Tumgik
#渡船六号
kennak · 5 months
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52社※1 173社※2 小林製薬の紅麹を含む健康食品の3製品について食品衛生法第6条第2号に該当するものと判断 当該3製品の紅麹原料の配合量は以下のとおり ※1、※2小林製薬からの報告による(重複あり) 厚生労働省のこれまでの対応 以下のいずれかに該当する製品についての自主点検を行い、厚生労働省へ報告を依頼 ・小林製薬の3製品に使用された紅麹と同じ小林製薬社製の原材料を用いて製造され、かつ、 上記と同等量以上の紅麹を1日あたりに摂取する製品 ・過去3年間で医師からの当該製品による健康被害が1件以上報告された製品 〆切日: ~3月29日(金) ~4月5日(金) 製品名 紅麹コレステヘルプ 1日摂取目安量(3粒あたり) ナイシヘルプ+コレステロール 1日摂取目安量(3粒あたり) ナットウキナーゼさらさら粒GOLD 1日摂取目安量(2粒あたり) 紅麹原料配合量 100mg 100mg 100mg 回収命令の対象となった製品以外の小林製薬の紅麹を 原料とする製品への対応について(案) 資料2 ※1 52社のリストは以下のとおり 注)このリストに掲載された事業者が製造する製品が直ちに健康被害をもたらすものではありません。 会社名 所在地 1 日本バイオコン㈱ 愛知県 2 三生医薬㈱本社 調達購買課 静岡県 3 三京化成㈱山陽営業所 岡山県 4 エステック㈱ 愛知県 5 ㈱本田味噌本店 綾部工場 京都府 6 シーデーフーズ㈱ 東京都 7 ㈱スミコエアー 東京都 8 ㈱秋田今野商店 秋田県 9 金剛薬品㈱ 富山県 10 福山黒酢㈱ 鹿児島県 11 戸倉商事㈱本社 滋賀県 12 ㈱紅商事 沖縄県 13 日本醸造工業㈱ 東京都 14 鶴屋㈱ 大阪府 15 ㈱セイユーコーポレーション 大阪府 16 ㈱千草物産 沖縄県 17 ㈱青い海 沖縄県 18 株式会社八宝商会 千葉県 19 株式会社西井 東京都 20 ㈱GSIクレオス 大阪府 21 大正電機販売㈱ 大阪府 22 東海澱粉 K.K 沼津営業所 静岡県 23 株式会社カザミフーズ 栃木県 24 ㈱OMUクリエイト 広島県 25 山高味噌㈱ 長野県 26 ㈱竹屋 長野県 27 ㈱明治フードマテリア東京支店 東京都 28 ㈱森田草楽堂 奈良県 29 博多薬膳 麹・味噌商店 福岡県 30㈱薫製倶楽部岡山県 31㈲篠崎ベーカリー愛媛県 32金のさじ診療所兵庫県 33㈱丸紅商会大阪府 34ていね・さくら館北海道 35金丸富貴堂㈱北海道 36㈱樋口松之助商店大阪府 37トップフーズ㈱茨城県 38㈱金谷ホテルベーカリー栃木県 39㈱ジャストベイクアミー石川県 40㈱中国リス食品販売岡山県 41パンドコロモーデ京都府 42㈲ベーカリーオロン長崎県 43カネダ㈱経理部東京都 44太冠酒造㈱山梨県 45㈱コウリョー岡山県 46㈱菱六京都府 47日本バルク薬品㈱大阪府 48渡辺ケミカル㈱大阪府 49サンヨー山梨デンカシステム㈱山梨県 50㈱エーデルワイス埼玉県 51飯田商事㈱大阪府 52荒川商事㈱京都府 ※2 173社のリストは以下のとおり 注)このリストに掲載された事業者が製造する製品が直ちに健康被害をもたらすものではありません。 会社名 所在地 1 日本バイオコン㈱ 愛知県 2 旭運輸㈱名古屋港流通センター 愛知県 3 航空集配サービス㈱ 愛知県 4 ㈱三協 日の出工場第4倉庫 静岡県 5 ㈱日祥物流 成田ターミナル 千葉県 6 三生医薬㈱南陵工場 静岡県 7 三生医薬㈱南陵工場 静岡県 8 ㈱きくや 配送センター 愛知県 9 ㈱泉平 岡山本社 岡山県 10 レザンジュ有限会社 山口県 11 ウメサ食品株式会社 石川県 12 高見商店 岡山県 13 笹埜商店 岡山県 14 キミセ醤油㈱五穀蔵 岡山県 15 くらしき塩屋(塩屋商店) 岡山県 16 ㈱オカヤマ 岡山県 17 芳香園製薬㈱ 香川県 18 ㈱カリョー 福井県 19 ㈱能登製塩 石川県 20 ㈱アサダヤコーポレーション 石川県 21 ㈱松下商店 長野県 22 ㈱三協 日の出工場 第3倉庫 静岡県 23 釜蒸し蔵工房 北海道 24 富士カプセル㈱食品工場 静岡県 25 富士カプセル㈱北山工場 静岡県 26 ㈱豆福 愛知県 27 甘強酒造㈱ 愛知県 28 ㈲創建舎 健康増進施設 健康館 岩手県 29 日乃出醤油有限会社 岡山県 30 ㈱富澤商店 神奈川県 31 お茶元みはら胡蝶庵 菓子工房 長野県 32 ㈱鈴勝 静岡県 33 ㈱三協 日の出工場 第4倉庫 静岡県 34 ㈱富澤商店 橋本工場 神奈川県 35 東洋カプセル㈱ 芝川工場 静岡県 36 ㈱ AFC-HDアムスライフサイエンス 3F 静岡県 37 富士カプセル㈱ 食品工場 静岡県 38 ピィシーシステム㈱ 静岡県 39 アリメント工業㈱新富士工場 静岡県 40 ㈱ AFCHDアムスライフサイエンス 国吉田工場 静岡県 41 アピ㈱池田工場 岐阜県 42 ㈱夢実耕望 岩手県 43 緑と風のダーシェンカ 愛知県 44 緑と風のダーシェンカ 幸田本店 愛知県 45 相互運輸㈱ ICロジスティックセンタ- 福岡県 46 日本製薬工業㈱ 愛知県 47 アピ㈱NS工場ソフトカプセル課 岐阜県 48 郵船港運㈱南港物流 センタ- 営業所 大阪府 49 ㈱本田味噌本店 綾部工場 京都府 50 日本タブレット㈱ 京都府 51 中日本カプセル㈱ 岐阜県 52 ㈲太洋 茨城県 53 協和薬品㈱第1工場 富山県 54 アリメント工業㈱新富士工場 静岡県 55 ㈱エスビーケー ・ トヤマ 富山県 56 ㈱アスナロ化工研究所 大阪府 57 備前化成㈱第3工場 岡山県 58 ㈱カニエフードサービス 愛知県 59 株式会社藤忠 神奈川県 60 株式会社もあ 神奈川県 61 ㈱半鐘屋 岡山県 62 ㈱ミカ食品 福岡営業所 福岡県 63 ㈱藤忠 福山営業所 広島県 64 サンエフ㈱ 東京都 65 ㈱藤忠 大阪営業所 大阪府 66 占部大観堂製薬㈱ 福岡県 67 エナジック㈱ 静岡県 68 東京ポンパドウル 船橋 千葉県 69 東京ポンパドウル 新越谷 埼玉県 70 ㈱玄聖 瑞穂細渕倉庫 東京都 71 ㈱ミカ食品 本社 神奈川県 72 住岡食品㈱浜北工場 静岡県 73 富山薬品㈱ 富山県 74 横浜ポンパドウル そごう横浜店 神奈川県 75 油六薬品㈱ 奈良県 76 フェイスラボ㈱ 掛川工場 静岡県 77 酒田米菓㈱ 鳥海山麓工場 山形県 78 丸昌稲垣㈱上郷工場 長野県 79 東京ポンパドウル 八王子 東京都 80 東京ポンパドウル 宇都宮 栃木県 81 ポンパドウル 熊本店 熊本県 82 ポンパドウル 小倉店 福岡県 83 横浜ポンパドウル 天満橋店 大阪府 84 横浜ポンパドウル 名古屋店 愛知県 85 横浜ポンパドウル 奈良橿原店 奈良県 86 窪田味噌醤油㈱ 千葉県 87 角光化成㈱緑の里工場 茨城県 88 ㈱秋田今野商店 秋田県 89 山田屋醸造 福島県 90 ㈱北食(ホクショク) 北海道 91 有限会社おたまや 山形県 92 ㈲斎藤酒造場 徳島県 93 いとげん伊藤元三郎商店 北海道 94 金剛薬品㈱名古屋支店 愛知県 95 美作そうめん山本 岡山県 96 太陽エフ・ディ㈱ 徳島県 97 アダプトゲン製薬㈱可児工場 岐阜県 98 東洋カプセル㈱芝川工場 静岡県 99 ㈱三協 日の出工場 第2倉庫 静岡県 100 ㈲フィリング・ラボ 東京都 101 ㈱三協 日の出工場 第4倉庫 静岡県 102 日本ヘルス㈱厚木工場 神奈川県 103 ㈱敬明 熊本県 104 株式会社島田製薬 静岡県 105 富山薬品㈱ 富山県 106 ㈱ココサプリ 東京都 107 ㈱アジテック・ファインフーズ 岩手県 108 山本漢方製薬㈱ 愛知県 109 園田学園女子大学 食物栄養学科 兵庫県 110 ㈱玄聖 瑞穂細渕倉庫 東京都 111 愛しとーと 唐津支店 佐賀県 112 福山黒酢㈱福山第二工場 鹿児島県 113 戸倉商事㈱ママパン事業部 滋賀県 114 海洋食品豆腐よう事業部  沖縄県 115 ㈱JCC わだや 沖縄県 116 (個人名) 沖縄県 117 沖縄ハム総合食品株式会社 沖縄県 118 石川酒造場 沖縄県 119 京都グレインシステム㈱奈良工場 奈良県 120 フジヨシ醤油㈱ 大分県 121 ㈲河野酢味噌製造工場 岡山県 122 ㈲馬場商店 岡山県 123 三生医薬㈱南陵工場 静岡県 124 ㈱千草西崎工場 沖縄県 125 ㈱青い海 沖縄県 126 ㈱イワセ・エスタ神奈川支店 神奈川県 127 ㈱八宝商会 千葉県 128 ㈱アイ・エム・エス 東京都 129 ㈱ウメケン 富山工場 富山県 130 ㈱アスナロ化工研究所 大阪府 131 三生医薬㈱南陵工場 静岡県 132 ㈱ GSIクレオス 大阪支店機械機能部 大阪府 133 森川健康堂㈱第3工場 熊本県 134 ㈱ GSIクレオス 大阪支店香粧品部 大阪府 135 オッペン 化粧品㈱滋賀工場乳液倉庫 滋賀県 136 ㈲竹屋食品 広島県 137 ㈱りあん 山梨工場 山梨県 138 株式会社カザミフーズ 栃木県 139 ㈱OMUクリエイト 広島県 140 山高味噌㈱ 長野県 141 ㈱竹屋 長野県 142 ㈱丸三 高知県 143 ドギ-フ-ズ 購買管理【福岡支店】 福岡県 144 ドギーフーズ㈱ 宗像工場 福岡県 145 ㈱森田草楽堂 奈良県 146 博多薬膳 麹・味噌商店 福岡県 147 ㈱薫製倶楽部 岡山県 148 荒川商事㈱ 京都府 149 ㈲篠崎ベーカリー 愛媛県 150 いが漢方内科 金のさじ診療所 兵庫県 151 ㈱松山丸三 配送センター 愛媛県 152 元気パン工房 ごぱん 香川県 153 ていね・さくら館 北海道 154 金丸富貴堂㈱ 北海道 155 金丸富貴堂㈱函館支店 北海道 156 カギ の キーステーション 大野 佐賀県 157 ㈱仲蔵商店 新潟県 158 ㈲丸井伊藤商店 長野県 159 トップフーズ㈱ 茨城県 160 ㈱金谷ホテルベーカリー 栃木県 161 ㈱ジャストベイクアミー 石川県 162 ㈱中国リス食品販売 岡山県 163 パンドコロモーデ 京都府 164 ㈲ベーカリーオロン 長崎県 165 大塚食品㈱徳島食品部門 徳島県 166 太冠酒造㈱ 山梨県 167 ㈱コウリョー 岡山県 168 合名会社 関東屋商店 京都府 169 ㈱三協 日の出工場 第1倉庫 静岡県 170 日成興産株式会社 大阪府 171 サンヨー山梨デンカシステム㈱ 山梨県 172 ㈱エーデルワイス 埼玉県 173 ㈱タララボ 佐賀県
令和6年3月28日薬事・食品衛生審議会食品衛生分科会新開発食品調査部会新開発食品評価調査会及び指定成分等含有食品等との関連が疑われる健康被害情報への対応ワーキンググループの合同開催 資料 ,薬事・食品衛生審議会食品衛生分科会新開発食品調査部会新開発食品評価調査会指定成分等含有食品等との関連が 疑われる健康被害情報への対応ワーキンググループ(第5回)資料,審議会,研究会,検討チーム,厚生労働省,Ministry of Health, Labour and Welfare,mhlw,遺伝子組換え,バイオテクノロジー,ゲノム,健康食品,指定成分,健康被害情報|厚生労働省
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taishouo · 2 years
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日本はドラッグ無法地帯!? ドラッグの世界潮流と日本ドラッグ事情
2009/07/25 18:00
ohno_gendai.jpg
『週刊現代』8月9日号(講談社)
「犯罪者である彼あるいは彼女にも我々同様に人生があり、そして罪を犯した理由が必ずある。その理由を解明することはまた、被害者のためにもなるのでは?」こんな考えを胸に、犯罪学者で元警視庁刑事・北芝健が、現代日本の犯罪と、それを取り巻く社会の関係を鋭く考察!
 昨今の日本では、ドラッグ関連の報道はもはや珍しいものでもなんでもない。芸能界からスポーツ界、有名大学の学内、そのほかありとあらゆるところにドラッグが蔓延しているのが現実である。ドラッグは日本の闇の文化の一つとして成り立ってしまったといっても過言ではない。そしてそれは、世界的なドラッグの流通ルートに、日本が組み込まれていることをも意味する。今や世界のドラッグ業界において、日本は無視することのできないほど大きな市場の一つなのである。
 日本におけるドラッグ全体のシェアは、大麻がトップ、次いで覚せい剤とMDMA(合成麻薬)が肩を並べる。そして、この三種類が日本に出回るドラッグのほぼすべてを占めている。これらのドラッグは、大麻が『ダウナー系ドラッグ』、ほかの2つが『アウェイキング・ドラッグ(またはアッパー系ドラッグ)』と呼ばれ、程度の差はあるがどれも自身の感覚が鋭敏になり、セックスの快楽を増す作用がある。ダウナー系は他者に対しての警戒心が鈍くなり、羞恥心が薄らぎ、多幸感、および大麻であればマッタリ感、アッパー系なら極度の強迫観念や攻撃性が増すようになる。これらのドラッグの売値は、クラブに出入りするプロのディーラー(卸元)やプッシャー(密売人)など取り扱う者にもよるが、平均してMDMAは1錠2,000~4,000円(末端価格。以下同)。大麻はタバコ状になっているもので1本2,000~3,000円。覚せい剤は1g4~7万円前後。これは近年値上がりした価格で、それまでは長い間耳かき一杯で7,000円前後の相場であった。これらのドラッグの流通には当然、闇社会が関わっている場合がほとんどで、相場価格はコントロールされているため大きな値崩れはない。
 日本に入ってくる覚せい剤は、北朝鮮で製造され海を渡ってくるものが有名だが、中国の香港や大連からも密輸される。ヘロインやアヘンはミャンマーとタイ、ラオスの三国境が交わる山岳地帯、業界では『ゴールデン・トライアングル』とも呼ばれる一大麻薬密造地帯から日本に来るルートがある。これは、まずバンコクを通り、グアム経由で成田や関空に入ってくる。また、バンコクからシーチャン島~台湾~沖縄を通る、台湾マフィア”チクレンパン”が仕切っているルートもある。なお、余談だが、実はチクレンパンが仕切るこのルートはオウム真理教の手配犯、高橋克也、平田信(菊地直子は偽造パスポートで関西空港からバンコクへ出国)が国外に逃亡したルートでもある。オウムと麻薬組織とのつながりは、オウムが覚せい剤を密造していた関係からできたものであり、現在、彼らはミャンマーの山村で”麻薬将軍”ことウェイ・シューカンに保護されている。3人がかつて潜伏していたというミャンマー北部の一軒屋には、昨年私の友人や捜査官も実際に足を運び、その痕跡を確認したので間違いないはずだと思っている。
 大麻は世界中のいたるところで密造されている。世界的に有名なのはインドのガンジャや中東、東南アジアのタイ、南アフリカ、アメリカならばカルフォルニアのビッグ・サーあたりであろう。世界中というのには当然日本も含まれており、福島や栃木の山間部や北海道に違法な大麻畑があるという情報もある。欧州発のドラッグであるMDMAは、主にオランダ、ポーランド、チェコで密造され世界各国に流れる。ドラッグ市場の規模で言えば日本以上である欧州は、ドラッグの種類に関わらずその多くがヨーロッパドラッグカルチャーの中心であるオランダ・アムステルダムに一度集められて欧州全土に広まるが、日本にはオランダ経由で航空貨物やシベリア鉄道などを通じ流入する。日本に入ると、まず六本木に集められ新幹線を使って全国のクラブにばらまかれる。
 三大ドラッグと比べれば数は少ないが、アヘンやヘロインも少しずつだが日本に入ってきている。アヘンに関しては1988年にイラン・イラク戦争が終わり、イラン人が日本に大量に入国した際、『テリヤキ』と呼ばれるアヘンスティックを持ってきたことで流行した。当時それらは1本6,000円くらいで取引されていたが、これが現在でもイランからのルートで国内に入ってきている。また、昨今は01年のアフガン戦争以降、アフガニスタンでは厳しく取り締まられていたケシ畑がタリバンによって復活し、アヘンや精製されたヘロインが国内にも流れてきている。ただ、アヘンは日本ではさほど需要がなくアメリカや欧州、中東、アフリカにおいて多くが取引されている。
 以上が、日本に流入するドラッグの主だったルートであるが、このようなルートが各国に存在し、それこそドラッグの世界潮流とも言うべきものを為している。これだけわかっていて、なぜドラッグの流入を防げないのか? そう考える人もおられるかと思うが、実際に国内へのドラッグ流入を阻止するのは非常に難しいのが現実だ。まず、空港に入ってくるドラッグの場合だが、家具や家電に巧妙に隠され税関をスルーしていく。個人では身体に巻きつけたり、防水加工したりして体内に隠す場合もある。国内に来る人、荷物の数に比して空港警察や税関職員、厚生省麻薬取締官、麻薬犬の数は圧倒的に不足している現状では、一定の成果を上げているとは言っても、残念ながらその何倍ものドラッグが空港を通過していると考えられる。そして、船を使った場合は漁船でやられたらほぼ100%スルーになってしまうのが現状だ。数は減ったとはいえ、依然として北朝鮮製覚せい剤がドラッグ市場からなくならないのも、海からの流入を防げないからである。北朝鮮から積み出された覚せい剤は、日本海沿岸において防水加工され海に流される。それを、広域暴力団に雇われた漁船が吊り上げ、日本に持ち帰るのだ。つまり、いくら港の税関の取締りを厳しくしてもドラッグの流入は防げないのが日本の現実なのだ。
 日本はこのように、島国といえども関係なくドラッグに入り込まれやすい地帯なのだ。ドラッグから身を守るためには、そんな現実を認めて個人各々が「ドラッグには手を出さない」という強い意志を持っていくしかないのである。
(談・北芝健/構成・テルイコウスケ)
shibakenprf.jpg●きたしば・けん
犯罪学者として教壇に立つ傍ら、「学術社団日本安全保障・危機管理学会」顧問として活動。1990年に得度し、密教僧侶の資格を獲得。資格のある僧侶として、葬式を仕切った経験もある。早稲田大学卒。元警視庁刑事。伝統空手六段。近著に、『続・警察裏物語』(バジリコ)などがある。
アヘン王国潜入記
ケシ畑で農業体験? 
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最終更新:2009/07/25 18:00
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kachoushi · 25 days
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各地句会報
花鳥誌 令和6年9月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
………………………………………………………………
令和6年6月1日 零の会 坊城俊樹選 特選句
切り通し省線吹きし若葉風 軽象 蜘蛛の囲に閉ざす社の狐たち きみよ ことごとく夏蝶となる水飛沫 緋路 白あぢさゐ女ばかりに愛でられて 和子 黴の間の亡者に点るシャンデリア 光子 夏の子はジャングルジムに天下とる きみよ 飛鳥山生まれ育ちの蟻の列 三郎
岡田順子選 特選句
乾きたる蛇口の先は夏の雲 緋路 黒南風やおづおづ開くみくじ歌 昌文 南天の花棲み古りし街の隅 美紀 黴の間の亡者に点るシャンデリア 光子 途切れなき列車音聴く四葩かな 風頭 ががんぼ来オルガンの鳴り止みてより 緋路 葉脈の青き稲荷の額の花 小鳥
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月1日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
たてがみに綺羅したゝらせ競べ馬 かおり 負馬の負けを恥ぢざる眼の涼し たかし ユーミンの曲初夏の競馬場 美穂 負馬の誰にともなく息一つ 成子 鬼瓦の鼻ふくらめる若葉風 愛 熱砂駆け鼻息荒し佐賀競馬 たかし 競べ馬シャガールの馬天を駆く 修二 薔薇園にダイヤモンドのやうに雨 愛 勝馬に寄り添ふ笑顔女騎手 久美子 楽屋口より美しき絽の裾捌き かおり バンクシー赤い風船追ふ少女 修二 萍の沈黙にある水一枚 朝子 鞍壺に託す一戦競べ馬 久美子 蟻は蛾を人は柩をかかげゆく 睦子 早苗田の水の世界を行く列車 愛 紫陽花やすこしはなれて宇宙船 睦子 ひつそりと咲くこと知らず濃紫陽花 たかし
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月3日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
短夜の沖に生活の灯のともり かづを 短夜や和尚偲びて尽きぬ宿 笑子 黒南風の精舎を昏め沈めをり 希子 十薬や花明りして父祖の墓地 匠 網を引く明易き浜声合はす 同 悠久の光を溜めて滴りぬ 泰俊
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月6日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
麦の秋鳥の旋回しばし見ん 喜代子 黄金を刈り取る如き麦の秋 由季子 短夜に一夜の旅の用意せる 都 麦秋の大地を分ける鉄路かな 同 逝きし人思ひ起せる虹の橋 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月7日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
体内のおほかたは水田水張る 都 湯上りの鏡を閉ぢて蛍見に 美智子 麦秋の金波を運ぶ風頰に 宇太郎 春雨にすつかり濡れて泣黒子 悦子 杜深しすだまの降らす花樗 美智子 校庭に名札を付けたミニトマト 佐代子 南天咲く早世力士悼みては すみ子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月8日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
空晴れて植田始まる農学部 亜栄子 一村に水ゆきわたり植田かな 百合子 としあつ師偲ぶ薄暑の石仏 教子 枡形の山気を吸ひて蝸牛 三無 下闇や気づけば猫の傍に 白陶 紫陽花の青き滴を受ける句碑 三無 月光をのせて十薬母の逝く 幸子 奥信濃瀬音まじりに河鹿鳴く 美枝子 故郷は懐深く初夏の旅 教子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月10日 なかみち句会
老鶯の声高らかに姿なく 廸子 老鶯や森の静けさ澄み亘る 聰 網戸開け小さき一匹逃しけり 貴薫 書を開く網戸の��の良き加減 三無 緑陰の􄼱間の光踏み遊ぶ のりこ 緑陰や刹那休らふ盲導犬 美貴 緑陰の森歩す空気異次元へ ます江 緑陰に入れば降るもの香るもの 怜
………………………………………………………………
令和6年6月10日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
風鈴を今年は出さうかと思ふ 昭子 石庭の砂紋に僧や水を打つ 時江 麦秋や己は小作小百姓 世詩明 万緑の真つ只中で友となる 三四郎 玻璃に付く守宮の目玉大きかり ただし ぬけぬけと嘘吐く男草虱 世詩明 堰音の六月の水裏返す ただし 田植済み静かな寝息一村に みす枝 一望の青田や下校チャイム鳴る 時江 野仏の一重まぶたや著莪の花 ただし サングラス外して白き歯を見せる 昭子 音もなく崩れる雲の峰一つ ただし 僧逝きて幾年寺の木下闇 英美子 緑蔭の不開の門や鐘響む 時江 菖蒲の湯頭脳ゆつくり休ませり みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月11日 萩花鳥会
久々の娘とのドライヴ花菖蒲 祐子 夢誘う伊豆の旅寝の夕河鹿 健雄 薫風に一味添へてウイスキー 俊文 能登思ふ絆の祭始まりて ゆかり 太陽の恵み包みし枇杷すゝる 吉之 夕立の雲が覆ひし我が旅程 明子 鮎解禁河原で塩焼き白むすび 美恵子
………………………………………………………………
令和6年6月11日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
黒い線行つたり来たり蟻の道 紀子 内緒話浜昼顔がそつと聞き 同 初夏や日々の葛藤過ぎゆきて 光子 畳紙に包まれし物黴にほふ あけみ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月16日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
紫陽花のしづくを朝日移ろへる 千種 木道の谷戸田の隅に余り苗 幸風 木下闇これより先は獣道 慶月 夏草や弥生時代の息遣ひ 三無 水無月の木霊に道を迷はされ 千種 里山の道標なる立葵 ます江 濃あぢさゐ彩を増す夜半の雨 幸風 半夏生白く人声遠くせり 千種 夏蝶の白の大きく森に消ゆ 慶月 木道に釣り糸垂らす夏帽子 経彦
栗林圭魚選 特選句
鳴き交はす鴉に梅雨の森深く 要 滑り台順番を待つ夏帽子 経彦 今年竹撓ひて風の行方追ひ 三無 雨上るもりの朝やねむの花 芙佐子 紫陽花や森の匂ひに深呼吸 ます江 万緑や森に命を繋ぐ雨 亜栄子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月17日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
露草に一輪挿の織部かな 雪 白鳳の野々宮廃寺跡 同 僧偲ぶ僧の手描きに絵団扇に 同 夏蝶の祈るが如し辻地蔵 同 終電の汽笛編戸を通し聞く 英美子 竹落葉散る音を聞く真昼時 同 毛虫焼く南無阿弥陀仏唱へつつ みす枝 咲いてをり咲きかけてをり七変化 かづを 白寿まで闘志抱きて更衣 清女 鷺一羽思考してをり青田中 やす香 売れ残る金魚に疲れ見えにけり 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月19日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
青葉木菟夜を鳴かねばならぬかに 雪 五右衛門の煙管煙を吐ける山車 同 籠枕夫の遺せし油の香 清女 短夜を添ひ寝の犬に鼾きく 同 蜘蛛の囲の細きにかかるものは何 啓子 懐しき人に逢ふ夢明易し 笑子 風鈴の音とはならぬほどの揺れ 希子 短夜や星を眺めて聴く話 隆司 浴衣着て祭囃子の音に酔ふ 同 風鈴もそれぞれの色兄妹 和子 雨欲しきあぢさゐに色無かりけり 同 今夜だけ風鈴しづか話さうよ 令子 短夜や時の静かに広ごりて 千加江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月21日 さきたま花鳥句会
刺身盛り紫蘇一枚の境界線 月惑 路地裏の暮色に媚びる七変化 八草 夏見舞幼き文字に磯の風 裕章 草刈りの終へて現はる地平線 紀花 麦秋の風入れカフェの読書会 康子 梅漬けの重石に亡夫の酒の瓶 恵美子 たまゆらの時をあづけて啼く河鹿 みのり 麦の秋うねる大地の広々と 彩香 地に影を一瞬黒く夏つばめ 良江
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令和6年6月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
白鬼女の渡しと伝へ草茂る 雪 欠け初めし月に崩るる白牡丹 同 尻重な返事のいまだ梅雨に入る 同 山笑ふ声に呑まれてしまひさう 同 高層のビルに飛び込む夜這星 世詩明 夏旅に背中合せの駅の椅子 同 風遊ぶままに青田の百面相 同 極楽の風吹く寺に夕端居 ただし 朝倉の水の音する青蛙 同 音もなくむくりむくりと雲の峰 みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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hachikenyakaiwai · 3 months
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【かいわいの時】明治七年(1874)7月8日:大阪府庁舎、江之子島に落成(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
江之子島という地名は、「難波江の子島」と呼ばれていたものから難波を省略したとする説、古来「犬子島」と呼ばれていたものが転訛したとする説、島の形状から「へのこ島」と呼ばれていたとする説がある。ただし、明暦元(1655)年「大坂三郷町絵図」には、江の子島東・江の子島西とあり、この頃には「えのこじま」と呼ばれ、町が成立していたのだろう。以降、寛文年間(1661 ~ 1673 年)「大坂中嶋・九条嶋・四貫嶋絵図」や、貞享4(1687)年「新撰増補摂州大坂大絵図」にも、江之子島に「ゑのこ嶋」と記されている。さらに、元禄年間(1688 ~ 1704 年)「大坂三郷町絵図」にも、江ノ子島東町・江ノ子島西町が見られる。なお、井原西鶴『日本永代蔵』[貞享5(1688)年]巻三の「高野山借銭塚の施主」に「難波江の小島」として、当地に昔いたとされる伊豆屋という資産家が記される。また、江之子島は寛永年間(1624 ~ 1644 年)の末から幕府の監船碇繋地となり、元禄年間(1688 ~ 1704 年)には百間堀川に面して塩船繋留場ができ、享保 10(1725)年から塩市が許可された。延享版(延享年間:1744~ 1748)「難波丸綱目」には讃岐・淡路・備前・摂津・阿波の国問屋船宿が載る(直木・森監修 1986)。
明治5(1872)年6月27日、大阪府は再び庁舎新築を上申する。大蔵省宛の渡辺大坂府権知事伺には、地盤工事を厳重に行うため費用がかさむことなどが記され、1万5000 円を要求し、同額が支給されれば、今後費用がかさんでも増額要求はしないことなどが記される。ただし、府庁舎は県庁舎と別格で、明治6(1873)年8月までは建築費が全額官費支弁であったというので(石田 1993、71頁)、官費支給を抑えた形となっている。この伺には、絵図が添付されている。「大阪府庁新建絵図」(巻頭図版2)がそれで、設計図や仕様書類が残存しないとされる中で、最も設計図に近いものと考えられる。
(写真)「巻頭図版2 大阪府庁舎新建絵図」
この伺に対し、7月5日に大蔵省から回答があり、その文章には、大阪府が開市場であり、家屋が多いことから、東京府下で火災予防のために行われている煉瓦造の建物を認めること、また裕福な商人が多いから民費を徴収するのはさほど困難ではないだろうとのこと、そして、費用3万8736 円余りのうち、官費として1万2912 円を出すこと等が記される*。 *実際の費用(精算総工費)は5万369円21銭2厘(現代価値にして約17億円)、うち万6632円98銭4厘が官費。この工費は、明治一桁代の府県庁舎の多くが 6000 円~1万3000 円(2億円~4億4000万円)におさまる中で(石田 1993、120 頁)、飛びぬけた額である。
この新築工事の正確な着工時期は、よくわからない。明治5(1872)年冬(大阪市史編纂所 1982b、1頁)、1月(『近代���築画譜』昭和11年)とする文書や、工費が支給された8月とする意見(石田 1993、71 頁)もある。
竣工は、明治7(1874)年7月頃とされる。7月6日の「新府庁ノ縦覧許可」(大阪府達 216 号)には「今般新府庁落成ニ付、来ル八日ヨリ六日之間、午前第七時ヨリ午後第六時迄諸人縦覧差許候事…」とある(大阪府史編集室 1971 b、71 頁 )。ちなみに、『近世見聞輯』巻之七(出版年不明、大阪府立中之島図書館所蔵)の同年7月部分の記載には、大阪府庁舎の部屋割りが記され〈図略〉、7月7~ 14日とあるが、日程は誤りだろう。また、7月15 日付「新府庁ノ開庁」(大阪府達 227 号)には、「新府庁相開キ、転移之手続有之候條、十七・八両日休庁、十九日開庁之式ヲ行ヒ、同廿日ヨリ諸事公務取扱候事…」とある(大阪府史編集室 1971 b、76 頁)。また、上述の明治5(1872)年上申書の末には、7月23日付の上申書が追記され、「…十九日転移於同行事務取扱致シ候…」と記されている。
設計はウォートルスともキンドルとも言われるが、はっきりとしたことはわかっていない。大正時代の増改築に携わった葛野壮一郎の回顧文(葛野 1931)によれば、設計においてキンデルソンに依頼したが、報酬が高額なため、図面だけを写し取り、日本人の手でやったこと、棟梁は堂島辺りの人であったことなどが記されている。しかし、キンデルソンという人物は実在しない。葛野は、大正5(1916)6月1日の大阪毎日新聞に記者の取材に答え、「明治7年、時の造幣局技師キンデルという人に作って貰った設計図によって、洋風建築の事など何も知らぬ役人が、何も知らぬ日本の大工を使って無理ヤリに建て上げた」と発言している(内川ほか監修 1986)。
大阪府文化財エンター「大阪市 旧大阪府庁舎跡」『大阪府文化財センター調査報告書 第225集』2012より、抜粋して編集。表記はママ。*注は編者。
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kachoushi · 4 months
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虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅵ
花鳥誌2024年6月号より転載
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日本文学研究者
井上 泰至
10 思ひ川渡れば又も花の雨
 初出は『ホトトギス』昭和三年七月号。「貴船奥の宮」と前書き。『五百句』には、「昭和三年四月二十三日 (西山)泊雲、(野村)泊月、(田中)王城、(田畑)比古、(同)三千女と共に鞍馬貴船に遊ぶ」と注記。
 成立の事情は『ホトトギス』昭和三年九月号の、「京都の暮春の三日」なる虚子の紀行文に詳しい。二十一日夜、大阪で「花鳥諷詠」の初出とも言うべき毎日新聞社での講演の後、東山から鞍馬・貴船・大原と洛北を巡った。二十三日当日は、前日ほどの雨ではないが、天気は悪く、かなり寒かった。鞍馬から貴船に向かい、昼食の後、幸い雨もあがって貴船神社から奥の宮へと向かい、宿に戻って句会を行い、掲句は「春の雨」の形で披露されている。
 本井英氏は「虚子『五百句』評釈(第五五回)」(『夏潮』)で、昭和十年三月発売の「俳句朗読」レコードに添えられた自注を紹介している。それによると、貴船神社を参詣後、貴船川という小川にそってさらに物寂しい奥の宮に着くと、ほとんど参詣する者もなく、辺りには桜がたくさん咲いており、落花もあれば老樹もあった。貴船神社でも雨だったが、しばらく降ると止み、奥の宮にゆく道にある思ひ川が貴船川に流れ込んでおり、そこでまた降り出した、という。
 当初「春の雨」としたのは、京都特有の、降ったりやんだりする「春雨」を実地に体験した報告として成った、ということだろう。それが様々な桜を濡らし、花を散らして川に流す方に重心を置いて「花の雨」とした。ここで「又も」が報告に終わらず、奥山の桜の様々な姿態を想像させる、繚乱の華やかさを得るに至った。
 「思ひ」は、和歌では恋の火を連想させ、貴船には恋の説話が堆積している。恋多き女、和泉式部も夫の心変わりに貴船にお参りをし、貴船川を飛ぶ蛍を見て、歌に託して祈願をしたら、ほどなく願いが叶い、夫婦仲が円満に戻ったという故事がある。
 さらに、謡曲「鉄輪」では、嫉妬に狂った公卿の娘が 貴船社に詣で、鬼神にしてほしいと祈願し、明神の託宣があって、娘は髪を分け、五本の角をして、足に松明をつけ、これを口にもくわえ、頭にも火を燃え上がらせて鬼の姿に変じたという。
 虚子は、こうした幾多の恋の話を面影に、一句を絢爛たる「花の雨」に転じて詠み留めたのである。
 なお、田畑夫妻は祇園の真葛原でにしん料理屋を営む。吟行に侍した三千女は、かつて千賀菊の名で祇園の一力に出ていた舞妓であった。虚子の祇園を舞台にした小説『風流懺法』の三千歳のモデルである。
11 栞して山家集あり西行忌
 『五百句』に「昭和五年三月十三日 七宝会。発行所」と注記。
 この句については、『夏潮虚子研究号』十三号(二〇二三年初月)に私見を披露しているので、ここにそのあらましを再記する。
 最近提出された岸本尚毅氏の掲句に対する解釈の要点は、以下の通りである。「山家集」と「西行忌」という、氏によれば同語反復に終始したこの句は、
「定型と季題以外何物もない」句ということになる(『高濱虚子の百句』)。そもそも膨大な数残る虚子句から、配合の句に絞って論じた所に本書の狙いがある。通常季題と季題以外の取り合わせに俳人は苦心するが、氏に拠れば、虚子にはその迷いの跡がない、と言う。その理由を探ることが本書の目的でもある、とも言う。
 従って、標題句もそうした関心から選ばれ、「人の気配がない」句として解釈されるに至る。その真意は、本書の最後に置かれた「季題についての覚書」に明らかである。岸本氏によれば、虚子の配合の句は、一般のそれより季題に近いものを集めた「ありあわせ」なのだという所に落ち着く。虚子の工夫は、季題を季語らしく見せることにあり、それは季題のイメージの更新でもあった、という仮説が提示される。
 ここまで確認したところで、掲句を眺めれば、「西行忌」から「山家集」を「ありあわせ」、「栞」がどの歌になされているのか、その折の情景や人物はほぼ消去されているというのが、岸本氏の解釈であろう。
 ただし、岸本氏は、「おしまいにまぜっかえすようなことを」言うと断りを入れて、「句はあるがままにその句でしかない」というのも虚子の真意だったろう、と記している。
 これを私なりに敷衍して述べれば、虚子にもともと二物衝撃のような俳句観は極めて希薄だったのだから、標題句のような一見すると同語反復に見える「ありあわせ」については、季題がどれで季節がいつかといった議論を無効にする句作りがなされていたことになる。したがって、「同語反復」の良否を議論することは、虚子の句の評価においては、本質的ではないことになる。
 虚子の読書を題材とした句にも、標題句より取り合わせの色が多少は濃いものがある。
  焼芋がこぼれて田舎源氏かな
 昭和八年の作なので、標題句から詠まれた時期も遠くない。『喜寿艶』の自解はこうである。
 炬燵の上で田舎源氏を開きながら焼藷を食べてゐる女。光氏とか紫とかの極彩色の絵の上にこぼれた焼藷。
 絵入り長編読み物の合巻『偐(にせ)紫田舎源氏』は、本来女性向けの読み物であった。白黒の活字印刷ではない。木版本で、表紙および口絵に華麗な多色摺の絵を配した。それらは、物語上の主要な人物を描くものではあるが、顔は当代人気の歌舞伎役者の似顔絵となっていた。
 「読書」というより、「鑑賞」と言った方がいいこの手の本への接し方は、色気を伴う。主人公光氏は、光源氏のイメージを室町時代の出来事に仕立て直したものである。そこに食い気を配した滑稽と、冬の余り行儀のよくない、それが故に微笑ましい、旧来の読書の季節感が浮かんでくる。確かにこれから比べれば、西行忌の句は人物の影は薄いし、西行の繰り返しということにはなる。周到な岸本氏は、
  去来抄柿を喰ひつつ読む夜哉
  落花生喰ひつつ読むや罪と罰
など、虚子句から同じ発想のものを、「焼芋」句の評で引いてもいる。  そこで、標題句の解釈の焦点は、「栞」が「山家集」のどこにされているのかについての推論・推定に絞られてくる。まずは『山家集』中、もっとも有名な次の歌が想起されよう。
  願はくは花の下にて春死なむ         そのきさらぎの望月の頃
 西行は出来ることなら、旧暦二月の望月の頃に桜の下で死んでゆきたいと願った。『新歳時記』よりさかのぼり、標題句の成立から三年後に出された改造社版『俳諧歳時記』(昭和八年)の「西行忌」の季題解説は、虚子が書いている。この歌を引いて、その願望の通り、二月十五日か十六日に入寂したことを伝えている。従って、掲句についても、この歌と願い通りの入寂を想起するのが順当であろう。その意味で、この句は「花」の句の側面を持つことになる。
 ここまでくると、一句の解釈は、読み止しにした人も、「願はくは」の歌に「栞」をした可能性が出てくる。また、仮にそうでななくとも、「西行忌」に「栞」された「山家集」からは、西行と花の奇縁を想起するのは、当然のことと言えるだろう。
  花有れば西行の日とおもふべし 角川源義
 例えば、この句は「西行忌」ではなく、「花」が季題だ、という事に一応はなるだろう。また、「西行の日」を「西行忌」と考えてよいのか、という問題も残る。しかし、一句は「桜を見れば、桜があれば、その日を西行入寂の日と思え」という意味であり、「西行入寂の日」の奇縁、ひいては西行歌と西行の人生全体への思いがあふれている。むしろ、「西行忌」という枠を一旦外すことを狙った、広義の意味での「西行忌」の句と言えるだろう。
 逆に虚子の句は、「西行忌」に「山家集」を持ち出すことで、和歌・俳諧の徒ならば、西行の作品とともに、その生きざまに習おうとする思いは一入のはずではないか、というところに落ち着くのだろう。「栞」をした人を消すことで、逆に西行を慕った人々に連なる歌俳の心が共有される句となっているわけで、かえってここは、具体的な人物など消して、西行の人生と歌のみを焦点化した方がよかったのである。
 回忌の句は、俳諧の場合、宗祖を慕いつつ、一門の経営に資する世俗性が付きまとってきた。近代俳句はそういう一門の流派を嫌った子規の書生俳句から生まれたが、皮肉なことにその死の直後から「子規忌」は季題に登録され、他ならぬ虚子自身が、大正の俳壇復帰に向けて子規十七回忌を利用した経緯もある(井上『近代俳句の誕生』Ⅳ・2)。
 しかし、西行ならば、広く歌俳を親しむ人々一般に、「開かれた」忌日として価値が高い。標題句が、西行一辺倒で詠まれた理由は、西行の「古典性」「公共性」に由来していたとみてよい。標題句の同語反復に近い言葉の選択の意義は、祈りの言葉に近いものであったからで、それを正面から行わず、「栞」を媒介に『山家集』の読者を無限につなげていく「さりげなさ」こそが、虚子の意識した俳句らしさであったと見る。
『虚子百句』より虚子揮毫
11 栞して山家集あり西行忌
12 紅梅の莟は固し不言
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国立国会図書館デジタルコレクションより
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井上 泰至(いのうえ・やすし)   1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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bearbench-tokaido · 5 months
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六篇 上 その一
ことわざに『旅の恥は掻き捨て』というのがあるがこのように、橋の欄干に書かれている落書きは見るだけで、往来の旅人の目を楽しませてくれるものである。 また旅先で結ぶ縁は、出雲の神も知らないことだし出会ってもすぐに別れるのだからあとくされもない。 口から出任せのことを喋っても誰にもとがめられるものでもないし、借金とりも追いかけてこない。 米を食い散らかすねずみを心配することもないし、東男はさつま芋をほおばったりするし、京女は団子のくしにかぶりつく。 駆け落ちして飛んででてもそのうち、道草をしてのろのろと歩き出す。 金毘羅参りは背負ってきた酒の樽をおき街道の松並木に腰掛けている。 と思っていると街道の真中にいきなり小便をして、諸社順拝の鈴口をふるように余分な小便を搾り出す。 このような街道の様子は本当に、この世を楽しんでいるようだ。 水が流れるように流れていくこの楽しみは、えもいわれない。
さて、ここに江戸は神田の八丁堀辺りに住む弥次郎兵衛と北八の二人連れのなまけものが、伊勢参宮からやまと路をまわって奈良街道を行き山城の宇治までやってきた。
ここから京都に行こうかと急いで歩いている。 やがて伏見の京橋に着いたところからこの話が始まる。
その頃には日も西に傾き往来を行きかう人々も足を速めている。 京から大阪へ下る船が乗船をつのる声をやかましく上げている。 「さあさあ、今出る船じゃ。乗らんせんか。 大阪の八軒屋船じゃ。乗ってかんせんかい」
弥次郎兵衛はその声を聞いて急に立ち止まると、 「ははあ。これが、あの有名な淀川の夜ぶねだな」 と言って、船の方を見てからちょっと考えて北八の方に向き直ると、 「おい、北八。京から先に見物するつもりで来たが、いっそのことこの船で大阪に行ってそっちを先に見物しようか」 と言いだした。 「夜ぶねか。昼に荷物を積んできて、夜に人を乗せる奴だな。 それで大阪に行って見物か。なるほど、それもよかろう」 と北八はうなずいて船頭に声をかける。 「もしまだ、乗れますか」 船頭は旅姿の二人をちらっと見て、 「ああ、乗るんなら早う乗らんせ。すぐに出すさかい」 と言ってまた、声を上げている。
二人が船に乗り込もうとすると、 「これこれわらじを取って乗らんせ。えらい気のきかんやつじゃな」 と船頭は、馬鹿にしたように言う。 「ええ何を言いやがる。全く口の悪い船頭だ」 と北八は苦笑いしながら、わらじを解くと、 「そうだ北八。何かあったらいけない。 お前の包みと俺のといっしょに、風呂敷に包んでおこう」 弥次郎兵衛は北八のわらじと荷物を取り上げて自分の荷物といっしょに風呂敷に包んで抱えあげる。
北八は弥次郎兵衛に荷物を渡してしまうと、あたりを見回して、 「船頭さん。こりゃあ、何処へ座ったらいいんだ」 と船頭に問いかける。 船頭はぐるりと頭をめぐらして、 「そこの坊さまの側に」 と指差しながらぶっきらぼうに言う。
船頭に言われたとおりに弥次郎兵衛が先に立って、 「御めんなせえ」 と乗り合いの客の間を船尾の方にむかって歩いていき、 「やあ、えいとな」 と坊さまの横に割り込みながら座る。 その様子を見ていたこの船に乗り合わせた客の一人が周りを見ながら、 「こりゃ、ぎゅうぎゅう詰めだ」 と小声でつぶやくように言うと、 「船頭さん。布団を、ひとつかさんせ」 と声をあげる。
「それ、取らんせ。さあさあ皆えいかいな。 下にいてくだんせ。苫(とま)ふくさかい」 と船頭は船に葦で作った屋根を掛け出した。 そして棹をさすと、ゆっくり岸を離れ出した。
川岸を離れると待っていたかのように船に乗った商人が寄って来た。 「両替なされ。両替はよござりますかな」 「昆布菓子に、砂糖もち」 「熱燗はよござりますかな。あんばいよし」 とこのうち船頭は、棹を巧みに繰りながら歌い出した。 「船は~、追い風に~、帆をかけてはしる。 われはこがれて~、身をあせる。そうれそれ」 と船頭が、 「なんやこりゃ。えろう空が悪くなった。一雨来るかもしれんわい」 と空を見上げながら言う。
船に乗っていた常連客の一人が、 「船頭さん。昨夜は、色町ででも遊んだんだろう。 日頃の行いが悪からこりゃ、雨になりそうじゃ。ははは」 と言って、周りを見廻す。 「ところでどなたも足を崩してないが、今のうちに適当にしとかんと後に具合が悪うなりまっせ」 とくつろいだ様子をしている。
しばらくして乗り合いの中の一人で京の者が言う。 「これおまい。ちと、退いてかさんせ。 わいのチマキの上に座ってじゃわいな」 「こりゃいかん。すんまへんな。これだけ込み合っていてはしかたがない。我慢してくれなされ」 と大阪の者が、答える。 「まあ、ええわい。で、おまいは大阪もんじゃな。どこじゃいな」 と京の者が問いかけると、大阪の者が答える。 「わしゃ、道頓堀」 「そうかいな。道頓堀の衆は、みな芸が達者じゃ。 どうじゃいな何なとひとつ、やりなさらんか」 と京の者が言う。
「こりゃよかたい。船中の眠気覚ましにみなさんで、ひとつずつ芸能やらしやったらよかたい」 と長崎の者が言う。 「私は長崎の者じゃが能毛川嶋の南瓜を枕にして、かんざしをぽっきり折るという歌でもやろうばいよお」 と大乗り気で答える。 「こりゃあ、いことんし。わしどもは越後の者だが長崎の人が、やらかしやったらわしも国風の松坂おけさでも語るべい」 と越後の者も、言う。 それを聞いていた北八が、 「こいつは面白い。まあ長崎のお客から始めなせえ」 と長崎の者に水を向ける。
「よかよか、それなら、やろうばい」 と長崎の者は、大きく手をうちたたき歌い出す。 「おまえ~、よかはた~、私を振り捨てて~、 おおいに、よう、色女と~、契らんす。 こりゃ、 カエルが飛ぶならオケかぶせ~、 それでも、飛ぶなら、キネを置け~。 こりゃ、こりゃなんじゃいな」 船中の者が、口々に、 「いよいよ。ウマいもんだ」 と言っている。
今度は越後の者が、 「わしもやるべい。 みんなそれからとことんとことんとはやしてくれさっしゃい」 と言うと、 「よかよか、承知した」 と長崎の者が、言う。 他の乗り合いも、みなみな手を打ちたたき、 「とことんとことん」 と、やり始める。 越後の者が、歌い出した。 「お長さん、久しぶりだ~。達者でいたか~」 それにあわせて、乗り合いが合いの手を入れる。 「とことんとことん」 「新潟一番の、水牛の櫛を~」 「とことんとことん」 「お前に、くれべいと~、六百文で、買うた~」 「とことんとことん」 「ははは、おもしろい。おもしろい」 と弥次郎兵衛も、はやし立てる。
その様子に京の者が、 「こりゃ江戸のお客にも、何ぞやってもらおうじゃないかい」 と弥次郎兵衛問いかける。 「そりゃもう、琴でも三味線でも胡弓でも、なんでも少しはやりやすが、あいにくここにはどれも持ってきていないから、残念だが出来ない」 と弥次郎兵衛はまた、口からでまかせを言う。 「おまいの言葉遣いなら、役者の声色ができるじゃあろ。 誰なと、江戸役者をやりなされ」 と、京の者に言われて、 「声色も二十や三十はあやつりますが、さて、誰にしよう。 沢村源之助か坂東三津五郎(役者の名前)か、いや、高麗屋(松本幸四郎の屋号)にしやしょうか。 しかし江戸役者をお前方は、知らないだろうから、面白くないかもしれねえ」 「はて、えいわいの、ひとつやりなされ」 と大阪の者がはやし立てる。
つづく。
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kennak · 6 months
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猫ノ沢事件(ねこのさわじけん)とは、1916年(大正5年)に秋田県河辺郡船岡村船岡字猫ノ沢(現大仙市協和船岡沢内)で発生した事件である。この事件により全国一の密造酒摘発地であった秋田県での密造酒の習慣を大きく変えるきっかけになった事件であった。「猫ノ沢」の地名は資料によっては「猫の沢」と記述される場合も多いが、この記事では前者で統一する。 概要[編集] 沢内白山神社神社の前が猫ノ沢事件の現場となる 1916年(大正5年)6月24日、秋田税務署間税課長ら一行8名は、未明豪雨の中を濁酒検挙のため、河辺郡船岡村船岡字猫ノ沢部落に向っていた。早朝から同部落を調べ、隣接の庄内部落に向かう途中、猫ノ沢部落に向かう夫婦連れに出会う。署員は「どこから来たか」と尋ねたところ、男は「貴様らの如き者に用事はない」と暴言を吐き、突如Kに組み付いて押し倒したので、他の署員が取り押さえて不心得を諭した。ところが、その夫婦は猫ノ沢集落に帰って、「いま税務署属らに不当の暴行をうけ殺されるところだった」と伝えた。部落民は日頃から濁酒検挙で税務署属に悪感情を抱いていたところから憤慨し、その暴行への復讐、および再び濁酒検挙にこないよう打ちこらしてやるべきだと相談がまとまり、税務署属の帰路を襲うべく盤木を鳴らして部落民を小学校前に集め待機した。一方税務属一行は、猫ノ沢部落白山神社付近の沢合いや堰端、田圃など捜索すべく進んでいた。これを知った部落民は盤木を乱打して襲撃を促し、蓑笠を着用し、鎌、鉈その他の凶器をたずさえ、降雨の中を白山神社前に向い税務署属一行と出会うや喚声をあげて襲いかかり、無抵抗の税務署属らを突く、刺す、殴るの乱暴を働き、凄惨な修羅場と化した。税務署属一行は鎌で背部から肺に達する瀕死の重症を負わされた者、鎌で頭部を乱打され骨膜に達する重傷を負った者など5人が重軽傷を負った。この事件は首謀者、実行行為のあった者、あるいは声援して騒いだ一部の部落民が、騒擾、公務執行妨害罪、傷害罪で起訴され、10名を懲役(各6年2名、5年3名、1年5名)、15名を罰金(各30��3名、20円12名)に処する有罪判決が、2名に無罪の判決が言い渡され確定した[1]。 背景[編集] 明治維新以降、酒類に対して一般的に課税することとなったのは、1871年(明治4年)の「清濁酒醤油醸造株鑑札収与税則」[2](明治4年太政官布告第389号、清酒濁酒醤油鑑札収与並ニ収税方法規則)を定めた時からである。この課税制度はもっぱら販売用の酒類を対象として規定されており、自家用のため製造する酒類については「細民農桑ノ辛苦ヲ醫スルカ爲」[3]のものとして課税の対象外としていた。しかしその後、財政規模の拡大とともに酒税負担を漸次増加せしめることとし、また、自家用酒を製造している者には資産家が多く、「細民」はかえって課税された酒類を購入するという齟齬も発生していた。そこで、1880年(明治13年)制定の酒造税則(明治13年太政官布告第40号)は、酒税の増税に伴い、自家用酒製造数量を1石(180L)以下に制限した(同附則)。1882年(明治15年)には、製造数量の制限のほか免許鑑札制度を導入し、免許鑑札料80銭を徴収するとともに、自家用酒として製造した酒類の販売を禁止した。さらに、1894年(明治27年)から翌1895年(明治28年)に行われた日清戦争の歳入不足を補うために、1899年(明治32年)には自家用酒税法を廃止し、同時に自家用酒の製造を全面的に禁止した。しかし、1899年(明治32年)の酒類の製造数量はかえって減少傾向さえ示した。濁酒製造免許者は77%増となったが、その免許を受けるには年間50石(9000L)以上生産することを条件としていた。そのため、部落内の共同出資により団体を結成しその代表者の名義で免許を受け合法的に製造することが考えられていた。しかし、その濁酒を基にしてさらに大量の濁酒を密造する者が続出したため、結局かえって密造を助長する結果となった[4]。 その後、1909年(明治42年)頃から密造取り締まりが厳密に実施され全般的には密造が減少傾向にあったものの、秋田県と岩手県は1916年(大正5年)まで密造激甚地として残っていた[5]。密造禁止の趣旨が徹底せず「自家用酒の製造は本来の悪事ではない」「小さな密造犯を処分するのは法律の目的ではない」「税務官吏の取り締まりは自分の成績を上げるためで、罰金のうち何割かは賞与としてもらうのではないか」という話が流布し、これらが税務官吏に対する怨恨になり、一方犯罪者に対する同情となり、相互庇い合うという傾向すら見られた[4]。 1900年(明治33年)7月3日の秋田魁新報では「酒は蕎麦と同様自家で作るべきものとの慣習は村落民に一つの観念を作り容易に抜けず、自家用酒制限されるや、彼等の不平高まり、税吏をみること疫病神のごとし、時に税吏に対し蛮行を振う愚民もあり、しかも村民一般の感情がかかる蛮行者をみること義民のごとく、犯罪者に対し同情をあたえつつあり、実に笑止千万なり」と報じている。密造酒の摘発には新聞記者も同行して記事を書いているほか、摘発記事などもかなり大きく報じている。税吏に濁酒を押収された家は「ヤマイ神につかれた」としてむしろ同情の眼で見られた。摘発は現品を押さえ、しかも醸造人が明らかでなければ罰金は科せられなかった。そこで、農民たちは知恵をしぼった。期限まで罰金を納められない場合には入獄しなければいけなかったが、この場合は年寄りや女房が夫に代わって労役につくことが多かった[6]。 国は毎年6億円の歳出を必要としていたが、そのうち1億円は酒税によるものであった。当時、秋田県は密造酒による検挙人数はいつも全国一であった。「取締当局としては一罰百戒の見地から厳重な取締による大量検挙以外効果はない」とされ、1916年(大正5年)6月22日に仙台市で開催された東北六県税務署会議に出席して帰庁した千葉税務署長は、23日に濁酒取締について署員をあつめ協議したが、この時に一罰百戒の見本とされたのが猫ノ沢であった。当時の猫ノ沢は「本村より約9km隔たった山間の僻地で戸数約10戸、人の気質は荒く交通不便のため司直の手が延びないことを幸いに、山林の盗伐や賭博など村風も極めて悪かった。濁酒密造も盛んで前年に引き続き、部落で共同して、麹室という大箱4つを設置し、毎月持回り製麹していた」[7]と思われていた。また事件発生直後に猫ノ沢に行った千葉税務署長は部落民にその惨事を問うに「そんな事がありましたか」と言われたり「税務署の人と喧嘩し村の若者も一人殺された」と、とぼけられた[6]。濁酒の常用はまた県民病である脳卒中とも結びついていて、1916年(大正5年)の間に脳出血及び脳軟化症で死亡した者1885人(『県統計書』)で病死者数のうち第一位を占めていることからみてもいかに有害なものかがわかるとされていた[8]。 裁判と事件の影響[編集] 猫ノ沢事件の公判は秋田地方裁判所で行われ、1916年(大正5年)10月19日に判決が言い渡された。判決では無防備の税吏に対して農民多数が共謀して凶器を振るい、暴虐の限りを尽くしたのは全国にその例を見ないとして騒乱罪が適用された。また、公務執行妨害罪と傷害罪も併合されたため、2名に懲役6年、3名に懲役5年、5名に懲役1年、3名に罰金30円、12名に罰金20円という厳しい内容となった(2名に無罪)。しかし、あまりにも厳しい判決の上に「事実誤認が多くあって、判決には納得できない」として、有罪判決を受けた25名のうち15名は弁護人を通じて宮城控訴院に控訴した。翌1917年(大正6年)6月22日に出されたのは控訴を退ける棄却判決であった。さらに、この判決に承服しなかった者は大審院に上告した。上告手続きと弁護にあたったのは、名を広��知られた法学博士の花井卓蔵と鶴田忞であった。花井ら弁護人は擬律錯誤や理由不備の不法があるとして、実例を上げながら駁論した。しかし、大審院は同年11月3日、上告を退ける棄却判決を言い渡し確定した[6][9]。 この事件以前は、税務署の取り締まりが非常に冷酷で税務官吏が横暴であるために事件を誘発したのではないかと非難する論調もあり、秋田県において密造者に対する同情心もあったが、事件後は公判の過程で実情が知らされるにつれ民心も一変し、密造に対して矯正する気分が広がった。従来は税務官吏の臨検を蛇蝎視していた地方も、税務署官を地方の旅舎に宿泊させ、地方有力者が税務官吏の地方巡回を遺憾とし、密造矯正を口にすることを栄誉とする傾向さえ発生した[10][11]。 この事件が起きた後の猫ノ沢では、多数の検挙者を出したのは郷村の不面目として小学校に子どもまで全員が集められた。そして警察署長、税務署属、船岡村長、小学校長から、濁酒がいかに弊害が多いものであるかという講話を聞き、一致して密造皆無を誓ったと新聞報道された[6]。 住民の証言[編集] 摘発隊は午前5時ころから、一戸ごとに立会人をつけて猫ノ沢を調査した。ところが、猫ノ沢では摘発隊が来るという情報を前日すでに掴んでいたのか、現品をきれいに処分していた。また、猫ノ沢のある人が羽後境駅から朝の一番の汽車に乗ろうと家を出ると、電灯を灯した人と出会った。船岡の村役場で休んでいるので酒役人だと考え、走って猫ノ沢に戻ってそのことを伝え、さらに庄内部落にも知らせたとする証言もある。一行はひとまず猫ノ沢を引き上げ300mほど奥にある庄内に向かった[6]。 猫ノ沢部落では1916年(大正5年)当時酒役人が来ると、酒役人はすぐ濁酒を置いている場所に行き、1軒や2軒で濁酒を見つけると後の家は捜索せず直ぐに帰った。人々は密告を疑った。こうした事情で部落では濁酒造りは事件発生時既にかなりなくなっており、金を出して清酒や焼酎を飲むように変わりかけていた[6]。 事件の日、朝4時から税務署の署員らは村人の前日までの田植えで疲れた寝込みを襲い無断で家に入り流し場や戸棚、屋敷に土足のまま上がり家を調べた。酒役人らは挨拶もしないで家を次々に調べたという。9人の酒役人らは猫ノ沢で一件の濁酒も発見できず、続いて庄内の捜索しようと川縁のあぜ道を急いだ[6]。 被告Cの妻の証言は以下の通りである。被告Hの妻と、被告BはBが嫁をもらう以前から仲が良いということが部落では噂になっていた。Hの妻は酒役人が家を探して帰った後に、庄内の方に鎌を持って田を見に行った。その後すぐに、Bが鎌を持って庄内の方にでかけた。Bの妻はそれを見てBがHの妻の後を追ってでかけた考えた。そこでBの妻は後を追い、ヤブの中に体を潜めてBを見ていた。酒役人は雨が降る時にヤブに隠れているBの妻を怪しみ酒を隠しに来たのだろうと問うと、Bの妻は田に水を掛けに行く所だと答える。酒役人はその田に案内しろと詰め寄った。そこに庄内の田を見終わったBが帰ってきた。Bは妻に何をすると9人の酒役人に飛びかかって行くが、返り討ちにあう。草刈りに家を出てそれを見ていたGは、Bが殺されると助けを求めて猫ノ沢を叫んで歩いた。Bは顔や手足が血だらけでひどい姿であった。Bは仕返しを口にするが、周囲の者になだめられて気持ちを落ち着かせ、朝食を取った。そして、大曲営林署の下刈り仕事に行こうと刈払鎌を持って家を出た。猫ノ沢部落の男が鎌を持って白山神社の方に行くと、酒役人が白山神社の周囲を捜索して猫ノ沢の方に向かってきた。それを見たBは腹の虫が収まらず「殺してやる」と酒役人に突進して行った。「またBが殺される」と一緒に走って行った。盤木はIの家に泊まっていた大工が騒ぎを聞いて偶然打ったものだという。証言からは、この時下刈りに一緒に行った者は5,6人で、事件は偶然に発生したとする。取り調べは事件の3日後から始まった。証言では、度胸が無い男と周囲から嫌われている男が目をつけられ、警察から「事件の一切を打ち明けると許してやるから」と言われ次々に村の人々が収監されたとされる。中には病気で歩くのも大変だったEも収監され懲役5年の判決を受けているという。実際には5-6人ほどの人たちしか襲撃に参加していないのにもかかわらず、25人もの人が服役した[6]。 その後、村人は取り調べの様子を話さなかった。そのため野添憲治は、当時かなり厳しい取り調べが行われ、一審の裁判記録が事実と違っていたからこそ、控訴や上告に繋がったのではないかとし、さらに偶然数人で一行を襲った事件なのに、どうして25名が騒擾罪などの重い罪で服役しなければならなかったのか、そこには事実誤認があったのだとしている。残された家族は、男手が無いため田畑を売ったりと生活にかなり苦労した。被告Aと被告Bは出所後、集落の総代や村議会員に推され一応の名誉回復をした[6]。 一番の被害者である税務署員は1917年(大正6年)5月11日に仙台の第二審公判の様子を見ていて、それを日記に残している。Bはほとんど事実を否認あるいは曲弁して、自分一人が税務官らを暴行したと供述した。裁判長から9人の税務官をよくただ一人で追い散らしたのかと問われるが、Bの答弁ははなはだ曖昧であった[4]。 脚注[編集] [脚注の使い方] ^ 『秋田県史 第六巻 大正昭和編』、1977年、p.157 ^ 「租税史料叢書」第四巻 酒税関係史料集Ⅰ~明治時代~ ^ 明治財政史 第5-6巻 221頁 ^ a b c 税務職員の殉難小史 ^ 仙台税務監督局『東北六県酒類密造矯正沿革誌』、1920年 ^ a b c d e f g h i 野添憲治『猫ノ沢事件 -その虚像と実像-』、たいまつ社、1977年、p.65-135 ^ 秋田県警察史編纂委員会『秋田県警察史. 上巻』、1969年 ^ 秋田県警察史編纂委員会『秋田県警察史. 上巻』、1969年 ^ 判決摘要 - 仙台税務監督局『東北六県酒類密造矯正沿革誌』、1920年 ^ 仙台税務監督局『東北六県酒類密造矯正沿革誌』、仙台税務監督局、1920年 ^ 事件の反響 - 仙台税務監督局『東北六県酒類密造矯正沿革誌』、1920年
猫ノ沢事件 - Wikipedia
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shunsukessk · 9 months
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「遺跡としての晴海団地」参考文献
「遺跡としての晴海団地」は日本建築学会のウェブサイト「建築討論」で2023年1月から11月にかけて連載された。もしかすると、いつか誰かの役に立つかもしれないので、参考文献の一覧をまとめておく。なお、赤字は連載内で2回以上触れたもの。
都市
磯崎新「都市の類型」、『磯崎新建築論集2 記号の海に浮かぶ〈しま〉』、岩波書店、2013年。
磯崎新「建築=都市=国家・合体装置」、『磯崎新建築論集6 ユートピアはどこへ』、岩波書店、2013年。
レム・コールハース『S,M,L,XL+』、太田佳代子、渡辺佐智江訳、ちくま学芸文庫、2015年。 ・「シンガポール・ソングライン」 ・「ビッグネス、または大きいことの問題」
藤村龍至「超都市(ハイパー・ヴィレッジ)の建築」、『SD2021』、鹿島出版会、2021年。
山岸剛『TOKYO RU(I)NS』、山岸剛、2022年。
ジル・ドゥルーズ「無人島の原因と理由」、前田英樹訳、『ドゥルーズ・コレクション1 哲学』、河出文庫、2015年。
里見龍樹『不穏な熱帯 人間〈以前〉と〈以後〉の人類学』、河出書房新社、2022年。
晴海
『万博』1938年5月号、紀元二千六百年記念日本万国博覧会事務局。
「オリンピック中止 万国博覧会の延期 閣議で承認」、東京朝日新聞(夕刊)、1938年7月16日。
『万博』1938年11月号、紀元二千六百年記念日本万国博覧会事務局。
東京都中央区役所編『昭和32年版 中央区政概要』、東京都中央区役所、1957年。
東京都中央区役所編『中央区史 下巻』、東京都中央区役所、1958年。
『観光お国めぐり 東京都の巻(上)』、国土地理協会、1959年。
東京都中央区役所編『昭和35年版 中央区政年鑑』、東京都中央区役所、1960年。
「運転手、死体���発見 血だらけ乗捨てタクシー」、朝日新聞(夕刊)、1963年12月7日。
「個人タクシーご難 晴海 三人組強盗に襲わる」、朝日新聞、1965年8月10日。
「運転手しばり放り出す 晴海 三人組タクシー強盗」、朝日新聞、1966年5月26日。
「スペインが初名乗り 万国博参加」、朝日新聞、1966年8月27日。
三島由紀夫『鏡子の家』、新潮文庫、1969年。
「カーサ晴海」、『近代建築』1977年8月号、近代建築社。
東京都中央区役所編『中央区史三十年史 上巻』、東京都中央区役所、1980年。
日東製粉社史編纂委員会編『日東製粉株式会社65年史』、日東製粉株式会社、1980年。
『第二次東京都長期計画』、東京都企画審議室計画部、1986年。
晴海をよくする会『晴海アイランド計画の提案』、晴海をよくする会、1986年。
「ソ連の一万トン客船 あす初寄港」、朝日新聞、1987年3月20日。
東京都港湾局、社団法人東京都港湾振興協会、東京港史編集委員会編『東京湾史 第1巻 通史 各論』、東京都港湾局、1994年。
小柴周一「晴海アイランド トリトンスクエア」、『新都市開発』1998年1月号、新都市開発社。
『晴海一丁目地区第一種市街地再開発事業』、住宅・都市整備公団、晴海一丁目地区市街地再開発組合、1999年。
吉本隆明『少年』、徳間書店、1999年。
茅野秀真、大村高広「再開発地区計画の活用による一体的な広場・歩行者空間形成の実現──晴海アイランドトリトンスクエアにおける実践例──」、『再開発研究』第18号、再��発コーディネーター協会、2000年。
『トリトンプレス』vol.2、晴海一丁目地区市街地再開発組合、2000年。
『トリトンプレス』vol.5、晴海一丁目地区市街地再開発組合、2001年。
「晴海トリトンで「いい日常」」、朝日新聞(夕刊)、2001年3月23日。
「晴海一丁目地区第一種市街地再開発事業 晴海アイランド トリトンスクエア」、『近代建築』2001年6月号、近代建築社。
佐藤洋一『図説 占領下の東京』、河出書房新社、2006年。
夫馬信一『幻の東京五輪・万博1940』、原書房、2016年。
渡邊大志『東京臨海論』、東京大学出版会、2017年。
晴海団地
「港に近く、高層アパート群」、朝日新聞東京版、1956年1月22日。
大髙正人「東京晴海の公団アパート」、『国際建築』1956年11月号、美術出版社。
志摩圭介「団地ずまい礼讃」、『新しい日本 第2巻 東京(2)』、国際情報社、1963年。
「団地に住んでゼンソクになった 工場ばい煙規制へ」、朝日新聞(夕刊)、1963年10月8日。
種村季弘『好物漫遊記』、ちくま文庫、1992年。
種村季弘ほか『東京迷宮考』、青土社、2001年。
中央区教育委員会社会教育課文化財係編『中央区の昔を語る(十六)』、中央区教育委員会社会教育課文化財係、2002年。
晴海団地15号館(晴海高層アパート)
小野田セメント株式会社創立七十年史編纂委員会編『回顧七十年』、小野田セメント、1952年。
河原一郎、大髙正人「新しい生活空間へ」、『新建築』1957年1月号、新建築社。
野々村宗逸「住宅公団の晴海高層アパート」、『住宅』1957年4月号、日本住宅協会。
『建築文化』1959年2月号、彰国社。 ・大髙正人「設計の概要」 ・河原一郎、大沢三郎「都市の住居:高層アパート」 ・野々村宗逸「いつまでも豊かさを」
川添登「晴海高層アパート──将来への遺跡」、『新建築』1959年2月号、新建築社。
前川建築設計事務所「晴海高層アパート」、『近代建築』1959年2月号、近代建築社。
木村俊彦「構造計画論の展開と私の立場」、『建築』1962年1月号、中外出版。
ロジャー・シャーウッド編『建築と都市 臨時増刊 現代集合住宅』、エー・アンド・ユー、1975年。
「アンケート:パブリック・ハウジングの可能性」、『都市住宅』1980年8月号、鹿島出版会。
日本経営史研究所編『小野田セメント百年史』、小野田セメント、1981年。
日経アーキテクチュア編『有名建築その後 第2集』、日経マグロウヒル社、1982年。
レイナー・バンハム「世界の建築の日本化」、伊藤大介訳、鈴木博之編『日本の現代建築』、講談社、1984年。
枝川公一『都市の体温』、井上書院、1988年。
大髙正人、小西輝彦、小林秀樹「昭和の集合住宅史(6)高密度高層住宅 広島市営基町住宅と公団高島平団地」、『住宅』1992年3月号、日本住宅協会。
野沢正光「〝ささやかな悠久〞をおびやかすもの──晴海高層アパート1958によせて──」、『住宅建築』1994年10月号、建築資料研究社。
住宅・都市整備公団、日本建築学会編『晴海高層アパートの記録』、住宅・都市整備公団、1996年。
『住宅建築』1996年8月号、建築資料研究社。 ・小畑晴治、野沢正光、初見学、松隈洋「座談会──晴海高層アパートから引き継げるもの」 ・初見学「晴海高層アパート残照」
井出建「都市に住まうことの戦後史 「晴海アパート」取り壊しと集合住宅の未来」、『世界』1998年1月号、岩波書店。
志岐祐一「晴海高層アパート 可変性検証の記録」、『住宅建築』1998年3月号、建築資料研究社。
高橋郁乃「「晴海高層アパート」は歴史館に行き、そして晴海は…」、『建築ジャーナル』1998年9月号、建築ジャーナル。
前川國男
田中誠「住宅量産化の失敗と教訓──プレモス前後」、『今日の建築』1960年9月号、玄々社。
ル・コルビュジエ『今日の装飾芸術』、前川國男訳、鹿島研究所出版会、1966年。
佐々木宏編『近代建築の目撃者』、新建築社、1977年。
前川國男、宮内嘉久『一建築家の信條』、晶文社、1981年。
丹下健三「前川先生の死を悼む」、『新建築』1986年8月号、新建築社。
伊東豊雄「公共建築の死・前川國男を悼む」、『住宅建築』1986年9月号、建築資料研究社。
宮内嘉久『前川國男 賊軍の将』、晶文社、2005年。
生誕100年・前川國男建築展実行委員会監修『建築家 前川國男の仕事』、美術出版社、2006年。 ・井出建「前川國男と集合住宅」 ・「日本万国博覧会建国記念館 コンペ応募案」
前川國男建築設計事務所OB会有志『前川國男・弟子たちは語る』、建築資料研究社、2006年。 ・河原一郎「前川國男」 ・松隈洋「「生誕一〇〇年・前川國男建築展」という出発点」
団地
島田裕康「住宅団地におけるコンクリート塊の再生利用」、『月刊建設』1996年10月号、全日本建設技術協会。
原武史『団地の空間政治学』、NHK出版、2012年。
祝祭
岡本太郎、針生一郎「万博の思想」、『デザイン批評』第6号、風土社、1968年。
岡本太郎『新版 沖縄文化論』、中公叢書、2002年。
「五輪チケット、販売済みは収容人数の42% 7割が地元」、朝日新聞デジタル、2021年6月11日。URL=https://www.asahi.com/articles/ASP6C66BZP6CUTIL05R.html
「IOC広報部長、コロナと五輪「パラレルワールド」無関係強調」、毎日新聞デジタル、2021年7月29日。URL=https://mainichi.jp/articles/20210729/k00/00m/050/117000c
ギリシャ神話
ヘシオドス『神統記』、廣川洋一訳、岩波文庫、1984年。
呉茂一『ギリシア神話(上)』、新潮文庫、2007年。
賃金
労働大臣官房労働統計調査部編『昭和33年 賃金構造基本調査結果報告書 特別集計』、労働法令協会、1960年。
「賃金構造基本統計調査」、厚生労働省ウェブサイト。URL=https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/chinginkouzou.html
銀座
東京都中央区役所編『中央区史 中巻』、東京都中央区役所、1958年。
赤岩州五編著『銀座 歴史散歩地図』、草思社、2015年。
築地
テオドル・ベスター『築地』、和波雅子、福岡伸一訳、木楽舎、2007年。
東京タワー
電気興業社史編纂委員会編『電気興業 40年史』、電気興業株式会社、1990年。
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jinghuablog · 1 year
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珍珠港,血与火的记忆——夏威夷之行(三)
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夏日的天气往往是"上午晴,下午雨",可夏威夷的夏日并不总是如此。早上起床,我拉开了窗帘,看着涌进来的阳光,心中一阵欢喜,今天去珍珠港算是碰上一个大好的日子。酒店已准备好了早餐,我们用完之后,便步出了酒店。
去珍珠港(Pearl Harbour)的公交车站就在酒店的对面,可乘坐19、42路公交车。我们刚横过马路,忽然遇上一阵瓢泼大雨,车站正好有个车棚,我们便急急忙忙躲了进去。天气的突变,让人有点措手不及,不知这雨还得下多久。还好这场雨来的快,去的也快,几分钟过后,雨势渐渐地减弱,阳光又重新露出温暖的笑脸,挂满雨珠的街树,水花飞溅的马路,手拿雨具的路人,香气四溢的花香,街上到处是清新和亮丽,雨后夏威夷的街景真美!
没等多久,便来了一辆公交车。我们上了车之后,才发现车上挤满了上班的人,还好过了檀香山市区,车上的乘客明显少了很多,又过了国际机场,空荡荡的车厢里只剩下我们这些去珍珠港的游客。
下了车,没走几步就是游客中心前的广场。这时天气又变得阴沉起来,太阳时隐时现,西南的天空被一大堆乌云占据着,犹如一张愤怒的脸。这不能不使我联想到八十二年前的那个早上,也是像现在这种天气,日本出动6艘航母,300多架军机,以厚厚的云层作为掩护,对珍珠港的美军基地进行狂轰滥炸,拉开了第二次世界大战太平洋战争的序幕。来夏威夷旅游之前,我曾细心研读过这段历史,但不知为何,当我走入珍珠港,这些铅铸的文字会时不时地变成一个个血腥的画面跑了出来,让人挥之不去。
今天来这里的游客并不多,寄存物品,拿票,购票都很顺利。去亚利桑那号纪念馆参观还需等上一个小时。于是我们趁这段空隙时间先去了珍珠港的游客中心,那里除了有各类参观珍珠港的信息、图片、明信片等之外,还出售有关珍珠港事件的纪念物品。走出游客中心,我们来到对面的珍珠港纪念公园。公园里放置着一架二战期间的美国海军作战飞机和鲍芬号潜水艇(Bowfin Submarine),很多的游客都聚集在公园临水的岸边,观赏着珍珠港的美丽的海湾风光。
我却独自一人走上旁边的升旗平台,平台的旗杆上插着一面巨幅的美国国旗,星条旗高高飘扬,在海风的吹拂下猎猎作响。我站在旗杆下不时的抬头仰望,又静静地低头徘徊。那天早上,珍珠港的水兵们就是在这里举行升旗仪式,与此同时,那些该死的日本战机开始扔下第一颗炸弹,珍珠港顿时成了人间炼狱。唉,这些画面又不受控制的出现在我的眼前,而眼前的这一切,想说却说不完,也说不尽,那是一个血肉横飞,炮火连天的日子,它使我沉思,它教我低徊不已。
终于轮到我们参观亚利桑那号战舰的沉船遗址,我们先被安排观看一部有关珍珠港事件的影片,20分钟长的电影,向观众呈现珍珠港事件的珍贵的历史影像。大家坐在一个几百人座位的影院里,全神贯注地随着镜头的推进,一起走入烽火硝烟,惨烈异常的珍珠港。
1941年12月7日,日本成功偷袭了珍珠港美军基地,先后二波的狂轰滥炸,使得美国在太平洋上最大的军事基地变成一片熊熊的火海,太平洋舰队受到了重创。摧毁8艘战列舰,3艘巡洋舰、3艘驱逐舰、8艘辅助船只。击毁军机188架,受损155架。美军2,403人死亡,1,178人受伤。其中又以亚利桑那号战列舰伤亡最为惨重。数字是冰冷的,战事却是惨烈的,它也成为美国人心中永远的痛。12月8日,美国对日宣战。12月9日,中国宣布对日、德、意三国宣战,加入了世界反法西斯阵营,与世界正义的力量站在一起,从此中国对日抗战进入了一个新的阶段。
走出影院,我们每个人的心都仿佛压了一块石头,脚步沉重地走向码头。一艘美军的渡船正整装待发地等待着参观的人群。船上的美国海军士兵一身夏装,洁白的水手帽,Cotton duck夹克衫,长裤和背心搭配,一双黑色蹭亮的短靴,一身戎装威武雄壮。渡船载着我们,缓缓地驰向亚利桑那号沉没的海域。这时船上有位年近90的二战老兵手拿话筒,向全船的游客详细讲诉当年的激烈的战况,游客们静静地聆听着,气氛肃穆庄严。
亚利桑那号战列舰在开战的9分钟就被日军投掷的炸弹击中,继而引发船上的弹药库猛烈的爆炸,很快便沉入海底,全舰1,177名官兵阵亡。1962年,美国政府在沉船残骸的上方建立了亚利桑那号纪念馆,它是一座国家陵园,也是一道深深的历史伤痕。渡船渐渐靠近了沉船遗址,在它周围时而低速地前行,时而停止不前,像是在低迴缅怀,又像是静穆致敬,船上全体水兵立正在甲板上向着亚利桑那号沉船遗迹集体敬礼,向这片神圣的水域洒上花环和花瓣,以致崇高的敬意。我把右手按在胸前,除了默默对坐沉海底的将士致敬之外,更为千千万万死于日寇铁蹄下的同胞们致敬!
渡轮按原路返回码头。回航途中,船上一片静默,谁也没有开口说话,仿佛都还沉浸在那份悲痛之中。这时我把脸转向纪念馆的白色建筑,刚才电影里一幕幕轰炸的惨状,又在我脑海里翻涌着,但不知怎么的,这些镜头中却穿插着日军在淞沪会战中狂轰乱炸的画面,特别是一张《中国娃娃》的照片,深深刺痛我的心,一个衣衫褴褛,满身鲜血的幼童坐在一片狼藉的铁轨上嚎啕大哭,四处都是炸飞的房屋,倒毙的百姓。唉!如果这个孩子能幸存的话,现在应该同我父母差不多的年纪,然而在战火纷飞的年代,谁的性命可以操之在自己的手里?仅仅那次上海南站的轰炸,日军就炸死平民近千人。日寇连手无寸铁的百姓都不放过,更不会对手持武器的军人手下留情。
中国的许多战场远比珍珠港事件来的惨烈,来的惊心动魄,气壮山河。在这场救民族于危亡之中的战斗中,无数热血青年义无反顾投身于抗日的洪流中,"一寸山河一寸血,十万青年十万军。",他们用自己的热血践行了尽忠报国之志,他们用自己的生命完成了惊天地,泣鬼神的壮举。我的脑海中仿佛出现了《情深深,雨蒙蒙》中依萍,方瑜送别书桓,尓豪奔赴抗日前线的一幕,"当你紧紧握着我的手,再三说着珍重珍重。当你深深看看我的眼,再三说着别送别送……"感动的泪水不知不觉从我的眼眶里滚落了下来,那些国之栋梁的好男儿又有几个能活着回来?他们的忠骨埋葬在何处?那些白发苍苍的家人,恋人,临终前又怀有怎样未了的心愿?
渡轮停靠码头时轻微的震动,把我从思绪中拉回到现实,我又把目光投向纪念馆的方向,洁白的纪念馆与蔚蓝色的大海成了永恒的纪念标志。
下了渡轮,接着又坐上了接驳巴士,下一站将去密苏里号巡洋舰参观,该艘船舶停在福特岛(Ford Island)内的码头上,与亚利桑那号遥相呼应。亚利桑那号代表太平洋战争的爆发,而密苏里号却象征着太平洋战争的胜利结束,其意义非常重大。
接驳巴士开了没多久便驶入福特岛大桥,这座桥是福特岛与外界陆路联系的唯一通道,进入福特岛也意味着进入了军事禁区,除了参观密苏里号战列舰以外,其他地方都不准拍照。
说来真巧,巴士进入福特岛,头顶上的乌云消散的无影无踪,明媚的阳光普照大地。透着车窗,眼前是一片明丽与祥和。宽阔的道路,成排的浓荫大树,整齐的军营,停泊的战舰,忙碌的大兵,这里是一个隐秘的禁区,一个少为平民大众所知的世界。八十二年前的那一天,福特岛却是一个火光冲天,人间地狱般的世界。��止是福特岛,日军在偷袭珍珠港六个小时之后,又开始猛烈地进攻香港,启德机场,浅水湾同样遭到了狂轰乱炸,整个香港陷入了一片火海,无数平民百姓丧生在日军的枪炮之下。我的眼前仿佛出现了《倾城之恋》镜头里那火光冲天,断壁残垣的香港,在熊熊燃烧的城市,白流苏和范柳原意外重逢,倾城之中又多出了一对乱世鸳鸯,但残酷的炮火摧毁的家庭又何止千千万万。
巴士停靠在一处海军基地旁,密苏里号战列舰赫然出现在了我们的面前。这艘巨型战舰1944年下水,随即投入了硫磺岛战役,冲绳战役。1945年9月2日,密苏里号战列舰停泊在日本东京湾。9点刚过,主甲板上举行了日本无条件投降的签字仪式,它标志着二次世界大战亚洲战区的胜利结束。
我登上密苏里号战列舰,心中难掩喜悦的心情,仰望着巨大无比的炮塔,摸摸厚厚的钢盔铁甲,不禁感慨万千。面对日本强大的军国主义,国富民强的美国也打得如此的惨烈,那更别提积贫积弱的中国。但我们四万万同胞并没有退缩,他们手持简陋的武器,甚至赤手空拳,以万众一心御敌,以血肉之躯卫国,以浩然之气谱写中华民族这段受辱的历史。
在船上我们聆听解说员的介绍,然后走进船员的寝室,饭厅,休息室参观。在主甲板指挥室外,一只玻璃柜子里陈放着日本投降书的复印件,上面有作为战胜国的中国代表徐永昌将军的签名,这是千千万万同胞用血肉之躯换回来的胜利。用强大征服弱者,用暴力剥夺自由,用野蛮取代公义,正义的利剑从来都不会缺席,不论是断头台、绞刑架,还是历史的审判席,这样的例子史不绝书。
当正义降临之时,千里之外的华夏大地举国欢腾,四万万同胞共庆抗战的胜利,锣鼓喧天,载歌载舞。从噩梦中醒来的同胞,有的赶回劫难后的家园;有的引颈盼望着离散亲人的归来;有的在焚香祭奠战争中死去的亲人,大家都憧憬着和平,重建和安居的未来。这份胜利带着浓浓的悲壮,这份喜庆埋着深深的伤痛。这份欢笑含着悲伤的泪水。
岁月久已远去,但打开尘封的历史画卷,我们依然热血沸腾,同仇敌忾。正义得已伸张,但愐怀那血与火的岁月,我们仍然心绪难平,热泪盈眶。献上我们至高至上的敬意、鲜花、文字来祭奠那些流星般的生命,那些为国捐躯的将士,那些彪炳史册的功勋。
珍珠港阳光明媚,蔚蓝的天空飘着朵朵白云,湛蓝的海水泛着微漾的海波,平静的港湾舰船穿梭往来,一派和平安宁的景象。烽火连天的硝烟早已飞散的无影无踪,但战争并未远去,隆隆炮声又响彻在欧洲大地,杀戮还在继续,人们终将再一次看到"正义之剑"利刃出鞘。
本想写的是一篇珍珠港游记,由于适逢九一八事变纪念日,竟不知不觉写成这样一篇不成格局的零星断想,但不管怎么说,这总算是一种不能忘却的纪念。
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toshiki-bojo · 1 year
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「虚子への俳話」163
「花鳥」令和5年8月号より転載
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 この号と季節は違うのであるが、先日の大会において中子の追悼会をしていただいたということもあり、彼女が一番愛した看護への道、つまり聖路加看護学院に入ったところから出発した事実を改めて検証したい。
 そしてそれを一番祝福したのは虚子であったという。女子も男子と同様に教育し、且つ仕事を持つべきだという虚子の考えは当時とてつもなく新しかった。
  春潮にたとひ艪櫂は重くとも 虚子
 昭和二十年二月十五日年尾長女中子、興健女子専門学校に入学の志望あり。そして中子は試験を受く。
 春の潮はこれからの暖かな未来へと続く。そうであっても、いまだ未熟で若い漕ぎ手は時として重く辛く感じるものである。だから、仮にそう思っても、自身のためにその艪や櫂のあゆみを怠ったり、留めてはならない。  それが、祖父から孫へのこれからの船出への祝いと叱咤激励の言葉なのであった。
 興健女子専門学校はいまの聖路加看護大學の前身となる看護学校である。そこを受けてまがりなりにも合格した本人はやがて看護婦への道を歩む。その道は結局六十年以上にも及び、去る平成二十三年の三月をもって終了した。  勤務としての最後は東京渋谷区の内藤病院というこじんまりとした病院。それまでにもいくつかの病院を渡り歩いたが、本人の看護の思いというものはなまはんかなものではなかったはずである。
 でも家族が病気になると、この看護婦はわりあいオロオロとする。患者が家族であるからふだんとは勝手が違うのかもしれぬ。しかし、そのオロオロこそがナースとしての適性なのかもしれぬ。というか、その情がもっともナースにとっての慈愛の発露なのだろう。
 それを、虚子や年尾はすでにして一族の長女であった中子に見いだしていたはずである。
  吹く風は寒くとも暖遅くとも 虚子    昭和二十年二月十一日
 「春潮」の句の数日前に似たような句がある。二月のそのころの暦を詠った句だが、季節の変わり目であり、この年の一向に進まぬ春の訪れを恣意的に句とした。中子の人生の旅立ちもこのようなところからスタートした。そして、日本の戦時下の状況もいよいよ激変の予兆にあったはずである。
 虚子は、いつも俳句をその歴史とともに歩ませる。それが国家であろうと、自然であろうと、孫の個人的なことであろうと。ここに、虚子の大きな情が隠されている。
 余談であるが、私もここで昭和三十二年七月十五日に産まれた。先日吟行会で聖路加を尋ねてそこのチャペルで独り俳句を作った。昔見た既視感がそこにあった。母の仕事が終るのをよく聖路加で待っていたから。
 廊下に過去の聖路加看護学院の卒業生の名前が掲示してあったので母を探したが「高濱中子」の名は無かった。それもそのはず、彼女はその前身の「興健女子専門学校」に入ったのだから。
 何か余りに昔の映画を観ているような既視感のようなものに襲われた。
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hachikenyakaiwai · 1 year
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【かいわいの時】元禄元年(1688)七月一日:大坂町奉行、堂島新地など新地20町に茶屋株125株を許可。
現在、一般に「北新地」と呼ばれているのは、北は国道2号線・南は堂島川・東は御堂筋そして西は四ツ橋に囲まれた、東西約500m・南北約250mのほぼ長方形の地域(地番では曽根崎新地1丁目・堂島1丁目・堂島浜1丁目)になります。その沿革は、江戸時代元禄元年(1688年)の「堂島新地」の誕生に始まります。当時、現在の新地本通りと堂島上通りの間には、堂島川から分流した曽根崎川(蜆川)が流れており、堂島川との中州が堂島と呼ばれる砂州でしたが、貞享年間(1684~87)、幕府の命を受けた川村端賢が淀川本支流の各所で改修工事を行い、その一部の堂島川・曾根崎川の浚渫工事によって新しくし堂島新地十一町が出来上がり、元禄元年にその町割が行われて「堂島新地」が誕生、茶屋株が与えられ繁栄がはかられました。さらに元禄10年には「堂島の米市」が設けられ(今の新ダイビルから全日空ホテル付近)、堂島新地は、堂島川対岸の中之島に多数存在した各藩の蔵屋敷の役人や、米市の商人を相手にした遊所として栄えました。その後宝永年間(1704~11)には曽根崎川の北岸が改修され、宝永5年(1708年)に町割され、現在の地番「曽根崎新地1・2・3丁目」ができました。その間「堂島新地」は、堂島の米市の急速な発展により、仲買人や両替商が次々に店舗を構えてビジネス街化し、遊所は曽根崎川を渡った川向うの曽根崎新地へと移動し始めました(北新地総合情報サイト)。ママ。現・ANAクラウンプラザホテル大阪。
(写���)堂島新地ができる前の堂島。一無軒道冶『芦分船 第六』1675・1924復刻(大阪市立図書館蔵)より。 此嶋は。そのかミ。聖徳太子。守屋大臣を退治し給ひて後。玉造の岸の上に。伽藍を建立せんと。おぼしけるに。猶も。守屋か。憤やます。其亡霊風波となり。彼用木を。たびたび吹ながし此処にとどまりしにより俗につたへて。堂嶋といふなり
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orange1896 · 1 year
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26330031461 球头 4110000038189 机罩电器总成 26010015981 机油滤清器滤芯430-1012020B 4041000818 停用-螺栓GB16674-M12*25EPZN-8.8 4041015843 联轴器 29120021261 停用-燃油箱总成 4120006564013 集电器HFP56-1-25/120A 6210000720 板 21909014161 蜗轮螺母C5112 6264000424 绘图纸盖特威2寸管芯80g*880mm*50m J4120007373103 橡胶挡块 29341003681 顶棚 26331031541 接线鼻OT-100A 977016 4180000331 后车架线束 29240000031 弯板 6216000508 左侧板 6410005290 发动机出水胶管 6618000107 阀体505001 29050041871 继电器HFV6024Z-TR 9100001451 耳形密封垫21050700010 11221754 板 14403610 发动机罩 28040002131 发动机罩 FKC4130000317 BRACKET 3601116-30D F61560010047 销轴 6410000916 贴板 29180011171 低压油管C00AL-00AL029+A 29370014041 太阳轮B0841-14014 LG690020476 软管20411-26-10TZ/20411-30-10TZ*FC687-10*6 26240011651 至破碎锤左钢管 4110000591022 后车架 4110000129008 轴承32026 54130012 M086HWBA1 档块(右) 29290035031 内六方(英制) 世达09102 6212000039 上盖板 29260041711 发动机机油压力传感器LG13-JYVDO 6210001130 链条总成 4041003275 电气系统 6410002398 进气胶管 11216377 驾驶室总成 4041000592 推土铲手柄支架总成 4110003226255 手柄WYX-L06-04 6420001432 前主轴承盖HA01376 4120016965 四叉吊带防滑钩(8T*1m) 29240009801 FLOOR PLATE 14753706 4041000655 转向泵吸油钢管 28350002111 压力开关(SMC 型号:ISG131-030 量程:0.1-1.0MPa) 3110900068 空气滤清器主滤芯P780522 4120009421003 发动机安装丝座 1690300084 动臂联大腔右钢管 26240017691 角钢 FXKAH-01001F COVER_WIPER 4190002810 大红面漆 大桥bc800 11223957ZS 销轴8216-MV-00041 3214527347 发动机总成WD10G220E23(DHD10G0534) 6410005930 压缩机护罩 29370018631 弹簧 L933 29170042061 Lifting capacity-INT_LC_HD Bm, BP 29310014381 钢管总成H31186301 26050001811 水泵 490B 1607000192 电脑板 4110001891009 缸筒总成 24A133280 4190000534010 锥度规 4110003164069 A502B前驱动桥总成 13025100 6410001812 进出水法兰组件1A085-72704 961614 动臂 28280007791 E6700FB挖掘机 26280000542 缓冲底座包CN-608588 11210690 软管LGB125-003080 29330069231 海绵850*200*30 LG26180015341-1 密胺托盘35*25 4110000054311 毛巾三利 4041003202 活塞销6105Q-1004019B 26290025751 座椅支架 6900020580 E6460FLC备用标识模块(换上) 29110008091 停机手柄D59-112-03+A 6391000490 后车架JR953 29320010611 接头 LG2920000931 铁木结合箱-7 750*220*240 7200000712 6360F、6400F工具箱 11219229 工作泵吸油胶管 6242000022 柴机油CI-4 10W-30 4L 1664-1002201 FS411-160006 止退垫60 7300000615 框架木箱-15 29150025131 船型开关 KCD1-B-104O32BB 4110001645041 气动往复锯(世达02545) 29360011831 板 26290010231 排气管密封环61260110162 29290016211 板 LG2929002370-1 海绵 28420000581 钢管 11217305 网状橡胶防滑垫 28081003251 板 4110015022004 ECU线束 6212000761 停用-法兰61500020070 6253000489 销轴JS-SZDQ-003 29330034521 箱盖板 4120010453001 螺栓GB5783-M10*120EpZn-10.9 B7626-1005060 26290018051 踏板 7100002067 二极管 Mobile/WhatsApp:0086-1525-4934-126 6618000245 安装板 6900013670 后板 12740940 工作泵吸油钢管 4016000229 定位销 LG2190900977-1 内齿圈 ZL30G.11.7 4022000016 支座 28360000281 安全阀D32.2a-00(17.5MPa) 29290038501 滚动轴承GB276-6020 4120008039 水箱板 11224791 垫片LGB303-95*150*1 14566218 welding parts 28140008461 内六方螺栓M5×15 6410007618 后部左侧海绵 Mobile/WhatsApp:0086-1525-4934-126 F40300000047 无收音机模块 29330036271 右操纵指示灯AD16-22D/G23S-YCZ 29010082161 单体泵1111010-4000/A 29010047611 右侧连接座 4120005889009 线圈C19B-02700E13-36.5NA-YT 4110003180107 压冷管50611003 28140009672 方向指示板 2617002815030 O型圈 HDS12/18,凯驰洗车机用 29010019201 快速割咀GK1-4# 14606880 自扎帆布套 4110004340019 连杆B817*100*113-46*124(浅绿色) FA2W00485A 挡油板 4110000186537 非公路自卸车 3214589761 液压油箱 4016000370 右加强筋 29330083641 吸油法兰 29070020741 气门室罩盖垫 6900021643 挡风板 29330034282 后车架附件 14545017 前支架(右)612600012914 7100001408 FLANGE SCREW, M8X20 LG6303902559 铲土角变换油缸100*50*260.5-562-B 3901895F 29050017361 操纵机构总成L955 LGR81821 29440001781 观察孔盖板 LG2938001518 法兰螺钉 4110002137054 右桥壳 4110003226190 停用-凸轮轴13031471 6280000239 迷你中齿平锉 世达 03924 11221921 开口垫片LGB337-1*22*80*80*1 FXG6207-ZLB 右支架 26180019941 驾驶室959E 4110001089001 右护栏 29170099201 后车架电气总成 4011001367 柴滤 29160008051 接线端子UT1.5-4 26290024661 软管20411-22-08TZ/20441-22-08TZ×FC687-08×1 4110001005250 横销E2201708 16039928 隔离套 29310014651 活塞背母24C013010 21909014201 轴承 FZ0000556 下隔板总成 28350003661 六角法兰面螺栓Q/SC622-M10*30-B00002001 29150012141 右上护板 29290026851 固定销LG685 LG8937003028 过渡块 G26-6210 比例电磁阀-1500mA 4015000486 直柄钻头 彩色纸箱165*165*100 28310004651 刀片SPHX090308R21 KC7215(肯纳) 4110000499065 扩口式锥螺纹直角通接头体RQ65410-J8 6373400259 液压油和防冻液模块 (97/26) 4130015554 支架-试制 F4110000727162Y 轴承31313 54 100 014 26310006001 中梁 4110001089149 驾驶室总成 4040000032 除雪铲液压缸 FZHKGFC 排气接管总成1000127553 26310003091 接近开关过渡线束 4130002715 内接头LGS9530013 LG2990000101 液压油管2500 4041000170 限位块 28250023911 软管LGB149-004152 28120005941 支撑管00800TB-B 4130002874025 螺母ZG6177.2-M14*1.5-10 29220025601 转向缸胶管 F1BQ4-44100 海绵 4110001060212 半轴齿轮 4110000081028 内钳JS-ZL50-009 GB5783-M14*50EpZn- 29030021281 L968F-CE轮胎式装载机操作及保养手册 4120001004113 再生开关CVV-00007793 4110001867517 树脂管 14408076 PLATE_LH COWL MTG RR 8298654 散热器进水管 4120002281110 六角螺栓01181459 6410001387 管夹 F31Y1-16280F 柴油管3.5米 4110002244061 2.2寸串口HMI 智能串口屏集成GPU字��TFT液晶屏模块240*320 4110003832201 旋转锉Y2505M06 29220201251 O形圈0634303283 29330076991 摇臂7吨车 6618000112 发电机 29030020991 驾驶室总成 4120008775 变速器总成LG952 4120001966010 压板 4110002520021 工具箱装配总成 4110001645053 仪表盘 580*580*200 6900021292 排气管固定扎带 14408669 液压油箱 4110004228001 CR板 29260035871 creform joints 4120006896 SIX POINT SOCKET SCREW,M6X60 29270021441 下铰链 6420001417 出油法兰 6410007815 连接颈LGHD93600004 26170022531 齿轮 20578627 6303900937 速度监视器 29010050261 主刀板 29020009471 后侧玻璃 29110013301 止推瓦1C010-2353-2 4190015707 断路器DZ47-63 3P/15A 26190001501 双组合油封ZD65X90X20.5 LG2926003032 2 过油螺栓M12×1.5393-1118001 28270005961 P-螺钉GB78-M12*25 LG968 6303900100 滤芯部件CU02B-9M2341+A FZ0000672 油管129907-39061 2030900006 停用-制动片 2060900812 铁木结合箱-7 6293000112 内摩擦片0501.321.596 2933006711-2 中冷器LY-LG936L(III)-3C-35-000 26290010451 领带金利来 3214530362 右刀板 9300000063 方管 26180021061 第三联接口 2943000298 岩石斗1.0×2080(装配) 4120009292039 左前侧玻璃 6720000019 喷漆线屏蔽工装 FAB-M-26 28250016441 德国穆勒热继电器ZB12 26170019261 铁木结合箱 21247955 29170034211 非公路自卸车 4110001019009 垫子 4110003244006 传感器 29030012561 弯板 4120007462 盖板C82BL-4N4526+B MT86H 4120008940 主泵盖板 26370006421 LG953N液压油箱总成 4120017645 板 29070026791 螺栓TBM1030 6303012836 缸筒总成HSGF-140/80*502PA-1 29150017241 软轴总成4110003907-01 16068159 4110015182032 板 8296830 板 6410007320 阀至右动臂缸小腔钢管 17004355 辅料 LG3214508698 停用-机器回转警告标志 29220014411 液压油箱部装 E5-2909000856 油温控制线束 29330068971 O-RING 4110001908002 09104套筒扳手 29220020621 神钢55-脚踏阀总成 29250016151 空调 26331031832 L972H轮胎式装载机 26370001951 CR海绵2 29240029171 ELECTRICAL SYSTEM 4110002247084 轴 F25100-83C01 填料 4120007009 大腔左钢管 29240028531 螺塞R908251020 4120010465100 密封件维修包24A103940S 29330067131 左上叉 29360017181 接头 7200002366 主传动总成 29290045081 右转向缸座 4110000846076 管座 29110008631 水散热器LY-LG968N-2A-37-010 6900017877 密封包MCW8-14LG1 4110001670 LG936L驾驶室围板总成(DDE) 28440000581 钢板t20*2910-SM490A 4016000113 燃油箱总成 28100010551 AUXILIARY MATERIAL(12/56/31/44/26/140/2) LG2190901648-1 垫片 6618000058 SERVO SYSTEM 29240012071 泵接头 29380018521 胶管20411-18-06TZ/20491-18-06TZXEC110-06X2 14408585 弹簧36710640000 4120003365 右立柱 26141019601 驾驶室938L 29370005532 V2HD_DF_1040_0.52_K5_H_BS_A 29330063121 1500小时保养包 14884808 29010020131 油门软轴支架 FZ0000359 扶手 6399005498 推土油缸HSGK-120*70*150-560 4110001921028 矩形板50*38*8 14572876 主泵 F11N4-43300 主刀板 1060000053 PLATE 29010056261 PIN WITH LOCKING / CONNEC 14532912 后起吊板-C04DL-4W8652 4110002196003 左翼箱 6222000190 黄油软管 FXKAQ-00166 板 29260046391 盘 29050031391 右动臂缸大腔钢管 29170045051 倒档行星轴 14608572 LG2926002543 3 LG665E 图册 29320010981 V形块 14782642 29280013541 P-圆锥滚子轴承32968 7200000667 链轨总成ZL190ML-46000 4120010009 平行平晶15.50-15.87 16035154 断油电磁阀组FV 9420ZZ 29260019601 进口万向套筒64321016 FZ0000878 销轴 17002654 空滤进气胶管 21908002541 螺塞 4644 306 401-404,521-522,531,554 29350011921 垫片1YJ280-1C-00004 4030000722 传动轴6210 11211724 矩形板LGB310-210*70*16 29250020371 电气系统 6410004283 喷嘴 29190011131 砂轮片125*6*22(双碟) 6410000454 销 26260009561 壳体回油过滤器 4041001519 管接头C03CL-M5P4908+A 29030035471 RUBBER TUBE 29010050081 标牌 29240027991 停用-胶管 3030900119 胶管F372C91C201610-1070 29010023911 左侧板 FMS 密封垫 6900019271 燃油泵 29250028572 PROTECTING MOULDING 4110000012013 电源电气总成 4110000679 钢管总成 15184185 60107865 3寸插杆脚轮 4110002041108 软管 LG5111001002 圆管焊接总成 9200000682 泵轮YJSW315-8-17 4190001498 连接块 4021000021 缓冲套Q/HL 102102-2014 d110/Φ116×Φ105×59.5 4110002894002 软管LGB129-405063 6420000631 瓦格斯铣螺纹刀盘TMSH-D63-22-5 LG5111001042 驻车制动总成 4120010373 内六角螺塞O 04.01.02.02.041.010 ZJ27130104471 操纵软轴 29010020921 筋板 LG2912002789A 燃油泵齿轮C3960730 11211950 支撑杆 26010027651 支架 Read the full article
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kachoushi · 10 months
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星辰選集
花鳥誌 令和5年12月号
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令和5年9月号の掲載句より再選
坊城俊樹選
この星辰選集は、私が各月の掲載句の中で、雑詠選・撰集選・さいかち集の成績などに関係なく、改めて俳句としての価値が優れていると判断したものを再度選句したものです。 言わば、その号における珠玉の俳句ということになります。
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左手に聖書持ちかへ虹を待つ 天野 かおり ざわざわと黴雨の来たる人との間 伊藤 ひとみ 夏蝶のたはむれ城主墓に罅 四宮 慶月 水音は水を濁さず蜻蛉生る 田丸 千種 親指がほどの哀愁袋角 取尾田 美智子 もろもろの鳥遊ばせて樟茂る 松本 洋子 自転車にボード括りて夏に入る 海老澤 由希子 一族の潰えし郷の緑雨かな 渡辺 美穂 蟻の道辿ればやがて蟻の村 赤川 誓城
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梅雨出水過ぎて正気を歩きけり 斉藤 いづみ 罠であり結界であり蜘蛛の糸 渡辺 光子 二度廻る梓渕さんかも黒揚羽 松井 秋尚 咲き倦みて落つ事忘れゐる椿 村上 雪 単衣着て空念仏に去る漢 棈松 政江 水面裂くオール八本五月晴 崎島 六甲 済度する菩薩の眸子著莪点る 田中 惠介 風薫る旧びし墓碑の梵字にも 佐藤 ゆう子
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短夜の最後の看取り息浅し 岩原 磁利 炎天の瓦礫留めてゐる時間 岩佐 季凜 賽の目はぞろ目や夜の青嵐 冨永 桂 ソーダ水ぬるく漁港の日曜日 緒方 愛 生き死にを語る吐息の暑さかな 宮城 踏青 今年竹ただ青春の大空へ 続木 一雄 ハングルの難破漁船や夏の潮 鈴木 経彦 豆飯の湯気の中から母のこゑ 伊藤 ていこ
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花菖蒲八咫鴉てふ濃紫 奥 清女 坂の上の雲の館や若葉風 渡部 一馬 袋ごと枇杷をもげよと檀太郎 古賀 睦子 代掻くや越の富士山崩しつつ 多田 みす枝 五月闇こより捲かれし狛の脚 比嘉 幸子 ぐんぐんと入道雲へホームラン 田上 喜和 懐を深く神在す大夏木 伊木田 マリ 麦秋や昭和の映画語らうぞ 坂井 令子
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kasayoichi · 1 year
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美しき故国④
 六月三日、船はようやく港に入った。
 実に二年ぶりの帰国である。
  帰帆を知らせる狼煙を受け取った王府の役人や使節の家族がこぞって埠頭へ迎えに出向いていた。 
  船室の小さな窓から外を覗くと、出迎えでごった返す人出のうしろ、陸の奥には石造りの塀が連なり、その隙間には朱や灰褐色の瓦屋根の屋敷が並んでいる。遠くに見える青々とした緑の高台には板や茅葺きの民家がまばらに顔を出していた。
 命がけの航海に身を固めて耐えていた人々は盛んに動きだし、積荷も外へ運び出されはじめると、船のなかに外の空気が入り込む。重く湿った夏の風は決して爽やかな心地とはいえないが、海では感じることのできない草木の薫りとこの地に染み付いた命のにおいを運んでくる。
 ―――美しき我が蔽国。
 頭号船から順に下船がはじまり、二号船に乗っている朝明らが船を降りる頃には、入港から大分時間が経っていた。荷物の入った行李などは船員に運ばせ、身の回りの少ない荷物だけを携えて、朝明と己煥そして聡伴の三人はようやく故郷の地を踏んだ。 本格的に夏のはじまりを告げる刺すような陽の光をうけて、己煥は人がひしめき合うなかで仕方なく傘を開いて歩く。
「一生帰れなかったらどうしようかと思いましたよ!あぁ早く屋敷まで戻りたい……子供がですねぇ、生まれているはずなんですよ」
「それはめでたいな聡伴。私も旅役に就く直前に娘が生まれたが、どれほど大きく育っていることやら……」
「何人目だ?」
「それが長子なんです。男女の別は知りませんがはじめての子供が己の知らないうちにとっくに妻の腹のなかから出てきていて、もしかするともう四書を諳んじているかもしれないと思うと寂しいものがありますよ」
 もう育つ余地のない大の大人とは違って、幼子の時の流れは実に早くてその成長具合はとてつもなく大きいのだ。
「我が家に着くのが待ち遠しいですよ。ところで己煥様は本当にその猫をお持ち帰りになられるのですか?」
 船底で暴れまわっていた虎猫は筆のようなしっぽを立て、己煥の足元にぴっちりと寄り添っている。あらためて船の外で見るその姿は、毛も瞳も陽の光を浴びて黄金に輝いていた。此奴が散々積荷を崩しまわったあと、船員に猫の出どころを訊いたが生憎誰も知らず、懐かれてしまった己煥がいつのまにか持ち帰ることになっていたのだ。
「まったく、散々暴れまわった挙句に良い人間に拾われるなんて運のいい奴め。お前が暴れるから俺たちはよくわからない肉なんかを―――……」
「え?肉ってなんですか?」
「いや、なんでもない。それよりお前早く屋敷へ戻らないといけないだろう? 駕籠を使うか?馬でもいいぞ。呼ばせるか?」
「いやいやいやいや、なにをおっしゃっているんですか!屋敷までそこまで離れていませんから、家の者を待って帰りますよ!」
 しかし、あれよあれよというまに、聡伴は朝明が呼び寄せた駕籠に詰め込まれ、彼の住まう四町へと送り出されていった。港の喧騒のなか、聡伴が去ったふたりの周りだけが、妙に寂しく感じられたのはきっと気のせいだろう。
 朝明と己煥はゆっくりと人の流れに合わせながら 連れ立って歩くふたりだが、互いに交わす言葉はなくただ足だけを進めていた。
 それはいつもの慣れ合ったふたりに時たま訪れる呼吸のような沈黙ではなかった。わずかに背の丈に差があることで己煥が差した傘の先が隣の朝明を突くことはないが、今このときだけはむしろ故意に突っつきたい。常日頃は堂々と己の意を主張してみせるこの幼馴染が、眉を八の字にしながらやたらにもごもごと口のなかに言葉を溜め込むのは、余計な気を揉んでいるときの癖だと己煥は知っていた。
 喉の奥で唾液を飲み込んだ数が二十を超えたころ、耐えかねた朝明が先に口を開いた。
「己煥……あの肉は―――」
「あぁ、不味くはなかったな」
 暗い船底でふたりの食指を誘う妖艶な輝きを放っていたあの肉切れは、口に入れた途端、味わう暇もなく一瞬にして蕩け、喉の奥へ消えていったのだ。
「口に入れるべきではなかった、と?」
「お前も感じただろう?あの肉を前にしたときの……」
 あの奇妙な心の騒ぎようを。
「気のせいだ。その前に聡伴が林宗信の話をしていたからじゃないか。薬を買い込んだとかいないとか」
「己煥!」
「今のところ身体の調子はおかしくないし、毒の類ではなかったんだろう。それに、清冊に載っていない品であればこの先咎められることもないだろう」
 女にしても仕事にしても、ことあるたびに要領良く綱渡りをし、たとえ綱から落ちようとも悪びれることもなく平然としている朝明だが、それらに己煥を巻き込むこととなればすこぶる落ち込むのだ。
「五良小、」
 外ではあまり使うことのなくなった童名で朝明を呼んでやる。
「もう船旅は御免だが、今度仙薬でも探しに行こうか」
 味のある、できれば美味で、陸の上で気持ちよく酔えるものが良い。
「……口当たりの優しい良薬を探しておくよ、煥小」
 体よくはぐらかされたことは十分承知だが、まるめ込まれた朝明もこの話を続けるはなくなっていた。
「父上!」
 雑踏のなかから、甲高い声が己煥を呼ぶ。
 声の先には、幼子と欹髻前の少年の手を引いた女性、己煥の妻と屋敷の者たちがこちらへ合図を送っていた。住まいを異にしている朝明の息子も一緒だった。
「お迎えだな」
 暗い船底で、あの肉を前にしたときの朝明、そして己煥自身も、きっとまっとうではなかった。胃が空になる勢いの船酔いに見舞われていたのだ。絹のように薄くても、とてもじゃあないが肉なんて腹に入れたくはなかったはずだ。それなのに、腹の底から心の底から、己煥はあの肉を欲していた。
 それが、長きに渡った職務と航海の疲れからなのか、はたまたあの肉の仙力なのかはわからない。もしそうであったのなら、己のこの弱き身体を治してくれるというのなら、それは大変喜ばしいことなのではないだろうか。
「あの薬が真の仙薬であれば、お前の身体も少しは楽になるんだろうな」
「さすがにそんな都合の良い話はないだろう、世迷言はよせ」
 こちらへ駆けてきた息子たちのほうへ、歩き出す。
 それ以上、お互いあの肉について口に出すことはなかった。
 死―――大国の帝ですらそれに抗おうとその世迷言に縋るのだ。
 人間の生は短い。
 
 たとえ俗伝だとしても、残酷なほどに���ぎ往く歳月に己を繋ぎとめようと必死になるのだ。
 いつのまにか先へ進んでいた彼らに気づいた猫は、行き交う人間らの足元を上手に縫って、はぐれることなくついていった。
 ―――1683 美しき故国――― 
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mrdongze · 2 years
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杨东泽,(Yang Dong Ze,1993-)中国当代诗人、专栏作家、90后诗歌锐评人。发表后作品部分收录:公众平台“东泽先生”及 tumdlr博客“诗人杨东泽”。
平南捞佬
一艘船,一条狗
还有收音机,与
电视,我愿意
做一个捞佬
独自在江河上写诗
忙时下江撒网
闲时,在船头种一株野草
听江海波涛,船鸣舶号
在哪里靠岸,视那里为乡
双绞电线,是与
与外界唯一的联系,至于
吃的问题,蔬菜茶叶,大米花生
还有鲜花与水果,都需要
用灵魂交换,如果盐
不能用灵魂交换,那我只能
一生贫困一生,这是盐的问题
有一天,我向江河祈祷
三声白话默念,应该能换来
许愿的权利,我胸中心动的那个姑娘
会从平南城走出,到明珠楼下闲散
到阁下安坐,以及更大胆假设
会到我的浔江边散步,并偷看了我
破船上的小狗及明亮的电视
—杨东泽2019年04月21日于广西贵港平南县
梧州城记
到梧州,喝一杯凉茶
唱几首粤剧,骑楼脚下,饮两碗冰泉豆浆
从异域赶来的人,把灵魂和肉体
从城市的公交地铁中抽离
去探寻那浔江边隐匿的南洋故事
苍梧城里的过往,今夜离开了家乡
明日便在异途处流浪
翻山越岭到一个想说又不能述说城市
姑娘,你曾经倾诉给我的
我将要到用脚步耳语给石桥
姑娘,梧州城的骑楼很美
这里有你喜欢纸包鸡,还有你想忘记却忘不了的过去
白云山下,我提笔摹写岭南
也了解了你想忘记却忘不了的过去
姑娘,我在梧州给你写信
把思念融进河西的六堡茶和纸包鸡中
把怀念写入河东龟苓膏和葱油鱼里
姑娘,在粤西楼里,在桂江边上
我用骑楼来把你思念
姑娘,我在梧州给你写信
白云山下我提笔摹写了岭南
了解你想忘记却忘不了的过往
你曾经倾诉给我的,我在两江口转述给了石桥
你隐匿在岭南城里的南洋故事
把我的灵魂与肉体从城市的繁忙抽离
到骑楼老街,过龙泉飞瀑
—杨东泽2022年02月05日于广西梧州骑楼老街
桂林城记
你说你到过象鼻山
你说你见过漓江边的竹林
乘过乌桕滩的渡船
听过刘三姐的歌谣
今日我在雾里孤独的行
在画廊十里山脚下的阳朔
走你走过的路
越你越不过去的回忆
姑娘,在这兴坪的山水世界
你说你不曾到过比码头更远的远方
你说你从未想过比桂林更美的世界
今日我在漓江边孤独的行
在大榕树下纵情山歌
在古双塔下领略日月
乘乌桕滩的渡船听刘三姐的歌谣
姑娘,我从未想过停下脚步
吃完你吃你吃过的桂林米粉
我即将出发
—杨东泽2022年06月12日于广西桂林
百色城记
驾车游走在剥溢河边
今日便到了百色
烟火气十足的街道边
一串串爆浆烤猪眼在酒桌上谦让
羊瘪汤让他们清醒
炒粉虫让他们精力十足
百色人的故事逐渐展开,革命, 自由
武装暴动,在自家田埂上种上芒果
百色人在右江岸给我诉说着
小个子人带领他们拿起了镰刀
百色人在解放街里闲谈着
如何把天桥也赋予起义的属性
武装革命的的城市
他们自由地在骑楼下叫卖
他们自由在天坑旁喝着糯米酒
羊瘪汤让他们清醒
爆浆烤猪眼让他们精力十足够
—杨东泽2022年06月13日于广西百色
再记桂林城
你说你到过象鼻山
你说你见过漓江边的竹林
乘过乌桕滩的渡船
听过刘三姐的歌谣
人啊,总是不由自主
我打点起行装
脚底抹油,双腿贴上邮票
祈求思念寄托到你的心灵
到桂林,走你走过的路
吃你吃过的米粉
在阳朔十里画廊里纵情山歌
在大榕树下感叹山水天下
桂林的山水啊
你说是你永远越不过的回忆
山丘,山丘
那里有你永远不能遗忘的过去
有你从来不会停下的的旅途
也有你一直不可放弃的未来
—杨东泽2022年02月17日于广西桂林
在阳朔(打渔翁)
我一定是竹筏而不是巨轮
我一定河石而不是高山
是青竹而不是森林;是鱼鹰而不是飞鸟
是登山者,是鸬鹚人
九十九岁,我在竹林下谋生
九十九岁,我在漓江边划船
在兴坪古镇吃着桂林米粉、啤酒鱼
在老寨山顶等着看日出、日落
桂林山水间,我是人民币上的老叟
九十九岁,我划着竹筏,踩着河滩
带上两只鸬鹚鸟,在竹林下唱着山歌
到五马峰下,沿着江水捕鱼
—杨东泽2022年09月30日于广西桂林阳朔兴坪古镇
在贺州城
我是黄姚古镇里写生的画家
我要把龙爪巨榕画在画框
我要把老树 旧瓦 新藤画在白纸
拖上画板,背上颜料
把斑驳的古墙带走
把奔跑的孩子带走
热情的阿嫲,竹林边的炊烟
爬山虎纺织的咖啡馆
古城的门洞和门洞上阁楼,全都带走
不久我便将远行。
能拿走的拿走,不能拿走的便留给古镇
暴雨的黑夜,在寂静中告别岭南
到大洋彼岸的拍卖会
去把古城黄昏贩卖,把炊烟贩卖
新藤,老树,门洞,都陈列出来
但是你啊,不要冤我为贩卖灵魂的人
收获的果实,我会留下明年的种籽。
我会留下小孩,我会留下阿嫲
留下阁楼中的阁楼,留下美食街上的美食
留下特产店全身牛仔的破布大哥
—杨东泽2022年09月23日于广西贺州黄姚古镇
读杨东泽的《平南捞佬》,总有读海子的《面朝大海,春暖花开》的感觉:
在这种只有双绞电线与外界联系的世外桃源生活,所需的东西并不多,只需一艘船作为栖身之所,有一条狗相陪,还有收音机、电视机发出声音,说说话。当然,更重要是写诗、种草,听江海波涛的声音,过自己最想要的生活。至于其它必需品,似乎用灵魂就能化解,还能吸引来心仪的姑娘。虽然一直都是如此天随人愿,但最后一句“更大胆假设”,还是把读者拉回到现实中来。原来,这一切都只是更大胆的假设,最后还是必须直面真实的生活。
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