#日本近代文学入門 12人の文豪と名作の真実
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『日本近代文学入門 12人の文豪と名作の真実』 堀啓子
Twitterで見て読んでみることにした。日本の近代文学の成立を12人ーー厳密に言うと11人の小説家と1人の噺家の作品を通して語るもの。ノートに取ったものを下に
1)異端の文体が生まれたときーー耳から目へのバトン
三遊亭円朝『階段牡丹灯籠』をdictationしたのが初の口語体の作品と言えるかも、と。
二葉亭四迷『浮雲』 この人の名前は「くたばってしまえ」から来てるそうだ。
2)「女が書くこと」の換金性ーー痩せ世帯の大黒柱とセレブお嬢さま
樋口一葉『十三夜』 この人の家はとても貧しく、一家の大黒柱にならなければならなかった。先生(男性)とスキャンダルがあったりした。この頃は文学も師弟制度をとっていた。身長はたったの140cm。
田辺花圃『藪の鶯』 セレブだけど実際はぎりぎりの生活でこの人の本が売れて生活が楽になった。この作品は1888年のもので女性が稿料得た最初の近代小説だそうだ。知らなかった。
おまけ。大塚楠緒子(くすおこ):漱石が絶賛した
3)洋の東西から得た種本ーー模倣からオリジナルへ
尾崎紅葉『金色夜叉」』 漱石と同い年の1867年生まれ。英語が堪能で、この作品の元ネタは "Weaker Than a Woman" と言うアメリカの人気小説。途中から変えている。翻案の作品は当たり前にあったのだが、盗作/剽窃の線引きが難しい。(これって昨今のTVドラマの、漫画を原作としながら好き勝手な内容に変えるのと似てるなと思った。)尾崎は36歳で胃がんで亡くなる。
登場人物の名前の付け方で、「名詮(みょうせん)自性」と言うのがあって、これは、名前に人の性質や特徴を表させること。
泉鏡花『高野聖』 潔癖症で心配性。紅葉に師事する。
4)ジャーナリズムにおけるスタンスーー小説のための新聞か、新聞のための小説か
夏目漱石『虞美人草』 虞美人草とはポピーやひなげしのこと
黒岩涙香『巌窟王』 モンテ・クリスト伯のこと。私は巌窟王で知っていたな。子ども世界文学とかで。黒岩は新聞記者で日刊紙の普及に貢献した。三面記事というものを作った人。また、競技カルタの試合形式ルールを考案。英語ミステリーの翻訳多数。人名を和風にしたり、当時の読者に理解しやすいように説明を入れたりした。
5)実体験の大胆な暴露と繊細な追懐ーー自然主義と反自然主義
ヨーロッパの自然主義は「ありのままの現実を直視して、理想化せずに描写する」ことなのだが、日本のものは「人生の全部を書くこと」で、後の私小説につながる。
田山花袋『布団』 すごい大柄で��快に見えるが、美文家。
森鴎外『雁』 未読なのでいつか読む
6)妖婦と悪魔をイメージした正反対の親友ーー芸術か生活か
菊池寛『真珠夫人』 四国高松生まれ。士族の家だが若い頃困窮。生活あってこその芸術
芥川龍之介『朱樹の言葉』 アンブローズの『悪魔の辞書』のような作品。
楽しく読みました。
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ダ-ティ・松本 不健全マンガ家歴30年[-α]史 ●はじめに この文章は同人誌「FUCK OFF!7」において書かれたものをベースにして逐次増補改定を加えていき、いずれ歴史の証言として、[というほど大袈裟なものでは無いが…]一冊の本にまとめたいという意図のもと、近年どんどん脳が劣化していくダ-松の覚え書きとしても使用の予定。事実関係は間違いに気付き次第 訂正。同人誌発表時のものも今回自粛配慮して、実名、エピソード等を削除した箇所有り。有り難い事に某出版社よりすでに出版打診があったがまだまだその時期ではない、マンガを描く事が苦痛になったら活字の方も気分転換にいいかも…。 /*マークは今後書き加える予定のメモと心得たし。 ●前史/修行時代・1970 さいとうプロの短くて濃い日々…… 1968年に上京。数カ月後東京は戦場に。熱い季節の始まりだった。 2年後親元を飛び出し友人のアパートに転がり込む。場所は渋谷から井の頭線で駒場東大駅下車、徒歩5分。地図で見ると現在の駒場公園あたり。昼間でも裸電球を付けなければ真っ暗という馬小屋のような部屋。数メートル先には当時の建設大臣の豪邸が…。前を通りかかるだびに警備のおまわりがじろり。 いつまでも友人に迷惑もかけられないのでとりあえずアシスタントでも…と手元にあったマンガ誌をひっくり返し募集を探す。幸いさいとうプロ��横山まさみち氏のところでアシ募集があり両方応募。どっちか一つ通れば…と思っていたら何と両方受かってしまい、双方に条件を聞く。当時高円寺 のアパート、風呂無し4畳半の部屋で相場12000円の時代。前者一ケ月の給料10000円、後者20000円との事。給料の方がボロアパートの家賃より安いとは…!どう考えても前者は食う方法がないと判断し、後者さいとうプロへ入社。 ここに居たのはたったの半年に過ぎないけれど今思えばこれだけで本が一冊描ける位の濃い半年だった。しかしこのあと2X年分も書かねばならないことを思えば今回はいくつかのエピソードを書くだけに留めよう。 ダー松が入った時は小池一夫氏[クビ?]、神田たけ志氏や神江里見氏、きしもとのり氏[現・松文館社長]等と入れ替わりの時で、きし氏の女遊びの凄さと神江氏の絵のうまさは伝説になっていた。現在「亀有」「ゴルゴ」が歴代単行本の巻数の多いベスト1、2位だが[ともに100巻を越えた]、3位は神江氏の「弐十手物語」[70巻以上]だという事は知ってる人は少ないだろう。 当時の制作部は、さいとうたかを[以下ゴリ]をトップに石川班[ゴルゴ13、影狩り]、甲良班[バロム1]、竹本班[シュガー、どぶ等]の3つに分かれ、それぞれのキャップにサブ・チーフが一人づついて、ヒラが2~6人いるというシステムで総16名。独立し現在も活躍中の叶精作、小山ゆう、やまさき拓味の3名がそれぞれの班のサブ・チーフ。ダー松は石川班で左右1メートル以内に叶氏とゴリにはさまれ、のんびり出来ない状態で、はなはだ窮屈。叶氏はほとんどマンガ家になりたいとも思った事のなかった人で、設計事務所みたいなところで図面を引いていた人がなぜマンガプロダクションに来たのか不思議だった。格別マンガ好きというわけでもなかったせいか現在まで全ての作品が原作もので、オリジナルは一本もないのはそのせい?祭りなどの人がうじゃうじゃ出てくる群集場面が得意。 やまさき氏は大の競馬好き、現在競馬マンガを多く描くのは当時からの趣味が生きたというべきか。もう一つの趣味である風俗についてはここでは書くのは差し控えよう。小山氏は後日ここの事務の女性と結婚するが、当時はつき合っているとは誰も知らず、スタッフの一人がやめる時その女性に交際を申���込んだら、茶店に呼び出されて小山氏からと凄まれたと聞いたが嘘か本当かは不明。 ここでの生活は新入り[ダー松を含めて3名]は朝の9時前に会社に行き、タイムカードを押し、前日のごみをひとまとめして外に出し、トイレ掃除をして、16人分のお茶を2Fで入れて制作部のある3Fへの狭い階段をふらふら昇り、机ごとに置いて歩き、終れば、一息ついて買っておいたパンと牛乳を3分で食べて、やっとそれから仕事。しかし新入りの3名の内1人折茂は常に遅刻なのでいつも佐藤と2人でやっていた。佐藤も遅れる時はダー松1人で。辞めてから10年位、16人分のお茶を持って階段をふらふら歩きお盆をひっくり返す夢をよく見たものだが、実際ひっくり返したのは折茂と佐藤の2人で、よく茶碗を割っていた。 たまには夕方6時には帰れるが、普通は夜10時までで、アパートに帰って銭湯に行けばもう明日にそなえて寝る時刻、このくり返しの日々。週1日は徹夜で明け方に帰り、その時は当日の昼12時出勤。休日は日曜日のみで忙しい時はそれも取り消し。つまり休みは月3日。[これで給料2万円!]そんな日々の繰り返し。 夕方までは皆和気あいあいと仕事していたが、ゴリが夕方6時頃に「おはようさん」と現れると、全員無駄口がたたけなくなり、仕事場はシーンと静まり返り、以下その日が終わるまでは疲れる時間がただひたすら流れるのみ。 当時石川班は「ゴルゴ13」と「影狩り」を描いていたがゴリは主人公の顔と擬音のみ。マジックで最後に入れる擬音はさすがに入れる位置がうまいと感心。ゴルゴの顔はアルバムに大小取り混ぜてコピーがとってあり、忙しい時は叶氏がピンセットで身体に合わせて「これが合うかな~」といった感じで貼り付けていた。 その頃すでに「ゴルゴ」は近々終わると噂されていたが、現在もまだ続いているとは感嘆ものだ。 ゴリと石川氏が「ゴルゴ」の最終回の終わり方を話しているのを聞いたら、何ともつまらない終わり方。しかしあれから20年以上も経つ事だし、きっともっといい終わり方を考えてあるだろうなと思っていたら、先日TVで本人が最初から考えてある終わり方だと言うのを聞き、がっくり。企業秘密だろうから書かないが、作品の最初の方に伏線が数度出ているのでわかる人にはすぐわかる筈。 辞めた小池一夫氏とさいとうプロに何があったかは知らないが、漏れ聞く話では結構もめ事があったみたいだ。 「子連れ狼」で「ゴルゴ13」と同じ設定の回があった時、「小池のガキャー訴えたるー!」とゴリが吠えていたものだが、結局たち消��。さいとうプロ作品で脚本を書いた本人が辞めた後、他の作品で同趣向の作品を書いても著作権は脚本を書いた原作者のものだと思うがどんなものだろう。その回のタイトルは忘れたが、ある場所に居合わせた人々が��器を持った集団の人質となり、その中に素人だと思われていた主人公、実は殺しのプロフェッショナルがいて、次々とその集団を殺していく、といったプロットで、ミッキー・スピレーンの短編に同じような作品があり、本当に訴えていたら恥をかいたと思うが・・・。 そういえば事務の方には山本又一郎という男がいたが、後年映画プロデューサーとして 「ベル薔薇」や「太陽を盗んだ男」等を創る事になるが、この野郎が生意気な男で当時皆に対して10歳は年上、といった感じの振る舞いだったが後日俺と一つしか年が離れてなかった事を知り、そんな若造だったとは、と皆怒ったものだ。以来奴の事を「マタさん」から「クソマタ」と呼ぶようになる。 さて半年後に先輩たちが積もり積もった不満を爆発させる反乱事件が勃発し、2年は居るつもりでいたここでの生活も、辞めるか残るかの選択を迫られる。残ればさいとうプロの現体制を認める事となるので、ダー松も退社。 しかし反乱グループとは別行動をとって一人だけの肉体労働のアルバイター生活へ突入。超ヘビーな労働の製氷工場、人使いの荒い印刷所、命綱もない高所の足場で働く建設現場等々。トラックの助手をしていた時は運ちゃんが「本宮ひろしって知ってるか?うちの息子の友達でさぁ、昔、おっちゃんメシ食わしてくれーなんて言ってきたもんだが、今は偉くなっちゃってさー、自分のビル建てたらしいよ。赤木圭一郎みたいにいい男なんだ。」とうれしそうに話してくれたが、運ちゃんには悪いがそいつは今も昔も一番嫌いなマンガ家なんだ。あの権力志向はどうにかならんか。天下を取る話ばかりだもんなぁ。 ところで後日、単行本の解説で高取英が「さいとうたかをのヤローぶっ殺してやる!」とダー松が言ったなどと書いているが、小生はそんな危ない事言った覚えはないのでここできっちり訂正しておきます。 「会社に火ィつけてやる!」位は言ったかも・・・[嘘] 。 悪口は言っても別に怨みなど無い。ところでアシスタントとしてのダー松は無遅刻、無欠勤以外は無能なアシだったと反省しきり。理想的なアシスタントとはどんなものか、それはまた別の機会に。 *入社試験はどんな事を? *さいとうプロには当時ほとんどろくな資料は無かった? *ハイジャックの回の飛��機内部の絵は、映画「大空港」を社内カメラマンが映画館で写してきたものをもとに描く。 *当時のトーンは印刷が裏面にしてあり上からカッターでけずったり出来ない。 *トーンの種類は網トーンが数種、それ以外はほんの3、4種類位しかなかった。 *仕事中のB.G.M.はアシの一人が加山雄三ばかりかけるので大ひんしゅく。好評だったのは広沢虎造の浪曲「次郎長三国志」、初代桂春団次の落語。眠気もふっとぶ位笑えた。 ダ-松が岡林信康の「見る前に跳べ」をかけてるとゴリは「何じゃー!この歌は!」と怒る。名曲「私たちの望むものは」はこの男には理解不能。 ●1 9 7 1 ~ 1 9 7 4 持 ち 込 み & 実 話 雑 誌 時 代 当時は青年劇画誌全盛時代で、もともと望月三起也氏や園田光慶氏のファンで活劇志向が強く、 主にアクションもののマンガを描いて持ち込みに行っていた。今のようにマンガ雑誌が溢れかえって、山のようにマンガ出版社がある時代ではなく、数社廻るともう行くところがない、という状態で大手では「ビッグコミック」があっただけで 「モーニング」も「スピリッツ」も「ヤン・ジャン」も当然まだない。テーマを盛り込んだ作品を持って行くと編集から「君ィ、うちは商売でやっているんだからねぇ」と言われ、アクションに徹した作品を持って行くと「君ぃ、ただおもしろいだけじゃあねぇ」と言われ 「おい、おっさん!どっちなんだ?」とむかつく事多し。この辺の事は山のように書く事があるが、有りすぎるのでパス。 *そのうち書く事にする。 ただ金属バットで頭をカチ割って脳みそをぶちまけてやりたいような奴が何人もいたのは事実。今年[’97]「モーニング」に持ち込みに行って、断られた奴が何万回もいやがらせの電話をかけて逮捕された事件があったが、そのうちトカレフを持って殴り込みに行く奴が出てくるとおもしろい。出版社も武装して大銃撃戦だぁ!などと馬鹿な事書いてどうする!とにかく持ち込みにはいい思い出が何もない。そんな中、数本だけ載った作品は渡哲也の映画「無頼」シリーズの人斬り五郎みたいな主人公がドスで斬り合う現代やくざもの[この頃の渡哲也は最高!]、ドン・シーゲルの「殺人者たち」みたいな二人組の殺し屋を主人公にした『汚れたジャングル』、陽水の「傘がない」が好きだという編集さんの出したテーマで車泥棒とブラックパンサーの闘士とのロード・ムービー風『グッバイ・ブラザー』、拳銃セールスマンを主人公にした『ザ・セールスマン』、等々10本ちょい位。 さてその頃並行してまだエロマンガ専門誌といえるようなものがなかったような時代で、実話雑誌という写真と記事ページからなる雑誌に4~10ページ位を雑誌の味付けとして描かせてもらう。当時、お手本になるようなエロマンガなど皆無で、エロ写真雑誌を古本屋で買ってきてからみのポーズを模写。マンガで裸を描く事はほとんど初めてで、これがなかなか難しいのだがエロシーンを描くのは結構楽しい。当時出版社に原稿持って行き帰りにグラフ誌をどっともらって帰るのが楽しみだった。SM雑誌の写真ページも参考になる。なお当時のペンネームは編集部が適当につけた池田達彦、上高地源太[この名前はいけてます。また使いたい]等。その数年後、逆にマンガが主で記事が味付けというエロマンガ誌が続々と創刊される。 *さいとうプロをやめたあと編集や知人に頼まれて数人のマンガ家の所へ手伝いに行く。秋田書店「漫画ホット」で『ジェノサイド』を連載中の峰岸とおる氏の所へ行き、仕事が終わったあとまだ売れてない頃の榊まさる氏も交え酒を飲む/川崎のぼる大先生のところへ数日だけ/3000円たこ部屋/小山ゆうオリオンププロ *当時のアルバイトは記憶によると時給150~200円位/大日本印刷市ヶ谷駐屯地/坂/ *一食100円/どんなに貧しい漫画家もみかん箱の上で書くやつはいない/TV萩原サムデイ *ろくでなし編集者 ●1 9 7 5 ~ エ ロ マ ン ガ 誌 時 代 に 突 入 実話誌は意外とエロは抑え目で描くように口すっぱく言われていたのだが、以前活劇っぽい作品を描かせてもらってたが潰れてしまった出版社にいた児島さんが編集する「漫画ダイナマイト」で打合せも何にもなしに好きに描かせてもらい、ここでエロマンガ家としての才能[?]が開花する。描いてて実に楽しく眠る時間がもったいない位で、人に睡眠時間が必要な事を恨んだ程。出来る事なら一日中休まず描いていたい気分で完全にはまってしまう。 初の連載作品「屠殺人シリーズ」はこの頃から/『漫画ポポ』。中島史雄氏は大学時代にこの作品を見ていたとの事で、トレンチコートにドクター・ペッパー模様のサイレンサーつきマグナム銃で遊戯人・竜崎一也が犯しまくり殺しまくり、サディスト、マゾヒスト、殺人狂、まともな奴が一人も出てこない性と暴力の祭典。ちなみにタイトルページは描かないでいい、との事でどうするのかと思っていたら編集部が中のワンカットを拡大してタイトルページを創り、1ページぶんの原稿料をけちるというせこいやり方だった。けちるといえば、原稿の1/3にCMを入れる際、原稿料を1/3削った会社もあり。 ●1 9 7 6 ~ 後に発禁仲間となる高取英と出逢い、『長編コミック劇場』で「ウルフガイ」みたいのをやろうと、怒りに震えると黒豹に変身してしまう異常体質の主人公を設定し、獣姦のイメージで「性猟鬼」なるエロマンガをスタート!しかしその号で雑誌が潰れる。この路線は今でもいけそうな気がするがどんなものだろう。 この頃の珍品に「快楽痴態公園」がある。タイガースに11-0とワンサイドで打ちまくられ、怒ったジャイアンツファンのおっさんが公園でデート中の女をずこずこに犯りまくり、その間にジャイアンツは9回裏に12-11とゲームをひっくり返してしまうのである!その時のジャイアンツの監督はもちろんミスター長嶋、先発堀内、打者は柴田、土井、高田、王、張本等々がいる。タイガース監督は吉田、ピッチャー江本、キャッチャーフライを落球する田淵、そしてあの川藤もいる。解説は牧野…… ●1 9 7 7 ~ 上記2作品を含む初の単行本「肉の奴隷人形」が久保書店より発行。後にリングスの会場で逢った佐竹雅昭氏はこの本が一番好きとの事だった。 「闇の淫虐師」もこの年スタート。一話完結でバレリーナ、バトンガール等々、毎回いろんな女たちをダッチワイフのごとくいたぶりまくるフェチマンガとして1979年まで続け、単行本は「堕天使女王」「裂かれた花嫁」「エロスの狂宴」「陶酔への誘い」「終りなき闇の宴」の全5巻。ちなみに今年「闇の淫虐師’97」を『コミック・ピクシィ』にて発表。いつか『闇の淫虐師・ベスト選集』でも出したいところ。 [’98に実現、’99には続刊が出る] ●1 9 7 8 ~ 久保書店より第2弾の単行本「狂った微惑人形」。収録作品の「犯された白鳥」は持ち込み時代に描いた初のバレリーナもの。結構気に入っていた作品なのに、後年再録の際、印刷所の掃除のおばさんが捨ててしまい、この世にもはや存在しない不幸な子となる。[’99に宝島スピード・ブックに本より直接スキャンして収録] エロ、グロ、ナンセンスの会心作「恍惚下着専科」を発表。サン出版より同名の単行本発行。また同出版より「コミック・ペット/堕天使画集」として今までの作品を続々単行本化。全10巻位。これは今でも古本屋で流通しているとの事で、まだまだ世間様のお役にたっているらしい。 この年、「堕天使たちの狂宴」を描いていた『漫画エロジェニカ』が発禁処分、来年でもう20年目となる事だし、当時の人たちと集まってその大放談を��録し「発禁20周年特集号」でも創ってみようかと計画中。さて当時の秘話としてもう時効だろうから書いてみるけど、前述の『堕天使画集』に「堕天使たちの狂宴」は収録される事となり、当然修正をガンガン入れて出版されるものと覚悟していたら、米国から帰国後出来上がった本を見ると発禁になった状態のまま再録されている!以下桜木編集長との会話 ダ/いや~、いい度胸してますね。 編/だって修正してあるじゃない。 ダ/その修正状態で発禁になったんですよ 編/・・・・・ ダ/・・・・ 以下どんな会話が続いたのか失念…… それにしてもサドの「悪徳の栄え」の翻訳本は発禁後20年以上して復刻されたけれど、「堕天使たちの狂宴」は半年もしない内に単行本になっていたとはエロ本業界とは何といいかげんな世界!しかし作品そのものは、今見るとリメイクする気にもならないどうという事もない可愛い作品で、結局あれもあの時代の姑息な政治のひとかけらに過ぎなかったのだろう。いい点があるとしたら一つだけ、それまでのエロマンガになかった瞳パッチリの少女マンガ的ヒロインを登場させた事位か。今の美少女エロマンガは本家の少女マンガもかくや!という位眼が大きいが当時としては画期的だったかも。 ●1 9 7 9 ~ この年の「淫花蝶の舞踏」は「堕天使たちの狂宴」よりずっといい/『漫画ソフト』。今年出た「別冊宝島/日本一のマンガを探せ!」でベスト2000のマンガがセレクトされているが、ダー松の作品の中ではこの作品が選ばれている。教師と生徒、二人の女たちが様々な男たちの手によってに次々ともてあそばれ、闇の世界を転々として再び巡り会う時、女たちは蝶と化し水平線の彼方に飛び去り、男たちは殺し合い血の海の中で屍と化す。ダー松作品にはこのように男根が女陰の海に飲み込まれてに負けるパターンが多い。[性狩人、遊戯の森の妖精、美少女たちの宴、人魚のたわむれ・・等々] この年からスタートの「性狩人たち」シリーズ[劇画悦楽号]はバレエ、バイオレンス、SEXの三要素がうまくからみあい、それぞれが頂点まで達する幸福な神話的作品だ。ここから派生した路線も多く、美少年路線は’83の「聖少女黙示録」へ。身体障害者路線は’80の「遊戯の森の妖精」、’84からの「美姉妹肉煉獄」へと繋がる。’81の最終話「ハルマゲドンの戦い」ではせりふなしで24ページ全てが大殺戮シーンという回もあり、中でも一度やりたかった見開きで銃撃戦の擬音のみという事も実現。こんな事がエロマンガ誌で許される時代だった。ちなみにこの回は[OKコラルの決闘・100周年記念]だが、何の意味もない。単行本は最初サン出版より、その後久保書店より「白鳥���飛翔」「少女飼育篇」「ヘラクレスを撃て!」「眼球愛」「海の女神」の全5刊。現在入手出来るのは後の3刊のみ。[「海の女神」も最近在庫切れ] この年出た「人魚のたわむれ」の表題作は性器に{たこ}を挿入するカットを見た編集長が「・・・[沈黙]・・・頭おかしいんじゃ・・ブツブツ・・気違い・・・ブツブツ・・・」と呆れてつぶやいていたのを記憶している。たこソーニューは今年出た「夜顔武闘伝」で久しぶりに再現。なおこの作品は’83にマンガと実写を噛み合せたビデオの珍品となる。水中スローモーションファックがなかなかよい。 ●1 9 8 0 ~ なぜか「JUNE」の増刊として作品集「美少女たちの宴」がサン出版より出版され、その短編集をもとに脚本化し日活で映画が創られる事となる。[「花の応援団」を当てたこの映画の企画者・成田氏は日活退社後「桜の園」等を創る。]その際、初めて映画撮影所を見学し、せこいセットがスクリーン上ではきちんとした絵になってるのを見て映画のマジックに感心。タイトルはなぜか「性狩人」で、’96にビデオ化された。監督・池田敏春のデビュー第2作となり現在までコンスタントに作品を発表しているが、出来のいい作品も多いのになぜか代表作がない。初期の「人魚伝説」が一番いいか。 この映画に合わせて「美少女たちの宴」を2~3回のつもりで「漫画ラブラブ」で描き出すがどんどん話がふくらみ、おまけに描いてる出版社が潰れたり、雑誌が潰れたりで雑誌を転々とし条例による警告の嵐がきた「漫画大飯店」を経て、「漫画ハンター」誌上で完結したのは’83になる。この作品でクリトリスを手術してペニスのように巨大化させるという人体改造ものを初めて描く。 この年の「遊戯の森の妖精」は身体障害者いじめ鬼畜路線の第2弾!森の中の別荘に乱入したろくでなしの二人組が精薄の少女の両親達を虐殺し、暴行の限りをつくすむちゃくちゃな作品で、雷鳴の中、少女の性器に男達のペニスが2本同時に挿入されるシーンは圧巻!しかしこのとんでもない男達も少女の性のエネルギーに飲み込まれ、朽ち果てていく・・・。 ●1 9 8 1 ~ 美少女マンガ誌のはしり「レモン・ピープル」誌創刊。そこで描いたのが「白鳥の湖」。虚構の世界のヒロインを犯すというコンセプトは、アニメやゲームのヒロインをずこずこにするという今の同人誌のコンセプトと同じかも。バレエ「白鳥の湖」において悪魔に捕われたオデット姫が白鳥の姿に変えられる前に何にもされてない筈がないというモチーフにより生まれたこの作品は、悪魔に男根を植えつけられたヒロインが命じられるままに次々と妖精を犯して歩き悪魔の娘となるまでを描くが、あまり成功したとは言えない。ただ人形サイズの妖精をしゃぶりまくり淫核で犯すアイデ���は他に「少女破壊幻想」で一回やっただけなのでそろそろもう一度やってみたいところ。「ダーティ松本の白雪姫」はその逆をいき、犯す方を小さくした作品で7人の小人が白雪姫の性器の中にはいり、しゃぶったり、処女膜を食べたり、と乱暴狼藉![ちなみに両者をでかくしたのが同人誌「FUCK YOU!3」の「ゴジラVSジュピター」]この童話シリーズは意外と好評で続いて「ダーティ松本の赤い靴」を上記の単行本に描き下ろして収録。童話は結構残酷なものが多く、この作品も切られた足だけが荒野を踊りながら去って行くラストは原作通り。 *近年童話ブームだがこの頃もっと描いておけば「こんなに危ない童話」として刊行出来たのにとくやまれる。 「2001年快楽の旅」もこの本に収録。快楽マシーンを逆にレイプしてしまう、珍しく映画「2001年宇宙の旅」風のSF作品。 掲載誌を決めずに出来る限り多くのマンガ誌で描こうというコンセプトで始めたのがこの年スタートした「怪人サドラン博士」シリーズ。「不死蝶」シリーズや「美少女たちの宴」シリーズの中にも乱入し、「漫画ハンター」最終号では地球をぶっ壊して[その際地球は絶頂の喘ぎ声をあげ昇天する!]他の惑星へ行ってしまう。今のところ10誌位に登場。いつかこのサドラン・シリーズだけ集めて単行本化したいところ。ちなみに「サド」と「乱歩」を足して「サドラン博士」と命名。作者の分身と言っていい。 [後年、「魔界の怪人」として全作品を収録して刊行、04年現在品切れ中] この年描いて’82の単行本『妖精たちの宴』に収録の「とけていく・・」はレズの女たちが愛戯の果てに、肉体が溶けて一匹の軟体動物と化す、タイトルも内容も奇妙な作品。作者の頭もとけていた? ●1 9 8 2 ~ 1 9 8 3 ’83年に「美少女たちの宴」が完結。全てが無に帰すラストのページは真っ白のままで、このページの原稿料はいりません、と言ったにもかかわらず払ってくれた久保書店、偉い![明文社やCM頁の稿料を削った出版社=某少年画報社なら払わなかっただろうな……と思われる……]この作品以外は短編が多く、加速度をつけてのっていく描き方が得意のダー松としてはのりの悪い時期に突入。また10年近く走ってきてだれてきた頃でもあり第一次落ち込み期と言っていい。マンガがスタンプを押すように描けないものか、などとふとどきな考えまで湧いてくる。思えば一本の作品には、いったい何本の線を引いて出来上がっているものなのか。数えた馬鹿はいないだろうが数千本は引いている筈。一ヵ月に何万本とペンで線を引く日々・・うんざりする筈です。 この頃のめぼしい短編をいくつか書くと、少女マンガ家の家に税務調査にきた税務署員が過小申告をネタにねちねちいたぶるが、アシスタントに発見された署員は撲殺される。そして板橋税務署は焼き討ちにあう、といった作品「[タイトル失念]xx税務調査」。[後日読者よりこのタイトルを「色欲ダニ野郎」と教えていただく。ひどいタイトル *編集者のつけるタイトルはその人のセンスが実によくわかる。しかしサイテ-の題だなこりゃ…。 果てるまで「おまんこして!」と言わせながら処女をやりまくる「美処女/犯す!」はラスト、狂った少女が歩行者天国の通行人を撃ちまくり血の海にする。「嬲る!」はパンチドランカーとなった矢吹ジョーが白木葉子をサンドバッグに縛りつけ、殴って、殴って、殴りまくる。段平おっちゃんの最後のセリフ「・・ブスブスくすぶっちゃいるが・・・」「打てッ!打つんだ!ジョー!」「お前はまだ燃えつきちゃいねえ!」とはエロ・ドランカーの自分自身に向けて発した言葉だったのかも。トビー・フーパーばりの「淫魔のはらわた」は電気ドリルでアナルを広げてのファック!とどめにチェーンソーで尻を切断!いまだに単行本に収録出来ず。[’98の「絶頂伝説」にやっと収録]「からみあい」は夫の愛人の性器を噛みちぎる。「危険な関係」はアルコール浣腸をして火をつけ尻から火を吹かせる。この手は『FUCK YOU!2』の「セーラー・ハルマゲドン」で復元。そういえばこの作品の序章と終章だけ描いて、間の100章位をとばすやりかたはこの頃の「禁断の性獣」より。女性器にとりつき、男性器に変身するエイリアンの侵略により地球は女性器を失い滅亡する、といったストーリーで当時聞いた話では谷山浩子のD.J.でこの作品がリスナーの投書でとりあげられ、ダー松の名はダーティ・杉本と読まれたそうな。ヒロインの少女がひろ子という名前なのでこのハガキが選ばれたのかもしれないが、作者は薬師丸ひろ子からとったつもりだったのだが・・。[別にファンではない。] 「女教師狩り」は映画館で観客に犯される女教師とスクリーン上の同名のエロ映画の二本が同時進行し、一本で二本分楽しめるお得な作品。 ’83は’80に「漫画エロス」にて描いた「エロスの乱反射」の最終回の原稿が紛失したため単行本が出せないでいたのを、またまた「仏の久保さん」に頼んでラスト近くをふくらませて「漫画ハンター」に3回程描かせてもらい、やっと’85に出版。見られる事に快感を覚えるファッション・モデルが調教される内に、次第に露出狂となっていき、街中で突然裸になって交通事故を起こさせたり、最後はビルの屋上でストリップショー。そしてカメラのフラッシュの中に飛び降りていき、ラスト1ページはその性器のアップでエンド! 本格美少年・ゲイ・マンガ「聖少女黙示録」も’83。レズの姉たちの手によって女装に目覚���た少年がホモのダンサーたちに縛られなぶられ初のポコチンこすり合いの射精シーン。そして性転換して女となった主いるが、その中の’84の「白い肌の湖」はタイトルで解る通りのバレリーナものだがポコチンを焼かれた男が、一緒に暮ら人公が手術で男になった少女と暮らすハッピーエンド。この作品は単行本「美少女ハンター」に収録されてす二人の女と一人の男に復讐するエンディングがすごい!まず男の性器を切り取り、片方の女の性器にねじ込んだあと、その女の性器ごとえぐり取る。そしてその二つの性器をつかんだまま、もう一人の女の性器にフィストファック!のあげく、その二つの性器を入れたままの女性器をナイフでまた切って、ほとんどビックマック状態でまだヒクヒクうごめく血まみれの三つの性器を握りしめるとんでもない終り方!全くダー松はこんな事ばかりやっていたのかとあきれかえる。もう鬼畜としか言い様がない!しかし「ウィンナー」を二枚の「ハム」で包むなんて・・GOODなアイデアだ、又やってみよう。 ●1 9 8 4 ~ 「漫画ハンター」で「闇の宴」前後篇を描き、後日これをビデオ化。雪に包まれた六本木のスタジオで痔に苦しみながらの撮影。特別出演として中島史雄氏が絶妙の指使い、東デの学生時代の萩原一至が二役、取材に来たJITAN氏もスタジオに入ってきた瞬間、即出演で生玉子1000個の海で大乱交。カメラマンが凝り性で照明が気に入るまでカメラを廻さず、たった二日の撮影はやりたい事の半分も出来ず。撮影が終ると痔はすぐに完治。どうもプレッシャーからくる神経性だったみたいでこれに懲りてビデオは一本のみ。 この年の「肉の漂流」は親子丼もので、近所の書店のオヤジからこの本はよく売れたと聞いたが、一時よく描いたこのパターンは最近では「FUCK YOU!3」の「母娘シャワー」のみ。熟女と少女の両方が描けるところが利点。「血の舞踏」は久しぶりの吸血鬼もの。股間を針で刺し、噛んで血を吸うシーン等々いい場面はあるが、うまくストーリーが転がらず3回で止める。短編「果てるまで・・」は核戦争後のシェルターの中で、父が娘とタイトル通り果てるまでやりまくる話。被爆していた父が死んだ後、娘はSEXの相手を捜して黒い雨の中をさまよう。 またリサ・ライオンの写真集を見て筋肉美に目覚め、マッチョ女ものをこの頃から描き出す。しかしなかなか筋肉をエロティックに描くのは難しい。 ●1 9 8 5 ~ くたびれ果ててすっかりダレてきたこの頃、8年間働いてくれたアシスタント女史に代わってパワーのかたまり萩原一至、鶴田洋久等が東京デザイナー学院卒業後加わってダーティ・マーケットも第2期に突入!新旧取り混ぜておもしろいマンガをいろいろ教えて貰って読みまくる。「バリバリ伝説」「ビーバ��プハイスクール」「ペリカンロード」「めぞん一刻」「わたしは真悟」「Be Free!」「緑山高校」「日出処の天子」「吉祥天女」「純情クレイジー・フルーツ」「アクター」「北斗の拳」「炎の転校生」「アイドルをさがせ」「綿の国星」「いつもポケットにショパン」「バツ&テリー」「六三四の剣」永井豪の絶頂期の作品「バイオレンス・ジャック」「凄之王」「デビルマン」等々100冊以上とても書ききれない位で、う~ん・・マンガってこんなにおもしろかったのか、と感動! そこで眠狂四郎を学園にほうり込んで、今まであまり描かなかった学園マンガをエロマンガに、というコンセプトで始めたのが「斬姦狂死郎」。「六三四の剣」ばりに単行本20巻を目指すものの、少年マンガのノリは今では当たり前だが、当時はまだエロマンガとして評価されず、ほんの少し時代が早すぎたかも。’86に中断、今年’97に「ホリディ・コミック」にて復活!果たしていつまで続けられるか? →後に「斬姦狂死郎・制服狩り」、「斬姦狂死郎・美教師狩り」として刊行完結 前年末から始めた「美姉妹肉煉獄」は身障者いじめの鬼畜路線。盲目の姉とその妹を調教して性風俗店等で働かせ、娼婦に堕していく不健全・不道徳な作品で、肉の快楽にひたっていく盲目の姉に対し妹も「春琴抄」の如く己の眼を突き、自らも暗黒の快楽の世界にはいり、快楽の光に目覚めるラスト。 また、これからは女王様物だ!となぜか突然ひらめき「筋肉女」シリーズの延長としてフィットネス・スタジオを舞台に「メタル・クイーン」シリーズも開始。これは単行本2冊分描いたが、連載途中でヒロインの髪型を歌手ステファ��ーのヘア・スタイルにチェンジしたり、レオタードもたっぷり描けてわりと気に入っている。 10年近く描いた「美蝶」先生シリーズもこの年スタート!こうしてみるとマンガを描く喜びに満ちた大充実の年だったかも。 ●1 9 8 6 ~ この年は前年からの連載ものがほとんどだが、「エレクト・ボーイ」は空中でファックするシーンが描いてみたくて始めた初の超能力エロマンガ。コメディ的要素がうまくいかず2回で止める。この路線は翌年の「堕天使輪舞」で開花。 「夜の彷徨人」は自分の育てた新体操選手が怪我で選手生命を失ったため、その女を馬肉のごとく娼婦として夜の世界に売り渡した主人公という設定。しかし腕を折られ、女にも逆に捨てられ、そして事故によってその女を失ったあげく不能となってしまう。失った快楽を取り戻すため無くした片腕にバイブレーターを取りつけ、夜の街をさすらい次々と女たちをレイプしていくというストーリー。がっちり設定したキャラだったのにまったく話がはずまず、男のポコチンは勃起しないままに作品も���発のまま終る。 「斬姦狂死郎」が不本意のまま終わったため学園エロス・シリーズは「放課後の媚娼女」へと引き継がれる。当時見ていた南野陽子のTV「スケバン刑事・」とS・レオーネの「ウエスタン」風に料理。ラストの「男といっしょじゃ歩けないんだ」のセリフは一番好きな映画、鈴木清順の「東京流れ者」からのもじり。単行本は最初司書房から出て、数年後ミリオン出版から再販、そして’97久保書店より再々販ながら結構売れて今年また再版。この作品は親を助けてくれる有難い孝行息子といったところ。 ●1 9 8 7 ~ さいとうプロOBで那珂川尚という名のマンガ家だった友人の津田が「漫画ダイナマイト」の編集者になっていて、実に久しぶりに同誌で「堕天使輪舞」を描く。超能力エロマンガの第2弾。今回はエロと超能力合戦とがうまくミックスされ一応成功といっていい。この路線は「エレクト・ボーイ」とこの作品、そして’96の「夜顔武闘伝」も含めてもいいかも。一時、この手の作品は数多くあったが最近はめったに見かけない。しかし、まだまだこの路線には鉱脈が眠っているとにらんでいるがどんなものだろう。 ●1 9 8 8 ~ 「放課後の媚娼女」に続いて抜かずの凶一無頼控え「放課後の熱い祭り」を2年がかりで描く。’89に完結し司書房より単行本化。そして今年’97に改定してめでたく完全版として復刊!この頃が一番劇画っぽい絵で、たった2~3人のスタッフでよくこれだけ描き込めたなと改めて感心!エロシーンがちょっと少なめながら中島史雄氏がダー松作品でこの作品が一番好き、とお褒めの言葉を頂戴する。 TVで三流アマゾネス映画を見ている内、むくむくとイメージがふくらみ、昔から描きたかった西部劇と時代劇がこれで描けると、この年スタートさせたのが「不死蝶伝説」なるアマゾネス路線。昔々青年誌の創世期にあのケン月影氏がマカロニ・ウエスタンを描いていたことを知る人は少ないだろう。俺もあの頃デビューしていたらウエスタンが描けたのに、と思う事もあったが、このシリーズでほんの少しだけその願望がかなう。 この頃、アシスタントやってくれてた格闘技マニアの鶴田洋久に誘われ、近所の空手道場通いの日々。若い頃修行のため新宿でやくざに喧嘩を売って歩いたという寺内師範は、もう鬼のような人で、行けば地獄が待っていると判っててなぜ行く?と不思議な位休まず通う。体育会系はマゾの世界と知る。組手は寸止めではなく顔面以外は当てて可だったので身体中打撲のあざだらけ、ビデオで研究したという鶴田の体重をかけたムエタイ式の蹴りをくらい、右手が饅頭のように腫れ上がる。先輩たちの組手の試合も蹴りがもろにはいってあばら骨が折れたりで、なぜこんなヘビーな事をする?と思うが、闘う事によって身体の奥から何か沸き上がってくるものがある。スリランカの元コマンドと組手をやった時、格闘家の気持ちが少しだけ判るよう��なった。 ●1 9 8 9 ~ ’94まで続く「美蝶」シリーズでこの年は『ノスフェラトウ篇』を描き、シリーズ中これが一番のお気に入り。同人誌の「王夢」はこれが原点。 短編では「悪夢の中へ」はスプラッタ・エロマンガで久しぶりにチェーンソゥでお尻のぶった切り!はらわた引きずり出し、人肉食いちぎり!顔面叩き割り等々でラストに「ホラービデオの規制をするバカは俺が許さん!」などと書いているので、この年が宮崎事件の年か?世間は彼が日野日出志・作のホラービデオ「ギニーピッグ」を見てあの犯罪をおかした、としてさんざんホラービデオの規制をやっといて、結局見てもいなかったとわかったあとは誰一人日野日出志氏にもホラービデオさんにも謝らす゛知らんぷり。残ったのは規制だけで、馬鹿のやる事には全く困ったもんである。先日の「酒鬼薔薇・14才」の時も犯罪おたくの心理学者が、「これはマンガやビデオの影響です。」などと相も変わらずたわけた寝言をぬかしていたが、馬鹿はいつまでたっても馬鹿のまま。少しは進歩しろよ!お前だよ、お前!短絡的で幼稚な坊や、小田晋!よぅく首を洗っとけ!コラ! 「獣人たちの儀式」は退学者や少年院送りになつた生徒、暴走族、ヤクザ達が集まって酒盛りしながら女教師たちをずこずこにしてOB会をひらく不健全作品。編集長が「また危ない作品を・・・」とこぼしたものだが、岡野さん、田舎で元気にお過しでしょうか。この頃の「漫画エロス」には「ケンペーくん」だとか「アリスのお茶会」だとかおもしろい作品が載っていたものです。「爆走遊戯」は伝説のストーカー・ろくでなしマンガ家の早見純が一番好きな作品と言ってくれたが、なぜだかわからない。人の好みはいろいろです。以上3本は単行本「熱き唇の女神」に収録。 「ふしだらな女獣たち」はフェミニストの女二人が美少年をいじめる話。これは「氷の部屋の女」に収録。 ●1 9 9 0 ~ この年の「美蝶」シリーズは『ダンシング・クイーン篇』。マネキン工場跡でJ・ブラウンの「セックス・マシーン」にのせて5人プレイをするシーンや文化祭でのダンスシーン等々結構好きな場面多し。暗くて硬い作品が多いので、この「美蝶」シリーズは肩肘張らずに、かなり軽いノリでキャラクターの動きに任せて、ストーリーも、そして次のコマさえも先の事は何にも考えず、ほとんどアドリブで描いた時もある。 「不死蝶伝説」に続いてシリーズ第2弾「不死蝶」は2誌にまたがって2年位続ける。これも結構お気に入りの一遍。 ●1 9 9 1 ~ 1 9 9 3 「性狩人たち」の近未来版、といった感じの「夜戦士」は学園物が多くなったので、マグナム銃で脳天をぶっとばすようなものが又描きたくなって始めたミニシリーズ。全5話位。松文館より単行本「黒い夜と夢魔の闇」に収録。 この年から知り合いの編集者がレディス・コミックを始める人が多く、依頼されてどうしたものかと思ったが、エロなら何でもやってみよう精神と何か新しい世界が開けるかも、という事から’94位までやってみたものの結果的に不毛の時代に終わる。与えられた素材が体験告白物という事で、非現実的なものは描けないという事は得意技を封印して戦うようなもので苦戦を強いられ、これって内山亜紀氏がやまさき十三原作の人情話を描いたようなミス・マッチングで不発だったかな。今後、もしやることがあれば美少年SMのレディス・コミックのみ。そんな雑誌が出来れば、の話だが。 いくつかやったレディコミの編集の一人「アイリス」の鈴木さんは同じさいとうプロOBで、マンガ・アシスタント、マンガ家、マンガ誌の編集、そして今はマンガ学校の講師、とこれだけ多くのマンガに関わる仕事をしてきた人はあまりいないだろう。これでマンガ評論でもやれば全て制覇だが・・・。 この頃はいつもと同じ位の30~40本の作品を毎年描いていたが、レディコミは一本30~40枚とページが多く結構身体にガタがきた頃で、右手のひじが腱傷炎になり1年以上苦痛が続く。医者通いではさっぱり痛みがひかず、電気針で針灸治療を半年位続けてやっと完治。その後、住んでいたマンションの理事長を押しつけられ、マンション戦争の渦中に巻き込まれひどい目にあう。攻撃するのは楽だが、話をまとめるなどというのは社会生活不適格のダー松には大の苦手で「お前等!わがままばかり言うのはいいかげんにしろー!」と頭をカチ割りたくなるような事ばかりで、ひたすら我慢の日々で血圧がガンガン上がり、病院通いの日々。確実に寿命が5年は縮まる。あの時はマジで人に殺意を抱いたものだが、今でも金属バット持って押しかけて奴等の脳みそをクラッシュしたい気分になる時もある。いつかこの時の事をマンガにしようと思っていて、まだ誰も描いてない「マンション・マンガ」というジャンル、タイトルは「我が闘争」。え?誰も読みたくない? この間に出た単行本は「血を吸う夜」、「赤い月の化身」「熱き唇の女神」[以上・久保書店] /「牝猫の花園」「真夜中の人魚たち」[以上久保書店]、「美蝶/放課後篇」「美蝶/ダンシング・クイーン篇」「不死蝶/鋼鉄の女王篇・上巻」[以上ミリオン出版]。 ●1 9 9 4 ~ 1 9 9 5 ろくでもない事が続くのは厄払いをしなかったせいか、このままここにいたら頭がおかしくなる、と15年以上いたマンションから引っ越し。板橋から巣鴨へ移動し気分一新!以前からうちもやりましょうよ、と言われていた同人誌創りをそのうち、そのうちと伸ばしてきたものの遂に申し込んでしまい、創らざるをえなくなる。しかもそれが引っ越しの時期と重なってしまい大いに後悔する。しかしいろんな人にお願いして何とか一冊でっちあげ、ムシ風呂のような夏コミに初参加。これが運命の分岐点。レディコミもこの年で切り上げ、以下同人街道をまっしぐら。現在まで「FUCK OFF!」が9まで、「FUCK YOU!」が4まで計10+&冊創る。 ’95からダーティ松本の名前にも飽きてきたしJr,Sam名でも描き始める。 レディコミ時代は松本美蝶。あと2つ位違うペンネームも考案中。 この間の単行本「氷の部屋の女」「双子座の戯れ」[久保書店]、「黒い夜と夢魔の闇」[松文館]、「危険な女教師/美蝶」[ミリオン] ●1 9 9 6 ~ 美少女路線の絵柄もこの年の「夜顔武闘伝」あたりでほぼ完成、今後また少し変化させる予定。しかしこの作品は超能力、アマゾネス、忍法エロマンガとでも呼ぶべきか。「グラップラー刃牙」みたいに闘技場での勝ち抜き性武道合戦までいきたかったけれど、残念ながらたどり着けず。 「冬の堕天使」は久しぶりの吸血鬼もの。都営住宅で生活保護をうけている吸血鬼母子のイメージが浮かび、そこから漫画家協会・加藤芳郎を撃つ有害図書騒動のマンガへ。吸血鬼少年が光の世界との戦いに旅立つまでを描き、「闇に潜みし者」は時空を越えて近未来での戦い。その間を描く作品を今後創らなければ。 「FUCK CITY 2006」はクソ溜めと化した近未来のTOKYOを舞台に久しぶりにダーティ・バイオレンスが炸裂!ハード・エロ劇画と同人誌風・美少女路線の合体は果たしてうまくいったかどうか?30ページほど描き足して、’97、9月にフランス書院のコミック文庫にて発売。[「少女水中花」] 「放課後の媚娼女」と「人形愛」刊行。[いずれも久保書店刊]前者は以前、上下巻だったのを一冊にまとめて。後者は近作を集めた同人時代を経ての初単行本で、同人誌を知らなかった読者はショックを受ける。メタルフアンから以下のようなお手紙を受け取る。「これはジューダス・プリーストの『ターボ』だ。ラストの『眠れる森の少女』は『レックレス』にあたる。しかしジューダスもその後『ラム・イット・ダウン』や『ペイン・キラー』という傑作を世に出した事だし、今後を期待したい」という意のダー松のようなメタルファン以外は意味不明の激励をうける。 ●1 9 9 7 同人誌「エロス大百科シリーズ」スタート!いろんな項目別に年2刊づつ計100ページ位を別刊シリーズとして出し続ければ10年で1000ページになり、以前「谷岡ヤスジ1000ページ」という枕に最適の本があったが、これも一冊にまとめて枕にして寝れば、目覚める頃は3回夢精しているなんて事に・・・などとまだたった40ページの段階で言っても何の説得力もないか。飽きたら2~3号でSTOPするだろうし・・。[推測通り「毛剃り」「美少年SM」「女装」3号でストップ中]冬にはやおい系にも進出の予定。 今年出した単行本は厚くて濃いエロマンガを集めた久保書店MAXシリーズ第2弾!「放課後の熱い祭り/完全版」と「夜顔武闘伝」オークラ出版。ともに大幅描き足して25周年記念出版として刊行。ティーツー出版よりJr,Sam名で「昼下がりの少女」、9月にはフランス書院より「少女水中花」の文庫本が出る予定で現在、この同人誌と並行して描き足し中。「斬姦狂死郎」第2部も「ホリディ・COMIC」誌にて6月よりスタート!年内創刊予定の『腐肉クラブ』なる死体姦専門のマンガ誌にも執筆予定。 さてさて25年��、旅行の時を除いて、現在まで2日続けてマンガを描かなかった事はほとんどない。これはその昔、伊東元気氏というマンガ家とお会いしたとき「今月何ページ描いた?」との問いに、「今月仕事ないんでぜんぜん描いてません」と答えたら、「そんな事じゃ駄目だ。仕事があろうがなかろうが、毎月100頁は描かなきゃ。」と言われ、以後その教えを守り[描けるページ数は減ったが]、マンガは仕事ではなくなり、朝起きたら顔を洗うのと同じで生活そのものとなり現在に至る。 今は何でも描けそうなハイな状態で、以前はたまには外出しないと煮詰まってしまうので週いち位ガス抜きをしていたものだが、最近はせいぜい月いち休めば十分の「純エロマンガ体」。[純粋にエロマンガを描くためだけの肉体、の意。ダー松の造語] こうしてふり返ると、この路線はまだえぐり足りない、これはあと数回描くべし、なぜこれを一度しか描かない!等々、残り時間にやるべき事、やりたい事の何と多い事! 爆裂昇天のその日まで・・・ 燃 え よ ペ ン ! なお続きは 1997年後期 1998年 INDEX
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事実を知らしめることが親善に
豊田有恒(作家)
愛国の一方で政府批判
このところ、韓国の反日が常軌を逸したものになっている。いわゆる従軍慰安婦の問題は、日本の巨大新聞が、その強大な影響力を行使した結果、世界中にまき散らされた虚構なのだが、いわば韓国との連携のもとで、拡大した側面も見逃せない。
明らかに、韓国��、変わってきている。なぜなのだろうか? 私は、1970年代の初頭から、韓国へ通い始め、韓国語も学び、多くの著書を上梓してきた。しばしば、親韓派と目されてもきた。弁解になるが、これには、理由がある。70年代の当時、例の巨悪の源泉である新聞社は、北朝鮮一辺倒だったのである。今日では考えられないことだが、北朝鮮を「地上の楽園」と美化し、相対的に韓国を独裁政権と規定し貶(おとし)めてきたのである。
私は、もともと、小説家であり、思想的な背景はない。韓国へ行くようになったきっかけは、小説の取材のためでしかなかった。韓国は、あの新聞社が報じるように、独裁政権の国だと思いこんでいた。これは、おおかたの日本人の当時の平均的な理解だったろう。なにしろ、良心的と目されていた大新聞が、北朝鮮への帰国事業などを後援し、後にノーベル賞を受賞する有名作家や、国際無銭旅行で大ベストセラーを出した評論家などが、すっかり賛同しているのだから、実際に韓国へも北朝鮮へも行ったことのない人間は、そうだと信じこむしかなかった。
しかし、韓国へ通ううちに、日本の報道が、おかしいのではないかと、うすうす思いはじめた。三十代はじめで若かったせいだろう、フットワークが良かったから、取材目的の古代遺跡のほかにも、あちこち歩きまわる。ディスコで知り合ったディスクジョッキーをやっているという同年輩の韓国人と意気投合したが、この男、どこでも政府批判ばかり口にする。こちらが、心配になって、周囲を見回したほどだった。日本では、KCIA(韓国中央情報部)の悪行ばかりが報道されていたから、言論の自由はないという先入観にとらわれていたが、こうした報道が、変ではないかと感じはじめた。
また、一方では、政府批判もするが、この男、愛国心を口にする。ディスクジョッキーという軟らかい職業の男が、愛国心を口にすることに、違和感も持ったが、やや羨ましくもあった。当時、日本のマスコミは、左翼デマゴーグに牛耳られていたから、愛国心などと言えば、右翼と間違われかねないような風潮が、蔓延していた。しかし、韓国では、こうした言説は、この男だけではなかった。あちこちで、北朝鮮に偏している日本の報道がおかしいとする、多くの韓国人の批判を耳にするようになった。また、必ず日本に追いついて見せるという、愛国心をむき出しにした意見にも接した。
韓国の実情紹介に誹謗中傷
韓国語が判るようになると、行動範囲も広がってくる。こうした韓国人が、KCIAに監視されているから、点数かせぎに愛国心を口にしていたわけではないと、だんだん判ってきた。バイク・カーマニアだったので、現代(ヒョンデ)自動車(チャドンチャ)や大林産業(テーリムサノプ)のシ��ールームに足を運んで、韓国の自動車・バイク事情に関心を持ちはじめた。
日本で報道されるような「暗く抑圧された独裁国」といったイメージでないことが、しだいに判ってきた。日本で、しばしば誤解されていることだが、反日の激しさから、韓国人に険しいイメージを持つ日本人が多い。一面では当たっていないこともないが、日常の生身の韓国人は、妙になれなれしく陽気で人懐(ひとなつ)こい。
あの大新聞は、「暗く抑圧された独裁国」という疑似イベントを売りまくって、北朝鮮を美化し、韓国を貶める方向へ、日本国民をマインドコントロールしていたのだ。
韓国では、確かに日本より言論の自由が制限されていた。しかし、それは、金日成の個人崇拝による究極の独裁国家である北朝鮮と対峙するためであり、ある程度は強権政治を敷くしかなかったのである。当時、韓国では「誤判(オバン)」という表現が、しばしば使われていた。韓国国内が混乱していると見てとり、好機とばかりに北朝鮮が南進に踏み切るのではないかというわけだ。つまり、北朝鮮に誤判させないように、常に国内を安定させておかなければならなかったのだ。全ての韓国人が、ほん(・・)もの(・・)の(・)独裁国家である北朝鮮を恐れていたからだ。
こうした韓国の実情を、広く知らせたくなった。小説家という職業柄、書くメディアには、事欠かない。小説家の仕事ではないという躊躇(ためら)いもあったが、最初のノンフィクションとして「韓国の挑戦」(祥伝社)を上梓したのが、昭和53(78)年のことだった。書評では、これまでの日本の対韓認識を一変させたとまで、評された。当時の私には、巨悪と戦おうなどという大それた問題意識は、まったくなかった。
だが、ベストセラーにはなったものの、あれこれ、雑音が耳に入ってきた。この問題が、当時のマスコミ界では、タブーになっていると知ったのは、発売されてからだった。つまり、ほんとうのことを言ってしまったため、このタブーに抵触した。期せずして、あの大新聞と言う虎の尾を踏んでしまったわけだ。
朴政権に買収されている―は、まだしも上品なほうで、韓国に愛人がいるとか、韓国成り金だとか、いろいろ悪罵を聞かされることになった。そこで、子供たちもつれて、一家5人で毎年夏休みに韓国へ遊びにいき、印税を使い果たした。
日韓のため尽くした金思燁氏
あの大新聞が主導して、日本人を親北朝鮮、反韓国という方向へ誘導していたわけだが、最近は、かつての報道姿勢が嘘だったかのように、あの大新聞は、北朝鮮を賛美するようなこともなくなり、いつのまにか北朝鮮への批判を、臆面もなく展開するようになった。
それどころか、70年代当時あれほど嫌っていたはずの韓国に過剰に感情移入し、悪いのは全て日本人式の報道姿勢で、虚構に基づく従軍(・・)慰安婦(・・・)なる疑似イベントを垂れ流す始末である。多分、従軍(・・)慰安婦(・・・)報道についても、いったん非を認めたものの、真剣に謝罪するつもりなどなく、なし崩し的に、鉄面皮を決め込んで、風当たりが収まるのを待っているのだろう。
実際、当時、私は、韓国人の魅力にハマってもいた。日本人のように、控え目でなく、陽気に自己主張する姿勢が、一度も宮仕えしたことのない私のような一匹オオカミの作家には、波長が合っていると錯覚したせいでもある。
当時、知り合った韓国人のなかには、私の終生の師と仰ぐ人も、少なくなかった。東国大学の金思燁(キムサヨプ)先生とは、シンポジウムの席で知り合った。日韓バイリンガルの世代的な体験から、「日本書紀」「万葉集」を韓国語に、「三国(サムグク)史記(サギ)」「三国遺事(サムグンニュサ)」を日本語へ翻訳され、日韓古代史の研究におおいに貢献され、また、東国大学に日本学研究所を設立され、初代所長として、日本研究を韓国に定着させた功績は、おおいに評価されるべきだろう。
金先生に招かれ、東国大学で講演したこともある。最初、韓国語で話しはじめたのだが、見るに見かねて、助け船を出してくださったのは、先生の優しさだった。私のほうも、日本人を知る方々が物故して、日本語スピーカーが減っていることに危惧を覚え、毎年、拙著も含めた文庫本を教材として日本学研究所へ寄贈し、日韓親善に努めたものである。金先生は、私のささやかな協力に、研究所からの表彰という栄誉で応えてくださった。ほんとうに尊敬できる立派な方だった。
また、在日の人では、作家の故・金(キム)達(ダル)寿(ス)さんとは、古代史の会を通じて、親しくしていただいた。「日本の中の朝鮮文化」は、十数巻にわたる大著だが、日本全国に足を運んで、いわばライフワークとして書かれる際、金さんが自分に課していたことが、ひとつだけあった。韓国・朝鮮人の書いたものは、絶対に引用しないことだった。韓国・朝鮮人の書いたものなら、例の剣道の起源の捏造のように、なんでも朝鮮半島から渡来したと、こじつける文献が、いくらでも見つかるだろう。
おそらく、金さんは、韓国・朝鮮人の書いた文章を引用したいという誘惑に駆られたこともあったにちがいない。しかし、日本人が書いたものしか引用しないと、いわば、痩せ我慢のように、心に決めていたのだ。
金達寿さんとは、酒を呑んだり、旅行したり、また拙著の解説をお願いしたりしたこともある。艶福家で豪快な人だった。
今に伝わらぬ統治のプラス面
時の政権を批判して、亡命同様に日本へ渡り、「コリア評論」を主宰されていた金三(キムサム)圭(ギュ)さんとも、知り合った。何度か、同誌をお手伝いした記憶がある。金さんは、東亜(トンア)日報(イルボ)の主筆の体験を生かして、当時は画期的だったクロス承認方式を提唱して、健筆を奮っておられた。南北朝鮮の対立状況を解消するため、中ソ(当時)が韓国を、日米が北朝鮮を、それぞれ承認することによって、平和を担保するというアイデアだった。
しかし、その後の経緯を考えれば、中露は韓国を承認したが、日米は、北朝鮮と国交を持たないままである。あの当時は、かの大新聞の陰謀で、日本では伏せられていたが、北朝鮮という史上かつてない独裁国家の実像と戦略が、今や全世界で周知のものとなったからである。
例の大新聞は、韓国を独裁国家と決めつけて、あれこれ捏造報道を繰り返したが、まもなく馬脚をあらわすことになった。あまり、褒められた話ではないのだが、不純な動機ながら、多くの日本男性が、韓国を訪れるようになり、本物の韓国を実際に目で見るようになったからだ。
今も変わらぬ売春大国は、当時から有名だったのだ。空港などでは、団体旅行の男たちが、昨夜の女がどうのこうのと、聞えよがしに話しているのは、同じ日本人として、気が引ける思いだった。当時は、日本世代の韓国人が健在だったから、日本語を理解できる。あまりの傍若無人さに、舌打ちをしながら、露骨に「ウェノム」だの「チョッパリ」だの、差別用語を口にしている韓国人も、珍しくなかった。こうした日本人は、韓国語が判らないから、差別用語で呼ばれても、判らないのだから、おめでたい話だ。
しかし、不純な動機から訪韓しようと、実際の韓国を見てくれば、韓国が制限付きながら、自由主義の国だと判る人が増えてくる。とうとう、例の大新聞も、疑似イベントのような韓国=独裁国家論を、引っ込めるしかなくなったようである。
免税店などでは、日本世代の年配の女性が、若い人に日本語を教えているケースもあった。何度か訪れ、親しくなると、世間話のようなこともするようになる。さる女性は、つい最近(当時)、女学校の同窓会を行なったところ、多くの同窓生が日本から駆けつけてくれたと、嬉しそうに話してくれた。
当時、女子の高等教育は、日本でも朝鮮でも、まだ途上だった。女学校は、いわば最高学歴で、いい家の子女しか、通えなかった。したがって、この方の同窓生は、かつてソウルに住んでいた日本人が多かったわけだ。いや、この方も、元日本人であり、内地か朝鮮かなどと、出自を気にすることなく、自由に青春を共にしていたのである。
多くの悲劇も誤解も矛盾もあったが、こうした日本統治時代のプラス面が、日本でも韓国でも、今の世代に正確に伝わっていないことが、日韓の最大の問題なのだろう。
良好になりつつあった日韓関係
70~80年代にかけて、韓国では、慰安婦も歴史認識も、話題にすら昇ったことはなかった。その後、韓国を独裁政権扱いする報道も影をひそめ、日韓関係は、良好な方向へ向かいはじめた。もちろん、一部では、反日もあるにはあったものの、顕在化しなかった。
むしろ、日本人のほうが、韓国への好感度を増していった。「冬のソナタ」のヒットの影響もあったろう。元のタイトルは「冬(キョウル)恋歌(・ヨンガ)」��ある。主役の裴(ペ)勇(ヨン)俊(ジュン)の魅力もあったろうが、誰が訳したのか、ソナタという言葉が効いたせいもあるだろう。
70年代、日本世代の免税店のおばさんたちは、男ばかり来ないで、女性にも韓国へきてもらいたいと、いつもぼやいていた。家内を同行すると、おおいに喜ばれた。当時、ビーズのハンドバッグ、螺鈿(らでん)の漆器、絞り染めの生地など、男には価値の判らない土産物が、韓国では安く買えたのである。時代は、様変わりして、多くの中年女性が、日本から韓国を訪れるようになった。
私も個人的に、日韓親善に尽くしてきたつもりである。東国大学以外にも、たまたま知り合いができた祥(サン)明女子(ミョンヨジャ)大学(テーハク)など、いくつかの大学へ、文庫本を教材として寄贈しつづけた。韓国の日本語スピーカーを減らさないためである。
また、本業に関して言えば、日韓の推理作家協会の交流プロジェクトが、行なわれた際には、おおいに働いたと自負している。韓国では、減ったとはいっても、日本語で案内してくれる作家に、事欠かない。しかし、日本では、「韓国の独裁政権、やっつけろ」式の景気のいいスローガンをぶち上げる作家は、たくさんいたものの、韓国語で案内できる作家が、ほとんどいなかった。「あれ(イッチョ)に(ゲ・)見えます(ポイヌン・)建物(コンムル)は(・ン)、国会(クッケ)議事堂(ウィサタン)で(・イ)ございます(ムニダ)」などと、東京観光ではバスガイドのようなことも、しなければならなかった。
90年代には、日本人の韓国に対する関心と、好感度も高まり、韓国人の日本への興味、関心も、増していった。サッカーW杯の共同開催に向けて、日韓関係は、新たなステージに向かうかに見えた。
日韓離反狙う慰安婦捏造報道
だが、ここで、あの大新聞は、またしても、その強大な権力を行使して、日韓離反の挙に出た。
1991年、いわゆる従軍慰安婦なる虚構が、報道されたのである。この巨大新聞は、現在では、いちおう虚妄だったことを認めてはいる。だが、軍隊相手の売春婦である慰安婦と、勤労動員で働いた挺身隊を、混同した報道に関しては、当時は事実関係の研究が進んでいなかったためと、弁解している。
しかし、年齢の離れた姉が、あのころ女学生で、勤労動員により中島飛行機の工場へ、自転車で通っていたのを、私ははっきり覚えている。もちろん、慰安婦とは、何の関係もない。ことは、姉の名誉とも関わってくる。
平成に入って早々のころには、あの新聞社にも、私と同世代の社員が、まだ現役でたくさん働いていたはずである。知らないはずがない。二十数年も訂正することなく、頬かぶりをしてきたのは、単なる誤報などではなく、あの大新聞が仕掛けた日韓離反策の一環で、意図的なものだからなのだろう。
日韓離反を図る大きな意思は、あの新聞の言論支配のもうひとつの柱として、吉田某なる人物による、済��(チェジュ)島(ド)における日本官憲の女狩りという、とんでもない虚構を付け加えることによって、さらに拡大していく。
しかし、その後の十数年は、この大新聞の企みは、まだ功を奏さなかった。日本では、韓国ブームが続いていたからである。これまで訪韓したことのない、中年婦人層が、韓国を訪れることが多くなり、韓流にはまった韓国語学習者も、増えていった。そればかりでなく、男性のなかにも、韓流ドラマにはまる人が多くなった。韓国の大河ドラマ「朱蒙(チュモン)」は、高句麗の開祖朱蒙を主人公とした作品だが、私の近くのDVD店では、新作が十巻入っても、即日借りだされるほどの人気だった。
朱蒙は、もともと「三国(サムグク)史記(サギ)」に記録される神話上の人物なのだが、それを強引に歴史ドラマ風に、仕立て上げるところが、まさに韓国人である。元ネタが僅かしかないので、古今東西のエンタテインメントから、使えそうな要素を、流用している。水戸黄門のような部分も、大奥のような部分もあるが、臆面もなく、受けそうな要素を投入しているから、たしかに面白いことは面白い。
また、韓国側も経済力の伸長と共に、訪日して実際の日本を肌で知る人々が増えてきてもいた。別府の大ホテルなど、経営危機に陥った苦境を、韓国からの観光客の増大で乗り切ったほどである。国際化というスローガンが、しばしばマスコミを賑わすが、お互い知り合う以外に、国際理解が進むことはない。
慰安婦と同構造の原発報道
だが、挺身隊=慰安婦という虚妄、済州島女狩りという捏造は、徐々にボディブローのように効いていった。韓国では、従軍慰安婦像なるものが、日本大使館の前に設置され、アメリカ各地へ飛び火していく。あの像は、新聞報道にあった12歳の少女として造られている。挺身隊=勤労動員には、中学生、女学生も動員されたから、その年齢の生徒たちも少なくなかったが、軍隊相手の慰安婦に、その年代の少女がいたという記録もないし、事実もなかった。
韓国では、挺身隊問題対策協議会という団体が、活動し続けている。あまりにも長ったらしいので、挺(チョン)対(テ)協(ヒョプ)と略している。あの大新聞が垂れ流した挺身隊=慰安婦という虚構を、そのまま踏襲しているわけだ。語るに落ちるとは、このことだろう。
事実関係が、はっきりしたのだから、あの新聞の責任で、韓国側に訂正を求めるのが、筋だろう。だが、あの新聞は、それをしない。それどころか、慰安婦の存在は事実だから、これまでの方針に変わりないという態度を、とりつづけている。
なぜ、こうなるのだろうか? 韓国の問題と離れるが、私も筆禍に遭ったことがある。あの新聞社は、取材も検証もしないで、記事を書くことが、はっきり判った。私が受けた筆禍など、些細なことだが、問題の根は、共通している。
私は、本業のSF小説の未来エネルギーとして、昭和30年代から、原子力に興味を持っていた。そして、日本中の原発と、建設予定地の全てを、取材した。当時、人気の「朝日ジャーナル」誌が、特集を組んだなかに、私の名前も、名誉なことに入れてあった。その特集とは、「わたしたち(原発反対派)を未開人と罵った識者十人」というものだった。もしかしたら、原発反対派を未開人と罵った粗雑な人間が、その十人の中に、いたのかもしれない。
しかし、私は、そういうことを言ったこともないし、書いたこともない。それどころか、立地点の住民の反対を尊重すべきだと、常日頃から主張してきた。また、すでに物故したが、反対派の大立者の高木仁三郎は、私の中学の同級生で、同じ大学に入った間柄であり、かれが反対意見を発表できないような事態になったら、私と意見が異なってはいても、かれの言論の自由を守ると宣言してきた。さらに、原発に反対する自由のない国は、原発を建造すべきではないと、何度も書いたことがある。
ことは、原発賛成、反対という問題ではない。こうした報道をするからには、私をふくめて、そこに記された十人が、そういう発言をしたかどうかを、取材確認する必要がある。
ところが、私には、まったく取材は来ていない。そこで、私は、雑誌「諸君」のページを借りて、当時人気だった筑紫哲也編集長宛てに、私が、いつ、どんなメディアで、そういう発言をしたかと、問い合わせた。もちろん、そんな発言など、あるわけがない。筑紫編集長の回答は、のらりくらりと、話題をすりかえることに終始した。
韓国人と〝あの新聞〟の共通点
つまり、あの大新聞は、取材も検証もしないで、主義主張に基づくフィクションを、報道の形を借りて、読者に垂れ流しているわけだ。原発などに賛成し、傲慢な発言をする非国民が、十人必要になった。そこで、関係ない人間もふくめて、誌上でさらし者にしたわけだ。つまり、原発推進めいた意見を、圧殺する方針だったのだろう。
いわゆる従軍慰安婦の報道と、まったく同様の構造である。
従軍慰安婦なるフィクションを、あたかも事実であるかのように、売りまくって読者を欺いた責任は、まさに重大である。しかも、日韓関係を破壊したばかりでなく、全世界にわたって日本の名誉を泥にまみれさせた罪科は、きわめて悪質である。
誤報ではなく、明らかに意図的な捏造である。この捏造が,韓国に飛び火すると、さらに拡大していく。その意味では、この大新聞の離反策に、うまうまと乗せられた韓国も、いわば被害者と言えるかもしれない。主義主張を真っ向から掲げて、事実の確認も検証もしない韓国の国民性と、あの新聞の社是(?)は似ているかもしれない。
私は、過去四十数年にわたって、韓国と関わってきた。最初、自宅ちかくの笹塚の小さな教室で、韓国語を学びはじめた一人に産経新聞の黒田勝弘さんがいる。あちらは、ソウル在住が長いから、私など到底及ばないネィティブスピーカーに近い語学力だが、スタートは一緒だった。
以後、折々に韓国関係の著書を上梓してきたわけだが、その都度、親韓派、嫌韓派などと、勝手に分類されてきた。例の大新聞もふくめて、日本のマスコミが北朝鮮に淫していたころは、日本のマスコミ批判とともに、韓国擁護の論陣を張り、顰蹙を買った。また、韓国の反日が、度を過ぎたと思えば、��慮なく韓国批判を展開してきたつもりである。
国際親善には、王道はないから、知る以外に近道はないと考え、「日本人と韓国人、ここが大違い」(文藝春秋)「いま韓国人は、なにを考えているのか」(青春出版社)など、比較文化論ふうの著書もあり、口はばったい話だが、日本人の韓国理解に貢献してきたつもりである。
もちろん、私の独断と偏見に堕す危険があるから、多くのコリア・ウォッチャー仲間から、助言や意見も頂戴し、拙著の間違いも指摘された。
転向左翼の韓国利用
いわゆる韓国病にはまりかけていたとき、早大名誉教授の鳥羽欽一郎先生から、たしなめられた。「豊田さん、日本人と韓国人は、おたがい外国人なのだから、同じ視点に立つということはできませんよ」と、確か、こんなことを言われた。そのときは、むっとしたが、先生は、韓国にのめりこみすぎている私に、ブレーキをかけてくださったのだ。
70年代、韓国にまじめに取り組もうという日本人は、それほど多くはなかった。田中明氏のような大先達のほか、外交評論の大御所岡崎久彦氏にも、お目にかかり、励ましを頂戴したことがある。外務省在勤中で、本名をはばかったのか、「隣の国で考えたこと」を、長坂覚のペンネームで、早い時期に刊行されている。現在は、本名で再版されているから、入手可能な名著である。
また、産経新聞の柴田穂さんも、大先達の一人だった。韓国関係の会合で、何度か、お目にかかり、アドバイスを頂戴したこともある。なにしろ、中国政府に批判的な記事を書き、産経新聞が北京支局の閉鎖に追いこまれたとき、支局長として残務を整理し、従容として北京を退去された剛直な方である。支局閉鎖という事態を招いたのだから、本来なら責任重大なはずだが、言論の自由を守ることを優先したのである。
それに引き換え、当時あの大新聞は、中国べったりの記事を、垂れ流しつづけていた。この新聞社には、Aという名物特派員がいた。中国通をもって自任していたはいいが、他社の記者まで、このA特派員に、お伺いを立てるようになったという。どこまで書いたら、中国政府の逆鱗にふれるか、A特派員に、判断を仰ぎに来たのだ。早い話が、あの大新聞が、日本の中国報道を検閲していたことになる。
70年代、北朝鮮一辺倒だった日本の文化ジャーナリズムの世界で、一つの伝説があった。いわゆる進歩的文化人は、自分の名前だけ、ハングルで書けたというのである。申し合わせたのかもしれないし、あるいは、あの大新聞の関与があったのかもしれない。現在からは、信じられない話だが、ハングルで名前を書いてみせるだけで、朝鮮問題(?)の権威扱いされたそうである。
しかし、現在の日韓の確執を眺めると、妙なねじれ現象がある。竹島問題にしても、従軍(・・)慰安婦(・・・)にしても、韓国側と共同歩調を取っているのは、70~80年代、あれほど韓国を独裁国家扱いして、忌み嫌っていた進歩的文化人なのである。節操もなにも、あったものではない。日本叩きに資する、あるいは、商売になると判っ��ら、かつて贔屓にした北朝鮮を見捨て、韓国に媚びるのだから、こういう世渡り上手と戦うのは、容易なことではない。
事実伝えることが真の親善に
翻って、現在の韓国である。反日は、狂気の沙汰の域に達している。これには、日本世代が現場から退き、あるいは物故したという事実が、おおいに関係している。私が、多くの教示を受けた方々は、もし存命なら、こんなことを言うと怒られるかもしれないが、日韓双方の美点を兼ね備えておられた。
もう一歩、踏み込んで言えば、日本の教育を受けた方々だった。立派な方というと、ややニュアンスがずれるが、韓国語でいう「アルンダウン・サラム」という方が多かった。こういう世代が亡くなり、反日が質量ともに、変わってしまった。まず、かれらが考える仮想の日本人に対して、際限なく敵意をむき出しにした、いわばバーチャル・リアリティの反日になっている。
日本では、韓国人は、険しいイメージでとらえられがちである。反日の激しさを見れば、間違いではないが、一面的に過ぎる。日頃の生身の韓国人は、お喋りで、陽気で、図々しいくらい人懐こい。日本人は、以心伝心を理想とする文化を生きているが、韓国人は、口にしたことが全てである。発信能力を磨かないと、生きていけない社会である。たとえ嘘でも、自分の主義主張を正面に掲げないと、たえず足をすくわれる危険に直面している。
そのため、国際的には、日本人より判りやすいと定評がある。よく見てもらえれば、日本人の誠意が通じるはずだが、韓国人のほうが声が大きいから、知らない人が聞くと本気にする、と言った程度には、説得力を持ってしまう。
大方の日本人の対韓姿勢は、「また、韓国人が騒いでおる。放っておくのが、大人の態度」といったものだろう。これが、日韓摩擦を拡大した主な原因のひとつである。日本からの反撃がないから、向こうは、さらに反日をエスカレートさせるのだ。
日本は、和の社会だとされる。これには、聖徳太子が引き合いに出されることが多いが、贔屓の引き倒しの面がある。有名な十七条憲法の第一条が、はきちがえられている。太子は、談合のような和を勧めているわけではない。あくまで論じてからと、なれあいを戒めている。
まさに韓国相手では、論じなければ駄目なのだ。相手は、合理的な議論が苦手だから、徹底して、論拠を上げて、言い負かすつもりで、追いつめなければ、非を認めない。一見、乱暴なようだが、反日が、高くつくという事実を、知らしめないかぎり、韓国の反日は、拡大するばかりで、絶対に解消しない。
現在の韓国は、日本世代がいなくなり、歯止めがかからなくなっている。さながら李朝時代の政争のような、権力闘争すら起こりはじめている。日本が、関わりを持つ以前の時代へ、先祖がえり(atavism)してしまった感がある。ここに乗じて、あの大新聞が、新たなテーマで反日の捏造を加えて、��襲してくる畏れもある。いや、その萌芽は、すでに現れている。
私の「どの面下げての韓国人」(祥伝社)は、やや刺激的になるのを承知のうえで、出版社と協議して決めたタイトルである。さっそく、左翼弁護士が、噛みついてきた。ヘイトスピーチだというのである。しかし、ネットでは、すぐ反論されている。つまり読んでいないことを白状したようなものだというのである。なかには、あの本は韓国に同情しているのだ、とする感想もあった。こういう応援は、ありがたい。
私は、あるときは親韓派、あるときは嫌韓派というレッテルを、貼られてきた。私は、日本人であり、日本を愛している。その都度、批判すべきことは、日本であれ韓国であれ、批判してきたつもりである。
あの大新聞は、苦境を打破するため開き直って、韓国批判の本には、すべてヘイトスピーチだという烙印を押して、葬り去ろうというわけなのだろう。また、いわゆる従軍慰安婦の仕掛け人の元記者の就職先や自社に、脅迫があったという事実をもとに、言論の自由を盾にして、被害者の立場へ逃げこもうとしている。自分が、強大な権力をふりかざして、異なる言論を圧殺してきたことには、すっかり頬かぶりしている。
韓国には怒りを込めた反論を、あの大新聞には、厳しい追及の手を緩めてはならない。それが、ほんとうの日韓親善につながるからだ。
とよた・ありつね 昭和13年前橋市生まれ。父の医院を継ごうと医者をめざし、合格した東大を嫌い慶應大に入るも、目標が変わり武蔵大に入学。第1回日本SFコンテストなどに相次いで入賞して在学中の37年作家・シナリオライターとしてデビュー。手塚治虫のもとで「鉄腕アトム」のシナリオを二十数本担当。「スーパージェッタ―」「宇宙少年ソラン」の脚本も手掛ける。『倭王の末裔 小説・騎馬民族征服説』が46年にベストセラーとなる。47年東アジアの古代史を考える会創設に幹事として参画。50年「宇宙戦艦ヤマト」の企画原案、SF設定を担当。SF作家クラブ会長、島根県立大学教授などを歴任。63年オートバイ日本一周を達成。近著に『日本の原発技術が世界を変える』『どの面下げての韓国人』(ともに祥伝社新書)など。
※別冊正論23号「総復習『日韓併合』」 (日工ムック) より転載
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ブラジル建築紀行 サンパウロ編その1
ブラジリアで衝撃に近い2日間を過ごしたあとサンパウロへ移動、2泊してベロオリゾンチに行った後さらに一泊して最終日を過ごしました。
サンパウロでは、ニーマイヤーをはじめ、パウロ・メンデス・ダ・ロシャ、イタリア人女性のリナボバルディ、ヴィラノヴァ・アルティガス、ルイ・オオタケ、イザイ・ヴァインフェルトなど、たくさんの建築家の作品を見歩きました。
初日はクリスマスどんぴしゃり���12月25日。ホテルから出て、最初に見たのがこちら、MASP/サンパウロ美術館。リナボバルディ。大きさにびっくり。パウリスタ大通りのランドマーク。

スパン飛びすぎでしょう笑。

70mを超えるピロティでは、マーケットやコンサートなども行われるそう。

スラブがたわんでいるように見えるのは、広角カメラのせいなのか、ファインダーをのぞいたり外したりするも、実際たわんでいる。

吸い込まれるような階段をのぼっていく。

2階が企画展、


3階が常設展。ブラジルの新聞王と呼ばれたアシス・シャトーブリアンのコレクションで、南半球屈指の美術館と言われているそう。有名どころの作品がたくさん。

コンクリートの台から立ち上がったガラスに絵がはめ込まれている。広い空間の奥まで見渡せて、裏面に貼られている絵画の説明を見るために裏側も丁寧に見てまわる。

裏側の広場から。ピロティのむこうに公園の緑が見える、これだけのボリュームの建物でありながら、周辺の環境を分断しない。当時は、本体が透けてみえていたといいます。

抜けて見える緑。

日を変えて、自邸であるガラスの家、大規模なリノベーションの文化施設セスキポンペイヤへと足をのばす。
旅の最終日、12月29日。出発前にサイトで確認した見学可能な曜日、時間にいくも、門閉鎖中。

屈強な使用人風の男性が、NO休み!と、身振り手振りで近づいて、そのまま背をむけてしまった。ちょ、ちょっと待ってー!!すると、奥から別の方が走り寄ってきた。
12月21日から、1月5日まで休み、と言ってるっぽい。
2人して、門にはりつき、
「問い合わせのメールをおくったのに、返事がなかった」
「問い合わせが多くて全部返せない。」
「サイトを見たけれど、そんなことは書いてなかった。」
「地球の裏側から、30時間かけて、これを見るためにきた。」(やや誇張)
「僕は庭師だから、勝手に門をあけられない。」
「じゃあ、あなたの友達として敷地内だけみせてくれない?」(くいさがる)
「そんなことしたら僕がクビになる。ほら、カメラがついてるでしょ」(カメラをゆびさす)
IPHONEの翻訳ソフトで、かわりばんこに、画面を門越しにみせる押し問答。
「これ、どうにかなると思う?」「ならないよね。」(私たち)
イタリア語だかポルトガル語だか、知っている限りのラテン系言語で、
「つまり、21日からクリスマス年末休暇で、3日前にきても見れなかったのですね」
「SI-----!!」
やっとわかってくれたか、という悲壮感にも似た笑顔で、すみませんのポーズで手をあわせるも、踵を返して走り去った庭師。
「カメラや携帯気をつけて」という庭師のことばもよそに、やけくそで記念撮影。

サイトを見直したら、休みの日程が書かれていた。出発10日前くらいにこんな青字あったっけ?

チラ見ではありましたが、豪邸でした。また来ますよ。

そして、セスキポンペイヤ。

もともとは1856年に建設されたドラム缶工場とストックヤード。
1856年、日本はまだ江戸時代(ペリー来航が1856年)、
チョンマゲ時代の建物が、1970年代に使われなくなり荒れ果てていたところを、再生計画をたちあげたのが総合文化施設運営のSESC。当時、、モダン建築で名を馳せていたリナボバルディが再生設計をおこない、1977年~1982年という期間をかけて、SESC Pompeia セスキポンペイア文化センターとして、地域の老若男女が集う場としてよみがえったもの。
低層のレンガづくりの建物群は元ストックヤード、アクティビティと多様性というテーマで、多種多様な文化施設が配されている。

大きな倉庫空間の中に、フロアが作られている。

地上レベルは図書館。

連続する階段の上にコンクリートのキューブが乗っかっていて、

またも憩いのスペース。新聞呼んだり、チェスを楽しんだり。

さらに上があって、ここも思い思いに利用できるラウンジのようなスペース。椅子やテーブルもリナボバルディのデザイン。

水辺のスペースもあり、���ンチでくつろぐ人たち。

お隣の棟は、シアターの棟。コボゴブロック的なレンガ積みの壁。

リナボバルディは2回ほど日本を訪れたことがあり、この側溝は、鎌倉のお寺からのヒントだとか。

ちょっとしたディテールに女性らしさが。

そして、こちらが、新築棟のスポーツ施設。

この日、12月29日、イベント関係者しか入れないところを、またもご一緒してくださった藤井さんご夫妻のおかげで、入ることができました。
このデッキ、こんなふうに賑わうそうです。(昔のカーサブルータス)自由だ!

2棟をつなぐランダムな廊下。

雲型窓は格子をはめただけの換気窓。ガラスははまっていない。ベロオリゾンチのニーマイヤーの図書館でもそうゆう開口部があったけれど、文化の違いを感じる。

右の塔は貯水塔。

渡り廊下見上げ。

プールの入り口。

ざっくりなのかデザインなのか?な打ち放し壁。手すりとバランスが絶妙。

ジオポンティに師事し、32歳でイタリアからブラジルに渡ったリナボバルディ。多民族で複雑な社会階層が混在するブラジルで、人々のために真に開かれた場所を追求し続けた。
サンパウロ美術館が1968年、SESCポンペイアが1977年、どちらもブラジルの軍事政権のさなか、オスカーニーマイヤーが1964年から1985年まで国外で活動していたというその間にうまれたダイナミックな建築が、その信念の形と思うと、とても興味深かった。
サンパウロで、もうひとつ、リノベーションの美術館をみました。ブラジル建築家の巨匠のひとり、パウロ・メンデス・ダ・ロシャのサンパウロ州立美術館。通称PINA。

もとは美術学校として建てられた建物でしたが、1905年に美術館となり、1993年から1998年にかけて、ロシャは入り口と動線を帰る修復を行いました。

オリジナルの美しいレンガづくりの建物に、コールテン鋼の渡り廊下、エレベータと水平垂直の動線を追加。

中庭にはガラスの天蓋。

半屋外空間のように光が美しい。

今回ブラジルで見た建築の中では、数少ないヨーロッパ的感覚の建物。と思う。

光と影の美しさ。

窓から見えた庭園も、ヨーロッパ的でした。

そして、こちらは、ブラジル彫刻美術館 MUBE。いかにもブラジルらしい。幅12m、長さ60mの梁だそう。

緩やかに地下に入っていく形。ブラジルの建築案内本には「荒々しい優雅さ」と表現されていました。

レベル差による空間の緩急。

マッシブなコンクリートに華奢な手すり、木製の家具と、段差。無機質な美しさ。

つま先立ちしたみたいな椅子があちこちに。

ランドスケープは、ブラジリアでとても印象的だったランドスケープデザイナー、ブルレマルクスによるデザイン。

ブラジルの街の立体交差を思い出すような。

こんな感じ。

内部。シンプ��で荒々しい感じとアール使いが絶妙なバランス。

ブルレマルクス展を開催中でした。ブラジリアで見たきのこのベンチのようなものを発見。

テキスタイルも。

ブルレマルクスとワタシ。

こちらはロシャ設計の集合住宅。Condomínio Edifício Guaimbe.1962年の建物。

エントランス。

天井の低さが際立つ。

四分円のひさしと、逆三角形の窓台が連続している。ワンフロアに1住戸の間取り、200㎡の広さだそう。

ブルータルとグリーン。

このアパートメントの界隈は、サンパウロの代官山?Oscar Freire通り。
おしゃれなカフェがあったり、

おしゃれなブックショップがあったり。リブレリア・ダ・ヴィラ。

ブラジルを代表する現代建築家、イザイ・ヴァインフェルトの設計。
クリスマス休暇中でクローズしているこの本棚サッシュが、回転する仕組みになっている。

こんな具合。どこかのサイトから。

ブラジリアで見学&ランチしたB hotelもイザイ・ヴァインフェルト設計でしたが、サンパウロの高級ホテル「Fasano」も彼の設計。

自然光がおちる具合がとてもきれい。

限られた富裕層のための洗練された高級感。

ホテルつながりで、日系建築家の大御所、ルイオオタケの『ホテルユニーク』。文字通りユニーク。驚きの大きさや形にもだんだん慣れてきたような。

最上階のレストランとプール。ブラジリアのホテルと同様、やっぱりここもプールが縦長。観光客のランチスポットという具合でした。

サンパウロ建築行脚、その2に続く→『ブラジル建築紀行 サンパウロ編その2』
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★君が代の歌詞の意味
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★君が代の歌詞の意味 GRAZIE サンからのメール 君が代の意味について。 凄い歌詞だなと思いました。 http://satoru99.exblog.jp/17835915/ https://shinto-cocoro.jp/column/%E5%90%9B%E3%81%8C%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%9C%AC%E5%BD%93%E3%81%AE%E6%84%8F%E5%91%B3/ https://matome.naver.jp/odai/2138441151064814801 ●国歌「君が代」の本当の意味を知っていますか?他国と比較して見てください。 http://genzou704.blog107.fc2.com/blog-entry-62.html ――世界の国歌――― ■オランダ 父なる神よ 奴らの邪悪なたくらみを許すな 私のこの無実の血で 奴らの手が染まることのないように ■アメリカ ■中国 ■ポルトガル ■フランス ■トルコ ■ルーマニア ■メキシコ ■デンマーク ■ロシア ■ドイツ ■イギリス どこの国歌も なんとも言えないものばかり。 一度読み比べると価値が解るのでは無いかな。 国歌と国旗は明治維新になり他の国との国交儀礼が始まった時に この国の中で昔から使い馴染ませてきたモノを正式にこの国の シンボルの様に取り上げたモノと解釈しても良いのでは無かろうか。 我々には一人一人名前があり性別もある。 この二つでその人を特定できる。(他にも沢山方法は有るだろうけど) 国歌と国旗はそう言うモノだと思えばすんなり取り入れることが 出来るのではないかな。 前にも書いたように他の国の国歌は凄いモノが沢山有る。 まだ読んでない人は読んで見て下さい。 意味としても色々と言われている。 冒頭のメールのページの意味はこの大宇宙を著わすモノで 日本人としては鼻が高くなる。 武田さんの書かれている意味も楽しい。 ●君が代の本当の意味 ひとりごと、ぶつぶつ https://satoru99.exblog.jp/17835915/ 国歌君が代は行事があれば歌われますが、本当の意味を知っている人はどれほどいるのでしょう。それは日本人のルーツを知らなければ分からないことです。般若心経なども文字だけではなく音でしか解釈できないことは知られていますが、君が代も音で本来の意味を伝えようとする意図が隠されています。これが分かると、何故闇の勢力偽ユダヤ(アシュケナジーユダヤ)が日本だけを執拗に攻撃するのが分かります。私たちの血のなかには真正ユダヤ(スファラディーユダヤ、人類の始祖アブラハムの子孫)が受け継がれているからです。 日本語 ヘブライ語 ヘブライ語の意味 君が代は クムガヨワ 立ち上がる 千代に テヨニ シオンの民 八千代に ヤ・チヨニ 神・選民 細石の サッ・サリード 喜べ・人類を救う、 残りの民として 巌となりて イワ・オト・ナリァタ 神・予言・成就する 苔の生すまで コ(ル)カノ・ムーシュマッテ ・全ての場所・語られる ・鳴り響く したがって歌らしくすれば
立ち上がれ、神を讃えよ! 神の選民 シオンの民! 選民として 喜べ! 人類に救いが訪れ! 神の予言が成就する! 全地あまねく 宣べ伝えよ! 泉パウロ著、「本当かデマか3・11人工地震説の根拠」より ●【武田邦彦】君が代が歌えない世代【武田教授 youtube】2019/01/02 https://youtu.be/BoRpKlDoAxo ●【ニコ生特番一部開放!】全国民必見!竹田恒泰の『君が代』講座|竹田恒泰チャンネル2 2018/07/18 https://youtu.be/gsFPY_npYkY 竹田恒泰CH特番 竹田恒泰の『君が代』講座 ※この動画は、2017年3月2日に生放送した特番からの抜粋となります。 ※続編はニコ生で視聴いただけます。 【無料】竹田恒泰の『君が代』講座(その1) http://nicovideo.jp/watch/1489031926 竹田恒泰の『君が代』講座(その2) http://nicovideo.jp/watch/1489032278 竹田恒泰の『君が代』講座(その3) http://nicovideo.jp/watch/1489033066 竹田恒泰の『君が代』講座(その4) http://nicovideo.jp/watch/1489033123 でっかいことは良い事だ。 昔そんな文句が流行った事が有ったけど。 楽しいね 日本は。 ★君が代 - Wikipedia http://bit.ly/uIVzVA 君が代(きみがよ)とは、日本の国歌である。 明治維新後の1880年(明治13年)に曲がつけられ、以後は国歌として扱われるようになった。 1999年(平成11年)に国旗及び国歌に関する法律で正式に国歌に制定された。 元は平安時代に詠まれた和歌である。 ★国歌(こっか)http://bit.ly/wp1yOf その国を象徴する歌のこと。各国の法律によって規定されるもの、国民の共通意識によって認識されるもの、歴史的に国歌として扱われているものなど���あり、一様ではない。 国歌は不変の存在ではなく、政治体制によって、時代によって、改定が行われることもある。 なお「国歌」には和歌という意味もある。国歌大観を参照。 ★国歌大観(こっかたいかん)http://bit.ly/y0emic 日本の和歌の集大成であり、その検索のための索引である。 1901年から1903年にかけて刊行。松下大三郎・渡辺文雄編。2冊。 『国歌大観』刊行により、国文学者その他は、『万葉集』、二十一代集、物語その他の中に出てくる和歌がいずれの国書に出ているものかをたちどころに知ることが初めて出来るようになった。 国書ごとに掲載されているすべての和歌には番号が付けられている(国歌大観番号)。 国文学史は、この刊行により前後に区分できるといっても過言ではない。 『万葉集』収載歌は4536首とされるのが通説である。 ★和歌(わか)http://bit.ly/xqh5ac 古くから日本において行われた韻文で、5音と7音の日本語を以って構成するもののこと。古くは倭歌とも表記された。 漢詩に対する呼称で、やまとうた、あるいは単にうたとも言い、倭詩(わし)ともいった。 また倭語(わぎょ)とも称した。 ★韻文(いんぶん) 聴覚に一定の定まった形象を感覚させる一定の規則(韻律)に則って書き表された文。 散文の反意語。 多く詩において用いられる。 一定のリズムを持ち、暗誦されるのに適しているため、古代から神話や歴史の叙述に用いられてきた。 ★散文(さんぶん)http://bit.ly/x0IEb7 小説や評論のように、5・7・5などの韻律や句法にとらわれずに書かれた文章のことである。 狭義には、そのようにして書かれた文学。韻文の反意語。散文で書かれた詩のことは散文詩と言う。 また、散文的という言葉は「味気なく、情趣が薄い」という意味で使われることもある。 ★韻律 (韻文) http://bit.ly/yJQ1E8 詩などに用いられる文の形式である韻文は、言語、文化的背景および韻文の形式に応じた特定のリズムに基づいて作られる。 これは聴覚的に、ある定まった形象を感覚させる一定の規則ということができる。 このリズムあるいは規則を韻律(いんりつ)という。 韻律は言語の音韻的性格に基づいている。(リズム#言語におけるリズムを参照) 例えば日本語の伝統的韻律では、モーラ(拍)が最小単位となり、5拍・7拍を基本とする七五調・五七調などがよく使われる。フランス語でもこれに似て、韻文では時間的最小単位である音節が一定数繰り返される(5音節、6音節など)。 またアクセント・強勢や音節の長さ、あるいは声調が重視される言語も多い。 例えば古典ギリシャ語とラテン語では音節の長短、英語やドイツ語ではアクセント・強勢、中国語(漢詩)では声調(平仄)に関して特定のパターンが用いられる。 イタリア語やスペイン語では、フランス語と同様の音節数に加え、アクセントのパターンが重視される。 (日本語ではこのタイプの韻律は、現代の歌詞などでわずかに例があるものの、一般的ではない。) ★詩 http://bit.ly/AcMf6G 詩(し、うた、英: poetry, poem; 仏: poésie, poème; 独: Gedicht)は、言語の表面的な意味(だけ)ではなく美学的・喚起的な性質を用いて表現される文学の一形式である。 多くの地域で非常に古い起源を持つ。 多くは韻文で一定の形式とリズムを持つが、例外もある。 一定の形式に凝縮して言葉を収め、また効果的に感動・叙情・ビジョンなどを表すための表現上の工夫(修辞技法)が多く見られる。 詩は独立したものとして書かれる場合も、詩劇・聖歌・歌詞・散文詩などに見られるように他の芸術表現と結び付いた形で書かれる場合もある。 ★君が代(きみがよ)日本大百科全書(小学館) 日本の国歌。 歌詞の原型は『古今和歌集』賀の部に「わがきみは」、『和漢朗詠集』には「きみがよは」の初句で、いずれもよみ人知らずで登載されている。 同じ歌詞が俗楽では隆達節(りゅうたつぶし)(江戸初期)、箏曲(そうきょく)、地歌(じうた)、長唄(江戸中期以後)にあり、祝賀用である。 古今集時代の「きみ」は、主人、家長、友人、愛人などを意味する二人称、三人称で幅広く使われ、隆達節のような遊宴歌謡にまで伝えられたのも、この表現が国民感情に受け入れられやすかったからであろう。 ★君が代の歌詞の意味 http://bit.ly/yAvQeH ★国歌「君が代」について http://bit.ly/ytn7dn ★日の丸と君が代 http://bit.ly/snB5gu ★『君が代』、“国歌”は誤訳?特殊なメロディーの秘密 https://news.goo.ne.jp/article/bizjournal/business/bizjournal-bj-54626.html 2019/04/21 12:50Business Journal 先日、娘の中学校の入学式に出席したのですが、僕の学生時代と違うのは、「君が代」を斉唱することです。 在校生と一緒に歌っている際、僕は少し音符を考えていることに気づきました。 僕は音楽家なので、どうしても音符を思い浮かべてしまうのですが、つまりは考えずに歌えるくらいには、「君が代」を歌い込んでいないのです。 そう思いながら周りを見渡してみると、歌っている親が少ない。 それは、歌いたくないというよりも、我々は「君が代」を歌い慣れていない世代なのでしょう。 そうなりますと、君が代の現代語訳は、こうなります。 日本という国が、さざれ石が岩石となり、その上にこけが生えるほど永遠に、続いて欲しい。 ★日本人にとって「君が代」とは何か? ネットにあふれるトンデモ解釈 2016/323 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/48225 劣化する論争に終止符を! 辻田 真佐憲 文筆家 近現代史研究者 劣化する「君が代」論争 国立大学の卒業式や入学式に関連して、再び「君が代」の扱いに注目が集まっている。これに呼応する形で、インターネット上でも「君が代」をめぐる議論が活発になりつつある。 だが、その議論の有り様は必ずしも健全なものではない。というのも、昨今ネット上で交わされる「君が代」に関する言説が、あまりにも乱暴だからだ。今日ほど「君が代」に関する議論が劣化した時代はほかにないだろう。 ★【朝日新聞】「君が代」の意味を正しく伝えよ[桜H23/3/3] - YouTube https://youtu.be/XNTsBdoV22Y 朝日新聞の投稿欄に「君が代」の由来に関する甚だしい誤解が掲載されていた。 視聴者からの御指摘に基づき、正しい由来と意味について御説明させて頂きます。 ★世界国歌コンクールで優勝「君が代」 2014/07/05 https://youtu.be/nSKUxKsLUNU 「君が代」は、1903年(明治36年)ドイツで開催された、「世界国歌コンクール」で優勝しました。 歌っている「野々村彩乃」さんは、2012年12月、第66回全日本学生音楽コンクール全国大会 声楽部門大学の部で優勝しました。 最高の組み合わせですね。
君が代の本当の意味。 国歌「君が代」は恋の歌だった。 お祝いの歌の代表作として紹介されたのが、「君が代」です。 【君が代の本当の意味とは?】 知っておきたい!! 知らなきゃならない国歌の意味!! 我が国、日本の国歌の本当の意味を皆様ご存知でしょうか? 世の中には席を立たないとか、歌わないとか、間違った解釈で誤解している人が沢山いるようですが、 本当の意味を理解すればその様な態度は取らないはずです。 日本人として我が国の国歌の本当の意味を理解しない訳にはいきません。この動画を観て本当の意味、またこの歌の素晴らしさを御官能下さい。 ----------------------------------------- 君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌(いわお)となりて 苔(こけ)のむすまで ----------------------------------------- 世の中で言われている天皇崇拝の歌であるという説に耳を奪われがちですが、深く探求するとそうではありませんでした。 君が代の本当の意味をお伝えします。 「君が代」は天皇崇拝の軍国主義賛美の歌だと言う人がいますが、じつに程度の低い話です。 そもそも「君が代」の成り立ちは、戦前からのわずか70~80年の歴史の歌ではありません。 いまから千年以上もの歴史のある歌です。 「君が代」の文字としての初出は、���安時代初期の延喜5年(905年)です。 この年に編纂された「���今和歌集」の巻7に、「賀歌」の代表作として納められています。 「古今和歌集」は、醍醐天皇の勅命によって編纂された勅撰和歌集です。 いまでいったら日本政府そのものが編纂した公的歌集で、万葉の時代から撰者たちの時代までの140年間の代表的作品を集めたものです。 序文はカナで書かれていて、その執筆者は紀貫之(きのつらゆき)です。 その中に「読み人知らず」として掲載されているということは、すでにこの時点で多くの人に愛された歌だったことを示しています。 後年に書かれた「枕草子」によると、平安貴族たちにとって「古今和歌集」の暗唱は、常識だったのだそうで、その「古今和歌集」で、お祝いの歌の代表作として紹介されたのが、「君が代」です。 つまり「君が代」は、貴族たちの慶賀の歌としても、常識歌だったわけです。 それだけではありません。 「君が代」は、その後に編纂された「新撰和歌集」や「和漢朗詠集」にも転載されています。 つまり、そうしなければならないほど、いまから千年もの昔から多くの人々に愛された歌であったということです。 ではなぜ「君が代」は、そんなに素晴らしい歌とされたのでしょうか。 理由のひとつに「君(きみ)」があります。 「君」は君主をあらわすという人がいますが、それは間違いです。 「君が代」の「きみ」です。 その「きみ」とは、どういう意味の言葉なのでしょうか。 実は、古代日本語で「き」は男性、「み」は女性をあらわす言葉なのです。 日本神話に登場する最初の男女神は、イザナキノミコト「キ」、イザナミノミコト「ミ」であり、「おきな=翁」「おみな=嫗」という言葉もあります。 イザナキ、イザナミ以前の神々は性別がなく、日本の神々で最初に性別を持った神として登場するのが、イザナキ、イザナミです。 その最初の男女神は、イザナキ、つまり「いざなう男」、イザナミ「いざなう女」として登場します。 「いざなう」は、漢字で書けば「誘う(いざなう、さそう)」です。 つまりイザナキ、イザナミの物語は、誘(さそ)いあう男女の物語でもあるわけです。 二人は天つ御柱で出会い、 キ「我、成り成りて、成り余るところあり」 ミ「我、成り成りて、成り足らざるところあり」 と声をかけあい、互いの余っているところと、足りないところを合体させて、子を産みます。 ここで大切なことが、男女が互いに「成り成りて」というところです。 「成り」というのは、完全に、完璧に、という意味です。 その成りが二つ重なっていますから、「成り成りて」は、完全に完璧に成長したことを意味します。 完全です。何の欠点もなく完璧に、ということです。知性も肉体も、まさに完璧に成長し、成熟したのです。 ところが、完璧に成長したら、互いに「余っているところ」と「足りないところ」があった。 これは矛盾です。余ったり、足りなかったりするのは、「完全」ではないからです。 完全体になったら、完全でなくなってしまったのです。 そこで二人は互いの余っているところと、足りないところを合体させて、より完璧になろうとしました。すると「子」が生まれたのです。 このことは、私達にとてもたいせつなことを教えてくれています。 神々でさえ、完全に完璧に成長してから、男女のまぐあいを持ったのです。 ましてや、神々の子孫である我々人間は、男女とも当然に完全に成長してから、交合するものだということを教えているからです。 つまり、親の脛かじりで、まだ勉強中の身上では、男女のまぐあいはするものではない。 もっとしっかり勉強し、体を鍛え、互いに完璧に成長してから、結婚しなさい、というわけです。 つまり「きみ」というのは、男と女、それも「成り成りた男女」をあらわします。 男女が「なりなりた」ことは、本人たちに喜びがあるだけでなく、親や親戚、教師など、周囲の者たちの喜びでもあります。 そしてまた、「完全に完璧な成長」は、尊敬の対象でもあります。 ですから「きみ」は、「完全に成熟し成長した」という、喜びの言葉であり、おめでたい、相手を敬う言葉となったのです。 従って、「きみ」は、「完全に完璧に成長した男女の喜びであり、尊敬し敬愛する人の喜びであり、 「きみが代」は、その「愛し尊敬する人の時代」という意味となります。 その「愛し尊敬する人の代」が、「千代に八千代に」と続くのです。 ここまでだけでも、「君が代」とその背景となっている日本文化の素晴らしさがあるのですが、歌はさらに「さざれ石の巌となりて」と続きます。 「さざれ石」というのは、正式名称を「礫岩(れきがん)」といいます。 細かな石が長い年月をかけて固まって巌となった岩石です。 ですから君が代は、 「きみ」=完璧に成長した男女が、 「代」=時代を越えて 「千代に八千代に」=永遠に千年も万年も、生まれ変わってもなお、 「さざれ石の巌となりて」=結束し協力しあい、団結して 「苔のむすまで」=固い絆と信頼で結びついて行こう そんな意味の歌である、ということになります。 戦争の象徴だとか、そんな意味ではまったくない。 人の愛と繁栄と団結を高らかに謳い上げた、祝いの歌なのです ●「君が代」について file:///C:/Users/asahi/AppData/Local/Temp/29.kimigayo.pdf 先日、小学生の子供を持つある職員から、びっくりするような一言がありましたので、今 回はこの題材と致しました。 彼女の一言とは「この前、子供の卒業式に出席したらね、 今年は、君が代が歌われてたのよ。なんか、怖かった~~。」というものでした。「エッ~~~~~~」と私。 大変、びっくりです。でも、皆さんの世代を考えると、どうも、これが一般的な感覚なのではないかと思い至りました。 たぶん、今の若い人達は、テレビ、新聞、学校などで、「君が代」は、軍国主義と戦争の象徴のように条件反射的に教え込まれ、怖いイメージが刷り込まれているのではないかと思った訳です。 実は、そのイメージは大嘘です。そもそも「きみが世」は、1000 年以上前から、結婚式と かお祝いの席で歌われる定番だったのです。「たかさごや~~この裏舟に帆をあげて~~」と歌われる「高砂」と、「きみが世は~~、千代に八千代に~~」と歌う「きみが世」、共に非常に御目出度い歌なのです。 決して、怖いものではありません。 「君が代は、天皇の世という意味じゃないか。軍国主義の代表だ!」と福島瑞穂とか田島陽子あたりは、目を三角にして叫ぶのでしょうが、これが、全く違うのですよ。 ★迫力の「君が代」斉唱、W杯外国出身選手はどう練習? 2019.9.26 https://www.sankei.com/life/news/190926/lif1909260046-n1.html ラグビー・ワールドカップ(W杯)で日本代表と、強豪・アイルランドとの一戦が28日に行われる。国の威信を懸けた代表戦の試合前に必ず行われる国歌斉唱。日本代表選手の半数を占める外国出身者も、“第二の故郷”の国歌「君が代」を完璧に歌いきる。なぜ彼らは母国ではない日本の国歌を覚え、全力で歌うのか。その理由は「国を背負う」重みにあった。(桑村朋) 「君が代は 千代に八千代に さざれ石の-」 20日、東京・味の素スタジアムで行われたW杯開幕戦。日本代表のメンバーはいつもよりも緊張した面持ちだったが、力強く日本国歌を歌いきり、会場を奮い立たせた。 「小さな石が一つの大きな岩になるのは、まさにわれわれがやろうとしていること。(メンバー)一丸でゴールに向かいたい」 W杯を前に、こう語った日本代表のピーター・ラブスカフニ。母国は南アフリカだが、君が代の歌詞「さざれ石の巌となりて」の意味をひもといた上で、日本代表として団結することの大切さを説いた。 ★君が代の歌詞の意味とは?いつから歌われているの?実は恋の歌だった? https://jpnculture.net/kimigayo-kokka/ 2019/05/01 国歌として正式に制定されたのは平成11年(1999年)ですが、明治13年(1880年)に雅楽奏者の林廣守(はやし ひろもり)が曲に起こし、ドイツ人音楽家フランツ・エッケルトが西洋風和声をつけることで国歌として用いられるようになりました。 ★- 国歌・君が代の源流を探る - 鹿児島県薩摩郡さつま町にある著者の自宅から車で20分足らず走った隣町の薩摩川内市入来町に大宮神社という神社があります。その神社の鳥居の近くに次の様に書かれた看板が立っています。 「君が代」発祥の地 ここ、大宮神社に昔から奉納されている神舞の中で「君が代」を 歌います。これが明治三年に歌い始められた国歌「君が代」の基 になったのです。入来町郷土史研究会 一方、神奈川県横浜市中区に妙香寺という日蓮宗の寺院があります。この寺は国歌・『君が代』発祥の地として知られており、境内にその石碑が建てられています。薩摩藩は、1869年(明治2年)に日本で初めての近代的な軍楽隊である薩摩藩軍楽隊(通称、薩摩バンド)を設立しました。 ★君が代は、昔4番まであったという。2番から4番までの歌詞の意味が知りたい。 http://bit.ly/2wtx6lN https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000269130 次の資料を紹介。 ・『新編日本古典文学全集 43』 小学館 1995.5. P217「君が代は 千代ともささじ ~ かぎりなければ」・・・3番目の歌 P215「君が代は 久しかるべし ~ 流たえせで」・・・4番目の歌 ・『頼政集新注 上 [新注和歌文学叢書] (10)』頼政集輪���会/著 青簡舎 2011.11 P498~P500 「君が代は ちいろのそこ ~ あらはるるまで」・・・2番目の歌 雪風 : 君が代の意味 君が代の“君”に関しては、諸説ありまして・・・ 1)「わたしの恋しいあなたは……」と恋人の長生を祈る歌 2)「こちらのだんなさまは……」と家の主の長寿を祝う歌 3)「わが大君は……」と天子の千秋万歳を祈る歌 の三つに大別することができます。 ★節目の唄 君が代 蛍の光 仰げば尊し 記念日 開会式 閉会式 入学式 卒業式 節目の記憶 「君が代」・君が代/諸話・「蛍の光」・蛍の光/諸話・「仰げば尊し」・仰げば尊し/諸話 ★君が代の2番・3番の歌詞とその意味についてご紹介! https://celestia358.luxe/903 2019/06/29 現在法律で制定されているのは1番の歌詞のみですが、君が代が普及しはじめた明治期には2番以降の歌詞も歌われましました。 君が代の2番以降の歌詞とその意味、君が代が作られた背景についてご紹介します。 コンテンツ 1世界一短い国家・「君が代」に2番3番がある? 2君が代・2番3番の作者と歌詞 2.1君が代・2番の作者と歌詞 2.2君が代・3番の作者と歌詞 32番3番で終わらない!君が代には4番もあった 4君が代は英国王子の来日で急ぎで用意された 4.1君が代の歌詞は「古今和歌集」と「和漢朗詠集」から 4.2当時の君が代は「メロディー」も「歌詞」も現在と違った 5日本の国歌「君が代」の背景を知ると面白い ★君が代 (フルコーラス版)|小林伸光|note https://note.com/nobkoba/n/nf7a47d009e59 2015/05/24 今では忘れられた二番以降の歌詞を書き留めておく 一番 「君が代は千代に八千代に さざれ石のいわおとなりて 苔のむすまで」 二番 「君が代は千尋の底の さざれ石の鵜のゐる磯と あらはるゝまで 」 三番 「君が代は千重に千早に さざれ石の鋼となりて 星の果てまで」 四番 「君が代は千草と萌え栄え さざれ石に交わりなじみ 時の果てまで」 五番 「君が代は千夜に千切るも さざれ石の響きとなりて 明日の朝まで」 以下、それぞれの歌詞の意味である。 ★ 君が代の意味知ってますか?? https://plaza.rakuten.co.jp/wadai00/diary/201404260003/ 第76回竹田恒泰チャンネルにて君が代の解説が簡単にあったので皆さんに知ってもらいたく情報を共有します。 君が代=国家ですが皆さんは大人になって歌うことってないですが学生のころ歌ってましたか?? 自分は歌ってませんでした(笑) なぜなら君が代=国歌=戦争の歌 みたいに教育されていたからです。 今となっては恥ずかしい限りですが、多くの日本人はこんな考えじゃないですかね? まあ日本に対して誇りや愛国心がないとそんな気持ちにはなりませんよ。 だから日本の良さ、すばらしさを再認識しないといけないと思います。 まあそれはさておき 今回の教育基本法改定で音楽教科書に君が代が特別紙で記載されたそうです。 そこには『君が代は日本の国家です、日本が平和で栄えるようにとの願いが込められています。』 しかし、竹田氏はこう述べます。 主語は日本ではない、いつまでも平和で栄えるようには正しいが主語は 日本ではなく。天皇陛下が生きていらっしゃるこの御世がということらしいです。 ★あなたの知らない「君が代」。 2番、3番の歌詞とは? https://www.excite.co.jp/news/article/Toushin_9422/ 2019年2月2日 06:00 0 あなたの知らない「君が代」。 2番、3番の歌詞とは? ■まぼろしの「君が代」 いよいよ来年に迫ったオリンピック。最近は各種のスポーツで日本人選手の活躍が伝えられ、オリンピックの楽しみが増しています。表彰式で「君が代」を聴く回数が増えるといいですね。 ひと足早く、君が代を調べていたら、こんな歌詞が見つかりました。昭和60(1985)年、当時の松永光文部大臣が報告したまぼろしの君が代です。 君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまま 君が代は 千ひろの底の さざれ石の うの居る磯と 現はるるまで君が代は 千代ともささじ 天の戸や いづる月日の 限りなければ 作者は、2番が源頼政、3番は藤原俊成で、ともに平安末期の武将・公家です。 1番は、平安時代の古今和歌集に「読み人知らず」として掲載されていることは有名です。しかし現在、作者の子孫だと称する人が登場しています。 というのは古今和歌集に掲載が決まったものの、作者は木地師。 身分が低いため「読み知らず」として掲載され、その褒美として後に、藤原朝臣石位左衛門という名が与えられました。 もちろん「さざれ石」に由来した名だそうです。 異説もありますが、いずれにしても年月を越えて子孫がご健在というロマンティックさがいいですね。 ★4番まであった君が代 | あめつちはじめてひらけしとき https://ameblo.jp/amethuchihajimete/entry-12087652759.html 2015/10/23 文部省唱歌では「君が代」は2番まであり、以前動画をここでもアップしましたが、実はそれとは別に「君が代」は4番まであった時もありました。 1. 君が代は 千代に八千代に 細石の 巌となりて 苔のむすまで 2. 君が代は 千尋の底の 細石の 鵜のゐる磯と あらはるるまで 3. 君が代は 千代ともささじ 天の戸や いづる月日の かぎりなければ 4. 君が代は 久しかるべし わたらひや いすゞの川の 流たえせで 2番は源頼政、3番は藤原俊成、4番は大江匡房の和歌です。 「君が代」という言葉が歌われている和歌は沢山あるので、作ろうと思えば続きはいくつでもつくれるかもしれません。事実、この4番まである君が代は、君が代が普及され始めた明治期の唱歌科の教科書に勝手に追加され、2番3番や4番として載っていたものなんだそうです。 現在の1番のみの君が代が普及するようになるのは、明治26年(1893)8月に「祝日大祭日歌詞竝楽譜」が交付され、祝祭日に徐々に全国の小学校で歌われるようになってからだったのです。 ・君が代 祝日大祭日唱歌 https://youtu.be/GtDc8NGKYvs ・雅楽 「君が代」 https://youtu.be/b1bpw8pK160 2014/03/31 ★「天皇論」(小林よしのり著)を読んで http://bit.ly/zV85Fy ★君が代の由来 http://bit.ly/yLpaNz 突っ込みどころ満載で、何から書こうかと迷うぐらいの「天皇論」。 最初だから序章からいきますか。 序章では君が代の意味について書いてある。 (P8) 大きな大きなわしの過誤があった。君が代の「君」を「天皇」限定だと思い込んでいたことだ。(中略)実は「君が代」は、古代から人々に愛誦され、江戸時代には相当広範な一般庶民が、自分の敬愛する人の長寿を祈る歌だったのであり、「君」は特に天皇に限定される意味ではなかった。わしはこの事実を全然知らなかった。 (P9) わしが小学生の頃、すでに教師は日教組の活動をしていたようだ。ある日、担任の教師から「君が代」の意味を教わった。「君が代」というのは天皇の代のことたい。天皇の代が何千年も続きますようにという意味なんやぞ。 (P18) 「君が代」の歌詞の意味を高森明勅氏の著書、『天皇から読みとく日本』から説明しておこう。 「君が代」の原歌は古代にまでさかのぼるが、初見は延喜5(905)年、醍醐天皇の勅命で撰進された『古今和歌集』である。これは『古今和歌集』の「賀歌」に「よみ人しらず」で出てくる。賀歌とは長寿を祈る歌だ。 私の敬愛する人よ、千年も八千年も、小さな石が巨岩となって、さらにその表面を苔が覆うようになるまでの永い歳月を、どうか息災でいてください …という意味で、「わが君」は「天皇」という意味ではない。自分にとっての敬愛すべき相手だ。 (P19) この賀歌を国歌にしたのは、もちろん明治になってからである。
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七福神巡り、多くの参拝者にぎわう 県内各地15カ所を紹介 七つの災難が免れ、七つの幸福が授かる
埼玉新聞 https://this.kiji.is/452623335831651425?c=39546741839462401 参拝すると七つの災難が免れ、七つの幸福が授かるといわれる七福神。県内各地にも恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋尊の七福神巡りが設けられ、新年になると多くの参拝者でにぎわう。中にはスタンプラリー形式や甘酒の無料配布など、楽しみながら巡れるところも。新春のまちの空気を感じながら巡り、健康や長寿などを願ってみては。 ■三郷七福神 厄除け銀杏がお出迎え 三郷市内の全24寺院が参加する三郷七福神めぐり。「彦成めぐり」「八木郷戸ケ崎めぐり」「早稲田めぐり」と三つのコースがあるのは全国的にも珍しく、ウオーキングを兼ねて歩いて回る人も。彦成コースの安養院境内には、樹齢600年の「厄除大銀杏」の大木があり、その銀杏の実を正月に食べれば1年間災いから逃れられるとされている。 来年1月1日~7日までの7日間は七福神めぐりスタンプラリーを実施。スタンプ台紙は各寺院で販売している。 問い合わせは、三郷市観光協会事務局の市商工観光課(電話048・930・7721)へ。 ■日光街道すぎと七福神 料理や買い物ツアーも すぎと七福神は東武線杉戸高野台、東武動物公園、姫宮駅を拠点に、古利根川に沿いに福正院、永福寺、全長寺、宝性院、延命院、来迎院、馬頭院を巡る。 七福神巡りと共にうなぎや和菓子、そばや地酒など、地元のグルメを楽しんでほしい。年明けにはガイドと料理、ショッピングを盛り込んだ七福神ツアーも。来年1月19、26の両日は徒歩で(参加費1人2千円)、2月2日はタクシーで(同4千円)で。 問い合わせは、すぎと七福神事務局宝性院(電話0480・32・0342)か、杉戸町観光協会(電話0480・32・3719)へ。 ■くりはし八福神 ふるさと自慢のコース 通常の七福神に吉祥天を加えた「くりはし八福神」。コースは埼玉ふるさと自慢100選に入選し、年明けのJRの「駅からハイキング」にも指定されている。 約10キロ2時間半ほど、平坦で気軽に楽しめる点が人気だ。JR宇都宮線、東武日光線栗橋駅を起点終点に、栗橋宿の街並み、昔ながらの田園地帯を歩く。足を延ばして、八坂神社や栗橋関所跡碑、静御前墓所など、地域の名所・旧跡を訪れることもできる。御朱印押印期間は来年1月3日~15日午前9時~午後4時。 問い合わせは、久喜市観光協会(電話0480・21・8632)へ。 ■草加宿七福神 宝船も加えた寺社巡る 日光街道の宿場町として栄えた旧町地区にある7カ所の七福神に宝船を加えた8カ所の寺社を巡る。歴史情緒あふれる町並みを歩きながら、布袋尊の回向院や毘沙門天の東福寺など、七福神巡りを楽しむ。 来年1月1日~7日までスタンプラリーを実施。スタンプ台紙は各寺社のほか、草加駅構内、市物産観光・情報センターで配布する。開催時間は午前9時~午後4時まで。1日はお休み処草加宿神明庵で、3日は東福寺境内でいずれも午前10時から甘酒の配布を行う(なくなり次第終了)。 問い合わせは、草加市観光協会事務局の市文化観光課(電話048・922・0151)へ。 ■小江戸川越七福神 蔵造りの街並み味わう 小江戸川越七福神はJR、東武の川越駅や川越市駅を起点にするコースがある。全行程は約6キロ。途中には蔵造りの街並みや時の鐘、菓子屋横丁などがあり、至るところで江戸情緒や城下町の面影を感じながら回ることができる。 7カ所全ての寺には、地中に埋められた甕(かめ)の中に水滴音を反響させてその音を楽しむ「水琴窟(すいきんくつ)」を設置。それぞれの音の違いを楽しむこともできる。絵馬など、オリジナル七福神グッズの販売も行われている。 問い合わせは、小江戸川越七福神霊場会(電話049・222・6151)へ。 ■武蔵野七福神 台紙手に日帰りコース 飯能、入間、所沢市の寺社を巡る七福神。武蔵野の自然を満喫しながら電車、バスを上手に乗りこなし、日帰りで回れるコースとなっている。 効率よく七福神を巡るなら、円泉寺(福禄寿)から飯能恵比寿神社(恵比寿)、観音寺(寿老人)、浄心寺(毘沙門天)と飯能市内の寺社を回り、入間市の円照寺(弁財天)、長泉寺(大黒天)、所沢市の山口観音(布袋尊)へと参拝するのがモデルコース。 台紙の色紙にご朱印(1回100円)を集めながら7寺社を巡るのも楽しい。 問い合わせは、山口観音(電話04・2922・4258)へ。 ■与野七福神 開運願う仮装パレード 与野七福神は、さいたま市中央区の本町通り周辺を徒歩約2時間で巡る人気コース。日光街道岩槻への脇往還の宿場として栄えた街の名残を今も感じられる。 同区本町東の氷川神社(福禄寿)をスタート。冬至祭で知られる一山神社(恵比寿神)から天祖神社(寿老神)、御嶽社(弁財天)、円乗院(大黒天)、円福寺(布袋尊)、鈴谷大堂(毘沙門天)でゴールする。各寺社の押印受付は元日~3日の午前9時~午後4時。3日午前11時半からは「七福神仮装パレード」も行われる。 問い合わせは、与野七福神奉賛会の岩崎さん(電話048・853・9798)へ。 ■武蔵越生七福神 梅の郷で甘酒たしなむ 「梅の里」として知られる越生町。武蔵越生七福神は越生駅の西側一帯に点在する。起伏に富んだ約13キロのコースは、豊かな自然を体感しながら七つの寺院を巡る趣向だ。周辺には越生梅林や自然休養村センターもある。 来年1月4日に開催される「新春武蔵越生七福神めぐり」は法恩寺を出発し、全洞院までを巡る。ゴール会場の東上閣駐車場では甘酒の無料配布や福引を楽しむことができるほか、干支(えと)のオリジナル缶バッジがプレゼントされる。 問い合わせは、越生町産業観光課(電話049・292・3121)へ。 ■武州川口七福神 早春をつげる安行寒桜 川口市で七福神と言えば、外せないのが安行原の深い緑に隠れた密蔵院(川口���東口から峯八幡行バスで終点下車)の大黒天だ。 550年の歴史を誇り、本尊は平安時代の地蔵菩薩という。堂々とした黒門は幕末の江戸で薩摩藩のものを移築したと伝える。本堂への真っすぐの石畳を歩けば歴史の空気を感じることができる。早春に咲く安行寒桜でも名高い。 武州川口七福神は密蔵院のほか、戸塚の西光院(弁財天)、東本郷の傑伝寺(恵比寿様)、元郷の正覚寺(布袋様)、本町の錫杖寺(福禄寿)、南町の吉祥院(毘沙門)、宮町の正眼寺(寿老人)。ともに地域との絆、歴史を誇る。 問い合わせは、川口観光物産協会(電話048・228・2111)へ。 ■武州本庄七福神 徒歩3時間で全て巡回 武州本庄七福神はJR本庄駅北口に点在する10寺院に設置。銭���い弁財天は慈恩寺、大正院、佛母寺の3カ所、大黒尊天は城立寺と普寛霊場の2カ所にそれぞれある。 全工程は約4キロで、3時間もあれば徒歩で巡れる。本庄駅から大正院(銭洗い弁財天)―円心寺(福禄寿)―開善寺(布袋尊)―慈恩寺(銭洗い弁財天)―普寛霊場(大黒尊天)―安養院(毘沙門天)―佛母寺(銭洗い弁財天)―金鑚神社(恵比須尊)―泉林寺(寿老人)―城立寺(大黒尊天)を巡るコースがお薦め。 問い合わせは、本庄市観光協会(電話0495・25・1174)へ。 ■深谷七福神 北から南へ市内を横断 深谷七福神は、旧深谷市内を南北に横断しているのが特徴。どの寺にも秋の七草が植えられている。 JR深谷駅を起点とする全工程は約22キロ。距離が長いので、車やバスを利用する人が多い。同駅出発なら瑠璃光寺(大黒天・ハギ)―泉光寺(恵比寿天・オミナエシ)―正伝院(毘沙門天・クズ)―惣持寺(弁財天・オバナ)―全久院(寿老人・フジバカマ)―宝泉寺(福禄寿・キキョウ)―一乗寺(布袋尊・ナデシコ)と北から南下するのはいかがでしょうか。 問い合わせは、瑠璃光寺(電話048・571・1945)へ。 ■秩父七福神 1市4町、根強い人気 秩父七福神は秩父札所34カ所観音霊場とは異なる古刹(こさつ)寺院で構成され、秩父、長瀞、皆野、小鹿野、横瀬の1市4町に点在し、総距離は約56・1キロ。歴史は40年以上で、根強い人気を誇る。 熊谷方面からは今月8日にシンボルの「多行松」が伐採された長瀞の総持寺(福禄寿)が出発点。皆野の大浜円福寺(大黒天)、小鹿野の鳳林寺(毘沙門天)と続く。秩父は田村円福寺(寿老人)、惣円寺(弁財天)、金仙寺(布袋尊)の3カ所で、横瀬の東林寺(恵比寿)が最後だ。 問い合わせは、秩父七福神会事務所の総持寺(電話0494・66・2665)へ。 ■武州寄居七福神 露座に光る豪快な存在 武州寄居七福神は寄居町の寄居、用土、男衾駅周辺の5カ寺にある。ご神体を露座で祭り、御像の大きいのが特徴。各寺でご朱印を集められ、色紙は千円で授与されている。 一回り約25キロ。存在感あるのが蓮光寺の布袋尊で高さ約4・5メートル(台座含める)、幅約3メートルと豪快な笑顔で福を招き、福禄寿も設置。極楽寺は高さ約3メートル(同)の毘沙門天と高さ約2・7メートル(同)の弁財天がある。 ほかの七福神は恵比寿神(常楽寺)、寿老尊(長昌寺)、大黒天(常光寺)。 問い合わせは、寄居町観光協会(電話048・581・3012)へ。 ■行田忍城下七福神 名所旧跡を一緒に堪能 「行田忍城下七福神」は1周約20キロ。忍城址や埼玉古墳群など、行田の名所旧跡を見学しながら楽しみたい。 花で有名な遍照院(福禄寿)、難病封じの行田八幡神社(大黒天)、大仏様の大長寺(毘沙門天)、縁起の良い寺名の宝積寺(恵比寿)、三重塔がある成就院(寿老人)、弘法大師作の弁財天を祭る遍性寺、利根大堰(ぜき)近くの興徳寺(布袋尊)で構成。七福神絵図(千円)は7寺社で、スタンプ巡り用の宝船台紙(200円)は行田八幡神社、大長寺、成就院、興徳寺、遍照院で販売している。 問い合わせは、連絡事務所の「忍藩堂」(電話048・577・8058)へ。 ■北本七福神 日本一のおみくじ好評 2015年9月に北本市高尾の阿弥陀堂に布袋尊が建立され、七福神がそろった。「北本七福神」はJR北本駅をスタート。ゴールまでの行程約12・8キロのお薦め散策コースがある。 寿老人が祭られている須賀神社では、日本一大きいとされる八角形のおみくじが300円で引ける。このおみくじを目当てに来る人は多い。 1月13日午前9時半~午後3時まで、新春「北本七福神めぐり」が行われる。各所でのご朱印は300円。スタンプラリーは無料で、スタンプを7個集めると先着800人に記念品がもらえる。 また各所ではおしるこや、まんじゅうなどのおもてなしがある。 問い合わせは、北本市観光協会(電話048・591・1473)へ。 埼玉新聞 https://this.kiji.is/452623335831651425?c=39546741839462401
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数年分のコピペ001
1月 4, 2016
「独立は身を殺して仁をなした日本のおかげ」
昭和30年、後のタイ王国の首相、ククリット・プラモード氏は
「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。
日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが(筆者注・日本の敗戦のこと)、
生まれた子はすくすくと育っている。
今日東南アジアの諸国民が、米英と対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるのか。
それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。
この重大な思想を示してくれたお母さんが、
一身を賭して重大決意をされた昭和16年12月8日(開戦の日)、
われわれはこの日を忘れてはならない」と述べている。
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1451795640/
【政治】「侵略戦争」は連合国の宣伝、日本は植民地アジアを解放した★2 c2ch.net (via worldwalker2)
(ladynuuから)
1月 4, 2016
部下に敬意を払わない上司は会社に大きな経済的損害を与えている。敬意を払うことが報酬の一部であるということはそれが不足しているぶんだけ給与を引き上げないと金銭的報酬は少なくてもより多くの敬意報酬を支払ってくれる競合他社のトータルの報酬額の方が大きく、人材を引き抜かれてしまうからだ。
Twitter / @fromdusktildawn (via raitu)
(mitaimonから)
1月 4, 2016
道徳を忘れた経済は犯罪だが、経済を忘れた道徳は寝言である。
二宮尊徳
道徳と経済 ≪ analog (via mcsgsym)
(ladynuuから)
1月 4, 2016
妥協して落しどころを探ると・・・骨抜き、玉虫色
強引に押し通すと・・・・・・・・独裁
部下に大きな権限を与えて任せると・・・丸投げ、無責任
官邸主導で進めると・・・・・・・・・・独裁
決断下すと・・・なぜ今なのか、慎重に議論すべき、他に大事なことがある
保留すると・・・また先送りか
支持率上がると・・・ポピュリズム、人気取り
支持率下がると・・・もっと国民の声に耳を傾けよ
靖国行くと・・・右派、軍歌の足音、いつか来た道
行かないと・・・公約破った
閣僚人事の予想があたると・・・新鮮味がない、地味
はずれると・・・・・・・・・・また小泉流サプライズの手法、実務派を使え
拉致問題取り組む前・・・北と仲良��、友好壊すな
取り組み後・・・・・・・なんでもっと早くやらなかったの、まだまだ足りない全員戻せ
北朝鮮に強い態度取ると・・・暴発するぞ
協調すると・・・・・・・・・弱腰
規制緩和すると・・・競争激しい、
しないと・・・・・・既得権益にメス入れろ
株価下がると・・・景気悪くなった、なんとかしろ
株価上がると・・・格差広がった、なんとかしろ
中韓と首脳会談が途絶えていると・・・・アジアから孤立している
中韓と首脳会談を行うと・・・・・・・・・・・・首相の点数稼ぎだ
語気を強めると・・・・感情的、逆ギレ
淡々と話すと・・・・・・歯切れが悪い
政治経済まとめ: 【コピペ】どうあがいてもマスコミのバッシングからは逃れることはできないことがよくわかるコピペ (via mcafee-x6)
2010-09-13 (via gkojax-text)
(元記事: 46187 (mitaimonから))
1月 4, 2016
何よりも不愉快なのは、一般の読者は「有害コミック」に影響を受けて悪いことをしでかすはずだという思い上がりです。「国民の判断力を信じられないのならば、あなたたち政治家が国民の投票で選ばれていることも疑うべきではないか」と言いたいです。
Twitter / 集英社インターナショナル (via yokumoku)
(lovecakeから)
1月 4, 2016
小津安二郎は、こう言った。 『どうでもいいことは、流行に従う。 大切なことは、道徳に従う。 そして、芸術に関しては、自分に従う。』
[mixi] さんSUKEさんのレビュー (via fialux, yohei917) (via ak47) (via dannnao) (via megane4141) (via o-x-y-s) (via the-whoooooooo) (via yuasa, yohei917-blog) (via chkk525)
1月 3, 2016
「ソシャゲのCMって意味不明なのばっかり。 あんなのでユーザ増えるのかよ?」みたいな発言をよく見かけますが、
来ます。 アホほど来ます。
デイリーの新規UUが3~4桁をいったりいたりしてる状態から、
いきなり5桁になるくらい来ます。
鯖だって落ちます。
Twitter / kajime_yaki (via rpm99)
(driftingheadから)
1月 3, 2016
「自分は役立っている」と実感するのに、相手から感謝されることや、ほめられることは不要である。貢献感は「自己満足」でいいのだ。(アドラー)
1月 3, 2016
昆虫は卵を沢山産むので、
ひとつの卵で成長するための卵黄の分配量
が少なくなってしまう。
そこで卵内の成長を最低限のとこで一旦止めて外部から栄養を取り込むようにする
これが幼虫である。
成長のための栄養を十分とると、
もう一度卵内の過程に戻る。
これが蛹である
【卵→幼虫→蛹→成虫】蛹(サナギ)って何なんだよ・・・一度全部ドロドロに解けるっておかしいだろ : 2のまとめR (via luna222)
(maumau-ruから)
1月 3, 2016
huckleberryfieldsforever:
s-sakihama:
今年もまたご一緒に九億四千万キロメートルの宇宙旅行をいたしましょう。
これは地球が太陽の周りを一周する距離です。速度はマッハ93。安全です。
他の乗客がごたごたを起こさないよう祈りましょう。
星新一
今年もまた、旅に出る
(sakanappiから)
1月 3, 2016
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)
日本人は目に見える一切の森羅万象の背後に、超自然の神霊を考えて、山川草木湖海風雷から井戸・かまどに至るまで、それらを司る神を想像した。
日本人はこの国土をつくった神々の子孫で、この神々こそ我々の祖先である。
この祖先である神々に奉仕し、この祖先を崇拝することが、我々の最高のつとめであると考えてきた。
神道では他の宗教のように、地獄・極楽を説かない。
日本人はその肉体が終えると同時に、超自然の力を得て、時間空間を超越した霊となって、子孫と国家を護るのである。
この考えのない者は、日本人ではない。
「日本 解明への一試論 Japan An Attempt at Interpretation」より
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)=アイルランド人の父とギリシャ人の母の間に生まれる。1869年(明治2年)に渡米、新聞などで活動。1890年(明治23年)、松江に英語教師として赴任。その後、熊本、神戸、東京と移り住み、日本に帰化。多くの日本論も残した。
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid783.html (via shinjihi)
(chiniuetakotetsuから)
1月 3, 2016
オットー・カロン=ドイツ人。ボン大学教授。
ローマ大帝国も、ナポレオンの国でさえも、一度戦いに負ければ亡びている。私の国のカイゼル陛下にしても、また生前中は神の如く慕われていたヒットラーも、イタリアのムッソリーニも、戦いに負けたらすべてそのまま残ることはできない。殺されるか、外国に逃げて淋しく死んでいる。だから日本の天皇も外国に亡命すると思っていた。しかし、そんなことは聞かない。だからすでにこの世におられないと思っていた。
ところが最近、日本から来た記録映画を見て驚いた。天皇が敗戦で大混乱の焼け跡を巡っておいでになる姿である。しかも、二年もの長い間、北の端から、南の端まで、焼き払われた廃墟を巡って、国民を慰めておられる。陸軍も海軍もすでに解体されているのに、一兵の守りもないのに、無防備のままで巡っておられる。
平穏無事なときでも、一国の主権者が、自分の国を廻られるその時には、厳重な守りがなされている。それでも暗殺される王様や大統領がある。それなのに一切の守りもなく、権力、兵力の守りもない天皇が日本の北から南まで、焼き払われた廃墟を巡る。国民を慰める。何という命知らずの大胆なやり方であろうか。いつどこで殺されるか。こう思って映画を見ていた。
しかし驚いたことに、国民は日の丸の小旗を打ち振って天皇を慰めている。こんなに美しい国の元首と国民の心からの親しみ、心と心の結び、これはどこにも見られないことである。われわれは改めて、日本を見直し、日本人を尊敬しなければならないと思っている。
「天皇の真実」(河内正臣)より
1950年(昭和25年)のカロンの言葉
※引用者注:昭和天皇の御巡幸は昭和21年から29年まで続き、沖縄をのぞく、全都道府県をまわられました。お立ち寄り箇所は1411カ所に及びました。
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid783.html (via shinjihi)
(inquisitive-bookから)
1月 3, 2016
「俺は飯作って貰っても嫁さんに有難うなんて言わない」って豪語する上司に、社会勉強でOLしてる良い所のお嬢様が「ご両親にマナーを躾けて貰えなかったんですか?」って無邪気に返されて、亭主関白からただの育ちの悪い男に落とされたって話を友人から聞いて爆笑しております。
きゅーびさんはTwitterを使っています (via yasunao)
(tom-motomから)
1月 2, 2016
かつて初めて会社勤めした時、当時の上司から言われた言葉
「良い報告は忘れてもよい。悪い報告ほど早く簡潔にせよ。私は君から悪い報告を聞きたい。なぜなら、悪い報告をトラブルに発展させないのが私の仕事だからだ」
いい上司だった。
Twitter / shun1sta (via hutaba)
(tetsujin28mmから)
1月 1, 2016
何度も書いてることですが、現代文で点数を取るコツは「書いてないことまで読み取らないこと」です。これ出来てる人は「なんで出来ないの?」と不思議に思うようですが、出来ない人はとことん出来ません。ツイッターでよく突撃してくる方もこのパターン多いです。自分の頭の中の「文意」と戦ってる。
Twitter / tarareba722 (via rpm99)
(tknoriから)
1月 1, 2016
Favorite tweets: 『愚痴らない』『威張らない』『ご機嫌でいる』
この3つは『年上の人間の義務』だって事。
やっと気づきました。 山田玲司 (@yamadareiji) November 16, 2014
via http://ift.tt/1HeZaVR (via nsx)
(utakatawagotoから)
1月 1, 2016
そもそも、女から見ても女そのものが付き合いづらいものだ。筆者の生粋の文化系女子な知人がtwitterでつぶやいた、「めんどくさくない女に会ったことがない」という発言は、真理を突いた名言で忘れられない。男性から見て女の相手をするのがめんどくさいのは当然で、じつは、女同士も踏み込んではいけない領域をうかがうところから始まり、ざっくばらんに語るなんてまずはない。
���1回 〈女子〉と映画 | 青弓社 (via otsune)
(beta-opinionから)
1月 1, 2016
鼻腔のひだひだが充血して膨らんで気道を狭めるからですよ。膨らむ理由は炎症とか、鼻の骨のゆがみとかがあるからと思います。左右の目の瞳の下の頬骨のとがった辺り(「しょうきゅう」って言う所あたり。)を人差し指と親指で右側左側をはさむようにしてマッサージして見てください。頬骨が開く方向になると息が少しし易くなります。鼻が詰まっていると血行が悪くてその指で押している所はかなり痛いですが、痛くならないくらいまでマッサージします。程よく血行がもどったら鼻の通りはそれよりもよくなると思います。
鼻が詰まる理由について Yahoo!知恵袋
本当だ!
(via kwwwsk)
(diving-penguinから)
1月 1, 2016
国内の業者なら、寸法の書かれていない本棚の設計図に、常識で考えられる範囲の寸法、例えば、文庫本が収まるサイズとかを当てはめて、それなりの寸法で板を切ってくれかもしれない。また、棚いっぱいに本を並べたときに壊れない程度の厚さの板をつかうかもしれない。海外の業者ならどうだろう?組み立てられる寸法かもしれないが、家で使うには大きすぎる本棚かもしれないし、本を横一列に並べたら棚が壊れるような厚さの板を使うかもしれない。え?そんなの考えて板を切るのが常識だって?品質意識がなってない?寸法を問い合わせてくるのが常識だぁ?あのな、常識なんてものが通用するのは日本国内だけなんだよ!
オフショア開発失敗の原因 - Sacrificed & Exploited (via jun26)
(kou-ryuから)
1月 1, 2016
「してあげたのに」は呪いの言葉です。 その後に続く言葉は「なのに、何もしてくれない」です。 「してあげたのに」を発した途端、全ての行為が取引に変わります。 愛情でしていた行為も、お返しを期待する取引行為に変わってしまうのです。 心で思っていても、声を出してはいけない言葉なのです。
Twitter / naname_ue_siko (via hutaba)
(rurinacciから)
1月 7, 2016
【可能性を変えて同意】
Could be:20%
ありえるね
Might be:40%
かもね
Should be:60%
そのはずだね
Would be:80%
だろうね
Must be:99%
間違いないね
Twitter / e_kazuma (via yellowblog)
(muuuuから)
12月 12, 2015
Q. 地球上で最大の二酸化炭素の排出源は?
A. 海。(2位落ち葉、3位動物・バクテリア)
Q. 人類の排出する二酸化炭素は年6.5ギガトンです。海は何ギガトン?
A. 10,000ギガトン(落ち葉1,000ギガトン、動物150ギガトン)
Q. 温室効果ガスで大気中に最も多く存在するのは?
A. 水蒸気。(約80%。ちなみにCO2は0.037%)
Q. 温暖化の原因って二酸化炭素?
A. マスコミや偉い人がみんなそう言ってます。間違いありません(笑)
ヒロイモノ中毒 温暖化の原因って?
インタビュアーが「なぜ“焼夷弾”を落とすという選択をしたのか」とマクナマラに問う。
マクナマラはこう答える。(以下M)
M:「問題は焼夷弾ではない。」
M:「一晩で10万人の市民を殺戮していいかどうかだ」
M:「ルメイの答えは、イエスだ」
M:「彼は言うだろう。“君は10万人ではなくもっと少なければいいと言うのか? 日本上陸ともなれば何万もの米兵が死ぬかもしれん。それが賢い選択か?”と」
M:「だが、焦土にした上で、原爆まで落とす必要があるのか?」
M:「ルメイは、東京以外も焼夷弾で焼いた」
クリーブランドと同規模の横浜は58%が破壊された。
当時のN.Y.に匹敵していた東京は、51%が破壊。
富山は 99%が破壊された。
名古屋は 40%が破壊された。
大阪は 35.1%が破壊された。
西宮は 11.9%が破壊された。
下関は 37.6%が破壊された。
呉は 41.9%が破壊された。
神戸は 55.7%が破壊された。
大牟田は35.9%が破壊された。
和歌山は 50%が破壊された。
川崎は 35.2%が破壊された。
岡山 68.9%
八幡 21.2%
鹿児島 63.4%
尼崎 18.3%
佐世保 41.4%
門司 23.3%
都城 26.5%
延岡 25.2%
宮崎 26.1%
福岡 24.1%
高知 55.2%
佐賀 44.2%
今治 63.9%
松山 64.0%
大分 28.2%
平塚 48.4%
徳山 48.3%
四日市 33.6%
宇治山田41.3%
大垣 39.5%
岐阜 69.6%
福井 86.0%
徳島 85.2%
堺 48.2%
八王子 65.0%
熊本 31.2%
伊勢崎 56.7%
高松 67.5%
明石 50.2%
福山 80.9%
青森 30.0%
岡崎 32.2%
静岡 66.1%
姫路 49.4%
千葉 41.0%
一宮 56.3%
清水 42.1%
大村 33.1%
奈良 69.3%
津 69.3%
桑名 75%
豊橋 67.9%
沼津 42.3%
銚子 44.2%
甲府 78.6%
宇都宮 43.7%
水戸 68.9%
仙台 21.9%
鶴賀 65.1%
名古屋 64.9%
日立 72.0%
熊谷 55.1%
浜松 60.3%
前橋 64.2%が破壊された。
【動画】「如何に日本人虐殺の効率を上げるか?」~マクナマラ元米国防長官の告白 THE FOG OF WAR~:Birth of Blues
原爆以外にこれだけ大規模な空襲を米軍がしていたなんて、、、知らなかった。
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そう知られていないんだ。
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これを広めることが大切
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◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 平成30年(2018年)4月16日(月曜日) 通巻第5673号 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 孫政才の裁判で再び浮上した温家宝(前首相)一族の闇 段偉紅という謎の女政商が、悪名高きインサイダー取引の裏側で何をしたのか **************************************** 簫建華が香港で拉致されてから一年以上になる。消息はまったく途絶えており、北京に拘束されているのか、或いはすでに消されたか? 中国共産党は拉致の事実さえ認めておらず、香港の主権を侵した事実を消した。この簫建華なる男は「明天証券」という金融の旗艦企業を拠点に、中国市場で、ほとんどのインサイダー取引に絡んだ元締めだった。 しかも簫建華は江沢民派と強い絆で結ばれていた。共産党幹部の子弟らが依拠する太子党のビジネスに深くコミットしてきた。かれの背後にいたのが、米国へ亡命し、盛んに習近平、王岐山らの秘密を暴露している郭文貴であり、その黒幕は江沢民の右腕、曽慶紅である。郭文貴はブレア首相夫妻と親しくなり、英国政界にも深くコミットし、そのコネを利用して中東の大金持ちとも親交があった。 4月12日、突如失脚して拘束されていた孫政才(前重慶書記、政治局人)の裁判が開始された。うなだれて法廷に立った孫は嘗ての栄光の雰囲気は消えうせ、悄然として孫は収賄の罪を認めた。 この裁判で再び浮かび上がってきたのが温家宝(前首相)一族との裏での繋がりであった。温家宝一家の腐敗ぶりは米国のメディアがとくに熱心に取り上げた。夫人は中国の宝石ビジネスの黒幕といわれ、また平安保険の本社ビルの大きな部屋をあてがわれて、多くの利権に絡んだ。息子はインサイダー取引にせっせと手を出していた。 この温家宝一家のスキャンダルを追っていくうちに、突然消えた政商がもう一人いることが判明したのである。 大富豪で実業家を自称する段偉紅女史は簫建華と同じく、拉致されたのか、逮捕拘束されたのか視界から消えて、まったく所在不明となっていた。 この段偉紅(49歳)は個人資産が60億ドルともいわれた。何をしているか分からない投資グループ「開封財団」を率いて、米国の教育関係の「アスペン財団」に多額の寄付をしつつ米国社交界でも有名な存在だった。 彼女は米国などで文化財、骨董などを買い集め、NYとロンドンにも私邸を保有し、謎の女傑政商として、欧米のメディアにもよく登場した。 段偉紅の出世物語も、温家宝一族と絡んでいた。 北京五輪前に不動産開発に乗り出し、北京空港周辺の土地を買い占め、さらには平安保険の株式を上場前に3%取得した。購入金額は6500万ドルだったが、上場後、この株式の時価は37億ドルに跳ね上がっていた。 JPモルガンは中国進出にあたり、この女性を2006年から二年間、どのような役割を担ったのか曖昧な「顧問」として契約し、月給を7万500ドル支払っていたとNYタイムズがすっぱ抜いた(同紙、2018年2月7日)。 こうして簫建華と段偉紅という「行方不明」だった二人の動静が、孫政才の裁判を通じて明らかにされ、二人の裁判も近く始められるとの予測が香港情報筋からあがり始めたのだ。 ○◎▽み□△◎や◇◎□ざ▽◎○き○□□ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ビットコインの投機的な暴騰、そして直後からの暴落が何を意味するか 仮想通貨は「ネズミ講」が基本スキーム、誰も最後には得をしない「暗号資産」 ♪ 渡邊哲也『今だから知りたい「仮想通貨」の真実』(ワック) @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@ ウォーレン・バフェットは、自らが主催するバークシャー・ハザウェイの年次総会のあと、テレビに出演し「仮想通貨はろくな終わり方はしない」と明言した。 その記憶が鮮明な頃、評者(宮崎)はラオスに取材に行った。首都ビエンチャンの中心地のレストランの看板に「ビットコインの支払いOK」とあって、驚いてしまった。金融システムの未整備なラオスで、しかも自国の通貨が信用されていない国で、はやくも仮想通貨決済が進んでいるとは! 日本政府、中央銀行は仮想通貨の導入に前向きだった。ブロックチェーンの研究と開発、実践化に意外と積極的であり、またメジャーな銀行も大商社と組んで仮想通貨発行に意欲を燃やしていた。 正反対にビットコイン規制に乗り出したのが中国と韓国だった。 韓国は甚大な被害に見舞われ、おそらく北朝鮮のハッカー集団と見られる犯行グループにあらかたの資産を強奪された。中国の場合は、狂信的なブームを前に一党独裁の中国共産党が、人民元の価値が、政府のコントロールの行き届かないところで下落したり、いや大暴落を演じるリスクを恐れたからである。あくまで経済の末端までを管理支配しようとする独裁メカニズムがさきに働くからだった。 さてビットコインを仮想通貨と翻訳したのは印象操作の類いで、英語圏では、これを「暗号通貨」と読んでいる。事実、3月にブエノスアイレスで開催されたG20で、ビットコインを含む仮想通貨を「暗号資産」と呼ぶことになった。 基本スキームは「ねずみ講」である。日本でも安愚樂牧場、トヨタ商事、等々、高利で資金を募って回転資金に回していた詐欺行為の悪例がやまのようにあるが、ビットコインの基本概念も、これと同じと考えて良いだろう。 今後、ビットコインに前向きの姿勢を取るのか、規制を強化するのか、日本の最終的な態度はまだ決まっていない。 日本の財務省はブロック・チェーンの普及に前向きである。この政府の姿勢が曖昧なため、コインチェックをマネックス証券が買収すると報じられるや、後者の株式が異様に上昇するという不思議な現象も市場では起きた。 しかし政治経済学の基礎に戻れば、通貨とは「主権」の問題であり、米国はドル基軸態勢を脅かす仮想通貨を敵視するスタンスを変えることはないだろう。 著者の渡辺哲也氏は、この面妖なる通貨の将来についてこういう。 「通貨としての価値を保証する資産の裏付けがなく、国や公的機関による利用者保護もほとんど期待できず、一日に20−30%の値動きも珍しくない投機性の高い仮想通貨は、ハイリスク、ハイリターンのマネーゲームを煽っている面が強く、それを保有することで、日本国民の多くが得をし、幸せになる要素はほとんどない」 基本を理解する上で、本書はこのうえない参考書である。 ◇◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇◇ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ♪ 樋泉克夫のコラム @@@@@@@@ 【知道中国 1717回】 ――「支那人の終局の目的は金をためることである」――廣島高師(6) 『大陸修學旅行記』(廣島高等師範學校 大正3年) ▽ やがて遼陽の地を離れ、「熱い満洲の日を右頬に受けて長春線の線路を歩」み、「愈深く滿洲の廣野と高粱の美を感じ」ながら奉天へ。清朝発祥の地である奉天でも清朝ゆかりの地を歩くが、その多くが「幾世の風雨に曝されて丹朱も剥げ、柱楹も蟲喰み、?金色した瓦も落ちて、いたましい程に草が生へて居る」。ここで再び日本式漢文口調の詠嘆の辞に続いて、彼らを案内した「支那通の梅森氏」の「支那人は廢滅と云ふ間際でないと修繕などは加へませぬ」と解説が記されていた。 やはり「支那人は廢滅と云ふ間際でないと修繕などは加へ」ないのである。 2種の「旅行日誌」の後に「第五 ?育状況の一般」「第六 大連中央試驗所参觀記」「第七 通信部報告」「第八 衞生部報告」「第九 會計部報告」「付録一 殖民地?育と南滿洲(講演要領筆記)」「付録二 殖民地?育展覧會概況」と続くが、そのなかから興味深い記述を拾っておきたい。 先ず「第八 衞生部報告」の「上海及び南京衞生雜感」から、 「城内は街幅狹く馬車人車等相會する時は實に困難を感ず。道は石を敷きあれどもか甞修繕を加へざれば一凸一凹頗る歩行に難��。不潔なる事は言語に絶し異臭鼻を打ち一たび此地に足を入れば再びするの勇氣なし斯く不潔汚穢のありたけを盡して流行病の傳播せざるこそ不思議なれと思へば決して然らず。コレラ赤痢の流行は珍しからず只支那人市街に隠匿して世に知られざるまでと聞きて尤の次第なりと思へり」―― 次いで「第九 會計部報告」。旅行中の諸費用を含めじつに子細な会計報告がなされているが、殊に興味深いのが「會計係所感」だが、そのなかの「支那人と金錢」から以下に引いてみたい。 「支那人の終局の目的は金をためることである。と言えば何だか彼等を侮辱したようであるが實際に於て支那人の大部分はこの金を得んが爲めには如何なる手段をも敢えてするのである」。「思慮の淺い目先ばかりを見る者どもは物を僞り人を瞞かして小利を得ようと」し、「遠き慮をなす者は眼前の利に迷ふことなくよく大局を見とゞけてあくまで忍耐刻苦して目的の貫徹を期するのである、故に支那人の中にはどうしても信用の置けない人間も多いがまた取引等に於て甚だ堅い大商人も少なくないのである」。かくして「何にしても金の儲かる所には���何なる苦しみにも耐へてよく勤めるといふのが支那人の特質」となる。 続いて「支那人と金錢」の視点から辛亥革命と反袁世凱の第二革命を論じている。 先ずに辛亥革命ついては、「其名目は如何にも花々しく支那民族覺醒の聲を聞くようであるが(中略)丸で是れ利慾の輩の暴動である、銃劍や衆力を以て強奪を試みようといふのが彼の革命の動機の一半であるらしい」。 次いで第二革命における反袁世凱勢力が敗北した原因は、「砲の響の威嚇よりも財布のチャランチャランの魅力」が袁世凱軍に「比して遥に劣つて居たからだ」。 総じていえることは、支那三千年の?史を見れば随分偉い人物も出て居る、併し彼等が率ひる萬衆は皆利の爲めに動くといふ輩であるからしてこれに啗はすに少ない利を以てすれば忽ち背を向けるといふ有樣だ、で彼等史上の偉人物の生涯には波瀾が非常に多く光明の後には必ず暗憺の影の添ふのを見るのである」。 以上は「只觀察見聞によつて痛切に感じた」ことだが、「旅行中尤も五月蠅く感じた」「車夫馬丁の賃錢をねだる事」から「彼等の金錢に對する執着心」を身を以て知っただろう。 やがて廣島高等師範學校を卒業し先生となった彼らが、実際に教室で生徒に接して隣国の状況をどのように教えたのか。旅行中の体験を、必ずや熱く語ったに違いない。 《QED》 ▽□◎ひ▽□◎い□▽◎ず□◇◎み▽□◎ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 読者之声 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ♪ (読者の声1)貴誌6672号「シリア情勢」ですが、私は馬淵睦夫先生のユーチューブでのお話を聞いたり、著作をよく読ませていただくのですが、氏によれば、トランプ大統領が中東撤退の意思を示している今、シリアが毒ガスを使う理由はなしし、その証拠もない。証拠を出しているのは「人権団体」という最も信じてはいけない組織だけとおっしゃっていました。 さらに言えば、メインストリームメディアは、フェーク写真(例:油まみれの鳥、土座衛門の子供、911同時テロも?)や、フェークニュース(慰安婦、ロシアゲート、アベゲート等々)で世論をコントロールしてきた実績がありますし、証拠が無ければ南京虐殺ねつ造問題と同じことです。 また、メディアは挙証責任をシリア側に転化しています。 参考: https://www.youtube.com/watch?v=VWN9ZZmrDNs 株式市場については、私の見立てでは、日本株市場は短期的にシクリカルな上昇トレンドに入り、アメリカ株下落も一段落したようにみえます。 但し、長期的な世界株式市場全体には、1)米金利上昇、2)メルケルの今後とEURO、3)シナ経済崩壊(シナ共産党がドイツ大企業株主)という巨大時限爆弾が潜んでいますから、中期長期は見込み薄とみています。 宮崎先生が掛かれているようにシナと関連の深い東南アジア市場(マレーシア、タイ、シンガポール、インドネシアなど)も影響は深いと思われます。結局長期的には、世界経済の大矛盾は中規模の(短期間の)戦争によって終わるのではという悲観的な予感がしています。 トランプ大統領がツイッターしたミサイル攻撃は共和党主流派のガス抜きと米ロ会談への口先効果を狙ったものではないでしょうか。 前回のミサイル攻撃のように、ロシアに事前に連絡のうえでロシア軍とは関係のない地点へミサイルを撃ち込むという国内向けデモンストレーションはありえますが、ロシアは地中海艦隊を死守する腹だろうし、シリアを破壊すれば難民がEU圏へ入ることになる。ネオコンにはメリットあるかもしれませんが、トランプ大統領(アメリカ)にメリットはありません。 トランプ、プーチンの両大統領の認識は一致しており、日本伝統の「腹芸」を世界的規模で繰り広げているような印象を受けます。 (R生、ハノイ) (宮崎正弘のコメント)シリアの子供達が化学兵器でやられている映像、どうしてあの「現場」に居合わせ、迫力ある画像を撮影できたのか。あれほど劇映画のように立ち会えたのでしょうね? 欧米露中、そして中東の政治とは、このような手口は常習です。 トこう書いている間に米国はシリアを英仏と共同でミサイル攻撃し、地上軍を派遣することはせずに、「作戦は終了した」としました。 ♪ (読者の声2)貴誌前号のシリアの化学兵器ですが、軍事評論家の鍛冶俊樹氏の「軍事ジャーナル」(4月13日)に「シリア化学兵器は北朝鮮製か?」と題して次の考察があります。 (引用開始)「シリアがまたしても化学兵器を使用したとかで、米軍がシリア攻撃を検討している。奇妙なのは、4日にトランプ大統領がシリアからの米軍撤退の準備を指示した3日後にシリアで化学兵器が使用されている点だ。シリアのアサド政権にしてみれば、シリアの反体制派を支援している米軍が撤退してくれることは、この上ない僥倖である。化学兵器などを使用しないでいれば、米軍の撤退は目に見えている訳で、ここで敢えて米軍を挑発するような行動を取る理由が不可解であろう。 米軍の駐留の継続を望むのは、シリア反体制派であるから反体制派の仕業と言う見方も成り立つ。同胞を犠牲にする筈はないと思うのが常識だが、常識の通用しないのが中東である。また一口に反体制派と言っても色々な派閥があり、必ずしも同胞とは限らないのである。 米軍が攻撃に慎重な姿勢を示すのも、この辺を見極めようとしているのであろう。ところが昨日、フランスのマクロン大統領が「アサド政権が化学兵器を使用した証拠を掴んでいる」とテレビのインタビューで述べた。シリアはかつてフランスの植民地であり、現在でもフランス情報部のシリアへの浸透は米英独を上回りロシアと並ぶ。そのフランスの大統領が断言した以上、この情報は信頼できる。つまりアサド政権は化学兵器を使用したのである。 昨年4月にもシリアでは化学兵器が使用され、トランプ大統領がフロリダの別荘で習近平との会談の最中に、シリアにトマホーク59発を撃ち込んだのは記憶に新しい。この時もトランプ政権がアサド退陣を求めないと声明した4日後に化学兵器が使用された。つまり今回と同様、アサド政権が化学兵器を使用するメリットがないのである。これについては昨年4月9日号「シリア化学兵器は北朝鮮製」で詳述したから参照されたい。 http://melma.com/backnumber_190875_6512306/ 要するに、前回の化学兵器が北朝鮮製だとするならば今回も北朝鮮製だと見るのが当然の理である。北朝鮮の狙いは米軍を中東に釘づけにして対北攻撃を回避する事だ。一方米国は英仏をシリアに代理介入させて、米軍主力を予定通り東アジアに振り向ける算段であろう」(引用止め) 以上です。 (NK生、茨城)
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