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#箸蔵まつかん
tutai-k · 11 months
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たどり着かなかったおおくの未来たちへ
文フリ東京だった。 土曜日開催のイベントってなんだかんだ言いながらはじめてのような気がする……労働が土日祝休めなかったころはなんでイベントは平日にやらないんだろうと思っていたし、土日が休みだったころはイベントは土曜日にしてほしいと思っていたが、日月休みになると、イベントは日曜日がいいなと思ってしまう。日月は宿泊料金がやすい。
そんな自分本位な「この日がいいな」をわたしはいくつも持っている。
文フリ東京は、土曜日の朝に出発した。車内販売がなくなってしまって、でもまあ新幹線のホームとか購買にシンカンセンスゴイカタイアイス(シンカンセンモウカタクナイアイスだという噂だが)が売っているらしいから、それを食べようと思っていたが、朝、名古屋駅で見つけることはできなかった。 しょんぼりしながら新幹線に乗る。新幹線の中ではほとんど寝ていた。
東京駅・浜松町・流通センター。いつもの乗り換えで会場に向かう。来年の12月の文フリはビッグサイトでやるらしいから、この行程で向かうのはあと一回。
会場前に八束さんのスペースで不穏なフライヤーをもらう予定だったのでもらいに行ったら、八束さんがさいたま文学館で開催中の『澁澤龍彦の文学世界』のフライヤーも一緒にくれた。 ので、スペースが出入り口の真ん前だったこともあって、これはたくさんのひとに見てもらえるんじゃないか…!ということで、出口に向けて配置した。完璧である。
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そんな素敵な設営をして、開場。
遠方からきてくれたフォロワーさんに展示のフライヤーを見せ澁澤龍彦の話をし、「若い頃にわたしも全集読みました!」と言ってもらうなどしたり、痛覚の麻子さんにはえんえんと「この写真見てくださいやばくないですか?羽田に楯の会の制服を着て見送りに着た三島の帽子をかぶっておどけているときの写真でこれが二人が実際にあった最後になるんですよ……」と一生終わらないんじゃない勝手くらいの話をしつづけてしまったり、このフライヤーに気づいてくれた通行人のひと(「澁澤龍彦だ…!」という声が聞こえた)に「裏面も見てください!そしてよろしくお願いします!」とさっと差し出したり……。こんなに充実した文学フリマ東京は、2014年から参加していて初めてじゃないかと言うくらい充実していた。
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惜しむらくは、澁澤龍彦のフライヤーと一緒に不穏なフライヤーを挟んでいたにもかかわらず、だれも「澁澤龍彦と棄てに行ける家父長制があるんですか?」と聞いてくれなかったこと…。澁澤龍彦と棄てに行ける家父長制は果たして存在するのか……?
とまあ、こんな感じなのだが、そろそろ皆さんも不穏なフライヤーとは?と思っているところだろうと思うので、ご紹介致しますとこういうやつです。
「父親の死体を棄てに行く」アンソロジー。家父長制を棄てに行きたい方はどうぞ2024年5月の文学フリマ東京をお待ちください。
イベントが終わってからは、八束さんとヒマラヤ鍋を食べに行った。 お店の予約時間まで過ごしていたドトールで渋沢栄一の話になり、「ああ、向こうは傍家で、本家はうちなので」と話したら「いまうちって言いました?」と聞き返される。うちです。 ヒマラヤ鍋屋さんはめちゃくちゃすてきな楽隊(?)のお誕生日パレードがあったり、びっくりするような美味しい鍋を食べられたりと大満足だった。
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打ち上げを終えて、翌日のさいたま文学館に備えて埼玉に宿を取っていたので、移動をはじめたら電車がいきなり止まった! 電車の沿線で人身事故があったとのことで、近くのハブ駅みたいなところで電車を降ろされてしまう。こんなこと担ったのは初めてなのでびっくりしていると、とりあえず一時間くらいしたら電車は動くからね~とアナウンスが入り、事なきを得る。
都会ならではの体験だな…と思いながら、ホテルにたどり着いて泥のように寝た。
そしてさいたま文学館へ。
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張り切って出てきたら開館まえについてしまった…。図録を買って、老人クラブの展示があったので見せてもらったりして(ヤツガシラの俳句があってとてもよかった)、10時になる。
貸し切り状態……。
展示は、埼玉と澁澤の関係から始まっていて、浦和高校時代の写真(浦和高校同窓会が出しているものだった)があるのがとてもよかった。 限定本も展示がたくさんあり、原稿も、文学館が所蔵しているものが4、5点。 サド裁判のときに澁澤が三島に書き送った手紙に、争点が「わいせつか芸術かを超え、表現の自由/検閲への抵抗である」ことが書かれていることを指摘していたり、『高丘親王航海記』の原稿用紙、最初は「了」と書いてあったのを、推敲の段階で文字を自ら消したことを指摘していたり、「澁澤龍彦」という人物を表現との向き合いかたから見せているのが良いと思った。 面白かったのは三島の写真の使い方で、「血と薔薇」の「男の死」の三島の写真、あと、メインビジュアルが羽田に見送りにきた三島の帽子をかぶっておどける澁澤の写真だったからか、「楯の会の制服を着た三島由紀夫」の写真が展示してあったりした。
展示をひとしきり見た後は、図書室に今回の展示の関連本がまとめてあるとのことだったのでそれを身に。「作家のおやつ」「作家の食卓」といった本の紹介や、山﨑ナオコーラが文豪の墓参りにいく本に澁澤の項目があった。山﨑ナオコーラの澁澤へのまなざしにはわたしにもおぼえがある。よい本だった。そしてその本で、先月わたしが緑色のインコに夢中になっていた霊園に中島敦の墓があることを知った。敦、ごめんな……墓のことなんて全然知らなかったから、緑色のインコのことしか考えてなくて……。
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その後は文学館併設の「けやきカフェ」で澁澤龍彦コラボメニューをたべる。黒糖と胡桃のパンケーキ。澁澤が好きだった胡桃や黒糖のお菓子をイメージしてつくられていて、とてもよかった。 思い出したのは、今よりもっと貧乏だったころ、いろんなところでやっている澁澤の展示に行けなくて悔しい思いをしたことだった。いまこうしてたどり着くことができるようになったことを、なんだかとても、自分が、自分をなんとかしているように思えた。
パンケーキを食べ終えてから、「武蔵野うどん」に挑戦することにした。「伊勢うどんとは対極にあるうどんだ」という事前情報しかなかった。 桶川駅ちかくのお店はかなり人気店のようでたくさん人が並んでいて、お店に入れたのは並び始めてから一時間後くらいだった。 つけ麺(うどんのことをつけ麺というのか?)システムで、つけ汁とうどんは別々の皿に載っている。なるほどこういうやつなのか、となにも考えずにがっと箸でつかんで汁につけてすすりはじめたはいいが、うどん、めちゃくちゃかたいんですけど?!噛みちぎれない…やばい、全部すすって口の中に入れるしかない……と思ったが、これがまたすさまじく長くて……永遠にうどんがおわらない……。 こんなに硬くて長いうどんはじめてなんですけど?!おれたちは箸で持ち上げただけでへたしたらブツッといく伊勢うどんの民なんだということを再確認し、「これは風邪を引いたときに食べるうどんではなく、体力が有り余っているときに食べるうどんだな」と確信しました。きっと武蔵野のひとたちは、風邪をひいたときにはおかゆを食べるに違いない。(伊勢志摩の人間は風邪をひいたら伊勢うどんを食べます��
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二口目からは一本ずつ食べることで武蔵野うどんのおいしさを堪能し、また是非食べたい、顎の力を試したい、と思った。
武蔵野うどんを噛み砕くのに体力のほとんどを持って行かれて、疲れ果てたので、そのまま帰宅することに。 購買にシンカンセンスゴイカタイアイスを見つけたので購入し、席に着くと、隣のひともおなじシンカンセンスゴイカタイアイスを持っていた。しかもおなじチョコレート味。
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べつに示し合わせてはいないがふたり一緒に食べることになってしまい、こんなに好きなひとがいるのに、もうシンカンセンスゴイカタイアイスは車内販売されないんだな……と悲しくなる。 そして、乗車15分まえに買ったし、シンカンセンモウカタクナイアイスだった。
アイスを食べ終えてからは、記憶がない。気づいたら名古屋だった。
名古屋駅で、近鉄のホームに来たら、電車を待つ人は無秩序にホームにたたずんでいて、車両のドアとか何も気にしていなかったし、電車が着いても「先に並んでいたひと」という概念がないので、運良くドアの近くにいたひとから電車に乗りこんだ。東京とかから帰る途中、この近鉄のホームの無秩序さを目の当たりにすると、まだ名古屋から三重まで帰らないと行けないのに、「帰ってきたなあ」と思うのだった。
名古屋駅から最寄り駅までも、寝ていたのでほとんど記憶がない。
帰宅したら、夕食は焼きそばだった。焼きそばの麺は、どれだけ頬張っても簡単に噛みちぎれた。武蔵野うどんは硬かった。
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kennak · 19 days
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「あなたの家で覚醒剤が作られていました」 松山市の一軒家を所有する男性に警察からかかってきた電話。 この家で鼻炎薬から覚醒剤を製造したとして密造グループが検挙された。 密造人とされたのは台湾から来たひとりの男。 国内で流通する覚醒剤は海外からの密輸がほとんどとされる中、愛媛で起きた「密造」事件。 背景に潜む闇を取材した。 (松山放送局 記者 川原の乃・ディレクター 御巫清英 高橋英佑) 覚醒剤密造事件の衝撃 取材のきっかけは令和5年の夏。ある噂が記者の耳に入った。 愛媛県警が珍しい事件に着手している――。 「薬物の事件らしい」「台湾が絡んでいる」 関係者から聞こえてきた断片的な情報を並べてみてもピンとこない。取材を進めても全容がつかめない中、その答えは、検察の起訴状にあった。 松山市で覚醒剤100グラムあまりを製造していたとして、男女5人を起訴。 密造場所は山あいの一軒家。こんなところでなぜ?背景を探ろうと本格的な取材を始めた。 “あなたの家で覚醒剤が” 松山市の中心部から車で数十分。うっそうとした林道を進んだ先に、その一軒家はあった。中は静まりかえっていて、人が住んでいる様子はなかった。周辺には店舗や住宅もなく、人の気配はない。 取材を進めるうちに、この一軒家を所有する男性に話を聞くことができた。 男性によると、この家はかつて農作業の資材置き場として使われていた。 ことの発端は令和4年12月。職場に見知らぬ男が突然訪ねてきて「通勤用に家を貸してほしい」と頼みこんできたという。後に今回の事件で起訴された人物だった。捜査関係者によると、かつて松山市の暴力団に所属し、有名な覚醒剤の売人だったという。 不審に思った男性は追い返したが、男は毎日のように訪ねてきたという。男性は最終的に根負けして、1年契約でしぶしぶ貸すことにした。 それから半年がたった令和5年5月末。男性のもとに警察から突然、あの電話がかかってきたのだ。 「あなたの家で覚醒剤が作られていました」 一軒家に残された密造の痕跡 令和5年11月、事件後初めて室内に入るという所有者と一緒に内部に入った。すでに事件の証拠品は警察に押収された後だったが、潜伏生活の痕跡はあちこちに残されていた。 捜査関係者によると、メンバーの一部がこの家に住み込み、玄関脇の机がある部屋からキッチン周辺で密造が行われていたとみられている。玄関に放置されていたのは、割り箸やペットボトルのふたなどが入ったゴミ袋。 玄関脇の部屋の机の上には白い粉のようなものがこびりついたアルミホイル。和室の押し入れには薬品が入っていたとみられる段ボールが残されていた。 人目を避けて生活していたとみられる様子もうかがえた。窓のカーテンは閉めきられ、カーテンレールのない窓にはくぎを打ち付けて布を張る徹底ぶり。玄関先には、新たに防犯カメラが取り付けられていた。 ここで覚醒剤を密造していた人物の顔写真を見つけた。室内に放置されたスーツケースの中に台湾の運転免許証が入っていたのだ。 名前は「呉明修」。今回の事件で起訴されたメンバーの1人。私たちがこの人物をこの目で見ることになるのは、4か月後、場所は法廷だ。 裁判で見えてきた台湾側の指示役 ことし3月18日、呉被告は、松山地方裁判所で開かれた初公判にスエット姿で現れた。検察官が起訴状を読み上げると、通訳を介して「間違いありません」と罪を認めた。 法廷では検察官から耳慣れない人名が出てきた。 その名前は「ジロー」。 被告はこの人物に派遣されて、愛媛にやってきたのだという。 被告の証言によると、かつてドバイでカラオケボックスを経営していたとき、店の客から「日本に行ってくれる人を探している人物がいる」として「ジロー」を紹介されたという。 そして令和4年の秋、渡航を指示された。提示された報酬は2万台湾ドル(=日本円で約9万円)。当時無職だった被告は、これを引き受けることにしたという。向かったのは愛媛だった。 覚醒剤の密造という目的を知らされずに来日したと主張する呉被告。台湾にいるジローから、こう告げられたという。 ジロー 「そこでは覚醒剤を作っている」 「君の周りにいるのは裏社会の人間だ。帰らせるわけにはいかない」 こうして、半ば脅される形で密造に関わることになったと話した呉被告。十分な知識はなく、製造に必要な情報はインターネットで入手したと証言した。 今回の事件で原料として使われたのは、アレルギー性鼻炎の処方薬およそ20万錠だったことが裁判資料から分かっている。 検察は被告が錠剤にわずかに含まれる覚醒剤の原料成分を抽出するなどして製造したと主張した。 初公判から1週間後のことし3月25日、呉被告に判決が言い渡された。 懲役10年の求刑に対して、懲役7年の実刑判決。「台湾のマフィアと日本人グループが結託して密造した」とする検察の主張がおおむね認められた形だ。一方で裁判長は「なし崩し的に引き込まれ、脅されやむを得なかった面もあった」と情状も考慮した。 密造人としての呉被告と、台湾側から指示を出したとされる「ジロー」。事件と台湾とのつながりを探ろうと取材班は台湾に飛んだ。 台湾でも及ぶ捜査の手 愛媛で警察が強制捜査に乗り出したころ、台湾でも現地当局による捜査が水面下で進められていた。 私たちは当時のことを聞こうと、ことし6月、台湾刑事警察局を訪ねた。 台湾側は松山の密造事件を「愛媛事件」と呼び、日本側と情報共有しながら捜査したという。最大の関心は呉受刑者に指示を出していた人物の存在だった。 経歴や交友関係を捜査しても割り出せなかった。 「ジロー」とみられる人物 そうした中、台湾側はついに、日本の捜査で浮上していた台湾の人物「ジロー」にたどりつくことになる。 内偵捜査の結果、「ジロー」とみられる人物が密造に必要な薬品を日本に送付する姿を映像で捉えた。決定的な証拠だ。 台北市の近くにある住宅街。令和5年6月、下町の古びたアパートの1室に警察が踏み込み、愛媛の密造事件に関わった疑いで「ジロー」こと、蔵天宝容疑者を逮捕。その後起訴された。 室内からは複数のスマートフォンやタブレット端末が押収された。この部屋にこもって松山にいる呉受刑者に密造の指示を送っていたとみられている。 台湾の密造“ビジネス” 台湾刑事警察局 蘇宥穆さん 捜査に当たった台湾刑事警察局の捜査員は「台湾の指示役が日本に密造の指導をするという事件は初めてだ」と振り返る。 ただ、覚醒剤が密造されたこと自体には驚いた様子を見せなかった。覚醒剤密造は台湾ではごくありふれた事件だという。令和5年には8か所の密造拠点が摘発され、大量の覚醒剤が押収されている。いわば台湾は覚醒剤の“一大産地”なのだ。 なぜ、台湾では密造が横行しているのか? 台湾の裏社会に詳しく、かつてみずからも覚醒剤の密造に関わったことがあるという人物を取材すると、台湾特有の事情があることが分かった。 その人物が教えてくれたことばがこちら。 (どくしふ) 毒(違法薬物)の師匠という意味で、覚醒剤の密造技術に長けた人のことを指すという。 40年ほど前に現れたひとりの密造者の技術を受け継ぎ、質の高い覚醒剤を作る人物がこう呼ばれるのだという。 彼らは台湾の裏社会から依頼され、原料や場所の提供を受けながら、わずかな人数で覚醒剤を密造する。そのノウハウは多大な利益を生み出すものになっていると話す。 台湾メディア「報導者」 李雪莉編集長 台湾で取材する中で、密造の舞台として日本が狙われたことは偶然ではないと話す人がいた。薬物問題に詳しい台湾メディアのジャーナリストたちだ。 指摘したのは、日本の末端の密売価格。高値で取り引きされる日本に覚醒剤を持ち込むことができれば、より大きな利益を得ることができるため、世界中の犯罪グループが日本市場を狙っているという。 覚醒剤の脅威はすぐそばに 台湾から密造人を呼び寄せ、愛媛の人里離れた一軒家で覚醒剤の密造を試みたとされる今回の事件。 薬物事件に詳しい専門家は密造の背景に日本の厳しい水際対策があるのではないかと指摘する。 元麻薬取締官 瀬戸晴海さん 「台湾にとって日本は大きなマーケットですが、密輸対策を���々強化しています。ですから日本の組織と台湾の組織が結託して、試���的に技術を日本に持って行って密造すればリスクも少なく、大きな利益が上げられると考えたのではないでしょうか」 そのうえで愛媛に限らず人口減少が進む地方では、空き家などが新たな犯罪インフラとして悪用されるケースが増えるのではないかと話した。 元麻薬取締官 瀬戸晴海さん 「覚醒剤の密造は悪臭や毒ガスが発生したり、火災が起きたりして、危険なうえ周辺にも影響が及びます。ですから今回の事件のように密造者は人目のつかない中山間地域に拠点を求めます。過疎化が進む日本では各地で空き家が増えていて、こうした事件が全国各地で起きてもおかしくありません」 (7月17日「おはよう日本」で放送)
山あいの一軒家で覚醒剤密造~日本に忍び寄る闇 | NHK | WEB特集 | 事件
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asagaquru · 2 years
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モグラ酒蔵
案内された卓の後ろで8人ぐらいの客が大声で騒いでいる。恋人に「カウンター行く?」と聞かれ、別にここでもいいよ〜と返したが、店員に「そこの空いているカウンターいけますか?」と聞いていた。こういう時、店側に打診するんだ、と彼の知らない面を知る。改めてカウンターに案内してくれたのは、マスクを顎に引っ掛けて、サングラスと髭面にキャップを被ったいわゆる“怖い人”な店員だった。気の利いた接客できませんけどいいっすかと聞かれて少々驚く。すぐさま嫌な客ですけどいいですか〜?とにっこりしてみせる。嫌な客で良いと言ってくれたのでカウンターに陣取るとする。店内は提灯がぶら下がっていて、壁には「肝臓のスキマ埋めます」だとか「ナンパするなら男は奢りで(全額)」とか張り紙が貼ってある。250円だからとハイボールにすると、プラカップに入って出てきた。「ごはんもいいですか〜」と声かけると「いいよ」と言われて、さっきの切り返しが上手く奏功しているのかわからないが、店員と客と言えどもお互い適当に、気張らずにやるというスタイルは好きだ。じゃあ〜と一拍置いて、塩麹ザンギ、かすべのほっぺ、明太オムレツ、酒盗ポテトサラダを頼む。これも屋台で出てくるような白いプラ容器で出てくる。いつも一杯目でコスパよくほろ酔えるのに全然回らなくてビールにする。一杯目はビールでないと上手く酔えないみたいだ。恋人と仕事の話だとか友人の話をしながら、酒も箸も勧める。わたしの太腿の上で手を繋いでいるのに気づいて、可愛いやつだな〜と思う。日本酒飲み比べを頼むと髭面の店員が、女性らしいの持ってきやした〜とピンクの可愛いラベルの酒瓶を3つ持ってきてくれる。どれも純米吟醸、フレッシュで美味しい。水を頼むと2リットルペットボトルと紙コップを渡される。まだまだ食べられそうなので、チャンジャクリームチーズ、燻製サバとガリ、ちんちんポテトを追加する。頼む時に「ポテトください」と言ってみたけれど、日和っていると思われるのも癪だったので続けて「ちんちんポテト」と言ってみる。追加オーダーを待つ間「これってなんでちんちんって言うの」と恋人に聞いたら、カウンター内から店員が話しかけてくる。「それ、レンジでチンするだけのチンポテトっていうのが昔にあって」「え、でもそれってちんちんって言わせたいだけですよね」「はい、それもあるっすね」なんだそれ。腹も満たされ、会計をする。「ありがとうございました〜、じゃあね〜」って友達か。「うん、じゃあね〜、おやすみ〜」「おやすみ〜また明日ね〜」「はーい、また明日〜」と2軒目へ向かう。すすきのでは、知らない人とでもよくおやすみを言い合うなと思った。
家を出た時には切った爪の切れ端みたいに細い月が浮かんでいたのに、すすきののビル群の中では見つけられない。カラハナというビアバーに行こうとしてたが、途中ガラス張りの店内でジャズやっているのを見かける。恋人が「札幌で1番有名なサックス奏者だ」と言うので、予定変更。更ける夜と徒然なるままに。
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tanakadntt · 1 year
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旧東隊の小説(二次創作)
刺身蕎麦クッキー
三輪秀次の好物は、ざる蕎麦、刺身、クッキーである。
一、刺身
ドアがあくと、まずプンと磯臭い空気が部屋に入ってきた。ここは東隊の作戦室で、三輪は同隊隊員である。
「大漁だぞー」
ついで入ってきたのは、発泡スチロールの箱を抱えた隊長の東春秋である。機嫌がいい。私服である。本日、東隊は任務のないシフトであったが、学校のあと、隊員は作戦室に集まっていた。仕事のためではない。
「おかえりなさい」
現地で購入したとおぼしき白い箱の中身は釣った魚だ。手持ちのクーラーボックスに入りきらなかったらしい。肩に下げているクーラーボックスだってかなり大きいのに、発泡スチロールの箱はさらに大きかった。重そうだ。三輪は発泡スチロールのほうを受け取った。ずっしりとしていて、よろける。氷がゴロゴロ動く音がした。
「床を濡らさないでください」
二宮匡貴が用意しておいたブルーシートを指す。
「気が利くな」
ニコニコしながら、東がクーラーボックスを肩から下ろす。三輪を手伝ってやりながら、二宮は黙って頷いた。
「東さん、長靴と道具は?」
「まだ車の中だな」
「後で取りに行きましょ。ほっとくと忘れちゃうわ」
加古望がキッチンから顔を出した。
ペリペリとビニールテープを剥がして、蓋を開ける。
のぞき込むと
「…大きい魚」
「鯛だな」
氷水の中に魚の王様が埋まっている。
東が器用にさばいていく脇で三人の隊員も忙しい。キッチンが臭くなるのは嫌と、加古はあらかじめ新聞紙をシンクに敷いていた。
「内臓はここに入れてね」
新聞紙で作った箱は暇なときに皆が折ってストックしてある。
タッパーや折を用意していくのは三輪の役目だ。紙袋にもポン、ポンと保冷剤を入れていく。
「秀次は手際がいいな」
「俺が教えました」
「あら、私が教えたのよ」
「今日、本部にいるのは誰かな? いつものことで悪いが、
手分けして、配りに行ってくれ」
「二宮、了解」
「加古、了解」
「了解です」
テンポよく言えずに、三輪は口の中でつぶやいた。
「ねえねえ、東さん、海鮮しゃぶしゃぶにしてみない?」
加古はカレイを見ながら提案する。
「新鮮なんだから、刺身だろう」
二宮が言い返す。二人はいつもこんな調子だ。
本日は、東隊長の釣ってきた魚を堪能する会なのだ。作戦室では飲酒禁止なので、ビールを飲みたい東の希望もあって、このあと本部内の彼の持っている居住スペースにお邪魔させてもらっての開催である。
「鍋があるからできるが、それなら最後はうどんで締めたいなあ」
「売店で売ってるんじゃないかしら」
東は包丁の手を止めてそうだなあと言いながら、チョイチョイと手招きして三輪を呼んだ。
「はい」
てっきり、うどんを買ってくるよう言われると思っていた三輪に東は、
「味見」
鯛の切れ端をヒョイと三輪の口の中にいれた。
「どうだ」
「おいしいです」
白身魚が甘いのを三輪はここにきて初めて知った。
ニ、クッキー
「暑いわね」
盆である。
この時期、食堂が休みなのだ。若者はコンビニに行き、偉い人は仕出し弁当を頼む。
今日の東隊長は上層部に呼ばれて会議に出席中である。これはよくあることで、片手間で隊長をやってるのではないかと思うほど忙しい人なのだ。今頃、上層部と高級弁当を食べていることだろう。
時刻は午後一時である。
「お腹が空いたわね」
先程から、加古は暑いとお腹が空いたしか言わないと気がついて、三輪は少しおかしかった。二宮はまだ到着していない。要領のよい彼のことなので、どこかで食事をしてからやってくるのだろう。
「コンビニで買ってきます」
三輪は立ち上がった。本部の中にも最近コンビニができたのだ。
「今日はコンビニのご飯って気分じゃないのよねえ」
と、加古は顎に長い指を当てた。二宮がいたなら、わがままだとののしったに違いないが、三輪はあまり気にならない。
「外へも買いに行きますよ」
どのみち三輪も何か腹に入れないといけない。
「本部の外は暑いわよ」
「そうだけど」
最近、加古に対しては敬語がすっぽ抜けるときがある。年上とか年下だとかそういうのを突き抜けたところが加古にあるからだ。
加古は天井に視線を送って、しばし考えたあと、
「どっかにクッキーがあったはず」
ぽんと手を叩いて、立ち上がった。
「東さんがもらってきてた」
「え! あれ? 」
あれは確かお中元でもらった高級クッキーだった。お中元をもらう大学生もどうかと思うが、東はよく頂きものをする。ご相伴にありつくのは隊員の役得だ。
しかし、いいとこのクッキーを昼飯代わりとは。
棚をゴソゴソとあさって、すぐに加古はクッキーの四角い缶を見つけてきた。目星をつけていたらしい。
「これこれ」
遠慮なくカパッとあけると、ほとんど手つかずの高級焼き菓子が現れる。
「三輪くん、冷蔵庫から飲み物持ってきて。私、アイスティー」
三輪は麦茶にした。
「お前らばっかり何食ってんだ」
案の定、程なくして現れた二宮は呆れた声を出した。
「太るぞ」
「三輪くんはもうちょっと太ったほうがいいわ」
「お前だ、加古」
「ご飯代わりだもの。それにこれから、動くから問題ないわ」
「トリオン体じゃあ関係ないだろう」
そう言いつつも、二宮もクッキーに手を伸ばす。
「二宮先輩、何飲みますか?」
「牛乳」
結局、三人でバリボリ食べて、缶のクッキーはすっかりなくなってしまった。
「内緒ね」
「証拠隠滅だな」
三輪くんの方で捨てておいてねと空の缶を持たされた。三輪が本部に住んでいるからだ。
なんとなく捨てそびれて、東隊が解散して、それぞれが別の隊を持つようになった今でも、その缶は三輪の部屋にある。
三、ざる蕎麦
「なんだ、引っ越したばかりなのか」
東隊が結成されたばかりの頃の話だ。
なんの用事だったか。多分、東からの言伝てがあったのに三輪へのメールが既読にもならないし、電話にも出ない。
二宮、すまない。俺、手が離せないから、伝えるついでに様子をちょっと見てきてやってくれ、そのまま帰っていいから。
隊長にそう頼まれたら、二宮も嫌とは言えない。もう、夜と言っても差し支えない時間だった。加古は既に帰宅している。
東に聞いた区画で三輪の部屋を見つけ、何度か呼び鈴を鳴らして、ようやくドアはあいた。
単身者用らしく、玄関から見渡せるほどの部屋だ。
およそ、生活感というものがない部屋だった。
中はガランとしていて、薄い蒲団が敷いてある他は、ダンボール箱がひとつおいてあるだけだ。入り口すぐに見えるキッチンも使っている形跡がない。
だから、二宮は引っ越してきたばかりかと聞いたのだ。三輪は焦点の合わない目をして、否とも応とも言わなかった。
出会ってまもないが、三輪には時々そういう不安定な状態に陥るときがある。何もかもが億劫になるらしく、食べることも眠ることもしなくなる。反応も鈍い。
この街には、この街独特の事情によって、そういう人間は割と存在し、容認されている。だから、二宮もそれほど奇異には思わない。あの日あのとき、『あちら側』だったんだなと思うだけだ。
それでも淡々と任務をこなす姿は評価するが、面倒な後輩であることにはかわりなかった。
東からの用件を伝え、確認をとったらもう二宮の任務は終わりだ。
しかし、
「夕飯は食ったのか?」
「ああ、はい、いえ」
返事は要領は得ないが、おそらく食べていない。
(昼も食べてなかったな)
「夕飯、食うぞ」
「……え?」
やはり反応が鈍い。二宮はイラッとしたが、今の三輪相手に何か言う気はしない。
三輪を連れて、食堂に行こうとする。
が、二宮はふと気が変わった。
「鍋あるか?」
「ないです」
「皿は?」
「ないです」
「コップは?」
「ないです」
二宮がため息をつくと、すみませんと三輪が謝った。徐々に意識が浮上してきたようだ。
「あの、二宮先輩、食堂で」
「いや、待ってろ」
三十分後、調理道具一式を調達してきた二宮は再び三輪の部屋に現れたのだった。
「蕎麦を茹でるぞ」
「…蕎麦ですか?」
その頃には、三輪もうつ状態になっているどころではない。二宮のペースに乗っかりもできず、さりとて落ちることもできない。
「あの、なんで、蕎麦」
「引っ越ししたら引っ越し蕎麦だろう」
引っ越しのことを考えたら、最初に思いついたのが蕎麦だった。新居で食べるのにふさわしい。
「あちこちから、借りてきたからな。明日、返しに行くぞ」
本格的な塗りの四角いセイロまである。三輪はおっかなびっくり持ち上げて、意味なく裏をのぞき込んだ。
その間に、二宮は鍋を沸かし、乾蕎麦を放り込んでいる。
「七分、計ってくれ」
「了解です。料理されるんですね」
「麺を茹でるくらい料理に入らんと思うぞ」
菜箸で、麺を動かしながら、二宮はこともなげに言った。
「三輪も食堂の飯ばっか食ってないで、蕎麦くらい茹でろ」
「はい」
思いの外、大量に茹で上がった蕎麦をセイロに山のように盛って、二人ですすった。箸もなくて割り箸だった。
もうここに一年ほど住んでいますと言えずに三輪は黙って、蕎麦を食べた。
この日にようやく三輪の引っ越しが終わったといえるかもしれない。
終わり
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hachikenyakaiwai · 5 days
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【かいわいの時】昭和八年(1933)9月16日:天王寺南門超願寺にて「上方怪談会」開催(上方郷土研究会)
天王寺南門を一丁南へ行くと西側にある古刹超願寺は人も知る竹本義太夫の墓があるので著名、秋の日脚は短く暮れた宵闇に寺門にボンヤリ燈った目標は上方怪談會と記した白張提灯、門を入って玄関まで怪異の掛行燈を連ね、受付では真面目な署名を乞ふたがその脇の土塔茶屋では一吹と腰を掛けると、經木に詩歌を乞ひ、茶の香りに氷水を末期の水となぞらへて出すので、皆が冷いやりする。奥の書院では仝寺秘蔵の応挙筆の幽靈像を佛間型にした裡に凄然と祀り、本床には英一蝶筆の百鬼夜行の横大幅、展觀として本會所秘蔵の幽霊、妖怪、變化の錦繪を座一杯に繰展げて置いた。續々の來會者で本堂は忽ち満員、この調子では幽霊の方がをぢけがつく。午後七時半挨拶に始り、序論の形で京都より態々来阪の江馬文學士が「文學に現れたる幽霊」を風俗専問の立場から真面目に諧謔を交へて講話され、次で茨木の日垣明貫の息章道氏は父君の材料を携へて事實談を上手に順序よく物語られた。尚三四氏の申込みがあったが、時間の都合で中止し、中入として蓮の葉に包んだ白蒸の飯に奈良漬、苧殻*の箸を添へたのを配った。この中に日垣氏が當夜寄贈せられた半切に仝氏が書かれた大入道の繪を抽籤することにし、赤紙を一枚入れて置いたところ、来會者の木村喜行氏(新町吉田屋)が引當てられた。さてこれ等の興味で時刻は九時過ぎになったので、當夜の呼物である三遊亭志ん藏氏立つことになり、前提として同氏体験の事實談「血風呂」の話を得意の話術にて一席、シンミリと聽かせて、先ず聽衆に凄味を興へ、さて獨特の幽霊扮装に移る。簡單に青隈で顏としたのを見せて置いて、暗轉で、お岩の幽霊、どろどろーー合方もないが、照明役の手際によって陰火点滅すると凄気堂に漲る。一同やあれ恐はやーーで退場閉会す。當夜お土産として蝋燭で見るお化け繪に超願寺寄贈の繪はかき一組と、松竹より無縁墓供養として寄贈のお岩に因んで「岩おこし」を贈った(南木生)。「三十八回上方行事上方怪談會記」『郷土研究上方 第三十四号』 (昭和八年十月一日発行)より。 *苧殻(読み)おがら アサ(タイマ)を古くは〈苧(お)〉と呼んだが,皮をはいだ茎は苧殻(麻幹)(おがら)と呼び,お盆の迎え火,送り火をたくのに用い,供物に添える苧殻ばし(箸)とする。種子は苧実(おのみ)すなわち麻実で,薬味として使い,七味唐辛子に入れられている。世界大百科事典 第2版
(写真)上方郷土研究会「三十八回上方行事予告 上方怪談会」。『郷土研究上方 第三十三号』より。
日時   昭和八年九月十六日午後正六時開催 場所   天王寺南門(義太夫の墓のある)超願寺(千日前発掘の無縁墓あり) 展観   応挙の幽霊(超願寺蔵)及幽霊、妖怪、変化錦絵二百点陳列 開会順序 六時より会員有志の実話談に移り、九時余興、十時閉会 扮装実演 幽霊になるまで 三遊亭しん蔵*氏 会費   五十銭(粗供養記念品呈上) (『郷土研究上方 上方怪談号(三十三号)』1933掲載)
*三遊亭志ん蔵(1887-1964) 怪談話『お岩の幽霊』を得意とし「幽霊志ん蔵」と呼ばれる。戦後は上方で数少ない明治から継承されていた古い怪談噺を演じる落語家として重宝される(ウィキペディア)。
*会費50銭は現在価値で約2500円(中入り軽食・岩おこしの御土産付き)。1930年から1931年にかけての大恐慌(昭和恐慌)で、昭和はじめの日本経済は深刻なデフレに陥っていました。当時の1円を現在価値に換算することは容易ではありません。目安として明治初期と昭和10年の大工の手間賃で比べると、0.5円(1870)=2円(1935)=17000円(現在)*。これより、1円(1935)≒8500円(現在)。デフレの影響で昭和10年ごろの1円の価値はかなり高かったようですが、しかし、当時ガスビル食堂の1円ランチが、行列ができるほど人気があったことを考えると、現在の「感覚」からすれば、1円=5000円ぐらいとするのが適当ではないでしょうか。同じ頃に浜松市のデパート跡で開催された「警察博覧会」(遠州新聞社主催)の会費(入場料)が大人15銭、現在価値にして約750円。妥当な範囲だと思われます。*明治初めの1円=0.125石=34000円(現在)で換算。
[註]「応挙の幽霊像」(他には「英一蝶筆の百鬼夜行の横大幅」)がリストアップされていますが、残念ながら、いずれも現存していないようです。ほんまやったら、重要文化財。「もう少し寝かせておきとうございます」
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yoshkawa · 3 months
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【IT】ネットは電話線、電話は同軸ケーブルで接続という風変わりな家
【この記事のポイント】 ・リフォーム後の家に戻ってネットと電話の接続で一苦労、普通とは異なる接続経路なので、外す時に図面を書いておくべきだったなと反省 リフォームが終わり、自宅に戻ってきてからはドタバタの日々。 まぁこういうイベントがあると、必ずそうなるものですね。 引っ越した初日土曜日は、武蔵小山から持ち帰った荷物と残していった段ボールとが全ての部屋に散在。 箸も皿も見つからず、夕食は買ってきた弁当で済ましてと、あとは寝る場所を確保するのが精一杯でした。 そんななか、家の電気通信担当の私には重要な仕事、そう、テレビとネットを使えるようにしなければならないんです。 まずテレビは簡単なもので、同軸ケーブルをHDDレコーダー経由でテレビに繋げればいいだけ。 大きな家具を動かしたりするのが手間ではあるものの、力仕事は息子に手伝ってもらいながらサクサクっと完了です。 さて、次はネットにと… …
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whiteroom7 · 3 months
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皇居三の丸尚蔵館にて、第四期の展示を観る。この一連の展示は、第一期が昨年末に始まり、これが最終期となる。妻は第一期から見ていたが、私は今回が初めての鑑賞となる。
日比谷通りを歩いてきて、行幸通りで東京駅を望む。うかつにも、この時には気が付かなかったが、木造20階建てに建て替えられる東京海上日動ビルは、既に解体されているようだった。レンガ色が特徴的なビルだった。新しいビルのデザインも特徴的で、周囲とはまた違った印象になるだろうか。こちらも楽しみだ。以前とはまた違った意味で、注目されるだろう。
ここから、三の丸尚蔵館へ向かう。
事前に聞いてはいたが、三の丸尚蔵館の展示会場は2間で一般的な美術館や博物館と比較すると相当狭い。歩くだけなら、数分デイ終わってしまいそうな広さだ。しかし、展示作品の密度は高い。
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展示はいずれもどこかで、あるいは何かで見たことがあるよねという作品で、国宝とそれに準じる貴重な作品ばかりだ。今回の展示作品はいずれも近代の作品で、保存状態は極めて良好。日常的に使用されていたとは考えづらく、実際に使用された場面は、限られていたかもしれない。美術、芸術といった面と、高度な技術とこだわりを持つ職人による工芸品的な側面もある。スコープで見ると、細かなところまで、実に綺麗に仕上げられている。
このような作品展でいつも実感するのは、写真ではなく実物のサイズ感・スケール感である。屏風など、ある程度そのサイズ感を想像できる場合もあるが、実際に見ると、その存在感に圧倒される。写真で見ることとは大きな違いがある。
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三の丸尚蔵館を後にし外苑を歩き、楠公レストハウスにてランチを食す。その前に、楠木正成像を拝む。
味は薄味で量も私にとっては適切。皇族方が毎日このような食事をしているとも思えないが、そんな気分を感じさせてくれる。高貴というより、シンプルで上品。一般的には、味が濃いと美味しく感じるが、そうしたところが全くない。器も含めて、ひさしぶるに良い外食体験ができた。菊の紋が刻まれた箸は、400円で持ち帰りできる。この箸を含めて1,200円なり。十分に満足できる内容だった。
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ここのところ、低価格で知られる人気のファミレスに行ってみたが、立て続けに失望感を味わった。これを客に食べさせるのか、そんなレベルだった。最近はファミレスの劣化が激しいのではないか。コスト上昇を価格に転嫁できず、質が低下しているのかもしれない。2店のうちの一つは、かつて友達があるシステムを担当していて、印象は悪くなかった。「レンチン」は想定内としても、コンビ弁当を温めた程度の内容で、パスタに至っては、コンビニの方がはるかに美味しいし量もある。牛丼チェーン店や冷凍食品にすら劣る内容だ。接客や食器も含めて、外食産業にもUXという考え方が必要になってきているのではないか。人生も終盤に差し掛かり、外食するのであれば、普段とは違った体験をしたいものだ。
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tabemonokai · 4 months
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mainichioishii · 4 months
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kennak · 1 year
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アラフィフ独身のおっさんです。2DKに住んでて、ダイニングキッチン、リビング、寝室の構成。①食事三食自炊。ごはんは週末に1升ちょいまとめて炊いて冷凍。豚汁を4日に1回作って4食冷蔵庫に保存。朝食はごはん、豚汁、のり、生卵、昆布の佃煮、ヨーグルト、冷凍の果物とほぼレンチンで終わる。卵が卵焼きに変わったりウインナーに変わったりする。朝食は時間が読めたほうがいいのでバリエーションいらないと思う。昼食はお弁当。ウインナー系主菜、作りおき中華、チルド惣菜、果物の4品に冷凍のごはん解凍したやつ。朝食と合わせて20分くらいで準備。レンジフル稼働。夕食は麻婆豆腐とかすぐできるおかず一品にごはん��チルド惣菜と果物。面倒なら副菜はきんぴらごぼうとかかぼちゃの煮付けとかのチルドを積極的に使おう。②掃除拭き掃除のロボット掃除機をローテで寝室、リビング、ダイニングキッチン、廊下と部屋を変えて4日周期で毎朝散歩の時間に回す。取り切れないので日曜日の朝にバキュームの掃除機を端っこにかける。4日周期で回しても毎回クイックルワイパーのシートが黒くなる位は取れるので侮るべからず。家具は全部ロボットが通りやすいように下15cm空いてる。あと床に物を置かない。これは徹底してる。トイレは床とペーパーホルダーと便座の裏だけ週1(日曜の朝)それ以外は月1。脱衣所とトイレはロボット使えないので掃除機かける日曜日の朝にやる。タオルは使わず手ピカジェル置いている。トイレクリックルはすぐ乾いちゃうのでトイレットペーパーをシャワートイレ用の厚手のやつにして便座除菌用アルコールプッシュして代用する派。風呂は使ってない。ジムで入る。ジムの定休日は夏でも入らない。拭くだけ。1人に風呂掃除はコスパ悪すぎる。掃除は半年に一度、使ったとき。ベランダは3ヶ月に1回、玄関は月1。③洗濯週2。乾燥までやる。汗かいたウェアを3日放置するので除菌用漂白剤使用。洗濯機の拭き掃除は月1。シャンドレは鏡があるので毎週末。終わったら必ず畳んでしまう。布団は週末晴れたら干す。雨なら諦める。スノコベッドは干すのにも使えて便利。布団は毎日押し入れに入れる。④食器洗い食器は食洗機使ってたけどやめた。結構食器は使う方なので調理器具入れて15から18アイテムあるけど、洗ってすすいでカゴに入れるまでほぼ毎回3分。そこから洗面所に行って3分歯を磨いた後に全部拭いて片付けるまでで計10分ジャストくらいなのでコーヒーメーカーでコーヒー入れてる間にちょうど終わる。歯磨きした直後にコーヒー飲むのも微妙だけど全部終わった状態で飲むコーヒーはホッとする。食器を拭く布巾はネピアの厚手のキッチンペーパーで、1日使い切った後に水曜と土曜はガスレンジ、残りの日は日替わりで決まってる場所を拭いて捨てる。食器棚とか冷蔵庫とかテレビとか。月に一回だけど結構汚れつく。第1月曜日はここ、第2火曜日はここといった場所決めをやってしまってticktickというリマインダーと周期イベントに強いTODOアプリで管理してる。⑤在庫管理冷蔵庫、食品の棚卸しは野菜室が週1、それ以外は隔週。これをやると捨てる食材がほぼなくなる。全部管理したりしない。早く食べなきゃいけない食材のリストと買い物リスト作るのが目的。両方とも「listonic」というアプリ使ってるけどこれは何使ってもいいと思う。冷凍室にためてしまっても優先的に使えば一週間以内で食べ切れる。食材ではないが歯ブラシやスポンジなんかの交換も日決めておくと確実。食材以外の在庫、特に薬箱の中は写真で管理する方がいいので「マイくら」がおすすめ。⑥家計管理マネーフォワード一択。現金使うのやめよう。毎朝起きたら更新かけて仕訳する。1分で終わるし夜中に新着はいることが多いので朝1に1回やれば十分。毎日少しずつ拭いて回して清潔を保ってるけど1人でもこのレベルなら仕事と両立は可能。でも専業じゃないなら家事は一人で抱えるべきじゃない。拭き掃除や棚卸しなんかはやってもらう方がいい。仕事と比べれば屁みたいな量だけど、ちゃんとやったらそれなりにあるのでルーティーンにして慣れてしまうのが一番良い。まずは「仕事いく前にはこれをする」、「これをやるまで寝ない」チェックリストをちゃんと作っておいて印刷しておくところからやると体は1ヶ月で慣れるし、掃除しないといらつくようになる。ticktickは1日10円しないし、これで1ヶ月の掃除ローテ作って共有で手分けがいいと思う。掃除場所のリストアップは結構時間かかるけどやる価値はある。文句だけ言ってやらないのが一番悪い。追記無言ブクマ多くてうれしい。ブコメの方は独身差別多いけど、まあそういうとこだし星の総数知れてるしどうでもいいです。意外だったのが「食器洗い3分」のブコメに結構星がついてるところで、正直これ切り上げ(要は2分台)で書いてて、「遅っそ」ってバカにするのは想定してたけど速いというのはかなり意外。こんなのやり方みんな同じだろうし、食洗機使ってた時期が長いので上手い人からしてみたらかなり遅いはず。さっき計ってみたんだけど、15点(箸は2本で1点、プラ容器は蓋と容器で2点。洗う単位でカウント)で2分32秒。拭きながら洗い残しは見たけどなかった。むしろ食洗機のほうが洗残しは多い印象なんだけどな。A4の1.5倍くらいの桶に水が張ってあって、そこに食器が入って数分立ってる状態でキッチンタイマー計測開始。普通みんなそうすると思う。桶はシンクの左端、その左のシンク外側にカゴ。サイズはA3くらい。スポンジに洗剤だしてグーパーして泡立てるここまでで5秒。そこから、左手で一点ずつアイテム取り出してスポンジで洗ってそのままシンクの床に置く。これ全部やって1分05秒で通過。そこから全部桶に戻す。ここで水を跳ねない程度で出し始めて、桶から1個1個出しながら濯いでそのままカゴへ。これ全部やって桶の水を捨てて手を洗って水道止めて手を拭いてタイマー・ストップ。2分32秒。速さに効くとこだと包丁、まな板を朝使わないのと飯釜洗わないくらいかな。それ以外は普通のやり方してるし決して手際がいいわけではないので、今日は少しだけ急いだけど普段から3分は切って何十回も測ってるやつだから堅いと思う。自己評価は普通かやや遅くらい。スターの総数見ててもどっちかと言うと少数派かもしれない。
アラフィフ独身のおっさんです。 2DKに住んでて、ダイニングキッチン、リビ..
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bakinginstruction · 4 months
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lilillll · 6 months
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tanakadntt · 1 year
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三輪隊の小説(二次創作)
三輪隊で、たこパなんてどうだろう?
「たこ焼きを食べよう」
という話になったのは、三輪隊といえば焼肉、三輪隊といえばたけのこの里、三輪隊といえばコーヒー、三輪隊といえばカレーを食べたあとのお冷、である同隊にしては非常に珍しいことなのだが、いつも焼肉を遠慮する(おそらく苦手)月見蓮が珍しく興味を示したからである。
三輪隊オペレーター月見蓮は高嶺の花とも称される美しい令嬢ではあるが、同隊においてはクールな指導者で、かつマイペースな年長者だった。
皆に好みを合わせてまで一緒に食事はしない。以前、ハンバーガーを食べたことがないと聞いたことがある。飲食を伴うフランクな交流は作戦室のお茶の間まで。要は線引きがきっちりできている。
その月見がたこ焼きについて興味を持ったのだ。
元々は何の話だったか。場所はいつものお茶の間だった。
「お祭りの屋台で見たのよ」
出店は、チョコバナナにベビーカステラ、りんご飴と甘いものが多いが、たこ焼きのソースの香りと丸い見た目が印象に残っているという。
焼きそばは食べたことがあるというが、高級中華の色がついてないやつだと察せられた。
「そうなんですか? じゃあ、一緒にたこ焼き食べましょうよ?」
同隊狙撃手の古寺章平がそう誘ったのは軽い気持ちだった。買ってくればいい。チンでもテイクアウトでも、お茶の間で食べられる。今は十一月、日に日に寒さが増してくる季節だが、来年の夏になればお祭りに誘ってもいい。未成年者が多いこともあり、ボーダーにおける隊の結成期間はだいたい半年から一年と短いが、古寺には、この三輪隊が来年の夏までも、いやもっとずっと続くように思えた。
「ありがとう」
月見は微笑み、次のお茶菓子は菓子ではないけどたこ焼きだな、飲み物は何が合うだろうと考えていたところ、同隊攻撃手の米屋陽介がうなずいた。
「章平、いいこと言うじゃん。どうする? たこ焼きプレート、うちにはないぜ」
「え?」
「うちにある」
同隊狙撃手の奈良坂透が応じる。
「ええ?」
「奈良坂の家からじゃあ、ちょっと遠くねえ?」
「章平と運ぶ」
「えええ?」
古寺の驚きなどお構い無しに会話が進む。同隊隊長の三輪秀次は、そうかと言って腕組みをした。
「奈良坂、ガスか? 電気か?」
「電気だ」
「ていうか、作戦室でそういうのやっちゃっていいの?」
「加古さんだって、炒飯作ってるんだ。使ってもいいと思うが…」
三輪が顎に拳をあてて天井を仰いだ。
「…狭い」
ここで、ようやく古寺は口を挟んだ。
「作っちゃうんですか?」
「え?」
先輩三人は、意外なことを言われたような顔をして一斉に古寺を見た。顔の圧がすごい。
助けを求めて月見を見るが、抜群の指揮能力を持つ才媛もたこ焼きに関する知識がないので、頭の上にはてなマークを浮かべて、にこにこしている。
「作んないの?」
米屋が代表して無邪気に聞いた。
古寺はぐるりと狭い部屋を見渡した。狭いと言っても、作戦室のお茶の間よりはずっと広い。
(ここが三輪先輩の部屋)
たこ焼きパーティーの会場は本部住まいの三輪の部屋となった。
(シンプルだ)
予想通りというべきか。若くして人生から様々なものを削ぎ落としているひとつ歳上の隊長の私室は作戦室より更にすっきりしていた。仮設住宅住まいの古寺の部屋は二人の弟と一緒だ。漫画とトレカとゲームとランドセル、あと何だろう。様々なものが散らばる雑多な部屋とは大違いだ。
八畳程の広さのフローリングにソファと机、丸椅子ひとつ。それだけだ。どこで寝ているのか? 真ん中に折りたたみのローテーブルがある。みんなでおじゃましたあと、部屋の主である三輪がクローゼットから出してきたから、おそらく常日頃は仕舞われている。
その上に、
「四十個も焼くの?」
おっかなびっくりプレートをセットした月見がくぼみの数を数えている。
「四十個じゃ足りないですよ」
奈良坂がコードをセットしながら言う。米屋が家から持ってきた大きなボウルを取り出している。
「章平ん家、たこ焼き焼かねーの」
月見と一緒にたこ焼きの調理家電を覗き込んでいる古寺に米屋が聞いた。
「そもそも、うちにないですね」
両親は共働きだし、収納の少ない仮設住宅の台所で母親はなるべく物を増やさないようにしている。だから、こんな巨大なものが同じく仮設住宅の奈良坂の家にあったのは驚きだ。料理好きのお姉さんとお母さんがいるせいだろうか。
「あ、奈良坂、チョコを入れるつもりなわけ?」
「定番だろう」
各々手分けして買ってきた買い物袋を整理しながら米屋と奈良坂が会話している。
「オレもチーズとカニカマ買ってきた」
「生地を作るのはそっちの部屋でやってくれ」
台所から三輪が顔を出す。
「あ、おれは何をしましょうか」
古寺も立ち上がった。
「月見さんは机周りで進行状況の確認、奈良坂と米屋は具材のセットと生地作り、古寺は材料を切ってくれ」
「了解よ」
「わかった」
「オッケー」
的確に指示を出す隊長に古寺が声をかける。
「三輪先輩、慣れてますね」
「前にいた隊ではこういうことがたまにあった」
旧東隊のことだ。現東隊の奥寺と小荒井もそうなのだが、最初の狙撃手、東春秋を隊長とする東隊に所属していた事に古寺は憧れを感じる。
「よく作ってたんですか」
「いや、たこ焼きは初めてだ」
広いとは言えない台所で、まな板を古寺に渡しながら三輪は答える。
「でも、チームメンバーだから任務と同じに考えればいいかと思った」
「そうですか…」
古寺は不覚にもじんときた。不器用、と背中に大きく書いてあるような先輩に成長を感じる。
ネギを切って、蛸を切って、カニカマを切って。一心に切っていると目の前に花があるのに気づいた。
小さな花瓶に小さな花が無造作に挿してある。十七歳男子の台所にしては違和感があった。この後、テーブルに飾るには、既にたこ焼きプレートが占拠している。
「秀次、水と泡立て器だってさ」
そのとき、計量カップとボウルを持って米屋がキッチンにやってきた。
「泡立て器はないから箸でやってくれ」
三輪が言われた分量をしかめっ面できっちり測っているのを横目に米屋が花に向かって片手をあげた。
「お邪魔してまーす」
「先輩、何をしているんですか?」
古寺の疑問を受けて代わりに三輪が答える。
「ああ、陽介は姉さんに挨拶したんだ」
「お姉さん…ですか?」
四年前の近界民侵攻で、三輪は姉を目の前で亡くしたことは知っている。
しかし、目の前には花が一輪、写真も何も無い。
「前は写真立てがあったんだが、濡れるからしまったんだ」
なんでもないように古寺に説明する。しかし、それは本末転倒である。写真が本体ではないのか。
「台所にあるのは水が汲みやすいからなんだってさ」
米屋は付け加える。
「秀次って大雑把なとこあるよな」
三輪はムッとした。
「こういうのは気持ちだ」
さらに米屋が混ぜっ返そうと口を開けたとき、ピンポンとインターホンが鳴った。モニターを見る。
「弾バカだ」
A級一位太刀川隊の天才シューター出水公平である。彼は三輪と米屋の通う第一高等学校の同級生でもある。彼も参加することはあらかじめ聞いていた。
しかし、
「なんで太刀川さんまで」
一緒にモニターをのぞいた三輪はあからさまに嫌な顔をする。隊長はこのボーダー一位のアタッカーが苦手なのだ。
『餅を持ってきたぞ』
モニターの向こうでレジ袋を振っている。
「ごめんなさい。太刀川くん、私が話したから、羨ましかったのね」
月見が奥の椅子から立ち上がってやってくる。月見と太刀川が幼なじみの関係であることを三輪隊の誰もが失念していた。
「どうする? 三輪くん」
暗に追い返してもいいと提案するオペレーターに三輪はため息をついた。
「材料も持ってきたみたいですし、いいですよ」
「あんた、たこ焼きに入れるってわかってて、なんで、でかいまま持ってくるんだ」
「これしか、売ってねえもん。それにチンすりゃいいだろうと思ったんだ」
「レンジなんてない」
「普通、あるだろ。おまえ、弁当温めないのか?」
「コンビニで温めてもらうから必要ない」
「や、ちゃんと切りますから大丈夫ですから!」
古寺は隊長二人に挟まれて泣きそうである。古寺が餅を細かく切るのに苦労しているのを見た太刀川が俺がそういうの得意と言い出し、三輪があんたがやったらまな板も切れると断って、太刀川が反論して今に至る。
「太刀川さぁん、そろそろ焼きますよぉ」
出水が助け舟を出す。
「おう」
太刀川がのっそりとキッチンを出ていって、古寺はほっとした。
「俺が切っておくから古寺も行ってこい」
三輪に促される。
「先輩はいいんですか?」
「…俺は疲れたから休んでる」
冷蔵庫から買い出しのジュースをひとつ取り出して栓を開けた。
早速チョコを入れようとする奈良坂を抑えて、最初の四十個は全て蛸である。正統派だ。このあともチョコを始めとして、様々な材料が控えている。ネギと天かすを上から振る。たこ焼き用のピックは人数分買ったので全員が持っている。
最初の一口はもちろん月見へ。三輪もペットボトルを持ったまま、キッチンから眺めている。
大騒ぎを伴って作成されたそれはパラリと青のりが振られ、かつお節が踊っている。
月見は品よく口に運んだ後、熱さに苦戦しながらひとつを食べ終わり、
「とても美味しいわ」
と、頬に手を添え微笑んだ。
(終わり)
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kkrnyyugni · 8 months
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2024/01/19
ブレックファストセット食べるために朝から酒田に歩いて行った。食べてマック出てからきついほど寒いことと右膝が痛むことに順次気づいた。帰り遭難したりしそうと冗談めかして思った。耳かきも割り箸もかった。変身も買った。1630ころにマクドナルドを出た。田んぼで白鳥の群れを近くで見た。帰る途中で真っ暗になった。膝に痛みを感じながらなんとか足を棒にしつつ1830ころ帰宅した。往復で24-25キロ歩いたらしい。蔵に荷物置いた。2階に登ったら襖が閉まってて違和感があり、障子を治されててまた入られたことを確信した。LINEで母に言ったらまた無理な庇い方をしていた。父親のラインをブロック解除して(ブロックしたことを忘れていた)何か言ってやろうと思ったけど何も思いつかなかったからまたそのままブロックした。涙がポロポロでたけど左手で顔の上半分を押さえたのは視覚からの情報を遮断してそう情報量を減らして落ち着こうとしたからだった。耳が詰まる感じと、吐き気のような、食道がしまってせりあげる感覚がした。あと震えた。震えたのは寒さだったのか心因性だったのかわからない。電気毛布をとりあえず被った。イヤホンでホワイトノイズをきくと少し落ち着いたけど、電池が切れそうだったから充電に切り替えた。今はくらに荷物を取りに行くために寝ないようにしてる。
階段降りる時膝が痛くて手すりにぶらさがりながらおりた。
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akitakuronekoya · 9 months
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【東京出店】2023年12月山の楽市(1日目)
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始まりました!山の楽市1日目!
本日はあいにくのお天気の中、沢山のお客様のご来場誠にありがとうございました!
秋田黒猫屋は、新米「ゆめおばこ」「あきたこまち」「たつこもち」、ばばの特製「お漬物各種(いぶり漬け、なすのふかし漬け、きざみ味噌漬け等)」を販売中!
きりたんぽ、比内地鶏スープ、稲庭うどん、もろこし、じゅんさい、とんぶり等、秋田名物も沢山ご用意しております。
そして今回参加できなかったお店さんの商品もお預かりして販売中。(「安藤醤油」さんのお醤油・お味噌・寒こうじ・しろだし等)
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↑今日の秋田黒猫屋ブースはこんな感じ。
いつも秋田黒猫屋が出店しているヤフーショッピングでご注文くださったり、毎年山の楽市へ来てくださるお客様と今年もお会いすることができ、ご挨拶することができ、秋田黒猫屋一同感謝感激がひとしおでございました!ご来店いただきまして誠にありがとうございます!これからもよい「んめもの」をお届けするべく、がんばってまいります!
先日放送された「世界ネコ歩き・秋田編」に登場したにゃむくまを「観たよ~!」と言ってくださるお客様もいらっしゃって、ますます感謝感激!
↓今回の山の楽市でご用意した「んめもの」はこちら!
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↑俺の黒猫米(あきたこまち・ゆめおばこ・たつこもち)
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↑大人気すぎて売り切れ注意!ばば特製のお漬物(こがね漬け・いぶり漬け・いぶり醤油漬け・きざみ味噌漬け・みずこぶ醤油漬け・かぶ甘酢漬け・なすのふかし漬け)
★350円のお漬物は、組み合わせ自由よりどり3個で1000円ちょうどで販売中!お得やで~!
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↑ばば特製焼きゆべし。
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↑天然山菜(水煮わらび・塩蔵わらび・塩こごみ・山うど水煮・感乾燥ぜんまい)、きのこ水煮
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↑秋田名物!新米のきりたんぽ、比内地鶏のお鍋スープ
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↑新商品!田沢湖産大豆「リュウホウ」の猫ちゃんのお豆&煎り豆、ばばの揚げほしもち
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↑青唐辛子味噌・ばっけ味噌(ふきのとう味噌)、比内地鶏だし飯の素、じゅんさい
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↑安藤醸造さんのしろだし・あまだれ・家伝醤油・つぶみそ・寒こうじ・旨辛寒こうじ
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↑稲庭古来堂の稲庭うどん各種!
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↑大人気!もろこし
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↑ばば畑で採れた白あずき・小豆かぼちゃ
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↑箸で持ち上げられるほど粘りが強い山の芋!(食べ方:お醤油仕立て・お味噌仕立て)
などなど、秋田・田沢湖のんめものをこれでもかとお持ちしております!みなさまのご来場を、山の楽市メンバー一同お待ちしております♪
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thedevilsteardrop · 10 months
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恋人が食生活を心配してごはんを作りに来てくれる話
大好きだった彼女が死んだ。以来、私の口はまたしても味を感じることをやめてしまっている。
 私の実家は共働きだったが、母だけが料理をしていた。母は非常にこだわりが強く、家族の誰も自分の管理するキッチンへ入れたがらなかった。そして週に一度だけ、大きな鍋に野菜も肉もぶつ切りに切って入れ、魚で出汁をとった熱湯で煮込んだ。それをタッパーに小分けして冷蔵庫へ入れており、家族はそれを随時加熱して食していた。いついかなる時であろうと、残すことも吐き戻すことも許されなかった。それが幼少の私にとっての料理だったし、食事だった。
 食が苦でしかなかった私の感じ方を変えてくれたのが彼女、ナコだった。薬剤とウィダーに頼った私の食生活を心配して、難の多い私でも食せる料理を工夫して作ってくれて。ナコの料理は、呼吸しやすい香りに、飲み込みやすい食感 目にも楽しい彩り。私が食べれるように工夫して、気遣ってくれる。
 だんだんと抵抗感が薄れ、物心ついてほとんど初めて、おいしい、と味を感じた時の衝撃は、忘れられない。
 私が「おいしい」という度に「ありがとう」って、目を細めて潤ませる、ナコの笑顔が大好きだった。
 そんな彼女が死んで以来、私の口はまたしても味を感じることをやめてしまっている。
 …テーブルに食べかけの粥を置く。
 食が苦痛だ。
 ナコは私が一人暮らしの自宅でも自力で食事ができるよう、料理を教えてくれていた。だから、今の私は料理ができる。彼女が教えてくれた、彼女の料理。でも、それでも、食事は苦痛になった。ナコの料理なのに、味が感じられないと そのことも、悲しみに拍車をかけた。
 ナコに会いたい。
 会社からの帰り道、私は空腹を抱えて でも何も食べる気になれず、気づくとナコの住んでいたマンションに向かっていた。
 まだあと一月ほど、彼女の部屋は引き払われてないはずだった。葬式でナコのご家族が話していた。それが事実なら、合鍵を持っている私は、彼女の部屋に入れる。
 そんなことをしたら 余計に苦しくなる予感もした。ナコの名残があるだろう、ナコの部屋。何度も泊めてもらったこともある部屋だ。愛し合ったこともある。二人で過ごして 一緒に食事をした部屋だ。
 一度居てしまえば いつまでも帰りを待ってしまうかも。
 ドアを開けた。
「おかえり」と 彼女がいつものように、笑顔で振り返った。
「…」  え。
 …ナコは 手に菜箸を持っていて、髪は後ろで束ねていた。  綺麗な黒髪  腕まくりした袖から 細い腕が伸びて 鍋の蓋を取る。
「もうすぐできるよ」
 夢じゃない。  明るい室内、水滴の散ったシンク 火のついたコンロ 換気扇の唸る音と、焦げる時のジューという音 ほのかに熱を含んだ空気 …彼女の笑顔。
「… いい におい」
 私が呟くと、彼女は嬉しそうに微笑んだ。「君のお口に合うといいな」
 テーブルに料理が並べられた。このところずっとサボっていた私の胃にも優しそうな 白だしのお粥と、卵焼き。
「いただきます」
 お粥には柔らかく煮られた鶏肉と、細かい水菜と大根が入ってた。  おいしくて、いつかの時のように私は泣いた。
 翌日、彼女は居なくて 食器も整然と片付いており  やはり夢だったのかと気落ちして会社へ出たものの、  その日 もう一度部屋に帰ってみると また笑顔の彼女に会うことができた。
 それから毎日彼女の家から会社に行って 会社から彼女の家に帰った。
 日を追うごとに少しずつ料理は凝ったものになっていき、量も増え、私は以前彼女と過ごした時のようにしっかりと食事が摂れるようになった。  この生活はまるで、私と生前の彼女とが望んでいたことが叶ったようでもあった。「いつか一緒に暮らしたいね」って  毎日一緒に、ご飯を食べようね、って…
 でも きっと、彼女とこうして過ごせるのは、あの部屋が取り上げられてしまうまでのひと月程度しかない…。
 そう気付いた私は、その日から1ヶ月間、まとめて有給を申請した。通らなくても、欠勤してしまおうと思っていた。たとえクビになったとしても、この瞬間は今しかないんだ、あの部屋で過ごせる限られた時間を、どうしても彼女と居たかった。  さいわい有給の申請は、通った。
 約一月後のこと。  木本凪湖の部屋で遺体が発見された。
 死因は栄養失調からの餓死。まるで食事中のように食器を並べて、ダイニングテーブルについた姿勢で亡くなっていたという。
 故人の同僚は、彼女が恋人を亡くしたストレスで味覚障害を患っており、満足に食事を摂れなかったのではないかと供述した。
『よもつへぐい』
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