の打ち合わせは……?昨日の晩休足シートの足裏使っちゃったけど今日に置いとけばよかったなあ、と思いながら寝た。
2023/5/6 ロンドン観光
ここから2023/10/14入力。ふと思い返したくなって、でも最後まで書いた記憶が全然なくて、恐る恐る見てみたらまるっと1日分まだだった。明日より今日の方が覚えてるので頑張って書く…自分のために……
この日は1日ロンドンぐーるぐるの予定だったんだけど、なんとチャールズ3世の戴冠式なので、折角だからパレードを見に行くことに。隙間からチラッと見えるとか何かしらの音聞こえるとかないかなって一縷の望みをね。折角なんだからさあ。
朝から戴冠式関連のテレビをながら見して、昨日も来たKing's Cross駅からNorthern lineでLondon Bridge駅。9時にBorough Market。店開いてないし人もパラパラ。散々写真は見てきたけど、こんな空いてるのはなかったよ。ベーグル食べてフルーツジュース飲んでセロリソルトを買って2周くらいしておしまい。ここまで来たならなんでついでにロンドン橋を見なかったんだろう?今地図見たらすぐそこじゃん。駅名がそうじゃん。サザーク大聖堂もあるじゃん。泣いてる。
London Bridge駅からJubilee lineでGreen Park駅へ。乗る人みんな戴冠式仕様。浮かれポンチてこと。紙の王冠かぶってたりユニオンジャック身につけてたりさ。いいなああれって思いながら見てたよ。Green Park駅は出場規制がされてた。とりあえずトイレ、ここ1ポンドだったかなあ。無いしBruxelles-Central駅みたいに人がいるタイプじゃないので(あれがかなりレアなんだろうね)余分に払う羽目に。欧米人もトイレお金いるの!?て慌てたり入場のバーをガンガンしたりしてた。これオーソドックスじゃないの?
頑張って出たらそこそこガッツリ雨。人の流れに沿って、ていうか規制されてるからその通りに歩く。子供以外全員デカいし傘さしてるしデカいユニオンジャック帽被ってるし国旗刺さってるし。戴冠式仕様の偽札(ていうかなんていうか)とかチープな旗とかfree~ていいながら配ってる人結構いたけどどういう文化?貰ってないよ。結局途中で引き返したの。
まさしくここ。向こうに木が見えるしなんか謎の歓声が上がってたから期待度も上がってたんだけど…絶対なんもなかったよね。進めないから傘畳んで向かい来る人々に反抗するしかなかった。流れに沿って歩いてただけだしスマホとか取り出す勇気なしで自分たちが何処にいたのかその時分からなかったんだけど、GPSによると駅から北西にいたみたい。これパレードのルート。あのとき一緒に歩いた皆さんは何処にたどり着いたのかしら。
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そのまま駅には戻らずBerkeley Square方面へ、Oxford Circus駅に向かって…こっからの足取りがわからん。
多分Bakerloo lineに乗って行きたかったPiccadilly Circus駅で降りてる。1駅。オイスターカードがあるんじゃあ。あのSHERLOCKのOPでもみた有名なとこ!噴水!ワー!人多すぎ!北東への道路を適当に歩く。タッパも声もみんなでかいし酔っ払ってるんか?傘さしてるし妹ビビってるし、大きめの道入ってすぐ出た笑 中華街とは逆の方。
Palace Theatreでハリー・ポッターと呪いの子やってるー!て写真撮って、南下してLeicester Square駅へ。それまでは高級そうな店とかならんでたのに、なんか急にこの辺汚かったな。
これもNorthern line?で1駅、Tottenham Court Road駅へ。改札の外でお昼に軽くと思ってまたサンドイッチ買って、歩いて大英博物館の場所を確認しながらホテルに帰る。一風堂とかあった。
ホテルの部屋で戴冠式の中継観ながらサンドイッチ食べて、適当なところで大英博物館へ。Coco Fresh Tea & Juiceで崩壊3rdのコラボやってた。知らないから入ってない。
13時に入場予約してたんだったかなあ。コロナあったから一応予約システムみたいなんが出来てたから日本で予めしといた。入場にはめっちゃ簡単な手荷物検査があった。カバン開けて列に並んでね、みたいな。チラ見で通れた。昨日のトラウマがあるからビビってたよ。予約の確認はされなかった。
わかってはいたけど、やっぱり回りきれなかった。すごい雑に歩いて、地図の1階の左の方。古代エジプト・ギリシャ・ローマを見ただけ。
帰って会社のお姉様(61)に何見たの、て聞かれたから肩に穴あけられた像みました!て答えたらええ…?て言われた。その30分後くらいに答え合わせされてワロタ、検索させてごめーん、ラムセス2世の胸像です。
15時からThe Great Court Restaurantでアフタヌーンティーの予約してたので行く。なにげに初めてちゃんと店に入ってご飯を食べるのである。なんて言ったんだろう、画面見せてI have a Reservationとか言ったのかなあ。店員さんにGive me a secondて言われた。妹と二人で感動しちゃったね、ちょっとまってねの新たな言い方だ…!つって。
大英博物館のついでに入れるし、ドレスコード気にしなくていいし、他より断然安いし、でここ選んだ。質は気にしない、イギリスでよくあるアフタヌーンティーをした、という実績を解除することがまず目標なので。サンドイッチモサモサ、スコーンモサモサ、ケーキモサモサ、紅茶グビグビ、で食べきれず。美味しくないことはなかったよ。お茶何個か選択肢あったけど何選んだか忘れた。初めてのクリームティーは大満足です。なんのクリームかわかんなかったけど自分とこで作ってんのかもな。ジャムはWilkin & Sonsのチップトリーのちっこいやつ。ストロベリーだったんじゃないかね。ネットに持ち帰りの箱貰えるよって書いてたから妹がトイレ言ってる間にcan i have a box?とかなんか言った。つけ忘れたけどケツにpleaseてつけると辛うじて丁寧になるみたいですね。もう会計でいいか、みたいなことを言われたのでオケつって。妹によく一人の状況で頼んだね、て言われた。ほんとにな。店員さんの手のタトゥーが濃いめの色の肌に映える黒いやつでめっちゃかっこよかったんだわ。かっこよかったの。
出て閉館時間まで日本のところ見たりお土産屋さん見たり。日本では見ないのにね。刀だ鎧だ、着物やら古墳から出てきそうなものやらなんやら、結構ちゃんと揃ってる。英語わからんけど勉強になってしまった。流石だ。お土産屋さんの天井からぶら下がってるエジプト猫ちゃんが可愛かったのにあの絵のグッズはなかった。わかってないなあ。展示物と戴冠式記念仕様のポストカードだけ買った。
お腹いっぱいなので晩ごはんいらない、ホテルでごろごろ荷物整理したりなんだり。そういや枕元に置いといたチップのつもりの1ポンドがそのままだったんだよね、メモとかつけないと置き忘れと思われたのかしら。これはそのまま置いて帰った。
お土産買いに近所のスーパー、Waitroseへ。思ってた以上にデカかった。1時間位うろうろしてお菓子をそこそこ買った。いっぱい買ったつもりだったけど、私のいっぱいて別に普通の量なんだよな。しかもここまでもここからも何も買ってないので、いっそ少量。
帰って持って帰ったアフタヌーンティーの残りをつまんで寝る!
2023/5/7 帰宅
結局最後まで目覚めたら知らない天井だった。起きた瞬間ここ何処?てなるのよね。夢見心地か?
ホテルで最初で最後のブレックファストをいただく。イングリッシュブレックファストてやつよ。素材の味~美味しかったよ。
荷造りしてちょっと散歩。というのもオイスターカードの自販機での返金が5£まで?とかで、無駄に使っちゃおうってことで。Holborn駅まで1駅乗って歩いてホテルまで帰ったりとかした気がする。GPSに記録されて無くてわからん。
ピカデリーライン乗ってどんぶらヒースロー空港へ。行きも見た景色にさよなら。煙突が3本セットだなあ…オイスターカードの返金場所は結局わからなかった。最悪。有効期限が2年とかなんですけど、誰か近々行く予定あったらあげます。流石に2年以内には行かないと思うので。え、アプリ…?
荷物預け入れのとこで機械がエラー出て係員の人に対応を依頼しないといけなくなった。あれは空港の人だっけなあ。英語通じないし機械エラー起こして止まってるし預け入れの処理も途中だから一回処理全部消去して…てイライラされたが、しらんわw。あとは無事出国審査も済んでお土産漁りの時間。会社用のお菓子を買いましたが勿論足りなかったよん。妹はロンドン市警帽被ったアヒルとか買ってた気がする。そういう無駄なもん買わないといかんよな。チョコバーとHuelのバナナ味買ってのんびり待ち。空港アナウンスが日本語でもされている。感動。ありがとう。
座席番号がなぜだか妹と隣り合って無くて謎だったんだけど、実際隣り合ってた。確かIが飛んでたんだよね。1と紛らわしいからかなあ。帰りの機内食も2回。英語が聞き取れずなんか適当にもらったけど美味しかったです。イヤホンの差し方を覚えたので機内サービスでメン・イン・ブラックを見ていた。イヤホン何処に差したんだろ?ググったらひじ掛けの先て書いてあるわ。行きは日本から東へ、太平洋・アメリカ・カナダ・大西洋の上を14時間飛んだけど、帰りはユーラシア大陸横断13時間だった。少し前ならロシアの上を通ってたんだよなあ。
私達の使ったブリティッシュ・エアウェイズ、少し前にヒースロー空港で乗客の荷物勝手に売ってたってツイートが回ってきていて不安だったのでAirTag的なのを荷物に仕込んでいましたが、iOSの妹はちゃんとAirTag反応してたけどAndroidの私が買ったAnkerのEufyてやつは全然でしたね。荷物がベルトコンベアに流れてきてやっと日本に帰ってきた。使い方も適当すぎたかも。
無事羽田についたのでwifiとポケトーク返して電車。余裕目で見ていたつもりの帰りの新幹線が結構ギリギリで焦っているのに、トイレに会社用のお菓子を忘れるという失態。妹とさよならして取りに戻ってもらった笑 無事に新幹線には間に合ったけど隣がまた英語を話す人だった。思わずexcuse meが出た。恥ずかしい。
あとはもう、帰宅して荷物とにかく出してスーツケース梱包して返却に出しておしまい。次の日から仕事だったけど時差ボケで一週間終わってた。終わってるのにお土産はない。かなり後になってからの提出になった。ワロタ
今はまた行きたいけど準備も何もかもしんどいな~て気持ち。ロンドンに居る間はあっという間で何も考えてなかったけどロンドン滞在時間が少なすぎるなとはヒシヒシ。帰宅直後は次行くなら英語勉強してからだな…だったと思う。日本でイヤホン無しで歩いてるとすれ違った人から悪口が聞こえるんだけど、ロンドンでもそれは変わらずだった。英語でなんか笑われてるんだろうな、みたいなのがストレスだった。おわり。
おみやげ
・JaffaCakes(ラッセルスクエアのウェイトローズ)→おいしい!
・Leonidasのチョコ→おいしい!
・Corneのチョコ→ひとにあげちゃったけどひと粒だけ貰った、おいしかった
・NEUHAUSのチョコ→さんかく!日本で買ったら税込3000円でワロタ。いくらだったかなあ
・PickUP!(ラッセルスクエアのウェイトローズ)→クッキーの間に板チョコ挟まってる。おいしい?
・TWININGSのWELL-BEINGな紅茶セット(ラッセルスクエアのウェイトローズ)→いいにおい!
・LEIBNIZの動物ビスケット(ラッセルスクエアのウェイトローズ)→ひとにあげちゃった。こないだ成城石井に売ってた!
・TyrrellsのSalt&Vinegarチップス(ラッセルスクエアのウェイトローズ)→すっぺえ!
持ってってよかったもの
・首枕→乗り物に乗ってる時間が長すぎた。あと椅子に付いてる枕の位置全部高くて座高が自慢の私でも届かないぜ
・エコバッグ→スーパーのBag高い。買い物するたび絶対にBagいるか聞かれた。
・うつるんです→スマホあんま出したくないし、デジカメ怖いじゃん(ただし現像が手間だしお金もかかる)
・eチケット(紙)→When do you leave UK?てブリュッセルからユーロスター乗る時に聞かれたもののテンパって全く聞き取れなくて、証拠に出せたので……(このタイミングで聞かれると思わんじゃん)
・ホテル予約票(紙)→スムーズにチェックイン出来ましたわよね
・タオル→日本のホテルで枕が低くて腹が立ってるときに使える
いらなかったもの
・足の台→機内でエコノミー対策に置こうと思ったんだけど、なくても生きれた。機内持ち込み荷物が重いだけだな。あと置いていいか微妙。机に引っ掛けるタイプは前の人から殺意向けられたくなかったらやめとこ。
・ポケトーク→グーグル翻訳で全部できる。スマホを出したくない場面では借り物のポケトークも出したくない。
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