Tumgik
#島根県美容室
irori556 · 2 years
Photo
Tumblr media
【原点に】電気や機械に頼らない 初めて理容鋏を買いました . 美容の鋏は 線で切れる感じ . 理容の鋏は 面で切れる感じ . 【点.線.面】 これから 沢山練習して 唯一無になります! . #出雲 #出雲美容室 #雲南市美容室 #島根美容室 #松江美容室 #大田市美容室 #バーバースタイル #出雲バーバー #マンバン #barberstyle #irori #フェードカット #フェード #fade #fadecut #menshair #出雲市 #島根県 #出雲理容室 #メンズヘア #シザー #シザーカット #メンズカット #囲炉裏整髪堂 #広島美容室 #岡山美容室 #鳥取美容室 #山口美容室 #出雲力  (囲炉裏整髪堂) https://www.instagram.com/p/Ce9uqNFvBrr/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
kennak · 2 months
Quote
国の介護保険では、介護サービスを提供する事業所や施設に支払う報酬を3年に1回、改定することになっている。今年4月はそのタイミングに当たり、厚生労働省は1月下旬、改定内容を発表した。介護分野の人手不足を踏まえ、賃上げに向け報酬の加算を上積みすることにした。ところが今、全国のヘルパーから国の方針に激しい怒りの声が上がっている。なぜ、そんなことになっているのか。ヘルパーが高齢者の自宅を訪ねる訪問介護を巡り、従来とは異なる形態が増えているという変化が背景にある。(共同通信=市川亨、高砂しおみ)  ▽国を訴えた68歳ヘルパー  2月2日、東京・永田町の国会議員会館。普段は都内でヘルパーとして働く藤原るかさん(68)が、会議室でマイクを握っていた。「この仕事は楽しい。だけど、私たちに対する国の扱いに腹が立つ」  仲間のヘルパー2人と藤原さんが国を相手に起こした裁判について報告する集会だ。藤原さんたちは、ヘルパーの移動・待機時間やキャンセルに賃金が支払われていないとして「国の制度や対応に問題がある」と、国家賠償を求める訴訟を2019年に起こした。  2022年に東京地裁で敗訴したが、控訴。集会を開いたこの日、東京高裁の判決でも請求は退けられた。ただ、高裁は藤原さんたちの主張を一部認め、判決で次のように指摘した。  「訪問介護では、多くの事業所で移動・待機時間の賃金やキャンセル休業手当が適正に支払われないという問題が長年、解決されず、賃金の低さと慢性的な人手不足が問題とされながら、いまだ解消に至っていない状況にあることが認められる」  ▽人手不足でも賃金を上げにくい構造  元々「勝ち目の少ない裁判」と言われていた。藤原さんたちもそれは分かっていた。それでも訴訟を起こしたのは、訪問介護の窮状を世に訴えたかったからだ。  事業所が求人を出しても、仕事内容の割に安い賃金のため、ほとんど応募がない。有効求人倍率は2022年時点で15・53倍という異常な高さ。若いヘルパーは少なく、約4人に1人は65歳以上の高齢者だ。常に人手不足で、サービスを受けたい人がいても、断らざるを得ない状況が続く。  通常のサービス産業では、需要が供給を上回っている場合、事業所は価格と賃金を上げ、供給量を増やす。しかし、介護保険は国が個々のサービスの値段を決める「公定価格」。事業所が勝手に価格を上げることはできない。  例えば、訪問介護でヘルパーが調理や掃除をする「生活援助」は、45分以上の基本報酬が2250円などと決められている。ほかにも各種の加算があるが、事業所は報酬の中からヘルパーに賃金を支払う。国が定める報酬額が引き上げられなければ、ヘルパーの賃金を増やすのは難しい。 ▽厚労省と関係が近い団体も抗議  「4月の報酬改定では、訪問介護は引き上げだろう」。多くの関係者がそう思っていた。  ところが、1月下旬に厚労省が発表した改定方針で、訪問介護の基本報酬は2%強引き下げられた。他のサービスはほとんどが引き上げだった。  「まさか」「あり得ない」。介護事業所やヘルパー、利用者らでつくる市民団体が抗議の声を上げると、1週間ほどで全国の約360団体、約2500人から賛同が集まった。  団体の世話人で、埼玉県で訪問介護などを運営するNPO法人の代表理事、小島美里さんは抗議声明の発表記者会見でこう話した。  「意欲を持って働いている日本中のヘルパーの気持ちを萎えさせた。これは在宅介護の終わりの始まりだ」  日本ホームヘルパー協会と全国社会福祉協議会(全社協)も抗議の声明を発表した。「今回の改定は、国が目指す『住み慣れた地域で安心して生活を続けられる』という姿とは全く正反対」と指摘。「私たちの誇りを傷つけ、さらなる人材不足を招く。断じて許されない」と訴えている。全社協は厚労省と近い関係にあり、ここまで強い調子で批判するのは異例だ。  ▽賃上げ加算あっても相殺でマイナスのケースも  厚労省が訪問介護の基本報酬を引き下げるのはなぜなのか。根拠としているのが、2022年度の経営実態の調査で訪問介護が他のサービスに比べて利益率が高かったことだ。例えば、特別養護老人ホームが1.0%の赤字だったのに対し、訪問介護は7.8%の黒字。全サービスの平均値(2.4%黒字)も大幅に上回っていた。  もう一つ、厚労省が強調するのが介護職の賃上げに向けた「処遇改善加算」の改正だ。厚労省幹部はこう説明する。  「確かに訪問介護の基本報酬は下げるが、処遇改善加算は最高24.5%と他サービスよりも高く設定した。加算を取れば、多くの事業所の収支はプラスになる。基本報酬だけでなく、トータルで見てほしい」  ただ、加算が基本報酬の引き下げで相殺され、収支にマイナスの影響が出る事業所もありそうだ。東京都内で訪問介護などを運営するNPO法人の柳本���貴代表は、収支が悪化する場合があると試算する。
「やる気が萎えた」全国のヘルパーが激怒、訪問介護の基本報酬がまさかの引き下げ 国の方針のウラに隠れた「ある変化」とは(47NEWS) - Yahoo!ニュース
2 notes · View notes
ari0921 · 1 year
Text
我が国の未来を見通す(63)
「気候変動・エネルギー問題」(28)
「気候変動・エネルギー問題」(総括)〔後段〕
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
先週、連休を利用して島根県を訪問し、出雲大社を
特別参拝させていただきました。私などが詳しく解
説する必要はないと考えますが、ご案内いただいた
禰宜(ねぎ)が神話に基づき解説してくれた大社の
歴史は、地上界を支配すべきは天照大神(とその子
孫)とし、地上を治めていた大国主命から話し合い
によって(戦争することなく)国を譲り受けました。
天照大神は、感謝の気持ちを込めて大国主命を祭神
とする出雲大社を建設されたとのことでした。
私自身は、『逆説の日本史』(井沢元彦著)などで
語られているような出雲大社の“いわれ”を知らな
いわけではありませんが、江戸時代の中ごろに再建
されたとされる国宝の現本殿や神話時代から語り継
がれている、東大寺の大仏殿を超える日本一の高さ
48m、階段の長さが109mに及んだとされる初
代本殿の威容などを知ると、禰宜の解説の方により
納得がいきました。
大国主命は、今では広く「えんむすび」の神として
人々に慕われていますが、この“縁”は男女の縁だ
けではなく、生きとし生けるものが共に豊かに栄え
ていくための貴い結びつきを指すそうで、我が国の
悠久の歴史の中で、代々の祖先の歩みを常に見守ら
れ、目に見えないご縁を結んでおられるのだそうで
す。
このように、(正確にはわからないそうですが)3
000年に近い歴史が有する出雲大社の歩みをお聞
きすると、その歴史はけっして“神話の世界”では
なく、我が国の「国づくり」の歴史、そしてこの間
に出来あがった「国柄」、特に神話の時代から「和」
を重んじる国であることなどが改めて理解できまし
た。この精神がやがて聖徳太子の「十七条憲法」第
1条「和を持って貴しとなす」として具現化される
のでした。
私自身はこれまで全国各地、数多くの神社仏閣を参
拝させて頂く機会がありましたが、特に、淡路島の
伊弉諾(いざなぎ)神宮、高千穂神社、伊勢神宮、
宗像大社などにはそれぞれの神話があり、そのつど
納得し、このような歴史を持つ日本に生まれたこと
に誇りと感じ、言いようもない幸せ感を味わった経
験がありますが、今回はこれまでの経験に勝るもの
がありました。
終戦後、GHQの占領政策によって、我が国は、神
話を教育することを含めて戦前の歴史を全否定され
ました。しかし、世界を見渡せば、神話を含めて国
の生い立ちを教えない国はありません。ポツダム宣
言には「日本が世界征服を企てた」となっており、
我が国はこのような“汚名”を受け入れることを余
儀なくされましたが、500年の長きにわたり、世
界征服を企てたのは欧米列国であり、この流れに
「待った」をかけた国こそが我が国でした。
その上、本来、「和」を尊ぶ我が国の国柄が語り継
がれていた神話の中にも存在することをGHQのス
タッフは身抜けなかったのでしょう。もしこのよう
な我が国の本性を熟知していたら、あるいは日米開
戦などは起こらなかったのでは、と想像してしまい
ます。
島根県には、国宝・松江城や日本一の庭園美術館
「足立美術館」などもあって、あらためてこの地域
の歴史や豊かさを堪能しましたが、島根県のみなら
ず全国各地にその地域ならではの歴史や文化があり
ます。天変地異など様々な混乱を経験しても、それ
らを残していただいた先人たちにあらためて感謝申
し上げますと共に、今に生きる私たち世代もまた後
世に残し、伝える責任があることに思いが至りまし
た。
▼我が国のエネルギー政策の“落とし穴”
 
さて、最近の我が国は、気候変動・エネルギー問題
のみならず、「国益」を一顧だにせず、というか
「国益」という言葉自体も忘れ、国際社会、特に西
欧列国に追随するとか、周辺諸国と謝罪することな
どをもって“国是”としているような風潮があるよ
うな気がしてなりません。かつてのグローバル・ス
タンダードなどもその部類だったと考えます。
もちろん、戦前のように、「国際秩序への挑戦者」
となることは許されないですが、戦前の“贖罪意
識”が強過ぎるのか、様々な状況を冷静・沈着に判
断して我が国が歩む道として最適の選択肢は何か、
というプロセスそのものをスキップしているように
思えてならないのです。そのようなことを何度も繰
り返すと、「進むべき進路を誤った」とされる戦前
と同じ結果になり、後々に禍根を残す可能性がある
ことを危惧します。
これまでも「木を見て森を見ず」という言葉を使用
しましたが、現在の我が国は、あらゆる分野で「専
門家」と称される人たちが発言力を持ち、それゆえ
に、専門とする極めて狭い世界の事象に拘泥し、結
果としてその考えに翻弄されているような気がして
なりません。各界に“森が見えない人たちがなんと
多いことか“とつい思ってしまいます。
特に、気候変動問題においては、菅義偉内閣になっ
て、突然「脱炭素」を宣言し、まさに「国益」やそ
の実行の可能性より、国際社会追随の政策に転換し
たことはすでに紹介しました。当時から「エネルギ
ーは安全保障最優先にすべき」との声もありました
が、様々な事情もあったのでしょうが、“見切り発
車”しました。いったん舵を切ると、トランプ前大
統領のような強いリーダーが出現しにくい我が国に
あっては、軌道修正がますます困難になることは明
白なのです。
また、「ブレーキをかけることを忘れた高齢者の運
転のように」と表現しましたが、アクセルばかりを
踏み込み、ついには「一石三鳥」のような勇ましい
キャッチコピーまで飛び出しました。国を挙げた勇
ましい政策には必ずその“副作用”があることを我
が国は長い歴史の中で何度も経験しましたが、その
ような歴史を学び、あるいは各方面からの警鐘を鳴
らす発言に耳をそばだてるような感性は、首相をは
じめ、政治家や官僚の皆様にはなさそうです。
政府が唱える政策に協力するのは当然としても、様
々な思惑をもって「脱炭素」政策に便乗する人たち
は、いったい全体、地球にとってCO2とは何なの
か、本当に異常気象なのか、地球温暖化は進んでい
るのか、それらの原因が人為的CO2の排出にある
のか、さらには、「脱炭素」は可能なのか、そのコ
ストはどれほどかかるのか、CO2を削減すること
が地球にとって本当によいことなのか、その上で、
自分たちのやろうとしていることは本当に日本のた
め、地球のためになるのか・・・などを考えたこと
があるのでしょうか。
おそらくそのような思考は停止したまま、「政府が
奨励しているから」「国連(あるいはIPCC)が
言っていることだから」「皆、やっているから(や
らないと取り残されるから)」と自らを納得させる
・・・私の周りにもそのような人がたくさんおりま
す。なかでも、金儲けの絶好の機会と野心的な思惑
を持つ企業関係者にあっては、その真実の解明より
「お金になるならなんでもよい」くらいの感覚なで
しょう。
民主主義とは、誤解を顧みず話せば、主権者たる国
民の大多数の支���があれば何でもできるし、何をや
ってもよい政治形態です。バラマキと言われようが
刹那的と言われようが、支持率さえ確保できればよ
いと考える政治家が政策を断行し、その結果、主権
者が喜べば、世の中は丸くおさまり、波風は立たな
いのです。
地球温暖化とは裏腹に、「100万年にわたる地球
の気温推移の歴史をみると、人間の出すCO2など
とは全く無関係に一定のリズムを刻んでいる」とし
て、「実際の地球は寒冷化に向かっている」との考
えを持つ人たちも少なくないですが、その寒冷化を
防止するためは、温室効果ガスが必要不可欠であり、
その主体はCO2になることでしょう。
何も考えずに「脱炭素」に協力していている人は、
かつての氷河期のように地球上の生命体そのものを
脅かすことに加担しているという考え方もできるの
です。
▼実行の可能性とコスト意識
さて我が国は、中国などの発展途上国と比較して、
先進国としてエネルギーを消費した歴史が古いこと
は間違いないですが、それでも1970年代に2度
体験した石油ショックから立ち直るために、並々な
らぬ“省エネ”努力を積み重ねてきました。その結
果、実質GDP当たりのエネルギー消費は世界平均
を大きく下回る水準を維持しており、インドや中国
の5分の1から4分の1程度の少なさであり、最近、
省エネが進んでいる欧州の主要国と比較しても遜色
ない水準となっていることも紹介しました。
つまり、すでに省エネに取り組み、それをもって過
度にCO2排出を排出しないという長い歴史があり
ます。そして、生活空間からしても“ウサギ小屋”
と揶揄されるようなつつましやかさも現存し、今と
なっては他国に誇るべきことですが、だからこそ、
これから先、さらに省エネを推進し、CO2排出を
削減することは至難の業だということもいえるでし
ょう。
これもすでに紹介したように、環境省の発表では、
これまで国と地方自治体合わせて30兆円の経費を
投入し、今後は税金で20兆円を投入して150兆
円の投資を呼び込むと皮算用していますが、すでに
省エネを推進し、CO2排出は地球全体の3%ほど
に留まっている我が国にあっては、仮に2050年
に「脱炭素」を実現したとしても、その効果は測定
できないレベル(試算では0.0008℃度程度)
にしかなりません。
最近、このような日本にあって、依然として現実的
な“良心”を有している機関を発見しました。経済
産業省系の研究機関といわれる「公益社団法人地球
環境産業技術研究機構」(RITE)です。RIT
Eはまず、「2030年にCO2を46%削減する
ためにGDP損失が30兆円発生する」として、2
0兆円の実質増税を含み、政府が考えるカーボンプ
ライシングは「経済への足かせになる」と警鐘を鳴
らします。
RITEはまた、「2050年に『脱炭素』を実現
するためには、技術面やコスト、自然制約・社会的
制約などの様々な面で課題や制約を乗り越えること
が必要であるが、技術革新などの進展には大きな不
確実性が存在するため、30年後の姿を具体的に見
通すことは困難である」とし、さらに、電力分野の
みならず非電力分野の技術を実装しない限り、「2
050年の『脱炭素』は極めて困難である」と結論
づけています。
この結言を導くために、RITEは電力構成につい
て5つのシナリオを取り上げて検証していますが、
なかでも再エネ100%のケースでは、電気料金が
2倍になることも試算しています。
東京都は、情緒的な判断だけでその効果もろくに検
証しないまま、都内の新築戸建住宅に太陽光パネル
の設置を義務化し、そのための支援制度を新設する
ということが話題になりました。この支援のための
経費は都民税から流用されることは間違いないでし
ょう。気候変動対策とか「脱炭素」を目的にすると、
コスト意識が頭から離れてしまいがちですが、その
コストは最近話題の電気料金の値上げだけではなく、
石油やガソリンなどの燃料代、そして所得税や地方
税などにも含まれることも再認識する必要があるの
です。
▼「脱炭素」と安全保障
さて、太陽光発電は国内の広大な土地を中国など外
国資本が買いあさる格好の材料になっていることも
指摘しました。最近、中国がアメリカ国内の農地を
購入し、アメリカが警戒していることが話題になっ
ていることも付け加えておきましょう。その面積は、
現時点では1554haほどで、1位のカナダや2
位のオランダなどには及ばず第18位、農地全体の
0.9%に留まっているようですが、高い伸び率で
農地が増えていることに加え、日本を含め、世界規
模で農地を買いあさっていることもあって、アメリ
カ国内では余計に警戒感を増大させているようです。
再エネを推進しようとするとコストがかかる。コス
トを削減しようとすると中国製の太陽パネルを使用
する必要がある、あるいは、太陽光発電のために中
国資本を招へいする必要がある、招へいすればする
ほど、中国資本の森林や農地が増える、増えれば増
えるほど安全保障上の問題に懸念が残る・・・。
上記のサイクルで何を優先すべきかは明らかなので
すが、「脱炭素」以外に盲目になっている人たちに
は、国内の森林や農地が外国資本に買収されること
に危機意識を持たないことが問題なのだと考えます。
前回、地球温暖化の提唱者たちの当初のシナリオが
狂っているのではないか、と指摘しましたが、我が
国にあっては、補助金付きで、中国資本を招き入れ、
国内はおろか、中国の世界戦略に加担するようなこ
とになるのだけは何としても避けたいものです。政
府の早急な英断が求められると考えます。
私は、「脱炭素」などのような“絵空事”(あえて
こう表現します)を根本から見直し、エネルギーの
安定確保(しかもなるべく安価で)を最優先するこ
とを提言したいと考えますが、読者の皆様はどう考
えるでしょうか。
▼まとめ
 
さて、本メルマガで取り上げました我が国の「少子
高齢化問題」「農業・食料問題」「気候変動・エネ
ルギー問題」には共通の要因があり、これらの問題
を抜本的に解決するためには、それぞれ小手先では
なく、国家レベルの根本からの「改造」が必要と考
えます。それらは、国防とか防災なども共通してい
ることでしょう。
本メルマガ「我が国の未来を見通す」は、「我が国
の歴史を振り返る」の後継として発信しているもの
ですが、この後、本メルマガの総括として、我が国
の歴史から学ぶ「知恵」を活かしながら、我が国の
将来に立ちはだかるであろう“暗雲”にいかに立ち
向かうか、について読者の皆様と一緒に考えていき
たいと思います。
しばらく整理と充電の時間を頂いたのち、第4編
「『強���な国家』をつくる」(仮称)を題して、日
本を守り抜き、日本の未来を創造するための様々な
「知恵」について発信していきたいと計画していま
す。請うご期待!
(つづく)
(むなかた・ひさお)
Tumblr media
2 notes · View notes
ichinichi-okure · 3 months
Text
Tumblr media
2024.2.27tue_tokyo
他人に見せるために日記を書くのは初めてなので、いささか緊張しています。うえはらです。漫画家をしています。
ーーーーー
訳あって長野県の山奥で、初対面の男性5人と寝ている。厳密には、横になって目を閉じている。いびきの酷いヤツがいるからだ。おそらく広島からやってきた、鍼灸師のタナカさんだと思う。ずっと聞いていると、いびきにも規則性があることに気づく。
「びぃぃ…」 「びぃぃぃいい」 「びぃぃぃぃいいいいいいい!!!!」
まるで徐々にエスカレートしていく駄々っ子のように、クレッシェンドしていく。もちろん規則性に気づいたからと言って、耳に馴染むわけではない。夜通し駄々っ子に付き合っていたら、いつの間にか空が白み始めていた。
Tumblr media
ーーーーー
朝、タナカさんに「よく眠れましたか?」と聞くと満面の笑みで「はいッ!」と言われた。 そうですか、それは何より。
対する僕は、ひどい肌荒れに見舞われていることに気づいた。慣れない場所で寝泊まりするとすぐ肌が荒れたり、体調を崩したりする。高校時代の友人に「今が狩猟時代の洞窟生活だったら、最初に死ぬのはお前」と言われたほど順応力が低い。今が稲作定住の高度文明社会で良かった。
長野に来ていた理由は、freeeという企業が主催する「フリーランサーを集めてみんなで確定申告を終わらせよう」という1泊がかりのイベントに参加していたからである。
根っからの人見知りなので、いつも他人と仲良くなるまでにひどく時間がかかる。泊りがけの行事でも、参加者と打ち解けるのはいつも最終日なので、別れの時間に人一倍寂しくなってしまう。大学時代に合宿の帰りのバスで、泣きそうになりながらBEGINの「恋しくて」を聞いていたのを思い出す。15年経っても人間変わらないものですね。それにしてもBEGINて。
本当に会いたい人には、また東京で会えば良い。そういう前向きな代案を考えられるくらいには成長した。会いたい人には自分から連絡する。連絡を待っているうちは誰もくれないから。そういうことも、この15年で学んだことの一つだと思う。
Tumblr media
ーーーーー
帰りは相部屋だったホンダさんが長野駅まで車で送ってくれた。彼は都内で飲食ブランドを経営している。200人規模の巨大なシェアハウスに住んでいるから試食で作った料理を余らすことがなくていい、という。
「この車、元嫁から借りてるヤツなんで、ちょっと返してきますね」長野駅前のカレー屋さんについて、荷物をおろしながらホンダさんは言った。乗り合わせていたサクラギさん、ヤマグチさんとこっそり顔を見合わせる。
先に店に入って待っていたら「今から元嫁と店向かいます」と連絡が来た。その(元)奥さんは、1歳ほどの男の子を抱えてやってきた。その子に思わず視線が集中したのを察知してか、すかさずホンダさんが「あ、僕の子じゃないでーす、複雑ですいません」と言った。ホンダさんのことがとても好きになった。
その3人は隣のテーブルに座って話していたのだがお互いの近況報告をしているのかな、となんとなくわかる程度に会話の内容が聞こえてきた。
「私、猫飼いたくてさ。でも旅行の時とか大変だから」 「今度はその猫の世話をお互いにし合える距離に住もうよ」
カレーは程よい辛口だった。
Tumblr media
ーーーーー
下北沢のシェアオフィスに戻ってきて、止まっていたネームの続きをやる。大半の漫画家がそうであるように、僕はネームを作るのが大の苦手なので会議室に篭って制作することが多い。
それにしてもニワトリレベルの集中力である。(ニワトリって集中力低いっけ?悪者にしてごめんねニワトリ!)頻繁に席を立ってはウォーターサーバーに水を飲みに行く。用意されている水の60%近くは僕がネーム作業中に消費していると思う。水が切れたので交換していたら、オフィスを運営してくださっている不動産屋さんのオチアイさんに声をかけられた。
「うえはらさんいつもありがとうございます、のお菓子。」と言って、高級そうなクッキーをくれた。水を替えたくらいで申し訳ないなと思って「なんか重いな、今日でぼく死ぬんですか」と返した。そのやり取りを聞きながらオフィスでツカザキさんとエンドウさんが笑っていた。
東京に帰ってきたな、と思った。
頂いたビスケット、とても美味しかったです。
Tumblr media
ーーーーー
-プロフィール- うえはらけいた 35 笹塚 漫画家 https://note.com/keitauehara/
0 notes
tinytable-blog · 6 months
Text
島根ツーリング
金沢の次は島根へツーリングで行ってきた。こんども展覧会をみに行くのが主目的だが、なにしろ交通手段に難があるのでツーリングで行くしかなかった。
島根県の西端、益田市にある文化施設 島根県芸術文化センター「グラントワ」内の県立石見美術館で、設計者である内藤廣の個展「建築家・内藤廣/BuiltとUnbuilt 赤鬼と青鬼の果てしなき戦い」をやっているのでみてきたのである。
Tumblr media
いやー、遠かったわ、益田市。でもめちゃくちゃよかった。建築も展示も近年まれにみる良作だった。
自宅を出たのが6時半。中国道で広島方面へ。さいしょ山陽道から播但道方面へ向かうはずが逆向きになってしまい、神戸JCTまでいくはめになってしまったが、まあそれはそれ。ともかく中国道。今回は無給油ではたどり着けないので、勝央SAで給油&休憩。広島の千代田JCTから浜田自動車道で北上、浜田市の西村ICで高速をおりたらもう13時である。国道9号線「ゆうひライン」をしばらく西に進んで、道端の「ドライブイン日本海」のうどん自販機で肉そばの昼食。島根県はなぜかうどん自販機が多いらしい。
Tumblr media
遠方まで来たのだからほかにもいろいろ建築をみてまわりたいところだけど、なにぶん移動に時間がとられて余裕がない。浜田市街で給油したあとにちょっと寄り道して田ノ浦海岸をのぞいたぐらい。その道中で脇を通過した三隅小学校が高松伸の設計だったが、まあ平日やったし。
Tumblr media
ちなみに二度目の給油まで398km、給油は8.53Lと9.44Lだったので、リッター22km、あれっそんなもんか。
そんなこんなでグラントワについたのが15時前。この日は月曜日なので美術館は休館日だが、グラントワじたいは開館していたので、共用部はみてまわることができた。
Tumblr media Tumblr media
大小の劇場と美術館をまとめる中庭と回廊が素晴らしい。石州瓦と色目をあわせたタイル、カリンのフローリング、杉板型枠の打ち放しコンクリートの素材のアンサンブルが素晴らしい。けっきょく17時の閉館まで歩きまわって写真を撮りまくった。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
その後は宿に行く前に駅前の蕎麦屋で早めの夕食。素泊まりなのである。夕食のあとは地元のスーパーキヌヤに寄って二日目の朝食と夜のビールを調達。地ビールも売ってて、いいスーパーだった。バイク置き場でグラントワの駐車場でバイクをみたよ、という方に声をかけられて、すこし話をした。
19時前に宿の多田温泉 白龍館に到着。バイクということで、わざわざシャッター付きの車庫の中に停めさせていただいた。温泉に入ってビール。
二日目はあさイチで美術館へ。劇場のほうでは地域の小中学校の音楽祭があるらしく、そちらのほうの人の出入りもあってにぎやかだった。
で、展示であるが、もうめちゃくちゃな充実ぐあい、建築展であんなに見ごたえあったのはちょっと記憶にない。 三室構成の会場。うち一室は映像展示だから、実質的には二部構成になっていた。これまでの実績(Built)の展示と、非実現案・計画案(Unbuilt)。Unbuiltのほうには施工中(Ongoing)も含まれる。
それぞれに図面と模型が展示されていて、さらに長文のテキスト解説がついている。すべて内藤本人が書いていて、何かの紹介記事によるとテキストすべてで10万字を超えるとか。それがまた結構読ませる内容になっているから、じっくりみてたらすごい時間がかかる。
Tumblr media Tumblr media
自分は9時半に会場入りしたんだが、前半の一室目をみおわったのが12時であった。
展示ボリュームとしては後半のほうが大きかったので、ぜんぶみおわったのが16時前。もうぐったりである。
会場入りするまでは、昼過ぎにはみおわるだろうから、帰り道にどっか寄るか、などと考えていたんだがそれどころじゃねえ。初日に先乗りして写真撮���といてよかった。でも結局二日目の展示みたあとも写真撮りまくったんだけど。音楽祭がらみでホールのホワイエも照明がついていたのがラッキーだった。
Tumblr media Tumblr media
そんなわけで直ちに帰路である。往きの行程から推察するに、帰宅は日付が変わる可能性が高い。ぼやぼやしているわけにはいかない。
往きと同じルートで帰るだけ、浜田市までは山陰自動車道で帰るのだが、その前にちょっとだけ寄り道、石見空港方面にむかって、地ビールスタンド「高津川リバービアクラフト酒場高角」でお土産のビール購入。
Tumblr media
そのまま、石見空港ICから山陰道にのった。あとはひたすら帰るだけ。帰りの給油は七塚原SA。帰りはちゃんと播但道を通って、なんとか12時前に帰りついた。また自宅近くのGSで給油して帰ろうとしたんだが、機器のメンテナンス中とかでカラタンクで帰宅。
往復ルートはこんなかんじ。
Tumblr media
走行距離は一日目436km、二日目377km、合計813km。なお翌日給油しに行って、10.71L。七塚原では6.38Lだったので、帰路ではリッター24km。こんなもんか。金沢の好燃費はいったいなんだったんだ。
0 notes
chishiru61 · 11 months
Text
2023年上半期に見た展覧会
0103 大竹伸朗展@MOMAT 0107 パリ・オペラ座 響き合う芸術の殿堂@アーティゾン美術館 0118 没後200年 亜欧堂田善 江戸の洋風画家・創造の軌跡@千葉市美術館 0121 江戸絵画の華【第一部 若冲と江戸絵画】@出光美術館 0121 特別展「毒」@国立科学博物館 0131 アンディ・ウォーホル・キョウト@京都市京セラ美術館 0131 大阪の日本画@大阪中之島美術館 0205 佐伯祐三 自画像としての風景@TSG ★0219 交歓するモダン 機能と装飾のポリフォニー@東京都庭園美術館 *1 0223 YUMING MUSEUM@TOKYO CITY VIEW 0226 マリー・ローランサンとモード@Bunkamuraザ・ミュージアム ☆0226 ヴォルフガング・ティルマンス「Moments of life」@エスパス ルイヴィトン東京 *2 0228 ルーヴル美術館展 愛を描く@国立新美術館 0318 鳥絶技巧 ―渡辺省亭を中心に―@加島美術 0318 DUMB TYPE 2022:remap@アーティゾン美術館 0318 アートを楽しむ−見る、感じる、学ぶ@アーティゾン美術館 0325 生誕100年 柚木沙弥郎展@日本民藝館 0329 レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才@東京都美術館 0329 特別展「東福寺」@東京国立博物館 0329 芳幾・芳年─国芳門下の2大ライバル@三菱一号館美術館 0407 建物公開2023 邸宅の記憶@東京都庭園美術館 0409 横尾龍彦 瞑想の彼方@神奈川県立近代美術館葉山 0409 美しい本-湯川書房の書物と版画@神奈川県立近代美術館鎌倉別館 0415 本と絵画の800年 吉野石膏所蔵の貴重書と絵画コレクション@練馬区立美 術館 ☆0419 クリスチャン・ディオール、 夢のクチュリエ@MOT *3 ★0419 志賀理江子×竹内公太「さばかれえぬ私へ Tokyo Contemporary Art Award 2021-2023受賞記念展」@MOT *4 0421 江口寿史イラストレーション展「東京彼女」@東京ミッドタウン日比谷 0422 今井俊介 スカートと風景@東京オペラシティ アートギャラリー 0422 エドワード・ゴーリーを巡る旅@渋谷区立松濤美術館 0423 国宝・燕子花図屏風 光琳の生きた時代1658~1716@根津美術館 0423 インターメディアテク開館十周年記念特別展示『極楽鳥』@インターメディアテク 0429 「重要文化財の秘密」 問題作が傑作になるまで@MoMAT 0503 生誕140年特別展 アトリエの朝倉文夫@朝倉彫塑館 0503 「買上展」藝大コレクション展2023@東京藝術大学大学美術館 0505 芸術家たちの南仏@DIC川村記念美術館 ★0506 江戸絵画お絵かき教室@府中市美術館 *5 ☆0507 マティス展@東京都美術館 *6 0527 ブルターニュの光と風@SOMPO美術館 ☆0527 憧憬の地ブルターニュ@国立西洋美術館 *7 0603 大阪の日本画@TSG *8 0618 ベルギーと日本@目黒区立美術館 *9 0623 愛のヴィクトリアン・ジュエリー@大倉集古館 ★0623 木島櫻谷―山水夢中@泉屋博古館東京 *10 ☆0623 伝説のファッション・イラストレーター 森本美由紀展@弥生美術館 ☆0624 ジョルジュ・ルオー ―かたち、色、ハーモニー―@パナソニック汐留美術館 0624 恐竜図鑑―失われた世界の想像/創造@上野の森美術館 0630 ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会@森美術館
*1 とても内容の濃い、咀嚼しがいのある展覧会。2時間は見た。これまで断片的には知りつつ、総体としてどのように組み合わさっていたかは正しく理解していなかった、アール・デコ前後の動きの相互関係がよくわかった。ただしそれらは単純に一本の線で示されるものではなく、行きつ戻りつしながら、ジグザグと進んでいく。なるほどそれは「ポリフォニー」であり、カタログなどの「はじめ」から「おわり」に向かうメディアでは説明がし辛く、まさしく展覧会という場で見せるにふさわしいテーマ。結局本の方が、ストーリーを語りたいだけで言えば資料集めやすいじゃんね、という問題が常につきまとう中、まさしくこれは「展覧会」である意味がある展覧会。 *2 写真の見方はいまだによくわからないのだけれど、これが自分の気持ちにぴったりくるものなのはわかる *3 聞きしに勝る資本力。MOTからすれば、ほぼ貸し館的な企画である一方で、牧村虎雄や河野通勢の油絵とのコラボレーション展示など、学芸員の矜持を感じるスポットも。 *4 ディオールも吹っ飛ぶ内容。いきなり現れる大型映像インスタレーションから目が離せない。一見無関係に見える2者の展示に通底するテーマに触れた時、鳥肌が止まらない、です。 *5 いくらなんでも面白すぎる。今回のテーマは「お絵かき」で正直ナメてた(ナメてないけど)が、要するに作品がどのようにして描かれてるかを絵師目線で紐解いて、鑑賞者に対して絵をより開いた内容にするという、いつもの金子節。いつもそうだけど、府中の展示で学んだ内容は、後々に他の展示を見るときにジワジワ効いて��る知識なのでありがたい。そんな「お絵かき」というテーマが通底しつつ、後はいつもの「こんなおもろい絵出てきたよ」というご開帳・・この辺の、「春の江戸絵画まつり」定番の出し惜しみのなさは相変わらず凄い。もうちょっとゆっくり見せて!と言いたくなるくらい次から次へ面白い絵が襲来して、頭の中が大渋滞になる至福。あー、前期も来ればよかった。 *6 僕はマティスが好きなのでありがたく拝見したけれども、展覧会としてはややボリュームに欠けたのは正直なところ。そもそも、ポンピドゥーセンターのコレクションだけでは確かにちょっと難しいよね・・・一方で、時代順のレトロスペクティブの形でマティスを見るのは初めてで、どの時代の絵も「ああマティスだな」と思う絵なんだけれども、その前後関係を復習できたのは面白かった。あとは彫刻のセクション、あそこがもう少し、マティスの画業とどこまで結びついているのか丁寧な説明があると良かったな。「形態」っていうキーワードは何回か出ていたけれども、結局は色彩の話に隠れてそのテーマが見えづらくなっていたような気がします。 *7 さる筋によると本当に偶然テーマが被ったみたいですが、これは2本まとめて見るべき展覧会だったなと。ホワイトインターナショナル企画の方が扱っている時代と流派の幅が広くて、いくつもの絵画の流派を通して、「ブルターニュ」という題材が繰り返し変奏されていくような構成が面白かった。一方で、絵画として見ごたえのある作品が多かったのは当然西美の方だったのだけれども。。リュシアン・シモンの絵画は日本人好みな感じがした(当然僕も好き)、今後その画業に光が当たることはあるのだろうか。 *8 大阪で前期見たけれど、案外後期の方が好みかも。 *9 ベルギーに学んだ日本人画家(とその師匠)の作品や、ベルギー美術の日本における受容の様相を紹介する試み。展示の中であまり総括のようなセクションがなかったので、図録の巻頭エッセイを読んだところ、「ベルギー美術の日本における受容は散発的かつ偶然のものにすぎないが、ベルギーは小国というハンデがあるし、そもそも海外の美術の流入などはもともと偶発的なものである」的なまとめ方がされていて、なんと正直な、と。確かに、わざわざテーマ設定をしている割に、さほど大きな影響関係が見られるわけではなく、そういう意味では練馬でやってた「日本の中のマネ」にちょっと似ているなとも思いました。 *10 とても良かったです。色の使い方とか、とても好みだった。日本画で素直に「あ、いいな」と思えたのが初めてだったので、それが嬉しく、思わず画集を手に取る。木島櫻谷は図版でしか見たことがない画家だったので、やはり日本画は(もちろんなんでもそうですが)実物を見ると違うな、と思った次第。
1 note · View note
poetry-for-absence · 1 year
Text
堀部安嗣さん講演 (2023.02.22 於・前橋工科大学 演題『私のパッシブデザイン』
積極的に受け身であること
理系・文系 ふしぎな分け方
他の言い方は無いのかな、
→時間の流れかた、概念が、理系と文系では違う 
横で一定・理系 時間とともに成長していく、という概念 
ぐるぐるぐるぐる循環・文系
理系の人が作り上げるもの・コンピュータ、エアコン、車etc.
文系 1000年前以上の、弘法大師の書
200年以上まえのモーツァルトの音楽
ドストエフスキーの文学
いつの時代でも良いものは良い
1日の循環
建築の世界 理系的・文系的のバランスのとれた世界 いろんなタイプの人がいる方がよい
警鐘を鳴らす、ブレーキをかける建築家
堀部さんは、文系的だと自覚
建築は、果たして進歩しているか、進化しているか。
防水技術、免震技術 進歩
それらが人の幸せに役に立っているか
映画 ファースト・マン
静謐な映画
ニール・アームストロング船長の自伝的な映画
人類の栄光の光の裏にある闇、影
地球上では、自然ゆたかな所での家族との暮らし 東西冷戦 生存確率の低いロケットに乗り、たどり着いたのは空気もない死の星
地球は緑豊かで美しい土地だったのに、なぜ危険をおかしてまで
瀬戸内海の美しい自然
いまでも200年前の風景の残る
東京のほうが進んでるよね、との劣等意識を持つことが多い。もったいないこと。
讃岐市のプロジェクト
やりたいこと、ただひとつ。
この土地を、国立公園にふさわしい土地に戻してゆく 建築もいらない、けど、建築の役割はあるし、できること、人々に安心を与えることは建築に出来る
東京の風景 東京の方が豊かだと、地方の人は錯覚してしまっている ふしぎなこと
富山 宝物があるのに
兵庫 20年前は森だったところ
中央へ、宇宙へ 
侵略 キリがない
宮沢賢治の詩 僕は家族にほめられた、僕は世界に誉められた、その先にどこへ行けば?
コロナ禍 ステイホームの自粛のとき、自分の足元を見つめざるを得ない→自分の地域の良い点に気づいた 足元への評価
roots
根源
根のあるもの
足元にすでに持っているもの
どんなものを土台にして、私たちは思考しているのか
原風景
横浜の鶴見
色んな人が行きかうカオス
鶴見線 鉄ちゃんのあいだでは有名
中学のとき、ヨーロッパ 写真を撮った
国道駅のアーチとのかさなり
自作でも 意識したわけではない、原風景が滲み出る →設計という行為
曹洞宗大本山 近所に 
お寺のもつ悠久の時間の流れ、不気味さ、幼少期触れて生きてきたことは幸運だった
大きなお寺は風景が変わらない
50年前の樹 祖父と一緒にみた
再訪するもき、私はここで生まれてきたのだ、と実感 そこでの、子どもと老人のことを祖父と私にかさねる
記憶 確かな記憶のない限り、未来を見出せない お墓 ショッピングセンターが立ったり、バイパスが通ったりすることはない
静岡県浜松市 趣のある素晴らしい日本家屋・庭に住んでいた。今、その場所は道路の下に眠っている 往時の記憶が甦らない、すべて破壊されている 道路による記憶の破壊
見たこともない、感じたこともないものは
つくれるのだろうか?
設計 それ以外はできない
見て感じたもの、記憶を頼りに、今へ状況へ再現する
いきなり_
幸せについて
同伴者と吹雪のなか、つらい登山のイメージ
つらい、眠い、衣服はびちょびちょに
そのなかで、暖かな山小屋を発見する
幸せに とても小さな建築で、いろいろなことが出来る。食べる、眠るetc.
人種のちがいも関係ない、歳の差も関係ない
信じている宗教も関係ない inclusiveな
外部環境が室内に入り込んで来たような建築でも、庇の出が陽を遮ったり、風通しがよかったり、床の肌触りがよい、など。自然環境を、変換している。 ホモ・サピエンスの
日本の庭のおもしろさ 私たちにはあたりまえ、だが、フランスの建築学生と京都のこうとういんに行ったとき、おもしろい、おもしろい、と。音がおもしろい。アプローチの石のヴァリエーション 靴を脱ぐ所スノコ、畳、めまぐるしく床の材料が変化してゆく。こんな小さなところで、これほどの変化していくのは面白い。
新緑の美しく見える秘訣 背後の常緑樹
新緑の淡さを引き立てる、背景としての濃い緑
全部が新緑、全部が常緑、というのがふつう
アメリカとか
コンビネーションのあるのは珍しい
人間の感情はどうして生まれたのか
生存のために必要となる、咄嗟の行動や判断のために進化の過程で作られた
森でクマに出会う。恐怖の感情を抱く、その後の行動の選択肢を広げていく 恐怖という感情を引き金にして
仲良しの友達、幸せ、喜びの感情
こいつと付き合っていると、自分は生存できるぞ、との。
生存のための引き金、スイッチ
雪の夜の暖かな山小屋
生存の喜び
反対に、もう生きていたくない、とか、生存のことを考えていない人は、感情の起伏がなくなってくる 感情の、生存における大切さ
ヒュッゲ デンマークの概念
これを日常生活でしているからこそ、世界でいちばん幸せな国とされる
日本 先進国のなかでは幸せ指数が低い
ヒュッゲの反対をやってきた
150年前・200年くらい前は、日本もそうしていた。
今の日本の住の風景
居住性の進歩 けれども、それらがある程度達成できたとき、この姿が、幸せな住まいの環境なのか、と。
使い捨てられるもので風景が構成されている。幸せ感の乏しいのは、使い捨ての時代だからでは?
竹富島 色んな不便、不都合、多々
住まいや環境はトータル 幸せ感としてはこちら
あるものを活かす
パッシブデザイン
あるものとは?
気候風土、自然エネルギー
歴史、文化
記憶
風景
ハードウェアではなく、ソフトウェア、手に触れられないもの
ブリコラージュ ありあわせのもので作る
→『和』では?
和風とは、有り合わせで作られる、非常にレベルの高い行為から生まれる
家庭料理 素晴らしいブリコラージュ
冷蔵庫の残り物、スーパーで買ってきたものと合わせて
和 足し算 引き算
ほうれん草の胡麻和え
和えている
明太子スパゲッティ 
日本の人たちの得意としていた
極東 漂流物を、イノセントにあり合わせて組み合わせて作りあげた
cnt.) ないものをねだる
自分がすごく良いものをもっているのに、何か他を憧れる
→侵略や戦争へ
70数年前、わたしたちも痛い目にあった。資源、植民地
モーターボート アクティブ
ヨット パッシブ
これからは燃料も高いし、すべてヨットのような建築に、という訳ではない。
ふたつの要素を足し合わせる、共存させる
どっちか一方では足りない、幸せ感を感じる住まいにはならない
目的 
幸せ感 心身が楽になる 健やかに暮らす
手段
アクティブ+パッシブ
ご利益
省エネルギー
光熱費削減
温熱デザインへの取り組み
まずはパッシブ 太陽の恵み、土地の持つポテンシャル
アクティブ 性能の良いエアコン それを活かす
建物の性能 断熱性能、気密性能
ねこ は、居心地の良い場所を見つける天才
猫が天才であるわけではない。
ホモ・サピエンスが何故、そう思うか。
ホモ・サピエンスと猫の心地よいと感じる場所が近い 犬の心地よいところとはちょっと違う
猫 生まれたところは、暑いところ。暑さにはつよい 
犬 暑いところではハアハア
ホモ・サピエンス 暑さに強い
30℃越えでも走れる
寒さに弱い パフォーマンスができない
吾輩は猫である、で、人を評して、やかんみたい、と。
ホモ・サピエンス アフリカ起源
それからどんどん北上
ほとんどの歴史を暑いところで暮らしてきた
→住まいをあったかくしましょう、というのが、私の建築観
私たちは生存できるのか
孫の世代まで、良い環境はあるのか
狩猟採取時代もよりは生存の危機を感じないことが多くなった現代人
コロナ禍でそれを意識
ほんとうに、このさき建築をつくれるのだろうか
生存の危機を感じたこと
→しっかり認識して、どういう建築が出来るのかetc.を自問すべき
あるものを活かす、というのがおおきなヒント
熱容量の大きな家 非常に効果がある
住まわれている人たちの幸せ感がおおきいと感じることが増えた
あるものを活かす 壁からの放射温度が快適
安定した家に居ると、外に出たくなる
屋根のかかった屋外に出たくなる
両親の葉山の家
半屋外
→ヒント、韓国の民家
冬の部屋と夏の部屋が分かれている。
冬の部屋 紙、オンドル
夏の部屋 ふきっさらし
潔い構成だなー。
鎌倉 扇ケ谷の家
スタディ いろいろ
最後の決め手はパッシブデザイン
南面の窓を大きく
あれもこれもダメ、となると何の一歩も踏み出せない 太陽光発電は、戸建ての屋根に乗せるのは素敵なことと自分は考える
けど、美しい河原の屋根にそれが乗るのは、というのもあった
情緒的なものと機能的なものを合わせる
デザインによってできうる
シンプルに、自宅の庭で野菜を作る、みたいに太陽光発電を考えている
電気、移動に莫大なコスト 自分の家で発電できることは爽やかなのではないかな
デザインの力です達成できる、との信念
南面 ソーラー
北側 庭的な グレアの少ない
アメリカ サンタモニカ
街区 太い道路 細い道路
太い 伝統 雑多なものが出ないように
細い サービス機能
(細い道路の方 日本の街の感じと似ている)
土地は親から譲り受けたものではなく、孫から借りているもの。ネイティブ・アメリカンの言葉
貰ったものなら汚してもよい
借りたものなら汚してはいけない
自身の所有の土地としても、その意識で
「土地を所有している」といっても、多くは所有していない、太陽、大地の奥、雨、風
原発
覚醒剤をやって人生を破滅した人が覚醒剤の怖さを語ると説得力がある
原子力の怖さ、ヤバさを、説得力を持って語れる 原発から10年、原爆から100年経っていない いま、原発が再稼働しようと。
↓私の質問への答え。堀部さんが書いていた、トタン小屋の形の美しさと、著書『建築を気持ちで考える』でのアスプルンドの章について
.
益子さん
住まいは掘立小屋くらいでいい
そこを整えいく
しかし、人の家を設計するとなると、、
自宅と人の家で設計が変わる
アスプルンドの章、気持ちが入っている
大好きな建築家
自分の設計は、形式性 構造の綺麗さ、コスト、施工性などから考えている。
正面性とか歴史性とかからではない
アスプルンドの建築、死者の声がする。彼の死生観が感じられる建築
0 notes
amityhair0614 · 2 years
Photo
Tumblr media
. 柔らかく軽やかな雰囲気にさせていただきました!ありがとうございます! . ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 特にショートやボブスタイルの軽やかさと柔らかな雰囲気をつくるのが得意です . よりポジティブな雰囲気だったり より柔らかさがあるような雰囲気 より素敵なというのを提案させていただいてます そして自分自身様々なこと挑戦し続けています . 毎日SNS、ブログ等更新してます是非ご覧ください!  👉 @onotomoo1980 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 〒6930023 島根県出雲市塩冶有原町5-51 三谷ビル Amity . 毎週月曜、火曜定休日 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ #島根美容室#出雲美容室#松江美容室 #島根#出雲#松江 #出雲市美容室#松江市美容室 #ショートヘア#ショートボブ #ショートカット#ヘアカラー #ボブヘア#ボブ#美容室#ヘアカット #美容師#ショートスタイル (Amity) https://www.instagram.com/p/CimmmqouxqX/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
irori556 · 2 years
Photo
Tumblr media
僕の思う街創り 出雲の人々の意識変化 例えば 『古い』と『汚い』は違い 『古い』→『ノスタルジック』 若い人たちから言えば 『エモい』 古民家と言えば 茅葺き屋根など  築100年以上経っている 建物を思い出しますが 1970.80年代の 昭和の建物も良いですよ! 出雲には 『ノスタルジック』な建物が 沢山残っています 皆さん もう一度そういう心で 街を歩いて見ませんか? . #出雲 #出雲美容室 #雲南市美容室 #島根美容室 #松江美容室 #大田市美容室 #江津美容室 #バーバースタイル #出雲バーバー #mens #mens #barberstyle #irori #フェードカット #フェード #fade #fadecut #menshair #出雲市 #島根県 #出雲理容室 #メンズスタイル得意 #メンズヘア #mensfashion #メンズカット #囲炉裏整髪堂 #広島美容室 #岡山美容室 #鳥取美容室 #山口美容室 #出雲力 (at 囲炉裏整髪堂) https://www.instagram.com/p/CeQpM1iPZyd/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
kennak · 10 months
Quote
プーチン大統領について「ウラジミール」「シンゾー」とファーストネームで呼び合う仲と喧伝、歴代首相の誰よりも多くロシア首脳と直談判したことを自慢する首相が晴れ舞台としたのが、大統領が来日した2016年12月15日の日ロ首脳会談。山口県の温泉などの「おもてなし」は大統領の「故意の遅刻」でチャラになったが、首相は終始かっこよくふるまった。この秋、官邸サイドは二島、つまり歯舞諸島と色丹島は今にも返ってくるかのように煽り、メディアはそれを垂れ流した。  筆者は首脳会談の12月15日夜、根室市のニホロ会館で旧島民の高齢者たちと中継を見守った。知識不足か、NHKの同時通訳がプーチンの歴史背景の説明を翻訳できず止まってしまうハプニングも起きる中、固唾を呑んで見守った共同声明には「返還」どころか「解決」の文字もなかった。4島の「主権」をはぐらかし、自由往来、墓参の簡素化、経済交流ばかりを強調する内容だった。歯舞諸島の多楽島出身で千島歯舞諸島居住者連盟の河田弘登志副理事長(86)は「返還や主権の話もせず、経済交流ばかりなのはいかがなものか」と不信感を露わにしていた。  この時、NHKスペシャルは、旧島民たちの手紙をプーチン大統領が安倍首相の前で真剣に読む光景を美談のように報じたが、手紙には「いつでも墓参りしたい」「島で朝を迎えたい」などの文言はあっても「島を返してほしい」とは誰も書かず、あたかも自由渡航が一番望むことのような内容だった。そんなはずがあろうか。  成果ゼロと見た官邸サイドとNHKが東京在住の旧島民女性を利用して演出したのであろうことは容易に想像できた(NHKには安倍首相お気に入りとされる「ちょうちん持ち」、政治部の岩田明子記者がいる)。インチキと感じたのは筆者だけではない。  当時、北海道大学スラブ・ユーラシア研究センターの岩下明裕教授も「NHKが手紙の作成からかかわらなければ非公開の手紙を配る場面の撮影などできない。外務省がこんな手紙を用意するはずがなく、仕組んだのは官邸。そこにNHKが絡んで���来の争点をそらして成果を演出した」などと鋭く指摘していた。  空虚な期待値ばかり高めた官邸サイドは18年12月の東京での返還要求アピール行進や、昨年2月7日の「北方領土の日」の根室市での決起大会で、旧島民らは「島を返せ」のシュプレヒコールも自粛させられ、そうした文言の鉢巻すら外させられた。官邸サイドがプーチン大統領を刺激しないように根室市長などを通じて返還運動関係者に手を回していたのだ。  安倍政権はそうしたことを望郷の高齢者に強いてまでプーチン大統領に媚びまくった。2019年4月の日ロ首脳会談、そして6月の大阪サミットでの首脳会談で「平和条約締結」を土産に参院選で勝利するといった筋書きだったからだ。一方で甘い見通しが否定されるような多くのロシア側情報には頬かむりした。  北方領土問題は対外的には外務省、対内的には総務省の懸案事項だった。ところが、主導権を官邸サイドと経産省が奪った。ロシアに主権を棚上げにされたため、外務省が交渉を進めないうちに経産省が入り込んだ。「今井尚也首相補佐官が外務省のロシア・スクールを外した」とも噂されていた。18年12月にラブロフ外相が「日本が第二次大戦の結果を受けとめることが第一」と発言したことへの感想を記者に問われた河野太郎外相は「次の質問どうぞ」とその質問を無視し続けて問題になったがこの一件、首相のパフォーマンスのために、できもしないことをさせられていた外務省の不快感が露呈したのだ。ラブロフについてメディアは「対日強硬派」のレッテルを貼って済ませていた。
外交の安倍でも北方領土返還交渉は失敗 “インチキ演出”に旧島民利用の罪 | デイリー新潮
1 note · View note
arakawalily · 2 years
Photo
Tumblr media
イグーネ荒井さん、最高にイグネ⁉️ かつて、仙台平野で屋敷の雪よけとして用いられた「イグネ(居久根)」文化を継承し、建物全体を木々で囲うように設計されています。内と外を分けるのは大きなガラス窓。まるで、建物が自然の中に溶け込んでいるように見えます。 カフェ、美容、建築、造園のプロが創り上げた、荒井の最旬癒しスポット イグーネ荒井に行ってまいりました❗️ 「イグーネ荒井」 仙台市内、福島県郡山市に展開中のカフェ「フラットホワイトコーヒーファクトリー」と、長町・仙台駅前の美容室「STELLA」生活雑貨のgoodstuffさんなど、 緑豊かな景観が印象的な建物には、建築家・前田圭介さんの世界観と、造園家・荻野寿也さんのこだわりがたっぷり詰まっています❗️カフェ「フラットホワイトコーヒーファクトリー」で、まずはブランチを❣️ FLATWHITE COFFEE FACTORYさんは、こだわり抜いた自社焙煎の豆を最良の抽出でいただけます❗️世界中から丁寧に選ばれたスペシャルティコーヒーを、
自社焙煎で仕上げた 魅力的なラインナップのコーヒー豆をハンドドリップ。 
ニュージーランドスタイルのエスプレッソドリンク、エッグベネディクトでいただきました❗️半熟卵がトロリリー🍳🍳アボカド🥑とベストマッチでした❗️ ホンジュラス フロルデカフェ農園のハンドドリップコーヒーがパパイヤみたいにフルーティー❣️ #flatwhitecoffee #flatwhitecoffeefactory #flatwhitecoffeefactoryarai #フラットホワイトコーヒーファクトリー #イグーネ荒井 #イグーネ#荒井#荒川リリー#lilystudio#グルメデザイナー#陶磁器デザイナー荒川リリー #仙台カフェ巡り #仙台カフェ#宮城県グルメ#仙台グルメ#仙台喫茶店#チーズ天使#igoone #igoonearai#goodstuff#作山窯 (IGOONE) https://www.instagram.com/p/ChS9a4Uheeg/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
Text
20220612
葉山・朝倉摂展
先日梅雨の晴れ間。
神奈川県立近代美術館の葉山館で開催されている『朝倉摂』展に行った。
書籍の仕事が一段落着いたというN先生を誘っての珍道中。
久しぶりに高速乗ったら御殿場JCTで速攻チョンボして反対の名古屋方面に向かって爆走してしまう。
N先生が鮮やかな手さばきでスマホの地図を駆使し誘導してくれたのだがそれはまさしく出来るオンナ、あるいはニール・ブロムカンプのSF映画『第九地区』の甲殻類型宇宙人の子供「リトルCJ」が宇宙船を操���する際の滑らかな端末装置さばきのようだ。(誰に伝わるというのか。そして女性を称える際に甲殻類型宇宙人の所作に例えていいものか大いに疑問は残る。)
前日に道順をPC画面から紙に汚ったない字で人力コピペするという未来世紀ブラジル、レトロフューチャー方式の私は一段とおっさん値の度合いを深くした。
思えば10年近く見苦しいほどに独りで過ごしてきた訳だが他者に誘導されて外れた道を戻るということが他者との関係において妙に象徴的な行為に思えて仕方なかった。
アリアドネーの導きにより無事葉山へ到着。
曇りの予報も晴れた。
朝倉摂という作家を正直知らんかったのだが戦前の初期の日本画や後年の絵本の仕事が個人的には良かった。
戦後描かれたディプレッションの表象のような重く暗いキュビスム的な絵画を見ていると戦前・戦後という社会の価値の大転換の影響が個人にも多分に作用しているのは想像がつく。古い自身の様式を捨て去ろうとするかに見えるその一連の作品たちは私にとても苦しく映ったがそれはそこに自己の投影を見たからだろう。
キュビスムは物理法則から解放された絵画空間ではあるがキュビスムという絵画運動と技法そのものは重力を持つ。
朝倉摂の絵の変遷を見て思ったのは、本来観察に基づいた「線」の人であって、崩して描くことに向いていない絵心のある人が「絵の上手さ」というある意味での「凡庸さ」への20世紀的な自己否定からキュビスムに向かう魔境とでもいうべきか。
世界を正確にあるいは愚直に描写することから、自己の内面のリアリティに従って描写することへの抗いがたい引力。その先にある、あるかのように見える自由。そのミラージュ。
ただそこへ向かうことは絵描きにとってある種の堕落にも似て映る。
絵描きの自己救済を世間は案外許さない。
社会の動乱、変革期にあって対象を実直に描くことが退屈さや倦怠から軽んじられることは想像できる。内的なリアリティーを優先するという画法において本来の性分への自己否定は純粋な内側というより画壇あるいは社会、同じ画業を志す仲間に対する外的な自意識の表れでもあって、内的な感覚に忠実であることが実は極めて外部的な作業、いわば外からもたらされた外のためのリアリティーともなっている。メビウスの輪だ。自分で書いていて全然よくわからん。
しかしまあ本人にとっては結果的に表現というより自己変容のイニシエーションの切実なプロセスであって死後のこんな他人の屁のような評価などなんの意味もないのだ。それに勝手に想像しているだけという。
N先生の絵を見ても思うが今の私には丁寧に外の世界を描くこと、その眼差しは実は愛そのものではないかと思える。
徹底的に写実を通し上手くあり続けた後で見えてくる抽象の風景みたいなものもあったのではないかと、初期の系譜のあったかもしれない作品群を夢想しながら展示室を後にした。
3、4回来た中で中庭にあるイサム・ノグチのこけしみたいな石の彫刻をまじまじと見たことはなかったんだが改めてみたらこないだ作ったとげン坊とほぼ同じ顔をしている。これは福来博士もびっくりの、念写ならぬ念塑だ!などと思うも顔の表現をもっと研究せねば。
無愛想な若い板さんと微妙に不機嫌な女将さんの海鮮屋で二色シラス丼を食べる。会計したら急に表情が明るく機嫌良くなったんだが前に食い逃げでもされたんだろうか。
N先生は何でも実に美味そうに食べる。
美術館前の一色海岸でシーグラスなど寄物を拾うなどしてのんびりと過ごす。
その横で海の家を準備する赤黒く日に焼けた半裸の職人さんたちを見て思うのは放つオーラの山国の人間との違いだ。海民という言葉が実にしっくりとくる。
帰りに鶴ヶ岡八幡宮と江ノ島の仲見世の土産もん屋も閉まった時間についでといっちゃ罰当たりだが芸事の神様ということで江ノ島弁天に参拝して帰路へ。
籠坂から山中湖へ抜ける真っ暗な山道で振り返りすらしないマイペースなアナグマ二匹と若いホンドキツネを見た。N先生の好きな生き物がナントカという映画の影響でアナグマだと聞いていたので想念とイベントの起こるタイミングの相関について再び何か得体の知れない力を感じてしまう。
そういえばN先生は書籍の仕事が終わって一息吐こうと思ってたら漫画の週刊連載が決まったのだという。
何かが終われば何かが始まる。淀みなく何かが流れている。
少しの冗談と敬意を込めて先生と呼んでいたら本当に漫画家先生になって時間的にも立場的にも山登りどころではなくなっちゃった訳だ。
これでまた独り山男に戻る訳だが里心がついただけ余計になんか寂しい。
こういう時は激烈な山行を自らに食らわすに限る。
甲斐駒黒戸尾根か、あるいは北アルプスの剱岳はどうだ。
そういやまだ梅雨だった。
粘土頑張る。
0 notes
tsuneminnn26 · 3 years
Text
Kanazawa-Kuruwa
Tumblr media
郭の中の金沢、辺京の小宇宙
郭_この辺京の遊郭には、金沢の美しさと醜さがくるわれている。
Tumblr media
郭は...
北陸の美学の結晶であった。 卯辰山へまっすぐ伸びる石畳、黒光るボッテリとした能登瓦、弁柄色の木虫籠(きむすこ、細い桟の出格子)。九谷の襖の手掛けや輪島塗りの調度品、べっ甲のかんざしや色とりどりの菓子や酒、夜遅くまで鳴り響く唄、笛、鼓の音色。
同時に人身売買の巣窟でもあった。 極めて幼い頃に身売りされた少女は、楼主と養子縁組を結び、自らにかけられた身代金を返すまで拘束を受け、芸妓・娼妓として働いた。町を彩った女のいくらかは楼主となった。
今回は、金沢の光であり影である茶屋街について、制度・人びと・建物・遊び・性の観点から明治・大正の茶屋を前提にご紹介する。
Tumblr media
(参照:『金府大絵図』金沢市立玉川図書館所蔵)
明治に生まれた主計町を除けば、ひがし・にし・きた・愛宕の郭は2つの大きな川、犀川と浅野川の金沢城から見て外側に位置している。(これは、江戸の吉原が常に皇居から見て川向いに建てられて、都市の外周部に位置していたこと同様の理由で、穢の場所を都市の外側に配置するためであろう。)
その中でも、金沢人が憧れと嫉妬を込めて名付けた東の廓(言うまでもなく京都の祇園・東山にかけている)であるひがし茶屋街は、北陸の最も代表的な茶屋街であった。
Tumblr media
(参照:『金府町絵図』金沢市立玉川図書館近世資料館所蔵)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
A:郭の制度
Tumblr media
金沢の花街の仕組みは京都と同様にお茶屋が客の要望に応じて、芸妓を置屋か ら呼ぶ方式である。芸妓は置屋に所属し、お茶屋から依頼があれば、料亭やホテルなど地域外へも出張することが可能なのも、京都と同様の取引制度である。 さらに金沢の三茶屋街の特色として、お茶屋と置屋の兼業が挙げられる。つまり、お茶屋は場所を提供するのだが、同時に芸妓を抱え、他のお茶屋に派遣することもでき、食事は飲食店から取り寄せることとなる。
お茶屋には上茶屋、中茶屋、下茶屋の3つがあり、上茶屋は5等級に格付けされていた芸者の中でも、一等級のものしか置かなかった。上茶屋は農家の出や他国の婦女は抱えたがらない気風があり、それを誇りにしていた。加賀血筋を大事にし、みっちり芸と作法を仕込むとのこと。明治時代には能登半島をはじめ、日本全国から身売りされた少女が芸妓として所属しており、朝鮮出身の芸妓の記録もある。
郭では「旦那」は芸妓の経済的な保護者であり、後援者であった。旦那は月々お手当を置屋の女将に渡すかわりに、贔屓の芸者を自分一人のものにすることができた。女将は抱え芸者の旦那から一ヶ月の手当をもらうこと大きな収入源であった。ある置屋の抱え芸者が、別の置屋の客を旦那としている場合、旦那はその置屋の女将に毎月の斡旋料を支払うこととなっていた。
お茶屋では客は一見の客は挙げない。理由は、遊興費が後でもらえるか不安なことと、もう一つは酒癖が悪い客を案じてであった。たちの悪い客の中には、火鉢の中に小便をしたり、掛け軸に盆をぶつけたり、美人画を盗む客もいたという。二度目から置屋は電話で芸者の予約を受付け、時間の打ち合わせをする。客は遊興費を何ヶ月に一度、現金で女将に直接手渡しでまとめて払っていた。
Tumblr media
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
B:郭のひとびと
Tumblr media
お茶屋に以下の人々が住み込んでいた。どこの家もかなりの大所帯で、大抵は十数人で寝ていた。
①女将:
多くは元芸者で、お茶屋の経営をするとともに芸妓と養子縁組を組み芸妓を育てるとともに労働者として管理する。
②芸妓、娼妓:
女将と養子縁組を結び、芸者として客に奉仕する。住み込みと通いがあったが、殆どが住み込みで、通いは芸者でも年季明けの終わった歳高の人たちだけだった。年季明けや旦那がお金を支払った場合は妾として茶屋街の周辺に暮らしていた。
③たあぼ:
行儀見習いと諸芸習得の傍ら、日中は走り使いの雑用、夕方からは芸者衆の座敷勤めな三味線をもって供をなし、供先きの置き屋とか料亭では家族用玄関の片隅で芸者衆の座敷終わりを待つ。12歳になると振り袖芸者と呼ばれ見習いの芸者とみなされ、さらに15,6歳になると留め袖芸者と呼ばれ水揚げが行われた。このころには体だけではなく、三味線・踊り包などの芸も一人前の扱いを受けた。
④ばんば:
年寄りが多く、飯炊賄いが主な仕事。
⑤べえべ:
10-40代、女中、下働きの女で賄い全般、掃除洗濯、女将の身の回りの世話をした。やりてばばあと呼ばれるべえべは客から以下にして金を使わせるか、寝床での振る舞いを芸妓に教え込んだとのこと。
男衆:
登楼のの客引き、芸者の世話役として付き添い、用心棒兼見張り役をする。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
C:郭の建物
Tumblr media
(参照:金沢「東の郭」の復元 平井聖・大林組)
茶屋は2つの大門を持ち、文字通り塀によってくるわれていた。門の外には妾宅が並んでいた。2本の大通りは卯辰山に向かい、卯辰山がアイストップの役割を果たしている。かつては壱番町へは小川を越えてアクセスするようになっていた。
Tumblr media
(参照:『浅野川茶屋町創立之図』文政3年(1820年) 石川県立図書館蔵 「旧東のくるわ」伝統的���造物保存地区保存対策事業報告書 1975年 金沢市教育委員会)
建物の外観は、1階は出格子となっており、木虫籠と呼ばれる細い縦格子がはめてある。縦桟は断面が台形になっており、外から中が見えにくい仕掛けとなっている。2階は今では小窓付きの雨戸になっており、全て開け放てる仕組みになっている。祭りの際には大通りにステージが設けられ、開け放した2階の座敷から芸者の踊りを見下ろしていたのだという。現在では失われているが、かつては木部分に紅殻色の塗装が施されており、赤い色彩と卯辰山の緑が生えたことだろう。また、屋根はかつて石置き板葺きであったが、今では釉薬を全面に施した北陸特有の黒く厚い瓦が葺かれている。
Tumblr media
平面は時代を経て大幅に変更されており、機能上の要求から下記図面の小さい方の平面図(明治以降)へと変更されていったようだ。
明治以降の平面図を前提に話すと、まず玄関を入ると黒漆塗りの大きな階段があり、ハイサイドライトから薄光が差し込んでいる。階段の横は長火鉢が置かれた茶の間であり、女将が座って一切を指示していた。奥座敷と茶の間は主に女将が使用する部屋で、奥座敷は仏間、寝室として使用していた。
みせの間は支度部屋で、芸妓が詰めていたから、街路には芸妓の声がよく聞こえていたことだろう
Tumblr media
2階は大きく表(前2階)・中・奥(広間)の3室に分けられ、表と奥を座敷とし、中はロビーのように使用されていた。間口が大きい場合は表と奥は2室に分けられ、4畳の部屋を芸妓が踊り演奏するステージのように使用していた。2階の更に奥には廊下や小階段を隔てて「離れ」があり、数寄屋風のしつらえとなっている。水揚げや日中の娼妓の使用にはこの部屋は人目につかないので都合が良かった。
3階はどの家にもあるとは限らないが、座敷を1間もつ場合がある。
Tumblr media
(参照:金沢「東の郭」の復元 平井聖・大林組)
座敷の土壁は紅殻色が用いられる場合が多く、柱は紅殻と灰をあわせて塗装されている。金沢では紅殻色や群青色が来客の場所に使用されることが多いようである。
Tumblr media
(参照:https://www.kanazawa-kankoukyoukai.or.jp/spot/detail_10094.html)
Tumblr media
(参照:https://www.pinterest.de/pin/523332419194794021/)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
D:廓遊び 
Tumblr media
(参照:金沢「東の郭」の復元 平井聖・大林組)
宴会は夜だけではなく、遊びなれた客は深更にきて朝帰りということも珍しくなかったし、庄屋の番頭などが小僧の手前もあって夜抜け出せないために早朝に密かに遊びに来ることもあったし、昼遊びの客もあった。これらの時間の揚げ代は夜よりもむしろ高かったとのことである。
客としては、加賀友禅などの伝統工芸の職人の親方や商人、旅の客などがいた。
廓の花代の1単位は45分だった。1時間を1番木と言って、拍子木が隣の控えの間で打たれた。合図の1番木で、芸者は時間切れを伝えて帰り支度をはじめ、そこから客を送り出すまでを15分と見ていたようだ。これは線香1本が燃えるまでに40分かかったことからきていると聞いた。
婚礼の祝宴が夜通し続いたりすると、芸者たちは三日三晩睡眠を取ることもできないこともあった。
芸妓は昼に芸を磨いた。自由を厳しく制限された分、芸に自らの存在価値をかけたからなのであるが、当時の売れっ子は芸を磨くだけの時間的な余裕がなかった。遊客は気に入った芸妓がいると追い回し、昼夜となく名指しをしたため、彼女らは歌や踊りの稽古などしている暇がない。流行りっ子ほど無芸という結果になったのであった。しかし、芸に精進することは文字通り体をいじめ抜くことになり、体の形を崩してしまったようで、例えば、笛の達人と言われた美津は増えをあてがう下唇がミミズ腫れのように腫れ上がっていたとのことである。
お茶屋遊びは数多くあるが、ここで流行ったものに「かんざしえらび」がある。座敷で客と芸妓は輪になって歌った。
お姫さんと寝るがに かんざし引こう お姫さんを抱くがに かんざし引こう 人のかか抱きゃ せわしない ほれ せっせっせ せっせっせ
黒く塗った丸い盆の縁にかんざしが10〜20本、妓の数だけ放射状に置かれ、客たちはじゃんけんをして勝ったものからかんざしをとり、そのかんざしの持ち主と一晩寝ることとなった。
Tumblr media
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー��ーーー
E:郭の性
Tumblr media
中店以下にいる芸者は、多くは二枚鑑札を持っていた。芸者と娼妓を使い分けなくては前借りを支払うことができなかったからである。上店では芸者と娼妓の区別が一応はひかれていたが、明治から大正にかけてはほとんど建前になっており、体を張ることによって何十円と貰いが増え、前借金を返すことができたから、体を張る者も多かった。
朝から夜まで客が来た。一人は娼妓を置かなくては営業許可が降りなかったため、芸妓は自分の代わりに一日中客の相手をしてくれる娼妓には感謝していたとのことである。
日露戦争の折には、松山、習志野、大阪に加えて金沢もロシア人俘虜の収容地となり、4000人近くの俘虜が寺院などに収容された。彼らは「大切に」扱われたというが、国から通達を受けた市当局が置き屋の女将に協力を要請し、廓の芸者らがロシア人の相手をしたそうだ。廓には梅毒の予防のために「下洗い」する建物が設置され、性的搾取の対象となった。
第二次世界大戦の際には、芸者は三味線を弾くことや太鼓を禁じられ、専ら復員や動員に押しかける兵隊を相手に慰安婦、接待婦として働いた。
15歳ほどになると水揚げがある。水揚げの相手の旦那は、女将同士であらかじめ相談し、決められ多くは老人だったとのことである。若者では手荒く、過ちがあると良くないと考えられたためと、水揚げをするには大金が必要だったからである。相手が年寄りであることは女たちは皆嫌がった。水揚げというものは一回きりで一人前の女になるというわけではなく、二度も三度もしなければならない。水揚げは特別に料金が高いからお茶屋が儲かったとのことである。場所は自分の住むお茶屋とはとは限らず、離れの間が使用される事が多かった。
Tumblr media
(旦那衆が人目を避けて利用した梅ノ橋とかつての妾邸)
金沢の芸妓の生涯を描いたノンフィクション小説である『郭の女』(井上雪著)には花街の美しさと醜さがよく描かれている。
読者は気がつく。 あの美しく見えた芸妓は木虫籠という籠に囚われているのだと。
14 notes · View notes
amityhair0614 · 2 years
Photo
Tumblr media
. #ヘアドネーション 柔らかく軽やかな雰囲気にさせていただきました!ありがとうございます! . ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 特にショートやボブスタイルの軽やかさと柔らかな雰囲気をつくるのが得意です . よりポジティブな雰囲気だったり より柔らかさがあるような雰囲気 より素敵なというのを提案させていただいてます そして自分自身様々なこと挑戦し続けています . 毎日SNS、ブログ等更新してます是非ご覧ください!  👉 @onotomoo1980 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 〒6930023 島根県出雲市塩冶有原町5-51 三谷ビル Amity . 毎週月曜、火曜定休日 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ #島根美容室#出雲美容室#松江美容室 #島根#出雲#松江 #出雲市美容室#松江市美容室 #ショートヘア#ショートボブ #ショートカット#ヘアカラー #ボブヘア#ボブ#美容室#ヘアカット #美容師#ショートスタイル (Amity) https://www.instagram.com/p/CihXHoUugNF/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
salon-s · 5 years
Photo
Tumblr media
1年前のパーマをオフand酸熱トリートメント1回目 #島根県 #雲南市 #雲南市美容室 #松江 #松江美容室 #出雲 #出雲美容室 #パーマオフ #トリートメント #酸熱トリートメント #髪質改善 #艶髪 #艶髪トリートメント #エイジングケア #美容 (Salon S (サロンエス) 島根県雲南市の理美容室 サロン) https://www.instagram.com/p/BvBXAvHH_zf/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=z9vzezpgy9m1
0 notes