Tumgik
#瓦葺き
lierrelearns · 7 months
Text
Tumblr media
国指定史跡小田原城跡 二の丸東堀 指定 昭和13年8月8日 小田原城は、江戸幕府の三代将軍家光の乳母、春日局の子稲葉正勝が寛永9年(1632)城主になると、大規模な工事が行われ、石垣を備える近世城郭として整備されました。 二の丸東堀は、本丸・二の丸を守る堀の中でもっとも大きなもので、幅は最大で約40mあり、現在よりもさらに北に約60m先まで続いてしました。また、西は常磐木橋、南は南曲輪の前までつながっていました。 現在の石垣は、大正12年(1923)の関東大震災で崩れたものを昭和初期に復旧したものですが、石の写真のとおり、江戸時代の石垣は今のものよりも高く、二の丸の石垣として威厳のある姿を見せていました。 なお、震災直後、一時この堀を埋め立てる計画がありましたが、小田原保勝会が中心となって保存運動を起こし、その結果二の丸東堀は、今日までその姿を残すことができました。 小田原市教育委員会
文久図 (江戸時代末期) 現在地 明治36年頃の二の丸東堀 (絵葉書[相州名所 小田原城址 御用邸])
馬出門 Umadashimon Gate 銅門 Akaganemon Gate
馬出門 馬出門は、三の丸から二の丸に向かう大手筋(正規登城ルート)に位置する門です。寛文12年(1672)に枡形形式に改修され、江戸時代末期まで存続しました。 石垣と土塀で四角く囲んだ枡形と、本柱と控柱を備えた高麗門形式の馬出門・内冠木門の二つの門から成ります。
銅門 銅門は、大手筋に位置する二の丸主部への表門で、寛永10年(1633)には完成していたものと考えられています。 入母屋造瓦葺の渡櫓門で、銅門は大扉を銅鋲で飾ったことに由来します。[勢溜]と呼ばれる広場の前には、突出部が設けられて住吉橋の橋会が造られ、住吉門が据えられています。
Vocab 史跡 (しせき)historic landmark 小田原 (おだわら)Odawara 城跡 (しろあと)castle site 二の丸(にのまる)outer citadel 堀 (ほり)moat 将軍 (しょうぐん)shogun 家光 (いえみつ)(Tokugawa) Iemitsu 乳母 (うぼ)wet nurse 春日局 (かすがのつぼね)Lady Kasuga 稲葉正勝 (いなば・まさかつ)Inaba Masakatsu 寛永 (かんえい)Kan’ei era 城主 (じょうしゅ)lord of a castle 大規模 (だいきぼ)large scale 工事 (こうじ)construction work 石垣 (いしがき)stone wall 備える (そなえる) to prepare for 近世 (きんせい)early modern period(from the end of Azuchi-Momoyama period to the end of the Edo period) 城郭 (じょうかく)castle, citadel, fortress 整備 (せいび)maintenance 本丸 (ほんまる)inner citadel 幅 (はば)width, breadth 常磐 (ときわ)Tokiwa 木橋 (もっきょう)wooden bridge 曲輪 (くるわ)(refers to things both inside and outside of the castle grounds (incl. the walls, moat, (etc.) 関東大震災 (かんとうだいしんさい)Great Kanto Earthquake of 1923 復旧 (ふっきゅう)restoration なお furthermore 埋め立てる (うめたてる)to fill up, reclaim 保勝 (ほしょう)preservation of a place of scenic beauty 残す (のこす)to leave undone, not finish 文久 (ぶんきゅう)Bunkyu era (2.19.1861-2.20.1864) 絵葉書 (えはがき)picture postcard 御用邸 (ごようてい)imperial villa 三の丸 (さんまる)outermost region of the castle 大手筋 (おおですじ)large-scale operators 正規 (せいき)regular, normal 登城 (とじょう)attendance at a castle 寛文 (かんぶん)Kanbun era (4.25.1661-9/21/1673) 枡形 (ますがた)rectangular space between the inner and outer gates of a castle (where troops can gather) 改修 (かいしゅう)repair, improvement 存続 (そんぞく)continuance 土塀 (とべい)earthen wall 控柱 (ひかえばしら)secondary pillars 備える (そなえる)to furnish/equip with, install 高麗門 (こうらいもん)Koraimon, a style of gate architecture that consists of a tiled gabled roof with two pillars and two smaller roofs over the 控柱 冠木門 (かぶきもん)Kabukimon, a gate in a wall formed by two square posts and a horizontal beam から成る (からなる)to consist of, be composed of 主部 (しゅぶ)main/principal part 表門 (おもてもん)front gate 入母屋造 (いりもやづくり)Irimoya, a building with a hipped, gabled roof 瓦葺 (かわらぶき)tile roofing 櫓門 (やぐらもん)Yaguramon, a gate with a tower/turret on top 渡櫓 (わたるやぐら)a turret built on top of a stone wall 銅 (どう)copper 鋲 (びょう)rivet 勢溜 (せいがまり)a place where troops can gather and prepare 突出部 (とっしゅつぶ)extrusion, overhang 設ける (もうける)to prepare, provide 住吉橋 (すみよしばし)Sumiyoshi Bridge 据える (すえる)to place (in position), to lay (foundation)
https://tetsugakunomichi.jp/about.html (defines 保勝 as 景勝地の保全)
16 notes · View notes
kyoto4 · 8 months
Text
Tumblr media Tumblr media
20231007 いろいろ足りない
瓦の葺き替えをやっていた。
17 notes · View notes
yamada50 · 1 year
Photo
Tumblr media
秀吉公薨去によって未完になった千畳閣 嚴島神社境内を見下ろす高台に桁行13間奥行8間の巨大な入母屋造本瓦葺でその巨大さから「千畳敷」とも呼ばれる豊国神社が鎮座します 豊臣秀吉公が毛利輝元に命じて建立させ、実際は毛利氏の軍司、安国寺恵瓊の指揮で造営されましたが朝鮮出兵により一時中断したのちそのままの姿を今に伝えているようです この千畳閣が現在本殿とされていますが神仏分離令以前は大経堂で中央には須弥壇を擁します 明治以後は豊臣秀吉霊神を祭神とし嚴島神社末社豊国神社となりました その後大正7年に加藤清正公霊神を合祀しています この千畳閣は国の重要文化財に指定され、世界遺産の構成資産にも指定されています #豊国神社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 豊国神社(とよくにじんじゃ) 鎮座地:広島県廿日市市宮島町1-1 主祭神:豊臣秀吉公、加藤清正公 社格:無格社 𑁍𑁍𑁍𑁍𑁍 #神社 #神社巡り #神社好き #神社好きな人と繋がりたい #神道 #神社仏閣 #shrine #shinto #日本の風景 #参拝 #神社巡拝家 #recotrip #御朱印 #御朱印巡り #御朱印好きな人と繋がりたい#神社建築 #神社仏閣 #パワースポット #広島県 #廿日市市 #宮島 #世界遺産 #国指定重要文化財 #千畳閣 #厳島神社 (千畳閣) https://www.instagram.com/p/CpXsq8gvY7W/?igshid=NGJjMDIxMWI=
30 notes · View notes
nenbutsushuart · 2 days
Text
youtube
来迎阿弥陀三尊佛 総高8.45m 製作 念佛宗総本山 佛教之王堂 本堂 The Buddhist Art & Architecture of Nenbutsushu 仏教美術 兵庫県加東市
堂内
金箔二重貼り、六手先総詰組、屋根葺面積226.2㎡、総数16,000枚の瓦を使用した宮殿(高さ19m、幅19.98m、奥行12.36m)、 その中に在して、大慈悲の光明にて十方世界を照らすが如く輝きわたる本尊阿弥陀三尊佛は、中華人民共和国、工芸美術大師・佘國平佛師制作の総高8.45mの木彫佛像です。
全世界 仏教徒の聖地 「佛教之王堂」念佛宗 総本山 無量壽寺 仏教美術の宝箱 故タイ法王猊下 世界各国の仏教最高指導者 並びに カンボジア王国 故ノロドム・シアヌーク国王陛下の御聖骨がお祀りされている寺院です。
佛教之王堂は佛法に基づいて建­­立され 建物全ての部位に、仏縁を結ぶ教えが込められています
伽藍工事全体、およそ7年間で10,524点の彫刻、450,173点を超える彫金が製作されました。
The Royal Grand Hall of Buddhism - Nenbutsushu Buddhist Sect of Japan The sacred place for all Buddhists in the world
The Royal Grand Hall of Buddhism 仏教美術の宝箱 Buddhist Art
https://buddhistart18.com https://www.tumblr.com/nenbutsushuart
念佛宗公式 Official
https://muryojyu.com
Buddhism has its origin in IndiaBuddhist cultures of China, Korea, and Japan are represented hereat the Royal Grand Hall of Buddhism. It is the first construction of an authentic full-scale Buddhist temple since the erection of the main temple of Obakushu Buddhist Sect in 1661.A total of roughly 3.5 million people joined forces to construct the Royal Grand Hall of Buddhism and completed the entire temple in only seven years without even a single accident.The Royal Grand Hall of Buddhism, in its vast precincts of over 180 hectares, has the Front Gate, the North Gate, the South Gate, the Main Gate, the Washstand, the Ksitigarbha Hall, the Prince Shotoku Hall, the Five-story Pagoda, the North Bell Tower, the South Bell Tower, the Main Halls including the Amida Hall and the Sakyamuni Hall and the Avalokitesvara Hall, the Sutra Hall, the Merit-transference Hall, the Okunoin Hall, the International Buddhist Conference Hall, the Sangha Hall, and the Main Building. All the buildings are decorated with 10,524 sculptures and statues and more than 450,173 metal carvings.
0 notes
Text
洋館,オフィス型デザインの固い欧米スタイルより 暮らしやすい家 スパニッシュ ハウス
Tumblr media
スパニッシュコロニアルリヴァイヴァル(スパニッシュリヴァイヴァルとも言う)スタイルは、1915年のパナマ太平洋博覧会で評判を呼び、1931年までアメリカの住宅の主流スタイルの1つになりました。このスタイルで1927年に建てられた住宅に暮らす���も、もちろん大ファン。南北アメリカ大陸をスペインが植民地化していた初期の時代につくられた建築をベースとした、ハイブリッドなスタイルです。地中海式住宅にとって理想的な風土であるカリフォルニアとフロリダで流行が始まり、現在でも人気があります。
明るいナチュラルカラーの塗り壁や��ぜ葺きの陶器製の洋瓦、ポーチや窓に配した連続アーチが特徴的です。吹き抜けに面した廊下にも連続アーチが施され、程よく落ちついた雰囲気はヨーロッパの古い教会の回廊を思わせます。アーチの曲線美がぬくもりを感じさせる邸宅です。
Kitchen & Pantry
背の高さに合わせて、キッチンは90㎝にしたこだわりの空間。シンクとレンジをピンク色に、収納もたっぷりと確保。右手奥の扉から廊下に出られる設計。 キッチンのすぐ脇には大容量のパントリーを。『GLホーム』からの提案に、「使ってみると大助かり。廊下への動線もスムーズで、とても便利」と大満足の奥さま。
連続したアーチが美しい、まるでヨーロッパの古い教会の回廊のよう。プライベートスペースである2階は、しっとりと落ち着いた雰囲気に。
テラコッタの瓦屋根
赤いテラコッタの瓦屋根は、家にぬくもりとどこか田舎ののんびりとした風情を加えてくれます。段差をつけてアシメトリーな面白さを加えた屋根もよくあります。こちらの家にはタレット(小塔)も見えます。
中庭とパティオ
温暖な地中海性気候の地域では屋外生活も楽しめます。だから、スペイン人たちは、屋外で過ごす時間を大切にします。パティオにはファイアープレイスを設置することもよくあります。火があれば、夜遅くまで屋外でくつろげます。
youtube
0 notes
catdoll007 · 5 months
Text
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
灯籠がハート🤍
Tumblr media Tumblr media
小さな仁王像がいて、山門くぐってすぐ水子地蔵と
ねむり猫ではなく、ねむり亀という亀に見える石があったみたいだが🐢どれの事なのか気付かなかったので、 瓦の葺き替え記念碑を👹
Tumblr media
この辺りだけかな?
瓦を取り替えると記念碑として残しておくの?
Tumblr media
曹洞宗 護國山 吉祥寺
岩倉市下本町下市場157
Tumblr media
1 note · View note
khrbuild · 6 months
Text
今日の天気は春一番やで???
貝塚市三ツ松屋根葺き替え工事
泉佐野市鶴原 漁場外壁工事
貝塚市水間町 新築 リフォーム坂口建設
その昔、ていうほど昔でないが、
大工の独立した頃のこと
友達に初めて連れて行ってもらったカウンターのお寿司屋さん。
マスターは私よりも少し年上の方なのですが、
私の独立と同じくらいにお店をオープンしたことや、修行時代の話の中で何故かシンパシーを感じ、それ以来マスターと仲良くさせていただいて、自分にとって嬉しい事や大事な人と行かせてもらう特別なお店!
とにかくお互い厳しい修行を経て、独立して間がなかったので、職人とはみたいな感じでね、厳しい方でした。
マスター、お互い歳重ねて、丸っ〜なりましたね(^_^;)
とにかく子供の頃にお寿司屋さんなんて行ったことがなくて、
自分のお金でカウンターのお店に行ってマスターに注文するのは緊張しました。
初々しい社会人でしたねw
おっとお店の紹介しないと、
「漁場」さん。
Tumblr media
まぁ、料理は間違いないです。
品の良い方お待ちしております。
そのお店の入口の壁に水が入ってしまったので補修工事に
悪くなった壁を坂口親子で解体して
Tumblr media
下地を作ると。
ミノ重板金さん親子にバトンタッチ。
Tumblr media
すると綺麗に完成!
Tumblr media
そして現場は変わって三ツ松の同級生の屋根葺き替え工事。
坂口親子が屋根の下地を完成さすと、
城戸商店親子が来てくれて瓦を葺いてくれます。
Tumblr media
そして綺麗に完成。
Tumblr media Tumblr media
今年も締めくくりの仕事に良いセッションさせていただきました。
お疲れ様でした。
まだもうちょっとあるけど。
もう少しお付き合いお願い致します。
今週もお疲れ様でした。
明日ちょっと坂口建設の忘年会。
ちょっと呑みすぎてみます。
おやすみなさい。
貝塚市 岸和田市 泉佐野市 泉大津市 和泉市 泉南市 阪南市 熊取町 忠岡町 田尻町
天然素材スイス漆喰カルクオウォール
リボス自然塗料取扱店
0 notes
hachikenyakaiwai · 8 months
Text
Tumblr media
【かいわいの時】明治二十二年(1889)9月30日:天満紡績争議(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
争議の発端 1889(明治22)年9月30日12時半、午後の就業をつげる汽笛が鳴りひびいても誰一人工場に出てこなかった。かねて職工は賃金引上げについて「寄々相談」を続けていたが、この30日、綛場 (綛部・綛締部)の女工300余名がまず朝9時の休憩時間、そして昼12時の食事時間に食堂で「今日こそは賃金引上げを要求しよう」と相談、ついに午後就業しなかったのである。米価が騰貴を続け、生活に難渋し(この当時女工は、近郊農村あるいはいわゆる細民社会のものがほとんどであった)、それに近くの堂島紡績の賃金の方が高い(綛機一枠、紹締部一玉に付2~3厘)ことからも、賃上げは決して無理な要求ではないというのが女工の主張であった。その他、上半季特別賞与の支払い(予定は9月20日迄に支払い)・待遇の公平も要求していた。その後、女工は、食堂の様子をうかがいにきた職工取締(役員)が後日の返答を約したことで、一応就業したが、午後5時半になると一斉に仕事をやめ(6時までが就業時間)門前にでて夜業職工を待ち受け「人毎に何か示し合わせし模様」だったが、この日はそれ以上の行動に出なかった。
その後の経過 30日以後女工たちは、返答を待ち仕事も手につかない有様だったという。返答がないのに業を煮やした女工約300名は、 10月2日午前7時頃、出勤途上の一職工取締にじか談判に及んだ。だが女工らが、その取締の説得に応じ会社内での話合いに入ろうとした途端、取締は態度を変え、即座に主唱者を解雇してしまった。憤激した女工たちは、午後三時頃には4~50名が先の要求に加えて、5年間契約書・積立金(双方とも職工の足留策)の返付をせまった。さらに翌3日には、 汽缶部の男工も、女工に同調する動きをみせた。このため、会社は3日まで操業を中止せざるをえなかった。 この3日には、会社は、女工300名募集の掲示を門前に出すとともに、社員が職工宅を歴訪し出社を説得するなど、争議の切崩しにかかった。対抗して、職工約400名は同日午後から、堀川監獄・島田硝子製造会社等の天満周辺に「集合して頻りに相談をなし」、「ややもすれば会社に押しかけんとする」勢いをみせた。この動きを察知した憲兵第六管区長柄駐屯所は、4名の憲兵を現場に派遣、職工を説諭、解散させた。ちなみに憲兵が争議に介入するのはこれが初めてである。警察・憲兵は、争議中の集会等にも干渉し、解散を命じていた。会社側はこれを背景に、「もし説諭に服さざれば解雇せん」と一層強硬な態度に出てきた。翌4日、会社は、争議の主唱者とみられる 男工60余名・女工20余名を厳重に取り調べた。5日までに、その職工らを解雇するかあるいは要求を受け入れるか、いずれかに決定する予定だったという。
警察・憲兵・会社の強硬な姿勢を前にして、5日には昼業職工400名はすべて就業してしまった。だが夜業職工のうち数百名はなおも説諭に服さず、「賃金の引上げを聞き入れぬとならば、我々に相当の前借を許された」と要求していた(結果不明)。
妥結 警察憲兵・会社の強硬な姿勢の前に、職工側の態勢が崩れ、争議を継続している職工も止むなく会社と妥協することとなった。その結果、会社側は、職工が「穏当」に出ればという条件つきで、「物価騰貴につき実際生活上困難なるべければ、就業の上勉��の者には賃金の値上げをなし、また本年上半季における特別賞与金は6月迄に入社せし者に限り来たる20日迄にそれぞれ配当する」ことを認めた。 また職工主任(職工配置、日給・請負額等の労働条件を決定し、また日常的に職工を監督する)から謝罪書をとることも認めている。この妥協案により、職工は7日から元の通り就業し争議は一応落着した。 当初の職工の要求のうち、賃上げ・特別賞与そして待遇の改善(主任の謝罪書)を曲がりなりにも獲得していることから、この争議は、解雇者が出たとはいえ、一応成功したものといってよいだろう(『大阪 朝日』明2・10・4、10・5、10・6、10・8)。
なお1889(明治22)年12月の天満紡の火災の際、この争議との関連を警察が調べていることからみて(無関係と判明)、その後も争議の余波は残っていたものと思われる(『大阪朝日』明22・12・ 4)。周知のように、この天満紡の争議を契機として、紡績連合会・各紡績会社の職工対策は整備されていく(立川健治)。『大阪労働運動史(第1巻)戦前編・上』1986より。※原文数字はすべて漢数字。
(写真)「赤レンガ館」1886築(中西金属工業) 赤レンガ館はもともと天満紡績の工場として完成、合併により1900(明治33)年に大阪合同紡績天満工場となった。1931(昭和6)年、大阪合同紡績が吸収された東洋紡績の工場となり、1938(昭和13)年に中西金属工業に移った。赤レンガ館と並んで本社棟も明治期の建物。1階が石造風、2階はタイル張り、屋根が寄棟造桟瓦葺という和風づくり。天井が高く、階段は急勾配、手すりまわりの古風な意匠などに、明治の香りが漂う(中西金属工業)。写真は、《西日本 近代建築万華鏡》より。
1 note · View note
kennak · 8 months
Quote
うちに来たので俺が登って確認して瓦発注して自分で葺き替えた。教えてくれてありがとう(レアケース)
[B! 修理] 「屋根が壊れてますよ」と言う業者を絶対屋根に上げてはいけない…彼らを一発で退散させる"最強フレーズ" 点検を装ってわざと屋根を壊す悪徳業者がいる
1 note · View note
kachofuraku · 1 year
Text
屋根葺き替え工事
2023・6・3
屋根に設置してる太陽光パネルの定期点検の際に屋根瓦の劣化が指摘され、私は新手の詐欺を疑ったけれど単純な夫は傷んだ瓦の写真を見せられて即契約。まあ築25年も経てばあちこちガタが来るのも仕方がない。外壁の塗り替えやら何やら一戸建ては何かと大変です〜。で、昨日は足場の組み立てでした
Tumblr media
常々足場の設置工程に興味があった私は職人さんの作業をずっと見ていたら雨風が強くなり「危ないから家に入っていて下さい!」と怒鳴られる。仕方がないので傘をさして散歩。ちょっと駅前を歩いただけで傘はメチャメチャ、歩いてる人も少ない
Tumblr media
壊れた傘を抱えて早々に帰宅すると暴風雨の中でも足場の工事は続き、土砂降りの中で取り敢えず一日の工程を終える
Tumblr media
予報でこの天気は解っていたのだから日程をずらせばいいのにと思うけど、職人さん達には何でもない事なんだとか。取り敢えず無事に終わってよかった。来週から一週間は養生シートで囲まれた薄暗い家の中で過ごす事になる
0 notes
lierrelearns · 1 year
Photo
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
[1]奈良国立博物館 仏教美術資料研究センター Nara National Museum Buddhist Art Library
仏教を中心とする歴史と美術にかかわる学術資料の作成・収集・整理・保管・公開を目的に、昭和55年(1980)に博物館の一部門として設置され、平成元年(1989)より現在の建物にうつりました。
資料公開日: 毎週. 水曜日・金曜日 (国民の祝日・休日、12月26日から翌年1月4日までを除く 開館時間: 午前9時30分〜午後4時30分 (複写受付は午後4時まで) 公開している資料: 図書、雑誌、紀要、報告書、展覧会カタログ、両像資料等 サービス内容: 閲覧、複写、レファレンス
調査研究を目的とする利用者に対して資料を公開しています。利用を希望の方は左側のインターホンを押して係員をお呼び出して下さい (水曜日・金曜日の公開日のみ)。
[2]重要文化財 旧奈良県物産陳列所 昭和58年(1983)1月7日 指定 奈良市登大路町50番地1
この建物は明治35年(1902)に竣工し、同年奈良県物産陳列所として開館したもので、県下の殖産興業と物産の展示販売をおかなう施設として利用された。設計者は、帝国大学工科大学造家学科(東京大学工学部建築学科の前身)出身の建築史学者で、当時奈良県技師として古社寺建造物修理に尽力した関野貞博士(1867-1935)である。 木造桟瓦葺で、小屋組や河辺などに西洋建築の技術とりいれつつ、外観は和風を基調とする。唐破風造車寄を正面につけた入母屋造の中央楼から、東西に切妻造の翼部を延ばし、端には宝形造の楼をおいている。関野は大学在学中より宇治の平等院鳳凰堂を研究しており、屋根の形式や左右対称の優美な外観は鳳凰堂に範をとったものと思われる。また蟇股などのなどの細部には、飛鳥時代から鎌倉時代にかけての伝統的な建築様式を取り入れ、この建物の設計と奈良における古建築研究との密接な関係がうかがえる。その一方で窓にはイスラム風の意匠もみられる。構造・意匠に東西の要素を巧みに取り入れた明治中期を代表する近代和風建築として高く評価されている。 この建物は開館後、奈良県商品陳列所���奈良県商工館と名称を変え、昭和26(1951) に国に移管されて、昭和27年(1952)から55年(1980)まで間のに奈良国立文化財研究所春日野宇舎として利用された。昭和58年(1983)に重要文化財の指定を受け、同年奈良国立博物館が管理するところとなり、現在は当館の仏教美術資料研究センターとして活用されている。 平成23年7月 奈良国立博物館
Vocab 関わる (かかわる) to be concerned with, to have to do with 学術 (がくじゅつ) science, learning, scholarship 作成 (さくせい) making (a report, etc.) 収集 (しゅうしゅう) collection (of art, etc.) 整理 (せいり) sorting, organization 保管 (ほかん) charge, safekeeping, storage 公開 (こうかい) making available to the public, exhibiting 部門 (ぶもん) branch, division 元年 (がんねん) first year 祝日 (しゅくじつ) national holiday 翌年 (よくねん) following year 複写 (ふくしゃ) copying 図書 (としょ) books 紀要 (きよう) bulletin, memoirs 報告書 (ほうこくしょ) (written) report 物産 (ぶっさん)product 陳列 (ちんれつ)exhibition, display 登大路町 (のぼりおおじちょう)Noborioojichou 竣工 (しゅんこう)completion of construction 県下 (けんか)prefectural 殖産興業 (しょくさんこうぎょう)promotion of industry 設計者 (せっけいしゃ)designer 帝国大学 (ていこくだいがく)Imperial University (name of Tokyo University 1886-1897) 工科大学 (こうだいがく)engineering college 建築学 (けんちくがく)architecture 全身 (ぜんしん)previous existence, predecessor organization 出身 (しゅっしん)one’s origin (i.e. school) 史学者 (しがくしゃ)historian 技師 (ぎし)engineer, technician 古社寺 (こしゃじ)old shrines and temples 建造物 (けんぞうぶつ)structure, building 修理 (しゅうり)repair, mending 尽力 (じんりょく)efforts, exertion, services 関野貞 (せきの・ただし)Sekino Tadashi 木造 (もくぞう)wooden 桟瓦 (さんがわら)pantile 葺 (ぶき)roofing 小屋組 (こやぐみ)roof truss, room frame 河辺 (かわべ)riverside, riverbank 取り入れる (とりいれる)to adopt (e.g. an idea), borrow つつ while; even though 外観 (がいかん)exterior appearance 基調 (きちょう)basic theme, underlying tone 唐破風 (からはふ)karahafu, bow-shaped eaves of a gabled roof 車寄 (くるまよせ)carriage porch, entranceway 入母屋造 (いりもやづくり)Irimoya; building with a gabled, hipped roof 楼 (ろう)tower, tall building 切妻造 (きりづまづくり)gabled roof construction 端 (はし)end, tip, edge 宝形造 (ほうぎょうづくり)pyramidal roof 在学 (ざいがく)attending (school), enrolled 宇治 (うじ)Uji (city) 平等院 (びょうどういん)Byodo-in temple 鳳凰堂 (ほうおうどう)Pheonix Hall 左右対称 (さゆうたいしょう)bilateral symmetry 優美 (ゆうび)refinement, grace, elegance 範 (はん)example, model 蟇股 (かえるまた)curved wooden support on top of the main beam of a house (shape looks like a frog with open legs) 細部 (さいぶ)details, particulars 飛鳥時代 (あすかいじだい)Asuka period (550-710) 鎌倉時代 (かまくらじだい)Kamakura period (1185-1333) にかけて till, over (a period), through 建築様式 (けんちくようしき)architectural styles 設計 (せっけい)plan, design, layout における regarding 密接 (みっせつ)close (relationship, connection, etc.) うかがう to guess, infer, surmise 意匠 (いしょう)design 構造 (こうぞう)structure, construction 巧み (たくみ)craftmanship, design 評価 (ひょうか)appreciation, recognition 商工 (しょうこう)commerce and industry 移管 (いかん)transfer of control 国立文化財研究所 (こくりつぶんかざいけんきゅうしょ)National Research Institute of Cultural Properties 春日野 (かすがの)Kasugano 庁舎 (ちょうしゃ)government office building 国立博物館 (こくりつはくぶつかん)national museum 管理 (かんり)control, management
20 notes · View notes
kyoto4 · 1 year
Text
20230225  巨大こけし(東本願寺)
  1日だけはたらいて、また、休日。国公立大学の二次入学試験日。京大には恒例の折田先生像がたつ。天神さんの日。ロシアのウクライナ侵攻から1年、習近平がウクライナ訪問か、というさなか、東本願寺前に巨大こけしを見物にいってきた。  23日にたまたまクルマで前を通って「なんじゃこりゃ」と感心したのだけど、2人組の現代アートユニットYottaの作品、ということらしい。いつまで置いてあるのかよく知らないが、なかなか楽しいイベントである。  なんでそんなに大きいものつくったんや、と思ってしまうが、背後の本願寺も相当にでかい。ずいぶん昔のことになるが、瓦葺き替えで寄進をもとめられたときが1枚たしか5万円だった。祇園で羽振り飲んでいる姿を見ているので、京都のひとはわりと坊さんには敬意をはらっていない傾向がある。功徳あるえらいぼんさんもいるだろうし、お地蔵さん、仏さんもたいせつにはしたいが、あとはだいたい、そこらの人とそんなに差はない、と見切っているように思う。  24日を休みにすれば4連休なので、もうちょっと人が押しよせてくるのかと思ったが、人出はさほどではなかった。晴れたり、ちらちらと雪の舞う日でもあった。
5 notes · View notes
yamada50 · 2 years
Photo
Tumblr media
防府市富海に鎮座する国津姫神社 安永三年に造営された瓦葺の楼拝殿が特徴的です 周防長門では楼拝殿を持つ神社が幾多もあり見どころ満載です 御祭神は宗像三女神ですが「国津姫」とは景行天皇の御代に当地の周防娑婆一円を領した女首長神夏磯姫であり配祀神とされています #国津姫神社 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 国津姫神社(くにつひめじんじゃ) 鎮座地:山口県防府市富海2758−1 主祭神:田心姫命、湍津姫命、市杵島姫命 社格:郷社 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈ #shrine#神社#神社巡り#神社好きな人と繋がりたい#神社好き #japan_vacations#japantrip#Travelgram#recotrip #狛犬 #神社建築 #神社仏閣#パワースポット#防府市 #楼拝殿 #神社巡拝家 (at Hofu, Yamaguchi) https://www.instagram.com/p/CegfGPjP9rQ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
50 notes · View notes
kaigenji-progect · 1 year
Text
事業の内容
今回の事業を説明します。
(1)海眼寺の観音堂修復
観音堂の本尊(秘仏・十一面千手観音像)をいったん本堂に移設し、本尊を収めている厨子を京都の工房にて改修
観音堂の半解体→建物部分の修理→瓦葺き替え
(2)瓦の寄進
観音堂で葺き替える瓦を広く皆さんに寄進していただいて、この機会に観音さまとのご縁をむすんでもらえます。
瓦の裏に自分の願い事や供養したいご先祖様を自分でor住職が代筆して書きこむ。それぞれ書き込まれた瓦は、破損しなければ100年以上観音堂の屋根に置かれ、観音様を守ります。
寄進料は瓦1枚につき5000円。
返礼品として観音堂解体で出た古材から作った数珠を贈呈
募集期間は2023年7月20日~2024年1月31日
(3)秘仏ご本尊の御開帳
観音堂修復を記念して、特別に秘仏である観音像を御開帳(公開)する行事。記念の法要をおこないその後数日間終日御開帳します。
御開帳は2024年秋の予定。
(4)その他のイベント →詳細
 観音堂改修工事中から御開帳までの期間で、いくつかの小さなイベントをおこないます。
改修工事開始から御開帳まで1年以上の期間があるため、その期間中の興味関心を継続させる
法要や参拝といったオーソドックスなものだけではなく、様々なアプローチで観音堂やお寺、仏教との関係を作る
(5)これら事業の広報
ポスターイメージの作成 →詳細
SNS
ホームページ(海眼寺HP内で展開) 
 詳細は→こちら
Tumblr media
0 notes
kasayoichi · 1 year
Text
美しき故国④
 六月三日、船はようやく港に入った。
 実に二年ぶりの帰国である。
  帰帆を知らせる狼煙を受け取った王府の役人や使節の家族がこぞって埠頭へ迎えに出向いていた。 
  船室の小さな窓から外を覗くと、出迎えでごった返す人出のうしろ、陸の奥には石造りの塀が連なり、その隙間には朱や灰褐色の瓦屋根の屋敷が並んでいる。遠くに見える青々とした緑の高台には板や茅葺きの民家がまばらに顔を出していた。
 命がけの航海に身を固めて耐えていた人々は盛んに動きだし、積荷も外へ運び出されはじめると、船のなかに外の空気が入り込む。重く湿った夏の風は決して爽やかな心地とはいえないが、海では感じることのできない草木の薫りとこの地に染み付いた命のにおいを運んでくる。
 ―――美しき我が蔽国。
 頭号船から順に下船がはじまり、二号船に乗っている朝明らが船を降りる頃には、入港から大分時間が経っていた。荷物の入った行李などは船員に運ばせ、身の回りの少ない荷物だけを携えて、朝明と己煥そして聡伴の三人はようやく故郷の地を踏んだ。 本格的に夏のはじまりを告げる刺すような陽の光をうけて、己煥は人がひしめき合うなかで仕方なく傘を開いて歩く。
「一生帰れなかったらどうしようかと思いましたよ!あぁ早く屋敷まで戻りたい……子供がですねぇ、生まれているはずなんですよ」
「それはめでたいな聡伴。私も旅役に就く直前に娘が生まれたが、どれほど大きく育っていることやら……」
「何人目だ?」
「それが長子なんです。男女の別は知りませんがはじめての子供が己の知らないうちにとっくに妻の腹のなかから出てきていて、もしかするともう四書を諳んじているかもしれないと思うと寂しいものがありますよ」
 もう育つ余地のない大の大人とは違って、幼子の時の流れは実に早くてその成長具合はとてつもなく大きいのだ。
「我が家に着くのが待ち遠しいですよ。ところで己煥様は本当にその猫をお持ち帰りになられるのですか?」
 船底で暴れまわっていた虎猫は筆のようなしっぽを立て、己煥の足元にぴっちりと寄り添っている。あらためて船の外で見るその姿は、毛も瞳も陽の光を浴びて黄金に輝いていた。此奴が散々積荷を崩しまわったあと、船員に猫の出どころを訊いたが生憎誰も知らず、懐かれてしまった己煥がいつのまにか持ち帰ることになっていたのだ。
「まったく、散々暴れまわった挙句に良い人間に拾われるなんて運のいい奴め。お前が暴れるから俺たちはよくわからない肉なんかを―――……」
「え?肉ってなんですか?」
「いや、なんでもない。それよりお前早く屋敷へ戻らないといけないだろう? 駕籠を使うか?馬でもいいぞ。呼ばせるか?」
「いやいやいやいや、なにをおっしゃっているんですか!屋敷までそこまで離れていませんから、家の者を待って帰りますよ!」
 しかし、あれよあれよというまに、聡伴は朝明が呼び寄せた駕籠に詰め込まれ、彼の住まう四町へと送り出されていった。港の喧騒のなか、聡伴が去ったふたりの周りだけが、妙に寂しく感じられたのはきっと気のせいだろう。
 朝明と己煥はゆっくりと人の流れに合わせながら 連れ立って歩くふたりだが、互いに交わす言葉はなくただ足だけを進めていた。
 それはいつもの慣れ合ったふたりに時たま訪れる呼吸のような沈黙ではなかった。わずかに背の丈に差があることで己煥が差した傘の先が隣の朝明を突くことはないが、今このときだけはむしろ故意に突っつきたい。常日���は堂々と己の意を主張してみせるこの幼馴染が、眉を八の字にしながらやたらにもごもごと口のなかに言葉を溜め込むのは、余計な気を揉んでいるときの癖だと己煥は知っていた。
 喉の奥で唾液を飲み込んだ数が二十を超えたころ、耐えかねた朝明が先に口を開いた。
「己煥……あの肉は―――」
「あぁ、不味くはなかったな」
 暗い船底でふたりの食指を誘う妖艶な輝きを放っていたあの肉切れは、口に入れた途端、味わう暇もなく一瞬にして蕩け、喉の奥へ消えていったのだ。
「口に入れるべきではなかった、と?」
「お前も感じただろう?あの肉を前にしたときの……」
 あの奇妙な心の騒ぎようを。
「気のせいだ。その前に聡伴が林宗信の話をしていたからじゃないか。薬を買い込んだとかいないとか」
「己煥!」
「今のところ身体の調子はおかしくないし、毒の類ではなかったんだろう。それに、清冊に載っていない品であればこの先咎められることもないだろう」
 女にしても仕事にしても、ことあるたびに要領良く綱渡りをし、たとえ綱から落ちようとも悪びれることもなく平然としている朝明だが、それらに己煥を巻き込むこととなればすこぶる落ち込むのだ。
「五良小、」
 外ではあまり使うことのなくなった童名で朝明を呼んでやる。
「もう船旅は御免だが、今度仙薬でも探しに行こうか」
 味のある、できれば美味で、陸の上で気持ちよく酔えるものが良い。
「……口当たりの優しい良薬を探しておくよ、煥小」
 体よくはぐらかされたことは十分承知だが、まるめ込まれた朝明もこの話を続けるはなくなっていた。
「父上!」
 雑踏のなかから、甲高い声が己煥を呼ぶ。
 声の先には、幼子と欹髻前の少年の手を引いた女性、己煥の妻と屋敷の者たちがこちらへ合図を送っていた。住まいを異にしている朝明の息子も一緒だった。
「お迎えだな」
 暗い船底で、あの肉を前にしたときの朝明、そして己煥自身も、きっとまっとうではなかった。胃が空になる勢いの船酔いに見舞われていたのだ。絹のように薄くても、とてもじゃあないが肉なんて腹に入れたくはなかったはずだ。それなのに、腹の底から心の底から、己煥はあの肉を欲していた。
 それが、長きに渡った職務と航海の疲れからなのか、はたまたあの肉の仙力なのかはわからない。もしそうであったのなら、己のこの弱き身体を治してくれるというのなら、それは大変喜ばしいことなのではないだろうか。
「あの薬が真の仙薬であれば、お前の身体も少しは楽になるんだろうな」
「さすがにそんな都合の良い話はないだろう、世迷言はよせ」
 こちらへ駆けてきた息子たちのほうへ、歩き出す。
 それ以上、お互いあの肉について口に出すことはなかった。
 死―――大国の帝ですらそれに抗おうとその世迷言に縋るのだ。
 人間の生は短い。
 
 たとえ俗伝だとしても、残酷なほどに過ぎ往く歳月に己を繋ぎとめようと必死になるのだ。
 いつのまにか先へ進んでいた彼らに気づいた猫は、行き交う人間らの足元を上手に縫って、はぐれることなくついていった。
 ―――1683 美しき故国――― 
0 notes
nynagai · 1 year
Text
瓦屋根葺き替え ビフォー&アフター
Tumblr media
View On WordPress
0 notes