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#合掌造りは白川郷だけじゃない
kyotomoyou · 2 years
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【富山県】五箇山 相倉合掌造集落 . (2020/10/07撮影) . #五箇山 #五箇山合掌造り #相倉合掌造り集落 #相倉 #合掌造り #合掌造り集落 #合掌造りは白川郷だけじゃない #相倉集落 #富山県 #富山観光 #旅行 #日本旅行 #国内旅行 #旅行好き #日本の旅 (五箇山 相倉合掌造集落) https://www.instagram.com/p/Ci7skILLeQ1/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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chibiutsubo · 2 years
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#おでかけ #喜平商店
合掌造りの建物がほぼ一箇所に集まっている白川郷とは違い、五箇山の合掌造り集落は相倉集落と菅沼集落の主に2か所に分かれていて、それぞれの集落は10キロ弱ほど離れています。以前調べた時に、両方回るにはレンタカー必須、と書いてあった理由がやっと分かりました。五箇山には40もの小さな集落が点在していて、そのうちの2つが世界遺産に認定された相倉集落と菅沼集落なんだそうです。
そしてこの五箇山の郷土食というのが五箇山豆腐。めちゃくちゃ固くて崩れにくい豆腐で、縄で縛って持ち上げても崩れないほどなんだそう。
そんな豆腐の産地ならぜひ食べてみたいじゃないの、というわけで、豆腐のソフトクリームがあるという喜平商店さんに立ち寄りました。
昔ながらの商店の雰囲気をそのまま残したようなお店の様子もタイムスリップ感があって良いし、何よりソフトクリームの豆腐味、というか大豆の風味がめちゃくちゃ濃い!豆腐を冷凍して齧ったらこんな味だろうなというくらいに濃い豆腐ソフトで美味しかったです。
旅先のこういうタイムスリップ感って、ほんとに現実の時空からぽろりと転げ落ちた感があって良いですね。
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相倉合掌造り集落の近くにあったこのお店も豆腐屋さんです。お店の壁に描かれた猫のイラストが可愛い!ここでは五箇山の醤油漬けなどがあったので、お土産に買って帰りました。
最近は急に旅先で色々と買い込めるように、車の中に常に保冷バッグを積み込んでいます。あとは保冷剤を買い込めば色々と持ち帰ることができるので、意外と大活躍。最近のドライブ旅の必需品です。
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endekashi · 3 years
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カリヤスってわかりやす?
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アロハ。この前の日曜は毎年恒例の茅場の野火付けでした。この作業自体は以前、既に紹介しているので今回はもうちょっと踏み込んだ事を伝えようかと思います。ついてこれるかな?いや、別に、雪山の話じゃないし、全然ついてこなくてもいいんですけどね、いいんですけどね!いーーーんですけどねっ!!ここ日本で伝統的に繰り返されえてきたある植物との共存のあり方の一つの姿をね、皆様に知ってほしいと思うわけですよはい!!
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さて、こちらが今回野火付けをした牧の入茅場です。このブログを読んでいる方には白馬乗鞍スキー場の南側に広がる木のないオープン斜面って言った方が伝わり���いですかね。この斜面でフォウフォウした方も多いのではないでしょうか。
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そもそも茅葺屋根の茅とは何でしょう?茅というのは屋根材で使われる植物の総称です。一番多く使われているのはススキです。他にも、稲藁、麦藁、ヨシなども使われています。
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ここ牧の入茅場ではその上記のどれでもない、カリヤス、及びオオヒゲナガカリヤスモドキ(なげえ!)という希少な茅が自生しているのです!(なにぃ!?)
我々は、カリヤス、及びオオヒゲナガカリヤスモドキの事を、ススキを大茅(オオガヤ)と呼ぶのに対し小茅(コガヤ)と呼んで区別しています。
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カリヤスは、標高数百メートルから千メートルにかけての高地に自生していて、背丈は90cm~120cmと茅としては小型で、茎は中空。その仲間としてオオヒゲナガカリヤスモドキが混在し、その背丈は150cm~180cmと高いものもあります。鎌でさくさくと刈り易いから、カリヤスと呼ばれるそうです。
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因みに日本の伝統色の中にも刈安色という色があり、黄色の色名の中では最も古いものだそうです。
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このカリヤスを屋根葺き材として使う地域は、合掌造りで名高い、岐阜県の白川郷や富山県の五箇山地方、及び長野県北部地域であり、古くは京都北部や石川県の山麓地域でも使われてきたそうです。
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Photo by Go Ito
これらの地域はいずれも多雪地域であり、晩秋の茅刈りの頃に雪が降ると茅は倒れてしまい、刈り取ることが難しくなります。その点カリヤスは、秋10月中旬には早々と枯れる性質があり、採取の時期がススキと比べると2~3週間ほど早いのです。これが多雪地域でカリヤスが好んで使われる理由の一つです。
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たまに雪が早い年は茅を倉庫へ引き入れる前に、雪が被ったりして、えれえ目に合ったりします。
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滑り手としては雪が降ってくれると、大変嬉しいのですが、茅葺職人からすると、非常に厄介なので、この時期の私の精神状態は大変不安定なものになります。
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カリヤスを刈る適期は、2週間程と短いので、黄色く枯れ始めたらすぐ刈らなければなりません。枯れすぎると、ポキポキ折れて、柔軟性を失い、屋根材として使い物にならなくなります。こいつは忙しいぜ!
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屋根材料としても、細くしなやかで、中空なので水切れも良く耐久性も高く、優れています。
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そして何と言っても、葺いたばかりの屋根が黄金色で綺麗なんですよこれがまた!
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その良質なカリヤスを保つためにも、この野火付けという作業はとっても大事です。
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実は家の近所にも小規模ながらカリヤスの茅場があって毎年そこでも自宅用の茅確保のために刈らせてもらっているのですが、ここは地形的にも危険だし、実際以前にも火事を起こしたこともあるので野火付けができません。
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なので春には熊手でえっほらと、昨年刈り残した茅を取り除く作業をしています。これがなかなか地味で辛い。Tha Blue Herbを聴きながら作業すると捗ります。
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そんなこんなでいいカリヤスになればいいな〜なんて思いながら、山行きてえな〜なんて思いながら作業してる日々です。ま、自分でやりたくて始めちまった事なんで、やるっきゃないっすね!
てな訳で、白馬、小谷にはちょいと変わった茅があるんだよっつー話でした!
最後に先人達によるやべえ茅運搬の動画をはっつけとくんで、目かっ��じってよく見てください!ほんじゃ〜。
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saikoito · 4 years
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近所にできた マイクロホテル「ANGLE」に オープン祝いを持って遊びに行く。 (さらには観葉植物の模様替え大会も😏✨) ・ さらには、 世界遺産 白川郷に住む 共通の友人 山本くんのコーヒー豆を受け取って 一緒に飲む。 ・ パブリックとプライベートの 仕事と暮らしの境界が ボヤッとぼやけていくような場所が 増えてうれしい。 ・ さてさて、 白川郷のコーヒー豆の話ですが、 合掌造りの家に生まれ育ち 宿業を営む山本くんが ただいまクラウドファンディングをしています。 ・ コロナだから、というのもあるけれど、 日本の歴史的な建造物を残すために 離れていてもできることがあるというのは いいなぁ、と思います。 ・ 金銭的なことももちろんあるけれど 合掌造りの囲炉裏で コーヒーを焙煎するということは 茅葺きの屋根を維持することにも繋がるのです。 ・ というのも 茅葺を燻す(いぶす)ことによって、 防腐・防虫効果があり、 さらには上昇気流が生まれて 乾燥することにも繋がります。 ・ 茅葺き屋根の維持が難しいのは、 職人不足や価格の高騰だけじゃなく、 ライフスタイルの変化も大きいのです。 ・ ということで、 自分の暮らしの中でコーヒーを飲みながら 遠く離れた合掌造りに想いを馳せるなんて いかがでしょうか? ・ 🔗URLはストーリーズにも https://camp-fire.jp/projects/view/259753 ・ ・ #白川郷山本屋 @aikoyamamotoshimahara #ANGLE への #オープン祝い は #実用性がすぎる #時計とピンチハンガー #帰りに #銀界 でラーメンたべる #hey okazaki (Okazaki Micro Hotel ANGLE) https://www.instagram.com/p/CBeiKoSDkyY/?igshid=dji0eadao7wo
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2ttf · 12 years
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mashiroyami · 5 years
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Page 112 : 変移
 育て屋に小さな稲妻の如く起こったポッポの死からおよそ一週間が経ち、粟立った動揺も薄らいできた頃。  アランは今の生活に慣れつつあった。表情は相変わらず堅かったが、乏しかった体力は少しずつ戻り、静かに息をするように過ごしている。漠然とした焦燥は鳴りをひそめ、ザナトアやポケモン達との時間を穏やかに生きていた。  エーフィはザナトアの助手と称しても過言ではなく、彼女に付きっきりでのびのびと暮らし、ふとした隙間を縫ってはブラッキーに駆け寄り何やら話しかけている。対するブラッキーは眠っている時間こそ長いが、時折アランやエーフィに連れられるように外の空気を吸い込んでは、微笑みを浮かべていた。誰にでも懐くフカマルはどこへでも走り回るが、ブラッキーには幾度も威嚇されている。しかしここ最近はブラッキーの方も慣れてきたのか諦めたのか、フカマルに連れ回される様子を見かける。以前リコリスで幼い子供に付きまとわれた頃と姿が重なる。気難しい性格ではあるが、どうにも彼にはそういった、不思議と慕われる性質があるようだった。  一大行事の秋期祭が催される前日。朝は生憎の天気であり、雨が山々を怠く濡らしていた。ラジオから流れてくる天気予報では、昼過ぎには止みやがて晴れ間が見えてくるとのことだが、晴天の吉日と指定された祭日直前としては重い雲行きであった。  薄手のレースカーテンを開けて露わになった窓硝子を、薄い雨水が這っている。透明に描かれる雨の紋様を部屋の中から、フカマルの指がなぞっている。その背後で荷物の準備を一通り終えたアランは、リビングの奥の廊下へと向かう。  木を水で濡らしたような深い色を湛えた廊下の壁には部屋からはみ出た棚が並び、現役時代の資料や本が整然と詰め込まれている。そのおかげで廊下は丁度人ひとり分の幅しかなく、アランとザナトアがすれ違う時にはアランが壁に背中を張り付けてできるだけ道を作り、ザナトアが通り過ぎるのを待つのが通例であった。  ザナトアの私室は廊下を左角に曲がった突き当たりにある。  扉を開けたままにした部屋を覗きこむと、赤紫の上品なスカーフを首に巻いて、灰色のゆったりとしたロングスカートにオフホワイトのシャツを合わせ――襟元を飾る小さなフリルが邪魔のない小洒落た雰囲気を醸し出している――シルク地のような軟らかな黒い生地の上着を羽織っていた。何度も洗って生地が薄くなり、いくつも糸がほつれても放っている普段着とは随分雰囲気が異なって、よそいきを意識している。その服で、小さなスーツケースに細かい荷物を詰めていた。 「服、良いですね」 「ん?」  声をかけられたザナトアは振り返り、顔を顰める。 「そんな世辞はいらないよ」 「お世辞じゃないですよ。スカーフ、似合ってます」  ザナトアは鼻を鳴らす。 「一応、ちゃんとした祭だからね」 「本番は、明日ですよ」 「解ってるさ。むしろ明日はこんなひらひらした服なんて着てられないよ」 「挨拶回りがあるんですっけ」 「そう。面倒臭いもんさね」  大きな溜息と共に、刺々しく呟く。ここ数日、ザナトアはその愚痴を繰り返しアランに零していた。野生ポケモンの保護に必要な経費を市税から貰っているため、定期的に現状や成果を報告する義務があり、役所へ向かい各資料を提出するだの議員に顔を見せるだの云々、そういったこまごまとした仕事が待っているのだという。仕方の無いことではあると理解しているが、気の重さも隠そうともせず、アランはいつも引き攣り気味に苦笑していた。  まあまあ、とアランは軽く宥めながら、ザナトアの傍に歩み寄る。 「荷造り、手伝いましょうか」 「いいよ。もう終わったところだ。後は閉めるだけ」 「閉めますよ」  言いながら、辛うじて抱え込めるような大きさのスーツケースに手をかけ、ファスナーを閉じる。 「あと持つ物はありますか」 「いや、それだけ。あとはリビングにあるリュックに、ポケモン達の飯やらが入ってる」 「分かりました」  持ち手を右手に、アランは鞄を持ち上げる。悪いねえ、と言いつつ、ザナトアが先行してリビングルームに戻っていくと、アランのポケモン達はソファの傍に並んで休んでおり、窓硝子で遊んでいたフカマルはエーフィと話し込んでいた。 「野生のポケモン達は、どうやって連れていく���ですか?」  ここにいるポケモン達はモンスターボールに戻せば簡単に町に連れて行ける。しかし、レースに出場する予定のポケモン達は全員が野生であり、ボールという家が無い。 「あの子達は飛んでいくよ、当たり前だろ。こら、上等な服なんだからね、触るな」  おめかしをしたザナトアの洋服に興味津々といったように寄ってきたフカマルがすぐに手を引っ込める。なんにでも手を出したがる彼だが、その細かな鮫肌は彼の意図無しに容易に傷つけることもある。しゅんと項垂れる頭をザナトアは軽く撫でる。  アランとザナトアは後に丘の麓へやってくる往来のバスを使ってキリの中心地へと向かい、選手達は別行動で空路を使う。雨模様であるが、豪雨ならまだしも、しとしとと秋雨らしい勢いであればなんの問題も無いそうで、ヒノヤコマをはじめとする兄貴分が群れを引っ張る。彼等とザナトアの間にはモンスターボールとは違う信頼の糸で繋がっている。湖の傍で落ち合い、簡単にコースの確認をして慣らしてから本番の日を迎える。  出かけるまでにやんだらいいと二人で話していた雨だったが、雨脚が強くなることこそ無いが、やむ気配も無かった。バスの時間も近付いてくる頃には諦めの空気が漂い、おもむろにそれぞれ立ち上がった。 「そうだ」いよいよ出発するという直前に、ザナトアは声をあげた。「あんたに渡したいものがある」  目を瞬かせるアランの前で、ザナトアはリビングの端に鎮座している棚の引き出しから、薄い封筒を取り出した。  差し出されたアランは、緊張した面持ちで封筒を受け取った。白字ではあるが、中身はぼやけていて見えない。真顔で見つめられながら中を覗き込むと、紙幣の端が覗いた。確認してすぐにアランは顔を上げる。 「労働に対価がつくのは当然さね」 「こんなに貰えません」  僅かに狼狽えると、ザナトアは笑う。 「あんたとエーフィの労働に対しては妥当だと思うがね」 「そんなつもりじゃ……」 「貰えるもんは貰っときな。あたしはいつ心変わりするかわかんないよ」  アランは目線を足下に流す。二叉の尾を揺らす獣はゆったりとくつろいでいる。 「嫌なら返しなよ。老人は貧乏なのさ」  ザナトアは右手を差し出す。返すべきかアランは迷いを見せると、すぐに手は下ろされる。 「冗談だよ。それともなんだ、嬉しくないのか?」  少しだけアランは黙って、首を振った。 「嬉しいです」 「正直でいい」  くくっと含み笑いを漏らす。 「あんたは解りづらいね。町に下るんだから、ポケモン達に褒美でもなんでも買ってやったらいいさ。祭は出店もよく並んで、なに、楽しいものだよ」 「……はい」  アランは元の通り封をして、指先で強く封筒を握りしめた。  やまない雨の中、各傘を差し、アランは自分のボストンバッグとポケモン達の世話に必要な道具や餌を詰めたリュックを背負う。ザナトアのスーツケースはエーフィがサイコキネシスで運ぶが、出来る限り濡れないように器用にアランの傘の下で位置を保つ。殆ど手持ち無沙汰のザナトアは、ゆっくりとではあるが、使い込んだ脚で長い丘の階段を下っていく。  水たまりがあちこちに広がり、足下は滑りやすくなっていた。降りていく景色はいつもより灰色がかっており、晴れた日は太陽を照り返して高らかに黄金を放つ小麦畑も、今ばかりはくすんだ色を広げていた。  傘を少しずらして雨雲を仰げば、小さな群れが羽ばたき、横切ろうとしていた。  古い車内はいつも他に客がいないほど閑散たるものだが、この日ばかりは他に数人先客がいた。顔見知りなのだろう、ザナトアがぎこちなく挨拶している隣で、アランは隠れるように目を逸らし、そそくさと座席についた。  見慣れつつあった車窓からの景色に、アランの清閑な横顔が映る。仄暗い瞳はしんと外を眺め、黙り込んでいるうちに見えてきた湖面は、僅かに波が立ち、どこか淀んでいた。 「本当に晴れるんでしょうか」 「晴れるよ」  アランが呟くと、隣からザナトアは即答した。疑いようがないという確信に満ち足りていたが、どこか諦観を含んだ口調だった。 「あたしはずうっとこの町にいるけど、気持ち悪いほどに毎年、晴れるんだよ」  祭の本番は明日だが、数週間前から準備を整えていたキリでは、既に湖畔の自然公園にカラフルなマーケットが並び、食べ物や雑貨が売られていた。伝書ポッポらしき、脚に筒を巻き付けたポッポが雨の中忙しなく空を往来し、地上では傘を指した人々が浮き足だった様子で訪れている。とはいえ、店じまいしているものが殆どであり、閑散とした雰囲気も同時に漂っていた。明日になれば揃って店を出し、楽しむ客で辺りは一層賑わうことだろう。  レースのスタート地点である湖畔からそう遠くない区画にあらかじめ宿をとっていた。毎年使っているとザナトアが話すその宿は、他に馴染んで白壁をしているが、色味や看板の雰囲気は古びており、歴史を外装から物語っていた。受付で簡単な挨拶をする様子も熟れている。いつもより上品な格好をして、お出かけをしている時の声音で話す。ザナトアもザナトアで、この祭を楽しみにしているのかもしれなかった。  チェックインを済ませ、通された部屋に入る。  いつもと違う、丁寧にシーツの張られたベッド。二つ並んだベッドでザナトアは入り口から見て奥を、アランは手前を使うこととなった。 「あんたは、休んでおくかい?」  挨拶回りを控えているのだろうザナトアは、休憩もほどほどにさっさと出かけようとしていた。連れ出してきた若者の方が顔に疲労が滲んでいる。彼女はあのポッポの事件以来、毎晩を卵屋で過ごしていた。元々眠りが浅い日々が続いていたが、満足な休息をとれていなかったところに、山道を下るバスの激しい振動が堪えたようである。  言葉に甘えるように、力無くアランは頷いた。スペアキーを部屋に残し、ザナトアは雨中へと戻っていった。  アランは背中からベッドに沈み込む。日に焼けたようにくすんだ雰囲気はあるものの、清潔案のある壁紙が貼られた天井をしんと眺めているところに、違う音が傍で沈む。エーフィがベッド上に乗って、アランの視界を遮った。蒼白のままかすかに笑み、細い指でライラックの体毛をなぞる。一仕事を済ませた獣は、雨水を吸い込んですっかり濡れていた。 「ちょっと待って」  重い身体を起こし、使い古した薄いタオルを鞄から取り出してしなやかな身体を拭いてくなり、アランの手の動きに委ねる。一通り全身を満遍なく拭き終えたら、自然な順序のように二つのモンスターボールを出した。  アランの引き連れる三匹が勢揃いし、色の悪かったアランの頬に僅かに血色が戻る。  すっかり定位置となった膝元にアメモースがちょこんと座る。 「やっぱり、私達も、外、出ようか」  口元に浮かべるだけの笑みで提案すると、エーフィはいの一番に嬉々として頷いた。 「フカマルに似たね」  からかうように言うと、とうのエーフィは首を傾げた。アメモースはふわりふわりと触角を揺らし、ブラッキーは静かに目を閉じて身震いした。  後ろで小さく結った髪を結び直し、アランはポケモン達を引き連れて外へと出る。祭の前日とはいえ、雨模様。人通りは少ない。左腕でアメモースを抱え、右手で傘を持つ。折角つい先程丁寧に拭いたのに、エーフィはむしろ喜んで秋雨の中に躍り出た。強力な念力を操る才能に恵まれているが故に頼られるばかりだが、責務から解放され、謳歌するようにエーフィは笑った。対するブラッキーは夜に浮かぶ月のように平静な面持ちで、黙ってアランの傍に立つ。角張ったようなぎこちない動きで歩き始め、アランはじっと観察する視線をさりげなく寄越していたが、すぐになんでもなかったように滑らかに隆々と歩く。  宿は少し路地に入ったところを入り口としており、ゆるやかな坂を下り、白い壁の並ぶ石畳の道をまっすぐ進んで広い道に出れば、車の往来も目立つ。左に進めば駅を中心として賑やかな町並みとなり、右に進めば湖に面する。  少しだけ立ち止まったが、導かれるように揃って湖の方へと足先を向けた。  道すがら、祭に向けた最後の準備で玄関先に立つ人々とすれ違った。  建物の入り口にそれぞれかけられたランプから、きらきらと光を反射し雨風にゆれる長い金色の飾りが垂れている。金に限らず、白や赤、青に黄、透いた色まで、様々な顔ぶれである。よく見ればランプもそれぞれで意匠が異なり、角張ったカンテラ型のものもあるが、花をモチーフにした丸く柔らかなデザインも多い。花の種類もそれぞれであり、道を彩る花壇と合わせ、湿った雨中でも華やかであったが、ランプに各自ぶら下がる羽の装飾は雨に濡れて乱れたり縮こまったりしていた。豊作と  とはいえ、生憎の天候では外に出ている人もそう多くはない。白壁が並ぶ町を飾る様はさながらキャンバスに鮮やかな絵を描いているかのようだが、華やかな様相も、雨に包まれれば幾分褪せる。  不揃いな足並みで道を辿る先でのことだった。  雨音に満ちた町には少々不釣り合いに浮く、明るい子供の声がして、俯いていたアランの顔が上向き、立ち止まる。  浮き上がるような真っ赤なレインコートを着た、幼い男児が勢い良く深い水溜まりを踏みつけて、彼の背丈ほどまで飛沫があがった。驚くどころか一際大きな歓声があがって、楽しそうに何度も踏みつけている。拙いダンスをしているかのようだ。  アランが注目しているのは、はしゃぐ少年ではない。その後ろから彼を追いかけてきた、男性の方だ。少年に見覚えは無いが、男には既視感を抱いているだろう。数日前、町に下りてエクトルと密かに会った際に訪れた、喫茶店の店番をしていたアシザワだった。  たっぷりとした水溜まりで遊ぶ少年に、危ないだろ、と笑いながら近付いた。激しく跳びはねる飛沫など気にも留めない様子だ。少年はアシザワがやってくるとようやく興奮がやんだように動きを止めて破顔した。丁寧にコーヒーを淹れていた大きな手が少年に差し伸べられ、それより一回りも二回りも小さな幼い手と繋がった。アシザワの背後から、またアランにとっては初対面の女性がやってくる。優しく微笑む、ほっそりとした女性だった。赤毛のショートカットは、こざっぱりな印象を与える。雨が滴りてらてらと光るエナメル地の赤いフードの下で笑う少年も、同色のふんわりとした巻き毛をしている。  アランのいる場所からは少し距離が離れていて、彼等はアランに気付く気配が無かった。まるで気配を消すようにアランは静かに息をして、小さな家族が横切って角に消えるまでまじまじと見つめる。彼女から声をかけようとはしなかった。  束の間訪れた偶然が本当に消えていっただろう頃合いを見計らって、アランは再び歩き出した。疑問符を顔に浮かべて主を見上げていた獣達もすぐさま追いかける。  吸い込まれていった横道にアランはさりげなく視線を遣ったが、またどこかの道を曲がっていったのか、でこぼことした三人の背中も、あの甲高い声も、小さな幸福を慈しむ春のような空気も、まるごと消えていた。  薄い睫毛が下を向く。少年が踊っていた深い水溜まりに静かに踏み込んだ。目も眩むような小さな波紋が無限に瞬く水面で、いつのまにか既に薄汚れた靴に沿って水玉が跳んだ。躊躇無く踏み抜いていく。一切の雨水も沁みてはいかなかった。  道なりを進み、道路沿いに固められた堤防で止まり、濡れて汚れた白色のコンクリートに構わず、アランは手を乗せた。  波紋が幾重にも湖一面で弾け、風は弱いけれど僅かに波を作っていた。水は黒ずみ、雨で起こされた汚濁が水面までやってきている。  霧雨のような連続的な音。すぐ傍で傘の布地を叩く水音。 全てが水の中に埋もれていくような気配がする。 「……昔ね」  ぽつり、とアランは言う。たもとに並ぶ従者、そして抱きかかえる仲間に向けてか、或いは独り言のように、話し始める。 「ウォルタにいた時、それも、まだずっと小さかった頃、強い土砂降りが降ったの。ウォルタは、海に面していて川がいくつも通った町だから、少し強い雨がしばらく降っただけでも増水して、洪水も起こって、道があっという間に浸水してしまうような町だった。水害と隣り合わせの町だったんだ。その���も、強い雨がずっと降っていた。あの夏はよく夕���が降ったし、ちょうど雨が続いていた頃だった。外がうるさくて、ちょっと怖かったけど、同時になんだかわくわくしてた。いつもと違う雨音に」  故郷を語るのは彼女にしては珍しい。  此度、キリに来てからは勿論、旅を振り返ってもそう多くは語ってこなかった。特に、彼女自身の思い出については。彼女は故郷を愛してはいるが、血生臭い衝撃が過去をまるごと上塗りするだけの暴力性を伴っており、ひとたびその悪夢に呑み込まれると、我慢ならずに身体は拒否反応を起こしていた。  エーフィは堤防に上がり、間近から主人の顔を見やる。表情は至って冷静で、濁る湖面から目を離そうとしない。 「たくさんの川がウォルタには流れているけど、その一つ一つに名前がつけられていて、その中にレト川って川があったんだ。小さくもないけど、大きいわけでもない。幅は、どのくらいだったかな。十メートルくらいになるのかな。深さもそんなになくて、夏になると、橋から跳び込んで遊ぶ子供もいたな。私とセルドもよくそうして遊んだ。勿論、山の川に比べれば町の川は澄んではいないんだけど、泳いで遊べる程度にはきれいだったんだ。跳び込むの、最初は怖いんだけどね、慣れるとそんなこともなくなって。子供って、楽しいこと何度も繰り返すでしょ。ずっと水遊びしてたな。懐かしい」  懐古に浸りながらも、笑むことも、寂しげに憂うこともなく、淡々とアランは話す。 「それで、さっきのね、夏の土砂降りの日、レト川が氾濫したの。私の住んでた、おばさん達の家は遠かったし高台になっていたから大丈夫だったけど、低い場所の周囲の建物はけっこう浸かっちゃって。そんな大変な日に、セルドが、こっそり外に出て行ったの。気になったんだって。いつのまにかいなくなってることに気付いて、なんだか直感したんだよね。きっと、外に行ってるって。川がどうなっているかを見に行ったんだって。そう思ったらいてもたってもいられなくて、急いで探しにいったんだ」  あれはちょっと怖かったな、と続ける。 「川の近くがどうなってるかなんて想像がつかなかったけど、すごい雨だったから、子供心でもある程度察しは付いてたんだと思う。近付きすぎたら大変なことになるかもしれないって。けっこう、必死で探したなあ。長靴の中まで水が入ってきて身体は重たかったけど、見つけるまでは帰れないって。結局、すごい勢いになったレト川の近くで、突っ立ってるセルドを見つけて、ようやく見つけて私も、怒るより安心して、急いで駆け寄ったら、あっちも気付いて、こうやって、二人とも近付いていって」アランは傘を肩と顎で挟み込むように引っかけ、アメモースを抱いたまま両手の人差し指を近付ける。「で、そこにあった大きな水溜まりに、二人して足をとられて、転んじゃったの」すてん、と指先が曲がる。  そこでふと、アランの口許が僅かに緩んだ。 「もともと随分濡れちゃったけど、いよいよ頭からどぶにでも突っ込んだみたいに、びしょびしょで、二人とも涙目になりながら、手を繋いで帰ったっていう、そういう話。おばさんたち、怒ったり笑ったり、忙しい日だった。……よく覚えてる。間近で見た、いつもと違う川。とても澄んでいたのに、土色に濁って、水嵩は何倍にもなって。土砂降りの音と、水流の音が混ざって、あれは怖かったけど、それでもどこかどきどきしてた。……この湖を見てると、色々思い出す。濁っているからかな。雨の勢いは違うのに。それとも、さっきの、あの子を見たせいかな」  偶然見かけた姿。水溜まりにはしゃいで、てらてらと光る小さな赤いレインコート。無邪気な男児を挟んで繋がれた手。曇りの無い家族という形。和やかな空気。灰色に包まれた町が彩られる中、とりわけ彩色豊かにアランの目の前に現れた。  彼女の足は暫く止まり、一つの家族をじっと見つめていた。 「……あの日も」  目を細め、呟く。 「酷い雨だった」  町を閉じ込める霧雨は絶えない。  傘を握り直し、返事を求めぬ話は途切れる。  雨に打たれる湖を見るのは、アランにとって初めてだった。よく晴れていれば遠い向こう岸の町並みや山の稜線まではっきり見えるのだが、今は白い靄に隠されてぼやけてしまっている。  青く、白く、そして黒々とした光景に、アランは身を乗り出し、波発つ水面を目に焼き付けた。 「あ」  アランは声をあげる。  見覚えのある姿が、湖上を飛翔している。一匹ではない。十数匹の群衆である。あの朱い体毛と金色の翼は、ほんの小さくとも鮮烈なまでに湖上に軌跡を描く。引き連れる翼はまたそれぞれの動きをしているが、雨に負けることなく、整然とした隊列を組んでいた。  ザナトアがもう現地での訓練を開始したのだろうか。この雨の中で。  エーフィも、ブラッキーも、アメモースも、アランも、場所を変えても尚美しく逞しく飛び続ける群衆から目を離せなかった。  エーフィが甲高い声をあげた。彼女は群衆を呼んでいた。あるいは応援するように。アランはちらと牽制するような目線を送ったが、しかしすぐに戻した。  気付いたのか。  それまで直線に走っていたヒノヤコマが途中できったゆるやかなカーブを、誰もが慌てることなくなぞるように追いかける。雨水を吸い込んでいるであろう翼はその重みを感じさせず軽やかに羽ばたき、灰色の景色を横切る。そして、少しずつだが、その姿が大きくなってくる。アラン達のいる湖畔へ向かっているのだ。  誰もが固唾を呑んで彼等を見つめる。  正しく述べれば、彼等はアラン達のいる地点より離れた地点の岸までやってきて、留まることなく堤防沿いを飛翔した。やや高度を下げ、翼の動きは最小限に。それぞれで体格も羽ばたきも異なるし、縦に伸びる様は速度の違いを表した。先頭は当然のようにリーダー格であるヒノヤコマ、やや後方にピジョンが並び、スバメやマメパト、ポッポ等小さなポケモンが並び、間にハトーボーが挟まり中継、しんがりを務めるのはもう一匹の雄のピジョンである。全く異なる種族の成す群れの統率は簡単ではないだろうが、彼等は整然としたバランスで隊列を乱さず、まるで一匹の生き物のように飛ぶ。  彼等は明らかにアラン達に気付いているようだ。炎タイプを併せ持ち、天候条件としては弱ってもおかしくはないであろうヒノヤコマが、気合いの一声を上げ、つられて他のポケモン達も一斉に鳴いた。それはアラン達の頭上を飛んでいこうとする瞬きの出来事であった。それぞれの羽ばたきがアラン達の上空で強かにはためいた。アランは首を動かす。声が出てこなかった。彼等はただ見守る他無く、傘を下ろし、飛翔する生命の力強さに惹かれるように身体ごと姿を追った。声は近づき、そして、頭上の空を掠めていって、息を呑む間もなく、瞬く間に通り過ぎていった。共にぐるりと首を動かして、遠のいていく羽音がいつまでも鼓膜を震わせているように、じっと後ろ姿を目で追い続けた。  呆然としていたアランが、いつの間にか傘を離して開いていた掌を、空に向けてかざした。 「やんでる」  ぽつん、ぽつりと、余韻のような雨粒が時折肌を、町を、湖上をほんのかすかに叩いたけれど、そればかりで、空気が弛緩していき、湿った濃厚な雨の匂いのみが充満する。  僅かに騒いだ湖は、変わらず深く藍と墨色を広げているばかりだ。  栗色の瞳は、アメモースを一瞥する。彼の瞳は湖よりもずっと深く純粋な黒を持つが、輝きは秘めることを忘れ、じっと、鳥ポケモンたちの群衆を、その目にも解らなくなる最後まで凝視していた。  アランは、語りかけることなく、抱く腕に頭に埋めるように、彼を背中から包むように抱きしめた。アメモースは、覚束ない声をあげ、影になったアランを振り返ろうとする。長くなった前髪に顔は隠れているけれど、ただ、彼女はそうすることしかできないように、窺い知れない秘めたる心ごとまとめて、アメモースを抱く腕に力を込めた。
 夕陽の沈む頃には完全に雨は止み、厚い雨雲は通り過ぎてちぎれていき、燃え上がるような壮大な黄昏が湖上を彩り、町民や観光客の境無く、多くの人間を感嘆させた。  綿雲の黒い影と、太陽の朱が強烈なコントラストを作り、その背後は鮮烈な黄金から夜の闇へ色を重ねる。夜が近付き生き生きと羽ばたくヤミカラス達が湖を横断する。  光が町を焼き尽くす、まさに夕焼けと称するに相応しい情景である。  雨がやんで、祭の前夜に賑わいを見せ始めた自然公園でアランは湖畔のベンチに腰掛けている。ちょうど座りながら夕陽の沈む一部始終を眺めていられる特等席だが、夕方になるよりずっと前から陣取っていたおかげで独占している。贅沢を噛みしめているようには見えない無感動な表情ではあったが、栗色の双眸もまた強烈な光をじっと反射させ、輝かせ、燃え上がっていた。奥にあるのは光が届かぬほどの深みだったとしても、それを隠すだけの輝かしい瞳であった。  数刻前、ザナトアと合流したが、老婆は今は離れた場所でヒノヤコマ達に囲まれ、なにやら話し込んでいるようだった。一匹一匹撫でながら、身体の具合を直接触って確認している。スカーフはとうにしまっていて、皮を剥いだ分だけ普段の姿に戻っていた。  アランの背後で東の空は薄い群青に染まりかけて、小さな一等星が瞬いている。それを見つけたフカマルはベンチの背もたれから後方へ身を乗り出し、ぎゃ、と指さし、隣に立つエーフィが声を上げ、アランの足下でずぶ濡れの芝生に横になるブラッキーは、無関心のように顔を埋めたまま動かなかった。  膝に乗せたアメモースの背中に、アランは話しかけた。 「祭が終わったら、ザナトアさんに飛行練習の相談をしてみようか」  なんでもないことのように呟くアランの肩は少し硬かったけれど、いつか訪れる瞬間であることは解っていただろう。  言葉を交わすことができずとも、生き物は時に雄弁なまでに意志を語る。目線で、声音で、身体で。 「……あのね」柔らかな声で語りかける。「私、好きだったんだ。アメモースの飛んでいく姿」  多くの言葉は不要だというように、静かに息をつく。 「きっと、また飛べるようになる」 アメモースは逡巡してから、そっと頷いた。  アランは、納得するように同じ動きをして、また前を向いた。  ザナトアはオボンと呼ばれる木の実をみじん切りにしたものを選手達に与えている。林の一角に生っている木の実で、特別手をかけているわけではないが、秋が深くなってくるとたわわに実る。濃密なみずみずしさ故に過剰に食べると下痢を起こすこともありザナトアはたまにしか与えないが、疲労や体力の回復を促すのには最適なのだという。天然に実る薬の味は好評で、忙しなく啄む様子が微笑ましい。  アランは静寂に耳を澄ませるように瞼を閉じる。  何かが上手くいっている。  消失した存在が大きくて、噛み合わなかった歯車がゆっくりとだが修正されて、新しい歯車とも合わさって、世界は安らかに過ぎている。  そんな日々を彼女は夢見ていたはずだ。どこかのびのびと生きていける、傷を癒やせる場所を求めていたはずだった。アメモースは飛べないまま、失われたものはどうしても戻ってこないままで、ポッポの死は謎に埋もれているままだけれど、時間と新たな出会いと、深めていく関係性が喪失を着実に埋めていく。  次に瞳が顔を出した時には、夕陽は湖面に沈んでいた。  アランはザナトアに一声かけて、アメモースを抱いたまま、散歩に出かけることにした。  エーフィとブラッキーの、少なくともいずれかがアランの傍につくことが通例となっていて、今回はエーフィのみ立ち上がった。  静かな夜になろうとしていた。  広い自然公園の一部は明日の祭のため準備が進められている出店や人々の声で賑わっているが、離れていくと、ザナトアと同様明日のレースに向けて調整をしているトレーナーや、家族連れ、若いカップルなど、点々とその姿は見えるものの、雨上がりとあってさほど賑わいも無く、やがて誰も居ない場所まで歩を進めていた。遠い喧噪とはまるで無縁の世界だ。草原の騒ぐ音や、ざわめく湖面の水音、濡れた芝生を踏みしめる音だけが鳴る沈黙を全身で浴びる。  夏を過ぎてしまうと、黄昏時から夜へ転じるのは随分と早くなってしまう。ゆっくりと歩いている間に、足下すら満足に見られないほど辺りは暗闇に満ちていた。  おもむろに立ち止まり、アランは湖を前に、目を見開く。 「すごい」  湖に星が映って、ささやかなきらめきで埋め尽くされる。  あまりにも広々とした湖なので、視界を遮るものが殆ど無い。晴天だった。秋の星が、ちりばめられているというよりも敷き詰められている。夜空に煌めく一つ一つが、目を凝らせば息づいているように僅かに瞬いている。視界を全て埋め尽くす。流星の一つが過ったとしても何一つおかしくはない。宇宙に放り込まれたように浸り、ほんの少し言葉零すことすら躊躇われる時間が暫く続いた。  夜空に決して手は届かない。思い出と同じだ。過去には戻れない。決して届かない。誰の手も一切届かない絶対的な空間だからこそ、時に美しい。  ――エーフィの、声が、した。  まるで尋ねるような、小さな囁きに呼ばれたようにアランはエーフィに視線を移した、その瞬間、ひとつの水滴が、シルクのように短く滑らかな体毛を湿らせた。  ほろほろと、アランの瞳から涙が溢れてくる。  夜の闇に遮られているけれど、感情の機微を読み取るエーフィには、その涙はお見通しだろう。  闇に隠れたまま、アランは涙を流し続けた。凍りついた表情で。  それはまるで、氷が瞳から溶けていくように。 「……」  その涙に漸く気が付いたとでも言うように、アランは頬を伝う熱を指先でなぞった。白い指の腹で、雫が滲む。  彼女の口から温かな息が吐かれて、指が光る。 「私、今、考えてた、」  澄み渡った世界に浸る凍り付いたような静寂を、一つの悲鳴が叩き割った。それが彼女らの耳に届いてしまったのは、やはり静寂によるものだろう。  冷えた背筋で振り返る。 星光に僅かに照らされた草原をずっとまっすぐ歩いていた。聞き違いと流してもおかしくないだろうが、アランの耳はその僅かな違和を掴んでしまった。ただごとではないと直感する短い絶叫を。  涙を忘れ、彼女は走っていた。  緊迫した心臓は時間が経つほどに烈しく脈を刻む。内なる衝動をとても抑えきれな���。  夜の散歩は彼女の想像よりも長い距離を稼いでいたようだが、その黒い視界にはあまりにも目立つ蹲る黄色い輪の輝きを捉えて、それが何かを察するまでには、時間を要しなかっただろう。  足を止め、凄まじい勢いで吹き出す汗が、急な走行によるものか緊張による冷や汗によるものか判別がつかない。恐らくはどちらもだった。絶句し、音を立てぬように近付いた。相手は元来慎重な性格であった。物音には誰よりも敏感だった。近付いてくる足音に気付かぬほど鈍い生き物ではない。だが、ここ最近様子が異なっていることは、彼女も知るところであった。  闇に同化する足がヤミカラスを地面に抑え付けている。野生なのか、周囲にトレーナーの姿は無い。僅かな光に照らされた先で、羽が必死に藻掻こうとしているが、完全に上を取られており、既に喉は裂かれており声は出ない。  鋭い歯はその身体に噛み付き、情など一切見せない様子で的確に抉っている。  光る輪が揺れる。  静かだが、激しい動きを的確に夜に印す。  途方に暮れる栗色の瞳はしかし揺るがない。焼き付けようとしているように光の動きを見つめた。夜に照るあの光。暗闇を暗闇としない、月の分身は、炎の代わりになって彼女の暗闇に寄り添い続けた。その光が、獣の動きで弱者を貪る。  硬直している主とは裏腹に、懐から電光石火で彼に跳び込む存在があった。彼と双璧を成す獣は鈍い音を立て相手を突き飛ばした。  息絶え絶えのヤミカラスは地に伏し、その傍にエーフィが駆け寄る。遅れて、向こう側から慌てた様子のフカマルが短い足で必死に走ってきた。  しかし、突き放されたブラッキーに電光石火一つでは多少のダメージを与えることは叶っても、気絶させるほどの威力には到底及ばない。ゆっくりと身体をもたげ、低い唸り声を鳴らし、エーフィを睨み付ける。対するエーフィもヤミカラスから離れ、ブラッキーに相対する。厳しい睨み合いは、彼等に訪れたことのない緊迫を生んだ。二匹とも瞬時に距離を詰める技を会得している。間合いなどあってないようなものである。  二対の獣の間に走る緊張した罅が、明らかとなる。 「やめて!」  懇願する叫びには、悲痛が込められていた。  ブラッキーの耳がぴくりと動く。真っ赤な視線が主に向いた時、怨念ともとれるような禍々しい眼光にアランは息を詰める。それは始まりの記憶とも、二度目の記憶とも重なるだろう。我を忘れ血走った獣の赤い眼。決して忘れるはずのない、彼女を縫い付ける殺戮の眼差し。  歯を食いしばり、ブラッキーは足先をアランに向ける。思わず彼女の足が後方へ下がったところを、すかさずエーフィが飛びかかった。  二度目の電光石火。が、同じ技を持ち素早さを高め、何より夜の化身であるブラッキーは、その動きを見切れぬほど鈍い生き物ではなかった。  闇夜にもそれとわかる漆黒の波動が彼を中心に波状に放射される。悪の波動。エーフィには効果的であり、いとも簡単に彼女を宙へ跳ね返し、高い悲鳴があがる。ブラッキーの放つ禍々しい様子に立ち尽くしたフカマルも、為す術無く攻撃を受け、地面を勢いよく転がっていった。間もなくその余波はアラン達にも襲いかかる。生身の人間であるアランがその技を見切り避けられるはずもなく、躊躇無くアメモースごと吹き飛ばした。その瞬間に弾けた、深くどす黒い衝撃。悲鳴をあげる間も無く、低い呻き声が零れた。  腕からアメモースは転がり落ち、地面に倒れ込む。アランは暫く起き上がることすら満足にできず、歪んだ顔で草原からブラッキーを見た。黒い草叢の隙間から窺える、一匹、無数に散らばる星空を背に孤高に立つ獣が、アランを見ている。  直後、彼は空に向かって吠えた。  ひりひりと風は絶叫に震撼する。  困惑に歪んだ彼等を置き去りにして、ブラッキーは走り出した。踵を返したと思えば、脱兎の如く湖から離れていく。 「ブラッキー! 待って!!」  アランが呼ぼうとも全く立ち止まる素振りを見せず、光の輪はやがて黒に塗りつぶされてしまった。  呆然と彼等は残された。  沈黙が永遠に続くかのように、誰もが絶句し状況を飲み込めずにいた。  騒ぎを感じ取ったのか、遅れてやってきたザナトアは、ばらばらに散らばって各々倒れ込んでいる光景に言葉を失う。 「何があったんだい!」  怒りとも混乱ともとれる勢いでザナトアは強い足取りで、まずは一番近くにいたフカマルのもとへ向かう。独特の鱗で覆われたフカマルだが、戦闘訓練を行っておらず非常に打たれ弱い。たった一度の悪の波動を受け、その場で気を失っていた。その短い手の先にある、光に照らされ既に息絶えた存在を認めた瞬間、息を詰めた。 「アラン!」  今度はアランの傍へやってくる。近くでアメモースは蠢き、アランは強力な一撃による痛みを堪えるように、ゆっくりと起き上がる。 「ブラッキーが」  攻撃が直接当たった腹部を抑えながら、辛うじて声が出る。勢いよく咳き込み、呼吸を落ち着かせると、もう一度口を開く。 「ブラッキー、が、ヤミカラスを……!」 「あんたのブラッキーが?」  アランは頷く。 「何故、そんなことが」 「私にも、それは」  アランは震える声を零しながら、首を振る。  勿論、野生ならば弱肉強食は自然の掟だ。ブラッキーという種族とて例外ではない。しかし、彼は野生とは対極に、人に育てられ続けてきたポケモンである。無闇に周囲を攻撃するほど好戦的な性格でもない。あの時、彼は明らかに自我を失っているように見えた。  動揺しきったアランを前に、ザナトアはこれ以上の詮索は無意味だと悟った。それより重要なことがある。ブラッキーを連れ戻さなければならない。 「それで、ブラッキーはどこに行ったんだ」 「分かりません……さっき、向こう側へ走って行ってそのままどこかへ」  ザナトアは一度その場を離れ老眼をこらすが、ブラッキーの気配は全く無い。深い暗闇であるほどあの光の輪は引き立つ。しかしその片鱗すら見当たらない。  背後で、柵にぶつかる音がしてザナトアが振り向く。よろめくアランが息を切らし、柵に寄りかかる。 「追いかけなきゃ……!」 「落ち着きな。夜はブラッキーの独壇場だよ。これほど澄んだ夜で血が騒いだのかもしれない。そうなれば、簡単にはいかない」 「でも、止めないと! もっと被害が出るかもしれない!」 「アラン」 「ザナトアさん」  いつになく動揺したアランは、俯いてザナトアを見られないようだった。 「ポッポを殺したのも、多分」  続けようとしたが、その先を断言するのには躊躇いを見せた。  抉られた首には、誰もが既視感を抱くだろう。あの日の夜、部屋にはいつもより風が吹き込んでいた。万が一にもと黒の団である可能性も彼女は考慮していたが、より近しい、信頼している存在まで疑念が至らなかった。誰も状況を理解できていないだろう。時に激情が垣間見えるが、基は冷静なブラッキーのことである。今までこのような暴走は一度として無かった。しかし、ブラッキーは、明らかに様子が異なっていた。アランはずっと気付いていた。気付いていたが、解らなかった。  闇夜に塗り潰されて判別がつかないが、彼女の顔は蒼白になっていることだろう。一刻も早く、と急く言葉とは裏腹に、足は僅かに震え、竦んでいるようだった。 「今はそんなことを言ってる場合じゃない。しゃんとしな!」  アランははっと顔を上げ、険しい老婆の視線に射止められる。 「動揺するなという方が無理だろうが、トレーナーの揺らぎはポケモンに伝わる」  いいかい、ザナトアは顔を近付ける。 「いくら素早いといえど、そう遠くは行けないだろう。悔しいがあたしはそう身軽には動けない。この付近でフカマルとアメモースと待っていよう。もしかしたら戻ってくるかもしれない。それに人がいるところなら、噂が流れてくるかもしれないからね。ここらを聞いて回ろう。あんたは市内をエーフィと探しな。……場所が悪いね。あっちだったら、ヨルノズク達がいるんだが……仕方が無いさね」  大丈夫、とザナトアはアランの両腕を握る。 「必ず見つけられる。見つけて、ボールに戻すことだけを考えるんだ。何故こうなったかは、一度置け」  老いを感じさせない強力な眼力を、アランは真正面から受け止めた。 「行けるね?」  問われ、アランはまだ隠せない困惑を振り払うように唇を引き締め、黙って頷いた。  ザナトアは力強くアランの身体を叩き、激励する。  捜索は夜通し続いた。  しかしブラッキーは一向に姿を見せず、光の影を誰も見つけることはできなかった。喉が嗄れても尚ブラッキーを呼び続けたアランだったが、努力は虚しく空を切る。エーフィも懸命に鋭敏な感覚を研ぎ澄ませ縦横無尽に町を駆け回り、ザナトアも出来る限り情報収集に励んだが、足取りを掴むには困難を極めた。  殆ど眠れぬ夜を過ごし、朝日が一帯を照らす。穏やかな水面が小さなきらめきを放つ。晴天の吉日と水神が指定したこの日は、まるで誰かに仕組まれていたように雲一つ無い朝から始まる。  キリが沸き立つ、秋を彩る祭の一日が幕を開けた。 < index >
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carguytimes · 6 years
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古きよき日本の原風景を体感できる、世界遺産・白川郷(岐阜・富山)【車中泊女子の全国縦断記】
前回の記事【全面開通間近! 白山白川郷ホワイトロードの見どころ】ではお伝えできなかった、白川郷をご紹介します。そこには「日本むかし話」のような、古きよき日本の原風景が広がっていました。 1995年12月にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されたのは「白川郷」だけだと思われがちですが、その白川郷(岐阜県大野郡白川村)【荻町(おぎまち)集落】と、五箇山(富山県南砺市)の旧平村【相倉(あいのくら)集落】、旧上平村【菅沼(すがぬま)集落】の3ヶ所になります。ホワイトロードに隣接しているのは、荻町集落です。 荻町集落を見渡せる高台にあるお食事処【城山天守閣】には、展望台が設けられています。こちらの駐車場は無料ですが、お食事や何かしらのお買い物をするお客様専用です。大型車では離合できないくらい道が狭いので、ここへはキャンピングカーではなく軽自動車に乗せて行ってもらいました。観光バスも往来するので注意が必要です。 すぐ近くに【荻町城跡】(荻町城跡展望台)があり、萩町集落から遊歩道で繋がっています。時間と体力に余裕があれば、歩いてみると新たな発見があるかも知れません。 町内への一般(観光)車両の進入は毎日9〜16時まで禁止されていますので、萩町散策には公共駐車場【村営せせらぎ公園駐車場】がもっとも近くて便利です。駐車料金��普通車 1,000円、二輪車 200円です。 駐車場から「であい橋」で庄川を渡れば、そこはもう荻町集落。荻町集落は、世界遺産登録面積の約3分の2を占めています。 五箇山(ごかやま)にある【相倉集落】と【菅沼集落】は、富山県。(※写真がここだけ小さいのは、昔々ケータイカメラで撮ったものだからです。) 白川郷・荻町集落と比べると規模は小さいですが、観光地化していないところが魅力的です。世界文化遺産と言っても、普通に住んでらっしゃるから価値があるんですよね。「復元」などではなく、そこに生活があるからこその風情、情緒にあふれ「生きた風景」を生み出している気がします。 白川郷と五箇山では合掌造りの角度が違う(五箇山の方が急)という特徴もありますので、是非あわせて見に行きたいところです。 ■相倉集落駐車場 富山県南砺市相倉611 普通車・軽自動車:500円/小型・中型車:2,000円/大型車:3,000円/二輪車:100円 ■菅沼集落駐車場 富山県南砺市菅沼587 普通車・軽自動車:500円/小型・中型車:2,000円/大型車:3,000円/二輪車:100円 道の駅【白川郷】 住所:岐阜県大野郡白川村飯島411 電話:05769-6-1310 駐車:普通車 55台/大型 4台/身障者 3台 お土産屋、お食事処併設。【合掌ミュージアム】(入館無料)では、旧手塚家の合掌造りを移築・展示しています。合掌造りの詳細が分かるので、白川郷へ行く前に見ておくとより関心が深まること間違いなし。道の駅から荻町までは、約2kmです。 白川郷周辺の特産は「どぶろく」と、何と言っても蕎麦。蕎麦の風味が強く、コシもあり食べ応え満点です。 蕎麦好きさんは、日本初の蕎麦資料館【利賀そばの里】(入館料300円)にも立ち寄ってみてはいかがでしょうか。道の駅【白川郷】を起点にして、菅沼集落、相倉集落を経由すると、計約60kmです。 道の駅【白川郷】限定の【かやの実ソフトクリーム】は、ローストして粉末状にした榧(かや)の実が混ぜてあります。かやの実は縄文の昔から食べられてきたナッツで、アーモンドやへ-ゼルナッツに似た香ばしさが美味しさを引き立てます。かやの葉せんべいがトッピングされていて、見た目も可愛いですね。 (松本しう周己) あわせて読みたい * 全面開通間近! 白山白川郷ホワイトロードの見どころ(石川〜岐阜)【車中泊女子の全国縦断記】 * 地味な対策の積み重ねが基本!? キャンピングカーでの湿気対策【車中泊女子のキャンピングカー生活】 * じめじめ梅雨の到来。キャンピングカーも除湿の基本は換気です【車中泊女子のキャンピングカー生活】 * 海岸線を絶景ドライブ・国道229号線〜神威岬と義経伝説(北海道)【車中泊女子の全国縦断記】 * トラブルは忘れた頃にやってくる!? トラブル回顧録・バースト編【車中泊女子のキャンピングカー生活】 http://dlvr.it/QWjbd7
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amn-koujiya · 6 years
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どろぶね
 戦国BASARA 左近と三成 アンソロ「海にゆく」寄稿
「海に出たいんすよ。船貸してもらえません?」
天気晴朗、波はきわめて穏やか。船を出さない理由は見当たらないが、しかし出す理由もない。漁の季節でもなければ、祭りの時期でもない。そもそもこの男はここの人間ではなく、海というものにおよそ縁があるとも思えなかった。対面に座って笑う男の顔をうつす一つきりの眼を、長曾我部元親はぎゅうと眇めた。色濃く滲む訝りの気配を隠そうとすらしなかった。
「やだなあ、勿論タダで貸してくれなんて言う��ねーっしょ! 金もちゃんと用意してあるし、大事なお仲間のみなさん寄越せとかも言わねっすから。舟だけでいいんですって! ……ああ、でもそうだよな。俺一人ッきりだし、ただの小舟じゃ辛いかな? ちゃんと帆が張れてさ、風を受けて進めるほうがいいなー、なんて」
歌でも唄っているような、耳を上滑りする物言いだった。
音を立てる頭陀袋をじゃらじゃら振りながら口上を述べている。途中からはこちらと会話をしているというより、大きな独り言を聞かされているのに近いように思えた。
「あんたらの城があったのは大坂や近江だ、もっと近くにも港はあったろう。どこへ向かうか知らねえが、ただ船を出すなら堺や紀ノ川あたりで事は足るだろうよ。なんでわざわざここへ来た? サヤカの所にゃ行かなかったのかい」
「行ったには行ったんすけどね。話をしたら、こっちに行けって言うから」
「なんだってお前は海へ出る? 探しものかい、佐和山の犬よう」
振っていた袋を目の前の床に放り、問われた男は立ち上がった。
眠り人が床を這い出て歩くような、ひどくおぼつかない足取りをしている。
「傍に居るって、そう言ったんだ。だったら探さなきいと。でなきゃ、俺が俺じゃあなくなっちまう」
訪ねてきた男――島左近は、上座の元親を見下ろしながら言った。
「三成さまを探さなきゃ。きっと海にいる、俺を連れてってくれるって言ったんだ。これだけ地上を探して見つからないなら、海で待ってるに決まってる」
目ばかりがきらきらと輝いて、朝焼けに輝く海のようだった。
天下泰平、江戸の世の土佐での出来事である。
      ■         ■
「見渡す限りの昏い波だ。絶望というものに姿があるなら、あのような姿をしているに相違あるまい」
指先で茶碗の淵を弾く白い指先を見つめながら、左近はそれが一定の調子で軽快に行われるのに気が付いた。
城下の子供が口ずさむような、たわいのない童歌の節をなぞっている。
ここは彼の故郷からほど近い。きっと馴染みのものなのだろう――この人とそれが結びつくことを、少しの驚きと共に左近は見つめていた。
張った高台までべったり釉薬の塗られた茶碗は茶人好みだが、それが茶会の席に供されることはない。
たまにこうして引っ張り出されては、三成の酒器になるばかりだ。
この方が効率的だからと言って聞かないのだ。左近はいつも酌もできずに、話を聞いてばかりいる。
「踏んだ床板が心許なく揺れる、まるで泥土でできた船だ。鍛え上げられた筈の豊臣のの兵が、みな赤子か老人のように転がっていた。秀吉様の御志という心の支えがなければ、およそ私とて耐えられたものではない。起きたまま悪夢を見るようなものだ」
ゆらり、ゆらり、ゆらり。茶碗の中で水面が揺れている。
商い人の領民が献上した酒だという。この近江でつくられた新酒らしい。
小さな湖のような碗の中に、流れる川を見る。左近と海にゆかりはないが、川は海につながっているのだ。
甘い香りを放つ水面を眺めながら、三成の話に耳を傾けた。彼が主の命で赴いた船旅、訪れた海のこと。
「鎮西の荒地に城を築き、豊臣の将兵をそこへ集結させる。対馬を経由し海峡を渡る。日ノ本で入手できる外つ国の地図は地名も道も不正確だ、道中で土地の者に金を渡して案内をさせる。言葉は通じずとも、国の荒廃は明らかだ。疲弊した民を取り込むのはさほど労苦の要ることはない。そもそも兵の練度が比較にならない、実につまらん戦だ」
「海の向こうの国って聞くと、あったかい所なのかなって思ってたんすけど」
「まったく逆だ。一面の不毛の地、閉ざされた冬の国――海の果てには地獄があると、兵どもが口々にささやいたものだ」
三成が碗を手に、遠くを見るように目を細める。
「海かあ。俺は行ったことがないから」
燈火の影の落ちる白い顔に視線を向け、左近は口を開いた。
「ねえ三成さま、どんな気分なんすか。絶望みたいな色をした海を越えて、地獄みたいな所に行ってさ。辛かったり苦しかったり、三成さまでもそんな気がした?」
「まさか」
遠い記憶の果てから、三成がこちらへ視線を戻す。
酒気に浮く薄い色の瞳に行燈の炎が映りこんで、ゆらゆらと揺れていた。
「ひとつ剣を振るい、荒れ果てた地に血が落ちる。割れた大地をそれが潤す。不毛の土に咲く徒花だ。苦難の果てに辿り着いた地獄を、さらなる深淵に落としてゆく。地獄の釜が深くなるほど、秀吉様の御世が盤石となる。そこが戦地であるなら、振りまく苦しみこそが私の喜びだ。海を渡れど変わりはない。帰還せよとの命を拝した時には口惜しささえ覚えたほどだ。私が戦端を開いていれば、地図をまるごと豊臣の色に染め上げて秀吉様に献上したものを」
左近が彼に出会うよりも、まだ少し前の話だった。
「もう海に出る事ってないんすか、三成さま」
「暫しの間はあるまい。日ノ本の情勢が極めて不安定な今とあらば、まずは地場を固める事こそ先決だ。次に外つ国と事を構える事があるなら、秀吉様がこの国全土を掌握された後の事になる」
文机の引き出しを開き、三成が折りたたんだ紙を取り出した。折り目が毛羽立ち、墨を幾度も入れた形跡がある。この国の勢力図と、周囲の国々の名が記された地図だった。
「次に行くんなら、また前と同じ場所っすか?」
「いいや、違う」
書き込みの多い場所を指した左近の手を掴み、三成は列島を挟んだ逆側に動かした。
「おそらく次は南方だ。交易と政治の要衝がある、攻め落とす価値はそちらの方が高い。貴重な兵と金子を割いて、わざわざ実り少ない場所へ出向く道理もなかろう。伝え聞く限り、肥沃で美しく豊かな土地だという。今でこそ異人の手に落ちているが、豊臣の力があれば造作もあるまい。秀吉様に献上するのにふさわしい、海に浮かぶ宝玉だ」
酒精のためか、触れた三成の手に珍しく血が通っていた。手の暖かさが少しだけこそばゆい。
「ねえ、三成さま。次に海に行くときがあったら、俺も連れてってくれますよね」
問い掛けからややあって、三成の口元がわずかに綻んだ。他の者が見たのであれば、見落としてしまうかもしれない程だった。
「好きにしろ。遅れをとるなら捨ててゆく、せいぜい気を張って追って来ることだ」
戦の合間の小休止、穏やかな会話は美しい記憶として左近の脳裏に焼き付いた。
そしてそれきり、二度とそんな機会の訪れは来なかった。
赴いた戦場で傷を受けて倒れ、気付けば荒野に一人きり。
ようやく帰り着いた時、佐和山も大坂も、三成の居るべき城はもぬけの殻だった。
      ■         ■
ぎ――い、ぎい、ぎい。
沖合で艦船は錨を下ろした。軋むような鈍い音が響いている。
元親の命令に従って、小さな舟が降ろされた。甲板から渡し板が延ばされる。
長曾我部の兵が積み荷を乗せ、畳まれた帆を掛けた。
礼を述べながら、足取りも軽やかに左近が下りてゆく。小舟に乗るのは一人きりだった。
「ありがとっす、長曾我部さん。風もあるし、これなら自力で進めそうってね」
「……おい、最後に聞かせな。舫いを解くかどうかは、それ次第で俺が決めるぜ」
元親の言葉に、左近が目をまるくした。二度、三度と瞬きをして、いいっすよ、と声を上げた。
「石田を探してどうするつもりだい。いまさらあいつに会って、一体何をどうしようってんだ」
問いかけは、左近を困らせるには十分な内容だった。
「どうって……そんなこときかれても、」
三成さまに会いたい、会いたい、会いたい。そればかり考えてここへ来た。
会ってどうするのだと問われると、答えが見つからない。
姿を見る事が、あの人の名を呼ぶことが、あの人の傍に居るのが目的になっていたのだ。
「解んねっすけど、そうだなあ……三成さまなら、今のこの国を許さない。すっげー怒って、目とか吊り上げてさ、きっと江戸まで走ってくっすよ。海の向こうにいるんなら、三成さまは知らないんだ。だったら教えてあげなきゃ、戦場に三成さまを呼び戻さないと。そして俺は今度こそちゃんと付いて行くんだ、戦う三成さまの傍にいる。左腕に近しいところに居るから、俺は島左近でいられるんだ」
「……そうかい」
左近の言葉に、元親は多くを返さなかった。
背後の部下へ声を張り上げる。小舟を繋ぐ舫い綱が解かれた。
「なら俺は止めやしねえよ、好きにしな。西に阿弥陀がありゃ、南には補陀落がある。望む所に行けるかは知らねえが、悪くても浄土にゃ辿り着くだろうよ。てめえの石田によろしくな」
錨あげえ、と元親が声を張る。よく通る声だった。
踵を返し、ゆらゆらとした足取りで甲板を歩く。
ゆっくりと艦は逆行し、小舟の周りをぐるりと迂回する。
兵たちはちらちらとこちらを窺っていたが、元親は左近に一瞥もくれなかった。
そうして艦はゆっくりと、遠くの陸へと去っていった。
      ■         ■
南の海は静かで、透き通って青い。見渡す限り輝いている。
帆をいっぱいに張ると、風を受けて小舟は南に進んだ。みるみる陸地が遠ざかってゆく。
足元は頼りなく揺れて、目の前がぐらぐらする。頭の中を直につかんで揺さぶられているようだった。
小舟の床板に横になり、左近は目を閉じた、気分はよくないが、波の音は心地よい。
乾いた唇を舌でなぞると、びりびりした塩の味がした。揺れる舟の中、左近はゆっくりと眠りに落ちた。
目を覚ましたのは寒さのせいだった。月が煌々と頭上を照らしている。
いつのまにか夜になっていたのだ。吹きすさぶ風の冷たさに堪えかねて、積まれた荷をほどく。
中身は灯明と食糧と水、それから方角を図る器具と防寒具。
分厚い布で体を包み、左近は震えながら縮こまった。
三成が指した南の国は、かつて赴いたという北方よりも遥かに遠かった筈だ。まだまだ時間がかかるに違いない。
積み荷の水を少しだけ口にして、左近は再び目を閉じた。
そうして朝がきて、昼が過ぎ、夜が来た。
それを幾度も繰り返した。
陽の照りつける日もあれば、ひどい雨の降る日もある。
曇天の退屈な日が数日続き、太陽を見ないまま日が暮れる。
ひとたび眠りに落ちた後に目を覚ますと、どのくらい眠っていたのかを判別できなくなった。
数刻うとうととしていただけかもしれないし、数日の間眠りに落ちていたのかもしれない。
起きている間は水をちびちび飲んで、食糧を口にする。
空腹と咽喉の渇きのさなか、記憶の片隅にある三成の姿を脳裏で繰り返し繰り返し過ごす。
三成の声が頭の中で響いている時間が、今の左近には唯一の幸せだった。
波の揺れも寒さも、心地よくさえ感じる。月も星もない闇の中、左近は目を閉じた。
どれほどの時間が経っただろう。
次に目を覚ましたのは、瞼の向こうの明るさのためだった。
目を開き、舟の中に起き上がる。夜が明ける瞬間だ。紫色に染まる暁の空、名残の星と銀色の月が西に沈む。
朝靄にかすむ水平線の果てに、太陽がゆっくりと姿を現していた。
きらり、きらり、見渡す限りの波が光を受けて揺れる。穏やかな風が吹いていた。さあっという音と共に波が揺れる。
砂金を波間にちりばめたような光景に、左近は思わず立ち上がった。
太陽と月の真ん中で、波に揺られて立ちつくす。
美しい光景だった。この世のものとは思えないほどに。
不意に左近は元親の言葉を思い出した。
彼は言っていた、海の果てには浄土があるのだと。
「―――そうだ、そうだ、そうだ。ああ、俺は何をやってるんだよ、」
長い期間話すことを忘れていた左近の唇は、まともな声を紡ぐことが出来なかった。
声にならない呻き声を、ただ左近一人が聞いている。
脳裏に過る姿、刀を携えたあの人がそぞろ歩く。
記憶の中で彼は囁いた――振りまく苦しみこそが、自らの喜びなのだと。
「いるわけない、いるわけなかった。三成さまが浄土になんて居るわけがない」
東の空から太陽が昇り、月の姿を完全にかき消した。見渡す限りの光の波。
「三成さま。……三成さま、三成さま、みつなりさま、」
会いたい、会いたい、会いたい。そればかり考えてここへ来た。
左近にはもう残っていなかったのだ。それ以外には何も。
「遅くなってごめん。今いくよ、三成さま」
きらり、きらり、輝く波間に小舟が浮かぶ。
白い帆を張り、風の向くまま進む。帆を操る者は誰もいない。
波間に忘れ去られた無人の舟は、ゆらゆらと波に身を任せて流れていった。
      ■         ■
表がにわかに騒がしくなったのに気が付き、目を通していた書物から視線を上げる。
漏れ聞こえた声から、何となく様子を察する事はできた。この小さな島の主であるのは間違いないが、この地の領主が訪ねてくるのは珍しい。履物を取り出して、縁側から外へ出た。
歓迎して駆け寄る人々の群れからは距離を置きながら、見覚えのある姿にゆっくりと近づいて行く。
「またか、長曾我部。尋ねてくるなら事前に伝えろと、何度告げれば貴様は理解する」
「なに、もののついでさ。近くの海まで寄ったんでな、ちっと顔を見たくなってよ」
群がる出迎えに声を掛けながら、ゆっくりと元親は歩を進めた。
「不便はしてねえかい。こいつらに良く言っちゃいるつもりだが、何かあったら遠慮なく言ってくれ」
「別段不足はない、それに、貴様も言った筈だ。私はあの日に死んだのだ、死人に気遣いなど無用だ。私のことなど捨て置けばいい」
「おいおい、そういう意味で言ったんじゃねえんだがな」
笑ってそう言いながら、元親は背後を顧みる。
今しがた自分が上陸した南の海の方角を、ぎゅうと目を細めて見据えた。
「なあ、聞いてもいいか」
「私に拒む権利など、元よりない」
「つれねえなあ! なあ、もっと楽しそうな顔ってできねえのかい。野郎共が困ってたぜ、何を喜ぶか解らねえから、何をどうしていいかさっぱり解んねえとよ」
「楽しむ? 喜び? 貴様は何を言っている。それは貴様から私への命令か」
投げかけられた問いかけに、男は――領主の客人は首を横に振った。
「貴様は生きろと私に告げた。だから私がここに居る。それだけの事だろう。どうしてそれが必要になる。つまらぬ問い掛けはやめろ」
用が無いなら私は戻る。そう言い残し、男は元親に背を向けた。元来た道を進み、屋敷へと戻って行く。
「待ってくれ、もう一つだ。もう一つ聞かせちゃくれねえかい」
元親の心に、迷いがなかったと言えば嘘になる。
左近の探し人はずっとここにいたのだ。
昔馴染みが彼を寄越したのは、それを知っているからに他ならない。
それでも元親は左近を海に出した。
左近は再びの戦をこの国に呼ぶと口にした。光を浴びる友の姿が脳裏を過ぎる。
ようやく迎えた太平の世だ。元親の天秤は最初から、どちらを捨て去るかを決めていた。
選ぶまでもない事の筈だ。それなのに、心はひどくざわついた。心臓に嵐がやって来たかのようだった。
「……なあ石田。ここ最近のことだ。あんたを訪ねて、誰ぞ人は来なかったかい」
胸の裡を押し殺すように、つとめて常通りを装って元親は口にした。
「貴様以外の客人? 私に?」
元親の言葉に振り返った男――かつて凶王と呼ばれたその人は、静かに告げた。
「私を訪ねるものが、この世のどこかに居るというのか?」
その言葉に、元親はそっと目を閉じる。
安堵しているのかもしれないし、そうではないのかもしれない。
胸の奥にわだかまるものの名に、元親は覚えがなかった。
「そうだな。もうどこにも居ねえんだったな」
再び元親は振り返った。陽の光を受けた水面が、きらりきらりと輝いている。
空は晴れ渡り、波は穏やか。
海の向こうには何もなく、ただ水鳥が舞うばかり。
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yomirenshuu · 6 years
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from a pamphlet I got from a sculptor in Takayama
大変久しぶりですね
here’s a text, I’ve had in my drafts for quite some time.
so this text for reading practice is gonna be a lil bit longer than usual, so I’m gonna post it in several parts.
(part 2)
It’s taken from a pamphlet I got from a sculptor from Takayama, who together with two other people created several meters tall statues of the 7 gods of fortune with wood from trees that are several hundreds of years old. They eventually didn’t make the guiness world record in the end, but the statues are quite impressive. 
here’s some pictures 
He showed us the small advertisement they have in the Takayama Tourist Guide, but it’s super small and we actually found it by accident.
so if you’re in the area check out the 高山開運乃森
It features some complicated words, so don’t feel bad if you don’t understand everything.
well anyways, let’s get started with practising, have fun!
まえがき
 本紙に連載の「素描」欄は広県内の有職者、県外に存在する県出身の知名人が執筆するユニークな随筆欄です。いずれも各界において活躍され、人生経験も豊かな人たちだけに、内容的にも多くの教訓を含み、改めて読み直してみるに値するものばかりと信じます。
 今回の収録は昭和六十一年七月、八月分(日曜日)を担当された倉坪さんです。「開運乃森」物語を熱っぽく書きつづった古美術商、倉坪信雄さん。
(岐阜新聞社)
素描 - 夢とロマンを追って
古美術商 倉坪信雄
 飛騨は木の国、匠の郷として良く知られています。そして十数年来「心のふるさと飛騨」として全国から観光を兼ねて沢山の方々においでいただき、本年は特に、県下唯一の国際観光の町として、村として、指定が得られました。素晴らしいことでございます。
 私は昭和四十七年六月七日以来「飛騨の里」のすぐ隣にすまいをさせていただき、古美術商を営んで居ります。
 以前は百姓でした。古川町畦畑で、何代も続いて来た米作り一本の農業でしたが、どう考えてみても納得のいかない米の減反政策にいや気がさして、百八十度の転換に踏み切ったのです。新居の近く飛騨の里にある偉大な遺産を朝夕眺めている毎日。特に朝の静かな、それこそ吸い込まれるような「吾神池」に影を落とす合掌造りの雄姿は、まさに神秘そのものです。いつとはなく「拝み合う心」「信じ合う心」の大切な事に気づき天の恵みと、地のありがたさ、水の尊さを教えていただきました。それは生涯を通して素晴らしい発見でした。
 私はそのころから飛騨を訪れてくださる観光のお客様に、それとなく問いかけていました。この地においでいただき満足していただけましたか?ごらんになった感じは?ほとんどの人々は、「とても落ち着いた良い町です」と満足げに答えてくださいました。しかしその中にもう一つ最も大切な何か必要なもののあることを思い知らされました。それは「心をゆだねられる場所」です。以来毎日のように考えました「古美術商」という職業も大きく味方をしてくれました。昔から古いお寺、神社など立派な拝む対象、信心を得る対象は沢山あります。
 でもあまりにもマンネリ化していて現代に生きる人たちに今一つ魅力の対象には難しいようでごじます。ユニークさに富んだ夢とロマンを兼ね備えた年齢層をも問わないでいてだれにもなじみの深いもの。その「寄りどころ」を作るのが私の使命ではないかと感じ、七体のジャンボ七福神を堂に集めた「開運乃森」を開いたわけです。
初めての出合い「大黒天」
 「早起きは三文の得」この諺を良く繰り返しては教えてくれた祖母。八十歳を過ぎてからも自ら五時前に起き、近くの谷川に水で洗顔、両手いっぱいに受けた水を実にうまそうに飲む。朝の水は体にええんじゃよと...。
 入学前だった私はうのみ、しぐさをともにして以来、ずーっと続けてきました。そのかいあってか健康そのもの。亡き祖母の偉大な力をしのび心からの合掌を捧げるのです。そんな訳で早寝早起きが定着し、百姓から商人に転身しても、いつしか朝起きるなり愛車のトラックで市内に向かう。朝市に立ち寄り新鮮な野菜を求め、近くのコーヒー屋へ。ある時は無言で、また逢う人と言葉を交わしながら飲む味、一日の活力の源となる。
 「朝」運命のその日‼トラックはとんでもない所に来ていました。およそ七~八分も走って来たのでしょうか。郊外匠ヶ丘工場団地にある製材所の前で車はストップ。瞬間素材置き場の一角にぽつんと大きい材木があるのに気付きました。考える間もなく例のコーヒー屋へ心ごと直行。馬鹿ナ、とんでもない遠乗りをしたもんじゃ、とつぶやきながら。しかしその晩しきりに胸騒ぎがしてなりません。翌朝を待ってトラックはまっしぐら。例の広い土場には静かに横たわる巨木...。どうやら杉の木らしい。樹齢およそ七百年、表面は実に見事な木肌。片面はかなり傷みがひどい。その一辺にデッカイ「こぶ」がありました。これには何かがありそうだと直感しました。
 数日過ぎて我が家の店先に真っすぐ立つ、八㍍の巨木老木。東照宮様を迎えての神事。むろんその場には「勘五郎コンビ」といわれる彫人山村佐藤兵衛さん、中村円正さんの緊張しきった姿。私も妙な思いでそれこそかつて感じた事のない、テレパシー的秘術にふれた心で玉串を捧げ終え、しめ縄がしっかりと巻かれた老木を見上げたその時、大きい袋にデッカイこぶを詰め込みニッコリほほえむ大黒天のお姿が私の目前いっぱいに立ちふさがっていたのです。
飛騨の匠の心意気
 左甚五郎は飛騨で身ごもったと伝えられ何でも池に映った満月を両手ですくい上げ飲んだら懐妊したのだそうな。その甚五郎作として代々引き継がれて来た。大黒、恵比須像が彫刻師の山村家に祀られていると聞き、早速拝観させていただきました。驚いた事に例の巨木に浮かんだ福神の姿そのものでした。
 初夏の大安吉日を選んで斧入れ式を執り行い、彫刻の場を山村さんの経営なさる、ドライブイン数河の一角に移しました。最初の大仕事は長さ八㍍もの大木を真っ二つに切り分ける作業でした。一日がかりで直径二㍍余りの中に刻まれている七百年の年齢が、ものの見事に分かれてくれました。切り口からは新鮮な、老杉の香りが高原に清々しく満ち、みちてくれました。天の恵みと地の理、水の結晶、神がこしらえ与える"地球の宝"を目前に、創造の原点にふれた感動のすべてを"甚五郎コンビ"に伝えて、木の持つ強烈なイメージをご理解、納得していただきました。デッカイこぶの付いた木と雷の跡を背にした神木が二つ並んで仲良く立ち素晴らしい彫刻者じんごろうコンビの心が、技が、意気が脈打ち出したのです。日を重ねるごとにもえに燃え、長いはずの夏の一日が極端に短く暮れ、次の夜明けを待つ日々...。
 いつしか二ヵ月過ぎ高原にはススキの穂がちらほら涼風になびき、打つ槌の響きと共に木端のベールは徐々にはがされていよいよ総仕上げ。左の目が笑う。右の目が続いて笑う。口がほほえむ。福槌が現れる。槌持つ右手が踊る。足元に米俵が二つ。その上にまた一つ。大きい袋にデッカイこぶを詰め込んで左手だけではな支えられんのかナ?。声高らかに笑いこけ、ドカッと俵に腰を下してしまった。ワッハッハッハ―。ネズミが飛び出して来た。白はめす。黒はおす。目を白黒。大黒天の誕生にびっくり。左甚五郎の魂が今"飛騨甚五郎"コンビによってズームアップされた。日本一かナ?世界一かナ?
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chibiutsubo · 3 years
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#おでかけ #白川郷
白川郷の風景といえば、山の上の展望台から集落を一望するこの風景。
ガイドブックなどでもよく見かける「そうそう、これこれ」な風景を求めて展望台へと向かいました。車で向かうこともできますが、私たちは徒歩で。ある程度急な坂道なので、到着する頃には息が上がっていました。
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本当の展望台は山の上の売店の前だった��ですが、最初は林の中のベンチのある辺りだと勘違いして、ここから眺めていました。枝で見えないやん、と思っていたら展望台じゃなかったという。
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展望台まで行かなくても、坂の上辺りで充分きれいに見渡せるんですけどね。秋色白川郷。
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合掌造りマンホールです。
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東京公演のレポートです。
東京の3月21日は開花した桜に雪が舞う花冷えの春分の日になりました。今年はバスで10分ほどの合宿地から会場の東京オペラシティコンサートホール��乗り込みました。
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この高い天井にどんな音を響かせることができるのか。期待と不安が入り混じる中、大型楽器を自分たちで運び込んだり、ステージの準備を進めます。
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第3期から入ったホルンの田嶋詩織さんは初めてのこのステージに「うれしー!」と浮き足立っていました。田嶋さんが右手に持っている譜面カバーは毎年郡山市で姉妹で参加してくれている石井さん家のご家業である印刷会社からご好意で製造・無償提供いただいているものです。今年は小学6年生の妹さん葵子ちゃんがチェロを務めています。石井さん、ありがとうございます。そして、全員に坂本監督直筆のサイン入りで合宿中にプレゼントされました。
こちらもホルンの大学生、二人。
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来年から仙台市に保育士として就職する曽根さんと都内の音大に通う福島市出身の磯貝さん。「二人、顔が似てるね」と舞台裏で声をかけると、二人揃って「うれしー!」と顔を寄せ合って記念撮影。この東北ユースオーケストラで出会って大の仲良しになったそうです。
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「写真撮って」と声をかけられたのは、毎年の録音をお願いしているサウンド・エンジニアのオノ・セイゲンさん。いつものメンバーが揃ってきて、いよいよ本番感が増します。
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舞台裏には早くもお客様が。今年は大学受験のためお休みしていた郡山の高校三年生、丹野くんと芦名さんが揃って「大学に受かりました!また来期から復帰します」と応援に来てくれました。同じく郡山の同級生で4月からは東京の音大生になるヴァイオリンの渡邉真浩さんと揃ってピース。
10時30分から通しで本番の流れをリハーサルする「ゲネプロ」が始まりました。冒頭坂本監督から団員を優しく鼓舞する一言から。
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こちら本日の進行表になります。
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オープニングの三曲の曲順は、演出効果や団員の演奏表現の流れから前日に監督の提案により改良を加えました。
続いて、初共演のんさんと前日のリハから2回目の合わせを行います。
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のんさん、昨日よりも落ち着いて詩を声にされています。リハーサルなのに、すでに泣けます。
そして、藤倉大さんによる作曲ワークショップの成果を発表する団員作品の演奏コーナー。まず一曲目は、福島県郡山市の小学5年生市川真名さん作曲作品「青」を同郷の渡邉真浩さんがヴァイオリンで演奏。
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続いて、福島県白河市の高校1年生、菊地彩花さん作曲作品「小さな街の夜明け」を福島市出身の大学3年生の佐藤実夢さんがヴァイオリンで演奏。
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最後に福島県二本松市出身の大学1年生、須賀文栄さん作曲作品「朝の訪れ」を 福島県会津若松市出身の大学2年生、磯貝雛子さんがホルンで演奏。
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この曲順もこの場で坂本監督から「ヴァイオリンが続くよりもホルンの演奏を挟む流れにしよう」と、本番では演奏順を入れ替えました。
ゲネプロの休憩中、3年連続の出演でもはや場慣れした盛岡の中学2年生、藤田サーレムくんが「『Three TOHOKU Songs』の掛け声の“チョイサー”の時は、これでどうですか?」と話しかけてくれました。
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「泥棒か!」
メインの2曲は通しで演奏する時間は無く、本当にぶっつけ本番となることが判明しつつ、ゲネプロは終了。すると、キャプテンの畠山茜さんから「ここで、みなさんにお礼の品を渡したいのです」と。
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団員から出演者と事務局にお礼の寄せ書きをいただくサプライズ演出でした。1日10時間練習の直前合宿の睡眠時間を削ってつくってくれたかと思うと、この優しい気配り心遣いが3倍ほど沁みます。ありがとう。
あとは本番を残すのみの舞台裏。
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みんな、楽しんで力を出し切ってくれー。
最初のステージ登場チームが舞台袖に現れました。
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毎年恒例の開演前の演出、普通の演奏会なら姿を見せずに公演中の注意事項を来場のお客様にアナウンスする「影アナ」の仕事を団員6名がステージ上でお知らせする「カゲアナ隊」です。今年は、宮城県仙台市の大学三年生、TYOキャプテンの畠山茜さん(ヴァイオリン)、福島県大玉村の小学4年生、笹山千尋さん(ヴァイオリン)、岩手県盛岡市の中学1年生、竹田陵司くん(ヴァイオリンくん、宮城県気仙沼市の高校1年生、三浦瑞穂さん(パーカッション)、福島市の大学4年生、立谷隆太郎(ホルン)、盛岡市の大学4年生、鳥居紗季さん(オーボエ)です。
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司会の渡辺真理さんもモニターで心配そうに「カゲアナ隊」のアナウンスを見守っていらっしゃいます。 続いて、こちらも恒例のオープニングのファンファーレ。 福島市の高校1年生、堤英純くん作曲の金管八重奏を、トランペット中村祐登くん、秋葉大地くん、井出大雅くん、ホルン立谷隆太郎くん、曽根瑞貴さん、田嶋詩織さん、トロンボーン江見悠希くん、バストロンボーン新川和弘くん、チューバ冨澤悠太くんの9人で華々しく賑々しく演奏しました。
そして、舞台裏にみんなが集まって来ました。
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団員が上手下手から入場してチューニングを待つ瞬間の3人を記録しました。
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3年連続で司会をボランティアで引き受けていただいている渡辺真理さん、今年は白いミューズのよう。渡辺真理さんのチャリティマインドの神々しい姿に思わず合掌したくなりました。
オープニングの「Behind the mask」「戦場のメリークリスマス」「ラストエンペラー」。とても順調な滑り出しで、直前合宿よりもいい音が出ている舞台裏。団員作品発表コーナーもミスの無い演奏。舞台袖の東京フィルハーモニー交響楽団のステージマネージャー、大田淳志さんも微笑みながら「みんな、度胸ありますねえ」。自分の作品をこの檜舞台で発表されて、しかも、ソロで1500人の観衆の前に演奏するのですからね。
前半が終わって、みんなが舞台裏に来ました。度胸ある一人、自作曲が披露された小学5年生市川真名さんに「どうだった?」と聞いてみました。
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「もう足ががくがくしてまだ止まりません」 そんな風に見えないけど! 左隣の一つ年下の最年少団員、笹山さんも余裕のそっぽ!! そして、事務局の「おかーさん」こと岡田直美さんにTYOオリジナルハンカチーフでのお色直しを頼んでいました。
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将来が楽しみな女子二人です。
休憩があけると、ついにメインの2曲、ドビュッシーの交響詩『海』とストラヴィンスキーのバレエ組曲『火の鳥』(1919年版)をはじめて通しで演奏します。
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さすがに3年連続の出演団員も緊張の面持ち���坂本監督も心配そうです。坂本監督が��愛する作曲家から選曲したいと始まった今年の演奏会での楽曲選び。ドビュッシー、ラベル、ストラヴィンスキー、バルトークの作品から、TYOの編成、力量、来ていただくお客様の満足度などなどを熟考した上にこの2曲になりました。
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この日を迎えるまでに、指揮の栁澤さんからは「どちらか1曲にしておけば、まだ良かったなあ」との言葉が漏れるほどのどちらも難曲でした。プロのオーケストラですら難しいとされ、特に弦楽器の特殊奏法には東京フィルハーモニー交響楽団の方々に特別にご指導に福島市、仙台市にお越しいただきました。
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特に『海』については、津波で甚大な被害をもたらした東日本大震災がきっかけのオーケストラで演奏するのはいかがなものかというような声も上がりました。しかし、今年の8月に石垣市のご協力で実現した石垣島合宿で、震災以来怖くて海に近寄れなかった団員が鮮やかな海を前に足をつけ、海と戯れることができた姿を眼にし、むしろ「東北ユースオーケストラだからこそ演奏できる『海』がある」と確信できました。繊細に移ろいゆく自然の象徴としての大いなる海、自然に包容され生きていく人間。
さぁ、第2部が始まります。
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市川さん、どう見てもわたくし引率よりも落ち着いています。
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坂本龍一監督による恒例のハイタッチ送り出し!
『海』の演奏が始まりました。
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高橋佳寿美さん(大学1年生)、亜香音さん(中学2年生)のどこからどう見ても姉妹としか考えられない二人ともフルート家族も心配そうにモニターでみんなの演奏をチェック(いつもの練習では似ていることを気にしてか、写真を撮らせてくれないんです)。 「みんな、いい感じじゃない?」
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栁澤さんも気合が身体に乗り移る指揮ぶりで、これまでに無い格別のシンフォニーが進行していました。
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こちらは『海』の降り番、下手で待機チーム。
「ピースすると何かいいことあるの?」と写真撮影でその習慣が一切無いわたくしは、毎回尋ねたくなりますが、発祥のウィンストン・チャーチル氏の年齢くらいになったらカメラにピースサインで応えてみようかと最近は思っています。
東北ユースオーケストラの『海』、大円団で万雷の拍手を受けて演奏が済みました。いったん下がった栁澤さん、楽屋から小走りに戻って来られました。
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続いて、『火の鳥』です。
一方、坂本監督はと言うと、
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ステージ上手にセッテイングされたオノ・セイゲンさんミキシングによるライブサウンドで団員の演奏を聴いていらっしゃいました。
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この左右の小型スピーカーから流れ出てくる音のクリアなこと。その音質はともかく、オノ・セイゲンさん「とてもユースオケの演奏とは思えないよ」とレベルの高さに笑っていらっしゃいます。
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降り番の団員が続々と仲間の演奏をしっかり聴きたいと集まって来ました。
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「せっかくだから一番いいポジションで聴いたらいいよ」とセイゲンさんによるオーディオ講座。
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最初に体験したのは、直前合宿初日の冒頭オリエンテーションで、貧血により倒れシンバルで額を裂傷流血し救急車で運ばれ東京女子医大にて緊急治療を受けた、仙台の中学3年生小檜山翔也くん(フルート)。傷を縫い、覆っていたガーゼも3日目に取れて、すっかり回復してくれました。 『火の鳥』もいい演奏だ!
一方ステージ下手の待機組は、せっかくだからと、
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両手にピースサインに免じて、もうワンカット。
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のんさんの巧みな表情の変化に驚きました。どうもありがとうございました。
そろそろ『火の鳥』もエンディング。 舞台袖に出演者が集まるタイミングです。
「坂本さんと撮っていいですか」に便乗してこちらもパチリ。
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場内から万雷を超える千万雷ほどの拍手と「ブラボー!」の声声をいただき、あらためて出演者全員がステージへ。
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アンコールは、TYOの前身となる楽器修復からはじめて復興プロジェクト「こどもの音楽再生基金」のテーマ曲にしていた『ETUDE』。坂本龍一さんの1984年のアルバム『音楽図鑑』に収められた名曲を東北ユースオーケストラ102名が全員ステージに乗って、観客のみなさまの手拍子とともに音を奏でて終演しました。
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お疲れさまでしたの記念撮影。
このあとステージから戻ってくる団員を出迎え、団員同士も共演者も裏方もお互いを称え合います。
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拍手と呼びかける声に満ちたこの場、この時間。この時空間を味わうために活動しているのかもしれません。
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ひとつの協働、ひとつのクリエーションを終えた達成感。それがきっと観客にも届いているはずだという充足感。
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一期一会だからこそのパフォーマンス。
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少々音程が外れたり、1小節ズレたりはご愛嬌。
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拍子木と言えば三浦さんも会心の笑みです。通りゆくみんなが「やり遂げた!」という顔をしています。
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左端に福島事務局として支えていただいた渡辺豊さん、大塚真理さん、竹田学さんの三人並んで力強い拍手で出迎えていただいていて、のんさんもそのまま団員と両手で握手。
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チェロを持っている誉田くんは片手ですが、その隣で感激のあまり顔をおさえているいる今泉さん。
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はい、この後、しっかり握手していましたね。
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ファゴットの西村さん、続いてアンコールではソロを吹いていた大矢くん。
今年の演奏会、最初の東京公演でベストの演奏をすることができました。没後100周年のドビュッシーさんにも喜んでいただけたかな。
おかげさまでNHK総合の20時45分〜の首都圏ニュースで紹介していただきました。 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180321/k10011373811000.html?utm_int=news-new_contents_list-items_007
別角度から、『ORICON NEWS』 https://www.oricon.co.jp/news/2107909/full/ 地元の『福島民報』には今日の朝刊一面に出たとのこと。
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http://www.minpo.jp/news/detail/2018032250145 『岩手日報』の一面にも。
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https://www.iwate-np.co.jp/article/2018/3/22/10436 一般社団法人東北ユースオーケストラの理事メンバーである2紙であっても、 この一面掲載は異例の特別扱いをしていただいていると、 身近な担当者から聞きました。 ありがとうございます!!
終演後、坂本監督を東北ユースオーケストラのOBOGを訪問してくれました。
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右からプロの打楽器奏者として歩みはじめている野木青衣さん、松崎奏さん、楢山花穂さん、中野心平くん。当日の寄付受付を担当してくれた野木さん、楢山さんによると想像以上の施しをいただいたようです。ご寄付いただいた皆様、どうもありがとうございました。 来年度の継続的活動に向けてのご寄付もオンライン上から受付させていただいています。 https://japangiving.jp/campaigns/33779
どうぞご支援をよろしくお願いします。
ともあれ、おかげさまで東京公演はこれまでで最高の演奏をすることができました。来週末の31日(土)の仙台もみんなの地元でさらに最高の音をお聴かせできるようにと願っています。
仙台でお会いするみなさま、お楽しみにお待ちください。
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tufscinemasouthasia · 7 years
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TUFS Cinema 南アジア映画特集③『わな おじいちゃんへの手紙』 【解説補遺版】
日時:2017年6月10日 於:東京外国語大学 アゴラ・グローバル プロメテウス・ホール 解説:安宅直子(編集者、インド映画研究) 
トピックス
1.マラヤーラム映画とケーララ州について
2.芸術映画と大衆映画
3.「ジキルとハイド」ジャヤラージ監督
4.物語の舞台①:クッタナード
5.物語の舞��②:シヴァカーシ
6.『窓ぎわのトットちゃん』とインドにおける日本文学
7.ケーララ・クリスチャンの世界
8.チェーホフとケーララにおけるロシア趣味
付『わな おじいちゃんへの手紙』資料集
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1.マラヤーラム映画とケーララ州について
TUFS Cinemaでマラヤーラム語映画が上映されるのは初めてであるようなので、ここでマラヤーラム語映画についてアウトラインをお話しします。
 マラヤーラム語は、インド南端のアラビア海に面した西側、ケーララ州で話される言葉で、州の公用語です。ケーララ州の面積は約38,800平方キロメートル、人口は約3千300万、東京都の1.7倍ほどの面積に、東京都の2.4倍ほどの人が住んでいることになります。州人口の96%がマラヤーラム語を母語としており、また、識字率は94%とインドではかなり高率です。映画の市場として考えると、3千300万人という数はかなり小さいほうですが、マラヤーラム語映画は一般に低予算ながらも毎年100本以上の長編劇映画が製作されています。
 後で詳しく述べますが芸術映画のジャンルでも伝統的に有名で、日本でもこれまでに30本以上が映画祭で上映されています。
 マラヤーラム語はドラヴィダ語族に属し、お隣のタミルナードゥ州の公用語であるタミル語から分かれて成立したものです。タミル語の西部方言の上に北インドのサンスクリット語の音と膨大な語彙が流入して今日の形になりました。タミル語とサンスクリット語、両言語のすべての音を持っています。
 マラヤーラム語による最古の碑文で残っているものは10世紀のものですが、話し言葉においてはタミル語はさらに後代までケーララに残っていた可能性があるそうです。タミル語とマラヤーラム語は他のドラヴィダ諸語と比べても非常に共通した部分が多く、かなり近しい間柄にありますが、同時に非対称性も持っています。
 簡単に言うと、タミル語を母語としてさらにマラヤーラム語を解する人よりも、マラヤーラム語を母語としながらタミル語も解する人の方が比率において圧倒的に多いということです。
 なぜタミル語のことを話すかというと、マラヤーラム語映画の中では、しばしばタミル語が字幕も吹き替えもなしで出てくるからです。後で述べますが、本作でもタミル語が話されている場面がありました。ケーララ州では、お隣のタミルナードゥ州で作られるタミル語映画も大人気で、基本的に字幕も吹き替えもなしで上映されますが、逆はあまりありません。
 話をマラヤーラム語に戻しますと、ケーララ州は前に述べた94%という高い識字率から、出版・印刷物によるジャーナリズムが盛んであるという点で特異です。マラヤーラム語の日刊紙ではMalayala ManoramaとMathrubhumiの二強がそれぞれ140万部前後の公称部数を誇っており、これは全国的に見てヒンディー語紙、英字紙に続くもので、どちらもベストテン入りとなっています。
 書籍の出版でも、マラヤーラム語の出版タイトル数は、ヒンディー語や英語を含む出版界全体の中で、2004年の統計では第七位につけています。人口比を考えれば、かなり出版が盛んな言語圏と考えていいと思います。
 映画中で『窓ぎわのトットちゃん』のマラヤーラム語訳の書籍が登場するのが印象的でしたが、マラヤーラム語出版の中では、外国文学の翻訳は無視できない割合を占めています。外国語文学翻訳出版の点数や言語別内訳については残念ながら参照できる資料が見つかりませんでした。しかし、通販サイトなどでの外国文学のラインナップを見ると、19世紀のロシア文学が目につくように思われます。またシェイクスピアの人気も見逃せません。
 2.芸術映画と大衆映画
こうした、高識字率の活字王国という背景も踏まえると、マラヤーラム語映画界が、いわゆる芸術映画を世に送り出すことで有名ということも、薄っすらと理解できるように思います。念のためですが、ここで「芸術映画」というジャンルについて簡単に述べておきます。
 インド映画の中の芸術映画というのは、くっきりとした大ジャンルで、商業映画と対をなしています。インドの商業映画に特徴的な歌や踊りがないもの、そして社会問題を取り上げるもの、という説明がよく見られますが、一番の特徴は作品公開の場です。
 芸術映画は、国内外の映画祭への出品を主目的に、低予算・非スターキャストで作られることが多いです。出品先の映画祭で大賞を獲得したりした場合は、例外的に商業映画館で封切られることもありますが、一般には劇場公開への道はかなり険しいです。芸術映画は、映画祭サークルとでも呼ぶべきインテリによって作られ、その閉じたインテリ・サークルの中だけで消費されるという傾向がはっきりとあるのです。映画祭サークルには、一般商業映画を低IQで無責任な逃避主義と見下して、存在そのものを無視する人々もいます。
 3.「ジキルとハイド」ジャヤラージ監督
そんな中で、本作の監督であるジャヤラージ氏は大変ユニークなキャリアを持っています。芸術映画と商業映画の両方の世界を行ったり来たりして、芸術映画では多数の賞を獲得し、商業映画でも時にヒットを飛ばすという、珍しい映像作家なのです。インタビューでその二股の理由を問われて、「どちらのジャンルにも情熱を持っている。とはいえ、商業映画を撮っている時の方が、よりプレッシャーを感じる。母数の多い観客を楽しませることの方が、より予測不可能で、また失敗したときの痛手も大きいからだ」という意味のことを言っています。これは、インド映画のユニークな一面を突いている、非常に興味深い発言です。映像作家にとって、ハイブラウな芸術映画の方が、低リスクであり、小さなサークルの中で心地よく製作活動できるというのです。
 ちなみにこの『わな』は、芸術映画ではありますが、2015年に限定的ではあるものの、一般劇場公開がされたようです。もとより劇場での興行収入は期待できず、ムンバイ、ケーララ、ベルリン、ヴァンクーヴァーといった国内外の映画祭で上映されることによりその名前が記憶されることとなった作品です。
 ジャヤラージ監督の作品、私も全作を見ているわけではないのですが、芸術映画・商業映画の両方に、非常に左翼的なメッセージを込めたものが散見されます。特に興味深いのは2000年代に公開された商業映画、“4 The People”、“By The People”、“Of The People”という三部作です。
 これは、政治家や官僚などエリートの世界にはびこる腐敗を一掃するために、大学生4人が 4 The People という名のウェブサイトを立ち上げて市民からの告発を募り、非があると判断した相手を処刑(告訴ではなく、自分たちの手で処刑するのです)していくというストーリーです。世直しとウェブサイト、学生の義賊、などという斬新さがウケて大ヒットとなりました。ここには、議会制民主主義の枠内での社会主義ではなく、階級の敵を殲滅するという極左の思想が透けて見えます。ただし、ジャヤラージ監督が左翼というか極左思想の信奉者であるかどうかははっきりしていません。
 ともあれ、こうした左翼的な主張のこもった作品群がある程度受け入れられる素地があることは言えると思います。何と言ってもケーララ州は、1957年に世界で初めて、暴力革命ではなく合法的な選挙によって、共産党が州レベルで政権を獲ったところです。また1967年に西ベンガル州で起きた、毛沢東主義者による武装蜂起に端を発して全国に飛び火したナクサライト武力闘争も、1970年代中ごろぐらいまで残っていました。現在でもケーララの町ではこんなものを見かけることがあります。
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 4.物語の舞台①:クッタナード
ここで『わな』本編の舞台となる二つの土地について簡単に述べたいと思います。
 作中の台詞にも何度か出てくるクッタナードとは、南北に細長いケーララ州の真ん中からやや南の部分にあたる地方で、「ケーララのライスボウル」の異名を持つほど稲作が盛んです。クッタナードは、狭い意味では、アーラップラ(アレッピー)の南に位置する地区(Taluka)の名前です。幾つかの巨大な湖と、それらを結んで毛細血管のように走る川や水路、そして海抜0メートルまたはそれ以下の田圃から成る水郷地帯で、一般にバックウォーターと呼ばれています。
 バックウォーターは、潮の満ち引きに応じて海水が逆流してくる汽水域と、内陸の淡水域とが混じっていますが、堰を作って汽水を淡水に変えるなど、人間の手も多く加わっている自然景観です。のべ900kmにも上るという無数の水路は道路と同じ役割を果たしており、水上バス・自家用ボート・観光用のハウスボートなどが行きかっています。バックウォーターは、クッタナードだけではなく、ケーララ北部にもあるのですが、クッタナードが最大級で、観光プロモーションにも真っ先に登場するようなケーララの自然景観の代名詞となっています。
 この地域の主要産業は稲作ですが、他にゴムの栽培、ココナツ・ファイバー生産、漁業、観光業が盛んです。作中に登場する鴨の養殖でも知られており、鴨を追う光景はこの地方の風物詩であり、クッタナード・ダック・ローストというのは名物料理の一つとなっています。
 その養殖の規模は様々で、稲作農家が副業として数十羽を飼うレベルから、何万羽も飼う専業の飼育家まで様々です。クッタナードは豊かな自然に恵まれた地域であり、劇中の両親が借金苦から自殺してしまった少年の悲劇は、地域全体の構造的な問題というよりは、個人的な不運であるようにも思われます。しかし、統計を見てみると、ケーララ州の農民の自殺の数は2014年の統計では全インドで7位という不名誉な記録を持っています。そして、ケーララだけでなくインド全体に言えることですが、不幸に見舞われた子どものためのセーフティネットが十分ではないということが分かります。
 5.物語の舞台②:シヴァカーシ
少年が事実上の人身売買で連れていかれた先は、作中では明示されていませんが、この場面では周りの人々がタミル語を話しており、これがお隣のタミルナードゥ州中部のシヴァカーシであることはほぼ間違いありません。シヴァカーシについては、『ミニ・ジャパンの子供たち』というタイトルのドキュメンタリー映画がつくられ、日本の映画祭でも上映されました。1990年に撮られたこの映画によれば、シヴァカーシは火薬産業の全インド的な中心で、全国のマッチの70%、花火の90%を生産しています。内陸の小さな町であるにも拘わらず、産業が盛んであることを称えて、インドの初代首相ジャワハルラール・ネルーが「ミニ・ジャパン」と呼んだそうです。
 しかし同時にシヴァカーシは世界でも最大級の児童労働(14歳以下)の集中地域として悪名を轟かせています。シヴァカーシで住民登録されている人口は7万人ちょっと、周辺地域からの通いも含め火薬産業に従事しているのは10万人ほど、最もひどい時期にはそのうちの半分近くが4歳から14歳の児童だったといいます。
 これらの子供たちは、ほとんどが低カースト、特にアウトカーストの困窮家庭の出身で、いくばくかの現金が親に払われるのと引き換えにシヴァカーシの工場に集められて集団生活を送り、一日10時間以上の単純労働に従事させられているといいます。学校��は通わせてもらえないケースがほとんどです。あるいは近郊の村から工場に通う子供たちも、毎日朝の3時に起こされて、周旋業者のバスに詰め込まれて通勤し、やはり10時間越えの労働をしています。恒常的な違法労働の状況があり、さらに一定の確率で起こる悲惨な爆発・火災事故で犠牲になるのも、多くは子供たちです。また、半数以上を占める女児には性的な搾取もあるといわれています。
 このような惨状は、人権監視機関やNGOによって、幾度となく告発されてきましたが、根本的な解決には至っていません。前に述べたような事故が起きて子供が犠牲になると、一時的な査察が入るものの、町の商工会議所、同業者組合、行政機関などが、火薬産業を担う特定のカーストによって占められているため、業界にとって身を切るような改革はなされてこなかったというのです。それでもここ数年で、法制度や取り締まりの強化によって、映画に登場したようなタコ部屋は減ってきたといいます。ただし、その代わりに子供に自宅で同等の作業をさせ、その責任を親に負わせるというスタイルの児童労働が増えているという報告もあります。
 6.『窓ぎわのトットちゃん』とインドにおける日本文学
両親の死によって学校に行く生活から引き離され、お祖父さんと一緒に鴨を追い、ある種の児童労働に従事するようになった少年に対し、仲良しの友達のお母さんが手を差し伸べようとしたものの、児童労働を強要していると非難されるのを恐れる友達のお父さんによってその道が絶たれ、最悪の境遇に陥ってしまうというのがこの作品のアイロニーです。その中で、唯一の救いは少年が文字を読み書きできるという点です。
 劇中に登場する『窓ぎわのトットちゃん』は1981年に日本で出版され、大ベストセラーとなり、世界の35言語に翻訳されたといいます。インドでは ヒンディー語、マラヤーラム語を含む9言語への翻訳出版が確認されており、もちろん英訳も流通しているはずです。マラヤーラム語版は1990年代に英語版からの重訳として初版が世に出て、それ以降15版を重ねているそうです。
 ご存知のように原著は、太平洋戦争開戦前夜の東京にあったトモエ学園という学校に入学した著者の黒柳徹子の幼少期の思い出、特に個性と創造性を重んじる同学園の教育について、童話のような語り口��描いたノンフィクションです。普通に考えると、これは教育についてなにがしか考えている大人のための読み物で、作中の少年が読んで面白いものなのかとも考えてしまいます。さらに、少年が憧れながらも拒まれてしまう村の小学校というのが、トットちゃんの中で描かれる自由な教育とは、ほぼ正反対のものであるというのもさらにアイロニーとしてあります。
 なぜこのシーンに『窓ぎわのトットちゃん』が登場したのか、少年はこの本を全部読み通したのか、そうならばこの本に対して何を思ったのか。実はこれが本作の最大の謎であるように思われます。
 7.ケーララ・クリスチャンの世界
ティンクから借りた『窓ぎわのトットちゃん』をクッタッパーイがクリスマスの飾りであるクレーシュ(creche)にそっと置くシーン、冒頭で「クリスマスが近づいている」と手紙でお爺ちゃんに訴えるナレーション、お爺ちゃんが竹を伐ってベツレヘムの星を作るエピソードなどから、クッタッパーイもティンクもどちらもがキリスト教徒であることが分かります。ただし二人の間には経済格差以外の隔たりもあるように思われます。
 ケーララ州はキリスト教徒の人口比率が高いことでも特異で、州人口の約19%がキリスト教徒で、5人に1人がキリスト教徒ということになります。クッタナードを含む州の中南部は、クリスチャン・ベルトとも呼ばれており、とりわけキリスト教色の強い地域です。ティンクの本名はトーマス・クルヴィッラといいますが、クルヴィッラという姓は「シリアン・クリスチャン」に多いものです。シリアン・クリスチャンというのは、伝説ではAD52年にイエスの十二使徒のひとり、聖トーマスがケーララに布教に来た折に改宗した人々の子孫ということになっています。比較的社会の上層部にいる人が多いのです。ティンクのお父さんは、おそらく地主であり、さらに先祖伝来の家をホームステイと称する高級民宿にして、外国人客を受け入れて商売をしている人であるようです。
 このお父さんは、息子のティンクがクッタッパーイと付き合うことに非常な嫌悪感を示します。ここから先は全くの推測でしかないのですが、クッタッパーイは、19世紀から20世紀にかけてやってきた米英系のプロテスタント・ミショナリーによって改宗した低カーストのヒンドゥー教徒の末裔である可能性があります。
 シリアン・クリスチャンと改宗後の歴史の浅いクリスチャンの間には圧倒的な社会階層の断絶があります。この二つの集団間では普通結婚は行われません。お爺さんは自分のことを「流浪の民」と言っていますが、おそらくお爺さんには決まった住所がないのだと思います。このせいでクッタッパーイは学校に行けないのです。
 8.チェーホフとケーララにおけるロシア趣味
最後に、この作品がストーリーラインを借りてきて翻案したといわれているチェーホフの短編について。原作の『ワーニカ』は日本語訳で簡単に読むことができます。中央公論社版ですと僅か4ページの掌小説です。発表されたのは1886年で、小説は同時代を舞台にしていると思われます。舞台はモスクワで、裕福な家の屋敷で働く9歳の見習い奉公人のワーニカが、家の人々が寝静まった夜中にこっそりと田舎の祖父にあてた手紙を書くという設定です。その手紙の中で、現在の少年が置かれている酷使と折檻の日々、それから少年が懐かしむ田舎の暮らしとが、明らかになっていくという構造です。小説のネタバレとなってしまって申し訳ないのですが、この短編の最後で、少年は手紙を投函するのですが、彼は手紙には宛先の住所というものがなければ届かないのを知らないし、切手が貼られていなければ郵送されないということも知らないというのが暗示されます。
 今日の映画『わな』では、少年の手紙がおじいちゃんに届くのか(劇中では何度か郵便配達人が登場しています)、大変に気になります。先に申し上げた『トットちゃん』の件と並んで答えがほしいところですが、こうしたエピソードに答えを提示しないまま終わるというのが、芸術映画の芸術映画たるところであるのでしょう。
 話は『ワーニカ』に戻りますが、ケーララに限らずインドではロシア語文学が大変に愛好されてきました。1947年の独立以降、ジャワハルラール・ネルー首相のもとで親ソ連的な外交政策がとられてきたことが一番の理由です。ロシア・ソ連文学のインド諸語への翻訳の最盛期は1980年代だったといいます。もちろん英訳本の流通も同時期に盛んだったはずです。その後1990年代に入り、ソ連崩壊とインドの自由主義経済政策への転換以降、ロシア語文学の出版は退潮を続け、現在に至っています。
 前に申し上げたように、1957年に共産党が州の政権を獲ったケーララでは、政治に引きずられる形でのロシア文学愛好が顕著で、州の共産党直営の出版社から、ロシア語文学のマラヤーラム語翻訳が継続的に刊行され続けました。特に愛好されてきたのは、ドストエフスキーやトルストイ、チェーホフ、ゴーリキーなどの19世紀後半から20世紀前半の作家たちで、おおざっぱに言えば日本の読書界でのロシア語文学愛好と相似しています。ケーララでは、左翼的な傾向を持つ人々の間でのロシアの影響は、さらに文学愛好を超えたところまで達していました。ロシア語起源の名前の採用です。例えば、男性のファーストネームとして「レーニン」というのは現在でも珍しいものではありません。クッタナードから内陸に入ったコーッタヤムという都市の近郊にはモスコーという名の村があります。2005年、この村を舞台にして、ロシア語起源の名前を持った人大集合というイベントが行われたりもしました。
 話が脇にずれましたが、このような背景を持つケーララで、メッセージを盛り込む器として、19世紀のロシア文学が用いられたというのは、すんなりと納得できることなのです。
 本日上映のこの作品、メッセージ自体は非常に明快であるため、周辺にまつわることをお話しました。
  『わな おじいちゃんへの手紙』資料集
 ■マラヤーラム語について―ドラヴィダ四言語の枝分かれについて
東京大学文学部人文社会系研究科、インド語インド文学研究室(http://www.l.u-tokyo.ac.jp/indlit/index.html)にて公開のPDF「南インド文学史年表」
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/indlit/tamil/data/nenpyo.pdf
 ■インドの出版事情
国立国会図書館:アジア情報室通報 第8巻第2号(2010年6月)
インドの出版事情と図書館―出張報告
https://rnavi.ndl.go.jp/asia/entry/bulletin8-2-1.php
インドのオーディット・ビューロー
http://www.auditbureau.org/index.html
 ■インドにおける日本文学の翻訳状況
P. A. George著  East Asian Literatures - An Interface with India
2006年、Northern Book Centre刊
 ■ジャヤラージ監督について
2017年9月公開予定の娯楽大作『Veeram』公式サイト
http://movieveeram.com/
監督の公式サイト(ただし更新停滞中)
http://www.jayaraj.com/index.html
 ■クッタナードとバックウォーターについて
The Greatbackwaters ケーララ州政府観光局による特設サイト
http://www.greatbackwaters.com/
Rahul K Sukumaran, Below zero - Traversing the agricultural heritage system of Kuttanad,  Archiprix Ahmedabad 2017サイトより、クッタナードの海抜ゼロメートル地帯の図解
http://www.archiprix.org/2017/qview/?id=3811
J. Tamizhkumaran, S.V.N. Rao, K. Natchimuthu, Nomadic duck rearing in and around Puducherry region - an explorative study 鴨飼育の実際について(タミルナードゥ州での事例)
https://www.researchgate.net/publication/299241691_Nomadic_duck_rearing_in_and_around_Puducherry_region_-_an_explorative_study
 ■農民の自殺について
2014年のインド全国の農民の自殺件数の統計、内務省の犯罪統計局公式サイト(http://ncrb.gov.in/)から
http://ncrb.nic.in/StatPublications/ADSI/ADSI2014/chapter-2A%20farmer%20suicides.pdf
 ケーララ州の農民の自殺についてのレポート、州政府経済統計部2009年のデータ
http://www.ecostat.kerala.gov.in/index.php/reports/109.html
※農民の自殺をテーマとした作品では、Peepli [Live](ヒンディー語、2010年)が有名
http://www.akpfilms.com/peeplilive/
 ■「ミニジャパン」シヴァカーシ市について
シヴァカーシ市の非公式ポータルサイト
http://www.kuttyjapan.com/
児童労働に関するレポートの一例
S. Dorairaj, Danger Zone, Frontline誌 Vol. 26 - Issue 18, 29 Sep. 11, 2009  http://www.frontline.in/static/html/fl2618/stories/20090911261803300.htm
Smitu Kothari, Sivakasi: Exploiting the young, India Today誌 January 15, 1983
http://indiatoday.intoday.in/story/sivakasi-houses-worlds-largest-concentration-of-child-labour-in-its-industrial-units/1/371283.html
 ■児童労働をテーマまたはモチーフにした映画作品
1.『スタンリーのお弁当箱』(Stanley Ka Dabba)、2011年、ヒンディー語
http://stanley-cinema.com/
2.『Kadhal Kondain』2003年、タミル語
3.『事件番号18/9』(Vazhakku Enn 18/9)、2012年、タミル語
4.『Kerala Cafe』2009年、マラヤーラム語
5.『ミニ・ジャパンの子供たち』(Kutty Japanin Kuzhandaigal)1990年、タミル語 
※シヴァカーシの火薬産業における児童労働を取材したドキュメンタリー
http://www.yidff.jp/library/loans/loans91.html
 ■ケーララ・クリスチャンの世界
K. C. Zacharia著  The Syrian Christians of Kerala 2006年 Orient Longman刊
川島耕司 インド・ケーララ州のキリスト教 その多様性とアラビア海交易
https://www.wako.ac.jp/organization/research/tozai/touzai_b04.html
 ■ケーララ州中部の村モスコーにロシア名前を持つ人々が集合したイベント
Stalin and Lenins reunite in India, BBC News South Asia 2005.11.01
http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/4374826.stm
To `Moscow,' with love, The Hindu 2005.10.23
http://www.thehindu.com/2005/10/23/stories/2005102311390400.htm
(了)
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kawaguchihide-blog · 7 years
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ポタラ・カレッジ(チベット仏教普及協会)入会・日々の密教修習
これまで、チベット仏教のことに関しましては、ポタラ・カレッジ(チベット仏教普及協会 http://www.potala.jp/ )さんに、個人的にも色々と(齋藤保高先生・ポタラカレッジ事務局長から)ご教授を折々に賜っておりましたことと、大阪での特別講習を直接何度か受講、東京での特別講習を通信受講させて頂いたりと致しておりました。 この度、定期講習を通信受講させて頂くこととなりました機縁におきまして、正式に正会員として入会させて頂きました。 本格的にこれから無上瑜伽タントラの修習を進めていく上で、実修と共に、更なる学び、理論補完が必要であると存じております。しっかりと努め励んで参りたいと存じます。 今後ともにどうぞ宜しくお願い申し上げます。川口英俊合掌 ・・ 日々の修習の記録・・ 毎日のお勤め・・ ・六座グル・ヨーガ(フルバージョン)2回(朝夕) ・ガンデン・ラギャマのグル・ヨーガ 1回 ・チッタマニターラ尊成就法     1回 都度のお勤め・・ ・甚深道たる上師供養儀軌のグル・ヨーガ    ・上師供養における供物の供養というもの    ・ポア(ポワ)観想成就法・三つの真髄の教え 〇六座グル・ヨーガ テクスト「トゥントゥク・ラメー・ネルジョン」(パンチェン・ラマ1世 ロサン・チューキ・ギェルツェン師造 ゲシェー・ソナム・ギャルツェン師監修・齋藤保高先生訳) 〇ガンデン・ラギャマのグル・ヨーガ テクスト「ガンデン・ラギャマ(宗祖ツォンカパ大師の七支分礼賛偈)、ミクツャマ(宗祖ツォンカパ大師の祈願偈)、ユンテン・シルキュルマ(ラムリムの修習偈)」 チベット仏教常用経軌集・チベット仏教普及協会・ポタラ・カレッジ監修 〇���ッタマニターラ尊成就法 テクスト「チッタマニ・ターラーの行法」(チベット仏教普及協会・ポタラ・カレッジ監修 試訳・ゲシェー・ソナム・ギャルツェン師・小野裕子氏 チベット語入力・山田比路美氏) 〇甚深道たる上師供養儀軌のグル・ヨーガ テクスト『上師供養儀軌「楽空無差別というもの』(パンチェン・ラマ4世 ロサン・チューキ・ギェルツェン大師造 ゲシェー・ソナム・ギャルツェン師・小野裕子氏訳 チベット仏教普及協会・ポタラ・カレッジ監修) 〇上師供養における供物の供養というもの テクスト『上師供養儀軌「楽空無差別というもの』(パンチェン・ラマ4世 ロサン・チューキ・ギェルツェン大師造 ゲシェー・ソナム・ギャルツェン師・小野裕子氏訳 チベット仏教普及協会・ポタラ・カレッジ監修) 〇ポア(ポワ)観想成就法・三つの真髄の教え テクスト『「歓喜の地・兜率天に至る階梯」と言われる「三つの真髄の教え」による観想の段階』註釈書(ダライ・ラマ2世 ゲンドゥン・ギャツォ大師註釈 マリア・リンチェン氏訳) ・・ オウム真理教の時代を郷愁(ノスタルジック)する若者が出るほどに、社会はジワジワとまた緩み始めているのかもしれない… オウム真理教があった時代を生きていた人が羨ましい http://anond.hatelabo.jp/20170520102940 「歯止め(戒律・規律・規範など)を失った社会においては、慈悲という大義名分と結びついた力は、常に暴走する危険をはらむ。」 参照・森雅秀先生「仏教における殺しと救い」 http://mmori.w3.kanazawa-u.ac.jp/works/article_pdf/3_48murdere&salvation.pdf 参照・「むすび ーチベット仏教哲学の意義」『チベット仏教哲学』松本史朗著(大蔵出版)p403-p417  チベット仏教というと、今日の日本では、その神秘的密教的側面のみを強調し、これを無批判に礼賛する傾向が認められる。このような傾向は、1960年代アメリカのヒッピー世代における『チベットの死者の書』の流行に端を発しているように思われる。1981年に『虹の階梯 チベット密教の瞑想修行』なる書物が平河出版社から刊行されたとき、筆者は、このような傾向がついに日本にも輸入されたと感じた。  チベット密教を無批判に礼賛する傾向は、おそらくは『虹の階梯』の著者の一人である中沢新一氏を一種の理論的リーダーとして、若者たちの間で、その後も益々強まっていったと思われるが、1989年に川崎信定氏によって『チベットの死者の書』の原典からの和訳が出版され、さらに1993年秋に「チベットの死者の書」と題するNHKの一連のテレビ放映がなされる頃になると、チベット密教ブームも一つのピークに達したといえるかもしれない。  このような一連の流れに対して、我が国のチベット仏教研究者の間から、批判がなされなかったというわけではない。筆者自身についていえば、すでに1984年に一般向けに書いた小論で、次のように述べたのである。  最後に一つ、ごく最近になってチベット仏教に関するじつに嘆かわしい誤解がふたたび蔓延しはじめたことをのべておこう。それはチベット仏教をまったく「密教」と規定し、ひたすらその神秘的側面を強調して、禅定技術を絶対視するものである。チベット仏教に密教的な部分があることは否定できない。それが後期インド仏教のありのままの姿でもあったからである。しかしチベット仏教全体を「密教」と規定するなら、それは完全な誤解である。チベット仏教とはまず第一に学問仏教であり、高度に知的な、学僧たちの仏教である。(「チベットの仏教」『歴史公論』105)  また、1989年にも、ほぼ同じ趣旨を、次のように論じたのである。  最近、西欧諸国ばかりではなく日本においても、チベット仏教を無批判に礼賛する傾向が一部に認められるようになったが、一言でいって、嘆かわしいことである。何となれば、このような傾向は、殆どの場合、チベット仏教の密教的側面のみを評価し、その禅定(瞑想)技術を絶対視するものであるが、密教と禅定の思想的基盤となる実在論(これを私は <如来蔵思想=dha(-)tu-va(-)da>とよぶが)こそ、ツォンカパが最も厳しく批判し、その生涯をかけて敵対した対象であったと思われるからである。(「ツォンカパとゲルク派」『チベット仏教』(岩波講座・東洋思想 第11巻))  筆者としては、これらの論述によって、チベット密教を無批判に礼賛する傾向に対して、なにがしかの警告を発したような気になっていたが、勿論、筆者の論述が実際的な効果をもたらす筈もなかった。  また、袴谷憲昭氏は、1988年の「偽仏教を廃す」と、1989年の「中沢新一批判 現代の摩訶衍」という論文で、中沢氏の仏教理解を批判したが、前者の原稿は、山折哲雄氏を編集顧問とする法蔵館の雑誌『仏教』から全面カットされるということにもなった。  さらに、1989年の川崎氏による『チベットの死者の書』の原典からの和訳に対する書評において、チベット仏教ゲルク派出身の学僧で、現大谷大学教授の白館戒雲(ツルティム・ケサン)氏は、『チベットの死者の書』、つまり、ニンマ派の埋蔵書(gter kha)である『中有における聴聞による解脱』Bar do thos grol、における仏教理解の誤りを指摘し、さらにこの書物は、 チベット仏教最大の宗派であるゲルク派では用いないものであるから、この書を『ニンマ派の死者の書』とでも呼ぶか、または、「チベットの死者の書」と呼ばないで欲しいと述べている。これは、チベット人学僧の誠実な学問的良心を感じさせる好論説であるが、その結論をなす部分において、極めて重要な指摘がなされているので、それを次に示しておこう。  私は本書の和訳によって、チベットに関心を持たれる日本の読者がチベット仏教の全てをニンマ派と同様のものと誤解されないことを切に期待する。否むしろそれ以上に本書によってニンマ派の非仏教性を理解し、本来の仏教の在り方を考えて頂くための一助にして下さることを念願する。というのも私が尊敬して止まない日本及び仏教界に於いても、しっかりとした学問研究を軽視し、俗受けする安易な思想でこと足れりとする風潮が相当根強くはびこってきており、それが延いては様々なまやかしの宗教の蔓延を温存し助長する一因となっているように思えるからである。(ツルティム・ケサン「書評『チベットの死者の書』」『仏教セミナー』51号)  また、我が国のチベット学を代表する山口瑞鳳博士は、早くから中沢氏に対する批判的見解を示されていたが、1993年秋の「チベットの死者の書」のNHK放映の翌年には、「『チベットの死者の書』は仏典ではない」という論説を『毎日新聞』に、さらに、「中沢新一氏とNHKが持ち上げる『チベットの死者の書』はエセ仏典」と題する論説を『諸君』に発表された。前者には、次のような説明が見られる。  この書は学界では紛れもない偽書として知られる。剽窃、偽作したものをあらかじめ地中などに埋め、古代に秘匿された宝物であると称して人前で取り出して見せる「埋蔵書」の一つであり、チベット人自身が仏典と考えていない。  しかし、この論説も、上述の袴谷氏の『仏教』への原稿と同様に、他の大新聞からは掲載を拒否されたとのことである。  このようにして、チベット密教礼讃の安易な風潮に対するチベット仏教学者からの批判は、我が国のマス・メディアによって、殆どの場合は無視され、またある場合には、拒否された。それ故、大多数の人々は、日本のチベット学を代表する学者が『チベットの死者の書』は仏典ではないと論じていることも、また、中沢氏の推賞するゾクチェン教義を奉ずるニンマ派(古派)が、チベットでは、非正統派と見なされてきたことも全く知る由もなく、ただテレビで放映されるチベット人の五体投地の姿や、怪異なチベット密教絵画を見ては、<神秘の国チベット><密教の国チベット>の像を増幅させていったのである。かくして、チベット密教の瞑想修行を無批判に礼讃する危険な傾向は、ついには極端にまで押し進められたように思われる。  筆者より見れば、チベット仏教の本質は、その知的学問的伝統、すなわち、その仏教哲学にある。では、そのチベット仏教哲学の本質とは何か。また、それを学ぶことに如何なる意味があるのであろうか。  チベット仏教哲学の本質を、「空の思想」、あるいは、中観思想として説明することは、いかなる学者からも承認を得られるであろう。すなわち、八世紀の後半にチベットに入り、チベット仏教哲学の基礎を築いたシャーンタラクシタとカマラシーラ以来、チベットでは、ナーガールジュナ(2-3世紀)の『根本中頌』という論書にもとづく中観派(Ma(-)dhyamika)の「空の思想」、つまり、「一切の法(dharma 性質)は空であって、実在しない」と説く中観思想というものが、仏教哲学諸学派の思想の中で最高のものと考えられてきたのである。  大乗仏教の中で、この中観派という哲学学派と対立するのが、瑜伽行派(Yoga(-)ca(-)ra)、または、唯識派であり、彼等は、中観派の主張する「一切法の空」を<悪取空>(悪く理解された空性)として斥け、「認識(識)のみは実在する」という「有の思想」を説いた。  しかし、中観と唯識の対立において大乗仏教の思想的展開を把握しようとするのは、実は正しくない。というのも、唯識思想の形成には、あるいは正確にいえば、瑜伽行派の思想の根底には、如来蔵思想というものが深く関与していたからである。  如来蔵思想とは、一般の読者には余り耳慣れない言葉かもしれないが、かつてはむしろ仏性思想と呼ばれていたものである。この如来蔵思想とは、大乗経典の一つ『如来蔵経』の「一切衆生は、如来蔵(tatha(-)gatagarbha 如来の容れもの)である」という説と、同じく『涅槃経』の「一切衆生は、仏性をもつ」という説にもとづく思想と言うことができる。『涅槃経』の有名な「一切衆生は、仏性をもつ」という経文は、<一切の生き物は、仏に成ることができる>という意味に解されたり、果ては、仏教の平等思想の宣言だとまで解釈されることがあるが、簡単にそのように考えることのできない問題を有している。というのも、『涅槃経』に多く現れる「一切衆生は、仏性(buddhadha(-)tu)をもつ」という経文の後には、必ず「一闡提(いっせんだい、icchantika)を除く」という語が付加されていて、<「一闡提(いっせんだい)」と呼ばれるある種の人々は、永久に仏に成ることができない>という差別的な立場が明記されているからである。  筆者は、一般的通念とは逆に、如来蔵思想を差別思想であると考えているが、その背後にはインドの土着思想であるヒンドゥー教というものがあると見ている。すなわち、仏教の開祖である釈尊は「縁起」を説いた。つまり<仏教>とは縁起説である、というのが筆者の理解であるが、この縁起説とは、ヒンドゥー教の「アートマン」(我)<霊魂>の思想を根底から否定したものなのである。従って、<仏教>としての縁起説からは、「無我・無常」の説が導出され、これが仏教の旗印ともなる。しかるに、これに対して、「我・常」ということを積極的に主張するのが、如来蔵思想であり、『涅槃経』には「仏陀とは、我(アートマン)を意味する。しかるに、その我は永遠不変の実在である」と明記されているのである。従って、如来蔵思想の「我の思想」、「有の思想」が仏教の縁起説・無我説と全く逆の立場であることは明らかであり、この意味で筆者は、<如来蔵思想は仏教(縁起説)ではない>と論じるのである。 瑜伽行派の唯識説というものも、この如来蔵思想というものと全く無縁なのではない。というのも、実は、唯識思想を説いた瑜伽行派の人々は、同時にまた、如来蔵思想をも説いていたからである。すると、唯識思想と如来蔵思想との差異はどこにあり、共通性はどこにあるかということが、当然問題になる。これについては、筆者は、如来蔵思想と唯識思想に共通する根本論理として、<dha(-)tu-va(-)da>(基体説)というものを想定した。<dha(-)tu-va(-)da>とは、現象的なあれこれの存在は、「無常」であり、「無我」であるが、それらを生み出す原因となる基体(dha(-)tu=場)それ自体は、「常」であり、「我」であり、実在であると説くものである。  しかも筆者は、この<dha(-)tu-va(-)da>というものを如来蔵思想の根本論理と把えるだけでなく、仏教以前からあるヒ ンドゥー教の根本論理であり、これを否定したのが<仏教>の縁起説であると考えるのである。このように見れば、如来蔵思想と唯識思想という<dha(-)tu-va(-)da>、あるいは、「有の思想」が、ナーガールジュナの説く 「空の思想」に対するアンチテーゼとして4・5世紀のヒンドゥー教復古主義的なグプタ王朝期のインド社会に歓迎されたことの理由が、理解できるであろう。つまり、<dha(-)tu-va(-)da>とは、ヒンドゥー教の「アートマン」(我)の 思想の根本論理なのであり、この論理にもとづく如来蔵思想とは、言うなれば<仏教内のヒンドゥー教>に他ならないのである。  インドにおける仏教思想の歴史的発展とは、極論すれば、仏教がヒンドゥー教に吸収される過程、あるいは、仏教がヒンドゥー教化する過程に他ならない。原始仏教・部派仏教(小乗仏教)・大乗仏教・密教という変遷をたどってみると、ここに基本的には、<仏教からヒンドゥー教へ>という変化、すなわち、ヒンドゥー教の「有」と「我」の思想の否定として成立した 仏教が、次第にその「有」と「我」の思想に接近し、同化され、ついには吸収されてしまう過程が認められる。  原始仏教の「法無論」にもとづく縁起説が、部派仏教のアビダルマ哲学において「法有論」として解釈され、それが大乗仏教の『般若経』の「法無論」「法空論」によって否定されて、再び原始仏教の正しい立場が回復されたというのは、基本的には、正しい理解といえるが、しかしこのことから、<大乗仏教はすべて「空の思想」を説く>という帰結を導こうとするなら、これ以上の誤解もないであろう。  大乗仏教というものが、ヒンドゥー教の強い影響のもとに成立したと見るのは、今日では学界の定説とも言ってよいものである。大量の大乗経典を創作したのは、仏教的教養をもつもの、つまり、出家者であったかもしれないが、経典の読者対象としては、在家信者が強く意識されている。しかるに、注意すべきことは、インドにおける在家信者とは基本的にはヒンドゥー教徒であるということである。彼等は、仏教の出家者のみに布施するわけではなく、ジャイナ教でも、他の宗派でも、区別することなく、出家者には布施して、死後の生天を求め、日常生活においてはヒンドゥー教の生活規範に従って暮らすヒンドゥー教徒であった。従って、このような在家信者を読者、または聴衆として強く意識した大乗経典に、ヒンドゥー教からの影響が見られるということは、当然である。これを端的に示すものとして、大乗経典における呪文、呪術の受容ということがある。  <釈尊は呪術を禁じた>という伝承は多くの律蔵に認められ、呪術否定が原始仏教の基本的な立場だと思われるが、「空の思想」を説くとされる大乗経典『般若経』の末尾には、「ぎゃ諦ぎゃ諦」(gate gate)云々という呪文があり、これを『般若心経』自体では「呪」(mantra)と呼んでいる。ここで「呪」と訳された「マントラ」という語は、一般には「真言」と漢訳されることが多いが、本来はヒンドゥー教最古の宗教文献であるヴェーダ聖典本集の聖句を意味していたのである。つまり、『般若心経』は、「五蘊皆空」とか「色即是空」とかの経文においては、「一切法は空である」という「空の思想」を説いているが、最も重要なその末尾の部分において、ヒンドゥー経の「マントラ」という呪術世界に全面的に没入しているのである。  また、『般若経』が「空の思想」を説き、それが大乗仏教の思想的基盤となったといわれるが、しかし『般若経』の「空」が純粋に否定的なものでありえたのは、ほんの一瞬のようなわずかな期間にすぎない。すぐに『般若経』自身が「真如」とか「法性」とか「無分別」という肯定的なものを説きだすのである。しかるに、私見によれば、これらの三つの言葉は、単一の実在する基体、つまり、<dha(-)tu>を意味するものにほかならない。しかも、大乗仏教がさらに進展すると、ヒンドゥー教のアートマン論を積極的に公言するかのような主張が現れてくる。それが先に述べた如来蔵思想である。  かくして、大乗仏教の思想というものが、基本的には、「空から有へ」と変化する非仏教化、ヒンドゥー教化の道をたどったことが、示されたであろう。そして、最後に行き着いた先が、全く<ヒンドゥー教そのもの>と言っても過言ではない密教だったのである。  釈尊の教えである縁起説を純粋に知的なものと考える筆者より見れば、<釈尊が呪術を否定した>という伝承は、仏教の知性主義的性格を語るものとして、本質的な意義をもっている。しかるに大乗仏教は、上述したように、呪文・呪術を認め、<雑密>と呼ばれる種々の陀羅尼経典を制作した。また、ヒンドゥー教の様々な神々をも大乗経典の中に自由に登場させるようになった。それ故、いかなる大乗経典といえども、ヒンドゥー教の呪術的世界から切り離されてはいない。例を『法華経』にとるならば、羅什によって漢訳された『妙法蓮華経』の第26品は、多くの呪文を含む「陀羅尼品」であり、第25品は、観音菩薩に対する信仰を説く「観世音菩薩普門品」である。観音の名を念ずるならば、諸の現実的な苦から即時に解脱すると説く観音信仰が、呪術的なものであることは明らかであろう。  かくして、仏教の呪術化、ヒンドゥー教化が進められ、その最後に行き着いた先が、七世紀における 『大日経』『金剛頂経』の編纂によって端的に示される純粋な密教、所謂<純密>の成立だったのである。従って、密教が<仏教のヒンドゥー教化>の極にあるものであることは明らかであるが、思想的に見ても、密教が「アートマン」(我)の哲学にもとづいていることを、次に指摘しておきたい。  たとえば、密教の根本聖典である『大日経』には、  内心妙白蓮、胎蔵正均等・・・・・従此華台中、大日勝尊現。(大正18,六下)  とあるが、これは、「内心妙白蓮」、つまり、白蓮のような形状をもつ心臓--これを密教では「心蓮」と称する--に、大日如来が現れる、存在する、と説くものに他ならない。しかるに、インドでは、古来<アートマンは心臓の中に存在する>と 考えられているから、ここで心臓内の如来とは、アートマンを指すものと考えられる。かくして、密教の思想的基盤が、無我説ではなく我説、つまり、アートマン論にあることが理解されたであろう。  我か無我かというのは、いうまでもなく、根本的な対立である。仏教を無我説と見なすならば、当然のこととして、我説は仏���ではないということになる。チベット仏教哲学の本質は、中観派の「空の思想」にあるが、この「空の思想」を正確に学ぶことによって、我々は、我説と無我説の対立、特に、仏教内部における我説(如来蔵思想)と無我説(中観思想)の根本的対立を理解できるようになるのである。ここに、チベット仏教哲学を学ぶ最大の意義がある。  以上の所論に対して、次のような反論があるかもしれない。<仏教が無我説であり、ヒンドゥー教がアートマンを認める我説であることは、昔から知られていることであり、特にチベット仏教哲学の意義として、とりたてて言うほどのことではない> と。  しかし、問題は、むしろ仏教内部における我説(如来蔵思想)と無我説(中観思想)の対立にあるのであり、重要なことは、この対立が、極論すれば、チベット仏教を学ぶことによってしか明らかにならないということなのである。その理由を説明するためには、チベット仏教と中国仏教、または、朝鮮・日本をも含めた中国系仏教の思想的相違について、説明しなければならない。すなわち、結論より言えば、インド中観派の「空の思想」は、厳密な意味では、中国には正確に移入されなかったのである。換言すれば、中国系の仏教には「空の思想」の正確な理解は存在しなかったということである。  ナーガールジュナの『根本中頌』は、確かに青目の注釈を伴った形で、羅什によって、五世紀初頭に、『中論』として漢訳され、この『中論』と『百論』『十二門論』の思想を研究する人々が三論宗という有力な学派を形成し、彼等がいわば、中国における中観思想、「空の思想」の継承者となったのである。しかるに、彼等三論宗の人々の「空」の理解は、根本的な誤解を含んでおり、そのために、インド中観派の「空の思想」は、中国には正確に伝わらなかったのである。  ではその誤解とは何か。これについては、二点を指摘できる。第一は、彼らの「空」理解が、根本的に老荘思想の影響を受けていたという点であり、第二は、彼らが如来蔵思想という「有」の思想にもとづいて、「空」を解釈したということである。これらの二点は、決して別個なものではなく、むしろ第一点が第二点の根拠になっていると見ることができる。すなわち、老荘思想の構造とは、「道」または「理」という単一の実在が根源になって万物が生じるという発生論的一元論であり、構造的には、如来蔵思想の根本論理をなす<dha(-)tu-va(-)da>と完全に一致している。従って、老荘思想の影響から最後まで脱却できなかった大部分の中国仏教思想家は、如来蔵思想というものについて批判的視点をもつことができず、容易にこれを受け入れたのである。それ故、驚くべきことに、インド中観派の「空の思想」の継承者たるべき三論宗の大成者とされる吉蔵(549-623)でさえも、如来蔵思想を積極的に容認し、<dha(-)tu-va(-)da>という「有の思想」を説いたのである。  従って、思想的に見れば、中国系の仏教においては、如来蔵思想という「有」と「我」の思想が主流をなし、チベット仏教では、中観思想という「空」と「無我」の思想が中心をなしてきたと言うことができる。  ところで、上述したように、何よりも重要なことは、仏教内部における我説(如来蔵思想)と無我説(中観思想)との対立を理解することである。しかるに、我々は、中国仏教の伝統に従っているかぎり、両者の対立・ 矛盾を理解することは、不可能である。何故なら、先に説明したように、中国仏教には、厳密な意味では、中観思想というものは存在しなかったからである。従ってここに、我が国ではこれまで全く知られることのなかったチベット仏教哲学の中観思想、つまり、「空の思想」を正しく学ぶ必要があるのである。  我が国では、ごく一般的な説明として、「仏教とは<すべての人が仏性をもつ>という教えである」というような言い方がなされることが多い。この事実は、日本仏教というものが如来蔵思想を主流とする中国仏教の完全な影響下にあるということ、及び、それに対して我が国では、些かの疑念も批判も見られなかったということを示しているであろう。従って、1986年に、日本印度学仏教学会において、筆者が、「如来蔵思想は仏教にあらず」という発表をなし、 また同じタイトルの論文を発表したとき、日本の仏教学会に多少のインパクトをあたえたかもしれない。しかるに、筆者の如来蔵思想批判、及び、袴谷憲昭氏の本覚思想批判は、やはりチベット仏教哲学に対する研究なくしては、生じなかったように思われる。  ここに、一つ注目すべき事実がある。それは、如来蔵思想に対して全く批判的ではない日本の仏教学会において、山口瑞鳳博士だけが極めて早い時点から、如来蔵思想に対して批判的な視点を有し、それを明確にしておいたという事実である。すなわち、山口博士は、すでに1973年の時点で、「サムイェーの宗論」の意義について、「筆者は、中国仏教に於ける如来蔵思想を、根本的に批判したものと見る」と明言されていたのである。筆者は、当時の博士が「サムイェーの宗論」の研究に専念しておられたのを知っているが、その研究が博士に如来蔵思想に対する批判的視点を明確にする機会をもたらしたのではないかと推察される。  その後、1984年に山口博士が発表された「チベット学と仏教」では、如来蔵思想と中観思想が明確に区別され、 道元の思想が後者に一致するものとして位置づけられているが、この理解が袴谷氏の1986年の論文「差別事象を生み出した思想的背景に関する私見」に継承され、氏の本覚思想批判の中心的な原理となったことは、確実である。  このように見ると、「サムイェーの宗論」に関する思想的研究が、如来蔵思想批判や本覚思想批判を生み出す重要な契機になったことが、知られるのである。しかるに、「サムイェーの宗論」とは、チベット仏教にとって、いわば<本質的な事件> だったのである。つまり、それは八世紀末のチベットにとって、その後のチベット仏教の方向を決めるという意味で決定的な意義をもっていただけではない。チベット人は絶えず繰り返し、この思想的な<事件>の意味を考え続けたのである。「一切法は空である」と考えるならば、それは執着なのであろうか。すべての執着を否定するには、何も考えなければよいのであろうか。しかし、何も考えないのであれば、気絶している状態や石ころなどと変わりないのではなかろうか。もしそうならば、人が生きる必要もないのではないか。チベット人仏教徒は絶えずこの問題を考え続け、そして最終的には、<「一切法は空である」という思考は、我執をほろぼす良い分別であるから、それまでも否定してはならない>というツォンカパの思想を生み出したのである。ツォンカパにとって、「サムイェーの宗論」の問題が決定的なものであったことは、ツォンカパが自らの離辺中観説批判を摩訶衍説に対する批判と位置づけていたことによって、示されている。  かくして、チベット仏教哲学を学ぶ意義は、極論すれば、空思想による如来蔵思想批判を基調とする「サムイェーの宗論」と、それを明確に思想化したツォンカパの「空の哲学」を学ぶことによって、<仏教>に関する正しい理解を追求するということに尽きているであろう。  本書は、如来蔵思想にもとづくチベット密教ではなく、空思想によるチベット仏教哲学の真義を明らかにするために著されたものである。 ・・以上まで。詳しい註の内容につきましては、必ず本文をご確認されて下さいませ。 ・・ 甚深道たる上師供養儀軌福田 口自在たる慧蔵にて至善なる勝者流の、教誨の真髄を持す比類なき御方、無数なる勝者の海を凝集せし御身に祈願せん。最上と共通の悉地を給わんことを。ダライ・ラマ14世ガクワン・ロサン・テンジン・ギャツォ猊下に最敬礼申し上げます。 「偉大なる第十四世の長寿を祈願する如意自在王〔経〕」 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/8f49efb18934ec00993d52e91c603327 ・・ ダライ・ラマ法王 東京来日法話『縁起讃・修習次第(中篇)・聖観自在菩薩の許可灌頂』 2017年11月11日(土)~13日(月) http://www.tibethouse.jp/event/2017/teaching171111.html 2015年御来日の際には、聖観自在菩薩様許可灌頂が、より本格的な十一面千手観音菩薩様とカサルパニ観音菩薩様の灌頂へと変更になりましたね。誠に尊く有り難いことでございました。 石濱裕美子先生ブログ参照 http://shirayuki.blog51.fc2.com/blog-entry-746.html ・・ お坊さんネットQ&Aサービス・hasunoha http://hasunoha.jp/ 「hasunoha」拙回答まとめ集 http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/ 書籍化『hasunoha お坊さんお悩み相談室』発売中! http://hasunoha.jp/docs/pr_0002 hasunoha書籍化・印税収益の一部・東日本大震災・被災者支援に寄附 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/89551fac04beefe15a197270ba215a78 ・・ 「チッタマニターラ尊成就法の実践における御供えについて」2017.1.16 http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52232371.html 「チッタマニターラ尊灌頂後のチベット密教の実修について」2016.12.11 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/33da8a793a1f6a08cd586e55de609e68 「チッタマニターラ尊灌頂におけるダライ・ラマ法王猊下様との問答内容について」 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/d814a5bc49ee9ffef9a7f8cf8cf73516 11/11-13「ダライ・ラマ法王猊下様・チッタマニターラ尊灌頂ご報告」 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/3101a23d05b1d35a25b1014052e6a728 ダライ・ラマ法王猊下様御来日/拙予習経過まとめ(2016.11.9) http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/792738f8de7c80c7d85ef6d7d1a2ac74 ダライ・ラマ法王14世日本公式サイト | 法王庁 http://www.dalailamajapanese.com/ 公式フェイスブック https://www.facebook.com/dalailamajapanese/ ダライ・ラマ法王猊下様御加持成就の「金剛杵と金剛鈴」 http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52211094.html 2015.4.17「ダライ・ラマ法王猊下様のこと・・」 http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52189915.html 2015.4.13「ダライ・ラマ法王14世来日法話 般若心経・菩提心の解説・観音菩薩の許可灌頂」ご報告 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/3ac42f140aef2fb85956f1fcd45e1b13 2014.4.14 ダライ・ラマ法王猊下様によるチベット密教・胎蔵曼荼羅灌頂・ご報告 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/bc5c08f69d78bdda5c6cca62d17d87df 2013.11.19「空と縁起」に関する拙質問に対してのダライ・ラマ法王猊下様の御回答内容について http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/710b99c74854aebc871a6f75e28dde12 ・・ 「勝義方便メモ No.12」 https://togetter.com/li/1073026 ・・ 3/11東日本大震災七回忌 3/9-10未来の住職塾卒業式・フォーラム 3/10ポタラ・カレッジ訪問 http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52235550.html 『未来の住職塾』受講を迷っているあなたへ!!! http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/5c578446835d9bc715a4fd053c352e0d 未来の住職塾・本科・第五期・受講感想(2017.1.24) http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/4c6afe0858cc7be1a89652de98f15062 ・・ 「大阪春秋」最新166号・春号・特集「夕陽のまち おおさか」紹介・日想観と往生院 http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/70160379.html 『般若心経における「空」について』 平成28年8月・お盆施餓鬼法要配布資料 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/93cd51b49c2264eb00fcc00a904a3392 「Amazonお坊さん便」の抱える問題について/平成28年3月・春彼岸施餓鬼法要・配布資料 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/d339cd6c14be7db57860f241caf4984d 「仏教と戦争 ~ 戦後70年と仏教 ~」平成27年8月・お盆施餓鬼法要・配布資料 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/c479dc1d59328df2708ba23499b4d92b 「仏教の基本的な理解のために」平成27年3月・春彼岸施餓鬼法要・配布資料 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/55ced9a1512c6ef6e095caa4fbe9eb8c 「死後について」平成26年9月・秋彼岸墓前回向・配布資料 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/46df9bb57071ef4f2b56161423dba66f 「お葬式について」平成26年8月・お盆施餓鬼法要・配布資料 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/0816eb5e788bf5ecfc8eed8e901b1a76 ・・ 悟りへの因縁・修習・階梯について http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/cd86e06b26f70bfa72e8933112ee6e98 以下は、続きとしての定型記事一覧となります。 http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/d60b9c69361758c6b7de52bd7f5c863b ご興味がございましたら、各それぞれご覧下さいましたら幸いに存じます。
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kokowa-blog1 · 8 years
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朝9時過ぎから1時間ほど、高山の街を散策の後~ お次は、白川郷へ!
相変わらず、よく降ってます雪
そうよ! 今日は、ちゃんと屋根に雪が乗っている合掌造りのお家が撮れるじゃないの!
でもね!でもね! 今日は、俯瞰で撮れる場所には行けないの…。
それに…一面真っ白をどう撮ったらいいのか…よく解ってないのよ…。
あーでもない、こーでもない。 なんて思っているうちに、到着! 駐車場から大の苦手の吊り橋を渡って…白川郷の散策へ!
20170221-雪の白川郷-庄川
20170221-雪の白川郷-庄川
  一番の有名どころ~「国指定重要文化財 和田家」にまず向かいます。 ��中で、「あっ!これ面白い~」と思うと、足を止めて… 雪が深いもの気にせず、座り込んでパシャ!パシャ!📷
20170221-雪の白川郷
  「国指定重要文化財 和田家」に到着! 中には入らず、周りをパシャパシャ!📷
20170221-雪の白川郷
さてさて、お次は「長瀬家」へ。 とても大きくて立派なお屋敷~平成13年に80年ぶりに行われた屋根の葺き替えの模様がTVで放映され、話題になったそうですが… この2軒は、メインどころなのでゆっくり見たり写真撮ったりには、不向きだと聞いていたので… のんびりゆっくりお家の中を拝見できる「神田家」へ。 中に入ってすぐに囲炉裏が据えられて、とても趣のある風情。 時間があったら、ずっとここに座って火を眺めていたくなる…そんな感じです。
20170221-雪の白川郷・神田家
  囲炉裏の間の横にある和室で、のんびりお茶を頂いて、窓を眺める。 「ほぉ~氷柱が風に吹かれて面白い形になっている!」(心の声) もう窓の外の景色に夢中です。
20170221-雪の白川郷・神田家
どんな風に撮ってみようか? そんな事ばかり考えて、パシャパシャ!やってたもんですから… 気が付けば、そろそろバスに戻らないといけない時間に!
2階もいっぱい見られる展示もあったのに…見ずに終わってしまった~
あぁ~もうちょっと時間がほしかったぁ~ そう思いながら駐車場に向かう途中もちょこっとパシャパシャ!📷
20170221-雪の白川郷・神田家外観
おぉ~何とか間に合った!と思いながら、吊り橋のたもとに到着したら… 私の3人ほど前の方が、勢いよくステーン!と、こけられて仰向けで倒れてしばらく立てません。 みな「大丈夫ですか?」と声をかけるも、声も出ない様子で倒れたままです。 みな、助け起こそうとすれば諸共倒れてしまいそうなので、声をかけることぐらいしか出来ません。 しばらくしてお連れの方のてを借りて、やっと立って歩き始められました。 「よかった~」と、ホッはしたもののバスの集合時間が迫っています! 吊り橋が、苦手なんて言ってられません! 一歩一歩気を付けながらも、大急ぎでバスに向かって急ぎ足! 何とかギリギリ集合時間に間に合いました~
名残惜しいですが、後は途中のドライブインで昼食を食べ、一路バスは金沢駅へ~
続きは、また後日に。。。
下記、フォトギャラリーは画像をクリックすると大きなサイズのスライダーでご覧いただけます。
20170221-雪の白川郷
20170221-雪の白川郷
20170221-雪の白川郷・神田家
20170221-雪の白川郷・神田家
20170221-雪の白川郷
20170221-雪の白川郷・神田家
20170221-雪の白川郷
20170221-雪の白川郷・神田家外観
20170221-雪の白川郷
20170221-雪の白川郷・神田家
20170221-雪の白川郷
20170221-雪の白川郷-庄川
20170221-雪の白川郷-庄川
20170221-雪の白川郷
  2日目高山から移動しての白川郷 高校の修学旅行の時、夏には来たはずなんだけど…うろ覚え(;^_^A たぶん、その頃はこの風景の良さがまだ分かったなかったんだろうなぁ~ 雪と氷の世界って、面白い写真が撮れて楽しい♪また来よう! 2017.02.20~21 北陸路 雪の旅3 白川郷編 朝9時過ぎから1時間ほど、高山の街を散策の後~ お次は、白川郷へ! 相変わらず、よく降ってます雪 そうよ! 今日は、ちゃんと屋根に雪が乗っている合掌造りのお家が撮れるじゃないの! でもね!でもね! 今日は、俯瞰で撮れる場所には行けないの…。 それに…一面真っ白をどう撮ったらいいのか…よく解ってないのよ…。 あーでもない、こーでもない。 なんて思っているうちに、到着! 駐車場から大の苦手の吊り橋を渡って…白川郷の散策へ! 一番の有名どころ~「国指定重要文化財 和田家」にまず向かいます。 途中で、「あっ!これ面白い~」と思うと、足を止めて… 雪が深いもの気にせず、座り込んでパシャ!パシャ!📷 「国指定重要文化財 和田家」に到着!
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chibiutsubo · 3 years
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#おでかけ #白川郷
柿の木と合掌造り。ススキもそうだけど、秋の風景と白川郷の雰囲気って親和性高いと思うのです。農村の秋の風景が好きだからかな。実りの秋と、これから冬に向かっていく少しの寂しさが入り混じったような風景が好きです。
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白川郷の中にあるお寺ももれなく茅葺きです。明善寺の鐘楼門。
瓦屋根より茅葺きだとさらにボリュームがあるので、頭でっかちに見えて何だかかわいい。
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ところで白川郷の集落の中には防火用でしょうか、水路がたくさん張り巡らされています。
何か動いた気がして覗き込むと、丸々としたニジマスがたくさん泳いでいました。じゅるり。多分食用ではないんだろうけど……じゅるり。
奥飛騨の宿に泊まると、ニジマスのお造りが出てくることが多いので、私の中ではすっかり美味しい食材です。食材が無防備に泳いでる〜(実際は養殖じゃないと寄生虫がいて生では食べられないけど)
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