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#永遠の5歳
rinna5021 · 4 months
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クリスマスイラスト2023
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あげ忘れていたけど、2023年のクリスマスカード用に描いたイラスト。 ステンドグラスが大変だったけど、評判良かったので、描いて良かったです。
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enkelereis · 1 year
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去年のキース❤️ 桜も菜の花もチューリップも全部記念に撮れて良かったです😊お気に入りの写真は春の時ものが多いなあ。悔いの残らないようにと毎年毎年…毎年…毎年😆 おかげさまでキースに関しては思い残すことはないけれども、我々も毎日思い残すことないように生きたいものです。と言っているそばから仕事の準備が不完全になりそうで早速思い残すのではないか💨(もし完全だとしても自分の至らなさにきっと思い残しますが) 昨日は夫が大腸カメラの日だったので送迎役を。今回はポリープもなく、事前準備の療法食+下剤から解放された夫は病院を出た直後からご機嫌に食欲を爆発させていました。 更には長田区のロピアにも行きたいと。なんと素材からか!そして夫はお肉コーナーに吸い込まれてゆきました。 鉄人28号のモニュメントを見たことがないとのことだったので、エドワードも連れてきたのでお散歩をすることにしました🐾桜がいっぱい咲いていましたよ🌸 #桜 #春 #お空組 #corgi #コーギー #シニア犬 #シニア犬19歳 #19歳コーギー #2003年組 #車椅子コーギー #永遠の19歳 #chihuahua #チワワ #ブラックタンホワイト #blackandtan #ロングコートチワワ#longcoatchihuahua #5歳 #dog #わんこ #dogs https://www.instagram.com/p/CqUA5F2v64M/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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lllusioninthehead · 29 days
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2024/04/01
どうやら母は長くないらしい。
MRIの画像にははっきりと助骨を呑み込むほどの腫瘍が写っていた。
医者は明言は避けたものの
「抗がん剤治療や放射線で癌を���さくしながら付き合っていくしかない」と言った。手術や切断、はたまた先進治療の言葉は可能性としても出てこなかった。それだけおそらくは絶望的な状況なのだろう。
手元のスマホで肺がん、骨、転移 と検索すると5年生存率10%以下と表示がされ母の背中を見ながら深く息を吐き出した。どんな思いで診断を聞いているのか測りかねる。あるいはすべての感情がいっとき止まってしまっているような。生物の防衛反応。
悲しむ時間もなく、PET検査、病理検査の日取りを決めていくのだが付き添いの自分だって現実に頭が追いつかない。
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帰りの蕎麦屋。
麺や海老天をだいぶ残した母は
「酒もタバコも好き勝手やってこの歳まで生きたのだから、まぁ上出来だね」と笑った。
蕎麦には大量の七味が浮いていた。何事もやりすぎる人だ。
こっちは笑えないけど、そんなことを言われたら仕方ない。まだまだ元気な姿と残した蕎麦。
でも、痛いのは嫌だね。と肋骨を抑える姿。
生前にどのように遺産整理をしていくのか方針を決めた。昼過ぎの蕎麦屋に似つかわしくない話題。テレビからは大谷翔平がどうのこうの。
あとは木曜日、そして来週と検査が終われば母の余命が決まる。
最後の一本と医者から止められたタバコを「美味しいわ」と飲む。そこまで往生際が良いのなら駄目だという気にもなれない。余命が決まったらまた吸い始めるわと灰皿に押し付けた。
兄とはほぼ絶縁状態で、親戚とも疎遠。母が死んたらなんだか拠り所のなさが増すなと背中のあたりが薄ら寒い。
とりあえず木曜日にまた来るよと言い残して家を出た。これから母の永遠の孤独を巡る戦いが始まるのだ。どんな結末が待っていようとも。
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chikuri · 5 months
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クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説: まずは約5分に渡るクロエのオープニング・ステートメントから: = = = = = = = = = = 私の名前はクロエ・コール。デトランジショナー*です。別の言い方をするなら、私は自分が間違った体に生まれたと信じていて、そして、私が信頼していた大人たちは私のそんな考えを肯定し、生涯癒えることのない傷を私に残しました。 (*=ホルモン療法や身体整形などの医療行為により性別を変え(トランスし)た後、元の性別に戻ることをデトランスdetrans、その個人をデトランジショナーdetransitionerという) 私は今日、アメリカ史上最大の医療スキャンダルの犠牲者として、皆さんの前でお話しします。皆さんにこの狂乱を終わらせる勇気を持っていただき、私が経験したような苦しみを、脆く危うい状況にあるティーンエイジャーや子どもたち、そして若い大人たちが味わうことのないようにしていただきたいと願っています。 - 12歳の時、私は後に医療チームが性別違和と診断するような経験をし始めました。私は幼くしてやってきた思春期の真っ只中で、自分の身体に起きている変化をとても不快に感じていました。男性から注目されることに怯えていました。今になって思えば、両親に「自分は男の子のような気がする」と言ったのも、思春期が嫌で、この未知の性的な緊張が無くなってほしいという意味だったでしょう。私は姉たちよりも兄たちの方を少し慕っていましたし。 私はダイニングテーブルの上に置手紙をして、自分はトランスジェンダーだと告白しました。両親はすぐに心配し、医療の専門家の助けを借りる必要があると感じたようでした。しかし、それは間違いだったのです。家族全員が即座に、イデオロギーに突き動かされた欺瞞と強要の道を歩むことになりました。 私が受診した一般的な専門家は、両親に「すぐに思春期抑制剤(ブロッカー)を飲ませる必要があります」と言いました。 彼らは両親に簡単な質問をしました:「 死んだ娘さんと生きているトランスジェンダーの息子さん、どちらを選びますか?*」と。 (*=トランス医療における常套句で、子供の主張するジェンダーを肯定しなければその子は自殺してしまうだろう、ならば性別を移行させてやる方が本人のメンタルヘルスも回復し希死念慮もなくなる、という意味) その選択は両親の警戒を解くのに十分でしたし、今考えても両親を責めることはできません。私たち全員が、いわゆるジェンダー肯定治療(ジェンダー・アファーミング・ケア)*の犠牲になった瞬間でした。 (*=欧米で広く支持されてきた療法で、患者の経験や感覚を尊重し本人の主張するジェンダーに寄り添った医療やサポートを行う) - 思春期ブロッカー、そしてテストステロンへと急ピッチで進められ、その結果、更年期障害のようなほてりで学業に集中できなくなりました。今でも関節痛や背中の変な痛みがあります。ブロッカーを使っていたときのほうがずっとひどかったですが。 その1ヵ月後、13歳のときに初めてテストステロン注射を打ちました。不可逆的な身体の変化が引き起こされ、私の声は永遠に深く、顎のラインは鋭く、鼻は長く、骨格は永久に男性のそれになり、喉仏はより目立つようになり、生殖能力は不明となりました。 時々鏡を見ると、まるで自分が怪物のように思えます。 私が二重乳房切除術を受けたのは15歳の時です。医師は切断した乳房にガンがないか検査していましたが、もちろんガンなどなく、私は完全に健康でした。まだ発育途中だった私の体や乳房は、不安な10代の少女として気まずい思いをしたこと以外、何の問題にもさられていませんでした。 私の両胸は摘出され、その組織は焼却されました。合法的に車を運転できる歳ですらなかった。しかし将来の女性としての大きな部分が奪われたのです。母乳で我が子を育てることはもう決してできない。鏡の中の自分を見るのもつらい時があります。今でも性機能障害と闘っています。胸には大きな傷跡があり、より男性的な位置にくるようにと乳首を切除した皮膚移植のため、今日もそこから体液が垂れています。 手術後、学校の成績は落ちるところまで落ちました。 私が経験したこれら全ては、抱えていた根本的な精神衛生上の問題を解決するものではありませんでした。そして、ジェンダーについて理論を持つ医師たちは、私が手術によって漠然と男の子に似たものに変化すれば、私の悩みはすっかり無くなるだろうと考えたのです。 彼らの理論は間違っていました。薬と手術は私の身体を変えましたが、私が女性でありこれからもずっと女性である、という基本的な現実は変わらなかったし、変えることもできなかった。専門医が私の両親に、「死んだ娘か生きているトランスジェンダーの息子を持つことになる」と当初告げたとき、私には自殺願望などありませんでした。私は幸せな子供で、人と違うことで悩んでいただけです。 しかし手術後、16歳の時、私は自殺したいと思うようになりました。今は良くなっていますが、両親はもう少しで、医師から約束された死んだ娘を手に入れるところでした。私の主治医は、彼らが避けたいと言っていた悪夢そのものを作り出すところだったのです。 - 私はアメリカのティーンエイジャーとその家族にどんなメッセージを伝えたいのでしょうか? 私に必要だったのは嘘をつかれることではありませんでした。共感して欲しかった。愛されていると感じることが必要でした。男の子に変身すればすべての問題が解決するという妄想を肯定するのではなく、私の悩みに取り組むセラピーを受ける必要があったんです。 私たちは12歳の子供たちに、「間違った身体に生まれてきた、自分の肉体を拒絶していい、自分の肌に違和感を覚えるのも正当だ」、などと言うのをやめねばなりません。 「どんな服を着るかとか、どんな音楽を聴くかなどを選べるように、思春期だってチョイスであり、どのような思春期を過��すかは自分で選べるのだ」、なんて子供たちに言うのはやめなければいけないんです。 思春期は大人になるための通過儀礼であり、緩和されるべき病ではありません。 - 今日、私は自宅で家族と19歳の誕生日を祝うはずでした。しかしその代わり、私は選挙で選ばれたあなた方に必死の訴えをしています。 オピオイド危機のような他の医療スキャンダルから教訓を学んでください。医者も人間であり、時には間違っていることもあるのだと認識してください。 私の子供時代は、私たちのネットワークを通じて知り合った何千人ものデトランジショナーたちと同様に台無しにされました。 どうか止めてください。あなただけが止められるんです。この野蛮なエセ医学によって、すでに多くの子供たちが犠牲になっています。どうかこの私の警告が最後のものとなるようにしてください。 ご静聴ありがとうございました。 = = = = = = = = = = - 公聴会でのクロエの証言はどれもショッキングであると同時に、彼女の堂々たる勇姿が人々の胸を打った。中でも子供のトランス治療に賛同した両親の存在についてクロエが声を詰まらせながら語ると、彼女の思慮深さに感動し涙する大人たちであふれた。 13歳から17歳の間に思春期抑制剤、異性間ホルモン剤、二重乳房切除術を受けたとして、カイザー財団病院とパーマネンテ・メディカル・グループを訴えているクロエは、公聴会の中で民主党側が招いた証言者のレイノルズ博士に話しかけた。 トランスジェンダーを自認する子供の母親であり、プロのカウンセラーでもあるミリアム・レイノルズ博士は、委員会の公聴会で「未成年者の性転換治療は必要であり、命を救う」と明言し、彼女の子供も現在ホルモン補充療法を受けているとしている人物である。 以下はクロエからレイノルズ博士への発言: = = = = = = = = = = レイノルズ夫人が我が子のために不安なのは理解しました。これは言っておきたいのですが、私は彼女を憎んでいません。ここにいる誰も彼女を嫌悪したりはしていないと思います。実際、私は彼女の中に自分の母親と父親を見ています。そして、明らかに彼女は子供を心から愛している。それに、彼女はできる限りでベストを尽くしている。ただじゅうぶんな術はなくて…気の毒だと思います。 子供を救いたいと願うすべての親には、最大限の援助とガイダンスがあって然るべきです。 しかしながら、私は、彼女の子供が私と同じ結果になることを望みません。誰であっても性別移行やデトランスを後悔してほしくない。なぜって、それは信じられないほど困難で、他にはない苦痛が伴い、容易なことではないからです。 彼女のお子さんが幸せで満ち足りた青年時代を過ごせるようにと願います。それがたとえどんな形であろうとも。 = = = = = = = = = = - ある日突然、幼い我が子が性別違和を訴え、多くの親たちは狼狽する。メディアや学校や小児科医やママ友まで「トランスキッズは増えているが、それは彼らが自然にカムアウトできる時代になったから。子供たちの真のジェンダーを肯定してあげなければ、彼らは間違った身体に入れられた心の苦痛に耐えきれず、自死を選ぶだろう」と言っているのだから。 日本では欧米で起きている子供たちに蔓延する熱病のようなトランス・ブーム、LGBTQイデオロギーに侵食された科学分野や医療業界、金儲けのために健康な子供たちを切り刻む医師、司法・行政・教育機関が一丸となって親から子供を引き離している実態などがまるで知られていない(にわかには信じ難い話で、まあ無理もないけれど)。 だから、クロエ・コールや他の何千という未成年のデトランジショナーがトランス治療に加担した病院や医療従事者を訴えている、と聞くと、「金目当てだろう、医者のせいにすんな」とか、「厨二病に罹ってバカを言った子供の責任だし、親もどうかしてる」とか、セカンドレイプにも似た被害者への罵詈雑言が飛び交う。 しかしそんな無知で傲慢な彼らのどれほどが、クロエや彼女の家族と同じ状況に立たされた時に後悔のない選択をできるだろう。医者や専門家という職業を信頼していれば尚のことである。 まるで他人事の彼らは、日本でも子供たちへのトランスジェンダリズム啓蒙、保護者からの引き離し(親に内緒で未成年児童をLGBTQユース団体に参加させるなど)、そして思春期抑制剤の推進なども起きていると知っているのだろうか。 画像 - トランスジェンダリズムに基づくトランス医療はエセ医学であり、欧米で今、デトランスした子供や若者たちが訴訟を始めているように、大きな巻き返しが起こって医療スキャンダルとして扱われる日が来る。 そう願って日々発信しています。 (終わり) さらに表示
Xユーザーの🇺🇸 🇯🇵Blahさん: 「クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説:… https://t.co/DRd2Vlbwfc」 / X
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mrtvnm666 · 5 months
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みなさん、こんにちは♪
あたしの名前は神崎エリカです♪
永遠の24歳💦
AIインスタグラマー、AIグラビアモデルです。
ご覧の通り、あたしの自慢は、
おっぱいです❤️
SDではなくSea Artで作成してます。
みなさん、よろしくお願いします❤️
#絵師さんお友達キャンペーン5
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ichinichi-okure · 8 months
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2023.9.8fri_tokyo
8時半起床、夜中に流れてきた岡田索雲さんの「追燈」というネットcomicを読み始めて、読み終えた後眠れなくなって3時に寝たので眠いです。漫画は関東大震災が起きた100年前の東京を舞台に、朝鮮半島出身者の男の子が目の当たりにした出来事のお話。受け止めなきゃと思いながら、人間の狂気が怖くて眠れなかった。 ※リンクから無料で読めます
ちょうど昨日、俳優のカトウシンスケくんに偶然あって、彼が出演している現在上映中の”福田村事件”の話をしたところ。これも関東大震災直後の実話に基づくお話で、映画の予告を見ると「十五円五十銭」と言わされるシーンがあり、胸が痛すぎる。漫画にも出てくる狂気の言葉。映画、絶対見なければいけない。
そういえば5時半に寒くて一回起きてしまったのだった。暑すぎた夏だったけど、もう寒くてかけ布団を探すなんて。寂しい気持ちになりながら、台風が近づいている雨の音に耳をすます。静かにしとしと、地面や草花に雨が当たる音、きれい。
7月から、下北沢のボーナストラックという施設を運営している会社で、週に2回くらい働き始めていて、10時半からはその金曜定例会議。雨が強すぎるので、オンラインで参加することにして準備。こないだ鎌倉で買ったパラダイスアレイのパンを食べながら(酸味がうま〜)、報告内容をまとめる。余った時間で、個人活動として動いている案件を進める。秋に開催のいくつかのイベントの更新や、各所にメールの返信をするも、永遠にタスクが溜まっていくのだ。告知もめっちゃ溜まっている。自分のキャパせま、おそ、つら。うそ、順番にやるしかないだけなので、シンプル。やる。
新しい仕事が始まってからは、インプットが多い毎日で、リズムがうまく生み出せなくて、この2ヶ月は、飲み会もライブも遠ざけてきた。人と話すのも、音楽聴くのも、ちょっとキャパオーバーで断りまくり。(みなさんごめんなさい)特に音は聞けない泣 だけど9月に入ってから、これだ!っていう感じで、うまく気持ちを抜けるようになってきたので、心も暮らしも復活してきた。それでも、コロナが落ち着いてきたここ半年くらいの世の中の急な全力疾走にはついていけなくて。けど、ついては行かずに、でも、止まらずに歩いて行き先を決めていくことをしながら、バランス取って休む。みたいなことができるようになった。あと、毎日歳もとっているので。
10時半。会議は毎度面白いなーと思う。毎回約10人が参加していて、それぞれ発言の時間があるのだが、発表の仕方も話の聞き方にも個性があって、勉強になる。自分が今進めていることも信じてくれることとか、すぐに自由にやらせてもらえることとか、とても嬉しいし気力になるし応えたい。
12時に終了して、今日は朝からずっと卵焼き食べたいと思ってたので、白米を食べようと、ささっと茄子の味噌汁も作る。家に必ず常備している鳥取の”陶山商店”さんの乾物のうるめ(ワカメみたいだけど強い食感がおいしい)と奥出雲の干し椎茸で出汁をとる。うまい〜 この乾物シリーズには太田夏来さんのレシピがついていてそれも最高なのだ。納豆と、山クラゲの和物、キューリ塩揉み、茗荷の梅酢漬、質素で簡単なご飯だけど、こういうのが一番贅沢。10分で準備して、15分間で食べる。テレビも音楽も聞かずに携帯も遠くに投げて、食べるだけをする時間をする。食べるを意識することだけの時間、だいじ。
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14時から打ち合わせがあるので、カッパを着て駅まで向かい電車で3分の下北沢へ。施設で毎月開催している本のマルシェの担当になるので、施設内の本屋さんとも、もっと連動できないか相談と、これからの進め方について。やるからには、自分が一番楽しいと思えることがやりたいし、諦めるをしたくないので、伝える。いい話ができた1時間だった。無理なく、だけど熱量を持ってやっていきたい。
この後の会議の前に、施設内ギャラリーでやってる新潟のツバメコーヒーさんの10周年を記念した、”工芸と工業のあわいにあるもの”という展示会へ。今展示会で初お披露目のオリジナルドリッパーを試しながら自分でコーヒーを淹れることができるので、久々にコーヒーを淹れる。「丁寧に淹れますね」と言われるが、自分にとっては心地よいリズムなのと、どんなに癖のある豆を使っても、コクとかを飛ばして、スッキリシンプルな味わいになっちゃうのが悩みだったので、相談すると、「スッキリって何事にも良くないですか」と返してくれた。ツバメの田中さん、すごくおもしろそうな方だった。もっと喋ってみたかった。
16時からのイベント反省会は、みんなが正直ですごく良い会議だった。ここが好きだよ!ここむかついたよ!気づかなくてごめんね!みたいな、正直な大人たちの優しいぶつかり合い、大好き。会社のみんなは本当に個性強くて、それぞれのやり方や、得意・不得意があるけど(自分も然り)人の話をちゃんと聞いてくれる優しい人たち。頭の回転が早く、柔軟で、おもしろい。ちゃんと愛があるし。
そんなブレストは2時間を超えて、飲み会へと移行されていき、それぞれの人生における大事な音楽を発表→みんなに聴いてもらう→それについてみんなで語る。という、胸熱な時間になっていきました。久々に聞いたラポン・シュポンのライブ映像、めちゃくちゃよかった。
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最初はカラオケの順番みたいに、ルールを守ってたけど、最後はみんなかけたいタイミングで音楽を流していく始末(とてもいい始末)。時間は流れていき、舞台を見るために途中抜けしたはずのあやかたんも(まだやってるの?笑 と)戻ってきてくれて、酒を飲みながら、スナック菓子をひたすら食べまくる永久時間は終電ゴングで終了。雨が降っていなければ、半分はチャリメンだから、永遠に終わらない飲み会だったので、終電様感謝。雨も小雨になってきた。
その後、降りる駅が一緒のミヤジと歩いて帰りながら「この信号が変わったらもういくからね!」を繰り返して30分後、無事帰宅。 今日のタスク全然終わってない、やばいな…………みんなごめん…って思いながら、顔だけ洗って寝転んで、さらに超眠いのに、どうしても「ハヤブサ消防団」が見たくて、パソコン開いてTverつけたままご臨終。
日記で振り返りながら、今年は特に、1日が終わっていくのが、1週間が、1年が早すぎる。仕事も友達と遊ぶのも大好きで大事だけど、それより何より、誰かとデートがしたいです。旅行いって、ダラダラする感じ、やらないと。改めて感じたのであります。赤裸々日記終わりでございます!
-プロフィール- 鷹取愛 40 山ト波 @opantoc
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charanporany · 29 days
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顔面強打レビュー その後
3日目
2日目に「明日はもうちょい腫れが引いてると良いのだけど」と書いたのがいけなかったのか、フラグ回収の鬼腫れ。経過観察に来た母に大爆笑される。なんせ鼻筋が腫れてアバターみたいになるのはまあまあ予想できていたのだが、唇がそんな分厚くなるなんて誰も予想できまい。頬もパンパン。夜にはだいぶマシになってテーピングを外した。鼻筋紫なテーピング姿に職場で色々驚かれてしまったから明日は脅かさないようにしなきゃ、と心優しき怪物のようになってしまった。
4日目
送別会を開いてもらうのにこの顔面。本日の主役がこの顔面。それはまずいと思い、デスクワークをしながら保冷剤で一日かけて腫れを抑えたおかげで集合写真ぐらいでは私がずっこけたことが微塵も想像できないくらいにはなった。治りの早さに驚き「若さって本当に…」と5歳しか変わらない先輩に言われるが、その5歳がどれだけ尊いのかは何となくわかる。私も永遠の18歳を手に入れたかったのだ。
5日目
まさかの若さパワーで見た目は問題なく完治。微かなアザこそあるものの、日焼け止めを塗ってごまかしのチークを塗るとだいたい隠れるぐらいにはなってくれている。ファンデーションを人生で舞台メイク以外には塗ったことがなく、普段メイクのファンデーション実績解除…⁉︎という可能性も秘めていたが、結果は治りが早すぎたことによるファンデーションの惨敗。コンシーラーも買わずに戦いは終わった。なんとなく、鼻筋が低くなった気がする。まあいいか。
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kennak · 1 year
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元増田と多分ほぼ同じ歳だが、自分は子供作ったことで自分も妻も本当に消耗してしまった側なんで、その経験談を連ねて書いてみる。正直、人によって千差万別なのでどっちが100%正しいとかはない。みんなには自由に選んでほしい。持ち家議論と一緒で永遠に解決しないテーマだとおもう。1.一番若く元気な時に趣味に打ち込む時間がなかった・自分は20代後半で子供を持ったが、仕事が忙しくなる20代前半~子供生まれる~嵐のような30代と40代~子供が巣立って行く頃には50手前だった・この間、趣味といえる趣味にちゃんと打ち込める時間はほぼ皆無だった。休日に趣味仲間と遊びに行く、なんて機会は皆無。せいぜいパパ友と子供を連れて~~くらいだった・もちろん、子供と過ごすのは楽しい。楽しいが、子供抜きの自分は完全にいなくなった。趣味:2chとかそういうレベル。→で、50代60代になってから趣味に打ち込めるかっていったら、そうじゃないんだよな。もう若い頃みたいな気力はないんだ。30代が楽しんでるものを一緒に楽しむのもキツイ。あーおれの人生もう終わり際なんだな、って思った。2.子供がいることでもう一度辛い思いをする・子供がいると人生をもう一度楽しめる、とは言う。・でもそれは嬉しいことも辛いことも両方味わうわけで……・自分は人生そんなに要領よく生きてきたわけじゃないから、受験とかイベントとか、辛いもののほうが際立ってしまった。嫁はそれ以上だと思う(特に次男はあまり受験がうまくいかなかった)→子供がいると高コスト高パフォーマンス……いや、中パフォーマンスくらいかも。もう少し穏やかに過ごしたいと思うことは何度もあった。3.ガチで生活水準は下がる・いつまでも金は足りないし人手も足りない。家は散らかる。ローンで買った家はもうボロ実家って感じ・そのくせ子供が出ていくと急に金は余り出す。そら生活費がほぼ半額(学費とか考えるとそれ以下)になるんだからそうだわな・なんかバランス取れてないな、と思う4.精神がかなり摩耗する・これはどっちにしてもそう・親には喜ばれるが、うちの親はいずれも遠方に住んでいたので「喜ぶよりちょっとは世話手伝えよ……」という思いも強かった。意地悪いことを言えば、子供のメリット部分だけを享受されてる感じがしてイラッとすることもあった。でも自分の親もこういう思いを乗り越えたんだよなー・これは計測不能だが、余暇が消えることで仕事のパフォーマンスも正直下がっていたと��う。あと、転職とかチャレンジとかは無理絶対。子育てとローンで完全に人生がロックされているので、選択肢は非常に狭まったし、40代にはもうしがみつき側に回っていたような気がする。5.介護の不安は別になくならない・70代80代になった頃、50代60代の息子が介護してくれるビジョンが無い。彼らにも家庭があるし、家も遠い。息子の嫁が家に来て世話をしてくれる、なんて想像できないし、させたくもない。そもそも、おれの介護が終わった頃には自分が介護を受ける番だろ・まだ死にたくはないけど死ぬ時は一瞬で死にたいなといつも思う。他人に迷惑をかけたくない。ただその思いだけがある6.友人はどっちにしても減ってしまう・子育て組と非子育て組は完全に断絶するし、子育て組とも話題は子供の話ばかり・前述したように趣味仲間と遊びに行く……なんてことはほぼ無理だった。学生時代の友人なんて数十年会ってないやつも多い(最近会うことはあるが)7.子供作ったことで後悔がなくなることなんてない・作らないより作った方が後悔したときに良い、なんて思われるかもしれないが、とにかく若い時の時間はかけがえのないものなんだよ・20代前半の仕事に打ち込んでたときは1年があっという間に過ぎたが、子供が出来てからはあっっっっっという間にすぎるようになった。入学式の三日後が卒業式であったような気すらしてる。子供の話を完全に抜きにして考えると、30代で「なにかした」と思えるような思い出はほぼない。(仕事含めて)・妻に全部任せっきりで趣味に走る男ならまた話は違うだろうけど、この思いを夫婦の片方だけが持ってたら間違いなく熟年離婚されるだろうな。
子供は作らない方がいい
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yuihyz · 3 months
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今回のフィルムもいい出来です。
これは京セラの前でお父さんとちっちゃい子供が遊んでて、すっごく、いい、家族の風景って思って撮っちゃった。
今日はとっても早起きできた。多分理由は、昨日も書いたけど、自分の鬱案件を解決しよう、そう思えたから。やっぱり、私は「こうなりたい!こうしたい!」みたいな前向きな気持ちになれれば強い。部屋も綺麗にして洗濯物干して畳んだし朝ごはんもサラダを作って食べた。
後、もうひとつ、昨日の夜嬉しいことがあった。
3月行くりっちゃんの結婚式に尾形もくるかも、そしてユイさんも、しかも2人はいたら絶対話すし、って思ったらしんどくなっちゃって、りっちゃんを純粋にお祝いできない、と思って行くのやめようかな、って思ったいた。
私一人だったら何も言わず行かない、って選択肢を取ってたけど、その時たまたまLINEしてた平次が「りっちゃん優しいし後輩思いだからちゃんと答えてくれるよ。確かに情けないけど、聞いてみなよ。大丈夫」って言ってくれた。
元彼いますか、、、?って聞くなんて、ほんと、大人の歳なのに情けない、恥じかきたくない、って思ってたけど、その一言に背中を押されて、勇気出してりっちゃんにLINEした。
そしたら、
「聞こうと思ってた」「大丈夫?」「ユイさんは来ないよ」「なんなら席離そうと思ってたよ」「できる男なんで」「こといも楽しめる式にしたい」
って言ってくれて。涙出そうだった。ほんと、大事な結婚式なのに、大事だからこそ、か。私なんかのために、そう言ってくれたこと、考えてくれたこと、嬉しかった。お風呂で涙が出そうだった。
りっちゃんは、何個上?27歳だから、4個上かな。
サークルの先輩で、大学2年生の時、一瞬だったけどすごく好きだった。
頭良くて、ギター上手くて、ベースもできて、色白で肌綺麗で、髪型は変だけど、ふわふわの髪の毛で、いつもからかわれ役かってたけど、それも思いやりで、やさしくて、繊細で、強気だけど、だからこそきっと自信がなくて、野心があって、すごく好きだった。
大学2年生当時、私は尾形と付き合ってたけど、インスタでりっちゃん映画誘ったりしてた。見事に振られたけど笑まあ、尾形とりっちゃんはとても仲がよかったから当たり前なんだけど。
それが大学2年生の10月くらい。映画誘って振られたり好きかもーって騒いだり、りっちゃん含めたサークルの人たちと何回か飲みに行ってた。
そこから空いて、次の年の3月。りっちゃんが大阪に行くって言うから送別会?てきな?感じで飲み会が開催された。今思い出したけど、私は尾形と家でイチャついててその飲み会遅れたんだわ。で、先輩たちと楽しく飲んで、りっちゃんもいるし超ハッピーってなっていつもより上機嫌で浮かれてた。先輩に「今日りっちゃんに持ち帰られてもいいのー?」なんて皆の前で聞かれても、赤い顔してめっちゃ笑顔で大きく頷いていた。みんな酔っ払った3件目ぐらいのHUB、私とりっちゃんは同じ卓の隣の席になって、��がついたらテーブルの下で手を繋いでた。ドキドキして、嬉しくて、酔っ払ってたけど鮮明に覚えてる。その時一緒に撮ったふたりの写真もまだ残してあるんだった。もう終電もないし、その場にいた先輩の家にみんなで泊まりに行こーってなってドンキでお酒を買いに行ったとき、酔っ払ってたし、りっちゃん好き好きモードの私はお店の中でりっちゃんにキスしてた。
それで、先輩の家に着いて、ひとしきり音楽し終わってリビングでみんなが寝てるときに、りっちゃんがトイレに行くのが分かった。私はこっそり付いて行くと、洗面所でキスしてた。たのしくて、ドキドキして、好きだと思った。忘れかけていたけど、この文章を書くと、その時のことが肌や感覚で蘇ってくる。顔が勝手に緩んじゃうね。
結局その後りっちゃんとは若干気まずくなって、そのまま疎遠になり、彼は大阪で再会した高校の同級生と付き合って、同棲まで始めたことをインスタで知った。ショックだったけど、私も東京にいて、また別の好きな人ができて、りっちゃんのことは忘れかけていた。
でも、大学4年生の12月、関西に就職が決まった時、それをインスタのストーリーにあげたら、りっちゃんが反応してくれて、住む場所とか相談に乗ってくれて、すごくすごく嬉しかった。そして社会人1年目の5月、りっちゃんが突然LINEくれて、「こっちに遊びに来てるサークルの人達と飲むからおいでよー」って言ってくれて、後輩私しかいなかったのに呼んでくれて、それが2年ぶりの再会だった。
それから何回か関西にいるサークルの人たち含めて飲み会があって、って言う関係で、気まずさも無くなった時、りっちゃんが付き合ってた彼女と結婚したことをインスタで報告してた。
大学2年生の4月、りっちゃんが大阪に行ってしまっまたあとのインスタに書いてたことがある。
「その人との関係って、たとえ何かでダメになったとしても、自分が仲良くしたいと真摯に向き合えば相手もある程度は応えてくれるんじゃないかなって。その応答が、当時望んだものじゃなくてもまた新しく関係を築けることもあるんだなって思う。だから今のすきぴともそうなりたいな。あーしは今のすきぴのこと、結婚したいくらいこの人だ!って思ってるけど、そんな上手く行かないのはわかってる。でも、いつか、好きぴとも何らかの形で仲良くしたいなーって思ってます。そのために成長しなきゃなって。これからも、自分の「この人と私は絶対仲良くなれる!私この人すき!の直管を信じて人と真摯に向き合い、素敵な関係を築ける人間でありたいです」
まさに、20歳の頃の私が望んでいたことを24歳の私は叶えられたんだよって、当時の私に伝えてあげたい。
昨日の夜、りっちゃんとLINEしてて
「でもほんと、結婚式呼んでいただいてありがとうございます」って言ったら、
「え、上から数えた方が早かった。祝って欲しい」
って言ってくれたんだ。わたし、お祝いして欲しいって思われてたんだ。素敵な関係、築けてるじゃん、って。ほんとに、ほんとに嬉しかったよ。
りっくんさん、ご結婚おめでとうございます。これからも、ずっとりっくんさんと仲良くできるように、こといは頑張ります。素敵な人間になります。心の底から大好きです。たくさんのキラキラした思い出と、今の素敵な関係をありがとう。末永くお幸せに!
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asagaquru · 1 year
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突然、季節が早送りされて冬になってしまった。昨日から1日中降っている。路面が白く固まる。
25歳になった。25歳になったところで、日常はさほど変わらない。コンビニでお酒を買うときに「はい/YES /是」を押すのももう慣れてしまった。唯一変わったのなんて、なにかの書類で(満 歳)といった並びの真ん中に25と書き入れる程度なんじゃないか。大学を卒業してしまってから、ぐんと周りの時間が遅くなった気がする。遅いんじゃなくて、波がないだけか。ともあれ25歳の実感がない。まだまだ24歳な気もするし、ずいぶん前から25歳な気もしている。
20歳の頃から誕生日だけに毎年行っていた喫茶店に行かなかった。だから25歳の実感がないのだと思う。今年は、誕生日前日に定山渓の良いホテルにチェックインしていた。恋人が事前に予約してくれてたのだ。誕生日の朝にチェックアウトしてからでも喫茶店に行けたけれど、一緒にいた恋人が「カロナールを飲みながら「ごめん、勘弁して」と言う。頭痛なら仕方ない。けれど、体調良くなった翌日にも喫茶店の話は彼から出なかった。「毎年行ってたんだけどな」と呟くと「今年からは翠山亭に行こう」と返される。来年からは定山渓のホテルに連れてかれるらしい。確かに、ルーティンに縛られすぎて身動きできなくなることもあるから、生活の形に合わせてそのルーティンも見直すべきだ。けれど、5年間も誕生日だけに行っていた喫茶店のことはそれ以上話題にならなかった。たかが喫茶店って思っている?わたしにとっては重要な事柄でも、彼にはそう見えなかったら永遠にそう見てくれないのだろう。自分のものさしだけでわたしのことみないでよ。こっちからまだ話題にすると「そしたらホテル行かなきゃ良かったね」とか「頭痛くなったり体調管理できない俺が悪いんだね」と今度は逆上されることは目に見えてるので、ひとりでくすんだ気持ちをこう文字にして受け止めている。誕生日に合わせてホテル予約してくれてるのは知ってたけれど、あんな素敵なホテルに泊まれると思わなかったし、部屋についた露天風呂も気持ち良かったし、サプライズでケーキが出て来るとも思わなかった。嬉しかった。けれど、喫茶店のことでも、それ以外でも誕生日休暇なのに何度か喧嘩してしまったし、なんとなく来年も一緒に彼といる可能性は低そうだと考えてしまう。喧嘩してしまって、「誕生日なのに」ってひとことを押し殺して息が詰まる。別れるって言うより、恋人であるのを解消してしまっていちはやく離れたいという感情がよぎっていた。身が心が凍て付くように感じるのは、急に始まった冬のせいではなくこうしておかないと疲れてしまうからだ。深く考えるのをやめる。
今、久しぶりにひとりで自分の1LDKにいる。誕生日のことはTumblrに書こう書こうと思っていたけれど、なんとなく書き始める気力がなかった。いざ書き始めたら読み直す間もなく一気にこんなにも書けてしまう。気付いた。こんなんじゃ25歳になれない。日付は過ぎてしまったけれど、自分が自分でいられるためにも今度の休みにあの喫茶店に行こう。喫茶店のドアを潜る前はまだ24歳で、パフェか何かを注文して平らげて、また外にドアを潜る時には25歳になっているのだ。19歳から20歳になるときも、20歳から21歳になるときも、22歳になるときも、23歳になるときも、24歳になるときもそう自分を更新させて来たのだ。アイスクリームが溶けていくように新たな年齢を馴染ませてきた。彼に出会うずっとずっとずっと前からだ。あの喫茶店は、ただの客の少ない喫茶店ではなく、私にとってみたら別時空みたいなものだ。店員も年に1回だけくる客のことは覚えるはずもなく、そんな利用をされていることを知る由もなく、毎年毎年わたしが頼むパフェやらアイスクリームやらソーダーフロートを運んでくれる。そして今年も叶えに。
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rinna5021 · 4 months
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よくできました
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チコちゃん。よくできました。 赤ボールペンでガリガリ。ボールペン画、けっこう好き。 8㎝×8㎝の用紙に描いています。
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enkelereis · 1 year
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23/01/09 本日はキースの初めての月命日です。 今日はやっと普通に生活→日用品など買い物に出掛けました。 キースにひと月以上会わなかったことは今まで無かったので、何とも言えない不思議な気持です。 そしてエドは「おさがり」という言葉を覚えたような気がします😆 #お空組 #corgi #コーギー #シニア犬 #シニア犬19歳 #19歳コーギー #2003年組 #車椅子コーギー #永遠の19歳 #chihuahua #チワワ #ブラックタンホワイト #blackandtan #ロングコートチワワ#longcoatchihuahua #5歳 #dog #わんこ #dogs https://www.instagram.com/p/CnMH28mp3PY/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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tokoromantic · 1 year
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2023.5.11
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楽しかった怒涛のGWも終わり、久々に焼肉屋も予定も何もない休み。人は本当に「そうだ、京都に行こう。」と思う。
東京に住んでたので、中学の修学旅行は京都〜奈良だった。
あの時、先生に決められたタイテで仕方がなく訪れた清水寺。漠然とこんなに雄大で自然と一体化したTOO BIG建築物に圧倒されたかすかな記憶があり、こっちに引っ越して1年経ったが定期的に訪れている。多分この1年で8回ぐらいは行ってる気がする。
行きの道で、修学旅行かなんかの中学生たちの乗ったバスが通り過ぎた。女の子たちが手を振ってくれたので、振り返したらバス内のフロアがわき散らかしながら通過していった。その一瞬の景色が何故かとんでもなく響いてしまって、泣きそうになった。情緒…。とにかくすごくいい光景だった。
訪れるたびに清水寺はいつも雄大にそこに存在し、いつも圧倒されて帰る。自分、めっちゃちっぽけ〜!!て素直に思えてなんか心のバランスがとれるので、清水寺挨拶ターンが関西に来てからルーティンになってきた。
こっちに住む前は、大阪から京都なんて東京から埼玉みたいな感じでしょって思ってたけど全然1時間かかることを学んだ。
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この緑電車良すぎる。西武新宿線の次に好きかも。如何なる電車も西武新宿線には勝てない。
電車で上映される車窓映画を見ながら音楽を聴くとこの世の全てを一瞬忘れられる。
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購入。清水の舞台から飛び降りるどころかとんでもなく飛び立ってるカちゃん。これになりたすぎる。でも550円もした…。
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歩いてたらなんかたどり着いた。これは修学旅行ぶりの五重塔?何も知らないけど五重にしようぜ!って重ね始めた人おもろすぎる。重ねていきたい。
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以前も行ったことがあるけどこのパワーワード寺に歩いてたらまた出会ったので訪れてみた。相変わらず、○○と△△が別れてアタシのところにきますように。みたいなお願い事が書いてある絵馬がたくさんあった。その文字が切実すぎて、狂気だけど、美しいまであるなとも思った。でも普通に怖いわな。
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もう清水寺以外全然知らない土地なので歩き回り、ふとこういう関西弁標識でニヤニヤしてしまう。住んで1年とちょい経ったけど、やっぱりこういう関西弁の注意おもしろい。「あきまへんで!」て。まあそれとは別だけどこのフクロウ選出はきっと、鋭い眼光で「やっば!これ""絶対に許さない視線""じゃん。」って安易に選んだ奴がいるんだろうな。私だったらそう言ってる。もしそれ以上の試行錯誤があったらすみません。
歩いてて日も暮れてきて、さすがに飲みたくなってきてフラフラして飲み屋を探すことにした。
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いいな〜。今日は(も)
今日も今日とて。 
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たどり着き酒場。とりあえず手っ取り早く1人で飲んでいたら隣に中国生まれカナダ済みの50歳が来て、なんか、もうそれは自然に仲良くなって、イージーイングリッシュで永遠に会話した。
英語で、こんな日本の若い女の子と飲めるな���てマジでやばすぎる��みたいなこと言ってきたから、お前はラッキーすぎやで♪って言って全てを奢ってもらった。めちゃくちゃごめん、ありがとう。
しかもタバコも2箱買ってくれた。ありがとう、アダム。意図せぬパパ活かもしれない。
全部奢るから2軒目行こう!って言われて2軒目でしこたま飲んで、お前めちゃくちゃ飲んでてワロタみたいなこと言われながら終電に乗って全ての会計のバトンを彼に授けてこれを書いている。ありがとう。
中国の政府はクソ!!!!!でも故郷だから好きなんだよ〜って言ってたのと、ジャズが好きって言ってたのと、結婚はマジでむずすぎるって言ってたのを覚えてる。
もう会うことは無いと思うけど拙い英語で5時間ぐらいしこたま飲んでおもしろかったし、とてもいい休日になった。
アダムが、「え?!!!?!何に悩んでるの!?!!!?あのな、全てはめっちゃシンプルなんだからさあ。」(私の解釈)って英語で言ってたのがなんか救われた。
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kozen-ta · 6 months
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数週間ぶりに戻ってきた東京はとても綺羅びやかで、離れた頃とはまったくの別世界でどこに帰ってきたのか一瞬わからなかった。
その二年前。
ようやっと自分の経験を活かせる職場と巡り会えて、やれることできることは徹底的にやってやろうと張り切っていた頃だ。ビールを開け新しい生活の始まりだー乾杯! とそんな時に電話が鳴った。
余命ニ年なんだって。
大好きで尊敬してていろんな事を教えてくださった義父にガンが見つかり、東京で暮らすふたりには時期を考えて報告しようと周りのみんなが気を使って連絡を控えていたと教えてもらった。
根本的に治療はしない。延命処置もやめてほしい。
いつも元気でいつも穏やかな笑顔を浮かべて、起こったり怒鳴ったりする姿なんか見たことなくて。
ものすごくお酒に敬意を払って嗜む人だった。
少しでも疲れていたり体調が思わしくない時は絶対に惰性で飲むことはせず、万全なときに味わうのがお酒に対しての礼儀だと生前話してらしたそうだ。
僕には一切義父自身の考えを押し付けてくることはせず、自由に飲みんしゃい、とやさしく微笑んでくれた。
正直、僕は酒が強い。ビールなら永遠に飲めるし、チャンポンをすることは下品という考えを持っていたから、飲みはじめがビールなら終わりまでビール、水割りならゆっくり楽しんでボトルが空くまでウイスキーを飲むのが常だった。
ただ元々お酒好きだから、義父も僕もあっけないほどその考え方を変えて、美味しいお酒は美味しく飲めるならそれに越したことはないと変わっていった。
仕事の調整をしてなんとか有給を使いお見舞いを兼ねて会いに行こうとなった。病気のことは一切口にしないと互いに約束して、楽しくてあっという間だった七日間。それから一年が過ぎ、二年三年が経ち、その間何度か検査入院をして体調を崩して寝込んだりを繰り返していた。
もう長くないみたいだから。
ずっと看護をしてくれていた義姉からの連絡をもらい、思い切って時間の許す限り義父のそばにいることにした。希望を抱いて働き始めた職場ではいいように利用されることが多くなり、気がつけば飼い殺しのような待遇に変わってしまった。退職と引っ越しをほぼ同時期にして、落ち着いてから義父の元へ帰ったのはかなり寒さが厳しくなってきた頃のこと。
実家で見送ってあげたいといい、必死に介護を手伝いをした。でもだんだんと自分たちの手に負えない状態になり、病院で引き受けてもらうことになった。
わずか三週間の看護。
12月頭に行き、クリスマス前に東京に一度戻った。慣れない生活パターンですっかり体調を崩してしまった横に座る彼女は何も話さず黙って窓の外を見てた。
まるで別の世界がそこに広がってた。
長らく天候がすぐれず、ずっと灰色の空が広がり目に映るのは地味な色の街並だったはずなのに、たった数時間できらきら綺羅びやかな世界が飛び込んできた。
数日後の早朝、父は旅立った。
美味しいお酒をたくさん飲む約束してた。プレゼントで贈ったお酒はすべて二人で飲みたかったから手を付けずにいると言い、全部飲んで欲しいと言われた。
飲めるわけないでしょ。
ひとりじゃちっとも美味しくないし、寂しすぎるから。
今年でお酒控えるようになってもう5年。そろそろお義父さんいいかな。飲んでもいいですかって尋ねたくなる。
あまりにきらきら綺羅びやかな街並が苦手になったのは、僕が歳を重ねすぎたから、ではないよね。きっと。
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what-iam-today · 2 years
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5日間、本当に本当に幸せな時間を過ごしまし
た。
色々テンパっていて、しっかりバイバイって感じ
じゃなかったけど、、なんとか、今です。
高校を過去だと言った彼、。
高校の人と付き合うことが考えられないと言った
彼、。
彼のことがこの旅行でさらに好きになってしまっ
た、私、。
チグハグな関係性が続いております。
5日間、いろんな彼を知れて嬉しかった。
心からありがとう。
彼は今を大切に生きていて、
私はずっとぐるぐるしてるんだなってことも学ん
だ。
「高校の友人達は過去」だと言った彼と
恋愛はできないと思ってしまったのが、、
正直なところ。
私は、高校の友人達を過去だとは絶対思わない。
高校で出会えたからこそ今があると考えているか
ら。すっごくこれを言われたことが悔しかった。
私も今を見てるからこそ、彼の今を知りたくて今
回こうやって行動に起こしたんだ。
高校卒業をしたという過去はあるけど、
人との関係性は過去では終わらない。
そー彼に伝えられたらな、いつかわかって貰える
日がきたら自分の気持ちを言おう。
ずっと知ってるからこそわかる色んな彼の顔が
ある。だからこそ好きになった、だから好きなの
に。それじゃだめなのかな。
自分の口からちゃんと思いを伝えられたら
気が楽なのにな、まだその時ではないかな。
永遠とチグハグな関係性をやっていて
気づいたら30歳とかになっちゃいそう。
とーぶん、私は恋愛できないや、。
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ashrhal · 8 months
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2023/9/3
たまには喧嘩してない時も日記を書いちゃおうかな。
昨日は妻(ゆり)と札幌競馬場に突然行きあーでもないこーでもない言いながら2人とも五千円くらい負けて9月の夕立に打たれながら手を繋いで歩いて競馬場近くの駅まで歩いたりして最高に楽しかったし、何より嬉しいのはその夜に予定していたamong usの会で酒飲んでワーワーボイスチャットをしてたのにも関わらずまったく不機嫌にもならずゲラゲラ笑いながらベットで一緒に寝れたこと。
これまでは俺が譲歩するしかないと思ってた生活の連続だったけど(俺がやりたいことありすぎたりワーワーうるさいのは置いておいて)ゆりはこの一年で確実に怒ってしまう自分と距離を置こうと努力しているしそれが少しずつ生活に染み付いて来ている気がする。2人とも喧嘩したくないから当たり前かもしれないけれど、これは確実に変化だと思うし俺はこの変化がすごく嬉しい。
ナスを焦がした。俺は酔っぱらいながら料理してつまみをもとに楽しい音楽を聴きながら酒を飲むことがとても好きなのだけれど、昨日youtubeでみた「目が飛び出るほど美味しいズッキーニのソテー」みたいな動画を観て「ナスを焼きたい!」と思ってしまった。
「冷蔵庫にあるもの使っていいよ」とゆりが言ってくれて、俺は冷蔵庫を漁り奥からナスを発見した。ヘタを取り、半分に割り、格子状にきれめをいれて、塩を振りパットに15分くらい置いておく。キッチンペーパーで浮いた水分を搾り取り、フライパン(卵焼き作るやつ)に油を敷く。あったまった頃ナスを乗せ、ヘラで押し付けながら焼く。THERMOSのでかいジョッキに角のウイスキーを注ぎ、炭酸を注ぐ。group_inouのCOMING OUTを大音量で流す。5〜7分じっくりと弱中火で焼き、ひっくり返す。黒焦げだった。泣いちゃうかと思った。俺の脳内ではこんがり焼けたステーキみたいな琥珀がびっくりするような気持ちのいいオレンジ色のナスが出来上がるはずだったのに。とりあえず酒醤油みりんを大匙一杯ずついれて焼き茄子に馴染ませて皿に盛った。それが画像のやつ。まあ焦げ臭くて食えたもんじゃないかもなと思いながら食べてみたらふつうに美味しくてまた泣いちゃうかと思った。
iPhoneに「2023」というプレイリストを作った。昔はツルツルの華奢で可愛かったアサハラさんも今はもう31歳のおじさんになっていて、思考回路や性格や思想や習慣はそんなに変わってないはずなのにどんどん新しいものを取り入れることが少しずつ困難になっていくことを感じていた。酔っ払って聴く音楽は20代の頃にとても楽しかったものばかりになったし、読み返す小説はいまだに李劉徳とかだし、懐古に気持ち良さは間違いなくあるけれど、懐古できる何かを積み重なることが少しずつ少なくなっているのを感じた。俺が40歳とか、50歳とか、60歳とかになった時に、懐古できるものが20代の頃のものしかないのは少し寂しいと思った。だから今は頑張って5lackを聴きながら日記を書いているんだけど、何かを好きになることはこんなに難しかったんだなと感じている。
「2023」のプレイリストには2023年に聴いて新しく好きになった曲を20曲くらい入れることができたら40歳の時に2023年を思い出すことができるのかな。この日記もそう、その時自分が何を考えて何を感じて何が楽しくて何が良かったのかをどこかに残すことができれば、俺はこれからも永遠に楽しく生きていくことができると信じて、久しぶりに喧嘩のこと以外の日記を書いています。
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