#念仏宗無量寿寺
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nenbutsushuart · 1 year ago
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桜と桃
念仏宗
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mxargent · 2 years ago
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
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“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 ��� 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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jyokouji · 1 year ago
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大無量寿経の教え
宗祖親鸞聖人は、その主著「教行信証」の冒頭において、「それ真実の教えを顕はさば、即ち大無量寿経これなり」と説かれている。大経は上・下二巻から成り立っている。その叙述形態は「世間」と「出世間」の二つがあるのだが、多くの人は「世間」に完全に没入し、「出世間」という境涯について殆ど全く無知である。「出世間」という存在様式を自覚することが先決であろう。
(大経・上巻)冒頭から出世間の領域の叙述が始まる。出世間の領域において、一切衆生を救わんが為に、法蔵菩薩は五劫の間思惟し、四十八願を建てられ、兆歳永劫の修行を経て成仏された。そして浄土を建立し、阿弥陀如来となられた。かくて衆生救済の本願・名号・信心を発布されることになった。
(大経・下巻)さてその救済の対象としての衆生の状態であるが、下巻は中頃において世間のすがたの叙述が展開される。人々は三毒(貪欲・瞋恚・愚痴)にまみれ、五悪(殺人・窃盗・淫乱・妄語・飲酒や麻薬)に沈没して、苦しんでいる。これが「世間」の事態であり、我々の日常の事態であるが、ここで仏教的智慧に照らされると、「出世間」の境涯が明るみに出されてくる。即ち曠劫以来の流転輪廻の相が明るみに出されてくる。こういう流転輪廻から人々が救われるには、難行苦行して覚ることを目指す自力聖道門仏教によっては、到底目的を達せられない。
そこで上巻において説かれた法蔵菩薩のご苦労によって建立された易行道が示される。即ち本願を信じ、「南無阿弥陀仏」の名号を称えるということによって、現生において正定聚不退転となり、一期の���尽きぬれば必ず浄土に往生し成仏することが明らかになったのである。
「往生成仏」の確信これ程の喜びが他にあるだろうか。
「念仏成仏これ真宗 万行諸善これ仮門 権実真仮をわかずして自然の浄土をえぞしらぬ」(浄土和讃 71 浄土真宗聖典注釈版569ページ 本願寺出版社」
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uro-9000 · 2 years ago
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大魯上人
大魯上人
鹿児島の浄土真宗の礎を築いた大魯和尚(だいろ)の墓は旧吹上町の光専寺の敷地内にございます。
大魯は幕末に本願寺で起きた教義上の論争(三業惑乱)で異端者として追放され、京都から肥後、天草を経て薩摩に逃れた。
当時藩では浄土真宗を厳しく禁じていた(※かくれ念仏のぺージ参照)
それでも大魯は煙草講(たばここう)などの名で人々を集め、洞穴に隠れて念仏の教えを説いた。
そして各地を回り30年、多くの人々に慕われながら天保7(1836)年上草田の辻の久保で没した。明治の初め、藩の政策で薩摩半島の技術者が大隅半島に移住したが、その中に大魯の影響を受けた念仏者がいて教えを伝えた。その後、明治22年にこの地に改葬した。やがて念仏禁制が解かれると浄土真宗は県全域に広まった。
鹿児島で浄土真宗がこれだけ広まっている事は大魯和尚の功績が大きいといえる。
大魯上人が本願寺から追放された理由
大魯上人が本願寺から追放された理由である「三業惑乱」というのは、江戸時代に浄土真宗本願寺派(西本願寺)において起きた法論(教えをめぐっての論争)のことです。
この騒動を寺社奉行として裁断したのが、龍野藩の第8代目藩主の脇坂安董(わきざかやすただ)であったというお話です。
『脇坂家譜』の安董についての欄には「同月(文化3年7月)十一日西本願寺宗意惑乱之ヲ裁断ス」と記されています。
善龍寺(龍野市)では龍野で出版された『真宗新義古義裁断実記』という書物も残っています。
この「三業惑乱」事件というのは異安心(いあんじん)論争で、異安心とは真宗の安心(「あんじん」と読みます。救いの境地)と相違した誤った安心を言い、どちらが正意の安心かをめぐっての論争です。救いとは究極は各自の心の問題なので、本来なら安心自体を判断裁定することは無意味でもあるし不当なことと思いますが、安心がその人の思考をともない教相(教え)として外面化し他人に説いた場合、多くの人に影響を及ぼしてしまいますので、看過するというわけにもいかなくなったのです。
安心と教相(教え)とは密接不離な関係にありますので、教えが違えば迷信、邪信を生み出すというような可能性もはらんでいるのです。
ですから厳密には、「安心論争」「異安心論争」というよりは「教義論争」といったほうが妥当だと思われます。
そして教義は真宗の場合は溯れば開祖である親鸞聖人にあり(その本源は阿弥陀如来の「本願」にありますが)、その著述に基づいて、教義論争が行われます。
この事件が発生したのが寛政9年(1797)で一件落着したのが文化3年(1806)で、実に10年の歳月を要しています。安董が寺社奉行として幕政に参与していた期間が寛政3年(1791)から文化10年(1813)までの22年間ですから、安董はこの「三業惑乱」事件の発生から落着まで寺社奉行として見届けていたことになります。
そして最期に落着させました。本願寺派の教義は安董によって守られたという歴史的側面も多分にあると思います。面白いことに、脇坂家の始祖の甚内安治(じんないやすはる)は、天正6年に豊臣秀吉の命を受けて石山合戦(織田信長対本願寺の戦争)で本願寺側であった三木城を攻めたとき、抜群の手柄を立てたそうで、いわば本願寺の敵であったのですが、その本願寺の窮地を子孫の安董が救ったということになるのですから、脇坂家と本願寺とは順逆の違いはあれ縁深いと言えます。
安董は「三業惑乱」事件の裁断によって、その手腕が高く評価されたこともあり、天保8年(1837)には老中に就任しました。
この事件の発端は、寛政10年(1798)に行なわれた蓮如上人(真宗の中興上人、本願寺第8代法主)の300回法要のあと、その前年の寛政9年(1797)に学林(僧侶の修学道場)の第7代能化(「のうけ」と読みます。
宗派の教義を研鑚し人を教化する学寮の責任者)に就任した智洞が門主の文如上人に代わって『無量寿経』の講説を行ない、この中で「三業帰命」の説を唱えたことにあります。
この説は溯れば第2代能化の知空(ちくう)、及びその弟子の峻諦(しゅんたい)などより発し、第6代の能化となった功存(こうぞん)が『願生帰命弁』という著書を著わして「三業帰命」の説がますます鮮明に示され、その後を継いで能化となった智洞に至った頃には、本願寺派の真宗安心の規準とまでなっていました。
「三業帰命」とは「三業安心」ともいわれ、「帰命(きみょう)」の曲解より起こった異安心です。
すなわち、「三業帰命」とは、「阿弥陀様助けてください」と意業(心で)、口業(口で)、身業(体で)の三業で阿弥陀仏に救済を求めることで、三業に帰命の相がともなっていなければならないという説です。
「これだけ阿弥陀様のことを思っているから救われる」「念仏を称えていれば助かる」「これだけ仏壇の前で拝んでいるから救ってくださる」といった自己の三業(行ない)を阿弥陀仏にさしむけることで救いの助けにしようとしたり、三業で帰命していることを救いの証拠にしようというのですから、とどのつまり、その計らい心、自惚れ心(自力)は阿弥陀仏の救済を絶対的に信知していないことから生じるのであって、三業による「たすけたまえ」という「帰命」はその表われの何物でもありません。阿弥陀仏の本願に不足があるから、その不足分を三業で補おうとする心が働くのです。
これは結局は阿弥陀仏の本願を疑っている姿です。機の深信に徹していないから救われるための手段が自分にあると自惚れ、法の深信に徹していないから本願力に不足を思うのです。
どうして功存が『願生帰命弁』という著書を著わして、「三業帰命」説を強調したかというと、当時、北陸を中心に「十劫安心」という異安心が広まっていました。また京都では「土蔵秘事」という異安心が広がっていました。
功存は特に「十劫安心」を正すために『願生帰命弁』を著述したと思われます。 「十劫安心」という異安心は、「十劫秘事」とも「十劫正覚の秘事」「十劫領解」とも呼ばれ、十劫の昔に阿弥陀仏が成仏されたときに、すでに衆生の救済も成就されているのだから、それを忘れないのが信心であるという邪義です。「十劫安心」は必然「無帰命安心」であり、仏に帰命せずともよい、帰命の安心を不要とします。そこで、功存は帰命の安心の欠けた「十劫安心」を正すために、著書の中で「たのむ一念」の帰命を力説したのです。本願寺派で真宗の教化に絶大な能化の取り締まりにより、「十劫安心」は一応の収まりをみせましたが、その教化が未徹底なままで功存は病死してしまいました。
また、功存が能化だった頃には、「本尊論」についての法論も起こりました。
播州の智暹(ちせん)が『真宗本尊義』を著述して学林を問い質した法論でした。 明和4年(1767)5月のことです。本山は両者を戒告して事件を解決しようとしました。
同年の6月には学林は裁決を不服として本山に乱入したりしました。
また功存の『願生帰命弁』に記された「三業帰命」説に対しては多くの���判が上がっていました。
安永4年(1784)7月、大麟(だいりん)が『真宗安心正偽編』などを著述して功存の『願生帰命弁』を批判、安永7年(1787)4月、宝厳(ほうげん)が『興復記』を著してこれまた功存の説の批判を展開しました。
功存が『願生帰命弁』を刊行してからというもの本願寺派内は法論が頻発に起きていました。
功存が能化の時代に「三業惑乱」という爆弾の導火線にすでに火がついていたのです。
功存は「阿弥陀仏をたのむ」こと「帰命」することに力を入れて説いたために教化が「三業帰命」に傾きましたが、それをより徹底して教化すべく、智洞は「三業帰命」説を前面に出して説きました。そして全国の僧侶・門信徒が集まる法要のときにも、智洞が公然と「三業帰命」説を唱えたものですから、この説に不審を抱いた安芸の大瀛(だいえい)、河内の道隠(どうおん)などの在野の学僧(古義派、正義派)が、智洞を代表とする学林(新義派、三業安心派)と対立し、ついに寛政・享和・文化にまたがる10年間にわたって、西本願寺教団内部をはじめ、24カ国に及ぶ未曾有の大紛争となってしまいました。
大瀛は智洞の説の誤りを明らかにするために『横超直道金剛ベイ』を執筆しました。教義の解釈上の対立、相違問題は政治的な紛争へと発展し、混乱と暴動事件を引き起こし、ついには幕府の裁断を受けなければならなくなり、そこで寺社奉行であった安董の出番ということに相成ったわけです。
「三業安心」説の是非をめぐっての争論が各地でまきおこり、ことが「後生の一大事」、救いに関わる問題ですから、門信徒は動揺し、その是非を手次寺に糺すものの埒があかず、嘆願書で本願寺派本山に問い合わせても、本山はこれをとりあげようとしません。
享和元年(1801)になると、門信徒の中には示威行動に出る者も現れて、京都の町々は動揺する門信徒であふれ、奉行所から内々で注意を受けることになります。
大瀛は享和元年(1801)5月に『横超直道金剛ベイ』を刊行しましたが、翌月には販売禁止にされてしまいました。本山は混乱するだけで事態を収拾する���とができず、翌年の1月になって美濃国大垣領の門信徒の百姓たちが一揆のいでたちで、本山に詰め掛けようと河原に集結しました。このことを知った領主の戸田采女正は当時の老中で、百姓たちの動揺を静めるために本山に対して、宗旨を整えて門信徒の不安を一掃するようにと要請しました。それにも関わらず本山は何ら手段を講じないまま7月に入り、大垣領の門信徒は再び集結しましたが、代官に鎮圧されました。
事態を重く見た戸田采女正は事件を幕府に届け、もはや一宗門内の紛争ですまなくなりました。
7月の終わりには、江戸築地の輪番(江戸在住の本山の役僧)が寺社奉行脇坂淡路守役宅へ呼び出され、留守居役星野鉄三郎から事情聴取されています。
幕府は従来、寺社に対し、教義や宗門の紛争などは余程のことがない限り、黙認する方針でした。しかし、ことが「一向一揆」に似た社会的に不穏な行動であったため介入せざるを得なくなってしまいました。
この事件を担当した寺社奉行師匠番脇坂安董は享和2年(1802)11月、本願寺派本山に対し幕府の厳しい警告書を突き付けたため、本山役人は事態を収拾しようとして三業安心派の学林と対立するようになりました。翌年の享和3年(1803)1月、三業安心派の僧侶・門信徒は巻き返しのために本山に押し寄せ、安心(往生)の権限を学林へ一任せよと強要し、ついに槍を持って門主の室近くへ侵入するなどの狼藉を極める暴挙に出て、宗門はますます混乱してしまいました。
これに対して諸国の古義派の門信徒、特に安芸門徒の学僧たちは大瀛を中心にして、智洞の誤りを全国に訴え、何度も公開討論を申し込んだり、門主の権限を回復するように本山にせまりましたが、本山はこれを黙殺しました。享和3年(1803)2月には、能化智洞の退職を求めました。
大瀛とそれを支持する石見の履善(りぜん)、京都の春貞(しゅんてい)、河内の道隠などは上洛して本山に論戦を挑んだために京都は騒然となりました。
4月になると学林は本山の休講措置を無視して安居講会を開こうとして古義新義の2派が対立したため、本山はこの処置に窮して京の町奉行所へ訴えてしまいました。
町奉行所はこの時とばかりに両派の取り調べを開始し、5月には智洞、大瀛をはじめとする、この騒動に関わった中心人物たち40人余りの入牢を命じました。
翌年の文化元年(1804)1月に幕府は取り調べのため智洞・道隠・大瀛らを江戸に連行しました。
智洞はこのときすでに罪人として鶤鶏籠(とうまるかご)で江戸へ護送されています。
そして2月2日より寺社奉行役宅にて取り調べを受けました。
5月には正義派の中心的存在であった大瀛がこの事件の結末を見ることなく獄死しました。
智洞もまた獄中にあって死に、その他の者も遠島に処せられた。
学林の僧はこの事件が宗門の教義のことだからと安心していましたが、安董は寺社奉行の中でも、また歴代の奉行の中でも仏教に通じていて、しかも、安董の陰には真宗大谷派の宗学を大成した大谷派講師の香月院深励(こうがついんじんれい)師が控えておりましたから、突っ込んだ取り調べを行ないました。
文化3年(1806)7月11日、安董は「三業帰命」は不正義とする判決を下して、本願寺派本山に対して、宗門不取締の責を問い100日間閉門という寛大な処分を行ないました。そして、8月21日登城し、老中の松平伊豆守より、今度の宗論裁断について、勲労の論旨を賜わるとともに御調役の星野鉄三郎に銀10枚、西田金次郎・清水兵蔵両名に銀7枚を賜わりました。
閉門が解��された11月、門主の本如上人は、『御裁断御書』を発表して宗門内としても事件は一件落着しました。
「三業惑乱」事件が契機となり、能化職制度は廃止され、本願寺派の宗学は、学轍分裂に至り、行信論に三業を論じることを嫌うあまりに、極端な離三業の所行説が発展しました。
その代表的学轍が空華轍で、現在の本願寺派宗学の筆頭勢力となっています。
ちなみに智洞一派の徒は、三業惑乱後もまだ智洞の遺響を守っていたことから、如何に智洞の異説が教界内に一大勢力を持っていたかが窺われます。
また、三業惑乱後も三業だのみ説を強く誡めている説法がしばしば見られたことからも、如何に三業惑乱が本派にとって一大苦難であったかが知られます。
本派の三業惑乱は隣山の大派にも影響を及ぼし、大派でも三業帰命説、及びそこから派生する異説、諸問題について研究されることとなりました。
「三業惑乱」以降、本願寺派に属する僧侶たちは三業を論じない傾向になりましたが、「無帰命安心」に堕してもいけなくなり、困惑が続いていたようです。
「三業惑乱」後に、本山は全国の本願寺派僧侶から各自の信仰の申告書を集めたそうです。
そこには、蓮如上人の言葉を書写して自分の信仰を表わす人が多かったということです。「信心」に関しての無難な回答をすることで自己の信仰が糾弾されることを免れたのでしょう。
ちなみに脇坂安董は、この「三業惑乱」事件の他にも、延命院事件といって延命院住持日道の不行跡を糾弾しました。ことは大奥にも関係する難事件でありましたが、断固として日道を斬罪に処して寺僧をふるえあがらせたという。
三業惑乱終結後、龍野に帰った安董に、八十歳の母が「三業惑乱はなんと治まった」と尋ねた。それに答えて安董は、「何もほかのことではなかった。阿弥陀様は真実の親であった」と答えた。
母は、「噫(ああ)そうであったかそうであったか。親子の仲なら、かれこれ云うことはいらなんだのう」と喜んだという。
浄土真宗光専寺
仏事・法事等で不明点あればご連絡下さい。
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mizunokisu · 6 years ago
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日本庭園 桜 Cherry Blossoms - 念佛宗(念仏宗無量寿寺) 兵庫県加東市188 by 念仏宗無量寿寺(念佛宗) Art Project on Flickr.
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hi-technique · 8 years ago
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躑躅 念仏宗無量寿寺 azalea nenbutsushu by 念仏宗無量寿寺(念佛宗) Art Project on Flickr
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kayabuki · 5 years ago
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The Bell Tower 鐘楼 - 念佛宗(念仏宗無量寿寺) 035 by 念仏宗無量寿寺(念佛宗) Art Project
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2ttf · 13 years ago
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kentarouchikoshi · 4 years ago
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 僕は一人の仏教徒としてこの記事を実に興味深く感じると同時に,各宗派の僧侶には自宗の教義を真摯に見つめ「そこに本当に矛盾は無いか」「そもそも現時点における教義は宗教として成り立つものか」といった再検討を行うよすがにして欲しいという思いを抱きました。  仏教においては「無我」ということが言われます。仮に我というのを「普遍的な本質」と解釈し,かつ「無我」と言う言葉を「我は存在しない」「我が無い」と解釈すれば「人間には本質が存在しない」という意味になるでしょう。しかし一方では仏教では輪廻ということが言われ,しかも「死んだらその後は何も無い」という考え方(「断見」)についても明確に否定しているので,それらを矛盾無く統一的に説明する必要があります。この点については「釈尊が説いたのは『無我』ではなく『非我』だ」「我執への拘りを捨てよという意味だ」などという解釈や「魂のようなものは存在するが,それは永遠に全く変化しないものではない。生きているときにも少しずつ外部の影響を受けて精神が変容することがあるのと同様,死後にも変容を続ける。つまり常住不変の『我』は存在しないが,それは『魂のようなものが存在しない』という意味ではない」などという解釈もあり,そう考えれば無我と輪廻との矛盾は回避出来そうにも思えますし,日本以外の仏教国ではそのような説明がしばしば為されていると聞いています。  しかし日本仏教においては,そのような説明が為されることは稀です。僕は仏教各宗派のホームページを読んでみたのですが「死んだ後に,人はどうなるのか」という疑問についてズバ��と答えたものに出会えた機会は殆どありません。「おや」と思ったのは浄土真宗の一派である本願寺宗門(大谷本願寺派)の見解でしょうか。同宗門は本願寺眞無量院のホームページにおいて「釈尊は、死は決していのちの終わりなのではなく、その先の後生というものをお説きになられました。今の命の後にまた生まれるのです」と説き,また東山浄苑東本願寺のホームページおいても「今は亡き御先祖は、阿弥陀如来の『摂取不捨』【せっしゅふしゃ】のお誓いにより極楽浄土に往生し、阿弥陀如来と共に私達を見守って下さっています」と記載している例くらいでしょうか。ここまで明快に説いた記載は,僕が知る限りでは非常に稀です。  宗派のホームページでは駄目なのかと有名なご僧侶方の著書を読んでもみました。しかしそれらにも「どう生きるべきか」といった点では示唆に富む記載が数多く見られるにものの「人は死んだらどうなるか」ということを詳細に論じたものには殆ど出会えません。それどころか「無我というのだから魂や霊魂のようなものは無い」と一刀両断してしまうものすら存在します。では仏典において輪廻や来世について記載されていることをどう考えるかといえば「あれは釈尊在世当時のインドでは常識的な考えだったので,一般人にも判り易いように便宜的に説いただけだ」といったように「釈尊の言葉ではあるが,真実ではない」とあっさり切り捨ててしまっています。  無論,僕は素人ですから「実はそうなのだ」と言われれば反論は困難です。しかし本当にそれが仏教なのでしょうか。たしかに釈尊は「方便」といって人を導くために便宜的に真実とは異なる教えを用いることを許容しています。しかし「実は輪廻も来世も無い」と説きたいのであれば,各経典であれほど盛んに輪廻について論じてしまったのは明らかに大失敗だったでしょう。「無我と輪廻とを矛盾なく説明するにはどうすれば良いのか」と後年の僧侶や学者たちが大いに頭を悩ませることになったのだし,むしろ「後世の弟子たちを誤解させた」ということになってしまいます。そもそも釈尊が本当に「輪廻も来世も無い。死んだらそれまで」と言いたかったのであれば,先述のとおり当時のインドには既にそれと全く同じことを主張する「断見」という考え方がありましたから「実は断見が正解なのだ」と説けば済むだけの話だった訳です。  釈尊だけではありません。日本仏教の各宗派は釈迦直説ではなく真言宗ならば空海・天台宗ならば最澄といった各宗祖によって纏め上げられたものです。それらの宗祖も「死んだらそれまで。完全消滅」などと言った者は誰も存在しません。日本にはインドのような輪廻思想は無かったのに,それにも拘らず各宗祖は「便宜的に」輪廻思想を説いたというのでしょうか。こちらとしては困惑するばかりです。  そもそも,素人なりに考えれば「来世は無い」という考え方では仏教には説明のつかないことが多々存在します。たとえば仏教の僧侶��ちは檀家の葬儀や法事を司式し,寺院に設けられた墓地に埋葬された人々のために経典を読誦しています。或いはそれについては「葬儀や法事において行われているのは故人への供養ではなく追憶だ」などという説明も可能かもしれません。埋葬された人々のための読経についても「遺族が毎日墓参し故人を追憶するのは困難なので,僧侶はそれを代行しているのだ」という説明も不可能ではないでしょう。  しかし「釈尊は何のために弟子たちに修行と悟りとを勧めたのか」という根本的な点については,解脱や来世の存在を無視しては説明がつかないのではないか。僕はそう確信します。そもそも仏教ではこの世を「苦」の世界と捉え,またその「苦」を脱することを「解脱」「悟り」と称し,その境地に至るために修行を行います。しかし仮に輪廻も来世も存在しないのなら,苦を逃れるのに一番簡単な方法は死んでしまうことです。しかし釈尊は弟子たちに自殺を勧めたりはせず,戒を遵守しての修行を勧めました。その理由は「死んでも『苦』を逃れることは出来ない」からで,何故逃れられないのかといえば死んだあとには輪廻して再び来世において苦の世界を生きることになるからでしょう。なおこの点について「仏教には不殺生戒というものがあり,自殺はその戒に反するから出来ないのだ」という意見もありますが,これも疑問です。仮に自らの命を絶つことが仏教の教義上「殺生」に該当するとしても,もし来世というものが無いのなら死んでしまえばそれまでの話です。  因みにこれは来世の問題とは直接の関係は無い話ながら,仮に「無我」という言葉を「人間の本質が存在しない」と解釈すると,仏教における戒というものの存在根拠までが失われかねません。仏教においては出家者が不殺生戒や不偸盗戒(盗みの禁止)・不邪婬戒・不妄語戒を犯すことのうち特に悪質なものを「波羅夷罪」といい,僧侶の資格を失うとされています。しかし人間の本質というものが本当に全く存在しないなら,破戒したときの「私」と今現在の「私」も全くの別物であり,今現在の「私」が自らとは全く無関係な別物の咎を負う理由も存在しないことになってしまします。無論,そんな馬鹿な話が通用する筈もありませんが,何故通用しないのかと言えばその理由は「以前に破戒した『私』と今現在ここに居る『私』とは同一の存在だから」としか説明のしようが無いでしょう。  さて,そのような前提に基づいて今回の鵜飼秀徳氏の記事を読んでみました。同氏は真言宗(高野山真言宗)・天台宗・日蓮宗を「霊魂肯定派」とし,一方で浄土宗・浄土真宗(真宗大谷派)・臨済宗(臨済宗妙心寺派)・曹洞宗を「霊魂否定派」に分類しています。  このうち浄土宗については,実は霊魂肯定派なのではないかとも僕には思われます。「お浄土に生まれることを願う」と言っているのですから。そのような宗旨であれば「何が浄土に生まれることを願っているのか。それは現世を生きている『私』と何らかの同一性・継続性を有するのか否か」という点を無視することは出来ません。���うに,人が命尽きても肉体はこの世に残ったままですから「肉体ごと浄土に生まれ変わる」ということは有り得ません。また一方「現世の『私』が命尽き,その後『私』とは全く無関係の存在である何者かが浄土に生まれる」というのではそれを「私が浄土に生まれる」とは言えません。霊魂とは別の名ではあってもそれに類した何かの存在を前提にしていることは明らかで,これを「霊魂否定派」に加えることには僕は疑問を覚えます。浄土宗の見解についてはもっと突き詰めて考察し,本当に霊魂否定派なのか或いは実際には霊魂肯定派なのかを確認する必要があるのではないでしょうか。  一方,臨済宗妙心寺派の見解は「何とも歯切れの悪い」と感じられます。「常見(死んでも霊魂は残る)でも断見でもなく,死んだら終わりでもない」というのでは何も言っていないのと同じです。仏教は中庸を重んじるとはいえ,これは「中庸」ではなく単なる八方美人ではないかとしか思われません。  この点,同じ禅宗でも曹洞宗の回答は「葬送儀礼の中で戒を授ける対象を『霊位』、仏戒を受け諸仏の位に入った者を『覚霊』と位置付けたり、有縁無縁の先亡を『萬霊』とし、儀礼、供養において『霊魂』を対象にしている」とも認めているあたり,臨済宗妙心寺派よりはずっと明晰で誠実なもののように思われます。但し「では霊魂は存在するのか。それとも実は存在しないが民俗に話を合わせてそう言っているだけなのか」という点については明確にしておらず,やはり肝心のところを誤魔化されているように思ってしまいます。  僕がもっとも受け入れ難く感じたのは真宗大谷派の見解です。「存在や死後が存在するか、しないかのどちらかにとらわれる見解を離れよ」というのは一つの考え方として尊重に値するものですが「霊魂が存在するか否か」という質問に対してそのように答えるのは「はぐらかし」というものです。「とらわれを離れる」のと「存在するかしないか」は全く別の話ですから。たとえば僕は昨日モスクワで太陽が見えたか否かに関心は無く「とらわれ」てもおりませんが,仮に「昨日のモスクワで太陽は見えたか」と問われて「そのようなものにとらわれるな」と答えたのでは,それは回答になっていません。同じ浄土真宗でありながら本願寺宗門(大谷本願寺派)が先述のとおり「今は亡き御先祖は、阿弥陀如来の『摂取不捨』【せっしゅふしゃ】のお誓いにより極楽浄土に往生し、阿弥陀如来と共に私達を見守って下さっています」と「死んだらどうなる」という問いに真正面から,しかも宗祖たる親鸞の教えから逸脱しないことを述べているのとは雲泥の差といっては,或いは言葉が過ぎるでしょうか。  次に霊魂肯定派の真言宗(高野山真言宗)・天台宗・日蓮宗の見解について見てみると,それぞれ言っていることは違いつつ,質問に対して真正面から答えていることは共通しています。高野山真言宗の「人間は大日如来から命を与えられてこの世に生まれ、肉体の滅びる後は再び大日如来の内に帰還する」という考え方はむしろウパニシャッド哲学の「梵我一如」に近く,他の宗派とは別の仏である大日如来を崇敬している真言宗においては釈尊の説く「無我」に囚われることは無く,そもそも考え方もやはり他の宗派とは異なるのかと思われます。また日蓮宗の「宗祖が霊魂の存在を認めている」という回答については真宗大谷派の「宗祖と全く違うことを言っていないか」との重大な疑念を抱かせる回答とは対極に位置するものであり,率直で筋の通っ��ものだと感じられます。  僕が特に注目させられたのは天台宗の「死者儀礼に関与できたことも霊魂の存在を信じることなしでは成り立たない」「霊魂の存在を否定すれば仏教は単なる哲学や道徳律となって、宗教ではなくなってしまう」という回答です。日本仏教においては「人は死後どうなるか」という問題を棚上げにすることで仏教を科学と矛盾しないものにしていこうという考え方があったと聞いておりますが,そのような態度を貫けば「葬送儀礼や先祖供養に際し,故人は今どこでどのようにしているのかを知りもせず答えてもくれず関心すら持っていない,甚だしくはその問題を忘れるようになどと説く僧侶の手など借りても意味が無い」という結論に至るのはある意味当然のことです。近年,日本人の仏教離れやお寺離れということが指摘されていますが,臨済宗妙心寺派や真宗大谷派の見解のようなことを告げられた檀家としては「離れ」ていくのはむしろ当然のことだと僕には思われます。本当にそれで良いのか,特に霊魂否定派はその点を再考する必要があるのではないか。僕はそのように考えます。  なお,日本ではしばしば「幽霊は居るか」という意味で「霊魂はあるか」と問う者が存在します。これに対し「ちゃんと供養しているのだから幽霊になって出てくることは無い」或いは「迷信に惑わされないように」という意味で「霊魂は無い」と回答する僧侶たちが存在することは意識しておく必要があるでしょう。我々一般人からの質問に対しお坊さんが「霊魂は無い」と回答したからといって,それが「死んだらそれまで」という意味とは限りません。但しこの疑問についても仏教的に答えれば「幽霊は居る」というのが正解かもしれないと僕は思っています。上座部仏教では「幽霊もまた生き物であり,それは六道のうち餓鬼に属する」と考えます。生き物である以上むやみに恐れる必要は無いし,心を込めた真摯な供養で救済される存在ではあるのは勿論のことですが。因みに「幽霊の寿命は400年。その証拠に江戸時代の幽霊は目撃例があるが,それ以前の幽霊が目撃されるのは稀だ」などという俗説があります。これも「幽霊も餓鬼という生き物であり,いずれは命尽きて再び輪廻していくのだ」と考えれば説明のつく話ですね。  いずれにせよ「来世が無いなら,僧侶は葬儀や法事で何をしているのか」「来世が無いなら苦を逃れるためには死んでしまうのが一番簡単な筈だが,仏教ではそのようなことは説いていない。実は来世があるからではないのか。本当に『来世が無い』という考え方は仏教的に正しいのか」という僕の疑問や「霊魂の存在を否定すれば仏教は単なる哲学や道徳律となって、宗教ではなくなってしまう」という天台宗の指摘に対する,特に霊魂否定派の宗派に属するご僧侶からの見解を是非知りたいと僕は思います。それらについての回答を真摯に見定め,僕は自分なりの信仰を定め信心を深めていきたいと切に願っているところです。 ※本願寺眞無量院のホームページ https://www.shinmuryouin.jp/teachings/t008.html ※東山浄苑東本願寺のホームページ https://honganjifoundation.org/jouen/affair/
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nenbutsushuart · 11 months ago
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念佛宗総本山佛教之王堂総門
増長天と多聞天 高さ5m 念佛宗総本山
佛教之王堂 持国天、広目天と共に、佛法を護る四天王に数えられ、多聞天は、逞しい腕で舎利容器を掲げ、先ず釈尊の説法を聴聞して実践することが佛教の要諦である故、幾度も幾度も聴聞することが大切であると示している。 また、増長天は、煩悩を打ち砕く金剛杵を持して、増長慢を起こさず謙虚に佛道を歩むべし、「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」と教えている。
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groyanderson · 4 years ago
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ひとみに映る影シーズン2 第四話「ザトウムシはどこへ行く」
 ☆プロトタイプ版☆ こちらは無料公開のプロトタイプ版となります。 最低限の確認作業しかしていないため、  誤字脱字誤植誤用等々あしからずご了承下さい。 尚、正式書籍版はシーズン2終了時にリリース予定です。 (シーズン2あらすじ) 私はファッションモデルの紅一美。 旅番組ロケで訪れた島は怪物だらけ!? 霊能者達の除霊コンペとバッティングしちゃった! 実は私も霊感あるけど、知られたくないなあ…… なんて言っている場合じゃない。 諸悪の根源は恩師の仇、金剛有明団だったんだ! 憤怒の化身ワヤン不動が、今度はリゾートで炸裂する!! pixiv版 (※内容は一緒です。) ☆キャラソン企画第四弾 牛久舎登「かっぱさん体操」はこちら!☆
དང་པོ་  洗面所で顔を洗い、宴会場に戻る。時計は丁度六時をまわった所だ。ふと、窓の外から懐かしい歌が聞こえてきた。 『かっぱさん体操第一ィィィ!』『プッペケプッぺップー』 「うー。何だよぉこんな朝っぱらからぁー!」 「ふわあぁ~」 「ああ、かっぱさん体操の時間……」  朝っぱらから近所迷惑な体操音楽によって、佳奈さん、万狸ちゃん、玲蘭ちゃんが同時に布団から出てきた。玲蘭ちゃんと私はカーテンを開け、大音量で音楽を流しながら体操する河童の家教団を眺める。 「牛久の河童はかっぱっぱーのパァー」 「お皿を磨いてツーヤツヤーのツャー」 「「みんなで腹からワッハッハーのハァー、笑顔に勝るー力なし」」 「は? 二人なんで歌えるの?」  歌詞を暗記している私達を、佳奈さんが訝しんだ。 「佳奈さんの地元にはいませんでしたか? 河童信者」 「ぜぇんぜん」 「北関東から東北あるあるなんじゃない? 私も会津にいた時はほぼ毎朝だったのに、沖縄(うちなー)では一度も聞いた事なかった」  影電話で万狸ちゃんにも聞いてみる。 <木更津はどう?> 「一度だけ布教に来た事はあったね……あの体操で大狸様を怒らせちゃって、追い出されてた」 <あはははは>  河童の家、案外ローカルネタなのかな。 「じゃあ、どの学年にも一人はいる子河童も知らないですか? 佳奈さん地元は京都でしたっけ」 「ううん、両親両方京都だけど東京生まれ東京育ち……そもそも子河童って何?」 「そこからですか」  茨城県に本拠地を置く新興宗教、河童の家。元お笑い芸人の牛久舎登が発足し、『笑顔に勝る力なし』を教義とする。そのため宗教活動では一発芸や話術を磨く修行をし、信者は男も女も子供も、皆河童のように頭頂部を剃り上げる。この教団が近所にあると毎朝『かっぱさん体操』という体操曲が爆音でかかり、また近隣の学校には通称『子河童』と呼ばれるお調子者な学生が何人か生息する。そして彼らは将来、教団が運営する芸能事務所『かわながれ興業』に所属するんだ。でも人を笑わせる、そして人から笑われる事も最上の幸福であるという教えを拡大解釈した信者が、パワハラやいじめ、体罰を起こして時折問題になっている。 「私が知っている河童の家についての情報は、こんなところですかね」 「へぇ……やけに芸能界に影響力がある宗教だと思ってたけど、そんなだったんだね」 「ああ、東北も多いけど、大阪には芸人養成学校があるから日本一信者が多いんだって」  玲蘭ちゃんがスマホで調べてくれた。  その時、トントン、と襖がノックされる。 「おはよぉございます……。お嬢さん方。河童さんが体操終えて食堂混む前に、朝食行きませんか?」  タナカDだ。 「そうしよっか」  カメラが回るだろうか���、私達は各々最低限顔を描く。眉毛面倒だから影で作っちゃった。後で朝風呂に入ってからちゃんと直そう。 གཉིས་པ་  食堂に行くと、奥の席で既にタナカDが朝食を一品ずつ物撮(ぶつど)りしていた。テーブルには全員分のネームプレートと朝食が配膳されている。 「ぅあ~~~~~~~~……」  席につくなり、佳奈さんからアイドルが一番出しちゃいけないような声が漏れた。 「どうしたんですか佳奈さん、まるで深夜バスにでも乗ってたみたいな顔して」 「似たようなもんだよ……ずっとすごい雷鳴ってたじゃん。しかもなんか救急車の音とかしなかった? それで朝はかっぱさん体操。ほぼ一睡もできなかった」 「救急車、ですか」 「はぁ……一美ちゃんは本当にどこでも眠れるよね……昨晩大雨だった事も知らなかったでしょ」 「うーん……」  本当の事を言うと、眠るどころじゃなかったんだけど。それを説明する事もできないからもどかしい。 「雷雨ぐらい気付いてました。私も全然休んだ気がしないです」 「でも寝てただけいいじゃん」 「嫌な夢を見てたんですよ。私は地元のお寺の尼僧になってて、お御堂のバルコニーが浸水して和尚様が馬頭観音になってすっごい怒ってる夢」  この内容は嘘ではない。そういう夢を見たのは事実だ。 「ば、罵倒観音? なにそれカオス……それはうなされるわ」 「おう何だ何だ、お二人共だらしないですなぁ!」  タナカDが物撮りを終えて席につく。彼は朝から声が大きい。 「まあ冷めないうちに食べようじゃありませんか。『じゅんなぎ』もありますよ」 「へえ、じゅんなぎですか」  手元のネームプレートを裏返すと、朝食メニューが書かれていた。 『朝食 おこんだて イシガキダイのちらし寿司 小松菜とかぼちゃのお味噌汁 わかめの辛子味噌和え じゅんなぎ』  おお、朝からなかなか豪華だ。ちらし寿司は大きな鯛のお刺身がどっさり乗っていて海鮮丼のよう。お味噌汁のかぼちゃもほうとうを彷彿とさせる大きなスライスで食べ応えがある。わかめは勿論新鮮な生わかめ。そして、千里が島で一度は食べてみたかったじゅんなぎ! 「皆さん、これはですね。『蓴菜(じゅんさい)で鰻繋ぐ』、つまり『ヌルヌルした野菜でヌルヌルした鰻を捕まえるような行いは無謀である』という諺が由来の、千里が島の郷土料理なんです。蓴菜と冷製の鰻を湯葉で巻いてあるから、『不可能を可能にした縁起物』、すなわち霊力が上がるパワーフードなんですよ!」 「おぉいおいおい、紅さん。台本もないのに詳しいですなあ! ま、僕はじゅんなぎが無くても今日は無敵ですがねぇ……フフン」 「どうしてです��?」 「いやね? お二人が眠れない夜を過ごしていた間に恐縮ですけど。昨夜、狸おじさんのおかげですごぉく縁起の良さそうな夢を見ましてですねぇ!」 「へ?」  何の事ですか? と言いたげな表情で、隣のテーブルの斉一さんがこちらを見る。 「夢に人語を話す化け狸が出てきて、僕にお酌してくれるんですよぉ。なんかご利益ありそうでしょぉ。しかもただの化け狸じゃない、ドレッドヘアのちょいワル狸ですよ!」 「ぶっ!! げほ、げほ!」  斉一さんが辛子味噌和えをむせた。ていうか、その狸、完全に斉二さんの事じゃないか。 「い、いや、わざとじゃないんだよ!? なーんか俺もタナカさんと晩酌する夢を見た気がしてたんだけど、本当わざとじゃないのマジで!!」  当の本人は必死に否定している。要するに寝ぼけてタナカDに取り憑いたまま寝ていたという事らしい。どうりで今朝あんな事があったのに、斉一さんしか迎えに来なかったわけだ……! 「狸おじさん、風水的にはどうなんですか? ラスタな狸って縁起いいんですかね??」 「ん゙っ、ん゙んっ……き、聞いた事ないですね……あれかな! 昨晩私が張った結界が効いている証拠とか! はい、ぽ、ぽんぽこぽーん……ふっくくく……ぽっ、ぽこ……」  斉一さん、完全にツボに入ってしまったようだ。佳奈さんも釣られて肩を揺らしだした。 「ちょっふっふっふ……タナカDが能天気すぎるだけだよそれ! てか狸おじさん困ってるし……なにラスタな狸って!?」 「部屋にラスタな狸がいたら報告した方がいいですか?」 「あっはっはっはっは!!」  何故か玲蘭ちゃんまで佳奈さんに調子を合わせる。じゃあ私も。 「玲蘭ちゃん、ラスタな狸はタナカさんに譲るんで、可愛い女の子狸は私が貰っていい?」 「それなら昨夜ずっと一美の隣で寝てたよ」 「きゃー! アハハハ」  皆で和気あいあいと食事していたら、いつの間にかじゅんなぎを無意識に食べてしまっていた。けどなんか、別にもういいかな……という気分だった。 གསུམ་པ་  食後。手短に朝風呂に入り、軽く荷物をまとめてホテルを発つ。今日はまず主要な観光スポットを幾つか巡って、図書館で資料を見ながら埋蔵金の場所を推理する段取りだ。ロビーを出ると、青木さんが待ってくれていた。 「おはようございます。昨晩は凄い雨けど、ご快眠を?」 「全然だよー。そこの三角眉毛は別だけど」 「おう誰がデブで三角眉毛だとぉ? この極悪ロリータ」 「佳奈さんデブとは言ってないじゃないですか。いいから行きますよ、お二人共。青木さん困ってるでしょ」  手元で地図を見ながら、一行はまず徳川徳松こと御戌神(おいぬのかみ)が祀られる、御戌神社へ。ホテルから海沿いのなだらかな丘を五分ほど登ると、右手に見えたのは『石見沼(いしみぬま)』だ。青木さんが解説をしてくれる。 「中央に大きな岩をご覧で? あれに水切りで石当てるのに成功すると、嫌いな相手が怪我を」 「初っ端から物騒な観光スポットですね!?」  驚く私の背後で、カメラを抱えたタナカDがガハガハと笑った。 「これぐらいで驚いてちゃあ後が持ちませんよぉ紅さん! なにせ千里が島は縁切りのテーマパークですからなぁ。この後はもっともっと物騒な所をお見舞いしていきますよぉ」 「タナカさん、あなた本当にこの島を応援したいんですか? それとも視聴者をドン引きさせたいんですか?」 「ナハハハ、だぶか放送後は調布飛行場に行列が出来ているかもしれませんよ? 『あの紅一美がチビった恐怖の心霊島』と……」 「青木さん、石! 丸い石ください、水切りしやすそうなやつ!!」 「あややや、喧嘩はやめて下さいだぁあ!」  と、こんな所で尺を取っても始末に負えないから、小競り合いを演じたらさっさと移動する事に。暫く進み、御戌神社の鳥居が見えてきた。 「ウゲ……」  それを見た途端、私は絶句。それは鳥居と呼ぶには余りにも不気味な色に見えた。まるで糖尿病で壊疽を起こした脚みたいな……いや、この異常には心当たりがある。 「佳奈さん、この鳥居なんか変じゃないですか?」 「え、普通じゃない?」  思った通り、佳奈さんは平然としている。これは倶利伽羅龍王を討伐した時、地元の神様から聞いた現象だ。倶利伽羅を生み出した邪教、金剛有明団にまつわる物は、信仰心に準じて見た目が変わって見えるらしい。例えば倶利伽羅も金剛信者には美術品のように美しい龍に見え、金剛に恨みがある私には汚物にしか見えない。今回もそれと同じ……つまりこの神社は散減同様、金剛にまつわる領域なんだろう。我慢して入るしかなさそうだ。བཞི་པ་ まずは普通の神社と同様、手を清める。案の定手洗い場も気持ち悪く見えて、正直とてもじゃないけどここの水に触れたくない。ていうか臭い。牛乳を拭いた雑巾みたいな臭いがする。とりあえず口はつけず指先をちょっとだけすすいだけど、後で境外で肌荒れするまで手を洗いたい!  詳しく境内を見る前に、賽銭箱に小銭を入れて手を合わせる。金剛とこれ以上因縁が続いては困るから、小銭がない振りをして五円玉をタナカDからタカった。神様に手を合わせている間は金剛への嫌悪感を読み取られないように、無我を貫いた。  参拝が終わったら、境内を進み御戌神が眠る『御戌塚(おいぬづか)』へ。境内はそこそこ広い割に、随分と殺風景だ。まず社務所がない。青木さんいわく、神社境内に職員が常駐すると現世との縁が切れてしまうからだそうだ。そして狛犬も��ない。御戌様が御神体だからだという。  奥へ進んでいる途中、私はふと左手に一際強烈な禍々しさを感じた。見ると竹やぶに覆い隠されるように、傘立てみたいな簡素な祠が建っていた。厳重にしめ縄が巻かれ、星型の中央に一本線を引いたような記号の霊符が貼ってある。 「青木さん、あれは何ですか?」 「大散減(おおちるべり)というオバケを封じた祠ですだ。あまり直視したら良くないかも……ああっタナカさん、撮影など!」 「ダメかい? そんなに恐ろしいオバケなの、そのオオチルベリってやつは」 「モチのロンだから! 体が五十尺もある、八本足にそれぞれ顔がついてて、そのうち本物の顔を見つけて潰さないと死なない怪物で! しかも人間の肋骨食べて、一本足のミニ散減を生み出すとか。だからともかく、大散減は撮っちゃダメですだぁ!」 「一尺って何メートルでし���っけ、なんだか想像つかないですなぁ~」  タナカDは渋々とカメラを逸らした。人間の肋骨から新たな散減を生み出す……昨晩、おばさまの肋骨から散減が生まれた瞬間を私は見た。それに、倶利伽羅龍王も……。  そして私達は御戌塚に到着。平将門公の首塚みたいなお墓っぽい形状の石碑を予想していたら、実際は犬の石像だった。徳松さんご本人は不在のようだ。恐らく既に成仏されたか、どこか別の場所にいるんだろう。 「あれ? 一美ちゃん、これ犬じゃなくない? タテガミがあるよ」 「これはどちらかと言えば狛犬ですね。狛犬は獅子に似ているんです」 「あ。確かに、普通の神社の狛犬も、タテガミ生えてたかも! そういえば、徳川徳松は狛犬の魂を持ってたんだよね。じゃあお犬様の犬種って狛犬なのかな?」 「あはは、そうかもだ。それと、志多田さん。御戌様はわんこの『犬』でなくて、十二支の『戌』という字を」 「へー、どうして?」  青木さんによると、戌という漢字は滅ぶという字が元になっているそうだ。植物が枯れて新たな命に変わる様子を表しているんだ。早逝して祟り神になった徳松さんをよく表していると思う。 「御戌塚から伸びる道は、竹やぶで薄暗いのが『亡目坂(なきめざか)』、奥の見晴らしいい方が『足失坂(あしないざか)』で。いずれも嫌な奴を思い浮かべながら歩くと、それぞれ違ったご利益がとか。ちなみに足失坂を途中で右に下ると『口欠湿地(くちかけしっち)』が……」 「青木さん、今は特に切りたい縁はないんで大丈夫です!」  さすが御戌神社周辺は地名が物騒だ。昨晩斉三さんが言っていた、『気枯地』という言葉がしっくり来る。これ以上ここにいても千里が島のネガティブキャンペーンにしかならなさそうだから、私達は次の場所へ移動する事にした。ལྔ་པ་ 足失坂を下り、ザトウムシ記念碑がある『千里が島国立公園』へ。物騒な地名とは裏腹に本当に見晴らしが良い。閉塞的な御戌神社から出た瞬間、空がばっと広がったような感じだ。麓に見える口欠湿地も空の青を反射して美しく輝き、それをタナカDが嬉々としてカメラに収める。千里が島の縁切りや祟りといった暗い側面だけじゃなくて、こういった絶景も収録出来たのは本当に良かった。  国立公園は坂中腹からふもとまでの広い敷地を有する。地面は芝生とシロツメクサで覆われ、外周は桜並木に囲まれている。ただ、やはり気枯地だからか、桜はどれ一本として真っ直ぐ生えていなかった。  ザトウムシ記念碑は簡素な作りで、歌詞と小さなイラストだけ書かれた石碑だ。歌い継がれてきた民謡のため、作詞作曲者は不明らしい。また隣にはザトウムシの生態を説明するパネルもあった。 「ええと、『ぼくはクモに似てるけど、ダニの仲間なんだよ! 八本足に見えるけど、そのうち一本は杖なんだよ! 一人ぼっちよりも、みんなで集まるのが大好きだよ!』なるほど……ザトウムシがワサワサ密集してたらなんかちょっと嫌ですね」 「僕前に公園のベンチで、黒いタワシみたいな塊落ちてて……触ると大量のザトウムシがブワササーと」 「やだー! 青木君やめてよ~」 「わはははは!! それは最悪ですなぁ!」  公園を抜けて市街地へ降りていくと、月蔵(つきくら)小学校と併設する町民図書館が見えてきた。カメラに群がる小学生達に軽くファンサービスしながら、図書館へと急ぐ。私がお目当ての子はみんな「ドッキリ大成功! したたびでーす!!!」と絶叫しながら全力疾走で追いかけてくる。佳奈さんの影響だ。私も期待に応えて校庭をダッシュしたら、地面から急にスプリンクラーが出てきて水を撒き始めた! 「ぎゃー! また騙されたーっ!!」དྲུག་པ་ 何とか濡れずに済むも、息絶え絶えで図書館に入る。トイレを借り、やっと手を洗えた! と安堵して戻ると、皆は既に資料が並べられたテーブルを囲んでいた。太っているタナカDと大柄な青木さんは、小学生向けの低い椅子で収まりが悪そうにモゾモゾ蠢いている。私も着席するとカメラが回り、タナカDが進行を始める。 「実際に歩かれてみて、お二人何かお気付きになった事はありますか?」  気付いた事か。幾つかあったけど、金剛有明団や霊にまつわる情報は直接共有できない。少しぼやかして話そう。 「斉ぞ……ええと、狸おじさんから伺ったんですが、植物が曲がって生える土地は風水的に不吉らしいんです。それで今日気にして見ていたら、御戌神社がある坂の上に近づくほど木がねじれたりしてて、海沿いの石見地区や市街地である月蔵地区はそうでもないんです」 「御戌様が埋蔵金を守ってるからかな? じゃあ神社の近��が怪しいね!」  佳奈さんが消せる蛍光ペンでコピー地図を囲んだ。 「不吉な場所ですかぁ。だぶか神社から一番遠い南側、竹由……こりゃ『たけよし』で合ってるかい?」 「ですだ」 「竹由地区ね。この辺はまっすぐ生えてるんですかねぇ」  確かに地名に『よし』が入っていて、島の南側は縁起が良さそうではある。私達はまだ行っていない竹由地区の資料を見ると、小さなお寺が一つあるだけで後は住宅街のようだ。 「志多田さんはどうだい?」 「うーん、埋蔵金については何もなかったかなー。ところで青木君、この地図のここ、誤植じゃない?」 「え、誤植で?」  全員で地図を確認する。佳奈さんが指さしている箇所には、『新千里が島トンネル(旧食虫洞)』と書かれていた。昨日、私と青木さんが行ったコンビニの所だ。 「食虫……洞? 確かに変ですね。『虫食い洞』なら虫がトンネルを掘ったような感じで意味が通じるけど、食虫洞じゃ洞窟が虫を食べちゃうみたい」 「でしょでしょ? それともウツボカズラがいっぱい生えてるのかな」 「いえ、『食虫洞(くむしどう)』が正解で。ウツボカズラは生えてねぇけど、暗いから虫を食うコウモリが住んでるかもだ」 「うーん、そういう問題なのかな……? まあ関係ないからいっか……」  佳奈さんは煮え切らない顔のまま、地図を机に置いた。タナカDが仕切り直す。 「じゃじゃじゃあ、まずは今まで埋蔵金探しに失敗した方々の仮説を見てみましょうよ! 青木君」 「はい、こちらを」  タナカDは青木さんが差し出した資料を私達側に向ける。インターネット上で日本各地の徳川埋蔵金に関する情報をまとめたサイト、『トレジャーまとめ』さんの記事コピーだ。これまでザトウムシの歌詞をもとに埋蔵金のありかを探索した人々のレポートらしい。上からざっと目を通す。 ・その一 ザトウムシは座頭、盲目の暗喩だ。歌詞の『ザトウムシ』という言葉の総文字数を歩数として、記念碑から亡目坂を登る。そして到着地点の地面を掘ってみた。  結果 何も出てこなかった。これを試みた探索者の一人が島を出た後(以降は修正液で消されている) ・その二 『水墨画の世界』は白黒、あの世を表している。竹由地区には名前に『虫』がつく虫肖寺(ちゅうしょうじ)があり、そこには墓地が隣接している。その墓地で、黄昏時に太陽が見える西側の井戸内を調べた。  結果 何も出てこなかった。これを試みた探索者全員が数日後、(以降は修正液で消されている) ・その三 ザトウムシが埋蔵金を表しているなら、食虫洞は金を蓄える隠し場所に違いない。歌詞の通り、黄昏時から逢魔が時にかけての時間、トンネルを調査した。  結果 翌々日、(以降は数行にわたり修正液で消されている。塗りこぼしから微かに『トンネルが永遠に続いて外に出られ』という一文が垣間見える) ・その四 『口欠』『足失』『亡目』など体の欠損にまつわる地名は心霊現象や祟りが多いという。その三箇所いずれかに宝があるとみて、調査した。  結果 それ���の地点には共通して護符の貼られた祠があり、護符を剥がした探索者は肋(次の行以降は紙ごとハサミで裁断されている) 「「いや怖いわ!!」」  全部読み終わる前に佳奈さんと異口同音! 「ちょっと青木君、これ元は何て書いてあったの!?」 「すいません、あんまりにも酷いデマなどが。根も葉もねぇので僕が修正を!」 「本当にデマなんでしょうね!?」 「嘘こいてねぇです、本当に事実無根なので! 大体、コトが事実なら普通新聞に載るなど……」  事実なら新聞に載るほどの事が書いてあったのか。これは下手に島を引っ掻き回すと、またとんでもない事になりそうだ。 「まあまあまあ、お嬢さん方。要はあなた方がね、埋蔵金を見つけちゃえばいいんですよ」 「なに他人事みたいに言ってるんですか、この三角眉毛は。祟られる時は全員祟られるんですよ? わかってんですか?」 「そーだそーだ、デブちん三角眉毛!」 「おう遂にちゃんとデブって言ったな!? 今日の僕にはラスタな狸がついているんだ。一人でもしぶとく生き残ってやるぞぉ」 「一美ちゃん、ちょっと今夜御戌神社で丑の刻参りしよっか」 「了解しました。加賀繍さんのぬか床に五寸釘入ってるから分けてもらって……」  ん? 「佳奈さん、今の言葉もう一回いいですか?」 「え? だから、『御戌神社』で『丑の刻参り』」 「……それだ!」  ラッキー! 今の超下らないやり取りで、歌詞の謎が一つ解けたかもしれない! 「おぉ何だい、そんな聞き返すほど僕を呪いたいのか小心者」 「違いますよ。見て下さい、歌詞の一番と二番の冒頭……」  ザトウムシの一番、二番の歌い出しは、それぞれ『たそがれの空を』『おうまが時の門を』だ。 「いいですか? 昔の日本は十二時辰(じゅうにじしん)、つまり十二支で時間を測る単位を使っていました。その単位では、『逢魔が時』と『黄昏時』……つまり夕方から夜に変わる時間帯は、『酉の刻』と『戌の刻』になるんです」 「じゃあ歌詞に当てはめると、一番は『戌の刻の空を』、二番は『酉の刻の門を』に変換できるって事?」 「はい。ここで思い出しませんか? 御戌塚から伸びる二つの道」 「薄暗い亡目坂と、見晴らしがいい足失坂……あっ、『戌』から『空』が見えるのは足失坂だ!」 「そうです。しかも続きの歌詞が『ふらついた足取りで』、足って言ってるんですよ! 一方二番……酉の門といえば?」 「神社の『鳥居』! 坂からまた神社に戻っちゃってる!?」 「そうなんです!」  つまり、私の説はこうだ。この歌は埋蔵金のありかを一箇所漠然と示しているんじゃなくて、そこに至る道順のヒントが歌詞になっているんだ。御戌塚から始まり、足失坂を通って何らかのルートを経由。やがて神社に戻って、そこからまたどこかへ行く……こうして遠回りをする事自体が、埋蔵金を発見するために必要なのかもしれない! 「なるほど、道順を! それは今まで誰もやらなかったかもだ……それにしても、お若いのによく十二支の時間をご存知で?」 「あはは、青木さんより若くはないですよ~。小さい頃ちょっとだけお寺に住んでた事があって、こういう歴史っぽい雑学にちょっと明るいだけです。ただ……」  残念ながら、歌詞に干支にまつわる描写はそれしかないんだ。そこから先の謎はまだわからない。私が自説をフリップに書き終えると、タナカDが佳奈さんに話を振る。 「志多田さんどうですか? 紅さんがワンアイデア出しましたよぉ」 「急かさないでよー。私まだ食虫洞の謎が頭から離れないんだから。そーいうタナカDこそ何かないの?」 「僕かい? そうですな……このサビの、『月と太陽が同時に出ている』って、日蝕か月蝕って事でしょ? 千里が島で日蝕月蝕が観測された事って歴史的にあるんですかねぇ?」 「え? この歌詞って単純に黄昏時の事じゃないんですか?」 「あ、そうか。そりゃ黄昏時には月と太陽が両方見えますな」  すると今度は佳奈さんが閃いた。 「ちょっと待って、日蝕……?」  佳奈さんは私の手元から地図を取り上げ、食い入るように見つめ始める。 「……しょく、ふき、ぞう、すずり……」 「佳奈さん?」 「あー、そういう事かあ! これ、千里が島の地名ってさ、繋げるとみんな漢字一文字になるんだ!」 「え、そうなんですか?」 「どういう事で?」  青木さんも知らなかったようだ。全員興味津々で佳奈さんの指さす地図に見入った。 「例えばこれ、食虫洞はさ、食と虫を繋げて書くと日蝕の『蝕』になるでしょ。亡目坂は盲目の『盲』、月蔵は臓器の『臓』」 「すごい、本当ですね! 石見は書道の『硯(すずり)』、竹由は『笛』ですか。あれ、でも足失坂は……」 「『跌(つまずく)』。常用漢字じゃないけど」 「つまずく?」  タナカDは自分のスマホで『つまずく』と入力し、跌と変換できるか試みた。 「ああ、跌(つまずく)だ! 確かに跌ですよ跌! いや、よく読めますなあ。ところで佳奈さん、最終学歴は?」 「いちご保育園だってば。何度も聞くなー!」  佳奈さんは国文学分野で大学を卒業しているけど、年齢不詳アイドルである彼女にとってそれは公然の秘密だ。タナカDはそれを承知の上で度々ネタにしているんだ。 「あれ、佳奈さん。それを当てはめたら歌詞解読できるかもしれませんよ!」 「え本当? よーし、やってみよう!」  こうして数十分試行錯誤しながら、私達したたびチームの歌詞解釈はほぼ完成した。それが、こうだ。 たそがれの空を  ザトウムシ ザトウムシ歩いてく   (御戌塚から始まり、空が見える方向へ進む)  ふらついた足取りで  ザトウムシ歩いてく   (そのまま神��境外に出て、つまずきやすい道、つまり足失坂へ進む) 水墨画の世界の中で  一本絵筆を手繰りつつ   (足失坂のふもとから水墨画の世界、硯と水を象徴する石見沼へ進む)  生ぬるい風に急かされて  お前は歩いてゆくんだね   (石見沼から風が吹く方向、口欠湿地方面へ進む) あの月と太陽が同時に出ている今この時  ザトウムシ歩いてく  ザトウムシ ザトウムシ歩いてく   (口欠湿地から月が太陽を蝕む場所、旧食虫洞へ進む) おうまが時の門を  ザトウムシ ザトウムシ歩いてく   (食虫洞を抜けた所から丘を登り、御戌神社の鳥居をくぐる)  長い杖をたよって  ザトウムシ歩いてく   (神社境内から視覚障害者が杖を頼りに歩くような暗い道、亡目坂へ進む) ここまで考察した段階で、地図に道順を引いていた佳奈さんがペンを止めた。 「何これ……星……?」  蛍光ペンで地図に書かれた道筋は、島の中心に魔法陣のような模様を描いていた。五芒星の中心に一本線を引いたような、シンボルを。 「佳奈さん。まだ、解読できてない歌詞は残ってますけど……これはこの形で完成だと思います」 「一美ちゃんもそう思う? これ以降の歌詞って、対応する地名が見当たらないんだよね……」 「青木さん」  私はさっきの埋蔵金探し失敗談を手に取る。 「この消されている箇所、要するに全部『祟りがあった』って事ですよね?」 「はい……あ! いえ、そんな事は……」 「そうなんですね。つまり余所者が千里が島を検めるためには、正しい儀式か何かを踏まないと祟りに遭う。その儀式の方法こそが、この民謡ザトウムシに隠された暗号の正体だった」 「……」 「私、さっきこのシンボルを見たんです。御戌神社の、祠で……」  もう私の中で謎は核心に迫っていた。霊能者達は今それぞれ除霊活動に励んでいるけど、『ザトウムシ』……恐らくは、怪物の親玉であるそれを倒さなければ島の祟りは終わらないのだろう。 「結論が出ました、青木さん。ザトウムシは、徳川埋蔵金のありかを示している歌じゃありません。私はこれを……八本足の怪物、大散減を退治するための手順を示した歌だと思っています」  衝撃的な結論に全員が呆然としていると、窓の外で何かが破裂するような音がした。更に間髪入れず、河童信者が一人血相を変えて図書館に飛びこんでくる。 「たた、た、大変です! 大師が……大師が……紅さん、ともかく来てください!」 「え? どうして私が……うわあ!?」  河童信者は乱暴に私の腕を掴み、外へ連れ出した。他の皆も続く。牛久大師が私を指名したという事は、また散減が現れたのだろう。けど今はカメラが回っている。玲蘭ちゃんや万狸ちゃん達は別行動だし……私、どうすればいいの!?
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jyokouji · 3 years ago
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「信心とは何か」
 多くの人々(浄土真宗のご門徒を含む)は、全く世間の中に埋没していて、「信心」なるものを殆ど全く心得ていない。確かに人々は政治・経済・実業・社会・文化・学術・芸術・スポーツ等々、これら一切の領域に通達しておられて、御活動されておられる。全く有難いことであり、私の尊敬してやまぬ所である。しかしながらこれら多くの人々は、上記のような「世間」には通じておられるのだが、唯一「出世間」即ち「信心」については殆ど無知なのである。こう申し上げると皆様は、「我々は家族・親族の葬儀・年回法事・墓への埋骨・盆・彼岸におけるお寺参り等に怠らず勤めておる。」と反論されるであろう。ところがこれ等の行業は、真の宗教的行業への御縁となっているのではあろうが、真の信心には至ってはおらないのである。
それでは真の信心とはどういうことであろうか。
浄土経典の大無量寿経を読むと、直ちに法蔵菩薩の出家・五劫思惟・発願・修行・成仏・衆生救済・極楽浄土の荘厳という神話的事態が説かれている。これを読んで、科学的・歴史的認識に没入している現代人は直ちに反発して、浄土教から離れてしまうのであり、以後お寺との交際は葬祭儀礼にのみ限定してしまうのである。
では浄土を現代人に理解して頂くにはいかにしたらよいか。
「南無阿弥陀仏」とお念仏申しつつ、そのお念仏にこめられた信心を頂くならば決定である。浄土真宗においては、信心とは私が私の力で起こすものではないのである。そうではなくて、私が「南無阿弥陀仏」とお念仏を称える時がある。そのお念仏と共に「信心」を頂くのである。仏の方に成じたもう信心もその体、つまるところは一個の南無阿弥陀仏である。それ故人々がその名号「南無阿弥陀仏」を聞いて信ずる時、阿弥陀如来の方に成じたもう信心をまるまる私が獲得するのである。この点を蓮如上人は「信心とて六字のほかにはあるべからざるなり」(御文章・五ー13)と説かれている。これこそ「他力回向の信心」と規定されている当体である。
上記の文におわかりにならない点があるならば、お寺の法座集会に御出席し、疑問を晴らされることをお勧めいたします。
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jp-manual · 6 years ago
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南殿順興寺の御朱印。「阿弥陀様は信じる人を必ず救う」という、観無量寿経に書かれる「念仏衆生摂取不捨」の墨文字です。浄土真宗の寺院では珍しく御朱印を頂くことができました。 Nanden Junko-ji's red ink stamp (goshuin). #御朱印 #ご朱印 #御朱印集め #御朱印巡り #御朱印好きな人と繋がりたい #御朱印スタグラム #御朱印さんぽ #御朱印好き #御朱印収集 #お寺巡り #南殿順興寺 #寺 #お寺 #kyoto #temple #junkoji #discoverjapan #goshuin https://www.instagram.com/p/ByWPL_jlw5C/?igshid=ga14y9xyyzje
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mizunokisu · 6 years ago
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日本庭園 桜 Cherry Blossoms - 念佛宗(念仏宗無量寿寺) 兵庫県加東市212 by 念仏宗無量寿寺(念佛宗) Art Project on Flickr.
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hi-technique · 8 years ago
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躑躅 念仏宗無量寿寺 azalea nenbutsushu by 念仏宗無量寿寺(念佛宗) Art Project on Flickr
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shibaracu · 5 years ago
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◆生と死 ◆生命 ◆命
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◆生と死 ◆生命 ◆命 ペットの日記に飼っていたペットの死についてのコメントが有り 自分のことも含めて考えてみた。 ちょっと調べただけでもこんなに項目が出てくる。 生きるとは何だろうか。 誕生死は三人目の子供で経験している。 日常の中でフト立ち止まり考える時間を取ってみた。 私見は書かない。 今 心の中で 整理しきれないから。 生きる 活きる いきる そして カレか彼女かに冥福を捧げる。 昔 飼っていたペットにも。 生と死とは こんなにも考えて置かなければならないものですね。     ◆死 - Wikipedia http://bit.ly/w3CmxZ 死(し) 命がなくなること・なくなった状態、 生命活動が止まること・止まった状態、 あるいは滅ぶこと・滅んだ状態のこと。 人間の死の定義は文化圏、時代、分野などにより様々である。 近年では「不可逆的」という概念が加えられることもある。 (→「死亡の判定・定義」節を参照)。 一時的に命が無い状態になったが再び生の状態に戻った場合、 途中の死の状態を「仮死」や「仮死状態」という。 伝統的には宗教、哲学、神学が死を扱ってきた。 近年では、死生学、法学、法医学、生物学等々も死に関係している。 死の後ろに様々な言葉をつなげ、様々なニュアンスを表現している。 例えば「死亡」「死去」「死没」などがある。 組織の滅亡や、そのものがもつ本来の機能が失われることも「死」と 表現することもある。 対義語は生(せい)、命(いのち)または誕生。   ◆ペットの病気、「安楽死」というタブーの真実 言葉自体タブーかもしれないが選択肢はある   2018/07/18 村田 らむ : ライター、漫画家、カメラマン、イラストレーター https://toyokeizai.net/articles/-/227783?page=3 沖山先生の印象では、治療においておカネのことを切り出すのが苦手なのは日本人特有な性質らしい。これは飼い主にも獣医にも言える。 「たとえば欧米人は、最初にちゃんとおカネの話をしますね。いくらまでなら治療する、それ以上なら治療しない、獣医と意見が合わなければ病院を替える、と非常にはっきりしている。 日本人もおカネのことは絶対に聞くべきだと思います。それは恥ずかしいことじゃないですから。2000~3000円で済む話じゃないですからね。���変な額のおカネがかかる場合も多いです。おカネのことを聞かずに治療をはじめて『いったいいくらかかるのだろう?』と考えること自体、すごいストレスですよ」 ペットが危篤な状態になっても、おカネを積めばある程度生かし続けることはできるという。もちろんかなり高額な治療費がかかる。   ◆お知らせ - 愛護動物(犬や猫など)は責任を持って飼育しましょう http://www.city.miyazu.kyoto.jp/www/info/detail.jsp?id=4239 2019/09/03 【猫について】 ■野良猫には、むやみにエサを与えないでください  不妊・去勢をしていない猫にエサを与えると子どもを生む機会が増え、生まれた子猫の餓死や交通事故死など更に不幸な猫を増やすことになります。また、残ったエサや糞尿で周辺環境を汚したり、エサ目当ての猫が増え、周囲の住民にも多大な迷惑をかけることになります。  エサを与えるなら、不妊・去勢手術を受けさ��、糞尿の後始末、食べ残しの片付けを行い、他人に迷惑をかけないよう責任のある行動をしてください。 ■動物を遺棄・殺傷することは犯罪です  猫が飼えないからといって、無責任に捨てないでください。動物の殺傷は2年以下の懲役または200万円以下の罰金、動物の遺棄は100万円以下の罰金を科せられる場合があります。  飼い主は最後まで愛情と責任を持って飼いましょう。
■猫はできるだけ室内で飼いましょう  猫を室内で飼うことで、交通事故や感染症、望まない妊娠などから守ることができます。また、猫による近所とのトラブルを未然に防ぐことにも繋がります。  また、屋外に出てしまったことを考えて、首輪への記名や名札の装着をしましょう。   ◆ペット生体店頭販売、「売れ残った」子たちが辿る残酷な末路。「引き取り専門」業者も https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191121-00206229-hbolz-soci 2019/11/21 市場規模が1兆5000億円を上回る、大規模な日本のペット産業。基盤となっているのが、子犬や子猫を扱うペットショップだが、その裏には「動物=商品」と見なす、残酷な現実が隠されている。 前回記事では、週に2回、生後間もない子犬や子猫を「新入荷」したペットの生体展示販売店の実態をお伝えしたが、今回は「賞味期限」が切れた犬や猫の末路について衝撃的な現実をリポートする。 不用となった動物は引き取り屋で「燃えるゴミ」として処分も “賞味期限”が切れたら処分する。それが生体展示販売ビジネスの現実だ。では“不用”になった動物はどうなるのか。   ◆嘘つきと馬鹿と後始末|鷹揚 銀|note https://note.com/heraribo/n/nd118b4d91e2f まず前提としてペットショップ廃止の署名をしてない時点で動物を守る気なんてない嘘つきかペットショップを知らない馬鹿なのは自明だ。 そして彼ら彼女らはその署名とやらでいろんなものを壊して、その後の後始末はどうするんだろう。   ◆愛するペットが死んだら「燃えるゴミ」なのか | 国内経済 | 東洋経済 ... https://toyokeizai.net/articles/-/204331 2018/01/17 街中を歩くと至るところで犬と散歩する人々と出会う。 一般社団法人ペットフード協会の調査では日本の犬の飼育頭数は987万8000頭、猫は984万7000頭で、合わせて1972万5000頭もいる(2016年調査)。少子高齢化や核家族化の進展もあり、ペットを家族の一員と思う人は確実に増えている。人間同様ペットも長寿になっており、同調査では犬の平均寿命は14.36歳、猫の平均寿命は15.04歳だという。 死は必ず訪れる。 そのときにどうするかは重要な課題だろう。また、捨て犬猫、野良犬猫のエサやりによる繁殖、多頭飼育も問題となっており、所有者不明あるいは所有者不在の犬猫も社会問題化しているため、死んだ場合の対応も課題だ。   ◆命 - Wikipedia http://bit.ly/yoc8yI 命(いのち) 多様で奥深い意味を持つ概念であり、生物の生きる力・期間、 生きていく大もとの外に現れる働きのもと。 「命」は2006年の「今年の漢字」に選ばれた。   ◆生 - Wikipedia     https://ja.wikipedia.org/wiki/生 生(せい、しょう、いのち) ・生命。即ち、生きる事や生きている状態、存在する状態。    対義語の死と対比する時によく用いられる。 ・生命の発生。例:誕生、生年月日など。 ・生命の活動。例:生態、生育、生活など。 ・生きている人間。例:先生、小生、生徒。 ・ものを作り出すこと。例:生産、生成。 ・仏教で四苦・十二因縁の一つ。生 (仏教)。 ・生存 ・部首の1つ、生部。 ・男子の遜った自称。   ◆生命 - Wikipedia http://bit.ly/ym41Rh 生命(せいめい、英: life、羅(ラテン語): vitaウィータ) 文脈によってさまざまな定義がある語であるが、基本的には 生きているものと死んでいるもの、あるいは物質と生物を 区別する特徴・属性などを指す語、あるいは抽象概念である。 伝統的に、生き物が生きた状態であるという状態そのものを生命と呼んだり、 生きた状態は目に見えない何かが宿っている状態であるとして、 その宿っているものを生命、命、魂などと呼んでおり、 現在でも広く日常的にそういう用法で使われている。 現代の生物学では、代謝に代表される、自己の維持、増殖、自己と外界との 隔離など、さまざまな現象の連続性をもって生命とする場合が多い。 ここでは様々な角度から生命を扱うことにし、伝統的な概念から、 現代生物学的な生命に関する概念や理論までを、ある程度歴史に 沿って追ってゆくことにする。 伝統的な理解については命、魂も参照のこと。   ◆霊魂(魂から転送)  https://ja.wikipedia.org/wiki/霊魂 霊魂(れいこん、英:SoulもしくはSpirit、ラテン語: anima、ギリシア語: Ψυχή) は、肉体とは別に精神的実体として存在すると考えられるもの。 肉体から離れたり、死後も存続することが可能と考えられている、 体とは別にそれだけで一つの実体をもつとされる、非物質的な存在のこと。 人間が生きている間はその体内にあって、生命や精神の原動力となっている存在、 人格的・非物質的な存在。 個人の肉体や精神をつかさどる人格的存在で、感覚による認識を超えた永遠の存在。   ◆代謝 - Wikipedia http://bit.ly/xikFVg 代謝(たいしゃ、metabolism) 生命の維持のために有機体が行う一連の化学反応のことである。 これらの経路によって有機体はその成長と生殖を可能にし、 その体系を維持している。 代謝は大きく異化 (catabolism) と同化 (anabolism) の2つに区分される。 異化は有機物質を分解することによってエネルギーを得る過程であり、 例えば細胞呼吸がある。 同化はこの逆で、エネルギーを使って有機物質を合成する過程であり、 例えばタンパク質と核酸の合成がある。   ◆異化 - Wikipedia http://bit.ly/xxJ6SG 異化(いか ロシア語: Остранение) 慣れ親しんだ日常的な事物を奇異で非日常的なものとして表現するための手法。 知覚の「自動化」を避けるためのものである。 ソ連の文学理論家であるヴィクトル・シクロフスキーによって概念化された。 これまでに「異常化」や「脱自動化」などの訳語が考えられてきた。   ◆同化 (生物学) - Wikipedia http://bit.ly/zB9yxA 同化(どうか、Anabolism) 小さな部品から分子を構成する代謝過程である。 これらの反応にはエネルギーが必要である。 代謝過程を分類する1つの方法として、 細胞、組織のレベルにおいて「同化作用」か「異化作用」かというのがある。 同化は、大きな分子を小さな部分に分解して細胞呼吸に用いる異化から 得られるエネルギーによって起こる。 このエネルギー供給は、多くの場合はアデノシン三リン酸を通じて起こる。 同化過程は、器官や組織を「組み立てる」方向に働く。 このような過程で細胞は成長、分化し、複雑な分子が構成され、個体は大きくなる。 同化の例としては、骨の成長や石化、筋肉量の増加等がある。 内分泌学者は伝統的にホルモンを同化と異化を促進するもので分類してきた。 古典的な同化ホルモンとしては、タンパク質合成を促進し、 筋肉の成長を促すアナボリックステロイドがある。 同化作用と異化作用のバランスは概日リズムによって調整されることもあり、 たとえばグルコース代謝などの過程は、日中の活動的な時間帯に最大になる。   ◆呼吸(こきゅう)〓 好気呼吸(こうきこきゅう)http://bit.ly/zGE5Mn 生物における呼吸(こきゅう)は、以下の2種類に分けられる。 1.細胞呼吸:細胞が最終電子受容体として酸素を用い、二酸化炭素 (CO2) を放出する異化代謝系。内呼吸ともいう。 2.外呼吸:多細胞生物体が外界から酸素を取り入れ、体内で消費して二酸化炭素 (CO2) を放出すること。 細胞呼吸については、広義には最終電子受容体として酸素を用いない『嫌気呼吸』もその意味合いに含まれるが、通例では呼吸とは酸素を用いる好気呼吸(こうきこきゅう)として用いる。   ◆嫌気呼吸(けんきこきゅう)http://bit.ly/ye50PU 最終電子受容体として酸素を用いない異化代謝系の総称である。 アルコール発酵など発酵過程の代謝はすべて嫌気呼吸といってよい。 ただし、好気呼吸に比べると極めて効率が悪く、生産するATPの量は格段に差がある。 また、狭義には解糖系のみを含む場合もあるが、微生物には多様な呼吸が 存在するため微生物学では上記の広範な定義が選択される場合が多い。 別名無気呼吸、嫌気的呼吸、無酸素呼吸など。   ◆微生物(びせいぶつ)http://bit.ly/xRRW5O 肉眼でその存在��判別できず、顕微鏡などによって観察できる程度以下の 大きさの生物を指す。 微生物を研究する学問分野を微生物学と言う。   ◆微生物学(びせいぶつがく、英語: microbiology)http://bit.ly/ygCGZX 微生物を対象とする生物学の一分野。 微生物とは(真正)細菌、古細菌、原生生物、真菌類など、 顕微鏡的大きさ以下の生物を指す。 しかし、微生物学という用語を用いられる場合、 主として原核生物(細菌、古細菌)をその対象とする場合が多い。 また、ウイルスをその対象に含める場合もある。 主に生化学的な解析を行う。 現在は地球科学的因子の一つとして微生物を含めた微生物生態学のような ラージスケールでの解析も行っている。   ◆概日リズム(がいじつリズム、英語: Circadian rhythmサーカディアン・リズム)http://bit.ly/y4gTJK 約24時間周期で変動する生理現象で、動物、植物、菌類、藻類など ほとんどの生物に存在している。 英名である circadian rhythm は、ラテン語の「約、概ね」を意味する circaと、「日」を意味する dies から名付けられた。 つまり「概(おおむ)ね一日」の意味である。 日、週、季節、年などの単位で経時的に変化する生物のリズムを研究する 学問を時間生物学という。 厳密な意味では、概日リズムは内在的に形成されるものであるが、 光や温度、食事など外界からの刺激によって修正される。   ◆時間生物学(じかんせいぶつがく、英:Chronobiology)http://bit.ly/zqvpZf 生物に内在する体内時計を研究する学問分野である。 太陽や月が作り出す一日、一年、潮汐などに適応する サーカリズム(circa-rhythm)を主な研究対象にする。 睡眠周期や、発生において数十分~数時間のリズムを刻む分節時計などの、 ウルトラディアンリズム(ultradian rhythm)も時間生物学に含まれる。 心拍や神経パルスような生命活動にも周期性が認められ、また寿命も生物の 持つ時計の一つであるが、これらは時間生物学ではほとんど扱われない。   ●生と死の格言1|世界傑作格言集 http://kakugen.aikotoba.jp/life&death.htm 死んでみたところでなんの役に立つのだろうか? まだ死ぬには早すぎる。せっかく自分のために生まれてきたものを全部自分のものにしもせずにあの世に旅立つなんて、果たして僕のすべきことだろうか。 by S・D・コレット   ●生と死の格言2|世界傑作格言集 http://kakugen.aikotoba.jp/life&death2.htm 話好きが暖炉に背を向けるように、人は死と背中合わせになっている。 byポール・ヴァレリー. ・もし本当に死の精髄を見たければ、生の実体に向けて心をいっぱいに開きなさい。 なぜなら、川と海が一体であるように、生と死は一体だからである。 byジブラン   ●生と死を考える会 http://www.seitosi.org/ 生と死を考える会は身近な人を失った悲しみを分かち合いだれにでも訪れる死を考え行動する開かれた場になる事を目指しています。   ●一般社団法人日本尊厳死協会 http://www.songenshi-kyokai.com/   ●◎ 性と死のホームページ ◎ http://www.mumyouan.com/   ●「誕生死」 http://angel-book.my.coocan.jp/ ~お空に逝った小さないのち~ 「誕生死」 とは 流産・死産・新生児死などを指し、 たとえおなかの中で亡くなったいのちでも、 出生後どんなに早く亡くなったいのちでも、 私たちの子どもは、確かにこの世に誕生したのだという思いを込めた、 この本のために新しく作られた造語です。   ●日本には過労死するほど仕事があり、自殺するほど仕事がない http://bit.ly/wfjd6n 「過労死、再発防止を」 企業名公開訴訟が結審 大阪地裁 大阪労働局が過去に過労死認定した企業名を開示しなかったのは不当として、「全国過労死を考える家族の会」代表、寺西笑(えみ)子(こ)さん(62)=京都市伏見区=が国に不開示処分の取り消しを求めた行政訴訟の最終口頭弁論が12日、大阪地裁(田中健治裁判長)であった。寺西さんが「公表されれば企業が猛省し、再発防止を尽くす第一歩になる」と意見陳述し、結審した。判決は11月10日。 寺西さんは平成21年3月、大阪労働局に対し、管轄する労働基準監督署が作成した過労死事案の資料にある企業名を明らかにするよう、情報公開請求した。請求したのは企業名のみで個人名を含んでいなかったが、大阪労働局は翌月、「個人を識別できる情報が含まれている」と判断して不開示を決定。寺西さんは、弁護士らでつくる「大阪過労死問題連絡会」の協力を求め、21年11月に提訴していた。 寺西さんは、15年前に飲食チェーンで店長を務めていた夫、彰さん=当時(49)=を過労自殺で亡くした。意見陳述では「過労死を出した企業の多くは労働基準法に違反しており、就職活動をする上でも企業名は重要な情報。公表することで社会に監視される仕組みが必要だ」と訴えた。   ●安楽死と尊厳ある死 http://bit.ly/wwuNCL このコンテンツは、随分前に作ったもので、今では改訂しなければならない部分を多々含んでいると思います。が、これまで多くの方に来ていただいておりましたので、削除するに忍びないところがあります。そこで、最低限の修正を加えて、新しいサイトにも当面 アップしておきます。修正が不十分で、現在の私の考えと微妙にずれる見解を含む可能性がありますことをお断りしておきます。20/sept/2007 内容インデックス    尊厳死と安楽死の概念と区分    積極的安楽死と消極的安楽死をめぐって    〈緩和死〉の導入と区分    安楽死が倫理的に正当化される条件    果たして安楽死が倫理的に正当化される場面があるか    安楽死とセデーション    無意味な生を理由とする安楽死の是非
生から死への軟着陸-延命と縮命の狭間 98年3月 緩和医療学会シンポジウム報告のスライド   ●死ぬ瞬間はこんな感じです。死ぬのはこんなに怖い 医者は本当のことは言いません  週刊現代 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/34347?page=3 光に包まれた世界が見える  このように死の一歩手前で踏みとどまり続ける人々がいれば、医師から死亡宣告された状態から生き延びた人もいる。  バイクで走行中、信号無視の車に突っ込まれて転倒し、対抗車にも轢かれた40代男性のAさんは脳挫傷と大腿部の複雑骨折を負った。 「最初に搬送された病院では手に負えず次の病院に向かう際、ふと意識が戻り、医者が家族に『もうあきらめてください』と言っている声が聞こえ、怯えました。手術室の照明は今でも覚えています。この灯りが見えなくなったらオレは死ぬと言い聞かせて目を見開き、術中は『麻酔をしてくれ』と叫び続けたつもりなのですが、実際には声は出ておらず目も閉じていたそうです。再び意識が戻ったのは事故から3日後、集中治療室でのことでした」.....3/5   ●幸福ゆえに自死を選ぶ『生き方』はアリですか?|大坪 誠 ... - note https://note.com/mkt66gs/n/n44b65abad506 2018/07/10 注)この記事では、「自死」(≒ 自殺)について触れます。 が、ネガティブなものではなく、あくまで「生き方」としての“ポジティブ”な自死です。 決して、積極的に自殺を推奨するものではありません。 自死という生き方 今からちょうど10年前、僕が中学2年生の時だったと思います。 当時の僕は、毎朝、朝食を食べてからその日の新聞をざっと読むという、 ちょっとオッサンみたいな習慣がありました。 普段は広告などほとんど見ることはないのですが、 その日、一面の最下段にある広告欄の中の、小さく簡素な本の広告がふと目に留まりました。 必然だったとは言いません。 本との出会いは、いつも偶然なのです。 その本は、『自死という生き方』という題名で��た。
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