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#接触レス
oyajiyb · 2 years
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#園田 の人気 #ランチ #中華食堂パタパタ さんで #日替りランチ‼️ 今日は「 #紅油水餃子(ホンユースイジャオ)」をメインに ・ひとくち春捲き ・まぐろ🍣とほたるいか🦑のサラダ🥗 ・卵白の中華スープ ・ザーサイのお漬物 ・苺🍓とブドウ🍇 という内容‼ 美味しく戴きました😋‼️ ここのランチは毎回いつも、嬉しい驚きと旨さに感激しますが 本当に中華料理っていうのは奥が深いですね。 紅油水餃子(四川水餃子とも言うそうです) って、初めて食べましたが 美味しいですね‼️ こういうのがランチで戴ける事に感謝です。 お支払いはPayPayで #接触レス です‼️ メルペイ・d払いも使えます♪ ◆位置情報(GoogleMAP) http://bit.ly/PataPataMAP FBスポット → 中華食堂 PataPata ★Instagram 新規開設❣️ @cpatayan5 https://www.instagram.com/cpatayan5/ 食べログ http://tabelog.com/hyogo/A2803/A280304/28010403/ ★尼崎の観光情報グルメサイト #ぐるっとあまがさき https://www.amacci.or.jp/guruttoama/   Facebookグループ #園田のお店 https://www.facebook.com/groups/167014240536479 #sonoda #そのだ #阪急園田 #尼崎 #amagasaki #尼崎市 #中華 #中華料理 #中華食堂PataPata #pata2 #園田ランチ #日替り #園田のランチ #OYJSHP #園田グルメ #園田ソーシャルデザイン #OYJSHP 2023年3月26日 前回3月22日 (中華食堂 PataPata) https://www.instagram.com/p/CqPUdfYL6HU/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kennak · 4 months
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たまたまホッテントリで見かけた話題について、ブクマはやっていませんが色々と書きたくなったので、増田にて吐き出します。  前職でIT系、前々職で商社系の販促を経験しており、展示会には良く出展してました。RX社主催のものにも定期的に出していたので、場の雰囲気は分かるつもりです。       IT系の場合、ごく一部のIT商社(代表格:O社)を除いて、ガツガツと営業できる人は残念ながら少ないと思います。  昔、コスト削減の一環で、プロパーの若手営業のみで体制組んだのですが、見事に大半の社員が動けませんでした。ルート営業で成果を上げていたり、初回訪問を問題無くこなせる社員でも、です。  初対面の人に物怖じせずに話しかけて、アンケート等をしながら5分ぐらい話を繋げられるってのも、立派な技術なんですよね。営業経験10年の中堅社員が「無視されるっての辛いんですね。今後、街でティッシュを配っていたら必ず受け取るようにします」って言っていたのが今でも記憶に残っています。    またこれについては、同業者や人事とも話していて同じ感覚です。業界柄、初対面適性の高いプロパーを採用したり、教育するぐらいなら、外注(展示会なら呼び込み、テレアポならアウトバウンド代行)に任せて、プロパーは確度の高い案件に注力すべきだ、的な。  商材にもよりますが、1件あたり数千万円以上~で、受注まで1年~かかるのであれば、入口は外注して大量に対応し、その中から良さげなものをプロパー対応するのは、人件費を変動費化させたり、費用対コストを考えると妥当なような気もします。      外注の話に戻りますが、結局、日当数万でも外注したほうがよっぽど効果高いんです。立ち話程度で話せる情報なら半日もレクチャーすれば分かってくれますし、その上、来場者にもガンガン攻めて来てくれる。  それに、どうせ出展&設営費で、小さいブースでも200~300万円、大きなブースなら1000万円以上かかることもザラですので、そのうちの1割を外注費に回したほうが費用対効果高いんです。ここが来場者との最大の接点ですから、ここを変にケチると前述のように出展そのものが失敗になります。      次に、私の主観ですが、IT系展示会で女性コンパニオンを使う理由としては、 1)出展者・来場者共に男性が多いので単純に目立つ。あと混雑時は女性の声のほうが通りやすい 2)プロパー男性社員の士気が上がる(と言っても、遅刻しないでちゃんと来る、頻繁なたばこ休憩が減る、来場者から見えるところでダラダラしない、ぐらいですが) 3)費用はたいして変わらない(コロナ前ですが、20代半ばだと、女性は3万円/日、男性は2.5万円/日、ぐらいでした。服装は両性とも自前のスーツ) です。    個人的には、1)が大きいような気がします。来場者が男女半々のノベルティショーなんかは、出展者の男女比も同じような感じでした。行ったことが無いので分かりませんが、女性向けのビューティーショー(化粧品やエステ用品の展示会)なんかだとどうなんでしょうかね。    2)はねぇ…、なんというか。でも実際そんな気がします。これは1)と同じで、男性が、女性が、というのではなく、同性のみの中に異性を入れることで緊張感が出る、ということで。n=1ですが、「9:00開場なのでビッグサイトに8:30集合」としたら、「出勤できないので経費で前泊しても良いですか」と言っていた社員(なお弊社は品川で、定時は朝9:00)が会期4日間、毎日ちゃんと出勤したという経験もあります。      最後に、外注だからグイグイ来る問題ですが…たぶん彼ら、彼女らも外注の元請けから切られないように、そしてステップアップするために必死なんだと思います。我々プロパーは受注金額で評価されますが、外注の場合、名刺の枚数で評価されるしかありません。    また彼ら・彼女らは、若い劇団員やお笑い芸人とが多いようであり、ここでステップを踏めば、展示会における大勢の前でのプレゼン要員(5万円~/日。質疑はプロパーが対応するので外注でもOK)や、企業研修の講師(10万円~/日。コミュニケーションや演技など)とか、時間の自由が利いて、割のいい企業相手の仕事に就くことができる、と話していました。     以上です。なんか文章的になったり、箇条書きになったり、殴り書きでスミマセン。でも1つの経験から。     追記:ノベルティについて  当然ですが、ノベルティ配布の目的は、見込み顧客情報の収集です。    名前も知らない相手に0からテレアポしても会ってくれるのは1%程度ですが、部署名と個人名が分かれば最低限電話で話すことはできます。  そうすると20%~30%ぐらいは会ってくれます(ここでもテレアポは異性の声が良いというデータがあったような気もしますが、うろ覚えなので割愛します)。  担当者や担当部署では無いということも多々ありますが、それでも会ってくれた人の10%~20%ぐらいは、担当者や担当部署の人を同席させてくれたり、社内で紹介してくれることもあります。    個人的な感覚としては、展示会で獲得できた情報から、直近の受注につながりそう(提案や見積OK)なのは1%、中長期的な感じ(メール送信OKで、年に2回ぐらい訪問)なのが9%ぐらいでしょうか。なお残りの90%のうち、メール送信のみOKが20%で、メール送信NGなのが70%ぐらいです。      ぶっちゃけ、ノベルティの代わりに、見込み顧客の情報収集のきっかけにつながるツールがあれば、なんでも良いと思います。  ですが、現在のところ数百円で話のきっかけ(来場者もノベルティがもらえるから、5分ぐらい話を聞いてアンケートに答えて、情報を渡すという理由)になるツールとしては、ノベルティが強く、当面は無くならないと思います。    なお私は、デスクサイドに置けて、社名が残るもの、という基準でノベルティを選定していました。単価は、受け取る際に抵抗感がない、販促予算から逆算、で200円~300円ぐらいでしたか。フリクション+替え芯、スマホスタンド、(震災後は)マグライト、あたりを選んでいたような気がします。     追記:露出度の高い女性コンパニオンについて  この分野はよく知らないのですが、IT系展示会(ゲームを除く)でそんなに露出度の高いコンパニオンっていましたっけ? 普通、スーツかビジネスカジュアル、ユニフォーム的な社名入りポロシャツでは?  やるからには効果あるんでしょうけど、だったら人数増やした方が良くない?と考えてしまいます。ネット上でバズらせるなど、別の目的があればまだ納得しますが。    あとゲームショーで、コンパニオンに自社商品のコスプレ(露出度問わず)をしてもらう場合、あれはかなりガチにやってます。  聞いた話ですが、ちゃんと数回コンペまでやってコンパニオンを厳選し、日当は10万〜/日、それに衣装代が20万〜で、合計は50万〜。もはや着ぐるみ一着作るのと大差ありません。ゲームショーはB2Cであり、ブースへの来場者数が売上に直結するんでしょうね。    余談ですが、最近では、会社が著名コスプレイヤーとのコラボするという話も聞きます。  会社側はコスプレイヤー側を公認し、契約期間後の衣装を譲渡する、そして一定額の契約料を払う。  その代わりにコスプレイヤー側は、契約期間中の展示会には必ず参加する(日当は別途出る)、契約期間中はプライベートであっても競合商品のコスプレはしない、自分のSNSで定期的に「公認コスプレイヤー」としての活動に触れる、あたりが条件とのことです。  タレント契約の緩い版みたいなものでしょうか。すごい時代だなぁ…。
IT系展示会で外注コンパニオン、特に女性コンパニオンを使う理由【4/30補足&レス追加。3行目参照】
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homatamblr · 8 months
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当たり前のようにレスくれるのは誰々で~って語ってるのがすごい。そもそもさ、近くで見る機会に恵まれないわけで。後ろの方まで見てくれているメンバーには感謝だけど、埋もれてるから、ここでいうレスとは違うよなって。
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【スマートジャンキーリポート3】
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「シラフはクソだ」
ありふれた日常はつまらなくて苦痛だった。
昔から親にも友達にも彼女にもよく退屈そうだと言われていた。
実際そうだった。
そのせいかドラッグを始めてからは刺激中毒になった。
他に打ち込むことがないからたまたまドラッグに向いただけだと思う。
何かが辛いからとかではなく、単純な日常を送るのはつまらなくて仕方がなかった。
将来がどうとかもどうでもよかった。
つまらない生活を送るなら死んだほうがマシだと本気で思っていた。
もちろん同世代とも価値観は合わない。
同世代が飲み会や合コンなどを楽しんでる中、2人は来る日も来る日も真面目にドラッグに打ち込んでいた。
そんな自分達にはルールはあった。
・人に迷惑をかけない。
・今だけを楽しむ。
・逃げのドラッグはやらない。
これを守れば何をやってもいいと思っていた。
「人に迷惑をかけない。」
これは簡単。
人と関わらなければいい。
2人とも他人と関わるのが嫌いだった。
あまり人に迷惑はかけなかったと思う。
スマートに遊ぼうという親友の口癖はこれから来ていた。
もちろん側からしたら様子のおかしい奴らだと思われていただろう。
「今だけを楽しむ。」
これも簡単。
明日のことは考えなかった。
明日のことを考えて摂取するドラッグは実につまらない。
「逃避のドラッグはやらない。」
これは非常に大切な心構えだったと思う。
理由は
辛さから逃げる為にドラッグを使ってしまうと、逃げた分だけ利息が付いて結局後からその辛さが降りかかってくるから。
辛さ×ドラッグの反動で二重で追い込まれる。
そしてまた逃げるためにドラッグを使うという負のループになるからそれは辞めようと。
要は「楽しむためにドラッグを使え」ということ。
何か心に不安要素がある時はより不安定になるケミカルなどは使わない方がいい。
2人で���ームシェアを始めてからはドラッグの使用が急加速した。
そりゃ一緒にいてやることなんてドラッグしかない。
常に大麻かチョコを吸っていた。
他にドラッグをやる友達がいなかったから売ることもなく毎回2人で全て消費した。
潰れるまで大麻やチョコを吸い続ける遊びをよくやっていた。
限界までチョコを吸ってライターの火を眺めると目の焦点が合わなくなって幻覚が見えて面白かった。
この時にはTwitterでの売買が盛んになってきていたのでTwitterで取引を行うこともあった。
特にケミカルは身内が持っていなかった。
当時は詐欺も少なかった。
最初にTwitterで知り合ったプッシャーはヨコヤマと名乗る人間だった。
ヨコヤマは仕事のできるプッシャーだった。
仕事のできるプッシャーの要素は
・嘘を付かない。
・時間を守る。
・レスが早い。
・色んな意味でガキじゃない。
・ケミカルを日常的に使わない。
・キッチリ量を入れてくる。
まあ他にも細かいことはあるけど。
当たり前のことだけど人間性がしっかりしている奴がいい。
注文した量より入れてくる量が少しでも下回る奴はダメ。
パケ込みのグラム数で渡してくるとか論外。
「入っている量に人間性が出る」
これはあると思う。
ヨコヤマはいつも頼んだ量より少し多かった。
初めてのヨコヤマとの接触は緊張した。
新宿三丁目での手押しだった。
タクシーで向かい、1人はタクシーに乗ったままで、もう1人がコンビニの中でヨコヤマと合流。
そして外に出てお金とドラッグを交換してタクシーに戻るという流れ。
ヨコヤマはヒッピーみたいな見た目をした30歳くらいの少しイカつい兄ちゃんだった。
お金とお菓子の箱を引き換えに何なくスムーズに受け渡しをして家に戻った。
それからは一週間毎くらいにヨコヤマから引いていたと思う。
そしてヨコヤマは大麻の品揃えが多かった。
プッシャーからは大きく量を取ると安くなるし、値引きの交渉もしやすくなる。
何らかのお金が入ったタイミングで三種類の大麻を同時に結構な量を取った。
その時の写真がこれ。
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左上の黒い塊がチョコ。
その右の四角いのがポーレン。
その下がプレスされた大麻。
下の大麻は今見ると質は良いものではない。
だが、ヨコヤマの大麻は品質が安定していた。
自分達が「駄草」と呼んでいた、効果のない大麻は無かった。
そして大麻の加工物を持っているプッシャーは当時貴重だった。
今ではチョコもポーレンもあまり見ることがない。
なかなか良いものを吸っていたと思う。
チョコはハシシとも呼ばれていて大麻の樹脂を固めたもので大麻に混ぜて吸ったり、単体でパイプで吸ったりするもの。
ジョイントの中に小さく丸めて何個も入れて吸う吸い方が良かった。
効きはすごく強い。あまり味は美味しいものでは無い。
ポーレンは加工方法がまた違って、触れると崩れて粉々になる。
吸い方はボングで吸ったり、ジョイントに大麻と混ぜて吸ったりする。
効きは大麻より少し強くて、味が美味しかった。
特にポーレンは貴重だった。
出回っているのは見たことがなかった。
その日はポーレンとチョコと大麻を混ぜてジョイントで吸うという贅沢な吸い方を満喫した。
その後はいつも通り2人で散歩をした。
その日の世田谷公園は柑橘系の爽やかな匂いがした。
直前に吸ったポーレンが鼻に残っていただけかもしれない。
記憶に浮かんでくる世田谷公園は何故だかいつも晴れている。
自分達は晴れた日にしか公園へ行かなかったのだろうか。
そんなことはないはずだ。
思い出は基本的に良いことしか回想されない。
人間は本能的に辛いことは忘れるようになっている。
人間の記憶はとても都合の良い造りをしている。
※この物語は全てフィクションです。
違法薬物の使用、犯罪行為を助長するものでは一切ございません。
Twitterではドラッグに関する役立つ知識を発信しています。
是非フォローしてください。 https://twitter.com/sativadepakkaan
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10scorpion21 · 2 years
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10月が終わる前に。
ここに来て3度目の誕生日を迎えてアラフォーへと足を突っ込んだ中間です。日付変わる瞬間はキャスで祝ってもらい0時過ぎた瞬間からお祝いのメッセージが続々届いてほんまに幸せもんやなと実感してました。その日はちょうど出掛けてたからキャスも繋いだんやけど直接伝えれてよかったって言うてくれる子もおって、日付変わってからも数日経ってからも過ぎちゃったけどって伝えてくれる人達が居て当日やなくてもちゃんと伝えてくれるその心が嬉しいよね。今年は例年と違ってというか交友関係が広がったからかFF外からも伝えてくれる人が何人もいて、人の温かい言葉に沢山触れた誕生日になりました。昔よりも即レスの人じゃなくなりマイペースやし気まぐれに浮上してる俺やけど慕ってくれたり可愛がってくれたりするみんなのおかげで今も此処に居れます。また来年も再来年もこの場で迎えられるように、ここに居る人の手を離さないようにしていきたいね。
多くは語らず…え、充分語ってる?気にしないの!この辺で終わっておこうかな。
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tominohouzan · 2 years
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小片リサ 1stEP『どっち』発売記念 ミニライブ&お見送り会 2022年10月23日(日) HMVエソラ池袋(東京) ①13:00~   :★★★★(4.0) ②15:00~   :★★★★(4.0) ③17:00~   :★★★★★(5.0)
昨日の酒が残っている。と言っても深酒したわけではなく、いつものようにトリキで金麦を2杯飲んだだけだ。飲んでるときは気持ちよく飲んでいるし、何ならおかわりを我慢しているぐらいなのだが、翌朝すこぶる体調が悪い。酒に弱くなるような歳でもないと思ってはいるが、では若いのかと言われたら口籠ってしまう。
今日は無銭ではなく優先エリアに入る。いや、放り込まれるという方が今の心境にはあっているしれない。まるちゃんとの接触ありのリリイベはいつだったか、ログを遡ると6thシングル『意識高い乙女のジレンマ/抱きしめられてみたい』リリイベ@ラクーアの2020年1月17日(金) で2年9ヶ月ぶりとわかった。とにかく「危害のない普通のおじさん」と思ってもらえるように準備はしてきた。風呂に入り眉毛を整えテカリ防止の粉も叩いた。メガネのレンズもティッシュできれいに拭き取った。そう、私にできることといったらこのぐらいしかないのだ。電車の窓ガラスに映る自分の姿をセルフチェックする。他人を不快にさせるような要素は見当たらない。良し、大丈夫だ!と思ったら、上着に昨日イオンで買って食べたピザソースが染みになって付いてるではないか!そもそも今日はこんな上着はいらないほどに暖かい。本当に憂鬱だ。
エソラには販売開始時刻を少し過ぎた11時08分頃についた。販売所には20人ほど列ができているが、たぶん買えるだろう。どうやらこの時間帯は3セット売りの時間帯で、セットの列が全部掃けてからバラ売りが始まるらしい。スタッフの方は12時ぐらいからといっていた。現金列が空いたのでそちらでセット売りを購入し、優先券、お見送り会券、CD引換券を受け取り、番号は確認せず財布にしまう。
集合時間まで時間があるので、久しぶりに西口公園に来たが、きれいにリニューアルされていた。昔はあったあの少し危うい雰囲気は全く感じられず、近代的なステージやおしゃれでシックなカフェが建てられていた。近傍のベンチに座り優先券を確認すると3部で良番が引けている。会場はHMV店内の一角を暗幕で区切っただけのスペースで、音はダダ漏れと思われる。案内にはミニライブ券がないとライブは見れないと記載されているが、音を聴くだけなら問題なく聴けそうだ。
1部 :★★★★(4.0) 集合時間と同時に着くと既にほぼ入場列は形成されていた。割り込むような形で入れてもらい申し訳ない。入場して最初の印象として狭いなと思った。客席は床に60センチ四方の枠が青いテープで区切られていて枠内にスタンディングする形式。16列6名でMAX100弱は入れるかもしれない。私の番号で下手4列目を確保できた。客入りは8列目ぐらいまで入っていたので50弱くらいだろう。昨日よりはやや入ってる印象。今日の衣装はどっちの夜衣装。髪型はMVと同じようなカチッとした後ろ結び。昨日よりは断然リラックスしているようで、表情も柔らかい。今日はオープンスペースではないのでMCも雑談スタイル。内容は拍手でのコミュニケーション/久しぶりのスタンディングでのイベント等の話。小さい会場なので表情やダンスもなかなかしっかり見える。そして音響はデッドですこぶる良い。 懸案のお見送り会は「楽しかったです。次の部も入ります」これを一方的に話して4秒で逃げるようにして切り上げる。まるちゃんも何か(たぶんありがとう的な言葉)を話してくれたが、全く覚えていない。前が詰まるようなことがなく短時間で切り上げられたので、意外とメンブレはしていないがもう喉がカラカラだ。日高屋でビールを飲みたいところだがそうはいかない。ファミマで小さいエビアンを購入し西口公園で休憩。円形ステージで片桐はいりさん達が舞台嵐ヶ丘のリハをしていた。
2部 :★★★★(4.0) 入場列は10分前から形成されるようだ。 MCはメロンの溜息の話になり、時東ぁみさんに言及。また同じ事務所に所属していたとTNXにも触れる。ラジオは保田圭さんと出演していたハロドラがほぼ最初で、その頃はどうしょうもない話しかできなかったが、あの頃に比べればだいぶまともに話せるようになった。ウソにならない範囲でトークも頑張りたい(昨日のヤンタンを踏まえて)。会場が沸きヲタ拍手。
一部のお見送り会ではメンブレしつつも、ある程度の攻略法のようなものが見えてきた。
手順はこうだ。
スタート位置に立つ。無言で手を振りながら歩きはじめ、まるちゃんの正面辺りまで進む。ここで手を振るのをやめず定型句を喋る。この時喋りながら体の向きは出口側に向けておく。まるちゃんから何らかのアクションがあった事を確認して、手を振りながら出口へ向かう。
レッツトライ
お見送り会  私「たのしかったです。またきます」  まる「待ってます」
リスニングに成功した!
3部 :★★★★★(5.0) 私の入場は3番手だった。最前は確約されている。入場開始!一人目:敢えてドセンを外して下手へ。二人目:ドセンを確保。そして私の番だ。この時点でのドセン横が空いていたが、私は敢えてオフセットを取ってドセン上手横横を確保した。何故かといえば正面からまるちゃんをずっと見続けるのは私には厳しいと予想したからだ。敢えて上手側にオフセットし、美しい横顔をガン見しようという戦略だ。結論から言うとこの戦略は大正解だった。
焦らして愛してイントロがドンと鳴り、ステージ袖から流れるように登場しセンターにすっと立つ。その瞬間私の心は奪われた。この世の物かと疑うほどの美しさに魂を鷲掴みにされた。「3m先の小片リサ」という圧倒的な存在感。白く透き通るような肌。柔らかな筆で描いたようなすぅーと延びる鼻筋。うるうるに濡れた瞳。背は特別高くないのに様になる立ち姿。マイクを包む細く白い指。美は儚さに宿る。すべてが完璧なまでに美しい。
ショパンで確信ありのガッツリレス。その他細かいレス多数。私の直前1m先にスピーカーがあり、爆音でまるちゃんの美声を浴びる。間違いない。ここはコットンSS最前の2倍の価値がある。
夢心地のままお見送り会へ。
 私「タノシカッタデス、マタキマス」  ま「あーよかった〜ありがとうございました」
完全にリスニングできた。
当初は天一の日にもらったクーポン券でこってりを食べて、中国食材店で朝天唐辛子を買って帰ろうと予定していたのだが、そんなことでこの記憶にノイズを加えたくない。私はさっきみたまるちゃんの美しいお顔を脳内で何度も思い返しながら、一目散でいつもの鳥貴族へ向かった。
わかってるよ、酒を飲むと調子が悪くなる事ぐらい。でもこんな夜に飲まないなんてほうがどうかしてる。それに明日は仕事しかないんだ。そんなつまらない予定しかないんだ。
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myxxx19 · 3 years
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1/23(日)深夜3時、お酒を飲んでソファで眠ってしまった夫を横目にU-NEXTのYEN TOWN BANDスペシャルライブ映像を観ている。いつまでも聴いていたいこの空気感が真夜中にとても合ってうっとりしてしまう。私は『スワロウテイル』が全映画の中でいちばん繰り返し観たと言っても過言ではないくらい好き。当時私の中に『プロポーズ大作戦』ハレルヤチャンスのイメージしかなかった三上博史は驚くほど男前でワイルドで衝撃的だった。脇を固める出演者も魅力的で、私も江口洋介が実の兄であって欲しいし、あの頃の大塚寧々がベストオブ大塚寧々だと思っているし、今でもCHARAことグリコになりたい。ワルそうなものならなんでもカッコイー!って影響受けまくりな年齢で観たにも関わらず、よく胸元にアゲハチョウのタトゥー入れないでここまで大人になれたな。(ex.蛇にピアスのスプタン)しかし、結構仲も深まったかなと思った人でも、この名作を薦めてみると高確率で難色を示される。怖そう、訳わかんなそう、暗いですね(失笑)、他の人に薦めない方がいいですよ(失笑)、それは分かる。分かるんだけれど、他にパッと出てくる「何か面白い映画ありますか?」の返答がないの!Tumblrの住人はいい映画たくさん知っていそうだから教えてほしい…と思うこの頃。
そんなことはまぁ置いといて、PCR検査無事陰性でした。結局、次の日には結果のメールが送られてきてありがたすぎる。でも仲のいい同僚がまさかの陽性。心配してLINEを送ったら即レスで「まったくの無症状、ひま」との返信がきた。一応お大事にねって打ってiPhoneベッドに放り投げたら、よっぽど暇なのか立て続けに変なエビのスタンプきて笑った。
ここまで書いて忘れ去られていた1/23の下書き。ちなみに蓋を開けてみたらうちの部署、同僚含めて陽性者4人、濃厚接触2人でした。圧倒的に人が足りない1/28(金)、今日の夕飯は餃子にしたい。
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onegaishimasu-u · 4 years
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満開!水上花火大会2020の記録
予告バナーの時点で死んでしまった………… バナーの台詞、なに、俺がいるけど(俺とは?)みちるオフショットを初めて見たときと同じ状態※になっちゃったじゃん。※この写真、なに、俺がいるけど(俺とは?) 花火リポートの仕事、浴衣、全部やってほしかったし 箱イベだし、お初の待望のLegendersと一緒だしで嬉しい〜〜〜!!!
Legendersの3人とは直接の絡みがなかったけど、ちょっとずつ触れられていて嬉しかった。とくにレジェのストーリーでも言及されていたお店の人と和気藹々と会話してる様子とか、花火があがった時の歓声(?)から、みちるのはしゃぎっぷりが伝わってくる。すごいことだ… リポートの様子は雑誌とストーリーどちらにも触れられていたからすごくイメージができたけど、本当にリポート向きだと思う、、元気だし、話を回すのもうまいし 人の顔もよく覚えている。本当に人が好きだからリポートする時も商品だけじゃなくそれを作っている人も好きになるような解説をしてくれるんだろうな…と、今後まだ見ぬリポートにも思いを馳せてしまった。人に話しかける才能があると思うよ本当に…。 そんで焼きそば屋さん、一行が芸能人と知ってか知らずか?面白かった。棚ぼただったらラッキーだし知ってたらかなりの策士だなあ!買い物してるみちるもリポートしてる道流もずーっと普段のすがたでリラックスしてるように見えて、きゃっきゃきゃっきゃしててかわいかった〜〜 そして今回タケルのレスの感じが面白かった、漣に対して対応を変えようとしてるのか普段通りなのか。牙崎に正論をぶつけたいんだけど、そのあと言い合いにならないようにすぐさま道流に話しかけたりして終了させているような……?そういう笑いに見えてしまっておもしろだった。牙崎くん反論できなくて膨れてるかもしれん。かわいいな…。
漣はみちるの雑誌が最高だった、登場時の歩き方かっこよすぎて好き。何気ない所作も全部素晴らしいんだろうなと思ってしまう…。道流の声クソデカ!!!!!(かわいい) 毎回思うけども、虎牙道の雑誌担当の先生のトーンづかいが上手すぎて……本当に感動した、13→14の、花火があがってない時のみちると花火があがってる時のみちるの光の当たりかたとか。道流の顔が本当にかわいい…。 こういう何気ない雑談のなかに見える関係性が大好きだな、漣はみちるによく話しかけにいくし、わからない事や意味不明なことをぶつけるけど、みちるの解説したり笑ったり受け入れたりする感じも良い。買い物の荷物持たせられてるのもいいね! あと、花に興味を持つタケルもよくて……今回自分では買わなかったけどみちるが事務所に買ったやつがあ���から、花を育てるルーチンが日常に加わってわくわくするといいね…。
そして今回はなんといっても道流のカード台詞…!! 一発目で驚いたバナーの台詞だけど、この台詞これ〜いいよ〜。なんか思い切り"""師匠"""があってワッ!!となったけど、スカウト台詞2枚目を見た後だと、なんとなく(花火を見て)師匠と同じ気持ちになれて嬉しいと思っているのでは……と思った。同じ気持ちになれるっていいよね。。 あとチェンジ台詞なに!!!!???これ、、見せるときどんな表情なん・・・・・!??!??、、、? 信頼度MAXなに・・・・!?!??一番はみちるだが・・・・? 花火みてる道流みてて、花火みてなかったわ、、
信頼MAXマイデスク台詞なに・・・・・・??!?!??なぜ線香花火・・・・・?????・? ? (ふたりでやるやつでは・・?) なぜ?なぜ? なぜ? 花火大会みちる、なんでこんなにめちゃめちゃ尋ねてくるんですか?Pと道流の間に""会話""発生している。すごいかわいくないですか?丸も多いし、いつもより落ち着いているような…。 あんまり尋ねるのが多いのは珍しいからすごくびっくりしてしまった。満たされるな〜……。かわいいな…かわいいな でも「何が?」って聞き返すPには笑っちゃったよ なにがじゃないが
箱イベも久しぶりでめちゃめちゃ満たされて嬉しかったイベントだった。箱は本当に格別の嬉しさ…本当にありがとうございました。
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plasticdreams · 4 years
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6: 名無しさん@1周年 2020/04/11(土) 02:43:29.21 ID:JlLa1pC50 子持ちおばさんがヒステリー起こしてるけど 子供が来ることが問題なんじゃねーんだ 子供ときた上で走り回らせたり商品に無駄に触らせたりダラダラ時間かけて買い物すんのが問題なわけ 暇つぶしがてら来るんじゃねぇ、本当に必要な用事が済んだらさっさと帰れってこと 独身だろうが無駄に店内彷徨くんじゃねーっての 不要不急も、緊急事態宣言も意味わかってねーのか? 267: 名無しさん@1周年 2020/04/11(土) 03:52:00.32 ID:DYpKdO2W0 >>6 実にこれ 目線がずれてんだよ 293: 名無しさん@1周年 2020/04/11(土) 04:03:37.71 ID:/Wn9gvbY0 >>267 もう何言ってもだめなのよ 前なにかのスレでお子さんのこと心配して 買い物は家族の休日に子供見てもらって1人でちゃっちゃと行った方がいいってレスにも 噛み付いたりなんだかんだ言い訳してできないとか言うのよ 世界中大混乱の非常時というのが根本的に理解できないらしい… 497: 名無しさん@1周年 2020/04/11(土) 05:01:40.39 ID:DvGJLcLu0 >>6 文句を言われると「子供いないんでしょ?」だもんねw 699: 名無しさん@1周年 2020/04/11(土) 06:41:17.78 ID:9f1iJpz20 >>6 同意 子供が外で感染して発症しなくても、その子供と濃厚接触する親が発症した時に子供どうするのか 子供は無症状や軽症でも親や頼るだろう祖父母とか年齢層上がれば危険度上がってくのに 子供の為にも自衛が必要なのにね 764: 名無しさん@1周年 2020/04/11(土) 07:05:45.65 ID:86IaI3ea0 >>6 子供さ、うかれてんだよなスーパーで 特に低学年とか 共働きで甘え足りなかったのが親といる時間増えて嬉しいのかよく喋る走る あとは単に出かけられないストレスもあるだろうからちょっとのお出かけでも楽しい お菓子わーい
常識的に考えた : 【家族総出】全国スーパーマーケット協会「家族総出で行く「要」や「急」は、あるでしょうか。レジャーランドではありません」★4 - ライブドアブログ
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chibimanaandazk · 5 years
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👣少女と猫の歩き方🐾
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oyajiyb · 2 years
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#園田 の人気 #ランチ #中華食堂パタパタ さんで #日替りランチ‼️ 今日は「#牛肉と玉葱の炒め 」をメインに ・五目あげもち ・菜の花と小海老🦐の和え物 ・わかめの中華スープ ・ザーサイのお漬物 ・苺🍓とブドウ🍇 という内容‼ 美味しく戴きました😋‼️ お支払いはPayPayで #接触レス です‼️ メルペイ・d払いも使えます♪ ◆位置情報(GoogleMAP) http://bit.ly/PataPataMAP FBスポット → 中華食堂 PataPata ★Instagram 新規開設❣️ @cpatayan5 https://www.instagram.com/cpatayan5/ 食べログ http://tabelog.com/hyogo/A2803/A280304/28010403/ ★尼崎の観光情報グルメサイト #ぐるっとあまがさき https://www.amacci.or.jp/guruttoama/   Facebookグループ #園田のお店 https://www.facebook.com/groups/167014240536479 #sonoda #そのだ #阪急園田 #尼崎 #amagasaki #尼崎市 #中華 #中華料理 #中華食堂PataPata #pata2 #園田ランチ #日替り #園田のランチ #OYJSHP #園田グルメ #園田ソーシャルデザイン #OYJSHP 2023年3月6日 前回2月24日 (中華食堂 PataPata) https://www.instagram.com/p/Cpby7CFLTWF/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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tezzo-text · 6 years
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190122 “Blanding”とは
この動画を見ていたら、https://www.youtube.com/watch?v=G3bhr4b8ACs ロゴをシンプルにリデザインするトレンドについて面白い記事を読んだ、と言っていたので探して読んだら、この件に関していろんなトピックに大体全部触れている感じで面白かった。ちゃんと読もうと思って訳してみた。この記事である。 http://www.thefashionlaw.com/home/blanding-what-is-it-how-did-we-get-here-and-what-does-it-mean-going-forward?rq=logo 特に最初に触れている商標法に絡んだ説明のしかたは他で読んだことのなかった視点であった。がんばって訳したが最後のパート自信なし。添削求む。
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Blandingとは何か、どうしてこうなったのか、この先どうなるか。
このほどリデザインされたバーバリーのロゴについて、ブルームバーグの Rob Walker は「新しいロゴは太めのジオメトリック・サンセリフ風なおももち」と書いている。しかし本当なら彼は最近改作された他のロゴ(バレンシアガ、ベルルッティ、サンローラン、リモワ)について議論することもできた。ブランディング…というか、いっそBlanding(訳注:bland 形容詞:もの柔らかな、人当たりがよい、穏やかな、落ち着いた、温和な、口当たりのよい、さっぱりした、気の抜けた、おもしろみのない、無感情の)と言ってもいいかもしれないが、その大きなトレンドのなかでは、ハイ・ファッションやラグジュアリー・ブランド、そしてその他メーカーやテクノロジー分野でも、目立つのではなく溶け込み調和する、質実剛健なロゴを恃む企業が増えてきている。
ロゴが溶け込もうとする…? これはブランディングのそもそもの実用的な目的を考えてみれば、興味深い考えだ。トレードマーク(商標)といえば、例えばブランドネーム、ロゴ、時には色など…が伝統的に使われており、消費者にその製品の出どころを特定させ、他の会社の製品と見分ける機能から価値を引き出している。
仮にブランドの数の増加が、ロゴの大衆向け(?)なシンプル化の原因だとすると、確かにそれが何を意味しているのかを考えてみる価値はある。法律的にいってなぜそのようなことが起きたか、その文化的な含意とは何か、ということである。
純粋に商標法的な観点からみれば、ブランドはこのレス・イズ・モア的アプローチを採用することで、マークおよびそれが保護できる範囲をより強化していると言える。ロンドンで知財の弁護士をしている Birgit Clark は、ブランドは「常に単にワードだけを商標に登録すべきである」という。彼女によれば、そうすれば商標の弁別性は「様式化されたワード(=デザインされたロゴ)ではなく、ワードそのものの方に基づくことになる」。
こうしておくと、ブランドは「どんなデザインで、どんなロゴとの組み合わせでも、似てるものや同じに見えるものを追及することができる」のだ。それは例えば名前と装飾が似ていないと侵害を主張できないのとは対照的だ。つまり、商標自体でより弁別可能性が高ければ、それだけで保護できる範囲も広がる。この観点からみれば、bland なロゴのトレンドというのはブランドにとってのよいしるしなのである。
また、もう少し広くみてみると、このトレンドは、ブランドがインスタグラム、看板、ショッピング・バッグなどのいろんなフォーマットを股にかけてロゴを使いたがるというのが出どころでもある。クリエイティブ・ディレクターの Thierry Brunfaut はこの『骨格だけのブランディング』は「単にビジネスに有利」と書いている。
サンセリフ中心のロゴ採用の広がりはまた、(少なくとも部分的には)ごく少数の個人またはデザイン会社がもつテイストに依っているせいでもあるようだ。例えばピーター・サヴィルだが、カルヴァン・クラインとバーバリーの両方のロゴとブランディングを制作したのは彼である。さらにドイツのデザイン会社 Bureau Borsche は、バレンシアガとリモワのリブランドの���当であり、最近ハイスノバ���エティとナイキでブランディング重視の改修もしている。似たものリストはまだまだファッション界のいたるところに続いている。
さらに、デザインの均質性というのは、現代のファッション界がより公式通り・企業的・スプレッドシート主導になっていく流れの一部でもある。かなりの数のファッション・ブランドが株式公開している会社に所有されていて、収支を鑑みると掛け金が高いということになり、結果的にどんどんリスク回避型になりうる。したがってそれらブランドが作るものも、服からブランディングに至るまでトレンド予報と慎重な(収支バランスの)測定の産物ばかりなのである。
bland なロゴのトレンドに関して言えば、そのものが商品のセールスにも関わってくる。いまや(とくにハイ・ファッションの)消費者は必ずしもかつてのようなやり方でショッピングをするわけではない。あらゆるチャンネルでやり取りすることが増えてきた結果、ブランドが、とにかく直接的かつ(どんな環境にも)動かしやすく、拡大縮小にも耐えうるロゴを選ぶような「途方もないデザインの挑戦」が要請されたと Thierry Brunfaut はいう。
さらに言えば、高級品の売り上げが常時伸びているのは例えばオンライン上なのである。そこでは(いろんな商品が混じり合って陳列されている)セレクトショップよりも、どのブランドなのかという表示が明白になっているわけで、それがロゴの必要性・活用に具体的な影響を与えてきている。Net-a-Porterでサンローランのサックドジュールを見ればよい(?)。そこにはエディ・スリマンのデザインしたシンプルなサンローランのロゴがついている。それは、重ね重ねサイト上でサンローランを示すごっついタグのもとで売られているのである。
これは、バッグにわかりやす~いロゴをつけることが、ただ実用的に必要だという事実がこのデジタル時代に存在し、おそらく実店舗で顧客が買い物をしているときより、しかしそれが激烈ではないということの論証になっているのである。
ブランドが似たようなロゴを選び続けるべきということを意味しているのかどうか…それはさておき、全てがおおかた溶け込みあって、(前の世代ほどではなくても)あるブランドの製品を他のと区別できなくなっていく…それはやはりネガティブなことに見える。
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xf-2 · 6 years
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「当時、ルソーを語らないやつはダメでした。僕は哲学専攻でしたから特によくルソーを読み込んだ。女の子の前でフランス革命を語るのが、一番カッコよく見えた時代です」
元中国人の評論家・石平に若い頃の話を尋ねると、そう言って笑みを浮かべた。
1962年に中国四川省で生まれた石平は、幼少期に文化大革命を経験。やがて1980年、北京大学哲学系に入学し、学内で民主化運動に熱中した過去を持つ。中国が改革開放政策に走りはじめた当時、キャンパスでは誰もがルソーを読み、国家の未来と民主主義を語るのが流行だった。
卒業後、石平は中国国内で大学講師になったが、学生に民主化運動のオルグをやりすぎて上司に睨まれ、新天地・日本に留学。神戸大学大学院で博士号を取得している。1989年に六四天安門事件が発生したときには、彼は関西地方の中国人留学生グループのなかでも相当にアクティヴに動き回った。
私は先日、彼のような天安門世代の中国人たちの「その後の人生」を追いかけた『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』(KADOAKWA)という本を刊行した。天安門事件が起きたとき、日本は平成元年。この約30年間で、かつての若者たちの人生は大きく変わったが、それはいまや「元中国人」の保守評論家となった石平も例外ではない。
石平の心のなかにある、往年の民主化青年の素顔に向き合ってみたい。中国の若者が、カネ稼ぎや就職の心配よりも国家の未来を心配していた時代の記憶に触ってみたい。そこで今回の記事では、石平にそんな過去への思いを存分に語ってもらうことにした。
この記事を読んでいる日本の大部分のネットユーザーはきっと知らない、もうひとりの石平の姿。どうぞご覧いただきたい。
革命神話が生きていた時代に
安田 いわゆる天安門世代に該当するのは、1960年代生まれの中国人。中国語で「六〇後(リョウリンホウ)」と呼ばれる人たちです。彼らの青年期後半と日本のバブル絶頂期は重複していて、中国国内のエリートがいちばん多く日本に留学していた世代でもあります。
結果、現代の「有名な在日中国人」はみんな天安門世代です。石平さんをはじめ、財界ではソフトブレーンの宋文洲氏やラオックスの羅怡文氏、芸能人では周来友氏や李小牧氏、小説家の楊逸氏など、非常に濃い面々が揃います。日本で教鞭を執る中国人大学教員も、この世代がいちばん多いでしょう。
石平 そうですね。日本にいる中国人留学生の質が高かったのは1980年代なんです。90年代前半期も、天安門事件に失望した中国のエリートが大勢日本に来ています。
安田 天安門世代は、ほかにもIT企業アリババの創業者のジャック・マー(馬雲)やバイドゥ創業者のロビン・リー、シャオミ創業者の雷軍、暴露大富豪の郭文貴など、中国財界の大物たちも数多く該当します。中国共産党の高官だと胡春華や孫政才(2017年7月失脚)もそうですね。この世代の中国人の、心の原風景みたいなものを知りたいんですが。
石平 いいでしょう。たとえば僕の場合、4歳で文革がはじまり12歳で終わった。物心ついたときはまだ、革命神話が現役だった時代です。「偉大なる中国共産党により解放された祖国は素晴らしい」「諸君は世界で最も幸せに暮らしているんだ」「日本人民やアメリカ人民は悪しき資本家の抑圧のもとで食うや食わずやの生活である」と教わりましたよ(笑)。
殺伐を越えて
安田 往年の石平少年も、胡春華少年もジャック・マー少年も、みんな毛主席の紅小兵だった。中国人民より “不幸”なアメリカ人民や日本人民を、共産主義の光で解放するのが使命だと教わってきた。
石平 ええ(苦笑)。しかし、文革で社会はメチャクチャになる。そして70年代からは、農村に送り込まれた紅衛兵の一部が無許可で都市に戻り、仕事がなくて犯罪に走るようになった。70年代の中国は貧しくて閉鎖的なだけではなく、治安も悪くて暗い時代でした。
※来日して早大大隈講堂でトークセッションをおこなったアリババ創業者、ジャック・マー。今年3月末時点で時価総額世界8位の巨大IT企業を率いる彼も1964年生まれであり、世代的には「天安門世代」だ。2018年4月25日、大隈講堂内で安田撮影
安田 そんな殺伐とした時代の後に、ようやく毛沢東が死んで雪解けがはじまる。石平さんが北京大学哲学系に入学したのはこの時期(1980年)です。どんな学生だったんですか?
石平 当時、鄧小平の新体制のもとで、毛沢東時代がある程度は否定された。そこで登場したのが、文革の悲劇を暴露する「傷痕文学」という小説ジャンルです。私は高校から大学にかけてむさぼるように読んで、強く影響を受けた。当時は娯楽が少ないので、他の同世代も似たり寄ったりだったでしょう。
僕らが子どもの頃は「素晴らしい政権の下に生まれている」と教育された。それが大人の入り口に立つ頃になって、自分たちの社会の残酷さ、恐ろしさを知る。両親や同級生からも、文革当時のひどい話をたくさん聞く。この時期にいちど、世界観を完全に壊されるんです。
安田 日本だと昭和一ケタ世代みたいな感じかもしれませんね。軍国主義教育を受けて育ったのが、戦争が終わったとたんに「真相はこうだ」「総懺悔」みたいな話を突きつけられるという。
石平 近いかもしれません。そこで80年代に大学生になった僕らの世代は、みんな一気に民主化にはしるわけです。非常に高揚感のある時代で、外国の情報も入るようになって。当時のキャンパスはそういうパラダイムのなかにあったんですよ。
安田 1989年の天安門デモだけが有名ですが、実は80年代の中国では大小の学生運動が頻発し、経済だけではなく政治の自由化も盛んに議論されていた「学生運動の時代」です。ところで、日本で学生運動が盛んだった60〜70年代には、『資本論』を読んでないやつはバカにされるみたいなのがあったそうですが。
石平 うちらもそう。当時、ルソーを語らないやつはダメでした。僕は哲学専攻でしたから特によくルソーを読み込んだ。女の子の前でフランス革命を語るのが、一番カッコよく見えた時代です(笑)。
安田 実に安保闘争っぽいなあ(笑)。ちなみに日本の60年安保のときの大学進学率は10%すこし。いっぽうで1980年の中国の当時の大学進学率は2%未満です。
地獄を見た人たち
石平 そう。当時の中国で大学に入れたのは非常に限られた人間だけでした。しかも社会主義が残っていた時代で、学費も寮費も食費もほぼいらない。われわれが民主化運動に没頭できたのは、ある意味で「中国共産党のおかげ」だったのですよね。
安田 当時の中国ですと、卒業して学士様になれば大学の講師ぐらいにはなれた。少なくとも職には決してあぶれなかった。石平さんを含めて、80年代の中国で民主化を叫んでいた若者は、非常に限られた特別な人たちだった。
石平 完全に恵まれた人たちの、温室のなかの贅沢な革命です。いまから考えると幻想に過ぎないのですが、みんなが天下国家を語り、「自分の力で中国を変える」という気負いがあった。当時の最高指導者の鄧小平は理解不能だったでしょうね。「君たちをこれだけ優遇してやったのに、なぜ逆らうんだ?」と思ったはずです。
安田 それに、みなさんから一世代上(1950年代生まれ)の人たちも腹が立ったでしょう。彼らは文革のまっただなかに青春時代を送った紅衛兵世代です。習近平みたいに幹部の子弟でも農村に送られて、地獄を見た。ろくな勉強もできなかったわけですから。
石平 その通り。習近平たちの世代から見れば、僕たちは単なる生意気な青二才にみえるのです。農村など低層のことは何も知らずにして民主主義ばかりを語っているアホどもが、という感じです。しかし彼らの世代は、毛沢東独裁政治の被害者でもあるのに、今になって独裁体制作りに躍起になっているのも、私たちから見れば摩訶不思議です。   安田 紅衛兵世代と天安門世代の仲の悪さは、『八九六四』の取材でも感じました。たとえばあるデモ学生OBに「何が不満だった?」と聞いたら、「俺は大学まで出ているのに、紅衛兵世代で小学校しか出てないやつの下で働くのがイヤだった」とか言うわけです。気持ちはわかりますが、当時の中国社会の現状から考えるとかなりの「わがまま」ですよね。
石平 われわれの運動は、失敗に終わるべくして終わったということですよ。中国がなんたるか、社会がいかなるものかも理解しないまま、理想だけを持っていた。もちろん、それでも青春時代の情熱を燃やしたことに悔いはない。命を捧げた人たちもいる。僕たちが体験した1980年代というのは、そういう時代だったんです。
安田 現在の中国からは想像もつかないような、学生運動の政治の季節ですね。
石平:そんな僕たちの時代は、1989年の天安門事件をもって終わりました。そう。あの事件ですべてが終わったんです。
愛国心は「逃げ場」だ
安田:終わった後に残ったものはなんだったんでしょうか、
石平:僕たちの世代は、自分の中にある毛沢東時代までの価値観をすべて壊しました。結果、中国共産党も人民日報も中国中央電視台(CCTV)も、あらゆる権威を信じなくなった。
いっぽうで従来の価値観を壊した結果、次はどんなことがはじまってもいいと思って、自分の頭で考えてルソーやフランス革命に接近していった。80年代を通じて、僕たちの世代を唯一まとめていたものは、民主主義という理想だったんです。
安田:しかし、それは天安門事件で壊された。
石平:はい。すると、僕たちの世代にはもはや共通点がないんです。みんなが好き勝手なことをやるようになる。なかには理想にあくまでもこだわって、理想のままで生きていく人もいないではない。でも、ニヒリズムに陥って、やがて立身出世や金儲けだけに走っていったやつも大勢出ました。
安田:『八九六四』にも、天安門事件の理想が破れて拝金主義者になってしまった青年の話が出てきます。もとは爽やかな好青年だったのに、すっかりイジけてカネの話しかしなくなった人が。
石平:イジけ方にもいろいろあります。中国国内の愛国主義者になっていったやつらもいる。例えば、ゼロ年代前半頃から中国ではネットの掲示板にやたらに愛国的なことを書く人が出てきましたが、どうやら初期の時期のそういう連中の一部は、僕と同じ世代みたいなんです。
安田:石平さんの初期の著作(『中国「愛国攘夷」の病理』小学館文庫、2002年)で書いていた、2001年ごろに人民日報傘下のネット掲示板『強国論壇』に集まってタカ派的な発言を��り返していた人たちですね。当時の中国で、ネットを使えた人はエリートに限定されていたはず。彼らの正体は、すくなくとも一部については天安門ニヒリズムを抱えた世代だったと。
石平:金儲けと出世に走るやつがいる。あるいは、ごく少数ですが、純粋な気持ちを内面に持って反共産党の立場を永遠に貫いていくやつもいる。でも、どっちにもなれないやつがいるんです。そんなやつの逃げ場は愛国心になる。
天安門と「反日」
安田:なるほど。天下国家を論じたい理想主義者だったのに、民主化の夢は破れた。でも、開き直ってカネ儲けをすることもヘタクソ。そんな人たちが、中国のネット黎明期の反日言説の源泉のひとつになっていったと。
石平:僕の同級生にもそんなやつがいました。1980年代は、口を開けば中国の民主化を語っていたのに、1990年代になると反日的なことばかり言うようになった(笑)。ただ、こういう連中は弁が立つし文章も上手いし、語彙力もありますから、文章を書くとずいぶん迫力のある「反日言説」ができあがる。
安田:なるほど。後年に中国でネットが普及してから出てきた憤青(中国版のネット右翼)みたいに「小日本のバカ」「中国バンザイ」と一行レスを書き残すだけならバカでもできる。でも、いびつに歪んだイデオロギーであれ、それを長文で論理的に弁じ立てていくのは、やっぱり賢い人間じゃなきゃできません。
石平:そういうこと。2001年ごろの『強国論壇』の愛国反日的な文章を眺めていると、ピンとくるときがあるんですよ。こいつは僕と同じ世代なんだろうな、って。
安田:この論理構造は、かつて80年代の北京大学で見たアジビラとそっくりだ! みたいな。
石平:そうそう(苦笑)。文章それ自体は、実にガッチリと論理を構築して書かれている。
安田:政治理論みたいな抽象的な理屈を文章にして、理路整然と論じていく能力って、近年は世代が下るほど弱まっていますよね。これは中国だけではなくて、日本でもそうですが。
石平:そうです。仕事でやっているわけでも、自分の生活上の利益とも直結していないのに、理屈をこね回して抽象的な長文を書くような人は、日本ではほとんど絶滅しているんじゃないかな。中国でも、私たちの世代が最後なんです。
安田:一昔前までは、エリートでも哲学や文学を専攻する人が多くいたので、そういう「政論」を書くことが趣味みたいな人が大勢いました。でも、ここ20〜30年は社会が変わって、エリートはITや金融みたいに実学的な学問を勉強するようになったので、そういう趣味を持つ人も減ったように思います。
石平:そう。僕たちはそういうことをやる、最後の愚かな世代といいますか。僕たちよりも若い中国人のエリートは、もっと世故に長けていて賢いでしょう。ネットに「政論」を長々と書くような、非生産的なことはしませんよ。
反日とはなんだったのか
安田:ところで、70年代〜80年代生まれの中国人のエリートは、石平さんたち天安門世代と違って学校で反日・愛国主義教育を受けているはずです。でも、彼らは日本旅行が大好きだし、無印良品みたいな現代日本っぽいライフスタイルや、日本食やジャパンコンテンツのよき消費者となっています。全然反日的じゃないですよね。
昨年、『君の名は。』の聖地巡礼のために飛騨古川にやってくる若い中国人個人旅行者を取材したんですが、彼らは実にお行儀がよくて物静かで、日本に対して健全な親しみを抱いている。正直、中国政府が天安門事件後にはじめた反日・愛国主義教育とは何だったのかと思えてきます。
石平:中国の反日・愛国主義教育は、バカが信じればそれでOKなんですよ。日本に個人旅行に来るくらい生活に余裕を持てる人は頭のいい人間だから、学校で教わるイデオロギーなんか真面目に信じない。
安田:逆説的に言えば、政府のプロパガンダを本気で信じて「反日」になるようなバカは、中国の社会は成功できないし金持ちにもなれない。
石平:そういうことです。一方で、格差の末端に追いやられた「持たざる者」は、潜在的な体制への不満分子です。そういう連中のフラストレーションを溜めず、高揚感を持たせてやるために中国政府が与えているのが、反日や愛国主義というオモチャなんですよ。
安田:中国の政府にしてみれば、社会で負け組になった「バカ」の不満がお上に向くことなく、「小日本め!」と日本を憎みながら大国意識に酔っていてくれれば天下は泰平である。
石平:そう。いっぽうで現代の中国では、金持ちや賢いやつは体制に反抗しない。だから、彼らが反日・愛国主義教育を信じてくれなくても政権の脅威にはならない。結構巧妙なんですよ。
天安門世代はなぜニッポンを愛するか
安田:日本に帰化した元中国人は少なくありませんが、石平さんは彼らののなかでも特に日本のナショナリズムに親和的で、靖国神社にも参拝しています。いっぽう、学識から考えても、ご本人と向き合ってお話をしていても、石平さんはナショナリズムを相対化して考えている人だと思うのです。
石平:もちろんですよ。日本のナショナリズムについても、例えば僕は昭和の初期の日本の戦争については基本的に批判的な立場です。ああいう全体主義的なナショナリズムは行き過ぎている。これは僕のあらゆる本で書いているんですよ。
安田:最近でも『なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられたのか』(PHP新書、2018年)の終盤で、がっつり書かれていますよね。
石平:ええ。もっとも、戦後の日本でその問題が逆になって、国を愛したり国旗を掲げることすらタブー視されたのもいけません。戦前も戦後も、方向性は真逆ですが極端な誤りがあると思っています。
安田:とはいえ「日本人・石平」の政治的立場は、平均的な日本人と比較しても右に位置するはずでしょう。なぜでしょうか。
石平:正直なところ、僕は最後まで理想主義者なんです。要するに、なにか理想的なものの中にいないと、自分はもたない。かつての理想の枠組みは中国への愛国心にもとづいた、中国のための民主化だった。でも、それは永遠に破れてしまった。ならば当然、僕の新しい理想の枠組みは日本に置かれるんです。
安田:天安門事件で空っぽになった理想の器は、別に何かで満たされなくてはならなかった。
石平:ええ。僕は幸いにして日本に来て、長く生活してきましたが、いい体験ばかりなんです。僕は中国の古き良き文化が好きな人間ですが、それは現代中国で失われたものすらも、日本には存在している。例えば今日、ここに来て――。
安田:大阪から滋賀県までお越しいただいてすいません(注.この対談は安田の実家の寺院でおこなわれた)。
石平:いやいや。ここで寺の庭を眺めて、お茶を飲んで風の流れを感じてと。そこで私が感じるのは古き良き中国であり、それを美しく昇華させた日本の伝統文化への愛着なんです。ある意味で、僕にとっての理想の世界は日本にこそある。日本料理も大好きです。
もちろん僕も、日本が抱えている様々な問題は知らないわけじゃない。しかし、それは別の問題です。僕にとって日本は、理想的なものでなくてはならない。そうなっちゃった。ある意味において、僕が日本を愛するのは自分のためのことでもあるんです。
理想の世界を守るため
石平:そして僕は日本人としての意識を持つ。例えば靖国問題にしても、僕は昭和初期の戦争には否定的です。しかし、あの戦争で国のために命を投げ出した人は美しい。それを決断した人間はバカであっても、若くして純粋にこの国のことを思って、亡くなった方は美しい。だから僕は、自分が日本国民になった以上、彼らが眠る場所には参拝するべきだと考えている。
安田:新天地の国を愛して、精神的に一体化することを望む結果、現地では右派的とされる立場にコミットしていく心理は理解できます。例えば天安門の学生リーダーだった熊焱は、アメリカで帰化後に(従軍牧師としてですが)軍籍に入って、イラク戦争に参戦しています。かつてトランプ政権の仕掛け人だったスティーブン・バノンの幕友にも、中国民主派の在米華僑が少なからず混じっていました。
石平:僕はこの日本の伝統と文明に一体化して、人生における最後の安息を得たいと考えています。だから逆に、日本を攻撃して貶めるような言説は容認できない。なので、僕が左翼を批判するのも本気なんですよ。自分の心と精神における、最後の理想の世界を守らなくてはならない。   安田:なるほど。とはいえ私は「日本を貶める」というか、一定の適切な批判は必要かと思います。例えば中国でも、天安門のデモの学生が中国の国家体制や政治を批判したのは、別に祖国が嫌いだったからじゃない。むしろ一種の愛国心ゆえでしょう。日本においても、こういう立場からの批判は健全なものだと思うのですが。
石平:それは当然。民主主義の社会ならば、それは存在するべきです。ただ、僕は政策を批判することも賛成することも必要だと考えています。例えば安倍総理の日韓慰安婦合意は、例え他の右派の人たちがナアナアで納得していたとしても、僕はあくまでも反対して批判する。逆に改憲や安保法制の整備には賛成するんです。
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日本にはもうすぐ、平成最後の夏が訪れようとしている。1989年に幕を開けた時代の終焉である。しかし中国もまた、この約30年間で人も社会も一変し、往年の天安門のデモに熱狂した青年たちも考え方を変えた。石平の人生遍歴もそのひとつだろう。
かつての民主化青年たちは、天安門事件で空っぽになった理想の器を何で満たしたのか。『八九六四』では、そんな彼らの後半生に密着している。社会のありかたを変えた事件が、当事者たちにもたらしたものとは。それは、結果的に日本に何を与えたのか。
平成元年に北京で起きた大事件から、中国と日本のいまが見える。
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knouprese · 3 years
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小寺沢世界【こてらさわせかい】
イラスト:藤森カズラ 様 説明文 ・ 性格 ・一人称は「ワタシ」 ・基本的に他人とは敬語で接する ・笑い方は「ぬひゅひゅっ…」 セリフ集 見た目 髪色 髪質 髪型 髪アクセサリ 目色 目つき 目模様 目の造り 眼球の様子 睫毛 目アクセサリ 眉 眉間 鼻 鼻アクセサリ 香り/体臭 耳 耳アクセサリ 角や触覚の有無 頭の大きさ 顔の造り 顔色 輪郭 額 こめかみ 肌・肌質 入れ墨等 表情 唇 唇の質感・触感 声 口調 髭 口アクセサリ 血 体型/体格 首 手 爪 爪アクセサリ 腕 腕毛 肩 脚 足爪 足爪アクセサリ 太腿 ふくらはぎ 足 足毛 アクション動作 内面対比 他人比較 トップス 上トップス ボトムス 服装 鞄 装備品 能力 戦闘スタイル 周囲評価とレス クロスオーバー 住居 職業 経歴資格
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inand03-blog · 3 years
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海外赴任して6か月、英語力はどうなるのか
さてこのブログも最終更新から早5年が経過しようとしており、若かりし自分の若干黒歴史チックな遺構の1つになる様相を呈しているが、今回突如このノートを再開することにした。
理由は、今年1月���ら人生初の長期海外赴任を命ぜられた自分が日々仕事に取り組む中で書き留めておきたい事が色々と出てきたものの、そのプラットフォームをどこに置くかで結構迷っていたからだ。
昨今、Twitterは140字以内の大喜利あるいは金言選手権、Instagramは映え写真コンテスト、そしてFacebookは最短で半年に1回程度近況を報告すること以外では使用を禁ずるかのような使われ方が結構一般的になってきている。自分の頭の整理と記録だけにこれらのプラットフォームに乗るのも少し違うかと考えていた矢先、そういえばと気づいたのがこのTumblerである。
5年前といえば丁度大学院を修了し、社会人1年目のヒヨッコとして気づいたことを偉そうに書き殴っていた頃だったなあ、と、当時のノートを見て少し感慨深くもなった(悲しいことに、当時の方が文章の書き方に長けている気がする…)
さて話を本題に戻すと、今回は初の海外赴任を受けて、この6か月でどれくらい自分の英語能力に変化があったかを書き留めておきたいと思う。
その前に前提として、赴任前の英語能力や英語の使用頻度について記載しておく。
まず、語学試験はTOEICくらいしか受けていなかった。それも最後に受けたのが2016年なので、赴任直前に同じだけの実力があったのか全くあてにはならないが、その時の点数は810点だった。結構対策をしてその点数だったという事に注意されたい。
日常業務では、英語のメールや資料を読む、外国人とメールでやり取りするといった事はままあったので、ReadingとWiritingはそこまで苦しくはないレベル。やれと言われたら、Yes Sirと抵抗なく返せる心理的水準にはあった。
問題はListeningとSpeakingだった。とにかく英語が聞けない。相手の発した単語が分からない。分からないので何を言って良いかも分からずダンマリを決め込むという、正に日本人英語の典型的なそれだった。
海外赴任の通知が私に届いたのは赴任の4か月前で、私はそこから少しでも現地社員との言語能力に関するギャップを赴任前に埋めるべく語学レッスンに邁進した。使ったのはCallan Methodというイギリス発祥の英語学習法を取り入れた英会話学校で、聞かれた質問に対して間髪入れず、しかも正しい単語と文法で返すという、スポーツの基礎練習みたいなことをひたすらやっていた。
これを採用した経緯としては、単純に先輩社員が過去通った経験があるというのも大きいが、個人的に足りないのはフリーカンバセーションの能力ではなく、聞いた英語を瞬時に解読して瞬時に回答文を作り上げて発話するという、所謂反射神経の所に在ると思っていたのも多分にある(そしてそれは、おそらく間違いではなかったと感じている)。
そんな訓練を毎日やり、なんとなく出来るようになったとハリボテの自信を携えながら、コロナ最盛期の2020年末、私はジュネーブまで飛び立ったのであった。
1ヶ月目
実は、1か月目は現地での仕事はしていない。というのも、現地で働くにはVISAを取得している必要があるが、そのVISAの承認がコロナの影響でいつもより遅れていたからだった。とはいえ、承認できない重大な理由があったわけでもなく、時間の問題ということだったので、とりあえず体はジュネーブに寄越して、VISAの承認が下りるのを待ちながら日本の仕事をするという状態が少し続いた。
当然仕事で英語を使用する機会はこれまで同様かなり限定的だったので、この段階で打ちのめされることはない。そもそも英語圏ではないということもあり、スーパーで買い物をしても英語で何か聞かれることはほぼない(聞かれたとしてもフランス語であり、それはそれで何言ってるか全く分からないのだがw)。
2ヶ月目
いよいよ本当に籍を移して現地での仕事がスタートした。
まず壁にぶち当たったのはリスニングである。現地のマーケットの社員と会議をする機会が多々あったのだが、何が決まったのか以前に何が議論されたのかがほぼ分からない。これはアサインされたプロジェクトの背景知識が不足しているというのもあるが、もっと前の段階で、英語の文章として相手が何を言ってるかが理解できないのだ。そうなると当然何を返して良いのか分からないので、唯々相槌を打ち続けるロボットのように会議に出席する日々が続く。一応会議を録音して聞き返したりはするのだが、それでも半分も理解できなかったりする。予想はしていたがやっぱり来たかという感じで、ここからしばらくは劣等感、無力感との共同生活となる。
3ヶ月目
1、2か月程度では英語力は全然向上しない。複数人での会議になると相変わらず他の人が白熱した議論を交わしているのを横目で見る状態が続く。今までの自分の英語学習は何だったのかと、途方に暮れる日々が続く。
まあそれでも何かやらなければいけないので、最低限与えられた資料作りやデータ集めの仕事をこなしつつ、空いた時間で出来るだけオンラインの英語レッスンを入れていた。仕事があまり振られないのは精神的にキツイが、受け入れてやるしかないのだ。最低限度の英語力がなければ任せられるものもない。
この頃、いっそ自分は英語が苦手だから全部メールでのやり取りにしてくれと自己開示しようかとも一瞬思ったが、そこは必死にこらえた。それが通じない場面がこの先訪れるのは確実だったし、自分の成長機会を狭めるような選択を自分から取りたくなかったからだ。
4ヶ月目
何となく、英語を比較的喋れている時の自分とそうでない時の自分に周期性があることに気づき始める。月足で見れば、自分の言語力は小さいながらも右肩上がりなことは分かるが、週足で見ると、比較的すらすら言いたいことを言えている週と、パッと思い浮かばず苦戦する週とがある。ジグザクで上がっていくのだ。つまり、週足レベルで一喜一憂するのは無意味で、常に一か月前と比べてどれだけデルタが生まれたかを見るのがベストだということである。
それで肝心の英語力はというと、依然としてまだまだである。意見を求められてたどたどしく回答する事は何とか出来るが、自ら提案を仕掛けたり、会議をファシリテートする水準には到底至っていない。
なお、先程も述べたがジュネーブはフランス���圏なので、日常生活を通した英語力の向上も極めて限定的である。
5ヶ月目
1文や2文で何かを説明することは少しずつ出来るようになるが、当初想定していた自分の姿と比較すればカスのようなものであることき気づき、打ちひしがれる。しかし一方で、やれば確実に以前の自分よりも成長するということも同様に実感できるので、焦らずに且つ地道に仕事をこなし、レッスンを受ける、根気や気力勝負の様相を呈してくる。これがある一定の水準を抜けると、そこから先は英語を勉強するという感覚ではなくなり、ある程度不自由のないツールとして英語を使えるようになる気がしている。
ちなみに、この時期でも現地社員からShort Callをしよう等と提案がくると、ウっと抵抗感がある。できればチャットでやってくんないかなーと思う事は多々あるw
6ヶ月目
5か月目と状態的にはあまり変わりがない。クリティカルマスを突破し、1つ上のレベルに到達するのを今か今かと待ちながら地道に英語に触っている状態。
結論
英語力の向上は、自分が思っているよりもずっとずっとスローペースである。特に英語圏で生活していない場合はなおさらで、仕事以外で自分で英語にタッチする接点を持っておかないと理想の成長速度とのギャップに結構苦しむんじゃないかと思う(持っててもこれなので)。
そして仕事での価値発揮という文脈において重要なのは、言語以外で自分の身を守る道具を必ず1つは持っていきたいということである。それは法律の知識であったり、税務の知識であったり、Excelを触る能力であったり、レスの速さとか、とにかく何でもいい。が、これだけは負けないというものを携えて臨まないと、結構早い段階で心が折れる。海外赴任は短期決戦ではなく、最低でも年単位での時間軸での勝負になるので、大事なのは瞬発力ではなく、スタミナや長い目で見たときの成長ポテンシャルである。そして、それが発現されるまでの苦しい期間のメンタルの乱高下を出来るだけ緩和してくれる武器を最低1個持ち、それにすがりながら英語力の向上を待つという点が何よりも重要。
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kawyuk · 4 years
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