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ばちかぶり ライブチラシ, 1980s
(via ばちかぶりの自虐? 和製ファンクは白人黒人にゃ敵・わ・な・い)
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The staff at the pachinko parlor, in a panel from Ebisu Yoshikazu's comic "Fuck Off," which appears in the 1981 collection The Pits of Hell (available from Breakdown Press).
#Ebisu Yoshikazu#The Pits of Hell#1981#Breakdown Press#Ryan Holmberg#Seirindo#Garo#復活版 地獄に堕ちた教師ども#蛭子能収#Fuck Off#1975: A brave and beautiful family in recessionary and sickly Japan#Yoshikazu Ebisu
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お茶と説教-無関心の道徳的価値をめぐって 岩松了 而立書房 カバー・イラスト=蛭子能収、カバー・デザイン=大石一雄
#お茶と説教-無関心の道徳的価値をめぐって#お茶と説教#ryo iwamatsu#岩松了#yoshikazu ebisu#蛭子能収#大石一雄#anamon#古本屋あなもん#あなもん#book cover
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再生リスト 「タモリ倶楽部」
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✍ひとりぼっちを笑うな/蛭子能収
何でも正直にあけすけと言ってしまうのは大人としてどうなのか相手の事を考えていないのではないかと思うけど、そこを(みんなの考えや思ったことは違って良いのにどうして言ってはいけないの?)という信念の持ち主が蛭子さん。私もひとりぼっちは大好き。何をしようかどこへ行こうか考えるだけでワクワクする。でもそれは周りに見守ってくれている人たちがいるからなんだな。感謝。孤独にしないでくれてありがとう。
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Xユーザーのザオラルさん✨🌈さん:「NHKの番組。賭け麻雀で昔捕まってたはずの蛭子能収さんが、認知症でその麻雀のことすら忘れてしまっていたのが衝撃だった。」
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根本敬 presents 蛭子能収「最後の展覧会」 - 今後の展覧会 | AKIO NAGASAWA
"蛭⼦能収といえば、世間⼀般の認識としてはテレビタレントにいたおかしな⼈ですが、私にとっては前衛的な漫画やイラストを描く「ガロ」の実に偉⼤な先輩です。
その蛭⼦さんが2014年に認知症の初期段階とTV番組の企画で診断されました。たしかにその頃から物忘れは著しく、画⼒も微妙な感じになってきてはいました。従来の⼿抜きとは違い、線が思わぬ⽅向へ変化しているのです。
その頃⾃⾝の描いたイラストを指して「⼩学⽣みたいな絵やね」と⾃嘲する様に⾔いました。
しかし、蛭⼦さんと私が師とあおぐ湯村輝彦(aka テリージョンソン)さんが「⼩学⽣みたいに⾒えても絶対におじさんにしか描けない絵」と前向きに評したのでした。
6年後の2020年、皆さんもご存じの通り蛭⼦さんは「レビー⼩体型認知症とアルツハイマー型認知症の合併症」である旨を公表しました。
その際に放った「(これからは)認知症のオレを笑って下さい」という⾔葉に偽りはなく、オレは今まで通りバリバリ仕事をするからこれからも宜しく頼みますという意思表明だったと思います。
しかし、現実はそうは⾏かず、認知症を公表したタレントの仕事はみるみる減り、漫画家としての描いたり、もしくは書いたりといった仕事も激減し今や限りなくゼロに等しいのです。
このまま蛭⼦さんをフェイドアウトさせてはならない、絵を描くことからスタートした蛭⼦さんを最後は絵=芸術家として飾って貰えたらと考える⼈達が少なからずいて、この度の展覧会は企画されました。
約1年と少し前の話です。
そして準備も整い今年の春から絵を描き出しました。
とはいえ、この展覧会へ向けてキャンバスに向かう頃には症状は進み、かつて⾃らの⼝から出た「⼩学⽣みたいな絵」は「幼児みたいな絵」になっていました。
しかし、件(くだん)の湯村さんの⾔葉に倣えば「幼児みたいに⾒えても絶対におじさんにしか描けない」、より具体的⾔えば「幼児みたいな絵に⾒えても75歳、認知症の蛭⼦能収にしか描けない絵」なのです。
どの絵も「⽣きる」ということが本質的に内包する儚さを突きつけてくるのですが、それでいて幸せな気持ちにもなってしまうのは企画した私達だけでしょうか。
− 根本 敬(特殊漫画家)"
https://www.akionagasawa.com/jp/exhibition/the-last-exhibition/#:~:text=%E8%9B%AD%E2%BC%A6%E8%83%BD%E5%8F%8E%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%88%E3%81%B0,%E6%A0%B9%E6%9C%AC%E2%80%80%E6%95%AC%EF%BC%88%E7%89%B9%E6%AE%8A%E6%BC%AB%E7%94%BB%E5%AE%B6%EF%BC%89
https://www.akionagasawa.com/jp/exhibition/the-last-exhibition/#:~:text=%E8%9B%AD%E2%BC%A6%E8%83%BD%E5%8F%8E%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%88%E3%81%B0,%E6%A0%B9%E6%9C%AC%E2%80%80%E6%95%AC%EF%BC%88%E7%89%B9%E6%AE%8A%E6%BC%AB%E7%94%BB%E5%AE%B6%EF%BC%89
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2024年6月1日土曜日
病院の待合室にて19
くちずさむ歌はなんだい?思い出すことはなんだい?(1)
「5/18(土)の午後か5/19(日)って空いてますか?徳島行ったら会えるなら安倍さんに会いたいです!」
「Tです」
Tくんからショートメールが来たのは4月の19日だった。彼と最後に会ったのは2018年に挙げられた彼の結婚式だったから、もう6年振りになる。その間一回だけ私が酔っ払って電話をかけたことがあるのだけど、連絡を取ったのはそれだけ。だから「Tです」とだけ書いてある2通目のショートメールが来たのは、こちらが電話番号を電話帳から消したりしていた場合に「誰だろう…」となるのを予め防ぐための措置だと思うのだが、私はあんまり電話帳をいじったりしないから、大抵、相手が誰かわかっているのである(と言いつつもこないだ前職の会社の人間の電話番号をあらかた消してしまった。理由は、私の兄貴が前職の会社ないしは会社の人間に電話をかけようとしたためです。兄貴というのは私の別人格ではないかと思っているなにかの、便宜上の名前です)。
「空いてるよー 会おうね」
という、私には珍しく窓を全部開け放った日本家屋くらい風通しのよい返事をして、私たちは会うことになった。5月の18日に会って、19日に別れる。18日は私が空港に迎えに行き、移動はそのまま私の軽自動車を使用する。ドライブしたり観光したりして、夜は徳島の歓楽街、栄町とか秋田町とかで飲むので、2人ともビジネスホテルに泊まる。帰りは私が空港まで送る。計画は以上である。前日になってもお互い「明日よろしくね」みたいなメールはしなかった。だって私たちが中学生の時は携帯電話なんて無かったんですよ。そんなもの無くても会えていたし、来なかった時は、なんか会えなかったな、マルサン寄って帰るか、くらいのことにしていたのである。まあでも、前日に軽い挨拶くらいはした方がいいのかもしれない。2人とも今年で40知っとるけのけだし。親しき中にも礼儀みたいなことで。まあいくら後悔したところで、しなかった事実は揺るがないけどさ。
無事に5月18日は訪れたようだったので、私は軽自動車を飛ばして、「踊る阿呆に飛ぶ阿呆、同じ阿呆なら飛びながら踊らにゃ損々、ってそれだと意味変わってきちゃうね」で��馴染みの徳島阿波おどり空港にやって来た。空港に入ると、彼が乗ってくるであろう10時55分着の便が、到着の掲示板に「順調だからたぶん時間通りに着くよ」みたいな情報と共に載っていたのだが、「福岡発」となっている。てっきり東京から来ると思っていたのだけど、それに対しては特になす術もないのでベンチで待っていた。すると中学生の頃から、全く変わっていないシルエットが、全く変わっていない動きと共に現れ、あのいわく言い難い独特な調子でこちらに手を振りながら走ってくるではないか。これはTくんに違いない。T氏来徳である。手には明太せんべいという福岡っぽさと味の間違いなさの最大公約数みたいなお菓子の紙袋を持っており、こちらに渡してくる。「ありがとう!よく来てくれたね!福岡から来たの?」と尋ねると、会社の出張で福岡に行っており、仕事が終わって福岡の親戚の家に泊まり、ついでに徳島に寄ったという。地理にお詳しい皆さんはなんとなくお気づきかも知れませんが、福岡→徳島→東京はあんまついで感のない行程である。しかしそれに気づかなかったことにより再会を果たせたので、本当に良かった。挨拶もそこそこに私の黄色いオンボロ軽四に乗ってもらって、当てもなく出発した。
徳島空港は、住所的には徳島市ではあるものの、その北の端の松茂という場所にあって、そこは私の前職の高知在住の先輩に言わせれば「もうほとんど鳴門」である。だから『くるくる鳴門』に行くことにした。道の駅の。近かったから。めっちゃ混んでた。車が順番に並んで待っているのを見るとさすがに焦る。しばらく並んで警備員の誘導に従って車を停め、中に入り外に出て、車に乗った。めっ混み。やめました。徳島ラーメン食べようね。鳴門病院という名前の、「鳴門になかったら嘘だろそんなのTDLだろ」と言うほかない病院のそばに、『三八』という、気合の入った漫才コンビの全国ツアーのタイトルみたいなラーメン屋があるのを私は知っていたので、そこに行った。
そのラーメン屋に入る頃にはもう、私たちは音楽の話をしていたと思う。私もTくんもかつて音楽をやっていた。人前でライブをしたりしていた。もう12年くらい前のことである。そもそも私とTくんは、静岡県は沼津市という街に住んでいた中学生の頃にバンドを組んでいた。それが高校2年生くらいの時に自然消滅してしまって、Tくんは自分のバンドを組んで音楽をやっていくようになった。私のほうはひとりでやっていこうとして曲を書いたりしていた。ふたりとも進��を表面上の理由にして上京したり。もう遥か昔のことである。私とTくんはバンドを組んだぐらいの頃からほとんど、音楽とそれにまつわる諸々の話しかしたことがない。だから…だから?だからなのかはわからないけど、すぐに音楽の話になってしまう。この日もそうだった。最近何聞いてるの?という話になってしまった。恐ろしい。何年も会っていなくても昨日まで一緒にいたみたいに話ができる友達、そんな凡庸極まりなくて、それでいてかけがえの無い友達がいたんだ、私にも。知らなかった。
Tくんがラーメンに続いてあまりにもスムーズに瓶ビールを注文したのを聞いて私は大笑いしてしまった。ずるい。運転しないからって。コップは二ついりますか?とか聞かないでいいから店員さん。Tくんのお父さんは車を運転する時にあろうことか缶ビールをドリンクホルダーに装填するようなドリーミーな人間だったけど、私は違うから。最近のTくんはSpotifyで音楽を聞いているようだった。まず聞きたい曲を聞いて、その後はSpotifyがこれも好きなはずだ!と次々に掛けてくれる曲を聞いているらしい。好きじゃない曲は(厳密にいうと好きじゃないミュージシャンは)飛ばすという。あまりにも12年前の続きだったせいか、何を話したのかあんまり覚えてないのだけど、この辺で我々はサニーデイサービスを褒め称えたと思う。サニーデイは素晴らしい。サニーデイのライブ見たい。今のサニーデイのライブ見たいよね。我々にそのように思わせてくれるサニーデイよ、ありがとう。三八を出た後セブンイレブンに行ったのだけど、Tくんはせっかくだからとコンビニのコーヒーを買っていた。かわいいやつめ。
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この時点でまだ12時10分くらいである。やばい。中学生くらい時間ある。あの頃と違って油断すると飲み屋に入店しそうなので次の場所に行かなくてはならない。鳴門…鳴門鳴門…競艇場だ!
と思って行きました。初めて行った。入場料100円取られるの知らなかった。食堂に蛭子能収さんのイラスト付きのサイン色紙が飾ってあったのを、Tくんが見つけてくれた。最近…リニューアルした…のかな?内装がものすごく綺麗だった。でもいい感じにヨレヨレのおっさんがいっぱい座っており、生きた阿波弁がたくさん飛び交っている。Tくん聞こえるか。これが阿波弁だ。ようこそ徳島へ!
一応賭けてみることになった。Tくんはギャンブルはしないらしい。私はT���んを待つ間に空港から一番近いパチ屋で4500円分の景品を取ったんだけど、あれはギャンブルじゃないから…2人ともギャンブル初心者だね!破産しないようにしよう。
それにしても競艇についての知識がない。買い方もあんまりわからない。舟券を買うためのマークシートの塗り潰し方も相当手探りである。我々はわざとらしく声をひそめて相談しあう。「ねえ…ボックスってなに…?」「しらない…」「…なんて?」「…わかんない!」マークシートを券売機にぶっこむと600円寄越せと言うので支払う。券が出てきた。何��かもわからないので、舟に乗ってる人の名前を見て決めました。この日は女性のような名前の人ばかりが舟に乗っていました。理由は分かりません。
私は入場料も含めて1300円失くしてしまった。Tくんも同じくらい失くしていたような気がする。そもそも舟が何周するのかもわかっていないので、まだゴールしてないのに「なんだよー!くやしいー!」と言ったり、もうゴールしているのに「あるある!まだあるぞ!」と言ってたりしていて(主に私が)、地獄だった。Tくんは競艇用語を携帯で調べて教えてくれて優しかった。私はロレッタセコハンのアルバムに『まくり差し』というのがあったね、聞いたことないけど、という豆知識を挟み込んでいた。音楽の話やめてお前も調べろよな。そういうとこだぞ。楽しかった。
つづく
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「1回使ってみてください。やめられなくなるから」は、蛭子能収氏の「もう賭け事はやらない。賭けてもいい」を彷彿とさせる良さがある。
[B! 薬物] 3年やめていても囁く悪魔「ちょっと休憩しませんか?」 田代まさしさんが語る薬物の本当の怖さ
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22年9月、蛭子さんが登壇する認知症啓発イベントに一般客として応募し、足を運んだ。終了後、楽屋で周りが「根本さんだよ」と蛭子さんに声をかけても反応がない。 一緒にイラストを描き始めるも、いぶかしげな目で見る。「ここ、汗描いてよ」と言ってもキョロキョロ見ていたが、ある瞬間、「ああ、根本さん、声で分かったよ」と返ってきた。 「気付くまでに30分はかかったんですけど、最近は、しばらくして気付きます。30代の頃で僕の印象が止まっているのかもしれないですね。だから、外見じゃなくて声で認識する」
“一切加工なし”の蛭子能収さんを堪能する「最後の展覧会」 監修の根本敬さんが語る | 医療プレミア特集 | 西田佐保子 | 毎日新聞「医療プレミア」
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台所の灯-人とその一般性の徴候に寄せて 岩松了 而立書房 カバー・イラスト=蛭子能収、カバー・デザイン=大石一雄
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トウルリラトウルリラ♪
蛭子能収を誘き寄せる呪いの歌🎤
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Pierre Taki - 根��敬 presents 蛭子能収「最後の展覧会」@Akio Nagasawa Gallery Aoyama | Facebook
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アフター6ジャンクション(TBS RADIO) on Instagram: “オンエア写真集(2022/11/2) #utamaru #宇多丸 #日比麻音子 #秋の推薦図書月間 #井上咲楽 #蛭子能収 #ひとりぼっちを笑うな #SDGs #SDGsジャンクション #ザ・おめでたズ #大人 #高校演劇 #とうきょう総文2022 #澤田大樹 #長峰由紀…”
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