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#大河原町単独では初となる
ashi-yuri · 1 month
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スイスで見た博物館・美術館 備忘録
栄華で罪深い過去と共に。
いろんなヨーロッパ絵画や歴史的史料を見るなかで、少しだけヨーロッパやスイスのイメージが具体的になってよかったな。
ぜんぶ素人の適当な感想なので、気軽な旅行気分で流し読みしていただければ幸いです。
ラ・ショー・ドゥ・フォン
時計博物館
Lorelei and the Laser Eyesに出てきそうな大きく複雑で謎めいた時計がたくさん見られて楽しかった。歴史的な展示もされていて、最初は日時計・砂時計から始まるのだけれど、最後正確性を求めるうちに、メカメカしい原子時計までいくのが面白かった。
時を、航路を、労働を、計り刻む合理性の象徴としての時計。
写真は複雑なアナログ時計と精密な原子時計。
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ヌーシャテル
美術・歴史博物館
地域のちょっとした歴史資料館見るのが好きなので。トラベルパスという共通観光チケットがあれば無料で見られるのも気軽でよい。(多くの博物館・美術館も同様)
小規模だけれど、全体的にまじめに作られていて好印象。精巧な自動人形が見られたのも楽しかった。緻密な絵を描いてくれる!
建物も立派。スイスは町中に豪華で立派で石造りの重い建物がずっとのこっている。
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「植民地主義者の銅像をどうしますか?私たちは公共の場で何を、どのように覚えておきたいのでしょうか?」
印象的だったのは、地域の名士の銅像をどうすべきかという展示。ヌーシャテル中心部に立っている町の発展に寄与した名士は、実は奴隷貿易や三角貿易で富を得た人物であり、現代において彼を称える銅像が町にあるのは是か非か、市民はどう考えるのかという展示。地域の歴史紹介や美術家や歴史家など専門家のオピニオンビデオ、市民への公開アンケートなどを用いて多角的に議論の素材を提供する。正解はないけど、とりあえずみんなで過去を踏まえて考えて議論して、今後決めていこうというスタンス。
過去の他地域への搾取とそこから得た富・美を現在どう扱うべきかというテーマは、このちいさな地域の郷土資料館をはじめ、後述するようにほかの美術館当でも見られて、スイスやヨーロッパ全体での時流でもあるのかもしれない。
ベルン
パウル・クレー・センター
クレーの作品は今まで散発的に見たことあるだけでそんなに興味なかったのだけれど、作品をまとめて見られて、なんとなくよさがわかってよかった。作品保護の観点から、展示点数は規模のわりに少なめ。
限られた二次元の色と線という手法でいかに現実を描きうるかという自由で多様な実験みたいな作品が楽しい。絵単体というより、そのいろんな試みが自分には興味深かった。
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晩年の、勢いを増すナチス・ドイツの勢力から逃れて故郷ベルンに戻ったのち、なぜか線と色に迷いが消え、寡黙で内省的で象徴性を増していくなぞめいた作品群が個人的には好みだった。
ローザンヌ
リュミエーヌ宮・自然博物館
たまたま休憩に立ち寄った立派な旧宮殿内に、無料で市民開放されている博物館があったので。
おおきなマンモスの化石があった!ほかにもたくさんの剥製(絶滅種も含む)や鉱物・化石が展示されていて、時間なくてゆっくり見て回れなかったけれど、思いがけず充実した展示があり楽しかった。ここも建物が古くて立派。
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チューリッヒ
チューリッヒ美術館
中世から現代美術までいろいろなヨーロッパの美術作品がたくさん集まっている。自分の精神は近代で止まったままなので、いろいろな近代絵画が間近で見られてうれしかった。ほかの美術館等と違いトラベルパスは対象外で、別途入館料が必要なので要���意。
マグリットやキリコやフランシス・ベーコンの作品が近くで見られる!やった!!
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ムンクのこの絵も、線と色合いの構成がしっかりしたふつうの風景画だけれど、見てるとつらくなってくるような感じがあってよかった。
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現代美術
バングラデシュ・ダッカ出身の非営利コレクティブが作ったインスタレーションがよかった。少しだけダッカという地域と縁があったので。
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急速な経済発展と社会の変化、押し寄せるたくさんの海外資本・商品・文化と市場社会、そのなかで抱える戸惑いや経済発展への期待や先進国への不信感。作品で表された、現地産業であるニットで編まれたキャンベル缶や粗末な屋台に並ぶたくさんの商品≒危険物のなかに、わずかに知っていたバングラデシュに住む彼らの思いを、芸術作品を通して改めて知れたようでよかったと思う。
デモによる政権交代後、みんなどうなるのかな。無事であるといいのだけれど。
ジャコメッティ作品
スイス出身の作家ということで、こちらも今まであまりよくわからなかった人なのだけれど、この機会にまとめて作品を見ることができてすごくよかった。人間性の衰弱と危機のなかでの抗い、というモダニズムなテーマよかったな。フランシス・ベーコンや河原温とかもそうだけど、モダニズムのなかで人体の徹底的な解体と再構成を描こうとする作品が好きなのかもしれない。
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存在だけ再構成されたよろよろしてる犬。かわいいね。
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企画展
チューリッヒ美術館のコレクションに多大な貢献をした武器商人「Sammlung Emil Bührle氏」の所蔵コレクションの今後の在り方について問うもの。
戦争という場を利用し、武器の販売で得た多額の富により築かれたコレクション。ここに飾られる絵画の額のすべてには「Sammlung E.G. Bührle」と刻印がされている。モネのきれいな睡蓮などもこの額に囲われ、周辺情報が気になって作品単体の鑑賞が難しい展示。
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なお、ほんの一部にナチス・ドイツがユダヤ人から押収した作品も含まれており、こちらについては返還手続きを進めており、展示不可となっているとのこと。
だから作品すべての来歴を明らかにし、それはQRコードで開示されている。展示自体がこれらの周辺情報含めて、たくさんの犠牲とそこから得た利益という過去のうえに築かれたコレクションをどう維持し、どういう文脈とともに展示していくか問題提起し、議論するための場となっている。
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非常に難しい問いかけであり、自分にはどういう方向性に進むのがいいのかわからないし、作品鑑賞の場としては周辺情報が多すぎるし、けれど無視できない・そうすべきでない問題なのもわかる。過去からは逃れられないけれど、いつか作品そのものをちゃんと鑑賞できる環境が整えられる日が来るんだろうか。
日本では、国立近代博物館の戦争画展示や藤井光氏の展示などが、自分が知っている中では社会的・歴史的経緯に取りまかれる芸術と展示の問題を取り扱っていて、たまに気になって見に行く。
(チューリッヒ美術館まとめ)
いろんなお金と美術と考えが集まる場所なので、ものすごく駆け足に1時間半で見たら大変でした!
ジュネーブ
ルソーの像・ルソーと文学の家
ルソーの諧謔と矛盾に満ちた「孤独な散歩者の夢想」が好きなので、ルソー詣でをしてきた。
家のほうはふつうに1Fでカフェを営業していたのが意外。テーマごとにおしゃれでコンパクトな展示となっていて、日本語ガイドのレンタルもありで見やすい。「孤独な散歩者の夢想」展示が見られたので満足!
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国際宗教改革博物館
小ぶりな建物ながら、展示はきれいで整理され、非常に充実・意欲的な内容でよかったな。特設Wi-Fiで接続できるホームページから多言語対応されていて、しっかり翻訳された日本語で見やすく展示解説が読めるのも、ちゃんと説明しようというやる気を感じた。
当然プロテスタントの視点からの展示だけれど、あまり宗派に偏らず、比較的フラットに解説されている印象(自分がキリスト教に不明のためわからないだけかもしれないけれど)
聖書がラテン語からドイツ語・フランス語・英語に翻訳されることで、書物が権力関係を変え、そして社会が変わっていったことを、当時の書物を通して少しだけ思いを馳せることができるようでよかった。
写真はラテン語から英語やドイツ語など様々な言語に翻訳された、宗教改革当時の聖書。
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ジュネーブに滞在し、宗教改革で大きな役割を果たしたカルヴァンについては、偶像崇拝を厳しく禁じていたため、彼が使ったといわれてるコップしか遺物が残ってなくて、それが展示されているのがおもしろかった。
宗教改革でよりモダンな形に切り替わったキリスト教が商業主義・物質主義に取り込まれていくこと、女性や疎外された人々がプロテスタントの教義について議論する演劇をもとにした映像作品、そして今日的な「プロテスト」の在り方など、意欲的な展示構成も見ていて楽しかった。時間の都合上、駆け足でしか見られなくて残念。
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ざっくりまとめ
海外でもGoogle翻訳のカメラ機能で展示解説をおおむね読むことができるので本当に助かる。ホームページやガイド端末で日本語含めた多言語対応しているところも意外とあった。
自分が行った場所はどこに行っても古く重い石造りの建物が残っていて、重く逃れられない過去のなかにずっといるようで印象的だった。
小さいけれど、伝えたいことがちゃんとあって、資料の保存や展示の意義を問い続けるような博物館・資料館は、国内外問わず見ごたえあっていいなと思う。大きな美術館や公設の資料館とかもそれぞれ姿勢に違いがあって、いろいろ見られて勉強になった。
最後にいい感じの湖の写真で終わります。湖は最高。
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shintani24 · 4 months
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2024年5月14日
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高齢者の孤独死、推計年間6.8万人 今年1~3月に1.7万人確認(朝日新聞)2024年5月14日
孤独・孤立対策推進本部の会合で発言する岸田文雄首相=2024年4月19日午前8時9分、首相官邸、岩下毅撮影
孤独・孤立の問題への対策をめぐり、政府は13日、今年1~3月に自宅で亡くなった一人暮らしの人が全国で計2万1716人(暫定値)確認され、うち65歳以上の高齢者が約1万7千人で8割近くを占める現状を明らかにした。年間の死者数は約6万8千人と推計される。政府は「孤独死・孤立死」の実態把握を進めており、本格的な推計に向けて今回のデータを生かしていく考えだ。
13日の衆院決算行政監視委員会で、立憲民主党の長妻昭氏の質問への警察庁の答弁で示された。同庁によると、今回のデータの公表は初めて。今年1~3月、警察への通報や医師からの届け出で警察が取り扱った一人暮らしの遺体(自殺も含む)のうち、65歳以上の高齢者は1万7034人だった。年齢が上がるほど死者数は増え、85歳以上は4922人となった。今回の3カ月分のデータを単純に年間ベースに置き換えると、65歳以上の死者数は約6万8千人と推計される。
ニッセイ基礎研究所の推計(2011年)では、65歳以上の孤立死は年間で2万6821人。東京都監察医務院によると、20年に東京23区内で自宅で亡くなった一人暮らしの65歳以上は4207人で、15年と比べて1.35倍に増えた。
太田差惠子(介護・暮らしジャーナリスト)補足 現在のところ、「孤独死」には確立した定義はなく、人によってとらえ方は異なります。大きく分けて次の2つです。
誰にも看取られずに亡くなること
死の数日後に「異臭」によって発見されること
もし、①を孤独死とするなら、独居に限らず避けることは困難だといえるでしょう。一方、②に関しては避ける術はあります。
普段から孤立しないこと。見守る側について、家族や地域と考えがちですが、それが難しいケースが増えています。
人的・ITによる見守りなども効果があるでしょう。対策を考えるために、実態を明らかにすることはとても大切だと考えます。
西尾元(法医解剖医/兵庫医科大学法医学講座主任教授)補足 わたしどもは日常的に法医解剖を行っています。法医解剖というと、犯罪捜査のイメージがあるのかもしれませんが、わたしの施設で解剖する遺体の約半数は、一人暮らしの方になっています。多くは高齢者です。一人暮らしをしていて、例えば病気や夏場の熱中症で、病院に連絡を取れないままに亡くなったような場合、解剖になることがあります。遺体が見つかった時に、亡くなった状況がわからないからです。独身者だけでなく、現在結婚していて誰かと同居していても、最後は一人になります。地域包括センターといった行政サービスや病気を在宅で見てもらう医療サービスなどが役に立つかもしれません。いまや、一人でひっそりと自宅で亡くなるという死に方は、この国の珍しくない死に方となっています。
竹内豊(行政書士)補足 業務で遺産整理手続きを行うことがありますが、数年前から「孤独死した方の相続人」からの相談が増えています。
孤独死の場合、親族(相続人)との付き合いがほとんどない方が多く、その結果、相続人も当事者意識が低く「かかわりたくない」といって相続手続に非協力的であったり、逆に降ってわいた遺産を「できるだけ多くもらいたい」といった感じで、相続人同士で協議が整わないリスクが高くなりがちです。
遺産分割協議は相続人全員の同意がなければ成立しません。成立しないと預貯金は凍結されたままですし、不動産は相続人の間で「共有」のままで売却などできません。その結果、金融資産の払戻しはできず、不動産は空き家になる確率が高くなってしまいます。
遺言書を残せば、遺産分割協議をしないで財産を「好きなように」残すことができます。ご自身の相続が上手くいかないと心配な方は遺言書を残すことを検討してみてはいかがでしょうか。
荒川和久(独身研究家/コラムニスト/マーケティングディレクター)見解 孤立死はたとえ結婚して子がいたとしても、誰にでも訪れる可能性があります。少なくとも現時点で孤立死した75歳以上の世代はまだ皆婚時代でほとんどが結婚していた世代です。2020年国勢調査の段階でも65歳以上の単身者は約740万人いますが、そのうちの75%が元既婚者(離別・死別で一人になった)です。今後は、これに加えて生涯未婚だった人たちが加わるため、孤立死は増加するでしょう。
今まで国全体の孤立死に関する統計はとられていませんでしたが、実態が把握されればいろいろと対策も検討できるようになるでしょう。
ただ、いずれにせよ老後の一人暮らしは増えるし、人には必ず死が訪れるわけで、孤立死自体がレアケースではなくなってきます。今後は、テクノロジーを活用した生存確認や見守り機能などの充実で、たとえ亡くなったとしても早期に発見できる体制が望まれます。
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がんす横丁で知るヒロシマ ~街の秘密を探る・八丁堀界わい~(NHKニュース お好みワイドひろしま)2024年5月14日
昭和24年から36年にかけ、新聞に掲載されたエッセイ「がんす横丁」。書いたのは、NHK広島放送局の初代アナウンサー 薄田太郎さんです。
原爆投下前の広島のにぎわいを回想し、人気となった「がんす横丁」をもとに、かつての広島の姿を探しに街を訪ねました。
広島のにぎわい
「がんす横丁」をひもとくと、かつての広島の街のにぎわいがあふれています。
『京口御門あたりに見世物小屋がならび、(中略)八丁堀の新埋め立て地に常陸山、梅ヶ谷両横綱の相撲興行があって、娯楽場としての小競馬場ができ、広島の東部に新盛り場を現出した』 がんす横丁より
発展の秘密は広島城にあり!
岡崎キャスター 「広島城のお堀に街の発展の秘密があるということで、探って行きたいと思います」
教えてもらうのは、原爆投下前の広島の地域や文化に詳しい神道学者で、広島修道大学 非常勤講師の中道豪一先生です。
中道先生 「街の発展の大きなポイントのひとつが、お堀や運河を埋め立ててにぎわいを作ったというところになります。水の恵みを受け、時には水の脅威と闘いながら街を発展させていった」
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現在の広島城の堀の外周は、およそ1.5キロ。
しかし、明治10年の地図には外側の堀、そして、南に向かって流れる西塔川と平田屋川という2つの川が。現在これらの堀や川は、現在は存在しません。
どうしてなくなってしまったのでしょうか。がんす横丁にそのヒントがありました。
『この堀をそのまま残しておくことは、ただいたずらにレンコンをはびこらすのみで、(中略)この堀を埋めて電車を走らせ、道路にして家を建てるという都市計画(そのころはまだそんな言葉はなかったようである)で始められたと想像する。』 がんす横丁より
都市計画一大プロジェクト!
都市の近代化を目指す広島市は、城下町のなごりである広島城の外堀や川を埋め立て、これを道路や宅地にする計画を打ち出しました。
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明治43年、外堀から始まり、西塔川、そして平田屋川と次々に埋め立てていきました。
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つまり西塔川は、現在の鯉城通り。平田屋川は、現在の並木通りや地蔵通りにあたります。
中道先生 「このあたりは増える人の住む場所を確保するという目的もおそらくあったと思われま���が、電車道とたくさんの人や車が通る道に変化しています。まさにこれは水の都広島の水を埋め立てて、生まれたにぎわいのひとつというふうに言えるかと思います」
八丁堀の秘密を探る
いまも賑わうおなじみの八丁堀も広島城の堀だったということで、やってきました。
歩いているとひっそりたたずむ灯ろうを発見。
岡崎キャスター 「ちょっとひっそりしすぎではないですか?」
中道先生 「実は、謙虚に外堀の存在を主張している」
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灯ろうを見てみると、「広島城八丁堀外濠跡」と書かれていました。
八丁堀という地名は、この角から外堀の長さが8丁、およそ880メートルだったことに由来しています。
埋め立てられた八丁堀界わいは、多くの娯楽施設が建てられました。太陽館など、3つの活動写真館が建ち並ぶ盛況ぶりが、がんす横丁にもつづられています。
『太陽館で忘れられないのは、大声の呼び込み屋であの電車道に面して「いらっしゃい、松之助の自来也はこちら」というバン声は、白島の電車終点近くまで聞えた。』 がんす横丁より
『広島最初の百貨店福屋が八丁堀角にできたのは昭和四年十月一日で、四階まで運転されたエレベーターは広島人をびっくりさせた。(中略)「一度乗ってみようではがんせんか」と手弁当持ちの見物人がつめかけて、福屋は開店早々からさかんな売れ行きで、四階の食堂も毎日満員であった。』 続がんす横丁より
広島市内中心部に魚市場!?
最後に訪れたのは、八丁堀から南に入ったところにある商店街。ここも川にまつわる場所だといいます。
中道先生 「こちらは中の棚といいまして、古くからある魚市場と言われています」
商店街のあちこちに、魚がデザインされたロゴが。
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かつて広島市には、3カ所の魚市場がありました。その真ん中に東魚屋町があったため、通称「中の棚」と呼ばれていました。いまの「中の棚商店街」です。
さらに中へ進むと、中の棚稲荷神社があります。広島の中でもかなり古い歴史を持つと言われています。
中道先生 「魚で商売する人が中の棚に集まるわけですが、そこの守り神として、おまつりされたのが、こちらの中の棚稲荷神社です」
この神社の特徴は、ほかの稲荷神社では、2月に行われことが多い例祭を6月に行うこと。そこには、魚市場で働く人たちならではの願いが込められています。
『一年一度の祭りには棚が乾かないよう、必ず雨が降るように祈った。すなわち、雨が降れば棚がぬれると縁起をかついで商売繁昌を願った。』 続がんす横丁より
中道先生 「棚に置いた魚がいわゆる雨に濡れて新鮮であるように、そのような意味を込めて、6月に例祭をあてたというふうに言われています。とにかく広島は水の都と言われてきました。ここでは川や運河、水を使った産業を含めると、広島にはものすごくたくさんの思い出や記憶が埋もれている」
薄田さんがこの「がんす横丁」を書いたのは、ある思いがありました。はしがきには、次のようにつづられています。
『あの町角にみかけたかつての小景や、盛り場のシルエットは、あとかたもなく原爆に打ち壊されてしまった。筆者は、その打ちのめされた裏小路の一寓から、ありし日の広島の幻影をしのんでみたかった。』 がんす横丁より
そこには、薄田さんの広島を愛する気持ち、あのときの広島を覚えておいてほしいという強い思いがありました。
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xxxpinkyxxximpxxx · 1 year
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2021.12.19
基俊介(IMPACTors/ジャニーズJr.)さんの「素顔」に迫る一問一答!
2021.12.19
2022年1月15日より東京・よみうり大手町ホールにて、2月5日より大阪・サンケイホールブリーゼにて上演される、舞台「あの子より、私。」。 人気エリアの別荘地見学会を舞台に、こじらせ女子たちが繰り広げる理想の物件をめぐる内見バトルを、劇作家で演出家の岸本鮎佳が女性独特の目線から、思わずクスっと笑ってしまうような分かりやすく精度の高い会話劇として描く。 今回、主演・黒谷友香さん演じる兎谷夕美の息子・兎谷彗(けい)役を務める、基俊介(IMPACTors/ジャニーズJr.)さんにインタビューを決行。単独での外部舞台初出演となる基さんの本作への意気込み、そして自身が演じる、人気者の大学生・彗との共通点など語っていただきました。さらに一問一答ではメンバー愛を感じる回答も!? ぜひご覧ください♪
――ご出演にあたっての率直なお気持ちは?
黒谷友香さんは昔から拝見していてすごく好きな女優さんだったので、お話をいただいた時、「え!あの黒谷友香さん!?」と驚いたとともに、共演できることが率直に嬉しかったです。メンバーには、「お前、いいな!」って言われました(笑)。ほんとに羨ましがられました。
――単独の外部初舞台出演となりますが。
舞台「いまを生きる」(2021年)で初めてお芝居を経験させていただいて、そこで演じる楽しさを学ばせていただきました。普段、歌やダンスをメインでやっている中で、お芝居で活躍されている方々とお仕事ができる喜びみたいなものはものすごく大きいです。前回はメンバー3人で出演しましたけど、今回は僕一人だけ。しかも、共演者の方々は、ほぼ女性陣ということですごい環境だなって。演出家の岸本さんも女性ですし、すごく新鮮な環境ですごいところでやらせてもらえるという楽しみが今は大きいですね。
――ご自身の役柄についてはいかがですか?
まず人気者の大学生ではなかったです(笑)。今、連絡を取っている友達って3人、4人・・・両手程いないですね。そのくらい少ない���すけど、でもその分仲が良くて。それこそ、この舞台が決まった時もすぐに連絡をくれました。そういう、狭いけど深いという関係性の友だちが多かったので、人気者ではなかったです(笑)。でも、「本人はそんなつもりないが周りに“軽いね”と言われることが多い。」というところは、当てはまってるかもしれないですね。「ほんとにそう思ってる?」みたいなことはめちゃめちゃ言われます。ほんっとに言われるんですよね(笑)。まじめに言っても、「なんかふざけてる?」みたいな感じになることが多いですね。
基 俊介さんの「素顔」に迫る一問一答!
Q.今回のキャッチでもある、「ヒトと比べて、私って。」と、ご自身が思うことは?
ないんですよね。「人は人、うちはうち」みたいなタイプで。リスペクトを込めて、“ああいう人になってみたいな”“この人のこういうところかっこいいな”といった意味ではあるはあるんですけど、負い目に感じたり、嫉妬といったマイナスなイメージの比べるはないと思います。
Q.好条件物件の強奪戦。あなたの「これだけは外せない!」という家の条件を教えてください。
南西向きです。南西向きは絶対!僕にとっては外せない条件です。あとはその土地の空気かな・・・ピンクの服(ビジュアル衣裳)でこういう話をしていると怪しい人みたいですよね(笑)。でも大事ですね。ベッドは部屋の真ん中に置きたいですし・・・めちゃくちゃあるな(笑)。日当たりがいいとか、家に居たくなるような感じがいいですね。朝起きて日が当たって、今日も一日頑張ろうって思える家がいいですね。
Q.本作のストーリーで「好物件の家に住めるかはオーナーの審査次第」とあります。あなたにとって人生勝ち抜くために必要なものとは何ですか。
面白い質問ですね(笑)。んーでも、運じゃないですか。“ここまで来ると。”って思います。努力することは当たり前だよって事務所の中ではよく言われていて、頑張るのは当たり前だからっていうのが教えなので。やることはやって、あとは運命に身を委ねるというか。そんな感じがしますね。ここまで頑張ったんだからあとはやるだけっていう、ポジティブな意味での身を委ねるというのが、僕は大事なのかなと思います。
Q.「この地に住むことができるのは、成功者だけだ。」そんな成功者となる人は、「運の掴み方」が勝負!ということで、風水クイズです!ちなみに、風水や占いは信じますか?
自分の都合のいいことは信じます(笑)。
では、問題です!「財布がもっている金運の寿命は、3年、5年、7年のどれ?」
えーー(考えて)もう一発でいきます!5年!!
いいですか?
はい!
残念!正解は3年です。
え!? そうなんですね!
9月~11月頃に買う財布は「実り財布」といって、金運に恵まれるので買い替えるならこの時期がいいらしいですよ。(取材時は10月)
Q.理想の家族を絵に描いたような兎谷家。日本の理想の家族と言えばサザエさん。グループメンバーをサザエさん一家で例えるなら?
7人いるからなあ。サザエさん一家ですよね?
登場人物でも大丈夫です。
なるべくサザエさん一家でいきますね。うあ、難しいな。まず、影山(拓也)はサザエさんかなあ。お転婆なんですよ。しっかりしてるんですけど、ちょっと抜けてるところもあるというか。うん、サザエさん。佐藤(新)はノリスケおじさんなんだよな。すごく調子がいいんですよ。やってもらうことばっかで、何かやってあげることは基本的になくって(笑)。やってもらったら「ありがとありがと!」ってその場でもう終わり・・・みたいな(笑)。でもどこか憎めない感じは、めちゃくちゃノリスケおじさんなんだよなあ。椿(泰我)は・・・・顔でいったらノリスケさんなんだけどな。性格はカツオかな。わんぱくだし・・・でも気にしいだからな。
カツオちゃんも意外と気にしいですよ(笑)。
いや!でもな・・カツオ・・・(悩んで)。すみません、一旦別メンバーでいきます。鈴木大河は、ワカメちゃんですね。あんまり口数が多いわけではないんですけど、結構みんなのことをちゃんと見ているというか、支えてくれている感じというか。あの髪形も・・・似ているかもしれないです(笑)。面倒見の良い感じはあると思うので、そういう意味ではワカメちゃん。横原はイクラちゃん。ほんとに自由人なので。めちゃくちゃ気分屋なんですよ。テンションが高い時とそうじゃない時の差がすごく激しくて。ほんと赤ちゃんみたいなんで。感情の起伏が。奏はタマかも。いざ責められたりすると牙むき出しにする感じが猫っぽいというか、犬っぽいというか。ペット感がありますね(笑)。
あと、椿(泰我)さんと基さんですね。
僕が一番カツオタイプかもしれないですね。お調子者みたいな感じなんで(笑)。うん、めちゃくちゃそうかもしれないです。あとは椿か。椿��、花澤さん(笑)。一人だけサザエさん一家ではないんですけど(笑)。
Q.10月17日に誕生日を迎えられましたが、大人になったなあと思う瞬間は?
昔欲しかったものを買えるようになったことですかね。僕、洋服や靴が好きなんですけど、当時欲しかったけど学生では手が届かなかったものを、頑張ったご褒美にって買うことができるようになったのは大人になったのかなって思いますね。
Q.日常生活のプラスアルファは何ですか?
最近は天気ですかね。太陽。
太陽?
朝起きた時に、めちゃくちゃ天気が良いとそれだけで気分が上がるというか。今日8時くらいに起きたんですよ。アラームの一時間前に自然と起きれて。なんか得した気分というか。天気が良いと今日も頑張ろうとか、休みだったらちょっと出かけようとか、そんな気分になれるので。前だったらゲームとかやってましたけど(笑)、最近は天気が良いのがいいなって思います。
――それでは、最後にお客様へのメッセージをお願いします。
紅一点なんて言葉がありますけど、今回僕は女性の中に混ざって、しかも第一線で活躍されている方々やピアニストの方といった、いろんな方々に囲まれてお仕事ができることが純粋に嬉しいと思っています。なので、逆に僕がいることによってスパイスになれたらいいなと、月並みな言葉ですけど今心から思います。観ていただいた人が笑ってもらえるような、とにかく面白かったなとか、ひとつプラスな感情になって帰っていただけるように頑張りたいと思います。
基俊介さん、ありがとうございました!
公演概要 「あの子より、私。」 【出演】 黒谷友香 基俊介(IMPACTors/ジャニーズJr.) 遊井亮子 松岡依都美 しゅはまはるみ/古屋隆太 異儀田夏葉 村上穂乃佳 小林万里子 ピアニスト:高木里代子 【作・演出】 岸本鮎佳 【日時・会場】 <東京公演>2022年1月15日(土)~1月27日(木) よみうり大手町ホール <大阪公演>2022年2月5日(土)・2月6日(日) サンケイホールブリーゼ 【チケット料金】 全席指定9,000円(税込) ※ ご購入後の返金・クレーム及びお席の振替は一切お受けできません。予めご了承ください。 【チケット一般発売日】2021年12月19日(日)10:00 【お問合せ】 <東京>サンライズプロモーション東京:0570-00-3337(平日12:00~15:00) <大阪>キョードーインフォメーション:0570-200-888(月~土 11:00~16:00 ※日祝休業) 【公式HP】http://anokoyoriwatashi.com/ 【公式Twitter】@anokowatashi
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hirasen · 2 years
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【#OH! #ガワラ ( #おおがわら ) #マルシェ #おおがわらマルシェ 】8/29(月)から9/2(金)の午前10時〜午後2時、 #宮城県庁1階玄関ホール において、 #大河原町単独では初となる #地場産品展示即売会 を 開催、 #大河原町 の #特産品が日替わりで登場します ! #ぜひお越しください !! #なお 、#出店者や出品内容は変更となる場合がございます ので、 #あらかじめご了承願います 。 https://www.instagram.com/p/ChyVndjrmh3/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ari0921 · 3 years
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宮崎正弘の国際情勢解題
読者の声
(落合道夫)
(読者の声1)今年の日本は例年以上に内外混乱しているようで来年が心配です。以下印象です。
 習近平の不安/この原因は経済の巨大化が共産党の個人独裁を揺るがしているからである。実は個人独裁は経済発展とは矛盾する。経済発展は人と情報の自由を必要とするが個人独裁は情報の統制を必要だからだ。
そこでこれを潰しているが、その先は毛沢東時代の国民総貧困と党幹部の国家資産の私物化になる。
しかし反対派や軍部までが習近平に反発しているというのでどうなるか。とにかく精神が腐りきった国家だ。日本の対応は、原潜核ミサイル艦隊の建設だけである。
 プーチンの錯乱/プーチンはあの犯罪国家ソ連の復活を夢見ているという。ロシアは広大な国であるが、広すぎて管理出来ない。
資源に依存する国では製造業は育たない。遅れた国だ。日本人技術者がいくら教えても数年すると原型が崩れて変形しているという不思議な国だ。
極東では黒竜江のあのブラゴヴェシチェンスクに中ロ友好橋を架けたが、あそこは1900年にロシア兵によるシナ人密入植者数万人の大虐殺のあった町だ。しかし今のロシアにはその力は無い。
ということは極東大乱の種がまかれたというべきだろう。ウクライナは日本の北海道だ。アイヌ人はロシアによりロシア人と認定されたという。二重国籍だ。大変だ。スターリンが考えていた日本海側の留萌海岸と東部の根室からロシア軍の上陸作戦が始まるだろう。これも対策は原潜核ミサイル艦隊の建設しかない。
 日本の国防は、自衛隊の正規軍化から入る。
今の自衛隊は案山子:
そこで日本の軍備だが、現状は戦闘が法律で禁止されているので、自衛隊は人と兵器だけの仮装行列、あるいは案山子状態だ。これは自衛隊を馬鹿にしているのでなく現状の危機を訴えているのである。中朝露は知っているから自衛隊を無視する。知らないのは日本国民だけである
自衛隊に魂を入れる:
そこで対策だがまず自衛隊を正規軍にすることである。それは特例法で国際基準の軍法(軍法会議、憲兵隊、軍刑務所)を付加すれば良い。すぐ正規軍になり軍事抑止力が発生する。なお、自衛は米国が1953.11、日本政府が1954.12に占領憲法下でも認めているから国防に関しては憲法改正は不要である。
憲法が国防を縛っているという考えは間違いだ。国防は生存の確保という人類の憲法以前の決まりだから憲法でも拘束することは出来ない。国防は人権の第一だ。
岸田内閣の限界:
親中共シフトは被害を拡大するだけだから、国民は反中共シフトに代えなければならない。中共は武力以外には反応しない。逆に日本が国防を固めれば友好的になる。それだけである。簡単だ。
国防反対は占領利得者:
戦後今まで自衛が出来ない理由としては、政治家の保身がある。憲兵隊がいれば、活動できない売国政治家が多数いる。
日本の政治は腐りきっているのだ。   
  (落合道夫)
(宮崎正弘のコメント)御指摘のブラゴヴェシチェンスクは、嘗てシベリア出兵の折、日本軍が占領したところですね。黒竜江省の黒河から見える都会で高層ビルも建っています。 
アムール川は冬に零下二十度以下になるので、凍結し、バスが走る(川幅は500メートルくらいです)。中国人観光客がかなり通うのは、毛皮などを買い付けるほか、地下の非合法カジノです。
 黒河に小生は二度行きましたが、最初に行ったとき(2003年頃)、夜、ホテルの部屋に中国兵がノックして来て、強い方言なので、用向きを紙に書かせたら「ヴィザなしで(軍が)案内するからロシアへ行かないか?」と副業のセールスだった。拙著『日本人が知らない路地裏中国』にも、この話は書きました。
 黒河は中西れい原作の映画「赤い河」のロケ地でもあり、市内は裏寂れていますが、2012年だったか、二回目に訪れると「ロシアに別荘を買いませんか?」という広告塔が随処にありました。
 2019年にアムール河を跨ぐ橋梁が完成し(黒河大橋)、2020年から車が行き交っています。
 黒竜江省はかつての中ソ衝突ダマンスキー島も中州を分け合い、中国側の町(同江の北郊外あたり)は、サンクトペテルブルグのミニチュアのような町に変貌していました。
ホテルもレストランもロシア語併記でした。
 中露関係も末端ではビジネス優先ですね。
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myaachanissocute · 3 years
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Today's choice
By Saito Soma
1. XO
2. Art school
Love/hate
3. 村野真朱、依田温title『琥珀の夢で酔いましょう』
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クラフトビールを題材にした人情マンガ。ビール好きにはたまらない内容ですね。京都行きたいなあ。
4. (2020.12.12)
舞城王太郎 , 『煙か土か食い物』
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各所でも散々言っておりますが、たまたま手に取ったこの1冊で完全にノックアウトされました。文章のリズム、ビートというものを意識するきっかけになった作品です
5. LOSTAGE
title『PLAY WITH ISOLATION』
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初めて聴いたときの衝撃は今でも忘れられません。ゴリゴリのリズム隊と美しいメロディ。こういう音楽もいつかやってみたいなあ。
6. 赤河左岸title『果ての荒野でバカンスを』
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主に3つの短編が収録されていますが、表題が最高に素敵です。SFってこういう切ないストーリーに合いますよねえ。
Manga
7. 恒川光太郎title『無貌の神』
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どれも大好きなのですが、この短編集に納められている『死神と旅する女』がべらぼうにいいんです。こんな小説を書いてみたいものです。
8. 空中泥棒
title『Crumbling』
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サブスクで見つけた韓国のアーティストさん。どんぴしゃで好きです。トクマルシューゴさんやエリオットスミスの雰囲気も感じますね。灰色の日に聴いていたい。
9. 町田洋
title『夜とコンクリート』
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最近活動を再開されたと知り、とても嬉しくなりました。『惑星9の休日』も最高だし、トーチwebさまにて読める『船場センタービル』もぜひに。
Manga
10. レイモンド・カーヴァー
title『愛について語るときに我々の語ること』
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ダーティミニマリズムとも称される作風で知られるカーヴァーの短編集。ソリッドな文体とダークな世界観にぞくぞくします。
11. ドミコ
title『hey hey, my my?』
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ローファイシューゲダウナータイトな2ピースバンド。M2『こんなのおかしくない?』、M9『くじらの巣』が特に好きです。ルーパー使えるようになりたい。
12. 田島列島
title『水は海に向かって流れる』
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ゆるさと重さの共存するユニークな世界。こんな共同生活、送ってみたいなあ。榊さんかわいいですよね。
13. 筒井康隆
title『懲戒の部屋』
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いちばん最初に読んだ筒井さん。いまではぼくもすっかりツツイストです。筒井さんのパスティーシュで『羅生門』の続きを書いたことがあります。
14. tempalay
title『21世紀より愛をこめて』
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めちゃくちゃ格好いいですよね。M3『そなちね』M5『どうしよう』などなど、サイケで癖になる楽曲揃い。『革命前夜』も最高にクール。
15. 星野之宣
title『ヤマタイカ』
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邪馬台国を題材にした壮大な伝奇SF。読み応え抜群で、久々に歴史もの熱が再燃しました。『宗像教授伝奇考』もおすすめです。
16. 中島らも
title『水に似た感情』
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何度も読んでいる本。小説としての完成度というより、読むときどきによって感じられるポエジーに惹かれているのかもしれません。エッセイもユーモアたっぷりなのでめっちゃおすすめです。
17. 金田一蓮十郎
title『マーメイドライン』
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『ハレグゥ』も大好きなのですが、今回はこれを。人魚姫ってすごく惹きつけられるモチーフですよね。絶妙な距離感を描いたマンガです。
18. 村上春樹
title『1973年のピンボール』
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初期の村上さんの作品の雰囲気が好きなのですが、そういえばあまり言ったことがなかったかも。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』も好きです。
19. ロブ・ライナー
title『スタンド・バイ・ミー』
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スティーヴン・キング原作の大名作。少年のエモーションのすべてが詰まっていると思います。クリスのセリフは何度観ても落涙しますね。
20. Arcade Fire
title『Arcade Fire(EP)』
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カナダの大所帯バンド。これも中学生のころよく聴いてたなあ。M3『No Cars Go』が好きです。今後自分の曲でもアコーディオン使おっと。
21. ハロルド作石
title『BECK』
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バンドマンガといえばぼくはこれです。昔は平くんが好きだったけど、今読むと千葉くんが格好いいですね。中学生のころ、デモテープたくさん作ったなあ。
22. 梨木香歩
title『家守綺譚』
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マンガで挙げた今市子さんの『百鬼夜行抄』にも通ずる不思議な雰囲気を持った短編連作。こういう作品に出会うと、ああ、心に染みいるなあとしみじみします。
23. Devics
title『Push The Heart』
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アメリカのインディデュオ。だと思っていたらバンドみたいです。ちょっと気持ちが揺れ動く夜なんかに聴きたいですね。タイプライターも楽器なのだ。
24. 山田芳裕
title『度胸星』
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最新作『望郷太郎』も面白いですがこちらを。『へうげもの』もそうですが、山田先生の作品は本当にオンリーワンな魅力がありますよね。
25. ジョナサン・キャロル
title『天使の牙から』
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類稀なる発想力で独特のダークファンタジーを書いているキャロル氏。中でもこの作品はストーリー展開が本当に秀逸。気の利いた言い回しが好きな方にもおすすめの1冊です。
26. フジファブリック
title『TEENAGER』
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志村正彦さんのつくる世界が本当に大好きです。曲のツイストのさせ方や歌詞などに影響をかなり受けていると思います。M9『パッション・フルーツ』みたいな変態曲を書きたい。
27. 都留泰作
title『ナチュン』
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沖縄を舞台にしたクトゥルフSF。とにかく説明するよりも読んでいただきたいです。これを読んでめっちゃ沖縄に行きたくなりました。
28. 京極夏彦
title『姑獲鳥の夏』
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初めて京極先生の作品に出会ったのは中学1年生の暑い夏の日のことでした。オカルト、ミステリともに大好きな斉藤少年はそりゃもうノックアウトです。次作『魍魎の匣』もぜひ。
29. きのこ帝国
title『フェイクワールドワンダーランド』
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遅ればせながら最近聴きました。めちゃくちゃ素敵。ぼくが大学のころにやりたかったのはこういうバンドでした。たくさん聴こう。友人教えてくれてありがとう。
30. 今市子
title『百鬼夜行抄』
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妖たちと奇妙な生活を送る主人公・律を中心とした怪奇譚。もう長年好きなマンガです。こういう生活に憧れます。先生の他の作品もとても美麗で素敵なのでぜひ。
31. 米澤穂信
title『さよなら妖精』
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『氷菓』などで有名な米澤先生のビターなボーイミーツガール。青春の味がすごくする、染みる小説です。米澤先生は短編も切れ味鋭く素敵なのでぜひ。
32. ももすももす
title『木馬』
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コンビニで流れていて気になって、歌詞を聴きとって調べた曲。選ぶ単語がとても素敵だなと思います。曲もオルタナで格好いい。
33. スケラッコ
title『盆の国』
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たまたま書店で見かけてジャケ買いしました。ゆるい雰囲気でありながら爽快感もある1巻完結作。先生の新作『バー・オクトパス』も穏やかに素敵。
34. チャールズ・ユウ
title『SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと』
comment
SF、青春小説好きにはたまらない1冊。しかし円城塔さん翻訳もうますぎてすごすぎます。非常に読みやすいのでおすすめです。
35. Passion Pit
title『Manners』
comment
大学生のときに友人に借りて聴き、ハマりました。M2『Little Secrets』を聴くと、日当たりのいい休日に寝坊して原宿に行ったことを思い出します。
36. 遠藤浩輝
title『神様なんて信じていない僕らのために』
commentこういう作風のマンガがたぶん一生好きなのだろうと思います。夜な夜な自転車を走らせて、少ない小遣いで何時間も吟味して買った中の1冊。
37.ヴィクトル・ペレーヴィン
title『宇宙飛行士オモン・ラー』
comment
ロシアの作家さんってこういう苦味の効いた青春小説をよく書かれるイメージです。この切なさは、小説という表現媒体ならではのものなのだと思うのです。
38. Mystery Jets
title『Making Dens』
comment
この時代の、いわゆるテムズ・ビートのバンドでもっとも好きです。サイケでポップで青くて渋い、理想的なバンドのひとつ。最近の曲もとっても素敵です。
39. 荒川弘
title『鋼の錬金術師』
comment
もうあえていう必要もないくらい最高のマンガですよね。皆さんは誰が好きですか? ぼくはロイとキンブリーです。女性キャラならもちろんそれはホークアイ中尉……いえ、リザです。
40. アントニオ・タブッキ
title『インド夜想曲』
comment
こんなにも短く、読みやすく、美しく、シンプルにして複雑な話があるだろうか。イタリア語を学びたいと思ったきっかけの1冊です。ぜんぜん身につかなかったけど。
41. Bloc Party
Title『Silent Alarm』
comment
かなり最初のころに聴いた洋楽です。初めてM2『Helicopter』を聴いたときの衝撃たるや。改めて聴くとかなりポップさもありますね。ラッセル・リサック氏が本当に格好いい。
42. 樋口大輔
Title『ホイッスル!』
comment
めちゃくちゃ読みこんだサッカー漫画。絵も素敵だし話も素敵。ぼくはとにかくシゲと不破が大好きなんです。ボイスリメイク版に出させていただいたときは本当に幸せでした。
43. Oasis
Definitely maybe
title:『Definitely Mabye』
comment: オアシスのデビューアルバム。ロックのわくわくってこういうことだよなといつも思い出させてくれます。拙曲『カナリア』はかなりまんま影響を受けていますね。
44. 真倉翔、岡野剛title『地獄先生ぬ?べ?』
comment
ぼくがオカルト方面にはまるきっかけとなった作品です。初期が特に怖くていいですよね。歯医者さんで読んでいたので怖さ倍増でした。もうぬ?べ?もはるか年下か……(遠い目)。
45. 福永武彦
title『愛の試み』
comment
『草の花』はもうさんざん各所で言ってしまったので、こちらの素敵な詩情をたたえた1冊を。愛についての考察はもちろんのこと、挿入される掌編もしんみ���して素敵です。
46. 西川美和
title『ゆれる』
comment
香川照之さん、オダギリジョーさん、真木よう子さんの芝居が圧巻。ラストシーンで泣かない人はいないのではなかろうか。エンディングも素晴らしい曲。
47. 髭
title『Thank You, Beatles』
comment
髭なのかHiGEなのか表記が難しいところですが、M2『髭は赤、ベートーヴェンは黒』でハマりました。M5『ギルティーは罪なやつ』も好き。他にも名曲多数。
48. たなと
title『あちらこちらぼくら』
comment
めっちゃ泣きました。昔はぜんぜんキャラクターとして惹かれなかったのに、いつのまにか真嶋くんがぼくの心の中に入りこんでいました。続編もあるのでぜひ読んでいただきたいです。
49. 安部公房
title『壁』
comment
こんなの中学生のときに読んだらハマってしまうに決まっているじゃないですか。思えばこのあたりからぼくも中二病を発症していった気がします。名前を失うというモチーフはぼくもよく使いますね。
50. GRAPEVINE
title『Here』
comment
選べないのですが入りやすさからこちらで。M4『光について』が最初のバインでした。影響受けまくっていますね。大好きなバンドです。もっといろいろ紹介したい。
51. 漆原友紀
title『蟲師』
comment
中学のころは一発で変換できませんでしたありがとうございます。永遠に好きです。「原因は蟲ですな」はぼくの中学のときの流行りワードです。だってギンコさん格好いいんだもの。イサザも好きだしなにより化野先生大好きです。
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xf-2 · 3 years
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ワクチン配布数に異常なバラつきがある問題で、基礎自治体の接種体制に大混乱が生じている。その事態改善と収拾に地方行政が奔走しているため現況を報告したい。にわかには信じがたい状況で、接種予約が絶望的に無理な自治体と、接種対象たる高齢者の人数以上の配布を受けた自治体もある。 人口密集地である政令市や感染者数が激増している自治体に大きくカバーして欲しいところだが、隣接自治体でも三倍の格差がある。自治体の接種体制は、大混乱に陥ってしまい、この混乱はさらに激しくなる危険が否定できない。
例えば、人口6,764人の吉富町には、2925回分が配布。同町の高齢者は2,124人であり、つまり希望者は100%接種できる。というか余ってしまう。 隣接する上毛町は人口7,619人(高齢者は2,648人)で吉富より規模が大きいが、975回分のみ。当選確率は約37%。上毛町と吉富町は互いに隣接するのだが、この倍率差は異常だろう。 さらに、豊前市の人口は25,341人(高齢者9,097人)は、吉富町と同数の2925回分に留まる。当選確率は約32%。 築上町は、18,119人(高齢者6,569人)、配布数は1950回分。当選確率は最低の約29%である。
便宜的に用いた当選確率とは、全高齢者が接種を希望したと仮定し、かつ今回のロットから次回の配布が遅延したという条件で計算した。 問題は、「豊前市・吉富町・上毛町・築上町」は、広域連携で合同で接種していく点。それぞれの会場で互いの住民が鉢合わせるわけだが、一自治体は100%の接種で、隣接自治体は3割以下だ。同じ医師会から支援を受け、なんと予約に要するコールセンターも統合されている。配布数が不十分な自治体は第一回接種の予約を受け付けている中で、充分に有する自治体は第二回接種を求める。コールセンターは、二つの業務が混在してしまい、また接種にあたる医師も対応が難しい。
行橋市73,317人(高齢者21,562人)は、2925回分(3箱)。高齢者数が10倍も違う吉富町と同数だ。当選確率は、13%。 本市に隣接するみやこ町は、人口19,512人(高齢者7,721人)に対し、なぜか行橋市よりも多い3900回分(4箱)を配布。当選確率は約50%。 みやこ町には、医師はほとんどおらず、結果的に行橋市の医師もサポートしていく可能性もある。(行橋みやこ医師会) 隣接自治体において、ここまでの当選確率の差は、住民に説明ができない。行橋市においても感染者は出ている。
飯塚市128,184人(高齢者40,121人)も2925回分(3箱)。高齢者数が20倍近く違う吉富町と同数だ。当選確率は、7%に過ぎない。県が調整した結果だが、飯塚市が悪いわけではない。 ここで行橋市と飯塚市について述べさせて頂きたいが、自治体単独での接種能力を一般に有する自治体である。町村の場合は広域連携などで合同接種などを行っており、当然ながら「飯塚市・行橋市は、打つ能力」を持っている。銃はあれども弾がないという状態。
町村を優先配布した可能性は否定できないという声もあるだろう。 しかし、那珂川市50,323人(高齢者11,545)には13箱、実に12675回分が配布。高齢者数よりも多いため、当選確率は100%だ。
地域差なのかと言えばそうではない。遠賀川周辺の3町の例。 65歳以上人口が8780人の水巻町に3箱、9828人の岡垣町に9箱、5800人の遠賀町に6箱と人口規模に応じていない。
当然、地方行政は大混乱に陥った。 最悪の事態としては、かなりの量を破棄せざるを得ない危険性も指摘されていた。理由は本稿で詳述するが、1箱が975回分のため高齢者数が2000とか3000の小規模自治体で中途半端な人数で開封してしまうと、かなりの量を破棄せざるを得ないため。それを抑止するための広域連携だったのだが、バラツキが大きすぎて同時接種は絶望的だ。
また、接種能力を有する中規模自治体で、近隣の町村のサポートを行う市は、自らが守るべき市民の接種が終わってない中で、ワクチンのみ持っている町村の支援を行うのは住民感情からも難しい。接種支援に周れずデッドストック化するリスクもあった。
これらワクチンの配布偏在ですが、本日の状況を報告します。
(プレス対応) 昨日が祝日であったため、(配布箱数のデータについて)メディア側が裏取りできませんでした。公式の資料ではありますが非公開であったため、プレスが扱うにあたっては事実確認が必要だったのです。ほぼ徹夜のまま(早朝4時ぐらいまで)複数の電話会議・オンライン会議を行っており、朝一で対応を開始。 朝より対応。無事に裏取りを完了させ、首長のコメントも用意できました。 明日の朝、一紙ですが掲載できます。web版でありますが、す��に記事はアップされています。取材を経ての、正規の報道です。
次に、地方公共6団体。 動いたのは、市長会です。ここからは御礼になるのですが、谷畑英吾・前湖南市長(全国の副会長など要職を歴任)が一緒に動いてくださいました。一昨日のBlogを拡散してくださり、動きがありました。 私の住む行橋市の田中市長より電話を頂き、本庄市(埼玉県)の吉田信解市長(市長会の委員長)より架電があったとのこと。当市市長からの伝聞にはなりますが「全国市長会会長の立谷会長が、本日たまたま河野大臣に要請書を持って行くところだったので、本問題について共有している。」とのことでした。谷畑市長には行橋市と豊前市の偏在について報告していたため、本庄市長からは行橋・豊前に連絡を入れてくれたと谷畑市長からお伺いしました。当市市長からのお礼をお伝えしました。
私は市長職は有しておりませんので断片情報にはなりますが、市長会トップからは(恐らく自治体名は伏せて)配布数の偏在について報告がなされた模様です。谷畑市長を経由し、前述の自治体情報については逐一調査するとともに、私の信頼する敏腕記者たちが徹底的に数字の洗い出しを行っていきました。皆、徹夜の連続でした。プレスの動きを淡々と報告しつつ、数字の積み上げ作業を行っていきました。
自治体へのワクチン配布は、厚労省から総務省に移管されていました。総務大臣の記者会見において、本件が反映されたことを確認。各所にお礼の連絡を入れていったのは夕刻でした。目の前の偏在の問題は未解決も、2陣以降の効率化の向上に期待。 ここは総務マターのため、これより都道府県に指導を入れて頂くにあたって、その資料作成を行っておりました。
そうしたところ、これら偏在を解消するためでしょうか、国からさらなる次の便が実数が突然の公開。川の大臣の会見です。各地の市長・町長の動き、メディアの動きが奏功した可能性もあります。
私もその前線で戦っていたのですが、GW直前ゆえ平日が一日しかありません。裏取りを短期決戦で完了させる必要があったため、かなりの手続きを簡素化(詠唱破棄)してしまいました。近隣町長には非常に申し訳なく思っておりましたところ、上毛町の坪根町長が同行してくださり、一部の町長への報告が叶いました。築上町の新川町長にお会いし状況報告をしたのは19時を回っており、ご迷惑にも自宅までお邪魔してしまいました。
とりあえず、大臣まで公式団体名にて情報があがったと想定されるため、第一次の動きとしては良しとします。私は市議でありますので、これが職責の果たし方。 明日、明後日までは過負荷かかる見込み。
さて、これら動きの中で、今後の課題や混乱が想定される箇所が洗い出されてきましたので報告します。 国の新たな発表により、偏在の多くは解消されると期待いたしますが、地方行政における混乱は継続する可能性があり、それを早期に事前想定することにより「接種の混乱抑止、および事態解決」を期待して本稿を記します。
すでに本日の記事がネットには公開されておりますので併せて紹介します。
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報道の紹介明日の朝刊にも掲載されることでしょう。
コロナワクチン、福岡県内の自治体配分数に格差 調整不足を指摘する声も
 新型コロナウイルスのワクチン確保をめぐり、福岡県内の自治体間で格差が生じている。5月以降、各自治体で順次、接種を進めていく中、初期段階では人口規模が同程度の自治体間で確保数が大きく異なるケースがみられ、場合によっては規模との逆転現象も生じた。自治体からは必要数をまとめる県の調整不足を指摘する声が上がる。
 福岡県内には6月末までに2456箱(6��接種で約287万3千回分)が届く。このうち、5月10日からの2週間に各自治体に届けられるワクチンは567箱で、最多の144箱を受け取る福岡市をはじめ、県内60市町村で高齢者向けへの接種準備が進む。
 ただ、複数の県内自治体から「人口規模や接種体制の実情と食い違う配分だ」との指摘が相次ぐ。
 県西部では、65歳以上人口(平成27年国勢調査)で約10倍の差がある行橋市(1万9835人)と吉富町(1989人)で、配分数はともに3箱だった。遠賀川周辺の3町でも、65歳以上人口(同)が8780人の水巻町に3箱、9828人の岡垣町に9箱、5800人の遠賀町に6箱と人口規模に応じていない。
 自治体のワクチン確保担当者は「自前の接種体制をもとに2週間で可能な量を申請した」との声がある一方、「供給体制が不確実な中、75歳以上の2回接種に必要な量を確保しようとした」との説明もあり、考え方の違いが浮き彫りに。この違いが格差が生じた原因とみられる。
 自治体の申請を取りまとめる県は「市町村には2週間分で接種可能な量を申請するよう通知している」とするが、マンパワー不足や、時間の制約から「各自治体から上がってきた申請を信頼するしかない」(県担当者)という。
 ワクチンをめぐっては、必要数は確保される一定の見込みが立ち、今後の配分によって自治体間の偏在は解消していくとみられる。
 ただ、ある県西部の自治体首長は「都市部で封じ込めを進めるための優先供給は理解できるが、郡部で格差が生じるのは住民に説明ができず、理解に苦しむ(配分数の)増減もあった。現状のままでは不信を招く」と憤りを隠さない。
産経ニュースコロナワクチン、福岡県内の自治体配分数に格差 調整不足を指摘する声もhttps://www.sankei.com/region/news/210430/rgn2104300003-n2.html自治体の申請を取りまとめる県は「市町村には2週間分で接種可能な量を申請するよう通知している」とするが、マンパワー不足や、時間の制約から「各自治体から上がってきた…
ワクチン配布の考え方(私見)まずもって私見であることは冒頭で述べておきます。
ワクチンそのものが危険という意見がネット上にはあるのは重々承知しておりますが、特に高齢者の中には熱望している方もおり、「国費で購入した資材」に対する「入手難易度」の機会平等の観点は述べられるべきだと考えております。
その上で、人口密集地である政令指定都市や大規模自治体には集中投資して頂いて全く構わないと(少なくとも私個人は)考えています。これは各自治体ごとに考えがありましょうし、接種希望者の気持ちを考えれば「あくまで私見」と述べるに留めさせて頂きたい。
感染者が増えている自治体やまんぼう、ワクチン接種の傾斜配分は全くもって否定する立場ではありません。 むしろ傾斜配分がなされていなければ、それは逆の問題も指摘されるでしょう。単に人口比で割ればいいとは思っておりません。
しかし、明らかに人口比が異なり、10倍とか20倍という差があるのは問題です。各自治体は、接種体制を構築してきており、体制構築(銃を用意)するも弾は来ない、これでは何のために地方行政が準備をしてきたのか全く意味が分からない。
また、多く取り過ぎた自治体も果たして接種可能なのか?という話がでてくる。同時に接種できる人数には、施設規模なども影響してくるわけで、ワクチンさえあれば一気に終わるというものでもない。著しくバランスを欠くことは凄まじい問題を生じてしまう。
特に広域連携の話は、別項で詳述させて頂きますが、「偏在」は接種体制そのものを破壊してしまうのです。この点は強く主張したい。
高齢者への接種を進めるのであれば、対応にあたる医師・看護師への接種を事前に完了させたうえで、まずは人口比(より正確には高齢者数の比率)で基準値を作成する。その上で政令市や人口密集地に加配、ここは大きく加配すべきでしょう。さらに政令市と交流人口の多い自治体に傾斜配分をかけます。
当然ながら感染者数が激増している自治体やまんぼうによる加配も行います。 さらに、接種体制が充分に整っている、つまり銃の多い自治体にもプラスαを行う。 これがスタンダードな考え方ではないでしょうか。
基準値を設け、これをベースに置いたのは地方自治体が接種にあたるためです。 当選倍率に著しい差が出てしまえば、恐ろしいまでの不満を住民に与えることになる。地方の首長は、あくまで地域住民に選ばれているのであり、守るべき住民がおります。行橋市長は行橋市民に選ばれ、そして行橋市民が雇っているのです。行橋市の職員を養っているのは、行橋市民です。
いずれの自治体も、自分の市民を守りたい!という思いは当然に出てくるわけであり、郡部や隣接自治体において高齢化率や感染者数に違いはないものの、何倍もの当選確率の差が出た場合には「地方行政は、住民に説明できない」のです。
その不平不満の中で、市職員らが現場に立てるかと言えば答えはノーです。 基礎自治体には振った以上は、最低限の格差是正はなされていなければ【接種はできません。】というのが私の考えです。
よって最低条件をクリアした上で、つまり一定の公平性は担保しつつも、人口密集地や感染数の多い地域に集中投資する。ここはセンスなのでしょうが、私ならば人口比を5割、傾斜配分用に5割です。傾斜の比率が高いように感じるかもしれませんが、政令市と一般市の人口差は凄まじいものがあり、これぐらいの比率を設けなければ「有意な差」は得られないと考える為です。あくまで私見にはなりますけれども。
一般市側からのクレームはあるかと思いますが、「感染抑制」という考えに立ちかれば、人と人が接する可能性の高いところから集中運用するよりなく、ゆえに準備が整っている自治体にも若干の加配を行うことを条件に交渉します。
スタンダードな考え方ではないでしょうか。 (あくまで私見にはなります。)
大事なことは、ワクチンを熱望する高齢者がいずれの自治体にもおり、現場で対応する市職員が「住民にちゃんと説明できる」だけのロジックとなっている必要があるという点です。そこが満たせるのであれば、どのような方法でも構わない。
後段においては、私個人の考えであるとさらに断ったうえで、高齢者への接種の優先順位にも言及させて頂きたい。
高齢者のみへの接種という国の方針に反発するわけではありませんが、私は「政令市・人口密集地の”高齢者以外の層”」にも早期に接種して良かったのではないかと思っています。難しい政治判断になるとは思いますが、外に出て、かつ人と会う者にこそ接種を急ぐべきです。
果たして若者が接種を希望するかは分かりませんし(ネット上には危険論があることは承知していると断ったうえで)希望する若者にも接種して行った方が、最終的には感染を沈静化させる近道だと思えてならないのです。
郡部、いわゆる田舎においては、都心部から持ち込まれる事例が多いのは事実です。 まずは都心部を抑えなければ、郡部の自治体は守れない。医療体制も貧弱であり、ここはクラスターが発生、重症者が大量に出た場合には本当に対処不可能なのです。
だからこそ、地方議員としては「都市部の感染抑止を最優先」することは方策としてはアリだと思っており、高齢者のみに限定しての接種ではなく、もう一歩踏み込んだ対策があってもよかったのではないかと考えています。
※ しかし、熱望する高齢者が大量に存在する中で、この政策決定を(自分自身がその立場にあったと仮定して)私ができるかと言えば、強く自信を持つこともできないことは正直に述べておきます。
広域連携とワクチンの破棄
冒頭において、豊前市・上毛町・吉富町・築上町の事例を述べました。 これは県内の各所でも起きていることかと思いますが、連携して接種にあたります。
豊前は市政にはなりますが、人口は2万人代であり潤沢な市職員を有するわけではありません。また近隣の���町は独自の接種体制を構築するのは難しいでしょう。そもそも医師会が全ての自治体にあるわけではないのです。
メディアは大規模自治体の事例ばかりを取り上げますが、郡部には郡部の難しさがあるのです。
1市3町で連携し、共通のコールセンター、同じ医師会で対処する。 事例で言えば、Aチーム(豊前町・上毛町)、Bチーム(築上町・吉富町)を編成し、日付けをずらして同じ医師たちが対応する。 これなら効率的です。
事務局は上毛町が受け、コールセンターは築上町が担っています。
冒頭の事例で、私が「破棄の危険」まで述べた理由がここにあるのですが、吉富町は”第一回接種”の100%持っているため、医者側の協力が得られたならば早い段階で①接種が完了します。
しかし、豊前・上毛・築上町は高齢者の3割しか接種が完了しません。弾が足りないからです。 単に不公平感だけではなく、業務がまわらない。
同じコールセンターにおいて、吉富の「2回目接種の予約」と、豊前・築上・上毛の「1回目接種の積み残し」の対応を行うことは無理です。そもそも第一回接種が完了していない築上町の町長・職員が、吉富の2回目接種に負荷を割くことは(地方自治の観点から言えば)異常です。
コールセンターが機能を停止すれば、接種予約そのものができません。
「緊急だから」とのことで、国からの御下命ではありますが、地方自治体には「通常の業務」も併行して行われているのです。介護保険を止めていいのか、課税業務を止めていいのか。
すでに小規模自治体の行政力は、コロナ以前から相当に弱体化しています。市町村合併とパソコ��の導入により、かつてと比較すると地方公務員の数は激減しているのです。効率化を高めていった結果、コスト削減はできましたが、マンパワーは減少しており有事への対処能力は減少していたのです。
「ワクチン予約の電話がつながらない」という抗議とか意見も、役場にはかかってきます。 行橋市(人口7万人)ぐらいの規模であれば、それなりの職員数はおります。うまく編成すれば一時的な負荷分散は可能で、他部門からも応援も見込めます。
けれども町村単位になると全量を投入しても限りがある。 そのための広域連携でした。
「つながらない予約電話」「それに対する抗議」が混在し、職員がボロボロの状態で。。。
【1回目の接種】と【2回目の接種】の予約処理を行うのは不可能です。どうやっても無理なんだ。
では、なぜ広域連携なのかと言えば、ワクチンの有効活用のため、その側面もあったのです。 1箱をあければ975回。これは町村からすると大きすぎるロットなのです。
例えば吉富町の高齢者は2,124人、上毛町は高齢者は2,648人です。 975回とは、接種対象者の半数にあたるわけですが、解凍したワクチン通りの人数が来るでしょうか? では、1100人の接種希望者が来てしまった場合には、2箱目を開けるのか。3週間を空けるため、中途半端に開けてしまった箱の残分を破棄することになっても。
豊前市の人口は25,341人(高齢者9,097人)築上町は、18,119人(高齢者6,569人)。 だから、豊前市と上毛がセット、築上と上毛がセットなのではないでしょうか。私はこの1市3町の議員ではありませんので、この広域化の発端や議論には詳しくありませんが、「ワクチンの破棄分を抑える」効果を期待しての連携であったと考えるのは自然なことだと思います。 (当たりくじは各自治体で管理するも、会場においては同じ箱から出していき順次開梱すれば破棄は極小化できる。)
県が、謎の配分を行った結果どうなったか。 吉富が3箱、豊前が3箱、上毛は1箱、築上は2箱。 吉富は100%、築上29%。
これらのボトムがあわなければ、合同での連携しての接種業務は破綻する。 ならば吉富は3箱を「好きなタイミングでどんどん開ける」と、その分の残分は、場合によっては破棄していかねばならない。
実は、築上町長には話を通さずに動いていたため、先ほどお会いしていたのですが、やはり自らの町民を守らねばならないという観点や、第一回接種・第二回接種の予約作業の混在は「難しいだろう」という考えでしたので、場合によってはコールセンターの統合を解除する可能性だってすでに出ています。 (豊前・上毛・築上は共に高齢者の約3割のため、今後も連携できると思います。)
吉富だけ出て行く形になった場合、吉富町は今から早急に専決処分で予算を通し、スタッフを雇用して体制構築から行わねばなりません。 そして大量のワクチン破棄を行いながら、自前で町民に接種していくよりない。広域で確保した意思を(フリーライドするような形で)残る1市2町が使うことを許したり、築上町のコールセンターが機能するかは分からない。
これは、この1市3町の連携のみの話ではありません。
人口規模の小さな自治体は、恐らく類似の工夫を担当者間で締結していると想定され、この無作為なバラバラのワクチン配布は、構築していた自治体間連携を破壊してしまった可能性が高い。少なくとも前述の4自治体については致命的なヒビが入ったと当職は認識する。
(県は、自治体からの申請数を基準にしたと述べているため、1市3町で申請中の共同歩調をとる予定であったにも関わらず、吉富町が協調を破棄して多く申請したことが発覚しているため。県が止めるべきだったと思う。)
また、築上町町長・上毛町長は頭を抱えており、「じゃ仕方ないかぁ」と笑って許すような表情ではなかった。少なくとも私の見る限りは。
市町村は、それぞれ持ちうる予算も職員数もギリギリの中、一年に渡る「緊急」を延々とこなしてきました。もう、兵隊はいないんです、いないんだ。政令指定都市や都庁とは違うんです。交代要員もいない。
その限られた人的資源を紡ぎ合わせて、それでもゲームチェンジャーとされ、地域住民が期待するワクチン接種に「ギリギリの調整」を組み上げていたんです。こんな乱暴な配布方法は、それを全て破壊する行為だった。
みんなカリカリしている、とても平和的に行こうという空気ではない。 貧すれば鈍するという言葉もあるが、つらい現状があれば「減らされたらどうしよう」と過大に申請した自治体だって出てくるだろう。けれども、それを県が容認してしまえば、全体の破綻を招いてしまう。
実際に、私の目の前で壊れかけている。
これは、県内の各所で生じた「ヒビ」だと思う。 ワクチンは来ても、接種することができるかは分からない。
謝辞
昨日は過去記事を流し込んだのみとなり、少し手を抜かせて頂きました。 その間、命懸けで事務作業をしていた次第です。それは私のことではありません。
何より時間がなかった。 問題発覚が水曜日の昼、ここで各自治体の配布差の問題を知る。 問題は木曜日が祝日であり、平日の金曜日を逃せばGWに突入してしまう。
行政機関の公式の窓口は止まってしまうため、資料の裏取りや首長のコメントはとれなくなる。
与えられた時間は、48時間。
実際に動けるのは金曜日のみ、朝8時から17時まで、実質9時間が勝負。
それまでに必要な資料を準備し(ないから作る)、すべての人間が同時に動かねばならない。
まず、谷畑市長にお礼を書きたい。 相当な多方面に連絡を入れてくださったと思います。 どことどこに連絡というのは教えてくれませんが、行橋市長に、本庄市の吉田信解市長(市長会の委員長)から連絡を頂いています。豊前市にも連絡を入れてくださったと伺いました。
また(本庄市長経由し)市長会の立谷会長(相馬市長)が河野大臣にお伝え頂いたであろうことも。
これを、祝日の一日だけで完了させるというのは、どういう負荷を背負ったのか筆舌に尽くしがたい。 谷畑市長が有する、積み重ねた人間関係、その財産に甘えてしまったというのが実態だ。
私にはできない。
本来は、様々な手続きがある。 私は市長ではないので、ある意味では越権行為だとは思うが、市長会を動かしてくれと要望することは本当は筋違いなのだ。また、谷畑市長は、先日勇退しており現職ではない。物凄く無理をさせてしまったと思う、それでも「頼みます」とお願いしました。
福岡の市長会は、私はアクセスできません。 田中市長に報告しつつ勝手に動きました。その他の市長達には、一部ではありましょうが、上毛町長が連絡を入れてくれました。
そもそも記者は、金曜日の朝一に裏取り(前述の記事の資料は、当時は公開されていなかった)をするため、貫徹で準備をしていました。凄まじい数の自治体に取材をあてていって、それで記事が間に合った。
たった一日の平日、ここに全ての照準をあわせて全処理能力を投入。
正規ルートはとれておらず、あらゆるものをすっ飛ばして対応。 これは本来ならば、行儀の悪い行為であって、仁義をきれたとは言えない。
アニメでいうところの詠唱破棄。 これが許されるのは、事態の緊急性と、日ごろのお付き合い。 (許されてないかもしれませんが。)
豊前市長には市長会から連絡が行っており事態を把握していると推定しますが、1市3町を事例としつつも築上町の新川久三町長には、まったく報告ができていません。 携帯番号を知らなかったから、祝日に連絡をつけることができなかったからです。まったく知らぬ中で、記事だけ出る(築上の名前は出ずとも)のは失礼です。
(平均よりも多い自治体は良いでしょうが、そうではないところには情報共有をしておかないとトップが知らないというのは恥をかかせてしまいます。)
(本来は中間報告を入れつつ動くのが筋です。)
ある程度の目処がついたのは夕刻。
紙面化がほぼ確定の報告を坪根町長にしたところ 「何かして欲しいことはあるか」と言われたので、ワガママを言いました。
上毛町長から築上町長にアポをとってもらったのが18時半頃。当然、庁舎にはおりません。 【いまから行きますから】と押し切ってくれて、新川町長の自宅についたのは19時過ぎでした。
私は、隣接する自治体とはいえ、ただの市議の身分に過ぎないのでありますが、夜中に自宅まで押しかけてお時間を頂きました。まずもって感謝いたします。
報告が遅れたこと、仁義をきってなかったことをお詫びし、現在持ちうる情報を報告しました。
新川町長からは、そこまで君らが粘ったとはと深くお礼を言われ、玄関まで見送ってくれました。
新川町長の携帯番号をゲットした。 今度、町長室も遊びに行っていいって。 やったZE☆
他、各地の地方議会の正副議長級が奔走し、全国の都道府県の配布状況をボトムから逆ハック。 凄い人数が、数日、寝ていない。
一部ではありますが、僭越ながら陣頭指揮をとらせて頂いたことを誇りに思います。 私に賭けてくれたこと、地方行政の矜持を示せたこと、感謝します。
残48時間からスタートし、実際に大臣までつながったこと。 「君だったら間に合うかもしれない、名前は貸すから行きなさい!」って言ってくれたのは嬉しかった。
共に戦ってくれたこと、駆け抜けてくれたこと、 読者の皆様の拡散支援も含め、深く感謝いたします。
ワクチン配布 国、明言ここのニュースは大きく触れる必要はないでしょう。
河野大臣から、PF06、PF07、PF08が示されました。
現在の配布は、PF01~05まで。 PF01~04は少量でトライアルなどに用いられたものです。
本Blogで取り上げた「偏在」は、PF05になります。 ここが高齢者用の大規模納入の開始。
私たちは、PF06において不足自治体との調整、および広域対応をしている自治体の調整を要望する構えでありました。これは都道府県で決定されるものと考えていました。
しかし、PF06~PF08までを国が策定、配布計画として「国が決定」したのです。 昨晩のニュースの中身であります。
実はもうその資料も持っておるのですが、かなりの部分の偏在は解消できるものと期待しています。 最初から国が強権発動できるのであれば、そうしたほうが良かったのかな、とも。
ただ弊害もありまして、都道府県単位で「ここ!」という個所付けができなくなったという課題も残ります。 一気にPF06~PF08まで決めてしまうと、感染爆発などが生じた場合の対応ができません。
とは言え、都道府県単位に(総務省から)取りまとめさせ、基礎自治体に申請させる方式は実際に事故を起こしています。これは大事故と言っていい。
ならば国が早期に乗り出すのも理解はできますし、万が一の大幅不足(地域単位での感染激増)の場合は、何がしかの対処を講じて行けばよい。 どこもかしこも「少しでもワクチンを」となっている以上、それぞれが利害関係者みたいな状況ですから、協議をまとめろというのは無理だったのかもしれません。
下手に余地を残さず、一気に06~08を発表してしまうのは正解かもしれません。
私は、「市」の議員でありますが、他府県の地方議員には申し訳ない思いもあり、ここまでの供給の謎配分は恐らく福岡だけのようです。まだ全県データは見ておりませんが、実は福岡県行政のみが起こした事故という可能性が否定できず、スタートした時点では全貌が見えませんでしたので(また今も把握できていない)ごめんなさい。
公平に、かつ迅速に対応できていた都道府県からすれば、一気にPF08まで固定されてしまったことには弊害もあるかもしれません。
しかし、「いつ、どれだけ入る」という数を、具体的に国が示したことで 「この接種体制で、どこに何人の人員配置」という、純粋な接種体制の構築に集中していけることでしょう。
その計画が立案できるようになったことは、私はやはり喜ぶべきことだと考えております。
スペシャルサンクス 中野区の吉田康一郎議員からは「プリンと羊羹があったら、プリンから先に食べるものだ。物事には優先順位がある。君はいまワクチン偏在問題に特化すべきだ!」という、一瞬、意味が分からない例え話で激励しれくれました。ヘトヘトに疲れていて頭が回っていなくて愚痴ったときです。
私はわけも分からず「プリンも食べたい、羊羹も食べる」と答えたら、「いやプリンのほうが早く痛むから」と言われたので「今度、買ってくれるなら、もう少し頑張る」と答えました。今度、羊羹もプリンも食べさせてくれると信じております。
国希研の同志議員へ。 数日、不在にして申し訳ありません。職権代行を受けてくださった笠間議員に感謝します。
併せて、ウイグルを応援する全国地方議員の会においては幹事長の職を頂いているにも関わらず、他執行部メンバー、代表理事・議員会員の皆様にご迷惑をおかけしました。
もう一両日中には戦線復帰いたします。
↓ウイグル問題の啓発支援にご協力頂ける方は、下記もお願いいたします。↓
ウイグル応援グッズ
保守基金ウイグル応援グッズ | 保守基金https://hosyukikin.jp/category/item/itemgenre/org/uyghur/<strong>ウイグル証言集会</strong><strong> </strong>「ウイグルを応援する全国地方議員の会」が主催し、日本ウイグル協会の共催で実施しています。実際に迫害にあっている方に登壇して頂き、地方議員が同席のもと被害実態を訴えてきまし...
一部ではありますが、僭越ながら陣頭指揮をとらせて頂いたことを誇りに思います。
私に賭けてくれたこと、感謝いたします。
残48時間からスタートし、実際に大臣までつながったこと。
中一日は祝日、分の悪い戦いだった。
「乗った」という声、
「君だったら間に合うかもしれない、名前は貸すから行きなさい!」って言ってくれたこと、
共に地方行政の矜持を示せたこと、戦ってくれたこと、駆け抜けてくれたこと、感謝します。
読者の皆様の拡散支援も含め、深く感謝いたします。
さて、残りの残務を片付けよう。
よう頑張ったという方は、FBのイイネ・シェア、Twitterでの拡散をお願いします。
※ 恐らく表示される人数が極少数になると思うので、とりあえず「見えた」人はイイネをお願いします。一定数がないと、タイムラインにあがらないと思う。私のアカウントの場合は特に。
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kinsen-jozo · 5 years
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酒と珍味
酒はなんでも飲む。食と酒は相棒のようにお互いを呼びあう。
ラムチョップやチーズはワインに限り、ソールムニエルの後のポートワインなんてゲップまで旨い。カルヴァドスにも目がない。
昨今フレンチに日本酒を、和食にワインを提要する店も多いようだが、私はやらない。
中華にはやっぱり紹興酒にする。
福井からへしこが届くと、私の場合もうそれは日本酒しかない。
旨い日本酒を頂くと、地方から珍味を取り寄せて楽しみたくなる。
あるとき好物の多くは発酵食品であることに気付いた。
石川県に河豚の卵巣を塩漬けしたものがある。これは珍味中の珍味で、卵巣を2年ほど塩漬けすることによって猛毒を消すという世界的にも珍しい解毒発酵食品で、いったい何故毒が消えるのか、そのメカニズムは解明されていないらしいが、たまらなく旨い。
石川県のみに存在すると言われ金沢では割と簡単に手に入るのだが、新潟にもあるようだ。実は福井県の高浜町という小さな町でも作られており、五作という河豚料理屋はどうも先代が河豚の養殖を初めて成功させたようで、「ふくのこ」という卵巣漬けを作っているのだが、これが格別に旨く、更に一年酒粕に漬けているため独特の深い甘さがある。
私はそれをスライスしてトースターで少し焦げ目をつけて頂くのだが、初めて口にした時はその旨さにひっくり返った。
日本酒とふくのこをチビチビ頂く至福の時間。
日本海側というのは非常に危険な地域だと思っている。旨いものがあり過ぎる。酒も凄い。さば、にしん、ぶりなどの熟れずしも理性を失ってしまいそうでとても危ない。なんと言っても穫れる魚が違う。その辺のスーパーで売っている魚の旨さに嫌になってしまう。
京都にも中央市場はあって、輸送手段の発達で新鮮な魚もそれなりに手に入り、一部錦市場にも良い魚は並ぶかもしれないが、根本が違う。京都生まれの私にとって、漁港であがった豊かな魚介を日常的に食する暮らしはずっと憧れであった。
日本海の蟹、特に取り決めによって冬の一時期だけ食べられるメスの香箱蟹。小さいので二つでも三つでもいきたくなるが、一つをゆっくり丁寧に向き合う。日本の繊細で静かな味を耳をすますように頂くのだ。
今のところ最後の晩餐は香箱蟹と決めている。
発酵食品といえば、沖縄の豆腐ようもまた好物で、時折取り寄せては泡盛か日本酒でいじましく頂く。これもたまらん。
そして、滋賀県の鮒寿司。寿司の原型とも言われ、古くは東南アジアからその手法が伝わり、滋賀県では古くから正月や結婚式などのハレの日に頂く大切な郷土料理らしい。
琵琶湖のフナを米と塩漬けし乳酸発酵させるのだが、その独特の匂いが苦手と言う人も多い。実際私が幼い頃、父は好物の鮒寿司を樽で取り寄せており、よくまあこんな臭いものを嬉しそうに食べるものだと不思議に思っていた。
ブラックバスなどの外来魚によって琵琶湖の生態が崩れフナが高騰し、結果鮒寿司も高価なものとなってしまい、父も樽で頼むことはなくなった。阪本屋という老舗から届いていたが、親戚関係にあると知った。
私も大人になり酒を覚えた頃に改めて口にしたが、これが旨かった。
日本の四季、それぞれの風土の中から智恵と技により見事に生まれた食文化の数々に、ただ感心する。
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yokotayokota · 5 years
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20190322~26 台湾
念願の台湾!案外簡単!エバー航空で行ってきたよ。目指すは高雄空港。
日式チキンカレーをチョイス。黄桃が入ったサラダが好みだった。デザートはなめらかなういろうみたいなやつ。何やったんやろ。コーヒーも薄目で好み。
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昼食中の店員さんからSIMカードを買い、あたふたしつつもファミマで予約してたチケットを発券し、ノリで悠遊カードを買い、空港から地下鉄へ乗りこみ、ホテルのある鹽埕埔へ。
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異国なのに異国な気がしない!!!
ホテルまで歩いてすぐやけど暑い~てことで早速タピオカドリンク!
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何が何だかわかんねぇ!カウンターにいくと英語表記のメニューがあったのでなんとか注文。ジャスミンミルクティーのタピオカ小さめ。
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ホテルはエクスペディアで予約したレジェントホテルピア2。ドミトリーからファミリールームまであるし、何といってもリーズナブル!かつオシャレ~。3泊もするので安いと助かる。ツインルーム朝食付き3泊4日で約6,500円。フロントには日本語が話せるスタッフさんがいてとてもお世話になった。チェックイン時におススメの夜市を教えてもらったので、当初行く予定だった六合夜市から予定を変更してそちらへ行くことに。
地下鉄に乗り瑞豐夜市へ。ディープ!地元の人でいっぱい!怪しいゲームがいっぱいで見てるだけども面白かった。
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食べ物もいろんなジャンルのお店があって迷ったけど、事前にネットで見て気になったステーキ店へ!
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デミグラスソースがかかったあっつあっつのステーキ!チキンとビーフをチョイスして2人でシェア。その場の空気もあってかやたら美味かった。下にある麺も美味い!ご飯がなくてもこれひとつで満足いく。セルフサービスのスープも謎にうまい!肉を食べてる間見ていたのは…
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ジェラート!ステーキ店の真ん前にジェラート屋があるこの立地!わかってるな?チョコミントとシナモンクッキー味のダブルをチョイス。癒し。
鹽埕埔に戻り、愛河クルージング。安い。観光感!添乗員さん、ずっと喋ってたな。
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雰囲気が中之島に似てたな。このライオンも…大阪におるよね?
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くたくたで爆睡。
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<2日目>
朝食ビュッフェ、案外種類が豊富で食べ応えがあった。ルーローハンもできちゃう。毎朝食べた。今回の旅の目的、大港開唱へ。会場までホテルから徒歩すぐ!これ大事!天気は曇、というか小雨。
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フェス感ある!一番大きいステージではリハを行っていた。そのリハでやってた曲が超好みで、これ誰!!誰よ!!!となり、グッズ列にいた若者たちにタイムテーブルを見せステージを指さし「Who BAND?誰!?」と聞くも「わからんね~ん!」と言われ自力で解決。Spotifyで聞いてたバンド、  随性 (Random)でした~!絶対ライブを見ると決めた。
うろうろしつつチケットをリストバンドに引き換えに行った。日本のフェスなら2日間開催なら1枚のチケットで2日分だけど、このフェスは2日通し券も1枚ずつのチケットが発券された。この日は雨だったから、濡れて破れないようにこの日のチケットだけもってきたんやけど、それだど2日通しのリストバンドに引き換えれない!ということが判明。やってもーた!ホテルにチケットを取りに帰ろうとするも、スタッフさんが必死に何とかしようとしてくれた…優しい。が!思ってた以上に大変な様子!いやこれ以上困らせたくない!っちゅうことでめっちゃホテル近いから大丈夫!ありがとう!と伝えるとあちらも安心したようだった…親日親日とは聞いてたけどこんなに優しいとは思わなかったよ~!いや~勉強になった。ちなみにこのフェスは台湾以外からの参加者のチケット購入ができるシステムもある。通常よりちょい高。ゆうてもチケット代、2日通しで約7,500円やからね。日本のフェスに1日行くより安いよ!
とりあえずビールで。
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フェス飯も魅力的やったけど、結構な雨が降ってきたのでおしゃんなお店に入って食べたよ。職業柄ハンバーガー���かサンドイッチとか気になってしまう。
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腹ごしらえをしてライブハウスで伝統芸能を見る。こうゆうのがプログラムに組まれてるフェスっていいよね。これBGMが生演奏なんよね、面白い。
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音源聞いてて、ええな~てなってた共犯結構(Accomplices)。台湾ハードコア。え~日本で見たいよ~HOKAGEで見たいよ~。
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写真手前からフジロックのレインポンチョ、bachoのキャップ、京都大作戦のレインポンチョ…日本やん!!この時わりと雨が降ってたんやけどオーディエンスもぐちゃぐちゃになってて楽しかった。しかもこのステージは無料。通りすがりの人もモッシュゾーンでわちゃわちゃしててカオティック。セーラー服着た子がワイン瓶持ってたりしてて良かった。
メインステージ。雨でも安心アスファルト!
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人生音楽ってのは、「人生は音楽フェスティバル、音楽フェスティバルは人生」というこのフェスのテーマらしい。素晴らしい。泣いちゃう。
ランダムのライブ、初めて見たとは思えないほどスッと耳に入ってきた~!好き~。日本にきてくださ~い!!サブスクで買えるけどCD買っちゃったよ!
バカテクインストバンド・體熊專科(Major in body bear)、イギリスのダークサイケロックバンド・THE UNDERGROUND YOUTH、ブッチャーズ感あるオルタナバンド・非人物種(Inhuman)を見たり、ビールを飲んだり。
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会場のそばにお店がいくつもあるから、すぐに休憩できるのがいいよね~。飲食店だけじゃなくて雑貨屋もあるからついつい見てしまう。パイナップルケーキの名店、サニーヒルズまであるんやから入っちゃうよね。
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疲れた体に沁みる~お茶もうま~。
台湾バージョンの打首獄門同好会。 岩下の新生姜の新生姜が台湾産と知り驚いた!なんちゅう繋がり!魚が食べたくなったよ~。
 この日のトリは閃靈(CHTHONIC)!何気に見るのは2回目。本場のソニックさんやっぱ凄いわ。登場SEが流れると、オーディエンスが冥紙という黄色い紙を巻きまくりだす。 冥紙というのはあの世のお金。神様へ捧げるお金とのこと。沖縄にも似た風習があったはず。 この冥紙がいろんなところで舞い上げられる様子はとても綺麗で、ソニックの重みと厚みのあるサウンドとのギャップが素敵だった。
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私の近くにはドリスメイクをした幼い女の子が冥紙を持ってウロウロしていた。終わった後の掃除ってどうすんやろと疑問に思いインスタを見ていると、オーディエンスが拾って持って帰っていた。流石。
晩御飯はコンビニでカップ麺を買ってすましたけど充分美味しくて感動。
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<3日目>
快眠!朝からこち亀を見て笑う、平和な1日の始まりだよ~。前日は雨でなかなか辛かったけど、この日は雨降らず!オフィシャルグッズ欲しかったけど、1日目に売り切ったみたいで買えなかった~!日本のフェスとの違いが地味にある。韓国のメロウサーフバンド・say sue meのTシャツを購入。
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このランダムのコーチジャケットかなり欲しいな。今でも欲しい。ゲートで写真を撮りまくり、アート観光。
哈瑪星台湾鉄道館にてミニ新幹線に乗車。チケットデザイン良すぎ。
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日本じゃ子どもしか乗ったらあかん雰囲気があるけど、ここじゃ大人だけでも大歓迎!しかもこれは…JのRの…。わりと長い時間乗車。
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せっかくなので実際のメトロにも乗車。
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鉄道むすめ的な女子、駅にはパネルがあったよ。料金の支払い方法がガバガバすぎて凄い。信頼で成り立ってる。
メタルバンド・暴君を見て、昼食の為フェス会場から少し離れた港園牛肉麵へ。人気!列ができてたし、フェスに出演するアーティストもいたし、なんと日本人観光客もいた!(台湾に来てからほぼ日本人に遭遇してなかった)
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あっさりめで醤油ベースやから日本人にも食べやすい味やった。そしてボリュームが凄い!机にニンニクと唐辛子が置かれてたから、徐々に味変させて食べてたんやけど、最終的に激辛になって汗だく!甘いもん欲しいな!となり即、樺達奶茶へ。
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ここも軽く列ができてた。私がチョイスしたのはタピオカが入れれないやつやったんやけど、それでよかった。満腹!でかいな~と思ってたけどすぐに飲み切った。
名前からして見らなあかん、血肉果汁機(Flesh Juicer)、ゴリゴリの重めのミクスチャー…好きやな。ゆる~~~くsay sue me見たりyonige見たりなんやらかんやらして、女王蜂。現地の人がジュリ扇振ってるし、何回も台湾でライブしてるんかと思ったら2回目?かなんかでビックリ。大トリの滅火器(Fire ex.)!これがもう本当に台湾に来てよかった~となった。事前情報で台湾版エアージャム系バンドと聞いてて、その時点で好きやなとは勘付いてたけど、ここまで良いとは!
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知らん曲でも知ってるように聞こえる!15年前から聞いてたんかな?ってぐらい馴染みある感じ。でも新しい~なにこれ不思議!近くにいた親切な台湾人女性が「さっき映し出されたのは高雄の前市長でね~」とか説明してくれたり、モッシュゾーンに突っ込んでったら「結構激しいよ?大丈夫??」と心配してくれたりですっごい優しかった。ライブが終わってから感謝の意を伝えたかったけど、もういなくなってた~!あの人がいなかったら今の台湾が抱える問題と、このライブの伝えたいこととかの繋がりや意味合いが理解できなかった!台湾問題のこともまともに調べずに入国した自分が恥ずかしい。沢山のオーディエンスが”台湾独立”と書かれたフラッグを掲げていた。滅火器は音楽だけじゃなく、芯が通った精神もエアージャム世代のバンドと似ている。こういった存在のバンドがいるのって凄いことやし、もっと日本人にも知ってもらいたい。と思ったら…めっちゃ来日してるやん!!せやのに私は知らなかった。え?みんな知ってた?知ってたら行ってたよこんなかっこいいバンド。でも、初めて見たライブが台湾のライブでよかった。日本で見てたらこんなに響いてなかったかもしれん。日本に来た時はまた見たい。でもやっぱりまた台湾で見たいな~。ライブが終わるとオーディエンスが落ちているゴミを拾っていた。
滅火器のライブを見て、このフェスのテーマである「人生 音楽」というのがよく分かった。フェスを終えて、台湾のオーディエンスは自由に思いっきりライブを楽しんでいるという印象が大きかった。これは日本に比べて規制が少ないということもあるんやろうけど!どうしても日本人は「こうじゃないといけない」「みんなと同じように」みたいな概念がこびりついてる気がした。10数年ライブやフェスに通っていて、これだけ新鮮な気持ちになれるとは驚いた。
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この日もコンビニ飯。全部美味い。
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マグカップに入ってる一口爆弾餅みたいな名前の冷凍食品が美味しすぎて、日本のファミマでも売ってださいってレベル。
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<4日目>
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お世話になったレジェンドホテルに別れを告げ、新幹線で台北へ。
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鉄道会社の駅弁!種類が豊富やった。肉も食べたかったけど、数日間食べてなかったので魚をチョイス。新幹線は噂通り日本の物と同じだった。
あれやこれやして台北まであっという間。あいにくの雨!初めてUberを使ったけど安いし便利でこりゃええな。ぼったくられへんし、目的地言わんでもええし。一回Uberで配車頼んだら、向かってるのと違う車がきて「あんたさっき呼んでたやろ?」て言われたのは驚いたけど…(拒否したよ)。
アニメイトに行ったり迪化街に行ったりカルフールに行ったり。 迪化街 は見るものすべて魅力的で理性を保つのに必死になった。小花園でチャイナシューズを買ったけど、履き心地良すぎて次行ったら安い店で何足も買いたいぐらい!建物がツボを突きまくってきて困った。建築目当てででも行きたいよ~。
ホテルは中山駅近くのダンディホテル天津へ。こちらも1泊約5,700円で部屋広いし朝食ついてるしバスタブあるし良すぎた~!西門町は台湾の原宿と言われるほどには東京みたいやった。どっちかゆうたら渋谷ちゃうんかな?中山に戻ってきて台湾式海鮮居酒屋へ。 日本語メニューがあるとの情報を得て33区熱炒をチョイス。たばこを吸うか聞かれ、吸わんでというと綺麗目の店舗へ通された。
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新鮮さがウリらしい。
カニみそと厚揚げ��煮た?もの。エビも入ってて美味しすぎる。
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  イカとセロリの炒め物。完全にビールのアテ!
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焼き豚を酢で食べるやつ。さっぱり!天才か…。
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ビールはセルフサービス。意外と種類がある。
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1品の量が多いから2人やと3品で満足。ビックリするほど安かった。忘れたけど安かった。天満あたりにこの店欲しい。
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<5日目>
夜にめっちゃ食べたから朝飯全然食えへんわ~と思ってたけど朝食ビュッフェ、めっちゃ食べたわ。どれも美味しかったし、よく見たらスペシャルメニューがある。台湾式卵焼き!これ!食べたかったやつやん!
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頼んだら焼いて持ってきてくれた。なんて贅沢な!かなり満足した。
台北駅でギリギリ滑り込み飛行機のチェックインもして荷物も預けれた。あのシステムめっちゃええね。関空もなんばあたりでできたらええのに。
桃園空港をぶらぶら。これが噂の!
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はぁ…かわい…。飛行機は念願のサンリオジェット!
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なんにでもキティさんおるね!ちゃっかりトランプも頂き、素敵な空の旅を満喫して関空へ戻ってきたよ。
台湾、聞いてた以上に素敵な国やった。定番の観光地に行ってないのが自分らしいよね。なんせまた行きたい理由が多すぎる!知れば知るほど興味深い。まだまだ余韻に浸れるわ~。
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splitterselbst · 2 years
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5.20
京都にきた。かかりつけ医にかかるためだけど、コロナ禍で来院できなかったので一年以上振りの診察。
京都でこんな気候は多分年に一、二回しかない様な爽やかな日。暑くない。湿気がないから。最高。いつもなら振り切れないそれがまとわりついてくるのに今日は気分も晴れやか。
散策などしたい所だけど、今日は病院の前に用事がある。タスクは肉親の食事作りともうひとりの肉親宅の掃除。
コロナ禍で人の行き来が減り、恐らく色々なところで問題は山積みだ。
実家で食事を作る。この家はいつ来てもきちんと掃除されており、そこに変化は見られないので安心する。メダカや金魚も元気だ。サボテンも不気味なほどブキブキしている。
何年も誰も触っていない本棚の上の上に積まれている本でさえ埃ひとつかぶっていない。それが幼い頃から当たり前だったのでまあ、ある意味恐ろしい。何が? 私の今が、である。
何年も使用されてない調理器具さえピカピカ、使用頻度の高くない包丁も完璧に研がれていて切れ味抜群、私が毎日使っている包丁とは雲泥の差である。驚いていたらコーナンに売ってる研ぎ道具がいいねんとすすめられた。流石コーナン���好きっ子。
食事作りを中断して病院に急ぐ。コロナ禍で予約が取りにくく行きにくかったがようやく当日受付が開始された。
5時から受付開始なので4時30分に家を出た。青々とした桜並木の疏水沿いを急ぐ。ここの桜はもう何年も見てないな。15分前着で先に3人並んでいた。しかも1人は私の十歩先くらいを歩いていたので何か悔しい。もっと早く出るべきだったか。時間になり扉が開く。急階段に立って待ってたので足取りが重い。
受付を終えてトップバッター2名が初診と知る。やばい。診察室から2名の患者さんが退室してくる。一瞬⁇となったが、午前診療のラストを飾る方達だと気付く。やはり恐ろしく長い待ち時間は変わってなさそう。
5時7分、先生が診察室から出てしばらくして戻り、5時35分に1人目の診察が始まった。6時40分に2人目の診察が終わらない辺りから時計を見るのをやめたが、私が実家に再び戻ってきたのは8時過ぎだった。9時には阪急河原町まで戻らないと神戸に帰れない。久しぶりの通院を舐めていた。病院とは待ち時間ありき…。
先生に「貴方はこの薬を使える条件を満たしている」と新薬をすすめられる。高額なのでと遠慮する。新薬の事はネット記事にもなっていたので断るスピードは早い。
先生もそうそう芸能人の方がラジオですすめて広まったんですよねと乗ってくる。そうそう誰でしたっけ、ほらあの、芸人さんですよね。…あの…ほら、あの人ですよね。そうそうあのひとです、あの……2人とも顔は浮かんでいるのに名前が出ない。
仕方がないと、どちらともなく「春日じゃないほうですよね」と言うしかなく盛り上がる。こんな話をしてるから待ち時間長いんですよね。
それにしてもここ数年、春日じゃないほうの人の単独番組見たりしてるし、何なら春日じゃないほうの人を春日より5倍くらい見てるのに、彼の名前が出ないなんて、春日じゃないほうの人は本当に不憫だ。ごめん。春日じゃないほうの人。たぶん日本中で謝られていると思うけど、今も思い出せない。
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theatrum-wl · 6 years
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【劇評】【レポート】どこにもない演劇のまち、西和賀:東北の湖畔の町で見た演劇の風景
第26回  銀河ホール地域演劇祭(2018/09/01-09/02) 片山 幹生
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〔西和賀町文化創造館銀河ホールの空撮。���前は錦秋湖〕
岩手県と秋田県の県境、奥羽山脈のただ中にある西和賀町は人口5000人ほどの小さな町だ。この町には客席300ほどの公営の劇場、西和賀町文化創造館  銀河ホールがある。この劇場では1993年の開館以来、毎年地域演劇祭が開催されている。第26回銀河ホール地域演劇祭は2018年9月1日(土)と2日(日)に開催され、4団体4作品が上演された。今回上演された4作品はすべて宮沢賢治の作品だった。本稿ではこの4作品の舞台評のほか、銀河ホールというユニークな地方公共劇場の活動と地域演劇祭の様子について紹介していきたい。
劇団あしぶえ『セロ弾きのゴーシュ』
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〔劇団あしぶえ『セロ弾きのゴーシュ』〕
銀河ホール地域演劇祭の最初の演目は、島根県松江市の公設民営劇場〈しいの実シアター〉を拠点する劇団あしぶえの『セロ弾きのゴーシュ』だった。あしぶえは2016年に創設50年を迎えた長い活動歴を持つ劇団だ。『セロ弾きのゴーシュ』はあしぶえが28年にわたって上演し続けている劇団の最重要レパートリーであり、アメリカ、カナダの演劇祭でいくつかの賞を受賞している。
『セロ弾きのゴーシュ』の筋立てはごくシンプルなものだ。しかしあしぶえの公演ではそのシンプルな物語が、ミニマルな舞台美術とストイックな演出によって、さらに研ぎ澄まされたものになっていた。徹底的に磨き抜かれた鉱物の結晶のような美しさを持つ舞台だった。張り詰めた緊張感が最初から最後まで維持され、冗長さはまったく感じられない。
自尊心を徹底的に打ち砕かれ、絶望で自暴自棄の状態に陥りそうになりながら、ぎりぎりのところでゴーシュは破滅への転落をまぬがれた。夜中にゴーシュの家にやってきた何匹かの動物の前で演奏することで、ゴーシュのセロは上達し、自尊心を回復する。次の演奏会でゴーシュはそれまで自分を罵倒していた指揮者から賞賛を受ける。彼はそれまで自分がどれほど傷ついていたことさえ気がついていなかった。演奏会が終了し、帰宅して一人になったときになってはじめて、ゴーシュは自分を絶望の淵から救い出してくれた動物たちの無償の優しさに気づく。
劇の最後で彼の口から漏れる感謝の言葉の真実に、私は強く心打たれた。
俳優の表現のあらゆるディテールにまで注意が払われていることが感じとることができた舞台だった。きびしくコントールされた俳優の演技は、ゴーシュの情念の動きを精密に、ダイナミックに描き出している。ゴーシュの絶望ともがき、いらだちが、舞台から豊かなニュアンスとともにまっすぐ観客席に伝わってくる。ゴーシュ役の俳優の演技にひきこまれ、観客の多くはゴーシュの重苦しさを共有していたに違いない。
なぜゴーシュが動物たちの出会いによって停滞から抜け出せすことができたのか、動物たちはなぜゴーシュの家にやってきたのか、そしてゴーシュが最初にやってきた猫に対して謝罪しなかったのはなぜなのか。いくつもの「なぜ?」に対する回答はあしぶえの舞台でも宙ぶらりんのまま提示されない。『セロ弾きのゴーシュ』はハッピーエンドの物語だろうか。ゴーシュに感情移入していた観客は、ゴーシュの演奏の成功にカタルシスは感じた者もいるだろう。終幕のゴーシュは確かに絶望からの解放を味わっていた。しかしその解放感は愚かで未熟な自分へのいくばくかの悔恨を伴っている。彼は喜びよりは、深い虚脱感をあのとき味わっていたのではないだろうか。そんなことを感じさせる演出だった。
物語を舞台化するにあたって、雑多な情報を持つ俳優の身体や舞台空間が、作品を過剰に説明的なものにし、そのノイズによって語りの持っていた本質的な魅力を損なってしまうことがままある。あしぶえの『セロ弾きのゴーシュ』は、これとは逆だ。俳優の存在と舞台空間の抽象性が、物語の純度をさらに高め、作品に内在する象徴性を際立たせることに成功している。ほぼ唯一の具象的美術であるチェロの存在が、この舞台ではなんと雄弁なことか。28年に渡る上演のなかでテクストと真摯に向かい合ってきたからこそ、到達することができた表現の逆説だろう。強くて美しい舞台だった。(9月1日14時開演@銀河ホール)
劇団田中直樹と仲間たち『水仙月の四日』
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〔劇団田中直樹と仲間たち『水仙月の四月』〕
地域演劇祭、二本目は西和賀在住の〈田中直樹と仲間たち〉による『水仙月の四日』を見た。この公演は田中ひとりよって語り、演じられる人形芝居だった。
田中直樹はもともとは地元の劇団ぶどう座に所属していたが、考え方の違いからぶどう座を離れ、ソロで公演を行っていると聞いた。会場は銀河ホールに隣接するUホール。Uホールの建物は円錐形のとんがり屋根と赤い壁の可愛らしい建物で一階は図書館になっている。二階のUホールは円形平面で、リハーサル室・会議室として利用されている場所とのこと。観客は床に座って見るが、今回の公演では後ろの壁際に何脚かパイプ椅子が用意されていた。
『水仙月の四日』は吹雪の一夜を雪原でやり過ごす少年の話だ。舞台が始まる前に田中から、タイトルの「水仙月」と作品冒頭で出てくる「カリメラ」という語についての説明がある。これらの語はいずれもは宮沢賢治の造語で、水仙月は2月から3月の雪深く寒い時期、「カリメラ」は「赤砂糖���一つまみ入れて、それからザラメを一つまみ入れる。水をたして、あとはくつくつくつと煮る」とテクストにあるので、おそらく「キャラメル」を指す。
『水仙月の四日』は日本有数の豪雪地帯であるこの付近の人々にとっては、とりわけその情景がはっきりと思い浮かぶ作品に違いない。田中直樹は赤いケット(毛布)をかぶった少年とその少年を見守る雪童子を15センチほどの小さな人形に演じさせた。これに対して吹雪のアレゴリーである雪狼は人間の顔と同じくらいの大きさの仮面、そして大吹雪のアレゴリーの雪婆は人間をすっぽり覆い尽くす大きさの紙製の面で表現していた。雪婆が登場する場面では照明が暗くなり、蛍光ライトで雪婆の巨大な顔が白く照らし出される。小さい子供たちは狭い舞台を走り回る雪狼と雪婆を怖がっていた。
少年と雪童子を小型の人形にしたことで、白くて厳しい大自然に翻弄される人間の様子が強調された。また白い美術のなかでの少年の着た鮮やかな赤のケットの色彩の対比も印象的だった。小品だが配慮のいきとどいた工夫の数々によって、大人の観客も子供の観客も異世界に誘う、優れた演出の公演だった。人形と紙製の大きなオブジェ、紙吹雪といった材料はこの作品の上演を考えると定番的な素材だが、そのスペクタクルが作り出す幻想は、宮沢賢治の物語を冗語的に説明するのではなく、その語りの美しさをより印象的に引き立てるものになっていた。(9月1日15時半開演@Uホール)
栗田桃子(文学座)ソロ朗読劇『銀河鉄道の夜』
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〔栗田桃子(文学座)ソロ朗読劇『銀河鉄道の夜』〕
銀河ホール地域演劇祭の二日目(9/2)の最初の演目は、文学座の栗田桃子によるソロ朗読劇『銀河鉄道の夜』だった。
会場は銀河ホール。舞台にはいくつものキャンドルが並べられ、中央に椅子が一脚置かれている。背景には静止画の映像が映し出される。栗田はときおり、椅子を立ったり、座ったり、あるいは歩き回ったりしながら、声色で人物を演じ分けて朗読する。
動きもスマートだし、朗読も達者ではあるが、その動作や声色の変化がことごとく定型的で、テクストに書いてあることをそのまま冗語的、説明的になぞっているに過ぎない。テクストの記述に反射的に反応するような中途半端な工夫は、かえってテクストの世界を矮小化し、観客が世界に入り込むことを妨げてしまう。あれなら座ったまま普通に読んだほうがまだ聞き手の想像力を刺激することができるだろう。広い間口の舞台で栗田の芝居が空回りしていた。栗田桃子という魅力的な女優を使った朗読劇がこんなありさまなのはいかにももったいない。演出家あるいは演者の作品に対する思い入れや独自の解釈などを感じとることができない退屈な朗読劇だった。「朗読劇ってこんなものだろう」という演出家の作品に対する取り組みの甘さを感じてしまう。
演出の単調さと照明の暗さで、五分もすると猛烈な眠気の波が襲いかかってくた。私の周囲の観客にも観客も落ちていた人がかなりいた。公演後のアフタートークで宮沢賢治記念館の学芸員と演出の西本由香の話があったが、このアフタトークでも西本の話ははなはだ曖昧模糊としていて、学芸員の語る興味深いエピソードとの対比で、演出家の作品への関心の薄さが露わになっていた。(9月2日14時開演@銀河ホール)
劇団ぶどう座『植物医師』@ぶどう座稽古場
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〔劇団ぶどう座『植物医師』〕
銀河ホール地域演劇祭で最後に見た演目は、この地を拠点に1950年以降活動を続けているぶどう座の『植物医師』だった。これは他の上演作品のような翻案ではなく、宮沢賢治の書いた短編戯曲の上演だ。私はこの戯曲を読んだことがなかったし、上演を見たことがなかった。ぶどう座は、近年は主宰の川村光夫が高齢(現在96歳)のため実質的に引退状態で、かつてと比べると活動力が大幅に衰えているという話を聞いていたのが、この『植物医師』の公演はその衰退ぶりを感じさせない充実した内容の公演だった。
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〔ぶどう座稽古場〕
公演会場は1960年代に建てられたというぶどう座の稽古場である。まさに芝居小屋といった風情の公演会場に、芝居が始まる前から心が浮き立つ。稽古場は北上線の踏切のすぐそばに、踏切の番小屋のように建っている。舞台の間口は6メートルくらいか。舞台奥の壁はさまざまな色の大きな布で覆われている。客席は板間平面と三、四段の段状、詰めれば40人ぐらいは座れると思う。
芝居の始まる前に、劇のオープニングで歌われる宮沢賢治作詞の《花巻農学校精神歌》の練習があった。観客もこの歌を一緒に歌うようにうながされる。これは楽しい趣向だった。
『植物医師』は上演時間30分ほどの小篇だ。岩手のとある村に《植物医師》を名乗る人物が引っ越してきて、植物病院を開業する。しかしこの植物医師の専門家としての知識はどうもいい加減なもののようで、いかにもうさんくさい人物だ。開業した植物病院に村人たちが次々とやってきて、枯れてしまった稲の治療法を訪ねる。植物医師はでまかせのいい加減な対処法を村人たちに伝え、お金を取る。いんちき治療法で易々とお金を稼いだ植物医師だが、彼の処方では稲の被害は収まるどころか、ますます拡大していく。村人たちが医院に戻ってきて植物医師を詰問する。植物医師は口舌でなんとかそれらの非難を丸め込もうとするが、最後には言い返す言葉もなくなり、村人たちの怒りの言葉にうなだれてしまう。善良でお人好しの村人たちはうなだれた植物医師を見て、彼に同情しはじめる。そして先ほどまでの怒りを収め、植物医師を許すのだ。その許しの言葉は、植物医師にとっては怒りにまかせた批判の言葉よりもはるかに重く感じられた。植物医師はますます打ちひしがれてしまう。
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〔ぶどう座稽古場内部〕
村人たちが入れ替わり立ち替わり植物医師のもとを訪れ、アドバイスを求める場面では、民話によく見られる同種のやりとりの反復とそのエスカレートが、笑いの効果を作り出している。岩手弁のユーモラスな響きがさらに場面の喜劇性を高めていた。不正に対する怒りと非難よりも、不正に行った人間への大らかな優しさと許しこそが力を持つという宮沢賢治らしい倫理が結末で提示されるが、最後の場面の急転が作り出すドラマの力強さと素朴さに心打たれた。村人たちの許しのことばが発せられるたびに、かがんだ体がどんどん下がり、苦悶と戸惑いの表情が深くなっていく演出と演技は見事だった。
芝居小屋の雰囲気もこの作品の上演にいかにもふさわしいものだった。まさに岩手で岩手の人たちによって演じられることによって、この『植物医師』はいっそう味わい深い作品となっていた。この地でのぶどう座の活動の歴史が染みついた稽古場で、この作品を見られて本当によかった。
終演後には稽古場内で打ち上げがあり、私も短い時間ではあったが、出演メンバーとぶどう座の旧メンバーの方々と座を囲んだ。『植物医師』は主宰の川村光夫演出でもかつて公演をおこなったが、それは27年前のことだと言う。今回の公演の演出を担当した菊池啓二さんに「今回の上演は川村さんの演出を蹈襲したものなのですか?」と聞くと「いや、前の上演はもうだいぶ昔の話で、私も見ていないし。まあ川村風にはやりました(笑)」と仰っていた。
今回のキャストには二十歳台の青年も二名参加していた。彼らは昨年から活動を始めた銀河ホール演劇部の部員だと言う。銀河ホール演劇部は、アートコーディネイターの小堀陽平氏の主導で昨年から活動を始めたサークルだ。小堀さんは「ぶどう座の表現は、この地域の人たちの身体と言葉、感覚に根ざしたものなので、銀河ホールで演劇部を作って活動をはじめましたが、外からやってきた僕たちが作る演劇が、ぶどう座を引き継ぐものにはなり得ないように思うのです。やはりぶどう座は土地の人が継承していくものだと考えています」というようなことを言っていたが、実際に公演を見るとそれが実感できる。
地域演劇祭の締めくくりでこの公演を見、そして短い時間ながらぶど���座の人たちと交流の時間を得ることがでいたのは私にとってはとても有意義なことだった。(9月2日17時開演@ぶどう座稽古場)
地域演劇祭と西和賀町文化創造館 銀河ホールの活動
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〔銀河ホール(後側)とUホール(手前側)〕
西和賀町文化創造館 銀河ホールのことを私が知ったのは二年ほど前のことだ。この劇場が、年に一度の地域演劇祭のみならず、地域に根ざした様々な演劇活動を積極的に行っていること、この地を本拠とする60年以上の伝統を持つぶどう座という劇団があること、劇場の活動の軸となっているのが東京出身で日芸OBのまだ若い青年であることなどを知ったことで好奇心をかき立てられ、いつか訪ねてみたいと思っていた劇場だった。演劇は都市のものという固定観念があった私にとって、東北の山間にある小さな劇場で多彩な演劇活動が行われていることが驚くべきことのように思えたのだ。
銀河ホールはJR北上線ほっとゆだ駅から歩いて数分のところにある。ほっとゆだ駅は北上駅から50分ほど。東京駅から北上駅までは東北新幹線で2時間半から3時間かかるので、東京からだと4時間ぐらいで銀河ホールに行くことができる。地図からの印象より案外近く感じられる。
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〔北上線ほっとゆだ駅。駅舎に公衆温泉が附属している〕
西和賀町文化創造館は、銀河ホールのある本館とUホールの別館からなっている。約三百席の銀河ホールの客席はゆったりとしていて、舞台までの距離も遠くない。暖かみのある落ち着いた木製の��装で、芝居を楽しむには理想的な空間だ。劇場の背景に広がるダム湖、錦秋湖の風景が美しい。錦秋湖の湖畔には、野外ステージもあった。
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〔銀河ホールの裏手にある野外湖畔ステージ。後ろは錦秋湖〕
人口5000人程度の自治体でこんな立派な公共劇場を持っているところはそんなにないのではないだろうか。西和賀町で演劇が特権的な文化活動になっているのは、この町で60年以上活動を続ける劇団ぶどう座の存在に負うところが大きい。ぶどう座は川村光夫という優れた演劇人のもと、地域演劇の担い手として充実した活動を行い、戦後日本演劇史に重要な足跡を残した。このぶどう座の活動実績があったからこそ、銀河ホールという公共劇場の建設が可能になったのだ。
西和賀町文化創造館(当時はゆだ文化創造館)は1993年に開催された〈第8回国民文化祭いわて’93 〉の会場として建設された。この国民文化祭を兼ねたかたちで〈第1回銀河ホール地域演劇祭〉が行われ、以後、地域文化祭は毎年秋に開催されている。当時、湯田町(2005年に沢内村と合併して西和賀町となる)の役場の職員で、この劇場運営の中核だった新田満氏に話をうかがったのだが、開館から2000年代半ばまでの銀河ホールの活動は目覚ましいものがある。毎年の地域演劇祭の開催のほか、町民を対象とした演劇学校、小中学校での音楽劇制作、行政的区画を超えた高齢者による演劇公演、そしてロシアとアメリカの演劇人を招聘し三週間にわたって行われた大規模な国際的演劇交流事業など、地方の小さな町の公共劇場としては驚異的な活動を展開していく。
しかしこの初期の黄金時代は、こうした活動に熱意をもって取り組んできたキーパーソンの退職とともに終焉を迎える。地域劇団として銀河ホールの活動に大きな影響を持っていたと思われるぶどう座も、主宰の川村光夫の高齢化とともに、活動力が低下していった。おそらく湯田町が沢内村との合併で西和賀町となり、役所内の組織にも大きな改編があった2005年以降、銀河ホールの活動は停滞期に入ったように思われる。
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〔銀河ホール内部〕
西和賀が演劇のまちとして再活性化しはじめるのは2011年以降のことだ。きっかけは2012年以降現在まで継続的に行われている《ギンガク》という学生演劇合宿事業だ。この事業の立ち上げで中心的な役割を果たしたのが、当時、日芸の大学院生だった小堀陽平さんだ。今回の滞在では小堀さんからも彼と西和賀町との関わり、銀河ホールの活動について話を聞いた。
彼は2014年以降、地域おこし協力隊の一員として西和賀町に移住し、《ギンガク》の活動のみならず、銀河ホールを核としたさまざまな演劇事業を企画・遂行していく。地域おこし協力隊の3年の任期が終了した2017年度以降、西和賀町は「銀河ホール アートコーディネーター」という職を小堀さんに用意し、彼は西和賀の嘱託職員として採用された。町の彼に対する信頼と期待の大きさがうかがわれる。
アートコーディネイターとして彼が担当する業務は文化事業全般に関わるものだが、演劇に関わる事業としては、地域演劇祭のほか、学生演劇の合宿《ギンガク》、小中学校での公演・ワークショップ、高校演劇アワード、地域中学への演劇指導、銀河ホール「演劇部」の活動、そして貸し館業務など多岐にわたっている。今後やりたい事業としては、シニア演劇、温泉・観光と組み合わせたイベント、アーティスト・イン・レジデンスなどを挙げていた。
ほっとゆだ駅から銀河ホールにかけての道に「どこにもない演劇のまちをつくろう」と書かれたのぼりが立ち並んでいるが、町外からこの町にやってきた地域おこし協力隊の青年たちがもたらす刺激によって、西和賀は演劇のまちとして新たな一歩を踏み出そうとしている。
第26回銀河ホール地域演劇祭
2018年9月1日(土)- 9月2日(日)
会場:西和賀町文化創造館(銀河ホール・Uホール)/劇団ぶどう座稽古場
主催:銀河ホール地域演劇祭実行委員会
後援:西和賀町観光協会・西和賀町芸術文化協会・西和賀町教育委員会
総合舞台監督:内山勉
テクニカルスタッフ:アクト・ディヴァイス
宣伝美術:髙野由茉 小堀陽平
特別協力(記録撮影):森山紗莉
劇団あしぶえ/島根『セロ弾きのゴーシュ』
9月1日(土) 14:00~@銀河ホール
出演:松浦 優海、門脇 礼子、上田 郁子、有田 美由樹、伊達 生、有田 美由樹、門脇 礼子、原田 雅史、上田 郁子、川村 真美、牛尾 光希、岩田 和大
演出:園山 土筆
舞台/照明:稲田 道則、岡本 敦、門脇 礼子、長見 好高、原田 雅史
音響:福井 健吾 前村 晴奈
小道具:上田 郁子
衣装:有田 美由樹 川村 真美
制作:前村 晴奈
劇団田中直樹と仲間たち/西和賀『水仙月の四日』
9月1日(土) 15:30~  総入替え2回上演@Uホール
出演:田中 直樹、田中 宏樹
演出/美術:田中 直樹
照明:小堀 陽平(銀河ホール)
雪布操作:田中 真理子
協力:湯田ドライブイン
栗田桃子(文学座)ソロ朗読劇/東京『銀河鉄道の夜』
9月2日(日)14:00〜@銀河ホール
出演:栗田 桃子(文学座)
演出:西本 由香(文学座)
照明:賀澤 礼子(文学座)
映像・音響:西本 由��(文学座)
美術:米澤 純(Jun's Light Candles)
劇団ぶどう座/西和賀『植物医師』
出演:真嶋 実、池田 慣作、菊池 啓二、高橋 節子、高橋 守、三浦 勇太
演出:菊池 啓二
舞台美術:内山 勉、新井 真紀
音響/照明:真嶋 陽
小道具:髙野 由茉
●片山 幹生(かたやま・みきお)1967年生まれ。兵庫県神戸市出身、東京都練馬区在住。WLスタッフ。フランス語教員、中世フランス文学、フランス演劇研究者。古典戯曲を読む会@東京の世話人。
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sayahatakahashi · 6 years
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【ESSAY】 「大地の魔術師たち」展(1989年)に関する議論(1):ラッシード・アライーンによる批判
本当に民芸や伝統に興味があるのなら、どうしてわざわざ世界のあちこちまで探しに出かけるのですか?なぜヨーロッパの村や町で探さないのですか?パリにだってまだあるのに。そうしないのは、それが十分にエキゾチックではなく、「他者」を表象しないからですか?
私たちはあなた方に同情して差し上げます、ですがどうして、本当に一体どうして、あなた方のいわゆる霊性の問題の解決策としてだけ私たちを使いたがるのですか? (引用者訳)
Rasheed Araeen, “Magicians of the Earth: On ‘Magiciens de la Terre’(1989),” in Exhibition, ed. Lucy Steeds (Whitechapel Gallery, 2014), 129-135.  上記の言葉は、1989年にポンピドゥーセンターで開催された「大地の魔術師たち」展のイベントにて、ロンドンで活動する現代美術家、ラッシード・アライーンが本展のキュレーションに対して投げかけた問いである。
 ラッシード・アライーンは1935年にパキスタンのカラチに生まれ、大学で土木工学を学び、1964年にロンドンに移住してからは美術家の活動を続けてきた。当初ペインティングにあった彼の関心は次第に彫刻へと移行し、やがてアライーンはミニマリズムと参加型アートのパイオニアとなる。しかし、当時のイギリスのアートワールドは外国人作家に対して極めて閉鎖的であった。1969年にジョン・ムーア賞を獲得した彼の作品に何人かのギャラリストは興味を持ったが、彼らはなかなか展示には踏み切らなかった。「君の作品は好きだけど、私たちはイギリス人作家とアメリカ人作家しか展示しないんだ」 ある時は、そう告げられたという。
 やがてアライーンは、アートワールドに根強く存在する帝国主義に対し、テキストやキュレーションを通して反論するようになる。彼のミニマルな作品は政治性からは切り離されているように見えるものであるが、作家人生を通して直面してきた不平等についての彼のテキストは雄弁だった。
 アライーンは、1989年にポンピドゥー・センターとヴィレット・グランド・ホールで開催された「大地の魔術師たち」展への招待を受け、参加することとなる。キュレーター、ジャン=ユベール・マルタンは、西洋に蔓延るヨーロッパ中心主義をの現状を覆すような展覧会を目指し、存命の西洋の作家と非西洋の作家を半数ずつ選定し、同じ大きさの展示空間を与え、「平等なやり方で」展示をした。この展覧会について解説している、artscapeのArtwordsにおける「大地の魔術師展たち」の項目を引用したい。
1989年、ポンピドゥー・センターで開催されたJ=H・マルタンによる企画。西洋と非西洋の区別なく世界中から100人の同時代作家を選定し、仮面や曼荼羅といったいわゆる民俗「資料」と「作品」とを併置して展示した。同様に民族博物館コレクションと美術館コレクションを並べて展示した大規模な展覧会として「20世紀美術におけるプリミティヴィズム」展(MoMA、1984)の先例があるが、まさにそこで紛糾した議論こそがこの企画の背景となっている。すなわち「資料」と「作品」の分類が暗に孕む、西欧に根深く残存している植民地主義的差別意識の検討である。「アート」を相対化させようとする態度はタイトルの「魔術師」という総称からして明らかで、物故作家を含めず、出展作すべてに作家名を表記し、全作家にほぼ同面積のスペースを用意するなど徹底していた。表現者を同列に扱うことの徹底は、美術概念のみならず美術館と博物館を分化させているミュージアム概念の問い直しであるともいえる。ガーナの奇抜な装飾棺桶などが話題になった一方で、なおも展示に「先進国」と「第三世界」とを分ける階層意識を見る指摘もされたものの、90年代に先駆けてマルチカルチュラリズムの議論を深めた画期性は大きい。「アフリカ・エクスプロアーズ」展(アフリカ美術センター、1991)をはじめ、90年代に入ってこの趣旨を引き継ぐ展覧会は各地で開催された。なお、日本からは河口達夫、河原温、宮島達男、勅使河原宏の4人が参加した。
Artwords, s.v. “「大地の魔術師たち」展,” by 成相肇, accessed June 17, 2018, http://artscape.jp/artword/index.php/「大地の魔術師たち」展.
 ここではこの展覧会は、「20世紀美術におけるプリミティヴィズム」での問題を引き受けて企画・キュレーションが行われたものであるとし、その「90年代に先駆けてマルチカルチュラリズムの議論を深めた画期性」が評価されている。
 そして、ラッシード・アライーンは、この解説文のうちの一行で語られている、「なおも展示に『先進国』と『第三世界』とを分ける階層意識を見る指摘もされたものの」という部分の仕事を行った作家だった。現代においてこの展覧会はグローバル時代のキュレーションの一つのあり方を示した例として参照されるが、そうしてこの展覧会を振り返る意義はアライーンらによって当時幾度となく行われた議論にこそあるだろう。
 幸い「大地の魔術師たち」展における議論に立ち戻るための文章は、たくさんの本に収録されている。その中でもまず、ルーシー・スティーズが編集した『Exhibition』(2014)に収録されている、アライーンが「大地の魔術師たち」展に対して行った批評を拙訳ではあるが紹介したい。
 以下にアーティスト、ラッシード・アライーンによる「大地の魔術師たち」展への批判(1989)の全文を引用する。
 (パリにある���ンピドゥーセンターのイベントにて、)皆さんに英語でお話をしなければならなくてごめんなさい。この謝罪はつい先ほどガイ・ブルットが行った謝罪と同じものではありません。私が皆さんにフランス語でお話できないのは、私がフランスの領土下出身ではなくてフランス語を話せないからです。私はイギリス領土下の出身です。私は英語の他に、実は二つの言語を話せます。私の母語はパンジャーブ語で、国語はウルドゥー語です。今、そのどちらかの言語で皆さんに語りかけることもできたでしょう。もしかするとそれは皆さんには新鮮に聞こえて、楽しんでもらえたかもしれません。そこに私は抑揚さえつけて、より面白く聞こえるように話すこともできたでしょうが、皆さんは私が話していることを何も理解できなくなってしまうでしょう。そのため、私は皆さんと話をするにあたって植民地時代の話法に戻ってこなければなりませんでした。これは一つのパラドックスであり、それはこれから私がお話する、この展覧会全体のパラドックスでもあります。
 これは、私がこれから提起したいことの前置きに過ぎません。私はここ十五年間このような問題を扱ってきて、Third Text(ジャーナル)に「プリミティビズムからエスニックアートへ」という記事も書きました。これは結構長い記事ですし、もう手に入るので、今ここでは学説的にそれらの問題について話すのは避けたいと思います。しっかりと読みたいと思う方は、ぜひこの雑誌を手に入れてください。さて、ここで私がこれから話すのは、非常に個人的なステートメントです。
 本日の私の登壇は、この展覧会の参加作家である私自身によって、また、私が今回参加するにあたって抵抗感を抱いてきたという事実によって決められました。ですから、今日は私の個人的問題についてお話させていただかなければならないと思っています。そしてその中で、とりわけ本展覧会における他者の認識のあり方と、私たちの現代文化に対する彼ら(他者)の芸術的なアプローチがどのようなものであるか、ということに関連して、この展覧会が提示した幾つかの疑問点についても触れられたらと考えています。これらの問いは別に新しいものではありませんが、自己満足せずに議論を続けていくことは重要なことです。このような祝いの場でただあぐらをかき、やりたい放題するのは容易いですが。
 私はこの展覧会を見た後、どうして自分が参加しているのかわからなくなりました。私の立場や視点がこの企画とあまりにもかけ離れていたので、私は一人の参加作家として使われていなかったのではないかと感じ始めました。このように感じているのは、私だけではないと思います。いわゆる「第三世界」出身の他の作家たちも、同じ立場にいます。
 私たちは皆、少数集団を作ります。これはラ・ヴィレットの展覧会場に到着した最初の日にはっきりとわかりました。そこでは皆、エキゾチックな者か有名なヨーロッパの作家たちのどちらかを追いかけ回しているように見えました。
 ところで、私はこの段階で、私のここでの発言は、個々の作品やそれらの芸術的な質や価値に向けたものではないことを明言しておきたいと思います。私は伝統というものが過去のものであるか今に続くものであるかということに関わらず、その重要さを重々理解しています。そして私は、特に領土支配下にあり独立の地を見つけるのが困難になっている文化のために、いつも伝統の重要さを強調してきました。しかし、ここでの問題は何らかの伝統についてではなく、とりわけ何かラディカルな変化に向かおうとする力によって伝統が使われるという、そのやり方にあります。インドでは、伝統に留まろうとする、または伝統に回帰しようとする人々と、国を近代化したい人々との間での抗争が19世紀から続いています。これは、20世紀の最も偉大な思想家の一人、ラビンドラナート・タゴールが述べた以下の文脈の中で語られています。
「恐る恐る因習的な型に従い続けることは未熟さの証である…この国の作家はインド美術として分類されえる何かを作るというその義務を拒否するべきなのだ」
 これは1920年代に語られたことです。もちろん物事はあの時代から変化しました。文化的アイデンティティーを拒否することから、改めてそれを自己主張することへのシフトしてきています。しかしこれは伝統に回帰することを意味するわけではありません。そこに伝統的な勢力の再興があるならば、それは西洋の帝国主義を前にしての自己定義という駆け引きのうちの一つです。そして、この展覧会のカタログではそのように書かれていましたが、霊性の探求は必ずしもこの伝統の再興の中心にあるわけではありません。
 この展覧会に参加して遺憾に思うのは、私の制作自体が、異文化出身者として私に影響を与えたものとは切り離されているからというだけではなく、「ヨーロッパ人に帰属するモダニストとアヴァンギャルド、そして非ヨーロッパ人に帰属する伝統」という二つの分かりやすいカテゴリを基盤としたこの展覧会の趣旨とは反対の立場にあるからです。私は、モダニズムの非宗教的で革新的な側面に影響を受け続け、その発展に貢献し、またそれを西洋から解放することができたら、という野心を追い求めて人生のうちの25年をヨーロッパで過ごしてきた作家として、ここである問題に直面しています。私は自分の立場と対照的なこの状況に置かれて一体どのように応答したらいいのでしょうか。私は人生をかけてのようなことから逃れてようとしてきたというのに、いったいどのようにして西洋のエキゾチックなものに対する夢中さを、そしてそれに魅了されるすべての西洋の作家たちを、共有することができるというのでしょうか。私がいわゆる第三世界の一員であるとして――私にとっての第三世界はカテゴリーでも地理的な空間でもなく、概念ですが――どのようにして、この展覧会に参加できてただ嬉しいとしか思っていない世界各国の多くの作家たちの気持ちを、私が共有できるというのでしょうか。
 私は魔術師ではありません。たとえ作品に何らかの霊性が付与される時であっても、私にとって魔術というのは芸術とは全く関係ないものです。もしこの「魔術」という言葉に皮肉が込められているなら、私はそれを理解できていません。私はそれがこの展覧会の中で何を意味するのかわからないのです。私はこれまでいつも魔術は何らかのペテンや霊威――もしかするとそれらは成功と権力を獲得するためには必須のものなのかもしれません――と関係のあるものだと思っていました。ところで、それと私たちにいったい何の関係があるというのですか?もしこの展覧会が権力を祝うためのものであるならば、なぜ私たちは呼ばれたのですか?私たちの権力のなさを嘲るためでしょうか?三ヶ月後には、私たちは自分の村の野生に帰るように言われて、ヨーロッパのヒーローたちは現代美術を支配して独占し続けるのですか。
 私は、霊性のために芸術をやっているためではありません。私にとっての芸術は職業であり、自己消費や自己満足に限らない、知的な追及を要する非宗教的な活動です。それは新たな思想の追求であり、私個人の領域に限らない、普遍的な思想との関係の中でそれらの新たな思想を言語化し表現することです。そして、もちろん、それは新たな思想は動的な文化や人間性の進歩に必須のものであるという考え方に基づいています。いま、私の作家としての野心を明らかにしたのは、みなさんの興味を私の作品へと向けることを目的にしたものではなく、第三世界出身の私たちがこのような野心を持った時に直面する基本的な問題について指摘したかったからです。私たちは、自らを近代の発展の前線に置くような大志や野心への承認を誰かに譲り渡さなければならず、この近代世界の一員になるべきではないとされているのです。私たちの功績について、「彼らは存在しなかった」とすべての美術史の本が語るでしょう。ですが、私は今ここにいるということを嬉しく思っていますし、私をこの議論に参加するように招待してくれた主催者に感謝しています。私はこの展覧会がすべての終わりになるのではなく、意義のある議論の出発点になることを願っています。
 これはお互いのことをよりよく知るためのよい機会になるかもしれません。知識だけが無学に対抗することができるのです。しかしながら、意義のある議論や対話は真の平等の上で飲み成り立つということを理解しなければなりませんし、フランス革命の200年祭を祝福している今それを認識することはとりわけ大切なことです。世界的に言えば200年前の自由、友愛、平等の宣言は大して達成されていませんが、希望を捨てて絶望してはなりません――ただ私は、現在の問題を解決するための西洋文明の能力については懐疑的ですが。
 いきなり本題から議論を始めてしまってすみません。私は不平等の政治ではなく、芸術について話さなければなりません。しかし、私たちはそれらを切り離すことができるのでしょうか?一方が莫大な権力を持っていてもう一方が何も持っていないという、世界の異文化間にはびこる不平等の存在を無視することができるでしょうか。この展覧会はそのような不平等さをいくらか実演して見せているだけでなく、祝福することによってそれをさらに強化しています。異文化をただ伝統という観点のもとで見て、その文化特有の伝統的な表現としてのみ捉えることは、近代史に参加するための現代的な闘争をその文化に与えない、ということです。例えば本展においてインドは、あまりにも歪んで提示されているだけではなく、その近代的な性質はすべて無視されています。
 インドにおける近代的な性質は西洋の描くそれとはまったく相反するものであるというのは事実かもしれません――ですが、その抗争を無視すること、そしてそこにある根本的な動機は、インドを近代世界から切り離すためでしょう。インドをただ民俗や宗教的な伝統に還元して、それを無力にするのです。
 このようなことから、本展覧会のコンセプチュアルな枠組み――確立された位高き西洋の作家たちによって提示されたモダニズムと、ここでは伝統文化によって提示されたいわゆるプリミティビズムとの関係のようなもの――の中では、異文化間の対話を築くことは不可能に思えます。
 また、皆さんにお話をしようとするにあたっての私個人の苦労に、私が立っているべき立場がインビジブルであるということもあります。それは認識されないし、認識されえるようにも思えません。どういうことか説明させてください。私がこの展覧会に招待されたのは、私の近作のうちの何点かが私の出身文化をほのめかすものであったので、私の作品はこの展覧会の趣旨に合っていると判断されたからでした。一方で、もし過去25年間のアヴァンギャルドのムーブメントについての特別展があったとしても、私が過去25年間ヨーロッパに住んでいてミニマルアートとコンセプチュアルアートの前線にいたという事実に反して、私はそこに呼ばれなかったでしょう。
 異文化が論点の時にのみイベントへの参加の誘いを受けることは、私にとって珍しいことではありません。例えば、1998年*1の10月、世界博物館というロッテルダムにある民族学博物館から、「異世界からの美術」という展覧会のためのカンファレンスに招待したいという手紙を受け取りました。同封されていたリーフレットにはこのように書かれていました。「西洋にヨーロッパでは…(すみません、これは私が書いた英語ではなく引用しています)、非西洋世界における現代文化の発展への関心が高まっています。その魅力的な例として、マルケスやショインカのノーベル賞受賞や、そしてセンベーヌ・ウスマンやスレイマン・シセ*2のようなフィルマーの躍進(おそらくフィルムメーカーという意味でしょう)が挙げられま��。非ヨーロッパ人抜きのオランダ国際詩歌祭、ロッテルダム祭のプログラムなど想像できません。」
 私はこのように返事をしました。「申し訳ありませんが、招待をお受けすることはできません。」私の不躾な物言いをお許しください。「私は、非ヨーロッパ人作家の作品の議論と熟考のための民族学博物館のフレームワークを、受け入れることができません。お気持ちは感謝しますが、あなた方は根本的なところで間違っています。非ヨーロッパ人の現代美術は、現代のヨーロッパの作家の作品と異なるものではありません――作品の質は個々の作家によって差があるでしょうが、その現代性は同じです。もし彼らの功績が、たとえばマルケスやショインカのようには評価されないとしても、それは異文化的である作品自体とはなんら関係がありません。問題は、異なる文化的慣習ゆえに非ヨーロッパ人作家の作品を理解することが難しいということにではなく、むしろ非ヨーロッパ人の作品の中に近代性を見出すことを阻む、西洋文化に存在する確たる仮定のほうにあります。」
 ここで指摘しているのは核となることです。西洋において支配的な視点は、異文化出身の作家は見るに値しない西洋美術の低俗な模倣しか生み出してこなかったというもの、また彼らには近代の文脈の中でオリジナルな作品を作る能力がなく、それはどういうわけか彼らの文化の性質に関係しているというものです。異文化は、西洋文化に侵されておらず純粋であるときのみ本物であるというのです。この視点はこの展覧会のコンセプトの枠組みの中に組み込まれていますし、それが本展が異文化の伝統についてここまで気にすることの理由かもしれません。私は、私たちの現代美術に模倣が全くないということを言っているわけでも、モダニズムの枠組みを当てはめていることに何も問題がないと言っているわけでもありません。問題は、私たちの文化ではなく、他者が中心に入ることを許さないモダニズムのイデオロギーにあるということです。「他者」は、現代の文化から凝視されながらもその発展に参加することはできず、辺境に留まらなければならないのです。
 どうしてモダニズムについての問いが私たちにとってここまで重要なのでしょうか。それを理解するためには、反植民地闘争を理解しなければなりません――それは支配者を交代するだけのものではありません。それは、単なる伝統の再興でも保存でもなく、停滞した社会の構造を壊して、近代化のダイナミズムの一員となるということです。例えばインドにおける私たちの闘争は、非宗教的かつ、近代的で民主的なものです。インドにおける近代性の探求には、必ずしも伝統を否定する必要性などなく、それは私たちの時代の一部を成すダイナミックな発展の流れを通じ、新たな歴史的文脈を伝統に付与することができるものです。そして、それはまた近代国家としてのインドへの転換において、新たな役割を担うのです。もしも伝統が変化の一部になることを拒否するのであれば、それは化石になり、変化のダイナミズムの障害になってしまいます。
 一方で植民地主義は伝統的な構造を維持することを推奨し、フランツ・ファノンが思考のミイラ化と呼ぶものを生み出します。
 「文化のミイラ化は、個人の思考をもミイラ化します。植民地の人々に広くみられる無関心さは、この働きの理論的な結果です。そのため私たちの目には、古典的で不活発な組織は、まるで伝統の重要性や文化の特別性、支配下の人々の個性を盛り込んでいるかのように見えるでしょう。この偽りの尊重は、実際にはもっとも入念なサディズムであり、酷い蔑みであるも同然です…定期的に見受けられる『先住民の文化を尊重すること』への関心は、…文化によって生まれた価値を熟考する、ということを��味しません…むしろ、この動作は、文化をモノとして扱い、閉じ込め、投獄するという決定を露呈しています。エキゾチシズムは単純化の一つの形です。それは文化の対立を許しません。その一方で、そこにはダイナミズムやその成長、深さが認められているような文化もあります。このことに関して私たちはその文化の性質や希少性、物自体に注目しますが、その構造に目を向けることは全くありません。」
 私はこの展覧会全体のコンテクストにおける「現代」という言葉の使われ方を奇妙に感じます。文字通り読めば問題がないかのように見えますが、一方で「現代」とは同時代性からの出発という意味であり、近代という言葉と同義語までは言わずとも近代との関係をほのめかすものです。例えばインドでは、たとえ古典的、民芸的な伝統が過去に帰属するものであろうと今日に存在するものであろうと、「現代」という言葉はそれらから区別されています。また、この展覧会に参加している西洋の作家たちが皆、民芸的・伝統的な作家ではなく、現代美術のメインストリームで活動しているということを見ると、それは合点がいきます。一方で、異文化の場合には、そこの区別は作られないのです。同じ時代に作られた芸術の全てをその時代の現代美術だと判断するのなら、どうしてこの展覧会にヨーロッパの民芸的・伝統的な作家は含まれていないのですか?ヨーロッパの民芸的・伝統的な作家たちはいったいどこですか?本当に民芸や伝統に興味があるのなら、どうしてわざわざ世界のあちこちまで探しに出かけるのですか?なぜヨーロッパの村や町で探さないのですか?パリにだってまだあるのに。そうしないのは、それが十分にエキゾチックではなく、「他者」を表象しないからですか?
 異文化において今日作られた芸術がいわゆる西洋の現代美術というものから異なる構造を持っているという考え方は、完全にばかげています。それは、資本主義が地球の隅々まで侵食し、世界中の社会的、経済的、文化的な生産を変えたという事実を無効にすることです。これは別に新しいことではありません。芸術はいつも支配的なシステムとの関係の中で作られてきましたし、もしその支配的なシステムが階層的であれば、芸術の生産も社会階層によって異なってきます。今日の現代美術が支配的なシステムとの関係の中で世界中で作られているという事実を否定するのは、ナイーブなゲームをするためか、問題をややこしくするための意図的な試みかであるかのどちらかです。
 今日世界中にある課題は権力が近代世界に介入するということであり、そして今日作られているメインストリームの芸術はこの課題の一部です。西洋の作家は、「様々な人種的派閥を持つ歴史的な主体としてのモダンアーティスト」というヘーゲル的な理解のもとで、作品を商品へと変え、各々の複雑性が強調された価値を交換するための全ての権力や評価、そしてまた国際的なアートマーケットへのアクセスを持っている一方で、そのアクセスは異文化の作家には開かれていません。この展覧会はそのような課題の存在を否定しており、またどういうわけか、この問題によって生まれる論争や反論を認識することも拒否しています。この展覧会は重要な問題を扱うことに失敗していますし、新たな方向性を提示する機会も逃してしまっているのです。
 私たちは200年の間、あなた方の自由、友愛、平等の宣言に耳を傾けてきましたし、私たちはそれらの目標を獲得するために出来る限りのことは全てやってきました。それでもあなた方は、私たちがその一員であり続けてきたということを、知りたがらないのです。あなた方がしたいことは、私たちの古い村や寺、神社に行くことだけで、歴史の分岐点の上に立っている私たちに会うことは拒絶します。私たちはあなた方が、存在論的でも心理的でもなんと呼んだっていいのですが、深刻な危機の中にいること、そしてあなた方の文化が――「私たちの文化」と呼びたいところですがこの独占下であなた方はそのように主張されていますので――あなた方の文化がばらばらに解体されてきているので気をしっかり保つのが大変になってきていることも知っています。私たちはあなた方に同情して差し上げましょう、ですがどうして、本当に一体どうして、あなた方のいわゆる霊性の問題の解決策としてだけ私たちを使いたがるのですか?
 私たちはあなた方から、どのように文明化し知的な議論を行うかなど、世界に関する様々な知識を学びましたが、今私たちは同じ文脈の中で同じレベルに立って対話をすることさえできないのです。どうしてあなた方は私たちに話しかけるために異なる文脈をわざわざ探す必要があるのですか?すべての西洋文明の重荷をあなた方フランス人の肩に背負わせてしまっていたらすみません。私は文句を言うためにここに来たわけではありませんし、事実皆さんに文句を言うことは何もありません、ですが私はこの展覧会に失望したということは言わなくてはなりません。これは美術史の転機となったかもしれ��いのに。
 オランダに手紙を送った数日後、私は「大地の魔術師たち」展の参加のためパリへの招待を受けました。私は自分の感情に奇妙な喜びが混ざっていたことに驚きました。それは35年間の中で私が初めて受け取った国際展への招待だったのです。しかもパリです!ここでお話しさせていただいたように私はこの展覧会に疑念を持っていましたが、断ることができませんでした。私があの時ノーと言っていたら、この展覧会に何の変化ももたらせなかったでしょう。自分の参加で今回何か変化を起こすことができたのかどうかも、ここでお話したことが何か状況を変えるものになるのかどうかも私にはわかりませんが、皆さんにここでお話することができてよかったと思っています。ありがとうございました。(引用者訳)
Rasheed Araeen, “Magicians of the Earth: On ‘Magiciens de la Terre’(1989),” in Exhibition, ed. Lucy Steeds (Whitechapel Gallery, 2014), 129-135.
 アライーンは本批評文で、「第三世界」出身の作家として、この展覧会を考える上で重要なキーワードである「霊性(spirituality)」や「魔術(magic)」について検証し、また彼のような作家が現代美術を行う上で直面しなければならない問題点を提示してその根底にあるものを指摘している。この批評文は、不当なキュレーションを受けた異文化出身の作家が、見せかけのもてなしの内側にある搾取性に知的に応答し、どのように議論に参加していくことができるかを示しており、30年ほど前に書かれたこの文章の幾つかの部分は、現代においてもまだ悲しいほどに痛快に響くままである。
次回の更新では、以上のような批判に対してキュレーターがどのように返答したか、ジャン=ユベール・マルタンへのインタビュー記事を翻訳することに合わせて、中心地で行われる国際芸術展のキュレーター達が今日のポストコロニアリズムについてどのような態度を取っているかを考察していきたい。
*1 98年と記述されているが、この展覧会が89年に行われたものであることから、間違いである可能性がある。 *2 アライーンが受け取った手紙ではSulaiman Sisseと書かれているが、スレイマン・シセの正しいスペルはSouleymane Cisséである。手紙全体に多くの文法の誤りやミススペルが見受けられ、アライーンは補足をしながらあえてそのまま読み上げた。
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高校生が描いた夢の施設Homedoorが作る、ホームレス状態脱出の仕組み  ICC サミット FUKUOKA 2019に登壇する企業のひとつ、Homedoorは、大阪市北区を拠点にホームレスの人たちへの生活支援を続けています。14歳の頃からホームレス問題に関心を抱き、川口加奈さんが2018年に設立した施設「アンドセンター」を、今回ICCサミット運営チームメンバーとともに初訪問。活動の内容と、実際に施設に暮らし、再出発を目指す方にお話をうかがいました。  ICC サミット FUKUOKA 2019のカタパルト・グランプリで登壇する川口加奈さんが、19歳で設立した Homedoor は、今年で9年を迎える。  誕生から現在までの道のりは、ぜひ当日のプレゼンテーションやホームページをご覧いただきたいが、大阪市北区を拠点とし、「ホームレス状態を生み出さない日本の社会構造をつくる」をビジョンに、ホームレスの人や生活困窮者への就労支援、生活支援を行っている。  2018年は、ホームレス状態で危険な生活を続ける人たちが駆け込める「アンドセンター」を設立した。この宿泊機能を備えた、ホームレス状態からの脱出をサポートする施設は、14歳の頃からホームレス問題に関心を抱いていた川口さんが高校3年生のときに描いた絵が基になっている。   ICCパートナーズ と運営スタッフメンバーは、「アンドセンター」を訪問し、川口さんや実際に住んでいる方にお話を伺った。 川口さんが高校3年生のときに描いた、夢の施設の間取り図  
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「アンドセンター」の外観
 大阪市北区の「アンドセンター」入り口から入ると、冷蔵庫、キッチン付きのリビングルームのようなスペースが広がる。川口さんは、ホームレスの人たちを親しみを込めて”おっちゃんたち”と呼ぶが、おっちゃんたちが訪れて、食事をしたり、交流したり、ゲームを楽しんだりすることができる場所だ。訪問したときには、インターネットをしていたり、お湯をもらいにきたおっちゃんがいた。  
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正面ドアから入ったところ。温かいお湯やお茶、軽食が用意されている  「ここでは、ごはんを作って食べてもらえます。今日はおっちゃんが鴨そばを作っていましたね。食品は企業から賞味期限が迫ったものをいただいたり、一般の方からご寄付でいただいたりしています」  奥にはこじんまりとしたキッチンがあり、さまざまな備品が部屋を囲むように収納されている。生活感のあふれる食卓テーブルのある空間は、この時期、寒い外から入ってくると、温かく感じられる。  川口さん「ずっと施設を作りたいという目標があり、土地を探していました。2年前にこの物件は一度空いたのですが、そのときは私たちも準備ができていませんでした。それに一度、住居提供をトライアルしてみて、本当に宿泊施設が必要かどうか試したかったのです。  それでやっぱり住居提供が必要だと判明し、物件を探していたのですが、2年前に見たこの物件以上のものがなく、悔しがっていたところ、昨年(2018年)の2月にまたここが空いたので、逃すまいと思いました。  一般的にNPOはこういう場合に助成金を取るのですが、間に合わず自費です。1970年に建てられたビルなので暖房が古く、使い物にならないので改めて設置しています。完備できた部屋から入居していただいています。  現在、年間で300名ほど新規で、路上で生活している方をはじめとする生活にお困りの方々からご相談いただいています。今日も1人入居して、3人が次のステップにと退去されました。部屋は多めに用意しているので、待機が生じることは今のところありません」  
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衣類や防寒具、救急箱や食品の備蓄など  この建物は5階建て。隣の敷地と合わせて借りた家賃は月100万円だ。以前は韓国人留学生用の寮で、全室が同じタイミングで空いたため、一般のアパートよりも借りやすかったという。1階と2階の共有スペースはリフォームし、個室は短期利用が5室、長期利用が15室用意されている。ベッドや布団は一般の人からの寄付によるものなので、各部屋ばらばらだ。  
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現在空室のある3階。階段の奥には共同利用の洗濯機がある  うかがったときは10室に入居者がいて、そのうち長期利用している方が半数。長期利用については、その人の収入に合わせて家賃をもらっているという。その一人、4階に住む吉岡さんの部屋を見せていただいた。 長期利用者に聞く  
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お話をうかがった吉岡さん  吉岡さんが住んでいる部屋は、4.5畳程度の居住スペースに、シングルベッド、小さな棚、テレビ、冷暖房にユニットバスがついている。整頓された部屋からは、几帳面に暮らしている様子が伝わってくる。  吉岡さん「ここに来るまでは西成のドヤ(簡易宿泊所)にいました。1泊1,000円でしたが、暖房もなく、お風呂も別だったのですが、ここは暖房、ユニットバス付き。居心地は最高です」  吉岡さんは西成からHomedoorまで往復540円かけて通い、自転車の啓発員として働いていた。そのうち上に住んでもらうのはどうかということになり、2018年9月から長期利用第一号として住み始めて半年近くになる。  吉岡さん「ぶっちゃけの話、西成のドヤにはおりとうなかった。  1000円はそんなに高くなかったから、金だけのことを考えたらいいけど、環境がよくない。隣がやかましいし、部屋はこれより狭く、汚い。あげていったらきりがない。  啓発員としての仕事は、自転車が道路にはみ出ていたら、通行人の邪魔にならないよう片付けたり、不法駐輪があったら警告の紙を貼ったりします」  
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個室にはユニットバスや石鹸類が備えられ、すぐ生活をスタートできる  吉岡さんは72歳。岡山県出身で、技術系のサラリーマンを3年、パチンコ店勤務を10年などずっと働いてきた。最後の10年は住宅リフォームの営業マンとして勤務し、最終的に支店長を務めた。家族もいたが、現在は一人。ホームレスになってもうすぐ2年になる。  Homedoorを知ったのは、川口さんたちが行っている夜回りでチラシを見たことから。夜回りは冬の間は毎月2回、ボランティア、Homedoorのスタッフ、元ホームレスの人など約20人で4つのルートを回る。路上に暮らしている人に声をかけ、お弁当と、路上からでも仕事があることを知らせるチラシを渡す。  
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冬は毎月2回、お弁当や寝袋を持って夜回りを行っている  吉岡さんは、お弁当をもらった翌日にHomedoorを訪れた。その頃、路上で生活するようになって1ヵ月ほどたっていた。吉岡さんのいた梅田は、大阪市で2番めにホームレスが多いが、とくになりたての人が多く、そういう人たちに訴求したいと川口さんたちは夜回りしている。  吉岡さん「私はまだ短いけれど、もう10年近く無職で路上生活の人もいる。なかにはもう自分はいい、普通の世界の人と関わりを持たないといって、声をかけても逃げていく人も多い。そういう人は心を開くのは難しい。  西成のドヤには半年いたけれど、隣の部屋のおっちゃんとは交流が一切なかった。お互い避けるというか、挨拶すらない。ほかの階の人の顔もようわかりません。  三畳一間の汚いところで、生活保護をもらいながら生活するだけです。仕事もやることもないから、結局飲むか、ギャンブルに行くしか楽しみがなくなります。生活の向上自体が絶対ありえない」  路上のコミュニティのほうが実際仲がよかったりするそうで、一旦生活保護を利用してドヤに入っても、孤独を理由に半分ぐらいがホームレスに戻るそうだ。  「アンドセンター」では、忘年会、餅つき、節分など季節のイベントが企画され、再出発を目指す利用者たちの間で交流がある。吉岡さんも、30代や50代の入居者と仲がいいそうで、夜回りのお弁当を作ってくれるおっちゃんに、一緒にごはんを作ってもらって食べることもあるという。  吉岡さん「なんとか、2月いっぱいには出られるようにします! もう年ですから、これからはなんとか年金内でやっていこうと思います」  
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2階にある入居者たちが共有するキッチン&冷蔵庫  快適に暮らすことができ、交流もある。すると、この場所から出たくないとはならないのだろうか?  川口さん「一応最初に2週間が期限だと決めるのと、相談員が何度も面談を重ねていって次の進路を見つけていくことになるので、あまり出たくないということはないですね。むしろ、早まったりする人のほうが多いです。  ただ職員が5名と少ないので、キャパ的にも年間300人が精いっぱい。もう少し体制が整ってきたら、宿泊数がもっと増えるのではと思っています。  出戻りはまだないですが、一度うちで働いて次で働いたけどうまくいかず、戻りたいという人はいます。プライドもあると思いますが、気にせず戻っておいでよということにしています」 6つのチャレンジでよりよい支援を目指す  
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施設を一通り見学したあと、Homedoorの取り組みをさらに詳しく伺うことにした。現在は5割がネット検索、3割が夜回り、2割が口コミでHomedoorの存在を知り、ドアを叩く。  川口さん「私たちは6つのチャレンジと読んでいますが、ホームレス支援を6段階に分けていて、毎年アップデートしています。  よりよい形を模索して、ゆくゆくは行政に制度として取り入れてもらうようになる支援のあり方を考えていきたい。  1つ目のチャレンジは『届ける』。  存在を知ってもらうために、従来は夜回りを行っていました。昨年度の新しい取り組みとしては、電通さんと新しいキャッチコピーを考えていただいています。  電通でコピーライターとして活躍されている並河 進さんたちが手がける、人工知能の コピーライターAICO というのがあります。AIは人の仕事を奪うといわれがちですが、その逆はできないだろうかというコンセプトで一緒に考えてくださっています。  ネット検索のリスティング広告や、ネットカフェにポスターやバナー広告を掲示いただいたり、イートインスペースのあるコンビニに地道に営業に行ったりしています。  
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いろいろな質問に答えてくれた川口さん(写真右)  2つ目のチャレンジは『選択肢を広げる』。  Homedoorに来てくれれば、路上生活を脱出できるいろいろな選択肢があります。さきほどの吉岡さんのように、ここに住まれながらお金をためて次の家を探すとか、生活保護を利用するとか、年金を受けられるように住民票を設定するなど、その人に応じた選択肢を提供します。  最近は、女性や親子での相談者もおられました。  昨年は289名が新規で相談に来てくださって、平均44.6歳。女性が全体相談者の11%ぐらいです。  ちなみに厚労省が出しているホームレスの人の平均年齢は、61.5歳です。日本だとホームレスの定義にネットカフェ難民、24時間のファストフード店で夜を明かす人などは含まれていません。  ▶ ホームレスの実態に関する全国調査(生活実態調査):結果の概要 平成28年 – 厚生労働省  私たちはそういうところにアプローチしているので若くなっています。諸外国と比べると、日本のホームレスの定義は狭く、路上で寝泊まりしているのを確認されないと、そう認定されないのです。  行政がテントを撤去しているので、わかりづらくもなっています。それで余計支援の手が届かなくなるというのがあります」 HUBchariなど4種類の仕事を提供  取り組みの幅の広さと、問題の深さに驚かされる。川口さんの説明は続く。  川口さん「3つ目は『暮らしを支える』。生活の形を整えていくということで、イベントを実施しています。衣服や食事、シャワーの提供をやっています。  人気なのがカットモデルの生活支援。近くの理容師の専門学校にご協力いただいて、専門学校生のカットモデルになってもらい、モデル料ももらえるので人気です。  
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カットモデル募集の告知などが1階の冷蔵庫に貼られている  相談には来ていないけど、カットモデルには行きたいとか、シャワーは使いたいとか、そういうことでうちを知ってもらえるので、関係性がスタートするきっかけになります。  4つ目は『”働く”を支える』。  就労支援として現在、4職種を提供しています。吉岡さんのような啓発員と、商業施設の駐輪管理の受託、大阪市内86箇所で展開しているシェアサイクル HUBchari (ハブチャリ)のメンテや再配置、内職などの軽易な作業です。相談に来た人全員が働くわけでなく、働きたいという方にご提供しています。  
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自転車修理講習なども行っている  仕事の合う合わないは必ず出てくるので、配置換えもしやすいように、いろいろ職種は広げていきたいと思っています。  一方、有料の職業紹介の資格も得ているので、次の職業へのマッチングもしています。ただ、有効求人倍率が上がっているので、うちもおっちゃん不足で悩んでいます(笑)。若いホームレスの人が増えていますが、家族関係が原因の人がほとんどです。虐待を受けてきて、精神疾患を抱えてしまい、すぐには就業できない状況にある人も多いです。  
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「アンドセンター」の隣にあるHUBchari拠点  5つ目は『再出発によりそう』。  家を探すお手伝いをし、引っ越しのサポートもしています。相談者は、家賃や初期費用をためることで精一杯なことも多く、家具家電は極力プレゼントやレンタルできるように、リサイクルショップさんと提供して モノギフト というサービスをしています。ボランティアさんに手伝ってもらいながら、引っ越しのサポートもしています。  また、うちの特徴としては、Homedoorを卒業した相談者たちが、ボランティアで夜回りなどのサポートを支えてくれています。季節のイベントに、卒業後は顔を出してもらい、ゆるやかな関係性を継続して築いていきたいと思っています」  6つ目は、「伝える」。  川口さんは講演やワークショップで全国を飛び回っている。こうして訪問した私たちのさまざまな問いに答えてくださることも、現場を知る人が正しく伝えるという意味で非常に大きい。 過酷な生活環境を支える  
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アンドセンターでは、元料理人のホームレスの人が夜回り用のお弁当を作る  ホームレスの人の6割近くが、精神や知的障害を持っている方が多いことから、路上生活者が「アンドセンター」を訪れたときの相談員として、精神病院に勤めていた専門家をスカウト。他の団体とも連携しながら、相談者に向き合っている。  川口さん「毎月第3木曜日に健康相談会をやっていて、訪問看護の看護師グループにきてもらい、必要であれば病院につなぐこともしています」  環境を整えても、夜回りでいくら顔見知りが増えても、みんながすぐに利用してくれるわけではない。はじめはシャワーや仮眠室だけの利用から関係を築き、ふと会話の中で出た体調不良の言葉などから、相談につながるケースもあるそうだ。この冬、毎日お湯をもらいにだけやってくるおっちゃんは、知り合ってから通うようになるまで3年かかったという。  
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川口さん「70〜80歳ぐらいの人で、公園で寝泊まりしている方の中で、足は骨と皮のようなおっちゃんがいます。寝ているそばで炊き出しがあるので食いつないでいるのですが、先日寝床を撤去されてしまいました。うちから提供していた寝袋もすべてです。  そのあと夜回りで会ったときは、公園の奥のスロープで、冬だというのにダンボールだけで寝ていました。認知症を患われているようで、意思疎通はほとんどとれません。  
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夜回りの様子  現在、看護師さんにもボランティアで夜回りに参加いただいていますが、いずれはお医者さんにも関わってもらい、もっと医療体制も整えられたらと思っています」  公園だけでなく、他の場所でも路上生活者の寝床を撤去されることは多い。時間がたって廃棄される弁当を目当てに集まられないように、薬剤を撒く店もある。かくいう自分も、路上でホームレスの人を見ると、反射的に目を反らしてしまう。  淡々と話す川口さんだが、活動を続けるなかで、憤りを感じることも当然あるだろう。しかし、40代の女性が病気のために就業が難しく、翌日の生活費も尽きたため生活保護を申請すると「女性ならできる仕事がある」と窓口の人に告げられたエピソードを話した時が、唯一わずかに感情の揺れがうかがえた時だった。  結局、川口さんは弁護士を呼び、その場を解決したという。個人の感情よりも、自分の責任ではないのに大変な現実に向き合っている人たちがいるという意識のほうが強いのだろう。  
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おっちゃん手作りのHUBchariの看板。手先が器用な人も多いという  お話をうかがったあと、別の席で川口さんとお会いした。Homedoorでやるべきこと、実現したいことをたくさん伺ったが、あえて、今の仕事でなかったら、何をやりたかったかを尋ねてみた。  「私、スタジオジブリが大好きなので、大学を卒業するときに、就職しようかと思っていたんです」  意外な回答。実際応募はしたのですか?と聞くと、  「どう思う?と、おっちゃんに聞いてみたら、『ハヤオはスタジオジブリに入りたがる奴は採用したくないと思うで』と言われて『それもそうだな』と思ってやめました」  「知り合いでもないのに、呼びすて」と笑いながら、あっさりとそう答えた川口さん。この見極めの速さ、そしておっちゃんたちと築く信頼関係が、Homedoorをより強固なものにしていくのだろう。  ホームレス問題は、海外の問題や子ども関連の支援活動に比べると、人気や注目度も低く、本人に問題があると考えられがちで、世間からの風当たりも強い。そんな「誤解と偏見」を「理解と関心」に変えるべく、川口さんたちはひとつひとつ課題に取り組み、再出発する人たちを増やしていく。  「 アンドセンター 」が初��て迎える冬。「 家賃に加え、光熱費がどれだけかかっているか怖い 」とのこと。
 
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 「最近、このあたりからおっちゃんたちが、一掃されたんですよね」  人気のない広い公共施設のエントランスをぐるりと一周し、隅々まで目をこらした。駐輪場の端や建物の裏側などで暖をとっているおっちゃんがいないか、確認するのである。「おっちゃん」とはホームレスの人のことだ。
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 焼き鳥屋、居酒屋、百均ショップにたこ焼き屋。庶民的な店が軒を連ねる、大阪の中心部から歩いて20分の商店街。  週末の夜、安く飲ませる店の軒先はくつろぐ人たちで賑わうこの商店街から、脇に抜けた公共施設の前でのことだ。  現在、路上で暮らす人の数は全国に4555人(2019年1月、厚生労働省調査)。  病気、人間関係のトラブル、家族の介護などで仕事を失うことは珍しくない。現金収入が途絶え、家賃が払えなくなり、住む家を追われ、路上に居場所を求める —— 。それは誰にでも簡単に驚くほどあっけなく起こり得る。  そしてこの人は、路上生活に陥った人が再び生活を立て直すまでを、5つのステップによって支える活動を行っている。川口加奈、29歳。 就職せずにホームレス支援の道を  
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川口がホームレス支援に関わって15年になる。  川口がホームレス支援を始めたのは14歳のときだ。  中学から私立ミッションスクールに通うような恵まれた家庭に育った女の子が、大学卒業後も就職せず、ホームレスの人たちと関わり続けている。  19歳、大学2年で任意団体「Homedoor(ホームドア)」をつくった。大阪駅やその周辺など、北区に暮らす路上生活者を支援する。  現在は認定NPO法人となり、事務局スタッフが6人、当事者スタッフが20人、相談ボランティアは15人、ボランティア登録者は1158人にのぼる。ビジョンは「ホームレス状態を生み出さない日本の社会構造をつくる」だ。  川口はいつものように、弁当を持って夜回りを始めようとしている。  本格的な冬を迎えようとする、夜9時。 「よかったら遊びに来てください」  
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川口はボランティアとともに早足で大きな公園に向かった。東京ドームがすっぽり収まる広い敷地にはジャングル��ムや長い滑り台などの大型遊具、卓球場、充実した施設に、芝生、噴水まで備える。  商店街の喧騒とは裏腹に静かな公園内をひんやりとした夜露が覆う。  ずんずんと歩いて行く川口の前方に、荷台にこんもりと荷物を積み上げた自転車が見えた。自転車の脇のベンチで中年の男性が仰向けになって文庫本を読んでいる。  「お弁当、渡しましょう」  川口がささやき、ボランティアがバッグの中から弁当とスナックを小分けに入れた袋をそっと取り出した。  「こんばんは」  ゆったりとした関西弁で川口が声をかけ、男性が身を起こした。がっちりとした肩は、50代に差しかかった頃だろうか。  「何の本、読んではるんですか?」  穏やかな川口の口調につられるように、  「東野圭吾は全部読んだよ」  と返した男性の言葉には南国の訛りがあった。  ひとしきり言葉を交わし、「Homedoor」の案内を書いたニューズレターを手渡した。  「体に気ぃつけてくださいね。よかったら、うちにも遊びに来てください。推理小説とかいっぱいあるし」  「ありがとう。寄らせてもらいます」 弁当は知ってもらうための手段  
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公園の内外のどこに誰の棲み家があるのか、川口の頭の中には顔と名前と場所が一致する地図ができあがっている。  歩道橋のたもとや商店街の端に寝床を敷いて暮らす人たちは、川口を見ると笑顔になった。  「今日のおかず、何?」  と、ヤマさん。路上生活歴は10年を超える。  「ヤマさん、爪伸びとるなあ。お風呂、入りにきてくれたらええなあ。爪切りもあるし」  噛み合わないかけ合いが、どこかあたたかい。  「もうすぐ、カレーが食べられる忘年会なんで、よかったら来てくださいね」  安否確認をしながらこうして弁当を配り、声をかけ、別れ際にはHomedoorに来てみないか、と誘いの言葉は忘れない。  出発して1時間半、夜10時半を回る頃、20個の弁当はすっかりはけた。これからの厳しい寒さをどのようにしのぐのか。2時間の夜回り「ホムパト」は路上生活者の立場を具体的に想像させる体験だった。  弁当はおっちゃんたちにHomedoorを知ってもらう手段だ。  食事、寝る場所、仕事、人との関わり。Homedoorにはホームレスが生活を再建するために必要な手段がさまざまな形で用意されている。この仕組みを川口は8年かけて整えた。ホームレス支援の団体がさまざまあるなか、トータルな仕組みはホームドア独自のものだ。  だが、Homedoorとつながって生活を変えるかどうかは、本人の意思に委ねられている。 それぞれに事情ある人たち  
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キビキビと弁当づくりの場を仕切る弦さん。  玉子焼き、煮物、魚の切り身の唐揚げ。テーブルいっぱいに並べられたおかずとバットに広げられた白飯を、10人ちょっとのボランティアが流れ作業で詰めていく。米は寄付、食材はフードバンクからの提供だ。ごはんにシャケのふりかけをかけて、焼き海苔を被せると完成する。  ホムパトに出かける1時間ほど前、Homedoorの事務所にはこんな風景があった。  おかず作りに腕をふるった弦さん(仮名)は、60代の後半、元料理人だ。  関東のある町で生まれ、中学卒業後に都内で料理の修業をした。結婚して名古屋に移り住んだが、愛妻を亡くし50歳目前でひとり大阪へ流れた。興した事業がうまくいかず、数年前から川に近い路上に生活の場が移った。  「ホムパト」中の川口に出会ったのは2年前。弦さんは、後日Homedoorの事務所を訪ねた。そこで路上生活から抜け出るための「相談」をするようになり、Homedoorに「居場所」を得て、また、食事のサポートを受けた。ほどなく、自転車整理やビラ配りの仕事を紹介され「働く」ことが可能になった。住民票登録や保証人のサポートを受けて、現在住むアパートの契約にこぎつけた。  ホムパトのある日、弦さんはアパートから45分かけて電車を乗り継いで事務所へやってくる。Homedoorに集まる人たちと冗談を言い合い、料理に腕をふるって感謝されるひとときは、弦さんにとって大切な時間だ。  川口のそばでホームレスの人たちを眺めていると、それぞれのホームレスがひとりの人として立ち上がってくる。「ホームレス」という単語ではくくることのできないそれぞれの事情や生い立ちの物語があることが、ぐっと身近に思えてくる。
ご批判、ご指摘を歓迎します。 掲示板 に  新規投稿  してくだされば幸いです。言論封殺勢力に抗する決意新たに!
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cardamomoespeciado · 4 years
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北海道「100年続く路線廃線」で考える街の再生
10/23(金)
東洋経済オンライン
北海道「100年続く路線廃線」で考える街の再生
 JR北海道の厳しい経営状況を伝える報道が相次いでいる。その象徴が廃線。2015年の高波やその後の台風による土砂流出などの被害の影響で運休し、バス代行運転が行われている日高本線の鵡川ー様似間(116㌔)が来年4月に廃線になる。JR北海道と沿線7町が合意した。10月23日に覚書を締結する。
 日高本線(苫小牧ー様似)のルーツは、1927年(昭和2年)に国に買収された苫小牧軽便鉄道・日高拓殖鉄道(苫小牧ー静内)だ。その後の延伸工事で1937年に様似(様似町)まで開通した。
 日高本線は太平洋沿岸の美しい海の光景とサラブレッドが放牧されているのどかな牧場風景を眺めながら旅ができる素晴らしい路線だった。そして、地元の高校生の通学の足でもあった。だが、2015年に鵡川ー様似間が運休になって以来、ついに復活の日は訪れなかった。 
■廃線にするのは惜しい日高本線
 日高本線は、2016年にJR北海道が発表した単独維持困難路線の1つで、1日あたりの平均輸送量を示す輸送密度(1日1キロ当たりの平均人数)は年々減少の一途をたどっていた。
 鵡川ー様似間の輸送密度は、1975年(昭和50年)には1740人だったのが、1989年(平成元年)には538人に減少。高波被害直前の2014年(平成26年)には186人と、1975年の10.7%の水準にまで落ち込んでいた。
 2014年の乗車実績を駅ごとに見ると、鵡川ー様似間全25駅のうち乗車人員が1日100人を超えていたのは静内(新ひだか町)219人、鵡川(むかわ町)130人、富川(日高町)109人の3駅のみ。13駅は1桁で、「1人以下」が2駅ある。これでは高波被害がなくても存続は厳しかったかもしれない。
 しかし、廃線にしてしまうには何とも惜しい路線である。筆者は10年以上前の初秋、襟裳岬を訪れるために苫小牧ー様似間を往復したことがある。当時の車両は「昭和55年新潟鉄工所製作」のディーゼルカーだった。そのときの様子をつづった文章があったので、一部を引用したい。
 〈鵡川を過ぎたあたりから車窓の景色を楽しむ気分になってくる。ちらほらと牧場があらわれ、馬がのんびりと草を食んでいる様子を眺める。汐見という小さな駅(小屋みたいな建物がポツンとあるだけ)を過ぎると、右側に太平洋の大海原が近づいてくる。波に日差しがきらきらと反射し、きれいだ〉
 〈厚賀を過ぎると右手に海がどんどん迫ってくる。まさに波打ち際を走り続けるのである。波しぶきがかかりそうなほど近い。高波の時は大変だろうな。大狩部(おおかりべ)はホームの真ん前が海。塀があるだけだ。90年代のテレビドラマの撮影地の看板がうら寂しい〉
 〈静内では上り列車とのすれ違いのためか20分以上も停車時間がある。乗客の多くは列車を降りて駅舎で一休み。苫小牧から1時間半以上が経っていた。売店で手作りのほかほかのおにぎりを買い求める。素朴な味がいい〉
 〈静内を過ぎ、春立のあたり、原野の中の林を抜けると車窓全体に牧場の光景が広がってくる。ヒマワリを小さくしたような黄色の花が咲き乱れ鮮やかだ。サラブレッドたちがくつろぐ牧歌的な景色が浦河まで続く。苫小牧を出て3時間以上、11時過ぎに終点の様似に到着。146㌔を平均時速50キロぐらいでのんびり走ってきたことになる〉
 〈帰路。駅の前が牧場になっている絵笛駅に着く直前、突然、警笛が鳴り、列車は急停車した。何が起きたんだろう。窓から身を乗り出して前方を見ると、鹿の親子がゆっくりと線路を横切っている。その姿を追うように牧場から3頭の鹿がやって来て、これまた線路を横断。のどかな光景である〉
 〈静内で下校中の女子高生の集団が乗り込んできて、一気ににぎやかになった。彼女たちは席が空いているのに座ろうともせず、おしゃべりに夢中だ。そのうち彼女たちは携帯を取り出し、一心不乱に見入っている。都会の電車内と変わらない光景だ〉
 細かな記憶違いはあるかもしれないが、輸送密度が250人ほどあったころの日高本線の様子である。振り返れば「旅情あふれる絵になる路線」だった。
■土砂流出で線路が浮き、橋梁は崩れ落ちたまま 
 運休になってからの日高本線がどうなっているのか、被災後、2017年、2019年と現地を二度訪れた。
 昨年5月に現地を訪れると、鵡川駅に苫小牧からの2両編成の列車が到着し、20人ほどの乗客が��りてきた。列車を撮影している人もいる。駅前に待機していた代行バスに乗り込んだのは数人だった。
 車で被害の大きかった豊郷と清畠の間にある慶能舞川(けのまいがわ)橋梁に向かう。橋げたを残して橋梁は途中からなぎ倒され、枕木を下にした、ひっくり返った形で放置されている。晴れた穏やかな日だが、このあたり一帯は物凄い強風だ。被災時はもっとすごいことになっていたのだろう。
 次に向かったのは波打ち際にある大狩部駅。列車代行バスの停留所から短いトンネルをくぐって駅に向かう。コンクリートで覆われた小屋が待合室。中には代行バスの時刻表と運賃表が貼られている。
 ここは本当に海が近い。海岸から線路まで10メートルほどしかないのではないだろうか。路盤が流出し、線路が湾曲し、一部が宙に浮いた形になっている。高波被害のすさまじさを実感する光景だ。
 災害から5年以上が経ったが、被災現場は風に吹かれ、波に打ち付けられるまま。総額で86億円にも達する復旧費用を負担する財政的な余裕はJR北海道にも沿線自治体にもなく、もはや復旧の見込みは���い。来年4月1日、日高本線の鵡川ー様似間はついに廃線となる運命だ。
■過酷な経営実態、営業距離は半減 
 JR北海道管内では、今年5月に札沼線(1935年開業)の北海道医療大学ー新十津川間が廃線となった。昨年3月末には石勝線夕張支線(新夕張ー夕張間 ルーツは1892年開業の北海道炭礦鉄道夕張線)が運行を終え、2016年には留萌本線(1910年開業)の留萌ー増毛間が廃止された。
 NHKの朝の連続テレビ小説『すずらん』(1999年放映)のロケ地になった恵比島駅がある留萌本線は全線廃線がささやかれている。
 さらに映画『鉄道員(ぽっぽや)』の舞台になった幾寅駅がある根室本線(1921年開業)は、幾寅駅がある新得ー東鹿越間が、2016年の台風被害による影響でバス代行運転中だ。今後も、単独維持困難線区や被災線区では廃線の可能性がちらつく。※開業年は旧国鉄以前を含む。
 利用客が少ない北海道の鉄路は大半が老朽化し、インフラの維持や工事に多額の費用がかかるうえ、冬季の保守管理が大変だ。分割民営化後もJR四国と並んで経営難が続いている。そこへコロナ禍が襲った。
 2020年度の収入はガタ減りだ。JR北海道の島田修社長は10月14日の会見で、2020年度の事業による減収が400億円に上るとの見通しを明らかにした。
 これを踏まえ、人件費などの削減のほか、2021年3月期ダイヤ改正で「減便減車」を検討するという。JR北海道の2019年度連結決算は営業利益が426億円の赤字、経常利益は過去最大の135億円の赤字となった。鉄道事業では23線区すべての収支が赤字だった。
 第4四半期のコロナ禍の影響による減収が響いた。2020年度は、それに輪をかけた影響を受けることになる。経営環境はますます厳しさを増しているのが実情だ。道内の鉄路すべてを維持していくのは容易ではない。
 一方で高速道路をはじめとする高規格幹線道路の建設は拡大の一途。JR北海道発足当時の1987年(昭和62年)にわずか167㌔だったのが、2016年(平成28年)には1093㌔に延びている。
 その結果、旧国鉄時代に4000キロあった北海道内の鉄道営業距離は、2020年5月現在、2488㌔にまで減少した。約4割の大幅減である。今後も、輸送密度の低い路線はバスに転換されていく可能性が高い。
 JR北海道の経営実態や体力を考えれば、すべての路線を維持していくのは困難だろう。しかし、明治以来100年以上も続いた鉄路をいったん廃線にしたら、もはや元には戻らない。
 厳しい冬を乗り切るために生み出されてきた耐寒、耐雪をはじめとする北の鉄道ならではの技術改革や保守点検・整備技術の蓄積は貴重な財産だ。廃線で現場から技術者が離れていくデメリットは大きいだろう。農産物や海産物、酪農品の主要輸送手段だった歴史、地域の中核的な公共交通機関だった歴史も過去のものとなってしまう。
■活用の可能性は本当にないのか
 本当に活用の可能性はないのか。北海道は日本を代表する観光資源の宝庫であり、広大な土地がある。こうした資源と鉄道を組み合わせた、鉄路再生計画は考えられないものか。今年8月には、JR北海道が東急の車両を使った豪華周遊列車「ザ・ロイヤルエクスプレス」(2人1室利用で1人68万円から)の運行を実施した。
 富裕層相手の超豪華版だけでなく、一般観光客が利用できるようなプランがあってもいいし、輸送密度の低い線区を中心に走るコースがあってもいいのではないだろうか。
 さらに言えば、廃線は鉄道事業者だけの問題だけではない。北海道や地域の自治体の問題も大きい。かつては駅が街の中心だったが、現在は駅前は廃れ、ショッピングモールや飲食店などが集まる郊外の幹線道路沿いが賑やかになっている地域が多い。
 これは全国的な傾向であり、駅周辺に魅力が乏しいために人が利用しないのだろう。鉄路を残すためには街づくりを根本的に考え直さなくてはならない。
 1つのヒントになる事例がある。2022年に、JR北海道で20年ぶりに新駅が誕生するというのである。
 新駅建設が計画されている場所は、JR札沼線の「あいの里公園ー石狩太美」間で、当別町にある菓子メーカー、ロイズコンフェクト(ロイズ)のふと美工場から300メートルほど南側に位置しているという。
 ロイズと当別町がJRに請願し、建設費を負担する「請願駅」の形式だ。札幌市内から約30分という近郊で、ロイズは工場の見学施設などを充実させて観光客を呼び込む計画で、当別町も自動運転バスの運行や周辺開発を進める、と伝えられている。
■企業や大学との連携も
 つまり、駅に人が集まる仕掛けづくりを道や地域自治体が、企業や大学などと組んで行うのだ。馬などの動物と触れ合えるノーザンホースパークのようなテーマパーク、温泉を活用したドイツのバーデンバーデンのような長期滞在型タウン、特産品を活用した新工場建設など豊かな観光資源と土地資源、特産物などを活用したアイデアを自治体サイドでも考えていく必要があるのではないだろうか。
 東京一極集中解消策のひとつの柱である移住や、企業移転の動きも大きなチャンスだ。コロナ禍が続く今はインバウンドも来ず厳しい局面だが、10年後、20年後を見据えた「再生物語」が生まれることを期待したい。
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yagaikatsudo · 4 years
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北上川カヌー単独行① 盛岡~花巻
1997年9月23日~26日 4日間 初日・2日目 ■初日
午前10時過ぎ、曇天の空、よーやく東北の大河、北上川にカヌーを漕ぎだす。 川は2日前までの台風の影響で増水し流れもケッコウ早い。今まで何本か川を下ってきたが、全て車を使っての伴走ツーリングだったので空身での川下りだが、今回は初めてキャンプ道具一式を積んでの4日間のツーリング、しかも単独行だ。 ”いくぞ”と呟き自分自身に気合を入れ、盛岡市内中心部の開運橋の下から出発。
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↑出発地点の開運橋の橋の下 ”こんな”ハズじゃなかった”と思うくらいの川の流れの速さに少しビビったが、行くしかない。漕ぎ始めてすぐに右から雫石川、左から中津川が合流、速い流れの中でとにかく沈しないようしないよう、注意しながらパドルを動かす。 カヌーはファルト(布張りの折り畳み組み立て式)、もともと2人用で全長4.5m、最大積載量はいちよ200キロだが、僕の体重が80、キャンプ道具が30、合わせて110キロ、これは重い。こんなのが川で沈したら岸に上げるのが大変だ。それに水も冷たい。絶対、沈しない!と心に固く誓い、しぶきの立つ瀬に突っ込む。 南大橋で車イスのおばあさんを連れた男の人がずーーっと僕を見ていた。橋の下に差し掛かった時に手を振りながら 「どこまでですか~」 ときくので 「平泉までで~す」 と答える。 「ひゃ~~遠いですねぇ!お気を付けて!」 「どうも!」 と返す。 平泉は中尊寺で有名なところ。盛岡から約100キロだ。100キロと言えば東京から箱根ぐらいだ。遠いなぁ、本当に行けんのかな。。。自分で計画を立てておきながら不安になる。 更に不安なのは橋を抜ける時だ。橋脚が何本もあるため流れが左右に分かれ速さも増す。おまけに流木やゴミなど障害物が引っかかっていて面倒だ。橋脚と橋脚の真ん中を行くように少し緊張しながら漕ぐ。   で、ところによっては橋を越えたすぐそこに落ち込みがあり、勢いよく突っ込むと顔面にしぶきがかかる。ウッヒャ~~と叫びながらバランスを保つために必死にパドルを動かす。更にところによってはすぐその先が大きくカーブしていて、流れに身を任せてしまうと流れの外側へもっていかれ、対岸の岩や崖にぶつかり沈する可能性大なので、またまた必死に内側へ抜けるように漕ぐのだ。橋を通過する時は盆と正月が一度に来た時のように忙しい。 1時間もしないうちに中州へ上陸。やっぱり荷物の積み方が悪いらしく、バランスがうまく取れないので積み直す。水も少し入っているので抜く(岩で擦られて以前から何か所も船体布に穴が開いてしまい、修正布やガムテープで修理するんだけど、哀しいことに水は入ってくる)。 再び出発。 少しはバランスも良くなり、周りを眺める余裕も出てくる。後ろを振り返れば岩手山も見える。北上川は岩手県北部を源とし長さ243キロ、岩手、宮城の2県を縦断し石巻で太平洋に注ぐ。人口の集中する平野部を流れるため川の透明度はほとんど無いが、川幅も広くノンビリ下れるツーリング向きの川として有名だ。 昼メシ休憩でまた中州に上陸。コンビニおにぎりと十六茶、麦チョコで済ませる。夜行バスで東京から来たのでちょっと睡眠不足、ライフジャケットを枕に横になるとそのまま深い眠りに堕ちてしまった。気が付くとどんよりとした雲が真上にあった。目が開いて15秒ぐらいここがどこなのか分からなかった。1時間近く昼寝してしまったらしい、いいネムリだ。
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↑昼メシ休憩の中州 更に下る。 途中、子連れの釣り人と話をした。 「ひっくり返らないんですか?」 「川を下るのに許可はいらないんですか?」 朝、タクシーの運ちゃんにも 「北上を下る許可はもらったのか?」 と東北訛りできかれた。 許可を気にする日本人。 2時半ごろ、今日の目的地、日詰町の紫波橋で上陸。しかし驚いたことにスゴイ人だ。200人はいる。祭日なので河原のグラウンドで野球をしたり、応援したり、献血なんかもしてる。ここは店が近くてキャンプ向きだが、この人混みの中、突然川から上がって来た男がテントを張るのもマヌケなのでやめた。少し行くと地図に無い橋があった。2年ぐらい前にできた紫波南大橋だ。釣りをしているカップルに店のことを尋ねると、あるということなので上陸。開運橋から約22キロだ。
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↑北上川のノンビリとした流れ
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↑川幅も空も広い♪
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↑振り向けば岩手山
上陸した土手の向こうは田んぼ、カップル以外は誰もいない。 栗の木の下にテントを張る(下の写真)。
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ドライバッグに入れておいた寝袋や着替えは全く濡れていないのでホッとする。 店に食料買い出しに行こうとするとカップルの男子が、店はちょっと遠いので自分の車に乗ってて下さいと言う。おお~アリガタヤ~~。 一人旅では人の親切にドンドン甘えるべし、が僕のポリシーなので、早速、車に乗せてもらい大型スーパーへ連れて行ってもらった。 男子は千葉君と言い、今春、東京の大学を卒業して地元に戻り、高校で体育教師をしているそうだ。なるほど、あの太い腕っプシはそうだったのかと納得。大型スーパーの品揃えは完璧だった。刺身、肉、野菜、ビール、ウイスキーを買い込み、またテントまで送ってもらった。有難う。 河原では北上川の流れを眺めながら、サーモンの刺身を肴に一番搾りをグビグビ呑む。うまい!ビールはやっぱりキリンに限る♪ 豚汁の用意をし、日暮れ前に電話しようと思い、歩いて公衆電話を探す。10分ぐらい歩いて家がポツポツ見えてきたが、探し物は見当たらない。通りかかった車に止まってもらい尋ねると、70近いジイさんが出てきて車に乗れ乗れと言う。そのまま乗ると食堂に着いた、そこがジイさんの家だった。 食堂の前に公衆電話があり用を済ませると、ジイさんが座れ座れと言うので座る。クルミ餅、おはぎ(お彼岸なので)、キュウリの漬物とお茶が出てくる。食え食えと言うので食う。 ジイさんは僕がどこから来たのか、ここで何をしているのかを熱心にきいてくるので、盛岡からカヌーで下って来た、河原でテントを張ってる、等と説明すると、ジイさんは、君はたくましい、若いことはスバラシイを連発した。 続いて、家に泊まれ、風呂に入れ、テレビを見ろと言ってくれるので、ローカルニュースを見た。今日、下りながら見た北上川河川敷での凧揚げ大会もやっていた。気になる明日の天気は雨。 ジイさんは熱燗までつけてくれ、ラーメンまでご馳走になった。いやあ有難い!旅先での人情は身に沁みる等と思いつつ、ここまでは良かったのだが、やがて事態は恐ろしい方向へと進んでいった。。。 ジイさんは君がどんなところでテントを張っているのか見てみたい、車で送る と言うので助手席に座ると、たくましい、たくましいを連発しながら短パンの僕の太ももを触り始めた。。。 外はもう真っ暗。田舎なので灯りは無い。テント近くまで送ってもらったが、ここからの話はあまりにも恐ろしく、B級ホラーよりもいたたまれないので、これ以上書けない。今思い起こしても寒気がするぜ、エロじじい。
■2日目
予報通り夜半から雨が降り出した。今日は下るのをやめて停滞しよう、僕は寝袋の中で早々と停滞宣言をした。 雨の中でカヌーで下るほど僕の気持ちをストイックに駆り立てる大失恋もムンク的叫びも特に無かったので、テントの中でゴロゴロすることにしたのだ。昨日食べなかった豚汁を作り、読みたかった本を読み、朝からウイスキーをストレートで飲む。シアワセだ。 途中、恐ろしくもジイさんが僕の名前を橋の上から何度も何度も呼んだが、僕は死んだふりをして寝袋の中で酔っぱらいながら読書を楽しんでいた(実際、ジイさんは土手の傾斜がきつくて、ここまで降りてくることはできない♪)。ポツポツとテントを叩く雨音が気持ちよく、いつの間にかまた寝てしまう。 昼過ぎ、2本の足で立ち上がり、20分ぐらいかけてJRの日詰駅まで歩く。東北の9月末の雨は寒く寂しい雰囲気だ。小さな駅舎のベンチでボーッとする。夕方でもないのに高校生が多い。やっぱりルーズソックスだ。茶髪はいないがホソ眉毛はいた。つまらない。 そして再び恐ろしいことに、ジイさんが駅に向かって歩いてきたのを僕は目撃し、すぐに身を隠した。そう言えば昨日「明日はエヌテーテー(NTTの意)の集まりがあるから電車に乗って出かける」と言ってたなぁ。。。僕は何か追われる者のような気持ちで駅前の喫茶店に逃げ込み、何事も無かったかのようにコーヒーを注文した。 気分転換にコーヒーを楽しみながら友人に絵葉書を書き、マンガ「課長・島耕作」を読む。島耕作は仕事にかこつけ、しょっちゅうエッチばかりしている。そうか、やっぱ世の管理職はこんなことばっかしてるんだ、不器用なオレには到底務まらんなぁ、ヨカッタヨカッタなどと言いながら店を出る。 テントに戻る途中、ビールを買おうと小さな食料品店に入りキョロキョロしていると、店の妙齢の女性から「すみません、ビールは向かいのお店で売ってます」と言われた。どうして僕がビールを探しているのが分かったんだろ??露骨にビール・ビールという顔でもしてたのか??とにかくその女性の眼力に圧倒されながら僕は向かいの店でビールを買ったのである。 テントへの帰り道、雨はやみ、雲の切れ間から月が顔を出していた。僕は美空ひばりの「川の流れのように」を口ずさみながら橋を渡った。橋の上ではなぜかヤンキーのニイチャンが2人、釣りをしていた。
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